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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1 とはずがたり@元林道部会長 :2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

2 とはずがたり :2007/09/30(日) 23:40:59
山手東側隧道
http://yamaiga.com/tunnel/yamatehigasi/main.html

ヨッキれん氏は04.8.16に訪問している。
我々は先日07.9.16に平田側の坑口だけ見てきたがあんな不気味な中によお入ろうとする気持ちが起きるもんだ。。

平田の埋め立て地は幾つか事業所が出来ていて,巧く行けば工場が建ち並ぶ場所になりそうであった。

北側の坑口も近く迄行けば良かったかねぇ。工場内で入れない様だがそっちのレポがないので。。

釜石市立 鉄の歴史館
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/rekishikan/
にも行ったが,社線は鉄鉱石を運ぶ陸中大橋─工場間と途中小佐野付近から北へ分岐し,薪などを搬出した小川線から成っていたようである。

鉄鉱石が暴騰を続け,陸中大橋でもう一遍良質で大量の鉱脈が見つかったりして鋼都復活といかんものかねぇ??
釜石で製鉄所を復活させるのは無理だけど平田に搬出港を整備して陸中大橋から積み出せないかねぇ?

陸中大橋には錆び付いた積み出し施設の残骸が残っていたが,駅舎は撤去されていた。

3 とはずがたり :2007/10/01(月) 00:45:02
【記憶屋 廃墟】
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/index.html

田老鉱山
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/ruins/mine/tarou/tarou1.html

【鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊】
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/kouzan.html
田老鉱山
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/taro/taro.html

宮古のラサ工業所有。こちらは銅鉱山。
こちらも銅の価格が高騰してって事になりませんかねぇ〜。

なんか非鉄金属スレでやった方が良かったかも。。

4 とはずがたり :2007/10/02(火) 01:44:45
これは凄い。。日本の近視眼的な道路行政批判も出来る。県道・国道スレでも行政改革スレでも相応しいが。。
いやこんな素晴らしい所を(自分はクルマで)是非通ってみたいという気持ちを禁じ得ないんだけどね。

塩那道路に係る基本方針(平成16年8月) 栃木県庁
http://www.pref.tochigi.jp/douken/enna/enna/houshin.htm

塩那道路
(県道中塩原板室那須線)
http://yamaiga.com/road/enna/main.html

5 とはずがたり :2007/10/02(火) 03:32:32

これもすげぇ・・明日があるからもう帰って寝なければ。。

道路レポート 十和田湖八甲田山連絡道路 序
http://yamaiga.com/road/hakkouda/main.html

 十和田湖八甲田山連絡道路
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=886bf19244bf16661091bd826cc2b21f

6 とはずがたり :2007/10/02(火) 23:31:01
栃木県の道路地図と八甲田山と那須の山の地図を買ってきてしまった。
既に東北の地図はバッチリ準備済みである♪

7 とはずがたり :2007/10/04(木) 22:30:46
第3回 「日本は本当に広い」──“廃道”に人生を捧げるマンネリ知らずの管理人
http://ascii.jp/elem/000/000/051/51646/

8 とはずがたり :2007/10/11(木) 04:21:43
山行が覧てたらこんな時間だ(泣

道部屋
http://www10.tok2.com/home/michibeya/road.html

街道Web
http://wing2.jp/~kaido/menu.htm

9 とはずがたり :2007/10/16(火) 20:06:51
【森吉山ダム】
発電も出来るし,過疎地の解体をする事が出来るし云う事無しの様にも思えるが,兎も角莫大な費用が掛かる事だけは間違いない。

森吉ダム(S28竣工)に続いて森吉山ダム(H23竣工予定)で,小俣川流域からは住民が放逐されて無人の地帯になるのだそうな。

http://yamaiga.com/rail/moriyosi/main2.html
http://yamaiga.com/road/takamori/main3.html

http://www.thr.mlit.go.jp/moriyosi/
・森吉山ダムの役割1 洪水調節
・森吉山ダムの役割2 既得用水の安定供給と水辺環境の保全
・森吉山ダムの役割3 農地にかんがい用水を供給する
・森吉山ダムの役割4 町に水道用水を供給する
・森吉山ダムの役割5 発電を行なう
http://www.thr.mlit.go.jp/moriyosi/hataraki/yakuwari_1/f_yakuwari_1.htm

10 とはずがたり :2007/11/10(土) 01:29:35
ちょいと興味深い推理を含む。

http://yamaiga.com/koneta/koneta_58.html
東ノ又林道 旧道

11 とはずがたり :2007/11/10(土) 13:07:45
このページのメインコンテンツは食糧倉庫。

酒田臨港開発線
http://yamaiga.com/rail/sakata/main.html


門司の田ノ浦http://www.kitakyu-fc.com/pub/guide/location/1_souko.htmlや新興http://butsuryu.web.fc2.com/foods.html#3-seihukeiなんかにもあるね

流石に鉄道貨物趣味的に復活してくれとは言い難いよなぁ。周辺が都市化してきてるところも多そうだし,土地売却・再開発がセオリーだろうけど・・
ただ東北からはコメ臨時列車も運転されるので,貨物駅の側に倉庫でも造ってコキに直接荷役とかしてくれるとお洒落だが,普段の利用に町中では使い勝手悪いだろうしなぁ・・。
酒田港は寂れた感じが強いのでその辺のてこ入れを含めて隅っこの方に建設できないかね?

12 とはずがたり :2007/11/11(日) 01:46:45
知られざる最凶県道
232号 「太平山八田線」
http://yamaiga.com/koneta/koneta_9.html
秋田県道232号線「太平山八田線」は、平成14年度の資料によれば、秋田市太平と秋田市八田とを結ぶ、全長7514mの一般県道である。
市街地に接続し、太平山のリゾート地に市民を運ぶ、重要な路線の一つであるが、この路線の名にまつわる謎は、長く私を悩ませ続けてきた。
「太平山八田線」という名は、どうして、その終点と起点を取って、単に『太平八田線』とならなかったのか?
この分かりやすい矛盾点は、
「秋田には登山道が県道の道がある」
という、全国的に知られたる都市伝説を、生み出しさえもした。
この伝説は、いうまでも無く、その名が示すとおりに太平山の山頂に起点があるのではないか、という憶測によって生まれたのであろう。
しかし、先にあげた資料の通り、いや、それ以前にも、正式にその可能性は否定されており、やはり謎は、謎のまま。
都市伝説はやはり、伝説に過ぎなかった。
そう考えていた。
 しかし、昨年。
図らずして、その謎の突破口が、秋田公文書館にて、私の前に開かれた。
現在では欠番が目立つ秋田県県道の過去を探るために開いた、ある資料には…
232 太平山八田線 指定年度:昭和34年 起点:太平 終点:八田 延長:13720m 
 お気づきだろうか?
なんと、昭和34年の県道指定当時、この県道の起点終点こそ今と変わらぬものの、その延長が、長い!
現在に比較して、5000m以上も、長かったのだ。
この事実は私に、あの都市伝説が、ある一時期において、紛れもない真実であったということを、連想させた。
総延長の3分の1以上が縮小するような大規模な路線の改廃は、この地域では考えにくい。
さらにいえば、その経路において、昭和30年代と今とで大きく異なる部分など、ありはしないのだ。

 さらに調べてみると、昭和51年頃に現在の延長に再指定をうけたみたい。

登山路が県道?
http://blogs.yahoo.co.jp/yamakawa_oyazi/45753162.html
太平八田の車道にかかる鳥居付近から木曽石→金山滝(ここからは登山道)→前岳→中岳→奥岳のコースが県道だった!!

三吉神社奥宮までのお山がけでかつては賑わっていたのだそうだ。
(「秋田の山歩き」から)

藤原優太郎 編 「秋田の山歩き−身近な50座徹底ガイド−」 1986年11月第1刷 無明舎出版
藤原優太郎 「秋田のハイキング−低山徘徊−」 1989年12月第1刷 無明舎出版

13 とはずがたり :2007/11/20(火) 01:14:38
林道部で此処走ったことあります。
かなりの悪路をこまのインテグラタイプRで。正直済まんかった。
あのネタ開陳した思いでの場所でもあります。

http://www.demio-go.net/fr/onyu/
小入谷・上根来林道

14 とはずがたり :2008/03/18(火) 14:20:36
久々のage
東京大空襲を調べててカーチス・ルメイから源田実・三無事件・川南豊作を経てこの記事に辿り着く。よっきれんに探索して欲しいねぇ。造船所跡では大した穴はないのかなぁ。。

川南工業株式会社 浦野崎造船所跡
http://homepage1.nifty.com/masay/nagasaki/kawanami.htm

15 とはずがたり :2008/05/01(木) 12:22:30

道路の改良
http://www.the-orj.org/cgi-bin/dokaiwiki/wiki.cgi?page=%C6%BB%CF%A9%A4%CE%B2%FE%CE%C9

 「道路の改良」は「道路改良会」が発行していた戦前雑誌。大正9年11月から昭和19年6月まで発行され、道路行政や道路工事などにまつわる話を掲載していた。土木学会付属図書館デジタルアーカイブスで見ることができる。

 当時の内務省の建物内に事務局があり、内務省の息が強くかかった編集体制だったようである。それでも今の私たちが想像するようなお仕着せの記事ではなく、辛辣な提言苦言や、ユーモアに満ちたエッセイ、小説まで載っていて、単に道路の情報というだけでなく、道路や土木工事を通して当時の世相を知ることができる、大変貴重な資料だと思う。(nagajis)

16 とはずがたり :2008/08/19(火) 02:44:52
山いがを読んでいて気付いたが群馬県の高山村は中山と尻高の合成地名なんかな?

切ヶ久保新道
http://yamaiga.com/road/kirigakubo/main.html

17 荷主研究者 :2008/09/22(月) 01:35:45
黒四ダムをはじめとする黒部渓谷は昔から興味があった。是非一度行ってみたいものだ。

黒部渓谷探検シリーズ 其の壱 其の弐

黒部上部軌道を行く
http://homepage.mac.com/izunton/BlueforceFiles/kurobe.html
秘境十字峡への道
http://homepage.mac.com/izunton/BlueforceFiles/horzntlpas.html

18 名無しさん :2008/09/29(月) 01:48:37
レポにコメント書くとこないからここに書こうっと。

なかなか更新来なくて心配してたら秋田入りかい!
・・・と突っ込もうと思ったが・・・お彼岸か・・・。
ヨッキ、ちゃんと墓参りしたか?
廃道探索では守られてるんだろうから、ご先祖様には手ェ合わせとけ?

19 とはずがたり :2008/09/29(月) 02:27:32
>>18
初めまして,山行がファンの方ですね。
各コンテンツの最後にコメント欄と点数評価はあるものの掲示板にはなってないですもんね。
山行がサイトの代わりに此処で書いていただけるのは非常に光栄ですが,ヨッキ氏の目には残念ながらとまらないでしょうなぁ。。

20 18 :2008/10/03(金) 08:22:30
遅レスすいません&駄ひとりごとで失礼しました。
うちのプロバイダが某2のつく掲示板にアクセス禁止食らって、つい・・・。
でも、「実家の墓に手を合わせるヨッキれん氏」の脳内妄想を誰かと共有できてちょっと嬉しかったり。
またお邪魔させて頂きますね。

21 とはずがたり :2008/10/03(金) 12:29:05
いえいえ同好の趣味人の反応頂けるのは非常に嬉しいです。
彼の例の極限状況での自分撮り写真,を何枚も見て顔知ってるだけに墓参りで手ぇ合わす図も想像できておもろかったっすヽ(´ー`)/

またあれと似たことやってるとかあれば是非此処でご報告下さいな。最近俺は全然ですけど。。

22 とはずがたり :2008/10/03(金) 15:02:51
あと2○○ねるの山行がスレって何処にあるんでしょーか??
限られた板しか見ないのであんま意識してなかったです。。

23 18 :2008/10/04(土) 08:09:11
ネットウォッチ板ですよー。
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1220459301/l50

24 とはずがたり :2008/10/04(土) 12:59:25
あざーすヽ(´ー`)/
読ませて頂きますね。

25 とはずがたり :2008/10/12(日) 23:09:11

大間線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/大間線
戸井線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/戸井線
下北交通大畑線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/下北交通大畑線

大間線背景

大間にある海軍の要塞強化工事に伴う資材運搬用として、むつ市の下北駅から大間までを結ぶ鉄道として計画された。後に戦争による空襲で青函連絡船が被害を受けることが想定されたため、津軽海峡で最も幅の狭い大間〜戸井間を代替航路として利用することが計画され、これに接続する路線として建設されることになった。1937年(昭和12年)に工事が開始され2年後の1939年(昭和14年)に大畑線として下北〜大畑間が開通、大畑以北も工事が進められ路盤の大半が完成、終点の大間以外では駅も建設され僅かな未着工部分を残すのみとなったが、1943年(昭和18年)に戦時中の資材不足により工事は中断、その後再開されることなく放置されていた。青函隧道計画が持ち上がった際に東ルート案ではこの区間を通ることになっていたため、それまでは地図には予定線として記載され工事再開の備えがあったようだが、1968年(昭和43年)に西ルートに決定してからは予定線として記載されることもなくなった。

大間線

戸井線概要
改正鉄道敷設法別表128号に「渡島國函館ヨリ戸井ニ至ル鐵道」として規定されていた予定線であった。戦時中の1937年に、船舶輸送の短絡化(戸井町から青森県大間町への航路を利用)や、戸井町に要塞を建設するといった軍事的な目的で建設が開始された。9割方の路盤が完成していたものの、戦時中ということもあり資材不足のため1943年(昭和18年)に工事を中断。結局建設は再開されないまま中止となった。駅は終点の戸井駅を含めて9駅が予定されていた。

その後青函隧道計画が持ち上がった際、東ルート案では戸井線区間を通ることになっていたが、1968年(昭和43年)、西ルート(津軽線・江差線)で建設することに決定し、戸井線開通の可能性は消えた。戸井線はレールを敷設されることはなく、青函トンネルに転用されたのは美幸線のレールである。

大畑線歴史

津軽海峡に面した下北半島は日本の国防上重要な拠点で、陸奥湾側の拠点のあった大湊まで鉄道が開業したのは1921年のことであった。翌年に制定された改正鉄道敷設法においても別表第1号に「青森県田名部ヨリ大畑ヲ経テ大間ニ至ル鉄道」として規定されたが、しばらく着手されることはなかった。

この予定線が建設線に昇格するのは、大間にあった海軍の要塞の施設強化に伴うもので、1937年に第1期線として下北〜大畑間が着工され、1939年に開業した。大間までの予定線(大間線)も引き続いて建設が進められたが、太平洋戦争の戦局悪化にともなって1943年12月に工事は中止された。津軽海峡の対岸にあたる北海道の亀田半島においても要塞の施設強化のため戸井線が建設されていたが、これも未成のまま工事が中止されている。

戦後しばらくは、海産物や木材の輸送で活況を呈したが次第に減少し、1980年に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定された。協議会では一時バス転換に傾いたものの、1984年になって南部縦貫鉄道が大湊線とセットでの引受を表明。これに対し地元のバス会社「下北バス」が経営地盤の防衛から引受けを表明し、一転して鉄道として存続することとなった。特定地方交通線が純民間資本の民営鉄道に引き継がれた希な例で、他には同じ青森県の弘南鉄道に引き継がれた黒石線あったが、バス会社の鉄道引受としては唯一の例である。下北バスには、鉄道経営の経験はなかったが、バス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受け、1984年に社名を下北交通に改称。1985年7月に大畑線の営業を引き継いだ。しかし、その後も経営は苦しく、結局廃止されることとなった。当初2001年6月1日廃止予定だったが、2か月早まって2001年4月1日に廃止された。

<大畑線>
下北駅 - 海老川駅 - 田名部駅 - 樺山駅 - 陸奥関根駅 - 川代駅 - 正津川駅 - 大畑駅
<大間線>
大畑駅 - 釣屋浜駅 - 木野部(きのっぷ)駅 - 赤川駅 - 下風呂駅 - 桑畑駅 - 易国間駅 - 蛇浦駅 - 大間駅 - 奥戸(おこっぺ)駅
<戸井線>
五稜郭駅 - 東五稜郭駅 - 湯の川駅 - 銭亀沢駅 - 渡島古川駅 - 石崎駅 - 小安駅 - 汐首駅 - 弁財駅 - 戸井駅

26 とはずがたり :2008/10/12(日) 23:10:02
>>25-26

廃線レポート 大間線
http://yamaiga.com/rail/ooma/main.html

 第一期工事区間として大湊線から分岐する下北から大畑までの18kmを決定し、昭和12年に着工、同14年には「大畑線」としての営業を開始している。

 残る大畑から大間、そして終点奥戸(おこっぺ、大間町)までの25kmだが、このうち中間地点の桑畑(風間浦村)までが第二期工事区間とされ、昭和13年に着工されている。
戦時中にもかかわらず、大間要塞への砲弾輸送を重要視していた軍部の主導で豊富な資金が投じられ、海岸線ぎりぎりまで山が接するような難所に次々と路盤が建設されていった。
そして、昭和16年10月の時点では残り5kmほどを残して竣功していたという。
この時点で、第二期区間の完成は昭和18年とアナウンスされていた。

 しかし、順調に工事が進んでいたのはここまでで、昭和17年には突如予算が半減され、いよいよ本土の近くに米英の影が忍び寄り始める翌18年には工事中止が突如発表されることになる。

駅間 竣功
大畑 → 釣屋浜 昭和16年8月
釣屋浜 → 木野部きのっぷ 昭和17年8月
木野部きのっぷ → 赤川 着工するも竣工せず
赤川 → 下風呂しもふろ 着工するも竣工せず
下風呂しもふろ → 桑畑 昭和17年10月
桑畑 →→ 奥戸おこっぺ 未着工だが、一部の用地買収のみ実施

<大湊線>
野辺地─2.8─北野辺地─6.8─有戸駅─13.4─吹越─7.1─陸奥横浜─5.9─有畑─6.7─近川─5.0─金谷沢─5.5─赤川─2.3─下北─2.9─大湊
<大畑線>
下北─海老川─田名部─樺山─陸奥関根─川代─正津川─大畑
<大間線>
大畑─釣屋浜─木野部─赤川─下風呂─桑畑─易国間─蛇浦─大間─奥戸
<戸井線>
五稜郭─東五稜郭─湯の川─銭亀沢─渡島古川─石崎─小安─汐首─弁財─戸井

27 とはずがたり :2008/10/19(日) 18:45:59
鵲橋すげぇ。
公開日が探索日の3日後ってのも興奮してそのまま書いたってのが伝わってきますなぁ。

同じ日のレポが5/11に成ってたりするけど。

橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋
http://yamaiga.com/bridge/kasasagi/main.html
探索日 2008. 5.10

明智隧道
http://yamaiga.com/tunnel/aketi/main.html
探索日 2008. 5.11

28 とはずがたり :2008/10/19(日) 19:43:45
久しぶりに読み直した日原探索
各時代の道路が交錯し何処に向かっているのか判りにくい部分もあるけど読み応えはある。

都道204号 日原鍾乳洞線 旧道 探索日 2007.1.16
ttp://yamaiga.com/road/nippara/main.html
6期「旧都道」
昭和17年に着工し27年に完成した。初めて四輪自動車が日原まで入った。

日原古道探索計画 第1回 探索日 2007.1.16
ttp://yamaiga.com/road/nippara/main8.html

第二次 日原古道探索計画 探索日 2007.1.23
ttp://yamaiga.com/road/nippara2/main.html
4期「大正道」
大正4年に改修された道で、氷川から樽沢まで荷車の通行が可能になった。府道242号日原氷川線と呼ばれた。

第三次 日原古道探索計画 江戸道編
探索日 2007.2.21
ttp://yamaiga.com/road/nippara3/main.html
3期「江戸道」
江戸中期に日原の原島家が中心になって、とぼう岩に初めて横断する道が付けられた。

旧東京府道242号 日原氷川線 日原5期道
探索日 2007.1.23および2.21
ttp://yamaiga.com/road/nippara5/main.html
5期「昭和道」
昭和6年に、従来の「大正道」を惣岳吊橋から日原まで延伸し、遂に全線荷車の通行が可能となった。
奥多摩鉱業氷川鉱山 専用索道跡 探索日 2007.3.11
ttp://yamaiga.com/rail/nippara/main.html

29 とはずがたり :2008/10/19(日) 20:32:55
こんな周囲に何もない駅など廃止しろよなぁ…どうせ殆ど利用者居ないだろうに。。
スイッチバック駅だったなんて恥ずかしながら知りませんでした。。

もっと赤字幅少ないであろうに廃止されてしまった区間もあるのに公平さが欠ける気がしてるのであるのであるけど・・。

押角駅
http://yamaiga.com/road/r340_osikado/main4.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/oshikado.htm 廃線画像有り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E8%A7%92%E9%A7%85
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mujinsta/osikado.html
http://blog.goo.ne.jp/naka_premium/e/337f5a2212fbc8f5eb406c4b9ebd7e04

30 とはずがたり :2008/10/23(木) 00:03:39
此も盛り上がった森吉林鉄。再奥隧道は結局未攻略だよねぇ?

森吉森林鉄道跡(第Ⅰ次) 2003.10.8
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi/main.html

森吉森林鉄道跡 奥地編(第2次) 2003.11.3
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi2/main.html

森吉森林鉄道跡 探求編(第Ⅲ次) 2003.12.2
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi3/main.html

森吉林鉄 第Ⅳ次探索 2004.5.5
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi4/main.html

森吉林鉄 第Ⅴ次探索 2004.7.18
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi5/main.html
冒頭に森吉林鉄探索MAPあり

廃線レポート 森吉林鉄 粒様線   序文
ttp://yamaiga.com/rail/tubusama/main.html
「神の谷」2004.9.19-20
森吉林鉄粒様線 「最奥隧道計画」

31 とはずがたり :2008/10/23(木) 15:23:54
すげぇっす。抜けられないのが残念。
http://rindouhunter.com/rin089-1-1.html
山行がもこの位の画像サイズ・精度だと状況がよく判って嬉しいんだけど。

32 荷主研究者 :2008/11/10(月) 03:18:29
ヨッキれんが興味を持つかな?

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080918/CK2008091802000038.html
2008年9月18日 中日新聞
「玉野街道」の高札見つかる 愛知―岐阜県結ぶ明治の有料道路

岐阜県多治見市で見つかった「玉野街道」通行料金を明示した高札

 明治時代に愛知県と岐阜県を結ぶ有料道路として利用された「玉野街道」(名古屋新道)の通行料金を表示する高札が岐阜県多治見市の諏訪町公民館で見つかった。春日井市の市民団体・旧国鉄トンネル群保存再生委員会が21日午前10時から同市浅山町の市総合福祉センターで開く「赤れんがシンポジウム」で概要を発表する。

 高札は、縦約30センチ横約60センチの木製。岐阜県の名前で、同県池田村諏訪(現・多治見市)から愛知県玉川村玉野(現・春日井市)までの通行料金を規定。人力車5厘、乗馬8厘、馬車・牛車1銭5厘などと種別によって分かれ、末尾で「右之通道銭相払通行可致事」と命じている。日付は明治28(1895)年4月11日。

 同委員会は、1966(昭和41)年の複線化工事で廃線となった国鉄(現JR)中央線約8キロ部分(春日井市−多治見市)の産業遺産化を目指して各種活動を進めている。廃線跡調査中に、県境に近い春日井市側庄内川右岸で近代的工事とは異質な玉石を使った道路跡を発見。各種記録に残る「玉野街道」と推定し、多治見市でも調査を進めていた。住民の協力で諏訪町公民館で集会室床の間にあった高札を見つけた。

 多治見市史などによると、玉野街道は、1891(明治24)年に愛知、岐阜県がそれぞれ県内での新道開削に着手。岐阜県側の一部区間で県負担がなかったために地元の市之倉、諏訪住民が資金を出し合って株式会社を組織し、この区間の工事を進め有料道路とした。95年に開通したものの翌年から始まった中央線工事で道路は各地で寸断。1900年の中央線開通後はすっかりさびれてしまったと言う。

 春日井郷土史研究会長の村中治彦さん(71)=春日井市中央台=は「庄内川左岸には戦後、愛岐有料道路ができたが、その先駆となる有料道路が対岸にあったことは地元以外にはあまり知られていなかった。高札はその明治の有料道路の実情を明かす発見で意味がある」と言う。

 シンポジウムは、明治の赤れんがトンネルなどが残る旧中央線を産業遺産として広くPRするため初めて開催する。参加費無料。(問)同委員会事務局=電0568(87)6533

 (都築修)

33 とはずがたり :2008/11/10(月) 05:25:04
俺のあり得ないくらいしょぼくて恥ずかしい薮漕ぎの話しもちょいと手を入れて場所を変えたので晒して置く(;´Д`)
その2の最後らへん。

国道125号線つくばバイパス((都)寺具北条線)と国道408号線延伸
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/TSUKUBA/r125r408tsukubaBP01.html
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/TSUKUBA/r125r408tsukubaBP02.html

34 とはずがたり :2008/11/11(火) 23:48:59
山いがでもお馴染み元自衛官氏のホムペはけーん。
http://www.demio-go.net/

35 とはずがたり :2008/11/22(土) 12:51:36
なんと1ヶ月程前によっきさん我が地元へ来はったんやねぇ。
一声掛けてくれればつきおうたのにぃ〜。

隧道レポート 鶏足山の大沢隧道
http://yamaiga.com/tunnel/keisoku/main.html

此処ら↓Mapionにも未だ隧道の記載が残っている。。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/27/28.139&el=140/13/27.742&scl=25000&bid=Mlink

過疎代行事業と云うけど要らんやろ,こんな道。不法投棄場をカネ掛けて造ってやってるようなものだ。

この辺は日本自動車研究所や日野自動車等のテストコースが集積している場所。

県道の不可思議さをヨッキ氏も言及してたけど
片庭(r1)─r224─下赤沢─r225─七会─r112─阿波山(R123)
寺崎(R50)─r39─七会─r37─塩子─r39─金井(R123)
寺崎(R50)─県北東部広域農道─七会──県北東部広域農道(一部r122重複)─阿波山
と道路が交錯する。

広域農道が一番新しいんだろうけど,無駄な公共事業の臭いを禁じ得ない。
田舎こそ渋滞が酷いので投資すべきなのは地方都市近郊であるべきである。地方都市住民はもっと怒るべきであろう。

まぁこのスレで野暮な不満はなしかw

関係ないけど茨城県道1号(及び栃木県道1号)はなんと宇都宮笠間線と云う地味な路線に割り振られて居るんですねぇ。
せめてr64宇都宮茂木線とr51水戸茂木線をくっつけてr1宇都宮水戸線とかにすれば良いのに。
宇都宮水戸線の位置づけはR123なんかな。
r51宇都宮茂木水戸線でも良いけど。
茨城県道1号は宇都宮栃木線とか宇都宮栃木足利線とかにした方が気分が出るw

36 とはずがたり :2008/11/23(日) 05:37:06
「廃虚」から「廃道」萌え 退廃の歴史探るロマン 出版相次ぐ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/196585/
11/17 23:40更新

 役目を終え、荒れるがままに放置された「廃道」の魅力を紹介する本が相次いで刊行された。ネット上には「オブローダー」(廃道探索者)なる新語もちらほら。退廃の美へのあこがれや郷愁に加え、人や地域をつなぐ道の“物語性”が現代人の心を引きつけているようだ。

 10月末に刊行された『廃道をゆく』(イカロス出版)は、全国に点在する廃道のうち44本を、景観・歴史・荒廃度といったテーマ別に紹介するムック本だ。写真や図版を豊富に使い、探索の心得や観察のコツも説く。同社では、通行困難な国道を特集した『酷道(こくどう)をゆく』が2巻で10万部のヒットを記録。近年の廃虚ブームの流れで「道路への関心も高まっている」(同社)と出版を企画したという。

 実業之日本社も今月、ブルーガイド・ムック『廃道本』を刊行した。歴史的価値が高い廃トンネルの建築美や、廃道に至るまでの経年変化の法則を考察する。マニア向けの内容だが、発売前からネット予約が殺到したという。担当編集者の磯部祥行さんは「工場、団地、ジャンクション…と、近年土木構造物に対するオタク的な興味も広がっている。熟年層がハイキングで行く『旧道歩き』とは楽しみ方が違う」と話す。

 ネット上でも、数年前から廃道情報サイトが目立ち始めている。じつは廃道関連本2冊の執筆者は同じで、その一人が1日約1万人が閲覧する人気サイト「山さ行がねが」を運営する平沼義之さん(31)。現地調査や文献調査で仕入れた情報をサイトで随時公開している。

 「ホテルや病院といった廃虚が『点』なら、廃道は地域や人を結ぶ『線』。どんな人が通り、代わりにどんな道ができたのか…政治的な背景や地域事情など、開通から廃止に至るまでの悲喜こもごものストーリーが多様で、いろいろと想像が膨らみます」

 そう話す平沼さんが、とくに印象に残った廃道が、明治18年に開通した群馬県みなかみ町−新潟県南魚沼市間の「清水国道」だという。東京と新潟を最短で結ぶ国家事業だったが、開通翌月に大雨で崩落し、復旧を待たずに雪崩にも見舞われた。馬車から鉄道への移行期にも重なり、10年もたたずに廃道同然に。「無念さを語り継ぎたい」とか。

 両書の共著者、永冨謙さん(33)も3年前からウェブ同人誌「日本の廃道」を発行。「陰で活躍した仕事人の姿や思いを、風化する前に集積し記述するのが使命」と話す。

 新しい道が開通すれば、元からある道は旧道になる。廃道も生まれる。誰も通らなくなった遺構を、危険も覚悟でたどるのは、利便性一辺倒の価値観を問い直す冒険なのかもしれない。(海老沢類)

37 とはずがたり :2008/11/29(土) 12:18:01
此で終わりは酷いんじゃないっすかね!?(;´Д`)

http://yamaiga.com/rail/kasuge/main5.html
 危険領域 其之一

38 とはずがたり :2008/11/29(土) 13:22:02
国道291号 清水峠 新潟側 <導入>
http://yamaiga.com/road/shimizu/main.html
国道291号清水峠 (新潟側) 第1回
http://yamaiga.com/road/shimizu/main1.html
国道17号旧道 二居峡谷
http://yamaiga.com/road/r17_futai/main.html
切ヶ久保新道 <導入>
http://yamaiga.com/road/kirigakubo/main.html


清水の踏破まだぁ〜!?チンチン(AA略

39 とはずがたり :2008/11/29(土) 18:52:42
ヨッキさん,岐阜も侮れないっすよ

森林鉄道:半世紀ぶり復元を 調査研究委、埋まったレール7キロにわたり確認 /岐阜
11月22日13時1分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081122-00000111-mailo-l21

 ◇下呂・小坂の御嶽山ろくで
 下呂市小坂町の御嶽山ろくで、約半世紀前に廃線になった森林鉄道を復元しようとする構想が持ち上がっている。地元観光協会などで作る小坂森林鉄道調査研究委員会(熊崎武久委員長)が、土砂に埋まったりしたレールを約7キロにわたって確認した。
 小坂森林鉄道は旧名古屋営林局小坂営林署(現岐阜森林管理署)が、旧益田郡小坂町(現下呂市)の小坂川沿いなどに走らせていた約50キロの5路線。旧国鉄高山線が飛騨小坂駅まで敷設されたことに合わせて1933年から木材を運んでいたが、トラック輸送の発達などによって61年に廃線された。
 森林鉄道の復元構想は、「小坂の滝めぐり」が「岐阜の宝もの1号」に認定されたのをきっかけに盛り上がった。小坂森林鉄道調査研究委員会のメンバー6人は、小坂町落合の御嶽登山口のある濁河温泉近くの山中で行われ、崩落した橋げたや土砂に埋もれたレール、ポイントなどを見つけた。
 同委員会は、御嶽登山口の「一の鳥居」から、川岸に切り立った大岸壁で有名な「がんだて公園」の間で、森林鉄道を復元することを目指している。熊崎委員長は「歴史的遺産を残すため、調査研究を着実に進めたい」と話している。【奈良正臣】

11月22日朝刊

最終更新:11月22日13時1分

40 とはずがたり :2008/12/16(火) 15:15:29
旧口野隧道はなかなか読み応え有り。やっぱ穴に入ってこその山行がですなw

沼津市口野の “隧道の辻”
http://yamaiga.com/tunnel/kutino/main.html
沼津の謎の白鳥居
http://yamaiga.the-orj.org/koneta/koneta_127.html
旧口野隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kutino2/main.html

41 とはずがたり :2008/12/17(水) 16:40:11
松の木程では無いだろうがなかなかひどす。
もう一回有料道路にして工事費用取ったらどうか?

御在所岳周辺登山道の状況 (20.9.7現在)
http://blogs.yahoo.co.jp/suzukakodo/16167050.html

42 荷主研究者 :2008/12/31(水) 22:57:45
釜トンネル
http://yamaiga.com/tunnel/kama/main.html

http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20081228/CK2008122802000005.html
2008年12月28日 中日新聞
油断は禁物、真冬の上高地

消灯した釜トンネルの前に設置された冬期閉鎖中の看板=松本市安曇で

◆釜トンネルを消灯
 北アルプス・上高地に通じる松本市安曇の県道釜トンネル内の照明が、車両通行止めとなる冬期閉鎖(11月16日−来年4月15日)の間、非常灯と待避所2カ所の照明を除いてすべて消灯されている。軽装で上高地へ入る観光客を抑制しようという初めての試みで、県松本建設事務所などが、注意を促す看板をトンネル入り口に設置した。

 環境省上高地自然保護官事務所によると、釜トンネルはかつて、路面の凍結がひどく、入山するのは冬山装備の登山者や許可を得た工事車両に限られていた。しかし2005年に付け替えられて以来、冬期閉鎖中でも上高地に気軽に歩いて入る観光客が増え、今冬も来年3月上旬までほとんどの休日に、上高地散策ツアーが組まれているという。

 冬期の県道沿いは雪崩の危険があるが、トンネルが閉鎖中でもあり、対策をほとんどしていないのが実情。「上高地は冬山と同じ」と両事務所は、トンネル内の照明を消すことで、軽装で上高地に入る人を減らそうと、今月5日から消灯した。 (福岡範行)

◆登山相談所を開設
 冬山登山の遭難事故を防ごうと、松本署と北アルプス南部地区山岳遭難防止対策協会は27日、松本市安曇の国道158号側の釜トンネル入り口に登山相談所を開設した。県警山岳遭難救助隊員や遭対協の相談員らが31日まで常駐し、登山者の計画や装備をチェックする。

 上高地などの入山口にあたる同所にプレハブ小屋を仮設した。年末は越年登山の入山者が多くなるため、登山計画書の正確な記入と提出、無理のない日程での登山を指導。登山者の装備の確認や積雪情報も提供する。

 初日は、正午から午後4時までに27組73人が登山計画書を提出。登山仲間13人と入山した川崎市の渡辺一夫さん(72)は「入念に準備をして来ました。気軽な気持ちで入山する登山者には相談所は有効だと思う」と話していた。

 (宿谷紀子)

43 とはずがたり :2009/01/22(木) 01:28:36
鶴子林道と御所山
http://yamaiga.com/road/otokoroyama/main.html

鶴子山林道の二つのトンネル付近
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=38/28/40.160&el=140/34/13.293&scl=25000&bid=Mlink

山形の廃道
廃道、旧道、廃隧道、廃橋、鉄道廃線
http://mx11.hp.infoseek.co.jp/
御所山隧道(第一、第二)
http://mx11.hp.infoseek.co.jp/5syo1.htm
関山隧道
http://mx11.hp.infoseek.co.jp/link2.htm

おもしろチャレンジ
http://www.h3.dion.ne.jp/~mhoshi/index.html
関山トンネル
http://www.h3.dion.ne.jp/~mhoshi/sekiyama.html

44 とはずがたり :2009/02/05(木) 02:07:29
"ガッカリ観光地"になる!? 廃墟の王様『軍艦島』の未来
2009/2/4 11:00
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1114776388/222
廃墟マニア垂涎の"軍艦島"こと長崎県・端島。


この↓島。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=32/37/30.557&el=129/44/29.652&scl=25000&bid=Mlink

流石のゼンリンも大した情報はないなw
http://www.its-mo.com/z-117448055-467067193-18.htm

45 名無しさん :2009/02/17(火) 10:55:38
http://www.youtube.com/watch?v=UOT2IeBXmvc
このひとおもろいなw

46 とはずがたり :2009/02/17(火) 11:16:20
>>45
テンション高めの人っすねw
映ってた"北在家中津川線"で調べてみました。此処ですな〜。

(仮)虻谷隧道
http://www7b.biglobe.ne.jp/~mmbc00877/abutani.html

47 とはずがたり :2009/03/04(水) 22:11:41
>東京都奥多摩町から檜原村を通る奥多摩周遊道路は約4センチの降雪のため、通行止めになった。
どこじゃろ!?

雪:東京都心に今冬初 奥多摩では通行止めも
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20090227k0000e040052000c.html

雪が降り続く中、皇居周辺を散策する人たち=東京都千代田区で2009年2月27日午前10時11分、石井諭撮影

 本州南岸を通過する低気圧に北東から冷たい空気が流れ込んだ影響で、関東地方の平野部で27日午前、降雪を観測した。東京都心でも午前10時過ぎに雪が降り始め、皇居周辺を散策する人たちも肩をすぼめて歩いていた。

 気象庁によると、東京都心での降雪はみぞれを除くと今冬初。山間部ではまとまった雪となり、東京都奥多摩町から檜原村を通る奥多摩周遊道路は約4センチの降雪のため、通行止めになった。

 同日午後には気温が上がり、雪は雨に変わる見通し。【前谷宏】

48 とはずがたり :2009/04/16(木) 21:23:19
よっき氏リベンジ果たしてたんですね〜。
誰か,水上から六日町迄踏破してくれないかなぁー。一筆で踏破してこその道路と思うのだがw

国道291号 清水峠 新潟側 <導入>
http://yamaiga.com/road/shimizu/main.html
公開日 2008.1.19
探索日 2007.10.7

国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編> 序
http://yamaiga.com/road/shimizu2/main.html
公開日 2009. 2.16
探索日 2008.10.11

49 とはずがたり :2009/04/17(金) 03:03:31

むほっ,忘れてたけど既にhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1177946351/165でリンクしてた。。

茨城県道218号線 一本杉峠 
茨城県石岡市〜桜川市
2006・7・22 来訪
http://www.geocities.jp/wxfff590/ittponnsugitouge.html

50 とはずがたり :2009/04/17(金) 03:03:51
買わないと。。

「廃道本」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/440803004X?ie=UTF8&tag=yamasaiganega-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=440803004X
「廃道をゆく」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4863201117?ie=UTF8&tag=yamasaiganega-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4863201117

51 とはずがたり :2009/04/17(金) 03:21:38
光明電鉄もヨッキ氏の手に拠ってトレースされてます♪
http://yamaiga.com/rail/koumyo/main.html

52 とはずがたり :2009/04/17(金) 12:11:41
そういえば昔(30年程前),掛川にも素堀の隧道が何本か有った。子供の俺は砂のトンネルと呼んでいた。
今現在,近くの知ってる2箇所は削られて無くなってしまったけど,他はどうなってるのかなぁ。。

此処は道路の拡幅で掘り割り化
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/47/02.886&el=138/00/42.185&scl=25000&bid=Mlink

此処は周囲の公園化で開鑿。良い雰囲気だったけど拡幅と云う訳でもなく醜悪な公園化での整備には腹立ちを感じる。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/47/02.969&el=138/00/18.426&scl=25000&bid=Mlink

此処は残ってるみたいだ。コンクリが申し訳程度に巻き付けられて様な気もする。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/47/14.577&el=138/00/33.400&scl=25000&bid=Mlink

それなりにインパクトあったけどそれ以上に不気味さもあって幸か不幸か穴属性はそれ程高くない俺であります。それよりもこの先に何があるのかと云う道の末端・最奥部を知りたい属性の方が強めか。
他人の穴レポならすんげえ興味有りなので怖がってるだけでホントは好きなのかもしれないけど。

53 とはずがたり :2009/04/18(土) 00:02:41
茨城県道248号八溝山公園線
http://yamaiga.com/road/ipr248/main.html
http://www.geocities.jp/wxfff590/hatimizoyama.html
http://peevee.tv/v?4ogxf9

http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/54/31.461&el=140/16/53.100&scl=70000&bid=Mlink

栃木県道28号「大子那須線」
http://yamaiga.com/road/tpr28/main.html

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1066974699/1403
那須南市 栃木県 協議破談 那須郡 南那須町,烏山町,馬頭町,小川町
※新市名最終候補15点:なかがわ,なか川,那珂川,那須那珂,那須みなみ,那須南,那南,みどり,八溝,やみぞ,那須烏山,那須みどり,みどり野,鮎川,那須やみぞ

54 とはずがたり :2009/04/18(土) 02:24:50
道路レポート 宮城・福島県道107号線 赤井畑国見線 
ttp://yamaiga.com/road/yamazaki/main.html

県道107号赤井畑国見線(山崎峠)
ttp://roadweb.web.fc2.com/report_p/p107_akaihata/p107_akaihata.htm
この鉱山と本県道の開通は無関係ではなく、鉱産物の搬出や通勤道路として整備されたものであるが、ただし、道中の七里沢隧道が昭和28年開通(『山形の廃道』さん資料による)であるならば、やや時期的な開きがある。
これについては、謎のままだ。
(県道に指定されたのはさらに遅れて、昭和33年である)

県道107号線の通行について
ttp://www.pref.miyagi.jp/kohou/ombudsman/h13/h13_jirei07.htm

県道107号線 山崎峠
ttp://dtm.fc2web.com/3.dtm/5.project-web/project-4/1.kendou107/hido_deta2.html
 隧道の竣工は「山形の廃道」様(ttp://mx11.hp.infoseek.co.jp/)「全国隧道リスト」によると昭和28年である。当時、全長100m/幅3.2m(コンクリート改修部分の幅が記録されている。初期の素堀隧道の貫通・竣工は記録に無い。当然、中央アーチ部は幅2.5m程度しかない)の隧道を掘るのは大変な金額と労力を要したはずだ。因みに昭和11年の、宮城県内での地方費道路線認定(県道指定/準備)路線としては、ダントツに早く竣工している。これは昭和27年に一級国道4号/6号線が認定を受けた翌年に、隧道は竣工している事を意味する。(あの状態で、竣工というのも?)

…七里沢鉱山の存在である。紫水晶や銅(亜鉛という資料もある)を産出する鉱山の最盛期は戦前・戦中であり、戦時中は鉱物は総て軍需産業に転用されただろう。実は当時の鉱山の廃墟がまだ残っており、

県境という立地条件故に。
 宮城県に在籍する鉱山「三安鉱山」は宮城の会社が運営し、主だった運営や労働者も宮城からが多かったようであるが、交通の地の利から掘り出した鉱石は福島に運び出され、東北本線藤田駅から各地に運ばれたのだ。

ここからは、全くの予想である。
 宮城県としては、昭和27年の道路新法による国道113号線の認定・整備(実際には28年)と共に、鉱石を宮城側に降ろす計画を立てていたのでは無いだろうか?すでに主立った関係者は宮城から出ているのだ。一時は学校や映画館まであったと伝えられる鉱山である。地元に対するその経済効果は計り知れないだろう。自動車の普及を見越して、国道開発に連動した県道延伸と考えるとつじつまが合う。そう考えると、途中から抗口を広げようとした意図も、判る気がするのだが。
 ただ、想定外だったのは七里沢鉱山の閉鎖である。理由は不明だが可能性があるのは、隧道の計画時期より思った以上に鉱脈が細かったのではないだろうか?大正から昭和の初めはは紫水晶の産地として有名だった鉱山だが、その後は水晶より銅を生産していたらしい。国内需要の大きさの割に七里沢鉱山の埋蔵量はなく、隧道は貫通したところで、鉱山ごと放棄されてしまったのではないだろうか?
 また、産出する鉱物の価値が下がって、鉱山経営が成り立たなくなった可能性もある。この周辺は三安鉱山以外でも幾つか掘っている(試掘)らしくて、その時期もバラバラなのである。因みに三安鉱山は戦時中に一度倒れていて、その当時でも千人程度の抗夫が働いていたらしい。国見からも出資があり、また倒れたという資料も、昭和18年と鉱山統制がかかるころで、国の指針で戦争に必要な鉱床以外は閉鎖に追い込まれているはずなのだ。(軍需産業などと書いておいて、紫水晶が何に加工されたか知らないんですけど、掘り出されてるのはやっぱ銅?)
 因みに、現時点では戦後に三安鉱山が再起したのか?最終的な鉱山の放棄時期などについては、文献を見つける事が出来なかった。

山崎峠の先に謎の廃墟が・・・
ttp://www11.plala.or.jp/yamagutiya/page017.html
場所はこの辺
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=37.54.53.344&lon=140.32.30.911&la=1&sc=4&CE.x=252&CE.y=229
三安(ミツヤス)鉱山
■ H15.11.09  小野寺寅雄著 「みやぎの峠」(河北新報社刊 平成10年)
山崎峠の項に「三安鉱山」についての記述がありました。
昭和18年頃まで操業しており、最盛期は千人以上働いていて、学校や映画館もあった、とあります。

大正4〜5年頃、書かれた「苅田郡小原村誌」には、七里沢鉱山の記述があり、工夫13人で5箇所を探鉱しているが、有望なものはなく、近くの古い鉱山跡も探鉱するらしいが、そんな価値があるのだろうか、と懐疑的な所見が述べられています。
この年代にはまだ発見されてなかったようです。

55 とはずがたり :2009/04/18(土) 02:25:11
>>54-55
これら↓をあたっても三安鉱山は出てこない。。マイナーな鉱山だったのか?

鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/kouzan.html
鉱山探訪>資料室>一覧
http://www6.airnet.ne.jp/~mura/mine/info/index.html
記憶屋「廃墟」
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/ruins/mine/mine.html

56 とはずがたり :2009/04/18(土) 02:47:18
三安鉱山は山崎峠を越えて県を跨いだ福島県側に出荷されていたがS11には県道の準備指定が成されていた。この時点で隧道の掘削も開始?
S18年頃国の統制に引っかかり閉山させられた三安鉱山は戦後復活して県も後押しの為隧道もS28には完成し,S33には県道に指定されている。
戦後のいずれかの時点で復活したかする予定だった三安鉱山だが実際にはどうだったのかは不明。
と,纏めてみるとこんな感じ?

へなり氏のサイトも足しておこう

トップ>廃道電撃ネットワーク>南東北>宮城>県道107赤井畑国見線山崎峠
http://www.henari1.jp/H-6-001-A.htm
遂に来ましたよ七里沢隧道。山形の廃道様資料によると昭和28年竣工だそうで、それ以前からこの隧道が存在していたのかどうかは定かではない。

57 とはずがたり :2009/04/18(土) 03:31:15

旗返峠 (はたがえしとうげ)
http://nagajis.dyndns.org/Bunsuirei/text_d/kyu/hatagaesi.html

【標高】 510m
【行政】大分県大野郡三重町?南海部郡宇目町
【経緯度】北緯:32°53′55″/東経:131°36′25″
【水系】大野川水系奥畑川?北川水系田代川
【二万五千図】中津留:NI-52-5-7-4 大分7号-4
【五万図】三重町:NI-52-5-7 大分7号 \ S51編
【ツーリングマップル】九州 P41 4-G・N

トップ>廃道電撃ネットワーク>北九州>大分>旗返峠
http://www.henari1.jp/H-40-002-A.htm
恐らくレポの起点は此処
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=32/54/27.564&el=131/35/40.543&scl=25000&bid=Mlink

トップ>隧道電撃ネットワーク>北九州>大分>旗返隧道
http://www.henari1.jp/Z-40-044-A.htm

旗返峠(6)
http://www.henari1.jp/H-40-002-F.htm
恐らくレポの起点は此処
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=32/53/54.824&el=131/37/00.904&scl=25000&bid=Mlink

旗返隧道(2)
http://www.henari1.jp/Z-40-044-B.htm

旧道倶樂部活動報告書
旗返峠
http://nagajis.the-orj.org/hatagaesi/hatagaesi_1.html

。角川地名辞典のこの峠の項によれば、畠返嶺とも呼ばれたこの峠は岡藩の御郡廻り(領内視察)、木浦鉱山の鉱産物輸などに利用されたという。領内視察の加籠に乗る役人も、降りなければこの峠を越えられなかったという難所である

戦国時代には島津家と大友家がこの峠を通して争った。資料によれば島津軍が峠越えして大友領内に進入し、その帰路を追撃する大友軍との間で戦闘が起こっている。この戦闘で島津軍が旗を巻いて逃げ帰ったことから「旗返峠」という名前がついたとされている(その一方で敗退したのは大友軍という説もある。大分合同新聞昭和52年11月16日付夕刊・『峠』第64回より)。翻って見れば中々に歴史の深い峠なのである。

冒頭で引用した大分合同新聞の記事では、隧道はおろか車道のことにすら触れられていない。従って、早くとも昭和52年(1977)以降にこの隧道が作られたはずである。それ以降平成8年(1996)までの19年間に、車道が作られ、隧道ができ、そして崩壊した。この短期間に一体何が起こったのであろうか。コンクリートブロック積みという工法も、実は珍しいものではないか。

58 とはずがたり :2009/04/19(日) 02:08:21
がいしゅつかもしれんがこの辺纏めて現地調査と洒落込みたいところ。。

福島・宮城県道45号 主要地方道 丸森霊山線
http://yamaiga.com/road/fpr45/main.html

主要地方道31号 浪江国見線 霊山不通区
http://yamaiga.com/road/ryozen/main.html

59 とはずがたり :2009/04/19(日) 02:12:33
そっか考えてみたら事故の怪我は事故の過失責任者払いが原則か( ゜д゜)Σ!

バイク事故記⑦
http://www10.tok2.com/home/michibeya/zakki/zakki_html/jiko/jiko_07.html

\880000・・・その金額は一瞬にして背筋が凍らせました(-_-;)

ここで看護師さんなどから病院で交通事故関係の相談を受けてくれる方がいるというので
ちょっとホッとしました。
で実際に話を聞くと色々な手続きがあるようでした。
ダラダラと書いても分かりづらいので今回の状況を含めて箇条書きでまとめると

1.交通事故は基本的に健康保険が利かない(これは皆さんご存知でしょうか)
2.今回の事故は書面上は「自損」であるので相手側からの請求などはできない。
3.自賠責保険は事故を起こした相手側に支払われるので自分への保障はない。
4.任意保険の効力が切れているのでもちろん保障無し。

以上のような状況でした。
で、今回は次のような方法を取りました。

・基本的に健康保険は利かない。しかし、事故の状況(今回の場合、トンネル内で追い越される
 という状況で転倒)から事故証明が取れれば「第3者行為」となり、健康保険が適用される。

・健康保険には一ヶ月あたりの医療費負担額の限界があり、医療費が定められた金額を越えた
 場合、超えた金額は返還される。

61 とはずがたり :2009/04/20(月) 19:29:12
【山から逃げねが】
昨日R13栗子越えをする機会が在ったと云うか機会を造ったので拠ってきましたさ,万世大路(の入口)。
まぁ一つの廃道系マニアの抑えておきたいポイントであるしヨッキレン氏(ら)の重要な業績の一つがこの周囲の調査(工事用軌道ルート等の解明)であると個人的には感じているしね(後は太平山周辺の森林鉄道と日原近辺の歴史道で三大業績ではないか?また和賀近辺の調査も棄てがたい。)
で,万世大路と現道の福島方最終分岐ポイントはよく判らぬ侭通過してしまい,主要なアクセス手段となっている林道へ向かう。
東栗子トンネルの正面に欣喜雀躍し乍ら降りたった私(0゜・∀・)
写真に映り込んでいる(修正済み)のは渋々停車させられて呆れ気味の弟のにぬけん。奴が俺に山行がのサイトを教えてくれたんじゃがの
トンネルの入口の上の建物は換気設備の為の建物
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5017s.jpg
付近は深い谷であり4月中旬でも残雪が残っている。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5018s.jpg
これ見よがしの旧道もあってテンション激騰がり。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5019s.jpg
アプローチはどれかなとトンネルの横を覗くと直ぐにみるかる。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5021s.jpg
!…勾配キツっ!
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5023s.jpg
路面えぐれてないっすか??(;´Д`)
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5024s.jpg
ヘアピン二個分だけ徒歩で登攀(あ)がって這(ほ)う這(ほ)うの態で逃げ帰って参りました(´・ω・`)

凄い勢いで軽四駆がこの道を駆け上がって一瞬で消え去ったのも,私の京都の林道を駆け巡ったという些かの自負を強かにみにじって行きましたw
いやぁ暫く使われてないとは云っても京都北山付近の林道なんぞ旧国道とはいえ地方(しかも雪国)の廃道のガチンコぶりに比べるとママゴトみたいなもんすわ(;´Д`)

帰ってきてヨッキ氏の文章を読むと,確かに勾配がきついと書いている。いやぁクルマパジェロミニ辺りに買い換えないと駄目っすかねぇ。。

ttp://yamaiga.com/road/bansei/main10.html#4
>で、この林道は至って普通な山岳道路。強いて言うなら、勾配が相当にきつい。

おまけ。排気設備用の建物の側壁に描かれた謎のデザイン
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5025s.jpg
醜悪で没個性的な都市部の若者の落書き(何で揃いも揃ってあんなに似たような独創性がない絵を喜んで描くんでしょうかねぇ。無能の証明晒して喜んでる程度のだから書くのか…)とは明らかに違う筆致であるけど。。


その他万世大路系リンク

万世大路工事用軌道
ttp://yamaiga.com/rail/bansei_k/main0.html
万世大路〜国道13号線 旧道
ttp://www10.tok2.com/home/michibeya/road/touge_html/R13_bansei_menu.html
福島1960’アーカイブ
ttp://shinobuyama.jog.buttobi.net/
旧国道13号線 万世大路(萬世大路)
ttp://lacrymasendai18maita98.web.fc2.com/obroad/bansei.html

62 とはずがたり :2009/04/21(火) 04:01:22
実は>>61の余りの不甲斐なさにご近所の廃道ポイントr218一本杉峠を攻めてきた。
4輪の通行は不能でMTBやオフロードバイクでアタックしてるみたいであるけど普通乗用自動車で己への挑戦を試みたのであるが,真壁町白井から同長岡へ抜ける周回コースにチャレンジしてみたが道が沢になってて断念。踏破も試みたが地図上あと一寸の所だった様だが断念。
途中で死ぬ思いで切り返ししたんだけどそんな所を山チャリやオフロードバイクに通りがかられたら滅茶滅茶恥ずかしかったけど幸か不幸か平日の夕刻迫る時間帯にそんな酔狂な人も居らず,途中採石場の作業用の軽四駆のおじさんとすれ違った位で済んだ。道の真ん中にクルマ駐めて先の道確かめに云ってて慌てて戻ったんだけど難なく横をすり抜けて行って慌て損だったけど。
あの上はもっと酷い沢道に成っている様だ。画像&コース近日公開予定♪

r218一本杉峠リンク集

Mapion地図
ttp://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/17/07.031&el=140/08/25.064&scl=25000&bid=Mlink

茨城県道218号線 一本杉峠 
茨城県石岡市〜桜川市
2006・7・22 来訪
ttp://www.geocities.jp/wxfff590/ittponnsugitouge2.html

茨城県道218号線 一本杉峠 
冬季 再訪編+α
茨城県石岡市〜桜川市
2008・2月17日 来訪
ttp://www.geocities.jp/wxfff590/ittponnsugitougesaihou.html

茨城県道218号線 一本杉峠 
〜更に進化した一本杉峠〜
茨城県石岡市〜桜川市
2008・10月21日 来訪
ttp://www.geocities.jp/wxfff590/suparittponnsugitouge.html

一本杉峠林道
ttp://www.rindo21.com/kanto/ibaragi_ipponnsugitouge.html

茨城県道218号線 一本杉峠=動画
ttp://peevee.tv/v/4k2704

一本杉峠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一本杉峠(いっぽんすぎとうげ)は、茨城県石岡市と同桜川市の境にある標高430mの峠。南北に連なる筑波連山北部の峠の一つであり、丸山(576m)と足尾山(627.5m)の鞍部にあたる。筑波連山を東西に横断する県道218号大塚真壁線と筑波連山の稜線を南北に縦走する北筑波稜線林道が峠で交差している。峠には杉の木が立っている。

県道218号は、山麓部以外は未舗装である。特に桜川市側は廃道同然に荒れており、四輪車の通行は不可能な状況となっている(2007年11月現在)。北筑波稜線林道は全区間舗装されている。

初心者せんむのヘロヘロサイクリング 「ヘロヘロサイクリング」 INDEXへ TOPへ
2002年7月4日  一本杉峠〜加波山〜燕山
ttp://iamsenmu2.easter.ne.jp/2002/cycling020704.htm

水源かん養林の自然、一本杉峠〜大塚、石岡市
ttp://www.kasumigaura.net/usr/mizukusa/Kasumigaura/page/A0691.html

一本杉峠周辺散策
2008年12月13日
ttp://blog.goo.ne.jp/hikaru2623/e/84697be47a6f59ba3aa2774e5cc24d32

63 とはずがたり :2009/04/21(火) 04:18:50
>>62-63
一応断念ポイントだけ先行うp。
画面手前から登坂して此処で断念。泣きながら転回。画面左手はそのまま斜面。画面向かって奥が進行方向だが道路敷の過半が水路状になって水が流れていた。

此迄に既に数カ所可成りの難所(急勾配+ガレ場数カ所,ぬかるみ1箇所)を抜けてきた俺の心の残り基数が,
①沢から水が流れ出して来ていて岩が露出しており岩の間隔が恰度クルマの床を激しく擦りそうだった
②この先の道全体が暫く沢状態となっていて可成り岩の露出が激しい
③地図上に無い道の分岐があって場所がイマイチ自信持てなくなった
の3連コンボで磨り減って0になりますた。。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/ipponsugi/IMGP5321s.jpg

此処迄苦労したんだから今更悪路を戻るよりかは強行突破しちまった方が良いというちょっと究極の葛藤に苛まれたけど何とか立ち往生の悪夢を心に言い聞かせ撤退。。

64 とはずがたり :2009/04/21(火) 04:41:14
>>62
一本杉リンク追加
北筑波稜線林道,一本杉峠からウィンドパワーつくばhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/42へのレポ

きまぐれ?自転車☆生活
07.06.27
http://donden.bufsiz.jp/report/07/06.27/1.html

65 とはずがたり :2009/04/21(火) 04:45:00
北筑波稜線林道関連リンク集

北筑波稜線林道
http://www.rindo21.com/kanto/ibaragi_kitatukubaryousenn.html
2004-06-23
区間は大きく3つに分かれていて、北筑波稜線林道第一区間、第二区間、丸山・岩の上林道区間となっている。
北筑波稜線林道第一区間は県道150から県道7との間の3kmだが、この3kmは4輪は通行止めとなっていて、バイクや自転車のみが通行できる。

2008-04-23
第一区間がこれまでは4輪通行止めだったものが車両通行止めとなったので、バイクの通過も不可能となってしまった。このため仙郷林道から北筑波稜線林道へ入るのには、一旦県道41まで出る迂回ルートを取らざるを得なくなった。自然保護のための通行止めと言うことなのでやむを得ないと思うが、迂回するために余分に排出される排気ガスとどちらが自然を痛めるかは一考の価値は有ると思う。車両の進入が全面禁止なので法的には自転車の通過も不法となるはず。

北筑波稜線林道 +丸山林道
http://precious.road.jp/ibaraki/kitatsukuba.htm

2009年01月12日
北筑波稜線林道
http://blogs.dion.ne.jp/tonouchi_odeon/archives/7997006.html

年サラリーマンのための、ツーリング講座
筑波山・加波山周辺の林道
http://www002.upp.so-net.ne.jp/t-kimura/tsufirst.html

66 とはずがたり :2009/04/23(木) 13:26:37
白棚鉄道・梁森支線 (白河市・旧表郷村)
2007.10
http://wing2.jp/~kaido/rail/hak-12.htm
白河炭鉱の専用線

どうやらこの辺
http://www.mapion.co.jp/m/37.0445225_140.318024722222_8/

67 とはずがたり :2009/04/24(金) 06:02:56
>>62-64
r218下り映像
あずさ2号氏の投稿した画像で云うと6:50付近迄麓からシビックで登れたんだけどなぁ・・
もちょっと車高が高ければ4:30付近の大崩落地をだけが無理そうだが,先日一本杉峠へ東側から這入ったところ,下からランドクルーザーみたいなのが上がってきて度肝を抜かれた。ランクルならこの酷そうに見える崩落地をぬけられんのかね?
http://circle.zoome.jp/yamaiga/media/23/

68 とはずがたり :2009/05/07(木) 16:36:36
>>50
購入(`・ω・´)
2冊で三千円かそこいらだけどどの位ヨッキ氏の軍資金として彼の手許にいくんでしょうねー。
普通は10%位が相場の様だが。nagajis氏と折半で150円づつって所でしょうかね。これからもがんばってくらはい。。

69 とはずがたり :2009/05/19(火) 00:12:30
紀伊高原長大トンネル・峠越え地図特集

<R166>
女寄トンネル<桜井市-宇陀市>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/30/03.009&amp;el=135/54/42.540&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
高見トンネル<奈良県-三重県>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/24/38.690&amp;el=136/05/48.181&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<R168>
新天辻隧道(+r732坂本五條線 出屋敷峠)
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/13/14.979&amp;el=135/43/39.312&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
岩原トンネル+田長瀬トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/07/06.468&amp;el=135/46/13.246&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
山崎大橋+池穴トンネル+池穴大橋+小井トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/00/54.046&amp;el=135/47/23.872&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
七色高架橋+土河屋トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/53/05.612&amp;el=135/45/46.426&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
東敷屋トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/49/52.173&amp;el=135/49/05.339&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<R169>
五社トンネル<吉野町-川上村>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/21/47.557&amp;el=135/55/33.438&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
伯母谷トンネル+栗の木トンネル+伯母谷ループ橋+大嶽トンネル+新伯母峯トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/14/58.462&amp;el=136/00/00.744&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/13/24.725&amp;el=135/59/42.305&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
北山峡 東野トンネル+田戸隧道
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/54/48.808&amp;el=135/53/22.640&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<R309>
新笠木トンネル+新川合トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/15/45.156&amp;el=135/50/19.029&amp;scl=250000&amp;bid=Mlink
行者還トンネル…未整備?
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/11/09.891&amp;el=135/56/47.528&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink


<R311>
鳳伝トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/51/34.532&amp;el=135/58/19.462&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<R369>
開路トンネル+栂坂トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/29/00.323&amp;el=136/03/53.460&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
土屋原トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/28/44.823&amp;el=136/07/59.307&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<r37桜井吉野線>
新鹿路トンネル<桜井市-吉野町>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/26/38.016&amp;el=135/52/41.851&amp;scl=250000&amp;bid=Mlink

<r155多武峯見瀬線>
建設予定
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/27/35.501&amp;el=135/51/23.087&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<やまなみロード(奥宇陀広域農道)>
室生トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/32/36.316&amp;el=136/02/41.662&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<農道?>
矢井内トンネル
>多武峯見瀬線参照
大峠トンネル<桜井市-宇陀市>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/27/22.219&amp;el=135/53/38.843&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<林道?>
不動トンネル<吉野郡下北山村-東牟婁郡北山村>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/59/09.526&amp;el=135/58/55.494&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

70 とはずがたり :2009/05/28(木) 01:00:08
仙北は気になる地名であった。従って仙岩トンネルも然りである。
併し大曲が大仙市になったのも何となくやだし,仙北市も中仙町と併せて北浦市になれば良かったのにと思わざるを得ない。

走破レポート  「国道46号旧線 仙岩峠」 その1
http://yamaiga.com/road/sengan/main.html
秋田県内に3本存在する旧一級国道のうちの一つである、国道46号線。
現在県内の旧一級国道路線で、最長の旧道区間となっているのが、この仙岩峠だ。
また同時に、廃道化しているのも、ここだけだと思う。

国道46号旧線 仙岩峠 廃後29年目の春 <前編>
http://yamaiga.com/road/sengan/main_tokubetu.html

仙岩国道 工事用道路 その1
http://yamaiga.com/road/sengan_k/main.html
先ほどから旧国道の話題に終始してきたが、今回のテーマは異なる。
現道だ。
もっと言えば、現道を建設するに供された仮設道路の存在である。


国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第一回
http://yamaiga.com/road/sengan_a/main.html
我々オブローダーにとっての仙岩峠と言えば、昭和52年に「旧道」となり、そのまま廃道化した旧国道が有名であるが、それ以前にも車道があったことは殆ど知られていない。
それこそが、明治8年に秋田・岩手両県合同で整備を開始した、初代・仙岩峠である。

 もっとも、この時の道は車道と言っても馬車がようやく通れる程度の内容で、しかも秋田県側の整備は明治末まで遅れたという。
また、自動車の台頭にあってはもなすすべもなく、結局昭和37年に先の“旧国道”が完成するまで、殆ど地図上だけの道であったと記録されている。

仙北郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仙北郡(せんぼくぐん)は、羽後国および秋田県の東部に位置する郡。古い資料では「山北」「仙福」「仙乏」と表記している事もある。

北浦3町村の合併問題
仙北郡北部のの田沢湖町、西木村、角館町は古来から北浦(きたうら)と呼ばれ、歴史的にもつながりが大きかったが、合併を巡っては問題が奮発している。当初、3町村は合併して新市「仙北市」を誕生させる予定であった。ところが、庁舎の位置や、行政プロセスのあり方などを巡って西木村&田沢湖町VS角館町、という対立構造が顕著になり、角館町は合併協議会を離脱した。これに伴い、西木村と田沢湖町は合併して新町「田沢湖町」を誕生させる予定で交渉を進めた。しかし、角館町議会は合併協議会解散の決議を否決し、合併の是非を問う町長の出直し選挙で合併推進派の新人候補が現職に大差で勝利した。そして、角館町が合併協議会に復帰、合併関連議案を可決したことで、2005年9月20日に仙北市が誕生する事になった。なお、旧中仙町も北浦と呼ばれた地域であり、当初は北浦4町村での合併を模索していたが、離脱し大仙市に加入した。

71 荷主研究者 :2009/06/05(金) 00:38:28

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090426/CK2009042602000023.html
2009年4月26日 中日新聞
旧国鉄の愛岐トンネル群保存で連携 6月に多治見支部設立

旧国鉄中央線トンネル群の一つ「玉野第4トンネル」。多治見産の赤れんが使われている=愛知県春日井市で

 多治見市と愛知県春日井市境に残る明治期の旧国鉄中央線トンネル群の保存再生に向け、「愛岐トンネル群保存再生委員会」(事務局・春日井市)の多治見支部が6月6日に設立される。これまで愛知県側を中心に保存活動が進められてきたが、「碓氷峠(群馬県)に次ぐ国内第2の規模」(再生委)といわれる地元の産業遺産の再生に連携して取り組んでいく。

 トンネル群は、1900(明治33)年の旧中央線の開通に合わせ、高蔵寺−多治見駅の土岐川沿い約8キロ間に14基建設された。「イギリス積み」と呼ばれる総れんが積みで、赤れんがは多治見産が用いられた。66(昭和41)年の複線電化工事完成に伴い廃線となったが、春日井市側に6基、多治見市側に7基が現存している。

 再生委は、2007年6月に住民有志で発足した「旧国鉄トンネル群保存再生委員会」が前身。トンネルや軌道跡の整備を進めた運動が認められ、今年2月には経済産業省から「近代化産業遺産」の認定を受けた。現在は、企業所有地であるこの区間を買い取るため、賛同者から寄付を募りナショナルトラスト運動も進めている。

 多治見支部設立により、トンネル群全体の整備やトラスト運動を足並みをそろえて進めていく。設立総会は6月6日午前10時から多治見市池田町の池田町屋公民館で。支部長を務める山本輝さん(38)は「地元の貴重な近代化遺産に岐阜県側からも一人でも多く興味を持ってもらい、入会してもらえれば」と話している。

 これに先立ち、5月2−6日の5日間の午前10−午後3時、春日井市側の3−6号トンネルで一般市民見学会を開く。JR中央線定光寺駅下車、北3分。事前申し込み不要。無料。問い合わせは事務局の村上真善さん=電090(4860)4664=へ。

 (有賀博幸)

72 とはずがたり :2009/07/14(火) 12:41:27

ヨッキを生んだ秋田県だけに山チャリ意識してる!?

