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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

266とはずがたり:2015/01/23(金) 13:06:25

 川本「吉田総理の考えは、当時、余剰農産物資が日本にどんどん入り、その資金である円がかなり溜まっているので、それを使わせてもらう交渉をしようということだったんです。しかし、ワシントンに乗り込んだところ、私の出番どころか初めからそれは潰されまして、吉田さんが私に、『残念だったけれども、ウォール・ストリートの法律事務所に君を預けるから、トールロード(Toll Road有料道路)のボンド(起債)を勉強してくれ』ということでニューヨークに私は預けられました(略)。  ……資金の問題でワールド・バンク(世界銀行)に行き、ミスター・ドールという日本の担当者に会い、『日本は道路をつくりたいんだ、金を貸してくれ』と言ったら、『ノー、日本は道路なんかいらない。日本はインシュラ・カントリー(島国)だから、マーチャント・マリーン(海運力)をもっと発展させろ、それが一番早道だ』という答えが返ってきました。私は『しかし、日本政府はどうしても道路が欲しいと言っているんだ。私は場合によってはアメリカの一流の専門家を日本へ連れて行くけれども、レポートを書いたら見てくれるか』と申したところ、『必ずしも金を貸すというわけにはいかんが、レポートはいつでも見てやる』と言われました。『ああそうか』ということで、私はワトキンスさんに頼んで、人選をしていただいたわけです」

山岡 なるほど、そこから「ワトキンス調査団」が編成され、あの有名な書きだし、「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれほど完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない」で始まるレポートができるのですね。レポートを契機に道路づくりが始まります。それにしても、川本氏の世銀相手の粘り強い交渉力には感服します。…

■東海道と中央道を巡る大論争の始まり
山岡 さて、日本を調査したワトキンスは名神高速道路の経済的・技術的妥当性をまとめた報告書を提出、1956年8月帰国します。そこには「東京から名古屋までの中央道案は東海道案の代替案ではなく、経済開発のために望ましいもうひとつの計画である」としています。東名が先か、中央が先かで、政治を巻き込んだ大論争へと発展しますね。中央道と東海道の先陣争いです。

山根 中央道の大の推進者は、青木一男先生です。発端は1955年に議員立法として国会に提出された「国土開発縦貫自動車道建設法」でした。海岸線を走る道路ではなく、日本の内陸部を縦に背骨のように貫く高速道路を建設するための法律です。青木先生は、この立法に財政の専門家として関わられました。

山岡 青木さんは、大蔵官僚出身で、戦前から戦中にかけて大蔵大臣、大東亜大臣を歴任し、戦後、A級戦犯容疑で収容、釈放されてからは、参議院議員として政界で活躍された人ですね。お孫さんが民主党の参議院議員だった小宮山洋子さん。

山根 青木先生の見解は「わが国の産業、人口は特定の地域に集中しすぎている。交通の便をよくすることによって、今まで遅れている地方を開発し,人口の分散を図ることが国策の基本である」、「高速道路建設は自力でできる。お互いに働いて貯蓄し、それで高速道路を建設して子孫に残すべきである」という論旨です。

山岡 ああ、郵便貯金を使った財政投融資の発想ですね。財投は、明治に郵便貯金制度ができて間もなく始まった。その後、大蔵省資金運用部が担当しています。

■名神高速道路の着工と中央道・東海道論争の激化
山根 ワトキンス調査団の来日に先立ち、1956年4月、高速道路の建設・管理を担う日本道路公団が発足しております。57年4月には、国土開発縦貫自動車道建設法、高速自動車国道法が成立、公布されました。翌5月、国土開発幹線縦貫自動車道建設審議会が開催、名神高速道路の審議が進められ、10月15日、その整備計画が決定されました。これにより、名神高速道路の施行命令が発せられ、建設が始まることになりました。これには世銀借款が導入されます。
 これを機に、中央道・東海道論争が激化します。東海道を優先すべきだとの猛烈な運動に対し、青木先生は、東京・山梨・長野・岐阜の各知事、議長などの関係者を糾合して建設推進委員会の委員長に就任し、政治の舵取りをします。自民党内でも東海道派と中央道派に分裂、深刻な事態になりました。たまりかねた村上勇建設大臣が、「どうか中央道側で譲歩して東海道案も認めてもらいたい。中央道については、政府と自民党で建設促進の保証を与える」と青木先生に申し入れます。それで折れて、東海道案を認めることとなりました。
 1960年7月、中央自動車道の路線を定める法律(東京〜小牧間)と東海道幹線自動車国道建設法の両法の制定となり、62年5月、中央自動車道の東京富士吉田間と東名高速道路の東京〜静岡間の施行命令となります。63年10月には、東名高速道路の施行命令は全線にわたりました。

267とはずがたり:2015/01/23(金) 13:10:20
>>265-267

 中央道、東海道、両方の高速道路の同時着工が正式に認められ、いざ予算の配分。ここに至って、こんどは大蔵省と経済企画庁の事務当局が中央道着工反対の方針に固執します。東海道を先に通して、経済発展の果実をもぎ取りたいわけです。『道を拓く』という本に、青木先生がその顛末を寄稿しておられます。政府が東海道を先にして、中央道を後回しにするなら、重大な決心がある、と大平正芳官房長官と前尾繁三郎幹事長に対して、次のようにおっしゃいました。

青木「この期に及んでも東海道の建設費だけが先に決まって、中央道はあと回しになるということになるならば、自分は何の面目があって各県の諸君にまみえるのか。自分は当然責任をとるつもりである。しかし、その前に自民党と政府がいかに信用のおけないものであるかを天下に表明し、その上で自分の進退を決するが承知されたい」

山根 大平官房長官も前尾幹事長も大蔵省では、青木先生の後輩ですから、青木先生の有言実行の性格はよく知っています。そこから政府、自民党とも中央道を放置するわけにはいかなくなり、建設予算がついたんです。

■中央自動車道は、なぜ諏訪経由になったか? 青木一男の決断
山岡 中央道には政治の場での闘いが反映されていますねぇ。当時のマスコミの論調を見てみますと、中央道には批判的です。1959年12月29日付の読売新聞は「再考を要する中央高速道路」と題して、次のように論説しています。
「(建設省がまとめた中央道路線についての)報告書の結論としては、山岳道路につきものの豪雨、降雪、凍結、霧など気象的な悪条件の重なりと、勾配区間やトンネルが多いことから走行速度が制限されるため、高速道路としては不適である点をまず指摘している。さらに全長二九五キロのうち五割までがトンネル、橋梁などの構造物で占められているため、建設費は三二〇〇億円の巨額に達し、(中略)有料道路として非採算的であると結んでいる。この報告で明らかにされるまでもなく、中央道については、かなりの疑点がある」

山根 当初の中央道の計画は、富士吉田から身延町を経由して、飯田市に至ることになっていました。南アルプスを貫くわけです。この間に全長8,058mの赤石トンネルはじめ大小多数のトンネルがありました。世界一金のかかる道路建設になりそうでした。青木先生も、そのことは承知のうえで東海道との同時着工にこぎ着けた。
 しかし、その後、ご自身が欧州へ視察に行き、フランスとイタリアを結ぶモンブラン・トンネル(全長12,000m)の建設現場に赴き、大規模で困難な工事を目の当たりにして、建設省や道路公団の反対論にも理由があることを痛感します。帰国すると、従来の赤石山脈をぶち抜く案を変更し、諏訪地方を経由するルートに改めると提案したのです。

山岡 ははぁ。それで諏訪経由に変わるわけですか。一説には、青木氏が長野出身なので“我田引道”とばかり、自分に都合のいいように変えたとも言われていましたが……。

山根 いや、違いますね。赤石山脈を迂回するために諏訪経由にしたのです。

山岡 …急に予定していた高速道路が通らなくなった身延町とか下部町、長野県下伊那郡の町村などは、話が違う、と大反対したでしょう。

山根 そこから、また青木先生が、政治力を発揮して関係各団体を説得して回られました。ルートから外れた自治体には県が道路整備を重点的に行なうとか、手当ても用意されました。

■高速道路の全国展開へ

山根 1963年7月関越自動車道建設法、以後、東海北陸、九州横断、中国横断と自動車道建設法の立法が相次ぎ、国土開発縦貫、東海道幹線をあわせ、6建設法により、13路線、約5,000kmが定められました。建設省はこれらを包含し、全国にわたる自動車道路網32路線7,600kmを策定、国土開発幹線自動車道建設法を提案、1966年7月公布に至りました。同年同月には、中央道の甲府〜小牧間、東北縦貫道の岩槻〜仙台間、中国縦貫道の吹田〜落合間、美祢〜下関間、九州縦貫道の粕屋〜託麻間、北陸道の富山〜武生間の整備計画が決定、施行命令が発せられ、高速道路の建設は全国にわたります。…



268とはずがたり:2015/01/24(土) 20:20:15
国道に係わるあまりにもマニアックなクイズ
2014年05月08日 22:13
http://roadkawasaki.blog36.fc2.com/blog-entry-220.html

269とはずがたり:2015/01/26(月) 10:30:50
黒森峠
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E141.23.7.836N40.1.43.884&ZM=9

主要地方道 葛巻日影線(旧:葛巻安代線)
[ 2004/11 撮影 ]
http://www.geocities.jp/nocty_bypass/douro/2_touhoku/r30.html

道路レポート 岩手県主要地方道葛巻安代線 黒森峠
http://yamaiga.com/road/kuromori/main.html
探索日 2005年4月

土曜ワイド工場
道のない県道に挑む
http://portal.nifty.com/2008/07/19/b/
多分 2008年頃

270とはずがたり:2015/02/03(火) 08:16:07

原田橋は此処
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.47.40.056N35.4.44.483&ZM=9

原田橋が落ちると二時間半掛かるってのはこの辺(旧龍山村)経由して佐久間市街迄てことか?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.49.6.188N34.59.51.292&ZM=8
東栄や二俣出た方が近そうだな。。

崩落の橋付近に仮設道路設置へ 浜松市
http://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-CK2015020202000085.html
中日新聞プラス2015年2月2日(月)05:00

\◆着工時期は未定
 浜松市は一日、土砂崩れによってつり橋「原田橋」(同市天竜区佐久間町)が崩落し、不通となっている国道473号の付近の天竜川河川敷に、仮設道路を設置する方針を明らかにした。事故現場の安全性を確認し崩落した橋の撤去などが済み次第、着工する。ただ、着工時期は未定で、完成しても天竜川が渇水期の五月末ごろまでしか利用できない。原田橋を利用していた住民は当面、車で対岸に出る場合、二時間半の迂回(うかい)を強いられる。
 仮設道路は、天竜川に樹脂製の大型パイプを並べて川の水を通し、その上に盛り土をして車が通行できるようにする。鈴木康友市長は「住民も困惑していると思うので、なるべく早い時期に仮設道路を造り、不便をかけないようにしたい」と市役所で記者団に述べた。天竜川の水量が増え、仮設道路が通行できなくなる六月以降の対応は、今のところ決まっていない。
 鈴木市長は同橋から約十五メートル下流に建設中の新原田橋について、「一五年度中に供用開始の予定だったが多少影響が出てくるだろう」と、開通が当初の予定よりも遅れる見通しを示した。

◆原因解明 長期化も
 浜松市天竜区佐久間町で三十一日、国道473号の原田橋(百三十八メートル)が崩落し、橋の上で土砂崩れを監視していた市職員二人が死亡した事故で、静岡県警は一日、予定していた実況見分を見合わせた。現場近くの斜面で小規模な落石が相次ぎ、二次災害の恐れがあったため。事故原因の究明が長期化する可能性もある。
 現場近くには天竜署員を中心に二十人以上が待機したが、石や土砂がひんぱんに落ちる不安定な状態が続き、三時間ほどで切り上げた。午後には浜松市の鈴木康友市長も現場を訪れ「予想だにしなかった」と厳しい表情で話した。土砂崩れ監視中の事故だったため、「橋上でなく対岸から監視する方法もあったかもしれない」と監視方法を見直す考えを示した。
 土砂崩れのあった周辺は日本最大の断層帯「中央構造線」に近く、過去の断層のズレで岩盤が劣化し、崩れやすいという。
 土砂崩れが起きた斜面は、市が優先的に防災対策をする国、県道の「要対策箇所」三百八十五カ所には含まれていなかったが、市は「近くに迂回(うかい)路がなく、災害で通れなくなると住民への影響が大きい」(道路課)として、今回土砂が崩れた山肌のすぐ上部に新年度、落石を防ぐ網二千平方メートルを張る予定だった。
 一方で、今回土砂が崩れた山肌にもすでに落石防止の網が張られ、それが根こそぎ崩れたため、市の担当者は「根本的に防災対策を見直したい」とも話した。
 浜松市の要請を受け、国土交通省中部地方整備局(名古屋市)も同日、上空からのヘリ調査班、橋梁調査班の計七人を派遣。二日以降、本格的な調査を進める。

271とはずがたり:2015/02/03(火) 09:07:01
R16東京環状線の形成過程は俺の中で解明されるべき課題の一つなんだけど,白井付近の地図をヨッキがみつけてきてる。

道路レポート 千葉県道280号白井流山線“木”狭区 後編
http://yamaiga.com/road/tpr280/main2.html
「実用道路地図北日本編」より
http://yamaiga.com/road/tpr280/old_2.jpg

残る謎はヨッキが「この辺りは,実際には該当するような道が見当たらない。」とある部分である。

土地区画整理で消えるなら解るが白井の旧中心部は北千葉NTの大規模造成区域から外れているので当然道が無くなることはあり得ない。

多分,現在では考えられない程狭隘な道が指定されていたのではないか,と云う事なんだが,それにしても解らない。
大島田付近が参考に成りそうだが,候補道路としてはこの辺だが,旧道は結構地図から辿れるもんなんだがなぁ。。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.6.3.061N35.45.55.156&ZM=10

272荷主研究者:2015/02/15(日) 01:11:19
>>270
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20150207/CK2015020702000078.html
2015年2月7日 中日新聞
崩落から1週間 新橋建設の判断難しく

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる原田橋の崩落事故から七日で一週間。仮設道路は十七日開通が決まったが、すぐそばに建設中だった新橋の建設は、同じ場所で続けてよいのか判断できないままだ。区内には、山間部に架かる似たようなつり橋が四十一カ所ある。橋直近にある斜面の危険性を緊急点検する必要はないのだろうか。

 「今後、詳細な調査をする。まだ分からない」

 市土木部は四日の記者会見で、新橋がもう使えないのではとの質問に、こう答えた。土砂崩れの起きた斜面に亀裂が入ったかなど、建設コンサルタントに今後、地質調査を委託する。

 国土交通省国土技術政策総合研究所(茨城県つくば市)の玉越隆史・橋梁(きょうりょう)研究室長は「もう大規模には崩れない可能性もあり、対策をとれば建設を進めて大丈夫ということもありうる」と話す一方で、「二度と死者が出ないよう詳しく危険要因を調べるべきだ」と指摘する。

 事故現場周辺は落石の多い所で、「新橋架け替えの場所をもっと下流に」と望む住民の声が建設前にあった。

 市は当時、どこまで耳を傾けたのか。森下和市郎・道路課専門監は「地域の総意、合意は地元説明会などを通して得られたと考えている。一部反対が残るのでやめるというわけにはいかない」と話す。

 市は建設に当たり、両岸で道と橋をつなぐ橋台の下では岩盤を調べたが、今回崩れた斜面の地質調査はしていない。玉越室長は「斜面をどう見ていたかだが、どさっと崩れると思わなければ、斜面の地質までは調べないだろう」と市の対応にも理解を示す。

 つり橋は浜松市内に四十二あり、四十一が天竜区内に集中する。原田橋と同じように、橋をつるケーブルを斜面に固定するアンカー式も少なくない。山間部で長い橋を架けるのに適しているためだ。

 森下専門監は「今回は大量の土砂でつり橋のケーブルを引っ張る主塔が倒れ、それに引っ張られて斜面に打ったアンカーが抜けたのではないか」と話す。つり橋自体に危険があるとの見方には否定的だ。

 市土木部は「まず崩落現場の調査をし、それを踏まえ、他のつり橋周辺の斜面も調査するか、検討したい」としている。

(勝間田秀樹)

273とはずがたり:2015/02/27(金) 09:18:01
>>230

3177 :チバQ :2015/02/22(日) 13:27:16
http://www.asahi.com/articles/ASH2P625VH2PTIPE012.html?iref=com_rnavi_arank_nr01
朽ちる「軍艦島」どう残す 迫る倒壊…保存法探る
山崎聡、池田良2015年2月22日00時31分
 長崎市の沖合に浮かぶ軍艦島(正式名・端島)。炭鉱の閉山後、約40年間無人となっている「廃虚の島」だが、近年、独特の外観が映画のロケ地や観光スポットとして人気を集め、この夏はユネスコ世界文化遺産登録に期待がかかる。一方で島のシルエットを形作る建物群は刻々と崩壊しつつあり、保存への模索が続く。市の許可を得て、普段は立ち入り禁止の区域に入った。
 近代日本の産業を支えた炭鉱の島はいま、どうなっているのか。4日朝、長崎市の許可を得て、軍艦島で建物の劣化状況や補強手段を探る大学の研究グループに同行した。

 暗い鉱員社宅に足を踏み入れると、天井や壁がはがれ、床や階段に散乱していた。高層階の柵はほぼ朽ち果て、屋上の庭園は草が生い茂っていた。

 この島には日本最古の鉄筋コンクリートアパートがある。築99年。劣化が進み危険なので上層階に上れない。吹き抜けから四角く曇り空が見えた。

 かつての小中学校は基礎がむき出しになって海水にさらされ、芝浦工業大の浜崎仁准教授(コンクリート工学)は「倒壊は時間の問題だ」と漏らした。

274とはずがたり:2015/03/01(日) 11:29:32
2010年の記事。

>鉱山としてはまだ採掘可能でしたが、1987年に閉山されました
そのうち復活だな♪

>1912年にロープウェイが設置され、1929年に輸送力増強のため鉄道が開業しました。
索道って云って貰わないと気分が出ないぜw

2010年10月04日 15時00分05秒
運賃1円で乗れる「1円電車」が23年ぶりに常設で復活へ
http://gigazine.net/news/20101004_akenobe_1yen_train/

かつて日本に運賃が1円という全国最安の鉄道がありました。それが明延地区の鉱山鉄道(明神電車)です。これは、兵庫県にあった明延鉱山への輸送のために作られた鉄道で、1987年に鉱山が閉山となったことで廃線となりました。

その後、長らく使われていませんでしたが、2007年に経済産業省の近代化産業遺産認定遺産リストに選定されたこともあり、「ふるさと明延まつり」で仮軌道を敷いて20年ぶりに運転が行われました。その後も1年ごとにイベントで運転が行われていましたが、いよいよ常設の線路を設置して復活することになったそうです。

兵庫県の明延鉱山は日本一の鉱量を誇るスズ鉱山で、平安時代には採掘が始まっていたそうです。鉱山から神子畑にある選鉱所まで鉱石を輸送するため1912年にロープウェイが設置され、1929年に輸送力増強のため鉄道が開業しました。

鉱石輸送用の鉄道でしたが、鉱山で働く人のために人員輸送も行うようになり(当初は無料)、1949年から50銭、そして1952年からは1円で乗れるようになりました。このため「1円電車」と呼ばれるようになりましたが、このことが広く知られたことで興味本位で訪れる人が多くなり、運行に支障を来して正常業務ができないという状況にまで陥ったため、やがて部外者の乗車は禁止になりました。

鉱山の最盛期には鉱山関係の人口が4000人、娯楽施設には芸能人が訪れてショーをするほどの規模を誇りましたが、1985年のプラザ合意で急激に円高となりスズなどの市況が下落して赤字を出すことになり、鉱山としてはまだ採掘可能でしたが、1987年に閉山されました。1円電車もこのとき同時に廃線となりました。

鉄道は長らくそのままとなっていましたが、2007年に経済産業省が(PDFファイル)近代化産業遺産認定遺産リストに「生野・明延・神子畑鉱山関連遺産(通称:鉱石の道)」の一つとして「明神電車と蓄電池機関車」を挙げたこともあり、同年に行われた「第1回 ふるさと明延まつり」で仮軌道での復活を遂げました。

その後は1年ごとにイベントの中で機関車をレンタルして運転を行ってきましたが、今年からは常設軌道を敷き、機関車を購入して本格的に復活することになったそうです。軌道は旧社宅跡に敷かれ、全長は70mでカーブも体験できるJ字形。ちなみに、明神電車は現在も軌道が600mほど残されているそうで、地元としてはいつか600mを走らせたいと考えているそうです。

お披露目は10/24(日)開催の「第4回 あけのべ一円電車祭り」で行われます。当日は無料で1円電車に乗ることができ、乗車した人には復刻1円切符がプレゼントされます。このほか、近代化産業遺産に認定された総延長600mの明延鉱山探検行動の見学会(入坑料が必要)や、あけのべ探訪スタンプラリーなども開催されることになっています。

275とはずがたり:2015/03/10(火) 14:41:01
道路レポート林道樫山小匠線内の
和歌山県道234号長井古座線
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main1.html

>本題からは離れるが、県道234号の行く末が気になるという人もいるだろう。
>私もその一人であったから、数分間脇道に逸れて、この県道がどうなっているかを追い掛けてみたところ――

>まず、左折直後は狭い道が(写真)、小匠集落の外れにある数軒の民家へ続いている。
そして民家を過ぎるとすぐに小匠川を橋で渡るのだが、この橋が軽トラ専用といった感じの狭さであった(写真)。
>橋を渡ると未舗装になり、畦道然とした道が小匠川の右岸に伸びているが、県道はこの道ではなく、橋を渡った直後に右の山の中へ入る。
>ただしそれは図面上のことであって、実際には道らしいものが見あたらなかったので、結局、小匠側の県道が辿れるのは、この名前も分からない橋までという事になるだろう。以上である。

こうr234長井側の終端部記述しているよっきであるが,地図だとこんな感じである。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.53.975N33.35.54.393&ZM=11

この地図だと太い橋に見えるのが,このhttp://yamaiga.com/road/kodakumi/kodakumi_15.jpg軽トラサイズの橋なのか?橋を渡って終わりという記述にも合致する。

しかし図面上の道ってのはこの橋の直ぐ上の川をどうやって渡ってゐるか解らないより細い道なんでわなかろうか??

この道はほぼ古座側の終端点まで峠付近の数百mを除いて山道として繋がっている様に見える。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.51.8.181N33.34.58.501&ZM=9

276とはずがたり:2015/03/10(火) 15:57:13
>>235>>275
周辺は王子製紙の植林地の様である。森の中の道が美しそう。
また凄い山の中のイメージだけど
>実際の標高は僅か130mほどでしかない
>直線距離ならば海までは10kmと離れていない
そうな。

紀伊山地の隔絶した山の中の印象だが随分海に近い。
それにしても小匠から一寸行っただけで高野・山手川・樫山と魅力的な廃道・廃村とは和歌山県奥が深い。(ただ過疎ってるだけとも云えるけど。。)

道路レポート 林道樫山小匠線  (山手川への脇道編)
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main9.html
明治当時の里道(地図中の二重線の道)は、「高野〜(峠)〜山手川〜クジヤ平〜(峠)〜樫山」のルートであり、現在の川沿いの道は未完成だった。

場所はこの辺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.28.897N33.34.43.382&ZM=7

この山越えの道について,最近ツン読した『峠の歴史学』服部英雄 2007年 朝日新聞と云う本に,昔の道は
>川沿いに道がつけられていることは意外に少なかった。なぜなら川沿いの道は山腹,崖の崩壊など災害に弱く,崩落の危険が常にあったからである
とあったがその法則に此処も合致していたと云えよう。(山の人工の道は水抜きを造って排水したのだそうな。また牛は橋の下が見えるとどんなにひっぱっても動かなくなってしまって使えなかったので橋は丸太の上にカマスを敷いてその上に土を被せたのだそうな(土橋)。)

クルマ社会になった現在では法面を固め,勾配を緩い川沿いが重宝され,更に昨今では長大なトンネルで一気に抜けるのが主になっている。

277とはずがたり:2015/03/10(火) 17:03:32
>>235>>275-276
驚異の河中道といい,豊富な水量見せつけられたし小匠ダムはギロチンを常時閉鎖して水力発電に使えないかとも思うんだけど(どうせ無人地帯やし古座川への道路は樫山林道が出来たしこちらは湖底に沈めても良い。道が必要ならこの辺http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.21.563N33.36.5.667&ZM=8に小匠集落から栃の川橋付近に直結するトンネルを掘るだけで良いな。→と思ったらなにやらふるさと林道小匠小森川線http://blogs.yahoo.co.jp/kumanophoto_ki/60690908.htmlとか造っとるやなないけーヽ(`Д´)ノ)

で,人が住まなくなってから立派な道路をガンガン通すのは本当に勿体ない。よっきはその辺に理解を示すから道路愛好家(道路とその利用者に対する愛がある。。)の限界なんだけどがんがん税金むしり取られてこんな所に無為にカネ棄てられるのはやるせない。

で,せめて発電ダムとしての利用の可能性も探りたい所だけど如何せん高低差が足りなさそうなのである。。ダムの標高が海抜25m付近ではねぇ。。しかし水量が豊富なんでベース電源的に常時一定量発電するのは行けるんではないか?

栃の川橋と集落の変遷
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main5.html

>徒歩道を示す破線は沢山描かれているが、より重要度が高い二重線の里道に着目すると、樫山〜クジヤ平〜山手ノ川〜高野を結ぶ山越えの道が目を引く。

>その一方で、定住者がなくなった集落へ、「遅ればせながら」といった感じの道路整備が進んでいる。
樫山では古座川町中心部へ通じる新しい林道が開通し、高野にも、長大トンネルを含む「ふるさと林道小匠小森川線」が通じた。

>もっとも、この時期の道路整備も無駄ではないと個人的には思う。
>定住者がいなくなっても、集落跡に山林などの財産や、お金に替えられない想い出を残している旧住民は多いだろう。
>廃村と共に道が廃れて辿り着けなくなってしまった集落跡は、本当に救いがない。

小匠ダム
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main1.html

>それでは、満水時の湖面は一体どの程度の広がりを持つのだろう。
>海抜約25mに立地する堤高37mの小匠ダムの貯水位を海抜50m附近と想定し、その等高線に沿って湖を描いてみたのが右図である。

>川の両岸は険しいが、河床の勾配は極めて緩やかであるため、2〜30mの水位上昇であっても、驚くほどに細長いダム湖が出現することが分かる。
>具体的には、小匠川本流沿いにダムから3km上流までが湖と化し、高野川沿いではそれ以上である。
>そして、これらの川に沿う林道もまた、2km以上先まで余裕で水没するようである。

>ちなみに、ダムの穴がある現在地は、水深15m以上の深さになると思われる。
>例の“ギロチン”が水圧に耐えられるのかという疑問を持つが、きっと大丈夫なのだろう…。

278とはずがたり:2015/03/16(月) 13:05:05
ツイッターはよくわからないんだけどヨッキが一本杉峠>>49>>62-64>>67に来てた気配があるぅ。まだレポはなかったような。。そのうち公開されるかな??

https://twitter.com/yokkiren
ヨッキれん/平沼義之 ?@yokkiren 3月3日
茨城県の一本杉峠付近から眺めた関東平野。
日本最大の平野はやっぱり半端じゃないな。
余りに広すぎて、茫洋たる様は海のようだ。

279とはずがたり:2015/04/25(土) 15:13:30
よっきの緊急ミニレポまだぁ〜!?

ひび割れで「最も危険」北鎌倉隧道、通行禁止へ
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150425-OYT1T50040.html?from=yrank_ycont
2015年04月25日 14時08分

 神奈川県鎌倉市は、JR北鎌倉駅近くにある「北鎌倉隧道(ずいどう)」(鎌倉市山ノ内)を、28日午前1時から通行禁止にすると発表した。

 内部に複数のひび割れなどが確認され、危険と判断した。

 市都市整備部によると、隧道はJR横須賀線に沿って走る市道にあり、長さ約7メートル、幅約2・5メートル、高さ約2メートル。岩塊がくりぬかれた様子が観光客に人気で、市民の一部からも保存を求める声が上がっている。

 県都市整備技術センターの点検調査によると、ひび割れは最大で長さ2・9メートル。地震などで衝撃を受けると岩石が剥落する危険があるという。天井付近に樹木の根が確認でき、国の4段階の基準で最も危険な「緊急措置段階」と判定された。

 市は、センターにさらに詳しい調査を依頼し、安全対策の方法を決める。

 通学路として隧道を使っている小学生や高校生らには、近くの円覚寺境内などを通ってもらう。一般の迂回(うかい)路は、北鎌倉駅南側の県道となる。

280名無しさん:2015/05/04(月) 03:06:15
茨城県の圏央道は今年中に開通予定となってはいるけど、
本当にできあがるのかねぇ・・・

全くと言ってしまえるくらいに開通しそうな気がしないなぁ。。。

281とはずがたり:2015/06/04(木) 19:15:28

「落下の橋」早く復旧して…半年通行止め続く
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150604-OYT1T50068.html?from=y10
2015年06月04日 13時12分

 福岡県粕屋町が管理する「駕与丁かよいちょう公園」で、公園内の池を横断するように架かっている「みずとり橋」(約160メートル)の一部が落下し、復旧の予定が立たないまま半年間も通行止めになっている。

 公園利用者からは「橋は公園のシンボル。ぜひ復旧してほしい」との声が出ている。

 みずとり橋は歩行者用のつり橋で、両端のコンクリート製土台と、池の中に立つ2本の橋脚をワイヤで結び、橋げたをつるす構造。昨年12月5日朝、散歩中の人が「バーン」という大きな音がして橋の一部が落ちたのに気づき、町に連絡した。

 土台の一方が池に向かって傾き、垂れ下がった橋げたが池につかっており、町は落下が進まないよう応急工事を行い、同月17日から通行止めにした。

 橋は1997年3月の建設。「工事に問題があったのではないか」との指摘も出た。しかし、工法が非常に珍しいうえ、設計した会社が倒産しており、町は学識者らによる調査検討委員会を設けて原因を究明し、復旧方法などを探ることにしている。

 町都市計画課によると、公園は一周約4キロで、橋を渡れば2キロの散策コースになる。駐車場からバラ園などへの近道で、公園利用者から「いつ開通するのか」といった問い合わせが相次いでいる。だが、池はかんがい用で、検討委の結論が出ても、農業用水の需要が減り水を抜く10月から翌年2月の農閑期でないと、工事に取りかかれないという。

 同課は「橋を撤去することは考えていない。復旧までの予定が決まらず、利用者には申し訳なく思っている」としている。(柿本高志)

2015年06月04日 13時12分

282とはずがたり:2015/06/20(土) 09:06:24
西武の正丸トンネルとか秋山渉の本拠地とかで有名な正丸峠。
旧道の正丸峠でバトルするんだけど,更に山道がある様だ。

正丸峠
http://ccsf.jp/~mwe/tour/20090411/5.html

283荷主研究者:2015/07/21(火) 22:42:58
永代通りの地下に自動車専用道路の計画があったとは!!この未成道路は極めて魅力的。百戦錬磨のヨッキと言えどもこの地下空間への潜入は至難の業だろうなぁ(笑)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150719/k10010159251000.html
2015年7月19日 18時21分 NHK
東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か

 JR東京駅の北側の地下に、長さ50メートルの巨大な空洞が残されているのが確認されました。およそ50年前に計画された地下トンネルの一部とみられますが、これまで使われたことはなく、どこにあるのかが分からなくなっていました。

 空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近で、NHKの番組「ブラタモリ」の取材中に偶然、見つかったものです。空洞は幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。

 この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。

 空洞にはもともと出入り口が作られておらず、長い間、誰も実際に中を確認できませんでしたが、東京メトロによりますと、平成13年に穴を開けて安全性などを調査したという記録が残っているということです。しかし、その際にどこに穴を開けたかは記録されておらず、再び中に入れない状態となっていました。

 東京の地下の開発に詳しい東京メトロの丸山茂さんは「ずっと入り口が分からなくなっていたので、今回、偶然見つかって非常に驚いた。安全性には問題ないが、当時の建設計画は詳細が分からず謎が残る」と話しています。

http://mainichi.jp/mantan/news/20150720dyo00m200002000c.html
2015年07月20日 毎日新聞
ブラタモリ:50年前の“幻の地下自動車道”を偶然発見

「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」の取材で発見された“幻の地下自動車道”

 タレントのタモリさんが街を訪ね歩くNHKのバラエティー番組「ブラタモリ」の取材中に、東京駅そばの永代通りの地下に、約50年前に作られた“幻の地下自動車道”を発見したことがこのほど明らかになった。50年近く前に進められていた地下工事が頓挫し、幻となっていた地下自動車道の入口で、見つかったのは自動車2車線分の空間が2本、計4車線の道路。番組の取材中に偶然発見したという。“幻の地下自動車道”にテレビカメラが潜入するのは初めてで、20日放送の「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」で紹介される。

 “幻の地下自動車道”は、1967年当時の完成予想図によると、永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道で、当時は、急激に自動車の交通量が増えたこともあり、インフラ整備の際に空間を確保しておくため、地下鉄の工事に合わせて一部作られたものが、使用されないまま残っていた。東京メトロによると「存在は知っていたものの、どこに入り口があるのか分からなかった。今回、バリアフリーのための東西線大手町駅改装工事の際に、天板をはがしたところ、見つかった」という。

 「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」では、東京駅周辺の地下に広がる巨大な空間に潜入。八重洲の地下に眠る江戸城の痕跡など丸の内から銀座まで広がる約18キロの地下空間の秘密を解き明かしていく。NHK総合で20日午後7時半から放送。

284とはずがたり:2015/07/22(水) 14:20:07
ここ?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.46.16.682N35.40.51.645&ZM=10

>幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。
巾6mだと2車線行ける?

>永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道
小型自動車道ってのがよく解らない。パリにあるとかいう小型自動車専用(大型トラックなど禁止の)って事?道路自体が八重洲⇔丸ノ内の短距離って事か?

呉服橋から東京駅迄高速バスがガンガン走っていてタクシーもうじゃうじゃいて混むから今からでも造るべきだな。

285とはずがたり:2015/07/22(水) 14:23:18
>>284
>巾6mだと2車線行ける?

道路構造令の説明パワポと思われるが,第3種第3級・第4種第2・3級だと幅員3mだそうな。
http://www.mlit.go.jp/road/sign/pdf/kouzourei_2-2.pdf
路側帯とか考えると2車線はきついかな。。上下各1車線か。
ただ40年前の計画では上下各2車線だったのかも。当時の道路構造令はどうなってたんかな?

286とはずがたり:2015/08/19(水) 21:31:37

夏休みの副業で忙しかったよっきが久々の更新。この辺だ。
気になる県道がr280入粟野・引田線+r281板荷・引田線のペアである。

周辺地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.37.51.838N36.33.36.471&ZM=7

r164板荷・玉田線

r281板荷・引田線

r14鹿沼・日光線

r280入粟野・引田線

r240石裂・上日向線

r177上久我・栃木線

r246草久・粟野線

r15鹿沼・足尾線

r32栃木・粕尾線

栃木県道280号入粟野引田線 坂本区間
http://yamaiga.com/koneta/koneta_208.html

r280+281入粟野・引田・板荷線とすると鹿沼市の内陸部を繋げる道路になる。更に山を越えるとr32辺りに接続する♪r32が栃木日光線とでもなりそうだw

287とはずがたり:2015/08/28(金) 22:38:14
>>190>>270>>272

原田橋 200メートル下流に再建 
http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?index_flg=1&comment_id=291215&comment_sub_id=0&category_id=136
2015/7/30 紙面から

◆浜松市発表 19年度開通

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川で一月末、土砂崩れにより崩落した原田橋の再建について、浜松市は二十九日、崩落現場の二百メートル下流に長さ三百メートル、幅七・五メートルの橋を新たに架けると発表した。工期は五年で、供用開始は二〇一九年度となる見通し。検討中の三案から、住民の賛同が多かった案に絞り込んだ。

(ここまで 162文字/記事全文 758文字)

288とはずがたり:2015/08/28(金) 22:43:27
>>287-288
画像貼り忘れた。
http://tohazugatali.we b.fc2.com/road/291215.jpg

289とはずがたり:2015/09/06(日) 09:55:46
旧道と云うには余りに新しい廃止箇所だが橋は撤去されてる様だ。

山の道
各地の廃道・廃線・隧道・旧道の歴史と探索記録
福島県西白河郡西郷村 甲子道路廃止区間
http://yamanomichi.com/kashi

290とはずがたり:2015/09/21(月) 19:51:41
広島辺りはヨッキも未だあんま開拓してないよね。

広島険道(県道)最強 80号線を走破する
https://www.youtube.com/watch?v=11UK2mVTaQM

この辺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.43.0.882N34.33.5.588&ZM=7

最強険道と煽る程のことはないな〜。
県道じゃ無くて林道で繋いである区間かな?

拡大部分だと道途切れてるけどw
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.43.11.760N34.33.10.104&ZM=10

291とはずがたり:2015/09/22(火) 06:40:21
>>290
指定されたの割と最近(とはいえ20年は経っちゃってる。。)なんだな

広島県道80号東広島向原線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%9380%E5%8F%B7%E6%9D%B1%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%90%91%E5%8E%9F%E7%B7%9A

広島県道80号東広島向原線(ひろしまけんどう80ごうひがしひろしまむかいはらせん)は東広島市八本松東3丁目と安芸高田市向原町長田を結ぶ主要地方道である。

1993年(平成5年)5月11日 - 建設省(当時)告示第1,270号により主要地方道に認定される。
前身は広島県道339号内区米満線の全部分と広島県道340号久芳(くば)向原線および広島県道328号志和口向原線の各一部である。
1994年(平成6年)4月1日 - 広島県告示第406号により認定される。
2004年(平成16年)3月1日 - 高田郡の全6町が対等合併して安芸高田市が発足したことに伴い終点の地名表記が変更される(高田郡向原町長田→安芸高田市向原町長田)。
2005年(平成17年)2月7日 - 沿線にあった賀茂郡福富町が東広島市に編入される。

292とはずがたり:2015/11/01(日) 19:59:12
廃鉱山も興味あるけど(;´Д`)

廃鉱山探検 高井鉱山
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1119

293とはずがたり:2015/11/01(日) 20:14:41
>>292
此所ら。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.26.34.500N36.37.9.389&ZM=8

毛無峠付近にあった硫黄鉱山の高井鉱山は群馬県側に移って小串鉱山となったようだ。
一寸調べてみると吾妻鉱山跡が見付かった。

吾妻鉱山
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.30.20.063N36.35.28.097&ZM=7

この吾妻鉱山は小串鉱山とは別らしい。

4/30/2006 草津町白根鉱山,嬬恋村石津鉱山,吾妻鉱山
http://heyaneko.we b.fc2.com/gh06.html
草津温泉の近くには,大正の頃から高度成長期まで複数の硫黄鉱山が稼動していました。このうち学校をもつ鉱山集落があったのは,草津町白根鉱山,嬬恋村石津鉱山,吾妻鉱山,小串の4か所です。これらの鉱山集落は,すべて閉山と同時に無人となりました。

入道沢鉱山
http://www.geocities.jp/kouzan_by_gnma/nyuudousawa01.html
群馬県内の硫黄鉱山と言えば、
・小串鉱山
・白根鉱山
・万座鉱山(湯釜から硫黄をほじくってた)
・吾妻鉱山
・石津鉱山
がよく知られている。

しかし、今まで存在を知らなかったが、もう一つ大きな硫黄鉱山があるらしい。
しかも国道から目視出来る場所に。

その鉱山の名は「入道沢鉱山」(通称)と言う。


で,此所らと云えば山行がでレポートされた上信鉱山である。
凄い索道で運び出していたらしい。

上信鉱業専用軽便線(未成線)
http://yamaiga.com/rail/joshin/main.html

ただヨッキは廃道や未成線には興味あっても鉱山に関しては余り関心が無いので上信鉱山に関してはよく判らない。上信鉱山で検索掛けてみると引っ掛かるのはこいつ。蝋石の鉱山らしい。群馬というか信越のこの辺は割と鉱物資源が豊富な様である。如何せん規模が小さいようだけど(;´Д`)

上信鉱山焼成炉(ロウ石山溶鉱炉 )
http://haikyo.crap.jp/s/9977.html

294とはずがたり:2015/11/01(日) 21:55:06
此処に詳しい。ドラマですなぁ。。
仁田沢は此処だが,r112の未成区間を挟んで毛無峠(先程の一代目高井鉱山)である。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.29.47.813N36.33.8.000&ZM=8

上信鉱山の足跡
http://hanaha09.exblog.jp/15337438

嬬恋村大前から北へおよそ6km、静かな物音ひとつ聞こえてこない干俣にある仁田沢集落です。
昭和15年、嬬恋村の干川石造さんがこの集落から分け入った山中に炭焼き窯を作ろうとしたところたまたまロウ石の鉱脈を発見した。
この山はロウ石山と呼ばれて10人ほどの村人たちでほそぼそと採掘が開始された。
ちょうど時代は太平洋戦争真っ只中、ロウ石に含有されていた酸化アルミに目を付けたのが当時の軍部。
この鉱石から金属アルミニウムを製造しようとしたのである。
アルミ資源の乏しい日本においてはおそらく藁をも掴む思いであったに違いない。
昭和18年には軍需産業に指定され大阪窯業、日窒工業、昭和電工3社で上信鉱山が設立され国家政策の一環として採掘が始まった。
昭和19年には250人ほどが動員され、鉱石は策道でふもとの仁田沢集落まで降ろされ、トラックで芦生田の草軽電鉄嬬恋駅、トロッコのような貨車で信越線軽井沢駅まで運ばれた。
その算出量は年間15000トンにも達したと言われている。
一方、群馬鉄山の鉄鉱石輸送に施設された太子-長野原-渋川にいたる貨物線に接続する鉄路も建設が進められた。
この国家をあげた大事業もすべての設備が完成を迎えないまま終戦と共にあえなく終わりを告げた。

戦後満州から一人の窯業技術者が引き上げてきた。
大阪窯業東京工場の片隅に放置されていた上信鉱山の鉱石の山を見てさまざまな分析を試みた。
ロウ石といわれていたものは実は加水ハロイサイト(Al2Si2O5(OH)4・2H2O)ということが分かった。
そのままでは耐火物原料としては不向き、焼成をしないと使えないことが分かった。
しかし、試験的に製造された耐火材料は1750℃以上にも耐えうる非常に優秀なものであることが分かったのだ、そして上信鉱山の視察も経て粘土質鉱山として開発する価値は充分と判断した。

これからが話は長くなる。
大阪窯業東京工場のこの技術者を訪れた二人の男が居た。
一人は吾妻郡中之条町の実業家で衆議院議員小渕光平、もう一人が光山電化工業社長の小渕浪次の兄弟だった。
小渕光平の次男は元総理大臣の小渕恵三。現衆議院議員の小渕優子は孫にあたる。
昭和29年に光山電化工業-上信鉱業所が開設され専ら耐火原料としての採掘の再興計画がスタートしたのである。
昭和31年にはハロイサイト鉱石の焼成炉の工事が始まった。そして翌年には高さ14m、直径4mのシャフトキルン、縦型焼成炉1号炉が操業を開始した。
焼成炉は稼動を開始したものの製品の売り先が決まらない。
焼成炉建設のための多額の借金に追い討ちをかけるように兄小渕光平が議員活動中に急死した。
悲嘆にくれていた小渕浪次の下に待ちに待った1枚の注文書が届いたのだ。
時はすでに昭和33年の10月、日本鋼管炉材部からのものであった。
2基目の焼成炉も完成間近、上信鉱山所は一挙に三交代勤務の焼成作業にこぎつけたのである。
鉱石として優秀であった上信ハロイサイトの需要はあっという間に広がり、生産も追いつかなくなってしまった。
山に捨て去っていた鉱石を振るった後の残渣まで処理され、ますます儲かる構造となった。
しかし、昭和38年(1963)に火災により鉱山事務所、宿舎を消失してしまった。
たまたま鉱脈も尽きかけていてこれを機に、上信鉱山所の閉鎖、光山電化工業は休眠扱いとなった。
最盛期わずか4年の活動であったがその間に挙げることのできた高収益は奇跡的なものとして語られています。

295とはずがたり:2015/11/01(日) 22:00:53
蝋石
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E7%9F%B3

ろう石は、葉ろう石(パイロフィライト)などを含むロウ感のある鉱石である。単一の鉱物ではなく、いくつかの鉱物の集合体の名称である。流紋岩やデイサイトなどが熱水作用を受けて生成したと考えられている。
日本では、岡山県備前市三石、広島県庄原市勝光山などが産地。耐火煉瓦やガラス繊維などの原料として利用されている。
ろう石鉱物[編集]
ろう石を構成している鉱物をろう石鉱物という。葉ろう石のほか、カオリナイト、ダイアスポア、コランダム、絹雲母(セリサイト)、明ばん石などの鉱物が含まれている。

ろう石
上野三義
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/63_02_05.pdf

296とはずがたり:2015/11/01(日) 22:13:54
上信鉱山は鉱脈が尽きつつあったと云うから仕方が無いけど,太子支線と吾妻線延伸部でそれぞれ群馬鉄山と上信鉱山からの鉱物搬出で賑わう姿を見てみたかった所。
また草軽電鉄も観光鉄道としてもっと活躍出来たんちゃうかという残念さもあり。

隧道レポート 干俣鉱石輸送鉄道の未成隧道 歴史解説編
http://yamaiga.com/tunnel/naganohara/main5.html

5/22/2006 六合村元山・品木
http://heyaneko.we b.fc2.com/gh08.html
# 8-1
草津温泉近辺の「廃校廃村」めぐり,二回目の目標は,草津の東隣,六合(Kuni)村元山(鉱山関係の廃村)と品木(ダム関係の廃村)です。
元山(Motoyama)は,昭和19年に開山した群馬鉄山の鉱山街として賑わいましたが,昭和40年の閉山とともに鉱山街は消滅しました。現在,鉱山跡地は「JFE奥草津休暇村」として活用されています。およそ1km先には5戸(H.18)の熊倉という集落があり,人気はありそうです。
一方,品木(Shinaki)は,草津温泉を流れる湯川の下流にある山村でしたが,強酸性の河川水を中和する目的で作られたダム(品木ダム:昭和40年竣工)の建設により水没しました。現在は湖から1km近く離れた高原面に,5戸(H.18)の新しい品木集落が作られています。

297とはずがたり:2015/11/01(日) 22:15:58
グンマーネタで強烈な1枚の一つ。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC&es_sm=122&tbm=isch&imgil=9qWjWtU9GXWYtM%253A%253BQYZ68qK9Tz7X9M%253Bhttps%25253A%25252F%25252Ftabipedia.net%25252Ftours%25252F%25252525E3%2525252582%25252525B0%25252525E3%2525252583%25252525B3%25252525E3%2525252583%252525259E%25252525E3%2525252583%25252525BC&source=iu&pf=m&fir=9qWjWtU9GXWYtM%253A%252CQYZ68qK9Tz7X9M%252C_&biw=1366&bih=599&usg=__pCxdj2DhsFFgzjaimtrhdbklTQU%3D&ved=0CCoQyjdqFQoTCM-6n9ym78gCFQT-Ywod4UgOgQ&ei=3A82Vs_cJIT8jwPhkbmICA#imgrc=9qWjWtU9GXWYtM%3A&usg=__pCxdj2DhsFFgzjaimtrhdbklTQU%3D

これはなんと高井鉱山・小串鉱山のここ毛無峠付近のものらしい。
余りのシュールさに合成かと思ってたけど本物だったとわw

小串鉱山トレッキング
http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/4889250.html

298とはずがたり:2015/11/25(水) 17:11:47
『鉄道廃線跡を歩くIII』の巻頭の宮脇先生の紀行文は南薩鉄道であった。
個人的には鹿児島交通世代なのだが,この南薩鉄道,支線が二つもあったらしい。
一つは加世田の外港的な?万世への枝線,もう一つは知覧への支線である。
枕崎へは現在も指宿枕崎線が通じているし知覧のある南九州市内も(知覧の遙か南の海岸沿いを)通ってはいるけど,復活できないかなぁ(;´Д`)

乗客が殆ど居ない山川以西は無くて良かったから喜入の北の瀬々串辺りから西に分岐して知覧,加世田,枕崎を通る路線が有った方が沢山の人に恩恵があったのではないか?
(昭和35年に山川〜頴娃が開通してるけど,この時昭和40年迄残っていた知覧線に向けて瀬々串〜知覧を国鉄が建設することで鹿児島交通と国鉄の相互乗り入れの形で鹿児島〜知覧〜加世田〜枕崎を残せたんじゃあ無いのかって事である。因みに伊集院〜枕崎は昭和58年の水害をきっかけに廃止となってしまったそうな。)

http://www.tokyoizen.com/kura/KGS/KGS090.html
明治32年(1899年)の創業。酒銘「萬世(ばんせい)」は、大正14年(1925年)に東加世田村が町制をしく時、南薩摩を流れる万之瀬川(まのせがわ)の「万」と加世田(かせだ)の「世」の字をとって「萬世不易(ばんせいふえき)―永遠に変わらないこと」の繁栄を願って地名を万世としたことに由来。

299とはずがたり:2015/12/02(水) 14:29:19
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/363-364
>【宮津線】丹後山田(野田川)━▲加悦鉄道━加悦―出石━▲出石鉄道━江原(豊岡)

『廃線跡を歩くIII』に拠ると,敷設法には京都府山田から兵庫県出石を経て豊岡へ至る鉄道として規定されて,山豊線と言われてたそうな。
で,出石鉄道が設立されたけど建設に苦労し,その際にこの予定線を山田〜出石〜江原に変更するように嘆願したけど認められなかった経緯もあったという。俺が加悦鉄道と出石鉄道を混ぜてってのも,そんなに荒唐無稽って訳では無いんだな♪荒唐無稽だけどw

江原も豊岡も変わらん様に思うんだけど。現在,出石も,江原の有った日高町も豊岡市に併呑されている。現行法制下なら江原発着でも可能という訳かw
加悦から江原経由でニッケルをガンガン搬出する姿見てみたかった(・∀・)

因みに山田は地名として求心力を発揮出来ず野田川駅から更に与謝野駅となっているようだ。
筑豊の山田は上山田と下山田だったし伊勢の山田は宇治山田だったし,日本を代表する地名の山田だけど駅名としてはどうも不遇である。

300とはずがたり:2015/12/14(月) 18:49:44
ひでえなぁ。。
自民党利権政治屋と建設官僚と土建屋が結託してこの無駄遣い三昧。
怒りしか湧かない。

道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(十和田市区間)
http://yamaiga.com/road/aotowa/main.html

301とはずがたり:2016/02/18(木) 14:15:55
>日本海に臨む近畿最北の水族館「城崎マリンワールド」の沖にある小島に「竜宮城」がある。今は上陸できないが、昭和25年に作られた観光施設
知らんかった。いってみてえ!(;´Д`)

2016.2.18 05:00
なぜここに駅が?「玄武洞駅」のミステリー…“豊田商事物件”と噂の廃虚ビルは何を語る 観光名所は川向こう
http://www.sankei.com/west/news/160218/wst1602180002-n1.html

 兵庫県豊岡市内に不思議な駅がある。JR山陰本線の「玄武洞駅」だ。160万年前の巨大溶岩跡があり、城崎温泉(同市)と並ぶ北近畿の観光名所である玄武洞公園への“玄関口”だが、公園は円山川をはさんで駅の対岸にあり、どうやって行くのかナゾだった。そこで調べてみると、駅がなぜここにあるのか、そのレゾンデートル(存在意義)が判明、栄枯盛衰の過去が見えてきた。さらに近くにはネットでも話題の廃虚があるなど、一帯はちょっとしたミステリーゾーンと化していた。

近くに船着き場

 豊岡市の中心街から円山川沿いの道を北へ、城崎温泉に向けて車を走らせていると、左手に見えてくるのが「玄武洞駅」だ。うっかりすると見逃してしまいそうなほど目立たない。

 駐車場も周囲にはなく、ようやくスペースを見つけて降車。歩いて駅に近づくと、特徴的な駅舎の青い屋根と青い跨線橋(こせんきょう)が見えた。

 時刻表を見ると、停車するのは上下線とも1時間に1本程度で、無人駅らしい寂寥感を漂わせている。駅前にあるバス停の待合所もペンキがはがれ、“朽ち果て感”が何ともいえない。

 「何のための駅なのか」。周囲を探索し、「玄武洞船着場」という看板の矢印の通り、円山川まで歩くとあった。さびついた看板だ。そこには「乗船希望の方はこちらへお電話ください(対岸より迎えにまいります)」の文字。電話番号と料金も書かれていた。

 「なんだ渡し船があるの?」 そう思ったが、どこかしっくり来ない。実はこれ、正式な営業路線ではなかった。

年間40万人の観光客

 玄武洞公園は、160万年前の火山活動でできた巨大溶岩跡で、規則正しい割れ目の岩石が連なる山陰海岸国立公園の名所。特別天然記念物でもある。江戸時代から観光スポットとして有名だったという。

 その対岸に明治45年、玄武洞駅ができた。現在のようなまともな道がなかった時代、両岸を行き来するのに欠かせなかったのが渡し舟。サオで漕ぐ小さな十石舟が往来していた光景は駅の開業で変わっていく。

 玄武洞への「玄関口」となった駅は、特に戦後復興期から高度経済成長期に観光客がどっと押し寄せた。十石舟はエンジン付の船となり、そして、昭和39年には株式会社「玄武洞観光渡船」が設立された。

302とはずがたり:2016/02/18(木) 14:16:12
>>301-302
 同社の船頭だった地元男性(83)が保管していたパンフレットからは、定員57人を最大に6隻の観光船を保有していたことがわかる。最盛期には年間40万人もの観光客を運び、「それはすごいにぎわい。観光バスもひっきりなしにやってきて客をはき出してくれた」と男性は振り返る。

 だが、その後、玄武洞公園へ直結する道路が整備され、次第に駅利用の客足は遠のき、45年には無人駅となった。地元の人々は無人化に反対の声を上げたが、当時の国鉄には届かなかった。渡船会社は営業を続けたものの、赤字が膨らみ、平成11年に廃業した。

噂が噂を呼ぶ赤煉瓦の巨大廃虚

 そんな過去を持つ玄武洞駅から北へ歩くと、赤煉瓦づくりの巨大な廃墟に遭遇する。落書きがされ、雑草が伸び放題の有様だが、その威容さは嫌でも目立つ。

 インターネットでも一部マニアに話題となっている廃墟は、約1万平方メートルの広大な敷地に計画されていたリゾートホテル。建物は使われることなく30年以上、雨風にさらされたままになっている。

 詳しい経緯について、地元の人たちに聞いても「あまりに古い話だからわからない」という。ナゾがナゾを呼び、バブル時代に起きた豊田商事事件絡みの物件ではないかという噂も飛び交った。高齢者を詐欺で食い物にし、会長が刺殺されたあの事件だ。

 噂は地元の人たちにも定着しているが、どうも真相は違うようだ。数少ない事情通の話では、昭和59年の着工後、欠陥工事が表面化して兵庫県内の施主と大阪府内の施工業者の間で裁判沙汰となり、計画が頓挫したという。

 それではなぜ、悪名高い豊田商事の名が1人歩きしたのか。市の関係者が示唆したのは、あるテレビドラマシリーズの影響だ。その中の一話が城崎温泉が舞台で、詐欺会社が所有していた廃墟ビルで相次いで変死者が発見されるというストーリーだった。人気シリーズだっただけに、「都市伝説」として定着したようだが、何人かの訳知り住民ははっきり「豊田商事の話はデマ」と言う。

 玄武洞周辺の廃墟はこれだけではない。ひともうけを狙ったバブルの遺物が点在していて、それを探すのも面白いかもしれない。

1日30人、寂りょう感漂う駅舎

 玄武洞駅の利用者は1日約30人。多くは通学客だといい、管理する豊岡駅やJR西日本福知山支社にも関連資料はほとんどない。

 電話で呼べばやってくる現在の渡し船は、事情を知らずに下車してしまう旅行者が時々いるため、路頭に迷わないよう、対岸で集客施設を営業する業者が親切心から始めた。適宜運航しているだけで、「主役」ではない。食堂や土産店が大繁盛していた玄武洞駅前の様子はもう残滓(ざんし)もないが、そんな風情は、当地の名物のカニと同じくらいの味わいがあるかもしれない。

 最後にもう一つ。玄武洞から離れ、日本海に臨む近畿最北の水族館「城崎マリンワールド」の沖にある小島に「竜宮城」がある。今は上陸できないが、昭和25年に作られた観光施設で、水族館敷地内にある浦島太郎伝説の亀のオブジェとともに、平成の現世では異彩を放っている。

 城崎温泉のついでに、こうした場所を訪ねてみるミステリーツアーはいかがだろう?

303とはずがたり:2016/02/29(月) 18:17:37

よっきの四国探索も間近か!?

特急「宇和海」、自転車そのまま持ち込みOKに JR四国
http://trafficnews.jp/post/49020/
2016.02.29 乗りものニュース編集部

JR四国が特急列車では珍しい、自転車をそのまま持ち込めるサービスを通年で始めます。

別料金は不要、1列車あたり2台分
 JR四国は2016年2月25日(木)、愛媛県内の松山〜宇和島間を走る特急「宇和海」で、自転車をそのまま車内へ持ち込めるサイクリスト向けの新サービスを実施すると発表しました。

 特急「宇和海」の車内を改造して、1列車あたり自転車2台分の「サイクルルーム」を新設。自転車を解体したり折りたたむことなく、列車へ持ち込むことを可能にするものです。下車してからすぐに自転車の旅へ出発できるといいます。


特急「宇和海」に用意される「サイクルルーム」と、そこに自転車を搭載した場合のイメージ(写真出典:JR四国)。
 3月26日(土)から通年での実施ですが、お盆や年末年始といった乗客の多い時期は、また曜日や時期によっては、サービスが行われないことがあります。自転車の積み降ろしは松山駅と宇和島駅限定です。

 利用は普通運賃と指定席特急料金のみで、別料金はいりません。しかし愛媛県内の「みどりの窓口」で発売される専用指定席特急券(サイクル宇和海)を購入する必要があります。

 自転車を列車へ載せたい場合は一般的に、専用の袋へ収納するといった作業が必要ですが、一部の地方鉄道などでは近年、そのまま載せられる「サイクルトレイン」を運行する例がしばしば見られます。

 ただ今回のように、特急列車でそのまま搭載可能なのは珍しい存在です。JR四国は2014年、高松〜松山間の特急「いしづち」でも期間限定ながら、自転車をそのまま車内へ持ち込めるサービスを行ったことがあります。

【了】

304とはずがたり:2016/03/03(木) 23:30:30
山行ががなかなか更新されないのでフライングw

天空の廃道「砂糠山の養蚕場跡」その7 〜歴史を知る〜 
http://www.kouzushima.info/s15-sanuka8.html

 調査結果
 
  養蚕場のことをまとめると。

【時期】
かいもの婆さん自身がそこに入って作業を始めたのが昭和47、48年あたり。
道やら畑を整備するのに3、4年かかった。
なので昭和43年から昭和45年くらいから工事は始まったのかな

【理由】
当時の国の方針(減反政策のような)で進めていた農業改革の一環で、
それにのっとった村が養蚕事業を始めた。

【当時の雰囲気】
おばあさんらはそこ(砂糠山、長根)で行うのは大反対していて、
現在の多目的広場あたり(多幸湾ファミリーキャンプ場付近)ならやる!
と、言ったらしいのだか結局、砂糠山で話を進められてしまった。

【廃墟になった時期、原因】

昭和55年から昭和58年あたりにはすでに放棄した。(行かなくなった)

放棄した理由は、
そこではそもそも桑の葉が足りず、蚕を育てられず死なせてしまった。
村の方から桑の葉を持ってきたりしたがやはりそれ自体馬鹿らしい、
お金ももらえないし、採算に合わないから辞めた。


【その他の話】

蚕も2回ほどやったが、結局だめで死んじゃった。
その時は泊まり込みでやっていた。

建物の小さい2棟が宿舎。
長い3棟が蚕を飼っていたところ。

ガスボンベとかも、多幸湾のほうから担いで持って行った。

水場は近くにあった。

ここに行く道は、天上山の櫛が峰から山道で行けたが、2000年の地震で崩壊
し道がなくなった。

同じくここから、長根に降りれる山道があったが2000年の地震で崩壊して道
がなくなった。


多幸湾からの海岸線の道は途中までは出来たけど、最後まではできなかった。
その道は今は天上山の崩壊で埋もれてる。


息子(当時中一)が生活で必要なガスボンベを担いで、磯を渡り養蚕場まで持っていった。

夏は勝手にここでキャンプをして遊んだ。

磯から山への索道意外にも、磯の途中まであった道からの水平方向の索道があった。

長根丸という船もあった。

305とはずがたり:2016/03/08(火) 12:49:03
稚内から遠軽迄と留萌から幌延迄復活して欲しいってのが妄想ベースでの持論だけどけど,こんな記事読むと士幌線と広尾線の復活は勿論,上川迄と様似迄も建設して繋げて欲しくもなるww
wikiに拠ると過疎化で糠平以北はほぼ無人となってるようだ。。北海道ばかでかいダム湖と水力発電所造れる場所,この20年の過疎化で出来てるんちゃうか!?
理性ベースでは巨大ダムには批判的だし,日高本線や留萌本線廃止已む無しの俺ではあるんだけど。。

湖に沈む幻のめがね橋「タウシュベツ川橋梁」を探しに 〜北の大地の産業遺産をめぐる旅〜
http://rurubu.travel/theme/column/22/
2015/9/3

306とはずがたり:2016/03/21(月) 23:02:12
>>304
良くある耳に蛸の話しだけど,日本硬直した補助金システムが地方の実情に合っていないと云う日本の中央集権制を批判したくも成る。
>養蚕は計画のはじめから無理があったようだ。二次構の事業基準にあわせた規模で施設を作る必要があり、敷地をもちあわせなかった村では農道も整備されぬ山奥に養蚕団地を造成したため事実上使用不可能にちかかった。行政が柔軟性を欠いたための失敗であった。
>『総合都市研究 第22号(1984)』掲載「都市的生活様式の実証研究(その1)―東京都神津島村調査報告―」より引用

しかし豊かな自然を破壊して(植生は復活しているように見えるけど貴重な植物は工事に来た内地の人間に持ち去られたとある)税金を無駄遣いして(国費負担率50%。おそらく村落の中で事業者押しつけられたおばあちゃんの借金が200万円),土建屋だけ儲かると云う構図は恐らく小泉政権から民主政権迄続けた折角の公共事業に頼らない日本という果敢なチャレンジをひっくり返したアベノミクスでも復活しているのであろうけど,一方的に地方が悪いと思ってた俺だが,土建屋が潤う中で,補助金貰う為に事業が農村の構造の中で強行され,善意の地方民が犠牲になってるような面もあるようだ。

官僚どもも自分らの天下り先のことだけ考えてる訳でもなく,多分,恐らく,ひょうっとかすると,日本の事も真剣に考えていて,基準にある筋肉質の興農事案が上がってきて日本の農業が発展すると考えてるんだろうけど,インセンティブ設計の段階で一定のリスクを負うからそれでスクリーニング出来る筈と考えてた様で(俺はそれすらやらないから無駄な事業が増えると思ってたけどそうでもないらしい),その段階で農村の身内ファシズムが発動してムラの為に誰かが犠牲にならないと行けないと云う,マイナスの無尽講的な構造の中で事業の受け手が作られてしまうと云う事もあるようだ。

道路レポート 神津島の砂糠山にある廃道 机上調査編
http://yamaiga.com/road/sanukayama/main7.html

307とはずがたり:2016/04/05(火) 11:40:29
>現在はわずか2世帯が暮らすのみとなっている。
駅もインターもないのは当然だなぁ。。

>家族が暮らすには十分な米がとれていた
そうなのか。。

占冠「陸の孤島」ニニウへの難所・鬼峠 観光地化の可能性探る 峠越えイベントで当時の住民の苦労体験
03/25 07:00
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0250423.html

 【占冠】役場のある中央地区から交通の難所・鬼峠を越えて、陸の孤島といわれてきた村南部のニニウ地区を目指すイベント「鬼峠フォーラム」が今年も19、20の両日に開かれた。10回目の今回はこれまでの総括も兼ね、鬼峠の観光地としての可能性を考えた。20日に13人が参加した恒例の峠越えに同行し、当時の住民の生活に触れることで、寂れゆく鬼峠とニニウのあり方を探った。

 前日の雨で軟らかくなった雪に、スノーシューを履いた足が深く埋まる。鬼峠は実は2カ所ある。今回は馬そりを通すため、1929年(昭和4年)に開通した2代目鬼峠を行くルートを歩いた。山中の木々の間を1時間ほど縫うように登り、さらに林道を約1時間歩くと、標高640メートルの峠に到着。振り返ると占冠の家並みが小さく見え、遠方には夕張岳(1667メートル)が顔をのぞかせた。

 3時間ほど下ってニニウに到着し、63年まで同地区で暮らしていた会田静雄さん(80)と合流した。会田さんが住んでいた家は風雪で窓ガラスや壁が壊れ、廃屋となっていたが「家の裏で稲作をし、家族が暮らすには十分な米がとれていた」と当時を振り返った。

 高台のニニウ神社では、高さ、幅とも2メートルほどの小さな社の前に神酒と緑青(ろくしょう)の浮いたさい銭が供えられ、会田さんが子どものころから祭りで使われていた古い獅子舞の頭が納められていた。参加者は除雪、参拝をし、雪を踏み固めた土俵で奉納相撲を取った。

 50年代ごろまで、約30世帯が農業や林業で自給自足生活を送っていたニニウだが、60年代から人口の流出が加速。75年にはニニウ小中学校が閉校し、現在はわずか2世帯が暮らすのみとなっている。

 フォーラムは鬼峠を実際に歩き、住民の生活や歴史を知ることを目的に、実行委(山本敬介代表)が2007年から開催している。冬に行うのは、ヒグマ対策に加え、厳しい寒さの中でも生活のために峠を行き来した住民の苦労を体験するため。会田さんは「雪深い日でも、仕事があればほぼ毎日、スキーや馬で越えていた」と話す。

 ニニウは現在、地区を横断するような形で道東道が走り、林道も通っており、昔ほど「秘境」というわけではない。だが、豊かな自然以外にも、不便な地で住民がつつましく生きていた痕跡が色濃く残っていた。上富良野町出身でニニウについて研究する立松宏一さん(39)=旭川市在住=は「鬼峠を実際に歩き、山奥で質素な暮らしをした住民の生活に触れることは、豊かな文明を見直す機会になる」と期待する。

 限界集落が各地で問題視される中、ニニウの持つ寂寥(せきりょう)感は、地方の消滅が実際に起こり得るものだと訴えかける力を持つ。長崎県の端島(軍艦島)のように炭鉱の「廃虚」が観光地として注目され、世界文化遺産に登録された例もある。ニニウには夏の探索・周遊ルートの確立など課題も残るが、参加者からは「観光地としての潜在能力があるのでは」との声が上がった。

 中富良野町内の小学校で教諭を務める一永明彦さん(59)は「衰退の歴史を含め、子どもたちの学習の場に最適」と感想を述べた。(古市優伍)

308とはずがたり:2016/04/05(火) 11:41:53
県道スレ相当ぽいんだけどr136の夕張側の未開通区間,俺の北海道地図には細いながら緑線で繋がってる。。

ニニウのこれから
http://www.onitoge.org/ninew/

道道136号
夕張新得線
http://www.d4.dion.ne.jp/~s-sousai/yubari/index.htm

ニニウから夕張市との境界にかけての区間(占冠村の旧ニニウ夕張線区間)

 事業を申請しているが建設省のほうで採択していない模様。

村道日勝赤岩線改め道道占冠穂別線開通レポート
http://www.onitoge.org/ninew/w/20070414.htm
2007.4.14
本年11月に道東道トマムICが供用を開始すると,現在日勝峠を経由している車両の大多数が占冠経由にシフトすると予想され,旧村道日勝赤岩線は道央と道央を結ぶ重要な道路となる。

309とはずがたり:2016/05/02(月) 19:47:59
よっきさん,事件です!
こんな所に通行止めの標識が!?
https://www.google.co.jp/maps/@35.0544214,137.5999359,3a,75y,142.79h,76.93t/data=!3m6!1e1!3m4!1squh7Q12PynXt9_ldr-ZNyA!2e0!7i13312!8i6656

なんか分断県道r424振草三河川合停車場線の分岐臭いが,この写真とは違うな。。
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_3.htm

だいぶ香ばしい経路の県道だ。

310とはずがたり:2016/05/02(月) 20:02:26
此処から未通区間(1km程らしい)を抜けると宇連(うれ)である。

宇連
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/23.Aichi/Shitara_Ure.html

 大字川合は町内でも地理的に孤立しており(※)、町内から自動車で訪れるには鳳来町【現・新城市】を経由することになる。
 集落では管理家屋が1軒、廃屋が2軒のほか、神社(諏訪神社)が見られた。神社は現在も訪れている人がいるようで、手入れがされている。また集落には学校(神田(かだ)小学校宇連分校)があるが、存在は後から知ったためこれを見ることはなかった。HEYANEKO氏ほかの調査によると、支流(スキャン画像では下方)奥に朽ちた木造の校舎が残っているという。

愛知県・一般県道424号
振草三河川合停車場線
その4
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_4.htm
その5
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_5.htm

未成道の旧道っぽい区間の分岐があるのは此処のようだ。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.36.55.506N35.2.2.907/zoom/10/

廃屋と神社のあるのは新道区間の橋の直進した道かな?

