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死刑制度についてひと言お願いします
2632
:
無精髭
:2010/02/22(月) 11:27:23
>>カントの義務論?(下略)
臓器移植やカントに関してはいい論文がありました。
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/bioethics/organ_procurement_survey.pdf
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/clone4.html
http://rose.hucc.hokudai.ac.jp/~q16628/articles/kant-bio.htm
義務論と功利主義の対立と言う論点でシェンさんの立場を分析しちゃうと、廃熱利用と
「命を押頂く」姿勢は似ているようで違うってことになっちゃう気がしないでもないです。
たとえば
>2574(上略)「死刑囚から臓器を取り出せば少なくとも一人の命が救われる」という
>明快なメリットのほうが死刑に賛成する論拠としては「線が強い」のではないか、という話ですね。
この主張って、あきらかに義務論的ではないでしょ? ただ、これは行為功利主義ではなく
(義務論に近いらしい)規則功利主義と言うにふさわしいのかも知れません。紙資源リサイクル
とか廃熱利用は功利主義的ですが、命を打ち捨ててはならないという定言命法が前提にあるなら、
確かに何となく分かった気にならなくもないです。
では、Kenさんがこだわるようにトロッコ問題から出発して死刑問題を捉え返すことができたとして、
確かにそのコンテクストだとシェンさんは臓器移植そのものを善と捉えていなければならないと
思いますけど、はたして臓器提供そのものは善と捉えていらっしゃるのでしょうかねぇ。
臓器移植よりも前の段階である臓器提供の仕方に関して、どのような善悪の観点から
区別を設ければよいということに言及されていらっしゃらないから何ともいえませんけど、
おそらくその区別を取っ払うまでは徹底されていらっしゃらないと思いますがね。
自分の臓器を提供するのはいいとしても、それを理由に自身の臓器への扱いと同様の仕方で
他者の臓器を扱ってもよいということにはならないでしょう。臓器提供そのものが善とされる
ならば、自他の区別なく臓器を等価に扱わなければならなくなるにもかかわらず、です。
また、死刑囚が死刑反対派・死刑廃止派だった場合はどうなるのかなぁと。だからこそ、
死刑囚に対しては対抗的に教育を施す必要があるのではないかと思うんですけどね。
教育でなく説得と言った方がいいかも知れませんけど。(私自身はこういった教育観に
賛同する者ではありませんが。)
だいたい、移植の上で価値ある身体部品は有効活用できても、死刑囚の脳髄やその他の
身体は無駄になるんですよねぇ。割合から見れば、価値ありとして再利用される身体部品
よりも無用として打ち捨てられる身体部品のほうが多いのではないでしょうか。とくに
脳髄や精巣を再利用するにはどうすればいいのか、という考察が必要ですね。死刑囚の
身体を再利用するのなら、身体がその本来の機能を維持できるよう再利用すべきであって、
それを無視した用途は倫理的に悪だという気がします。
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