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フェイク『男』のチラシの裏

124フェイク『男』:2006/06/01(木) 19:21:52 ID:3Qb2aQ7s
690 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/01(木) 19:07:20 ID:ce8cATwZ
宇宙の広大さに比べれば人間など本当に小さなものだが、
宇宙は白痴である(と考えられる)のに対し、人間は宇宙を考察し理解しようと出来る。
──というのは、誰の言葉だったか。

688 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/01(木) 19:05:40 ID:ce8cATwZ
五部「ベイビィフェイス」は「連続性の破壊」を暗示するスタンドだと考えられる。
このスタンドはDNA(生命の連続性)から誕生し、親子の連続性を否定する「親殺し」の任務を目的とする。
また、その能力は過去から未来へと連続性を保ち、段階的に変化していくはずの諸々の物体を、
一瞬にして全く作り変え別のものにしてしまうというものだった。
生命を産み出すという点ではよく似ているが、その内面では真逆の精神性を有するスタンド、
ゴールド・Eのジョルノによってこれが撃破されたのは、正当な展開だと言えるだろう。

125フェイク『男』:2006/06/11(日) 00:51:53 ID:AcNUtdaY
100 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/11(日) 00:50:35 ID:JrlkGqRR
未だ人類にその全容は明らかにはならないが、(少なくともジョジョの)世界には確固とした『法則』や『因果』が存在し、
全くの出鱈目なランダムさだとか、未来永劫まで人智の及ばぬ『混沌』などはありえないと考えられる。
それはつまり、どのような『謎』に対しても、人間の知性はそれを暴き立てるか、さもなくとも少しは抵抗が可能なものであり、
全く理論を超えた名状しがたい存在だとか、想像を超えた宇宙的恐怖の類も存在しないということだ。
また世界に『絶対的な法則がある』ということは『真実が存在する』ということでもある。ならば『真実に向かう』ことも出来る。
読者諸氏におかれては、是非とも見せかけの恐怖や薄っぺらな邪悪に負けないだけの勇気を携え、正義の道を目指してほしいものだ。

126フェイク『男』:2006/06/16(金) 01:30:49 ID:a8PknQ2w
408 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/16(金) 01:27:01 ID:AXgUIKBx
ジョジョ三部のスタンド使いには、己のスタンドと直接関係無い場面においても、己のタロットの暗示の通りに動く者が多い。
これは漫画的には、ただ単にキャラの行動の元ネタをタロットカードから引っ張っているというだけの話だが、
作中の理論で考えれば、その人物の「運命」なり「天性」のようなものを、タロット占いにより読み取っているのだろう。
また、四部以降の洋楽を元ネタとしたスタンドの中にも、その内容を能力に反映しているものもいくつかあるようだ。

ただ私個人の考え方としては、名前はあまり重視していない。
ここのスクリプトからして名前はランダムだし、スタンドの名前はその本体自身がめいめい勝手に付けるという場合が多いからだ。
極端な話、面白ければ同じ名前をもつスタンドが複数体出現しても良いではないか、と思っている。

127フェイク『男』:2006/06/16(金) 01:31:05 ID:a8PknQ2w
407 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/16(金) 01:26:13 ID:AXgUIKBx
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
(ヨハネによる福音書、冒頭)

六部冒頭、グェスが徐倫に対してそうしたように聖書を引用してみると上記のようになる。
人間は何かを「思考」するためには「言語」が必要なので「言が神であった」というのも全くの出鱈目ではないのかもしれない。
さして、一つ一つが全く異なる「命」を有するスタンドならば、それぞれに固有の名前があって当然だ。
(なお私は聖書の専門家でも何でもないので、何かマズいことが書いてあっても真に受けずネタだと受け止めてもらいたい)

また「名前を付けることで力をイメージしやすくなる」というのも確かにあるのだろう。
歴代ジョジョも、自分のスタンドに名前が付けられる/名前を付けることで覚悟を決め、己の精神性が固まったという側面がある。
(近距離だか遠距離だか判らないスタンド→最強の近距離型スタンド「星の白金」
 殴ったものを歪めてしまう→殴ったものを完全に修復できる「クレイジー・ダイヤモンド」
 糸だけではなく人型の塊も出せるようになった「ストーン・フリー」
 足の爪も回転させられるようになり、本体が下半身不随となってから初めて自分だけの力で勝利を収めた「タスク」)

128フェイク『男』:2006/06/16(金) 01:31:18 ID:a8PknQ2w
405 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/16(金) 01:24:35 ID:AXgUIKBx
「デッドマンズ・Q」は正確にはジョジョではないのだが、ジョジョ本編とD・Qの間に共通する概念や人物が出ていること、
作者荒木が世界観をわざわざ描き変えているようには見えないことから、考察の材料として扱っても問題ないように思われる。
それを踏まえて、六部の異色スタンド「リンプ・ビズキット」は、死体を元に「透明なゾンビ」を作り出すという変な能力なのだが、
恐らくあの「透明なゾンビ」なるややこしいものは、死体の「魂」をこの世に呼び戻した「暴走する幽霊」のようなものなのだろう。
「暴走する幽霊」は「自分だけの居場所」が無いために、スタンド使いにもその姿を見ることが出来なかったのだ。
(恐らく、エンポリオならば「透明なゾンビ」を視認することも出来ただろうと思われる)
またD・Qの世界観では「死者の魂の生まれ変わり」は確認されていない。
(むしろ「魂の掃除屋」のことを考えると、「あの世」なんか存在せず、幽霊はただ食われるのみとも考えられる)
そして「透明なゾンビ」に人格が認められず凶暴化していることから、あれは「あの世」から魂を呼び戻す能力ではなく、
死体を元に「魂の複製」を作り出す能力と考えた方が辻褄が合うと推察される。

129フェイク『男』:2006/06/20(火) 20:21:01 ID:rFzkXhyY
674 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/20(火) 20:15:10 ID:kTD/2xTF
破壊力・スピード・精密性の三条件を備えるスタンドはほとんどが近距離型か、
あるいは遠隔パワー型でも発現できる場所には制約があるタイプが多いので気づかれにくい事実なのだが、
例えばC−MOONがそうであるように、上記の三条件と遠射程の四つの全てを備えたスタンドは、
こと格闘という分野においては立体的、「アクロバット」的な動きを多用できるために、
本体があくまでも人間並みでしかないほとんどの近距離パワー型のスタンドに比べて、相等有利な戦いが出来ると考えてよい。
これに抗するには、「星の白金」のように凄まじいパワーや精密性をもって本体ごと移動するとか、
「ストーンフリー」のように本体と同化して格闘するなどの対策が必要になるだろう。

673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/20(火) 20:13:52 ID:kTD/2xTF
絵によってキャラに異なる色を塗るという作者の色彩感覚のせいもあるのか、スタンド能力には「色」の要素がほとんど存在しない。
スタンドは超能力の視覚化であり、少年漫画は白黒印刷なのだから、色という要素に重点を置くわけにはいかないのだ。
漫画を媒体としない二次創作などにおいても、それを小説などで描写する限りは同様だといえる。

672 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/20(火) 20:12:49 ID:kTD/2xTF
通常のスタンドが、自分の能力を様々に活かして本体の望む結果を作り出そうとするのに対し、
この世の「真実」を体現するレクイエムとは、結果に対する過程を制限無く作り出せるという性質なのかもしれない。
GERの能力効果の有無を言わさぬ絶対さやチャリオッツ・レクイエムの迷走具合は、そう考えると納得できるほどのものだった。
理論的な考察には程遠い感情的印象論ではあるが、ここに記しておく。

130フェイク『男』:2006/06/20(火) 20:21:30 ID:rFzkXhyY
671 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/20(火) 20:11:21 ID:kTD/2xTF
結局いまいち能力が定まらなかった印象のある「キャッチ・ザ・レインボー」だが、構造的に考えれば、
このスタンドは「自分の肉体を雨粒に混ぜ込み、これを念動力のように動かし固める」ものと言えるだろう。
「本体肉体の一部を切り離して固める遠隔操作」「本体肉体の全てを雨粒に同化させ離れた場所に固めることでの高速移動」
といった精密な利用は本体である自分自身の肉体にのみ適用され、そこからは離れると「雨粒の空中固定」に限られるという訳だ。
扱うものが「雨粒」という限定された、また環境に大きく依存するものであることや、
水という自由さを感じさせる物質を媒介にしていながら「固定」という束縛的な用法であることは、
本体ブラックモアの、神(≒運命)より与えられた使命を重んじるという思想性に由来する。

670 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/20(火) 20:09:55 ID:kTD/2xTF
神に対しては大天使ルシファーが、イエスにはユダが、プッチ神父にはヴェルサスがそうであったように、
聖なるものには、それを倒し成り代わろうとする対抗者が存在するものらしい。

131フェイク『男』:2006/06/20(火) 20:21:43 ID:rFzkXhyY
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/20(火) 20:08:19 ID:kTD/2xTF
ジョジョの世界には現実世界との明確な違いとして、「霊的引力」とでも呼べるものが存在する。
スタンドや幽霊といった超常的な存在の数々は、全てこれによって説明できる。
さて、「引力」というものは非常に遠くまで届く力であり、宇宙的な規模において重要な要素となるのだが、
この大宇宙で知性ある生命が存在するのは(我々人類の既知の範囲において)地球だけであるらしく、
「霊的引力」が存在し、生物がそれを「幽霊」や「スタンド」という形で操るジョジョ世界においては特に、
地球が宇宙に及ぼす影響は他の星々に比べ圧倒的に高いということになる。
DIOとプッチ神父の起こした「宇宙の一巡」はその最たるものであろう。

668 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/20(火) 20:07:05 ID:kTD/2xTF
スタンドは「一人一能力」であり、本体の有限の精神力をある特定の、限定された分野に集中して発揮するものだ。
ならば当然のこと、よく似た能力があるとするなら、それは特定状況下に限定された能力の方が「強い」と言えるだろう。

132フェイク『男』:2006/06/21(水) 01:37:32 ID:UWt3yO4A
667 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/06/20(火) 20:06:08 ID:kTD/2xTF
ギリシア神話の木の精霊ドライアドは男性を誘惑して時を無駄に過ごさせるという。

133フェイク『男』:2006/07/16(日) 22:44:46 ID:alm8rMjQ
687 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:40:30 ID:FSbFRIou
身体をバラバラにする能力というものは「自由」なものだが、しかし自由に出来ない「不変」の中心点を常に伴うようだ。
例えば「愚者」は本体自身は全く砂に出来ないし、「ストーン・フリー」は心臓や脳までは糸に出来ない。
SBRにおける二大バラバラスタンド使い、マウンテン・ティムとブラックモアについては、その精神性までもが対照的であり、
かつては自身の命を繋ぐために発現し、最期まで人の愛に生きたマウンテン・ティムのスタンドと、
命を捨ててでも「使命」を遂行し神の愛に生きるブラックモアの「キャッチ・ザ・レインボー」はそれを示している。

685 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:38:36 ID:FSbFRIou
スタンドとは個人の欲望や精神の現れであり、ほとんどのスタンドが格闘技術を備えるのは、生物の闘争本能に由来すると言える。
ならば、大多数のスタンドが武術や格闘技を使わず単純な暴力のみで戦うのも、
それが原始的な破壊衝動から生じる、肉体よりも精神に根ざす力だからだと見なせる。
スタンドに本体の格闘などの技術を取り込むには、誕生時からそれを見据えたスタンドであるか、
「ストーン・フリー」のように、スタンドと本体が一体になることが出来るなどの条件が必要になるだろう。

683 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:35:51 ID:FSbFRIou
タロットカードの八番目「力」の中には、乙女が猛獣を手懐けているという図柄のものが存在する。
これは理性の通用しない本能的な野性の暴力を、より高次の意志や精神性で制御することを示しており、
その超巨大な貨物船の実像は、母なる海にその自重をゆだねることで成り立っていることを示している。

683 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:35:51 ID:FSbFRIou
そこらのやりこみ攻略動画によれば、スーパーマリオ1はたった五分でクリアできるそうだ。
ハンマーブロスを踏み殺すことも出来ない俺には想像もつかないことだが。

134フェイク『男』:2006/07/16(日) 22:45:04 ID:alm8rMjQ
682 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:34:31 ID:FSbFRIou
「人には『使命』がある……肉体的な小さき『命』なぞ超越した、大いなる『使命』が!」(ブラックモア)
ジョジョ六部の最終決戦は、人類に運命を知らしめ、運命を成すことこそを正義とするプッチ神父と、
人の自由意志により正義を成すことが運命、引力=愛とするエンポリオとの決着だった。
そしてSBRにおいては、この二者の考え方は纏め上げられ、更に突き詰められている。
法に関わらずただ己の職分を果たすグレゴリオ、「納得」を求めてレースに身を投じるジャイロ、
命を賭けた決闘で光輝く道を見い出すリンゴォらは皆、それぞれの方向性こそ異なるものの、
神の定めし運命と人の求める正義の合一、すなわち「使命」の遂行を人生の目的としている。
またこのような思想をハッキリと自認しているブラックモアはそのために、
己の精神や欲望の発露であるはずの「スタンド」能力の発動条件を、
神の運命や天命を象徴する「天候」へと完全にゆだねることが出来たのだろう。

680 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:32:14 ID:FSbFRIou
タロットカードの七番目「戦車」は、理性と感情を示す二頭の獣をうまく制御することで、
未知の闘争へと己を走らせ、これを制圧するという「侵略と勝利」を暗示としている。
本体ポルナレフが直情的な性格・復讐という感情的な目的を抱きつつも、
剣術という理性的な技術を戦闘手段としている点はこれを意味しており、
またこの暗示は、チャリオッツ・レクイエムの能力にも受け継がれていると言える。

679 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:31:25 ID:FSbFRIou
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。(ニーチェ)

135フェイク『男』:2006/07/16(日) 22:45:20 ID:alm8rMjQ
678 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:30:25 ID:FSbFRIou
スタンドの中には、自身の有する能力に関する事象を感知することが出来るものも存在する。
この技能は、スタンドが本来の一つの能力に練達することで、己の能力に関する物事を、
能力使用の手ごたえなどから感知するという、応用的な「スタンドの技術」であると考えられる。
ジョジョ原作においては、炎の揺らめきより気温や気流を読み取る「魔術師の赤」の生命探知機、
体温丁度で爆発するための「シアーハートアタック」の熱探知、養分吸収のための「ハイウェイスター」の嗅覚、
接触した物体に対して生命の有無や個数を判別できるようになった「黄金体験」の生命探知などがこれに当たる。

677 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:29:30 ID:FSbFRIou
精密動作性Bクラスのスタンドの中には、スタンド像が本体の有する技術を扱うことで、
特定の分野においてはAクラスに匹敵、もしくはそれ以上の精密性を発揮するものがある。
本体ポルナレフの剣術の究極「銀の戦車」、本体アナスイの分解技術を活かした「ダイバーダウン」、
頑強かつ歴戦の肉体を有する吸血鬼DIOを本体とすることで、格闘戦においては星の白金を上回る「世界」、
そして銃の天才ミスタの「セックスピストルズ」などがこれに当たる。

676 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:28:31 ID:FSbFRIou
スタンドの中には「個人の意志によって世界を改革する」ために発現しているものも存在する。
そもそもスタンドというものは、個人の精神力が物理法則を超えて外界へと影響するというものではあるが、
その究極形ともいえるこれらのスタンドは、どれも非常に強大かつ重大で、歴史や世界観をも動かしかねないものだ。
ジョジョ原作においては、社会の落伍者ウンガロによる現代社会への復讐「自由人の狂想曲」、
人種差別の犠牲者ウェザーによる差別無きカタツムリ天国「ヘビーウェザー」、
人類の指導者プッチ神父の「メイド・イン・ヘブン」が存在する。

136フェイク『男』:2006/07/16(日) 22:45:45 ID:alm8rMjQ
674 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:26:14 ID:FSbFRIou
己を知り敵を知れば百戦百勝危うからず、とは言うものの、己を知る「自覚」とはやはり困難なものだ。
例えば漫画家・岸辺露伴は自分のスタンドの根源を「新たなネタが欲しい」ことだと捉えていたが、
そのスタンド「天国の扉」と本体である彼自身の性格を踏まえた分析を行えば、別の理由を見い出すことも出来る。
(参照:「天国の扉」存在理由…>>7の上段)
もし上記の考察が本当だったとしても、露伴は自分が下らない他人の心を理解し配慮したいなどとはそうそう認めないだろう。

673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:25:23 ID:FSbFRIou
「クレイジー・ダイヤモンド」は仗助の「優しい性格」と「ブチギレる側面」を両立させる能力だと言える。
彼が本当にプッツンしたとき、「クレイジー・ダイヤモンド」は対象を殴ると同時に、
「全力を出している」がゆえに治す能力をも発揮してしまっているようだ。
だからこそ星の白金をも上回るパワーのクレイジー・ダイヤモンドを一般人相手の暴力沙汰に使っていたにも関わらず、
死人が出たり大きな事件になったりはしなかったのだと考えられる。

137フェイク『男』:2006/07/16(日) 22:46:51 ID:alm8rMjQ
666 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:16:57 ID:FSbFRIou
スタンドの中には「人の技術の未熟さや不完全さを補うため」のものがある。
本来は努力で立ち向かうはずの技術的な問題も、超能力的要素で解決してしまえば、空いた時間を更に有効活用できる。
こういうある意味「冷めた」精神から発現したこの類のスタンドは、直接的な解決ゆえに即効性はあるものの、
工夫の余地が少なく、成長性や発展性が見込めないという特徴がある。
ジョジョ原作においては、必中の保障が無い不安定な飛道具を確実に命中させるための銃「皇帝」、
また、どんな武器でも使い手が素人では役に立たず、それならと武器の方に精神と技術を宿らせた「アヌビス神」がこれに当たる。

665 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/07/16(日) 22:14:42 ID:FSbFRIou
ジョジョ五部のボス・ディアボロは、女囚だけの刑務所の中で産まれるはずも無く産まれ、
気弱な少年時代からは想像出来ないほどの邪悪な性格、そうあるはずのない精神を構築し、
そのスタンド能力もが、運命から外れる効果、この世界との繋がりを断ち独り立つという性質を備えている。
これらの非常に特異なキャラクター性から類推して、「ディアボロ悪霊説」という見方がある。
ディアボロは何か超自然的・幽霊的な存在、それこそ運命を支配する神に次ぐ「悪魔」のような存在であり、
今はドッピオと呼ばれる少年の辛い人生の中、その増大した心の暗黒面に憑依したという考え方である。
このことは、彼がGERに敗れ「永遠に死に続けている」という現象を、単なる幻覚などではなく、
ディアボロの魂は実際に死にゆく様々な人々に(二重人格のように、またチャリオッツ・レクイエムの時のように)乗り移り、
彼らの死の体験を延々と「肩代わり」し続けているという考察に繋げることも出来る。

138フェイク『男』:2006/08/10(木) 00:53:57 ID:DoApzn2Q
644 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:49:55 ID:EwxfkpHt
三部・四部のスタンドのパラメータの初出は「JOJO−A−GOGO」なのだが、その設定の中にはかなり適当なものが含まれている。
例えば星の白金とクレイジーダイヤモンド、本編中ではどちらも射程1〜2mと言及されているのだが、
この書籍では前者の射程距離が「C」、後者が「D」と表記されている。
これを無理に解釈するならば、スタンド像の射程(2m)と能力の射程(時間停止…宇宙全部、物体修復…百m程度)を
「合わせた」判定だと考えるのが妥当なところだろう。だが「黄金体験」の射程はEとなっているので、
それで一貫しているわけではなく、所々で判断基準が一定していないのは明らかだ。

642 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:48:11 ID:EwxfkpHt
ジョジョの世界には食らったら終わりというような「最強の攻撃」はいくつも登場するが、
それに反して、どんな攻撃でも防げると言う「無敵の防御」はほとんど存在しない。
恐らくは、物事の全ては崩壊していくというエントロピーの法則だとか、
完全なるものは存在し得ないという因果法則に基づく設定なのだろう。

641 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:47:17 ID:EwxfkpHt
ジョジョ三部のアレッシーがロリペドオタクの変態野郎であることは明らかだが、
彼と同時にジョセフらを攻撃したマライアの方は、いわゆる腐女子をモチーフとしていると思われる。

641 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:47:17 ID:EwxfkpHt
プッチ神父の天国理論は、我々平和な世界に暮らす日本人にはあまり共感できない話だ。
だが、プッチ神父の理論はまさしくそのような人間の「感情」的な判断を否定しているため、
彼の理論に共感できないからといって、これを感情論で退けることは出来ない。
「正義をなすことこそが運命」と断じたエンポリオのように、あくまでも理論的に否定しなければならないだろう。

139フェイク『男』:2006/08/10(木) 00:54:27 ID:DoApzn2Q
638 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:43:53 ID:EwxfkpHt
D&Dというファンタジー・ゲームに「ワンド・オブ・ワンダー」という魔法の品物が登場する。
これはゲームにおいては「使ったら何が起こるか判らない」というアイテムなのだが、このゲームの小説においては、
この品物は「使ったら何が起こるか判らないが、結果として使用者を援護するような物事が起こる」という効果に変更されていたそうだ。
このように、ゲームではなく漫画や小説といった創作物においては、ランダムさを介する物事というものは直接には扱えない。
「何が起こるか判らない能力」「低い確率でのみ成功する能力」などというものも、
それを決定するのは結局のところ「作者」なのだから、結局は作者の御都合主義を感じさせてしまうだけだ。
ジョジョにおいて、ランダムさに関わるスタンド能力はいくつか登場するが、どれも偶然や確率を直接描写するのでなく、
それを超越した、より大きな概念を扱うことで、御都合主義の問題を乗り越えているようだ。
例えば勝負は時の運であるはずのギャンブルでの勝利を条件とする「オシリス神」は、
「イカサマはばれなければイカサマじゃない」という名目で、イカサマをどう攻略するかの知略戦となり、
勝敗はランダムのはずのジャンケンでの勝利を条件とする「ボーイ・2・マン」は、
「ジャンケンの勝敗は偶然ではない。心の強さだ」と定義することで、勝負を精神戦へと持ち込んでいた。
また、このような事情を更に突き詰めたスタンドの設定が「キャッチ・ザ・レインボー」だと考えられる。
雨が降らなければ使えないというこの能力は、己のスタンドの発動条件、ひいてはスタンドの全てを「天」にゆだねることで、
神より己に与えられた「天命」を受け取り、それに殉じようとする本体ブラックモアの思想性に由来している。
なお、作中でブラックモアの活躍中に雨を降らせていたのは「聖人の遺体」であり、まさしく神の御業、天命だったと言えよう。

140フェイク『男』:2006/08/10(木) 00:54:59 ID:DoApzn2Q
635 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:40:03 ID:EwxfkpHt
「アヌビス神」はDIOに勝てないことを悟り忠誠を誓ったようだが、これは何故だろうか。
確かに、時間停止能力を受ければ一回の戦闘で刀自体が活動不能なほどにまでに破壊される危険性もあっただろう。
だが、アヌビス神の能力自体が「世界」に通用しないわけではない。時間停止能力は当時五秒程度なのだから、
DIOが五秒で動ける範囲の外から急襲するなどの作戦を取れば、一回で活動不能にされなければアヌビス神にも勝機はある。
もしかしたら、アヌビス神は「世界」の時間停止能力の本質、「光速を超える」という正体を本能的に見極め、
自分のパワーやスピードを下から積み上げ成長するという能力では、速度という概念をブッちぎりで超越し、
上から見下ろす力を持つ「世界」には追いつけない、本質的に自分の方が格下であると感じたのかもしれない。

141フェイク『男』:2006/08/10(木) 00:55:12 ID:DoApzn2Q
633 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:37:49 ID:EwxfkpHt
普通のスタンド使いは本体の性格や精神性、欲望などがスタンドの能力に結びついているのだが、
さまざまな理由において「本体とスタンドの結びつきが取り分け強い」タイプのものは、
本体の体調や気分、更には修行や成長によって基本のパラメータを上回る能力を発揮できる反面、
スタンドの挙動が本体の調子に左右されるため、状況によっては性能が落ちたり、本体がミスを重ねることが多いようだ。
逆に、普通のスタンド使いが戦闘に際して冷静な判断力や高い戦術性を発揮できるのは、
内部から発現した自分自身でありながら、同時に自分を外部から観察できる存在でもある「スタンド」によって、
自身を客観的に見ることが出来るからなのかもしれない。(まさしく「守護霊」という形容にふさわしい)

なお、「本体と結びつきの強い」スタンドはかなり数が多く、以下のように細分できる。
・本体の技術を十二分に活かすためのスタンド…>>105の上段
・本体の技術が昇華して誕生したスタンド…>>106の二段目
・本体の未熟さを補うためのスタンド…>>137の上段
・本体が身に纏うタイプのスタンド…黄の節制、ホワイトアルバム、オアシスなど
・能力が本体にのみ影響するもの…クヌム神、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーなど

142フェイク『男』:2006/08/10(木) 00:55:24 ID:DoApzn2Q
631 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:35:12 ID:EwxfkpHt
北欧神話の主神オーディンは「死神」としての側面も持っており、彼の「投げれば必ず命中する槍グングニル」とは死の象徴だった。
即ち、古来より「飛道具」とは命中の可否が不安定な、運不運を暗示するものであり、
必中の投げ槍とは生ある者の逃れえない「死の運命」を意味していたのだ。
そういった神話や伝承から考察すると、あの「弓と矢」の「弓の方」とは単なるお飾りではなく、
「矢が当たるかどうか」という偶然の要素により、対象が矢に選ばれるべき者かどうかを測定する役割があったとも考えられる。

626 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/10(木) 00:30:05 ID:EwxfkpHt
スタンドの能力値の一つ「持続力」は、原作では取り立てて印象深い描写はされていない、影の薄い設定ではある。
だが、これは反則的・絶対的な能力に対して継続性を制限する「枷」として、裏設定と考えれば重要なものだ。

143フェイク『男』:2006/08/28(月) 23:00:03 ID:U0ENWvKc
334 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/28(月) 22:56:49 ID:9ldKqzSV
視線を介して相手に悪影響を与える、いわゆる邪眼や凶眼といった類のものは、古い伝承から近年の創作にまで数多く登場している。
だが、特に「睨んだ相手を石にする」などの絶対的効果を持つものの場合、これをそのままスタンドにするには合わない。
スタンドとは超能力の具象化であり、たとえ一見には判らずとも必ず何らかの力ある実体を伴うものだからだ。
視線を介するだけというような形の無い攻撃が有り得たとしても、恐らく非常に「弱い」パワーしか持たないだろう。

332 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/08/28(月) 22:55:20 ID:9ldKqzSV
時間・因果操作系スタンドの本体は、その精神性や能力修得の経緯について、下記の三種類に分類することが出来る。
「人外」…最初から人間を超越した精神性を持ち、能力にもそれが反映されている。DIO、ディアボロ
「聖人」…最初は別の能力を手に入れ、その後に時間操作能力に目覚める。目的意識が強く能力に表れる。吉良、プッチ神父
「人間」…他者と戦うために能力を得る。自分の能力とある程度「距離を取って」いる。承太郎、ジョルノ、リンゴォ

144フェイク『男』:2006/09/05(火) 22:18:14 ID:kcBls5iY
715 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/09/05(火) 22:13:02 ID:91RERr0r
スタンド能力とは本体の精神力で扱うものなのだが、にも関わらず、
例えば「激情によって大きくパワーを増す」などのような設定は、スタンド能力にはあまり見られない。
このことは、人間の精神状態というものはかなり細かな出来事で容易に変化するものであり、また描写次第でどうとでもなる以上、
精神の物事をスタンドの「能力」に含めてしまうよりも、スタンド自体はある程度「定まった」ものと見なし、
人間の精神による躍動はそれ単体で描くという手法を取るべきだという判断によるものと思われる。
(例えば、剣を扱う人間が精神を奮い立たせ気合を篭めて必殺の一撃を放つ、というシチュエーションのとき、
 気合を入れて強くなるのはその人間自身であり、別に気合を入れたから剣の物理的な鋭利さが増したわけではないということだ)
それでもスタンドの設定に生物の精神状態が強く関わる場合、それはなるべく視覚的に、あるいは簡略的に「明示」されることが多い。
例えばスタンドが攻撃のために動き出すことそのものが対象の精神の敗北を示す「オシリス神」、
対象の恐怖を付け狙うという攻撃方法を、恐怖のサインという設定で簡略化した「エニグマ」、
罪悪感という感情そのものを具現化させる「錠前」などがこれに当たる。

713 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/09/05(火) 22:10:55 ID:91RERr0r
例えば「愚者」は砂のままではなく動物や器具の形を模して動いたり、
「魔術師の赤」は炎をそのままでなく道具の形に加工して操ることを得意とすることからも判るとおり、
スタンドとはただ砂を操る、炎を操るというだけでなく、形の無いものに形を与えて具象化するものだ。

145フェイク『男』:2006/09/05(火) 22:18:39 ID:kcBls5iY
316 名前: マロン名無しさん [sage] 投稿日: 2006/08/28(月) 10:34:57 ID:???
ジョジョの世界では母親の力がとても弱い。ジョナサンの母は死んでいるし、
ジョセフの母は息子を育てずにイタリアで暮らしている。承太郎の母の愛は届かずに息子はグレてしまう。
仗助の母親は息子より夫が大事。ジョルノの母は息子を捨ててしまう。虹村兄弟に母親はいない。
徐倫の母は物語に出てこない。ディオの母も死んでいる。緑の赤ん坊は母親なしで生まれてくる。
「私の赤ちゃん」「ディモールト、ディモールト」

397 名前: マロン名無しさん 投稿日: 2006/08/30(水) 09:18:42 ID:vEYhJfwp
兄弟の絆も弱いよな。ジョースターの血統は皆一人っ子だし
ディオも吉良も兄弟いないし広瀬の姉は一エピソードしか登場しない。
虹村兄は死んでしまうし、プッチ達は兄弟げんか。メアリー王女は姉妹だったっけ?

712 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/09/05(火) 22:09:39 ID:91RERr0r
316や397の言うように、ジョジョでは問題ある家族関係がしばしば登場する。
だが「ジョースターの血統」という言葉が示す通り、作者である荒木は人間の家族というものを重要視していることも確かだ。
(316への補足として、自分の死に際してかつて母がそうしたように赤子を助けるようエリナに言ったジョナサンを挙げておく。
 彼は父親だけでなく母の精神をも受け継いでいたと言えるだろう)
理系分野に限らず、科学的姿勢というものは自分の最も信じたいものこそを疑わなくてはならない。
人間には「自分の信じたくないものを無意識的に無視してしまう」という精神作用が存在するからだ。
荒木は家族関係の重要さを確かめるために、あえて問題ある家庭を描いているのかもしれない。
(なお、荒木の座右の銘は「全てを疑え」だそうだ)

146フェイク『男』:2006/09/05(火) 22:19:11 ID:kcBls5iY
711 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/09/05(火) 22:08:36 ID:91RERr0r
触れたものを〜〜する能力、というものは、その範囲について不明瞭さを含んでいる場合がある。
例えばキラークイーンが地面に触れた場合、どれだけの範囲が「爆弾」になるのだろうか。
射程距離やパワーという概念からして、あるいはただ感覚的に考えるだけでも、まさか地球全部が爆弾になるなどありえないだろう。
この手の能力には(特に能力効果対象に目立った変形が無いもの)に関しては、その指標が必要だと言える。
先のキラークイーンの例でいえば、爆弾化したものは能力で「固定」されている、という説明があり、
これは結構唐突な描写ではあったものの、このような事情を踏まえて考えれば適切な設定であると言えよう。

708 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/09/05(火) 22:04:55 ID:91RERr0r
スタンドというものはそれ自身が人間を超えた凄まじいパワーやスピード、精密動作性を有しているケースが多いために、
またスタンド像には重量が存在せず人間と異なる運動を行うために、スタンド自体が「格闘技」を振るうということは無い。
「銀の戦車」は修行や努力で技術力を増すタイプではあるが、これもスタンドを剣という「道具」に見立ててのことであり、
本体自身が格闘の技術を備えている場合は、スタンドは直接暴力を振るうよりも補助の役割を果たし、
そのサポートを受けた上で本体の格闘術を発揮するということが多いようだ。
このタイプのスタンドとしては、本体が優れた波紋戦士であるジョセフの「隠者の紫」及びジョナサンのスタンド、
ハサミ一本で「銀の戦車」に立ち向かえるエンヤ婆の「正義」、暗殺風水の達人ケンゾーの「竜の夢」などが該当する。

147フェイク『男』:2006/09/05(火) 22:19:21 ID:kcBls5iY
705 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/09/05(火) 22:01:41 ID:91RERr0r
ヴェルサスの「アンダーワールド」の右胸にある「六芒星に模様の入ったマーク」はスター・オブ・ライフと呼ばれ、
多国籍国家であるアメリカにてキリスト教を想起させる十字架を避けるため、救急車などに使われている印であるそうだ。
(六部の病院のシーンにある救急車にも、このマークが描写されている)
その中央に描かれた「蛇の巻きついた杖」の元ネタらしきものの一つとして、ギリシアの神話には以下のようなものがある。

砂漠を旅する賢者の食べ物が底をつき、あとは死を待つのみとなってしまった。
そして最後の夜、死を目前にして賢者は夢を見た。その夢に白い蛇が現れて、こう言った。
「そなたの持っている杖で砂を掘ってみなさい」
言われたままに砂を掘ると水が湧いてきた。こうして賢者は命を救われた。
この言い伝えから、蛇を「知恵」、杖は「命」にたとえられるようになったという。

148フェイク『男』:2006/10/01(日) 18:58:22 ID:ZGsVvaYs
695 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:52:23 ID:on6QB9Hf
何かと物議をかもし出す「時を止める能力」であるが、これは正確には「時の止まった世界で動く能力」であると考えられる。
物理学において、現実の時空間とはどこまでも無限に分割できるようなものではなく、まるでパラパラ漫画のように、
「ある状態」と「次の状態」が分かれており、それが無数に積み重なって出来ているとされる。
その二つの状態を区分するのは、この世で不変・最速の「光速」から算出される「最小時間単位」と「最小距離単位」だ。
光は「1最小時間単位」の間に「1最小距離単位」だけ進む。時空間においてこれより細かな単位は存在しない。
しかし、物理法則を超越するほどのスタンドのパワーによって、「光速よりも速い」スピードが発揮されるとき、
即ち、「1最小時間単位で、1最小距離単位以上の距離を動く」とき、その何も動くことの無い「一つの状態」の中だけで、
スタンドが、そのスタンドの本体が、彼らが触れたものが、まるで普通の時間の流れの中にあるかのように動く。
これが「時の止まった世界で動く能力」の原理なのであろう。

149フェイク『男』:2006/10/01(日) 18:58:51 ID:ZGsVvaYs
691 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:46:44 ID:on6QB9Hf
「悪魔の手のひら」や「聖人の遺体」に関しては謎が多く、作者の設定変更も関わるのだが、現在では以下のように総括できる。
・インディアンの伝承にある隕石には「矢」と同様のウィルスが付着しており、土地全体が「矢」と同じ性質を持つようになった。
・悪魔の手のひらに入った者は、スタンド使いであるか、スタンド使いになるか、スタンド使いに命を助けられるかしない限り死ぬ。
・だがそこに「遺体」がある場合、スタンド使いになれなくても必死で生き延びようとする者に対しては、
 「遺体」自身が対象と同化してスタンドを与え、これによって対象を「悪魔の手のひら」から救い出す。
・二千年前に埋められた遺体には「順番」があり、次に発掘できる「遺体」は決まっている。初めは心臓部、次は左腕部。
・発掘できる状態の「遺体」は超常現象を呼び寄せる。最初は「悪魔の手のひら」が呼び寄せられていたが、
 「悪魔の手のひら」の移動可能範囲の限界はロッキー山脈までであり、それ以降は遺体自体が超常現象を起こすようになった。
・ヴァレンタイン大統領は心臓部入手後、多くの部下に二番目の遺体の探索を命じた。
 しかし遺体のある「悪魔の手のひら」からスタンド使いとなって帰って来た部下は居ようと、遺体の発見は出来なかった。
 (大統領の部下のスタンド使いたちは、こうしてスタンドを手に入れたのだと考えられる)
 そこで遺体のありそうな場所を大勢の人間に一度に通過させ、素質ある者に遺体を回収させた後でそれを奪うことにした。
 レースの開催を望むスティール氏を利用し、こうして「スティール・ボール・ラン・レース」が始まった。

150フェイク『男』:2006/10/01(日) 18:59:12 ID:ZGsVvaYs
690 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:45:02 ID:on6QB9Hf
ジョジョ、及びデッドマンズ・Qの世界観においては、幽霊とは我々の知る三次元空間とは別の次元に存在するもののようだ。
例えば通常の三次元空間から「幽霊の空間」を眺めたとき、それがまるで厚みの無い平べったいものに見えたりすることがあったり、
エンポリオが「道具の幽霊」を扱うとき、それらの道具がまるで三次元的な大きさを無視して挙動することなども、
全ては現実世界とは別に「幽霊の次元」が存在すると見なせば説明できる。
また、ジョジョにおいては幽霊のみならず、こうした「次元の消失」や「平面」といった要素は、
「セト神」「写真の親父」「エニグマ」「ソフトマシーン」「ジェイルハウスロック」など、
いずれもエネルギーの消失に絡んだ負の能力として描かれている。

689 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:44:00 ID:on6QB9Hf
最初は「スイませェん」が口癖のショボくれた感じの男だったブラックモアだが、戦いの中ではなかなかの面構えだった。
このことは、普段は静かで無害だがイザというときには熱意を発揮する、という類型の性格を示しているとも考えられる。
彼のスタンド能力は雨天時しか使えないということも、普段の気弱そうな顔つきに影響しているのだろう。

687 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:42:28 ID:on6QB9Hf
スタンドの中には、像自体は全く腕力を持たず、その能力のみによって戦闘を行うものが存在する。
これらのスタンドはパワーが低くとも破壊力ある攻撃が可能なため、長射程と破壊能力を併せ持つ強大な能力だが、
そうした能力は無条件で行使できるものではなく、既存の自然現象などを利用するなどの構造が必要なようだ。
ジョジョ本編においては、運命の名の下に安楽死をもたらす「ローリングストーン(ズ)」、
接触対象の過去の負傷や地面で起こった過去の大事故などを掘り起こす「アンダーワールド」、
引力を逆転させて物体を破壊する「C−MOON」などが該当する。

151フェイク『男』:2006/10/01(日) 18:59:39 ID:ZGsVvaYs
685 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:41:02 ID:on6QB9Hf
歴史的に見た場合、刀剣とは弓矢や槍のような長射程を持たず、また鈍器ほどの防具を貫く衝撃力も有さず、
短剣のような取り回しや隠匿性も無く、フレイルや斧のように生活用品から誕生した道具でもない、
非常に中立性が高いというか、悪く言えば中途半端な武器だと見なすことが出来る。
だがしかし(もしくはそれゆえか)古代の儀礼や神話から現代のファンタジー創作にまで大人気の武器でもあるようだ。

685 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:41:02 ID:on6QB9Hf
物質と同化するタイプのスタンドの中には、スタンドへのダメージを同化対象の物体に肩代わりさせることで、
本体にフィードバックを返さない部類のものも存在するが、それでもスタンドが人型(の全部もしくは一部)である場合、
本体とスタンドとの結び付きが強いためなのか、ダメージのフィードバックが発生することが多いようだ。

684 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:40:14 ID:on6QB9Hf
体内に時計を持つという出来た兄ニコラスの死は、規則正しくあるべき運命がこれによって狂い始めるという暗示とも取れる。

152フェイク『男』:2006/10/01(日) 18:59:51 ID:ZGsVvaYs
682 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:37:24 ID:on6QB9Hf
スタンドの中には、基本的には何も出来ない無力な存在だが、特定の状況でのみ万能に匹敵する力を発揮するものが存在する。
全能のスタンドなどは決して存在しないが、あえて状況や分野を限定することで、それに似たことは達成できるということだ。
ジョジョ本編においては、夢の世界では万能だが現実では無力な「死神13」、
成長することで様々な能力をいくつも身に付けるが、初めは何も出来ない卵だった「エコーズ」、
ジャンケン勝負によって新たな能力を入手できるが、自分一人では特殊能力は無い「ボーイ・II・マン」、
創作物により様々な物語を現出させられるが、本体自身はそれらを全く操作できない「自由人の狂想曲」、
様々な過去の出来事を再現できるが、過去に無い出来事は何も行えない「アンダーワールド」などが該当する。
(なお、六部コミックスによれば「アンダーワールド」の破壊力は「なし」となっている。
 本編中において「アンダーワールド」が腕力を振るったり、振るおうとした事例はいくつもあるが、
 それらは全て腕力ではなく、接触によって「過去を再現する」というこのスタンドの能力で説明することが可能である)

681 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:35:55 ID:on6QB9Hf
スタンドの中には変形や変身の能力を持つものも多く存在するが、スタンドの構造を分析する視点から見れば、
そのようなスタンドは一つの姿を確立することでの堅牢さ・頑丈さを持たないために、純粋なパワーの出力においては、
変身能力の無いパワー型スタンドと比べて、どうしても劣ってしまうと捉えることが出来る。
また、変形・変身の多様性や自由度に優れるほど、スタンドの構造は不安定となり、パワーが落ちるという傾向も考えられる。
紐状にほどけ飛道具を放つも星の白金や世界には全く通用しなかった「法皇の緑」、
頑丈な鉱物に変身できるのにダイヤモンドの奥歯すらも殴り壊された「女教皇」、
力を結集したパワーある姿でも鉄格子の破壊に数分もかかる「ストーンフリー」、
そのストーンフリーに格闘戦で圧倒された「ホワイトスネイク」などが該当する。

153フェイク『男』:2006/10/01(日) 19:00:15 ID:ZGsVvaYs
680 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:34:57 ID:on6QB9Hf
「自分の感動したものを描いてこそ漫画は面白くなる」という説を裏付けるかのように、
スタンドの中には(我々読者の住む)現実世界に存在する物理法則や現象をスタンド能力としてデフォルメしたものがある。
それらのスタンドはどれも独特なルーリングを有し、また現実世界に対するメッセージ性を秘めることも多い。
ジョジョ本編の中では、行き過ぎた遊びは身の破滅を招く「オシリス神」及びギャンブル系スタンド、
芸術によって他者の心を開き、心を通じ合わせる「天国の扉」と、芸術の世界にのめり込ませる「自由人の狂想曲」、
全ての生物はいずれ死ぬ、特に良く動く者から早く死ぬことを示す「ザ・グレイトフル・デッド」、
エントロピーの「ノトーリアスBIG」、冬虫夏草の「グリーンデイ」、運命の「ローリングストーン(ズ)」
特異点の「緑色の赤ん坊のスタンド」などがこの色合いが強く、またその他にもこの傾向を有するスタンドは多く存在する。

679 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:34:05 ID:on6QB9Hf
「漫画とは想像や空想で描いていると思われがちだが実は違う!
 自分の見たことや体験したこと、感動したことを描いてこそ面白くなるんだ!」(岸部露伴)