311とはずがたり:2016/05/02(月) 20:05:33
>>309-311
山の道が野放図に建設されるのには怒りを感じるし,好い加減にしろよと思うんだけどあと1kmで建設が放棄されてるのも怒りが。繋げばもう一寸役立つのに,此処迄造って止めるなら最初から造るなよなぁ。。

312とはずがたり:2016/05/02(月) 20:59:25
>>309-312
山道のr424振草三河川合停車場線の分岐点は此処だ。さっきのは只の河原かなんかへ降りるだけの道?
https://www.google.co.jp/maps/@35.0562085,137.6021742,3a,75y,192.52h,70.95t/data=!3m6!1e1!3m4!1sHZBjf_pa02o6FQ9dOuJzBw!2e0!7i13312!8i6656

向こう側の道路があんなに工事されてるのに取り付けの此方側が全く気配無しなんは何故だ?

313とはずがたり:2016/05/02(月) 21:03:36
r424の北側の欠落部の林道直進した箇所。

こんな所に立体交叉が!?
http://www.mapion.co.jp/m2/35.09071552633145,137.6170635031824,17

314とはずがたり:2016/05/02(月) 21:22:55
<浜松宇連田口ルート>
腹立たしいが後1km位なのだからr424がr32に繋がってれば良いのにと思う。

宮口(R362)r68浜北三ヶ日線→r299渋川都田停車場線(観音山)→r298(静岡県内)・r505(愛知県内)渋川鳳来線(越県道のナンバー統一ななされてない様だ。。)→r442鳳来佐久間線(静岡県内はr390)→市道(google mapのストリートビューにも載ってて抜け道としてはしっかりと認識されてるようだ)→r519七郷一色名号線→鳳来峡IC・三河川合(R151)─r424(鳳来湖)http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_1.htm→--(未通)--─r32長篠東栄線(r424重複)→R473→田口(R257)がほぼ繋がる(田口は鉄道の終着駅だったこともある要衝である)。
渋川鳳来線や鳳来佐久間線のナンバー統一と併せて主要地方道浜松設楽線でも指定して欲しい所だw
三遠南信が豊橋(三河吉田)から遠州を経由するニュアンスが有るのに対して,浜松〜恵那は遠三東濃の流れである♪

R257が新東名の現道として併走しているのに対してこちらは三遠南信道の併走路だな〜。

315とはずがたり:2016/05/02(月) 21:28:25
やはりそうなんだな。何となく周囲の道路罔に対して違和感あったけど。

稲目トンネル
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_iname.htm

稲目トンネルは元は昭和43年に廃線となった豊橋鉄道田口線の鉄道用トンネルでした。鉄道廃止から10年間ほどは鉄道代替の豊橋鉄道のバス専用トンネルとして使われ、この間は出入り口に柵が設けられて一般車の通行は禁止されていました。
 当時、旧鳳来町と設楽町を結ぶ道路は旧来からの与良木峠を越える道しかなく、地元住民からは稲目トンネルの一般開放望む声が多く出されました。これを受けて全面改修を施したのが現在の稲目トンネルです。改修により大幅に拡幅され、鉄道トンネル時代の面影は全く残っていません。

316とはずがたり:2016/05/05(木) 11:41:59
これだけど,ここhttp://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.46.10.428N35.4.20.832/zoom/9/に浜松市と東栄町が接している箇所がある。
浜松市は元浦川で東栄町は元々振草と云う地名だったのでは?

http://www.k2.dion.ne.jp/~route-xx/Contents/Report/r293/r293_10.htm
さらに奥へ進むとr293沿いの岩にある文字が書かれた場所を発見した
 『ウラガワ』とは静岡県浜松市天竜区佐久間町浦川
 『フリクサ』とは愛知県北設楽郡東栄町振草
 と思われるが、これがある場所は愛知県内であり『ウラガワ』が指すのは浜松市の
 地名でここに境界線があるはずはなく、『フリクサ』もこの場所から10km程離れた
 場所の地名でここではない
 またしてもこの文字の意図するところは不明

317とはずがたり:2016/05/30(月) 10:18:21

武田尾〜道場間で不通の(未通の?)r327。災害で不通だそうな。開通してた様には見えないんだけど。
無駄な道路ばんばん造ってる様に見えるけど武田尾の陸の孤島が全く解消しないのは何故だ!?一寸R418の丸山地区に似て無くも無いロケーションであるw
けどこっちは新名神のSICが出来て既にJRの駅で阪神中枢部に直結だし便利になるぞ。武田尾宝塚パークタウンとでも銘打って宅地開発しよう♪
まあそれは兎も角俺のドミナントだし行ってみないと。。

道路情報 - 兵庫県道路総合管理システムhttp://road.civil.pref.hyogo.lg.jp/RoadLan/InternetGeneral/Common/RoadLan_Top.aspxより

http://road.civil.pref.hyogo.lg.jp/RoadLan/InternetGeneral/kisei/RoadLan_Regulation_Detail.aspx?RRID=3&RID=10570
路線 (一)県道327号切畑道場線
規制内容 全面通行止め
規制理由 災害復旧工事
規制場所 宝塚市玉瀬
規制期間 平成27年 2月 24日〜平成27年 6月 30日
規制時間 終日
対象車両 諸車全般

JR道場駅-武田尾駅間、兵庫県道327号線分断区間
http://ameblo.jp/gorou25/entry-11520875836.html
2013-04-29 22:06:03

兵庫県道327号切畑道場線
http://blog.goo.ne.jp/cherubimcaad10khs/e/0eb9012747faf27ce15babe9dfda513d
2013-11-25 19:03:48 | 兵庫県道

兵庫県道327号 切畑道場線(止)
http://michi.road.jp/Road/Hyg327_1.html

318とはずがたり:2016/06/21(火) 22:42:52
東京駅から電車で60分、「都心からもっとも近い廃村」はこうして生まれた
http://nikkan-spa.jp/1127656
2016.06.08 雑学

駅から見える海上自衛隊の基地

 東京駅からJR横須賀線で約1時間。横須賀駅からほど近い田浦という場所にその廃村はある。駅周辺は山に囲まれ閑散としているが、少し歩くと昔ながらの商店街や海上自衛隊の学校があり、自然と人工物が混在した風景が広がっている。

 そして駅から盛福寺というお寺を目指し15分ほど歩くと、京急本線とJR横須賀線が交差するポイントが見えてくる。それが今回の目的地「田浦廃村」の目印だ。ちょうど踏切を超えたエリアからが廃村になるのだが、草も伸び放題で手入れされておらず、どこか異世界への入り口のような雰囲気を漂わせている。

約30年手付かずの状態の理由は

 一体なぜこのような有様になってしまったのだろうか。横須賀市田浦の行政センターに問い合わせてみたところ「この辺りを開発しようとした業者が、何かしらのトラブルで断念せざるを得なくなり、そこから現在まで2〜30年ほど放置されている。行政も手をつけられない状態」との回答を得た。

 より詳しい事情を知ろうと、近くの田浦地区の住民(40代・女性)に話を聞いたところ「30年ほど前かな、丸紅が住宅開発しようとして、山に住む住民に半ば強制的に退去を命じたんです。だけど、この一帯はところどころにある柱の『波マーク』を見てわかるように、海軍の土地であるのと、道路の下には丹沢の山の方からつなげている水道管が4本走っています。それを避けて工事をしていくのには予想以上に費用がかさむようで、業者と揉めてしまったとか。そのまま計画自体が頓挫したようです。」と答えてくれた。

319とはずがたり:2016/08/03(水) 15:15:50
北摂と京都北山,俺の大好きなフィールドで未成道レポの充実♪

路面と勾配 f/k/a北摂ひっそり
http://nekotani.blog.fc2.com/

320とはずがたり:2016/08/04(木) 18:43:35
京都北山祖父谷峠関連
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187488248/493-495

このバイクはいつの走行だ??

分断京都府道61号京都京北線
http://www.yamasita.jp/weblog/2012/05/post_175.html

国土地理院の北側の様子。あらぬ方へ向かってる様にも見えるが。。(;´Д`)
http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.14611111111111,135.73749999999998&z=15#16/35.176404/135.710485/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

321とはずがたり:2016/08/05(金) 23:45:36
これhttp://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.10.21.149N34.42.39.010/zoom/10/,廃トンネルだそうな。しかも有馬街道から再度山ドライブウェイに抜けれるなんて素敵トンネルじゃあないか。
カギ掛かっててワルニャンもできないようだが(;´Д`)
トンネル抜けたところの神戸港地方ってどんな地名だ?!

【神戸市兵庫区】廃トンネルと七三峠
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-332.html#comment2129
2014/05/07 00:10

322とはずがたり:2016/08/29(月) 20:08:41
大日本者神國也と云うきもいタイトルのブログ。
多奈川線があるのは川崎重工の軍需工場があったからで,支線開通に伴って南海本線上にあった深日駅が廃止と相成ったと云う事らしい。現在,川重の工場は勿論ないが関電多奈川発電所(休止中)はその敷地跡にあるそうな。
色々繋がってくる。で,こんな所に投下するのは地下壕の写真があるからw

川崎重工業株式會社 泉州工場
http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1170.html

323名無しさん:2016/08/31(水) 13:38:02
>>322
文句があるなら引用するなカス

324とはずがたり:2016/08/31(水) 15:23:27
興味深い記事は政治信条に拘わらず引用させて頂いてます。

万が一ブログ主ご本人様でしたら大変失礼しました。今後とも歴史研究の進展を楽しみにしております。

325とはずがたり:2016/09/06(火) 09:54:32
福井県道174号だが未通県道ではなく鉱山県道だったようだ。http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1595で取り上げたr175熊河池田線が次のナンバーで行き止まり県道としては現状では共通だがこちらは山を越える計画はないということのようだ。
中竜鉱山,なかなかよさげである。

むかし と いま
【週末探険隊合同探索】 過去と現在
http://ruin-explorer.com/nakatatu/nakatatu.html
撮影日 2008年3月

福井県道174号上大納下山線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E9%81%93174%E5%8F%B7%E4%B8%8A%E5%A4%A7%E7%B4%8D%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E7%B7%9A

中竜鉱山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%AB%9C%E9%89%B1%E5%B1%B1

中竜鉱山(なかたつこうざん)は、福井県大野郡和泉村(現大野市)に存在した鉱山。スカルン鉱床、気成鉱床からなり、古くは13世紀から銀山として、また近代になってからは亜鉛鉱山として知られる。モリブデン鉱などレアメタル鉱石も産出していた。1987年、円高により採算が悪化し閉山した後は、鉱山の跡地を利用した体験型鉱物博物館である「アドベンチャーランド中竜」(後述)として再利用された。
アドベンチャーランド中竜[編集]
専用バスにて地下120mまで移動しながら坑道の跡地、採掘現場を見学できる日本では珍しい博物館。途中、坑道に向かうバスの道の脇には当時の建物が多く残されている。また資源が枯渇して採掘を中止したわけではないことから、坑道に露出する生の鉱石が見ることができる。調査によると十年分の鉱石が残されて閉山したという。
国内外から鉱物マニアや地質学を学ぶ学生などが多数訪れていたが、来場者数減少のため2006年11月30日限りで営業を終了した。

326名無しさん:2016/09/29(木) 13:44:59
「どこの山行くの?」「霧ヶ峰」「エアコン!?」

夏も終わり涼しくなってきましたが、秋の行事に登山などを計画している方も多いのではないでしょうか?

そこで今回は「名前がかっこいい日本百名山の山」を調査・ランキングにしてみましたので、ご覧くださいませ。

1位鳳凰山 ほうおうざん 山梨県南アルプス市、韮崎市、北杜市 334票
2位剱岳 つるぎだけ 富山県中新川郡上市町、立山町 293票
3位霧ヶ峰 きりがみね 長野県茅野市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町、小県郡長和町 124票
4位御嶽山 おんたけさん 長野県木曽郡木曽町、王滝村、岐阜県下呂市、高山市 99票
5位皇海山 すかいさん 栃木県日光市、群馬県沼田市 78票
6位武尊山 ほたかやま 群馬県利根郡みなかみ町、川場村、片品村 76票
7位美ヶ原 うつくしがはら 長野県松本市、上田市、小県郡長和町 74票
8位八甲田山 はっこうださん 青森県青森市、十和田市 69票
9位槍ヶ岳 やりがたけ 長野県松本市、大町市、岐阜県高山市 58票
10位五竜岳 ごりゅうだけ 富山県黒部市、長野県大町市 46票
10位大菩薩岳 だいぼさつだけ 山梨県甲州市、北都留郡丹波山村 46票

12位霧島山 きりしまやま 宮崎県、鹿児島県 45票
13位羅臼岳 らうすだけ 北海道目梨郡羅臼町、斜里郡斜里町 42票
13位瑞牆山 みずがきやま 山梨県北杜市 42票
15位トムラウシ 上川総合振興局上川郡美瑛町、十勝総合振興局上川郡新得町 40票
16位早池峰 はやちね 岩手県宮古市、遠野市、花巻市 36票
16位天城山 あまぎさん 静岡県伊豆市、伊東市、賀茂郡東伊豆町、賀茂郡河津町 36票
18位穂高岳 ほたかだけ 長野県松本市、岐阜県高山市 33票
18位蓼科山 たてしなやま 長野県茅野市、北佐久郡立科町 33票
20位燧岳 ひうちだけ 福島県南会津郡檜枝岐村 31票

外部リンク:ranking.goo.ne.jp

327とはずがたり:2016/10/04(火) 14:43:32
じっぴコンパクト文庫『山さ行がねが』入手♪

328とはずがたり:2016/10/04(火) 14:52:00
google mapで岐阜県大野郡白川村加須良へ♪ここは砂利道もgoogle mapは珍しく攻めてる♪
https://www.google.co.jp/maps/@36.3237615,136.8455945,3a,75y,282.28h,93.26t/data=!3m7!1e1!3m5!1skRtjWNNOxxPzkaAbf-sYoA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DkRtjWNNOxxPzkaAbf-sYoA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D324.63397%26pitch%3D0!7i13312!8i6656

329とはずがたり:2016/10/04(火) 17:19:21
3161 名前:とはずがたり[] 投稿日:2016/10/04(火) 14:57:24
これがグーグルマップの終点。この先からよっきが出てきたのかw
それは兎も角本はネットに比べて読みにくいね。。
https://www.google.co.jp/maps/@36.3248312,136.8453212,3a,75y,349.77h,93.13t/data=!3m6!1e1!3m4!1sEHQ2f_Wgf_iREXmQZ2gtbw!2e0!7i13312!8i6656

330とはずがたり:2016/10/04(火) 17:23:03
加須良聚落はS27に林道起工,難工事の末S36(1961年,俺の生まれる10年前だ。。)に開通,そして僅か7年後のS43(1968年)には廃村となっている。
俺は怒りを込めて効果の無い過疎対策事業を糾弾してきたが,あれは過疎を推進し廃村を実現する為に行われていたんだな(;´Д`)

331とはずがたり:2016/10/04(火) 17:43:42
2章は数坂峠。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.10.27.750N36.39.32.083/zoom/8/

332とはずがたり:2016/10/05(水) 18:17:16
大学生の頃か笠置の廃ホテルに肝試ししたけど犯罪だったか!まあ不法侵入は犯罪なんだけど騒ぐと迷惑だから本当に逮捕されるのか。大学生みたいな未成年じゃないとどうなんやろ??

廃旅館で”肝試し” 少年11人 家裁送致
http://news.goo.ne.jp/article/chuplus/nation/chuplus-CK2016100502000097.html
05:00中日新聞プラス

小松署 無断で侵入疑い
 廃旅館に無断で立ち入ったとして石川県警小松署は四日、軽犯罪法違反の疑いで県内の十七?十九歳の高校生や無職少年ら十一人を金沢家裁に送致したと発表した。「心霊スポット」として知られ、インターネットでも紹介されている場所で、少年らは肝試しと称して入り込み、大騒ぎして通報された揚げ句、“怖いおまわりさん”に叱られる羽目になった。
 送致容疑は七月三日午前一時十分ごろ、同県小松市の粟津温泉街近くにある廃旅館の敷地や建物に無断で侵入したとされる。署によるとネットで検索して初めて訪れたといい、十一人とも容疑を認めている。
 粟津温泉観光協会によると現場は一九九七年の廃業後は放置されたままで、敷地や建物を植物が覆い、昼間でも不気味な雰囲気がある。
 近隣住民は「十年ほど前から夏になるたび、肝試し目当ての若者グループが深夜に来て騒ぎ、うるさくて眠れない」と話す。今回は一一〇番が寄せられ、署員が駆けつけた。
 協会によると地元からは取り壊しの要望が出ているが、今のところ予定はない。署は二〇一三年と一五年にもこの廃旅館への侵入容疑で別の少年らを家裁送致しており、周辺のパトロールも強化している。

333とはずがたり:2016/10/07(金) 10:06:00
確かにr70でR42に繋ぐ方が整備する道路少なくて好いな。

鳥越林道
https://www.google.co.jp/maps/@33.9743342,136.1432467,14z

googleが諦めた地点。隧道と現道の落差1mをみたかったのにぃ・・舗装の一部が剥がれてるとは云えこんな手前で諦めるなんてだらしいないぞ!
https://www.google.co.jp/maps/@33.9678865,136.1255869,3a,75y,23.3h,73.84t/data=!3m7!1e1!3m5!1sRnALdBq4DpmWNScxgUYQxA!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DRnALdBq4DpmWNScxgUYQxA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D156.14363%26pitch%3D0!7i13312!8i6656

334とはずがたり:2016/10/10(月) 22:48:50
秩父に謎多き巨大洞窟 埼玉県、全容解明の本格調査へ
http://www.asahi.com/articles/ASJ955JR6J95UTNB00Y.html?iref=com_favorite_03
中村純2016年9月12日19時15分

 奥秩父の険しい山中にある「瀧谷洞(ろうこくどう)」。関東最大級の洞窟といわれるが、容易に人が近づけず、未知の部分も多い。洞窟内からはクマの全身骨格やニホンオオカミの歯と類推される化石が見つかるなど学術的価値も高いとされ、全容解明へ埼玉県が本格調査に乗り出す。

 この洞窟は1989年、旧大滝村(現秩父市大滝)で民間の探検グループが発見した。形成期は数十万年以上前とみられ、洞内全体に鍾乳洞が広がる。大きさは推定で全長2・7キロ以上、高低差160メートル。関東では日原三又(にっぱらみつまた)洞(東京都奥多摩町)と並ぶ規模という。名前の由来になった高さ約50メートルの滝や深さ約30メートルの谷も確認されている。

 元同市大滝総合支所長の山中和則さん(62)は計10回、洞内に入ったことがあると話す。「それはもう神秘的な白さで、きれいで、自然の創造力に圧倒されっ放しでした」

 異例のスケールと幻想的な美し…

残り:611文字/全文:998文字

335荷主研究者:2016/10/22(土) 15:00:09

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161009_13022.html
2016年10月09日日曜日 河北新報
廃墟マニアの聖地売ります 問い合わせ次々

廃墟マニアの聖地ともなっている「化女沼レジャーランド」。現在、購入者を募っている

 大崎市古川小野の休園中のレジャー施設「化女沼レジャーランド」(後藤孝幸社長)が、施設と土地の年内売却を目指し、購入者を募っている。廃虚マニアの聖地ともなっている場所で、9月以降、十数件の問い合わせがあったという。

 化女沼レジャーランドは1979年、大崎市民の憩いの場である化女沼の東岸に開園。約15万平方メートルの敷地内に遊園地やゴルフ練習場、室内ゲートボール場、コテージなどが立ち並び、最盛期は年間20万人が利用した。バブル崩壊後は客足が遠のき、2001年10月に休園した。

 遊園地の観覧車やメリーゴーラウンドなどは解体されずにさび付き、近年の廃虚ブームで全国からマニアを呼び寄せている。後藤社長の許可の下で撮影会などが開かれている。

 「化女沼を一大観光地に」との夢を忘れられず、後藤社長は施設や土地の切り売りを拒んできた。しかし今年6月、転倒して膝を骨折し、つえを手放せなくなった。後藤社長は「私も85歳。いいかげんに我を折りなさいという照夜姫(化女沼の主とされる伝説上の女性)のご意思かもしれない」と思い、売却を考えるようになった。

 9月にテレビ番組で売却の意思が伝わると、北海道や関東地方、中部地方などから問い合わせがあった。

 視察に訪れる人からは「敷地内から湧く温泉を生かし保養施設を造る」「廃虚のテーマパークにしたい」といった提案が出ているという。後藤社長は「この土地を活用してくれるなら喜んでお譲りする」と話す。

 化女沼の環境美化に取り組む市民団体の代表は「東北自動車道の長者原スマートインターチェンジや東北新幹線の古川駅から近い。自然環境とマッチした施設に生まれ変わってほしい」と話す。

336とはずがたり:2016/11/04(金) 20:08:21

鉄建公団が建設した中の路線の予定駅マップの写しらしきものがあるが邪魔なので捨ててしまおうかと思うが棄てる前に転載しとく。稚内─浜頓別─北見枝幸─雄武─興部─紋別─中湧別─遠軽,幌延─羽幌―留萌─深川を公的資金で建設・維持できないもんかと北海道各線の廃止推進派の俺だから矛盾するけど思う。。

興浜線
興部──雄武--元稲府--北見音稲府--北見幌内--枝枝幸--北見音標……幌別(美幸線分岐)--北見枝幸──浜頓別
美幸線
美深──仁宇布--北見大曲--上穂志別--志美宇丹--辺毛内--歌登--下幌別--幌別(興浜線合流)(--北見枝幸)

白糠線
足寄---中足寄--螺流--茂螺流

こんなサイトもあった。

興浜線未成区間調査
http://www.tetsuroni.jp/haisen/kouhin/
廃線探索 興浜線(未成線)
http://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/140824kouhinsen.html

337とはずがたり:2016/11/18(金) 18:37:41
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

『国鉄全線各駅停車 駅』で知ってたけど良く解らなかった油津線が良く判った。wikiの記事https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%B7%9A#.E5.AE.AE.E5.B4.8E.E7.9C.8C.E5.96.B6.E9.89.84.E9.81.93.E9.A3.AB.E8.82.A5.E7.B7.9A.E3.83.BB.E5.AE.AE.E5.B4.8E.E7.9C.8C.E5.96.B6.E8.BB.8C.E9.81.93.E2.86.92.E5.9B.BD.E6.9C.89.E9.89.84.E9.81.93.E6.B2.B9.E6.B4.A5.E7.B7.9Aを併用しつつ纏め。

先ずは妻─佐土原─宮崎と同じく宮崎県営鉄道(有吉忠一県知事は前任の千葉県でも県営鉄道を敷設している)に拠る建設で,1913年に(旧)飫肥─油津が開通したとのこと。途中駅は一里松の1箇所で,此処には後の日南線吾田駅(後の日南駅)が開設されている。

その後の県営鉄道の経営は乗合との競争で苦しかった様で1931年には(旧)飫肥を東飫肥に解消して飫肥市街地迄400m程延長し(新)飫肥を設置している。

1932年には星倉駅から分岐し飫肥杉や薪炭を搬出する県営軌道が大藤(おおとう)迄開通(5.3km・(貨)殿所、(貨)内之田、(貨)大藤が開設)し,大藤からは更に既設の北郷村迄の森林軌道が接続したとのこと。今も日南線によって北郷─飫肥─油津と辿れるのは心強いけど,更には高規格道路を造ってる様である。。早晩日南線も要らなくなりそうであるが,今でも既に要らんと云えば要らんのかも知れない。。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E131.22.28.235N31.39.8.026/zoom/6/

この県営軌道の路盤は一部日南線に使用された様だが,白黒の細かい地図を見てると目が疲れてくるのでよく判らない。廃トンネルもこの辺にありそうなんだけど,ここhttp://yahoo.jp/u6Quwfか?道路になっちゃってるっぽい。

その頃現在の日南線が志布志線として志布志方面から延伸され,1935年には宮崎県営鉄道・県営軌道ともども国有化されて油津線(飫肥─油津6.8km・星倉─大藤5.3km)となる。

志布志線は1937(S12).4.19に大堂津から油津迄開業,それに先立つ4.5に(旧)油津駅は元油津と改称される。そして1941.10.28に志布志線が油津─北郷が開通し,同日油津線は廃止され,元油津─油津は貨物支線(1960年廃止)とされる。改軌が必要だった筈だけどどんな対応したんだろうか?複線で並べたのか?3線にしたのか?

その際,飫肥への進入経路はその先宮崎方面への延伸を鑑みて逆側にされて西側から進入する現在の形になって居る。この辺の経緯からちょい複雑で俺は何がどうなってるのか良く理解出来なかった様だ。
北郷の先に割合に長大なトンネルがあるけど,宮崎迄全通したのは1963年との事。北郷から先はその時に南宮崎から一気に開通した新しい路線だそうな。

兎にも角にも日南線は元来の根元である南都城─志布志が奪われて仕舞った形である。志布志線(1987.3.28廃止)と大隅線(1987.3.14)の一部,都城─志布志─鹿屋(─鹿児島へのフェリー乗り場)は復活したくもなる♪赤字でもネットワーク性を大事にしたいとする頼もしいJR九州なんだけどねー。
南都城─志布志─北郷を志布志線のままにしてたら廃止を免れたであろうか?それとも機械的に北郷以南が廃止されていたであろうか?

338とはずがたり:2016/11/18(金) 18:54:10
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

今回は大隅線篇
日南線が全通以前は志布志線だったのは知らなかったけどこちらが古江線という名前だったのは知っていたぞ♪
>>336で鹿児島へのフェリー迄復活と書いたけど,古江が重要な港町だったのは忘れていたけど(;´Д`)
今は垂水に鹿児島行きのフェリー乗り場があるらしい。
垂水・鹿屋は兎も角,古江は知らんなあと云う印象だけどこの辺では一番整備された港だったそうな。

先ずは南隅(なんぐう)軽便鉄道として建設されたが資金難で古江─鹿屋が建設出来ず,鹿屋の外港の高須(飛び地だったり関係が深かったそうな)迄建設してそこから北上したとこと。鹿屋─高須が1915に開通,自社で高須─鹿児島の船便も出したそうだが整備された古江港に対して高須港は西風等が原因の欠航が相次ぎ(恐らく鹿屋の古江外しの目論みは失敗),貨物輸送は馬車や自動車に移ってしまった為,1923年に古江迄延長開通したとのこと。

結局1935年に国有化されて国鉄古江線となる。1938年には改軌されたがその際に鹿屋駅でのスイッチバックが解消されたが市街地からは遠くなったそうな。垂水港迄復活・新設の際は是非,鹿屋市街に近づけるとともにそのまま古江迄直進させて距離を縮めたいw
改軌を機に,古江西線(古江─東串良)と古江東線(東串良─志布志)が合体されて直通運転が可能になり時間も短縮されたそうな。

その後国分迄開通するも閑散路線で廃止されちゃったのは皆様ご承知の通り。フェリーとの直通を考えて建設して欲しかった。

339とはずがたり:2016/11/18(金) 20:10:55
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

大蔵線・添田線・小倉裏線等

日田彦山線は元々小倉鉄道と云って,石炭搬出港の東小倉が起点で,石田迄は今は廃止されている。市街地からは離れてるが東小倉からは路面電車で連絡してたようだ。東小倉(─妙見─水町[信])─石田─香春(上香春)─大任─添田(上添田)を開通させて小倉鉄道は1943年に戦時買収により国有化,添田線となった。

1956年に城野付近で経路変更が行われて東小倉直行線は貨物線化,1962年に廃止された。妙見駅は貨物駅だったそうな。何を扱っていたのかね?

あと,小倉─黒崎間は元々陸軍の要請で内陸経由とされたが,官営八幡製鉄所の建設を機に海岸周りに建設され,旧線は大蔵線とされてたが1911年に市内電車(九州電軌後の西鉄)に譲る形で廃止となった様だ。
西鉄も廃止されてしまったしモノレールをこっちにも造れたりしないかねえ??

あと小倉付近も海岸寄りだが内陸部に建設せよという軍部の横槍に対して元々建設した九州鉄道は仮線だと言い張って海岸沿いに建設し,兪,本線造れとなると請願して小倉裏線の建設で手を打つ事になった。

小倉鉄道の東小倉駅からほぼ現国道3号線のルートで進んで豊州線(日豊本線)に接続,更に大蔵線に接続するものだったとのこと。1903年には準備完了し,1904年の日露戦争に全面的に使用されるものの輸送は1週間程で終わってその後は余り活用される事無く1917年には廃止になったそうな。
日本が列強になって海岸沿いをそれ程陸軍も恐れなくなったか?第一次大戦中の廃止である。

本所収の地図が細かくて目が痛くなってくるがネットには判りやすい図がいっぱいある。
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B0%8F%E5%80%89%E8%A3%8F%E7%B7%9A&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwimsdrvlLLQAhUEgbwKHeXpCJ0QsAQIKA&biw=1366&bih=638#imgrc=w6PsdxZlRBF8oM%3A

340とはずがたり:2016/11/20(日) 19:14:21

『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

世知原線・臼ノ浦線・柚木線等の支線が簇生してた松浦線だけど,色々変遷が有ったようだ。

佐世保軽便鉄道が1920(T20)に相浦─柚木11.9kmを開業させ,翌1921年には左石(元大野)─上佐世保3.1kmが開通,上佐世保は当時の国鉄佐世保線の北佐世保に隣接していた。

今は中間駅の相浦であるが,小浦方面へ延伸する時に,実盛谷と云ふ乗換専用の分岐駅を今の本山駅の西側に設置して小浦へ直行(相浦は支線の終点となった)したが小浦が干満の差が大きくて積み出し港として荷役効率が悪かった(とは註:相浦の積み出し港としての機能は不十分だったのか?)ので更に臼ノ浦迄1931年に7.8km延伸,同年中に小浦北側の四ツ指から分岐して佐々迄1.7km建設して岡本彦馬鉄道に接続,1933年には佐世保軽便鉄道が岡本彦馬鉄道を買収してる(とは註:岡本彦馬鉄道の積み出し港は佐々から更に四ツ指駅の南隣だった様で此処迄線路が延びていた様だ)。

柚木▲(柚木線は1967.7の水害で不通,1967.8に廃止,柚木炭砿の廃坑は1972。)

大野(左石)─上佐世保・北佐世保━(佐世保線)━佐世保

実盛谷(現本山駅西方)─相浦◎(0kmポスト)

小浦◎

四ツ指(国有化時に四ツ井樋に改称)─大悲観(後の国鉄臼ノ浦駅は此処ら)─臼ノ浦◎(臼ノ浦線は1971廃止)

佐々(此処から先は松浦炭砿鉄道,その後の岡本彦馬専用鉄道)─(芳浦)?◎

肥前吉井

世知原▲(世知原線も1971廃止)

▲…炭砿・◎…積み出し港

1936年に国有化され,改軌工事が1939年から始められて1943年に北佐世保─相浦・左石─柚木が,1945.3に全線の改軌が終了した。

この改軌時に上佐世保は廃止されて北佐世保経由となった。
また実盛谷─真申(まさる)の山越え直結ルートは廃止され,盲腸線の終点だった相浦から真申迄建設して相浦が中間駅となる様に改良した。この辺は飫肥と北郷への県営軌道の関係>>337とよく似てゐる。

また臼ノ浦へは佐々からの接続に変更されて臼ノ浦駅は元大悲観駅付近に建設されたが,臨港線は旧臼ノ浦駅周辺迄伸びてゐた様だ。その時に四ツ指─大悲観は廃止された様だ。

松浦鉄道は頻繁運転で客も確保して善戦しているイメージだが,柚木線や世知原線,臼ノ浦線と云ったネットワーク性があればそれを活かせたかもしれないと思うと一寸惜しい。まあ廃止されたのは国鉄分割時に廃止になったのではなくその前の篠山線とか根北線が廃止になった時のものなのでまあ流石に惜しいと云うのは云い過ぎかw
柚木線は佐世保近郊になってて人口増えたりしてないかな??

341とはずがたり:2016/11/20(日) 19:25:10
松浦線の神田(こうだ)

佐々町〜日鉄神田炭鉱跡
カテゴリ:佐世保・北松炭田の炭鉱
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51195682.html

342とはずがたり:2016/11/20(日) 22:04:11
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。

苫小牧篇

北海道鉄道(北海道鉱業鉄道) 金山線 沼ノ端─辺富内(富内) 1923年開業 66.0km (将来的には金山迄延伸計画)
〃 札幌線 沼ノ端─苗穂 1926年開業 62.6km (両線は沼ノ端でスイッチバックで接続。室蘭本線の南側に駅)
苫小牧軽便鉄道(元々三井物産建設の線用鉄道) 苫小牧─沙瑠太(富川) 40.4km 1913開業
日高拓殖鉄道 沙瑠太─静内 大正末迄に開通

日高線 1927年に上記二線を国が買収。

1934年 北海道鉄道札幌線が室蘭本線乗り入れ開始。1940年には札幌─苫小牧の直通運転が開始され1943年には重要幹線との事で戦時国有化。同年金山線も国有化,上鵡川(→豊城)─鵡川に新線を建設して平行する上鵡川─沼ノ端を休止。

戦後の苫東開発によって1962年,日高本線が迂回,新線開通。

343とはずがたり:2016/11/21(月) 11:28:50
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。
千葉篇

■国鉄千葉駅…元々現東千葉駅付近にあった(元町と三ノ宮・小倉と西小倉の関係と似てゐる・千葉は遠軽・旧塩尻・旧大網と似たスウィッチバック+分岐駅)

■(初代)京成千葉駅…国鉄線を乗り越えた市中心部(通町)にあった。

■国鉄本千葉駅…元々2代目京成千葉駅(現千葉中央駅)付近にあった。初代京成千葉を市中心部からの移転に対する京成への補償として国本千葉駅付近を譲渡。

■(3代目)京成千葉駅…国鉄千葉駅移転後,同駅前に国鉄千葉駅前駅として開業。その後2代目京成千葉駅を千葉中央駅と改称してこちらを京成千葉駅とする。結果,国鉄千葉と京成千葉が現千葉駅に集合する事になる。

344とはずがたり:2016/11/24(木) 10:50:49
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。

東急池上線だが,これは東急起源の鉄道ではなかったそうな。

元々大森─池上を結ぼうとして大森の地価が文士村等に拠り高騰したので已む無く起点を蒲田にして蒲田─池上を開通させ,其処から蒲田─池上─五反田を伸ばし,五反田から更には都心部の延伸を狙い白金─五反田・品川─五反田の建設を目論むも失敗,また雪が谷から国立!方面迄も狙って実際に雪が谷─新奥沢を建設したのだそうな。

結局東急の田園都市開発の攻勢の前に破れて買収され,新奥沢迄の盲腸線も廃止されてしまったそうな。

五反田の山手線を乗り越える高架線が放置されてるのは勿体ない,白金迄延伸して南北線や三田線と相互乗り入れしたい所だけど多分白金からは品川へ延伸するので池上線の入り込む余地は無いよなぁ。。

国立迄の支線構想も東急が大井町線を建設して南半分は完成したとは云えよう。。大井町線は大井町で京浜東北線に接続して満足してるけど是非五反田経由で都心乗り入れを謀って欲しい所w

まあ東急の喫緊の課題は新玉川線(w)の渋谷口の混雑に尽きるから,小田急系列の井の頭線(w)が新宿の一極集中を不正でゐる様に,三茶辺りから新宿かもっと手前の駒澤大学前辺りから池袋へ向かう支線を造るのが先であらう。そこで山手急行電鉄なんじゃがww

345とはずがたり:2017/01/05(木) 18:13:33
喜撰山と云えばhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187488248/515http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1272だが,天ヶ瀬ダムと対となる揚水発電所を形成しているのである。
非公開なんかー。

2015.07.05
喜撰山ダムのコンクリート廃墟
http://www.syasin.biz/page/kisenyamadam/
 仕事で宇治までやってきたので休憩時間とって今まで興味のあった所にいってきました。今回やってきたのは京都宇治市にあるダム。天ヶ瀬ダムではないですよ。さらに山奥にある一般公開されていないので誰も知らない…喜撰山ダム(きせんやまダム)という所です。

今回は廃墟を見にきました。廃墟といってもそんな大したものではなく、コンクリートが放置されているというので気になっていました。昔天ヶ瀬ダム建築の際のゴンドラ跡だそうで、かなり朽ちて残っているそうです。

346とはずがたり:2017/01/10(火) 06:37:39
すげえw
こんな道路もあるんだな。

和歌山県道213号 白浜久木線
http://yamaiga.com/road/wpr213/main.html

通 告!!
これから先の県道は幅員二メートル(山中橋区間)(砂防堰堤工事に伴う付け替え道路部分は除く)で関係者が昭和五六年度地権者の寄附によって路盤の整備を図り供用しておりますが、県道としての供用開始の告示はされていない為、県による維持管理補修等はされておらず関係者がそれらの作業を行ってきました。
それ以外の道路幅員は、関係者が昭和五七年度及び昭和五八年度、平成八年度に地権者から道路用地として買収し拡幅工事等を行い通行の便益に供したものであります。 従って通行中の落石事故等による賠償責任は負えません。 尚、山中橋附近の残土は、県並びに地権者、関係機関と協議の上、昭和五九年度に県営事業として採択され設けた残土処理場であります。
関係者

この辺
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.25.54.518N33.39.32.752/zoom/9/

r213が遡上する牛屋谷以上に町道の郷地谷も気になる。
googleマップのSVもそこそこ遡上するが何でも無さそうなところで切れてるのが不満だ。
https://www.google.co.jp/maps/@33.6654399,135.4391703,396a,20y,41.59t/data=!3m1!1e3

wikiには大した情報はない。

ネタバレ注意になりそうで読んでないけど穴があるみたいだw
こちらは終点からの渡渉レポっぽい。

和歌山県道213号白浜久木線・久木側 【1】 (和歌山県西牟婁郡白浜町久木)
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/15415449.html



結局,読んじゃったw

347とはずがたり:2017/01/10(火) 07:01:04
国道43号沿いから庄川地内なんで結構人口は多いな。282世帯761人も住んでる。
一方の久木は20世帯39人しかいない。

西牟婁郡白浜町庄川(しゃがわ)
http://toukei-labo.com/2010/?tdfk=30&city=30401&id=38

348とはずがたり:2017/01/10(火) 18:19:39
この辺http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1191161933/346-347をきっかけに紀伊日置駅(と阪和道日置川IC)が日置の中心集落から離れてるってのを確認したりしてる内に気付いたが,その昔,隣の椿駅発の優等列車があったそうな。
ちと吃驚。
椿は白浜口(白浜)同様,海岸の温泉地から随分離れた内陸に位置するが,白良浜と違って温泉街の規模が大きくない事もあってか今は弱小駅のイメージである。

また紀勢道が国鉄の駅の近くにIC設置するのも歴史は繰り返すと云うか,海岸線が厳しすぎて内陸を短絡するのが最適解となるのが共通点か?

349とはずがたり:2017/01/12(木) 14:23:48
【衝撃】世界の危険すぎる道路 トップ10。世界が震えた!嘘のような本当の話
https://www.youtube.com/watch?v=0if1VKR7dwc

350とはずがたり:2017/01/27(金) 17:55:53
PPAP!?下らん。Pと云えばTP(東京湾中等潮位)やOP(同大阪湾)しかないやろ!
…と思ったらAP(荒川!)やYP(淀川!!)なんてのもあるらしい。
TPはTonegawa PeilなのかTokyo Peilなのか区別つかないね。
>>152に因んで此処へ。
よっきもかなりアカデミック的にハイレベルな高みに昇っているし此処も真面目な地理・地誌綜合スレ化のよか〜ん。

川をめぐることば  A.P.とT.P.
-標高の生みの親は荒川だった- 
http://www.river-museum.jp/archives/dayori/newsletter/no_7/page4.html

 荒川にかかる橋などにときおりA.P.○○mという表示を見ることがあります。これはその場所の高さを示す数値です。A.P.はArakawa peilの略で、荒川工事基準面といいます。Peilはオランダ語で「水準線」あるいは「基準」などを意味します。明治時代の始め、デ・レーケらオランダ人技師が近代的な治水事業を指導したため、オランダ語が使われました。A.P.は東京都中央区新川にある霊岸島水位観測所の最低水位をもって定めています。最低水位を用いたのは工事に便利だからです。霊岸島水位観測所は隅田川河口付近にあり、明治時代には荒川の河口でした。A.P.は荒川のほか多摩川水系、中川水系で工事基準面として用いられています。
 いっぽうT.P.は東京湾平均海面(東京湾中等潮位=いわゆる海抜)を意味しています。T.P.は1873
(明治6年)から1879(明治12年)の潮位記録を平均した数値A.P.+1.1344mをT.P.±0.0mと定めたものです。
 ところで標高の基準である水準原点はT.P.+24.4140mと測量法施行令第二条で定められています。水準原点は1891年に陸地測量部(現在、東京都千代田区永田町の憲政記念館前)に設置されました。設置場所は武蔵野台地の上なので、T.P.よりかなり大きな値になっています。設置当時はT.P.+24.500mが水準原点の高さでしたが、1923年(大正12年)の関東大地震で水準原点自体が変化したため、現在の数値になっています。東京湾の埋め立てなど都市化の進展で霊岸島付近が潮位の測定に適さなくなったため、現在では三浦半島油壷の国土地理院検潮場での測定値を東京湾平均海面として用いています。 このように測量の歴史をたどると、日本の高さの基準制定の原点は荒川にあったことになります。
 ちなみにA.P.同様の基準はほかにもあり、O.P.(大阪湾工事基準面T.P.一1.3000m、淀川水系)、Y.P.(江戸川工事基準面T.P.-0.8402m、利根川水系)などが用いられています。

351荷主研究者:2017/02/18(土) 21:53:50
>>287
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20170130/CK2017013002000040.html
2017年1月30日 中日新聞
原田橋崩落あす2年 再建3年後、住民我慢

◆東西往来 仮設道頼り

崩落した天竜川右岸の斜面(左側奥)の約200メートル下流で橋脚の基礎部分の工事が進む=浜松市天竜区佐久間町で

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かるつり橋・原田橋が崩落し、三十一日で二年になる。約二百メートル下流では、新しい橋の建設が始まり、二〇二〇年春ごろ完成の予定だ。それまでは町の東西を、仮設道路で行き来する不便が続く。

 天竜川の両岸は、河川敷を走る仮設道路で結ばれている。凸凹で走るたび車が大きく揺れた以前の路面と違い、今はコンクリートで平らになり走りやすい。だが上流の佐久間ダムが放流を決めると、行き来できなくなるのは相変わらずだ。

 右岸の川合地区に住む女性(82)は、崩落した日の朝も、対岸にある高齢者施設にバスで出かけた。帰りには朝渡った橋がなかった。

 “脳トレ”と呼ぶ施設での教室が楽しみ。ゲームや体操をわいわい楽しむ。年が明け、早速ダムの放流で仮設道路が止まり、休みになった。「家では、こたつに入ったっきり。休みになると、さみしいやぁ」

 JR飯田線の浦川駅近く。理容店の三代目、乗本(のりもと)和男さん(49)は店を改装した。オセロのような黒白の床。ピンクのソファ。赤い扉を押し入店するとジュークボックスが迎える。山の「ロックな床屋さん」だ。

 仮設道路が止まれば、対岸の客から理髪の予約キャンセルが入ることもある。だが新しい橋の完成を待たず集客力の向上に努める。

 頭から爪先まで、全身を洗える洗浄剤やエルビス・プレスリーをイメージした整髪料を置き、フェイスブックなどで発信する。遠方からの客も少なくない。

 「『あそこにいかないと買えないよ』という、個の魅力を出していかないと」

 新たな橋の工事は、いまは二本の橋脚の土台となる部分を川底のさらに約十四メートル地中の岩盤まで、沈める工事が進む。

 天竜土木整備事務所の白柳裕一所長(56)は「橋の早期完成は、地域の希望であり、亡くなった職員の遺族の望みでもある。全力で進めたい」と話す。

(勝間田秀樹、写真も)

 <原田橋の崩落> 2015年1月31日午後5時10分ごろ、浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる国道473号の原田橋(長さ138メートル、幅5メートル)が、天竜川右岸の斜面が高さ70メートル、幅30メートルにわたり三角形に崩れたことで、橋をつるケーブルが固定されていたアンカーごと落ちた。橋の上で斜面を監視していた浜松市天竜土木整備事務所の安野彰恭さん=当時(57)、茶谷富士雄さん=同(45)=が死亡した。

352とはずがたり:2017/02/23(木) 16:17:23
元清澄山付近

首都圏自然歩道
モミ・ツガのみち
https://www.pref.chiba.lg.jp/shizen/choubou/fureai/documents/naturepath22.pdf

353とはずがたり:2017/03/04(土) 21:17:25

http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.53.54.044N37.13.45.147/zoom/7/
http://yahoo.jp/lemU5O

ミニレポ第226回 福島県道249号上戸渡広野線 中戸渡旧道
http://yamaiga.com/mini/226/main.html

福島県道249号上戸渡広野線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%93249%E5%8F%B7%E4%B8%8A%E6%88%B8%E6%B8%A1%E5%BA%83%E9%87%8E%E7%B7%9A

[GoPro車載動画]福島県道249号 上戸渡広野線 上戸渡→(旧浅見川林道・箒平)→広野
https://www.youtube.com/watch?v=D1Oc4lcd75U

きょうJRダイヤ改正 2017年3月4日、何が変わった? 大物なくとも多くの変化 通販の影響も
http://news.goo.ne.jp/article/trafficnews/business/trafficnews-65817.html
06:30乗りものニュース

浅見川林道
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B5%85%E8%A6%8B%E5%B7%9D%E6%9E%97%E9%81%93&oq=%E6%B5%85%E8%A6%8B%E5%B7%9D%E6%9E%97%E9%81%93&aqs=chrome..69i57.1717672j0j4&sourceid=chrome&ie=UTF-8

354とはずがたり:2017/03/19(日) 11:42:21
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/134-139及びhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/169-174参照

169 自分:とはずがたり[] 投稿日:2017/03/19(日) 09:49:54
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
今度の山行がは子どもの頃からの我らが憧れの未通県道掛川川根線である。惜しむらくは川根区間で掛川区間じゃないようだけど。。

静岡県道39号 掛川川根線 川根区間 前編
http://yamaiga.com/road/spr39/main.html

355とはずがたり:2017/04/09(日) 18:34:26
よっきが出ると聞いて「車あるんですけど」見てみたが酷い番組だった。。(;´Д`)

356荷主研究者:2017/04/09(日) 22:58:50

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201703/20170328_13008.html
2017年03月28日火曜日 河北新報
謎の洞窟が仙台・秋保に 旧陸軍の弾薬庫か

http://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20170328kahoku01.JPG
洞窟の内部を案内する伊藤政則さん

http://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20170328kahoku02.JPG

 仙台市太白区秋保町の戸神山(とがみやま)の南麓にあり、旧陸軍が太平洋戦争中に掘った洞窟を、地元のまちおこし団体「秋保地域資源活用委員会」が調査している。弾薬庫跡と伝わるが、遺留物や文献記録などは残されていない。メンバーらは現地調査や高齢者への聞き取りを進め、謎の解明に挑む。

 洞窟は太白区秋保総合支所の北約2キロの旧道沿いに位置し、崩落が進んでいるが4カ所の入り口を確認できる。つるはしなどを使って手作業で掘られたとみられ、高さ約2メートルの横穴が続いている。暗がりにはコウモリが生息する。

 内部の数カ所で枝分かれし、総延長は不明。近くで育ったという農業伊藤正則さん(62)は「全部で数百メートルはあるだろう」とみる。

 伊藤さんの父の安男さん(85)によると、掘削作業は1943〜44年、宮城野区の榴岡公園に本拠地を置いた第2師団歩兵第4連隊が担った。

 安男さんを含め当時の国民学校高等科の生徒が資材を運搬したり、弁当を届けたりした。洞窟の中には弾薬や砲弾、手投げ弾、ドラム缶などが運び込まれたという。

 兵士たちは、秋保小と青葉区の上愛子小に寝泊まりして掘削に従事した。安男さんは「その代わり、子どもたちは地元の寺院で勉強した」と振り返る。

 地域住民約20人で構成する活用委は3月上旬、地元町内会と協力して戸神山周辺の散策路に案内標識を設置。洞窟など山の周辺を取材し、執筆したパンフレットも3月下旬に完成する。

 庄子敏明委員長は「洞窟をさらに調査し後世に記録を残したい」と語り、戦時中の情報を求めている。連絡先はパンフレット発行元の秋保総合支所総務課022(399)2111。

357とはずがたり:2017/04/19(水) 08:44:22
717 R774 sage 2017/04/18(火) 21:11:47.70 ID:6HSTzPT5
某廃道マニア、あそこ行ってたんかw
サイトはしばらく見てなかったからレポがあがってたのは知らんかった
レポ終盤にあった橋のあたりまでの工事ってたしかr63の上平橋の架け替え('01年頃)と変わらん時期だったはず
あのへんの圃場整備(と県道の付け替え)もほぼ同時期にやってた記憶が

余談だけど、レポにある「横道」は、今のr220との分岐からr62のルートを辿って氏家宿に抜ける脇往還もあったような
今宮神社の北側で会津中街道と合流してたはず
会津中街道も今のR4を越えたあたりから乙畑までと川崎宿〜矢板宿間は圃場整備だったり川の直流化(これは矢板)
だったりで痕跡がわかんないんだよなあ

358とはずがたり:2017/04/23(日) 15:00:49

【静岡県・佐久間ダム観光道路廃道(仮】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_sakuma_hai-1.html

359とはずがたり:2017/05/09(火) 19:42:43

神戸の山中に「マヤ遺跡」? 廃墟マニアにツアー盛況
http://www.asahi.com/articles/ASK583H0TK58PQIP001.html?iref=com_favorite_01
水野義則2017年5月9日11時22分

 戦前に開業し、廃虚のまま摩耶山に残る「旧摩耶観光ホテル」(神戸市灘区)。廃虚マニアに絶大な人気があるこの建物をはじめ、付近の廃虚を「マヤ遺跡」と名付け、歩いて巡るツアーが人気だ。毎回、すぐに定員が埋まる盛況ぶりだ。

 摩耶ケーブルとロープウェーで山頂に着き、そこから山道を歩くこと約1時間半。木々の間に埋もれるように、旧摩耶観光ホテルが姿を現した。丸みを帯びた外壁や円窓があることから「軍艦ホテル」とも呼ばれたモダンな外観に、ツタが絡まったり壁がはがれ落ちたりして、まさに、未知の遺跡に遭遇したかのような気持ちになる。

 同ホテルが開業したのは、1929年。温泉を備え、都心からすぐの観光地としてにぎわった。しかし、経営難のため90年代前半に閉鎖。95年の阪神大震災で、交通手段となる摩耶ケーブルが長期運休したこともあり、周辺は立ち入り禁止になり廃虚になった。

 しかし「廃虚マニア」の人気は高く、ネット上では「マヤカン」の愛称で多くの写真が掲載されている。不法侵入をして撮られたものがほとんどで、敷地に入るどころか、建物内にまで入ってくる人も多く、警備システムを付けても不法侵入は後を絶たないという。

 イベントを企画したのは、摩耶山を再び活性化させようと取り組んでいる「摩耶山再生の会」(慈憲一〈うつみけんいち〉事務局長)。「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」と名付け、同ホテルや、昭和初期に建設され、サウナや食堂などを備えていた宿泊施設「摩耶花壇」、火災で焼失した旧天上寺跡など約15カ所の「遺跡」を、ガイドの案内で、約2時間かけて巡る。

 最大の魅力は、旧摩耶観光ホテ…

360とはずがたり:2017/05/26(金) 15:45:14
この道か?
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.23.0.358N34.48.39.672/zoom/9/

あらゆる都市部の引き込み線は通勤路線として活用出来ないか考えてみるけどここも大阪へ行くには逆だから無理かw

軍事施設への線路跡? 道路工事現場から敷石 宝塚
https://news.goo.ne.jp/article/kobe/nation/kobe-20170526002
08:30神戸新聞

 ただの工事現場にしか見えない。兵庫県宝塚市道で行われた、ありふれた道路改良工事。しかし、西宮市の鈴木球也さん(61)は違った。掘り起こされた現場を見て思った。「戦時中に国鉄(現JR)中山寺駅から軍事施設へ引かれた『引き込み線』の跡ではないか?」(土井秀人)

 2月上旬、JR中山寺駅から南東約500メートルの県道脇。接続の市道工事で露出した地中50センチほどの層に、こぶし大ほどの石が敷き詰められていた。そばを通りかかった鈴木さんにはその石が、線路に敷くバラスト(砂利)に見えた。

 頭に浮かんだのは、2014年8月17日の神戸新聞阪神版の記事。戦後69年の夏、阪神間の戦跡を紹介した連載「消えゆく証」に、中山寺駅と軍事施設を結ぶ引き込み線の記述があった。〈線路は撤去されたが、自動車が行き交い、大きくカーブを描く道路に、その形跡を見ることができる〉

 鈴木さんは、職業軍人だった父が5年前に亡くなり、阪神間の戦跡を訪ね歩いて資料を調べるようになった。「戦時中の人たちはどのような状況に置かれ、どんな気持ちだったのか。戦争の跡が消えていく中、今のうちに知りたい」

 専門学校でプロダクトデザインを教えており、物の形にはうるさい。工事現場で見つけた石はごつごつと尖り、すぐに引き込み線のバラストが浮かんだ。

 ■引き込み線とは

 戦時中、阪神間は川西航空機宝塚製作所などの施設が数多くあり、一大軍事拠点だった。「引き込み線はそのことを示す一つで、中山寺駅から『大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠』『大阪陸軍造兵廠川西補給廠』へ続く線路だった」。元伊丹市職員で平和事業に長く携わった藤井裕行さん(63)が説明する。

 獣医資材支廠は、軍用馬の蹄鉄や馬具を生産し、医薬品などを管理。約30ヘクタールの敷地には、学徒動員の若者や女子挺身隊、朝鮮人ら約800人が働いていた。しかし、当時の資料は終戦時に焼却処分されて残っていないという。引き込み線は終戦後の1945年10月、撤去された。

 それでも痕跡はある。県道沿いの交差点には今も、当時の門柱が3本立っている。藤井さんは当時働いていた女性から「本部のほかに馬具を作る工場、将校宿舎、診療所まであり小さな町のようだった。防空壕もたくさん掘られ、空襲警報のたびに一斉に逃げ込んだ」という証言を得た。

 造兵廠は弾薬や砲弾の保管庫だったが、ここの資料も処分されて残っていないという。

 ■足元の記憶
 では、工事現場から出た石は、引き込み線の跡だったのか?

 JR西日本に尋ねると「バラストかどうかは分からない」。市道を管理する宝塚市も「当時のバラストかは分からない」とする一方、「石の大きさから、現代の道路工事ではまず使わない」と指摘する。現場を見た藤井さんは、石が規則正しく敷かれ、層となっていることなどから「バラストでほぼ間違いない」と結論づけた。

 そうなら道路の下に軍用線の跡が残っていることになり、「この地で何が起きたのかを伝える『歴史の語り部』。大きな発見となる」と力を込める。

 藤井さんは約20年、地域の戦争について丹念に調べ、記録してきた。それは「自分たちが暮らしている足元で、どんな悲惨なことがあったかを知らない」という思いからだ。

 70年以上前、軍用線が引かれていた場所が工事で掘り起こされ、すぐに埋められて姿を消した。そのわずかな時間に、藤井さんたちは戦争の痕跡を感じた。

 「誰かが記録し、語り継がなければ、地域の戦争の記憶がなくなってしまう」

361とはずがたり:2017/06/26(月) 18:29:37
酷道291号、密林の海に潜った 点線で記される国道
http://digital.asahi.com/articles/ASK6D6605K6DUCFI00M.html?rm=1144
斎藤健一郎2017年6月24日01時24分

 もう、うんざりだった。

 新潟県南魚沼市の山中、標高780メートル付近。国道291号をたどり、群馬県境へ向けて歩いているはずなのに、30分は前後左右、上下、あらゆる方向から生い茂る草木をかき分けていた。まるで密林の海を潜っているようで、あてどない。全身から汗が噴き出す。自然に没した道に対し、頭で恨み言を繰り返していた。ニクイ、291。

be「みちのものがたり」
 「脱出しよう」。国道からの脱出なんておかしいが、もはや限界だった。沢音が聞こえる方へ、灌木(かんぼく)につかまり急斜面を落ちるように下った。突然視界が開けた。足元がすっぽり切れ落ちる崖の上に出てしまったようだ。眼下の沢までは8メートルか。登り返すことも下ることもできない。冷や汗なのか、汗の量が増す。カニ歩きで木が生える斜面まで移動し、枝にしがみついた。背中からずり落ち、斜面をズルズルと滑りながら、なんとか沢までたどり着いた。爪の中まで泥だらけになりながら、なんとか下界へ。291、本当にニクイ。

 国道291号は、前橋市と新潟県柏崎市を結ぶ。手元の地図を広げると、総延長188キロのうち、中央分水嶺(ぶんすいれい)上にある標高1450メートルの清水峠を挟んで30キロは、道筋が実線でなく点線で記されている。どんな道なのか。それを知りたくて登山の装備を整えて踏み込んだものの、あっけなく退けられたのだった。

 国道の格に見合わない酷(ひど)い道は、「酷道(こくどう)」と呼ばれることがある。全国に点在する酷道の中でも291号の清水峠越えの区間は、車はおろか人の通行さえ困難で、とりわけ酷い国道とされる。

 だが、歴史をさかのぼれば輝かしい時代もあったのだ。

 戦国時代、上杉謙信の軍勢が、三国峠と並んで関東行軍に頻繁に利用したのが清水越えだった。弓で例えれば弧と弦の関係で、清水越えは谷が深く山は険しいが、越後と上州を最短距離で結ぶ「直路」として、価値が高かった。

 しばらく歴史に埋もれた後、再び脚光を浴びたのが1878(明治11)年。大久保利通が東日本各地の築港や河川改修を提言した土木7大プロジェクトの一つに、清水峠越えの開削が挙がった。

 完成は7年後。開通式には、内務卿や元老院議員、陸軍中将ら要人に加え、皇族の北白川宮まで参列した。

 道の幅は馬車がすれ違えるよう約5メートル。日本海からの湿った空気をもろに受け止める豪雪の谷に敷かれた高規格の道。それがなぜ酷道に……。

 別ルートをたどり、清水峠を目指すことにした。

■「この道はもう死んだんだ」

 清水峠へ向かうのに、車は頼れない。新潟県南魚沼市の清水集落の少し先で一般車両は通行止めになる。さらに5キロ先までは砂防ダム工事用の舗装路がのびているものの、そこからは登山道となる。

 工事道の終点で靴を脱ぎ、雪解け水で凍るほど冷たい沢を渡る。間もなく、兎平(うさぎだいら)という名の開けた場所に出た。「中部北陸自然歩道」の案内板が、路傍に倒れていた。皇族まで招いて開通を祝った国道の行く末が記されていた。

 いわく、清水街道は災害などでまもなく廃道となり、ここ兎平を中心に約8キロの近道が、個人経営による開発で明治23年に開通した――。

 開通式から数カ月後、谷川連峰の核心部に位置する谷は雪で閉ざされた。雪崩や落石に何度痛めつけられただろう。補修はたちまち追いつかなくなり、4年の歳月をかけてつくられた国道は捨てられた。そして開通から5年後には、谷を一気に駆け上がる民間の別道がつくられたのだ。

 居坪坂(いつぼざか)として生き残ったその別道をたどる。登山地図にあるとはいえ、酷くない道とは言えない。また2度、冷たい沢に足をぬらして渡った。

 5月末の登山道は完全に雪の下に隠れていた。GPSと地形図を頼りに、急な雪の斜面を一歩一歩登る。1時間55分後、また視界が開けた。標高1400メートル。国道との合流点だった。雪の下から伸びた木が直角に曲がり、谷を指している。厳しい雪の世界だ。

 国道は馬車の通行を前提になだらかな傾斜でつくられた。代償としてルートは沢という沢を回り込み長大になる。その緩慢さは「どうぞ攻撃してください」と、雪崩の常襲地帯に大きく腕を広げる格好になった。

362とはずがたり:2017/06/26(月) 18:29:53
>>361-362
 沢筋に回り込むたび、雪渓が現れる。人の気配はない。ここで落ちたら……。慎重にパスしても、今度は雪につぶされた木々の一本一本が、横殴りに立ちはだかった。上をまたぎ、下をくぐり、時に地面をはいつくばって進む。

 国道に合流して28分、クマザサが風に揺れる清水峠についた。小さいほこらがあり、かたわらに石柱が立っていた。彫られた文字は風化し、読み取ることはできない。

 空を見上げるとJR東日本の送電線が峠を越えていた。信濃川の水力発電所から首都圏へ、清水越えした電気が鉄道の運行を支えている。

 緊張が解け、雪の溶けた草地にドサッと座り込んだ。誰ひとりいない峠からは鹿の子まだらの越後、上州の山々が一望できる。絶景だった。

 記者が阻まれた新潟側の酷道踏破を成し遂げた人がいる。廃道探検家の平沼義之さん(39)。自身のウェブサイトで公開した踏査記録は、冒険そのものだ。2007年秋、清水集落からアタック。途中山中でビバークしながら進むも、もろい崖に阻まれ撤退した。翌年には清水峠から逆道をたどり、踏破に成功。「つらく、痛めつけられるばかりで見どころもない。命の危険もある。それでも恋い焦がれ続けた道。ものすごい達成感でした」と振り返る。

 国道なのに酷い道。そんな不自然さの背景を、調査で明らかにするおもしろみがあると平沼さんは言う。五感を研ぎ澄まし、肉体を駆使し、冷静な心で踏み込んでいく。多くの廃道をそうして歩いた平沼さんをして、291号は「日本の道路の極地」。日本列島中央部で、厳しい自然と過酷な地形、数奇な歴史に翻弄(ほんろう)され、人を拒み続けながらなお、現役の国道としてある。「こんな物語のある道はそうありません」

 後日、「清水の天狗(てんぐ)」とたたえられる清水集落の小野塚高一さん(75)の案内で、再び酷道に入った。送電線を巡回する元国鉄職員だった民宿「やまご」の主人は、山を知り尽くしている。走るような速さで密林をゆく天狗の背中を必死で追った。沢をわたり、崖をよじ登り、標高千メートル付近まで高度を上げたところで足が止まった。

 国道のど真ん中に山が盛られ、鉄塔の一脚がドンと埋め込んであったのだ。「JRの送電線ですよ。国鉄の時代につくられたものだけどね」。小野塚さんの言葉に力が抜けた。291号の通行を阻んでいたのは自然の猛威だけではなかった……。

 コンクリートの土台にもたれ、峠の方を見ながら水を飲んだ。「291はずーっとこの山肌を迂回(うかい)して峠に向かうでしょう。山菜採りにだって遠くて使えない。もう死んだんだ、この道は」。天狗が涼しげな顔で言う。

 ニクイという思いは消え、ただ頭を下げたくなった。(斎藤健一郎)

■国道291号とは

 明治政府が国家事業として開いた清水越えのルート。開通時は国道8号の指定を受けていた。群馬県みなかみ町文化財調査委員の阿部利夫さん(67)は「越後の米をより早く関東へと運ぶ『米の道』の役割と同時に、新潟港開港を迫る外圧に対抗する『軍事道』の期待もあった」と語る。しかし、交通はすぐに途絶し、大正時代には県道に「降格」した。

 291号として再び国道に指定されたのは1970年のこと。当時は山間地を切り開きスカイラインなどと名付けられた山岳観光道路が全国各地に次々とできていた。阿部さんは「291を観光道路として復活させたいという声は今も地元にはある」と言うが、実現は難しそうだ。

 地元の新潟県と群馬県が管理するが、清水越えの区間は大部分が、実質手つかずのまま放置された状態になっている。新潟県の担当者は「国道17号など、きちんと整備され、安全な通行が確保された国道が近くにあるから」と説明する。

 再開発の可能性を聞くと両県とも「今のところ予定はありません」。歩行も困難な新潟側に対し、群馬側は登山地図にルートが記され、一応は歩けることになっている。だが、今年は雪が深く8月になっても通行できるか見通せない状態だという。

 そんな道がなぜ、廃道にならないのか。新潟県に聞くと、地元から国へ要請しないかぎり行政上の国道が消えることはなく、「特にこちらから要請する予定もない」とのことだった。

363とはずがたり:2017/08/31(木) 14:10:18
県道ならぬ「険道」 数は「酷道」よりも膨大? 初心者にはお勧めできない道路たち
https://trafficnews.jp/post/78420/
2017.08.30 乗りものニュース編集部

364とはずがたり:2017/09/03(日) 19:53:24
今回の山行がは灰野坂!
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/4038
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/4042
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/2985
r368は俺も気になってる。本レポを受けて道路族も緊急増補。
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOKAI/meiho30.html#r368

もひとつ気になってるのは>>257で触れた三河湾ドライブウェイ。
有料道路時代の名残か現道との交叉部にインターや未成の遺構っぽい道路敷地が有る上に,荒れた雰囲気で(探索した時は)通行止めになってる区間迄あって結構探索好適地の印象だが今は通行止めどうなってんのかな?

wikiに拠ると。
>当初は「三河パークライン」計画として、本宮山スカイラインや鳳来寺山パークウェイなどと接続して観光開発する計画があったが、立ち消えとなった[6]。
なんて記述もあって公共事業無駄派の俺でも流石に心が動くw

365とはずがたり:2017/09/07(木) 09:16:59
昨夜はこまくんの上洛を得て久々の林道決行!
会議終了し神戸から一路高速飛ばして西山天王山へ。
地獄谷がいまいち位置をロストしてゐて判らないので先ずは浄土山乗願寺へ。西山の大仏。
此処,通行ご遠慮下さいと書いてあったが無事府道迄通り抜けられた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.39.46.500N34.54.18.694/zoom/8/

で,ネットで調べて地獄谷へ。どうも此処が入口らしい。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.7.197N34.55.30.325/zoom/10/
が,ゲートが設置されて這入れなかった。
不法投棄防止の為ご理解下さい的な看板が出ていた。非常に残念。

まったく場所を忘れていたが出口は此処か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.35.16.324N34.57.3.002/zoom/10/

若しくはこっちだったか?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.35.17.358N34.55.28.775/zoom/10/
此処から里に出る迄可成り未だあるけど。

どっちにせよ,そちら側からも何処迄進入出来るのか試してみたい。

次,ポンポン山を目指すも,山亀岡(昔は名前付けてなかった。亀岡南部の山)の林道を思い出して進入。
此処,またも不法投棄防止で閉鎖されてゐた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.42.750N34.58.2.188/zoom/9/
なんと。。
閉鎖されて無い方の道を辿って篠へ出る。途中後ろから一般車に追いつかれ,歩行者にもであう。どないなっとんねん。

兎も角この辺も昔走り回ったが此処は繋がってなかったんだっけ?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.37.21.604N34.58.29.250/zoom/9/
で,出るとしたらこっちだったかな?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.18.091N34.58.47.637/zoom/9/
閉鎖されてない林道で迂回出来るから閉鎖も已む無しか?

