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明主様
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分かれ道
同じ信仰をしながら、神と出合う人、遠ざかる人。
分かれ道は、どこだったんだろう。
神様のお働きは、ここまで顕著になっているというのに……。
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笑い
たまに聴きたくなる浪曲。
旅〜行けば〜アァ ベベベンベン。絶妙の合いの手。
駿河の国のぉ 茶のか〜おぉり
それを虎造で聞くか、勝太郎で聞くか・・・となると、子供の頃に見てた勝太郎でとなる。
T君のことを知ってる方が幾人かここにもおられるので、思わず寿司食いねェという感じで話をすすめたくなる。
真面目路線の書き込みとなると、過去に十分やったので、過去をたどればと言いたくもなる。
それより笑いたい。
金もいりゃなきゃぁ とは言わない。飲む、打つ、買うでミスる業の深い専従は、雨後のタケノコのようなもので、モグラたたきでボンボン頭を叩かれるうちはいいけれど・・・あ〜あ〜あん、あ〜あ〜あん、あ、う〜う〜!
ちょうど時間となりました!それでは皆様、ご機嫌よ〜ぅ!
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合いの手
差し歯が折れて仮歯の状態で1週間ほど経ったころ、菌が入ったのか膿んできた。
1週間でパンパンに腫れ、マスク無しには外が歩けないほど顔が変形し、
ちょっと手が当たって破裂し口中に膿がドバッと。その1週間後に歯科へ。
その先生は私のブログのフォロワーでもあり、一言
「歯ードウシタ?」
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愛の手
主神様は、メシアを通じて、すべての人間に
愛の手
を差し伸べていらっしゃる。
その手に掴まろうとする人と、見向きもしない人、振り払おうとする人がいるだけ。
なのだそうだ。
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テーマソング
宗教評論家の梅原先生が、鶯谷におられ、山根先生の伝記の執筆も進んでいかない頃にお宅に伺った。どういう経緯だったのだろうか、当時はいろんなところに付いて行った。
T君から梅原先生に、私が教団の3奇人の一人だと指をさされていたと聞かされたけれど、梅原先生に直接声をかけていただいたこともない。見た目で奇人と判断されたのだろう。
T君がいた布教所に行くと、玄関口の軒にツバメだかの巣が張り付いていて、縁起がいいのだと、ヒナが落とす糞の片付けをしてた。集まってくるのは人や物だけでなく、鳥も来る。
しかしながら思い浮かぶのはT君のことばかり。さりとてT君にそれほど近い関係でもない。
T君はテーマソングがあったというか、自分が何かせわしく動く時にいつも口ずさんでいたのが、太陽にほえろのメインに流れる冒頭の部分だった。
ここの掲示板を見るとT君のことが何となく分かる・・・ということもないけれど、若き頃の一面が懐かしく、また将来の夢を見続けることができる。
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ラムちゃん
当時のラムちゃんといえば、幾人かいたけれど、完全に心を奪われたのは、うる星やつらのラムちゃんで、メインソングの 好きよ 好きよ 好きよのところで、両手を顎の下で、キュキュキューと揺する。
そして、しのぶの平手打ちで、見ている我々の目を覚ます。
現実に引き戻される。
当時まだ枝雀師匠の存在を知らなかった頃、錯乱坊が登場し、チェリーと呼んで下されと。
明主様は話上手とは思えない。人の心をつかむのは話上手でなくて良いと。逆に話上手は信用できないのだとおっしゃる。
話上手はいいなあと今でも思う。人の心ぎゅっとつかむセンスがある。漫才なんかのべつまくなしに喋りまくって、ボケが一言も言えないでいるのを観客は見て笑う。オチも上手。
掲示板でも真面目筋の話題は、盛りだくさん。しかしながら以前は寸止めで終わっていた。信仰論なんて面白くもないでしょうに、真面目に書かないと人格を疑われると感じる。
小学校の頃、まだ木造の校舎。で、一時話題にになったのが、おつりが返ってくるトイレ。
2年の担任の先生が、おつりが返ってくるので、気をつけるようにとのお話。
学校のトイレの話といえば、紙がなくて、突然声が語りかけてくる。黄色い紙がいいか、青い紙がいいか・・・色々。で、赤い紙を催促すると、赤手が出てくる。
そんなトイレの話の続きを想像してたおつり。
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古今亭志ん生
18番さんは浪曲ですか、 私は NHK で古今亭志ん生の 落語を聞いて、 この人はすごいと思いました 。
??晩年は 病で ろれつが回らないところがありました、。
人前で 演じないで 、二日酔いでその場で寝てしまったそうです 。 客は??志ん生 の姿が見られただけでも 嬉しい。 そのまま寝かせておけと、言ったそうです。
また、立川談志をよく天才という人がいますが 、
談志はリアルタイム で見てましたが 、べらんめえで、品がないと??思いました。 同じべらんめえでも、 古今亭志ん生は品を感じます。 あの人は型破りで、始めは浪曲師になりたかったそうです。
そして落語の道に入った。酒と女が大好きで 、明主様も み教え集で、志ん生 を褒めておられます。
以前は CD を揃えて ずっと聞いていましたが、最近はさすがに飽きてしまいました。
今はダウンタウンの松本人志が面白いですね。 それと、 芸人の おいでやす、小田 が、今は、面白い。
腹をかかえて笑います。
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一部と全部
今週の齟齬な話。
明主様によれば、私の言うことを真に理解できる人はいない。
だから、すべてをお見通しの神がいることがわかればいいと仰った。
にもかかわらず、分かったと思い込んでいる人がいかに多いか。
一例を挙げると、
明主様はたしかに、唯物思想の源はユダヤと仰っている。
しかし一方で、メシア降臨を預言したのもまた、ユダヤだということは
忘れられている。
もう一つ挙げるなら、
教団先達の中島氏はたしかに奇行の持ち主だったようだ。
しかし明主様は、中島氏ほどの人物は二度と出ないだろうと仰ったそうだ。
にもかかわらず、この言葉を語る人は、あまりいない。
さらに挙げると、アイヌ。
これも明主様はたしかに仰っている。
しかし現代のアイヌと、日本民族の霊的考察で記されているアイヌとは一致しない。
現在のアイヌは、ずっとにあとになって渡来したようだ。
また蝦夷にしても、蝦夷の末裔は、九州など全国に分散している。大和朝廷に服従
した蝦夷は全国に派遣されたからだ。
このように明主様の仰ることは難しいのだ。
一部を捉えて分かったように思いこむのは危険すぎる。
やはり神様がいらっしゃることがわかるだけいい、と思う。
世界メシア教が比較的順調な歩みを続けているのは、このわかったように語る
専従者も信者もかなり少ないことにあるように考える。
聖子ちゃんや明菜ちゃんを知っていることと、聖子ちゃんや明菜ちゃんを知っていること
にはならない。
み教えを知っているからといって、神様や明主様をわかっているわけではない。
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いいね
おお、いいね ゲャラちゃんも真面目に 書かれていたら、こちらも真剣に、なるほどそうなんだと読んでしまいました 。
私も偏るということは おかしいと思うし、
明主様が一番仰りたいことは、
偏るなですね 。
偏らないのがイヅノメですね 。
み教えで、 伊都能売(いづのめ)が主神を表現しているんですから。
子供が二人いて、一人は気に入らない。
一人は自分に気が合うから 、どうしても?えこひいき?してしまいそうになりますが、僕はそういう時は一番注意し、
自分に注意して 、自分が 全く関心がない子供の方にも、目を行かせて 、その子供の気持ちを汲み取るように心がけておりますが 、これは自分の姪や 甥にいる子供たちですね。
これがバランスを見ると言うか 自分にも返ってくるんですね。
伊都能売というのが永遠の真理であると思います。
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ふりがな
ゲラちゃんよ 、今週のなんとか、なんとかと難しい漢字で書いてありましたが、
私は あれが読めない。 私が投稿する時に漢字のところにふりがなをつけるのは、意外と簡単な字でも読めない人がいるんですね 。
私の友人で岡田茂吉研究をしている人の一人が、
そうなんです。
だから私はできるだけ、『ふりがな?をつけるようにしていますが、
あれは何て読むんですか?そうでないとあなたの書いている投稿が はっきりとは分からない。 ネットで調べようがない。
あーそうか 国会議員がよくテレビで使っている 齟齬(そご)という漢字なんですか。
右側の先祖の そ、? 齟?、?齬 ?は語の後の右側それで、?そ??ご?そうかとふと思いました。
間違いという意味ですね 。 ネットで調べたら食い違いという意味ですか。
難しい、 国会議員だな(笑)。
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切り開く
読めない漢字や、意味の分からない語句、英語などを使うのは、
読者の関心を引くための文章テクの一つ。
わからない漢字ばかり、英文ばかりでは、誰も読まないが、1つの文章のなかに
一つか二つ、わざと分かりにくい語句をちりばめる。
それによって、関心が高まり、印象に残るので、語句の知識が増えていく。
これもテクだが、分からない漢字は、つくり(漢字の右側部分)を読む。
祖 租 …… そ
語 悟 …… ご
こうやって検討をつけて、辞書を開けば、自分で言葉を覚える。
次なる未知の言葉をゲットする自信も生まれる。
親切は、ときに、人の能力を停滞させるものだ、
親切の名の下に、なんでもかんでもわかりやすくしてしまう。
このあたりにも、日本人の能力低下の一因があるように思う。
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どちらが正しいか
確かにそれは一理ありますね しかし私の友人はそこは飛ばして読んでいると思うので そういう人の為にもふりがなをつけて頂いたら スムーズに運ぶと思いますが いやそこがおかしいんだそこを改めなければそれも向上するためにはそうだと思いますが これが本当にどっちとも言えないということで
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押しつけ
ゲラちゃんは自立する人、向上を目指す人のために行動する。
人はわからない言葉は、音声も同じだが、雑音として処理する。
つまりスルーする。
スルーするってことは、その人に必要ないからだ。
関心のあることは何としてでもものにしようとするんだ。
押しつけてもムダ。
登校拒否時代のゲラちゃんは、小学校低学年だったが、
どうしても知りたいと思ったのは、なんとかして読もうとし、
大人用の百科事典を読みこなしていた。
英語の分からない小学生だって、なんとか輸入ゲームをやろうとし、
英語を読んでいた。
そいつ、すべての教科がダメなのに、英語だけいつも「5」だよ。
そういうもので、押しつけてもムダ。
自分からゲットしようとしない人は、ほっとくほうがいい。
信仰だって同じだと思うよ。
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コロナ
今日のローカルニュースで、 地元の酒場のバーの主人が、昨日 PCR 検査を受けるために保健所に行ったと言ってましたが 、
それは 繁華街で また コロナ患者が増えてきたからだということで、
これは先日、秀明の 勉強会で先生からお聞きしたのが、今の PCR 検査器具に完全に コロナ菌を 発見する 能力はないと言っていました。
具体的な事は忘れましたが、そういう 機材 が、中に入っていないと言ってました。
そこで今 連日のコロナで患者が増えて大騒ぎしていますが、これらもいくらも作られるという事を話されていました。( 報道の誘導)
昨日ラジオの報道番組で言っていたんですが、
イスラエル の 保険 大臣は、 イスラエルの人口半分が2回のワクチン接種 済みで、 患者が激減したので
18日からは屋外ではマスクを外して良いと 発表 。
これが コロナ終束の手本になると 言っていました。
初めからなかったものを作り出した 。火をつけて、 それを消すマッチポンプという人もいます 。
イスラエルの 大元は ユダヤ。
ユダヤには悪 人もあれば。善人もいる 。二種類あるとみ教えがあります。
その悪のフリーメーソンが 働いているんでしょうか。
相変わらず面白いね 、どうしても、? こんちくしょう?とは思えない。
俺は君( ゲラ ちゃん) の言っていることは、理解できます。
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ちょっと気になった