154フェイク『男』:2006/10/01(日) 19:00:32 ID:ZGsVvaYs
679 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:34:05 ID:on6QB9Hf
「漫画とは想像や空想で描いていると思われがちだが実は違う!
 自分の見たことや体験したこと、感動したことを描いてこそ面白くなるんだ!」(岸部露伴)

他人が見た夢の話は何故あれほどつまらないのだろう。それは、夢とは基本的に無意味な情報の羅列だからだ。
言葉をただデタラメに並べたような単なる思いつきの発想というものは、言うなれば子供の砂場遊びで作られたような、
少し風が吹けばゼロに戻ってしまう砂の城のようなもので、受け手の心に何を残すこともなく消えてしまう。
0から有意義な何かを作り出すのは非常に困難、あるいは不可能であり、創作活動とは1から何かを作り出すことを指す。

678 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/01(日) 18:33:17 ID:on6QB9Hf
いわゆる「竜」や「鬼」など、接触を持たないはずの世界各地の民族に共通して出現する神話的存在がある。
心理学者ユングが「集合的無意識」や「元型」といった概念で解釈したこれらのものは、
平たく言えば「同じような境遇にある者は、同じような発想を行う」と言い表すことが出来る。
二次創作の分野においてたまに語り草になる「メアリー・スー」的キャラクター、あるいは「邪気眼」的キャラクターの中にも、
そうした共通するイメージが見受けられ、これもまた「元型」の具現化と考えられる。

155フェイク『男』:2006/10/30(月) 21:40:17 ID:cSPvTaCY
699 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:36:19 ID:oZwKVfH1
「グーグードールズ」というスタンドが複数形なのは、人形が複数あることを意味するとも読める。
即ち、このスタンド自体が人形のように小柄であり、またこのスタンドを用いて小型化した対象を合わせて二体だ。

694 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:29:22 ID:oZwKVfH1
掲載紙が白黒印刷であるためか、スタンド能力の内容に「色」の要素を絡めたものはまず存在しない。
ここから類推するに、初期のスタンドがタロットカードに加えて色の名前を付けられていたのは、
白黒印刷でも視覚的要素を読者に示すための工夫なのかもしれない。
スタンドが超能力の視覚化である以上、表現できない色の要素をそのようにして補填したとも考えられる。

694 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:29:22 ID:oZwKVfH1
以前、ジョジョには「DKの法則」なるものがあった。
これは各部のラスボスの名前の頭文字がDとKの交互であるというものであり、
JOJO A GOGOの記述や描写と合わせて考えるに、このDKとは「DarK」を意味するものと推察できる。
そしてDarK=闇が示す通り、歴代のラスボス五人は歴史の表舞台に現れることなく、
いずれも世界を裏側から揺るがす存在だったのに対し、DKの法則を超えて現れた「神父」や「大統領」は、
いずれも歴史の表側に存在し、人々の思想や社会を支配する者として物語に登場しているというのが興味深い。

693 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:28:18 ID:oZwKVfH1
「真実に向かう意志」こそが重要だと人は説くが、例えば目の前にニンジンをぶらさげられ、
それに辿りつけると思って延々と歩き続けるロバと、真実に向かおうとする人間の違いとは何だろうか。
一つには「知性」がある。即ち、考えなしに徒労を続けるロバとは異なり、人間は科学的な思考により真実に近づける。
考えなしに同じ挑戦を続ける奴はロバと同じということだ。

692 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:26:28 ID:oZwKVfH1
ジョジョでは仲間が死んだとき、メインキャラ全員からそのキャラを除いた扉絵を描くそうだ。

156フェイク『男』:2006/10/30(月) 21:40:46 ID:cSPvTaCY
687 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:17:50 ID:oZwKVfH1
天国へ行くための方法の一つ「14の合言葉」の元ネタらしきものとして、
キリスト教には「十字架の道行きの祈り」のための14枚の絵画というものがある。
これはイエスがどのような受難を経て死に至るかを順に示したもので、
これを順番に辿り、黙想することがキリストの愛に倣うための手段の一つだとされている。
科学のような物理的事物のみならず宗教など精神活動においても、やはり手順というものは重要なようだ。

685 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:14:58 ID:oZwKVfH1
「大砲」
国境線を引き直すのに用いられる道具。
(アンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」より)

683 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:12:39 ID:oZwKVfH1
自然物が人工物より遥かに正確な、本物の黄金長方形を体現しているという事態は、
パワーある黄金長方形を種の進化の中で形状の変化と最適な形状の遺伝を繰り返した自然選択の結果だと解釈できる。
これを踏まえれば、ジョニィのスタンド「タスク」が初期の頃は結構高いパワーを発揮していたことは、
ジョニィ自身が全く作意無くただ本能的・野性的にスタンドを振るっていたがために、
黄金の軌跡にある程度近い回転が出来ていたのだと推測できる。
彼は己のスタンドへの理解を深め作為的に回転を利用しようとすることで、逆に野性的なパワーからは遠ざかり、
本能ではなく理性的に黄金の回転を行う必要が生じたのだが、それは理屈だけで行えるものではないのだろう。
だからこそ、自然物の中から黄金長方形を見つけ出せるような、黄金の軌跡に対する感覚的理解を必要としたということだ。
(ブルース・リー風に言えば「考えるな、感じろ」と言ったところか)

157フェイク『男』:2006/10/30(月) 21:40:56 ID:cSPvTaCY
680 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:09:26 ID:oZwKVfH1
ジョジョでは以前の部で「少年漫画の主人公として当然のこと」として描いた設定に対し疑問をぶつけるためか、
以前の設定を前提として更に推し進めた主題を描くためか、歴代主人公に以前よりも「欠けた」部分を作る傾向が見受けられる。
必要とあらば殺人も辞さなかった以前のジョジョと異なり、現代日本出身の仗助はやすやすと人殺しは出来ない。
根本的には正義の味方だった以前のジョジョとは異なり、ギャングスターを目指すジョルノは社会的に正義ではない。
「凄み」を標準装備していた以前のジョジョとは異なり、徐倫はメソメソした小娘だった。
黄金の精神を「受け継ぎ」そして現状に「飢えて」いた以前とは異なり、
ジャイロは「飢えて」おらず、ジョニィは「受け継ぐ」ことが出来なかった。
……また、歴代ジョジョのスタンドがどんどん弱体化しているのもこれに関連できるだろう。

679 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/10/30(月) 21:08:44 ID:oZwKVfH1
タロットカードの一つ「死神」は、死と再生、大きな変化、出産などを意味している。
ジョジョとは無関係な話だが、家庭教師暗殺者の「リボーン」も、その各種の特徴が「死神」の暗示に符合しているようだ。

158名無しさん:2006/10/31(火) 10:04:05 ID:FH9Wp4d6
フェイク『男』氏に質問。
自分はスレ乗っ取りでIDスタンド変換をやっていた頃からフェイク『男』氏のファンなのですが、長らくPCを使っていなかったため、最近の鑑定を見ることができません。
(にくちゃんねるで探しても、ACT27〜32などは見れない)
今までIDスタンド変換スレで鑑定したスタンドの内容は保存してあったりしませんか?
何らかの手段で見られると、ファンとしてとても嬉しいのですが。

159フェイク『男』:2006/11/04(土) 23:53:42 ID:t0xYhLXg
HTMLとして保存してある。
適当なアップローダーでもあればすぐにでも上げられるが、
スレ番号で言えばどの辺りが必要だろうか。

160158:2006/11/06(月) 23:40:48 ID:3Cs/dorE
見ていた時期が2004年春頃なので、乗っ取りをやめて独立したスレを作った事自体つい最近(ACT40の終盤)まで知らなかったのです。
IDスタンド変換の過去ログやにくちゃんねるでいくつかは見られるのですが、
「ACT4〜12、14、21〜23、28〜32、36、37、39」が見られないのでそこを。
フェイク『男』氏の鑑定が目的ではあるんですが、スレを丸々読めるとより助かります。

161フェイク『男』:2006/11/10(金) 22:21:04 ID:q9ln0cZQ
羊のアップローダー(5MB) 4187
パスはstand

一部ギコナビのファイルも混じっている。

162158:2006/11/11(土) 21:59:02 ID:V5QSbRdo
>>161
受け取りました。これから読み進めていこうと思います。
ありがとうございました。

163フェイク『男』:2006/11/30(木) 01:37:16 ID:z0VGZ0qg
703 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:30:11 ID:J7LHVnSc
ブンブーン一家のスタンドは「歪んだ家族愛」「歪な血縁」を暗示とし、これを磁力として具象化させている。
彼ら家族には、ある二人だけがベタベタと仲良くし、その他の者を排斥するという奇怪な図式が見て取れるのだが、
マウンテン・ティムがスティールに語った「自殺した男」も、そうやって排斥された彼らの家族なのかもしれない。

703 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:30:11 ID:J7LHVnSc
二次創作でしばしば問題となる「原作らしさ」について。
「らしさ」というものは個々人がそれぞれに抱く感想でしかないのは事実だが、
しかし個々人がいかに「らしさ」を追求するかについての話は有益であろう。
その一つとして考えるところ、練り込みの甘い(もしくはそう見える)設定にこそ、
作者の趣味嗜好が強く出るという傾向がありそうだ。それらは連載に追われて出てきた作者の地金か、
もしくは整合性を犠牲にしてでもそうしたかった設定なのか、どちらにせよそこから作者の感性を推測できるだろう。

698 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:18:28 ID:J7LHVnSc
パワーと射程距離は反比例する、という原則には例外も多いが、そもそもこれは統一されたルールではない。
「自動操縦型」や「外部からエネルギーを借り受けるタイプ」なども総合して考えるに、
つまりスタンドの各要素や能力内容は、ひっくるめたその総和が一定であると結論できる。
(ただし、本体がそのスタンドを完全に活用できるかどうかには「上手下手」があるので、
 表面上、明らかな上位下位が定まっているスタンドも存在するようだ)
ジョジョにおけるスタンドとは「奇妙」を描くための道具に過ぎず、恐らくスタンドそれ自体を描くことは目的になっていない。
だからこそ、ルールを(「破る」のではなく)「超える」ような概念をたびたび持ち出すのだろう。

164フェイク『男』:2006/11/30(木) 01:37:38 ID:z0VGZ0qg
697 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:17:19 ID:J7LHVnSc
「やつらに勝ちてえよなあボインゴ。ここまで苦労したんだ…なんとしても勝ちたいぜ… そうだろ? ボインゴ。
 あと一歩で勝利だ! ボインゴ! 次はどうすりゃあやつらにとどめが刺せるんだ!?
 おめーのマンガの予知は100%完璧だ! し…信じよう… 予知どおり、おれはなんだってやるぜ!
 指をつめろと出たらつめる! クソを食えと出たならまよわず食うぜ! 勝ちてえんだよオレは」(ホルホースwithボインゴ)

スタンドにおける「運勢を扱う能力」を考える上で、その「運不運の判断基準」は大切な要素の一つだ。
能力適用範囲の判断基準など、普通のスタンドならば本体の主観により意識的に、あるいは無意識のうちに行われるものだが、
事が運勢操作となると、得る要素と捨てる要素が膨大になるため、そのバランス取りを本体の思考にて全て行うのは不可能だろう。
例えば大金が欲しい場合、家族が死んで生命保険が手に入るという結果でも満足できるのか? といった具合だ。
ジョジョ原作のスタンドにおいては、「シンデレラ」は恋愛、「竜の夢」は戦闘と、それぞれ主目的を定めている。
また、この手のスタンドの初出である「トト神」はかなりその目的を自由に決定できるように見えるが、
本体ボインゴは「兄に頼らず一人で戦う」「敵を倒すことなんか辞めて平和に生きる」などと新たな決意の直後に、
「トト神」の予言によって酷い目に遭っていることからも考えると、もしかしたら自由さの引き換えに、
一度決めた目的の妥協や考え直し、軌道修正などの「宗旨替え」は許されていないのかもしれない。


696 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:16:15 ID:J7LHVnSc
スタンド能力とは本体の精神を反映したものだが、必ずしもそれが本体に対して良い影響をもたらすとは限らない。
むしろ、スタンドによって努力を介さず安易に目的を叶えられるがために、それに己惚れてしまうということも充分にあることだ。
例えば「心を読む」スタンドの本体は、いずれも他者の心を重んじることなく、それを見下すような傲慢な性格になってしまっている。

165フェイク『男』:2006/11/30(木) 01:37:51 ID:z0VGZ0qg
693 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:12:26 ID:J7LHVnSc
「精神」とは生物の生命活動から作り出される副次的な現象であり、
それ自体が何らかのエネルギーを発したり、主体的に存在しているわけではない。
精神の力で肉体の力を百パーセント引き出すことが出来ても、それ以上何かを加算することは物理法則上ありえないことだ。
極端な話、精神とは脳の発達した人類全体が妄想するただの錯覚だとも言い表せるのかもしれない。
(と現代の科学では判断できる)
しかし知的な活動によって地球全土に反映する人類においては、その知性を効率よく運用するために、
いわゆる「精神力」を重視することが必要であることも事実には違いない。
そこを踏まえて、50を100にする精神の力を0から100を生み出す超能力として表現したものが「スタンド」だと考えられる。
つまり、エネルギー的には無である精神から、あえて有のエネルギーを発生させることで、精神の力の重要性を描こうというわけだ。
(そしてSBRコミックス十巻の「素粒子論」は、現実の物理学とフィクションとの折り合いをつけるための設定だと思われる)
スタンドとは架空の存在だが、そこで描かれる精神の力の強さや素晴らしさは現実でも応用できるものとなるだろう。

692 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:11:15 ID:J7LHVnSc
太陽の力と結びつく「波紋」、自然界の本質的な美である黄金長方形の力により発現する「回転」など、
何かと清く正しいものとして表現される人間の「技術」とは対照的に、
何の努力も無く手に入れられる「超能力」であるスタンドは、その本質として、
人間の後ろ暗さや精神の暗黒面を強く暗示していると考えられる。
この性質は四部において如実に描写されており、例えば「スタンドは犯罪者に目覚めやすい」、
「スタンドを身につけた者はしばしば一般人にちょっかいを出すような小悪党に成り果てる」、
「スタンド使い同士は引かれ合い、引かれ合った同士はしばしば余計なトラブルを起こす」といった具合だ。
また七部ではもっと直接的に、スタンドを「呪われた能力」などと呼んでいたこともある。

166フェイク『男』:2006/11/30(木) 01:38:23 ID:z0VGZ0qg
699 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:19:50 ID:J7LHVnSc
【周辺環境から見るスタンド能力の変遷・三部】
スタンド能力には、各部においての傾向というものがある。
三部はスタンドが初めて登場した部ということもあって、単純あるいは原始的な能力が多く見受けられる。
その中でも、主人公のスタンドは当初一切能力を持たず、その身体性能のみを極めたという最もシンプルなものだった。
この部では近距離パワー型・遠隔操作型・物質同化型・条件発動型などの類型が出現し、その後の基盤となった。

700 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:21:24 ID:J7LHVnSc
【周辺環境から見るスタンド能力の変遷・四部】
スタンドを現代日本に移した四部では、日常生活に根ざす能力や、
戦場の兵士にはあまり無い一般人普遍の心の弱さを題材としたスタンドが多い。
この部では、自動操縦型や本体以外からエネルギーを手に入れて活動するタイプのスタンドなど、
本体が戦場に向かわず日常生活を続けていてもスタンドのみが戦闘を行うことが出来るものが登場する。

701 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:25:03 ID:J7LHVnSc
【周辺環境から見るスタンド能力の変遷・五部】
イタリアンマフィアの抗争を舞台とする五部では、あからさまに戦闘を目的としたスタンドが多く登場する。
この部のスタンドは破壊と殺戮、戦闘行為、死やエネルギーの消失などを題材とした能力ばかりだ。
その中で、主人公の生命を誕生させるという創造的な能力が強調されていると言えるだろう。
俗に戦争は技術発展を促すというが、この部では遂に精神の高みであるレクイエムが出現する。

167フェイク『男』:2006/11/30(木) 01:38:33 ID:z0VGZ0qg
704 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:31:05 ID:J7LHVnSc
【周辺環境から見るスタンド能力の変遷・六部】
六部は近未来の時代、人間が世界に対し能動的に関与・利用する次世代だ。もはや登場するスタンドの能力は歴代最強であり、
他者の持つパワーはおろかそのシステムまでをも乗っ取って活用するものや、世界全体に影響を与える能力までもが頻出する。

705 名前: フェイク『男』 投稿日: 2006/11/30(木) 01:31:57 ID:J7LHVnSc
【周辺環境から見るスタンド能力の変遷・七部】
宇宙が何巡かした後の七部は、三部よりも更に百年ほど過去、人間の技術力や思想が洗練されていない時代を舞台としている。
そのためなのか、今までのスタンドが基本的に備えていたいわゆる念動力の要素は薄く、原始的な能力へと立ち返っているようだ。

168フェイク『男』:2007/01/14(日) 22:47:06 ID:.tAYMjFY
558 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:36:22 ID:tgv3RBk9
ジョジョ四部冒頭にて、仗助を念写しようとしたジョセフは何故かアンジェロのみを写してしまうが、これは何故なのだろうか。
ジョセフのスタンド能力の衰えにより、周辺の強力なスタンド使いを探知してしまったというだけでは、
何故アンジェロ限定なのかという点が説明できない。(虹村形兆や吉良吉影などもすぐ近くに住んでいるというのに)
しかしここでアンジェロという人物の特異性を考える余地はある。
四部には「スタンドを身につけたから犯罪者になってしまった小悪党」とか、
「スタンドに関わったせいで周囲に不幸を起こさざるを得なくなった者」は多いが、
スタンドを手に入れる以前から犯罪を重ねていた者、「邪悪だからスタンド使いとなった」と断言できる者は非常に限られている。
それは僅かにアンジェロと吉良吉影(&写真の親父)の二組だけだ。
そして吉良はあくまでも己の欲望を満たすため静かに、社会を乱すことなく犯罪を行っていたのに対し、
刑務所から脱獄したばかりのアンジェロは野放図であり、「暴走」の危険を有していたと言ってもいい。
かつて仇敵DIOを写すために発現した「隠者の紫」は、そういった「敵」としての危険性に反応して、
アンジェロばかりを写すようになってしまったのかもしれない。

556 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:34:23 ID:tgv3RBk9
例えば「膨らませる能力」で、風船を膨らませたり腹を膨らませたり期待を膨らませたりするのは、少なくともスタンドとは言えない。
風船を膨らませるのは空気の注入、腹を膨らませるのは満腹感の付与、期待を膨らませるのは精神の操作、
これら全てに適切な原理が無ければ、ただの言葉遊びに過ぎないだろう。

552 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:30:13 ID:tgv3RBk9
多忙な週刊連載のためか、スタンドには時折「初回限定能力」なるものが存在する。
これを作品内の理屈によって無理矢理考察するならば、生まれたてのスタンドとはそれだけ不安定な存在だとでも言おうか。

169フェイク『男』:2007/01/14(日) 22:47:55 ID:.tAYMjFY
551 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:28:49 ID:tgv3RBk9
ジョジョの戦いにおいては、作者は偶然すらもなるべく平等に管理しようとしているようだ。
例えば偶然にも鏡の破片が壁に引っかかっていたおかげで反撃の希望を持ったイルーゾォは、
偶然にもカプセルが外れて割れたせいで敗北した、という経緯だ。
あるいは偶然にもエアロスミスが辺りを飛んでたおかげでドッピオの正体に気づけたリゾットは、
そのエアロスミスをディアボロに利用されて敗北した、という具合だ。

547 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:25:09 ID:tgv3RBk9
聞くところによると「象」の脚の裏は非情に繊細に出来ていて、地面を通じて何十kmも離れた場所の音を聞くことが出来るそうだ。

546 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:24:04 ID:tgv3RBk9
スタンドとは個人の精神性が反映され、その心底の欲望や目的意識が具象化したものだという観点からすれば、
例えば「スタンドやスタンド使いのみを対象とするスタンド能力」などというものは通常誕生することはないと考えられる。
それでもそういうものが存在するならば、例えば「ボーイ2マン」のように、
敵スタンド(天国の扉)を体験し、その戦いの中で目覚めたといった経緯があって然るべきだろう。

170フェイク『男』:2007/01/14(日) 22:48:09 ID:.tAYMjFY
543 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:21:40 ID:tgv3RBk9
スタンドの基本原則の一つとして、パワーの高いスタンドは射程が短く、射程の長いスタンドはパワーが小さい、というものがある。
パワーと射程とはゼロサムの関係にあり、どちらかにエネルギーをつぎ込めば、もう片方はおろそかになると考えていいだろう。
ならばパワーと射程の二つを両立させるにはどうすればいいか。「パワー」「射程」以外の要素を持ってくればいいのだ。
スタンドは通常、本体の思うとおりに動かせる。即ち「自在性」があると定義できる。
あるいは、スタンドは通常、本体の精神力のみで動く。即ち「自活性」があると考えられる。
これらの概念を活かせば「本体の思う通りに動かせるという要素を犠牲にすることで、パワーと射程を両方備えたスタンド」だとか、
「本体の精神力だけで存在できるという要素を捨てたが、パワーと射程を両立させたスタンド」だとかが思いつく。
前者は「自動操縦型」として有名であり、後者は「レッド・ホット・チリ・ペッパー」などいくつかの例がある。
これらは基本原則をただ破っているわけではない。既存の法則を細かく解き明かすことで、更に発展させているからだ。
このような発想法が示す通り、ジョジョのストーリー、特にバトルに関してははしばしば頭脳戦などと言われるが、
これは厳密なルールの下で行われる「パズル」や「謎解き」「計算」のようなものではなく、
むしろ「発想の転換」や「視野を広げること」、「新発見」や「豆知識」などを活かした「連想ゲーム」に近い。
従って、時折見かける「突然新しいルールが出てくる」という批判ことはジョジョに対する評価として正確とは言えない。
ジョジョに出てくる理屈部分は、「既存のルールの解明や発展」を楽しむものだからだ。

542 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:20:28 ID:tgv3RBk9
心理学者クレッチマーは人間の性格を三種類の基準によって分類した。
一つは几帳面さを表す粘着気質、一つは社交性と静養を表す躁鬱気質、一つは非社交的でムラがある分裂気質だ。
聞くところによれば、ジョジョ二部の三人の「柱の男」たちは、ピッタリ上記の分類に当てはまった典型的な性格作りであるそうだ。

171フェイク『男』:2007/01/14(日) 22:48:36 ID:.tAYMjFY
541 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:19:09 ID:tgv3RBk9
遠距離からこっそり獲物を狙えばいいはずの「鋼入りのダン」がジョースター一行の前にノコノコと姿を現した理由は、
これはもう間違いなく本体が馬鹿で自信過剰だったからだろうが、あえてまともな理由も一応考察しておくと、
まず極小のスタンド「恋人」の操作性能の問題がある。一般に身体の小さな生物は視野も狭いものだが、
それと同様、あの「恋人」はスタンド自体が視聴覚を有していたとしても、本体から離れてまともに周囲に認識することは出来ず、
加えて野外に吹く風や人間の呼吸ですらも(空飛ぶ本物の飛行機のパワーに吹っ飛ばされそうという感想を抱いた、
ナランチャの「エアロスミス」のように)「恋人」の飛行感覚を揺さぶるには充分なほどの脅威だったと考えられる。
そして「鋼入りのダン」自身も己のスタンドの射程については「他人の体内に入れば」何百kmも遠くまで行けるとしか言っていない。
(なお、本体にはスタンドがどこにいるか判るように、スタンドの方も本体の位置を把握できるだろうから、
 「スタンドが本体の下に戻る」ためならば、このような制限は適用されない)
つまり「鋼入りのダン」はジョースター一行に全く近づかず暗殺を行うなどということは出来ず、
少なくとも物陰くらいから狙い撃ちする必要があったのだろうが、ジョースター一行の危険察知能力は意外と侮れない。
(例えば、ホル・ホースの尾行を難なく逆尾行してみせたポルナレフのように)
そこで逆に、あえて先に姿を現すことで先手を取ることを選んだのが、本編でのストーリー展開であると考えられる。

172フェイク『男』:2007/01/14(日) 22:48:47 ID:.tAYMjFY
539 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/01/14(日) 22:17:36 ID:tgv3RBk9
例えば「精神力によって強くなる能力」などというものは、描写次第でどうとでもなる感情的なものに過ぎず、
物事の因果や理屈を重視するスタイルの創作にはあまりふさわしいものとは言えない。
とはいえ、人間がその力を十全に発揮するためには精神の要素を考慮する必要があることも事実には違いない。
そこで考えるに、創作物において、そういうあやふやなものを大っぴらに取り扱わざるを得なくなった場合には、
せめて例えば「人の感情や精神を操り力を引き出させる」などの、ある種「黒幕」的ないやらしい奴などが存在すれば、
少なくとも理屈面において作品の雰囲気を「引き締める」ことくらいは出来るのだろう。
(上記の「精神力によって強くなる能力」の例の場合、そういう能力の持ち主が居るということは当然、
 そいつの精神を操って常に全力を出させてみよう、なんて考える奴が存在して然るべきだからだ)
ジョジョにおいては、六部の「サバイバー」がこれに近いと言える。

173フェイク『男』:2007/02/25(日) 22:14:39 ID:pJ3MOEhM
379 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 22:06:28 ID:/GG3IrB4
鼠や犬などに顕著なのだが、生物の鼻が前に伸びているのは、それが第一の危険感知器官だからだという話がある。

378 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 22:05:11 ID:/GG3IrB4
腕っ節一つで共同体の中を成り上がれた古代ならともかく、現代の法治社会に暴力行為を持ち込むのは犯罪だし、明らかに『野蛮』だ。
しかしそうした近代的価値観に反し、そのような暴力を交えた闘争は現代でも多く行われている。漫画の中のみならず、現実でもだ。
(例えば連日報道される猟奇的な殺人事件が挙げられる。一般人を不意に暴力で蹂躙するああした事件は、
 決してここ最近だけのものではない。いつの時代もああした凶悪な犯罪は存在していたのだ)
それこそ全人類を(天国へ連れて行くなどという非現実的な手段をもって)思想的な統一でもしない限り、
こうした生物の『原点』とも言える野蛮な暴力が、この世から消えることは無いのだろう。
ならば、どんな時代においても、人々はその野性的・原始的な闘争心を失うことなく、研ぎ澄ますべきではないか。
(そしてそれは、外敵に備えて『対応する』『正当防衛する』というレベルであってはならない。
 自らが能動的に『野蛮さ』を追求しない限り、これを真に理解・支配することなど不可能だろうからだ)
リンゴォ・ロードアゲインの語る「男の世界」とは、例えばこのように説明できる。
この主張は「昔は良かった」などという懐古趣味に聞こえがちだが、
いつにおいても失ってはいけないものが存在するということを説いている。

174フェイク『男』:2007/02/25(日) 22:15:31 ID:pJ3MOEhM
376 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 22:02:09 ID:/GG3IrB4
同じような能力でありながら明らかに力量差のある「オシリス神」と「アトゥム神」について、私見を述べてみる。
まず、これらのスタンドの能力はあくまでも「賭けに敗北した者の魂を抜き出しコレクションすること」が原点だ。
「アトゥム神」の有する「心を読む」効果は、「相手の魂にどれだけ干渉できるか」という「手ごたえ」を利用した、
応用的な「スタンドの技術」とでも言うべきものだと考えることが出来る。
また、承太郎の腕にスタンドの手を食い込ませたのも、この「手ごたえ」を計る技術の利用法であると見なせる。
つまり、この二つの能力にスタンド自体に上位・下位が存在するというよりは、これは能力の習熟具合の差だと言える。
だが、だからといって「アトゥム神」が「オシリス神」より一方的に優れているとは限らない。
「アトゥム神」の読心技術は対戦ゲームに際して無敵に近い能力だが、なまじスタンド能力だけでゲームを解決してしまっているため、
それ以上の成長性や進歩性が見込めず、例えば原始的なイカサマに呆気なく騙されてしまったりする。
一方の「オシリス神」は本体の技術に一切関わることがないため、本体は己の技術を更にどこまでも鍛え上げるべく努力を重ねられるが、
しかし、己の技術とは全く異なる土俵の「根比べ」を持ち出され、単純明快なハッタリ一つに負けてしまっていた。
はっきりと言えるのは、どちらも一長一短だということだけだ。

374 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 21:59:25 ID:/GG3IrB4
「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」というDIOの理論は、「胎内回帰願望」として解釈できる。
この概念は人間の知性や精神、人間賛歌をも否定しかねないものであり、
(またマザコン的であるところなども)DIOが語るにふさわしいと言えるだろう。
またこれを元に考えれば、DIOが望んだ「天国」というものも、彼が神のごとく振る舞える「楽園」であると考えられる。

175フェイク『男』:2007/02/25(日) 22:15:54 ID:pJ3MOEhM
369 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 21:52:22 ID:U1+qHf3C
どこかのインタビューで見た覚えがあるのだが、荒木の考えによると、
「格好良さ」というものはあまり直接に狙いすぎるよりも、
そのど真ん中から少し外した方が、むしろにじみ出てくるものだという。
(話では「ジョジョの奇妙な冒険」というタイトル自体も、そのようにわざと崩しているそうだ)
思えば(特に「スタンドの名前」について)洋楽のネーミングをそのまま拝借しているにも関わらず、
他の同じような漫画ほど悪評が立たない(ように見受けられる)のも、そのためなのかもしれない。

368 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 21:49:25 ID:U1+qHf3C
ディアボロは「メタリカ」の攻撃で失った鉄分を、蛙を食ったり子供の血液を飲むことで補充したが、
当然、普通ならばたかがそれだけのことで、失った栄養素を急速に補給することなど出来るわけがない。
だがスタンド能力が関わることならば、その能力が解除された勢いで、
今までの異常な状態が急激に「元に戻ろうとする」性質が現れるという事例もある。
(例えば「ホワイトアルバム」の冷却効果はこれであり、能力解除と共に温度が急に元に戻る)

365 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 21:46:01 ID:U1+qHf3C
バビロニア神話では、蝿は淀んだ水面が太陽光線を受けることで自然発生する生物だとされた。

365 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 21:46:01 ID:U1+qHf3C
「技能」
脳足りんにとっては脳味噌の代名詞。
(アンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」より)

176フェイク『男』:2007/02/25(日) 22:16:13 ID:pJ3MOEhM
366 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 21:47:30 ID:U1+qHf3C
【知らないものの話、1】
例えば「ティナーサックス」の幻覚は、常人相手にはどうにも見破れないほどの精度だったが、
「魔術師の赤」の生命探知機や犬であるイギーの嗅覚を騙すことまでは出来なかった。
また同じく「ホワイトスネイク」の起こした「面会室の幻覚」は、承太郎にエンポリオの姿を見せることは出来なかった。
(「面会室の幻覚」においてエンポリオを目撃したのは徐倫だけで、彼女はそこから「辻褄の合わない」幻覚を見破っている)
これらのことから判るとおり、いかに超常現象を起こすスタンド使いだろうと、
自分の知らないもの、理解できないものを作り出すことは不可能だと考えられる。

373 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/02/25(日) 21:58:07 ID:/GG3IrB4
【知らないものの話、2】
スタンド使いといえど、自分の知らないものは取り扱えない。
ではサウンドマンの「イン・ア・サイレントウェイ」が「見えない音」での攻撃を行えたのは何故か。
それは、このスタンドがそのような音を聴ける「生物」を作り出したからだと説明できる。
「見えない音」による攻撃は、あの「生物」を使って間接的に攻撃を行ったからこその応用技だったのだ。
ではそもそも、音を形にする能力で何故「生物」が作れるのか。
もしかしたら、あれらは大自然に息づく動植物たちの音、「生命の音」を形としたものなのかもしれない。
思い返せば、1stステージからその走り方を「大地を味方にする走法」と形容されていた彼は、
ジャイロやジョニィたちとは別の形で、大自然を味方として戦う者だったのだろう。

177フェイク『男』:2007/04/06(金) 22:56:31 ID:mlmPClJ.
720 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:47:45 ID:nfJt0p94
リンゴォの過去、軍人崩れの男に強姦されかけたという事件は、
敵対者相手に隷属するという、まさしく死ぬよりも最悪な尊厳の破壊を意味する。
(あまりこういう俗っぽい解釈をするのは俺の趣味ではないのだが)
例えるならば、深い理由を考えもせず漫画などの表現を規制する動きは、まさしく文化に対するレイプだと言えるだろう。

719 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:46:30 ID:nfJt0p94
「回復能力」というものはあまりに万能すぎると緊迫感が無くなるとよく言うが、
肉体の破壊を描写するため回復能力を必須とするこの漫画において、その内容はどれも一通り工夫されている。
以下にその代表例を示す。
波紋法:傷を治すには少し時間がかかるため、戦闘中には難しい。
クレイジーダイヤモンド:本体自身は治せない。舞台が「町一つ」なので、本体がいつも傍に居るとは限らない。
黄金体験:傷を治すには少し時間がかかる。波紋よりは素早いが、一秒を争う戦闘中これが枷になる事例は作中にいくつか存在した。
ストーンフリー:縫うだけ。
フーファイターズ:水が必要。舞台が「刑務所」なので、本体がいつも傍に居るとは限らない。
ゾンビ馬:縫うには時間がかかる。
クリームスターター:本体が常に協力を得られるとは限らない立場の人物。

712 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:37:53 ID:nfJt0p94
時間というものを空間三次元に加えて四つ目の方向であると考えるなら、
平面(二つだけの次元)に潜んで接触対象を若返らせる「セト神」の原理は、
通常のスタンドは立体(三次元)であるところをあえて次元を一つ減らし、
その分を四つ目の方向へと伸ばすことで成される、四次元方向への落とし穴であると言い表せる。

178フェイク『男』:2007/04/06(金) 22:57:05 ID:mlmPClJ.
709 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:32:44 ID:nfJt0p94
「何であろうと……必ず癖というものがある」「癖は直らない……宿命のようにな」(Dio)
「あえて厳しい道を行く」「俺とヴァルキリーだけの道を行く」「俺とヴァルキリーだけが『馴染む道』」(ジャイロ・ツェペリ)
「『飢えなきゃ』勝てない。ただしあんなDioなんかより、もっとずっと『気高く』飢えなくては!」(ジョニィ・ジョースター)
「男には地図が必要だ。荒野を渡り切る心の中の『地図』がな」(グレゴリオ・ツェペリ)
「『真の勝利への道』には『男の価値』が必要だ」(リンゴォ・ロードアゲイン)

誰にだって「癖」があるのならば、ある物事を行う際の、最適な「やり方」はそれぞれ異なるはずだ。
それなら、人にはそれぞれ最も馴染む「道」があり、それは誰でも通れる真正面の「無難な道」とは限らない。
そして自分だけの最適な「道」を行くには、時には社会的に認められた誰でも通れる「無難な道」から外れ、
あえて厳しい道を選ぶことで、無法の荒野の中に「自分の道」を開拓する必要があるということになる。
他者によって拓かれた「無難な道」を受け継ぐだけでなく、また飢えのままに他者の道を奪い乗っ取るでもなく、
既存のどの道をも良しとしない「気高い飢え」によって拓かれるその道は、まさしくその者にとって最高の「光輝く道」となる。
そうした「自分の道」によってこそ、荒野を渡り切るに足る「心の中の地図」は描かれるのであろう。
誰もが未知の世界に挑戦できるわけではない。既存の領域を守るために、大多数の人間は危険を避けて生きなければならない。
その中で、極少数の挑戦者が新たな道を切り拓くことこそが、「男の世界」の価値となる。

179フェイク『男』:2007/04/06(金) 22:57:22 ID:mlmPClJ.
707 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:29:16 ID:nfJt0p94
聞いた話では、「ホワイトアルバム」というスタンドが有する「冷却にかなりの指向性がある」「本体は全く冷えない」
「能力を解除すると一瞬で温度が元に戻る」「何故かジェントリー・ウィープスが宙に浮いている」などといった、
通常のエネルギー操作系スタンドと比べても、やたらに物理法則に反しすぎているかのように思える各種の特徴は、
このスタンドの本質が「冷却エネルギーそのもの」であると説明すれば解決できるとされる。
スタンド能力と言えど、生物である本体には全く感知できない不可視のエネルギーとは、
何らかの実体を伴わせなければ活用できない、という点からしても、この説は妥当だと考えられる。
この場合、「ホワイトアルバム」とは不可視の冷却エネルギーに(主に)「氷」という実体を与えて操作する能力というわけだ。
また、このような観点で言うならば、光の「吊られた男」や磁力の「ブンブーン一家のスタンド」も似たタイプと言える。

704 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:25:02 ID:nfJt0p94
誰が言った言葉だったか……「知性を神にしてはいけない。知性は強い筋肉を持っているが、人格は持たない」

180フェイク『男』:2007/04/06(金) 22:57:48 ID:mlmPClJ.
717 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:44:12 ID:nfJt0p94
【一般人の話、1】
現実的に考えれば、スタンド使いに対しても一般人が暗殺などの攻撃手段を取ることは可能なのだし、
一部や二部では吸血鬼に対して一般人が武器で立ち向かう様子もある程度描写されているというのに、
自らの意志でスタンド使いに能動的な攻撃を仕掛ける一般人というものは、(六部までの)原作では全く設定されない。
これはやはり、「スタンドは一般人には見えない」という原則が示す通り、スタンドの不可侵性を重視したためだろう。
一般人に対して肉体という共通点があり、相手を認識することができ、対抗策も生み出せる吸血鬼や柱の男とは異なり、
スタンドとは一般人と根本的に異なる存在であり、理解・許容させることも困難ならば、無理にそれを行う必然性ある状況も少ない。
例えば、スタンド使いに対して自ら攻撃を加えるような一般人は、人間に立ち向かうノミと同様、勇気とは言えない無謀と呼ぶべきだ。
(更に言えば、一般人はスタンドが見えないならば、攻撃はまだしも防御は全く不可能ということにも繋がる)

721 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:49:13 ID:nfJt0p94
【一般人の話、2】
イマイチ存在理由のはっきりしなかった三部の「家出少女」は、
恐らく一、二部のスピードワゴン同様の、一般人代表キャラとして登場したのだと推測できる。
だが波紋や吸血鬼とは異なり一般人からは不可侵となったスタンドバトルの前に、
彼女は一部スピードワゴンのような僅かな活躍をするどころか、ただじっと身を守ることすら出来ず、
ただの足手まといとして物語から退場してしまったのだ。

181フェイク『男』:2007/04/06(金) 22:57:58 ID:mlmPClJ.
723 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/04/06(金) 22:52:30 ID:nfJt0p94
【一般人の話、3】
また、スタンドは一般人に対し不可侵であるという原則を(恐らくは)基礎として、ジョジョには次のような傾向がある。
1、近距離ならば、スタンド使いが暗殺を避けるのはそう難しくなく、ますます一般人に勝ち目は無い。(ポルナレフvsホルホース)
2、己の技術を磨き上げた者は、その技術がスタンドとして昇華される。(露伴、トニオ、辻綾、ケンゾーなど)
3、弱者を虐げる邪悪なスタンド使いに立ち向かう一般人の姿は正義である。(早人、ルーシー)
4、「技術」使いは、超常現象を「見る」ための能力に目覚めることがある。(ジョセフ、ジャイロ)

182フェイク『男』:2007/05/03(木) 23:18:03 ID:E54YIZXQ
735 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/05/03(木) 21:15:08 ID:0oiPKxAw
スタンドとて物を殴れば反動があるのだが、それは本体にもフィードバックすると考えられる。
その反動でスタンド自身が傷つかなければ本体も傷つくことはないため、普段は軽視しがちな要素なのだが、
以下のように、これが問題となる事例もあるので注意が必要だ。
1、本体が車など自分のスタンドより弱いものに乗っていると、反動はそちらに影響を及ぼす。(「運命の車輪」戦)
2、近距離パワー型スタンド使い二者が相互に殴り合えば、その反動は両者を宙に浮かすほど大きい。(「世界」戦)
3、本体が無重力下など反動を吸収できない状態では、スタンドも反動を吸収できない。
  つまり格闘における打撃などが出来なくなる。(「ジャンピンジャックフラッシュ」戦)

733 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/05/03(木) 21:12:31 ID:0oiPKxAw
明らかにジャンプ連載の引き伸ばしによってジョジョに登場したと思われるエジプト九栄神のスタンドであるが、
それら一つ一つを見てみれば、タロットを暗示とするスタンドに比べて幾らか原始的な装いに統一されているようにも感じられる。
具体的には、彼らはスタンドを後押しとして絡め手で戦うことが多く、
またスタンドを用いて直接格闘を行うものも、その攻撃自体は実体であり一般人にも認識できることが多いという具合だ。
そういう意味では、SBRのスタンドに似ているとも言える。

732 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/05/03(木) 21:10:33 ID:0oiPKxAw
ジョジョ本編には強いスタンドの本体がどうにも手を抜いているようにしか見えないこともいくつかあるが、
その理由を作品内に求めるなら、大まかに分けて下記の二つが考えられる。
・異常に油断する性格と倣岸不遜な精神だからこそ強いスタンドを身につけたタイプ。(承太郎に対するDIO)
・過度に慎重だからこそ強いスタンドを身につけたタイプ。(吉良吉影、プッチ神父など)

183フェイク『男』:2007/05/03(木) 23:18:20 ID:E54YIZXQ
730 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/05/03(木) 21:07:29 ID:0oiPKxAw
一見には相反する二つの要素を調和させることも、ジョジョにおける奇妙の醍醐味であるようだ。
例えば冷気使いというクールさを感じさせる能力でありながらキレやすい性格のギアッチョは、
冷却をすなわち分子の振動を留めて静止させる能力と考え、その怒りを雑然として一定しない言葉の文化に憤る気持ちと読み取れば、
彼のこの二つの要素はどちらも「神経質さ」の表現であると理解できる。
あるいは「皇帝」の暗示を持つスタンド使いでありながら、「一番よりもナンバー2」を人生哲学とするホルホースであるが、
そもそも「皇帝」というタロットは「神が世界を支配しやすいよう、人の上に立ち人を治めるもの」を暗示しており、
彼が自らを二番手とする理由になっている。

726 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/05/03(木) 21:01:14 ID:0oiPKxAw
偶然なのかそれとも必然なのか、スタンド使いを増やそうとする者はその行為が自身の死へと繋がることが多いらしい。
考えすぎかもしれないが、その行いは「無知なる者の運命を勝手に動かす」ものであり、その報いてあるとも解釈できる。
・エンヤ婆:自らが矢によってスタンド使いにしたDIOの命令により死亡
・虹村形兆:自らが矢によってスタンド使いにした音石明により死亡
・写真の親父:自らが矢によってスタンド使いにした吉良吉影の手により死亡
・ポルポ:スタンド使いを増やそうとしたことをジョルノに咎められ死亡
・空条承太郎:自らがスタンド使いにした空条徐倫を狙われて死亡
・プッチ神父:自らがDISC化してしまったウェザーのスタンドにより死亡

