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明主様
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御帰天
「昭和29年4月半ばよりという事は、4月11日の当時 、秀明教会に親しくお越し頂けたのですから、つまりお帰りになって、間もなくという事になるのですが 、
明主様は御浄化に、お入りになられたのでございます。
その後は参拝時にお目にかかれない事が続きまして、 言い様のない不安と、物足りなさ寂しさは誰しも、感じる事でしたが、
例え 、お身体は お出まし頂だけずとも、浄霊の威力は変わることなく、著しい事の体験を通して、
神霊の計り知れぬ お力を、覚ったものでございます。
そして同じ年の6月15日の地上天国祭、年末のご生誕祭、明けて新年祭には、おいおい順調に、ご回復の御気色にて、
信者に まみえられ、30年2月4日立春祭にも、ご出座頂けるよしを承り、 喜びにあふれて参拝いたしました。
普段はわざとらしい威厳を作ったり、
また事を構えた宗教臭さを、格別 お嫌いであられた明主様でしたのに、御浄化後は、
祭典時に白衣を召されたので、ハツと胸をつかれると共に、一入(ひとしお)神々しく、拝したのですが、
わけても立 春祭に黄袍(こうほう)を召されたのは、 昔中国で黄袍、加身(みにくわ)うと、いって 天子と、なる事 を言ったのですが、
時すでに、神界の天子として黄金の御座(みくら)にお着きになった証で、ございましょう。」
※( メシヤとして新しく生まれるは、これは特別な事 であって 、かってなかった 、これからもない、今までの引き継ぎではなく、新しく 御座に着かれる、メシヤとなる これをおっしゃった。)
そして30年の立春祭こそは、お肉体を持たれてお出ましくださった 今世における、最後のご出座でございました。」
( 昭和47.年(1972 )教祖祭、秀明紙24号)
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