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死刑制度についてひと言お願いします

2644紫煙狼:2010/02/26(金) 22:24:43
不適切な表現を覚悟の上で言うなら、ヒトも牛も豚も鶏も、死んだらただの肉塊ですよ。
死した者への畏敬の念は大切なものですから、それを貶めるような行為は慎むべきです。
「人体の不思議展」自体は決して悪いことではないと思いますが、それを面白半分で
「見世物を見るような気持ち」で見物に行くのは良くないと思います。しかし「死者の
生前の意志を頑なに守ること=畏敬の念」ではないと考えますので、遺体の一部を他者の
生命維持のために利用することが死者の生前の意志に一部反するものであったとしても、
それを以って「死者への冒涜」と結論付けるのはいかがなものか、と思いますね。

「遺体解剖」を拒む風潮が昔からありますよね。ただでさえ死んで辛かったろうに、
なぜ死してなお切り刻まれなければ…という風潮。確かに悪戯に無目的に遺体を切り刻むなら、
それは死者への冒涜に違いないと思いますが、明確でかつ社会福祉に利する目的を持って
遺体を丁重に解剖するのであれば、私はそれを冒涜とは考えられないのです。もう少し
キツイ言い方をするのであれば、公共の福祉はセンチメンタリズムに優先すると考えます。

従って、トロッコ問題を蒸し返せば、五人を助けるために一人を犠牲にすると言う
公共の福祉より「それは俺にはできねぇ」と自分のセンチメンタリズムを優先する私は、
公共の福祉より自分のセンチメンタリズムを優先したと言う罪で弾劾されても、それを
受け入れなければならない。裁かれ罰を受けるとすれば、それに甘んじなければならないと
覚悟して敢えて自分の感傷を優先し「何もしない」という答えを私は出すのです。そして
同時に、五人を助けるために一人を犠牲にするという方法を取った者、自分とは違う結論を
出した者に対しても私は何ら非難するべき立場にはありえないという道理も弁えなければ
ならないのです。感情を優先すると言うのはそういうことなのです。

これは遺体解剖や臓器提供に関しても同様に言える事で、自分や家族の遺体が解剖され、
あるいは臓器が提供の用に摘出されるとしても、これに異を唱えるのであれば何らかの
非難・制裁・場合によって罰を受くることすら覚悟しなければならない。それはあたかも
家族を凶悪犯に殺された時に、その凶悪犯に法に則らない私的制裁を加えるのであれば、
それが罪に問われ罰を受くる事をも覚悟しなければならないようにね。

ただ、何度も言うけど「そこまで臓器牧場には拘らないし説得は端から諦めてますよ。」


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