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('、`*川魔女の指先のようです
202
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:09:07 ID:9ft78oqo0
(,,゚Д゚)「聞いたことがあります。
〝魔女〟は観測手なしで大胆かつ正確な狙撃をすることが出来ると。
そんな人間が味方に付けば、かなり心強い。
餌にだってなってくれそうですよ」
結局のところ、相互利益のために利用し合うだけの関係だ。
ギコの言う通り、餌として利用することで裏切り者の行動をコントロールすることも出来る。
主導権を互いに握られないように動くことは、互いに理解している事だろう。
それを表に出さずにいられれば、裏切り者ですら想像できない関係を築くことが出来る。
( ・3・)「そもそも、そいつを信頼していいのか?」
当然の危惧を口にしたのは、やはり、指揮を執るボルジョアだった。
互いに恨みを持つ者同士。
いつ銃腔が背中に向けられるか分からない状況は、好ましいとは言い難い。
( ・3・)「……が、それを気にしていたら何も進まないか」
それでも、天秤にかけて判断を下すのもまた、ボルジョア自身だった。
ここでいくら危惧をしても、強力な味方が一人作れることを考えれば、当然の結果だった。
ほっと胸をなでおろしつつ、タカラが手を挙げて賛成の意志を示した。
( ,,^Д^)「驚かせないで下さいよ。
自分も、ハインリッヒ曹長の提案に賛成です」
これで、全員がペニーの協力に対して賛成の姿勢となった。
胸の内はどうあれ、事態を好転させ得る可能性が高まったことは、士気を高めるにはいい材料だった。
( ・3・)「それで、どう打ち合わせをするんだ?」
从 ゚∀从「まずは顔合わせをしたいと向こうが言っていました。
互いに顔を確認して、殺し合いを避けたいと」
( ・3・)「確かに、撃たれたらたまらないからな。
時間と場所は?」
从 ゚∀从「今夜十一時、山腹にある公園です」
ボルジョアの視線が泳いだ。
言わんとすることは、ハインリッヒにも分かっている。
( ・3・)「部隊の配備が完了している時間だぞ。
そんな中、出て行くのか……」
ある程度の権限が与えられているとは言え、そこまで大胆な行動が出来るかどうか、正直、誰にも分からない。
部隊の目的はイルトリアの生き残りの抹殺であり、彼ら軍人の目的も必然的にそれと同じになる。
同じでなければならないのだが、狙撃チームである五人がしようとしているのは、真逆の事だった。
これから先の協力体制を確認するために顔を合わせ、見逃すことだ。
203
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:11:08 ID:9ft78oqo0
他の人間にこの事が伝われば、彼らは軍を裏切った人間としてつるし上げをくらう事だろう。
友軍だけでなく、同じ狙撃チームの人間二人を殺された立場でこの決断を下すには、かなりの決断力が求められる。
彼ら五人にとっても仇討の対象と顔を合わせるのは苦渋の決断だが、その原因を作った人間に対する憤りの方が大きかった。
今は、誰が何と言おうとも狙撃手に対する復讐の気持ちを抑え込み、そして目的を果たすことの方が重要だ。
( ・3・)「その問題は、後でどうにかするとしよう。
さて、実は別の話があるんだが、ちょっと気になった事があってな。
スクイッド二等軍曹が死ぬ前、ある人物と会っていたのが分かったんだ」
从 ゚∀从「誰ですか?」
( ・3・)「アルバトロス・ミュニック大尉だ」
( ,,^Д^)「アルバトロス大尉が、ここに来ていたんですか?!全く姿を見た記憶がないのですが」
驚くタカラの反応に、ボルジョアは頷いた。
( ・3・)「俺も、見なかった。
だが、確かに大尉がこの基地に来ていて、通信室に上がるのを見た歩哨がいるんだ。
それに、カリオストロ・イミテーション大尉も目撃されているが、増援が来た際には俺も見た記憶がない」
