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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1とはずがたり@元林道部会長:2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

600とはずがたり:2020/11/11(水) 14:47:26

すげえ,こんなに残ってるんだ。。

廃鉄の処女Ⅱ
大井川電力専用軌道(大井川ダム付近)
2016-03-25 21:39:23
https://ameblo.jp/ironmaiden666666/entry-12143069093.html

601とはずがたり:2020/11/11(水) 14:49:34

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-636.html?sp
大井川発電所と大井川鐡道〜その6 崎平駅交換設備、構外側線〜
専用線跡 2018/02/2821:16 0 0
●崎平駅構外側線
大井川鐡道大井川本線崎平〜大井川発電所1.98kmの側線。
大井川本流筋を流送していた木材を水力発電のため水量が無い区間のみ鉄道輸送するため設けられました。
大井川発電所で使う水は上流の大井川ダムで取水されトンネル水路で大井川発電所まで流れ発電後放水されていました。
1943(昭和18)年にはさらに下流、塩郷駅上流側の久野脇発電所までトンネル水路がつくられ大井川の断流区間がさらに延びたため久野脇発電所対岸に松島側線を設け崎平側線は役目を終えました。
島田まで鉄道輸送する案もあったものの連絡する東海道本線の輸送量が飽和状態で運材列車を島田まで運転することができなかったそうです。
他にも五和側線から索道で大井川を渡して島田軌道に連絡、新金谷からトラックで島田へ木材を運ぶなど木材の大井川越えに苦心しており昭和に入ってからも「越すに越されぬ大井川」の状態でした。

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-633.html
大井川発電所と大井川鐡道〜その3 大井川専用軌道〜
投稿日:2018-02-22 Thu
大井川専用軌道は千頭駅〜奥泉堰堤土場の路線でした。
新線付替え部分が川根小山〜奥泉、奥泉〜アプトいちしろにありますが井川線千頭〜沢間〜アプトいちしろと一致します。
路線長が資料によって14.41kmとか16.7kmともあり、現在の千頭〜アプトいちしろの営業距離9.9kmとあまりに開きが大きいですがこの理由は謎。側線の距離まで加算しているのでしょうか?
大井川鐵道千頭〜崎平に貨車を直通させる必要があることから1067mmに改軌したものの連結器はピンリンク式のまま。
当初は最小曲線半径55m、最急勾配1/30(33.3‰)、レールは森林鉄道2級線並みの9㎏レールでした。
この軌道は戦時中に電力統制で生まれた国策会社日本発送電、戦後分割されて誕生した中部電力に引き継がれ1954(昭和29)年には井川、堂平へ延長。1959(昭和34)年8月1日に運行が大井川鐡道へ移管され専用鉄道から地方鉄道に昇格しました。

602とはずがたり:2020/11/11(水) 14:56:54
2019年7月 7日 (日)
寸又川左岸林道最新状況 2019年7月5日現在
http://minamialps-south.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/20151213-fdd2.html
第3版 2019年7月5日現在

寸又川左岸林道は、お立ち台より下(しも)でも林道の崩壊が激しく、通行は非常に危険です。

前回第2版以降、行政の林道維持を期待して今回再調査に入りましたが、左岸林道の日向沢橋の下(しも)約300メートル地点で上部稜線からの土砂の大崩落及び林道自体の半崩壊により、通過は困難な状況です。崩壊の状況はお立ち台より上(かみ)と同じで、行政としても今後の維持は放棄せざるを得ないでしょう。この箇所は第1版で解説した場所と同じです。

なお写真は実際よりも安易に見えます。ご注意を。

これで寸又川左岸林道は全域にわたって登山道としての使命が終わりました。残念です。

寸又峡側から大無間山への登山は:

寸又峡温泉〜右岸林道〜千頭堰堤〜お立ち台〜日向山〜鹿の土俵場→大無間山  又は

寸又峡温泉〜朝日岳〜日向山 (筆者未調査)

