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新・鉄道綜合スレ

3385とはずがたり:2021/01/21(木) 12:01:25
>>3382


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B2%A9%E9%A7%85

2012年(平成24年)12月1日:同年より、12月1日から翌年3月25日まで全列車通過となる[3]。

「冬季に周辺住民のご利用実績がないことから[3]」の措置であった。

2017年(平成29年)3月4日:同日のダイヤ改正で「通年通過駅」となり、営業休止[1]。

ダイヤ改正時点で冬季休業中であったため、前年の2016年(平成28年)11月30日が最後の営業日となった。

2021年(令和3年)

1月20日:同日をもって駅構内への立ち入りを禁止[4][5]。
3月12日:同日をもって廃止〈予定〉[4][5]。

駅周辺

かつては駅の直下を流れる松川に沿って●赤岩、人道橋を渡った対岸に●イラ窪(伊良窪)の集落が存在していた。しかしあまりにも山深い地であったことから、1980年代の半ばには相次いで無人となった。有人駅だった当時には、プラットホーム北側にある植林地に、鉄道関係者用の住宅も見られた。しかしこれも駅の無人化と共に廃止され、取り壊された。

また以前には、隣接してスイッチバック時代の遺構がよく残っている事でも有名だった。しかし当駅周辺が板谷峠越えの急勾配地である事から、その対策として一部を壊し、電圧安定のための変電所が設置された。

駅の利用者以外の姿はこの地でほとんど見られず、鉄道関係の施設以外には、古い集落の跡だけが周辺唯一の人工物となっている。また、駅から徒歩30分ほどの所に●大平集落があるが、数世帯しか住んでおらず限界集落と化している。

その他の特徴

奥羽本線の福島 - 米沢間に存在する各駅は、峠駅を除いて米沢街道の宿場町に接する形で作られた。当駅も、かつて街道に存在していた●李平(すももだいら)宿との連絡が可能な場所に設置されている。トンネル崩落という事故対応によって駅となったが、修復後に再び信号所へと降格されなかった理由の一つとして、当時は周辺にこの集落が存在していたということが挙げられる。

しかし、米沢街道は難路としても知られていたため、奥羽本線の開通を含む交通体系の変化の影響を受け、早くから衰退を強める事となった。「散歩コース、駅構内から松川を越えて旧米沢街道まで一時間」[7]と記述された資料も存在するが、李平宿は大正時代には廃村となっており、駅と宿場町との連絡道も自然に還りつつある。松川を渡る橋も現存しない。

この様に近在する宿場町を失い、駅名の元となった赤岩集落や隣接するイラ窪集落などが全て無住となった後、大平地区のみが当駅の利用者を擁する唯一の集落となっていた。しかし大平地区もまた他集落との交通手段に乏しく激しい過疎状態にあるため、年々利用者の減少が続いていた。駅と大平地区との連絡も林道に限られているが、徒歩でたどりつくのは容易ではない[注釈 1]。また冬季には積雪により林道の通行が事実上不可能となり、外界との連絡手段はほとんどなくなる。そのためJR東日本仙台支社は、2012年以降冬期(12月 - 翌年3月)の間は全列車が当駅を通過することとした[8]。その後2017年3月4日のダイヤ改正から、全期間全列車が通過する「通年通過駅」となった[注釈 2]。

●イラ窪・●大平・●李平
http://maps.gsi.go.jp/#16/37.805283/140.337156/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

寸又川奥地の聚落は地名も消されてるけど此処は駅名となった赤岩以外は記されている。
駅が廃止されると赤岩の名前が真っ先に消えることになるのか。。

李平の地名の期されてる箇所が米沢街道の宿場町と云うには一寸外れているというか記載部分に街道はないようなあ気がするけど。。米沢街道はどれだ?


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