明主様御垂示 「発展する家にはツバメは巣を作らない」 (昭和24年6月21日)
信者の質問
「昨年十月夫婦並に娘二人、入信させて戴きました。
ところが二十年余り毎年燕が当家に巣を掛けておりましたが、今年は一、二度家に入って来たのみで巣を造りませんが、何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「燕が遠慮した。
そこの家が本当に発展して活気があれば巣はつくらぬ。巣を造らぬのが本当である。
鳥が同居する事になるから本当でない。(巣をつくるのはいけない)」
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東山さん
なるほど東山さん 、そうですよね、ツバメが巣を作ったら縁起がいいと、これと 反対のことを言いますよね 。
これは人間から見たもので、
神様から見たら 人間様に 、動物が同居するは。
これは違う。動物の方に寄ってしまう 。
これには、気が付きませんでした。
よく 室内で犬や猫を飼っていますが 、また一緒に布団で寝たりします。これも同じ意味になるんでしょうね。
こういう事は、普通の人は 分かりません。
また明主様はナメクジには 魂はない、と御 垂示 録でしたか、( ここは曖昧ですが )、読んだ記憶があります。
よくゴキブリが出たら踏み殺したり、 害虫を 殺虫します、これらには 魂が入っている。
ナメクジには入っていない、 その境目は何なのでしょう。
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(無題)
>発展する家にはツバメは巣を作らない
確かに不便だと思いましたが、その後その巣をどうしたのか知りません。
忙しくなったので、その後はツバメ、遠慮していったのではないでしょうか、あくまでも推測です。T君に興味のある方、本人に聞いてみてください。
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ワクチン接種
昭和27年3月、4月 、 『御垂示 録』
これは芸術論からです。
・( 前略)
「高村光雲 (彫刻家) は、いく々は国宝になるという事で。( 中略) 昔は良いものが 出来。今は出来ないという事は、何が原因でございましょうか。」
(御垂示)
『 経済状況ですね。今だって うまいのがあるんですよ。あるけれども、ぐずぐずしていると台所が片付きますからね、
だから思い切って、ゆっくり出来ないですね。
そこに持って行って、元気がなくなっている。
今の人は元気がないですね。
元気がない一番の原因は 種痘(ワクチン) ですよ。
途中で いい加減なところで、妥協しちゃうんですね。 どこまでもという根気がないですね。』
・(??彫刻する時、 トンカチで ノミを叩き、 削る。
??意欲の 源、気がつかない所で 、ワクチンの薬毒が影響して、 作品に迫力がでない)
◆
ワクチンに関しての 69年前のお言葉です。
これはワクチンは打ってはいけないという、お言葉であると思います。
いつでしたか ポストに、世界救世教 いづのめ教団 の『光明新聞』が入っていました。そこに 配布した人の住所と名前が、
この時グループを担当されていた のが、永峰先生でした。
私がイヅノメ教団の入信をお許し頂だくきっかけとなったのは、
この御垂示 録 をまとめた本がありまして、これは 世話人以上でないと持っていないもので、貸し出しは不可でしたが、
私が入信の意図で訪ねたとして、自宅におられた高齢のいづのめ教団の信者が、
「 あなたに貸してあげる」と言って 2〜3週間お借りしました。( これは一般の人が見たら誤解を受ける内容、例えば、天皇が地獄に とか、日蓮が。 これを知らない人が見たら 教団 批判をされるので、 信仰ある人以外には見せないという事でしょうか) これをコピー製本して 、
み教えを求める神慈秀明会の信者達で 学びました。
当時は岡田茂吉全集が 出ていたのか、出ていなかったか時でした。
( 当時、世界メシア教、元、主 の光教団では、
「み教え集」をまとめた本を 作り 、教材としていたようでした。)
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PCR 検査
遺伝子組み換えの 輸入や、タンパク、ワクチン。
日本は世界一 遺伝子組み換え食品が多い。
第一三共 km バイオ不活化ワクチン 治 験 ( 人に打って、効果を調べる)21年3月22日から開始した。
ワクチンをしないと、大学入試、会社 入社が 難しくなるチェックを行くう 方向に、
自民党の議員で 今回のコロナ ワクチンは 新型 殺人ワクチンと言い切った人物がいたそうです。
多くの報道は
勝手にパンデミックと言っている。それなら道で人が倒れていても、おかしくない。
しかし それは ない 。2200 入院して、2200人退院している滋賀県( 数字はメモです、改めて確認を)
インフルエンザよりコロナで死亡者を数を無理に作り上げている。
専門家の中にはコロナでは死ない、感染能力はないと も 言われている 。
そして
世界 をパンデミックでパニックにさせているのが、 PCR 検査機器、これは10種類の 菌を見分ける事ができる。しかし、
PCR 検査は遺伝子検査データを持っていない。 入力されてないので、調べるのは不可能。
これから怖いのはワクチンを打つこと 。 これによって
男女が不妊になると 言われています。
(秀明の勉強会から)
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神様の ユダヤに対する御経綸
『物質文明の発達は逆でなければならぬ 。
それで悪を上にし 、善 を下にしたんであります。
これをさすためにユダヤ人を使って 、悪で発達せしめたんであります。
で、悪の役をしたのがユダヤ人で、その 本体は 、すさのうの 尊で、すさのうの尊の 本体は、
※ イザナミノ ・ミコトであります。』
( 昭和10年 5 月1日)
◆
・( 経 (たて)と 緯(よこ)で 宇宙を構成する。
その 表現神が イザナギノ・ミコト(男 )と、
イザナミノ・ミコト(女) になり、
経(たて)は 男で(善)になり、
緯(よこ)は 女で 悪になる。
スサノオ(ユダヤ)は 緯の働きで、 悪の役をする。)
『(中略)今の学校教育は ユダヤのもので、 ユダヤで作ったものは、個人思想が根本になっているから、どうしても 今日の教育は、そういうものになっている。』
・( 弱肉強食 で個人主義 、利 他 愛よりも自己愛。)
『 かの世界制覇の陰謀は フリーメーソンが根本で、フリーメイソンというものは、そういう時のためにある 。そういう時の準備のために3億の富を持っている。』
( 昭和11年1月21日)
・(アメリカのロックフェラー 、ロスチャイルド、ビルゲイツ 世界の富を 一手に握っています。 彼 等の野望を明主様は見抜かれていた。)
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(無題)
この春、息子が晴れて小学校の入学式を迎え、その当日よりマウスシールド(大人用で小さいサイズのもの)を着けて登校しています。
もちろん、学校の方針としては集団登校時より校内生活全般、体育の授業中に至るまでマスクの着用が標準とされているのでマスクをつけていない息子は非常に稀有な存在となっています。
例えば、上級生からは「お前マスクしろよ」「死にたいのか?」などなど。
面白いところでは入学式当日に担任より「おっ、カッコいいな」と言われたとのことです。
そして先日、かねてより重ねて来た化学物質を避ける校内生活をおくるための最終の面談があり、学校側として万全の体制を整えて下さる事を確認出来ました。
ですが、やはりマスクの着用の話に及んだので、息子本人の意思によりシールドを着用している事に加えつつ、マスク着用における問題点(着用するマスクにおいてウイルスが増殖する可能性がある点、着用による感染防止策に科学的根拠が実質上存在しない点、情操教育において顔を覆うという行為に大きな問題がある点、実際の着用によって息子が低酸素状態となり頭痛がするという事に加え、そのような自覚症状は息子に限った話ではないのではないか?それも学びという思考力を使う場において、という事など)を少しお話したところマウスシールドでの登校許可をいただきました。
さらに担任よりシールド着用の実際問題として体育の授業の時に危なく、場合によっては怪我をする可能性があるとの指摘がありましたが、すかさず校長が「危ないと思うような場合は外したらいいのよ」との一言。
まあ、小さな事ですが、今後、色々と波紋を呼びそうですから、あくまでも現時点においてはOKという話として捉えておりますが、これからの展開が面白そうです。
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波乱万丈
入学おめでとう。
>これからの展開が面白そう
日本はそんな感じですか。
私の娘は、この6月になんだか無事大学卒業できるようで、一区切り。
学校に行って、家を出たら、まもなくコロナで学校封鎖となって、その後リモートで授業を受けることとなったので、家に帰ってきました。
信じられないことばかり。専業主婦が良いなあとか言ってますけれど、どうなるのかね。
娘は小学3年で初めて読み書きをするようにした。ホームスクールを何年間かやった後で、学校作りに参加しましたので、できた学校に入れたのが3年生の時でした。
今思うことは、子供と親のつながりということです。
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イザナミはフリーメイソン
今回投稿させて頂いて私も学ぶところがありました。 フリーメイソンや それに関するみ教えを投稿させていただいている時に、
自分では全く理解していないものを、 ここに投稿することで改めて読み返して、
ああそういうことなんだと、 初めて読んだ気がしました。
その中で イザナミ、ノミコトこれは女性だというのは 認識はあったんですが、
それがフリーメイソンの 大元になるというのは、
今回驚きました。
私の母親の 氏神がイザナミ、ノミコトだから、愛宕神社によく 参拝していましたので 、
また、よく 大分の高塚地蔵にも行っていました 。
お地蔵さんは 阿弥陀の家来だと神教はありますから、
阿弥陀如来 は須佐之男命 (スサノオの??命の化身)ですね。
それと今私が水を汲みに行っているところの山が 、
スサノオノミコトの息子 五十武の尊の神ですから、
本当に 緯(よこ)の働きの 世界の中に、私はいたというのを、 改めて確認しました。
そしてうちの父親は私は昔から 厳しい、 真面目なところがあったので、これは経(たて)であるというのはずっと思っていました。
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親として
娘が15の頃、クラスメートと海辺で焚き火会をした時、帰宅は10時と約束しました。
そして焚き火会が終わると、2次会にいくということで、友達の家に向かうという連絡が入りました。
しかし私はそれを許さなかった。
そして泣きながら娘は帰ってくるわけです。
こういう時友達が云々と友達を利用するのが私は嫌いでして、10時帰宅の約束を守らせました。
当然娘は大泣きでしたが、私にはその約束を守るということが大事でしたので、約束を守って10時に帰ってきた娘をその2次会の場所に送って行きました。
正直であって欲しいと思う、たったそれだけです。
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緯(よこ)の繋(つなが)り
今回、イザナミ、阿弥陀、 スサノオ ノミコト 、大本教、 フリーメイソン 、世界救世教 二代教主と
今の世界メシア教 陽一番教主が 繋がっているのが、
面白いと思いました。
二代 教主は 明主様がご帰天される時、大本教の祝詞をあげられた。大本教がスサノオ ノミコト。
そして陽一教主は 彼を教導する人物が、 軍産複合体が背景にあると これを訴えた人物が語っています。
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明るい尾崎豊と話す
例のシリーズ。
今回は限りなく自死に近い事故死のケースだ。
霊視で話した尾崎氏自身の回答によれば、やはり事故死。
ただ、いつこの世を去ってもいいとは思っていた、そうだ。
常に魂の叫びを追い求めていたそうで、地位や生活が安定してくるにつれて
魂の叫びが見つけにくくなったことが厭世的になった理由ととらえているとか。
大人になっていくにつれて、魂の叫びがなくなったとも表現しているのだが。
もっとも生きているときから暗いところはなく、明るいほうだった、そうだ。
だからあの世に行ってから話す、尾崎氏は明るい人だったという。
自死をしていないということは、救われるにも非常に有利ということだろう。
もう一人、XJAPANのHIDEやTAIJI氏も、自死に近いが事故死のようだ。
ただTAIJI氏はこの世への不満を抱えていたようだ。
不満を持たないことを条件に、光の塊をもたらせるようにしてあげたとか。
その結果、どうしても会えなかったHIDEと同じ霊界に行けたのか、会うことができた
