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Web誌友会 板/2
3122
:
a hope
:2013/10/08(火) 21:10:00 ID:Zlo2YeaM
(つづき)
そしてさらに、雅春先生の「生長の家発進宣言」と「発進宣言」 の前のお言葉を紹介してくださり、
<<――こうして見ますと、「発進宣言」 だけ読むと悲壮感をもって書かれているような感じを受けますが、その前のご文章を読みますと、そうではなく、「実相独在」 の境地から深い愛と智慧と歓びの情熱をもってこの創刊号が編集発刊されていることがわかります。>>
と、ご指導いただき、最後に
>>2851
で、
<< 先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。
それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。
だから、「自分の有(も)つてゐる限りの火で人類を救はねばならない」 とおっしゃっても、それは今回のテキスト173頁のご指導――
<<「救う救う」 といいますけれども 「救ってやる」 という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」 という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては 「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」 という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。≫
(『生命の實相』 第4巻 173頁)
――とご教示くださっていますように、先生が発進宣言で 「人類を救はねばならない」 とおっしゃったのは、現象を見て、人類を下に見ておっしゃったのではなく、人類みな本当は神の子であるという 「拝み」 の心、「わが業はわが為すにあらず、天地を貫く祖神(みおや)の権能(ちから)」 という自覚の心、空っぽの謙虚な心をもっておっしゃっているのだと思います。
私たちも、谷口雅春先生から「皆さんが谷口雅春である」 と言われたのですから、そのように生きることが、信徒の務めであり、それが「信徒ひとりひとりの法燈継承」 ということであろうと思います。 >>
とお答えいただきました。
(つづく)
3123
:
a hope
:2013/10/08(火) 21:10:50 ID:Zlo2YeaM
(つづき)
何度も読み返して、やっと理解できてきたような気がしています。
要するに、谷口雅春先生は「生命の實相」をまことに悟られていた。
そして「大慈悲」の心=「実相の心(われ)」に立って「人類光明化運動」をされていたということですね。
わたしは、「悪なし」「現象なし」の「生長の家の教え」を説いた雅春先生ががなぜ、現象問題に対応した人類光明化運動を始められたのか、
今までずっと疑問に思っていましたが、その答えがやっと理解できそうです。
つまり「人類光明化運動」とは実相世界を悟られた雅春先生が『実相世界の素晴らしさを現象世界に顕現させるために、深い愛と智慧と歓びの情熱をもって起こされた運動』ということになりませんか?
だから、雅春先生がいらっしゃらない今、わたしたちがまことの「人類光明化運動」をしていくためには、
わたしたちひとりひとりが「実相世界の素晴らしさ」をまことに悟って、
深い愛と智慧と歓びの情熱をもってしていかなければいけない、ということなのではないでしょうか?
それが、わたしたちが目指している「信徒ひとりひとりの法燈継承」の本当の意味なのではないでしょうか?
(つづく)
3124
:
a hope
:2013/10/08(火) 21:11:36 ID:Zlo2YeaM
(つづき)
復興Gさまが、
>>2847
で紹介してくださったテキストのご文章に
『人間はなにができなくとも自分の価値は不減不耗(ふげんふこう=すりへることがない)の神性である事実が第一なのです。
それがわかればなにもしなくともよい、人を救わなくともよいというのではないのです。それがわからなければ第一自分が救われていないのです。
「生長の家」の「智慧の言葉」に「自分に深切であれ」という言葉がある。自分が救われなければ、他を救うことがわからないのです。
救われたという状態はどんな状態だということがわからなければ、本当に人を救われた状態に導くことができないのです。盲目の手引きでは救いに導いているつもりで、かえって河の中へ引きずり落すかもしれないのです。・・・』
とありますが、この意味もやっと分かったような気がします。
他を救うためには、まずは自分が救われていなければ(神性自覚がなければ)、それは盲目の手引きとなり、相手を不幸にしてしまう可能性もあるというわけですね。
復興Gさまの素晴らしいご指導に心から感謝します。 合掌。
3125
:
復興G
:2013/10/08(火) 22:11:45 ID:AB6RqYXc
a hopeさま
真心こめて精読してくださって、本当にありがとうございました。
>>つまり「人類光明化運動」とは実相世界を悟られた雅春先生が『実相世界の素晴らしさを現象世界に顕現させるために、深い愛と智慧と歓びの情熱をもって起こされた運動』ということになりませんか?
だから、雅春先生がいらっしゃらない今、わたしたちがまことの「人類光明化運動」をしていくためには、
わたしたちひとりひとりが「実相世界の素晴らしさ」をまことに悟って、
深い愛と智慧と歓びの情熱をもってしていかなければいけない、ということなのではないでしょうか?
それが、わたしたちが目指している「信徒ひとりひとりの法燈継承」の本当の意味なのではないでしょうか?<<
その通りだと思います。それは、常住座臥、つねに神想観の境地で行くということ。
それは、榎本恵吾先生が、web誌友会参考文献板の百五で、
<<生長の家人類光明化運動そのものが神想観そのものであり、神想観そのものが生長の家人類光明化運動そのものであるのである。神想観なるものと生長の家人類光明化運動は離れた存在ではないのである。>>
と書かれている、すごいことなんですね。
「法燈継承」 とは、言うは易くして、すごい霊的・精神的には高度なことが求められていると思います。
それだけに、やりがいのあることですね。
合掌
3126
:
復興G
:2013/10/08(火) 22:16:12 ID:AB6RqYXc
>>3120
:トキ様
素晴らしいお話ですね。
>>その友人は朝と夜に
きちんと神想観を続けており、そのときも祈っていたのです。<<
だから、そのようなことができたのですね。感動しました。
3127
:
a hope
:2013/10/08(火) 23:12:51 ID:Zlo2YeaM
>>3125
復興Gさま
お返事ありがとうございます。
大熊先生もご自身のブログで、雅春先生の「人間そのものの発見とその自覚」を紹介されて、
「実相を喜ぶこと」の大切さと神想観の大切さを教えて下さっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/warai88warai88/MYBLOG/yblog.html
以下、ご紹介させていただきますね。
「神は普遍者でありますから、 山へ行く必要はない。」
生長の家創始者 谷 口 雅 春先生
--------------------------------------------------------------------------------
山に篭り断食などしていると、山に浮浪しているような野天狗とかいうようなつまらない種類の霊魂にひっかかったりして、その結果、ちょっとぐらいの第六感が働いて霊眼あひらいて霊の姿や霊界の一部が見えたり、或は天言通を得たとか言って、『神様の言葉』を自分でしゃべるとかいうような境地になる人もあります。
けれども、それは霊的感受力が鋭敏になった結果、一種の霊媒状態になったのであって、自分の実相が神であるという実相の神性を覚ったという状態ではないから、その霊の示すところにだまされて脱線する危険性が非常にあるのであります。
ですから、山へこもって断食水行をするとかいうようなことはしない方がいいのであります。
神は普遍者でありますから、山へ行く必要はない。
悟るためにはやっぱり神想観をするのが一番いいのであります。
「人間そのものの発見とその自覚」 90p
別に「森の中のオフィス」の批判ではないのである。
森のなかでなければいけないなどというのは、生長の家の発想でもなければ、考え方でもない。
したがって、そういうような御発言は「総裁先生」「幹部」「理事参議先生」にもないであろうと思う。
たまには森の中に行くこともいいし、オリンピックを深く考える事もよしである。
ただ、まず、実相を喜ぶこと。これが生長の家の生長の家たる所以であろう。
3128
:
ユタカ
:2013/10/09(水) 00:08:07 ID:R1D4Jmeg
素晴らしい!a hopeさまが出ていらしてくれて、また、純粋に実相研鑽の雰囲気が出て嬉しいです!
a hopeさまが前進されている様子がありありと伝わってきてとても嬉しいです。
ユタカの今日の実相の喜びは、「光のある内に」P、11
人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。
全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。 みんな自分のうちのある。
ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。
ただ与えることしかないんです。
だから私たちは本来喜びの歌をうたうしかないんですね。 そして喜びの歌を歌えば、どんどん喜ぶべき世界が展開してくるんです。
今日、学校に早めについてここを読みまして、心が明るく光輝きました。
教団も本流もつべこべ言わず、自分の実相をもっとよく知って『喜べ!』つーーーの!
喜んだら喜ぶことが増えんでしょ! 喜ばないと、損!損!
実相の内容をこのWEB誌友会でもっともっと深く勉強していきたいです。
3129
:
復興G
:2013/10/09(水) 07:03:00 ID:AB6RqYXc
皆さま、おはようございます。
昨夜私は23時過ぎにパソコンを閉じました。
その後に a hope様・ユタカ様が、また嬉しい貴重な投稿をして下さってたんですね。
ありがとうございます。
>>3127
:a hopeさま。
大熊講師がブログで、雅春先生の「人間そのものの発見とその自覚」を紹介されて、
「実相を喜ぶこと」の大切さと神想観の大切さを教えて下さっていることを教えて下さって、ありがとうございました。
神は普遍者でありますから、山へ行く必要はない。
悟るためにはやっぱり神想観をするのが一番いいのであります。
――まったく、その通りだと思います。ありがとうございます!
>>3128
:ユタカさま。
「光のある内に」 から、ほんとうに嬉しくなるご文章を教えて下さって、ありがとうございます!
人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。
全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。 みんな自分のうちのある。
ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。
ただ与えることしかないんです。
なるほど。このことを、忘れないようにしましょう。たとえ、自分の名前を忘れてしまっても、ね。
ありがとうございます!
3130
:
ユタカ
:2013/10/10(木) 04:52:06 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
『光のある内に』のユタカの謹写させて頂いたご文章は
各自暗記して常に唱えるといいと思うほど、生長の家を代表する言葉です。
今日から皆様、暗記して常に唱えましょう。
WEB誌友会では”明るい言葉をで明るい話題で前進しよう”!!
ありがとうございます!
3131
:
ユタカ
:2013/10/10(木) 04:59:42 ID:R1D4Jmeg
明るい言葉で明るい話題で前進しよう!
この御言葉をコピーして、伝道にも役立ちます。 どんどん配布して自宅で実相輪読会などをしよう!
喜びが喜び連れてやって来る! 神愛充満!万歳! WEB誌友会万歳!
復興G様 万歳!!
