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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
2938
:
減二
:2010/06/13(日) 17:09:21
雑談のスレッドの方から来ました。立場を明確にするためにこちらの方々に自己紹介を致します。
私は、死刑制度とは国家にいけにえを献上する事だと考える。
私の考えは逆説的で、犯罪をなくすためには犯罪者になりにくい性格や性質を形成することにあるのでは無く、
犯罪を統治するいけにえ制度がなくなれば犯罪もなくなると考える。
あらかじめ死刑になる人の人数が決められているのだとしたら、
その人数に合わせて犯罪者を用意しなければならない。
なぜやっているのかというと、あんなことをしたら死刑になっちゃうわよと子どもに諭し、
お前ら言うことを聞かないとあのようにされるぞと脅しに使い、その事により社会を統御するためなのだと私は思う。
事件を機に政治的な事も動いていく(例えば○○の事件が起こったら首相が交代など)。
常に脅しが必要だから、やめられないのではないか。そして、社会をうまく循環させるために行なっているからではないか。
人間のエゴがある限り廃止ができない。存置し続けなければ人間を統制できないのではないだろうか。
以上が私の考えです。
2939
:
減二
:2010/06/13(日) 21:24:57
私は誤字が多いです。すみません。
機→基
2940
:
減二
:2010/06/13(日) 21:59:47
ああ、やっぱり間違っていなかった。
あとで辞書を調べたら機には、きっかけという意味があった。
たびたび申し訳ありません。
2941
:
減二
:2010/06/13(日) 23:31:26
しかもなんだか止まっている。
皆様、私の事はお気遣いなさらず、先をお続けくださいますよう‥
2942
:
シアン化カリウム
:2010/06/14(月) 02:00:26
>>2925
横レスですが、自分は自由な社会ほど犯罪は多くなるのではないかと思います。
社会の規制が緩ければ、自己規制に頼る部分が大きくなるからです。
それがいいか悪いかは別にして、ごくシンプルに考えてもそう思います。
文章を切り刻んでレスすることもされることも嫌いです。あなたの文意を理解しよ
うと努力しましたが、論理の飛躍、破綻、矛盾を感じ、やむなく小間切れになって
しまったことを残念に思います。
>地縁・血縁が弱まる代わりに赤の他人への信頼・協調が高まる。
人との関わりが煩わしいという理由で地縁血縁が疎遠になっていっているのでは?
赤の他人との信頼・協調が高まる根拠がわかりません。
>男女が平等で個人が自立している。
だからって自給自足したり雌雄同体になって自己増殖もしないでしょ?
何がどう変わると言いたいのかよく分かりません。(前後関係からしても)
>コネが効かなくなる。競争が公正になる。腐敗が減る。
この部分だけは関連性が想像できます。でも、あなた自身の前段での赤の他人との
協調が強まるという前提に立てば、矛盾しているし効果は期待できませんね。
>警察が機能するようになる。
>法の支配が強まる。
>経済が発展する。
どこから、どういう風に考えるとこういう理屈が導かれるのでしょう?
>結果的に犯罪は減るでしょう。
経済の発展はマイナス面もあるのでは?
それと、loveless さんの言うように法の支配が強まれば当然自由は制約されますよね?
あなた自身の理論が「自由を規制すれば犯罪が減る」という結論になってますよ。
2943
:
無精髭
:2010/06/16(水) 02:51:37
>2925>2935
lovelessさんとKenさんは、何をもって国家なり社会なり個人なりを強いとするかで
意見が分かれている気がしますね。ただ失礼ですけど、それが何かっていうのをお二人
ともハッキリ仰っていないからぜんぜん話がかみ合っていないように見えますし、
はたから聞いてても話がよくわかんないですね。ところで、中国ってKenさん的には
まだまだ国家強い・個人弱いって感じなんでしょうけど、lovelessさんから見ると
逆なんでしょうかね?
>2938
日本にも1989年から3年以上続いた死刑モラトリアムがありましたよね。死刑制度が
いけにえを欲し、それによって社会を統御するものなのだとしたら、なんでそんな長期に
亘って死刑執行を停止していたんでしょうね。
>(例えば○○の事件が起こったら首相が交代など)
死刑相当犯罪が起こった責任を取って首相が辞任したなんて話ありましたっけ?
>2937
いや、再犯殺人全体の何%を云々しないと「再犯殺人全体(あるいは殺人事件全体)
における死刑廃止によって生じうる再犯殺人」を誤差とみなすこともできません。
>2942
シアンさんは、法であればなんでもかんでも個人に不自由をもたらすとか思って
いらっしゃるのですか? そりゃあいくらなんでも無茶でしょう。著作権法だって
個人の権利を保障するものでもあるわけですし。また、たとえば独禁法は競争の
公正化、すなわち経済の発展には欠かせないものでしょう。法の支配が経済を
発展させるというのは、経済学では常識なんじゃないですかね。
2944
:
シアン化カリウム
:2010/06/16(水) 05:34:38
>>2943
>いや、再犯殺人全体の何%を云々しないと「再犯殺人全体(あるいは殺人事件全体)
>における死刑廃止によって生じうる再犯殺人」を誤差とみなすこともできません。
・・・・であるから、この違いは誤差と見なすことができる。
ではなく、
この違いを誤差と見なすためには、・・・・でなければならない。
ということでしょうか?
結論ありきで論じているならツッコミを入れてもしかたありませんね。
>法であればなんでもかんでも個人に不自由をもたらすとか思っていらっしゃるのですか?
そんなことは言ってないつもりですが・・・。
>著作権法だって個人の権利を保障するものでもあるわけですし。
>独禁法は競争の公正化、すなわち経済の発展には欠かせないものでしょう。
法人を含む著作権者の権利を保障するものでは?それはさておき、自由、不自由という
観点だけで論じるなら、著作者の権利をまもるということは、著作者以外の自由を制限
するということです。独禁法は競争の公正化は確かだと思いますが、だからといって市場
への新規参入を促進するものとまでは言えないと思います。経済の発展という指標では
それこそ誤差程度の寄与しかないのでは。
しかし、あなたは著作権法と独禁法という面白い素材を持ち出された。一方で独占を推進し、
一方で独占を制限する。いわゆる法の二枚舌ではないでしょうか。業界や有力者、外圧の
政治、政策的意図を持って都合のいいように誘導されている。しかも建前は個人、弱者の
保護といった聞こえのいい御旗が掲げられる。ただの被害者意識でしょうかね?
ちなみに、自由と犯罪の増減がそもそものテーマでしたよね?
で、法の強化によって自由がどちらに傾くのか。
経済は完全に横道なので、とりあえず棚上げしませんか?
2945
:
Ken
:2010/06/16(水) 13:36:50
>>2942
それと、loveless さんの言うように法の支配が強まれば当然自由は制約されますよね?
逆です。あなたの「法の支配」の理解は変です。法の支配というのは法律がたくさん実施される、とかいう意味ではないです。
>>法の支配(ほうのしはい、英:Rule of Law)とは、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D
↑良記事。英語版も詳しい↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Rule_of_law
法の支配というのは国家権力をどうやって縛るのか、という話であって、法の支配が強まれば、国家権力が恣意的に運用されなくなり、個人は国家からのいっそうの自由を獲得することになります。
私の書き方も悪かったのですが
>>2925
は法の支配の強い国々の特徴を箇条書きしただけであって、相関関係を示したかっただけで、個々の記述の間の因果関係を示唆したかったわけではないです。たとえば、上掲Wikipedia記事の図を見てもらうと分かると思いますが、法の支配の強さとGDPには高い相関があります(法の支配の強い国々は経済力が高い)。
2946
:
Ken
:2010/06/16(水) 13:41:13
>>2935
「自由闊達」という表現だとポジティブなイメージしかないので「勝手気まま」という表現の方が正しかったかな?
そうですね。「自由」という言葉を「犯罪行為を行える自由」という限定した意味で用いれば、自由がなくなれば犯罪は減るし、自由が増えれば犯罪は増えるでしょうが、それはどうしようもなく当たり前のことです。
無許可コンテンツのダウンロードの取り締まりに対する見解は一面的過ぎるのでは。無許可のアップロード・ダウンロードは著作権の侵害であり、デジタル・コンテンツの作製者の経済的自由を奪っています。すなわち、無許可コンテンツのダウンロードの取締りは一方的に市民の自由を奪っているわけではなく、市民の中にはそれによって自由・権利を回復することのできる人もいます。無制限の自由などというものはそもそも存在しないのであって、公共の福祉に反するダウンロードが制限されるのは仕方のないことでは。
この問題は結局、私人間の利害の対立についてどこを落としどころにするのか、という問題であって、国家は単に調整役でしかなく、この事態をもって「国家が強くなる」と呼ぶのは違和感があります。「著作権者が強くなる」とは言えるでしょうが。あるいは、Lovelessさんが書いている通り、「国家の関与が高まる」とも言えるとは思いますが。
これに対して、たとえば中国のインターネット検閲は国家が国家にとって都合の悪い情報を取り除くために行うのであり、「国家が強くなる」というのはそういう事態を私は念頭においていました。
2947
:
Ken
:2010/06/16(水) 13:48:10
>>2397
>>2932
と髭さんの補足が理解してもらえなかったようで、書き直したところで徒労に終わるだけでしょうが...
うまいたとえが思い浮かばないのですが、たとえば激辛カレーがあってKCNさんには辛すぎて食べられなかったとしましょう。そこで、一つまみの砂糖を入れてみることにします。元のカレーには砂糖は入ってないので砂糖の量に関しては「ゼロ対ノットゼロ」、比率にすれば後者のカレーには砂糖が無限大入っていることになります。しかしながら、激辛カレーに砂糖一つまみなど焼け石に水、それでもKCNさんにはやっぱり辛くて食べられないことには変わりがありません。つまり、激辛カレーの辛さに対して砂糖一つまみの甘みは誤差のようなものであって、無視されます。
同様に..
殺人犯が100人いたとしましょう。今のところ死刑になるのはそのうちの一人だけです。つまり、残りの99人には再犯殺人を犯すおそれがあります。厳罰化して死刑判決を二倍出すようにしたところで、再犯殺人を犯すおそれのある人数は一人減って98人になるだけだし、死刑を廃止したところで、再犯殺人を犯すおそれのある人数は一人増えて100人になるだけです。すなわち、死刑のあるなしによって再犯殺人を犯すおそれのある殺人犯の母数には事実上変化がありません。
つまり、死刑の存廃は再犯殺人と絡めて議論する必然性はどこにもありません。言い換えるなら、再犯殺人を減らすためには死刑以外の対策を講じる必要があります。
2948
:
Ken
:2010/06/16(水) 13:50:08
上のはKCNさんの
>>2937
に対する応答でした。
2949
:
無精髭
:2010/06/16(水) 23:54:10
>2944
結論を受け入れる・受け入れない以前に、シアンさんが
>>2932
の論旨を
理解なさっているなら、
>それは、再犯殺人全体の何%とかいう話でしょう?/あなたは、死刑廃止による再犯殺人の増減のみを対象としているのか、/死刑廃止に関係なく再犯殺人を語っているのかどちらでしょう?
なんてことをお書きになるわけがありませんから、それをご理解いただくために、
「再犯殺人全体(あるいは殺人事件全体)における死刑廃止によって生じうる
再犯殺人」を論点として取り上げるためには、部分と全体の比較からその差の
大きさに注目する必要がありますから、まず部分を割り出すために再犯殺人全体の
何%を云々する手続きが必須なのは当たり前ですよねと申し上げたかったわけです。
で、Kenさんは
>>2926
から今に至るまでしつこいくらい「死刑を廃止したせいで
生じる再犯殺人のリスク」なんて取るに足りない誤差みたいなもんだと仰っている
わけですが、他の人がそれを誤差と見なすかどうか、たとえ誤差と見なしたとしても
それを無視しないかどうかは結局その人自身の判断にかかっているわけで、Kenさんも
>>2926
この議論のキモははたして再犯被害者が囚人100人につき12人なのか0.1人なのかにかかってますね。12人ならKCNさんの言うとおりでしょうが、0.1人なら死刑を廃止すべきとなります。と、書いたところで、再犯被害者がたとえ0.1人だったところで死刑廃止派に鞍替えする物分りのよい死刑支持派は見たことないのですがw
と書いていらっしゃる通り、そのことは百も承知でしょう。シアンさんも誤差の件を
認めざるを得ないのだとしても、それでもまだ死刑の特別予防効果にこだわりたい
のであればこだわればよいわけですし、反証できるのであれば反証なされば
よいわけです。その場合Kenさんが譲歩されることもありえるでしょう(
>>2933
)。
つまるところ、自分とKenさんとでどうも話がかみ合わないとシアンさんに
思われるのは、死刑廃止による再犯殺人リスクの増加というのは再犯殺人全体
としてみれば誤差のようなものでしかないと私が考えるのはこのような理由
からだというKenさんの文脈(
>>2932
)をシアンさんが全く理解していらっ
しゃらない(理解しようと努力していない?)からではありませんかね。
2950
:
無精髭
:2010/06/16(水) 23:54:45
Kenさんの
>>2925
はKenさんご自身が認めていらっしゃるように論旨不明瞭
なので、論理の飛躍だの破綻だの矛盾だのを指摘するのはおろか、補足的に理解
することさえ非常に困難だと私には思われました。でも、シアンさんは
>>2942
で
それをいとも簡単にやっておられるから正直言って不思議でした(ちなみに当の
Kenさんが仰ったように、
>>2925
において個々の事象間の因果関係を記述する
おつもりがなかったということくらいは、その形式上、私には容易に想像できました)。
で、Kenさんの論旨不明瞭な書き込みに対してありもしない形式を想定して飛躍
だの破綻だの矛盾だのといった批判を加えることができてしまうというのは、
もしかしたらシアンさんが法に対して両極端な考えを持っていらっしゃる
(法と個人との関係については一面的な見方しか持っていらっしゃらない)
からではあるまいかと不遜ながら推測させていただいたわけです。
ですが、
>>2944
を読んでその点については単なる杞憂だったことを確認
いたしました。「法の二枚舌」という言葉は耳にしたことがありません
でしたが。それはともかく、
>独禁法は競争の公正化は確かだと思いますが、だからといって市場/への新規参入を促進するものとまでは言えないと思います。経済の発展という指標では/それこそ誤差程度の寄与しかないのでは。
これには驚きました。競争の公正化には独禁法が欠かせないということにはご賛同
いただけるのに、経済発展には競争の公正化が欠かせないということにはご賛同
いただけないのは、まったく腑に落ちません。国が取る競争政策において独禁法は
なくてはならないものだというのが、私を含む多くの人間に共通する認識だと
思っていたのですが。
競争の公正化が経済発展に誤差程度の影響しか与えないと仰るのなら、当然競争の
公正化など行わずとも現状のように経済は発展しうるのだと考えていらっしゃら
なければなりますまい。しかし、もしお暇があるのでしたらぜひ各国の経済史を
紐解いていただきたい。競争の公正化が未発達だった頃の経済を知れば、生産・
消費構造、市場規模、富の増殖等の単純さ・ちんけさに驚き呆れることでしょう。
それと、独禁法は何も競争の公正化のみを保障するものではありません。
およそ競争に関わる政策の柱でもあるわけですから、それを公正化という役割
に限定して捉えてその多様な意義を無視するというのは、自由競争は経済発展
にほとんど寄与しないと仰っているようなものです。
また、企業のあらゆる独占形態を取り締まり、その利権を解体することが
あらたな企業の新規参入の足がかりにならないはずがありません。というか、
独占企業が存在するからこそ新規参入が事実上不可能になるわけでして。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E5%8D%A0
「法の支配」についてはKenさんがなさったようにウィキペディアのリンクを張れば
よかったですね。まぁ、一番馴染みやすい例は憲法でしょうね(以下には「法の支配」
についての記述もあります)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
#.E6.B3.95.E3.81.AE.E6.94.AF.E9.85.8D
これは国家権力の象徴ではなくて、これをもって主権者である国民が国家に対して
順法を要求することでその舵を取るという色合いが濃いですよね。
ところで、経済の話題は完全に横道だからとりあえず棚上げにしてはとのことですが、
もともとlovelessさんとKenさんのやり取りから派生したテーマの一つですから
私がどうこう言える立場ではないと思いますし、それを有意義なテーマであると
考えるかどうかはとりあえずお二人の判断に任せたほうがよろしいかと。
2951
:
loveless
:2010/06/17(木) 00:37:08
>>2946
別に私は国家観や憲法論議をしたいわけではなく(してもよいけど、ここではレス違いですよねw)、
単に死刑制度に関する派生的なネタとしてレスしたので、そんな大げさなものではないです。
著作権の例が悪いというならば、例えば、銃刀法などでは、、
自由に銃が持てない日本では銃による犯罪は少ないですよね。
また、以前は、ダガーナイフ・バタフライナイフの所持や販売は自由でしたが、事件をきっかけに
それらの所持・販売は「罪」となりました。
#それ以降は、それらによる犯罪は起こってないと思います。
これらは、ナイフ愛好家にとっては自由が奪われた形になっていますが、犯罪の抑止には効果があると思います。
蛇足ですが、刑法では、姦通罪なんてものがありましたが今は廃止され「不倫は文化」と公言しても、
まあ捕まらないわけですw
不倫のある社会とない社会で、どちらが良いか私には判断つきませんが、不倫が原因の殺人事件とかも
起こったりしてますよね?