184フェイク『男』:2007/05/31(木) 20:27:35 ID:IC0Y4RIk
789 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/05/31(木) 20:18:27 ID:K9HEzYG4
「動いているものは相当の高速でも反応できる代わりに、止まっているものは感知できない」という
恐竜の動体視力を手に入れたDioは、偶然にも彼自身が騎手であったために、その弱点をカバーすることが出来ている。
つまり、彼が馬に乗って疾走していれば、周囲のあらゆるものは彼にとって相対的に「高速で移動」しているわけだから、
「止まっているものは見えない」という恐竜の動体視力の弱点は問題にならないということだ。
スタンド能力には何らかの欠点を持つものも多いが、こうした工夫や技術によってそれを補うことも重要だといえる。
ただ上記のDioに関しては一つ、自分の乗馬の速度とほぼ同じ速さでゆっくりと自身に迫り、
そして「回転」の力で、迫るゆっくりさとは裏腹の高い攻撃力を発揮するジャイロの「鉄球」だけは、
「動体視力と乗馬」の組み合わせを超えた、まさに天敵とも言える攻撃であるため、今後の対応が注目される。

791 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/05/31(木) 20:20:31 ID:K9HEzYG4
「空気」
いつくしみ深き神さまが、貧乏人を太らせてやろうとて、お与え下さった栄養豊かな物質。
(アンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」より)

185フェイク『男』:2007/06/27(水) 01:17:56 ID:hGaiVlbc
809 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/06/27(水) 01:15:40 ID:2EthnzVJ
今に比べてあまり能力がハッキリ定まっていなかった辺り、三部初期のスタンドは、
以下に列記するように、「特長あるスタンド像」と「破壊エネルギー」の組み合わせで一能力として成立していたと纏められる。

星の白金:パワー・スピード・精密性の全てに優れたスタンド像、破壊エネルギーは「スターフィンガー」
魔術師の赤:炎を扱うための鉤爪や嘴を備えたスタンド像、破壊エネルギーは「炎」
法皇の緑:紐状になって活動できるスタンド像、破壊エネルギーは「エメラルドスプラッシュ」
銀の戦車:スピードと精密性に特化したスタンド像、破壊エネルギーは「剣と鎧」
灰の塔:小型でスピードに特化したスタンド像、破壊エネルギーは「塔針」
暗青の月:水中活動に特化したスタンド像、破壊エネルギーは「フジツボ」「ウロコのカッター」


800 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/06/27(水) 00:35:24 ID:2EthnzVJ
擬音を伴う現象ならば何でも出来そうな万能めいた「エコーズAct2」から進化した「Act3」は、
しかし、殴った相手を重くするというAct2でも再現させられそうな(しかも特に「音」と関係ない)能力となった。
とはいえ、Act2のパワー自体は(「ドジュー」の尻尾文字の熱が不良品の電気コンロにも負ける程度だったことからも判るとおり)
それほど大したものではなく、シアーハートアタックを完全に押さえ込むことも不可能だったことは窺える。
中国拳法には「千招知るを恐れず、一招熟するを恐れよ」という言葉があるが、もしかしたらエコーズもまた、
手広く浅く色々出来るよりも、あえて一つの分野に精神力を集中することで、強力なパワーを獲得したのかもしれない。
そう考えてみれば、Act3が3FREEZEを繰り出すときの構えも中国拳法っぽく見えなくもない、ような気がする。

186フェイク『男』:2007/06/27(水) 01:18:09 ID:hGaiVlbc
795 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/06/27(水) 00:26:39 ID:2EthnzVJ
苦痛に対する恨みや呪いを原動力として発現するという意味で、
「エボニーデビル」と「ノトーリアスBIG」は似た系統のスタンドなのだが、
己をどこまで苦境に追い込むかという点で、この二つのスタンドの精神性は異なっている。
「エボニーデビル」は恨みによって強化されるとはいえ、限度を超えれば呪う暇もなく本体ごと死に至ってしまうため、
本体デーボは自分をどこまで痛めつけていいのか、相手をどこまで挑発していいのかを明確に見極めなければならない。
デーボが裏社会で名を挙げていることからも判るとおり、これはプロの技術だと言える。
一方の「ノトーリアスBIG」は限度を超えなければ発動せず、いったん始まればどうしようもない勢いで暴走するという、
後先を考えない一発限りのヤケクソであるという意味で、アマチュア的な発想の能力であると考えられる。

793 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/06/27(水) 00:22:48 ID:2EthnzVJ
DIOvs承太郎、ナランチャvsホルマジオ、最近ではジョニィvsサウンドマンなど、
双方が工夫と小細工を尽くした果てに、最後に一対一の早撃ち勝負で決着が付くというパターンがたまに見られる。
これは別にそれまでの戦闘が無意味だったというわけではなく、
主人公側の者が技術を駆使したトリックバトルを制することにより、相手方に対し知性面・精神面で勝利し、
それを踏まえて早撃ちに打ち勝つことで、肉体的にも上に立ち完全勝利するという流れになっている。
力だけで相手に勝つばかりならばパワーインフレは避けられず、小手先の技だけで勝つならば爽快感に欠け卑怯にも見えてしまう。
その問題解決のために、二つの戦い両方において勝利するというこの展開は、
三部辺りの「敵の小細工を破る→承太郎がオラオラで締め」の発展形と言えるだろう。

187フェイク『男』:2007/07/18(水) 22:33:08 ID:5r/yFagU
337 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/07/18(水) 22:27:14 ID:BoDHkAU2
格闘をこなす遠隔操作型のスタンドは、次のような条件を満たしている事例が多い。
1…超絶的な耐久力を持っていたり、特定の攻撃を無効化したりする。
2…何かを探知して敵の位置を突き止めたり、条件を満たした相手を攻撃したりする。
3…急所を突くような攻撃を仕掛けたり、自動操縦ならではの高いパワーを備えている。
自動操縦型のスタンドは大半がこれに当てはまるが、普通に本体が操作するスタンドでも、上記の項目を満たすものも多い。
特に「吊られた男」「正義」「ゲブ神」「ビーチボーイ」は全部に該当する。
恐らくこれらの条件を備えることが、作劇上やりやすいのだろうと推測される。

336 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/07/18(水) 21:27:12 ID:BoDHkAU2
六部最後の「天国」については明言されない謎がいくつか残されているが、その内の二つ、
1、「天国」に納得いかず覚悟できない人々が世界中に現れるだろうが、神父は彼らをどうするつもりだったのか?
2、天国成立後には自分の命を捧げるとまで言って命乞いしたのに、そもそも天国成立よりエンポリオ殺害を優先したのは何故か?
これらの疑問に対しては、「プッチ神父は天国成立後、世界中の人々を啓蒙して回る予定だった」と考えれば解決できる。
彼がエンポリオを執拗に殺害しようとしたのは「エンポリオは単独でも刑務所を脱獄し、神父を倒そうとする宿命」だったからだが、
それは神父が単に自分の命を天国より優先したというわけではなく、天国成立後の世界のことも考えての決断だったというわけだ。

188フェイク『男』:2007/07/18(水) 22:33:21 ID:5r/yFagU
335 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/07/18(水) 21:26:06 ID:BoDHkAU2
>>168
ほとんどのスタンド使いが武器を使わないのは純粋な漫画上の問題なのだが、これを作中の理屈で解釈するならば、
スタンドとは闘争本能の現れであり、攻撃の手段が分散すれば意志も散漫になるためだと解釈できる。
この理屈は言い換えれば、「精密動作性に優れ正確な絵を描けるスタンド」は露伴には必要無いし、
「料理を美味しくするための調味料のスタンド」はトニオには必要ない、と表現することも出来る。
またそれとは逆に、元々武術や技術を備えた人物がスタンド使いとなった場合、
その技術を主として戦い、スタンドはそれを補助するに留まることが多い。

331 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/07/18(水) 21:20:27 ID:BoDHkAU2
かつてプッチ神父は、ミラションの盗み癖やグッチョの人をムカつかせる特徴を「才能」と評したが、
これら当人に害となる要素すらも肯定的に捉え利用しようというのは、他者の心を操作し使役する彼の支配者的性格であると共に、
「なるようにしかならない」という力に無理に逆らわず、覚悟を持って不幸を受け止める「天国の思想」に根ざした考え方なのだろう。

327 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/07/18(水) 21:14:47 ID:BoDHkAU2
古代ローマの学者プリニウスが著した「博物誌」には「アンフィスバエナ」という奇妙な生物が記載されている。
これは胴体の両端に頭がある蛇といった姿であり、その双頭は「毒を吐くのに一つの頭では足りない」ほどの獰猛さを意味するという。
後世、この幻想的な生物は「二つの選択肢を同時に選ぶことは出来ない」という「迷い」の象徴として扱われた。

189名無しさん:2007/07/23(月) 03:30:51 ID:nJz9.Kjo
フェイク『男』さんに貰ったスタンドをIDスタンド変換スレ in イタリアで
使いたい場合、質問はここでしてもよろしいでしょうか?
それとも自分で決めるなり、調整スレに持っていったほうがいいでしょうか?

190フェイク『男』:2007/07/26(木) 00:21:43 ID:mWc6hN9c
コピペし忘れ。

330 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/07/18(水) 21:19:15 ID:BoDHkAU2
基本的にスタンドとは精神の才能ではあるのだが、肉体的な資質もまたスタンドに影響している。
それは例えば、本体の深刻な負傷がスタンドにも伝達するように、また「星の白金」と「世界」の性能差を見比べても明らかなように、
恐らくは、肉体の調子と感情・知性・精神に因果関係があることから、肉体の変調がスタンドにも現れているのであろう。


>>189
聞かれれば何でも答えるつもりだ。

191158:2007/07/29(日) 00:31:32 ID:Jw2Stb0o
その節はどうもでした。

>>19で鑑定した数は数えていないとの事でしたが、数えてみたところなんと2829体でした。
(2002年9月26日「本体を美しくするスタンド」から2007年7月18日「グロスマン」まで)
ただし、「クリーム(進化前)」など、オリジナルといえないものを1〜3体ほど除外してあります。

192フェイク『男』:2007/08/03(金) 22:20:32 ID:KkMqwPQY
837 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/08/03(金) 22:12:56 ID:swc0/mc/
私がスタンドを鑑定する際には、そのスタンドの能力とは直接関係無いような理屈を書き添えることが多々ある。
それはそのスタンドを表面だけでなくより深く、根本のところから理解することで、いくつかの問題を解消するためだ。
例えば一つ、似た種類のスタンド能力が同時に発動した場合どうなるのか……原作で例えれば
「時を飛ばしている最中に時を止めたらどうなるのか」みたいな疑問は、その能力をただ単に
「時を止める」「時を飛ばす」と解釈しているだけでは解決できず、ただ場当たり的に答えを出すしかない。
だがそれらの能力の理屈や因果まではっきりしていれば、その答えも自明となるだろう。
またあるいは、本来一人一能力である筈のスタンドなのに、複数の能力をもっているとしか思えないものがいくつも存在する。
これについても、ただ表面だけを見て能力が複数あると考えるより、その様々な表面上の効果が、
全て一つの本質から起こっていると解釈することで、そのスタンドにとって何が可能なのか、及び不可能なのかを突き詰められる。


>>191
オリジナルじゃないもの……三体しか無かったっけか。

193158:2007/08/04(土) 00:07:53 ID:l71.IawI
>>192
まあその辺は曖昧に。
「髑髏のような屈強な人型スタンド。『クリーム』と名づけられた。成長後の能力は君もよく知っているだろう。」
↑非オリジナルと判断
「精神を読み取って水晶玉に映し出す、イバラのスタンド。他人の探知能力を妨害できるぞ。『スリープウォーキング』と名づけられた。」
↑オリジナルと判断
このくらい曖昧。

194フェイク『男』:2007/09/17(月) 08:14:37 ID:rMigoOWU
702 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/09/17(月) 08:04:27 ID:I2IbUECZ
「真の『失敗』とはッ! 開拓の心を忘れ、困難に挑戦することに無縁のところにいる者たちのことを言うのだッ!
 このレースに失敗なんか存在しないッ! 存在するのは冒険者だけだッ!」(スティール)

人類の進化には「未知の分野への挑戦」が必要だが、誰もが無計画に未知の世界へと踏み込むわけにはいかない。
「挑戦」には安定した土台が不可欠であり、誰も彼もが無茶をしていては出来ることも出来なくなるだろうからだ。
一人の挑戦者の裏には無数の後援者が存在し、そこに上下は無い。


698 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/09/17(月) 07:56:25 ID:I2IbUECZ
スタンドの中には「本体の精神の一面だけを反映したもの」がある。多くの場合、反映されるのは本体の精神的「弱点」となる。
「最も恐ろしいのは弱さを攻撃に変えたもの」との作者の言葉通り、この手のスタンドは非常に凶悪であるが、
逆にこのようなスタンドの本体は、自身の能力の問題点を克服しようとすることが、自身の精神的欠点を乗り越えることに繋がる。
ジョジョ本編では、本体フーゴの狂暴な面だけを写し取った「パープルヘイズ」、
本体リンゴォの臆病さや未熟さを象徴する「マンダム」などがこれにあたる。

684 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/09/17(月) 01:11:17 ID:I2IbUECZ
現在時点ではイマイチ活躍の無いポコロコであるが、1stステージを振り返れば、
彼の役割は「あるかどうかの幸運よりも人間の努力の成果である技術の方が強い」ことを示すための噛ませ犬だったと言える。
荒木が運命論に拘っているのは周知の通りだが、恐らくはSBRの連載に当たり、運命というものの強さの復習と、
それ以上に重視すべきものがあるという決定のために、このようなキャラを配置したのであろう。
SBRにおいてもバトルが主軸となった現在、レース展開は「湖を越えろ」や「嵐の丘の短距離レース」が示すように、
ジャイロが「男の世界」を我が物とするための成長描写に使われており、それを踏まえると、
やはりこれからのポコロコは、「男の世界」を体得したジャイロに敗れることで、
運命より「男の世界」(それに類する精神性や信念など)が強いことを表すやられ役になるのではないかと推測する。

195フェイク『男』:2007/09/17(月) 08:15:09 ID:rMigoOWU
683 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/09/17(月) 01:09:26 ID:I2IbUECZ
ジョジョの戦いでは、照準の定まっていない数撃ちゃ当たる式の攻撃を命中させても、
それで決着が付くことはまず無く、相手は生きている事が多い。それどころか見かけ上は重傷者でも元気に戦えてしまう。
これは恐らく、負傷者が生きている可能性があれば生きており、動ける可能性があれば動けるとすることで、
極限まで戦いを追求すると共に、偶然を排し「連続性」を重視する作者の世界観に合わせているのだろう。
具体的事例としては、火に撒かれたホルマジオ、爪弾の乱射を受けたポークパイハット小僧、十一人の男の生き残りなど。

680 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/09/17(月) 01:05:16 ID:I2IbUECZ
ジョジョ四部の成長キャラ・広瀬康一の成長の軌跡は以下の通り。
Act1、精神的に責めてくる敵・玉美との対決に、精神的に(「信じて!」「五十万もってこい」)勝利
Act2、精神だけじゃどうしようもない(「大嫌いだ!」が通じない)物理的な暴力を伴う敵・由佳子との対決に、心身の両面で勝利
Act3、どう足掻こうと勝てないほどの強敵・吉良に屈服することなく、己の精神を証明して誇り高く敗北

679 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/09/17(月) 01:03:33 ID:I2IbUECZ
手は外部に出た脳である。(カント)

196フェイク『男』:2007/09/17(月) 08:15:26 ID:rMigoOWU
677 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/09/17(月) 01:00:05 ID:I2IbUECZ
イタリアンマフィアの抗争を舞台としている筈の五部のスタンド使いが、ほとんど(ミスタ以外誰も!)銃すら持っていないのは、
少なくともブチャラティのチームに関しては、彼らが銃に慣れるよりも早くスタンド使いになったからだと考えられる。
(そして当人の限りある精神力・闘争心を分割してしまわないために、スタンドと武装は原則的に両立しない。
その逆に、七部のスタンドが直接戦闘能力を持たないのは、その本体のほとんどが日常的に銃を所持しているからであり、
また直接戦闘能力を有するスタンドの多くは、以下に列記するとおり、本体にその理由を求めることが出来る。

・ブンブーン一家のスタンドは拳銃では満たせない猟奇殺人趣味や一方的な攻撃という嗜虐趣味を発揮できる
・ジョニィの「タスク」は銃がブンブーン一家に全く通じないという状況の中で発現
・本体の技術と能力が重複する「オエコモバのスタンド」は、本体が脱獄逃亡中という武器の無い中で発現
・「イン・ア・サイレントウェイ」は本体がナイフ程度でしか武装していないインディアン


675 名前: フェイク『男』 [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 00:56:23 ID:???
トト神、シンデレラ、竜の夢、ポコロコのスタンド、(解釈次第では)ローリングストーンズなど、
ジョジョ各部にそれぞれ一体は登場するという、不幸を退け望みの運命をもたらすスタンド能力は、
どれも相応の努力や、そこそこのところで幸運から身を引く謙虚さが求められることから、
これらはいわゆる「願掛け」をモチーフにしていると考えられる。

197フェイク『男』:2007/10/21(日) 01:37:52 ID:c5R33DJE
239 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:33:46 ID:QyRzFY8c
自然界には現在の人間では及びもつかないパワーやシステムが内在している、という事実をエコロジー思想に転用すると、
(フェルディナンド博士がそうだったように)「人間は科学技術なんかに己惚れるな。身の程を知れ」という発想になりがちだ。
だが「敬意を払う」という概念により大自然から黄金長方形を見い出し、
これを用いて人間の「技術」を更に高めるというツェペリ家の回転の技術は、
大自然の偉大さと人間の努力を両立させる、生命賛歌や自然賛歌を踏まえた人間賛歌であると言えよう。

236 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:28:22 ID:QyRzFY8c
「おめーのスタンドは本体の目の届かないところで戦えるスタンドじゃねえだろうがポルナレフッ!」(三部、エボニーデビル)

「銀の戦車」には上記の通り視覚が無いとされているが、しかし銃弾を見切るほどの動体視力はあった。
一方「星の白金」には写真を分析するほどの視覚が有るのに、DIOの承太郎に対する血の目潰しは有効だった。
これらの問題は、例えば「近距離パワー型スタンドの持ち主は、自身の視力が高められている」とか、
「近距離パワー型スタンドは本体の視界内にのみ、そのスピードに準じた鋭い視覚が働く」と考えれば辻褄が合う。
また、遠隔操作型は本体とは別に視覚があり、本体とそれを共有する、
自我所有型や自動操縦型は本体とは別に視覚があっても本体とはそれを共有しない、などの類型に分けられる。

234 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:25:13 ID:QyRzFY8c
努力と継続によって得られる「技術」に対して、何の努力も無く手に入る「超能力」は、
その本質として、人間の後ろ暗さや精神の暗黒面を強く暗示していると考えられる。
だが超能力を様々に活用し、戦闘の中で知恵や工夫を尽くすのも「勝つための努力」であろうし、
己の超能力に己惚れたり苦しんだりすることなく、一般人の中で普通に日常を過ごすのも「継続」の力だと見なせる。
言わばこれもまた「悪の力をもって正義を行う」という、
ゴージャスアイリン、魔少年ビーティー、バオー来訪者と一貫していた概念の一つであるのかもしれない。

198フェイク『男』:2007/10/21(日) 01:38:28 ID:c5R33DJE
233 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:24:02 ID:QyRzFY8c
「奇跡」とは、例えば二部のジョセフ生存、三部のジョセフ復活、四部の億泰復活、
五部のレクイエム発現、六部のエンポリオとアイリンたちの出会いなどであり、
その原因は正義の心、黄金の精神、真実に向かう意志、引力即ち愛などが挙げられてきた。
いずれも物語の最終段階において、原因(正義の心など)と結果(ハッピーエンド)だけを簡略に示したに過ぎないが、
「運命」という大きな問題が六部で解決した今、七部においては「奇跡」の理論をより具体的に描写する段階に来ているのかもしれない。

232 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:22:40 ID:QyRzFY8c
ジョジョにおいて「戦闘中に成長する味方キャラ」には二種類ある。
一つは、既に充分な戦闘力や意志力を持っている者が、感情の爆発などの精神力によって更なる能力を得るというもの。
この事例ではスタンド能力が根本から変化するわけではなく、新たな動かし方や応用的な技術を獲得できるに留まり、
またその戦いにおいては、新たに得た能力だけではなく既存の能力も充分に活用しなくては勝利できない。
ヴァニラアイス戦でのポルナレフ、三部ラストバトルでの承太郎、ベイビィフェイス戦でのジョルノがこれに該当する。
もう一つは、未熟な状態から様々な経験や段階を経て、スタンドそのものが新しい状態へと進化するというもの。
この事例は例えば未熟な者が自分一人で戦いに挑んだり、幾人もの犠牲と継承の上で進化を果たすなど、
成長するまでの「過程」に焦点が当てられるため、戦い自体は進化した能力のお披露目のごとく、そのまま圧勝することが多い。
康一、五部ラストバトルのジョルノ、グーグードールズ戦の徐倫、サウンドマン戦のジョニィなどがこれに当たる。

199フェイク『男』:2007/10/21(日) 01:38:41 ID:c5R33DJE
231 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:20:24 ID:QyRzFY8c
俗にスポーツ選手は一般人より寿命が短いと言われているように、いかに体調に気をつけても肉体を酷使する者は短命であり、
体温の変化で老化させるという「ザ・グレイトフル・デッド」の発動条件はこれを原点としていると考えられる。
これは少々強引な解釈例だが、ともかく条件発動型のスタンドには大抵その条件を必要とする理論や説明があり、
理屈の伴わないようなただの儀式を伴うスタンドはそれほど多くはなく、本体が精神的に未成熟であるもの、
あるいは能力が魂や生死など生ある者全てにとって未知の領域にあるものに少し存在する程度だ、
(この二つは、能力に対して本体の精神が追いついていないという意味で、本質的には同じだと言える)
前者の例は初期の「法皇の緑」(絵や操り人形と同期して行動する)と「マンダム」(腕時計を操作する)、
後者の例は「リンプビズキット」(謎の呪文を唱える)とDIOの「天国に行く方法」が挙げられる。

200フェイク『男』:2007/11/10(土) 21:45:01 ID:PnJGFH5M
625 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/11/10(土) 21:38:12 ID:kRQ3cHHE
『爪』という器官はテコの原理により指先を保護し握力を強める働きがある。またその硬さは様々な用途に利用できる。
人間は手を使うことで脳を発達させ知性を獲得したという説があるが、
ならば爪とは人類の初めての道具であり、進化の発端であると言えよう。

201名無しさん:2007/11/30(金) 21:30:08 ID:0DQfDw4s
質問しつもーん。
フェイク男さんはユリイカ増刊読みました?
特に印象に残った記事とかあります?

202フェイク『男』:2007/12/22(土) 20:59:55 ID:uV59appE
暇が無かったので読んでない。存在を知ることすら出来なかった。
今はどうにか余裕があるが。

203フェイク『男』:2008/01/11(金) 20:12:13 ID:AhSI02ak
969 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/01/11(金) 20:10:49 ID:vUd/VaEE
処女より生まれたとされるイエスとディアボロの共通点は、その善悪を問わず、
彼らが親子の血統という「連続性」、ひいては「運命」を超越していることであると考えられる。
単独で人の域を超え、神や悪魔の世界にまで達している彼らに対して常人が出来ることは、
親から子へ、去る者から残る者へと意志を継承し、「真実」を追求し続けることのみであろう。

968 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/01/11(金) 20:08:38 ID:vUd/VaEE
何かと謎の多いゴールドエクスペリエンスレクイエム(略称GER)であるが、
その一つ「殴られた者は永遠に死に続ける」という経緯不明の能力効果に付いては、
初期の「黄金体験」にのみ描写されていた「感覚暴走」効果の延長で説明できる。
ディアボロの肉体は下水溝で麻薬中毒の男に刺されて死亡した後、女医モニカ・ユルテッロに司法解剖されたわけだが、
ディアボロの「魂」はその後も幽霊のように世界をさまよい続け、周囲の「死にゆく者」、
例えば「犬に吼えられた直後に車に轢かれて死んだ者」や「公園で女の子に話し掛けられた後に何らかの原因で死んだ者」に憑依して、
その「死」を代わりに体験させられ続けているという解釈だ。

967 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/01/11(金) 20:07:39 ID:vUd/VaEE
末期ブチャラティの状態を見抜く、ドッピオを「魂」的にトリッシュへと偽装する、
チャリオッツレクイエムの発動時に自分だけ目当ての肉体へと潜り込む、
チャリオッツレクイエムのわけのわからない原理と倒し方を見破るなど、
五部のラスボス・ディアボロは「魂」や「幽霊」について造詣が深いようだ。
それは彼が二重人格者であり、人格の交代を素早く行う「技術」から得た知識なのかもしれないし、
あるいはもっと別な何かの理由があるのかもしれない。

204フェイク『男』:2008/03/22(土) 22:02:38 ID:lKIcCLbM
307 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/03/22(土) 21:58:15 ID:2Ti0ZRQ1
はたしてDIOとプッチの間に「真の友情」はあったのだろうか? この疑問はどちらとも解釈できる。
まずDIOからプッチへの感情であるが、DIOがまさしく真の邪悪、完全に真っ黒な存在であったのならば、
プッチとの友情も「天国へ行く方法」のための布石の一つ、ただの見せ掛けだっただろうし、
しかしいくら生まれついての邪悪とはいえ、一方で真摯に友情を求める白い心がどこかに残っていたという可能性も否定できないだろう。
またプッチの方は、表面上は「DIOの仇を討ちたいというのは個人的な感傷に過ぎない」と己の感情を切り捨てた独白があるものの、
その後のストーリー展開を見ると、己の感情を否定しきれていない面があるのが事実だ。
とはいえこの疑問はジョジョの本筋とは関係ない話であり(もしも彼らの間に清い友情が本当に存在していたとしても、
彼らが倒すべき邪悪であることに変わりはないのだから)謎は謎のまま置いておき、各人好きに想像するのが良いだろう。
話のスケールは異なるが、ミキタカが本当に宇宙人かどうか、という疑問と同じようなものだ。

306 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/03/22(土) 21:56:04 ID:2Ti0ZRQ1
アヌビス神の「能力」は剣を交えた相手の戦力を「覚え」てそれをどんどん上回っていくことだが、
ならば「斬りたいものだけを斬り、それ以外をすり抜ける」方は何なのだろうか?
恐らくそれは、大概のスタンドが有している「透過」の性能を、「技術」にまで高めたものなのだろう。
何も「覚え」ていない状態のアヌビス神は剣術こそド素人同然だが、
そういったスタンドの運用方法については最初から備えているようだ。

205フェイク『男』:2008/03/22(土) 22:02:58 ID:lKIcCLbM
300 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/03/22(土) 21:44:26 ID:2Ti0ZRQ1
ジョジョ六部のリキエルはアポロ11号の月面着陸を指して「人間の精神は地球を超えて成長した」と解した。
これは即ち、今や宇宙規模のスタンドすらも実現可能だということの伏線だったのだろう。

293 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/03/22(土) 21:34:25 ID:2Ti0ZRQ1
外見を真似る程度でしかない「黄の節制」や接触で化ける「クリームスターター」とは異なり、
相手を写真程度でしか知らなくとも、肉親でも犬の嗅覚でも見破れない変身を行える「クヌム神」は、
その精密な肉体情報をどこから得ているのかという点で疑問がある。
実はオインゴは承太郎の髪の毛か何かをこっそり回収しており、それを材料に変身した、などと解釈することも出来るが、
むしろ上に挙げたスタンドとは異なり「クヌム神」は純粋に変身しか出来ないのだから、
全くの無から変身対象の肉体情報を丸ごと再現できる、という程度の超越性はあって然るべきとも考えられる。
それでこそ、万物を作り上げたという「創造の神」の名にふさわしいと言えよう。

206フェイク『男』:2008/05/12(月) 21:41:32 ID:coMRgn76
695 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/05/12(月) 21:37:08 ID:f8t2UZu0
殺人を犯した自分の心を呪われたものと考え、空条徐倫に恋心をいだき守ることで、その心が清められると信じている。
(六部最終巻、アナスイの紹介文)
プッチ神父を倒すことでエンポリオが到達したのは、DIOの因縁から完全に解放された新世界だった。
アイリンとその父親、エルメェスやウェザーに似た人物が幸せそうに暮らしているのも、因縁から解放されたためだろう。
しかしアナキスだけは事情が異なる。彼の前身であるアナスイは、DIOやプッチの因縁とは無関係な犯罪者だったからだ。
アナキスが少なくとも刑務所に収容されず、ひょっとしたらこれから幸せになれるかもしれないという現状は、
逆説的に、アナスイが己の罪や恋心に対して、真に誠実に生きてきたということを証明するものであり、
たとえ生まれや育ちに問題があったり、罪を犯した者であっても、その心を清めることは可能だということを示している。

693 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/05/12(月) 21:34:42 ID:f8t2UZu0
スタンドは適材適所であり強い弱いの概念は無いが、「世界」は単純な殴り合いという分野では最強のスタンドだったと言える。
だが本体のDIO自身は暴力よりも他者の支配や安心を得ることを重視しており、その面では「世界」はそれほど適してはいないようだ。
「支配して安心する」というDIOの願望は後の「メイド・イン・ヘブン」へと繋がっているのだが、
思えば蜘蛛の巣を破らずにホルホースの背後に回ったり、ポルナレフを階段から降ろしたり、
上院議員を何度も車の中に連れ戻したりといった余興なども、「世界」で他者の支配を行おうという努力だったのかもしれない。

690 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/05/12(月) 21:28:59 ID:f8t2UZu0
そもそも「火炎」というものは物質ではなく発熱や発光を伴う酸化の「現象」であるわけだが、
それをまるで物質のように成形して操るという「魔術師の赤」は、
まさしく超能力の視覚化である「スタンド」を象徴する能力といえるだろう。

207フェイク『男』:2008/05/12(月) 21:41:46 ID:coMRgn76
687 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/05/12(月) 21:24:49 ID:f8t2UZu0
過去の罪、特に被害者も遺族も既に存在しない罪は、どうやって償えばいいのだろう?
法的な罰を受ければ、それで罪悪感は消えてなくなるのだろうか?
そういった取り返しのつかない罪を克服するためのスタンドが「シビル・ウォー」であると考えられる。
自分の心の中だけに存在するために、自分自身にもどうしようもない罪悪感を幻影として「実体化」させることで、
ただ己の罪に怯えるだけでなく、例えばスタンドを使って幻影を操ったり、更には幻影を他人におっかぶせたりといった、
現実的な解決手段を模索できるようになったのだろう。

686 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/05/12(月) 21:23:13 ID:f8t2UZu0
C-MOON戦での徐倫やシビル・ウォー戦でのジャイロの判断を見る限り、
遠隔操作型のスタンドは本来あまり精密に動けるものではなく、格闘などで近距離型のスタンドと戦う場合には、
本体がその光景を(遠くからでも)観察することで、スタンドと本体の二つの視点から状況を判断するのが効果的なようだ。

685 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/05/12(月) 21:21:59 ID:f8t2UZu0
かつて運命を操る象徴として各部のラスボスに存在した時間操作のスタンド能力を、
物語の途中で、敵の親玉の部下として、しかも発動の条件に制限のかかった状態で登場させた七部は、
即ち、運命に対する人間賛歌を六部で完結させた上で、それよりも更に重要なことを描こうとしているのだろう。
時間を操り運命を支配できることすらも、その偉大なものに比べれば前座扱いに過ぎないということだ。
七部の時間操作系スタンド使いであるリンゴォのスタンドは(単行本の記述からして恐らく)
本体の「思想」が原因となって、腕時計の針を動かすという発動条件がかかっていたようだが、
これもまた「思想」の追求のためには運命を支配することなど二の次だということの表れだと考えられる。

208フェイク『男』:2008/05/12(月) 21:41:59 ID:coMRgn76
684 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/05/12(月) 21:21:17 ID:f8t2UZu0
スタンドは同一ながら、扱う本体によって性能の異なる「スケアリーモンスターズ」は興味深い事例だといえる。
フェルディナンド博士を本体とするそれは、人間や猛獣までも次々と恐竜にしたが、本体自身は変身できない。
一方のディエゴを本体とした場合には、自身は恐竜になれるが、今のところ人間などあまり大きな生物を恐竜にはしていない。
上記の二者の差異は本体の性格やスタンドを獲得する経緯によるものだろうが、ディエゴは人間を恐竜に出来ない、と仮定した場合、
それ以外にも、本体にもスタンド能力が効く場合にはあまり他者への影響は大きくならない、というルールを導き出せる。
例えば他には、「グーグードールズ」は他人を素早く小さく出来るが本体は小さくなれず、射程距離も定まっている一方、
「リトルフィート」は他人を小さくするには時間がかかるが、自分をも小さく出来るし射程距離は関係ないという事例だとか、
「クレイジーダイヤモンド」は他人を一瞬で回復できるが自分は治せない一方で、
「黄金体験」は多少時間はかかるが自分でも他人でも自在に治せるといった具合だ。

680 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/05/12(月) 21:16:35 ID:f8t2UZu0
スタンドの中には、効果の発動に何らかの「条件」を有するものも多いが、それらのほとんどは全く荒唐無稽なものではなく、
現実に存在する物事や法則を抽象化したものであって、他のスタンド使いにも見破ったり推理する可能性は残されているものだ。
しかし「魂」のように、現実の科学ではどうにも定義できないものを扱うスタンドの場合、
その条件や原理もまた、現実の知識では対処できないようなものになることも多い。
わけの判らないものを扱う能力だからその原理もわけが判らない、というのも、一つの道理であろう。
とりあえず「チャリオッツレクイエム」と「メイド・イン・ヘブン」はこの区分としておく。

209フェイク『男』:2008/06/29(日) 21:26:37 ID:bn3RDbsg
489 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/06/29(日) 21:21:59 ID:Ot7zZGXf
「黄金体験」の作り出した生物が初期に発現していた「自分へのダメージを跳ね返す」能力は、
ジョルノ本人の台詞から考える限り、創造主であるジョルノ自身がまだ生物を自由に操れないために、
その生物自身が生まれた自分自身を取り合えず守るべく発現させた「能力」のようだ。
ジョルノはそれ以降、産まれた生命を己の「目的」のためにどんどん自在に操れるようになり、
例えば「ワクチンを採られるべく生まれた」ためにダメージ反射能力を持たない蛇を生み出したり、
「他者の肉体に移植されるために生まれた」それ単体では生命の維持すら出来ない「生物の部品」を生み出すに至る。
このような経緯により、ダメージ反射能力は消滅した(あるいは五部の小説を含むならば使い分けが出来るようになった)上に、
「ミスタープレジデント」の亀など、下等な動物のスタンド使いならば
その能力をもコピーしたクローン生物を作り出せるようになった。
ここで最初に話を戻すと、あのダメージ反射能力は、言わば産み出された生命のスタンド能力とでも纏められる。

210フェイク『男』:2008/06/29(日) 21:26:49 ID:bn3RDbsg
484 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/06/29(日) 20:51:01 ID:Ot7zZGXf
SBRにおける「奇跡」とは、今のところ「人事を尽くして天命を待つ」とか「天は自ら助くるものを助く」と言い表せる。
丁度ジャイロ・ジョニィ・ウェカピポの三人とマジェントとの対比が、これを簡潔に表現していると言えるだろう。
まず「氷の世界」の戦いでは、ジャイロ・ジョニィ・ウェカピポの三者は戦闘においてそれぞれが最大限の努力をしたからこそ、
ジャイロとジョニィは勝利して遺体を手にし、ウェカピポは負けたからこそ妹の生存を知ることが出来た。
この時のジャイロの過去回想においては、ジャイロはウェカピポ妹の手術を敢行したからこそ、
父親からウェカピポ妹の真相を知ることになり、後のウェカピポとの和解に繋げることが出来た。
つまり、たとえ失敗したり敗北したりしても、全力を尽くせばその体験を未来に繋げることが出来るのだ。
一方のマジェントは「氷の世界」の戦いにおいては敵に敬意を払いもせず油断して敗北したままとなり、
それでもDioに助けられるという最低限のチャンスは訪れたものの、そのDioの真意を探ることもせず、
相変わらず「恨みを晴らすと決めたら必ず晴らす」だの「きっとDioは俺のことを好きになってくれる」だの、
全力を尽くすよりも感情や惰性で動いたために、天命どころか誰からも見向きもされない終わり方になってしまった。

211フェイク『男』:2008/07/13(日) 16:54:52 ID:TmNraks2
752 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/07/13(日) 16:43:22 ID:2vyf/QZ0
独りで何かを創作することが困難あるいは不可能な以上、ほとんどの創作物は何かを下敷きとしている。
それらはパクリだとかリスペクトだとかオリジナルだとか言われたりするものだが、
ジョニィの「タスク」は以下の通り、そうした創作の段階を踏んだスタンドのようだ。

序盤:爪をグルグル回してるだけ。劣化パクリ
中盤:黄金長方形を理解し、黄金の回転が出来るようになった。フォロワーであり、リスペクトであり、二番煎じ
終盤:黄金の回転を更に推し進め、ツェペリ家も想定しなかった新たな地平を切り拓く。立派なオリジナルと言っていいだろう

212フェイク『男』:2008/08/11(月) 02:44:35 ID:nino4o8I
465 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/11(月) 02:39:41 ID:nR+lBR6x
生命や宇宙の始まりにはあまりにも小さな確率や偶然の内に成り立っていることが多いらしいので、
一部ではこれらの始原には「神」のような超常的な存在が関わっているのではないかという考えを抱く科学者などもいるのだが、
それらも大昔の「カミナリは神が鳴らしている」などの伝承と同じ、理解の届かぬ領域を納得するための精神的作用なのだろう。

463 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/11(月) 02:35:16 ID:nR+lBR6x
たとえば三部のラストバトルにて、承太郎が死んだ振りをしてDIOの疑心暗鬼を誘うシーンでは、
DIOが「呼吸音は…」「心臓の鼓動音は…」などと誰の得にもならない独り言を呟きながら、
そしてそれを承太郎が聞いて対応しているというマヌケな状況に見えてしまうかもしれないが、
たとえDIOが無言のまま耳を済ませたとしても、勘の良い承太郎がすぐさまにそれに気づき、
呼吸を止めたり更には心臓の鼓動を止めたりするという展開を描くことは充分可能であり、
あれが単純に話のテンポを保つための、読者向けの演出であることが判る。
あるいは六部の徐倫とプッチ神父の手錠デスマッチにて、プッチは徐倫のことを「凄み」で攻撃を避けたと評したが、
別にこれはただ理屈を放棄して精神論に逃げ込んだわけではなく、理屈をつけるだけならば「繋いだ手錠の振動の感覚」で
片付けられたところを、あえてそんな理屈よりもそれを土壇場でやってのける徐倫の精神力を重要視したと考えるべきだろう。

460 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/11(月) 02:14:10 ID:nR+lBR6x
スタンドというものは本体の願望を表しているという側面もあるが、その傾向があまりに強いものには、
願望の大きさに反してスタンドパワーが有限であるために、相応の「限界」に突き当たってしまっているものも存在する。
例えばこの世の「運命」をどうこうしたいがために誕生したのであろう「世界」や「キングクリムゾン」は、
その能力の強大さゆえに、持続時間はわずか数秒、十数秒といった短さであり、(それでも充分強力な能力ではあるものの)
「運命」を支配したいという大きすぎる欲望に比べれば、非常にみみっちい運用をせざるを得ない。

213フェイク『男』:2008/08/11(月) 02:45:58 ID:nino4o8I
458 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/11(月) 02:11:08 ID:nR+lBR6x
スタンドとは本体の精神力や闘争心を形にしたものであり、本体自身の『心の強さ』であるというのが理想だが、
その正々堂々さに背き、本体にとって不釣合いに強い力を得ているスタンドは数多く、何種類かの典型に分けられる。

1:本体の心の弱さを攻撃に変えるもの。特に四部以降に多いが、代表的なのは「キラークイーン」「キングクリムゾン」など。
2:本体の人生がどうしようもなく追い詰められており他に手立てが無いもの。
  本体が昏睡状態の頃の「ハイウェイスター」、「自由人の狂想曲」、
  そして何といっても「ウェザーリポート」、特に「ヘビーウェザー」の部分。
3:自分以外の力や構造を利用するもの。参照…>>86の三段目。
4:他者の心の隙を突くもの。この手のスタンドは大概は本体自身も無防備であり、己の努力で克服しなければならないものだが、
  その中でも自分の保身だけは能力に織り込まれている「アトゥム神」や「錠前」など。

なお、SBRの中でも取り分け理不尽な強さを持つ「シビル・ウォー」は、上記四つの全てに当て嵌まる。
即ち「シビル・ウォー」こそはまさしく弱者のためのスタンド能力の完全版と言えるだろう。


445 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/10(日) 19:41:20 ID:EdiL1cWx
「誕生」
あらゆる災難の中で最初でしかももっともものすごいもの。
この災難の本質については、均一性はないものと見られている。
(アンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」より)

214フェイク『男』:2008/08/11(月) 02:46:10 ID:nino4o8I
442 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/10(日) 19:35:50 ID:EdiL1cWx
ジョジョは基本的に、どんな強いスタンド使いもその本体は人間であり、容易に殺傷される可能性がある漫画であり、
それに加えて力よりも小細工を重視する作風であるため、超能力にありがちな「物品を透明にする能力」などは、
作中世界観の視点でも、またメタ的な視点においても、反則的な性能となってしまう。
ジョジョの勝利パターンである「既に○○していた」を実に簡単に使えてしまうためだ。
そんな厄介な能力を、本体は無力な赤ん坊で、身を守るために本能的に使ってるという設定に封じ込め、
それを他者が(作中では露伴がジャンケン勝負の際に)利用する場合でも、赤ん坊では出来ることが限られるし、
そもそも何回も赤ん坊をこき使うのも厳しいというように限定したのは、見事な落としどころと言えるだろう。

439 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/10(日) 19:32:48 ID:EdiL1cWx
Dioが得たスタンド能力は基本的にフェルディナンド博士からの引き継ぎであり、
彼の「あらゆるものを他者から奪って生きる」という一巡前からの宿命が表れているスタンドであるが、
ただそれだけではなく、更にDio自身の性格も能力の内容に一致していると考えられる。
まず、過去のDioは母の死因について「傷から入った菌が悪い病気を運んできた」と考え、
「どいつもこいつも!」有罪だと断じ、「地面の上にはいつくばらしてやる」と決心するが、
これらの発想は「スケアリーモンスターズ」の元々の特徴に適合している。
また更に、本来の「スケアリーモンスターズ」に無い「本体自身が恐竜になれる」という要素は、
ジョニィが評するところの「気高さの無い飢え」を体現していると言える。
Dioの所業は非常に直接的で強大ではあるが、まさしくフェルディナンド博士の言うところの、
「尊敬という概念を知らないアホ頭の恐竜」そのものであり、
奥義の伝授に際し「敬意を払え」と説くジャイロ、及び「黄金の回転」をただ真似る・奪うだけでなく、
その理念を更に推し進め新たな道を切り拓いたジョニィとの対比となっている。