「ハマちゃり」始めました 男鹿市、散策用に自転車貸し出し
http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20090714f

観光客らに貸し出す「ハマちゃり」

 男鹿市の男鹿駅前のにぎわいを考える会(事務局・男鹿市商工会)は13日から、駅前周辺や船川地区の散策を楽しんでもらおうと、観光客らに自転車を貸し出す「ハマちゃり」を始めた。同会では「船川地区の歴史や文化などに触れてもらい、にぎわいの一助になればと思っている。自転車でさわやかな風を受け、気軽に楽しんでほしい」と利用を呼び掛けている。

 同会は市商工会や市観光協会、JR男鹿駅、地元企業などの有志8人で組織。男鹿駅で降りた観光客から「自転車はありませんか」などの問い合わせが多かったため、自転車の貸し出しを決めた。

 「ハマちゃり」は、海に囲まれた男鹿半島の「浜辺」と、自転車の俗称「チャリンコ」からもじった。市内の企業から寄せられた協賛金で、大人用5台、子ども用2台の計7台の自転車を購入した。料金は1台200円(午前8時半?午後5時)。市観光協会が管理し、男鹿駅の並びにある男鹿駅観光案内所で利用を受け付ける。
(2009/07/14 11:32 更新)

73 とはずがたり :2009/07/26(日) 02:07:31
何処だ?>尾花沢市山刀伐峠←一発変換しやがったぞ。。
スレ違いとよっきに怒られそうだけどw

車で沢に転落→1週間後、自力で生還 尾花沢
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/07/20090724t73035.htm

 23日午後5時15分ごろ、山形県尾花沢市の山刀伐(なたぎり)峠から、宮城県大崎市古川清水沢、会社員遠藤健一さん(51)が「乗用車ごと転落した」と最上広域消防本部に通報し、救出された。遠藤さんは転落してから約1週間、沢地で過ごしていた。左腕を骨折し、衰弱が激しいため、新庄市内の病院に入院した。命に別条はないという。

 同消防本部と尾花沢署によると、遠藤さんは今月17日ごろ、新庄方面から尾花沢方面に向かって乗用車で市道を走行中、道路右側から車ごと落ち、約60メートル下の沢地に転落したという。

 遠藤さんは「(落ちてから)沢の水を飲んでいた。痛くて動けなかったが、3日ほど前から動けるようになった」と話しているという。携帯電話を持っていたが、圏外で通報できず、転落場所から公衆電話があるところまで自力で移動し、救助を求めたらしい。


2009年07月24日金曜日

74 荷主研究者 :2009/09/17(木) 22:22:01
列車壕なんて知らなかった。貫通しているとのことだが、ヨッキれん氏は興味を持つだろうか…。
>右の穴は130メートルの長さがあり、山の反対側まで貫通

http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20090909/CK2009090902000011.html
2009年9月9日 中日新聞
未完の列車壕整備 戦後、ごみ捨て場に

列車壕の跡を案内する藤本伝一さん=米原市岩脇で

 太平洋戦争中に蒸気機関車(SL)を空襲から守るため造られた列車壕(ごう)が、米原市岩脇に残っている。戦後忘れられた存在だったが、先月住民の手により改修を終え、戦争を後世に伝える戦争遺跡として復活した。

 東海道線と北陸線が交わる米原駅は、戦時中、多くのSLが行き交い、兵士や武器の輸送拠点でもあった。戦争末期になって旧国鉄が列車壕を造ったのは、米原駅から2キロ北にある小高い岩脇山。しかし列車壕は完成されないまま終戦を迎えた。地元住民が日ごろから親しんでいる稲荷(いなり)神社の裏手に、未完成の暗い2つの横穴が残された。

 向かって左の穴は幅3メートル、52メートルの長さがあり、入り口の高さは進んでいくごとに低くなる。行き止まりには、火薬を詰める穴やつるはしの跡が生々しく残る。右の穴は130メートルの長さがあり、山の反対側まで貫通している。壕中は涼しく、山の冷たい水がしみ出し、あやしく光っている。戦時中には、東海道の上り線からこの壕まで、引き込み線があったという。

 「壕は戦後ごみ捨て場になり、2メートルほどの高さまでゴミであふれていました」と、壕の修復に携わった岩脇まちづくり委員会の藤本伝一さん(67)は話した。藤本さんらまちづくり委員会のメンバー43名が昨年11月から壕とその周辺を整備し、先月8日に完成を祝って神事が行われた。

 「ここの岩盤はとても硬い。戦争に行った人も大変だったが、壕を掘った人たちも大変な思いをしただろう」と、藤本さんは戦時中苦労した人に思いをはせた。まちづくり委員会では、壕の見学を通して戦争の愚かさを知ってもらおうと、26日午後2時から見学会を開く。問い合わせは、市米原公民館=電0749(52)2240=へ。

 (森若奈)

75 とはずがたり :2009/10/02(金) 12:12:58
【古地図:国立公園南アルプスと大井川安倍川流域】
先日実家の大掃除に駆り出されてきたのだが古い地図を発掘♪

曰く「国立公園南アルプスと大井川安倍川流域」という表題の付いた大判のやつだ。
井川村(1969年静岡市に編入),伊那里村(1959年(S34)に美和村と合併し長谷村に,長谷村は2006年に伊那市、高遠町と合併し現伊那市)の表記があるので昭和30年代前半の地図か?しかしS39開通の東海道新幹線もあるしその辺の齟齬はちょい疑問。無い筈のものを書く可能性よりも合併で消えた地名の訂正し忘れる方が可能性高そうなのでS39以降であろう。

其れは兎も角営林署軌道・林用軌道が載ってるのでスキャンしてうpしてみる。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com//rindoubu/s-alps/img012s.jpg
ttp://tohazugatali.web.fc2.com//rindoubu/s-alps/img013s.jpg

それぞれマップルだとこの辺。
伊那市長谷浦
http://www.mapion.co.jp/m/35.6066680555556_138.154069166667_6/
上村・南信濃村(現飯田市)境界付近 地図は飯田市南信濃木沢
http://www.mapion.co.jp/m/35.3840969444444_138.046620555556_6/

因みに最新の隧道レポ
隧道レポート 国道52号旧道 下山隧道
http://yamaiga.com/tunnel/simoyama/main.html
の下山隧道も当時はばっちり現存中だ。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com//rindoubu/s-alps/img014t.jpg

ヨッキ氏の調査によると昭和43年には下山隧道は廃されて川縁の新ルートに移行しているので,伊那里村の表記が誤りだとするとS39〜S43のいずれかの地図という事になる。

76 とはずがたり :2009/11/13(金) 22:43:59
佐夜の中山や青田のトンネル迄あり!

道路隧道
http://haisentn.s78.xrea.com/douro.htm

掛川の廃止になったトンネルというと確かこれ↓がそうな筈だが。。
http://www.mapion.co.jp/m/34.7298233333333_138.028711666667_9/

77 とはずがたり :2009/11/22(日) 01:30:26
昭和53年編集昭和54年修正の「10万分の1 東京とその周辺」なる古地図が出てきた。

横横道路が南横浜バイパスとかなってて未だ日野町IC(現在の日野IC)〜朝比奈IC迄しかできておらず後は建設中の印である。
神奈川臨海も本牧埠頭方面には未だ無いようでその代わりに山下埠頭に臨港線がある。
新川崎も無いけどそれも未だなのか?!横浜羽沢も建設中の記号である。
矢部から米軍補給廠内へ専用線が延びている。
八王子BPも建設中ですらないようで,246も上草柳から山王原迄鶴間駅前を通る旧ルートである。鷺沼から梶ヶ谷迄も偉い彎曲した旧道である。
鷺沼入口交叉点から246に延びるインターのランプ道路みたいなのが旧道だった訳ね。。梶ヶ谷の旧道は判りやすかったけど此処は判らなかった。


首都高5号線は高島平R迄で素直に読むと練馬IC迄既に延びている関越道と直結できそうなものなのにその後の展開は全くちがうものに。。
新大宮BPは既に出来ているが西大宮BPは影も形もない。
新4号BPも庄和IC迄であるし東大宮BPも宮ヶ谷塔から原市中迄建設中だったようだ。

東北道も浦和迄で首都高川口線も中環も建設中で前者の路線名は葛飾川口線とされている。
常磐道も建設中で三郷線は足立三郷線とされている。そもそも向島線も向島R迄しか出来ていない。
外環も点線すらない。

湾岸線も開通しているのは辰巳Jctから浦安ぐらいである。行徳あたりなんぞ沼地みたいだ。
東関東自動車道も未だ宮野木Jctから成田空港迄で名前も新空港自動車道である。

小田原どころか平塚等迄も切れてしまって載ってないけど我らが筑波を初めとする茨城県南は東京の周辺と認定されていてかちゃんと入っている。
関鉄も新守谷駅は未だ無いようだが逆に筑波鉄道は未だ分社化される前で関鉄筑波線として営業中であり,北条の手前で地図は切れてしまっている。

さて学園都市の様子は未だ未だ未開発である。
国道6号は藤代以北はR125と土浦BPとの交点まで全部未改良の様子であり,新利根橋も架かっていない。この時点で柏市北柏付近〜新利根橋〜茎崎村(当時は未だ村だった様だ)〜土浦市中村を構想できてりゃねぇw
土浦学園線は土浦市街から西松代付近迄しか出来てない。サイエンス大通りは全く見当たらない。牛久学園線はR6迄出来ている。西大通は当時は未だ県道だった様子のR35以北,東大通りは既に完成と云った感じである。
筑波大学もちょぼちょぼとしか建物が書いてない。ループも未だ無さそうである。大学の西側を流れるどぶ川みたいなのが当時の新治郡桜村と筑波郡の境界だったようである。
吾妻や竹園など主だった場所は桜村だったようだ。既に学園郵便局や竹園の宅地があったようであるがそれいがいはがらんとしているように見える。
高エネ研も当時は高エネルギー物理研究所成る名前だったようである。

78 とはずがたり :2009/11/22(日) 02:14:43
>>77
南横浜バイパスに就いて

横須賀発   なんでもヨコスカ!    yokosuka
http://members2.jcom.home.ne.jp/nandemo-yokosuka/y-doro.html
<本文>

1.横浜横須賀道路〔1〕 そもそも

 横浜横須賀道路というのは、一般国道16号のバイパスとして計画されたそうで、上下計4車線の高速自動車国道(有料)です。現在、狩場IC(横浜市保土ヶ谷区狩場町)から佐原IC(横須賀市佐原一丁目)までの区間、28.5kmが供用されています。

 この道路は三浦半島全体の経済・産業活動に、生活道路(お墓参りに便利!)として、そしてまた観光道路としても非常に有効な働きをしています。
 横浜横須賀道路の当初の全体計画はよく分かりません。1970年(S45)5月「南横浜バイパス」朝比奈〜狩場間が事業許可されました。この南横浜バイパスは1980年(S55)9月に「横浜横須賀道路」に名称変更になっていますから、このころ南横浜バイパスが、横須賀へ延びている一般国道16号全体のバイパス計画へと見直しされたのでしょう。

注記:1980年(S55)12月15日付朝日新聞朝刊に関係記事があり、「南横浜バイパス(横浜横須賀道路」と横浜横須賀道路が括弧書きされています。さらに狩場IC〜衣笠IC(横須賀市衣笠町)間全長26.63kmの計画が記されており、開通予定は1983年(S58)3月となっています。

79 とはずがたり :2009/11/22(日) 14:41:24
>>77
>首都高5号線は高島平R迄で素直に読むと練馬IC迄既に延びている関越道と直結できそうなものなのにその後の展開は全くちがうものに。。
>新大宮BPは既に出来ているが西大宮BPは影も形もない。

スキャンしてみた。
素直に見ると寧ろ和光富士見道路と直結ですねー。
志木市宗岡付近の連中の反対で頓挫してしまったけど。。
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOKYO/23KU/S54wako00.html

5号線は既に渋滞で麻痺状態であるからやっと動き出した和光富士見道路に直で繋げろとは云えないけど,①放射35,36号の環八・環七接続,②外環の建設,③首都高練馬線の建設の次ぎ(順位低っw)くらいには検討しても良いかもしれない。

80 とはずがたり :2009/11/22(日) 15:32:21
>>77
筑波の部分もうp。
う〜ん新鮮である♪
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TSUKUBA/S54tsukuba00.html

81 とはずがたり :2009/12/10(木) 23:49:47
地滑りで元路線を抛棄して対岸へ線路を移設した大規模なものだったが地下でひっそりと空間が生き残ってたんですねぇ。

幻の旧鉄道トンネル、残っていた 昭和初期に閉鎖 大阪
http://www.asahi.com/national/update/1209/OSK200912090149.html
2009年12月10日5時27分

写真:見つかった亀ノ瀬隧道の一部。蒸気機関車のすすで天井が黒くなっている=9日午後、大阪府柏原市、筋野健太撮影見つかった亀ノ瀬隧道の一部。蒸気機関車のすすで天井が黒くなっている=9日午後、大阪府柏原市、筋野健太撮影

 「幻のトンネル」は残っていた――。昭和初期の大規模地滑りで崩壊したとみられていた明治、大正期建設の旧鉄道トンネルが大阪府柏原市で見つかった。国土交通省近畿地方整備局が9日、報道陣に公開した。当時のれんが造りの構造が良好な形で残っており、一部を保存して今後、一般公開する方針。
〈動画〉幻の旧鉄道トンネル、残っていた

 見つかったのは、JR大和路線の前身、旧大阪鉄道の亀ノ瀬隧道(ずいどう)(延長約500メートル)の一部。1892(明治25)年に開通した下り線の長さ66メートル分(高さ4.6メートル、幅4.3メートル)と、1924(大正13)年の複線化で増設された上り線の長さ49メートル分(高さ5.5メートル、幅4.1メートル)。

 現場近くの大和川右岸では、31(昭和6)年から翌年にかけて大規模な地滑りが発生。広さ約32ヘクタールに及ぶ山塊が旧鉄道側へ流れ込んだ。亀ノ瀬隧道は閉鎖され、大和川の対岸に新たな路線が敷設された。

 再び大規模な地滑りが起きれば家屋の崩壊や鉄道・国道の遮断、上流の奈良盆地の浸水被害などが予想されるため、国は62(昭和37)年に直轄で地滑り対策工事に着手した。対象面積は約85ヘクタール、総事業費約800億円。工事は来年度に完了の予定。

 この工事の一環で、地滑り地の地下水を抜き取るための排水トンネル(長さ計約6.5キロ)を整備。昨年11月、排水トンネルの一部(長さ580メートル)を掘削中、亀ノ瀬隧道が見つかった。

 近畿地方整備局は排水トンネルを補強するために、見つかった旧鉄道トンネルのほとんどをモルタルで覆った。ただ、明治期開通の下り線の一部39メートル分は安全性が確認されたため、れんが構造の姿をそのまま残すことにした。今後、同整備局と柏原市の共催で、定期的に一般公開する方向で協議している。(北村哲朗)

82 とはずがたり :2009/12/11(金) 01:45:26

すげえっす。

旧魚梁瀬森林鉄道の支線軌道跡、初の発見 高知
http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY200905010249.html
2009年5月1日

写真国有林内で見つかったレールと枕木=馬路村魚梁瀬

 明治から昭和にかけて高知県安芸郡内を走っていた旧魚梁瀬森林鉄道の支線の軌道跡が、馬路村魚梁瀬の国有林内で約100メートルにわたって見つかった。これまで軌道はすべて撤去されたと見られていたため、軌道跡の発見は初めて。同鉄道の本線の関連施設は今年度、国の重要文化財への指定が予定されている。

 軌道は徳島県境近くの影地山を流れる東川沿いにあった。レールは一部が複線で、枕木が残り、線路を切り替えるポイントもあった。下流部からも土砂に埋もれたレールや長さ約8メートルの鉄製橋梁(きょうりょう)が見つかった。

 安芸森林管理署の職員らが3月、森林調査に入った際に発見。村職員や「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」(清岡博基会長)の会員らが今月、土砂や草を取り除いて確認した。

 村や同会によると、発見場所は1930(昭和5)年に開通した東川線の始発部分で、貨車の入れ替えをしたと見られる。奥に材木の積み出し場があったらしい。1958年に発行された路線概略図には載っていないため、それ以降に敷設され、63年の廃線まで使われたらしい。

 見学などの問い合わせは安芸森林管理署魚梁瀬地区合同事務所(0887・43・2314)へ。

83 とはずがたり :2009/12/17(木) 12:24:05

久しぶりに京都の山道走りたいねぇ・・(´・ω・`)

京都府道370号 佐々里井戸線
走行日 2004,12,19
http://f19.aaa.livedoor.jp/~kendougt/Kyoto-370.html

84 とはずがたり :2009/12/18(金) 15:10:13
寧ろスポーツスレか?

片山右京さん、富士山で遭難=「同行1人死亡」と電話−静岡県警
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&amp;k=2009121800200&amp;j1

 18日午前0時50分ごろ、元F1ドライバー片山右京さん(46)ら男性3人が富士山で遭難したと、片山さんの事務所から静岡県警御殿場署に救助要請があった。片山さんは事務所の従業員に「テントを飛ばされた」と連絡してきたという。
 同署によると、片山さんは午前7時半すぎに同署に電話してきた際、「1人が亡くなっているかもしれない。もう1人も危ない」と話した。
 県警は、富士山の6合目から9合目付近までの間で遭難したとみて、山岳遭難救助隊とヘリコプターを出して捜索している。ただ、現場付近は風が強く、ヘリが十分に高度を下げられない状況。
 片山さんの事務所によると、ほか2人は事務所の従業員。片山さんは南極大陸最高峰ビンソンマシフの登頂を目指し、今月25日に出発する予定だった。富士山にはトレーニング目的で、南極用の装備を持って登ったという。
 ホームページによると、片山さんは全日本F3000選手権などで活躍した後、1992年に日本人3人目のF1ドライバーとしてデビュー。97年にF1から撤退したが、その間に本格的な登山にも挑戦し、アフリカ最高峰のキリマンジャロや北米のマッキンリーなどの登頂にも成功していた。(2009/12 /18-12:44)

85 荷主研究者 :2009/12/20(日) 23:59:58
>トロッコは、作業員輸送や山岳部トイレのし尿運搬に活用
軌道は撤去されずに輸送に活用されるようだが、土埋木を運ぶ森林鉄道としての役目は終わりかー。

http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=21117
2009 12/17 10:21 南日本新聞
江戸時代以降伐採の屋久杉土埋木 トロッコ搬出に幕

ロープでトロッコのブレーキを掛けながら土埋木を運ぶ作業員=16日、屋久島町の安房森林軌道・荒川分岐点

 屋久島にある国内唯一の森林軌道「安房森林軌道」のトロッコが16日、屋久杉土埋木の最後の搬出を行った。

 土埋木は江戸時代から伐倒されてきた屋久杉の切り株や風倒木。1923年に開設した同軌道は60年前後から土埋木搬出を始めた。縄文杉登山ルート入り口の荒川分岐点から石塚までの7.1キロで、作業員が土埋木にまたがり、ロープでブレーキを掛けながら下る。

 トロッコを長年運転してきた林業高田久夫さん(76)は「土埋木を資源として生かさなければとの思いでやってきた。大きな事故もなくホッとしている」と感慨深げ。屋久島森林管理署によると、ここ数年の運搬量は年間約300立方メートル。

 土埋木は今後トラックで搬出。トロッコは、作業員輸送や山岳部トイレのし尿運搬に活用される。

86 とはずがたり :2009/12/26(土) 17:26:02
よっきれん遂に岐阜にも進出。
御母衣ダムを攻略したらしいが,落部辺りはめったに水が来ないかのような雰囲気だそうでその辺もダムのもったいなさでありますな。

岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)
http://yamaiga.com/road/akimati/main.html

必見!!!
【秋町隧道 探索動画】(2:44 17MB)
http://yamaiga.com/road/akimati/main3.html

六厩川橋攻略作戦
http://yamaiga.com/road/morimo/main.html

目標は此処だ!
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=36.13094824296731&amp;lon=136.94850805705383&amp;z=20&amp;mode=aero&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=36.271014004003&amp;hlon=136.89847628738&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

87 荷主研究者 :2009/12/30(水) 20:15:41
この辺かなぁ?
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=34.13883314425915&amp;lon=136.2578802796784&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=34.180470289156&amp;hlon=136.23699123587&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20091222/CK2009122202000019.html
2009年12月22日 中日新聞
幻の「三浦越え」復活 73年ぶり住民が整備

青々と輝くシダが生い茂る道=紀北町海山区の矢口峠で

 紀北町の海山区と紀伊長島区を結び、かつて「三浦越え」と呼ばれた生活道の矢口峠が、地元住民有志の手で整備され、73年ぶりに通行できるようになった。東紀州の“秘境”を巡る探検ツアーを企画している「くまの体験企画」が早速ツアーを計画し、参加者を募集している。

 矢口峠は、海山区矢口浦と紀伊長島区三浦を結ぶ約4キロの山道。道幅は1メートル程度で、正確な記録が残っていないため、峠の標高などは不明。江戸時代以前から海山区の人たちが伊勢方面に向かう生活道として使われていたという。

 昭和になってからも電柱が立つなど主要な生活道として機能したが、1937(昭和12)年に隧道(ずいどう)が開通し廃道と化した。

 住民有志は、先祖が歩いた道を大切にしたいという思いから、20人で今年1月から作業を開始。倒木やシダに覆われて道の跡が消えていたり、がけ崩れしたりしていた場所もあり、1日5時間かけて10メートルしか進まない日もあった。見晴らしのいい地点には、手作りのベンチを置いた展望台も作り、約5カ月で整備を終えた。発起人の同区白浦の奧村敏之さん(68)は「カマを持ってすべて手作業でやった。太いシダを切り進むのが大変だった。たくさんの人に歩いてもらいたい」と話していた。

 峠道は青々と輝くシダや滝を楽しめるほか、海岸線が一望できる。道中の傾斜は緩く、体力のない人でも踏破できる。ツアーは来年1月17日午前9時半、同町海山区の熊野灘臨海公園太白公園に集合。申し込みは同15日まで。参加費1700円、定員15人。

 くまの体験企画の内山裕紀子代表は「峠を歩いて、整備した地元の人の熱い思いを感じてほしい」と呼び掛けている。問い合わせは内山さん=電090(7865)0771=へ。

 (福田大展)

88 とはずがたり :2010/01/01(金) 14:10:39

ぷうむ。

2010 01 30 [Sat]
前回SOLD OUTし異常に盛り上がったした廃道ナイトがリクエストに応え新年お台場再上陸!! ヨッキれん&nagajisプレゼンツ
廃道ナイト!2010早春 オブローダー総決起集会!!
Open 18:00 Start 19:00 End 22:00 (予定)
前売券\2,000・当日券\2,500(飲食代別途必要・ビール\590など)
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_091217202733_1.htm

89 荷主研究者 :2010/01/01(金) 14:24:02
面白い。すごい情熱だなぁ〜。

廃墟探索 岐阜県の廃墟
私よごれんやTEAM酷道の仲間たちと訪れた岐阜県の廃墟をご紹介しています。

http://www.geocities.jp/teamhaikyo/haikyo.htm

90 とはずがたり :2010/01/01(金) 14:53:31
すげえ。。
猟奇!エロ本小屋を読んだだけだがこれはガチだ。。

91 とはずがたり :2010/01/01(金) 18:36:24
こんな要らん道まで国道にしやがってという批判的視点が抜けて国家様のやることに全面肯定する残念な酷道ぶりをはしゃぐバカっぽいレポであるけど,458は山形の奥羽線や東北中央道の一山西側を行く不要国道。こんな道路を余分な国庫負担率で整備する必要なし。
今や未舗装国道此処だけと叫んでるけど其処迄血税投入され尽くして未舗装区間絶滅寸前なんか!?嘆かわしい。

http://www.vesta.dti.ne.jp/~nishiuch/route_x/R458/R458.htm

92 とはずがたり :2010/01/01(金) 18:37:30
>>91
そのR458がらみの記事。

“酷道”458号、Uターンする県外客続出 通行止め分からず
http://yamagata-np.jp/news/200807/04/kj_2008070400045.php
2008年07月04日 09:15

 例年6月に冬期間通行止めを解除している国道458号の寒河江市−大蔵村間で、今年は7月に入っても通行止めが続いている。大蔵側で路肩の崩れが確認され補修工事を行っているためだが、カーナビ情報で国道を抜けようとして、現場でUターンする県外客が続出している。
[MAP]

 県最上総合支庁によると、国道458号は11月から翌年6月まで寒河江市幸生−大蔵村肘折間27.4キロ区間が通行止めとなる。今季は6月上旬の解除を予定し5月に現場調査を行ったが、葉山登山口の一つ、三本橋の南側で路肩が長さ18メートル、幅3メートルにわたって崩れているのが発見された。

 県は、寒河江側の幸生・柳沢橋−十部一峠、大蔵側の肘折−三本橋の通行止めを6月9日に解除。十部一峠−三本橋間8.2キロについては、復旧工事を行っているため今月7日の開通を予定している。

 この情報が県外ドライバーらにうまく伝わっていないという。大蔵村観光協会によると、肘折温泉の利用客などから「国道が通れなくて困った」という旅館への苦情や連絡が6月に入って十数件に達した。例えば首都圏から車で同温泉を目指す場合、カーナビをセットすると「東北自動車道から山形道に入り、寒河江インターチェンジ(IC)か西川ICで降りて国道458号を抜ける」と案内されるためだ。交通規制情報を受信しているタイプのカーナビは途中でルート変更されるが、受信していない車は、そのまま通行止め区間に来てしまうようだ。

 カーナビの有無にかかわらず、当然、通行できると思って来る観光客も多い。3日午前、通行止めを知らずに幸生のゲートまでオートバイでやってきた仙台市の会社員、水谷広さん(44)は「肘折を通って大石田でそばを食べようと思ってきたのに。どうしようかな」と肩を落とし、Uターンした。

 県の担当者は「ICを降りて幸生のゲートに来るまでに5カ所で情報案内をしているのだが、景色もいいし見逃してしまうのかな」と話し、地元からは「国道なのに一部未舗装など全国でも有数の未整備路線だから」という恨み節が聞こえてくる。

93 とはずがたり :2010/01/02(土) 01:28:01
また凄い線型ですなぁ。ダム絡みの様だ。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=35.71422884926501&amp;lon=138.93865055938412&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=35.736212776481&amp;hlon=138.78520674606&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

94 とはずがたり :2010/01/03(日) 17:44:04
はっきり云ってあんま他のサイトに探しに行かない出不精なせいもあるけど,ヨッキレンの文章(文体)と徒渉実績が廃道系では抜きんでた一番であると思っているが,この戸倉峠の未成隧道のnagajis氏の探索ぶりはなかなかである。

思うに俺が廃道に惹かれるのは勿体ない,その抛棄された社会資本を使用する為のコスト(ましてや使用出来る様に成る迄の整備コストが加われば尚更)が便益を下回るのは明らかなんだけど使われてないのは勿体ない,と云う感覚であるように思う。

http://www.the-orj.org/ORJ_0001/index.php
2008.G.W.OFF報告
戸倉峠
【FREE!】

[ORJ第29号(2008年9月発行)初出]

 兵庫県と鳥取県の境にある国道峠の旧道を探索した記録。明治中期に開削されて以来ずっと国道の地位にありながら、戦後になるまで真っ当な改良が加えられなかったという珍しいケースの旧旧道。終戦間際に掘鑿が始まり、途中で放棄されたという未成隧道。いずれも単なる廃道という以上の意味のある遺構だと思う。

 個人的には書くのに4カ月もかかったことが印象に残る。書きたいこともおおかた書けた。ただし時間をかければ良いものができるという見本にはならない。なお掲載がORJ29号なのはたまたまだ。

95 とはずがたり :2010/01/05(火) 17:15:18
北海道の地図見てて発見♪これは香ばしそうな。。

ここ↓
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=43.01164213809597&amp;lon=142.30190889816305&amp;z=15&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=34.857724800309&amp;hlon=133.01657336263&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

北海道道136号夕張新得線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

歴史 [編集]
1994年4月1日 路線認定(路線番号1099)。
1994年10月1日 路線番号変更。
かつては、ニニウ夕張線(路線番号968)・占冠穂別線(一部区間)・占冠落合停車場線(路線番号489、一部区間)・落合新得線(路線番号1073)の道道4本によって結ばれていた。占冠穂別線以外を廃止して、新たに認定した路線である。

その他 [編集]
夕張市から占冠村の間と、南富良野町から新得町の間は未開通である。


調べてみるとしっかりへなりワンも突撃してるw
こりは凄そうだ。。
http://www.henari1.jp/H-1I-001-A.htm

96 とはずがたり :2010/01/07(木) 21:16:06
日本の廃道バックナンバー集#2届きました。
#1もそうだったけどどうも仕組みがよく分からずに読みにくいんだよな〜。
まあ寄付金の心算であるがそんならとっとと振り込まねば。。これがまた面倒で。。

97 荷主研究者 :2010/01/18(月) 00:35:48
>とは
もう読んだのかもしれないけど…。今回の「日本の廃道 第45号」の無料の序節だけでも面白い。続きが気になるところ。

•【新企画】夢幻の道を追う 第一回
中央自動車道
※【FREE!】 序節無料公開中!
http://www.the-orj.org/

ここ↓に通じる話だねぇ。
妄想!新中央道!!
http://tohazugatali.iza-yoi.net/shin-chuo/shin-chuo.html

未だに日本の廃道の買い方がよくわからんので、購入できていないのが歯痒い…。

98 とはずがたり :2010/01/18(月) 00:49:48
>>97
読んでなかったら(´・ω・`)

あべー,日野市市政図書室「中央自動車道工事誌」俺も借りてこないと。。。

妄想!新中央道!!の作成者として黙っちゃ居れぬ・・。

99 とはずがたり :2010/01/19(火) 09:21:16

日本の廃道の八幡平旧鉱山道読む。
石畳にコンクリート橋に硫黄温泉とこのレポも濃いが薮が濃すぎて消化不良感もあり。
コンクリート橋は松尾鉱山と藤七鉱山を結んでいたと思われるのだが,こっちや,山行がの対象外なんかもしれないけど藤七鉱山そのものの調査にも踏み込んで欲しい☆

どうでもいいけどヨッキの地図だと夜峯に成ってる山が俺のマップルだと落峯になってるのはなぜだ?屋敷台が柏台に,平湯が玉川になってるみたいだし地名が頻繁に変わってんのかねぇ?

100 名無しさん :2010/01/21(木) 17:11:52
壮大にくだらないミニレポ「福島県道391号広野小高線」の続きを読みたいなぁ

「国道410号松丘迷走区」とか、こういうマターリした感じの
ほとんどサイクリングみたいなレポも好きです

101 とはずがたり :2010/01/21(木) 19:36:17
>>100
これですね。
http://yamaiga.com/koneta/koneta_120_1.html
読んで来ました。なんとも中途半端に打ち切られたままになっているんですねぇ。
続きをせがんでおきました♪

102 とはずがたり :2010/01/22(金) 02:47:38
ミニレポ見落としありそうなので再読破中
最新だがこのトンネルはなかなか凄いす。

ミニレポ第148回 銚子第二発電所 未成水路隧道跡
http://yamaiga.com/koneta/koneta_148.html

103 とはずがたり :2010/01/22(金) 03:08:47

【r33上野原あきる野線ほか】
この辺の道はR411,R139,r33,r521と沢山地方ばらまき不要路線がありながら必要なR20のバイパスに成りうる道路が全くないのは異常だ。自民党の道路行政が日本を瀕死に追いやったのだ。万死に値するヽ(`Д´)ノ
まともな整備をするならばR20の代替路として機能するし税金ばらまく価値あるのに地域振興とか過疎地の命の道とか云って無駄金棄てるからR20の代替路としては機能しないし相変わらず渋滞が頻発する横で誰も通らない道に大金が掛けられてて無駄に維持費が国民に付け回しされているのである。

相変わらずワンパターンの自民党のばらまき型道路行政に怒り心頭で恐縮だけど,レポそのものは興味深い。

ミニレポ第119回 甲武トンネルの末端廃道 <前編>
http://yamaiga.com/koneta/koneta_119.html

ミニレポ第119回 甲武トンネルの末端廃道 <後編>
http://yamaiga.com/koneta/koneta_119_2.html

後段の場所は此処
http://maps.google.co.jp/maps/mm?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;om=1&amp;ll=35.722406,139.147553&amp;spn=0.002003,0.005493&amp;z=18&amp;brcurrent=3,0x60193e9e5cfb8ddb:0x3297ee13e5b0d167,1

ミニレポ第125回  檜原村の未成BP橋
http://yamaiga.com/koneta/koneta_125.html

r33も随分カネ掛けて整備しようとする片鱗は見えるんだけど整備されたとしてどの程度の所要時間になるんやろ。

檜原村南北横断道路はいらんべ。それでもこれだけ手を掛けて橋作って地元の有力者や土建屋に配慮するなど正気ではないな。建設費分国庫に返納させろや。

104 名無しさん :2010/01/22(金) 18:30:12
(^o^)ミニレポ「福島県道391号広野小高線」の続きは気長に待ってます。

テレ朝の「スーパーモーニング」録画するの忘れてた .....(p_-)

105 名無しさん :2010/01/23(土) 19:57:09
テレビの取材によって口野隧道の真相が解明されましたが、
山行が掲示板を見るとテレビは「ズルい」って意見が出てますねー。

口野隧道に関しては何から何まで一人でやってたヨッキれん氏に対して、
予算や調査能力も断然違うテレビ局の取材班が関わったら敵わないですよ。

ヨッキ氏の調査結果と違った真相が出てくる事もあろうかと‥‥‥。
とは言えヨッキ氏の探索自体は何らケチの付くものではなくアツかった!と思いまする。

106 とはずがたり :2010/01/25(月) 11:14:35

こんな所にロープウェイのマークが??
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=35.37753274451571&amp;lon=138.36816180260988&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=35.664159337171&amp;hlon=138.56844771417&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

108 とはずがたり :2010/01/25(月) 12:12:11
>>104-105
いやぁ,見逃した,ってか事前に知らなかったです(´・ω・`)女性レポーターが泳いだところ見たかったっすw
隧道の辻から読み直しましたよ♪
本文でも書いてましたがこれ↓が正解だったという事なんですな
>それに別の可能性として、石を切り出しながら坑道の延長を延ばして、やがて山の向こうに通じた坑道を隧道として解放したということも …有り得ないことではないかも。

2010.01.22 Friday
author : ヨッキれん
口野隧道の真相が解明されました!
http://yamaiga.jugem.jp/?day=20100122

旧口野隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kutino2/main.html

沼津市口野の “隧道の辻”
http://yamaiga.com/tunnel/kutino/main.html

109 とはずがたり :2010/01/26(火) 16:22:01
鹿取茂雄「国道を走る」

松波成行「国道の謎」
を入手♪

国道が酷いと無批判にはしゃぐバカどもには批判的に,税金の無駄を嘆きながら喜んではしゃげと云うのがとは総研の基本スタンスですが,まあこのへんのサブカルに俺的資金投入して背後から微力に支えるのも一つの社会的使命でありましょう。
流石に出版された本ともなると批判的視座がちらちらと出てはいるしね。
特に松波氏の蘊蓄はなかなかのもの。

110 とはずがたり :2010/02/11(木) 13:38:08
>>88のネタ仕込みの為にヨッキ氏が掲示板でふれあい橋画像募集してたんで,自他共に認める写真撮り下手の俺でありますがふれあい桜橋画像http://tohazugatali.iza-yoi.net/SAITAMA/MISATO-YASHIO/hojo274/h274-00.html#fureaiを提供させて貰ったらヨッキさまよりお礼のメールキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
我々のサイトもご存じ頂いてたそうで吃驚です。感激だなぁ。

111 とはずがたり :2010/02/17(水) 22:17:43
>>104
>>101の俺のおねだりが効いたか(w)更新されてますね!!

壮大に下らないレポート 第7回 (まだ忘れてなかった!)
http://www.yamaiga.com/koneta/koneta_120_7.html

さっそく読んでみます♪

112 とはずがたり :2010/02/18(木) 13:06:01
久しぶりに読破♪

田代隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kamikita/main.html

113 荷主研究者 :2010/02/24(水) 23:07:41
ヨッキれん的には江戸時代は古すぎるかなぁ

http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20100218/CK2010021802000181.html
2010年2月18日 中日新聞
“幻の刎橋”追い 地中探査 黒部市教委 復元視野に

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2010021802100071_size0.jpg
黒部市教委が3月にも地中探査する黒部川右岸。左奥は愛本橋=黒部市宇奈月町音沢で

来月にも 位置、規模特定へ
観光振興の売り物期待

 黒部市教委は、江戸時代の「日本三奇橋」の一つ、愛本刎橋(はねばし)が黒部川に架かっていた場所を把握するため、橋があったとされる同市宇奈月町音沢で三月にも地中レーダーで探査をする。橋の正確な位置や規模を特定し、将来の復元も視野に入れている。(平井剛)

 愛本刎橋は、江戸初期の一六六二(寛文二)年に加賀藩が建設。黒部川が激流で川中に橋脚を造ることができなかったため、材木を両岸からハの字形にはね出すようにして中央部で組み合わせる刎橋構造がとられた。

 当時の文献や設計図によると、長さ約六十三メートル、通行幅約三メートル。木造で傷みやすいため八回にわたって架け替えられ、一八九一(明治二十四)年にアーチ式の橋に取って代わられるまで、宇奈月の要衝を支えた。

 写真などから、設置場所は現在の愛本橋の上流五十〜六十メートル付近とみられる。市教委は富山大大学院理工学研究部の酒井英男教授と協力して黒部川右岸で探査する。地中レーダーで高周波の電磁波を送り込み、その反射によって刎ね木が埋められていた場所などの把握に努める。探査と解析には約二週間かかる。

 愛本刎橋は、観光振興の売り物として堀内康男市長が復元への意欲を示している。市教委は「新年度以降も必要な調査を続け、復元への足掛かりにしたい」と話している。

114 とはずがたり :2010/02/25(木) 01:01:03
最早歴史家・遺構研究者の域だなぁ。
野に置いておくのが勿体ない。。

http://www.the-orj.org/

宇津峠 明治車道(三島新道)
※【FREE!】 序節無料公開中!

115 荷主研究者 :2010/02/27(土) 16:18:49
>>113
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20100226101.htm
2010年2月26日03時06分 北國新聞
「愛本刎橋」復元へ一歩 黒部市視察団、金沢で設計図閲覧

刎橋の設計図に見入る黒部市からの視察団=金沢市立玉川図書館近世史料館

 加賀藩5代藩主前田綱紀が黒部川に架設し、日本三奇橋の一つと称された「愛本刎(あいもとはね)橋(ばし)」の調査に、藩政期の図面や関係史料を有する県立図書館と金沢市立玉川図書館近世史料館が協力していくことになった。25日には、復元も視野に調査を進める黒部市教委と同市歴史民俗資料館運営委員会の一行が両図書館を訪れ、所有する設計図などに目を通して研究の進展に手応えを感じ取った。

 黒部市は昨年3月、珠洲市の陶芸作家為重功さんから、同家に秘蔵されていた愛本刎橋の史料「越中新川郡愛本橋百分之一図」=1841(天保12)年製作=の寄贈を受けた。これを機に、当時の架橋構造や橋梁(きょうりょう)技術の概要が確認できるようになり、同市は復元を視野にいっそうの史料収集などに乗り出した。

 現在、愛本刎橋の設計図は4種類が確認されており、このうち為重さん寄贈の1種類を除く3種類は金沢市内の両図書館が所蔵している。黒部からは25日、3枚の現状確認を目的に、永井宗聖資料館運営委員長ら12人の視察団が金沢を訪れた。

 視察団は県立図書館で天保年間(1830〜44年)に描かれた「越中国新川郡愛本橋指図」、玉川図書館では1820年の「文政三年愛本橋四拾分一絵図」、製作年代不明の「愛本橋建築之図」を検分し、関係史料にも目を通した。視察団は「今後は4種の設計図の比較分析を進めて、往時の橋の姿を明らかにしたい」としている。

 一行は金沢工大も訪れ、橋梁工学を専門とする本田秀行教授から説明を受けた。視察には為重さんと、江戸時代に架橋に当たった笹井正房の子孫に当たる篠井隆正さん(野々市町)が同行した。

116 名無しさん :2010/03/05(金) 00:05:07
>>111
どうもです。(^^)ヨッキ氏にプッシュしてくれたんですね。
広野小高線を走ったのも既に3年以上前だし、更新が1年ぶりだし
実際に走破したのは1日でもレポが完結するまでが壮大になっちゃってますね。
次の更新はいつになることやら(笑)

117 荷主研究者 :2010/03/14(日) 16:55:59
長っ! 廃道とは違うが、そそられるねぇ。
>トンネルは総延長約7キロ
>トンネルは1964年に開通。西区から須磨区まで約14.5キロあったが、役割を終えコンベヤーは2005年に休止

http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20100312cjb1203312.html
2010年3月13日 日本経済新聞 近畿
地下トンネルに神戸ワイン保管 神戸市の市有財産を有効活用

 神戸市は12日、市の外郭団体、神戸みのりの公社が生産する神戸ワインを、市内の地下トンネルで保管すると発表した。トンネルには、かつて市が人工島ポートアイランドなどの造成用に山を削った土砂を搬送する大型ベルトコンベヤーを設置していた。現在は使っておらず、市有財産の有効活用策として発案した。

 同公社は民間企業の倉庫を借りて神戸ワインを保管している。その一部(14万本)を16日から地下トンネルで保管する。トンネルは総延長約7キロあり、その一部135メートルを保管に使う。ワインの保存にはセ氏17度前後が最適で、トンネル内は夏でも同水準の温度だという。

 トンネルは1964年に開通。西区から須磨区まで約14.5キロあったが、役割を終えコンベヤーは2005年に休止。トンネルも半分を埋め立てて現在の状態になった。

 神戸市みなと総局は「今後、有料で民間企業に利用してほしい。酒の貯蔵などに使えるのでは」と話している。

118 名無しさん :2010/04/01(木) 01:08:32
ヨッキれん、「山さ行がねが」10周年おめでとう!
\(^o^)/

119 荷主研究者 :2010/04/10(土) 17:02:52
自然の穴だが…

http://www.shizushin.com/news/local/east/20100402000000000063.htm
2010/04/02 静岡新聞
三島風穴、埋め立て工事で対立 駅北口整備に難題

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/nature/IP10031TAN000020001.jpg

 JR三島駅北口の地下に広がる「三島風穴(ふうけつ)」をめぐり、三島市とNPO法人火山洞窟(どうくつ)学会=事務局・東京都文京区、立原弘会長=が意見を対立させている。市は北口周辺の都市開発整備の一環として市道を通す予定で、道路の安全確保のため交差点直下の風穴を埋め立てる。一方、同学会は2月に独自調査を行い、「富士山の溶岩洞窟として極めて高い自然遺産価値がある。学術調査の徹底を」と市の方針に異議を唱えている。

 市によると三島風穴は地表から約8メートル下に広がり、空洞の面積は推計2500平方メートル。市はこのうち道路直下の約1600平方メートルを「グラウド」と呼ばれる特殊材を注入して充てんする。3月半ば、埋め立て工事の準備作業に取り掛かった。

 小池政臣市長は「貴重との認識はあり、観光に生かせないか私も5年ほど前に中に入ったが、崩落が進んでいて非常に危険。崩壊が起きたら行政は責任を問われる」と緊急性を強調する。

 市は2004年度に土隆一静岡大名誉教授を委員長に「三島風穴検討委員会」を開き、対応を検討した。地下レーダー探査やボーリング調査を行い「風穴内部は落盤の可能性があり、文化財として見学可能な保存方法は難しい。道路下の安全性確保には閉塞(へいそく)などの対応が必要」と結論づけた。市は昨年8月に再調査し、埋め立て工事の実施を決めた。

 一方の火山洞窟学会は、地元住民の依頼を受けて今年2月に実地調査した。会員ら14人が中に入り、広いホール状の洞窟を確認したという。川村一之事務局長は「天井崩壊はほとんどなく、珪酸(けいさん)鍾乳石など貴重な生成物がそのまま残されていた」と説明する。報告書をまとめ、工事設計図の公開と工法の再検討、洞窟の有効活用を求めて市に要望書を送った。

 同学会に調査を依頼し、立ち会った地元の三島市文教町の男性(62)は「新幹線駅の近くに風穴があることも、埋め立て工事をすることも多くの市民は知らない。火山学や生物学などいろいろな角度から議論してほしい」と話している。

120 名無しさん :2010/04/14(水) 07:24:32
>>106
地図の南西の方角にある七面山とその周辺は日蓮宗の修行の場だそうですね。
七面山が2000m近くあるし、等高線の間隔からして険しそうな感じがするなぁ‥‥。

121 とはずがたり :2010/04/14(水) 11:10:41
有り難うございます♪
飯豊山の山頂域と云い,霊山関係はちょっと市町村域イレギュラーなことたまにありますね。

地図は更新されて今ではロープウェイのマーク消えちゃってますね。。
Mapionもそうだけどなんでわざわざ見慣れたデザイン更新で変えて見にくくするのかなぁ。。

122 とはずがたり :2010/04/26(月) 18:02:37

毎日がエブリデイ>> 国道の県境>> 不通区間の県境
不通区間の県境
http://www.eburi.road.jp/kenkyo/blocked/index.shtml

123 とはずがたり :2010/05/06(木) 01:56:36
秘境駅へ行こう!はこれですね♪俺も知ってました。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/
このスレ向きでもあるので転載♪

GWは秘境駅探訪ツアーへ JR東海、飯田線で臨時列車
2010年3月14日9時18分
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/3834

「秘境駅」大にぎわい…ツアー企画・即完売
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/3934
 秘境駅は、広島県三次(みよし)市、会社員牛山隆信さん(43)のホームページ(HP)や著作「秘境駅へ行こう!」がきっかけになってブームに火が付いたと言われている。
 牛山さんは、国内の全線乗車を目指して各地を巡っていた10年余り前、「人家もまれな場所に、なぜ駅が……」と思い、調べていくうちに秘境駅にひかれるようになった。

124 荷主研究者 :2010/06/26(土) 18:50:25
釜トンネルの先にさらに廃道ができるということだな。

http://www.shinmai.co.jp/news/20100612/KT100611SJI090014000022.htm
2010年6月12日(土)信濃毎日新聞
上高地のトンネル計画 環境配慮したルートに

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/KT100611SJI0900140000221.jpg

 昨年5月に落石死傷事故が起きた県道上高地公園線(松本市安曇)の抜本的な安全対策を検討する専門家の委員会は11日、松本市内で開き、新設する予定のトンネルについて、県が示した3案のうち環境負荷や予定工事費の比較的少ない案が妥当と結論付けた。県はこの案を採用し、国などとの調整が進めば来年度にも着工したい考えだ。

 採用されるトンネルルートは落石現場を避けるように尾根の地下を通る=地図。

 ほかには、カーブが緩いが伐採木の多くなる案と、カーブをきつめにして水力発電所の導水管と交差させない案があった。採用された案は工事費が約23億円で、ほかの2案より1億5千万〜1億円安い。委員4人は、希少植物の生育地を避けられることなどからも採用案を評価した。

 県は年内に、現在まで確認されていない猛禽(もうきん)類の営巣状況など環境・地質調査を終え、詳細設計に入る。

 県道路管理課は「できるだけ早く工事を進めたい」とする。ただ、一帯は国立公園内で国有林でもあり、特別名勝・特別天然記念物の上高地にも近い。同課は「関係省庁との調整や工事にどれだけかかるか分からず、完成時期は何とも言えない」としている。

 オブザーバーとして出席した青柳薫・上高地町会長は委員会後、トンネル計画について「上高地の環境に配慮していただいており、うれしい」と話した。

125 荷主研究者 :2010/07/19(月) 21:37:58
何だかワクワクする展開ではある
>坑内をさらに調査する予定

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20100702101.htm
2010年7月2日 北國新聞
廃坑から異例の新鉱脈 小松・尾小屋鉱山跡

坑内調査で発見された右上に向かって延びる鉱脈=小松市の尾小屋鉱山跡

 小松市の尾小屋(おごや)鉱山跡で1日までに、藩政期から昭和にかけて採掘が行われていた坑内で新たに鉱脈が見つかった。同鉱山を管理する石川県尾小屋鉱山資料館によると、廃坑で新しく鉱脈が見つかるのは非常に珍しく、同資料館は鉱脈を保存、展示する。同資料館は「隆盛を誇った鉱山の様子や当時の労働者の苦労を知ってほしい」としている。

 鉱脈が見つかったのは、江戸時代や明治の坑内の作業の様子を再現する尾小屋マインロード入り口から約100メートルの地点。5月の坑内調査で、県尾小屋鉱山資料館の山本宗則館長が発見した。

 同資料館によると、幅20センチ、長さ5メートル以上で、奥行きは不明。黄(おう)鉄鉱(てっこう)や黄銅鉱(おうどうこう)、孔雀(くじゃく)石(いし)などが含まれているが、含有量はわずかとみられ、産業としての採掘は不可能だという。

 山本館長によると、断層や岩盤の裂け目に銅や鉄などの鉱物が溶け込んだ数百度の熱水溶液が長い年月をかけて沈殿し、水温の低下によって鉱脈となる。5月の調査で壁面の色がほかと異なっている部分が見つかり、掘ってみると鉱脈が出てきたという。

 同資料館は、坑内をさらに調査する予定で、鉱物学が専門の金大大学院自然システム学系、奥野正幸教授は「利用できる鉱物が含まれている可能性もあり、埋蔵量の解明など、今後の調査を期待したい」と話している。

 かつて日本一の銅の生産量を誇った尾小屋鉱山は1971(昭和46)年、海外の安価な銅に押されて閉山した。

 尾小屋鉱山(おごやこうざん) 1682(天和2)年に地域の住民が鉱物を発見し、1880(明治13)年に加賀藩の八家だった横山家が近代鉱山として創業。長く日本の工業発展を支え、最盛期の昭和初期には、銅の年間生産量が2800トンを超え、日本一の生産量を誇った。

126 名無しさん :2010/07/31(土) 21:33:02
「出没!アド街ック天国」の横須賀特集でテレビに映ったヨッキれんさんを初めて見ました!
(ほんの一瞬だったけど)

127 荷主研究者 :2010/08/01(日) 22:14:27

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20100723/CK2010072302000152.html
2010年7月23日 中日新聞
12年ぶり出現 浜松市天竜区の“幻の池” 林道通行止め『見物自粛を』

 浜松市天竜区水窪町の山中に出没し「遠州七不思議」の1つに数えられる“幻の池”が、12年ぶりに出現している。池が現れると毎回多くの見物者でにぎわうが、今回は現地へ向かう林道は先週の大雨で落石があり通行禁止に。地元の水窪観光協会は「安全確保のため見に行くのは見合わせてほしい。次の機会を待って」と自粛を呼びかけている。 (天竜通信部・間渕文隆)

 同協会などによると、幻の池が現れるのは佐久間町境に近い標高880メートルの亀ノ甲山の中腹にある「池の平」と呼ばれるくぼ地。ふもとの登山口から山道を約1時間半ほど歩いてようやくたどり着く。スギやヒノキに囲まれた場所に、7年に1度ほどの周期で7〜9月にかけて突如として池が現れ、数日から1週間ほどで消える。出現の謎は解明されていない。

 今月20日昼すぎ、池の平を訪れた地元住民が池を発見した。旧水窪町の記録では、近年では1975年、82年、89年と周期通りに現れたが、前回は2年遅れて98年、今回は実に12年ぶりの出現となった。

 池の広さは約70メートル×約40メートルで、水深は1・2メートルほど。21日に行政職員が確認に訪れたところ、深さは約1メートルと水位は下がり始めていて、今週末には消えるかもしれないという。

128 荷主研究者 :2010/08/29(日) 12:30:35
よっきれんの山チャリとはジャンルが違うが…。安倍峠は我々にとっても思い出深い場所ではある。

http://www.shizushin.com/news/local/central/20100818000000000029.htm
2010/08/18 静岡新聞
静岡→安倍峠←身延町 10月に初の自転車レース

 静岡、山梨の両県側から県境安倍峠のゴールを目指す自転車のヒルクライム(山登り)レース「ツール・ド・安倍峠」(同実行委員会主催)が10月10日、初めて開催される。

 金山の領有権をめぐる徳川、武田の争奪戦を模し、2年前に始まった静岡市と身延町の交流イベントの一環。20日から参加者を公募する。

 これまで地域住民が参加して行ってきた水風船の的当て合戦を模様替えした。静岡市側13・8キロ(標高差890メートル)、身延町側12・6キロ(同1010メートル)のコースを設けて各100人の参加を募り、上位10人のタイム合計で勝敗を決める。

 コースに設定した県道や林道はツーリングコースとして自転車愛好者が集う。市中山間地振興課は「安倍峠の名前を全国に知らしめたい」と幅広い参加を期待している。地元食材を使った「合戦鍋」を振る舞う交流会も予定している。

 募集は10月4日まで。参加資格は18歳以上、居住地は不問。レース参加の問い合わせは大会事務局〈電043(234)6588〉へ。その他イベントについては実行委員会事務局〈電054(294)8805〉まで。

129 とはずがたり :2010/08/29(日) 12:45:37
>>128
おお,面白いw>ツール・ド・安倍峠

130 とはずがたり :2010/09/13(月) 21:09:17
山行がは山手東側隧道>>2の公開停止したんですかねぇ??
検索掛けたらこんな頁も。新日鐵め話しの判らん会社やのぉ

http://www.geocities.jp/ryozanusagawa/plesures.html
探索記
然るべき機関より依頼がありましたので、探索記「八幡館インクライン」および「山手東側隧道」の公開を停止いたしました。 2010.04.20 管理人 宇佐川 亮山

131 とはずがたり :2010/09/25(土) 18:53:46

皆さん買いましょう♪もしくは買い増そう?!
下のリンクはurlにyamasaiganegaを含んでるので,もしかするとヨッキ氏へのアフィになってるかも。

【「山行が」から皆様への、お願いキャンペーン】

「廃道をゆく2」http://www.amazon.co.jp/gp/product/4863203128?ie=UTF8&amp;tag=yamasaiganega-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4863203128がもう少し売れると、続刊「3」が制作できます!

確定の期限は2010年11月です。
まだお持ちでない方のお買い上げを、お願いしております!

本の中身は、こんな感じです(6p公開中)(←PDF)。(全114pです)
本キャンぺーンの詳細は、こちらをご覧下さい。

132 荷主研究者@秋田遠征中 :2010/10/09(土) 12:42:17
現在、角館付近。これから仙岩トンネルに挑むところ。

133 とはずがたり :2010/10/09(土) 15:33:36
>>132
旧道経由よろw

134 :2010/10/09(土) 17:08:36
http://www.draft-bbs.com/index.html

135 とはずがたり :2010/11/09(火) 03:20:26

新潟県には不通県道が多いようだ。

新潟県道387号吉水大和線 岩山不通区
http://yamaiga.com/koneta/koneta_122.html

ここら
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=37.193325436289605&amp;lon=138.91873458187123&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=37.902473987365&amp;hlon=139.02321198742&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

新潟県主要地方道58号 小千谷大和線
http://yamaiga.com/koneta/koneta_107.html
小千谷方不通区間レポ

ここら
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=37.20703292928785&amp;lon=138.83444884578745&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=37.902473987365&amp;hlon=139.02321198742&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

新潟県一般県道178号 山ノ相川下条(停)線
http://yamaiga.com/road/npr178/main.html
十日町川口間不通区間踏破レポ
r58小地谷大和線大和側(川口側)不通区間レポ

ここら
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=37.19445357833545&amp;lon=138.83629420558984&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=37.902473987365&amp;hlon=139.02321198742&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

その他にも

r342田沢水沢線
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=37.04751112640218&amp;lon=138.73301842968013&amp;z=15&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=37.902473987365&amp;hlon=139.02321198742&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=
道路は繋がってるのに指定されていない?

r71小千谷川口大和線
浦佐付近
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=37.171790646082215&amp;lon=138.91497948925064&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=37.902473987365&amp;hlon=139.02321198742&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=
明神付近
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=37.18919446945439&amp;lon=138.8955388383105&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=37.902473987365&amp;hlon=139.02321198742&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=
原付近
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=37.22911578413457&amp;lon=138.8707337693406&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=37.902473987365&amp;hlon=139.02321198742&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

等枚挙にいとまない。。

新潟県の不通嶮道サイト立ち上げてるオブ派はいないんかねぇ!?

136 とはずがたり :2010/11/09(火) 03:21:06

それにしてもヨッキ氏の記述が06.10から07.10の一年で随分視野拡がってるのがよく分かる

新潟県道387号吉水大和線 岩山不通区
http://yamaiga.com/koneta/koneta_122.html
探索日 2007.10.21
公開日 2007.10.25

 新潟県は県土が広く、かつ古くから米処として人口涵養力が高かったので、明治期には一府県として東京府を押さえ最大の人口を擁した。
自然と多くの自治体(マチやムラ)が立地したし、それらを結ぶ交通網が発達していた。

今日、新潟県内の道路地図を見ると、驚くほどに県道が多く存在することが分かる。
そして、それらの多くは明治以前からムラとムラを結ぶ道であったり、ムラの米を運び出すための重要な道であった。

 特に中越地方はその傾向が顕著であり、某大物政治家の出身地であることから多くの“はした道”が、強引に県道指定されているのだと捉えられがちである。
しかし、この地域の一部は米のトップブランドである「魚沼産コシヒカリ」の生産地であり、そこに古くから多くの人口と自治体が存在したことをふまえれば、必ずしも原因は政治的なものではなさそうである。県道の指定は、自治体の数が多いほどに、多くの路線が指定されやすい傾向にあるのだ。

 過疎化の進む現在となっては、ほとんど集落も無い山間部に幾筋もの細い県道が描かれている姿は異様であり、そこには一目見て繋がっていない道も多い。
 右の地図は、魚沼丘陵地帯の国道および主要地方道、一般県道の概要図であるが、国道沿道以外に見るべき人口地は無い。それにもかかわらず、網の目のように多くの県道が指定されていることが分かる。
 画像にカーソルを合わせると、2007年現在で自動車が通れない区間が削除される。
こうなると、いよいよ「不通県道天国」の様相を呈してくる。地域の国道に次ぐ幹線であるはずの主要地方道でさえ、ほとんど繋がっていないのだから。

 政治の問題か、歴史的に人口や自治体が多かったことが理由なのか、あるいはその複合なのか。
はっきりとした答えは分からないが、とにかくこの魚沼丘陵を含む中越地方の不通県道の数は、異常である。


新潟県一般県道178号 山ノ相川下条(停)線
http://yamaiga.com/road/npr178/main.html
公開日 2006.10.06
探索日 2006.08.12
 で、この道についてレポる前に、何だか妙にカラフルチックな上のMAPを見て欲しい。
カラフルなのは、狭い範囲に県道や国道がひしめいているからなのだが、これ、何か凄いよ。
よーく見ると、不通と思しき県道がどんなにか有るよ?!
というか、ちゃんと通じているのは国道だけじゃねーかと言うくらい、ダメだ。
不通県道マニアの私は、この辺りの地図を見ると息苦しさを感じさえする。 有り過ぎも良くない。
何でこんなに不通ばっかりなのかといえば…、おそらくは政治の問題なのだ。
秋田県内だったら、そもそも絶対県道指定できなさそうな、「ちょっと…」な道も、かなり指定されている。新潟県ではね。

137 荷主研究者 :2010/11/10(水) 23:19:13

http://www.kahoku.co.jp/news/2010/10/20101030t73019.htm
2010年10月30日土曜日 河北新報
二口林道来秋全通へ のり面補強12年ぶり 仙台・山形

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/p103006x0s200026_01hutakuti.jpg

 仙台市太白区秋保町と山形市山寺を結ぶ二口林道が来年秋、12年ぶりに通行止めを解除する見通しになった。のり面崩壊の危険があり、1999年以降、宮城県側の一部が通行止めとなっていた。仙台、山形両市を結ぶ山形自動車道、国道48号に次ぐ、3本目のルート。秋保温泉と山寺を最短距離で結ぶ観光道路として活用されそうだ。

 林道を管理する宮城県によると、通行止めを解くのは白糸の滝近くの規制ゲートから山形県境までの5キロ。コンクリートを吹き付けただけだったのり面の改修工事などを今年春に開始した。

 山形県側はすべて舗装済みだが、宮城県側10キロで舗装済み区間は計2キロにとどまっており、改修工事に併せ、降雨に弱い部分や急カーブなど計約550メートルを新たに舗装する。道路幅は3〜4メートルでバスは通行できず、車のすれ違いは待避所で行う。

 林道は99年8月の豪雨で路面が浸食され、宮城県側で全線通行止めになった。02年、白糸の滝近くに規制ゲートを設置し、仙台市秋保ビジターセンター付近からゲートまで部分開通したが、県境付近の5キロ区間はのり面崩落などの恐れがあり、規制が続いていた。

 現在は平日がビジターセンターから市秋保二口キャンプ場まで、土日はゲートまで通行できる。

 県は今回、昨年の国の経済対策に盛り込まれた地域活性化・公共投資臨時交付金を活用。国が事業費4億3000万円の95%を負担する。10年以上、工事が滞った理由として、県は従来の国庫補助事業で実施した場合、県負担が5割と高額だったことを挙げた。

 工事は冬期間休止し、来年5月末に再開する予定。県は、来年秋の紅葉シーズンに開通を間に合わせる方針。県林業振興課は「林業への活用はもとより、両県を訪れる観光客の周遊ルートになることを期待したい」と意義を強調している。

138 荷主研究者 :2010/11/14(日) 02:32:41

国道17号三国峠を群馬→新潟は走行したことはあるのだが、逆の新潟→群馬を11/6走ってみた。

R17号現道についてもヨッキれんのこの↓レポートに詳しい。

国道17号旧道 二居峡谷
http://yamaiga.com/road/r17_futai/main.html

土曜日の夕方6時頃、越後湯沢の市街地を抜けて三国峠への坂道が始まると、急に交通量が激減。この時間帯でこんな交通量なのかと驚く。
芝原トンネルの手前まで延々と登坂車線が整備され快調に山越えを目指す。しかしクルマは全く走っていない。雰囲気は三島からの箱根越えのR1号と少し似ているが、交通量は格段に少ない…。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=36.91550882578773&amp;lon=138.80339059646613&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=36.385936924505&amp;hlon=138.24167165573&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

この先も度々登坂車線が現れ、数少ないクルマを追い抜いて快調に走ることができる。しかしヨッキれんのレポートにもあるようにトンネルは幅員が狭く、やや走りずらい。トンネル外が幅広く造られているだけに余計そう感じる。

片側1車線でも急カーブの場所は中央分離帯と大幅に広げられた路肩のお蔭でストレスなく走られる。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=36.86711389306531&amp;lon=138.77661142166008&amp;z=15&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=36.385936924505&amp;hlon=138.24167165573&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

三国トンネルの手前にもまとまった距離の登坂車線あり。直線に近い線形であり走りやすい。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=36.77793208540015&amp;lon=138.80854043777356&amp;z=15&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=36.385936924505&amp;hlon=138.24167165573&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

群馬側は一転、細かなカーブが延々と続き、なかなか疲れさせる道となる。新三国トンネルを必要とするのも納得か…。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=36.7420376879844&amp;lon=138.83452567870984&amp;z=15&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=36.385936924505&amp;hlon=138.24167165573&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

139 荷主研究者 :2010/11/14(日) 12:40:40

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20101105/201011050948_12073.shtml
2010年11月05日09:48 岐阜新聞
地下坑道まるで迷路 御嵩亜炭廃坑、報道陣に公開

◆支える“柱”折れる恐れ

亜炭を掘った跡が通路の両側から延びる=4日午前、可児郡御嵩町比衣

 先月20日に可児郡御嵩町顔戸で起きた亜炭廃坑による大規模な陥没事故は、今も避難指示や勧告が継続され、住民が仮住まいでの生活を余儀なくされている。同町は4日、報道関係者に町内の亜炭廃坑の坑道を公開した。内部は至るところから脇道が分岐して迷路のようだった。

 山際に水田が広がる同町比衣。住宅裏の山腹に坑道の入り口はあった。学術研究目的で整備した坑道で、陥没事故現場とは約1キロ離れている。

 階段を降り、入り口をくぐると、中には亜炭を求めて削られた岩が広がっていた。岩盤の中に黒く見える層が確認できた。亜炭だ。質の良いものはほとんど採掘されたという。

 安全上、公開されたのは入り口から約70メートル入った所まで。地上から約15メートルの深さだという。地下水が染み出しているためか、足元はぬかるんでいた。

 分岐する脇道はいずれも亜炭を掘った跡。坑道が崩れるのを防ぐために、一部を掘らずに残したのが「残柱」。柱の幅は約2メートルで、触ると表面の石が簡単にはがれ落ちてきた。劣化が進めば折れてしまう恐れがあるという。

 同町の亜炭は戦中戦後に国策として産出された。顔戸の大規模陥没は特定鉱害と確認、復旧工事費は国と県の基金で全額負担されるが、町民の不安は増すばかりだ。国による地下充てんなどの抜本的対策が求められるとあらためて感じた。(広瀬丈士)

140 とはずがたり :2010/11/19(金) 17:51:45
>>131
やっと購入。間に合ったかな??
もう一冊買うべき??(;´Д`)
にぬけん,買ったらねぇ

141 荷主研究者 :2010/11/21(日) 14:45:28
>>140
ちも購入。発売直後に購入済みだら。

最近は月1ペースの現地調査やwebサイトの頻繁な更新など、手抜かりはないでね。

ちなみに同じイカロス出版の「首都高をゆく」も面白い。ま、こちらはヨッキれん氏の手助けにはならないが…。
http://secure.ikaros.jp/sales/mook-detail2.asp?CD=M-059

142 とはずがたり :2010/11/30(火) 14:35:14
林鉄といえばここかな。
日本で観光用というか趣味者用に林業と森林鉄道を経営出来ないものかねぇ。動態保存的な位置づけで。過疎に悩む秋田辺りどうよ。
秋田内陸縦貫鉄道の駅に搬出して鷹ノ巣迄貨物レで輸送すると更に良い♪

森林鉄道機関車を売却へ、北秋田市 入札参加者を募集
http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20101127i

北秋田市が売却する森林鉄道機関車

 北秋田市は、2008年に閉鎖した市森林展示館に展示していた森林鉄道機関車を売却することにし、入札参加者を募っている。1960年に製造されたディーゼル機関車で、営林署が秋田杉の運搬などに使っていた。

 県外の鉄道ファンから「機関車が放置されていて忍びない。譲ってほしい」などの声が数件寄せられたことから、市は一緒に展示していた客車やレール、枕木などもセットにして売却することにした。機関車は重さ4・8トン、全長3・3メートル、高さ1・6メートル。客車は全長4メートル、高さ1・9メートル。レールの長さは14メートル。

 入札用の見積書は市のホームページから取得できる。提出期限は30日午前11時。最高額を付けた人を落札者とする。問い合わせは市財政課TEL0186・62・6603
(2010/11/27 13:48 更新)

143 とはずがたり :2010/12/02(木) 20:28:23
廃道をゆく2より
もったいねぇなぁ。。

大規模林道真室川小国線・小国区間
詳細
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=38.14466292562882&amp;lon=139.84240837751176&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=38.053275742865&amp;hlon=139.77404423414&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=
広域
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=38.14466291481384&amp;lon=139.84240837751176&amp;z=13&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=38.053275742865&amp;hlon=139.77404423414&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

真室川・小国線 朝日・小国区間
http://www8.plala.or.jp/forestroad/daikibo/asahioguni.html

144 とはずがたり :2010/12/02(木) 20:39:31
それにしても費用を浮かすためと邪推するけど地図が手書きのせいでイマイチテンションあがらないなぁ。。
画像もホムペに較べると小さいし。。

145 とはずがたり :2010/12/02(木) 20:52:43
R422野又峠
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=34.26181226469278&amp;lon=136.2622427988117&amp;z=15&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=33.910798119526&amp;hlon=136.042602067&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

周回ルートに使えそうな池坂越えという表現があるがどれが其れか61頁の地図ではわからんし。。

ネットで調べてみると↓の様な記述がある。大野内から北へ抜ける野又越に対して西の方へ抜ける川筋の峠かいな?