それにしても15〜20年程経つと昔は走れた林道もゲートで閉鎖されている。。矢鱈世知辛く偏狭で許容心の少なくなってきた今日この頃http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1348989696/2819であるけど,それがこんな所にも現れてるのかも。まあ不法投棄は日本の原野山林を愛する俺で無くとも憎むべき犯罪行為であるし,許容心が少なくなったお陰で政治利権等正常化している部分もあるのだから多少は我慢しなくてはならないとも思うんだけど。

閑話休題,次はくびなしである。此処も入口を忘れてしまった。蛍が見える橋が入口だったっと俺が記憶してゐてで高尾か清滝が入口だった筈ということで清滝に向かう途中でこまが高尾で道を曲がっていくとこですよと思い出す。

往年の俺ならナビ無しで此処(r136)を選択できただらうが,頭の片隅に存在はあったけどスルーだ!
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.41.26.192N35.1.47.654/zoom/9/
と思ったけど,帰って調べて見ると通り抜けれた記憶は記憶違いみたいだ…orz。
現地はこんな感じ。どっかの大学のフランス文学者のブログみたいである。で,この文学者も山行がに触発された様だw
京都に棲めて羨ましいなあ。。。

京都府道136号
http://pensiero.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%8B%9E%93s%95%7B%93%B9136&vs=&tid=seesaa_hotspot&hid=167&c=12&search=1&ic=shift-jis

入った記憶は確かにあるので途中迄入って引き返したのだったかな?

で,遂にメインイベント,くびなしへ。神護寺の脇であった。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.40.33.474N35.3.15.196/zoom/10/
一帯は朝日峰とかいう山でその中を延々と走る。
結局この辺迄行って急坂に路面の凹凸に負けて引き返えしてきた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.38.50.438N35.4.27.056/zoom/8/
次は廃村田尻から攻め上がりたいし,その更にひと尾根西のr362も視認してみたい。

と思ったが廃村田尻はこの先の道路上では無く一筋東側の谷だったようだ。謎である。。昔行った時は一旦田尻まで行って引き返して谷筋をチェンジしたんだっけ??

366とはずがたり:2017/09/07(木) 09:34:35
>>365
またr362に関してはそれなりに詳細なレポもある。

【右京区】府道362号線 未整備区間
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-899.html
【右京区】林道 芦見谷線(府道362号線 未整備区間の続き)
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-900.html

グーグル先生は此処で引き返してゐる。
https://www.google.co.jp/maps/@35.105422,135.6307416,14z

この道路の尖端は,くびなし林道の分岐点↓迄伸びそうな感じがある。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.38.45.750N35.4.22.472/zoom/8/

また二つ目のゲートのゲートが無い方,行き先に神護寺とあったが途中から車道では無くなるようだ。此も忘れてた。

松尾峠の方とかどうだったかなあ。。

もうちと明るい時に行かないと怖いな。。作業の行われてない日曜の昼とかじゃないと無理かも。

で,それなりに満足して欽林車庫前のブラウンに向かう。ブラ定は今日は焼肉定食で740円なり。
学生の頃はちょっと高い(大学生協は安いからな)価格帯でも20年経っても値上げしてないのは驚異である。次々と馴染みの店が潰れていって淋しい限りだが,20年前と殆ど風貌の変わらないブラウンの親爺さんだが何時迄もお元気で店を開いて欲しい。林道の後は北大路から西大路になる角にあったママカリが伝説的なお店(24時間起きっぱなしで店をやってると噂の青白い顔の店長が名物)だったけどこれも潰れちゃって久しい。妙心寺近くのお好み焼きジャンボは健在。

銀閣寺道はパチ屋が両方とも潰れていた。喫茶店の白川は残っていた。
ブラウンは1台だけだけど駐車場が確保されてた。此は嬉しい。周辺は道が狭い。
ブラ定を堪能。美味。

その後薬局を探すもない。李白は管理物件になってたようだ。

で,力の湯に。久しぶり。入る内に次々と往時を思い出す。

で更に国際。東山の狭隘道から日野法界寺の脇を通るのが往時の順路だったけえが省略。六地蔵付近からr242に進入。国際ccは破綻した筈だが看板は各所に残ってゐた。r242の途中にある分岐より山道に這入る。
この辺は炭山がオキニだったけえがr242のこの先か。1本北側のr782も地図で見ると魅力的だがこっちはどうだっけか?全部忘れてゐる。。
ガスが足りなくなって来たので国際本体は省略。どうなってるか知りたかったがまた来たい所。

適当に生駒着。翌朝こまを京都駅迄送ってエクス終了。
お疲れ様でした☆

367とはずがたり:2017/09/07(木) 10:01:00

くびなしだけど雲心寺林道と云ふらしい!

【右京区】谷山林道
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-630.html
高雄の谷山林道です。京都の自転車乗りの人には良く知られた場所かも知れませんが、観光地の奥にこんなステキな林道があるなんて最近まで知りませんでした・・

【右京区】雲心寺林道(前半)
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-631.html
一つ前の記事の谷山林道と接続する雲心寺林道(うんしんじりんどう)です。

舗装路が終わるところまでを前半部分としてご紹介します。この区間はロードバイクでも大丈夫です。
キレイな道ですがかなり勾配がキツイところもあります。

【右京区】雲心寺林道(後半)林道 宇治宇治谷線
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-633.html
2014/12/25 23:35
二つ前の記事の雲心寺林道(うんしんじりんどう)の後半です。上りで記事にしたかったので旧京北町側から走りました。

雲心寺林道だと思っていたのですが、旧京北町側は林道 宇治宇治谷線(うじうじだにせん)という名前でした。同じ林道なのか途中で名前が変わるのか、良く分かりませんでした。

走ったのは前半の記事の約一週間後ですが、上っていくにつれて雪が多くなりガリガリに凍っていました。もうこの辺りは春になるまで無理ですね・・

368とはずがたり:2017/09/14(木) 09:05:32
山行が新刊読了♪
新中央道、八甲田十和田連絡道、森吉と後半三本は堪らんセレクションだった!

369荷主研究者:2017/09/14(木) 22:52:01

http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/03tozasareta/1.html
2003.2.8勝毎ジャーナル
KACHIMAI
No.1 NEWS PAPER IN TOKACHI HOKKAIDO SINCE 1919

心や思い運ぶ役割、経済効果

憤り隠せぬ地元住民

 「日高への道は近くて遠い道 残照に輝く峰の白雪をながめて『山の向こうに暖かい土地がある』と想いつづけた父祖の願い ひたすらに求めつづけた日高への道は、この地の里人の心の底に焼き付いている」(住民組織「日高中央横断道路早期完成を願う村民の会」の吉田勇治顧問著「日高への道」から)

着工から19年後に建設が凍結された日高横断道路(昨年9月撮影)

 道路には金銭で測れない価値があると、村民の会(中札内)の佐竹英司会長は話す。「毎年盆と正月に繰り返される民族大移動。飛行機や汽車で(故郷の地に)降りたとしても、最後は道路を通って肉親らと会う」

 道路には人々の心や思いを運ぶ役割があるといい、「日高の山並みを見ていた者が、その向こうの人と思いを交わすことはできる」と佐竹会長は語る。完成を夢見て、思いは中札内村と静内町との道路の両端で共有されてきた。

 中札内村と静内町のサッカー少年団は、年に数回交流。両町村の観光協会関係者は毎年、それぞれで開催される祭りを訪れ、若鶏や海産物を売る。老人クラブの交流も行われている。横断道路が開通すれば、移動時間は現行より1時間余り短縮され、「思いがより早く相手に通じる」とし、佐竹会長は建設凍結の解除を信じている。

◆  ◆

 道路建設の凍結は地元経済にも影響を及ぼす。村商工会の真鍋和清会長は「(凍結は)大きな打撃。地元スーパーの村内出店と合わせ、ダブルパンチだ」と肩を落とす。建設に伴う地元経済への波及効果は年間数千万円に上る。

 真鍋会長は「建設に途方もない時間と巨額の費用が掛かるということを、道が前面に出すこと自体がおかしい。怒りだけだ」と憤りを隠さない。和田民次郎村長も「(これまでに国、道が)500億円以上をつぎ込んできた。効果を出さないという話はない」と語る。

◆  ◆

 「知事は(建設)現場の実態を知らず、話すことも理解できない」と吉田顧問は話す。建設凍結後の道路管理をどうするかなどが不明だからだ。和田村長も「(整備済み区間などを)放置すれば、自然保全が大変。しっかり道路を整備する中で、自然を守るのが大事」と指摘する。

 村民の会では10日の道による地元説明会終了後、世話人会を開き、道への陳情を含めた今後の活動方針を確認する。吉田顧問は「残念でしたでは終わらない。仲間と一緒に早く凍結を解いてもらうよう運動していきたい」と力を込めた。

(深田隆弘)(03.2.8)

◇ ◇ ◇

 堀知事が、日高横断道路の建設凍結を正式表明した。構想から約40年、着工からは19年後の凍結に、中札内村民は憤った。背景には、開通を待ち望み、かなえられなかった住民の夢や「地元不在」の建設見直しがある。凍結は地域経済に打撃を与えるともいう。道路に託してきた住民の思いや今後の運動方針を探るとともに、道が優先させるとする高速交通ネットワーク整備の現状などを追う。

370荷主研究者:2017/09/14(木) 22:52:42

http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/03tozasareta/2.html
2003.2.9勝毎ジャーナル
KACHIMAI
No.1 NEWS PAPER IN TOKACHI HOKKAIDO SINCE 1919

道央中心の交通網

全体像見えず今後の影響懸念

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20030209tokachi01.gif

◆  ◆

 「結局、道央中心の道政ではないのか。同じ道民でありながら(交通インフラに)格差が出て良いのか」。堀達也知事の発表を聞いたある関係者は、士幌高原道路の中止やエア・ドゥ支援などを引き合いに出して憤った。道財政と高速道路整備を取り巻く厳しい見通しの中で浮かんだ選択肢は、十勝と日高の悲願である「道道静内中札内線(日高横断道路)」よりも、北海道全体の悲願である「高速交通ネットワーク」だったからだ。

 道内の高速交通ネットワークは、全国と比較して立ち遅れている。高速道路など高規格幹線道路網の供用率は、全国57・3%(総延長1万4000キロ、供用延長8017キロ)に対し、道内は30・8%(同1825キロ、同562キロ)。供用区間の大半は道央圏だ。

 しかも、道路関係四公団民営化推進委員会が整備抑制方針の色濃い最終報告をまとめるなど、道内高速道路整備には逆風が吹いている。

◆  ◆

 堀知事は「選択と集中」を掲げ、高速交通ネットワーク整備促進には地元負担も辞さない姿勢を強調。昨年11月の日高横断道地元視察では「日高はまず道央圏と結ぶことが先決」「道東道十勝清水-夕張間の開通を第一に考えている」と発言し、高速交通ネットワーク整備への傾注ぶりをうかがわせた。

◆  ◆

 高速交通ネットワークの整備促進を求めるのは、十勝の関係者も同じ。ただ、単なる区間ごとの整備としてではない。「道路はネットワークとして各路線がつながってこそ意味がある。単独路線で効果が出るというものではない」と、広域的な観点での道路網整備を訴えてきた。

 日高横断道は、高速道路網と連結する計画。一大農業基地である十勝にとって、日高だけではなく苫小牧港まで至り、道央や本州への流通新ルートとしての期待もある。

◆  ◆
 しかし、道の特定政策評価調書案は日高と十勝の観点のみ。市内のある経済人は「全体像を持った道路網整備が必要。知事はそれをどう考えているのか」と、評価手法や道の道路網整備に対する考え方に疑問を呈する。

 岩野洋一帯広商工会議所会頭は「高速道路整備が厳しい議論にさらされているときに、道路整備に対して知事がリーダーシップを取らなければならない。それなのに、こうした考え(建設凍結)が出てくるようであれば、ほかの道路整備への影響も懸念される」と不安を漏らす。

 北海道横断自動車道、高規格幹線道路帯広広尾自動車道と、整備促進が希求される路線は多い。「選択」の後の「集中」はまだ見えない。

(岩谷真宏)(03.02.09)

371荷主研究者:2017/09/15(金) 00:03:16
廃道の危機!?

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20170830/CK2017083002000052.html
2017年8月30日 中日新聞
豊根村長ら「県道1号早期復旧を」 12月の土砂崩れで不通

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2017083002100001_size0.jpg
崩落し道をふさいだ大量の土砂。大型ダンプ1200台分に相当するという=豊根村富山の県道1号で

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2017083002100002_size0.jpg

 豊根村富山(とみやま)地区の生活道路、県道1号(飯田富山佐久間線)が、昨年12月から土砂崩れで通行止めになっている。伊藤実村長らは29日、県新城設楽建設事務所(新城市片山)を訪れ、「住民の暮らしに深刻な影響が生じている」として、石川博英所長に早期復旧を要望した。 

 通行止めになっているのは、長野県境に近い長さ五十メートルの区間。昨年十二月二十四日、高さ七十五メートルの山の斜面が崩落し、約六千立方メートルの土砂が道路をふさいだ。

 富山地区は長野県との結び付きが強く、住民は通勤や買い物、医療機関の受診など日常生活の多くを長野県飯田市や下伊那郡の町村に頼る。県道1号は、暮らしを支える重要なルートになっていた。

 現在は大回りの迂回(うかい)を余儀なくされ、新野峠経由で国道151号を利用しているが、「道が険しく、飯田まで一時間近く余計にかかる。冬は積雪や凍結の危険もある」と前富山区長の兼子武夫さん(80)は話す。救急や災害時の対応など住民の不安は大きいという。

 要望書を受け取った石川所長は「決して手をこまねいているわけではないが、土砂崩れの規模が大きく、周辺部分でも崩落の恐れがある」と説明。「仮橋を架けるなどの手法が考えられるが、さらに詳細な調査が必要」とし、具体的な復旧の見通しは示さなかった。

 (鈴木泰彦)

372とはずがたり:2017/10/16(月) 19:03:43
よっきれん40才おめでとage♪ヽ(゚∀゚)ノ

10/13だそうだから数日遅れたけどw

まだまだ元気やねえw

373とはずがたり:2017/11/25(土) 14:56:45
今回の山行がは地味な滋賀県道130号 岩室神線だ。
http://yamaiga.com/road/spr130/main.html

此処http://yamaiga.com/road/spr130/map_5.gif地図に無い橋を渡って県道が続いていると本文にはあるがgooマップではご覧のように直進して黄線が続いてゐるhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.24.568N34.55.38.919/zoom/10/

googleマップだとこんな感じ。
https://www.google.co.jp/maps/@34.9301355,136.2547386,3a,75y,182.92h,96.85t/data=!3m9!1e1!3m7!1sDOPzwu-5VvYhGGzoLQjvVg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i28

ヨッキのmap_5.gifは間違えてて分岐点は電子地図には載ってる此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.27.298N34.55.36.256/zoom/10/の分岐の様だ。

寧ろ近所の此処のhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.25.732N34.55.23.360/zoom/11/https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.25.172N34.55.25.845/zoom/11/が気になる。

で,山抜けた出口がここらhttps://www.google.co.jp/maps/@34.9171676,136.2461633,3a,90y,38.97h,91.57t/data=!3m9!1e1!3m7!1sBsfkmMNVIg05cgejfwebaA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i28でここから黄線が復活してる。

374とはずがたり:2017/11/25(土) 14:58:27
>>373
gooマップだと未通箇所は此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.14.981N34.55.24.178/zoom/11/で,直ぐ東側に新しい未成道があるっぽいので其処がr130の未来の姿なのかどうか気になるとこ

375とはずがたり:2017/12/14(木) 22:39:21
廃道系の巨人よごれん氏だが荒川化学とお付き合い有るらしい♪
結構あちこち走ってるし化学系メーカー営業かなあ

https://twitter.com/yogoren/status/940965153687814144
よごれん ??
@yogoren
フォロー中 @yogorenさんをフォローしています
その他
荒川化学さんから今年も手帳をもらった。ロジン(松ヤニの成分)から着想したと思われる会社のイメージキャラクター「マツタロウ」と「ロジーナ」が何ともいえない味を出してる。富士で工場が爆発して言葉もないけど、来年は頑張ってほしい。

376とはずがたり:2017/12/17(日) 20:22:58

怖いけど人気 岩肌むき出し、素掘りトンネル長寿化計画
http://www.asahi.com/articles/ASKCY76BVKCYUDCB025.html?ref=yahoo
堤恭太2017年12月17日10時32分

 千葉県君津市は補強などを特に施さずに掘ったままの状態の素掘りトンネルを22本も抱えている。これだけの素掘りトンネルがある自治体は珍しいという。岩肌がむき出しで入るとちょっと怖いが、それが人気にもなっている。一方で生活道路なので安全対策は欠かせない。市は3月に長寿命化修繕計画を立てて補強、補修を始めた。

 ダム湖の三島湖。その湖畔に全長85メートルの梅ノ木台1号隧道(ずいどう)がある。幅は軽自動車がやっと通れるほど。入り口付近は補強されているが中に入ると壁はでこぼこ。掘り進んだ後がそのまま残されていて洞窟のようだ。出口が見えないので恐る恐る進んでいくとトンネルの中に直角のカーブがあった。「三島ダムL字素掘トンネル」とも呼ばれるこのトンネルは今年度中に吹き付け工事を行うという。

 外に出るとすぐに梅ノ木台2号隧道がある。ここは入り口も素掘りのまま。全長は1号隧道とほぼ同じで直線だが、中に分岐がある。人が通れるほどのトンネルの方から外へ出るとそこは崖。三島湖が見え、岩に挟まるように設けられた祠(ほこら)があった。

 同市は面積が県内2位と広く山間部も多いため小さな集落が散在している。そのため簡易な素掘りが増えた。国道や県道、高速道下のトンネルを除くと市が抱えるのは32本でその約3分の2が素掘り。いずれも1940年代以前に掘られたとされ、老朽化も進んでいる。

 しかし、トンネルの先には数軒しかない所もある。市の担当者は「大規模な工事は難しいが、簡単に封鎖はできない。早期の補修で長く利用していきたい」と話す。そこで素掘りを含めた32本を5年間かけて補修する長寿命化修繕計画を立てた。

 計画では、まず2本は天井をなくして非トンネル化し、5本は吹き付け工事で補強する。危険度が高い3本はすでに封鎖した。計画の中間年の2019年度には大規模な点検を実施、今後の方針を検討するという。事業費は、素掘り以外のトンネルの補修費も合わせると6億1234万円と試算している。(堤恭太)

関連ニュース

377とはずがたり:2018/01/06(土) 17:35:08
なんで日野市内の電車区の有る豊田始発にしないのか理解に苦しむww

http://www.jreast.co.jp/chiba/bbbase/

<自転車専用電車>旅先で走ろう 房総バイシクルベース運行 毎日新聞社 2018年1月6日 12時02分 (2018年1月6日 12時24分 更新)
https://www.excite.co.jp/News/society_g/20180106/Mainichi_20180106k0000e040301000c.html


「B・B・BASE内房」に自転車と共に乗り込む乗客=東京都墨田区のJR両国駅で2018年1月6日午前7時2分、和田大典撮影

 車内に自転車をそのまま持ち込めるJR東日本の専用電車「B・B・BASE(房総バイシクルベース)」の運行が6日、始まった。午前7時39分に両国駅(東京都墨田区)を出発し、和田浦駅(千葉県南房総市)に向かう6両編成の電車に、自転車をひいた約70人が乗り込んだ。

 相模原市の会社員、吉岡徹さん(32)は「自転車を折りたたむ必要がないし、混雑を気にせず乗れるのがいい。今日は海岸線の景色を楽しみたいです」と笑顔を見せた。

 バイシクルベースは、週末を中心に両国から内房線や外房線、成田線などを走る。乗車券などの問い合わせは、びゅう予約センター(0570・04・8928)へ。【和田大典】

378名無しさん:2018/01/23(火) 20:21:13
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/3/23533.html

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火山
3000年ぶりの噴火か?本白根山「事前の予兆なし」訓練中の自衛官が死亡
2018年01月23日 17時11分


草津白根山
草津白根山のスキー場ゲレンデに迫る噴煙の様子(草津温泉観光協会)
 けさ9時59分ごろ、群馬県の草津白根山の主峰・本白根山が噴火した。気象庁は記者会見で「事前に火山活動の活発化を示す予兆はなかった」として「3000年ぶりの噴火の可能性が高い」と発表した。



 標高は2171メートルの本白根山は、群馬県草津町と嬬恋村にまたがる主峰で、近隣の白根山と逢ノ峰の三つを合わせて草津白根山と総称する。



 気象庁によると23日午前9時59分、三つの山のうち、最も南に位置する本白根山で噴火が発生。山頂付近に設置している傾斜計が地殻変動を観測すると同時に、地下のマグマや水蒸気の動きを示す火山性微動が8分間継続し、その後は火山性地震が断続的に相次いだという。



 東京工業大学の観測によると、鏡池付近から飛翔距離1キロ以上に達する噴石の飛散が確認されており、気象庁が現在、機動調査班を現地に向かわせている。



 ふもとの草津町にある草津国際スキー場では、雪崩が発生し、10人以上の負傷者が出た。噴石が当たったゴンドラのガラス窓が割れたことで乗客4人がケガしたほか、冬季訓練を行なっていた陸上自衛隊員6人が雪崩に巻き込まれて、1人が死亡した。また、山頂付近では80人近いスキー客が取り残されており、群馬県の大澤正明知事は午前10時51分、陸上自衛隊に人命救助に関する災害派遣を要請した。



 気象庁は会見で「草津白根山のうち、白根山の山頂火口と湯釜については警戒監視を続けていたが、本白根山については想定外だった」として、今回の噴火が事前の予兆がなく、鏡池には監視カメラが向いていなかった事実を明らかにした。



 有史以来、草津白根山の火山活動は白根山周辺に周辺しており、本白根山の噴火は「3000年ぶり」だという。気象庁は「鏡池付近から約2キロ範囲では、噴火に伴って飛散する大きな噴石への警戒が必要だ」として、火山ガスが滞留するくぼ地や谷では注意してほしいなどと呼びかけている。

草津白根山
草津白根山の位置関係(気象庁)

379とはずがたり:2018/01/25(木) 19:35:55
洛北の山には何度かノーマルタイヤで(もちチェーン携行だよ)大雪の中チャレンジした若かりし俺w
動画見ても全然思い出されん。。林道部主宰を気取ってた俺も老いた。。
https://www.youtube.com/watch?v=loNHRVrOiWQ

地図で確認すると此処。此所らは流石に冬は来なかったな。。それにしても思い出せん。夜中鹿見たのはr781の方だったか。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.47.45.441N35.15.39.314/zoom/7/

グーグルのストビューでも峰定寺入口までは割りとハッキリ憶えてる。入口は微かに憶えがあるようなないような。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2501538,135.7653921,3a,75y,38.31h,101.6t/data=!3m9!1e1!3m7!1s6jCxUmmGFPzI0r0KsDJhiw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i20

今は忙しくてなかなか行く機会無いけどこの辺一人で運転できる日が来たら失われた楽しかった若かりし日々の懐かしさで泣きながらの運転になるだろうな。。

雪道スリップか?車が峠の谷に転落 男性死亡 京都・左京区
1/25(木) 13:29配信 朝日放送
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00010003-asahibcv-l26
朝日放送

25日朝、京都市左京区で車が谷に転落し、運転手とみられる男性が死亡しました。

午前8時ごろ、京都市左京区広河原能見町の能見峠近くの山道で、通行人から、「ガードレールが曲がっていて、タイヤの跡が谷の方に向かっている」と警察に通報がありました。警察と消防によりますと、ガードレールからおよそ200メートルほど下の谷底で普通乗用車が見つかり、その近くで倒れている男性が発見されました。男性は、その場で死亡が確認されました。現場はカーブしている山道で雪が積もっていました。警察が詳しい事故の状況などを調べています。

380とはずがたり:2018/02/08(木) 21:23:01

すげえw

https://twitter.com/hydromi11/status/961370741236105216
オーリーエンタルのカレーェのMineko?
@hydromi11
フォローする @hydromi11をフォローします
その他
建設軌道って工事終了後に基本撤去されますが、保守が困難な場所にはそのまま残しておく場合もありますね。

富山はそれが多い。。。

381とはずがたり:2018/02/17(土) 22:26:03
https://twitter.com/memoru_troopers/status/964781337029656576
険酷隧?
@memoru_troopers
フォローする @memoru_troopersをフォローします
その他
富山県旧大山町に、明治時代に施工された隧道が残っている。
地元の同業者では、「大山の人車軌道隧道」と呼んでいる。
「ほぼ当時の状態」を保っており、とても貴重な隧道である。
行政の調査候補になった事もあるが、残念ながら現地調査に至らず。
#隧道 #人車軌道

382とはずがたり:2018/04/05(木) 18:53:16
40歳「廃道」に鉱脈を見出した男の快活な人生
「嫌」を極力排除し自分だけの道を突き進む
https://toyokeizai.net/articles/-/213949
古田 雄介 : フリーランスライター 2018年04月05日

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第30回。
<藪を突き抜けた勢いで、うっかりあと1歩踏み出していたら終わりだった。(略)なぜなら、右に見える路面には、それを支える地面がまるで存在しなかったから。宙ぶらりんなのだ。足を踏み込んだら突然板チョコのようにポッキリ割れて、あと100m残っている海岸までの落差を身に刻みつけながら、とても呆気なく人生の締め括りを迎えていたかも知れないのだ。……こういうことがあるから廃道は恐い。(東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道レポートより)>

使われなくなった道を踏破するオブローダー
使われなくなった道のことを廃道(obsolete road)という。その廃道を好んで探索する人はオブローダー(ob-roader)と呼ばれる。今回インタビューした平沼義之さん(40歳)は日本のオブローダーの第一人者として知られる人物だ。ハンドルネームは「ヨッキれん」。2000年から続く廃道探索レポートサイト「山さ行がねが」の読者にはこちらの名前のほうが通りはいいかもしれない。2018年1月に累計4000万アクセスを突破した老舗サイトだ。

図書館などで見つかる古地図などの情報を頼りに廃道や廃トンネル(廃隧道)を探し、トレッキングに近い装備で山や谷に分け入り、使われなくなった道を踏破する。現場の空気感が伝わる綿密なテキストと写真で読者に探索のスリルを味わわせる。このスタイルは20年近く変わらない。

およそ10年前、平沼さんは廃道探索のために秋田から上京してきた。その頃に別媒体でインタビューした時、「人生を廃道歩きにかけている」と話していた。そして現在。当時と同じアパートを拠点に廃道探索一本で生計を立てている。ニコニコと楽しそうに廃道巡りを語る様子はあの頃と同じで、やつれも屈託もない。

潤沢な資金があるのか、はたまた能天気なのか。違う。平沼さんは「ニッチな趣味で食べていく」という簡単にはいかない道で充足するための術を意識的に身に付けている。だから上京した頃のままなんだと、10年ぶり2度目のインタビューをさせてもらって気がついた。この術は、もしかしたらあらゆる職業に役立つものかもしれない。

平沼さんは1977年に千葉県松戸市に生まれたが、人生の記憶はまもなくして移った横浜市から始まる。サラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれた一人っ子。旅好きな両親の影響を強く受けて育った。

「両親は高級ホテルより民宿が好きで、土地ごとの自然に触れるような素朴な旅を好んでいました。観光というより、日常とは違う景色を楽しむという感じですね。間違いなく私の趣味のきっかけだったと思います」

小学生の頃から自転車が大好きで、暇があれば近所の鶴見川の河川敷を走ってばかりいた。親に怒られない時間までに戻れる距離を計算しながら、できるかぎり遠く、サイクリングロードを上流のほうへこぎまくる。なぜか海に向かう下流方面には一度も行かなかった。その頃から山へのあこがれがあったのかもしれない。が、嗜好が完全に開花したのは小学6年の途中で秋田県に引っ越してからだ。

秋田県での学校生活に楽しい思い出はない。言葉や雰囲気が異質な平沼さんはクラスで浮き、中学生の頃になると陰湿な嫌がらせを日常的に受けるようになった。「いちばんつらかった」と振り返るこの時期は、横浜ではひょうきんだった少年を引っ込み思案で根暗、人と付き合うのを怖がる性格に変えた。

「逃げた先が、山だったんだと思います」
心を解放する場所は学校ではなく山だった。秋田に引っ越したばかりの頃にできた2人の友達と自転車で近所の山々の林道を回る。「山さ行がねが(山に行こうぜ)」と集まり、季節のいいときは2週間に1度くらいのペースで荒れた道を探索した。

「林道は下枝を切ったり幹を伐採したりするときにしか使われないものが多くて、5年や10年放置されていることがよくあります。そういうあまり管理されていない道をマウンテンバイクで突破するっていうヒロイックな遊びにとりつかれたんですよね。俺たち最強のトリオだなって(笑)」

自分たちだけの道を突き進む楽しさは学校生活のストレスを癒やしてくれた。高校は地元で一番の進学校に入ったが、「勉強は好きだけど学校は嫌い」という状態が続き、出席日数不足で留年。卒業したあとはストレートで地元の秋田大学に進学したが、今度は学業に目的が感じられなくなり1年で中退してしまう。

383とはずがたり:2018/04/05(木) 18:53:26

「私は苦労するのが嫌で、逃げてばかりいました。学校でいじめられるのは嫌だ。大学に入ったらもう勉強も嫌だって。そうして逃げた先が、山だったんだと思います」

将来のことなんて考えたくないし、やりたい仕事も思い浮かばない。しかし、実家で暮らしながらも親の収入に頼る年齢でもないので、学生時代から続けているコンビニエンスストアのバイトだけは続けていた。後々フランチャイズ店の社員となり店長となったが、この仕事を一生続けていくビジョンは持てなかった。立場が変わるたびに激務になっていったが、学校に比べたら耐えられたから続けていたという程度のことだ。そして、たまったストレスをはき出すようにたまに山に行く生活。生産的なものは何もなかった。ホームページを立ち上げるまでは。

大学を中退してしばらく経った頃、家電量販店にはWindows 98SEパソコンが店頭に並び、インターネットでは個人サイトがはやっていた。以前からゲーム機でインターネットを見ていた平沼さんは、ある日たまたま旧道をテーマにした個人サイトを見つけて衝撃を受ける。

「生きていくための役にはまったく立たないような情報を発信している人がいるということにびっくりしました。インターネットって何て自由なんだろうって。ひょっとしたら私がやっているようなこと、自転車で荒れた林道を走破することも情報発信しようと思えばできるんだと気づけたのは大きかったですね」

くすぶっていたアウトプット欲が頭をもたげる
そこでくすぶっていたアウトプット欲が頭をもたげる。無料のホームページスペースにアカウントを作って、仲間たちとした林道探索を記録するサイトを立ち上げた。1日に多くて5人も訪れず、内容は「いたって自己満足」。しかし、サイト運営を通してHTMLの入力方法をマスターし、パソコンやデジカメもそろえることができた。その下地が2000年から現在につながる廃道探索サイト「山さ行がねが」を生む。

山好きの平沼さんが登山やワンダーフォーゲルの方向に進まなかったのは、それ以上に道が好きだったからだ。子どもの頃の家族旅行でも、目的地で自然を楽しむより、そこにクルマで向かう時間がいちばん楽しかったという。走行する道の振動やトンネルの照明、標識のある景色がどんどん向かってくるのが胸を躍らせた。

やがて探索仲間の嗜好が自転車からクルマへと移っていったことで、平沼さんは一人で探索するようになり、加速度的に熱中の度合いを高めていった。すでにメインの対象は林道から廃道に移っており、道の荒れ具合は増している。トンネルだったら途中で崩落していたり腰ほどの高さまで浸水していたりすることもあるし、崖を削って作った道は土砂崩れや落石で通行不能になっているものもある。体力をギリギリまで使ってそこを突破することに浸った。

「廃道には2段階の魅力があります。1つはその道自体の魅力。道として機能していた時期に多くの人に使われて日々変化してきた。そうした道を独り占めして堪能できる。そこに2つ目の魅力である、廃道になったあとの時間経過がプラスされる。道路上に藪があったり橋が崩落していたり。そこを走破する冒険的な楽しさも味わえることがあるんです。ひどい状態の道だけど、かつてはそこに往来があった。そういう重なりが面白いんですよね」

その魅力を本人目線でありのままに伝える記事はじわじわと評判を呼び、2004年頃には「山さ行がねが」は知る人ぞ知るニッチなサイトとしての地位を固めていた。

とはいえ、この道で食べていくという発想はまだなかった。当時はアフィリエイト(ネット広告掲載)収入もなく、暮らしはコンビニエンスストアの給料一本。毎月5万円を親に渡して、残りで十分生活できた。しかし、それも長くは続かない。

突き詰めてみたいという欲が出てきた
大学中退後も両親は寛容だったが、2003年に店長を辞めてフリーターになったときはさすがに実家の空気が張り詰めた。まもなくして地元の出版社から声をかけられ、バイトとしてデータ収集や本の整理をするようになったが、そこも2007年には退職してしまう。そのとき、平沼さんには内に秘めるものがあった。上京だ。

「勤めていた出版社は郷土史に強くて、いつかは廃道の本も出したいという思いがありました。正直ずっとやっていこうという気持ちもあったんですけど、その頃『山さ行がねが』の人気が高まっていて、そちらを突き詰めてみたいという欲が出てきたんですよね」

廃道を極めるなら、歴史的に道が多くて他地域へのアクセスもしやすい東京を拠点にすることは外せない。

384とはずがたり:2018/04/05(木) 18:53:36

この頃になると、廃道で食べていきたい気持ちは多少芽生えてはいたが、まだ現実的な手応えはなかった。2006年秋頃から廃道の同人誌を仲間と作ってネット販売するようになり、毎月数万円の収入になってはいたが、それだけで生活が成り立つイメージはどうにも湧いてこない。それでも上京に踏み切った背景には、コンビニエンスストア時代に貯めた貯金に手をつけていなかったことと、当時はパチスロで月に20万円くらい安定して勝っていたことがある。東京でも同じ調子でやれば何とかなると思った。貯金から200万円下ろし、その200万円が底をついたら実家に戻る。両親とはそう約束を交わして家を出た。

上京。東京の郊外に家賃3万2000円の物件を見つけて、以来現在までの根城としている。もともとおカネを使わない性格なので、家賃に水道光熱費や食費、廃道関連の費用を足して月15万円あれば暮らしていけると算段した。パチスロ生活で余裕で賄える、はずだった。その頃から勝ちにくい台が多くなり、秋田時代のような計算は成り立たず、早速虎の子の200万円を取り崩す生活に突入してしまう。

週1ペースで廃道を巡り、文献を調べながら日に4時間かけてレポートを書き上げる。探索した順番に手を付けるのではなく、興が乗ったものから記事化していくのが信条だ。空いた時間には昔ほどは勝てなくなったスロットを回しに出掛ける。そんな生活を1年近く続けていくうち、預金通帳の残高は80万円ほどになっていた。

そこで底を打ったのは幸運でしかなかったと振り返る。

「アフィリエイト広告を貼るようになって少しずつサイトから収入が得られるようになってきたことと、NHKから取材されたりしてメディアから取材してもらうことがちょくちょく出てきて。書籍のお仕事もいただけるようになったのが大きいですね」

同種のサイトの追随を許さなかったからこそ
スロットでの勝ちに頼れなくなってサイトの人気を収入にする方法を取り入れた時期と、水面下で蓄積していたサイトの評価が表に出てきた時期がうまく重なった。2000年代後半特有の、個性的な個人サイトの書籍化やメディア進出が目立った時代背景も無視できないだろう。廃道は個人サイトという新しいサブカルチャーの泉から汲み上げられた新コンテンツとして扱われた。2000年前半に興った「廃墟ブーム」や、鉄道趣味の1ジャンルとして長く定着している「廃線趣味」とはまったく別の文脈だ。

そこで平沼さんが第一人者とみなされたのは運ではない。7年以上もクオリティの高いレポートをコンスタントにアップし続けて、同種のサイトの追随を許さなかったからだ。大抵のサイトは画期的な切り口であっても1年と更新が続かない。発足時かそれ以上の密度と品質でコンテンツを生産し続けるのは、いつの時代でもほんのひと握りだ。

当初アフィリエイト収入は月に1万円いかない程度だったが、広告の品が売れて報酬が入るタイプだけでなく、広告クリックが直接報酬になるタイプも加えたら数段アップした。その頃アクセス数は1日7000近くに達し、数値の伸びは同人誌の売り上げにもつながった。廃道の魅力を知った新規読者はサイトから同人誌の存在を知って、バックナンバーもまとめ買いしてくれる。1部400円のPDFファイル。在庫リスクは一切ない。

ピーク時は400〜500人の購読者がいて、毎月発行するたびに仲間と割っても十分な収入になった。それに加えて、編集者と書籍の企画を膨らませたり、『廃道ナイト』(東京カルチャーカルチャー/2009年〜)などのイベントを主催したりするなど、積極的にコンテンツを育てていったことも見逃せない。人付き合いが嫌いなのは変わっていないが、廃道の魅力を伝えることに関してはモチベーションがいくらでも湧いてきたという。


『廃道探索 山さ行がねが』(筆者撮影)
2018年現在、サイトのアクセス数は1日9000〜1万程度。2012年頃から安定しており、基本的な生活費はアフィリエイト収入だけで賄えている。同人誌はすでにやめており、イベントも収支的にはプラスマイナスゼロなので計算に入らないが、書籍やDVDの監修・執筆のギャランティは大きな支えだ。撮影機材やGPSを新調したり中古車を購入したりするのは、そうした臨時収入がなければ難しかった。決して裕福ではないというが、完全に廃道だけで食べている状況になっている。そしてそれが10年弱続いている。

好きなことだけやってきました
平沼さんは語る。

「まじめさとか真剣さとかとは真逆な位置で、嫌なことから逃げて好きなことだけやってきました。今食べていけているのも、本当に運がいいというか恵まれているんだと思います」

385とはずがたり:2018/04/05(木) 18:54:07
>>382-385
それが謙遜でないところに生き方の極意がある。

平沼さんは、自分を「甘えていて、嫌なことに立ち向かえない人間」だとわかっているという。権威を伴う人間関係や仕事へのプレッシャー、不安やストレスなどなど……。そうした嫌なことを避けて生きていけるように、意識的に自らを導いているところがある。

人間関係が嫌だから学校を辞めたし、会社組織に属さない生き方を選んだ。同人誌も「おカネを払って読んでくれるプレッシャーと、一生懸命書いても最大500人にしか読んでもらえないこと」と折り合いが付けられなくなってやめた。将来への不安は「あったはず」だが、スロットで思うように勝てなくなってきた頃も押し潰されるような怖さは感じなかったという。それは自らが認めるように根が楽観主義者ということもあるだろうけれど、生き方が変化することが「嫌」ではないのが大きいように感じる。

「変化して当然ですし、変化に対して声を上げて食い止めるような気力もないですしね。そういうアンテナも張っていませんし。だから、たとえばアフィリエイトの仕組みが終了したらすごく悩むと思うんですけど、そのときはそのときで別の稼ぎ方を考えると思います。また同人誌をやるかもしれないし、別の方法かもしれない。今は私のサイトを好きだと言ってくださる読者がたくさんいてくれるので、そんな仲間と知恵を出し合って維持するように頑張ると思います」

変化に対して鷹揚な背景には、自らの価値を間断なく見つめる冷静さがある。自らを甘えた逃げる人間と評するのもそうだし、廃道レポートというコンテンツの評価分析にしてもそうだ。

「廃道探索には前述のような独特の魅力があって、私は今のところはすごく楽しい情報発信ができているという自負があるんですよ。代えが利かない魅力があれば、それをどうおカネに換えるかが変わってもどうにかなる。だから、将来稼げなくなるという心配もしてないです」

この代えが利かない魅力を維持するのは、自らが持つ廃道へのモチベーションしかない。


『国道??酷道!??日本の道路120万キロ大研究』(筆者撮影)
これまで廃道へのモチベーションが減衰したことはない。それは自然にそうなったわけではなく、周辺にまとわりついてくる「嫌」を意図的に取り除いてきたからだ。探索した順番ではなく気が向いた順にレポートを書くのものそうだし、プレッシャーや公開範囲の狭さを伴う同人誌をやめたのもそう。アフィリエイトという、記事に対する直接的な対価ではない手法を基本の収入源にしているのもそうだ。

モチベーションの敵になるようなものは極力排除する
読者の声も過度には追いかけない。「山さ行がねが」や公式ツイッターに届くコメントには目を通すが、それ以上を追うとネガティブな反応に気がめいったり、他の廃道サイトの情報が入って心がザワザワしたりするリスクが高まるから触れないままにしている。とにかくモチベーションの敵になるようなものは極力排除して、ストレスなく廃道に相対するように細心の注意を払っているわけだ。

「モチベーションが維持できなくなったら、何も生み出せなくなってしまいます。山にも行く気力がなくなって、モノも書けなくなる。そうしたら私は本当に食べていくすべがなくなります。私は常々廃道に行き続けて、燃料を補給し続けないといけないわけですよ。自分にも読者にも対価を与え続けないといけない」

この後何年も生きていくためには、将来への不安に目を向けず、今ある気力を全力で守る。矛盾しているようで矛盾していない。この徹底したモチベーションコントロールこそが、10年前と変わらない、平沼さんの屈託のなさの源なんだと思った。

平沼さんは80歳になっても廃道探索を続けたいという。

「廃道に行けなくなったら生活保護一直線ですしね。まともな社会人経験が数年間のコンビニエンスストアくらいしかない人間が、今さら別の道を選ぶことはできないですから(笑)」

386とはずがたり:2018/04/07(土) 20:53:29
r59,(主)富山庄川線はこれか?!
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.1.55.624N36.31.32.258/zoom/10/
http://yamaiga.com/road/usidake/main4.html

富山県道59号富山庄川線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9359%E5%8F%B7%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%BA%84%E5%B7%9D%E7%B7%9A
この県道には現在不通区間があり、全線通しての通行は出来ない。かつて存在した富山市山田数納から南砺市利賀村栗当に至るルートは完全に廃道化し、その痕跡を徒歩でたどることすら難しい。利賀村栗当の終点側分岐にいたってはほとんどの地図に記載すらされておらず、常に車両通行止めの上すぐに道路そのものも獣道となり消滅する。またこの通行不能区間であるが、利賀村側に降りてくると何故か重複区間を待たずにこの分岐路で「ここまで」と表示されている。なおこの分岐路には富山の名水のひとつ「脇谷の水」がある。

富山県南砺市利賀村栗当
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92939-2501+%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%8D%97%E7%A0%BA%E5%B8%82%E5%88%A9%E8%B3%80%E6%9D%91%E6%A0%97%E5%BD%93/@36.5345768,137.0025414,14z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5ff82144cf14df8f:0xa8f0a2d04818514b!8m2!3d36.5340222!4d137.0256556

富山市山田数納
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92939-0000+%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%95%B0%E7%B4%8D/@36.5345768,137.0025414,14z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff8219e49dd59df:0xd3f28e0f849caedc!8m2!3d36.5235687!4d137.0524916

【険道】富山県道59号(庄川側分岐)登ってみた【廃道】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7311464
草刈りはされるらしい。(地元のおじさんが一人でボランタリーに年1でw)

387とはずがたり:2018/04/08(日) 11:35:57

大千代港整備小史
http://yamaiga.com/road/oochiyo/main11.html#tuika
無駄だなぁ・・>制度として半自動的に進められた災害復旧事業によって、今回私も探索している【途中までの車道】や、【途中までの階段】などが作られたとみられる。

連絡船が460tになって接岸出来る日数は飛躍的に増えたんだろうか?トンネルぶち抜くのも必要だろうが揚物場を460t着岸可能にするのは難しいか。

388とはずがたり:2018/04/12(木) 16:43:52
青ヶ島
https://www.gnavi.co.jp/amex/aogashima/

389とはずがたり:2018/04/16(月) 23:34:53

粟巣野とか千垣とか富山地鉄結構いいかも(;´Д`)はあはあ

粟巣野駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E5%B7%A3%E9%87%8E%E9%A7%85

粟巣野駅(あわすのえき)は、かつて富山県上新川郡大山町(現:富山市)にあった富山地方鉄道立山線の廃駅である。かつては大阪駅から急行立山が乗り入れるなど、粟巣野スキー場への最寄駅として利用されていた[1][2][3]。

沿革
当駅は、当初富山県営鉄道の同線の終着駅として開業し、立山開発の基点として貨客集散の地となっていたが[1]、その後、1955年(昭和30年)7月1日に至って千寿ヶ原駅(現:立山駅)が開業し、ターミナル駅の役目を同駅に譲ることとなった[4]。以後は利用者数が激減し、もっぱら粟巣野スキー場の最寄駅として利用されていたが[1]、立山駅から同スキー場への道路が整備されると共にその役目も終り[1]、1981年(昭和56年)5月22日遂に廃止されるに至った[5]。



千垣駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%9E%A3%E9%A7%85

歴史
1923年(大正12年)4月20日 - 富山県営鉄道の終着駅として開業。
1937年(昭和12年)10月1日 - 粟巣野駅(現在廃駅)まで延伸開業、途中駅となる。
1942年(昭和17年)6月1日 - 千垣駅 - 粟巣野駅間が日本発送電に譲渡される。
1943年(昭和18年)1月1日 - 富山地方鉄道の駅となる。

https://twitter.com/hydromi11/status/985690166663700480
オーリーエンタルのカレーェのMineko
@hydromi11
フォローする @hydromi11をフォローします
その他
有峰に鉱山があったのは有名な話(マニアのみ??)亀谷鉱山、笹津尾鉱山などなど。。。当時千垣駅に連結されていた和田発電所建設路と、鉱山搬出路があったと聞いたことがある・・・
この大規模なものは、和田發電所、小見発電所のコンクリート工場なのかな?それとも選鉱所なのかな??

390とはずがたり:2018/04/18(水) 16:50:17

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180417-OYT1T50107.html
富士山5合目への県道、積もる土砂なお4m超
2018年04月18日 15時59分
崩れた路肩を復旧する作業員(小山町須走で)
崩れた路肩を復旧する作業員(小山町須走で)

 静岡県は17日、3月に発生した土石流の影響で、土砂で覆われている県道「ふじあざみライン」を報道陣に公開した。

 富士山の須走口5合目に向かう道路で、例年は大型連休前に冬季閉鎖が解除されるが、今年は5月中旬になる見通し。

 ふじあざみラインは片側1車線で、約1万6000立方メートルの土砂が423メートルにわたり道路を覆った。4月6日から復旧工事が始まり、6000〜7000立方メートルの土砂を撤去したが、道路上にはまだ約4メートル以上も土砂が積もる。また、2か所で道路の路肩が崩れ、元に戻す工事も必要だ。県沼津土木事務所は5月16日までの開通を目指している。

 例年、大型連休中にはふじあざみラインを通り、5合目にある人気の散策コース「小富士」などにハイキング客ら数千人が訪れる。このため、須走口の山小屋経営者で作る「須走口山内組合」の渡辺昇組合長は「観光客の安全確保が大前提だが、できるだけ早く復旧してほしい」と影響を心配する。

 地元の小山町も早期開通を願っている。5月16、17の両日には、「静岡デスティネーションキャンペーン」プレキャンペーンの一環で、旅行関係者による富士山周辺の視察ツアーが須走口5合目を訪れる予定となっている。町商工観光課は「町のPRに直結する。間に合ってほしい」としている。

2018年04月18日 15時59分

391とはずがたり:2018/04/27(金) 15:47:31
ど,どこだ!?(;´Д`)はあはあ

https://twitter.com/yokkiren/status/989739615236997120
ヨッキれん/平沼義之
?@yokkiren
フォロー中 @yokkirenさんをフォローしています
その他
うわぁー!

392とはずがたり:2018/05/04(金) 20:00:04
https://twitter.com/kendou774/status/992350946687500288
R774@まとめ屋
@kendou774
フォローする @kendou774をフォローします
その他
福島r247(片倉末続停車場線)。一見ピストン県道であるが、三森林道経由で通り抜けることができる。しかしながら末端部は2009年より通行止が継続しており、廃道化が進んでいる。この廃道区間(でも現役県道)の中にヘキサが立っているはずだ。雨の中を先へ進む。

393とはずがたり:2018/05/10(木) 10:32:34
2018年02月17日
奈良
和歌山
三重
これはすごい
酷道
マニアもビビる…キングオブ酷道「425号線」で見た日本の「原風景」
https://withnews.jp/article/f0180217001qq000000000000000G00110101qq000016786A?utm_source=yahoo&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=link_back&amp;utm_content=related

394とはずがたり:2018/05/13(日) 15:08:21

この辺かな?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E132.43.18.375N35.17.59.681/zoom/8/

https://twitter.com/kendou774/status/995446054593048576
R774@まとめ屋
@kendou774

島根r162はこの辺りでは一番の険道だけど、危ない区間は短いので、県が否定するほど厳しい険道ではない。

島根県道162号大社立久恵線 険道区間
http://yukebawakarusa.blog88.fc2.com/blog-entry-17.html

県道162号大社立久恵(たいしゃたちくえ)線(以下r162)は島根県出雲市大社町から出雲市乙立町に至る県道である。
また、私の知る限り(多くは知らないが…)では島根県内一の険道にノミネートしたい。


立久恵と云えば一畑電気鉄道立久恵線であるがなかなか野心的な計画だったようだw
木次線よりこっちの方が良いし,もっと云えば国鉄大社線を引き継いで畑電大社線は廃止しても良かったんちゃうか。

一畑電気鉄道立久恵線https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E7%AB%8B%E4%B9%85%E6%81%B5%E7%B7%9Aであるが。

当初は陰陽連絡鉄道を目指して、大社宮島鉄道(つまり出雲大社〔出雲市〕と厳島神社〔廿日市市〕を結ぶという意味を転じて島根県と広島県を結ぶという意味を込めた)という壮大な社名をつけ、出雲 - 三次間91.7kmに鉄道を敷設する計画であった。三次を終点としたのは計画当時すでに芸備鉄道(現・芸備線)が広島から三次まで開通していたためで、それと結ぼうということである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E7%AB%8B%E4%B9%85%E6%81%B5%E7%B7%9A#/media/File:Ichibata_Electric_Railway_Linemap.svg

ところが昭和恐慌の影響と鉄道省による木次線の建設により陰陽連絡鉄道が完成されたことが原因で出雲今市(現:出雲市) - 出雲須佐間18.7kmを開業させたにとどまり、出雲須佐以南は測量を行っただけで着工に至らず、出雲須佐 - 三次間73.0kmの免許は失効のやむなきに至った。このため、社名を出雲鉄道に改称した。なお根津は免許失効直前の1937年に社長を退任している。

戦後は出雲平野に鉄道路線を展開している一畑電気鉄道に吸収されるが、社名は「一畑電気鉄道」ながら電化されることはなく、一畑電気鉄道唯一の非電化路線として営業を続けていた。しかし、過疎化やモータリゼーションの進展で経営状況は芳しくなく、1964年(昭和39年)に島根県東部を襲った梅雨末期の集中豪雨で路盤が流失したことを契機に営業は中止され、そのまま廃線へと追い込まれていった。過疎化やモータリゼーションの進展が原因で復旧する必要がないと判断されるほど経営状態は悪化していたことが伺える。

395とはずがたり:2018/05/21(月) 13:16:50
国道229号線
白糸トンネル旧道
http://www.geocities.jp/tenku_kaihatsu/siraito01.html

396とはずがたり:2018/05/21(月) 14:49:53
白糸Tは此処。やまいがもレポしてくれるだろうか?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.52.10.552N42.39.16.564/zoom/9/

397とはずがたり:2018/05/25(金) 10:48:32
冒険の共有は山行がにも通じるものがある。最近テレビ出たりしてるよっきだけど,もし迷走し始めたら一ファンとして止めなきゃいけないだろうな。今んとこ大丈夫そうだが。

森山 憲一
2018/05/23
“賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか
エベレストで死亡した登山家の実像
http://bunshun.jp/articles/-/7474

 登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなった。これを書いている5月22日現在では、死因などについての詳しい情報が入ってきていないので、事故についてはなにもわからない。現時点で言えることは、栗城さんが亡くなったことは間違いないようだということだけ。事故の詳しい状況は、おいおい明らかになっていくと思うので、その時点で、なんらかの論評はできるのだろう。

 栗城さんというのは、なにかと物議を醸してきた登山家だ。世界7大陸最高峰の無酸素単独登頂をめざして活動し、注目され始めたのは、2009年ごろ。6大陸の最高峰に登り、残るエベレストに挑戦を始めたころだ。このころから、彼を取り上げたテレビ番組が数多く放送され、著書はベストセラーになり、現役の登山家としては圧倒的な知名度を獲得していった。一方で、その登山の内容や発言には疑わしいものが目立つとして、激しいバッシングも受けていた。これほど評価の振れ幅が大きい登山家は、栗城さん以外にはちょっと記憶にない。

絶賛から否定まで、さまざまな評価
 評価は、絶賛から罵倒まで、本当にさまざまで、大ざっぱにいえば、一般社会からはおおむね好意的評価を受け、登山を知る人からは逆に否定的に見られていたことが多かったように思う。私は登山雑誌編集者およびライターであるが、肯定・否定いずれからも距離を置き、離れたところから静観してきた立場だ。

 なぜ静観してきたのかというと、わからなかったからである。栗城史多という登山家を、栗城史多という人物を、自分のなかでどう位置づけてよいのか、ずっとわからなかった。栗城さん本人を知る人に聞いても、評価はまさに真っぷたつ。世間的な評価だけでなく、一次証言としての評価もこれほどブレの大きい人は滅多におらず、ただただ、「よくわからない不思議な人」というイメージしか持てなかった。

栗城さんはなぜ難しいルートを選んだのか
 であるが、昨年、私は、自分のブログで、栗城さんに批判的な論調の文章を公開した(森山編集所「栗城史多という不思議」「栗城史多という不思議2」)。栗城さんは、昨年のこの時期にも、エベレストに挑戦しており、フェイスブックなどで随時報告されるその登山のようすを見て、「いくらなんでも、あまりにもむちゃくちゃだ」と、自分の明確な感想として初めて感じたからである。なにがむちゃくちゃだったのか。ひとつは、登山として。もうひとつは、栗城さんの掲げる「冒険の共有」として。

 まず、登山として。栗城さんは昨年、北壁というルートからエベレストに登頂しようとしていた。エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話。近年、最高齢登頂で話題になった三浦雄一郎さんや、日本人最年少登頂者となった南谷真鈴さんも、みなこの手法で登頂している。一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという。同じエベレストといえど、この両者は難易度において、「雲泥」という言葉では足りないほどの差がある。プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の強力登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ。

「そんな困難な課題だからこそ挑戦のしがいがあるのだ」という意見もあるかと思う。登山はもともと、未知未踏を切り拓くものであって、冒険を否定しては成り立たないものだ。私自身がそんな冒険の魅力に惹かれて登山を始めた人間であるから、人の挑戦は否定したくない。だが、そんな私から見ても、栗城さんの実力と、掲げる目標の乖離は、度を超しすぎていると感じた。栗城さんの登山の実力は、やってきたことを客観的に見れば、多くのノーマルルート登山者と同程度と思われる。その実力で、北壁を無酸素単独で登ろうとするのは、どう考えても自殺行為だ。「登山としてむちゃくちゃだ」と感じたのは、こういうことなのである。ここはとても重要なところなので、本当に理解していただきたいと思う。

398とはずがたり:2018/05/25(金) 10:49:28
栗城さんの価値は「冒険の共有」にこそあった
 もうひとつは「冒険の共有」として。栗城さんは、たんに山頂に立つだけでなく、その過程を中継などで見せることによって、見ている側にも冒険を追体験してもらうことに重きをおいていた。このことについて、「登山のショー化」などとして批判する人も多かったが、私個人はここに否定的感情は持っていない。むしろ、これまでの登山家ができなかったことを実現していると肯定的にとらえていたくらいだ。実際、エベレスト挑戦初期(2009年〜2012年)は、この試みは成功していたと思う。いわゆる登山記録としては、栗城さんの成し遂げてきたことは特に意味のあるものではないが、栗城史多という登山家に価値があるとすれば、ここにこそあったと思うのだ。

誰かが「暴走」を止めなければいけなかった
 ところが、2015年ごろから、この部分も中途半端になってきて、昨年2017年にいたっては、お粗末にすぎた。公開される映像はもともとわずかなうえに、本格的な登山活動に入ってからのものはほとんどなし。GPS発信器を携帯して、現在地をネット上でリアルタイムに表示するということも行なっていたが、発信が切れ切れのため、ときたま思い出したように表示されるだけで、ほとんど追体験ができない。フェイスブックなどでの情報発信も途切れ途切れで、ついにはそれもぱったり途絶え、どこでなにをしているのかがわからなくなった。発信が再開されたら、なんと北壁があるチベット側から、ネパール側に移動してきていて、西稜にルートを変えるという。聞いたことのないような行き当たりばったり。そして西稜への再トライも、ごく低い標高で中止となって終わった。

 つまり、登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。登山に限らず、アンコントロールというのはもっとも危険な状態だ。どんなに難しく思える挑戦でも、本人が情熱と確信をもって取り組んでいるかぎり、他人がそれを止める権利はないし、情熱と確信があるかぎり、望みはゼロではない。しかしアンコントロールは違う。暴走をだれかが止めなければいけない。

 登山雑誌はそれまで、栗城さんについてはほぼ黙殺状態だった。そのことについて、当事者として引っかかりをずっと覚えていた私は、それを解消するためにもブログを書いた。家族や近しい人をのぞけば、暴走を止めるべき筆頭候補は登山界なのだろうし。すると、ブログを読んだ栗城さん本人から連絡があった。「森山さんは僕のことを誤解しています」と。栗城さんは、10年くらい前に一度会ったことがあるのだが、私は何を話したのか記憶がなく、栗城さんは私に会ったことを忘れていた。おたがいほとんど知らない間柄なので、それは誤解もあるかもしれない。ならば、詳しい話を聞かせてほしいと思い、栗城さんに会いに行った。

399とはずがたり:2018/05/25(金) 10:49:35
>>397-399
実際に会った栗城さん本人は……
 実際に会う栗城さん本人は、にこやかで腰が低く、批判をしたライターに対しても、普通に接してくれた。だが、話に聞いていたほどのストレートな明るさはなく、どこか陰のある感じが気になった。そして、話は最初から最後まで噛み合うことはなかった。北壁は難しすぎるという私の指摘について、栗城さんは「僕は登れると思っている」と答える。その根拠を聞くと、自分は血中酸素飽和度が人より高いという、あまり本質的でない理由を繰り返すだけだった。会話は終始そんな調子で、私は栗城さんに抱いていた謎が解けることはなく、栗城さんは栗城さんで、私の言うことに理解を示してくれるようなこともなく、おたがい収穫はなしに終わった。

 そんなかかわりを持ったこともあり、その後もときおり、栗城さんのフェイスブックをチェックしていた。栗城さんの活動から受けるアンコントロールな印象は、今年2018年のトライでも変わらず、それどころかさらにエスカレートしていた。情報発信は昨年以上に少なく、その一方で、目標ルートは、北壁より難しいとされる、エベレスト最難関の南西壁にまでグレードアップしていた。南西壁という言葉が出てきたときは、いよいよ混迷は極まったと感じた。

どこで歯車が狂ってしまったのだろうか
 昔の栗城さんは、こんなことはなかった。登山ルートも、ここ数年ほど、でたらめに困難なところを選ぶことはなく、冒険の共有についても、意欲的に、主体的に行なっているように見えた。テレビで放映される派手なパフォーマンスには、好き嫌いはあっただろうが、だれかの心を揺さぶるものは確実にあったはずだ。私は心は揺さぶられなかったクチだが、その行為に一定の価値は認めていたし、なにより、意欲をもってやっている以上、部外者が口を差し挟むことではないと思っていた。

 あるときから、栗城さんのなかで、どこか歯車が狂ってきていたのだと思う。最悪の結果になり、とにかく残念――という言葉もしっくりこない。残念というのは、近しい人であったりファンであったり、なんらかの思いを寄せていた人に使うべき言葉であって、2回しか会ったことがない人に対して、軽々しく口にするのは、かえって不誠実な気がする。現段階では、なんともいえず、虚しい、空虚な感情しか抱けない結果である。

400とはずがたり:2018/05/26(土) 21:41:47
https://twitter.com/kendou774/status/1000345770363502592
R774@まとめ屋
@kendou774

讃岐山脈の県道群は面白い。
本日のおしながき
坪尻駅
徳島r268
香川・徳島r4 謎の区間を調査
香川・徳島r7
香川r153
香川・徳島r106
徳島r252 謎の区間を調査
画像は坪尻駅メインストリート

4:59 - 2018年5月26日

https://twitter.com/kendou774/status/1000353022260592640
R774@まとめ屋
@kendou774

何気に坪尻駅のWikiを見ていたら『建設に際して、敷地を確保するため水を流すトンネルを掘削して川の流路を変えた上で川底を埋め立て、駅が設置された』とあるではないか。確かに地理院地図には疎水トンネル(?)が記載されている。水を流すためのトンネルを見たくなり、坪尻駅へと向かった。

5:28 - 2018年5月26日

401とはずがたり:2018/05/30(水) 20:04:27
登山スレってないよな。。

商業登山の闇、エベレスト登頂という「賞杯」に懸けるリスク
http://news.livedoor.com/article/detail/14756079/
2018年5月23日 14時34分 AFPBB News

【AFP=時事】エベレスト(Mount Everest)登頂は登山家にとって究極の「賞杯」だ。だが増加する経験の浅い登山家による世界最高峰への挑戦は、巨大なリスクを冒すものとなっている。

 今季の登山シーズンは、インドの航空機パイロット、米オハイオ出身の建築業者、インターネットメディア会社の元営業幹部らがエベレストのベースキャンプに待機し、8848メートルの世界最高峰を制覇する機会を狙っている。

 彼らが山頂までつかんで上るロープは同じであり、凍傷や雪崩、極度の疲労に直面する危険度も同じだ。だが、その特権のために支払う金額には大きな違いがある。

 エベレスト登山ツアー料金の最高価格は7万ドル(約770万円)前後で、こうしたツアーでは小チームを組み、顧客に登山能力の証明を義務付けている。

 一方、エベレスト登頂切符の料金を2万ドル(約220万円)にまで切り下げた安売りの登山会社は、経験のない登山者らさえ受け入れており、これに対し批判と警戒の声が上がっている。

 より安いツアー料金の登場によって、世界最高峰を制覇するという生涯の夢を試みる機会がこれまでよりも多くの人に開かれることになった。だが、無事に帰れない人の数も増えるだろうという厳しい予想もある。

■混雑する山腹

 1980年代には、ネパール政府はエベレストの登山ルート1本につき1チームだけに登山許可を与えていた。そのため各国の代表チームや、大手スポンサー付きの経験豊かな一握りの登山家しか足場を築けなかった。だがこの規制が1990年代に廃止されて以来、もうかるこの産業の分け前を求めて、登山会社が山腹に群がるようになった。

 今年、ネパール南側からは、料金を払った346人の登山者が挑戦する。2017年に許可が下りた史上最多の373人よりわずかに少ない。チベット側からの登山は180人が予定しており、当たり年となりそうだ。一方、昨年は登山者のうち、6人が死亡している。

 ニュージーランドを拠点とする旅行会社アドベンチャー・コンサルタント(Adventure Consultants)のオーナーで、エベレストの登山ガイド歴27年のギー・コッター(Guy Cotter)氏は、新たな登山者の多くは経験不足だと警告する。

「今や人々はインターネットで登山旅行を最安値で購入できる。だが一部の業者は、経験に関する基準を持っていない。(そうした業者の顧客である)彼らは登山家ではない。エベレストに登ったという勲章が欲しいだけだ。賞杯が欲しいだけなのだ」(コッター氏)

402とはずがたり:2018/05/30(水) 20:04:51
>>401
■「登った」と「登山家だ」は違う

 商業登山の幕開け以来、エベレストでは料金を払って登山をする人々をめぐる懸念に悩まされている。

 多くの人が転換点だったと語る1996年には、エベレスト山頂から下山中に8人が死亡した。その中には極度の高所での経験があまりない人もいた。その年に登山ガイドを務めたロブ・ホール(Rob Hall)氏は「十分な決意があれば、どんな愚か者でもこの山は登れる。だが登山の成功とは、生きて下山することなのだ」と語ったと伝えられている。

 だが、この96年のシーズン中に共に死亡したホール氏とガイドとして彼のライバルだったスコット・フィッシャー(Scott Fischer)氏が、エベレスト登頂を目指す顧客の投資を重視しすぎたとの批判の声もある。

 エベレストで長年営業している多くの登山業者は、登山者と業者の経験不足は死亡事故の増加につながると警告する。

 1994年からエベレスト登山を手掛けているツアー会社、ヒマラヤン・エクスペリエンス(Himalayan Experience)のオーナーのラッセル・ブライス(Russell Brice)氏は「業者が熟練するまで、エベレストでの死亡事故は増えると予想している」と語り、一部の登山者の姿勢も非難した。「登頂熱は本当の病だ。皆ただ先へ進む。感覚がまひし『たかがつま先だ』となってしまう」と述べて同氏は凍傷で手指を失う危険性にも言及した。

 今シーズン、初の最高峰登頂を目指すインド人パイロットのサンディープ・マンスカニ(Sandeep Mansukhani)氏が選んだ登山会社は、ネパールを拠点とするアジアン・トレッキング(Asian Trekking)で料金は約3万ドル(約330万円)だ。

 マンスカニ氏は「始めたばかりの人、初めて試みようとする人にとっては、よし、やってみようか、だ。誰かがやらなきゃならないし、誰にでもチャンスは与えられるべきだ」と語る。

 だが、昨年、払った料金2万ドル(約220万円)を諦めて途中で引き返すことを拒否した登山者とガイドを救助したエベレスト・ガイド、アン・ツェリン・ラマ(Ang Tshering Lama)氏は、登山者のエゴを非難する。「人は『私は登った』と言う。だが『私は登山家だ』とは言えない」とラマ氏。「この山を登るには、登山家でなければならないのだ」
【翻訳編集】AFPBB News

405とはずがたり:2018/06/19(火) 23:02:42
https://twitter.com/kendou774/status/1005563728597696517
R774@まとめ屋
?
奈良r228分岐(とは註:R425出合橋https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.4.15.188N34.5.14.514/zoom/8/の様だ。)。コーナーポストが1個だけ置かれている。これは何を意味しているのか?

奈良r228を1.5kmほど走ると東ノ川小中学校が現れる。荒らされて酷い有様だ。コンクリート作りのため、朽ち果てて倒壊することもできず、今後もこの醜体を晒して続けていく。そう考えると、朽ち果てて倒壊する建物は幸せなのかもしれない。

奈良r228沿いにある唯一の集落であった宮ノ平集落。地図に残る廃集落だが、東の川簡易郵便局があったことで知名度は高い。かつてはそれなりの規模の集落だったが、住人はいなくなり、簡易郵便局も2005年に廃止されてしまった。今では、この辺り一帯が無人地帯になってしまった。

奈良r228は嫌になるほど落石が多かったが、道路自身はしっかりしていた。周囲に真新しい機器が設置してあったりするので、林業やダム管理の方に利用されているようだ。落石除去に疲れ果てた頃、赤い吊橋が見えてきた(とは註:この吊り橋https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.5.1.723N34.7.38.125/zoom/10/のようだ)。

やっぱりか。。。路盤が完全に流されてしまっている(とは註:先程の吊り橋の先から此所https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.5.12.022N34.7.47.393/zoom/10/の手前の間らしい)。奈良r228が崩れていることは他の方の情報で知っていた。行けないと分かっていても、自分の目で確かめるまでは、『もしかすると行けるんじゃないか?』と思ってしまう。

奈良r228の崩壊地点なら薬師堂方向を眺める(とは註:以下で見るように吊り橋迄が県道であって此処が吊り橋と木組谷の間なら結果的に県道では無い筈である)。そこには、土砂に覆い尽くされた荒涼とした景色が広がっていた。上流方向の橋も消えてしまっていた。ほんと、自然の前では人工物なんて全くの無力だ。もう薬師堂に辿り着くことはできないのか?