アルバトロスとカリオストロは、ジュスティアが抱える敏腕スナイパーの五指に入る人間だ。
作り上げた逸話は数知れず、積み上げてきた勲章の数も尋常ではない。
噂によれば表沙汰に出来ない黒い仕事も多く手がけ、軍に多大な貢献をしてきた伝説の兵士だ。
問題なのは、それだけの人間が、今日まで目撃されなかったことにある。
まるで、湧いて出て来たかのような伝説の出現に不信感を抱いたのは、報告をしたボルジョアだけではなかった。
名前の挙がった二人は最高の狙撃手であり、その腕前をもってすれば、狙撃チームから遥かに離れた地点から守衛所にいた男を撃ち殺すことなど朝飯前だ。
それに、徹甲弾を持っていたとしてもなんら不自然ではない。
( ・3・)「スクイッド二等軍曹の死と無関係とは思えない。
これも一応胸に留めておけ」
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
澄み切った夜だった。
注意を払えば星が輝く音さえ聞こえてきそうな、静謐な夜だった。
虫の声も収まりつつある夜中の十時三〇分。
グルーバー島の中心に聳える山の近くに住む人間は、寝酒を飲んでも眠れるかどうか不安な気持ちだった。
グルーバー島から外部へと通じる橋は戦車によって完全に封鎖され、迫撃砲を牽引する車輌は山の麓に配備され、
野戦服姿の数人の砲兵がその周辺で弾薬の確認作業を行っている。
そこから少し離れた茂みには装備の最終点検を終えたばかりの、やはり野戦服を着た屈強な軍人がこれまた数人、赤いライトで地図を照らして地形の把握を行っている。
素人の人間が見ても明らかに大規模な軍事作戦が展開され、その説明は一つも住民にされていなかった。
深夜まで営業している酒場で、私服姿の五人の軍人が酒ではなくコーヒーを飲んで時間と時期が来るのを待っていた。
ボルジョアを筆頭とするジュスティアの狙撃チームは、腕時計とコーヒーを何度も交互に見やり、耐えるように時間を過ごしていた。
204
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:13:23 ID:9ft78oqo0
作戦はシンプルだった。
山中に狙撃手を探しに行くという体で、狙撃手と合流するものだ。
民間人の夜間外出を制限する権限はジュスティアにはないため、民間人に扮して公園で顔合わせを行う。
それに、〝魔女〟については性別しか分かっておらず、本名や顔も知らされていない。
つまり、今夜会う人間が何者であれ、顔が分かっていない以上は安全な立場でもあるのだ。
( ・3・)「そろそろ行くか」
腕時計を見て、ボルジョアがつぶやく。
硬貨をテーブルの上に置いて、五人は無言で店を出て行った。
よく冷えた夜風が彼らの体を正面から殴りつけた。
過ごしやすい、涼しい夜だ。
その風の中、ボルジョアは自分が吐いた不安の溜息が誰にも気づかれていない事を願いつつ、ハインリッヒに先導をするよう視線で合図をした。
ハインリッヒは頷き、四人を引き連れてひっそりと不気味に静まり返った街を抜け、山道を登り始めた。
木立の落とす影の中、五人は自分達が他の仲間に対して背信行為とも言える事をしていることに、後ろめたさを感じていた。
仲間に声をかける事が出来れば、イルトリア人と手を組むという事もなく、こちらの力だけで裏切り者とその仲間を見つけ出せる。
ボルジョアはそれが悔しかった。
パレンティとヒッキーは掛け替えのない戦友だった。
裏切り者は当然憎い。
だが、その戦友を奪った狙撃手も憎かった。
そう思っているのは、この五人全員がそうだろう。
感情をどうコントロールするか、それが問題だ。
狙撃手はあらゆる兵科の中でストレスに対する耐性が最も強く、感情のコントロールも得意とする。
利害を天秤にかけ、一時的に正義の行いから目を瞑るのも不可能ではない。
街路灯一つない山道を歩き続け、やがて、ハインリッヒが足を止めて指を差した。
从 ゚∀从「あそこです」
茂みに半ば隠れていた木製の階段を踏みしめ、殺風景な公園へと五人は足を踏み入れた。
見渡しはよく、隠れる場所も豊富にある。
