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「愛国心」について

1しろ:2003/07/02(水) 13:11
新参でいきなりのスレ立て、平にご容赦ください。
皆さんの書き込みを拝見し、かねてからの疑問を投げてみようと思った
次第です。他スレでの議論に参加したいのは山々なのですが、何分にも
軍事・国防関係にまるで疎いもので・・・。

さて、投げかけたい議題は「愛国心」というものについてです。
詳細は追って補足いたしますが、趣旨としては、
「戦後教育における”愛国心”の欠損が、個人のアイデンティティ確立に
多大な影響を与えているのではいか?」という疑問です。

2しろ:2003/07/02(水) 13:25
何方かも買いておられましたが、
ちょうど20年程前になりますか。
私は、義務教育における左翼傾倒がもっとも強かった時代の教育を受けて
育ちました。たとえば。。。

内閣総理大臣任命を天皇から受領する場面のビデオを見ながら、
「日本という国は、こんなバカゲタ事を未だにやっている国だってことを、
皆さん覚えておいてクダサイネッ!」とか言ってたり、

授業中にいきなり教師が、
「さだまさしは”防人の唄”を歌っているから国粋主義者ダ!」
とか言い出したり。。。

義務教育を通して私が感じたことは、
「俺はなんと罪深い国に生まれたのだ、なんとハズカシイ国に生まれたのだ。」
ということだけであったのです。。。

3イカフライ:2003/07/02(水) 14:40
 しろさん、はじめまして.

 20年前というと、ちょうど80年代ですね。以前、柏葉さんも当時の教育に付いては書かれていましたが。
 その当時は、そういった傾向があったのでしょうかね。
 私の年令ではちょうどその頃が空白です。
 
 「愛国心」ってなんでしょうね。
 例えば、自分の出身地っていうのは、そこでよほどにイヤな思い出でもあって、思い出したくも無いということでもない限り、まあ、殆どの人は
「兎追いしかの山、忘れがたきふるさと」
 なわけですし、そういった自然発生的なものが、本来の愛国心のはずですが。
 日本という国は、確かに愛国心というのもがどこか歪んでいますよね。
 それは、やはり、愛国心というものが、戦争中に
「お国の為に死ね」
 みたいな形に歪められてしまったからでしょうか?
 本来、国って言うのは国民ひとりひとりが主役のはずなのですが、どうも、日本語で
「愛国心」
というと、国というものの為に国民が犠牲になるようなイメ−ジがあります。

 いわゆる左の人は、この戦争中の「天皇陛下バンザ−イ」と特攻する愛国心を批判し、右の人はそれを美化し賞賛する。
 それぞれの陣営からは「いや、そんな単純ではない」という反論はきそうですが、どうも、そう見えて仕方ない。
 どっちも「今の日本」を見ていない。

 日本って、なんなんでしょうか?

4しろ:2003/07/02(水) 15:09
> いわゆる左の人は、この戦争中の「天皇陛下バンザ−イ」と特攻する愛国心を批判し、右の人はそれを美化し賞賛する。

そう、まさに言いたい点はそこにあります。
で、私たちの年代が受けてきた教育は、さきほと「愛国心の欠損」と書きましたが、
むしろ「嫌国心の植え付け」ではなかったのかと、このように思っています。

「愛国心」というキーワードから右翼、特攻、軍国主義、これらを連想しがち
なのは、私とて同じなのですが、何といいましょうか、個人の中での「日本人である」
という属性を肯定するにしろしないにしろ、その属性を測る尺度というものを、
何と呼べばよいのか?戦中の忌まわしい記憶とともに、その尺度をも葬りさって
しまったのではないかと。「愛国」という言葉とともに。

何を書いているのかわからなくなりました。

5武蔵:2003/07/02(水) 15:41
しろさん、はじめまして。
「愛国心」と言えば、黒字に日の丸の街宣車を思い浮かべる不幸は確かにあります。
しかし、受けた教育は人それぞれ違うのではないでしょうか?
君が代の歌詞が先の天皇の臨終に際しての挽歌であるということも知らずに
卒業を祝う席で歌わされてきた人もいますしね(^^;

嫌国心を植え付けられたなんて、お気の毒ですな。
私は旧日本軍のさまざまな悪行を知っても、いまだに嫌国心なんてものは持ったことがありませんね。
自分という人間には、謝りも恥ずかしいこともあり、時には自己嫌悪に陥りもしますが
総じて自分を大事にも愛しくも感じる私としては、嫌国心に陥ってしまうあなたを気の毒にとしか言いようがないです。

国を愛するなら、過去に恥かしい行いをしたとしても、それをきちんと自己批判して
新しい国を、恥じることのない国にしていく・・・そういう生き方は個人にも国にも
共通するものではないかと思います。
また、個人を見るとき「我が、我が」では大人として社会生活が営めないように
「我が国」というものも、客観的国際的視野でとらえていかなばならないと思うのです。

イカフライさんが言われるようの、故郷を愛するような自然な気持ちで
国を愛するという意味の「愛国心」があります。
それは誰に強要されるものでもなく、また、誰にも脱ぎ捨てさせられるものでもないと思います。

6しろ:2003/07/02(水) 16:26
ど、どうもはじめまして。

>しかし、受けた教育は人それぞれ違うのではないでしょうか?
そうですね。しかも、同じ教育を受けても、それと吸収する側にも個人差が
あると思います。

>嫌国心を植え付けられたなんて、お気の毒ですな。
・・・(笑
幸いなことに、書物や人物との「ラッキーな」出会いによって、
個人的にはなんとかその、「日本人であるということの認識」
らしきものを確立しておりますので、私はシアワセだと思います。
ただ、そういったラッキーな出会いが無い方は確実に居るでしょうし、
その人たちにとっては、未だに「嫌国心」が根強く息づいている
のではないか?と、これが投稿の根底にある懸念です。

>「我が国」というものも、客観的国際的視野でとらえていかなばならないと思うのです。
そうですね。それこそが、戦前の愛国教育に欠落していた観点であり、
今後望まれる国際意識の枢軸であるべきと思います。

7イカフライ:2003/07/02(水) 17:39
>>4

愛国=右翼
反戦=左翼
 というのも、すごくヘンな分け方ですよね。でも、なぜか、日本ではこれがまかりとおちゃってるきらいがある。

 ネットで極端に右寄り、つ-よりはなんでも「サヨク」にしちゃう人っていうのも、この「嫌国心の植え付け」に対する反動の人もいるのでしょうかしら、なんて思うのですが。

 私は過去の反省は絶対に必要だと思います、そういう点でも、大東亜戦争において行われた旧日本軍の行為に、目をそむけて臭いものにフタしてはいけない、と思います。
 けれど、反面、あの戦争を日本だけが悪かった、とするのも、違う気がします。

 また、戦後の日本というものを、評価してもいいと思ってるんですよ。
 前、これ書いたらヤスツさんに、民族主義的、と言われましたが、私は高度成長期に産まれた世代ですから。
 新幹線に黒部の太陽に霞ヶ関ビルですよ、これをあなた、つい20年かそこら前まで国中焼け野からだった国が成し得たんです。
 それってすごいと思いませんか?
 勿論、高度成長にはいろいろなひずみもありました。公害や労働争議もそうだし、父親不在に受験地獄に、etc。
 けれど、それらの問題を、完全にとはいわないまでもひとつひとつクリアしてきた、それも、日本ではないでしょうか?
 
 アメリカの庇護の元、という意見もあるでしょう。けれど、日本を発展させたのは日本人であってアメリカじゃない。
 半世紀以上に渡って平和を守り、焦土を世界に轟く経済大国(まあ、今は不況だけどさあ(^^ゞ)に押し上げた日本というのを愛し誇る、という考えは、あまり右翼サイドからも聞いた事ないです。
 どうも、戦前崇拝ばっかりしたがるようで。
  結局、右も左も日本が嫌いなんかなあ。

 あたりまえの日本人としての「日本」が、どっか空っぽなのかも知れませんね。

8武蔵:2003/07/02(水) 18:08
>>6

>その人たちにとっては、未だに「嫌国心」が根強く息づいている
のではないか?と、これが投稿の根底にある懸念です。

私は「嫌国心」を持つ人って、言論人を含めて知りませんねえ。
来し方の反省・批判を目にしますが、それは必要なことでもあります。
嫌いな国なら逃げ出す努力をするでしょうが、踏みとどまって
「よき国」にしていくために、必要な批判・反省なのですから。

9武蔵:2003/07/02(水) 18:13
>>7

>けれど、反面、あの戦争を日本だけが悪かった、とするのも、違う気がします。
>半世紀以上に渡って平和を守り、焦土を世界に轟く経済大国(まあ、今は不況だけどさあ(^^ゞ)に押し上げた日本というのを愛し誇る、

両方とも、日本だけが・・・・の視野からは捉えられないですね。
国際社会の中の日本ですね。
今後の国際社会の中で、どのような道を歩んでいくのか、
戦前に学び、戦後に学び、よりよい道を選択していきたいものですね。

10しろ:2003/07/02(水) 18:37
>私は「嫌国心」を持つ人って、言論人を含めて知りませんねえ。

外国人コンプレックス、といったものも「嫌国心」が根底にあるのでは
なかろうかと推察します。私の周りには数人いました。

あと、嫌国的な感情なり論理を露にしなくても、ロジック化されないままの
漠然とした感情として持ってる方は多いのではないかと。
根拠の無い推察ですが。。。

11みけねこナナ:2003/07/02(水) 19:11
)戦後教育による愛国心の欠損が、個人のアイデンティティ確立に多大な影響を与えているのではないか?

はい、その通りです。
アイデンティティの形成は(a)自己の認識(b)他者の承認、が合致した時に揺るぎなく成り立ちます。
個人が生まれ育った国を愛しても(a)戦後の教育は(b)を否定しますので、自我は不安定に成ります。

子供はお父さんの事が好き(a)なのに、お母さんがお父さんの悪口(b)ばかり子供に聞かせたらどうなりますか?
子供はどうして良いか判らなくなりますよね。

猫さんは"天上天下唯我独尊”"我思う故に我有り゛ですから『他者の承認』なんてヘッチャラですから、私のコトはわたしで決めますけどね。

12イカフライ:2003/07/02(水) 19:13
>>10
>あと、嫌国的な感情なり論理を露にしなくても、ロジック化されないままの
>漠然とした感情として持ってる方は多いのではないかと。
>根拠の無い推察ですが。。。



「嫌国心」というと、言葉としては強いので、あまりピンとこないですが。
「愛国心」という言葉を使う時に、なんとなく感じるためらい、がそうかもしれません。
 またまた、漫画の話で恐縮ですが(^^ゞ
「ベルサイユのバラ」でオスカル様の最後のセリフが
「フランス、万歳」なんですよね。
 これ読んだ時、なんとなく違和感みたいなものを感じた事、覚えています。(小学校の6年生でした)


 武蔵さんは、いかがでしょうか? そういう風に感じた事ってありませんか?

13みけねこナナ:2003/07/02(水) 19:36
)愛国=右翼、反戦=左翼
反戦で日本が好きで、陛下を敬愛している私は何者ですか?(笑)

人は精神的な不安定を解消する為に"自己認識を認めてくれるモノ”にすがりつく
傾向がありますから、右傾化が進むのも当然ですね、反動主義は恐いですよ。

14みけねこナナ:2003/07/02(水) 19:44
>>11補足
"愛国心の欠損”ではなく"嫌国心”の植え付けが影響を与えてますよね。

15イカフライ:2003/07/02(水) 19:53
>>13

>反戦で日本が好きで、陛下を敬愛している私は何者ですか?(笑)

日本人だと思います。右でも左でもないただの日本人だと。

16武蔵:2003/07/02(水) 22:41
>>12

>「嫌国心」というと、言葉としては強いので、あまりピンとこないですが。


「嫌」でなければ「愛」?
個人でもそうですよ。「愛しています」なんて、そうやたらと言うものではないし、
人生たった一人愛する人がいても、その人に「愛しています」なんて「のべつまくなく」言いまくりはしません。

>武蔵さんは、いかがでしょうか? そういう風に感じた事ってありませんか?

常に感じていますよ。(笑)
「愛国」は胡散臭い、って。
例えば韓国の「ナラサラン」っての、別に言わされてるのではなく本気だと思うけど
そんなこと唱えなくっても、もっと自然な感情があるはずなのに、と思うね。

17○○番長:2003/07/03(木) 00:19
皆様初めまして。しろ管理人のサイトで遊んでいます○○番長でございます。
盟友(?)のしろが参戦したと聞き及び、不肖○○番長も遅ればせながら参加致します。今後とも宜しゅうに。

>>5
武蔵はん初めまして。横レス失礼します(謝
君が代の歌詞が先代天皇の挽歌と書いてはりましたが、それは元々挽歌としてこの歌が詠まれていたとゆうことなんでしょうか?それとも昭和天皇ときは葬送歌として歌われただけなんやろうか?
僕の知る範囲では、新古今和歌集にある『わがきみは…』とゆう歌が元ネタで、祝いの席なんかで歌われてきたらしいんですが。あんまりええソースおませんわ。
http://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/kimigayo.html
昭和天皇の挽歌として歌われたとゆうのは僕も知りませんでしたが、歌詞に弔いの意味を読み取れませんし、むしろ祝いの歌と解釈するのが素人目には自然に写ります。


>国を愛するなら、過去に恥かしい行いをしたとしても、
>それをきちんと自己批判して新しい国を、恥じることの
>ない国にしていく・・・
>そういう生き方は個人にも国にも共通するものではないかと思います。

こうゆうケジメのつけかた、またそれを何らかの徳目と見る考え方に、僕はいささか違和感を覚えます。
まず自己批判といっても、自分のことを一体どれだけ正確に把握し、批判の対象にし得るのか?と懐疑的です。人間とゆうものは、批判して自らの利益になる所しか俎上に乗せないのではないでしょうか?本当に言い訳の仕様のない悪事に関しては口を噤むものだと思います。また自己批判は必ずしも苦痛を伴うものではなく、道義的ヒロイズムが好きな手合いにはむしろ快感といえるかも知れません。
次に武蔵はんのゆわはる身の処し方が、個々の人間にはそれなりの正当性を持つとしても、国家に対しても妥当だとは思えません。対外的に国家が詫びるとゆうことは、何か悪事を働いたと受けとられます。悪事を働いた限りはそれなりの賠償をせねばならないでしょう。莫大な金を要することも有るし、政治・軍事的に制約を受けることにもなりかねません。それはあまりに危険な火遊びやと思います。

初登場でいきなり突っかかってすんまへん。ただ疑問はきちんと相手にぶつけることは、相互理解の仕方としてベストであると自分の経験上感じますので、こうゆう反論調となってしまいました。