この奈良r228だけど、県道を示すものは何ひとつない。本当に県道なのか?奈良県道路管理課に聞いてみた。
A.県道指定、供用されています。道路台帳に記載があります。

そしてもう一つの大きな問題。奈良r228の末端はどこか?ということだ。地理院地図は薬師堂まで県道色になっているが、これは誤りだろう(とは註:何故そう思えたのかは不明)。県道指定は、吊橋付近までのようだ。しかも、OSMでは吊橋まで県道になっている。果たして、この吊橋は県道なのか?

奈良県土木部の話では、この吊橋までは道路台帳があるとのことだ。吊橋の名前は大杖橋という。でも、正直信じられなかった。本当にこんな吊橋が県道なのか?そんな疑問を解決してくれる資料(リンク参照)があった。そして、それは確信へと変わった。http://www.pref.nara.jp/secure/39173/taisyoukyouryou3.pdf

奈良r228末端の謎にいよいよ終止符を打つ時がきた。風もないのに揺れる恐怖のグレーチング吊橋。この吊橋は奈良県道228号(東川河合線)であった。周辺は全くの無人地帯で、しかも橋を渡った先には何もない。それでもここには県道が通る。

406とはずがたり:2018/06/19(火) 23:02:58
>>405-406

https://twitter.com/harunonichinich/status/1008668008422649856
ハルニチ
@harunonichinich
6月18日

吉野土木事務所の管内図(ちょっと古いんですが…)では、県道は吊り橋を渡るようです。(とは註:吊り橋を渡って今度は対岸をくねってこの辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.4.23.730N34.7.5.307/zoom/9/(★)から谷を渡ってこの辺の林道に通じるhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.3.19.580N34.8.22.118/zoom/9/様だ。★部分へは対岸から直接渡れば無駄に湖岸遠回りしなくて済んだのにねえ。。で,計画ではその林道は使わずこの辺の尾根伝いhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.1.22.563N34.7.44.676/zoom/9/に山を降り,現道の随分起点近くに繋がる模様。現道の終点からは何と大台ヶ原方面へ延伸の野心的プランだ。アホらしいが本気なんだろう・・。)

最後にwiki。ヘキサもない盲腸県道だが将来的にはr228迄繋がるってことのようだ。r228側に開通区間が無いので分断県道的な扱いすらされてないようだ。

奈良県道228号東川河合線
https://ja.wikipedia.org/wiki/奈良県道228号東川河合線
概要
出合橋で国道425号から分岐し、東ノ川地区を大台ヶ原山麓へ北進する。終点は上北山村中心部の国道169号河合交差点(とは註:多分此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.0.15.502N34.7.54.389/zoom/9/だ。)だが、荒谷および荒谷峠付近は車両通行不能区間となっている。

奈良県道226号大台河合線
https://ja.wikipedia.org/wiki/奈良県道226号大台河合線
概要
大台ヶ原山から国道169号へ下る道路であるが、実際には起点から小処温泉までは徒歩ですら辿ることが困難な、分断県道である。このため、小処温泉と上北山村中心部を結ぶアクセス道路として機能している。2007年(平成19年)1月30日に同村西原の国道169号で大規模な土砂崩れが発生し、通行止めになった際、迂回路として利用された。

奈良県道228号 東川河合線
http://kendougt.web.fc2.com/Nara-228.html
走行日 2003,6,29

県道 東川河合線(上北山村)
http://geocities.jp/nocty_bypass/douro/7_kansai/r228.html
[ 2008/12 撮影 ]

407とはずがたり:2018/06/19(火) 23:08:43
>>406
>2007年(平成19年)1月30日に同村西原の国道169号で大規模な土砂崩れが発生し、通行止めになった際、迂回路として利用された。
どんな経路やろ??

ここしか見付からないけどこんな所迂回路にしたのか!?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.1.28.478N34.11.37.557/zoom/9/

408とはずがたり:2018/06/19(火) 23:10:44
>>407
これか。

■県道228号線に続いて行ってきました。
広域基幹林道 サンギリ線
http://nmtr220.blog66.fc2.com/blog-entry-34.html?sp

林道サンギリ線は
国道425号線と国道169号線をショートカットする山岳舗装林道です。

落石は当然ありますが、全線舗装路で路面が良いので普通車での通行も問題ありません。

409とはずがたり:2018/06/28(木) 22:16:38
千代の近くの三遠南信道の建設中の橋が映ってる♪

【飯田線】特急より有能?超快適な幻の臨時快速をご存知ですか・・・?
視聴回数 36,148 回
ttps://youtube.com/watch?v=JGMEHUL-pf0

飯田線旧線 旧第一久頭合隧道 前編
公開日 2009.8.24
ttp://yamaiga.com/rail/iida_misakubo/main.html

飯田線旧線 向皆外隧道 前編
ttp://yamaiga.com/rail/iida_mukagaito/main.html

下山ダッシュ
ttp://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

410とはずがたり:2018/07/01(日) 17:51:01
ココラノ通信>>249>>251>>252
掛川>>52>>76>>157>>236>>354
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/183

「ここらを知る旅」ココラノ通信
http://d.hatena.ne.jp/cocora/comment/20100516/1274015106
2010-05-16
とにかく、隧道巡り
隧道, つぶやき

15日夜、
「上西郷の素掘り隧道(岩谷隧道)」
「吉岡の4つの素掘り隧道」
「大日隋道」 - なぜか、昔から椅子が置かれています。

そして16日。
また、「ぬかるみ」に、はまりましたwww。
まず、手始めに、前日の夜に訪れた
「上西郷の素掘り隧道(岩谷隧道)」

「小笠山隧道」 - 小笠池のトンネルではありません。

「西大谷隧道」 - 静岡県道251号線にあります。

「仁丸隧道」 - 「県道409号大須賀掛川停車場線」沿いにある「西大谷池」の少し北側に「県道249号線」を繋ぐ「山道」があるのですが、その道中にあります。

「大谷隧道」 - 旧:大須賀町の某養鶏場の近くにあります。

「大城隧道」 - 県道249号線と高天神を繋ぐ山道にあります。

「佐栗谷隧道」 - 県道37号線の旧道にあります。近くに廃隧道があるらしいですね。(調査忘れorz)

「西之谷隧道」 - 菊川東平尾の池の近くにあります。

「巌井寺隧道」 - 県道38号線沿いにあります。

「風吹隧道」 - 県道249号線の旧道にひっそりとあります。ここで「ぬかるみ」に、はまった。

「小笠池の3つの隧道」 - 心霊トンネルで有名なところですね。

「上西郷の素掘り隧道」と「風吹隧道」は後日、調査結果を書きます。

411とはずがたり:2018/07/01(日) 20:39:43
わざとらしい演出と場所をあからさまには明かさないやり方がいらっとするカピバラ一家だが山梨大月の山奥。
迷ってない癖に迷った迷った連呼うぜえ。

【裏名所#8】山奥でロープウェイの不法投棄を発見。 旧道 酷道 カピバラ一家
https://youtube.com/watch?v=W2Fwj8fjniI&amp;feature=youtu.be


此処通行止め(新道はグーグルが来た時未だ開通前。旧道が通行止め中)
https://www.google.co.jp/maps/@35.7205961,138.9410664,3a,75y,21.69h,109.47t/data=!3m9!1e1!3m7!1sBtt8ar9ZY1ZteCkMbCxYlg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i24

此処も通行止め
https://www.google.co.jp/maps/@35.7098982,138.9405098,3a,75y,163.86h,97.03t/data=!3m9!1e1!3m7!1sPvMiCksErtG-LZKTZb9sbw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i24

此処も通行止め(グーグルの時も通行止めのようだ)
https://www.google.co.jp/maps/@35.7100291,138.939815,3a,75y,273.89h,104.11t/data=!3m10!1e1!3m8!1sJ9fgKeJbo-jqxydBxfavPg!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DJ9fgKeJbo-jqxydBxfavPg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D359.965%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i24

此処も通行止め
https://www.google.co.jp/maps/@35.7034506,138.9499821,3a,75y,16.52h,100.02t/data=!3m10!1e1!3m8!1sq1wbBwpAzCBxcUUaJjuEYw!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3Dq1wbBwpAzCBxcUUaJjuEYw%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D224.77533%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i56

412とはずがたり:2018/07/01(日) 21:47:59
この線の様だ。一番最初に視聴したカピバラ一家がこれ。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.22.6.714N35.45.8.635/zoom/9/
その羽村側。神明緑道となってる
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.19.27.270N35.45.1.673/zoom/10/
白眉はこの閉鎖トンネルか?
https://www.google.co.jp/maps/@35.7619046,139.3972889,3a,75y,80h,90t/data=!3m10!1e1!3m8!1sAF1QipMqCpjhpO95dSYckpq_Qso-0qM-3a0_uYM5lnsp!2e10!3e11!7i3840!8i1920!9m2!1b1!2i56
狭山湖側の入口は此処みたい。
https://www.google.co.jp/maps/@35.7694176,139.4042256,3a,75y,176.13h,109.47t/data=!3m9!1e1!3m7!1sdzSnyIuOExhYcZr5B66Nbg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i56

【裏名所#7】緊急離脱。森の中の5連続トンネルに潜入してみた。 カピバラ一家 廃墟廃道酷道探索
https://youtube.com/watch?v=FidT9453pcs

怖いトンネルあります 〜武蔵村山 野山北公園自転車道〜
http://hassy1111.at.webry.info/201109/article_11.html

実はこの野山北公園自転車道は、昭和の初めに、現在の狭山湖の
建設のための砂利の運搬のために敷設された約13キロの軽便鉄道
の跡を利用しています・・・
(と、すると現在、鉄道の無い市として有名な武蔵村山市にもかつて鉄道が
あったという事なのですね・・・)

この鉄道は羽村堰(多摩川)から狭山湖まで引かれ「羽村-山口線」と
呼ばれていたそうです。
しかし、記録によると使用されていたのはわずか数年という命の短い鉄道だった
ようです・・・

だから、あまり地元のヒトも知らないのですよね・・・?

その廃線跡が「自転車専用道」として生まれ変わったという事のようです・・


しかし、始点の羽村側から見ると中間にあたる部分が横田基地で完全に
分断されている為、西側が唐突に自転車道が始まっています・・・
更に終点の狭山湖側も最後の部分(トンネル)が閉鎖され、完走できない
構造になってしまっているのです・・・
(別のサイクリング道に連絡はしていますが・・・)

413とはずがたり:2018/07/01(日) 21:59:19
山掴トンネル
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B1%B1%E6%8E%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB&amp;oq=%E5%B1%B1%E6%8E%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB&amp;aqs=chrome..69i57j0l5.4719j0j7&amp;sourceid=chrome&amp;ie=UTF-8

414とはずがたり:2018/07/04(水) 12:49:23
片倉ダム。忘れてたけど元清澄山の森林鉄道跡http://yamaiga.com/rail/motokiyosumi/main1.htmlの近くだった。

これが廃仮設橋か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.4.53.071N35.11.45.759/zoom/9/
で,この水没地点はこの辺か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.4.9.667N35.11.46.723/zoom/9/

千葉県道24号線 「片倉ダムに消える道 2」
https://ameblo.jp/hi-road/entry-11189905616.html

【裏名所#12】ポニョに会える廃道★ 木々に覆われた不思議な道!千葉県廃道 隧道 何だコレミステリー
https://youtube.com/watch?v=LbaFP2tM_rY&amp;t=12s

415とはずがたり:2018/07/04(水) 20:39:07
>>405-406
吉野管内図がどっか行っちゃうのを防ぐ為だけにとりま纏めておいた。

上北山村の盲腸県道2題
r228及びr226
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/YOSHINO/kamikitayama00.html

416とはずがたり:2018/07/04(水) 20:40:42
>>407-408

サンギリ林道はこっちのようだ。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.2.26.986N34.6.3.547/zoom/9/

417とはずがたり:2018/07/07(土) 19:46:19
上武鉄道
https://ja.wikipedia.org/wiki/上武鉄道

上武鉄道(じょうぶてつどう)は、埼玉県児玉郡神川町の丹荘駅と西武化学前駅の間を結ぶ鉄道路線(日丹線)を運営していた鉄道事業者である。1986年(昭和61年)に鉄道路線を廃止し、以後も群馬県高崎市倉賀野に本拠を置く通運会社として存続していたが、1998年(平成10年)に解散公告を行い事業を停止している[1]。

歴史
もとは、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に、日本ニッケル株式会社[2]が群馬県多野郡にあった多野鉱山、ニッケル精錬所と神流川を隔てた埼玉県児玉郡にあった若泉製鋼所の専用鉄道[3]として敷設した鉄道である。戦後、軍需物資の輸送に頼っていた鉄道の維持が困難になっていたことと、沿線自治体の要望により1947年(昭和22年)5月に地方鉄道に転換し、旅客営業を開始したもので、運営は日本ニッケル鉄道部(通称日本ニッケル鉄道と呼ばれた)が行った。1960年(昭和35年)に日本ニッケルの鉄鋼部が朝日化学肥料に譲渡され、西武化学工業(現・朝日工業)が発足したことにともない、日本ニッケルの一組織であった鉄道部が独立し、1962年(昭和37年)に上武鉄道となった。

1943年(昭和18年)11月には、軍需物資であるクロム鉱石などの輸送を目的とし、終点付近から分岐して、若泉村渡瀬(わたるせ)にいたる2.3kmの延長計画が立てられたものの、資材の調達ができず、翌年断念された。戦後は、地方鉄道転換とともに延長を申請し、1946年9月に免許が下付されたが、今回も資金の目途が立たず、1966年(昭和41年)に免許は失効した。

地方鉄道転換後は、途中に停留所(駅)が増設されたが、1日の利用客は10人を割り込む状況で、実態は専用鉄道同然であった。1972年(昭和47年)12月いっぱいで旅客営業を廃止し、貨物専業となったが、沿線住民からは特に反対はなかったという。その後、貨物輸送は積替えの必要のないトラック輸送に切り替わり、1986年12月に廃止された。

2017/09/28 10:02:19
半世紀前の幻のような光景--上武鉄道日丹線廃線跡の旅
https://news.mynavi.jp/article/20170928-jyoubu/
森川孝郎

廃線探索 上武鉄道(丹荘-西武化学前)(歩鉄の達人)
http://hotetu.net/haisen/Kanto/080923jyoubutetudou.html

418とはずがたり:2018/07/07(土) 19:50:11
力作だなあ。俺が生まれた頃の鉄道ピクトリアルの記事らしい。千住貨物が現役だったようだ。

中川浩一の東武鉄道史(首都圏の鉄道史6)
(東武鉄道の系譜 鉄道ピクトリアル増刊 1972/3)
http://ktymtskz.my.coocan.jp/nakagawa/toobu.htm

419とはずがたり:2018/07/10(火) 01:43:17
かつての「日本一長い滑り台」 老朽化で休止1年 修理めど立たず 群馬・赤城南麓のローラー滑り台
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180709-00010000-jomo-l10
7/9(月) 6:04配信 上毛新聞
かつての「日本一長い滑り台」 老朽化で休止1年 修理めど立たず 群馬・赤城南麓のローラー滑り台
休止したままの滑り台
 1990年7月に完成し、「日本一長い滑り台」として話題になった前橋市富士見町の「SUBARUふれあいの森 赤城」の木製ローラー滑り台が昨年6月以降、休止したままになっている。老朽化が進み、利用者がけがをする危険があるとして設置者の群馬県が休止を決めて約1年。修理費用は多額になるとみられ、再開のめどは立っていない。豊かな自然の中で子どもが楽しめる遊具だけに、再開を望む声が上がっている。

◎木材にゆがみやひび 予算確保見通せず
 県や、公園を管理する県森林組合連合会によると、滑り台のローラーや支えに使用される木材は年々、ゆがみやひび割れが進行した。修理しながら利用していたが、修復が必要な箇所が増え、県は昨年6月、休止に踏み切った。

 県緑化推進課は修理をどのように進めるかや、予算確保は見通しが立っていないと説明する。

 滑り台は赤城山南麓の観光の目玉として89年8月に着工した。全長380メートルで、当時県は「日本一長い滑り台」とアピール。開始初年度には約19万人を動員した。近年も大型連休や夏休みには家族連れでにぎわい、多い日には1日で100人以上の利用があったという。

 公園を管理する「SUBARUふれあいの森あかぎ木の家」の職員は「滑り台について問い合わせがあるが、休止中だと伝えると残念がる。復活を期待する声に応えられるといいが」と複雑な様子。以前、子どもたちとキャンプで森を訪れ、滑り台で遊んだという富士見幼稚園(同市富士見町)の柳晋園長は「皆が楽しそうに滑っていたのを覚えている。再開すればまた楽しみたい」と期待を込めた。

420とはずがたり:2018/07/11(水) 00:05:40
興浜線,高千穂線と高森線や越美線と同じぐらい開通させて欲しかった路線である。まあ開通しても三江線以上に悲惨な現状であっただろうが。。
個人的には南稚内─浜頓別─興部─紋別─中湧別─遠軽は欲しいなあ。。

【名/迷列車の旅】北海道編12 興浜線 あれほど待ったのに・・・。
視聴回数 59,169 回
https://youtube.com/watch?v=2DiAccwBuIg

421とはずがたり:2018/07/11(水) 00:46:05

旧太子駅跡地復元プロジェクト「つなげ未来へのレール」 〜戦後日本の復興を支えた旧太子駅の復元〜
https://furusato-tax.jp/gcf/117

群馬県中之条町に残る旧太子駅・旧太子線跡地

昭和20年1月、太平洋戦争末期、国内鉄鉱石需要の増産に伴い群馬鉄山(現チャツボミゴケ公園)で採掘された鉄鉱石を積み込んだ貨物専用汽車がここ旧太子駅から初出荷として旧日本鋼管川崎製鉄所へ向け出発しました。


旧太子駅は現在のJR吾妻線が昭和20年(1945年)に長野原線として開通した際、長野原(現:長野原草津口)駅から太子駅までが群馬鉄山の鉄鉱石運搬の専用線として開業し、昭和27年(1952年)に国鉄に移管されました。
群馬鉄山は戦後、外国産鉄鉱石の輸入が再開されてもしばらくの間、露天掘りによる採掘が続けられ、日本の復興に貢献しましたが、昭和41年3月閉山を迎えました。
旧太子線は昭和29年より客車の乗り入れが開始されましたが、長野原線の電化、嬬恋線の新設等時代の流れと共に、昭和45年9月に営業廃止、昭和47年3月に廃線となりました。


現在、ホッパの基礎(コンクリート建造物)や車止めが残され、線路の跡地は生活道路として利用されています。 中之条町では平成25年より旧太子駅の復元事業を開始しました。旧太子駅を中核として、中之条町六合地区の関連施設を仮称「中之条町六合地区産業遺産群」とし、戦中戦後にかけての遺産群を適切に保全し、後世に継承して参ります。

422とはずがたり:2018/07/11(水) 21:53:36
廃物件なんで此処にも転載

2555 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/07/11(水) 21:02:18
野内>>2276-2277は昔から気になる駅である。一度現地を訪問した事もある。

個人的に大好きなLPGの出荷があった筈であるのに晩年の専用線一覧にそれらしい記載がないのである。特に日通商事の。

昭和32年にはスタンバック・昭和石油と日本鉱業(共石の母体)の専用線があるがうろ覚えだけどこれはLPG線とは別か?

それは兎も角,日本鉱業と同和鉱業の専用線もS32年版には顕れるが,山行がに拠ると上北鉱山からは野内駅に索道が通じていて資材を輸送してたそうである。

上北鉱山を調べて見ると日本鉱業系であるから日本鉱業がこの上北鉱山の出荷専用線だった様だ。
銅と硫化鉄を出荷してたのであろう。

田代隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kamikita/main1.html

上北鉱山
https://ja.wikipedia.org/wiki/上北鉱山

上北鉱山(かみきたこうざん)は、青森県上北郡七戸町(旧天間林村)字南天間舘で操業していた日本鉱業(後にJXホールディングス等を経てJXTGホールディングス)経営の鉱山。1940年(昭和15年)に操業開始。銅と硫化鉄を産出し、最盛期には1ヶ月に2万トンの鉱石を処理したが、鉱石の枯渇により1973年(昭和48年)6月に閉山した。

2556 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/07/11(水) 21:53:07
>>2555
引き続いて野内駅特集。
なんと石灰石が採れたらしい。

しかも駅が移転してもうてる様だ。。嗚呼

調べて見ると興味深い論文も見付かった。
同和鉱業野内採石所ふぁあって小坂迄石灰石を運んでいたそうな。
精練所の溶剤として利用したそうな。今は外部から調達かな?
昭和11年〜18年の採掘量は年間38,000t〜40,000tとの事。にぬけんよ,年間4万トンってどうよ?野内迄は索道架設して輸送したそうな。
昭和34年迄石灰石の採掘を続けたが多量の貯鉱を残したまま休山したそうな。復活しなぁ〜い。

それ以外にも磁鉄鉱等あったが規模も小さいし休山も早めだったようだ。

野内駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/野内駅
歴史
かつての旧駅舎(地図、地上駅)時代は、付近の石油タンクからの石油、山からの石灰石を運ぶため、貨物の取扱量が多かった。また、石灰石や遠く上北鉱山からの鉱石をこの駅に送るために、索道(ロープウェイ)が通じていた。鉱石を積み込む施設は現存するが線路は撤去され、隧道も閉鎖されている。


青森県立郷土館研究紀要 第35号,9-14
青森市東岳における鉱山史
島口 天
http://pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-kyodokan/files/2011-0414-1412.pdf

423とはずがたり:2018/07/14(土) 20:58:13

名松が,基い名称が謎だった南勝線。
関金温泉の北にあって恐らくその後関金町に合併された(→調べたら矢送村・南谷村・山守村が合併してS28(1953)関金町になったようだ。関金って地名は何所から来たんだ?)町の様だ。

更にwikiに拠ると倉吉(打吹)〜関金がS16(1941)開通で,関金〜山守がS33(1958)開通だ。
棒線でやる気の無い感じの延伸区間であった。

関金駅が南谷村にあって関金〜山守も南勝線なら理解出来るんじゃが。。

鳥取県東伯郡南谷村 (31B0050042) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050042.html

南勝線
https://ja.wikipedia.org/wiki/南勝線

南勝線(なんしょうせん)とは、日本国有鉄道(国鉄)が中国勝山駅と倉吉駅の間に計画していた鉄道路線(未成線)のうち、中国勝山 - 山守間の建設路線名称である。

概要
改正鉄道敷設法別表第89号に掲げられた「岡山縣勝山ヨリ鳥取県倉吉ニ至ル鐵道」として建設が進められた。倉吉 - 山守間は倉吉線として開業したものの、平行する道路を走る自家用車やバスに勝てず、山守 - 中国勝山間は起工式こそ開催されたものの用地買収や工事が行われることのないまま1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行や1981年(昭和56年)の国鉄倉吉線の特定地方交通線第一次廃止対象路線指定、及び1985年(昭和60年)の同線廃線により建設放棄となり、日の目を見ることはなかった。

歴史
1974年(昭和49年)5月9日 - 岡山県真庭郡勝山町(現:真庭市)で起工式が開催される。

備考
南勝線という路線名称の由来は、鳥取県東伯郡南谷村(なんこくむら。現:倉吉市)と岡山県真庭郡勝山町を結ぶことによる。

424とはずがたり:2018/07/14(土) 21:03:26
>>423
関金温泉で有名で駅も関金だから町名も関金にしたかと思ったがそうではないらしい。

一旦関金村が出来てその後市町村合併で矢送村になって自治体名として一旦消えてて昭和の大合併で復活したのかな?その際に駅名や温泉名で有名になってたからかも知れないけど。

関金町
https://ja.wikipedia.org/wiki/関金町

関金町(せきがねちょう)は鳥取県中央の東伯郡に存在した町である。

2005年(平成17年)3月22日に倉吉市と合併し、倉吉市関金町となった[1]。

町名は関金温泉に因んだ。なお、関金の地名は1877年(明治10年)に金谷村・湯関宿が合併した際に成立した合成地名である[2]。


鳥取県東伯郡矢送村 (31B0050046) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050046.html

鳥取県東伯郡山守村 (31B0050018) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050018.html

425とはずがたり:2018/07/20(金) 21:24:09
深沢橋五月橋
関電がダム湖に沈む村の為に作ったらしい。

418BP迄新五月橋作って接続してやりゃあいい。r352とr353が1本に繋がって良い。
カネの事考えれば200年後でも早いがw

岐阜県道352号線 3/4   TEAM酷道010 蹴りセロー
http://geocities.jp/teamkokudo/kokudo/gifu352densetu/densetu-3.htm

トラックが渡れる橋!それが旧日吉、潮南両村の住民の悲願であったのだ。
しかし関西電力による補償は、将来の車両通行に希望を持たせた五月橋の建造までで、
瑞浪、八百津両方の取付道路の建設までは拒否したのである。(千賀東重著 湖底に沈む村より)

岐阜県加茂郡潮南村
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/21B0060018.html

岐阜県土岐郡日吉村
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/21B0160019.html

忘れてたけど自分のコンテンツだと五月橋掛け替えの計画は有る様だ。此処から潮見の聚落迄延ばしてr353と繋げよと思わなくも無い(財政的には断乎拒否。)が,其処は林道https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.14.24.375N35.27.26.486/zoom/8/で結ばれて良しとするのであろうか?

道路族
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOKAI/GIFU/R418/maruyamaBP00.html

丸山バイパス
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1728-1729

426とはずがたり:2018/07/20(金) 22:06:47
新丸山ダム、酷道418号
https://japonyol.net/editor/article/shin-maruyama-dam-and-route-418.html
2015-09-15 chizuz?, updated: 2015-09-15
岐阜県可児郡御嵩町と同県加茂郡八百津町にまたがる丸山ダムは、1955年(昭和30年)木曽川水系木曾川に完成した重力式コンクリートダム。洪水調節、農地防災や発電を目的としている。
1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風では十分な洪水調節機能を果たしたが、1983年(昭和58年)9月の台風10号では上流域に降った集中豪雨で木曽川は過去最悪の洪水となり、丸山ダムでは制御不能となって下流の美濃加茂市は浸水し大きな害を被った。

このダムの機能を増強するため、かさ上げによる再開発事業が行われる。新しく建設されるのが「新丸山ダム」で、既設の丸山ダムの下流側47.5mの地点に既設の丸山ダムを20.2mかさ上げするとのこと。
常時満水位は186.30m、サーチャージ水位が205.30mという仕様なので、標高200mでトレースしてみたのが次のマップ。紫色の線は、国道418号。

427とはずがたり:2018/07/20(金) 22:06:57
1901 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/07/20(金) 22:02:44
二股トンネルを調べてたんだけど。
ゆーちゅーばーさんどもどいつもこいつも動画盛り上げる為にわざと怖くする要素入れてくるから唾吐きかけたくなるけど。

《廃墟紀行》 #37 『朝鮮トンネル』
https://youtube.com/watch?v=_kQx0Hqnykc

ラピスってなんやねんとイラッとするけどこの辺が真面目にレポしてるとは云えるかも。図とかしっかりしてるしね。

国道418号線-二股トンネル廃道】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_418huta.html
【国道418号線-二股トンネル廃道 周辺図】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_418huta-map.html

そもそも二股トンネル開通は戦後だし朝鮮トンネルとか云うのも既に煽り臭い。

併し恵那側はしっかり封鎖されてるのに八百津側は入り放題なんか!?!?

428とはずがたり:2018/08/12(日) 18:00:45
1907 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/08/12(日) 17:55:01
国道256号線
ROUTE256
http://3koku.uroneko.com/nr256_01.htm
起点:岐阜県岐阜市→終点:長野県下伊那郡上村(239.6km)

●概況

 R256は岐阜県岐阜市を起点とする、美濃地方〜南信州を横断する3ケタ国道。複雑なルートを辿りながら、途中でいくつかの峠を越えて長野県上村を結んでいる。ルートも複雑だが、経歴もややこしい。

 長野県飯田市と長野県上村の間には小川路峠と言うかつての秋葉街道の難所の峠が在るのだが、バイク・車での通行は不可能。それゆえR256は、飯田市と上村の間が分断されている『分断国道』となっている。この区間は別にR474矢筈TNがあるので将来この区間が繋がる可能性は少ない。当分『分断国道』のままだろう。

●沿革

 R256のルートは少し複雑で、岐阜市から一旦北上して郡上八幡に向かい、その後クネクネした経路をたどりながら東に向かい長野県に入ってR19(中山道)と合流。清内路峠を越えてR153(三州街道)に合流した後、長野県飯田市へ向かい、さらにかつての秋葉街道に沿って長野県下伊那郡上村に至っている。長野県飯田市と上村の間にある小川路峠はバイク・車での通行は不可能となっている『分断国道』である。

 ルートも複雑だが、経歴も複雑な国道である。R256は、元々は長野県飯田市(起点)と岐阜県中津川市(終点)を結ぶ国道として1963年(昭38年)4月に誕生した。その後、1975年(昭50年)4月に起点が長野県茅野市に変更され、長野県茅野市〜岐阜県中津川市間の信州(長野県)縦断国道となった。この時、長野県下伊那郡上村と飯田市の間は秋葉街道に沿って設定されたR152とルートが重複していた。

 R152は、1953年(昭28年)5月に長野県飯田市を起点として静岡県浜松市を結ぶ国道として誕生している。1975年の改訂時は端点区間が重複区間になった以外に変化はなかった。

 ルートはこのままかと思われたが、1993年(平5年)4月にルートの変更が行われた。このときの変更は大がかりで、R152とR256には以下のような変更がなされた。

(1)長野県茅野市〜長野県下伊那郡上村の間をR152に移管し、R256は長野県下伊那郡上村で打ち切り。
(2)R152は起点を長野県上田市に変更し、長野県上田市(起点)〜静岡県浜松市(終点)間の国道とした。これにともない、R152・R256重複区間であった長野県飯田市〜長野県下伊那郡上村間をR256に移管。同区間はR256単独国道区間に変更。
(3)長野県山口村から岐阜県坂下町〜岐阜県加子母村〜岐阜県金山町〜岐阜県郡上郡八幡町〜岐阜県板取村経由で岐阜県岐阜市までR256の区間を延長。岐阜県中津川市を経由しなくなった。
(4)起点を岐阜県岐阜市に、終点を長野県下伊那郡上村に変更。

 (1)〜(4)の大規模なルート変更が行われ、現在の形になったのである。

道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間
http://yamaiga.com/road/r256_kami/main.html
標高1494m、全長20kmもの険しい峠道であった、未だに自動車の通えぬ小川路峠。
ついに「山行が」も、全国有数の酷道である小川路峠に挑むのか! そんな風に期待して下さった向きもあるかも知れないが、今回は「表題」のものが主役であり、小川路峠越えは(探索は済んでいるが)別の機会に譲りたい。
今回紹介したいのは、小川路峠の東側の麓にあたる、飯田市上村の国道風景である。

ここに掲載した2枚の地図は、国土地理院が作成している『地理院地図』(左)と、昭文社が作成した『スーパーマップルデジタル ver.18』(右)で見る、飯田市上村の国道256号終点付近だ。
いずれも最新の内容だが、国道と県道の塗り分けに大きな違いがあることに気付く。

果たしてどちらが正しいのか?

実は、どちらも正しくない。

私が以前、“とある関係者”から見せてもらった地図(残念ながら掲載はできない)には、この部分の国道と県道の詳細なルートが描かれていた。

国道256号の終点から約2kmは、県道251号と並行する別のルートを通っている。
地理院地図にも市販の道路地図にも全く描かれていない道だが、道路法に定められた供用開始の手続きを経た、法的に有効な国道256号の現道がここにある。
http://yamaiga.com/road/r256_kami/map_3.gif

1908 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/08/12(日) 18:00:09
>1907
グーグルマップやけに正確じゃねえか!
https://www.google.co.jp/maps/@35.3893797,137.9678209,17z

429とはずがたり:2018/08/12(日) 18:13:51
この廃道,これhttps://www.google.co.jp/maps/@35.3992116,137.9661736,18zか?256を建設しようとしてたんちゃうやろねえ??

国道256号線 長野県 小川路峠偵察
2011年11月28日(月) 07時44分00秒
https://ameblo.jp/hi-road/entry-11086149338.html

帰ろーと思った視線の先に、草に隠れたガードレールがチラッと見えた。

おやこっちの道はなんだ?ちょっと行ってみよう。

そしたら、
あわわー廃だ〜!

岩が・・ガードレールにめり込んでるぜ。
右にはコケも生えてない積み石があるし。

急遽靴を履き替え手袋をもってリュックを背負い探索開始。

しかしあまり進まないうちにガードレールが途切れる。

崩れ落ちたのか何なのか、向こうに道は続いているのか?

崩れた斜面を少し登り先をうかがう。
じっと動かずに双眼鏡とカメラの望遠を使って1分ほど、この道の先と、つづら折れていたら続くであろう斜面上側を観察。

動かずに観察していたのは、この斜面危険。
足元が崩れる崩れる。
踏み出すために足を上げると、軸足の下の石が流れる。
ガードレールがあるから滑り落ちても痛いか痛くないかは別として、そこで止まれそうだが、ガードレールが途切れた先で滑れば、もうちょっと下走る県道の法面まで何もさえぎるものがない。
撤退したほうが無難だ。

430とはずがたり:2018/08/24(金) 13:50:44
日田と久留米って云ふ今の久大本線が軽便で結ばれてたのか。なかなか野心的だな〜。

「筑後軌道」の遺構が出現 鉄道ファンの話題に 九州豪雨で水位低下
https://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/377794/
2017年09月28日 15時57分

 大正〜昭和初期に福岡県久留米市と大分県日田市を結んだ軽便鉄道「筑後軌道」の遺構が、日田市の夜明ダム上流の筑後川左岸(福岡県うきは市)に姿を現し、鉄道ファンの話題になっている。普段はダム湖に沈んでいるが、九州豪雨に伴う放流で水位が下がり出現した。10月には再び水没するため、地元では記録保存に向けた動きが出ている。

 遺構は軌道敷の石積み。日田市史などによると、筑後軌道は1916(大正5)年、同市豆田まで開通。豆田の他、市内の隈や石井などに駅が置かれ、小型蒸気機関車が久留米まで約45キロを3時間余りで結んだ。

 日田地方の産物を送り出す主要輸送手段だったが、旧国鉄久大線の延伸に伴い1928(昭和3)年に廃止された。54(昭和29)年のダム完成後に遺構は水没したが、今年7月5日の豪雨後、ダムゲートを開放したため水位は普段より最大約10メートル低下。普段は見えない遺構がダムの上流約1キロにわたって姿を現した。

 地元の愛好者団体「筑後軌道調査会」の桑野洋輔事務局長(74)=同市銭渕町=によると、これまでも短期間、遺構の一部が見えることはあったが、これほど長期間、遺構全体が見られるのはダム完成後初めて。

 特に夜明地区の県日田夜明艇庫の対岸には、整然と積まれた高さ4〜5メートルの石積みが、ほとんど傷みなく連なる。桑野さんは「水の中で守られていたのだろう。よくぞここまできれいに残ってくれた」と感慨深げだ。

 銘木商を営み当時の舟運事情に詳しい佐藤重利さん(83)=同市中ノ島町=らによると、この近くには駅があって夜明地区の人々は渡し船で駅まで往来したという。石積み沿いには急流を避けるため造られた舟の通り道も残る。多くの人と物が行き交った往事のにぎわいがしのばれる。佐藤さんは「日田の一時期を支えた宝であり、産業遺産として再検証すべきだ」と訴える。

 ダムを管理する九州電力によると、豪雨で損壊したダム管理所などの修復工事が終わる10月中旬には水位は元に戻り、遺構は再び姿を消す。

 市民の声を受けて、地元のケーブルテレビ局「KCVコミュニケーションズ」は遺構の全景をドローンで空撮。桑野さんや佐藤さんら関係者の話をまとめた番組を制作中だ。同社の川浪鋭司放送部長は「長く後世に伝えたい地域の貴重な記録です」と話している。

この記事は2017年09月28日付で、内容は当時のものです。

431とはずがたり:2018/08/24(金) 14:12:21
時系列を無視してるかも知れないけど西鉄と合併して国鉄に対抗してたら面白かったのにw

筑後軌道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%BE%8C%E8%BB%8C%E9%81%93

概要
久留米-日田間を鉄道で結ぶ計画は1899年(明治32年)に西洲鉄道(久留米-豆田間28哩24鎖、資本金250万円)[注釈 1][2]の計画があったが不況により停滞していた。このため見切りをつけた発起人達は建設費の廉価な馬車鉄道に方針を変更した。1901年(明治34年)10月18日出願し、1902年(明治35年)5月10日に特許状が下付された。浮羽郡、三井郡の素封家たちにより会社を設立[3]。商号は吉井馬車鉄道としたが、筑後馬車鉄道に改められ[4]1903年(明治36年)10月吉井町 - 田主丸間が開業しその後徐々に延長し豆田まで開通したのは1916年(大正5年)のことであった。

当初は県道上に馬車軌道を敷設しただけの簡素なものだったが、後に石油発動車(焼玉エンジン動力の小型石油機関車、通称「駒吉機関車」)を使用した軽便鉄道に変わった。1911年(明治44年)の時点で同社は、この小型機関車を47両も保有するようになっており、鉄道の内燃動力化の先駆例と言えるが、わずか5 - 7馬力ほどの低出力で客車1両を牽引できるに過ぎず、騒音が激しい上に故障も多く、使いにくい車両であったという。そのため小型の蒸気機関車に置き換えられ、廃止時では2両をのこすのみとなった。

その後、蒸気機関車によるばい煙その他の理由により、大正時代には、起点となる久留米側の一部区間が電化され、路面電車になっている。そのため久留米における軌道が敷かれていた道の呼称も、「馬鉄通り」から「電車通り」へと変化した。

1928年(昭和3年)に鉄道省によって並行して久大本線が敷設されたため、補償[注釈 2]を受ける形で廃線となり、1929(昭和4年)に会社解散となった。

なお会社は軌道線の廃止後、西久大運送(現・西久大運輸倉庫)という貨物運送会社、連絡自動車[注釈 3]というバス会社とに分割されたが、連絡自動車は後に西日本鉄道へ統合された。

432とはずがたり:2018/08/28(火) 17:46:24
俺も越えてみてえ。。

秋葉街道小川路峠越え
http://space.geocities.jp/circo7774/ogawaji.htm

433とはずがたり:2018/08/28(火) 21:18:56
バススレや県道スレよりこっちやなw

https://twitter.com/kendou774/status/1034407856907288578
R774@まとめ屋
@kendou774

これ、和歌山r25(御坊中津線)に迷い込んだっぽい。

高速バス、迂回路間違え山道へ 崖っぷち1キロ恐怖の夜
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180828-00000069-asahi-soci
8/28(火) 18:42配信 朝日新聞デジタル

 和歌山と大阪を結ぶ西日本ジェイアールバス(大阪市)運行の高速バスが26日夜、渋滞を迂回(うかい)するため和歌山県内で高速道路を降りたところ、道を間違えて狭い山道に入り込み、立ち往生していたことがわかった。乗客38人は同社が手配したタクシーなどで運んだ。けが人はなかった。

 同社によると、同県白浜町を午後6時過ぎに出て、午後10時ごろ大阪駅JR高速バスターミナル到着予定の高速バス。阪和自動車道を走行中の26日午後7時50分ごろ、バスの50代の運転手から「渋滞しているので、迂回指示を」と同社の営業所に連絡があった。

 指示を受け、バスは御坊南インターチェンジ(IC)を降りて迂回路の県道に入ったが、運転手は途中で道を間違え山道へ。道幅は車が1台やっと通れるほどしかなく、道路脇は崖。同社によると、バスは車体をガードレールや岩などにこすり、ミラーを破損しながら走行を続けたという。

 結局、誤った道を約1キロ走行し、同県日高川町内で動けなくなった。

朝日新聞社

【関連記事】

434とはずがたり:2018/09/01(土) 13:33:21
>>386

牛岳車道 第5回
http://yamaiga.com/road/usidake/main5.html
そしてもうひとつ、
気付かぬうちに私の手許を離れていった道がある。

なんか、前回の最後にひょっこり出て来た感のある「県道59号富山庄川線」である。

この道は、スタート直後(終点だが)からいきなり「自動車交通不能区間」という香ばしい道だが、当初左の図のようなルートを想定していた。

だが、帰宅後に改めて「道路台帳」を見てみると、実は牛岳車道とはほとんど重複しないルートであったことが分かった。
眼力不足を悔いるより無いが、現地ではこの「破線の道」に気付かなかった。
探していなかったから気付けなかったと思いたいが、果たしてそんな道があったかどうか?
…この件については、平成22年内に決着を付けたいと思っている。
等高線の登り方を見る限り、間違いなく「登山道“険”道」かと思われるが、主要地方道として路線指定はされているので気になって仕方ない。


富山県道59号富山庄川線
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9359%E5%8F%B7%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%BA%84%E5%B7%9D%E7%B7%9A

概要
富山県道59号富山庄川線は、他の道路との接続がある区間は車両2台分がすれ違って通行できるほどの十分な道幅があり、通行する分には何も問題がない。しかし、他の道路を避けるようにしてしばらくずっと59号を通行し続けていると、やがて周囲に民家がなくなり、道幅がどんどん狭くなってくる。そして、若土橋を通過してからは段々と路面に砂利や植物が多くみられるようになり、ここからはどんどん険道としての片鱗を見せていく。途中からは車両が1台分しか通れないほどの道幅になり、しばらくここを進行した後に通行止めの看板と「ここまで」と書かれている標識に突き当たる。しかしこの先にはまだ国道471号との重複があることが判明しているため、この標識は間違いなく嘘である。59号の本領はこの通行止め地点の先にある。ただ、この先は廃村跡を川に向かって下るルートとなっており、車両で通行することは非常に困難を極める上、これを無理に車両で通行した人間は皆、山田川に落ちてどこかへ消えて行ってしまった。多くの通行者は車から降りて、歩いて通行している。また、あなたもそうすべきである。

あまりにも酷い道路であるため、現在は多くの地図に載っていない。10年前のカーナビ地図等には59号の路線は全て収録されているが、これに従って通行しようとした人間は皆、山田川に落ち、やがてはどこかへ消えてしまったため、信憑性は皆無である。また、地元の人間によると当時収録されていた59号の位置すら間違っていたらしく、当時これに従って通行しようとした人間も皆山田川に落ちてどこかへ消えてしまったことが分かる。

もはや国道471号、国道472号と同様、道として機能しておらず、通行する際の過酷さはその両者を遥かに上回る。また、途中から登山道のようになっており、やがては土砂や植物に紛れて路面すら見えなくなってしまうため、どこに繋がっているのかは未だに不明である。富山県知事もこの件に関して口を開くことはなかった。

廃村跡を通る59号を通行している間は、全体が錆びて何が書いてあったかすら一切知ることが出来ないような看板が途中に置いてあるほか、途中で発見される小屋には、「とうさん かあさん そっとしておいてくれ」と書いてある謎のプレートが付けられており、この廃村には多くの謎が今だ残っていることが分かっている。

また、もはやここは県道ではないのではないかと疑う者もいるが、標識は全て錆びて判読不能になってはいるものの、路面は舗装されており、周囲にもそれらしいものはないことから辛うじて59号を通行していることが判断できる。しかし、途中で舗装された路面は消滅しており、そこには藪ばかりがとにかく茂っている。ここからはどこが道なのかすら判別がつきづらくなり、急勾配の中で斜面にへばりついて藪のなかを泳ぎながら進まなければならない。さらにその先は土砂崩れ状態になっており、通行においてより困難を極める状況となっている。また、この土砂崩れは相当ぬかるんでいるらしく、ここで足を滑らせた人間は最終的には山田川に落ちてどこかへ消えてしまったそうである。土砂崩れになっている場所を越えるとそこはまた舗装路になっているため、まだ59号であるということが分かる。更に進行していくとやがて山田川に辿り着くが、この先がどうなっているかは不明。

435とはずがたり:2018/09/01(土) 14:03:09
>>386>>434:r59富山庄川線

[車載動画2018-08-05]富山県道59号富山庄川線「末端区間」
https://www.youtube.com/watch?v=E2dX6E8Bb5Y

この辺迄
https://www.google.co.jp/maps/@36.5335093,137.0582808,3a,75y,292.63h,74.99t/data=!3m6!1e1!3m4!1s2XBD7ACXiZW_N9NnrAdQwQ!2e0!7i13312!8i6656

>>264:r54福光上平線
r54不通区間

刀根ダム脇
https://www.google.co.jp/maps/@36.4624835,136.8032014,3a,75y,214.5h,80.01t/data=!3m6!1e1!3m4!1sOp5oUnZTrx7V0CM8-GsSpQ!2e0!7i13312!8i6656

ブナオ峠
https://www.google.co.jp/maps/@36.3726455,136.8236953,3a,75y,279.1h,85.62t/data=!3m9!1e1!3m7!1sCj0QgAw4e7Gl9_ZvGuVX9g!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i18

436とはずがたり:2018/09/01(土) 14:42:43
r139
五僧峠前後約4.2kmの区間は県道に指定されてないそうな

今はこんな手前で通行止め。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2390065,136.3145035,3a,75y,128.99h,81.16t/data=!3m6!1e1!3m4!1sFMGJ7QWN8-tiRng_Wvv__g!2e0!7i13312!8i6656

三重県側はグーグルがサボってるw
https://www.google.co.jp/maps/@35.2394536,136.4130282,3a,75y,314.09h,85.44t/data=!3m9!1e1!3m7!1ssEC9VIJIabROq-V1yl6bWg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i20

【険道★ / 廃村ツアー】岐阜県道・滋賀県道139号 上石津多賀線 part 1【杉坂峠・杉集落】
https://www.youtube.com/watch?v=006hawJKPvo
r17分岐〜杉聚落

【険道★ / 廃村ツアー】岐阜県道・滋賀県道139号 上石津多賀線 part 2【保月集落】
https://www.youtube.com/watch?v=lgt5yJIeCQI
杉聚落〜保月聚落〜滋賀県側県道指定区間末端

滋賀県道139号線上石津多賀線
http://www.za.ztv.ne.jp/yanae/sugisakatouge.html
滋賀県側県道指定区間末端〜(r17←)林道権現谷線(→R306)〜林道時山多賀線[H22](五僧聚落・五僧峠)〜時山→

437とはずがたり:2018/09/05(水) 08:41:43

どうやらこの交叉点で川辺大橋へ向かうべき所を県道を直進してしまったようだ。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.13.11.438N33.55.9.819/zoom/8/
此処。道なりは橋の方にライン引き替えてるのにヘキサにやられたようだ。
https://www.google.co.jp/maps/@33.9226613,135.2172274,3a,75y,356.16h,75.29t/data=!3m6!1e1!3m4!1s2a42a17-WhGge99CP--37Q!2e0!7i13312!8i6656

高速バスが誤って山道に…道幅1台分、立ち往生
2018年08月29日 16時47分
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180829-OYT1T50041.html?from=yartcl_outbrain1

 和歌山から大阪へ向かっていた西日本ジェイアールバス(大阪市)の高速バスが、和歌山県内で渋滞を避けるために高速道路を降りた後、迂回うかい路を間違えて山道に入り、立ち往生していたことがわかった。同社は乗客38人をタクシーで自宅へ送り届けるなどした。

 同社によると、高速バスは26日午後6時頃、和歌山県白浜町を出発し、大阪駅には午後10時頃に到着する予定だった。阪和自動車道を走行中の午後7時50分頃、男性運転手(50)が「渋滞を迂回したい」と営業所に連絡。営業所の指示を受け、和歌山県御坊市の御坊南インターチェンジ(IC)で降り、県道を走行して約6キロ北の川辺ICへ向かったが、途中で高速道と反対の東へ向かう山道へ入った。

 道路は車1台ほどの幅しかなく、左手はすぐ崖になっていた。バスはガードレールやカーブミラーなどに接触し、前部のミラーも破損しながら約1キロ走行し、進めなくなった。乗客から停車を求めたり、不安を訴えたりする声が上がったという。バスはその後、警察の誘導で山道を抜け出した。

(ここまで446文字 / 残り68文字)
2018年08月29日 16時47分 Copyright c The Yomiuri Shimbun

438とはずがたり:2018/09/07(金) 10:06:40

R774@まとめ屋氏もR256来た!しかも道路台帳付♪

https://twitter.com/kendou774/status/1037670834196762625
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『山さ行がねが氏』が探索されていた飯田市上村のR256。このR256上に存在する清水集落。一体どんな集落なのだろうか?R256はこの集落のどこを横切っているのだろうか?そんな疑問を解決するために清水集落へと向かった。

439とはずがたり:2018/09/07(金) 21:37:32

https://twitter.com/kendou774/status/1037326605712941056
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長野県南信濃村(飯田市)平畑集落。遠山川の深い谷間、下栗の里の対岸に位置するこの集落。地理院地図にはこの集落に至る道はない。しかし、衛星写真では吊橋があるように見える。この集落に行くことはできるのだろうか?集落はまだ生きているのだろうか?ご存知の方、ご教示いただけないでしょうか。


6:08 - 2018年9月5日

440とはずがたり:2018/09/09(日) 20:05:13
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清水集落のR256について、山行が氏は『土地の取得が最小で済む最短の径路で結んでしまった』と推測されている。要は『道は無いけど国道にしました』ということだろう。しかし天下の国道のルートはそんな適当なものなのか?謎を解くために飯田建設事務所の道路台帳で調べると。。。適当やんけ! #酷道




3:58 - 2018年9月9日

441とはずがたり:2018/09/10(月) 19:58:56
山梨県道35号旧道・雛鶴隧道
https://blogs.yahoo.co.jp/armata_2015ru/40215139.html

地図から消えた県道を歩く!焼身事件の痕跡も! 【裏名所#22】 廃道廃墟酷道オブローダー 神回
https://www.youtube.com/watch?v=LV7T1uvIlKY

442とはずがたり:2018/09/10(月) 20:24:48
地図から消えた日本の村5選!その衝撃の理由とは…!?都市伝説ではない…!
https://www.youtube.com/watch?v=3pnnZu6hPto

横倉 勝山市 雪崩 19人
峰 奥多摩町 林業 14戸
盛松(さかりまつ) 熊野古道 100人 海 昭和初期 集団移住
廃村八丁 京都市 明治初期〜1961年 御留山 1933年大雪 1941年廃村
八丈小島 1969年 最盛期数百人

443とはずがたり:2018/09/18(火) 23:39:08

こんな計画があったなんて♪根岸線の前身やねえ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%98%E5%8D%97%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93

本鉄道(湘南電鉄)の日ノ出町駅付近 - 井土ヶ谷駅付近の敷設にあたっては、それ以前に計画され中止された、鉄道省の京浜線予定線の敷地が転用されている。この予定線は、桜木町駅から、大岡川沿いを走り、井土ヶ谷から現在の東戸塚方面に抜ける中距離電車が計画されていたもので、現在も桜木町駅より路地に挟まれた複線分の敷地が続き、日ノ出町駅付近で京浜急行電鉄の高架線が合流するのが確認できる。この予定線は1926年(大正15年)4月に廃止となり、湘南電気鉄道が廃線跡を譲り受けた。

444とはずがたり:2018/09/29(土) 22:50:33
地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28
9/27(木) 11:00配信 丹波新聞

 兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。

夙村の人々との香典のやりとりを記した香典帳を手にする御前さん。「しく」「夙」の字が見てとれる。

通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流
 夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。

 夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。

 「夙村の人々は、通婚の差別は受けていたようだが、疎外されていたわけではなく、味間南とはゆるやかな交流があった」と酒井さん。その証拠に味間南の旧家、御前昇さん(85)が保有する御前家の江戸時代の香典帳から、夙の人々と香典をやり取りしていた記述が見つかっている。

地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市
夙村の跡。80戸を形成した時期もあったとされる。現在はスギやヒノキの植林に覆われている

柿渋師集団の村か
 嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。

 柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、当時は多くの利用があったとされる。

 酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。

疫病蔓延? 80戸が7年で7戸に
 一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。

 「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。

大火相次ぎ、明治期から供養
 その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。

 そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。

 さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。以来、大きな火事は起こっていないという。

 今年も住民約30人が村の跡が残る集落東部の井根山のふもとへと向かい、墓掃除を行った後、墓前にシキミや線香などをそなえ、森の中に読経を響かせた。

 今年も無事に墓参りを終えた味間南自治会長の男性(67)は、「事の始まりはたたりを恐れてのことだったかもしれない。しかし現在は、かつての隣人の墓があるというのに何もしないのは忍びない、という気持ちでまつっています」といい、「もうすでに我々の世代では夙について詳しいことはわからない状況になっているが、そういう村が実在したという歴史を、この墓を守りながら後世に伝えていかなくては」と話している。

445とはずがたり:2018/09/30(日) 18:46:09

高校の分校ですら廃校といわれても6世帯11人ではねえ

人口統計ラボ
https://toukei-labo.com/2010/?tdfk=36&amp;city=36468&amp;id=57
徳島県美馬郡つるぎ町一宇
面積: 12,664,370 ㎡
人口総数: 11 人 世帯総数: 6 世帯

https://twitter.com/kendou774/status/1046225159948926976
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高校(分校)ですら閉校になってしまう一宇の村。町中に人影は皆無で、宛らゴーストタウンのようだ。でも、こんな光景はここだけではない。残念ながら、全国各地で見られるようになってしまった。


19:28 - 2018年9月29日

徳島県道260号中野木屋平線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%93260%E5%8F%B7%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%9C%A8%E5%B1%8B%E5%B9%B3%E7%B7%9A
徳島県道260号中野木屋平線(とくしまけんどう260ごう なかのこやだいらせん)は、徳島県美馬郡つるぎ町から美馬市に至る県道である。国道438号を繋ぐ県道である。県道としては途中区間で指定が途切れているが、その間は林道経由で通りぬけ可能(一部ダート区間あり)。

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.5.56.438N33.54.16.806/zoom/8/

グーグルのストビュー工事中箇所除いて殆ど通り抜けてるw

https://www.google.co.jp/maps/@33.9094166,134.1205972,3a,75y,18.77h,81.34t/data=!3m10!1e1!3m8!1slIkAyn4N9MSVJPrBGg0NiA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DlIkAyn4N9MSVJPrBGg0NiA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D179.5629%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i64

446とはずがたり:2018/09/30(日) 22:04:58

https://twitter.com/kendou774/status/1046268280191639553
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十家集落については、住人であった下家さんの奥さんに話を聞いた。『十家は高齢化が進み、通院等、交通の不便さ故に、住人が山を降りていった。以前は畑仕事で通っていた。しかし、猪、鹿等に畑を荒らされて割りに合わなくなったので、今では殆ど行っていない。』とおっしゃられていた。

22:19 - 2018年9月29日

モノレールでしか行けない“天空の里”があった!徳島県の秘境・十家集落
https://matome.naver.jp/odai/2140869580206501701

標高800mある「つるぎ町十家(といえ)集落」では住民専用の”モノレール”が麓の県道とを結んでいる。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

モノレールの全長1.2kmで、乗車時間は30分ほど。最大積載量は1トン。勾配35度から40度という急斜面をゆっくりと上ってゆく。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

モノレールを利用する人のほとんどは、かつての住人で、麓にも家を持っている人たち。昼間、十家にやってきて、畑や山の世話を行っている。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

ピーク時には33世帯約160人が暮らした集落も、現在は2世帯3人になった。
高齢化が進む集落にとって、プロパンガスや荷物の運搬、通院など自宅横に通じるモノレールはなくてはならない存在。

出典
みかん山のモノレール - MSN産経フォト

昭和61年、国が十家集落に「住民専用のモノレール」を設置した。急しゅんな山の頂にあるため、車が通れる道路を作ることができなかった。モノレールができるまでは、住民たちは1時間以上かけて、麓と集落を歩いて行き来するしかなかった。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

かつて、この一帯は、葉たばこの栽培で栄えていた。十家集落にも、昭和30年代には、30軒以上の家族が暮らしていた。しかし、年々人口は減り続け、常駐する家族は現在、一軒だけになってしまった。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

つるぎ町「旧一宇村」の限界集落の現状と展望
―大野集落でのインタビュー調査から―
地理班(徳島地理学会)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/57/177-188.pdf

ここ,何もないw
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92779-4100+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E9%83%A1%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E7%94%BA%E4%B8%80%E5%AE%87%E5%8D%81%E5%AE%B6/@33.9470009,134.0554488,17z/data=!4m5!3m4!1s0x35523452636c45d5:0x8f48e534cbec8ee6!8m2!3d33.9470035!4d134.0576376

おお,航空写真にするとなんかある!
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92779-4100+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E9%83%A1%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E7%94%BA%E4%B8%80%E5%AE%87%E5%8D%81%E5%AE%B6/@33.9470009,134.0554488,1670m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x35523452636c45d5:0x8f48e534cbec8ee6!8m2!3d33.9470035!4d134.0576376

447とはずがたり:2018/10/08(月) 12:36:50
よごれんさんに初いいね貰えたw

次はチャーハン食いに行かねばww

448とはずがたり:2018/10/14(日) 15:04:24

何が良いかってその気宇壮大な名前だよな。

2018年10月20日
RM ライブラリー231 北陸鉄道金名線
https://www.neko.co.jp/magazine/rm-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC231

北陸鉄道金名線は石川県南部山間部の白山下駅から、手取川の流れに沿って加賀一の宮駅までを結んだ鉄道です。1926(大正15)年の開業当初は金名鉄道と称しましたが、この鉄道名は「金沢」と「名古屋」から一文字ずつとった大変壮大なものでした。戦時中には石川県内の多くの私鉄が統合されて北陸鉄道が設立され、金名線もその一員となりました。特に金名線は、線路が接続する石川線、能美線とともに、「石川総線」と称されたこともありました。
能美線と同じく自動車の普及による利用者とともに昭和40年代には朝夕のみの運行となりました。1984(昭和59)年には運転を休止、以後列車が運行されることなく、1987(昭和62)年に全線が廃止されました。

449とはずがたり:2018/10/15(月) 19:36:36
どこだ?何を運んだんだ?彦根って事は住友セメ辺りの石灰石か?

場所は此処だ。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2675779,136.2788757,808m/data=!3m1!1e3

セメントで合ってたみたいだ。1959年操業開始1970年頃閉山と短命だったようだ。
http://yamabiko.ciao.jp/05_torek/t25znn/25zn_nodayama2009/25zn_nodayama2009.html

1933年工場開設,1996年工場閉鎖。歩鉄さんのレポ。専用線は1988年廃止だそうな。
鉱山開発前から操業してたし,採掘中より閉山後の方が長く工場を操業してたんだな。
基本どっかから石持ってくるビジネスモデルか。住友と合併する前は小野田系だった事もあったようだが流石に東藤原から索道で運んだりはしてないよねえw
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/110604sumitomooosakahikone.html

https://twitter.com/roadexplorer/status/1050433511612604416
えぬ
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高速道路:鉄道:並行して走る東海道新幹線と名神高速道路の同じ位置を、それぞれ謎の構造物が覆っている。ここには、かつて鉱石を運搬する索道が通っていて、その落下物防護用に作られたもの。今は索道は撤去されてしまっているが、その防護用構造物だけが残されている。滋賀県彦根市

10:10 - 2018年10月11日

450とはずがたり:2018/10/21(日) 19:22:58

昭和36年 赤信号
https://www.youtube.com/watch?v=VUvEmCfwRew
昭和33年 あの道、この道
https://www.youtube.com/watch?v=ECjgyLt7AbY&amp;feature=youtu.be

451とはずがたり:2018/10/21(日) 19:23:21

https://twitter.com/kendou774/status/1052547495056658433
R774@まとめ屋

静岡r389(水窪森線)は見どころ沢山の非常に楽しい険道だ。これ一本あれば丸一日は楽しめる。地形は険しいが、道自体はそれほど酷い道ではない。以前はその険しさ故に、夜間は通行止めだったが、今はどうなったのだろう?

6:10 - 2018年10月17日

452とはずがたり:2018/10/23(火) 22:53:47

伝説の一本杉峠のr218(茨城県道大塚真壁線)だが県道として県報に記載されているので県道として認定されてるし管内図にも載ってるので歴とした県道だけど道路台帳には載ってないそうな。
https://twitter.com/kendou774/status/1054697266798194690

今話題の茨城r218(大塚真壁線)の一本杉峠。県報では供用開始となっているが、道路台帳がないという謎な区間であった。このような中途半端な状態で県道と認識してもいいのだろうか?そんな謎をもうちょっとだけ調べてみることにした。


未整備故に道路台帳が作られないというのも些か疑問が残る。例えば熊本県の道路台帳作成事務提要には『(交通不能区間)全幅2.5m 未満の区間は図面を作成しない』とあったりするので、茨城県にもそのような制約があったのかもしれない。

453とはずがたり:2018/10/26(金) 11:30:18
知らん間に赤岩駅事実上廃止されてたようだ。

赤岩駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B2%A9%E9%A7%85

1990年(平成2年)3月10日 - 山形新幹線の運行にあたり標準軌化工事を行う。スイッチバックを廃止。現在地に移転。
2012年(平成24年)12月1日 - この日から2013年(平成25年)3月25日まで全列車通過[4]。以降も毎年この期間は全列車通過となる。
2016年(平成28年)
12月1日 - この日より2016年度の冬季休業に入る[2]。
12月16日 - 同日付プレスリリースで2017年3月のダイヤ改正より「通年通過駅」となる旨が発表される[1]。
2017年(平成29年)3月4日 - 同日のダイヤ改正で「通年通過駅」となり、営業休止。停車列車が正式に消滅[1][2]。

454とはずがたり:2018/11/01(木) 13:57:43
150 自分:とはずがたり[] 投稿日:2018/11/01(木) 13:57:28

https://twitter.com/Harita_arayshi/status/1013722168251674625
治田 洗礫
@Harita_arayshi
フォローする @Harita_arayshiをフォローします
その他
テキサス大学のコレクションにある米軍25万分1地図は1955年頃の編集。羽幌炭鉱鉄道、天塩鉄道、留萌鉄道も描かれているが…
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

2:52 - 2018年7月2日

https://twitter.com/AKAIWA8095D/status/1057856406949261312
いたや@北炭会
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その他
これは1955年では無く1965年以降1970年末までの地図じゃないだろうか…。羽幌炭鉱鉄道専用線(国鉄非営業線)の三毛別まで延びたのって1965年やで

21:46 - 2018年10月31日

455とはずがたり:2018/11/04(日) 18:01:03
木曽山脈に残る奇跡の廃村「大平宿」で楽しむ古民家宿泊
https://www.travel.co.jp/guide/article/21248/
更新日:2016/09/09 16:38

https://twitter.com/kooooona/status/1058544740788928513
こな
? @kooooona

適当に走ってたらいつのまにか電波が無くなってて、そのまま更に行ったらタイムスリップしたような場所に出たのでさすがに引き返してきた

人っ子一人居なかったのでビビりまくってましたが、太平宿というかつての宿場町だったところのようですね。泊まれるところもあるようなので今度じっくりいってみたいです?

19:21 - 2018年11月2日

456とはずがたり:2018/11/12(月) 08:53:42
日本 25万分の一 札幌 1950年代だったかな? テキサス大所蔵
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

457とはずがたり:2018/11/12(月) 08:54:27
ここから行ける

http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/

458とはずがたり:2018/11/16(金) 12:48:47
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00010001-soon-l09
11/16(金) 8:00配信 下野新聞SOON
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
1カ月半にわたって水が流れている「おしらじの滝」
 めったに水が流れず“まぼろしの滝”と言われる栃木県矢板市下伊佐野の「おしらじの滝」に、約1カ月半の間、水が流れ続けている。異例の事態で、15日も少量の水が流れた。関係者は「まぼろしと言えない状況」と驚いている。

【動画】静寂の中、滝つぼに落ちる水の音が響く「おしらじの滝」

 滝は高さ15メートルほど。条件がそろうと青く輝く滝つぼは神秘的で、最近人気が高まっている。大雨の後ですら水がないこともあるが、台風24号が過ぎた10月1日に大量の水が流れ落ち、その後も流れ続けている。

 滝近くの山の駅たかはら山口保行(やまぐちやすゆき)館長(56)は「本来は年間で十数日しか見られないのに」と困惑気味。一時的な水脈の変化の可能性を指摘し「水量は減っている。来春にはまた『まぼろし』に戻る」とみる。

 15日に友人と訪れた宇都宮市インターパーク2丁目、会社員岡野竜治(おかのりゅうじ)さん(42)は「流れていないと思っていた」と想定外の光景を喜んでいた。

 駐車場から滝までは未舗装の山道。12月1日からは冬期通行止めになる。

459荷主研究者:2019/01/02(水) 21:11:36

http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/toku/isan/CK2018121002100011.html
2018年12月9日 中日新聞
緊張の先 息のむ絶景 黒部峡谷の下ノ廊下

http://tohazugatali.web.fc2.com/risui/PK2018121002100034_size0.jpg
絶壁に沿って造られた下ノ廊下の「旧日電歩道」。はるか下に黒部川が流れる=今年10月、立山町の黒部峡谷で

http://tohazugatali.web.fc2.com/risui/PK2018121002100035_size0.jpg

 北アルプス黒部峡谷で最も険しく、紅葉の名所で知られる「下ノ廊下」。絶壁に沿った水平の歩道が続く。幅は人一人が通れるほど。はるか下を黒部川がごうごうと音を立てて流れる。緊張の連続だが、紅葉に包まれた絶景に息をのんだ。

 今秋、途中の山小屋に一泊する日程で、欅平から黒部ダムまで約三十キロの下ノ廊下を歩いた。「水平歩道」と「旧日電歩道」で構成される道は、水力発電の可能性を大いに秘めていた黒部川の開発調査のため大正時代に工事が始まり、一九二九(昭和四)年ごろに完成した。

 岩壁を削ったり、くりぬいたりし、場所によっては丸太を敷いて歩く場所を確保。何本かの素掘りのトンネルもある。当時、測量隊は大きな荷物を担ぎ命がけで運んだ。場所によっては眼下の黒部川まで百メートル以上。落ちれば生存の可能性はなく「黒部にけがなし」と言われてきた。

 その現場に立つと、人間のちっぽけさが身に染みる一方、秘境に足を踏み入れた人間の力に気付かされる。毎年、残雪が消えた後、電力会社や山小屋の関係者が安全に通れるように整備し、登山者らが歩けるのは九月から十月までの一時期。あの景色は今年の心に残る一シーンとなった。 

 (柘原由紀)

460とはずがたり:2019/02/10(日) 19:02:36
日高山地ぱねえw
思わずnoteに100円だけ喜捨w

https://twitter.com/petegari1735
??遥かなるわがペテガリ ??
@petegari1735
ハッキリ言って頭がオカシイくらい日高山脈の主に新冠川と静内川流域のマニア


https://note.mu/pegari1735
遥かなるわがペテガリ
フォロー中
日本最後の秘境と呼ばれた静内川(シベチャリ川)流域に想いを馳せる男。現地の方々からの情報、自ら足を運んで目の当たりにした風景をお伝えします。主に日高山系の渓流、ダム、山小屋、日高横断道路など閉ざされた世界に纏わる現状や昔話を掲載。酷道、廃道、林道、未成線、ダム、釣りマニア向け。

461とはずがたり:2019/02/12(火) 13:36:48
我がマップルには本流に沿って点線がある。

https://twitter.com/petegari1735/status/1087001890661969920
??遥かなるわがペテガリ ??
@petegari1735
1月20日
その他
日高横断道路は計画初期の頃、コイボク本流ではなくナナシの沢沿いに造るつもりだったらしい

このルートだとトンネルは3.7㎞

北海道道111号静内中札内線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E9%81%93111%E5%8F%B7%E9%9D%99%E5%86%85%E4%B8%AD%E6%9C%AD%E5%86%85%E7%B7%9A

21.3 kmの未開通区間があり、両町村の境界に掘削予定の静中トンネル(延長4,782m)を含む7.4 kmは未着工となっていたが、1984年の着工から2003年の19年の歳月に約540億円[1]の建設費が費やされたにもかかわらず、さらに40年近い工期と約980億円[2]の資金が必要であったため、2003年(平成15年)8月8日に北海道開発局より計画の凍結(実質中止)が発表された。

462とはずがたり:2019/02/19(火) 19:43:55

>同タワーに隣接する約400平方メートルの太陽光パネルも発電効率が悪いため撤去する予定

廃墟案件。
もう撤去されたんかな?

