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フェイク『男』のチラシの裏

197フェイク『男』:2007/10/21(日) 01:37:52 ID:c5R33DJE
239 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:33:46 ID:QyRzFY8c
自然界には現在の人間では及びもつかないパワーやシステムが内在している、という事実をエコロジー思想に転用すると、
(フェルディナンド博士がそうだったように)「人間は科学技術なんかに己惚れるな。身の程を知れ」という発想になりがちだ。
だが「敬意を払う」という概念により大自然から黄金長方形を見い出し、
これを用いて人間の「技術」を更に高めるというツェペリ家の回転の技術は、
大自然の偉大さと人間の努力を両立させる、生命賛歌や自然賛歌を踏まえた人間賛歌であると言えよう。

236 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:28:22 ID:QyRzFY8c
「おめーのスタンドは本体の目の届かないところで戦えるスタンドじゃねえだろうがポルナレフッ!」(三部、エボニーデビル)

「銀の戦車」には上記の通り視覚が無いとされているが、しかし銃弾を見切るほどの動体視力はあった。
一方「星の白金」には写真を分析するほどの視覚が有るのに、DIOの承太郎に対する血の目潰しは有効だった。
これらの問題は、例えば「近距離パワー型スタンドの持ち主は、自身の視力が高められている」とか、
「近距離パワー型スタンドは本体の視界内にのみ、そのスピードに準じた鋭い視覚が働く」と考えれば辻褄が合う。
また、遠隔操作型は本体とは別に視覚があり、本体とそれを共有する、
自我所有型や自動操縦型は本体とは別に視覚があっても本体とはそれを共有しない、などの類型に分けられる。

234 名前: フェイク『男』 投稿日: 2007/10/21(日) 01:25:13 ID:QyRzFY8c
努力と継続によって得られる「技術」に対して、何の努力も無く手に入る「超能力」は、
その本質として、人間の後ろ暗さや精神の暗黒面を強く暗示していると考えられる。
だが超能力を様々に活用し、戦闘の中で知恵や工夫を尽くすのも「勝つための努力」であろうし、
己の超能力に己惚れたり苦しんだりすることなく、一般人の中で普通に日常を過ごすのも「継続」の力だと見なせる。
言わばこれもまた「悪の力をもって正義を行う」という、
ゴージャスアイリン、魔少年ビーティー、バオー来訪者と一貫していた概念の一つであるのかもしれない。


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