姦通罪が意識され、不倫に対する感覚が今より厳しいものだったりすると、そういう犯罪の抑止には
少しは役立っていたかもしれません。(まあ、姦通罪の復活は反対ですけど。。)
2952
:
シアン化カリウム
:2010/06/17(木) 06:30:15
>>2950
>法と個人との関係については一面的な見方しか持っていらっしゃらない
>競争の公正化が未発達だった頃の経済を知れば…
自分は、法とはプラス面だけでなく、表裏一体でマイナス面もあると思って
います。利害が対立する者の間に法律があり、仲裁するということは、各人
の権利を守るとともに制約を加えるものだと思っています。
法律は、人が人として生きることを保障するため、人の特権を守るため、
団体の意を酌むため、国家支配を容易にするため、他国に介入する道を
作るためなど、様々な動機で制定されているのではないでしょうか。
刑法は、国家国民の安全保障が主たる目的といったところでしょうか。
法の支配という言葉を、国家権力濫用の抑止力という意味のみに使用され
たのなら自分の早合点だったかもしれません。
しかし自分が思うには、国家権力濫用と同様、法の濫用・悪用も充分に危険な
リスクを背負ってるように感じます。
法は常に諸刃の剣で、放っておけば陳腐化し時代に合わなくなるし、かといって
軽々に変えればいいというものでもない、自分は独禁法の経済効果を否定して
いるつもりはありません。ただ、市場経済の黎明期と現在の経済環境で比較
してもしかたないし、現状においては独禁法はその役割を終えている面が多々
あるのではないか、そしてその効果は軽微なものになっているのではと思った
だけです。(存在や過去の功績を否定するつもりではありません)
2953
:
Ken
:2010/06/24(木) 15:30:30
Lovelessさんにリバータリアン的傾向があるのは知ってたし、その問題意識はよく分かりますが...
たとえば、その銃規制ですけど、米国には銃器を所持する自由があるわけですが、そのせいで犯罪を恐れて夜の街を出歩けないとしたら、やっぱり不自由ですよね。結局、私とLovelessさんの違いは「自由」をどう定義するかによるだけのようですが。
というようなことを考えていたら、ちょうど都合のよい記事を見つけた(とはいってもウィキペディアンによる作文ですが)↓
消極的自由
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E6%A5%B5%E7%9A%84%E8%87%AA%E7%94%B1
Lovelessさんが言っているのが消極的自由、私が言っているのが積極的自由。ないし「リバータリアニズムとリベラリズム」「自由権と社会権」「国家からの自由と国家による自由」といった対立のようです。
2954
:
無精髭
:2010/07/05(月) 21:36:03
偶然見つけた死刑論をいくつか。
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-5026.html
http://f26.aaa.livedoor.jp/~nanase/sikei.htm
二つ目のリンク先にあるテキストはどれも色々と突っ込みどころがありそうですけど、しかしながら
「死刑問題の理論的検討・再試論」はこちらでの最近の議論に内容がリンクしている観がありますので
思いのほか参考になるんじゃないでしょうか。近頃は、廃止論者にとって一番厄介、というか議論は
成り立つだろうが最終的に妥協に至れない相手は、「無実の人間を死刑にする可能性があっても、
それは仕方がないことである」みたいな決意を固めてしまった(結論に至ってしまった)存置論者では
ないかと思っています。それはともかく二つともカレーライスさんに読んでもらいたかったですね。
2955
:
あ
:2010/07/16(金) 05:41:25
死刑は必要
2956
:
あ
:2010/07/16(金) 06:05:37
死刑は賛成ですが日本は無期懲役と死刑の差が大きすぎる日本は終身刑が必要 今の日本の無期懲役は最大30年
死刑廃止論は最近はかなり勢力を失ってるらしいですので死刑廃止論は少数派の意見になってきてるらしいです ちなみに僕は戦争には反対
http://news.biglobe.ne.jp/social/493/jc_100222_4938475009.html
http://homepage2.nifty.com/shihai/report/100220shibuya/report.html
2957
:
ゼロ
:2010/07/16(金) 10:23:26
>>2956
>今の日本の無期懲役は最大30年
デタラメ書かないでね。
2958
:
あ
:2010/07/16(金) 15:19:52
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%B2%E5%BD%B9
#.E7.84.A1.E6.9C.9F.E6.87.B2.E5.BD.B9
2959
:
ゼロ
:2010/07/16(金) 15:46:30
>>2958
だから、日本の無期懲役は最大30年じゃないよー。
デタラメ書かないでね。間違って理解してるよー。
2960
:
無精髭
:2010/07/16(金) 20:59:37
苦笑。
「あ」さんが
>>2956
で張ったソースですけど、「死刑廃止論が勢力を失っている」
とか「少数派になってきている」といった事実を示すつもりでそれを張ったのなら
失敗しているとしか言いようがないですねぇ。だいたいアムネスティのアンケートを
論拠にしている時点でアウトでしょうw 以下、リンク先から転載しておきます。
アンケート結果は以下のとおりです(回答総数:240人)。
Q、裁判員に選ばれたら、あなたは死刑判決を出せますか?
「出せる」 110人(45.8%)
「出せない」 97人(40.4%)
「わからない」 33人(13.7%)
「出せる」が「出せない」をやや上回っていますが、2月上旬に 発表された
内閣府の世論調査での、約85%が「場合によっては 死刑もやむを得ない」と
回答した結果に比べると、「わからな い」も含めて、自分自身の判断としては
慎重にならざるを得な いという気持ちがうかがえる結果ではないでしょうか。
>>2958
も含めて、「あ」さんは自分が出したソースの内容すらよく理解していない、
もしくは誤解しているわけで、ハッキリ言って、感情だけが先走って物事を冷静に判断
できない人に裁判員はやってもらいたくないですね。
とりあえず「あ」さんはこれを読んで出直してくるべき。
無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ
http://www.geocities.jp/y_20_06/
2961
:
Ken
:2010/07/17(土) 12:19:26
>>今の日本の無期懲役は最大30年
最高が有期刑と同じなんだったら無期懲役なんて要らないわな。
このアンケートのとり方はダメダメですけど、興味深い結果ではありますね。内閣府の世論調査では9割近くの人が死刑制度を支持しているのに対して、裁判員として死刑判決が出せるかと聞かれればそれが半分くらいに減っちゃうんですね。死刑に対して当事者意識が持てるか、リアルに想起することができるかが死刑廃止にとって鍵のような気がします。
2962
:
Ken
:2010/07/29(木) 13:18:40
なんか、死刑が執行されたみたいですね。
千葉さんってこの間の選挙で落ちた人ですよね。でも、執行に立ち会ったり、報道陣への刑場の公開を支持したりと、なかなか好感がもてますね。
保守陣営がどういう反応するのか興味があったのですが、こんな感じ↓
【視点】人の死に「政治的演出」 千葉法相の死刑執行命令
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100728/plc1007282201023-n1.htm
【死刑執行】「国民にレッドカードの法相がすべきことか」野党から批判・疑問の声
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100728/stt1007281324006-n1.htm
なんか、はしごをはずされて戸惑ってる感じ。
産経・村上智博記者>>千葉氏は死刑を執行しないと信じ、しばしの安(あん)堵(ど)を得てきた死刑囚たちは、心をなぶられた形だ。
死刑囚の心が大事なのだったら、最初から死刑なんて廃止したほうがよいですね。
2963
:
Ken
:2010/07/29(木) 13:34:50
>>2653
>>2658
こんな記事見つけた。よく考えたら、「中国」と聞いて櫻井さんが黙っているはずがないですね。
【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】中国死刑執行に物申せ
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100408/plc1004080327003-n1.htm
櫻井>>麻薬犯罪にかかわっていたことは憎むべきことである。その罪を軽く見る気は毛頭ない。
櫻井>>薬物犯罪が重大な犯罪であることは十分に承知している
同じことを二回もエクスキューズしているのが滑稽ですね。あと死刑に関してヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティを引用してるのも世も末ですね。
>>そもそも、現代社会では薬物犯罪者への死刑適用の是非が問われている。人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の土井香苗代表は、中国は65種の犯罪に死刑を適用しており、汚職など、人命を奪ったわけでもない犯罪を含めて、このように多種多様の罪に死刑で対処する国は、「世界で例外的存在」だと非難する。
それ言っちゃうと、そもそも現代社会では死刑そのものの適用の是非が問われているわけであって、日本も世界では例外的存在ですよ。
結論:櫻井さんが死刑自体に反対なはずはないので、中国の死刑は汚い死刑、日本の死刑はきれいな死刑。
2964
:
無精髭
:2010/08/01(日) 11:08:02
>2962
法務省幹部に圧力を掛けられたとも言われていますけどね。それはさておき、、、
千葉氏がそうまで批判されるのは、落選した分際で法相やってんじゃねぇみたいな理由ばかりでなく、これまでの政治的
言動なり立場なりが大きく影響しているんでしょう。在日韓国人政治犯釈放の要望書に署名した件しかり、人権擁護法案
とそれに続く推進的議論しかり、外国人の権利拡張に関する提言しかり、などなど。敵が多い人は大変ですね。
多分この話題には下の記事が関連しているはず。
佐々木俊尚「ブレイクスルーな人たち」
東浩紀(批評家・作家) vol.1
「『レッテル張り』で政治を語るのは簡単ですけど、僕はやりません」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/889
ちなみに、ここで東氏は「南京大虐殺」について一言言及していますが、おそらく氏に対する批判というのは以下のような感じかと。
http://watashinim.exblog.jp/8879908/
http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20100625/1277437244
蛇足ですが、はてダの方で紹介されている
>これが大学生の部屋かよ&「中央公論」東×茂木対談 - 紙屋研究所
これは東氏に関する記事としては結構的を射たものだと思います。
そういえばこの前の「朝生」では堀紘一氏から「さっきから人の批判ばっかりして」「自分の意見を言ったら?」
「もう帰れよ」とかなんとか言われて一旦は退場したあずまんでしたが、氏もとにかく敵が多い方のようです。
>2963
前に何度かシェンさんが、ビジネス目的の廃止派は廃止派全体の評判を落としていると仰ったことがありましたが、
そういう迷惑感が櫻井氏にもあるんじゃないでしょうかね。中国のような人権後進国の法制度や死刑運用ではとても
国際社会の理解を得られるものではないだろうし、ただでさえ死刑は非人道的な刑罰だと非難される流れが強いのに、
その状況を無視する形でバンバン死刑を執行したりなんかすれば、死刑廃止国からその国に非難が集まるだけでなく、
他の国の死刑も槍玉に挙げられるじゃないか、とか言ったような。肝っ玉が小さいといえば小さいのでしょうが。
2965
:
森蔵
:2010/08/11(水) 15:31:25
ところで、ここの皆様は「死刑制度反対」なのでしょうか?
私は、反対ですが、本当の意味での「無期懲役」「懲役300年」などの刑は必要不可欠かと思います。
2966
:
減二
:2010/08/12(木) 19:03:49
森蔵様
社会が(狭義の意味での地域、人々)が見せしめを要求する限り、死刑制度は
必要ではないかと思います。死刑制度が必要なのは、人々がこれをやったから
こうなったという具体的な事例を見本(悪い見本)として要求しているためだと思っています。
社会を良くするため、国民を統一し悪い見本を提示し、
そのようなことはしてはいけない事だと示すために行われていることだと思っています。
ただ、この制度は時代にそぐわなく、残酷です。
現在犯罪を犯して刑務所に入りたいなどと思う人は居るのでしょうか。
いつも、見せしめを用意し、それを糧に安堵している日本は正しい国なのでしょうか。
日本が、死刑制度を廃止すると見せしめが居なくなるので、新しい方策を考えなければならないと思っています。
いろいろ考えて、私は死刑は、反対でもないし賛成でもありません。
2967
:
ひとこと
:2010/09/11(土) 07:07:10
>>2966
横レス失礼します。
>現在犯罪を犯して刑務所に入りたいなどと思う人は居るのでしょうか。
今食べるものに事欠いて、金もなく、家もなく、明日をも知れぬ生命となれば、
粗末ながらも衣食住が保障される刑務所に行きたがっても、全く不自然とは
思いません。
まして、終身刑があるなら、自分の生きている限り保障が付いてくるわけです
から、凶悪犯罪を企てるかも知れません。
借金や、イジメなどで、精神的に追い込まれた場合も、逃避先として選択肢に
入るかも知れません。
単なる見せしめという考えは、ちょっと違うかなと思います。罰を甘んじて受けて
でも、今の環境を抜け出したいという選択肢になってはならないのだと思います。
2968
:
Ken
:2011/01/14(金) 14:59:58
この特集はどの記事も興味深かったです。
死刑の世界地図
http://globe.asahi.com/feature/101018/
>>2967
まして、終身刑があるなら、自分の生きている限り保障が付いてくるわけですから、凶悪犯罪を企てるかも知れません。
刑務所に志願したいだけだったら別に凶悪犯罪を犯す必要性はどこにもないですねー。実際、刑務所で一生の大半を過ごす人というのは軽微な罪で舞い戻る場合が多いです。出所しても仕事が見つからず食い詰まって無銭飲食で捕まるとか。性犯罪を繰り返すとか。薬物を繰り返すとか。
生きながらえるためだけに凶悪犯罪を犯すというような人はまずいないでしょう。常識的に考えて。大量殺人犯とかたいてい、もう人生どうにもならなくて自殺も考えたけどそれも決行できず、何もかもむちゃくちゃにしてやりたくてやけくそでやったとか言う人が多いですね。
2969
:
無精髭
:2011/01/25(火) 22:52:34
>>2965
多数決ならともかく議論する上では、賛成か反対かってことにこだわるのは
さほど意味がないように思われますが。
自分と同じ立場を表明している人の場合、たとえその立場に至るまでの道程が
自分と異なっていたとしても、結果として立場が自分と同じであるという端的な事実が
前提(仇)となって、お互い相手との対話における価値は低く見積もられてしまい、
更なる対話の可能性は著しく損なわれることでしょう。激しく対立する二つの立場が
あるとして、どちらか一方に属する者にとっては大抵、己の出自に共通する点がより
多く見出されるのは、敵方よりも同志に対してなのです。自分と似ていることが分かり
きっている人物と「私たちはお互い似ている」という点で話を掘り下げるなんて
真似をする人は珍しいのではないかと。
しかしながら、個人がある特定の立場に至るまでの経緯というのは、立場なり結論なりが
そこで初めて機能する場としての思想的対立とは本来無縁であるはずです。どのような個人も、
思想的対立の枠組みを理解した上でどちらか一方の立場に立つのではなく、悩み考えた末に
特定の立場に立たざるを得なくなってから、はじめて自らが立っている場所が思想的対立に
おける一方の立場であることを理解し、受け入れるからです。それは個々人が自分の
意思(特に思考過程)とは無関係に、思想的対立に巻き込まれることに他なりません。
また他方で、自分と相対する立場を表明している人に対しては、レッテル貼りとか
雰囲気批判とかいった悪どい手段が横行しちゃうんじゃないでしょうか。(その人と
同じ結論・立場だからという理由で)実はその人とは異質の賛成派ないし反対派の
文脈を強引に持ってくることで、そういった禁じ手を正当化しちゃう人っているでしょ?