の2本のみになりました。

603とはずがたり:2020/11/11(水) 17:58:35

2010年のヨッキは最奥部の手前,釜の島迄林鉄跡を辿り今,左岸林道を帰還の途中。この先の小根橋は2018時点でトンデモないことに。。
https://yamaiga.com/rail/senzu2/main29.html

只今とはずがたりはその奥地に水力発電所を構想中。こりゃ可成り維持は大変だな〜。
http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/sumata00.html


【 寸又峡温泉〜寸又川左岸林道〜光岳 】歴史ある林道の全てが消え去る前に...。
日程 2018年05月04日(金) 〜 2018年05月05日(土)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1454324.html
小根沢橋が見えてきました。なんか凄い事になってるぞ!
橋の上は大きな岩がゴロゴロ。どんな土石流が発生したんだか。。。

604とはずがたり:2020/11/13(金) 17:02:52
http://yamaiga.com/rail/senzu2/main29.html#part2
この長大な行き止まりの林道を、現代の我々は持て余している。もしこの林道が自家用車で自在に行き来できるならば、光岳でさえ日帰り登山の対象になったろうに……、せっかく立派な道を作ったのに維持することは出来なかった。


http://yamaiga.com/rail/senzu2/main30.html

南赤石林道といってもピンと来る人は多くないだろうが、千頭森林鉄道や左岸林道とは関係浅からぬ道である。
私もそれが分かっているから、ここで初めて「見えた」瞬間は、とても興奮した。
少し説明しよう。

本編の超序盤である導入1で、今から2日前の早朝に左岸林道の入口ゲートを抜けたシーンがあったが、そこで【こんな林道標識】を見たことを思いだして欲しい。
実は、この寸又川左岸林道の現在の正式名は、「南赤石(寸又左岸)林道」といって、南赤石林道の一部を構成するものだ。

そして、同じように南赤石林道の名前を持つ道が、右図の通り、千頭山の各所に点在している。(図の青線がそれ。桃線は現在地からの“視線”を示す)
具体的には、足元の左岸林道の全線と、いま向かっている日向林道の終点付近より分岐している2本の短いピストン林道、それから今見えた前黒法師岳付近の林道が、南赤石林道の構成員である。
中でも、川根本町役場近くから43kmほども伸びて前黒法師岳へ達するピストン林道は、南赤石(南赤石)林道といって、南赤石林道の本線格の存在だ。

もうお分かりだと思うが、これらの異常に長すぎるピストン林道たちは全て、ひとつながりとなる構想を有している。
これらの林道が計画されたのは昭和30年代後半で、当時は東京営林局と長野営林局の垣根を越えて長野県(飯田市、旧遠山村)へ通じる、南アルプス縦断全長100kmに迫る本邦最大級林道兼産業道路兼赤石山脈中枢の山岳観光道路として構想された。鶏冠山と池口岳の間の標高2200m付近にトンネルを抜いて長野県側へ通じることが検討された。

千頭林鉄の時代の伐採地は谷に近いところが多かったが、昭和40年代からは林鉄に代わる林道を中腹や稜線付近に開設し、高地の未開発林の伐採を進めることになった。そのため左岸林道や南赤石林道が千頭営林署の手により猛烈な勢いで整備された。両者を合わせて1年で10km近くも開設された年があったほどだ。だが、50年代以降は国内林業の低迷や環境保護問題もあって(同時期には南アルプスを横断するもう一つの路線である南アルプススーパー林道が、メディアでもしばしば取り上げられた)、延伸が凍結されたまま今日に至る。
それでも、林道名に当時の偉大な構想の名残があるというわけだ。ちなみに、南赤石林道もご多分に漏れず放置されており、山犬段以北の20km以上が完全な廃道状態である。