月光は上手い具合に木々に遮られ、闇も多い。
黒い水平線に見える灰色の雲と黒い海に浮かぶ白波のコントラストは、不安を煽るが、どこか安心出来る風景だった。
夜の海はどこか温かで、そのまま引き込まれたら二度と帰って来られなくなるかもしれない。
視線を茂みに戻し、それから腕時計に向ける。
約束の時間まで、後七分ほどあった。
油断なく周囲に目を光らせていたギコとタカラは、腰のホルスターに手を伸ばしたままだ。
从 ゚∀从「銃から手を離しておけ」
ハインリッヒに指摘され、二人はそこで初めて気付いたかのように手を腰から遠ざけた。
从 ゚∀从「そうでないと、相手に無駄な警戒を――」
('、`*川「――そうでなくとも、警戒はしますよ」
205
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:14:44 ID:9ft78oqo0
弦楽器が奏でる音色のような凛とした声のした方向に、そう命じられたかのように全員が顔を向ける。
海を背にしたその人物はゆっくりと濃い影の中から現れ、月光に照らされて幻想的な雰囲気をその全身に纏い、
夜空と同じ色の艶やかな髪と鳶色の瞳を持ち、マウンテンパーカーとカーゴパンツ姿の女性の姿が露わになった。
その妖艶な存在感は、正に、魔女の名に恥じない禍々しささえ感じさせる物だった。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
視線が一斉にペニーに向けられ、その瞬間、表現し難い緊張状態が訪れた。
互いに仇を目の前にしているのだから、当然の事だろう。
ペニーは彼ら全員を殺すつもりだが、それは最終的な話であり、今の話ではない。
今は、互いに片付けるべき事態を前にしている身だ。
殺し合うのは、その後でも間に合う。
彼らも、ペニーがその気になれば五人全員が屍として地面に転がっていたことは、彼女が察知されることなく公園内に潜んでいたことで理解してくれただろう。
('、`*川「砲兵隊、それと戦車隊が増えましたね」
挨拶の必要はないと判断し、ペニーは先ほどの会話から、指揮を執っていると思われる男に声をかけた。
男は淡々と回答した。
( ・3・)「あぁ。 あんたをよほど殺したいんだろうな」
('、`*川「そう。 それは怖いですね」
砲兵隊は厄介な存在だ。
戦車は正直、山中に隠れていればそこまでの脅威には感じられない。
機動力を削がれた戦車に轢殺される心配はない。
砲塔の動きも制限される森の中であれば、戦車はペニーを殺すことは出来ない。
問題なのは、迫撃砲で砲撃されることだ。
榴弾は正確に相手に当てる必要はなく、むしろその爆風と破片で被害を与える事を目的に使用される。
仮にペニーが山奥に身を潜めて狙撃を行っても榴弾の雨を撃ち込まれれば、運が悪ければ爆風で手足を欠損することもあり得る。
酷い時には山火事へと発展し、蒸し焼きにされかねない。
それに、砲兵隊と戦車隊は戦争時に姿を現すのが普通で、人間狩りのために派遣されることはあり得ないのが常識だ。
だが、常識は現にこうして打ち破られた。
たった一人を相手に砲兵隊というのは破格の待遇だが、全く嬉しくない。
市街地に逃げ込めば民間人を巻き込むことから用をなさない部隊だが、
これから先の作戦を考えると街中での狙撃はそう何度も出来ないため、必然的に人家から遠ざかって山の方に行かなければならない。
そうすると、砲撃が大いに威力を発揮することだろう。
派遣を決めた人間の思惑がどうであれ、ペニーは間違いなく苦戦を強いられることだろう。
('、`*川「それで、ここにこうして来たという事は、私の提案に同意して下さるという事ですか?」
今度は、ハインリッヒを見た。
彼女は控えめに頷いた。
206
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:16:51 ID:9ft78oqo0
('、`*川「それは良かった。
私の名前はハインリッヒさんから聞いていると思いますので、自己紹介は省かせてください。
皆さんの名前を教えていただいてもよろしいですか?」