池坂越(紀伊長島から)【東紀州】
http://genge-do.at.webry.info/200601/article_3.html
 4日、旧紀伊長島町・赤羽川上流の集落、大野内を越え池坂越の道を辿り池坂峠に登った。
画像
 大野内より一つ手前の集落は下河内。ここは、赤羽川本流から2つの支流が分かれるところ。本流は西に伸び、北に伸びる鍛冶屋又谷、北西に伸びる大野内川。
またここは、古道の交差点でもあった。鍛冶屋又谷に沿い春日越道、大野内川沿いには、野又越と池坂越の道がある。どの道も海辺の町紀伊長島から山の町宮川村へ抜ける道。海の産物が遠くは、宮川村・飯高境界の峠を越え、高見峠を越えて奈良・京都へ運ばれる道でもあったろう。往時は人の往来が絶えぬ生活道路としてあったのだ。交差する角には、地蔵さんが奉られ(庚申さん?お不動さんか?)、現在は店を閉じているが旅館がいまも残っている。
その旅館(朝日屋旅館)は、この地域の民家が過去そうであったように、人の背丈ほどの石垣に囲まれた平屋の家。庭には庭樹があり飛び石があつらえてあり興味深い趣をもっている。

 いまは、ハイカーさへほとんど歩かない道なのだがこの辺りの空間自然は興味深いところで、昔の人の足跡を偲びに通ってしまいそうになる。

146 とはずがたり :2010/12/16(木) 20:36:22

山行がから秋田岩手県道2号線。正岡子規も通った荒川街道が現在は不通県道となっている。

秋田県主要地方道12号線 黒森峠と笹峠 その2
http://yamaiga.com/road/sasatouge/main2.html

気になって検索掛けてみたら美郷町は未だ造る気満々みたいで歩く会を行っているw
造りかけの施設を見ると経済効果はさておき全部最後まで造りやがれと本能的に思うけど,こんな所つくって維持費垂れ流してちゃんと欲しがった地元民を財政的に苦しめるような枠組みにしておかないと全国の過疎地域が道路欲しがって一向に過疎解消しないでカネだけドブに棄てている様な現状が解消しないのも事実である。その辺どうなってんのかねぇ。。

広報美郷お知らせ版
http://www.town.misato.akita.jp/download/1837/20070914p1.pdf
正岡子規が越えた峠をたどる
町民登山の参加者を募集します

「蜻蛉(とんぼう)を相手にのぼる峠かな」
明治26年,正岡子規が芭蕉に憧れ,笹峠(六郷〜岩手県)を越えた時に残した一句です。
眼下に拡がる仙北平野の紅葉を楽しみながら,かつて子規が歩いた道をたどってみませんか。
登山終了後には温泉もお楽しみいただけます。
日 時●10月13日(土) 午前8時30分〜午後3時30分頃.
集合時間●午前8時30分.
集合場所●トレーニングセンターろくごう
登山ルート●県道大曲花巻線の未開通部分
参加料●無料 ※ただし昼食,入浴料は自己負担
申込期限●10月10日(水)
持ち物等●(略)
その他●(略)
申込・(問)町教育委員会社会教育課 スポーツ振興班
Tel 0187(84)4915

147 荷主研究者 :2010/12/18(土) 17:19:37
面白い。

http://d-road.sytes.net/
廃報アーカイブでは新潟県、北海道の旧道・廃道を中心として、廃線、廃墟などを自転車で巡った記録をつづっています。

特に、
国道229号 大森大橋と大森トンネル
は良かった。
http://d-road.sytes.net/r.php/road/r229_oomorioohashi/1

148 とはずがたり :2010/12/18(土) 17:38:10
>>147
こんな新しいのになんか勿体ないなぁ。。>大森

その他の記事もなかなか興味深いね。

149 とはずがたり :2011/01/05(水) 01:55:57
群馬県道63号水上片品線旧道 須田貝地区
http://yamaiga.com/road/gpr63_sudagai/main.html

Yahooでは描かれている道路が廃道になっているそうな。
http://yj.pn/lIkYIS

それにしても奥利根ゆけむり街道(r63/R401)とか日本ロマンチック街道(R120)とかこの辺のセンスの無い醜悪な命名センスは反吐が出そうである。

また十二ノ森公園の謎の道も壮大な計画の代償として醜悪な公園を建設してて気持ちが滅入ってくる。
http://yamaiga.com/road/ozetokura/main.html

せめてもの救いは県道63号水上片品線の久保〜湯ノ小屋間に現在では小径も残ってないような山中の県道指定があったらしい事が解った事ぐらいである。

150 荷主研究者 :2011/01/25(火) 22:53:23
まだ読み始めていないのだが、先日購入した本。著者の西牟田氏はヨッキれん達がイベントをした同じ場所「東京カルチャーカルチャー」でイベントをやるようだ。

http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_110115203358_1.htm
ニッポンの穴紀行 近代史を彩る光と影
西牟田 靖 (著)

◎概 要
新潮ドキュメント賞候補作『僕の見た「大日本帝国」』から6年、気鋭のライターが、12の穴から「日本」を見つめなおすノンフィクション。

◎目 次
はじめに
第一章 軍艦島(長崎県) --------捨てられた集合住宅と穴
第二章 釜石鉱山と東北砕石工場跡(岩手県) --------宮沢賢治ゆかりの穴
第三章 新内隧道と狩勝隧道(北海道) --------開拓の苦闘が印された穴
第四章 国立国会図書館(東京都) --------書庫になっている地下8階までの穴
第五章 滋賀会館地下通路(滋賀県) --------文化施設がコラボする宙ぶらりんの穴
第六章 人形峠夜次南第2号坑(岡山県) --------怪しい光を発する希望の穴
第七章 黒部ダム(富山県) --------高熱隧道とクロヨンの穴
第八章 日韓トンネル(佐賀県) --------全長200キロの穴
第九章 吉見百穴と巌窟ホテル(埼玉県) --------親子3代の夢の穴
第十章 諏訪之瀬島(鹿児島県) --------ヒッピーと巨大資本の抗争史
第十一章 友ヶ島第3砲台跡(和歌山県) --------使われなかった要塞の穴
第十二章 糸数壕と山城本部壕(沖縄県) --------沖縄戦の傷痕が残る穴
おわりに

151 とはずがたり :2011/01/31(月) 12:10:54
>>150
入手。
もっと淡々と書いてくれればいいのになんだか読みにくい。

152 とはずがたり :2011/02/02(水) 02:40:54

鶏足山の二等三角点の記述から三角点を調べたらまたマニアックなページがウィキからリンク貼られてた。
http://homepage2.nifty.com/sangaku/index.html

八溝にも一等三角点があるそうな。
我らが筑波には筑波原点成る気になるものがあるそうな。

捜すと違うウェブサイトも引っかかり現在の事実上の基準点となっているそうな。

日本経緯度原点
http://www.geocities.jp/hebita7/keiidogenten.htm
筑波原点
http://www.geocities.jp/hebita7/tsukubagenten.htm

153 名無しさん :2011/02/05(土) 23:41:48
ブルーシートの中に遺体、閉鎖トンネル入り口に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110204-00001201-yom-soci

国道345号線笹川流れ 今川
http://yamaiga.com/road/sasagawa/imagawa.html

自分も笹川流れの帰りに車を止めて近づいたことがあります。
第一発見者にはなりたくはないが…。

154 荷主研究者 :2011/02/16(水) 00:50:05
トリさんがテレビ出演!
http://www.nhk.or.jp/n-stadium/41ple/index.html

トリさんのwebサイト 
http://kotokotori.com/

155 とはずがたり :2011/02/16(水) 01:13:17
>>153
まじっすか!!
記事はYahooは削除済みでしたが読売本体は残ってました。。

ブルーシートの中に遺体、閉鎖トンネル入り口に
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110204-OYT1T01201.htm

 4日午前10時30分頃、新潟県村上市今川にある国道345号の旧道のトンネル入り口付近に、不審なブルーシートが置かれているのを散歩中の男性がみつけた。


 中から遺体が見つかり、県警は死体遺棄事件として捜査を始めた。

 発見した男性によると、シートは、トンネルを閉鎖する木の柵に押しつけるように置かれていた。足でつついたところ、人体のような感触があり、県警に通報した。シートは3か所に、粘着テープが2周ほど巻かれていたという。

 付近の集落の女性によると、1月4日午後にはシートが置かれていたという。

 現場は、JR羽越線今川駅から数百メートル離れた日本海沿いの道路。
(2011年2月4日23時52分 読売新聞)

>>154
おお!!我らが廃道界のアイドルとり氏が遂にテレビでびゅう!!お顔も拝見できて嬉しいす(はあと

156 荷主研究者 :2011/02/27(日) 11:56:20

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20110210/CK2011021002000111.html
2011年2月10日 中日新聞
住民整備100年ぶり開通 尾鷲の旧坂下隧道で27日歩くツアー

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2011021002100063_size0.jpg
住民の手で通行可能になった旧坂下隧道=尾鷲市の山中で

 明治時代に木材の運搬に使われた尾鷲市南浦の山中にある「旧坂下隧道(さかげずいどう)」が、地元住民の手で整備され、約100年ぶりに通行可能になった。東紀州の“秘境”を巡る探検ツアーを催す「くまの体験企画」がツアーを計画し、参加者を募集している。

 旧坂下隧道は、市北東部を通る国道425号から入る林道にある。1900(明治33)年に完成し、長さは約62メートル。奈良県上北山村で伐採された原木を尾鷲港に運ぶために林業家たちが作り、大八車や牛馬車が行き交った。トンネルは手掘りで内部は赤レンガ造り。当時では珍しい有料隧道で、2〜5銭の通行料を徴収していた。11年に新しい隧道が開通して廃道となった。

 整備したのは、古い道を歩くのが好きな同市野地町の宿泊施設経営福田晃久さん(51)ら住民有志5人。昨年1月から作業を始め、崩落し足の踏み場がなかった林道の崖をつるはしで削り、道幅を約40センチに拡幅。下草を刈って歩行客の転落を防ぐ安全ロープを張り、約10カ月間かけて道を整えた。福田さんは「伝統ある尾鷲の林業を支えた産業遺産を多くの人に知ってもらいたい」と話している。

 今回のツアーは旧坂下隧道を含む1周4キロの林道を歩くコースで、起伏はあまり激しくない。企画したくまの体験企画の内山裕紀子代表は「地元でもあまり知られていない隧道を歩くことで、文化財としての価値を見直してほしい」と参加を呼び掛けている。27日午前9時、県尾鷲庁舎前バス停に集合。参加費は1500円、定員は17人。申し込みは24日まで。問い合わせは内山さん=090(7865)0771=へ。 (福田大展)

157 荷主研究者 :2011/04/04(月) 00:07:17
おぉー、ヨッキれんが掛川に来てくれたのか〜!!

隧道レポート 掛川市の岩谷隧道 前編
http://yamaiga.com/tunnel/iwaya/main.html

隧道レポート 掛川市の岩谷隧道 後編
http://yamaiga.com/tunnel/iwaya/main2.html

それもよく知っている場所ぢゃないかっ! 小中学生の頃、探検気分で何回か通った場所だ。
しかし隧道内に横穴があるなんて気付かなかった…。

この隧道近くのここ↓にも素掘りの隧道があったし(現在は確か整備されてしまったと思うが…)、我々にとって素掘隧道ってそういえば割と身近な存在であったわけか。
http://yj.pn/McNXaj

ヨッキれんは、
「人の血が通っている。そう思える隧道だった。そして、それが今も生きている!」
と言っているが、確かに地元民にとって抜け道として使える隧道という位置付けになっているのかもしれない。

「さっそく、掛川市のファンになりそう。」
とまで言ってくれている。何だか光栄であるし、嬉しいな〜。

最後に
「掛川周辺は明治隧道が多いから」
というコメントもあるが、これは県道掛川大東線にある一連の旧道隧道のことかな?

158 とはずがたり :2011/04/04(月) 20:25:10
>>157
俺もコメ欄に歓迎レスしといたら(・∀・)♪

160 荷主研究者 :2011/05/15(日) 13:51:45
東北鉄道鉱業線 岩上隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kuzumaki/main.html

東北鉄道鉱業線 国境峠付近
http://yamaiga.com/rail/kunisakai/main.html

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110502_13
2011/05/02 岩手日報
幻の鉄道建設に光 一戸で東北鉱業計画90年展
--------------------------------------------------------------------------------
 一戸町小鳥谷と岩泉町小本を結ぶ鉄道計画の歴史を振り返る「幻の鉄道計画90周年展〜東北鉄道鉱業線〜」は1日から15日まで、一戸町一戸の町コミュニティセンターで開かれている。鉄道路線は石炭搬出を目的に計画されたが、世界恐慌のあおりを受け実現しなかった。展示会は大正時代の免許申請書などの資料で、県北部を横断する壮大な鉄路の建設計画を伝えている。

 小川炭鉱研究会代表の熊谷俊昭さん(54)=滝沢村滝沢=が企画、NPO法人いちのへ文化・スポーツNPO主催。1921(大正10)年に創業し、石炭の採掘を手掛けた東北鉄道鉱業の計画90周年に合わせて開かれた。

 計画は旧小鳥谷村から旧葛巻村を経由し、旧小本村を結ぶ路線。1期工事は旧小川村(岩泉町)にあった小川炭鉱までの延長56キロの計画で、採掘した石炭を東北線に運び出し、一戸機関区をはじめとする国鉄に販売する目的だった。

 鉄道計画は、一部区間で建設工事が行われたが、資金難や世界恐慌の影響を受け計画は中止。その後、別会社が引き継いだが、鉄鋼界の不景気で計画は終わった。

 展示会では、鉄道敷設免許申請書や同免許、建設費概要書などの資料を展示。資金難に伴う増資計画書では下閉伊地区の炭鉱と林業を開発することの重要性を強調している。

 そのほか、東北鉄道鉱業を引き継いだ岩手炭鉱鉄道の様子や、起点である小鳥谷駅の現在の場所などを写真で紹介している。

 熊谷さんは「大正時代は全国で鉄道と鉱山は密接な関係にあった。東北鉄道鉱業が壮大な計画を立てていた歴史を知ってほしい」と話す。

 90周年展は午前9時から午後7時まで(土日祝日は午後6時、最終日は同3時まで)

【写真=一戸町と岩泉町を結ぶ幻の鉄道計画展を開いている熊谷俊昭さん】

161 荷主研究者 :2011/06/05(日) 21:48:37

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201105100064.html
'11/5/10 中国新聞
帝釈峡の遊歩道、15年間不通

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20110510006402.jpg

 庄原市と広島県神石高原町にまたがる国定公園帝釈峡の遊歩道の一部が約15年にわたり、通行止めになっている。北側にある国天然記念物の雄橋(おんばし)と、南の神龍湖が分断された状態が続く。両市町は本年度、回遊性復活へ向けた調査に乗り出す。川船利用など通行止め区間のルート案を探る。

 帝釈峡は本来、南北をつなぐ約6キロの遊歩道がある。山腹崩落で1996年10月以降、途中の1・7キロが通行止めとなったままだ。県が迂回(うかい)路として約4キロの自然歩道を2000年度に整備したものの、険しい山道で、渓流の自然美も味わいにくいという。

 県自然環境課によると、通行止め区間の山腹は今も崩落の危険性がある。06、07年度に遊歩道や老朽化した橋の整備費を県が試算したところ約38億円かかることが分かった。

 両市町は、県の中山間地域観光メニュー強化事業の新設を受けて本年度、通行止め区間をつなぐ方法を調べることにした。帝釈川の渡船を使った代替ルートなどを検討し、本年度中に事業案を県に報告する。県に認められた案には、12、13年度に全体で計1億円の補助金が出る予定。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20110510006401.jpg
【写真説明】通行止めのフェンスが張られている帝釈峡の遊歩道

162 荷主研究者 :2011/06/05(日) 22:59:42

http://www.shinmai.co.jp/news/20110521/KT110520SJI090010000022.htm
2011年5月21日(土)信濃毎日新聞
遠山森林鉄道を再び 飯田市南信濃の有志らがグループ

 遠山郷と呼ばれる飯田市南信濃、上村両地区を40年ほど前まで走っていた「遠山森林鉄道」を一部でも復活させようと、南信濃の住民有志らがグループをつくって活動を始めている。各家庭などに散在していたレールを集めて駅跡地などに敷き、機関車を走らせるのが目標だ。林業で栄えた遠山郷の歴史を振り返りつつ、地域に活力をもたらそう−と、夢を膨らませている。

 南信濃木沢地区の活性化推進協議会のメンバーが中心となって、1月に「夢をつなごう遠山森林鉄道の会」を発足させた。廃線後、住宅の屋根の重しなどとして使われていたレールを回収。さらに、レールをつなぐ部品や枕木を新調するなどしてそろえる計画だ。

 旧木沢小学校近くの駅跡地にある観光施設「梨元ていしゃば」の前に、今秋までに長さ約50メートルの線路を復元する。同施設には、遠山森林鉄道を当時走っていたディーゼル機関車が1999年から展示されており、この機関車を利用する計画だ。

 同会によると、遠山森林鉄道は40(昭和15)年に着工。線路は「梨元」を起点として、天竜川支流の遠山川沿いをさかのぼり、総延長は30・5キロに上った。国有林材の搬出に活躍したが、73年に廃線となった。

 会長の前沢憲道さん(63)は「機関車を走らせるのはまだ先になるが、夢で終わらせないよう少しずつ進みたい」と話している。

163 とはずがたり :2011/06/11(土) 03:02:21
これ,続きどうなっちゃったんでしょうかねぇ。。

廃線レポート 抱返り渓谷(生保内林用手押し軌道)
http://yamaiga.com/rail/dakigaeri/main.html

164 荷主研究者 :2011/06/11(土) 22:04:47

http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20110601/CK2011060102000106.html
2011年6月1日 中日新聞
「戻して!」橋名板が盗難 飯田・遠山郷や天龍で相次ぐ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2011060102100063_size0.jpg
何者かによって取り去られたかぐら大橋の橋名板=飯田市南信濃で

 5月中旬ごろ、飯田市上村、南信濃と天龍村で、橋の名称などが記されたプレート「橋名板(きょうめいばん)」が相次いでなくなっていたことが分かった。飯田、阿南両署が窃盗事件として調べている。

 県飯田建設事務所によると、持ち去られた橋名板は同村の松崎橋で4枚、同市南信濃の金七沢(かねしちさわ)橋と、かぐら大橋で各2枚、同市上村の豆嵐(まめぞれ)橋で4枚の計12枚。豆嵐トンネルの名称板1枚も持ち去られた。

 17日に県下伊那南部建設事務所の職員が天龍村で被害に気付き、23日にトンネル名称板の盗難が発覚。24日に同事務所が調査、計13枚の被害を確認し飯田、阿南両署に届け出た。

 橋名板は縦20センチ、横60センチほどの青銅製の板で、四隅のボルトで欄干に設置する仕組みになっている。飯田建設事務所は「速やかに元に戻してほしい」と話している。

165 とはずがたり :2011/07/13(水) 03:38:19
>>100-101,104,111

期せずして貴重な福島第一原発付近のレポになってますね。。
http://www.yamaiga.com/koneta/koneta_120_6.html

もう少し下ると第二原発付近も通るんだけど

166 とはずがたり :2011/07/24(日) 22:15:32
こりは買いたす(`・ω・´)

東日本大震災 復興支援地図 昭文社
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD-%E5%BE%A9%E8%88%88%E6%94%AF%E6%8F%B4%E5%9C%B0%E5%9B%B3-%E6%98%AD%E6%96%87%E7%A4%BE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4398691014

ヨッキれんの おぶろぐ! 〜廃は廃でもヤマイダレ〜
http://yamaiga.jugem.jp/?eid=71
2011.07.23 Saturday
author : ヨッキれん
昭文社の侠気を見た!【復興支援地図】1000円はマスト・バイ!

167 とはずがたり :2011/08/22(月) 23:12:00
自然物という意味で明確にヨッキとは領域を異にするけど。

NPO法人日本洞窟探検協会
http://www.j-ace.org/

169 とはずがたり :2011/09/28(水) 12:19:58

ゴルフ場開発跡地かぁ。現地の様子がこのスレ的な観点から気になるなぁ。。

南三陸町が議案撤回 ゴルフ場開発跡地に高台移転
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110813_18.htm

 宮城県南三陸町議会臨時会が12日開かれ、東日本大震災復興計画の高台移転候補地として町が提出した同町戸倉のゴルフ場開発跡地を先行取得する議案で、財源問題などをめぐって紛糾、佐藤仁町長が「土地利用計画も含め議員の理解が得られるようあらためて提案する」と議案を撤回した。
 ゴルフ場開発跡地は約106ヘクタールで、高台移転候補地として9300万円で先行取得する計画だったが、議員から慎重論が相次いだ。
 質疑では「決定から提案まで期間が短く唐突だ」「土地利用計画が決まらないうちの取得は時期尚早」などの批判や、「国の防災集団移転促進事業の補助率が75%の現状で、町が土地を先行取得することは制度を容認することにならないか」といった懸念が出た。
 町側は「国に対して引き続き100%の補助を求めるが、同時に一日も早く事業を具体化させなければならない」と理解を求めたが、起立採決で7対7の同数となり、休憩動議が出された。
 議会側は佐藤町長に対し「具体的な土地利用策などを示してほしい」と全会一致で議案撤回を申し入れた。本会議再開後、執行部が議案の撤回を提案し、承認された。
 議会終了後、佐藤町長は「戸倉地域の被害は大きく、移転先は提案した場所しかない。スピード感を持って復興に取り組んでいることを理解してほしい」と述べた。
 今回撤回した議案は、住宅や公共施設の土地利用計画を示した上で今月中に再提出する。
 この日の臨時会では、1億5636万円を増額し総額174億5670万円の2011年度一般会計補正予算など5議案を原案通り可決した。

2011年08月13日土曜日

南三陸の高台移転 候補地取得案を否決
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110928t11028.htm

 宮城県南三陸町議会の東日本大震災対策特別委員会が27日開かれ、高台移転候補地としての同町戸倉のゴルフ場開発跡地取得議案が反対多数で否決された。ただ、賛成した委員から「少数意見の留保」が発議され、認められた。ゴルフ場開発跡地取得をめぐっては、今回の採決に加わらなかった町議を含めると賛否がほぼ二分しており、開会中の9月定例会で留保した賛成意見が述べられた場合、本会議の採決で議案が可決される可能性も残されている。

 この日の特別委員会では、「戸倉地区の復興の中心となる土地であり、早急に取得するべきだ」との意見が出た一方で、「土地取得は国の財源の裏付けが出てから」「地区の平等性を考えると先行取得は疑問」などの反対意見が出された。委員13人による採決は、賛成6、反対7だった。
 ゴルフ場開発跡地は約106ヘクタール。東京の投資会社から9300万円で取得する議案が8月12日の町議会臨時会に提出されたが紛糾し、町が議案を撤回した。8月23日の臨時会に再提出され、特別委員会に付託された。
 8月31日には戸倉地区の住民1497人が、集団移転先として迅速に取得するよう陳情書を提出した。
 議会を傍聴した戸倉コミュニティー連絡協議会の村岡賢一会長は「地区の住民が願っている高台移転が政争の具になっている。住民のことを真剣に考えているのなら、一日も早く土地取得を進めるべきだ」と話した。

2011年09月28日水曜日

170 とはずがたり :2011/09/29(木) 13:31:23
>>127とか

大雨で7年ぶりに“富士六湖”が出現
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/530073/
配信元:産経新聞
2011/09/29 10:17更新

 山梨県富士河口湖町の精進湖近くに、台風15号による大雨の影響で「赤池」と呼ばれる池が7年ぶりに出現した。地元では山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の富士五湖に続く「富士六湖」とも呼ばれ、連日観光客が訪れている。

 近くでレストランを経営する渡辺けさ江さん(58)によると、池は楕円(だえん)形で長径約70メートル。普段は草地のため、陽光が当たると湖面がエメラルドグリーンに輝いてみえる。

 富士河口湖町などによると、前回は平成16年10月に出現した。地下水脈でつながっている精進湖の水位が大雨で上がると現れるとみられる。

 「幻想的で見ていると癒やされる」と渡辺さん。28日に母親と訪れた同県富士吉田市の片山朝陽君(8)は「台風のおかげで見られてよかった」と笑顔だった。

171 荷主研究者 :2011/10/30(日) 01:05:40
>>137
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111008t15005.htm
2011年10月08日土曜日 河北新報
30日、二口林道12年ぶり全通 通行止め解除

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20111008ea0zu.jpg

 宮城県は7日、1999年以来通行止めとなっていた林道「二口線」(仙台市太白区秋保―山形市山寺)の利用を今月30日に全線で再開すると発表した。秋保温泉と山寺の両観光地が、12年ぶりに最短距離で結ばれる。

 二口林道は全長約19キロ(宮城県側約10キロ、山形県側約9キロ)。今回、秋保の「白糸の滝」付近の規制ゲートから県境までの5キロ区間の通行止めを解除する。

 山形県側は全て舗装済みだが、宮城県側は一部を除き砂利道で、道路幅は狭い場所で4メートル程度。マイクロバス以上の大型車両は通行できない。車の擦れ違いは待避所で行う。

 仙台、山形両市を結ぶルートは、山形自動車道、国道48号と合わせ3本になる。冬期間は閉鎖する。時期は山形県と調整して決定する方針。

 再開に当たり、宮城県はのり面の改良や橋の耐震補強工事を進めた。事業費は4億円で、国が95%以上を補助した。県は来年度以降、排水設備の整備や舗装の延長など改良工事を実施する。

 二口林道は99年8月の豪雨でのり面が崩壊する恐れが高まり、県境付近を通行止めとした。

 同林道は73年、従来の二口街道を改修して開設。蔵王国定公園、県立自然公園二口峡谷の区域を通る。

172 とはずがたり :2011/11/11(金) 01:16:43
地底湖とかそそられる気持ちは良く判るけどなぁ。。

2011年11月9日16時3分
25年前に不明の上智大生か 奥多摩の地底湖で遺体発見
http://www.asahi.com/national/update/1109/TKY201111090281.html

 25年前に東京都奥多摩町氷川の鍾乳洞(通称・聖穴〈ひじりあな〉)で探検中、行方不明になった上智大4年朴俊鉄さん(当時22)=世田谷区太子堂2丁目=とみられる遺体が地底湖で見つかったことが9日、捜査関係者への取材でわかった。着衣や装備、発見場所などから朴さんの可能性が高いという。警視庁が近く遺体を引き揚げる予定。

 青梅署によると、朴さんは上智大ダイビングクラブ海洋生態研究会のメンバー。1986年10月26日午後3時ごろ、研究会のメンバーとともに洞の入り口から約60メートル入った第2地底湖(水深約15メートル)に空気ボンベをつけて潜ったが、腰に結んでいた命綱が外れ、姿が見えなくなったという。

 メンバーからの通報で警視庁機動隊や青梅消防署のレスキュー隊が当時捜索したが、発見できなかった。

173 荷主研究者 :2011/11/23(水) 17:15:57

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111031_7
2011/10/31 岩手日報
亜炭廃坑の陥没急増 県南部は震災後、例年の20倍
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 県南部にある戦前から石炭の代用燃料として使われた亜炭の廃坑上の土地で、東日本大震災後に陥没したとみられる被害が急増している。宅地や農地の陥没報告は一関、奥州両市に集中し、震災後だけで189件と、例年の約20倍に上る。地震の激しい揺れに加え、相次いだ大雨も影響したとみられ、県は復旧関連予算を措置し市町村による早期修復を促す。

 県環境保全課によると、陥没は主に地下40メートルより浅い場所を通る坑道跡に沿って発生し、直径数十センチから7メートル、深さ数メートル程度にわたって地面がすっぽりと抜け落ちて穴ができる。地震や大雨などで地盤が緩むと陥没を誘発する可能性が高まるとされる。

 12日現在、一関市で同市花泉町を中心に85件、奥州市は同市江刺区藤里などから104件の被害相談が寄せられている。地目別の内訳は水田や畑などの農地が128件、宅地や家屋下が47件、市道や農道が14件。建物が傾く、水田の水が抜けるなどの被害が出ているが、人的被害は確認されていない。

 被害相談は最近10年間の累計で117件、毎年10件前後で推移しているが、震災後に急増した。4月に起きた県内最大震度6弱の余震では内陸南部が甚大な被害を受け、さらに6、9月の豪雨・台風も陥没発生に拍車を掛けたとみられる。

 亜炭 炭化度の低い石炭の一種。地表近くにあり採掘が比較的容易なため、石炭の代用燃料として戦前から1965年ごろまで全国で産出された。本県では一関、奥州、西和賀の3市町で採掘されていたことが分かっている。ただ、坑道の位置や分布は詳しく分かっておらず、全容を把握するにも巨額の調査費を要するため、陥没被害の予防は困難になっている。

174 荷主研究者 :2011/11/26(土) 15:16:46
散策道が整備されてしまうと山行が的には興味が失せてしまうだろうけど、廃村という響きには惹かれるものがあるな。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201111020070.html
'11/11/2 中国新聞
廃村へ5キロの散策道整備

 広島市安佐南区沼田町戸山地区の住民が1日、38年前に廃村になった丹原地区と地元公民館を結ぶウオーキングコースを整備した。13日、公民館の健康講座「健康ウォーキング〜丹原探訪」でお披露目する。

 片道5キロ。雑木林をくぐり抜け、往復5時間半かかる。地区には、今も田んぼの跡や屋敷の石垣跡が残る。道中には滝や集落跡を記録した碑もある。

 同地区には約900年前に集落が誕生。戦前は多い時で約30世帯160人が住む村だったが、1973年に人が住まなくなり廃村となった。

 企画は、住民らが元住民の手記「ふるさと丹原」を読んだのがきっかけ。

 当日は午前9時に同館集合。参加は無料で、事前申し込みは不要。同館=電話082(839)3320。

175 荷主研究者 :2011/12/11(日) 15:16:13
山行が的には遊歩道化は残念かもしれないが、地域に愛される廃線跡というのは素晴らしいかもしれない
>トンネル群を2006年に再発見したメンバーらが、手弁当で雑木を取り除くなどして遊歩道化
>08年からは一部区間を春秋に一般公開して毎回1万人規模の人出を集め、09年には経済産業省の近代化産業遺産にも選ばれた

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20111118/CK2011111802000112.html
2011年11月18日 中日新聞
愛岐トンネル群再生委が三席 全国土地活用モデル大賞

地域活性化事業のコンテスト入賞に「全国的に認知されてうれしい」と話す山本理事長=春日井市鳥居松町の中日新聞春日井支局で

 地域活性化の成功例を対象とした全国コンテスト「土地活用モデル大賞」で、春日井市のNPO法人「愛岐トンネル群保存再生委員会」の旧国鉄中央線跡整備が、三席の審査委員長賞に選ばれた。年間予算が400万円足らずの地道な作業が、1000億円単位の大規模事業に交じって脚光を浴びた。トンネル群の全国的な知名度アップにもつながりそうだ。

 国土交通省の外郭団体「財団法人都市みらい推進機構」が04年から選定しており、今年は全国12の自治体、開発業者などが応募した。大学教授らによる書類審査や現場視察の結果、最高位の国土交通大臣賞や二席の推進機構理事長賞など3賞5点が決まった。

 応募の中には1000億円の遊園地跡再開発(東京都世田谷区)や2000億円近い駅ビル開発(大阪市)もあっただけに、会費やトヨタ財団の助成金など年380万円で運営される再生委員会の存在は異色だった。

昨秋の公開の様子。大勢の人でにぎわった=春日井市玉野町の愛岐トンネル群で

 1966年の廃線後に忘れ去られていた春日井市−岐阜県多治見市間(延長8キロ)のトンネル群を2006年に再発見したメンバーらが、手弁当で雑木を取り除くなどして遊歩道化を進めてきた。08年からは一部区間を春秋に一般公開して毎回1万人規模の人出を集め、09年には経済産業省の近代化産業遺産にも選ばれた。

 山本勝利理事長(73)は「企業でも官公庁でもない一般市民の取り組みが、全国的に認知されうれしい」と喜ぶ。機構の担当者も「手付かずの自然を相手に、知恵を絞って資金を捻出し、作業もすべて市民が担っている点が高い評価を受けた」と話した。

 今秋の愛岐トンネル群の一般公開は23〜27日、いずれも午前9時半〜午後3時。見学料は1人100円(保険料含む)。紅葉も見ごろだ。駐車場はなく、JR中央線を使って定光寺駅下車、北へ徒歩3分。(問)村上真善事務局長=電090(4860)4664

 (谷知佳)

176 荷主研究者 :2012/01/02(月) 01:53:03
都会の知られざる地下空間は「山行が」に通ずるものがある

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/273565
2011年11月16日 17:06 西日本新聞
駐車場入り口跡、ひっそり 福岡市・天神

鉄柵に囲まれたままの天神地下街駐車場仮設入り口。さながら都会の“入らずの間”だ=福岡市・天神

 福岡市・天神のど真ん中の道路に、武骨な鉄柵に四方を囲まれた空間がある。幅約3・5メートル、長さ約20メートル。同市役所「ふれあい広場」西側の歩道と車道にまたがり、歩行者や車の進入を許さない“入らずの間”となっている。

 実はこの空間は、天神地下街駐車場のかつての仮設入り口。地下街の延伸工事で一時閉鎖された入り口の代わりに設けられた。2001年から05年1月まで使われた後、コンクリートのふたで覆うようにふさがれた。

 そんな遺物がなぜ今も? 市道路計画課は理由として、仮設入り口から地下駐車場に続く地下通路(約100メートル)の活用法が決まらないことを挙げる。地下通路がどういう形になるか分からない以上、地上の入り口に手を付けるのは難しいという。

 とはいえ、この入り口跡に圧迫された歩道の幅は半分になっている。役目を終えた構造物が道を狭めていることに「現状でいいとは思っていないが…」と同課。地下通路の活用案には駐輪場への転用などもあるが、通路に傾斜があることなどから実現には至っていない。道路を占拠する入り口跡。解決への出口は遠いようだ。

=2011/11/16付 西日本新聞夕刊=

177 荷主研究者 :2012/01/15(日) 12:57:20

http://www.at-s.com/news/detail/100086528.html
2011年12/21 09:37 静岡新聞
「天竜橋」の土台発見 明治―昭和初期の木製 磐田

 磐田市の天竜川河川敷で、明治初期から昭和初期まで天竜川に架けられていた「天竜橋」とみられる橋脚の土台部分が20日までに見つかった。9月の台風15号による出水で、岸が削られて露出した可能性が高い。

 関係者によると、主要幹線道路に架けられた木製の橋の基礎部分が発見されるのは珍しく、「遠州地方の交通史や近代土木遺産を考える上で貴重な発見」と驚いている。

 見つかったのは磐田、浜松両市に架かる天竜川橋の南側。3・2メートル×4・1メートルの範囲が木の板で囲われ、内側に直径50センチの柱が2本立つ。さらに周辺には、水流から橋脚を守るために設置されたとみられる直径20?30センチのくいが28本あった。11月ごろに住民が見つけ、国交省浜松河川国道事務所に届け出た。

 天竜橋は1878年3月に完成し、天竜川橋が建設される1933年ごろまで、国道橋として磐田市側の井通村(現・磐田市源平新田)と浜松市側の中ノ町村(現・浜松市東区中野町)を結んでいた。幅4・2メートル、全長約1・2キロで車も渡ることができた。

 天竜川を所管する同河川国道事務所によると、川の流れが頻繁に変化し、管理上の危険性も考えられることから、見つかった土台部分を保存するかは決まっていないという。

 発見を受け、磐田市教育委員会は24日午前9時半から、同所で説明会と天竜川周辺の文化財を巡るミニウオーク(5キロ程度)を行う。参加無料、希望者は直接現地に集合する。問い合わせは同市教委文化財課〈電0538(32)9699〉へ。

178 とはずがたり :2012/01/30(月) 17:51:33

長野・栄村で橋崩落=大雪の影響か、けが人なし
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120130-00000060-jij-soci
時事通信 1月30日(月)12時59分配信

 30日午前8時半ごろ、長野県栄村の中条川に架かる中条橋が二つに折れて落下しているのを、村職員が確認した。橋は使用されておらず、けが人はなかった。栄村では年末以降、雪が降り続けており、村は雪の重みで崩落したとみている。
 村によると、中条橋は幅7メートル、長さ95.2メートル。東日本大震災発生翌日の昨年3月12日、栄村で震度6強を記録した地震で、道路と橋の継ぎ目にひびが生じたため通行は禁止されており、除雪も行われていなかった。

179 とはずがたり :2012/02/07(火) 21:54:19
本格的なサイトであるなぁとおもったら管理者のヘヤネコ氏は「廃村をゆく」にも協力していたそうな。

「廃村と過疎の風景(5)」

編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は 1000ヶ所です(廃村800ヶ所,高度過疎集落200ヶ所,以下「廃村 千選」と略す)。

「廃村 千選」は,「廃村と過疎の風景」の一連の旅(平成17年8月以降)に並行して全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(以下「廃校廃村」と略す)を「へき地学校名簿」,「全国学校総覧」,地形図,住宅地図などの資料を調べて,独自に編集・作成したものです。

「廃村 千選」は,全国の廃村の様子をより客観的に見ることを主眼しています。公的な施設である学校は,規模やへき地等級,閉校年などのデータがあるため,廃村の様子を調べるための拠り所となります。
また「廃村 千選」は,都道府県別の分類(北海道は4分割)を基本としており,西日本編では北陸,関西,中国,四国,九州,沖縄の26府県の317ヶ所の「廃校廃村」をまとめます。


「廃村 千選」Ⅰ −東日本編−
ttp://heyaneko.web.fc2.com/ghlw.html

「廃村 千選」Ⅱ −西日本編−
ttp://heyaneko.web.fc2.com/ghlw.html

HEYANEKOが訪ねた「廃村」リスト
ttp://heyaneko.web.fc2.com/haison-list.html

180 荷主研究者 :2012/02/21(火) 23:33:35
どの程度建設されたのかは分からないものの、未成道路である。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201201190170.html
'12/1/19 中国新聞
広島県「細見谷林道」を断念

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120119017001.jpg

 広島県は19日、廿日市市吉和の細見谷渓畔林を貫く幹線林道戸河内(安芸太田町)―吉和区間について、建設断念を決めた。厳しい財政状況に加え、県の林業施策との関連性は低いと判断した。林道整備には、西日本有数の生物多様性を誇る細見谷渓畔林の破壊につながるとして反対運動が起きていた。

 戸河内―吉和区間は24・3キロ。農林水産省所管の独立行政法人緑資源機構が1990年に整備を始めた。機構は官製談合事件を受けて2008年3月に廃止され、12・7キロの未完成区間を残して工事はストップ。県が事業を引き継ぐかを検討していた。総事業費106億円。うち残事業費は26億円。

 未完成区間には渓谷沿いにイヌブナやミズナラが茂り、希少な生態系が残る細見谷渓畔林がある。渓畔林を横断する大規模林道の整備計画には当初から自然保護団体などが反対していた。一方で林業関係者や廿日市市は早期整備を求めていた。

 県は林業振興に向け、民有林に重点的に作業路網を整備して木材の生産、搬出コストを減らす「低コスト林業団地」整備に力を入れる。戸河内―吉和間の沿線は大半が国有林で、施策に沿わないと判断。厳しい財政状況も踏まえて事業の継承を断念した。

 廿日市市の真野勝弘市長は「林業振興や森林の公益的機能の維持、増進のために林道の必要性は変わらない。県が事業継承しないと決めたのは非常に残念」と述べた。

 一方、幹線林道の建設に反対してきた広島フィールドミュージアムの金井塚務代表は「幹線林道建設は渓畔林を破壊する。林業振興につながるとも考えられず、費用対効果は低い。当然の判断だ」と話した。

 機構が県内で計画した林道整備は計約143キロで、未完成区間は戸河内―吉和間を含めた5区間計約42キロ。県は庄原(庄原市)―三和(広島県神石高原町)間の断念も決めた。

181 とはずがたり :2012/03/22(木) 11:35:37
途中で中断していた千頭森林鉄道の続きがうp♪
折角未だ千頭から井川迄営業してるんだから寸又(大間)迄復活営業できひんだかやぁ。。(・∀・)
林鉄並の狭軌にするこたあないし復活の際は勿論日本標準軌で♪
まあ確かに井川湖や長島ダム湖と較べるとこっち側は大間ダムや千頭ダムがあっても大したことなさそうだし大間迄造ってもダムそのものは未だ未だ先であるからからダム関連の需要はなさそうやね。。
更にもう復活とは
遠くなってくるし観光資源としての魅力は減衰するけど奥泉といちしろの間に分岐点設けて長大トンネルで寸又川筋に行ってもええね。大日山隧道はそのまま使用だ♪


千頭森林鉄道 沢間駅〜大間駅
http://yamaiga.com/rail/senzu/main1.html

182 とはずがたり :2012/03/28(水) 18:37:19

建設官僚お手盛りの下らん規制等糞喰らえであるヽ(`Д´)ノ残そう!!

川根本町青部のシンボル 吊橋撤去の危機(2012/3/23 07:40)
http://www.at-s.com/news/detail/100109307.html

 川根本町の大井川上流に現存する約20基の歩道つり橋の一つで昭和初期にできた「青部吊(つり)橋」(同町青部)が、河川法の設置基準を満たしていないことが明らかになり、管理する中部電力は撤去の方針を示した。しかし、地域活性化の要と位置付ける地元住民有志が22日、現状維持を願う小学生以上の全住民144人の署名を添えて、佐藤公敏町長に「残す方向で交渉してほしい」と要望した。
 橋は全長118メートルで一部木造。1934年、国の発電事業のために造られた後、中電に移管。2008年、中電の社内調査で河川法が定める占用許可を得ていないことが判明。11年末、中電は河川管理者の県に追認許可を申請した。
 ところがこの審査で、橋は洪水時に想定される大井川の最高水位より1・5メートル以上低いなど、設置基準に反することが分かった。今年1月、県は中電に「撤去」を指示し、中電が2月に住民説明会を開いた。
 町によると、選択肢は撤去か架け直すか。架け直せば2億円以上の費用がかかる。中電の担当者は「架け直しはできない」と話し、住民や関係者と協議する方針だ。
 青部では国道362号のバイパス工事が進む。開通に向けて住民は、生活道としての役目は終えたものの、「青部のシンボル」のつり橋を中心に、ハイキングコースを整備し始めた。つり橋は貴重な集客スポット。県観光協会によると、同町のように多くの歩道つり橋が集中的に残る地域は珍しい。町商工会も観光資源として生かす企画を展開中だ。

183 とはずがたり :2012/04/10(火) 17:08:02
この辺
http://yahoo.jp/xcMmrA

竹之内峠
http://www.cyclekikou.net/modules/pass/show.php?id=100

【所在地】 奈良県天理市
【標高】 342m
【独断評価】 ★★★

天理ダムと竹之内を結ぶ山道の峠。この道は自動車通行不可ながら県道横川三昧田線となっている。天理ダム湖畔から竹之内峠の道標にしたがってシングルトラックの山道に入ると、比較的ゆるやかな上りで峠に着く。峠は湿っぽい植林の中で展望はまったくないが、小さな祠が祭られており、古くから人の往来があったことが偲ばれる。峠を越えて竹之内への下りはきつく、ほとんど乗車不能である。この道は夏期は下草がひどく、冬場でないと通行困難なので注意。

奈良県道267号横川三昧田線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%81%93267%E5%8F%B7%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E4%B8%89%E6%98%A7%E7%94%B0%E7%B7%9A
奈良県道267号横川三昧田線(ならけんどう267ごう よこかわさんまいでんせん)は、奈良県天理市下仁興町を起点とし、同市三昧田町へ至る一般県道。

概要

青垣山地から大和平野へ下る路線であるが、起点から天理市竹之内町までは未通となっている。
路線データ [編集]
陸上距離:km
起点:天理市下仁興町(奈良県道247号笠天理線と接続予定)
終点:天理市三昧田町

184 チバQ :2012/05/14(月) 21:53:17
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001205140016
中山峠 通行止め長引く 観光打撃
2012年05月13日

■観光打撃・医療も不安


 札幌市南区定山渓と喜茂別町尻別間の中山峠を通る国道230号の札幌側約14キロ区間の通行止めが長期化している。北海道開発局によると、開通した1969年以来、長期間の全面通行止めは初めて。開発局は5月下旬をめどに片側通行が可能になるとの見通しを示すが、観光客は落ち込み、救急搬送や通院など医療への影響を心配する声がある。


■下旬にも片側通行可能に


 開発局によると、通行止めは5月4日から。定山渓と中山峠の間で、土砂崩れが3カ所、路面の亀裂が1カ所で見つかり、復旧工事が進められている。雪解けが急激に進んだところへ短時間に大量の雨が降り、地下水位が上がったのが原因とみられるという。


 国道230号の定山渓の札幌中心部側では、車の通行量が平日約1万2千台、土日は約1万7千台を数える。中山峠付近はこれを下回るとみられるが、春の観光シーズンを迎えた関係者への打撃は大きい。


 喜茂別町の国道沿いで2年前に開業した「郷の駅ホッときもべつアスペーラ」は、この時期、50台収容の駐車場がほぼ満車になるというが、12日は数台。支配人の高橋正さん(53)は「売り上げは6分の1。客の7割は札幌からで、大型連休後半に期待していたのに……」と肩を落とす。


 菅原章嗣町長は、救急医療への影響を心配する。容体次第では札幌の病院への搬送が必要な例があるからだ。普段から札幌へ通院する患者も少なくない。深刻な影響はまだ出ていないというが、「一日も早い復旧を」と訴えている。

185 とはずがたり :2012/05/16(水) 12:09:48
俺もぶっちゃけ今迄観光道路だとあんま認識してなかった(・∀・)
ただの矢鱈高い林道だと思ってたw

白山スカイラインにすればいいね。塩那道路や十和田湖八甲田山連絡道路等ぽしゃったり廃れたりした山岳道路は多いけどちゃんと観光道路として機能してる希有な例なんですねえ。

「スーパー林道」名前の印象 観光にやはりマイナス?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1114776388/1683
2012年5月11日

186 とはずがたり :2012/05/24(木) 12:28:05
若き私のバイブルは『国鉄全線各駅停車 駅』と『勾配・曲線の旅 日本鉄道名所』の2シリーズであった。前者が配線を,後者が線形と勾配の基本的な情報を教えてくれたのである。

当然,上越線の清水越えの特異点ぶりもこれらの二シリーズで識っていたが,今回のヨッキのレポhttp://yamaiga.com/rail/yubiso/main.htmlでこの2シリーズでも逃している部分(大穴仮乗降場)が有ることが判明。追加して纏めてみる。

<単線時代の上越線>

後閑 121K410 H=378M50

下牧(信) S19.10.11-S41.7.20 名称は上牧と対応するけど駅に成らずに廃止された様である。

上牧 128K460 H=422M50

水上 139K90 H=491M50

大穴(仮乗)─S24.12-S38.3→新湯桧曽(信) S38.12.20-S42.9.28→湯桧曽 137K530 H=555M70:新湯桧曽の位置が『駅』では明示されず(多分湯桧曽だろうとは思ったけど湯桧曽水上間にあるとなっていた。),また大穴仮乗降場の情報は『駅』には脱落。

(湯桧曽ループ)

湯桧曽─S42.10.1→北湯桧曽(信) 140K730 H=611M80 (土合地上駅の様な島式・構内横断式の駅だった様である。)

土合(信)─S11.12.19→土合 144K130 H=665M50

(清水T 9702M)
茂倉(信) 148K950 H=676M10

土樽 154K850 H=599M30

(松川ループ)

越後中里 162K190 H=470M60

岩原スキー場前(臨) 165K850 H=405M60

越後湯沢 169K020 H=351M90

赤坂(仮信) S39.11.30-S40.7.8

石打 175K420 H=257M00


越後湯沢より後閑の方が高地ってのは何か意外である。。

土合の不便さ考えると,各駅停車だけでも上下とも北湯桧曽と茂倉の交換設備つかって清水トンネル(旧線)経由出来ると面白いんだけどw
wikiによると新清水トンネル内に新茂倉(信)構想が有ったようでもある。寧ろ清水トンネル側を廃止してしまっても良いのかも。

茂倉信号場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
新清水トンネル開通以前の単線時代は、清水トンネルの中間地点に列車交換のため茂倉信号場(しげくらしんごうじょう)が設置されていた(信号場の名称は、直上にそびえる茂倉岳にちなんで名づけられた)。設置は1943年5月15日、廃止は1984年11月1日である。現在も設備は温存されており、冬になると除雪のための保線車両が留置されることがある。なお新清水トンネルの中間地点にも列車交換設備を設置するための空間が存在するが、線路は敷設されておらず、清水トンネル内の茂倉信号場とも繋がってはいない。

187 とはずがたり :2012/06/14(木) 13:30:29
こっちやろ

2012年05月24日木曜日 河北新報
旧村支えた遺構を後世に 仙台・「冠川根白石発電所」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1212635128/1553

188 荷主研究者 :2012/07/08(日) 15:12:55
面白そう〜。行ってみたいねぇー。

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120615/CK2012061502000031.html
2012年6月15日 中日新聞
久根鉱山火薬庫跡か 国内の現存例まれ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2012061402100173_size0.jpg
佐久間町の山中で見つかった建造物と、「久根鉱山の火薬庫跡かも」と語る近藤饒さん=浜松市天竜区で

◆天竜区の山中で山歩き団体が発見

 浜松市天竜区佐久間町大井の山中で、周囲を土塁で囲まれた二棟のれんが造りの建物跡が、県西部の山歩きグループによって発見された。足尾銅山(栃木県日光市)の宇都野火薬庫跡(国史跡)に酷似しており、一九七〇年に閉山した久根(くね)鉱山(銅山)の火薬庫跡の可能性が高い。産業遺産的な価値について今後、注目を集めそうだ。

 建物跡は、「よみがえれ秋葉古道の会」のメンバーが今年一月末、古道調査の途中に発見。竜頭山(標高一、三五一メートル)の登山道から少し離れた杉木立の中にある。

 二棟は約十六平方メートルと、約十平方メートルの広さ。いずれも植物が絡みつき、屋根の一部が崩れ落ちているが、分厚い赤れんがと鉄製扉の頑丈な構造。高さ三メートルほどの土塁で、東西に隔てられている。

 敷地(約五百平方メートル)の周囲にも土塁が巡らされ、排水路跡もあった。防災面に細心の注意が払われたことをうかがわせる。

 同会は十一日、浜松市佐久間協働センターや文化財の関係者らを現地に案内。その結果、誘爆防止用とみられる土塁などの構造から「火薬庫だったことは確かなようだ」(同センター)という。

 付近には久根鉱山の跡や従業員住宅跡もあり、明治期から火薬類の保管に使われた可能性が高い。薬類、雷管、導火線などを保管する火薬庫は鉱山の「心臓部」的な存在だったが、国内で現存例はまれ。

 国内の鉱山は明治以降、火薬導入によって飛躍的な産出増を果たした。近代日本の産業発展を底辺で支える一方、足尾銅山や久根鉱山では鉱毒などの問題も起きた。世界遺産指定を目指す足尾銅山の場合、火薬庫跡は有力な構成資産候補と目されている。

 古道の会世話人の近藤饒(ゆたか)さん(65)=浜松市浜北区=や、最初に見つけた金原康広さん(56)=同市東区=は「いろんな歴史や魅力を秘める北遠の山々が、注目を集める契機になれば」と期待している。

(正木徹)

 <久根鉱山> 江戸時代初期から記録が残る銅山。足尾銅山を開発した古河市兵衛が買収し1899年に本格的に操業。良質な銅鉱石の産出量が飛躍的に増加。一時は約2000人が従事したといわれ、鉱石運搬船が天竜川を行き来した。

189 荷主研究者 :2012/08/12(日) 22:22:58

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20120711102.htm
2012年7月11日02時47分 北國新聞
露天掘り、西部劇みたい 鳥越の河合鉱山

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/industry/H20120711102.jpg
露天掘りの採掘現場=白山市河合町

 白山市鳥越地区に陶器の原料である陶石を産出する鉱山がある。露天掘りのダイナミックな光景が広がる鉱山は、昨年秋に認定を受けた「白山手取川ジオパーク」を体感できる場所として、限定ツアーが組まれている。普段、関係者以外はめったに入ることができないという採掘現場を訪ねた。(麻柄瑶子)

 鉱山の採掘を手掛ける「河合鉱山」=白山市河合町=の出口衛社長(53)にツアーコースを特別に案内してもらった。採掘現場に至る山道は砂利道で幅が狭く、崖地にガードレールもない。

 「ここが景色を楽しむには最高の場所だよ」。標高400メートル地点付近で少し寄り道する。出口社長に促されて車を降りると眼下に白山麓の田園風景が広がっていた。

 訪ねた日はあいにくの曇りだったが、晴れた日には白山が真正面に見えるそうだ。山の反対側に回ると、河北潟から柴山潟あたりの海岸線と日本海が展望でき、出口社長によると、「絶景を絵に描きたい」「写真に撮りたい」という依頼がたまに舞い込むという。

 ヘルメットをかぶり、山肌が階段状に削られた採掘場の底部に立つと周囲の岩肌が迫ってくるようだ。出口社長の話では、「ベンチカット方式」という掘り方で、安全確保のため各段の高さは一定内に決められている。約8万平方メートルの採掘現場は鉱山のほんの一部で、陶石が採れる鉱山全体は山数個の範囲に及ぶという。

 鉱山を見学コースに組み込んだ「ジオツアー」は、先月に第1回が行われ、8月と10月にも予定される。ジオツアーのガイドを行うNPO法人「加賀白山ようござった」によると、参加者は「西部劇の舞台みたい」「未知の体験だった」と大喜びだったという。

 鉱山はこれまで原則として見学者を受け入れてこなかったが、出口社長は、同NPOと市の熱心な要請に、3回限定ならと首を縦に振った。貴重な鉱物資源が地域にあり、生活に生かされていることを知ってほしいとの思いからだ。ただ、「危険な場所がたくさんあるから一般の人は入れたくない」というのが本音だそう。

 国内では閉山した場所が多く、操業中の陶石鉱山は数カ所しかない。河合鉱山は採掘中で危険が伴うことを考えれば見学機会が限られても仕方がないのだが、周囲の絶景を含め地域の大きな資源であることは間違いない。

190 荷主研究者 :2012/08/13(月) 23:22:53

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120719/CK2012071902000074.html
2012年7月19日 中日新聞
山間地の橋 ぐらつく安全

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◆浜松の原田橋通行止め問題 定期点検前に損傷表面化

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通行再開となって原田橋を渡る車=6月25日、浜松市天竜区佐久間町で

 建設から半世紀以上たつ浜松市天竜区佐久間町の原田橋が、橋をつるケーブルの損傷で二カ月にわたって全面通行止めになった問題を受け、山間地での橋の安全確保のあり方が問われている。点検をしていたはずが、突然重い損傷が見つかり、地域の「ライフライン」を遮断せざるを得なくなったためだ。市は今回の問題を教訓に、山間地で橋の点検を入念に進める考えだ。

 「古くて大丈夫だろうかと心配な橋は、たくさんある。原田橋だけでなく、山間地で共通の問題だ。しっかり点検してほしい」。天竜区自治会連合会長の鈴木政成さん(58)=同区龍山町=は訴える。

 市は、橋を長持ちさせる「長寿命化修繕計画」の策定のため、二〇一一年までに市内の主な三百二十三橋の目視点検を実施。原田橋は〇八年十月に調べたが、緊急対策の必要はなく、ケーブルの損傷もなかったという。

 天竜区では他に百四十橋を〇七年から点検。半数近くは建設四十年以上がたっていたが、金網の取り換えなど対策の必要な橋は四カ所だけだった。

 修繕計画に従えば、各橋の次の点検は五年後の予定だった。ところが、原田橋では三年後の昨秋、一部ケーブルに破断が見つかった。今年春までかけて詳しく調べると、別のケーブルにも損傷が発生。市は「危険だ」と判断して全面通行止めとした。

 重い損傷が急に現れたことに、市は古さに加え、過去の管理実態がつかみにくい問題を挙げる。原田橋の場合、一九五六年の建設以降は県が管理。〇七年の政令市移行で浜松市へ移管されたが、補強関係書類の一部が見当たらないという。

 修繕計画に挙げた三百二十三橋を見ても、県から移管された二百七十一橋、旧市町から引き継いだ十八橋の中には、どんな点検をしてきたのか分からない橋もあるという。

 他の橋でも、原田橋のように重い損傷が突然現れても不思議ではない。新たに架ける場合の費用は億単位に上り、重なれば市財政を圧迫する可能性もある。鈴木厚・市土木部長は「山間地の橋は点検の頻度を増やし、老朽化や傷みが目立ってきたら、早く個別の計画を立てて修繕を進めたい」と話している。

◆新しい橋完成まで通行制限

 天竜川に架かる原田橋は、天竜区佐久間町の佐久間地区と浦川地区をつなぐ唯一の橋。橋を渡らずに迂回(うかい)すると、車で二時間半〜三時間かかる。全面通行止め前の一日の交通量は千五百台ほどだった。現在、通行は再開したが、重量制限で八トン以上の車は通れず、住民の不便は続いている。

 市は四月二十四日に全面通行止めとし、国土交通省と耐久力を調べ、補助ケーブルを増設。重量制限を設けた上で六月二十五日に通行を再開させた。

 「大型車は迂回するため、時間ロスと燃料費増加で経営が圧迫されている」。天竜商工会佐久間支部の田高万之助支部長は今月九日、市役所で古橋利広副市長に八トン以上も通れるような橋の補強と、新しい橋の早期完成を求めた。「不測の事態で再び通行止めになれば、生活と地域経済への影響は計り知れない」と危機感を訴えた。

 全面通行止めの間、川を渡って両岸の河川敷を結ぶ緊急路が整備された。だが、浦川小学校は給食を一時中止。増水などで緊急路が使えなくなり、配送車が給食を運べない事態を想定したためだ。福祉施設「さくまの里」でも全面通行止めの当初、浦川地区の利用者のデイサービスを中止した。

 鈴木康友市長は六月末の定例会見で「新しい橋を造る」と表明したが、完成までに三年はかかるという。事業費は十数億〜二十億円と見込まれている。

(稲垣時太郎)

  <長寿命化修繕計画>  浜松市が今年3月に策定。市内にある長さ15メートル以上で、災害復旧時などにも使われる重要な323橋を対象としている。橋を長持ちさせるため、5年ごとに点検することにしている。

191 とはずがたり :2012/08/17(金) 15:15:09
気になるぜ! あの林道・・・
http://homepage2.nifty.com/kenkensan/kininaru/k-menu.htm

192 荷主研究者 :2012/08/24(金) 00:37:31

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201208110023.html
'12/8/11 中国新聞
幹線林道、県が整備引き継ぎ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120811002302.jpg

 2008年に廃止された独立行政法人緑資源機構の幹線林道計画のうち、三次市の君田―布野区間を広島県が引き継ぎ、20年度の完成を目指して工事を進める。民有人工林が多い区間で、林道整備は効率的な木材運搬に役立ち、林業振興につながると判断した。4年間、中断されていた工事が再び動きだす。

 区間は約9・2キロ。緑資源機構が東端の君田町櫃田側と、西端の布野町上布野側の計約2・9キロを整備済み。県はトンネル部分を含めて残る約6・3キロの工事を引き継ぐ。

 県林業課によると、この区間に面する森林は約870ヘクタール。人工林がまとまっていて効率的な木材搬出が可能なエリア「低コスト林業団地」が78%の675ヘクタールに及び、林業面での投資効果を見込めるという。

 県は昨年度17万立方メートルだった県産材の生産量を、20年度に40万立方メートルまで増やす目標を掲げる。林業課は「この区間は、整備すれば県産材の利用拡大につながる」と説明する。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120811002301.jpg
【写真説明】幹線林道君田―布野区間のうち三次市君田町側の起点。緑資源機構が既に整備している

193 荷主研究者 :2012/10/21(日) 18:47:31

http://yamagata-np.jp/news/201209/26/kj_2012092600728.php
2012年09月26日07:45 山形新聞
米沢−福島間の幹線道「万世大路」が選奨土木遺産に 学会が認定、県内6件目

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/img_2012092600530.jpg
歴史的価値が評価され選奨土木遺産に認定された「万世大路」。写真は昭和期に開通した2代目栗子隧道(ずいどう)=米沢市

 初代県令三島通庸が開削し、明治天皇が命名した米沢−福島間の幹線道路「万世大路(ばんせいたいろ)」が、土木学会(東京)の選奨土木遺産に認定されたことが25日、分かった。近く公表される。本県の歴史的土木構造物の認定は6件目。申請していた万世大路連絡会(田畑実会長)と同学会東北支部は10月6日、米沢市で認定記念のフォーラムを開く。

 万世大路は国道13号の旧道で、米沢側の「刈安新道」と福島側の「中野新道」からなる48.2キロ。「明治・昭和期の先端土木技術を駆使し、山形・福島両県の物流並びに人の交流と絆を育んだ歴史的地域資産である」ことが認定理由に挙げられた。

 選奨土木遺産は2000年度、歴史的土木構造物の保存への寄与を目的に創設された。学会の推薦や一般公募に基づき選出される。県内では明鏡橋(朝日町)や直江兼続治水利水施設群(米沢市)など5件が認定されている。

 万世大路連絡会は、地域資源としての万世大路の価値を再評価し、後世に伝えようと10年に発足。米沢市万世地区の全戸(約1200戸)が加入する「歴史の道万世大路・万歳の松保存会」をはじめ、両県の学術関係者らで構成する。開通から130周年の昨年10月、米沢市内でシンポジウムを開いた。

 今年3月、土木学会に申請。9月21日の同学会本部理事会で承認された。本年度は全国で25件が認定された。本県は万世大路のみ。

 田畑会長は「万世地区の宝物が遺産に認められ大変うれしい。震災後に福島から米沢に多くの人が避難している状況もあり、両県をつなぐ道路が持つ役割の大きさを感じる」と話した。

194 とはずがたり :2012/12/14(金) 09:39:19

東山油田跡(新潟県長岡市/栃尾市)
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/maehasi/oil/higasi.html

榎木峠はこの辺。
http://yahoo.jp/wu4vfO

ちと行ってみたい。。

195 とはずがたり :2013/01/15(火) 15:34:35
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1326
>R458も十部一峠方面は難所っぽい

林道じゃないけど林道情報に十部一峠ものってるw

林道への案内板 日本全国の林道情報
全国の林道をデータベース・写真・地図で詳細に紹介
山形県寒河江市、十部一峠の周辺
http://www.rindo21.com/touhoku_minami/yamagata_sagae/yamagata_r458/

結構有名な峠みたいだ。
こんな所迄国道してしまって税金ばらまくのには非常に怒りを感じざるを得ないけど。

十部一峠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E9%83%A8%E4%B8%80%E5%B3%A0

国道458号の一部となっているが、十部一峠を含む大蔵村肘折温泉-寒河江市幸生(さちゅう)間は28km弱の区間に民家が存在せず、実際に車道として開通している国道では、日本で唯一の未舗装区間が残る国道である。一年の半分以上は積雪により通行止、総重量6tを超える大型車の通行が出来ない。十部一峠から林道を下った場所に、かつて、銅の産出では日本有数の規模を誇った永松銅山があり、その産出銅の輸送のために道路が開削された。
峠名は、かつて峠に番所が置かれており、通行料として「十分一役銀」を徴収していたことに由来する。

かつては、大蔵村から十部一峠に向かう手前に「大師峠」が存在していたが、国道458号は大師峠を通らないため、大師峠には手前で車を止めて徒歩で向かう。
十部一峠には駐車帯が広めに取られており、永松鉱山に向かう林道と、葉山山頂に向かう登山道が分岐している。寒河江市に向けて視界が開けており、第2世代の携帯電話の使用が可能。

大師峠はこれ
http://pdb.the-orj.org/view.php?no=6758

この辺か。
http://yahoo.jp/3uuKeU

196 とはずがたり :2013/01/15(火) 15:35:11
>>195-196

更に永松鉱山はこれ
ttp://haikyo.crap.jp/s/7569.html

だいぶ遠いな。。

レポ
ttp://psyzans.web.fc2.com/Newken/nR458/nR458_2.html
 ちょっと寄り道。十部一峠から延びる永松林道をさらに6キロほど走っていくと、銅山川河畔の永松鉱山跡にたどりつく。銅山川の名前はもちろんのこと、「十部一峠」の名もこの鉱山にちなんでいる。

 鉱山は江戸時代前から採掘がはじまり、以後300年にわたって銅を産出し続けた。江戸時代、採掘された銅は清水や合海に運ばれ、さらにそこから最上川舟運と北前船で全国に運ばれていった。明治以降も日本有数の銅山として、三千人もの人々がこの地に住み、採掘に従事していたという。
 しかし昭和36年に休山となり、住む人は誰もいなくなった。もちろん今は無人で、わずかばかりの遺構が残るのみとなっている。


〈遺骨は叫ぶ-28-〉 山形・永松鉱山
騙して連行、強制貯金の名で未払い 山菜採りで空腹しのいだ労働者たち
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j0803-00001.htm

 1939年に「朝鮮人労務者内地移住に関する件」が発令されると、永松鉱山はさっそく申請し、「昭和15年5月半島労働者49名の移住」(「東北鉱山風土記」)の許可を得ている。

 その後の連行数は明らかではないが、「永松鉱山全体では朝鮮人は家族あわせて最低600人ぐらいいたと思います。設楽里太という人と武田長治という人が朝鮮に行って連れてきたのです。鉱山の本局(本部)の佐藤弥三郎さんが朝鮮人を連れてくる采配を振っていました」(東海林寅雄)と語っている。また、永松鉱山には「600人ほどいたが、大半は朝鮮南部から送られてきた人たち」という記録もあるので、約600人ぐらいだった。

 永松鉱山に連行された朝鮮人の年齢は平均して32歳で、27、8歳〜40歳までの人たちだった。
 朝鮮人の仕事は、ほとんどが車夫(トロ押し)で、支柱夫はあまりいなかった。労働時間は原則として3交替制になっていたが、朝鮮人が働いたのは遅番と早番であった。車夫の仕事は厳しかったうえに、早番と遅番で働かされるので疲れがひどかった。

 また、食事なども朝鮮人には十分に渡らなかった。永松鉱山では、生活必需品は切符による配給制度になっていた。購買部で品物を受け取るのは、役宅、職員、作業員、朝鮮人の順序となっており、山奥ではなかなか入手できない新鮮な魚や、野菜、果物などが朝鮮人の手に渡ることはほとんどなかった。そのため朝鮮人たちは、仕事の合間に山へ入り、草木の芽や葉、山菜などをとっては食べていた。山菜をよく食べる大蔵村の人たちも驚くほど、たくさん取って食べていた。秋になるとブナやナラ、ドングリの実などを食べているのをよく見かけたという。

 朝鮮人には食料だけではなく、衣服なども十分に配られなかった。永松鉱山は寒いうえに雪が深いので、長靴は必需品であったが、朝鮮人には配られなかった。深い雪の中を地下足袋で飯場と坑口を往来するのは大変だった。しかも、雪が降るころになっても、ランニングにパンツといった姿で、寒さにぶるぶる震えていた。坑内に入ると寒くないので冬は空腹でも坑内に長く入っていようとした。また、寝具、作業衣、地下足袋、カンテラなどの作業用具は、無料で支給する約束だったが、日本へきて働くと有料だったりと、朝鮮人は苛められた。

つわものどもが ゆめのあと
−−山形県最上郡大蔵村 旧永松鉱山−−
2001年3月 山形応用地質誌
松田 博之(山形県庁商工政策課)
ttp://www3.ic-net.or.jp/~motokazu/matsuda.htm

197 とはずがたり :2013/01/23(水) 20:57:04
謎の多い草木トンネルを含む区間。
ヨッキが更新した時に色々検討して見たが纏めるのに時間が掛かってしまった。

飯田山本ICといなさJctの写真ぐらい有る筈なんだけど現時点で見つからなかった(´・ω・`)

三遠南信道路
青崩峠道路・草木トンネル
http://tohazugatali.iza-yoi.net/shin-tomei/R474/R474-00.html#aokuzure

198 とはずがたり :2013/02/02(土) 15:07:26

近代建築Watch
hardcandy.exblog.jp
兵庫県丹波・但馬地区 ( 22 )
http://hardcandy.exblog.jp/tags/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E3%83%BB%E4%BD%86%E9%A6%AC%E5%9C%B0%E5%8C%BA/

199 とはずがたり :2013/02/06(水) 17:58:44

別に大したことではないことをわざと騒ぎ立てて大きくしたがってるだけな様に見えるけど,俺が感じた胡散臭さは他の人も感じていたようだ。

秋庭俊・帝都東京・隠された地下網の秘密
youtube
http://www.youtube.com/watch?v=kuYCXBYOELE
http://www.youtube.com/watch?v=fa8ZfKL7TZ4

http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%9D%E9%83%BD%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%BB%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E7%B6%B2%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86-%E7%A7%8B%E5%BA%AD-%E4%BF%8A/dp/4896916808