215フェイク『男』:2008/08/25(月) 21:00:00 ID:BfwOc5pA
724 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/25(月) 20:58:23 ID:E0+zHfUE
資源の乏しい深海には、「鯨」の死骸を中心として形成される生態系があるそうだ。
肉の食い荒らされた鯨の骸骨は特殊なバクテリアにゆっくりと分解され、
それを餌とする小さなエビや貝類などが集まり、これらの群集は鯨の死後百年以上も継続するという。
各地の様々な民族が、神や巨大生物の身体を材料に世界が作られたという神話を伝えているが、それを想起させる話だ。


720 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/25(月) 20:51:01 ID:E0+zHfUE
「DIOは『黒』! ジョースターさんたちは『白』!
 『黒』と『白』とがはっきり別れて感じられるぜ!」(ポルナレフ)
「おまえに味方する『運命』なんて……おまえが乗れるかどうかの『チャンス』なんて……
 今! ここにある『正義の心』に比べればちっぽけな力なんだッ!」(早人)
「かつてわしらもエジプトに向かう時に見た……『正義』の輝きの中にあるという『黄金の精神』を……
 わしは仗助たちの中に見たよ……」(ジョセフ)
「おまえは『運命』に負けたんだ! 『正義の道』を歩む事こそ『運命』なんだ!」(エンポリオ)

以上の台詞から察する限り、ジョジョにおける「正義」の扱いとは、
少なくとも自分から名乗り出すような類いのものではなく、他者や過去を客観的に見て感じ取るものであるようだ。
ジョースターの中で現在の自分自身を正義と称したのは、精々ヌケサクに対するジョセフの冗談程度。


719 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/08/25(月) 20:48:01 ID:E0+zHfUE
ツェペリ一族の発展させてきた鉄球技術は多岐に渡る応用性があるが、大まかなところを以下に纏める。
1:生物の皮膚・筋肉・神経に刺激を与えて操る。
2:振動波で物体を透視する。
3:鉄球自体を操作する。
4:それらの用法は「死刑」「医療」「戦闘」といった目的のためである。
5:そしてその非常識なほどの強力さや細密さは、「黄金の回転」を根源とすることで発揮されている。

216フェイク『男』:2008/09/28(日) 22:55:25 ID:gOQ2j5PE
516 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/09/28(日) 22:48:36 ID:Qxu+2oP+
ジャンケン小僧がいきなり定義した「ジャンケンは確率ではない、勝ちたいと願う心の力だ」という概念の正体は何だったのだろうか。
明らかに理に適っていないような言い草であり、ただ単にそれも含めて「ボーイ・II・マン」のスタンド能力なのだと解釈したくなるが、
しかし、ジョジョの世界に根源的に存在することが判明した「引力」理論に則れば、実はジャンケン小僧の言い分は筋が通っている。
ジョジョの世界の「引力」とは物理的なものだけではなく、精神の重みによって「運勢」をも引き寄せる「魂の引力」が含まれている。
「引力」とは物理的なものも魂的なものも「弱い」力であり、通常のスタンド戦闘では工夫や小細工などにまぎれてしまうが、
スタンドを奪うという重大事を、小細工の一切存在しない(はずの)ジャンケン勝負に委ねたからこそ、
心の強さが直に勝敗に影響するかのようにまで明確に発現したのであろう。

508 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/09/28(日) 21:52:50 ID:Qxu+2oP+
ジョジョ六部の誇る最大級無差別影響スタンドの一角を担う「自由人の狂想曲」は、
社会全体に被害を撒き散らすことに加え、新たな創作を行うことが出来ない、
即ち次世代を生み出すことが出来ず、人々を今現在存在する快楽にのみ耽溺させるという意味でも、
本体ウンガロがそれまでに嵌っていた「麻薬」のごとき破滅性を備えていると言えるだろう。

504 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/09/28(日) 21:45:26 ID:Qxu+2oP+
私は重大な状況において、ほんのちょっとしたことが、最も大きな出来事をつねに決定するのを見た。(ナポレオン・ボナパルト)

503 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/09/28(日) 21:44:00 ID:Qxu+2oP+
ジョークの意味を解説することを、蛙の解剖に形容するというジョークがある。
蛙の解剖なんて好き好んで見る奴は(専門家ぐらいしか)いないし、そのために蛙は死んでしまうという内容だ。
とはいえ、解説を必要とする時点で既にその蛙は死んでいることだし、次の蛙を殺さないようにするためには解剖も役に立つだろう。

217フェイク『男』:2008/09/28(日) 22:58:44 ID:gOQ2j5PE
497 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/09/28(日) 20:47:05 ID:Qxu+2oP+
スタンドの中には、機能を限定することで中距離でもそこそこのパワーを発揮できるタイプのものがある。
これらのスタンドはしばしば人型像を備えず、構造が簡略化されていたり、小型のスタンド像を形成していて、
人型のような精密な動作は出来ないものの、ある程度パワーと射程距離を両立させており、人体を損傷する程度なら難なくこなせる。
スタンドのパワーはトレードオフ関係によって成立しているが、これもその一種だと言えよう。
「灰の塔」「皇帝」「女教皇」「ゲブ神」「エアロスミス」「クラッシュ」などが該当する。

495 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/09/28(日) 20:43:56 ID:Qxu+2oP+
ジョジョの世界における「運命」とは概ね決定論的なもののようだが、完全に全てが定まっているというわけでもなく、
物事の大筋が先に定まっていても、細かい出来事は後から辻褄を合わせるかのように変わってくることもあるようだ。
また(「自由意志」と呼べるものではなさそうだが)生物の「感情」に幅が出来ることも、いくつかの事例から読み取れる。
最も印象的なのは、「バイツァダスト」の朝、お気に入りの皿が割れてしまったときの川尻しのぶの反応だ。
皿が割れたのは三回の朝全てに対して共通だが、最初の二回が同じような結果に至り、
描写まで似通っているのに対し、早人が能動的に動いた最後の一回は大きく異なっている。
またメタな視点から語れば、「作者」はキャラクターの表情や行動を自在に描き、時には内心を独白させたりもするが、
それでもキャラクターが「真に何を感じているか」まで規定できるわけではない。読者の数だけ読み方があるだろうからだ。

218フェイク『男』:2008/09/28(日) 22:59:03 ID:gOQ2j5PE
494 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/09/28(日) 20:42:05 ID:Qxu+2oP+
超能力物において定番の「瞬間移動」能力について、しばしば問題となる「移動先に既に何かあった場合の処理」については、
既に様々な作品において解釈がなされており、中には破滅的な(いわゆる「石の中にいる」などの)解決方法も存在するのだが、
SBRの「チョコレイト・ディスコ」にて起こった「瞬間移動させた物品が対象のマス目に高速で落下・衝突する」という現象も、
そのような「移動対象と移動先の衝突」を、適度な強さで再現したものと考えられる。
また、上記の問題に関連して、瞬間移動能力には「移動先の座標」の決定方法にも気を遣う必要があるのだが、
(何せ移動先を少し間違えれば「衝突」が起こるのだから、非常に精密な決定が必要になるはずだ)
「チョコレイト・ディスコ」のマス目を展開するという手段も、それに則ったものだと言える。

219フェイク『男』:2008/11/10(月) 21:53:50 ID:pOpalgDw
658 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/11/10(月) 20:23:47 ID:GLOrFZYi
タロットカードは中世に作られた遊戯用の絵札が起源であり、別にそんな大して神秘的な出自ではないという説が有力だそうだ。
だがジョジョの世界ではタロットは本当に神秘性を有しており、それを用いた「占い」は運命を読む技術として実在している。
「タロットの起源」として作られたエジプト九栄神という独自の設定は、そのような歴史の補完にもなっているといえる。

649 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/11/10(月) 19:59:47 ID:GLOrFZYi
ツェペリ一族の鉄球が、死刑にしても医術にしても、単独の対象を取る技術であるのに対し、
ウェカピポを始めとする王族護衛官の鉄球技術は、「護衛」という目的上、対多数との戦闘を想定していると考えられる。
そう見ると、ツェペリ一族の鉄球は非常に強力なパワーや精密性を持つが、一投で仕留められる相手は精々二人までである一方、
王族護衛官の鉄球は多数の刺客でも一気に制圧できるし、「黄金長方形」のような環境による制限も無いという長所があるのが判る。

645 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/11/10(月) 19:54:20 ID:GLOrFZYi
ジョジョのテーマは「人間賛歌」だが、言葉の上では一部で初代ツェペリが言い残したのみとなっている。
言葉で示すだけでは、いかに「勢い」だとか「熱さ」のある、いわゆる「名言」だろうと、一度言い放ってしまえばそれでお終いだ。
重要なのはそれを(論理的な意味でなくとも)証明することであり、またそれを発展させて新たな答えを導き出すことであろう。
「人間賛歌」という基本を確かにしているからこそ、更にそこから「運命」だとか「正義」だとかといった次なる問題に取り掛かれる。

220フェイク『男』:2008/12/13(土) 21:16:05 ID:qjimNv6U
726 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/12/13(土) 21:12:48 ID:hdXUZCp1
【スタンドの次の話、1】
超能力を視覚化した「スタンド」という概念が誕生して十年近くも経ち、
ジョジョ本編でも手を変え品を変え多くのスタンドが登場して現在に至るが、
スタンドは飽きた、マンネリだ、という声もやはり聞かれるようになってきた。
ではスタンドという設定が終わり次のものと置き換わるならば、それはどういうものがありえるだろうか?
まず始めにハッキリさせておくべきことは、何でもいいからとにかく別の設定を作ろうなどという精神では通用しないということだ。
大切なのは真実に向かう意志であるが、自分がどこを目指しているのかも考えないようでは話にならない。

727 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/12/13(土) 21:14:01 ID:hdXUZCp1
【スタンドの次の話、2】
ジョジョでかつて起こった波紋編の終了は、まずテーマ的な理由としては、
波紋を通じた戦闘描写では「肉体賛歌」になってしまうため、精神を重視する「スタンド」に移行したと作者は説明している。
またエンターテイメント的理由として私見を述べると、波紋での戦闘描写には限りがあったと考えられる。
(そもそも二部のジョセフからして、波紋は道具の一つと割り切り、戦闘の主軸はトリックだった。
 力のジョナサン、技のジョセフで完結しており、波紋でこれ以上やってもどちらかの二番煎じにしかならないだろう)
しかしスタンドならばどんな描写でも吸収できるため、娯楽面においても波紋より遥かに応用が利く。
以上のことを踏まえて、テーマ面・娯楽面で「スタンドで表現できないこと」があれば、
それを表現するための新たな設定を作り出す価値が出てくるだろう。

221フェイク『男』:2008/12/13(土) 21:16:42 ID:qjimNv6U
717 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/12/13(土) 20:53:24 ID:hdXUZCp1
ジョジョ六部脱獄後におけるエルメェスのモチベーションは、リキエル戦後の心情吐露を見る限り、
徐倫との友情のためというだけでなく、プッチ神父との遠まわしな因縁に拠る所が大きいと思われる。
つまりプッチ神父がDIOの骨を復活させるために、スポーツマックスが刑務所に収監されるという「引力」が働いたのだが、
あんなヤクザ者が刑務所に入る理由なんていくらでもありそうなものなのに、
その役割に最も適任だと「運命」が選び、「引力」が引き寄せたのがグロリアだったのだ。
プッチ神父の引力理論から考えられるこのような理屈は、ただ単にヤクザに姉を殺されたという以上に侮辱的だと捉えられたのだろう。

712 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/12/13(土) 20:42:56 ID:hdXUZCp1
自動操縦や暴走型ではなくあくまでも本体がスタンドを操作するというのに、
スタンド自身が本体とは異なる「自我」を持つ場合、その理由は総合的に考えて、
「本体の精神だけではスタンド能力を扱い切れないため」と纏められるが、更に以下のような傾向に細分できる。
一つは未熟な本体にスタンド能力を説明し、指導・教育するためのもの。
最初のうちは本体がスタンドに口頭で命令し、それからスタンドが動くという形式だが、
本体が成長すればスタンドを自在に操れるようになり、スタンドの自我は目立たなくなる。
「エコーズAct3」と「スパイスガール」がこれに当たる。
二つめは、スタンド能力自体があまりに複雑な要素を有するため、その情報を本体の思考とは別に処理する必要からのもの。
複数の弾丸を全く別々に動かす「セックスピストルズ」、暗殺風水理論を100%実践する「龍の夢」が該当する。
三つめは、スタンドの自我そのものが何かを担当しているわけではないが、能力自体が人間の精神を超えてしまっているもの。
無差別殺人ウィルスの「パープルヘイズ」、本体すら能力の全容を知ることはない「ゴールドエクスペリエンスレクイエム」、
強力かつ非倫理的な能力を背負う「ホワイトスネイク」、天国へ行く方法の最終過程「C-MOON」がこれであろうと思われる。

222フェイク『男』:2009/01/18(日) 20:15:22 ID:74pGx9.E
764 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/01/18(日) 20:03:55 ID:Bq7l/F6G
スタンドの中には、単なる応用技ではなく、だからといって「レクイエム」のように全く新しい力を授かるというわけでもなく、
そのスタンドの本質のところから新たな発展技を編み出すことで、更なる段階へと到達したものが存在する。
これらは言わばスタンドの「奥儀」であり、そうそうたやすく得られるものではないため、
多くの場合スタンド使い自身の明確な成長によって獲得するものだが、最初から暴走めいた形で備わっているものもあるようだ。
パワーや精密性に加え類稀なるスピードを有し、その究極として時間よりも速くなった「スタープラチナ・ザ・ワールド」、
自らが光速を超え時を支配するだけでなく、世界そのものを加速させ運命を支配するための手順「ザ・ワールドの天国へ行く方法」、
未熟な卵から始まり次々と成長する中で、音の能力という固定観念をも乗り越えて進化した「エコーズAct3」、
犯罪の証拠を消し去る爆弾能力の延長として、時間をも爆破して追跡者を消し去る「キラークイーン・バイツァダスト」、
黄金長方形から見い出される無限の回転を追及し、ツェペリ家も想定しなかった段階を切り拓いた最新型「タスク」、
空間を超え養分を奪う能力の一環として、空間操作や養分操作を応用して罠を作り出す「ハイウェイスターの幻覚の部屋」、
天候を操る能力から、天候レベルのサブリミナル現象にまで至った「ウェザーリポートのヘビーウェザー」などがこれに当たる。

223フェイク『男』:2009/02/15(日) 18:05:45 ID:qIkrPLmY
643 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/02/15(日) 18:02:26 ID:+4BpoRBJ
スタンドはときに成長や進化をするものだが、そのほとんどは本体の土壇場の精神力による本能的なもので、成長後の姿は選べない。
スタンドが成長したら、そのスタンドが新たにどういう能力を得たのか、当の本体自身が解き明かさなければならないくらいだ。
しかしDIOとプッチ神父が目指した「天国へ行く方法」は、明らかにこれからどういう能力を得るかを見据えて行われていた。
そこが最も恐るべきところだ。自分のスタンドを自分の思い通りの姿に進化させられるならば、それこそまさに「万能」であろう。

640 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/02/15(日) 17:58:06 ID:+4BpoRBJ
人間社会を一つの「生物」と見なし、その中に住まう人々の生き死にを細胞の新陳代謝と捉えれば、
不老不死の人間とは丁度、社会に対する癌細胞と言えるだろう。どんな精神を持つ人間でも、
ずっと社会に干渉し続ければ、社会の成長はその人間の程度までで停滞してしまうからだ。
そこでジョジョではそのような永遠の絶頂を追い求めたり、不老不死となった者は、
明確に死亡したり、何も出来ない状況で封印されてしまうのが大筋となっているようだ。
世界を自分だけの思うがままにしようとした究極カーズ、全人類の精神を一意に染める「天国」を目指したDIOとプッチ神父、
まるで全身が癌細胞であるかのように何も出来なくなった億泰の父親、
アンジェロ岩、エニグマの本、考えるのを止めたマジェント・マジェントなど。

224フェイク『男』:2009/04/02(木) 22:25:21 ID:pCmjYpiw
675 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 22:12:52 ID:PXylHPbY
欧米版ジョジョにおいて、ホリィを呪縛するあの茨のスタンドには「ゴースト・イン・ザ・マシーン」という名前が付いているとか。

673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 22:05:18 ID:PXylHPbY
有名な「柔よく剛を制す」という成句は、「剛よく柔を断つ」と続く。
スタンドにおけるこの二点、即ち「破壊力」と「精密動作性」において、
両方とも最高評価Aが与えられている能力は、原作では「星の白金」のみとされている。
最高の性能を持つこのスタンドは、同じく作中のキャラクターでは最強の精神力を持つ「空条承太郎」を本体とすることで、
「正義」戦や「アヌビス神」戦など、力業で小細工を圧倒することが許された唯一のスタンド能力であったと言えるだろう。
(その究極が、光の速さを超えて……つまり力尽くで時を止める「スタープラチナ・ザ・ワールド」の修得というわけだ)
これは漫画上では、スタンドが初出となる三部で戦いをシンプルに描くための手段であると考えられる。
作者いわく「神話のヒーロー」のイメージで描かれた承太郎も、全盛期を過ぎた四部以降はそれほどの無茶はしなくなるし、
承太郎の娘・徐倫を本体とし、柔剛併せ持つスタンドと評された「ストーンフリー」も、よりテクニカルな運用を必要としていた。

669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 20:20:07 ID:PXylHPbY
承太郎が離婚した理由、徐倫が不良に育った理由、徐倫が愛の無い彼氏に騙され投獄された理由については、
明確に「DIOの因縁」という原因があり、六部はその因縁から始まり、その因縁が解消された世界で終わる。
それを通じて、四部辺りから描かれた「運命と人間賛歌との相対」の問題に決着をつけることが出来たのだが、
七部で同じような因縁を抱いているかもしれないジョニィについては、「ニコラスの死因は本当にダニーだったのか?」、
「その裏にはDioの陰謀があったのか?」という疑問に「解答」が明示されることは恐らく無いだろう。
過去の因縁を都合よく解決できる状況というのは多分に理想的・漫画的なものであり、その必要があった六部ならば良いが、
今となってまで同じことを繰り返しているだけでは進歩が無いからだ。

225フェイク『男』:2009/04/02(木) 22:25:35 ID:pCmjYpiw
667 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 20:17:16 ID:PXylHPbY
【スタンドの成り立ちについて、1】
大まかに考えて、スタンド能力は「本体の性格が判りやすいもの」「能力の内容が判りやすいもの」
「本体の目的が判りやすいもの」の三種類に大別することが出来る。(勿論、その複合もあるが)
かつて一人で三種類のスタンドを扱ったプッチ神父で例えれば、
順に「ホワイトスネイク」「C−MOON」「メイド・イン・ヘブン」となるだろう。
この内「能力内容が判りやすいもの」については、本体の精神性の何が能力に影響しているのか判りづらいものも見られるが、
そうしたものは、人類に普遍の共通認識や集合的無意識のようなものが反映されているのではないかと思われる。

668 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 20:19:03 ID:PXylHPbY
【スタンドの成り立ちについて、2】
そもそも、スタンドの成り立ちを作中に表現された本体の性格や過去話だけで百%解釈できる事例は少ない。
漫画内の描写はあくまでもキャラクターの人生の一部に過ぎないのに対し、
人間の精神というものは人生全てに起こる出来事が複雑細密に絡み合って構成されているものであり、
スタンドはその精神を強く反映して誕生するものなのだから、それも当然の話だ。
ジョジョは物事の因果を重視した作風であるが、因果や因縁が作中で明示されるのはあくまでも物語上、
創作上の必要からであり、現実ではそうしたものが表面化すること自体、稀なことだ。
従って、スタンドの成り立ちなどの脇の出来事に付いては、現実同様関連性を薄っすらと窺わせる程度で丁度良いのだろう。

226フェイク『男』:2009/05/30(土) 23:00:22 ID:ixPl0bpg
734 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/05/30(土) 22:52:09 ID:+0bXXlLM
人間の抱く「感情」には、その人間の今までの経験が無意識の内に影響しているという説がある。
つまり、感情とは人間の理屈では説明できないほどミクロな理屈の塊だということだ。
この観点から見れば、ルーシーに宿る「遺体頭部のスタンド」の「涙で切って奇跡的出来事を起こす」能力は、
まさしく、感情(=細かな理屈の塊)の象徴である「涙」でもって、細かな経緯の塊である「奇跡」を起こす能力であると見なせる。
(余談だが、この能力の使用時に「涙を引きちぎる」のは、感情や運命に流されるだけでなく、
 己の知性や意志によって行動するという決意の表れであると考えられる)
また、ヴァレンタイン大統領の自論「男女が惹かれ合う基準は『吉』かどうか」も、
感情という説明できないミクロな理屈を、この世に存在する最も小さな論理である「引力」及び「幸運」に、
(恐らく大統領の感覚的、あるいは経験則的に)結び付けて考え出されたものと言えるだろう。

731 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/05/30(土) 22:47:37 ID:+0bXXlLM
絶対のルールというわけではないのだが、運命や運勢を扱うスタンド能力は、
自分自身も含めて運命を動かすために、第三者からの「客観性」を必要とする傾向があるようだ。
例えば「バイツァダスト」は(そして恐らく「シンデレラ」も)本体自身は使えず、
「トト神」や「ローリングストーンズ」も本体自身は(その性格上の問題で)動こうとしなかった。
「キングクリムゾン」は本体が二重人格(魂が二つ)であり、「竜の夢」と「ポコロコのスタンド」はスタンド自身に自我がある。
「マンダム」は本体のみならず周囲の者全ての記憶が残ったまま(つまり相互に「客観性」を保持し合う状態)であり、
そして「メイド・イン・ヘブン」はDIO、プッチ神父、多数の罪人の魂から構成されたスタンドだったという具合だ。

227フェイク『男』:2009/05/30(土) 23:00:37 ID:ixPl0bpg
726 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/05/30(土) 20:13:52 ID:+0bXXlLM
今までのジョジョのパラレルワールドを舞台とする七部のラスボスである大統領のスタンド能力は、
パラレルワールドを行き来する能力だった。ここだけ見れば非常にシンプルな発想というか、
ジョジョは案外こういうお約束的な設定が多いのだが、それはさておき、
ジョジョがパラレルワールドに突入する六部終盤から現在において、
本誌掲載時からコミックス収録に当たっての修正・加筆が増えてきたり、
七部においてキャラクターの過去話やら初期設定やらが覆ることが多々見受けられるのは、
大統領のスタンドで説明できる、という与太話を思いついた。
例えば砂男、「わたしの息子は乗馬の天才だ」、スティールの過去話、デブの大統領、
更には女顔のアナスイだとかロベルト・プッチ神父の「天国への階段」に至るまで、
全ては「隣の世界」の出来事だったんだよ! まさにいともたやすく行われるえげつない行為。

228フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:41:57 ID:FJjraBys
795 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 21:37:11 ID:SVpHKIoT
法の抜け穴をくぐろうとする悪党が絶えないように、たとえ非現実的な超能力であっても、
そこに「ルール」があるのなら、その「ルール」の穴を突こうとする者が出てくるのは必然だろう。
パワーと射程距離が反比例するならば、本体の外部からパワーを補い双方を両立させるスタンドだとか、
本体の意思でスタンドを自由に操作できるという要素をパワーの代わりに捨て去った「自動操縦型」のスタンドが出てくるし、
「運命」があるならば運命を操るスタンドが、「引力」があるならばそれを利用する「天国へ行く方法」が、
「平行世界」があるならばそれを利用するスタンドが、(恐らく本能的に)発生する。

786 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 19:39:25 ID:SVpHKIoT
従来の近距離パワー型のスタンドは大概、弾丸を「見てから摘める」ほどの性能を持っているため、
拳銃での撃ち合いが見所の西部劇的舞台に向かないのは自明のことで、七部ではそのようなスタンドはほとんど出ない。
しかしこれまででいうところの「付かず離れず戦うタイプ」とか「殺られる前に殺る」スタンドばかりでは作劇も苦しいのだろう。
そのためか七部のスタンドには、格闘のためのパワーは無くとも「本体の身を守る」性能には優れるものが多く見受けられる。
具体的には、身体をバラバラにして攻撃をかわす「オー! ロンサム・ミー」「キャッチ・ザ・レインボー」、
時を戻す「マンダム」、仲間の死体を盾にする「タトゥーユー!」、防御専門の「20thセンチュリーボーイ」、
殺されてからが本番の「シビル・ウォー」、穴の中に身を隠す「タスク」、飛道具を瞬間移動させる「チョコレート・ディスコ」。

229フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:43:22 ID:FJjraBys
783 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 19:35:56 ID:SVpHKIoT
矢や拳銃といった「飛道具」は、その操作の僅かな乱れで、目標から大きくブレてしまう。
それは当人の肉体的技術とか精神的修練の問題のみならず、周囲の環境などによっても大きく左右されてしまう。
従って、およそ「風を読む」ほどの超絶的技術を持たないほとんどの者にとって、「射撃」の成否には運不運の要素が絡まざるをえない。
しかし漫画などの創作物内での運不運というものは、やはり作者の胸先三寸で決まるという印象を与えてしまうだろう。
ジョジョでは、そもそも運不運自体に対し「引力」などに原因を求め、作者の都合ではなく作中の要素として取り上げているが、
特に、ジョジョに登場するスタンド使いの「ガンマン」には、それぞれ「飛道具の運不運」を扱いやすくする工夫が見て取れる。
例えば、ホルホースの「皇帝」は弾丸の軌道を自在に操れる、即ち射撃について「運不運」が除外されていることが判る。
また、ミスタは基本的に幸運や運命を信じる楽観主義者にして銃の天才だが、「4」という数字が絡むと途端に駄目になる。
当然、銃を使えば残弾数など「4」という数字が絡むことが常にありえる状況となるので、
調子が良ければ当たり調子が悪ければ外れる、という不確かな「飛道具の運不運」を、「4」の有無という具体的要素で演出できる。
あるいは、リンゴォの「マンダム」は本体が致命傷を負ってさえいなければ、本体の重傷だとか戦いの相討ちだとかを巻き戻せるので、
どれほど自分が強かろうと常に無傷のまま勝利できるとは限らない(「運不運」の絡む)「銃の決闘」において、
本体の不本意なリタイアを(相手にも「公正」に)防ぐという効果があったと考えられる。

230フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:43:41 ID:FJjraBys
779 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 19:30:52 ID:SVpHKIoT
「矢」を取り扱っていたスタンド使いは数多いが、その中で「レクイエム」の存在に気づけたのはポルナレフだけだった。
彼がそれに気づいた直接の原因は「家具の裏に落ちた矢を拾おうとしてスタンドを傷つけた」という全くの偶然だったが、
この偶然が何故起こったかを考えれば、そこには「矢」を所有していた他のスタンド使いには無い、ポルナレフだけの事情がある。
彼がそのような無様な失敗をしたのは、ひとえに彼が肉体に障害を負っていたからであり、
更に言えば、肉体的に再起不能になりつつもディアボロに屈することを良しとせず、潜伏と忍耐を続けていたからだ。
これもまた、再起不能になりながらも真実を追い続けるという意志の継続が、
偶然と合わさり真実に到達したという、一つの「奇跡」と言えるだろう。

231フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:44:10 ID:FJjraBys
785 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 19:38:00 ID:SVpHKIoT
一つのスタンドが何度も進化して新たな能力を身につけ、そして同時に使い分けも可能という点において、
「エコーズ」というスタンドはジョジョ全体を通じて非常に特異な存在であるといえる。
この「エコーズ」の特異性は、恐らく本体の広瀬康一にも共通して存在する「未熟性」の表れであると考えられる。
康一は未熟児として産まれ七日間カプセルの中で育ったという経緯を持つが、(「漫画家の家に遊びに行こう」編参照)
同様に、「エコーズ」も「クレイジー・D」の助力によってようやく誕生し、
更に発現後しばらくの間は「卵」のままで、外に出てくるどころか何も出来ない状態だった。
ついでに言えば、(漫画上のデフォルメもあるとはいえ)康一が極端に小柄な体格として表現されていたり、
「エコーズ」というスタンドの能力がその一つ一つを見てみればそこまで大したことのない能力であることも、
己の誕生そのものに問題を抱え、発育が阻害されざるをえなかった「未熟児」ゆえの特徴と言えるだろう。
しかし一方で、いつまでも成長しきれない「未熟性」は、どこまでも成長の余地を残しているという「成長性」でもあり、
作中では「エコーズ」のみ、追い詰められた本体の精神力だけを由来として「進化」することを可能としていた。

232フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:44:20 ID:FJjraBys
792 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 21:29:03 ID:SVpHKIoT
「人の性格がそんなに簡単に変えられ成長できるなら誰も苦労はしません」(トト神)

ジョジョ作中で、追い詰められた己の精神力のみを理由として進化できたスタンドは「エコーズ」だけだった。
(なお、真っ当なスタンド像を備えない状態からそれを発現させた最初期の「ストーンフリー」「キッス」などや、
 一時的に射程距離が伸びただけの「銀戦車」は、能力面での進化は無いため含めない)
それ以外の、能力面で進化できたスタンドの理由は以下の通り。
「星の白金」:仲間の努力により「時を止める」という概念をあらかじめ理解した上で、「世界」としばらく殴り合う。
「キラークィーン」:本体に「矢」が刺さる。
「黄金体験」:敵との戦いにより人体を「部品」として捉えるという概念を学習する。
「世界」:あえて一度スタンドを捨て去り、新しいものを生み出すという「天国へ行く方法」を実践。
「ホワイトスネイク」:同上。
「タスク」:ジャイロの教えと己の努力により「回転の技術」への理解を深める。

233フェイク『男』:2009/08/23(日) 21:23:43 ID:HZzZ1qyU
743 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/08/23(日) 21:08:07 ID:R3trt1dc
ヴァレンタイン大統領のスタンド能力「D4C」には、複数の世界で同じ状況にあるものは(大統領自身を除き)同じ展開に至ったり、
複数の世界を一つに収束させる際に生物の記憶が混合し時には混乱が起きたりするという特徴がある。
また、物事は全て「遺体のある世界」が基準であり、それ以外の世界に起こる物事は「捨てる」ことが出来る。
これらの要素を用いて、スタンド使いの癖に何だか回りくどい「ジョニィ銃撃」の詳細は、以下のように解釈できる。

まず、基本の大統領は隣の世界Aの大統領にジョニィ銃撃を依頼する。大統領AはジョニィAを銃撃する。
ここでもしも大統領Aが失敗したら、基本大統領は基本の世界に戻り、隣の世界Aや大統領Aを捨てて、次の機会を待つことが出来る。
大統領Aが首尾よく成功したら、基本大統領は基本世界に戻り、基本世界のジョニィの周辺に銃を設置するなどして、
ジョニィに近づくように誘導した者(作中ではウェカピポ)にジョニィを銃撃するように仕向ける。
状況が整えば(世界Aでジョニィを撃った拳銃がある、ジョニィがそこにいる、拳銃を撃てる者がいる)
ウェカピポはジョニィを銃撃せざるをえなくなる。また、Dioが大統領らを追跡しており、
横槍を入れられる危険性があるため、もう一つの隣の世界Bでは、DioがジョニィBを銃撃するように仕向けた。
(このとき、基本の世界ではジョニィを銃撃したウェカピポは、隣の世界BではDioを撃つことになる。
 また、Dioが一連の状況に組み込まれることで、基本の世界のDioも余計な物事を起こすことは出来なくなる)
ここで世界が一つに戻り、記憶の混乱が起きる。
目撃者たちの証言は食い違い、ディエゴとウェカピポは自分がジョニィを撃ったと思い込む。
(続く)

234フェイク『男』:2009/08/23(日) 21:23:58 ID:HZzZ1qyU
(続き)
744 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/08/23(日) 21:13:34 ID:R3trt1dc
この七面倒な襲撃方法の長所は、まず誰にも大統領のスタンド能力の正体がバレないであろうことや、
大統領自身の行いを他者になすり付けられることが挙げられるが、
最大の特徴は、最初の襲撃は基本的に失敗しない(失敗が起こった世界を捨ててやり直せる)ことであろう。
一方の欠点は、まず複数の相手には通用しにくいこと、(最初の襲撃に失敗する可能性が上がるし、
何より状況を再現するための「条件」が多くなるため。作中では、ジョニィがコンビを組むジャイロにはディスコを向かわせたし、
Dioがウェカピポやホットパンツとコンビを組むとこの襲撃方法は使わなくなった)
そして何といっても、大統領自身の判断ミスは防げないことだ。(ジョニィは致命傷だと思ってたのに、実はなんと普通に生きていた)

隣の世界で危うい物事の試行を行い、不利な展開を切り捨て、有利な展開だけを基本の世界に持ち込む。
それが可能なヴァレンタイン大統領は、既にこの世で最も「ナプキンを取れる者」に近い立場にあると言えるだろう。
(あたかも、大天使ルシファーが神に最も近しい存在であるかのように)
しかし、(運命の落とし穴を避け絶頂を目指したディアボロですら、そのスタンドは十数秒の運命を支配する程度だったのと同様)
所詮「D4C」が支配できる物事は己の手の届く範囲内の物事に過ぎないし、それすらも自身の判断ミスで台無しになってしまったりする。
だからこそ、「予期せぬことが起こらぬようにすること」を重視し、真にナプキンを取ることを目指しているのだろう。

235フェイク『男』:2009/08/23(日) 21:24:25 ID:HZzZ1qyU
740 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/08/23(日) 21:00:42 ID:R3trt1dc
現実的に考えればかなり有効な手段となるだろうが、ジョジョには爆発物や毒物などの罠を中心として主人公を倒そうという敵は少ない。
それは漫画的な理由としては当然、盛り上がりのある戦いにならないためなのだが、
作中の理由としては、主人公を始めとするスタンド使いたちは、罠や待ち伏せを見破る程度は軽くこなせる手練であったり、
何より、強い「引力」から発生する「強運」を有しているためだと解釈できる。
そのため(漫画的にも、作中的にも)罠などの現実的な仕掛けを用いてスタンド使いを攻撃するには、
やはり自身もスタンド使いとして、己のスタンドをその仕掛けの運用に活かす必要があるということになる。
(この辺りは、スタンド使いがあまり「武器」を使わない理由にも通じる)
漫画的に盛り上がりにくいとはいえ、だからといって全くこれらの卑怯な要素を取り上げないのでは現実味に欠けるため、
ジョジョでは定期的にこのような現実的な仕掛けを用いる敵が登場するようだ。
具体的には「オインゴ&ボインゴ」「アンジェロ」「スクアーロ&ティッツァーノ」など。

236フェイク『男』:2009/08/23(日) 21:24:36 ID:HZzZ1qyU
738 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/08/23(日) 20:56:11 ID:R3trt1dc
限られた手段の中で工夫や小細工を凝らすことを第一とするジョジョの戦いにおいては、
「複数の技能を併せ持つ」者はあまり推奨されるものではないようで、それぞれ様々な仕組みが見て取れる。
たとえばジョセフは波紋使いかつスタンド使いだが、老いのため波紋のパワーやテクニックは衰え、スタンドも強くないとされる。
DIOとヴァニラアイスは吸血鬼かつスタンド使いになったが、彼らは最も強敵として立ちはだかるべきラスボスとその最側近であるし、
更に、吸血鬼としての能力は再生力や五感、あるいは戦闘とは直接関係ない「肉の芽」など限定されている。
ミスタやジョンガリAなどは銃使いかつスタンド使いだが、彼らは武器とスタンドを併せて一技能として成立しており、
ジャイロは回転使いかつスタンド使いだが、遺体を手放すことでスタンドは使えなくなったとされる。
なお、以前はジャイロの「回転」が技術の域を超えた物事をたびたび起こしていたり、
作中でも「回転」技術がスタンド能力に進化しつつあるなどの言及も成されていたが、
ジャイロが遺体を得てひとたび正式なスタンド使いとなり、また改めて遺体を手放しスタンドを失うことで、
そうした便利すぎる回転の技術からスタンドめいた部分を切り離し、ある程度制限された一技術として成立させている感もある。

237フェイク『男』:2009/10/10(土) 07:21:18 ID:4ykX.WWQ
799 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/10/09(金) 22:26:53 ID:kyEzR9S8
よく話の種にされる「ジョースター家の乗物運の悪さ」について作劇の観点から考察してみると、
恐らく、その原因は戦いにおける状況設定の工夫にあると思われる。
ジョジョにおける戦いとは、自分たち自身の力のみならず、その場にあるあらゆる状況を利用し、全力で小細工を尽くすものだ。
(もしかするとそれは、力業だけでは到底敵わない存在、たとえば作中世界においては吸血鬼・柱の男・強力なスタンド使いなどを、
 現実世界では人間よりも遥かに強い猛獣や災害を、努力と工夫で乗り越えてきた人間の知恵に対する賛歌なのかもしれない)
従って、ジョジョにおいて戦いの舞台とはただの背景ではなく、自分や敵の武器にも弱みにもなりうるものだ。
しかし、この理念に沿って状況を設定するのは意外と難しい。
ある場所に何があって何がないかなどは、基本的にかなりばらつきが大きいだろうし、
偶然、その環境に存在していたものがどちらかにとって一方的に役に立ってしまったりすれば、
どうしても作者の御都合主義を感じさせてしまうだろう。
その点、乗物の中ならば、何が有って何が無いかはある程度周知のことだし、
下手に乗物を降りられないとすれば、他の場所から何か持ってくるといったことはしにくくなり、
限定された舞台におけるサスペンスを演出できるというわけだ。
更に大概の場合、乗物にはスピード感だとか、振り落とされたら危ないという判りやすい恐怖もある。
そして必然的に、物語の主人公であるジョースター一族は、乗物に乗っている最中に戦うことが多くなり、
その場にあるものを利用し尽くす極限の戦いの中で、乗物事故が次々と発生するのである。

238フェイク『男』:2009/12/01(火) 23:43:44 ID:qi7DemIM
760 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/12/01(火) 19:06:16 ID:78UdrZxz
「熊を巴投げした」って事件には理由がある。
熊に限らず、ほとんどの動物は四足歩行が基本。
だから、人間に慣れてない動物は、人間と出あった時、「背の高い四足獣を正面から見ている」と思い込む。
それこそ、ケンタウロスを真正面から見た時のように。
で、熊が人に襲い掛かる時は、その背後に「死角に入っているはずの」
後半身と後ろ足があるという前提で、勢いをつけて飛び掛ってくる。
けれども、実際にはそこには何もないわけで。
勢い余った熊は人間を押し倒し、その勢いのまま人間の「向こう側」に吹き飛んでしまう。
熊としては予想外の出来事に混乱してしまい、訳も分からないままとりあえず逃走する。
この状況を人間の側から見れば、結果として「熊に巴投げをかけた」ように見えるわけで。
実際、ニュースになるこの事件で、「巴投げ」以外の決まり手があった試しがない。
大外刈りや背負い投げで投げたら、本当に熊殺しになれますよ。
(以上コピペ)

757 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/12/01(火) 18:58:07 ID:78UdrZxz
スタンドの能力の中で特に多いのが「スタンドで触れたものに対して何らかの影響を及ぼす」ものだが、
具体的に触れた部位からどこまでが能力の効果範囲なのか、どれほどの大きさのものにまで影響があるのか、
また触れたものといっても気体や液体、あるいは煙などの微粒子の集まりに対してはどうなのか、その辺りが明らかでないものも多い。
そこでそのようなスタンドの中には、接触した対象、能力の効果がある対象を、
どこまでの範囲なのかを明示するようなギミックを持ったものも存在する。
例えば「キッス」は「シール」を貼ったものが対象であり、
シールを貼れないものや、シールを貼った面から不連続なものは対象とならないと言える。
「オエコモバのスタンド」は「部品」を付けたものが爆弾となり、
部品が付くという視覚的表現が出来るならば、水面やタバコの煙なども対象となる、といった具合だ。
また、「キラークイーン」における「爆弾化した対象の状態が固定される」という特性も、
爆弾化の範囲がどこまでなのか、という境界面を視覚化したものと捉えられるだろう。

239フェイク『男』:2010/01/28(木) 01:34:36 ID:HXcjHfE2
779 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/01/28(木) 01:14:10 ID:3QUtphpg
「人間は何かを破壊して生きているといってもいい生物だ。
 その中でお前のスタンドはこの世のどんなことよりもやさしい。
 だが……生命の終わったものはもう戻らない。どんなスタンドだろうと戻せない……」(空条承太郎)

精神の力によって現実を超越するスタンド能力が何故わざわざ死者を生き返らせることだけが出来ないのか、
それは死というものが全ての生命にとって不可避かつ正体不明な物事であるからに他ならない。
その存在だけは誰もが知っていて、誰もが大なり小なり気を揉んでいる、最終的にはどうにもならない物事の筆頭だからだ。
「時を止める」ことも「死者を生き返らせる」ことも現実には共に不可能だろうが、
前者に比べ後者を切望した者の数は、今までの歴史でどれほどに達するだろうか。
「出来て当然」と思う心こそがスタンドの原動力なのに、これほどまでに「やっても無駄」と脳裏に刻まれた物事は他に無いだろう。
とはいえ、死者を生き返らせる「能力」は存在しないものの、限定的にそういう「効果」を現すスタンドは皆無ではない。
例えば絶望の最中に時を戻すことで「早人」の死を無かったことにした「キラークィーン・バイツァダスト」、
あるいは決闘の中で切羽詰って時を戻し、「ジャイロ」の死を無かったことにした「マンダム」、
更に相手の罪の中から「アクセルRO」や「ジョニィ」を蘇らせた「シビル・ウォー」……、
死者復活の効果を持つスタンドの本体が、誰も彼も人死にをものともしない異常者ばかりなのは何とも皮肉な話だが、
人命を超越した意志を持つ彼らだからこそ、死者復活を「ついで」に行うようなスタンドを発現するに至ったのだろう。

240フェイク『男』:2010/01/28(木) 01:35:10 ID:HXcjHfE2
777 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/01/28(木) 01:09:42 ID:3QUtphpg
「ミッキーってなんだその名前は!? どこのミッキーだ!」「ミッキーっていったらミッキーじゃん」
「女性の裸体となりますがボカシはいっさい入れず放映されています! この美しすぎる映像は録画できないからです!」
「作者が創ったストーリーをつぶすことは誰にもできない!」「これを失う日本経済は壊滅的な……」
「『充実感』だ……これが俺の『燃える』目的だ!」「おまえいい画家だな……才能あるぞ……なかなかの絵を描いてくれた」

ざっと台詞を上げるだけでも判るとおり、近年の(といってももう八年も昔だが)創作業界を取り巻く様々な出来事を、
風刺混じり冗談混じりで駆け抜けて見せた「自由人の狂想曲」は、ジョジョ史上二番目に無茶苦茶なスタンド能力だったと言える。
(なお、一番は問答無用で「メイド・イン・ヘブン」)
ここまでの暴走が許されたのも、プッチ神父にとってウンガロが何をしようと「自分を押し上げる」運命であることを、
自分の喉にハサミを突き刺してまで確信していたからであろう。