3132
:
ユタカ
:2013/10/10(木) 05:05:12 ID:R1D4Jmeg
この御言葉とは
『人間は本来神の子であって、神の世継として、神の全財産をゆずられている。 神の全財産とは全宇宙のことです。
全宇宙のすべての宝が自分の中にあるんですから、これ以上、何も外に求めることはない。 みんな自分のうちのある。
ですから人間はただ喜ぶことしかないんです。
ただ与えることしかないんです。
だから私たちは本来喜びの歌をうたうしかないんですね。 そして喜びの歌を歌えば、どんどん喜ぶべき世界が展開してくるんです。』
上記のことです。 何度読んでも、うれしい!! 嬉しい!! ありがたい!
体からエネルギーが漲ります!
今日も一日神の子として力いっぱい元気で行きましょう!!
3133
:
ユタカ
:2013/10/10(木) 05:08:35 ID:R1D4Jmeg
神様が谷口雅春先生を通して譲られたパテントとは
上記のことだと思うのです、ユタカの世界では。。。
3134
:
復興G
:2013/10/10(木) 07:58:23 ID:AB6RqYXc
ユタカ様、ありがとうございます!
皆さま、ありがとうございます!
テキスト 『生命の實相』 第5巻の 「はしがき」 の最後に、
「わたしはすべての人類がこの宗派を超越して、すべての宗教に内在する唯一の共通的真理に触れられ、世界の万教が仲よく手をつなぐ時期の来るであろうことを待ちのぞむとともに、本書に掲げられたような無数の奇跡とも見えるごとき生活改善の実をあげられるよう希望するものである。
天国はこの普遍の唯一真理をわがものとする人の掌中にあるのである。」
とあります。
この真理を、簡単にわかりやすく表現されたのが、ユタカさんの掲示して下さった言葉でしょうか。
ありがとうございます!
3135
:
復興G
:2013/10/10(木) 09:17:42 ID:AB6RqYXc
ユタカさんの掲示して下さった言葉は、
>>3119
に謹掲させていただいた第5巻第1章冒頭の
<< 人間は神の子
人間は神の子である――これが 「生長の家」 の主張する根本自覚で、この自覚を 「中心自覚」 と申すのであります。
なぜこの自覚を 「中心自覚」 と申しますかといいますと、この根本自覚は円の中心のようなものであって、この中心から外的な一切の善きものが流れ出でるからであります。
この根本自覚が完全であればあるほど、この根本自覚が強烈であればあるほど、われわれに発現する知恵はいっそう明らかとなり、愛はますます深くなり、生きる力はいよいよ豊富となり、万事における能力は層一層旺(さか)んとなるのであります。>>
を、別の表現にされた言葉でもあろうかと思われます。
また、
<< かく、われわれは自己の懐中に、すなわち自己自身のうちに無限の生命力または能力の出口を有するのであります。それだのにわれわれはなぜそれを他に対して求める必要がありましょうぞ。外にこれを求むれば求むるほど自分の内に口を開いている無限能力を忘れることになり、自己の内から溢れ出る無限健康力を忘れることになるのであります。>>
(24頁最後の行から25頁の前3行)
そして、
<< 自己の内部に頼り切れ
……いろいろの外部的力を借りて自分または他人の生きる力を増加しようと望むことは、自分の懐中に無限億万円をもっていながら他に金を借りに歩くのと同じことです。
他に金を借りて歩けば、貸してくれた額だけの使用価値はありますから、それは決して無効ではありません。生気術は生気術だけの効力があり、気合術は気合術だけの効力があり、手のひら療治は手のひら療治だけの効力がありますが、ただそれだけです、他の力に依頼し、一時は急場の助けになっても、生命が依頼心を出したというだけその人は今後の生命の発現力が弱るのであります。>>
(26頁後ろ5行〜27頁最初の2行より)
とあるテキストのご教示も、冒頭の 「中心自覚」 から出てくることなのですね。
皆さま、それについて何かご体験やご感想があれば、教えていただきたく思います。
ありがとうございます。
3136
:
トキ
:2013/10/10(木) 21:16:31 ID:Loop7dac
これは、私が青年会時代に会った真言宗のお坊さんの話です。
そのお坊さんは、たいへん霊能力の強い人で、予言などもかなりの確立で的中させるそうです。
それで、ビジネスをしている人などが、経営判断などを聞きに来るそうです。が、それが行き過ぎて、
何かあると、すぐに予言を聞きに来る人ばかりになったそうです。また、そうなると、努力しないの
で、かえって商売が傾いた人が増えたそうです。
結局、そのお坊さんは、『自分は、人助けのつもりで霊能力を使ったら、かえってその人を堕落さ
せ、不幸にした」というので、霊能力を封印した、という話をされていました。本来の仏道修行では
なくて、目先の利益ばかりを追いかける人になったそうです。
そのお坊さんの話では、本当は、そんな霊能力に頼るのは間違いで、自分が努力し、修行するのが
王道なのだ、と話していました。
依頼心を出すのは、魂の修行にとっては邪道なんですね。
3137
:
復興G
:2013/10/10(木) 21:43:26 ID:AENtSm/U
>>3136
:トキさま
「本来の仏道修行ではなくて、目先の利益ばかりを追いかける人になった」
というのは、そのお坊さん自身ですか、それとも経営判断などを聞きに来た
ビジネスをしている人ですか?
3138
:
トキ
:2013/10/10(木) 21:55:03 ID:Loop7dac
>>3137
失礼しました。
そのお坊さんを慕って、お寺に、おおくの真言宗の信徒が来たらしいのですが、その信徒が
霊能力のすごさに幻惑され、本来の心の修行を怠り、『次のビジネスはどうしたらいいだろう?」
『自分の息子の入試がうまくいくように、祈祷してくれ」という依頼ばかりで、仏道修行につい
て、誰も興味を持たなくなったみたいです。そのお坊さんは、本来は仏道修行を信徒にしてもら
いたくで、超能力はあくまでも人集めの手段と思っていたので、がっかりしたそうです。
なお、余談ですが、そのお坊さんは、生長の家を高く評価されておられ、甘露の法雨を一読
して、『(真言宗の奥義と)いっしょですね」と話しておられました。
3139
:
トキ
:2013/10/10(木) 22:01:18 ID:Loop7dac
つまり、本来はその人が自己内在の能力を発揮して、人生をすすむべきなのに、
外部の霊能力者に頼ると、一時はよいように思えても、依頼心が増えて、その人の魂の
向上にならず、結局、その人のためにならないのですね。
真言宗に限らず、誌友会にはよくお坊さんや神主さんが内々で参加されたのですが、
印象に残ったので記憶しています。
3140
:
ユタカ
:2013/10/10(木) 22:25:47 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
>>3134
そうですね、その通りだと思います。
ただ与える事だけを考えていたら、闘争などは起こってはこないのではないでしょうか?
話が突然変わりますが、そう考えると日本は現在陰辱の徳を積んでいると仰った、二葉美代先生の言葉がふと浮かんできました。
生長の家もこれからますます、素晴らしくなりますね。
ただ、与える事だけ でいいのですね。 自分の人生もただ与える事だけにしようっと! なんて素敵なことでしょう!
3141
:
復興G
:2013/10/10(木) 22:36:21 ID:AB6RqYXc
トキ様
ということは、
「本来の仏道修行ではなくて、目先の利益ばかりを追いかける人になった」
というのは、そのお坊さん自身ではなくて、経営判断などを聞きに来た
ビジネスをしている人ですね。
ありがとうございました。
3142
:
復興G
:2013/10/10(木) 22:45:25 ID:AB6RqYXc
>>3140
:ユタカさま
「陰辱の徳」 は 「忍辱(にんにく)の徳」 でしょうね。
<<ただ、与える事だけ でいいのですね。>>
その、「与える」 のも 自分の力ではなく、神の力で与えさせて頂くんだから、自分は何も要らない。
ただ喜びばかり、有り難いことばかりです。
バンザーイ!
3143
:
マリーゴールド
:2013/10/10(木) 23:43:27 ID:???
a hopeさんへ
合掌 有難うございます。
こんばんは。いつも a hope様の真理を学ぶ真摯な姿勢に学びを戴いています。
有難うございます。
昨夜、真理を一緒に学んでいるお友達と、こちらのweb誌友会の話になりました。
その中で、以下にお伝えさせて戴く、 a hope様の御発言の話になりました。
復興G様の、深い御指導もございましたので、a hope様は既に、御存知でおられるかもしれないのですが、一助になるかもしれないと思い発言させて戴くことにしました。
a hope様の
>>3123
の御発言
>>つまり「人類光明化運動」とは実相世界を悟られた雅春先生が『実相世界の素晴らしさを現象世界に顕現させるために、深い愛と智慧と歓びの情熱をもって起こされた運動』ということになりませんか?>>
の箇所です。真理の学びに真摯な友人が「人類光明化運動」について、書かれてある箇所を調べてくださいました。
以下にお伝えしますね。
◎「菩薩は何を為すべきか」P62より
>>『この人類光明化運動というものは、実は宇宙の創造神の御心を受けた高級霊界に於ける一大救済運動であって、その霊界に於ける救済運動の写しが地上に現れて居るのであります』>>
◎「新編 聖光録」P97 “人類光明化のパテントは諸君に譲られた”より
>>『私は、この神からの啓示を受けて人類光明化運動をはじめたのであります。』>>
◎新編 「生命の實相」第2巻P164 “生長の家出現の使命”より
>>『これは神が起された「神の国」運動の一つのあらわれであって、谷口雅春はただ、神から霊感的に示された言葉をペン先に含ませたインキを文字にして行く。・・・』
とございます。
そして、 「神 真理を告げ給う」に、そこに私が感銘を受けた箇所がございました。
>>しかし“本当の教祖”というべき“真理の啓示者”は“実相世界”にある“神”のみなのである。イエス・キリストも「師というべき者は、唯ひとり天の父のみである」といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。実相世界に生長の家の本部はある”といっているのである。>>
のところです。
「生命の實相」の学びの場所で、「生命の實相」とは違う御本の紹介になってしまい、大変申し訳ございません。
ご紹介までにとどめさせて戴きます。
合掌 再拝
3144
:
ユタカ
:2013/10/11(金) 05:02:18 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
本流も忍辱の徳を積ませていただいていると言うことになるのでしょうか? 現象的のいうならば?