のだ、そうだ。
うぷ主によれば、自死者の場合は、どんなに救ってあげたいと思っても、光の塊をもたらせてあげることができないのだとか。
もっとも20〜30年たてば、可能になるとも言っている。
限りなく自死に近い事故死者は、自死したい気持ちはわかるが、生き抜いたほうがいいと
語っている。
おまけだが、尾崎氏は、薬物を使用しても何も変わらなかったし、何の役にも立たなかったとのメッセージをくれた、そうだ。
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改心
自死者を除けば、改心した者はすぐさまといえる速さで救われるようだ。
推論ではあっても、
「これからは謝罪の時代ではなく、悔い改める時代」との聖言に合致する。
明主様の聖言によれば、スサノオはすでに改心ずみ。
主神様の意図の下でご活躍中なのだそうだ。
いたずらに過去のミスを暴くことに、ゲラちゃんは加担したくはない。
もっともスサノオから特別な依頼でもあったのなら、別だが。
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たまらんね
京山幸枝若の河内音頭、切れ味がいい。小気味良し。そして笑える。
盛り上がって、最後とかどうなるのか・・・で時間が来てしまう。
フラワーショーも好き。遅い役のお姉さんと兄妹なんだとか、いろいろ説明があってそれも興味をひく。
に〜げ〜た〜 女房に 未練はないが〜 とか浪花節、こういう父親に育てられるとどうなるんだろう。
ちなみに我が父には子供の頃に映画によく連れてってもらった。任侠もので、切られてドスを持った手首が地面に転がったのをよく覚えている。
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リユース
リサイクル、リユース、リデュース、最近はやりの「3R」。
ゴミの再利用だ。
過ちのない人間、完璧な人間を使って、天国を作るなら、誰でもできる。
別に神様が乗り出す必要はない。
あえて神様が乗り出したということは、どうしようもない人間、ゴミ人間を使って
天国を作る必要があったからだという説がある。
だとしたら私たちはみんなダメ人間、ゴミ人間である。
ゴミ人間の集まりの世界にあって、改心した者の過去を暴いていたら、
天国づくりにお使いいただける人間は、一人もいなくなる。
神様はなんと思うのだろうか。
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たまらん
どうもお金が貯まらん。
耳たぶの大小も関係あるようで、お金に話しかけて、友達連れて帰ってきてねというのもある。
周りにはお金に全然困ってない人がたくさんいる。
ここ掘れワンワン・・・・・・・・。
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信じる
ゲラちゃんは、明主様を信仰しているのであって、研究しているつもりはない。
明主様が、誰それは改心したといえば、それを信じるだけ。
悪の親玉が改心したのに、なぜ、世の中は悪がはばるのだ?
そういぶかる声が多いのはたしかだ。
これも信仰者であるゲラちゃんは、明主様に求める。
親玉はすでに改心している。現在は、その眷属が活躍している。
メシアが出現したと言っても、それを延期させたり、否定したりし、
いまだに病気直しとしての浄霊に終始している眷属がいるのと同じだと思う。
メシアという絶対力が降誕した現在、どんな罪より、メシアのほうが強い。
メシアの力で消せない罪はないということだ。
それを信じているのだ。
だから、過去を暴く意味を感じないのだ。
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渋井文書から
友人から送られてきた「渋井文書」??これは貴重なものでありますので、 一部 ここに投稿させていただきます 。
◆
「当時 明主様は奉仕者に 肩など指圧をさせられ、終わってから、ご自身で浄霊されたと聞いていた 。
明主様に 御浄霊を したという 奉仕 者 の話しは一切聞いていない。
またいないはずである
しかもこの時は大変重篤な 御浄化であり、
指圧どころではない状況であったと聞いている 。
そして翌日父は、義母を伴って 明主様宅に伺った 。
もちろん、御浄霊にである。
その後しばらく明主様の御浄化は続く、( 映像が途切れているため 一部想像で繋ぎます)御 容態の回復が見られるまで御浄霊に通った。
明主様のお部屋には、御浄 霊中には誰も中には入れず、 どのように御浄霊をされたのか 、またどのようなお話をされた かは一切不明である。 以上 父が 明主様に御浄霊に通った概要である。」
これは 側近の井上茂登吉先生から電話の 要請があった と書かれています。
私は離脱教団の 立場から見て 内部におられた方 の 証言だと思いますが、 御 浄化された時の状態 が 見えてくるようで、
そして御昇天 される お姿を 拝した、木原先生のお話、そしてその後 、教団から電話で呼び出しがあり 、当時の様子を 神慈秀明会、小山先生が書かれたものがあります。
ここで指圧と書かれていたものは、 私は新健康協会の木原先生の お孫さん から聞いたんですが、
おばあさま(木原先生の奥様)が当時、明主様の肩を揉む (あんまのような )ご奉用をされたと聞きました。
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ゲラちゃんへ
ゲラちゃん、もういいぜ、
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御帰天
「昭和29年4月半ばよりという事は、4月11日の当時 、秀明教会に親しくお越し頂けたのですから、つまりお帰りになって、間もなくという事になるのですが 、
明主様は御浄化に、お入りになられたのでございます。
その後は参拝時にお目にかかれない事が続きまして、 言い様のない不安と、物足りなさ寂しさは誰しも、感じる事でしたが、
例え 、お身体は お出まし頂だけずとも、浄霊の威力は変わることなく、著しい事の体験を通して、
神霊の計り知れぬ お力を、覚ったものでございます。
そして同じ年の6月15日の地上天国祭、年末のご生誕祭、明けて新年祭には、おいおい順調に、ご回復の御気色にて、
信者に まみえられ、30年2月4日立春祭にも、ご出座頂けるよしを承り、 喜びにあふれて参拝いたしました。
普段はわざとらしい威厳を作ったり、
また事を構えた宗教臭さを、格別 お嫌いであられた明主様でしたのに、御浄化後は、
祭典時に白衣を召されたので、ハツと胸をつかれると共に、一入(ひとしお)神々しく、拝したのですが、
わけても立 春祭に黄袍(こうほう)を召されたのは、 昔中国で黄袍、加身(みにくわ)うと、いって 天子と、なる事 を言ったのですが、
時すでに、神界の天子として黄金の御座(みくら)にお着きになった証で、ございましょう。」
※( メシヤとして新しく生まれるは、これは特別な事 であって 、かってなかった 、これからもない、今までの引き継ぎではなく、新しく 御座に着かれる、メシヤとなる これをおっしゃった。)
そして30年の立春祭こそは、お肉体を持たれてお出ましくださった 今世における、最後のご出座でございました。」
( 昭和47.年(1972 )教祖祭、秀明紙24号)
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承知だぜ
黙る
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(無題)
>「危ないと思うような場合は外したらいいのよ」
いいですね〜。まあ裁量権の有る無しは大きいですね。
前少し書きましたが、校内でマスク外せないかというママさん達の運動もあります。
minoruさんは僕の上司と知り合いのようですし、
会う機会があれば色々と情報交換してみると良さそうです。
理解の無い校長+ママさん達の集団
理解の有る校長+個人
ケース的には重なりませんが、それでもお互い何か参考になると思います。
ゲラちゃんのシリーズ、何かスッと入ってくるわ。
尾崎豊といえば、俺は卒業。
『先生、あなたは〜』、最高(笑)
バンドとかやってる人って、普段から歌うことで昇華してるからか、
亡くなっても執着少なそうな気がする。
-
(無題)
>普段から歌うことで昇華してる
というより、バンドをやっていることそのものが、
自分のやりたいことをちゃんとやっている、
から心残り、執着が少ない、って感じかな。
別にバンドでなくても、情熱を注ぎ込んでずっとやってきたものがある人は、
光の塊?をサクッと受け取れるんじゃないかな〜。
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(無題)
今日は公園で手持ちのピーナッツチョコを鳩にあげたら大挙して集まってきた。
それを見た小学2年生の女の子が『何しているの?』
と声をかけてきて、一緒にエサやりすることに。
読書のおやつのつもりが半分くらい鳩のエサになった(笑)
少し話してみた。
マスクは、『最初は辛かったけど、今は平気』
もっと小さい女の子と遊び始めたので、『友達?』と聞いたら『初めての子』
持ち物をチェックされ『お茶欲しい』というから、「知らない人から物もらったらダメ、って言われてない?」と言うと『いい』
と言うから、迷ったけどお茶あげた。
10分ごとに時間聞いてくるから、「何時まで遊んでいいって言われてるの?」と聞くと『4時まで』
家族ではなさそうな年配の方とも話したり遊んだりしていた。
もう1回お茶飲みに来た(苦笑)
自分は小学低学年の頃、知らない人に自分から簡単に話したり遊んだりはできなかったな。
共通の友人と一緒に、知らない同年代同士で遊んだことはたまにあったけど。
コロナのご時勢もあって、口をつけたペットボトルのお茶をあげるのはどうなのか、
今でもよく分からない。
親御さんらしき人がいれば、もちろんあげないけど。
でもなんか、全体的にとても平和な光景でした。
子どもは、宝ですね。
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(無題)
神社の方に下っていく。その先の駄菓子屋さん、タマエちゃんに行くのだ。そのお店の看板娘の名前が店の名前のように親しまれた。タマエちゃんも美人だったけれど、店をやっていたお母さんは細身で、大変綺麗な人で、着物をいつも着てた。その上に割烹着をかけていた。その筋の過去を持った方ということなのだろう。
そしてまた神社の道を上がっていくと、サルマタで白シャツの男性が道の脇の縁に腰掛けている。
男性は、おい坊主と親しそうに声をかけてきた。
知らない人なのだ。しかし、その男性からしてみれば、坊主とかお嬢ちゃんはみんな自分の子のような感じであるようだった。
自分が他人の子と話し込んで、買った駄菓子をちょっとくれとかいう。全然悪気もなく自分の孫との普通の会話のようだった。
でもふとその男性も気がついたのか、おじさんは郡司というんだ。お父さんに何か聞かれたら、郡司さんが・・・と話したら良いと言った。
初老のシャツの下には彫り物が見え隠れしてた。
町内にはそんな人も普通に暮らしてた。まだ戦後20年あまり、それでも人の記憶にはその名残があった。
そんな小さな町にも上(かみ)と下(しも)にわかれていて上が一軒家、下が長屋という感じ。外から移ってきた我が家は、とりあえず上で一軒家でした。
そんな小さな地域に少なからずの信者さんがいたけれど、今は皆無なんだろうと思う。
春は桜で満開になる神社。あのころ夜には天の川が見えた。
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(無題)
海外に行った専従者がだんだん年をとってくると、日本食に回帰し、それを強く欲する。
先日朝方にホーホケキョと耳元で聞こえたので、目が覚めた。
ウグイスなんかここにはいない。
ホーホケキョ。日本人は鳥のさえずりも日本語としてとらえる。
コノハズクのブッポウソウもセミのツクツクボウシも、秋の鈴虫もリーンリーンと。
明主様はペットはお好きではなかったと思う。けれど自然の中の生物は好まれたのではないか。
まさか池に鯉を飼うとかなかったと思うけれど・・・。
のちの信仰というのは明主様を神格化しているけれど、生花にしても明主様のそれは花材そのものの霊気、生気を活け、それも庭作りの中で、飛び出して、邪魔になっているような枝を切って、花材とされているので、生花用の花材を購入してのとは違うよね。
明主様がお好みになられた芸にしても、名人であって、名人の失くなった理由にあるように、その後の『現代医学が原因である』世代、明主様とは異なった物を見て、手にしている。
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神秘な御浄化
関西からお帰りになられ、浄化ということとメシヤが生まれたこと。
まさかと思っているのは私だけか。
それにまつわる話は公にもなっている。
しかしながら、私はまさかと思っている。
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メシヤ降誕
浄霊団体でこの日を祝っているところはあるのか?