771 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/01/28(木) 00:52:27 ID:3QUtphpg
「催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」(ポルナレフ)

バトル漫画のインフレは漫画家の技量の限界まで留まることを知らないが、例えばパンチのスピードならばどうだろうか。
0.1秒にパンチを一発放つ、0.01秒にパンチを一発放つ、0.001秒にパンチを一発放つ……言葉で書くだけならいくらでもきりがない。
計算上、光速で動けばおよそ1.5億分の1秒にパンチを一発放つことになる。
そして光速を超えて時を止めるとは、0秒に一発パンチを放つということなのだろう。インフレの限界を超えた新境地といえる。

241フェイク『男』:2010/04/10(土) 22:30:01 ID:.BaEitnU
743 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/04/10(土) 21:18:52 ID:8+BWPPBk
「人に対し何かをしてあげるということは……全て『見返り』を期待しての行為だ。
 人に親切にするのは自分も親切にしてもらうためであり、無償の愛というものはない。
 無償の愛とは……天国へ行くための『見返り』だからだ」(プッチ神父)

現代の心理学では、少なくとも人間の意識的な意味での「無償の愛」というものは存在することが明らかになっている。
例えば赤ん坊には、隣で寝ている別の赤ん坊が泣き出すと一緒になって泣き出す習性がある。
まさか赤ん坊が、自分も一緒になって泣いていた方が都合がいいなどと意識的に考えたりはしないだろう。
人間には、他人が喜んでいれば共に喜び、他人が悲しんでいれば共に悲しむ本能があるのだ。
そもそも、そのような感情は人間のみならず、類人猿などにも観察されるものだという。
かつて類人猿はその凶暴性ばかりが注目され、その残虐さが進化する人間の原動力になったのであり、
愛などは打算が形を変えたものに過ぎないという理論などもあったそうだが、今ではそのような学説も否定されている。
そのような本能は生存目的に根ざした、ある意味打算的なものであるということも言えるのだが、
(隣の赤ん坊が泣いているということは、それだけ何らかの危険が迫っているのであり、
 自分も泣いた方が親に危険を知らせられるというように、他者に感情を合わせるのも本能レベルでは打算である)
だからといって本能的な反応が即刻、現実的な打算に結びつくわけでもないし、
現実的な打算をもって本能的な反応を全く消し去ることが出来るわけでもない。
そこのところを高度に両立させ、打算も本能も共に満足させることこそが人間の知性の見せどころであろう。
(とはいえ、そのような理想が現実にどれだけ実践されているかと考えれば、プッチ神父の言葉も判らないではない)

なお、以上のことはあくまで心理学的な話であり、キリスト教でいうところの無償の愛、
アガペーに当てはめていいものか、そもそもプッチ神父の言葉にそのような宗教的意図はあるのか、
そこら辺は私の知ったことじゃないが、およそ面白半分にそれらの意味も含まれると見なすことにする。

242フェイク『男』:2010/04/10(土) 22:32:18 ID:.BaEitnU
737 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/04/10(土) 20:54:57 ID:8+BWPPBk
デッドマンズ・クエスチョンズに登場する幽霊の暗殺者・吉良は、
ジョジョ四部に登場する吉良から少し変化した考え方をしている。
何故わざわざ、ジョジョではない短編の主人公にジョジョの重要人物を据えたのだろうか。
この設定は、幽霊の主人公が己の今までの「人生」を失っていることを明確に指し示している。
ジョジョ四部を知っている者ならばもちろん、吉良のあまりの変貌振りに驚くだろうし、
それを知らない者でも恐らく、幽霊の吉良の「生前の自分」に対する執着の無さは見て取れるだろう。
恐らく、幽霊の吉良が今後、己の過去の全容を知ったりしても、何ら心を動かすことはないと思われる。
(つまり、今後デッドマン・Qの続編が新たに作られることがあっても、ジョジョ四部を過度に引っ張ったりはしないと推測できる)
幽霊とはただ身体が透けているというだけではなく、「生き甲斐」を無くした存在であるということだ。
そして「生き甲斐」をなくしても、それでも新たな「生き甲斐」を求め、
この世に自分の「居場所」を確保しようとする心は、幽霊であっても人間と同じだ。

243フェイク『男』:2010/04/10(土) 22:32:37 ID:.BaEitnU
731 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/04/10(土) 20:43:05 ID:8+BWPPBk
ジョジョのキャラクターの名前には、その当人に繋がる意味が篭められていることがある。
それは例えば、地面を操る能力だから大地君だとかそういう安直なことではなくて、もっと大局を暗示するようなものだ。
例えば「空条承太郎」の「承」は受け継ぐ、うけたまわるという意味だと作中で明示されているが、
承太郎はまさにその通り、三部までのジョジョのストーリーをうけたまわり、四部以降に受け継ぐキャラクターであるといえる。
(ジョジョは当初、三部で完結する予定だったというのに、まったくよく出来た話だ)
他にも「東方仗助」(「仗」は武器、頼りにする、守るなどの意。東方つまり日本で戦いによって町を守る、頼りになるジョジョ)、
「ジョルノ」(イタリア語で明けた白日。即ち朝一番の太陽光であり、太陽の光は生命活動の根源である)、
「徐倫」(「徐」はゆっくりと、静かに。「倫」は守るべき道、仲間。運命に対し自然体で挑む生き様を示す)など、
取り分け主人公については、わりとストレートなネーミングを行っているようだ。

244フェイク『男』:2010/07/16(金) 22:36:00 ID:Fiba6bYU
860 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/07/16(金) 21:34:01 ID:f5TBApYg
スタンドの中には、まるで本筋の能力とは無関係に見える副作用を持つものがある。
例えば「天国の扉」の「ページを破り取ると体重が軽くなる効果」だとか、
「ホワイトスネイク」の「生物に幻覚を見せてDISCを奪う最中、対象を溶かしていく効果」などだ。
(なお「ホワイトスネイク」の「幻覚」効果については、本来の能力「精神のDISC化」とは無関係ではなく、
 DISC化を通じて対象の記憶に干渉するという応用技術として説明できる)
漫画的に見れば、これはただ単に多忙な週刊連載の中で打ち捨てられた初期設定というだけのことだが、
(特に上記の二つについて)もう少し細かく言えば、これらは生物の精神に対する攻撃を物質的に表現しているものだと言える。
生物の精神と肉体には密接な繋がりがあり、精神がダメージを受ければそれは何らかの形で肉体にも表れるものだ。
しかし、例えば「身体中に裂傷が走る」とか「体力を消耗して立っていられなくなる」などの単純な表現ばかりではつまらない。
更に言えば、精神と肉体の関係というものは非常に複雑であり、この二つの相互作用において何が起こるかなど判ったものではない。
そして上記のスタンドのような非常にユニークな精神攻撃ともなれば、それが肉体に及ぼす影響など何が起こってもおかしくない。
スタンドが超能力の視覚化であるように、これらの副作用は精神ダメージの視覚化であると言えるだろう。
何にせよ、これらは(読者の視点からも、スタンド使いの視点からも)ただの副作用・表現の一環であり、メインに扱われることはない。

245フェイク『男』:2010/10/30(土) 23:39:31 ID:YAucOgo6
820 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/10/30(土) 23:30:38 ID:k4INjHR7
スタンドとは超能力の視覚化であり、たとえ像の無いスタンドでも視覚的効果は存在しているのが基本だ。
そこから敵の能力の推理を行ったりするのが、スタンド戦闘の定番と言えるだろう。
作中に存在するスタンドの中には、どうにも不可視の攻撃などもしばしば存在しているが、
それでも何らかの手がかりはあるものだ。スタンド能力も人間の行いであり、全く痕跡を残さない人為などありえないからだ。
(メタな視点でいえば、手がかりのない謎の攻撃なんて攻略しようがないからだが)
例えば「グレイトフルデッド」の老化ガスや「グリーンデイ」の食人カビ胞子は事実上不可視の攻撃だが、
どちらも攻撃対象の方に発動条件(体温の変化、位置の移動)があるし、
「メタリカ」の不可視の磁力攻撃などは鉄分のみの操作というところから能力内容を推測できる。
更に「パープルヘイズ」の殺人ウィルスや「ヘビーウェザー」の太陽光サブリミナルは不可視の上に回避不可能だが、
ウィルスは本体すらも巻き込む、サブリミナルは本体にも制御できないなど、更なる欠点も付随している。

816 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/10/30(土) 20:24:24 ID:k4INjHR7
ファンタジーな創作物に登場する主要な超能力には、最早お約束といえるシチュエーションがいくつかある。
その中の一つに、「予知能力者が自分の死を予知したらどうすればいいのか?」というものがあるのだが、
「キングクリムゾン」の「不都合な予知の起こる時間帯を消し飛ばす」能力は、その解答の一つであろう。

246フェイク『男』:2010/10/30(土) 23:39:45 ID:YAucOgo6
809 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/10/30(土) 20:12:52 ID:k4INjHR7
情報収集を行えるスタンドというものは、その強さに注意する必要がある。
例えば、敵のスタンド能力の謎を解き明かすというのは、ジョジョの戦いにおける見どころの一つだが、
敵の正体を何のリスクもなく見破れる能力がこちらにあれば、謎も何もあったものではない。
また、ジョジョ作中における戦いはその多くがギリギリのバランスで成立しており、
前提条件が少し違えばどちらかの圧勝・瞬殺に終わる事例も少なくない。
そして敵の詳細が事前に判っていれば、それだけ有利に戦いを開始できるだろう。
(特に、攻撃力はやたら高いが防御力はほぼゼロというスタンド使いは、このような状況に極めて不利である。
 「天国の扉」「ハーヴェスト」「メタリカ」など)
自分自身やその接触対象に関連あるものしか念写できない(と思われる)「隠者の紫」、
リプレイ中は無防備な上、素の格闘能力もそれほど高くなく、未知の敵を追跡するにはあまりに危険な「ムーディーブルース」、
本体がある程度知っていることしか掘り起こせない「アンダーワールド」などがこれに当たる。

247名無しさん:2010/12/17(金) 18:24:24 ID:rQr7OUGQ
いつだったか鑑定してきた数が多すぎて同じようなスタンドもあるかもしれないと言っておられましたが
今まで鑑定してきたスタンドの中で
こいつはまさに主人公だろうだとか、これは自分でも上手くできただとかで
印象に残ってるスタンドってあります?

248フェイク『男』:2010/12/19(日) 21:30:35 ID:vAVHW6Gs
718 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 21:20:50 ID:MdmAxUj/
世界の運命と個人の意志が一致したときに、人は真実に辿りつく。その体験が「奇跡」である。
(参照:奇跡とは…>>210
それと同様に、世界の法則と個人の意思が合致したときに、人は「スタンド」を発現させるのかもしれない。
例えば「クレイジーダイヤモンド」の「自分だけは治せない」という特徴は、
本体個人の面から考えると、明らかに自分の学ランを犠牲にして幼少の仗助を助けてくれた恩人の姿が反映されているが、
世界法則の面から見ると、「マクスウェルの悪魔」という概念と丁度一致する。
(参照:マクスウェルの悪魔…>>91の最下段)

716 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 21:15:22 ID:MdmAxUj/
ジョニィのスタンド「タスク」は、ただの模倣からリスペクトを経てオリジナルへと至る創作の段階を踏襲している。
(参照:タスクAct1〜3…>>211
そこで最新形態の「タスクAct4」をこれに当てはめるならば、
差し詰め、馬乗りの家系ジョースター家と回転の家系ツェペリ一族のコラボレーションであり、
更には、この二者の協力によって失われた古代の技術を再生させるルネサンスとでも言えるだろう。
(なお、馬乗りでなければ「騎兵の回転」は行えないとジャイロは説明したが、
 ジャイロは既に「光り輝く道を進む」ほどの乗馬技術を確立しているため、実際には彼も「騎兵の回転」が行えた。
 これは元を辿れば、3rdSTAGEゴール・湖越えでのジョニィからジャイロへの馬乗りとしての忠告が発端なので、
 一応、これもまた二者の協力によって成立しているということに変わりは無い)

249フェイク『男』:2010/12/19(日) 21:31:03 ID:vAVHW6Gs
714 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 21:11:48 ID:MdmAxUj/
スタンドとは本体の精神性を反映しているものだが、
だからといって全てが本体の精神の根本のところで決まってしまっているというわけではない。
その例として、まるで正反対の精神性を持つ本体でありながら同じタイプのスタンドに至った「星の白金」と「世界」、
本体の精神の一部のみを色濃く反映した「パープルヘイズ」や「マンダム」、
その時の本体が特定の体験に強く影響を受けたためにスタンドの能力が決まった、
(その体験が無ければ全く別の能力となっていたであろう)「タスク」や「スケアリー・モンスターズ」(ディエゴ版)などが挙げられる。
逆に言えば、たとえ異なる人生を歩む別人であろうとも、その精神のどこかに一貫したものがあれば、
例えば十九世紀の競馬騎手でも二十世紀の吸血鬼でも、同じスタンドを発現させるということもありえるようだ。

712 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 21:05:52 ID:MdmAxUj/
女性スタンド使いの能力には、大別して「柔軟な変形を行う」「対象の心身を支配・制限する」という特徴がある。
(参照:女性のスタンド一覧…>>40の二段目)
これは前者が男性から見た女性の肉体的イメージ、後者が精神的イメージであると想像できる。
この考察は七部、ホット・パンツの登場以前に書いたものだが、彼女の「クリーム・スターター」もこれに含められるだろう。

250フェイク『男』:2010/12/19(日) 21:31:16 ID:vAVHW6Gs
708 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 20:58:14 ID:MdmAxUj/
かつてジョジョ七部ではスタンドのヴィジョンそのもので格闘を行うスタンドはほとんど存在せず、
舞台が西部劇時代であるため、拳銃の弾丸を素で防御できるような奴ばかりでは興ざめだからだ、とか、
スタンドとはこういうものだという固定観念をいったん解体してもう一度組み立て直そうという意図だ、とか、
その理由を様々に想像したものだったが、大統領の「D4C」、ジョニィの「タスクAct4」、Dioの「The World」と、
物語の最終局面に至って連続でパワー型のスタンドが登場するというこの展開は、
人型スタンドの初出である三部よりも更に百年ほど過去の、人類の技術や思想がまだまだ成長段階にある時代において、
彼ら少数のスタンド使いたちが、遺体の入手や度重なる戦い、宇宙が一巡しようとも不変の精神性などでもって、
その意志の力を遂に現代へと届くほどにまで推し進めたのだということを思わせる。
(参照:周辺環境から見るスタンド能力の変遷…>>166-167

251フェイク『男』:2010/12/19(日) 22:26:31 ID:vAVHW6Gs
>>247
私の鑑定の中には、原作には存在しない独自のスタンドの分類のようなものがいくつかあって、
それぞれのスタンド個々についての思い入れより、そういう概念のようなものの方が、
私の嗜好をよく反映しているような気がして、よく心に残っている。

例えば
「超高速で何回も同じ行動をいくらでも試し続けることで、時間をかければいつかはどんな行動でも成功する」スタンド
「身体の内側に無限の大きさがあるから、どんな傷でも倒れない(でも精神攻撃には弱い)」スタンド
「身体中に全て異なる形状のナイフを無数に装着していて、それぞれのナイフは一種類の行動に完璧な適性がある」スタンド
などを鑑定した覚えがあるが、これらは全て、
「スタンド体が何か一種類の事物を無限に保有する。そのことで技術的に様々な結果を派生させる」スタンドだと言い表せる。

このようなスタンドは様々な状況に独特な手法で対処できるだろうから、出来るだけ色々な戦いを描写するべきだという意味で主人公的だが、
同時に、よほど上手く演出できなければ、強すぎて面白みを失ってしまうとも考えられる。少なくとも、私は出来る気がしない。

あともう一つ、ジョジョ原作のスタンドを描写の曲解によって全く別の能力に読み解いてしまうとか、ああいう遊び心のあるやつ。

252名無しさん:2010/12/19(日) 23:00:19 ID:Egkwjk86
なるほど、わざわざありがとうございました

253フェイク『男』:2011/02/23(水) 21:14:10 ID:Sd8CocRs
791 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/02/23(水) 20:54:09.27 ID:jOzLD3od
重力を支配することであらゆる異次元間を突き抜け、どういう理屈か時の止まった世界にまで入門した「タスクAct4」は、
その攻撃をいったいどこまで貫き通すことが出来るのだろうか。
「鏡の中の世界」では? 「時間の飛んでいる中」では? 「幻覚を見せられている夢の中」では?
それどころか、ひょっとしたら全ての生物の精神を支配する「レクイエム」すらも突破できるだろうか?
少なくとも、いかに「タスクAct4」が重力を支配しようと、それは回転運動から生じるエネルギーに過ぎず、
時が止まれば回転も止まるために、「The World」の前には「タスクAct4」は無力、とはならなかった。
それは恐らく、「タスクAct4」がひとたび重力を支配してしまったら、
それはもう回転の力を超えており、(最低でも「時を止める」原理より)更に上位の力でもって、
敵を追跡する数秒間だけ(そして敵に命中すれば無限に)持続するものだからだろう。
従って、いかに「タスクAct4」が重力を支配しようと、それは人間の精神から生じるエネルギーに過ぎず、
あらゆる精神を超越した「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」の前には無力、とはならない可能性がある。
もちろん、誰も断言は出来ない。しかし個人的には、今まで出てきたスタンドの中では一番可能性があるように感じる。

254名無しさん:2011/02/25(金) 02:37:15 ID:fPULAekc
フェイク氏の鑑定は、3レスに及ぶものもあれば、3行で終わるものもあるようですが
何か違うはあるのでしょうか?テーマ的なものがある場合だったり、パッと思いついただけの場合だったり?
それとも全部にテーマがあっても、上手く表現できないものはバッサリカットしてしまうとか?

255名無しさん:2011/02/25(金) 03:00:13 ID:fPULAekc
あ、後安価を変換結果の書いてあるレスにだけ付ける場合と
その前のテストのレスも含めて付ける場合にも何か違いがあるんでしょうか?

256フェイク『男』:2011/03/12(土) 21:56:08 ID:EUAfMXeg
>>254
スタンドの鑑定は文章だけで行われるものなので、
そのスタンドを表現するために書けることは何でも書いておくようにしているのだが、
あまりにシンプル過ぎて説明の余地が無かったり、むしろ説明が邪魔に思えるものは短文で終わる。

>>255
スタンドの鑑定の結果が、テストのレスの内容に関係があるような気がするときは、そこにもアンカを付けている。
積極的に関係性を持たせようと努力しているわけではないが。

257名無しさん:2011/03/14(月) 11:08:42 ID:XekvL9gc
>>256
なるほど
ただの「テスト」等では安価を付けず
何か意味有り気な文章の場合は付けるわけですね
ありがとうございました

258フェイク『男』:2011/04/29(金) 19:42:12 ID:Ef2FjSZM
492 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/04/29(金) 19:38:12 Ef2FjSZM
ジョジョ七部終盤では、ようやくと言うか遂にと言うか、スタンドの格闘攻撃と本体からの銃撃による二面攻撃が登場した。
とはいえ、やはりこのような攻撃はいくつかの問題を抱えるものであり、常用できるものではない奇策の類に見える。
特に敵のスタンドがパワー型の場合、本体とスタンドが同方向から攻撃したのでは、
銃撃など余裕で防御されてしまうだろうし、むしろ自分のスタンドの動きを邪魔する危険性すらある。
だからといって本体とスタンドが別方向から攻撃しようとするなら、本体は大きく隙を晒すことになるのだ。
作中では大統領やDioがジョニィに対してこのような攻撃を行ったが、どちらの場合も、
「ジョニィはスタンドを防御に使いにくいため、本体が行う銃撃でも充分な攻撃となる」
「ジョニィからの攻撃を防御することは出来ない」(撃たれる前に撃つのみ)
この二点があって成立している。

259名無しさん:2011/05/05(木) 23:33:41 ID:dANSSSKE
フェイク氏に質問です
フェイク氏はスタンド鑑定以外の時は、
普通に名無しとしてIDテストしてスタンド変換結果をスレに書きこんだりしてますか?

260フェイク『男』:2011/06/20(月) 23:28:34 ID:YQXTvkJs
508 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/06/20(月) 23:23:27 YQXTvkJs
【スタンドの次の話、3】
(参照:スタンドの次の話、1と2…>>220
ジョジョに登場するスタンド以外のファンタジーが、スタンドでないことの理由として、
例えば「回転の技術」には、一族が担う目的を果たすために、先祖代々、そしてジャイロからジョニィへと「継承」されるという要素がある。
人間の文明や文化の発展、精神の成長において、この「継承」という要素はかなり重要なものだが、基本的に個人の精神である「スタンド」にこの要素を盛り込むことは難しい。
もちろん、DIOからプッチにといったように、スタンドを交えた「継承」もあるにはあるのだが、これを人間の精神というにはあまりに特異すぎるだろう。
ちなみにスタンド以前の話ではあるが、「波紋の技術」についても、吸血鬼や柱の男といった人類の天敵に対抗するため一族が伝えてきた技術として、同じことが言える。

506 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/06/20(月) 23:22:22 YQXTvkJs
全人類が運命を覚悟するという「天国」も、幸福のみが集まるという「千年王国」も、作中で明示されたのは大まかな未来予想図のみであり、
結局のところ、それがいかなるものであるかの完成形が示されることはなく、正誤も善悪も判明することはなかった。
それも当然の話、それらは言ってしまえば漫画の中で描かれただけの、ただの作り話だ。設定次第、解釈次第でどうとでも出来る。
重要なのは、そのような考え方に対しどのように立ち向かうかであろう。

261フェイク『男』:2011/06/20(月) 23:28:55 ID:YQXTvkJs
504 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/06/20(月) 23:21:33 YQXTvkJs
「人の性格がそんなに簡単に変えられ成長できるなら誰も苦労はしません」(トト神)

特に、心の死んだ人間が「再生」するには並々ならぬ犠牲を払わなければならない運命のようだ。
例えば花京院やブチャラティは、「再生」したものの最後まで生き抜くことは出来なかった。
ウェザーやアナスイは新たな世界の新たな彼らが生きてはいるものの、かつての彼らが死んだことに変わりは無い。
そしてジョニィは「再生」した上で生き延びることが出来たが、親友は死亡、レースは失格、聖人の遺体も失ったままと、
およそ良いところは何も無く、当人の望みの通り「マイナスの人間がゼロに戻る」ことだけが成就した状態となっている。

262フェイク『男』:2011/06/20(月) 23:29:59 ID:YQXTvkJs
>>259
まったくしない。

263フェイク『男』:2011/08/18(木) 19:55:51 ID:6388MFX2
515 :フェイク『男』:2011/08/18(木) 19:49:19 ID:6388MFX2
正義をなすことこそが運命だが、何が正義なのかはそう簡単には解らない。
しかし、例えば自分を取り巻く全てのものに敬意を払い、あるいは自分の敵に対してすらも謙虚に振る舞い、
自分が正義であるように、即ち運命に適うように「祈る」ことで、たとえ正義でも邪悪でも、人は「清らか」に生きていけるのだろう。
薄っぺらな邪悪との戦いではなく、そういった清らかに生きる者同士の戦いでこそ、勝者は価値あるものを得られるし、敗者の存在も肯定される。

522 :フェイク『男』:2011/08/18(木) 19:51:56 ID:6388MFX2
ジョジョ四部で「幽霊」の存在が明示されたため、以降のジョジョではただ肉体を殺害するだけでは真に敵を倒したとは言えなくなった。
特に歴代ラスボスについては、肉体のみならずその魂すらも明確に敗北している様子が描写されている。以下に具体例を挙げておく。
四部、吉良吉影:振り返ってはいけない小道に連れ去られる。
五部、ディアボロ:レクイエムの力で永遠に死に続ける。
六部、プッチ神父:アイリンたちの生きる新世界は、明らかにプッチ神父の存在しない世界である。恐らく不完全な宇宙一巡の余波で、存在そのものが消滅したのだろう。
七部、ヴァレンタイン大統領:ジョニィの推測では、Act4の無限の回転は魂すらも残さず消滅させるという。

264フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:49:04 ID:i7X36LKs
535 :フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:42:24 ID:i7X36LKs
「ブンブーン一家のスタンド」と「TATOO YOU!」は、SBRにて初めて登場した、本体が複数存在するタイプのスタンドと見なすことが出来る。
一応、どちらのスタンドもリーダー一人(ベンジャミン・ブンブーン、11人組のリーダー)だけが「本来の本体」であり、
他の仲間たちは能力を付与されているだけという見方も出来るが、それでも「ブンブーン一家のスタンド」においては、
「本体よりも仲間(アンドレ)の方がスタンドの操作がうまい」「本体を交代できる(ベンジャミン死亡後、LAだけでスタンドを使用)」など、他のスタンド能力には見られない特徴がある。
六部までのスタンドの発現方法といえば、矢やDISC、あるいは生まれつき、果ては修行の賜物、どれも個人的なものだったのに対し、
SBRの「悪魔の手の平」は、一度に複数の人間が巻き込まれることが出来る「場所」であるため、このような複数の本体を有するスタンドが発現できるようになったのかもしれない。
とはいえ、精神力の表れであるスタンド能力を複数の人間で操るというのは、よほど強力な精神的結びつきがなければ不可能だろう。
例えばブンブーン一家には「歪んだ家族愛」があり、11人の男たちには各々の馬の足音をピタリと一致させるほどのチームワークがある。
(参照:ブンブーン一家の家族愛…>>163の一段目)

265フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:49:33 ID:i7X36LKs
537 :フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:43:15 ID:i7X36LKs
五部小説「恥知らずのパープルヘイズ」の麻薬チームのスタンドは、四体中三体が無形の中〜遠距離攻撃を主体とした能力である。
彼らの能力は、拳で直に殴ったり、弾丸を飛ばしたり、あるいは周囲の全てを巻き込むような無差別攻撃とは異なり、
同士討ちの恐れがかなり少ないため、積極的に複数で一体の敵を攻撃できるという長所がある。
(唯一同士討ちの恐れがあるのも、短剣の刃に写った対象にダメージを返す「ドリー・ダガー」程度で、
 このスタンドの本体は戦闘に際し積極的に敵に向かっていく性格・戦法であるため、やはりこの能力が仲間に誤爆する危険性は低い)
ジョジョ原作における複数人での戦いもほとんどが精々コンビで挑む程度、それも少なくとも片方は遠距離攻撃主体のものばかりであることを考えれば、彼らの能力の強さが解るだろう。
とはいえ、前述の「ドリー・ダガー」以外の二体は防御力ゼロのため、単独で戦うにはうまく立ち回って相手をハメなければこちら側が即死という、
原作でもよくあるトラップ型スタンドの類型であり、そこまで極端に強い能力というわけでもない。
問題があるとするならば、無形の遠距離攻撃などというものは明らかに漫画として見栄えが悪いということくらいで、まさに小説向けのスタンド能力といえる。

266フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:49:49 ID:i7X36LKs
539 :フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:44:09 ID:i7X36LKs
五部小説「恥知らずのパープルヘイズ」に登場するスタンド能力には、対象の感情や感覚への攻撃など、精神攻撃を行うものが散見される。
ジョジョ原作においては、超能力による精神攻撃をそのまま描くのは漫画演出的に難しいためか、精神攻撃はもっと物理的・可視的な現象を伴って行われることがほとんどだ。
(個々の例は説明しないが、オシリス神、アトゥム神、錠前、天国の扉、ボーイⅡマン、エニグマ、マリリンマンソン、ホワイトスネイク、自由人の狂想曲、シビル・ウォーなどがそれに該当する)
また小説では、スタンド能力の一つ一つに、本体の精神性の何が原因となってそういう能力になったのかが全て明記されているが、
原作ではやはりそこまで詳しい説明をしているものは一握りだ。いちいち全てに説明を付けていては、逆にリアリティが損なわれるという感覚かもしれない。
とはいえ小説のストーリーでは、主人公フーゴのスタンド、パープルヘイズの「本体の精神の一面を反映している」という要素が重要な意味を持つので、
それに関連して、スタンド能力には本体の精神にルーツがある、という設定を強調するのは妥当な演出と言えるだろう。

267名無しさん:2011/10/22(土) 12:23:14 ID:???
>>264
ブンブーン一家はただ『似過ぎている3体のスタンド』ってだけで、
『3人で1体のスタンド』じゃないですよ。
原作を見てみるとわかりますが、3人のスタンドはそれぞれデザインも能力も違います。

アンドレのスタンド:本体が触れた生物に磁力を付与する能力。そのパワーは対象同士が近寄ったり、本体の家族で囲んだりすると増幅される。
ベンジャミンのスタンド:磁力を操り鉄を変形させる能力。また、本体の体内に鉄を取り込める。
L.A.のスタンド:砂鉄と同化しているのが能力の、不定形のスタンド。

268フェイク『男』:2011/10/30(日) 19:14:49 ID:MSzAxaJ2
>>267
もちろん作中で明言されていない以上どんな見方も自由だし、今後公式にどういう設定が成されるかは判らないが、現段階でのその解釈には色々と不可解な点がある。

1、個々の能力について
ジャイロがアンドレに鉄球を投げて攻撃する際の彼及びLAの反応を見ると、ベンジャミンのような「鉄球を空中で削る防御法」はアンドレにも出来るようだが、それは何故か。
また、その解釈ではアンドレの能力はジャイロたちを殺害するための最重要能力に見えるが、それなのに他の二人がアンドレの脱落を放置していたり、
そうでなくとも能力が別々ならばそれぞれに使い道があるはずなのに、上二人のLAに対する対応が酷かったりと、扱いがぞんざいなのは何故か。

2、演出について
三人の持つスタンドが本質的に別物であるにしては、「ワシらのこの『鉄』を操る能力」「ヤツらの鉄の能力」などの台詞が示す通り、
ベンジャミン、ジャイロ共に三人の能力を一纏めに扱っている点、更に能力の内容はまだしも外見まで似過ぎている点など、漫画の演出上好ましくない描写が多いのは何故か。
(続く)

269フェイク『男』:2011/10/30(日) 19:15:04 ID:MSzAxaJ2
(続き)
もちろん、ベンジャミンはともかくジャイロ側はブンブーン一家の能力の詳細など知らないから「同じ能力」だと誤解した、と考えられなくもないが、展開上は無意味な描写だ。
(ジョジョという漫画における作中のキャラクターの「推理」の類は、特に「推理を間違うこと」が戦闘や物語に大きな意味を持つ場合でない限り、基本的には「正しい」ものとして話が進む傾向にある)
また、同じような能力でも本当は異なるスタンドであるならば、その外見は全く別物になるという前例がある。
(「オシリス神とアトゥム神」、「星の白金と世界」など。更に言えば、>>267の言うブンブーン一家のスタンドそれぞれは、
 「ゲブ神とアクアネックレス」「バステト女神とメタリカ」「リトルフィートとグーグードールズ」ぐらい離れているように思える)
外見も能力も全く同じスタンドならば、「『食う』『寝る』『子供を産む』この三つしかしない」とまで言われた鼠二匹の「ラット」、
ココ・ジャンボとジョルノが作ったそのクローン亀による「ミスター・プレジデント」、異なる世界の同位置の人物であるDIOとDioの「世界」など、
本体の方にも何らかの同一性があるのが通例だが、さすがにブンブーン一家は殺人趣味やら「歪んだ家族愛」を共有しつつも、そこまで同一の存在には見えない。
(これの例外として、DIOとジョセフの「隠者の紫」があるが、スタンドの設定そのものが固まっていない時期の話であるため、ブンブーン一家のスタンドと同列には考えない)

3、意味について
そしてそもそも、三人の能力が実は別物であるということに、漫画として何の意味や面白さがあるのか。無駄にややこしくなるだけではないのか。
三人全員が同じ能力ということにしておけば、敵スタンド使いが同時に三人も襲い掛かってくるという状況でありながら、
戦闘の内容をなるべく単純に展開させることが出来るという長所がある。(>>57の最下段参照)

270フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:27:48 ID:q2q/vgTs
767 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 18:47:06.53 ID:BaqvFCmb
スタンド能力の中には、作中で明示されていない存在意義があると思わしきものも存在する。
例えば「天国の扉」の、生原稿を最初に読んだ者にのみ作用するという困難な発動条件は、明らかに本体・岸辺露伴の「担当編集者のありのままの感想を聞きたい」という目的から生じたものだろう。
(参照:スタンド能力の最初の存在意義…>>43の三段目、>>136の上段)
作中でこういう類の裏設定が披露される機会など滅多に無いので、これに関連する話を始めると、多分に妄想とも願望とも付かないものが入り混じってしまうものだが、
それでも果敢に考察をすると、東方大弥の「カリフォルニア・キング・ベッド」が有する各種の特徴──気を遣うと発動、身体に一時的な傷が出来る、相手から記憶を一つだけ抜き出す、
チェスの駒に記憶を封じる、影を踏むと解除される、公正に相手に能力を教える──という、てんでバラバラな要素は、全て本体の「障害者としてのコンプレックス」に関連付けられる。
このスタンド能力は元々、本体が障害者だということで誰かに気を遣ったり遣われたりした「記憶」を抜き取り、健常者相手に「心の負い目」の無い生活を行うことが目的だったのかもしれない。
(続く)

271フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:28:13 ID:q2q/vgTs
(続き)
身体に傷が出来るのは(既に各所で考察されている通り)本体の「心の傷」であり、だから相手の「記憶」を奪う段階になると、「負い目」が無くなって傷が癒える。
(後に東方大弥は、単に「気を遣われた記憶」を奪うのではなく、相手と思い出を共有することでの「幸せ」を目指すことで、「心の傷」を癒しつつ、スタンドの更なる有効活用を試みるようになる)
「チェスの駒」は視覚障害者でも手触りで種類が解りやすい、一揃いの品物であり、それでいて点字を使うなどの「気を遣った」品物ではない。
「影を踏むと解除される」のは、影を踏むという行いに相手への失礼がある(自分から相手に気を遣わせる行為である)という意味合いと、
影を踏まないという健常者なら普通に出来ることを障害者である自分が行うことで、健常者と対等であろうとする自負心の表れである。
「公正に能力を相手に教えることが強さに繋がる」のも、もちろん自分と相手が対等であるためだ。
しかし何とも皮肉なことに、このスタンドは発現と共に本体が視力を失っていったという経緯がある。
この経緯、及び「障害者としてのコンプレックス」がスタンドに直結するという現象は、どちらも今までの障害者のスタンド使い──生まれつきスタンド使いで生活に不便の無いンドゥール、
復讐心でそれどころではないジョンガリ・A、回転の力を希望と捉えるジョニィなど──には無い特徴であり、新たな独自性なのかもしれない。

272フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:28:48 ID:q2q/vgTs

770 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 18:52:31.80 ID:BaqvFCmb
スタンド能力の中には、作中で明示されていない存在意義があると思わしきものも存在する。
例えば「エボニーデビル」は、相手の目の前に姿を現し傷を付けられ、更に殺されずに逃げ出してようやく発動できるスタンドであり、
それでいて極端に強いわけでもなければ特殊な能力も無いと、遠隔操作型のスタンドとしては明らかに異色の弱さである。
漫画作品上の理由としては、単にジョジョ三部初期、スタンドという設定の黎明期の能力であるため、強さの調節がまだまだ手探りだったというだけの話なのだが、
作中の理由をあえて考察するならば、このスタンドは本来「本体デーボがその人生で真に呪うべき相手に復讐するため」の能力であると考えることが出来る。
真に復讐すべき相手に対し、「エボニーデビル」はまさに無敵であり、戦闘面でも心理面でも相手に絶望のどん底を見せることが出来るスタンドなのだが、
そのような復讐を全て終わらせ、何もやることがなくなって、しかも今までの人生で復讐だけを目的に生きていたため、このスタンド以外に何の取り得も無いデーボは、
仕方なく「相手にわざと攻撃されてその復讐を行う」という回りくどいスタンドの使い方によって、殺し屋として生計を立ててきたのだろう。
あるいはもしかしたら、「復讐」という行いのカタルシス、恨みを晴らすために相手を殺すという行いの気持ちよさに憑りつかれ、内心嬉々としてそのような道を歩んでいる可能性もある。
これはいわゆるSMプレイに似ている。SMというものはやり過ぎてはただの暴力であり、快感を得られるギリギリのところをわきまえなければならない。
「エボニーデビル」も同様、相手を恨める傷を付けられつつ、殺されてはいけない。ちなみに、その辺の限度を無視して突っ走ってしまうのが「ノトーリアスBIG」だ。カルネはガチだ。
……妄想が激しくなってきたので、この考察はここまで。

273フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:29:06 ID:q2q/vgTs
773 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 18:57:46.35 ID:BaqvFCmb
ジョジョ八部主人公、仮称・東方常助のスタンド「ソフト&ウェット」は、何だかどこまで出来るのかよく判らない能力をしている。解釈次第ではどこまでも強くなりそうな恐れもある。
こういう応用性のやたら広そうな能力を主人公側が持つ場合、擬音の数だけ応用性のある「エコーズAct2」はパワー自体はさほどでもなかったり、
生物の数だけ応用性のある「黄金体験」は小型の生物か単純な樹木しか作れなかったりしたものだが、「ソフト&ウェット」はその辺りがまだ掴めない。
あるいは、この能力の掴めなさを主人公の正体不明さと合わせているのかもしれないし、そもそも八部は単に強い能力だけではどうにもならない敵ばかり出てくるのかもしれない。
例えば、今現在の連載で交戦中の東方大弥は、明らかに敵だからといって殴り倒していい相手ではない。取り敢えず、今後の動向に注目。

774 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 19:00:26.77 ID:BaqvFCmb
敵が人類の捕食者・天敵である「吸血鬼」だとか、その吸血鬼の更に上、人類などゴミ扱いの「柱の男」だった波紋編とは異なり、
敵の大多数が主人公と同じ「人間」である三部以降においては、各部の最初の敵との戦いで、犠牲となる一般人の姿が必ず描かれている。
それもただ戦いに巻き込まれて傷ついたり死ぬというだけでなく、スタンド使いに操られるとか、利用されるとか、
スタンドという超能力に対して一般人がいかに無力であるか、そんな暴力を振るう悪党がどれほど主人公にブチのめされるべき存在であるかを強調するような表現だ。
その具体例は以下の通り。

三部:花京院に狂暴化させられた女医。あるいは、グレーフライによる大量殺人の犠牲者
四部:アンジェロに操られコンビニ強盗させられた男。及び、殺害された東方良平
五部:ブチャラティが潜伏し、ジョルノが作った蠅の反撃エネルギーで気絶したヤク中の少年。五部はピカレスクであるため、主人公もここに入る
   あるいは、ブラックサバスの犠牲になった掃除夫
六部:グェスに虐待及び殺害された「インコのピーちゃん」の中の人
七部:ブンブーン一家による猟奇殺人の犠牲者三人
八部:笹目桜二郎に利用されたバスルームの女性

274フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:29:22 ID:q2q/vgTs
779 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 19:11:12.13 ID:BaqvFCmb
「公正な振る舞いがスタンドの強さとなる」という主張により、相手にあえてスタンド能力を教える者たちがここ最近のジョジョに散見されるが、
この理屈が全てのスタンド使いに適用できるとは思えないし、それどころか作中に出てきた主張も、全てそのまま鵜呑みには出来ない。
少なくとも、「シビル・ウォー」の本体アクセル・ROは、「水が弱点」であることを教えはしたが、もっと重要な「アクセル自身を殺すと危険」なのは何も伝えていない。
明らかに、自分を殺させるために特定の情報を伏せて相手を誘導しており、公正な態度とは言えないだろう。
あるいは「罪を他人に負わせれば自分は浄められる」などという、かなり歪んだ思想のアクセルが考える、自分勝手な公正さなのかもしれないが、どちらにせよ真っ当なものではない。
(そんなアクセルを所有者として認めかけた「聖人の遺体」も異常だが、あれもジョニィよりディエゴを所有者としてふさわしいとしている節があり、人間の道徳とは異なる価値観があると見える)
「公正な振る舞いがスタンドの強さとなる」という主張を最大限好意的に解釈しても、「公正な振る舞いが強さになるスタンドがある。そうならないスタンドもある。
公正な強さを得られるスタンドと、そうでないスタンドとでは、最終的に公正さのある方が強く成り得る」程度であると、私は解釈する。
正直なところ、この言葉を言い訳にして、敵が自分の能力を主人公にペラペラ喋るような、脳味噌の少なめな展開が増えることを危惧しているのだが、さすがに天下のジョジョに対してそれは考え過ぎか。

275フェイク『男』:2012/04/28(土) 11:45:07 ID:S549QR/I
789 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/04/28(土) 06:30:43.10 ID:UeYANsVR
あんまりこんなことばかり言っていても仕方ないのだが、ジョジョのスタンド表現にはキャラクターの視点からの「見間違い」が含まれていると解釈できるものもある。
例えば、「ノトーリアスBIG」戦でトリッシュが目撃したサッカーボールが、飛行機を追跡してきた「ノトーリアスBIG」そのものであることは割と知られていることだろう。
それと同様に、もしかしたら「ホワイトスネイク」のドロドロに溶かす攻撃は、夢からの目覚めかけで意識の混濁した徐倫や承太郎たちにとって、周囲がああいう風に見えたというだけだったり、
あるいは「カリフォルニア・キング・ベッド」の本体、東方大弥が脚に謎の傷を負ったのは、目からチェスの駒が飛び出しつつある定助の視覚的な異常だったのかもしれない。

790 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/04/28(土) 06:43:16.63 ID:UeYANsVR
「正義をなすことこそが運命」とは言うものの、「力なき正義は無能」という言葉もある。
実に身も蓋も無い話になってしまうのだが、運命を切り拓くには運命に匹敵するだけの力が必要なようだ。
その視点で歴代のジョジョを振り返ってみると、ジョセフがカーズを地球から追放できたのは、エイジャの赤石、カーズ自身の波紋の力、火山の力によるものだったし、
承太郎たちがDIOを倒すためには、承太郎自身も時を止める能力に目覚めなければならなかった。早人がバイツァダストを攻略できたのは仗助たちという戦力が控えていたからこそであり、
ジョルノがディアボロを倒したのは矢によるレクイエムの力であり、エンポリオがプッチを倒した直接の力はウェザーリポートのDISCであり……
そしてディオに肉体を乗っ取られたジョナサンは、自身の子孫という力でもってディオを葬り去ったのだ。

276フェイク『男』:2012/06/26(火) 20:44:12 ID:dBorqTxc
768 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/06/26(火) 19:44:29.00 ID:hjMobQW7
「トト神」や「エピタフ」といった予知能力が登場する際には、しばしば決定的な状況において、予知の画像の見間違いや解釈違いが発生する。
例えば、承太郎が爆弾仕掛けのオレンジに吹っ飛ばされたり、承太郎の額を銃弾が貫いたり、ドッピオの頭が切り飛ばされたりする場面だ。
漫画的な意味では、これは単に話を盛り上げるための演出なのだろうし、あるいは現実に存在する予知や占いの強引な解釈を揶揄したものとも取れるが、
上記の事例はいずれも、オインゴやホルホース、ディアボロの努力次第では、予知の画像そのままが達成されていた可能性があるとも捉えられる。
これらの状況は、まさに彼らの判断と精神力、そして彼らの敵の帯びる運勢がせめぎ合い、運命を左右するギリギリの状態、ネットに弾かれたボールだったと言えるだろう。
(もちろん、ボールの行方も運命によって既に決定されている物事なのだが、それは「神」の領域の話だ)