>>3142
谷口先生のお伝えされたいことは、「神以外ない・善行もすべて神さまのお力だったもですね。」
私は、これまで良い現象は実相の投影等と喜んでいましたが、此れさえも現象、「無い!」と。
本当の事、もっともっと高次元の世界にあるような気がしてなりません。今は、眼に見えるものは全部善に見えることも現象だから「無い」という自分でいます。
3145
:
a hope
:2013/10/11(金) 08:39:13 ID:Zlo2YeaM
みなさま おはようございます。
このweb誌友会板で真理のお話が続いていてうれしいです。
復興Gさまとユタカさまのお話になっている、「忍辱(にんにく)の徳」という言葉は初めて聞きました。
情報源があれば、二葉美代先生がどういうお話の中でこのお言葉使われたのか、教えていただけると嬉しいです。
また、トキさまの青年会時代に会われたという真言宗のお坊さんの話も興味深いです。
<<依頼心を出すのは、魂の修行にとっては邪道なんですね。 >>
そうなのだとも思いますし、依頼される方にとっても魂の修行になるのではないかと思いました。
「人間は神の子である」が「生長の家」の根本自覚、中心自覚であり、生長の家の使命はそのことを人々を目覚めさすことであるとすると、
どのような態度をとれば、自分に依頼心を起こさせず、相手に「神の子」の自覚を目覚めさせることができるのか・・・
それが、大切なのではないかと感じています。
「自分の足で立ちなさい」「自分で悟りなさい」「そのためにわたしは聖典を残したのですよ」という、雅春先生(神さま)の声が聞こえてくるような気がします。
3146
:
a hope
:2013/10/11(金) 08:44:14 ID:Zlo2YeaM
>>3143
マリーゴールドさま
わたしはマリゴールドさまからはいつもたくさんの愛を感じています。
そして本当に心から生長の家を愛していらっしゃるのがわかります。
今回もあたたかいお言葉をありがとうございます。
長くからの信徒でいらっしゃるマリーゴールドさまには、きっと現実生活においても、
真理を一緒にお勉強するお友達がたくさんいらっしゃるのでしょうね。
わたしには、いまのところ、この掲示板だけが、仲間と「生長の家」の真理のお勉強ができ、
講師の先生からご指導が受けられる場所なのです。
だから、ここはわたしにとって、とても貴重な、大切な、そして神聖な場所なのです。
こらからも、たくさんお勉強させていただきたいと思っています。
マリーゴールドさまも、たくさんご参加くださいね。
また、今回は「人類光明化運動」に感する参考文献と文章をご紹介くださりとてもうれしいです。
ありがたいことに、すべて手元にありますので、前後の文章も拝読してお勉強させていただきます。
マリーゴールさまのご愛念に心から感謝したします。
合掌。
3147
:
復興G
:2013/10/11(金) 09:10:17 ID:AB6RqYXc
おはようございます。
>>3139
:トキさまのお話は、
>>3127
でa hopeさまが教えてくださった、大熊良樹さんのブログで紹介されている
「神は普遍者でありますから、 山へ行く必要はない。」
という谷口雅春先生のお教えにもつながると思いました。
<< 山に篭り断食などしていると、山に浮浪しているような野天狗とかいうようなつまらない種類の霊魂にひっかかったりして、その結果、ちょっとぐらいの第六感が働いて霊眼あひらいて霊の姿や霊界の一部が見えたり、或は天言通を得たとか言って、『神様の言葉』 を自分でしゃべるとかいうような境地になる人もあります。
けれども、それは霊的感受力が鋭敏になった結果、一種の霊媒状態になったのであって、自分の実相が神であるという実相の神性を覚ったという状態ではないから、その霊の示すところにだまされて脱線する危険性が非常にあるのであります。
ですから、山へこもって断食水行をするとかいうようなことはしない方がいいのであります。
神は普遍者でありますから、山へ行く必要はない。
悟るためにはやっぱり神想観をするのが一番いいのであります。
「人間そのものの発見とその自覚」 90p>>
です。
ユタカ様の提題 「忍辱(にんにく)」 については、後ほど書かせて頂きます。
3148
:
復興G
:2013/10/11(金) 11:13:17 ID:AB6RqYXc
>>3144
:ユタカさま、ありがとうございます。
a hopeさまからご質問もありましたが、「忍辱(にんにく)」 というのは、お釈迦さんの教えで 「六波羅蜜(ろくはらみつ)」 の一つですね。
それについては、谷口雅春先生が 「『般若心経』講義」 (『あなたは自分で治せる』 の第13章および 『真佛教の把握』 に収録されている) に、詳しくお説きくださっています。それを謹写して、再確認の勉強をさせて頂きたいと思います。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
谷口雅春先生 『あなたは自分で治せる』 の第十三章・『真佛教の把握』 より謹写 収載
『般若心経』 講義
講義のはじめに
この経は
「佛説般若波羅蜜多心経(ぶっせつはんにゃはらみったしんぎょう)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ) 行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ) 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)……」
という聖句ではじまっております。この 『般若心経(はんにゃしんぎょう)』 という御経は佛教ではどんな宗派でも皆排斥しないで採用しているところの御経であります。
生長の家でもこの 『般若心経』 の神髄を實践的に説いているのでありまして、観自在菩薩というのは観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)のことであります。
観世音菩薩というと、其の佛像を御覧になって、何かそういう荘厳な佛像としてそこに現れているのが観世音菩薩だと、こう思っている人もありますけれども、これは御経の表面の意義でありまして、御経の内密の意義――密義ではありません。
佛教では顕教(けんきょう)と言って経典の表面に顕れた意義を説く教えと、密教といいまして、御経の内部にひそむ秘密の意義を説く教えとがあるのであります。秘密というのは内緒にしてかくしてあるという意味ではないのでありまして、表面に現れていないところの奥深いところの内部的な意義を知り、それを實践する――これが密教であります。
この観世音菩薩というのも、内部的の意義即ち密教的にみますと、これはそういう佛像ではないのであって、皆さん御自身が観世音菩薩なんであります。みんな観音様なんですね。
観世音というのは世音(せおん)即ち世の中の音を観ずるのです。「世音」というと人々の心の響きです。人々の心の響きを「観ずる」というのは、肉眼でみるのじゃなくて、心の眼でみるのですね。心の眼で人々の心を観じて、その心の姿のままの姿に顕(あらわ)れる菩薩(大士<だいし>)というのが、観世音菩薩であります。
この菩薩は 『観音経(かんのんぎょう)』 にあります通り、相手の心の姿にしたがって三十三身に身を変ずるというわけで、どんな姿にも心のままに顕れるのであります。必ずしも三十三種の身には決っていないのであって、ありとあらゆるどんな姿にでも顕れて、衆生(しゅじょう)を済度(さいど)なさる、これが観世音菩薩であります。
衆生の中には 「自分自身」 も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。皆さんが観世音菩薩で観察自在であって、なんでも観察しようと思えば自在に観察することが出来るでしょう。自己観察をすることが必要です。鏡に向かって自分が撲(なぐ)る姿をしたら鏡の中の人物は自分を撲ってくるでしょう。其のように全ての人物があらわれる、ちゃんと観世音菩薩だ。自分の撲る心がこっちへ向かって現れる。そうでしょう。その代り相手の心の通りにこちらも先方には顕れて見える、みんな観世音菩薩である。
それによって、“ああなるほど、私の心というものはこういう心をしておったんだ” という事がわかるのであります。観察自在であってどんな姿にでも自由自在に顕れる、観音様が皆さんであるわけであります。その観自在菩薩が 「行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)」 というのは訓読(くんよ)みすれば、「深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみった)を行じ給える時には」 と読むのですが、「深(じん)」 は深遠(しんえん)きわまりなき、「意義深甚(じんじん)の」 というような形容で、「波羅蜜多(はらみった)」 というのは、「到彼岸(とうひがん)」 と訳されておって、六波羅蜜(ろくはらみつ)と言って、彼岸(ひがん)即ち 「實相世界」 に到るためには六つの行があるのであります。
<つづく>
3149
:
復興G
:2013/10/11(金) 11:30:12 ID:AB6RqYXc
<谷口雅春先生 『あなたは自分で治せる』 の第十三章・『真佛教の把握』 より謹写 収載
『般若心経』 講義 つづき>
それの先ず第一が 「布施(ふせ)」 ですね。布施というと 「施し」 です。お寺に何か献金するとか、坊さんに供養をするとか、貧しき人に物を与えるとか、このように供養するのが布施であります。
その次には持戒(じかい)です。持戒というのは 「戒律を保(たも)つ」 と書かれておって、正しき行いをする事です。殺さないとか、盗まないとか、嘘をつかないとか、夫婦以外の異性と性の交通をしないとか、欲張らないとか、色々道徳上の禁制がありますが、そういうようないましめを保つのを持戒と言います。
その次には 「忍辱(にんにく)」 といって――「忍(にん)」 は 「しのぶ」、「辱(にく)」 は 「はずかしめ」 という字です。人の辱(はずか)しめに腹を立てないで、忍ぶのであります。
世間には 何もこちらが悪い事をしないのに悪口を言うような人がある。それをきくと、つい腹が立つ、「生長の家は人を救っているのに、却(かえ)って悪口をぬかしやがる」 などと思うと、つい腹が立つものですね。しかしそんな事に腹が立つのではいけないのです。「忍辱(にんにく)」 といって腹を立てずに屈辱を忍ぶというのが彼岸に達する一つの修行なのです。その修行を卒業するまでは其の人の周囲にそんな修行がでて来るのです。彼岸に達するというのは、實相の浄土なる状態に我々が達することを言うのです。
我々が善いことをして居って、ほめられたり、表彰されたりしたら、嬉しいように思う人があるけれども、しかしそれは既に報いを受けたのですから、善業(ぜんごう)の蓄積にはならないのです。行動のエネルギーというものは既に形に顕れたら消えてしまうのは、物理学上のエネルギーが「仕事」という形に顕れたら消えてしまうと同じです。
あの機関車が石炭をもやして汽車を走らす場合、石炭の燃焼エネルギーが、「汽車を動かすという仕事」 という形に現れたならば、そのエネルギーは消えてしまうのと同じであります。私たちが善業(ぜんごう)を行ってそれが賞(ほ)められるという形にあらわれないまでは、その善業は潜在エネルギーとして天の倉にたくわえられているのです。しかし善き事をして何か表彰されたり、賃銀をもらったりして形にあらわれたら、それだけ消えてしまうのです。