この日こそ最高最貴の日だよね。
-
(無題)
浄霊団体でこの日を祝っているところはあるのか?
え?皆やってないの?
-
ペット好き
明主様のお言葉は分かりませんが、 ペットがお好きではなかったというより、 その後の処理がですね。散歩させるとか、糞尿の後始末とか、 神様の所に糞尿を撒き散らすというのが、
私はここじゃなかったのか と想像するんですが、
話は変わりますが、 私は犬が好きで、
どうしても猫は好きになれないんですが 、
子猫は好きなんです 。あの戯(じや)れ方は、
何とも言えなく 好きですけど、
あれがだんだん大きくなってきたら、
あの冷めた顔で、見られたら、
苦手なんです。
犬はいつもバカみたいに懐(なつ)いてくる。あの正直なところ、好きなんですが、
この信仰に入る前は犬を何匹も飼ってたんです 。
庭にも 糞尿 してましたが 、
気になりませんでしたが、このお道に入ってからは、
そこが気になるようになって、
自分の家には御尊影をお祀りしていますので、
どうしても御神域という感じがして 、
妹が犬を
連れてきますが、
家の中に入れさせません。
妹は一緒に家の中で暮らしているんですが、
??畳 10枚ぐらいの庭に自然農法の畑がありますが、そこに糞をしていたので 、ここにも入れさせないようにしています。
野良猫はやむを得ないと思っています。
話はまた、変わりますが、明主様が自然農法始められた頃、岡庭先生達にご指導されて、 任されていた。
その時 犬か猫か、畑に入ってきたので、走って『こらア!』と声をかけながら、追いかけられたと書いてあります。
-
無理だろっ
世界ジャンボリーで、「メシア」の名を出したからと言って、
教主様排除のクーデターを起こした連中と、それに同意する
連中の集団だもん。
無理に決まっている。
もっとも最近、漏れ聞くところによると、シラーっと「メシア」と
言い出した教団があるとも聞く。
どの口が言うとんねん!
と思うがな。
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メシヤ降誕
メシ ヤ 降誕 は 地上天国祭を 私が知る離脱教団では
やっている、その意識はないかもしれません、 あるかもしれません。
どうなんでしょうか、皆 まだメシヤ様というのがピンと来ていない。
メシヤ様と 呼ばずに明主様と言っているので、
昔は いづのめ 教団では、 明主様とお呼びせず、 メシヤ様と、 当たり前のように言っていました。
永峰先生もそれを強調されていました。
今はなき 楳木メシヤ教で、メシヤ様と唱え、学ぶ事を やっている所を 共感して、永峰先生も そお、仰しゃっていました。
ところで気になったのは、
18番さんが そう思っていない。
関西からお帰りになって、御浄化に入られ メシヤが生まれると なっているが、ご自分はそうは思っていない。
そこは、どう思われているのか 、
お聞きしたいですね 。
何かそこにあるのでしょうか?
-
メシヤに新く生まれる。
なるほど、これは分かりやすい。
これはどなたのお言葉なんですか、 こんな事を言えるのは相当なお立場の方でしょうね、これも、伺いたい。
なるほど、こういう捉え方があるんですね。
今までを神に捧げ、自分を捨てて、新しく生まれる。今までの自分は死んだ、これから新しい命を授かる。
死を克服する事だと問われた。
これは私たちにも当てはまる事ですね。
神様申し訳ありません。と言って命を捧げられた 。これは肉体的な捉え方で、
これも深い洞察と思います 。そこでメシヤと言わざる得ない。
その名がついたのだから、『新しく生まれる』、『 生まれたての赤ん坊』というのは、 よみがえられて新しい命になられた。そういう事ですね。
昭和11年 お歌 『身も魂も神に委ねてひたすらに、救世の神業 に尽くす我はも 』
「いや、そんな事はない。特別な事なんだ」と、あるかもしれないとも、書いてありますが 、
この特別は、神慈秀明会で言っている 、御座に着く 。これも 私はあると思います。
また、人は役に着いたら 、その
風格になると ありますが、特別なメシヤのお役をいただかれた。
そして 主神の世界に、赤子となって生まれる。
ともとれると思います。 つまり、肉体的と霊界的な 捉え方で、両方あると思いました。
-
続き
今の世界メシア教のことも言ってあるんでしょうか。 これは新しい発信なんでしょうか。
まだ続きが投稿されていましたので、
少し驚きましたが 、なるほど 明主様の中にある観音が衣を取ったら、そこにメシヤがおいでになる。
メシヤと、明主様は別である。これは肉体的な岡田茂吉様と、主神の御 働きの、メシヤのお役とは、別かもしれません 。
いつか私は投稿したその内容を、ちょっと覚えているんですが、ご御垂示録 だったでしょうか 『メシヤと、主神は違う』と あったと思うんですが。
私が解釈したのは、 メシヤというのは、あくまでも人類が滅びる時に、救いに現れる お役の事であって、
それを上から操られるのが、主神である。
そこで 救済 が済んだら、お役から解放される 。 永遠ではない 、と捉えたんです。
-
ヨコの霊界
18番さんは削除されたのですか?
山月庵及び日光殿の補修工事が完了し、箱根神仙郷が世界の宝として「名勝」に指定される。
東方之光は明主様と自分の関係を明確にし、個と家の救いを確認するという願いの下に
「自分史を整理して自分というものを知ろう」との方針と、「光明会館」の建設に取り掛かる時にあるという。
しかしこれは特定の宗教の建物ではなく、あらゆる宗教の本山とするべく求められたもので、
「中心に私が座る」と言われたメシアの力を戴いて進めて行かなければならないものと思っています。
さらに明主様教団でさえ一つになれないのに、東方之光教団がその段階・役割にあるとは思えない。
蛇足かも知れないが、さらに自分を知るには「熱海」に求めてはどうかと思います。せっかく聖地があるのだから。
時間の流れをヨコと捉え、ヨコの霊界の瑞雲郷の学びにより、自分史に合わせ自分を知ることが出来るという提案です。
-
新健康協会に参拝
今新健康協会に参拝お許しいただきました。
奉仕者からお聞きしたのが、70代の男性で 黄斑 角膜何とか 症 という名前は忘れましたが、視野が狭くなる年をとったら誰しもなりうる病で、
白内障から緑内障にも移行しているので、
手術をしなさいと医者から言われたそうです。
手術はしたくないと、 半年ほど御浄霊を いただき、病院で調べてもらったら、元に戻っている。
正常に戻っている。あなたは若返ったと言われたそうです。
-
PCR 検査の真実
メディアが決して報道しない PCR 検査の開発 発明者の話
発明者自身がウイルス検査の使用を否定、
PCR 検査を発明したのが、アメリカ人のキャリーバンクスマリス博士、 その功績により1993年 ノーベル化学賞を受賞しています 。
1994年インタビューで PCR によって極めて 少数の 微粒子が、 体の 中に一つあると 検出された だけで意味をなすと??主張するなら 、それは PCR の 誤用である と明言した。
診断に使うなと 警告を鳴らしました 。キャリーマリス氏が、もし存命であれば、 コロナ騒動を起こすことは 不可能であったでしょう。
問題なのはこの 増幅回数が、国によって、まちまちで 、台湾では 36回、アメリカでは37回〜40回、 日本では 40回〜45回 で 設定されています。
30回の 増 幅で 16倍、 40回の 増幅で1兆倍 になります。 30個と40個では1000倍違う 、 25回と40回では 3万倍違います。 ニューヨークの検査施設で行われた 検査で 2020年の7月 794人が陽性になりましたが、 これは40回の増幅の結果だったのです。 対象者に対し 増幅率を35回にすると陽性者が、 半分に へり、増幅を 30回にすると、 陽性者の数は3割に減っ てしまうことがわかりました 。
マサチューセッツ州の 検査施設の計算によると 、40回の 増幅で、陽性 になった 人の 80〜90 パーセントが、 増幅を 30回にすると、 陽性と診断されました。
◆
PCR 検査
つまり発明者が不可としているものを、 使用している 。
増幅させる数値を変えることで、いくらでも数の操作ができる。コロナ 陽性 のグラフの データ、世界中の コロナ患者の 数は 信用できない と言っています。
(秀明紙 勉強会、資料から)
-
(無題)
少し時間が経ってしまいましたが思うことを少しだけ書きますね。
>理解の無い校長+ママさん達の集団
>理解の有る校長+個人
幸い、我が子が通う小学校の校長は児童の意志を尊重してくれる方で良かったです。
おそらく、その理解の無い校長とは職場でクラスターを出してしまい自身の管理責任を問われてしまう事を恐れているのでしょうね。
我が子が通う学校の校長も内心は、ほぼ同様だと思います。
そのような場合、子供にマスクを着けさせたくないママさん達が集団で働きかけるという事が、どうしても得策であるとは思えません。
学校側と保護者という大人同士がお互いに対峙する構図になってしまい返って学校側の姿勢が硬化する可能性すら考えられます。
先ずは、それぞれが我が子の想いや考えを聞き、それを尊重しつつ援護するようなスタンスが望ましいと思います。
もちろん子供の想いも十人十色でしょうから、それぞれに見合った働きかけをした方が、より効果的かもしれません。
-
?一つの波紋?