地下妄の手記
http://www3.atwiki.jp/619metro/

200 荷主研究者 :2013/02/10(日) 12:49:23

http://yamaiga.com/road/ipr212/main.html
岩手県道212号雫石東八幡平線 網張工区 第1回

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20130124_6
2013/01/24 岩手日報
奥産道の全通目指す議連発足 八幡平市で設立総会
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 八幡平市、雫石町、滝沢村の超党派の議員有志38人は23日、県道雫石東八幡平線(網張−松川間、通称奥産道)の道路促進議員連盟を設立した。県が1998年に工事を事実上中止した奥産道の車道での全面開通や観光振興を目指し、県などに働き掛ける。

 同県道は65年に車道として着工。自然保護団体の反対もあり中断し84年に一部をトンネルに変更し工事再開した。96年に原生林の無許可伐採が判明し98年に約3キロを残し事実上工事を中止した。

 現在は車両が制限され網張側の大松倉橋付近から松川側の松川大橋付近までは既存登山道も使い歩行者のみが通行可能。地元には雫石と八幡平を結ぶ奥産道を観光ルートとして期待する声もある。

 これに対し、「八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会」の白藤力事務局長は「直接の開発でなく、奥深い自然を残して観察会や文化活動など間接的に生かす方が何倍も大切だ」と工事再開を目指す動きを懸念する。

201 とはずがたり :2013/02/27(水) 09:46:06
どうも山行が内では見れなくなってしまった山手東側隧道>>2だがweb魚拓として見れるらしい。
ttp://web.archive.org/web/20070323154634/http://yamaiga.com/tunnel/yamatehigasi/main.html

また鉄の歴史館のurlも変更になっていた。行政が矢鱈urlいじるのは止めて欲しい。もっと他にすることあるやろに。
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/8,356,46,245,html

202 とはずがたり :2013/03/01(金) 12:21:52

鍾乳洞内で落石…大学探検部の2人、一時戻れず
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20130224-567-OYT1T00281.html
2013年2月24日(日)12:02

 23日午後2時頃、福岡県苅田町山口の平尾台の鍾乳洞「 青龍窟 せいりゅうくつ」で落石があり、大学の探検部に所属する学生2人(ともに19歳)が一時、洞窟から出られない状態になった。

 約4時間後の同6時頃、仲間の学生が見つけた 迂回 うかい路をたどって脱出した。けがはなかった。

 県警行橋署の発表や北九州市消防局に提出された計画書などによると、九州大と佐賀大の探検部の計約20人で、22日から24日まで探検のために平尾台を訪れていた。3隊に分かれ、このうち9人が23日午前8時頃から、「青龍窟」内に入った。午後2時頃、人がはって通れるほどの狭い場所で、先を進んでいた2人が浮石を動かそうとしたところ、石が転がり落ちて道を塞ぎ、元に戻れなくなった。

203 とはずがたり :2013/03/01(金) 12:23:42
>>200
俺も気になっている奥産道の亡霊が再び!
まああと数キロで抛棄は少々勿体ない気はするんじゃが。。

204 とはずがたり :2013/03/01(金) 20:28:07

遂に単著ヽ(´ー`)/
最近沢山本出しているので全部は追ってないけど流石に買ってあげなくては♪

大研究 日本の道路120万キロ (じっぴコンパクト新書) [新書]
平沼 義之 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4408109835/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4408109835&amp;linkCode=as2&amp;tag=yamasaiganega-22

205 とはずがたり :2013/03/08(金) 15:11:56

分断国道として名高いR152にある峠,分杭峠はゼロ磁場のパワスポだそうな(笑)
分断峠の青崩峠と地蔵峠(とR256の小川路峠)には行きたいと思ってるけど序でに此処も寄るかw(地図で調べたら大部北だけど。。)

ゼロ磁場のパワスポ「分杭峠」で異常現象に遭遇
http://nikkan-spa.jp/77129

206 とはずがたり :2013/04/11(木) 17:39:39
今度のヨッキのネタはこれみたいだ♪

伊豆新島に単成火山を貫く島嶼部最長のトンネル出現
http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/03_12_04.pdf

207 とはずがたり :2013/05/01(水) 09:15:50
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪
愛媛県境に近い高知県大川村にあった白滝鉱山だが索道で川之江三島港に運んで大分(佐賀関か?)で製錬したそうだ。なかなか大胆♪

白滝鉱山
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-1.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-2.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-3.htm
高知県内唯一ともいえる鉱山跡。 高知県の北部、愛媛県にほど近い場所に、その鉱山はあった。 土佐藩が開坑して以来、300年近くにわたって銅山として栄えたが、国内の他の金属鉱山と同じく、1972年に閉山した。

白 滝 鉱 山
http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/sirataki-.html

 元々江戸時代の初頭にこの地域に銅などの鉱床があるということは地元では知られており当時の土佐藩が1699年、近くを流れる大北川沿いに本川銅山(大北川のこと)を発見開坑したというのが始まりである。しかし貧鉱だったため数年で閉坑。その後長く注目されず幕末近く1815年から明治維新頃にかけて藩主や家老等が何度か採掘を試みたがいずれも失敗。後明治から大正にかけて幾人かの資産家(ほんの一時ではあるが住友家も加担した)が鉱業権の取得、譲渡を繰り返したがいずれもうまくいかなかったようである。
 最終的に1913年(T2)愛媛県の資産家、宇都宮氏に経営権が移り「宇宝合名会社」を設立、鉱山経営に入り積極的に発電所や機械化など近代化を進めこの付近の大北川、白滝、朝谷、樅の木など諸鉱山をまとめて”白滝鉱山”と名乗った。
 この頃それまでの鉱石や物資運搬手段を人力に頼って白滝から徒歩で野地峰峠を越えて今の法皇湖に降り銅山川沿いに北上し富郷町豊坂辺りからまた北へ山越え寒川町に入って三島に着く、というまことに大変な工程を経ていた。そのため人夫も重労働だし事故も耐えなかったし鉱山経営にしても人件費や輸送の効率が悪く改善が急務の課題であったため1916年遂に架空索道を建設。白滝から三島まで延々20数キロの索道で鉱石や物資を運ぶことになる。
 1919年久原鉱業(現日鉱ホールデイングス)に経営権が渡る。以後大正、昭和にかけて政府(軍部)の軍備拡張政策での(金属)物資増産の大号令により終戦まで積極的に採掘する。一時は鉱山人口2000人以上にまで達し関連施設はもちろん学校、病院、売店、映画館、居酒屋などなど山の中に一大ニュータウンを築いていた。そんな白滝鉱山も1972年ついに閉山となる。現在は青少年の野外活動センター”自然王国・白滝の里”として跡地が再利用されている。

日本鉱業(株)白滝鉱山
http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/No.3/sirataki/sirtaki.html

209 荷主研究者 :2013/06/19(水) 23:52:50

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201305300046.html
'13/5/30 中国新聞
手掘りのトンネル拡幅 尾道

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130530004601.jpg

 広島県は本年度、尾道市瀬戸田町の高根島にある内の浦トンネル(117メートル)の拡幅を計画している。珍しい手掘りのトンネル。道幅が狭いため消防車や大型車が通れず遠回りを余儀なくされている。2014年度内の完成を目指す。

 トンネルの幅員は約2・5メートルで、車両の通行制限は高さ2・2メートル。計画では、トンネルにつながる県道も合わせた約300メートルを約5メートルに広げる。

 市消防局によると、現在トンネル奥に数軒ある集落に緊急車両が出動する際、島に入る高根大橋から反対側を迂回(うかい)するため、3〜5キロ多く走っている。完成すれば約3分の1の距離になるという。

 高根小の閉校記念誌によると、トンネルは1952年開通。壁面は手掘りのため、ごつごつとした岩肌がむき出しになっている。近くの農業根角哲司さん(77)は「トロッコで土を運び出す横で遊んでいた」と振り返る。最近はサイクリストたちが訪れる隠れた名所になっている。

 着工時期などは未定。県東部建設事務所三原支所は「緊急車両の通行や離合が難しい状況が解消され、住民の安心や利便性向上につながる」としている。

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【写真説明】岩肌がむき出しになっているトンネル内部。大型車は通行できない

210 荷主研究者 :2013/06/19(水) 23:59:16

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/06/20130604t15012.htm
2013年06月04日火曜日 河北新報
江戸初期の古銭発見 仙台−東根間の「関山古道」付近

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関山古道付近で見つかった永楽通宝

永楽通宝を発見した八嶋さん

 仙台市青葉区−山形県東根市間の関山峠を越える「関山古道」付近で、江戸時代初期まで流通していた古銭「永楽通宝」が1枚見つかった。関山古道はルートに一部不明確な区間があり、発見した登山者は「古道を解明する手掛かりになる可能性もある」と期待に胸を膨らませる。

 1968年に開通した関山トンネルの国道48号以前に、南側の山裾を縫うように関山隧道(ずいどう)を含む旧関山街道があった。

 古道はこの旧街道が完成する1882年まで街道として利用され、48号と旧街道のちょうど中間を通っていた。

 険しい尾根伝いの道のため「峰渡り」とも呼ばれ、市民グループの関山街道フォーラム協議会事務局(仙台市)によると、峠付近はルートがまだ明らかになっていない。

 古銭を発見したのは同市のNPO「東北アウトドア情報センター」代表の八嶋寛さん(63)。

 4月30日、主宰する登山講座の仲間8人とトンネルの仙台側入り口付近から旧街道に入った。隧道の真上に登り、古道を目指す山中で古銭を見つけた。

 標高800メートルの峠の頂から、南西に数十メートル外れた場所だった。

 持ち帰って枯れ葉や土を払い落とすと中央に四角い穴があり、「永楽通宝」の4文字がうっすらと浮かんだ。直径は約23ミリある。

 永楽通宝は中国で明代に造られ、室町時代に日本に大量輸入された。1608年に幕府が流通禁止令を出し、以降は国産の寛永通宝に取って代わられた。

 もちろん古銭が元からそこにあったのか、後世に誰かが持ち込んだのかは分からない。それでも古道には、一部登山愛好者以外はほとんど足を踏み入れないという。

 発見地点は尾根から南側に外れており、峠の頂を迂回(うかい)するように古道が築かれていた可能性もある。

 八嶋さんは「江戸時代以前から活発に人が往来した道かもしれない。さらに踏査し、古道の手掛かりを探したい」と話している。

211 荷主研究者 :2013/07/04(木) 23:57:43

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/06/20130616t71004.htm
2013年06月16日日曜日 河北新報
両地域結ぶ林道開通 山形・飯豊−喜多方13.8キロ

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山形、福島の両県知事らが参加した林道の開通式

 山形県飯豊町岩倉地区と福島県喜多方市山都町をつなぐ林道飯豊桧枝岐線・一の木線が15日、開通した。山形、福島の両県関係者は、森林整備の推進、観光の振興、災害時のライフラインの確保などを期待する。

 全長13.8キロ(山形側8.1キロ、福島側5.7キロ)。名称は林道だが、幅員は7メートルあり、全面舗装の片側1車線の規格で整備された。両地区の往来は国道121号経由に比べて約30分短縮するという。林道周辺には観光ワラビ園やキャンプ場などが点在する。降雪期は閉鎖される。

 両線の工事は、緑資源機構(2007年度廃止)が計画した大規模林道整備の一環で始まった。山形側は1978年に着工、99年に完成。福島側は93年に着工し、機構廃止後に福島県が未整備区間0.4キロを昨年11月に完成させた。総事業費は105億2100万円。

◎福島県、3区間で整備/「林業振興ならず」批判も

 15日開通した林道飯豊桧枝岐線・一の木線は、大規模林道として計画された路線だった。公共事業見直しで他県で中止される中、福島県は今後も3区間の工事を続ける。市民団体は「林業振興に役立たない」と中止を求めている。

 大規模林道は「無駄な公共事業の象徴」と批判されながら建設が続いていたが、事業主体だった緑資源機構が官製談合事件で廃止され、2008年度以降は道県に事業継続の判断が委ねられた。

 福島県は計画を継続し、一の木線のほか、新鶴・柳津線(30.5キロ)田島・舘岩線(7.9キロ)北塩原・磐梯線(9.6キロ)の建設を決めた。

 県は「林業振興につながるほか、地元自治体の要望もある」と、本年度は3区間で約4億円の予算を計上し工事を進める。完成年度と総工費は公表していない。

 広島県は昨年1月、旧大規模林道計画は県の林業政策との関連が薄いと建設中止を決めている。

 福島県の博士山ブナ林を守る会の東瀬紘一代表は「旧大規模林道は森林土木事業でしかなく、林業振興に直結しない」と計画中止を訴えている。

212 荷主研究者 :2013/07/05(金) 00:10:33

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201306140011.html
'13/6/14 中国新聞
農道、15日開通 安芸高田<動画あり>

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130614001102.jpg

 安芸高田市高宮町の川根と羽佐竹を結ぶ川根原山連絡農道が15日、開通する。事業化から19年かかった。川根は江の川沿いと山間部の狭い県道しかなく不便だった。開通後は約45分かかっていた同市中心部の吉田町への通行時間が10〜15分程度短縮される。

 農道は広島県が建設。長さ6・6キロ、片側1車線で道幅は7〜6・5メートル。川根と羽佐竹の原山地区を結ぶ集落間農道として1994年に事業化し、当初は99年度に完成予定だった。

 しかし、硬い地質のためルート変更したり、農林水産省の農道再点検で事業の存続が危ぶまれたりしたが、川根側の道幅を7メートルから6・5メートルに狭めて事業を継続。今月初めに完成した。総事業費は41億5千万円。

 15日午後1時から、同農道の中間点で開通式があり、2時から通行できる。4時からは川根のエコミュージアム川根でホタル祭りもある。ホタル観賞や神楽が催され、手打ちそばも食べられる。

 動画はこちら

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130614001101.jpg
【写真説明】事業化から19年で開通する川根原山連絡農道

213 とはずがたり :2013/07/11(木) 14:00:08
尾張瀬戸で仕事をしてた時からずっと気になってたr208上半田川名古屋線の末端部。
やはりR363迄通り抜け可能らしい。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.9.50.063N35.15.59.325&amp;ZM=9

愛知県道208号一般県道上半田川名古屋線
東尾張七変化
その7
http://turkey.6.pro.tok2.com/aichi208g.html

214 とはずがたり :2013/07/16(火) 19:22:59
今度のヨッキの日本の廃道は↓みたいだ。

幻の茂浦鉄道
http://www.aomori-itc.or.jp/public/zoshoku/dayori/112g/112_p08.pdf

青森県産業技術センターのある湾が茂浦湾。ここから西平内駅のある小豆沢方面へ向かって
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.53.15.662N40.55.49.167&amp;ZM=7

茂浦鉄道
http://logging-railway.arrow.jp/modules/d3blog/details.php?bid=15

215 とはずがたり :2013/07/25(木) 09:51:49

ここか。この辺は亀の瀬の地滑り地帯の入口。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.15.055N34.34.12.417&amp;ZM=10

それにしても深夜1時に何の電車が?

肝試しでトンネルに…高校生2人、電車に接触し死傷
http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201307210027.html

 21日午前1時前、大阪府柏原市国分市場1丁目のJR大和路線芝山トンネル(約250メートル)の東側出口付近で、大阪市内の男子高校生2人が難波発王寺行き普通電車(6両編成)に接触し、2年生(16)が約4時間後に死亡、1年生(16)も右足の骨が折れる重傷を負った。

 柏原署によると、中高生ら13人(12〜16歳)が、夜中に「心霊スポット」に行こうと決め、21日午前0時過ぎ、バイクなどで現場近くの芝山に来た。

 山に歩いて入って道に迷い、墓地に出た後、トンネルを見つけた。「引き返すとまた道に迷う。線路をたどれば知っている道に出るのでは」と考えてトンネルに入った直後、前方から電車がきたという。

 11人は線路脇の待避スペースに入ったり、壁に張り付いたりして難を逃れたが、逃げ遅れた2人が電車に接触した。少年の1人は、調べに「時間も遅く、電車はこないだろうと思った」と話しているという。

 現場周辺は有名な「心霊スポット」で、事故現場のすぐ脇に墓地があり、近くに廃線のトンネル跡もある。近くのし尿処理施設の職員によると、肝試しに来る子が多いといい、「トンネル跡に入る子どもがいたので数年前に入り口が鉄格子で塞がれたが、錠を壊して侵入していた」という。

216 とはずがたり :2013/07/25(木) 09:53:42
>>215
普通の最終列車か。。
http://www.ekikara.jp/newdata/line/2701062/up1_16.htm

鉄道事故:線路立ち入りの高校生はねられ死亡 JR関西線
http://mainichi.jp/select/news/20130721k0000e040173000c.html
毎日新聞 2013年07月21日 12時56分(最終更新 07月22日 12時35分)

 21日午前0時55分ごろ、大阪府柏原市国分市場1のJR関西線・芝山トンネル(約200メートル)東側出口付近で、難波発王寺行き普通電車(6両)に男子高校生2人がはねられ、2年生(16)=大阪市=が死亡、1年生(16)=同=も右足骨折などの重傷を負った。2人を含む計13人は肝試しをしていたが、道に迷ったため、トンネルに入ったという。

 大阪府警柏原署によると、中高生ら男女計13人(12?16歳)は東側出口からトンネルに入り、約25メートル進んだところで西から電車が来るのに気付いた。11人はトンネル内の待避所のくぼみに避難したり、壁にはりついたりして無事だったが、高校生2人は逃げ遅れたらしい。

 現場付近は使われていない鉄道の廃トンネルなどがあり、心霊スポットとして知られる。【高橋隆輔】

217 とはずがたり :2013/08/13(火) 21:30:09
『大研究日本の道路120万キロ』を経費で購入♪
流石よっき,結構学術的だし非常に面白かった(`・ω・´)
自分用に自費でも購入しても良いな。

気付いた点を何点か。

1.産業道路は一般名詞なんだそうな。なにか根拠法があるのかと思ってたけど。あんだけ各所にあるのだからなんらかの法律or行政上の法則性がありそうなもんだけどないのかな?
2.奥産道特集が欲しかったなあw
3.あんなでたらめな経路を定めた国交省が都道府県道の制定にはまともな交通流動に沿うことといけしゃーしゃーと厚顔無恥に押しつけているのに愕然とし憤然と成らざるを得なかった。いい加減にせよと云いたい。
4.続篇きぼんぬふ♪

218 荷主研究者 :2013/08/15(木) 00:24:22

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20130801/CK2013080102000183.html
2013年8月1日 東京新聞
新道に役目引き継ぐ 駒ケ滝トンネルきょう封鎖

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013080102100081_size0.jpg
新道の開通に伴い閉鎖される「駒ケ滝トンネル」=秩父市で

 秩父市大滝の国道140号にある「駒ケ滝トンネル」が一日で封鎖される。トンネル脇に新道「二瀬ダム左岸湖岸道路」が同日午前五時に開通するためで、ネットなどに「酷道」と紹介されたトンネルは五十八年で役目を終える。

 駒ケ滝トンネルは全長三百九十七メートルで、トンネル内部で県道と分岐している。二瀬ダムの建設用道路として一九五五年に完成した。当時の交通量を前提に整備されたため、道幅約三メートルと狭くて相互にすれ違いができない上、照明は暗かった。

 国道140号は大滝地区で複数の路線に分かれ、山梨県への主要経路としては北側を通るバイパスがある。しかし、駒ケ滝トンネルは分岐する県道が観光名所の三峯神社に通じていることもあって一日平均約千五百台が利用しており、行楽シーズンは渋滞が起きることもあった。

 新道は全長約四百五十メートルで片側一車線。山梨方面から三峯神社方面へ右折で向かうことも可能になる。建設は二〇〇六年から始まり、総事業費は約二十三億円。

  (羽物一隆)

219 とはずがたり :2013/09/20(金) 22:00:47

新中央道待望論者(笑)としては中央自動車道と中央新幹線と三遠南信道と中部横断道を重ねて描いてその現代的意義を検討したいところだけど,それは兎も角我が恥ずかしいコンテンツである新中央道妄想計画をそろそろ
>昭和34年に建設省が示していた「国土開発縦貫自動車道中央自動車道計画図」
手に入れてもっとまともなものにしないと(;´Д`)

2013.09.20 Friday
ヨッキれん
中央自動車道と中央新幹線。
http://yamaiga.jugem.jp/?eid=85

220 とはずがたり :2013/09/20(金) 22:52:30
ケンセツ的視点
南アルプスを越えられなかった中央自動車道
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/column/20101224/544889/
2010/12/28

 国土交通省の交通政策審議会で、JR東海が計画しているリニア新幹線のルートが南アルプス経由に内定した。あてが外れたのは長野県。1989年以来、迂回(うかい)しても経済効果が見込めるとの理由で、対案の伊那谷ルートを推進してきた。これが覆った。

 逆に、いったん南アルプス経由と決まったものの、後に伊那谷経由へと覆ったのが中央自動車道だ。ルート変更を巡る逆転劇があったのは半世紀前のこと。当時の記録が山梨県身延町の「身延町誌」や国会会議録検索システムなどに載っている。歴史を少し振り返ってみよう。

1957年の国会で建設法が成立
 敗戦からの復興期、交通網整備の必要性が叫ばれた。国土を貫く高速道路を通して新たな都市と農村の建設を促進する法律「国土開発縦貫自動車道建設法」が1957年(昭和32年)の国会で成立した。超党派による議員立法だ。

 中央道の建設計画は同法に基づいている。ルートは途中、静岡市北部の南アルプスを東西に貫く。経由地は、次のように決まった。

中央自動車道の当初予定ルートと迂回ルート (資料:山梨県身延町「身延町誌」)

中央自動車道の当初予定ルートと迂回ルート (資料:山梨県身延町「身延町誌」)
東京都−相模原市緑区(当時は相模湖町)−山梨県富士吉田市−静岡市葵区(当時は井川村)−長野県飯田市−岐阜県中津川市−愛知県小牧市−岐阜県大垣市−滋賀県大津市−京都市−大阪府吹田市  ※経由地はすべて記載地付近を指す

 東京と大阪を結ぶ高速道については当時、東海道経由にすべきか南アルプス経由にすべきか、国会でも意見が分かれていた。

 順当に計画すれば、東海道経由となっただろう。江戸時代に街道が整備され沿線人口も多い。南アルプスを経由する案は、実業家・政治家だった田中清一(1892−1973年)が1947年に日本政府に提出した計画を踏襲したものだ。田中は南アルプス経由であれば農地や市街地をつぶさずにすみ、林業や鉱業の発展にもつながると主張した。

 一方、財界人の松永安左エ門(1875−1971年)が主宰する私設シンクタンク「産業計画会議」が1958年、東海道経由の高速道建設を政府に提案した。中央道と比べて多くの利用が見込めるだけでなく、険しい山岳部を通らないことから建設費が安いなどのメリットを挙げた。

 1960年には、中央道とは別に東海道経由で高速道路の建設するための「東海道幹線自動車国道建設法」が成立。名神高速は65年に、東名高速は69年に全線開通した。

221 とはずがたり :2013/09/20(金) 22:53:30

総会で委員長が突如、迂回ルートを提案
 曲折がありながらも南アルプス経由で決まった中央道の建設計画。これが覆る出来事が、1963年に起きた。

 中央道の早期着工・完成を推進するため、関係する自治体の首長などが「中央自動車道建設推進委員会」を構成していた。委員会が63年5月17日に開催した第6回総会でのことだ。長野県出身の国会議員でもあった委員長の青木一男(1889−1982年)が突如、ルートを北回りに変更する方針を明らかにした。独自の考え方として南アルプスを通らず甲府・諏訪を経由する迂回ルートだった。

突如、提案された北回り案。約60kmの迂回となる (資料:山梨県身延町「身延町誌」)

突如、提案された北回り案。約60kmの迂回となる (資料:山梨県身延町「身延町誌」)
 既に東名・名神高速の建設が進んでいた。完成すれば、中央道の「東京−大阪を結ぶ大動脈」という建設意義が薄れる。青木は、中央道の建設に当たっては工事費をいかに抑えるかが重要な要素になると唱えた。南アルプス経由は建設費が高かった。

 青木の意見に対して、山梨県の塩山(現・甲州市)市長や韮崎市長、長野県の駒ケ根市長など、ルート変更で新たに経由地となる自治体の首長が次々に賛成した。ただ一人反対したのが、当初案なら経由地となる身延町で町長を務めていた佐野為雄(1902−1972年)だ。山梨県知事が佐野に対し一般道整備などの見返りを提示し、説き伏せる形で総会を終えた。

 佐野は静岡県井川村を交えた周辺町村、あるいは国会議員を巻き込んで反対運動を展開した。しかし、覆った案を元に戻すことはできなかった。

 翌64年、当時の建設省の建設審議会がルート変更を決定した。6月9日に開かれた参議院建設委員会では、佐野が参考人としてルート変更に反対を訴える。しかし、委員会も本会議も変更案を可決した。

 建設委員会の議事録では後の委員長、田中一(1901−1989年)の積極的な発言が目立つ。「寝耳に水」だった佐野を前に、心情に配慮すると同時に、ルート変更の交換条件を提示してはどうかと勧めている。

222 とはずがたり :2013/09/20(金) 22:53:49
>>220-222
先行開業した富士吉田線が本線のはずだった

 情勢の急変をよそに、東京−富士吉田の区間は高井戸IC(インターチェンジ)−河口湖ICとして、既に工事が進んでいた。中央道として最も早く69年までに、都心部を除いて完成。うち大月JCT(ジャンクション)−河口湖ICの区間は、ルート変更後、中央道富士吉田線と名称を変えた。

 甲府・諏訪経由の新たな本線は、全線開通が1982年までずれ込んだ。山梨県内では、甲府市街地の北を通すか南を通すかで意見が分かれ、勝沼IC−甲府昭和ICが最後の開通区間となった。結局、南部を経由した。

 それにしても、変更案が突如示された63年の総会は何だったのか。ルート変更で利益を得る側が水面下で調整を図ったのだろうか。

 ひるがえってリニア新幹線のルート問題。中央道建設における意見の対立と似た構図が今、生じている。2つ以上のルートが候補となれば、経由地同士で誘致合戦になるのは、ある意味では当然といえる。しかし、国家的なプロジェクトでは大局に立った判断が必要だ。

 ルートの問題は、その交通手段が存在し続ける間ずっと経由地に影響を与える。中央道での経験をリニア新幹線にも生かしていくことが求められる。

※文中敬称略

223 とはずがたり :2013/09/20(金) 23:02:09
法律を枉げて北回りが実現した点,リニアに関して京都府は参考に出来るかも知れない♪
関西連合総力を挙げて荒井利権土建自民系知事の失点に繋げて欲しいところww

224 とはずがたり :2013/10/19(土) 21:56:29
中畑町(名阪国道五ヶ庄IC付近)〜福住の未通県道を山行が♪
随分経ってやっとBP部画像うp(;´Д`)
廃道と未成道のコンボと云いたいところだが,廃道部分は文字通りの踏み込み不足。。(´・ω・`)
いつか再挑戦したい。

奈良県道187号福住上三橋線

県(険)道部篇
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r187-000.html#3-1
BP未成道篇
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r187-000.html#3-3

参考
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1178710048/142-144

225 とはずがたり :2013/10/19(土) 21:59:17
>>224
×五ヶ庄
○五ヶ谷

227 荷主研究者 :2013/10/27(日) 13:50:54

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20131017/CK2013101702000096.html
2013年10月17日 中日新聞
台風26号 焼津で県道陥没、通行止め

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013101702100036_size0.jpg

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013101702100035_size0.jpg
台風26号の影響で大きく亀裂が入った県道静岡焼津線=16日、焼津市浜当目で

 台風26号の影響で、焼津市浜当目の大崩(おおくずれ)海岸沿いを通る県道静岡焼津線が一部陥没し、通行止めとなった。県道脇の同市元小浜(もとおばま)地区から市中心部へ向かうルートが寸断され、住民はいったん静岡市へ北上してから国道150号で焼津市へ戻る大回りを余儀なくされる。復旧の見通しは立っておらず、市は小中学生をタクシーで送迎するなどの対策を決めた。

 市によると、県道は幅六メートルで片側一車線。長さ五十メートルにわたって亀裂が入ったり陥没したりして損壊、土砂崩れの恐れもある。元小浜地区には小学生から九十代まで十八世帯六十九人が住む。市街地にある東益津小に通う児童三人と東益津中に通う生徒三人の通学用に、市は一人一台ずつタクシーを手配する。

 火災や救急救助に備えて、静岡市の石田消防署や同署用宗出張所に緊急時の出動を要請。焼津消防署から出動する通常時と到着の時間差がないようにする。ごみやし尿の収集は焼津市の収集車が静岡市を通って向かう。

 通行止めは、焼津市浜当目の当目トンネルと、同市小浜のたけのこ岩トンネル間。

228 とはずがたり :2013/11/20(水) 16:33:22
>田村市の都路、常葉、船引の3地区を分ける国境の山
鎌倉岳はここ
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.41.32.250N37.27.49.361&amp;ZM=8

ルポ・福島:鎌倉岳の空間放射線量 「全般に3、4割低下」 山頂直下「測定不能」から7マイクロシーベルトに /福島
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20131104ddlk07040145000c.html
毎日新聞 2013年11月04日 地方版

 阿武隈のやまなみにそそり立つ花こう岩の麗峰、鎌倉岳(標高967メートル)。田村市の都路、常葉、船引の3地区を分ける国境の山は福島第1原発の西30キロにあるが、より原発に近い都路東部の山々よりも空間放射線量がはるかに高い。事故後、線量はどれほど落ちたのか。先月31日、2年ぶりの計測に同行した。【藤原章生】

 常葉地区から国道288号を浜通り、都路方面へ走ると、天を突くような岩峰が現れる。鎌倉岳は古くから山岳信仰の対象で、1985年発行の「都路村史」にこうある。9世紀初頭、嵯峨天皇の時代、長い干ばつから東国を救うため「大徳峰宇という老婆が薬師尊像を背負って現れ」、村人と鎌倉岳で雨乞いし、恵みの雨をもたらした。そんな伝承からか、戦国時代には相馬、岩城、三春領による領有をめぐる「山争い」の中心の峰でもあった。

 今回ともに歩いたのは、11年10月から延べ約150の県内の山で放射線量を調べてきた山岳会、福島登高会の和泉功さん(64)。和泉さんが前回登ったのは11年11月30日。その直後に登った郡山勤労者山岳会の結果を合わせると、標高740メートルの登山道で線量が毎時5マイクロシーベルトを超え、頂上直下では上限10マイクロシーベルトの線量計が「測定不能」となった。

 測定は、前回と同じ堀場製作所製のPA-1100を使い、同じ場所で地上1メートルの線量を5回調べ平均を出す同じ方法をとった。

 朝9時過ぎ、国道を北にそれ、標高540メートルの萩平から歩き出した。市の除染が済んだ駐車場の線量は0・3マイクロシーベルトだが、登山口に向かう林道に入ると1を超えた。事故前まで県外のツアー客が訪れた登山道は腐葉土や倒木で覆われ、入山者はほとんどいない。

 南東斜面に入ると線量は急上昇し、前回5マイクロシーベルト超だった標高740メートルのヒノキ林で4マイクロシーベルト。過去2年の減少率は2割ほどだ。標高890メートルでは、0・4マイクロシーベルトと約半分に下がっていた。和泉さんが「ここはかなり落ちている」と声を上げた。

 頂上は風雨にさらされるせいか前回も低く0・6マイクロシーベルトほどで、今回は0・3マイクロシーベルト。「山を測る度に下がっているのを見るのが楽しみ。今回も全般で3、4割落ちている感じです」と話す和泉さんだが、喜びもつかの間、頂上から5メートルほど下りた南東面の小尾根で一気に7マイクロシーベルトに達した。2年前、「測定不能」だった地点だ。周囲を測ると尾根上の木陰4メートル四方ほどが満遍なく5-7マイクロシーベルトで、狭いスポットだけが高いわけではない。

 下山後、測り忘れていた登山口を測ると、前回より3割ほど高い。「2年前はコンクリートの地面でしたが、今は腐葉土に覆われているから上がったのでしょうか。この山に限らず沢沿いは結構上がっていますね」と和泉さん。人の踏み跡のない林道にはイノシシの鼻と足の跡が幾つも残っていた。

229 とはずがたり :2014/01/04(土) 19:43:26

にぬけんの懇願を受け緊急整備してやった♪(・∀・)v

ttp://tohazugatali.iza-yoi.net/shin-tomei/shin-tomei.html#fuji
(都)富士インター線+r88一色久沢線
(都)本市場大渕線+r72富士白糸滝公園線
r24富士裾野線BP

辺りの未成道てんこ盛りだから此処に♪

230 とはずがたり :2014/01/11(土) 17:51:56

軍艦島の世界遺産推薦、地元・長崎はなぜ落胆?経済優先の国の思惑に翻弄、多額財政負担も
http://biz-journal.jp/2013/12/post_3712.html
2013.12.27

231 とはずがたり :2014/01/24(金) 10:32:44

所有者が確定せず宙ぶらりんだそうな。
「暗い蛍光灯」って蛍光灯の電気代を負担している人は誰なん?←これは盗電でも無い限り瞬間で判明する筈
アンカーボルトでトンネル補修したのは誰なんだ?
京急バスが転回の為に使ってるようなんでその辺が負担しているのかな?
小柴トンネルとでもして現役隧道として再生することを祈る♪

隧道レポート 横浜市の柴燃料隧道(仮称)
http://yamaiga.com/tunnel/shiba/main.html

小柴の“放置”トンネル問題:さびた看板、暗い蛍光灯、一年中水漏れ… 「どこに補修頼めば…」周辺住民困惑
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1401040014/
2014年1月5日

 シーサイドライン「海の公園柴口駅」(横浜市金沢区)から徒歩で15分足らず。住宅街を曲がると、そのトンネルは現れる。名前の表示は何もない。入り口近くには、バス停とベンチが置かれている。

 十数メートルおきに蛍光灯が設置されているものの、日中でもトンネル内は暗い。足元を確認しながら、両脇の側溝に落ちないようゆっくりと進む。

 道路脇には、さびてぼろぼろになった工事用のバリケード看板。突然ごう音がトンネル内に響き、振り返るとバスが1台、走ってくるのが見えた。端に立ち止まってやり過ごす。トンネルを抜けるとちょっとした広場になっており、左手に3軒の住宅がある。正面には閉鎖された貯油施設のゲートがあり、右手にはUターンして停車したバスが止まっていた。

 「ちょっと暗すぎるよね」。住宅に住む男性(72)は苦笑いを浮かべ、トンネルの方に目をやった。転居してきてから18年。今のところ大きな不便や危険は感じていないが、少なからず不満はある。

 たびたびあるごみの不法投棄を防ごうと、トンネル内の側溝に沿ってバリケード看板が設けられているが、今はさびて“新たなごみ”状態に。トンネル内の照明は、以前は水銀灯で明るかったが、今は電気代の節約のため蛍光灯となり「暗い」。家の前の道には大きなくぼみがあるが、「どこに補修を頼めばいいのか分からない」。

 トンネルには、ひびが入っている箇所もある。男性は「一年中水漏れしている部分もあり、コンクリートの劣化も心配。まだまだ住み続けたいので、早く所有者を確定してきちんと補修してほしい」と切実だ。

 市の担当者は「安全性や構造上問題があるかどうかは分からないが、詳細に調査する必要があるだろう」と話している。

 住民だけでなく、近隣の農地所有者からも早期解決を求める声が上がっている。施設周辺の山林や農地を対象にした「柴土地改良区事業」は1991年度にスタート。換地などは2006年までに終わらせたが、トンネルの権利設定が確定されていないことから改良区内の道路をトンネルに接続できないなど、課題が残り、事業を完了できない状態が続いている。

 改良区の小山収一理事長(76)は「本来ならとっくに終わっている事業。軍が造ったのだから国がきちんと管理すべき。結局一番迷惑するのは市民だ」と憤る。

232 とはずがたり :2014/01/24(金) 10:33:41
>>231-232
そのうち消えるであろう記事の保存を兼ねて投下。

>国側は「国有財産台帳に載っていないので知らない」として、議論は平行線だったという。
無責任なw
如何にもお役所(;´Д`)

小柴の“放置”トンネル問題:所有者不明解決へ協議、笹子崩落受け市と国が本腰へ
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1401040013/
2014年1月5日

 旧小柴貯油施設(横浜市金沢区)の南側に、施設のゲートと住宅街をつなぐ1本のトンネルがある。70年以上前に旧日本軍が造ったものだが、戦後の手続きから漏れたため、国にも市にも台帳に記載されておらず、「所有者不明」の状態という。しかし、トンネル崩落事故などを受け、ようやく国と市が本格的な協議に乗り出した。市基地対策課は「解決に向け、国と話し合っている。早めに管理主体をはっきりさせたい」と話している。

 市基地対策課によると、トンネルは旧日本軍が土地を強制収用して掘削し、1939年に完成。第2次大戦後、貯油施設は米軍に接収されたがトンネル部分は権利設定がなされず、宙に浮いたまま約70年が経過した。

 トンネルは高さ約5メートル、幅約7メートル、長さ約180メートル。住宅街とゲートをつないでいる。現在はゲートが閉じられているため行き止まりとなっており、もっぱら施設横の3軒の民家の生活道路や路線バスの転回用に使われている。

 トンネルについて、同課は「以前から存在を認識していた。国に『旧日本軍が造ったものなのだから国が管理すべき』と申し入れたこともある」と説明。しかし、国側は「国有財産台帳に載っていないので知らない」として、議論は平行線だったという。

 転換点となったのは、2012年12月に山梨県で起きた「笹子トンネル事故」。事故を踏まえ、自民党の藤代哲夫氏や高橋徳美氏が市会で、このトンネルの管理について取り上げたことで、市も国との協議に本腰を入れ始めた。市によると、国側にも従来の主張から変化が見え始めているといい、「お互いに前向きに解決に取り組んでいる」(同課担当者)。財務省関東財務局横浜財務事務所の担当者も「軍が設置した事実はあるので、台帳に載ってないから『分からない』というわけにはいかない。国としても解決に向けて市と協議している」と話す。

 05年に米軍から返還された旧小柴貯油施設は現在、都市公園としての利用に向けて市が基本計画を策定中。トンネルも出入り口の一つとして活用したい考えだが、所有権が不明なままでは計画に組み込めないという。

 市緑地保全推進課は「(トンネルを)使えるに越したことはない。協議の推移を見守り、結果を踏まえて弾力的に考えたい」と話している。

233 荷主研究者 :2014/02/23(日) 19:19:26
>>231-232
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1402120019/
2014年2月13日 神奈川新聞
金沢区・小柴の“放置トンネル”、安全調査へ/横浜

 戦後の手続きから漏れたため、「所有者不明」の状態となっている旧小柴貯油施設(横浜市金沢区)南側のトンネルについて、財務省関東財務局横浜財務事務所がトンネルを国の所有物とした上で安全性の確認を行い、最終的に市に所有権を移管する方針であることが12日、分かった。

 同事務所や市によると、トンネルは旧日本軍が土地を強制収用して掘削し1939年に完成。終戦後、貯油施設は米軍に接収されたがトンネル部分は権利設定がなされず、宙に浮いたまま約70年が経過。市と国は近年のトンネル崩落事故などを受け、所有権や安全確認などについて本格的な協議を進めていた。

 同事務所は、旧日本軍が造った事実を踏まえ、トンネルは国の所有物であると判断。その上で、構造や安全性に関する詳細調査を2014年度に実施する方向で調整しているという。担当者は「調査費の予算要求が通れば、今夏前には調査を始めたい」と話している。

 安全性が確認できれば、最終的には市に所有権を移管する考え。市の担当者は「長年の懸案事項がようやく動きだした。課題解決に向け、さらに協議を進めていきたい」と話している。

234 とはずがたり :2014/04/01(火) 16:44:03
未成道(に近い?)

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1178710048/209-211

209 :とはずがたり:2014/03/21(金) 15:35:27

なんだこれ?この道路は府立公園の管理道路として一般車の進入は出来ない箇所
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.34.312N34.39.43.511&amp;ZM=10
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.34.312N34.39.43.511&amp;ZM=12

210 :名無しさん:2014/03/24(月) 09:03:54
一番最後のは、
東大阪市らくらく登山道といって、かつては髪切(こうぎり)自動車道として整備しようとしたところらしいです

211 :とはずがたり:2014/04/01(火) 16:17:55
>>210
有り難うございます。調べてみました。

らくらく登山道コース | 東大阪市
http://www.city.higashiosaka.lg.jp/0000007206.html
らくらく登山道案内図
http://osaka-midori.jp/mori/pdf/raku_map.pdf

235 とはずがたり :2014/04/02(水) 19:35:15

ヨッキがなかなか続き書かないので先走って調べてしまった。
未体験風景はなんやろなー。
5:39辺り川の中走ってる?

和歌山樫山小匠林道「通称コウダクミ」に行ってきました。
https://www.youtube.com/watch?v=Qamm0lZD3Y8

TSURUGIpassB1 年前
4:00のとこ、えぐいなあ。4輪じゃ無理そうですね。

crazykids19841 年前返信先: TSURUGIpassB
コメントありがとうございます。足場のようなものが2、3枚かけてあるだけで幅が60〜70cmくらいしかなかったです。他のところも2mくらいしかないタイトな道なのでオススメできません。

林道への案内板
樫山小匠線
取材日 : 2002-06-02
http://www.rindo21.com/kansai_minami/wakayama_natikatuura/wakayama_kasiyamakotakumi/

樫山小匠線 (和歌山県太地町)
http://dts3800.blog117.fc2.com/blog-entry-18.html

樫山小匠線は、和歌山県那智勝浦町にある林道である。
僕の持っているツーリングマップル関西2004年版には、通行可能な未舗装路として
オレンジ色の点線で図示されていたが、 2010年版ではオレンジ色表示ではなく
普通の点線(徒歩道)で表示されている。
これから説明するように、路面状態よくないため通行不可能な道路として改訂されてしまったんだろう。
樫山小匠線へのアプローチは、国道42号から那智勝浦町下里にて県道45号に入り
県道234号を経て小匠ダムに到着し、ここから林道探索をスタートした。
なお、ネットで調べてみたが樫山小匠線の起点・終点は不明であった。

236 とはずがたり :2014/04/02(水) 20:36:23
記事の写真に付された説明書きだとトンネルの御前崎側は土砂で埋まっているとのこと。
写真取り込もうと思ったけど面倒なんでこのまま投下。

2014年3月14日版
郷土新聞(掛川)
「オット」に思いを馳せて
菊川歴史くらぶが現地調査と草刈り実施
今も残る佐栗谷トンネル
公園化など保存を目指す

大正13年から昭和10年(1924-35)までおよそ11年にわたり,現在の菊川市堀之内─御前崎市池新田間14.8キロを結んで多くの人や荷物を運んだ日本初のディーゼル機関車「オット」。その歴史を掘り起こそうと今月1日,当時の面影を残す貴重な遺構「佐栗谷トンネル」の調査が,地元の歴史愛好家たちによって行われた。

ディーゼル機関車のオットは,堀之内と南山(現菊川市高橋)を結んでいた「堀之内軌道」が池新田まで延長することになったのを機会に,1899年(明治32年)の開業以来,客車や貨車を引いてきた馬に代わって導入された。

その当時から普及し始めていた製茶機会の動力源である発動機に着目した同社が,ドイツで開発されたディーゼルエンジン式機関車を国内で初めて採用したもので,茶どころならではの発想が産んだ新時代を切り開く試みだったと言える。

堀之内─池新田間を1時間余で走ったオットだが,ほぼ平坦な沿線中,唯一勾配に悩まされたのが,菊川と御前崎の市境にある「佐栗谷トンネル」だ。時には車掌がレールに砂をまき,それでも登らない場合は乗客が後押しをすることもあったという。

そんなオットにとって最大の難所だった同トンネルが,廃業から80年が経過しオット関連の遺構がほぼ無くなってしまった今も当時の面影をそのままに現存していることから,菊川市文化協会所属の「菊川歴史くらぶ」=すずき麗華代表=では1日,メンバー約25人が現地を訪れて,生い茂った草の伐採や見学調査を行った。

トンネルの菊川口に集まった参加メンバーは,草刈りに続き入口付近に堆積した土砂を掻き出して,中にたまった雨水を排水た後,講師に招いた御前崎市議で古い鉄道の研究をしている阿形昭さんとともに内部に足を踏み入れた。計測の結果,高さ2.9㍍,幅3㍍,長さは93.3㍍。菊川側入口から約7㍍と御前崎側入口から約25㍍はレンガ造りで,中には防空壕と思われる横穴2本が掘られていた。

廃線となった当時のまま放置されている同トンネルだが,特に破損している箇所は見られず,赤レンガの色合いも保たれている。調査を終えたすずき代表は「人目につかず荒れ放題になっているが,きちんと手を掛ければオットの歴史を伝える貴重な遺構になる。同じレンガ製建造物として,赤れんが倉庫と関連づけた価値の見出し方もおもしろい」と話し,公園化整備の可能性を探っていきたい意向を示した。

237 とはずがたり :2014/04/22(火) 08:07:04

2014年04月21日20:00
廃村に行ってきたからうpしてく
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4662944.html

239 とはずがたり :2014/05/25(日) 11:47:44
良い雰囲気ですな〜♪香川の宮脇と云えば俊三だけどそういう苗字おおいのかな?

四国裏観光ガイド
祖谷のカテドラル、旧三縄発電所
宮脇慎太郎 [高松市] | 2014.2.03
http://459magazine.jp/journey/ura/7899/

240 とはずがたり :2014/06/04(水) 16:10:09
廃水路橋♪に廃水路隧道♪

大鳥居発電所(関電)から大戸川取水ダム 1
http://netishim.seesaa.net/article/229984999.html

241 とはずがたり :2014/06/09(月) 12:20:53
バススレが順当か?それともTouristスレが妥当か?

「車で登れる日本一高い峠」にバス 第1便に乗る
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0203F_T00C14A6000000/
2014/6/7 8:07日本経済新聞 電子版

 自動車で登れる日本で一番標高の高い峠はどこか。クイズの問題にもなりそうな峠は山梨県と長野県の県境にある標高2365メートルの大弛(おおだるみ)峠だ。6月1日から、この峠に定期バス(一部区間は乗り合いタクシー)が乗り入れを始めた(予約制)というので、さっそく電話で予約して行ってみた。

 6月1日朝。JR塩山駅(山梨県甲州市)北口から西へ150メートル離れた駐車場に栄和交通(笛吹市)のバスが待っていた…

大弛峠(標高2,365m)および大弛小屋
http://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/sight/climb/others/oodarumi.html

242 とはずがたり :2014/06/10(火) 11:35:35

良い味出してるなぁ♪

銚子川第一発電所を探して
http://blogs.yahoo.co.jp/dam_suiryokuhatuden/11439477.html

243 とはずがたり :2014/06/17(火) 10:05:15
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪シリーズ

秩父鉱山はニッチツの保有する鉱山http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070723570/1310。規模縮小しつつ現在も石灰石を採取している。2006年に無住の地(OBが一人だけ住む)となったそうな。
皆,クルマで通勤出来る様になったと云う訳か?

それにしても凄い場所だなぁ。。西関東のどん詰まりという表現しか思い浮かばない。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.48.36.397N36.0.46.176&amp;ZM=7
三峰口迄索道って!?と云う距離である。。。

秩父鉱山 2007.10.20
http://www.kanso.cside.com/neko_tabi/mine/chichibu/chichibu.htm

秩父鉱山は現在も稼動中であり、株式会社ニッチツが石灰を掘っている。
ダンプもひっきりなしに通る為、業務の邪魔にならぬように注意する必要がある。
こちらの方は秩父鉱山の小倉沢中学校出身の方で、今もその伝統・歴史を伝えようとされている方である。
心より敬意を表したい。
今回は稼動中の鉱山ということもあり、施設へ近づいて撮影はしていない。鉱山街の廃墟写真が中心となっている。

秩父鉱山は戦国時代、甲斐武田氏が採掘したのが始まりと伝えられている。
江戸期には平賀源内も金を求めて入山した。
1937年よりニッチツが柳瀬鉱業所より鉱山を買収し大規模に採掘を始めた。
金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄が採掘されたようだ。
1978年に採算が合わずに金属採掘を止め、以降大幅に規模を縮小し現在も石灰・珪砂のみを採掘している。
これにより埼玉県の金属鉱山は消滅した。

最盛期には標高860mの山中であるのにも関わらず2000人を越える人口を誇り、
ニッチツの用意した共同浴場・社宅・病院・学校・商店も完備、郵便局も存在した。
尚、郵便局は関東で最も到達困難な場所にある郵便局であり、郵政民営化の際にも廃局にならずに存続が決まった。

2006年9月には鉱山街から人が去り、遂に無住の地となった。
現在ではニッチツ事務所の裏にOBの方が犬と独り住んでいるだけであり、小倉沢は人口一人となった。
鉱山街はすでに自然に帰りつつある。
栄華を誇った秩父鉱山の今の姿をお伝えしたい。

244 とはずがたり :2014/08/07(木) 19:46:15
見るだけで行った気になれる、東京近郊・車で日帰り登山動画&秘境散歩動画 せんてんすくらぶ.net
http://xn--y8jtaf8b0e7ewcb.net/

サイト管理人の生態
http://xn--y8jtaf8b0e7ewcb.net/prof.htm

ハンドルネーム:せんてんす (サイト名と同じです)…というか、ハンドルネームをサイト名にしているだけ。。。
発生地:東京湾で、ボウフラが突然変異…!?
発生年:花のサンパチ。同年代は、仮免横綱・双羽黒…(゚゚;)エエッ
性格:超硬派で、まじめなんだが、ふざけている二重人格…!?
生態1:色々あったが、今は独身(子孫無し)。決して、 ホモではないし、風俗遊びもしない…ひたすら山の中へ…(*^_^*)
生態2:炊事洗濯、何でもOK♪ 外食が苦手…(^o^;)
生態3:節約の鬼!1ヶ月の食費は1日3食で1万円ちょい! とにかく、節約節約♪ 要は、貧乏ね…(/--)/
趣味1:車が唯一の自己資産…(^o^;) 簡易キャンピングカー仕様!今回が、2代目のキャンパー♪(^o^)v
趣味2:独学で覚えた、パソコンも趣味。 HPも、専用ソフトは買わず、メモ帳とフリーソフトで作成♪ヘ(^o^)/

245 とはずがたり :2014/08/07(木) 20:00:23

子連れの林道部,いいね♪

神奈川県道515号三井相模湖線 【最険狭道】
https://www.youtube.com/watch?v=vw3FQbNasRg

通行禁止区間があるが踏破はせずその両側のレポ

神奈川険道515号線
神奈川県相模湖町〜津久井町
2005・12・31来訪
http://www.geocities.jp/wxfff590/kanagawakenndou515.html

r515はやまいがでも取り上げられている。勿論踏破♪

神奈川県道515号 一般県道 三井相模湖線
http://yamaiga.com/road/kpr515/main.html

>>244のせんてんす氏の踏破動画

進化した神奈川県道515号・廃道区間踏破1/4@神奈川県相模原市緑区
https://www.youtube.com/watch?v=5FnVayw4ws8

246 とはずがたり :2014/08/08(金) 09:57:13
>>54-56
山崎峠と三安鉱山は大峠と八谷鉱山に似ている。
前者は鉱山は宮城側にあるけど搬出は福島県側で鉱山は閉山,結局宮城県側は廃道化。後者は鉱山は山形側にあるけど搬出はやはり福島県側からで,現在鉱山は閉山,結局山形側が廃道化,である。
となればさしずめr107はR121旧道で,R121新道はr46(規格は全然違うけど)ってとこか。

wikiに拠ると1943頃閉山となっているので,戦後,鉱山開発の目的もあって県道整備してみたけど結局再開には至らなかったと云う感じではなかろうか?

山崎峠(宮城福島県道107号赤井畑国見線)
http://www.henari1.jp/H-6-001-A.htm


なんだこのマークは!?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.32.49.991N37.53.51.161&amp;ZM=9

廃道日記(Riding・Report)001-3(>>54から移転している)
http://dtm-rt.o.oo7.jp/3.dtm/6.ObRoad-Diary/project-2/001.kendou107/hido_deta2.html
考  察
〜鉱山の隆盛と七里沢隧道の放棄〜

 宮城県によれば今後もこの険道を正式な県道にする予定はなく、宮城県側の隧道及び接続道路は崩壊及び閉塞を持ってその人生を終える事となりそうである。隣にある県道46号線(小坂峠)で代用は十分に果たせるし、今後、飛躍的に交通量が増える予定もないからだ。
 隧道の竣工は「山形の廃道」様(http://www42.tok2.com/home/ht990/ )「全国隧道リスト」によると昭和28年である。当時、全長100m/幅3.2m(コンクリート改修部分の幅が記録されている。初期の素堀隧道の貫通・竣工は記録に無い。当然、中央アーチ部は幅2.5m程度しかない)の隧道を掘るのは大変な金額と労力を要したはずだ。因みに昭和11年の、宮城県内での地方費道路線認定(県道指定/準備)路線としては、ダントツに早く竣工している。これは昭和27年に一級国道4号/6号線が認定を受けた翌年に、隧道は竣工している事を意味する。(あの状態で、竣工というのも?)

そこでクローズアップされるのは七里沢鉱山の存在である。紫水晶や銅(亜鉛という資料もある)を産出する鉱山の最盛期は戦前・戦中であり、戦時中は鉱物は総て軍需産業に転用されただろう。実は当時の鉱山の廃墟がまだ残って(いる。…)面白いのは、この鉱山は独特のねじれ現象に徹頭徹尾振り回されたのだ、県境という立地条件故に。
 宮城県に在籍する鉱山「三安鉱山」は宮城の会社が運営し、主だった運営や労働者も宮城からが多かったようであるが、交通の地の利から掘り出した鉱石は福島に運び出され、東北本線藤田駅から各地に運ばれたのだ。

ここからは、全くの予想である。
 宮城県としては、昭和27年の道路新法による国道113号線の認定・整備(実際には28年)と共に、鉱石を宮城側に降ろす計画を立てていたのでは無いだろうか?すでに主立った関係者は宮城から出ているのだ。地元に対するその経済効果は計り知れないだろう。自動車の普及を見越して、国道開発に連動した県道延伸と考えるとつじつまが合う。そう考えると、途中から抗口を広げようとした意図も判る気がするのだが。

 ただ、想定外だったのは七里沢鉱山の閉鎖である。理由は不明だが可能性があるのは、隧道の計画時期より思った以上に鉱脈が細かったのではないだろうか?大正から昭和の初めはは紫水晶の産地として有名だった鉱山だが、その後は水晶より銅を生産していたらしい。国内需要の大きさの割に七里沢鉱山の埋蔵量はなく、隧道は貫通したところで、鉱山ごと放棄されてしまったのではないだろうか?
 また、産出する鉱物の価値が下がって、鉱山経営が成り立たなくなった可能性もある。この周辺は三安鉱山以外でも幾つか掘っている(試掘)らしくて、その時期もバラバラなのである。因みに三安鉱山は戦時中に一度倒れていて、その当時でも千人程度の抗夫が働いていたらしい。国見からも出資があり、また倒れたという資料も、昭和18年と鉱山統制がかかるころで、国の指針で戦争に必要な鉱床以外は閉鎖に追い込まれているはずなのだ。(軍需産業などと書いておいて、紫水晶が何に加工されたか知らないんですけど、掘り出されてるのはやっぱ銅?)
 因みに、現時点では戦後に三安鉱山が再起したのか?最終的な鉱山の放棄時期などについては、文献を見つける事が出来なかった。

247 とはずがたり :2014/10/06(月) 11:26:43
廃物件発見!
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/r7/r7-00.html#ob

場所はここ
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.43.24.097N34.45.52.874&amp;ZM=11

残念ながら県道傍で人目があるし,錦秋湖みたいに広くない溜池は立ち入り禁止で有刺鉄線も貼られてるんでよっきにあの橋の上に立ってくれとはいいづらいw

249 とはずがたり :2014/11/01(土) 17:01:28
掛川スレで紹介したホムペ( http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/134http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/137 )だけどより本格的な中身っぽいのでこちらに。

(仮名)水窪地頭方第一隧道
http://d.hatena.ne.jp/cocora/searchdiary?word=%2A%5B%C5%B4%C6%BB%5D

250 とはずがたり :2014/11/01(土) 19:12:33
これはレアでは!?

廃止された県道(廃道では無い・県道そのものの格下げ)に眠る白塗りされたヘキサ!
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/138-139

251 とはずがたり :2014/11/01(土) 19:22:56
孔さ行がねが♪

2010-11-09
掛川市遊家 - 遊家隧道は存在するのか?
http://d.hatena.ne.jp/cocora/20101109/1289255118

252 とはずがたり :2014/11/01(土) 19:30:02
よっきは未だレポしてないのかな?早川町だから絶対行ってるよねw

2012-11-04
山梨県道37号線 - (旧)角瀬トンネル
http://d.hatena.ne.jp/cocora/20121104/1352042470

253 とはずがたり :2014/11/06(木) 15:54:32
【旧道倶楽部】
住道駅から近鉄八尾駅迄r21八尾枚方線の旧道(っぽい道)を辿ることが出来る

起点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.36.969N34.42.20.475&amp;ZM=10

(都)大阪生駒線との交点。
此処で大阪生駒線は一旦終わっている。俺が旧道に気付くきっかけとなった箇所。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.26.608N34.41.34.540&amp;ZM=9

現道との交叉部
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.1.585N34.40.51.019&amp;ZM=9

中央大通りとの交叉部である横枕交叉点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.40.384N34.40.31.445&amp;ZM=9

若江岩田駅の横
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.37.472N34.39.35.616&amp;ZM=9

再び現道との交叉
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.29.283N34.38.46.683&amp;ZM=9

萱振町2
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.29.385N34.38.1.894&amp;ZM=11
直ぐに八尾中央線から離脱

八尾中心街(旧市街?)
この辺迄一本道
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.6.995N34.37.36.416&amp;ZM=11

254 とはずがたり :2014/11/06(木) 16:09:10
【旧道倶楽部】
168の生駒市付近

起点(R168現道より分岐)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.41.57.563N34.44.25.458&amp;ZM=8
終点(R168(南田原BPが出来て旧道に成っている)へ合流)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.23.790N34.42.52.167&amp;ZM=9

で,昔はr142+r104経由だったと仮定して,更に
分岐擬定点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.41.59.545N34.42.6.354&amp;ZM=10
擬定旧道が明瞭に開始する点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.2.233N34.41.53.615&amp;ZM=10
市道13号との交叉点。昔はここ(13号線側)に稲蔵神社の鳥居があったそうな
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.19.067N34.41.35.046&amp;ZM=10
終点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.31.351N34.41.9.838&amp;ZM=10

壱分付近
旧道?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.38.796N34.40.23.297&amp;ZM=10

255 とはずがたり :2014/11/08(土) 08:58:04
>>250を見に行く途中,この辺,流された木の廃橋があった♪
まあ大した遺構ではないけど,河原で遊んでいる内に時間なくなり原田森線に辿り着けなかった(;´Д`)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.56.44.170N34.50.48.119&amp;ZM=8

256 とはずがたり :2014/12/15(月) 07:55:36
昨日決行。

R163から沈下橋を経由して入ってみてこの辺で断念
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.57.42.436N34.44.57.184&amp;ZM=8

r4から入ってみてこの発電所付近で断念
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.57.50.278N34.44.26.773&amp;ZM=8

257 とはずがたり :2015/01/05(月) 09:58:51
名豊道路の豊川為当IC〜蒲郡ICの欠環部の連絡にr368国坂峠から数年前に知らん間に無料化されていたr525三河湾ドライブウェイに入ってみた。

ここ(三河湾ドライブウェイから市道への連絡路)廃道になってた。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.15.38.589N34.51.2.301&amp;ZM=10

ここから三ヶ根側は通行止めになってた。特に表示にも気付かなかったのでいきなりの印象
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.13.43.773N34.51.56.593&amp;ZM=10

途中も枯れ葉が結構路側に溜まっていて荒れた印象。

それは兎も角通行止にやむなく岡崎の看板に从い山を降りる。R1に合流は名電山中付近であった。

258 とはずがたり :2015/01/16(金) 09:58:28
中央高速中部山岳ルートについて
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/3362-3363

この頁↓も更新しないと♪

妄想!新中央道
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html

妄想を完成させるには中部横断道の富士川との交叉部をはっきりさせないとあかんね。

259 とはずがたり :2015/01/16(金) 21:17:24
>>258
本邦(多分)ネット初公開♪
中央高速比較代替ルート道志線地図(`・ω・´)
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#doshi

またまた多分この縮尺ではネット初公開♪
中央高速,中部山岳貫通ルート地図(`・ω・´)
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#akaishi

いやあ萌えますねぇ,否,寧ろ燃えるわあ♪♪

260 とはずがたり :2015/01/16(金) 21:36:24
縦断図もアップ♪
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#juudanzu

261 とはずがたり :2015/01/18(日) 11:57:17
早川町のr810の終点(実際は起点)の雨畑から更に遡上した稲又から稲又谷を登り,青薙山の下を硯島トンネルで抜けて出てくる井川はこの辺,地名で云うと田代付近http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.11.57.938N35.21.49.458&amp;ZM=8と思われる。

因みにインターの接続道路は「調査報告書」に拠ると大井川ICに関しては県道井川静岡線となっているが,現在その様な路線は無い様で,井川地区へのアクセスする主要地方道はr60南アルプス公園線(昼居渡[R362に接続]〜小河内[東俣林道に接続]・1973年認定)とr27井川湖御幸線(大日峠北麓〜御幸通・1960年認定)である。両線を併せた様な静岡から井川を結んでいた県道が調査のあった昭和30年代前半(1960年前頃)にはあった様だが詳細は不明(現時点ではwikiで調べたのみだけど)。

更に大井川IC付近はそのr80ですらなくその先の一般車通行止め(法面等が大変不安定なため、ゲート管理をし一般車両の通行を禁止http://www.city.shizuoka.jp/deps/rindou/rindoutuukoukiseihigasimata.html )の東俣林道上である様だ。

下の東俣林道の「6.49キロ 畑薙橋を渡る。」付近であろうかと思われる。凄い何も無さそうな所だ。

我流かもしれないMTB整備と林道ツーリング
林道東俣線 (静岡県静岡市葵区)(その1)
http://dts3800.blog117.fc2.com/blog-entry-277.html
走行日 平成24年8月25日

262 とはずがたり :2015/01/18(日) 17:55:11
2014年10月25日(土) 15時46分掲載
秋の林道 JAF救助要請相次ぐ
秋の林道、深入り禁物 迷う、脱輪…JAFへの救助要請相次ぐ
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6136110

 各地の山が紅葉狩りやキノコ採りなどでにぎわう中、林道からの救助要請が日本自動車連盟(JAF)山形支部に相次いでいる。多くが道に迷ったり、脱輪したりしたとの内容だ。共通する原因は誰も知らない「穴場」を求めて深入りしたこと。林道は道幅が狭く、ガードレールがない区間も多いため、路肩から転落する危険性も高い。同支部は「通り抜けられるか事前に確認するのはもちろん、不安な場合は安易に入らないでほしい」としている。(山形新聞)

263 とはずがたり :2015/01/20(火) 10:45:34
【r35久坂中ノ畑小浜線・r23小浜朽木高島線・おにゅう峠】
おにゅう峠(滋賀県側では小入,福井県側では遠敷。)は俺も制覇済みだ。しかも後輩たぶらかして,しかも走り屋仕様のインテTypeRで♪(・∀・)←攻める峠の種類間違ってるww正直済まんかったm(_ _)m
で,上根来の記事を読んだ時は全然気付かんかったけど,なんだあんとき通った筈の集落じゃねーか!!r23の未通区間がおにゅう峠だと間違えて記憶してた。
r23と云い,r61の祖父谷峠とか限界集落解体論者の俺としても主要地方道としてちょいと開通させて欲しいとは思ってしまう。前者はR303,後者はR162が併走しているから全く問題ないんだけど。。

r35未通区間の脇にある上根来(かみねごり)集落はこんな所
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1066974699/4727-4728

■この道往けば
林道上根来線編
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/11993556.html
>正直、今回の訪問(実は仕事関係で来ることになった)は仲間が大勢いたこともあって、前回感じた恐怖を感じることはなかったです。←仕事で来れるなんて羨ましい(;´Д`)

>この林道が小浜から滋賀県に抜けることができる唯一の道です。
県境にはおにゅう峠(レポ未)という峠が控えていて、実は今回の探索の最大の目的はこいつだったのですが、あえなく土砂崩れ通行止め・・・。

福井県道35号久坂中ノ畑小浜線
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/12002102.html
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/GALLERY/show_image.html?id=12002102&amp;no=9

■おにゅう峠/滋賀県と福井県を繋ぐ絶景林道ツーリング
http://touge1000.com/touge/4939/

>ストレートに打ち付ける山風。左右に広がる絶景。見上げた山肌には、折り重なるガードレール。なんて気持ちのいい林道なんだ。おにゅう峠に至る林道小入谷線は、ツーリング冥利に尽きる尾根を通す峠道になっていた。

>この違和感を感じるほどの明るく清々しい小入谷林道を上り切ると、生まれて間もない「おにゅう峠」に到着した。路面には、くっきりと福井県と滋賀県との県境が表れている。滋賀県側の林道小入谷線は、舗装林道。一転、福井県側の林道上根来線は、ダート林道と国境が明確に分かる。

おにゅう峠・Pass Hunting NO.103

調査:2014/05/03(土)
峠名:おにゅう峠(おにゅうとうげ)
路線:林道小入谷線(朽村側)・林道上根来線(小浜市側)
所在:滋賀県高島郡朽木村小入谷∧福井県小浜市上根来
座標:35.38686,135.79185
標高:830m、路面:オンロード&オフロード

■おにゅう峠 林道小入谷線
http://www.asahi-net.or.jp/~tk6k-oowk/touge/touge_onyuu.html

■福井県道23号主要地方道小浜朽木高島線
山奥へ分け入る若狭のダート道
http://turkey.6.pro.tok2.com/fukui023.html
>柱をよく見てみますと池河内林道起点との銘板が貼ってありました。ここから先は林道になるようです。

>林道起点の銘板より振り返ります。r23は右を流れる松永川を渡り三番滝まで続いているようですがどこから分岐しているのかよくわかりませんでした。

↑地図ではこの辺。道なりが林道で県道は曲がるようだ。
上のブログの写真にも特に分岐道は写ってないので山道みたいなものかもしれない。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.49.50.018N35.25.50.238&amp;ZM=9

264 とはずがたり :2015/01/20(火) 12:04:08
これはずげえ。こんな所に災害復旧ということで高率で国費が投入されるのは我慢ならんな。
とっとと指定解除して廃道にすべきである(;´Д`)
集落跡の記述をみると歴史の重みも感じざるを得ないのであるけど。。

r10はr27とともに金沢から砺波へ出る主要地方道。r10は湯涌温泉,r27は医王山経由。r27の整備っぷりは素晴らしい。

【日本最凶険道】開かずの富山県道54号線@2013−OP
https://www.youtube.com/watch?v=NSrazCJSg20

富山県道54号福光上平線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9354%E5%8F%B7%E7%A6%8F%E5%85%89%E4%B8%8A%E5%B9%B3%E7%B7%9A
古くは塩硝街道とよばれ、五箇山で産出した塩硝を金沢まで運ぶ重要なルートであった。

沿線集落跡[編集]
刀利:刀利集落はダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1963年(昭和38年)に廃村。水没地東方山頂に刀利城跡があり、城主は宇野宗右衛門で佐々成政、前田利家に仕えたという。刀利は下刀利と上刀利に分かれ、現在の刀利山崎公園の直下、標高554mの丸山の南方に下刀利、700mほど上流に上刀利があった。上刀利には学校があった。
瀧谷:上刀利の更に上流にあった集落。ダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1962年(昭和37年)廃村。
中河内:刀利ダムからの水没は免れたが1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立南部小学校中河内分校・福光町立福光中学校中河内分校跡の石柱が立てられている。この地は江戸期には遊廓があり、「中河内で見たような女郎が、今朝は湯涌の町で見た」の小唄[1]が残されている。昭和初期まで、ここから赤堂(あかんどう)山、大倉山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった[2]。
下小屋:猿ヶ山西麓にあった集落。中河内と同様、刀利ダムからの水没は免れたものの、1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立太美山小学校下小屋分校跡の石柱が立てられている。昭和初期まで、ここから月ヶ原山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった。1821年(文政4年)8月測量の『三洲測量図籍』[3]によると、「下古屋」とある。

気になったので逝ってみた。←女性あ8あいだオブローダーの方みたいだ♪
富山県道54号
http://www.geocities.jp/classicmegu/kiniikir54.html

平成9年頃は乗用車でも通り抜けれたのですが、今は完璧に四輪を阻む体勢。
東海北陸自動車道が併走して開通した事もあり、
後は放置&廃道の一途を辿っています。
ヘタレなおばちゃんですので、こういった道は徒歩と逝きたいワケですが
距離が長いしブナオ峠ってのを越えなくちゃあかんので、体力的に無理と悟り
レイドでおっかなびっくりの突撃となったのです。

使用車TT250Rレイド 2006.6.11探索

265 とはずがたり :2015/01/23(金) 13:04:30
>>97-98>>219-223>>258-261
JSCEは日本土木学会。

2013年7月31日水曜日
第6回 元本四公団総裁 山根孟さん(後編)
http://blogs.jsce.jp/2013/08/6.html

■東条英機に却下された高速道路計画
山岡 … そもそも、高速道路の構想は、戦前まで遡るのですね?

