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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
2610
:
無精髭
:2010/02/19(金) 01:56:35
>2607
>2602でお書きしたように、私は通りすがりさんの論旨に激しく
違和感があるため、あの方を評価しづらいのですね。その一方で、
已む無しさんは通りすがりさんを理路整然だと評価していらっしゃい
ますよね? そこで、はて、どうしてなんだろーと不思議に思ったわけですよ。
そうこうしているうちに、已む無しさんから>2605のレスです。ここでも
「議論の内容よりも、その態度を重視する」という已む無しさんの基本スタンス
の再確認ですよ。こりゃあ参った。已む無しさんは通りすがりさんを私やKenさん
とは違う目で見ているんじゃないか、ってことになりますよ。已む無しさんから
すれば、態度がスノボの国母クンみたいな感じだったら、実際のプレーがいくら
良くっても一顧だにしないと思われる。なら、その逆のパターンについては評価
するに値するとなさるんじゃあるまいか。つまり、議論の内容がダメダメでも、
態度に非の打ち所がなければ、ええやないか、ってことになるんじゃないかと。
議論の最中に私は本心から、已む無しさんは通りすがりさんに加勢、
じゃないですけど、あの方を擁護して差し上げるべきだと、と考えて
おりましたよ。今となってはもう手遅れですけど。已む無しさんが
私やKenさんよりも通りすがりさんを理解しているのなら、積極的に
通りすがりさんとコンタクトを取って、その論を補っていただけたなら、
もうちょっとマシな議論になったかもなぁ、と思っております。
>2608
手短に説明いたしますと、理由は二つあります。
一つは、私がアンカーをお付けした已む無しさんの書き込みからは、
国家を介さずとも個人間の承認があれば人権は保障されるのだという
主旨が読み取れたからです(已む無しさんが直接そう主張している
とは申しておりません)。この場合、言わないこと・書かないこと
が問題なのです。しかし、その後の已む無しさんのレスにおいて、
国家が個人間の承認を義務付けているのだということを確認させて
いただきましたので、今は以前のような誤解はしておりません。
しかしながら、已む無しさんの主張にはまだ腑に落ちないところが
ありますけれども。
もう一つは、已む無しさんの書き込みがあまりに圧縮されていたため、
いくつかの読解が可能だったので、それを主題にしてもこのままでは
円滑な議論にならないと考えられたからです。議論を成り立たせるために、
私が誤読とそれによる已む無しさんからの批判を覚悟で、已む無しさんの
書き込みを私なりに発展させました。つまり、已む無しさんの意に反した
>2362の内容は、ひとえに私の読解力不足&思考力不足によるものです。
そして発展させるならば、わざと突っ込みどころの多い書き込みをした方が
いいだろうと考えました。鋭い人であれば、必ずやおかしな箇所・無理が
ある論旨展開を徹底的に指摘してくるはずだと思われたからです。また、
それによって相手の技量も把握できるというものです。私が議論にこだわる
のは、自分の思考能力の限界を教えてくれる他人による批判や反論を大いに
望むからでもあります。
とはいえ、いくら私が批判や反論を望むからと言って、他者が同じ思いを
持っているとは限らないので、もし已む無しさんが私のレスによって
不愉快な思いをされたのあれば、また、今もされているのであれば、
二度とレスは致さないと誓いますので、なにとぞご容赦ください。
2611
:
已む無し
:2010/02/19(金) 02:25:27
>>2610
>そして発展させるならば、わざと突っ込みどころの多い書き込みをした方が
>いいだろうと考えました。鋭い人であれば、必ずやおかしな箇所・無理が
>ある論旨展開を徹底的に指摘してくるはずだと思われたからです。また、
>それによって相手の技量も把握できるというものです。私が議論にこだわる
>のは、自分の思考能力の限界を教えてくれる他人による批判や反論を大いに
>望むからでもあります。
そうですか、無粋な詮索失礼致しました
>もし已む無しさんが私のレスによって
>不愉快な思いをされたのあれば、また、今もされているのであれば、
私は、疑念を抱くことも抱かれることも不愉快だとは感じません
良くない仮定が浮かんだとき、それが証明されてしまったならば不愉快だと感じますし
それが私自身のことであるならば痛恨の極みです
今は、とても愉快な気分です。有り難う御座います
逆に、疑念を抱かれたことを不愉快だと感じたのならば申し訳ありませんでした
うーん・・・私が通りすがりさんを擁護ですか・・・・
私にとって、2人の議論は、どちらが私の味方でも敵でもない中立の立場でみさせて頂いておりました
無精髭さんの擁護はまったく考えませんでしたが、(まぁ突っ込む側だったので) 通りすがりさんを擁護するにしても
私の考え方が、通りすがりさんと同じではない部分もありましょうし
たとえば閾値などという言葉は初めて目にしましたしね
>>2598
でちょこっとだけレスしましたけども、あれも別に、誰かを擁護するとかの目的ではなく
あくまでも私自身の個人的な考えと疑問です
それに、横からの擁護などは要らぬ世話にも見えましたしね
2612
:
ufloat
:2010/02/19(金) 06:27:14
>捨てハンの方
私がKenさんと通りすがりさんの議論に割って入ったことについての皮肉も
含んでおられるのですかねえ・・・。
捨てハンの方ではなく他の方々に対して弁解しておくと、あれはどちらかといえば、
以前に発生していた不毛なチンピラ合戦がまた発生し、議論があさっての方向に
進んでしまうことを危惧したという部分が大きいですね。
そのせいでboroさんにご迷惑をおかけしたことについては、かなり後悔するとともに
気に病んでおりますが、これも精神が弱いゆえということになるのですかな。
>已む無しさん
私の疑問のほとんどは、すでに無精髭さんが質問されていますので、かぶる部分もありますが。
已む無しさんの「思想や主張はさておき、相手が誠実であるかどうかをまず重視する」という
スタンス自体は尊重されるべきものですし、それはそれで立派な方針でありましょう。
しかし、ちょいと気になる点が。
先の議論では、通りすがりさんは複数人の質問のすべてに対して返答をなさっており、
そういった作業は大なり小なり齟齬を生じさせかねないわけですから、あまり執拗に
矛盾を指摘するのも申し訳ないのですが、そこはひとまずお許しいただくとしまして、
通りすがりさんのご主張のうち分かりやすい部分を例にとってみます。
・特別予防効果は終身刑よりも死刑の方が上だ。効果が多いか少ないかではなく、
死刑の方が効果があるかないかが問題なのだ。
・死刑を使った自殺のことを言いたいのなら、そのようなケースがあるかないかではなく、
死刑を用いて自殺する人間より、その逆の人間の方が少ないといえる理由が必要だ。
「ありゃ?」と思いませんでした?
それで、通りすがりさんならそのようなことは主張されないと思いますが、
もしguestさんに対してこのような矛盾を指摘しようものなら、
「俺ら存置派は数が多いからやっていいんだ。少数派の廃止派にこういうのは許されない」
と来るわけです。
私からすれば、このような言い分は「誠実」とは対極にあると評価せざるを得ません。
ところが已む無しさんは、通りすがりさんの論はまだしも、guestさんのご主張さえも
「理路整然として突っ込みどころがない」と評価された上、その後には
「guestさんに反論するところは全くなかった」とまでおっしゃっています。
一方、廃止派の面々に対しては、紫煙狼さんの「客観的に見て問題のない書き込み」を
どういうわけか「脅迫」であると解釈したり、その他様々な「相手が意図し得ない解釈」を
行った上、挙句の果てには「こいつら廃止派の4人は信用ならない」という結論を、
一時的にせよ見出してしまわれるわけです。
そこで気になるのが、已む無しさんがいかなるものを「誠実な態度」とみなしておられるのか、
という点です(無精髭さんの「已む無しさんは通りすがりさんを私やKenさんとは
違う目で見ているんじゃないか、ってことになりますよ」という部分は、
これと似た意味合いのことを含んでいるのではないかと思われます)。
guestさんや通りすがりさんは持っていて、私たちは持っていないもの、言い換えるなら
「已む無しさんが論客に求めるもの」というのは一体何なのでしょうか。
2613
:
無精髭
:2010/02/19(金) 20:00:57
>それで、通りすがりさんならそのようなことは主張されないと思いますが、
>もしguestさんに対してこのような矛盾を指摘しようものなら、
>「俺ら存置派は数が多いからやっていいんだ。少数派の廃止派にこういうのは許されない」
>と来るわけです
いやいや、
>>2583
の以下の箇所では、数の論理に関する発言がのどまで出かかってますねえ。
>>現在死刑制度は合憲の判決とともに存在しており、世論も大多数が容認しているものです。
>>なのでそれに問題があると訴えてやめさせようとするのであれば、やめさせようとする方(廃止派)に
>>問題を証明する責任があります。
>>そうですよ?それだけでは「死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ」というままですからね。
>>そしてそういう非対称なルールを使っていいのなら、
>>「現状にケチつけるのだから死刑廃止状態の抑止力だけを証明しろ」
>>という意見と平行線になることが決定し、最終的に約85〜90%の死刑容認の支持率が
>>モノを言うことになるだけです。
もしも通りすがりさんの態度が本当に模範的であるなら、ユーさんの態度はネ申に匹敵すると思うんですけどw
2614
:
無精髭
:2010/02/19(金) 20:14:27
>2597へ自己レス。
言葉と人との関連性を論じるのは、実は哲学にも繋がるような、結構高度な言語思考だったり
します。たとえばハイデガーのナチ加担は、当時の民族主義的昂揚に彼が自身の理想を見出した
とか一時の気の迷いから政治的選択を誤ったとかいった単純な話で済まされることではありません。
彼の哲学には、本質的なところでナチズムを正当化せざるを得ない考えが潜んでいたのだとも
言われているからです。ハイデガーを含め、戦時中の知識人による戦争加担・全体主義への傾倒・
民族差別がなぜ起きたのかという問題は、今もなお考え続けなければならない課題です。
こういったある種の戦争責任論は、言葉と人を切り離してはならないという警告の一種でもあるでしょう。
已む無しさんは人物評価を元に言葉の意味を捉えていますよね。いわば、人を通して言葉を
評価していらっしゃる。しかし、言葉と人を切り離すだけならまだしも、一度切り離したものを
再びつなげた上で、今度は言葉を通して人を評価するのは、非常に困難を伴う作業です。さらに
それをおこなう側にも、不公正な手段を用いれば道義的責任が必ず問われるようなリスクを
事前に引き受けることが求められるでしょう。
2615
:
已む無し
:2010/02/19(金) 23:14:39
>>2612
>已む無しさんの「思想や主張はさておき、相手が誠実であるかどうかをまず重視する」という
以下
>「已む無しさんが論客に求めるもの」というのは一体何なのでしょうか。
まで・・・・・
えらく重い質問ですね^^;
先に、最後の行の質問に答えてみます・・・・
上手い言葉は見つからないですが・・・・敢えて言うなら、「覚悟」 「責任」 などでしょうか・・・・
とりあえず現時点で、ここで私に直接レスをして下さった廃止側の方の書き込みでそれを感じたのは
紫煙狼さんからでしょうかね・・・・
他の方にはそれがないとは言っておりませんよ
まだ私がそれを見出せないでいるだけです
これは、私の主観かもしれませんが・・・・
死刑容認の考えを持つ人 (推進とは違う) の多くの人が、死刑適用を 「止むを得ない」 と言います
死刑判決のときも、大概はこう示されます
その判決を、『下さなければいけない立場にあった』 裁判官は、多くの責任を一身に背負って判決を下しているのだと思うのですよね・・・
死刑存置状態と廃止状態では、この部分でも大きく変わると思っています
つまり、存置状態では、まず、殺人者の業によって無辜の命が奪われる
次に裁判官や、死刑を訴える遺族の業
さらには、死刑執行人の業・・・・・
単純に考えても、これだけの人たちが業を背負わされることになっているのですよね
子供の命を殺人鬼に奪われた母親が、殺人犯の死刑を望むことによって、心無い人から非難される
(まぁ、これに於いては、死刑廃止後に、「私は犯人の終身刑を望みます」 と言っても同様であると思うが)
これが廃止状態になると、殺人者の業は変わらずとも、その他の人々の業は少し軽くなるのかな?
という気はしております
(あれ?何か私ってば廃止論を展開してるぞ?)
ですがね・・・・
これによって、責任の重さまでが軽くなることを危惧するものです
ああ気が楽になった・・・・
では冤罪が増加してしまうかもしれません
それではいけないのですよね
私はここまで言っても尚、現時点では死刑已む無し・・・・かな?と思っています
通りすがりさんや、guestさんなどの存置派は、死刑推進ではなく、死刑は止むを得ないなんですよね
中には、更に残虐な死刑にしろとか、公開処刑にしろとかのたまうどうしようもないチンピラ存置派もいるようですが
2616
:
已む無し
:2010/02/19(金) 23:19:04
蛇足
阿修羅像に喩えたのは、けっして貶めようとしたのではなく
洒落ではあっても、褒め言葉のつもりでしたよw
論理の無精髭さん 感情の紫煙狼さん 性愛のufloatさん
kenさんは賑やか担当で(知ってるかな?)
2617
:
捨てハン(笑)
:2010/02/20(土) 00:26:47
通りすがりさんのレスを見ていて一番いいなと思うのは、感情的な言い争いの種をほとんど吸収してるところだね。
そのほかの人の「私情」はさみまくりの気遣いの足りないレス見てると、こりゃ人類から争いはなくならないわな、という感想を禁じえないw
2618
:
紫煙狼
:2010/02/20(土) 00:42:33
では、已む無しさんに意地悪い質問。
「現時点では死已む無し。」承知しましたが、未来はどうなっていると良いですか?
現状において即座に死刑を廃止するのは多数であるとか少数であるとか以前の問題として
「死刑を廃止するための環境が整備されていない」ので問題外ですよね?ところが、
私が思うところの「死刑を廃止するための環境整備」で行われるべきものというのは、
「死刑を存置するとしても必要な事柄」でしかないのではないか?と思っています。
これが私の勘違いで無いとすれば、いずれ人類は「死刑を廃止するための環境整備」が
整った土壌で死刑存廃を論議することになるでしょう。その時の結論はどちらに転ぶべき
だと思われますか?
次に「死刑廃止を不法目的での利用のために熱望する非合法組織」と「世間を欺き
死刑制度を自らの利得のために援用する国家権力」を比較したときに、身近な恐怖の対象が
非合法組織に向けられるのが当然だとは思うのですが、非合法組織はそもそもが不要な
ものですから無くす事が出来るはずのモノですよね?無くならねばならぬモノですよね?
しかるに国家権力を無くすというのはよほど世の中の仕組みを変えなければ「必要な物なの
だから無くせるわけが無い」ですよね?長い将来、本当に遠い未来を考えたときに、
残される恐怖はどちらの方が大きいでしょう?
もちろん「国家権力の腐敗を心配する」というのはあくまで一例であって、私が一番念頭に
おいているのは、ヒトがヒトを殺すことの違法性を阻却できる理由を「緊急避難」もしくは
「苦痛に喘ぐ病人がそれを望み、病人の尊厳のために殺す」以外に認めるというのが倫理的に
許されるべきか否かという問題です。何らかの理由があって、それに同意するヒトが多ければ
本人が望まなくとも命を奪う、という「本人の意思を無視した生死の多数決」が存在しつづけて
よいのか、という問題です。
人類は死刑存置・死刑廃止、どちらの方向に向かって努力し続けていけばよいのでしょう?
2619
:
無精髭
:2010/02/20(土) 02:14:56
>>2591
このエントリーにあるのはどうでしょうか?
http://minkara.carview.co.jp/userid/193332/blog/12490143/
何かどこかで聞いたことある話ですね。そういえば、栗本慎一郎氏の往年のベストセラー
『パンツをはいたサル』にも載っていた憶えが。母親が選んだのは男の子の方だったと
思います。その後、泣き叫ぶ女の子を引きずるように連れ去る看守…。
>>2563
そういえばそれって福本伸行の漫画に出てきそうなシチュエーションですね。
>>2566
人の命ならどれを取っても等価だという考えが前提にないと、そもそも意味がない議論ですなぁ。
人の命に価値の差がないのだとすれば、より多くの命を救う方を選択すべきってことになるのは
自然な成り行きではないかと。だって、質で選べなければ量で選ぶしかないのだから。そういった
功利主義的視点を脇に置かせていただくなら、たとえばこんな組み合わせも考えられますね。
(1)トロッコの向かう先に5人が屯している。すわっ大変だとばかりに路線変更せねばと
もう一つの線路に目を向けたら、その先にはなぜか自分にとって最愛の人が突っ立っていた。
「待ち合わせの場所、そこじゃないでしょー」
(2)5人を助けるか、1人を助けるかという情況は同じだが、上のケースと異なり5人が
選りすぐりの美女(美男でもおk)ばかりだった場合。「でへでへ。これを機に乗り換えちゃおうかな〜」
(3)同じく5対1という人数構成は変わらないが、5人全員が常々死んで欲しいと思っていた人間だった
場合。ただし、1人でいる方は見ず知らずの人とする。「絶好の機会とは正にこの瞬間っっ」
※(2)は、美女(美男)5人とお金持ち1人のどちらを助けるかという問題にも変えられますね。
(3)では、5人全員が自分にとって、あるいは社会にとって有害もしくは無価値な存在である
ことがポイントになります。別に遺恨の対象でなくとも構いません。あるいは、老い先短い高齢者
たちの命と幼い子どもの命のどちらを選択するか、という問題でも良いでしょう。
太った人を突き落とすバージョンでは、太った人がタクマだったりジョン・ウェイン・ゲイシー
だったりした場合、答えが「No」になることが多いかどうか。
>>2568
妄想かましてよかですか?
紫煙狼さんは、死刑囚にも更正を求める声が多いことを独自に解釈して、臓器移植刑を正当化しようと
企てていらっしゃいるようですが、私も、私利私欲のために残虐非道な殺人をおこなった者に人権はない、
という声が多いことを理由に、死刑囚を人間ではない存在(人非人)と規定してみたいと思います。
早い話、生物種としてのヒトであっても、法的・倫理的な存在である人間でさえなければ、それに対し
クローン技術を応用することは許されるのではないかと考えるわけです。そして、単なるヒトから
生まれたものは同じく、人間以上でもなければ動物以下でもない単なるヒトであるはずですから、
そのクローン人間をドナー(臓器農場)として処分するにしても、家畜を解体するくらいの抵抗しか
感じられないのではないかと思うのですよ。
では、なぜオリジナルの方を殺さないのかと言うと、コピーを量産するためばかりでなく、元々人間でない
コピーを殺すよりも元は人間であったオリジナルを殺す方が、ちり紙一枚ほどの重圧を余計に感じそう
だからです。仮に家畜を殺すことに毛が生えた程度の呵責を感じたとしても、目先の目的が達成されさえ
すれば、一秒後にはもう他のことに関心が移っていそうなものです。
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/ethics/wadai3.html
http://www.d1.dion.ne.jp/~toyoura/clone.html
現在の技術ではたぶん代理母の存在が欠かせないでしょうが、女性の死刑囚とペアという条件で
私の妄想も何とか実現可能でしょう。願わくば、人工子宮・人工母胎さえ作り出せればなぁ。
2620
:
無精髭
:2010/02/20(土) 02:15:32
>>2574
>>2594
>そこで、死刑囚にもこれら教育を施すことを古紙回収に喩えて、再生紙にして燃やすのは無意味であると結論したうえで、(下略)
シェンさんってここまでの論旨は前と変わらないんですよね。それはそれで良いことだと思います。
それはさておき、臓器移植刑が新たな死刑執行方法として採用されて、結果的に廃熱利用がきちんと
なされたとしても、絞首刑の場合と同様、更正・矯正教育は無駄にならざるを得ないと思います。
と言うのも、死刑囚当人の心の問題と、命を無駄に奪ってはならないという道徳的(功利的?)な
問題は交錯し得ないんじゃないかと私には思われるのですね。たとえ死刑囚が罪を悔い改めて、
自らの死を、市民が望むがままに選び取ったとしても、罪を悔い改めたという重要な心的事実が
死刑によって失われてしまうのです。また、たとえ臓器移植刑が社会にとって有益な刑罰であり、
死刑囚にとっても他の執行方法と比べればその価値が飲み込みやすいものだとしても、たった
これだけの道理を教えることを更正・矯正教育だとは呼べないでしょう。無論シェンさんの構想
では、更正・矯正教育の全課程を死刑囚が修了しなければ臓器移植刑はいっかな執行されない
決まりになっているのですよね?