岡田茂吉全集、講話篇、第5巻解説 (蒲田東 二)
《型の思想と 言霊の力》
一、型の思想
「 大本教から別れ出た、多くの宗教教団に共通して見られる思考形態がある。 それが型の思想である。
それは世界全体の縮(しゆく)図となり、雛(ひな)形となる?元型?を 自分たちが 先立って行なっているという考えである。(中略)
(み教え)
『 ここで喋ったことは 、言霊で、言霊界に?一つの波紋?を起こすんです。
言霊が世界に広がって、それが具体化してくる。だから、その時に話した通りに実現しつつあるんです。
』(全集 講話 第5巻 、11ページ)』」
◆
この掲示板のタイトルが 一つの波紋ですね。
これはサイトを開設した、 N 山さんの考案と思ったら、み教えにあるんですね 。( 今 掲示板 2に移行 )
今まで 幾つか、掲示板があったと思うんですが 、( みのるさんは昔から、色んな掲示板に 登場されてます)今は この?一つの波紋?、 希少 な掲示板だと思います。
-
(無題)
>その理解の無い校長とは職場でクラスターを出してしまい自身の管理責任を問われてしまう事を恐れているのでしょうね。
その可能性は通常高いと思いますが、
登校時門に立って『マスクちゃんとつけてるね、えらいぞ!』
というような行動をしているようなので、
本心から必要だ、と思っているパターンかもしれません。
ママさん達はまずマスクの害に関する情報を伝えたようです。
(コロナに関してはどこまで伝えたかは分かりません)
>子供の想いも十人十色
ちょっと書いた公園での女児との会話でも思いましたが、
平気な子は平気だろうし、辛い子は本当に辛いでしょうから、
どんな行動をするにしても、
家庭での意思疎通が大前提だと僕も思います。
なんでもほぼそうですね。
主観で決め付けず、ちゃんと確かめたいものです。
-
(無題)
>ママさん達はまずマスクの害に関する情報を伝えたようです。
お子さん一人一人の意志はダイレクトに担任や校長に伝わっているのでしょうかね。
その意志表示が先ずあってこその、その後の情報提供だと思います。
先日の面談では我が子も同席していて、マスクの話の際に先ずは学校側から子供への意志確認が行われました。
「マスクは絶対したくない。だって苦しくて頭が痛くなることもある。」と言っていました。
そしてその想いを後押しする形で保護者として参考意見を少しお話しした次第です。
もちろん、先ずは一段階目として、我が子もそれなら納得という事でマウスシールドで初日から登校した事も功を奏したかもしれません。
-
(無題)
僕は公園など外で本を読むのが好きなのですが、
一番良く行く公園では、親御さんと子ども、子ども同士が良く遊んでいます。
走り回ったりして遊んでいる子どものマスク率は、
体感で8割くらいですかね〜。
走り回るくらいの健康程度の子どもだと、それほど負担にはなっていないのかな、とは思います。
>その意志表示が先ずあってこそ
原則そうだとは思うのですが、
例えばマスクではなく薬に関して、
子どもの意思表示を優先するのか。
未成年者への親の判断を優先するのか。
と考えてみると、方針は結局各家庭で決めるしかないよなぁ、
という気はします。
マスク(とコロナ)の害をどの程度見積もるかによって、変わって来そうです。
ちなみに、minoruさんは子どもさんが『薬飲んでみたい』と言って来たらどのように対応されますか。
マスクと薬は僕の中では結構同列なのですが
(同調圧力の有無は異なりますね)、
また別の見方だったり、お聞きしたいです。
時間の有るときにでもよろしくです〜。
-
教えてください
いつも拝見しています
初めて投稿します。東方之光所属しています。
36年生まれさんは、熱海に学べと言われてますが
どんな学びのことですか?
よろしくお願いします。
-
オマル
マルの丁寧語ということなのか、結構重要な道具で、一般にオシメのとれた子供の用足しの時に使う。
数年前に日本に行った時に、尿漏れが大きな問題と知った。実際看護の一番大変なことは、シモの世話で、苦労されている方は多いと思う。
身近なことなので、笑い事ではなく、そういうことを体験した幾人かにどうだったかを聞いてみたこともあるけれど、お世話も大変、お世話される方も大変。
マルに御をつけるというくらい、重要事なのだ。
-
メシヤとお呼びしなさい
世界救世教いづのめ教団 永峰先生が 、ご存命中におっしゃっていたのが、
私が 明主様の「御尊影」 と、言った時 、
先生は 君、それは違いますよ。「御尊影」ではなく、『 御神影』 であるのです。
とおっしゃっていました 。( 近い将来これが御神体になる)
また
信者に、メシヤを説明するときに
上空から金粉が降ってきた体験を
話されていました 。
もう今メシヤ様となられているので、
メシヤ様と、お呼びしなければ、
いけない。とおっしゃっていました。
当時 教団は メシヤ様とお呼びするのか 、当たり前のようになっていましたが 、いつのまにか今また明主様に戻っています。
明主は、明るい、日と、月、
火と 水のお働きの 名称で、 夜から昼に移行する 途中の 名称、 メシヤとは、 昼の世界の名称。
??今は、昼の世界だから メシヤ様とお呼びするのが本当であると、言われてました。
今離脱教団ではまだ 明主様の御神格までは 解説ありますが 、メシヤとなられた 今の 解説が、ありません。
メシヤ講座のようなものはありません。
永峰先生の晩年の勉強会では、
主にメシヤ講座 でありました 。
メシヤと言う 存在が 、教団でも理解できていない。
だから明主様とお呼びしている。
◆
これは『私の名称について』の御論文からです。
( 前略 )『私が信者に対して時々いう弟子の言葉について色々心理的に書かれたが、これも面白いと思ったので少し書いてみるが、 私は現在は光明如来の働きを主にしておるので、(中略)以前は大先生と呼ばれて ことがあったが、その時は観世音菩薩という?菩薩行?であったからそれでよかったが、 如来となってから 、明主の何したのである。(中略 )
※(如来とは菩薩の一つ上の仏の位になる。 観音様より一つ上になる。)
そして神様は私の霊的地位や仕事の関係などから、そうをした名前をおつけになるので、今後といえども名前が変わるかもしれないし、変わらないかもしれないと思うが、 考えてみると明主の言霊はメシヤと五十歩百歩だから、
あるいは?メシヤ?の名前になるかもしれないと思っている。』(昭和26年9月12日)
・(神慈秀明会でも 明主様ありがとうございますではなく、 メシヤ様ありがとうございますと なったら感激です 。すみません勝手なこと言って、)
-
yuno様
自分を知るという題材に対しては、何かを介して自分を見るとよく分かるという持論です。
これは2005年当時の出来事ですが、それより10年以上も前の川合会長の「神仙郷研修」につづく「瑞雲郷研修」を基にして
交流を機に「聖地と自分」というテーマで学んでいた時期ですので、聖地を介してと云ってもただ身を置くことではなく、
聖地がどのように自分の人生に関わり、明主様に導かれているのかを実感できるのかという広く長い目線でのテーマでもありました。
https://ameblo.jp/youga-718/entry-12268418202.html
それは神仙郷完成時の「左進右退的リズムの大渦巻によってもたらされる空前の大変化」という教えをどう感じ取れ、
個人々々がひな型としての意識が高まっているかを確認しながら建設を進めて行くものと考えている一人です。
※36年生まれではありません。ミロス島からいただきました。
-
メシヤの学び
これは元楳木氏のメシヤ教の 書かれていたものから 引用したのもあるんですが 、楳木メシヤ教はサイトは今、残っているんでしょうか。
私は詳しくは見てないので、分からないのですが、
学ぶところが書かれているのではと思っていますが、
そこでそれも 兼ねて 、永峰先生から 学んだことを 添え、 紹介させていただきます。
◆
※教祖 をメシヤと確信し、存在を認識するとメシヤと自分を繋ぐ霊線が太くなる。
(み教え)
『 今まで何億という人類が拝んできたキリスト、釈迦を私が助けたというのですから(中略)それをこれだというところまで行けば、魂がすっかり固まったのですから、
そうするとそれによって※その人の力が強くなるのです 。』(み教え集、33号??昭和29年4月12日)
明主様をメシヤと確信する想念と 言霊(ことたま)でお力と、お働きが違ってくる。明主様はメシヤ様になられた。
-
(無題)
>それほど負担にはなっていないのかな、とは思います。
私もそのように思います。
もう、慣れてしまって大人以上に普通になっているのでしょうね。
主に外出時にマスクをして帰宅時に外すというパターンが一般的だと思うのですが、マスクをする事による害もありますが、それと同時に、しているマスクを外した時の害も考えますね。
外出中は運動量も多いので多量に酸素を必要とする訳なのにマスクをして負荷をかける反面、帰宅後は運動量が減るのにも関わらず、マスクを外してその負荷を取り除いてしまうという行為を毎日繰り返すという事に懸念を感じます。
つまり、体の酸化とそれに対応する抗酸化作用とのバランスに大きな支障をきたすのではないかと思うのです。
もちろん、それと同時に日常的に化学物質等の摂取をしている場合が多い訳ですから複合的な影響がありそうですね。
>子どもさんが『薬飲んでみたい』と言って来たらどのように対応されますか。
とりあえずは飲んでみたい理由を聞きますね。
それで、どうしても興味本位で飲んでみたいという事であれば、
「飲んでみたらいいんじゃない。どう感じるかな。」と返しますね。
まあ、自身で試みてこそ気付く事もありますし、その方が肚に落ちますからね。
-
渋井文書から、2
この本は 以前から知っていましたが、どうしても皆様は公にされなかった。
それは個人名が書いてあること、内容が生々しいこと 、それで控えられたと思いました。
私は関心がなかったので、時は過ぎました。
今回友人から送られた 、メールの 本の写真 添付で、
そこから読み出しているので、読めないところが、2行ぐらいありました、
分かる範囲で、 これは貴重で検証になると思い、離脱教団も知るべき内容だと思います。( 一部抜粋から)
◆
「天国会が 財政 を握る、神様を押し込めるようで教団が豊になるはずがない。
( 当時 教団の 管 長 をされていた人物の、亡くなる様を書かれた。)