山根 はい。高速道路建設の基礎調査が初めて、正式に行なわれたのは1940(昭和15)年〜1942(昭和17)年です。当時の内務省土木局が「重要道路整備調査」の一環として行なっています。民間でも同じ年に「東京〜下関間幹線道路建設促進同盟」が誕生し、「弾丸道路」という呼び名で高速道路への関心が高まりました。当時、ドイツでヒトラーが進めていたアウトバーンの高速道路網建設に刺激されたのです。…

山岡 政治を牛耳っていた軍部は、高速道路の建設に前向きだったのでしょうか。

山根 それにはエピソードがあります。内務省土木局は、「全国自動車国道網計画(5,490km)」をまとめます。その最優先区間として東京〜神戸をあげ、このうち名古屋から神戸間を緊急区間として実施計画を策定しております。名古屋〜大阪間は「木津川ルート」(いわゆる名阪国道)の計画です。この名古屋〜神戸間の高速道路建設費を2億円と概算し、予算要求を行なうことになりました。
それで、内務省の省議に予算案を提出した。当時の内務大臣は陸軍出身の東条英機です。東条大臣は、その案をひと目見るなり、「土木局は気が狂ったのか」と、差し戻したそうです。戦争遂行には莫大な国費がかかるのに、何を考えているのか、狂気の沙汰だ、との思いからでしょう。当時、東京と神戸の間の国道でさえ、自動車のすれ違いが困難な区間が多く、トラック輸送などの面で高速道路のニーズは高かったのですが……。戦局が悪化した1944年には、国鉄の新幹線計画と同時に高速道路調査も打ち切られました。

■ワトキンス調査団の秘話―政治家秘書の胆力
山岡 …高速道路建設が動きだすのは、やはりサンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、日本の主権が回復してからでしょうね。

山根 『高速道路と自動車』(現在の公益財団法人高速道路調査会発行の月刊誌)という雑誌で、「ワトキンス調査団報告45周年記念座談会」(2001年2,3月号)が行なわれ、そこで戦後の高速道路建設の始まりについて、興味深い話が開陳されています。1952年に、電源開発の高碕達之助総裁が、大学の研究者だった川本稔さんという方を秘書に登用し、吉田茂総理がヨーロッパ経由でアメリカへ行くのに同行せよと命じます。吉田総理は、東京から神戸まで高速道路をつくることに非常に熱心で、これまでにもドイツのアウトバーンやアメリカの高速道路を視察したりしていましたが、この時には資金面のメドをつけようとしていたようです。

山岡 高碕達之助は、水産技師から会社経営者、政治家に転身した人ですね。戦中は、満洲重工業総裁を務めました。日産コンツェルンの鮎川義介とも親しい。いわゆる満洲閥の人材で、電源開発総裁として佐久間ダムの建設にも尽力しています。戦後の道路や電源開発などの公共事業は、満洲閥の力で進められていますね。

山根 ええ、満洲で試みられた手法が、戦後の国づくりの実践に活かされた面はあるでしょう。高碕総裁の秘書となった川本さんは、もともと土木とは縁のない方でした。建設省の職員から2週間、昼夜兼行で道路に関するレクチャーを受け、米軍に掛け合って日本列島の立体地図を入手し、そこに高速道路のルートを全部描き入れて、吉田首相と一緒にアメリカへ渡ります。その後の顛末がおもしろい。座談会から川本氏の発言を引用しましょう。

266 とはずがたり :2015/01/23(金) 13:06:25

 川本「吉田総理の考えは、当時、余剰農産物資が日本にどんどん入り、その資金である円がかなり溜まっているので、それを使わせてもらう交渉をしようということだったんです。しかし、ワシントンに乗り込んだところ、私の出番どころか初めからそれは潰されまして、吉田さんが私に、『残念だったけれども、ウォール・ストリートの法律事務所に君を預けるから、トールロード(Toll Road有料道路)のボンド(起債)を勉強してくれ』ということでニューヨークに私は預けられました(略)。  ……資金の問題でワールド・バンク(世界銀行)に行き、ミスター・ドールという日本の担当者に会い、『日本は道路をつくりたいんだ、金を貸してくれ』と言ったら、『ノー、日本は道路なんかいらない。日本はインシュラ・カントリー(島国)だから、マーチャント・マリーン(海運力)をもっと発展させろ、それが一番早道だ』という答えが返ってきました。私は『しかし、日本政府はどうしても道路が欲しいと言っているんだ。私は場合によってはアメリカの一流の専門家を日本へ連れて行くけれども、レポートを書いたら見てくれるか』と申したところ、『必ずしも金を貸すというわけにはいかんが、レポートはいつでも見てやる』と言われました。『ああそうか』ということで、私はワトキンスさんに頼んで、人選をしていただいたわけです」

山岡 なるほど、そこから「ワトキンス調査団」が編成され、あの有名な書きだし、「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれほど完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない」で始まるレポートができるのですね。レポートを契機に道路づくりが始まります。それにしても、川本氏の世銀相手の粘り強い交渉力には感服します。…

■東海道と中央道を巡る大論争の始まり
山岡 さて、日本を調査したワトキンスは名神高速道路の経済的・技術的妥当性をまとめた報告書を提出、1956年8月帰国します。そこには「東京から名古屋までの中央道案は東海道案の代替案ではなく、経済開発のために望ましいもうひとつの計画である」としています。東名が先か、中央が先かで、政治を巻き込んだ大論争へと発展しますね。中央道と東海道の先陣争いです。

山根 中央道の大の推進者は、青木一男先生です。発端は1955年に議員立法として国会に提出された「国土開発縦貫自動車道建設法」でした。海岸線を走る道路ではなく、日本の内陸部を縦に背骨のように貫く高速道路を建設するための法律です。青木先生は、この立法に財政の専門家として関わられました。

山岡 青木さんは、大蔵官僚出身で、戦前から戦中にかけて大蔵大臣、大東亜大臣を歴任し、戦後、A級戦犯容疑で収容、釈放されてからは、参議院議員として政界で活躍された人ですね。お孫さんが民主党の参議院議員だった小宮山洋子さん。

山根 青木先生の見解は「わが国の産業、人口は特定の地域に集中しすぎている。交通の便をよくすることによって、今まで遅れている地方を開発し,人口の分散を図ることが国策の基本である」、「高速道路建設は自力でできる。お互いに働いて貯蓄し、それで高速道路を建設して子孫に残すべきである」という論旨です。

山岡 ああ、郵便貯金を使った財政投融資の発想ですね。財投は、明治に郵便貯金制度ができて間もなく始まった。その後、大蔵省資金運用部が担当しています。

■名神高速道路の着工と中央道・東海道論争の激化
山根 ワトキンス調査団の来日に先立ち、1956年4月、高速道路の建設・管理を担う日本道路公団が発足しております。57年4月には、国土開発縦貫自動車道建設法、高速自動車国道法が成立、公布されました。翌5月、国土開発幹線縦貫自動車道建設審議会が開催、名神高速道路の審議が進められ、10月15日、その整備計画が決定されました。これにより、名神高速道路の施行命令が発せられ、建設が始まることになりました。これには世銀借款が導入されます。
 これを機に、中央道・東海道論争が激化します。東海道を優先すべきだとの猛烈な運動に対し、青木先生は、東京・山梨・長野・岐阜の各知事、議長などの関係者を糾合して建設推進委員会の委員長に就任し、政治の舵取りをします。自民党内でも東海道派と中央道派に分裂、深刻な事態になりました。たまりかねた村上勇建設大臣が、「どうか中央道側で譲歩して東海道案も認めてもらいたい。中央道については、政府と自民党で建設促進の保証を与える」と青木先生に申し入れます。それで折れて、東海道案を認めることとなりました。
 1960年7月、中央自動車道の路線を定める法律(東京〜小牧間)と東海道幹線自動車国道建設法の両法の制定となり、62年5月、中央自動車道の東京富士吉田間と東名高速道路の東京〜静岡間の施行命令となります。63年10月には、東名高速道路の施行命令は全線にわたりました。

267 とはずがたり :2015/01/23(金) 13:10:20
>>265-267

 中央道、東海道、両方の高速道路の同時着工が正式に認められ、いざ予算の配分。ここに至って、こんどは大蔵省と経済企画庁の事務当局が中央道着工反対の方針に固執します。東海道を先に通して、経済発展の果実をもぎ取りたいわけです。『道を拓く』という本に、青木先生がその顛末を寄稿しておられます。政府が東海道を先にして、中央道を後回しにするなら、重大な決心がある、と大平正芳官房長官と前尾繁三郎幹事長に対して、次のようにおっしゃいました。

青木「この期に及んでも東海道の建設費だけが先に決まって、中央道はあと回しになるということになるならば、自分は何の面目があって各県の諸君にまみえるのか。自分は当然責任をとるつもりである。しかし、その前に自民党と政府がいかに信用のおけないものであるかを天下に表明し、その上で自分の進退を決するが承知されたい」

山根 大平官房長官も前尾幹事長も大蔵省では、青木先生の後輩ですから、青木先生の有言実行の性格はよく知っています。そこから政府、自民党とも中央道を放置するわけにはいかなくなり、建設予算がついたんです。

■中央自動車道は、なぜ諏訪経由になったか? 青木一男の決断
山岡 中央道には政治の場での闘いが反映されていますねぇ。当時のマスコミの論調を見てみますと、中央道には批判的です。1959年12月29日付の読売新聞は「再考を要する中央高速道路」と題して、次のように論説しています。
「(建設省がまとめた中央道路線についての)報告書の結論としては、山岳道路につきものの豪雨、降雪、凍結、霧など気象的な悪条件の重なりと、勾配区間やトンネルが多いことから走行速度が制限されるため、高速道路としては不適である点をまず指摘している。さらに全長二九五キロのうち五割までがトンネル、橋梁などの構造物で占められているため、建設費は三二〇〇億円の巨額に達し、(中略)有料道路として非採算的であると結んでいる。この報告で明らかにされるまでもなく、中央道については、かなりの疑点がある」

山根 当初の中央道の計画は、富士吉田から身延町を経由して、飯田市に至ることになっていました。南アルプスを貫くわけです。この間に全長8,058mの赤石トンネルはじめ大小多数のトンネルがありました。世界一金のかかる道路建設になりそうでした。青木先生も、そのことは承知のうえで東海道との同時着工にこぎ着けた。
 しかし、その後、ご自身が欧州へ視察に行き、フランスとイタリアを結ぶモンブラン・トンネル(全長12,000m)の建設現場に赴き、大規模で困難な工事を目の当たりにして、建設省や道路公団の反対論にも理由があることを痛感します。帰国すると、従来の赤石山脈をぶち抜く案を変更し、諏訪地方を経由するルートに改めると提案したのです。

山岡 ははぁ。それで諏訪経由に変わるわけですか。一説には、青木氏が長野出身なので“我田引道”とばかり、自分に都合のいいように変えたとも言われていましたが……。

山根 いや、違いますね。赤石山脈を迂回するために諏訪経由にしたのです。

山岡 …急に予定していた高速道路が通らなくなった身延町とか下部町、長野県下伊那郡の町村などは、話が違う、と大反対したでしょう。

山根 そこから、また青木先生が、政治力を発揮して関係各団体を説得して回られました。ルートから外れた自治体には県が道路整備を重点的に行なうとか、手当ても用意されました。

■高速道路の全国展開へ

山根 1963年7月関越自動車道建設法、以後、東海北陸、九州横断、中国横断と自動車道建設法の立法が相次ぎ、国土開発縦貫、東海道幹線をあわせ、6建設法により、13路線、約5,000kmが定められました。建設省はこれらを包含し、全国にわたる自動車道路網32路線7,600kmを策定、国土開発幹線自動車道建設法を提案、1966年7月公布に至りました。同年同月には、中央道の甲府〜小牧間、東北縦貫道の岩槻〜仙台間、中国縦貫道の吹田〜落合間、美祢〜下関間、九州縦貫道の粕屋〜託麻間、北陸道の富山〜武生間の整備計画が決定、施行命令が発せられ、高速道路の建設は全国にわたります。…



268 とはずがたり :2015/01/24(土) 20:20:15
国道に係わるあまりにもマニアックなクイズ
2014年05月08日 22:13
http://roadkawasaki.blog36.fc2.com/blog-entry-220.html

269 とはずがたり :2015/01/26(月) 10:30:50
黒森峠
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E141.23.7.836N40.1.43.884&amp;ZM=9

主要地方道 葛巻日影線(旧:葛巻安代線)
[ 2004/11 撮影 ]
http://www.geocities.jp/nocty_bypass/douro/2_touhoku/r30.html

道路レポート 岩手県主要地方道葛巻安代線 黒森峠
http://yamaiga.com/road/kuromori/main.html
探索日 2005年4月

土曜ワイド工場
道のない県道に挑む
http://portal.nifty.com/2008/07/19/b/
多分 2008年頃

270 とはずがたり :2015/02/03(火) 08:16:07

原田橋は此処
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.47.40.056N35.4.44.483&amp;ZM=9

原田橋が落ちると二時間半掛かるってのはこの辺(旧龍山村)経由して佐久間市街迄てことか?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.49.6.188N34.59.51.292&amp;ZM=8
東栄や二俣出た方が近そうだな。。

崩落の橋付近に仮設道路設置へ 浜松市
http://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-CK2015020202000085.html
中日新聞プラス2015年2月2日(月)05:00

\◆着工時期は未定
 浜松市は一日、土砂崩れによってつり橋「原田橋」(同市天竜区佐久間町)が崩落し、不通となっている国道473号の付近の天竜川河川敷に、仮設道路を設置する方針を明らかにした。事故現場の安全性を確認し崩落した橋の撤去などが済み次第、着工する。ただ、着工時期は未定で、完成しても天竜川が渇水期の五月末ごろまでしか利用できない。原田橋を利用していた住民は当面、車で対岸に出る場合、二時間半の迂回(うかい)を強いられる。
 仮設道路は、天竜川に樹脂製の大型パイプを並べて川の水を通し、その上に盛り土をして車が通行できるようにする。鈴木康友市長は「住民も困惑していると思うので、なるべく早い時期に仮設道路を造り、不便をかけないようにしたい」と市役所で記者団に述べた。天竜川の水量が増え、仮設道路が通行できなくなる六月以降の対応は、今のところ決まっていない。
 鈴木市長は同橋から約十五メートル下流に建設中の新原田橋について、「一五年度中に供用開始の予定だったが多少影響が出てくるだろう」と、開通が当初の予定よりも遅れる見通しを示した。

◆原因解明 長期化も
 浜松市天竜区佐久間町で三十一日、国道473号の原田橋(百三十八メートル)が崩落し、橋の上で土砂崩れを監視していた市職員二人が死亡した事故で、静岡県警は一日、予定していた実況見分を見合わせた。現場近くの斜面で小規模な落石が相次ぎ、二次災害の恐れがあったため。事故原因の究明が長期化する可能性もある。
 現場近くには天竜署員を中心に二十人以上が待機したが、石や土砂がひんぱんに落ちる不安定な状態が続き、三時間ほどで切り上げた。午後には浜松市の鈴木康友市長も現場を訪れ「予想だにしなかった」と厳しい表情で話した。土砂崩れ監視中の事故だったため、「橋上でなく対岸から監視する方法もあったかもしれない」と監視方法を見直す考えを示した。
 土砂崩れのあった周辺は日本最大の断層帯「中央構造線」に近く、過去の断層のズレで岩盤が劣化し、崩れやすいという。
 土砂崩れが起きた斜面は、市が優先的に防災対策をする国、県道の「要対策箇所」三百八十五カ所には含まれていなかったが、市は「近くに迂回(うかい)路がなく、災害で通れなくなると住民への影響が大きい」(道路課)として、今回土砂が崩れた山肌のすぐ上部に新年度、落石を防ぐ網二千平方メートルを張る予定だった。
 一方で、今回土砂が崩れた山肌にもすでに落石防止の網が張られ、それが根こそぎ崩れたため、市の担当者は「根本的に防災対策を見直したい」とも話した。
 浜松市の要請を受け、国土交通省中部地方整備局(名古屋市)も同日、上空からのヘリ調査班、橋梁調査班の計七人を派遣。二日以降、本格的な調査を進める。

271 とはずがたり :2015/02/03(火) 09:07:01
R16東京環状線の形成過程は俺の中で解明されるべき課題の一つなんだけど,白井付近の地図をヨッキがみつけてきてる。

道路レポート 千葉県道280号白井流山線“木”狭区 後編
http://yamaiga.com/road/tpr280/main2.html
「実用道路地図北日本編」より
http://yamaiga.com/road/tpr280/old_2.jpg

残る謎はヨッキが「この辺りは,実際には該当するような道が見当たらない。」とある部分である。

土地区画整理で消えるなら解るが白井の旧中心部は北千葉NTの大規模造成区域から外れているので当然道が無くなることはあり得ない。

多分,現在では考えられない程狭隘な道が指定されていたのではないか,と云う事なんだが,それにしても解らない。
大島田付近が参考に成りそうだが,候補道路としてはこの辺だが,旧道は結構地図から辿れるもんなんだがなぁ。。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.6.3.061N35.45.55.156&amp;ZM=10

272 荷主研究者 :2015/02/15(日) 01:11:19
>>270
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20150207/CK2015020702000078.html
2015年2月7日 中日新聞
崩落から1週間 新橋建設の判断難しく

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる原田橋の崩落事故から七日で一週間。仮設道路は十七日開通が決まったが、すぐそばに建設中だった新橋の建設は、同じ場所で続けてよいのか判断できないままだ。区内には、山間部に架かる似たようなつり橋が四十一カ所ある。橋直近にある斜面の危険性を緊急点検する必要はないのだろうか。

 「今後、詳細な調査をする。まだ分からない」

 市土木部は四日の記者会見で、新橋がもう使えないのではとの質問に、こう答えた。土砂崩れの起きた斜面に亀裂が入ったかなど、建設コンサルタントに今後、地質調査を委託する。

 国土交通省国土技術政策総合研究所(茨城県つくば市)の玉越隆史・橋梁(きょうりょう)研究室長は「もう大規模には崩れない可能性もあり、対策をとれば建設を進めて大丈夫ということもありうる」と話す一方で、「二度と死者が出ないよう詳しく危険要因を調べるべきだ」と指摘する。

 事故現場周辺は落石の多い所で、「新橋架け替えの場所をもっと下流に」と望む住民の声が建設前にあった。

 市は当時、どこまで耳を傾けたのか。森下和市郎・道路課専門監は「地域の総意、合意は地元説明会などを通して得られたと考えている。一部反対が残るのでやめるというわけにはいかない」と話す。

 市は建設に当たり、両岸で道と橋をつなぐ橋台の下では岩盤を調べたが、今回崩れた斜面の地質調査はしていない。玉越室長は「斜面をどう見ていたかだが、どさっと崩れると思わなければ、斜面の地質までは調べないだろう」と市の対応にも理解を示す。

 つり橋は浜松市内に四十二あり、四十一が天竜区内に集中する。原田橋と同じように、橋をつるケーブルを斜面に固定するアンカー式も少なくない。山間部で長い橋を架けるのに適しているためだ。

 森下専門監は「今回は大量の土砂でつり橋のケーブルを引っ張る主塔が倒れ、それに引っ張られて斜面に打ったアンカーが抜けたのではないか」と話す。つり橋自体に危険があるとの見方には否定的だ。

 市土木部は「まず崩落現場の調査をし、それを踏まえ、他のつり橋周辺の斜面も調査するか、検討したい」としている。

(勝間田秀樹)

273 とはずがたり :2015/02/27(金) 09:18:01
>>230

3177 :チバQ :2015/02/22(日) 13:27:16
http://www.asahi.com/articles/ASH2P625VH2PTIPE012.html?iref=com_rnavi_arank_nr01
朽ちる「軍艦島」どう残す 迫る倒壊…保存法探る
山崎聡、池田良2015年2月22日00時31分
 長崎市の沖合に浮かぶ軍艦島(正式名・端島)。炭鉱の閉山後、約40年間無人となっている「廃虚の島」だが、近年、独特の外観が映画のロケ地や観光スポットとして人気を集め、この夏はユネスコ世界文化遺産登録に期待がかかる。一方で島のシルエットを形作る建物群は刻々と崩壊しつつあり、保存への模索が続く。市の許可を得て、普段は立ち入り禁止の区域に入った。
 近代日本の産業を支えた炭鉱の島はいま、どうなっているのか。4日朝、長崎市の許可を得て、軍艦島で建物の劣化状況や補強手段を探る大学の研究グループに同行した。

 暗い鉱員社宅に足を踏み入れると、天井や壁がはがれ、床や階段に散乱していた。高層階の柵はほぼ朽ち果て、屋上の庭園は草が生い茂っていた。

 この島には日本最古の鉄筋コンクリートアパートがある。築99年。劣化が進み危険なので上層階に上れない。吹き抜けから四角く曇り空が見えた。

 かつての小中学校は基礎がむき出しになって海水にさらされ、芝浦工業大の浜崎仁准教授(コンクリート工学)は「倒壊は時間の問題だ」と漏らした。

274 とはずがたり :2015/03/01(日) 11:29:32
2010年の記事。

>鉱山としてはまだ採掘可能でしたが、1987年に閉山されました
そのうち復活だな♪

>1912年にロープウェイが設置され、1929年に輸送力増強のため鉄道が開業しました。
索道って云って貰わないと気分が出ないぜw

2010年10月04日 15時00分05秒
運賃1円で乗れる「1円電車」が23年ぶりに常設で復活へ
http://gigazine.net/news/20101004_akenobe_1yen_train/

かつて日本に運賃が1円という全国最安の鉄道がありました。それが明延地区の鉱山鉄道(明神電車)です。これは、兵庫県にあった明延鉱山への輸送のために作られた鉄道で、1987年に鉱山が閉山となったことで廃線となりました。

その後、長らく使われていませんでしたが、2007年に経済産業省の近代化産業遺産認定遺産リストに選定されたこともあり、「ふるさと明延まつり」で仮軌道を敷いて20年ぶりに運転が行われました。その後も1年ごとにイベントで運転が行われていましたが、いよいよ常設の線路を設置して復活することになったそうです。

兵庫県の明延鉱山は日本一の鉱量を誇るスズ鉱山で、平安時代には採掘が始まっていたそうです。鉱山から神子畑にある選鉱所まで鉱石を輸送するため1912年にロープウェイが設置され、1929年に輸送力増強のため鉄道が開業しました。

鉱石輸送用の鉄道でしたが、鉱山で働く人のために人員輸送も行うようになり(当初は無料)、1949年から50銭、そして1952年からは1円で乗れるようになりました。このため「1円電車」と呼ばれるようになりましたが、このことが広く知られたことで興味本位で訪れる人が多くなり、運行に支障を来して正常業務ができないという状況にまで陥ったため、やがて部外者の乗車は禁止になりました。

鉱山の最盛期には鉱山関係の人口が4000人、娯楽施設には芸能人が訪れてショーをするほどの規模を誇りましたが、1985年のプラザ合意で急激に円高となりスズなどの市況が下落して赤字を出すことになり、鉱山としてはまだ採掘可能でしたが、1987年に閉山されました。1円電車もこのとき同時に廃線となりました。

鉄道は長らくそのままとなっていましたが、2007年に経済産業省が(PDFファイル)近代化産業遺産認定遺産リストに「生野・明延・神子畑鉱山関連遺産(通称:鉱石の道)」の一つとして「明神電車と蓄電池機関車」を挙げたこともあり、同年に行われた「第1回 ふるさと明延まつり」で仮軌道での復活を遂げました。

その後は1年ごとにイベントの中で機関車をレンタルして運転を行ってきましたが、今年からは常設軌道を敷き、機関車を購入して本格的に復活することになったそうです。軌道は旧社宅跡に敷かれ、全長は70mでカーブも体験できるJ字形。ちなみに、明神電車は現在も軌道が600mほど残されているそうで、地元としてはいつか600mを走らせたいと考えているそうです。

お披露目は10/24(日)開催の「第4回 あけのべ一円電車祭り」で行われます。当日は無料で1円電車に乗ることができ、乗車した人には復刻1円切符がプレゼントされます。このほか、近代化産業遺産に認定された総延長600mの明延鉱山探検行動の見学会(入坑料が必要)や、あけのべ探訪スタンプラリーなども開催されることになっています。

275 とはずがたり :2015/03/10(火) 14:41:01
道路レポート林道樫山小匠線内の
和歌山県道234号長井古座線
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main1.html

>本題からは離れるが、県道234号の行く末が気になるという人もいるだろう。
>私もその一人であったから、数分間脇道に逸れて、この県道がどうなっているかを追い掛けてみたところ――

>まず、左折直後は狭い道が(写真)、小匠集落の外れにある数軒の民家へ続いている。
そして民家を過ぎるとすぐに小匠川を橋で渡るのだが、この橋が軽トラ専用といった感じの狭さであった(写真)。
>橋を渡ると未舗装になり、畦道然とした道が小匠川の右岸に伸びているが、県道はこの道ではなく、橋を渡った直後に右の山の中へ入る。
>ただしそれは図面上のことであって、実際には道らしいものが見あたらなかったので、結局、小匠側の県道が辿れるのは、この名前も分からない橋までという事になるだろう。以上である。

こうr234長井側の終端部記述しているよっきであるが,地図だとこんな感じである。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.53.975N33.35.54.393&amp;ZM=11

この地図だと太い橋に見えるのが,このhttp://yamaiga.com/road/kodakumi/kodakumi_15.jpg軽トラサイズの橋なのか?橋を渡って終わりという記述にも合致する。

しかし図面上の道ってのはこの橋の直ぐ上の川をどうやって渡ってゐるか解らないより細い道なんでわなかろうか??

この道はほぼ古座側の終端点まで峠付近の数百mを除いて山道として繋がっている様に見える。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.51.8.181N33.34.58.501&amp;ZM=9

276 とはずがたり :2015/03/10(火) 15:57:13
>>235>>275
周辺は王子製紙の植林地の様である。森の中の道が美しそう。
また凄い山の中のイメージだけど
>実際の標高は僅か130mほどでしかない
>直線距離ならば海までは10kmと離れていない
そうな。

紀伊山地の隔絶した山の中の印象だが随分海に近い。
それにしても小匠から一寸行っただけで高野・山手川・樫山と魅力的な廃道・廃村とは和歌山県奥が深い。(ただ過疎ってるだけとも云えるけど。。)

道路レポート 林道樫山小匠線  (山手川への脇道編)
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main9.html
明治当時の里道(地図中の二重線の道)は、「高野〜(峠)〜山手川〜クジヤ平〜(峠)〜樫山」のルートであり、現在の川沿いの道は未完成だった。

場所はこの辺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.28.897N33.34.43.382&amp;ZM=7

この山越えの道について,最近ツン読した『峠の歴史学』服部英雄 2007年 朝日新聞と云う本に,昔の道は
>川沿いに道がつけられていることは意外に少なかった。なぜなら川沿いの道は山腹,崖の崩壊など災害に弱く,崩落の危険が常にあったからである
とあったがその法則に此処も合致していたと云えよう。(山の人工の道は水抜きを造って排水したのだそうな。また牛は橋の下が見えるとどんなにひっぱっても動かなくなってしまって使えなかったので橋は丸太の上にカマスを敷いてその上に土を被せたのだそうな(土橋)。)

クルマ社会になった現在では法面を固め,勾配を緩い川沿いが重宝され,更に昨今では長大なトンネルで一気に抜けるのが主になっている。

277 とはずがたり :2015/03/10(火) 17:03:32
>>235>>275-276
驚異の河中道といい,豊富な水量見せつけられたし小匠ダムはギロチンを常時閉鎖して水力発電に使えないかとも思うんだけど(どうせ無人地帯やし古座川への道路は樫山林道が出来たしこちらは湖底に沈めても良い。道が必要ならこの辺http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.21.563N33.36.5.667&amp;ZM=8に小匠集落から栃の川橋付近に直結するトンネルを掘るだけで良いな。→と思ったらなにやらふるさと林道小匠小森川線http://blogs.yahoo.co.jp/kumanophoto_ki/60690908.htmlとか造っとるやなないけーヽ(`Д´)ノ)

で,人が住まなくなってから立派な道路をガンガン通すのは本当に勿体ない。よっきはその辺に理解を示すから道路愛好家(道路とその利用者に対する愛がある。。)の限界なんだけどがんがん税金むしり取られてこんな所に無為にカネ棄てられるのはやるせない。

で,せめて発電ダムとしての利用の可能性も探りたい所だけど如何せん高低差が足りなさそうなのである。。ダムの標高が海抜25m付近ではねぇ。。しかし水量が豊富なんでベース電源的に常時一定量発電するのは行けるんではないか?

栃の川橋と集落の変遷
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main5.html

>徒歩道を示す破線は沢山描かれているが、より重要度が高い二重線の里道に着目すると、樫山〜クジヤ平〜山手ノ川〜高野を結ぶ山越えの道が目を引く。

>その一方で、定住者がなくなった集落へ、「遅ればせながら」といった感じの道路整備が進んでいる。
樫山では古座川町中心部へ通じる新しい林道が開通し、高野にも、長大トンネルを含む「ふるさと林道小匠小森川線」が通じた。

>もっとも、この時期の道路整備も無駄ではないと個人的には思う。
>定住者がいなくなっても、集落跡に山林などの財産や、お金に替えられない想い出を残している旧住民は多いだろう。
>廃村と共に道が廃れて辿り着けなくなってしまった集落跡は、本当に救いがない。

小匠ダム
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main1.html

>それでは、満水時の湖面は一体どの程度の広がりを持つのだろう。
>海抜約25mに立地する堤高37mの小匠ダムの貯水位を海抜50m附近と想定し、その等高線に沿って湖を描いてみたのが右図である。

>川の両岸は険しいが、河床の勾配は極めて緩やかであるため、2〜30mの水位上昇であっても、驚くほどに細長いダム湖が出現することが分かる。
>具体的には、小匠川本流沿いにダムから3km上流までが湖と化し、高野川沿いではそれ以上である。
>そして、これらの川に沿う林道もまた、2km以上先まで余裕で水没するようである。

>ちなみに、ダムの穴がある現在地は、水深15m以上の深さになると思われる。
>例の“ギロチン”が水圧に耐えられるのかという疑問を持つが、きっと大丈夫なのだろう…。

278 とはずがたり :2015/03/16(月) 13:05:05
ツイッターはよくわからないんだけどヨッキが一本杉峠>>49>>62-64>>67に来てた気配があるぅ。まだレポはなかったような。。そのうち公開されるかな??

https://twitter.com/yokkiren
ヨッキれん/平沼義之 ?@yokkiren 3月3日
茨城県の一本杉峠付近から眺めた関東平野。
日本最大の平野はやっぱり半端じゃないな。
余りに広すぎて、茫洋たる様は海のようだ。

279 とはずがたり :2015/04/25(土) 15:13:30
よっきの緊急ミニレポまだぁ〜!?

ひび割れで「最も危険」北鎌倉隧道、通行禁止へ
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150425-OYT1T50040.html?from=yrank_ycont
2015年04月25日 14時08分

 神奈川県鎌倉市は、JR北鎌倉駅近くにある「北鎌倉隧道(ずいどう)」(鎌倉市山ノ内)を、28日午前1時から通行禁止にすると発表した。

 内部に複数のひび割れなどが確認され、危険と判断した。

 市都市整備部によると、隧道はJR横須賀線に沿って走る市道にあり、長さ約7メートル、幅約2・5メートル、高さ約2メートル。岩塊がくりぬかれた様子が観光客に人気で、市民の一部からも保存を求める声が上がっている。

 県都市整備技術センターの点検調査によると、ひび割れは最大で長さ2・9メートル。地震などで衝撃を受けると岩石が剥落する危険があるという。天井付近に樹木の根が確認でき、国の4段階の基準で最も危険な「緊急措置段階」と判定された。

 市は、センターにさらに詳しい調査を依頼し、安全対策の方法を決める。

 通学路として隧道を使っている小学生や高校生らには、近くの円覚寺境内などを通ってもらう。一般の迂回(うかい)路は、北鎌倉駅南側の県道となる。

280 名無しさん :2015/05/04(月) 03:06:15
茨城県の圏央道は今年中に開通予定となってはいるけど、
本当にできあがるのかねぇ・・・

全くと言ってしまえるくらいに開通しそうな気がしないなぁ。。。

281 とはずがたり :2015/06/04(木) 19:15:28

「落下の橋」早く復旧して…半年通行止め続く
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150604-OYT1T50068.html?from=y10
2015年06月04日 13時12分

 福岡県粕屋町が管理する「駕与丁かよいちょう公園」で、公園内の池を横断するように架かっている「みずとり橋」(約160メートル)の一部が落下し、復旧の予定が立たないまま半年間も通行止めになっている。

 公園利用者からは「橋は公園のシンボル。ぜひ復旧してほしい」との声が出ている。

 みずとり橋は歩行者用のつり橋で、両端のコンクリート製土台と、池の中に立つ2本の橋脚をワイヤで結び、橋げたをつるす構造。昨年12月5日朝、散歩中の人が「バーン」という大きな音がして橋の一部が落ちたのに気づき、町に連絡した。

 土台の一方が池に向かって傾き、垂れ下がった橋げたが池につかっており、町は落下が進まないよう応急工事を行い、同月17日から通行止めにした。

 橋は1997年3月の建設。「工事に問題があったのではないか」との指摘も出た。しかし、工法が非常に珍しいうえ、設計した会社が倒産しており、町は学識者らによる調査検討委員会を設けて原因を究明し、復旧方法などを探ることにしている。

 町都市計画課によると、公園は一周約4キロで、橋を渡れば2キロの散策コースになる。駐車場からバラ園などへの近道で、公園利用者から「いつ開通するのか」といった問い合わせが相次いでいる。だが、池はかんがい用で、検討委の結論が出ても、農業用水の需要が減り水を抜く10月から翌年2月の農閑期でないと、工事に取りかかれないという。

 同課は「橋を撤去することは考えていない。復旧までの予定が決まらず、利用者には申し訳なく思っている」としている。(柿本高志)

2015年06月04日 13時12分

282 とはずがたり :2015/06/20(土) 09:06:24
西武の正丸トンネルとか秋山渉の本拠地とかで有名な正丸峠。
旧道の正丸峠でバトルするんだけど,更に山道がある様だ。

正丸峠
http://ccsf.jp/~mwe/tour/20090411/5.html

283 荷主研究者 :2015/07/21(火) 22:42:58
永代通りの地下に自動車専用道路の計画があったとは!!この未成道路は極めて魅力的。百戦錬磨のヨッキと言えどもこの地下空間への潜入は至難の業だろうなぁ(笑)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150719/k10010159251000.html
2015年7月19日 18時21分 NHK
東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か

 JR東京駅の北側の地下に、長さ50メートルの巨大な空洞が残されているのが確認されました。およそ50年前に計画された地下トンネルの一部とみられますが、これまで使われたことはなく、どこにあるのかが分からなくなっていました。

 空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近で、NHKの番組「ブラタモリ」の取材中に偶然、見つかったものです。空洞は幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。

 この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。

 空洞にはもともと出入り口が作られておらず、長い間、誰も実際に中を確認できませんでしたが、東京メトロによりますと、平成13年に穴を開けて安全性などを調査したという記録が残っているということです。しかし、その際にどこに穴を開けたかは記録されておらず、再び中に入れない状態となっていました。

 東京の地下の開発に詳しい東京メトロの丸山茂さんは「ずっと入り口が分からなくなっていたので、今回、偶然見つかって非常に驚いた。安全性には問題ないが、当時の建設計画は詳細が分からず謎が残る」と話しています。

http://mainichi.jp/mantan/news/20150720dyo00m200002000c.html
2015年07月20日 毎日新聞
ブラタモリ:50年前の“幻の地下自動車道”を偶然発見

「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」の取材で発見された“幻の地下自動車道”

 タレントのタモリさんが街を訪ね歩くNHKのバラエティー番組「ブラタモリ」の取材中に、東京駅そばの永代通りの地下に、約50年前に作られた“幻の地下自動車道”を発見したことがこのほど明らかになった。50年近く前に進められていた地下工事が頓挫し、幻となっていた地下自動車道の入口で、見つかったのは自動車2車線分の空間が2本、計4車線の道路。番組の取材中に偶然発見したという。“幻の地下自動車道”にテレビカメラが潜入するのは初めてで、20日放送の「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」で紹介される。

 “幻の地下自動車道”は、1967年当時の完成予想図によると、永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道で、当時は、急激に自動車の交通量が増えたこともあり、インフラ整備の際に空間を確保しておくため、地下鉄の工事に合わせて一部作られたものが、使用されないまま残っていた。東京メトロによると「存在は知っていたものの、どこに入り口があるのか分からなかった。今回、バリアフリーのための東西線大手町駅改装工事の際に、天板をはがしたところ、見つかった」という。

 「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」では、東京駅周辺の地下に広がる巨大な空間に潜入。八重洲の地下に眠る江戸城の痕跡など丸の内から銀座まで広がる約18キロの地下空間の秘密を解き明かしていく。NHK総合で20日午後7時半から放送。

284 とはずがたり :2015/07/22(水) 14:20:07
ここ?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.46.16.682N35.40.51.645&amp;ZM=10

>幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。
巾6mだと2車線行ける?

>永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道
小型自動車道ってのがよく解らない。パリにあるとかいう小型自動車専用(大型トラックなど禁止の)って事?道路自体が八重洲⇔丸ノ内の短距離って事か?

呉服橋から東京駅迄高速バスがガンガン走っていてタクシーもうじゃうじゃいて混むから今からでも造るべきだな。

285 とはずがたり :2015/07/22(水) 14:23:18
>>284
>巾6mだと2車線行ける?

道路構造令の説明パワポと思われるが,第3種第3級・第4種第2・3級だと幅員3mだそうな。
http://www.mlit.go.jp/road/sign/pdf/kouzourei_2-2.pdf
路側帯とか考えると2車線はきついかな。。上下各1車線か。
ただ40年前の計画では上下各2車線だったのかも。当時の道路構造令はどうなってたんかな?

286 とはずがたり :2015/08/19(水) 21:31:37

夏休みの副業で忙しかったよっきが久々の更新。この辺だ。
気になる県道がr280入粟野・引田線+r281板荷・引田線のペアである。

周辺地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.37.51.838N36.33.36.471&amp;ZM=7

r164板荷・玉田線

r281板荷・引田線

r14鹿沼・日光線

r280入粟野・引田線

r240石裂・上日向線

r177上久我・栃木線

r246草久・粟野線

r15鹿沼・足尾線

r32栃木・粕尾線

栃木県道280号入粟野引田線 坂本区間
http://yamaiga.com/koneta/koneta_208.html

r280+281入粟野・引田・板荷線とすると鹿沼市の内陸部を繋げる道路になる。更に山を越えるとr32辺りに接続する♪r32が栃木日光線とでもなりそうだw

287 とはずがたり :2015/08/28(金) 22:38:14
>>190>>270>>272

原田橋 200メートル下流に再建 
http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?index_flg=1&amp;comment_id=291215&amp;comment_sub_id=0&amp;category_id=136
2015/7/30 紙面から

◆浜松市発表 19年度開通

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川で一月末、土砂崩れにより崩落した原田橋の再建について、浜松市は二十九日、崩落現場の二百メートル下流に長さ三百メートル、幅七・五メートルの橋を新たに架けると発表した。工期は五年で、供用開始は二〇一九年度となる見通し。検討中の三案から、住民の賛同が多かった案に絞り込んだ。

(ここまで 162文字/記事全文 758文字)

288 とはずがたり :2015/08/28(金) 22:43:27
>>287-288
画像貼り忘れた。
http://tohazugatali.we b.fc2.com/road/291215.jpg

289 とはずがたり :2015/09/06(日) 09:55:46
旧道と云うには余りに新しい廃止箇所だが橋は撤去されてる様だ。

山の道
各地の廃道・廃線・隧道・旧道の歴史と探索記録
福島県西白河郡西郷村 甲子道路廃止区間
http://yamanomichi.com/kashi

290 とはずがたり :2015/09/21(月) 19:51:41
広島辺りはヨッキも未だあんま開拓してないよね。

広島険道(県道)最強 80号線を走破する
https://www.youtube.com/watch?v=11UK2mVTaQM

この辺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.43.0.882N34.33.5.588&amp;ZM=7

最強険道と煽る程のことはないな〜。
県道じゃ無くて林道で繋いである区間かな?

拡大部分だと道途切れてるけどw
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.43.11.760N34.33.10.104&amp;ZM=10

291 とはずがたり :2015/09/22(火) 06:40:21
>>290
指定されたの割と最近(とはいえ20年は経っちゃってる。。)なんだな

広島県道80号東広島向原線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%9380%E5%8F%B7%E6%9D%B1%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%90%91%E5%8E%9F%E7%B7%9A

広島県道80号東広島向原線(ひろしまけんどう80ごうひがしひろしまむかいはらせん)は東広島市八本松東3丁目と安芸高田市向原町長田を結ぶ主要地方道である。

1993年(平成5年)5月11日 - 建設省(当時)告示第1,270号により主要地方道に認定される。
前身は広島県道339号内区米満線の全部分と広島県道340号久芳(くば)向原線および広島県道328号志和口向原線の各一部である。
1994年(平成6年)4月1日 - 広島県告示第406号により認定される。
2004年(平成16年)3月1日 - 高田郡の全6町が対等合併して安芸高田市が発足したことに伴い終点の地名表記が変更される(高田郡向原町長田→安芸高田市向原町長田)。
2005年(平成17年)2月7日 - 沿線にあった賀茂郡福富町が東広島市に編入される。

292 とはずがたり :2015/11/01(日) 19:59:12
廃鉱山も興味あるけど(;´Д`)

廃鉱山探検 高井鉱山
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1119

293 とはずがたり :2015/11/01(日) 20:14:41
>>292
此所ら。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.26.34.500N36.37.9.389&amp;ZM=8

毛無峠付近にあった硫黄鉱山の高井鉱山は群馬県側に移って小串鉱山となったようだ。
一寸調べてみると吾妻鉱山跡が見付かった。

吾妻鉱山
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.30.20.063N36.35.28.097&amp;ZM=7

この吾妻鉱山は小串鉱山とは別らしい。

4/30/2006 草津町白根鉱山,嬬恋村石津鉱山,吾妻鉱山
http://heyaneko.we b.fc2.com/gh06.html
草津温泉の近くには,大正の頃から高度成長期まで複数の硫黄鉱山が稼動していました。このうち学校をもつ鉱山集落があったのは,草津町白根鉱山,嬬恋村石津鉱山,吾妻鉱山,小串の4か所です。これらの鉱山集落は,すべて閉山と同時に無人となりました。

入道沢鉱山
http://www.geocities.jp/kouzan_by_gnma/nyuudousawa01.html
群馬県内の硫黄鉱山と言えば、
・小串鉱山
・白根鉱山
・万座鉱山(湯釜から硫黄をほじくってた)
・吾妻鉱山
・石津鉱山
がよく知られている。

しかし、今まで存在を知らなかったが、もう一つ大きな硫黄鉱山があるらしい。
しかも国道から目視出来る場所に。

その鉱山の名は「入道沢鉱山」(通称)と言う。


で,此所らと云えば山行がでレポートされた上信鉱山である。
凄い索道で運び出していたらしい。

上信鉱業専用軽便線(未成線)
http://yamaiga.com/rail/joshin/main.html

ただヨッキは廃道や未成線には興味あっても鉱山に関しては余り関心が無いので上信鉱山に関してはよく判らない。上信鉱山で検索掛けてみると引っ掛かるのはこいつ。蝋石の鉱山らしい。群馬というか信越のこの辺は割と鉱物資源が豊富な様である。如何せん規模が小さいようだけど(;´Д`)

上信鉱山焼成炉(ロウ石山溶鉱炉 )
http://haikyo.crap.jp/s/9977.html

294 とはずがたり :2015/11/01(日) 21:55:06
此処に詳しい。ドラマですなぁ。。
仁田沢は此処だが,r112の未成区間を挟んで毛無峠(先程の一代目高井鉱山)である。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.29.47.813N36.33.8.000&amp;ZM=8

上信鉱山の足跡
http://hanaha09.exblog.jp/15337438

嬬恋村大前から北へおよそ6km、静かな物音ひとつ聞こえてこない干俣にある仁田沢集落です。
昭和15年、嬬恋村の干川石造さんがこの集落から分け入った山中に炭焼き窯を作ろうとしたところたまたまロウ石の鉱脈を発見した。
この山はロウ石山と呼ばれて10人ほどの村人たちでほそぼそと採掘が開始された。
ちょうど時代は太平洋戦争真っ只中、ロウ石に含有されていた酸化アルミに目を付けたのが当時の軍部。
この鉱石から金属アルミニウムを製造しようとしたのである。
アルミ資源の乏しい日本においてはおそらく藁をも掴む思いであったに違いない。
昭和18年には軍需産業に指定され大阪窯業、日窒工業、昭和電工3社で上信鉱山が設立され国家政策の一環として採掘が始まった。
昭和19年には250人ほどが動員され、鉱石は策道でふもとの仁田沢集落まで降ろされ、トラックで芦生田の草軽電鉄嬬恋駅、トロッコのような貨車で信越線軽井沢駅まで運ばれた。
その算出量は年間15000トンにも達したと言われている。
一方、群馬鉄山の鉄鉱石輸送に施設された太子-長野原-渋川にいたる貨物線に接続する鉄路も建設が進められた。
この国家をあげた大事業もすべての設備が完成を迎えないまま終戦と共にあえなく終わりを告げた。

戦後満州から一人の窯業技術者が引き上げてきた。
大阪窯業東京工場の片隅に放置されていた上信鉱山の鉱石の山を見てさまざまな分析を試みた。
ロウ石といわれていたものは実は加水ハロイサイト(Al2Si2O5(OH)4・2H2O)ということが分かった。
そのままでは耐火物原料としては不向き、焼成をしないと使えないことが分かった。
しかし、試験的に製造された耐火材料は1750℃以上にも耐えうる非常に優秀なものであることが分かったのだ、そして上信鉱山の視察も経て粘土質鉱山として開発する価値は充分と判断した。

これからが話は長くなる。
大阪窯業東京工場のこの技術者を訪れた二人の男が居た。
一人は吾妻郡中之条町の実業家で衆議院議員小渕光平、もう一人が光山電化工業社長の小渕浪次の兄弟だった。
小渕光平の次男は元総理大臣の小渕恵三。現衆議院議員の小渕優子は孫にあたる。
昭和29年に光山電化工業-上信鉱業所が開設され専ら耐火原料としての採掘の再興計画がスタートしたのである。
昭和31年にはハロイサイト鉱石の焼成炉の工事が始まった。そして翌年には高さ14m、直径4mのシャフトキルン、縦型焼成炉1号炉が操業を開始した。
焼成炉は稼動を開始したものの製品の売り先が決まらない。
焼成炉建設のための多額の借金に追い討ちをかけるように兄小渕光平が議員活動中に急死した。
悲嘆にくれていた小渕浪次の下に待ちに待った1枚の注文書が届いたのだ。
時はすでに昭和33年の10月、日本鋼管炉材部からのものであった。
2基目の焼成炉も完成間近、上信鉱山所は一挙に三交代勤務の焼成作業にこぎつけたのである。
鉱石として優秀であった上信ハロイサイトの需要はあっという間に広がり、生産も追いつかなくなってしまった。
山に捨て去っていた鉱石を振るった後の残渣まで処理され、ますます儲かる構造となった。
しかし、昭和38年(1963)に火災により鉱山事務所、宿舎を消失してしまった。
たまたま鉱脈も尽きかけていてこれを機に、上信鉱山所の閉鎖、光山電化工業は休眠扱いとなった。
最盛期わずか4年の活動であったがその間に挙げることのできた高収益は奇跡的なものとして語られています。

295 とはずがたり :2015/11/01(日) 22:00:53
蝋石
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E7%9F%B3

ろう石は、葉ろう石(パイロフィライト)などを含むロウ感のある鉱石である。単一の鉱物ではなく、いくつかの鉱物の集合体の名称である。流紋岩やデイサイトなどが熱水作用を受けて生成したと考えられている。
日本では、岡山県備前市三石、広島県庄原市勝光山などが産地。耐火煉瓦やガラス繊維などの原料として利用されている。
ろう石鉱物[編集]
ろう石を構成している鉱物をろう石鉱物という。葉ろう石のほか、カオリナイト、ダイアスポア、コランダム、絹雲母(セリサイト)、明ばん石などの鉱物が含まれている。

ろう石
上野三義
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/63_02_05.pdf

296 とはずがたり :2015/11/01(日) 22:13:54
上信鉱山は鉱脈が尽きつつあったと云うから仕方が無いけど,太子支線と吾妻線延伸部でそれぞれ群馬鉄山と上信鉱山からの鉱物搬出で賑わう姿を見てみたかった所。
また草軽電鉄も観光鉄道としてもっと活躍出来たんちゃうかという残念さもあり。

隧道レポート 干俣鉱石輸送鉄道の未成隧道 歴史解説編
http://yamaiga.com/tunnel/naganohara/main5.html

5/22/2006 六合村元山・品木
http://heyaneko.we b.fc2.com/gh08.html
# 8-1
草津温泉近辺の「廃校廃村」めぐり,二回目の目標は,草津の東隣,六合(Kuni)村元山(鉱山関係の廃村)と品木(ダム関係の廃村)です。
元山(Motoyama)は,昭和19年に開山した群馬鉄山の鉱山街として賑わいましたが,昭和40年の閉山とともに鉱山街は消滅しました。現在,鉱山跡地は「JFE奥草津休暇村」として活用されています。およそ1km先には5戸(H.18)の熊倉という集落があり,人気はありそうです。
一方,品木(Shinaki)は,草津温泉を流れる湯川の下流にある山村でしたが,強酸性の河川水を中和する目的で作られたダム(品木ダム:昭和40年竣工)の建設により水没しました。現在は湖から1km近く離れた高原面に,5戸(H.18)の新しい品木集落が作られています。

297 とはずがたり :2015/11/01(日) 22:15:58
グンマーネタで強烈な1枚の一つ。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC&amp;es_sm=122&amp;tbm=isch&amp;imgil=9qWjWtU9GXWYtM%253A%253BQYZ68qK9Tz7X9M%253Bhttps%25253A%25252F%25252Ftabipedia.net%25252Ftours%25252F%25252525E3%2525252582%25252525B0%25252525E3%2525252583%25252525B3%25252525E3%2525252583%252525259E%25252525E3%2525252583%25252525BC&amp;source=iu&amp;pf=m&amp;fir=9qWjWtU9GXWYtM%253A%252CQYZ68qK9Tz7X9M%252C_&amp;biw=1366&amp;bih=599&amp;usg=__pCxdj2DhsFFgzjaimtrhdbklTQU%3D&amp;ved=0CCoQyjdqFQoTCM-6n9ym78gCFQT-Ywod4UgOgQ&amp;ei=3A82Vs_cJIT8jwPhkbmICA#imgrc=9qWjWtU9GXWYtM%3A&usg=__pCxdj2DhsFFgzjaimtrhdbklTQU%3D

これはなんと高井鉱山・小串鉱山のここ毛無峠付近のものらしい。
余りのシュールさに合成かと思ってたけど本物だったとわw

小串鉱山トレッキング
http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/4889250.html

298 とはずがたり :2015/11/25(水) 17:11:47
『鉄道廃線跡を歩くIII』の巻頭の宮脇先生の紀行文は南薩鉄道であった。
個人的には鹿児島交通世代なのだが,この南薩鉄道,支線が二つもあったらしい。
一つは加世田の外港的な?万世への枝線,もう一つは知覧への支線である。
枕崎へは現在も指宿枕崎線が通じているし知覧のある南九州市内も(知覧の遙か南の海岸沿いを)通ってはいるけど,復活できないかなぁ(;´Д`)

乗客が殆ど居ない山川以西は無くて良かったから喜入の北の瀬々串辺りから西に分岐して知覧,加世田,枕崎を通る路線が有った方が沢山の人に恩恵があったのではないか?
(昭和35年に山川〜頴娃が開通してるけど,この時昭和40年迄残っていた知覧線に向けて瀬々串〜知覧を国鉄が建設することで鹿児島交通と国鉄の相互乗り入れの形で鹿児島〜知覧〜加世田〜枕崎を残せたんじゃあ無いのかって事である。因みに伊集院〜枕崎は昭和58年の水害をきっかけに廃止となってしまったそうな。)

http://www.tokyoizen.com/kura/KGS/KGS090.html
明治32年(1899年)の創業。酒銘「萬世(ばんせい)」は、大正14年(1925年)に東加世田村が町制をしく時、南薩摩を流れる万之瀬川(まのせがわ)の「万」と加世田(かせだ)の「世」の字をとって「萬世不易(ばんせいふえき)―永遠に変わらないこと」の繁栄を願って地名を万世としたことに由来。

299 とはずがたり :2015/12/02(水) 14:29:19
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/363-364
>【宮津線】丹後山田(野田川)━▲加悦鉄道━加悦―出石━▲出石鉄道━江原(豊岡)

『廃線跡を歩くIII』に拠ると,敷設法には京都府山田から兵庫県出石を経て豊岡へ至る鉄道として規定されて,山豊線と言われてたそうな。
で,出石鉄道が設立されたけど建設に苦労し,その際にこの予定線を山田〜出石〜江原に変更するように嘆願したけど認められなかった経緯もあったという。俺が加悦鉄道と出石鉄道を混ぜてってのも,そんなに荒唐無稽って訳では無いんだな♪荒唐無稽だけどw

江原も豊岡も変わらん様に思うんだけど。現在,出石も,江原の有った日高町も豊岡市に併呑されている。現行法制下なら江原発着でも可能という訳かw
加悦から江原経由でニッケルをガンガン搬出する姿見てみたかった(・∀・)

因みに山田は地名として求心力を発揮出来ず野田川駅から更に与謝野駅となっているようだ。
筑豊の山田は上山田と下山田だったし伊勢の山田は宇治山田だったし,日本を代表する地名の山田だけど駅名としてはどうも不遇である。

300 とはずがたり :2015/12/14(月) 18:49:44
ひでえなぁ。。
自民党利権政治屋と建設官僚と土建屋が結託してこの無駄遣い三昧。
怒りしか湧かない。

道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(十和田市区間)
http://yamaiga.com/road/aotowa/main.html

301 とはずがたり :2016/02/18(木) 14:15:55
>日本海に臨む近畿最北の水族館「城崎マリンワールド」の沖にある小島に「竜宮城」がある。今は上陸できないが、昭和25年に作られた観光施設
知らんかった。いってみてえ!(;´Д`)

2016.2.18 05:00
なぜここに駅が?「玄武洞駅」のミステリー…“豊田商事物件”と噂の廃虚ビルは何を語る 観光名所は川向こう
http://www.sankei.com/west/news/160218/wst1602180002-n1.html

 兵庫県豊岡市内に不思議な駅がある。JR山陰本線の「玄武洞駅」だ。160万年前の巨大溶岩跡があり、城崎温泉(同市)と並ぶ北近畿の観光名所である玄武洞公園への“玄関口”だが、公園は円山川をはさんで駅の対岸にあり、どうやって行くのかナゾだった。そこで調べてみると、駅がなぜここにあるのか、そのレゾンデートル(存在意義)が判明、栄枯盛衰の過去が見えてきた。さらに近くにはネットでも話題の廃虚があるなど、一帯はちょっとしたミステリーゾーンと化していた。

近くに船着き場

 豊岡市の中心街から円山川沿いの道を北へ、城崎温泉に向けて車を走らせていると、左手に見えてくるのが「玄武洞駅」だ。うっかりすると見逃してしまいそうなほど目立たない。

 駐車場も周囲にはなく、ようやくスペースを見つけて降車。歩いて駅に近づくと、特徴的な駅舎の青い屋根と青い跨線橋(こせんきょう)が見えた。

 時刻表を見ると、停車するのは上下線とも1時間に1本程度で、無人駅らしい寂寥感を漂わせている。駅前にあるバス停の待合所もペンキがはがれ、“朽ち果て感”が何ともいえない。

 「何のための駅なのか」。周囲を探索し、「玄武洞船着場」という看板の矢印の通り、円山川まで歩くとあった。さびついた看板だ。そこには「乗船希望の方はこちらへお電話ください(対岸より迎えにまいります)」の文字。電話番号と料金も書かれていた。

 「なんだ渡し船があるの?」 そう思ったが、どこかしっくり来ない。実はこれ、正式な営業路線ではなかった。

年間40万人の観光客

 玄武洞公園は、160万年前の火山活動でできた巨大溶岩跡で、規則正しい割れ目の岩石が連なる山陰海岸国立公園の名所。特別天然記念物でもある。江戸時代から観光スポットとして有名だったという。

 その対岸に明治45年、玄武洞駅ができた。現在のようなまともな道がなかった時代、両岸を行き来するのに欠かせなかったのが渡し舟。サオで漕ぐ小さな十石舟が往来していた光景は駅の開業で変わっていく。

 玄武洞への「玄関口」となった駅は、特に戦後復興期から高度経済成長期に観光客がどっと押し寄せた。十石舟はエンジン付の船となり、そして、昭和39年には株式会社「玄武洞観光渡船」が設立された。

302 とはずがたり :2016/02/18(木) 14:16:12
>>301-302
 同社の船頭だった地元男性(83)が保管していたパンフレットからは、定員57人を最大に6隻の観光船を保有していたことがわかる。最盛期には年間40万人もの観光客を運び、「それはすごいにぎわい。観光バスもひっきりなしにやってきて客をはき出してくれた」と男性は振り返る。

 だが、その後、玄武洞公園へ直結する道路が整備され、次第に駅利用の客足は遠のき、45年には無人駅となった。地元の人々は無人化に反対の声を上げたが、当時の国鉄には届かなかった。渡船会社は営業を続けたものの、赤字が膨らみ、平成11年に廃業した。

噂が噂を呼ぶ赤煉瓦の巨大廃虚

 そんな過去を持つ玄武洞駅から北へ歩くと、赤煉瓦づくりの巨大な廃墟に遭遇する。落書きがされ、雑草が伸び放題の有様だが、その威容さは嫌でも目立つ。

 インターネットでも一部マニアに話題となっている廃墟は、約1万平方メートルの広大な敷地に計画されていたリゾートホテル。建物は使われることなく30年以上、雨風にさらされたままになっている。

 詳しい経緯について、地元の人たちに聞いても「あまりに古い話だからわからない」という。ナゾがナゾを呼び、バブル時代に起きた豊田商事事件絡みの物件ではないかという噂も飛び交った。高齢者を詐欺で食い物にし、会長が刺殺されたあの事件だ。

 噂は地元の人たちにも定着しているが、どうも真相は違うようだ。数少ない事情通の話では、昭和59年の着工後、欠陥工事が表面化して兵庫県内の施主と大阪府内の施工業者の間で裁判沙汰となり、計画が頓挫したという。

 それではなぜ、悪名高い豊田商事の名が1人歩きしたのか。市の関係者が示唆したのは、あるテレビドラマシリーズの影響だ。その中の一話が城崎温泉が舞台で、詐欺会社が所有していた廃墟ビルで相次いで変死者が発見されるというストーリーだった。人気シリーズだっただけに、「都市伝説」として定着したようだが、何人かの訳知り住民ははっきり「豊田商事の話はデマ」と言う。

 玄武洞周辺の廃墟はこれだけではない。ひともうけを狙ったバブルの遺物が点在していて、それを探すのも面白いかもしれない。

1日30人、寂りょう感漂う駅舎

 玄武洞駅の利用者は1日約30人。多くは通学客だといい、管理する豊岡駅やJR西日本福知山支社にも関連資料はほとんどない。

 電話で呼べばやってくる現在の渡し船は、事情を知らずに下車してしまう旅行者が時々いるため、路頭に迷わないよう、対岸で集客施設を営業する業者が親切心から始めた。適宜運航しているだけで、「主役」ではない。食堂や土産店が大繁盛していた玄武洞駅前の様子はもう残滓(ざんし)もないが、そんな風情は、当地の名物のカニと同じくらいの味わいがあるかもしれない。

 最後にもう一つ。玄武洞から離れ、日本海に臨む近畿最北の水族館「城崎マリンワールド」の沖にある小島に「竜宮城」がある。今は上陸できないが、昭和25年に作られた観光施設で、水族館敷地内にある浦島太郎伝説の亀のオブジェとともに、平成の現世では異彩を放っている。

 城崎温泉のついでに、こうした場所を訪ねてみるミステリーツアーはいかがだろう?

303 とはずがたり :2016/02/29(月) 18:17:37

よっきの四国探索も間近か!?

特急「宇和海」、自転車そのまま持ち込みOKに JR四国
http://trafficnews.jp/post/49020/
2016.02.29 乗りものニュース編集部

JR四国が特急列車では珍しい、自転車をそのまま持ち込めるサービスを通年で始めます。

別料金は不要、1列車あたり2台分
 JR四国は2016年2月25日(木)、愛媛県内の松山〜宇和島間を走る特急「宇和海」で、自転車をそのまま車内へ持ち込めるサイクリスト向けの新サービスを実施すると発表しました。

 特急「宇和海」の車内を改造して、1列車あたり自転車2台分の「サイクルルーム」を新設。自転車を解体したり折りたたむことなく、列車へ持ち込むことを可能にするものです。下車してからすぐに自転車の旅へ出発できるといいます。


特急「宇和海」に用意される「サイクルルーム」と、そこに自転車を搭載した場合のイメージ(写真出典:JR四国)。
 3月26日(土)から通年での実施ですが、お盆や年末年始といった乗客の多い時期は、また曜日や時期によっては、サービスが行われないことがあります。自転車の積み降ろしは松山駅と宇和島駅限定です。

 利用は普通運賃と指定席特急料金のみで、別料金はいりません。しかし愛媛県内の「みどりの窓口」で発売される専用指定席特急券(サイクル宇和海)を購入する必要があります。

 自転車を列車へ載せたい場合は一般的に、専用の袋へ収納するといった作業が必要ですが、一部の地方鉄道などでは近年、そのまま載せられる「サイクルトレイン」を運行する例がしばしば見られます。

 ただ今回のように、特急列車でそのまま搭載可能なのは珍しい存在です。JR四国は2014年、高松〜松山間の特急「いしづち」でも期間限定ながら、自転車をそのまま車内へ持ち込めるサービスを行ったことがあります。

【了】

304 とはずがたり :2016/03/03(木) 23:30:30
山行ががなかなか更新されないのでフライングw

天空の廃道「砂糠山の養蚕場跡」その7 〜歴史を知る〜 
http://www.kouzushima.info/s15-sanuka8.html

 調査結果
 
  養蚕場のことをまとめると。

【時期】
かいもの婆さん自身がそこに入って作業を始めたのが昭和47、48年あたり。
道やら畑を整備するのに3、4年かかった。
なので昭和43年から昭和45年くらいから工事は始まったのかな

【理由】
当時の国の方針(減反政策のような)で進めていた農業改革の一環で、
それにのっとった村が養蚕事業を始めた。

【当時の雰囲気】
おばあさんらはそこ(砂糠山、長根)で行うのは大反対していて、
現在の多目的広場あたり(多幸湾ファミリーキャンプ場付近)ならやる!
と、言ったらしいのだか結局、砂糠山で話を進められてしまった。

【廃墟になった時期、原因】

昭和55年から昭和58年あたりにはすでに放棄した。(行かなくなった)

放棄した理由は、
そこではそもそも桑の葉が足りず、蚕を育てられず死なせてしまった。
村の方から桑の葉を持ってきたりしたがやはりそれ自体馬鹿らしい、
お金ももらえないし、採算に合わないから辞めた。


【その他の話】

蚕も2回ほどやったが、結局だめで死んじゃった。
その時は泊まり込みでやっていた。

建物の小さい2棟が宿舎。
長い3棟が蚕を飼っていたところ。

ガスボンベとかも、多幸湾のほうから担いで持って行った。

水場は近くにあった。

ここに行く道は、天上山の櫛が峰から山道で行けたが、2000年の地震で崩壊
し道がなくなった。

同じくここから、長根に降りれる山道があったが2000年の地震で崩壊して道
がなくなった。


多幸湾からの海岸線の道は途中までは出来たけど、最後まではできなかった。
その道は今は天上山の崩壊で埋もれてる。


息子(当時中一)が生活で必要なガスボンベを担いで、磯を渡り養蚕場まで持っていった。

夏は勝手にここでキャンプをして遊んだ。

磯から山への索道意外にも、磯の途中まであった道からの水平方向の索道があった。

長根丸という船もあった。

305 とはずがたり :2016/03/08(火) 12:49:03
稚内から遠軽迄と留萌から幌延迄復活して欲しいってのが妄想ベースでの持論だけどけど,こんな記事読むと士幌線と広尾線の復活は勿論,上川迄と様似迄も建設して繋げて欲しくもなるww
wikiに拠ると過疎化で糠平以北はほぼ無人となってるようだ。。北海道ばかでかいダム湖と水力発電所造れる場所,この20年の過疎化で出来てるんちゃうか!?
理性ベースでは巨大ダムには批判的だし,日高本線や留萌本線廃止已む無しの俺ではあるんだけど。。

湖に沈む幻のめがね橋「タウシュベツ川橋梁」を探しに 〜北の大地の産業遺産をめぐる旅〜
http://rurubu.travel/theme/column/22/
2015/9/3

306 とはずがたり :2016/03/21(月) 23:02:12
>>304
良くある耳に蛸の話しだけど,日本硬直した補助金システムが地方の実情に合っていないと云う日本の中央集権制を批判したくも成る。
>養蚕は計画のはじめから無理があったようだ。二次構の事業基準にあわせた規模で施設を作る必要があり、敷地をもちあわせなかった村では農道も整備されぬ山奥に養蚕団地を造成したため事実上使用不可能にちかかった。行政が柔軟性を欠いたための失敗であった。
>『総合都市研究 第22号(1984)』掲載「都市的生活様式の実証研究(その1)―東京都神津島村調査報告―」より引用

しかし豊かな自然を破壊して(植生は復活しているように見えるけど貴重な植物は工事に来た内地の人間に持ち去られたとある)税金を無駄遣いして(国費負担率50%。おそらく村落の中で事業者押しつけられたおばあちゃんの借金が200万円),土建屋だけ儲かると云う構図は恐らく小泉政権から民主政権迄続けた折角の公共事業に頼らない日本という果敢なチャレンジをひっくり返したアベノミクスでも復活しているのであろうけど,一方的に地方が悪いと思ってた俺だが,土建屋が潤う中で,補助金貰う為に事業が農村の構造の中で強行され,善意の地方民が犠牲になってるような面もあるようだ。

官僚どもも自分らの天下り先のことだけ考えてる訳でもなく,多分,恐らく,ひょうっとかすると,日本の事も真剣に考えていて,基準にある筋肉質の興農事案が上がってきて日本の農業が発展すると考えてるんだろうけど,インセンティブ設計の段階で一定のリスクを負うからそれでスクリーニング出来る筈と考えてた様で(俺はそれすらやらないから無駄な事業が増えると思ってたけどそうでもないらしい),その段階で農村の身内ファシズムが発動してムラの為に誰かが犠牲にならないと行けないと云う,マイナスの無尽講的な構造の中で事業の受け手が作られてしまうと云う事もあるようだ。

道路レポート 神津島の砂糠山にある廃道 机上調査編
http://yamaiga.com/road/sanukayama/main7.html

307 とはずがたり :2016/04/05(火) 11:40:29
>現在はわずか2世帯が暮らすのみとなっている。
駅もインターもないのは当然だなぁ。。

>家族が暮らすには十分な米がとれていた
そうなのか。。

占冠「陸の孤島」ニニウへの難所・鬼峠 観光地化の可能性探る 峠越えイベントで当時の住民の苦労体験
03/25 07:00
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0250423.html

 【占冠】役場のある中央地区から交通の難所・鬼峠を越えて、陸の孤島といわれてきた村南部のニニウ地区を目指すイベント「鬼峠フォーラム」が今年も19、20の両日に開かれた。10回目の今回はこれまでの総括も兼ね、鬼峠の観光地としての可能性を考えた。20日に13人が参加した恒例の峠越えに同行し、当時の住民の生活に触れることで、寂れゆく鬼峠とニニウのあり方を探った。

 前日の雨で軟らかくなった雪に、スノーシューを履いた足が深く埋まる。鬼峠は実は2カ所ある。今回は馬そりを通すため、1929年(昭和4年)に開通した2代目鬼峠を行くルートを歩いた。山中の木々の間を1時間ほど縫うように登り、さらに林道を約1時間歩くと、標高640メートルの峠に到着。振り返ると占冠の家並みが小さく見え、遠方には夕張岳(1667メートル)が顔をのぞかせた。

 3時間ほど下ってニニウに到着し、63年まで同地区で暮らしていた会田静雄さん(80)と合流した。会田さんが住んでいた家は風雪で窓ガラスや壁が壊れ、廃屋となっていたが「家の裏で稲作をし、家族が暮らすには十分な米がとれていた」と当時を振り返った。

 高台のニニウ神社では、高さ、幅とも2メートルほどの小さな社の前に神酒と緑青(ろくしょう)の浮いたさい銭が供えられ、会田さんが子どものころから祭りで使われていた古い獅子舞の頭が納められていた。参加者は除雪、参拝をし、雪を踏み固めた土俵で奉納相撲を取った。

 50年代ごろまで、約30世帯が農業や林業で自給自足生活を送っていたニニウだが、60年代から人口の流出が加速。75年にはニニウ小中学校が閉校し、現在はわずか2世帯が暮らすのみとなっている。

 フォーラムは鬼峠を実際に歩き、住民の生活や歴史を知ることを目的に、実行委(山本敬介代表)が2007年から開催している。冬に行うのは、ヒグマ対策に加え、厳しい寒さの中でも生活のために峠を行き来した住民の苦労を体験するため。会田さんは「雪深い日でも、仕事があればほぼ毎日、スキーや馬で越えていた」と話す。

 ニニウは現在、地区を横断するような形で道東道が走り、林道も通っており、昔ほど「秘境」というわけではない。だが、豊かな自然以外にも、不便な地で住民がつつましく生きていた痕跡が色濃く残っていた。上富良野町出身でニニウについて研究する立松宏一さん(39)=旭川市在住=は「鬼峠を実際に歩き、山奥で質素な暮らしをした住民の生活に触れることは、豊かな文明を見直す機会になる」と期待する。

 限界集落が各地で問題視される中、ニニウの持つ寂寥(せきりょう)感は、地方の消滅が実際に起こり得るものだと訴えかける力を持つ。長崎県の端島(軍艦島)のように炭鉱の「廃虚」が観光地として注目され、世界文化遺産に登録された例もある。ニニウには夏の探索・周遊ルートの確立など課題も残るが、参加者からは「観光地としての潜在能力があるのでは」との声が上がった。

 中富良野町内の小学校で教諭を務める一永明彦さん(59)は「衰退の歴史を含め、子どもたちの学習の場に最適」と感想を述べた。(古市優伍)

308 とはずがたり :2016/04/05(火) 11:41:53
県道スレ相当ぽいんだけどr136の夕張側の未開通区間,俺の北海道地図には細いながら緑線で繋がってる。。

ニニウのこれから
http://www.onitoge.org/ninew/

道道136号
夕張新得線
http://www.d4.dion.ne.jp/~s-sousai/yubari/index.htm

ニニウから夕張市との境界にかけての区間(占冠村の旧ニニウ夕張線区間)

 事業を申請しているが建設省のほうで採択していない模様。

村道日勝赤岩線改め道道占冠穂別線開通レポート
http://www.onitoge.org/ninew/w/20070414.htm
2007.4.14
本年11月に道東道トマムICが供用を開始すると,現在日勝峠を経由している車両の大多数が占冠経由にシフトすると予想され,旧村道日勝赤岩線は道央と道央を結ぶ重要な道路となる。

309 とはずがたり :2016/05/02(月) 19:47:59
よっきさん,事件です!
こんな所に通行止めの標識が!?
https://www.google.co.jp/maps/@35.0544214,137.5999359,3a,75y,142.79h,76.93t/data=!3m6!1e1!3m4!1squh7Q12PynXt9_ldr-ZNyA!2e0!7i13312!8i6656

なんか分断県道r424振草三河川合停車場線の分岐臭いが,この写真とは違うな。。
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_3.htm

だいぶ香ばしい経路の県道だ。

310 とはずがたり :2016/05/02(月) 20:02:26
此処から未通区間(1km程らしい)を抜けると宇連(うれ)である。

宇連
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/23.Aichi/Shitara_Ure.html

 大字川合は町内でも地理的に孤立しており(※)、町内から自動車で訪れるには鳳来町【現・新城市】を経由することになる。
 集落では管理家屋が1軒、廃屋が2軒のほか、神社(諏訪神社)が見られた。神社は現在も訪れている人がいるようで、手入れがされている。また集落には学校(神田(かだ)小学校宇連分校)があるが、存在は後から知ったためこれを見ることはなかった。HEYANEKO氏ほかの調査によると、支流(スキャン画像では下方)奥に朽ちた木造の校舎が残っているという。

愛知県・一般県道424号
振草三河川合停車場線
その4
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_4.htm
その5
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_5.htm

未成道の旧道っぽい区間の分岐があるのは此処のようだ。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.36.55.506N35.2.2.907/zoom/10/

廃屋と神社のあるのは新道区間の橋の直進した道かな?