277フェイク『男』:2012/08/19(日) 00:12:51 ID:mh0GkFmo
787 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/18(土) 19:55:53.25 ID:8jsYB6ek
ジョジョ七部終了後、「聖なる遺体」はどうなってしまったのだろうか。作中ではこれといって確たる証拠は無いのだが、
例えばジョニィがネアポリス王国に持ち帰ったとか、Dioの死体と共にシェルターに封印されたとか、そういう展開ではなさそうだと言える。
何故ならば、彼らは「遺体」の所有者として選ばれていない(と、少なくともルーシーはそのように考えて行動している)からである。
ルーシーは「遺体」をジョニィから盗んだ者が、より「遺体」に選ばれた者であるという可能性を危惧し、
また盗人がDioであることを知ると、対策として基本世界のDioの生首を回収し、ジョニィの敗北に備えてシェルターに向かった。
そしてルーシーの予想通り、ジョニィはDioに敗北し、そのDioはルーシーに敗北した。つまり、「遺体」に選ばれた順位はルーシー>Dio>ジョニィとなるのだ。

795 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/18(土) 20:15:22.72 ID:8jsYB6ek
ジョジョ七部はレースの物語として始まりながら、結局のところレース要素はスタンド戦闘の味付け程度で終わってしまったようにも見える。
「スティール・ボール・ラン・レース」とは一体何だったのだろうか。私はそれを、ジョジョ世界における「表の歴史」の象徴だと考える。
このレース、発起人こそ純粋にレースを成功させたいと願っているが、その最重要後援者が黒幕となって「裏の世界」の策略を張り巡らせ、
一方で参加者もスタンドだの鉄球だのといったほとんど反則みたいな技能で上位に食い込んだり、遺体争奪戦にかまけてレースなど二の次に扱っていたりしていた。
そして遺体の入手という「裏の世界」での成功は、レースの優勝などという「表の歴史」での成功などよりよほど価値があるものだというのである。
しかし結局のところ、「表の歴史」に「裏の世界」の連中の出番は無い。レースの最終的な上位入賞者が全員、遺体の争奪には無関係な人々であることは特筆すべきだろう。

278フェイク『男』:2012/08/19(日) 00:13:06 ID:mh0GkFmo
802 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/19(日) 00:07:04.49 ID:Zvc3PJoi
「スティール・ボール・ラン・レース」の優勝者はポコロコだった。彼はスタンド使いでありながら遺体争奪には全く関わらないという、最も「幸運」な立ち位置だ。
しかし日程上、レースの終了時にはとっくに「幸運」な期間は終わっていたはずだ。彼は確かに「幸運」に味方されてはいたが、最後には自分の力で勝利したのかもしれない。
あるいはこの世の運命において、「ラブトレイン」のような幸運よりも、「ポコロコのスタンド」のような幸運の方が強いということだろうか。

803 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/19(日) 00:08:22.39 ID:Zvc3PJoi
ところで、作中の「スティール・ボール・ラン・レース」は何故あれほどまでに人気が高く、しかも大統領にも方々から賛辞が贈られたのだろうか。
それはスティール氏の発想と努力の賜物であり、「遺体」の力など無くとも世界中の尊敬を集めることは出来たという証明だと思いたい。
だが、ルーシーの所有する「遺体」がそのような幸福を引き寄せたという可能性も否定できない。「裏の世界」の出来事がどこまで「表の歴史」に絡んでいるのか、誰にも判らないのだ。
東方憲助が記した「レースの記録集」によると、このレースは一度しか開かれなかったそうだが……

279フェイク『男』:2012/08/19(日) 00:14:03 ID:mh0GkFmo
色々と目に付いたところを追記。

>>4一段目
「ウェザーリポート」は元々「ヘビーウェザー」と一体のスタンドであり、強いだけでなく非常に傍迷惑なスタンドでもある。
作中の便利な「ウェザーリポート」は、プッチ神父が記憶を抜いて「ヘビーウェザー」を封印したために成立したものだ。

>>129二段目
また、ジョナサンの波紋技に色が付いているのも同様の理由かもしれない。

>>152上段
「ブラックサバス」を追加。
本体は刑務所から出ることすら出来ないが、他者をスタンド使いの部下にすることで、間接的に何でもすることが出来る。

>>154上段
岸部→岸辺

280フェイク『男』:2012/08/19(日) 00:14:54 ID:mh0GkFmo
>>164下段
「隠者の紫」はこの分類からは外れるが、これは本体ジョセフが昔から他者の心理を読むことに長けていたためと解釈できる。
つまり「隠者の紫」は「自分の短所を埋めるためのスタンド」(>>137上段)ではなく「自分の長所を伸ばすためのスタンド」(>>106二段目)なのだ。

>>215二段目
台詞を言ったのはジョセフではなく承太郎

>>232
康一は最初から「やるときはやる」性格である。つまり、彼は精神力において最初から強かったのであり、スタンドの方がそれに合わせて徐々に進化していったのだろう。

>>240下段
時を止める能力とは、スピードのインフレを超越した概念である。
すると次には、時を止める持続時間に対するインフレが発生するかのように思われるが、
実際には、時を止められる時間の短い承太郎がDIOを倒したことで、単純ながらも明快にインフレは否定されている。

>>273一段目
常助→定助

281名無しさん:2012/10/12(金) 19:42:22 ID:Zq3p5Fg.
てすす

282フェイク『男』:2012/10/26(金) 00:04:23 ID:JvTHlk9o
742 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 20:47:50.93 ID:wV1lhk4I
【スタンドの次の話、4】
(参照:スタンドの次の話、1〜3…>>220,>>260
「人間賛歌」という漫画のテーマに対して、及び漫画を面白く描くための手段として、スタンドという設定は非常に優れているため、
これまで部が進むごとに様々な新境地に挑戦してきた「ジョジョの奇妙な冒険」でも、今なおスタンドという設定が使われ続けている。
とはいえ、「スティール・ボール・ラン」「ジョジョリオン」「岸辺露伴は動かない」などの最近の作品では、補助的ではあるが、スタンド以外の要素も加えられつつあるようだ。
これらはいずれも、基本的に個人の精神の表現であるスタンドでは表せない物事のための設定と考えられる。以下にそれを分類する。

1:技術の継承…鉄球の回転の技術。また、後付けの説明ではあるが波紋の技術もここに含まれる。「スタンドの次の話3」を参照。
2:超常的な生態の生物…六壁坂の妖怪、ルーブル美術館の最も黒い絵の正体など。
  以前の部においての、吸血鬼や柱の男、幽霊、ロッズなどもここに含めることが出来る。
3:人為を超えた超常現象…悪魔の手のひら、壁の目、富豪村の山の神々など。聖なる遺体もここに含められるかもしれない。

744 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 20:50:45.83 ID:wV1lhk4I
スタンドの中には、極限に達して「次元の壁」を破るかのような飛躍を見せるものが散見される。
現実的に考えれば有り得ないことのようにも思えるが、あくまで精神の表れであるスタンド特有のことなのか、あるいはこれらのことが実際に起きえるような構造の世界なのかもしれない。
自分自身を飲み込んでいって最後には全く消えてしまう「クリーム」、光速を超えると時が止まる「スタープラチナ・ザ・ワールド」、爆破したものは塵も残さず完全に消滅する「キラークィーン」、
本体に向かい続けるものを捕まえてどんどん縮小し最後にはゼロにしてしまう「緑色の赤ん坊のスタンド」、時を無限大に加速して宇宙を一巡させる「メイド・イン・ヘブン」など。

283フェイク『男』:2012/10/26(金) 00:04:43 ID:JvTHlk9o
755 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:21:11.67 ID:wV1lhk4I
ジョセフと戦っている辺りの「世界」は、スタンドパワーの強大さの演出のためか、遠近感を無視して非常に巨大に描かれている。

762 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:32:23.39 ID:wV1lhk4I
「リトルフィート」と「グーグードール」は、小さくするという能力こそほとんど同じだが、本体の行動理念において明確な違いがある。
(参照:二番煎じのスタンド?…>>102の下段)
そして、その精神性や能力の利用法の差異を、スタンド自体の格闘性能や射程距離、自身に能力が効くか否かなどといった、基本的なパラメータのみでほぼ成立させているのだ。

763 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:44:50.49 ID:wV1lhk4I
ジョジョは(元)少年漫画であり、やはり少年漫画的なお約束が多分に含まれているのだが、その中でもそれを常に疑う姿勢というか、
お約束に寄りかかったままではなく、そうした当たり前の描写に更なる前進を示すような設定も見られる。
例えば、少年漫画の主人公はいざというときに怒りと気合と精神力で不可能を可能にしてしまうものであり、これは作中でも「ジョースター家の爆発力」という言葉で言及されているが、
仗助の髪型をけなされると「ブチ切れる」性格は、この「爆発力」の負の描写であるとも言える。制御できないパワーには相応の不安定さが伴うべきだということだ。

284フェイク『男』:2013/07/06(土) 20:09:56 ID:xr9vdm7Q
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2013/07/06(土) 19:57:35.94 ID:v4+v9n2a
漫画などの創作物におけるキャラクターのタイプの一つに「気まぐれな超人」とでも言うべきものがあるように思う。
そのキャラクターは超人のごとき力があるから、基本的に何でも出来る。そして気分屋だから、どんな素晴らしい偉業でも、馬鹿馬鹿しい大失敗でもやってしまう可能性がある。
つまり、このキャラクターのせいだということにしておけば、話の中の御都合が全て説明できてしまうという、非常に「ズルい」何でもありのキャラクターだ。
しかしこれは非常に強烈な個性でもあり、表現次第ではとても魅力的なキャラクターとなるだろう。世界各地の神話にも、強くて気まぐれな英雄は多く存在する。
また、既存の概念で言うと、「デウス・エクス・マキナ」、「マッド・サイエンティスト」、「トリックスター」といったものの要素を含んでいると言える。
そして「ジョジョの奇妙な冒険」においては、まさにDIOがこれに当たる。
DIOは何故あんなに強いのか? あんなに強いのに、自分の力を試しながら戦って、油断して何度も敗北したのは何故か? 何人も子供を作ったのは何故か?
「天国に行く方法」なんて何故考え出すことが出来たのか? あんなに邪悪な性格なのに、プッチとの間に本当は真の友情があったのかもしれないと思える表現だったのは何故か?
全ての疑問が「気まぐれな超人だから」で一先ず解決する。(もちろん、より深く考えを進めることも出来るのだが、そこまでせずとも「気まぐれな超人」で話が収まるというわけだ)

285名無しさん:2013/09/12(木) 02:10:35 ID:???
最近IDスタンド変換スレを発見し、フェイク『男』さんの鑑定を見てファンになりました
そして大変ぶしつけな質問なのですが、フェイク『男』さんが今まで鑑定したスタンドを見てみたいのですが、
フェイク『男』さんの鑑定したスタンドをまとめている場所等はあるのでしょうか

286フェイク『男』:2014/01/15(水) 05:37:58 ID:lgf.h9jI
697 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:23:08.35 ID:hOWxSbk5
以前どこかのインタビューか何かで作者が語っていたところによれば、ジョジョ八部では日常生活のちょっとしたものをスタンド化したいと思っているとのことだそうだが、
例えば、作者が冬に窓を開けたらやたら寒いわバイクの音がうるさいわと散々で、もう朝から不運だなあという経験が「ボーン・ディス・ウェイ」というスタンドになったのではないかと想像してみる。

698 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:24:20.16 ID:hOWxSbk5
ちょっとした下らない疑問なのだが、ジョジョ四部の登場人物、「広瀬康一」の身長は157cmとされている。そして漫画内では、彼の身長はデフォルメによってやたらと小さく描かれている。
それはいいのだが、では「エコーズAct3」の身長は、本当はどの程度なのだろうか? 実はスタンドの方も本体と同じくらいあるのか、それともやっぱりスタンドだけは描かれているままの身長なのか。
四部序盤の康一はまだ設定通りの身長で描かれているが、「エコーズAct3」はあの身長の姿しか描写が無いことや、
「岸辺露伴」と「ヘブンズドアー」のように、本体とスタンドで身長が異なる例も多々あることが、この問題をややこしくしているのだ……!

287フェイク『男』:2014/01/15(水) 05:38:30 ID:lgf.h9jI
699 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:26:37.44 ID:hOWxSbk5
ジョジョという漫画におけるスタンドという設定は、基本的に奇妙な戦いや冒険を描くための手段に過ぎず、スタンドそのものの設定を捏ね繰り回すことに重点は置いていないようだ。
例えば、スピードワゴン財団が非スタンド使いの視点からスタンド能力を研究するとか、スタンド使いと非スタンド使いとの意識差とか、スタンド能力の社会的な利用とか、
そういういかにも普通の超能力モノの作品ならば定番の展開にあまり踏み込まないことからも、そのような姿勢が窺える。
スタンドという存在そのものが奇妙だから戦いや冒険が起こるのではなく、人間や自然界の奇妙さがスタンドを通じて戦いや冒険となるのだ。
そんなジョジョという漫画で、スタンド能力そのものを研究・分析するような口振りを見せた「八木沼夜露」は結構な新機軸のキャラクターだと言える。
まだ詳細は判らないものの、このキャラクターの鍵は「観察」という行為かもしれない。例えば、目からラップフィルムを出して攻撃対象を拘束するのは「観察者効果」の表現だ。

700 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:28:55.93 ID:hOWxSbk5
ジョジョ全体を見渡しても直球で強力なスタンドである「クリーム」だが、このスタンドには一つ疑問点がある。
それは、もしも本体が人間である場合、暗黒空間に隠れている間は息が出来ないのではないかということだ。
もちろん、あくまでスタンド能力なのだからあれやこれやの理由を付けて呼吸できると考えてもいいのだが、
むしろ、このスタンドは本来、本体が息を止めている間だけ暗黒空間の中に入りつつ攻撃できる、という能力だったのではないかとも想像できる。
そのような制限を込みで考えれば、このスタンドの驚異的な強さも少しは軽減されるし、その制限を見越した上でDIOはヴァニラ・アイスを吸血鬼にしたのかもしれない。

288フェイク『男』:2014/01/15(水) 05:38:46 ID:lgf.h9jI
707 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/15(水) 00:15:21.92 ID:ypDqfCXE
東方つるぎとそのスタンド「ペーパー・ムーン」が有する各種の特徴は、本体の「男子でありながら女子として育てられた」という「曖昧な境遇」に関連付けることが出来る。
例えば、スタンド能力の対象が「他人の顔を見分けられなく」なり、その中でも「本体であるつるぎだけは見分けが付く」のは、つるぎが自分自身に感じる不確かさの裏返しだ。
また、スタンドの形態である「折り紙」は、同じ色の紙で同じように折れば、ほとんど見分けが付かない同じような形になるものだし、
本体の癖である「駄洒落」は、聞き分けにくい同じような二つの言葉を重ねる遊びであり、これらも本体の自己投影と言える。

289フェイク『男』:2014/01/15(水) 05:43:10 ID:lgf.h9jI
>>285
2chの過去ログを保管しているサイトなどを当たるといい。
……酷い亀レスだ。

290名無しさん:2014/01/17(金) 21:24:55 ID:???
>>289
返レスありがとうございます、早速探してみます!
改めて、ありがとうございました!

291フェイク『男』:2014/07/08(火) 00:03:09 ID:5RimiDa.
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 21:23:14.39 ID:3oaVCoTN
「首吊り」の死因は、首の動脈や気管を潰されることでの意識喪失からの窒息、及び「絞首刑」ならば刑死者が絞首台より落下することでの頚椎損傷や頚椎骨折が加わるそうだが、
ジョジョ四部に登場する死刑囚アンジェロのスタンド「アクアネックレス」(和名:水の首飾り)は、そもそも「本体が絞首刑から身を守るため」に発現したものではないかと推測できる。


673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:27:43.22 ID:3oaVCoTN
「波紋」や「鉄球」は、スタンドという才能に近づこうとする「技術」と言えるのだろう。
(スティールボールラン、コミックス10巻)

次元を突き抜けていくジャイロの鉄球のエネルギーを視覚化したもの。
鉄球の技術も、最終的にはスタンド能力化したってことですね。
そのことを説明するために登場させたんです。
(JOJOVELLER STANDS、「ボールブレイカー」の作者コメント)

この「ボールブレイカー」に関する作者のコメントは、あくまでこのスタンドに対してだけのものと考えるのが本来の見方なのだろうが、私としては、
「波紋や鉄球の技術を扱う者は後の部では出てこなくなるけど、全く途絶えたり表舞台から消え去ったわけではなく、スタンド使いに形を変えて現代にも繋がっているよ」という解釈を推したい。
つまり、三部以降に登場する生まれつきのスタンド使いとされる者たちの中には、もしかしたら祖先にスタンド使い化した波紋使いや鉄球使いがいたとか、
あるいは波紋や鉄球の才能そのものがスタンド能力として遺伝したとか、そういう者がいたのではないかというわけだ。

292フェイク『男』:2014/07/08(火) 00:04:22 ID:5RimiDa.
674 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:32:18.80 ID:3oaVCoTN
ジョジョの世界における一般人は、基本的に吸血鬼やスタンド使いなど超常の存在について何も知らず、理解も出来ない。
そして主人公たちも、有名どころでは「全員ブチのめす」「仗助の携帯電話盗み」「承太郎が妻子に何も説明せず離婚」など、一般人からの理解は得られないことを前提に、割り切って行動する。
特殊な能力の無い一般人の中には、例えばスピードワゴン、ポコ、エリナ、スモーキー、スージーQ、家出.少女、川尻早人、スティール氏など、
そうした超常現象を理解する者もいることはいるのだが、彼らはたとえば自分から危険に飛び込むとか、自身や家族が危険に晒されるなどして、
その体験の中で超常現象に関する物事を知っていったわけであり、全ての一般人に対してジョジョ側からそうした理解を求めることは出来ないのだ。
それどころか、上記のポコ、スモーキー、家出.少女のように、当初はジョジョ側を悪人や疫病神ではないかと思っていたというパターンすら見受けられる。

675 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:36:04.99 ID:3oaVCoTN
「ジョジョの奇妙な冒険」本編に登場したスタンドは、数え方にもよるが現在150体余り。その中で「特殊な探知能力」を有しているものは、これも数え方次第だが、およそ40〜50体。
実にスタンド使い全体の30%程が、音、匂い、遠隔視、予知、記憶、熱、振動、DNA、二酸化炭素、凄みなど、探知能力による様々な独自の視点を活かして戦いに挑んでいると言える。
ちなみにこの中で最も多いのが「猟犬並みの嗅覚」で、ハイウェイスター、黄金体験、スケアリーモンスターズ、チューブラーベルズ、キングナッシング、本体も含めればイギーなどの動物も該当する。
(更に推測を含めるならば、例えばペーパームーンキングで何か嗅覚の鋭い生物を作る、などの応用技もありそうなものだが、これが出来るとするとキングナッシングの立つ瀬が無いので微妙なところだ)

293フェイク『男』:2014/07/08(火) 00:05:01 ID:5RimiDa.
678 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:57:03.55 ID:3oaVCoTN

以下は全く蛇足となるが、私が今まで見たことのある、ジョジョに関する「ソースの無い情報」……つまりデマの類を羅列しておく。
・ジョセフはスージーQと共に老いるためあえて波紋の呼吸を辞めた
・「世界21」はタロットを暗示とする全てのスタンドを使えるという初期設定だった
・「世界」はジョースター家のスタンド全てを使えるという初期設定だった
・ケニーGは連載当時ダニーKという名前だった
・「世界」は本物の世界に「DIOの世界」を挟み込むことで時を止めている
・仗助の恩人の正体は仗助自身という初期設定だった
・仗助の恩人の正体について、荒木は「ああ、そんなのあったね(笑)」と答えた
・仗助は四部終了後バイク事故死した
・デッドマンズQに出てくる「吉良吉影」は実は吉良に殺された川尻浩作
・スタープラチナならGERを倒せる
・アナスイは元々女性の予定だったが、少年誌でレズは描けないので設定変更した
・メイドインヘブンは実はGERによって無効化された
・六部ラストでエンポリオ以外の全人類が消滅して別人になった
・ヴァレンタイン大統領が痩せたのは遺体の力の影響、あるいは隣の世界から痩せている自分を連れてきた

294フェイク『男』:2014/07/08(火) 00:07:19 ID:5RimiDa.
余談だが、この掲示板では何故か「家出.少女」がNGワードになっているようだ。

295フェイク『男』:2015/01/18(日) 20:18:06 ID:Hc.UYabU
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 18:25:37.62 ID:hD2wh23O
スタンド攻撃で発生する現象は、大きく分けて「スタンドを解除すれば元に戻る」ものと「対象を決定的に変化させる」ものがあるが、
攻撃対象の体内の成分を失わせる攻撃に関しては、例外的に「スタンドが解除された後、失った成分を対象が経口摂取などすることで急速に治る」という描写がなされている。
「ハイウェイスター」の養分奪取、「メタリカ」の鉄分奪取、「ソフト&ウェット」の水分奪取がこれに当たる。

673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 18:51:14.42 ID:hD2wh23O
スタンドの中には、本体の意思が曖昧なのに発現しているタイプのものがあるかもしれない。
本来、スタンドの発現には「やるというハッキリとした意思」が必要なはずだが、本体が精神的に追い詰められていたりして、
何が何だか分からないがとにかくどうにか動かねばならない、という意思だけが存在しているという事例だ。
このようなスタンドは能力の内容も非常に曖昧で、強力だが強引な効果が目立ち、一見してそのスタンドにどこまでのことが出来るのかハッキリしない。
もしかしたら、本体自身にも判っていないかもしれない。スタンド能力は強力だが、本体自身が曖昧であるということを引き換えにしているという「等価交換」だ。
訳の分からない理由で恋人を失った本体の「ヘビーウェザー」、その本体が記憶喪失により自分自身が何者かすら判らなくなった後の「ウェザーリポート」、
同じく本体が記憶喪失で、それどころか元々存在しなかったはずの人間だった「ソフト&ウェット」、劣悪な家庭環境ゆえに悩みを抱える本体の「ペイズリー・パーク」などがこれに当たる。

696 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 20:07:34.92 ID:hD2wh23O
時間を操るスタンドの中でも、「キングクリムゾン」と「マンダム」には、まるで本体の周囲にいる者だけが時間の異常に気付くことが出来るかのような描写が窺える。
これは例えば、本体であるディアボロやリンゴォが時間の操作により「運命」を逸脱した行動を取った結果、その周囲の者に「運命のズレ」が伝わり、時間の異常に気付けたのだと考えられる。

296名無しさん:2015/07/15(水) 23:25:57 ID:wkXo260I
653 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:03:54.36 ID:hVAOCT0T
スタンドにダメージがあると本体にも同様の影響が現れることは広く知られているが、では本体へのダメージがスタンドに現れるかというと、これは必ずしもそうとは言えない。
作中で明言されてはいないが、どうやら本体が余りに深刻な、医者にかかる程度では完全に治らず、後遺症や障害が残ってしまうほどの重傷を負った場合、やっとスタンドにも同様の影響が現れるようだ。

654 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:04:24.17 ID:hVAOCT0T
川尻早人、エンポリオ、東方つるぎなど、ジョジョには年齢の割にやたらと頭が良くていざという時の行動力も兼ね備える天才児が時々登場するが、
彼らはいずれも自分の出生に疑問を抱き、それに思い悩んでいたという共通点がある。そしてこの疑問が、彼らが戦いに参加することの動機としても機能している。

656 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:05:57.55 ID:hVAOCT0T
やたらと口から血を吐き、打撲と流血を繰り返し、しかし眼球損傷だとか四肢切断の重傷はほぼ回復役がいる状況でしか行われず、死ななければ怪我の大多数は戦闘終了後に軽傷だったことになる。
このようなジョジョの戦闘における負傷描写は恐らく、リアリティよりも戦闘の「徹底」を優先させたものだと考えられる。つまり、決定的なダメージ以外の全てをかすり傷と見なしているのだ。
他にも、ジョジョの戦闘はほとんどの場合、敵味方共に万全の状態で開始し、誰かが前回の負傷を引きずっているとか、条件発動のスタンドが条件を全く満たせないような状況はそうそう無い。
また、あまりに有利な暗殺攻撃の結果、なすすべもなく片方が全滅するということも無い。このようにして、果たして戦う二者のどちらが強いのか、完全な決着が付くまで戦闘が継続されるのだ。
(参照:スタンドは手段…>>287の上段)

297フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:26:47 ID:wkXo260I
657 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:06:45.83 ID:hVAOCT0T
私はこの前置きで様々な考察というか妄想の類を捏ね回しているのだが、エンターテイメントを目的とする漫画作品の場合、読者の納得は理屈よりも感情に拠るところが大きい。
特に週刊少年漫画というものは、「荒木飛呂彦の漫画術」などにも記されている通り、少しでも面白くなかったら読み飛ばされてしまう恐れのある媒体であり、読者を考えさせている暇は無い。
例えば二部の「カーズを宇宙に追放する場面」では、ジョセフがカーズに対し精神的優位に立っていることを描写しつつも、やはりカーズの敗北は偶然の働きが大きかったはずだが、
まるで究極生物カーズが地球の意思に逆らい、地球そのものがカーズを宇宙へと追放したかのように表現することで(実際には地球の意思なんて設定は全く無いが)読者を納得させる力を生み出していた。
また、六部で「ジョニィが立ち上がれるようになる場面」では、そもそも車椅子の人間が歩けるようになるなんてどんな理屈を捏ねても御都合設定にしかならないものだが、
ジョニィは(立てるようになったことと直接は無関係でも)この直前にジャイロを喪っており、歩けるようになってもそれほど劇的に喜んでいないという点が重要なところだ。

661 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:22:17.32 ID:hVAOCT0T
ジョルノはDIOの息子なので、彼もまたプッチ神父を天国へと押し上げる宿命である。
しかし同時にジョースターの一族でもあり、康一に言わせればジョセフ、承太郎、仗助と同じ正義の心の持ち主なので、プッチ神父に出会えば「天国へ行く方法」を止めようとするだろう。
従って、ジョルノが最後までプッチ神父に出会わなかったこと自体も、DIOの息子であることとジョースターの一族であることのせめぎあいの結果だったのかもしれない。
(参照:ジョルノとプッチ…>>120の三段目)

662 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:25:29.83 ID:hVAOCT0T
これは原作とは関係の無い話なのだが、個人的に「近距離パワー型スタンド」の力量は、拳銃を持った一般人が真正面から襲い掛かってくるのを撃退できる程度が最低限の目安としている。

298フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:27:08 ID:wkXo260I
666 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:42:56.37 ID:hVAOCT0T
【幸福と不幸、1】
かつてプッチ神父は「未来に起こる不幸を覚悟すれば幸せ」という思考法を提唱した。もしもプッチ神父の思い通りの「天国」が完成した場合、彼の言う通りになっていたかどうかは誰にも判らない。
ただ、彼の言う通りの幸せが世界に訪れたとしても、それと逆のこと、つまり「未来に起こる幸せをあらかじめ知ってしまうことは不幸」という視点も発生する。
作中の描写からは断言できないが、もしかしたらプッチ神父はこの世には幸福よりも不幸の方が多いと考えていたのかもしれない。それも無下には出来ない考え方だ。
何かとDIOの狂信者というようなイメージの強いプッチ神父だが、神父という職業を長年こなしてきたからには、それなりに多くの人々の幸不幸を見てきた経験もあるだろう。

669 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:56:28.53 ID:hVAOCT0T
【幸福と不幸、2】
ヴァレンタイン大統領の「ラブトレイン」は幸福と不幸を50対50と見なすことが前提の能力だったが、もしも人々が「黄金の精神」の伝わりによってそれぞれの正義に目覚めていき、
そして「正義や幸せという真実に向かう意思」を保ち続けるならば、「正義を成すことこそが運命」であるからして、最終的には人類全体が不幸よりも幸福を得られるのではないかと思われる。
とはいえもちろん、常にこの世の正義や幸福が邪悪や不幸に打ち勝つわけではなく、むしろ両者はややもすれば互角にも見えるほどであり、数字で表すなら51対49で正義が勝つといったところだろう。
それを体現するキャラクターが、七部のジョニィ・ジョースターだ。彼はしばしば欲望のために言い訳を交えつつ間違いを犯すが、最後には自分が正しいと納得できる道を選ぶことが出来る人物である。

299フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:27:21 ID:wkXo260I
668 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:48:43.41 ID:hVAOCT0T
スタンド能力はスタンド使い本人の精神の発露だと言われている。すると自然に、基本的には平和な日常生活を営む四部や八部のスタンド使いたちは日常に使える能力に目覚めることとなる。
だが、四部や八部にも本当に戦闘や攻撃にしか使いようのないスタンド能力というものも存在する。それはきっと、本体の人生がそれだけ戦闘力を欲していて、追い詰められているということだろう。
その代表例は自分の趣味による犠牲者を始末しまくっていると思しき吉良吉影の「キラークイーン」だが、ここで注目するのは、それより少しは穏やかな使い道の「東方常敏のスタンド」だ。
まだ詳細は不明だが、対象に熱攻撃を加えるというどうにも破壊的で攻撃的な能力を、曲がりなりにも己の趣味に有効活用している姿からは、人生を前向きに楽しもうという本体の精神性が伝わってくる。

671 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:04:09.78 ID:hVAOCT0T
詩人・相田みつをの名言をこよなく愛する「東方常敏」だが、その一方で相田みつをを知らない弟・常秀に冷たい態度を取ったりするなど、どうもその愛にエゴが混じっている気配が感じられる。
もっと直球に言うと、常敏は相田みつをの名言が好きなのか、それとも名言を知っている者同士で盛り上がることが好きなのか、無意識的にどっちの方が割合として上なのかという話だ。
そして更に言えば、これはジョジョという漫画の中の話なので相田みつをを引用してはいるが、実のところジョジョのファンはジョジョが好きなのか、それともジョジョネタで盛り上がるのが好きなのか、
作者・荒木飛呂彦はそんなメッセージを込めている、とまでは言わないが、どうもジョジョが以前のマイナーな扱いから飛び出してメジャーな作品になっている昨今、私などはそんな感想を抱いてしまう。
ちなみに、ジョジョがメディアに取り上げられ始めた時期の本編展開が、金を稼ぎ過ぎて苦労する「シュガーマウンテンの泉の試練」の辺りだったことも、何だか邪推の気持ちを湧き起こらせるものだ。

300フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:07:57 ID:UQUcpYcc
684 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 22:37:19.77 ID:jfkRD7Wk
説明するのがムズかしいんだけれど、マンガを描いていると『重力』の存在というモノをすごく感じる(唐突ですけど)。
つまり作者はアイデアだとか、主人公の行動をコントロールしてストーリーを進行させていると世間一般で思われているようだけど、
そうじゃあない事が描いてる時にあって、主人公が作者の意に反して行動せざるを得ない時とか、絵にも描かざるを得ない絵というのが出てくる。
これをぼくは『重力』と感じ、『重力』とは『運命』だと感じるのだ。ストーン・オーシャン最終巻、これをちょっと思って読んでほしい。(六部最終巻・作者コメントより)

とある対談によれば、作者・荒木飛呂彦は「スタープラチナより強いスタンドは存在しない」と考えているそうだが、しかし作中の描写ではそこまで言い切るほどの絶対性はあまり感じられない。
対「ラット」「シアーハートアタック」「マンハッタントランスファー」辺りの苦戦は、いずれも敵にとって一方的に有利な状況だったので考慮しないとしても、
例えば「メイド・イン・ヘブン」は明らかに「スタープラチナ」を実力で圧倒している。仮に一対一の戦いなら、承太郎は原作の展開よりも早く敗北していたことだろう。
だが、上記の作者コメントと組み合わせれば矛盾は無い。荒木飛呂彦は「スタープラチナ」を最強だと考えていて、それでも作中では「重力」ゆえにその通りにならなかったというわけだ。
なお、作者的に「重力」とか「運命」という言葉にさほど否定的な意味合いは無いと思われる。むしろ六部以降は、作者自身がそれらの言葉を肯定的な意味で使う場面も散見される。

301フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:08:21 ID:UQUcpYcc
686 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 22:45:43.93 ID:jfkRD7Wk
ちょこっと考えてると、マンガの中に強い敵が出て来る。その次にそれよりも強い敵が出てくる。その次はそれよりも強い。
…となると最後はいったいどうなっちゃうわけですか? 宇宙のハテを考えているみたいになる。(コミックス46巻・作者コメントより一部抜粋)

ジョジョにおける戦闘の原則として「強い力はより強い力に敵わない」というものがある。単純な力を誇るだけの者はそれより強い者に敗北するのみであり、単純な力比べを超越しなければ勝利は無い。
例えば「力」や「アヌビス神」など、いかに強い力を誇ろうと冷静さや判断力の伴わない者はそれが切っ掛けとなって敗北してしまうし、
破壊力・スピード・精密性の全てにおいて最高位の「星の白金」は、早速それ以上のスピードを持つ「灰の塔」と出くわすことになってしまった。
「銀の戦車」や「ホワイトアルバム」の有する硬さだけの装甲は力押しで破壊されるし、より能力的な「黄の節制」や「20thセンチュリーボーイ」なども、本体自身が虚を突かれ対処されてしまった。

689 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:02:56.11 ID:jfkRD7Wk
「てめーの敗因は… たったひとつだぜ… …DIO… たったひとつの単純な答えだ……… 『てめーはおれを怒らせた』」(空条承太郎)

承太郎は何故そこまで怒ったのだろうか? もちろん、仲間や関係の無い人たちが大勢犠牲になった挙句、祖父の身体を弄ばれたからだ。
それはつまり、承太郎はDIOを倒すという結果だけでなく、過程や方法も大切だと考える人間だったということでもある。
もしも承太郎が「過程や方法などどうでもよい」性格だったなら、きっと「星の白金」が「世界」を一方的に上回るほどの怒りのパワーは無かっただろう。
「世界」と「星の白金」との最後のぶつかり合いは、そのまま「結果だけを重視する精神」と「過程をも重視する精神」が、単純な格闘のパワーで激突した光景だったのかもしれない。

302フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:08:35 ID:UQUcpYcc
690 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:05:17.38 ID:jfkRD7Wk
自分の妻に、そして息子に降りかかる病魔との決着をつけるべく、敢えて自分自身が犠牲となることで家族を守ったジョニィ・ジョースターだが、具体的に彼は最期の瞬間に何をどうしたのだろうか。
作中の描写だけでは正確なところは判らないが、理屈としては例えば、「タスクAct4」は本体の定めた相手を追跡する攻撃能力であり、そのためなら次元の壁や時間をも超えることが出来る一方で、
自分が通過しただけの対象は一時的に穴が開いても最終的には傷一つ残らないという特徴もあるので、あの時ジョニィは息子ジョージを撃ち抜きながらもその弾丸の最終目標を自分に設定することで、
弾丸の銃創が遺体の「等価交換」効果で他の誰かに移りそうになるのを強制的に自分自身へと引っ張り込み、それに乗じて「病気」をも自分にまで移してきた、というような考え方も出来る。
つまり「タスクAct4」と「遺体」を組み合わせれば、ジョニィは自分や周りの不都合を自分の選んだ特定の相手へと押し付けることが出来るということになる。「D4Cラブトレイン」と同じような能力だ。

303フェイク『男』:2015/07/18(土) 23:28:00 ID:.A0SWok6
700 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:25:31.34 ID:/VosH7VS
超能力での戦闘を扱う創作物において、一撃で相手を無力化してしまう能力(そこまで破壊的な能力でなくとも、例えば相手を眠らせたりする能力など)をどう取り扱うかは難しいところだ。
ゲーム作品などでは、例えば眠りの攻撃を受けると一定確率で眠ってしまうとか、キャラクターごとに眠る確率が異なるとか、眠り状態を防ぐ装備品があるとかだが、どれも漫画ではやり辛い設定だ。
(参照:創作物における偶然の取り扱いについて…>>139
例えばかの名作ドラゴンボールでは、超能力が戦闘の主題ではないこともあり、格上の相手には超能力が全く効かない、もしくは効いても無駄という展開で一貫していた。
そしてジョジョでは、超能力を視覚化したスタンドという設定がそのままこの問題の解決となっている。敵に超能力を発動させるということは、スタンドで(主に殴って)攻撃するということであり、
敵の超能力を防ぐ行動は、例えば他の作品では「眠りの波動を気合で掻き消す」みたいな動きの無い描写になりがちなところを、敵の攻撃を自身のスタンドで防御するという活動的な格闘描写で表現される。
あるいは、殴り以外での発動条件があれば、それを通じて更に工夫した知恵比べの展開が描けるのだ。

304フェイク『男』:2015/07/18(土) 23:28:20 ID:.A0SWok6
702 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:27:34.54 ID:/VosH7VS
ジョジョのスタンド戦闘では、途中まで工夫と小細工を尽くした知恵比べの戦いを繰り返しつつ、主人公側のキャラクターが優勢になって敵を追い詰めたところで、
最後にガンマンの早撃ち勝負のごとき一騎打ちでもって決着をつける、という展開が散見される。これは、主人公側が理屈のみならず力においても敵を上回っていることの明示が狙いであると思われる。
前述の通り、ジョジョの戦いは「徹底」を追求しているため、敵スタンド使いはおよそ自分の能力で出来るあらゆる手段を講じて攻撃してくる。その多様性がジョジョの大きな魅力であることは間違いない。
とはいえその狙いのために、時には状況の都合によってキャラクターが不自然な判断ミスをしたり、あるいはそのスタンド能力の応用で何でそんなこと出来るの?みたいな疑問が涌くことも少なくない。
そこで、小難しい知恵比べだけでなく単純明快な力による勝利が描かれることにより、読者を理屈のみならず感情から納得させているのであろう。
承太郎vsンドゥール・DIO、仗助vs噴上裕也・吉良吉影、ナランチャvsホルマジオ・スクアーロ、ジョルノvsチョコラータ、ジョニィvsサウンドマン・ヴァレンタイン大統領、定助vs八木山夜露など。

305フェイク『男』:2015/07/18(土) 23:28:39 ID:.A0SWok6
705 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:31:49.56 ID:/VosH7VS
主にジョジョ五部から六部にかけて多発していた、無差別に広範囲を攻撃するスタンド能力は、その影響によって多数の人々に生じる混乱や被害が作中で執拗に描写されるという特徴がある。
それはもちろん、漫画的面白さや脅威の演出のためでもあるし、また、そのスタンド能力の規模の大きさを示すためでもあるだろう。これらの能力は、人間全体の社会や意識にまでも被害を与えうる。
「グレイトフルデッド」「グリーンデイ」「チャリオッツレクイエム」「ボヘミアンラプソディ」「ヘビーウェザー」「C-MOON」「メイドインヘブン」「D4Cラブトレイン」などがこれに当て嵌まる。
逆に「星の白金」「世界」「バイツァダスト」辺りは、いくら時を止めたり戻したりしようと、本体と無関係な人々や世界全体はほとんど変わらない。
余談だが、「キングクリムゾン」と「マンダム」は一応、世界中の時を操っているのであろう設定の割りには、その被害描写はやけに狭い。
これらのスタンドによって引き起こされる周囲の人々の違和感は、もしかしたらそれほど広い範囲には影響しないのではないかと考察される理由である。

306フェイク『男』:2015/07/18(土) 23:28:58 ID:.A0SWok6
706 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:33:27.51 ID:/VosH7VS
超能力での戦闘を扱う創作物において、離れた場所にある物体を自由に動かす念動力は鉄板の設定であり、例えばそこら辺にある小物とか岩とかを敵にぶつける戦法などが多用されるものだが、
では何故、その力で敵の内臓を直に握り潰してしまわないのか、という疑問も発生する。もちろん、そんなことが本当に出来たら強すぎて作品の方向性がまるで変わってしまうのだが、
だからといって超能力は生物には効きづらいとか下手に設定を加えると、他の超能力との統一性にも問題が出たりする。この能力だけは例外、のような設定を増やして読者を無駄に考えさせるのも良くない。
さて、ジョジョにおける念動力とは即ちスタンドのことであり、一応スタンドにも物体をすり抜けて内部だけを攻撃する能力はあるが、もちろん敵の内臓を握るより早く敵のスタンドがそれを防御するし、
名言はされないものの、物体を透過して内部だけに干渉するのはそれなりにスタンドパワーの集中力が必要というようなフシもあるので、基本的にそこまで強すぎる戦法は扱われないことになっている。
だが時折、透過と攻撃を併用できるスタンドが登場し、そのような攻撃は作中でも取り分け脅威的なものとして描写される。「アヌビス神」「ビーチボーイ」「ダイバーダウン」などが代表例だ。
また磁力や重力など、現実世界に存在する、物体を貫いて働くエネルギーを扱うスタンド能力は、特にこのような抵抗不能の体内攻撃を行うことが多い。
「メタリカ」「C-MOON」「トゥーム・オブ・ザ・ブーム」「ボールブレイカー」「タスクAct4」などがこれに当たる。

708 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:39:24.60 ID:/VosH7VS
スタンド使いにとって能力の発動条件を知られることは非常に危険なので、スタンド発動時にちょっとしたパフォーマンスや手品をするよう心掛けることで、
目撃者にそのスタンド能力の発動条件を誤認させるテクニックがあり、指を食べたり目からラップを出したりするのはそれを狙った陽動だった説。

307フェイク『男』:2015/12/30(水) 22:03:41 ID:Yhd1RBjU
674 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:34:16.46 ID:EtC3ZBNN
「吐き気を催すような邪悪」だとか「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」だとか、ジョジョの世界観では「邪悪とは何か」を割とハッキリ言い切る形で明言されている。
その一方で「正義とは何か」に深く言及することはあまり無かった。特に六部までは主人公自身が正義を語りはせず、周りの者が歴代ジョジョに正義を感じるという描写に留まっている。
(参照:正義とは客観的なもの…>>215の二段目)
しかし、七部以降はそうした正義観にも手を出し始めているように思われる。やはり少年漫画雑誌から青年誌に移ったこともあるのだろう。
また、この正義に対する考え方の移り変わりは、六部までの世界観と七部以降の世界観に当て嵌めて考えることも出来る。
六部までのジョジョの世界は「一つ」しかなかった。世界が一つしかないということは、世界の中の運命も一つだけであり、「正義をなすことこそが運命」である以上、正義も一つだ。
だが、七部以降は無数の「平行世界」が存在する。少しずつ異なる形の世界が無数にあるのならば、それぞれの世界の中の運命も全て異なり、ゆえに異なる形の正義も無数に存在するのだ。