「お前もあいつと同じ考えなんだろ? 何か反論してみ?」とか無理難題を吹っかけて
来る人とか。「だいたい『あいつ』って誰だよ」って言いたくなる。いずれにしろ、
議論を始める前から賛成だの反対だのに自他の別なくこだわる輩は、むしろ有害ですね。
色んな意味で。
死刑を廃止したいと思うなら、自分たちは一体何を廃止しようとしているのかを知る
必要があるでしょう。また、これは同時に自分たちはこれまで一体何を存置してきたのかを
知る必要もあるということです。結局、死刑を具体的に語るということに立場の違いなど
あるはずがありません。
2970
:
無精髭
:2011/01/25(火) 22:53:18
と言いつつも、賛成・反対の意をあらかじめ示しておくことにも利点がないわけ
じゃないでしょう。早い話、先入見むき出しで相手の主張を読み解くことが
できますから、議論に費やす労力は格段に減るw 早とちりして同意見の人に
噛み付くような人もいなくなるでしょうし。その代わり、たとえば死刑に反対して
いる人に向かって、お前は公共事業にも反対するんだなとか言って、死刑議論の中で
滔々と公共事業の必要性について述べまくるなんて人が湧いてきそうですがw
あと、賛成派と反対派が截然と分かれているのを見て、自分はどちらに加わった
ほうが有利・あるいは賢明かといった、風見鶏・日和見的態度を取ることも
簡単にできるでしょうね。
何はともあれ、賛成・反対の意思表示をしたほうがいいかどうかというのは、
結局のところ読み手を意識するかどうかの問題なんですよ。「私は○○に賛成です。
なぜなら、うんぬんかんぬん」という意見の述べ方が読み手にとって、負担が軽く
優しいという意味で、分かりやすい形式であるのは無論です。しかし、それも読み手に
全幅の信頼を寄せることができる状況に書き手がある場合にのみ、有意義な手法と
いえるでしょう。悪しき読み手が跋扈するような、あるいは良き読み手と悪しき読み手が
混在しているような場所では、先に言ったようなリスク・デメリットが生じるわけです。
結論にこだわる人というのは、結論で説かれていることから遡って、その人間の思考
過程を裁断しようと試みるでしょうから、結論が自分にとって受け入れがたいもの
であれば、自身の好悪に基づく抵抗感(潔癖)という主観があだとなって、相手の思考
過程に忠実に接したり、客観的に評価したりすることができなくなるはずです。結局
こういう人は、相手の結論に相手の人間性(本性)を見出そうといつも必死なわけですね。
一方、結論よりも思考過程にこだわる人は、結論がしょせん思考過程の一部に過ぎ
ないということをよく心得ていますから、相手(自分)の結論が相手(自分)の人間性を
反映し得るなどとは、万に一つも考えないわけです。またこういう人は、相手の言いたい
こと(意図)や相手の人格よりも、相手(つまり自分でない者)による物事の捉え方を
知りたいと考えるので、主張の一部分よりも主張全体の連関を注視する傾向にある
でしょう。ですから、極端な話、思考過程さえしっかりしているなら結論など
どーでもいい、という気持ちにすらなれるわけです。
2971
:
無精髭
:2011/01/25(火) 23:22:55
最近ちまたでブームになっているサンデルを経由して、このスレでもかつて話題になった
トロリー問題が再燃して、またちょっと(ネット界隈で)物議をかもしているとかいないとか。
はてさて、いまさらですけど、問題の発案者の方がお亡くなりになられたそうですね。
お悔やみを申し上げます。
http://macska.org/article/280
http://www.nytimes.com/2010/10/10/us/10foot.html
あと、最近聴いたラジオ番組の一部を文字起こししたものがあったので報告。
あずまんがピーター・シンガーについてかなり興味深いことを語ってました。
http://yuzuki.tumblr.com/post/169504348
ところどころ不確かな部分がありますが、それはご愛嬌。
他にも、下記の報告書とか分かりやすい。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/fmatsui/report.pdf
http://www.arsvi.com/w/sp01.htm
2972
:
紫煙狼
:2011/01/29(土) 22:44:15
娘を惨殺された父親が犯人への復讐を誓う。逃げ惑う犯人、それを追う父親。紆余曲折あって、犯人の死。
娘の墓(遺影)に「敵は討ったよ」と報告する父親。後ろには刑事の姿。。。
洋の東西を問わず、映画でもドラマでも現実の事件でも、まぁ珍しくはない話ですね。多くの人が
このストーリーに疑問を感じない、むしろ共感しやすいのでしょう。
ただねぇ…。世の中に「自分のために犯罪を犯してくれてありがとう!」って人がどれだけ居るのか…。
むしろ、大切な人であれば大切な分だけ余計に「私のために犯罪を犯そうなんて考えないで!」というのが
人間愛だとおもうのですけどね。了見が狭すぎでしょうか?
私はそういう話を見聞きするたびに「そいつは取り違えている」と感じざるを得ないのですね。
「殺された○○の気持ちを考えろ!」「○○のために俺は復讐するんだ!」この考え方がむしろ気持ち悪い。
いや、○○さんが今際の際に「ぜひ復讐してください。私の代わりにお願いします」と嘱託殺人なら理解は
出来るのですが、別に頼まれたわけでもないのに、勝手に頼まれた気になって「○○のため!」なんて恩着せ
がましいことを言うなんてのは、逆に愛しい○○さんの尊厳を否定するようなものですよ。それこそ死人に
クチなしで、利用しているだけじゃないですかねぇ。
実際は「自分が腹が立って相手を許せない」から「殺す」のでしょう?そんなの「自分のため」でしょう?
「自分が事件に気持ちの区切りをつけるため」「自分が自分を恥じずに生きるため」「自分がこれ以上公
後悔しないで済むため」「自分が新しい一歩を踏み出すため」そんなの「自分のため」でしょう?
自分の心の救いのために人を殺しておいて「○○のため!」なんて故人を利用しないでほしいね。それは
口実に過ぎないでしょう?そんなの全部「自分の欲望のため」に過ぎませんって。
○○さんの尊厳を傷つけることなく、自分の欲望に○○さんを利用することなく出来る復讐の範囲は
「犯人を挙げて、法の裁きを受けさせる」までであって、その判決がたとえ死刑でなくとも、たとえ
無罪となってしまったとしても、復讐はそこでおしまい。そこから先は単に残された者の心の欲望。
「愛しい人を奪った犯人がのうのうと生きているから殺す」なんてのは「セクシーな身体を持った女性が
裸で居るから犯す」のと同程度に「自分の欲望に勝てない弱さ」なのであって、そこには崇高さのカケラも
許されてはいけないのではないでしょうかねぇ。。。
復讐を望んでいるのは被害者ではなく、残された者だけですよ。
2973
:
ゼロ
:2011/01/30(日) 17:50:43
>>2972
「復讐するは我にあり」(新約聖書の言葉/我=神)ですね。
人殺しを殺してしまうとその人殺しと同じになってしまうので
耐えなさい。そうすれば、神が代わりに復讐(裁き)するであろう。
「人殺し」でなくても、「悪いこと全般」に置き換えて
知らないうちにそんなことを言っていたりしますよね。
「あんなことやってたんじゃ、いずれ天罰が下るよ」
とかなんとか。
どちらかというと日本人って勧善懲悪が好きという感じありますよね。
そういうテレビドラマが多いようにも思うし、、、水戸、遠山の金さん
刑事もの、、、。
2974
:
紫煙狼
:2011/01/31(月) 00:49:22
>>2973
私は「必殺!」世代で「鬼平」フリークですからね、実は勧善懲悪が大好きです(笑)
私が感じる違和感は「使命感」や「義務感」に対してなのだと思います。
よく「早く帰ってゲームしなきゃ!」とか言う人が居るでしょう?別に誰かにゲームすることを
命じられているわけでもないのに、義務的にもしくは使命的に表現する人って居ますよね?
私はいつも、そういうのを聞くと「それは義務じゃねぇ!」ってツッコミ入れるクチで。。。
「自分がやりたくてやる」コトをあたかも「使命」であるとか「義務」であるかのように表現する。
これが嫌いなんですね。上で挙げたゲームなんてのは、まだカワイイものですが、場合によっては
「自分がやりたいこと」をあたかも「社会の要請」「周囲からの要請」であるかのように言う。
それは違うでしょう?と言ってやりたくなる。
実は何が怖いって、本当に使命感や義務感を持っている場合です。スマイリー菊池氏の件もそうなら、
日野OLスレで師匠や妻を罵る人たちもそうですが、別に誰に頼まれたわけでもないのに、
自分がそうすることが「社会正義」であるかのように言う。ソースの不確かな情報をタレ流す輩。
「自分がやらなきゃ!」その使命感。薄っぺらで自己満足な正義感。これが怖い。
法を犯して罪に問われているのに「自分は正しいことをしたと思っています。」「同じ状況に
立たされたら、私は何度でも同じことをします。」あぁ、もう、つける薬もない!!
自分の欲望を満たすために不法・違法な行為を犯すことを正当化するなよ。美化するなよ。
それを世間も「さもありなん」「よくやったアッパレ!」と認めるなよ。ほめるなよ。
どんな些細なことであっても、どんな事情があろうと、法を犯すことを称えてはダメだろ。
目的は手段を正当化しない。正しいことは、正しい手続きに従って行われて初めて正義なんだよ。
これが私の思い、私の安っぽい正義感ですねぇ。
だから、その考えに従って断言します。今の死刑に正義はない!!とね。
2975
:
俺
:2011/01/31(月) 01:21:16
光市母子殺害事件の本村さんをどう思いますか?自分は犯人の福田君には
死刑になって欲しくないです。もう死刑判決出ちゃいましたが・・・。
自分も本村さんの異様な復讐心に違和感を持っていました。
2976
:
無精髭
:2011/01/31(月) 05:05:44
本村氏の感情って異様なんでしょうか? むしろ遺族感情としては普通なのでは?
異様って言うか、氏が変わって見えるのは、たぶん氏が物言う犯罪被害者遺族
だからでしょう。犯罪被害者(遺族)としてメディアへの露出が多いという点では、
前例があまりなかったですし(今もそうかも)、犯罪被害者支援のためにも色々と
活動されていますから(全国犯罪被害者の会:幹事など)。
あと、氏が犯罪被害者遺族としてメディアに訴えざるを得ない理由には、事件の
特殊性も関係していることでしょう。これがもし、未成年でなく成人が起こした
事件だったら、死刑判決はもっと現実味を帯びていたはずなので、氏がこれまで
してきたような目立った活動をする必要は生まれなかったのではないでしょうか
(もちろん、メディアが彼を目立たせたという側面もあるでしょう)。
とりあえず、氏の手記を読んで要らぬ先入主なぞ払拭すべし。
http://www8.cao.go.jp/hanzai/whitepaper/w-2007/html/zenbun/part2/clm04.html
2977
:
無精髭
:2011/01/31(月) 16:46:10
死刑賛成の理由の一つに、「被害者が望むから」というのがあると思うんですが、
こういう理由を挙げる人の考えには、「自分が殺された場合、遺された人たちには、
自分が加害者に対して死刑を望んでいると考えてもらって構わない」といった別の
側面があるのかも知れません。こういう場合、自分が死刑を望もうが、被害者が
死刑を望もうが、おそらくどっちでもいいはずでしょう。自分の考えと被害者の
考えとがごっちゃになってるんですから。
私が思うに、被害者本人の望みと、遺された者の望みとの違いが無視されがちなのは、
誰もが被害者になりうるという可能性と、この国において多くの人が死刑に賛成である
という事実があるからではないでしょうか。すなわち、遺された者もいつ被害者になっても
おかしくないのだから、自分の望みを参考に被害者の望みを推し量ってもいいはずだし、
この国では死刑賛成派が「ほとんど」だから、被害者が加害者に対して死刑を望んで
いるという推測が誤っている確率も「ほとんど」ないのだ、というわけです。
「自分の欲望のために殺すこと」は論外だとしても、「自分の欲望のために死刑を望むこと」
は開き直れるというか、確信犯的というか、とても自覚的な言動じゃないかと思うんですよ。
ですから、復讐心に燃える人が「俺は、殺されたアイツのためじゃなく、自分のために復讐
したかったのか…」と気が付くことには何らかの意味があるかも知れませんが、死刑を望む人が
「俺は、(中略)自分のために死刑を望んでいたのか…」と気が付くことにはあまり意味が
ないのではないかと。
ジャック・ラカンじゃないですが、欲望とは他人の欲望であり(私は他者の欲望を欲望する)、
一般に他人が欲しているから自分も欲するという面があるから、その意味で自分の欲望は他者の
欲望へと還元されるのでしょう(ちなみに欲求と欲望は異なる※)。同様に、死刑賛成という欲望は
自分の欲望ではなく、他人の欲望でもある。そして、自分や他人といった個々人の欲望というよりは、
多くの人の欲望の総体という方がふさわしいのだと※※。また、誰もが被害者になりうるのだから、
死刑賛成への意思は、自分の欲望であっても他人の欲望であってもいいことになるのだと。
※
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%B0%CA%AA%B2%BD
欲求とは、動物的、生理学的なもので、しばしばそれが目指すところと対象とが合致する。
欲求が満たされるのは欲求の対象との関係においてである。対して欲望とは、人間固有の
もの、精神的・感情的なもので、それが目指すところと対象とが合致しない。それは、
欲望の対象との関係において満たされることなく続く。人は、他者の欲望に欲望されることを
欲望し、他者の欲望を欲望することで欲望を自ら持続させる。このような循環回路の存在を、
つまり欲望が永遠に止まないことを欲望するのである。欲望が満たされる時よりも、まさに
欲望している時のほうが、快楽は強いのだから。欲求の場合はその逆であろう。
※※これが少なからず、ナチスによるユダヤ人迫害を連想させるにせよ、ナチスの側に
いる間は、人々は自らの欲望の危険性に容易には気が付けないのかも知れません。
『茶色の朝』 フランク・パブロフ/著
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf
仮に社会が茶色に染まってしまったら、ナチスの側に立たなければ危険だから、
ますます人々はナチスにしがみ付くことになるのではないかと。そして、自分が
ユダヤ人の側に立たされてからでは、後悔先に立たずです。
憲法で内心の自由が保障されている手前、「自分の欲望のために死刑を望む」のは勝手なの
ですが、問題は、「自分の欲望のために死刑を望む」ということを根拠にして、法制度の是非
を巡る、(人類にとって普遍的と言う意味で)思想的な議論を展開できるのか、ということです。
しかし、えてして「自分の欲望のために死刑を望む」人たちは、そういう議論の場で「あなたは
被害者遺族に対して『あなたは自分の欲望のために死刑を望んでいるのだろう?』と質問できるのか?」
とか「『自分の欲望のために死刑を望む』ことが根拠にならないというのは、被害者や遺族を
議論から排除するも同然」とか発言するものなのです。
2978
:
無精髭
:2011/01/31(月) 16:52:33
本村氏の名前が出てきたので、そういえばと思い、色々と覚え書きを溜め込んでいたフォルダを漁って
いて見つけたのが以下の文章。2008年の12月頃に書いたものですが、良い機会なので投稿します。
<ここから>
最初は終身刑望んだ母「やっぱり犯人の命をください」
12月13日7時32分配信 読売新聞
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/ff634d242a243d80cbea2d8fb1aad791
http://shadow9.seesaa.net/article/111154177.html
ここにシェンさんの「赦し」の限界性があるのではないかなぁ。シェンさん個人の道徳感情を超えて
普遍的な社会道徳になりうるかも知れないと、漠然ながら思っていたのですが。少なくとも私には、
同情のリミット機能というか感情移入のための想像力を養うことで、加害者側の視点に立つことも
可能だという理屈で十分納得できる考えだったのですが、Kenさんが仰るようにこの考えを
「面識もない被害者遺族に面と向かって」「とうとうと語りだすのであれば」、その反応たるや
推して知るべし、ですよね。
たぶんシェンさんは、同じ自論といえども、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1211686553/60
で見せてくれた信条と、合理的・論理的な死刑廃止論というものを、プライベートとパブリックという
観点から分けておられることでしょう。これは死刑存置・廃止という立場の違いを問わず、国民による
国家権力のコントロールと犯罪被害者(遺族)救済との2つの課題に分けて、死刑問題の解決を
もっぱら前者の目的に繋がるものとして考える上で、とても重要な心構えとなります。
しかし、感情を括弧に入れて論理に徹するという手段だけで、はたして皆にとっての
落としどころを生み出すことができるのか、少なからず疑問に思えてきました。
言語(広く言って文法、狭く言うと論理)を共有するには、言語に対応する日常を認識する必要があり、
その上で議論や対話における対等な関係が成り立つのです。加害者と対等に話す(コミュニケートし合う)
のが感情面や技術面においても難しい場合が多い(犯罪者に接見する専門家の苦労が想像できます)のと
同様に、被害者と対等に話す(コミュニケートし合う)のもまた、さまざまな障壁を乗り越えていかなければ
ならないほど困難を極める行為のはずです(ここらへんのことに鈍感で、被害者側に同情し・加害者を憎む
というような、単純な対立構図でしか物事の是非を考えられないような非論理的な人は、その後でどんなに
いい発言をしたとしても、実際に社会的に善良な生活を送っていたとしても、その認識を改めない限り、
私はその人への評価を留保し続けるでしょう。彼(彼女)は存在しないに等しいという偏見を持ちながら)。
私の上記したようなことなんぞ、シェンさんは百も承知でしょうがね。つまり、同じ土台に立たなければ、
話は通じないのだと。論理、すなわち高度化したコミュニケーションとしての言語は、私たちがおのおの
生きる固有の生から離れて、社会生活(他者との共同生活)を営むなかで生まれます。さらにその生活を
超越したところから操作する法という権力としての機能が現われて、初めて日常使用にも耐えうるもの
として完成するわけです。言語には自分と他者を同一視する主観という概念を記述するための役割※と、
客観の中でも国家とか道徳とかいった(主観を持たない存在といったほうがいくらか分かりやすいかも)
超越的な概念を記述するための役割が備わっています※※。これら「自己」「他者」「超越者(超越概念)」
の三者の存在を記述するのが言葉の本質的な役割であり、これらを記述しうることが言語の公共性を
自ら保障するのです。
※他人について語れなければ、自分を言語で表現することもできない(私的言語といったものが
可能かどうか)という哲学的問題もありますが。
※※ちなみに「超越論的(独:transzendental)」という言葉もあって、これは簡単に言うと、
認識一般の限界(どこからどこまで認識できて、どこから先が認識できない領域なのか)を
見定めるようなメタ認識のことです。対して、「超越的(独:transzendent)」とは
その名の通り、言語あるいは論理を超越したもの、言い換えれば認識・感覚の外にあると
される(無論ないともいえます)ものを形容する場合に用います。
「生きていける命をほかからの力で奪うことに抵抗を感じてい」たあの子なら死刑制度に反対していた
であろうと考える母親が、同じ遺族である連れ添いの考えに背いてまで押し通そうとした、死者への
尊重の念には痛ましいまでに切実なものを感じます。もちろん、母親が忖度する被害者の考えは、
犯罪に遭う前の被害者の声を頼りに推測したものに過ぎませんが。
2979
:
無精髭
:2011/01/31(月) 16:54:23
犯罪被害の当事者である被害者本人と間接的被害を被った遺族との違いについて、殺された者と遺された者の
どちらが辛いかというと、比較できないからこそ、本当は両者ともそれぞれ固有で互いに異質な苦しみをもつと
捉えることが正しい選択なのでしょうが、私はあえて遺された者のほうが辛いと言いたいです。死者の苦しみは
死という経験の一回性によって想像を絶するが、被害者の苦しみは共有はしがたいほど峻烈だがまだ現世の苦しみ
として理解できるところがあります。それがおそらく、共通する経験とか価値の共有あるいは価値観の重なり
というものなのかも知れません。つまり私が言う「同情」の契機になるものです※。
※ただし、これは同情の対象が犯罪被害者遺族である場合に限られるだろう。犯罪被害者が死者の場合、
その契機を以って犯罪被害者遺族(あるいは被害者と特別親しかった者)に対する同情心から犯罪被害者
本人に対する同情へと移行できるであろうか?