(ここからは2行読めません、 あまりにも生々しいので少し手を加えました)
訴え、手足をベッドに四隅に縛られ、 下の処理もできず、??瀕死されていたのである。
これは、私(渋井総斎の息子)が見舞いに行くと言ったら、あまりに 悲惨で気の毒な状態だから、 止められた方が良いと 同氏の面倒を見ておられた H川 氏から言われた 。
脳軟化症にかかり、痴呆症になり 、ヘルパーなどから下の処理をしてもらっていたそうである 。
そのうち来てくださる方もなくなり 、
また元 管 長は、 大柄の方であり 、奥様 の力からでは如何にする事もできず 、 その間 下の処理はできず 暴れ回るので手足を縛らざるを得ない状態になったとのことである。」
( 教団が 法難 の後 、天国会と三五六(みろく)会と、一つになり 水面上では、大変にめでたい。 世界メシヤ教の誕生になるのですから、
しかし水面下では 財政が逼迫(ひつぱく)していた教団が 、みろく会の 豊富な資金源を 天国会が、散財したと書かれています。)
-
渋井文書から、3
渋井文書を読んで思うのは、 みろく会と相反する天国会の木原先生は中島先生の後を継ぎ 理事長の立場で、 天国会 主動の教団運営をされ、 みろく会の 資産 、不動産を 売却し、自己保身に繋がったと、
そして明主様 御昇天 後、 二代様と乖離 (かいり)、教団 離脱して九州へ 、そして後に 明主教(新健康協会 )設立、その後、不意なる事故
(床屋で背もたれが壊れ、頭を打って亡くなる)と、書いてあります。
これは 管 長も理事長も同じく、 天罰が当たった と、とれる天国会??批判の内容だと思いました。しかし、
私は木原先生 の捉え方で見たら、どうなのだろうと考えました 。
◆
これは「教長様お導き集」
(第1集、昭和30年3月21日)まだ世界救世教から離脱される前の ご講話からです。
(前略) 御昇天になる少し前までに、全国を回りまして、幹部から会長、資格者全部に、私はこうすべきだということを、述べ伝えたのです 。
全部の幹部が「どうぞよろしくお願いします」と言ったのが、今は 体主霊従 になりきったようにしています。
実に九分九厘と 一厘といいますが、 今 彼らが私に対する批評批判は
※あまりに厳格すぎるとか、一本気だとかで、道理に合わないのです。 神様は道理の上にお立ちになる。
それからこれは根本からお話ししておかないと、分からないのですが、 御昇天遊ばした次の日の11日です 。
今度は「奥様を二代様としてやっていこう。明主様はかねがね、そうした事を、おっしゃっていた」と松井(顧問)という男が私に言った。
明主様はそんな事を絶対に言われる訳がない。それなら御神書から作り直さなければ、ならない事になるのです。
ただあと体的に上手くやろうとする気持ちが、そういう事になる。しかし今のところそうするより他にないだろうと言ったのです。
-
渋井文書から、4
当時 昭和26年(1951) 法 難( 昭和25年5月) 後で 信者の2/3が脱落した現場で 戦後6年を経たとはいえ 経済的に 苦しい生活をしている信者 が多かった。
この頃 の事を、明主様の下で50年ご奉仕された「金子久平」という方が書かれた本があり、
そのなかで 当時「渋井文書」が書かれた頃でしょうか 、みろく会と天国会が、一つになり世界メシヤ教となった時 の教団の 台所事情 が少し 垣間見えます。
「明主様に仕えて五十年」( 平成元年2月発行)から
◆
《私の退職金》
( 50年のご奉仕から退職の報告をされた後)
「 感極まって泣きました私を見ていた明主様は、『金(カネ)さん、退職金があるだろうから、教団に言って、大草さんに話をしてみなさい。』と、お言葉をくださいました。
教団に行き 大草管長に明主様のお言葉を告げますと、経理 部長 の早川さんを呼んで、 明主様のお言葉を管長に話しました。
早川さんは計算をして、何やら奥で管長と話をしておりましたが出てきて、
「金さんに差し上げる退職金は70万円ありますが 、ご法難の時あなたには偉い弁護士さんを大勢つけたので、その弁護士さんの支払いを全部計算すると、70万でも足りないので、一銭 もあげる事はできません」
との返事でした。
早速 明主様にその旨(むね)を申し上げました。
黙ってお聞きになっておられましたが一言 『そんなことがあって良いのかね』と仰しゃいました。
明主様 から
『 仕方がない、それであんたが聖地造営で使用したトラックを1台あげるから、教団に言って持って行きなさい。』とのお言葉をいただきました 。
このトラックは特注でボディを作らせたので頑丈で、立派なトヨタのトラックでした。当時の金で200万円くらいと記憶しております 。
教団に行き 早川政知さんに、 明主様のお言葉を告げると 、台 帳を見て減価償却をすると、 12万7000円になりますので、その金額で領収書を書いてくださいと言われました。
結局 教団から12万7000円を頂だく事になりました。
◆
( そしてそのトラックが38万円で売れて、 それで土地を18万円で購入され、その土地が 条件が良いということで、100万円で購入の申し出があり、その方から 家と土地を横浜に立ててもらう、 御守護 が続いたとあります 。
明主様が 法難後 大変な 状況で、 教団と明主様を分けて 、教団運営は信者に任せられ、明主様にご迷惑がかからないような、形を取られた。
この時の明主様に金さんが、退職金が出ないとお伝えすると、『そんなことがあっていいのかね。』
と他人事みたいに、
言われたのが 、町のご隠居(いんきよ)みたいで、面白いと思いました。)
そこで この頃、みろく会の 資産運用( 不動産売却)を、天国会の人達が中心となってしたと 、渋井文書に書かれているのですかね。
-
(無題)
>しているマスクを外した時の害も考えますね。
マスクをする多数派と、マスクをしない少数派。
マスクをした時の害を考える多数派と、マスクを外したときの害を考える少数派。
いじめられた経験と、いじめた経験。
大乗と小乗。
実際の僕の考えとしては、
薬を飲まない害 <<< 薬を飲む害 と同様に、
マスクを外したときの害 <<< マスクをした時の害
であり、
明主様信仰においては多数派っぽいですが、
例えば信者で『薬を飲まない害やマスクを外したときの害』を語る人をレベルが低いように見なすとしたら、それは
マスクをしている人がしていない人をレベルが低いように見なすことと同じだな、と思いました。
愛は与えてこそ、与えられる。
人の考えを尊重してこそ、尊重される。
まさに鏡合わせ。
>それで、どうしても興味本位で飲んでみたいという事であれば、
「飲んでみたらいいんじゃない。どう感じるかな。」と返しますね。
>>『薬飲んでみたい』
という僕の表現が良くなかったです。
興味本位でなく、病気治しのために必要を感じての場合、をお聞きしたかったです。
多分、しっかり子どもさんと向き合って話し合われるのでしょう。
後は、親子間の信頼関係に応じた結果になるんだろうな、と思います(だいぶ端折った笑)。
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渋井文書から5
「渋井文書」は本を写真で、 メール にして送ってきているので、読みづらいところがあり、 しかし内容は伝わりますので 、分かる所をお届けします。
(前回の続き )
「その法難後は 管長には、O草氏が承認され、また中島氏の帰霊の後継者として .光宝教会の木原義彦氏が理事長に就任され、教団内の実権を握(にぎ)り、 宣教方面を司った 。
そして 長い間 、専従者や、信徒に培われた、みろく会の 思想が、今度は正反対と思われる中島氏の 天国会 支配に変わっていくのである。」
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メイシって誰のことやろう?
まあ皆さんも、お気づきのことだろうけれど、メイシ様としか言わない方がいる。
メイシと聞かれれて育ったのだろう。
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つまる
試験の時、記憶の悪い私は当時ソプアピと覚えた人の名。ギリシャの賢人ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ピタゴラス。
そんなことから、言葉や名前が思い出せない時は、あいうえおからずっと引き出しを探していく。
それでまるなのだけれど、まるって○もあるという感じで、余る、イマル・・・さんまさんの娘とか、埋まる、えまる、オマル・・・という感じでわ行まで行く。
さまる、閉まる、すまる、迫る、染まる、たまる、ちまる、つまるときてふと思う。つまるで躓くのは、天津祝詞の冒頭、かんヅマリます。かむなのかかみなのかの次につまる。つまります。
つまるのかツマラナイのかと・・・。しかし、集まるなのだから大和言葉意味ふかし。
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(無題)
郡司さんの頃の駄菓子屋さん、たまえちゃん。
当時ギザギザ十円で買えた、ラムネとか、甘納豆(紙袋入り)、チロルチョコ・・・。
それで霜霜のアイスのところにあったメロンシャーベット。
あの頃浄霊は教会制度で、お光さんの呼び名もあった。
顔色の悪い男性が、浄霊で救われたという15年後には、いつもその人らと布教所で御神体護持の宿泊奉仕。
なんなんやろう、この仕える、捧げるという気持ち。また人とのつながり。
信者さんは男性が多かったように思う。我が家も父が浄霊にぞっこんだった。
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渋井本の始まり
嘉丸当時の専務が局違いの私に触れたのは、食だったのかもしれない。
それから、渋井本の資料の中のテープおこしを数本頼まれる。そして本に載っている多くの写真を預かってくれと言われ、預かっていた。
ダンボールの箱に入った一杯の写真や資料の中身も、私には何の興味もなかった時代。
そんな渋井資料を受け継いでいる方は存在するわけだ。
そもそも渋井文書を本にした方も存在するはずで、それはA氏ではないかと推測されている。
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渋井 好き?嫌い?