反論・批判をこそ歓迎いたします。

18武蔵:2003/07/03(木) 01:08
>>17

>歌詞に弔いの意味を読み取れませんし、むしろ祝いの歌と解釈するのが素人目には自然に写ります。

万葉集巻2に
天の原 ふりさけみれば 大君の 御寿は長く 天足らしたり
という歌があります。
「天皇が危篤のとき、皇后が奉る」と題詞があります。

1.「君が代」はその挽歌に似た組み立てになっています。
2.万葉集では、「巖」の語は、死と墓場を意味している。
3.「さざれいしの 巌となりて苔のむすまで」は、挽歌のテーマである死と再生(転生)が歌いこまれている。
4.「我君は」の歌の本歌である「妹が名は」の歌は、水死した乙女のための鎮魂歌である。
5.『梁塵秘抄』は「君が代」を「塵も積もれば山となる」の諺と結びつけ、霊魂が蓬莱山に積もる、死後の世界ととらえている。

4.の「妹が名は」の歌は
和銅4年歳次辛亥 河辺宮人 姫島の松原にをとめの屍を見て悲しび嘆きて作る歌2首
妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松が末に 苔生すまでに(228)
難波潟 潮干なありそね 沈みにし 妹が光儀を 見まく苦しも(229)
434・435・436・437の歌も同様の挽歌です。ご自分で見てくださいね。

苔の下、草葉の陰などは死者の墓、霊魂が安らかにという心で歌われます。

19武蔵:2003/07/03(木) 01:39
>>17

>こうゆうケジメのつけかた、またそれを何らかの徳目と見る考え方に、僕はいささか違和感を覚えます。

「徳目」?嫌ですね、私も。
「徳目」ではなく、未来を作る当たり前思考ですよ。

>対外的に国家が詫びるとゆうことは、何か悪事を働いたと受けとられます。悪事を働いた限りはそれなりの賠償をせねばならないでしょう。莫大な金を要することも有るし、政治・軍事的に制約を受けることにもなりかねません。それはあまりに危険な火遊びやと思います。

交通事故を起こしたら何が何でも初めに怒鳴れ、なんて言う人いますね。
誤った方が負けやって。
これってヤクザの手法ですよね。
やみくもに謝ることも後難をまねくでしょうが、
恥知らずに怒鳴ることで、相手(特に被害者)の感情を害してしまったら
まとまる話もまとまりません。
保険会社は、賠償交渉は冷静な第三者である保険会社同士でやりますが
とりあえず、見舞いには行って下さいと言います。
相手に被害を与えた上に開き直るヤクザ国家になってしまっては、誇りはもてません。

20武蔵:2003/07/03(木) 01:40
誤った方が負けやって。→謝った方が負けやって。

21イカフライ:2003/07/03(木) 09:11
>>16

>常に感じていますよ。(笑)
>「愛国」は胡散臭い、って。

 これは、私の説明不足でした。
 誰もが「ベルバラ」を読んでいる、と思ってはいけませんね(^^ゞ
 オスカル様は革命に殉じます。それこそ祖国の為に。
 勿論、歴史の上ではその後フランス革命はドロドロの内ゲバ状態になって、ナポレオンが皇帝になって、と、いろいろあるのですが。
 つまり、なんというのかなあ、フランス人なら、とまでは言いませんが、オスカル様なら、祖国の為に死すことが(いくら漫画の上のドラマツルギ−とはいえ)己の崇高な意志であると同時に祖国の未来の為になるのに、なんでそれを日本人である自分に置き換えてみると
「違和感」になってしまうのだろうか?と。

 武蔵さんが感じる「愛国は胡散臭い」、これはそれほど特殊な感覚ではないと思います。
というより、日本においては、ワリと一般的と言うのかなあ、むしろ「愛国」なんていうほうが、街宣車乗ってる人思い浮かべる、みたいな。
でも、それって、世界から見ると日本の特殊事情ではないでしょうか。
しろさんが言われているのも、そのあたりだと思うのですが。

22武蔵:2003/07/03(木) 09:37
>>21

>誰もが「ベルバラ」を読んでいる、と思ってはいけませんね(^^ゞ

「ベルバラ」くらい読んでますって(苦笑)大抵の人は。
そしてあなたのいう意味も理解していますって(普通の読解力で)
だからこそ、日本の「愛国心」ではなく、韓国の「ナラサラン」の方を出してるって
気がつきませんか?

日常的に「アイラブユー」を言い続けなければ、愛を証明できないとばかりに
「ジュブゼーメ」「ジュテイム」と言い続ける・・・・か
「以心伝心」を重んじる。
実質的な愛の分量なんか計れないです。
言葉巧みなセールスに不信感を持つのも自然な感覚です。

もし日本の特殊事情だとして
それを、欠点と見る必要があるでしょうか?
もっと自分の文化に自信をもっていいんじゃあないかな?

23しろ:2003/07/03(木) 09:37
>>番長
>人間とゆうものは、批判して自らの利益になる所しか俎上に乗せないのではないでしょうか?

言わんとしていることはよくわかるのだけれど、
このスレ的には、
>恥じることのない国にしていく・・・
という個人が持つ「国家的視点・価値観」がありや否や?という問題なので、
それが神の視点に合致するかどうか?は、一先ず考えなくてもいいと思うのだけれど。

24ぼーん:2003/07/03(木) 10:04
>>21
「愛国」という言葉を使って、いろいろな、違うものについて語られています。

西尾幹ニの言う「愛国」と、小林よしのりあたりが言う「愛国」は違う。

左翼の言う主張は「愛国」という言葉では語られませんが、時代と場所によっては「愛国」という
言葉で語られうるものでした。

それらは全部違うものです。
日本における「愛国」の位置づけが特殊事情なのだとしたら、
ベルバラのフランスにおける「愛国」の位置づけも、多分、特殊事情です。

オスカルの「愛国」と、従軍慰安婦問題や南京大虐殺を否定してみせる連中の「愛国」とは、
似ても似つかないものです。ネオコンやブッシュの言う「愛国」と、マイケル・ムーアの言う
「愛国」が違うように。

「愛国」というラベルが貼られている、という共通項で見るのではなく、
そのラベルの中身の違いについて考える方が、議論として実りがあるように思えます。

25しろ:2003/07/03(木) 11:30
>「愛国」というラベルが貼られている、という共通項で見るのではなく、
そうですね。
言葉というものには一概に言えることなのかもしれませんが、
特に「心」という無形で、しかも比較の難しいものを扱う以上、
個人個人の差異、という認識は必須ですね。

自分の告白としてですが、
「愛国心」という言葉を、なにやら特定の思想系列を指すもの
のように錯覚しがちなのではないかと思います。
本来、イカフライ氏と武蔵氏が仰っているように、
「羞恥心」「自尊心」そして「愛国心」といった具合に、「心」のパーツ
の一つとして捉えるべき、という前提に立ちたいと思います。

26しろ:2003/07/03(木) 11:51
で、冒頭の記述をすこし訂正して、
「戦後教育における”嫌国心”の植え付けが、個人のアイデンティティ確立に
多大な影響を与えているのではいか?」

という疑問を持っているワケですが、
お断りしなければならないのは、疑問の根拠としては非常に弱いものです。

「政治への無関心」
「(特に壮年世代の)無気力」
「モラル崩壊」
「鬱病の増加傾向」

これらの社会現象の背景として、
「嫌国教育による愛国心の否定」があるのではないかと、
こんな推察をしているのです。

#書いていて背中が痒くなるのはナゼでしょうか・・・?

27武蔵:2003/07/03(木) 12:28
>>26

>これらの社会現象の背景として、
「嫌国教育による愛国心の否定」があるのではないかと、
こんな推察をしているのです。

私の推察とは違うとしか言いようがありませんが・・・・
あなたの言われる「嫌国教育」がどの位行なわれたのか?
よく「日教組」の教育を、そのような修飾語で言われることが多いが、
日教組の綱領を見ても、自国を嫌わせるようなものは見当たらない。

「緑の山河」という日教組の歌をご存知かな?

緑の山河
(作詞=原泰子 作曲=小杉誠治)

(1)
戦争(たたかい)越えて たちあがる
みどりの山河 雲霽(は)れて
いまよみがえる 民族の
わかり血潮に たぎるもの
自由の翼 空を往く
世紀の朝に 栄あれ

(2)
歴史の門出 あたらしく
いばらのあゆみ つづくとも
今むすばれた 同胞(はらから)の
かたい誓に ひるがえる
平和の旗の 指すところ
ああこの道に 光あれ


こんな歌も、日教組の愛唱歌です。
われら愛す
(作詞=芳賀秀次郎 作曲=西崎嘉太郎 編曲=山田耕筰)

(1)
 われら愛す
 胸せまる あつきおもいに
 この国を われら愛す
 しらぬ火筑紫のうみべ
 みずかかる信濃のやまべ
 われら愛す 涙あふれて
 この国の空の青さよ
 この国の水の青さよ


「我ら愛す 〜〜〜〜この国を われら愛す」
日教組は愛国組織です(笑)

私はむしろ、戦後ずっと今に至るまで続いてきた自民党政権の責任が重いと思いますね。
「政治への無関心」←―政治の変革が望めない
「(特に壮年世代の)無気力」←労働が正当に評価されない。
「モラル崩壊」←―腐敗政治。
「鬱病の増加傾向」←―管理体制の強化

28○○番長:2003/07/03(木) 15:34
>>19
ご教授深謝。
挽歌としての起源を持ち、また詠まれ得るとゆうのはよく分りました。巨石信仰(用語に自信無し)になぞらえて『石の巌をとなりて…』と詠んだものとばかり…。もう少し勉強してきます。
ただ当初の意味・用法を離れ、広く受け継がれ親しまれるものは他に多くの例が有り、君が代もそうゆうものの一つやと思います。それ故私見ですが、祝賀の席で君が代を歌うことが、場にそぐわぬことでもないと考えます。
これは愛国心スレの趣旨とはややずれますね(汗


>国を愛するなら、過去に恥かしい行いをしたとしても、
>それをきちんと自己批判して新しい国を、恥じることの
>ない国にしていく・・・
>そういう生き方は個人にも国にも共通するものではないかと思います。

>「徳目」ではなく、未来を作る当たり前思考ですよ。

『恥』とゆう言葉で語る以上、やはり倫理的・道徳的な思考を国家に当てはめておられるように思います。
もし次は失敗しないための過去検証であるなら、恥とゆう観念は不要で、コスト-ベネフィットなどの観点から考えればエエだけの話です。
そしてここが一番武蔵はんとの相違点やと思うのですが、国家の振る舞いに個人間の倫理・道徳を当てはめるべきではないと僕は思います。国家は国家に対して『被害を与えた上に開き直るヤクザ』でもエエし、過去国家とゆうものはそうであったと記憶します。


自分にとっての愛国心とは?を披瀝せず、武蔵はんへの反論ばかりになってしまいました。その点については後ほどまた。
現在仕事の合間をぬってカキコしとります。
ほなさいなら。

29武蔵:2003/07/03(木) 16:57
>>28

>ただ当初の意味・用法を離れ、広く受け継がれ親しまれるものは他に多くの例が有り、君が代もそうゆうものの一つやと思います。それ故私見ですが、祝賀の席で君が代を歌うことが、場にそぐわぬことでもないと考えます。

いや、確かにいろんな考えがあっていいんですよ。
卒業は出発の時、再生の時と言うことを考えれば、道教的なよみがえるを祈る挽歌がそぐわしい
と思う人がいてもいいんですよ。
しかし、挽歌では嫌だと思う人がいてもいいではありませんか?
別の気持ちがあるのに強制されると、そこには反発も起きます。
「君が代」も「愛国」も強制されることによっていびつになると言いたいのです。

「恥ずかしい」という言葉を「恥」と捉えられるとニュアンスは変わりますが
まあいいでしょう。しかし、

>国家は国家に対して『被害を与えた上に開き直るヤクザ』でもエエし、過去国家とゆうものはそうであったと記憶します。

過去の国家概念がそうであったとしても、
今後、そのままでいいとは思わないですね。
ヤクザ国家に誇りは持ちにくいです、私はね。人それぞれでしょうが・・・・

30○○番長:2003/07/05(土) 01:31
武蔵はん&皆様、毎度おおきに。

>>29

>しかし、挽歌では嫌だと思う人がいてもいいではありませんか?
>別の気持ちがあるのに強制されると、そこには反発も起きます。
>「君が代」も「愛国」も強制されることによっていびつになると言いたいのです。

教育の場において、自己選択と義務・強制との兼ね合いを考えるのは極めて重要やと思います。算数が嫌だから学ばなくて良いとゆう事にはなりませんし、全員が野球部員になるべきとゆうのも同じです。では国歌に関してはどうか?過去の慣習や他国の制度が参考になることでしょう。
日本では、大東亜戦敗戦までの間、学校の式典では国旗掲揚・国歌斉唱が行われていたようです。個人の判断は色々あるでしょうが、僕らに近い先輩方が学校教育の場で国歌を歌ってきたのは事実として重要だと考えます。
諸外国の状況については文部科学省のページにこんなソースがありました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm
国歌が法制化されている国は多く、むしろ日本は諸外国の後を追いかけているようです。ただ学校の式典で斉唱されている国は少なく、歌われているのは韓国や中国など近隣諸国くらいです。近代国家としてのスタートが遅れた国は、国民の団結を急ピッチで進めるべく、学校教育の場で国歌や国旗をことさらに強調せざるをえなかったものと僕は考えています。
無理をしてでも国民を糾合せざるを得なかった日本の歴史を思うと、悲しみにも似た感情が湧いてきます。
学校教育の場で『君が代』を歌うべきか?と問われたら、僕はそうすべきと答えます。①敗戦前にはそうしていたこと②明治以前にも親しまれてきた歌であること③急造した『国民意識』『愛国心』の記念碑、つまり日本の歴史の象徴であること④国民としての意識を高める必要性は今も昔も変わっていないとゆうこと、などの理由からです。
ただファナティックな愛国心を警戒するのは僕も武蔵はんも同じでしょうから、その点は注意が必要であることは言うまでもありません。むしろ『いびつ』な愛国心をはびこらせない為にも、普段に国歌と親しむべきではないでしょうか?