つまるところ死刑囚が自ら進んで臓器移植刑を受けようとするのでなければ、教育の甲斐がない
わけです。他方で、死刑囚に対して臓器移植刑による死を受け入れるよう仕向けることが、
はたして更正・矯正教育と呼ぶにふさわしいのかどうかがあやしいです。最初は死を望んで
いなかった死刑囚が、教育を受けるうちにいつの間にか自らの死を以て罪を償うしかないと
考えるようになったとすれば、これは心理的誘導ではないかという批判も起こりそうですね。
でも、死刑囚に何らかの教育を施すべきだという声が根強いのは、言い換えれば、死刑囚が
反省することに何がしかの価値を見出す人が絶えないのは、Kenさんの仰るように死刑囚に
対して「死んでお詫びする」ことを強要する心理傾向というか文化背景が日本にはあるから
ではないでしょうかね。補足させていただくなら、人はもはや不可避であるがゆえに受け入れ
ざるを得ない己の死を目前にしたとき、真に心の底から生まれ変わるのだという考えがこの国
の社会には浸透しているのでしょう。死こそ最大の教育効果をもたらす事態・きっかけなので
ある、と。言い換えれば、人は死に臨むことがなければ存在を揺るがすほどの改心を自分から
生み出すことができないのだ、というある種の決定論が常識化しているとも言えます。己の存在
が根本から変わることが改心・更正であるなら、死以外の出来事は当の存在そのものを変質
することができないことを踏まえて、最大の改心・更正は死刑によってしかもたらされない
という結論が導かれたとしても不思議はありません。
しかし、シェンさんが指摘しているように、死は教育効果そのものを無にしてしまいます。
つまり、死刑は最大の教育効果を生む可能性を有すると同時に、それが実現したかどうかも
分からぬうちにその対象ごと消し去ってしまうわけです。この点において、死刑は非常に
重たいパラドクスを抱えているとも言えますね。
おまけ。私が常々贔屓(?)しているブログですよお。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50436712.html
2621
:
Ken
:2010/02/20(土) 14:25:39
>>トロッコ問題
ここに私が言いたかったことが全て要約されてますね↓
人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス
http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html
今さら気付いたのですが、紫煙狼さんの倫理観はカントの義務論?死刑囚からの臓器提供というのもそれが結果的に誰かの命を救うからではなくて、臓器を提供すること自体が善だと考えているからなのかな。なんとなく分かったような気がする。
>>髭さんの妄想
はやっぱり妄想ですね。クローン人間とは何かを根本的に理解してないような。
クローン人間がなぜ問題になるかというと、それは遺伝情報がオリジナルと同じなだけで、別の人格が備わった別人だから。たとえば、遺伝情報が瓜二つというのは別にクローン人間だけに限った話ではなくて一卵性双生児もそうですけど、そのたとえで行けば、凶悪犯罪を犯した死刑囚の兄のために弟が臓器提供するようなもの。それじゃああまりにも理不尽。
>>田島さん
今まで読んだ中で一番出来が悪いですね。
私も安田弁護士について誤解していた時期がありまして、「この件について私自身裁判記録を精査したわけではないので、決定的な判断はもってをりません」と田島さんが認めているにも関わらず、読者から指摘を受けても自分でリサーチする気が一切ないというのは姿勢に問題ありです。とりあえず想像だけで批判するのではなくて、安田弁護士の言い分を聞いてからやれよと。
>>私の考えでは、戦争はテロよりまだしも正当化しやすく、死刑は戦争よりさらに正当化しやすい。
英独仏加といった死刑廃止国がISAFとしてアフガンの戦争に積極的に加担していることからして、全く普遍性のない考え方(日本以外の西側先進国では死刑よりも戦争のほうが正当化しやすい)。
死刑存続に賛成する理由その4は最悪ですね。終身刑囚と死刑囚でその更生可能性の取り扱いが通りすがりさん並に恣意的でぞんざい。
>>私は死刑が被告にとって最期の救いとなりうると思っている。死刑が問題となるほどの凶悪な犯罪者は、たやすく改心することなどありそうもない。たとえ終身刑で監獄にいたとしても、そのような犯罪者にとって獄中の生活は無意味であろう。己れの真実と向き合わない人生など、何年生きても無意味だからである。
「もちろん、これは本人だけが自分にとって何が最善かを知りうるという考えを否定するものであり」と逃げは打っているものの、当人のためにと他人に死を強要する考え方にはぞっとしかしない。
2622
:
Ken
:2010/02/20(土) 14:29:45
ちなみに、わしは当掲示板のご意見番じゃ!
2623
:
捨てハン(笑)
:2010/02/20(土) 15:41:17
ここの連中は普段は高度な話をしてるように見えるが、他人の話を否定するときにすごいダメなにおいを発するな
2624
:
已む無し
:2010/02/20(土) 19:58:48
>>2618
正しい目的に於いて死刑廃止を望む心と
戦争の全く無い世界を望む心は同じなのだと思っています
これで答えになるでしょうか?
2625
:
已む無し
:2010/02/20(土) 20:00:21
>>2622
失礼しました^^;
2626
:
無精髭
:2010/02/21(日) 00:54:31
>>クローン人間
Kenさんのご指摘とは別の文脈からですが、私も自分の間違いに気づきました。
仮に法によって人権を剥奪することが可能だとしても(これもまた逆説的ですw)、
そうして人権を持たなくなったヒトは、もはや法によって裁かれる存在ではなくなって
いるのだと。したがって、人権がない存在を死刑にすることは法における背理であると
考えられます。いずれ法の枠組みの中では、犯罪者に人権がないと言う理由で死刑を
正当化することは原理上できないのだということと、犯罪者は人権を持つ(与えられて
いる・認められている)からこそ裁判に参じることができ、刑罰の対象となりうるのだ
ということとを失念してさえいなければ、わざわざあんな兵六玉を演じようなどとは
思わなかったですよ。
Kenさんの批判は適格だと思います。批判があるとすればおおよそこんなものだろう
というふうな推測は事前にしておりました。死刑囚を人間ではない存在と規定したとしても、
そのクローンが人間ではないとするのには仰るとおり無理がありますよね。いくら死刑囚を
人非人とすることで人格を否定できるのだとしても、そのクローンの人格をも否定する
ということには度し難い飛躍があるでしょう。ちなみに先の私の書き込みには、家畜を殺す
ことに大した抵抗を感じない云々という部分もありましたけど、もしかしたら動物権利論の
視点からも何か批判があるかなぁ、とちょっと期待しておりました。
ところでしつこいようですが、クローン技術によって人為的に無脳症の複製人間を作り出せる
としたらどうでしょう? 人格のない人間を作ることは倫理的に許されない行為でしょうか(笑)。
>>田島さん
紹介する方としても一体なんて言われるかドキドキしてしまうような内容でしたw
死刑廃止国においては、死刑ならまだしも戦争は正当化するのが難しいという日本の
常識が引っくり返るというのは、私にとっても完全に盲点でした。やっぱり世界を
見渡すために母国を出るという経験は大切だなと感じましたよ。
お口直しに。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50461032.html
>2620へ自己レス。
あらかじめ死ぬことが決まっている者に対する教育と、行く行くは社会に順応するよう
定められている者に対する教育は本質的に異なるのではないかということ。
シェンさんのように古紙回収から再生紙へのリサイクルとして更正・矯正教育を捉えれば、
死刑囚教育は正に無駄の極致でしょう。仰るとおり、せっかく紙として使えるようにした
ものをもうイラネっと言って、丸めて屑かごにポイっとしてしまうに等しいのですから。
シェンさんの中では教育の効用が、社会との関係において初めて価値あるものとして
結実すると考えられているみたいなんですよね。教育は社会との関係において、
改心は他者との関係において、意味あるものと位置づけられているのでしょう。
ただ、そうなりますと、医者から余命わずかと宣告された人が、就活したり受験勉強を
したりするのも全くの無駄と言うことになりそうです。いや、シェンさんからすれば
ずばりそうなんでしょうけど。でも、他人から見れば無意味なことをしているように
しか見えないことも、本人からすればとてつもない意味があるかも知れません。
単に死への恐怖を紛らすためかも知れませんが、もしもその人が輪廻転生を信じて
いたとすれば?
たとえば、已む無しさんのように来世にまで目を向ける人からすれば、死刑囚教育は
「古紙を再生紙に変えたあと使わずに捨てる」というようなものとしては映らず、
おそらくソクラテスが言うような魂の世話としての性格を帯びているのではないでしょうか。
私見では、死刑囚を更正させるために教育の必要性を説く人たちの考える死刑囚教育と、
シェンさんが理想とする囚人教育のあるべき形との間には懸隔がある気がします。
臓器移植刑を打ち出したとしても、シェンさんは死刑囚教育が必要だと唱える人たちと
根本的に認識がずれているために、彼らからすればシェンさんが自分たちの声に応じた
とは思わないかも知れません。それを危惧いたしますね。
2627
:
loveless
:2010/02/21(日) 01:02:45
>>2621
>>トロッコ問題
って、私はまったく知りませんでしたが、正直自分にはどこが難しい問題なのか不明???
自分がポイント切替を職業としているならば被害を最小限に抑えるように行動し、
そうでないなら(どっちのケースでも)傍観するでしょう。多くの人もそうするのでは?
>>>私の考えでは、戦争はテロよりまだしも正当化しやすく、死刑は戦争よりさらに正当化しやすい。
>英独仏加といった死刑廃止国がISAFとしてアフガンの戦争に積極的に加担していることからして、全く普遍性のない考え方(日本以外の西側先進国では死刑よりも戦争のほうが正当化しやすい)。
戦争の正当化と死刑の正当化なんて同程度なんでは?
日本の憲法では戦争を放棄していますが、これは国家が他国の人の命を奪うという非人道的な行為を禁止しているとも言えるわけで、一方、戦争を肯定している国家では、戦争による「抑止力」(本当は他国を侵略するためかもしれませんが)などを期待しているはず。
つまり、日本は、戦争を肯定している国家に対して、非人道的だから交戦権を廃止すべき、と主張することができ、
また逆に、交戦権なんか放棄していたら抑止力が働かん!と他国から指摘を受けることもあるということです。
それらは、死刑存廃議論と同一にはできませんが、アナロジーとして捉えることはできると思います。
(普段人権にうるさい欧州が、こと戦争に関しては保守的なのは、日本と同様に歴史的な部分が大きいと思います)
#ちなみに私は改憲論者。
あと、アナロジーを多用すると、元の議論がボケるのでホドホドにしたほうがよいかと。。
2628
:
Ken
:2010/02/21(日) 14:29:57
うーん、日本に軍隊(戦争)がないと思っているのは日本人くらいなので「交戦権なんか放棄していたら抑止力が働かん!と他国から指摘を受けること」はないでしょうなあ。あんまり関係ないけど。
アナロジーで言えば、戦争が正当化されるのはそれが国内における正当防衛、緊急避難、正当行為に当たるからでしょう。事実、日本語では人と人の間は正当防衛、国と国の間は自衛権、というように呼び分けてますけど、英語ではどちらもSelf-defenceといい、特に区別されないです。
国外における自衛権と国内における正当防衛には正の相関がありそう。戦争の閾値が低い米英なんかでは正当防衛、緊急避難の閾値も低くて容疑者を現場で射殺なんてよくある(戦争の誤射・誤爆と同じで間違いもある程度許容されている)。一方の日本では戦争絶対だめだし警察官の拳銃使用の要件も大変厳しい。トロッコ問題で言えば米英では5対1ならみんな必ずポイント切り替えるけど、日本だったら1000対1になって初めて切り替えるの考えてみてもいいかな、みたいなw
そういう日本でも、最近では自衛隊が海外で活躍する場面が増えてきたし、警察官が発砲することも多くなってきました。というわけで、正の相関があります。
戦争の閾値の低い西側先進国でも死刑が正当化されづらいのは、それが正当防衛、緊急避難には当たらないからでしょう。
2629
:
Ken
:2010/02/21(日) 15:05:56
>>ところでしつこいようですが、クローン技術によって人為的に無脳症の複製人間を作り出せるとしたらどうでしょう? 人格のない人間を作ることは倫理的に許されない行為でしょうか(笑)。
いや、実際にはクローン技術の研究はそういう方向に向かっているのでは。人一人造っちゃうといろいろ問題が出てくるから臓器だけ造ろうとしてますよね。
「脳がない=人格がない」ということは心身一元論を前提にしてるんですよね?心身一元論が日本人の常識になってきているのだとしたら感慨がありますね。
>>家畜を殺すことに大した抵抗を感じない云々という部分もありましたけど、もしかしたら動物権利論の視点からも何か批判があるかなぁ、とちょっと期待しておりました。
大抵の人は抵抗を感じないのではなくてどうやって殺されるのか知らないだけでしょう。自分が食べるお肉がどうやってできるのか知ると考えが変わるかもよ。映画『いのちの食べ方』観るべし。
>>母親が選んだのは男の子の方だったと思います。その後、泣き叫ぶ女の子を引きずるように連れ去る看守…。
それ『ソフィーの選択』(メリル・ストリープ主演)。
2630
:
loveless
:2010/02/22(月) 01:06:04
>>2628
>アナロジーで言えば、戦争が正当化されるのはそれが国内における正当防衛、緊急避難、正当行為に当たるからでしょう。事実、日本語では人と人の間は正当防衛、国と国の間は自衛権、というように呼び分けてますけど、英語ではどちらもSelf-defenceといい、特に区別されないです。
日本人の感覚からすると、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争、コソボ紛争は正当防衛である、というのは違和感ある人多いでしょうね。
(もっと遡って、、フォークランド紛争くらいでようやく正当防衛かな?というところでしょう)
もし、欧米がそのように考えているならば、中国が、オバマ大統領とダライ・ラマの会談を必死に阻止しようとするのもわかる気がします。
2631
:
無精髭
:2010/02/22(月) 11:20:03
>2620への自己レスである>2626へ自己レス。
生体移植であろうが死体移植であろうが、結果的に死刑と同時進行の刑罰であることに
変わりがないのだとすれば、それとシェンさんの「死刑は躾けたりえない」という考え
とは両立しえないわけで、そういった点が矛盾していると言えば矛盾しているのでしょう。
ただし、シェンさんが臓器移植刑を正当化するために教育観を刷新なさるのであれば、
自身の道徳観や良心と結びついた強力な理論に成長する可能性は十分にあるかと思われます。
ちなみにシェンさんが条件付であるにせよ死刑に賛成することにおいて、死刑囚教育
そのものが無用とされているのであれば、言うまでもなくはじめから矛盾も何もないですがね。
臓器移植のために犯罪者を殺すのは許されないが、犯罪者を殺すしかないのだとしたら
生体移植刑を行うべき(つまり、誰かの命を救うために死刑囚を殺してはならないが、
死刑囚を殺さなければならないとすればその命を無駄にしてはならない※)。
トロッコ問題で言えば、トロッコを止められないなら何もするべきではない。同じく
死刑を止められないなら何もするべきではない。が、トロッコと違い死刑は運用方法を
変えることができる(トロッコはレールに乗って走る、死刑は規則に従って執行される
ことに注意)。
※別の言い方をすると、命を奪う行為を儀礼化すべきであるということ。死刑がより苦痛
の少ない方法へと変更されてきた歴史的推移と比較すると、これはアプローチの転換とさえ
言えるのではないかと。
2632
:
無精髭
:2010/02/22(月) 11:27:23
>>カントの義務論?(下略)
臓器移植やカントに関してはいい論文がありました。
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/bioethics/organ_procurement_survey.pdf
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/clone4.html
http://rose.hucc.hokudai.ac.jp/~q16628/articles/kant-bio.htm
義務論と功利主義の対立と言う論点でシェンさんの立場を分析しちゃうと、廃熱利用と
「命を押頂く」姿勢は似ているようで違うってことになっちゃう気がしないでもないです。
たとえば
>2574(上略)「死刑囚から臓器を取り出せば少なくとも一人の命が救われる」という
>明快なメリットのほうが死刑に賛成する論拠としては「線が強い」のではないか、という話ですね。
この主張って、あきらかに義務論的ではないでしょ? ただ、これは行為功利主義ではなく
(義務論に近いらしい)規則功利主義と言うにふさわしいのかも知れません。紙資源リサイクル
とか廃熱利用は功利主義的ですが、命を打ち捨ててはならないという定言命法が前提にあるなら、
確かに何となく分かった気にならなくもないです。
では、Kenさんがこだわるようにトロッコ問題から出発して死刑問題を捉え返すことができたとして、
確かにそのコンテクストだとシェンさんは臓器移植そのものを善と捉えていなければならないと
思いますけど、はたして臓器提供そのものは善と捉えていらっしゃるのでしょうかねぇ。
臓器移植よりも前の段階である臓器提供の仕方に関して、どのような善悪の観点から
区別を設ければよいということに言及されていらっしゃらないから何ともいえませんけど、
おそらくその区別を取っ払うまでは徹底されていらっしゃらないと思いますがね。
自分の臓器を提供するのはいいとしても、それを理由に自身の臓器への扱いと同様の仕方で
他者の臓器を扱ってもよいということにはならないでしょう。臓器提供そのものが善とされる
ならば、自他の区別なく臓器を等価に扱わなければならなくなるにもかかわらず、です。
また、死刑囚が死刑反対派・死刑廃止派だった場合はどうなるのかなぁと。だからこそ、
死刑囚に対しては対抗的に教育を施す必要があるのではないかと思うんですけどね。
教育でなく説得と言った方がいいかも知れませんけど。(私自身はこういった教育観に
賛同する者ではありませんが。)
だいたい、移植の上で価値ある身体部品は有効活用できても、死刑囚の脳髄やその他の
身体は無駄になるんですよねぇ。割合から見れば、価値ありとして再利用される身体部品
よりも無用として打ち捨てられる身体部品のほうが多いのではないでしょうか。とくに
脳髄や精巣を再利用するにはどうすればいいのか、という考察が必要ですね。死刑囚の
身体を再利用するのなら、身体がその本来の機能を維持できるよう再利用すべきであって、
それを無視した用途は倫理的に悪だという気がします。
2633
:
無精髭
:2010/02/22(月) 11:29:44
>「脳がない=人格がない」ということは心身一元論を前提にしてるんですよね?心身一元論が日本人の常識になってきているのだとしたら感慨がありますね。
一部の脳科学者も便乗している、ここ数年の脳ブームの影響があったりして。私自身は蚊帳の外
ですけどね。アメリカじゃどうなんです? ちなみに脳ブームについては学術的見地からの批判
も多いみたいです。
ttp://www.jimbo.tv/videonews/000506.php
ttp://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3021
ttp://www.brain.riken.go.jp/bsi-news/bsinews33/no33/network.html
脳科学者の学際的野心から出てきた発言はかなり割り引いて見て置いたほうがいいかも知れません。
特に上の2番目のブログで転載されている小川誠二氏の論説はわが意を得たり。トロッコ問題の
意義を軽視するlovelessさんの気持ちも分からないではないです。
日本の主な脳科学者の一覧。
ttp://ansaikuropedia.org/wiki/%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85
ところで、日本人にとって心身一元論は必ずしも馴染みの薄い考え方とは言えないんじゃない
ですかね。さすがに心的過程が脳の機能に合致するという心脳一元論、心脳同一説が広く浸透
しているとまでは言えないと思いますが。少なくとも現代で心身二元論をまじめに唱える人なんて
特殊で異端な存在ではないかと。
ttp://www.jinbunkai.com/entry/bun_news_syo.php?info_id=46
下はゼミ論文ですが。
ttp://www.daito.ac.jp/~uriu/thesis/2005/hasegawa.html
日本の伝統思想において身体が心に還元されているのか、心が身体に還元されているのかに
ついてははっきりとは言いづらいですけど、ここらへんの話題についてはたぶんカレーさん
とか已む無しさんが詳しそうですねぇ。
日本では脳死問題は臓器移植法の是非に絡めて論じられることが多いので、その点、国民の関心も
幾分か限定されたものになっているかも知れません。
9年前の論文ですが。
ttp://www.lifestudies.org/jp/noshiho01.htm
私個人は、人格概念は脳の機能を含意すると今のところ考えておりますので、脳がなければ人格も
もちろんないとは思いますけど、脳があるからといって人格まであるとは言えないと思います。
こういう懐疑的観点から、たとえば哲学的ゾンビなどの存在が想定されます。あと、古い議論に
なりますが、田島氏の先生に当たる大森荘蔵は、養老孟司氏の唯脳論に対して無脳論なんて奇説で
反論しましたね。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/neuron/diary/200809070000/
同じ思考実験なら、トロッコ問題などの倫理問題よりは哲学問題の方が断然面白い(どれもセンス
がいい)と私は思いますね。サールの「中国語の部屋」とかパトナムの「桶の中の脳」とか。
>>『いのちの食べ方』
いいですね。ああいう映画は。分業とオートメーションに的を絞った映像美術には感動すら覚えるw
でも、動物虐待ともいえる一部の畜産の実態に関してはあれを見ても知ることができないんじゃないかなぁ。
日本にも『ブタがいた教室』って映画がありますね。
原案の「命の授業900日 豚のPちゃんと32人の小学生」というテレビ番組がありましたけど、
http://www.youtube.com/watch?v=3XKK_NDXdu8
こういった食育に関して、ネットを見る限りでは反対の声が目立ちますね。
要は、食育の仕方に難があるんでしょう。子どもたちには『いのちの食べ方』みたいにやらせれば
よかったわけで、そのための設備もお金もなければやっちゃいけないことだったのかも。
2634
:
無精髭
:2010/02/22(月) 19:33:17
>2583
>無関係ではありません。裁判などでも使われる証明責任のルールの話です。(下略)
やっぱり、存置派も廃止派も一歩たりとも引かないから、証明責任論の話になってしまうと妥協点は
生まれてこないでしょうね。物は試しで振ってみたのですが、さすがに存置派だけに証明責任を押し
付けるのには無理がありました。こういう責任のなすり合いは、うまく機能していない存廃議論では
ありがちなことみたいですしね。反省しています。
しかし、仰るような理由だけで廃止派のみに証明責任があると断定するのも何だか無茶なような気がします。
存廃議論を裁判になぞらえるのは通りすがりさんの自由ですけど、存置派と廃止派の議論ではルールが
明文化されていませんから、それが守られるか否か(暗黙の了解が生まれるかどうか)はお互いの良心に
掛かっていますよね。存廃議論においてどちらの言い分が正当かを判定するためのこれといった客観的基準
もなければ、第三者もいないわけです。存置派とも廃止派とも言えない中立の立場というのはあるでしょうが、それだけで判定者と呼べるほど力を持つことにはならないですし、形勢を左右するほど深く議論に関わりは
しないでしょう。
ですから、このような存廃議論の現状を考えますと、これを裁判のように進行させることは到底かないません。
したがって、そのためには審判者の設置とルールの確定が早急に求められます。しかしながら、これは議論
よりも高次の解決手段とされる多数決を排除することに繋がるのではありませんか?