言い換えると、死者の苦しみは単なる「苦しみ」という感情では掬いきれないほど、また「苦しみ」という
言語の意味には還元しえないほど(「言葉ではいえない」というアレ)、過剰ですが、死者を想うことから
生ずる苦しみは、どうにかこうにか親しい者や似た境遇にある者や同情を寄せる者とに分かち合うことが
出来そうだし、だからこそ「苦しみ」という言語の公共的な意味の内に収まって、さまざまな人々に伝達
されるのです。※
※上記の註で私が示した分類に従うとすれば、被害者本人の苦しみは「超越的」であり、遺族のほうは
「超越論的」であるということになるかも知れませんね。
死者と遺された者はお互いに愛する者から引き離されたと言える? 遺族と同様、死者も彼岸で別離の悲しみに
打ちひしがれて、さぞつらいことだろうというふうに同情する? あるいは、殺される寸前に愛する者の顔が脳裏に
浮かび、もう助からないと思って―――今生の別れを悟って、心が引き裂かれる思いがしたであろう、さぞ無念だったろう、
というふうに? 私たちと被害者とに共通するもの、相互において同情のきっかけとなるものは、命の存在であるが、
同情が起こるには、同情するものとされるものとの一方的な関係においても、客観的に見れば、相互の感情が交換
可能なものでなければならないのです。被害者の命と私たちの命とは交換可能と見なせるでしょうか?
被害者の苦しみと遺族の苦しみを比較すると、前者が私的経験(絶対に他者には共有されえない・
自分自身だけの経験)を問題にせざるをえないのに対し、後者は他者との関係を前提とし、
それに依存した経験にしか生まれないことが分かります。すなわち、自分自身が原因となって
生ずるような感情ではなく、あくまで他者の苦しみを想うことから生まれる感情なのです。
隣人(他者)愛というものにどうしてもつきまとう側面ですね。
ですが、鋭い方はもうお気づきかと思いますが、私の同情論というのは、後者のような経験にさえ、
前者のような私的経験に含まれるような要素を見出すことができるのではないか、という疑問の上に
立てられております。以上の点については、まだまだ考察が足りません。
「死刑囚に会うの無理ですか」娘を奪われつらさ伝えたい遺族
12月12日7時59分配信 読売新聞
http://shadow9.seesaa.net/article/111105431.html
闇サイト殺人 被害者、最後のメッセージは「2960」
http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/081208.htm
2980
:
無精髭
:2011/01/31(月) 17:01:48
前にちょこっと書いた記憶があったので、調べてみたらありました。前にあげたことがあるブログですが。
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-336.html
#comment3388
↑のエントリーへのコメントにて‘「被害者本人」と「遺族」の区別」’以下がそう。このブログは、法律その他
について詳細な記述とブログ主自身の理路整然とした主張で成り立っていて、そのおかげか、被害者や遺族に
ついてやや厳しいスタンスを差し引いても、勉強にはなります。今枝仁氏や来栖宥子氏もコメントを寄せているようで(汗)。
けれども、上にあげたエントリーのコメント欄に書かれた本村氏に対するの発言に至っては…
>そういえば、被害者遺族自らが、被害者のプライバシーを暴露することもありました。あの本村氏ですが。
>著書の「天国からのラブレター」では、「実在してる方の個人情報を晒し、自身の犯罪、故人の日記や手紙の内容」
>まで暴露ですから、本村氏自ら弥生さんの尊厳を害しているとさえいえますね。
さすがに言い過ぎではないかと。確かに実在している方の個人情報を晒しているという点については、
それが事実だとすれば確かに問題がありますが。事前に許可を取っているか、実は許可を取るほどでも
ない情報である可能性もありますよね。他のエントリを見てもそうですけど、本村氏についてはそうとう
厳しい、というか、内心憎らしく思っているようにも見受けられるのですが、私の気のせいでしょうか。
本村氏が弥生さんの尊厳を害していようがいまいが、生前に弥生さんと親しい関係にあった者であればともかく、
それ以外の人間がとやかく言えるというのも何だか妙な気がしますがねぇ。当該書の出版に関して本村氏を非難
することが弥生さんの本懐でないかも知れないとも考えられる以上それに背くことになるかも分かりませんのにね。
『天国からのラブレター』の内容はともかく、その出版意図は弥生さんやお子さんの遺志に報いるためではない
ことくらい、おのずと分かるような気がしますけどねぇ。まあ少なくとも、本村さんが世に発するメッセージが
死刑廃止派の方々が目指す目的とは逆の方向を向いていること、それが気に食わんのですな、きっと。冷や水の
一つも浴びせたくなるのでしょう。
しかしながら、世に倦む日々のブログ主を扱き下ろしているのは痛快でしたがw
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-113.html
<ここまで>
2981
:
無精髭
:2011/01/31(月) 17:05:15
上記でいくつかリンクを張りました読売新聞掲載の『連載「死刑」第2部「かえらぬ命」』は、
他にも記事がありますので、気になった方はぜひ検索してみてください。
ところで、その読売の連載記事を検索していて偶然見つけたのが下記のブログ。
犯罪被害者視点から犯罪や司法について一風変わった論を展開していて興味深いです。
http://blog.goo.ne.jp/higaishablog
法律関係の仕事をしているとのことですし、哲学にも関心がおありのようですので、
言葉を使いこなす能力については相当なものかと思われます。たぶんこのブログで
書かれているようなことをあの方は私たちに伝えたかったんじゃないでしょうかねぇ。
興味のある方は、ブログ内検索で、例の読売の連載記事とか、「死刑廃止」とか「冤罪」
とか「光市母子殺害事件差戻審」とか「本村」とか「修復的司法」とか「厳罰化」とか、
色んなキーワードで検索してみてください。賛同できるかどうかは別にしても、こういう
論点、論旨の立て方があるのかと驚くこと請け合いですから。
私が思うに、当ブログの長所は、法律関係者なのに(もしくは法学に関する専門知識を
持ちながら)法学に対してかなり否定的・懐疑的なスタンスである所と、通常ならそれ
以上突き詰めないで投げ出してしまうような考えも、さらに突き詰めて他者に伝えよう
と努力している所でしょうか。「冤罪」とか「報道被害」についてぶっ飛んだ解釈が
散見されるのが玉に瑕ですが、そういう部分を無視しても余りある何かが、つまり、
あの方とのやり取りでは絶望的に満たされなかったものが確かにあるようです。
言い換えれば、あの方とのやり取りから生じたフラストレーションが消失―――
神秘のベールが目の前からすっと剥がれ落ちたかのようでした。遅れてやってきた
カタルシスがここにある、という感じですかね。
まぁ、当ブログで展開されているような議論に付き合えるかどうかは、人による
と思いますが。存置派か廃止派か、法か民意か、加害者側か被害者側か、といった
違いはあまり関係なさそう。とにかく当ブログ主の意見は単純ではないです。
従来の二項対立に巻き込まれることやレッテル貼りを回避しようとして、わざと
論旨を複雑にしている節があります。
http://blog.goo.ne.jp/higaishablog/e/78bc739b758178028c379df23f0ac60f
2982
:
無精髭
:2011/01/31(月) 17:07:49
>>2974
1月26日放送の「歴史秘話ヒストリア」(NHK)は良かったですよぉ。大岡越前がテーマで、しかも
罪刑法定主義とか冤罪防止への取り組みなど、現代とも相通じる内容で、シェンさん好みの内容だった
かと思われます。近々再放送されますので、未見でしたらご覧になってはいかがでしょうか。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/75.html
ただ、エピソード3で大岡が取った強硬手段には、思わず「ええーっ」と声を出しちゃいましたけど。
あと、
>「正義」の話をいたそう!〜大岡越前 白熱裁判〜
ってタイトル、もろサンデルに乗っかりすぎだろww
まぁ、同局ではサンデルの講義を放送&DVD化済みだけど。
2983
:
紫煙狼
:2011/02/01(火) 11:40:17
>>武将髭さん
また随分と大量放出ですね。全てを理解するにはもう少々お時間を頂きたい。
ああ、誤字はワザとです(笑)
>>俺さん
俺さんの質問に私の見解を答えますと「遺族に冷静さを求めるのは無茶」です。
安らかに大往生を迎えた方の遺族になら冷静さのかけらを求めることも、
あるいは可能なのかもしれませんが、事件性の全く無い、単なる病死でも、
遺族が冷静で居られるとしたら、かえってそっちの方が驚きです。なので、
本村さんが異常かと問われれば「あれは普通でしょう?」と答えますね。
では、今後の刑事裁判は「冷静ではない者」に歩み寄るべきなのか?
「冷静ではない者をなだめすかす」方向に歩んでいくべきなのか?
「被害者や遺族の気を晴らすために厳罰化」するべきなのか?
「被害者や遺族の感情が刑罰に影響するべきなのか?」
「その余地を残すべきなのか?」
「刑事裁判は被害者や遺族のために存在するのか?」
これは全くの別問題です。と、いうか、とても重大な問題です。
例えば、身内に対しても偏屈でケチな富豪。身内はみんな
「あいつが死ねば、遺産が入って、セイセイするぜ」と思っている。
この富豪が惨殺されたが、裁判で証言台に立った遺族が口をそろえて
「犯人には感謝こそすれ、恨む気にはなれない。」と言う。
ならば、被告人は情状酌量・罪一等減じられるべきなのでしょうか?
自己使用を目的とする覚せい剤不法所持。実質、被害者は存在しないのですが、
「刑事裁判は被害者や遺族のために存在するの」であれば、上記のような犯罪を
「刑事法廷で裁く」のは正しいのか?
俺さん(皆さん)はどうお考えになりますか?
2984
:
ufloat
:2011/02/01(火) 12:53:57
光市事件の本村さんについては、私もそれほど違和感はないですね。
家族を2人も、それも何の落ち度もないのにあのように殺されたのでは、
犯人に対して極刑を望むのは特に変わった考えではないですし、
復讐心を燃やしたとしても無理はありません。
ただ、本村さんは現在「実際には誰も殺していない」のです。
実際に行動に移すかはまた別として、犯人を殺してやりたいとさえ
思うのは、被害者遺族として特におかしくない感情でしょう。
仮に犯人が死刑にならず、(仮)釈放で娑婆に出てきた際、
犯人を殺せば被害者遺族といえども殺人罪に問われるのは
避けられませんが、今の本村さんは誰も殺害していませんし、
そればかりか、おざなりにされてきた被害者やその家族・遺族の
人権を回復しようとする試みもなさっているわけです。
「少年であってもこの事件のような場合は極刑にすべし」という主張は
議論の余地はありますが、これを訴える行動自体は別に
法的に問題があるものでもないですし。
それより私が極めて腹が立ったのが、本村さんが犯人について
「死刑にならないなら自分が殺します」と発言したことに対し、
ネット上で「そうだ、本村君。殺して当然だ。応援しているぞ」
(口調もおおむねこんな感じ)と言わんばかりの書き込みが見られたこと。
自分がその行為の責任も取らないくせに(責任を取ったとしてもいけませんが)
よくもまあそんな無責任なことを…と唖然としたのを覚えています。
こういう人って、表面上は被害者遺族に対して共感しているようでいて、
実は完全なる他人事なのでしょうね。だからこそ、本村さんが「被害者遺族」から
「人殺し」に変わってしまうことすら平然と応援できてしまう。
もちろん罰せられるのは本村さんで、自分はその責任は取らない。
自分はただ「犯人め、いい気味だ」とでも笑っていればいい。
本当にタチが悪いです。
2985
:
紫煙狼
:2011/02/02(水) 03:42:28
>>2984
ufloatさんが言うコトは尤もだと思います。結局のところ、同情しているツモリの人々が、
実は無関心で無責任な自分、命の重さを自覚していないって話ね。実のところ
>>2972
も
>>2974
も
出発点はそこにあるし
>>2983
だってそれと切り離すことは出来ないツモリで書いているのですけどね。
ところで、ufloatさんの文章中にとても良い題材があったので、そのまま使わせていただきます。
>仮に犯人が死刑にならず、(仮)釈放で娑婆に出てきた際、
>犯人を殺せば被害者遺族といえども殺人罪に問われるのは
>避けられませんが
では、この殺人を犯した被害者遺族は情状酌量されるべきなのでしょうか?
>>2983
で私は「遺族から死を歓迎されている被害者」という特殊な例を挙げましたが、
こういう特例は存在せず、被害者遺族は常に加害者に厳罰を望んでいる、と仮定しましょう。
この場合、被害者遺族の感情を刑罰に盛り込まれて困るのは誰でしょう?
言うまでも無く、加害者ですね?
そう、ヒトを無残にも虐殺した畜生にも劣る虫けらである加害者が困るのです。
ヒトという種族であることを許すことも出来ないような憎悪の対象たる加害者だけが
困るのです。他には誰も困らない。丸く収まります。だから、刑罰に被害者感情を
加味することに誰も疑問を持ちません。野獣に人権は必要ないですから。
では、逆に、刑事裁判に被害者遺族の感情を反映させるべきではないという私の意見は
加害者の人権を守るための発言だと思いますか?いいえ、それは違います。
刑法が悪人から自分の人権を守るために存在するとしか考えていないヒトには理解して
貰えなさそうな話ですし、そもそも刑法学にも刑罰は国家が復讐を代行するコトと定義する
学派もありますから、私も自分の意見が唯一無二の正解だとは言いませんが、少なくとも、
私と同じ前提条件を飲むことが出来れば、被害者感情が刑事法廷に持ち込まれるのは誤りだと
いう理由がわかると思います。何度も挙げた話ですが、話の種にお付き合いください。
検察官はナニの代理人として加害者を処罰させるべく求めるのでしょう?