「廃墟」丹後王国タワー解体へ 京都・腐食や劣化激しく
https://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20180526000065

 2004年の台風23号で破損して以来、長年放置されていた丹後王国「食のみやこ」(京都府京丹後市弥栄町)内にある市所有の展望台「丹後王国タワー」について、市は解体する方針を決めた。活用方法も探っていたが、腐食による劣化が激しく補修費用が高額になるとして、解体に向けた設計委託料を本年度一般会計に計上した。

 同タワーは1998年、旧あじわいの郷の目玉施設として、建築家の高松伸さんの事務所に設計を依頼し、旧弥栄町が約2億円かけて建設。外壁にガラスや木板を用いた高さ約30メートルの円筒形4階建てで、日本海を一望できた。

 しかし、台風23号の襲来により破損し、放置された。施設を受け継いだ市は2011年に約1千万円かけて調査し、15年まで府や市商工会、京都工芸繊維大(京都市)などと活用方法を検討してきた。だが、翌年に構造を調査した結果、当初の展望機能を確保するためには建設費の約1・5倍となる約2億8千万円かかることが判明し、解体する方向となった。

 解体に向けた設計委託料約1100万円を計上し、7月に入札する方針。同タワーに隣接する約400平方メートルの太陽光パネルも発電効率が悪いため撤去する予定で、解体は計約4千万〜5千万円の見込みという。

【 2018年05月26日 12時39分 】

463荷主研究者:2019/03/31(日) 20:14:53
>>461
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/280989?rct=n_hokkaido
2019年02/27 10:28 北海道新聞
未完の道道復旧必要? 静内中札内線 災害頻発、開通めど立たず専門家「再検討を」

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190227hokkaido02.JPG

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190227hokkaido03.JPG
通行止め区間にかかる滝見橋。昨年3月の雪崩で高欄が変形した(帯広建設管理部提供)

 【中札内】昨年3月の大雪などで被害を受けた道道静内中札内線(静中線)の復旧工事が今年4月から、事業費約2億円をかけて行われる。工事区間の一部は約15年間通行止めが続き、道路建設の凍結で日高側へは通じていない。開通のめどが立たず、災害が頻発する度に行われる道の復旧工事に、専門家からは疑問の声があがっている。

 村の観光名所ピョウタンの滝を上流に進み、札内川ダムの前に差し掛かると通行止めの看板が目に入る。この先の区間では、昨年3月上旬の大雪と大雨で大規模な雪崩が発生。橋1カ所が跡形もなくなり、5カ所の落石防護柵などが損壊した。道は雪解け後から、橋の架け替えや防護柵の取り換えに着手する。

 この付近は過去15年間で雪崩や土砂崩れに5回見舞われるなど災害が多く、計17カ所を約4億円かけて修繕している。度々この道を通る男性は言う。「ここは何度壊れても、すぐに立派な道路ができあがる」

 長期間通行止めとなっている区間を災害の度に現状復帰するのは、道が維持管理の義務を負う「供用区間」にあたるからだ。

 静中線は2003年、道が財政難を理由に建設凍結を決断。村ではこれに反発する住民運動も起こり、同年、村と道が建設凍結後の対応を話し合う中札内地域活性化検討協議会が設立された。協議会で道は、道管理区間を継続して維持管理すると約束した。

 帯広建設管理部は「村側から当時、緊急車両の通行ができるようにという要望もあった。札内川ダムの管理作業にも使用されている」と道路維持を続ける理由を説明する。森田匡彦村長は「観光資源となる重要な道路。維持管理を続けてもらいたい」と話す。

 ただ関係者からは、当時の村と道の「約束」を再検討する余地があるという意見も出ている。当時村の政策調整課長で協議会事務局を務めた火山敏光さんは「道がどこまで一定の維持管理を行うか、明確に終点を設定していなかった」と振り返り「道にどの区間を管理してもらうか今後の検討課題になる」と話す。

 建設凍結時の政策評価委員を務めた北大の宮脇淳教授は「供用区間の廃止を含めた見直しも選択の一つ」と指摘。「(静中線は)先に集落もなく生活道路ではない。ダム管理は林道でも十分で、車両が通行できる道路が必須というわけでもない。供用区間だという理由で修繕し続けると財政負担は計り知れない」と供用を続けるリスクを懸念する。また「公共施設に比べ、道路は費用対効果の意識が及びにくい。人口減社会の中で、道路の供用区間の見直しは、他地域でも今後生じうる問題だ」と話している。(長谷川史子)

 <ことば>道道静内中札内線 村と日高管内新ひだか町を結ぶ約100キロの路線。1984年に着工したが、2003年、当時の堀達也知事が道の財政難を理由に建設を凍結。建設工事には約540億円が投じられたが、約60キロが通行不能のままとなっている。中札内村側の滝見ゲート―幌尻覆道ゲート間の4・2キロメートル区間は、落石の恐れがあり04年から通行止めが続く。幌尻覆道ゲート―ダムゲート間は、冬季以外は開通しているが、昨年3月の雪崩被害を受けて以降、通行止めが続いている。

464とはずがたり:2019/05/24(金) 22:41:03
廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦 第22回
http://yamaiga.com/rail/senzu2/main24.html
釜ノ島到着!

<全体図>
http://yamaiga.com/rail/senzu2/zu_122.gif

<現在地>
http://yamaiga.com/rail/senzu2/map_121.gif

ヨッキ到達点
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.11.330N35.16.51.744/zoom/9/

柴沢
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.21.612N35.17.38.676/zoom/9/

林道終端点??
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.2.52.712N35.17.55.506/zoom/9/

こっちの林道は別ルートで下(千頭方面)に繋がってるようだけどこんな至近距離で繋がってないのか。
どうなってんだろ。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.20.338N35.17.46.090/zoom/9/

465とはずがたり:2019/06/02(日) 19:45:11

貴重な古地図を大量に楽しめる!ゼンリンが古地図ミュージアム公開
https://mag.japaaan.com/archives/19091

466とはずがたり:2019/06/29(土) 14:45:52
楢峠+二ツ屋峠 2016
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34777702.html

r34すげえが其処から分岐する林道どものすげえ

ふるさとの森林道 水無側+東俣峠 2016
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34779424.html

r34から分岐してここに至る
http://maps.gsi.go.jp/#17/36.347325/137.030572/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

ふるさとの森林道
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34781097.html

更に伸びで此処ら。
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.350674/136.998975/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


百瀬川林道 (東俣峠 上百瀬側 2016)
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34781254.html

此処
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.356971/137.021879/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

西俣谷は廃道

467とはずがたり:2019/07/07(日) 17:54:01

https://twitter.com/A_hit_A/status/1147561504457101312
あびる
?@A_hit_A
フォローする @A_hit_Aをフォローします
その他
日本の山奥に存在する異世界について話したい。
ここは虹の泉と言って、三重県の山奥にぽつんと存在するんだ。全て陶器で出来ていて、たった1人のおじさんが35年の歳月をかけて死ぬまで作っていた陶芸空間。巨大作品。




10:42 - 2019年7月6日

468とはずがたり:2019/07/07(日) 17:55:43
http://nijinoizumi.blog.fc2.com/blog-entry-8.html?sp
陶芸空間 虹の泉にぜひお越しください!!

住所    三重県松阪市飯高町波瀬  国道166号線沿いにあります。


・入場料   大人500円 高校生200円 小中学生100円 
       
       頂いたお金は虹の泉を完成させるための資金とさせていただきます。


・時間    午前9:00〜午後4:00ごろまで


・休み    不定休 

       もし、しまっていて誰もいないようでしたら次の番号に連絡してください。
    
       080-1558-4612

この辺か
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92515-1725+%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E6%9D%BE%E9%98%AA%E5%B8%82%E9%A3%AF%E9%AB%98%E7%94%BA%E6%B3%A2%E7%80%AC/@34.4304784,136.1330514,14.52z/data=!4m5!3m4!1s0x6006a141fe29732b:0xb3c1ea7eaad4b63c!8m2!3d34.4277076!4d136.1470081

469とはずがたり:2019/07/15(月) 11:08:26

今回の山いがはなかなかマニアックな行き止まり県道末端部通行止め♪

新潟県道246号西飛山能生線 飛山ダム区間 第1回
http://yamaiga.com/road/hiyama/main.html


r246から分岐のシャルマンスキー場方面への道路も間違ってr246と書いちゃってるゼンリンと訣別したグーグルマップ。
その終点は林道開設工事中とあった。
https://www.google.co.jp/maps/@37.0044969,138.0706368,3a,75y,295.65h,90t/data=!3m9!1e1!3m7!1sbJnbsBU2cDK1MyCLR1OQyw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i21

終点にはビュッフェスーシュとやらが
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92949-1322+%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E5%B8%82%E8%A5%BF%E9%A3%9B%E5%B1%B1/@36.9912406,138.0591033,16z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff66a6d021ffa65:0xc64988de2bffb9f6!8m2!3d36.9824929!4d138.0649891

ビュッフェ スーシュ …スキー場で、海鮮丼!!シャルマンスキー場に有るこちらのヒュッテとあるのでスキー場内施設の様だ
https://tabelog.com/niigata/A1503/A150302/15017538/dtlphotolst/?PG=1&amp;smp=2&amp;srt=normal&amp;sby=D

飛山ダムへの県道よりもクロ沢へ登って行く林道の方が気になる。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.23.887N36.58.42.096/zoom/9/

あと,山挟んで上越市側に東飛山がある。
飛山は名立と能生に跨がった地名らしい。

470とはずがたり:2019/07/15(月) 13:32:30
飛山ダムは県営の治水ダムらしい。つまらん。小水力設置せよ。

飛山ダム [新潟県](ひやま)
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0758

飛山ダム(ひやまだむ)
http://www.pcpulab.mydns.jp/main/hiyamadam.htm

2019-02-03
ダム探訪#7 飛山ダム 糸魚川市
https://next22c.hatenablog.com/entry/2019/02/03/220841

471荷主研究者:2019/07/28(日) 11:22:13
>1876年(明治9年)、日本初の「高速産業道路」ともいわれる生野鉱山寮馬車道(銀の馬車道)が兵庫県の生野銀山(現・朝来市)と飾磨津(現・姫路市)の約49キロを結んで開通

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46600790W9A620C1AA1P00/
2019/6/27 7:00 日本経済新聞 関西タイムライン コラム(地域) 関西
生野鉱山と播磨 貫いた「銀の馬車道」
時を刻む

472荷主研究者:2019/07/28(日) 12:06:44

https://www.toonippo.co.jp/articles/-/216107
2019年7月7日 東奥日報
100年前の森林鉄道の軌道現存/今別・与茂内林道

http://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20190707too01.JPG
並行する2本のレールが今もしっかりとした形で残る与茂内林道=6月25日、今別町

http://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20190707too02.JPG

 大正から昭和にかけて山間部の木材搬出に活躍した森林鉄道の軌道跡が、青森県今別町の国有林内に約150メートルにわたり残っているのが見つかった。県内の森林鉄道は廃止とともに撤去されたものが多く、約100年前のレールが枕木とともに現存しているのは珍しい。津軽半島の森林鉄道に詳しい柳澤良知さん(80)=中泊町、小泊の歴史を語る会会長=は「状態が良く、これだけの長さの軌道が残っているのはとても貴重」と驚いている。

 軌道が残っていたのは、今別町東部の大泊地区にある与茂内(よもない)林道を、与茂内川沿いに6キロほど進んだ地点。さびついたレールは与茂内川に沿って山中に延び、長さは確認できただけで約150メートルあった。レール間は約80センチで、枕木はほぼ土砂に埋もれていたが、35センチ間隔で現存するところも。沢に近づくと途切れたレールがぶら下がり、こけむした木橋も残っていた。

 林野庁の森林鉄道に関するデータによると、与茂内林道の軌道は1922(大正11)年に敷設され63(昭和38)年に廃止、延長は5262メートルとある。現地で軌道を確認した柳澤さんによると、伐採したヒバなどの木材をトロッコ(台車)に積み込み、勾配を利用して人力で起点まで搬出する役割を果たしていた。

 6月上旬、山菜狩りに入った人が偶然見つけ、柳澤さんに連絡した。林道を管理する青森森林管理署今別森林事務所の工藤聖皇・主席森林官も「レールの存在はこれまで知らなかった。予算の都合でずっと残されていたのではないか」と推測する。現場は林道からさらに斜面を下って入った森にあるため、分かりにくく、長い間見つからなかったとみられる。

 林業の近代化をけん引した全国の森林鉄道の遺構は近年、国重要文化財や近代化遺産(経済産業省)として指定・認定されるなど、その価値が高く評価されている。県内では国内初の本格的な森林鉄道となった津軽森林鉄道(本線・青森市沖館-五所川原市金木町喜良市)の遺構群が昨年、日本森林学会の林業遺産として東北で初めて認定され、地域振興にも活用されている。

 長年、津軽森林鉄道を中心に森林鉄道の廃止後の状況を調査・記録してきた柳澤さんは「与茂内林道の遺構は確認できた範囲で150メートルほどだが、終点までほぼ全て残っている可能性が高い。約100年の時を経て見つかった今、新幹線のある町として活用に向けて光を当ててほしい」と感慨深げに話した。

473とはずがたり:2019/08/06(火) 02:33:39
http://yamaiga.com/road/hiyama/main5.html
一番気になってたクロ沢への廃林道はよっきは時間もないようで探索しなかったようだ。残念。2007年からロープはあったようだw

2007.04.08 XML
空沢山(火打山北尾根)から西飛山ダムへ滑る (2)
https:// plaza.rakuten.co.jp/yamabokesya/diary/200704010000/

空沢山を目指して



本日はオプショナル・ツアーの日。火打山北尾根の空沢山(からさわやま)から西飛山ダムへ降りるエキスパート(?)グループ16名に入れてもらう。シャルマン火打スキー場へ車で約20分。標高約300mを車で登って標高500m。ドビャ-ンと正面に立ちはだかるようにV字型のコースが伸びていた。右側のクワット1本で約500mを上り、山頂に着く。気温は10度で暖かい。



13:10、668mのピークの手前で一休みした。枯れたブナの木があり、Tさんは茸に詳しいのか、「舞茸ができそうだ」と、つぶやいていた。そこから左に行くとクロ沢で、斜面を自然に下っていくとそちらに引きずり込まれそうだった。しかし、前日の下見で、クロ沢は水量が多く、渉れそうなポイントがないと判断され、右側の能生川(のおがわ)へ降りた。偵察に多謝、感謝。最後は結構、横滑りで標高を下げて行った。

能生川の川原

13:35頃、河原に降り立った。Sリーダーが、板をザックにつけるようと言った。水量は多く、瀬は勢いよく流れていた。“一体どこを渡渉するのじゃ?”と、不安げに、あちこちを見回す。しかし、幸い、その瀬を渡るのではなかった。河原を左に巻いていくと、突如、前方に100mを越す巨大なコンクリの壁が立ちはだかった。河原は西飛山ダムの底で、壁はダムの堰堤だったのだ。水が貯留していない枯れダムで、能生川とクロ沢が堰堤下の穴に流れ込んでいた。生きていないダム底には戦場跡のような、荒廃した雰囲気が漂っていた(自然破壊以外の何であろうか?!)。壁の基部近くまで行って渡渉した。水かさは足首程度だった。堰堤の左には壁沿いに階段状の道(仕事道?)がついていた。そのドロだらけのびちょびちょの道を攀じ登った。14:05、堰堤の上に出て、一休みした。お稲荷さんを持っていたのを思い出してほおばった。そこから50m位登り、林道に出た。
林道合成

沢を横切る所で一カ所悪い所があり、補助ロープがあった。その後はほとんど水平な林道を、シールを貼った板を履いたままひたすら歩いた。沢を横切る所で雪が切れており、板を頻繁にはずして手に持って渡った。15:10、Sリーダーが嬉しそうに、「ここからシールをはずして下さい」といった。そこからは舗装道路だったのだろう。滑ることができて、ほんの数分で道路に出た。通りかかった車から人が降りてきて、さかんにルートの状況を聞かれた。



474とはずがたり:2019/09/07(土) 23:13:38
<上野城・芭蕉翁記念館・忍者博物館>
川崎二郎が強い不愉快な土地柄であるけど上野城の天守閣登ったら川崎克とかが天守閣の再建に尽力したとかで伊賀土民どもの民度の低さには辟易。何時迄も有り難がってんじゃねーよ,阿呆どもめが。
芭蕉翁記念館はまあ古くて狭かったがまあまあだった。忍者博物館もまあ面白かった。ただこんな阿呆どもの住む伊賀にカネを落としたのが残念でならなかった。。
崖を降りて帰ろうとするもまあ泣いて反対するので諦めて回り道してちゃんとした道を通って帰る。まあ阿呆は伊賀の市民の方々ではなく俺である様だw

<三田坂>
本日走破してきた。我が壬生野往還の最弱点は壬生野ICの信号待ちの長さなんだけど,此処へ取り付くには伊賀一之宮IC辺りから降りれば良いので,高速度の名阪国道を数km余分に走れるメリットがある。

という事で壬生野往還が三田坂往還に変更できるかも位の熱い眼差しで注目してたんだけど,結論から言うと矢張り無駄な公共工事の誹りは免れないのではないかという事である。まあそこそこ走ってたけど,一之宮方面からのポテンシャルを全然感じさせない・・・。

R163のBP群(東端が島ヶ原BP)と三田坂BPと名阪伊賀一之宮IC辺りが有機的に繋がると面白いんだけど

●R422三田坂バイパス
http://www.pref.mie.lg.jp/TOPICS/m0039500022.htm

一般国道422号三田坂バイパスが全線開通します
 一般国道422号は、滋賀県大津市を起点に伊賀市内を南北に縦断する路線ですが、急峻な山間部である伊賀市諏訪から三田までの区間は、道幅が狭く、急カーブ・急勾配の箇所が多いことから普通車がすれ違うことも困難な未改良区間となっています。また、雨量規制区間であるため、大雨時には地域住民の生活に支障をきたしています。
 これらを解消し、地域住民の安全・安心な暮らしを支えるとともに、地域間交流を促進することを目的に整備を進めてきた一般国道422号三田坂バイパスが2月25日(日)に全線開通します。

1 開通日時  平成30年2月25日(日)16時(予定)

<諏訪〜西高倉>

この区間は伊賀コリドールロードに指定されている。

●伊賀コリドール
http://www.pref.mie.lg.jp/MURAS/HP/37112025362.htm

伊賀地区を環状で結ぶ農道である。2車線道路。

今回は走らなかったが,というか急遽多羅尾方面へ曲がった,諏訪〜丸柱はR422と平行しているが此処は二重投資しないやろうねえ。。
東側は上柘植IC以南の道路だそうな。

<御斎(おとき)峠>
家康が本能寺の変の時,堺から命からがら領国に逃げ帰った時に信楽の方から通ったのが御斎峠だそうである。(丸柱の方を通ったという説もあるそうな。)
マップルの地図では滋賀・三重・奈良ともに御「斉」峠となっている。

●県道138号信楽上野線
https://yamaiga.com/mini/233/main.html
多羅尾側の異常区間はよっきもレポしているが,この峠から三重側の区間はあんま見ない。
ゼンリン切って地図的に無能になったグーグルは掛川川根線同様にこの区間を県道扱いしてしてけつかる。
まあ向こうと違ってこちらは舗装された立派な通り抜け道路で,実際にタラオCCやそれに併設された信楽温泉からの帰途と思われるクルマと頻繁にすれ違う。R422の指定はこっちだったのではないかと思わざるを得ない。その場合三田坂PBみたいな長大な御斎トンネル掘るという寄りは頂上付近にあるタラオCCへのアクセスを便利にする感じになったのかも知れない。

<多羅尾>

多羅尾は交通の要衝であるのがこの県道標でお判り頂けると思う。先日はr5からGパーク信楽GCへ抜けようとしたが道が解らなかったが抜けられたら多羅尾に出た筈である。まあ錯綜しているように見えるけど結局平行する2本の県道で信楽と多羅尾は結ばれてるだけなのだが,まあ滋賀の甲賀のどん詰まりにしてはまあ恵まれている。というのも基本どの聚落にも県道の1本や2本通ってるのが日本ってやつなのだが,この先の童仙房はそうではないからである。
https://www.google.co.jp/maps/@34.8135746,136.0389645,3a,37.5y,178.99h,105.57t/data=!3m9!1e1!3m7!1sUUsqvqrenKLkh2kz5J6pdw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

多羅尾のどん詰まりにこんな表示が。
https://www.google.co.jp/maps/@34.8099672,136.0338823,3a,37.5y,274.78h,81.49t/data=!3m9!1e1!3m7!1sD-2vpfi4UEPAY91sE0UOEw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44
島ヶ原・野殿(知らん)・笠置に出るか大河原に出るかの選択である様だが,R163の走行区間を成る可く減らすのが今回の目標であるので,信楽の方へ抜けるという三田坂を選択した当初からの計画が此処で正式に抛棄されることになるが先ほどの要衝で信楽へ向かう県道を選択しなかった時点で確定的であった。前回の帰省時に通り損ねた童仙房が目標となったのである。

475とはずがたり:2019/09/08(日) 09:43:12
>>474
<多羅尾〜島ヶ原>

さて,島ヶ原であるが,実は多羅尾からはまっすぐ南側にある。
しかし(三重県伊賀市内の)島ヶ原への道路はグーグルなので怪しいけど林道多羅尾線と云って(京都府)南山城村の方へ抜けて,そこで三国越林道ぶつかって終わりその三国越林道が結ぶ野殿方面と島ヶ原方面へ岐れるのである(であるから,南山城村の中心の大河原へは直結しない。)
此処は今回通らなかったので地図で確認する所,である。
https://www.google.co.jp/maps/@34.7937116,136.019298,3a,75y,222.8h,102.68t/data=!3m10!1e1!3m8!1sYzP834_DTwBFKQ6wPorFEg!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DYzP834_DTwBFKQ6wPorFEg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D83.798584%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44

上野=島ヶ原…多羅尾:道無し(島ヶ原迄はR163)
上野─御斎─多羅尾─信楽:一部指定無し
上野=三田坂─丸柱─信楽:R422指定大改良済

各峠の扱いの違いに一寸ここが可哀想だが,島ヶ原からは実は真北にr305という観菩提寺線が延びている。
この珍しい300番台の三重県道であるが,多羅尾迄伸ばして行き止まり県道の滋賀r334と一体化したりすれば面白いのにぃ。。

<多羅尾〜野殿〜童仙房>
さて,童仙房方面へ向かうといきなり道が狭小。。舗装はされているがすれ違いは出来ない幅員。おいおいと思いながらも進んでいく。

かなり進んで,峠下で未舗装の分岐を岐けて(マップルでは点線で野殿の方へ繋がってた。点線は車道に適さない道路である筈だが,この程度の未舗装なら攻略可能っぽいな・・)峠をやっと越える。

峠を越えると茶畑が現れ極小さな聚落が現れた。道も広くなる。おお,下界へ出たか!と思ったが,凄い勢いで道が塞がれていて再び狭くなった。童仙房の小字で牛場というらしい。
https://map.yahoo.co.jp/maps?cond=lat%3A34.81156300%3Blon%3A136.03602691%3Bac%3A25209%3Baz%3A54%3Bz%3A16%3Bfa%3Apa%3Bei%3AUTF-8%3Bp%3A%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E7%94%B2%E8%B3%80%E5%B8%82%E4%BF%A1%E6%A5%BD%E7%94%BA%E5%A4%9A%E7%BE%85%E5%B0%BE%3Bdatum%3Awgs%3Bs%3A1450007807fd009e0d0fedd3b3a819e399db74cc10%3Blayer%3Apa%3Bplacegenre%3Aaddress%3Bopacity%3A0.25%3BclassName%3Ayolp-tilelayer%3B&amp;
道は狭くなって,一寸した峠を越えると太陽光発電所等がありまた一寸だけ広くなっている。南山城村がこんなとこを一寸だけ拡幅しようとした意図は不明である。どっかの時点でカネが余ったのだろうか?

牛場の小字,小さな峠の手前は同じ木津川水系ではあるけど,南山城村の大半とは違って和束川の支流へ流れ込む様だ。不動の滝というのもがあるらしい。クルマで行けるとあるがどこから20分もあるけばいいのかね??無料とは云え水曜日のみ運行のバスとは。。

【野殿・童仙房】スポット紹介 不動の滝
http://www.vill.minamiyamashiro.lg.jp/contents_detail.php?frmId=714
南山城村役場から不動の滝周辺まで車で約15分
コミュニティバス(毎週水曜日運行・無料)『簀子橋』乗降口から不動の滝周辺まで徒歩約20分

バスの時刻表が変わります
http://www.vill.minamiyamashiro.lg.jp/contents_detail.php?co=ser&amp;frmId=1538
大河原コミュニティバス
大河原コミュニティバス時刻表
高山大河原線村営バス

更に行くと三叉路に出る。山側には高麗寺へ行くらしい。ハングルも併記されているので本当に韓国・朝鮮系のお寺らしい。
調べてみるとホムペもあった。

●高麗寺

仙の森へおいで!! 高麗寺 日本にある韓国の総本山
http://souraku.net/forest/kourai_temple/index.html
…1978年(昭和53年)に、本堂ができました。 高麗寺は、日本に住む韓国人、または在日二世の心のよりどころとして開かれました。

 なぜ童仙房で? 以前、管長に聞いた話ですが、奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院があったと韓国の文献に記されているそうです。そのことは、日本の文献には記されていません。管長はその歴史をたどって場所を探し、奈良から北東に当たる童仙房へ行き着いたのだということです。…

この仙の森というホムペ内の地図に拠ると童仙房の9番が小字牛場辺りにも見える。
http://souraku.net/forest/map/pdf/dosenbo_map.pdf

476とはずがたり:2019/09/08(日) 09:48:40
>>475
暫く行くとまた分岐。順路はR163へ出るらしい。上の地図に拠るとこれは野殿道というようだ。
ここは一時的に童仙房から野殿に入るらしい。
現地を走っていた時はほぼ地図を参照せず盲滅法で走っていたのでR163走行を成る可く減らすという観点からこっちの太い方を忌避。

暫く進み,三叉路を曲がり(右折は行き止まりとあったが地図で確認するとその通りであった。あと少しで和束町の湯船へ抜けられそうなんだけど),暫く進むと廃小学校等が現れやっと童仙房の中心部が近くなってきた様である。

廃小学校は時計が8時で止まっていて一寸不気味な印象。だが帰って調べてみると活用されてるようだ。

●野殿童仙房生涯学習推進委員会
http://souraku.net/manabi/about/aim.html
Q1 京都大学大学院教育学研究科が野殿・童仙房地区で生涯学習の研究と実践を始めた経緯を教えてください。

A1 概要は、2006-7年の「活動一覧」として図表にしておきましたから、そちらをご覧ください。まったくの偶然が重なったとしか言いようのない出会いから出発しましたが、研究フィールドを探していた大学と地域の将来について危機感を持っていた地域双方の想いが合致してここまで来られたのだと思います。

Q2 具体的にはどのようなことでしょう。

A2 京都府相楽郡南山城村の旧野殿童仙房小学校が平成18年3月末で閉校になりました。この旧小学校を拠点としながら新しい教育空間を作ることを目指して活動を始めました。川崎良孝教育学研究科長と中村富士雄野殿区長、西村秀俊童仙房区長が生涯教育に関する協定に調印したのは、2006年6月23日のことです。

Q4 地域の歴史を教えてください。

A4 野殿は古くからある土地ですが、反対に童仙房は明治時代に拓かれた開拓村です。1969(昭和44)年に童仙房開拓百周年を迎えました。今なお開拓の気風が残っており、京大との提携を明治時代の開拓、戦後の開拓についで、第三次開拓の時代にしようと意気込む地域住民もいるほどです。

という事で気になってる童仙房だが明治期の開拓で出来た新しい村だと云う事が一旦判明,しかし明らかにその辺の地名とは違う地名にそれだけで終わる訳も無く,調べてみるとなかなか面白い。この高麗寺の由来となっている日本の文献には記されていない,韓国の文献に記されているという奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院ってのはこの土千房ちゃうの??平安京の比叡山的なものが早良親王の祟りだから平安時代になると直ぐに燃やされてしまって大寺院として残ってないから全て散逸してしまったのか?

南山城村の歴史(童仙房)
https://kyoto-mura.jp/village/history-dosenbo/

古代の伝説(地名の由来)
6世紀の終わりごろ、奈良に平城京ができるより100年あまりも前のこと。飛鳥の地に日本で初めての本格的な寺院ができました。現在の元興寺(奈良市)の前身で、法興寺といい、現在は飛鳥寺とよばれています。

その落慶式のおり、現在の井手町あたりに住む人たちも参詣し、その場で仏法伝受を受け、僧となりました。その1人が、自分もいつか立派な寺を建てたいものだと願い、それにふさわしい地を訪ね歩きました。

現在の南山城村大河原へやってきて、宿に泊まりました。すると、北西の方向に金色の光が見えるではありませんか。夜が明け、北西の高台へ登ると、天から紫雲たなびき美しい童子が現れ、「あなたは、徳の高い僧です。私は帝釈天の使いです。ここに寺院をお建てなさい」と告げるやいなや、消えてしまいました。

これはありがたいお導きだと、この地に大きなお寺を建て、多くの僧が集まり、お堂が1000ほども作られ、「堂千房」転じて「土千房」と呼ばれ、栄えました。

200年の時がうつり、世は平安京となりました。都のお公卿さん、藤原是公がたびたび土千房を訪れ、地元の早瀬女という女との間に男の子をもうけました。都では、無実の罪で処刑された早良親王をおとしいれたのが、藤原是公たちだと噂され、早良親王の祟りを怖れていましたが、その子がここにいる、ということで、村の人たちは怖れおののき、承和10(843)年12月7日朝に村人たちが集まって、土千房へ火を放ち、大伽藍坊舎とも、ことごとく焼き払いました。

その後は歴史の空白

この伝説は古文書に記されたものですが、真偽のほどはわかりません。明治の開拓時に瓦が多数出てきたとの記録もありますが、この伝説との関係は不明です。

童仙房に関して、江戸時代に入るまで、歴史は何も残っていません。歴史の空白地帯です。

477とはずがたり:2019/09/08(日) 17:22:52
>>474-477
南山城村の歴史(童仙房)の続き(>>476)

江戸時代の領土争い

確認できる歴史に童仙房が登場するのは、江戸時代に入ってからです。
江戸時代には、柳生藩、藤堂藩、御料が、童仙房地の所領を主張して争い、正徳4(1714)年、京都町奉行所の法廷に持ち込まれ、いずれにも属さない土地、すなわち空白地帯とされました。

明治の開拓
明治に入り、廃藩置県後、童仙房は京都府に組み込まれました。

明治2(1869)年、京都府は、童仙房の開拓を府の官営事業として行うことを決めました。官吏・市川義方を開拓責任者とし、労働者を雇用して、道路をつくり、荒れ地を開墾し、住居(三軒長屋)をつくりました。まったくの未墾の地に入植させたのではなく、ある程度まで住居や農地を用意してから入植者を募りました。

明治4(1871)年6月、開拓が完成し、162戸、560人が居住したと報告されました。これをもって、童仙房村が成立しました。

明治5(1872)年には、京都府支庁が童仙房へ移されましたが、交通の便の悪さが支障となり、7年後には童仙房支庁が廃止されました。この間、役所の他、警察署や郵便局も童仙房に置かれ、にぎわいを見せました。…大規模に開拓され、一時期、文化の中心地として繁栄したものの、童仙房支庁廃止後は、純農村となり、最盛期には200戸余りだった住民が減少の一途をたどりました。

過去探訪以上。

<童仙房〜杣田〜木屋>
不愉快な安藤のポスター等が現れる。此処で四通八通している
https://www.google.co.jp/maps/@34.7996937,135.9751292,3a,75y,290.33h,92.56t/data=!3m9!1e1!3m7!1sXLEdpHME5O-RnzjZdFSLYQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44

現地には看板が出てたけどどこがどうなってるのかさっぱり要領を得ない。。。

帰って来て色々な地図と凸合させてみてやっと把握出来たが,先ほどの仙の森のpdf(>>475)だと野殿道となっていた道路が,この看板だと大河原多羅尾線(村道名?)になっていてしかも通行止め,大河原道が大河原東和束線(村道名??)となっていて通行可能なようだ。
三国越林道の方が太く書かれているし,現地でも良さそうな道路だったが方向感覚がずれていた。兎に角野殿の中心を避けて一本北の細い道路を選択したってことのようだ。

ここからどこに向かうか迷ったが,基本は和束に出てr5木津信楽線に出るのが基本戦略である。当てずっぽうで童仙房の奥の方と思われる方へ向かう。子供なんて殆ど居ないんだろうなあと云いながら進んでくと自販機の処に女の子が立っていた。

その後,一寸した分岐はあるものの,順路っぽい道路を選択してずんずん進む。

帰宅後地図で確認すると横川沿いにR163に抜けられる道路があったようで,その道路は割とスムーズ(ヘアピンが少ない)っぽかった。一部の地図では一部破線となっていたが一度試してみたい。

兎も角,三国越林道の続きと思われる道路が続き,切山へ降りる道を分ける三叉路があり,尚も直進し山の中をくねくねと走るとr62宇治木屋線に至る。杣田から和束中心部更には井手へ抜けるのも手だったが,山道にお腹いっぱいになっていたのでr62を木屋に降りてR163に入って帰って来た。。

478とはずがたり:2019/09/11(水) 15:12:59
近年は新陳代謝が進んでいないんだな。。
>消滅時期は1960〜70年代に多く,10聚落。1980年代以降は減少し,2000年代以降に消滅した聚落はない。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/79/695/79_123/_pdf
兵庫県但馬地域の消滅集落における元住民による「通い」の実態 に関する研究
甲斐・柴田・澤木2014日本建築学会計画系論文集

但馬地域(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)の消滅聚落の状況:
・1960年以降14聚落
・消滅時期は1960〜70年代に多く,10聚落。1980年代以降は減少し,2000年代以降に消滅した聚落はない。
・いずれも行き止まり地形の末端聚落
・平均標高が133m

新温泉町(旧浜坂町) 鹿間 離散 1960年代
豊岡市(旧日高町) 金山 離散 1960年代
豊岡市(旧日高町) 海老原 離散 1960年代
香美町(旧香住町) 本見塚 離散 1960年代
香美町(旧美方町) 熱田 集団転出(9世帯) 1960年代
養父市(旧養父町) 熊野 離散 1970年代
香美町(旧美方町) 小長辿 集団転出(3世帯) 1970年代
新温泉町(旧浜坂町) 池ヶ平 集団転出(4世帯) 1970年代
養父市(旧大屋町) 岩井 離散 1970年代
養父市(旧大屋町) 古屋 離散 1970年代
新温泉町(旧浜坂町) 奥大味 離散 1980年代
新温泉町(旧浜坂町) 大滝 離散 1980年代
香美町(旧村岡町) 小城 集団転出(10世帯) 1980年代
香美町(旧美方町) 備 集団転出(6世帯)

479とはずがたり:2019/09/11(水) 15:16:49
>>478
新温泉町(旧浜坂町) 鹿間 離散 1960年代

(1960年) http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hamasaka_Shikama.html 製鉄錬用の炭焼き(1671年)→鉄山→鹿間山山論→裁判費用捻出で聚落弱体→鹿間川氾濫(1918年)→1960年最後の3世帯離村

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.31.50.250N35.36.25.792/zoom/8/この谷筋に流れるのが鹿間川らしい。

googleでは空白地帯。。→https://www.google.co.jp/maps/@35.6113706,134.5310848,15.5z

480とはずがたり:2019/09/11(水) 15:22:41
>>479

新温泉町歴史文化遺産活用計画
http://sinonsen.core.hi5.jp/keikaku/rekishibunkaisan.pdf
【主な歴史文化遺産】
鹿間たたら場新温泉町鹿間寛文11年(1671)〜元禄13年(1700)

https://www.town.shinonsen.hyogo.jp/shinonsen/rekisi/nenpyou2.pdf
歴史年表
1958昭和33年514藤尾〜鹿間林道完成

481とはずがたり:2019/09/11(水) 15:37:10
>>478

兵庫県豊岡市(旧日高町)金山 (その3)
http://heyaneko.jugem.jp/?eid=762
2017.01.10 Tuesday 06:21

兵庫県但馬の廃村、金山(きんざん)への旅、
三方小学校金山分校は,へき地等級4級,児童数6名(S.34),昭和32年開校,昭和37年閉校。

散策情報[cn234] 金山廃村
http://youtampou.sakura.ne.jp/course/cn234/index.html
金鉱石を手堀りしていた
昭和37年(1962)に最後の一軒が離村

http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hidaka_Kinzan.html
阿瀬(あせ)川の上流
若林方面への分岐付近(金山口)より集落の跡まで断続的に水田の跡が続いており、かなりの面積を有する。
戦前は10軒。すべてが炭焼きで生計を立てていた。終戦後は7軒
昭和30年には関西電力から発電所を造るという話があり、実現→下記に拠ると増強(S31)の様だ
昭和32年、三方小学校金山分校が開校。
昭和37年、1戸6人だけが残る。1家族だけでは冬は越せず、離村を決意

関西電力株式会社 阿瀬発電所
http://www.suiryoku.com/gallery/hyogo/ase/ase.html
大正 2(1913)年12月  :運用開始 阿瀬川水力電氣[運開]
昭和31(1956)年 8月  :出力増加(2100kW)

阿瀬発電所
https://www.google.com/maps/place/%E9%98%BF%E7%80%AC%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80/@35.4552411,134.6722474,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x256955b41ffead07!8m2!3d35.453633!4d134.677011

482とはずがたり:2019/09/11(水) 15:50:26
>>478

但馬妙見山、木の重さと山の斜度からできる力だけで運搬する弾丸列車
http://mtrykore.no-ip.biz/110925/110925.html

豊岡市日高町海老原
https://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.43397490&amp;lon=134.67058288&amp;ac=28209&amp;az=257&amp;z=16&amp;fa=pa&amp;ei=utf8&amp;p=%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E8%B1%8A%E5%B2%A1%E5%B8%82%E6%97%A5%E9%AB%98%E7%94%BA%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%8E%9F

海老原
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.40.24.750N35.25.52.986/zoom/8/

海老原(えびわら・えびはら)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hidaka_Ebiwara.html
最近の地図では観音寺川沿いの道は破線になっているが、だいぶ奥まで自動車で行くことができる。
観音寺の方の話では、覚えている範囲で2軒(昭和40年くらい?)。冬は家族で下に降りて暮らしていたという。
 町史によると、「海老原村」明治7年7戸25人。
 「角川」によると大字海老原は近世の気多郡海老原村。明治22年三方村(のち日高町)の大字となる。明治24年5戸男13・女13、大正9年4戸34人、昭和元年3戸22人。「現在(※刊行当時→wikiに拠ると1988?)残る1戸は冬に村を下りる生活となった」とある。

>>478だと1960年代には消滅となってるけど季節的に済んでるのは無住扱い?

483とはずがたり:2019/09/11(水) 16:01:06
>>478

兵庫県美方郡香美町香住区本見塚(もとみづか)
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92669-6421+%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E6%96%B9%E9%83%A1%E9%A6%99%E7%BE%8E%E7%94%BA%E9%A6%99%E4%BD%8F%E5%8C%BA%E6%9C%AC%E8%A6%8B%E5%A1%9A/data=!4m2!3m1!1s0x5fffceb0a0252b31:0xbd21b449bbe488c6?sa=X&amp;ved=2ahUKEwjk6IWKl8jkAhUuGKYKHQfYCNAQ8gEwAHoECAoQAQ

人口統計ラボ
https://toukei-labo.com/2010/?tdfk=28&amp;city=28585&amp;id=38
人口総数1 世帯総数1

香美町森林研究基盤
http://www.forest.research.kamicho.jp/places/kasumi/motomizuka/
本見塚
本村、少し北側へ、カヤノ(とは註:これも地名)がある。現在、カヤノへ建物が数軒残り、道路も舗装されているが、本村へは、砂利道しかない。178号線の旧道沿いに本村への入口があり、林を抜けていくと到着するが、木々は整備されてきれいなものである。道の悪いところもあるが、作業道としては上等なものだ。

山を抜けると、本村へ到達するが、電柱が行くのと、大きな鉄塔も通過している。時折、保守のために、関西電力も山を整備しているのだろう。谷間に一大文明が築き上げられているようで、不思議な空間といった趣だ。小さな堰堤がいくつも設けられていて、水路も縫うように整備されている。

本村は無住村だが、手入れのされた建物もある。崩れた建物もあるが、早くから立ち退いたのか、民家と思わしき場所は、きれいに片付いていた。五輪塔や墓が残っている場所もある。村を行く谷は、道の崩れているところもあって、カヤノへ行く道が消えそうになっている。

地図
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.42.14.250N35.36.20.139/zoom/8/

484荷主研究者:2019/09/23(月) 15:17:05

https://this.kiji.is/541442940543730785?c=388701204576175201
2019/9/3 09:00 (JST) c株式会社東奥日報社
「日本一悪い山道」南八甲田登山道/登山客増へ国・連絡会が本格整備/標識や柵設置準備、刈り払い実施

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too01.JPG
幻の県道と呼ばれる南八甲田登山道。石が積まれ、観光道路として整備された面影を残す=7月

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too02.JPG
環境省が猿倉温泉の登山口に昨冬設置した総合案内板=7月

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too03.JPG
http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too04.JPG

 北八甲田や十和田湖周辺の雄大な山々の眺望を満喫できる環境にありながら、悪路により登山者から「日本一悪い山道」と称される南八甲田登山道。事態の改善に向け、環境省や青森県内の山岳団体で組織する「南八甲田登山道管理連絡会」が、やぶ化が進んだ登山道の整備を本格化させている。月内にも、15年近く未整備だった櫛ケ峰分岐から山頂(標高1517メートル)までの登山道確保に、新たに着手。登山客増加につなげていく考えだ。

 南八甲田登山道は、猿倉温泉と十和田湖御鼻部山を結ぶ旧県道(延長24.5キロ)。十和田八幡平が国立公園に指定される3年前の1933(昭和8)年、県が、凶作続きで窮乏する農業者を救済するため、観光バスが走る観光道路として着工し、石垣を築くなど整備を進めた。しかし、豪雨で橋などが流されるなど致命的な被害を受け、36(同11)年に廃道となった。

 同登山道に詳しい十和田山岳振興協議会理事の横浜愼一氏によると、その後、人の手が入らない自然環境を保つ南八甲田エリアで高山植物の盗掘が相次ぎ、登山道整備を巡って自然保護団体と山岳愛好者、山岳団体の間で対立が激化。長期化したことで手つかずの状態が続いたという。このころには、登山道での無断伐採が問題化した。

 2017年3月に発足した南八甲田登山道管理連絡会は、この年から猿倉温泉-櫛ケ峰間の約10キロ区間で毎年ササの刈り払い作業を実施。さらに環境省は昨冬、入山者の利便性アップを図るため、猿倉温泉の登山口に、中国語や韓国語など4カ国表記の総合案内板を設置した。

 同省は現在、登山道に標識や立ち入り禁止柵、木道を設置することなどを盛り込んだ再整備工事を計画、準備を進めている。9月中旬以降には、連絡会の有志が櫛ケ峰山頂までの刈り払いを実施する予定だ。

 同省の調査によると、18年度(7〜10月)の南八甲田の入山者数(猿倉温泉矢櫃(やびつ)橋側)は、前年度より178人多い725人。

 南八甲田の魅力について横浜氏は「シラタマソウの群生や、刈り払いして日当たりが良くなったことで登山道脇に白いショウジョウバカマといった花が見られるようになった。北八甲田にない花があり、ロングコースで(登山道が持つ)歴史をたどることができる」と説明。「海外のように立ち入りできない場所を厳重に規制するなど管理をし、環境保護の観点も忘れない登山道を目指していく必要があるだろう」と話した。

485荷主研究者:2019/09/29(日) 20:26:46

https://www.sakigake.jp/news/article/20190922AK0001/
2019年9月22日 秋田魁新報
土砂崩落事故から6年…鳥海グリーンライン1日開通

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922akita01.JPG
来月1日に6年ぶりに開通する鳥海グリーンライン=今月10日

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922akita02.JPG

 2013年11月に5人が犠牲となった土砂崩落により、一部通行止めとなっている秋田県由利本荘市矢島町の市道猿倉花立線(鳥海グリーンライン)が、10月1日に開通する。事故から6年。同じ悲劇を繰り返さないよう復旧工法を吟味し、排水処理にも万全を期した。市が「重要な観光道路」と位置付ける路線の開通を受け、客足が鈍っていた周辺の観光施設も期待を寄せている。

 事故は13年11月21日、市道の復旧工事現場で発生。工事を請け負った山科建設(同市)の作業員5人が土砂に巻き込まれ犠牲となった。

 亡くなった男性作業員=当時(57)=の妻(61)は毎年、11月21日に現場へ足を運び、夫の冥福を祈る。近づく復旧を受け、「不便な状態が解消されることは喜ばしいが、事故が忘れられるのは嫌。道路を通る時には、あれだけ悲惨な事故があった場所なんだということを思い出してほしい」と語った。

 現場は事故後2年間にわたり、県警の捜査のため立ち入りが規制。膨大な復旧費の財源にめどが立たなかったこともあり、6年もの間、約1・5キロの区間が通行止めとなっていた。

 市は16年度から復旧に向け動きだした。専門家も交えて協議を重ね、盛り土による復旧に着手。崩れた土砂とのり面に残った盛り土の撤去作業を17年9月に始め、約2万3600立方メートルの土砂を運び出し、固化剤を混ぜて崩れにくくした上で盛り土をした。

 事故は雪解け水と大雨により、盛り土内の地下水位が急速に上昇したことによって起きたと推察されており、復旧工事では専門家の指摘を踏まえ、排水処理も徹底。盛り土内に水を入り込ませず、入り込んでも外に排出されるように工夫した。

 市建設部によると、総事業費は約5億2900万円。うち約2億7千万円は国からの交付金を充てた。

 10月1日は午前10時から現地で「竣工(しゅんこう)安全祈願」を行う。市や業者の関係者約50人が参加予定。一般車両の通行は正午ごろから。同部は「道路管理者としては6年もの間、開通できず申し訳なかったが、ようやく復旧する。開通を多くの人に周知したい」としている。

486荷主研究者:2019/09/29(日) 20:28:35

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201909/20190922_73025.html
2019年09月22日日曜日 河北新報
国道46号の仙岩トンネルで事故多発 狭い道幅「運転するのが怖い」

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922kahoku01.JPG
国道46号仙岩トンネルの秋田側出入り口。7月以降事故が多発している(画像の一部を加工しています)

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922kahoku02.JPG

 盛岡、秋田両市を結ぶ国道46号の仙岩トンネル(約2.5キロ、岩手県雫石町-秋田県仙北市)で通行規制を伴う交通事故が続いている。2015〜18年度は計1件にとどまっていたが、本年度は7月以降だけで4件となった。トンネルを巡っては現在、国が新設、拡幅を視野に技術的な検討を行っている。車道の狭さが事故を誘発した可能性もあり、早期の改善を求める声が高まりそうだ。

 直近の事故は今月15日午後5時ごろに発生。一関市の50代男性の乗用車が中央線をはみ出し、対向車と正面衝突。対向車の50代女性が左腕の骨を折る大けがをした。トンネルは約1時間半通行が止められ、仙岩峠は3連休の中日に大渋滞となった。

 7月4、25日、8月20日にも交通事故による一時通行止めがあった。いずれも無理な追い越しやはみ出しが原因とみられている。続発する事故に、仙北署の担当者は「道路環境が例年と変わった点はないのに…」と首をかしげる。

 トンネルの完成は1976年。片側1車線で車道の幅は3メートルにとどまり、路肩の余裕も乏しい。近年は幅が3.5メートルの道路も珍しくないこともあり、関係者からは40年以上変わらない車道幅の狭さを不安視する声が上がっていた。

 46号は地域高規格道路盛岡秋田道路に指定されているものの、仙岩峠区間の整備は具体化していない。管理する東北地方整備局は仙岩トンネルの事故や災害のデータを収集。整備に向け、費用対効果を数値で示すための準備を進める。

 新トンネルの整備について道路計画1課の小笠原清建設専門官は「仙岩峠の図面に線を引き、事務的な検討はしている」と説明。トンネル断面を拡幅する工事も技術的に可能という。

 地元自治体は46号への新たなトンネル整備を望んでいる。仙北市の橋本定美建設課長は「市民からは『狭くて運転するのが怖い』という声を聞く。高規格のトンネルが必要だ」と話した。

487荷主研究者:2019/09/29(日) 23:48:00

『釜トンネル 上高地の昭和・平成史』信濃毎日新聞社、2017年発行

 ジュンク堂書店大阪本店の地域史コーナーで、偶然発見し即購入。2001年に出版された『釜トンネル 上高地の昭和史』を底本に、再編集と補筆、修正等を加えて復刊とのこと。

 「復刊にあたって」によると、『釜トンネル 上高地の昭和史』は絶版になっていたが、〝研究者やテレビ製作者らから内容の問い合わせを受け〟とあり、ヨッキれんもその一人なのかもしれない。

 269ページに及ぶ本の内容は釜トンに留まらず濃い話ばかりで、興味深い写真も数多く、ヨッキによる釜トンの記事を楽しく読んだ方は、必読の本と言えそう。

488とはずがたり:2019/10/27(日) 20:21:21
https://twitter.com/yokkiren/status/1187574979430240257
ヨッキれん/平沼義之
@yokkiren
昭和49年版の塔文社デラックス東北道路地図帖では、関越自動車道の予定線が、清水峠ではなく、三国峠を越えている。一方、上越新幹線の予定線は、実現した清水峠ルートで描かれている。

489とはずがたり:2019/11/04(月) 10:31:40

昨日通った。
なんだこの狭隘というか奇妙な三重県道r428のルート取りは。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.40.44.915N34.30.7.539/zoom/9/

490とはずがたり:2019/11/08(金) 13:22:03
流石この先危険なグンマーhttps://www.google.com/search?q=%E3%81%93%E3%81%AE%E5%85%88%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E3%80%80%E7%9C%8C%E5%A2%83&amp;client=firefox-b-d&amp;sxsrf=ACYBGNTkLHqpXoOnMFrjeauzOQ4m4u4rIA:1573186823034&amp;source=lnms&amp;tbm=isch&amp;sa=X&amp;ved=0ahUKEwjO-oHO4dnlAhWtIqYKHdcIBwMQ_AUIESgB&amp;biw=1280&amp;bih=585,三途の川だって流れているww

三途の川、群馬に流れていた 知らずに行き交う1万人超
https://www.asahi.com/articles/ASM7J3DKMM7JUEHF003.html?
有料会員限定記事
山崎輝史 2019年7月16日14時30分

 この世とあの世を隔てる三途川――というのは信仰が生み出す世界観の話。だが、現世の群馬県には本物の「三途川」が流れている。地味な小川だが、国道や鉄道が横断し、日々生者が行き来する。まだ死にたくないが、一足先に見学した。

 県南西部の甘楽(かんら)町に三途川は流れている。国道254号沿いの地域だ。かつての中山道の脇往還沿いと呼んだ方がなんとなくしっくりする。

 国道の橋のたもとに「姥子(うばご)堂」が建っている。管理する近くの宝勝寺の厳美節子(みよこ)さん(72)に開けてもらい、中に入る。

 まつられるのは白髪の老婆の像…

491とはずがたり:2019/11/30(土) 23:12:47
寧楽キタ──(・∀・)──!!!
俺の福住上三橋線のレポもそれなりに力這入ってる心算なんだけど通り抜けはしていない。。よっきなら余裕でやってくれる筈だから楽しみである。

道路レポート 奈良県道187号福住上三橋線 不通区間
https://yamaiga.com/road/npr187/main.html

道路族
福住県道3兄弟
 r186福住矢田原線http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r186-000.html
 r187福住上三橋線http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r187-000.html
 r192横田福住線http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r192-000.html

492荷主研究者:2019/12/25(水) 22:59:35

https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=592303&amp;comment_sub_id=0&amp;category_id=112
2019/11/29 中国新聞
芦田川潜水橋2本復旧3本廃止へ

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20191129chugoku01.JPG
福山市が廃止を決めた御幸町の潜水橋の羽賀橋(2018年12月)

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20191129chugoku02.JPG

 福山市が西日本豪雨で損壊した芦田川に架かる5本の潜水橋(沈下橋)について、2本を復旧、3本を廃止・撤去すると決めたことが28日、分かった。潜水橋は地域の生活道の一方、国は災害時に川の流れを妨げる懸念があるとして原則廃止を市に求めていた。市は生活への影響などを踏まえて判断。国が同意したのを受け、地元説明を始めた。来秋にもそれぞれの橋について工事に入る方針でいる。

 潜水橋はコンクリート製で増水時に水面の下に沈む簡単な造り。市内に6本架かる。昨年7月の西日本豪雨ではうち5本(長さ約80〜200メートル、幅約1・8〜2・9メートル)で路面や橋脚などが損壊。通行止めの状態が続き、全ての橋について地元住民から復旧を求める要望書などが出ていた。

 市は豪雨後、橋を廃止した場合の生活への影響や橋が流れに及ぼす影響などを慎重に検討。下山守橋(駅家町)と近田橋(同)の2本を復旧、羽賀橋(御幸町)、谷橋(駅家町)、本泉寺橋(新市町)の3本の廃止・撤去を決めた。復旧はあくまで暫定的な対応との位置付けで、将来的に通常の橋への架け替えを視野に入れているとみられる。

 潜水橋について、国土交通省福山河川国道事務所は西日本豪雨で一時、芦田川で堤防が耐えるとされる最高水位(計画高水位)を上回った点を重要視。流れを妨げる構造物として復旧に消極的で、管理する市に在り方の検討を求めていた。

 市は今後、国との本格的な協議に入る。来年度、それぞれ5本の橋で測量設計を進め、出水期後の秋にも災害復旧事業として進める方針。廃止・撤去するエリアの利便性を高める方策も検討する。

 芦田川の潜水橋は府中市にも落合大橋と鴫谷橋の2本あり、いずれも豪雨で被災した。同市は「原形復旧は困難」とし、既に2本とも廃止・撤去すると決めている。(胡子洋)

493とはずがたり:2020/01/11(土) 20:09:06
なんと,よっき東京(日野)を撤収して秋田に引っ込んだらしい。。何故だ?!

http://yamaiga.com/mini/248/main2.html
これが関東を拠点に暮らした13年間最後の探索になったが(日野→秋田の引っ越しの道すがらに立ち寄った)、良い想い出になったのである。

494荷主研究者:2020/01/12(日) 16:40:05

https://www.sakigake.jp/news/article/20200110AK0038/
2020年1月10日 14時0分 秋田魁新報
これで生きる:廃道探検家・平沼義之さん 朽ちた道、探索に情熱

廃道の探索を続ける平沼さん=秋田市の仁別サイクリングロード

 近頃はスピードや効率性が何かと重視されるが、時代の潮流に流されず、自分が決めた道を歩む人もいる。令和の時代をどう生きていくのか。県内各地で、それぞれの生き方を見つめた。

 ◇  ◇

 利用されずに朽ち果てた道路を「廃道」と呼び、全国各地に足を運び続ける。「道がどのように築かれ、利用され、朽ちていったのか。歴史や変化を感じるのが好き」。秋田市の平沼義之さん(42)は、開設して20年のインターネットサイトに数多くのリポートを掲載し、アクセス数は累計4600万件を超える。

 リポートの魅力は、その場を探検しているかのような臨場感だ。道が途中で崩落したり、胸まで水に漬かったり、落石に見舞われたり。背丈より伸びた雑草をかき分けて進むこともあれば、夜の山中で孤立しかけたこともある。道半ばに終わった辺境の大型開発など、その土地の数奇な歩みも独自の視点で記録する。

 「何年も人の目に触れていない場所を探し当て、『自分だけが知っている』と思えることが楽しい。それを発表して喜ばれるのがうれしい」。とはいえ、危険に満ちた探索を最大の売りにはしない。現地での発見を一つのストーリーとしてまとめるのがスタイル。「そこに価値を置いて続けたい」

 千葉県松戸市出身。幼少期から旅行の目的地よりも、そこに至る道そのものに関心が向いた。小学6年で横浜市から潟上市に転居。休日は林道や山道をマウンテンバイクで駆け抜け、1日で250キロを走ることもあった。

 自らを「人見知りで集団生活の水は合わない」と言う。秋田高校で留年。秋田大を1年で中退し、アルバイト生活が一時期続いた。自転車で遠くを目指す非日常が心の隙間を満たしてくれた。「人間関係と違って自転車は成果が分かる。苦労した分だけ前に進んで、山頂の美しい景色なんかを見られるから」

 22歳になった1999年、インターネットで古い道路を題材にしたサイトと出合ったことが転機になった。「多くの人の役には立たないことを追究する内容に衝撃を受けた」と振り返る。廃道歩きに興味を深めつつあったこの頃、関連情報の少なさを感じていたこともあり、自ら情報発信しようと、サイト「山さ行がねが」を翌年に立ち上げた。

 廃道探索の幅を広げるため2007年に上京。全国の現場へアクセスしやすくなり、リポート内容が評判を高めていった。プロの廃道探検家として名が知られ、テレビ出演や本の執筆の声が掛かるようになった。

 昨年12月、12年ぶりに東京から秋田へ戻った。サイトの広告料収入などで生活できるめどが立ち、プロとして足場を固められたという思いがあったが、一番の理由は自らの原点への愛着だった。「秋田は居心地がいい。思索を巡らす環境としては最高」と話す。

 廃道について調べ、現地を探索し、リポートする。やるべきこと、やり続けたいことは拠点が変わっても変わらない。「社会的意義とかじゃなく、自分が楽しいからやっているだけ。秋田に根差し、魅力ある場所をもっと見つけたい」。道の先に何があるのか、心赴くままに調べ、発信していくつもりだ。

 【ひらぬま・よしゆき】77年生まれ、千葉県松戸市出身。著作に「国道?酷道!? 日本の道路120万キロ大研究」など。サイトのアドレスはhttps://yamaiga.com/

495とはずがたり:2020/02/11(火) 18:23:36
2/8(日)
まあのイトマンの後おでかけ。

大阪陸軍造兵廠の軍用側線を見に行く。

香里側線
行かなかったけど多分これ
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.40.12.124N34.46.0.859/zoom/9/

今もあれば香里ヶ丘の通勤輸送の役に立った筈。。

それは兎も角,R168のBPが中途半端に放置されている。
この辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.39.44.189N34.47.54.000/zoom/9/から山之上のICへ計画では繋がるけど,途中の用地買収などあって(この手の計画は土地区画整理で無料で土地が確保されないと着手されないと思われる・・),着工もされて無い模様。せめて天の川交叉点に天の川右岸の粗放な利用しかされてない土地を使って直結させれば右往左往するR168本線の大改善となる。2車線で良いので。

禁野側線
禁野という火薬庫にピッタリの地名。M30(1897)設置,S11(1936)秋に軍用側線設置とのこと。40年も線路無しにどうやって運んでたんだ?敗戦後も解体処理などにS27(1952)頃迄使われたそうな。

ここ,LPガス会社かなんかの敷地になっていたがはっきりと路盤跡の曲線沿いに駐車場として使われている土地が拡がっていた。その後の道路も知ってたけど道路跡とは知らんかった。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.42.6.328N34.48.7.224/zoom/9/

津田の2面4線の出来損ないみたいな駅構内はこいつの分岐駅の跡って事か?