そうしたら、ほめられないでいて、かくれていい事をしている方が、天の倉に貯えられたところの徳という事になるのであります。更に善い事をしながら悪口を言われたならば、天の倉に貯えられたところの富が、また更に利子がついたという事になります。
だから、辱(はずか)しめを受けた時には 「ああ、有難うございます。天の倉に貯えられたところの陰徳に利子がつきました。有難うございます」 と感謝すれば好(よ)いのです。そしてほめられた時には、「困ったなあ、せっかく天の倉に貯えておいたのに、ちゃんと払いもどしがあって、貯えられた富が消えた」 と思って更に人に隠れて善業を積むようにすれば好いのですね。
<謹写 終わり>
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
3150
:
復興G
:2013/10/12(土) 16:05:41 ID:AB6RqYXc
上記、
>>3149
で <謹写 終わり> としましたが、もちろん谷口雅春先生の 「『般若心経』 講義」 が以上で終わりではありません。「六波羅蜜」 のうちの三つのご解説が終わっただけです。
そのあと、『般若心経』 全文の御講義が、くわしく実にわかりやすく説かれており、全く素晴らしく、「五蘊皆空」(現象なし)、実相独在の悟りに導かれる貴重なよすがになると思いますので、時間が出来ましたら、謹写掲示させていただきたく思います。
今回のメインテキストは 『生命の實相』 第5巻前半です。ここは 「聖霊篇 燃えさかる聖霊(いのち)の火」 として、「人間は神の子」 という中心自覚を持てば、外的な一切の善きものが流れ出でて、奇蹟的な治病その他の体験が続出し、おのずから教えが燎原の火の如く広まって行った有様が如実に記録されています。
中でも顕著なのは、p.47〜p.57に出てくる服部仁郎氏周辺の体験ですね。
さてテキストの範囲で、特に私の目にとまったご文章を謹写させていただきましょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(p.35〜37)
手のひら療治に活が入る
伊東さんも、佐藤彬(あきら)さんも、堀静さんも時々見舞って、立仙(りっせん)さんの病気の子供に手を当ててくださった。そのとき立仙夫人がかたわらからそれを見ていられると、やはり自然に患部へ手が行くと見えて、「手のひら療治」 の先生と同じところへ手をやられたそうであります。
それでいて 「手のひら療治」 は四年間続けてもますます悪くなる一方でありましたのに、「生長の家」 のやり方ではズンズン快方に向かっていったのであります。
それはなぜであるかといいますと、手を当てる点は、形は同じでも精神がまったくちがうからであります。「手のひら療治」 では 「ここに病気がある」 と手のひらの霊感で病気を探り出して手を当てるのでありますから、手早く治るような病気なら、「この手のひらの霊感で治してもらえる」 と暗示されて、治りに導かれるのでありますが、ながらく治り難い病気であれば、毎日手を当てていても治らぬ この手のひらは効かぬということになり、それと同時に 「手のひらを当てているここに病気がある」 と、病気の存在を動かし難い事実として、「病気がある、病気がある」 と毎日逆暗示を与えている結果になり、病気がかえって治らなくなるのであります。そこに気がつかないと手掌を当てる治療は逆効果をきたすのであります。
「生長の家」 では今まで申しました例で解りますとおり、手を当てなくとも治る。服部さんのようにわたくしの書いた小冊子二冊を読むだけでも治る、神想観の歌を誦(しょう)するだけでもそれで真理を悟れば治るのですが、家族など手を当てて治す場合もあります。しかしその手を当てる心持が異うのであります。
手のひら療治では、「病気がここにある、ある」 として手を当てるのでありますが、「生長の家」 では 「病気は無い、無い」 として手を当てるのであります。
「病気が有る」 という観念がそこにあらわれて病気となっているのでありますから、「病気は有る、有る」 という思念では治り難いのは当然であります。それでも治る場合がありますのは 「手を当てたら治る」 という施法者と被療者との精神感応で治るのでありますが、それを今度は 「病気は本来無い!」 という根本悟りで手を当てれば、手を当てなくとも治るくらいですから、本当に治ってくるのは当然であります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――上記を読んで、思いました。
多くの人は、失せ物をしたときには、「何々がない、何々がない」 とさわいでその失せ物を探すのでありますが、生長の家では逆であります。失せ物は、宇宙から完全に消え去ったとしたらそれは奇跡である。必ずどこかに 「ある」 ことはまちがいない。だから神想観をして 「何々はある、ある」 と念じながら探す。そうすると、失せ物は、「ここにいますよ」 と位置情報を発信してくるようです。信じたとおりに、出てくるのであります。
病気や困ったことなどは、本来無いものだから、逆に 「ない、ない」 と念じて処理すれば消えてしまうのでありますね。
ありがとうございます。
3151
:
a hope
:2013/10/13(日) 13:12:42 ID:Zlo2YeaM
>>3143
マリーゴールドさま
人類光明化運動の関するご紹介の御文章の中で、
<< ◎新編 「生命の實相」第2巻P164 “生長の家出現の使命”より
>>『これは神が起された「神の国」運動の一つのあらわれであって、谷口雅春はただ、神から霊感的に示された言葉をペン先に含ませたインキを文字にして行く。・・・』>>
というものだけ、確認できませんでした。
というのは、わたしは新編「生命の實相」はまだ、第1巻のみしか手元にないからです。
ですから、頭注版にこの箇所が該当する部分を探してみたのですがどうしても見つかりませんでした。
頭注版のどの巻にも“生長の家出現の使命”というサブタイトルが見つからないのです。
どこなのか教えていただけないでしょうか?
(つづく)
3152
:
a hope
:2013/10/13(日) 13:14:08 ID:Zlo2YeaM
(つづき)
みなさま
ところで、このマリーゴールドさまご紹介の他の文献を拝見していて感じたのですが、
たしかに、わたしは、「人類光明化運動」は個人(肉体人間)の谷口雅春先生が起こした運動ではないということがわかりました。
わたしは大熊先生の大ファンで、毎日、先生のたくさんあるブログをひとつひとつ拝見させていただいているのですが、
その中で、とても分かりやすく霊や魂のことをご教示してくださっている箇所がありますのでご紹介させていただきます。
「一霊四魂がわかれば先祖供養がわかる」
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/10570919.html
復興Gさまが
>>2851
で、
<< 先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。
それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。>>
と雅春先生のご心境というか、お悟りの状態(魂の状態)をご説明してくださっていますが、
それは大熊先生の「一霊四魂がわかれば先祖供養がわかる」のノートの一霊四魂の図にの中の「奇魂(くしみたま)」の状態なのではないかと感じました。
とにかく、雅春先生は「大悟」されていたわけですから神さまの御心とはほぼ一致されていらしたのだと思います。
ですから、雅春先生は、天界(神の国)の「和魂(にぎみたま)」たちが天界を拠点に社会国家のために活動している状態も悟られて、
現象世界においては、ご自分が中心者となってその活動を表現されようとしたのが「人類光明化運動」なのではないかとわたしは解釈しました。
(間違いがあれば、ご指摘ください)
大熊先生も、ブログ中で「和魂(にぎみたま)」のことを、
<<▽次に、和魂(にぎみたま)です。
天界に昇って、天界を拠点に社会国家のために活動する御霊です。。。。
人類光明化を言う生き方(生長の家の生き方)は、これでありますねえ。。。。
世界に一人の不幸せがあってもならん。
この自他一体の思いを、大きな和魂をすなわち、本当の≪ 大和魂(やまとだましい)と言うのです。≫>>
とご説明くださっています。
わたしは、大和魂についても過去にお勉強させていただきましたが、「和魂」=「大和魂」という解釈は、
今回とてもよく理解できました。
大熊先生は宇治別格本山の講師をされていた時には、とても人気があったと聞いています。
皆さんも、是非、大熊先生のブログご覧になって下さいね!
たくさんありますよ・・・ウレシイ(笑)
真理のお話だけでなく、素晴らしい奇蹟のお話や愛のお話もたくさん紹介してくださっていますよ。
拝見しているだけで、魂が悦び、愛の心で満たされます。
http://blogs.yahoo.co.jp/warai333warai
http://blogs.yahoo.co.jp/warai88warai/MYBLOG/yblog.html
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151
http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html
↑まだ、まだ、ありますよ。
ご自分で、お探しください(笑)
(つづく)
3153
:
a hope
:2013/10/13(日) 13:15:16 ID:Zlo2YeaM
(つづき)
>>3148
>>3149
>>3150
復興Gさま
「忍辱(にんにく)」についてのご教授をありがとうございます。
<<辱(はずか)しめを受けた時には 「ああ、有難うございます。天の倉に貯えられたところの陰徳に利子がつきました。有難うございます」 と感謝すれば好(よ)いのです。そしてほめられた時には、「困ったなあ、せっかく天の倉に貯えておいたのに、ちゃんと払いもどしがあって、貯えられた富が消えた」 と思って更に人に隠れて善業を積むようにすれば好いのですね。>>
ものすごい、深い教えですね(-_-;)
『真佛教の把握』は手元にありますので、 今日はこれから『般若心経』 講義をゆっくり拝読してみたいと思います。
(つづく)
3154
:
神の子さん
:2013/10/13(日) 13:16:57 ID:u1Hw7rW6
復興G様
忍辱の意味の御説明でよく理解できました、ありがとうございます。
3155
:
a hope
:2013/10/13(日) 13:18:32 ID:Zlo2YeaM
(つづき)
今月のweb誌友会の期間と範囲をここで告知させていただきたいと思います。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第18回web誌友会
期間 10月末日まで
テキスト 『生命の實相』第5巻
第1章から第3章まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今回は、ゆっくりお勉強できてうれしいです。
テキストの範囲以外でも、生長の家の聖典や、「生長の家の教義」に関する内容でしたら誌友会の話題にしても何も問題ないとわたしは感じています。
ですから、わたしは、今回は、大熊先生のご教義を紹介させていただきました。
みなさまも、気軽にご参加下さいね!