顔だけでなく名前もセットで認識しておけば、事が済んだ後でその人間を簡単に探し出すことが出来る。
ペニーは、決して復讐を止めるつもりはなかった。
彼らが本名を名乗るか、それとも偽名を使うかは、任せる他ない。
一つ確実なのは、ハインリッヒという名前は彼女の本名だという事だ。
やや逡巡し、男は一人ひとりを指さして話をした。
( ・3・)「こいつらはギコ、ジョルジュ、タカラだ。
そして俺がボルジョア。
あんたの予想通り、俺がこのチームの指揮を執っている」
名前から察するに、ジュスティアが誇る狙撃手の〝サンダーボルト・ギコ〟と〝ジョルジュ・ビー・グッド〟だろう。
優秀な狙撃手だと聞き及んでいるが、実際に同じ戦場にいたことはないだろう。
('、`*川「よろしくお願いします、ボルジョアさん」
( ・3・)「握手はなくていいだろう。
それで、これからどうするつもりなんだ?」
('、`*川「私は私のやるべきことをやるだけですが、そうですね、取り急ぎ貴方達の軍の注意を惹かせてもらいます。
私なりのやり方でね。
そうなれば、自ずと動くはずです」
それが意味するところを、ボルジョアは理解出来るだろう。
あくまでも共闘態勢を取るのは目の前にいる五人とだけであって、ジュスティア軍とは争いを続ける。
今夜、この五人以外の軍人全員に対してペニーは狙撃手が狙撃手たる所以を教え込むつもりだ。
砲兵隊が出てこようが、戦車隊が道を塞ごうが、ペニーは戦友の死に関わった人間、邪魔をする人間全員を相手に復讐を果たす。
胸に秘めた激情を悟られぬよう、感情を殺した表情と声でペニーは続けた。
('、`*川「そちらはどうするのですか?」
( ・3・)「こちらのするべきことをするだけだ。
情報として、いくつか話しておくことがある。
我々の知らないところで、大物の狙撃手が派遣された。
タイミング的には増援の際に来たらしいが、その際に我々は見ていないんだ。
つまり、事前にこの島に潜んでいたと可能性があるという事だ」
('、`*川「……なるほど、留意しておきます」
ペニーを襲った強化外骨格の持ち主である可能性が高いことは、黙っておくことにした。
それに、その狙撃手の名前を言わないところを見ると、彼らもペニーにそれを知らせる必要はないと判断しているのだ。
ならばこちらも、言う必要はない。
('、`*川「連絡はハインリッヒさんを経由して行いたいのですが」
207
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:18:08 ID:9ft78oqo0
面識の時間、そしてペニーに直接悩みを打ち明けようとしたその誠実さを考えれば、五人の中で最も信頼できるのが彼女だった。
ある程度予期していたのか、ハインリッヒは驚いた様子を見せなかった。
ボルジョアもそれに反対も異論も口にせず、頷いた。
( ・3・)「異論はない。
だが手段はどうする?」
('、`*川「必要な時に公衆電話を使って連絡を取り、こちらで場所を指定してそこで連絡を行います。
都合上、こちらからの一方通行になりますが」
危惧するべきは双方を苦しめる裏切り者の存在だ。
下手に居場所を知らせる連絡を行えば、ペニーが危険に晒される。
( ・3・)「いいだろう」
('、`*川「ところで、裏切り者に心当たりは?」
( ・3・)「いや、例の狙撃手二人も可能性でしかない。
それはこちらで調べる」
ペニーは腕時計に目をやった。
一〇時五分。
もうそろそろ頃合いだろう。
('、`*川「そろそろ別れましょう。
お互いに、しばらくの間は間違えても銃腔を向けないように」
六人は視線を合わせることでそれを挨拶とし、ハインリッヒを除いたジュスティア軍人四人はペニーの前から静かに立ち去った。
その場に残ったハインリッヒに、ペニーは小さく声をかけた。
('、`*川「……それで、本当にいいんですか?」
从 ゚∀从「貴女が言ったんでしょう?お互いにプロとして仕事をしたって。
パレンティ少尉とヒッキー曹長が殺されたのも、貴女の戦友達が殺されたのも、同じことですからね。
……連絡先はここに」