>過去の国家概念がそうであったとしても、
>今後、そのままでいいとは思わないですね。
>ヤクザ国家に誇りは持ちにくいです、私はね。人それぞれでしょうが・・・・

もし他国がある程度道義に適った振る舞いをする国ばかりなら、『ヤクザ国家』になる必要はないでしょう。ですが残念ながら事態はその逆です。自国の利益の為なら何をしても構わぬとゆう夜盗のような国が跳梁跋扈しています。アメリカしかり、北朝鮮しかり、中国しかり・・・。
道義より以前に、生き残るべく『ヤクザ国家』たらざるを得ないわけです。もちろんそれはエエことではありません。でも危険を顧みず率先して道義を示す名誉を得るより、一番最後に銃を置く安全な道を選びたい。それが不名誉だとしてもです。少なくとも僕の生物としての本能はそう告げます。

さて本題の愛国心についてですが、印象でゆえば諦念と運命愛みたいなもんでしょうか?僕の愛国心とはそういった類のものです。もし『誇り』とゆう感情が湧くとしたら、他国に批判されたときやアイデンティティが揺らいだ時の、心理的カウンターバランスとしてでしょう。
詳細はまた今度。批判反論歓迎致します。


>>1
しろちゃん、本題を曲げてしまってすまんなぁ。


ほなさいなら。

31渡辺慶太郎:2003/07/05(土) 08:01

私は愛国心というのは「自分の先祖を仰ぎ見るような感覚」「自分の先祖に
 誇りを持てる」ことだと思っています。自分の先祖のことを、けちょんけちょん
 に教えられた場合と、畏敬・尊敬をもてるように教えられた場合の心持ち
 というのは心に与える影響というのは非常に大きいように思います。戦後の
 日本の歴史教育は前者をやってきました。その証拠に学校で歴史を習って
 自分自身のアイデンテイテイに関わってくるようなことはありませんでした。
 歴史で大事なことは、どう自分自身のアイデンテイテイーに関わってきて
 自分の生き方に影響を与えるからです。なぜ幕末の志士たちが日本の歴史を
 学んだか?なぜ頼山陽を学んだか?この正常な感覚を持たせない日本の歴史
 教育は遺憾の極み、残念の極みです。

32武蔵:2003/07/05(土) 09:07
>>31

歴史を修正して、
事実を美化して教えられた国民が、
他国へ行ってはじめてその間違いに気づかされたときに
全てのアイデンティティーががたがたと崩れる不幸を考えませんか?
虐殺数を値切ったくらいで回復するとは思いませんが・・・・

33武蔵:2003/07/05(土) 09:57
>>32

国をあげての粉飾決済で痛い目にあうのは国民だから・・・・

自分の先祖を仰ぎ見るのが愛国なのかな?
自分の祖先も等身大で見られる方が親しみが湧くけどね。

まあ、東洋では祖先は祖神で・・・・神社に祀って参拝してきたんだけれどね・・・
だから神の国・神の子孫・・・・これが誇りになるのかも?
ただね、他人の祖先を、祖神として押し付けられた人たちのことを思うとね。
自分たちの祖神が大切なら、よその人にとってのアイデンティティーも大事にしなくっちゃあね。
それを踏みにじられた記憶は、深く長いものです。

日本の神社に檀君を祀らせられたらどうだろうね?

自分が大事なように、相手にとっては相手が大事なんだということを踏まえない愛国心は
自分を滅ぼす思想にもなってしまうよ。

34しろ:2003/07/05(土) 10:30
>自分が大事なように、相手にとっては相手が大事なんだということを踏まえない愛国心は
>自分を滅ぼす思想にもなってしまうよ。

どうもです。
今気づいたのですが、ここで語られている愛国心に2種類あります。

1)自国を愛するあまり、他国を平気で犠牲にする。
2)自国を愛するからこそ、他国を尊重できる。

両者の本質的な違いってなんなのでしょうか?
もう少し考えてみたいです。

35渡辺慶太郎:2003/07/05(土) 11:56

私が言っているのは、そのような偏狭な愛国心ではありません。自分の生まれた
 ふるさと、先祖、まわりのひとたちそういうものに対する愛情です。したがって
 このような愛情は世界各国共通のものです。世界共通だからこそこの愛国心は
 尊いのです。自分の国だけをよしとするのは愛国心じゃありません。
 我々が学ばなければならないのはなぜ、愛国心がああいった形で戦争に利用され
 たのか?なぜ軍部に独走を許したのか?戦後の日本はここを明確にしていません。
 だからこそ戦争を学ぶことイコール軍国主義といった誤った論理が通ることに
 なりました。現在の経済不況も軍事のことを学ばず国際関係の激動・流動そこか
 ら何がもたらされるかということに明確な認識がもてない。ここが最大の欠陥で
 す。

36ぼーん:2003/07/05(土) 13:45
>>35
> 「自分の先祖を仰ぎ見るような感覚」「自分の先祖に誇りを持てる」

司馬遼太郎などの伝える志士像をひとまず鵜呑みにする限りにおいての話ですが。

坂本竜馬があれほどの思想を示しえたのは、自分の郷里に対する正常な批判精神です。
彼は郷里を愛しつつも、決して「愛国」者ではなかったですね。
土佐を愛しつつも、土佐藩を愛してはいませんでした。
300年超におよぶ階級社会という「伝統」への批判と反発です。
土佐出身の多くの志士を動かしたのもそれだと読めます。
他方、陸奥陽之助なんかには、愛郷心があるのかどうか、定かではないですね。
「竜馬がゆく」に出てくる彼の姿は、もっと大きなものへの帰属感にあると思います。
薩摩や長州は少々事情が変わってはいますが、
結果的に幕藩体制の崩壊をもたらす方向へ動いた人たちは、
決して単純な「愛国」者ではなかったと思います。

ここでたとえるならば、当時における幕藩体制とは、現在の主権国家システムとパラレルだと見ることができます。
「地球市民」「世界市民」と言えば、「そんなものどこにいるんだ」と笑い飛ばすのが昨今のナショナリストの間に流行
している態度ですが、われわれの先祖がしてきたことは、まさにそういうことだったのです。
当時、「日本人」なんて概念はなかった。司馬遼太郎はそう述べていますね。なかったかどうかは知らないが、少なくとも、
一般的ではなかったわけです。現実に、人々は幕藩体制を前提とした思考しかできなかったわけです。

国旗・国歌に関連して言うならば、郷里への素朴な愛着と、そこに存在する政治体制への忠誠心はまったく別のものです。
それを意図的に混同し、ごっちゃにし、素朴な愛郷心を国家のために動員していくのがナショナリズムです。
そのような混同と混乱を生じせしめる回路を、教育システムの中に組み込んではなりません。
愛郷心は、その人が郷里の地域社会の中で守られつつ刺激されつつはぐくまれれば、自然に育ったり育たなかったりする
でしょう。それはその人に任せればよい。何か象徴しなければ(たとえば教育現場で国旗・国歌を前にみんなで何かする、
なんて行為)育たないものではないのです。

むしろ、そのように育っていくものに、ある固定化した方向性を与えようとするのが、愛郷心と愛国心の混同であり、
国旗・国歌法であり、学校教育現場での国旗・国歌強制だといえるでしょう。その必要などない、というのが僕の見解です。

さらに言えば、必要などない上に、害悪はあります。私たちは、自分の祖先を思い浮かべるときに、自分とは違う祖先を
思い浮かべている他者に思いをはせなければ、現在顕在化している多くの問題に取り組むことができない、ということです。
たとえば、沖縄や在日朝鮮人に関する(マジョリティ日本人の)問題。
マジョリティ日本人がうれしがって国旗掲揚、国歌斉唱をやっている中で、それを見て別の物を想起している人が忘れさら
れている、という批判は根強くあるものです。こうした人たちの「愛国」心を、わざわざ破壊しているのが国旗・国歌の強制
です。

そうしたことから、国旗・国歌の法制化は、とりわけその教育現場での強制は、なすべきではない。なかった。と思います。
今からでもかえるべきです。

37○○番長:2003/07/06(日) 20:59
毎度おおきに。

>>34 しろやん

>今気づいたのですが、ここで語られている愛国心に2種類あります。
>1)自国を愛するあまり、他国を平気で犠牲にする。
>2)自国を愛するからこそ、他国を尊重できる。

うーん、どうやろね?1)みたいな愛国心は語られてないと思うで。そう受け取る人がいるかどうかは別にして。愛国心と行動ってどれほどの因果関係があるんかね?戦場では勿論殺人行為が行われる訳やけども、その時個々の兵士が抱く感情って、とにかく目の前の敵を倒し、障害を排除するとゆうもの以外にはないと推測する。愛国心からとか残忍な人格の発露やのとゆうたって、それはどこまでも他者の視線やからね。
自国を自分に、他国を他人に置き換えれば、本質的に人間のあり方ってその通りなんかも知れんけど。そのエゴイスティックな感情を抑制しうる心のタガの由来を尋ねれば、結局共同体の安寧秩序維持以外に合理的な根拠を見出すのは難しい。そうゆう言わば必需品が昇華して絶対的な価値に変わる人間の心のあり様ってのに興味があり、僕は宗教に多大な関心があるのよ。
2)のような愛国心を持つに至るのは、ごく限られた人間だけやないのか?とゆう疑念がある。あまりにもキレイ過ぎるんや。自分のことを振り返ってみてそう思う。やっぱり自分が一番大事やし、同じぐらい大事な人間がおるとしたら、家族や親しい友人くらいのもんか。他人と自分ではやはり温度差がある。
でもそうゆうエゴ剥き出しの自分に、他人を大事に思えない自分に気づいたとき、愕然とする人間もおるやろ。そうゆうとき他人をふと見れば、やはり自分と同じやと気付く。その意味で人間は平等なんやな。エゴ剥き出しとゆう点で、人間ってみな同じやないかと。斯様な転回があって初めて『自分を愛するからこそ、他人を尊重できる。』って境地に達するんやと思う。国家でも個人でも同じやわ。
易々と『自分を愛するからこそ、他人を尊重できる。』と口にする手合いちゅうのは、自分のエゴが見えない分だけ、他人の悪意に鈍感なのに過ぎない。これも国家に当てはめられるわな。

38武蔵:2003/07/06(日) 22:36
>>37

>斯様な転回があって初めて『自分を愛するからこそ、他人を尊重できる。』って境地に達するんやと思う。国家でも個人でも同じやわ。

これ、エゴの観点からも言えるんですよ。
自分を愛するからこそ、自分は大事にされたい。
自分が大事にされるためには、相手を大事にしなければならない。
相手を踏みつけたら必ず仕返しをされますからね。

39○○番長:2003/07/06(日) 23:31
毎度。
>>38
>これ、エゴの観点からも言えるんですよ。
>自分を愛するからこそ、自分は大事にされたい。
>自分が大事にされるためには、相手を大事にしなければならない。
>相手を踏みつけたら必ず仕返しをされますからね。

その通りやと思います。ただ僕の書き方が拙いせいか、文意が伝わっていないように思います。僕の書いた『自分を愛するからこそ、他人を尊重できる。』と武蔵はんの言う『自分が大事にされるためには、相手を大事にしなければならない。』とでは大きな違いがある。武蔵はんのゆわはることは功利主義ではありませんか?自分が大事にされる為に他人も大事を扱うとすれば、何の事はない、うまい方法があれば他を蔑ろにして良いとゆう風に流れてもおかしくないではありませんか。いや現実はそうでしょう。自己の利益のためなら他人を犠牲にしても良いと、意識的・無意識的とを問わず振舞う輩がいる。僕もその手合いの一人でしょう。ただそうであればこそ、功利主義をもって他人を大事にすると称する訳にはいかないのです。
そう考えるのは観念的でしょうか?功利主義の所産であっても、夢想の平和より現実の平和が大事でしょうか?観念論に逃げ込むことで現実の悪を放置する怠惰な居直りやと、武蔵はん始め平和を現実的に構築しようとする人たちは考えるかもしれません。勿論僕にとっても現実の平和が一番大事です。徒に食を貪り、恙無く一日を終えることが僕にとっての平和ですわ。こうやってパチパチをキーボードを叩いて他所様の掲示板で駄文を書けるのも『現実の平和』あってこそですから。
もし『現実の平和』が大事やとゆわはるんやったら僕と同じです。他を出し抜いてでも僕と武蔵はんの平和を守りましょう。あるときは他人を大事にし、あるときは他人を虐げて。戦争のない状態を平和とするなら(自身この定義で使っています。管理人殿とは違う?)、核兵器も含めた他を圧倒する武力で己が国家を防衛するにしくはないと考えます。まさしく『ヤクザ国家』ですな。

武蔵はんは僕と立場を異にするはずですが、功利主義的に『自分が大事にされるためには、相手を大事にしなければならない。』と仰るなら、僕と同じ穴の狢になってしまう。もしボーン氏の書いた『α』の立場にたって平和を考えるなら、ここで言う功利主義とは相容れないと考えます。

40ぼーん:2003/07/06(日) 23:47
>>39
おっしゃってること、まさしくそのとおりです。
で、僕は功利主義には立たずにαの話をしてきました。

「他者を尊重しなかったら、自分が尊重されない」ではなく、
「他者を尊重しなかったら、「自分に対する尊重を要求する資格がない」」
ということをずっと言ってきましたので。

# 功利主義者に功利主義的でない原則を説くためには、結局その原則
  を否定する人は原則によって守られないことを使って叩く、つまり、その
  功利主義者の直面している利得マトリックスを直接書き換える、しか方
  法がないんですよね。だからこそ、わざわざ「面罵」するわけで。

  言い換えれば、功利主義者はテロリストを招く、ってことです。

41武蔵:2003/07/07(月) 00:20
>>39

>『自分を愛するからこそ、他人を尊重できる。』と武蔵はんの言う『自分が大事にされるためには、相手を大事にしなければならない。』とでは大きな違いがある。

聖書にいうような意味からいえば確かに違います。
愛されるために愛するのではなく、報いを求めず愛しなさいといわれるでしょう。
ただ、私がいうエゴと言うのは功利主義と言われてしまうと少し違うんですが・・・
つまり仕返しをされる心配がなければ、何をしてもいいという意味ではありません。
自分が尊重されたいんだから、相手も尊重されたい筈だ。
尊重しあえる関係でなければ、自分が尊重されることもありえない。
例え地位や、武力で表面的に尊重されているように見えても、本当の意味では尊重されてはいない。
自分が求めるように人にもしなさい。
聖書では報いを求めずですし、私はそこまでは言いませんが、
わたし自身も「報いを要求しながらやりなさい」ではありません。
そんないやらしいことでは、欲しい報いが来る筈もありません。

>他を出し抜いてでも僕と武蔵はんの平和を守りましょう。
>核兵器も含めた他を圧倒する武力で己が国家を防衛するにしくはないと考えます。まさしく『ヤクザ国家』ですな。

こういうことを言っているのではありません。
私が今まで言って来た事を読んでもらったら分かります。
自分さえ良ければいいという考えでは、相手が自分さえよければで自分に対して来ても
打つ手がない、ということなんです。

上手く説明できないけど、相手のエゴも自分のエゴと同じくらい大事にしなければいけない
そうでなければ、自分のエゴは守られない・・・・これって功利主義?
よく分からなくなりました。寝ながら考えます。

42みけねこナナ:2003/07/07(月) 00:57
ゴメンなさい、ちょっだけぽーんさんに質問です(ぺこり)

)僕は功利主義に立たずにアルファの話をしてきました。
人は本質よりもけ実存が先にあります。
つまり人はまず『存在』し、その後に個々に何かを選ぶと言えます。
つまり『アルファ』は貴方が選んだ主観的な価値観と言えます。
主観的な価値観は誰にでも適用される普遍的なものとは言えません。
それを皆に広めようと欲するのは個人のエゴでありエゴを追求する事
は功利主義はありませんか?