3156
:
復興G
:2013/10/13(日) 21:03:13 ID:AB6RqYXc
a hope さま、ありがとうございます。
>>3151
で
>> << 先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。>>
と雅春先生のご心境というか、お悟りの状態(魂の状態)をご説明してくださっていますが、それは大熊先生の「一霊四魂がわかれば先祖供養がわかる」のノートの一霊四魂の図にの中の「奇魂(くしみたま)」の状態なのではないかと感じました。
とにかく、雅春先生は「大悟」されていたわけですから神さまの御心とはほぼ一致されていらしたのだと思います。
ですから、雅春先生は、天界(神の国)の「和魂(にぎみたま)」たちが天界を拠点に社会国家のために活動している状態も悟られて、現象世界においては、ご自分が中心者となってその活動を表現されようとしたのが「人類光明化運動」なのではないかとわたしは解釈しました。
(間違いがあれば、ご指摘ください)<<
について。
「古神道の一霊四魂(いちれいしこん)の説」 について、谷口雅春先生は 『新版 人生を支配する先祖供養』 の51頁に、次のように書かれています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
古神道の一霊四魂の説
日本の古神道では人間の霊を一霊四魂(いちれい しこん)に分けている。
一霊とは実相の霊であり、これを直日霊(なおひのみたま)という。総括総撹の純粋霊である。
それが奇魂(くしみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さちみたま)、荒魂(あらみたま)の四つのはたらきとなって分化する。
荒魂(あらみたま)は最も波動が粗大で荒々しい、これは肉体そのものである。古神道が肉体そのものを物質として観ないで霊的な 「魂(みたま)」 として扱っていることは興味あることである。だから、墓地に肉体を土葬したり、お骨を埋めたりしたら、たしかに荒魂(あらみたま)は墓地にましますわけである。荒魂は物質界を処理する魂であるから、それを換言すれば 「墓地は迷っている霊魂がさまよっている所であり、悟っている霊魂はもうそこにはいないのだ」 という近代の霊界通信を裏づけることになる。
悟っている魂(みたま)、即ち叡智の魂(みたま)は奇魂(くしみたま)であって、肉体を脱した時、直日霊(なおひのみたま)に還る。
幸魂(さちみたま)は家族と共に生活し家に祀られた位牌等を媒介としてそこに鎮まり、
和魂(にぎみたま)は天界に昇って天界を拠点として社会国家のために活動する。
そこで、墓に留まっているのはまだ肉体生活のつづきの意識を持続して悟りを得ない荒魂であるから、その墓の形がどんな形を喜ぶかということは、その亡霊自身がどんな形の墓に執着するか、その執着によってきまるわけである。その人が生前、墓の形に関心があって「こんな墓を建ててほしい」と言っていたのであれば、その形の墓を建てれば満足するのである。祖先が真言宗の人であれば真言宗式に五輪塔(ごりんとう)を建てればよいし、キリスト教の人であれば十字架を建てれば悦ぶのである。
しかし、墓地に関心のない無頓着な霊魂、あるていど悟りをひらいた荒魂は、墓にはいないで、四魂一体となって自由自在に顕幽(けんゆう)両界を往来して、愛他活動をして生活し得るようになるのであるから、墓石の形は別に問題とするに足らないのである。
<つづく>
3157
:
復興G
:2013/10/13(日) 21:03:50 ID:AB6RqYXc
<つづき>
上記を拝読して思うのですが、「一霊四魂の説」 というのは日本の古神道における独特の説で、霊魂は 「一霊」 が実相であり 「四魂」 は 「一霊」 のあらわれ方、働きの面から仮に分けて説かれたものだと思います。
それで、谷口雅春先生のような 「悟りをひらかれた魂(みたま)」 は、四魂一体の 「一霊」 として自由自在に顕幽(けんゆう)両界を往来して、愛他活動をしていらっしゃるのではないかと私は拝察しますが……これは想像です。
本当のことは、わかりません。
誰にもわからないのではないでしょうか。
3158
:
復興G
:2013/10/13(日) 21:08:17 ID:AB6RqYXc
>>3156
訂正です。
× 一霊とは実相の霊であり、これを直日霊(なおひのみたま)という。総括総撹の純粋霊である。
○ 一霊とは実相の霊であり、これを直日霊(なおひのみたま)という。総括総攬(そうかつそうらん)の純粋霊である。
3160
:
マリーゴールド
:2013/10/13(日) 22:32:44 ID:???
a hopeさま
いま家事が終わりました。
>>3151
で私にコメントくださっていたのに、遅くなりごめんなさいね。
復興G様がおこたえ下さった通りです。私は新編が字が大きく読みやすいので、頭注板と合わせて拝読しているのです。
復興G様、ありがとうございました。
3161
:
マリーゴールド
:2013/10/13(日) 22:50:12 ID:???
復興G様
>>光明思想社版の 『新編 生命の實相』 は、編成順が 頭注版など、今までの 『生命の實相』 と変わってい て、「實相篇」 が第2巻に収録されています。これに ついては、 「著作者人格権侵害ではないか」 という疑 問が出ています。>>
との事ですが、いま教団として著作者人格権侵害との動きが出ているのですか?
復興G様は、新編生命の實相の凡例を読まれてらっしゃいますか?
凡例のまず初めに
「本全集は、昭和四十五年〜昭和四十八年にわたって刊行された愛蔵版『生命の實相』全二十巻を底本とした。本書第三巻は、愛蔵版第一巻『生命の實相』を底本とした。」
とございます。
3163
:
マリーゴールド
:2013/10/13(日) 23:40:54 ID:???
復興G様
そうですか。
教えていただいて、ありがとうございました。
光明思想社の見解があるわけではありませんから、これ以上は発言を控えます。
3164
:
復興G
:2013/10/14(月) 08:00:00 ID:AB6RqYXc
皆さま、おはようございます。
>>3163
:マリーゴールドさま
マリーゴールド様って、とても素直なんですね。
ありがとうございます。
私も、上記の件についてはこれ以上の発言を控えます。
もし間違いか何かあれば、他の板でさせていただくようにしましょう。
人間はみんな 「神の子」 であって、自分の力で生きていらっしゃるのではない。神がそこに生きていらっしゃるのである。
「人間は神より出でたる光なり」
で、「神の光」 ならざる人はいない。
なぜなら、
神こそ渾(すべ)ての渾て、
神は渾てにましまして絶対なるが故に、
神の外にあるものなし。
神は実在のすべてを蔽う。
存在するものにして
神によって造られざるものなし。
(聖経『甘露の法雨』)
ですからね。
うれしい! ありがたい!
すべての人を拝ませて頂きます。
ありがとうございます!
3165
:
神の子さん
:2013/10/14(月) 08:09:35 ID:AB6RqYXc
「すべての人」 には、自分も含まれます。
自分自身をも、神の子として拝ませて頂きます。
ありがとうございます。
3166
:
復興G
:2013/10/14(月) 08:12:54 ID:AB6RqYXc
あれっ?
>>3165
:「神の子さん」 は、復興Gです。
3170
:
志恩
:2013/10/15(火) 12:05:58 ID:.QY5jUA6
私は、新編は、
「新編 生命の實相 」第6巻( 生命編 生命円相の真理(中) )まで購入しました。
第7巻も出ましたので、これも購入しようと思っているところです。
新編につきましては、復興G様がおっしゃっておられるように、
山ちゃん1952様、トキ様、訊け様、そして私も、その中に混じりまして、
かって、いろいろと意見を述べ合ったことが
あったのですが、
私は、新編の方も、順次、買い揃えています。
ですが、
私は、昔から頭注版になじんで来たので、ひもとくのは、頭注版の方が多いですけれど。
しかし、復興G様のつぎのコメントは、復興G様のお考えの方が、疑問に思えております。
復興G様ー
>>光明思想社版の 『新編 生命の實相』 は、編成順が 頭注版など、今までの 『生命の實相』
と変わってい て、「實相篇」 が第2巻に収録されています。
これに ついては、 「著作者人格権侵害ではないか」 という疑 問が出ています。>>
私は、文自体を変えてしまった場合は、著作者人格権侵害になると、思いますが、
文の 順序を変えた事が、人格権侵害になるのだろうか?と、疑問に思っております。
これにつきましては、私は、その道の専門家じゃないので、よくわかりません。
3172
:
神の子さん
:2013/10/15(火) 17:09:17 ID:Z6WT6I3k
3159 :復興G様
>>光明思想社版の 『新編 生命の實相』 は、編成順が頭注版など、今までの 『生命の實相』 と変わっていて、「實相篇」 が第2巻に収録されています。これについては、 「著作者人格権侵害ではないか」 という疑問が出ています。 <<
>>『生命の實相』 は愛蔵版も含めて、今までに刊行されたどの版でも、すべて順序は 「總説篇」 の次は 「實相篇」 となっている。それが、光明思想社版では 「總説篇」 の次に 「生命篇」、それから 「實相篇」 と順番が変えられている。これは、たしか 山ちゃん1952様が、すべての版について調べてくださったのだったと思います。だから、それは谷口雅春先生の御意思に反することではないかと、たしか本流の掲示板でも 疑問が出ていたと思います。 <<
ということなのですが、実際のソースがどこにあるか教えていただけないでしょうか?
