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「愛国心」について

46ぼーん:2003/07/07(月) 01:25
やっぱ、ごくごく簡単に答えておきますわ。

> ①理念の上ではとゆう限定付きでαを主張しはるのは『今はそうではないが、本来そうあるべきだ』とゆうことなんでしょうか?

ということです。

> ②αとゆう理念、とゆうより自然な感情は僕のような者にも確かにありますが、それは何に由来するとお考えですか?

人によって何に由来するか違うでしょう。また、「何にも由来せず、αを持たない人」もいると思います。
実際、柏葉君のような恥知らずが存在しています。そのような人の存在を前提して議論を組み立てていました。

僕は、αを認めることと認めないことの帰結を提示し、相手に選ばせ、その選択に応じた対応をしただけです。
αを普遍的なものとして主張していないです。(書き損じがなければ、ですが。僕個人はそう思っているので、どこかで口すべ
らしてたらご容赦)

> ③αを認めないと議論の前提が成り立たない(間違ってたらすんません)とゆう趣旨のことを書いてはったように記憶してい
> ますが、だとすればそれは理念や自然な感情とゆうより、それらをベースにした共存の為のルールだと解しますがどうでしょ
> う?

そのようなものだと思います。
ただ、正確に言うと、αを認めない人とも議論は成立します。
ただし、その場合の議論は、「αを認める、認めない、認めることと認めないことの論理的帰結」についてのみ、議論ができる
と考えています。前提が合っていないときには、その前提条件についての議論をするしかない、ってわけです。

> ④自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団があるとします。現実にはこうゆう集団と共生しなければならない場
> 面もあろうかと思いますが、彼らに対するぼーんはんの対応を教えて下さい。彼らに対しても当方のαを適応せねばならな
> いとお考えですか?

「自分たちの身内だけが理念上は平等だ、とゆう集団があるとします。現実にはこうゆう集団と共生しなければならない」
ということの論理的帰結を示し、そのツケを払うように言う、というのが僕の対応です。

僕の理屈は、潜在的にαを否定できない人が多いであろう、ということを前提しています。
αを厚顔にも否定する人間が多数派なら、平和など不可能です。と、僕はさっさとあきらめます。

しかし、実際には、αを認めているフリをしてその利益を受けながら、実際にはαを否定した行動をコッソリとる。
というセコイ行動がまかり通っているわけです。だから、そのセコさをまずは言っていく。

そのとき、人々は、明示的にも黙示的にもαを否定する人と、逆に肯定する人に分かれるでしょう。
肯定する人が多ければ、めでたしめでたし、です。少なければ、駄目でしょう。
しかし、どっちに出るかの可能性は、まだわかりません。


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