エゴのない人なんて本当にいるのでしょうか?

43○○番長:2003/07/07(月) 01:15
>>40
ぼーんはん、レスおおきに。
過去スレをあまり読まずに質問する無礼をお許しください。

http://mbl.myftp.biz/~uro/
ここで書いてはった…
>α すべての人に等しい価値があるとはみなす
ですが、いくつか分らない点があります。もしお暇でしたらレス頂けると幸甚です。また『これでも読んどけや!!』とゆう詳解ページがあれば、それでも結構です。

①理念の上ではとゆう限定付きでαを主張しはるのは『今はそうではないが、本来そうあるべきだ』とゆうことなんでしょうか?
②αとゆう理念、とゆうより自然な感情は僕のような者にも確かにありますが、それは何に由来するとお考えですか?
③αを認めないと議論の前提が成り立たない(間違ってたらすんません)とゆう趣旨のことを書いてはったように記憶していますが、だとすればそれは理念や自然な感情とゆうより、それらをベースにした共存の為のルールだと解しますがどうでしょう?
④自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団があるとします。現実にはこうゆう集団と共生しなければならない場面もあろうかと思いますが、彼らに対するぼーんはんの対応を教えて下さい。彼らに対しても当方のαを適応せねばならないとお考えですか?

質問厨ですが宜しくお願いします。
ほなさいなら。

44ぼーん:2003/07/07(月) 01:17
>>42
> エゴのない人なんて本当にいるのでしょうか?

知りません。
わかんないんじゃないですか?

少なくとも、僕は僕のエゴだからという理由でαを提示したわけじゃないし、相
手のエゴにかなうから、という理由で受け入れてもらおうとしたわけでもないで
す。

> つまり『アルファ』は貴方が選んだ主観的な価値観と言えます。
> 主観的な価値観は誰にでも適用される普遍的なものとは言えません。

僕はαを押し付けてはいないのです。(少なくとも、この言葉がしばしば使われ
るときの意味において、は。)

αを選ぶことの論理的帰結と、αを選ばないことの論理的帰結を示した上で、
相手に選ばせ、その選んだものに応じて僕の振舞い方を変えただけです。
αを選ぶ人は尊重し、そうでない人は尊重しない。それだけです。

で、「αを選ぶことの論理的帰結と、αを選ばないことの論理的帰結」は多分、
普遍的です。(違うならオオゴトだ)

45ぼーん:2003/07/07(月) 01:19
>>43
今は時間がないので説明しません。すいません。
>>44は少しヒントになっていると思います。

過去ログについては、
「反・反戦派の方へ」のスレの、100くらいから400あたりまでがαがらみの話です。
よろしければそちらを参照してください。

また余裕ができたら、まとめるかもしれませんけど。

ひとまずこれにて。

46ぼーん:2003/07/07(月) 01:25
やっぱ、ごくごく簡単に答えておきますわ。

> ①理念の上ではとゆう限定付きでαを主張しはるのは『今はそうではないが、本来そうあるべきだ』とゆうことなんでしょうか?

ということです。

> ②αとゆう理念、とゆうより自然な感情は僕のような者にも確かにありますが、それは何に由来するとお考えですか?

人によって何に由来するか違うでしょう。また、「何にも由来せず、αを持たない人」もいると思います。
実際、柏葉君のような恥知らずが存在しています。そのような人の存在を前提して議論を組み立てていました。

僕は、αを認めることと認めないことの帰結を提示し、相手に選ばせ、その選択に応じた対応をしただけです。
αを普遍的なものとして主張していないです。(書き損じがなければ、ですが。僕個人はそう思っているので、どこかで口すべ
らしてたらご容赦)

> ③αを認めないと議論の前提が成り立たない(間違ってたらすんません)とゆう趣旨のことを書いてはったように記憶してい
> ますが、だとすればそれは理念や自然な感情とゆうより、それらをベースにした共存の為のルールだと解しますがどうでしょ
> う?

そのようなものだと思います。
ただ、正確に言うと、αを認めない人とも議論は成立します。
ただし、その場合の議論は、「αを認める、認めない、認めることと認めないことの論理的帰結」についてのみ、議論ができる
と考えています。前提が合っていないときには、その前提条件についての議論をするしかない、ってわけです。

> ④自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団があるとします。現実にはこうゆう集団と共生しなければならない場
> 面もあろうかと思いますが、彼らに対するぼーんはんの対応を教えて下さい。彼らに対しても当方のαを適応せねばならな
> いとお考えですか?

「自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団があるとします。現実にはこうゆう集団と共生しなければならない」
ということの論理的帰結を示し、そのツケを払うように言う、というのが僕の対応です。

僕の理屈は、潜在的にαを否定できない人が多いであろう、ということを前提しています。
αを厚顔にも否定する人間が多数派なら、平和など不可能です。と、僕はさっさとあきらめます。

しかし、実際には、αを認めているフリをしてその利益を受けながら、実際にはαを否定した行動をコッソリとる。
というセコイ行動がまかり通っているわけです。だから、そのセコさをまずは言っていく。

そのとき、人々は、明示的にも黙示的にもαを否定する人と、逆に肯定する人に分かれるでしょう。
肯定する人が多ければ、めでたしめでたし、です。少なければ、駄目でしょう。
しかし、どっちに出るかの可能性は、まだわかりません。

47ぼーん:2003/07/07(月) 01:27
>>46④に補足。

「自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団」とは、「共生しない」ってことです。
そのセコサを批判して、そういうことがいえない状況を作り出していくところに活路を見出そうとしてます。

では、もう寝ます。んでわ。

48武蔵:2003/07/07(月) 01:29
>>39

>『自分を愛するからこそ、他人を尊重できる。』と武蔵はんの言う『自分が大事にされるためには、相手を大事にしなければならない。』とでは大きな違いがある。

寝ながら考えて、起き出しました(笑)
相手を尊重、相手を大事に・・・・そういうことを見せ掛けだけやる、尊重するフリをする
という風なすり替えをされたように思います。
私がいうのは、本心から尊重をするということです。
自分だって、見せかけの尊重なんか欲しくないですよね。

『自分が大事にされるためには、相手を大事にしなければならない。』
という表現であっても、相手を誠心大事にするのなら、それでいいと思うのですが
違いますか?
エゴから出発したとしても、相手にもエゴがあることを認めて、相手のエゴをも尊重する
相手のエゴの大事にする。
それは自分のエゴを守ることにもつながる。
アメリカのやり方は、相手を全く尊重していないです。
それはテロを誘発して、結局自分の安寧も保てないです。

49みけねこナナ:2003/07/07(月) 21:24
>>44
布教の結果として仮に人類がぽーん教に帰依したとしてそれはどの様な世界ですか?
『他者と自分を理念的に等しいものとする』これが普及すると食料問題はどうしますか?
食料足りませんよ?生きていけなければお話になりませんよ?

貴方のエゴを貫いて生まれた世界はどの様なものでしょうか?
抽象的にではなく具体的に教えて頂けませんか?

50ぼーん:2003/07/07(月) 21:53
>>49
実際に食料が足りないならお手上げです。

その世界は、「αを前提することが物理的に不可能な世界」です。

αが人々に支持され、実行されるためには、人々がそれを受け入れる(あるいは、受け入れていることを認める)こと
と同時に、物理的・経済的条件が実行可能であることです。当たり前ですけど。


で、そういう問題はありえるのですが、肝心なことは、実際にどうなのか、ということ。
僕の知る限り、食糧問題は食料の「不足」の問題ではない、と聞いています。
基本的には、それは分配の問題であり、分け方次第で解決可能である。というのが僕の認識です。
だいぶ古いですが、スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』などを斜め読みしたのと、
あちこちで見聞きしたことなどからこのような認識を持っています。

51みけねこナナ:2003/07/07(月) 23:49
>>50
貴方の仰る通りだと仮定しても10年20年後の事も同様に言えますか?
人口増加率に食料供給は追い付きません(データ出すまでもないよね)
地球の資源は無限ではありません。
そのお手上げ状態の中で未来を楽天的に捉えた結果、ぽーん教信者はどうなりますか?生きていけるのですか?
仮に食料が足りても、効率的に分配するには統制経済を取らねば無理ではありませんか?

『アルファ教の単独思想』『生産を公平に分配する』

この二点から論理的に出される答は共産主義ではありませんか?
お答え頂けますか?

52○○番長:2003/07/08(火) 00:30
皆様毎度おおきに。

>>45-46
ぼーんはん、逐一回答頂き深謝です。
http://mbl.myftp.biz/~uro/
上記スレを読めとのご指示、一応全部読みましたが・・・。相手を誹謗する言辞の余りの多さにちょっとネ。議論のする限りにおいて、出来るだけ嘲弄の言葉を相手に投げつけないように僕は努めていますが、何も批判や反論を嫌うからではありません。自分が攻撃されないための保険でもない。相手の論旨の心臓部に弾を打ち込みたいからに他なりません。巷間言われていることは逆ですが、憤った者はその本性を現さないと僕は思います。冷静に話し合うことは美徳であるだけでなく、逆に相手を丸裸にするでしょう。あくまで私見ではありますが、相手がどうあれ僕はこの態度で通していこうと思います。

まずここで言われている『尊重』ですが、対象別に分けると
A生命を尊重する
B人格を尊重する(思想や信条、信仰も含む)
C気持ちを尊重する(悲しみ、怒り、不快にさせないとゆう程の意味)
など尊重する対象は様々でありましょう。必ずしも完全に分離できるはずもなく、またそれを意図してもおりませんが、やはり一番大事なのはAやと思います。ですからここでは一応Aを中心に考えていきます。

>>①理念の上ではとゆう限定付きでαを主張しはるのは『今はそうではないが、本来そうあるべきだ』とゆうことなんでしょうか?
>ということです。

現実は理に適わんことばかりですが、だからといって理念の有効性が揺らぐ訳ではありません。理念は理念として存在するし、理念と現実のギャップは、人間を奮い立たせるものだとさえ思います。


>> ②αとゆう理念、とゆうより自然な感情は僕のような者にも確かにありますが、それは何に由来するとお考えですか?
>人によって何に由来するか違うでしょう。また、「何にも由来せず、αを持たない人」もいると思います。
実際、柏葉君のような恥知らずが存在しています。そのような人の存在を前提して議論を組み立てていました。
僕は、αを認めることと認めないことの帰結を提示し、相手に選ばせ、その選択に応じた対応をしただけです。
αを普遍的なものとして主張していないです。(書き損じがなければ、ですが。僕個人はそう思っているので、どこかで口すべ
らしてたらご容赦)
柏葉氏が恥知らずかどうかはさておき、ぼーんさんの言う『α』は、僕にも柏葉氏にもあるものと推測します。少なくとも僕にはある。自然な感情と言っていい。勿論現実が『α』通りでないことはぼーんはんもご承知ですし、我が身を振り返ってそう振舞えたかどうかは大いに疑問ですが、とにかく感情としてはあるといえるでしょう。
由来というのは本当のところ誰にも分らないものなのかも知れません。ただ『α』の効用についてなら考えることができます。これはどなたかが別スレで仰っていたことですが(詳細失念)、官憲や司直の手に委ねるまでもなく、そこそこトラブル無しに僕らが暮らせるのは、『α』を多くの人間が持ちまたそれが有効に機能しているからだと思います。ですから一つの共同体に暮らす上で、『α』は必需品であると言えますね。どんなに他人を信用しないと言葉では言ってみても、よく検討すれば無意識に『α』を当てにして生きている面がある。たとえ他人を虐げる者であっても、自分には『α』を期待している。『α』は共同体の治安を守る重要な要素であり、他者の侵害に怯えず暮らす為のセイフティガードとしても、あながち間違いではないでしょう。
こう考えると、『α』の存する最大の効用は、安寧秩序を維持し、共同体に暮らす成員を安らかならしめることといえます。『α』を認めず他人を傷つけ殺める者は、当然のことながら処罰されるわけですね。『処罰する=紊乱者の生命・自由を奪う=同等に扱わない』と置き換えればスッキリします。
事実僕らの共同体(ここでは国家とする)はこうゆうメカニズムで成り立っていると考えます。ぼーんはんが相手に提案し選択させるまでもありません。

続く

53○○番長:2003/07/08(火) 01:35
続き

>> ③αを認めないと議論の前提が成り立たない(間違ってたらすんません)とゆう趣旨のことを書いてはったように記憶してい
>> ますが、だとすればそれは理念や自然な感情とゆうより、それらをベースにした共存の為のルールだと解しますがどうでしょ
>> う?
>そのようなものだと思います。
>ただ、正確に言うと、αを認めない人とも議論は成立します。
>ただし、その場合の議論は、「αを認める、認めない、
>認めることと認めないことの論理的帰結」についてのみ、議論ができる
>と考えています。前提が合っていないときには、
>その前提条件についての議論をするしかない、ってわけです。

『α』を認めないとゆう考えには二種類あると思います。言葉の遊びめいた話になりますが、ちょっとの間お付き合いを。
Ⅰ自分>他人(自分は他人よりも尊重されるべき)
Ⅱ自分<他人(他人は自分よりも尊重されるべき)
常識的にはⅠに敵意を抱きます。それは僕もぼーんはんも同じでしょう。自然な感情に反するし、僕らの安寧秩序を脅かす可能性もあり、こちらから尊敬のまなざしを送る謂れはありません。ではⅡに対してはどうでしょうか?むしろ敬意を表するのではありませんか?少なくともⅡタイプの人物を尊重しない態度はとれないのではないかと思います。勿論これは言葉の上でのこと、実際にはⅠばかりで、Ⅱのような奇特な人物を僕は寡聞にして知りません。ただ『α』を認めない相手への対応『そういう手合いを尊重しない』ですが、それは『論理的帰結』ではなく、おそらく圧倒的に多いであろうⅠを前提にした『常識的な反応』なのでは?と疑問に思いました。


>>④自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団があるとします。
>>現実にはこうゆう集団と共生しなければならない場面もあろうかと思いますが、
>>彼らに対するぼーんはんの対応を教えて下さい。
>>彼らに対しても当方のαを適応せねばならないとお考えですか?
>「自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団があるとします。
>現実にはこうゆう集団と共生しなければならない」ということの
>論理的帰結を示し、そのツケを払うように言う、というのが僕の対応です。
>④に補足。
>「自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団」とは、
>「共生しない」ってことです。そのセコサを批判して、そういうことが
>いえない状況を作り出していくところに活路を見出そうとしてます。

これも前段と重なりますが、やはり論理的帰結とゆうには無理があると考えます。
前段Ⅱ集団を尊重することは、『α』を認めない輩に対する『論理的帰結』に反しますし、かといってⅡを尊重しなければこちらが『α』に反してしまう。
僕は論理的でないことを批判したいのではありません。論理的帰結などに縛られぬもっと大事な人間的真実があるし、その点ぼーんはんのお考え『α』は、極めて常識的で当たり前の『人間的真実に適った』約束事やと言いたかっただけです。そしてそれが『約束事』であるなら、独自の強さと、その限界もあると考えるのです。


今日は眠いさかいまた続きは明日に。
批判反論をこそ歓迎します。
ほなさいなら。

54ぼーん:2003/07/09(水) 15:40
>>51
> 貴方の仰る通りだと仮定しても10年20年後の事も同様に言えますか?
> 人口増加率に食料供給は追い付きません(データ出すまでもないよね)
> 地球の資源は無限ではありません。
> そのお手上げ状態の中で未来を楽天的に捉えた結果、ぽーん教信者はどうなりますか?
> 生きていけるのですか?
> 仮に食料が足りても、効率的に分配するには統制経済を取らねば無理ではありませんか?