また、原告が廃止派で、被告が存置派というのも恒常的なものではない気がします。存廃議論では
数ある争点のうち、今何について議論されているかによって原告と被告という役回りは入れ替わる
ものではないでしょうか。
それと、ウィキペディアを参照してくれとのことでしたら、何の項目の、どの部分の記述を参照してくれ
と具体的に指示していただきたかったです。
>現在死刑制度は合憲の判決とともに存在しており、世論も大多数が容認しているものです。(下略)
それを言っちゃあ、お終いだ(笑)。ネットでは、特にここ無限回廊掲示板では、多数派・少数派という
立場の違いを抜きにして、各々自分の良心に基づいて、互いに相手の誠実さ(正しい論述に努める姿勢)
を確認し合いながら議論していきたいものですね。
そういえば、2chでこんなことを書いていた人がいました。程度の差こそあれどんな法制度も国民の自由
を制限するのが常である以上、そこに十分な存置理由がなければ廃止というのが国家政策の原則である。
よって、政権与党には存置理由を説明する責任がある。もし説明ができないならば、それを即刻廃止して
より人権侵害の少ない制度に変えるべきだ。
ところで、その人はこんなことも言ってましたね。存廃議論では内閣が質疑して野党が応答するという
ようなケースになることがしばしばだとか。
>そうですよ?それだけでは「死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ」というままですからね。
あれ? 議論の対称性にこだわっていたのは通りすがりさんなんじゃ。非対称でも好いんですか?
まぁ、誰にとっても公平な議論こそ望ましいものだとは私も思いますが。あと、「死刑以外の抑止力」
云々についてはなぜそういうふうに議論が流れるのかがよく分かりませんでした。このことに限らず、
通りすがりさんはご自身にとって自明であるという理由からか、論旨に関する説明なり根拠の提示を
いささか省略しすぎているように思われます。
ちなみに、廃止派は国家が悪いことをしていると言っているのであって、存置派が悪いことをしている
とは言っていないですね。
2635
:
無精髭
:2010/02/22(月) 19:35:31
>このような場合、去年から10人増の100人の犠牲者、という統計の結果から神ならぬ人間が
>死刑による抑止力の増減分を分類するにはどうしたらいいか、仮説でもいいから立ててみるといいと思います。
>ここまで単純化された要素しか無い状態でも、必ず実行不可能な分類法を使う必要が出るはずです。
>そのあたりの技術開発の話も無いのでは、証明合戦にもなりようがありません。
>ただ言い張り合っているだけの次元です。
その分類法がそもそも恣意的な前提によって成り立っているかも知れないということには思い及ばない
ものでしょうか? 死刑の抑止力がどのように個人において働くのかが依然不明瞭であるのに、死刑の
抑止力が確実に働く人間がいることを前提になどできるわけがないですよね。何かワケのわからぬ力が
要因となって犯罪を犯さない人間がいる、というだけでは、そこから先において効く・効かないの分類
も何もあったものではないですから。総じて人は、抑止力との関連においては原因不明のまま、結果的
に犯罪を犯した者と、今まで犯罪を犯していない者とに分類されるだけでしょう。
「ボーダー上の人間」を実在しうる者としてきちんと定義してからでなければ、言い換えれば、
「閾値がボーダー上にある」情況が単なる可能性としての次元を超えてまさに実現してゆく過程に
ついて仮説すら立てられないのであれば、抑止力がどう働くのかというプロセスについても考える
ことができないし、個人にとって抑止力が何なのかも定義付けられはしまいと私は考えております。
ですから、
>>2841
や
>>2492
で抑止力の存在や、個人に抑止効果が働く要因を示唆しておきながら、
それを心の問題だからという理由で切って捨てようという通りすがりさんの態度はどうにも解せません。
抑止力は心の問題だと主張されるのであれば、認知科学的アプローチに立脚して問題に迫ってみるという
ことも選択肢の一つとしてありえたはずです。技術開発の話を他人事のように語るのもいかがなものかと。
>それこそまさに
>>2543
の(中略)の例えがふさわしい物ですね。
以下の箇所に注目。
>>でも、宇宙人が攻めてきたときのために軍事力を整備したりはしないわけですよ。そんなばかばかしいコス
トは害です。
自分よりも聡明な人間がどこかにいるかも知れないと考えるのは、宇宙人がどこかにいるかも知れないと
考えるのと同じように馬鹿げたことでしょうか? 死刑の抑止力についてなにか革新的な実証方法が発見
されたとすれば、たしかにそれまでの議論は無駄だったということになるでしょうが、少なくとも聡明な
人間は自分よりもバカな人間を駆逐したりはしないでしょう。私が言いたかったのは、ど素人は専門家に
の仕事に対して敬意を払うべきだと言うことです。
2636
:
無精髭
:2010/02/22(月) 19:37:21
>脅し文句は実際に法律で明記されていて現実に運用されており、
>殆どの人はその存在を知っているので、冗談とは受け取らないということです。
>あなたのいう「脅し文句」が、本はしゃべらないとかいう程度の次元の話でない限り。
その点についてはトーフさんの
>>2202
を参照。一言で言うと、刑法は一般報復感情として記述される以上、
個人がそれを自らへの脅し文句として受け取ることはできません。言い換えれば、どんな脅し文句も、
具体的個別的報復感情として感知できなければ、まさにそれが当の自分に向けられているという意識を
呼び起こすものでなければ、効果を発揮することなどありえないのです。
>そうですね。表情や仕草が一切存在しない上にですね。
>個人と倫理は向き合いません。故に
>>2530
のいう抑止の効果はさらになく、
>抑止としては働かない、つまり
>>2526
の
>>倫理観による抑止
>の説得力もなくなってしまう、ということです。
もしや倫理・道徳に関してなら精緻な議論ができる方かも、と思っておりましたが勘違いだったようです。
仰るとおり、倫理や常識も個人とは向き合わないでしょうね。しかしながら、個人と向き合うという関係が
なければ抑止だの禁忌だのの影響は雲散霧消してしまう、などとはよもや仰らないでしょうね?
ただ、法や倫理や常識は私たちが生まれる前から権威的に存在するものであり、理由も告げずにただこれを
守れと私たちに迫るものとはいえるかも知れません。が、私たちはそうして押し付けられた規範を、誰かが・
何かがこちらへと押し付けてきた勢いに恐れを感じたから守るのではなくて、理由も何もなくただこれを
守れと言われることの不条理さにおいて、自分と世界とのつながりを失することに不安を感じたからこそ
理由なき規範を自分なりに咀嚼しようとするのです。すなわち倫理観や道徳意識という言葉にもあるように、
倫理や常識は個人において内面化されて初めて守られるべきものとなるのです。もしも個人において法や
倫理や常識が一切内面化されず、そのつどの脅しや褒めによって行動が律せられているとすれば、たとえば
治外法権地帯や他者の目が届かない場所、無人島などでは良心というものは全く機能しないことになるでしょう。
そこでは人々は環境に縛られ、情況に流されて、欲望の赴くまま生を謳歌するのではないでしょうか。
>2584
反社会的組織に属する者の中で、組織による死刑と国家による死刑とを秤にかけるようなことがあるすれば、
前者の抑止力の存在が動機となって後者の抑止力が簡単に乗り越えられてしまう可能性が考えられます。
後者の威嚇効果など、前者の残虐性に比べれば高が知れているという気がしますね。
>2585
>個人レベルでは殺すぞという脅しが「大抵」の人に効果があると考えるのが合理的ですが、(下略)
Kenさんの
>>2545
をお読みになりましたでしょうか。「リスク評定」を考慮に入れれば、
現行の死刑制度は、通りすがりさんが仰るほど私たちの身近にあるものではないということが
分かるはずです。トーフさんの考えを援用してご説明したように、死刑は「「社会全体」
における死の恐怖の抑止力」しか持ちえませんから、「個人レベル」における死の恐怖の
抑止力」などそもそも問題に入ってこないのだと思います。
>2586
>今この場にその実証可能な手段が無いことに変わりが無いので、同じです。
>それを持ってきてから始めるべきだということです。
>そういうのを探し出す能力が有る人すらまだここにはいないですよね。
手段がないとお考えなら沈黙すればよいだけです。他方、通りすがりさんの言い分
には他人を沈黙させるだけの納得性が見当たらないので、抑止力議論を無意義化する
ことはできないでしょう。
死刑に抑止力がないという主張に抗して、あるという主張を可能性のみを根拠にして
行いたいのであれば、裏づけが不可能である分、それを補うために可能的存在が現実的
存在へと変化する過程を論述するべきだと思います。証明不可能なばかりか、具体的な
論述すら不可能な可能性なぞ論拠にしたところで、論の納得性は高まりはしないでしょう。
2637
:
無精髭
:2010/02/22(月) 19:37:52
>2598
もしかしたら通りすがりさんの考えでは閾値は変動するものとして捉えられているのではないか
というのは、>2589で名古屋闇サイト事件の犯人自首のケースに触れた際に私の念頭にもあった
ことでした。ただ、バイオリズムというのはさすがに思い浮かびませんでしたが。
でも、通りすがりさんは下記を投稿した段階では、閾値が変動するということをまだ考慮に
入れていなかったと思われます。
>2485
>この場合、殺人を行うための閾値が非常に高い人、または非常に低い人の話をしても意味が無いと思います。
>死刑存廃の間で揺れるようなボーダーの人がどちらをとる可能性が高いか、という話をすべきだと思います。
このように死刑廃止という状況変化が凶悪犯罪を引き起こす要因になるのではないかという問題を提起
する上で、この「ボーダーの人」というのが、現に死刑存置によって犯罪欲求に抑止が掛かっている者
として想定されていないのだとすると、かなりまずいことになるでしょう。そこでは特定の人間の閾値を、
犯罪を犯すか犯さぬかというギリギリの瀬戸際で固定させているのは死刑の存在だと説かれているのです
から、そこで更に死刑以外の要因によっても犯罪が抑止されているのだとしてしまうと、死刑が固定
しているとされる当のものが本当に閾値と呼ばれるものであるのかが怪しくなってしまうからです。
以上の事情により、閾値をバイオリズムとして捉えてしまうと、閾値そのものが変動すると主張する
ことになりますから、通りすがりさんが想定するボーダーの人を見分けることはこれまで以上に難しく
なってしまいます。また、ボーダーの人が凶悪犯罪に手を染めるのを死刑が防くことができるのは、
その者の閾値を固定しているからだという理由付けの説得力が薄まってしまうでしょう。
犯罪抑止論において、バイオリズムは刑罰による抑止効果とは対極に位置する要因なのかも知れません。
2638
:
紫煙狼
:2010/02/25(木) 00:01:19
えっと、無精髭さんとかKenさんが勘違いしているとは思えないんだけど、
私が「強制的な臓器移植」を唱える場合は、教育を無意味と前提しています。
もともと、死刑に教育的側面(死刑囚に対する教育)を求めるのは単なるセンチメンタリズムで
あると考えていて、更生しても殺す、更生しなくても殺すなら、更生させるための教育努力は
無意味である、と前提しています。教育は天寿を全うするまでの余生を囚人にとって人道徳的に
実りある、よりよいものにして、社会と(塀を隔ててでも)共存できる助け合えるようにするために
あるものと考えていて、単に反省を促すものでもなければ罪の重さを知らしめるためのものでも
ないと考えます。
反省し罪の重さを知った囚人に、いかに生きることで(真の赦しを得ることは出来ないとしても)
天寿の限り続く贖罪の日々を送らせるかが教育であると思いますので、その効果の如何に関わらず
殺すのなら、コストをかけるのは無意味です。即刻処刑すべきです。再審請求をしているでもないのに、
何年も収監されていて、ある日突然、法務大臣の気が向いたから処刑。それを誰も不思議に思わないのは
私には逆に不思議です。鳩山さんがイイ事言ってましたね。自動的に処刑される方式ですか?あれ、
私はイイと思いますよ?法務大臣の「死刑執行ちょっと待った命令書」が無い限り自動的に処刑する。
そういう仕組みにしない限り、誰も今の死刑制度に疑問も問題も感じませんよ。あの鳩山さんの発言を
「ヒトの命を何だと思って…」と非難したヒトは、逆に死刑制度を何だと思っているんでしょう。
「赦せない悪人」を「正義という刀」で「一刀両断に切り捨てる」のが死刑でしょうに。
したがって、私の「強制的な臓器移植」案は教育なんてものはバッサリ切り捨ててます。
あたりまえですよ。殺さないで済ますための教育ですもの。
だいいち、更生の可能性が無い、再犯の可能性が高い、という絶対的確信に基づいて死刑を執行する
のでしょう?それ以外の要素は本当に感情に根付くものしか考えられませんから。まさか感情慰撫の
ために命を奪うことを主眼に置く、もしくは、最大の目的とすることを前面に押し出した死刑賛成論が
まかり通るとは、私には考えられませんものね。ハラが立ったら殴っていいなんて恐ろしい。
なので、今と同じ水準で、今と同じ判断基準で、今と同じ目的を以って、今と同じ理由により囚人の命を
奪うことを「法的に正等であり正義である」とするなら、せめて「エコ意識」を持って「臓器の有効活用
を求める」だけです。なにしろ、ヒトの臓器は今のところほかでは代替できないものが多すぎますからね。
今まであらゆる理由を並べられた結果としてアタシは死刑が正当な行為であるとは認められないのですから、
いまさらアタシが納得する理由を死刑に求めたりはしませんよ。単にアタシと死刑が共存するには、せめて
死刑の無駄をそぎ落としていただきたい、って話です。
もちろん「今の死刑賛成派」が「私の考える死刑の無駄」に「相応の意味」を与えてくれれば、こんな意見は
簡単に翻しますけどね。
2639
:
已む無し
:2010/02/26(金) 01:24:16
>>2633
心身2元論ですか・・・・
別に私は詳しい知識を持っているわけではありませんが、心と体は別物だと思っていますよ
精神・魂を、身体に反映するためのツールが脳〜神経系だと思っております
まだ資料を読んでる途中ですが、臓器提供の形としての「相互保険型」 は中々良いかなと思いましたね
2640
:
無精髭
:2010/02/26(金) 08:22:12
>2638
シェンさんのスタンスは重々承知しておりますので、勘違いの件についてはご心配には及びません。
シェンさんの生体移植刑案に関して、私がわざわざ教育云々とこだわったのは、
>>2574
にある
>已む無しさんの言う「来世へ向けての更正」
とか
>でも死刑囚に反省を求める声は決して少なくありません。ですから「死刑囚にも更正教育・矯正教育は必要」だと思います。
といった記述に大いに触発されたからです。
先だっての私の書き込みは誤読の結果というより、シェンさんの書き込みをいつもと違った
角度から読解してみようと試みた結果、得られた着想に基づいております。(Kenさんや
ユーさんにはありえないスタンスでしょうが、)そもそもシェンさんが死刑賛成と死刑反対
とを一緒に叫ばれるとき、決まってシェンさんの書き込みからは多様な解釈を導き出すこと
が可能となるように私には思われるのです。そして、かくいう私は枝葉末節にこだわるのが
大好きなのです。
さて、私はシェンさんや已む無しさんの書き込みを読んで、次のように感じたものです。
已む無しさんのような「死刑囚に反省を求める」存置派・賛成派も、シェンさんと同様、
現時点では死刑を「本当は止めたほうがいいと思うのだが、しかし自分には止められない」
ものとして認識しているのかも知れない(つまり「死刑は已む無し」)。しかし、おそらく
次の点でシェンさんとは異なっているだろう。もし死刑が止められないのであれば、シェンさん
はそれを有用性の観点から捉えなおすべきだということを提案しているのに対し、たとえば
已む無しさんは死刑による肉体の終焉は避けられない以上、精神だけでも安息を得られるように
便宜をはかるべきだということを提案しているかも知れないこと。死刑がやむをえないので
あれば、社会全体に視線を向けて、いかに死刑から利得を生じさせるか、死刑を功利的システム
として位置づけるにはどうしたらよいかと考えるのではなく、死刑囚に視線を向けて、
いかに死刑囚の内面から精神的苦痛を取り除くか、皆から死を強要されている者が
肉体の束縛状態において精神の自由を確保するにはどうしたらよいかを考えること。
つまるところ、シェンさんと已む無しさんとでは、刑罰やら受刑者やらについて同じ
「教育」とか「更正」とかいった言葉を使っていても、込めている意味・前提にしている
価値が食い違っているようです。
ちなみにシェンさんの生体移植刑について、いいかもなと思う点もありますよ。一つは、
その独特の執行方法に由来して、死刑に対する国民的関心が強まるのが期待できること。
もう一つは、やはりその独特の執行方法ゆえに、国家による情報開示と弁明が国内外から
求められるだろうこと。まあ、この二つは一組であると考えたほうがよいでしょう。
2641
:
Ken
:2010/02/26(金) 14:59:55
>>『命の授業900日 豚のPちゃんと32人の小学生』
おもわず全部見ちゃいましたけど、この教師は最悪だとしかwww
アマゾンのレヴューが私の言いたいこと全部書いてくれてる↓
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A2PA1F6P3CKAQX/ref=cm_cr_dp_auth_rev?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview
豚の名前『らんま』から採っただろwww
Pちゃんカワイソス
なんか自分の学校時代のやな思い出とか思い出しましたね。子どもが何時間も議論して出した結論をそれに加わってない大人が5分でひっくり返すの。政治や民主主義に幻滅させるのに最適です、日本の学校はw
2642
:
Ken
:2010/02/26(金) 15:50:03
あと、走ってるトラックの回りで子どもうろちょろさせたらあぶねーよ。
>>臓器提供
私も『臓器提供制度のあり方に関する過去5 年間の英米学術誌の動向』(PDF)が一番読み応えがありましたね。生命倫理なんていう取り扱いが難しい問題も論理的にアプローチできるというのが新鮮でした。
私が一番興味が出たのは(7)徴用型ですね。臓器くじは選抜徴兵制に似てるなと思いましたけど、こっちはもろ『徴用』ですね。臓器移植が完璧な医療になる(確実に人命を助けることができる)、宗教上などの理由で拒否できる(←これも徴兵制がある国での良心的兵役拒否みたい)、なおかつ世間にそれを必要とする人が増えて多くの人にとって臓器移植が他人事でなくなれば、徴用型や臓器くじに反対する理由はないのでは。『臓器は貴重な資源であり、そのまま土に戻すのはもったいない』というのも紫煙狼さんチックですよね。
ところで、ちょっと調べてみたのですが、今のところ日本で死刑囚(や懲役刑受刑者)が臓器提供するのは非常に難しそうです↓
『半落ち』の結末部分における疑問点
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/messay/hanochi.html
ちょっと話が込み入ってますけど、中ほどの朝日新聞の報道。死刑判決を受けた被告が差し戻し審の間に骨髄バンクへの登録を申し出たが、それさえ認められなかったとのこと。受刑者からは臓器提供、骨髄移植はおろか献血さえ認められてない由。こりゃ現状は支援狼案はかなり厳しそうです。臓器提供の意思表示を情状酌量の材料に用いる被告もいるみたいです。
ミステリのプロットしては骨髄バンクへの登録後に警察に逮捕、死刑判決を受けた囚人に骨髄移植の適合者が現れた、なんて考えられますね。果たして死刑執行は停止されるのか。死刑囚が娑婆を見るのか。でも多分停止されないんだろうな。死刑囚は処刑されレシピエントは見殺し、。死刑反対運動が盛り上がりそう。
ところで、紫煙狼さんに質問
・死刑囚の臓器が無駄になるとのことですが、人一人殺すのは臓器以外にもいろいろもったいないのでは。たとえば労働力とか。死刑囚にも懲役を課すべきと考えてますか?