いかんかったがこの辺迄延びてた。コマツや関西外大になってる。今もあれば枚方中心部(ちょい東にズレるが)と片町線を結ぶ通勤線となりえたのに。。当時は超鄙びた田舎だったのであろう。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.39.53.380N34.48.59.097/zoom/9/

川西側線
ここ,橋の撤去跡がはっきり残っていた。
此処は道路として活用して欲しいが(下狛駅前の狭い交叉点の救済に一寸役立ちそう)通勤路線として宅地開発しても良さそう♪
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.47.24.612N34.46.39.784/zoom/9/

496とはずがたり:2020/03/08(日) 10:15:14
昨日,息子とリベンジ。武田尾から名塩迄歩いて電車で帰ってきた。

中山第一トンネルには旧旧線があるようだった。よっき頼むw

それにしても整備されたとは書いてあったが昔は本当に鬱蒼としてたんだな。。

http://haisendream.web.fc2.com/fukuchiyamasen.html

497とはずがたり:2020/03/24(火) 20:52:33
本日,伝説の(氷結した坂で高田のS13立ち往生のシビック初ドライブ!その後の伊吹山の雲海など)関ヶ原明神の森にトライしようとするも入口でまさかの(いやまあ知ってたけど)通行止め。大学生の男3人なら貫通じゃんと一寸車止めどけて進むんだけどいい歳した社会人で息子づれとなると已む無く断念。折角この為にR307,南郷ICから名神経由で米原IC迄大枚2200円払って来たというのに。。

と云う事で,先ずは新垂井駅跡を探しに行く。
取り敢えず調べると垂井町大石に有ったとのことで大石を検索するとこの踏切辺りhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.30.50.824N35.23.16.690/zoom/9/,脇に安田病院とある,が怪しそう。r63を上がって取り敢えず線路脇に取り付いて進んでいく。

ここらhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.31.16.665N35.23.22.770/zoom/9/に変なコンクリートの遺物があったが例の待避線付き1面ホームの新垂井駅ではなさそう。

結局,川で遠回りしつつ,結局到達したのが将にその安田医院脇の踏切の脇が駅跡であった。
待避線は既に撤去されてホームが本線から離れて叢に埋もれていた。とはいえwikiに厳重に封がされていると云う程でも無かったけど,まあ天下の東海道本線に単線区間で下り貨物ぐらいしか走らないとは云え現役施設に立ち入って本線縦断するのは憚られて到達は断念。踏切付近から眺めて納得することにした。

それにしてもスマホで検索したネット地図にも出て無くて現地で気づいたのだが,ボロッボロの建物で農協の廃支所かと思ったがそれが安田病院であって,しかも未だ開業してるみたいで,しかも嘗ては新垂井駅前だったであろうバス停の名前が安田医院前であった。
運行業者は垂井町になってるらしいhttp://www.town.tarui.lg.jp/docs/2015012900086/files/jikoku.pdfが,嘗ての系統とは似ても似つかぬ形になってそうだから昔の新垂井駅前という表現は余り正しくないのかもしれない。。wikiには名阪近鉄バスが垂井と新垂井の駅間を運行していたらしい。

wikiには保線基地の側線有りとなっていたが駅は大石踏切(という名らしい)の東側なのに対して保線基地は西側にあるようだった。

さて一仕事終わったし掛川に向かいたい所だが消化不良は否めない。と云う事で西濃鉄道の跡地へ向かう事にした。

498とはずがたり:2020/03/24(火) 20:52:59
>>497-498
現地では全て忘れてて残されてたらラッキーぐらいの記憶であった。

r216を使ってのまずまずのアプローチ(byスキージャンプペアの茂木さん風w)。東海道線のガードをくぐると前を走っていた消石灰のタンクローリーが突如右折。一寸いぶかしいと思いながらもこちらは直進。

程なく昼飯駅跡に。前回来た時は廃貨車か休貨車が放置されてた印象だったががらんとした空き地になっていた。トラックの荷台を廃物利用した廃PCB倉庫がポツンと広場の中に造られており端の方に古い倉庫が残されていたけどすっかりなにも無くなっていた。

まあこんなもんかと一周した後にスイッチバックの大久保駅へ。因みに現地を回っていた時は昼飯線ってのは覚えてた(訓みはひるめしではない事は覚えてた程度ww)が駅名はどっちが昼飯駅かもまたもう一方の大久保駅の名前も失念していた。

大久保駅も線路は取り払われていて狭い空き地になっていた。此処も廃貨車がぎっしりであった記憶があるが,何も無くなってみると3本しか発着線のない狭い駅であった。ただホームは一つ残っていてホーム上の倉庫も未だ残っていて何かに使われているようであった。
しかしこのホームのお陰で脇の道路がとても狭く不便なので倉庫を駅跡に造って道路を拡幅する方が良さそうではあった。駅跡すら何時迄残ってるか心許ない感じであった。

さて,その超狭い道路を抜けて見ると,なんと地図上で金生山産業道路成る道路に出るではないか!さっきの消石灰トラックもこちらに回る為にあそこの交叉点で左折していったに違いない。どうろは確かに関連のダンプばかりで場違いってだけではなく部外者お断りで怒られかねない感じではあったが,宇部美祢並の(うそw)産業道路の存在にテンションあがる。美濃大久保駅もまあ産業道路直結のロケーションではあった訳だ。

という訳でそのまま乙女坂へ産業道路で抜けて後は市橋線に沿って北上。線路は光ってて使われてる感じはあったが如何せん貨車が一両もなくて感覚が鈍っていて使われてるかどうかの自信は湧いてこないw
そのまま北上すると先ず,線路の茶色と雑草が増えて明らかにさっきよりも使用レベルが低下しやっとさっきの所迄は使われてる事が自信が持ててくる。更に行くと線路が撤去され始めていて,廃墟のコンクリート製のホッパの跡等が現れる。写真を撮ったりして北上,これ以上は無さそうというとこ迄行って引き返す。

途中,赤坂本町付近? の踏切付近にいたおばちゃんに貨物列車どの位走ってますかと聞くと一日3往復とのこと。美濃赤坂駅もがらんとしてて貨車一台もいなかったが名古屋の方に出張ってる最中なのであろう。。

昼飯線の線路は未だ残っていた(けど踏切類は潰されていて廃止は確定的)ので何処迄残ってるのか辿ったら美濃大久保の手前の県道迄来たのでこの区間は殆ど残っていて,それ以遠は殆ど残ってないという感じの様子。

そのまま東海環状道の走りを大垣西ICから堪能しつつ(本当は新規に開通した大野神戸から乗りたいとこだったが赤坂迄出てしまうとちと遠かった)掛川まで帰ってきた。

帰宅後の机上調査に拠るとというかwikiに拠ると昼飯(ひるい)線の廃止は2006年で2015年位から線路の撤去が始まったそう。また西濃運輸は西濃鉄道とは全く無関係だそうな,何となく西濃鉄道の運輸部門が発展したかと勝手に思ってた。更に今は樽見鉄道が51%保有の筆頭株主の様だ。

499荷主研究者:2020/03/29(日) 17:10:13
日原には一度行ってみたいものだ。

https://toyokeizai.net/articles/-/339440
2020/03/29 5:40 東洋経済
東京にある「孤立集落」のあまりに厳しい現実
昨秋の台風で生活道路が崩落、復興作業続く

山田 稔 : ジャーナリスト

台風19号で大きな被害を受けた日原地区は今どうなっているのでしょうか。以下、写真はすべて3月中旬撮影(筆者撮影)

500とはずがたり:2020/04/01(水) 01:38:40
本日(日付変わって昨日)豊橋鉄道田口線跡探索
田口駅は酷い所にあるなあと思ったがこういう経緯だったか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E7%94%B0%E5%8F%A3%E9%A7%85

終点の三河田口駅の設置場所をめぐり問題が発生した。設立当時の田口鉄道は、宮内省が筆頭株主であった[6]。豊川の上流段戸山一帯には御料林があり、山林経営と御料木材の搬出に便宜を供するという条件で、宮内省は田口鉄道への出資を引き受けていた。この宮内省の希望と地元の希望が衝突し、終点の設置場所の選定に時間を要したのである[7]。

地元の希望は、田口の市街地への駅設置であった。この場合、清崎から田口市街地までの4.5kmで高低差約200mの勾配(1kmあたり44.4m、すなわち44.4‰)を登る必要があった。急勾配を回避するために迂回して路線の距離を伸ばす方法もあったが、多額の資金が必要で不可能であった。一方の宮内省は、段戸山から木材を搬出する森林鉄道の接続を重視しており、田口の街へ終点を置くと清崎まで森林鉄道を延長する必要があるため、豊川沿いへの駅設置を主張していた[7][8]。

清崎延伸から2年が経過した1932年(昭和7年)12月22日、三河田口駅は開業し、田口鉄道は全通した[9]。紆余曲折を経て駅が設置されたのは、豊川沿いの田尻であった。同地は森林鉄道の貯木場を設置するのに適した場所であった一方で、市街地から2.1kmの距離があり、その間には約150mの標高差が存在した[7]。

段戸御料林からの木材輸送については、駅の開業後2つの森林鉄道(通称:田口森林鉄道)が敷設された。まず1934年度(昭和9年度)に椹尾線、続いて1940年度(昭和15年度)に本谷線が開通した。この森林鉄道は軽便鉄道であり田口鉄道とは軌間が異なるため、駅には貯木場が設置され、ここで森林鉄道経由で搬出された木材を田口鉄道の貨車に積み替えていた。これらの森林鉄道は戦後、道路の整備と森林資源の枯渇により、本谷線が1960年度(昭和35年度)、椹尾線が1961年度(昭和36年度)に廃止されて消滅した[10][11]。このほかの貨物輸送については、戦後の1940年代後半から1950年代前半にかけて、津具金山の鉱石、段戸鉱山のマンガンも扱っていた[12]。

駅から離れた田口の市街地へは、当初は東三自動車運輸が連絡バスを運行した。1939年(昭和14年)11月21日より、この連絡バス路線を田口鉄道が譲り受け、直営としている。しかし太平洋戦争下のガソリン不足深刻化に伴い1944年(昭和19年)下半期に運行を中止、同年11月13日に正式に休止した[13]。戦後の1949年(昭和24年)1月、駅から市街地までのバスは運転を再開した。ただし田口鉄道直営ではなく尾三自動車の流れを汲む名古屋鉄道(名鉄)による運行で、1日3往復のみ、田口町を越えて稲武までの路線であった[14][15]。その後、東三自動車運輸の流れを汲む豊橋鉄道により、駅と市街地を結ぶ連絡バスが電車の発着時間にあわせて運行されるようになった[16]。

501とはずがたり:2020/04/03(金) 02:24:21
現地ではこの辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.33.50.112N34.58.51.493/zoom/9/を駅跡ではないかと推定したが,wikiの古航空写真だとこの辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.33.50.931N34.58.59.278/zoom/9/の様だ。

玖老勢駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%96%E8%80%81%E5%8B%A2%E9%A7%85

玖老勢駅(くろぜえき)は、愛知県新城市玖老勢にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の駅。南設楽郡鳳来寺村(1956年以降は鳳来町、現・新城市)にあった駅の一つである。

駅が置かれた玖老勢は、豊橋と長野県の飯田を結んだ伊那街道沿いの農山村で、鳳来寺村役場の所在地でもあった[3]。

1957年度の乗車人員は9万6千人(1日平均262人)で、そのうち6割にあたる5万8千人が定期乗車券での利用客であった。この乗車人員は田口線全11駅において、本長篠駅・鳳来寺駅・三河田口駅・三河海老駅に次いで5番目に多い[8]。

同年度における貨物取扱量は、発送が16,235トン、到着が227トンであった。田口線の貨物取扱駅7駅の中で、取扱量は本長篠駅に次いで2番目に多い[8]。駅で扱っていた貨物の中には、鳳来寺村の西隣にあたる作手村の岩波(現・新城市作手岩波)で産出された珪石もあった[9]。

502とはずがたり:2020/04/03(金) 23:54:13
鳳来寺駅

『鉄道線路跡を歩く』では1巻と云う事もあってか割とあっさりと1頁に収められてしまっている豊鉄田口線であるが,現地では見所満載であった。『歩く』一冊のみで事前知識なしでも現代のネット地図に残る痕跡を辿って推理すると色々見えてくる。

鳳来寺駅は県道32号を行くとそれらしい所に出る。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.34.25.963N34.57.53.810/zoom/9/

県道が一寸広くなっててバスベイのある鳳来寺というバス停があり,その後ろに広場(駐車場)がある。駅跡や駅舎跡の風情である。
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#IMG_20200331_155148s.jpg
果たして駐車場には田口線廃線50年の幟がはためき,駐車場脇には鳳来寺駅跡の看板もあった。

脇道は旧道っぽいが,線路跡は全く残ってないので現地では解らなかったが,県道の拡幅用地に取られてしまった様である。
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#IMG_20200331_155205s.jpg

軌道敷跡が道路となったところ1 旧鳳来寺駅付近
http://www.tokai-mg.co.jp/horaijikidoshikiato.htm

『歩く』に記載のほうらいじ食堂を探すも跡形もない。wikiに寄ると
>駅舎は駅の廃止後も解体されず、改装の上1969年(昭和44年)10月10日より「豊鉄ほうらいじ食堂」として営業を開始した[22]。道路改修工事によりこの食堂は撤去されるものの隣地に新たな食堂を建設して営業を続けた[23]が、2004年(平成16年)に閉鎖され、2009年(平成21年)に[要出典]取り壊された。
との事である。
『歩く』の奥付が普通の本と違っててよく解らないのだが1995とあるのでその辺だとすると,出版後10年弱で営業終了し,15年弱で解体され,更に25年後に我々が訪れると云う時間経緯となる。

503とはずがたり:2020/04/03(金) 23:54:35
>>502
鳳来寺駅付近の廃トンネル

諦めて奥へ向かうが,脇道があるので入ってみるとビンゴ!ここhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.34.8.493N34.58.2.552/zoom/10/が交叉部であった。直ぐ横がこれ!
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#IMG_20200331_160709s.jpg
田口線にしては珍しく塞がれてるので敢えて入らなかったが,鳳来寺バス停付近が旧駅とするとこのトンネルの出口は先程の県道脇にあった筈である。(全然気づかなかったw)

ストビューだとこれ
https://www.google.co.jp/maps/@34.9703126,137.5675887,3a,75y,309.02h,87.97t/data=!3m6!1e1!3m4!1sXEe-KqyugFwCNibVlMyEIg!2e0!7i13312!8i6656

goomapだとここ
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.34.13.125N34.58.1.710/zoom/10/

あるやんって感じで,我が走行動画だとこんな感じ。
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#PICT6213-01.png

で,更にその先にもトンネルらしき堀割があったが子連れでもあったし入口迄覗きに行くのは止めて先を急いでしまった。
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#IMG_20200331_160920s.jpg

504とはずがたり:2020/04/04(土) 01:37:37
>>503

鳳来寺駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B3%E6%9D%A5%E5%AF%BA%E9%A7%85
鳳来寺駅(ほうらいじえき)

会社設立前の構想では、豊川鉄道の終点長篠駅(現・JR飯田線大海駅)を起点とし、玖老勢までは豊川(寒狭川)に沿うルートとする予定であった。しかし会社設立段階になり、長篠駅より先の区間を開通させていた鳳来寺鉄道(豊川鉄道と同様にJR飯田線の前身)や鳳来寺からの出資を得るために[5]、鳳来寺鉄道鳳来寺口駅へ起点を移し、かつ鳳来寺の前を通すルートとすることになった[6]。
駅ができると、駅前には十数件の民家が集まり一つの集落が形成された[4]。1935年(昭和10年)には門谷に鳳来寺女子高等学園(のちの愛知県立鳳来寺高等学校、2011年閉校)が開校する。同校は田口鉄道によるアクセスを前提として開設されたともいえた[7]。

太平洋戦争中の1945年(昭和20年)7月27日より、駅に田口鉄道の本社が入った。もともと本社は豊橋市内にあったが、同年の豊橋空襲で被災したため移転してきたものである[8]。

戦後の1949年(昭和24年)9月23日、駅前に「田口鉄道自然科学博物館」が開館した。「東三河の地質と鉱物の会」に田口鉄道が協力して創設したもので、鳳来寺山を中心とする資料を展示した。この施設は1963年(昭和38年)に開館した町立鳳来寺山自然科学博物館の基礎となっている[9][10]。

鳳来寺の最寄り駅として毎年11月23日の鳳来寺山もみじ祭の際には、飯田線から臨時列車が乗り入れていた[11]。また1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)にかけて、名古屋鉄道(名鉄)の小坂井支線と飯田線を介して、名鉄の団体用臨時列車が新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)方面から乗り入れていたこともある[12]

2012年(平成24年)現在、本長篠駅と設楽町田口を結ぶのは豊鉄バス田口新城線で、新城駅近くの新城市民病院(以前の名称は新城病院前)バス停から本長篠駅前経由で田口まで運行されている[16]。門谷地内ではバスは愛知県道32号長篠東栄線を走行しており、駅のあった字笠川に「鳳来寺」バス停が設置されている[17]。

また、当駅にあった腕木式信号機は愛知県春日井市にある中部大学に移設され、保存されている。

957年度の乗車人員は20万4千人(1日平均558人)で、そのうち4分の3にあたる15万4千人が定期乗車券での利用客であった。この乗車人員は田口線全11駅において、本長篠駅に次いで2番目に多い[20]。鳳来寺高校の学生の利用が多かった[11]。

同年度における貨物取扱量は、発送が49トン、到着が71トンであった。田口線の貨物取扱駅は7駅あったが、取扱量はその中で最少である[20]。

駅の跡地
駅の跡地は上記の鳳来寺バス停付近である。駅舎跡は愛知県道32号と鳳来寺の参道(愛知県道441号)の交差点付近にあたる。線路跡は県道32号に吸収された[21]。

駅舎は駅の廃止後も解体されず、改装の上1969年(昭和44年)10月10日より「豊鉄ほうらいじ食堂」として営業を開始した[22]。道路改修工事によりこの食堂は撤去されるものの隣地に新たな食堂を建設して営業を続けた[23]が、2004年(平成16年)に閉鎖され、2009年(平成21年)に[要出典]取り壊された。

505とはずがたり:2020/04/04(土) 01:39:59
車庫や変電所のあった要衝三河海老駅だが,元々この海老が交通の要衝で豊川鉄道の競合社が海老迄の延伸を計画してたので豊川(更には新城)迄の予定だった豊川鉄道が大海(長篠)迄を条件に免許が交付された経緯があるそうな。
恐らく大海から海老へ向かうのが東参鉄道の計画であったのだろう。また当初の田口鉄道もそのルートで計画したようである。>>504

豊川鉄道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E9%89%84%E9%81%93

1893年(明治26年)6月5日、愛知県渥美郡豊橋町(現・豊橋市)の加治千萬人(豊橋銀行専務)ほか16名[3](再申時21名)は、資本金5万円の豊川鉄道株式会社の設立を発起し、宝飯郡下地町(現・豊橋市)より牛久保町(現・豊川市)を経て豊川町(同上)に至る、豊川稲荷の参詣客輸送を目的とした全長約4マイル(約6.4km)の鉄道敷設を請願した。官設鉄道(東海道線)豊橋駅とは豊川を挟んで対岸にあたる下地を起点としたのは、豊川への架橋を避けて建設費用をおさえたかったためである。軌間を2フィート6インチ (762mm) としたのも、わずか4マイルの鉄道では官設鉄道と接続する必要はないため、としていた。

ところが競願者の御油鉄道が現れたため、対抗上豊川町より南設楽郡新城町(現・新城市)までの約8マイルの延長と、豊川町より国府町(豊川市)へ至る支線も追加し、前回の回答を待たずに30日に追願書を提出した。これらは1894年(明治27年)1月に開かれた第3回鉄道会議により審議されたが、この2社以外に東参鉄道(東三鉄道)が申請されており会議は紛糾。結局豊川鉄道、御油鉄道共々却下されてしまった。4月になると東参鉄道は他の勢力と合同し再申請した。内容は官設鉄道豊橋駅より新城を経由して南設楽郡海老村(鳳来町を経て現・新城市)に至る路線で軌間を3フィート6インチ (1067mm) としていた。この計画は豊川鉄道と路線が一部重複しているため、豊川鉄道は抗議し先願権を主張して陳情を繰り返した。6月の第4回鉄道会議において豊川鉄道と東参鉄道は審議にかけられたが前回同様紛糾した。結局豊川鉄道の先願権が認められたが「軌間を1067mmとすること」「新城より南設楽郡信楽村大字大海(現・新城市)までの約4マイルを延長すること」などの条件を提示された。これにより資本金を40万円とし、軌間を1067mmとし、路線を下地町より豊川、新城を経て大海に至る約17マイル(約27.4km)とする訂正願書を8月20日提出した。こうして12月5日に仮免状が豊川鉄道に下付され東参鉄道は却下となった。

三河海老駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E6%B5%B7%E8%80%81%E9%A7%85

歴史
当駅のあった海老は、豊橋と長野県の飯田を結ぶ「伊那街道」の宿場町として発展した地域である。明治に入ってもなお街道の賑わいとともにあり、次第に人口も増加して1894年(明治27年)には町制をしいて海老町となった。

海老町に鉄道が伸びるのには時間を要した。
1894年に、官営鉄道が通じていた豊橋駅を起点とする東参鉄道が海老村(当時)までの路線敷設を申請したが、先願の豊川鉄道に敷設権を取られ、同じ南設楽郡内の大海駅までの1900年(明治33年)の延伸に止まった。現在のJR飯田線南部にあたる区間である。
大正に入ってからは1923年(大正12年)に、豊川鉄道の姉妹会社鳳来寺鉄道が、大海駅から宇連川に沿って路線を伸ばした。海老町はこれらの鉄道網からは外れていたが、豊川鉄道大海駅延伸に伴い駅と町の間で乗合馬車が営業を開始し、1919年(大正8年)には大海から海老を経て田口(現・設楽町田口)へ至る路線バスが開通するなど、交通機関は確保されていた。

当駅を開設した田口鉄道は、上記の豊川鉄道・鳳来寺鉄道の系列会社である。当駅は、同鉄道の第一期線にあたる鳳来寺口駅(後の本長篠駅) - 当駅間の開通に伴って、1929年(昭和4年)5月22日に開業した。…鉄道の開通は、町に人口の減少という影響を与えた。これは、鉄道開通により中心地としての役割が薄れて人々が都会へと出ていくことが多くなったためであった[2]。

2012年(平成24年)現在、本長篠駅と設楽町田口を結ぶのは豊鉄バス田口新城線で、新城市民病院から本長篠駅前経由で田口まで運行されている。…

構造
相対式2面2線と本長篠方折返しの片面1線で構成された[14]、列車の行き違いが可能な交換駅であった[15]。構内には車庫や変電所があるなど、同線の中枢として機能していた。…

506とはずがたり:2020/04/05(日) 08:22:50
田口線関連

帝室林野局の管理する御料林(とその為の林鉄)もあった段戸山だけどなんで鷹ノ巣山みたいな凡庸な名前に変えちゃったんだ??

鷹ノ巣山 (愛知県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B9%E3%83%8E%E5%B7%A3%E5%B1%B1_(%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C)

北設楽郡設楽町にある山。美濃三河高原に位置する。標高1,153m[1][6][7] 。愛知県有数の山である。2011年(平成23年)7月28日、関係自治体の申請により従来の段戸山から、現行の鷹ノ巣山へ名称を変更している[3]。周囲は段戸高原県立自然公園に指定されており、江戸幕府御林から明治維新後の段戸国有林に引き継がれて保護されてきた歴史を持つ。

507とはずがたり:2020/04/08(水) 18:39:29
飯豊桧枝岐線
http://yamaiga.com/road/tadaisi/zu_4.jpg

飯豊〜喜多方間
http://samidare.jp/iikanjini/box/1.jpg

37歳にしてデビューの飯豊桧枝岐線開通しましたよ〜!!
http://samidare.jp/iikanjini/note?p=log&amp;lid=390071

…H25の7月、開通直後1月あまりで福島側の道が夏の鉄砲水で崩落、

H27年までの復旧を見込みながらも今年春、今度は山形側で大規模な土砂崩れが発生…

着工35年プラス2年かけて(この間にも多々問題があったようです)ようやく日の目を見る日が来ました!!

お問い合わせが多い飯豊桧枝岐線、一ノ木区間の状況をご案内いたします(`・д・´)ゝ

508とはずがたり:2020/04/08(水) 20:54:09
>>507
少し置いて新鶴・柳津区間30.5km

里の方は兎も角二岐(ふたまた)以南が

福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区
http://yamaiga.com/road/fpr53/main.html
直進するのが県道59号だが、ここで右折する同じくらい立派な2車線舗装路は、元大規模林道の飯豊檜枝岐線である(現在は市町村道らしい)。
この先の区間で長い間工事がストップしているので、道は立派だが交通量はごくごく少ないし、入口にはそれと分かる標識さえない。

恐らくその末端部。この先は作業道蛇喰線とか云う様だ。
https://www.google.co.jp/maps/@37.4451062,139.7762937,3a,75y,214.67h,78.53t/data=!3m6!1e1!3m4!1sHPGJW5z9KDH2wSbKERwNAA!2e0!7i13312!8i6656

(未通区間:約700m程?流石に腹立たしい。ここまで造ることもここまで就くって放置も。)

ここから少し離れた場所から亦始まっている。
https://www.google.co.jp/maps/@37.4374251,139.7789059,3a,75y,5.38h,89.34t/data=!3m6!1e1!3m4!1sJJ-mvkhzZk9JGapk1Xufog!2e0!7i13312!8i6656

この先はストビュー可視区間だと此処で終わりだが,この先も普通に続いていそうで不明。。
https://www.google.co.jp/maps/@37.3943141,139.7543116,3a,75y,55.59h,78.24t/data=!3m6!1e1!3m4!1skGfw43VuDamjvOmb7v_x-g!2e0!7i13312!8i6656

この先,この道を辿ると辿り辿って結局此処へ出る。この入口付近は林道漆峠線というらしい。
https://www.google.co.jp/maps/@37.4071434,139.7007568,3a,75y,40.98h,86.27t/data=!3m6!1e1!3m4!1s9_4zxOyNY7Jx5KZ-7kDTLQ!2e0!7i13312!8i6656

509とはずがたり:2020/04/08(水) 20:54:52
>>508
×ここまで就くって放置
○ここまで造って放置

510とはずがたり:2020/04/08(水) 22:26:18
>>507-508
判明!

林道新鶴柳津線
http://www.lodge-motive.com/hi-ho2/daikiborindo/minamiaidu/nisiaizu.gif

下の動画によるとスーパー林道は此処に出てくるとのこと。2車線の良い道なのにストビューが入っていない。。(2014年完成の道路工事の看板が出ている。古い・・下のyoutube動画は2019年なのでこの後完成したのであろう。)
https://www.google.co.jp/maps/@37.375275,139.6723986,3a,75y,21.65h,83.62t/data=!3m6!1e1!3m4!1suikgfKkNtpoQpKi7jTc2kA!2e0!7i13312!8i6656

【ドライブ動画】会津探索シリーズ2 幻の博士トンネル 前編 緑資源幹線林道 飯豊檜枝岐線 新鶴・柳津区間 終点〜新規開通
間〜博士トンネル
?2019/07/04
https://www.youtube.com/watch?v=EQGGx5d47Fw
【ドライブ動画】会津探索シリーズ3 幻の博士トンネル 後編 緑資源幹線林道 飯豊檜枝岐線 新鶴・柳津区間 未成部分
?2019/07/05
https://www.youtube.com/watch?v=exPMjg71mQo

で,この区間には博士トンネルがある様だがネット地図にトンネルは見当たらない。。
と云う事で調べてみるとみっけたのがこちら:

会津の大規模林道と、幻の博士トンネル
〜全通した会津坂下・新鶴区間と、未開通の新鶴・柳津区間。幻の博士トンネルを発見〜
訪問日:2009年11月中旬  掲載日:2010年1月20日
http://www.lodge-motive.com/hi-ho2/daikiborindo/minamiaidu/minamiaizu.htm

これを読むとスーパー林道のr32への出口へは出れず漆峠線の出口に出そうな感じにも見えるけど,開通したのか?

Yahoo!Mapだと繋がっているけど肝腎のトンネルがない。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.40.54.477N37.22.6.793/zoom/9/

う〜む,やはり謎だ。。

511とはずがたり:2020/04/08(水) 22:54:37
>>510
最終兵器国土地理院にもトンネルは見当たらない。。
https://maps.gsi.go.jp/#15/37.375409/139.716654/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

因みにその後の計画。。
http://yamaiga.com/road/tadaisi/map_15.gif

北の駒止峠の旧道から北に分岐して昭和村方面へ抜ける計画だったようだ。何処迄もむかつくぜ。

道路レポート 多々石林道 机上調査編「謎の舗装路について」
http://yamaiga.com/road/tadaisi/main3.html

またあと一寸で繋がるけど多々石峠の事業は中止とのこと。此処もムカつくぜ。。

取り敢えず自民党に任せておくと税金の無駄遣いしかしないからダメと云う事。

野党も全く期待集めてくれないけど。。

512とはずがたり:2020/04/16(木) 00:50:56

グーグルマップR152の未成部分,地蔵峠南側。
ストビューは此処迄
https://www.google.com/maps/@35.4634767,138.0002976,3a,75y,10.71h,99.76t/data=!3m6!1e1!3m4!1s1BjG-jQKETT6-KqENGLV4w!2e0!7i13312!8i6656

ここから先を歩いている動画

【廃道探索】国道152号線 事実上廃道の現役国道 地蔵峠1
https://www.youtube.com/watch?v=qX0tt_RRq_c

土砂崩れしてる箇所もあるけど,まあ道としては暫くは上々。

此処,御堂沢。未だ舗装されてるそうな。
https://www.google.com/maps/place/%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B3%E3%81%9D%E9%AB%98%E5%8E%9F/@35.4714714,138.0017657,17.5z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x6f37f87e396b7c9b!8m2!3d35.4335779!4d138.0291697

この先,未舗装になる様だ。とはいえ結構な道幅とガードレール完備。蛇洞林道よりもこっち整備しても良かったんちゃうか。
goomap上でも道が消えた(国土地理院では点線)先の川の分岐が樽ケ沢
https://www.google.com/maps/place/%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B3%E3%81%9D%E9%AB%98%E5%8E%9F/@35.4724229,138.0020236,17.5z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x6f37f87e396b7c9b!8m2!3d35.4335779!4d138.0291697

動画だと既に川に水は無いけど,googleよりgooの方が実態を示しているのかも。川は無く堰堤っぽいマークのみある。大きな堰堤の前にと云ってるのでこの道のマークが無くなる辺りから車道はなくなるらしい。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.0.24.196N35.28.11.250/zoom/10/

513とはずがたり:2020/04/16(木) 00:51:06
>>512

【廃道探索】国道152号線 事実上廃道の現役国道 地蔵峠2
2018/12/20
https://www.youtube.com/watch?v=gaaK8RLv26I

遠山林道360mなるものがあったらしい。
堰堤の建設用道路か?

国土地理院 小さな堰堤の後ろに大きい堰堤があるのが判る。
https://maps.gsi.go.jp/#17/35.473091/138.003763/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

おにぎりは一寸小ぶりな感じがするから偽物では??

既に土砂が埋まって指定した時の地形は残ってないっぽいな。。

以下3迄あるけど遅いし寝よう。。

514とはずがたり:2020/04/16(木) 02:39:44
ここねえ。。
莫大な費用かけて長大隧道ぶち抜きよりマシだけど。。
1車線道路でも物凄い自然破壊だし。。

ただ昔,政治家さん方が皆で歩いて山越えのパフォーマンスしてたニュースが多分此処で,非常に印象深く,悲願なんだろうなと思うと100%批判はし難い。。

【なぜ?】半世紀前に計画の 酷道開通 その意味不明国道416号 why? The national road planned 50 years ago was opened
https://www.youtube.com/watch?v=NK5kpfRtRik

国道416号開通、走ってみた
小松―勝山の最短ルート、難所も
2018年9月15日 午前7時20分
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/700259?page=2

石川県側の整備区間を過ぎたあたりからほぼ1車線に。待避場がない場所ではすれ違いのためバックして戻る車の姿を何度も見かけた。場所によってはすぐ横が20メートルの崖や川が迫る区間が数キロ続く。頻繁にすれ違いがあり、その度に冷や汗がにじむ。大型車を全く見ないのもうなずける。

 時速30キロ程度で“難所”を抜け、空港に到着したのは出発から1時間40分が経過していた。走行距離は53キロだった。

 帰りは石川県白山市を抜ける国道157号経由で勝山へ。ほぼ2車線でスムーズに進み、恐竜博物館には1時間25分で到着した。距離は空港から70キロとやや大回りだがアクセスはしやすい。北陸自動車道―中部縦貫自動車道経由だと距離は70キロ、時間は1時間ですむ。

 実際に走行し、小松市側からの大型バスでの誘客は厳しい印象を受けた。ただ2市は道路幅の改良を目指しており、将来は改善する可能性もある。

ストビューは開通してへんw

石川側。通行止めのゲートで封鎖されてたようだ。
https://www.google.co.jp/maps/@36.1651256,136.5244939,3a,49.6y,149.42h,91.64t/data=!3m9!1e1!3m7!1s09y9hziBN4HmIeVonNeunA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i26
福井側。何故此処迄なのか判らん。。
https://www.google.co.jp/maps/@36.1341007,136.5145318,3a,75y,41.86h,94.15t/data=!3m9!1e1!3m7!1sLqwkfB9aTIMGiYlriwGGNQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i26

515とはずがたり:2020/04/16(木) 22:17:31
>>507
飯豊桧枝岐線
http://yamaiga.com/road/tadaisi/zu_4.jpg

飯豊〜喜多方間
http://samidare.jp/iikanjini/box/1.jpg

37歳にしてデビューの飯豊桧枝岐線開通しましたよ〜!!
http://samidare.jp/iikanjini/note?p=log&amp;lid=390071

の記事だが>>211で既出だ。

516とはずがたり:2020/04/30(木) 19:46:19
>>500-506
【伊那街道】

田口鉄道は大海から豊川沿いのルート(R257+r436)を取らずに本長篠から鳳来寺沿いのルート(r32)を取ったが,この大海から豊川沿いが本来の伊那街道だったと思われる。

ともう一つ,与良木峠も田口鉄道は外れているそうだがこちらは今では県道等の指定はないようである。田口線のルートはr389+R257で清崎で与良木峠からの道と合流する。

その後R257沿いに田口迄進み,田口からr10設楽根羽線が伊那街道の様である。

与良木峠
https://www.google.com/maps/place/%E4%B8%8E%E8%89%AF%E6%9C%A8%E5%B3%A0/@35.0508019,137.5483107,14.96z/data=!4m5!3m4!1s0x601b4931f952b631:0xa71a6d5057a8d58f!8m2!3d35.0553021!4d137.5567022

田峯駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B3%AF%E9%A7%85

田峯駅は1930年(昭和5年)12月10日、田口鉄道により開設された[1][2]。

駅のあった田峯は豊川右岸の地域で、旧段嶺村の役場所在地でもあった[4]。豊橋と長野県の飯田を結んでいたかつての伊那街道は、現在の新城市と設楽町の境を与良木峠で越えており[5]、田峯地区を経由していなかった。しかし田口鉄道は与良木峠を通らず、全長1.5kmのトンネル(稲目隧道)を開削して海老から田峯へと出ていた。

路線の廃止は1968年(昭和43年)9月1日付[1]であったが、その直前の8月29日に台風(台風10号)で被災して田峯駅から清崎駅までの区間が線路破壊により不通となり、三河海老駅から先の区間は運転していなかった[9]。

廃線となった田口線はバスに転換された。運行開始当初の代替バスは与良木峠経由であったが、稲目隧道をバス専用道路に転換する工事が1969年(昭和44年)1月15日に完成して与良木峠経由から切り替えられた。この稲目隧道は愛知県が買収し、1979年(昭和54年)3月に拡張工事を終えて二車線トンネルとされた。現在の愛知県道389号富栄設楽線稲目トンネルである[10]。

足助街道を歩く…伊那街道の位置が判る
http://kaidouarukitabi.com/rekisi/rekisi/tyuuma/asuke.html

田峯の近くにあった廃トンネル。まるっきり出入り自由っぽい。。
https://www.google.com/maps/@35.0507835,137.5405706,3a,75y,344.95h,90t/data=!3m7!1e1!3m5!1sQHn-dzzQm8MuK3n5_nIYFg!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DQHn-dzzQm8MuK3n5_nIYFg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D347.58334%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

517とはずがたり:2020/04/30(木) 20:25:37
>>516
wikiによる旧駅の場所。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Damine_station_map.jpg

そもそもこのトンネルの出口も見当たらなかった。こっちがわはこんなに明け透けなのに。。

画面左での薮辺りが怪しいが,ここでは画面右手の廃道路トンネルの方に目を奪われていた。。
https://www.google.co.jp/maps/@35.0527902,137.5400289,3a,90y,206.11h,89.99t/data=!3m6!1e1!3m4!1sMBKuVOzz0s3DwQ3lpw9KMA!2e0!7i13312!8i6656

518とはずがたり:2020/05/01(金) 01:46:43
>>516-518
稲目トンネルの手前だからhttp://www.tokai-mg.co.jp/root1.htmに拠ると海老隧道らしい。
此処だけgoogleのストビューに写真載ってた。
https://www.google.co.jp/maps/@35.0329073,137.5555712,3a,90y,304.33h,112.79t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipP6V7YKhDXtROUXKjJuHIm4Co7j6HTdvq0PmzRo!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipP6V7YKhDXtROUXKjJuHIm4Co7j6HTdvq0PmzRo%3Dw203-h100-k-no-pi-0-ya356.74625-ro-0-fo100!7i6656!8i3072!9m2!1b1!2i36

この手のわりかし保存の良いトンネルが連檐は言い過ぎだけど,でも軒を連ねてると云いたく成るぐらいには連続しているのが田口線の魅力。

現地では気づかなかったから此処は行けなかったが

519とはずがたり:2020/05/10(日) 17:32:14

ストビューカーも走ったんだな,此処!
https://www.google.com/maps/place/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E6%9D%B1%E7%89%9F%E5%A9%81%E9%83%A1%E9%82%A3%E6%99%BA%E5%8B%9D%E6%B5%A6%E7%94%BA+%E7%9C%8C%E9%81%93235%E5%8F%B7/@33.6282706,135.823314,12.5z/data=!4m5!3m4!1s0x60063fb81122e83d:0x66ab13a58d1058aa!8m2!3d33.6109268!4d135.8953537

https://twitter.com/yogoren/status/1259133507005079554
よごれん
@yogoren
結果、期待を裏切らない険道でした。和歌山県道235号、普通車だと内輪差で谷底に落ちそうなエキサイティングな道です。 プリウスぐらいで行くのが、ちょうどいいかもしれません。

520とはずがたり:2020/05/14(木) 22:09:55
有名な廃トンネル前のランクル。調べたら此処だった。
https://www.google.co.jp/maps/@35.1554441,140.0107222,3a,75y,149.38h,90.06t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipNU4sdHGTCvDi8kPNxC63X3e6bAWjKxzc4jvqHO!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNU4sdHGTCvDi8kPNxC63X3e6bAWjKxzc4jvqHO%3Dw203-h100-k-no-pi1.8141268-ya3.30558-ro3.5999734-fo100!7i5376!8i2688!9m2!1b1!2i28

521とはずがたり:2020/05/18(月) 21:07:26

赤沢廃ループ橋
https://shiranui23.com/hikyou/akazawahailoopbridge/

赤沢八幡野連絡橋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%B2%A2%E5%85%AB%E5%B9%A1%E9%87%8E%E9%80%A3%E7%B5%A1%E6%A9%8B

赤沢八幡野連絡橋(あかざわやわたのれんらくきょう)は静岡県伊東市八幡野にある道路橋(廃橋)。

概要
1976年(昭和52年)に完成[1]。前後に高低差があり鋼鈑桁のループ橋になっていた。八幡野の山間部の別荘地開発のための工事用道路として建設されたが、別荘地開発の中止に伴って破棄され、撤去もままならず荒れるがままに放置されている。1993年(平成5年)に行政が橋の一部の崩落を確認したことが報告されている。廃ループ橋などの通称で知られる。

これ
https://www.google.co.jp/maps/@34.8669403,139.0894547,488m/data=!3m1!1e3

522とはずがたり:2020/05/22(金) 21:09:14
>>53>>152
結構印象深いレポだったr248八溝山公園線だが,当時未完成だったが全通してるようだ。

茨城県道248号八溝山公園線(山行が)
http://yamaiga.com/road/ipr248/main.html

茨城県道248号八溝山公園線(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%81%93248%E5%8F%B7%E5%85%AB%E6%BA%9D%E5%B1%B1%E5%85%AC%E5%9C%92%E7%B7%9A

グーグルのストビュー
https://www.google.co.jp/maps/@36.921072,140.2820927,3a,75y,85.1h,102.63t/data=!3m6!1e1!3m4!1szSXFV2TE8IGrvgfhCjjbxg!2e0!7i13312!8i6656

523とはずがたり:2020/05/24(日) 23:17:48
2010年11月29日02:18
国道廃道・旧道・隧道
国道156号線・国道148号線の旧道・廃道巡り
http://blog.livedoor.jp/koshibou/archives/3471833.html

524とはずがたり:2020/05/31(日) 00:16:18
昨日,奈良県南部に廃道探索に行って来た。

先ずは目的も決めずだらだらと南下。

?橿原高田IC

此処はR24大和高田BPの新堂ランプとほぼ同位置にある。
R165の曲川町東交叉点から橿原高田IC迄は橋脚が盛んに立っていたが,京奈和道から大和高田BPへ直接乗り入れ出来そうなジャンクション的な位置にも橋脚が立っていて直接乗り入れ出来そうでテンション上がる。

調べてみたが大阪方面とはランプ橋で直接で繋がるようだ♪
https://saitoshika-west.com/blog-entry-6001.html
更には近鉄線と中和幹線は地下で交叉し,更には中和幹線は立体化する全体計画のようだ。
なかなか☆

さて,橿原高田ICから再び自専道に入り,開通後未だ走ってない御所南以南を走るとしてとなると五條から五新線跡だなとなる。

Ⅰ五新線(未成線)跡地

現地では此処は気付かなかった。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3489041,135.6894953,3a,75y,235.36h,90.02t/data=!3m6!1e1!3m4!1sU3saw-_M1cIEfAfg1e7gFg!2e0!7i16384!8i8192

この辺は道路になってしまったようだ。どうやら野原駅の予定地だったようだ。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3440275,135.6934278,17z

探している途中弁天宗とかの施設や駐車場があちこちに。

①先ず見つかったのは此処。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3395209,135.6987723,3a,75y,198.73h,83.4t/data=!3m6!1e1!3m4!1sPwj56nXq6vxQWf06bckapA!2e0!7i16384!8i8192

私有地につき一般通行禁止 五條市とある。
バスが通りますと古ぼけた看板があるものの遮断機的なものはなし。

②とはいえ(過疎路線だしバスと鉢合わせする可能性は低そうだと思いながらも)進入する度胸もなく次の交叉部を探すと見つかった。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3357345,135.7021312,3a,75y,272.63h,75.68t/data=!3m6!1e1!3m4!1sCCzLdxucmwOmSli8ou-lyA!2e0!7i16384!8i8192
これは吃驚,平面交叉(踏切)ではないか。鉄建公団の作った新しい線路をイメージしてたがだいぶ違う。(帰宅後調べたら戦前から建設してたらしい)

③途中,車道としては廃止された橋を見付ける♪
https://www.google.co.jp/maps/@34.3337851,135.6980315,3a,75y,356.48h,98.97t/data=!3m10!1e1!3m8!1s0riAAQsD0u1PI8qHHz3mPA!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D0riAAQsD0u1PI8qHHz3mPA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D355.89145%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i40

④これは走れるんちゃうかと云う気持ちが沸々と湧き上がってきたのが此処。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3312348,135.7037678,3a,75y,84.77h,81.74t/data=!3m7!1e1!3m5!1sotLEhea9D0jYhhsYWh3w7Q!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DotLEhea9D0jYhhsYWh3w7Q%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D260.50427%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i16384!8i8192

調べてみるとバスが2014年には廃止になっていると云う。おお!それで設備も古びてるし緊張感がなんとなくなかったんだなと思ってる内に実際に軽自動車が旧バス専用道走ってきて曲がって行った。と云う事で我々も此処から進入。テンション上がるw

525とはずがたり:2020/05/31(日) 00:16:38
>>524-525

⑤生子トンネル(という名らしい)が塞がれててここからR168に戻った。わるにゃんできそうに有刺鉄線が半分無くなってるのはご愛嬌かw
http://tohazugatali.web.fc2.com/transit/IMG_20200529_135201s.jpg

その後谷底に人家と専用道跡を農道(フルーツロード)の上から確認したが接近は試みず。

⑥賀名生バス停付近。クルマを停めるには如何にも狭すぎて築堤に上がるのは断念。
https://www.google.co.jp/maps/@34.298066,135.7211981,3a,75y,104.37h,99.38t/data=!3m9!1e1!3m7!1sX7YCZ9nYRTh0SOzGXuzHmw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i40

此処から再度バス道路に侵入を試みる
https://www.google.co.jp/maps/@34.2930509,135.7254958,3a,75y,199.97h,96.01t/data=!3m9!1e1!3m7!1sVep_gLQdbxgJL9ZXTR3Hlw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i40

も,トンネル手前の橋の手前で沮止され,しかも逃げ道もなくそのまま引き返す。
http://tohazugatali.web.fc2.com/transit/IMG_20200529_140626s.jpg

その付近にある函渠に彫られた完成年。1958年(S33)と結構古くて衝撃を受ける。確かに野原駅先の台地で平面処理なのも尤もである。
http://tohazugatali.web.fc2.com/transit/IMG_20200529_140911s.jpg

⑦その後は専用道に入るチャンスもなく結局次は有名な専用道城戸駅舎である。結構感動。
南都銀行の移動ATMが停まっていて警備員にじろじろ見られる。
http://tohazugatali.web.fc2.com/transit/IMG_20200529_141448s.jpg

以下続く

参考文献

廃線探索 五新線
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/140119goshinsen.html
奈良の五新線バス専用道、9月30日限りで閉鎖へ
https://response.jp/article/2014/08/04/229240.html

526とはずがたり:2020/05/31(日) 21:02:40
川端貨物駅だが紀の川の水運との連絡ってイメージだったけど,川端から坂本(五新線の建設区間の末端!)迄,大和索道という貨物用のロープウェイが一直線に(天辻峠越えて)延びて居たようだ。
五新線が寄る賀名生や城戸へは西熊野街道の改良が終わっていたらしい。大正時代のことである。

『廃道をゆく4』より

527とはずがたり:2020/05/31(日) 21:04:28
>>526
因みに長殿発電所は災害で完全に破壊されて,『廃道をゆく4』ではもう過去帳入りしたかのように書いているけどちゃんと復活http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1538している。

528とはずがたり:2020/06/03(水) 16:47:34
石切駅は鷲尾(孔舎ヱ坂)駅方面へ200m移設されたのは知ってたけど,昔はトンネルがあってそれを開削した跡だってのは知らんかった。
で,昔の駅はこの辺らしい。
https://www.google.co.jp/maps/@34.6824894,135.6537087,70m/data=!3m1!1e3

東大阪市の近鉄瓢箪山駅前のジンジャモール瓢箪山のブログです。
http://blog.livedoor.jp/jinjamall/archives/9413489.html
2020年04月26日19:00
カテゴリ瓢箪山むかしむかし
駅・トンネル・駅・トンネル

20年も前の記事。今は無き橋脚跡みたいなのがあった?駅構内にも入れてるようだし。。

近鉄日本鉄道・旧生駒トンネル
http://www.kouiki.com/yori/ikoma-tn/ikoma-tn.html

http://www.kouiki.com/yori/ikoma-tn/3832.jpg

529とはずがたり:2020/06/06(土) 23:40:35

本日もまあと,前回の五新線から天辻のレポも済んでないのに四国攻略へ。第二阪奈から出発して明石海峡大橋,大鳴門橋,備讃瀬戸大橋を全攻略する野心的なコンセプト。

ここにどう肉付けしていくか。
行く前に手に取ったよごれんさんの『酷道を走る』から193号と439号を見付けて剣山に決定!

結局,第二阪奈から新しく開通した大和川線から淡路道,土成ICで降りてR318,r12,r237,R192,学駅,R193,R438,見ノ越,R439,奥祖谷かずら橋,いやし温泉(休業中),(r32と勘違いして)r261,R438,R32,R438,坂出IC,与島と云ったラインナップに。

注目は未成道は此処
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.16.40.249N34.0.14.782/zoom/9/

その手前のこの辺も気になった。旧道?
https://www.google.co.jp/maps/@34.0083735,134.27375,3a,75y,124.49h,77.27t/data=!3m9!1e1!3m7!1sFCOgcy2fBY_ic89hCMVBVQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i48

林道倉羅川合峠線
https://rindonavi.com/map/detail.html?_cid=kurarakawaitouge
今日走ったコースはこの林道でショートカット出来そうだったが災害通行止めだった。惜しい。。
大平槇山線経由でr250にも抜けられそうだけどどうなんやろ。。

見ノ越トンネル
トンネル手前に気になる未舗装道路。どうやら旧道でもないらしい。。
航空写真では路駐車両がみえるようだけど。。なんやろ。

奥祖谷かづら橋
男橋と女橋と野猿と川原。野猿は回避。男橋は結構高くて怖い。
まあの手を握って亘る。

いやしの温泉郷
モノレール(??)はやってたが温泉は休業してた。。
http://iyashino-onsenkyo.com/

r261
小島(おしま)峠越え。地名や持参の古い地図に騙されて祖谷への近道r32と思いこんでr261に進入。
巨大な材木積んだトラックと離合したり後ろに着いたりする。どこで伐りだしてたのかは判らない。
途中可怪しいと気付いて熊谷林道かと思ったりもしたが全然其処迄行けてなかった。

結局R428に出て大歩危ではなく坂出に直出。でも淡路経由と比べて随分遠回りのようで坂出でも猶,淡路道経由を指定された。

R32は持っていた1999年版の地図では点線となってた綾南・綾歌・満濃BPを短区間堪能。
R428BPはR32以南にも延びたそうにしてたけど未着工の様子で,r22以北は快適。R11のBPも坂出IC迄の超短区間を堪能。
R428の峠越え区間はなかなか快適なワインディングになっていたが,この坂出付近の都市近郊型BPも何処迄延ばすつもりかは気になる。(勿論途中繋げるのが先であるのは云う迄もないが。)琴電を乗り越えて現道とぶつかる辺りで止めといて貰えると納得もするんだけど。。

530とはずがたり:2020/06/07(日) 18:17:26
>>529
淡路道(神戸淡路鳴門なんて長すぎ)だが明石海峡大橋は片側3車線で,島内は洲本辺り迄3車線対応準備工事済みの100km/h規制で洲本以南は大鳴門橋も含めて片側2車線完成形の80km/h規制っぽかった。

徳島道の徳島ICへの接続形状は醜悪だが,途中は蓮根畑が拡がって居て地質は悪そうであった。阿南方面への接続しか考えてないのかと思ったけど少しは地質の問題もあり?
接続が醜悪と云えば,高松道と徳島道も板野付近で最接近するのに連絡路がない。現状では徳島付近の大回りや徳島道が2車線主体なのがメインだと思うが川之江迄高松経由が10分程速い表示になってた。改良して松山方面への時短に役立てて欲しい。

因みに瀬戸大橋も完成片側2車線だった。北西へ逆走する徳島辺りでは勿論,坂出でも関西への最短ルートは瀬戸大橋経由ではなく淡路道経由のナビだったし国鉄脳としてはとりま宇野線で岡山出て新幹線しかないんだけど道路ではだいぶ違うらしい。岡山・姫路と膨らむのに対して,徳島の凹みは大したことないのか。。徳島迄行かずに板野辺りが南端だからな。。

531とはずがたり:2020/06/07(日) 18:31:47
徳島県のR193は途中神山町から那賀町に抜ける箇所でr253山川海南線(しかも此処以外の区間ではR193に重複)となってて,変。

因みにr260中野木屋平線やr261菅生伊良原線,r44三加茂東祖谷山線も途中が切れていて林道で繋がっている(r44は直接は繋がっていない)。

道路が繋がってるのに途中切って格下の道路で繋げる徳島方式でもあるのか?!

533とはずがたり:2020/06/07(日) 20:09:48

山の方から降りてきて里の方が未舗装で未成道っぽいのもあるなかなか気になる末端部。
https://www.google.com/maps/@34.0221592,134.153214,3a,75y,318.01h,78.67t/data=!3m6!1e1!3m4!1sA4ykw3ckAxmBSu8o3g7CSQ!2e0!7i13312!8i6656

ここ。北東の末端部には点線もある。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.9.20.846N34.1.7.767/zoom/10/
r254が極細で描かれてるのも気になる。

こんな感じ
https://www.google.com/maps/@34.0226781,134.150153,3a,30.9y,131.01h,84.85t/data=!3m9!1e1!3m7!1siC3wG2NArkhpbLnX0Z6Tww!2e0!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i50

534とはずがたり:2020/06/07(日) 20:24:27
>>531
勿論
①r259一宇古宮線の剪宇峠の様な未通区間県道,
②r248奥野井阿波山川停車場線,r257蔭名小野線r304木地屋赤松線の様な(山を駆け上がる)末端行き止まり県道,
③r254田方穴吹線>>533(峠で分断されてる訳ではない),r258小谷西端山線の様な未開通と末端行き止まり県道のコンボもある。(更にr258とr304は林道を介して繋がっている様だ)

535とはずがたり:2020/06/07(日) 20:38:49

ここ,R492側,橋架けてバイパス造ってた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.12.42.667N33.55.40.308/zoom/9/

536とはずがたり:2020/06/08(月) 22:21:16

児島IC


櫃石島IC(島民専用)…櫃石島:人口236人


岩黒島IC(島民専用)…岩黒島:人口94人


与島IC(島民専用)…与島:人口115人(2010年)



坂出IC

537とはずがたり:2020/06/08(月) 22:46:39
【「隧道レポート 七泰の滝の下の謎の穴」に関連して判明した十津川第1発電所に関わる取水路の謎】

隧道レポート 七泰の滝の下の謎の穴 後編
http://yamaiga.com/tunnel/nanatai/main3.html
「建設の機械化1960年6月号」より
十津川第1発電所計画一般図



国土地理院地図
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.062732/135.800813/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

には乖離がある。

滝川沿いの水路管と村道との交点https://www.google.co.jp/maps/@34.062605,135.8014323,3a,75y,193.56h,86.44t/data=!3m9!1e1!3m7!1sAI4iUkxD6DPMLgcrDiRPVA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i30には手持ちのマップルにも導水路前BSがあって此処から伸びる滝川の取水口が奥里取水口であるのは間違いない。

一方で,この付近は「機械化1960年」だと栗平川取水口との分岐点となっていて一気に風屋貯水池へ流出してるっぽいが,現在の国土地理院では此処には分岐はなく寧ろ栗平川取水口(計画地?)付近へ一旦大回りして栗平川取水口計画地辺りで分岐して奥里取水ダムの更に奥の取水口へ伸びてる支線(「機械化」には記述無し)と一緒になって風屋調整池へ流れ込んでいる様である。導水路前バス停付近が標高280m,栗平川取水口(計画地)付近の分岐点の標高が304mとなっているから(分岐部は地下っぽいけど)この経由はなんか可怪しい。

と,此処でググると新たな情報が。

紀伊山系直轄砂防事業の対応状況について
https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/ol9a8v000000s9n4-att/14_shiryou3-2.pdf

長殿>>527谷砂防堰堤群の対応状況と並んで栗平川砂防堰堤群の対応状況があってどうやら大規模な土砂崩れが此処でも起きたらしい。もしかして栗平川取水口も呑み込まれた!?と思って更に調べを進める。

https://www.kkr.mlit.go.jp/kiisankei/map/8.html
栗平川・滝川の水位・定点カメラ画像

に拠ると平成23年(2011年)紀伊半島大水害で上流で大規模な土砂崩れが発生して湛水池が出来てるそうな。

どうやら2007年度版の県別マップルには載ってないこのトンネルhttps://www.google.co.jp/maps/@34.063381,135.795878,3a,75y,11.99h,102t/data=!3m9!1e1!3m7!1sZbWGGjOr-bLKw1PBFsoX4g!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i30はこの災害復旧工事の為に建設されたものらしい。

栗平川取水口がこの災害に呑み込まれた可能性は位置的に否定された。

謎は解明されなかったが,一方で栗平川上流に巨大な湛水池が出来てるのだからいっそ治水・利水両用のダムを建設出来ないやろか??

538とはずがたり:2020/06/08(月) 22:55:54
>>537
と,此処へ来て新証言キター!!

これだと機械化1960と同じ経路で水路が描かれている。
国土地理院が敗北(水路経路が間違い)との意外な結末となった。
https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/qgl8vl0000004aue-att/40_4.pdf

風屋貯水池の水質混濁が問題になっているようであるが,まあそれとは関係なく我が奥栗平川ダム構想いけんちゃうか。
まあ山体崩壊とか簡単にするような地質だとやばいかね,常考・・・日本の技術力を信じたいとこ。

539とはずがたり:2020/06/08(月) 23:00:37
なおゼンリン切って独立独歩のグーグルは国土地理院も描いてない土砂ダムをしっかりと描いちゃってる。
国土交通省へ対する挑戦状か!?(笑)
https://www.google.co.jp/maps/@34.0733493,135.8251596,15z

540とはずがたり:2020/06/08(月) 23:21:04
>>535
めっけ♪

>全長2.7キロの倉羅トンネルを含む全長3・5キロのバイパス道路
一気に峠の向こうの2車線区間https://www.google.co.jp/maps/@33.9808011,134.2734922,3a,75y,314.2h,100.14t/data=!3m9!1e1!3m7!1sRYMInE6M7TV-UQ41a8FCCw!2e0!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i30迄ぶっ飛ばす気か!?

http://cdcdcd.sansu.org/tnl/uc/tdata-uc.htm
倉羅トンネル 2700 国道193号
倉羅バイパス 吉野川市
神山町     現道の倉羅峠の1.5車線狭路を解消。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E7%BE%85%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%91%E3%82%B9
倉羅バイパス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
国道193号標識
倉羅バイパス(くららバイパス)は、徳島県吉野川市美郷字古井と名西郡神山町上分字名ヶ平を結ぶ国道193号のバイパス道路。

国道193号の吉野川市・神山町境にある倉羅峠区間は峠を挟んだ両地区の主要生活道路であり、また、徳島県の地域防災計画における緊急輸送路に指定されているが、線形不良で幅員も狭く、防災点検での落石危険要対策箇所が4箇所存在する。この区間に全長2.7キロの倉羅トンネルを含む全長3・5キロのバイパス道路を建設することで危険箇所を回避し、安全な交通を確保・剣山国定公園等の観光地へのアクセス向上を促進する。

当初の完成目標は2013年度前後だったが、財政難等の理由により事業の進捗は遅れており、事業主体の徳島県は2011年に完成目標を2022年度に変更したが、2016年時点でも全工程の1割程度しか完成しておらず、目標達成は難しい状況である[1]。

541とはずがたり:2020/06/09(火) 10:34:24
>>540
>注目の未成道は此処
535ではなく>>529だ。。

542とはずがたり:2020/06/10(水) 23:42:15
有名なダム湖へ消える道だけどここかな?

【千葉県】【廃道】ダム湖へと消える道、水没廃県道24号線
https://shiranui23.com/hikyou/suibotsuhaik24/

543とはずがたり:2020/06/11(木) 23:35:12
全部読破した心算で勿論忘れてるのもあるけど読めば思いだしたがこれは初見。掘り出し物の感じ。
しかも地元要請により地図不鮮明化ww

旧 佐島隧道
http://yamaiga.com/tunnel/sasima/

544とはずがたり:2020/06/11(木) 23:45:33
これも殆ど覚えてないから見落とし結構あるのかも。。

鬼怒川温泉の廃観光道路
http://yamaiga.com/road/kinugawa/main.html

545さがら療法(さがらセラピー)心の健康法うつ病の予防と改善:2020/06/12(金) 11:50:04
うつ病の予防と改善の他、引きこもり不登校いじめパニック障害潔癖症摂食障害睡眠障害不安悩みイライラストレス自信がない勇気がないなどの改善方法や人材育成の方法を紹介しています

546とはずがたり:2020/06/12(金) 14:10:44
2018.09.18
二居変電所 - 窓が素敵な緑に囲まれたコンクリート神殿
https://syasin.biz/urbex/futaihendensyo/

547とはずがたり:2020/06/12(金) 14:34:58
ネット地図には割と自信ありげに旧道の一部が記載されてて縮尺を拡大すると廃道部分も白抜きで描かれてるけど大部ちがうなあ〜。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.46.24.750N36.51.17.611/zoom/8/

国道17号旧道 二居峡谷
http://yamaiga.com/road/r17_futai/main.html

548とはずがたり:2020/06/14(日) 00:29:07
竹内正浩氏の『ふしぎな鉄道路線』(NHK出版新書・2019)を読んでいる。
奥羽本線の秋田〜鷹ノ巣間の経路を巡る渋沢栄一vs児玉源太郎の対決等なかなかおもろい♪
これは鉄道敷設法の結果設置が決まった鉄道会議(明治25(1892)年設置)での席上の事であった。
野辺地辺りの東北本線が海岸沿いで国防上ダメだから副本線として作られた筈の奥羽本線も秋田〜能代は海岸沿いやんけとはずっと思ってたけど激論があった様である。

時は設置翌年,M26の会議での事で,児玉が主張したのが山の中を通る仁別線でこれが実施案(本命),地元代議士なども賛同して渋沢が主張したのが現在のルートに近い当て馬案の檜山線である。激論の末僅差で檜山線が通り,更にM32実際の建設を前にして,(渋沢と児玉の退任後ですんなり決まったが)檜山から能代寄りの機織に経地が変更となったそうな。

我がバイブル『駅』シリーズの『奥羽・羽越400駅』(宮脇・原田編・1984・小学館)の東能代駅の項には元々藩政の要衝檜山を通す予定だったが,能代側に寄せられ,国道の軽油からも外れて檜山は衰退が加速したと云う記述があったがこういう背景があったようだ。
すげえ繋がった。

児玉の主張する仁別線が出来てたら山行がにも恰好のネタを提供していたかも知れない。
奥羽本線のこの辺の開通は弘前方面から延びてきてて,鷹ノ巣迄明治33(1900)年,現東能代である能代(機織に改称はM42)に明治34年,秋田迄が明治35年だそうである。鉄道会議での変更時期を考慮に入れると変更後東能代経由で建設に取り掛かったのであろう。能代の経済力の勝利と云ったところであろうか。艦砲射撃が心配なら秋田ももう一寸内陸に建設しても良かった様な気もするが土崎も重要な港湾だったようである。仁別線の代替物は結局,秋田内陸縦貫鉄道で実現されたと云うべきか。

仁別線構想では実際は仁別からは北へ向かい北ノ又,南沢を経て鷹ノ巣〜二ツ井間(現前山付近?)で現在線に合流する。
仁別に関しては奥羽本線開通後の明治42(1909)年仁別森林鉄道が秋田から仁別経由で更に山側の旭又迄開通(S43(1968)年廃止)している様である。
http://yamaiga.com/koneta/koneta_93.html (路線図有り)
南沢付近には小阿仁森林鉄道があった様である。
http://yamaiga.com/koneta/koneta_138.html (路線図有り)
http://yamaiga.com/rail/minamisawa/main.html

実際にヤバいとなったら二俣線みたいに仁別線が建設されたかも知れない!?
当時,角館線は何も無く,阿仁合線も米内沢まで出来たのが昭和9(1934)年であり昭和11年には阿仁合迄完成している。
秋田,仁山,北ノ又,滑多羅温泉,南沢,上小阿仁,米内沢辺りの新線となるw
仁山や南沢には当然,二ツ井みたいな林鉄のターミナルが設置されたり南沢〜二ツ井の小阿仁林鉄は廃止になったりしただろうが,勾配とか,特に北ノ又〜南沢など,を考えるとまともに機能した感じがしないww

戦局の悪化で海岸沿いを避けるとしても秋田から大久保迄水口・笹岡・青崎を経由する鉄道会議では仁別線の一部代替案として提示された一寸だけ内陸走る五十目線(五城目街道経由)のラインで別線造るぐらいが現実的だったかも。現在線は土崎港や船川港へのアクセス臨海鉄道として活躍しつつ内陸線と海岸線で複線形成したりとか色々妄想が膨らむw

549とはずがたり:2020/06/18(木) 22:30:07
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070723570/1310 >>243

詳しく載ってる。木造の選鉱場?にホッパー。良い味だしとる。
すげえw

秩父鉄道 三峰口駅
https://red50kei.skr.jp/titibu/titibu-main.html
秩父鉄道の終端部 三峰口駅の先

三峰口から先、大滝村大滝(現 秩父市大滝)までの9.7kmの区間の鉄道開設免許を1927(昭和2)年12月に取得。
しかし、工事することなく免許失効しています。

だから、車止めから先、線路は無い。  はず・・・。   !!! 続いている!

約 30年前の姿!

雨に煙る巨大な木造構造物
暗渠の先、右奥の低木は30年を経て、暗渠出口を埋め尽くすまで生長した。

暗渠の先にあったもの。

 日窒鉱業株式会社、三峰口貯鉱場。


 群馬との県境方向に直線で約16km、両神山の西に位置する日窒鉱山株式会社(現 株式会社ニッチツ)で産出された鉱石を貯蔵し、貨車に積み替えるための施設でした。



「奥秩父」と聞くと、入川・滝川・中津川・大洞川などの軌道がすぐに思い浮かびます。
 さらに日窒といえば広河原沢軌道。

 貯鉱場の裏手にはヘロヘロ軌道が草に埋もれ、さらに山奥を目指して・・・・・。

 夢のある話ですが、鉱山では1937(昭和12)年に「鉱山-両神山八丁峠(八町峠)の南尾根-坂本の南西-納宮」までの約9.2kmの区間を、さらに1946(昭和21)年に「納宮-神明地(加明地)の北-大平・須川-間庭-古池-町分-三峰口」までの約13.0km区間を索道(鉱石運搬用ロープウェイ)開通させています。
 つまり、主に鉄鉱石のほか、珪砂、マンガン鉱などをバケット(ゴンドラ)に積み込み、鉱山から延々22.17kmを空中輸送して、この貯鉱場で貨車へと積み替えていたのです。

 因みに、先述の軌道は三峰口に向けて延びていたのではなく、秩父鉄道が影森止まりだった1919(大正8)年に三峰口から直線距離で1.3km先の強石から発電所関連建設工事のために奥に向けて建設が進んでゆきました。
 一方、1922(大正11)年からは、さらに奥に位置する川又を起点として県境方向に入川・滝川森林軌道が敷設されてゆきます。別々に拡大していった両軌道は1932(昭和7)年に栃本下〜川又の間の敷設で接続し、長大な路線となります。もっとも、木曾森林鉄道のように立派な機関車が多数の運材台車を連ねてといった大々的なものではく、最盛期でも動力車は数両程度で、奥地では自重で下ったり、また馬が牽くような規模の軌道のようでした。
 その後、道路整備とダム湖の完成で軌道は県境に向けて路線を縮小。1973(昭和48)年の滝川森林軌道廃止で終焉します。(その後入川軌道は発電所改修工事の資材運搬のため、半年ほどの期間復活)

550とはずがたり:2020/06/19(金) 10:57:18
林道置賜東部線
(あ)南陽市萩─(い)置賜大橋─(う)r3分岐─(え)r3藪中分岐─(か)長井方面市道分岐─(き)山形工科短大分岐─(く)r3交叉!─(こ)長井市五十川

(あ)林道置賜東部線東側入口(r5から分岐)
https://www.google.co.jp/maps/@38.1462212,140.1681174,3a,75y,317.33h,75.87t/data=!3m9!1e1!3m7!1ssEXxDo9mYq4fG2rJ92ltoA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(い)置賜大橋
https://www.google.co.jp/maps/@38.1549119,140.1444628,3a,75y,60.02h,84.99t/data=!3m9!1e1!3m7!1sDPyn8LfLXmOi62irHVYCwA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(う)r3分岐でのグーグル末端部
https://www.google.co.jp/maps/@38.1182929,140.1085343,3a,75y,212.41h,65.38t/data=!3m9!1e1!3m7!1sIAcqE-p4j8jBAQjy9kqgdw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(え)r3藪の中分岐

(お)謎の置賜東部林道グーグル唐突末端
https://www.google.co.jp/maps/@38.1212469,140.1053306,3a,75y,72.49h,75.96t/data=!3m9!1e1!3m7!1s9d8jyJs0f0mUeQk2bzZVyg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(か)長井市街地方面市道分岐

(き)山形工科短大分岐でのグーグル末端部
https://www.google.co.jp/maps/@38.1300126,140.0913293,3a,75y,291.83h,98.89t/data=!3m9!1e1!3m7!1sYgAzsbcgLWoNeuCmyybVDg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(く)r3交叉

(け)謎の置賜東部林道グーグル唐突末端
https://www.google.co.jp/maps/@38.1354495,140.0771649,3a,75y,5.16h,74.1t/data=!3m9!1e1!3m7!1sBphwQR3wksRkf0GWiyA4qQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(こ)林道置賜東部線西側入口(R287旧道から分岐)
https://www.google.co.jp/maps/@38.1380906,140.0584049,3a,75y,125.84h,85.55t/data=!3m9!1e1!3m7!1seVl4Z6J2B6fBXM_KuTR0Mg!2e0!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i27

551とはずがたり:2020/06/19(金) 11:01:00
>>550
途中何でも無いとこで引き返したり?しているグーグルカー。

林道の通り抜けぐらい出来ただろうに。

552とはずがたり:2020/06/19(金) 11:33:01

なにこの未成道っぽいの?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.6.6.494N38.10.36.900/zoom/10/

と思ったけど旧道の廃道っぽい。
https://www.google.co.jp/maps/@38.1804151,140.0987642,3a,75y,167.59h,71.5t/data=!3m9!1e1!3m7!1sYq9nFIvBaDEpKb1kS6pUAQ!2e0!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i27

553とはずがたり:2020/06/19(金) 12:02:56
>>550
山形県道3号米沢南陽白鷹線

放置感が半端ないr3の両大石部。

林道置賜東部線整備した時に大石区間だけでもr3経由で整備すればもうちとマシな交通体系になっただろう(林道はカーブが多過ぎる)に,県と農水省の権限争い等あったのであろう。腹立たしい。

大峠
畔藤→(D)誤って進入した作業道
tp://yamaiga.com/road/pr3_ootouge/main.html

杢の沢→大石
tp://yamaiga.com/road/pr3_ootouge/main4.html

(主)米沢南陽白鷹線 大峠  <リベンジ編>
tp://yamaiga.com/road/pr3_ootouge_2/main.html

畔藤(R287分岐)─杉沢─(A)---(B)置賜東部林道交叉(>>550(く))---(C)森ヶ沢林道分岐(県道側にバリケ)─(D)作業道分岐--- <道消失> (E)大峠(鞍部・堀割)---(F)まさかのヨッキ撤収---(a)林道合流─(b)市道分岐・林道と非重複区間─(c)大石集落─(d)分岐(此処?)--- <道無し0.1km程> --(廃道0.4km)--(f)置賜東部林道分岐(>>550(え))─(g)置賜東部林道分岐(>>550(う))─(h)須刈田・大野平キャンプ場分岐─(i)r247交叉・山越え部終わり

(A)r3グーグルの末端部
ttps://www.google.co.jp/maps/@38.1444896,140.093328,3a,75y,197.48h,85.97t/data=!3m9!1e1!3m7!1skmGuHplCDj887QYBgZtrOA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(b)ヨッキが二日目にロストしたr3分岐はここか
https://www.google.co.jp/maps/@38.1232751,140.0905714,3a,75y,249.24h,80.19t/data=!3m9!1e1!3m7!1stXfMJTJrxeNDW7LXhpEhmg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.5.27.574N38.7.9.740/zoom/10/
で,goomap(ゼンリン)には無くてgooglemapに細く描かれた道路が県道指定っぽい

(d)分岐はよく解らん(この部分のr3指定がゼンリン系地図に未記載であるしgoogleは一体をr3としてるから)
ttps://www.google.co.jp/maps/@38.1165017,140.0985027,3a,75y,84.85h,68.29t/data=!3m9!1e1!3m7!1sSstR63Z0iPfMjpBFAOhH5A!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27
ttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.6.7.321N38.6.49.479/zoom/9/

大石
ttps://toukei-labo.com/2010/danjo.php?tdfk=06&city=06209&id=50
ttps://toukei-labo.com/2015/danjo.php?tdfk=06&city=06209&id=124
ヨッキは1998年に10戸と書いていたけど現在(2010年)は既に廃集落っぽい。と思ったら2015年版では男1人となっている。まあ事実上廃村だけど困るな〜こうやって住み着いちゃう人が居ると財政支出が必要になる。

(h)ヨッキが宿泊した大野平キャンプ場分岐
ttps://www.google.co.jp/maps/@38.1082083,140.1098362,3a,75y,242.1h,74.1t/data=!3m9!1e1!3m7!1s9YIp9iugNvFkHz9lu8sd4w!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27
goo mapだと県道指定此処迄
ttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.7.43.688N38.7.7.028/zoom/8/
旧い街道は此処からキャンプ場アクセス道に沿って相撲峠を越えてたとの由

554とはずがたり:2020/06/19(金) 12:28:37
国土地理院の大峠付近

杢の沢〜大石は県道の指定がなく,(d)>>553のヨッキと同じルートの林道非重複のgoogleに対して林道経由の国土地理院。

指定は無いけど(h)>>553の相撲峠経由の山道は描かれてる国土地理院に対してゼンリン系のgoo mapは記載なし。逆にゼンリン系のgoo mapに記載の分岐部から北に上がっていく林道は国土地理院記載無し。

謎が多いな。。

https://maps.gsi.go.jp/#16/38.117829/140.096004/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

555とはずがたり:2020/06/19(金) 12:30:29
>>554
>指定は無いけど(h)>>553の相撲峠経由の山道は描かれてる国土地理院に対してゼンリン系のgoo mapは記載なし。逆にゼンリン系のgoo mapに記載の分岐部から北に上がっていく林道は国土地理院記載無し。
因みにグーグルはどっちも記載無し。

https://www.google.co.jp/maps/@38.1155708,140.0867944,15.12z

https://maps.gsi.go.jp/#16/38.116147/140.099892/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.6.8.686N38.6.48.589/zoom/9/

556とはずがたり:2020/06/19(金) 21:01:19
>>466
ヤフーブログが閉鎖になって(幸い管理は生きてて)移転したらしい。

楢峠+二ツ屋峠 2016
http://poseidon2693.blog.fc2.com/blog-entry-450.html

r34すげえが其処から分岐する林道どものすげえ

ふるさとの森林道 水無側+東俣峠 2016
http://poseidon2693.blog.fc2.com/blog-entry-451.html

r34から分岐してここに至る
http://maps.gsi.go.jp/#17/36.347325/137.030572/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

ふるさとの森林道
http://poseidon2693.blog.fc2.com/blog-entry-452.html

更に伸びで此処ら。
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.350674/136.998975/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

百瀬川林道 (東俣峠 上百瀬側 2016)
http://poseidon2693.blog.fc2.com/blog-entry-453.html

此処
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.356971/137.021879/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

西俣谷は廃道

557とはずがたり:2020/06/19(金) 21:06:28
>>499

災害現場の平岩橋はこの辺

石灰石搬出関係は大丈夫だったのかな?これを機会に青梅線を延長して旅客輸送すれば良いw

https://map.goo.ne.jp/map/search/latlon/E139.4.47.570N35.49.18.083/
https://www.google.co.jp/maps/@35.8246901,139.0761722,17.9z

558とはずがたり:2020/06/19(金) 22:54:49
ぐふっ,いい味出してるなあ〜

穴巡り① 春日野隧道 前編
https://ameblo.jp/poseidon2693/entry-12551671390.html

559荷主研究者:2020/06/21(日) 00:52:34

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/410149?rct=n_hokkaido
2020年04/08 05:00 北海道新聞
鉄道跡地利用に難しさ JR夕張支線跡、まだ決まらず 夕鉄廃線後の自転車道、すでに大半閉鎖

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20200408hokkaido01.JPG
平和運動公園手前のサイクリングロード。利用されている様子はうかがえない

 【夕張】JR石勝線夕張支線の廃止から1年が経過したが、夕張支線の跡地活用はまだ決まらない。この4月は夕張市内を走っていた旧夕張鉄道全線廃止45年の節目でもある。こちらは市が1988年にサイクリングロードとして整備したものの、老朽化したトンネルが危険という理由などから市は大半の区間を閉鎖した。残った区間も利用者は少なく、跡地活用の難しさを示している。

 夕張鉄道は、主に石炭の輸送を目的に26年(大正15年)に栗山―新夕張(のちの夕張本町)間で開業。30年(昭和5年)には野幌まで延伸したが、相次ぐ市内の炭鉱閉山で、75年4月1日に全線廃止となった。

 市は、炭鉱閉山後の「打ちひしがれている市民の心身の健康を回復」(市史)させるため、80年代に同鉄道の線路跡を中心に、社光―富野間18キロでサイクリングロード整備を開始。84年に起点となる社光に宿泊もできるサイクリングターミナル「黄色いリボン」を建設。88年にサイクリングロードが全面的に完成した。自転車200台近くの貸し出しも行い、多くの市民や観光客でにぎわった。

 しかし、途中3カ所にあるトンネルはれんが、コンクリート製で経年劣化が激しく、崩落の危険があるとして、市は2000年代前半にホテルマウントレースイ―平和運動公園間の5キロ区間を残し、大半の13キロ区間を閉鎖した。サイクリングターミナルは07年に市が財政再建団体(現在は財政再生団体)となり、09年に生キャラメル製造の「花畑牧場」に売却した。

 現在は市の人口減も相まって、利用者はほとんどいない。車が通れる一般の市道と併用されている区間も多いが、道が枝分かれしていてもサイクリングロードの方向を示す看板はほとんどない。

 一方、JR夕張支線の跡地16キロについては、民間から「トロッコを走らせたら」などのアイデアも出るが、JRも市も「跡地活用策は決まっていない」と話す。市は「線路を撤去するにも金がかかる。サイクリングロードの例から見ても分かる通り、跡地活用は一筋縄ではいかない」と話す。

 管内では5月6日をもって、札沼線の一部(北海道医療大学―新十津川)が廃線となる。(志村直)

560荷主研究者:2020/06/21(日) 21:41:17

https://www.sakigake.jp/news/article/20200409AK0006/
2020年4月9日 12時6分 秋田魁新報
森山に「通行注意」の看板 五城目町、当初は「車両自粛」予定

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20200409akita01.JPG
森山を訪れる一般車両に向け通行の注意を促そうと設置された看板

 秋田県五城目町は、町のシンボルとなっている森山(325メートル)の車道の交通事故防止策として、一般車両に向けて通行の注意を呼び掛ける看板を車道脇に設置した。車道は森山の麓から眺望の良さで知られる第2高地(約285メートル)に通じているが、道幅が車1台分ほどと狭く勾配が急で、カーブや未舗装区間も多い。

 車道を管理する携帯電話事業者のNTTドコモ東北支社と町との連名で注意を呼び掛ける内容。国道285号から町道を経て、ドコモ東北の管理道に入るまでの間に7日までに2枚を設置した。いずれも幅約1メートル、高さ約2メートル。

 管理道手前の駐車スペース近くに設置した看板には、その先の道路状況を説明する文章とともに、「駐車し、徒歩での対応をお願いいたします」と記してある。

 車道の安全確保策について、町は3月議会定例会では一般車両の通行自粛を求める看板を置く方針を示していたが、今回設置した看板の表記は「通行注意」を前面に打ち出し、自粛よりも控えめな表現になった。

 渡辺彦兵衛町長は「看板の表記は、NTTドコモと協議して決めた。できるだけ車の使用を控えてもらいたいが、徒歩で登るのが難しい人もいる。くれぐれも安全に注意して通行してほしい」と話した。

561とはずがたり:2020/07/02(木) 20:25:38
日本三大峠  No.14
http://wellon.lomo.jp/tohge/sandai/14_tunnel.htm
トンネル三大峠
トンネルの峠を三つ選んでみました
初掲載 2013. 8.12 (修正 2014. 3.30)

562とはずがたり:2020/07/13(月) 23:30:50
これなんだ??
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E130.50.56.824N32.26.53.638/zoom/9/

国土地理院
http://maps.gsi.go.jp/#16/32.450996/130.840688/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
にも
google
https://www.google.co.jp/maps/@32.4507766,130.845088,317m/data=!3m1!1e3?hl=ja
にも何もない。。否,うっすか何かある!?