605とはずがたり:2020/11/15(日) 16:59:17
現在,ヨッキは左岸林道を帰還中https://yamaiga.com/rail/senzu2/main26.htmlで(正確には10年前の帰還中のレポを順次公開中でw),次々と現れる崩落地にハラハラで,しかもこれは10年前の状況で今はだいぶ崩壊が進んでゐるという情報がピンピンと耳に入り(国土地理院の地図にも当時は記載されていたが既に途中から先は記載はされなくなってゐる),矢も盾も溜まらず2020年版の山と高原の地図43『塩見・赤石・聖岳』を購入してみた。
「寸又川左岸林道は崩落が激しく通行不可」・寸又川左岸林道は日向沢の下で林道完全崩壊(この辺http://maps.gsi.go.jp/#15/35.219802/138.113101/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1)・日向林道完全崩壊・尾根のカーブ先http://maps.gsi.go.jp/#15/35.230705/138.098767/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1で完全崩壊・「寸又川左岸林道は2011年の台風の被害によりお立台(よく出てくるがこの辺http://maps.gsi.go.jp/#15/35.224149/138.097308/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1にある展望台)より上部は崩壊し通行不可能」と恐ろしい表記の連続であり,極めつけは釜の島小屋辺り迄しか載っておらず,もっと北側は載っているのに一番知りたい柴沢とその先の林道は掲載範囲からコの字型に避けられてしまっているのである!!!
登山者からのルートからも外れ一番人跡未踏の奥地になってしまっているのかも。。

606とはずがたり:2020/11/16(月) 18:25:36
25年前の貴重な映像。
もう国力を失った日本は大金かけて建設したこの道を維持出来なくなってしまっている。。

寸又川左岸林道 往路-1 Re-Edit 1995年9月 (1/6)
https://www.youtube.com/watch?v=cC6QCtF81fo

607とはずがたり:2020/11/16(月) 20:18:51
2003年西 日本林業経 済研究会 シ ン ポ ジ ウ ム
報告 1? 2
国有林政策 の 変化 と流 域連携
川村 誠 (京都大学大学 院農学研究 科)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rinrin/57/2/57_KJ00008660393/_pdf

3, 千頭 国 有林 の 場合
千頭 国 有 林 は 大井川 上流 の 寸 又 川 流域 を 占め 、 総面積 2 万 6 千 ha 、 そ の 80% が 標高
1,000m 以上 に 位 置す る。 戦後、 モ ミ ・ツ ガ天然 林 お よ び ブナ 帯 に 広が る 針広混 交林 の 拡
大造林 が 進 め られ 、大井川下流の 島田 ・金谷 地域 に はパ ル プ ・チ ッ プ産業や 木箱仕組板製
材 な ど木材 加工 産地 を 生 み 出 した。 1960 年代 か ら 70年代前半に は年 間伐 採量 が 10万 m3
を超 え 、要員 も約 1,000 人 を 数え た 。 しか し、 80 年代末 に は既 に 2 万 m3 を 割 り込 み 、 基 幹
的な 作業職 員 も 100 人体制 とな っ て い た。 そ れ で も 90 年 当初 に は 63 人 在職 して い た もの
が、そ の 後 の 補充 な く、 2003 年 に は わ ずか 2 人 とな っ て い る。 現在 、 千 頭担 当 の 職 員 は、
事務 6 名、技 術 4 名で あ り、来年 に は 定年退 職 に よ りこ れ も減 る 予定 で あ る 。 2003 年現 在、
直営生 産 220m3 、 立 木販売 700m3 に過 ぎ な い 。 間伐 は分 収育林地 に 限 り行 われ て い る 。
そ れ で は 、流域 環 境の 保 全 に必 要 な管理 業務 は ど うな っ て い るの だ ろ うか。 既設の 林道
延長 159km の 内、常 に 通 行可 能 な林 道 は 寸又 川左岸 林道 の 1 線 40 km の み で あ る。 植伐
作業が な く、 林道 復旧や 維持管理 の費用 が 出な い 。 す な わ ち、 管理 業務 に特化 す る として
も、 現 場 に 到 達す る こ とす ら困難 な状況に あ る。


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