人口増加率は、それ自体、介入すべき変数ですね。
マルサスは人口増加率を所与としてるんじゃないですか?
所与にしたら、そりゃ破滅するに決まってると思いますが。

人口問題についても考えない。南北問題についても考えない。先進国の資源浪費について
も考えない。環境問題についても考えない。そうした私たち自身を変革しなければならな
いもろもろのことについてまったく手をつけない。それでもαを実行できる、なーんてこ
とが可能なほど、私たちの生きている世の中は甘くはないってことでしょう。

それらのことは、すべて考えるべき問題です。実際に考えている人たちがいますね。
最終的には1つの目標に向かっている、それぞれ別の問題です。

> 『アルファ教の単独思想』『生産を公平に分配する』

> この二点から論理的に出される答は共産主義ではありませんか?
> お答え頂けますか?

政治的自由とか、そういったものの価値を無視するならば、ソ連型の共産主義になります
ね。でも、あれは失敗しましたし、だから政治的自由とかの価値もちゃんと考えなきゃい
けない、ってことは既にわかっているわけです。

だから、共産主義にはならないと思いますよ。

55ぼーん:2003/07/09(水) 15:40
>>52-53
αが「αの効用」ゆえに受け入れられる可能性。(1)
αが「αの論理的性質」ゆえに受け入れられる可能性。(2)

これら2つは、互いに矛盾しません。
αを受け入れることが、受け入れる人にとっても良いことなら、それは良いことですね。

番長さんは、(1)について語りたいらしく、それはどーぞ、ぜひともやってもらったら
いいんですが、少なくともそれは僕のやっている(2)の話とは矛盾しません。


その上で答えるべき点がいくつかありますね。

1.αを認めることの論理的帰結として考えると、ⅠとⅡを両方認めないことになる。しかし、Ⅱは認めるべきである。とすると、αというルールの根拠を「αを認めることの論理的帰結」と「αを認めないことの論理的帰結」として考えることはマズイのではないか。

2.柏葉氏もαは認めていた。

それぞれ答えます。

まず簡単な方から。2.について。
柏葉氏は、明確に「αを認めない」としていました。彼は、たとえば国家という極めて限
定された共同体の中でのみ「相互的な尊重」というルールがあり、国家を超えるより大き
な集団においては適用しない、と言いました。これはαの否定です。

ちなみに番長さんは>>52
> 事実僕らの共同体(ここでは国家とする)はこうゆうメカニズムで成り立っていると
> 考えます。ぼーんはんが相手に提案し選択させるまでもありません。
と述べています。

なぜここで「ここでは国家と」しなければならないのか。これが、そもそも問題なんで
す。区別するために、「国家」とか「家族」とか、ある限定された集団内で互いに尊重
するように要求するルールをα’としましょう。柏葉氏は、このα’を認めてはいまし
た。

では、αを否定し、α’だけを肯定する根拠は何か。
そのことを、彼は説明しきれませんでした。仮にそれが互いの利益になるからだ、とす
るならば、たとえば僕はそれを利益だとは思っていないので、α’を否定します。で、
αをも否定している柏葉氏は、αによってもα’によってもぼーんを批判できないので
す。

αとα’は違うものです。尊重すべき人々を「すべて」と述べるか、「すべてではない、
ある限定された集団内のメンバーのみ」とするかで、ルールの意味あいは全然違ってく
るのです。

次に1.について。

> 『α』を認めないとゆう考えには二種類あると思います。言葉の遊びめいた話になりま
> すが、ちょっとの間お付き合いを。
> Ⅰ自分>他人(自分は他人よりも尊重されるべき)
> Ⅱ自分<他人(他人は自分よりも尊重されるべき)

Ⅱは尊重すべきだから、ここでαを一貫して受け入れることはできない。ということみた
いなんですが、これは違いますね。私たちが利他的であることことをⅡとして提示したい
のだろうと推測しますが、利他性はαの否定にはなりません。

私たちは、利他的であるとしても、それを「自発的に」与えるのだし、与えたり、与えな
かったりすることができます。

つまり、私には他者と同等の自由が認められており(αの肯定)その上にたって、自分の
取り分をどのように使うか、というレベルのところで「他者のために使う」ことを選んで
いるだけなんですね。強制的に奪われていくわけではない。

ここで言うⅡの例にふさわしいのは次のようなものです。
・ 長年の夫からの暴力によって「価値のない存在」と思わされてしまった女性
・ 雇用主に隷属することが「よき社会人である」と思い込んでいる労働者
だから、Ⅱのような人には、別の感情を抱くかもしれませんが、少なくとも尊敬はしない
です。

また、被差別者の誰かが、その差別を受け入れることによって、その差別を受け入れがた
い被差別集団のほかのメンバーの足を引っ張ることになることがあります。その場合、Ⅱ
はⅠと同様に批判されるべきものです。

56イカフライ:2003/07/09(水) 20:40
>>52

>柏葉氏が恥知らずかどうかはさておき、ぼーんさんの言う『α』は、僕にも柏葉氏にもあるものと推測します。少なくとも僕にはある。自然な感情と言っていい。勿論現実が『α』通りでないことはぼーんはんもご承知ですし、我が身を振り返ってそう振舞えたかどうかは大いに疑問ですが、とにかく感情としてはあるといえるでしょう。

『α』を一貫して否定したり、また、否定した行動をとれる人と言うのも、現実にはなかなかいないと思います。
少なくとも、「自分さえよければ、人はどうなろうが、極端な話、死のうがかまわない」と言い、また、そのように行動する人にトモダチは出来ないな(笑)。
 
 問題なのは、『α』がどこまでの範囲に機能するか、どこまでの状況で機能するか、ということなのでしょう。
 現実として、今までの生涯を振り返って、常に己と他者を同等に置いて考え、行動してきた、という人がいたとしたら、その人は聖者か偽善者のどちらかです。

 よく性善説、性悪説、というのがありますが、人間は善でもあり、悪でもある。
 人として生まれ出ずる悩みは、この矛盾した人間と言う存在から出てきているのかもしれません。

 これは、個人差はあるにせよ、『α』を貫く生き方は、尊敬を呼び、逆に、『α』を否定するあり方は、不快感・悪感情を呼びます。
単純に、どっちの人と友達になりたいか?といえば、前者でしょう。
けれど、『α』に生きるのは、一人の人間には負担があまりにも大きい事も事実です。
それこそ、世界の全ての人の痛みを共有する前に、その本人が潰れてしまうでしょう。

 う-ん、ごめんなさい、いつもにもまして、まとまりのない、なにを言いたいのか解らない文章で。

57イカフライ:2003/07/09(水) 20:43
>>57

途中で、送ってしまいました。

 全ての人に、『α』を共有できる世界、というのは、どうやったら成立つのだろうか?
 そういうことを、考えてしまったのです。

58○○番長:2003/07/10(木) 00:56
毎度おおきに。お互い多忙の身、ゆっくりでもエエから、お互いの一致点或いは相違点を明らかにし、建設的な意見交換をしていきましょう。
では参ります。


>>55
ぼーんはん、丁寧なご返答おおきにです。
お返事にお答えする前に、過去スレ読みとこの間の遣り取りで僕なりに理解した、ぼーんはんの言う『α』をまず書き出したいと思います。間違いや誤解があれば、ビシビシ指摘して頂ければ幸いです。

ここで話題の『α=すべての人に等しい価値があるとみなす』の概略とは…

①事実の如何に関わらずそうあるべき理想状態である
②多数の人に支持されている内面の事実である
③②の故に有効性を持つ実在のルールである
④それを否定する者は、α遵法者から対等に扱われる資格がない
⑤④はαを否定することの論理的帰結である

こんなところで如何でっしゃろ?以下これらを前提にレス致します。

続く

59○○番長:2003/07/10(木) 03:53
>>58訂正
×①事実は…
○②現実は…

>>55
>αが「αの効用」ゆえに受け入れられる可能性。(1)
>αが「αの論理的性質」ゆえに受け入れられる可能性。(2)
>これら2つは、互いに矛盾しません。
>αを受け入れることが、受け入れる人にとっても良いことなら、
>それは良いことですね。
>番長さんは、(1)について語りたいらしく、それはどーぞ、ぜひとも
>やってもらったらいいんですが、少なくともそれは僕のやっている
>(2)の話とは矛盾しません。

もとより(1)(2)は矛盾しません。殊更に効用としてのαを書き連ねたのは、ぼーんはんや管理人殿、その他古参の住人方はもとより、αの有効性を否定する方々へも、僕自身のスタンスを明示したかったからです。仰るように効用と論理の両面からαが受容されたら、これに勝るものはありません。


>その上で答えるべき点がいくつかありますね。
>2.柏葉氏もαは認めていた。
>まず簡単な方から。2.について。
>柏葉氏は、明確に「αを認めない」としていました。彼は、たとえば国家という
>極めて限定された共同体の中でのみ「相互的な尊重」というルールがあり、
>国家を超えるより大きな集団においては適用しない、と言いました。
>これはαの否定です。

柏葉氏(以下『氏』と略)の書き込みを見つけ損ねていますので(謝)、もしご存知ならレス番だけでもご教示頂ければ幸いです。
ここでは、ぼーんはんのレスを元に考えていきたいと思います。
氏がαを認めないとお書きですが、>>58中の①〜⑤いずれを認めていないのでしょうか?推測するに①は肯定、②③は条件付肯定、④⑤は否定されたのではないでしょうか?①を否定したら②③も自動的に否定したことになるとぼーんはんは仰るかも知れませんが、僕はそうは考えません。①を認めずとも現実は②③であると主観的・客観的に認識することは可能です。そもそも①②③に論理的なつながりはありません。①は理念、②③は認識だからです。αに対する認識で①②肯定③否定の立場にいるのは、独裁政権下の国民です。①否定②③肯定は僕らのよく見聞きする悪徳政治家のスタンスですね(笑)。


ここからが本論ですが、さすがに疲れてきましたので、続きはまた今度に。
ほなさいなら。

60ぼーん:2003/07/10(木) 21:30
> ここでは、ぼーんはんのレスを元に考えていきたいと思います。
> 氏がαを認めないとお書きですが、>>58中の①〜⑤いずれを認めていないのでしょうか?推測するに①
> は肯定、②③は条件付肯定、④⑤は否定されたのではないでしょうか?①を否定したら②③も自動的に
> 否定したことになるとぼーんはんは仰るかも知れませんが、僕はそうは考えません。①を認めずとも現実
> は②③であると主観的・客観的に認識することは可能です。そもそも①②③に論理的なつながりはありま
> せん。①は理念、②③は認識だからです。αに対する認識で①②肯定③否定の立場にいるのは、独裁政
> 権下の国民です。①否定②③肯定は僕らのよく見聞きする悪徳政治家のスタンスですね(笑)。

彼は残念ながら①〜⑤全部否定してます。
もしかすると、①は、内心肯定した上で「無理だ」と言いたいのかもしれませんが。

> ④それを否定する者は、α遵法者から対等に扱われる資格がない
> ⑤④はαを否定することの論理的帰結である

④は、不正確ですね。
α遵法者かどうかに関係なく、誰からであれ、対等に扱われないことを「不正だ」と述べる資格を失う、
ということです。で、このことを柏葉氏は否定してます。

彼によれば、たとえば日本、というような限られた領域だけで「互いの尊重」というルールを作り、それ
を守ることだけは要求するようです。

だから、αを否定しても、α’によって自己を守れる、と考えているようです。(⑤の否定)

61○○番長:2003/07/12(土) 00:22
毎度おおきに。

>>60 ぼーんはん今日も宜しく。

そうですか。柏葉氏は>>58中の①〜⑤の全てを否定しはるんですね・・・。
まあ氏には氏のお考えがあるのでしょう。

>> ④それを否定する者は、α遵法者から対等に扱われる資格がない
>> ⑤④はαを否定することの論理的帰結である
>④は、不正確ですね。
>α遵法者かどうかに関係なく、誰からであれ、対等に扱われないことを
>「不正だ」と述べる資格を失う、

僕のα理解に間違いがあるとのご指摘。αを否定する者はひとりα遵法者のみならず、その他全ての人間から対等に扱われなくても、その不当性を訴える資格を失う。その理由は、他者から差別的な扱いをα否定者が受けたとしても、自らの論理即ち自他は対等でないとするが為に、対等に扱えと主張する資格を失うのだと。そしてそれは論理的帰結であるとぼーんはんは仰る訳ですね。ただそれではまずいことが起こります。
ではここでα肯定者をぼーんはん、α否定者殊に自分>他人とする不遜の輩をⅠ氏(>>53のⅠに同じ)としましょう。たとえばぼーんはん以外の者にⅠ氏が差別的な扱いを受けたとすると、Ⅰ氏は自らの論理・自分>他人に従い、差別者に対して差別はもとより平等な扱いをも拒否し、敬意を表するように求めることが出来ます。それは自らの論理に合致しているからです。
さらに、ぼーんはんがⅠ氏と自分を対等と見做しまたそう扱っても、Ⅰ氏はぼーんはんを不当だと訴える資格を持ちます。これもⅠ氏の内的論理から由来します。なにせ傲慢なるⅠ氏は、自分>他人なのですから。もちろんぼーんはんも自らのαに従い、Ⅰ氏の不当性を非難することは可能ですが、Ⅰ氏の資格云々には言及できません。
最後に一番の不具合は、Ⅰ氏がぼーんはんを如何に差別的に扱ったとしても、彼は自らの信条に矛盾しないでしょうが、その逆は明らかにぼーんはんのαに抵触してしまう。何故ならαは自分と全ての他人が対等だとゆう理念なのですから。

