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「愛国心」について

55ぼーん:2003/07/09(水) 15:40
>>52-53
αが「αの効用」ゆえに受け入れられる可能性。(1)
αが「αの論理的性質」ゆえに受け入れられる可能性。(2)

これら2つは、互いに矛盾しません。
αを受け入れることが、受け入れる人にとっても良いことなら、それは良いことですね。

番長さんは、(1)について語りたいらしく、それはどーぞ、ぜひともやってもらったら
いいんですが、少なくともそれは僕のやっている(2)の話とは矛盾しません。


その上で答えるべき点がいくつかありますね。

1.αを認めることの論理的帰結として考えると、ⅠとⅡを両方認めないことになる。しかし、Ⅱは認めるべきである。とすると、αというルールの根拠を「αを認めることの論理的帰結」と「αを認めないことの論理的帰結」として考えることはマズイのではないか。

2.柏葉氏もαは認めていた。

それぞれ答えます。

まず簡単な方から。2.について。
柏葉氏は、明確に「αを認めない」としていました。彼は、たとえば国家という極めて限
定された共同体の中でのみ「相互的な尊重」というルールがあり、国家を超えるより大き
な集団においては適用しない、と言いました。これはαの否定です。

ちなみに番長さんは>>52
> 事実僕らの共同体(ここでは国家とする)はこうゆうメカニズムで成り立っていると
> 考えます。ぼーんはんが相手に提案し選択させるまでもありません。
と述べています。

なぜここで「ここでは国家と」しなければならないのか。これが、そもそも問題なんで
す。区別するために、「国家」とか「家族」とか、ある限定された集団内で互いに尊重
するように要求するルールをα’としましょう。柏葉氏は、このα’を認めてはいまし
た。

では、αを否定し、α’だけを肯定する根拠は何か。
そのことを、彼は説明しきれませんでした。仮にそれが互いの利益になるからだ、とす
るならば、たとえば僕はそれを利益だとは思っていないので、α’を否定します。で、
αをも否定している柏葉氏は、αによってもα’によってもぼーんを批判できないので
す。

αとα’は違うものです。尊重すべき人々を「すべて」と述べるか、「すべてではない、
ある限定された集団内のメンバーのみ」とするかで、ルールの意味あいは全然違ってく
るのです。

次に1.について。

> 『α』を認めないとゆう考えには二種類あると思います。言葉の遊びめいた話になりま
> すが、ちょっとの間お付き合いを。
> Ⅰ自分>他人(自分は他人よりも尊重されるべき)
> Ⅱ自分<他人(他人は自分よりも尊重されるべき)

Ⅱは尊重すべきだから、ここでαを一貫して受け入れることはできない。ということみた
いなんですが、これは違いますね。私たちが利他的であることことをⅡとして提示したい
のだろうと推測しますが、利他性はαの否定にはなりません。

私たちは、利他的であるとしても、それを「自発的に」与えるのだし、与えたり、与えな
かったりすることができます。

つまり、私には他者と同等の自由が認められており(αの肯定)その上にたって、自分の
取り分をどのように使うか、というレベルのところで「他者のために使う」ことを選んで
いるだけなんですね。強制的に奪われていくわけではない。

ここで言うⅡの例にふさわしいのは次のようなものです。
・ 長年の夫からの暴力によって「価値のない存在」と思わされてしまった女性
・ 雇用主に隷属することが「よき社会人である」と思い込んでいる労働者
だから、Ⅱのような人には、別の感情を抱くかもしれませんが、少なくとも尊敬はしない
です。

また、被差別者の誰かが、その差別を受け入れることによって、その差別を受け入れがた
い被差別集団のほかのメンバーの足を引っ張ることになることがあります。その場合、Ⅱ
はⅠと同様に批判されるべきものです。


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