311 とはずがたり :2016/05/02(月) 20:05:33
>>309-311
山の道が野放図に建設されるのには怒りを感じるし,好い加減にしろよと思うんだけどあと1kmで建設が放棄されてるのも怒りが。繋げばもう一寸役立つのに,此処迄造って止めるなら最初から造るなよなぁ。。

312 とはずがたり :2016/05/02(月) 20:59:25
>>309-312
山道のr424振草三河川合停車場線の分岐点は此処だ。さっきのは只の河原かなんかへ降りるだけの道?
https://www.google.co.jp/maps/@35.0562085,137.6021742,3a,75y,192.52h,70.95t/data=!3m6!1e1!3m4!1sHZBjf_pa02o6FQ9dOuJzBw!2e0!7i13312!8i6656

向こう側の道路があんなに工事されてるのに取り付けの此方側が全く気配無しなんは何故だ?

313 とはずがたり :2016/05/02(月) 21:03:36
r424の北側の欠落部の林道直進した箇所。

こんな所に立体交叉が!?
http://www.mapion.co.jp/m2/35.09071552633145,137.6170635031824,17

314 とはずがたり :2016/05/02(月) 21:22:55
<浜松宇連田口ルート>
腹立たしいが後1km位なのだからr424がr32に繋がってれば良いのにと思う。

宮口(R362)r68浜北三ヶ日線→r299渋川都田停車場線(観音山)→r298(静岡県内)・r505(愛知県内)渋川鳳来線(越県道のナンバー統一ななされてない様だ。。)→r442鳳来佐久間線(静岡県内はr390)→市道(google mapのストリートビューにも載ってて抜け道としてはしっかりと認識されてるようだ)→r519七郷一色名号線→鳳来峡IC・三河川合(R151)─r424(鳳来湖)http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_1.htm→--(未通)--─r32長篠東栄線(r424重複)→R473→田口(R257)がほぼ繋がる(田口は鉄道の終着駅だったこともある要衝である)。
渋川鳳来線や鳳来佐久間線のナンバー統一と併せて主要地方道浜松設楽線でも指定して欲しい所だw
三遠南信が豊橋(三河吉田)から遠州を経由するニュアンスが有るのに対して,浜松〜恵那は遠三東濃の流れである♪

R257が新東名の現道として併走しているのに対してこちらは三遠南信道の併走路だな〜。

315 とはずがたり :2016/05/02(月) 21:28:25
やはりそうなんだな。何となく周囲の道路罔に対して違和感あったけど。

稲目トンネル
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_iname.htm

稲目トンネルは元は昭和43年に廃線となった豊橋鉄道田口線の鉄道用トンネルでした。鉄道廃止から10年間ほどは鉄道代替の豊橋鉄道のバス専用トンネルとして使われ、この間は出入り口に柵が設けられて一般車の通行は禁止されていました。
 当時、旧鳳来町と設楽町を結ぶ道路は旧来からの与良木峠を越える道しかなく、地元住民からは稲目トンネルの一般開放望む声が多く出されました。これを受けて全面改修を施したのが現在の稲目トンネルです。改修により大幅に拡幅され、鉄道トンネル時代の面影は全く残っていません。

316 とはずがたり :2016/05/05(木) 11:41:59
これだけど,ここhttp://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.46.10.428N35.4.20.832/zoom/9/に浜松市と東栄町が接している箇所がある。
浜松市は元浦川で東栄町は元々振草と云う地名だったのでは?

http://www.k2.dion.ne.jp/~route-xx/Contents/Report/r293/r293_10.htm
さらに奥へ進むとr293沿いの岩にある文字が書かれた場所を発見した
 『ウラガワ』とは静岡県浜松市天竜区佐久間町浦川
 『フリクサ』とは愛知県北設楽郡東栄町振草
 と思われるが、これがある場所は愛知県内であり『ウラガワ』が指すのは浜松市の
 地名でここに境界線があるはずはなく、『フリクサ』もこの場所から10km程離れた
 場所の地名でここではない
 またしてもこの文字の意図するところは不明

317 とはずがたり :2016/05/30(月) 10:18:21

武田尾〜道場間で不通の(未通の?)r327。災害で不通だそうな。開通してた様には見えないんだけど。
無駄な道路ばんばん造ってる様に見えるけど武田尾の陸の孤島が全く解消しないのは何故だ!?一寸R418の丸山地区に似て無くも無いロケーションであるw
けどこっちは新名神のSICが出来て既にJRの駅で阪神中枢部に直結だし便利になるぞ。武田尾宝塚パークタウンとでも銘打って宅地開発しよう♪
まあそれは兎も角俺のドミナントだし行ってみないと。。

道路情報 - 兵庫県道路総合管理システムhttp://road.civil.pref.hyogo.lg.jp/RoadLan/InternetGeneral/Common/RoadLan_Top.aspxより

http://road.civil.pref.hyogo.lg.jp/RoadLan/InternetGeneral/kisei/RoadLan_Regulation_Detail.aspx?RRID=3&amp;RID=10570
路線 (一)県道327号切畑道場線
規制内容 全面通行止め
規制理由 災害復旧工事
規制場所 宝塚市玉瀬
規制期間 平成27年 2月 24日〜平成27年 6月 30日
規制時間 終日
対象車両 諸車全般

JR道場駅-武田尾駅間、兵庫県道327号線分断区間
http://ameblo.jp/gorou25/entry-11520875836.html
2013-04-29 22:06:03

兵庫県道327号切畑道場線
http://blog.goo.ne.jp/cherubimcaad10khs/e/0eb9012747faf27ce15babe9dfda513d
2013-11-25 19:03:48 | 兵庫県道

兵庫県道327号 切畑道場線(止)
http://michi.road.jp/Road/Hyg327_1.html

318 とはずがたり :2016/06/21(火) 22:42:52
東京駅から電車で60分、「都心からもっとも近い廃村」はこうして生まれた
http://nikkan-spa.jp/1127656
2016.06.08 雑学

駅から見える海上自衛隊の基地

 東京駅からJR横須賀線で約1時間。横須賀駅からほど近い田浦という場所にその廃村はある。駅周辺は山に囲まれ閑散としているが、少し歩くと昔ながらの商店街や海上自衛隊の学校があり、自然と人工物が混在した風景が広がっている。

 そして駅から盛福寺というお寺を目指し15分ほど歩くと、京急本線とJR横須賀線が交差するポイントが見えてくる。それが今回の目的地「田浦廃村」の目印だ。ちょうど踏切を超えたエリアからが廃村になるのだが、草も伸び放題で手入れされておらず、どこか異世界への入り口のような雰囲気を漂わせている。

約30年手付かずの状態の理由は

 一体なぜこのような有様になってしまったのだろうか。横須賀市田浦の行政センターに問い合わせてみたところ「この辺りを開発しようとした業者が、何かしらのトラブルで断念せざるを得なくなり、そこから現在まで2〜30年ほど放置されている。行政も手をつけられない状態」との回答を得た。

 より詳しい事情を知ろうと、近くの田浦地区の住民(40代・女性)に話を聞いたところ「30年ほど前かな、丸紅が住宅開発しようとして、山に住む住民に半ば強制的に退去を命じたんです。だけど、この一帯はところどころにある柱の『波マーク』を見てわかるように、海軍の土地であるのと、道路の下には丹沢の山の方からつなげている水道管が4本走っています。それを避けて工事をしていくのには予想以上に費用がかさむようで、業者と揉めてしまったとか。そのまま計画自体が頓挫したようです。」と答えてくれた。

319 とはずがたり :2016/08/03(水) 15:15:50
北摂と京都北山,俺の大好きなフィールドで未成道レポの充実♪

路面と勾配 f/k/a北摂ひっそり
http://nekotani.blog.fc2.com/

320 とはずがたり :2016/08/04(木) 18:43:35
京都北山祖父谷峠関連
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187488248/493-495

このバイクはいつの走行だ??

分断京都府道61号京都京北線
http://www.yamasita.jp/weblog/2012/05/post_175.html

国土地理院の北側の様子。あらぬ方へ向かってる様にも見えるが。。(;´Д`)
http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.14611111111111,135.73749999999998&amp;z=15#16/35.176404/135.710485/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

321 とはずがたり :2016/08/05(金) 23:45:36
これhttp://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.10.21.149N34.42.39.010/zoom/10/,廃トンネルだそうな。しかも有馬街道から再度山ドライブウェイに抜けれるなんて素敵トンネルじゃあないか。
カギ掛かっててワルニャンもできないようだが(;´Д`)
トンネル抜けたところの神戸港地方ってどんな地名だ?!

【神戸市兵庫区】廃トンネルと七三峠
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-332.html#comment2129
2014/05/07 00:10

322 とはずがたり :2016/08/29(月) 20:08:41
大日本者神國也と云うきもいタイトルのブログ。
多奈川線があるのは川崎重工の軍需工場があったからで,支線開通に伴って南海本線上にあった深日駅が廃止と相成ったと云う事らしい。現在,川重の工場は勿論ないが関電多奈川発電所(休止中)はその敷地跡にあるそうな。
色々繋がってくる。で,こんな所に投下するのは地下壕の写真があるからw

川崎重工業株式會社 泉州工場
http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1170.html

323 名無しさん :2016/08/31(水) 13:38:02
>>322
文句があるなら引用するなカス

324 とはずがたり :2016/08/31(水) 15:23:27
興味深い記事は政治信条に拘わらず引用させて頂いてます。

万が一ブログ主ご本人様でしたら大変失礼しました。今後とも歴史研究の進展を楽しみにしております。

325 とはずがたり :2016/09/06(火) 09:54:32
福井県道174号だが未通県道ではなく鉱山県道だったようだ。http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1595で取り上げたr175熊河池田線が次のナンバーで行き止まり県道としては現状では共通だがこちらは山を越える計画はないということのようだ。
中竜鉱山,なかなかよさげである。

むかし と いま
【週末探険隊合同探索】 過去と現在
http://ruin-explorer.com/nakatatu/nakatatu.html
撮影日 2008年3月

福井県道174号上大納下山線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E9%81%93174%E5%8F%B7%E4%B8%8A%E5%A4%A7%E7%B4%8D%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E7%B7%9A

中竜鉱山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%AB%9C%E9%89%B1%E5%B1%B1

中竜鉱山(なかたつこうざん)は、福井県大野郡和泉村(現大野市)に存在した鉱山。スカルン鉱床、気成鉱床からなり、古くは13世紀から銀山として、また近代になってからは亜鉛鉱山として知られる。モリブデン鉱などレアメタル鉱石も産出していた。1987年、円高により採算が悪化し閉山した後は、鉱山の跡地を利用した体験型鉱物博物館である「アドベンチャーランド中竜」(後述)として再利用された。
アドベンチャーランド中竜[編集]
専用バスにて地下120mまで移動しながら坑道の跡地、採掘現場を見学できる日本では珍しい博物館。途中、坑道に向かうバスの道の脇には当時の建物が多く残されている。また資源が枯渇して採掘を中止したわけではないことから、坑道に露出する生の鉱石が見ることができる。調査によると十年分の鉱石が残されて閉山したという。
国内外から鉱物マニアや地質学を学ぶ学生などが多数訪れていたが、来場者数減少のため2006年11月30日限りで営業を終了した。

326 名無しさん :2016/09/29(木) 13:44:59
「どこの山行くの?」「霧ヶ峰」「エアコン!?」

夏も終わり涼しくなってきましたが、秋の行事に登山などを計画している方も多いのではないでしょうか?

そこで今回は「名前がかっこいい日本百名山の山」を調査・ランキングにしてみましたので、ご覧くださいませ。

1位鳳凰山 ほうおうざん 山梨県南アルプス市、韮崎市、北杜市 334票
2位剱岳 つるぎだけ 富山県中新川郡上市町、立山町 293票
3位霧ヶ峰 きりがみね 長野県茅野市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町、小県郡長和町 124票
4位御嶽山 おんたけさん 長野県木曽郡木曽町、王滝村、岐阜県下呂市、高山市 99票
5位皇海山 すかいさん 栃木県日光市、群馬県沼田市 78票
6位武尊山 ほたかやま 群馬県利根郡みなかみ町、川場村、片品村 76票
7位美ヶ原 うつくしがはら 長野県松本市、上田市、小県郡長和町 74票
8位八甲田山 はっこうださん 青森県青森市、十和田市 69票
9位槍ヶ岳 やりがたけ 長野県松本市、大町市、岐阜県高山市 58票
10位五竜岳 ごりゅうだけ 富山県黒部市、長野県大町市 46票
10位大菩薩岳 だいぼさつだけ 山梨県甲州市、北都留郡丹波山村 46票

12位霧島山 きりしまやま 宮崎県、鹿児島県 45票
13位羅臼岳 らうすだけ 北海道目梨郡羅臼町、斜里郡斜里町 42票
13位瑞牆山 みずがきやま 山梨県北杜市 42票
15位トムラウシ 上川総合振興局上川郡美瑛町、十勝総合振興局上川郡新得町 40票
16位早池峰 はやちね 岩手県宮古市、遠野市、花巻市 36票
16位天城山 あまぎさん 静岡県伊豆市、伊東市、賀茂郡東伊豆町、賀茂郡河津町 36票
18位穂高岳 ほたかだけ 長野県松本市、岐阜県高山市 33票
18位蓼科山 たてしなやま 長野県茅野市、北佐久郡立科町 33票
20位燧岳 ひうちだけ 福島県南会津郡檜枝岐村 31票

外部リンク:ranking.goo.ne.jp

327 とはずがたり :2016/10/04(火) 14:43:32
じっぴコンパクト文庫『山さ行がねが』入手♪

328 とはずがたり :2016/10/04(火) 14:52:00
google mapで岐阜県大野郡白川村加須良へ♪ここは砂利道もgoogle mapは珍しく攻めてる♪
https://www.google.co.jp/maps/@36.3237615,136.8455945,3a,75y,282.28h,93.26t/data=!3m7!1e1!3m5!1skRtjWNNOxxPzkaAbf-sYoA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DkRtjWNNOxxPzkaAbf-sYoA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D324.63397%26pitch%3D0!7i13312!8i6656

329 とはずがたり :2016/10/04(火) 17:19:21
3161 名前:とはずがたり[] 投稿日:2016/10/04(火) 14:57:24
これがグーグルマップの終点。この先からよっきが出てきたのかw
それは兎も角本はネットに比べて読みにくいね。。
https://www.google.co.jp/maps/@36.3248312,136.8453212,3a,75y,349.77h,93.13t/data=!3m6!1e1!3m4!1sEHQ2f_Wgf_iREXmQZ2gtbw!2e0!7i13312!8i6656

330 とはずがたり :2016/10/04(火) 17:23:03
加須良聚落はS27に林道起工,難工事の末S36(1961年,俺の生まれる10年前だ。。)に開通,そして僅か7年後のS43(1968年)には廃村となっている。
俺は怒りを込めて効果の無い過疎対策事業を糾弾してきたが,あれは過疎を推進し廃村を実現する為に行われていたんだな(;´Д`)

331 とはずがたり :2016/10/04(火) 17:43:42
2章は数坂峠。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.10.27.750N36.39.32.083/zoom/8/

332 とはずがたり :2016/10/05(水) 18:17:16
大学生の頃か笠置の廃ホテルに肝試ししたけど犯罪だったか!まあ不法侵入は犯罪なんだけど騒ぐと迷惑だから本当に逮捕されるのか。大学生みたいな未成年じゃないとどうなんやろ??

廃旅館で”肝試し” 少年11人 家裁送致
http://news.goo.ne.jp/article/chuplus/nation/chuplus-CK2016100502000097.html
05:00中日新聞プラス

小松署 無断で侵入疑い
 廃旅館に無断で立ち入ったとして石川県警小松署は四日、軽犯罪法違反の疑いで県内の十七?十九歳の高校生や無職少年ら十一人を金沢家裁に送致したと発表した。「心霊スポット」として知られ、インターネットでも紹介されている場所で、少年らは肝試しと称して入り込み、大騒ぎして通報された揚げ句、“怖いおまわりさん”に叱られる羽目になった。
 送致容疑は七月三日午前一時十分ごろ、同県小松市の粟津温泉街近くにある廃旅館の敷地や建物に無断で侵入したとされる。署によるとネットで検索して初めて訪れたといい、十一人とも容疑を認めている。
 粟津温泉観光協会によると現場は一九九七年の廃業後は放置されたままで、敷地や建物を植物が覆い、昼間でも不気味な雰囲気がある。
 近隣住民は「十年ほど前から夏になるたび、肝試し目当ての若者グループが深夜に来て騒ぎ、うるさくて眠れない」と話す。今回は一一〇番が寄せられ、署員が駆けつけた。
 協会によると地元からは取り壊しの要望が出ているが、今のところ予定はない。署は二〇一三年と一五年にもこの廃旅館への侵入容疑で別の少年らを家裁送致しており、周辺のパトロールも強化している。

333 とはずがたり :2016/10/07(金) 10:06:00
確かにr70でR42に繋ぐ方が整備する道路少なくて好いな。

鳥越林道
https://www.google.co.jp/maps/@33.9743342,136.1432467,14z

googleが諦めた地点。隧道と現道の落差1mをみたかったのにぃ・・舗装の一部が剥がれてるとは云えこんな手前で諦めるなんてだらしいないぞ!
https://www.google.co.jp/maps/@33.9678865,136.1255869,3a,75y,23.3h,73.84t/data=!3m7!1e1!3m5!1sRnALdBq4DpmWNScxgUYQxA!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DRnALdBq4DpmWNScxgUYQxA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D156.14363%26pitch%3D0!7i13312!8i6656

334 とはずがたり :2016/10/10(月) 22:48:50
秩父に謎多き巨大洞窟 埼玉県、全容解明の本格調査へ
http://www.asahi.com/articles/ASJ955JR6J95UTNB00Y.html?iref=com_favorite_03
中村純2016年9月12日19時15分

 奥秩父の険しい山中にある「瀧谷洞(ろうこくどう)」。関東最大級の洞窟といわれるが、容易に人が近づけず、未知の部分も多い。洞窟内からはクマの全身骨格やニホンオオカミの歯と類推される化石が見つかるなど学術的価値も高いとされ、全容解明へ埼玉県が本格調査に乗り出す。

 この洞窟は1989年、旧大滝村(現秩父市大滝)で民間の探検グループが発見した。形成期は数十万年以上前とみられ、洞内全体に鍾乳洞が広がる。大きさは推定で全長2・7キロ以上、高低差160メートル。関東では日原三又(にっぱらみつまた)洞(東京都奥多摩町)と並ぶ規模という。名前の由来になった高さ約50メートルの滝や深さ約30メートルの谷も確認されている。

 元同市大滝総合支所長の山中和則さん(62)は計10回、洞内に入ったことがあると話す。「それはもう神秘的な白さで、きれいで、自然の創造力に圧倒されっ放しでした」

 異例のスケールと幻想的な美し…

残り:611文字/全文:998文字

335 荷主研究者 :2016/10/22(土) 15:00:09

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161009_13022.html
2016年10月09日日曜日 河北新報
廃墟マニアの聖地売ります 問い合わせ次々

廃墟マニアの聖地ともなっている「化女沼レジャーランド」。現在、購入者を募っている

 大崎市古川小野の休園中のレジャー施設「化女沼レジャーランド」(後藤孝幸社長)が、施設と土地の年内売却を目指し、購入者を募っている。廃虚マニアの聖地ともなっている場所で、9月以降、十数件の問い合わせがあったという。

 化女沼レジャーランドは1979年、大崎市民の憩いの場である化女沼の東岸に開園。約15万平方メートルの敷地内に遊園地やゴルフ練習場、室内ゲートボール場、コテージなどが立ち並び、最盛期は年間20万人が利用した。バブル崩壊後は客足が遠のき、2001年10月に休園した。

 遊園地の観覧車やメリーゴーラウンドなどは解体されずにさび付き、近年の廃虚ブームで全国からマニアを呼び寄せている。後藤社長の許可の下で撮影会などが開かれている。

 「化女沼を一大観光地に」との夢を忘れられず、後藤社長は施設や土地の切り売りを拒んできた。しかし今年6月、転倒して膝を骨折し、つえを手放せなくなった。後藤社長は「私も85歳。いいかげんに我を折りなさいという照夜姫(化女沼の主とされる伝説上の女性)のご意思かもしれない」と思い、売却を考えるようになった。

 9月にテレビ番組で売却の意思が伝わると、北海道や関東地方、中部地方などから問い合わせがあった。

 視察に訪れる人からは「敷地内から湧く温泉を生かし保養施設を造る」「廃虚のテーマパークにしたい」といった提案が出ているという。後藤社長は「この土地を活用してくれるなら喜んでお譲りする」と話す。

 化女沼の環境美化に取り組む市民団体の代表は「東北自動車道の長者原スマートインターチェンジや東北新幹線の古川駅から近い。自然環境とマッチした施設に生まれ変わってほしい」と話す。

336 とはずがたり :2016/11/04(金) 20:08:21

鉄建公団が建設した中の路線の予定駅マップの写しらしきものがあるが邪魔なので捨ててしまおうかと思うが棄てる前に転載しとく。稚内─浜頓別─北見枝幸─雄武─興部─紋別─中湧別─遠軽,幌延─羽幌―留萌─深川を公的資金で建設・維持できないもんかと北海道各線の廃止推進派の俺だから矛盾するけど思う。。

興浜線
興部──雄武--元稲府--北見音稲府--北見幌内--枝枝幸--北見音標……幌別(美幸線分岐)--北見枝幸──浜頓別
美幸線
美深──仁宇布--北見大曲--上穂志別--志美宇丹--辺毛内--歌登--下幌別--幌別(興浜線合流)(--北見枝幸)

白糠線
足寄---中足寄--螺流--茂螺流

こんなサイトもあった。

興浜線未成区間調査
http://www.tetsuroni.jp/haisen/kouhin/
廃線探索 興浜線(未成線)
http://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/140824kouhinsen.html

337 とはずがたり :2016/11/18(金) 18:37:41
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

『国鉄全線各駅停車 駅』で知ってたけど良く解らなかった油津線が良く判った。wikiの記事https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%B7%9A#.E5.AE.AE.E5.B4.8E.E7.9C.8C.E5.96.B6.E9.89.84.E9.81.93.E9.A3.AB.E8.82.A5.E7.B7.9A.E3.83.BB.E5.AE.AE.E5.B4.8E.E7.9C.8C.E5.96.B6.E8.BB.8C.E9.81.93.E2.86.92.E5.9B.BD.E6.9C.89.E9.89.84.E9.81.93.E6.B2.B9.E6.B4.A5.E7.B7.9Aを併用しつつ纏め。

先ずは妻─佐土原─宮崎と同じく宮崎県営鉄道(有吉忠一県知事は前任の千葉県でも県営鉄道を敷設している)に拠る建設で,1913年に(旧)飫肥─油津が開通したとのこと。途中駅は一里松の1箇所で,此処には後の日南線吾田駅(後の日南駅)が開設されている。

その後の県営鉄道の経営は乗合との競争で苦しかった様で1931年には(旧)飫肥を東飫肥に解消して飫肥市街地迄400m程延長し(新)飫肥を設置している。

1932年には星倉駅から分岐し飫肥杉や薪炭を搬出する県営軌道が大藤(おおとう)迄開通(5.3km・(貨)殿所、(貨)内之田、(貨)大藤が開設)し,大藤からは更に既設の北郷村迄の森林軌道が接続したとのこと。今も日南線によって北郷─飫肥─油津と辿れるのは心強いけど,更には高規格道路を造ってる様である。。早晩日南線も要らなくなりそうであるが,今でも既に要らんと云えば要らんのかも知れない。。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E131.22.28.235N31.39.8.026/zoom/6/

この県営軌道の路盤は一部日南線に使用された様だが,白黒の細かい地図を見てると目が疲れてくるのでよく判らない。廃トンネルもこの辺にありそうなんだけど,ここhttp://yahoo.jp/u6Quwfか?道路になっちゃってるっぽい。

その頃現在の日南線が志布志線として志布志方面から延伸され,1935年には宮崎県営鉄道・県営軌道ともども国有化されて油津線(飫肥─油津6.8km・星倉─大藤5.3km)となる。

志布志線は1937(S12).4.19に大堂津から油津迄開業,それに先立つ4.5に(旧)油津駅は元油津と改称される。そして1941.10.28に志布志線が油津─北郷が開通し,同日油津線は廃止され,元油津─油津は貨物支線(1960年廃止)とされる。改軌が必要だった筈だけどどんな対応したんだろうか?複線で並べたのか?3線にしたのか?

その際,飫肥への進入経路はその先宮崎方面への延伸を鑑みて逆側にされて西側から進入する現在の形になって居る。この辺の経緯からちょい複雑で俺は何がどうなってるのか良く理解出来なかった様だ。
北郷の先に割合に長大なトンネルがあるけど,宮崎迄全通したのは1963年との事。北郷から先はその時に南宮崎から一気に開通した新しい路線だそうな。

兎にも角にも日南線は元来の根元である南都城─志布志が奪われて仕舞った形である。志布志線(1987.3.28廃止)と大隅線(1987.3.14)の一部,都城─志布志─鹿屋(─鹿児島へのフェリー乗り場)は復活したくもなる♪赤字でもネットワーク性を大事にしたいとする頼もしいJR九州なんだけどねー。
南都城─志布志─北郷を志布志線のままにしてたら廃止を免れたであろうか?それとも機械的に北郷以南が廃止されていたであろうか?

338 とはずがたり :2016/11/18(金) 18:54:10
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

今回は大隅線篇
日南線が全通以前は志布志線だったのは知らなかったけどこちらが古江線という名前だったのは知っていたぞ♪
>>336で鹿児島へのフェリー迄復活と書いたけど,古江が重要な港町だったのは忘れていたけど(;´Д`)
今は垂水に鹿児島行きのフェリー乗り場があるらしい。
垂水・鹿屋は兎も角,古江は知らんなあと云う印象だけどこの辺では一番整備された港だったそうな。

先ずは南隅(なんぐう)軽便鉄道として建設されたが資金難で古江─鹿屋が建設出来ず,鹿屋の外港の高須(飛び地だったり関係が深かったそうな)迄建設してそこから北上したとこと。鹿屋─高須が1915に開通,自社で高須─鹿児島の船便も出したそうだが整備された古江港に対して高須港は西風等が原因の欠航が相次ぎ(恐らく鹿屋の古江外しの目論みは失敗),貨物輸送は馬車や自動車に移ってしまった為,1923年に古江迄延長開通したとのこと。

結局1935年に国有化されて国鉄古江線となる。1938年には改軌されたがその際に鹿屋駅でのスイッチバックが解消されたが市街地からは遠くなったそうな。垂水港迄復活・新設の際は是非,鹿屋市街に近づけるとともにそのまま古江迄直進させて距離を縮めたいw
改軌を機に,古江西線(古江─東串良)と古江東線(東串良─志布志)が合体されて直通運転が可能になり時間も短縮されたそうな。

その後国分迄開通するも閑散路線で廃止されちゃったのは皆様ご承知の通り。フェリーとの直通を考えて建設して欲しかった。

339 とはずがたり :2016/11/18(金) 20:10:55
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

大蔵線・添田線・小倉裏線等

日田彦山線は元々小倉鉄道と云って,石炭搬出港の東小倉が起点で,石田迄は今は廃止されている。市街地からは離れてるが東小倉からは路面電車で連絡してたようだ。東小倉(─妙見─水町[信])─石田─香春(上香春)─大任─添田(上添田)を開通させて小倉鉄道は1943年に戦時買収により国有化,添田線となった。

1956年に城野付近で経路変更が行われて東小倉直行線は貨物線化,1962年に廃止された。妙見駅は貨物駅だったそうな。何を扱っていたのかね?

あと,小倉─黒崎間は元々陸軍の要請で内陸経由とされたが,官営八幡製鉄所の建設を機に海岸周りに建設され,旧線は大蔵線とされてたが1911年に市内電車(九州電軌後の西鉄)に譲る形で廃止となった様だ。
西鉄も廃止されてしまったしモノレールをこっちにも造れたりしないかねえ??

あと小倉付近も海岸寄りだが内陸部に建設せよという軍部の横槍に対して元々建設した九州鉄道は仮線だと言い張って海岸沿いに建設し,兪,本線造れとなると請願して小倉裏線の建設で手を打つ事になった。

小倉鉄道の東小倉駅からほぼ現国道3号線のルートで進んで豊州線(日豊本線)に接続,更に大蔵線に接続するものだったとのこと。1903年には準備完了し,1904年の日露戦争に全面的に使用されるものの輸送は1週間程で終わってその後は余り活用される事無く1917年には廃止になったそうな。
日本が列強になって海岸沿いをそれ程陸軍も恐れなくなったか?第一次大戦中の廃止である。

本所収の地図が細かくて目が痛くなってくるがネットには判りやすい図がいっぱいある。
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B0%8F%E5%80%89%E8%A3%8F%E7%B7%9A&amp;tbm=isch&amp;tbo=u&amp;source=univ&amp;sa=X&amp;ved=0ahUKEwimsdrvlLLQAhUEgbwKHeXpCJ0QsAQIKA&amp;biw=1366&amp;bih=638#imgrc=w6PsdxZlRBF8oM%3A

340 とはずがたり :2016/11/20(日) 19:14:21

『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

世知原線・臼ノ浦線・柚木線等の支線が簇生してた松浦線だけど,色々変遷が有ったようだ。

佐世保軽便鉄道が1920(T20)に相浦─柚木11.9kmを開業させ,翌1921年には左石(元大野)─上佐世保3.1kmが開通,上佐世保は当時の国鉄佐世保線の北佐世保に隣接していた。

今は中間駅の相浦であるが,小浦方面へ延伸する時に,実盛谷と云ふ乗換専用の分岐駅を今の本山駅の西側に設置して小浦へ直行(相浦は支線の終点となった)したが小浦が干満の差が大きくて積み出し港として荷役効率が悪かった(とは註:相浦の積み出し港としての機能は不十分だったのか?)ので更に臼ノ浦迄1931年に7.8km延伸,同年中に小浦北側の四ツ指から分岐して佐々迄1.7km建設して岡本彦馬鉄道に接続,1933年には佐世保軽便鉄道が岡本彦馬鉄道を買収してる(とは註:岡本彦馬鉄道の積み出し港は佐々から更に四ツ指駅の南隣だった様で此処迄線路が延びていた様だ)。

柚木▲(柚木線は1967.7の水害で不通,1967.8に廃止,柚木炭砿の廃坑は1972。)

大野(左石)─上佐世保・北佐世保━(佐世保線)━佐世保

実盛谷(現本山駅西方)─相浦◎(0kmポスト)

小浦◎

四ツ指(国有化時に四ツ井樋に改称)─大悲観(後の国鉄臼ノ浦駅は此処ら)─臼ノ浦◎(臼ノ浦線は1971廃止)

佐々(此処から先は松浦炭砿鉄道,その後の岡本彦馬専用鉄道)─(芳浦)?◎

肥前吉井

世知原▲(世知原線も1971廃止)

▲…炭砿・◎…積み出し港

1936年に国有化され,改軌工事が1939年から始められて1943年に北佐世保─相浦・左石─柚木が,1945.3に全線の改軌が終了した。

この改軌時に上佐世保は廃止されて北佐世保経由となった。
また実盛谷─真申(まさる)の山越え直結ルートは廃止され,盲腸線の終点だった相浦から真申迄建設して相浦が中間駅となる様に改良した。この辺は飫肥と北郷への県営軌道の関係>>337とよく似てゐる。

また臼ノ浦へは佐々からの接続に変更されて臼ノ浦駅は元大悲観駅付近に建設されたが,臨港線は旧臼ノ浦駅周辺迄伸びてゐた様だ。その時に四ツ指─大悲観は廃止された様だ。

松浦鉄道は頻繁運転で客も確保して善戦しているイメージだが,柚木線や世知原線,臼ノ浦線と云ったネットワーク性があればそれを活かせたかもしれないと思うと一寸惜しい。まあ廃止されたのは国鉄分割時に廃止になったのではなくその前の篠山線とか根北線が廃止になった時のものなのでまあ流石に惜しいと云うのは云い過ぎかw
柚木線は佐世保近郊になってて人口増えたりしてないかな??

341 とはずがたり :2016/11/20(日) 19:25:10
松浦線の神田(こうだ)

佐々町〜日鉄神田炭鉱跡
カテゴリ:佐世保・北松炭田の炭鉱
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51195682.html

342 とはずがたり :2016/11/20(日) 22:04:11
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。

苫小牧篇

北海道鉄道(北海道鉱業鉄道) 金山線 沼ノ端─辺富内(富内) 1923年開業 66.0km (将来的には金山迄延伸計画)
〃 札幌線 沼ノ端─苗穂 1926年開業 62.6km (両線は沼ノ端でスイッチバックで接続。室蘭本線の南側に駅)
苫小牧軽便鉄道(元々三井物産建設の線用鉄道) 苫小牧─沙瑠太(富川) 40.4km 1913開業
日高拓殖鉄道 沙瑠太─静内 大正末迄に開通

日高線 1927年に上記二線を国が買収。

1934年 北海道鉄道札幌線が室蘭本線乗り入れ開始。1940年には札幌─苫小牧の直通運転が開始され1943年には重要幹線との事で戦時国有化。同年金山線も国有化,上鵡川(→豊城)─鵡川に新線を建設して平行する上鵡川─沼ノ端を休止。

戦後の苫東開発によって1962年,日高本線が迂回,新線開通。

343 とはずがたり :2016/11/21(月) 11:28:50
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。
千葉篇

■国鉄千葉駅…元々現東千葉駅付近にあった(元町と三ノ宮・小倉と西小倉の関係と似てゐる・千葉は遠軽・旧塩尻・旧大網と似たスウィッチバック+分岐駅)

■(初代)京成千葉駅…国鉄線を乗り越えた市中心部(通町)にあった。

■国鉄本千葉駅…元々2代目京成千葉駅(現千葉中央駅)付近にあった。初代京成千葉を市中心部からの移転に対する京成への補償として国本千葉駅付近を譲渡。

■(3代目)京成千葉駅…国鉄千葉駅移転後,同駅前に国鉄千葉駅前駅として開業。その後2代目京成千葉駅を千葉中央駅と改称してこちらを京成千葉駅とする。結果,国鉄千葉と京成千葉が現千葉駅に集合する事になる。

344 とはずがたり :2016/11/24(木) 10:50:49
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。

東急池上線だが,これは東急起源の鉄道ではなかったそうな。

元々大森─池上を結ぼうとして大森の地価が文士村等に拠り高騰したので已む無く起点を蒲田にして蒲田─池上を開通させ,其処から蒲田─池上─五反田を伸ばし,五反田から更には都心部の延伸を狙い白金─五反田・品川─五反田の建設を目論むも失敗,また雪が谷から国立!方面迄も狙って実際に雪が谷─新奥沢を建設したのだそうな。

結局東急の田園都市開発の攻勢の前に破れて買収され,新奥沢迄の盲腸線も廃止されてしまったそうな。

五反田の山手線を乗り越える高架線が放置されてるのは勿体ない,白金迄延伸して南北線や三田線と相互乗り入れしたい所だけど多分白金からは品川へ延伸するので池上線の入り込む余地は無いよなぁ。。

国立迄の支線構想も東急が大井町線を建設して南半分は完成したとは云えよう。。大井町線は大井町で京浜東北線に接続して満足してるけど是非五反田経由で都心乗り入れを謀って欲しい所w

まあ東急の喫緊の課題は新玉川線(w)の渋谷口の混雑に尽きるから,小田急系列の井の頭線(w)が新宿の一極集中を不正でゐる様に,三茶辺りから新宿かもっと手前の駒澤大学前辺りから池袋へ向かう支線を造るのが先であらう。そこで山手急行電鉄なんじゃがww

345 とはずがたり :2017/01/05(木) 18:13:33
喜撰山と云えばhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187488248/515http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1272だが,天ヶ瀬ダムと対となる揚水発電所を形成しているのである。
非公開なんかー。

2015.07.05
喜撰山ダムのコンクリート廃墟
http://www.syasin.biz/page/kisenyamadam/
 仕事で宇治までやってきたので休憩時間とって今まで興味のあった所にいってきました。今回やってきたのは京都宇治市にあるダム。天ヶ瀬ダムではないですよ。さらに山奥にある一般公開されていないので誰も知らない…喜撰山ダム(きせんやまダム)という所です。

今回は廃墟を見にきました。廃墟といってもそんな大したものではなく、コンクリートが放置されているというので気になっていました。昔天ヶ瀬ダム建築の際のゴンドラ跡だそうで、かなり朽ちて残っているそうです。

346 とはずがたり :2017/01/10(火) 06:37:39
すげえw
こんな道路もあるんだな。

和歌山県道213号 白浜久木線
http://yamaiga.com/road/wpr213/main.html

通 告!!
これから先の県道は幅員二メートル(山中橋区間)(砂防堰堤工事に伴う付け替え道路部分は除く)で関係者が昭和五六年度地権者の寄附によって路盤の整備を図り供用しておりますが、県道としての供用開始の告示はされていない為、県による維持管理補修等はされておらず関係者がそれらの作業を行ってきました。
それ以外の道路幅員は、関係者が昭和五七年度及び昭和五八年度、平成八年度に地権者から道路用地として買収し拡幅工事等を行い通行の便益に供したものであります。 従って通行中の落石事故等による賠償責任は負えません。 尚、山中橋附近の残土は、県並びに地権者、関係機関と協議の上、昭和五九年度に県営事業として採択され設けた残土処理場であります。
関係者

この辺
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.25.54.518N33.39.32.752/zoom/9/

r213が遡上する牛屋谷以上に町道の郷地谷も気になる。
googleマップのSVもそこそこ遡上するが何でも無さそうなところで切れてるのが不満だ。
https://www.google.co.jp/maps/@33.6654399,135.4391703,396a,20y,41.59t/data=!3m1!1e3

wikiには大した情報はない。

ネタバレ注意になりそうで読んでないけど穴があるみたいだw
こちらは終点からの渡渉レポっぽい。

和歌山県道213号白浜久木線・久木側 【1】 (和歌山県西牟婁郡白浜町久木)
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/15415449.html



結局,読んじゃったw

347 とはずがたり :2017/01/10(火) 07:01:04
国道43号沿いから庄川地内なんで結構人口は多いな。282世帯761人も住んでる。
一方の久木は20世帯39人しかいない。

西牟婁郡白浜町庄川(しゃがわ)
http://toukei-labo.com/2010/?tdfk=30&amp;city=30401&amp;id=38

348 とはずがたり :2017/01/10(火) 18:19:39
この辺http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1191161933/346-347をきっかけに紀伊日置駅(と阪和道日置川IC)が日置の中心集落から離れてるってのを確認したりしてる内に気付いたが,その昔,隣の椿駅発の優等列車があったそうな。
ちと吃驚。
椿は白浜口(白浜)同様,海岸の温泉地から随分離れた内陸に位置するが,白良浜と違って温泉街の規模が大きくない事もあってか今は弱小駅のイメージである。

また紀勢道が国鉄の駅の近くにIC設置するのも歴史は繰り返すと云うか,海岸線が厳しすぎて内陸を短絡するのが最適解となるのが共通点か?

349 とはずがたり :2017/01/12(木) 14:23:48
【衝撃】世界の危険すぎる道路 トップ10。世界が震えた!嘘のような本当の話
https://www.youtube.com/watch?v=0if1VKR7dwc

350 とはずがたり :2017/01/27(金) 17:55:53
PPAP!?下らん。Pと云えばTP(東京湾中等潮位)やOP(同大阪湾)しかないやろ!
…と思ったらAP(荒川!)やYP(淀川!!)なんてのもあるらしい。
TPはTonegawa PeilなのかTokyo Peilなのか区別つかないね。
>>152に因んで此処へ。
よっきもかなりアカデミック的にハイレベルな高みに昇っているし此処も真面目な地理・地誌綜合スレ化のよか〜ん。

川をめぐることば  A.P.とT.P.
-標高の生みの親は荒川だった- 
http://www.river-museum.jp/archives/dayori/newsletter/no_7/page4.html

 荒川にかかる橋などにときおりA.P.○○mという表示を見ることがあります。これはその場所の高さを示す数値です。A.P.はArakawa peilの略で、荒川工事基準面といいます。Peilはオランダ語で「水準線」あるいは「基準」などを意味します。明治時代の始め、デ・レーケらオランダ人技師が近代的な治水事業を指導したため、オランダ語が使われました。A.P.は東京都中央区新川にある霊岸島水位観測所の最低水位をもって定めています。最低水位を用いたのは工事に便利だからです。霊岸島水位観測所は隅田川河口付近にあり、明治時代には荒川の河口でした。A.P.は荒川のほか多摩川水系、中川水系で工事基準面として用いられています。
 いっぽうT.P.は東京湾平均海面(東京湾中等潮位=いわゆる海抜)を意味しています。T.P.は1873
(明治6年)から1879(明治12年)の潮位記録を平均した数値A.P.+1.1344mをT.P.±0.0mと定めたものです。
 ところで標高の基準である水準原点はT.P.+24.4140mと測量法施行令第二条で定められています。水準原点は1891年に陸地測量部(現在、東京都千代田区永田町の憲政記念館前)に設置されました。設置場所は武蔵野台地の上なので、T.P.よりかなり大きな値になっています。設置当時はT.P.+24.500mが水準原点の高さでしたが、1923年(大正12年)の関東大地震で水準原点自体が変化したため、現在の数値になっています。東京湾の埋め立てなど都市化の進展で霊岸島付近が潮位の測定に適さなくなったため、現在では三浦半島油壷の国土地理院検潮場での測定値を東京湾平均海面として用いています。 このように測量の歴史をたどると、日本の高さの基準制定の原点は荒川にあったことになります。
 ちなみにA.P.同様の基準はほかにもあり、O.P.(大阪湾工事基準面T.P.一1.3000m、淀川水系)、Y.P.(江戸川工事基準面T.P.-0.8402m、利根川水系)などが用いられています。

351 荷主研究者 :2017/02/18(土) 21:53:50
>>287
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20170130/CK2017013002000040.html
2017年1月30日 中日新聞
原田橋崩落あす2年 再建3年後、住民我慢

◆東西往来 仮設道頼り

崩落した天竜川右岸の斜面(左側奥)の約200メートル下流で橋脚の基礎部分の工事が進む=浜松市天竜区佐久間町で

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かるつり橋・原田橋が崩落し、三十一日で二年になる。約二百メートル下流では、新しい橋の建設が始まり、二〇二〇年春ごろ完成の予定だ。それまでは町の東西を、仮設道路で行き来する不便が続く。

 天竜川の両岸は、河川敷を走る仮設道路で結ばれている。凸凹で走るたび車が大きく揺れた以前の路面と違い、今はコンクリートで平らになり走りやすい。だが上流の佐久間ダムが放流を決めると、行き来できなくなるのは相変わらずだ。

 右岸の川合地区に住む女性(82)は、崩落した日の朝も、対岸にある高齢者施設にバスで出かけた。帰りには朝渡った橋がなかった。

 “脳トレ”と呼ぶ施設での教室が楽しみ。ゲームや体操をわいわい楽しむ。年が明け、早速ダムの放流で仮設道路が止まり、休みになった。「家では、こたつに入ったっきり。休みになると、さみしいやぁ」

 JR飯田線の浦川駅近く。理容店の三代目、乗本(のりもと)和男さん(49)は店を改装した。オセロのような黒白の床。ピンクのソファ。赤い扉を押し入店するとジュークボックスが迎える。山の「ロックな床屋さん」だ。

 仮設道路が止まれば、対岸の客から理髪の予約キャンセルが入ることもある。だが新しい橋の完成を待たず集客力の向上に努める。

 頭から爪先まで、全身を洗える洗浄剤やエルビス・プレスリーをイメージした整髪料を置き、フェイスブックなどで発信する。遠方からの客も少なくない。

 「『あそこにいかないと買えないよ』という、個の魅力を出していかないと」

 新たな橋の工事は、いまは二本の橋脚の土台となる部分を川底のさらに約十四メートル地中の岩盤まで、沈める工事が進む。

 天竜土木整備事務所の白柳裕一所長(56)は「橋の早期完成は、地域の希望であり、亡くなった職員の遺族の望みでもある。全力で進めたい」と話す。

(勝間田秀樹、写真も)

 <原田橋の崩落> 2015年1月31日午後5時10分ごろ、浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる国道473号の原田橋(長さ138メートル、幅5メートル)が、天竜川右岸の斜面が高さ70メートル、幅30メートルにわたり三角形に崩れたことで、橋をつるケーブルが固定されていたアンカーごと落ちた。橋の上で斜面を監視していた浜松市天竜土木整備事務所の安野彰恭さん=当時(57)、茶谷富士雄さん=同(45)=が死亡した。

352 とはずがたり :2017/02/23(木) 16:17:23
元清澄山付近

首都圏自然歩道
モミ・ツガのみち
https://www.pref.chiba.lg.jp/shizen/choubou/fureai/documents/naturepath22.pdf

353 とはずがたり :2017/03/04(土) 21:17:25

http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.53.54.044N37.13.45.147/zoom/7/
http://yahoo.jp/lemU5O

ミニレポ第226回 福島県道249号上戸渡広野線 中戸渡旧道
http://yamaiga.com/mini/226/main.html

福島県道249号上戸渡広野線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%93249%E5%8F%B7%E4%B8%8A%E6%88%B8%E6%B8%A1%E5%BA%83%E9%87%8E%E7%B7%9A

[GoPro車載動画]福島県道249号 上戸渡広野線 上戸渡→(旧浅見川林道・箒平)→広野
https://www.youtube.com/watch?v=D1Oc4lcd75U

きょうJRダイヤ改正 2017年3月4日、何が変わった? 大物なくとも多くの変化 通販の影響も
http://news.goo.ne.jp/article/trafficnews/business/trafficnews-65817.html
06:30乗りものニュース

浅見川林道
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B5%85%E8%A6%8B%E5%B7%9D%E6%9E%97%E9%81%93&amp;oq=%E6%B5%85%E8%A6%8B%E5%B7%9D%E6%9E%97%E9%81%93&amp;aqs=chrome..69i57.1717672j0j4&amp;sourceid=chrome&amp;ie=UTF-8

354 とはずがたり :2017/03/19(日) 11:42:21
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/134-139及びhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/169-174参照

169 自分:とはずがたり[] 投稿日:2017/03/19(日) 09:49:54
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
今度の山行がは子どもの頃からの我らが憧れの未通県道掛川川根線である。惜しむらくは川根区間で掛川区間じゃないようだけど。。

静岡県道39号 掛川川根線 川根区間 前編
http://yamaiga.com/road/spr39/main.html

355 とはずがたり :2017/04/09(日) 18:34:26
よっきが出ると聞いて「車あるんですけど」見てみたが酷い番組だった。。(;´Д`)

356 荷主研究者 :2017/04/09(日) 22:58:50

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201703/20170328_13008.html
2017年03月28日火曜日 河北新報
謎の洞窟が仙台・秋保に 旧陸軍の弾薬庫か

http://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20170328kahoku01.JPG
洞窟の内部を案内する伊藤政則さん

http://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20170328kahoku02.JPG

 仙台市太白区秋保町の戸神山(とがみやま)の南麓にあり、旧陸軍が太平洋戦争中に掘った洞窟を、地元のまちおこし団体「秋保地域資源活用委員会」が調査している。弾薬庫跡と伝わるが、遺留物や文献記録などは残されていない。メンバーらは現地調査や高齢者への聞き取りを進め、謎の解明に挑む。

 洞窟は太白区秋保総合支所の北約2キロの旧道沿いに位置し、崩落が進んでいるが4カ所の入り口を確認できる。つるはしなどを使って手作業で掘られたとみられ、高さ約2メートルの横穴が続いている。暗がりにはコウモリが生息する。

 内部の数カ所で枝分かれし、総延長は不明。近くで育ったという農業伊藤正則さん(62)は「全部で数百メートルはあるだろう」とみる。

 伊藤さんの父の安男さん(85)によると、掘削作業は1943〜44年、宮城野区の榴岡公園に本拠地を置いた第2師団歩兵第4連隊が担った。

 安男さんを含め当時の国民学校高等科の生徒が資材を運搬したり、弁当を届けたりした。洞窟の中には弾薬や砲弾、手投げ弾、ドラム缶などが運び込まれたという。

 兵士たちは、秋保小と青葉区の上愛子小に寝泊まりして掘削に従事した。安男さんは「その代わり、子どもたちは地元の寺院で勉強した」と振り返る。

 地域住民約20人で構成する活用委は3月上旬、地元町内会と協力して戸神山周辺の散策路に案内標識を設置。洞窟など山の周辺を取材し、執筆したパンフレットも3月下旬に完成する。

 庄子敏明委員長は「洞窟をさらに調査し後世に記録を残したい」と語り、戦時中の情報を求めている。連絡先はパンフレット発行元の秋保総合支所総務課022(399)2111。

357 とはずがたり :2017/04/19(水) 08:44:22
717 R774 sage 2017/04/18(火) 21:11:47.70 ID:6HSTzPT5
某廃道マニア、あそこ行ってたんかw
サイトはしばらく見てなかったからレポがあがってたのは知らんかった
レポ終盤にあった橋のあたりまでの工事ってたしかr63の上平橋の架け替え('01年頃)と変わらん時期だったはず
あのへんの圃場整備(と県道の付け替え)もほぼ同時期にやってた記憶が

余談だけど、レポにある「横道」は、今のr220との分岐からr62のルートを辿って氏家宿に抜ける脇往還もあったような
今宮神社の北側で会津中街道と合流してたはず
会津中街道も今のR4を越えたあたりから乙畑までと川崎宿〜矢板宿間は圃場整備だったり川の直流化(これは矢板)
だったりで痕跡がわかんないんだよなあ

358 とはずがたり :2017/04/23(日) 15:00:49

【静岡県・佐久間ダム観光道路廃道(仮】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_sakuma_hai-1.html

359 とはずがたり :2017/05/09(火) 19:42:43

神戸の山中に「マヤ遺跡」? 廃墟マニアにツアー盛況
http://www.asahi.com/articles/ASK583H0TK58PQIP001.html?iref=com_favorite_01
水野義則2017年5月9日11時22分

 戦前に開業し、廃虚のまま摩耶山に残る「旧摩耶観光ホテル」(神戸市灘区)。廃虚マニアに絶大な人気があるこの建物をはじめ、付近の廃虚を「マヤ遺跡」と名付け、歩いて巡るツアーが人気だ。毎回、すぐに定員が埋まる盛況ぶりだ。

 摩耶ケーブルとロープウェーで山頂に着き、そこから山道を歩くこと約1時間半。木々の間に埋もれるように、旧摩耶観光ホテルが姿を現した。丸みを帯びた外壁や円窓があることから「軍艦ホテル」とも呼ばれたモダンな外観に、ツタが絡まったり壁がはがれ落ちたりして、まさに、未知の遺跡に遭遇したかのような気持ちになる。

 同ホテルが開業したのは、1929年。温泉を備え、都心からすぐの観光地としてにぎわった。しかし、経営難のため90年代前半に閉鎖。95年の阪神大震災で、交通手段となる摩耶ケーブルが長期運休したこともあり、周辺は立ち入り禁止になり廃虚になった。

 しかし「廃虚マニア」の人気は高く、ネット上では「マヤカン」の愛称で多くの写真が掲載されている。不法侵入をして撮られたものがほとんどで、敷地に入るどころか、建物内にまで入ってくる人も多く、警備システムを付けても不法侵入は後を絶たないという。

 イベントを企画したのは、摩耶山を再び活性化させようと取り組んでいる「摩耶山再生の会」(慈憲一〈うつみけんいち〉事務局長)。「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」と名付け、同ホテルや、昭和初期に建設され、サウナや食堂などを備えていた宿泊施設「摩耶花壇」、火災で焼失した旧天上寺跡など約15カ所の「遺跡」を、ガイドの案内で、約2時間かけて巡る。

 最大の魅力は、旧摩耶観光ホテ…

360 とはずがたり :2017/05/26(金) 15:45:14
この道か?
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.23.0.358N34.48.39.672/zoom/9/

あらゆる都市部の引き込み線は通勤路線として活用出来ないか考えてみるけどここも大阪へ行くには逆だから無理かw

軍事施設への線路跡? 道路工事現場から敷石 宝塚
https://news.goo.ne.jp/article/kobe/nation/kobe-20170526002
08:30神戸新聞

 ただの工事現場にしか見えない。兵庫県宝塚市道で行われた、ありふれた道路改良工事。しかし、西宮市の鈴木球也さん(61)は違った。掘り起こされた現場を見て思った。「戦時中に国鉄(現JR)中山寺駅から軍事施設へ引かれた『引き込み線』の跡ではないか?」(土井秀人)

 2月上旬、JR中山寺駅から南東約500メートルの県道脇。接続の市道工事で露出した地中50センチほどの層に、こぶし大ほどの石が敷き詰められていた。そばを通りかかった鈴木さんにはその石が、線路に敷くバラスト(砂利)に見えた。

 頭に浮かんだのは、2014年8月17日の神戸新聞阪神版の記事。戦後69年の夏、阪神間の戦跡を紹介した連載「消えゆく証」に、中山寺駅と軍事施設を結ぶ引き込み線の記述があった。〈線路は撤去されたが、自動車が行き交い、大きくカーブを描く道路に、その形跡を見ることができる〉

 鈴木さんは、職業軍人だった父が5年前に亡くなり、阪神間の戦跡を訪ね歩いて資料を調べるようになった。「戦時中の人たちはどのような状況に置かれ、どんな気持ちだったのか。戦争の跡が消えていく中、今のうちに知りたい」

 専門学校でプロダクトデザインを教えており、物の形にはうるさい。工事現場で見つけた石はごつごつと尖り、すぐに引き込み線のバラストが浮かんだ。

 ■引き込み線とは

 戦時中、阪神間は川西航空機宝塚製作所などの施設が数多くあり、一大軍事拠点だった。「引き込み線はそのことを示す一つで、中山寺駅から『大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠』『大阪陸軍造兵廠川西補給廠』へ続く線路だった」。元伊丹市職員で平和事業に長く携わった藤井裕行さん(63)が説明する。

 獣医資材支廠は、軍用馬の蹄鉄や馬具を生産し、医薬品などを管理。約30ヘクタールの敷地には、学徒動員の若者や女子挺身隊、朝鮮人ら約800人が働いていた。しかし、当時の資料は終戦時に焼却処分されて残っていないという。引き込み線は終戦後の1945年10月、撤去された。

 それでも痕跡はある。県道沿いの交差点には今も、当時の門柱が3本立っている。藤井さんは当時働いていた女性から「本部のほかに馬具を作る工場、将校宿舎、診療所まであり小さな町のようだった。防空壕もたくさん掘られ、空襲警報のたびに一斉に逃げ込んだ」という証言を得た。

 造兵廠は弾薬や砲弾の保管庫だったが、ここの資料も処分されて残っていないという。

 ■足元の記憶
 では、工事現場から出た石は、引き込み線の跡だったのか?

 JR西日本に尋ねると「バラストかどうかは分からない」。市道を管理する宝塚市も「当時のバラストかは分からない」とする一方、「石の大きさから、現代の道路工事ではまず使わない」と指摘する。現場を見た藤井さんは、石が規則正しく敷かれ、層となっていることなどから「バラストでほぼ間違いない」と結論づけた。

 そうなら道路の下に軍用線の跡が残っていることになり、「この地で何が起きたのかを伝える『歴史の語り部』。大きな発見となる」と力を込める。

 藤井さんは約20年、地域の戦争について丹念に調べ、記録してきた。それは「自分たちが暮らしている足元で、どんな悲惨なことがあったかを知らない」という思いからだ。

 70年以上前、軍用線が引かれていた場所が工事で掘り起こされ、すぐに埋められて姿を消した。そのわずかな時間に、藤井さんたちは戦争の痕跡を感じた。

 「誰かが記録し、語り継がなければ、地域の戦争の記憶がなくなってしまう」

361 とはずがたり :2017/06/26(月) 18:29:37
酷道291号、密林の海に潜った 点線で記される国道
http://digital.asahi.com/articles/ASK6D6605K6DUCFI00M.html?rm=1144
斎藤健一郎2017年6月24日01時24分

 もう、うんざりだった。

 新潟県南魚沼市の山中、標高780メートル付近。国道291号をたどり、群馬県境へ向けて歩いているはずなのに、30分は前後左右、上下、あらゆる方向から生い茂る草木をかき分けていた。まるで密林の海を潜っているようで、あてどない。全身から汗が噴き出す。自然に没した道に対し、頭で恨み言を繰り返していた。ニクイ、291。

be「みちのものがたり」
 「脱出しよう」。国道からの脱出なんておかしいが、もはや限界だった。沢音が聞こえる方へ、灌木(かんぼく)につかまり急斜面を落ちるように下った。突然視界が開けた。足元がすっぽり切れ落ちる崖の上に出てしまったようだ。眼下の沢までは8メートルか。登り返すことも下ることもできない。冷や汗なのか、汗の量が増す。カニ歩きで木が生える斜面まで移動し、枝にしがみついた。背中からずり落ち、斜面をズルズルと滑りながら、なんとか沢までたどり着いた。爪の中まで泥だらけになりながら、なんとか下界へ。291、本当にニクイ。

 国道291号は、前橋市と新潟県柏崎市を結ぶ。手元の地図を広げると、総延長188キロのうち、中央分水嶺(ぶんすいれい)上にある標高1450メートルの清水峠を挟んで30キロは、道筋が実線でなく点線で記されている。どんな道なのか。それを知りたくて登山の装備を整えて踏み込んだものの、あっけなく退けられたのだった。

 国道の格に見合わない酷(ひど)い道は、「酷道(こくどう)」と呼ばれることがある。全国に点在する酷道の中でも291号の清水峠越えの区間は、車はおろか人の通行さえ困難で、とりわけ酷い国道とされる。

 だが、歴史をさかのぼれば輝かしい時代もあったのだ。

 戦国時代、上杉謙信の軍勢が、三国峠と並んで関東行軍に頻繁に利用したのが清水越えだった。弓で例えれば弧と弦の関係で、清水越えは谷が深く山は険しいが、越後と上州を最短距離で結ぶ「直路」として、価値が高かった。

 しばらく歴史に埋もれた後、再び脚光を浴びたのが1878(明治11)年。大久保利通が東日本各地の築港や河川改修を提言した土木7大プロジェクトの一つに、清水峠越えの開削が挙がった。

 完成は7年後。開通式には、内務卿や元老院議員、陸軍中将ら要人に加え、皇族の北白川宮まで参列した。

 道の幅は馬車がすれ違えるよう約5メートル。日本海からの湿った空気をもろに受け止める豪雪の谷に敷かれた高規格の道。それがなぜ酷道に……。

 別ルートをたどり、清水峠を目指すことにした。

■「この道はもう死んだんだ」

 清水峠へ向かうのに、車は頼れない。新潟県南魚沼市の清水集落の少し先で一般車両は通行止めになる。さらに5キロ先までは砂防ダム工事用の舗装路がのびているものの、そこからは登山道となる。

 工事道の終点で靴を脱ぎ、雪解け水で凍るほど冷たい沢を渡る。間もなく、兎平(うさぎだいら)という名の開けた場所に出た。「中部北陸自然歩道」の案内板が、路傍に倒れていた。皇族まで招いて開通を祝った国道の行く末が記されていた。

 いわく、清水街道は災害などでまもなく廃道となり、ここ兎平を中心に約8キロの近道が、個人経営による開発で明治23年に開通した――。

 開通式から数カ月後、谷川連峰の核心部に位置する谷は雪で閉ざされた。雪崩や落石に何度痛めつけられただろう。補修はたちまち追いつかなくなり、4年の歳月をかけてつくられた国道は捨てられた。そして開通から5年後には、谷を一気に駆け上がる民間の別道がつくられたのだ。

 居坪坂(いつぼざか)として生き残ったその別道をたどる。登山地図にあるとはいえ、酷くない道とは言えない。また2度、冷たい沢に足をぬらして渡った。

 5月末の登山道は完全に雪の下に隠れていた。GPSと地形図を頼りに、急な雪の斜面を一歩一歩登る。1時間55分後、また視界が開けた。標高1400メートル。国道との合流点だった。雪の下から伸びた木が直角に曲がり、谷を指している。厳しい雪の世界だ。

 国道は馬車の通行を前提になだらかな傾斜でつくられた。代償としてルートは沢という沢を回り込み長大になる。その緩慢さは「どうぞ攻撃してください」と、雪崩の常襲地帯に大きく腕を広げる格好になった。

362 とはずがたり :2017/06/26(月) 18:29:53
>>361-362
 沢筋に回り込むたび、雪渓が現れる。人の気配はない。ここで落ちたら……。慎重にパスしても、今度は雪につぶされた木々の一本一本が、横殴りに立ちはだかった。上をまたぎ、下をくぐり、時に地面をはいつくばって進む。

 国道に合流して28分、クマザサが風に揺れる清水峠についた。小さいほこらがあり、かたわらに石柱が立っていた。彫られた文字は風化し、読み取ることはできない。

 空を見上げるとJR東日本の送電線が峠を越えていた。信濃川の水力発電所から首都圏へ、清水越えした電気が鉄道の運行を支えている。

 緊張が解け、雪の溶けた草地にドサッと座り込んだ。誰ひとりいない峠からは鹿の子まだらの越後、上州の山々が一望できる。絶景だった。

 記者が阻まれた新潟側の酷道踏破を成し遂げた人がいる。廃道探検家の平沼義之さん(39)。自身のウェブサイトで公開した踏査記録は、冒険そのものだ。2007年秋、清水集落からアタック。途中山中でビバークしながら進むも、もろい崖に阻まれ撤退した。翌年には清水峠から逆道をたどり、踏破に成功。「つらく、痛めつけられるばかりで見どころもない。命の危険もある。それでも恋い焦がれ続けた道。ものすごい達成感でした」と振り返る。

 国道なのに酷い道。そんな不自然さの背景を、調査で明らかにするおもしろみがあると平沼さんは言う。五感を研ぎ澄まし、肉体を駆使し、冷静な心で踏み込んでいく。多くの廃道をそうして歩いた平沼さんをして、291号は「日本の道路の極地」。日本列島中央部で、厳しい自然と過酷な地形、数奇な歴史に翻弄(ほんろう)され、人を拒み続けながらなお、現役の国道としてある。「こんな物語のある道はそうありません」

 後日、「清水の天狗(てんぐ)」とたたえられる清水集落の小野塚高一さん(75)の案内で、再び酷道に入った。送電線を巡回する元国鉄職員だった民宿「やまご」の主人は、山を知り尽くしている。走るような速さで密林をゆく天狗の背中を必死で追った。沢をわたり、崖をよじ登り、標高千メートル付近まで高度を上げたところで足が止まった。

 国道のど真ん中に山が盛られ、鉄塔の一脚がドンと埋め込んであったのだ。「JRの送電線ですよ。国鉄の時代につくられたものだけどね」。小野塚さんの言葉に力が抜けた。291号の通行を阻んでいたのは自然の猛威だけではなかった……。

 コンクリートの土台にもたれ、峠の方を見ながら水を飲んだ。「291はずーっとこの山肌を迂回(うかい)して峠に向かうでしょう。山菜採りにだって遠くて使えない。もう死んだんだ、この道は」。天狗が涼しげな顔で言う。

 ニクイという思いは消え、ただ頭を下げたくなった。(斎藤健一郎)

■国道291号とは

 明治政府が国家事業として開いた清水越えのルート。開通時は国道8号の指定を受けていた。群馬県みなかみ町文化財調査委員の阿部利夫さん(67)は「越後の米をより早く関東へと運ぶ『米の道』の役割と同時に、新潟港開港を迫る外圧に対抗する『軍事道』の期待もあった」と語る。しかし、交通はすぐに途絶し、大正時代には県道に「降格」した。

 291号として再び国道に指定されたのは1970年のこと。当時は山間地を切り開きスカイラインなどと名付けられた山岳観光道路が全国各地に次々とできていた。阿部さんは「291を観光道路として復活させたいという声は今も地元にはある」と言うが、実現は難しそうだ。

 地元の新潟県と群馬県が管理するが、清水越えの区間は大部分が、実質手つかずのまま放置された状態になっている。新潟県の担当者は「国道17号など、きちんと整備され、安全な通行が確保された国道が近くにあるから」と説明する。

 再開発の可能性を聞くと両県とも「今のところ予定はありません」。歩行も困難な新潟側に対し、群馬側は登山地図にルートが記され、一応は歩けることになっている。だが、今年は雪が深く8月になっても通行できるか見通せない状態だという。

 そんな道がなぜ、廃道にならないのか。新潟県に聞くと、地元から国へ要請しないかぎり行政上の国道が消えることはなく、「特にこちらから要請する予定もない」とのことだった。

363 とはずがたり :2017/08/31(木) 14:10:18
県道ならぬ「険道」 数は「酷道」よりも膨大? 初心者にはお勧めできない道路たち
https://trafficnews.jp/post/78420/
2017.08.30 乗りものニュース編集部

364 とはずがたり :2017/09/03(日) 19:53:24
今回の山行がは灰野坂!
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/4038
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/4042
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/2985
r368は俺も気になってる。本レポを受けて道路族も緊急増補。
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOKAI/meiho30.html#r368

もひとつ気になってるのは>>257で触れた三河湾ドライブウェイ。
有料道路時代の名残か現道との交叉部にインターや未成の遺構っぽい道路敷地が有る上に,荒れた雰囲気で(探索した時は)通行止めになってる区間迄あって結構探索好適地の印象だが今は通行止めどうなってんのかな?

wikiに拠ると。
>当初は「三河パークライン」計画として、本宮山スカイラインや鳳来寺山パークウェイなどと接続して観光開発する計画があったが、立ち消えとなった[6]。
なんて記述もあって公共事業無駄派の俺でも流石に心が動くw

365 とはずがたり :2017/09/07(木) 09:16:59
昨夜はこまくんの上洛を得て久々の林道決行!
会議終了し神戸から一路高速飛ばして西山天王山へ。
地獄谷がいまいち位置をロストしてゐて判らないので先ずは浄土山乗願寺へ。西山の大仏。
此処,通行ご遠慮下さいと書いてあったが無事府道迄通り抜けられた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.39.46.500N34.54.18.694/zoom/8/

で,ネットで調べて地獄谷へ。どうも此処が入口らしい。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.7.197N34.55.30.325/zoom/10/
が,ゲートが設置されて這入れなかった。
不法投棄防止の為ご理解下さい的な看板が出ていた。非常に残念。

まったく場所を忘れていたが出口は此処か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.35.16.324N34.57.3.002/zoom/10/

若しくはこっちだったか?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.35.17.358N34.55.28.775/zoom/10/
此処から里に出る迄可成り未だあるけど。

どっちにせよ,そちら側からも何処迄進入出来るのか試してみたい。

次,ポンポン山を目指すも,山亀岡(昔は名前付けてなかった。亀岡南部の山)の林道を思い出して進入。
此処,またも不法投棄防止で閉鎖されてゐた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.42.750N34.58.2.188/zoom/9/
なんと。。
閉鎖されて無い方の道を辿って篠へ出る。途中後ろから一般車に追いつかれ,歩行者にもであう。どないなっとんねん。

兎も角この辺も昔走り回ったが此処は繋がってなかったんだっけ?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.37.21.604N34.58.29.250/zoom/9/
で,出るとしたらこっちだったかな?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.18.091N34.58.47.637/zoom/9/
閉鎖されてない林道で迂回出来るから閉鎖も已む無しか?