62○○番長:2003/07/12(土) 00:51
>>48 武蔵はん毎度。遅レスすんません。

>私がいうのは、本心から尊重をするということです。
>自分だって、見せかけの尊重なんか欲しくないですよね。
>『自分が大事にされるためには、相手を大事にしなければならない。』
>という表現であっても、相手を誠心大事にするのなら、それでいいと思うのですが

武蔵はんのように良心的な方ばかりなら、おそらく争いは起こらないでしょう。これはあくまで私見ですが、老若男女、肌の色、信条・国籍の如何を問わず、真に人を動かしうるのは誠意しかないのだと思います。もちろん人間は利に弱い生き物ですから、多額の金銭や高い地位に目が眩むと、どうしても他人を踏みつけにしがちです。利によっても人は動くといえましょうが、たとえそうする者たちであっても、武蔵はんの仰るように心のどこかで『誠心大事に』されたいと感じていることと思います。金の切れ目が縁の切れ目なんて、誰も望みはしないでしょうからね。


>>56 イカフライはん毎度。

>『α』を一貫して否定したり、また、否定した行動をとれる人と言うのも、
>現実にはなかなかいないと思います。
>現実として、今までの生涯を振り返って、常に己と他者を同等に置いて考え、
>行動してきた、という人がいたとしたら、その人は聖者か偽善者のどちらかです。
>これは、個人差はあるにせよ、『α』を貫く生き方は、尊敬を呼び、
>逆に、『α』を否定するあり方は、不快感・悪感情を呼びます。
>単純に、どっちの人と友達になりたいか?といえば、前者でしょう。
>けれど、『α』に生きるのは、一人の人間には負担があまりにも大きい事も
>事実です。それこそ、世界の全ての人の痛みを共有する前に、その本人が
>潰れてしまうでしょう。

自らの正義に自分は違えているのではないかと戸惑いつつ、それでもその正義を掲げて生きる人を尊敬します。イカフライはんはそう逡巡しつつも、αを掲げて生きていこうとなさっておられるのでしょう。素晴らしい。僕の如きチンピラが申し上げることは何もございません。どうか潰れることなく(笑)、αを受持なさってください。



ほなさいなら。

63傍観者:2003/07/14(月) 20:02
誠に僭越ながら、交通整理をさせて頂きました。「反日教育」スレより

640 名前: 武蔵 投稿日: 2003/07/14(月) 14:49
萬忠墓にも書いてありましたが、中国ではこれらの施設を「全国愛国主義教育基地」であるとしていますね。
水師営にも書いてありました。
私は「愛国主義教育」は、国を誤った方向に持っていくと考えています。

わたしは他国軍隊が(例えば北朝鮮軍上陸を例にあげたように)我が国に上陸した場合は、
民間人が手持ちの包丁や金属バットを武器として戦うことを否定していません。
そういう意味では、被害者の位置に立つ中国における愛国主義と、
我が国における愛国主義が、全く同等であるとは思いませんが、
それにしても、愛国主義=ナショナリズム は、世界平和に取って好ましい思想であるとは思っていません。

ただ、彼らの愛国主義を否定する日本人のよってたつものがまた
日本の愛国主義に根ざしているということ・・・・これが問題だと思います



641 名前: cathoderay 投稿日: 2003/07/14(月) 19:05
みなさまお久しぶりです。また、引き続き参加させていただきます
仕事の関係などでレスは順調とは限りませんが・・・

では手始めに

>>640
愛国主義がなぜ、国を誤った方向に持っていくのでしょうか?

>>640
民間人が手持ちの包丁や金属バットを武器にして・・・

ゲリラ戦ですか?
そんなことをしなくていいように自衛隊をガッチリ整備するべきですが
そんなことをしないように軍隊と言うものが存在するのではないのですか?

>>640
>ただ、彼らの愛国主義を否定する日本人のよってたつものがまた
>日本の愛国主義に根ざしているということ・・・・これが問題だと思います。

私には、愛国主義を否定する日本人は似非日本人に見えます
日本を売らんとするような・・・ どこぞのニュースキャスターとかのことです




648 名前: 武蔵 投稿日: 2003/07/14(月) 19:30
>>641

>愛国主義がなぜ、国を誤った方向に持っていくのでしょうか?

ふるさとを懐かしむような自然則の愛国心ではなく
国家によって鼓舞される質の愛国主義のことを述べています。
中国の愛国主義が、我が国の一部の方たちの敵対心を煽っていることからも
推して知るべしです。
被害者側の愛国主義にして斯くならば、
加害者側の愛国主義はいかばかりやです。

>そんなことをしないように軍隊と言うものが存在するのではないのですか?

軍隊が民間人を守るものでないことぐらいは歴史の教えるところです。

64イカフライ:2003/07/15(火) 10:23
>>63

>誠に僭越ながら、交通整理をさせて頂きました。「反日教育」スレより

傍観者さん、はじめまして。ご苦労様です。

>>24 でぼ-んさんが書かれていますが、「愛国心」という一言でも、実はその中味にはいろいろな「愛国心」があります。

「中国の反日教育」スレで、武蔵さんのcathoderayさんの言われている「愛国心」は、同じ言葉でも、違う意味を指しているのではないでしょうか?

65cathoderay:2003/07/15(火) 18:53
>軍隊が民間人を守るものでないことぐらいは歴史の教えるところです。

はて?ではいったい有史いらいどこの国が軍備を放棄したのでしょうか?

それなりに侵攻価値のある国はどこも軍備もしくは軍事同盟を持っていると認識しているのですが
もしかして軍隊があるから戦争が起こるとでもおもっていらっしゃるのでしょうか?

66武蔵:2003/07/15(火) 19:28
>>65

私が言った意味とは、関係のないレスのようです。

軍隊は「国を守る」という「目的」のために「軍事最優先」です。
満州陥落時に、関東軍とその家族が最優先だったことは、皆さん嫌ほど聞かされているはずです。
沖縄戦でも、民間人が軍隊の犠牲になりました。
軍隊のいない場所では、民間人の「自決」はほとんどいなかったそうです。

67武蔵:2003/07/16(水) 12:27
>>64

>「中国の反日教育」スレで、武蔵さんのcathoderayさんの言われている「愛国心」は、同じ言葉でも、違う意味を指しているのではないでしょうか?

私とcathoderayさんの違いと言うより、cathoderayさんはいろんな愛国心についての認識を記しておられないのです。
私の場合、まず
素朴な「郷土愛型の愛国心」と「愛国主義教育に於ける愛国心」の別。
その「愛国主義教育」についても、被害国と加害国との別を述べています。

cathoderayさんの中国観に於いては「愛国主義教育」と「反日教育」の区別もないようですし(笑)

68イカフライ:2003/07/16(水) 18:25
>>67

まあ、武蔵さん、あまり挑発的なものいいは、不毛のもとになるから、辞めましょう(笑)。

武蔵さんは、「愛国主義教育」は、国を誤った方向に持っていくと考える、といわれる。
cathoderayさんは、それは何故か? と問われている。
ここで、武蔵さんのいう愛国と、cathoderayさんの愛国は、異なっているのではないか?
少なくとも、温度差があるのではないのか? と、思うのです。

69cathoderay:2003/07/16(水) 18:29
>>67

ん? どの国であっても愛国心は大切だと言うことなのだが
愛国心がキライでしょうがないんだろうね。

日本は愛国主義が足りなさ過ぎるから愛国主義教育によって愛国心を育てることに
問題はなかろうよ。

問題は日本の愛国は特別、敵対的ではないのに
中国の愛国が反日であることではないのかね。

そういう瑣末なところを、尋ねてくる前に

>軍隊が民間人を守るものでないことぐらい・・・
に対する私の問いに答えてくださいよ。

あなたは不用意に軍隊を悪だと 軍備やそういうことについて考えることは
いけないことだと見なしている

本音を言わせてもらえば「軍隊なんかなければ平和がおとずれる!」
と思ってるんじゃないですか

70イカフライ:2003/07/16(水) 18:35
イラク攻撃の時、どの番組だったか忘れたのですが、あるテレビで、反戦を唱える高校生グル−プに向かって、イラク攻撃賛成側のクラスメイトが
「愛国心がないのか?」
と、くってかかって、それに答えて反戦側が
「愛国心があるから(イラク攻撃に)反対するんだ」
と言っていました。
 ここで、「愛国心」という同じ言葉を用いながら、双方全く正反対の意見を持ち、正反対の結論を出している。
 賛成側は、自国の決定ならば是非を問わずに従い、それを応援することが愛国心である、反対側は、自国が間違った戦争(って、正しい戦争ってあるんか、とは、ワシはオモットルけど)に向かうあやまちを正すことが愛国心である。
 つまり、愛し方の違いなんですよね。

71イカフライ:2003/07/16(水) 18:56
 愛することはいけないことではないけれど、間違った愛し方は人を歪んだ方向に導きますよね。
ましてや、愛は強制されて生じるものではありません。
まあ、今、あまりこういう家庭ってないとは思いますが、横暴な父親が、
「妻なら夫を愛しているはずだから、俺に従うのはあたり前」
と、妻をさんざ虐待するのって、間違った愛だし、それに愛しているからと盲従するのも間違った愛です。
こういう家庭で育った子供は、少なくとも夫婦愛というものには、歪んだイメ−ジを受けつけられて育ちます。
 
 これはね、反論あるかたもいるかも知れないけれど、かつての戦争中の愛国心が、この上記のような形でした。
夫は大日本帝国で、妻は国民という。
 浮気されようが暴力振るわれようが、黙って耐えるのが愛である筈ありまへん。
とは言え、夫婦の愛つ-のはんなもんじゃない、ってことは、殆どのお人、当然解りきってる筈。
 が、国との愛は? というと、実は解らない人が多い。

 武蔵さんのレスを読んでいると、多分、この「愛」を理由に忍従を強いられるような事態を警戒されているのだろうな、とは思います。
また、実際、為政者は、それを利用することは、多々在ります。
 これど、それをもって「愛」そのものを否定してしまう(いえ、武蔵さんが否定されているというわけではないですよ)。
これも違う。

 嫌国教育なんて、行われていない、といわれます。実際、そんなロコツなものはないでしょう。
それよりは、私達は愛することへのトラウマを負っているように思えます。
 愛を理由に忍従を強いられた母の元で育った子供は、大きくなっても、なかなか人を愛せないものです。
特に女の子だったりすると、結婚なんかしたら、母親のようになる、という呪縛から、なかなか逃れる事は出来ません。
それから解放されるのは、心から愛し合える人にめぐり合った時ですよね。

 戦後50年以上も経て、私達は、なお、本当の愛にめぐり合っていないのかもしれませんね。

72武蔵:2003/07/17(木) 01:02
>>69

>日本は愛国主義が足りなさ過ぎるから愛国主義教育によって愛国心を育てることに
問題はなかろうよ。

何を持って愛国主義教育というのかを問題にしているのですが・・・(笑)

例えば戦前、台湾や朝鮮で「愛国主義教育」を施し、神宮参拝なんかを義務付けたりもしたんですよね。

>問題は日本の愛国は特別、敵対的ではないのに
中国の愛国が反日であることではないのかね。

日本の「愛国主義」が「反中国」「反韓国」であるから、
政治家の「愛国主義」発露の発言の度に、それらの国から猛反発を受けています。
逆に、中国の愛国は、別に反日ではありません。
こういう被害を受けることのない国にしていこうという意図であって、
他国を侵略しようと言うような質のものではありません。

例えば韓国済州島には「蒙古の襲撃」を描いた博物館があります。
蒙古軍が上陸して韓国人を襲撃するすさまじい模様を描いていますが
それが反中国教育なんて、全く思いません。

>>軍隊が民間人を守るものでないことぐらい・・・
>に対する私の問いに答えてくださいよ。

もう答えているのですが、読み取れませんか?

73武蔵:2003/07/17(木) 01:06
>>70

>ここで、「愛国心」という同じ言葉を用いながら、双方全く正反対の意見を持ち、正反対の結論を出している。
 賛成側は、自国の決定ならば是非を問わずに従い、それを応援することが愛国心である、反対側は、自国が間違った戦争(って、正しい戦争ってあるんか、とは、ワシはオモットルけど)に向かうあやまちを正すことが愛国心である。
 つまり、愛し方の違いなんですよね。

全くそのとおりだと思います。

74武蔵:2003/07/17(木) 01:12
>>71

>武蔵さんのレスを読んでいると、多分、この「愛」を理由に忍従を強いられるような事態を警戒されているのだろうな、とは思います。

それもあります。
もうひとつは、夫が(子どもが)犯罪を犯すようなことがないように、盲愛におちいらないことですね。
冷静且つ客観的な視野にたって愛する必要があると言うことです。

75cathoderay:2003/07/17(木) 02:37
>>72

愛国主義は 日本の国を思うということだね
この場合ふるさと郷土というのはさておいて 日本という 国家自体を愛することをさしている
と こういうことをいうと日本という国の山河や風土を愛すべきで
国家と言う枠組み自体をというのは、どうなのですか?
と問われそうですが 我々が存在しているこれを担保 保証してくれるのは
日本国しか ありえないので そういうアナーキストな考えはダメダメだと私は思いますね
国をなくした流浪の民がどういう仕打ちを受けるかは明白なので
日本国が 成り立つように 日本国を愛するということですね。
だからこそ、日本国の安全保障を軽視するような発言には嫌悪を示すわけです。



蒙古は中国じゃないね・・・・・・・
あ〜いいですか 不当な言いがかりをつけているから反日だといってるんですよ
どうして中国は日本を目の敵にするんですか、それが反日教育だといってるんですよ
たとえばイギリスにアヘン戦争の謝罪を求めたことがありましたな
そのとき、「何十年前のことだよ プッ」 って言われてそれでおしまいなのは知ってますよね
さて、日本には言い続ける、過大に発表する、教科書の歴史は日本の侵略が大半を占める
どこが反日教育でないって見えるんですか



>もう答えているのですが、読み取れませんか?