そうでないと、復興G様が「新編 生命の實相」を売れないように企んでいると誤解してしまいます。
3173
:
3172です
:2013/10/15(火) 17:10:59 ID:Z6WT6I3k
すみません、3171で紹介されていますね。
失礼しました。
3174
:
復興G
:2013/10/15(火) 17:15:25 ID:AB6RqYXc
『文藝春秋』 の11月号に、(困難な局面に立っている) パナソニック新社長インタビューという記事が載っていて、その中で津賀一宏社長がこう言っています。
≪六月末の株主総会では、「創業者が生きていたら嘆かれたでしょう」 という発言がありました。しかし、創業者が生きていたら、嘆くより前に 「じゃ、こうしようか」 と真っ先に行動に移していたと思います。過去の成功にしがみついたり、失敗を憂えたりするのではなく、常に前を向いて改革を進めていたはずです。……≫
と。この 「創業者」 は、もちろん松下幸之助氏です。
また、ある友人はブログにこんな話を書いています。
≪ ある講演会で講師が、机上のコップを手で持つと、コップから水をこぼす仕草をし、こう言った。
このコップに入っている水は、こぼせば 代わりに 空気が入る。
これと同様に コップの水が 「人間我」 だとすると、
これが無くなると 神我(しんが)が入ってくるのである、と。
つまり 利己心、慢心が砕けると、代わりに 「神我」 がとって変わる、ということだ。
それはつまり、人間の生まれ更わりの時なのである≫
と。
私たちもひとりひとりが己を無にして空っぽになって、神我に生まれ変わって――「久遠の今」 に立って、光の前進をして行く時でしょう。
3176
:
志恩
:2013/10/15(火) 19:30:23 ID:.QY5jUA6
復興G様は、
根が正直でいらっしゃいますので、「学ぶ会」が、だいっきらいなので、
すぐに、売らなくてもいい喧嘩を「学ぶ会」に、無意識に売ってしまわれるのです。
悪いくせです。
今、「第7巻の新編生命の實相」が発売になりましたと、
光明掲示板で発表があったばかりのときに、
復興G様ー
>>光明思想社版の 『新編 生命の實相』 は、
編成順が頭注版など、今までの 『生命の實相』 と変わっていて、
「實相篇」 が第2巻に収録されています。これについては、
「著作者人格権侵害ではないか」 という疑問が出ています。 <<
こんなこと、仰ったら、たとえ、過去に「よくやったと思います」と
私は、言ってたんですよ、とおっしゃっても、そのときの言葉は、
帳消しになってしまうのです。
まるで、「新編生命の實相」を否定しているように、聞こえてしまうのです。
将来は、もともとの「生命の實相」も、発売される日が、きっと来ると思いますので、
新編は、新編で、おおらかに見守って差し上げて頂きたいと思っています。
毎度、きついことを、下の者ですのに、上のお方に申し上げて、すみません。
3178
:
復興G
:2013/10/15(火) 20:51:29 ID:AB6RqYXc
「努力」 について。
テキストの92頁〜94頁のところに、次のようにあります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
……ミケランジェロを現代に持ってきたような万能の天才がこの山根八春氏でありまして、「一所懸命に努力をすれば神が自分に入り込んでなんでも上達する」 との信念をもって、今まで努力に努力を重ねて自分の内に宿る神の無限力を開顕してこられたのであります。
「生長の家」 家族になられましてから、外の神が乗りうつるのではなく、努力にしたがって内の神がひらかれてくるのだとお気づきになりました。
日本現代の彫刻家中で最大の読書家であり、彫刻家であると同時に大工であり、指物師(さしものし)であり、左官であり、唐木細工師であり、経師屋(きょうじや)であり、画家であり、天文学、哲学などにも造詣が深いので、人間の能力は、出すようにすればどれだけでも出るとの生長の家の学説の見本をそのままそこに放り出したような人であります。
立仙淳三氏は、まことに山根八春氏の多方面に傑出したる能力を驚嘆して曰(いわ)く、「国勢調査であなたの職業はなんですかと調べに来たら、なんと答えたらよいことでしょうか?」と。満座の人たち山根氏の作品の百数十枚の写真を回覧せられるにしたがってひたすら感嘆して、ただもう言葉が出ないのでありました。
努力の再吟味
この大努力の天才を前にして、「人間には努力が必要か」 という問題が再吟味きれることになりました。
伊東種さんは 「努力なんか要らない。努力などという力みのないところに本当の生命の流れがある」 とおっしゃるのでした。
佐藤彬(あきら)さんは伊東種さんを評して 「努力なんか要らない、要らないといいながら、伊東さんほど努力している人はない」 といわれました。
山根八春さんは、「人は私を天才だといわれますが、わたしには天才はありません。わたしは自分に天才がないということに気づいたから努力しなければならないというので努力に努力を重ねてきました」 といわれました。
伊東さんのおっしゃるところも、山根さんのおっしゃるところもわたしには結局同じように受け取れました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――上記は、とても面白い、と言っては語弊がありますが、なるほど、と思わせて頂きました。
私も、「無我」 になって、空っぽになって、自我の努力でなく 「神我」 にお任せして……と思っているのですが、外から見たら、大変な努力をしている――ということになっているかと思います。
でも、無我夢中で、たのしい努力なんです。
3179
:
トキ
:2013/10/15(火) 21:00:17 ID:whce3742
>>3178
私の友人が、本業の傍ら、絵が趣味で大きなコンテストにも入選されています。この人と
話をしていると、こんな事を述べていました。
『神誌を渡したり、講演会に人を誘うのは立派な伝道であると信じます。が、例えば、生長の家の
信仰をもった人が自分の仕事や特技で能力を発揮し、立派な業績をあげる事も、ある意味では伝道で
はないか、と感じます。それは、真理を仕事や特技で実践し、成功した事例になるので、まだ真理を
知らない人に、生長の家への信頼を高める事になるからです。」
私の周囲にも、真理を学び、仕事や特技で高く評価されている人が多いですが、そういう方々に
話を聞くと、なるほど、と学ぶ点が多いであります。仕事は仕事、信仰は信仰と分けるのではなく
て、仕事と信仰が一体になるのが理想でしょう。復興G様が書かれた部分は実に奥の深い部分であり
ます。
3180
:
復興G
:2013/10/15(火) 21:32:40 ID:AB6RqYXc
>>3179
:トキ様
ありがとうございます。
少し話が変わりますが、
>>3174
でも引用させていただいた、私の友人のブログに、次のようなことも書かれています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
[過去を否定したら自分がなくなってしまいます]
間違った選択で
人生を過(あやま)っても
それも自分の行動の内、
結果に責任をとって
じっくり反省すればいいのです。
「間違った過去を捨てたいですか」
と聞かれれば
私は絶対 “ノー” と答えます。
自己に発するものは全部自己だから、
過去を否定したら
自分がなくなってしまいます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――なるほど。
「過去」 という字は、「過(あやま)ちを去る」 と書いてあるけれども、それは 「過去を否定する」 ことではなかったんだ。
過去も、「すべては尊い生長の過程であった」 と拝んで生かすことだ! と思いました。
谷口雅春先生も、悟りを開かれる前に、随分ご苦労をなさったようだけれども、それがすべて無駄な過ちではなく尊いご体験であり、それがあったればこそ、その過去のご体験が人々を導かれる御教えの尊い肥やしになって、たくさんの人々を救われた。人生に無駄は一つもないのである、とご教示くださったことがあるのを思い出しました。
先生が自伝篇に書かれているように、ご自身やご家族がどちらかといえば病気がちでいらっしゃったために、医学や心霊治療法なども研究された、そうして 「物質なし、肉体無し。神のみ実在」 と悟られた結果が、今回のテキストも縦横に説かれているのだ、とありがたく思います。
すべてのこと、無駄はなく、光明ばかりなんですね。
ありがとうございます!
3182
:
マリーゴールド
:2013/10/15(火) 22:47:22 ID:???
復興G様
本流対策室の3869番に、新編「生命の實相」に対して述べさせて戴きました。
3184
:
神の子さん
:2013/10/16(水) 14:12:22 ID:bc9yGlps
復興G様は、ご自分が散々意見を言ってから、これはここの板では関係ないからと他人を排除されますね。
ご自分が「他の板で述べます」と言ってからまず自分が移動すべきではないでしょうか?
生長の家は、来るもの拒まず去るもの追わずの精神ではなかったでしょうか?
それとも自分の意見にそぐわないものは排除する精神に変わったのでしょうか?
3185
:
「訊け」管理人
:2013/10/16(水) 14:16:06 ID:???
関係ないものは、関係ないのです。そして、場所を考えることと「排除すること」とは、違うと思います。
以上です。
拜
3186
:
神の子さん
:2013/10/16(水) 14:33:37 ID:bc9yGlps
他人を動かさず、自分が先に動きなさいよということです。
3194
:
復興G
:2013/10/16(水) 22:15:57 ID:AB6RqYXc
トキ様、お世話をかけました。ありがとうございました。
皆さま、web誌友会のテーマから外れた発言を私が最初にしましたために、お騒がせして申し訳ありませんでした。
<3159・3162・3177>は、削除して頂きました。
それに関係する皆さまのご発言がまだ残っておりましたら、どうぞ各自 削除要請して下さいますよう、お願いいたします。ありがとうございます。
合掌
3196
:
トキ
:2013/10/16(水) 22:44:24 ID:fy0OTQvA
皆様、宜しくお願いをいたします。
管理人が行き届かず、皆様にご迷惑をおかけして、すみませんでした。
合掌 ありがとうございます
3197
:
a hope
:2013/10/16(水) 23:30:52 ID:Zlo2YeaM
>>3156
>>3157
復興Gさま
『新版 人生を支配する先祖供養』 の「古神道の一霊四魂(いちれいしこん)の説」を謹写してくださりありがとうございます。
<<それで、谷口雅春先生のような 「悟りをひらかれた魂(みたま)」 は、四魂一体の 「一霊」 として自由自在に顕幽(けんゆう)両界を往来して、愛他活動をしていらっしゃるのではないかと私は拝察しますが……これは想像です。
本当のことは、わかりません。誰にもわからないのではないでしょうか。>>
霊や魂の存在は確かですが、霊界や天界がどうなっているのかは本当のところは復興Gさまでも良くわからないのですね。
でも、もし雅春先生の魂(みたま)が、今、現象世界に顕在して愛他活動をされているとしたらどんな形でされているのしょうか・・・、なんか、そんなことを想像するのもまたお勉強になるような気がしています。
>>3160
でマリーゴールドさまが、
<<私は新編が字が大きく読みやすいので、頭注板と合わせて拝読しているのです。>>
とおっしゃっていますが、本当にとても読みやすいです。
光明思想社の編集者の方々が、心をこめて編集してくださっているのがわかります。
わたしは、頭注版「生命の實相」を全巻読破した暁には、自分へのご褒美として新編「生命の實相」を購入していきながら、
心あらたに再拝読してきたいと思っているのです。
3199
:
志恩
:2013/10/17(木) 03:46:10 ID:.QY5jUA6
トキ様
3176と、ここの削除をおねがいします。
3200
:
ユタカ
:2013/10/17(木) 05:04:04 ID:R1D4Jmeg
トキさま
復興Gさまの投稿はここWEB誌友会におけるご指導同様、高い見識とプロフェッショナルな視線からの貴重なご意見で、後世に役立つのではないでしょうか?
ユタカは今、覗いてみて削除は勿体無かった、復興Gさまのは「移動」で良かったのではないでしょうか?