それにしても15〜20年程経つと昔は走れた林道もゲートで閉鎖されている。。矢鱈世知辛く偏狭で許容心の少なくなってきた今日この頃http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1348989696/2819であるけど,それがこんな所にも現れてるのかも。まあ不法投棄は日本の原野山林を愛する俺で無くとも憎むべき犯罪行為であるし,許容心が少なくなったお陰で政治利権等正常化している部分もあるのだから多少は我慢しなくてはならないとも思うんだけど。

閑話休題,次はくびなしである。此処も入口を忘れてしまった。蛍が見える橋が入口だったっと俺が記憶してゐてで高尾か清滝が入口だった筈ということで清滝に向かう途中でこまが高尾で道を曲がっていくとこですよと思い出す。

往年の俺ならナビ無しで此処(r136)を選択できただらうが,頭の片隅に存在はあったけどスルーだ!
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.41.26.192N35.1.47.654/zoom/9/
と思ったけど,帰って調べて見ると通り抜けれた記憶は記憶違いみたいだ…orz。
現地はこんな感じ。どっかの大学のフランス文学者のブログみたいである。で,この文学者も山行がに触発された様だw
京都に棲めて羨ましいなあ。。。

京都府道136号
http://pensiero.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%8B%9E%93s%95%7B%93%B9136&amp;vs=&amp;tid=seesaa_hotspot&amp;hid=167&amp;c=12&amp;search=1&amp;ic=shift-jis

入った記憶は確かにあるので途中迄入って引き返したのだったかな?

で,遂にメインイベント,くびなしへ。神護寺の脇であった。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.40.33.474N35.3.15.196/zoom/10/
一帯は朝日峰とかいう山でその中を延々と走る。
結局この辺迄行って急坂に路面の凹凸に負けて引き返えしてきた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.38.50.438N35.4.27.056/zoom/8/
次は廃村田尻から攻め上がりたいし,その更にひと尾根西のr362も視認してみたい。

と思ったが廃村田尻はこの先の道路上では無く一筋東側の谷だったようだ。謎である。。昔行った時は一旦田尻まで行って引き返して谷筋をチェンジしたんだっけ??

366 とはずがたり :2017/09/07(木) 09:34:35
>>365
またr362に関してはそれなりに詳細なレポもある。

【右京区】府道362号線 未整備区間
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-899.html
【右京区】林道 芦見谷線(府道362号線 未整備区間の続き)
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-900.html

グーグル先生は此処で引き返してゐる。
https://www.google.co.jp/maps/@35.105422,135.6307416,14z

この道路の尖端は,くびなし林道の分岐点↓迄伸びそうな感じがある。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.38.45.750N35.4.22.472/zoom/8/

また二つ目のゲートのゲートが無い方,行き先に神護寺とあったが途中から車道では無くなるようだ。此も忘れてた。

松尾峠の方とかどうだったかなあ。。

もうちと明るい時に行かないと怖いな。。作業の行われてない日曜の昼とかじゃないと無理かも。

で,それなりに満足して欽林車庫前のブラウンに向かう。ブラ定は今日は焼肉定食で740円なり。
学生の頃はちょっと高い(大学生協は安いからな)価格帯でも20年経っても値上げしてないのは驚異である。次々と馴染みの店が潰れていって淋しい限りだが,20年前と殆ど風貌の変わらないブラウンの親爺さんだが何時迄もお元気で店を開いて欲しい。林道の後は北大路から西大路になる角にあったママカリが伝説的なお店(24時間起きっぱなしで店をやってると噂の青白い顔の店長が名物)だったけどこれも潰れちゃって久しい。妙心寺近くのお好み焼きジャンボは健在。

銀閣寺道はパチ屋が両方とも潰れていた。喫茶店の白川は残っていた。
ブラウンは1台だけだけど駐車場が確保されてた。此は嬉しい。周辺は道が狭い。
ブラ定を堪能。美味。

その後薬局を探すもない。李白は管理物件になってたようだ。

で,力の湯に。久しぶり。入る内に次々と往時を思い出す。

で更に国際。東山の狭隘道から日野法界寺の脇を通るのが往時の順路だったけえが省略。六地蔵付近からr242に進入。国際ccは破綻した筈だが看板は各所に残ってゐた。r242の途中にある分岐より山道に這入る。
この辺は炭山がオキニだったけえがr242のこの先か。1本北側のr782も地図で見ると魅力的だがこっちはどうだっけか?全部忘れてゐる。。
ガスが足りなくなって来たので国際本体は省略。どうなってるか知りたかったがまた来たい所。

適当に生駒着。翌朝こまを京都駅迄送ってエクス終了。
お疲れ様でした☆

367 とはずがたり :2017/09/07(木) 10:01:00

くびなしだけど雲心寺林道と云ふらしい!

【右京区】谷山林道
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-630.html
高雄の谷山林道です。京都の自転車乗りの人には良く知られた場所かも知れませんが、観光地の奥にこんなステキな林道があるなんて最近まで知りませんでした・・

【右京区】雲心寺林道(前半)
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-631.html
一つ前の記事の谷山林道と接続する雲心寺林道(うんしんじりんどう)です。

舗装路が終わるところまでを前半部分としてご紹介します。この区間はロードバイクでも大丈夫です。
キレイな道ですがかなり勾配がキツイところもあります。

【右京区】雲心寺林道(後半)林道 宇治宇治谷線
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-633.html
2014/12/25 23:35
二つ前の記事の雲心寺林道(うんしんじりんどう)の後半です。上りで記事にしたかったので旧京北町側から走りました。

雲心寺林道だと思っていたのですが、旧京北町側は林道 宇治宇治谷線(うじうじだにせん)という名前でした。同じ林道なのか途中で名前が変わるのか、良く分かりませんでした。

走ったのは前半の記事の約一週間後ですが、上っていくにつれて雪が多くなりガリガリに凍っていました。もうこの辺りは春になるまで無理ですね・・

368 とはずがたり :2017/09/14(木) 09:05:32
山行が新刊読了♪
新中央道、八甲田十和田連絡道、森吉と後半三本は堪らんセレクションだった!

369 荷主研究者 :2017/09/14(木) 22:52:01

http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/03tozasareta/1.html
2003.2.8勝毎ジャーナル
KACHIMAI
No.1 NEWS PAPER IN TOKACHI HOKKAIDO SINCE 1919

心や思い運ぶ役割、経済効果

憤り隠せぬ地元住民

 「日高への道は近くて遠い道 残照に輝く峰の白雪をながめて『山の向こうに暖かい土地がある』と想いつづけた父祖の願い ひたすらに求めつづけた日高への道は、この地の里人の心の底に焼き付いている」(住民組織「日高中央横断道路早期完成を願う村民の会」の吉田勇治顧問著「日高への道」から)

着工から19年後に建設が凍結された日高横断道路(昨年9月撮影)

 道路には金銭で測れない価値があると、村民の会(中札内)の佐竹英司会長は話す。「毎年盆と正月に繰り返される民族大移動。飛行機や汽車で(故郷の地に)降りたとしても、最後は道路を通って肉親らと会う」

 道路には人々の心や思いを運ぶ役割があるといい、「日高の山並みを見ていた者が、その向こうの人と思いを交わすことはできる」と佐竹会長は語る。完成を夢見て、思いは中札内村と静内町との道路の両端で共有されてきた。

 中札内村と静内町のサッカー少年団は、年に数回交流。両町村の観光協会関係者は毎年、それぞれで開催される祭りを訪れ、若鶏や海産物を売る。老人クラブの交流も行われている。横断道路が開通すれば、移動時間は現行より1時間余り短縮され、「思いがより早く相手に通じる」とし、佐竹会長は建設凍結の解除を信じている。

◆  ◆

 道路建設の凍結は地元経済にも影響を及ぼす。村商工会の真鍋和清会長は「(凍結は)大きな打撃。地元スーパーの村内出店と合わせ、ダブルパンチだ」と肩を落とす。建設に伴う地元経済への波及効果は年間数千万円に上る。

 真鍋会長は「建設に途方もない時間と巨額の費用が掛かるということを、道が前面に出すこと自体がおかしい。怒りだけだ」と憤りを隠さない。和田民次郎村長も「(これまでに国、道が)500億円以上をつぎ込んできた。効果を出さないという話はない」と語る。

◆  ◆

 「知事は(建設)現場の実態を知らず、話すことも理解できない」と吉田顧問は話す。建設凍結後の道路管理をどうするかなどが不明だからだ。和田村長も「(整備済み区間などを)放置すれば、自然保全が大変。しっかり道路を整備する中で、自然を守るのが大事」と指摘する。

 村民の会では10日の道による地元説明会終了後、世話人会を開き、道への陳情を含めた今後の活動方針を確認する。吉田顧問は「残念でしたでは終わらない。仲間と一緒に早く凍結を解いてもらうよう運動していきたい」と力を込めた。

(深田隆弘)(03.2.8)

◇ ◇ ◇

 堀知事が、日高横断道路の建設凍結を正式表明した。構想から約40年、着工からは19年後の凍結に、中札内村民は憤った。背景には、開通を待ち望み、かなえられなかった住民の夢や「地元不在」の建設見直しがある。凍結は地域経済に打撃を与えるともいう。道路に託してきた住民の思いや今後の運動方針を探るとともに、道が優先させるとする高速交通ネットワーク整備の現状などを追う。

370 荷主研究者 :2017/09/14(木) 22:52:42

http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/03tozasareta/2.html
2003.2.9勝毎ジャーナル
KACHIMAI
No.1 NEWS PAPER IN TOKACHI HOKKAIDO SINCE 1919

道央中心の交通網

全体像見えず今後の影響懸念

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20030209tokachi01.gif

◆  ◆

 「結局、道央中心の道政ではないのか。同じ道民でありながら(交通インフラに)格差が出て良いのか」。堀達也知事の発表を聞いたある関係者は、士幌高原道路の中止やエア・ドゥ支援などを引き合いに出して憤った。道財政と高速道路整備を取り巻く厳しい見通しの中で浮かんだ選択肢は、十勝と日高の悲願である「道道静内中札内線(日高横断道路)」よりも、北海道全体の悲願である「高速交通ネットワーク」だったからだ。

 道内の高速交通ネットワークは、全国と比較して立ち遅れている。高速道路など高規格幹線道路網の供用率は、全国57・3%(総延長1万4000キロ、供用延長8017キロ)に対し、道内は30・8%(同1825キロ、同562キロ)。供用区間の大半は道央圏だ。

 しかも、道路関係四公団民営化推進委員会が整備抑制方針の色濃い最終報告をまとめるなど、道内高速道路整備には逆風が吹いている。

◆  ◆

 堀知事は「選択と集中」を掲げ、高速交通ネットワーク整備促進には地元負担も辞さない姿勢を強調。昨年11月の日高横断道地元視察では「日高はまず道央圏と結ぶことが先決」「道東道十勝清水-夕張間の開通を第一に考えている」と発言し、高速交通ネットワーク整備への傾注ぶりをうかがわせた。

◆  ◆

 高速交通ネットワークの整備促進を求めるのは、十勝の関係者も同じ。ただ、単なる区間ごとの整備としてではない。「道路はネットワークとして各路線がつながってこそ意味がある。単独路線で効果が出るというものではない」と、広域的な観点での道路網整備を訴えてきた。

 日高横断道は、高速道路網と連結する計画。一大農業基地である十勝にとって、日高だけではなく苫小牧港まで至り、道央や本州への流通新ルートとしての期待もある。

◆  ◆
 しかし、道の特定政策評価調書案は日高と十勝の観点のみ。市内のある経済人は「全体像を持った道路網整備が必要。知事はそれをどう考えているのか」と、評価手法や道の道路網整備に対する考え方に疑問を呈する。

 岩野洋一帯広商工会議所会頭は「高速道路整備が厳しい議論にさらされているときに、道路整備に対して知事がリーダーシップを取らなければならない。それなのに、こうした考え(建設凍結)が出てくるようであれば、ほかの道路整備への影響も懸念される」と不安を漏らす。

 北海道横断自動車道、高規格幹線道路帯広広尾自動車道と、整備促進が希求される路線は多い。「選択」の後の「集中」はまだ見えない。

(岩谷真宏)(03.02.09)

371 荷主研究者 :2017/09/15(金) 00:03:16
廃道の危機!?

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20170830/CK2017083002000052.html
2017年8月30日 中日新聞
豊根村長ら「県道1号早期復旧を」 12月の土砂崩れで不通

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2017083002100001_size0.jpg
崩落し道をふさいだ大量の土砂。大型ダンプ1200台分に相当するという=豊根村富山の県道1号で

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2017083002100002_size0.jpg

 豊根村富山(とみやま)地区の生活道路、県道1号(飯田富山佐久間線)が、昨年12月から土砂崩れで通行止めになっている。伊藤実村長らは29日、県新城設楽建設事務所(新城市片山)を訪れ、「住民の暮らしに深刻な影響が生じている」として、石川博英所長に早期復旧を要望した。 

 通行止めになっているのは、長野県境に近い長さ五十メートルの区間。昨年十二月二十四日、高さ七十五メートルの山の斜面が崩落し、約六千立方メートルの土砂が道路をふさいだ。

 富山地区は長野県との結び付きが強く、住民は通勤や買い物、医療機関の受診など日常生活の多くを長野県飯田市や下伊那郡の町村に頼る。県道1号は、暮らしを支える重要なルートになっていた。

 現在は大回りの迂回(うかい)を余儀なくされ、新野峠経由で国道151号を利用しているが、「道が険しく、飯田まで一時間近く余計にかかる。冬は積雪や凍結の危険もある」と前富山区長の兼子武夫さん(80)は話す。救急や災害時の対応など住民の不安は大きいという。

 要望書を受け取った石川所長は「決して手をこまねいているわけではないが、土砂崩れの規模が大きく、周辺部分でも崩落の恐れがある」と説明。「仮橋を架けるなどの手法が考えられるが、さらに詳細な調査が必要」とし、具体的な復旧の見通しは示さなかった。

 (鈴木泰彦)

372 とはずがたり :2017/10/16(月) 19:03:43
よっきれん40才おめでとage♪ヽ(゚∀゚)ノ

10/13だそうだから数日遅れたけどw

まだまだ元気やねえw

373 とはずがたり :2017/11/25(土) 14:56:45
今回の山行がは地味な滋賀県道130号 岩室神線だ。
http://yamaiga.com/road/spr130/main.html

此処http://yamaiga.com/road/spr130/map_5.gif地図に無い橋を渡って県道が続いていると本文にはあるがgooマップではご覧のように直進して黄線が続いてゐるhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.24.568N34.55.38.919/zoom/10/

googleマップだとこんな感じ。
https://www.google.co.jp/maps/@34.9301355,136.2547386,3a,75y,182.92h,96.85t/data=!3m9!1e1!3m7!1sDOPzwu-5VvYhGGzoLQjvVg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i28

ヨッキのmap_5.gifは間違えてて分岐点は電子地図には載ってる此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.27.298N34.55.36.256/zoom/10/の分岐の様だ。

寧ろ近所の此処のhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.25.732N34.55.23.360/zoom/11/https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.25.172N34.55.25.845/zoom/11/が気になる。

で,山抜けた出口がここらhttps://www.google.co.jp/maps/@34.9171676,136.2461633,3a,90y,38.97h,91.57t/data=!3m9!1e1!3m7!1sBsfkmMNVIg05cgejfwebaA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i28でここから黄線が復活してる。

374 とはずがたり :2017/11/25(土) 14:58:27
>>373
gooマップだと未通箇所は此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.14.981N34.55.24.178/zoom/11/で,直ぐ東側に新しい未成道があるっぽいので其処がr130の未来の姿なのかどうか気になるとこ

375 とはずがたり :2017/12/14(木) 22:39:21
廃道系の巨人よごれん氏だが荒川化学とお付き合い有るらしい♪
結構あちこち走ってるし化学系メーカー営業かなあ

https://twitter.com/yogoren/status/940965153687814144
よごれん ??
@yogoren
フォロー中 @yogorenさんをフォローしています
その他
荒川化学さんから今年も手帳をもらった。ロジン(松ヤニの成分)から着想したと思われる会社のイメージキャラクター「マツタロウ」と「ロジーナ」が何ともいえない味を出してる。富士で工場が爆発して言葉もないけど、来年は頑張ってほしい。

376 とはずがたり :2017/12/17(日) 20:22:58

怖いけど人気 岩肌むき出し、素掘りトンネル長寿化計画
http://www.asahi.com/articles/ASKCY76BVKCYUDCB025.html?ref=yahoo
堤恭太2017年12月17日10時32分

 千葉県君津市は補強などを特に施さずに掘ったままの状態の素掘りトンネルを22本も抱えている。これだけの素掘りトンネルがある自治体は珍しいという。岩肌がむき出しで入るとちょっと怖いが、それが人気にもなっている。一方で生活道路なので安全対策は欠かせない。市は3月に長寿命化修繕計画を立てて補強、補修を始めた。

 ダム湖の三島湖。その湖畔に全長85メートルの梅ノ木台1号隧道(ずいどう)がある。幅は軽自動車がやっと通れるほど。入り口付近は補強されているが中に入ると壁はでこぼこ。掘り進んだ後がそのまま残されていて洞窟のようだ。出口が見えないので恐る恐る進んでいくとトンネルの中に直角のカーブがあった。「三島ダムL字素掘トンネル」とも呼ばれるこのトンネルは今年度中に吹き付け工事を行うという。

 外に出るとすぐに梅ノ木台2号隧道がある。ここは入り口も素掘りのまま。全長は1号隧道とほぼ同じで直線だが、中に分岐がある。人が通れるほどのトンネルの方から外へ出るとそこは崖。三島湖が見え、岩に挟まるように設けられた祠(ほこら)があった。

 同市は面積が県内2位と広く山間部も多いため小さな集落が散在している。そのため簡易な素掘りが増えた。国道や県道、高速道下のトンネルを除くと市が抱えるのは32本でその約3分の2が素掘り。いずれも1940年代以前に掘られたとされ、老朽化も進んでいる。

 しかし、トンネルの先には数軒しかない所もある。市の担当者は「大規模な工事は難しいが、簡単に封鎖はできない。早期の補修で長く利用していきたい」と話す。そこで素掘りを含めた32本を5年間かけて補修する長寿命化修繕計画を立てた。

 計画では、まず2本は天井をなくして非トンネル化し、5本は吹き付け工事で補強する。危険度が高い3本はすでに封鎖した。計画の中間年の2019年度には大規模な点検を実施、今後の方針を検討するという。事業費は、素掘り以外のトンネルの補修費も合わせると6億1234万円と試算している。(堤恭太)

関連ニュース

377 とはずがたり :2018/01/06(土) 17:35:08
なんで日野市内の電車区の有る豊田始発にしないのか理解に苦しむww

http://www.jreast.co.jp/chiba/bbbase/

<自転車専用電車>旅先で走ろう 房総バイシクルベース運行 毎日新聞社 2018年1月6日 12時02分 (2018年1月6日 12時24分 更新)
https://www.excite.co.jp/News/society_g/20180106/Mainichi_20180106k0000e040301000c.html


「B・B・BASE内房」に自転車と共に乗り込む乗客=東京都墨田区のJR両国駅で2018年1月6日午前7時2分、和田大典撮影

 車内に自転車をそのまま持ち込めるJR東日本の専用電車「B・B・BASE(房総バイシクルベース)」の運行が6日、始まった。午前7時39分に両国駅(東京都墨田区)を出発し、和田浦駅(千葉県南房総市)に向かう6両編成の電車に、自転車をひいた約70人が乗り込んだ。

 相模原市の会社員、吉岡徹さん(32)は「自転車を折りたたむ必要がないし、混雑を気にせず乗れるのがいい。今日は海岸線の景色を楽しみたいです」と笑顔を見せた。

 バイシクルベースは、週末を中心に両国から内房線や外房線、成田線などを走る。乗車券などの問い合わせは、びゅう予約センター(0570・04・8928)へ。【和田大典】

378 名無しさん :2018/01/23(火) 20:21:13
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/3/23533.html

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火山
3000年ぶりの噴火か?本白根山「事前の予兆なし」訓練中の自衛官が死亡
2018年01月23日 17時11分


草津白根山
草津白根山のスキー場ゲレンデに迫る噴煙の様子(草津温泉観光協会)
 けさ9時59分ごろ、群馬県の草津白根山の主峰・本白根山が噴火した。気象庁は記者会見で「事前に火山活動の活発化を示す予兆はなかった」として「3000年ぶりの噴火の可能性が高い」と発表した。



 標高は2171メートルの本白根山は、群馬県草津町と嬬恋村にまたがる主峰で、近隣の白根山と逢ノ峰の三つを合わせて草津白根山と総称する。



 気象庁によると23日午前9時59分、三つの山のうち、最も南に位置する本白根山で噴火が発生。山頂付近に設置している傾斜計が地殻変動を観測すると同時に、地下のマグマや水蒸気の動きを示す火山性微動が8分間継続し、その後は火山性地震が断続的に相次いだという。



 東京工業大学の観測によると、鏡池付近から飛翔距離1キロ以上に達する噴石の飛散が確認されており、気象庁が現在、機動調査班を現地に向かわせている。



 ふもとの草津町にある草津国際スキー場では、雪崩が発生し、10人以上の負傷者が出た。噴石が当たったゴンドラのガラス窓が割れたことで乗客4人がケガしたほか、冬季訓練を行なっていた陸上自衛隊員6人が雪崩に巻き込まれて、1人が死亡した。また、山頂付近では80人近いスキー客が取り残されており、群馬県の大澤正明知事は午前10時51分、陸上自衛隊に人命救助に関する災害派遣を要請した。



 気象庁は会見で「草津白根山のうち、白根山の山頂火口と湯釜については警戒監視を続けていたが、本白根山については想定外だった」として、今回の噴火が事前の予兆がなく、鏡池には監視カメラが向いていなかった事実を明らかにした。



 有史以来、草津白根山の火山活動は白根山周辺に周辺しており、本白根山の噴火は「3000年ぶり」だという。気象庁は「鏡池付近から約2キロ範囲では、噴火に伴って飛散する大きな噴石への警戒が必要だ」として、火山ガスが滞留するくぼ地や谷では注意してほしいなどと呼びかけている。

草津白根山
草津白根山の位置関係(気象庁)

379 とはずがたり :2018/01/25(木) 19:35:55
洛北の山には何度かノーマルタイヤで(もちチェーン携行だよ)大雪の中チャレンジした若かりし俺w
動画見ても全然思い出されん。。林道部主宰を気取ってた俺も老いた。。
https://www.youtube.com/watch?v=loNHRVrOiWQ

地図で確認すると此処。此所らは流石に冬は来なかったな。。それにしても思い出せん。夜中鹿見たのはr781の方だったか。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.47.45.441N35.15.39.314/zoom/7/

グーグルのストビューでも峰定寺入口までは割りとハッキリ憶えてる。入口は微かに憶えがあるようなないような。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2501538,135.7653921,3a,75y,38.31h,101.6t/data=!3m9!1e1!3m7!1s6jCxUmmGFPzI0r0KsDJhiw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i20

今は忙しくてなかなか行く機会無いけどこの辺一人で運転できる日が来たら失われた楽しかった若かりし日々の懐かしさで泣きながらの運転になるだろうな。。

雪道スリップか?車が峠の谷に転落 男性死亡 京都・左京区
1/25(木) 13:29配信 朝日放送
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00010003-asahibcv-l26
朝日放送

25日朝、京都市左京区で車が谷に転落し、運転手とみられる男性が死亡しました。

午前8時ごろ、京都市左京区広河原能見町の能見峠近くの山道で、通行人から、「ガードレールが曲がっていて、タイヤの跡が谷の方に向かっている」と警察に通報がありました。警察と消防によりますと、ガードレールからおよそ200メートルほど下の谷底で普通乗用車が見つかり、その近くで倒れている男性が発見されました。男性は、その場で死亡が確認されました。現場はカーブしている山道で雪が積もっていました。警察が詳しい事故の状況などを調べています。

380 とはずがたり :2018/02/08(木) 21:23:01

すげえw

https://twitter.com/hydromi11/status/961370741236105216
オーリーエンタルのカレーェのMineko?
@hydromi11
フォローする @hydromi11をフォローします
その他
建設軌道って工事終了後に基本撤去されますが、保守が困難な場所にはそのまま残しておく場合もありますね。

富山はそれが多い。。。

381 とはずがたり :2018/02/17(土) 22:26:03
https://twitter.com/memoru_troopers/status/964781337029656576
険酷隧?
@memoru_troopers
フォローする @memoru_troopersをフォローします
その他
富山県旧大山町に、明治時代に施工された隧道が残っている。
地元の同業者では、「大山の人車軌道隧道」と呼んでいる。
「ほぼ当時の状態」を保っており、とても貴重な隧道である。
行政の調査候補になった事もあるが、残念ながら現地調査に至らず。
#隧道 #人車軌道

382 とはずがたり :2018/04/05(木) 18:53:16
40歳「廃道」に鉱脈を見出した男の快活な人生
「嫌」を極力排除し自分だけの道を突き進む
https://toyokeizai.net/articles/-/213949
古田 雄介 : フリーランスライター 2018年04月05日

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第30回。
<藪を突き抜けた勢いで、うっかりあと1歩踏み出していたら終わりだった。(略)なぜなら、右に見える路面には、それを支える地面がまるで存在しなかったから。宙ぶらりんなのだ。足を踏み込んだら突然板チョコのようにポッキリ割れて、あと100m残っている海岸までの落差を身に刻みつけながら、とても呆気なく人生の締め括りを迎えていたかも知れないのだ。……こういうことがあるから廃道は恐い。(東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道レポートより)>

使われなくなった道を踏破するオブローダー
使われなくなった道のことを廃道(obsolete road)という。その廃道を好んで探索する人はオブローダー(ob-roader)と呼ばれる。今回インタビューした平沼義之さん(40歳)は日本のオブローダーの第一人者として知られる人物だ。ハンドルネームは「ヨッキれん」。2000年から続く廃道探索レポートサイト「山さ行がねが」の読者にはこちらの名前のほうが通りはいいかもしれない。2018年1月に累計4000万アクセスを突破した老舗サイトだ。

図書館などで見つかる古地図などの情報を頼りに廃道や廃トンネル(廃隧道)を探し、トレッキングに近い装備で山や谷に分け入り、使われなくなった道を踏破する。現場の空気感が伝わる綿密なテキストと写真で読者に探索のスリルを味わわせる。このスタイルは20年近く変わらない。

およそ10年前、平沼さんは廃道探索のために秋田から上京してきた。その頃に別媒体でインタビューした時、「人生を廃道歩きにかけている」と話していた。そして現在。当時と同じアパートを拠点に廃道探索一本で生計を立てている。ニコニコと楽しそうに廃道巡りを語る様子はあの頃と同じで、やつれも屈託もない。

潤沢な資金があるのか、はたまた能天気なのか。違う。平沼さんは「ニッチな趣味で食べていく」という簡単にはいかない道で充足するための術を意識的に身に付けている。だから上京した頃のままなんだと、10年ぶり2度目のインタビューをさせてもらって気がついた。この術は、もしかしたらあらゆる職業に役立つものかもしれない。

平沼さんは1977年に千葉県松戸市に生まれたが、人生の記憶はまもなくして移った横浜市から始まる。サラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれた一人っ子。旅好きな両親の影響を強く受けて育った。

「両親は高級ホテルより民宿が好きで、土地ごとの自然に触れるような素朴な旅を好んでいました。観光というより、日常とは違う景色を楽しむという感じですね。間違いなく私の趣味のきっかけだったと思います」

小学生の頃から自転車が大好きで、暇があれば近所の鶴見川の河川敷を走ってばかりいた。親に怒られない時間までに戻れる距離を計算しながら、できるかぎり遠く、サイクリングロードを上流のほうへこぎまくる。なぜか海に向かう下流方面には一度も行かなかった。その頃から山へのあこがれがあったのかもしれない。が、嗜好が完全に開花したのは小学6年の途中で秋田県に引っ越してからだ。

秋田県での学校生活に楽しい思い出はない。言葉や雰囲気が異質な平沼さんはクラスで浮き、中学生の頃になると陰湿な嫌がらせを日常的に受けるようになった。「いちばんつらかった」と振り返るこの時期は、横浜ではひょうきんだった少年を引っ込み思案で根暗、人と付き合うのを怖がる性格に変えた。

「逃げた先が、山だったんだと思います」
心を解放する場所は学校ではなく山だった。秋田に引っ越したばかりの頃にできた2人の友達と自転車で近所の山々の林道を回る。「山さ行がねが(山に行こうぜ)」と集まり、季節のいいときは2週間に1度くらいのペースで荒れた道を探索した。

「林道は下枝を切ったり幹を伐採したりするときにしか使われないものが多くて、5年や10年放置されていることがよくあります。そういうあまり管理されていない道をマウンテンバイクで突破するっていうヒロイックな遊びにとりつかれたんですよね。俺たち最強のトリオだなって(笑)」

自分たちだけの道を突き進む楽しさは学校生活のストレスを癒やしてくれた。高校は地元で一番の進学校に入ったが、「勉強は好きだけど学校は嫌い」という状態が続き、出席日数不足で留年。卒業したあとはストレートで地元の秋田大学に進学したが、今度は学業に目的が感じられなくなり1年で中退してしまう。

383 とはずがたり :2018/04/05(木) 18:53:26

「私は苦労するのが嫌で、逃げてばかりいました。学校でいじめられるのは嫌だ。大学に入ったらもう勉強も嫌だって。そうして逃げた先が、山だったんだと思います」

将来のことなんて考えたくないし、やりたい仕事も思い浮かばない。しかし、実家で暮らしながらも親の収入に頼る年齢でもないので、学生時代から続けているコンビニエンスストアのバイトだけは続けていた。後々フランチャイズ店の社員となり店長となったが、この仕事を一生続けていくビジョンは持てなかった。立場が変わるたびに激務になっていったが、学校に比べたら耐えられたから続けていたという程度のことだ。そして、たまったストレスをはき出すようにたまに山に行く生活。生産的なものは何もなかった。ホームページを立ち上げるまでは。

大学を中退してしばらく経った頃、家電量販店にはWindows 98SEパソコンが店頭に並び、インターネットでは個人サイトがはやっていた。以前からゲーム機でインターネットを見ていた平沼さんは、ある日たまたま旧道をテーマにした個人サイトを見つけて衝撃を受ける。

「生きていくための役にはまったく立たないような情報を発信している人がいるということにびっくりしました。インターネットって何て自由なんだろうって。ひょっとしたら私がやっているようなこと、自転車で荒れた林道を走破することも情報発信しようと思えばできるんだと気づけたのは大きかったですね」

くすぶっていたアウトプット欲が頭をもたげる
そこでくすぶっていたアウトプット欲が頭をもたげる。無料のホームページスペースにアカウントを作って、仲間たちとした林道探索を記録するサイトを立ち上げた。1日に多くて5人も訪れず、内容は「いたって自己満足」。しかし、サイト運営を通してHTMLの入力方法をマスターし、パソコンやデジカメもそろえることができた。その下地が2000年から現在につながる廃道探索サイト「山さ行がねが」を生む。

山好きの平沼さんが登山やワンダーフォーゲルの方向に進まなかったのは、それ以上に道が好きだったからだ。子どもの頃の家族旅行でも、目的地で自然を楽しむより、そこにクルマで向かう時間がいちばん楽しかったという。走行する道の振動やトンネルの照明、標識のある景色がどんどん向かってくるのが胸を躍らせた。

やがて探索仲間の嗜好が自転車からクルマへと移っていったことで、平沼さんは一人で探索するようになり、加速度的に熱中の度合いを高めていった。すでにメインの対象は林道から廃道に移っており、道の荒れ具合は増している。トンネルだったら途中で崩落していたり腰ほどの高さまで浸水していたりすることもあるし、崖を削って作った道は土砂崩れや落石で通行不能になっているものもある。体力をギリギリまで使ってそこを突破することに浸った。

「廃道には2段階の魅力があります。1つはその道自体の魅力。道として機能していた時期に多くの人に使われて日々変化してきた。そうした道を独り占めして堪能できる。そこに2つ目の魅力である、廃道になったあとの時間経過がプラスされる。道路上に藪があったり橋が崩落していたり。そこを走破する冒険的な楽しさも味わえることがあるんです。ひどい状態の道だけど、かつてはそこに往来があった。そういう重なりが面白いんですよね」

その魅力を本人目線でありのままに伝える記事はじわじわと評判を呼び、2004年頃には「山さ行がねが」は知る人ぞ知るニッチなサイトとしての地位を固めていた。

とはいえ、この道で食べていくという発想はまだなかった。当時はアフィリエイト(ネット広告掲載)収入もなく、暮らしはコンビニエンスストアの給料一本。毎月5万円を親に渡して、残りで十分生活できた。しかし、それも長くは続かない。

突き詰めてみたいという欲が出てきた
大学中退後も両親は寛容だったが、2003年に店長を辞めてフリーターになったときはさすがに実家の空気が張り詰めた。まもなくして地元の出版社から声をかけられ、バイトとしてデータ収集や本の整理をするようになったが、そこも2007年には退職してしまう。そのとき、平沼さんには内に秘めるものがあった。上京だ。

「勤めていた出版社は郷土史に強くて、いつかは廃道の本も出したいという思いがありました。正直ずっとやっていこうという気持ちもあったんですけど、その頃『山さ行がねが』の人気が高まっていて、そちらを突き詰めてみたいという欲が出てきたんですよね」

廃道を極めるなら、歴史的に道が多くて他地域へのアクセスもしやすい東京を拠点にすることは外せない。

384 とはずがたり :2018/04/05(木) 18:53:36

この頃になると、廃道で食べていきたい気持ちは多少芽生えてはいたが、まだ現実的な手応えはなかった。2006年秋頃から廃道の同人誌を仲間と作ってネット販売するようになり、毎月数万円の収入になってはいたが、それだけで生活が成り立つイメージはどうにも湧いてこない。それでも上京に踏み切った背景には、コンビニエンスストア時代に貯めた貯金に手をつけていなかったことと、当時はパチスロで月に20万円くらい安定して勝っていたことがある。東京でも同じ調子でやれば何とかなると思った。貯金から200万円下ろし、その200万円が底をついたら実家に戻る。両親とはそう約束を交わして家を出た。

上京。東京の郊外に家賃3万2000円の物件を見つけて、以来現在までの根城としている。もともとおカネを使わない性格なので、家賃に水道光熱費や食費、廃道関連の費用を足して月15万円あれば暮らしていけると算段した。パチスロ生活で余裕で賄える、はずだった。その頃から勝ちにくい台が多くなり、秋田時代のような計算は成り立たず、早速虎の子の200万円を取り崩す生活に突入してしまう。

週1ペースで廃道を巡り、文献を調べながら日に4時間かけてレポートを書き上げる。探索した順番に手を付けるのではなく、興が乗ったものから記事化していくのが信条だ。空いた時間には昔ほどは勝てなくなったスロットを回しに出掛ける。そんな生活を1年近く続けていくうち、預金通帳の残高は80万円ほどになっていた。

そこで底を打ったのは幸運でしかなかったと振り返る。

「アフィリエイト広告を貼るようになって少しずつサイトから収入が得られるようになってきたことと、NHKから取材されたりしてメディアから取材してもらうことがちょくちょく出てきて。書籍のお仕事もいただけるようになったのが大きいですね」

同種のサイトの追随を許さなかったからこそ
スロットでの勝ちに頼れなくなってサイトの人気を収入にする方法を取り入れた時期と、水面下で蓄積していたサイトの評価が表に出てきた時期がうまく重なった。2000年代後半特有の、個性的な個人サイトの書籍化やメディア進出が目立った時代背景も無視できないだろう。廃道は個人サイトという新しいサブカルチャーの泉から汲み上げられた新コンテンツとして扱われた。2000年前半に興った「廃墟ブーム」や、鉄道趣味の1ジャンルとして長く定着している「廃線趣味」とはまったく別の文脈だ。

そこで平沼さんが第一人者とみなされたのは運ではない。7年以上もクオリティの高いレポートをコンスタントにアップし続けて、同種のサイトの追随を許さなかったからだ。大抵のサイトは画期的な切り口であっても1年と更新が続かない。発足時かそれ以上の密度と品質でコンテンツを生産し続けるのは、いつの時代でもほんのひと握りだ。

当初アフィリエイト収入は月に1万円いかない程度だったが、広告の品が売れて報酬が入るタイプだけでなく、広告クリックが直接報酬になるタイプも加えたら数段アップした。その頃アクセス数は1日7000近くに達し、数値の伸びは同人誌の売り上げにもつながった。廃道の魅力を知った新規読者はサイトから同人誌の存在を知って、バックナンバーもまとめ買いしてくれる。1部400円のPDFファイル。在庫リスクは一切ない。

ピーク時は400〜500人の購読者がいて、毎月発行するたびに仲間と割っても十分な収入になった。それに加えて、編集者と書籍の企画を膨らませたり、『廃道ナイト』(東京カルチャーカルチャー/2009年〜)などのイベントを主催したりするなど、積極的にコンテンツを育てていったことも見逃せない。人付き合いが嫌いなのは変わっていないが、廃道の魅力を伝えることに関してはモチベーションがいくらでも湧いてきたという。


『廃道探索 山さ行がねが』(筆者撮影)
2018年現在、サイトのアクセス数は1日9000〜1万程度。2012年頃から安定しており、基本的な生活費はアフィリエイト収入だけで賄えている。同人誌はすでにやめており、イベントも収支的にはプラスマイナスゼロなので計算に入らないが、書籍やDVDの監修・執筆のギャランティは大きな支えだ。撮影機材やGPSを新調したり中古車を購入したりするのは、そうした臨時収入がなければ難しかった。決して裕福ではないというが、完全に廃道だけで食べている状況になっている。そしてそれが10年弱続いている。

好きなことだけやってきました
平沼さんは語る。

「まじめさとか真剣さとかとは真逆な位置で、嫌なことから逃げて好きなことだけやってきました。今食べていけているのも、本当に運がいいというか恵まれているんだと思います」

385 とはずがたり :2018/04/05(木) 18:54:07
>>382-385
それが謙遜でないところに生き方の極意がある。

平沼さんは、自分を「甘えていて、嫌なことに立ち向かえない人間」だとわかっているという。権威を伴う人間関係や仕事へのプレッシャー、不安やストレスなどなど……。そうした嫌なことを避けて生きていけるように、意識的に自らを導いているところがある。

人間関係が嫌だから学校を辞めたし、会社組織に属さない生き方を選んだ。同人誌も「おカネを払って読んでくれるプレッシャーと、一生懸命書いても最大500人にしか読んでもらえないこと」と折り合いが付けられなくなってやめた。将来への不安は「あったはず」だが、スロットで思うように勝てなくなってきた頃も押し潰されるような怖さは感じなかったという。それは自らが認めるように根が楽観主義者ということもあるだろうけれど、生き方が変化することが「嫌」ではないのが大きいように感じる。

「変化して当然ですし、変化に対して声を上げて食い止めるような気力もないですしね。そういうアンテナも張っていませんし。だから、たとえばアフィリエイトの仕組みが終了したらすごく悩むと思うんですけど、そのときはそのときで別の稼ぎ方を考えると思います。また同人誌をやるかもしれないし、別の方法かもしれない。今は私のサイトを好きだと言ってくださる読者がたくさんいてくれるので、そんな仲間と知恵を出し合って維持するように頑張ると思います」

変化に対して鷹揚な背景には、自らの価値を間断なく見つめる冷静さがある。自らを甘えた逃げる人間と評するのもそうだし、廃道レポートというコンテンツの評価分析にしてもそうだ。

「廃道探索には前述のような独特の魅力があって、私は今のところはすごく楽しい情報発信ができているという自負があるんですよ。代えが利かない魅力があれば、それをどうおカネに換えるかが変わってもどうにかなる。だから、将来稼げなくなるという心配もしてないです」

この代えが利かない魅力を維持するのは、自らが持つ廃道へのモチベーションしかない。


『国道??酷道!??日本の道路120万キロ大研究』(筆者撮影)
これまで廃道へのモチベーションが減衰したことはない。それは自然にそうなったわけではなく、周辺にまとわりついてくる「嫌」を意図的に取り除いてきたからだ。探索した順番ではなく気が向いた順にレポートを書くのものそうだし、プレッシャーや公開範囲の狭さを伴う同人誌をやめたのもそう。アフィリエイトという、記事に対する直接的な対価ではない手法を基本の収入源にしているのもそうだ。

モチベーションの敵になるようなものは極力排除する
読者の声も過度には追いかけない。「山さ行がねが」や公式ツイッターに届くコメントには目を通すが、それ以上を追うとネガティブな反応に気がめいったり、他の廃道サイトの情報が入って心がザワザワしたりするリスクが高まるから触れないままにしている。とにかくモチベーションの敵になるようなものは極力排除して、ストレスなく廃道に相対するように細心の注意を払っているわけだ。

「モチベーションが維持できなくなったら、何も生み出せなくなってしまいます。山にも行く気力がなくなって、モノも書けなくなる。そうしたら私は本当に食べていくすべがなくなります。私は常々廃道に行き続けて、燃料を補給し続けないといけないわけですよ。自分にも読者にも対価を与え続けないといけない」

この後何年も生きていくためには、将来への不安に目を向けず、今ある気力を全力で守る。矛盾しているようで矛盾していない。この徹底したモチベーションコントロールこそが、10年前と変わらない、平沼さんの屈託のなさの源なんだと思った。

平沼さんは80歳になっても廃道探索を続けたいという。

「廃道に行けなくなったら生活保護一直線ですしね。まともな社会人経験が数年間のコンビニエンスストアくらいしかない人間が、今さら別の道を選ぶことはできないですから(笑)」

386 とはずがたり :2018/04/07(土) 20:53:29
r59,(主)富山庄川線はこれか?!
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.1.55.624N36.31.32.258/zoom/10/
http://yamaiga.com/road/usidake/main4.html

富山県道59号富山庄川線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9359%E5%8F%B7%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%BA%84%E5%B7%9D%E7%B7%9A
この県道には現在不通区間があり、全線通しての通行は出来ない。かつて存在した富山市山田数納から南砺市利賀村栗当に至るルートは完全に廃道化し、その痕跡を徒歩でたどることすら難しい。利賀村栗当の終点側分岐にいたってはほとんどの地図に記載すらされておらず、常に車両通行止めの上すぐに道路そのものも獣道となり消滅する。またこの通行不能区間であるが、利賀村側に降りてくると何故か重複区間を待たずにこの分岐路で「ここまで」と表示されている。なおこの分岐路には富山の名水のひとつ「脇谷の水」がある。

富山県南砺市利賀村栗当
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92939-2501+%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%8D%97%E7%A0%BA%E5%B8%82%E5%88%A9%E8%B3%80%E6%9D%91%E6%A0%97%E5%BD%93/@36.5345768,137.0025414,14z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5ff82144cf14df8f:0xa8f0a2d04818514b!8m2!3d36.5340222!4d137.0256556

富山市山田数納
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92939-0000+%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%95%B0%E7%B4%8D/@36.5345768,137.0025414,14z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff8219e49dd59df:0xd3f28e0f849caedc!8m2!3d36.5235687!4d137.0524916

【険道】富山県道59号(庄川側分岐)登ってみた【廃道】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7311464
草刈りはされるらしい。(地元のおじさんが一人でボランタリーに年1でw)

387 とはずがたり :2018/04/08(日) 11:35:57

大千代港整備小史
http://yamaiga.com/road/oochiyo/main11.html#tuika
無駄だなぁ・・>制度として半自動的に進められた災害復旧事業によって、今回私も探索している【途中までの車道】や、【途中までの階段】などが作られたとみられる。

連絡船が460tになって接岸出来る日数は飛躍的に増えたんだろうか?トンネルぶち抜くのも必要だろうが揚物場を460t着岸可能にするのは難しいか。

388 とはずがたり :2018/04/12(木) 16:43:52
青ヶ島
https://www.gnavi.co.jp/amex/aogashima/

389 とはずがたり :2018/04/16(月) 23:34:53

粟巣野とか千垣とか富山地鉄結構いいかも(;´Д`)はあはあ

粟巣野駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E5%B7%A3%E9%87%8E%E9%A7%85

粟巣野駅(あわすのえき)は、かつて富山県上新川郡大山町(現:富山市)にあった富山地方鉄道立山線の廃駅である。かつては大阪駅から急行立山が乗り入れるなど、粟巣野スキー場への最寄駅として利用されていた[1][2][3]。

沿革
当駅は、当初富山県営鉄道の同線の終着駅として開業し、立山開発の基点として貨客集散の地となっていたが[1]、その後、1955年(昭和30年)7月1日に至って千寿ヶ原駅(現:立山駅)が開業し、ターミナル駅の役目を同駅に譲ることとなった[4]。以後は利用者数が激減し、もっぱら粟巣野スキー場の最寄駅として利用されていたが[1]、立山駅から同スキー場への道路が整備されると共にその役目も終り[1]、1981年(昭和56年)5月22日遂に廃止されるに至った[5]。



千垣駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%9E%A3%E9%A7%85

歴史
1923年(大正12年)4月20日 - 富山県営鉄道の終着駅として開業。
1937年(昭和12年)10月1日 - 粟巣野駅(現在廃駅)まで延伸開業、途中駅となる。
1942年(昭和17年)6月1日 - 千垣駅 - 粟巣野駅間が日本発送電に譲渡される。
1943年(昭和18年)1月1日 - 富山地方鉄道の駅となる。

https://twitter.com/hydromi11/status/985690166663700480
オーリーエンタルのカレーェのMineko
@hydromi11
フォローする @hydromi11をフォローします
その他
有峰に鉱山があったのは有名な話(マニアのみ??)亀谷鉱山、笹津尾鉱山などなど。。。当時千垣駅に連結されていた和田発電所建設路と、鉱山搬出路があったと聞いたことがある・・・
この大規模なものは、和田發電所、小見発電所のコンクリート工場なのかな?それとも選鉱所なのかな??

390 とはずがたり :2018/04/18(水) 16:50:17

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180417-OYT1T50107.html
富士山5合目への県道、積もる土砂なお4m超
2018年04月18日 15時59分
崩れた路肩を復旧する作業員(小山町須走で)
崩れた路肩を復旧する作業員(小山町須走で)

 静岡県は17日、3月に発生した土石流の影響で、土砂で覆われている県道「ふじあざみライン」を報道陣に公開した。

 富士山の須走口5合目に向かう道路で、例年は大型連休前に冬季閉鎖が解除されるが、今年は5月中旬になる見通し。

 ふじあざみラインは片側1車線で、約1万6000立方メートルの土砂が423メートルにわたり道路を覆った。4月6日から復旧工事が始まり、6000〜7000立方メートルの土砂を撤去したが、道路上にはまだ約4メートル以上も土砂が積もる。また、2か所で道路の路肩が崩れ、元に戻す工事も必要だ。県沼津土木事務所は5月16日までの開通を目指している。

 例年、大型連休中にはふじあざみラインを通り、5合目にある人気の散策コース「小富士」などにハイキング客ら数千人が訪れる。このため、須走口の山小屋経営者で作る「須走口山内組合」の渡辺昇組合長は「観光客の安全確保が大前提だが、できるだけ早く復旧してほしい」と影響を心配する。

 地元の小山町も早期開通を願っている。5月16、17の両日には、「静岡デスティネーションキャンペーン」プレキャンペーンの一環で、旅行関係者による富士山周辺の視察ツアーが須走口5合目を訪れる予定となっている。町商工観光課は「町のPRに直結する。間に合ってほしい」としている。

2018年04月18日 15時59分

391 とはずがたり :2018/04/27(金) 15:47:31
ど,どこだ!?(;´Д`)はあはあ

https://twitter.com/yokkiren/status/989739615236997120
ヨッキれん/平沼義之
?@yokkiren
フォロー中 @yokkirenさんをフォローしています
その他
うわぁー!

392 とはずがたり :2018/05/04(金) 20:00:04
https://twitter.com/kendou774/status/992350946687500288
R774@まとめ屋
@kendou774
フォローする @kendou774をフォローします
その他
福島r247(片倉末続停車場線)。一見ピストン県道であるが、三森林道経由で通り抜けることができる。しかしながら末端部は2009年より通行止が継続しており、廃道化が進んでいる。この廃道区間(でも現役県道)の中にヘキサが立っているはずだ。雨の中を先へ進む。

393 とはずがたり :2018/05/10(木) 10:32:34
2018年02月17日
奈良
和歌山
三重
これはすごい
酷道
マニアもビビる…キングオブ酷道「425号線」で見た日本の「原風景」
https://withnews.jp/article/f0180217001qq000000000000000G00110101qq000016786A?utm_source=yahoo&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=link_back&amp;utm_content=related

394 とはずがたり :2018/05/13(日) 15:08:21

この辺かな?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E132.43.18.375N35.17.59.681/zoom/8/

https://twitter.com/kendou774/status/995446054593048576
R774@まとめ屋
@kendou774

島根r162はこの辺りでは一番の険道だけど、危ない区間は短いので、県が否定するほど厳しい険道ではない。

島根県道162号大社立久恵線 険道区間
http://yukebawakarusa.blog88.fc2.com/blog-entry-17.html

県道162号大社立久恵(たいしゃたちくえ)線(以下r162)は島根県出雲市大社町から出雲市乙立町に至る県道である。
また、私の知る限り(多くは知らないが…)では島根県内一の険道にノミネートしたい。


立久恵と云えば一畑電気鉄道立久恵線であるがなかなか野心的な計画だったようだw
木次線よりこっちの方が良いし,もっと云えば国鉄大社線を引き継いで畑電大社線は廃止しても良かったんちゃうか。

一畑電気鉄道立久恵線https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E7%AB%8B%E4%B9%85%E6%81%B5%E7%B7%9Aであるが。

当初は陰陽連絡鉄道を目指して、大社宮島鉄道(つまり出雲大社〔出雲市〕と厳島神社〔廿日市市〕を結ぶという意味を転じて島根県と広島県を結ぶという意味を込めた)という壮大な社名をつけ、出雲 - 三次間91.7kmに鉄道を敷設する計画であった。三次を終点としたのは計画当時すでに芸備鉄道(現・芸備線)が広島から三次まで開通していたためで、それと結ぼうということである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E7%AB%8B%E4%B9%85%E6%81%B5%E7%B7%9A#/media/File:Ichibata_Electric_Railway_Linemap.svg

ところが昭和恐慌の影響と鉄道省による木次線の建設により陰陽連絡鉄道が完成されたことが原因で出雲今市(現:出雲市) - 出雲須佐間18.7kmを開業させたにとどまり、出雲須佐以南は測量を行っただけで着工に至らず、出雲須佐 - 三次間73.0kmの免許は失効のやむなきに至った。このため、社名を出雲鉄道に改称した。なお根津は免許失効直前の1937年に社長を退任している。

戦後は出雲平野に鉄道路線を展開している一畑電気鉄道に吸収されるが、社名は「一畑電気鉄道」ながら電化されることはなく、一畑電気鉄道唯一の非電化路線として営業を続けていた。しかし、過疎化やモータリゼーションの進展で経営状況は芳しくなく、1964年(昭和39年)に島根県東部を襲った梅雨末期の集中豪雨で路盤が流失したことを契機に営業は中止され、そのまま廃線へと追い込まれていった。過疎化やモータリゼーションの進展が原因で復旧する必要がないと判断されるほど経営状態は悪化していたことが伺える。

395 とはずがたり :2018/05/21(月) 13:16:50
国道229号線
白糸トンネル旧道
http://www.geocities.jp/tenku_kaihatsu/siraito01.html

396 とはずがたり :2018/05/21(月) 14:49:53
白糸Tは此処。やまいがもレポしてくれるだろうか?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.52.10.552N42.39.16.564/zoom/9/

397 とはずがたり :2018/05/25(金) 10:48:32
冒険の共有は山行がにも通じるものがある。最近テレビ出たりしてるよっきだけど,もし迷走し始めたら一ファンとして止めなきゃいけないだろうな。今んとこ大丈夫そうだが。

森山 憲一
2018/05/23
“賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか
エベレストで死亡した登山家の実像
http://bunshun.jp/articles/-/7474

 登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなった。これを書いている5月22日現在では、死因などについての詳しい情報が入ってきていないので、事故についてはなにもわからない。現時点で言えることは、栗城さんが亡くなったことは間違いないようだということだけ。事故の詳しい状況は、おいおい明らかになっていくと思うので、その時点で、なんらかの論評はできるのだろう。

 栗城さんというのは、なにかと物議を醸してきた登山家だ。世界7大陸最高峰の無酸素単独登頂をめざして活動し、注目され始めたのは、2009年ごろ。6大陸の最高峰に登り、残るエベレストに挑戦を始めたころだ。このころから、彼を取り上げたテレビ番組が数多く放送され、著書はベストセラーになり、現役の登山家としては圧倒的な知名度を獲得していった。一方で、その登山の内容や発言には疑わしいものが目立つとして、激しいバッシングも受けていた。これほど評価の振れ幅が大きい登山家は、栗城さん以外にはちょっと記憶にない。

絶賛から否定まで、さまざまな評価
 評価は、絶賛から罵倒まで、本当にさまざまで、大ざっぱにいえば、一般社会からはおおむね好意的評価を受け、登山を知る人からは逆に否定的に見られていたことが多かったように思う。私は登山雑誌編集者およびライターであるが、肯定・否定いずれからも距離を置き、離れたところから静観してきた立場だ。

 なぜ静観してきたのかというと、わからなかったからである。栗城史多という登山家を、栗城史多という人物を、自分のなかでどう位置づけてよいのか、ずっとわからなかった。栗城さん本人を知る人に聞いても、評価はまさに真っぷたつ。世間的な評価だけでなく、一次証言としての評価もこれほどブレの大きい人は滅多におらず、ただただ、「よくわからない不思議な人」というイメージしか持てなかった。

栗城さんはなぜ難しいルートを選んだのか
 であるが、昨年、私は、自分のブログで、栗城さんに批判的な論調の文章を公開した(森山編集所「栗城史多という不思議」「栗城史多という不思議2」)。栗城さんは、昨年のこの時期にも、エベレストに挑戦しており、フェイスブックなどで随時報告されるその登山のようすを見て、「いくらなんでも、あまりにもむちゃくちゃだ」と、自分の明確な感想として初めて感じたからである。なにがむちゃくちゃだったのか。ひとつは、登山として。もうひとつは、栗城さんの掲げる「冒険の共有」として。

 まず、登山として。栗城さんは昨年、北壁というルートからエベレストに登頂しようとしていた。エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話。近年、最高齢登頂で話題になった三浦雄一郎さんや、日本人最年少登頂者となった南谷真鈴さんも、みなこの手法で登頂している。一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという。同じエベレストといえど、この両者は難易度において、「雲泥」という言葉では足りないほどの差がある。プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の強力登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ。

「そんな困難な課題だからこそ挑戦のしがいがあるのだ」という意見もあるかと思う。登山はもともと、未知未踏を切り拓くものであって、冒険を否定しては成り立たないものだ。私自身がそんな冒険の魅力に惹かれて登山を始めた人間であるから、人の挑戦は否定したくない。だが、そんな私から見ても、栗城さんの実力と、掲げる目標の乖離は、度を超しすぎていると感じた。栗城さんの登山の実力は、やってきたことを客観的に見れば、多くのノーマルルート登山者と同程度と思われる。その実力で、北壁を無酸素単独で登ろうとするのは、どう考えても自殺行為だ。「登山としてむちゃくちゃだ」と感じたのは、こういうことなのである。ここはとても重要なところなので、本当に理解していただきたいと思う。

398 とはずがたり :2018/05/25(金) 10:49:28
栗城さんの価値は「冒険の共有」にこそあった
 もうひとつは「冒険の共有」として。栗城さんは、たんに山頂に立つだけでなく、その過程を中継などで見せることによって、見ている側にも冒険を追体験してもらうことに重きをおいていた。このことについて、「登山のショー化」などとして批判する人も多かったが、私個人はここに否定的感情は持っていない。むしろ、これまでの登山家ができなかったことを実現していると肯定的にとらえていたくらいだ。実際、エベレスト挑戦初期(2009年〜2012年)は、この試みは成功していたと思う。いわゆる登山記録としては、栗城さんの成し遂げてきたことは特に意味のあるものではないが、栗城史多という登山家に価値があるとすれば、ここにこそあったと思うのだ。

誰かが「暴走」を止めなければいけなかった
 ところが、2015年ごろから、この部分も中途半端になってきて、昨年2017年にいたっては、お粗末にすぎた。公開される映像はもともとわずかなうえに、本格的な登山活動に入ってからのものはほとんどなし。GPS発信器を携帯して、現在地をネット上でリアルタイムに表示するということも行なっていたが、発信が切れ切れのため、ときたま思い出したように表示されるだけで、ほとんど追体験ができない。フェイスブックなどでの情報発信も途切れ途切れで、ついにはそれもぱったり途絶え、どこでなにをしているのかがわからなくなった。発信が再開されたら、なんと北壁があるチベット側から、ネパール側に移動してきていて、西稜にルートを変えるという。聞いたことのないような行き当たりばったり。そして西稜への再トライも、ごく低い標高で中止となって終わった。

 つまり、登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。登山に限らず、アンコントロールというのはもっとも危険な状態だ。どんなに難しく思える挑戦でも、本人が情熱と確信をもって取り組んでいるかぎり、他人がそれを止める権利はないし、情熱と確信があるかぎり、望みはゼロではない。しかしアンコントロールは違う。暴走をだれかが止めなければいけない。

 登山雑誌はそれまで、栗城さんについてはほぼ黙殺状態だった。そのことについて、当事者として引っかかりをずっと覚えていた私は、それを解消するためにもブログを書いた。家族や近しい人をのぞけば、暴走を止めるべき筆頭候補は登山界なのだろうし。すると、ブログを読んだ栗城さん本人から連絡があった。「森山さんは僕のことを誤解しています」と。栗城さんは、10年くらい前に一度会ったことがあるのだが、私は何を話したのか記憶がなく、栗城さんは私に会ったことを忘れていた。おたがいほとんど知らない間柄なので、それは誤解もあるかもしれない。ならば、詳しい話を聞かせてほしいと思い、栗城さんに会いに行った。

399 とはずがたり :2018/05/25(金) 10:49:35
>>397-399
実際に会った栗城さん本人は……
 実際に会う栗城さん本人は、にこやかで腰が低く、批判をしたライターに対しても、普通に接してくれた。だが、話に聞いていたほどのストレートな明るさはなく、どこか陰のある感じが気になった。そして、話は最初から最後まで噛み合うことはなかった。北壁は難しすぎるという私の指摘について、栗城さんは「僕は登れると思っている」と答える。その根拠を聞くと、自分は血中酸素飽和度が人より高いという、あまり本質的でない理由を繰り返すだけだった。会話は終始そんな調子で、私は栗城さんに抱いていた謎が解けることはなく、栗城さんは栗城さんで、私の言うことに理解を示してくれるようなこともなく、おたがい収穫はなしに終わった。

 そんなかかわりを持ったこともあり、その後もときおり、栗城さんのフェイスブックをチェックしていた。栗城さんの活動から受けるアンコントロールな印象は、今年2018年のトライでも変わらず、それどころかさらにエスカレートしていた。情報発信は昨年以上に少なく、その一方で、目標ルートは、北壁より難しいとされる、エベレスト最難関の南西壁にまでグレードアップしていた。南西壁という言葉が出てきたときは、いよいよ混迷は極まったと感じた。

どこで歯車が狂ってしまったのだろうか
 昔の栗城さんは、こんなことはなかった。登山ルートも、ここ数年ほど、でたらめに困難なところを選ぶことはなく、冒険の共有についても、意欲的に、主体的に行なっているように見えた。テレビで放映される派手なパフォーマンスには、好き嫌いはあっただろうが、だれかの心を揺さぶるものは確実にあったはずだ。私は心は揺さぶられなかったクチだが、その行為に一定の価値は認めていたし、なにより、意欲をもってやっている以上、部外者が口を差し挟むことではないと思っていた。

 あるときから、栗城さんのなかで、どこか歯車が狂ってきていたのだと思う。最悪の結果になり、とにかく残念――という言葉もしっくりこない。残念というのは、近しい人であったりファンであったり、なんらかの思いを寄せていた人に使うべき言葉であって、2回しか会ったことがない人に対して、軽々しく口にするのは、かえって不誠実な気がする。現段階では、なんともいえず、虚しい、空虚な感情しか抱けない結果である。

400 とはずがたり :2018/05/26(土) 21:41:47
https://twitter.com/kendou774/status/1000345770363502592
R774@まとめ屋
@kendou774

讃岐山脈の県道群は面白い。
本日のおしながき
坪尻駅
徳島r268
香川・徳島r4 謎の区間を調査
香川・徳島r7
香川r153
香川・徳島r106
徳島r252 謎の区間を調査
画像は坪尻駅メインストリート

4:59 - 2018年5月26日

https://twitter.com/kendou774/status/1000353022260592640
R774@まとめ屋
@kendou774

何気に坪尻駅のWikiを見ていたら『建設に際して、敷地を確保するため水を流すトンネルを掘削して川の流路を変えた上で川底を埋め立て、駅が設置された』とあるではないか。確かに地理院地図には疎水トンネル(?)が記載されている。水を流すためのトンネルを見たくなり、坪尻駅へと向かった。

5:28 - 2018年5月26日

401 とはずがたり :2018/05/30(水) 20:04:27
登山スレってないよな。。

商業登山の闇、エベレスト登頂という「賞杯」に懸けるリスク
http://news.livedoor.com/article/detail/14756079/
2018年5月23日 14時34分 AFPBB News

【AFP=時事】エベレスト(Mount Everest)登頂は登山家にとって究極の「賞杯」だ。だが増加する経験の浅い登山家による世界最高峰への挑戦は、巨大なリスクを冒すものとなっている。

 今季の登山シーズンは、インドの航空機パイロット、米オハイオ出身の建築業者、インターネットメディア会社の元営業幹部らがエベレストのベースキャンプに待機し、8848メートルの世界最高峰を制覇する機会を狙っている。

 彼らが山頂までつかんで上るロープは同じであり、凍傷や雪崩、極度の疲労に直面する危険度も同じだ。だが、その特権のために支払う金額には大きな違いがある。

 エベレスト登山ツアー料金の最高価格は7万ドル(約770万円)前後で、こうしたツアーでは小チームを組み、顧客に登山能力の証明を義務付けている。

 一方、エベレスト登頂切符の料金を2万ドル(約220万円)にまで切り下げた安売りの登山会社は、経験のない登山者らさえ受け入れており、これに対し批判と警戒の声が上がっている。

 より安いツアー料金の登場によって、世界最高峰を制覇するという生涯の夢を試みる機会がこれまでよりも多くの人に開かれることになった。だが、無事に帰れない人の数も増えるだろうという厳しい予想もある。

■混雑する山腹

 1980年代には、ネパール政府はエベレストの登山ルート1本につき1チームだけに登山許可を与えていた。そのため各国の代表チームや、大手スポンサー付きの経験豊かな一握りの登山家しか足場を築けなかった。だがこの規制が1990年代に廃止されて以来、もうかるこの産業の分け前を求めて、登山会社が山腹に群がるようになった。

 今年、ネパール南側からは、料金を払った346人の登山者が挑戦する。2017年に許可が下りた史上最多の373人よりわずかに少ない。チベット側からの登山は180人が予定しており、当たり年となりそうだ。一方、昨年は登山者のうち、6人が死亡している。

 ニュージーランドを拠点とする旅行会社アドベンチャー・コンサルタント(Adventure Consultants)のオーナーで、エベレストの登山ガイド歴27年のギー・コッター(Guy Cotter)氏は、新たな登山者の多くは経験不足だと警告する。

「今や人々はインターネットで登山旅行を最安値で購入できる。だが一部の業者は、経験に関する基準を持っていない。(そうした業者の顧客である)彼らは登山家ではない。エベレストに登ったという勲章が欲しいだけだ。賞杯が欲しいだけなのだ」(コッター氏)

402 とはずがたり :2018/05/30(水) 20:04:51
>>401
■「登った」と「登山家だ」は違う

 商業登山の幕開け以来、エベレストでは料金を払って登山をする人々をめぐる懸念に悩まされている。

 多くの人が転換点だったと語る1996年には、エベレスト山頂から下山中に8人が死亡した。その中には極度の高所での経験があまりない人もいた。その年に登山ガイドを務めたロブ・ホール(Rob Hall)氏は「十分な決意があれば、どんな愚か者でもこの山は登れる。だが登山の成功とは、生きて下山することなのだ」と語ったと伝えられている。

 だが、この96年のシーズン中に共に死亡したホール氏とガイドとして彼のライバルだったスコット・フィッシャー(Scott Fischer)氏が、エベレスト登頂を目指す顧客の投資を重視しすぎたとの批判の声もある。

 エベレストで長年営業している多くの登山業者は、登山者と業者の経験不足は死亡事故の増加につながると警告する。

 1994年からエベレスト登山を手掛けているツアー会社、ヒマラヤン・エクスペリエンス(Himalayan Experience)のオーナーのラッセル・ブライス(Russell Brice)氏は「業者が熟練するまで、エベレストでの死亡事故は増えると予想している」と語り、一部の登山者の姿勢も非難した。「登頂熱は本当の病だ。皆ただ先へ進む。感覚がまひし『たかがつま先だ』となってしまう」と述べて同氏は凍傷で手指を失う危険性にも言及した。

 今シーズン、初の最高峰登頂を目指すインド人パイロットのサンディープ・マンスカニ(Sandeep Mansukhani)氏が選んだ登山会社は、ネパールを拠点とするアジアン・トレッキング(Asian Trekking)で料金は約3万ドル(約330万円)だ。

 マンスカニ氏は「始めたばかりの人、初めて試みようとする人にとっては、よし、やってみようか、だ。誰かがやらなきゃならないし、誰にでもチャンスは与えられるべきだ」と語る。

 だが、昨年、払った料金2万ドル(約220万円)を諦めて途中で引き返すことを拒否した登山者とガイドを救助したエベレスト・ガイド、アン・ツェリン・ラマ(Ang Tshering Lama)氏は、登山者のエゴを非難する。「人は『私は登った』と言う。だが『私は登山家だ』とは言えない」とラマ氏。「この山を登るには、登山家でなければならないのだ」
【翻訳編集】AFPBB News

405 とはずがたり :2018/06/19(火) 23:02:42
https://twitter.com/kendou774/status/1005563728597696517
R774@まとめ屋
?
奈良r228分岐(とは註:R425出合橋https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.4.15.188N34.5.14.514/zoom/8/の様だ。)。コーナーポストが1個だけ置かれている。これは何を意味しているのか?