確か秀明は渋井嫌い派だという印象を持ったことがある。
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23年生まれ
ウララ〜ウララ〜春麗。
浄霊はウララ〜ウララ〜裏メシヤだね。
23年生まれでピンとくる人は教団歴史のツウで、その年の10月の30日に観音教団から五六七会が別れ、独立した。
そういう点が偶然に存在するのか、点をつなげれば、今、五六七ミロクが消えて行っているのではないかと感じる。
まあ、渋井と五六七会という視点より、結構渋井傘下を厭うということになって行った方々が多いのだけれどね。
それは伝られるユダがイエスを知らないと言ったことに似てるのじゃあないかな。
メシアにしたけれど、メシア様と言わない不思議さ。
気をつかってか、メイシ様というようになっている人もいるし・・・。
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秀明とみろく会
ここで神慈秀明会で 書かれてあるのは、
◆
御面会(参拝)は日を決めてグループごとに許されていた時に、会主様は明主様より
『あなたは都合のいい時に、来れば良い。』とのお言葉を頂かれ、
大勢の病人をお救い頂きたいという御一念で、何度も御面会をお許し頂かれました 。
不思議と入手しにくい切符を買うことができ 、明主様にお喜び頂だく献上品もなんとか 調 えられ、満員列車で、身動きならず立ちっぱなしという、ご苦労はありましたが、
大勢の方をお救い頂くために重ねて、お出かけになられました。
やがて会主様のひたむきな信仰と、お人柄を慕いし、会主様のもとに明主様信 仰一筋につながる人々が、次々に集まって参りました。
明主様は昭和23年「日本観音教団」を創立をなさり、 宗教 活動をお始めになられました。
直弟子であられる会主様は教団組織の一員として、
やむなく※「五六七(みろく)会」に所属する事になりました。
昭和25年当時、秀明教会は信者数 約1000名と小規模でしたが、会主様は 入信 当初から、明主様に特別にお目をかけて頂かれ、
明主様のお屋敷への出入りや、宿泊が許され、また明主様より直々の御浄霊を頂だけるのは、五本の指にも満たない時に、会主様はご参拝のたびに、毎回賜るなど特別の御慈悲を頂かれました 。
(神慈秀明会「神意の離脱」から)
◆( ここで「みろく会 」と書いてあり ますね。 渋井先生を、お嫌いかは分かりません、
そういう事には 目を向けられない。
明主様だけ ご覧になられ、周りの 争いは、 関わらない 。あえて、ご覧になっていなかった。
また、「 あなた達は いったい 何をやっているのか、明主 様に申し訳ない」と、 冷めた目でご覧になったと 私は 思います。)( 小山先生は 人を悪く 言われない、ご性格で、 明主様から御浄霊 頂いている時に、ご質問頂だいた時、幹部の不始末をあえて 、
黙っておかれ、そこを明主様から ご注意を頂いたと 書かれていましたが、
離脱した時も 世界救世教 を悪くは、仰しゃっていません。 浄霊をすれば分かると 一言だけでした。
彼等が幹部やった行為に対しては 後に、説明はされてました。)
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渋井文書から、7
「法難後は 教団の運営を改定し、管長に、新たに天国会から O草氏が 承認された 。
また、中島氏の帰幽後の 後継者として 光宝教会の 木原 義彦氏が、 理事長に承認され 、 教団内の 実権を 握り 宣教面を司った。
そして長い間 専従や信徒が培った、みろく会の思想が、 今度は正反対の 天国会、 中島 氏の 思想 支配へと、 変わって行くのである。
私はO草氏の 教団での実態の能力は詳しく知らないが、 法難後 の教団は財政的には 大変苦しい状態であった。
そこで合併して みろく会から引き継いだ 資産を次々と売却して、 教団を維持していたと聞いている。」
◆
※( これは先ほど投稿しました、金子先生が 教団から引退される時、「 退職金はない」とO草管長から言われる。それを見てもよく分かります。)
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(無題)
>>しているマスクを外した時の害も考えますね。
まあ、これはあくまでも、マスクをする生活習慣において予想できる、余剰な活性酸素の発生と自律神経の働きについて憂慮する点を書きました。
つまり、感染予防策としてマスクの着用を選択した場合、着用時の害と外した時の害が一人の人間において両方混在する可能性があるのではないか、という話でした。
もちろん、初めからマスクをしなければ、この点の憂慮は必要ないと思います。
ですから、その後の白ぽっちさんの話の展開はとても面白く感じましたよ。
良い意味で。
>興味本位でなく、病気治しのために必要を感じての場合、をお聞きしたかったです。
この場合においても同じように言いますね。
息子は臭いや味で察知する能力が非常に高いですから、飲もうと思って口に含んでも、おそらく吐き出すと思います。
まあ、仮に飲めたとしても浄化力が高いですから、即、体の不調として数倍返しで現れるでしょうね。
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ファイザー社元副社長が懸念する「ワクチンシステムを使用した全体主義化と大虐殺の時代の到来」の渦中にいる私たち
ファイザー元副社長が語るワクチンによる大虐殺と全体主義社会。
最後に解決には神様しかないとの話に驚きでした。
我々はワクチン打たないでしょうけど非常に考えさせられます。
https://indeep.jp/era-of-new-nazism-and-genocide-by-the-vaccine-system-has-arrived/
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コロナが567
コロナはコーヴィッド19と言われ、コーベと聞こえる。コーベとは神戸、また567と表せられるのは興味ふかい。
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ワクチン 接種
ごうさんの紹介サイトを開いたら、 ファイザー元副社長の話と、それに関することがあって 、猫のコロナ、ウイルスワクチン (ワクチン試験が失敗し続けて、製造開発中止 )の場合、2年後までにワクチン接種後、全ての猫が死亡したそうです。
そして、 これから 私たちが 摂取しようとしている ワクチンも 中和抗体維持のため 、 インフルエンザのように 、毎年ワクチンを受け続ける 可能性があると書いて ありました。
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渋井文書から、8
(続 き)
「五六七(みろく)会の資産を次々売却して、 教団運営を維持していたと聞いている。
当時、五六七会が 教団側に引き渡した 資産は、莫大なものであり、 その中には絶対に手に入らないような 不動産 や、一般高等学校の経営 、
その学校に付随する不動産 、 また将来 教団施設を作る為の数 万坪に及ぶ不動産など、 素晴らしい物件が数多くあったが 次々と売却して行った 。
そして木原氏は全国を巡り、渋井の 教導は、 間違っていた これは悪人である。と 言い続けて行った 。
そして また特に父(渋井総斎)が、 尊 酔 していた、大黒様を 祀る事を禁止し 、これは本 教とは 関係ない 渋井の個人的信仰であると して 、
大黒様を 全部 片付けさせた。
しかも 信者さんがお祀りしていた大黒様を 、明主様の御入霊、御開眼、御神体である にもかかわらず、
一説には父は大黒様の 再来とも 、その働きとも言われていたが、
そのような事に一層の憎しみがあったのか 、大黒様を父と同じように目の敵と した。
天国会が財宝を 握る 、神様を押し込める ようでは教団が豊かになる筈(はず)がない。」
◆ ここまでの経緯は分かりませんが、かなり 具体的に書かれてます。
これだけ読んだら天国会 、中島一派、 今の世界救世教、東方之光教団です。
また神慈秀明会が 離脱の要因を作った人物も天国会ですね。
私は新健康協会、木原先生の 本を読んで、また教団の会員たちの振る舞い。
純粋なる、自然農法 、御浄霊の 仕方、
教団の御尊影を 御神体として 奉(たてまつ)る姿、 み教えに、即した、会長講話を聞いて
そして 明主様が 入霊された 、 大黒様は お祀りしてあるので、 これらを見たら 、また捉え方が変わってくるんです。
これを知らなかったら、なんと悪い団体かと思いますが。 教団運営は明主様は 遠くからご覧になっていたんでしょうか。
私は どこか行き違いが あったと 捉えているんですがそれが何なのか、
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(無題)
>感染予防策としてマスクの着用を選択した場合、着用時の害と外した時の害が一人の人間において両方混在する可能性があるのではないか
考え方、了解です。
両方混在するという概念が、大乗小乗に繋がるように思います。
まあ僕は善悪二元論教団での経験から、
混在という概念が大事だと思うようになりました。
>息子は臭いや味で察知する能力が非常に高い
信仰2世は敏感な人多いかもですね。
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(無題)
>両方混在するという概念が、大乗小乗に繋がるように思います。
なるほど、そうなりますか。
少し話を戻しますが、
>いじめられた経験と、いじめた経験。
どちらが大乗で、どちらが小乗と考えられるのでしょうか。
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流行りのリモート
T君浮上。
ここの掲示板、結構影響してる。
さて明主様と言うか、メイシ様のままか、メシヤ様、もしくはメシア様というか次回の注目点はそれだ!
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メイシの根拠
想像の世界です。
メイシと聞かされて育ったのだろう。
名刺。名士。名詞。明氏。目医師。目石・・・。
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使用禁止の言葉・・・
支那の夜〜って白人女性が歌っていて、私はなぜか、支那って言葉は使っていけないよと話してあげたことがある。かれこれ25年も前の話。
この頃会話で困るのは、彼とか彼女とかがダメらしい。アメリカでの話なのだけれど、もう会話にならない。ヒーもシーもダメなのだ。
以前独身とか既婚とかの区別でミス、ミセスがミズになった。
岡田茂吉全集も結構差別が問題となった。
人に対してユーアークレイジーと言えないけれど、そういうことはクレイジーだと言える。
お前は邪神だと言えないけれど、何かが邪神的なとか言える。
例のシー キュウカムバーも聞き違いで大変な誤解を受ける。
言葉と言うか、実際副守護神にとって我々はただの操り人形なのだ。棒が頭にまで登って仕舞えば、人間など、獣に等しくなる。
お前ら人間じゃねえ・・・と破れがさも人間じゃあなくなる。獅子丸がライオン丸になるのもあの頃はまかり通った。
赤穂浪士も明主様はお嫌い。りんごもお嫌いというのを吹聴すると、昼行灯が出てくるんだろうなあ。
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カリフォルニア ドリーム
サーカスが、あなたからの エアメールと歌ってた頃、結構アメリカが良い国なので、観光に来てた日本人が多かった。
今は、まさかロサンゼルスとかに観光に来るというのは減ったと思う。
来て来て来てサンタモニカ〜っていう歌もあった。確かにあの頃はまだ魅力はあったのかもしれない。
ここ最近サンタモニカから見るロサンゼルスの空、黒っぽい灰色。
これが地球温暖化対策に打たれた手なのだという。この景色は新しい。毎日見ることのできる景色です。これだけの灰色だと、普通は雨ということながら、今季の雨は早々に切り上がって、3月にはもう雨季終了。
この空見て心配なのは、パサディナにある秀明会。立地的に空気が澱むところ。
他人事なのだけれど・・・。
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このまま進んでいって良いのか
食に目覚めたのはTさんの一言、浄霊の人がそんな物(一番ラーメン)を食べていてはいけない!ということからでした。
当初貧しい遊学生。しかし、それからなるべくそんな物を食べるのはやめて、しばらくは玄米食の五穀とか雑穀ご飯にしてまして、結果結構無農薬という感じになっていく。完璧ではないのですが、できる限りという感じ。
ただ飲料水は特別なもので、一般は手を出さない高価なトリニティ水です。
アルカリ度9以上の地下3、4キロから湧き出る1万6千年前の水。
まるでナウシカの地下500メルテからくみ上げている水のように、その水では有毒ガスを出す植物も毒を出さないという感じ。