・その理屈で行くと脳死患者の臓器も無駄になるだけですが、その場合も有効活用すべきなのですか?
2643
:
紫煙狼
:2010/02/26(金) 22:17:43
>>2642
>死刑囚の臓器が無駄になるとの(中略)課すべきと考えてますか?
前提を取り違えていませんか?私は「殺すのであれば」の話、つまり死刑を廃止せず
執行を無期限停止せず、処刑される受刑囚もなくならないのであれば、の話であって
そもそも「殺すことが勿体無い」という論理が通用しない現状に対する妥協案です。
>脳死患者の臓器も無駄になるだけですが、その場合も有効活用すべきなのですか?
基本的人権において生命権は最も重要なものであると考えます。幽霊のような精神のみ
心のみの存在を現代の科学は確認し得ていませんから、現状においては精神・心は生命
が維持されていて脳が活動している場合においてのみ存在しうると考えるのが妥当であると
思いますので、内心の自由さえ生命権を奪うことによって強制し得ると解釈しています。
死刑判決を受けるような凶悪な犯罪者はこの最も重要な生命権すら保障されないのですから、
それ以外の権利に関しても制限を受けるのは仕方の無いことと考えます。この制限の一部に
「自らの臓器を提供することに対する拒否権」を含めるべきであると言うだけで、国家により
人権の一部を制限されたわけでもない一般脳死者と死刑囚を同列に考えるべきではないのでは
ないでしょうか?
ただし、私個人の意見としては出来る限り多くの方が臓器バンクに登録するべきである、
つまり自分の死後の臓器提供は拒否するべきではないと考えていますから、そういう面では
>その場合も有効活用すべき
ではありますね。可能な限り有効活用してほしいと思います。そこを強制的に執り行うか
故人の意思を尊重すべきかの線引きを、私は死刑囚とそれ以外に引きました。
2644
:
紫煙狼
:2010/02/26(金) 22:24:43
不適切な表現を覚悟の上で言うなら、ヒトも牛も豚も鶏も、死んだらただの肉塊ですよ。
死した者への畏敬の念は大切なものですから、それを貶めるような行為は慎むべきです。
「人体の不思議展」自体は決して悪いことではないと思いますが、それを面白半分で
「見世物を見るような気持ち」で見物に行くのは良くないと思います。しかし「死者の
生前の意志を頑なに守ること=畏敬の念」ではないと考えますので、遺体の一部を他者の
生命維持のために利用することが死者の生前の意志に一部反するものであったとしても、
それを以って「死者への冒涜」と結論付けるのはいかがなものか、と思いますね。
「遺体解剖」を拒む風潮が昔からありますよね。ただでさえ死んで辛かったろうに、
なぜ死してなお切り刻まれなければ…という風潮。確かに悪戯に無目的に遺体を切り刻むなら、
それは死者への冒涜に違いないと思いますが、明確でかつ社会福祉に利する目的を持って
遺体を丁重に解剖するのであれば、私はそれを冒涜とは考えられないのです。もう少し
キツイ言い方をするのであれば、公共の福祉はセンチメンタリズムに優先すると考えます。
従って、トロッコ問題を蒸し返せば、五人を助けるために一人を犠牲にすると言う
公共の福祉より「それは俺にはできねぇ」と自分のセンチメンタリズムを優先する私は、
公共の福祉より自分のセンチメンタリズムを優先したと言う罪で弾劾されても、それを
受け入れなければならない。裁かれ罰を受けるとすれば、それに甘んじなければならないと
覚悟して敢えて自分の感傷を優先し「何もしない」という答えを私は出すのです。そして
同時に、五人を助けるために一人を犠牲にするという方法を取った者、自分とは違う結論を
出した者に対しても私は何ら非難するべき立場にはありえないという道理も弁えなければ
ならないのです。感情を優先すると言うのはそういうことなのです。
これは遺体解剖や臓器提供に関しても同様に言える事で、自分や家族の遺体が解剖され、
あるいは臓器が提供の用に摘出されるとしても、これに異を唱えるのであれば何らかの
非難・制裁・場合によって罰を受くることすら覚悟しなければならない。それはあたかも
家族を凶悪犯に殺された時に、その凶悪犯に法に則らない私的制裁を加えるのであれば、
それが罪に問われ罰を受くる事をも覚悟しなければならないようにね。
ただ、何度も言うけど「そこまで臓器牧場には拘らないし説得は端から諦めてますよ。」
2645
:
無精髭
:2010/03/01(月) 11:26:03
シェンさんの臓器ストック案も、>2643-2644に至ってついに死刑存置論としての輪郭が
はっきりと出てきたのではないでしょうか(笑)。おかげでだいぶ理解が助けられました。
以下、覚え書き程度の書き込みとなりますが。
政治的表明という観点から言説を捉えると、それは主に二つの型に分けられると思います。
一つは、人々を自分の下へと集めるための言説(迎え入れのための言説)。もう一つは、
人々の方へと自分が擦り寄っていくための言説(歩み寄りのための言説)。
「妥協案」という記述にもあるように、シェンさんの臓器ストック案は後者に当たるのでしょう。
とすれば、上記の「人々」というのは、この場合「死刑賛成派」あるいは「死刑を支持する国民の
大多数」を指すことになるかと思います。つまり逆を言えば、「死刑反対派」は臓器ストック案の
言説の対象(聴衆)とされていないだろう、ということですね。廃止派であるシェンさんが同じ
廃止派であるKenさんに対して「妥協案」を提示するなんてことがあるわけがありませんから。
>「そこまで臓器牧場には拘らないし説得は端から諦めてますよ。」
とのことですが、もっとこだわってみてもいいんじゃないでしょうか。たしかに死刑反対派・
廃止派に対してそういった言説を繰り出すのは効果も何もないでしょうが、死刑賛成派・存置派に
対しては対立する者の立場から妥協案をぶつけるのは有意義なはずでしょう。Kenさんは無理でも
(lovelessさんも難しいにしても)、現在の執行方法にこだわりを持っていず、EUからの批判を
内政干渉だとして退けるような存置派は説得できるかも知れませんよ。あるいはシェンさんと同じ
ように「判決確定から6ヶ月以内に執行」という刑訴法の規定が守られていないことを問題視する
推進派にとっては単純に執行方法の見直しという点でも相当魅力のある提案だと思われます。
また、臓器移植推進を掲げる人々にとっては、死刑囚に対する強制摘出のみならず、その他の
受刑者が自由にドナー登録を行うことができるようになるための端緒となるような、広視野で、
先を見据えた提案でもあるのではないでしょうか。臓器移植という観点から、もはや用済みと
されたはずの死刑囚の身体的価値を、労働力とは別のものとして社会において再び普遍化する
というシェンさんの提案を世に広めることは、死刑存廃議論の枠をはみ出た議論に発展しうる
のですから、詭弁だとか妄想だとかいってそれを自粛する必要などないでしょう。
いずれにしろ、くどいようですが先にも言ったように、シェンさんの生体移植刑案は死刑反対派・
廃止派に向けた提案ではなく、賛成派・容認派に向けた提案なのでしょう。それは同時に「現在の
死刑制度がこういった条件を満たすなら、私は賛成派に転じますよ」という趣旨を出すことなのですから、
この言葉が「死刑制度に求められている効果のほとんどが他の刑罰や制度で代用できる」と主張する
Kenさんや「特定の犯罪者が逮捕・勾留後も死刑に処されなければならない理由、そして死刑制度を
存続しなければならない理由がないのであれば、人権保護の基本理念に基づいて廃止されるべき」
と主張するような死刑廃止派に向けられた言葉だとは、ますます私には思えないわけですね。ならば
翻って、死刑廃止派に対しての説得は諦めたからといって、存置派に対しての説得は諦めるべきでないし、
このスレッドで生体移植刑案を自論展開するのを躊躇するのだとすれば非常にもったいないという気がしますね。
2646
:
無精髭
:2010/03/01(月) 11:26:52
ただ、>2643-2644を考慮した上でも、現時点でのシェンさんの臓器ストック案に基づいた
存置論が、前に仰っていた「私を唸らせるような徹頭徹尾論理的な死刑存置論」の条件を満たして
いるかどうかはちょっと疑わしいです。今のままでは、シェンさん個人の納得性の問題にとどまる
のではないかなぁ、と思いました。ですから、シェンさんがご自身の提案にもっとこだわりを見せて、
現時点から更に飛躍できれば、存置論者として死刑廃止派を説得することも夢じゃないかも知れません。
シェンさんが死刑囚教育よりも国民教育のほうが難しいと感じていて、加えて現在の社会で死刑制度を
廃止することは正義に悖るとお考えなのだとしたら、そういう現実認識のまま妥協案を提示するのは、
自分にとってもう一つの側面である死刑推進派としての立場にこだわるからではなく、廃止の理想を
全面的に諦めなければならないことを痛感して、廃止を実現することができなくても自らの廃止論の
エッセンスを少しでも死刑制度に反映するためでしょう。シェンさんの存置派的側面と廃止派的側面に
共通する部分、それが何なのか分かる人には分かると思うのですが、シェンさんはそれを存置派の論に
寄生させることで、最後の最後で廃止派として少しばかり抵抗してみたいというわけなのでしょうね。
シェンさんは死刑存廃問題に頭を突っ込んでそろそろ26年経ちますか?
このBBS以前のシェンさんの思想遍歴は不明なので憶測でしか言えませんが、過去ログを読むに、
シェンさんは最初死刑賛成派から出発して、長じて死刑廃止を唱えるようになられたかと思われます。
一方、Kenさんがどのような経緯で死刑廃止を唱えるようになったかということも分かりませんけど、
おそらくシェンさんほど極端な立場変更や自論撤回(修正)は行われなかったのではないでしょうか。
これまでの書き込みの集積から判断すれば、シェンさんが通常の廃止論者と比べていかに異色な存在
であるかが分かるかと思いますし、死刑の新たな執行方法として生体移植刑を導入することを条件に
存置派に転じるという個人的信条についても理解できなくはないでしょう。つまり、廃止派の人間から
すれば、同じ廃止派の人間が行っている死刑制度批判の中で生体移植刑が批判対象として扱われていない
ということの不可思議さが、改めて己を省みることにつながるのかも知れないのです。
また、前にも言いましたが、臓器移植刑導入を唱えている人は他にもいるみたいですから、シェンさんの
案に賛同する死刑賛成派も当然いるかと思われます。ただし、そのような死刑賛成派とシェンさんとの
違いもまた無視できないことですね。なぜ臓器移植刑導入を叫ぶのか、という点でシェンさんと他の臓器
移植刑導入論者はおそらく答えが分かれるでしょう(そこで動機の違いがはっきり出るかと)。
(・・・ところで、已む無しさんのように難色を示す存置派もいる。なぜだろうか。)
2647
:
無精髭
:2010/03/10(水) 01:28:52
雑文投稿です。まとまりありません。
――――――――――――――――――――
もったいないから殺さない、もったいなくないなら殺す。「もったいない」で、
シェンさんの死刑存置論と廃止論は繋がっているのですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1200.html
「もったいない」という言い方は功利主義的かなと思っていたのですけど、
これは日本文化独特の情緒を伝える言葉でもありますよね。物を大事にする
というか、どんなつまらないものでも捨てずに取っておくというか、
今は無用でもいつかは役立つかも知れないと、未知なる価値の(利用の)
可能性を信じることを言い表してでもいるのでしょうかね。
「勿体」の語源は仏教用語「物体」だそうですが、仏教の他にも日本には
「付喪神(つくもがみ)」なんていう民間信仰(観念)もあるようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E
――――――――――――――――――――
下記を読んで、日本も変わりつつあるということを感じました。
医学教育への「献体」20年で倍増 登録制限の大学も
http://www.asahi.com/health/news/OSK201003080088.html
提供したい臓器に○→したくない臓器に× カード変更へ
http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY201003080349.html
――――――――――――――――――――
命そのものが公共の福祉に適うか反するかと問うことはナンセンス。
トロッコ問題にしても、一人の命と五人の命という比較だけでは、
どちらがより社会を利するものなのかは実はそう簡単には決められないです。
確かに人一人を労働力の単位として換算すれば、一人より五人のほうが
社会を利すると考えるのが普通でしょう。が、仮に社会において個々人に
分配される福利が限られているとすれば、五人を救って福祉社会の存続を
困難なものにするよりも、一人を救って(言い換えれば差し引き四人を
犠牲にして)福祉社会の寿命を延ばしたほうがいいとさえ言えるかも知れません。
(ちなみに、
>>2619
ではトロッコ問題について命を等価とみなすこと
のみをもって功利主義的発想であるというようなことを書きましたが、
よく考えてみれば、その後に私が示したバリエーションについても
異質なもの同士を功利主義的に比較する例と言えますね(苦笑))
また、経済成長が著しい段階と、その後経済が安定もしくは飽和の状態に達した
段階とでは、労働価値もしくは社会における労働の必要度が異なるでしょう。
――――――――――――――――――――
Kenさんが仰るように制度的障害、技術的困難、はあると思う。
そして、医者の職業倫理に反する可能性大でしょう。
受刑者の苦痛を最小限に抑えるための処置は必須。
話は逸れますが、こんな記事もありました。
http://www.news.janjan.jp/world/0604/0604051968/1.php
当たり前の話ですが、薬物処刑が残虐でないとしても(その苦痛が限りなく
ゼロに近いとしても)、医療倫理に反しないなどとは言えないわけですね。
>>2654
ユーさんが挙げた論点である、コストの算出・比較も重要。
臓器移植刑の導入理由に「公共の福祉」が関わるのなら避けては通れ
ない論題でしょう。
2648
:
無精髭
:2010/03/10(水) 01:29:52
功利主義から死刑を考察した論文。面白いです。
http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/eguchi/papers/sanction2007.pdf
前頭前野に損傷のある患者はトロッコ問題で功利主義的な回答をしてしまう
ということに関して「ウソくせー」という記事。
http://brainscience.blog92.fc2.com/blog-entry-60.html
書評。文脈を理解していないので意味が分からないところがほとんどですが、
これを読んで(徳)倫理学者のハーストハウスや「ナップサック問題」の
存在を知ることができました。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~tiseda/works/kamino.html
ハーストハウスの理論の要約と解説。興味深かったです。
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~k15696/home/phileth1/hursthouse.pdf
ナップサック問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF%E5%95%8F%E9%A1%8C
伊勢田哲治氏の書評の文脈を理解するために一応挙げておきます。というか
これも実際に本を読まないと理解できませんね(苦笑)。
http://philosophy.cs.kyoto-wu.ac.jp/material/sugimoto_kemono_comment.pdf
『動物からの倫理学入門 』伊勢田哲治 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%94%B0%E5%93%B2%E6%B2%BB/dp/4815805997
ネット上にはこの本に関する書評や感想がいくつもあるみたいです。好い本らしいですね。
2649
:
ufloat
:2010/03/11(木) 21:20:18
>>2646-2648
おや、意思表示カードが変わるのですか。
以前のカードには色々不備があったとも聞いていますし、取り替えますかな・・・。
それで、私が紫煙狼さんの案において危惧するのは、死刑囚の臓器利用によって
死刑とは本来関係のない権利や生命の方向に話が進んだり、最悪の場合には死刑と無関係の
第三者同士の意見が対立し、死刑が「代理戦争」のように使われかねないという点ですね。
仮に近い将来、実際に死刑囚の臓器移植案が成立したとしましょう。
ところがその後、人間の心理や精神の研究、再教育、社会のモラル向上、価値観の変化などが進み、
死刑による一般予防効果は完全に否定され、国民の多くも「殺すより生かしての償い」を望み、
あらゆる面で死刑を廃止できるだけの環境が整ったとします。
ところが、ここで死刑を廃止するのは、本来なら死刑による臓器移植で助かったはずの
移植待ちの患者を、見殺しにしてしまうことを意味します。
そうなると、一部の存置派や患者団体などから「死刑を廃止すると患者が死ぬ」ので
死刑は存置すべき、という論理が逆転したような意見が飛び出す事態とはならないでしょうか。
これの発展系として、仮に臓器移植案が実現された後、死刑と臓器移植に必要なコストを計算したところ、
死刑を廃止して浮いたコストを犯罪抑止、社会福祉、自殺防止、事故防止、その他様々な部分に
充当した方がより多くの命を救え、しかも多くの人々を満足させられるという試算がなされたとします。
そうなると当然、死刑を廃止してコストをそちらに充当すべきとの意見が出てくるでしょう。
一方、移植を待つ側の人々からしてみれば、死刑が廃止されてはたまらないということになるはずです。
このケースでは、もはや本筋の死刑制度論自体が「代理戦争の戦場」の様相を呈してしまっており、
実質的には死刑と直接関係のない利益同士の争いとなっています。
ということで、あれこれ考えてはみましたが、紫煙狼さんの案を採用しつつ、「臓器くじ」類似の
ジレンマを解消する方法には、未だに至れていないのが現状です。
2650
:
紫煙狼
:2010/03/12(金) 00:24:08
>>2649
>論理が逆転したような意見が飛び出す事態とはならないでしょうか。
>実質的には死刑と直接関係のない利益同士の争いとなっています。
私はむしろそれを歓迎します。
例えば…。
>人間の心理や精神の研究、再教育(中略)国民の多くも「殺すより生かしての償い」を望み
死刑以外の罰が規定されていない罪はありませんから、外観誘致でさえ裁判員も裁判官も
「無期懲役」を下す裁量が残されているので、この状態において、いったいどのような犯罪に
「死刑判決」が下るのでしょうね?その犯罪について私にはまったく想像もつきませんが、
少なくとも、この状況においては現在よりも格段に死刑判決が出される確率は低いでしょう。
言い方を変えるなら「死刑囚からの臓器なんて全くアテにはできない」状況ですね。
この状況下において
>一部の存置派や患者団体などから「死刑を廃止すると患者が死ぬ」ので死刑は存置すべき
という意見が出るとすれば、もちろんその前の段階で「もっと死刑判決を増やせ」という
意見も出ているハズですよね。いま、現状では「死刑にしないで、もし再犯したらどうするんだ?」
という非常に不確定極まりない仮定に基づいた存置論と比較して「死刑を廃止すると患者が死ぬ」
というのは、それよりはずっと現実的で確定している要素に基づく存置論ですよね。
「死刑を廃止すると(再犯が起きるかもしれない、その時は)誰かが死ぬ」は存置論としてセーフで
「死刑を廃止すると(移植の機会が減って、助かりうる筈の)患者が死ぬ」は存置論としてアウト?