これが「被害者(遺族)の代理人」であれば、そもそも被害者や遺族が参加できない法廷は
存在自体誤ってとなります。しかし、実際は検察官は国家の代理人であって、被害者や遺族の
代理人ではありません。
では、なぜ国家は加害者を処罰するよう求めるのでしょう?もちろん、法を犯したからでは
ありますが、なぜ法を犯したものに処罰を求めるのかが問題です。それを理解するには、
日本国憲法の第99条に「なぜ国民が含まれないのか」を考える必要があります。
2986
:
紫煙狼
:2011/02/02(水) 03:42:58
日本国憲法第99条の解釈は、おおよそ「憲法とは国民が国家に要求する条項であるから、
国民がこれを守るという表現はおかしい。」という解釈で一致しています。私もその説を
支持します。
つまり、国民は日本国憲法で国家に対し「俺らの人権を守れ!犯させるな!」と要求している。
そしてそれ以外の法律は全て「では、国家は国民にこれらの法律を守ってもらわなければ、
皆さんの人権を守りきれる自信がありません。ご協力ください。」という国家から国民への
お願いなわけです。
つまり、これを読んでいる皆さん、アナタの人権を守るのは国家の義務です。他の誰かが
アナタの人権を侵したとすれば、それは国家の怠慢です。言い換えれば、アナタの人権を
犯したヒトは「国家の人権を守る」という最大の公務を妨害したことになる。つまり、
刑事犯罪は全て国家に対する罪で裁かれるから検察官は国家の代理人として断罪するのです。
被害者が、遺族がかわいそうだから、怒っているから加害者を裁くのではなく、国家の義務
行使を阻害したから刑事法廷で裁くのです。ならば、そもそも、そこに被害者や遺族が割り
込む余地があろうハズがない。むしろ、被害者や遺族の声が刑事法廷に影響を及ぼしては
いけないのです。ナニをトチ狂ったのかわかりませんが、被害者参加制度なんてものを作った
国家は「法律がそもそも何たるか」を全く理解していない。そう言って差し支えありません。
しかし、それなら被害者や遺族の悲しみや怒りはどう救済するべきなのか?刑法で無いなら、
刑罰で無いなら、何を以って感情慰撫するべきなのか?救済するべきなのか?
ひとつは民事法廷です。刑事無罪でも民事有罪と言う事例は事欠きません。国家への罪と言う
点では無罪でも、個人間の賠償責任は全く別です。確かに犯罪で被害者が蒙る被害は金銭に
置き換えられないプライスレスなものですから、はした金で決着をつけろというのでは限界が
ありますし、加害者に支払い能力が無ければ、被害者はやられ損ですね。では他には?
そう、今の法制度には「そのほかの手段」が無い、もしくはあっても焼け石に水なのです。
逆に言うと、被害者や遺族への救済措置がお粗末だから刑罰に気晴らしを求めるしかない。
2989
:
紫煙狼
:2011/02/02(水) 03:44:41
では、なぜ、被害者救済策の拡充を図らないのか?
ひとつは、被害者や遺族の求めるものがプライスレスだからです。
本当は刑事犯罪で蒙った被害は「国家の怠慢により発生した」のですから、国家には賠償責任があるはずです。
被害者に賠償するのは加害者ではなく国家の責任なのですから、少なくとも、刑事犯罪によって引き起こされた
被害に対する民事賠償命令は国家が保証しなければ「国家は責任を放棄して逃げた!」というコトです。いや、
むしろ、加害者に対する民事判決(支払い命令)とは別に、国家は被害者や遺族に対して慰謝料を支払う責任すら
あるのです。
でも、この無駄遣い大国、無駄遣いのせいで必要なお金が無い貧乏大国の日本に、それができますか?やってくれると
思いますか?いや、やらせなければダメなんです。でも、一向にそういう要求はないし、そういう動きもありません。
なぜですか?それは、刑罰で感情慰撫するという一般的認識が国家の逃げを後押ししているからだと私は断じます。
つめり、被害者の怒り、遺族の悲しみ、国民の不安が加害者に向いている限り、国家は自らの責任と向き合わずに
逃げていられるのです。(もっとも…。加害者と国家が被害者や遺族に莫大な金銭を支払ったところで、もともと
要求している物がプライスレスなのですから、満たされるワケありませんけど。)
だから、私は手っ取り早く被害感情慰撫のために刑事裁判を利用することを認めないのです。国家が国家としての
責任を果たして尚、満たされない部分はどうしたって乗り越えていただくしかないけれど、加害者を処刑したから
それでいいよね?という国家のあり方に疑問を持たなければオカシイのです。そうやって逃げていたいなら、それ
こそ被害者や遺族の言うなりに死刑判決を出しまくって、どんどん処刑してください。ヘタにかっこつけて余計な
判例を持ち出して被害者や遺族を余計に苦しめないでください。開き直るなら正々堂々と開き直りなさい。
ところが、これを邪魔する動きは実は国民の中にありました。ちょっとソースを見つけられないのですが、
この掲示板のどこかに、とある国家賠償請求を却下した判決に対して「判決は国民の声を代弁してくれた!」と
書いたバカがいるんです。つまりね、被害者被害者って可哀想に思っていてやったらいい気になりやがって、
国から俺らの納めた税金せしめて遊んで暮らそうたぁふてぇ野郎だ!と。これがね、本当に無責任な第三者の声ですよ。
結局ね、国民の大多数が、いや訂正、国民の中に少なからず含まれる短絡思考の持ち主が、被害者の救済?そんなの
加害者を処罰すりゃオッケーだろ?金?金が欲しいの?うわー人の命を金銭に換算するなんて、遺族もえげつねー。
ってか、そんな奴のために税金使うなよな。と臆面も無く口にして国家の逃げを後押しするわけです。
2990
:
紫煙狼
:2011/02/02(水) 03:45:05
誰もが口をそろえて「被害者が可哀想」「遺族が見てられない」「助けてあげようよ」「犯人を殺そう」って賛同しつつ、
そのために税金が使われることは嫌がるわけです。犯罪被害者のために寄付した奴なんざ、数えるほどしかいないのです。
そして、そういう人々が上手いこと金をかけずに犯罪被害者の(精神の)救済に選んだのが、刑事罰の厳罰化なのだと
考えれば、加害者の人権どうこう以前に、そもそものあり方を間違えていると判ると思うのですね。
本村さんは、国家からの救済はアテにならない(どーせ金にしかならんし)それならいっそのこと、犯人の首をよこせ。
これが最初のころの主張。で、方向性は今でも私とは正反対の方向だけれど、今の主張は違いますね。腹の虫だとか、
そういう話ではなく、むしろ命の重さの啓蒙的な意味で「きっちりしたケジメとしての加害者の死」を求めている。
主張の方向は正反対でも、私には死刑廃止論者として彼の主張を尊重する義務があると思う。
鵜呑みにするという意味ではないけれど、彼のような人が加害者の死を望まなくて済むような救済制度や法制度を
考えていかなくてはならない。
たとえ相手が大悪人だとしても、虫けら同然の奴だとしても、人の死を望むというコトは決して褒められた事ではないし、
被害者や遺族が満足するとしても、そんな十字架を背負わせてはいけない。そう思うわけです。
2991
:
ufloat
:2011/02/02(水) 12:52:30
>>2989
たまたま覚えていましたが、コレでしょうか。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1144928655/30
最近でこそ被害者救済の動き(犯罪被害者給付金制度
http://www.npa.go.jp/higaisya/shien/kyufu/seido.htm
など)が生まれてきましたが、まだまだ不十分なのは
おそらく大半の人が認めるところですね。
2992
:
紫煙狼
:2011/02/02(水) 17:29:12
>>2991
私の記憶がいまひとつアヤフヤだったにもかかわらず、
良くぞ見つけてくださいました。まさに、それです。感謝!
(ってか、本当に、誤った記憶で残っていました)
犯罪被害者給付制度などの件も一層、拡充化を図るべきだと思いますが、
やはり、私個人としては「被害者への国家からの慰謝料」という制度を
用意する必要が有ると思っています。
「どうだ、国家が手を差し伸べてやっているんだ。ありがたく思いなさい」ではなく
「国家のクセに貴方の人権を守ることが出来ませんでした。申し訳ありませんでした!」と
国家には当事者としての無力感・責任感・至らなさを感じていただきたい。
これが結果的に国家主導で「刑罰厳罰化傾向」をもたらすのであれば、それは
「国民の声に迎合して」の厳罰化ではなく「国家が義務行使する為」の厳罰化なのだから、
私は歓迎する。
だけれど、法律とは何ぞや!という問題を真剣に考えたことも無いような愚衆が
ある者を合法的に迫害し、場合によっては命を奪うイベントで無責任な気晴らしをする
ために被害者や遺族の感情を利用し、あまつさえ法制度に口出しをしようなど、
天と地がひっくり返っても許されてはならない。と思います。
2993
:
通りすがりの名無し
:2011/04/19(火) 06:47:19
>だけれど、法律とは何ぞや!という問題を真剣に考えたことも無いような愚衆が
>ある者を合法的に迫害し、場合によっては命を奪うイベントで無責任な気晴らしをする
>ために被害者や遺族の感情を利用し、あまつさえ法制度に口出しをしようなど、
>天と地がひっくり返っても許されてはならない。と思います。
こういう、欺瞞、悪意、妄想、蔑みに支配された感情で、社会のありかたや法のあり
かたを語るべきではないと思います。少なくとも、愚衆という時点であなたは法を語る
資格がないかと。
いかに法の専門家であろうと、一人の人間でしかなく、個人的な思想、感情、論理の
持ち主に過ぎません。かくいう私もその一人に過ぎません。
だからこそ、多数決というものがあるので、もし、それがミスリードに誘導されている
疑いがあるなら、その誤解を主張し、多数を納得させれば理を得るのでしょう?
現行、多数の支持を得ている考えや制度に問題があり、ミスリードされていると感じ
ているなら、その誤りを、多数の人が納得する形で示すべきでしょう。
それができないなら、多数派の考えが誤っていると思うことが誤りである可能性が
高いと思いますよ。
2994
:
通りすがり
:2011/05/01(日) 14:49:26
>>2993
客観的視野に立ったバランスの良い考え方されますね。
ところで、あまり関係ない話ですが「理性」ほどあやふやで相対的な物もないですね。
たった一個人においてすら、時間、場所、状況によって幾らでも変容する。それが地域、時代、社会背景になれば……。
自分が理性的だと思い込んでいる人間は、感情に支配されている自分を隠そうとしますね。憐れな事に。
ちなみに私は死刑は「アリ」だと思っています。むしろ、より厳しくするべきだとすら。
思想的立場としては、個人主義に立脚するのではなく、集団主義によるリスク回避の観点からです。
極論すれば、社会に対しクリティカルなダメージを与えた芽(再度与える可能性の高い芽も)は、早めに摘んでおいて欲しい。
人道主義の人からはきっと非難されるでしょうが、危うい隣人を住まわせられるほど人の社会は豊かじゃない。物質的にも精神的にも。
理想を振りかざす熱血も悪くないんですけどね。暖かい籠の中だからこその主張でしょう。籠の「もろさ」に気付いていない。
2995
:
通りすがりの名無し
:2011/05/03(火) 07:08:59
>>2994
人間は感情の動物です。
意識不明の重体とか、病による脳の損傷、あるいは被洗脳でもないのに
感情のない人がいるとしたら、「正常」とは言えないでしょうね。
どうも、復讐心や激昂、激情のことに限定して「感情的」と言いたがる傾向
があると思いますが、感情移入、共感、納得、情状酌量、不平等・不公平
感といった、被害者だけじゃない、加害者にも有利に働くかも知れない感情
もまた「感情的」と言えると思います。
自分は、死刑を支持します。
個人主義とか集団主義など関係ない。
下記のあたりが支持の理由です。
・自分の起こしてしまったことに対しては生命をかけてけじめをつけるべき。
・殺人行為の敷居が下がってしまった凶悪犯に、再犯の殺人事件は何が
あっても起こさせてはならない。更なる被害者は決して出してはならない。
・被害者遺族等による復讐の連鎖は絶対に阻止せねばならない。
あなたの「厳罰化」は未然防止の要素が強くて、自分はあまり支持できない。
自分は、量刑の判断に麻薬や覚醒剤といった薬物使用が、心神喪失、心神
耗弱とかの理由となり、刑の軽減に傾くような今の仕組みには異論がある。
その意味では逆に重くすべき、つまり適用基準においては厳罰化にも賛成
だと思います。
2996
:
通りすがり
:2011/05/04(水) 07:04:47
>>2995
死刑支持の理由以外、全く同様に考えています。
>加害者にも有利に働くかも知れない感情もまた「感情的」
これ良いですね。「感情」を「感情的」に非難して理性的な自分をアピールす
る人も多い。自分達「人間」と言うものを分かってないですね。
とまあ、そこは置いといて未然防止の意味合いが強いと言われれば、確かにそ
うであるかも知れません。
起こさせないに越したことはない。ですから。
起きてしまった事に対処する事なら誰でもできる。これからの人間は、事前に
対処出来る能力の方が重要になると思いますよ。それは死刑云々だけではなく
例えば環境破壊においても、原発の地震対策においても「想定外だった」なん
て笑ってしまう。
つまり「けじめ」と言うとどうも意識的に幼い気がします。
因果応報やら、対価やら、「行い」への対処よりむしろその手前の方で、なん
とかならんのか? とも考えますね。今のところ、厳罰化と良識の向上ぐらい
しか思いつきませんケド。
※ ちなみに生物として、私の考える方向性は間違ってます。個人的なもの。
2997
:
通りすがりの名無し
:2011/05/04(水) 16:46:23
>>2996
>ちなみに生物として、私の考える方向性は間違ってます。個人的なもの。
とおっしゃっているので、あまり深入りする気もないですが、犯罪の完全な
未然防止は人類の絶滅でしか実現できないと思います。
まあ、それは極論としても、初犯の未然防止は監視社会への移行が必須
条件となると思いますので、それを是とは考えていません。
人間はこの先千年経っても人間であり、感情の動物であり続ける限り、
凶悪犯罪も根絶することは難しいでしょう。
確かに、万引きや窃盗、交通違反で死刑にすれば、犯罪は激減するでしょう。
それは「割に合わない」から。それを初犯防止として主張するのもありかも
知れませんが、自分は今の程度で必要充分かなと思っています。
ただ、前にも言ったように減刑の理由には異論はありますが。
2998
:
通りすがり
:2011/05/06(金) 11:52:03
>>2997
>>ちなみに生物として、私の考える方向性は間違ってます。個人的なもの。
>とおっしゃっているので、あまり深入りする気もないですが、犯罪の完全な
>……
やはりあなたはバランス感覚の良い、視野の広い人だ。
まあ、私自身、未然防止の行きつく先は、完全な監視社会しかないのではない
かと思っています。矯正・教育を含め、社会による強制という立場からでは、
他の手段が思いつかない。かと言って人間が理性の動物にまで変遷すれば、お
そらく種として長くはないですね。どうでも良い事ですが(笑)
今のところ、多様であると言う事を喜ぶことにしています。
2999
:
通りすがりの名無し
:2011/05/06(金) 21:54:44
>>2998
>やはりあなたはバランス感覚の良い、視野の広い人だ。
これは実は裏を返すと、優柔不断、広く浅くの思想という負の意味にも
通じるものです。
ただ、ここは素直にお誉めの言葉としてありがたく頂戴いたします。
自分も、人間が人間として生きるにはやはり全てにおいてバランスを
取る必要があると思っています。精神面でも肉体面でも物理面でも
論理面でもバランスがなければ生きていくこと自体が困難だと思います。
誰しも何らかのバランスを保っているのでしょうけど、社会環境により
そのバランスを失い、あるものは自殺に追い込まれ、あるものは犯罪に
手を染めてしまう、そういうこともあるかも知れません。
なんて言うと、犯罪は社会環境のせいだという死刑廃止派のように
聞こえるかも知れませんが、バランスを取るのは自助努力であって、
決して社会がそれを担うものでも責任を負うものでもないと思います。
あなたの言うように、多様性があることは人類の存続には必要かも
知れません。凶悪犯罪を必要悪視することには躊躇を感じますが、
人間は自己の身の危険を感じて、初めて今の生きかたを振り返る
ものかも知れません。
単なる独り言です。とりとめもない話ですみませんでした。
3000
:
通りすがり
:2011/05/08(日) 11:17:19
>>2999
>単なる独り言です。とりとめもない話ですみませんでした。
いえいえ、私の方が論旨に離れた話を振ってますんで、謝るのは私の方です。
他の人には迷惑かも知れませんが、どのような価値観がどのような帰結に至る
か(この場合死刑について)多少なりとも参考になればとも思います。言い訳
がましいですけど(笑)
それに、あなたは「己の立場」と「滅私の立場」の両方の立場でよく考えてお
られる。 おそらく、物事の見方を幾つも持っている。それに対し、己の価値
観でもって(つまり相対性をきちんと把握して)結論を出している。あなたの
ような人、初めて会いました。
「負」という言葉を使っておられるように、絶対的に良いものではないですの