索道の廃線跡?

563とはずがたり:2020/07/23(木) 23:23:09
山口県の周防大島沖にある無人島でサバイバル体験!?「大水無瀬(おおみなせ)島」へ行ってました。2/16に島へ上陸できる体験ツアーもあります。
2019年2月12日 / 2019年3月29日
https://yutaiki.com/notice/ohminase

564とはずがたり:2020/08/03(月) 17:36:44
一昨日通った158から入ったところにあったらしい。寄れば良かった。

http://www.fuku2.co.jp/omodani.html
福井県大野市 面谷鉱山住居跡地

565とはずがたり:2020/08/05(水) 22:03:27
此処http://maps.gsi.go.jp/#16/35.142178/138.144343/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1に行ってきた。

写真はこんな感じ。

https://twitter.com/tohazugatali1/status/1290993532769939457
とはずがたり
@tohazugatali1
川根小山の奥。現役のトンネルの横に廃トンネル2本もちょい離れて並んでて,更にその横にも廃線っぽい敷地が。4代に亘る改良跡!?一時期,奥川根歩き回ってたヨッキさん@yokkirenここのレポはないのかな??

566とはずがたり:2020/08/05(水) 22:30:58
>>565
畏れ多くもよっき本人にリプ頂いてしまった。
ちゃんとレポもあった。(すっかり忘れてたw)

隧道レポート 大井川鐵道井川線 旧第九号隧道
http://yamaiga.com/tunnel/9gou/main.html

旧旧旧線かと思ったのは

>この場所に最初の線路が敷かれたのは、昭和10年。
>しかしそれは旅客営業用の線路ではなく、奥泉堰堤(現在のアプトいちしろ駅付近)を建設するための資材運搬を目的とした、軌間762mm(昭和11年1067mm改軌)の専用鉄道(大井川電力専用軌道)であった。

だそうな。

567とはずがたり:2020/08/05(水) 22:58:16
>>566
ちゃんと読んだら未解明で旧旧旧線が初代の軌道時のそれかどうかは不明っぽい。

568とはずがたり:2020/08/15(土) 18:30:13
>>534
ここだ
>③r254田方穴吹線>>533(峠で分断されてる訳ではない),r258小谷西端山線の様な未開通と末端行き止まり県道のコンボもある。(更にr258とr304は林道を介して繋がっている様だ)

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/2146

八高山林道をgoogleマップに騙された外国人がレンタカーのワンボックスカーに入ってきてしまって林道部してた俺らは呆気にとられたもんだがgoogle map罪深すぎるぞ。ここも似たような感じだ

569とはずがたり:2020/08/18(火) 23:16:10

これか

ミニレポ第129回  夏狩天神峠の未成市道
http://yamaiga.com/koneta/koneta_129.html

https://www.youtube.com/watch?v=uqkxuuJPEHo
【未成道】山梨県都留市の未成市道【天神トンネル】
111,532 回視聴?2019/05/18

山梨県都留市加畑には建設途中で放棄された市道があります。
この道は加畑地区と夏狩地区を結ぶ峠道になっていますが、夏狩の集落の手前で道が途切れています。
また、頂上にある天神トンネルは照明がついておらず、かなりの暗闇です。


STEAMLOCOMOTIVEFAN
1 年前
ここ、めっちゃ近所ですw(都留市民)以前は他の方もコメントしているように、フェンス封鎖はされていなかった様な気がしますが……誰か開けてたのかな?にしても山梨はゴネ地主が立ちはだかって道や施設が未成になったり、明らかに不便な建物配置になったりしてる所が非常に多いですわ。

MASARZ
1 年前
11年前にヨッキ氏がここのレポートを書いてます。
行き止まりのガードレールを越えた先に古道と地蔵があったようです。

570とはずがたり:2020/08/19(水) 22:17:20
あなっすよ!!

旗返峠 謎に満ちた隧道と藩政期の古道を訪ねて (後編)
http://blog.livedoor.jp/jump8080/archives/31639654.html
カテゴリ:
豊後大野市 (祖母傾 以外)
2月

2020年2月20日(木)

571とはずがたり:2020/08/19(水) 22:20:05
まあがyoutubeかなんかで見付けてきた洞門跡。すっかり忘れてた。

国道158号旧道 猿なぎ洞門 前編
http://yamaiga.com/road/r158_saru/main.html

572とはずがたり:2020/08/20(木) 00:27:21

子どもは記憶力が良いねえ。帰省の行き(8/1)に通りがかりにチラ見えした廃隧道。すっかり忘れてた。

トップ>隧道電撃ネットワーク>北陸>福井>馬返隧道
馬返隧道
http://www.henari1.jp/Z-20-003.htm

【国道158号線旧道-馬返し隧道】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_umakaesi.html

メインチャンネルで公開した動画の未公開 ノーカットノー編集動画です。実はトンネル扉を開けていました。。福井県大野市158号線馬返しトンネル
749 回視聴
?2020/03/01
https://www.youtube.com/watch?v=Hk5j0yziva0

場所
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.960345/136.607319/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

573とはずがたり:2020/08/20(木) 09:29:45
極悪狭隘道から新道経由に変わってる様だ
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.703954/136.093779/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

福井県道209号五幡新保停車場線
https://yamaiga.com/road/fpr209/main.html

今ではこっちの砂利道が県道に指定されてる模様
https://www.google.co.jp/maps/@35.7058266,136.0935281,3a,75y,157.58h,80.83t/data=!3m6!1e1!3m4!1siMzRQoa19KCkfDXMPJygeA!2e0!7i13312!8i6656
新道の行き止まり感は相変わらず。。
https://www.google.co.jp/maps/@35.7053165,136.09531,3a,75y,93.94h,83.01t/data=!3m9!1e1!3m7!1sVge4MlHz6USAdI2Or1UDnQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i29
R476との分岐。田尻まで行かないのはグーグルのさぼりやろ〜!!
https://www.google.co.jp/maps/@35.6837154,136.1147884,3a,75y,289.23h,93.34t/data=!3m9!1e1!3m7!1spp4f9hZbZNCnfmkfXA5amA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i29

574とはずがたり:2020/08/20(木) 22:11:11

名神廃?未成?跨道橋2件

いずれも欄干無し

1件目:菩提寺西方
https://maps.gsi.go.jp/#18/35.033985/136.045176/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
https://www.google.co.jp/maps/@35.0338571,136.0450323,3a,75y,27.46h,101.58t/data=!3m6!1e1!3m4!1s7rjvOf8HIBtkZXl4Ecu2bw!2e0!7i16384!8i8192

2件目:菩提寺東方
https://maps.gsi.go.jp/#18/35.043318/136.079863/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
https://www.google.co.jp/maps/@35.0432406,136.0796056,3a,62.7y,57.02h,109.42t/data=!3m6!1e1!3m4!1sk5J7YMfaxdVAtkF5IkXggQ!2e0!7i16384!8i8192

575とはずがたり:2020/08/29(土) 11:06:40
勿体ないのお。途中で止めるなら最初から作るな。阿呆どもめが。

折角トンネル掘るなら山ぶち抜けば開通させられたのに

https://www.youtube.com/watch?v=tPdsF9gm4b4
【未成道】宮ヶ瀬湖畔の放棄された橋梁群とトンネル【清川村道土山高畑線】
349,213 回視聴?2019/11/02
jitensya37
チャンネル登録者数 3.53万人
神奈川県の宮ヶ瀬湖畔の南側にある清川村道土山高畑線は、宮ヶ瀬ダム事業の一環として作り始められましたが、2007年度に工事が中断されてから現在まで未完成のまま放置されています。
清川村道土山高畑線の総延長は4722.5mで、区間内にある15橋の橋梁(村道1号橋〜村道15号橋)とトンネル(清川トンネル 全長653m)のうち、8号橋〜9号橋・11号橋〜13号橋が未完成です。

【無人航空機の留意点】
ドローン等の無人航空機を飛行させる場合は航空法を順守するとともに、必要に応じて国土交通省への許可申請が必要です。→ https://www.mlit.go.jp/koku/koku_fr10...
当チャンネルでは国土交通省東京航空局による飛行許可承認(日本全国包括申請)に基づき空撮を実施しています。
また、航空法以外にも様々な制限があるため、飛行場所ごとに事前確認をおこなってください。
例1:公道で離着陸を行う場合→道路使用許可の申請(警察署)
例2:国有林上を飛行する場合→入林届の提出(森林管理署)

576とはずがたり:2020/08/30(日) 02:28:21
こんなのあったのか

【中央本線の廃線】未成線となった浅川地下壕専用線の痕跡をたどる【高尾駅(旧・浅川駅)】
133,424 回視聴?2020/03/28
https://www.youtube.com/watch?v=KzMex6F6eyU

jitensya37
チャンネル登録者数 3.53万人
太平洋戦争末期、旧陸軍は東京都八王子市の初沢町と高尾町に浅川地下壕を建設しました。
地下壕は中島飛行機武蔵製作所の疎開工場となり、中央本線の浅川駅(現・高尾駅)から地下壕を中心とした軍事施設への引き込み線が建設されていましたが、終戦に伴い工事が中断され未成線化しています。
線路が設置されるはずだった築堤や切り通しは早い段階で撤去・整地されてしまい、廃線跡のような遺構は残っていません。現在は市街化が進み、当時の面影もほとんどありませんが、山際には築堤の形状が部分的に残っています。

【航空写真】
地理空間情報ライブラリー:http://geolib.gsi.go.jp/
Aerial images (Gray Buildings c 2008 ZENRIN; Data SIO, NOAA, U.S. Navy. NGA, GEBCO;
Image Landsat / Copernicus; Data Japan Hydrograhic Association) used from 1:00 to 1:25 are from Google Earth.

577荷主研究者:2020/09/05(土) 14:21:16

https://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/202007/0013551550.shtml
2020/7/29 05:30神戸新聞NEXT
狭くて暗い…未整備の“酷道”人気 国道429号を行く

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/b_13551553.jpg
高野峠周辺の国道429号。川沿いの道は昼でも暗い=宍粟市一宮町河原田

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/b_13551551.jpg
急勾配のヘアピンカーブ=宍粟市波賀町上野

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/b_13551554.jpg
大型車に注意を促す看板=宍粟市一宮町河原田

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/b_13551552.jpg
国道429号など全国の未整備国道が紹介された「酷道大百科」

神戸新聞NEXT

 国道なのに狭くて曲がりくねり、草はぼうぼう…。そんな不便な道を「酷道(こくどう)」と呼び、こよなく愛する人たちの注目スポットが兵庫県宍粟市内にある。同市一宮町北部と波賀町の境界にある国道429号の高野峠周辺だ。この道の一体どこが魅力的なのだろう。2年前の西日本豪雨から続く通行止めが4月に解除されたのに合わせ、久々に走ってみた。(古根川淳也)

 梅雨の長雨が続く7月上旬の夕方、一宮町側から高野峠を越える国道429号に入った。最初の三差路付近は立派な2車線だが、道端には黄色い看板に赤字で「この先高野峠 幅員狭小大型車通行不能」と書かれている。次の「美作67km 波賀13km」の看板にも「大型車通行不能」と念押しされていた。

 2車線の道を高野川沿いに5分ほど走ると人家が途切れ、酷道区間が始まった。西日本豪雨ではこの少し先の枝谷で土石流が発生。大量の土砂と流木が道路上まであふれて河原田地区を襲い、牛舎や工場が被災した。枝谷に架かる橋も流され、砂防ダムを設ける工事が終わるまで通行止めが続いた。

 酷道区間は森に覆われ、昼でも暗い。長雨で高野川が増水し、山腹からも濁流が流れ込む。急勾配のヘアピンカーブは徒歩でも胸をつくような坂道だ。天気のせいもあるが、さすがに心細くなってきた。慎重に車を走らせ、約6・5キロで波賀町側の水谷集落に到着。2車線に戻った。酷道の魅力…。正直、よく分からない。

 全国の未整備国道を紹介した「酷道大百科」(実業之日本社)の著者で、愛好家グループ「TEAM酷道」を主宰する鹿取茂雄さん(42)=岐阜市=は、本に掲載した39路線の一つに高野峠を選んだ。初めて訪れたのは2016年ごろ。近道だと思って偶然通ると、道の真ん中で林業用重機が作業していた。木の皮や小枝が散乱し「国道なのに林道同然に使われている」ところが気に入ったという。

 国道は507号まであるが、欠番があるため実際の路線数は459本。鹿取さんによると、このうち約60路線に酷道区間がある。兵庫は道路整備が進んだ「さみしい県」だといい、著書でも兵庫県内では429号だけが紹介された。

 酷道の魅力は「国道=最高レベルの道」というイメージとのギャップのほか、困難の中を走るスリルと冒険があり、時にご褒美のような絶景が待っている点だという。高野峠については「酷道区間が短いので初心者向き。それなりに整備されているので高級車で走った方がよりスリルを楽しめる」と声を弾ませた。

578とはずがたり:2020/09/12(土) 22:26:59
>>526
おおお,結構たくさんある!?

奈良県の架空鉄索道
奈良県 架空鉄索道台帳 奈良県立図書情報館所蔵
(奈良県立図書情報館まほろばライブラリーへリンク)
 明治43年から大正15年までに設立された索道(ケーブル)会社の台帳
奈良県庁文書 刊年 大正15年(1926)
https://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/naranosakudou.html

579とはずがたり:2020/09/22(火) 16:59:19
二重峠(ふたえだわ)
http://tougeoyaji.ciao.jp/futaedawa.htm

ここか
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.351238/133.297870/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

ふたえだわって何??と思ったがこの辺は【とうげ】を【だわ】と云うみたいだ。

永江峠(だわ)
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.261424/133.284802/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

580とはずがたり:2020/09/22(火) 17:09:18
>>577

おお,タイムリーなw

これを見た訳ではなくて利水調査で,だけどまあを連れて土曜日に行って来たとこ。

高野峠はめちゃ土砂に埋まってて真新しい砂防ダムが幾つも建設されていた。
http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/ibogawa01.html#takano

戸倉峠着いた時は真っ暗で探索はせずそのまま若桜の方に抜けた。着いたが舂いたになってしまうのはこの辺の発電所調べてて舂米川とか出てきたから。

途中,新設酷道の482号https://www.pref.tottori.lg.jp/285442.htmにもそそられるものがあったが如何せん子ども連れなのに夜6時半でこんな所にして大急ぎで帰る必要があったので断念。

同じ482なのにこちらは長大トンネルでぶち抜いたhttp://maps.gsi.go.jp/#14/35.497295/134.627409/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1の違いはなんなんだ。。

581とはずがたり:2020/10/03(土) 22:56:29
おお,我々の(古い)テリトリー(しま)やんけ。

気にはなってたけど行ったことは無かったけど行かなくて正解やったなww

【大津市/左京区】皇子山CCを抜けて比叡平西側地区へ
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-1042.html
2016/02/16 22:22

大津市の比叡平の住宅地の西側に変わった場所があります。

左京区なのに車では大津市側からしか入れない不思議な場所です。飛び地でもありません。住所としては北白川小亀谷町、北白川向ケ谷町、北白川中山町、北白川南ケ原町です。

【大津市/左京区】比叡平への廃道
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-1043.html
2016/02/20 01:21
一つ前の記事の道の途中から分かれる道です。
皇子山カントリークラブの手前から比叡平の住宅地へショートカットできますがもう廃道に近い状態でした。
大津市と左京区の境ギリギリを進みます。地図にはちゃんとした車道として描かれているのですが・・

582とはずがたり:2020/10/17(土) 10:14:27
戸隠バードラインの地滑りすげえ。
もへじそのものは五輪をインフラ整備のきっかけとなるから良いとか云ってて阿呆っぽいけど。

【素掘りの6重ループトンネル】変なループ橋 ループ線2
https://www.youtube.com/watch?v=aE741eprNqY

583とはずがたり:2020/10/17(土) 11:53:52

戸隠バードライン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E9%9A%A0%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

戸隠バードライン(とがくしバードライン)は、長野県長野市街地から、飯綱高原、戸隠高原への観光アクセスの向上を目的として、長野県企業局によって建設された有料道路(道路運送法に基づく一般自動車道)である。この道路の開通により、開通前、長野市街地から戸隠まで車で2時間かかっていたのが、40分に短縮された。地すべり災害(後述)を経て一部区間が廃道となり、残りの区間も長野市道及び長野県道として無料開放された。

地すべり災害による一部廃道

1985年(昭和60年)7月、長野市の地附山(じづきやま)地すべり災害により、始点である長野市上松から地附山を登る区間が流失し、不通となった。長野県は、この災害による不通区間の復活を断念し、迂回路がなく不通区間につながっていた大峰山から地附山の区間を廃道した[2]。

不通区間を迂回する暫定的なルートとして、長野市道大座法師池西高線が使用された。しかしこのルートには、通称:七曲り(ななまがり)と呼ばれるヘアピンカーブの連続区間があり、路線バスを除く大型車の通行ができなかった。そのため長野県は、オリンピックの開催に合わせ、ここより少し北に位置する長野県道506号戸隠高原浅川線の改修を進め、浅川ループラインを開通させた。これを新しく飯綱高原へのアクセス道路として現在に至っている。

なお、地附山地すべり災害に関して、これに巻き込まれ亡くなった遺族が起こした裁判で、1997年6月、長野地方裁判所は「戸隠有料道路の管理の瑕疵(かし)が地すべりの原因になった」という判決を下した。そして災害から20年にあたる2005年7月、田中康夫長野県知事(当時)は、県と市に責任があったことを認め、謝罪した。

584とはずがたり:2020/10/17(土) 21:20:57
https://twitter.com/kendou774/status/1317437310569381888
R774@まとめ屋
@kendou774
スレッドにします。
『物部の山奥にある小さな集落』40年ほど前の航空写真では、数軒の家屋と耕作地が見える。そして現在の航空写真。集落まで車道が延びているが、既に住む人はいないという。山奥にある小さな集落には何が残されているのか。集落の今を記録するために、『堂平集落』へと向かった。

2016年12月17日|投稿者:kondo2| この記事にコメントする
過疎の行き着く先。歴史や文化、人々の営みの分断
http://inakami.net/life/nakatuo-12130.html
暮らし
タグ:中津尾, 太夫, 文化, 歴史, 物部町
過疎と高齢化に伴い人口減少が進む高知県香美市物部町。物部町には、わずか数世帯のみという集落も少なくありません。今回は物部町中津尾(なかつお)という住む人が誰も居なくなった集落のことをご紹介します。

同じ町内なのに他の市をまたいでいく集落
物部町の中津尾(なかつお)という集落。ここに行くには、物部の中心部大栃から隣接する香南市、安芸市の山間部を通り、また香美市に入るというのが主なルートで、同じ町内なのに、他の市をまたいで1時間近くかかる道のりです。

道は心細くなるほど人家がぽつぽつとあるばかり。途中の未舗装の道でパンクしたとしても携帯の電波が通じない場所なので「一人では行かれんで」と言われるようなところです。

中津尾2

集落にただ一人となったおじいさん
私は今年の2月、ここの集落で祀られている薬師さまのお祭りに行ってきました。数十年前までは小学校の分校があったほど集落に人もたくさん住んでいましたが、現在は放棄された田畑や廃屋となった家々が残されていました。

中津尾3

集落にただ一人の住人となった95歳のおじいさんとその息子さん、中津尾の出身者の方2人、合わせて4人の小さなお祭りでした。私は中津尾のことが知りたく、ここで生まれ育ったおじいさんにお話を伺いました。

「ここは平家が落ち延びてきたのが最初といわれていて、自分で30何代目か。」
「自分の叔父さんにすごい太夫(たゆう)がおった。法力が使えて、鶏が歩きゆうのをピタっと止めることができよった。」
「日本の水神を集めて雨乞いをした日、叔父さんが知らん(意識がない)ようになって、榊(さかき)を持ったまま動かんと思ったら、胴がすいて上がりよった(宙に浮かんだ)。そのとき雲が来てお宮の周辺を包んだ。次の日は昼にかけて雨が降り出した。」
「妙なことをする人やった。水虫とか悪いくがあると、まじないにきて不思議に治った。」

などと、にわかに現実とは信じられないお話ばかりで、こちらはひたすら驚くばかりでした。

中津尾1

この場所で暮らす意味
便利に慣れてしまった私たちにとって、この中津尾で日常生活を送ることはすごく不便に感じてしまいます。しかしこの集落にも、おそらく何百年も人々の暮らしが営まれてきて、様々な歴史や文化が刻みこまれています。そんな場所で、そんな場所だからこそ、そこで暮らし続けているおじいさんの姿に心を打たれました。

その一月後、おじいさんがお亡くなりになったとの知らせを受けました。私がお会いした時間はわずかなものでしたが、中津尾で暮らしていたおじいさんの姿は一生忘れられないものとなりました。

今や、住む人が居なくなってしまったこの中津尾集落。集落がなくなると、そこで長く息づいてきた歴史や文化、人々の営みが分断されてしまいます。そういった集落があって、人々が生きてきたということを、私は少しでも多くの方に知ってもらいたいと思っています。

585とはずがたり:2020/10/21(水) 00:00:20
http://yamaiga.com/tunnel/koshibu/main.htmlを受けてこちらも小渋川を緊急公開w

http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/koshibu00.html
小渋ユニット(小渋ダム・小渋第一・第二発電所)と絡み合って生田ユニットがあって歴史はありそうやなあと思ったけど,安定の,と云うか最早熟練の匠の高みに昇っているヨッキの机上調査でもその辺のドラマを生き生きと描いて呉れている。

586とはずがたり:2020/10/27(火) 15:24:59
県別マップル見てたら良さそうなダムみっけた。尾羽梨ダムとのこと。
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.648369/136.229396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

やはりイイ感じに廃ってて皆目指している。ダムそのものは我らがひろしニキも訪問してるけど,まあダムそのものはただの砂防ダムとのこと。

此処らは中止になってしまった丹生川ダムの建設予定地だそうな。琵琶湖への水位の効果はないとか批判されたらしいが発電ダムとして再利用して欲しい所。

針川・尾羽梨
http://e-kon.sakura.ne.jp/haison_all/bc_harikawa/hai_bc_harikawa.html

尾羽梨ダムへ〜前編
https://ameblo.jp/solamame55/entry-12501615370.html
2019-08-05 05:00:00
山中「廃」徊記

尾羽梨ダム
2014.10.29 見学
http://dampswatch.blog.fc2.com/blog-entry-694.html

緑に沈んだダム建設予定地 滋賀県余呉町半明,針川,尾羽梨,鷲見,田戸,奥川並,小原
http://www.din.or.jp/~heyaneko/dj21.html

たまごろうの日記
http://seromon.blog.jp/archives/6480536.html
バイクで山や林道へ マイペースでウロウロしてます
滋賀県道285号 奥川並・尾羽梨ダム・栃の木峠・椿坂峠旧道
2020/07/03

滋賀県道285号中河内木之本線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E9%81%93285%E5%8F%B7%E4%B8%AD%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%9C%A8%E4%B9%8B%E6%9C%AC%E7%B7%9A
高時川に沿って渓谷を走るが、ダム建設中のためその大半が通行不能区間である。

これか!
https://www.google.co.jp/maps/@35.5976454,136.2277752,3a,17.7y,343.59h,93.22t/data=!3m10!1e1!3m8!1sriKGlOLjeocFDOkUQnfv4Q!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DriKGlOLjeocFDOkUQnfv4Q%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D0.059378833%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i48?hl=ja

587とはずがたり:2020/11/01(日) 09:39:43
次に深沢と(新)横吹第2トンネル
http://geo.d51498.com/kasuga_3z/fukazawa.htm

588荷主研究者:2020/11/02(月) 22:31:45

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/464905?rct=st_recommended
2020年09/28 19:45 北海道新聞
1カ月だけ走れる! 幻の道道に全国からライダー 東川

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20200928hokkaido01.JPG
秋の約1カ月間のみ開通する道道1116号のチョボチナイゲートー東川北7線ゲート区間

 【東川】1年のうち、およそ1カ月間しか開通しないことから「幻の道道」とも呼ばれる道が東川町にある。道道1116号のチョボチナイゲートー東川北7線ゲート間(12・4キロ)。会員制交流サイト(SNS)などで知った道内外のライダーやドライバー、サイクリストらがアップダウンの続く期間限定の舗装道を往来している。

 同区間は2012年9月に利用が始まった。翌年5月、冬期通行止めを解除する直前の道路パトロールで地滑りによる路面の異常が複数見つかったため、そのまま通行することができなくなった。

 路面の安全性が確認された17年9月以降、雪解け水の地下水位が下がる秋の一定期間に限って通行が可能となった。今年の開通期間は9月8日から10月8日までで、降雨などでゲートが閉められる日もある。

 オートバイで日本一周旅行中に立ち寄った福岡県宗像市の無職河野主樹(かずき)さん(23)は「誕生日の11月16日と数字が重なる1116号をどうしても走ってみたかった」と満足げに話す。道道を管理する上川総合振興局旭川建設管理部によると、「今年から実施した地下水位を下げるボーリング工事を来年も継続し、4年後をめどに開通期間を少しでも長くしたい」としている。(打田達也)

589とはずがたり:2020/11/04(水) 17:40:39
ヨッキさん,穴でっせw
道路の陥没につながるなど地表に影響を及ぼすものではないなら,安定して昔から其処にあったものなんで,何故こんな空洞が出来るててしかも安定してるのかがめっちゃ気になる。都市部にもこんな空洞良くあるのかね??

調布で長さ30mの地下空洞見つかる 10月に陥没した道路付近 NEXCO東日本
11/4(水) 12:48配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6926b46ba2c509d551d52e878a07d5ddf6b5363b
毎日新聞

 東京都調布市で起きた道路の陥没で、NEXCO東日本は4日、付近の地中で別の空洞を見つけたと発表した。道路の陥没につながるなど地表に影響を及ぼすものではないとしているが、速やかに埋めるとしている。

 発表によると、空洞は調布市東つつじケ丘2の地下5メートルにあり、幅4メートル、長さ30メートル、厚さ3メートル。道路陥没現場の北側に位置し、陥没原因を調べるためNEXCO東日本が地盤調査をしていたところ発見した。空洞の大きさや状況から、緊急的な対応が必要なものではないとしている。

 陥没は10月18日に発生。道路に長さ5メートル、幅3メートル、深さ5メートルの穴が開いた。けが人はなく、穴は既に砂で埋められた。現場付近の地下47メートルで東京外環自動車道のトンネル工事が行われており、NEXCO東日本が陥没との関連を調べている。【山本佳孝】

590とはずがたり:2020/11/04(水) 17:42:09

もう?!土曜日に国道158号通ったけど雪の気配なんかまだまだかという雰囲気だったけど

https://twitter.com/fivesense1500/status/1323824905343827968
ネイチャーガイド ファイブセンス@上高地
@fivesense1500
上高地、雪が降りしきっています!
今日は寒い一日になりそうですが、明日は晴天の予報なので、美しい雪景色が見られそうです。
さくら

591とはずがたり:2020/11/04(水) 17:43:03
木曽ダム脇の川合隧道
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1323170705765064704/photo/1

592とはずがたり:2020/11/04(水) 17:43:36

野尻森林鉄道の廃トラス橋(可成り立派!)
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1322550683959128064

593とはずがたり:2020/11/04(水) 17:45:01
新旧の引原トンネル
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1312250114564452353

雪の日に撮ってる人もいた。綺麗や
https://twitter.com/Obroader_KOMADA/status/946196296334917632

594とはずがたり:2020/11/04(水) 22:58:26
>>509
3ダム付近は乾燥だけど平湯は凍結

http://h1.ws301.smilestart.ne.jp/station1_1.htm

595とはずがたり:2020/11/06(金) 12:31:01
後輩がフェイスブックに行ったとあげてた。なかなか良さそう。

>「最勝海藻の門(ほつめのと)」と名付けた名前の最初と最後をとって「保戸島」になったといわれています。
これが由来ならそうじゃねーだろ,最勝海藻を頭文字だけとって「ほ」にしたってことやろ「血をたっぷりと吸った蚊」を血蚊(ちか)と仮に略したとして蚊はそのままの形で残ってるだけだから最初と最後を取ったというより血をたっぷりと吸ったの部分を血一文字で省略したと解釈するのが普通じゃね?

正面の島らしい
https://www.google.com/maps/@33.0956715,132.0009224,3a,75y,20.7h,93.47t/data=!3m10!1e1!3m8!1smy9CyctFLZeLhcf9PJ30UA!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3Dmy9CyctFLZeLhcf9PJ30UA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D14.240556%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i41

ゆったり のんびり 島遊び
http://tsukumiryoku.com/publics/index/109/
保戸島の概要
津久見港から約14kmの豊後水道に浮かぶ島で、周囲4km、面積0.86k㎡、 人口約800人。明治中頃に始まったマグロ漁業で、現在も日本各地でマグロを水揚げしています。

名前の由来
 保戸島の名前の由来は、景行天皇が美しい海藻に感動し、「最勝海藻の門(ほつめのと)」と名付けた名前の最初と最後をとって「保戸島」になったといわれています。

https://www.hotojima.com/
保戸島で宿泊はできますか
山内旅館という旅館が一軒あります。要予約です。小人数しか泊まれませんので
お問い合わせの上、お早めにご予約下さい。
保戸島へ行くにはどうすればよいですか
津久見港から保戸島港への定期便が出ております。
詳細はアクセスページをご確認ください。

まるでナポリ!?大分県「保戸島」は迷路みたいな路地も面白い
https://www.travel.co.jp/guide/article/33048/

596とはずがたり:2020/11/06(金) 12:31:14
>>595

大分県道611号四浦日代線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C%E9%81%93611%E5%8F%B7%E5%9B%9B%E6%B5%A6%E6%97%A5%E4%BB%A3%E7%B7%9A

この路線の起点である四浦半島の先端部には約100mの間元海峡を隔てて保戸島が浮かんでいる。2010年9月に策定された『津久見市都市計画マスタープラン』では、四浦日代線と保戸島とを結ぶ架橋構想について、基盤整備推進のために関係機関に働きかけることが挙げられている[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%88%B8%E5%B3%B6
平地がほとんどないため、海岸に迫る急な斜面に3階建てのコンクリート造の建物がひしめくように建ち並んでおり、その風景は地中海の漁港を連想させる。保戸島集落は「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選定されている。

大分県道612号長目中ノ島線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C%E9%81%93612%E5%8F%B7%E9%95%B7%E7%9B%AE%E4%B8%AD%E3%83%8E%E5%B3%B6%E7%B7%9A
津久見市大字長目と大字中ノ島を結ぶ。

四浦半島の先に浮かぶ保戸島を通る唯一の県道である。一部区間は未整備で[3]、開通部分の全長は256m。幅は1.2m - 1.8mで、自動車の通行は事実上困難であり、日本一狭い県道ともされる。2014年頃に、市道と区別するためにこの道路の両端の路面に県道の表示を行ったが、この道路が県道とは知らず、山側にある人通りの多い道路を県道と思っていた島民もいて、話題になったという[1][4]。

この道路ができた経緯については、管轄する大分県臼杵土木事務所も津久見市役所も不明としており、臼杵土木事務所はおそらく自治体等が整備したものが県に移管されたのではないかと推測している[1]。

起点の長目は、長目半島の先端部南側の大字。また、終点の中ノ島は、かつて保戸島と四浦半島の間にあった小島であるが、1955年から1967年にかけて埋め立てられ、保戸島と地続きになっている[5]。

597荷主研究者:2020/11/08(日) 14:04:06

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/368195
2020年10月4日 10:30 京都新聞
マンガン鉱山「負の歴史」伝えなければ 今も続くじん肺治療、危険作業には朝鮮の人々 京都・丹波地域

マンガン鉱の入り口(奥)の手前に放置された発動機。マンガンを搬出する際に用いられたとみられる(南丹市美山町・大野ダム付近)

マンガンにまつわる朝鮮人の歴史を後世に残そうと力を尽くした故李貞鎬さん(中山和弘さん撮影)

 京都府の丹波地域は、1890年代から1970年代まで国内屈指のマンガンの産地だった。軍需物資などとして多くの労働力が投下され、にぎわいを地域にもたらした陰で、粉じんにまみれて働いた結果、朝鮮人労働者を中心にじん肺も広がった。鉱山労働の実態を知る人が減り、記憶の継承が困難さを増す中、関係者は一帯に残る鉱山跡の活用法を模索する。

■兵器生産に重要な役割、マンガンで栄えた町

 マンガンは、奈良時代の僧道鏡が薬として服用したという伝承もあるほど歴史は古い。明治期後半から産出が増えたのは、鉄に混ぜると強度が高まり兵器生産に重要だったため。丹波産は不純物が少なく、戦艦大和の主砲やドイツの潜水艦Uボートの電池に使われたとされる。

 マンガンが集められた南丹市日吉町には多くの料亭や旅館が並んだという。300を数えた鉱山は80年代までに軒並み閉じたが、跡は多い。同市美山町の大野ダムの遊歩道脇に、マンガン鉱の入り口がある。近くには搬出に使ったとみられる全長約4メートルの発動機が放置されている。

■タングステン鉱山も

 希少金属タングステンの鉱山跡もある。亀岡市薭田野町の大谷鉱山には搬出のトロッコが通った幅約2メートルの坑道が残る。近くの神社には縦60センチ、横40センチの茶色がかったタングステン鉱石がまつられる。これら鉱山の跡地は、丹波で産出が盛んだったことを今に伝える。

 一方で、労働は過酷だった。23歳まで鉱山で働いた南丹市日吉町の上段敏雄さん(80)は「ものすごい粉じん。ずっといたら命をほかす(捨てる)と思った」と話す。7年で辞めたが、肺機能が低下するじん肺を患い、今も治療が続く。

■弱い立場の朝鮮人が危険作業に 「病み捨てられてなるものか」

 丹波の鉱山の歴史を調べる元高校教員、田中仁さん(69)=同市園部町=によると、45年には大谷鉱山で強制連行された47人の朝鮮人が働かされた。ないに等しい賃金と粗末な食事。立場の弱い朝鮮人が爆破など危険な作業に当たった。

 朝鮮人の苦難を語る上で欠かせない存在が同市日吉町などの鉱山で働いた李貞鎬(イジョンホ)さんだ。私財を投じ、京都市右京区京北の新大谷鉱山跡に「丹波マンガン記念館」を建てた。豊臣秀吉の朝鮮出兵による犠牲者の耳や鼻を埋めたとされる耳塚になぞらえて「肺塚」と呼んだ。

 95年に62歳で亡くなった。晩年は激しいせきにさいなまれた。「かわいそうで聞いていられなかった」。次女で「NPO東アジアの鉱山史を記録する会」(京都市北区)の順連(スンヨン)さん(58)は思い起こす。じん肺患者でつくる南丹支部は2019年に活動を終えた。鉱山にまつわる記憶は失われつつある。

 「終わらせるわけにはいかない」と力を込める順連さん。日吉町や美山町などの遺構と島根県の石見銀山などと絡めた鉱山史の発信を考えている。鉱山跡に美山町のかやぶきの里などの観光を加えたツアー開催の構想も描く。さらに日吉町に建つ追悼碑前での慰霊祭も計画する。「歴史を残さなければならない。病み捨てられてなるものか」という貞鎬さんの遺志を引き継ぐ思いは、揺るがない。

598荷主研究者:2020/11/08(日) 14:22:43

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/368037
2020年10月6日 14:33 京都新聞
「滋賀のラピュタ」知ってる? 朽ち果てた鉱山跡…散策ツアーも

http://tohazugatali.web.fc2.com/industry/img_690f.jpg
山腹に残る土倉鉱山の選鉱場跡が夕映えに染まる(2019年10月30日、長浜市木之本町金居原)

http://tohazugatali.web.fc2.com/industry/img_439a.jpg
土倉鉱山跡

http://tohazugatali.web.fc2.com/industry/img_8369.jpg
往時はトロッコが出入りした坑道の入り口(6月24日)

 岐阜県境に近い滋賀県長浜市木之本町金居原の山中に、かつて鉱山の町があった。銅鉱石が採掘され、1965年に閉山した土倉鉱山。人の手を離れた山奥にはトチノキの巨木林も残り、近年は散策ツアーが行われる。閉山から半世紀を経た産業遺産と豊かな自然が、新たな地域資源として価値を見直されている。

 鉱山は杉野川上流で明治末期に採掘が始まった。昭和30年代には人口が千人を数え、住宅や商店、映画館が並んだ。しかし、海外から安価な銅が輸入され、採算が合わなくなり閉山した。

 今でも朽ち果てた選鉱場跡が山の斜面に残り、緑に包まれる。朽ちた人工物の隙間から木々が生える。その姿が人気アニメ映画「天空の城ラピュタ」の舞台を思わせると、インターネット上では「滋賀のラピュタ」とも呼ばれる。

 伊吹山地の横山岳と土蔵岳のはざまに位置する杉野川源流部の森にはトチノキやサワグルミの巨木が並ぶほか、さまざまな草も生え、豊かな植生をとどめる。

 こうした環境に目を向け、市内で森林保全や林業就労支援に取り組む「ながはま森林マッチングセンター」は2018年から散策ツアーを行う。今年5月からはメンバーを限定したフィールドワークの連続講座や木工のワークショップも開き、活動の幅を広げる。

 同センターの森林環境保全員橋本勘さん(44)は「閉山から50年以上たち、産業遺産と自然が調和してきて、ほかにはない魅力がある」と話す。一帯では今年新たに確認された巨木林もあるといい、そこを巡るツアーも計画している。

599とはずがたり:2020/11/08(日) 16:41:59

【険道 / 桜舞い散る季節に】和歌山県道229号 古座川熊野川線 part 1【古座川町区間】
https://www.youtube.com/watch?v=K1u0B6yRgz8
和歌山r229 古座川熊野川線は、和歌山県古座川町〜新宮市を結びます。その一部は元々「和田川松根スーパー林道」という名の林道でした。
予習なくその場で走ろうと決めた道路でしたが、思いの外走りがいのある"素晴らしい"道路でした。


https://www.google.co.jp/maps/dir/33.5974636,135.6966261/33.6221192,135.7117792/33.7013547,135.7489314/@33.6391591,135.6460358,11.75z/am=t/data=!4m2!4m1!3e0

国土地理院
https://maps.gsi.go.jp/#13/33.645564/135.712824/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


古座川電源開発
http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/kozagawa00.html

無尽蔵の水源やな。上の方でも開発検討せねば,,。

峠を越すと熊野川水系。

熊野川の電源開発!
http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/kumano.html

こっちの和田川も検討してみるか〜♪

600とはずがたり:2020/11/11(水) 14:47:26

すげえ,こんなに残ってるんだ。。

廃鉄の処女Ⅱ
大井川電力専用軌道(大井川ダム付近)
2016-03-25 21:39:23
https://ameblo.jp/ironmaiden666666/entry-12143069093.html

601とはずがたり:2020/11/11(水) 14:49:34

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-636.html?sp
大井川発電所と大井川鐡道〜その6 崎平駅交換設備、構外側線〜
専用線跡 2018/02/2821:16 0 0
●崎平駅構外側線
大井川鐡道大井川本線崎平〜大井川発電所1.98kmの側線。
大井川本流筋を流送していた木材を水力発電のため水量が無い区間のみ鉄道輸送するため設けられました。
大井川発電所で使う水は上流の大井川ダムで取水されトンネル水路で大井川発電所まで流れ発電後放水されていました。
1943(昭和18)年にはさらに下流、塩郷駅上流側の久野脇発電所までトンネル水路がつくられ大井川の断流区間がさらに延びたため久野脇発電所対岸に松島側線を設け崎平側線は役目を終えました。
島田まで鉄道輸送する案もあったものの連絡する東海道本線の輸送量が飽和状態で運材列車を島田まで運転することができなかったそうです。
他にも五和側線から索道で大井川を渡して島田軌道に連絡、新金谷からトラックで島田へ木材を運ぶなど木材の大井川越えに苦心しており昭和に入ってからも「越すに越されぬ大井川」の状態でした。

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-633.html
大井川発電所と大井川鐡道〜その3 大井川専用軌道〜
投稿日:2018-02-22 Thu
大井川専用軌道は千頭駅〜奥泉堰堤土場の路線でした。
新線付替え部分が川根小山〜奥泉、奥泉〜アプトいちしろにありますが井川線千頭〜沢間〜アプトいちしろと一致します。
路線長が資料によって14.41kmとか16.7kmともあり、現在の千頭〜アプトいちしろの営業距離9.9kmとあまりに開きが大きいですがこの理由は謎。側線の距離まで加算しているのでしょうか?
大井川鐵道千頭〜崎平に貨車を直通させる必要があることから1067mmに改軌したものの連結器はピンリンク式のまま。
当初は最小曲線半径55m、最急勾配1/30(33.3‰)、レールは森林鉄道2級線並みの9㎏レールでした。
この軌道は戦時中に電力統制で生まれた国策会社日本発送電、戦後分割されて誕生した中部電力に引き継がれ1954(昭和29)年には井川、堂平へ延長。1959(昭和34)年8月1日に運行が大井川鐡道へ移管され専用鉄道から地方鉄道に昇格しました。

602とはずがたり:2020/11/11(水) 14:56:54
2019年7月 7日 (日)
寸又川左岸林道最新状況 2019年7月5日現在
http://minamialps-south.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/20151213-fdd2.html
第3版 2019年7月5日現在

寸又川左岸林道は、お立ち台より下(しも)でも林道の崩壊が激しく、通行は非常に危険です。

前回第2版以降、行政の林道維持を期待して今回再調査に入りましたが、左岸林道の日向沢橋の下(しも)約300メートル地点で上部稜線からの土砂の大崩落及び林道自体の半崩壊により、通過は困難な状況です。崩壊の状況はお立ち台より上(かみ)と同じで、行政としても今後の維持は放棄せざるを得ないでしょう。この箇所は第1版で解説した場所と同じです。

なお写真は実際よりも安易に見えます。ご注意を。

これで寸又川左岸林道は全域にわたって登山道としての使命が終わりました。残念です。

寸又峡側から大無間山への登山は:

寸又峡温泉〜右岸林道〜千頭堰堤〜お立ち台〜日向山〜鹿の土俵場→大無間山  又は

寸又峡温泉〜朝日岳〜日向山 (筆者未調査)

の2本のみになりました。

603とはずがたり:2020/11/11(水) 17:58:35

2010年のヨッキは最奥部の手前,釜の島迄林鉄跡を辿り今,左岸林道を帰還の途中。この先の小根橋は2018時点でトンデモないことに。。
https://yamaiga.com/rail/senzu2/main29.html

只今とはずがたりはその奥地に水力発電所を構想中。こりゃ可成り維持は大変だな〜。
http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/sumata00.html


【 寸又峡温泉〜寸又川左岸林道〜光岳 】歴史ある林道の全てが消え去る前に...。
日程 2018年05月04日(金) 〜 2018年05月05日(土)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1454324.html
小根沢橋が見えてきました。なんか凄い事になってるぞ!
橋の上は大きな岩がゴロゴロ。どんな土石流が発生したんだか。。。

604とはずがたり:2020/11/13(金) 17:02:52
http://yamaiga.com/rail/senzu2/main29.html#part2
この長大な行き止まりの林道を、現代の我々は持て余している。もしこの林道が自家用車で自在に行き来できるならば、光岳でさえ日帰り登山の対象になったろうに……、せっかく立派な道を作ったのに維持することは出来なかった。


http://yamaiga.com/rail/senzu2/main30.html

南赤石林道といってもピンと来る人は多くないだろうが、千頭森林鉄道や左岸林道とは関係浅からぬ道である。
私もそれが分かっているから、ここで初めて「見えた」瞬間は、とても興奮した。
少し説明しよう。

本編の超序盤である導入1で、今から2日前の早朝に左岸林道の入口ゲートを抜けたシーンがあったが、そこで【こんな林道標識】を見たことを思いだして欲しい。
実は、この寸又川左岸林道の現在の正式名は、「南赤石(寸又左岸)林道」といって、南赤石林道の一部を構成するものだ。

そして、同じように南赤石林道の名前を持つ道が、右図の通り、千頭山の各所に点在している。(図の青線がそれ。桃線は現在地からの“視線”を示す)
具体的には、足元の左岸林道の全線と、いま向かっている日向林道の終点付近より分岐している2本の短いピストン林道、それから今見えた前黒法師岳付近の林道が、南赤石林道の構成員である。
中でも、川根本町役場近くから43kmほども伸びて前黒法師岳へ達するピストン林道は、南赤石(南赤石)林道といって、南赤石林道の本線格の存在だ。

もうお分かりだと思うが、これらの異常に長すぎるピストン林道たちは全て、ひとつながりとなる構想を有している。
これらの林道が計画されたのは昭和30年代後半で、当時は東京営林局と長野営林局の垣根を越えて長野県(飯田市、旧遠山村)へ通じる、南アルプス縦断全長100kmに迫る本邦最大級林道兼産業道路兼赤石山脈中枢の山岳観光道路として構想された。鶏冠山と池口岳の間の標高2200m付近にトンネルを抜いて長野県側へ通じることが検討された。

千頭林鉄の時代の伐採地は谷に近いところが多かったが、昭和40年代からは林鉄に代わる林道を中腹や稜線付近に開設し、高地の未開発林の伐採を進めることになった。そのため左岸林道や南赤石林道が千頭営林署の手により猛烈な勢いで整備された。両者を合わせて1年で10km近くも開設された年があったほどだ。だが、50年代以降は国内林業の低迷や環境保護問題もあって(同時期には南アルプスを横断するもう一つの路線である南アルプススーパー林道が、メディアでもしばしば取り上げられた)、延伸が凍結されたまま今日に至る。
それでも、林道名に当時の偉大な構想の名残があるというわけだ。ちなみに、南赤石林道もご多分に漏れず放置されており、山犬段以北の20km以上が完全な廃道状態である。

605とはずがたり:2020/11/15(日) 16:59:17
現在,ヨッキは左岸林道を帰還中https://yamaiga.com/rail/senzu2/main26.htmlで(正確には10年前の帰還中のレポを順次公開中でw),次々と現れる崩落地にハラハラで,しかもこれは10年前の状況で今はだいぶ崩壊が進んでゐるという情報がピンピンと耳に入り(国土地理院の地図にも当時は記載されていたが既に途中から先は記載はされなくなってゐる),矢も盾も溜まらず2020年版の山と高原の地図43『塩見・赤石・聖岳』を購入してみた。
「寸又川左岸林道は崩落が激しく通行不可」・寸又川左岸林道は日向沢の下で林道完全崩壊(この辺http://maps.gsi.go.jp/#15/35.219802/138.113101/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1)・日向林道完全崩壊・尾根のカーブ先http://maps.gsi.go.jp/#15/35.230705/138.098767/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1で完全崩壊・「寸又川左岸林道は2011年の台風の被害によりお立台(よく出てくるがこの辺http://maps.gsi.go.jp/#15/35.224149/138.097308/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1にある展望台)より上部は崩壊し通行不可能」と恐ろしい表記の連続であり,極めつけは釜の島小屋辺り迄しか載っておらず,もっと北側は載っているのに一番知りたい柴沢とその先の林道は掲載範囲からコの字型に避けられてしまっているのである!!!
登山者からのルートからも外れ一番人跡未踏の奥地になってしまっているのかも。。

606とはずがたり:2020/11/16(月) 18:25:36
25年前の貴重な映像。
もう国力を失った日本は大金かけて建設したこの道を維持出来なくなってしまっている。。

寸又川左岸林道 往路-1 Re-Edit 1995年9月 (1/6)
https://www.youtube.com/watch?v=cC6QCtF81fo

607とはずがたり:2020/11/16(月) 20:18:51
2003年西 日本林業経 済研究会 シ ン ポ ジ ウ ム
報告 1? 2
国有林政策 の 変化 と流 域連携
川村 誠 (京都大学大学 院農学研究 科)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rinrin/57/2/57_KJ00008660393/_pdf

3, 千頭 国 有林 の 場合
千頭 国 有 林 は 大井川 上流 の 寸 又 川 流域 を 占め 、 総面積 2 万 6 千 ha 、 そ の 80% が 標高
1,000m 以上 に 位 置す る。 戦後、 モ ミ ・ツ ガ天然 林 お よ び ブナ 帯 に 広が る 針広混 交林 の 拡
大造林 が 進 め られ 、大井川下流の 島田 ・金谷 地域 に はパ ル プ ・チ ッ プ産業や 木箱仕組板製
材 な ど木材 加工 産地 を 生 み 出 した。 1960 年代 か ら 70年代前半に は年 間伐 採量 が 10万 m3
を超 え 、要員 も約 1,000 人 を 数え た 。 しか し、 80 年代末 に は既 に 2 万 m3 を 割 り込 み 、 基 幹
的な 作業職 員 も 100 人体制 とな っ て い た。 そ れ で も 90 年 当初 に は 63 人 在職 して い た もの
が、そ の 後 の 補充 な く、 2003 年 に は わ ずか 2 人 とな っ て い る。 現在 、 千 頭担 当 の 職 員 は、
事務 6 名、技 術 4 名で あ り、来年 に は 定年退 職 に よ りこ れ も減 る 予定 で あ る 。 2003 年現 在、
直営生 産 220m3 、 立 木販売 700m3 に過 ぎ な い 。 間伐 は分 収育林地 に 限 り行 われ て い る 。
そ れ で は 、流域 環 境の 保 全 に必 要 な管理 業務 は ど うな っ て い るの だ ろ うか。 既設の 林道
延長 159km の 内、常 に 通 行可 能 な林 道 は 寸又 川左岸 林道 の 1 線 40 km の み で あ る。 植伐
作業が な く、 林道 復旧や 維持管理 の費用 が 出な い 。 す な わ ち、 管理 業務 に特化 す る として
も、 現 場 に 到 達す る こ とす ら困難 な状況に あ る。

608とはずがたり:2020/11/19(木) 22:24:06

森茂林道!2018年07月15日(日) [日帰り]

六厩川橋まで廃林道歩き(1日目:森茂林道)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1532477.html

ヨッキは2009年11月。ヨッキが寸又探索したの1年前。この年の5月には我々(とはとにぬけん)は会津を訪れてた。http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOHOKU/tohoku-c/R121/R121-00.html#ohtoge
として2010年には息子が生まれている。5月には10歳になった。10年あっちゅー間やなあ。。

岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路) 序→秋町隧道で敗退
https://yamaiga.com/road/akimati/main.html
六厩川橋攻略作戦 序
https://yamaiga.com/road/morimo/main.html

609とはずがたり:2020/11/20(金) 01:23:50
六厩
すげえ,googleがここまではいりこんどるww

https://www.google.co.jp/maps/@36.1016457,137.0010965,3a,15y,34.97h,70.1t/data=!3m9!1e1!3m7!1sFJ2JVwNG-JQym1zZv1OVxw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i26?hl=ja

610とはずがたり:2020/11/20(金) 01:24:42
ここ
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.101596/137.001057/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

611とはずがたり:2020/11/20(金) 01:29:10
11年前に轍が復活したのは此処。
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.118871/136.989706/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

こんな所真っ暗な夜8時とか9時とかしかも雨降り出しててとか。。

まあグーグルが来たのもこの赤谷林道分岐のゲートまでか。
https://yamaiga.com/road/morimo/main13.html

612とはずがたり:2020/11/20(金) 09:10:49
また11年前[山行が]では本線を塞ぐ簡単なゲートだったのが現在[google]では割りとしっかりしたゲートになってたようだ。

https://www.google.co.jp/maps/@36.1016457,137.0010965,3a,45.5y,31.49h,78.2t/data=!3m6!1e1!3m4!1sFJ2JVwNG-JQym1zZv1OVxw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://yamaiga.com/road/morimo/main13.html

613とはずがたり:2020/11/20(金) 13:44:18
【岐阜県・県道257号線-未成道路・附出橋】
岐阜県揖斐川町春日、合併前は春日村と言いました。
その春日を南北に通る県道257号線を南下していたら、工事中の新しい橋がありました。でもそれは…
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_g257tuki.html
この辺か。なんかよくわからんくなってる。
https://www.google.co.jp/maps/@35.4191189,136.4439757,3a,75y,271.35h,97.73t/data=!3m10!1e1!3m8!1s7URU9J70IT4hmb4Vy2Yvrw!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D7URU9J70IT4hmb4Vy2Yvrw%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D45.03763%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i48?hl=ja
地理院やgoo mapでは完成している様に見える。
http://maps.gsi.go.jp/#17/35.418861/136.443833/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.26.48.336N35.24.59.930/zoom/10/

614とはずがたり:2020/11/20(金) 13:46:31

さ ま よ い の 軌 跡
湖畔霧に消ゆる道その5
路線名 岐阜県道257号一般県道川合垂井線
http://turkey.6.pro.tok2.com/gifu257e.html

岐阜r257…垂井付近
https://www.google.co.jp/maps/@35.3961327,136.4915465,14.92z?hl=ja
ダートになってgoogleは引き返してる。。
https://www.google.co.jp/maps/@35.3997602,136.478675,3a,15y,242.23h,88.29t/data=!3m6!1e1!3m4!1sVnnwY5I8WNrMImxwiTl-hA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
此処
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.393476/136.476052/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
林道部を更にさ ま よ い の 軌 跡さんは登っていく。
http://turkey.6.pro.tok2.com/gifu257l.html
此処はどの辺だろう。。
正面の砂防ダム辺りはこれか?
http://maps.gsi.go.jp/#18/35.399287/136.473734/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.28.36.990N35.23.46.731/zoom/10/

車道のどん詰まりの形状はgoogleと地理院で違う。。goo mapはもっと手前で道が消える。。
http://maps.gsi.go.jp/#17/35.400140/136.468745/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
https://www.google.co.jp/maps/@35.3998761,136.4686887,510m/data=!3m1!1e3?hl=ja

615とはずがたり:2020/11/20(金) 13:51:19

岩井峠
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.27.58.500N35.23.46.181/zoom/8/
不通区間付近
https://www.google.co.jp/maps/@35.4033597,136.4670396,14.92z?hl=ja

r257はこの岩井峠迄開通してた筈が,少なくとも或る時点ではその手前4kmから這入れなくなってた様だ。
http://turkey.6.pro.tok2.com/gifu257q.html

関ヶ原は大学時代後輩どもと割りと何度も行き来した思い出の地。関ヶ原から岩井峠を抜けて垂井へ出たり池田へ出たり謎の工事中の道路を走ったり。氷で凍結した場所を走り抜けた事もある。

先日,まろやかな明神の森通り抜けコースを走ろうと息子と訪ねたが通行止めであった。こんなんばっかりである。

616とはずがたり:2020/11/20(金) 13:55:54
【険道 / 突如現る未成道】福井県道4号 越前宮崎線【越前町】
109,060 回視聴?2019/12/31
https://www.youtube.com/watch?v=gsSzBj1QWyU

此処は福井r4の未開通区間か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.5.43.313N35.56.39.000/zoom/8/

ここが未成区間っぽい
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.0.23.865N35.54.38.937/zoom/10/
地理院には気配無し
http://maps.gsi.go.jp/#17/35.913645/136.003650/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ストビューには明瞭。
https://www.google.co.jp/maps/@35.9147977,136.0037042,3a,16.8y,161.27h,84.04t/data=!3m7!1e1!3m5!1sZj1STQ3UzRFAIMoJJPyIYQ!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DZj1STQ3UzRFAIMoJJPyIYQ%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D67.01348%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja

617とはずがたり:2020/11/22(日) 17:46:50
なかなか凄い。写真もデカくて判りやすい☆

ただトンネルにしか興味が無いのて峠の向こうまで抜けて見ようという心意気が無いのが残念。

道への愛の問題かな〜?ヨッキなら通り抜けて呉れる筈w

軽岡隧道
http://sputoyo877.com/karuoka2.html

ここ
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.039062/137.024982/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

618とはずがたり:2020/11/22(日) 19:17:56
R472
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93472%E5%8F%B7

富山県富山市八尾町栃折の国道471号交点から岐阜県高山市清見町大原の国道257号交点までの約140 kmは、他の国道との重複区間である。このうち、国道471号との重複区間である、岐阜・富山県境付近の楢峠を含む区間は、豪雪地帯の山越えであるため、6月 - 11月までしか通行できない。さらに、頻繁に側壁崩壊・路肩欠損するため、これらの復旧が終わり実際に通行できるのは冬期通行止直前のごくわずかの期間であることが多い。また、(国道247号との重複区間である)高山市荘川町三尾河から同市清見町楢谷までの区間については、車道が通じていない。

とwikiにある。楢峠は峠と旅http://wellon.lomo.jp/tohge/tohge_6n/nara/nara.htmによると

>起点から僅か200mも進むと、河合村側、しいては岐阜県側最終の人家の前を過ぎる。この先、楢峠を越え、県境を過ぎ、富山県旧八尾町杉平(すがだいら)に至るまでの約20Kmの間、人家は皆無だ。めぼしい建物もない。その付近一帯に広大な無住の地が広がっている。

とある。ほぼ無人の山地で,山の向こうはヨッキのレポでもなかなか凄まじかった利賀,である。

619とはずがたり:2020/11/24(火) 19:48:37
たなぼたさんの載せてるインクラインすげえw
ケーブルカーみたいなもの?

2016.03.27
峰之沢鉱山宿舎 - 草木と共に枯れゆくコンクリートアパート跡
https://syasin.biz/urbex/minenosawa/

峰之沢鉱山みねのさわこうざん
http://www.hamamatsu-books.jp/category/detail/4d1a01853a024.html
遺構
現在国道152号から青谷橋http://maps.gsi.go.jp/#16/35.003030/137.835685/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1を対岸に渡ることができ、この先が鉱山跡地。鉱員アパートなど当時の遺構がわずかに残っている。当時は橋はなく、船港があり、そこから鉱物を運んでいた。

たなぼた
峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2014/01/4-4c3e.html
峰之沢鉱山探索(5)塞がれた坑口
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2014/01/5-c593.html

アパート跡これだなっ。グーグルでは橋の名が何故か峰之澤橋と成ってゐる。
https://www.google.co.jp/maps/@35.0020028,137.8418828,153m/data=!3m1!1e3?hl=ja

峰之沢鉱山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B0%E4%B9%8B%E6%B2%A2%E9%89%B1%E5%B1%B1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

産出物 黄銅鉱、黄鉄鉱、磁鉄鉱など

峰之沢鉱山(みねのさわこうざん)は、静岡県磐田郡龍山村(現浜松市天竜区龍山町)にあった日本鉱業経営の鉱山。

概要
1907年(明治40年)に久原鉱業(後の日本鉱業)が買収後、本格的な開発がはじまった銅山。第一次大戦後の不況と鉱山火災により一時休山。昭和に入り経営を再開し、1956年(昭和31年)に最盛期を迎えた。この頃は従業員700人を抱え天竜川を望む山の斜面には鉱山施設の他、鉱員住宅、診療所、会館などが建ち並び活気があった。その後、鉱量や品位の低下・貿易の自由化により打撃を受け、1969年(昭和44年)に閉山となった。跡地には現在も鉱員アパートなどの、当時の遺構が残っている。

620とはずがたり:2020/12/02(水) 00:12:22
>>600-607

http://yamaiga.com/rail/senzu2/main32.html
後で小耳に挟んだ内容だが、この頃(2010年頃)の左岸林道と日向林道は、毎年春に重機を出して途中まで開通させた後は、翌春まで放置されることが通例であったらしい。なので私が千頭山に引きこもっていた3日間が、たまたま年一回の路上整備に重なっていたようである。(そして現在は、この作業が行われていない)

個人的には水力発電ダムを寸又川に建設,林道の復活を図りたい。

http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/sumata01.html

釜ノ島・栃沢・大根沢・小根沢は林道沿いの標高の高い場所に取水口を作るので左岸林道を復活させる。

小根沢〜入口(朝日トンネル付近)は不用意に高いところ走って土砂崩れのきっかけになってるし廃止。

小根沢沿いに川を下り林鉄の経路である川沿いを辿る事にしたい。


逆河内も寸又川から奥側の日向林道を復活。出口側は廃止して同じく川沿いの林鉄跡の改良で千頭堰堤に至る,としたい。

千頭堰堤から小根沢までの川筋は比較的広くて蛇行する川に囲まれた山も高くなく土砂崩れの土砂の量も少なそうで環境負荷も小さいのではないか?