三代教主様がそのアニメを推奨されたので、ということでもないですが、数百回は観たといっても嘘じゃあない。毎日見てました。
世界終末時計が終焉まであと2分という。
まあいいか・・・。
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渋井文書から、10
世界救世教の今日までの混乱した 流れは、 世界メシヤ教誕生の水面下から発生していた。
この渋井総斎の本を読んだら 見えてきますが、 明主様はもちろんこれをご存知であったと思われます。
しかし、 これをどのように捉えておられたのか。
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(無題)
1番さん
この御教えに全て書かれてあるように思います。
裁く勿れ
『栄光』208号、昭和28(1953)年5月13日発行
私はいつも信者にいっている事だが、アノ人は善だとか悪だとか、御邪魔になるとかならないとかいっている人もあるようだが、そういう人がまだ少しでもあるのは充分教えが徹底していない訳である。そうして度々言う通り、人の善悪を云々(うんぬん)するのは、徹頭徹尾神様の地位を冒す訳で、大いに間違っているから充分慎んで貰いたいのである。それはもちろん人間の分際として人の善悪などいささかも分るはずもないからで分るように思うのは全く知らず識らずの内に慢心峠に上っているからである。従ってこういう人こそ、実は信仰の門口(かどぐち)にも入っていない証拠である。また御経綸にしても人間の頭で分るような、そんな浅いものではないので、この点も大いに心得ねばならないのである。何しろ三千世界を救うというような、昔からまだないドエライ仕組なんだから、余程大きな肚(はら)にならなければ、見当など付くはずはない。つまり小乗信仰の眼では、節穴(ふしあな)から天井を覗(のぞ)くようなものである。
私は耳にタコの出来る程、小乗信仰では不可(いけ)ない。大乗信仰でなければ、神様の御心は分るはずはないといっているが、どうも難しいとみえて、間違った人がまだあるのは困ったものである。ところが世間一般を見ても分る通り、あらゆる面が小乗的であり、特に日本はそれがはなはだしいようである。信仰団体なども内部的に派閥を立て、勢力争いなどの醜態は時々新聞を賑わしているし、その他、政党政派、官庁、会社等の内部にしても、御多分に洩(も)れない有様で、これらも能率や事業の発展に、悪影響を及ぼすのはもちろんである。もっともそういう間違った世の中であればこそ、神様は立直しをなさるのである。そうしてこれらの根本を検討してみると、ことごとく小乗なるがためであるから、どうしても大乗主義でなくては、到底明朗おおらかな社会は、実現するはずはないのである。
それだのに何ぞや、本教信者でありながら、世間並の小乗的考え方がまだ幾分でも残っているとしたら早く気がつき、頭を切替えて、本当の救世教信者になって貰いたいのである。そうでないと段々浄化が強くなるにつれて、神様の審判も厳しくなるから、いよいよとなって臍(ほぞ)を噛んでも追っつかないから、改心するなら今の内と言いたいのである。大本教の御筆先に“慢心と取違いは大怪我の因であるぞよ”という言葉が、繰返し繰返し出ているが、全くその通りである。またキリストの“汝人を裁くなかれ”の一句も同様である。要するに人の善悪よりも自分の善悪を裁く事で、他人の事などは無関心でいる方が本当である。
ところがまだ驚く事は、アノ人は余り感心しない事をしているのに、明主様はお気が付かれないのか、イヤ御気が付かれても、御慈悲で御見逃しになられているのか、あるいは仰言(おっしゃ)り難いのでそのままにしておかれるのではないか、もしそうだとすれば、吾々が明主様に成り代って、警告を与えなければならないと思うのだろうが、これが大変な誤りで、私としては反って不快である。というのは私はそんな甘ちゃんに見られているのかと思うからである。考えてもみるがいい、仮にそうだとしたら世界人類を救い、悪魔の巨頭と闘って勝つというような、すばらしい事など出来る訳がないではないか、ゆえにこういう御親切な人達こそ、私からみれば大甘ちゃんどころか、赤ん坊としか見えないのである。以前私がかいた“甘くない者を甘く見る甘さ”である。
そうして信者は知らるる通り、現在どんな人間でも、毒素のない者は一人もない。これは体的だが霊的にみても同様、欠点のない者は一人もないので、それだからこそ神様は浄化によって救われるのである。また“馬鹿野郎よく考えりゃ俺の事”の名句の通り“甘い奴よく考えりゃ俺の事”でもある。ついでだから今一つの事をかいてみるが、私は誰の心の中でも必要だけはチャンと分っている。ただそれを口へ出さないだけで、そのため明主様は御存知ないのだろうと心配するが、私としては百も承知で、ただ黙して神様にお委(まか)せしているのである。というのはどうしても見込のない人は、神様は撮(つま)み出すか、悪質な人は命まで召上げて解決されるのであって、今までもそういう人も何人かあったので、古い人はよく知っているはずである。右のように万事神様にお委せしている私は、いつも気楽なもので心中春風のごとしである。そうして私からみれば、世の中の人のほとんどは甘ちゃんばかりといっていい。世界的英雄にしても、日本の偉方にしても、はなはだお気の毒だが、お人好しの坊っちゃんと思っている。その中でも最も甘ちゃんは悪人である。面白いのは彼(か)の踊る宗教の北村教祖は、人の顔さえ見りゃ蛆虫というが、言い方は野卑(やひ)だが、本当だと私は思っている。話は大分横道へ外れたから、この辺で筆を擱(お)く事とする。
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(無題)
>>いじめられた経験と、いじめた経験。
>どちらが大乗で、どちらが小乗と考えられるのでしょうか。
という分類をしたいのではなく、
これらが別々のものである、という意識があれば
その考え方は小乗⇒善悪区別につながり、
表裏一体のものである、という意識があれば
その考え方は大乗⇒善悪無差別につながる、
と言いたかったのです。
主観≒小乗
客観≒大乗
とも言えます。
小乗は具体的方策を採る時に必要。
大乗は大きな方向性を定めるときに必要。
今のところこんな考えですね。
>支那って言葉は使っていけないよ
有る歴史の本では、
chinaの日本読みが単純にシナだから、
元々特に悪意有る読み方ではない、
という話もありますね。
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ありがとうございます。
勉強中さんありがとうございます 。白ポッチさんも、何かヒントになると思います。 今仕事中で、あとからまたゆっくり読ませていただきます。
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進学、就職
進学にあたっては、イジメッ子も、イジメられっ子も両方ダメ。
問題を起こされたら困る学校は、イジメ自体に関係のない子がほしいわけだ。
霊的にいえば、イジメの霊界にいないということが大事なんだろうな。
おそらく就職だって同じだと思う。
会社は、レピュテーションリスクを排除したいわけだ。
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勉強中さん
覚りの境地の明主様ですから 、
ご隠居みたいに他人事みたいに、 高見からご覧になっていますから 、
良くも悪くも、神様がされているを、 おっしゃってます 。
私は明主様が二代を決めておられたと教団が言っている が、そうじゃないと木原先生は、おっしゃっています。
私は 明主様は全ておまかせされていて、一切おっしゃっていないのでは、ないかと 捉えているんですが、
そしてその後のゴタゴタも、全て神様がされていることで意味がある。経綸と、全て 腹の中に収めておられると思います。
基本的には 人を裁かず 、いづのめ の境地 、 偏らない 人間 になれ。 おっしゃっているようで。 本当にこれは難しいと思いますが 。
しかし 先では皆がまとまって 、地上天国が 完成している 設計図がある。
その前に大きな 立て分け 裁きがあって、 そしてその 検証が 今ではないかと思うんですが。
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渋井文書の意図はどっち?
渋井文書がなぜ著されたのか。
目的は、天国会を貶めることか。
あるいは、
渋井氏を卑しめることにあるのか?
理由を書こうと思ったが、もう眠い。
明日にしよっと。
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(無題)
作者は実の息子さんであり、内容から見ても自分の父を見下したり軽蔑したりとは思えないですが・・。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001487M.jpg
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壊れた
ブラジル青年参拝団と北海道定山渓に行った。
といえば・・・青年大会参拝の時だったのだろうけれど・・・北海道に参拝団連れて行ったのだから、さすが国際局、豪勢だった。
確か浄霊の漫画を描いた、小沢悟氏のところへ行った記憶が蘇ってきた。そこでブラジルのフェジョンとかシラスコとかのご馳走をみんなで食べて、定山渓温泉に行ったりもした。
疲れを温泉で癒していると、ブラジルの若者が入ってきた。
そして何っと!
3倍くらいあった。
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浄霊コワイ
思い出をたどってみれば、それは初めての浄霊訪問体験で、とある布教所青年の活動に参加させていただいたものだった。
割り当てでこの人のところへ浄霊訪問という形で、そこの先輩青年に連れられていく。連絡が取れていないとか、サプライズ訪問的で、結局夕方5時ごろに一軒だけ訪問できた。
まあその方の素性とか中坊の私は知らない。割り当ての訪問。
訪問先は20代の女性で、先輩青年でも知っている方のような感じではなかった。浄霊に来ましたということで、中に入れてもらって、正座して待っていると、彼女はこれから仕事に行くということで、お化粧とか、着替えとかの合間の浄霊のようだった。
それを目の当たりにしてた先輩の方の様子だけを中坊の私は見てる。
浄霊はコワイという洗礼。
饅頭コワイというオチになる・・・ウララ〜!
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(無題)
>小乗は具体的方策を採る時に必要。
>大乗は大きな方向性を定めるときに必要。
私もそのように思います。
それから、大乗の善は小乗の悪であり、小乗の善は大乗の悪であると明主様は仰っていますから、初めの一歩をどの様に具体的に踏み出すのか、が大事なのでしょうね。
そしてその大乗と小乗との調和が取れた時が弥勒の世なのかもしれません。
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オルガン
内臓という意味。
この頃の肉食、貧しい頃、地元ではセンマイとして、表には出ない安い内臓だったけれど、やはりそういう仕事が回ってくるのはそれに慣れた方々だった。
実際食べ物を無駄にしないということもあるけれど、現在ではごく普通にそういう部類も食してる。
熱海にいた頃は、駅を下っていくと、焼肉屋があって、機会ある時にはみんなで行った。
そこでは牛タン目的。
いくどかいくうちに、私はもう食べられなくなった。みんなは美味いというけれど、匂いが鼻に付き出すと、もうダメだった。
飽食という言葉は過去へ。
霊気という食のことなど、世間は関係ない。そんな世間に関わっていてもしょうがない。
それが答え。
まあくだらないオチなんだけれど、オルガンの言葉遊びをいつものようにする。
アルガン、イルガン、ウル、エル、オル、カル、キル、クル、ケル、コル・・・。最後のヲまでの中で、我がホームタウンでは、ら行を除けばほとんど普通に使う言葉。これを伝えたいがためだけに・・・。
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月 雪 花 人の情
スバルという星群。7つの星を数えることができれば、目が良いという。
いつの頃からか、月がピンクになるようになったのを、不吉なオーメンと見た。
雪・・・。
花。
人の情で、心を動かされることがなくなった。
そもそもソーシャルディスタンスという人との距離というものは、人の情を失わせていくものだ。
567は強制的にそれを強要してるのだけれど、言い換えれば567によってその状態を強要されているのだけれど、実は私たちはそれを選択、受け入れてる。
渋井文書の暴露てきなところが、それほど気にならない。そんなこと伝えたい重要な部分とは思えない。
ただ我々は最高を失ったのだ。
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