で、歯がゆいものがあるのだろうなとは思いますが。
ただ、もうちょっと言いたい事言わせて下さい。
個人的見解として、正義と悪という区分けそのものが人社会から発生している
ため、それを生物学的な多様性にあてはめる事は、芸術の手法を数学にあては
めるようなものかもしれません。概念の拠り所が違い過ぎる。生命の行動に正
義や悪をあてはめる事はナンセンスではないでしょうか。
と、まあ個人的には極悪=極刑で良いんですがね。(汗)
極悪の線引きが難しいだけで……。
---
私にとってあなたの存在は非常に有意義です。
私自身、揺れ動いてますんで(笑)
3001
:
ぴろしき
:2011/05/09(月) 17:14:11
初めまして,こんにちは。
たくさんのご意見が書かれたこの掲示板を見ていろいろと勉強させていただきました。
私は論文でアメリカと日本の死刑制度の比較について書こうと考えている学生なのですが
まだまだ筋道が決まっていないのですが質問させていただいてもよろしいでしょうか。
終身刑の方と死刑の方にかかるコストは実際のところどちらが高くかかるのでしょうか。
前のレス等も読ませていただいたのですが,両論あったのでよろしければお教えください。
あとお手数でなければ,詳しい金額などがかかれたサイトや本などがあれば教えていただければ光栄です。
それから死刑による犯罪の抑止効果はあるのかについてもよければお教えください。
拙い文章ですが,お読みいただきありがとうございました。
3002
:
ゼロ
:2011/05/10(火) 23:25:08
>それから死刑による犯罪の抑止効果はあるのかについてもよければお教えください。
日本では法務省が死刑による犯罪の抑止効果があるということを前提として死刑制度を存置させています。終身刑と死刑のそれぞれの囚人にかかるコストはどちらが高いのかは分かりません。死刑が執行されるまでのコストの比較だと思いますが、国によってシステムに違いがあればコストも違うようにも思いますが、それほど違うようにも思えないですね。日本は終身刑がないので比較のしようがないですね。終身刑の囚人は囚人服を着ますが、死刑囚は死刑そのものが刑罰なので普段は私服で過ごします。懲役囚と違うので働くこともないですよね。他にも違いがあるとは思いますが、、、。
お役に立てず申し訳ない。。。直接、法務省に問い合わせてみるのが一番の近道かも。
3003
:
紫煙
:2011/05/12(木) 15:39:31
>>2993
sageで進められていたので、気づきませんでした。見逃してしまうこともありますので
可能であれば特定の記事に対する批判投稿はsageではないほうがありがたいです。
「知らぬは本人ばかりなり」の「公開陰口」になってしまっては勿体ありませんから。。。
さて、私の意見が「欺瞞、悪意、妄想、蔑み」に基づくものだというご意見ですが、
私の意図しない受け取り方をされているようなので釈明します。
>法律とは何ぞや!という問題を真剣に考えたことも無いような愚衆
「日本人の多くがこれに該当する」とか「死刑を支持する人はコレに該当する」とは
書いたつもりもありませんし、実際、思っても居ません。また、私はコレに該当するだけで
法制度に口出しすることを「許されてはならない」とは思いません。コレに該当する人のうち
>ある者を合法的に迫害し、場合によっては命を奪うイベントで無責任な気晴らしをする
という目的を持って、しかも大義名分として
>被害者や遺族の感情を利用
という方法を用いる人が法制度に口出しをしようなど
>天と地がひっくり返っても許されてはならない。
と思っています。
上記の条件の全てに該当する人が「誤差の範囲に収めても構わないほど極めて少数」なのか、
「地球上のどこにも、そのような人物は存在しない」のか「予想を覆すほど大勢の方が該当する」のか、
私にはデータがありませんのでわかりませんが「このような人は多くは無い」程度には日本人の良心を
信用しています。少なくとも、現在の死刑制度がミスリードによるものだと言う主張でもありませんし、
なぜそのように受け止められたのか甚だ疑問です。
しかし、上記の全てに該当する人物が居るのなら、その人(や団体・集団)に対しては
最大級の侮蔑を公に表明することに一切の躊躇はありません。
3004
:
紫煙
:2011/05/12(木) 16:04:43
マトモに働いた事もないくせに「あくせく働くのはイヤだ」と考える愚衆が
「手っ取り早く金を手に入れたい」という目的(欲望)のために
「人を殺して報酬を得る」という方法を用いるならば
「天と地がひっくり返ってもあってはならない」
マトモに働いた事もないくせに「あくせく働くのはイヤだ」と考えるのは個人の自由です。
「手っ取り早く金を手に入れたい」という目的(欲望)もそれ自体は問題ありません。
「人を殺して報酬を得る」という方法も合法的な正当業務であれば問題ありません。
全ての条件を満たした場合は「天と地がひっくり返ってもあってはならない」と思います。
以上、併せてご勘案下さい。
3005
:
通りすがりの名無し
:2011/05/13(金) 00:05:33
>>3003
sageは、ある意味自分のポリシーとも言うべき部分になりますので、
ご要望にはお答えできないことお許しください。
それと、別にあなたに噛みつきたいわけでもありません。そういうふうに
見られたのなら合わせてご容赦ください。
ただ、単純に日本語として、
>だけれど、法律とは何ぞや!という問題を真剣に考えたことも
>無いような愚衆が
「愚衆」にかかる修飾子はその前段のものだけであって、その後に続く
文節は、その「愚衆」と定義されたものの容態を示すものです。つまり、
「法律とは何ぞやと考えないものは愚衆」というのが自然な解釈だと
思いますよ。
普通、人間は法律のことなど真剣に考えたりはしないでしょう。それは、
「守るべきもの」という漠然とした観念しかないのではないでしょうか。
そして、時々納得のいかない判決などを見て、そんなものかと怒ったり
落胆したりするものだと思いますけどね。
繰り返しますが、自分があなたを批判しているとしたら、
>少なくとも、愚衆という時点であなたは法を語る資格がないかと。
の部分だけです。
「愚個人」とは普通に言えても「愚衆」と言える人は何様?って思います。
それ以外は、特にあなたと言うより、ここを見ている不特定多数の人達に
対するメッセージのつもりでした。
3006
:
紫煙狼
:2011/05/13(金) 11:07:22
国語の授業ではないので、深く掘り下げる意味はありませんが(苦笑)
愚個人という表現は初めて聞きました。通常は「愚者」と表現するかと思います。
この愚者の複数形を考える際「愚者達」「愚衆」「愚民」などが考えられます。
ただ、本来的に「達」という複数形は「横連携のある集団」を指すものですので、
「横連携を持たない、ある種の特徴を共有する集団」は「衆」で表すのが正しいはずです。
また「愚民」と言う言葉は「表現する側とされる側に身分上の歴然としたさが存在し」かつ
「表現される側がほぼ一国の大半を占める」場合の表現ですので、不適切です。
>普通、人間は法律のことなど真剣に考えたりはしないでしょう。
法律について真剣に考えもしないくせに法制度に口出しても良いのですか?
こと死刑制度存廃に関しては、被告人や囚人の命だけではなく、一般市民の生命にも関わる
問題ですから真剣に熟慮して口出しして欲しいですね。もちろん、専門家以外の発言を封じる
意図ではなく「その場の気持ちで後先考えずに口出しをするのは控えよ」という意味です。
加えて意見させていただけば、学校教育(社会科)のカリキュラムでは法制度や社会制度について
とりあげ、学生・生徒(児童)に考えさせる単元が用意されていますので、少なくとも日本においては
法律についてある程度は真剣に考えたことがある人の方が絶対的多数であると私は認識しています。
(いい加減な気持ちで授業を受けていた人は、上記に含まれない可能性がありますね。)
どちらにせよ、私個人への反論を意図するものではないと言うお気持ちは理解しました。
3007
:
通りすがりの名無し
:2011/05/13(金) 22:50:51
>>3006
いつまでも反論ごっこを繰り返す気もありません。
ただ、ここだけはちょっと頂けないので…。
>法律について真剣に考えもしないくせに法制度に口出しても良いのですか?
それでは、法律について真剣に考えもしない人は選挙に行ってはいけないのですか?
立法府を構成する人を選んでいるのは、普段死刑など意識もしない人だと
思いますよ。死刑になるような犯罪を犯すことも、身近に起きることなど考え
もしないでしょうし、現実に起きることもないでしょう。
死刑になるのは、冤罪のケースを含んでも、約100/100,000,000
くらいの確率でしょうからね。冤罪を除けば、そういうことをしない限り0です。
死刑を真剣に考えたり、議論したりするのは、たまたまそういう機会に触れ
た人か、オタクか、本当に犯罪者予備軍くらいのものではないでしょうかね。
いろんな立場のいろんな人がいろんな意見を言って法律が形成されていく。
それは、多数決の論理にしたがって。それでいいんじゃないでしょうか?
ヘタに専門家面した人が、人間を理解もしていないのに解ったような顔を
して能書きを垂れているのは見苦しいものだと感じます。
あなたが想像している、ほとんどの人が真剣に法律について考えている
というのが真ならば、多数決の結果として熟慮した結果が選択されるはず
なので問題ないですよね。
3008
:
老婆心
:2011/05/14(土) 00:08:39
>>3007
通りすがりの名無しさんへ
横やりを入れることになりまして、申し訳ありません。
≫死刑を真剣に考えたり、議論したりするのは、たまたまそういう機会に触れ
た人か、オタクか、本当に犯罪者予備軍くらいのものではないでしょうかね。
裁判員制度が実施されている現在は、それ以前と状況が違うのではないでしょうか。
第一審とはいえ、死刑判決に関与する可能性のある人が、職業裁判官だけでなく、
裁判員の資格を持つ人に拡大されていますので、少なくとも、
これからは、死刑について考えたり、議論したりする機会が増えることが
望ましいですよね。
3009
:
紫煙狼
:2011/05/14(土) 01:24:32
>>3007
まず大前提として
日本国公民たるもの日本の法制度・政治等について真剣に考えるべきであると考えていますよ?
というか、考えなくて良いのですか?そういうコトを考えもせずに選挙に参加して良いのですか?
日本の国民である以上、日本の法制度や政治は他人事ではないでしょう。
確固とした信念、自身の明確な意見・主張を持って投票するから多数決としての選挙結果には
意味があるのではないですか?
>死刑を真剣に考えたり、議論したりするのは、たまたまそういう機会に触れ
>た人か、オタクか、本当に犯罪者予備軍くらいのものではないでしょうかね。
それが事実であるとするなら、私は「もっと考えなきゃダメだよ!」と言いたいですね。
というか、死刑存廃と言うのは「犯罪者として被告席に立たされ死刑になるかもしれない人」だけの
問題ではないのですよ。上記に該当する恐れのない人にとっては無関係…であってはいけない。
冤罪であろうとなかろうと、凶悪犯であろうとなかろうと「人間が命を失う」という状況を人為的に
発生させるというのは「簡単に考えてよい問題」ではないはずです。私たちは直接手を下しては
居ないにせよ、死刑囚の命を奪うことに間接的に加担しているのに、無関心でよいのですか?
それこそ、戴けないご意見だなぁ…と感じます。
>いろんな立場のいろんな人がいろんな意見を言って法律が形成されていく。
その「いろんな意見」の一つとして私は自分の意見を述べています。その結果今後とも
「多数決の結果として熟慮した結果が選択され」続けて行くはずだと思いますよ?
ただ「多数決の結果として熟慮した結果」が私の意見と異なる限り、私はその結果を真摯に受け止め
つつも自分の意見を主張し続けていく権利と義務があると思いますがいかがでしょうか?
3010
:
紫煙狼
:2011/05/14(土) 02:07:23
>>3007
あと、ちょっと気になったのですが…。
>死刑になるのは、冤罪のケースを含んでも、約100/100,000,000
>くらいの確率でしょうからね。冤罪を除けば、そういうことをしない限り0です。
冤罪による被害は取り返しが付かない。これは死刑に限ったことではないので、
死刑存廃を論じるに当たって(私は)冤罪を絡めないようにしています。
死刑を支持する人も、支持しない人も「冤罪はなくさなければならない」という点に
ついては同じ気持ちのはずなので。
ただ、冤罪がゼロであると前提したとして「凶悪犯は殺しても良い」のでしょうか?
凶悪犯であるというコトは、死刑にする必要充分条件なのでしょうか?
これは人によって温度差があるだろうと思います。単純明快に「凶悪犯は殺してよい」と
考える人も居るだろうし「凶悪犯で改悛の情がないなら殺してよい」と考える人も居る。
「凶悪犯で改悛の情もなく、犯行の手口が残虐で、自己中心的なら殺してよい」とか、
慎重な人ほど条件が厳しくなると思うのですね。
今、私の考える必要充分条件は「被害拡大防止のための緊急性」です。
これはもう、その犯人を殺さない限り被害が拡大し続ける状況なのですから仕方がない。
実はこの犯人が責任能力を問うことが出来ない精神異常者で、首尾よく取り押さえて
裁判にかける事が出来れば、死刑にはならないだろう人物であったとしても、そんな事を
知り得る状況ではない。他の方法を論じている暇なんてありゃしないのだから仕方がない。
こんな状況なら「死ななくて良いはずの犯人が殺されること」もやむを得ない。
でも逆に「逮捕され武器も自由も奪われた犯人」が相手なら被害拡大は防げているし、
緊急性も失われている。それならなぜ、何のために死刑にするのでしょう?
3011
:
ufloat
:2011/05/14(土) 04:10:56
うーむ、なんだか少し不思議な感じ…。
私はてっきり、紫煙狼さんの
>>2992
に対して「欺瞞、悪意、妄想、蔑み」という
かなり強い表現を用いた反論が飛び出してきた原因について、
>>2992
が
「死刑存置論者はまともに法や制度の在り方も考えたことのないような愚かな連中だ」
と書いているよう読み取れたため、とばかり考えていました。
もちろん私は紫煙狼さんのスタンスを知っていますから、紫煙狼さんがそういう主張を
する方でないことは分かっていますが、紫煙狼さんのスタンスを知らない方が
>>2992
を読んだ場合、そういう取り方をする可能性も無きにしも非ず、ですからね。
実際、仮に上記のような意見を本当に主張するような人間がいたならば、死刑存置論者が
強い調子でその主張者を非難したとしても、無理のないことと思います。
ところが、
「死刑を支持する人はコレに該当すると書いたつもりはないし、思ってもいない」
「現在の死刑制度がミスリードだと主張する気などない」
「こんな人が多くない、と言える程度には、自分は日本人
(すなわち、大多数が死刑存置を支持する集団)を信用している」
と、「死刑存置支持者の多くが法や制度の在り方、死刑について考えていない、なんてことはない。
少なくとも自分はそう信じている」とおっしゃっているのはむしろ紫煙狼さんの方。
「死刑なんてものを真剣に考えているのは、たまたまそういう機会に触れた人か、
さもなくばオタクか、犯罪者予備軍くらいのものだろう」
というわけで、国民の多く(つまり、日本において大多数を占めている死刑存置支持者の大半)は、死刑を
真剣に考えてなどいないだろう、という方向の論を述べているのは、通りすがりの名無しさんの方。
意見は人それぞれですから、存置派(廃止派)だからこちらの主張をしなければならない、ということは
もちろんありませんが、立場が逆の議論しか見たことのなかった私としては、少し新鮮でした。
ただ、この掲示板には存置派の方々も大勢いらっしゃいますし、普段はあまり書き込まない方々まで含めれば
相当数の存置派がいらっしゃるかと思いますので、ちょっと皆様に見解を伺ってみたいのですが、
実際のところ、死刑存置支持者とはそういうものなのでしょうか。
そうやって日本では「死刑存置」の意見が大多数となっているのでしょうか。
日本国民、ひいては大多数を占める死刑存置支持者の多くがそうであるとは、私にはどうしても信じられませんし、
それが日本の死刑存置世論だとも私には思えないのです。
国民の多くがしっかり考え、その上で大多数が「死刑は存置」という結論を出したのであれば、
国民の多くがろくに考えてもいない場合に比べ、私は安心してその結論を受け止めることができますから、
ぜひともそうであってほしいと願いますし、私個人としては実際にそうであると信じています。
3012
:
通りすがりの名無し
:2011/05/14(土) 06:52:51
どうも波紋が広がってしまったので、誤解された状態は
まずかろうと思いますので書いておきます。
・死刑や法律を「真剣に」考える
この「真剣」という言葉があいまいなので誤解を生じた
かも知れません。
自分は「真剣」とは第三者(つまり客観)ではなく、当事者
として実感しているかという意味で解釈しました。例えば
誰かの言った裁判員に当たったとか。
で、そういう状況を目の前に突き付けられる機会など、
日常生活を送っている人達には縁遠い。そんなわけで、
自分の考える「真剣」は「真剣に考える機会」なのかも
知れません。そこは行き違いかも知れませんね。
>>3009
>そういうコトを考えもせずに選挙に参加して良いのですか?