621とはずがたり:2020/12/02(水) 13:50:51
異様に線形良いから改良されたのは明らかだけどあんま現状を把握してなかった篠ノ井線。こんな感じであった。

https://blog.goo.ne.jp/nekodam2014/e/70df67232c97c35d0a5204c7fa8ba9aa
滝上峡の旧トンネルと篠ノ井線廃線(筑北村)

622とはずがたり:2020/12/06(日) 00:15:59
赤萩改良区
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1335173560197918721

623とはずがたり:2020/12/11(金) 17:26:00

ホノケの傍の廃村

https://www.youtube.com/watch?v=o0FwoXLjOwA
【廃村 廃墟】南越前町菅谷。村はあるが人は消えた廃墟だけが残る温かい場所。ノスタルジックで帰りたくなくなった。フェマールさんの廃系を語るも収録w 廃道、廃トンネルは今回ないよ
26,126 回視聴?2019/07/22


https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92915-1102+%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E5%8D%97%E6%9D%A1%E9%83%A1%E5%8D%97%E8%B6%8A%E5%89%8D%E7%94%BA%E8%8F%85%E8%B0%B7/@35.7818233,136.1628398,14z/data=!4m5!3m4!1s0x5fff560083373587:0xc3a1f3dca916e8b0!8m2!3d35.7873392!4d136.1374541


http://maps.gsi.go.jp/#16/35.791979/136.129242/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

624とはずがたり:2020/12/11(金) 17:43:44

【廃鉱山 険道 トンネル】滋賀県土倉鉱山跡のその先へ! 廃トンネルもあり。 ちょっと酷な道でした・GoProMAX 字幕ON推奨! Multinational translation
https://www.youtube.com/watch?v=-CAurPna30Y

土倉鉱山跡/廃墟観賞の本質にみる残酷さ
http://touge1000.com/touring_spot/548/

北陸自動車道を木之本インターで降り、やっと高速道路での小排気量バイク・セローの悲哀から解放された。国道303号に入り八草峠を目指して快走していると、右手に「土倉鉱山跡」の看板が目に入る。一旦は通り過ぎたが、今日は帰宅時間の心配が無いキャンプツーリング、時間はたっぷりあると引き返すことにした。


「滋賀のラピュタ」知ってる? 朽ち果てた鉱山跡…散策ツアーも
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/368037
2020年10月6日 14:33

 岐阜県境に近い滋賀県長浜市木之本町金居原の山中に、かつて鉱山の町があった。銅鉱石が採掘され、1965年に閉山した土倉鉱山。人の手を離れた山奥にはトチノキの巨木林も残り、近年は散策ツアーが行われる。閉山から半世紀を経た産業遺産と豊かな自然が、新たな地域資源として価値を見直されている。

 鉱山は杉野川上流で明治末期に採掘が始まった。昭和30年代には人口が千人を数え、住宅や商店、映画館が並んだ。しかし、海外から安価な銅が輸入され、採算が合わなくなり閉山した。

625とはずがたり:2020/12/13(日) 16:43:56
【林道】世にも珍しい木製ガードレールのある、国道476号線分断区間の迂回路ダート林道!県道(険道)迂回路よりも超快適なカーブ連続道を走破!森林基幹林道今庄・池田線(字幕ON推奨)
20,142 回視聴?2020/03/20
https://www.youtube.com/watch?v=6I3GBwHGlJE

ストビュウ北側末端
https://www.google.co.jp/maps/@35.8412399,136.2884603,3a,87.9y,155.12h,70.95t/data=!3m6!1e1!3m4!1sYGtFO_ZPFgJONJQNtR-H4g!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja


今庄・池田線
https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/moridukurika/rindou/imajouikeda.html
<概要>
 今庄・池田線の計画されている地域は、スギを中心とした若齢林が広く点在しています。
 これらの若齢林は、将来的にこの地域の森林を担う貴重な財産であり、きめ細かい保育作業を行っていく必要があります

626とはずがたり:2020/12/13(日) 16:48:56
>>625

ストビュー南側入口
https://www.google.co.jp/maps/@35.8154997,136.3012534,3a,75y,48.96h,87.61t/data=!3m9!1e1!3m7!1s2kPsgow5eMNsiLvWiTtddA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i30?hl=ja

峠付近
https://www.google.co.jp/maps/@35.8245598,136.2968264,3a,75y,192.41h,72.09t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipPkFZO2mflr5hjMOUOVCwjLMLuy9-c_CMtff6K4!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipPkFZO2mflr5hjMOUOVCwjLMLuy9-c_CMtff6K4%3Dw203-h100-k-no-pi-0-ya9.544452-ro-0-fo100!7i6720!8i3360!9m2!1b1!2i30?hl=ja

627とはずがたり:2020/12/13(日) 17:03:22

【林道 高規格トンネル】(字幕・翻訳)林道なのにトンネル出入口に電光掲示板がある!だけど中は電気点いてない(笑)九十九廻坂トンネル。分断県道172号線&福井県大野市ふるさと林道美山・大野線
18,911 回視聴?2020/03/28
https://www.youtube.com/watch?v=u4YAWhD5kOo

ふるさと林道
『林道 美山大野線(九十九廻坂トンネル)』
2011/11/12
所 在 地:福井県福井市皿谷町〜大野市
http://keichan.sakura.ne.jp/g362_miyama/gravel_0362-1.html

ストビュウトンネル前
https://www.google.co.jp/maps/@36.0107549,136.4547763,3a,75y,310.94h,79.62t/data=!3m6!1e1!3m4!1sBGvZO3OZI9s-q9FEz7b9uw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
北側分断県道末端部と林道分岐部
https://www.google.com/maps/@36.0246513,136.4330247,3a,75y,145.76h,77.7t/data=!3m7!1e1!3m5!1saxOT5x0tnD9KBv_992A5og!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DaxOT5x0tnD9KBv_992A5og%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D238.0008%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

628とはずがたり:2020/12/13(日) 18:58:54
おお,この前云ってきたが,走破してる人居る。この時(20年1月?)は工事してないんだな。入口と出口を見たけど間抜けるのに15分位だったんだな。。30分以上かけた気がする。。


名ばかりの通行止め 滋賀県道285号線
https://www.youtube.com/watch?v=xI68b1RtPCE

629とはずがたり:2020/12/13(日) 19:22:45
余呉町上丹生と木之本町杉本を結ぶ杉本トンネル。場所はここhttps://maps.gsi.go.jp/#15/35.560108/136.241241/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0。なかなか古くて狭くて迫力有り。12月から冬季通行止めとの事だったけど電気は点いてるし地元車っぽいクルマともすれ違うしで雪が積もる迄は皆,自由に通ってる様だったw

なかなか良い感じの古隧道。

此処も動画上げてる人居るわ〜。まあ相手が軽じゃないと離合が厳しくガードレールもあんまない程度なので険道と煽る程の道では無いけど。

https://www.youtube.com/watch?v=lhs1y_mGxLQ

630とはずがたり:2020/12/13(日) 19:33:17
懐かしい。学生時代のフィールドだった。
雲ヶ畑から車道に沿ってずんずん行くと府道を知らん間にそれて魚谷峠http://maps.gsi.go.jp/#15/35.146214/135.737264/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1に至りそれを越えて中津川経由で雲ヶ畑に戻ってくるルートが王道。
芹生には

【腐道★ / 分断府道を端点まで】京都府道61号 京都京北線 part 1
https://www.youtube.com/watch?v=1ZgFfgVLe4s

ストビュウは此処迄
https://www.google.co.jp/maps/@35.142324,135.7222154,3a,45y,7.66h,91.9t/data=!3m9!1e1!3m7!1snXRSq3vFD7EC4RUS4JHzOg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i30?hl=ja

誰かが此処をアップしている。
https://www.google.co.jp/maps/@35.1508092,135.7198305,3a,28.8y,356.98h,82.16t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipMmR5sbg_BgSXOfFJYZH6OjPOABZwO_IhnPFags!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipMmR5sbg_BgSXOfFJYZH6OjPOABZwO_IhnPFags%3Dw203-h100-k-no-pi0-ya342.70938-ro-0-fo100!7i8704!8i4352!9m2!1b1!2i30?hl=ja

京北側の未成区間がどう繋がる予定だったのかが気になる。。
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.176308/135.710260/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

631とはずがたり:2020/12/22(火) 14:34:17
岡山臨港鉄道廃線跡を巡る 廃止36年、遊歩道や道路…に
特集|おかやま動画見聞録
https://www.sanyonews.jp/article/1083514/?utm_source=dlvr.it&amp;utm_medium=twitter

 岡山市の岡南工業地帯への物資と旅客輸送を目的に1951年8月開業した岡山臨港鉄道(大元―岡山港間、8・1キロ)。84年12月の廃線から36年、線路跡地は遊歩道や市道、宅地に生まれ変わり、タンク車などを連ねた貨物列車や市民の通勤・通学の足となったディーゼルカーが走った面影を探すのは難しくなっている。

 「午後9時過ぎに岡山港方面に向けて走る列車の警笛を合図に眠りについていた」。こう振り返るのは、沿線に住み、岡山市立南公民館(同市南区芳泉)の地域研究会代表を務める荒木篤文さん(72)=同福田。研究会は、2015年、同鉄道の記憶に後世に残そうとパネル展を開いた。「予想以上の反響に、地域の人々の思い入れの深さを感じた」

 トラックへの転換などよる貨物輸送の落ち込み、自家用車の普及による乗客減を理由に廃止が決まり1984年12月29日、最終列車が走った同鉄道。路線跡のうち大元駅から国道30号までの約2キロ間は同市が、並木道の続く歩行者・自転車専用道路として「臨港グリーンアベニュー」として整備、市民の生活に溶け込んでいる。

 一方、同並木町から岡山港方面の南東へ約3キロの区間は、宅地や企業敷地に姿を変え鉄道の痕跡をたどることは困難だ。荒木さんは今秋、同鉄道を回顧する冊子を製作した。「当時を知る人の記憶を紡いで、末永く臨港鉄道の記憶を語り継いでいきたい。機会があればまた展示会を開きたい」と話している。
(2020年12月21日 20時27分 更新)

632とはずがたり:2020/12/29(火) 23:07:42
>>243>>549
行ってきたが現地で急遽目的地に入れたのでこれを読んでる暇なかったのでてきとーに橋の上から下の写真撮っただけ,,

https://twitter.com/tohazugatali1/status/1343795931422941184
とはずがたり
@tohazugatali1
三峰口駅最末端部。既に線路は剥がされてる

633とはずがたり:2020/12/30(水) 20:18:06
カビだらけの実験室、放置された薬品瓶…元研究所の「ヤバい廃墟」に潜入したら“闇”が深すぎた
鹿取 茂雄2020/12/29
https://bunshun.jp/articles/-/42594

その名も「バイオハザード研究所」ウィルス蔓延る危険廃墟を探索
2019年1月24日
https://www.itamiwake.com/biohazard-shigeta/

人里離れた県道沿いに堂々と立つこちらこそが件の廃墟、「バイオハザード研究所」です。

この廃墟は元々、製薬会社でした。動物の血液型を判定する薬を作っていたんだけど、その薬を許可なく販売していたため、薬事法違反で経営者が逮捕されたんだそうな。

さらに言うとこの会社の社長は、それ以前も輸血用の犬の血液を販売する会社を運営していて、その会社が倒産したときに数百匹の犬を放置して大きな問題になったとか。

そう、この会社、というかこの経営者、色々と疑惑が付きまとうのです。

この会社のことを調べると、インターネット上では様々な疑惑に関する情報が記載されています。特にヤベェのが、「鳥インフルエンザのウイルスをばら撒いて、敵対していた業者を潰したのでは?」という疑惑。

あくまでネット上の話だし、疑惑が浮かんだ理由も「鳥インフルエンザが話題になった後、すぐに対応するワクチンを宣伝した」みたいなものなので、信憑性としてはどうなんだろうくらいのものですが、犬を放置したり、薬事法に違反したりと前科があるのでさもありなん。

シゲタ動物薬品工業
https://haikyo.info/s/13946.html

1988年設立。2000年に「ブルー十字動物血液センター」から商号変更し、食品のDNA検査などを行っていた。

未承認の犬用血液型判定薬を販売したとして2007年11月に社長のN被告ら5人が逮捕され、2008年2月末に事務所を閉鎖、同年に倒産した。負債総額は約13億円とされる。

2008年5月22日に同社社長に対し、懲役1年6月・執行猶予4年、罰金100万円との地裁の判決が下された。

シゲタ動物薬品工業は閉鎖前の2007年5月、「カルタヘナ法」(遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律)に違反した組換え生物の使用に対する再発防止策を徹底するよう、文書で厳重注意を受けている。

シゲタ動物薬品工業およびその研究機関で同一住所の「人獣共通感染予防医学研究所(人獣研)」、関連団体だったらしい消費者団体「食の安全協会」「食の安全を守る会」が共謀し、養鶏農家にQ熱ワクチンを売りつけ、養鶏業界などとの間でトラブルになっている。「○○の鶏卵は危険」等の怪文書をスーパーなどにまき、鶏肉・鶏卵の不安を煽ってワクチンを販売していたらしい。

また、前身となったブルー十字動物血液センターは1997年4月、440頭の犬猫を置き去りにする事件を起こしている。

シゲタ動物薬品工業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B2%E3%82%BF%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%96%AC%E5%93%81%E5%B7%A5%E6%A5%AD

シゲタ動物薬品工業株式会社(シゲタどうぶつやくひんこうぎょう、英語: SHIGETA Animal Pharmaceuticals[2])は、富山県小矢部市にかつて存在した動物用医薬品の研究・開発・製造などを行なっていた企業である。

1984年に犬猫用血液型判定薬の製造販売を行う「株式会社ブルー十字」(本社:石川県金沢市)として設立された。

2000年3月9日に「株式会社ブルー十字」から商号を変更し、「シゲタ動物薬品工業株式会社」となる[4]。主力商品である動物用血液型判定薬、血液製剤の製造販売のみならず、バクテリアにより生ゴミなど有機性廃棄物を完全に分解することが可能な業務用廃棄物処理機「コビタン・ディスアピア」[5]の開発・販売や、DNA検査による食品の産地、原材料の特定[6]など幅広い事業を展開していた。また、モノクローナル抗体を用いた高精度の「シゲタ式」犬猫血液型分類法[7] の開発や、インドネシアのボゴール農科大学と共同で[1][8]高病原性鳥インフルエンザワクチン「H5N1型」の遺伝子組換えワクチン株の開発に世界で初めて成功するなど、独自の技術も多数保有しており、テレビ局や新聞社などの取材や検査依頼なども多かった。また、2007年9月6日から8日開催の「2007NEW環境展」の大阪会場にも参加していた[9]が同年11月に社長の西尾義行元被告ら5人が未承認の犬用血液型判定薬を販売したとして逮捕され[10][3]、2008年2月末に本社を閉鎖、同年に倒産した。負債総額は約13億円とされる。

なお社長らの逮捕前の2007年5月にも文部科学省から遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律に基づく適切な措置を執らずに遺伝子組換え生物等の使用をしていたとして千葉県がんセンター、国立大学法人広島大学とともに文書による厳重注意を受けている[11]。

現在本社跡地は立ち入り禁止となっており、建物内部に多くの薬品や機材が残された状態で放置されている。

634とはずがたり:2021/01/21(木) 12:41:25


赤岩とイラ窪で6軒程家があったか?

「列車が1本も停まらない駅」赤岩駅、3月12日に廃止 奥羽本線
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1439271704/3382

赤岩駅
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1439271704/3385

町庭坂(イラ窪)への道  《 熊に出会う》
http://www11.plala.or.jp/yamagutiya/page016.html

廃墟検索地図 イラ窪
https://haikyo.info/s/12737.html
1980年代の半ばに無人化した。
倒壊した廃屋が数軒見られる。

いにしえの道を歩く/廃村李平宿-2020-06-14
https://yamap.com/activities/6658756
明治になり、万世大路・奥羽線が開通し
大正時代に廃村になったそうです。


googleは大平迄入って入るが既にがらんとした人は殆ど住まず,畑が残ってるだけの土地っぽい。通いか。
https://www.google.co.jp/maps/@37.8082024,140.3439896,3a,75y,196.8h,79.43t/data=!3m6!1e1!3m4!1syC5UY83jbTIlSZtU4hLqNA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

635とはずがたり:2021/02/02(火) 23:52:35
穴だ!

https://www.google.co.jp/maps/@43.0896348,140.4652286,3a,69.6y,163.39h,90.6t/data=!3m7!1e1!3m5!1s2Q_gobWOcEK83Nd70ldM_A!2e0!6s%2F%2Fgeo1.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D2Q_gobWOcEK83Nd70ldM_A%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D106.25281%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

636とはずがたり:2021/02/10(水) 18:41:01

廃道への道

羽幌町 町道通行止箇所図
https://www.town.haboro.lg.jp/kurashi/kankyo/road/files/choudoutuukoudome.pdf

637とはずがたり:2021/03/28(日) 11:04:35

日足トンネルを通らずに旧道の細尾峠を越えてみた。恥ずかしながら足尾はてっきり群馬かと思ってたが日光市で吃驚した。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1375825803288604675

足尾は近年は下都賀郡(今の鹿沼市と日光市が主)に属していたが元々は今の佐野市が中心の安蘇郡に属していたそうだ。
足尾の栃木県内の通行はこの細尾峠(R122)の他,粕尾峠(r15)があるが,これは今の鹿沼市と通じており,いずれもその前は下都賀郡であるが,当時は粕尾ともう一筋南西,r199沿いの永野も安蘇郡だった様だ。これらが安蘇郡だと今の佐野市と接する(もう一筋南西のr200沿いの秋山)が現代の交通体系では川沿いになって寸断されていて,鹿沼よりも栃木市なんかと関係は深そうだが佐野市ではなさそうなのは理解出来る。(今でもr200からは林道大荷場木浦沢線を通じて鹿沼と繋がっているhttps://ashikaga-sano.goguynet.jp/2020/08/19/closed200/様だ。これが古いルートなのかも。グーグルhttps://www.google.co.jp/maps/@36.54748,139.507306,3a,90y,29.82h,88.98t/data=!3m7!1e1!3m5!1seteGLzL6WaFPuzg7Ldi1mQ!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DeteGLzL6WaFPuzg7Ldi1mQ%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D130.49799%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=jaにもしっかり載っている!!)

安蘇郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%98%87%E9%83%A1
上都賀郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%83%BD%E8%B3%80%E9%83%A1

一方,渡良瀬川を下ると山田郡大間々町と新田郡笠懸町と勢多郡東村の3郡3町村で対桐生で成立したみどり市(市町村合併ウオッチは熱心にやった心算だったがこの辺はぐちゃぐちゃの印象。桐生と合併せいぐらいにしか思ってなかったが3郡跨いだ3町村の合併だったとは・・)だが古くからの街である大間々と新興の笠懸を主軸とした町である。

わたらせ渓谷鉄道(足尾線)は主に勢多郡沿いにあったようだ(東村[花輪・神戸・沢入]や大間々町と合併した神梅・塩沢)。この勢多郡は赤城山の周辺であるが,明治期二つに分割されて北勢多郡は利根郡と合併して利根郡に,南勢多郡は東群馬郡と合併して勢多郡になったようだ。

いずれにしても行政区画は入り交じり交通手段などの変更を経て変更されてきているようだ。

南勢多郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8B%A2%E5%A4%9A%E9%83%A1

639とはずがたり:2021/03/28(日) 11:07:39

日足トンネルを通らずに旧道の細尾峠を越えてみた。恥ずかしながら足尾はてっきり群馬かと思ってたが日光市で吃驚した。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1375825803288604675

足尾は近年は下都賀郡(今の鹿沼市と日光市が主)に属していたが元々は今の佐野市が中心の安蘇郡に属していたそうだ。
足尾の栃木県内の通行はこの細尾峠(R122)の他,粕尾峠(r15)があるが,これは今の鹿沼市と通じており,いずれもその前は下都賀郡であるが,当時は粕尾ともう一筋南西,r199沿いの永野も安蘇郡だった様だ。これらが安蘇郡だと今の佐野市と接する(もう一筋南西のr200沿いの秋山)が現代の交通体系では川沿いになって寸断されていて,鹿沼よりも栃木市なんかと関係は深そうだが佐野市ではなさそうなのは理解出来る。
(今でもr200からは林道大荷場木浦沢線を通じて鹿沼と繋がっているhttps://ashikaga-sano.goguynet.jp/2020/08/19/closed200/様だ。これが古いルートなのかも。https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.29.47.063N36.35.42.917/zoom/8/の他グーグルにも(ストビューも!)しっかり載っている!!)

安蘇郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%98%87%E9%83%A1
上都賀郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%83%BD%E8%B3%80%E9%83%A1

640とはずがたり:2021/03/28(日) 11:08:17
>>639
一方,渡良瀬川を下ると山田郡大間々町と新田郡笠懸町と勢多郡東村の3郡3町村で対桐生で成立したみどり市(市町村合併ウオッチは熱心にやった心算だったがこの辺はぐちゃぐちゃの印象。桐生と合併せいぐらいにしか思ってなかったが3郡跨いだ3町村の合併だったとは・・)だが古くからの街である大間々と新興の笠懸を主軸とした町である。

わたらせ渓谷鉄道(足尾線)は主に勢多郡沿いにあったようだ(東村[花輪・神戸・沢入]や大間々町と合併した神梅・塩沢)。この勢多郡は赤城山の周辺であるが,明治期二つに分割されて北勢多郡は利根郡と合併して利根郡に,南勢多郡は東群馬郡と合併して勢多郡になったようだ。

いずれにしても行政区画は入り交じり交通手段などの変更を経て変更されてきているようだ。

南勢多郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8B%A2%E5%A4%9A%E9%83%A1

641とはずがたり:2021/03/28(日) 12:12:37
>>638-639
年譜

江戸時代 江戸時代の後期に発見された足尾銅山で採掘された銅を、利根川水系まで運ぶために開通した街道が122号の前身
1877(M10)閉山同然となっていた足尾銅山に古河市兵衛が経営に参画
1878(M11)安蘇郡足尾町=佐野方面(●今のr15鹿沼足尾線・林道大荷場木浦沢線・r200秋山葛生線で連絡か?)
1881(M14)足尾銅山で有力な鉱脈を発見
1884(M17)増大する精錬処理に対応する為に現在の場所に集約した(足尾銅山の風景)→●1881の鉱脈発見に伴うものだろう
1889(M22)町村制施行・下都賀郡足尾町=日光方面(R122細尾峠)・鹿沼というか栃木方面(r15粕尾峠)と往来
1891(M24)田中正造,国会で足尾銅山の鉱毒を告発
1905(M38)市兵衛の死後,足尾銅山は古河鉱業の経営となる。
1906(M39)足尾銅山日光電気精錬所操業開始・索道で運んだ(wiki日足)とのことなので●これに併せて索道開通したのだろう
1912(T元)12月足尾鉄道が沢入〜足尾を開業させる。 翌1913.10,国が借り入れ足尾線と改称。更に翌14.8足尾〜足尾本山開業。
1918(T7)6月買収,国有化
1920(T9)足尾銅山日光電気精銅所は古河電工として分離→●足尾線の国有化によって日光(清滝)と足尾に分かれてた精錬だがこちらは古河電工として分離した形か?小松(1981)にも「当所は,操業以来,古河鉱業その他の製錬所から粗銅の供給を受ける委託製錬所であり,能力増強後の現在において も委託 に加え自社購入粗銅の製錬を行なつており,鉱石から一貫した生産を行なう一般の製錬所と根本的に異なつている。」としている。
1972(S47)古河電工の日光電気精銅所として分離
1973(S48)足尾銅山閉山
1978(S53)日足トンネル開通
1989(H元)国鉄足尾線の貨物輸送廃止以降,海外からの輸入鉱石による製錬を停止(wiki足尾銅山)。休止同然だった間藤〜足尾本山はわたらせ渓谷鐵道の未成線となる(wiki足尾線)。微妙に記述がズレてる感じがするが●国鉄足尾線末期には鉱石輸送も低調だったのだろう。わた鉄は足尾の精錬事業の貨物を宛てにして発足したけど輸送が終わってしまって苦悩している樽見鉄道パターンかと思ってたけど違う(最初から輸送はしてなかった)様だ。硫酸とかトラックでは高コストの危険物を輸送してたんちゃうのか。

足尾銅山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%8A%85%E5%B1%B1
小松新樹「日光電気精銅所における銅精錬」日本鉱業会誌1981
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigentosozai1953/97/1122/97_1122_624/_pdf/-char/ja
足尾精錬所のある風景
http://shorebook.jp/ashi/kinsan33sei1.html
わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(足尾線)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%9B%E6%B8%93%E8%B0%B7%E9%90%B5%E9%81%93%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%9B%E6%B8%93%E8%B0%B7%E7%B7%9A
国道122号線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93122%E5%8F%B7
日足トンネル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%B6%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

642とはずがたり:2021/03/28(日) 12:37:46
>>629

因美南線那岐駅の向こうのr6とr295も似た様な通行止めだった。

https://twitter.com/tohazugatali1/status/1373127683953938434

岡山県道・鳥取県道6号津山智頭八東線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%93%E3%83%BB%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E9%81%936%E5%8F%B7%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E6%99%BA%E9%A0%AD%E5%85%AB%E6%9D%B1%E7%B7%9A

鳥取県道295号西宇塚那岐停車場線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E9%81%93295%E5%8F%B7%E8%A5%BF%E5%AE%87%E5%A1%9A%E9%82%A3%E5%B2%90%E5%81%9C%E8%BB%8A%E5%A0%B4%E7%B7%9A

643荷主研究者:2021/03/29(月) 23:09:56

https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/280094
2021/03/15 09:00 上毛新聞
《幻の集落 根利山の軌跡》群馬・栃木県境にかつて3千人以上の村

木材などを運んだ索道の本線入り口(沼田市提供)

砥沢の集落で行われた盆踊り=1930(昭和5)年(沼田市提供)

砥沢にあった大工小屋の石垣(右)と事務所の石垣(左)。真ん中を鉄索が通っていた(沼田市提供)

◎役割―足尾銅山を林業で支える

 そこにはかつて、美しい村が存在した―。

 旧利根村(現群馬県沼田市利根町)と栃木県境に位置し、日本百名山の一つに数えられる「皇海山」西麓一帯。山の南西面の谷々は深く、いくつもの清流が険しい沢を刻む。そんな深山幽谷の地に「根利ねり山」はあった。

 1898(明治31)年、足尾銅山(栃木県)の木材資源の供給地として、古河鉱業が根利林業所を開設した。鉱山事業には膨大な木材が不可欠。当時、同社は鉱毒問題を抱えていたが、足尾全山の坑道をつなぐ動脈が完成するなど鉱山経営は転機を迎えていた。

 同社が本県に林業所を置いたのには訳がある。明治20年代に入り、銅山周辺の山は木材が枯渇し始めた上に山火事も発生、山林が荒廃を極めたからだ。新たな資源を求めて開設した同林業所を拠点に、作業区域は根利国有林の一部と、以前から同社が所有していた平川山林の大森林地帯に及んだ。

 根利山は、足尾銅山で使う木材を切り出すための従業員と、その家族によって造られた集落の総称だ。砥沢、平滝という二つの大きな集落があり、林業の最盛期には3千人以上が暮らしていた。

 ロープウエーのような本格的な空中ケーブルを使った鉄索技術が導入された。総延長は2万7千メートル。この索道は多くの木材を運搬しただけでなく、住民の生活物資を足尾から届ける生命線だった。

 根利山は明治、大正、昭和と日本の近代化の一翼を担った足尾銅山の繁栄を支え、1939年に閉山。戦後の木材需要の高まりに伴い、古河鉱業から三陸木材工業に一部の山林が売却されると51年から再び開発が進められ、平滝が復活し、64年まで存在した。
    ◇   ◇    
 沼田市歴史資料館は4日から1カ月間、根利山の軌跡を紹介する企画展を開く。閉山から約60年。歴史や文化、当時の暮らしをたどり、役割を見つめ直す。

◎生活―足尾から物資で営み豊か

 根利山には宿舎のほか、神社や寺院、診療所、映画館などさまざまな施設があった。奥深い山の中でありながら、当時の最先端の文明が足尾(栃木県)から入ってきたため、生活に不自由はなく、鉄道が引かれていない沼田よりもはるかに近代化されていた。

 毎日の暮らしに必要な米やみそ、しょうゆ、塩、酒、油など多くの生活物資は足尾から索道で届いた。タラコやサンマ、サケなどの海産物もたるや箱で運ばれ、新聞や雑誌、郵便も毎日届いた。日用雑貨類やたばこなどは、村で唯一の商店が扱っていた。当時は無医村が多かったが、砥沢と平滝には医師が常勤する医局が置かれ、駐在巡査もいた。

 大人の生活のためという都合でこの地に暮らした子どもたちにとって、課題となったのが教育だという。砥沢と平滝には1909(明治42)年に小学校が設けられ、児童は最も多いときで砥沢147人(20年)、平滝162人(19年)が在籍していた。

 山の四季の移ろいは美しい。春になると雪を割ってフキノトウが顔を出し、マンサクやネコヤナギが山の道に彩りを添えた。伸びる日脚とともに雪が消え、木の芽がふくらむ4月下旬には、住民が一年で最も楽しみにする山神祭が行われた。

 村の中心を通る道路にはアーチやあんどん、ぼんぼり、造花が飾られ、大きなのぼりがはためいた。音楽隊や仮装行列、沼田からやってきた屋台も並び、子どもたちが歓声を上げた。獅子舞の奉納では住民が村の安全を願った。

 夏は7月15、16日の盆踊りが最大の行事。広場にやぐらを建て、老若男女が浴衣姿で盛大に踊った。秋は小学校の校庭で、学校や青年団など住民合同の運動会が行われた。

 9月末から10月中旬にかけて紅葉が見頃に。10月が終わる頃には木枯らしが吹き始め、時雨から雪に変わる。辺り一面がゲレンデと化し、お手製のスキーで原生林を滑るのも楽しみの一つだった。

644荷主研究者:2021/03/29(月) 23:11:12
>>643-644 続き

◎未来―“別天地”の記憶を後世に

 根利林業所は1939年に閉鎖された。理由は、足尾銅山(栃木県)の衰退に伴い、伐採の必要性が減少したからだ。当時、住民の出身地は、本県をはじめ、足尾などの栃木県、富山県、石川県など多岐にわたっていた。閉山後は近隣の里で新しい生活を始める人、遠く離れた土地に移る人とさまざまだった。

 67年、根利山で暮らしていた人たちは「根利山会」をつくった。毎年8月3日に集まり、先祖の墓参りのため山を訪問。定期的に会報「皇海」を発行するなど、長年にわたり、失われた古里をよりどころにした。だが、徐々に高齢化で現地入りが不可能になり、2005年に解散した。

 根利山の歴史、文化、住民の暮らしぶりを後世に残そうという動きは多方面に広がった。03年には、ダム建設中止に伴って閉鎖された水資源開発公団栗原川ダム調査所と、旧利根村、村教委が協力して現地調査を進め、本にまとめたこともあった。

 皇海山登山口近くの道なき道を2時間ほど進むと、砥沢の集落跡につながる。根利山会が拠点とした手作りの小屋「皇海荘」のほか、土場の石垣、住居や学校の跡など、人々が確かに暮らした痕跡が皇海山の麓に眠っている。10年ほど前まで市民有志らが訪れていたが、崖崩れや雪崩などの影響で現在は山道を通ることはできないという。

 利根村の記録には、根利山を、俗世から離れた世界を意味する別天地とする記述も残る。「今は語り継ぐ人もいなくなり、根利山のことを知る人はほとんどいない。機運が高まれば、山道や跡地が整備され、観光地など何らかの形で“復活”することもあるのでは」。沼田市歴史資料館の高山正館長は、開催中の企画展「足尾銅山を支えた根利山」の意義を語る。

 会場に並ぶ写真や住民たちの声は、消えた集落に再び光をともすだろう。根利山は「幻の集落」と呼ばれたが、人々が絆を強め、生きた証しは決して幻ではない。

(沼田支局・堀口純が担当しました)

645とはずがたり:2021/04/07(水) 00:08:29
営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
https://goworkship.com/magazine/niche-onlyone-7/

646とはずがたり:2021/04/10(土) 21:16:38
>>615

明神の森再訪。
今日は上まで登ってみたが封鎖されていた。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1380800207005249541

647とはずがたり:2021/04/10(土) 22:37:10
土倉鉱山(銅)跡
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1380738824486019075

http://lenin.jp/~maekawa/mine/tutikura/tutikura.html
県内唯一の、銅、硫化鉄、少量の金・銀、 微量の鉛を産出していた。

どうやって選鉱場から搬出してたんだ??

国鉄バスが木之本から走ってたそうだから鉄道敷設の計画あったのか?
http://www.ken-tmr.com/tutikura-kozan2018/tutikurakozan.html

648荷主研究者:2021/04/11(日) 22:01:02

https://this.kiji.is/747271007038373888?c=75768590128873475
2021/3/24 05:30神戸新聞NEXT
かつてのドル箱「波賀森林鉄道」今も山中に遺構 復活を夢見る大人たち

往時の波賀森林鉄道を復活させようとする「波賀元気づくりネットワーク協議会」のメンバーたち=フォレストステーション波賀

木材を積んで走る波賀森林鉄道のトロッコ(宍粟市提供)

 鉄道路線がない兵庫県宍粟市に、かつて“ドル箱”と称される「鉄道」が走っていた。住民の暮らしや地域の発展を支えた「波賀森林鉄道」。国有林から切り出した良質な木材を運び、最盛期には総延長約40〜50キロに達したという。廃線となって半世紀以上が経過した今も山中に遺構が残り、往時のにぎわいを静かに伝える。そして今、森林鉄道を復活させようと夢見る大人たちがいる。(村上晃宏)

 波賀総合スポーツ公園「メイプルスタジアム」(同市波賀町有賀)は、今でも地域住民から親しみを込めて「土場(どば)」と呼ばれる。森林鉄道で山奥から集めた木材の一大集積場「上野貯木場」だった。土場で木材が入札に掛けられ、主に阪神間へと運ばれた。

 森林鉄道の建設は国内の木材需要の拡大を背景に、国の旧営林署が手掛けた。最初は1916(大正5)年、引原ダムの人工湖「音水湖(おんずいこ)」付近に整備された約2・0キロの音水線。当初は牛や馬などでトロッコを引いたが、次第に蒸気機関車などに変わった。

 24(同13)年に音水湖付近から上野貯木場までを結ぶ幹線が建設され、鉄道網の基礎が完成。音水▽中音水▽赤西▽万ケ谷▽カンカケ▽上野▽坂の谷-の「路線」が市内に整備された。

 森林鉄道には、蒸気機関車など動力を持った車両が運材台車をけん引する「鉄道」と、台車の重さで下り坂を自走する「軌道」があった。一部では、木材を載せたトロッコごとワイヤでつり上げ、ロープウエーのように空中輸送もした。

 ただ安全技術が未発達で脱線や転覆事故が絶えなかった。昭和30年代初め頃から安全性が高く効率の良いトラック輸送に変わり、各路線は廃止されて林道に変わっていった。

 最後まで残っていた中音水線の廃止が決まり、1968(昭和43)年7月15日には「閉鉄式」が執り行われた。機関車は警笛を鳴らしながら3両のトロッコとともに山を下っていった。


    ◆   ◆

 林業を支えた波賀森林鉄道は、住民の暮らしとも一体だった。

 上野貯木場には旧営林署の官舎が設けられ、職員とその家族が住んで「まち」が形成されていた。子どもたちは丸太が積まれた場所でかくれんぼをしたり、トロッコを押して遊んだりしたという。

 同官舎で生まれ、20歳まで住んでいた岡本豊さん(65)=宍粟市=は「いつも土場で遊びよったなぁ」と懐かしむ。

 毎年10月14日には、安全を祈願する「山の神の祭り」を開催。官舎の家族が機関車に乗って外出する慰安旅行や盆踊りなどもあった。土場では大人たちが歌っていた「ヨイトコンヤレー、ヨイトコンヤレー」の掛け声が響いていたという。

649とはずがたり:2021/04/11(日) 22:10:46
凄そう。googleで見ても今畑聚落跡・入谷聚落跡・向之倉聚落跡など一杯廃村らしきものがある。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2666182,136.3329297,15z?hl=ja

https://twitter.com/shoki_sigure/status/1381208555584245770
shoki@酷険道
@shoki_sigure
返信先:
@AudiTT_223
さん
男鬼までの路面確認してきましたが八百津ダートといい勝負します!ほぼ全面舗装ですが幅が狭く、廃道区間のように枯葉や枝が敷き詰められてますw
落合集落?男鬼の区間がズバ抜けてやばいので男鬼峠から来て引き返せばまだ安全かと…w

650とはずがたり:2021/04/12(月) 00:20:30
>>647

土倉鉱山。日窒鉱業が経営してたそうな。
http://haikyorou.pro.tok2.com/tutikura.html
『トワイライトゾーンマニュアル7』所収の「昭和32年専用線一覧」に拠ると北陸本線木ノ本駅に日窒工業の専用線があった。

八草峠(今は廃道同然の旧峠道)を越えて運んだなんて記述もどっかで目にしたがそれは誤りで此処は素直に北陸本線迄運んだとみて良さそう。

昭和39年の交通公社『時刻表』に拠ると国鉄バスは若江線。浜大津や米原,小浜,敦賀辺りを縦横無尽に結んでいる。特に土倉へ伸ばす予定は無さそうだった様子。。

https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/019/937/83/N000/000/001/145598617397772420177.png

651とはずがたり:2021/04/12(月) 10:38:14
>>647>>650
おお,この頁詳しい。岩内線国富駅の専用線迄絡んでるとは!!!S32では国富にあるのは住友金属鉱山。佐賀関は勿論日本鉱業で,日窒はあちこちに鉱物出荷してたんだな。

ヤンマーの工場は駅の西側に拡がって居る。

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-741.html?sp
日窒鉱業土倉鉱業所→ヤンマーディーゼル木之本工場専用線(北陸本線木ノ本駅)
専用線跡
2018/09/2422:33 0 0
日窒鉱業土倉鉱業所の索道から鉱石を積替えていた専用線。
鉱山は1965(昭和40)年に閉山になりますが2年後の1967(昭和42)年9月には同じ土地にヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)木之本工場が竣工しています。
鉱山時代は選鉱された黄銅鉱や黄鉄鉱の精錬所へ積出しや鉱山で使用する資材の到着に使われていたようです。
この専用線や索道ができる前に鉱山から馬車で隣の中ノ郷駅へ鉱石を輸送していた頃から出荷先の精錬所はばらばらだったようで北海道の国富精錬所(敦賀港〜小樽は船舶輸送、小樽から函館本線経由、旧・岩内線国富駅より専用線が分岐)や大分県の日鉱佐賀関(関西から船舶輸送か)など非常に遠くまで送られていました。

2018(平成30)年9月26日追記
土倉鉱山が日窒鉱業の手に渡り1934(昭和9)年11月に土倉〜木ノ本13,201mの架空索道が開業。
翌1935(昭和10)年2月には木ノ本駅に隣接して木之本硫酸工場を起工、1937(昭和12)年2月に操業開始しています。
この工場では土倉鉱山から索道で送られてくる黄鉄鉱、黄銅鉱から硫酸を精製していたようですが1943(昭和18)年5月に解体とのこと。
戦後の航空写真を見ると日窒鉱業の敷地が広い割にガランとしてるのはプラント跡地となっていたためのようです。
kinomoto_p.jpg
硫酸を生成した後の銅は敦賀港まで貨車で運び当時日窒の本拠地だった朝鮮半島の日窒鉱業興南精錬所(現・朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)へ送って製錬していました。
ヤンマーディーゼルになった後は現在までトラクターを生産していますが専用線は原材料の到着か製品出荷に使っていたものと思われます。

652とはずがたり:2021/04/12(月) 17:28:58
なかなかよさげな感じ☆
https://www.google.co.jp/maps/@35.2685435,136.3396436,15z?hl=ja
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.272348/136.327254/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

https://twitter.com/shoki_sigure/status/1381208555584245770
shoki@酷険道
@shoki_sigure
返信先:
@AudiTT_223
さん
男鬼までの路面確認してきましたが八百津ダートといい勝負します!ほぼ全面舗装ですが幅が狭く、廃道区間のように枯葉や枝が敷き詰められてますw
落合集落?男鬼の区間がズバ抜けてやばいので男鬼峠から来て引き返せばまだ安全かと…w

653とはずがたり:2021/04/26(月) 11:09:03

野迫川村道上垣内立里線(一部未成)
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1386502148939153416

654とはずがたり:2021/04/26(月) 12:45:39

国道774さんの
大入
https://drive.google.com/file/d/1js32eOvR10NXJbiPrH4BaMgB5-MR8q5y/view

655とはずがたり:2021/04/30(金) 20:40:34
なんと,r235から高野辻を経て殿野へ自動車で抜けられるのか!?手許のマップル(2014年版)では点線となっている。

で,なんとストビューだとr235の画像は無いのに殿野経由はある。。

旧大塔村集落探索Vol3
2015-07-26 14:50:07
https://ameblo.jp/hannkyuuikeda/entry-12511024723.html

https://www.google.co.jp/maps/@34.1715489,135.7935227,3a,75y,240.88h,82.65t/data=!3m7!1e1!3m5!1sSgv_WWepNRDMAT0oaalvRA!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DSgv_WWepNRDMAT0oaalvRA%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D166.52002%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja

656とはずがたり:2021/04/30(金) 21:24:35

(;´Д`)はあはあ
大見尾越って云う訳でもう飯何杯でもいけるww

林道久多尾越線
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-891.html

657とはずがたり:2021/04/30(金) 23:13:33

夏焼ってだけでもう飯なんばいでも。。

【散策日記 #2】秘境、夏焼集落を訪ねて【Walk Diary #2】Unexplored area "Natsuyaki" village.
https://www.youtube.com/watch?v=YEQL66HU2HE
156,003 回視聴
•2019/06/15

658とはずがたり:2021/05/02(日) 17:57:12
伏越集落を探す【消滅集落の民家・廃村】(奈良県葛城市伏越)Katsuragi City Fushigoe, Nara Japan
3,243 回視聴?2021/05/01
https://www.youtube.com/watch?v=uejde1xdbTI
ミトラの風景 mitra Landscape

>奈良県葛城市に岩橋山という山があり、兵家という場所にかつて伏越集落が存在した。
>現在は一軒しか残っていないが1970年代には山全体が農地になっていて、10軒ほどの民家があった。

兵家と岩橋山はここ
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.41.41.752N34.29.44.926/zoom/9/

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92639-2154+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E8%91%9B%E5%9F%8E%E5%B8%82%E5%85%B5%E5%AE%B6/@34.4992389,135.6841078,15.19z/data=!4m5!3m4!1s0x60012c6968e0ee7f:0xd3ab6e68fcf35b7!8m2!3d34.497881!4d135.6929052?hl=ja

村影氏によるとこれ
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/29.Nara/Taima_Fushigoe.html
>集落入口には神社 石柱には「春日神社遥拝所」とある
>町史によると、当地は兵家の枝郷。元和の検地帳では30戸と記されているが、過疎化により現在は2戸となっているとある

棚機神社脇からお隣竹内のr704に抜ける道があるようだがそれ沿いに聚落はあった模様。

659とはずがたり:2021/05/02(日) 23:15:58
>>526

大和索道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%B4%A2%E9%81%93

大和索道株式会社(やまとさくどう)は、かつて存在した物資専用索道会社。奈良県五條市と吉野郡大塔村阪本(今の五條市大塔町阪本)および野迫川村紫園とを結んだ。索道は単線式であった。

吉野郡方面の物資の集散拠点であった五條の町が、より多くの貨物を集めることを狙い、地元の有力者たちが物流手段として構想した。通常の鉄道を建設することは峻険な地形の点から見て到底困難であったことから、当時日本では前例のほとんどなかった架空索道(ロープウェイ)を選ぶことになった。これにはジェームスモリソン商会の大阪支配人である石田美喜蔵の売り込みによるものであったという。石田は取扱い商品の中でロー式単線自動循環式索道に注目しこれを山間地輸送用に普及させようとしていた。このためイギリスへの発注、計画、設計、出願から開業に至るまで石田が取り仕切ったという。まもなく石田は独立し安全索道を設立する[1]。1907年(明治40年)にこの計画を奈良県に出願したが、県にも知識がなかったため許可は遅れ、1910年(明治43年)にようやく許可が得られ、翌年大和索道が発足した[2]。

1911年(明治44年)に第1期区間が着工され、1912年(明治45年)5月26日に、今の五條市二見の国鉄川端駅から富貴村(今の和歌山県伊都郡高野町西富貴・東富貴)まで8.8キロメートルが開通した。1917年(大正6年)6月27日には7.2キロメートル延長して富貴村から天辻を越えて大塔村阪本まで達し、合計して16キロメートルの索道となった。五條市二見からは生活物資(食料の他、燃料、大豆、苦塩水、肥料、雑貨など)が運び込まれ、富貴村や大塔村などからは木材や特産品の凍り豆腐が運び出された。この索道が盛んに使われていた大正9年10月1日から翌年3月31日までの半年間の輸送量は阪本方面へは553,162貫(=約2,074トン、1日あたり約11トン)、二見方面へは749,807貫(=約2,811トン。1日あたり約15トン)にも及んだ。

1922年(大正11年)に途中の峠にトンネル(天辻隧道・とは註:今も残る旧道の方)が開通し自動車の通れる道路が改修されたことから、大塔村までトラックやバスの運行が開始されて大和索道は大きな影響を受けることになった。第二次世界大戦中、野迫川村の立里鉱山の鉱石運搬の必要から、1944年(昭和19年)に阪本から野迫川村紫園まで3.76キロメートル延長された。以降はほぼ鉱山輸送専用の索道であった。1957年(昭和32年)により優れた自動車道路が開通(とは註:現天辻隧道だろう)したことからトラック輸送へと切り替わり、1960年(S35)頃に索道は廃止となった。また鉱山も同じころに閉山となった。(川端駅そのものは1982年(S57)10月1日に廃止)

川端駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E9%A7%85_(%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C)

駅が開設された目的であった吉野材の輸送に関しては、従来紀ノ川をいかだに組んで流して河口の和歌山から船で送られていた。しかし吉野の産地と大阪の需要者が直接取引を行うために輸送路が求められるようになり、川端駅が設置されたことでここが水陸輸送の連絡点となった。貨車の配車がすぐに行われるとは限らなかったため、1905年(明治38年)1月には貯木場が建設されて、以降急激に出荷量が増加していくことになった。後に吉野鉄道(近鉄吉野線)が開通すると、そちらを経由した直接輸送も行われるようになった。

この頃、五條はもともと紀ノ川流域の集散地として栄えたこともあり、五條の南側にある吉野郡各村からの物資集散をさらに増やせないかという考えが有力者の中で生じていた。そのためには、川端駅からさらに南側へ鉄道を延長して、大塔村阪本(現在の五條市大塔町阪本)あたりまで伸ばせればよいのであるが、峻険な地形のために実際にはこれはほとんど実現不可能であった。そこで、架空索道(ロープウェイ)を建設して貨物輸送のみでも結び付けられないか、という構想が生じることになった[15]。1907年(明治40年)にこの計画を奈良県に出願した
当時日本では索道利用の前例がほとんどなく(とは註:川根電気索道http://www15.plala.or.jp/yai/setogawa/sakudou.htmlは1926年(T15),この辺の先進性が判るなあ・・)県にも知識がなかったため許可は遅れ、1910年(明治43年)にようやく許可が得られた[16]。これにより大和索道が設立され、1911年(明治44年)に着工され第1期の二見川端 - 富貴間8.8 kmが1912年(明治45年)5月26日に開通した[17]。さらに1917年(大正6年)6月27日には富貴 - 阪本7.2 kmが開通して全線16 kmで運転が開始され、従来数日はかかっていた貨物輸送をわずか2時間40分に短縮し、費用は3分の1から5分の1になり、沿線の住民にも大きな利益をもたらした[18]。

660とはずがたり:2021/05/04(火) 22:32:16
>>653
林道ホラ谷立里線(建設中)
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1386512231232245773

661とはずがたり:2021/05/05(水) 13:48:20
神童子川沿いの林道
林道神童子谷線というらしい
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1389798307715715073

662とはずがたり:2021/05/05(水) 22:09:03
十津川村大字池穴字中原(なかばら)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/29.Nara/Totsukawa_Nakabara.html

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.47.16.034N34.0.45.254/zoom/10/

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92637-1215+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%90%89%E9%87%8E%E9%83%A1%E5%8D%81%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E6%9D%91%E6%B1%A0%E7%A9%B4/@34.0154069,135.783952,348m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6006f0f348c58215:0x2fd41d12a794d8d!8m2!3d34.0183287!4d135.7757965?hl=ja

https://www.youtube.com/watch?v=vOVL2fjC588

663とはずがたり:2021/05/06(木) 20:36:00
廃村だらけ。。
滋賀県道17号不通区間 調査報告書 はなかなか詳細

【近江鈴鹿】男鬼山と廃村探訪 2019/4/17
https://teppan.blog.ss-blog.jp/2019-04-24

落合(霊仙)
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.21.21.756N35.15.52.578/zoom/9/
https://www.google.co.jp/maps/search/%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%B8%82%E8%90%BD%E5%90%88/@35.2652161,136.345403,14.75z?hl=ja

男鬼
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.20.19.130N35.16.2.330/zoom/9/
https://www.google.co.jp/maps/@35.270664,136.3356399,3a,75y,130.69h,80.55t/data=!3m7!1e1!3m5!1s0a0slymCIvHK1oVoPEcCEA!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3D0a0slymCIvHK1oVoPEcCEA%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D192.18045%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja

武奈
https://www.google.co.jp/maps/@35.2801993,136.3381162,150m/data=!3m1!1e3?hl=ja

今畑・入谷
https://www.google.co.jp/maps/@35.2621294,136.3529094,849m/data=!3m1!1e3?hl=ja

【酷道 険道】廃村街道?滋賀県道17号を行けるとこまで行く【モトブログ】大人のバイク NC700 インテグラ
https://www.youtube.com/watch?v=crMpSfDBXt0

滋賀県道完全走破 17号多賀醒井線
https://www.youtube.com/watch?v=F4caub83J3s

2016年05月18日
滋賀県道17号不通区間 調査報告書 Part1
https://serow353.naturum.ne.jp/e2718687.html

664とはずがたり:2021/05/06(木) 22:30:24

結構有名らしい。

#250 権現谷林道にて ?行者、橋、水湧く巨岩?
http://blog.livedoor.jp/ekon_bangai-ashiato/archives/1056461365.html

665とはずがたり:2021/05/13(木) 03:07:15
先日途中迄走ったr224。ひょっとしてと思ったけど三重県境まで県道指定されてる模様ぅう!!


奈良県道224号大台大迫線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%81%93224%E5%8F%B7%E5%A4%A7%E5%8F%B0%E5%A4%A7%E8%BF%AB%E7%B7%9A

三重県境から西進し、国道169号へ至る。起点の大台辻から同村入之波字筏場までは台高山脈への登山道であるため、自動車の通行は不能。

666とはずがたり:2021/05/13(木) 03:11:24
>>665
三重県側からのお迎えに当たる道路は無さそう。

r53とかと繋げればいいのに。

667とはずがたり:2021/05/13(木) 03:20:18
これもなかなか面白そうな分断県道。

県道のマークはないがR422の分断区間の末端区間の国道で塗られてない区間はほんとはこのr758なのではないか?

http://kendougt.web.fc2.com/Mie-758.html
三重県道758号 桧原大内山線

668とはずがたり:2021/05/13(木) 03:28:44
>>667
今となっては半世紀以上である。。

>ここに至るまでにいくつか橋を渡っていて、橋の建造年を見るとほとんど昭和31〜32年となっていた。と、いう事は半世紀近くこの道は伸びていない!?

19650年代に延ばそうとしてそのままかよw

googleは工事中でもないのにこんな所であきらめとる。
https://www.google.co.jp/maps/@34.2780641,136.308711,3a,47.8y,269.68h,94.19t/data=!3m6!1e1!3m4!1sdjOXAJGjG4tZ9Dw1Jmq_VA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

2003年の県道グランツーリスモ氏の全面的な勝ちっぽいな。その氏も2017年にはもう更新ないかもとか書いている。

669とはずがたり:2021/05/15(土) 16:11:59
万波が真南の意味なら此処は越中の物だろうと思うんだけど昔から争ってるようだ。
ただ久婦須の連中が侵入したのが直ぐ南の万波だとして白峰と楢峠は随分離れていて違う話だろう。

O-RANGENOTE
目指すは白木峰
https://o-rangenote.site/sample-page/%E5%B1%B1%E8%A1%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B3%B0/

 近所の山にしては珍しくなだらかでたおやかな山である。山頂付近は湿原や浮島があり娘のお気に入りの山であるが今回は一人(1台)で来た。

 地元の山のはずであるが、残念ながら富山県側の方がアプローチがよい。県境近くの峠を越え、一旦富山県側に下ってから林道を登り返す。時間的には家から1時間程度だ。山頂付近は富山国体の頃に木道も整備され、優雅に池糖めぐりができる。

 この山を巡っては古くは鎌倉時代から国境争いがあり、昭和の40年代まで県境が確定しなかった。
 自分の持っている国土地理院の5万分の1の地図(昭和43年発行)にも県境の線が入っていない。

 かつては山頂にNTTの鉄塔があり、自宅からの眺めの目印にもなり、目障りにもなっていたがいつ頃からか取り払われている。
 鉄塔のおかげと思うが林道が延長され点検用の作業道が山頂まであるので、自家用車でも山頂近くまで行くことができる。
 途中のゲートに鍵がかかっていてそこから徒歩になり、1時間足らずで山頂だが、ハンターカブで行くとうまくすると柵の横をすり抜けて山頂まで行く事が出来る。

国境論争

 江戸時代の国境論争は、飛騨側の百姓が幕府へ裁定を訴え出た事で表ざたになった。古くから飛騨の入会山(いりあいやま)であった久母須万波山(くぶすまんなみやま)に越中の桐谷村(富山県八尾町)の村人が加賀領だと主張して入り込み、薪・木呂(ころ)を盗伐したとして訴え出たものである。延宝2年(1674年)8月に飛騨側の全面勝訴の形で裁定が下ったが、まさに首をかけた争いで、命がけで争ったものであった。

 今では境界争いと言っても誰もさして気にも留めないが、国(藩)の境の事なので飛騨・越中それぞれの藩主を巻き込んだ一大事件であった。
 
 実はそれ以前から係争の火種はくすぶり続けており、それぞれの藩で交渉はしていたようであるが、江戸表まで提訴してようやく決着を見たという形になっている。

 飛騨と越中それぞれの国(藩)の威信をかけて幕府に訴え出たようで、負けたら命はないものと覚悟していたようである。

 出立(しゅったつ)は水杯(みずさかずき)であったと、記録にあるし、3年後に裁定が下り負けた越中側の当事者は入牢し帰宅したという記録はない。それにその後越中前田藩では関係した家老が切腹をしたとの記録があるし、他にも不審な死が伝説になっている。今に至るまで遺恨が残っているともいわれている。

 飛騨側が金品を江戸へ送って裁定に手心を加えさせたとの話もあるし、もともと天然資源の豊富な飛騨を天領にするために幕府がこの争いを恣意的に裁定をしたとの説もある。裁定の最中に富山藩の藩主が急逝し毒殺の噂もあるのである。

 そんな争いがすぐ身近で、それもその後数百年にわたって尾を引き、つい最近まで繰り広げられていたのである。

朝日新聞地方版のシリーズ「県境」の切り抜きがある。

  この「県境」シリーズはその後も何回か掲載されていたと思うが、まだ活字が小さい昭和の48年頃のものである。

その中で「河合村」があり、
越中と飛騨の農民が寛文12年(1672年)から3年越しに争い、何度か江戸まで足を運びようやく幕府の裁定が下りたが、再び昭和36年から10年間争った後昭和46年6月に杭打ちをしてようやくにして県境が定まったのである。
3百年前の争いは、楢峠からほぼ北東に伸びる分水線を国境とする越中側の言い分と、さらに4キロ北に寄った白木峰の尾根筋が国境だという飛騨農民の主張の対立。「越中農民が立ち木の伐採に越境している」との訴えから騒動が始まり、最終的にほぼ全面的に飛騨側の主張が認められ、現在の県境に近い形で国境は決まった。
昭和の争いも県境を挟んで伐採をしていた二つの林業会社が林地を巡って「越境した」「していない」と対立して起きた。飛騨側に土地所有権を持つ業者が富山県の業者と八尾町を相手どって提訴。最高裁まで争った据え、昭和45年6月になって境界線が確定した。

 と新聞の記事に書いてある。

670とはずがたり:2021/05/21(金) 14:29:01
和賀川http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/waka00.htmlの西側を奥羽山脈の脊梁が南北に貫いて居る訳だがhttp://yamaiga.com/road/kawaguti/main.html (山行が「奥産道 太田沢内線」)で示された奥羽山脈を抜ける6本の道,北からR46仙岩峠・奥産道太田沢内線,峰越連絡林道真昼峠,r12笹峠,広域基幹林道萱峠,R107巣郷峠,いずれも気になる道である。

長大な廃道で知られる仙岩峠は一寸別格なのでそれ以下の5本を調べてみる。

一番低い巣郷峠300mが今ではメインに成ってゐるけど,現在はってことは昔は違ったんか。
>この峠の約10km南方に、国道107号線が僅か海抜300mの巣郷峠で県境を越えている現在
https://yamaiga.com/road/sasatouge/main.html (山行が「黒森峠と笹峠」)

調べてみると
http://www.kyudou.org/nagajis.dyndns.org/Bunsuirei/text_d/toh/sugou.html
>国道107号。ツーリングマップルはこの名前で記載している。白木峠に代わって開かれた平和街道の新道とでもいうべき所だが、実際は黒沢沿いのこちらの道のほうが古かった可能性がある。
>正確な記録はないものの奥州藤原氏の金を運んだ隠し道があったという伝承があり、それを裏づける神社などの物的証拠もちらほらあるそう(c.f.横田市史or山形県史)。

とあって,古くは白木峠がメインで巣郷峠は記録にも残らない脇道だったようだ。より昔(奥州藤原氏時代)には使われていたらしいが遠回りを嫌われた様だ。

十津川沿いの川も長いこと嫌われ?熊野古道は高野山から峠を上り下りしてたが結局は勾配よりは距離を選好した時代ということか。川沿いが災害とか多かったのかなと思うのだけど

西和賀ファン
2013年11月6日
白木峠
http://www.nishiwagafan.jp/hyakkei/history/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B3%A0
白木峠は、西和賀町と秋田県横手市を結ぶ、標高601.6mの峠(別称・白木山)です。

その歴史は古く、後三年の役で安部貞任が越したと古書に残されており、その後も南部藩と佐竹藩との重要な往来道でした。

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道は甚だ嶮岨(けんそ・地勢のけわしいさま)で容易ではない。さらに南の巣郷には平坦な往来道の秀衡街道があったが、遠距離なので後世に白木峠を通る道を開いた。(邦内郷村志)

険しくて越えるのに甚だ難儀をする。道は狭くてすれ違うのがやっと。駕籠(かご)は通れないし、荷物を積んだ馬は通れず、馬に乗って通ることもできない。しかし牛だけは荷物を積んで上り下りできる。(澤内風土記)

また、藩政時代「下り塩」として日本海側の東北各藩に移入された瀬戸内塩は、物部川を遡行して陸揚げされ、六郷・横手を中継地として、沢内・湯田など西和賀方面に入ってきました。

この白木峠も、下前の笹峠や左草の萱峠とともに「塩の道」でした。

671とはずがたり:2021/05/21(金) 14:42:18
>>670
白木峠と巣郷越を自宅のデュアルモニタで一枚に納めた位置。
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.288293/140.699522/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

この距離差でこの難路を選好するのか〜。。

秋田藩と盛岡藩の番所が置かれててこっちを歩けとなっていたっぽい。版図防衛にも好ましかったのか?
>番所の廃止もあって、明治9年の久保田の豪商山中新十郎は、黒沢峠に後の平和街道を切り開き、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A1%97%E9%81%93

その隣り薊峠も黒沢川(え!?こんなとこに黒沢?北上市の本来の名前は黒沢尻。こいつの終点って意味か?)沿いの迂回を避けて旧街道は峠越えたのか?
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.294139/140.612447/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

特に検索掛けてもこの峠のことは出てこない。。

672とはずがたり:2021/05/21(金) 22:00:41
>>670-671
http://yamaiga.com/road/kawaguti/main.html (山行が「奥産道 太田沢内線」)で示された奥羽山脈を抜ける6本の道,北からR46仙岩峠・奥産道太田沢内線,峰越連絡林道真昼峠,r12笹峠,広域基幹林道萱峠,R107巣郷峠。
長大な廃道で知られる仙岩峠は一寸別格なのでそれ以下の5本を調べてみる。

次は真昼岳林道。国道を除けば唯一開通はしてる形にはなっているが酷い状況らしい。特に岩手側があれてるようだ。ジムニーで走破とか書かれてる。

臨場感あるレポはこれかなあ。

残念ながらGEOの廃止で4以降が見れないけど,


真昼岳林道/ Mahirudake 林道探索の書 ?今日もどこかで林道ざんまい? 
探索日 2015.08.11 / No.Ak-020 
 [ 所在地 ]西和賀町(岩手県) ・ 美郷町(秋田県) [ 状態 ]完抜半ダート [ 接続林道 ]- [ 分岐林道 ]-
 ダイナミックに爽快な峠越えの長距離ダートだが、行き交う車両は途絶えて今は無人境!
http://geo.d51498.com/rindou_tansaku/akita-top/ak-020/ak-020.htm

673とはずがたり:2021/05/22(土) 23:23:54
R361の高根沢ダム付近の旧道発見!

https://www.google.co.jp/maps/@36.0223128,137.5033298,3a,75y,193.86h,78.05t/data=!3m6!1e1!3m4!1s_29sHnC0WB75fyi3bJcZ6w!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://www.google.co.jp/maps/@36.0215756,137.5008077,3a,75y,276.42h,85.55t/data=!3m6!1e1!3m4!1slfjanPo73kk7CjHnvbZ0Hw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

674とはずがたり:2021/05/22(土) 23:29:13
R361の高根沢ダム付近の旧道発見!

https://www.google.co.jp/maps/@36.0223128,137.5033298,3a,75y,193.86h,78.05t/data=!3m6!1e1!3m4!1s_29sHnC0WB75fyi3bJcZ6w!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://www.google.co.jp/maps/@36.0215756,137.5008077,3a,75y,276.42h,85.55t/data=!3m6!1e1!3m4!1slfjanPo73kk7CjHnvbZ0Hw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

もう誰かがレポしてるわ。

http://tenere.blog.shinobi.jp/%E9%9A%A7%E9%81%93%E3%83%BB%E5%BB%83%E9%9A%A7%E9%81%93/%E5%9B%BD%E9%81%93361%E5%8F%B7%E3%80%80%E5%BB%83%E9%9A%A7%E9%81%93%E4%B8%89%E3%81%A4%E3%80%80%E4%B8%8A%E3%83%B6%E6%B4%9E5%E5%8F%B7%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E6%97%A5%E5%92%8C%E7%94%B0
国道361号 廃隧道三つ 上ヶ洞5号トンネル・日和田1号トンネル・日和田2号トンネル

675とはずがたり:2021/05/24(月) 23:33:50

この先を通り抜けた動画っぽいw流石にヤバそうww
https://www.google.co.jp/maps/@34.2984373,135.2508206,3a,75y,343.83h,88.8t/data=!3m9!1e1!3m7!1sI0e4uTw6dr4l0FvKuCwF8A!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i32?hl=ja

行ったことを後悔する超限界集落の先の狭い道へ
213,708 回視聴?2021/05/02
https://www.youtube.com/watch?v=wIiisG2HQF4

676とはずがたり:2021/05/25(火) 23:28:11
>>665-666
矢張り主要地方道同士が(道路台帳上で)繋がるのが好いだらう。

調べてみると

奈良県道
40 大台ケ原公園川上線
53 高野天川線(和歌山県道と共通)
三重県道
40 熊野矢ノ川線
53 大台ヶ原線

ということは

奈良県道
40 大台川上線(三重県道と共通)
53 高野天川線(和歌山県道と共通)
三重県道
40 大台川上線(奈良県道と共通)
53 熊野矢ノ川線

とするのがいい感じ♪

勿論,林道洞川川上線を組み込んで

53 高野川上大台線(奈良県道・和歌山県道・三重県道共通)とかにしてもめっちゃええ♪(・∀・)b

677とはずがたり:2021/07/07(水) 00:05:23
隧道探訪
四国の旧廃道にある「隧道」を紹介するHPです。
http://www.mafura-maki.jp/

678荷主研究者:2021/07/17(土) 23:27:25

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/554580?rct=n_hokkaido
2021年06/14 05:00 北海道新聞
道道夕張長沼線、本当に必要? 全線開通求め首長らが期成会 費用対効果には疑問も

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20210614hokkaido01.JPG
道路が途切れている道道夕張長沼線=夕張市南清水沢3

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20210614hokkaido02.JPG

 【夕張】市清水沢宮前町と長沼町中心部を結ぶ、道道夕張長沼線(延長32・5キロ)の未開通部分に関し、夕張、栗山など1市3町の首長らによる整備促進期成会が3月下旬に設立された。期成会からは災害時の夕張と札幌圏のアクセス確保など、開通の必要性を主張する声が上がる。一方、夕張市の人口減に歯止めがかからない中、同市内では費用対効果を疑問視する意見も出ている。

 同線は1982年、道道に認定。現在、夕張市南清水沢3と栗山町御園の10・6キロが未開通となっている。開通部分は道道認定前からの既存道路。札幌建設管理部は未開通の理由を《1》未開通部分の距離が長い《2》急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯を通過《3》整備には時間と費用がかかる―と説明。今後については「地質の状態や社会情勢、交通量、費用対効果を見極めて、整備が必要か否か検討したい」と話している。

 期成会には首長に加え、議会議長らも参加。会長には厚谷司・夕張市長が就いた。39年間整備されていない道路の期成会を設立したことについて、夕張市議会の大山修二議長は、清水沢地区が将来的な市の中心部となる市の構想を挙げた上で「札幌との既存ルートが災害時に使えなくなった場合や、救急患者の搬送、観光ルートの構築で大いに効果が得られる。費用対効果を前面に出せば、まちづくりなどできない」と話す。

 ただ、同市内からは「道道札幌夕張線(札夕線)や国道274号があるのに、人口が今後も減っていくであろう夕張市に新しい道はいらない」といった意見が出ている。不要不急の公共事業に厳しい世論もある。

 ある関係者は「新しい市立診療所は札夕線の終点がある若菜地区にできるため、夕張長沼線が救急患者の搬送に有効だとは思えない」と指摘。「清水沢から札幌までの所要時間は札夕線を使うのに比べると4分短縮にすぎず、整備費用も200億円はかかるとも言われており、必要な道路だとは言えない」と話す。(志村直)

679荷主研究者:2021/08/15(日) 21:49:53

https://www.minyu-net.com/news/news/FM20210716-637248.php
2021年07月16日 08時15分 福島民友新聞
万世大路の環境整備 福島の保存会、伐採や側溝清掃

二ツ小屋隧道で交流を深めた福島と米沢の関係者

 福島市と山形県米沢市を結ぶため明治初期に整備された栗子峠の「万世大路」の保存活動に取り組む福島市の「二ツ小屋隧道保存会」(鈴木信良会長)は10日、万世大路に残るトンネル跡の二ツ小屋隧道周辺の環境整備活動を行った。

 同保存会員ら約15人が雑木伐採や側溝清掃などを行った。この日は米沢市側から万世大路を歩くイベントも開かれており、二ツ小屋隧道でこのイベント参加者を出迎えて、福島と米沢の関係者が万世大路を通した絆を確認した。

 万世大路は福島・山形の発展に向けて両県が1876(明治9)〜77年に着工。当時日本最長の「栗子隧道」など大規模工事を進めて81年に開通した。昭和初期から改良されたが、国道13号整備に伴い昭和40年代に廃道となった。

680荷主研究者:2021/09/11(土) 11:43:17

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/581662?rct=n_hokkaido
2021年08/25 05:00 北海道新聞
ダム湖に沈んだ道が… 旧道道当別浜益港線 夏の水位低下で出現

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20210825hokkaido01.JPG
夏場の水位低下で旧道道当別浜益港線の道路が現れている当別ダムの「当別ふくろう湖」=24日

 【当別】夏場の水位が下がった当別ダムのダム湖「当別ふくろう湖」で、ダム建設で水没した旧道道当別浜益港線の道路が姿を現している。札幌建設管理部当別出張所によると、まとまった雨が少ない夏場に見られるという。

 当別ダムは当別や札幌、石狩、小樽への水道水や農業用水の供給などを目的に、道が実施主体で2012年に完成した。建設工事に伴い青山や青山中央地区などの住民が立ち退いたほか、当別浜益港線の一部もダム湖に沈んだ。12年にはダムの周囲に延長9・8キロの道路が付け替えられた。

 ダム湖では砂をかぶった道路が出ている。道路はカーブを描き、曲がったガードレールもある。うっすらと白や黄色の車線も確認することができ、かつて道路があったことを伝えている。

 同出張所によると、23日午後2時の水位は54・74メートル。下流に自然放流される水位の57・2メートル以上には届いていない。同出張所は「現在の水位は例年並み。水道水の供給などに支障は出ていない」と話す。

 例年9月以降は雨の日が増え、再びダムの放流が始まる。(伊藤駿)

681とはずがたり:2021/11/21(日) 12:15:17
面白そうだ。買ってみるかねえ。。

新刊
走らなかった鉄道 未成線を追う
松村真人・著
サイズ:四六判
https://kobe-yomitai.jp/book/1125/

682とはずがたり:2021/12/06(月) 20:54:04
トムラウシ山遭難事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7%E5%B1%B1%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。
https://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comments
Juli 18, 2009 151 Kommentare

683とはずがたり:2021/12/06(月) 20:56:47
この事故で亡くなったブロガーが>>682のらしい。

奥秩父4重遭難の残酷、千葉法相の無残
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/dc220586f1431a5443c9ec86cd734f28
2010年08月06日

684とはずがたり:2022/03/25(金) 21:40:26
帰省序でに佐久間方面から新豊根ダムを見に行こうと思ったたのに此処(大入渓谷沿い愛知県道429号)通行止めかよ!トンネルも見えてるし。。通りてぇ〜。よっきのわるにゃんよろw

https://www.google.co.jp/maps/@35.1248635,137.7628558,3a,15.2y,216.88h,87.14t/data=!3m6!1e1!3m4!1soa5fnEJAqTOvfy7_exGOgg!2e0!7i16384!8i8192?hl=ja

因みに新豊根発電所のある佐久間ダム湖方面へ抜ける分地峠も県道指定されてる(同428号)のにそっちは車道ですらない模様。

レポみっけ。

愛知県道428号・未開通区間入口?【2019年11月2日】
https://ameblo.jp/subaru6ss/entry-12547483113.html

685とはずがたり:2022/08/02(火) 23:34:22
富士山の麓、青木ヶ原樹海に延長2キロの“石の壁” いったい誰が何のために? いまだ解明されない謎
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/96337?display=1


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