この命題、廃止派や中立派ではなく、存置派や賛成派にお伺いしたいですね。
2651
:
斎藤
:2010/04/21(水) 22:49:34
理論は凄いけど 結局何が言いたいのか全く分からへん
2652
:
ufloat
:2010/04/22(木) 01:55:00
>>2651
の方とは逆に、私は
>>2650
の内容により、紫煙狼さんの臓器移植案に対して抱いていた
疑問の大半が氷解しましたので、とりあえず愚考を述べておきます。
もし解釈間違いなどありましたら、ご遠慮なくご指摘くださいませ>紫煙狼さん
おそらく大半の方と同様に、私も紫煙狼さんの案には当初、非常に驚愕いたしました。
この案は紫煙狼さんが常日頃から主張されている「死刑廃止を目指す信念」や「再教育」と
真っ向から対立するものですし、しかも紫煙狼さんは本スレッドのいくつかの記事の中でも
冤罪による死刑について言及されていますので、「冤罪による死刑リスク」もまた
紫煙狼さんの死刑廃止論の根拠の1つとして存在していることは明白です。
しかし、臓器移植案では冤罪による死刑の危険は回避できません。
>>2650
を見るまで、私にはここが全く分かりませんでした。
その後、紫煙狼さんが
>>2650
を書いてくださったおかげで、私はようやく
「紫煙狼さんはこの案を本気で実現したいというより(ある程度は本気かもしれませんが)
この案への批判的意見を通して、死刑の業、矛盾、問題点などに言及しているのではないか」
と思い至りました。どうも無精髭さんはずいぶん前から分かっておられたようですが。
このごろ、同じものさしで測りようのない、明らかに性質が違うものを無理やりに混同して、
「終身刑囚の再犯事例は少しだけなら許されるというなら、冤罪死刑も許されないとおかしい」だの、
相手に対して「特別予防効果は死刑の方が終身刑より上だ。数が多い少ないではない」などと主張
しておきながら、死刑廃止の方が(数が多い少ないではなく)明らかに効果が上である論点に対しては
「それによる効果が死刑の抑止効果より多いと示せ」と要求するだのといった独特の論理が散見され、
正直言って私、少しばかりうんざりしてきておりました。
さて、そういった抑止効果の主張に対して、紫煙狼さんはこのようにおっしゃっているわけです。
「死刑の一般予防効果や特別予防効果は存在する「かもしれない」。
だから、死刑存置によって人命を救うことができる「かもしれない」。
だが、そんなあるかないかさえ不確かなもので、さらには「実際の効果」どころか
「納得性」とかいうものさえ理由にして人の命を奪う刑罰が正当化されるのであれば、
臓器移植ならばそんな不確かなレベルではなく、確実に救える命が出てくるのだから
そういう不確かなモノを理由に死刑を存置するなら、臓器移植案に同意しないのは筋が通らない」
さて、これならまだ「極悪人に遠慮はいらない、臓器など摘出してしまえ!」などと同調する人が
いるかもしれませんが、私はここから思索を進めるうちに、紫煙狼さんはこの案によって
冤罪問題にも言及する意図がおありなのではないかと、やっと思い至りました。
死刑には冤罪の問題が付きまといますが、それでも死刑を存置すべき理由は何でしょう。
存置理由に抑止効果を挙げる人の多くは、「抑止効果によって犯罪を抑止できる(命を救える)
のだから、冤罪によって若干の命が奪われるのは甘受すべきだ」と主張するでしょう。
「再犯が少しならいいというなら、冤罪死刑もあっていい」とか言う人は、特にそうでしょう。
極端な意見の中には、「冤罪でも抑止力はあるから死刑には問題はない」というものまであります。
さて、仮に臓器移植案が導入されたなら、あるかないかも分からない抑止効果などに頼らずとも、
誰かを死刑にすれば確実に人の命が助かります。これは冤罪だろうが何だろうが同じで、
冤罪であっても1人を死刑にすれば、移植を受けた数名の命が救われます。
「犯罪抑止で命を救える(かもしれない)から冤罪死刑は我慢すべき」とか、さらには
「冤罪でも抑止力はあって命を救える(かもしれない)から問題ない」とか言うのであれば、
臓器移植案ならそんな不確かな効果に頼らずとも、冤罪だろうが死刑にしてしまえば、
死刑にした人数以上の命が確実に助かるのですから、まさに願ってもない話です。つまり、
「犯罪抑止で命を救う(ことができるかもしれない)ために無実の人が殺されてもよい」のなら、
「臓器移植で命を救う(確実に救える)ために無実の人を殺すのはさらに正当である」と
結論されなくてはおかしいはずです。
これぞまさに、先に登場しました「臓器くじ」ですね。
つまり、「臓器くじ」の話を持ち出した私は、見事に紫煙狼さんの手の内で踊っていたわけです(笑)。
とまあ、このように推測したわけでありますが、(繰り返しになりますが)もし紫煙狼さんの
意図と違うようであれば、ご指摘いただければ幸いでございます。
2653
:
Ken
:2010/04/23(金) 13:33:37
最近中国で邦人が処刑されましたけど、普段は中国の人権はあーだこーだとうるさい人たちも妙におとなしかったような。
日本には死刑があるから中国の死刑制度を堂々と非難できないのだという英国人からの突っ込み。
自国人が中国で死刑に、強く出ない日本と強く出た英国
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20100407-01.html
2654
:
已む無し
:2010/04/23(金) 22:22:29
久しぶりに覗きに来ました
何か、死刑囚からの臓器提供についての議論が熱いようですね
理論としてはとても素晴らしいと思いますね
存在の有無が明確に証明できないものを棄てて、証明可能なものだけで法を構成する・・・・
一見論理的にもとれますが、感覚というもの、(科学的に証明できないだけで)実際に在る物を否定するのは良くない気がします
真に死刑存廃議論に決着が付くのは、生命や精神などというものが一般に理解されてからのような気がしますね
「ん?」っと何かを感じたときに、忙しい人は直ぐに「気のせいか。」と結論付けて忘れようとします
ですが、気のせいかと、何気なく発している言葉のなんと重いことか・・・・
まったくオカルトなどを信じない人でさえ、気のせいかと言いますよね
『気』のせい・・・『気』の仕業・・・・・つまり、『気』によって何かの影響を受けたことは確かに実感しているのです
その『気』の正体が分からないだけなのです・・・・
分からないもの、その先に興味を持った者たちによって、人は現在、宇宙を行き来しているのだと思うのです
何ヶ月か前に、どこかで誰かが、「身心一元論」か「二元論」なのかと質問があったと思います
私が思うところは・・・・といいますか、これは一般論だとも思いますが
『単細胞生物にも命が宿っている』 です
ここを否定されてしまうと話が続かないのですが、つまり
人体はいくつの細胞によって構成されているのか=人体にはいくつの命が宿っているのか
だと考えているわけです
もちろん命(精神)にもそれぞれ大きさや強さや意識の高低があると思っています
結論を言いますと、人体には生命の組織が宿っていると考えています
脳を統括する、一番大きく強い命、それぞれの臓器を統括する命、細胞の一つ一つに宿る命・・・・
などと、死刑存廃にはま〜ったく関係ないような戯言でお茶を濁してしまってスミマセンでしたw
では、また
2655
:
紫煙狼
:2010/04/25(日) 20:41:53
>>2654
>実際に在る物を否定するのは良くない気がします
神は存在しますか?ある人は「存在する」と断言し、ある人は「そんなものは存在
しない」という。「存在する」という人同士でも、その神のあり方が仏教的であったり
ユダヤ教的であったりキリスト教的であったりイスラム教的であったり…。
神の存在を否定する必要は無いですが、それが科学的に証明されていなくて、かつ
人によって受け取り方が大きく異なるものを基準に法を構成したら、これが単一宗教国とか
独裁政権国家ならまだしも、思想の自由が許される民主主義国家では、この手の「論証実証
不可能な基準」を「社会の仕組み」に持ち込むのは、むしろ暴挙ではないでしょうか???
已む無しさんのいう「気」という物も、何らかの法則性があるなら存在の有無は別として
基準になり得ますが、人によってまちまちなものを基準に法を構成したら、基準から外れる
人には根拠が乏しいのですよ。
已む無しさんが夢枕で「明後日、隕石が地球に落下して人類が大ダメージを受ける」という
神のお告げを聞いたとしても、これを明日みんなの前で発表しようものなら、科学者達が
「確かに、地球に急速に接近する物体がある」と認めるまでは鼻で笑われます。
明後日になって、本当に何の前触れもなく隕石が落ちてきて人類が大ダメージを受ければ
已む無しさんは一気に「預言者」として「教祖」としての地位を得るでしょう。しかし、
已む無しさんご自身が「お告げ(正夢)」と「ただの夢」の区別が出来なければ、いずれ
その信用も失墜します。
科学で「存在」が証明される以前から「万有引力の法則」は存在したし、誰がやっても
「物体」は「支えるものが無い」と「地面に落ちる」という再現可能で、必ず同じ結果が
得られる現象は基準になり得るし、逆に「正月の初夢は正夢になる」という再現不可能で
誰がやっても同じ結果になるとは言えない現象は基準となり得ない。
Aを入力すれば必ずBが出力されるコンピュータは利用価値がある。でもAを入力したとき
出力されるものがBであったりCであったりDであったりするコンピュータは研究の対象で
あり得ても、実用価値はないわけです。もちろん、研究の結果、出力がBになったりCに
なったりDになる条件が判明すれば、一気に実用価値も出てきますがね。。。
だいたい「命」というものも科学では解明されてはいないのですが「殺す」という、誰にでも
再現可能で実量レベルの現象が存在するから「殺人」のような罪を設けることができるわけで。。。
研究対象となり得ても、実用レベルに達していないものは、社会の基準に持ち込むべきではありません。
2656
:
紫煙狼
:2010/04/25(日) 20:50:39
よーく考えてもみぃ。
再犯しない「気がする」から死刑を回避して、再犯する「気がする」から死刑に処す。
なんて事になったらエライこっちゃでぇ。死刑に処すにしても回避するにしても
可能性を基準にしたらマズイよ(苦笑)
ただ、科学が高度に発達して100%近い確率で「再犯するかしないか」を予測できる
時代が来れば、その再犯可能性が死刑適応の基準とはなり得るでしょうね。
でも、その時代が来たときには「どうすれば再犯しないか」も100%近い確率で
予測し得るでしょうから「死刑にしない限り再犯する」という予測結果が出なければ
再犯可能性が死刑適応の基準とはなり得ないかな?
2657
:
紫煙狼
:2010/04/25(日) 21:02:55
ごめん、自分で書いててジレンマに陥った。
人間の将来の行動パターンを100%近い確率で予測することが可能な時代が来たとして…。
もちろん、こんな時代ならきっと脳の記憶を画像化してモニタに表示できるでしょう。
冤罪という可能性は100%ない、と仮定しましょうよ。
・100兆円ほど更生教育につぎ込めば更生し再犯しない凶悪殺人犯
・1億円ほど更生教育につぎ込めば更生し再犯しない凶悪殺人犯
・1000万円ほど更生教育につぎ込めば更生し再犯しない凶悪殺人犯
・100万円ほど更生教育につぎ込めば更生し再犯しない凶悪殺人犯
さて、一人の凶悪殺人犯の死刑を回避するためにつぎ込める限度はいくらでしょうね???
もちろん、凶悪な犯罪者を死刑にしないために税金をつぎ込むなんて馬鹿げているという
意見は強いでしょうね。となると、更生教育費自弁という事になりますか。
万が一、自分が死刑になりかねない罪を犯したとき、更生教育費を得るための
「更生教育保険」なんてのが現れるか…。でも、そんな加入者は犯罪者予備軍だわね。
いや、そもそも犯罪を犯す以前、善良な一市民である時点でこの検査を受けることが
義務化されるかな。そうなると、もう一度立ち返って
・100兆円ほど道徳教育につぎ込めば将来的に犯罪を犯さない善良な一般市民
・1億円ほど更生教育につぎ込めば将来的に犯罪を犯さない善良な一般市民
・1000万円ほど更生教育につぎ込めば将来的に犯罪を犯さない善良な一般市民
・100万円ほど更生教育につぎ込めば将来的に犯罪を犯さない善良な一般市民
となるね。この場合、100兆円ほど道徳教育に必要な人物は、罪を犯す前に
死んでいただきましょうか???
2658
:
loveless
:2010/04/26(月) 00:02:17
>>2653
ま、それは単に、ほとんどの日本人が「妥当だ」と思ったからでは?
#世論も盛り上がらなかったし。。
>>2657
>さて、一人の凶悪殺人犯の死刑を回避するためにつぎ込める限度はいくらでしょうね???
・
・
>もちろん、凶悪な犯罪者を死刑にしないために税金をつぎ込むなんて馬鹿げているという意見は強いでしょうね。
やっぱり、ゼロだと思いますよ。
死刑は、再犯防止のためにあるわけではないですし。
(というか、刑罰は、第一には犯した罪への対価という意味があると思います)
>となるね。この場合、100兆円ほど道徳教育に必要な人物は、罪を犯す前に死んでいただきましょうか???
その人物が100%殺人を犯すというのであれば、将来その人物に殺される運命の人は、正当防衛ということで殺害される前に殺害してしまうこともありだと思います。
(国家が手を下すのは別次元の話でしょう)
2659
:
已む無し
:2010/04/26(月) 00:35:41
>>2656
あら〜てっきりスルーされるかと思っていたら、凄い反応だな
よーく考えるわな
誰も、証明されていないもの『だけで』法を構成しろなんて言ってねーよな?
言ってると思っているのなら、それは何かの先入観があるのではないかと感じます
>>2657
>人間の将来の行動パターンを100%近い確率で予測することが可能な時代が来たとして…。
>もちろん、こんな時代ならきっと脳の記憶を画像化してモニタに表示できるでしょう。
>冤罪という可能性は100%ない、と仮定しましょうよ。
どれほど先の行動パターンのことを予測するのかは分かりませんが
色々な経験によっても人の考え方は日々変わって行くものだと思いますから
1行目は、およそ不可能なことだと思われます
ただ、二行目三行目については、将来的には可能ではないでしょうか?
既に起こったことの記憶を読み取るだけですからね
技術さえ進歩すれば、そこには予測は必要ないでしょうしね
現在の判定で、凶悪殺人犯の思想を持っていると判定された子供が、将来的に、(罪を犯す前に)真面目になる可能性だってあるかもしれないし
同じく、真面目で誠実だと判定された子供が、ある経験をきっかけにして、悪事に目覚めるかもしれない
つまり、そこまで先に分かっているならば、特別な更正教育などしなくとも
世の中自体を、不条理なことを感じないように変えることによって(人間全員の悪意が事前にわかるのなら、不正などない社会にするのは易しいだろう)
普段の社会生活が、そもそも現在においての更正教育の場と同じレベルになりえるのではないでしょうかね
2660
:
已む無し
:2010/04/26(月) 02:33:55
まぁ結論から言いますと
科学的に証明されていないものを総て法を制定するための規準から外したとしたら
こりゃとんでもねーことになりそうですぜ
人の感情も無視でしょうか?
自分の子供が殺人鬼に殺されたときに、深い悲しみに陥るという感情のシステムを、科学的にどこまで証明できるというのですか???
オカルトはオカルトとして(でも過去にオカルトであったもので、現在証明されているものは山ほどある)
でも、存在するものは存在するものとして
証明できるものは証明できるものとして
人は一歩一歩前進していけたらいいですね
2661
:
ufloat
:2010/04/26(月) 21:39:21
えーと、已む無しさん。
私、オカルトとか超能力とか大嫌いでして、それを法とか裁判とかに持ち込むことを
考えるだけで鳥肌が立つ(個人的好みというより、後述の質問に対する私なりの答えとして)
人間なので、これでは対話の糸口も見つけようがなく、
スルーしようと考えていたのですが、とりあえず確認だけ。
「魔女狩り」や「魔女裁判」というのをご存知でしょうか。
そして、そのような悲劇がなぜ発生したのかをご存知でしょうか。
2662
:
已む無し
:2010/04/26(月) 21:58:38
>>2661
私は、そういうものを無視するのはどうかと言っただけですよ?
それだけで法を構成したらそれこそえらいことですよ
2663
:
已む無し
:2010/04/26(月) 22:04:48
>>2661
>そのような悲劇がなぜ発生したのかをご存知でしょうか。
まさに
>この場合、100兆円ほど道徳教育に必要な人物は、罪を犯す前に
>死んでいただきましょうか???
こういう考えが原因でしょうね
2664
:
紫煙狼
:2010/04/26(月) 22:49:46
まーた、わざと誤読して楽しんでるね?困ったもんだ(苦笑)
たとえば感情。これは十分に実用レベルに達しているのではないですか?
感情という心の動きの存在を否定する人がいますか?可愛がっている自分の
子供が殺されたら悲しい。犯人に対して殺意に近い怒りを覚える。これは
別に否定する必要もないと思いますがいかがでしょうね?
問題は、遺族によって、事情によって、この悲しみの度合いは違いますよね?
逆に親を殺されたパターンを考えてみれば、もう少し飲み込みやすい。
資産家の親、借金まみれの子供。親は(本当は子が可愛いがゆえに?)子に
金を貸さない。金を出さない。子は(親の心子知らずで)親を半ば憎みさえし
ている。こんな状況において親が殺される。場合によっては本当に偏屈な親で
子供が本気で憎んでいる場合もある。この殺人犯を処罰するに当たって、
遺族(子)の被害感情が刑量に影響するのは「正義といえますか?」
だからこそ、こういう個人差の大きな明確ではないものを法の基準、罪を裁く
基準に持ち込むことは「危険である」と言うているのです。
已む無しさんが大きく勘違いしているのはね、私は別に科学で証明できない、
科学で解明できないことを否定しているのではないのですよ。単に解明されて
いなくて、実用レベルにも達していないものは持ち込むべきではないと
言っているわけですから、必ずしも「已む無しさんの言っていることを否定」する
ものでもないですよ?
それから、已む無しさんが大きく勘違いしているところ
>>2663
>こういう考えが原因でしょうね
違うよ。明らかに違うよ。明確な基準も、論証性も再現性も科学的根拠も無い方法で
有罪無罪を決定しようとしたから、被害者が生まれたのですよ。百歩譲って魔女裁判の
被告の殆どが「死刑にはならずに済んだ」と仮定しても、冤罪であることは明白だよ。
Uさんはこの冤罪を「悲劇」と表現しているのであって、必ずしも「死刑にされた」こと
だけを悲劇と表現しているわけではない。そこはご理解いただきたいですね。
もう少し手厳しい例を挙げましょう。「刑事の勘」という得体の知れないものが判決の
基準として採用されたら「物的証拠もそろっていなくて」「自白も得られていない」のに
「有罪判決」が下る可能性が出てきませんか?
2665
:
紫煙狼
:2010/04/26(月) 23:09:46
今の刑事犯で冤罪が起こるとすれば、それは2重のミスなんですよ。つまり、
・犯人ではないものが犯人として罰を受け
・真犯人が取り逃がされる
この両方が同時に成立するんですからね?であれば「疑わしきは罰せず」の原則に従い、
・真犯人だと思うんだけど…証拠もないし。仕方が無い、無罪!
であれば冤罪の半分のミスで済むわけですよ。もちろん、取り逃がされた真犯人が
再犯したら?という虞はありますね。だから、万人が納得いく物的証拠を以って
理詰めで真犯人を逮捕し、これを罰する必要があります。しかしミスは少ないほうが
いいとは思いませんか?
でもね?そこに「勘働き」のような得体の知れないものを持ち込んだら冤罪が
増えるだけですよ。勘働きに頼る捜査を「見込み捜査」と言って、初動捜査のミスの
筆頭ではありませんか?まさかご存じないとは言わせないよ。
なるほど、勘働きだの心霊術によるウンタラで未解決の事件が…なんて言うかも知れ
ませんがね、逆に、勘働きだの心霊術だので未解決事件を解決しようとして、まるっきり
見当違いの人に迷惑をかけた実例の方が多いのもご存知でしょう?
はっきり明言しておきますがね、私の考えでは
「冤罪が発生するくらいなら、事件なんて解決しなくても構わない」んです。
ってか、冤罪だって事件は解決してないんですよ。解決した気になって、解決したことに
しているだけでね。それとも、已む無しさんは「とりあえず誰かが人身御供になること」を
望みますか?まさか。アナタほどの人が、そんな馬鹿げたことを言い出すわけが無い。
占いでも超能力でも何でもいいですけど、それを社会の基準に持ち込むことの弊害を
考えれば、持ち込まない安全の方が何倍もマシでしょう?その手のオカルトも、いずれ
万人が納得いく実用レベルまで研究が進む可能性は否定しないですよ。でも持ち込むのは
それからでなければなりません。
2666
:
已む無し
:2010/04/26(月) 23:41:32
>「冤罪が発生するくらいなら、事件なんて解決しなくても構わない」んです。
私はそうは思わないです、誰かが身代わりになればそれで解決とも思わないですけどね
ですが、利害の一致による身代わり出頭によるものは冤罪とは思わないですがね
まぁこれについては以前にもお話したことなので、繰り返す意味は感じませんが
あと、オカルトを法に練りこむべきとは言っていませんよ?
完全な証明が出来ていないものは総て法を構成する上で排除すべき
というのは少しだけ言い過ぎではないですか?
ということなんですよ?たったこれだけのことです
たとえばですね
UFOを例にとってみましょうか
UFOを実際にみたことがある人にとっては、それは事実なんですよね
でも、みたことがない人にとっては全くわからない
その上で、科学的にもまったく立証されていない
これは完全なオカルトです
ですが、たとえばUFOがそこらじゅうに姿を現すようになり
全世界の人間達にとってそれが珍しくも無い物体と感じるようになった場合
しかし科学的にはその正体はまだ分かっていない、何も証明されていない
これは果たしてオカルトでしょうかね
まぁ、どちらにしても極論を言い合っちゃうと何も始まらないし
あまり極端な意見もどうかなと思っただけです
世の中には悪魔の証明が溢れていますからね
2667
:
已む無し
:2010/04/26(月) 23:48:11
死刑制度について一言お願いします
はい、一言で言うなら
「私にとって死刑の無い世の中というのは、自殺や殺人の無い世の中と同義です」
2668
:
ufloat
:2010/04/27(火) 00:56:41
>UFO
「悪魔の証明」なんて難しい言葉をお使いになるのなら、科学的証明の手法についても
少し調べてくだされば、間違ってもこんな疑問は出なかったでしょうに・・・。
そのUFOのようなケースは、すでに科学の現場で何万回、何億回と繰り返されており、
そのような場合の証明のやり方は、ほぼ定まっているわけです
(もちろん、正体はまだはっきりしないが実在する、と結論されることもあり得ます。
存在を証明するために、正体まで解明する必要はありませんので。
そういうのは法に加えても良いと、紫煙狼さんもおっしゃっています)。
紫煙狼さんはそこのところを大変良くご存知なので、そこをご存じない、あるいは
知った上でとぼけておられる已む無しさんとは、話がかみ合わないのでしょう。
>魔女狩り
紫煙狼さんの
>>2664
の言葉に少し補足させていただくならば、
私は「すべてをオカルトで構成する」よりも「証明されていないもの"も"入れる」
ことに、より強い恐怖を感じます。
もしあの時代、論理的・科学的にしっかりとした裁判が行われていれば、
さすがに冤罪が発生することまでは防ぎようがないとしても、
魔女裁判などという問題は発生せずに済んでいたでしょう。
一方、もし意味の分からない、まるで得体の知れないものだけを理由に、
無実の市民を次々と虐殺していくならば、いくら当時の人間であっても、
これはおかしいと感じるはずです。
魔女裁判の場合、当時の人には科学的・論理的に見えたかもしれないものの中に、
実は科学的でも論理的でもないものが潜んでいた点に、根の深さがあるわけです。
2669
:
紫煙狼
:2010/04/27(火) 01:11:25
とても面白いことを言っていることにお気づきですか?