すみませんが、日本国民であり(最近は外国人にすら?)
日本に在住している成人には選挙権があるかと思いますが。
確かにあなたの言うことはもっともです。同感の部分も多々
あります。しかし、「…べき」、とか「…であってはならない」
と事実には乖離があるのが現実だと思っています。
で、あなたの感覚で人を愚衆と認定し、法律に関与する権利
(具体的には選挙権)を否定するのは、ちと傲慢と思いませ
んか?
考えていない人≦考えている人≦もっと考えている人
考えている人も、もっと考えている人から見れば、まだまだ
考えが浅いことになります。もっと考えている人が、考えて
いる人に選挙に行くのは不遜だって言ってもいいんですかね?
あなたならどこを「真剣」のボーダーとして線を引きますか?
>>3010
>でも逆に「逮捕され武器も自由も奪われた犯人」が相手なら被害拡大は防げているし、
>緊急性も失われている。それならなぜ、何のために死刑にするのでしょう?
病院行きも含めて、一生完全拘束が担保されていますか?
通常は、絶対終身刑(恩赦・特赦なしの懲役100年でもいい
ですが…)のない日本で一生完全拘束が担保されることは
ありませんよね?
正直、「病院送り」の場合はよく知らないので間違っていたら
すみません、を前提に言います。
犯人が病気と判定され、責任能力なしが認定されると無罪
になりますよね?で、病院に送られて、その後リハビリ、矯正
の結果、社会復帰可能と判断されたら、たとえそれが誤審
であってもシャバに出てこれるんじゃないんでしょうか?
(これは死刑存廃に無関係に止められないので余談です)
3013
:
通りすがりの名無し
:2011/05/14(土) 11:51:35
>>3011
あなたにとっては、残念な意見かもしれませんが、私は存置の
一人として以下のように考えます。
死刑すなわち、凶悪犯罪をイメージした時、
①被害者になる
②加害者になる
③加害者の嫌疑をかけられる
大抵の人は、①>②+③ だと思います。
その結果、被害者への感情移入が大きいのではないかと考えます。
基本廃止派の人は、①<②+③ だと思っているのではないでしょうか。
もしくは、普通の人の考えに過剰に逆行したがる感情に支配されているか。
当然、普通の人が大部分なわけで、その民意の結集が良民を守る法律
として成立しているのだと思っていますし、何も問題はないと考えています。
3014
:
boro
:2011/05/14(土) 20:55:07
すみませんが、「通りすがり」とか「名無し」という
言葉のあるHNは使わないようお願いします。
何か名前を考えて投稿お願いします。
3015
:
通りすがりの名無し
:2011/05/14(土) 22:06:55
>>3014
申し訳ありません。
本当に通りすがりに一言だけ残すつもりでいたもので。
各位に影響を与える発言という意識がありませんでした。
これ以上、特に自分あてに何か聞かれることでもない限り
レスいたしませんので、HNの件に関しましてはご容赦くだ
さい。
自分の書き込みで、何か違う考えを視野を広げるという意味
にご利用いただけたなら幸いですが、不快な思いをされた
方がいるとしたらすみませんでした。決して人を不快にする
ことが本意ではありませんのでお許しください。
3016
:
whoami
:2011/05/18(水) 18:43:25
死刑をなくして一番困るのは楽しみが減るって事だろ?
理由さえあれば死刑にしたいんだよ。ローマ帝国がコロシアムで奴隷を
死ぬまで戦わせたのと同じ。自分さえ安全なら、人に人を殺させるのが
大好きなのは人の本能。人類普遍唯一無二至上で至高の楽しみだから
みんな死刑を支持してる。廃止なんてありえない。
無差別に生贄を探しているわけじゃない。これをやったら死刑にする!って
みんなに周知してて、それを知っててやるヤツを殺すんだからイイじゃん。
死刑に立候補した奴らで愉しんでるんだから文句言われる筋ない。
3017
:
紫煙狼
:2011/05/19(木) 00:17:25
…(汗)
3018
:
素人存廃論者
:2011/11/12(土) 12:02:10
このスレはまだ生きていますか?
私は私自身にある防衛本能と因果応報思想により、個人的に死刑制度存置に賛同しているものです。
この賛同には刑法制度の目的などは考慮しておらず、また個人の賛否には制度の目的は関係しないと考えています。(目的に反していようが、報復代行してくれる刑法制度に心情的に賛同する人も多いでしょう)
個々人の賛否については否定するつもりはないのですが、国家としてどう有るべきかについて、多数決以外の考え方が無いかが知りたいです。
特に生存権と国家について、廃止派の方と意見を交換できたら良いなと思います。
3019
:
無精髭
:2011/11/14(月) 21:53:24
http://www.youtube.com/watch?v=jJHh_GUCtLY
3020
:
紫煙狼
:2011/11/16(水) 01:07:27
>>3019
本当に無精髭さんなの?
だとすれば、僕はこんなに嬉しい事は無いよ。
「まだ生きてるよ」か。生きていたんだね。
良かった。。。
>>3018
というワケで「まだ生きてるよ」です。
>防衛本能と因果応報思想
因果応報は良いとして、防衛本能と死刑制度がいかに関わるのか伺ってみたいです。
私個人としては、防衛本能はむしろ緊急避難に関わるものではないかと考えています。
その上で、
>個人の賛否には制度の目的は関係しない
これは、本当にそれで良いのでしょうか?つまり
>報復代行してくれる刑法制度に心情的に賛同する人も多い
凶悪犯とは言え、人間の命を奪う行為を「心情的理由」で正当化してよいのでしょうか?
私は「かっとなって殺した」とか「許せないから殺した」という話を聞くと、
「それを我慢して、ぐっと堪えるのが人間のケダモノではない所以」と思うのですが、
いかがでしょう?
3021
:
boro
:2011/11/16(水) 22:21:21
>>3019
>>3020
ホストを調べた限りでは
以前の無精髭さんのホストと同一ですね。
ということで、ひと安心。
3022
:
紫煙狼
:2011/11/16(水) 23:09:14
>>3021
祝杯(爆涙濁々)
3023
:
無精髭
:2011/11/19(土) 19:52:11
ご無沙汰しております。震災による心労が嵩んだだめ、最近までとてもネットで
やり取りする気分になれませんでした。とは言うものの、生存報告くらいは早め
にして置けばよかったですね。申し訳ない。
留守にしてた間このスレにお客さんが来てたみたいですが、どうもその傾向が
気がかりだったので、2chの死刑スレを少し漁ってみたのでした。結局あまり
成果は出ませんでしたけど、カレーさんと思しき人*とYさんと思しき人がプロレス
をやってたのを見つけたので、ご報告。もし事実だとしたら、ちょっと珍しい
組み合わせでしょ?
*「雑誌さん=カレーさん」説の根拠となる双方の理論的な共通点・類似点は複数ある
ように思われますが、その中でも特に目を引いた点は以下です。
雑誌さん>>ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1317614570/419
カレーさん
>>2013
そして、以下の書き込みでほぼ確定ではないかと。
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1317614570/757
ちなみに、
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1317614570/347
に書かれていることの真偽を確かめるために、雑誌さんの名前でググって見ましたところ、
すぐに下記のログが見つかりました。ほぼ4年前の物です。
ttp://mimizun.com/log/2ch/soc/1194013464/
注目すべきは、かのしげる大先生も参戦していらっしゃるということですかねw
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1317614570/#330
に端を発し
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1318954280/#234
を最後に雑誌さんが退場され、しばらくそれへのレスが続いて、終息。
余談ですが、おそらく雑誌さんは
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1315501507/#928
から参入されたのではないかと。
閑話休題。
さて、
>>3018
を書き込まれた素人さんも2chご出身なのですね。
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1318954280/#861
で登場され、
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1320332253/
のスレ終了とともに退場された模様。
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1320332253/#872
上記の辺りから、素人さんが無限回廊bbsに書き込まれた経緯が載っています。
ちなみに素人さんご心酔の876さんですが、そのお説にも激しく既視観があるのですが。
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1318954280/876
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1320332253/909
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/court/1320332253/935*
廃止派の自滅論法とか呼ぶのでしょうか。guestさんがかつてご披露して下さったものと同じみたい。
この板だけの流行なのかなと思ったら、法学板の死刑スレでも同様のものを発見。
ttp://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/jurisp/1316479147/
どうやら2chならどの板でも通用する存置派専用のテンプレートらしいですね。
*これの対抗意見としては以下が参考になります。
ttp://d.hatena.ne.jp/spanglemaker/20050720/p1
ttp://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20071021/p1
―――まあそれはともかく、上記のログを読む限り、みなさんお変わりなさそうですよね...。
3024
:
無精髭
:2011/11/19(土) 20:10:26
あっ、被災はしていませんので。
3025
:
boro
:2011/11/19(土) 21:01:00
>>3023
>>3024
おお、完全なる復活ですね。。。
実に8ヶ月ぶり!
震災後、どのようにされていたのか知りたくもあり、、、。
まぁ、でも個人的なことになりそうなので
言いたくなければそれはそれでかまわないんですが、
正直、気になりますね(^^ゞ
とりあえず今後とも宜しくです。
3026
:
ufloat
:2011/11/20(日) 05:05:18
>>3023-3024
被災はなさっていないとのことで、とりあえずほっとしました。
とにかくご無事で何よりです。
例のお茶を売っている店舗がどうやら私の行動範囲内にもあるようなので、機会があったら
無精髭さんの生存確認祝いに買って飲んでみましょうかな。
さて、ご提示のURLについてはまだ全然読めていないといいますか、特に「対抗意見」など
私が今から書こうと考えていたことがそちらに全部書かれていたらげんなりするので(笑)
あえて読む前に雑感を。
なんというか、こういうレッテル貼りはあまりしたくないですが、これまでのパターンを見る限り、
2chの意見をそのまま他に持ち込むのは、大抵はろくな結果にはなりそうにないですね。
Y氏の時なんかそうでしたが、対立意見の藁人形を作ってみんなでボカスカ殴るような場にいては、
よっぽど意思を強く持っていない限り、感覚が狂うのは当たり前というか。
私の狭い見聞から言わせていただけば、2chでまともに議論(リンチや中傷合戦ではなく)が
成立している例というのはあまり見たことがありませんが、もしかすると時々は
かなり有意義な議論というものが成立する場合もあるのかもしれません。
ただ、自分がその場で少数派の際に、多数派が少数派の人格否定や不当なジャッジを始めた場合は
もとより、自分が多数派の場合であっても、多数派の側が少数派を中傷し始めたり、不公平な
ジャッジを始めたり、藁人形を作ってリンチし始めた場合は、もうそこの議論には見切りを
つけた方がいいですね。その熱狂に加わったところで、得るものなどありはしませんので。
少なくとも、自分が多数派と同意見の場合であっても、多数派が中傷やら不公平ジャッジやら
行っているのを見た際には「情けない」とか「忍びない」と感じる程度の理性は残っているべきですし、
もしそのリンチを見ることに快感やら爽快感やらを覚えるようになってきたら、その議論からは
しばらく距離を置いた方がいい。判断能力がマヒしてきているわけですから。
さて、その「guestさん論法」について、少しばかり気になっていたりするのですが、
仮に今後、日本でエヴァンス事件のようなのが発生し、世論が一気に廃止派優位になる、
という状況は、絶対にありえないことではないですよね。原発に対する世論の評価が
大幅に変化した、先の地震・津波による原発トラブルと一連の騒動のごとく。
で、仮にそういう流れになったとしたら、「多数派」を御旗としていた方々は、
少数派となった存置派を捨て、多数派である廃止派の方につくのでしょうか。
ま、「世論で多数の方につく」というのもそれはそれで一つの考え方ではありますので、
そういう考え方を否定はしませんが、そういう人と存廃問題の根本的な部分に関して
議論しても、あまり意味がなさそうというか。
一方、廃止派が多数になっても存置派をやめないのなら、「多数派」なんて理由を掲げるのは
完璧に矛盾しているわけですから、そんなハリボテ御旗を掲げるのはやめた方がいい。
なにはともあれ、無精髭さんもお変わりないようで、なによりです(喜)。
3027
:
無精髭
:2011/11/20(日) 18:52:13
>>3025
思い返せば、何かしていた、よりも、何もしていなかった、の部分のほうが多かったかも。
ただ実生活は(震災後1、2ヶ月を除いて)震災前とさほど変わらなかった、というより
維持するようには努めていましたが。一応ネットにもアクセスはしていて、震災・原発関連
の情報等、漫然とですが見たりしていました。アクティブな面が減った分、考えてる時間が
増えましたね。日本沈没も近いかもな、そろそろエクソダスだろ、とかなんとか。
塞ぎ込んでて何も出来なかった、というより、何かしたくても何もする気が起きなかった、
という状態だったので、一時は、無限回廊への投稿も含めネットでのコミュニケーションを
一切やめようとまで思ったのですが、まあ何とか持ち直しました。
一身上の都合により、無用なご心配をおかけしたことと存じます。
こちらこそよろしくお願いします。
>>3026
実を言うと、最近頭を離れないことがありまして...。
一番わかりやすい例がYさんなのでまた名指しさせていただきますが、この人は2chで無限回廊を
廃止派の巣窟だとかいったことを何度も吹聴しているようです。規制された件でboroさんのことも
恨んでいるみたいですから、結果的に、boroさん並びに無限回廊が厄介ごとに巻き込まれる
(現に何らかの問題が生じている)かも知れないなどと危惧しております。ですので、あの時は
いくら私たちが正しかったとはいえ、現在のような状況になってしまったことには(少なくとも私の)
対応の是非を改めて問わざるをえません。あのような(様々な面で)非対称的なやりとりのケースでも、
もし対応次第でいくらでも円満解消の道がありえたのだとすれば、猛省すべきは、異邦人よりも
ネイティブ、異常者よりも健常者、ではないだろうかと。
話は変わりますが、2chのログに目を通していて思ったのは、匿名同士で罵り合ってるうちは
まだいいですけど、実名で存置論・廃止論を唱えている人や、現実に活動している存置派団体
(主に犯罪被害者団体)や廃止派団体を誹謗中傷した場合、相手側がその気になって告訴したら、
名誉毀損罪とか侮辱罪などの容疑でしょっ引かれる可能性が無きにしも非ずってことを、あちらの
人たちは少しでも考えたことがあるのだろうか、ということです。そういうリスクを少しでも
考えた上でやってるなら、何も言うことないですけど。というか、2chでやってるのと同じ調子で、
リアルでも廃止派の活動に対して誹謗中傷なり抗議行動なりを行ったとしたら、余裕で業務妨害罪
とかに当たるんじゃないかと。とはいえ、匿名で罵り合ってる人たちはあくまでネット限定のネタ
としてやってるだけでしょうから、大抵の場合、さすがにそういうとこまでエスカレートする心配
はないのでしょうけど。
ただ、自覚的に誹謗中傷合戦に参加している各人が、どんなに自分が暴走しないように・
スレ全体の流れを制御することに気を遣っていようとも(つまりは当事者に半ばネタとして
やっているという自覚があろうとも)、ネットリテラシーに欠ける輩がスレ住民たちのある種の
配慮を行間やスレの雰囲気から感じ取れず、誹謗中傷の内容を真に受けてしまう、ということは
考えられます。そして、そういううっかり者であれば、抽象的な誹謗中傷を具体的な誹謗中傷に
切り替えてしまいかねない、すなわち、匿名者に対する攻撃を記名者・実名者に応用するために
2chのネタを根拠にしてしまうかも知れません。このように、目的のために手段を選んだり対象を
評価したりできない人(ネタをベタとしてしか受け取れない人)が一人でもいる可能性がある場合、
匿名掲示板上での誹謗中傷は、ネットリンチや違法な電凸にまで飛び火ないしエスカレートして
しまう危険性が否定できないのではないでしょうか。
特定可能な個人・団体をネタにしている者が匿名を貫くことで、自己の発言に関して何らかの責任を
取らされることをあらかじめ回避しようとの意図がある以上、匿名ネットユーザーが最低限持つべき
良識としてせめて上記のリスクを皆が考慮し共有した上で、匿名掲示板上のやり取りは行われるべき
ではないか、というのが私の意見です(条件が厳しいことを言ってるという自覚はあります)。
匿名だから(顕名の時よりも)何を言ってもいい、というのは所詮自分ルールであり無責任です。
むしろ、匿名だから(顕名の時よりも)何を言うか気をつけなければならない、のだと思います。
3028
:
盛蔵
:2011/11/24(木) 17:06:30
麻原は、どうなりますか?