回答になっていませんよ ということです
軍隊が民間人を守るものではないと断言してしまえるだけの 根拠 などではありませんよ

もう一度・・・
あなたは不用意に軍隊を悪だと 軍備やそういうことについて考えることは
いけないことだと見なしている

本音を言わせてもらえば「軍隊なんかなければ平和がおとずれる!」
と思ってるんじゃないですか

76イカフライ:2003/07/17(木) 08:31
>>75

>本音を言わせてもらえば「軍隊なんかなければ平和がおとずれる!」
>と思ってるんじゃないですか

 武蔵さんは、こうは言っていないと思いますけれど。
 実際、沖縄戦でも、住民は集団自決を強いられた。満州でも、関東軍は民間人を見捨てた。これは事実ではないですか?
勿論、あの当時の日本の戦況が、そこまでぎりぎりの限界に悪くなっていた、ということはありますから、これをすべて「旧軍の悪」とは言えないと思います。
なんで、あそこまで事態が悪くなる前に、手を打たなかったんだよ、とは思いますが、戦争って一度始めてしまうと、そうそう上手い所で終わらせるわけにはいかないんですよね。

 >、日本国の安全保障を軽視するような発言には嫌悪を示すわけです。
 この辺は、国防スレ向きの話題かもしれませんね。

77武蔵:2003/07/17(木) 08:52
>>75

>日本国が 成り立つように 日本国を愛するということですね。

日本の国体ではなく、日本の人間・日本の山河や風土――そういう総体的なものを愛すると言うことです。
「国破れて山河あり」を我々は既に体験しました。
あの時「国体」を守り続けようとしたら、一億玉砕、国体すら残らなかったでしょう。
日本という総合的なのにに中で一番大事なのは、ここに住む我々です。

>国をなくした流浪の民がどういう仕打ちを受けるかは明白なので

この「仕打ち」をしたのが、旧日本の「国体」でした。
その国の人々の心を支配しようと、日本の国体に向かっての忠誠を求めました。
もともとの日本人にも、新しく支配した国々の方たちにも・・・・

この国の「国体」は神聖にして犯すべからざるものとは思っていません。
我々が自分たちに都合のいいものであるように、常に点検し正し続けていかねばならないと思っています。

中国の教科書には、アヘン戦争のことはかかれていないのですか?
イギリスは、アヘン戦争は「よいことをしてやった」と言っているのですか?
そうではないでしょう。
中国だって、日本のしてきたことはアヘン戦争と同じく誤りであると批判はしても
それについて謝罪を要求し続けているわけではなく、
日本側がそれを肯定することに対して、怒りを表し、謝罪を求めるのだと思っています。
日本がきちんと自己批判してもなおかつ謝罪と賠償を求めつづけているわけではありません。
江藤にような発言が次々出てくる自民党政治家が問題なのです。

78イカフライ:2003/07/17(木) 08:54
>>75

>どうして中国は日本を目の敵にするんですか、それが反日教育だといってるんですよ
>たとえばイギリスにアヘン戦争の謝罪を求めたことがありましたな
>そのとき、「何十年前のことだよ プッ」 って言われてそれでおしまいなのは知ってますよね
>さて、日本には言い続ける、過大に発表する、教科書の歴史は日本の侵略が大半を占める

 確かに、なんでイギリスには言わないの? って気持ち、ありますよ、私にも。
 これって、中華思想とは関係ないのかな? 日本は東夷の国ですよね。
 歴史的に見ても、日本は中国からいろいろな文化や制度を輸入している、もともとはあっちのほうが先進国だったわけだし。

 まあ、中国にだけじゃなく、イギリスが世界中でやった植民地支配って、そうとう悪辣だと個人的には思ってますけれどね。

79武蔵:2003/07/17(木) 08:56
>>77

書き直した部分が混線していました。

日本という総合的なのにに中で一番大事なのは、ここに住む我々です。
           ↓
日本という総合的なものの中で一番大事なのは、ここに住む我々です。

80武蔵:2003/07/17(木) 09:18
>>78

前レスで書きましたが
イギリスやドイツは、それら過去の悪事を肯定していない、開き直らない、と言うことがあると思います。
もちろん西欧諸国に、有色人種に戴せる蔑視は今なお強く残っているということはあるでしょうが
どいつが、ナチのしてきたことにもいい点はあった、なんて発言が国家の中枢人物によってなされることがあるでしょうか?
ネオナチなんかが台頭して、国家を牛耳るようなことが起こりそうなら
旧被害国は、それを恐れて非難するでしょう。

>これって、中華思想とは関係ないのかな? 日本は東夷の国ですよね。

南蛮・北狄・西戎・東夷 という中華思想は問題多いし、これを肯定する気はありませんが
この4つの内の「東夷」というのは、ほかの3つに比べるとましな表現ですね。
南蛮は「むし」北狄・「けもの」西戎・東夷は「えびす」
青龍もかっこいいし・・・?
南北に比べて、少しは文化を認めていたのでしょうか?(笑)

冗談ですよ。中華思想は、そして他の国の選民意識は、誤った愛国主義と同様に
平和に対立する思想だと思います。

81武蔵:2003/07/17(木) 09:42
>>78

>イギリスが世界中でやった植民地支配って、そうとう悪辣だと個人的には思ってますけれどね。

ドイツと一緒くたに書いてしまいました。
私もこれには同感です。
しかも、今回のイラク攻撃をみても、かつての帝国主義史観が今も払拭はされていないとも思えますし・・・・

82cathoderay:2003/07/17(木) 17:17
うーん 私は日本がこのように言われるというのは

根底に中華思想による日本への差別意識があるからだと思うんですよね
ひねくれたコンプレックスというか

>>77

一番大事なのはそこにすむ我々だとは思いますが
その我々を守ってくれるものが国の制度なり機構である以上
国がないことには始まらない→日本の国という枠を愛するという考えですね私は。
日本の国体は変遷はしていますが、維持されているのではないですか?


>この「仕打ち」をしたのが、旧日本の「国体」でした。
その国の人々の心を支配しようと、日本の国体に向かっての忠誠を求めました。
もともとの日本人にも、新しく支配した国々の方たちにも・・・・

これはどういう事例でしょうか?

>この国の「国体」は神聖にして犯すべからざるものとは思っていません。
我々が自分たちに都合のいいものであるように、常に点検し正し続けていかねばならないと思っています。

ではまず、憲法を改正しなければいけないのではないかと思います。

----
江藤の発言は、よくよく考えてみる問題のあることをいっているとは
思わないのですが・・・・
好きな政治家ではないですがね

83武蔵:2003/07/18(金) 00:25
>>82

>日本の国体は変遷はしていますが、維持されているのではないですか?

根本から変えることができなかったことが一番大きいしこりになったとは言えるでしょう。
ドイツは、自らの手でナチスの残党まで根絶しましたが、日本は戦犯を靖国に祀りました。
そこに大きな違いがあります。被害国としてはいつ何時亡霊がよみがえるかと、
信頼しきれないものがあるでしょう。

>>その国の人々の心を支配しようと、日本の国体に向かっての忠誠を求めました。
>>もともとの日本人にも、新しく支配した国々の方たちにも・・・・
>これはどういう事例でしょうか?

象徴的なことだけを言えば
「国家神道」を自国民にも朝鮮半島・台湾の方たちにも強制しました。
信教の自由も奪い、心の中にまで立ち入りました。

>>この国の「国体」は神聖にして犯すべからざるものとは思っていません。
>>我々が自分たちに都合のいいものであるように、常に点検し正し続けていかねばならないと思っています。
>ではまず、憲法を改正しなければいけないのではないかと思います。

自分たちの総意によって、国民全体にとって不利益だと思えば、憲法だって
憲法に定める規定に従って是正することができるでしょう。
私は、憲法改定の必要性を感じていませんが、国民の民意が育って、本当の民主主義が育てば、いつの日か天皇制を廃止する方向性はあってもいいと思っています。

憲法9条は、戦後、他国人を戦争で殺すことからも、自国が戦争に巻き込まれることからも
我々を守ってくれました。
それは、日本が世界に誇りうるものであると思っています。

84cathoderay:2003/07/18(金) 02:28
>>83

天皇制を廃止する必要性は感じられませんが・・・

憲法9条を改正する必要はあると思っています。
ちなみに憲法9条がわが国を守ってくれたのではありません

日米安保条約、自衛隊 警察予備隊 日本の国家機構 そのた諸々が
我々を守ってきたのです。憲法9条は見た目のよい飾りにしかすぎません。

>ドイツは、自らの手でナチスの残党まで根絶しましたが、日本は戦犯を靖国に祀りました。
そこに大きな違いがあります。被害国としてはいつ何時亡霊がよみがえるかと、
信頼しきれないものがあるでしょう。

これはすこし違うと思います
ドイツは全てをナチスにひっかぶせて全ての業を背負わせた
そう、解釈しています
ナチスにだまされていた国民も被害者なのだと言う考えですね

それは私は違うと思うのです、日本もドイツも国民が戦争を望んだというのは
明らかですし全ての罪を戦犯に償わせると言うのは少々おかしいのではないかと
考えています
それに戦犯の方々には、特別の罪はないでしょう
あえて罪を問うならば、「大東亜戦争に敗北した罪」でしょうか
しかしながら今後の日本の礎となるために、自分たちが戦犯として処刑されることで
日本がよりよい方向に進んでいけるならばということで刑をお受けなさったのだと考えています

ですから日本が戦犯であろうと、死ねば仏として靖国に祀るのは当然でありますから
被害国が〜というのはわが国にとって、余計なお世話としか、私は答えようがありません。
わが国がわが国のために戦って死んだ、わが国のために(間違っていたかもしれないけれども)
尽力した人を慰霊するのは当然の責務でしょう たとえ戦犯であろうとなかろうと わが国の勝手であって
隣のどこぞの国がいちゃもんをつけて毀損してよい話ではないと思います。

85武蔵:2003/07/18(金) 08:56
>>84

たくさん、というより全て反論があるのですが
とりあえず、

>わが国のために(間違っていたかもしれないけれども)

この、国を間違った方向に持っていった責任を、施政者は取る必要があると思いませんか?
最近の日本においても
責任ある地位の人の失敗と言うことにたいして、我々はいつも口惜しい思いをしています。
銀行の経営も、経済政策の失敗も・・・・監獄の中で議員歳費を受け続ける議員たちも・・・
この国は、責任者の責任に対してはとっても甘いです。
そして、それはその失敗に対しての、自分たち国民の責任をもあいまいにすることです。
「ドイツは全てをナチスにひっかぶせて全ての業を背負わせたそう、解釈しています」
あなたの解釈はともかく
一般的には、あのやり方は間違っていたという国民の意思の表明だと判断します。
誤りに導いた責任者を神と祭り上げている限り
国民自身がその責任を認めておらず、その施政者のやった国政を正しいと認めていることとみなされます。
それは再びチャンスがあれば同じ政策をとるかも知れないと言う恐怖を与えると言うことでもあります。

86武蔵:2003/07/18(金) 09:47
>>85

続き

医学研究者にとって、生体実験は非常に魅力的なことだと思います。
それは医学を飛躍的に発展させるものであり、医学の発展は人類にとって大きなプラスになることです。
にもかかわらず生体実験が許されていないのはなぜか?
それは被験者の人権上、許されることではないからです。
ドイツも日本も、生体実験の魔力に取り付かれました。
丸太と呼ばれる捕虜にチフス菌を接取させ、どのような経過で死んでゆくか
そういう実験で医学は非常な進歩をしました。
その成果が欲しくて、占領国は生体実験者を戦犯として処刑することもなく、その成果を利用し続けました。
日本においても彼らは、医学的地位を保ちつづけました。
その結果はみなさんご存知のとおりです。
ミドリ十字の犯罪は、国民の命さえ丸太として扱うと言う犯罪となりました。
人権犯罪を国民の手によって裁かなかった責任が国民に跳ね返ってきた一例です。

87イカフライ:2003/07/18(金) 10:05
>>84

>ドイツは全てをナチスにひっかぶせて全ての業を背負わせた
>そう、解釈しています
>ナチスにだまされていた国民も被害者なのだと言う考えですね

 この解釈は、どうなのかなあ、と頭を悩ますのですが。
 確かに、ヒトラ−、ナチス党は、当時のドイツ国民の圧倒的な支持を受けていたわけですからね。
 とは言え、ナチスというのは、今もドイツ人にとって、そうとうトラウマのように思えます。
 ドイツの場合、ナチスの台頭は、あの当時を考えれば、少なくともドン底状態だったドイツの経済を立て直した、という点においても、ナチスが支持されたのは仕方ないのかなあ、とは思います。
 何事もきっちりしてそうなドイツ人は、ナチスを自らの手で裁いていますよね。

 日本の場合の軍部の台頭は、2・26や5・15による軍事ク−デタ−的な要素があるので、ナチスとは少々ケ−スは違うように思うのですが。
 軍部に全てをひっかぶせて業を負わせた、というのは、日本人にこそ当てはまるとは感じちゃうのです。

 雑感ですが。
 以前、ヤツスさんが、日本人の変節主義のお話をしていましたね。
 昭和20年8月15日を境に、お国の為に死ね、と言っていた先生が、いきなり、アメリカ民主主義万歳、と言い出す。
 まあ、この日本人的いい加減さは、私はさほど嫌いではないというか、これがあるから、ぎりぎり上手い所でなんとか切りぬけてきた部分は在るとは思うのですが。
 でも、少年Hならずとも、一体なんやねん、と、当時の子供達は価値観の崩壊とオトナの不信感に悩まなかったんだろうかなあ、とは思います。
 (家の父親なんかに言わせたら、当時は食べる事で一杯で、それどころじゃなかった、と言ってたけれど)

 業を負わせた、のが、東京裁判ですよね。
 あれ、どう思います? まともな裁判だったとは、到底思えないのですが。
 いささか感情的ないい方をしてしまえば、敗戦国に対する戦勝国のリンチだ、位に私は思ってるけれど。
 とは言え、日本人はそれを受け入れた、その後、自らの手で、東京裁判のやり直しをしようともしなかった。
 明かにしないまま、死んだら仏、という日本の文化で祀る。
 日本人の私からみると、らしいなあ、と結構受け入れてしまう部分はあるけれどまあ、これは随分と中途ハンパでいい加減によその国の人から見ると見えるのかなあ、なんて思うのですが。

88武蔵:2003/07/18(金) 10:25
>>87

> 昭和20年8月15日を境に、お国の為に死ね、と言っていた先生が、いきなり、アメリカ民主主義万歳、と言い出す。

これ笑えますよね。
今まで使っていた教科書のいけない部分を墨で塗り潰してそのまま使って・・・・
教科書・・・教材すら自分で作ろうとはしなかったんですね。
黒板を使うだけでもよかったはずなんだけど・・・
日本の教師(というか、日本人全体)は自分の頭で生きる習慣がついていなかった。
敗戦で親方が変わっただけだったのでしょう(笑)
親方の言う通りにしていたのだから自分に罪はなかったわけですね。
ドイツはナチに従ってしまった自己批判があったればこそ、自分の中の膿を搾り出し
再びその病原菌に犯されることのないように、ナチを処罰した。
その西洋的な決着のつけ方を、東洋人である私も(イカさんと同じく)受け入れがたいものはあります。
全てを殺菌してしまうやり方よりは、菌と同居しつつ抵抗力をつけていくことを是とする気持ちはあります。
しかし、
あくまでそれが菌であることは自覚して、菌を抑える体力つくりはしないと
再び菌が蔓延して菌に殺されるでしょう。

89cathoderay:2003/07/18(金) 20:34
>>85 >>84

いや、その時点での方針として日本は格別間違ったことをしてないでしょう
日本の統治者として問われるべき罪としては

  大 東 亜 戦 争 に 負 け た 罪

これしかありません
いや、結局のところ罪をとうことのできるような間違いはしてないわけですよ
〜が悪いと言い切れるだけの材料ってないでしょう。

イカフライさんが>>87でいっておられるように
東京裁判なんて茶番でしかないですし
そのことをもって戦犯だからと、いうことで非難するのはいかがかと

茶番でしかない裁判で裁かれた日本の統治者そのた諸々
それらの無念を晴らすために日本が慰霊してナニが悪いと言うのです
あの裁判で戦犯として決められたのはまったくの茶番でしかありません。
あの裁判で裁かれるべきは、むしろ連合国ではないでしょうか

>>85

いえ、少なくともドイツは全てをナチスの罪としたわけで
日本と違って、国家として謝罪をしているとは思えませんが

少なくともナチスが行ったような民族滅亡政策は日本は行っていませんし
人道に対する罪 で問われるようなことはおこなっていないわけです
この点がまずドイツと日本とは違う
そしてどいつはこれらの、人道に対する罪にたいしての償いを行ったわけで
通常の戦争犯罪などにたいしての保障は一切していないはずですが
この点を誤解されているのではないでしょうか?