>>「冤罪が発生するくらいなら、事件なんて解決しなくても構わない」んです。
>私はそうは思わないです、誰かが身代わりになればそれで解決とも思わないですけどね
まず「冤罪が発生しない&事件が解決する」が最良のパターン。これを100%近くまで高めなければ
ならない。これは同意していただけますね?
次に「冤罪は発生しないけれど事件が解決しない」は真犯人は取り逃がすが、無実の罪で罰を受ける
人がいないパターン。これは私が「マシ」だと考える落としどころ。
それに対し「冤罪が発生するけれど、事件が解決する」パターン。これが已む無しさんの考える
「マシ」な状態ですか?でも冤罪が発生しているということは、実は事件は解決していないですよね?
となると「冤罪が発生して実は事件は解決していない」パターンがお好みですか?
少し好意的に解釈して「冤罪が発生するリスクを犯してでも、真犯人を上げられる確率があがるなら
それを必要悪として認めざるを得ない」でしょうか?それに対して已む無しさんは私が「マシ」と考える
パターンを「冤罪が発生するリスクをゼロにするため、捜査を行わない」とでも解釈しているのかな?
だとすれば、ずいぶんと意図的に悪意に解釈しているとしかいえないですね。。。
>完全な証明が出来ていないものは総て法を構成する上で排除すべき
そんな事を言った覚えはないのですが。。。ただ、人様の運命(生き死に)を左右する法運用には
厳格さが求められるのですから、ワケノワカランモノを持ち込むのはマズイと言っていますがね。
ハッキリ言うと、已む無しさんの感覚はアテにならないから、そんなのを法に持ち込まれたらたまらん。
と、申し上げています。もちろん、紫煙狼の感覚もアテにはならんから、そんなのを法に持ち込むな
と解釈していただいて結構です。これに異論を唱えるなら、已む無しさんの感覚がアテになるものである
ということを、私の納得がいくように研究されたし。ある程度信憑性がおける程度まで解明されたら
私も「ワケがワカラン」とは言いますまい。それとも已む無しさんは私の感覚(全く得体の知れないもの)
を無条件に信頼し、それが法律の基準のひとつになることに同意しますか?
UFOがそこかしこに当たり前のように出現するようになった場合でも、UFOが科学で解明されて
いないなら社会の仕組みに持ち込むべきではない、とは言っていませんよ?その時点で少なくとも
存在だけは実証されていますからね。ただし、そのUFOが地球を侵略しに来ているのか、友好的
関係を結びに来ているのかわからないのに、UFO観光ツアーなんてのに参加するのは危険だし、
まして「UFOは農作物を豊穣させるために来ている」なんて根拠の無い希望に基づいて、だから
畑はもう放置していて構わない、なんて考えたら具の骨頂ですよね?こういう時は、UFOは友好的
関係を結びに来ているかもしれないのだから、むやみに攻撃はしない、けれど、侵略しに来ている
可能性もあるから、防御の姿勢も崩さない、のが吉ではないでしょうか?少なくとも、科学で解明
されていないから「実物は観測できるのに」「見ていない、見えなかったことにする」のは誤りでしょう。
ワケノワカランモノを科学的に究明するのはとても良いことです。ただ、使い方もワカランモノに運命を
託すのは、自分の運命でも避けたいのに、人様の運命を託すなんてのは、いただけませんね。せめて、
使い方ぐらいは説明書を熟読してから、正しい用量を正しい用法で服用したいものです。
アナタの言っていることは、いまここに錠剤がある。薬かもしれないけれど毒かもしれない。風邪に効く
かもしれないけれど、全く効かないどころか、風邪の人が飲むと死ぬかもしれない、でも水虫の特効薬かも
しれない。いやいや、実はラムネ菓子かもしれない。とにかく、わからんけれど市販しよう。ってな話ですよ。
私は市販する前にせめて毒性が無いこと、もしくは毒性を上回るメリットがあること、効果的な服用の仕方
を実験で実用レベルまで解明しなければならない。と言っているのですが、私の文章が稚拙すぎて理解できませんか?
2670
:
紫煙狼
:2010/04/27(火) 01:13:00
>「私にとって死刑の無い世の中というのは、自殺や殺人の無い世の中と同義です」
それはイイことですね。ぜひ、そういう時代が来てほしいと思います。
2671
:
已む無し
:2010/04/27(火) 17:20:19
>>2669
>それに対し「冤罪が発生するけれど、事件が解決する」パターン。
解決ですよ?
事件が解決するという定義に、死刑廃止派と存置派で違いがあるとは思えませんよ?
その疑いのかけ方は少し酷いですよ
紫煙狼さんの言い分では当然、事件が解決したことにはなっていませんよ
色々突っ込まれているようですが、大抵の部分は誤解のような気がしますね
突っ込まれることの殆どが、私としても納得することばかりです
そうそう、前に紫煙狼さんから
悪人だと分かっている人であっても、その人が正しいことを言っているのなら、その意見は受け入れるべきだろう
というようなことを言われましたね
その時点では、そうなのかなぁ・・・・とも思いましたが今は違います
悪人は、正しいことを言わないと思います
正しいことを言っているフリをするだけでしょう
偽善を前面に出してきているその論理に巧妙に隠された悪を見抜けたら良いと思います
2672
:
紫煙狼
:2010/04/27(火) 23:54:38
人は善い事をしながら、悪い事をし、
悪い事をしながら、善い事をする生き物です。
善い事は善い、悪い事は悪い、正しく評価するべきです。
あなたの言い分は「坊主憎ければ袈裟まで憎い」ではないですが、
物事を一緒くたにしすぎです。
2673
:
已む無し
:2010/04/28(水) 18:18:24
善いことをしながら悪いことをする・・・・
少し違うのでは?
善いことを行なおうがどうしようが、人が何かを成す為には必ず業を背負わなくてはいけない
ではないですか?
善いことをしても悪いことをしても、人は生きている限り多かれ少なかれ業は必ず背負うのです
そして、悪いことをしたからといって、必ずしも多くの業を背負うというわけではないし
善き事を推し進めようとすることによって、多くの業を一身に背負わなければいけないような事態にもなりうるでしょう
あなたはトロッコ問題に対して回答したときに、それを否定しましたね
たとえ自分が何もしなかった結果、被害が増大しようとも、手を下すことは出来ないと
冤罪が起こるくらいなら事件が解決しなくてもいいというのも同じような思想ですよね
坊主憎ければ袈裟まで憎い・・・・これも少し違います
「坊主疑わしければ、読む経まで疑う」です
坊主が悪だと立証されても、経を疑った結果、こちらには問題がないと明らかになった場合は
そのお経は、他の立派なお坊さんに唱えていただければいいのではないでしょうか?
そして最後に
善行と善意はイコールではないし
悪行と悪意もイコールではないですよね
悪意をもって行なったことでも、それによって他人が利益を得ることもありえるし
善意で行なったことによって他人が迷惑するようなことも当然あり得るわけです
だがしかしそれは結果論であって
善意でものをすすめていけば、結果の一進一退はあるものの、全体として善の方向に向かっていくでしょう
また同じように、悪意をもってすすめていけば、同じく一進一退しながら悪に向かっていくのだと思います
私が否定しているのは、『悪い事』 ではなく、『悪意』 です
2674
:
紫煙狼
:2010/04/28(水) 22:59:50
>悪人だと分かっている人であっても、その人が正しいことを言っているのなら、その意見は受け入れるべきだ
と言う意見に対し、已む無しさんは
>悪人は、正しいことを言わないと思います(改行)正しいことを言っているフリをするだけでしょう
と述べられました。しかし、舌の根も乾かぬうちに
>坊主が悪だと立証されても、経を疑った結果、こちらには問題がないと明らかになった場合
坊主が悪人であると立証されている、という前提において、已む無しさんの意見では坊主は正しいことを言わない。
正しい経を上げているフリをするだけである、となりますよね?であればこの経に問題がないと明らかに
なるという想定自体がご自身で作り上げた前提に大きく反しますよね?
このようにご意見に一貫性が無く矛盾だらけで、非常に難解で理解に苦しみます。
同意なのか、反論なのか、補足なのか、質問なのかさえ、あなたの文章から読み取るのは至難の技です。
「悪人だと分かっている坊主であっても、その人が正しい経を上げているなら、その経は受け入れるべき」
ではないでしょうか?それこそ、已む無しさんが仰るように、ほかの立派な僧侶に、その経を上げていただけば
よろしいと思われます。これのどこが「その時点では、そうなのかなぁ・・・・とも思いましたが今は違います」
なのか…もう少し読み手を意識して独りよがりではない文章を心がけてくださると幸いです。
さて、経が正しいか否かを検討するに当たって、坊主の人間性に問題を波及させる必要はありません。
逆に、坊主が善人であると判明していても、経が正しいか否かの検討は必要です。ノンケの善人が総理大臣になった
としても、その政策が正しいか否かは別問題。腹黒い悪人が総理大臣になったとしても、その政策が正しいか否かは
別問題。あくまで「その人に対する評価」と「その人の行いに対する評価」や「その人の発言に対する評価」は
それぞれ切り離して考えるべきで、これを融合させることに意味などありません。
已む無しさんは「甘い言葉でたぶらかし、接近し、取り入って、悪事を働く」人物を想定しているのでは
ないかと思いますが、それは逆に「言動を正しく評価すること」と「人間性を正しく評価すること」を
混同しているから起きることであって、言動と人間性を正しく切り分ければ問題は発生しません。
思いつきと勢いで文章を作成するのは勝手ですが、投稿する前に、今一度読み返して、
自分の言わんとすることが最大限相手に伝わるだろう限界まで努力した文章のみを投稿してくださると幸いです。
2675
:
已む無し
:2010/04/29(木) 00:19:40
貴重なご意見ありがとうございます
まぁ、ただの一個人の感想ですし、私の心の中では矛盾はないですよ
繊細なことなので説明するのにも時間がかかりすぎるし
ただでさえそうなのに、落としどころをさぐりつつ腹を探りつつ値切り合戦しているわけですから
なかなか理解し合うのは難しいですよね
さて、誤解についてですが、
私は、悪人は正しいことを言っているフリをするといいましたよね?
つまり、一つ一つは正しいことを言っているかもしれないが
全体を通してその人の意見をみたときに、正しくない意見が紛れ込んでいる(隠されている)と言った筈です
一つ一つのお経と
その人の一貫した理論とは違うと思っています
ましてや廃止論などという大きなテーマです
そのうちの部分部分に、「一理」あったとしても
全体を通じて整合性が無ければそれは一つの大きな『論理』とはいえないのではないでしょうか?
2676
:
紫煙狼
:2010/04/29(木) 00:41:02
>そのうちの部分部分に、「一理」あったとしても
>全体を通じて整合性が無ければそれは一つの大きな『論理』とはいえないのではないでしょうか?
まさにそのとおりですね。ですから私は已む無しさんを「非論理的」と断じます。
2677
:
無精髭
:2010/04/29(木) 00:45:54
ついでに言うなら、已む無しさんはご自身で仰るところの「悪人」だったわけですね。
2678
:
已む無し
:2010/04/29(木) 00:47:03
私は一度も自分の意見のことを論理的などとは言っていませんよ
それで構いません
最後に罪を確定する時点では、明確な証明が必要でしょうが
その前の時点、つまり、疑いをかける時点では、非論理的・感覚的な要素も必要だと思っています
非論理的というよりは、未論理的とでも言いましょうかね
2679
:
已む無し
:2010/04/29(木) 00:48:01
なるほど、論理的でなければ悪人ですかw
そう思いたいのであれば否定はしませんよ
2680
:
已む無し
:2010/04/29(木) 00:50:29
話の辻褄が合わないこと、それだけと
正しいことの中に巧妙に悪いことを隠すことよって生ずる細かい矛盾を同一視されるとは思いませんでした
いえ、正直言うと、そう返ってくることを予想してたのですけどね
2681
:
已む無し
:2010/04/29(木) 00:54:20
これは誰かを特定して話す意見ではありませんが
準備万端整えてお持て成しを考えていらっしゃる方のお宅にお邪魔する場合
こちらもそれ相応の準備をしてから訪問するのが礼儀かと思われます
死刑存廃の議論とは関係ないですけどね
2682
:
ufloat
:2010/04/29(木) 00:56:02
(※これは
>>2675
のみを読んだ時点で書き上げたもので、
その後のやりとりは踏まえていません)
>>2675
>貴重なご意見ありがとうございます
>(略)
>なかなか理解し合うのは難しいですよね
いや、已む無しさん。
紫煙狼さんは「腹の探り合いなどをやっている」から「理解しあうのが難しい」と
おっしゃっているのではなく、包み隠さずはっきり申し上げまして、
「已む無しさんの文章が意味不明で理解不能」とおっしゃっているわけです。
例えるなら、已む無しさんが紫煙狼さんに外交文書を手渡したとして、
「この文章、何語だか分からないぞ」と抗議しているのが紫煙狼さんで、その抗議に
「外交は腹の探り合いなんだから、理解しあえなくて当然だ」と反応しているのが已む無しさん。
>つまり、一つ一つは正しいことを言っているかもしれないが
>全体を通してその人の意見をみたときに、正しくない意見が紛れ込んでいる(隠されている)と言った筈です
ここまで分かっておられるのなら、まさにそういう風にして、人の運命・生死を左右するモノに「オカルト」が
混入するのが最も恐ろしいと私は申し上げているわけですが、もちろんご納得いただけますよね。
誰かがおかしなこと、論証性も何もないことばかり抜かしている。これは話が簡単。
誰かがしっかり物事を調べ、正しく分析し、根拠に基づいたことを言っている。これも話は簡単。
しかし、誰かが言っていることは、一見すると正しい根拠、正しい理論に基づいているが、
実は論証性も再現性も何もないものが混ざっている。これは見抜かないと危ない。
「オカルト」の混入とか魔女裁判の危険性も、ここにあるわけです。
2683
:
無精髭
:2010/04/29(木) 01:26:36
議論がこじれたら議論の開始時点に立ち戻ってみる、というのも大切ではないかと。
>>2654
>一見論理的にもとれますが、感覚というもの、(科学的に証明できないだけで)実際に在る物を否定するのは良くない気がします
上の已む無しさんの書き込みに対する紫煙狼さんの
>>2655
は、的を逸したとは言いませんが、
どこが的の中心か判然としないから仕方なく的全体を砲丸で叩き割ったみたいな観がありますねぇ。
上記の部分で已む無しさんが肯定したかったであろう「死刑を恐れる感覚」、つまり「死刑の犯罪
抑止力」に的を絞ってレスしなかった理由として、已む無しさんが
>>2652
までの議論をちゃんと
理解した上で書き込んでいるのだろうという予断が働いたということもあるんでしょうが、「気」
だの「宇宙」だのといった言葉や「細胞一つ一つに宿る命」だのといった表現が出てくる後段の
オカルチックな雰囲気に釣られてしまったというのが大きいかと。
しかも、已む無しさんの>2654
>私が思うところは・・・・といいますか、これは一般論だとも思いますが/『単細胞生物にも命が宿っている』 です
以下の部分はそれ自体では別に紫煙狼さんの臓器移植刑案を否定する論述とも言えないですし
(私が思うに、そこまで言っちゃうと逆に肯定しかねないんじゃないかと)、やっぱり主観的
過ぎると言うか、雰囲気ばかりが強烈な内容って感じがします。誤解されても仕方ないんじゃ
ないですかね。
さて、已む無しさんは、このような言説において、犯罪抑止力の存在は正に否定されていると判断したわけでしょうな。
「死刑を存続させる上で、犯罪抑止力などといった、科学的に証明できないものだけを根拠にする
よりも、死刑執行のおこぼれによって臓器移植の必要な人間を救うといった、実際に効果が見込める
制度を導入すれば、死刑は今よりも堅固で厳かな制度へと生まれ変わるだろう」
まぁ、已む無しさんの仰る「否定」というのも、いったいどのような意味で用いられているのか、
私にはわからないと言えばわからないのですが。
>2671
悪人って、正しいことを言って自分が損をする場合なら嘘をつくでしょうけど、
正しいことを言っても自分が損をしない場合は、嘘をつくのでしょうか、
それとも正しいことを言うのでしょうか。
「ある言論の正否が、その人個人の人間性とは全く無縁なところで定まる」
ということに興味を示さない人が議論なんかやっても何も得るものがない
どころか、ただ不愉快になるだけじゃないかと。
2684
:
無精髭
:2010/04/29(木) 01:58:34
>2679-2681
「紫煙狼宅に訪問している已む無しさんの家に無断で上がり込んでいる無精髭」
といった図を想像してしまいましたが。まあ、もうちょっと続けさせて下さい。
>さて、誤解についてですが、
>私は、悪人は正しいことを言っているフリをするといいましたよね?
確かに仰ってますね。
>つまり、一つ一つは正しいことを言っているかもしれないが
>全体を通してその人の意見をみたときに、正しくない意見が紛れ込んでいる(隠されている)と言った筈です
仰っていないハズですし、已む無しさんのレスをどうお読みしてもそのように理解することはできないハズですね。
・・・
さて、已む無しさんの書き込みにおける矛盾が悪意によるものでないのだとしても、
それはそれで問題ありですね。悪意がない場合の方が、より強い憐憫の情を
私は覚えますよ。紫煙狼さんも、きっと已む無しさんは悪意(いたずらっ気)
があって誤読をしているんだろうなぁと、議論の途中までは思っていたかと。
でも、已む無しさんに悪意がまったくないのでしたら、紫煙狼さんがいくら
口酸っぱくして道理を説いても通用するわけはなかったんですね。
そんな已む無しさんに宿題。
>あなたはトロッコ問題に対して回答したときに、それを否定しましたね
>たとえ自分が何もしなかった結果、被害が増大しようとも、手を下すことは出来ないと
>冤罪が起こるくらいなら事件が解決しなくてもいいというのも同じような思想ですよね
これは紫煙狼さんの冤罪観に対する侮辱にも近い「酷い」誤読なんですが、
これをもう一度
>>2665
からレスを読み直して正しい読解に修正して下さい。
それがお出来にならないのなら、ご自身の能力に合わせてもうちょっと議論の
仕方・方向性・テーマなどをお選びになったほうがよろしいかと思われます。
犯罪者に限らず、人は短期間では変われないのだなぁ、と感じた今日この頃。
2685
:
ufloat
:2010/04/29(木) 06:02:37
(今度は2675以降も踏まえまして・・・)
さて、已む無しさん。実は私、
>>2674
を紫煙狼さんがお書きになる以前に、
>>2674
とほとんど同じことを書いた文章を書き上げていたのです。
違いといえば、紫煙狼さんの指摘に加えて「他人の記事はしっかり読むべし」と
いうことも書いておいたのと、紫煙狼さんのより書き方が少しばかり辛らつな程度(笑)。
結局はボツにしたわけなのですが
(ファイルのタイムスタンプは4/27の夜ですから、時期的には
>>2671
の後)、
またしても「紫煙狼さんと無精髭さんの書き込みの乗じ、私までリンチに加わった」
とかいうひどい見方をされてはたまらないので、一応お断りしておきます。
紫煙狼さんが
>>2674
を書いてくださった以上、もし已む無しさんがそれをしっかり
読んで理解していれば、本来なら無精髭さんと私の書き込みも必要ないはずなのですが、
>>2675
>貴重なご意見ありがとうございます
とか読んだフリをしておきながら、これまた舌の根も乾かぬうちに
>>2678-2681
の7分間に4度もの連続投稿はどういうわけでしょう。
他人の書き込みをじっくり読み、それから自分の考えをしっかりまとめ、相手に意思が
伝わるよう最大限努力して執筆し、今一度推敲する時間が、どこに存在するのでしょう。
大体已む無しさん、あなたは以前から激昂すると連続投稿をしていましたね
(これは
>>2448
で書いたとおり)。まったく「人は短期間では変われない」ものです。
それで、私が已む無しさんに指摘したいのは、
「他人の書き込みを、およそ意図し得ないように誤読・曲解し(入力)、
常人には想像不可能なまでに飛躍した論理で結論を出し(処理)、
読んでも意図が理解しがたい文章としてそれを書き出す(出力)」
わけですから、入力・処理・出力のいずれも改善すべきということ。
これらの工程は議論においては必須ですから、もしできないというのであれば、
できるようになるまで議論を控えるなり、自分のレベルに合致したテーマや方向性の
議論に参加すればよい、というのは無精髭さんのおっしゃる通りです。
>>2684
>紫煙狼さんも、きっと已む無しさんは悪意(いたずらっ気)
>があって誤読をしているんだろうなぁと、議論の途中までは思っていたかと。
実は私もそうなのです。ボツにした原稿に
「已む無しさん、やっぱりわざと他人の記事を誤読したり、質問に対して
わざとぶっ飛んだ回答をしたり、知っていてとぼけたりしていますね?」
と書いているほどでして。てっきり、また「真意を確認する」という名目で、
牽制球を投げて反応を見ているのではないかと考えていました。
2686
:
無精髭
:2010/04/30(金) 02:23:19
せっかく>2684で指摘させていただいたことも、ご本人からは「言いがかりだ」とか
「曲解だ」とか言われそうなので、今度は誰にでもわかるように引用させてもらいますよ。
>偽善を前面に出してきているその論理に巧妙に隠された悪を見抜けたら良いと思います
>一つ一つは正しいことを言っているかもしれないが/全体を通してその人の意見をみたときに、正しくない意見が紛れ込んでいる(隠されている)と言った筈です
前者と後者は同一の意味を表した文章であると言い張りますか、已む無しさん?