3029
:
せきれい
:2011/12/12(月) 10:01:12
「死刑執行、教祖から」と江川紹子氏は云うが
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/637624008350ea5c5880a2c66b986fa6
3030
:
無精髭
:2011/12/14(水) 00:28:51
暇を見つけては「通りすがりの名無し」さんのレスをチョコチョコ読み返しているんですけど、、、
あそこまで好い加減なやり取りをされて、みなさんよく我慢できますよねっていうのがとりあえずの
感想ですね。とはいえ、私が尊敬している哲学者の國分功一郎氏も「論争で重要なのは確かだと
思っていることしか書かないことです。そして相手の退路を常に考えておくことです。相手を殲滅
しようとしないことです」(
http://togetter.com/li/90895
)と言っております。我慢する他
ないのか。しかしながら、この件に関しては色々と覚え書きを書き溜めていますので、気が向いたら
投稿するかも知れないです。
あと、「通りすがりの名無し」を名乗ってた方、まだこのスレッドをご覧になっていたら
お返事いただけませんでしょうか?
ああ、そういえば報告するのを忘れてましたが、というか、私とかシェンさんとかのHNで
エゴサーチしてた頃に偶然見つけたものでして、ご本人にとっては恥辱以外の何物でもない
かも分からないので、あえて報告するのをためらっていたのを震災のドタバタですっかり
忘れていたのを最近になって思い出しました。それがコレ。
http://logsoku.com/thread/news17.2ch.net/news2/1103334935/
以前、雑談スレで仰っていた事件ってコレのことだったんですね。この頃から比べると、
2chの雰囲気もだいぶ変わりましたね。これもグシューのせい、、、なのかな?
>>3029
「反省して罪を認めた人から刑が執行されるようなことになれば、正義に反する」云々のところは
理由がよく分からないんですけど、「私は一連の裁判を、もっと肯定的にとらえたい」のところに
ついては私もそう感じますね。私自身はオウムに関して当事者でもなんでもないので、一連の裁判が
終わったのはひとまず良かったと思いますし、この10余年の間でオウムのヤバさ(事件の重大性)
がどれほどのものだったかは、公判の内容や裁判外の言説によってずいぶんと詳らかにされたかと
思われますので。ただ、事件に深く関わった人たち、殊に被害者の方々は、私のような第三者とは
全く異なる心境であろうことは想像に難くありません。
この前、オウム真理教事件の被害者団体が、松本智津夫死刑囚を除いた死刑囚への死刑の執行停止
を要請しましたよね。
http://dailycult.blogspot.com/2011/11/blog-post_22.html
それに対するネットでの死刑賛成派と思しき人たちの反応が、私にはショックでしたね...。以下は、
ほんの一例ですが。
http://blogos.com/article/25279/
頼まれてもいないのに勝手に被害者の代弁しているかと思いきや、当の被害者が自分の考えに背く
ような言動に出たら、被害者の身になって考えようともせず難色を示すだけ。こういう人たちは、
単に被害者に感情移入ないしは同情してただけで、実際はぜんぜん被害者の立場に立って考えては
いなかったんだなあ、と。結局は己個人のことしか頭になかったんだなあ、と。
もし死刑賛成派、存置派の中で、少しでも犯罪被害者や遺族に関することを論拠にした憶えのある
方たちは、今回のことを肝に銘じた上で、犯罪被害者や遺族自らの責任を代理し、犯罪被害者や
遺族に対する自らの責任を伴った議論を行っていただけたらと切に願います。
3031
:
無精髭
:2011/12/25(日) 23:58:55
覚え書きが膨大になり、さすがに全てを投稿するのは無理だと思いました(内容が連続した文章に纏めるのもめんどくさい)ので、とりあえず新たに書き直してみました。これでも10分の1くらいには圧縮・削ぎ落としたつもりですが。
・
>>2993
「法を語る資格」とは何なのか、具体的に説明していない。それと、「愚衆」と言うとなぜ「法を語る資格」を失うとされるのかが全く不明。
・同上 「個人的な思想、感情、論理」に該当しないものはいくらでもあるし、それを知識として有している者は「個人的な思想、感情、論理の持ち主」に「過ぎない」のではなく、それを「超える」というべき。たとえば法の専門知識が「個人的な思想、感情、論理」でないのは明らかだから、これを持つ者は「個人的な思想」云々の他に「非個人的な思想」云々を持つといえる。
・同上 多数決以外にも意思決定の手段は存在する(議論による合意形成等)。皆が個人的であることから多数決が、最良あるいは唯一の手段であるという結論は、厳密に言うと導けないし、現に法制度のことに限っても、全てが多数決で決まっているわけではない。
・同上 多数派を説得できなければ、多数派が誤っていると思うことが誤りである可能性が高いと思う、というのは、特に根拠なく主張しているのであれば、それこそ個人的意見に過ぎないのではないか。
・
>>2995
国語辞書には「感情」とは別に、わざわざ「感情的」の項目が立てられている。その事情を考慮していないのでは。
・同上 挙げられている支持理由は全く目新しいものではない。更に言うと、一番目は、要は人を一人でも殺したら有無を言わさず死刑という至極安易な決断を肯定するということだから、ともすれば司法の存在意義を軽視することにつながりかねない。二番目はこのスレで議論済み。初犯が殺人の人間が再犯する確率を知っていれば、そうは主張できないはず。三番目は「被害者遺族等による復讐の連鎖」について実例を挙げてから論じるべき。二番目と同様、そういう具体的なソースなしに「俺は死刑支持だぜ」とか気取られても、何の説得力も生まれない。しかも、その問題提起は殺人/死刑のケースに限らないので、総じて被害者等の怨恨感情を十分に斟酌した上で重罪に対する極端な厳罰化(死刑・終身刑の拡大適用とか早急な完全隔離とか)を進めなければならず、「絶対に阻止」はおそらく実現不可能。よって、ナンセンス。
・同上 責任能力という概念を司法の場から排除せよ、というふうに読める。たぶん薬物ばかりか、精神病についても、減軽の対象にすんなとか言いそうだが。でも、そんなこと言ったら刑法(量刑)を大胆に弄る必要があると思う。それこそ個人的意見を述べてる場合じゃなくて、法律について一からちゃんと議論する必要がある。
・同上 しかし、薬物キメて人殺したら重罰に処せ、とかいう以前に、薬物の生産・所持・使用・売買等を今よりももっと厳しく取り締まれという方が先。中国みたいに。薬物を常用しながら社会生活を送ると言うのは、いわば酒酔い運転をしてるようなもの。心神喪失や心神耗弱の原因となりかねないものを愛好している、これ自体が犯罪であるという視点を持ち込まないと、薬物による心身喪失や心神耗弱に限っては減軽事由に当たらないと主張することに無理が生じるのではないか? しかし、それならアルコールやタバコだって危ないといえば危ない。
・
>>2997
犯罪の未然防止については、完全な○○はありえない、と主張してるのに、自分の死刑支持の理由には、完全な○○を実現しなければならない、という主張を滑り込ませている。初犯と再犯・累犯に対する対処の違いなのかも知れないが、そんなこと言ったら今の死刑制度で再犯の可能性を完全になくすことだって不可能。
・
>>3005
末尾と
>>3015
冒頭で自家撞着を起こしている。
3032
:
無精髭
:2011/12/26(月) 00:00:46
・
>>3007
冤罪死刑が起こる確率はきわめて低いから「絶対に阻止」しなくてもよいと。
・同上
>>3013
で言われている基本廃止派と天邪鬼は、「たまたまそういう機会に触れた人」「オタク」「犯罪者予備軍」のうち、それぞれどれに当てはまるのか? 通りすがりの名無しさんの既存のレスを読む限りでは、基本廃止派が「犯罪者予備軍」で、天邪鬼が「オタク」という解釈しか導けないように思われるが。
・同上
>>3013
後段 その理屈で言うと現行の政権運営には何も問題がないということになるが、楽観的過ぎるのではないか。今の選挙制度は民意を正確に抽出・反映できている、というのか。たとえば死票、一票の格差、その他選挙のパラドクスは全く問題にならない、というのは事実か。また、政権が交代して尚も官僚主導といわれ続けている今の国政についてはどういう考えなのか。最後に、自分が多数派でない場合も多数派の提案に対して「何も問題ない」と言えるのか。それとも、多数派に鞍替えでもするのか。まさか、どんなケースでも常に自分は多数派に属している、とでも言うのか。
・同上 聞きかじりの知識を振り回して思い上がるヤツよりも、自分の無知や不勉強を正当化するヤツのほうが「見苦しい」のではないか。法や政治を理解していないのに・まったく勉強していないのに解ったような顔をして法や政治について語れると思うほうが「見苦しい」のではないか。
・
>>3012
「真剣に+考える」を「真剣に考える」ではなく「当事者として実感している」と解釈するのは「誤解」。その上で、「当事者として実感している」を「真剣に考える」と意訳して表記したのを、他人から文字通り「真剣に考える」という意味で理解されたとすれば、それは「書き間違えた」からであって、「誤解された」のではない。
・同上 自分が使っている言葉の意味について「かも知れない」とあいまいな弁明をしてしまう、外国人に参政権があるかないかも知らない、自分でもよく分かっていないことを前提に議論を吹っかける、そういう人は
>>2999
冒頭にもあるようなケースを地で行っているのではないか。こういうのはお世辞にも「バランス感覚の良い、視野の広い人」とはいえないと思う。なぜなら、他人がこういう人の意見を参考にしても視野を広げることは出来ないだろうし、それどころか、まともに利用するとなれば、自らのバランスを崩しかねないから。要するに、自らの立ち位置に自覚的でない人にはそもそもバランスを取ることすらできない、ということ。
・同上 冤罪死刑と違い、再犯殺人や被害者遺族等による復讐は「絶対に」阻止しなければならないという根拠には、前者よりも後者の方が発生率が高いというのがあるかと思われるが、今のところそちら側から後者に関する数値が上げられていない。そして、両者の発生率を比較する上では、両者とも誰にでも検証可能な統計データによって得られた数値である必要がある。ちなみに、再犯殺人と冤罪死刑の比較については過去にすでに議論されているが、それにきちんと目を通した上での発言だろうか。
・同上 紫煙狼さんは選挙権を否定していない。通りすがりの名無しさんの誘導(論点すり替え?)に乗った上で、つまり選挙権を持っていることを前提に紫煙狼さんは規範を説いているのだから。第一、誰それの選挙権を否定できるなら規範ーーー選挙に参加する上での心構えなど説く必要がない。「『…べき』、と『…であってはならない』と事実には乖離があるのが現実」だと思うなら、どうして紫煙狼さんの言うことにもその考えを重ねて見ようとしないのか。乖離があるのを前提に国民が各自で乖離を埋めていく努力が必要だというのが紫煙狼さんの主張であると思い至らないのだとすると、ひょっとして通りすがりの名無しさんは「乖離」を失くすことができないと考えているのだろうか。それとも「乖離」は失くしてはならない(保持すべき)もの?
・同上 「愚衆が(中略)法制度に口出しするのは許されない」という言葉が憲法15条に反するのだとしても、それを以って「法を語る資格なし」などとレッテルを貼るのも先の条文に反するのでは? 紫煙狼さんが傲慢だというなら、通りすがりの名無しさんも同じ理由から傲慢ということになるのでは?
3033
:
無精髭
:2011/12/26(月) 00:01:34
・
>>3013
廃止論・廃止派についてちゃんと調べた上で主張しているのか? もし単なる印象論だとすれば、参考に出来るどころか、悪質なデマを流すことで人々の偏見を助長する一方で、廃止派の名誉を傷つけ、運動を不当に妨害する意図があるのではないかと勘繰られてもしょうがない。
・同上 直近の内閣府の世論調査では、反対派・廃止派が国民の約5%いるとされているが、そのうちの殆ど(基本)が加害者の立場に立っているのではあるまいか、と推測するわけか(世論調査の内訳を見ればそれが穿った見方であるのは明白)。また、死刑廃止議連と彼らを当選させた有権者は、基本「死刑すなわち、凶悪犯罪をイメージした時、加害者になる」と思っているのだろう、という考えなわけか。
・同上 紫煙狼さんはごく一部の人間を「愚衆」と表現した。一方、通りすがりの名無しさんは全国民中5%の廃止派は基本的に犯罪予備軍ではないかとの(少なくともそう取られかねない)疑いを表明された。さて、通りすがりの名無しさんの紫煙狼さんへの批判が正しいのだとすると、当然通りすがりの名無しさん自身の主張に対しても(ある部分を除いて、だが)それは有効となる。ちなみに、「法律に関与する権利」と「法律を語る資格」が同じだとすれば、通りすがりの名無しさんは完全に自家撞着に陥っていると思わざるを得ない。
・
>>3015
過去ログをどれほど読んだのか? その自己評価の高さは一体何を根拠に成り立っているのか。
一応長々と書いてはみましたが、いずれにせよ、通りすがりの名無しさんは愚衆を啓蒙してくれるような人足りえず、むしろ良民に啓蒙されるべき愚個人ではないか、というのが私の結論です。
あと、
>>3013
を読んで思ったことですけど、結局法や政治はおろか、人間にすら大して詳しくなかったようですから、そういう人が、頼まれてもいないのに勝手に民意を代弁するのは、みっともないのでやめておきましょう。
別のスレでも引用しましたけど、「太宰メソッド」に通りすがりの名無しさんを含め多くの死刑賛成派の人々が、知らず知らず囚われている気がする。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%C0%BA%CB%A5%E1%A5%BD%A5%C3%A5%C9
>>2994-3000
ハイコンテクスト過ぎてついて行けない...。ついて行けてる方、至急解説求ム。
http://www.pan-nations.co.jp/column_001_005.html
http://www.pan-nations.co.jp/column_001_006.html
>>3000
つ数学的な美
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%81%AA%E7%BE%8E
>>3001
少し調べてみただけですが、今のところ、下記の回答が一番分かりやすく説得力があると思っています。
死刑の値段
http://okwave.jp/qa/q1905060.html
>>3016
コロッセオは今や死刑廃止運動のシンボルになってる、って知ってました?
3034
:
RPP
:2011/12/31(土) 04:51:04
皆さんは平岡大臣が死刑執行しないのはどのような意図があると考えますか?
いい年した大人が個人的なわがままで公務を行わないとか信じられないので
何か裏があるのではと思います
3035
:
無精髭
:2012/01/15(日) 17:23:01
2011/11/25
インターネットで中傷され続けた10年 スマイリーキクチさん
http://www.jinken.ne.jp/flat_now/kurashi/2011/11/25/1335.html
おそらく冗談とは言え、本村洋さんを焚きつけて復讐させようとした
一部のネットユーザーも含め、「愚衆」は確かに存在します。
3036
:
雄峰
:2012/01/23(月) 16:48:44
>>2993
は、愚衆の一人が、愚衆と呼ばれて過剰に反応しただけだ。
まさに「図星を突かれて馬脚を現した」それだけ。
情けない奴だ。まともに取り合う価値はない。
>>2994
は、Yとか呼ばれている奴だろ?
もっと情けない奴だ。まともに取り合う価値はない。
そこに敢えて突っ込みを入れる無精髭は
人が悪い か 悪い人 のどちらかだ(苦笑)
3037
:
無精髭
:2012/01/25(水) 21:21:46
>>3036
まず、紫煙狼さんや老婆心さんやufloatさんが通りすがりの名無しさんを
「愚衆」と呼んだという事実や、通りすがりの名無しさんが先述のお三方に
「図星を突かれて馬脚を現した」場面など、このスレッドに何遍目を通しても
確認できないのですが、仰るような経緯は実際にあったのでしょうか?
次に、証拠も出さずに通りすがりさんとY氏が同一人物だろうと大っぴらに
疑るのはいかがなものでしょうか。
あえても何も、通りすがりの名無しさんや通りすがりさんに関して、
雄峰さんが考えているように私は考えていませんでしたし、
雄峰さんが考えたのと同様に考えるのが一般的だとも思えません。
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