>>86

あーあの、731を日本の国家的犯罪とはいえないんじゃないでしょうか?
実際そのようなことがどうであったのかは裁かなかったので白黒ついてないとおもいますし
悪魔の飽食にいたってはお笑いの一言ですしね
共産主義国家の宣伝していることは割り引いて考えないといけないと思います
ただし、状況証拠からするとあったかもしれない程度ですね。
このあたりは隠蔽してしまった連合国に聞いてみないとわからないのではないかと

90cathoderay:2003/07/18(金) 20:55
で、追加@731

731部隊は人体実験などの非人道的な行為をしていたとして
日本軍の悪事を宣伝するのに良く使われているが証拠書類は全て米軍が押収してしまっている
はずでしょう、中共に仔細がわかるとは思えません

んでもって731部隊は、残虐で非人道的な部隊として有名なのは
”朝日新聞”に載っていた小説がその根拠になっている。

その後、この小説は「悪魔の飽食」という名前で単行本になったが
インチキ写真が多数使われ、信用性はほぼゼロに近い。

だいたい証拠書類は全て米軍が押収してしまったのに、日本人が詳細な描写をかけるわけがない。
アホな話だ。

そもそも731は防疫給水部隊であるはず
敵国が自国の軍隊に、化学兵器や細菌兵器を使ったときの対策としての部隊である。
それが731が化学兵器を研究していた理由ではなかったかなぁ

だから捕虜を実験体に使っていたなんてのはあくまでも推定でしかない
仮に使っていても証明しようがない、文句はアメリカに・・・

ということはですね 立証しようのないことは事実としては認められない というわけです。

91武蔵:2003/07/19(土) 02:58
>>89

出て来ましたね。客観性を失った盲愛と言う奴が(笑)

>日本の統治者として問われるべき罪としては
>大 東 亜 戦 争 に 負 け た 罪
>これしかありません

これも施政者の責任としては、押しも押されもせぬ「国を滅びさせるほどの」立派な罪なのですが(^^ゞ
施政者たるもの、
どんな嵐の時にも船の航行の安全を図る責任ある船長のようなものでしょう。
誤った判断で船を遭難させてしまった罪は、大きいものですよ。

また、言論統制を始めとする多くの誤った独裁政治によって
国民を苦しめた罪があります。
対外的には、いうに及ばぬことです。
数え上げればきりのないこと、
いくらデジタルビデオの時代になったとはいえ、それらの一切の過去をなかったことにしてしまうことは出来ません(笑)

東京裁判は確かに戦勝国の手で、得て勝手に裁かれたものです。
だからといって、罪がなかったわけではありません。
あの裁判で裁かれなかった多くの犯罪者が居ますし、
一度裁かれても、戦勝国の都合で解放されてしまって人も居ます。
本当は、日本人自身の手で、もっと厳しい判決を下す必要があったでしょう。

731部隊の件は、多くの証言があります。
森村誠一の本の写真の一部に誤りがあったと言うことで、
全てをなかったことにしてしまうことも出来ません。

もしよろしかったら、731については別スレをたてられますか?
「愛国心」スレとしては話が大きくなりすぎるようにも思います。

それにしても不思議なのですが、
cathoderayさんは、戦前の政治体制を理想となさっているのでしょうか?
再びあのような体制になった方がいいとお考えなのですか?

天皇をはじめ、この国のほとんどの政治家も認めている、近隣諸国への罪の
一切を認めないとおっしゃるのでしょうか?

92cathoderay:2003/07/19(土) 10:35
>これも施政者の責任としては、押しも押されもせぬ「国を滅びさせるほどの」立派な罪なのですが(^^ゞ
施政者たるもの、
どんな嵐の時にも船の航行の安全を図る責任ある船長のようなものでしょう。
誤った判断で船を遭難させてしまった罪は、大きいものですよ。

これについていっている意味がわかっていないようですね。
これは日本国民自体に裁く権利があるものだということです。
ほかの裁判で問われたその他の罪についてはいわれがないということなのですが
要するに、日本国民自体に被害を与えたとして日本国民が被害者となって為政者に
責任を問えると言うものですね。連合国になんやかんや言われる筋合いはないということです。

その他のものについては無罪でしょうという意味ですね

まぁ客観性を失った盲愛とかいうのもいいですけれども
あおってるだけじゃ対話になりませんよ。

対外的にはいうに及ばぬことです ですか?
なにがどういうに及ばぬのでしょうか?

あとですね言論統制をはじめとする・・・というのは多分に戦後教育に
だまされていますね、私の祖父や祖母そのた諸々の老人たちに聞いた話では
統制がなかったとはいわないがおおむね、今の社会が教えているのよりずっと
開放的で自由であったというのが本当のようです。

まぁ、連合国的には暗黒の軍国主義を解放したもの・・・でなければ都合が悪いからですね
その当時は全ての国がそうであったんですよ 程度は別にしてね
スーパーマンやミッキーマウスが日本の軍艦を沈めていたのをしらないわけではないでしょう。
日本はそこまでしていましたかね?


>それにしても不思議なのですが、
cathoderayさんは、戦前の政治体制を理想となさっているのでしょうか?
再びあのような体制になった方がいいとお考えなのですか?

いいえ、それは違いますね
しかし少なくとも当時で日本が取れる方法と言うのはあれでしょう
それを今の価値基準で判断して悪だとか 反省すべきだとか
いってるから私は口を挟んでいるわけです
当時としてはそれが普通だったと言うことです。
後世の価値基準で当時のことを非難しても意味がないということですよ。

>天皇をはじめ、この国のほとんどの政治家も認めている、近隣諸国への罪の
一切を認めないとおっしゃるのでしょうか?

解決済みのものを50年以上たってむしかえして、たかられるというのは
いわれのないことです。
全てすでに解決済みです。それと、近隣諸国というのはどうもあなたの頭の中では中国と朝鮮半島のみを
指すようですね

93cathoderay:2003/07/19(土) 10:37
731については>>90で語ったことが全てです

アメリカ軍が押収した証拠を見せていただけたら本当だという証拠があるのですが
そんなものがないいじょうは認めろと言うのが無理な話ですな。

立証しようのないことは事実として認められない。

94大神:2003/07/19(土) 12:50
煽っちゃいけないなぁ。武蔵君。

95OKE:2003/07/20(日) 00:19
> スーパーマンやミッキーマウスが日本の軍艦を沈めていたのをしらないわけではないでしょう。
> 日本はそこまでしていましたかね?

日本でも、桃太郎が南洋の動物達の国を占領してしまった鬼(=白人)を
撃退しているわけですが。

アメコミヒーローのほうに何がしか政府から要請があったかどうかは知らないのですが、
桃太郎のほうは軍部の要請のもとにつくられているので、
まさにプロパガンダといっていいでしょうね。

対独・対日戦に参加するスーパーヒーローたち、という題材で当時アメコミは
大ヒットしたらしいですわ。
その反動でか、戦後の一時期ヒーローもの人気は低迷してしまったようです。

ちなみに731部隊にしろなんにしろ、証言だけではそれがいかに多くとも
やはり根拠としては弱いでしょう。
明確な証拠が発見/公開されていないのなら判断を保留するというのが
cathoderay氏の姿勢でしょうか。
私もそれに賛同いたします。

96大神:2003/07/20(日) 00:45
>>95
 スーパーマンは露骨にヒトラーを撲殺(笑)してたりしてたからね。
既存の漫画キャラクターで露骨な表現を使っているアメリカと、
婉曲的に鬼に置き換えている日本。鬼と表現するのと、露骨に表現している
のと・・。こういうのは感性の問題になりそうですな。

まぁ、いずれにしろあの総力戦の時代で政府受けのいいものを作ったことは仕方
ないことだね。どちらのサイドにしろ。

97cathoderay:2003/07/20(日) 03:10
>>95

あ、そうなんですか桃タロウの話は知りませんでした

私が知ってるのは、手塚治がアニメを作る原点となったものが
日本の国策映画だったってことぐらいです
追加の知識アリガトウございます。

98イカフライ:2003/07/20(日) 08:47
>>89

 東京裁判は全くの茶番であったし、裁かれるべき連合国の罪は、全く不問にされている。
これは、その通り、大賛成です。
 けれど、その茶番を日本は、日本人は受け入れた、これも事実なんですよね。
 勿論、あの時点で、それ以外の選択肢があったのか、一億玉砕せよ、とでも言うのか、という反論はあるにせよ。
 茶番劇の冤罪を追求する事もなく、真の戦争犯罪を裁く事もなく、A級戦犯をA級戦犯のまま、靖国にまつっている。
 この感覚は、日本人、というか、日本の文化としては、すんなり受け入れられるのですが、日本以外の海外(アジア、欧米を問わず)には、解り辛いとは思います。

99イカフライ:2003/07/20(日) 09:19
ところで、話をもともとのスレの主旨に戻しますが。

>>1でいわれている
>「戦後教育における”愛国心”の欠損が、個人のアイデンティティ確立に
>多大な影響を与えているのではいか?」という疑問です。
 
 この問題について、途中から議論に参加されたかたも、いろいろと意見をお聞きしたいのですが。
 特に80年代において、この傾向があったというお話は、柏葉ざんからも以前、別スレででましたし。

 繰り返しになりますが、私自身は、80年代にはもう学校を卒業していたし、私立校出身なので、いわゆる日教組教育というものも、あまりよく知りません。

100○○番長:2003/07/21(月) 03:25
>>98-99 イカフライはん

私設法座所への書き込みおおきにです。


>けれど、その茶番を日本は、日本人は受け入れた、これも事実なんですよね。
>勿論、あの時点で、それ以外の選択肢があったのか、一億玉砕せよ、
>とでも言うのか、という反論はあるにせよ。(>>98

武装解除の上、完全に占領されてしまってはもはや選択の余地はなく、その状況を鑑みれば『受け入れた』と表現するのは語弊があるでしょう。それに戦争犯罪(=戦時国際法違反)を犯したのは占領軍の方で、占領地の憲法や法律を武力の威嚇をもって替えさせるのは、当時の戦時国際法・ハーグ陸戦法規43条に抵触しています。
http://www.history.gr.jp/nanking/law01.html
ですから『真の戦争犯罪を裁く(>>99)』のなら連合軍側も同様に裁きの庭へ引っ張り出さねばならないでしょう。そして日本の戦争犯罪を裁くとしても、いわゆるA級戦犯と言われた人たちは、戦争犯罪者に該当しません。非戦闘員の殺害や都市の戦略爆撃等を指示した訳ではないのですから。
 

>>「戦後教育における”愛国心”の欠損が、個人のアイデンティティ確立に
>>多大な影響を与えているのではいか?」という疑問です。
>私自身は、80年代にはもう学校を卒業していたし、私立校出身なので、
>いわゆる日教組教育というものも、あまりよく知りません。(>>99

僕の個人的体験ですが、史料的価値の低い本を元にしこたま植えつけられましたわ、反日教育とゆうものを(苦笑
本多勝一『中国の旅』なんかを元ネタにしてたんでしょうね。中学校の社会科教師はバリバリの日教組組合員でしたから。その薫陶の宜しきを得た為に、僕は共産党系の職場に籍を置くに至ったようです(爆

101ぼーん:2003/07/26(土) 01:50
>>61 番長さん
隣のスレには復帰しましたが、こちらはまだ放置したままでした。すいません。

ごく簡単に。

I氏の信念にしたがってぼーんを批判することは無意味です。
ぼーんの信念にしたがってI氏を批判することが無意味なのと同じように。で、

> たとえばぼーんはん以外の者にⅠ氏が差別的な扱いを受けたとすると、Ⅰ氏は自らの論理・自分>他人
> に従い、差別者に対して差別はもとより平等な扱いをも拒否し、敬意を表するように求めることが出来ま
> す。それは自らの論理に合致しているからです。
> さらに、ぼーんはんがⅠ氏と自分を対等と見做しまたそう扱っても、Ⅰ氏はぼーんはんを不当だと訴える
> 資格を持ちます。これもⅠ氏の内的論理から由来します。

は、上記の「批判が無意味なケース」に当たります。

> もちろんぼーんはんも自らのαに従い、Ⅰ氏の不当性を非難することは可能ですが、Ⅰ氏の資格云々には言及できません。

はむしろ逆で、僕が自らの信念にしたがって相手を批判することはやはり無意味です。

他方、I氏が、ぼーんの信念を共有しないが、しかしそれに基づいてぼーんを批判することには意味はあります。
ありますが、ここではむしろ、「I氏には批判する資格がない」と、資格を云々することはできると思います。
ぼーんは、少なくともI氏の選択したルール上、否定されていない振る舞いをしているだけですから。

> 最後に一番の不具合は、Ⅰ氏がぼーんはんを如何に差別的に扱ったとしても、彼は自らの信条に
> 矛盾しないでしょうが、その逆は明らかにぼーんはんのαに抵触してしまう。何故ならαは自分と全
> ての他人が対等だとゆう理念なのですから。

それを批判することはできます。
で、その批判を僕が聞かなければならないのは、批判者がαを肯定しており、僕とその批判者との間で
αが共有されているときだけです。

もし、その批判者がαを共有していないならば、僕はその批判を「聞いても聞かなくてもいい」とまでしか
いえないはずです。「あなた矛盾してるんじゃないの?」と聞かれたら、「そうですね。で、何か文句ある?」
と僕は言い返したとして、そのα否定者に言えることは既に残ってないでしょう。
I氏が何もいえない、という意味では、僕自身がαに抵触していたとしても、大した問題ではありません。

# 別の意味では大した問題になりえますが。


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