奈良r228を1.5kmほど走ると東ノ川小中学校が現れる。荒らされて酷い有様だ。コンクリート作りのため、朽ち果てて倒壊することもできず、今後もこの醜体を晒して続けていく。そう考えると、朽ち果てて倒壊する建物は幸せなのかもしれない。

奈良r228沿いにある唯一の集落であった宮ノ平集落。地図に残る廃集落だが、東の川簡易郵便局があったことで知名度は高い。かつてはそれなりの規模の集落だったが、住人はいなくなり、簡易郵便局も2005年に廃止されてしまった。今では、この辺り一帯が無人地帯になってしまった。

奈良r228は嫌になるほど落石が多かったが、道路自身はしっかりしていた。周囲に真新しい機器が設置してあったりするので、林業やダム管理の方に利用されているようだ。落石除去に疲れ果てた頃、赤い吊橋が見えてきた(とは註:この吊り橋https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.5.1.723N34.7.38.125/zoom/10/のようだ)。

やっぱりか。。。路盤が完全に流されてしまっている(とは註:先程の吊り橋の先から此所https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.5.12.022N34.7.47.393/zoom/10/の手前の間らしい)。奈良r228が崩れていることは他の方の情報で知っていた。行けないと分かっていても、自分の目で確かめるまでは、『もしかすると行けるんじゃないか?』と思ってしまう。

奈良r228の崩壊地点なら薬師堂方向を眺める(とは註:以下で見るように吊り橋迄が県道であって此処が吊り橋と木組谷の間なら結果的に県道では無い筈である)。そこには、土砂に覆い尽くされた荒涼とした景色が広がっていた。上流方向の橋も消えてしまっていた。ほんと、自然の前では人工物なんて全くの無力だ。もう薬師堂に辿り着くことはできないのか?

この奈良r228だけど、県道を示すものは何ひとつない。本当に県道なのか?奈良県道路管理課に聞いてみた。
A.県道指定、供用されています。道路台帳に記載があります。

そしてもう一つの大きな問題。奈良r228の末端はどこか?ということだ。地理院地図は薬師堂まで県道色になっているが、これは誤りだろう(とは註:何故そう思えたのかは不明)。県道指定は、吊橋付近までのようだ。しかも、OSMでは吊橋まで県道になっている。果たして、この吊橋は県道なのか?

奈良県土木部の話では、この吊橋までは道路台帳があるとのことだ。吊橋の名前は大杖橋という。でも、正直信じられなかった。本当にこんな吊橋が県道なのか?そんな疑問を解決してくれる資料(リンク参照)があった。そして、それは確信へと変わった。http://www.pref.nara.jp/secure/39173/taisyoukyouryou3.pdf

奈良r228末端の謎にいよいよ終止符を打つ時がきた。風もないのに揺れる恐怖のグレーチング吊橋。この吊橋は奈良県道228号(東川河合線)であった。周辺は全くの無人地帯で、しかも橋を渡った先には何もない。それでもここには県道が通る。

406 とはずがたり :2018/06/19(火) 23:02:58
>>405-406

https://twitter.com/harunonichinich/status/1008668008422649856
ハルニチ
@harunonichinich
6月18日

吉野土木事務所の管内図(ちょっと古いんですが…)では、県道は吊り橋を渡るようです。(とは註:吊り橋を渡って今度は対岸をくねってこの辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.4.23.730N34.7.5.307/zoom/9/(★)から谷を渡ってこの辺の林道に通じるhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.3.19.580N34.8.22.118/zoom/9/様だ。★部分へは対岸から直接渡れば無駄に湖岸遠回りしなくて済んだのにねえ。。で,計画ではその林道は使わずこの辺の尾根伝いhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.1.22.563N34.7.44.676/zoom/9/に山を降り,現道の随分起点近くに繋がる模様。現道の終点からは何と大台ヶ原方面へ延伸の野心的プランだ。アホらしいが本気なんだろう・・。)

最後にwiki。ヘキサもない盲腸県道だが将来的にはr228迄繋がるってことのようだ。r228側に開通区間が無いので分断県道的な扱いすらされてないようだ。

奈良県道228号東川河合線
https://ja.wikipedia.org/wiki/奈良県道228号東川河合線
概要
出合橋で国道425号から分岐し、東ノ川地区を大台ヶ原山麓へ北進する。終点は上北山村中心部の国道169号河合交差点(とは註:多分此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.0.15.502N34.7.54.389/zoom/9/だ。)だが、荒谷および荒谷峠付近は車両通行不能区間となっている。

奈良県道226号大台河合線
https://ja.wikipedia.org/wiki/奈良県道226号大台河合線
概要
大台ヶ原山から国道169号へ下る道路であるが、実際には起点から小処温泉までは徒歩ですら辿ることが困難な、分断県道である。このため、小処温泉と上北山村中心部を結ぶアクセス道路として機能している。2007年(平成19年)1月30日に同村西原の国道169号で大規模な土砂崩れが発生し、通行止めになった際、迂回路として利用された。

奈良県道228号 東川河合線
http://kendougt.web.fc2.com/Nara-228.html
走行日 2003,6,29

県道 東川河合線(上北山村)
http://geocities.jp/nocty_bypass/douro/7_kansai/r228.html
[ 2008/12 撮影 ]

407 とはずがたり :2018/06/19(火) 23:08:43
>>406
>2007年(平成19年)1月30日に同村西原の国道169号で大規模な土砂崩れが発生し、通行止めになった際、迂回路として利用された。
どんな経路やろ??

ここしか見付からないけどこんな所迂回路にしたのか!?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.1.28.478N34.11.37.557/zoom/9/

408 とはずがたり :2018/06/19(火) 23:10:44
>>407
これか。

■県道228号線に続いて行ってきました。
広域基幹林道 サンギリ線
http://nmtr220.blog66.fc2.com/blog-entry-34.html?sp

林道サンギリ線は
国道425号線と国道169号線をショートカットする山岳舗装林道です。

落石は当然ありますが、全線舗装路で路面が良いので普通車での通行も問題ありません。

409 とはずがたり :2018/06/28(木) 22:16:38
千代の近くの三遠南信道の建設中の橋が映ってる♪

【飯田線】特急より有能?超快適な幻の臨時快速をご存知ですか・・・?
視聴回数 36,148 回
ttps://youtube.com/watch?v=JGMEHUL-pf0

飯田線旧線 旧第一久頭合隧道 前編
公開日 2009.8.24
ttp://yamaiga.com/rail/iida_misakubo/main.html

飯田線旧線 向皆外隧道 前編
ttp://yamaiga.com/rail/iida_mukagaito/main.html

下山ダッシュ
ttp://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

410 とはずがたり :2018/07/01(日) 17:51:01
ココラノ通信>>249>>251>>252
掛川>>52>>76>>157>>236>>354
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/183

「ここらを知る旅」ココラノ通信
http://d.hatena.ne.jp/cocora/comment/20100516/1274015106
2010-05-16
とにかく、隧道巡り
隧道, つぶやき

15日夜、
「上西郷の素掘り隧道(岩谷隧道)」
「吉岡の4つの素掘り隧道」
「大日隋道」 - なぜか、昔から椅子が置かれています。

そして16日。
また、「ぬかるみ」に、はまりましたwww。
まず、手始めに、前日の夜に訪れた
「上西郷の素掘り隧道(岩谷隧道)」

「小笠山隧道」 - 小笠池のトンネルではありません。

「西大谷隧道」 - 静岡県道251号線にあります。

「仁丸隧道」 - 「県道409号大須賀掛川停車場線」沿いにある「西大谷池」の少し北側に「県道249号線」を繋ぐ「山道」があるのですが、その道中にあります。

「大谷隧道」 - 旧:大須賀町の某養鶏場の近くにあります。

「大城隧道」 - 県道249号線と高天神を繋ぐ山道にあります。

「佐栗谷隧道」 - 県道37号線の旧道にあります。近くに廃隧道があるらしいですね。(調査忘れorz)

「西之谷隧道」 - 菊川東平尾の池の近くにあります。

「巌井寺隧道」 - 県道38号線沿いにあります。

「風吹隧道」 - 県道249号線の旧道にひっそりとあります。ここで「ぬかるみ」に、はまった。

「小笠池の3つの隧道」 - 心霊トンネルで有名なところですね。

「上西郷の素掘り隧道」と「風吹隧道」は後日、調査結果を書きます。

411 とはずがたり :2018/07/01(日) 20:39:43
わざとらしい演出と場所をあからさまには明かさないやり方がいらっとするカピバラ一家だが山梨大月の山奥。
迷ってない癖に迷った迷った連呼うぜえ。

【裏名所#8】山奥でロープウェイの不法投棄を発見。 旧道 酷道 カピバラ一家
https://youtube.com/watch?v=W2Fwj8fjniI&amp;feature=youtu.be


此処通行止め(新道はグーグルが来た時未だ開通前。旧道が通行止め中)
https://www.google.co.jp/maps/@35.7205961,138.9410664,3a,75y,21.69h,109.47t/data=!3m9!1e1!3m7!1sBtt8ar9ZY1ZteCkMbCxYlg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i24

此処も通行止め
https://www.google.co.jp/maps/@35.7098982,138.9405098,3a,75y,163.86h,97.03t/data=!3m9!1e1!3m7!1sPvMiCksErtG-LZKTZb9sbw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i24

此処も通行止め(グーグルの時も通行止めのようだ)
https://www.google.co.jp/maps/@35.7100291,138.939815,3a,75y,273.89h,104.11t/data=!3m10!1e1!3m8!1sJ9fgKeJbo-jqxydBxfavPg!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DJ9fgKeJbo-jqxydBxfavPg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D359.965%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i24

此処も通行止め
https://www.google.co.jp/maps/@35.7034506,138.9499821,3a,75y,16.52h,100.02t/data=!3m10!1e1!3m8!1sq1wbBwpAzCBxcUUaJjuEYw!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3Dq1wbBwpAzCBxcUUaJjuEYw%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D224.77533%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i56

412 とはずがたり :2018/07/01(日) 21:47:59
この線の様だ。一番最初に視聴したカピバラ一家がこれ。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.22.6.714N35.45.8.635/zoom/9/
その羽村側。神明緑道となってる
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.19.27.270N35.45.1.673/zoom/10/
白眉はこの閉鎖トンネルか?
https://www.google.co.jp/maps/@35.7619046,139.3972889,3a,75y,80h,90t/data=!3m10!1e1!3m8!1sAF1QipMqCpjhpO95dSYckpq_Qso-0qM-3a0_uYM5lnsp!2e10!3e11!7i3840!8i1920!9m2!1b1!2i56
狭山湖側の入口は此処みたい。
https://www.google.co.jp/maps/@35.7694176,139.4042256,3a,75y,176.13h,109.47t/data=!3m9!1e1!3m7!1sdzSnyIuOExhYcZr5B66Nbg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i56

【裏名所#7】緊急離脱。森の中の5連続トンネルに潜入してみた。 カピバラ一家 廃墟廃道酷道探索
https://youtube.com/watch?v=FidT9453pcs

怖いトンネルあります 〜武蔵村山 野山北公園自転車道〜
http://hassy1111.at.webry.info/201109/article_11.html

実はこの野山北公園自転車道は、昭和の初めに、現在の狭山湖の
建設のための砂利の運搬のために敷設された約13キロの軽便鉄道
の跡を利用しています・・・
(と、すると現在、鉄道の無い市として有名な武蔵村山市にもかつて鉄道が
あったという事なのですね・・・)

この鉄道は羽村堰(多摩川)から狭山湖まで引かれ「羽村-山口線」と
呼ばれていたそうです。
しかし、記録によると使用されていたのはわずか数年という命の短い鉄道だった
ようです・・・

だから、あまり地元のヒトも知らないのですよね・・・?

その廃線跡が「自転車専用道」として生まれ変わったという事のようです・・


しかし、始点の羽村側から見ると中間にあたる部分が横田基地で完全に
分断されている為、西側が唐突に自転車道が始まっています・・・
更に終点の狭山湖側も最後の部分(トンネル)が閉鎖され、完走できない
構造になってしまっているのです・・・
(別のサイクリング道に連絡はしていますが・・・)

413 とはずがたり :2018/07/01(日) 21:59:19
山掴トンネル
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B1%B1%E6%8E%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB&amp;oq=%E5%B1%B1%E6%8E%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB&amp;aqs=chrome..69i57j0l5.4719j0j7&amp;sourceid=chrome&amp;ie=UTF-8

414 とはずがたり :2018/07/04(水) 12:49:23
片倉ダム。忘れてたけど元清澄山の森林鉄道跡http://yamaiga.com/rail/motokiyosumi/main1.htmlの近くだった。

これが廃仮設橋か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.4.53.071N35.11.45.759/zoom/9/
で,この水没地点はこの辺か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.4.9.667N35.11.46.723/zoom/9/

千葉県道24号線 「片倉ダムに消える道 2」
https://ameblo.jp/hi-road/entry-11189905616.html

【裏名所#12】ポニョに会える廃道★ 木々に覆われた不思議な道!千葉県廃道 隧道 何だコレミステリー
https://youtube.com/watch?v=LbaFP2tM_rY&amp;t=12s

415 とはずがたり :2018/07/04(水) 20:39:07
>>405-406
吉野管内図がどっか行っちゃうのを防ぐ為だけにとりま纏めておいた。

上北山村の盲腸県道2題
r228及びr226
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/YOSHINO/kamikitayama00.html

416 とはずがたり :2018/07/04(水) 20:40:42
>>407-408

サンギリ林道はこっちのようだ。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.2.26.986N34.6.3.547/zoom/9/

417 とはずがたり :2018/07/07(土) 19:46:19
上武鉄道
https://ja.wikipedia.org/wiki/上武鉄道

上武鉄道(じょうぶてつどう)は、埼玉県児玉郡神川町の丹荘駅と西武化学前駅の間を結ぶ鉄道路線(日丹線)を運営していた鉄道事業者である。1986年(昭和61年)に鉄道路線を廃止し、以後も群馬県高崎市倉賀野に本拠を置く通運会社として存続していたが、1998年(平成10年)に解散公告を行い事業を停止している[1]。

歴史
もとは、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に、日本ニッケル株式会社[2]が群馬県多野郡にあった多野鉱山、ニッケル精錬所と神流川を隔てた埼玉県児玉郡にあった若泉製鋼所の専用鉄道[3]として敷設した鉄道である。戦後、軍需物資の輸送に頼っていた鉄道の維持が困難になっていたことと、沿線自治体の要望により1947年(昭和22年)5月に地方鉄道に転換し、旅客営業を開始したもので、運営は日本ニッケル鉄道部(通称日本ニッケル鉄道と呼ばれた)が行った。1960年(昭和35年)に日本ニッケルの鉄鋼部が朝日化学肥料に譲渡され、西武化学工業(現・朝日工業)が発足したことにともない、日本ニッケルの一組織であった鉄道部が独立し、1962年(昭和37年)に上武鉄道となった。

1943年(昭和18年)11月には、軍需物資であるクロム鉱石などの輸送を目的とし、終点付近から分岐して、若泉村渡瀬(わたるせ)にいたる2.3kmの延長計画が立てられたものの、資材の調達ができず、翌年断念された。戦後は、地方鉄道転換とともに延長を申請し、1946年9月に免許が下付されたが、今回も資金の目途が立たず、1966年(昭和41年)に免許は失効した。

地方鉄道転換後は、途中に停留所(駅)が増設されたが、1日の利用客は10人を割り込む状況で、実態は専用鉄道同然であった。1972年(昭和47年)12月いっぱいで旅客営業を廃止し、貨物専業となったが、沿線住民からは特に反対はなかったという。その後、貨物輸送は積替えの必要のないトラック輸送に切り替わり、1986年12月に廃止された。

2017/09/28 10:02:19
半世紀前の幻のような光景--上武鉄道日丹線廃線跡の旅
https://news.mynavi.jp/article/20170928-jyoubu/
森川孝郎

廃線探索 上武鉄道(丹荘-西武化学前)(歩鉄の達人)
http://hotetu.net/haisen/Kanto/080923jyoubutetudou.html

418 とはずがたり :2018/07/07(土) 19:50:11
力作だなあ。俺が生まれた頃の鉄道ピクトリアルの記事らしい。千住貨物が現役だったようだ。

中川浩一の東武鉄道史(首都圏の鉄道史6)
(東武鉄道の系譜 鉄道ピクトリアル増刊 1972/3)
http://ktymtskz.my.coocan.jp/nakagawa/toobu.htm

419 とはずがたり :2018/07/10(火) 01:43:17
かつての「日本一長い滑り台」 老朽化で休止1年 修理めど立たず 群馬・赤城南麓のローラー滑り台
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180709-00010000-jomo-l10
7/9(月) 6:04配信 上毛新聞
かつての「日本一長い滑り台」 老朽化で休止1年 修理めど立たず 群馬・赤城南麓のローラー滑り台
休止したままの滑り台
 1990年7月に完成し、「日本一長い滑り台」として話題になった前橋市富士見町の「SUBARUふれあいの森 赤城」の木製ローラー滑り台が昨年6月以降、休止したままになっている。老朽化が進み、利用者がけがをする危険があるとして設置者の群馬県が休止を決めて約1年。修理費用は多額になるとみられ、再開のめどは立っていない。豊かな自然の中で子どもが楽しめる遊具だけに、再開を望む声が上がっている。

◎木材にゆがみやひび 予算確保見通せず
 県や、公園を管理する県森林組合連合会によると、滑り台のローラーや支えに使用される木材は年々、ゆがみやひび割れが進行した。修理しながら利用していたが、修復が必要な箇所が増え、県は昨年6月、休止に踏み切った。

 県緑化推進課は修理をどのように進めるかや、予算確保は見通しが立っていないと説明する。

 滑り台は赤城山南麓の観光の目玉として89年8月に着工した。全長380メートルで、当時県は「日本一長い滑り台」とアピール。開始初年度には約19万人を動員した。近年も大型連休や夏休みには家族連れでにぎわい、多い日には1日で100人以上の利用があったという。

 公園を管理する「SUBARUふれあいの森あかぎ木の家」の職員は「滑り台について問い合わせがあるが、休止中だと伝えると残念がる。復活を期待する声に応えられるといいが」と複雑な様子。以前、子どもたちとキャンプで森を訪れ、滑り台で遊んだという富士見幼稚園(同市富士見町)の柳晋園長は「皆が楽しそうに滑っていたのを覚えている。再開すればまた楽しみたい」と期待を込めた。

420 とはずがたり :2018/07/11(水) 00:05:40
興浜線,高千穂線と高森線や越美線と同じぐらい開通させて欲しかった路線である。まあ開通しても三江線以上に悲惨な現状であっただろうが。。
個人的には南稚内─浜頓別─興部─紋別─中湧別─遠軽は欲しいなあ。。

【名/迷列車の旅】北海道編12 興浜線 あれほど待ったのに・・・。
視聴回数 59,169 回
https://youtube.com/watch?v=2DiAccwBuIg

421 とはずがたり :2018/07/11(水) 00:46:05

旧太子駅跡地復元プロジェクト「つなげ未来へのレール」 〜戦後日本の復興を支えた旧太子駅の復元〜
https://furusato-tax.jp/gcf/117

群馬県中之条町に残る旧太子駅・旧太子線跡地

昭和20年1月、太平洋戦争末期、国内鉄鉱石需要の増産に伴い群馬鉄山(現チャツボミゴケ公園)で採掘された鉄鉱石を積み込んだ貨物専用汽車がここ旧太子駅から初出荷として旧日本鋼管川崎製鉄所へ向け出発しました。


旧太子駅は現在のJR吾妻線が昭和20年(1945年)に長野原線として開通した際、長野原(現:長野原草津口)駅から太子駅までが群馬鉄山の鉄鉱石運搬の専用線として開業し、昭和27年(1952年)に国鉄に移管されました。
群馬鉄山は戦後、外国産鉄鉱石の輸入が再開されてもしばらくの間、露天掘りによる採掘が続けられ、日本の復興に貢献しましたが、昭和41年3月閉山を迎えました。
旧太子線は昭和29年より客車の乗り入れが開始されましたが、長野原線の電化、嬬恋線の新設等時代の流れと共に、昭和45年9月に営業廃止、昭和47年3月に廃線となりました。


現在、ホッパの基礎(コンクリート建造物)や車止めが残され、線路の跡地は生活道路として利用されています。 中之条町では平成25年より旧太子駅の復元事業を開始しました。旧太子駅を中核として、中之条町六合地区の関連施設を仮称「中之条町六合地区産業遺産群」とし、戦中戦後にかけての遺産群を適切に保全し、後世に継承して参ります。

422 とはずがたり :2018/07/11(水) 21:53:36
廃物件なんで此処にも転載

2555 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/07/11(水) 21:02:18
野内>>2276-2277は昔から気になる駅である。一度現地を訪問した事もある。

個人的に大好きなLPGの出荷があった筈であるのに晩年の専用線一覧にそれらしい記載がないのである。特に日通商事の。

昭和32年にはスタンバック・昭和石油と日本鉱業(共石の母体)の専用線があるがうろ覚えだけどこれはLPG線とは別か?

それは兎も角,日本鉱業と同和鉱業の専用線もS32年版には顕れるが,山行がに拠ると上北鉱山からは野内駅に索道が通じていて資材を輸送してたそうである。

上北鉱山を調べて見ると日本鉱業系であるから日本鉱業がこの上北鉱山の出荷専用線だった様だ。
銅と硫化鉄を出荷してたのであろう。

田代隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kamikita/main1.html

上北鉱山
https://ja.wikipedia.org/wiki/上北鉱山

上北鉱山(かみきたこうざん)は、青森県上北郡七戸町(旧天間林村)字南天間舘で操業していた日本鉱業(後にJXホールディングス等を経てJXTGホールディングス)経営の鉱山。1940年(昭和15年)に操業開始。銅と硫化鉄を産出し、最盛期には1ヶ月に2万トンの鉱石を処理したが、鉱石の枯渇により1973年(昭和48年)6月に閉山した。

2556 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/07/11(水) 21:53:07
>>2555
引き続いて野内駅特集。
なんと石灰石が採れたらしい。

しかも駅が移転してもうてる様だ。。嗚呼

調べて見ると興味深い論文も見付かった。
同和鉱業野内採石所ふぁあって小坂迄石灰石を運んでいたそうな。
精練所の溶剤として利用したそうな。今は外部から調達かな?
昭和11年〜18年の採掘量は年間38,000t〜40,000tとの事。にぬけんよ,年間4万トンってどうよ?野内迄は索道架設して輸送したそうな。
昭和34年迄石灰石の採掘を続けたが多量の貯鉱を残したまま休山したそうな。復活しなぁ〜い。

それ以外にも磁鉄鉱等あったが規模も小さいし休山も早めだったようだ。

野内駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/野内駅
歴史
かつての旧駅舎(地図、地上駅)時代は、付近の石油タンクからの石油、山からの石灰石を運ぶため、貨物の取扱量が多かった。また、石灰石や遠く上北鉱山からの鉱石をこの駅に送るために、索道(ロープウェイ)が通じていた。鉱石を積み込む施設は現存するが線路は撤去され、隧道も閉鎖されている。


青森県立郷土館研究紀要 第35号,9-14
青森市東岳における鉱山史
島口 天
http://pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-kyodokan/files/2011-0414-1412.pdf

423 とはずがたり :2018/07/14(土) 20:58:13

名松が,基い名称が謎だった南勝線。
関金温泉の北にあって恐らくその後関金町に合併された(→調べたら矢送村・南谷村・山守村が合併してS28(1953)関金町になったようだ。関金って地名は何所から来たんだ?)町の様だ。

更にwikiに拠ると倉吉(打吹)〜関金がS16(1941)開通で,関金〜山守がS33(1958)開通だ。
棒線でやる気の無い感じの延伸区間であった。

関金駅が南谷村にあって関金〜山守も南勝線なら理解出来るんじゃが。。

鳥取県東伯郡南谷村 (31B0050042) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050042.html

南勝線
https://ja.wikipedia.org/wiki/南勝線

南勝線(なんしょうせん)とは、日本国有鉄道(国鉄)が中国勝山駅と倉吉駅の間に計画していた鉄道路線(未成線)のうち、中国勝山 - 山守間の建設路線名称である。

概要
改正鉄道敷設法別表第89号に掲げられた「岡山縣勝山ヨリ鳥取県倉吉ニ至ル鐵道」として建設が進められた。倉吉 - 山守間は倉吉線として開業したものの、平行する道路を走る自家用車やバスに勝てず、山守 - 中国勝山間は起工式こそ開催されたものの用地買収や工事が行われることのないまま1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行や1981年(昭和56年)の国鉄倉吉線の特定地方交通線第一次廃止対象路線指定、及び1985年(昭和60年)の同線廃線により建設放棄となり、日の目を見ることはなかった。

歴史
1974年(昭和49年)5月9日 - 岡山県真庭郡勝山町(現:真庭市)で起工式が開催される。

備考
南勝線という路線名称の由来は、鳥取県東伯郡南谷村(なんこくむら。現:倉吉市)と岡山県真庭郡勝山町を結ぶことによる。

424 とはずがたり :2018/07/14(土) 21:03:26
>>423
関金温泉で有名で駅も関金だから町名も関金にしたかと思ったがそうではないらしい。

一旦関金村が出来てその後市町村合併で矢送村になって自治体名として一旦消えてて昭和の大合併で復活したのかな?その際に駅名や温泉名で有名になってたからかも知れないけど。

関金町
https://ja.wikipedia.org/wiki/関金町

関金町(せきがねちょう)は鳥取県中央の東伯郡に存在した町である。

2005年(平成17年)3月22日に倉吉市と合併し、倉吉市関金町となった[1]。

町名は関金温泉に因んだ。なお、関金の地名は1877年(明治10年)に金谷村・湯関宿が合併した際に成立した合成地名である[2]。


鳥取県東伯郡矢送村 (31B0050046) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050046.html

鳥取県東伯郡山守村 (31B0050018) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050018.html

425 とはずがたり :2018/07/20(金) 21:24:09
深沢橋五月橋
関電がダム湖に沈む村の為に作ったらしい。

418BP迄新五月橋作って接続してやりゃあいい。r352とr353が1本に繋がって良い。
カネの事考えれば200年後でも早いがw

岐阜県道352号線 3/4   TEAM酷道010 蹴りセロー
http://geocities.jp/teamkokudo/kokudo/gifu352densetu/densetu-3.htm

トラックが渡れる橋!それが旧日吉、潮南両村の住民の悲願であったのだ。
しかし関西電力による補償は、将来の車両通行に希望を持たせた五月橋の建造までで、
瑞浪、八百津両方の取付道路の建設までは拒否したのである。(千賀東重著 湖底に沈む村より)

岐阜県加茂郡潮南村
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/21B0060018.html

岐阜県土岐郡日吉村
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/21B0160019.html

忘れてたけど自分のコンテンツだと五月橋掛け替えの計画は有る様だ。此処から潮見の聚落迄延ばしてr353と繋げよと思わなくも無い(財政的には断乎拒否。)が,其処は林道https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.14.24.375N35.27.26.486/zoom/8/で結ばれて良しとするのであろうか?

道路族
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOKAI/GIFU/R418/maruyamaBP00.html

丸山バイパス
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1728-1729

426 とはずがたり :2018/07/20(金) 22:06:47
新丸山ダム、酷道418号
https://japonyol.net/editor/article/shin-maruyama-dam-and-route-418.html
2015-09-15 chizuz?, updated: 2015-09-15
岐阜県可児郡御嵩町と同県加茂郡八百津町にまたがる丸山ダムは、1955年(昭和30年)木曽川水系木曾川に完成した重力式コンクリートダム。洪水調節、農地防災や発電を目的としている。
1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風では十分な洪水調節機能を果たしたが、1983年(昭和58年)9月の台風10号では上流域に降った集中豪雨で木曽川は過去最悪の洪水となり、丸山ダムでは制御不能となって下流の美濃加茂市は浸水し大きな害を被った。

このダムの機能を増強するため、かさ上げによる再開発事業が行われる。新しく建設されるのが「新丸山ダム」で、既設の丸山ダムの下流側47.5mの地点に既設の丸山ダムを20.2mかさ上げするとのこと。
常時満水位は186.30m、サーチャージ水位が205.30mという仕様なので、標高200mでトレースしてみたのが次のマップ。紫色の線は、国道418号。

427 とはずがたり :2018/07/20(金) 22:06:57
1901 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/07/20(金) 22:02:44
二股トンネルを調べてたんだけど。
ゆーちゅーばーさんどもどいつもこいつも動画盛り上げる為にわざと怖くする要素入れてくるから唾吐きかけたくなるけど。

《廃墟紀行》 #37 『朝鮮トンネル』
https://youtube.com/watch?v=_kQx0Hqnykc

ラピスってなんやねんとイラッとするけどこの辺が真面目にレポしてるとは云えるかも。図とかしっかりしてるしね。

国道418号線-二股トンネル廃道】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_418huta.html
【国道418号線-二股トンネル廃道 周辺図】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_418huta-map.html

そもそも二股トンネル開通は戦後だし朝鮮トンネルとか云うのも既に煽り臭い。

併し恵那側はしっかり封鎖されてるのに八百津側は入り放題なんか!?!?

428 とはずがたり :2018/08/12(日) 18:00:45
1907 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/08/12(日) 17:55:01
国道256号線
ROUTE256
http://3koku.uroneko.com/nr256_01.htm
起点:岐阜県岐阜市→終点:長野県下伊那郡上村(239.6km)

●概況

 R256は岐阜県岐阜市を起点とする、美濃地方〜南信州を横断する3ケタ国道。複雑なルートを辿りながら、途中でいくつかの峠を越えて長野県上村を結んでいる。ルートも複雑だが、経歴もややこしい。

 長野県飯田市と長野県上村の間には小川路峠と言うかつての秋葉街道の難所の峠が在るのだが、バイク・車での通行は不可能。それゆえR256は、飯田市と上村の間が分断されている『分断国道』となっている。この区間は別にR474矢筈TNがあるので将来この区間が繋がる可能性は少ない。当分『分断国道』のままだろう。

●沿革

 R256のルートは少し複雑で、岐阜市から一旦北上して郡上八幡に向かい、その後クネクネした経路をたどりながら東に向かい長野県に入ってR19(中山道)と合流。清内路峠を越えてR153(三州街道)に合流した後、長野県飯田市へ向かい、さらにかつての秋葉街道に沿って長野県下伊那郡上村に至っている。長野県飯田市と上村の間にある小川路峠はバイク・車での通行は不可能となっている『分断国道』である。

 ルートも複雑だが、経歴も複雑な国道である。R256は、元々は長野県飯田市(起点)と岐阜県中津川市(終点)を結ぶ国道として1963年(昭38年)4月に誕生した。その後、1975年(昭50年)4月に起点が長野県茅野市に変更され、長野県茅野市〜岐阜県中津川市間の信州(長野県)縦断国道となった。この時、長野県下伊那郡上村と飯田市の間は秋葉街道に沿って設定されたR152とルートが重複していた。

 R152は、1953年(昭28年)5月に長野県飯田市を起点として静岡県浜松市を結ぶ国道として誕生している。1975年の改訂時は端点区間が重複区間になった以外に変化はなかった。

 ルートはこのままかと思われたが、1993年(平5年)4月にルートの変更が行われた。このときの変更は大がかりで、R152とR256には以下のような変更がなされた。

(1)長野県茅野市〜長野県下伊那郡上村の間をR152に移管し、R256は長野県下伊那郡上村で打ち切り。
(2)R152は起点を長野県上田市に変更し、長野県上田市(起点)〜静岡県浜松市(終点)間の国道とした。これにともない、R152・R256重複区間であった長野県飯田市〜長野県下伊那郡上村間をR256に移管。同区間はR256単独国道区間に変更。
(3)長野県山口村から岐阜県坂下町〜岐阜県加子母村〜岐阜県金山町〜岐阜県郡上郡八幡町〜岐阜県板取村経由で岐阜県岐阜市までR256の区間を延長。岐阜県中津川市を経由しなくなった。
(4)起点を岐阜県岐阜市に、終点を長野県下伊那郡上村に変更。

 (1)〜(4)の大規模なルート変更が行われ、現在の形になったのである。

道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間
http://yamaiga.com/road/r256_kami/main.html
標高1494m、全長20kmもの険しい峠道であった、未だに自動車の通えぬ小川路峠。
ついに「山行が」も、全国有数の酷道である小川路峠に挑むのか! そんな風に期待して下さった向きもあるかも知れないが、今回は「表題」のものが主役であり、小川路峠越えは(探索は済んでいるが)別の機会に譲りたい。
今回紹介したいのは、小川路峠の東側の麓にあたる、飯田市上村の国道風景である。

ここに掲載した2枚の地図は、国土地理院が作成している『地理院地図』(左)と、昭文社が作成した『スーパーマップルデジタル ver.18』(右)で見る、飯田市上村の国道256号終点付近だ。
いずれも最新の内容だが、国道と県道の塗り分けに大きな違いがあることに気付く。

果たしてどちらが正しいのか?

実は、どちらも正しくない。

私が以前、“とある関係者”から見せてもらった地図(残念ながら掲載はできない)には、この部分の国道と県道の詳細なルートが描かれていた。

国道256号の終点から約2kmは、県道251号と並行する別のルートを通っている。
地理院地図にも市販の道路地図にも全く描かれていない道だが、道路法に定められた供用開始の手続きを経た、法的に有効な国道256号の現道がここにある。
http://yamaiga.com/road/r256_kami/map_3.gif

1908 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/08/12(日) 18:00:09
>1907
グーグルマップやけに正確じゃねえか!
https://www.google.co.jp/maps/@35.3893797,137.9678209,17z

429 とはずがたり :2018/08/12(日) 18:13:51
この廃道,これhttps://www.google.co.jp/maps/@35.3992116,137.9661736,18zか?256を建設しようとしてたんちゃうやろねえ??

国道256号線 長野県 小川路峠偵察
2011年11月28日(月) 07時44分00秒
https://ameblo.jp/hi-road/entry-11086149338.html

帰ろーと思った視線の先に、草に隠れたガードレールがチラッと見えた。

おやこっちの道はなんだ?ちょっと行ってみよう。

そしたら、
あわわー廃だ〜!

岩が・・ガードレールにめり込んでるぜ。
右にはコケも生えてない積み石があるし。

急遽靴を履き替え手袋をもってリュックを背負い探索開始。

しかしあまり進まないうちにガードレールが途切れる。

崩れ落ちたのか何なのか、向こうに道は続いているのか?

崩れた斜面を少し登り先をうかがう。
じっと動かずに双眼鏡とカメラの望遠を使って1分ほど、この道の先と、つづら折れていたら続くであろう斜面上側を観察。

動かずに観察していたのは、この斜面危険。
足元が崩れる崩れる。
踏み出すために足を上げると、軸足の下の石が流れる。
ガードレールがあるから滑り落ちても痛いか痛くないかは別として、そこで止まれそうだが、ガードレールが途切れた先で滑れば、もうちょっと下走る県道の法面まで何もさえぎるものがない。
撤退したほうが無難だ。

430 とはずがたり :2018/08/24(金) 13:50:44
日田と久留米って云ふ今の久大本線が軽便で結ばれてたのか。なかなか野心的だな〜。

「筑後軌道」の遺構が出現 鉄道ファンの話題に 九州豪雨で水位低下
https://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/377794/
2017年09月28日 15時57分

 大正〜昭和初期に福岡県久留米市と大分県日田市を結んだ軽便鉄道「筑後軌道」の遺構が、日田市の夜明ダム上流の筑後川左岸(福岡県うきは市)に姿を現し、鉄道ファンの話題になっている。普段はダム湖に沈んでいるが、九州豪雨に伴う放流で水位が下がり出現した。10月には再び水没するため、地元では記録保存に向けた動きが出ている。

 遺構は軌道敷の石積み。日田市史などによると、筑後軌道は1916(大正5)年、同市豆田まで開通。豆田の他、市内の隈や石井などに駅が置かれ、小型蒸気機関車が久留米まで約45キロを3時間余りで結んだ。

 日田地方の産物を送り出す主要輸送手段だったが、旧国鉄久大線の延伸に伴い1928(昭和3)年に廃止された。54(昭和29)年のダム完成後に遺構は水没したが、今年7月5日の豪雨後、ダムゲートを開放したため水位は普段より最大約10メートル低下。普段は見えない遺構がダムの上流約1キロにわたって姿を現した。

 地元の愛好者団体「筑後軌道調査会」の桑野洋輔事務局長(74)=同市銭渕町=によると、これまでも短期間、遺構の一部が見えることはあったが、これほど長期間、遺構全体が見られるのはダム完成後初めて。

 特に夜明地区の県日田夜明艇庫の対岸には、整然と積まれた高さ4〜5メートルの石積みが、ほとんど傷みなく連なる。桑野さんは「水の中で守られていたのだろう。よくぞここまできれいに残ってくれた」と感慨深げだ。

 銘木商を営み当時の舟運事情に詳しい佐藤重利さん(83)=同市中ノ島町=らによると、この近くには駅があって夜明地区の人々は渡し船で駅まで往来したという。石積み沿いには急流を避けるため造られた舟の通り道も残る。多くの人と物が行き交った往事のにぎわいがしのばれる。佐藤さんは「日田の一時期を支えた宝であり、産業遺産として再検証すべきだ」と訴える。

 ダムを管理する九州電力によると、豪雨で損壊したダム管理所などの修復工事が終わる10月中旬には水位は元に戻り、遺構は再び姿を消す。

 市民の声を受けて、地元のケーブルテレビ局「KCVコミュニケーションズ」は遺構の全景をドローンで空撮。桑野さんや佐藤さんら関係者の話をまとめた番組を制作中だ。同社の川浪鋭司放送部長は「長く後世に伝えたい地域の貴重な記録です」と話している。

この記事は2017年09月28日付で、内容は当時のものです。

431 とはずがたり :2018/08/24(金) 14:12:21
時系列を無視してるかも知れないけど西鉄と合併して国鉄に対抗してたら面白かったのにw

筑後軌道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%BE%8C%E8%BB%8C%E9%81%93

概要
久留米-日田間を鉄道で結ぶ計画は1899年(明治32年)に西洲鉄道(久留米-豆田間28哩24鎖、資本金250万円)[注釈 1][2]の計画があったが不況により停滞していた。このため見切りをつけた発起人達は建設費の廉価な馬車鉄道に方針を変更した。1901年(明治34年)10月18日出願し、1902年(明治35年)5月10日に特許状が下付された。浮羽郡、三井郡の素封家たちにより会社を設立[3]。商号は吉井馬車鉄道としたが、筑後馬車鉄道に改められ[4]1903年(明治36年)10月吉井町 - 田主丸間が開業しその後徐々に延長し豆田まで開通したのは1916年(大正5年)のことであった。

当初は県道上に馬車軌道を敷設しただけの簡素なものだったが、後に石油発動車(焼玉エンジン動力の小型石油機関車、通称「駒吉機関車」)を使用した軽便鉄道に変わった。1911年(明治44年)の時点で同社は、この小型機関車を47両も保有するようになっており、鉄道の内燃動力化の先駆例と言えるが、わずか5 - 7馬力ほどの低出力で客車1両を牽引できるに過ぎず、騒音が激しい上に故障も多く、使いにくい車両であったという。そのため小型の蒸気機関車に置き換えられ、廃止時では2両をのこすのみとなった。

その後、蒸気機関車によるばい煙その他の理由により、大正時代には、起点となる久留米側の一部区間が電化され、路面電車になっている。そのため久留米における軌道が敷かれていた道の呼称も、「馬鉄通り」から「電車通り」へと変化した。

1928年(昭和3年)に鉄道省によって並行して久大本線が敷設されたため、補償[注釈 2]を受ける形で廃線となり、1929(昭和4年)に会社解散となった。

なお会社は軌道線の廃止後、西久大運送(現・西久大運輸倉庫)という貨物運送会社、連絡自動車[注釈 3]というバス会社とに分割されたが、連絡自動車は後に西日本鉄道へ統合された。

432 とはずがたり :2018/08/28(火) 17:46:24
俺も越えてみてえ。。

秋葉街道小川路峠越え
http://space.geocities.jp/circo7774/ogawaji.htm

433 とはずがたり :2018/08/28(火) 21:18:56
バススレや県道スレよりこっちやなw

https://twitter.com/kendou774/status/1034407856907288578
R774@まとめ屋
@kendou774

これ、和歌山r25(御坊中津線)に迷い込んだっぽい。

高速バス、迂回路間違え山道へ 崖っぷち1キロ恐怖の夜
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180828-00000069-asahi-soci
8/28(火) 18:42配信 朝日新聞デジタル

 和歌山と大阪を結ぶ西日本ジェイアールバス(大阪市)運行の高速バスが26日夜、渋滞を迂回(うかい)するため和歌山県内で高速道路を降りたところ、道を間違えて狭い山道に入り込み、立ち往生していたことがわかった。乗客38人は同社が手配したタクシーなどで運んだ。けが人はなかった。

 同社によると、同県白浜町を午後6時過ぎに出て、午後10時ごろ大阪駅JR高速バスターミナル到着予定の高速バス。阪和自動車道を走行中の26日午後7時50分ごろ、バスの50代の運転手から「渋滞しているので、迂回指示を」と同社の営業所に連絡があった。

 指示を受け、バスは御坊南インターチェンジ(IC)を降りて迂回路の県道に入ったが、運転手は途中で道を間違え山道へ。道幅は車が1台やっと通れるほどしかなく、道路脇は崖。同社によると、バスは車体をガードレールや岩などにこすり、ミラーを破損しながら走行を続けたという。

 結局、誤った道を約1キロ走行し、同県日高川町内で動けなくなった。

朝日新聞社

【関連記事】

434 とはずがたり :2018/09/01(土) 13:33:21
>>386

牛岳車道 第5回
http://yamaiga.com/road/usidake/main5.html
そしてもうひとつ、
気付かぬうちに私の手許を離れていった道がある。

なんか、前回の最後にひょっこり出て来た感のある「県道59号富山庄川線」である。

この道は、スタート直後(終点だが)からいきなり「自動車交通不能区間」という香ばしい道だが、当初左の図のようなルートを想定していた。

だが、帰宅後に改めて「道路台帳」を見てみると、実は牛岳車道とはほとんど重複しないルートであったことが分かった。
眼力不足を悔いるより無いが、現地ではこの「破線の道」に気付かなかった。
探していなかったから気付けなかったと思いたいが、果たしてそんな道があったかどうか?
…この件については、平成22年内に決着を付けたいと思っている。
等高線の登り方を見る限り、間違いなく「登山道“険”道」かと思われるが、主要地方道として路線指定はされているので気になって仕方ない。


富山県道59号富山庄川線
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9359%E5%8F%B7%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%BA%84%E5%B7%9D%E7%B7%9A

概要
富山県道59号富山庄川線は、他の道路との接続がある区間は車両2台分がすれ違って通行できるほどの十分な道幅があり、通行する分には何も問題がない。しかし、他の道路を避けるようにしてしばらくずっと59号を通行し続けていると、やがて周囲に民家がなくなり、道幅がどんどん狭くなってくる。そして、若土橋を通過してからは段々と路面に砂利や植物が多くみられるようになり、ここからはどんどん険道としての片鱗を見せていく。途中からは車両が1台分しか通れないほどの道幅になり、しばらくここを進行した後に通行止めの看板と「ここまで」と書かれている標識に突き当たる。しかしこの先にはまだ国道471号との重複があることが判明しているため、この標識は間違いなく嘘である。59号の本領はこの通行止め地点の先にある。ただ、この先は廃村跡を川に向かって下るルートとなっており、車両で通行することは非常に困難を極める上、これを無理に車両で通行した人間は皆、山田川に落ちてどこかへ消えて行ってしまった。多くの通行者は車から降りて、歩いて通行している。また、あなたもそうすべきである。

あまりにも酷い道路であるため、現在は多くの地図に載っていない。10年前のカーナビ地図等には59号の路線は全て収録されているが、これに従って通行しようとした人間は皆、山田川に落ち、やがてはどこかへ消えてしまったため、信憑性は皆無である。また、地元の人間によると当時収録されていた59号の位置すら間違っていたらしく、当時これに従って通行しようとした人間も皆山田川に落ちてどこかへ消えてしまったことが分かる。

もはや国道471号、国道472号と同様、道として機能しておらず、通行する際の過酷さはその両者を遥かに上回る。また、途中から登山道のようになっており、やがては土砂や植物に紛れて路面すら見えなくなってしまうため、どこに繋がっているのかは未だに不明である。富山県知事もこの件に関して口を開くことはなかった。

廃村跡を通る59号を通行している間は、全体が錆びて何が書いてあったかすら一切知ることが出来ないような看板が途中に置いてあるほか、途中で発見される小屋には、「とうさん かあさん そっとしておいてくれ」と書いてある謎のプレートが付けられており、この廃村には多くの謎が今だ残っていることが分かっている。

また、もはやここは県道ではないのではないかと疑う者もいるが、標識は全て錆びて判読不能になってはいるものの、路面は舗装されており、周囲にもそれらしいものはないことから辛うじて59号を通行していることが判断できる。しかし、途中で舗装された路面は消滅しており、そこには藪ばかりがとにかく茂っている。ここからはどこが道なのかすら判別がつきづらくなり、急勾配の中で斜面にへばりついて藪のなかを泳ぎながら進まなければならない。さらにその先は土砂崩れ状態になっており、通行においてより困難を極める状況となっている。また、この土砂崩れは相当ぬかるんでいるらしく、ここで足を滑らせた人間は最終的には山田川に落ちてどこかへ消えてしまったそうである。土砂崩れになっている場所を越えるとそこはまた舗装路になっているため、まだ59号であるということが分かる。更に進行していくとやがて山田川に辿り着くが、この先がどうなっているかは不明。

435 とはずがたり :2018/09/01(土) 14:03:09
>>386>>434:r59富山庄川線

[車載動画2018-08-05]富山県道59号富山庄川線「末端区間」
https://www.youtube.com/watch?v=E2dX6E8Bb5Y

この辺迄
https://www.google.co.jp/maps/@36.5335093,137.0582808,3a,75y,292.63h,74.99t/data=!3m6!1e1!3m4!1s2XBD7ACXiZW_N9NnrAdQwQ!2e0!7i13312!8i6656

>>264:r54福光上平線
r54不通区間

刀根ダム脇
https://www.google.co.jp/maps/@36.4624835,136.8032014,3a,75y,214.5h,80.01t/data=!3m6!1e1!3m4!1sOp5oUnZTrx7V0CM8-GsSpQ!2e0!7i13312!8i6656

ブナオ峠
https://www.google.co.jp/maps/@36.3726455,136.8236953,3a,75y,279.1h,85.62t/data=!3m9!1e1!3m7!1sCj0QgAw4e7Gl9_ZvGuVX9g!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i18

436 とはずがたり :2018/09/01(土) 14:42:43
r139
五僧峠前後約4.2kmの区間は県道に指定されてないそうな

今はこんな手前で通行止め。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2390065,136.3145035,3a,75y,128.99h,81.16t/data=!3m6!1e1!3m4!1sFMGJ7QWN8-tiRng_Wvv__g!2e0!7i13312!8i6656

三重県側はグーグルがサボってるw
https://www.google.co.jp/maps/@35.2394536,136.4130282,3a,75y,314.09h,85.44t/data=!3m9!1e1!3m7!1ssEC9VIJIabROq-V1yl6bWg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i20

【険道★ / 廃村ツアー】岐阜県道・滋賀県道139号 上石津多賀線 part 1【杉坂峠・杉集落】
https://www.youtube.com/watch?v=006hawJKPvo
r17分岐〜杉聚落

【険道★ / 廃村ツアー】岐阜県道・滋賀県道139号 上石津多賀線 part 2【保月集落】
https://www.youtube.com/watch?v=lgt5yJIeCQI
杉聚落〜保月聚落〜滋賀県側県道指定区間末端

滋賀県道139号線上石津多賀線
http://www.za.ztv.ne.jp/yanae/sugisakatouge.html
滋賀県側県道指定区間末端〜(r17←)林道権現谷線(→R306)〜林道時山多賀線[H22](五僧聚落・五僧峠)〜時山→

437 とはずがたり :2018/09/05(水) 08:41:43

どうやらこの交叉点で川辺大橋へ向かうべき所を県道を直進してしまったようだ。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.13.11.438N33.55.9.819/zoom/8/
此処。道なりは橋の方にライン引き替えてるのにヘキサにやられたようだ。
https://www.google.co.jp/maps/@33.9226613,135.2172274,3a,75y,356.16h,75.29t/data=!3m6!1e1!3m4!1s2a42a17-WhGge99CP--37Q!2e0!7i13312!8i6656

高速バスが誤って山道に…道幅1台分、立ち往生
2018年08月29日 16時47分
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180829-OYT1T50041.html?from=yartcl_outbrain1

 和歌山から大阪へ向かっていた西日本ジェイアールバス(大阪市)の高速バスが、和歌山県内で渋滞を避けるために高速道路を降りた後、迂回うかい路を間違えて山道に入り、立ち往生していたことがわかった。同社は乗客38人をタクシーで自宅へ送り届けるなどした。

 同社によると、高速バスは26日午後6時頃、和歌山県白浜町を出発し、大阪駅には午後10時頃に到着する予定だった。阪和自動車道を走行中の午後7時50分頃、男性運転手(50)が「渋滞を迂回したい」と営業所に連絡。営業所の指示を受け、和歌山県御坊市の御坊南インターチェンジ(IC)で降り、県道を走行して約6キロ北の川辺ICへ向かったが、途中で高速道と反対の東へ向かう山道へ入った。

 道路は車1台ほどの幅しかなく、左手はすぐ崖になっていた。バスはガードレールやカーブミラーなどに接触し、前部のミラーも破損しながら約1キロ走行し、進めなくなった。乗客から停車を求めたり、不安を訴えたりする声が上がったという。バスはその後、警察の誘導で山道を抜け出した。

(ここまで446文字 / 残り68文字)
2018年08月29日 16時47分 Copyright c The Yomiuri Shimbun

438 とはずがたり :2018/09/07(金) 10:06:40

R774@まとめ屋氏もR256来た!しかも道路台帳付♪

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『山さ行がねが氏』が探索されていた飯田市上村のR256。このR256上に存在する清水集落。一体どんな集落なのだろうか?R256はこの集落のどこを横切っているのだろうか?そんな疑問を解決するために清水集落へと向かった。

439 とはずがたり :2018/09/07(金) 21:37:32

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長野県南信濃村(飯田市)平畑集落。遠山川の深い谷間、下栗の里の対岸に位置するこの集落。地理院地図にはこの集落に至る道はない。しかし、衛星写真では吊橋があるように見える。この集落に行くことはできるのだろうか?集落はまだ生きているのだろうか?ご存知の方、ご教示いただけないでしょうか。


6:08 - 2018年9月5日

440 とはずがたり :2018/09/09(日) 20:05:13
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清水集落のR256について、山行が氏は『土地の取得が最小で済む最短の径路で結んでしまった』と推測されている。要は『道は無いけど国道にしました』ということだろう。しかし天下の国道のルートはそんな適当なものなのか?謎を解くために飯田建設事務所の道路台帳で調べると。。。適当やんけ! #酷道




3:58 - 2018年9月9日

441 とはずがたり :2018/09/10(月) 19:58:56
山梨県道35号旧道・雛鶴隧道
https://blogs.yahoo.co.jp/armata_2015ru/40215139.html

地図から消えた県道を歩く!焼身事件の痕跡も! 【裏名所#22】 廃道廃墟酷道オブローダー 神回
https://www.youtube.com/watch?v=LV7T1uvIlKY

442 とはずがたり :2018/09/10(月) 20:24:48
地図から消えた日本の村5選!その衝撃の理由とは…!?都市伝説ではない…!
https://www.youtube.com/watch?v=3pnnZu6hPto

横倉 勝山市 雪崩 19人
峰 奥多摩町 林業 14戸
盛松(さかりまつ) 熊野古道 100人 海 昭和初期 集団移住
廃村八丁 京都市 明治初期〜1961年 御留山 1933年大雪 1941年廃村
八丈小島 1969年 最盛期数百人

443 とはずがたり :2018/09/18(火) 23:39:08

こんな計画があったなんて♪根岸線の前身やねえ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%98%E5%8D%97%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93

本鉄道(湘南電鉄)の日ノ出町駅付近 - 井土ヶ谷駅付近の敷設にあたっては、それ以前に計画され中止された、鉄道省の京浜線予定線の敷地が転用されている。この予定線は、桜木町駅から、大岡川沿いを走り、井土ヶ谷から現在の東戸塚方面に抜ける中距離電車が計画されていたもので、現在も桜木町駅より路地に挟まれた複線分の敷地が続き、日ノ出町駅付近で京浜急行電鉄の高架線が合流するのが確認できる。この予定線は1926年(大正15年)4月に廃止となり、湘南電気鉄道が廃線跡を譲り受けた。

444 とはずがたり :2018/09/29(土) 22:50:33
地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28
9/27(木) 11:00配信 丹波新聞

 兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。

夙村の人々との香典のやりとりを記した香典帳を手にする御前さん。「しく」「夙」の字が見てとれる。

通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流
 夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。

 夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。

 「夙村の人々は、通婚の差別は受けていたようだが、疎外されていたわけではなく、味間南とはゆるやかな交流があった」と酒井さん。その証拠に味間南の旧家、御前昇さん(85)が保有する御前家の江戸時代の香典帳から、夙の人々と香典をやり取りしていた記述が見つかっている。

地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市
夙村の跡。80戸を形成した時期もあったとされる。現在はスギやヒノキの植林に覆われている

柿渋師集団の村か
 嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。

 柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、当時は多くの利用があったとされる。

 酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。

疫病蔓延? 80戸が7年で7戸に
 一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。

 「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。

大火相次ぎ、明治期から供養
 その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。

 そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。

 さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。以来、大きな火事は起こっていないという。

 今年も住民約30人が村の跡が残る集落東部の井根山のふもとへと向かい、墓掃除を行った後、墓前にシキミや線香などをそなえ、森の中に読経を響かせた。

 今年も無事に墓参りを終えた味間南自治会長の男性(67)は、「事の始まりはたたりを恐れてのことだったかもしれない。しかし現在は、かつての隣人の墓があるというのに何もしないのは忍びない、という気持ちでまつっています」といい、「もうすでに我々の世代では夙について詳しいことはわからない状況になっているが、そういう村が実在したという歴史を、この墓を守りながら後世に伝えていかなくては」と話している。

445 とはずがたり :2018/09/30(日) 18:46:09

高校の分校ですら廃校といわれても6世帯11人ではねえ

人口統計ラボ
https://toukei-labo.com/2010/?tdfk=36&amp;city=36468&amp;id=57
徳島県美馬郡つるぎ町一宇
面積: 12,664,370 ㎡
人口総数: 11 人 世帯総数: 6 世帯

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高校(分校)ですら閉校になってしまう一宇の村。町中に人影は皆無で、宛らゴーストタウンのようだ。でも、こんな光景はここだけではない。残念ながら、全国各地で見られるようになってしまった。


19:28 - 2018年9月29日

徳島県道260号中野木屋平線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%93260%E5%8F%B7%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%9C%A8%E5%B1%8B%E5%B9%B3%E7%B7%9A
徳島県道260号中野木屋平線(とくしまけんどう260ごう なかのこやだいらせん)は、徳島県美馬郡つるぎ町から美馬市に至る県道である。国道438号を繋ぐ県道である。県道としては途中区間で指定が途切れているが、その間は林道経由で通りぬけ可能(一部ダート区間あり)。

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.5.56.438N33.54.16.806/zoom/8/

グーグルのストビュー工事中箇所除いて殆ど通り抜けてるw

https://www.google.co.jp/maps/@33.9094166,134.1205972,3a,75y,18.77h,81.34t/data=!3m10!1e1!3m8!1slIkAyn4N9MSVJPrBGg0NiA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DlIkAyn4N9MSVJPrBGg0NiA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D179.5629%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i64

446 とはずがたり :2018/09/30(日) 22:04:58

https://twitter.com/kendou774/status/1046268280191639553
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十家集落については、住人であった下家さんの奥さんに話を聞いた。『十家は高齢化が進み、通院等、交通の不便さ故に、住人が山を降りていった。以前は畑仕事で通っていた。しかし、猪、鹿等に畑を荒らされて割りに合わなくなったので、今では殆ど行っていない。』とおっしゃられていた。

22:19 - 2018年9月29日

モノレールでしか行けない“天空の里”があった!徳島県の秘境・十家集落
https://matome.naver.jp/odai/2140869580206501701

標高800mある「つるぎ町十家(といえ)集落」では住民専用の”モノレール”が麓の県道とを結んでいる。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

モノレールの全長1.2kmで、乗車時間は30分ほど。最大積載量は1トン。勾配35度から40度という急斜面をゆっくりと上ってゆく。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

モノレールを利用する人のほとんどは、かつての住人で、麓にも家を持っている人たち。昼間、十家にやってきて、畑や山の世話を行っている。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

ピーク時には33世帯約160人が暮らした集落も、現在は2世帯3人になった。
高齢化が進む集落にとって、プロパンガスや荷物の運搬、通院など自宅横に通じるモノレールはなくてはならない存在。

出典
みかん山のモノレール - MSN産経フォト

昭和61年、国が十家集落に「住民専用のモノレール」を設置した。急しゅんな山の頂にあるため、車が通れる道路を作ることができなかった。モノレールができるまでは、住民たちは1時間以上かけて、麓と集落を歩いて行き来するしかなかった。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

かつて、この一帯は、葉たばこの栽培で栄えていた。十家集落にも、昭和30年代には、30軒以上の家族が暮らしていた。しかし、年々人口は減り続け、常駐する家族は現在、一軒だけになってしまった。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

つるぎ町「旧一宇村」の限界集落の現状と展望
―大野集落でのインタビュー調査から―
地理班(徳島地理学会)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/57/177-188.pdf

ここ,何もないw
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92779-4100+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E9%83%A1%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E7%94%BA%E4%B8%80%E5%AE%87%E5%8D%81%E5%AE%B6/@33.9470009,134.0554488,17z/data=!4m5!3m4!1s0x35523452636c45d5:0x8f48e534cbec8ee6!8m2!3d33.9470035!4d134.0576376

おお,航空写真にするとなんかある!
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92779-4100+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E9%83%A1%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E7%94%BA%E4%B8%80%E5%AE%87%E5%8D%81%E5%AE%B6/@33.9470009,134.0554488,1670m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x35523452636c45d5:0x8f48e534cbec8ee6!8m2!3d33.9470035!4d134.0576376

447 とはずがたり :2018/10/08(月) 12:36:50
よごれんさんに初いいね貰えたw

次はチャーハン食いに行かねばww

448 とはずがたり :2018/10/14(日) 15:04:24

何が良いかってその気宇壮大な名前だよな。

2018年10月20日
RM ライブラリー231 北陸鉄道金名線
https://www.neko.co.jp/magazine/rm-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC231

北陸鉄道金名線は石川県南部山間部の白山下駅から、手取川の流れに沿って加賀一の宮駅までを結んだ鉄道です。1926(大正15)年の開業当初は金名鉄道と称しましたが、この鉄道名は「金沢」と「名古屋」から一文字ずつとった大変壮大なものでした。戦時中には石川県内の多くの私鉄が統合されて北陸鉄道が設立され、金名線もその一員となりました。特に金名線は、線路が接続する石川線、能美線とともに、「石川総線」と称されたこともありました。
能美線と同じく自動車の普及による利用者とともに昭和40年代には朝夕のみの運行となりました。1984(昭和59)年には運転を休止、以後列車が運行されることなく、1987(昭和62)年に全線が廃止されました。

449 とはずがたり :2018/10/15(月) 19:36:36
どこだ?何を運んだんだ?彦根って事は住友セメ辺りの石灰石か?

場所は此処だ。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2675779,136.2788757,808m/data=!3m1!1e3

セメントで合ってたみたいだ。1959年操業開始1970年頃閉山と短命だったようだ。
http://yamabiko.ciao.jp/05_torek/t25znn/25zn_nodayama2009/25zn_nodayama2009.html

1933年工場開設,1996年工場閉鎖。歩鉄さんのレポ。専用線は1988年廃止だそうな。
鉱山開発前から操業してたし,採掘中より閉山後の方が長く工場を操業してたんだな。
基本どっかから石持ってくるビジネスモデルか。住友と合併する前は小野田系だった事もあったようだが流石に東藤原から索道で運んだりはしてないよねえw
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/110604sumitomooosakahikone.html

https://twitter.com/roadexplorer/status/1050433511612604416
えぬ
@roadexplorer
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その他
高速道路:鉄道:並行して走る東海道新幹線と名神高速道路の同じ位置を、それぞれ謎の構造物が覆っている。ここには、かつて鉱石を運搬する索道が通っていて、その落下物防護用に作られたもの。今は索道は撤去されてしまっているが、その防護用構造物だけが残されている。滋賀県彦根市

10:10 - 2018年10月11日

450 とはずがたり :2018/10/21(日) 19:22:58

昭和36年 赤信号
https://www.youtube.com/watch?v=VUvEmCfwRew
昭和33年 あの道、この道
https://www.youtube.com/watch?v=ECjgyLt7AbY&amp;feature=youtu.be

451 とはずがたり :2018/10/21(日) 19:23:21

https://twitter.com/kendou774/status/1052547495056658433
R774@まとめ屋

静岡r389(水窪森線)は見どころ沢山の非常に楽しい険道だ。これ一本あれば丸一日は楽しめる。地形は険しいが、道自体はそれほど酷い道ではない。以前はその険しさ故に、夜間は通行止めだったが、今はどうなったのだろう?

6:10 - 2018年10月17日

452 とはずがたり :2018/10/23(火) 22:53:47

伝説の一本杉峠のr218(茨城県道大塚真壁線)だが県道として県報に記載されているので県道として認定されてるし管内図にも載ってるので歴とした県道だけど道路台帳には載ってないそうな。
https://twitter.com/kendou774/status/1054697266798194690

今話題の茨城r218(大塚真壁線)の一本杉峠。県報では供用開始となっているが、道路台帳がないという謎な区間であった。このような中途半端な状態で県道と認識してもいいのだろうか?そんな謎をもうちょっとだけ調べてみることにした。


未整備故に道路台帳が作られないというのも些か疑問が残る。例えば熊本県の道路台帳作成事務提要には『(交通不能区間)全幅2.5m 未満の区間は図面を作成しない』とあったりするので、茨城県にもそのような制約があったのかもしれない。

453 とはずがたり :2018/10/26(金) 11:30:18
知らん間に赤岩駅事実上廃止されてたようだ。

赤岩駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B2%A9%E9%A7%85

1990年(平成2年)3月10日 - 山形新幹線の運行にあたり標準軌化工事を行う。スイッチバックを廃止。現在地に移転。
2012年(平成24年)12月1日 - この日から2013年(平成25年)3月25日まで全列車通過[4]。以降も毎年この期間は全列車通過となる。
2016年(平成28年)
12月1日 - この日より2016年度の冬季休業に入る[2]。
12月16日 - 同日付プレスリリースで2017年3月のダイヤ改正より「通年通過駅」となる旨が発表される[1]。
2017年(平成29年)3月4日 - 同日のダイヤ改正で「通年通過駅」となり、営業休止。停車列車が正式に消滅[1][2]。

454 とはずがたり :2018/11/01(木) 13:57:43
150 自分:とはずがたり[] 投稿日:2018/11/01(木) 13:57:28

https://twitter.com/Harita_arayshi/status/1013722168251674625
治田 洗礫
@Harita_arayshi
フォローする @Harita_arayshiをフォローします
その他
テキサス大学のコレクションにある米軍25万分1地図は1955年頃の編集。羽幌炭鉱鉄道、天塩鉄道、留萌鉄道も描かれているが…
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

2:52 - 2018年7月2日

https://twitter.com/AKAIWA8095D/status/1057856406949261312
いたや@北炭会
@AKAIWA8095D
フォロー中 @AKAIWA8095Dさんをフォローしています
その他
これは1955年では無く1965年以降1970年末までの地図じゃないだろうか…。羽幌炭鉱鉄道専用線(国鉄非営業線)の三毛別まで延びたのって1965年やで

21:46 - 2018年10月31日

455 とはずがたり :2018/11/04(日) 18:01:03
木曽山脈に残る奇跡の廃村「大平宿」で楽しむ古民家宿泊
https://www.travel.co.jp/guide/article/21248/
更新日:2016/09/09 16:38

https://twitter.com/kooooona/status/1058544740788928513
こな
? @kooooona

適当に走ってたらいつのまにか電波が無くなってて、そのまま更に行ったらタイムスリップしたような場所に出たのでさすがに引き返してきた

人っ子一人居なかったのでビビりまくってましたが、太平宿というかつての宿場町だったところのようですね。泊まれるところもあるようなので今度じっくりいってみたいです?

19:21 - 2018年11月2日

456 とはずがたり :2018/11/12(月) 08:53:42
日本 25万分の一 札幌 1950年代だったかな? テキサス大所蔵
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

457 とはずがたり :2018/11/12(月) 08:54:27
ここから行ける

http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/

458 とはずがたり :2018/11/16(金) 12:48:47
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00010001-soon-l09
11/16(金) 8:00配信 下野新聞SOON
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
1カ月半にわたって水が流れている「おしらじの滝」
 めったに水が流れず“まぼろしの滝”と言われる栃木県矢板市下伊佐野の「おしらじの滝」に、約1カ月半の間、水が流れ続けている。異例の事態で、15日も少量の水が流れた。関係者は「まぼろしと言えない状況」と驚いている。

【動画】静寂の中、滝つぼに落ちる水の音が響く「おしらじの滝」

 滝は高さ15メートルほど。条件がそろうと青く輝く滝つぼは神秘的で、最近人気が高まっている。大雨の後ですら水がないこともあるが、台風24号が過ぎた10月1日に大量の水が流れ落ち、その後も流れ続けている。

 滝近くの山の駅たかはら山口保行(やまぐちやすゆき)館長(56)は「本来は年間で十数日しか見られないのに」と困惑気味。一時的な水脈の変化の可能性を指摘し「水量は減っている。来春にはまた『まぼろし』に戻る」とみる。

 15日に友人と訪れた宇都宮市インターパーク2丁目、会社員岡野竜治(おかのりゅうじ)さん(42)は「流れていないと思っていた」と想定外の光景を喜んでいた。

 駐車場から滝までは未舗装の山道。12月1日からは冬期通行止めになる。


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