メモに書かれた電話番号をペニーは覚え、頷いた。
彼女の言葉については正にペニーが言ったことそのままだったため、言及することはしなかった。
从 ゚∀从「では、また……ペニーさん」
今度こそ、ペニーの前から全ての軍人がいなくなった。
完全に気配が消えたのを確認してから、そっと溜息を吐いた。
最後にハインリッヒがペニーの名前を口にした際、そこには、憎しみの気配があったが、別の物――好意に近い種類の感情――も確かに共存していた。
遅かれ早かれ殺す相手に感情を持ってはいけない。
何度も言い聞かせてきた事だが、心が突き刺されるような感覚は、いつもペニーの罪悪感を刺激してきた。
('、`*川「……さて」
208
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:19:58 ID:9ft78oqo0
罪悪感が生まれようが、ペニーは銃爪を引き絞る。
狙いは違わず、一撃必中を心掛け、常に静かな死の運び手として戦場を駆け巡る。
砲兵隊がいようとも、ペニーは復讐を果たす。
茂みに隠しておいたライフルケースを背負い、車道ではなく茂みの中を歩いて山頂を目指した。
ジュスティアが戦争を望むのならば与えてやろう。
ペニー一人を仕留めるために大軍を送り込み、正義を果たすと息巻くのならば、その息の根を止めてやろう。
先ほどまでの凪いだ状態の心に、強烈な殺意が芽生える。
宣戦布告はとうの昔に済んでいる。
後は火種が投じられれば、燃え広がり、どちらかが灰になるまで争いの火は燃え続ける事だろう。
五人の軍人と別れてから一時間後。
事前に目を付けていた見晴らしのいい場所で歩みを止め、ライフルケースを降ろしてドラグノフを慎重に取り出した。
木々の間から降り注ぐ月光が光の柱となり、幻想的な森の風景を作り出す。
さながら、ペニーが手に持つライフルは魔女の杖のようにも見えた。
冷えた風が体を撫で、ペニーの髪をふわりと舞い上げた。
ヘアゴムで髪を後ろで一つに結んでから、麓に待機している砲兵隊をライフルスコープで見下ろす。
煌々と光る照明が重迫撃砲を照らし、その周囲で談笑をする兵士を見つけた。
口の動きを読むことは出来ないが、油断し切っている。
彼らが持ち出した火砲の種類は不明だが、地形的なことを考えると迫撃砲と野戦榴弾砲辺りが持ち込まれているだろう。
最悪の場合、自走砲を持ち出している可能性もあり得る。
距離は約七〇〇メートル。
必殺必中の距離だ。
サプレッサーを使っても当てられないことはない距離だが、防弾着を貫通するのは無理だ。
しかし、ペニーはサプレッサーをライフルケースから取り出して銃腔にねじり込んだ。
しっかりと固定されたことを確認し、その場に座り込んだ。
片膝を立て、左手で抱き込むようにしてライフルを構える。
棹桿を引いて薬室に初弾を送り込む。
送り込んだのは、普通の人間には使われることの無い弾種だった。
堅牢な装甲を貫通し、ダメージを与えることに特化した徹甲弾だった。
静かに息を吐き、大きく息を吸う。
そして、ゆっくりと息を吐き出して呼吸を止めた。
心臓の鼓動の音が耳に響く。
風の音と波が砕ける音、虫の声。
ペニーの周囲の世界が凝縮され、極限にまで研ぎ澄まされた集中力と人間離れした感覚で、絶妙に銃腔を動かして狙いを定める。
銃爪を撫でるように引き絞り、抑え込まれた銃声が短く森に響く。
だがその銃声は、直後に発生した爆発音によってほとんど人の耳には届かなかった。
爆発音は最初の一つに続き、複数同時に発生した。
ペニーが狙ったのは人間ではなく、砲弾だった。
209
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:21:48 ID:9ft78oqo0
動かず、そしてペニーの殺気に気付くことの無い無機物は一発の銃弾によって、砲兵を巻き添えに爆発したのだ。
また、爆発の衝撃によって迫撃砲の破壊にも成功した。
オレンジ色の爆炎が火の粉と共に夜空に昇っていく様子を、ペニーは無言で、そして無表情で見下ろした。
