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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

641とはずがたり:2021/03/28(日) 12:12:37
>>638-639
年譜

江戸時代 江戸時代の後期に発見された足尾銅山で採掘された銅を、利根川水系まで運ぶために開通した街道が122号の前身
1877(M10)閉山同然となっていた足尾銅山に古河市兵衛が経営に参画
1878(M11)安蘇郡足尾町=佐野方面(●今のr15鹿沼足尾線・林道大荷場木浦沢線・r200秋山葛生線で連絡か?)
1881(M14)足尾銅山で有力な鉱脈を発見
1884(M17)増大する精錬処理に対応する為に現在の場所に集約した(足尾銅山の風景)→●1881の鉱脈発見に伴うものだろう
1889(M22)町村制施行・下都賀郡足尾町=日光方面(R122細尾峠)・鹿沼というか栃木方面(r15粕尾峠)と往来
1891(M24)田中正造,国会で足尾銅山の鉱毒を告発
1905(M38)市兵衛の死後,足尾銅山は古河鉱業の経営となる。
1906(M39)足尾銅山日光電気精錬所操業開始・索道で運んだ(wiki日足)とのことなので●これに併せて索道開通したのだろう
1912(T元)12月足尾鉄道が沢入〜足尾を開業させる。 翌1913.10,国が借り入れ足尾線と改称。更に翌14.8足尾〜足尾本山開業。
1918(T7)6月買収,国有化
1920(T9)足尾銅山日光電気精銅所は古河電工として分離→●足尾線の国有化によって日光(清滝)と足尾に分かれてた精錬だがこちらは古河電工として分離した形か?小松(1981)にも「当所は,操業以来,古河鉱業その他の製錬所から粗銅の供給を受ける委託製錬所であり,能力増強後の現在において も委託 に加え自社購入粗銅の製錬を行なつており,鉱石から一貫した生産を行なう一般の製錬所と根本的に異なつている。」としている。
1972(S47)古河電工の日光電気精銅所として分離
1973(S48)足尾銅山閉山
1978(S53)日足トンネル開通
1989(H元)国鉄足尾線の貨物輸送廃止以降,海外からの輸入鉱石による製錬を停止(wiki足尾銅山)。休止同然だった間藤〜足尾本山はわたらせ渓谷鐵道の未成線となる(wiki足尾線)。微妙に記述がズレてる感じがするが●国鉄足尾線末期には鉱石輸送も低調だったのだろう。わた鉄は足尾の精錬事業の貨物を宛てにして発足したけど輸送が終わってしまって苦悩している樽見鉄道パターンかと思ってたけど違う(最初から輸送はしてなかった)様だ。硫酸とかトラックでは高コストの危険物を輸送してたんちゃうのか。

足尾銅山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%8A%85%E5%B1%B1
小松新樹「日光電気精銅所における銅精錬」日本鉱業会誌1981
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigentosozai1953/97/1122/97_1122_624/_pdf/-char/ja
足尾精錬所のある風景
http://shorebook.jp/ashi/kinsan33sei1.html
わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(足尾線)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%9B%E6%B8%93%E8%B0%B7%E9%90%B5%E9%81%93%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%9B%E6%B8%93%E8%B0%B7%E7%B7%9A
国道122号線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93122%E5%8F%B7
日足トンネル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%B6%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB


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