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死刑制度についてひと言お願いします

2620無精髭:2010/02/20(土) 02:15:32
>>2574>>2594
>そこで、死刑囚にもこれら教育を施すことを古紙回収に喩えて、再生紙にして燃やすのは無意味であると結論したうえで、(下略)

シェンさんってここまでの論旨は前と変わらないんですよね。それはそれで良いことだと思います。

それはさておき、臓器移植刑が新たな死刑執行方法として採用されて、結果的に廃熱利用がきちんと
なされたとしても、絞首刑の場合と同様、更正・矯正教育は無駄にならざるを得ないと思います。
と言うのも、死刑囚当人の心の問題と、命を無駄に奪ってはならないという道徳的(功利的?)な
問題は交錯し得ないんじゃないかと私には思われるのですね。たとえ死刑囚が罪を悔い改めて、
自らの死を、市民が望むがままに選び取ったとしても、罪を悔い改めたという重要な心的事実が
死刑によって失われてしまうのです。また、たとえ臓器移植刑が社会にとって有益な刑罰であり、
死刑囚にとっても他の執行方法と比べればその価値が飲み込みやすいものだとしても、たった
これだけの道理を教えることを更正・矯正教育だとは呼べないでしょう。無論シェンさんの構想
では、更正・矯正教育の全課程を死刑囚が修了しなければ臓器移植刑はいっかな執行されない
決まりになっているのですよね?

つまるところ死刑囚が自ら進んで臓器移植刑を受けようとするのでなければ、教育の甲斐がない
わけです。他方で、死刑囚に対して臓器移植刑による死を受け入れるよう仕向けることが、
はたして更正・矯正教育と呼ぶにふさわしいのかどうかがあやしいです。最初は死を望んで
いなかった死刑囚が、教育を受けるうちにいつの間にか自らの死を以て罪を償うしかないと
考えるようになったとすれば、これは心理的誘導ではないかという批判も起こりそうですね。

でも、死刑囚に何らかの教育を施すべきだという声が根強いのは、言い換えれば、死刑囚が
反省することに何がしかの価値を見出す人が絶えないのは、Kenさんの仰るように死刑囚に
対して「死んでお詫びする」ことを強要する心理傾向というか文化背景が日本にはあるから
ではないでしょうかね。補足させていただくなら、人はもはや不可避であるがゆえに受け入れ
ざるを得ない己の死を目前にしたとき、真に心の底から生まれ変わるのだという考えがこの国
の社会には浸透しているのでしょう。死こそ最大の教育効果をもたらす事態・きっかけなので
ある、と。言い換えれば、人は死に臨むことがなければ存在を揺るがすほどの改心を自分から
生み出すことができないのだ、というある種の決定論が常識化しているとも言えます。己の存在
が根本から変わることが改心・更正であるなら、死以外の出来事は当の存在そのものを変質
することができないことを踏まえて、最大の改心・更正は死刑によってしかもたらされない
という結論が導かれたとしても不思議はありません。

しかし、シェンさんが指摘しているように、死は教育効果そのものを無にしてしまいます。
つまり、死刑は最大の教育効果を生む可能性を有すると同時に、それが実現したかどうかも
分からぬうちにその対象ごと消し去ってしまうわけです。この点において、死刑は非常に
重たいパラドクスを抱えているとも言えますね。

おまけ。私が常々贔屓(?)しているブログですよお。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50436712.html


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