これからは、復興Gさまの貴重なご投稿は「保存」という方向で運営していただきたくお願い申しあげます。
3201
:
ユタカ
:2013/10/17(木) 05:09:56 ID:R1D4Jmeg
トキ様、上記の件よろしくご検討ください。
自分で保存したくても、消えてしまっては・・・コピペも不可能で・・・
3203
:
復興G
:2013/10/17(木) 07:39:35 ID:AB6RqYXc
皆さま、おはようございます。ありがとうございます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ。
(招神歌四首朗誦の後、次の如く祈る)
龍宮実相世界の本宮にまします住吉大神の御前に谷口雅春(ここへ各人の姓名をとなえる)畏みかしこみ祈り奉る。
大神よ、龍宮の本宮より出御(しゅつぎょ)ましまして、大神の稜威(みいつ)をあらわし給いて、
現(うつ)し此の世の迷いの雲を祓い給いて、宇宙いよいよ清まりて、日本国の聖なる実相を顕現せしめ給え。
天照大御神の大御光(おおみひかり)を岩戸の彼方に幽閉することなく、その大御光をあまねく六合(りくごう)に照り徹(とお)らしめ給え。
すめらみことの身に恙(つつが)なく、憂えなく、その御徳(おんとく)いよいよ冴え輝きて、
此の世の人々悉くその光を仰ぐことを得せしめ給え。
凡そ〝悪〝と見ゆることは、実は〝悪〝が存在するにはあらずして、
天照大御神の御光がいまだ其処にあらわれざるという消極的な姿にてあれば、
天照大御神、天之岩戸より姿をあらわし給うならば、光が必ず闇を消すごとく、
此の世のすべての暗雲と不浄と争いと戦いと混乱と騒擾(そうじょう)とは消え去りて、
あとかたも無く、光あまねく人生の隅々までも射貫ぬきて、
一切の禍と不幸とは此世よりその姿を消し去ること必定なり。
今より後、人類に悲しみなく、嘆きなく、苦しみなく、ただ喜びのみに満たされて、
人生の不幸ことごとく消え失せん。
住吉大神、龍宮実相の本宮より出でまして、尽十方(つくし)の光明遍照(ひむか)の、
竪端(たちばな)の音霊(おと)のひびきにて宇宙を浄化したまう時熟しぬ。
堅端の音のアハギが原とは、〝今此処〝の祓いの事であるのである。
即ち迷いをハギ取り実相の完全さを開顕するための言霊五十音配列の竪(たて)の端(はな)にある
〝アオウエイ!!〝の母音が唱えられる場所のことであるのである。
発声の語尾にアオウエイの音霊(おんれい)をつづけるとき、
宇宙すべての言葉は浄まりて、
一切の災いも、病いも、悲しみも、悩みも悉く雲散霧消(うさんむしょう)して、
住吉大神の御光あらわれ、
一切の〝悪〝と見えるものは消え去り、
すべての妖雲はその姿を消し、
今まで覆われていましたる天照大御神の大御光は白日となって六合(りくごう)に照り渡り、
万物・万生ことごとく、その光を受けて、
暗黒は消え、禍は滅し、病いは癒え、争いはなくなり、
まことに天国浄土を今此処に顕現するのである。
そのゆえに我れ今〝竪端の音霊(おと)〝を大神の光を迎え奉るコトバの力として恭(うやうや)しく唱え奉る。
(朗らかに高音にて次の如く朗吟する)
アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!(三回)
(かくて宇宙浄まりて天照大御神輝くことを心に瞑視しながら、〝みすまるの歌〝を次の如く朗誦すること二回)
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。
天照す御神の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
以上、前に a hope様が >1662 で謹写掲示してくださった 〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉 を転写させていただきました。
ありがとうございます。
3204
:
ユタカ
:2013/10/17(木) 08:19:28 ID:R1D4Jmeg
素晴らしいな!復興Gさま!a hope様の続真吟を貼って下さって有難うございます。元気モリモリ!さわやかな朝になりました!
今日も神の子として元気に活躍してまいりま〜〜す!
皆さんもご活躍ください。 行ってきまぁ〜〜す!
3205
:
トキ
:2013/10/17(木) 09:55:24 ID:7C3dP3iM
>>3201
ご投稿、ありがとうございました。
今後、気をつけます。なお、今回の復興様のご投稿については、
復活は可能です。復興G様御自身のご希望があれば、他の掲示版に
投稿する事は可能であります。
よろしくお願いいたします。
合掌 ありがとうございます
3208
:
ユタカ
:2013/10/17(木) 19:44:45 ID:R1D4Jmeg
トキさま
復興Gさまの投稿は全部とっておいて下さい。 いつか絶対必要になると思いますので。
よろしくお願いします。
3209
:
復興G
:2013/10/20(日) 16:36:44 ID:AB6RqYXc
さて、しばらくお休みしましたが、もう一度テキストを最初から読み返してみましょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『生命の實相』 第5巻
は し が き
聖書にあらわれた奇跡の記述において、もっともいちじるしき部分は 『使徒行伝』 であると言わねばならない。しかもそれはキリスト自身の奇跡ではなく、キリストが 「われを信ずる者はわれより大なる業(わざ)を成さん」 と予告したごとく、イエスの弟子たちに起こったところの、常識では判断しがたいような、多くの驚歎すべき奇跡の連続が記載されているのである。しかも、それが二千年前の過去においてではなく、今現実にこの奇跡を諸君自身において起こしうるとしたならば、過去の奇跡を聖書において求むるよりも、まず現代において、現実にそれを手近に求めて、その奇跡の力をわがものとなすべきではないでしょうか。
本書は民間のいろいろの治療法に言及し、いっさいの医療はもちろん、民間療法の門をくぐってなお癒えなかった人々が、ひとたび心をあらためて 「空手(くうしゅ)の生活」 にはいり忽然(こつねん)として長期間の難症より快癒した実例を本人の体験を通じて述べつつ、その快癒する心境の叙述により、その過程を自己の心的体験となし、自然に読む人の信念が高まり、「なるほど、ここだ!」 と、悟りの「コツ」とも言うべきものに悟入するように書かれているのである。
この頭注版 『生命の實相』 全集の第一巻より第四巻に至るまでにおいて、あるいは哲学的、あるいは心理学的に、あるいは宗教的に述べ来(きた)った 「人間本来完全円満」 の真理が、この第五巻においては体験的な真理の体得となって果を結ぶように編纂されているのである。
特に第七章においては、キリスト教および仏教――特に曹洞宗、真言宗、浄土宗、日蓮宗、天理教、金光教等が、その説かれている神髄がいずれも 「同一真理」 であり、教義の外観にとらわれないで、その同じき 「一つの真理」 を把握するとき、万教はただ一つの真理に帰一すること、しかも、それがただの総合や、各宗派の寄せ集めて最大公約数にしたというようなものではなく、「生ける救済の真理」 の把握であることが、この真理を生活に実践して、奇跡的な生活改善の効果をあげえた人々の事実によって証明されているのである。
治病の奇跡的な出来事は、その生活改善的効果のわずかに一部分にすぎないのである。わたしはすべての人類がこの宗派を超越して、すべての宗教に内在する唯一の共通的真理に触れられ、世界の万教が仲よく手をつなぐ時期の来るであろうことを待ちのぞむとともに、本書に掲げられたような無数の奇跡とも見えるごとき生活改善の実をあげられるよう希望するものである。
天国はこの普遍の唯一真理をわがものとする人の掌中にあるのである。
昭和三十七年八月二十日
著 者 し る す
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<つづく>
3210
:
復興G
:2013/10/20(日) 16:39:41 ID:AB6RqYXc
<つづき>
以上の 「はしがき」 の後半の方に、「生ける救済の真理」 というお言葉が出てまいります。
「生ける救済の真理」 とは、何でしょうか。
そもそも、宗教の目的とは、人間の救済、「救い」 にあるということができると思います。では、その宗教的な 「救い」 とは、いったい何でしょうか。
病気が治ることでしょうか。金が儲かることでしょうか。自己や災害から守られることでしょうか。
それらも、一時的な救いにはなるでしょう。
しかし、そんなことは一時的な、影としてのあぶくのような救済であって、やがてみんな死んで行くのだとすれば、根本的な救いにならないことは明白だと思います。
宗教的な意味に於ける根本的な救いとは、
≪人間は環境の奴隷となっている、「死すべきもの」 である肉体人間の自覚から、環境の主人公である 「真の人間」 に生まれ変わって、自由自在を得ること。「神の子」 「至上者」 の自覚を得て、真生命が解放されること。≫
と言えるのではないでしょうか。
つまり、「神の国はわが内にあり」
「人間は神より出でたる光なり」
と知ること。
「自分の内にすべてがある。私は太陽である。世を照らす光として生まれた者である」 と自覚することであると思います。
今夜は、これからリアルの誌友会に出かけます。
また明日以後に書かせて頂きましょう。
3211
:
a hope
:2013/10/21(月) 00:14:10 ID:Zlo2YeaM
復興Gさま みなさま こんばんは。
わたしは今、聖典「生命の實相」40巻読破に向けて、時間さえあれば「生命の實相」を拝読しています。
ちなみに、現在、第26巻の教育実践編を拝読中です。
>>3210
で復興Gさまがおっしゃるている
<< 宗教的な意味に於ける根本的な救いとは、
≪人間は環境の奴隷となっている、「死すべきもの」 である肉体人間の自覚から、環境の主人公である 「真の人間」 に生まれ変わって、自由自在を得ること。「神の子」 「至上者」 の自覚を得て、真生命が解放されること。≫
と言えるのではないでしょうか。つまり、「神の国はわが内にあり」「人間は神より出でたる光なり」と知ること。
「自分の内にすべてがある。私は太陽である。世を照らす光として生まれた者である」 と自覚することであると思います。>>
この内容は「生命の實相」全巻を通して、色々な角度から、様々な体験談を通して、言葉を変えながら何度も説かれている「生長の家」の中心真理なのだと思います。
そして、このすばらしい自覚(悟り)は、聖典「生命の實相」を繰り返し拝読するだけでおのずと得られると書かれているのです。
実際に、今のような教団組織も練成会も総裁の講習会もなかった昔は、「生命の實相」の真理の言葉の一部を読むだけで、
病気が治ったり、運命が好転するような奇蹟が頻繁に起きていて、それにより真理に目覚め救われる人が続出していたのですものね。
そんなことから考えると、今の「生長の家」で昔のような奇蹟が起きなくなって、人々が救われなくなっているのは、
余計なことを学びすぎたり、現象の運動にこだわりすぎているからなのではないのでしょうか・・・?
