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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

2147彰往考来:2008/05/25(日) 13:45:56

日主師のお虫支払い記録にある御本尊

日主師のお虫支払い記録にある御本尊四幅がどれをさすのかは興味ある点です。
元亀4(1573)年8月19日のお虫払いでは、
「御筆の大本尊一包同く三包」(『富士宗学要集 第8巻』(以下『富要集8巻』と略します)昭和53年、創価学会、43頁)とあり、
天正8(1580)年のお虫払いでは、
「御正筆の本尊四包」(『富要集8巻』44頁)とあります。要はこのころ四幅の宗祖御本尊が富士大石寺にあったという記録内容です。なお、私は“包”は“幅”の略字ではなく、まさしく御本尊が包んであったと解釈しています。「御つゞら(葛篭)」(『富要集8巻』43, 44頁)が出てきますので葛篭に入っていたことは間違いないでしょう。
さて、この四幅の中に弘安3年3月の紫宸殿御本尊(第82番本尊)が含まれるであろうことはこの御本尊が文安2(1445)年に9世日有師により模刻され(『富要集8巻』194頁)、紙幅の御本尊が現在も富士大石寺に蔵されている(『富要集8巻』178頁)ことから疑問はないでしょう。
では、他の三幅がどれであったか推定できる可能性のある資料をみてみましょう。
京都要法寺の日陽師による「祖師伝 同付録」の「釈の日陽」の項(『富要集5巻』59頁)に、
「(元和三(1617)年)四月廿四日大石寺に着く、(中略)御霊宝等残らず頂拝す、中にも日本第一の板御本尊、紫宸殿の大曼荼羅、病即消滅曼荼羅、其の外曼荼羅数幅」
とあります。この記録は元和3(1617)年はお虫払いのあった天正8(1580)年と時期的に極めて近く、かつ御本尊数もほぼ一致するので参考にできます。「紫宸殿御本尊」が記載され、それとともに「病即消滅曼荼羅」が記載されています。この「病即消滅曼荼羅」は、『富要集8巻』177頁に「建治二年太才丙子八月十三日」とある御本尊が該当すると考えます。これは『日蓮正宗大石寺』(昭和45年、東西哲学書院、89頁)に、
「病即消滅不老不死御本尊
建治二年(1276)太歳才丙子八月十三日の大聖人ご真筆の御本尊である。讃文に「病即消滅不老不死」の経文がしたためられてあるので、古来この称がある」
とあることから明らかです。建治二年の「病即消滅曼荼羅」(「病即消滅不老不死御本尊」)が日主師のお虫支払い記録にある御本尊四幅のうちの一幅であることはまず間違いないとみてよいでしょう。四幅のうち二幅が明らかになったと考えます。


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