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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

243とはずがたり:2014/06/17(火) 10:05:15
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪シリーズ

秩父鉱山はニッチツの保有する鉱山http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070723570/1310。規模縮小しつつ現在も石灰石を採取している。2006年に無住の地(OBが一人だけ住む)となったそうな。
皆,クルマで通勤出来る様になったと云う訳か?

それにしても凄い場所だなぁ。。西関東のどん詰まりという表現しか思い浮かばない。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.48.36.397N36.0.46.176&ZM=7
三峰口迄索道って!?と云う距離である。。。

秩父鉱山 2007.10.20
http://www.kanso.cside.com/neko_tabi/mine/chichibu/chichibu.htm

秩父鉱山は現在も稼動中であり、株式会社ニッチツが石灰を掘っている。
ダンプもひっきりなしに通る為、業務の邪魔にならぬように注意する必要がある。
こちらの方は秩父鉱山の小倉沢中学校出身の方で、今もその伝統・歴史を伝えようとされている方である。
心より敬意を表したい。
今回は稼動中の鉱山ということもあり、施設へ近づいて撮影はしていない。鉱山街の廃墟写真が中心となっている。

秩父鉱山は戦国時代、甲斐武田氏が採掘したのが始まりと伝えられている。
江戸期には平賀源内も金を求めて入山した。
1937年よりニッチツが柳瀬鉱業所より鉱山を買収し大規模に採掘を始めた。
金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄が採掘されたようだ。
1978年に採算が合わずに金属採掘を止め、以降大幅に規模を縮小し現在も石灰・珪砂のみを採掘している。
これにより埼玉県の金属鉱山は消滅した。

最盛期には標高860mの山中であるのにも関わらず2000人を越える人口を誇り、
ニッチツの用意した共同浴場・社宅・病院・学校・商店も完備、郵便局も存在した。
尚、郵便局は関東で最も到達困難な場所にある郵便局であり、郵政民営化の際にも廃局にならずに存続が決まった。

2006年9月には鉱山街から人が去り、遂に無住の地となった。
現在ではニッチツ事務所の裏にOBの方が犬と独り住んでいるだけであり、小倉沢は人口一人となった。
鉱山街はすでに自然に帰りつつある。
栄華を誇った秩父鉱山の今の姿をお伝えしたい。


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