「生命の實相」こそまことの聖典で「生長の家」の神殿なのですから、本当に真理を悟り救われたかったら、
余計なことはしないで、聖典「生命の實相」だけ拝読していればいいのではないかと感じています。
3212
:
ユタカ
:2013/10/21(月) 09:11:33 ID:R1D4Jmeg
おはようございます。ユタカは今日は3週間ぶりに自分の時間が持て、>3209〜3211をゆっくり読むことができて幸せな気持ちになりました。
復興G様が一人ひとりが現象を超えて太陽のように輝く人生を創造、発展していけることの喜びを毎回ご解説下さり、a hopeさまが、講習会等の体制の整備がなされていない時代などは、直接谷口雅春先生のご文章から学んでいけていたとのことに勇気を頂きました。
『生長の家』の御教えは「完成されている」と思いますので、a hopeさまの仰る事よく理解できます、私達は、仕事、家庭、地域などを通して「生長の家」を生きるという事が大切なことなのではないかと、みなさんとお勉強をするうちに分かってきました。
ですから、今は大衆に溶け込むこともとても大切で、また七つの燈台の神示も非常に重要で人生の根本と思います。
で、今日は久しぶりにうなぎやさんで両親孝行してまいります。。。^^
先の素晴らしい投稿に圧倒されてユタカの投稿は気がひけてしまいますが・・・
P、118 L3
「聖典『生命の実相』を注文して聖典が到達すると同時に、不思議に病気が軽快した例は沢山あります。これは本人の潜在意識が本の内容を読んで真理を知ったというよりも、
聖典『生命の実相』を護持している霊界の諸神諸霊がある。
その霊界の諸神諸霊たちが、危険の瞬間、霊界から守護の手をくだして聖典の所持者をその危害から救ったのだと思われます。
以上の箇所に『生命の実相』の聖典が本当に『神殿』である事の一部をご紹介下さっています。
ますますWEB誌友会の素晴らしさがよく分かります。トキさま、復興Gさま、ご参加のみなさまにさらに感謝いたします。
3213
:
復興G
:2013/10/21(月) 11:14:34 ID:AB6RqYXc
a hope さま、ユタカさま、ご投稿ありがとうございます。
>>3211
:a hopeさま
>>実際に、今のような教団組織も練成会も総裁の講習会もなかった昔は、「生命の實相」の真理の言葉の一部を読むだけで、病気が治ったり、運命が好転するような奇蹟が頻繁に起きていて、それにより真理に目覚め救われる人が続出していたのですものね。
そんなことから考えると、今の「生長の家」で昔のような奇蹟が起きなくなって、人々が救われなくなっているのは、余計なことを学びすぎたり、現象の運動にこだわりすぎているからなのではないのでしょうか・・・? <<
――その通りだと思います。それは
>>3212
:ユタカさま
>>「聖典『生命の実相』を注文して聖典が到達すると同時に、不思議に病気が軽快した例は沢山あります。これは本人の潜在意識が本の内容を読んで真理を知ったというよりも、聖典『生命の実相』を護持している霊界の諸神諸霊がある。その霊界の諸神諸霊たちが、危険の瞬間、霊界から守護の手をくだして聖典の所持者をその危害から救ったのだと思われます。(p.118)<<
によっても明らかで、人々が救われるのは、必ずしも現象界の教団によってではない。「真理」 により、また霊界の諸神諸霊の守護の手によって救われるのですね。
それで病気が治ったり、運命が好転するような奇蹟が頻繁に起きて、そこから 「神の子・人間」 の根本真理に目覚めて救われる人も続出したのですね。
昨夜 私はリアルの誌友会に出講で、会場リーダーからの注文が、「日時計主義の生活」 というテーマで話してほしいということでした。幸いにして、使用するテキストは一任ということでしたから、私はためらわず 『生命の實相』 第7巻の 「生活篇」 を使いました。
第7巻 「生活篇」 は、読むにつれ、命が燃えてきます。やる気に火がつきます。「生きていてよかった!」 と、ますます勇気と希望がわいてきます。
谷口雅宣総裁の 『日時計主義とは何か?』 という本もあります。しかし、これを読み始めると、屁理屈ばかりなのにうんざりし、やる気を失ってしまうことの方が多いです。これをテキストに使うと、誰も乗ってきません。なぜでしょうね。
これから出かける用がありますので、また夕方以後に投稿をしたいと思います。ありがとうございます。
3214
:
トキ
:2013/10/21(月) 19:07:40 ID:3mgcm06U
偶然ですが、ある教区の信徒さんから、近所の人が神経系統の病気で悩んでいるので、
何とか救ってあげたいが、どうしたらいいでしょうか? という相談がありました。
状況が深刻なので、早く返事が欲しい、また、いい本があったら送って欲しい、という
内容でした。
その教区にも、教化部があるのですが、どうも環境保護のお話ばかりで、個人救済は
してくれないみたいです。思案していると、生長の家宇治別格本山の体験談集『宝蔵」
が目についたので、バックナンバーをまとめて宅急便で送りました。すると、数日後、
体験談集と『生命の実相」を何冊か一緒に進呈すると、その近所の人の病気が快癒した
というので、本日、その信徒さんが地元の名産を一山送って下さりました。
生命の実相は、今も救済に大いなる力を発揮すると痛感した次第でありました。
3216
:
復興G
:2013/10/21(月) 20:33:20 ID:AB6RqYXc
>>3213
のつづきです。
私は、考えます。
宗教の目的は、人間の救済、「救い」 にある。
では、人間の救済、「救い」 とは何か。
それは、「幸福」 を与えることである。
では、「幸福」 とは何か。
幸福論と言えば、西洋の古典ではカール・ヒルティの 『幸福論』、アランの 『幸福論』 などが有名で、私も学生時代(約60年前)に読んで今も持っています。
谷口雅春先生も 『幸福の哲学』 『幸福の原理』 『幸福生活論』 といった本も書かれていますし、『生命の實相』 第7巻生活篇の冒頭にも
<<われわれは人間として生まれて来た以上、幸福に暮したい。これは人間として、本能的にもっている欲望である。しかし人生はそんなに幸福な人ばかりで充たされていない。それはどうしたわけであろうか。その一つは彼らが「心の法則」を知らないこと、その二つは幸福とはなんぞやということを知らないからである。
……(中略)人間は金があっても必ずしも幸福にはなれないが、心をこの生き方にしたがわすとき、ひとりでに幸福になれるのだ。>>
と書かれています。
比較的最近に面白いと思ったのは、2005年2月28日付けの “TIME” 誌が “THE SCIENCE OF HAPPINESS” (幸福の科学<心理学>)というのを特集している記事です。それは雅宣先生の 『日時計主義とは何か?』 の101頁にちょっと紹介されており、私はその “TIME” 誌を買って持っていました。
そこでは、世界の著名な心理学者たちがメキシコに集まって 「人間は何をもって幸福を感じるか」 についての調査結果などを発表し合った結果が17頁にわたってレポートされているのですが、集約すると、幸福の条件は金でもなければ健康でもない。持続的な幸福感は、明るい感謝の心や宗教心から得られる、という結論になっています。
要するに、幸福は外的条件によって得られるのではなく、人の心にある、ということだと思います。
幸福は、外にはない。内にある。感謝の心にある。
このことに気が付かせ、大安心の心に導くのが宗教的救済であり、その救済をもたらすのが宗教の第一の根本的役割であろうと思うのです。
さて、生長の家は今、その第一の根本的役割である宗教的救済を人々に与えているか。
人間を、本来の 「神の子」 と見ず、自然環境を破壊する悪者の肉体的人間を見て、「人間至上主義はいけない」 「CO2排出を削減しなければ人間は救われない」 として環境問題にばかり力をそそぎ、宗教としての第一の根本的役割である 「人間救済」 をおろそかにしてきたのではないか。
だから、信徒がどんどん離れて行って、教勢がどんどん落ちているのではないか――。
3217
:
復興G
:2013/10/21(月) 20:36:05 ID:AB6RqYXc
>>3214
:トキ様
ありがとうございます。本当に、そうですね。
3218
:
復興G
:2013/10/21(月) 20:58:17 ID:AB6RqYXc
ところで皆さま、このweb誌友会のテキストですが、今月は 『生命の實相』 の第5巻前半ということでやってきました。しかし、a hope様は全40巻読破に向けて、時間さえあれば「生命の實相」を拝読し現在、第26巻の教育実践編を拝読中ということですし、ユタカさまが引用されたp.118も第4章で第5巻の後半に入っています。それで、もう 「前半」 という枠をはずし、今月は第5巻全部ということにして、今後毎月1巻ずつ勉強することにしたらどうかと思います。いかがでしょうか。
3219
:
トキ
:2013/10/21(月) 21:01:45 ID:3mgcm06U
>>3218
私は賛成いたします。今後ともご指導のほど、お願いいたいます。
3220
:
ユタカ
:2013/10/21(月) 21:11:13 ID:R1D4Jmeg
さて、生長の家は今、その第一の根本的役割である宗教的救済を人々に与えているか。
人間を、本来の 「神の子」 と見ず、自然環境を破壊する悪者の肉体的人間を見て、「人間至上主義はいけない」 「CO2排出を削減しなければ人間は救われない」 として環境問題にばかり力をそそぎ、宗教としての第一の根本的役割である 「人間救済」 をおろそかにしてきたのではないか。
だから、信徒がどんどん離れて行って、教勢がどんどん落ちているのではないか――。
全くそのとおりーーー!!!だと思います。
しかしだからこそ、真剣に勉強できるし、本当は100年後にこういうことが起きて収集がつかなくなると言うことが起こるかも知れないところをいち早く分裂沙汰が起きたのも何かの救いかも知れません。まだ、開祖先生をご存知の方が沢山いる時代だから素晴らしいです。 やる気の出ない駄本も使命を果たしているのではないでしょうか??
雅宣総裁が亡くなったら、さらに素晴らしい生長の家が出てくるような気がします。総裁先生の没後の話で申し訳ありませんが・・・
3221
:
ユタカ
:2013/10/21(月) 21:13:35 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
>>3219 賛成でーーーす。。。
いつも素晴らしいアイデアをありがとうございます!
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