308フェイク『男』:2015/12/30(水) 22:04:04 ID:Yhd1RBjU
676 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:35:08.19 ID:EtC3ZBNN
八部「ジョジョリオン」に登場したスタンド「ショットキーNo.2」は、本体をも害してしまうため取り扱いに注意が必要な、毒ガスを発生させる能力だ。
この説明だけだと、まるで五部のスタンド「パープルヘイズ」の焼き直しにも見えてしまうかもしれないが、このスタンドにはそこから更に発展した独自性がある。
と言うのも、「ショットキーNo.2」の本体「エイフェックス兄弟・弟」は、このスタンドをサッカーボール型のバッグの中に入れ、それをサッカーの技術で操り、制御しているからだ。
スタンド能力とは本体の精神の反映であり、自分自身で望みの能力を得られるとは限らない。スタンドとは、言わば本体の「宿命」のようなものとも言い表せる。
(参照:スタンド能力は選べない…>>223の上段)
だが、扱いづらいスタンドが発現してしまったからといって、自分自身の精神を否定するのではなく、創意工夫と技術でそれを上手く操れるのならば、それは己の「宿命」の克服とも言える。
(参照:克服すべきスタンド…>>194の二段目)
また、「エイフェックス兄弟・兄」の方も、そこまでの創意工夫は無いものの、自身の右手の一部が常に岩となっていることで、日常生活が困難になるという不便さを伴う能力だった。
作中では割と呆気なく主人公に敗北した「エイフェックス兄弟」だが、彼らもまた己の宿命に「立ち向かうもの」であり、岩人間といえど「人間賛歌」の一部だったと言えるだろう。

677 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:35:36.81 ID:EtC3ZBNN
ジョジョは「人間と人間以外の戦いを通じて人間賛歌を謳う」物語として始まったが、まさに人間を超えた怪物である「吸血鬼」や「柱の男」に比べ、「岩人間」はそこまで超越的ではない。
彼らは人間社会に寄生する、人間に対しては無益で有害なだけの存在ではあるようだが、それでも彼らには彼らなりの生き方があり、言い分があり、悩みや苦しみを抱えているらしい。
これも「正義と悪」の戦いではなく、「それぞれの正義同士の戦い」を描く、七部以降の作風の一環なのだと思われる。

309フェイク『男』:2015/12/30(水) 22:04:25 ID:Yhd1RBjU
679 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:36:23.02 ID:EtC3ZBNN
ジョジョに登場する「スタンド能力を持たない殺し屋など」はほとんど全員が雑魚である。七部では、戦闘を始めて数ヶ月程度のジョニィが、大統領の送り込んだ殺し屋を余裕で撃退していたほどだ。
これは漫画的には、単にただ銃などで攻撃するだけのキャラクターを描いても面白くないからであり、例えば非スタンド使いのウェカピポが大統領相手に善戦していたのは、
彼の鉄球技術がそこらのスタンドを超えるほどの戦闘力・応用力・意外性などの面白さを有していたからなのだが、少し別の視点からこの現象を考えてみることも出来る。
それは、拳銃など普通の携行武器でスタンド使いとも渡り合えるほどの実力者は、その「技術」が既にスタンド能力にまで昇華されているはずだという考え方だ。
(参照:技術のスタンド…>>106の二段目)
そして、波紋使いや鉄球使いなどの技使いは、それらの技術そのものが進化すればスタンドになるものだと設定されており、これらは技術のままでもそれなりに強いものと考えられる。

560 :フェイク『男』:2015/12/30(水) 21:43:50 ID:Yhd1RBjU
ジョジョの作者、荒木飛呂彦氏によれば、四部の舞台「杜王町」はまるで「こち亀」のように、いつまでも永遠に同じ生活が続いていく世界として表現したかったそうだ。
だが、ジョジョが前へと進んでいく物語である以上、その希望を叶えるにも限界がある。六部開始の時点で既に西暦2011年、四部のキャラクターは12歳分の年を取っていることになるからだ。
しかし、七部以降には「平行世界」という概念があり、(作者自身が狙った効果ではないかもしれないが)これでいつまでも同じままの杜王町を描写することが可能となった。
実際「岸部露伴は動かない」シリーズでは、露伴が年代通りに年齢を重ねている一方、相変わらず高校生のままの仗助たちが描かれており、これらは「平行世界」の物事だとも言われている。

310フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:11:04 ID:2KykemkE
740:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:43:06.64 ID:xUsiZ3VM
ジョジョの作者である荒木飛呂彦氏は昔から女性のキャラクターを描くのが苦手だったと言われているが、ジョジョの各部に出てくる女性キャラを順番に見てみると、作者の努力や苦労を垣間見ることが出来るかもしれない。
ジョジョ各部の女性キャラの歴史は大まかに分けて三つの時代がある。まず一つ、一部のエリナ・ペンドルトン、二部のリサリサ、三部の空条ホリィ、彼女たちはいずれも「理想のヒロイン」だ。
エリナは理想の淑女であり、リサリサは理想の女戦士であり、ホリィは理想の母親だった。女性キャラクターとして過不足なく完璧であり、例えば理想の紳士であるジョナサンやジョースター卿よりも更に「理想度」は高かったとすら言える。
一方、三部の名も無き家出娘辺りから、四部の山岸由花子、五部のトリッシュ、六部の空条徐倫は「欠点を伴うヒロイン」である。彼女たちはしばしば言動が汚く、ワガママで身勝手で、もちろん長所もあるにはあるが見えにくい。
家出娘は実験的な存在だったのかすぐに退場してしまったが、しかし四部以降の各ヒロインは欠点があるからこそ成長を描くことも出来る、より生きたキャラクターたちだった。彼女たちには自分の人生を迷うことなく真っ直ぐ進む力強さがあった。
そして七部以降であるが、ここからは現在連載中であるため少々推測も混じる。七部のルーシー・スティールとホット・パンツはかなり「理想的な性格」でありながら、ルーシーは何度も殺人を行い、ホット・パンツは無残に死亡する。
八部の広瀬康穂は多少の欠点を伴うものの健気に生きる女性だが、どこかまだ自分の人生に自身が無く、どこへ向かえばいいか判らない迷える存在でもある。このような「穢れ」や「迷い」の中で生きるヒロインの姿があるように思える。

311フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:11:42 ID:2KykemkE
742:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:45:05.64 ID:xUsiZ3VM
以前、私は「シュガーマウンテンの泉の試練」について、ジョジョがメジャーな作品になってしまって不安な作者自身の心が反映されているのではないか、と考察したことがある。
(参照:マイナー作品好きの心理…>>299の下段)
そして八部の「ミラグロマン」は、これまた金を稼ぎ過ぎて逆に金に縛られるというスタンド現象だったもので、作者に何が起こったのか密かに不安だったのだが、なるほど実写化。

743:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:46:53.58 ID:xUsiZ3VM
四部でいきなり登場した「スタンド使いは引かれ合う」という法則は「引力」という形で六部に受け継がれたが、四部だけを見てみるとどうもその場限りのご都合設定という感も否めない。
だが、この設定はその場限りとは言えない便利さがある。四部では「弓と矢」が登場し、スタンド使いが人為的に増やされる存在だと明らかになったが、ならばスタンド使いが増えすぎてしまう可能性もあるということだ。
「黄金の精神」を共有してスタンド使いの犯罪を戒める者などそう多くは無いだろうし、事実、四部で作られたスタンド使いの多くは一般人を食い物にする小悪党に成り果てていた。
しかし、「スタンド使いは引かれ合う」ということは、彼らのような小悪党同士もいずれ引かれ合うということだ。もちろん「黄金の精神」のような協調性の無い彼らは、必然的に戦いとなるだろう。
少し考えてみると、仮に承太郎が杜王町を訪れるのが遅れ、仗助がアンジェロに殺された場合、杜王町はアンジェロ、虹村刑兆を殺した音石明、そして吉良吉影の三者が跳梁跋扈することになる。
アンジェロは「いい気になっている奴は気にくわない」性格で、吉良は「自分の正体を知ったものは抹殺する」方針で、アンジェロと音石は他人の犯罪を目撃しやすいスタンド能力である。この三者がいずれ殺し合いになるのは想像に難くない。
そしてこれは全くの想像だが、そのような犯罪者スタンド使い同士の戦いを制して頂点に立ったのが、現実に照らし合わせると異常な速度で大組織となったパッショーネのボス、ディアボロだったのかもしれない。

312フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:12:26 ID:2KykemkE
744:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:48:39.68 ID:xUsiZ3VM
スタンドの強さの描写には結構なムラがある。これはスタンドに限った話ではなく一部や二部にも当て嵌まる話なので、以下は全くのこじつけなのだが、本体の認識がスタンドの出力に関わるということもあるのかもしれない。
例えば「魔術師の赤」が一瞬で鉄をも溶かす超高温の炎を操るのに対し、「ストーンフリー」は鉄格子を破壊するのに数分かかると判断している。鉄格子の質やスタンドのパワーに差があるとしても、同じパワー型のスタンド使いでこの差は大き過ぎる。
この場合、徐倫は長く刑務所で囚人として過ごしているため、鉄格子を「越えられないもの」「破壊しづらいもの」として無意識で認識しており、それが知らず知らずのうちにスタンドパワーの制限になってしまっているという考え方だ。
「出来て当然と思うことが大切」というエンヤ婆の言葉もある。もちろん、出来ると思えば何でも出来るわけではないが、出来ないと思っていては出来ることも出来ないというわけだ。

313フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:12:48 ID:2KykemkE
746:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:52:27.12 ID:xUsiZ3VM
スタンド戦闘の三竦みを考える際に「近距離カウンター型」という分類を考慮してみる。これは簡単に言うと、近距離に位置する相手を一方的に無力化できるが、射撃などで遠距離攻撃してくる相手には全く弱いというものだ。
(参照:近距離カウンター型…>>117の上段)
八部では、指紋の結界により射程内の場を絶大なパワーで制圧できる一方、その外から攻撃されると脆い「ビタミンC」などは、なかなかの近距離カウンター型だったと言える。
なお、八部での「ビタミンC」は東方家での戦闘と過去回想の戦闘共にかなりの強敵として描写されていたが、このスタンドが指紋の結界という「罠の仕込み」を必要とする能力であることには注意を要する。
東方家には東方鳩のボーイフレンドとして侵入し、過去回想では(何の説明も無く)いつの間にか吉良と仗世文の乗るボートに乗り込むことで、指紋の結界を展開する充分な余裕があったことも「ビタミンC」の強さの一つである。
罠を張る時間が充分にあるなら、例えば「ソフトマシーン」だってブチャラティチームを全滅寸前まで追い込んだことはあるのだ。
もちろん、自分のスタンド能力を用いて罠を張ることが出来るということ、また罠を張りやすい能力であることも強みの一部であり、「ビタミンC」はその点では強かったことも事実であるが。

314フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:13:11 ID:2KykemkE
748:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:55:14.14 ID:xUsiZ3VM
ジョジョ八部に登場する「吉良吉影」は、四部の同名人物と全く同じ名前でかなり同じようなスタンド能力を持つが、その性格や来歴は大きく異なっている。何故、八部のあの人物が「吉良吉影」なのだろうか?
まだ八部連載中であるため結論は出せないが、現在までの感想としては、八部の吉良吉影という名前が意味するところの一つは、「漆黒の殺意」の継承者を示す象徴ではないかと考えられる。
八部の吉良吉影の祖先、七部のジョニィ・ジョースターが有していた「漆黒の殺意」とは、社会秩序の外にある無法の荒野を開拓するため、時には人間社会の倫理や法律をも超えて、自分の信じる道を行く「男の世界」の精神だった。
(参照:「男の世界」の価値…>>178
これは、他者に「無償の愛」を与え、その他者をもまた他の誰かに「無償の愛」を与えうる存在として、仲間から仲間へと広がっていく精神、ジョジョ一部から連綿とジョースター家に受け継がれてきた「黄金の精神」とは全く異なる概念だ。
(参照:無償の愛…>>241
これら「黄金の精神」と「漆黒の殺意」は、どちらも結果だけではなくそこへ向かうための過程をも重視する、同じ「真実に向かう意志」でありながら、その社会的性格は真逆であるとすら言える。
そしてジョナサンではなくジョニィの子孫であるジョースター家を見てみると、八部の吉良吉影の母親「ホリィ・吉良・ジョースター」の時点で、既に以前の同名人物とはかなり違っていることが判る。
息子のスタンドが凶悪な爆破能力であることを知った上で、それを医療のために活用させ、責任は自分が負うと豪語するその姿は、これもまた「漆黒の殺意」と言えるものだった。
この吉良ホリィに育てられた八部の吉良吉影は、決して社会的に正義の存在とは言いがたいが、しかし自分が信じる道に誠実であることも事実だ。
彼の性根は万人の愛する「黄金の精神」とは言えないが、しかし四部の頃のような「どす黒い邪悪」でもない、まさに「漆黒の殺意」だったと言えるだろう。

315フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:13:35 ID:2KykemkE
751:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:59:58.02 ID:xUsiZ3VM
ジョジョの歴代主人公は皆その名前を省略してジョジョと読むことが出来るようになってはいるが、物語が進むごとにジョジョと言われなくなっていくことでも広く知られている。
三部「空条承太郎」は話の途中からジョジョと呼ばれなくなり、四部「東方仗助」は最初に一回ジョジョと呼ばれただけで、五部「ジョルノ・ジョバァーナ」は遂に作中で一回もジョジョと呼ばれることはなかった。
だがそこから更に進むと、また別の側面が感じられる。六部「空条徐倫」は「あたしをジョジョって呼ぶな」と、(母親や彼氏などにはその呼称を許しているものの)自らがジョジョであることを否定する台詞が出てくるし、
七部「ジョニィ・ジョースター」の過去回想では、まるでジョジョという呼称を失われた過去の栄光のように扱っているようでもあった。ここに至ってジョジョという呼称は、単に使われなくなっただけでなく、明確に失われた称号なのである。
また、七部以降ではジョースター家の関係者でありながらジョジョという略称にならない人物も目立つようになる。七部ではジョニィの兄「ニコラス・ジョースター」、そして八部ではジョニィの子孫「吉良吉影」に加え、
八部の東方家の男性には代々「常」の字が入っているにもかかわらず、当代の東方憲助の本名「常助」以外はジョジョと読める名前が無いという点も挙げられる。
(ちなみに「東方つるぎ」には「常」の字が入っていないが、これは彼が女子として扱われているからであり、実は彼の本名は「東方常剣」とかである……と予想してみる)
これを踏まえると、八部「東方定助」もジョジョと読める名前でありながらジョジョと呼ばれていないが(ついでにいうと、同じくジョジョと略せる「空条仗世文」の愛称はジョジョではなく「セッちゃん」である)
八部のラストでは、これからどうやって生きていくか目途がついた(呪いの解けた)定助のことを、康穂辺りがジョジョと呼んで終幕、
ジョジョという称号と栄光を取り戻すことが「ジョジョへの祝福/ジョジョリオン」である……とか、これまた勝手な想像である。

316フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:19:07 ID:2KykemkE
745:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:50:01.87 ID:xUsiZ3VM
スタンド戦闘において「強い」能力とはどのようなものが挙げられるだろうか? 一つの目安として、スタンド戦闘には「三竦み」の関係があると考えることが出来る。
スタンドを大雑把に「単純格闘型」「格闘&能力型」「能力重視型」に分類した場合、「単純格闘」>「格闘&能力」>「能力重視」>「単純格闘」>……という強弱関係を見い出すことが出来る。
分かりやすく四部のスタンドで例を挙げると、単純格闘「星の白金」は格闘&能力「クレイジーD」に強く、格闘&能力「クレイジーD」は能力重視「アクアネックレス」に強く、能力重視「アクアネックレス」は単純格闘「星の白金」に強いわけだ。
もちろん実際には戦闘開始の状況にもよるし、同じ「格闘&能力型」の中でもより「単純格闘型」に近いものもあれば「能力重視型」に近いものもあるし、この三分類だけが分類法ではないのだが、まあこういう傾向はあると思われる。

317フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:48:47 ID:mZmSwf.g
708:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 21:41:12.47 ID:u2upE8kC
ジョジョという漫画に対する感想として、たまに「ラスボスがどいつもこいつも油断しすぎ」とか「ラスボスは主人公より遥かに強いのに油断が原因で負けてしまう」というものがある。
これは間違ってはいないが、しかしあまり正確な言及でもない。何故なら、ジョジョでは敵だけでなく主人公を始めとした味方キャラたちも、往々にして間違いや失敗を犯すものだからである。
では、ラスボスと主人公は何が勝敗を分けるのか。その一つには「仲間の有無」が挙げられる。ラスボスは邪悪ゆえに、単独では強い能力を身につけているが、仲間が存在しない。
使い捨てに出来る手下は多数存在しても、いざという時に背中を任せられる相手がほとんどいない。そうなるともちろん、油断を戒めてくれる者もいないわけである。
それに対し主人公たちは、ラスボスに比べれば弱い能力しかなかったとしても、「黄金の精神」や「真実に向かう意思」などで一致団結して自分たちの失敗を補い合うことが出来るのだ。
失敗しない生物は存在しない。かつてディオ・ブランドーは「策を弄すれば弄するほど予期せぬ事態で策がくずれる」ことを学び「人間を超える」選択をしたが、
その実、人間を超えた吸血鬼どころか、それより更に遥か上の究極生物ですら、下らない判断ミスや偶然の災難から逃れることは出来なかった。
どこまでいっても能力の強い弱いは一面的・局所的なものであり、その人物の生き方をも含めれば、そこにはまた別の大局的な強さが存在するのである。

318フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:49:15 ID:mZmSwf.g
712:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 21:45:26.33 ID:u2upE8kC
スタンドとは本体の精神力によって時に成長・進化するものだが、例えば戦いでピンチに陥った際、都合良く新たな力に覚醒して敵を瞬殺するような話はあまり面白いとは言えない。
そういう展開を許してしまってはどんな敵でもそれで倒してしまえるし、そんなことが易々と出来るならば敵の方だってそういう覚醒をしないのが不自然になってくる。
そこで、ジョジョでは「突然」新たな力に目覚めて敵を「瞬殺」するような展開はあまり存在しない。少なくともそのどちらかには話の重点を持ってくるようになっているのである。
まずは、「突然」新たな力に目覚めるが、それだけでは敵を倒せない事例。これは「星の白金の時止め習得」「エコーズ(全て)」「タスク(Act2以降全て)」など数多い。
そしてもう一つは、それまでに努力や犠牲を払って得た力で敵を「瞬殺」する事例。代表例は「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」だろう。
また、例えば「タスクAct1」もベンジャミン・ブンブーンを瞬殺しているが、ジョニィはそれまでにコルク栓を用いて「回転の技術」をそれなりに習得していたので、一応の過程はある。

319フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:49:55 ID:mZmSwf.g
732:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:10:08.57 ID:u2upE8kC
ジョジョにおけるスタンドの強さというものはしょせん局所的なものに過ぎず、大局的な強さはまた別に存在する。
たとえ時間を支配する「世界」や「キングクリムゾン」であろうとも、操る時間は精々数秒から十数秒といったところで、
確かに単純な殴り合いには飛びっきり強いものの、本体が豪語する「世界の支配」だとか「帝王」などといった言葉には程遠いものだ。
これらのスタンドはあくまでも本体の邪悪さや強大さの象徴であると考えるべきであろう。
例えば、DIOが部下を支配する力は「世界」よりも当人のカリスマ、財力、吸血鬼としての技術である肉の芽などが主であり、
部下の支配に「世界」を活用しようとするならば、蜘蛛の巣を破らずに誰かの背後に回るとか、誰かを階段から降ろすとか、そういう感じになる。
ディアボロの「キングクリムゾン」も、未来に開いた落とし穴を予見して避けることが出来るのは十数秒程度の話で、
彼が実際に危険を避ける手段は、正体を隠して「謎のボス」を演じるとか、二重人格の片割れであるドッピオを隠れ蓑にするとかだ。
しかしこの世界には、個人が局所的な戦いを経ることで大局的な力を直に得るような手段も無くはない。
「レクイエム」とか「天国へ行く方法」とか、そういうものを邪悪な存在が勝ち取れば、恐ろしい事態になるだろう。

320フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:50:19 ID:mZmSwf.g
745:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:23:40.68 ID:u2upE8kC
特に時間を操るスタンド能力には、大抵は近距離であるスタンド像の射程、大抵は世界丸ごとである時間操作の射程、それ以外に「実際の影響力の射程」とでもいうべきものが考えられる。
最も分かりやすい例は、四部終盤の「二秒ほど時を止められる」承太郎が、吉良を攻撃するためには「5m」まで近づかなくてはならないという場面だ。
この時点での「星の白金」の影響力の射程は5mである。承太郎が時を止めれば全世界で時が止まるものの、地球の裏側では何も変わらない、だから実際の影響は無いという考え方だ。
この場合は5mという距離だけで説明できるが、では「バイツァダスト」はどうだろうか。これの影響射程は「川尻早人が影響を与えられる範囲」であり、実際の距離だけでは判別できない。
バイツァダストが時を戻すだけでは世界は何も変わらない。放送事故や間違い電話をする人間は何度でも同じ時間に同じことを繰り返す。ただ、早人が動けば、例えばずっと寝坊していた仗助が早起きできたりする。
早人が影響を及ぼせる範囲だけが、時の繰り返しにより別の出来事を生じさせうるのだ。(また、その中でも「破壊の運命」は固定されているが、これも早人の影響射程の中でなければ意味が無いので同じことである)
さて、それでは「キングクリムゾン」や「マンダム」はどうだろうか。これらのスタンドは時間を操ることで人間の記憶に混乱を生じさせる。だが全世界の人間に混乱が生じているとは考えにくい。
これらのスタンドで人々の記憶に異変が生じるのにも、恐らく固有の射程距離があるものと思われるが、これもひょっとしたら「影響射程」の概念で説明が付くかもしれない。
ディアボロやリンゴォの時間操作能力は、それぞれいわば「運命を改変する」能力と言える。それらの改変に関わっている者だけが、記憶や認識に混乱を来たしてしまうのだという見方だ。

321フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:50:29 ID:mZmSwf.g
594:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:43:22 ID:mZmSwf.g
スタンドの持続力というものは長くなるほど曖昧になるようだ。例えば時間停止は二秒、五秒、九秒、「マンダム」で時間を戻すのは六秒、と一桁秒ならば厳密に時間が決まっている。
これが十秒を超えると、キングクリムゾンの時飛ばしは十数秒、パープルヘイズのウィルスが人間を殺害するのは三十秒以内、同じくウィルスが光で死滅するのは数十秒と、途端にアヤフヤとなる。
これはメタ視点で説明するなら、一秒二秒を争うスタンド戦で何分、何時間という時間を厳密に区切ることに意味は無く、また漫画という媒体で厳密に区切った時間をいつもいつも演出することは難しいということではないかと思われる。
作中理論で説明するなら、そもそもスタンド能力とは心身の調子で出力が上下するものであり、数秒程度の能力ならまだしも、十数秒となるとその時々で持続時間は一定しない、といったところだろうか。
ただ、持続力の設定もそれなりにの目安にはなる。例えば「マン・イン・ザ・ミラー」の持続力Dは、鏡の中に閉じ篭ったまま何日も籠城戦は出来ない、程度の意味なのだろう。

322フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:36:37 ID:32ZaGZsg
622 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 21:56:14.87 ID:F8keNgw2
タロットの0番目である(あるいは番号を持たないともされる)「愚者」は、自由、純粋、発想力、天才、自分勝手、原始以前の何もかもが未分化な混沌、生まれる前の状態、無限の可能性などを暗示するとされる。
また解釈によっては、タロットの番号の順序には、無限の可能性を示す「愚者」が始まりを象徴する「魔術師」と出会い旅を始めることで、やがて完成を意味する「世界」に目覚めていくという物語があるそうだ。
いずれにせよ、タロット全体を通じて独特の立ち位置にあるカードと言えるだろう。ジョジョ三部の「ザ・フール」も変幻自在の砂のスタンドであり、その本体は強制的に旅へ参加させられたという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、ジャンケンに勝ち続ければどこまでもスタンド能力を得られるというまさに無限の可能性を持ち、その本体は大人を乗り越えたいという純粋だが自分勝手な感情で動く「ボーイⅡマン」が、
六部では、原始的な生物に知性とスタンド能力を与えることで誕生した新生物であり、他の者たちに連れられて刑務所内での生活を送る中で知性の在り方に目覚めていった「フーファイターズ」が、
七部では、スタンド自身はほとんど何もせず、本体を励ましたりちょっとした発想を与えるだけで、50億人に一人の幸運という無限の可能性を秘めた本体の資質を活かす「ヘイ・ヤー」が、「愚者」の暗示と言えるだろう。

323フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:00 ID:32ZaGZsg
624 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 21:59:20.23 ID:F8keNgw2
タロットの1番目である「魔術師」は、起源、機会、感覚、創造、無気力、裏切り、空回りなどを暗示するとされる。また伝統的な解釈では、この魔術師とは奇術師のことであり、限定された舞台の上でのみ万能に振る舞う存在という意味合いもあるそうだ。
ジョジョ三部の「マジシャンズレッド」も、炎を操る能力を活かして様々な攻撃手段や感知能力を作り出すなど万能に振る舞い、その本体は占い師として他者に物事の気付きや切っ掛け、行動の機会を示唆するという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本体の創造物である漫画を元に発現し、他者の記憶を自由自在に閲覧・改竄するという精神面において万能な能力を有し、その本体は一つの世界を独自に作り上げる漫画家である「ヘブンズドアー」が、
六部では、物体を内部から自由自在に分解して組み立て直すという物質面において万能な能力を有し、その本体は恋人の裏切りを切っ掛けとして罪人となり、希望を見出してからもしばらくは空回りの状態が続いた「ダイバーダウン」が、
七部では、六部以前と七部以降の世界観の大きな違いである平行世界の存在を暗示する能力であり、その本体は聖なる遺体を砂漠から見つけ出したことで物語の始まりとなった「D4C」が、「魔術師」の暗示と言えるだろう。

324フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:16 ID:32ZaGZsg
626 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:03:23.50 ID:F8keNgw2
タロットの2番目である「女教皇」は、直感、知性、聡明、秘密、神秘、少女性、悲観、無神経、現実逃避、疑心暗鬼、ヒステリーなどを暗示するとされる。また、下記「教皇」との対比として、下から上へと積み上げる人間世界の知恵を意味する。
ジョジョ三部の「ハイプリエステス」も、金属に化ける能力を活かしてカミソリや水中銃など人間の知恵の産物に化ける高い聡明さを有し、その一方で攻撃は正確でありつつもヒステリー的なほどに荒々しいという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本能的な直感によってスタンドを発現し、自分の身を守るために自分自身を透明にすることで、逆に自分が誰からも守られなくなってしまうという自己矛盾を抱えた「アクトンベイビー」が、
六部では、対象を小さくする能力で他者からその存在を隠すことにより、脱獄のために知恵を尽くして調査を行い、その本体は友人との人付き合いにおいて屈折した感情を抱く「グーグードールズ」が、
七部では、肉を操る能力を活かして攻撃、傷の治療、変装などを巧みにこなし、その本体は聡明ながらも、過去の経験から聖なる遺体にすがるしかないという悲観的な状況にある「クリームスターター」が、「女教皇」の暗示と言えるだろう。

325フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:31 ID:32ZaGZsg
598 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:14:40 ID:32ZaGZsg
タロットの3番目である「女帝」は、繁栄、豊穣、母権、愛情、情熱、豊満、女性的魅力、生殖の力、虚栄心、嫉妬、感情的、浪費、怠惰などを暗示するとされる。成熟した女性的な力の象徴である。
ジョジョ三部の「エンプレス」も、人面疽として相手に憑りつき食物をむさぼることで成長したり、その本体は美しい女性の姿を被って上っ面だけ美人を装ったりと、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、女性的魅力の象徴である髪の毛を更に長く豊かに伸ばして自由に操作し、その本体は美人で愛情深く自分をハッキリ持っているが、非情に感情的で嫉妬深い「ラブデラックス」が、
六部では、物体を増やすという繁栄の効果と増やした物体は一つに戻れば破壊されるという浪費の二面性を持ち、その本体は家族愛ゆえに復讐の道を歩んだ「キッス」が、
七部では、いくらでも金銭を稼ぐことが出来るもののそれらを全て時間内に消費しなければならず、その本体は聖なる遺体を守るために存在していた「シュガーマウンテンの泉」が、「女帝」の暗示と言えるだろう。

326フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:42 ID:32ZaGZsg
599 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:15:24 ID:32ZaGZsg
タロットの4番目である「皇帝」は、支配、安定、男性的、権威、行動力、意思や責任感の強さ、父権、統治、同盟、横暴、傲慢、独断的、意志薄弱、無責任などを暗示するとされる。成熟した男性的な力の象徴である。
また解釈によっては、神による世界の支配を助けるために、神に代わって人々を治める者が「皇帝」であるともいう。
ジョジョ三部の「エンペラー」も、弾丸の軌道を操ることで飛道具を安定して命中させる能力であり、その本体は仲間を重視して安定した戦いをするが、状況によっては簡単に態度を変える無責任な姿勢という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、戦術的な作戦展開により安定して戦場を支配するミニチュア軍隊の能力であり、その本体は実の父に代わって父親的存在として責任を負い、目的のためとはいえ他者を踏みつけにする横暴で独断的な性格だった「バッドカンパニー」が、
六部では、作中で初めて地球を超えて宇宙空間にまで能力の支配を広げ、本体自身を照準とすることで安定した攻撃を可能とし、その本体は刑務所の支配者である看守の一員にして、囚人たちを見下し切っている傲慢な性格だった「プラネットウェイブス」が、
七部では、磁力によって射程範囲内での攻撃、防御、敵の束縛全てにおいて支配的な威力を発揮し、その本体は横暴な父親を頂点とするいびつな家族愛によって統治されている「トゥーム・オブ・ザ・ブーム」たちが、「皇帝」の暗示と言えるだろう。
(参照:ブンブーン一家について…>>163の最上段)

327フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:55 ID:32ZaGZsg
601 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:16:00 ID:32ZaGZsg
タロットの5番目である「教皇」は、心の広さ、援助、慈悲、連帯、協調性、信頼、規律の遵守、束縛、独善、お節介などを暗示するとされる。また、上記「女教皇」との対比として、天から地へと下される神の法を意味する。
ジョジョ三部の「ハイエロファントグリーン」も、触脚による長い射程距離と感知能力、攻撃用の飛道具と一通りのことがそこそこ出来る援護向きの性能で、一方で他者を縛り付けたり操ったりも可能という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、料理を食べた相手を健康にするという援助専門の能力であり、その本体は基本的に心優しく、料理人として信頼できる確かな腕前を持つが、料理のこととなるととても決まりに厳しくなる「パールジャム」が、
六部では、記憶とスタンドをDISCにすることで他者に力や知識を与え、あるいは意思を奪って命令通りに動かし、その本体は弟妹への慈悲を持ちながらも非常に独善的で、最終的には全人類に運命という規律を強制するに至った「ホワイトスネイク」が、
七部では、自身のみならず自然界が有する様々な音の力を借りて戦い、その本体は故郷の部族から独りよがりとして排除されながらも、法律に則って部族を助けようとした「イン・ア・サイレント・ウェイ」が、「教皇」の暗示と言えるだろう。
(参照:イン・ア・サイレントウェイについて…>>176

328フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:38:06 ID:32ZaGZsg
602 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:16:17 ID:32ZaGZsg
タロットの6番目である「恋人」は、恋愛の発生、肉体の発育、誘惑との戦い、深い結びつき、絆、魅力、結婚、不道徳、失恋、空虚などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ラバーズ」も、対象の脳内に潜り込むことで一方的に本体から対象への肉体的な結びつきを作り出し、その本体は他者の仲間意識や絆に付け込んだ戦い方を得意とする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、対象そっくりに変身して一方的に本体から対象への絆を作り出して操り、その本体は他者の仲間意識に付け込んで不意討ちを仕掛けたり、単なる憂さ晴らしや不道徳な目的のために能力を使っていた「サーフィス」が、
六部では、本体から対象への好意によって一方的に肉体的な結びつきを作り出して強制的な心中自殺を起こし、その本体はどれだけ他者の善意を受けても考え方を変えなかった「ハイウェイ・トゥ・ヘル」が、
七部では、自身や他者の肉体をバラバラにしつつもロープによって一つに結び付け、その本体は人生の旅の中で帰る場所や愛する人を探し求めていた「オー! ロンサム・ミー」が、「恋人」の暗示と言えるだろう。

329フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:38:17 ID:32ZaGZsg
604 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:08 ID:32ZaGZsg
タロットの7番目である「戦車」は、侵略と勝利、突進力、開拓精神、負けず嫌い、暴走、不注意、独断専行、焦り、好戦的、復讐などを暗示するとされる。感情と勢いのままに突っ走る若者の象徴である。
ジョジョ三部の「シルバーチャリオッツ」も、破壊されても本体のダメージとはならず時間が経てば再生する剣や鎧を活かして、真っ先に敵へと斬り込むことを得意とする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、空間を削るという圧倒的な破壊力を有し、更に瞬間移動という場を制圧する付随効果まで備える能力だが、下手に使えば本体の自滅を招き、その本体は性格上ミスをしやすいという「ザ・ハンド」が、
六部では、唾のような些細な飛道具から対象自身を、そして周囲の全てを無重力と真空の影響下にしていき、その本体は理知的に能力を活用する一方で、感情のままに力を振るう「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が、
七部では、空間を越えて対象の監視や攻撃、吊るし上げを行い、その本体は少年ながらも開拓精神に燃える「ワイアード」が、「戦車」の暗示と言えるだろう。
(参照:ポークパイハット小僧について…>>72の二段目)

330フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:38:37 ID:32ZaGZsg
605 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:27 ID:32ZaGZsg
タロットの8番目である「力」は、挑戦、強い意思、秘められた本能、決断力、勇気、持久戦、潜在能力の引き出し、甘え、人任せなどを暗示するとされる。力の使い方と限界を知っている成人の象徴である。
ジョジョ三部の「ストレングス」も、動物である本体の野性的なパワーと強固な意思を解放したかのような巨大さである一方で、その本体は能力の強大さに守られ慣れているためか追い詰められるとヘタレるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、電力という外部の力を利用することで絶大なパワーを発揮する一方で、その本体は戦闘の最中ですらどこか真剣さに欠ける立ち振る舞いだった「レッドホットチリペッパー」が、
六部では、他者の肉体の力や闘争心、戦闘への賛美をどこまでも強力に引き出す一方で、その本体は戦いに加わらず遠巻きに隠れているだけの「サバイバー」が、
七部では、他者を恐竜という原始の生物に立ち帰らせてその力を振るわせる一方で、その本体は恐竜になることなく高みの見物に徹する「スケアリーモンスターズ」が、「力」の暗示と言えるだろう。

331フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:38:50 ID:32ZaGZsg
606 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:39 ID:32ZaGZsg
タロットの9番目である「隠者」は、経験則、忠告、深慮、単独行動、神出鬼没、秘密の知識を隠す者、閉鎖性、陰湿、消極的、悲観的、邪推などを暗示するとされる。人生の旅を終えた老人の象徴である。
ジョジョ三部の「ハーミットパープル」も、念写を通じて隠された秘密を暴き、三部の旅そのものを成立させるのに不可欠な情報をもたらしたスタンドであり、その本体は心理戦やトリックなどの豊かな経験を裏打ちとする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、写真の中という閉鎖的な空間で陰湿に他者を攻撃し、その本体は幽霊となった後も何かと息子を援け、神出鬼没に町中を飛び回っていた「アトムハートファーザー」が、
六部では、暗殺風水という神秘の知識により敵味方問わず忠告を与え、その本体は長年の経験によりこの援けを上手く活用するも、結局は脱獄など出来ない刑務所の中で頂点を目指すという閉鎖的な展望を抱いていた「ドラゴンズドリーム」が、
七部では、記憶をそのままに時を戻すことで敵味方平等に物事への気付きや切っ掛けを与え、その本体もまた公正な振る舞いを心掛けるが、その目的は他者との強制的な決闘という陰湿で閉鎖的なものだった「マンダム」が、「隠者」の暗示と言えるだろう。

332フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:01 ID:32ZaGZsg
607 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:50 ID:32ZaGZsg
タロットの10番目である「運命の車輪」は、定められた運命、運命の変転、転換点、幸運の到来、出会いと別れ、情勢の急激な悪化、すれ違い、アクシデントの到来などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ホウィール・オブ・フォーチュン」も、山中に敷かれた道路という状況での戦いにおいて、その環境を乗り越えて周辺の岩場すらも走破する自動車を駆使し、事故に見せかけて攻撃を仕掛けるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、交通事故で重体となり入院という危機的状態を引っ繰り返すべく、遥か遠隔地の敵から養分を奪って本体にまで転送し、その本体もまた他者との戦いや出会いによって成長を果たした「ハイウェイスター」が、
六部では、気流を読むことで運命を見通すかのように弾丸の命中先を予測し、スタンド自身によってその弾道を大きく変化させる一方で、その本体は過去の出会いと別れに心を縛られ、復讐の悪感情を燃やし続ける「マンハッタントランスファー」が、
七部では、縦横の座標によって位置を厳密に定めることで、本体の攻撃を対象へと正確に転送し、その本体は逆にほとんど何も話さず、戦闘相手に一切の利益を与えないように努めた「チョコレートディスコ」が、「運命の車輪」の暗示と言えるだろう。

333フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:11 ID:32ZaGZsg
608 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:18:05 ID:32ZaGZsg
タロットの11番目である「正義」は、公平・不公平、公正・不正、均衡・不均衡、善意、誠意、偏向、一方通行などを暗示するとされる。また、これらは人間世界の常識や道徳ではなく神の視点からの秩序を象徴するとされる。
ジョジョ三部の「ジャスティス」も、現実に左右されない一律の幻覚の中で、生者も死者も等しく操り人形と化し、その本体も己の善意や誠意に従って戦いや復讐に身を投じたという、ある意味で暗示通りの能力だった。
そして四部では、純粋な善意により他者に常識を超えた運勢を与えるが、その活用と維持はあくまで当人の努力次第という公正さを必要とし、その本体も人間の身でありながら童話の魔法使いのような超越的な視点を志していた「シンデレラ」が、
六部では、賭け事に際して公平・公正に取り立てを行い、スタンドそのものは一方的に対象を攻撃できる無敵状態ながらも、その本体は賭け事の取り決めの裏を掻くという不公平・不正な手段を用いていた「マリリンマンソン」が、
七部では、無力な少女がその涙を引きちぎることで、人間の感情や常識を超えた干渉により他者を一方的に操るという絶大な力を発現し、その本体は聖なる遺体に関して人知を超える大役を果たした「チケットゥライド」が、「正義」の暗示と言えるだろう。
(参照:チケットゥライドについて…>>226の上段)

334フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:21 ID:32ZaGZsg
609 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:18:23 ID:32ZaGZsg
タロットの12番目である「吊られた男」は、修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協、徒労、痩せ我慢、自暴自棄などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ハングドマン」も、作中では反射物の表面から一方的に敵を攻撃する自由自在な能力として描写されてはいたが、そもそもどうあがいても反射物に映ったものにしか干渉できず、
また反射物から別の反射物へと飛び移るのも出来るかどうかはそれらの反射物の挙動次第であり、飛び移る最中は一瞬だが完全に無防備で、もしも飛び移るのに失敗して映るべき反射物が全く無くなってしまった時はどうするのか、
もしかしたらその時点で本体もろとも死んでしまうかもしれないということまで考えていけば、意外と暗示通りの能力だったのかもしれない。……まあ、鏡は壁に吊るされているものだから吊られた男、程度の発想だったのかもしれないが。
さて四部では、鉄塔の内部に最低一人の住人を捕らえ、生きていくだけでも一苦労という生活を強制するが、慣れれば鉄塔の仕組みを活かして意外と楽しい毎日を過ごすことが出来るかもしれない「スーパーフライ」が、
六部では、刑務所の壁という巨大な抑制の象徴に同化して発現し、攻撃対象の記憶能力を大きく制限することで、対象を抑えつけはするが囚人としての生活は継続させる上、スタンド使いの脱走をも防ぐという重要任務を担う「ジェイルハウスロック」が、
七部では、自身では全く動けず外部の状況を把握することも難しくなるが、あらゆる攻撃を無効化して反撃の機会を忍耐強く待つことが出来る「20thセンチュリーボーイ」が、「吊られた男」の暗示と言えるだろう。

335フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:34 ID:32ZaGZsg
611 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:01 ID:32ZaGZsg
タロットの13番目である「死神」は、停止、終末、破滅、清算、死の予兆、消滅、死屍累々、風前の灯火、死と再生、再出発、新展開、起死回生などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「デスサーティーン」も、眠りという一日の終わりと翌日の始まりの狭間を狙い、夢の世界の中では破壊も再生も自由自在だが、その本体は現実世界では全く無力な赤子という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、憑依対象にただ破滅と死しかもたらさず、スタンド自身は別の肉体へと転移して再始動し、その本体はスタンドを産み出すだけで何も成せず終わってしまった「チープトリック」が、
六部では、まるで悪霊とでも表現すべき透明なゾンビを死体から作り出し、天国へ行く方法などという法外な儀式を再始動させた能力でもあり、その本体も社会に破滅をもたらすだけの犯罪者だった「リンプビズキット」が、
七部では、雨を空中に停止させることで攻撃を行い、あるいは自分自身の肉体をもバラバラにして再生させ、その本体は自分の死が決定してもなお最後まで戦い続けた「キャッチ・ザ・レインボー」が、「死神」の暗示と言えるだろう。

336フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:44 ID:32ZaGZsg
613 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:23 ID:32ZaGZsg
タロットの14番目である「節制」は、調和、自制、節度、献身、調整、中庸、倹約、浪費、消耗、生活の乱れなどを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「イエローテンパランス」も、生物を食らって強化していく暴食と浪費の権化ではあるが、養分を無駄なく活用する能力という見方も出来なくはないし、一方で本体はひたすら乱れた言動の下品な男という、まあ暗示通りの能力だった。
そして四部では、無数の群体が相互に協力して様々なものを運び、時にはゴミのように捨てられていたものを拾って再利用し、その本体は基本的に優しく素直ではあるが、金銭欲が絡むと困った一面を見せる「ハーヴェスト」が、
六部では、敢えて攻撃対象の召使いのように振る舞うことで相手の隙を付け狙い、周囲の生物や道具を上手く利用することで敵を溶かすという消耗戦を行い、その本体は元警官ながらも予言を信じて犯罪者となったというロクでもない「ヨーヨーマッ」が、
七部では、11人の男たちが節度を守り調和を保ち互いに互いを助けて戦いに臨むも、その本体の一人一人はただの殺し屋程度の力でしかなく、次々と仲間を消耗していくこととなった「タトゥーユー!」が、「節制」の暗示と言えるだろう。

337フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:58 ID:32ZaGZsg
614 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:37 ID:32ZaGZsg
タロットの15番目である「悪魔」は、暴力、錯乱、裏切り、堕落、束縛、誘惑、悪循環、嗜虐的、憎悪、嫉妬心、恨み、憤怒、覚醒などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「エボニーデビル」も、本体の恨みのエネルギーによって活動し、人形に宿って敵を不意討ちしたり、小型で非力なスタンドではあるが激しく嗜虐的な暴力を振るうという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本体が罠を仕掛けたり言葉巧みに対象の心理を誘導したりして、相手の罪悪感を責め立てることで、その精神をスタンドで束縛しどんどん悪循環に陥らせる「ザ・ロック」が、
六部では、本体の深い憤怒や憎悪の心から覚醒し、あらゆる生物を原始的な姿へと堕落させる悪魔の虹を辺りに巡らせ、あるいは本体の悲しみを風雨に変えて荒れ狂わせる「ウェザーリポート」が、
七部では、バルーンアートという可愛らしい姿に反して激しく嗜虐的な暴力を振るうが、自動操縦のため敵に騙されて本体の望まぬ相手を攻撃してしまったこともある「チューブラーベルズ」が、「悪魔」の暗示と言えるだろう。
(参照:ウェザーリポートについて…>>4の最上段など)

338フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:10 ID:32ZaGZsg
615 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:58 ID:32ZaGZsg
タロットの16番目である「塔」は、事故、旅の中止、危険や失敗、崩壊、災害、悲劇、惨事、転落、緊迫、突然のアクシデント、天変地異などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「タワーオブグレー」も、人間の舌という急所を専門に狙うことで小型のスタンドでも的確に対象を殺害し、その本体はDIOの復活以前から何度も大事故を起こして火事場泥棒などを繰り返していたという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、小さな毒針により生物をドロドロに崩壊させるという凄惨な攻撃を行い、その本体たちは放置しておけばネズミ算式に殖えて大災害に繋がる恐れもあった、考えようによっては吉良よりも遥かに危険な「ラット」が、
六部では、全人類の宝であるはずの創作物たちを転用して無差別に世界中で事故や災難を巻き起こし、その本体は一応プッチ神父を守るという目的を掲げつつも、ほとんど社会への復讐のために暴走していた「ボヘミアンラプソディ」が、
七部では、小さな部品を抜くことで物体を凄惨に破壊し、その本体はネアポリス王国の国王暗殺を企むという、ヴァレンタイン大統領とは無関係だがこれはこれで大きな災難である「僕のリズムを聴いてくれ」が、「塔」の暗示と言えるだろう。

339フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:21 ID:32ZaGZsg
617 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:20:50 ID:32ZaGZsg
タロットの17番目である「星」は、希望、明るい前途、鋭い洞察力、ひらめき、霊感、願いの成就、失望、絶望、高望み、自信過剰、見損ない、現実逃避などを暗示するとされる。
ジョジョの作者である荒木氏は主人公の姓である「ジョースター」について、「スター」の部分は希望の星のような発想による命名であると語っており、
まさしく漫画の主人公というものは希望に満ちた存在だし、前途は明るく願いは叶うべきで、特に単純な力による解決を良しとしないジョジョの主人公ともなれば、ひらめきや洞察力は何より重要に違いない。
その一方で、あまりに過剰な表現をし過ぎれば、しょせん漫画の主人公などというものは空想の産物、高望みの現実逃避であると、読者を失望させることになりかねないという一面もある。
そしてそんな主人公たちのスタンドもまた、強く逞しい不屈の力で皆の希望となり、鋭い洞察力を活かせるような応用力を備え、時には新たな能力に成長して願いを叶えるような能力ばかりなのである。
そういうわけで、ジョジョ三部の「スタープラチナ」を始めとして、四部の「クレイジーダイヤモンド」、六部の「ストーンフリー」、七部の「タスク」と、三部以降の歴代主人公は全て「星」の暗示だとしておく。
(参照:主人公のスタンド能力の傾向…>>46の最上段)

340フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:32 ID:32ZaGZsg
618 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:02 ID:32ZaGZsg
タロットの18番目である「月」は、嘘や裏切り、水のトラブル、未知の世界への恐怖、不安定、幻惑、潜在的な危険、欺瞞、隠れた敵、失敗、過去からの脱却、徐々に好転、優れた直感、漠然とした希望などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ダークブルームーン」も、水中という特殊環境での戦いを得意とし、その本体は恐らく元々鍛えられた水夫であり、巧みな変装で攻撃対象を騙そうとするも、自分自身も騙されて正体を暴かれるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、不定形の液状スタンドを酒に化けさせて不意討ちしたり、様々な日常の水分に混ざり込んで攻撃を仕掛け、その本体は刑務所からの脱走後に町中へと隠れ潜みつつ、主人公の敵として忍び寄る「アクアネックレス」が、
六部では、天国という未知の世界へ辿りつくための途中の能力であり、その本体は己のスタンドが何を引き起こすか予測も付かない不安と危険の中で、それでも漠然とした希望を信じて過去からの脱却を目指す「C-MOON」が、
七部では、隠れた敵や潜む危険を鋭く見つけ出す能力を有するが、その本体は事情により敢えてこのスタンドを手放すという危険を冒すことで、その後に更なる技術へと成長することになる「ジャイロのスキャン能力」が、「月」の暗示と言えるだろう。
(参照:C-MOONについて…>>41の最上段)

341フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:43 ID:32ZaGZsg
619 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:14 ID:32ZaGZsg
タロットの19番目である「太陽」は、成功、誕生、祝福、満足、物質的な幸福、力の結合、恒常的、不調、衰退、流産、堕胎などを暗示するとされる。そしてこれらは現実の太陽そのもののことでもある。
太陽は地上に存在するあらゆる生命のエネルギー源であり、また同時に太陽の熱や渇きは地上に衰退をもたらす脅威にもなる。従って、本物の太陽と同然の姿と迫力であるジョジョ三部の「サン」もまた、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、奇妙な経緯により植物として誕生し、太陽の力を利用した光合成を用いて、地上に遍在する空気という物質を自在に操る能力を有し、最終的には気の合う飼い主を得て幸せにやっているらしい「ストレイキャット」が、
六部では、未知だが確かに存在する未確認生物と心を通わせることで、敵の体温を奪って不調をもたらし、その本体は精神の成長と祝福を求め、己の心を太陽神の名を冠する宇宙計画に譬えて戦い、最後には満足して斃れていった「スカイハイ」が、
七部では、ツェペリ家の鉄球技術とジョースター家の乗馬技術の結合の末に、世界に遍在する重力を支配し、攻撃対象に老化のように衰えさせるものの、結局は一度も完全な発動には至らなかった「ボールブレイカー」が、「太陽」の暗示と言えるだろう。

342フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:53 ID:32ZaGZsg
620 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:33 ID:32ZaGZsg
タロットの20番目である「審判」は、再生、復活、結果、改善、敗者復活、良い報せ・悪い報せ、悔恨、未練、停滞、執着、恐れ、行き詰まり、再起不能などを暗示するとされる。特に、聖書における最後の審判に例えられることも多い。
ジョジョ三部の「ジャッジメント」も、既に起こってしまった結果を認められない人間の悔恨や未練に付け込んで、死者の復活を装いつつ攻撃を行い、物理的な攻防よりも先に相手の心を戦闘不能にしてしまうという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、対象を紙の中に封印することで全く停滞した状態へと追いやるが、紙を開ければ誰でもそれを復活させることが可能であり、その本体は他者の恐れの心を審判することに執着していた「エニグマ」が、
六部では、既に起こった物事の結果を土の中から掘り返して再生させ、攻撃対象を行き詰まりへと追いやったり自身の情報収集に使ったりすることができ、その本体は自分自身の人生を復活させることに執着していた「アンダーワールド」が、
七部では、死者たちをゴミの中から再生したり、既に起こってしまった結果を認められない人間の悔恨や未練に付け込んで攻撃を行うことで、最終的には恐らく対象を全く停滞した再起不能の状態にしてしまうらしい能力であり、
更に効果範囲の中ならば本体は死の淵からも復活することが出来るものの、実は条件を満たせば誰でも同じく復活することが可能で、その本体は自分自身の人生を復活させることに執着していた「シビルウォー」が、「審判」の暗示と言えるだろう。

343フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:41:05 ID:32ZaGZsg
622 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:22:03 ID:32ZaGZsg
タロットの21番目である「世界」は、物事の完成、宇宙全体、成就、完全、総合、完遂、完璧、優勝、制覇、永遠不滅、堕落、未完成、臨界点、調和の崩壊などを暗示するとされる。
また最後のタロットでもあることから、これらの暗示は概ね漫画作品における最後の敵、いわゆるラスボスを指し示していると考えていいだろう。
漫画のラスボスというものは作中で最も強い野望を抱き、目的の成就のためなら既存の調和を崩壊させることも厭わず、邪悪であるとか強者であるとかどのような属性にしろ、どこかの面で完全な存在であるものだ。
その一方で、最後には主人公に敗北してそれらの野望は未完成に終わるのがお約束でもあるが、その場合そこでその物語は終わりとなるのが通例である。即ちラスボスとはその漫画作品を能動的に動かす、作品を総合した存在なのである。
またジョジョ三部以降の歴代ラスボスは、いずれも時間に関わる能力を有することで知られるが、これらの能力は全て、少なくとも時間を計る分には宇宙全体に関わる効果であり、一手に世界を支配する能力であると言える。
ジョジョには他に運勢を操作するとか予知を行うといった、運命そのものに関わる能力もあるが、時間を操る能力はそれらに比べて持続時間が短かったり発動条件が困難だったりする代わりに、能力の即効性や強制力は絶対的だという特徴がある。
そういうわけで、三部の「ザ・ワールド」を始めとして、四部の「キラークイーン」、六部の「メイド・イン・ヘブン」、七部の方の「ザ・ワールド」と、三部以降の歴代ラスボスは全て「世界」の暗示だとしておく。
なお、七部のラスボスは大統領かディエゴかという疑問をたまに聞くこともあるが、これは単に以前のラスボスが担っていた要素を七部では大統領とディエゴで分担しているというだけの話で、取り敢えずスタンドの暗示に関しては上記の通りとする。

344フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:41:27 ID:32ZaGZsg
624 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:23:11 ID:32ZaGZsg
ジョジョ三部に登場するスタンド能力の大部分は、タロット及び作中でタロットの起源とされるエジプト九栄神の暗示で説明されるが、数体ほど何の暗示も行われていないものが存在する。
これは作品的には、単にタロットや九栄神だけでは足りなかったという作者都合に過ぎないのだが、それでも敢えて暗示が無いことの暗示を無理矢理に解説してみることとする。
暗示が無いということの暗示は大きく分けて二つある。一つは、そのスタンドが作中で真っ当なスタンド能力として成立していないということだ。
つまり、能力の断片しか描かれていなかったり、暴走していて十全に機能している場面が無かったり、まともに名前も付けられていなかったりするもので、三部では「ホリィのスタンド」と「ジョナサンのスタンド」がこれに当たる。
そしてもう一つは、既存の世界の枠組みの外側を暗示するスタンドだ。三部の「ティナ―サックス」と「クリーム」は、暗示が無い割りに一つのスタンドとしてかなりハッキリとした描写があり、明らかに上記の二つとは異なる雰囲気がある。
これらのスタンドはタロットや九栄神とは無関係な名前や真っ当な能力が与えられた物語上初めてのスタンドたちであり、四部以降もタロットや九栄神という世界観とは無関係なスタンドが次々と現れることの前兆となっているのである。
また、それらのスタンド能力も、幻覚の光景を周囲に映し出すとか、本体以外の全ての存在を拒絶して粉微塵に破砕する暗黒空間であるとか、どことなく異世界感を抱かせるものだと言えなくもない。

345フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:41:48 ID:32ZaGZsg
625 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:23:34 ID:32ZaGZsg
さて、私が説明したタロット解説の中にも(事情的に言えば数合わせのために)除外されたスタンドがいくつかあるので、それらも上述の暗示の無い暗示に当て嵌めておく。
四部では、次々と新しい能力を身につけ、Act1とAct2が音繋がりの発展形かと思いきやAct3で殴ったものを重くすると、もはや一つの能力とは言えなくなってしまった「エコーズ」、
本当にスタンド能力なのかも不明な、自称宇宙人の「アース・ウィンド・アンド・ファイヤー」、存在だけは言及されたがそれ以上の描写は一切無い「虹村一家の父親のスタンド」の三体。
六部では、スタンドのステータスはいずれも「なし」で、幽霊の世界という実在する異空間に関わる能力であり、スタンドというよりはそういう霊感能力の一種なのではないかとも思われる「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」、
同じく幽霊を扱う能力を持っていたとされる「エンポリオの母親のスタンド」、プッチ神父がFF対策として準備していたらしいということ以外は詳細不明の(実は意外と強そうな)「水を熱湯にするスタンド」、
全てのステータスが「?」で、連載当時は名前も付けられておらず、能力も正体不明の代物で、本体も天国という更なる世界に関わりがあるということ以外はほとんど何も判らない「グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム」の四体である。

346フェイク『男』:2017/11/17(金) 22:44:09 ID:8CECwU1.
303 フェイク『男』2017/11/17(金) 22:38:55.56ID:WF/9nCFI
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その9…アトゥム神】
この「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画作品には非常に多くの「元ネタ」がある。だが、その「元ネタ」となる作品群とて、無から突然に出現したわけではなく、更に「元ネタ」があるものだ。
そうして「元ネタ」をどんどん辿っていけば、いずれは「現実世界」に行き着く。即ち「現実世界」こそが唯一の「オリジナル」であり、人間の創作活動とは言わば全てが「二次創作」だ。
そして一般に「二次創作」には、原作に対する「愛」や「敬意」が重要だと考えられている。ならば、創作物にはまず「現実世界」への愛や敬意があって然るべきだろう。(無暗に現実を肯定しろというわけではないが)
(参照:「タスク」に見る創作の段階…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/211)
さて、エジプト九栄神の一つ「アトゥム神」は似たような能力を持つ「オシリス神」より後に登場したスタンドであり、その本体も兄弟関係ながら、明らかに「アトゥム神」の方が「オシリス神」より便利な能力に見える。
これも言ってみれば「アトゥム神」は「オシリス神」の二次創作のようなものだ。「オシリス神」という「元ネタ」に更なる能力を上乗せしているのだから、機能的には「アトゥム神」の方が上で当然である。
だが作中の扱いはと言えば、「アトゥム神」の本体ダービー弟は明らかに兄よりも情けなく愚かな末路を迎えている。優れた技術や能力を持ちながら、その力に慢心し、単純なイカサマを見破ることが出来なかった。
それは「アトゥム神」が強すぎたからだ。「オシリス神」は純粋に本体の技術を頼りとする能力だったが、「アトゥム神」は追加で読心能力という、およそゲーム関係では無敵の能力を得てしまった。
だからその読心が通用しなくなった時に、己の地金が露呈してしまったのだ。それこそ、己の能力頼りではなく常に自身の技術を必要とする「オシリス神」のダービー兄ならば、こんなことにはならなかった。

347フェイク『男』:2017/11/17(金) 22:44:36 ID:8CECwU1.
304フェイク『男』2017/11/17(金) 22:40:31.02ID:WF/9nCFI
ダービー弟には兄の能力や技術に対する「敬意」が無かった。だから、己を律し戒める「敬虔さ」に欠け、DIOが言うところの「死んでもいいという覚悟」が出来ておらず、最終的な敗北に繋がったのだ。
(参照:技術を能力に進化させたスタンド…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/106の二段目)
(参照:技術を補うためのスタンド…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/137の上段)
ただし、ここで一つ注意しておくべきことがある。「アトゥム神」のダービー弟は確かに無様な敗北を迎えたが、我々は彼のような敗北者を見下すべきではないということだ。
作中、空条承太郎はダービー弟に対し「お前の兄貴ならこんなイカサマ難なく見破っていただろうな……」と兄と比べる発言をしてはいるものの、決してダービー弟を馬鹿にしてはいない。
もっとも、ダービー兄も最終的には承太郎に負けたのだから、兄を褒めすぎても自画自賛になるだけで格好悪いとも言えるのだが、それよりも、弱者を見下し軽んじる精神は「敬虔さ」に反する。
ダービー弟のような者を見下げる考え方そのものが、ダービー弟の敗因である兄への侮蔑と同類なのだ。たとえ出来の悪い「二次創作」でも、それもまた「現実世界」の生み出した文化の一部なのである。

348フェイク『男』:2017/11/18(土) 21:00:12 ID:Tl8qwHQc
310フェイク『男』2017/11/18(土) 20:58:41.63ID:WcUVgbYN
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その8…アヌビス神】
俗に「漫画の作者は自分より頭の良いキャラを描けない」と言われるが、バトル漫画においては「自分の描写力を超えた戦闘も描けない」と言い表すことも出来る。
これは特に「インフレバトル」と呼ばれる類の漫画作品に顕著であり、ジョジョの作者である荒木氏も折に触れて「インフレ」を避けるような発言を行っている。
さて、エジプト九栄神の一つ「アヌビス神」は、敵の攻撃を覚えてどんどん強くなっていくという、まさに「インフレバトル」そのままの能力を有していた。
しかし、最初のうちは活用していた「物体を透過する斬撃」は途中から使われなくなり、最終的にはマヌケなミスを繰り返して自滅することとなる。
しかも「物体を透過する」とか「他者を操る」とかこれまた色々とインフレ気味にくっついている能力の数々も、最後には上手く扱えずに失敗続きだった。
これはまさに「漫画家は自分の描写力を超えた戦闘を描けない」という制約そのものの姿だ。自分の描写力を超えた物事を無理に描き続けようとすれば、
そこには自然と見落としや間違いが生まれ続け、岡目八目の読者にはそんな漫画家の悪戦苦闘が「マヌケなミスの繰り返し」に見えてしまうのである。
ちなみに、この現象を作中の理屈に落とし込むならば、アヌビス神は「星の白金」の渾身のラッシュを覚え切ったところで「容量オーバー」となり、
スペック不足のパソコンが処理落ちするように、ミスを重ね続けてしまったというところだろうか。これもまたバトル漫画ではお約束の展開だ。

349フェイク『男』:2017/11/19(日) 22:50:04 ID:WNMTiR.U
319フェイク『男』2017/11/19(日) 22:48:10.39ID:YXmW551u
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その7…トト神】
「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、逆に小説(などの創作物)では事実ほど突拍子も無い出来事を次々と起こすことは出来ないとも言える。
現実に起こす出来事は全てが基本的に偶然の産物であり、もしも運命だとか神の采配だとかが存在するとしても我々にはとてもそれを実感できないのに対し、
創作物の中の出来事は全てが基本的に作者の産物であり、何らかの「意味」や「必然性」をもって世に送り出されることを期待されているからである。
(参照:創作物の中の偶然…>>139
さて、ジョジョという漫画には非常に魅力的な戦いがいくつも描かれているが、その多くは戦う双方が究極にまで力を出し尽くしているものだ。
力を出し切れないうちに不運にも負けてしまうとか、極端に言えば滑って転んだ隙に殺されたとか、隕石が落ちてきたり地割れに呑まれて死んだり、
そんなことも確率的には現実にありえる物事ではあるが、そういうのは漫画の作中ではまず起きない。あるとしても、その偶然にも何らかの作品的「意味付け」がされているものだ。
物語にはそれを語るだけの「意味」がある。だから漫画の登場人物、特にメインキャラクターともなれば、理不尽な偶然からは自然と守られることになるのである。
エジプト九栄神の一つ「トト神」は予知能力によって未来に起こる「偶然」をも味方につけ、毒や爆弾や狙撃といった割と「現実的」な手段を用いて主人公一行を攻撃したが、
その試みがことごとく失敗に終わったのも、上述の理由によるものである。そして作中でトト神の本体ボインゴは、主人公やラスボスたちは強運に守られていると考えている。
この強運に作中の理屈で理由を与えたものが、六部における「引力」という概念であろう。強い精神力の持ち主はその精神的な質量により、霊的な重力を生み出す。
そして重力によって引き寄せられた善いものを自身に取り込み、悪しきものをその強さで退けることで、強者は創作物の中の世界で合理的に強運を発揮するのである。

350フェイク『男』:2017/11/21(火) 23:55:41 ID:lm.hZfBc
329フェイク『男』2017/11/21(火) 23:51:03.90ID:ZeegSnTF
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その6…クヌム神】
まるで現実に則しない物語など無意味でつまらないものだが、どんな創作物でも現実性の追求には技術的・時間的に限度があり、どこかで線を引いて妥協せざるを得ない。
そして特にジョジョという漫画は、作中における複雑な出来事の簡略化や、単純な主題の誇張を強く押し出し、その外連味をむしろ一種の持ち味としている作風だと言える。
例えば、モブキャラが物語の中で重要な立ち位置になった途端に美形のメインキャラ風の顔になったり、逆に重要人物のように思われていた者がモブキャラだと判った途端に顔が適当な感じになったり、
金髪のキャラの髪の毛を緑色に塗ったり、広瀬康一の身長だとか、川尻洪作に化けた吉良吉影のドクロネクタイだとか、女から男になったアナスイだとか、大統領のダイエットだとか……この手の表現は枚挙に暇が無い。
ただ、これらは何の意味も無く受けを狙っているだけというわけではなく、どれも一応きちんとした表現意図があってのことであろう。目的が絞れているからこそ、表面上の見せかけではない創作が出来るものだ。
逆に言えば、作者が己の創作に迷いを抱いていると作品にもそれが表れるものである。個人的には、近年に荒木氏が手がけることの多い「今の絵柄で昔のキャラを描いた絵」の何とも言えない違和感について、
それは単に今と昔の画風の差だけでなく、その背後にある作風の変化が昔のキャラに対応しておらず、昔のキャラを描くことが表面上のことになってしまっているのではないかと思わなくもないのだが……。

351フェイク『男』:2017/11/21(火) 23:56:04 ID:lm.hZfBc
330フェイク『男』2017/11/21(火) 23:52:11.69ID:ZeegSnTF
さて、エジプト九栄神の一つ「クヌム神」のオインゴは作中で承太郎に化け、ジョセフとポルナレフを騙そうとするが、この時のオインゴは焦りや混乱で随分とマヌケな顔を晒している。
それこそ、承太郎と言えばジョジョの作中では崩れた顔やギャグ顔をほとんど見せることのないキャラクターだ。「トト神」の極めてシュールな画風の中ですら、承太郎は心持ち美形に描かれているようにすら見える。
そしてオインゴに応対するジョセフとポルナレフも、相手の不審な言動を少し怪しみつつも結局その正体を見破ることは無く、かなり不注意なように描かれている。これらもまた、漫画的な誇張表現であろう。
漫画の主人公たちは常に冷静で格好良いとは限らない。承太郎も見えないところでは口の中に煙草を入れる一発芸を披露したりするし、あれだけ顔の崩れたオインゴでも正体を見破られたりしない顔なのである。
(とはいえ、承太郎に化けたオインゴの方もギャグ描写のために「誇張」して過度なマヌケ面になっているのだろうから、果たして本当の承太郎がどの程度の顔立ちなのかは、ハッキリした言及が無い以上は断定できない)

352フェイク『男』:2017/11/23(木) 00:47:56 ID:eX5hMC8.
334フェイク『男』2017/11/23(木) 00:46:00.51ID:4cdpPyCu
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その5…セト神】
俗に「子供向けと子供騙しは違う」と言われるが、登場人物が現実的に殴り合うような作品ならまだしも、そもそも現実に存在しない超能力を用いた「能力バトル」というものは、どうすれば「子供騙し」ではなくなるだろうか。
荒木氏の作品はそれこそデビュー作「武装ポーカー」の頃から単純な力比べによる決着を良しとせず、力の上に更なる工夫を凝らす作風だったが、ジョジョ三部から登場した「スタンド」はその流れにおける一つの到達点である。
一部の例外を除き、スタンド使いは肉体的にはただの人間である。単なる銃や刃物の攻撃でも充分に致命的だし、荒木氏の好むホラーやサスペンスの文脈から、時にはハサミやカミソリといった凶器が猛威を振るうこともある。
そこに一つの発想が生まれる。もしも読者の自分がスタンドを使えるなら、果たして自分は作中のスタンド使いたちのように戦えるだろうか? 肉体的にはほとんど同じ人間なのに、まるで戦える気がしないのではないだろうか。
ジョジョの登場人物は敵も味方も皆が「知恵」を振り絞って戦っている。そして、単に言葉の上で理屈を捏ねているだけでなく、自分の命を懸けてその理屈を実証する精神力と迫力、即ち「凄味」がある。
スタンドという超能力は現実には存在しないが、スタンド使いが戦いの中で振るう「力押しだけではない知恵」や「理論を実践する凄味」は現実にも通用する強さであり、老若問わず楽しめる要素なのだ。
そして、エジプト九栄神の一つ「セト神」の本体アレッシーが、ほとんど無力なまでに若返らせたはずの相手に何度も敗北を喫したのも、彼の戦った相手が力押しだけでない強さを備えていたからだと言える。
二歳児相当にまで若返ったポルナレフは「知恵」を振るい、スタンドが使えない幼少期の承太郎は「凄味」を見せた。大人と子供の単純な力関係に頼るしかないアレッシーが敗北したのは必然だったというものだ。

353フェイク『男』:2017/11/23(木) 22:10:45 ID:eX5hMC8.
339フェイク『男』2017/11/23(木) 22:07:07.20ID:4cdpPyCu
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その4…バステト女神】
創作物において現実性は大事な要素の一つではあるが、諸々の事情で表現が「規制」されている現実も存在する。その中には、例えば政治、宗教、差別問題など、確かに娯楽目的の漫画で扱うには少々荷が重い部類も多い。
だがそこまで大仰な題材でなくとも、身近な存在の中にも描写の制限がありそうな分野がある。その一つが「女性」だ。いくら男女平等の世の中とはいえ、一方で男女の肉体的・性格的な差異は依然として認めざるを得ない。
少年漫画の男性主人公が、いくら敵であろうと「女性を殴る絵面」はそうそう描けないし、そもそも作者自身も男性ならば女性の行動や心情を描写するにも難しい。
ジョジョという漫画では「スタンド」という設定により、女性を敵として戦う場合も相手が女性だからと変に手加減することなく、直の殴り合いを避けることが出来ているが、
エジプト九栄神の一つ「バステト女神」の本体マライアの表現はその中でも特異である。作中、マライアは自身が勝利を確信した攻撃を戦闘相手に凌ぎ切られ、顔を歪めて激怒する場面があるが、
普通、美人の女性キャラともなれば、たとえ怒り狂ったり暴言を吐くような「変顔」とか「顔芸」の際も、相応の「絵になる」描写になるものだが、この時のマライアはどうしようもなく「醜い」としか言えない。
これもまた、色々と制限のある中でも女性を男性と対等に扱おうという描写の一環であると言えなくもない。とはいえ少々「醜すぎる」ようにも思うが、限られた範囲内での精一杯の表現と考えれば、それも仕方ない。
なお、ジョジョの作者である荒木氏は昔から女性を描くのが苦手だったそうだが、六部連載前にアメリカの刑務所を取材した際「女性と男性に違いは無い」という話を聞いたという。
「女性の中にも殺人犯もいれば強姦犯もいる」とのことで、それが六部の、あの何と言うか生き生きとした女性たちの描写に繋がっているのだが、マライアの変顔は言わばその出発点だったのかもしれない。

354フェイク『男』:2017/11/25(土) 00:07:20 ID:rVvn.Lqw
344フェイク『男』2017/11/25(土) 00:05:00.98ID:Oyc4BwjS
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その3…ゲブ神】
ジョジョの主題は「人間賛歌」であり、もう少し砕けて言えば「人間は素晴らしい」ということになるが、同時にジョジョの作中にはどうしようもない小悪党とか吐き気を催す悪人とかが山ほど登場する。
もちろん、悪人のいない世界で善人が善行をするだけでは「人間賛歌」としてあまりに弱いのだが、更によくよく見てみれば、そうした小悪党とか大悪人とかも妙に人間的で、ある種の魅力を感じさせるものだ。
それは恐らく単純な受け狙いというだけではなく、邪悪を打倒する「人間賛歌」だからこそ、否定すべき邪悪にも人格があり、人生があり、それなりの言い分があるということまで描かなくてはならないのであろう。
邪悪な人物だからといって何一つ良いところの無い、都合の良い悪党ばかりというのも、やはり薄っぺらい描写になってしまう。そういう、否定すべきものに対しても中立の視点を保つことが、創作には必要なのだ。
エジプト九栄神の一つ「ゲブ神」の本体ンドゥールが言う「悪には悪の救世主が必要」という台詞も、まさにそういった公平な観点を表すものである。
また、このンドゥールの描写辺りから、ジョジョの戦闘では敵側の主観視点で主人公たちとの戦いを描くという表現も増えてくる。これも公正さの一環だ。
ちなみにジョジョの作者である荒木氏によれば、この「人間賛歌」という主題はジョジョの最初の単行本の作者コメント欄に何か書かなければならないという必要に応じてとっさに思いついた言葉であり、
その後も、主に作者が作品の方向性について迷子にならないように、という目的で設定されているとのことだ。これくらいの冷静さの方が中立の視点は保ちやすいのかもしれない。

355フェイク『男』:2017/11/26(日) 01:19:45 ID:G5xBNn6o
351フェイク『男』2017/11/26(日) 01:17:42.36ID:iLbqTn4g
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その2…ホルス神】
「公正世界仮説」という概念がある。この大宇宙には善と悪のバランスを保とうとする力が存在し、善悪全ての行いは最終的に然るべき扱いを受けるという考え方だ。
これは例えば、正義は勝つ、悪行には罰が当たる、成功した者はみんな努力している、情けは人の為ならず、など人間の倫理道徳において有益な理念へと繋がることもあれば、
一方で、犯罪の被害者にも落ち度はある、いじめはいじめられる方も悪い、誰々が苦しんでいるのは前世の罪によるものだ、など偶然のはずの出来事に対し被害者を非難する発想にもなりがちである。
こうやって冷静に見てみれば、どうにも都合の良い世界観であるというか、現実の世界はあくまで偶然の産物であり、そこまで人間の目線で辻褄が合っているものではなさそうだとも思えるのだが、
とはいえ上述の言葉の、何というか甘美さを考慮すると、少なくとも人間の心理としては、こうした願望もあることは否定できない。誰だって、自分の運命が全て偶然だと思うよりは、自分の心や努力が報われたいものだ。
そして現実のような偶然ではなく、作者の意思が全てを決定する(と思われている)創作物の中の世界に対しては、この「公正世界」は仮説ではなく事実であることを求められやすい。
漫画の中では本当に正義が勝つものである。あるいはダークヒーローが主役の悪行物語だとしても、例えば弱肉強食であるとか、善行だけでは世の中やっていけないというような概念が、その作品内の正義となっているものだ。

356フェイク『男』:2017/11/26(日) 01:20:06 ID:G5xBNn6o
352フェイク『男』2017/11/26(日) 01:18:11.45ID:iLbqTn4g
さて、エジプト九栄神の一つ「ホルス神」の本体ペットショップは、善悪という概念とは無関係な動物である。動物の世界は弱肉強食であり、彼(?)が主人に従って殺戮を繰り返していたことも邪悪とは言えない。
そしてこのペットショップと死闘を繰り広げた「ザ・フール」のイギーもまた、別段に善の存在ではない。「犬好きの子供は見捨てておけない」という彼の思考は善行らしくも見えるが、人間の善に従っているとは言えない。
片や命令に従うだけのペットであり、片や善も悪も気の向くままに生きる野良犬に過ぎないのだ。また心なしか、氷の能力に砂の能力と、双方のスタンド能力も何だか空虚さや無味乾燥さを暗示していると思わなくもない。
この動物同士の戦いは一応ながらイギーが勝利を収めたが、彼とて戦闘後は川底で溺死を待つばかりであり、実質的には引き分けも同然だった。それを助けたのは、イギーが善行らしい振る舞いで救った「犬好きの子供」である。
即ちジョジョという作品の世界観もまた、「情けは人の為ならず」という言葉が真に実行される「公正世界」であるがために、イギーは生き延びペットショップは死んだままなのだ。

357フェイク『男』:2017/11/26(日) 22:50:56 ID:G5xBNn6o
356フェイク『男』2017/11/26(日) 22:48:59.48ID:iLbqTn4g
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その1…オシリス神】
私はこの前置きで様々な考察というか妄想の類を捏ね回しているのだが、エンターテイメントを目的とする漫画作品の場合、読者の納得は理屈よりも感情に拠るところが大きい。
特に週刊少年漫画というものは、「荒木飛呂彦の漫画術」などにも記されている通り、少しでも面白くなかったら読み飛ばされてしまう恐れのある媒体であり、読者を考えさせている暇は無い。
ジョジョという漫画では多くの理屈っぽい説明が成され、これがまた私のような理屈のために理屈を捏ねるのが好きな部類の読者を呼び寄せたりもするのだが、
漫画作中の理屈はそもそも全て読者をまず感情面から納得させるためのものであるのが基本だし、商業作品としての娯楽漫画なのだから出来るだけそうあるべきだ。
中にはごく一部、作者のこだわりを優先して読者への説明が不足している設定もあるにはあるが(「光速を超えたら時が止まる」など)ジョジョの理屈の大部分は、あれで最小限の説明なのである。
さて、エジプト九栄神の一つ「オシリス神」は、その本体の弟のスタンド「アトゥム神」と並び、「賭けというのは人間の魂を肉体から出やすくする」「敗北を認めた瞬間、魂のエネルギーは限りなく0に近くなる」と、
スタンドの個々の能力について込み入った原理が説明されているが、これもまた「何故彼らをゲームで負かせば奪われた魂が戻ってくるのか」とか「何故兄弟というだけでこれほど似た能力なのか」とか、
「そもそも何でバトルじゃなくてゲームなんてしてるのか」といった疑問や違和感に対し、充分な納得感を与えるため必要な説明だったと言える。
思い返せば荒木氏のデビュー作である「武装ポーカー」も賭け事の話だったし、以降もこのようなゲーム系のスタンド能力は時折に登場することから、ジョジョにとってゲーム系の能力は相性が良かったのだろう。

358フェイク『男』:2017/11/26(日) 22:51:23 ID:G5xBNn6o
357フェイク『男』2017/11/26(日) 22:49:45.02ID:iLbqTn4g
余談だが「オシリス神」の能力の疑問として、承太郎が書いた「花京院の魂を賭けるという証文」は本当に有効なのか、というものがあるが、これはどうとでも解釈できる。
例えば「アトゥム神」が承太郎の攻撃を先読みして手首にスタンドの一部を憑りつかせたのと同じくらいには花京院の精神の隙を付けるのではないかとか、
あるいは「アトゥム神」とは違い「オシリス神」なら本当にあれだけで花京院の魂を奪うことができ、これこそが「オシリス神」独自の強みであるとか、
もちろんあれは完全にただのハッタリであり、そんな方法で重圧をかけてくるのも「オシリス神」本体ダービー兄の技術の巧みさだという考え方もありだろう。
どう考えたってそれなりに納得がいくことだし、むしろ種明かししないことも雰囲気作りの一環であることから、わざわざ作中で説明の時間を取ってまで解説することはなかったのだろう。

359名無しさん:2018/10/09(火) 22:58:10 ID:bwHCI11c
524 フェイク『男』投稿日:2018/09/16(日) 22:35:30.75 ID:omrikIsc
ジョジョ六部の登場人物エルメェス・コステロのいわゆる「名言」として、「復讐とは自分の運命への決着をつけるためにある」という台詞が広く知られているそうだが、この台詞を成立させるためにはいくつかの前提条件がある。
これはジョジョ三部の方の復讐者であるポルナレフなどにも共通するのだが、まず復讐対象は冤罪や更生の可能性が一切なく、誰がどう見ても死んで償うべき人間の屑であることが望ましい。また復讐に他者を巻き込むような方法を取ることも避けるべきだ。
そして何より重要なのは、復讐を果たしたとしても本当に「自分の運命への決着」を付けられるかどうかだ。ジョジョの登場人物は誰も彼も強靭な(悪く言えば「漫画的」な)精神力を誇り、だからこそ憎むべき敵を倒してそれで終わりにすることができる。
だがジョジョという漫画以外の状況では、人間は得てしてそれほど強くなく(良く言えば「現実的」であり)復讐を果たしても心が納得しないとか、直接の復讐対象以外にも憎しみを広げたりとか、エルメェスの台詞では解決できない状況になることもある。
そうなると、エルメェスが否定した「復讐なんかをして失った者が戻るわけではない」とか「許す事が大切」という言葉にも一定の意味が生じる。そういう言葉で心が揺らぐ人間は元より復讐などすべきではないということだ。
ちなみに、復讐の場面ではないがジョジョ七部には「心が迷ったなら、撃つのはやめなさい」という台詞も存在する。このような言葉も併せて考えたいところだ。

360フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:58:48 ID:bwHCI11c
534 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/17(月) 23:57:29.03 ID:C5i68sXW
「勇者と泥棒の話、1」
ジョジョとは全く無関係な話になるのだが、「ドラゴンクエスト」を始めとするコンピューターRPGの主人公である勇者には、しばしば民家のタンスや壺からアイテムを無断借用する、つまり盗みを働いているかのような行動を取らせることができる。
果たして、あの勇者の行いは本当に泥棒なのだろうか。例えば、本当は町の人たちとの色々な会話の結果アイテムを譲り受けているところを、要領の都合でそういった諸々を省略しているだけだという解釈を行う者も古くから存在している。
だが、その作品の中で本当にその行為が盗みとして扱われる場合もある。そうすると、それ以外の場所で行った「盗み」は、本当に泥棒行為なのか、それともそれ以外の場所では穏便にアイテムを譲ってもらっているだけなのか、判別が難しくなる。
それに、パロディ的なギャグとして勇者が泥棒であることを殊更に強調した表現もかつては多々見られたものだ。ここまで来ると、例えば解釈はプレイヤー次第という穏当な思考法では片付かないようにすら思える。
私見としては、あれは単に町中の探検や宝探しの楽しみを味わうためのギミックであり、そもそもそういった現実的な視点から見るべきものではない、と考えているのだが、ここで一つ、別の考え方をしてみたい。

361フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:02 ID:bwHCI11c
535 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/18(火) 00:02:25.50 ID:EealCGv+
「勇者と泥棒の話、2」
ドラゴンクエストの一作目は、プレイヤーの操る勇者が王城から旅立つ場面より始まる。その王城には鍵の掛かった扉の向こうに宝物庫らしき部屋があり、いくつもの宝箱が置かれている。宝の番人のような兵士もいる。
だが、その扉を開けることができるのはゲーム開始からずっと後の話だ。その王城はゲームの開始時と終了時に必ず立ち寄らなければならないので、プレイヤーはいつもその宝箱を横目にゲームを進めることになる。
果たしてあの宝箱の中には何が入っているのか。泥棒したいかどうかはともかくとして、プレイヤーは気になるはずだ。
ところで、このゲームではラスボスを倒して世界に平和を取り戻すために必要なアイテムの一つとして「太陽の石」というものがある。そして「太陽の石」は王城のどこかにあるというヒントが手に入る。
するとプレイヤーとしては、あの宝物庫の宝箱を確認せざるを得ない。本当はその宝物庫に「太陽の石」は無いのだが、初見のプレイヤーにそれは分からないからだ。(なお「太陽の石」は王城内の別の場所で、盗むのではなく譲ってもらえる)
また、宝物庫の宝の番人に話しかけると「真の勇者なら盗みなどせぬはずだ」と、まさにこれから盗みを働く、あるいは既に盗みを働いた後の勇者を咎めるような台詞を言う。とはいえ、咎める以上のことはしてこない。
このゲームは昔の作品なのでとにかく容量が少ないのだが、それでも勇者が呪われた装備を付けていると王城から追い出される、などという細かいイベントまで実装されている。そんな中、勇者が盗みを働いたことに対する罰は無い。
それはもちろん、この一連の流れは言わばゲームの開発者がプレイヤーを騙しているようなものだからということもある。ヒントに従って素直にゲームを進めていたら泥棒扱いされて、しかも罰まで受けるなんて酷すぎる話だろう。
だが、私の解釈としてはそれだけではない。あの宝の番人は間違ったことを言っている。真の勇者なら、盗みを働いたという誤解を招いてでも、やらなければならないこともあるのだ。

362フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:27 ID:bwHCI11c
551 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/18(火) 23:34:51.95 ID:EealCGv+
ジョジョ二部に登場する柱の男カーズは、シュトロハイムの放った重機関砲の弾丸を「輝彩滑刀の流法」にて切り裂いてみせたが、それを目撃したシュトロハイムもジョセフも、また漫画のナレーションすらも、ただその刃の切れ味を強調するばかりだった。
これはおかしな話であり、そもそも自身に向けて一分間に六百発発射される弾丸を切断して防御するという圧倒的な運動の速度が全く無視されてしまっている。ジョセフに至っては、カーズの突きや蹴りなど普通の攻撃なら波紋で防御できるとすら言っている。
ジョジョ一部ではスピードワゴンが吸血鬼ディオの動きを「動きの速さは動物の豹程度」「ツェペリさんの波紋法を身につけたジョースターさんなら見切ることは可能」と言及していた頃からすると、非現実的なほどのインフレ具合だ。
現実的な話をすれば、この辺りのカーズの異常な描写は「今の人間の科学では奴には勝てん」というシュトロハイムの台詞通り、柱の男は科学力では倒せない、やはり波紋法しかない、という作中設定を改めて提示するためのものでしかないのだろう。
(そもそも死んだはずのシュトロハイムが機械化して生き返ったのも、そんな非現実的な科学力ですら柱の男には敵わない、という設定を強調するためのものと言えなくもない)
ただまあ、無理矢理にでも作中内の理屈で説明を付けるなら、カーズの「輝彩滑刀の流法」は単に刃を高速回転させて切断力を高めるだけでなく、実はカーズ自身の肉体の運動速度を一時的に向上させるという働きもあり、
そんなとてつもない運動速度でもジョセフならお得意の先読みで攻撃を予測しつつ波紋防御すれば、普通の攻撃なら何とかなると考えた……といったところか。
(一応三部以降でも、「灰の塔」戦、「吊られた男」戦、「メイド・イン・ヘブン」戦など、圧倒的なスピードを持つ相手に先読みで攻撃を当てる描写は散見される)

363フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:37 ID:bwHCI11c
574 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/20(木) 23:26:42.32 ID:JZNOPwsS
ジョジョ八部ジョジョリオンに登場する東方鳩の「ウォーキングハート」は、最大4mほど踵を伸ばすという……何と言うか、あまりにもシンプルな能力だ。シンプルすぎて何だか心配になるくらいだ。
だが壁に踵を突き刺し、本体ごと壁を歩いて登るという発想は結構面白い。この手の近距離パワー型スタンドは、例えば本体を担いで走るといった移動はなかなか行わないもので、
スタンド能力を用いて本体ごと移動する場合は、スタンドのパワーだけで力尽くに行うよりも、やはり能力を絡めて行うのがやりやすいのだろうと思われる。
この「ウォーキングハート」も、他にも踵を急激に伸ばし、ジャンピングシューズの要領で本体ごと大きく跳躍するとか、そういう本体ごとアクロバットな戦いを行うのが意外と有用な能力なのかもしれない。


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