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「愛国心」について
52
:
○○番長
:2003/07/08(火) 00:30
皆様毎度おおきに。
>>45-46
ぼーんはん、逐一回答頂き深謝です。
http://mbl.myftp.biz/~uro/
上記スレを読めとのご指示、一応全部読みましたが・・・。相手を誹謗する言辞の余りの多さにちょっとネ。議論のする限りにおいて、出来るだけ嘲弄の言葉を相手に投げつけないように僕は努めていますが、何も批判や反論を嫌うからではありません。自分が攻撃されないための保険でもない。相手の論旨の心臓部に弾を打ち込みたいからに他なりません。巷間言われていることは逆ですが、憤った者はその本性を現さないと僕は思います。冷静に話し合うことは美徳であるだけでなく、逆に相手を丸裸にするでしょう。あくまで私見ではありますが、相手がどうあれ僕はこの態度で通していこうと思います。
まずここで言われている『尊重』ですが、対象別に分けると
A生命を尊重する
B人格を尊重する(思想や信条、信仰も含む)
C気持ちを尊重する(悲しみ、怒り、不快にさせないとゆう程の意味)
など尊重する対象は様々でありましょう。必ずしも完全に分離できるはずもなく、またそれを意図してもおりませんが、やはり一番大事なのはAやと思います。ですからここでは一応Aを中心に考えていきます。
>>①理念の上ではとゆう限定付きでαを主張しはるのは『今はそうではないが、本来そうあるべきだ』とゆうことなんでしょうか?
>ということです。
現実は理に適わんことばかりですが、だからといって理念の有効性が揺らぐ訳ではありません。理念は理念として存在するし、理念と現実のギャップは、人間を奮い立たせるものだとさえ思います。
>> ②αとゆう理念、とゆうより自然な感情は僕のような者にも確かにありますが、それは何に由来するとお考えですか?
>人によって何に由来するか違うでしょう。また、「何にも由来せず、αを持たない人」もいると思います。
実際、柏葉君のような恥知らずが存在しています。そのような人の存在を前提して議論を組み立てていました。
僕は、αを認めることと認めないことの帰結を提示し、相手に選ばせ、その選択に応じた対応をしただけです。
αを普遍的なものとして主張していないです。(書き損じがなければ、ですが。僕個人はそう思っているので、どこかで口すべ
らしてたらご容赦)
柏葉氏が恥知らずかどうかはさておき、ぼーんさんの言う『α』は、僕にも柏葉氏にもあるものと推測します。少なくとも僕にはある。自然な感情と言っていい。勿論現実が『α』通りでないことはぼーんはんもご承知ですし、我が身を振り返ってそう振舞えたかどうかは大いに疑問ですが、とにかく感情としてはあるといえるでしょう。
由来というのは本当のところ誰にも分らないものなのかも知れません。ただ『α』の効用についてなら考えることができます。これはどなたかが別スレで仰っていたことですが(詳細失念)、官憲や司直の手に委ねるまでもなく、そこそこトラブル無しに僕らが暮らせるのは、『α』を多くの人間が持ちまたそれが有効に機能しているからだと思います。ですから一つの共同体に暮らす上で、『α』は必需品であると言えますね。どんなに他人を信用しないと言葉では言ってみても、よく検討すれば無意識に『α』を当てにして生きている面がある。たとえ他人を虐げる者であっても、自分には『α』を期待している。『α』は共同体の治安を守る重要な要素であり、他者の侵害に怯えず暮らす為のセイフティガードとしても、あながち間違いではないでしょう。
こう考えると、『α』の存する最大の効用は、安寧秩序を維持し、共同体に暮らす成員を安らかならしめることといえます。『α』を認めず他人を傷つけ殺める者は、当然のことながら処罰されるわけですね。『処罰する=紊乱者の生命・自由を奪う=同等に扱わない』と置き換えればスッキリします。
事実僕らの共同体(ここでは国家とする)はこうゆうメカニズムで成り立っていると考えます。ぼーんはんが相手に提案し選択させるまでもありません。
続く
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