>一つ一つのお経と
>その人の一貫した理論とは違うと思っています
>ましてや廃止論などという大きなテーマです
>そのうちの部分部分に、「一理」あったとしても
>全体を通じて整合性が無ければそれは一つの大きな『論理』とはいえないのではないでしょうか?
これは、
>>2322
の短い書き込みから始まり、guestさんの退場前後で一応の決着を見た議論を、
已む無しさんが大した考えもなく再燃させているだけでは? 今一度、過去ログを精読なさい。
已む無しさんは忘れっぽいのか、学習能力がないのか、人の文章を真面目に読む気がないのか、
単におっちょこちょいなのか、私にとっては全くと言っていいほどつかみどころのない御仁です。
>最後に罪を確定する時点では、明確な証明が必要でしょうが
>その前の時点、つまり、疑いをかける時点では、非論理的・感覚的な要素も必要だと思っています
そりゃ、疑う主体(この場合は已む無しさん自身)にとっちゃぁ必要ですわな
(ちなみにそういう勘働きとか直観による判断を心理学ではヒューリスティクスと言うそうです)。
でも、已む無しさんの文章を読む側の人間(已む無しさん以外の人間)にとっちゃぁ、必要なのは
そんなものではなく、論理に他なりませんから。已む無しさんの勘が正しいかどうかを確かめるのに、
私たちも勘に頼ったりなどしちゃったら、一体どーなっちゃうと思いますか?
紫煙狼さんが冤罪について書いてくれたことをちゃんと理解しているのであれば、
「私は一度も自分の意見のことを論理的などとは言っていませんよ/それで構いません」※
などと言い返すのは、厚顔無恥(傲慢無知)極まりないことですよ。私だったら、
そんなふうに自分が言い返すことを想像するだけで、恥ずかしくてたまらなくなりますよ。
それを大した根拠もなく自信満々にお書きになる已む無しさんの様子(他人様に反論する時は
決まってそんな感じに見受けられますが)を見ると、こちらまで気恥ずかしくなって参りますよ。
※「まぁ、ただの一個人の感想ですし、私の心の中では矛盾はないですよ」←???
2687
:
無精髭
:2010/04/30(金) 02:52:20
私が已む無しさんを「(已む無しさんが仰る意味での)悪人」と評したことに関しても、
言いがかりだとか誤解だとか思っていらっしゃるんじゃないでしょうかねぇ。
私から言わせれば>2679-2680こそ誤解、と言うか偏狭な内容なんですけど、
とりあえずなぜ私が已む無しさんを「悪人」であると思ったのかを以下に記しておきます。
掲示板でのやり取りでできる悪さと言っても、終始言葉の上で行われることですから、
およそ人が行うことのできる悪さ全体と比べれば、種類が限られてくるわけです。
たとえば、ここでは物理的に他人に損害を加えることはできませんよね
(スパムメールを送る、ウィルス攻撃を仕掛けるといった行為も掲示板でのやり取りでは
実行するのは難しいかと)。で、せいぜいできることと言えば、精神的に他人を傷つけたり、
場をかき乱すことでその場にいる他人を間接的に困らせたりすることくらいでしょう。
つまり、行動の制限によって、為せる悪行も必然的に制限されるわけです。
簡単に言えば、言葉だけでできる悪さなんて高が知れているということですね
(ただし、掲示板利用において、誰にでも簡単に個人を特定することが可能
であり、なおかつ議論相手に疚しいところがある場合、プライバシー侵害
といった悪さを働くこともできるでしょうけど)。
しかし、掲示板でのコミュニケーションでは実際のそれよりも悪行が
制限されているということから、えてして、ちょっとくらい羽目を外したところで
大抵のことは許されるとか、これくらいのことを書いても禁則事項に該当
しないだろうとか、総じて悪さの制限とはその分自由が拡張されている
ことなのだというふうに履き違える人が出てくるんですよ。実際は、言葉しか
使えないという条件下なわけですから、行動が制限されているということは
自由も制限されるのが当然なわけなんですが、そこが分からない人がたまに
いるみたいで、たとえば議論がコミュニケーションの一種であるということを
無視して(知らないで? 忘れて?)、そこにその本来の目的や性格、意義とは
無関係なものを過剰に付帯しようとすることで、自分にとって都合の好いルールを
作って、言論において優位に立とうとする(他人様を曖昧な言葉で振り回して
かりそめのイニシアチブを取って悦に入る)わけですよ。まあ、私にもそういう
ところがあるのは否定しませんがね。
つまり、已む無しさんねぇ。「悪さ」というものにも色々と種類があってですね、
たとえばあなたはマナーまで悪いとはさすがに言えませんけど、ルールを破ることに
掛けては擁護の仕様がないほど悪いんですよ。考えてもみて下さい。誹謗中傷・罵詈雑言
などといったマナー違反事項とは別に、文法違反や曲解・誤読、そのほか様々な議論上の
禁則事項を破ることも立派な悪なのではありませんか? 私はそのことについて、
ちょっと尋常でないほどの義憤を感じておりますよ。
悪意があろうがなかろうが、已む無しさんが今までやって来られたことは
悪行ですよね。已む無しさんも>2673で悪行と悪意は分けられるべきだ
というふうに書いておられることだし、第一、腹を探るために手段を
選ばないのは悪いことなのだから(そもそも議論する上では相手の真意を
探ることを最優先すべきではない)、その点は認めざるを得ませんよね。
だったら、已む無しさんの悪行に悩まされ、振り回されてきた人たちに対して、
「間違っていることの中に巧妙に善いことを隠すことよって生ずる細かい矛盾が、
結果の一進一退はあるものの、全体として善の方向に向かっていく」ということを
現時点で保証して見せて下さい。ご自身が「悪人」でないことを証明するということは
正にこのことでしょう。しかしながら、先のことはわかんねぇや、とか、
「どうせ私個人の主観ですので、、、」(お決まりの文句)などと言って
開き直るのでしたら、せめてその分の「業」とやらはちゃんと背負って下さい。
他人にも分かる形で。
>>2681
は、大した準備もなく行き当たりばったりに相手に噛み付いて、
後で後悔の念に駆られるご自身を戒めてもおられるのだと私は勝手に
解釈させていただいておりますから、已む無しさんにはぜひとも過去の
不始末の分も含めて、次からのレスできちんと清算していただきたいです
(もし再び書き込もうという気があるのであれば)。
2688
:
紫煙狼
:2010/04/30(金) 04:15:59
(あまりに長文ですので、2連に分割します。)
意地の悪い推測で妄想を爆発させますね。
已む無しさんがここへ来たのは、死刑存廃問題を議論している参加者のハラを探るためだと仰い
ました。では、已む無しさんの最初の発言
>>2336
から一つ一つ注意深く読み取ってみてください。
已む無しさんは「早急に死刑を廃止するのは危険である」と言いたかった様であるというのは
>>2355
で初めて理解できることで、それまでの発言からは死刑廃止がいかに世の中に災悪をもたら
すか…しか書かれては居ません。ところが、それ以前に
>>2382
で已む無しさんはguestさんの
「数の暴力論」に対し「突っ込みどころが見当たらない」と発言しています。あくまで自分の見解を
傍において正誤判定をするなら「数の暴力論」が正しいと思えるわけもなく、非常に突っ込みどころ
満載なのですが、です。そして、同じく
>>2382
において「数の暴力論」のスタンスのおき方に対し
苦言を呈したことを
>>2497
で謝罪しています。遡るに
>>2474
では
>が、誰の目から見ても、少数派の彼らが不誠実に見えた(中略)探ろうとするはずです
と発言なさっている。。。
つまり、已む無しさんは「死刑廃止論者が一見正しそうなことを言っているように思えるが、
どうも不誠実な輩にしか思えないので化けの皮をはがしに来た」というのが正直なところでしょう。
それ自体をどうこう言うつもりはありませんが、死刑存置論者や死刑賛成論者に対してと同じ
疑り深さで発言内容の正誤を判定するならば、guestさんも同様に持論に都合の良い怪しげな
事しか言っていないのは明白ですが、そこを已む無しさんはスルーしている。これは何故でしょう?
私の推測では、已む無しさんは最初から「死刑廃止論者」や「死刑反対論者」だけをターゲットに
疑いをかけており、死刑賛成論者や死刑存置論者のハラをさぐる意図はない、という事ではないで
しょうか?言い方を変えるなら、死刑賛成論者や死刑存置論者を疑うことはなく、あくまで自分に
相反する意見の持ち主だけ「疑い」の対象とする、という事ですよね?これは非常にアンフェアな
審判であるという事に気づきませんでしょうか?サッカーの審判が片方のチームだけ「反則をする
のではないか」と目を光らせ、もう片方のチームには「いや、大丈夫」とばかり注意を払わないと
すれば、審判資格を剥奪されかねない暴挙であると思います。
2689
:
紫煙狼
:2010/04/30(金) 04:16:35
では、どこまで行けば已む無しさんが死刑廃止論者・死刑反対論者に対して、死刑賛成論者や
死刑存置論者に対するのと同じ程度の信頼を払うようになるのか…。言い方を変えるなら、
どこまで行けば已む無しさんは不公平な審判を諦めるのか。2010/01/27から1シーズン、300以上の
レスを経てなお疑いの目は晴れぬようです。いや、その中で已む無しさんは得意の曲解を駆使し、
「目的が達成された」事を宣言しています。(
>>2436
または
>>2439
)これは、決して死刑廃止側に
裏があったわけではないのは明白ですが、已む無しさんが満足する程度に「裏と誤認した」事を
意味しており、これはアントン・メスメルの動物磁気と同じく「存在しないものを存在した」と
根拠のない反証性のない暴論に基づき自分を満足させたに差異は見つけられません。
つまり、本当に已む無しさんは死刑廃止論者・死刑反対論者の化けの皮をはがす目的だけでここに
来ており、もう少し現実に近い言い方をするなら、あらゆる技術を駆使して死刑廃止論者や死刑
反対論者を「信頼するに足りない不誠実な人々」と定義づけることだけに執心していらっしゃる。
そのためには飛躍しすぎた暴論や、我田引水で通常は良しとされない解釈法という反則を用いる
ことすら吝かではない、アンフェアなスタンスが見て取れるかと思います。人様や人様の言動を
評価しに来たのではなく、自分で作り上げた虚な枠の中に相反する意見者を当てはめるのが目的
なのですから、最初から「正しく評価する」ことなど出来るわけがありません。
人様の意見を正しく評価することが出来ない者に、正しいロジックを求めるのは無理な話で、
偏重したロジックしか有さないということは、正しい答えを導き出すことなど出来やしない、
ということです。それでは
>>2673
>こちらには問題がないと明らかになった場合
いや、あなたには「問題がないと明らかに」する能力が決定的に欠けています。
それを改善すべく努力するかと思いきや
>>2675
>私の心の中では矛盾はないですよ
>>2678
>それで構いません
こうなると、最初から正解を導き出す努力を放棄し、自己矛盾にも気づかない、もしくは、
矛盾がないことの説明もできない、あくまで自己完結・自己満足ですよね?
已む無しさんはご自身を「未論理」と過大評価なさっているが、あなたは「非論理的」です。
未論理的はいずれ論理化される可能性があることを意味しますが、非論理的はどうやっても
論理化されることはありません。
>>2681
>準備万端整えてお持て成しを考えていらっしゃる方のお宅にお邪魔する場合
>こちらもそれ相応の準備をしてから訪問するのが礼儀かと思われます
ここは私の家ではありませんが、他の方々の事を少しでも考えるなら、本当に相応の準備を
してからいらしてください。
2690
:
Ken
:2010/04/30(金) 13:31:40
まあ要するに自分と同じ意見の人が善人で、自分と異なる意見の人、自分を批判する人を「悪意のある偽善者」と呼んでいるだけですね。むなしくないのかw
日本全体で考えると9割が死刑存置派で1割が廃止派だから、日本は善人であふれかえっていることになります。やったね!なおかつ世論調査を重ねるごとに死刑廃止派は減ってますから、悪人がどんどん少なくなっていくという、なんたる慶事。
世界に目を向けると、死刑を熱心に支持しているテキサスとか中国は善人が多そう。逆に死刑を廃した欧州は偽善者ばっかですね!
まあ、愉快な考え方だといえなくもないw
2691
:
Ken
:2010/04/30(金) 14:02:24
アルバート・アインスタインという偉大な物理学者がいますけど、物理学に対する多大な貢献とは裏腹に家庭生活ではお世辞にも人格者とは呼べないことはあまり知られてないんですけど、彼の最初の奥さんと息子達は冷淡に扱われて、彼の名声にもあずかれず悲惨な運命を辿ってますね。それで
「アルバート・アインスタインは自分を一生懸命支えた妻や精神を患った息子を見捨てて新しい女に走るようなろくでなしだから、相対性理論も間違っているはずだ」
というような主張があったとして、まあ本人や関係者に何らかのダメージを与えた気にはなれるかもしれないですけど、物理学的には全く意味のない主張ですね。家庭を大事にするかどうかとその人が提唱する理論が妥当かどうかはなんら関係ないんで。
それで、テクニカルにはこういうのを「人身攻撃」といいます。論証における誤謬の一種ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E6%94%BB%E6%92%83
人身攻撃は議論にはなんら資することがなく、むしろ無用に話を混乱させるだけなので避けたほうがいいです。英語の掲示板だと「そりゃAd hominumだ(人身攻撃のラテン語)」の一言で済まされちゃうようなことですね。
ただまあ、議論するつもりがないんだったら人身攻撃もありでしょうね。ここではそもそも議論しなきゃならんというルールがあるわけでもないですし。
2692
:
已む無し
:2010/04/30(金) 22:30:38
話がだいぶ飛躍しているようですねw
アインシュタインがロクデナシだったから相対性理論が云々・・・・
そもそも、何を議論しているのか、からくらいは外れないで欲しいですね
ここでいう悪人とは当然、死刑廃止することによって、殺人をする敷居を下げようと画策するものですね
アインシュタインを例に取るならば、彼が、相対性理論を、自らの私利私欲による悪事に利用しようとしていた場合
この理論は悪に基づいて唱えられたものだと定義できますが、そうではないでしょうね
まぁ、ロクデナシと悪人はそもそも同義ではないでしょうがw
広い範囲で悪人を定義するならば、「殺人はしないが窃盗や詐欺はお手の物」 なんていう者も当然中にはいるでしょうし
そういう人にとっては、死刑制度の存廃は関係ないのかもしれません
ですがたとえそういう人であっても、窃盗や詐欺の発覚を恐れ、口封じをしなければいけないと判断するような事態も想定できるので
視野を広くすれば、間接的には死刑制度によって、ある程度の制限がかかるとも言えます
あとですね、私は別に、死刑制度に反対しない人が、すべて善人だなどとは一言も言っていないはずですがね?
どこからそうとれたのでしょうね?
>>2615
でも申し上げたとおり
>中には、更に残虐な死刑にしろとか、公開処刑にしろとかのたまうどうしようもないチンピラ存置派もいるようですが
死刑存置派にも、危険な思想をもっている人間はいると思っていますよ
が、こと殺人という犯罪に焦点を絞った場合に於いては
死刑制度容認する人間と、死刑廃止を訴える人間では、どちらの言うことに注意を払わなくてはいけないかは自明だと考えています
2693
:
紫煙狼
:2010/04/30(金) 23:09:12
>>2692
>どちらの言うことに注意を払わなくてはいけないか
どちらにも、です。どちらかに偏重して注意を払うこと自体が
冷静な判断や客観的な評価とはかけ離れたものであり、
真実を見極める目を曇らせるものです。
2694
:
已む無し
:2010/04/30(金) 23:11:23
よもや、なぜ悪人だという定義を殺人者に限定するのか!?
などという的外れな質問をしようとは考えてはいないですよね?
もちろん、たとえば中国において死刑存廃の議論をしているのだとしたら
麻薬密売組織なども、死刑制度を直接的に邪魔だと思う
中国の死刑制度にとって「悪人」と定義づけされた者達でしょうね
2695
:
已む無し
:2010/04/30(金) 23:20:58
日本に於いて死刑制度が適用される基準は、他の死刑存置国と比較しても
物凄く狭く限定されていることも忘れないで頂きたいです
故意に、罪もない人を、私利私欲において、計画的に、若しくは残虐に、若しくは2人以上、殺害した場合
ですよ
過失で10人の命を奪った人間にも死刑は適用されません
故意に1人の命を私利私欲において奪っても、残虐でなければ死刑は適用されません
となれば、死刑制度廃止の影響を受けるのはどういう人間なのか・・・・
議論はこれを踏まえて行なうべきです
2696
:
已む無し
:2010/05/01(土) 00:26:51
>>2674
>思いつきと勢いで文章を作成するのは勝手ですが
これにはお詫びをしておかなくてはいけないでしょうかねw
まさにその通り!
ここに文章を書き込むときに、いままで下書きをしたことなど一度も無かったですねw
まぁ、原稿用紙で10枚にも20枚にもなるような論文ならともかく
話にして1分ちょっとの内容で、いちいち下書きをするようなことも無いなと思っていましたので・・・・
でもこれからは、少しだけでも下書きしてみようかなと思いますね
2697
:
已む無し
:2010/05/01(土) 00:51:56
>>2693
>どちらにも、です。
存置論者の意見に悪意があるかどうかは、廃止論者が見極めて頂ければいいのではないでしょうか?
同じ意見を持つもの同士よりも、相対する者から見たほうが、より相手のことが分かるのではないかと思います
どなたかが、自分たちのことを、『審判』 などと称していましたが、それは少し傲慢かなと
どれほど論理的であろうとも、人が人である限り、そこには個人の主観が多少なりとも含まれるものだと思いますよ
まぁ、そうやって判断して頂いた結果、私には悪意があると認定されてしまったようですが、それは仕方が無いですね
2698
:
無精髭
:2010/05/01(土) 01:50:11
>2692>2694-2697
一日置いたレスがそれですか。。。orz
相変わらず誤読がチラホラと。。。
已む無しさぁ〜ん。もっと時間をかけて、他人様のレスを熟読し、問題について熟考し、文章を練り上げて下さいよお。
そんでもって人の倍以上は書き溜めてから投稿してくださいよお。
ちゃんと議論する気があるのなら、以上の条件を満たすまでは
投稿しない方がいいと思いますよ、老婆心からご忠告するけど。
>アインシュタインがロクデナシだったから相対性理論が云々・・・・
>そもそも、何を議論しているのか、からくらいは外れないで欲しいですね
えっと、何を議論していましたっけ?
ところで、已む無しさんが絶対に勘違いしていること。
誤読とか曲解とか言うのは、誤って、あるいは故意に、相手の意図を読み違えるということではないのですよ?
いずれにせよ、規則どおりに理解しないことを誤読とか曲解とか言うのですよ?
何度も何度も言いますが、文面よりも書き手の心理に重きを置いて議論しているのは、ここでは已む無しさん一人ですよ?
そういう議論に真面目に付き合ってくれる人はだーれもいませんよ?
そーいうのを誰も議論とは呼ばないと、わざわざアインスタインの例を出してKenさんは仰っているわけで、
それに対する已む無しさんの言―――「話がだいぶ飛躍しているようですねw」とは、こりゃまたなんと
頓珍漢なレスだこと。傲岸無知(厚顔無恥)きわまりないです。はたから見てて恥ずかしいったらありゃしない。
>ここでいう悪人とは当然、死刑廃止することによって、殺人をする敷居を下げようと画策するものですね
ま・た・そ・れ・で・す・か・い・!・? いつまでもそんなことにこだわってると、Kenさんにまた絡まれるよ?
ん、まー、しかしながら、世の中にはそういう死刑廃止派ももしかしたらほんのちょっといるかも知れませんけど、
少なくともここには已む無しさんの仰る「悪人」は一人もおりません。ここに「悪人」が紛れ込んでいるかも知れない
とお疑いで、それを確かめるためだけにこれまで長々とやり取りをしていたと仰るのであれば、こちらの住人としては、
もうこれ以上は付き合いきれないといった気分でしょうね。
ただ、已む無しさんが仰るような死刑廃止派が実在するかどうか、またそれを議論上で確かめることができるかどうかを
どーしても議論したい!! と仰るのであれば、冗談半分で付き合ってあげなくもないです(ただし、他のお三方も
お付き合い頂けるという条件付きで)。
>あとですね、私は別に、死刑制度に反対しない人が、すべて善人だなどとは一言も言っていないはずですがね?(下略)
死刑に賛成する人が善人だとかそういった問題ではなくて、已む無しさんは、Kenさん曰く「自分と同じ意見の人が善人で、
自分と異なる意見の人、自分を批判する人を「悪意のある偽善者」と呼んでいる」んですよね?
つまり、已む無しさんのように死刑に賛成する(「死刑は已む無し」と考えている)人は善人に違いないと仰るわけですよね
(已む無しさん本人は議論(腹の探り合い?)においてさしずめ「善意ある偽悪者」だということになりましょうか)。
2699
:
無精髭
:2010/05/01(土) 01:51:16
>死刑存置派にも、危険な思想をもっている人間はいると思っていますよ
無実の人に罪を被せようとする人間に取っちゃ、死刑が廃止されないほうが何かと好都合でしょうなぁw
>が、こと殺人という犯罪に焦点を絞った場合に於いては(下略)
何百遍でも言いますけど、死刑冤罪については考えなくてもいいんですか?
>よもや、なぜ悪人だという定義を殺人者に限定するのか!?
>などという的外れな質問をしようとは考えてはいないですよね?
それ以前に、已む無しさんの問題設定自体が死刑存廃議論において的外れであること甚だしい。
前に紹介してくださった2chの死刑スレでしか通用しませんよ、そんなもん。あちらはあちらで
ネタで盛り上がっているところがありますからねぇ。已む無しさんのような正義漢で、かつ単純な
お方ほど、あちらの自称廃止派の言説を真に受けちゃうんでしょうなぁ。
>議論はこれを踏まえて行なうべきです
だーかーらーあ。はじめから「死刑の犯罪抑止力について議論したい」とはっきり仰っていれば、
ここまで議論がこじれずに済んだのに(苦笑)。というわけで、>2695は何が言いたいのか分からないので、却下(笑)。
>まぁ、そうやって判断して頂いた結果、私には悪意があると認定されてしまったようですが、それは仕方が無いですね
悪意じゃなくて悪行を認定したんです。でも、本音を言うと、已む無しさんに限らず、死刑存置・廃止の両派における
個々人の真意など、ここの人たちにはどーでもいいことなんですよ。議論する上では何の関係もないから。
もしかして已む無しさんは議論で直接世直しをしようと考えていらっしゃるの? でもそれは紫煙狼さんが仰る「数の暴力論」
を振りかざすことに他ならないんですよ。議論はあくまで具体的な政策のための前段階にすぎないのだと思いますね。
何度も言うようですが、>2694-2695のテーマで議論したいのであれば、
>>2682-2689
までの書き込みを
なかったことにせずに、ちゃんと正々堂々真正面から受け止めて、その一つ一つにレスを返してください。
それができないのであれば、どんなに議論のテーマ・方向性が明確になったところで、どうせまた已む無しさんのせいで
議論にならなくなるに決まってます。今のところ、私は已む無しさんとちゃんとした議論をする気はありませんので。
もちろん、已む無しさんが勝手に議論だと思い込んでいる「値切り合戦」も辞退させてもらいます。ただ端っこで野次を
飛ばすだけにします。
私と違い、他の方はお優しいから、心の底から反省すれば相手をして下さるかもよ? 俺には無理だけどネ。
2700
:
ufloat
:2010/05/01(土) 02:09:53
徒労感ばかり漂う今日この頃。
>>2692
Kenさんは「主張者の人格を理由に論を否定するのは議論の体をなしていない」
と言っているのであって、悪意がどうとか言っているのではありません。
何をどうすればこのような読み方ができるのか・・・。
>>2688-2689
それでは私も、妄想を爆発させてみましょうかな。
実は私、已む無しさんには最初から悪意など全くなく、「不公平ジャッジ」とか「化けの皮」
などという発想もご本人の中には全然ないのではないかと、最近考えております。
いわば「無悪意で無邪気な子どもの恐ろしさ」と似たような部分を感じるのです。
そして、已む無しさんに悪意はないと仮定するならば、まず
>突っ込みどころが見当たらない
これはおそらく、判断力不足により本気でそう判断されたのでしょう。
さてその後、Kenさんが提示された資料にお得意の誤読を用い、議論を大混乱させる
わけですが、それへの指摘も本人にとっては言いがかりに見えたことでしょう。
なぜなら已む無しさんの目には、あの資料に「死刑廃止による再犯増」が見えたはずですから。
已む無しさんの曲解能力をもってすれば、その程度はたやすいはずです。
>が、誰の目から見ても、少数派の彼らが不誠実に見えた(中略)探ろうとするはずです
こう見えるのも同じ理屈ですね。本当に「誰の目から見ても」おかしいのが誰かはともかく。
そして、
>「数の暴力論」のスタンスのおき方に対し苦言を呈したことを
>>2497
で謝罪
これはおそらく、数々の反論に激昂・混乱し、「敵の敵を擁護する」姿勢を見せることで
廃止派を一刺ししてやろうと後先考えずに書き込んだところ、矛盾が出てきたのでしょう。
本当にguestさんをダシにしていたなら、不誠実極まりない、悪意に満ちた行動ですから、
激昂した上でとっさに書いた、と解釈する方が妥当かと。
ちなみに、似たような一刺しは
>>2667
でも行おうとしているようですね。
ただこの場合、議論の要点は「人の生死にかかわる事柄を、得体の知れぬモノにゆだねるのは是か」
というものですから、これでチクリとやったつもりなら、的外れもはなはだしいですが。
これに関する是非は死刑存廃の立場とは何の関係もなく、反論を提示してきた紫煙狼さんが
たまたま廃止論者だったというだけなのですがねえ。
2701
:
ufloat
:2010/05/01(土) 02:11:16
その後、雑談スレッドで
「相手の真意を確認するため、自分は線を引かなかった」
と称し、それから一時期はまともに議論に応じようとするかに見えましたが、仮に本気で
「議論するぞという姿勢をとり、相手には誠実に議論に応じさせておいて、自分は
高みの見物を決め込んで人格の品定め」などのような行為を取っていたのなら、
不誠実もここに極まれり、すさまじい悪意があったと断じざるを得ません。
ただ、私は真相は違うのではないかと考えています。すなわち、
「投手は本気で直球を投げようとしたのだが、結果は世にもまれな大暴投であった。
投手はここで「今のは打者の様子を見るため、わざとボール球を投げたのだ。次は直球を投げる」
と言い訳をした。しかし、次の球も・・・(後は
>>2654
以降の議論参照)」
というのが正しいのではないかと。その証拠に、「線を引く前」と「引き始めた後」で
已む無しさんの言い分にはほとんど変化がありません。
それと、紫煙狼さんが指摘されている矛盾については、私の
>>2612
に対して
>>2615
にて
返答をいただきましたが(さりげなく
>>2693
にもかかわってきますが)、
>「覚悟」 「責任」 などでしょうか
>通りすがりさんや、guestさんなどの存置派は、死刑推進ではなく、死刑は止むを得ないなんですよね
>中には、更に残虐な死刑にしろとか、公開処刑にしろとかのたまうどうしようもないチンピラ存置派もいるようですが
というわけで、guestさんのような数の暴力的な主張で死刑を正当化したとしても、
公開処刑とか言い出すようなごく一部の存置派でない限り、存置派はほぼ自動的に
「覚悟」「責任」を持った論者であるとみなされてしまうようです。
これもおそらく、悪意による不正ジャッジではなく、ご自身の中では正当な行為なのでしょう。
さて、上記の通りであるならば、已む無しさんには悪意はなかったということになります。
それで、已む無しさんがおっしゃる
>善意でものをすすめていけば、結果の一進一退はあるものの、全体として善の方向に向かっていくでしょう
これ、確かに必ずしも正しいとはいえないものの、間違っているとも言い切れないと、私は考えています。
十分な見識のある人物が、善意に基づいて物事を進めていけば、確かにたまには
失敗することもあるはずですが、状況は改善していくはずです。
まれに見識が正反対に作用し、泥沼にはまり込むこともあるかもしれませんが。
さて、それでは已む無しさんに見識はあるのか。はっきり言ってしまいますが、
見識がどうとか言う以前に、「善悪を判断する能力がない」と指摘せざるを得ません。
紫煙狼さんが
>いや、あなたには「問題がないと明らかに」する能力が決定的に欠けています。
とおっしゃっているのと大体同じ結論ですね。
見識ある者が悪意なく物事に取り組んだ場合、改善に向かう可能性が高いのは確かですが、
善悪の判断がつかない者が悪意なく物事に取り組んで何が起こるかは、ご想像のままに。
あと、そんな已む無しさんに親身になってアドバイスをするならば、
「第三者の目を入れよ」の一言。
おそらく已む無しさんには悪意がなくて、ご自分がものすごい曲解と飛躍を
なさっていることに気づいておられないようですし、私たちがいくら口を酸っぱくして
指摘をしたとしても聞き入れる気がないようですから、ここは第三者を交えてみてください。
公平に判断ができて、その人の指摘なら素直に聞き入れられる、という人を選ぶのが良いですね。
とりあえず、ご自分の正体を伏せた上で、議論参加後からの全文を読んでもらってください。
きっと「誰の目から見ても」おかしいのが誰であるか、私たちと已む無しさんの
言い分や解釈のどちらが正当で、どちらが破綻しているのか、はっきりするはずです。
それが分かった後は、何もあわてて無理に議論に参加しようとする必要はありません
(むしろ、某匿名掲示板でもない限り、今のままではどこで議論してもこれの二の舞です)。
短期間では変われずとも、少しずつ改善し、それから議論に参加しても遅くはないでしょう。
2702
:
已む無し
:2010/05/01(土) 02:15:13
何か・・・・勘違いをなされているようですね
私は、何もあなたと個人的にお話しをしているわけではありませんよ
不特定多数の方が見る、死刑制度について一言という掲示板に個人的な意見を書き込みしているだけです
そしてそれはアナタ方にとっても同じことなのではないですか?
自分のことを審判と言ったり、少し、自分達のことを特別視しすぎなのでは?
もちろんアナタが掲示板の管理人であって、その管理人の質問をスルーする人は書きこみを許されないとするならば
それはそれでアリなのでしょうがね
私の書き込みについて、全員が総て答えているわけではないのに
アナタの質問には私は総て答える責任があるというのも酷い話です
というこのレスも、別にスルーしても構わなかったといえば構わなかったのですが
あなたの質問に対して私がスルーする姿が不誠実かどうか、悪意があるかどうかは、ここをみている不特定多数の方が判断すればいいことだと思います
それに、スルーはしてないですがねw
悪人の定義について延々と的外れなことを述べているから
>>2692
で
>ここでいう悪人とは当然、死刑廃止することによって、殺人をする敷居を下げようと画策するものですね
と、述べたのですがね・・・・
しまいには、『論理的でなかったら悪人』
ですからね・・・・
これにいちいち細かくレスすることもないと思いましたので、ざっと流しました
前にも言いましたよね?、いちいち的外れな指摘をするのは何故ですか?と
そのときアナタは相手の力量を測るためだと言いました
それが分かった以上、別にこちらからはこれ以上そういったレスに対して
『的外れ』な返しをする必要もなかろうかと考えるわけです
時間の無駄ですからね
2703
:
已む無し
:2010/05/01(土) 02:35:29
>>2699
いちおうレス指定しておきますね
>何度も言うようですが、>2694-2695のテーマで議論したいのであれば
あなたがそのテーマで議論をしたくないというのであれば、それはそれで構わないですよ
ただ、第3者がその書きこみを見たとき、どう判断するのかは分かりませんがね
更に付け加えると、
>>2694
を「テーマ」という時点でおかしいですけどね・・・・
これは単なる、他国の例ですし
更に更に付け加えるなら、
>>2695
も、別にテーマでも何でもないですよね
これは単なる日本の死刑制度の現状です
それを、「議論に取り上げて欲しいならこちらの言うことを聞け」 ともとれる発言・・・・
勘違いでなくて何なのかと
2704
:
無精髭
:2010/05/01(土) 02:47:31
プッ
どうやら已む無しさんは私と議論する気がないようですね。
いな、議論したくても議論の仕方が分からないのでしょう。
それでいて、いっちょまえに私は議論ができるんだーとか
勘違いされているわけですね。
あとは、死刑についてお一人で珍妙奇天烈な妄想をご披露
するなり、現実から逃避するなり、ご自由にドウゾ。
boroさんのおかげで、ここは已む無しさんのような御仁に
とっては楽園みたいなところでしょうから。
シェンさんやユーさんやKenさんも、もっと早くから已む無しさんが
議論のできない人だと分かっていれば、あんなに厳しいことは
言わなかったと思いますよ(笑)。
ではでは、今後ともお互いスルースキルを磨いていきましょうね♪
2705
:
ufloat
:2010/05/01(土) 03:40:08
>>2697
>どなたかが、自分たちのことを、『審判』 などと称していましたが、それは少し傲慢かなと
>>2702
>自分のことを審判と言ったり、少し、自分達のことを特別視しすぎなのでは?
そんなこと言っている人がいるのですか。ひどい話です。しかし、私が見る限りでは
そのようなことを言った人はいなかったはずですが、勘違いですかな。
最近物忘れがひどいので、忘れているだけでしょうか。
とりあえず議論が開始した
>>2654
から、已む無しさんが
>>2697
で
「どなたかが、自分たちのことを、『審判』 などと称していましたが」
と初めて指摘されたところまで、「審判」で全文検索をかけてみますか。
結果、4件の一致。いずれも紫煙狼さんの記事ですね。
>>2688
(3件の一致)
私の推測では、已む無しさんは最初から「死刑廃止論者」や「死刑反対論者」だけをターゲットに
疑いをかけており、死刑賛成論者や死刑存置論者のハラをさぐる意図はない、という事ではないで
しょうか?言い方を変えるなら、死刑賛成論者や死刑存置論者を疑うことはなく、あくまで自分に
相反する意見の持ち主だけ「疑い」の対象とする、という事ですよね?これは非常にアンフェアな
審判であるという事に気づきませんでしょうか?サッカーの審判が片方のチームだけ「反則をする
のではないか」と目を光らせ、もう片方のチームには「いや、大丈夫」とばかり注意を払わないと
すれば、審判資格を剥奪されかねない暴挙であると思います。
>>2689
(1件の一致)
では、どこまで行けば已む無しさんが死刑廃止論者・死刑反対論者に対して、死刑賛成論者や
死刑存置論者に対するのと同じ程度の信頼を払うようになるのか…。言い方を変えるなら、
どこまで行けば已む無しさんは不公平な審判を諦めるのか。2010/01/27から1シーズン、300以上の
レスを経てなお疑いの目は晴れぬようです。
ふむふむ。
「已む無しさんは廃止論者の行動にのみ目を光らせていて、存置論者の行動はスルー。
已む無しさんの審判は不公平でおかしいのではないか」
というご指摘ですか。
確かに紫煙狼さん、「審判」とかおっしゃっていますね。
なるほど、納得納得。
最近物忘れがひどくていけません。年は取りたくないモノですねえ。
・・・あれ?
>どなたかが、自分たちのことを、『審判』 などと称していましたが、それは少し傲慢かなと
>自分のことを審判と言ったり、少し、自分達のことを特別視しすぎなのでは?
!?
誰が、いつ、どこで、そんなことを?
>ただ、第3者がその書きこみを見たとき、どう判断するのかは分かりませんがね
第三者はこれをどう判断すると思います?
2706
:
主婦A@休暇はパラダイス
:2010/05/01(土) 18:40:39
何か・・・・(自分自身の力量を)勘違いをなされているようですね
誰の目から見ても已む無しさんは不誠実に見えるので、私はその真意の裏を探ろうと
思います
これが世の常です
何かがあるのでは・・・・?と勘ぐって見ましたら、已む無しさんは悪意を根底に死
刑存置を
主張しようとしている偽善者で、論理的思考力も読解力も表現力も客観性も持ってい
ない無能者
だとわかりました
私には『已む無しさんが卑劣漢なのでは!?』 ということが、理屈抜きにして『わ
かる』のです
それを後から、世の中に証明する方法を模索していくのです
>>2382
>「私の考えは間違っている可能性があるぞ」と自分に言い聞かせ、考えの見直しを
繰り返して
やっていないことを、やっているかのように扱うのはいかがなものでしょうか?
実際にやっていないのですから
ご本人が違うと仰っても、これはまぁ、ただただ、私というちっぽけな一個人の主観
を述べさせて
頂いたに過ぎませんでも私の心の中では矛盾はないですよ
繊細なことなので説明するのにも
時間がかかりすぎるしなかなか自覚させるのは難しいですよね
もう一度繰り返しますこれが私の考え方であって、これが間違いであるとお思いなら
ばそれで仕方が
無いですしそんなのはただの主観だと思われるのでも結構です
私自身の、已む無しさんに対するただの感想に過ぎないです
だが、これだけは、已む無しさんには知っていて頂きたい
貴方のように基本的な日本語文法も理解していない人は発言しないほうが良いと思い
ます
已む無しさん以外の人が貴方の発言をみたら、誤解では済まされないと思いますから
この掲示板を見る不特定多数の人間にとっては、それはとても繊細で敏感な問題だと
思いますよ
(近々戻ってきますけど)では、これで本当のさようならです
駄文、失礼いたしました
2707
:
已む無し
:2010/05/01(土) 21:14:12
>>2706
>何か・・・・(自分自身の力量を)勘違いをなされているようですね
分かり易く、括弧で追記ありがとうございます
が、それと、私が使った勘違いという意味は少し違いますね
(自分自身の権限を)というような意味ですね
以前にも、いかにも自分達に従わないこと=ここの管理人さんに従わないこと
のように仰っていましたからね
あとですね、単に、私自身の個人的な意見を申し上げているだけなのに、力量もクソも無いと思いますがね?
そう思うほどに鼻にもかけないようなレスであるならば、普通にスルーして頂ければいいのでは?
私は何も、私の書き込みに対して意見を強要しているわけでもないですから
意見して欲しかったらコレに答えろ!等の考えは私にはありませんよ
自分たちのことを審判と称している との私の書き込みにも突っ込みが入りましたね
部分的にレスを抽出すると、審判=私 となっていますね
審判 という単語は使っていませんが、自分達は特別な存在だと匂わすようなレスはところどころでみられていましたしね
通りすがりさんを交えて
ダブハン棄てハンについて疑いがかかったときも、そのような発言がみられましたよね
まぁ、ここらへんは私にとってはスルー対象になりつつありますがね
2708
:
已む無し
:2010/05/01(土) 21:55:52
下書きしろと言われたので、少しだけ下書きした意見を書き込んでみますね
死刑存置派は、死刑制度には抑止力があると主張する
死刑廃止派は、死刑制度には抑止力は無いと主張する
抑止力があることは(明確には)証明されていないし、無いことも証明されていないのが現状である
そこで
抑止力を証明する方策をひとつ提案する(同時に、抑止力が無いことが証明される可能性もある)
これは、2ちゃんねる掲示板において、死刑廃止論者を名乗る者から実際に出た案であるし
このスレッドでもいくつか似たような案がでてきていた(ここではスルーされていたが)
そしてこれは、死刑制度廃止するにあたっての第一歩とも云えると思います
具体的には
本人が死刑制度に反対する旨、司法に申請登録し
死刑制度反対意思表示カードを発行してもらう
(ドナーカードみたいなもの)
そして公に誰の目からもそれが確認できるようにする
そのカードを持つものが殺害された場合には、遺族がどう主張しようとも、死刑が適用されることは無いものとする
現状で死刑存置国(州)と廃止国(州)の治安を比べても、そもそもの民度も文化も生活圏も違うので比較対象にはなりにくいが
これだと、同じ国の同じ生活圏のなかに、死刑存置状態と廃止状態が同居することになる
この状態で、何十年か統計を取る
これにより、如実に死刑反対派(カード所持者)が殺害される人数 ※ が多くなった場合には、カードは廃止、死刑の抑止力は証明される(そもそもカード申請者が減っていくだろうが)
また、カード所持する者よりも所持しない者(死刑に賛同する者)が殺害される人数 ※ が多いという結果になれば、死刑制度廃止に向けての大きな根拠となりえるし
どちらも変わらない場合には、少しずつでも、カード所持者(死刑廃止派)が増えていくことにも繋がるだろうから
このまま進めば死刑制度廃止に向かっていく可能性が高まるのではないかとも思える
※廃止派:存置派を同比率で計算する。つまり、総数で廃止派10人存置派100人だった場合、廃止派1人の殺害数は、存置派10人分の殺害数と同じとして比較する
2709
:
無精髭
:2010/05/01(土) 22:37:20
病むさん! いいぞもっとやれw
>※廃止派:存置派を同比率で計算する。(下略)
( ゚д゚)ポカーン
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