視線の先には炎に焼かれて死んだ人間、四肢を吹き飛ばされて歪な形になった人間、飛び出した臓物を抑え込んで苦しむ人間がいるかもしれないが、心は痛まなかった。
落ちていた薬莢を拾い上げ、ペニーはサプレッサーを外し、安全装置をかけたライフルをケースに戻して山を下りようとした。
正にその時、ペニーの背筋に何か冷たいものが走り、正体不明の悪寒がした。
その悪寒が正しかったと証明されたのは、混乱の極みにあると思われた麓から赤い炎が上がり、ペニーの頭上を砲弾が通過し、彼女の背後で爆発が起きた瞬間だった。
ペニーの攻撃に対して、砲撃が返ってきたのだ。
奇襲を受けて即応したとは思えなかった。
反撃されるにはペニーの位置が分かっている必要がある。
斥候がペニーの位置を把握し、報告することでそれが完成するが、ペニーはまだ発見されていないはずだった。
ペニーの行動が読まれているしか思えない。
砲兵相手にも油断なく攻撃を仕掛け、攻撃をするのであれば山中からであると予測の出来る切れ者が、ジュスティア軍を指揮しているようだ。
木々を薙ぎ倒さんばかりの爆風がペニーの背中を押し、耐えきれずに転倒して数メートル転がり落ちた。
顔に軽い擦過傷を負ったのを痛みから理解したが、その程度の傷で彼女の意識が一ミクロンたりとも動くことはなく、立ち上がってからすぐに状況の把握に努めた。
爆撃から逃げるために急いで山を駆け下りようとするも、眼下でライトの光が動いているのを見て、すぐに踵を返した。
反応が速く、準備が良い証拠だ。
相手がこちらの動きを予期しているのならば、すでに島の北側にも部隊が配備されているだろう。
典型的な挟撃だ。
機動力のあるバイクは近くになく、どうにか突破口を探すか作るしかない。
蜂の巣をつついたかのような砲撃が始まった。
どの砲撃も無駄なものはなく、確実にペニーの動きを追っていた。
つまり、予想して砲撃位置を変えているのではなく、ペニーの動きを聞いてから砲撃をしていることになる。
誰かがペニーを見ているのだ。
だがこの暗い森の中、どうやってペニーの姿を視認するのだろうか。
木々に囲まれ、熱源を可視化する装置を使っても、それが無害な人間の物なのか、ペニーのそれなのか分からなければ攻撃は控えるはずだ。
絶対的な自信を持ってペニーを追える存在、それは――
('、`*川「これが話にあった狙撃手……」
狙撃手に赤外線でマークされているのだ。
いつからペニーを探していたのか、それはこの際考えないことにする。
今は現実的な問題として、ペニーは正確な砲撃を受ける状況にあるのだ。
狙撃手がどこにいてペニーをマークしているのか、それを知る方法はある。
つまるところ、赤外線は見る人間を選定できない。
道具さえあれば誰にでも見えるのだ。
ペニーは大木を背に、再びライフルを取り出した。
向こうが赤外線照射機を使っているのならば、ペニーの使用する暗視装置付のスコープにそれが映るはずだ。
照射するという事は、常にペニーの動きに合わせてそれを向け続けなければならない。
つまり、発射されているところに標的がいるという事だ。
210
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:24:15 ID:9ft78oqo0
弾倉を通常弾の物に交換し、素早くスコープを覗き込んだ。
そして、予想通りにサッカーボールの二倍ほどの太さのある赤外線レーザーがまるでスポットライトのように照射されていた。
場所は、街の方からだった。
単純な直線距離に直すと二キロ以上離れた場所。
高さがあり、見通しの良い建物と言うと、グレート・ベル以外には有り得なかった。
また、相手が撃ってこない理由もその距離が原因だと分かった。
だが、ペニーにとってその距離はさほど大きな問題ではなく、すぐにでも狙撃を行える姿勢を取った。
片膝立ちとなり、照準器にある距離測定器を用いて大雑把な距離を導き出す。
悠長な狙撃は行えない。
狙うのは狙撃手が持つ赤外線レーザーを照射している道具だ。
赤外線レーザー自体は非常に小型で、ライフルの銃身下部に取り付けることも出来る。
だが、砲兵がそれを視認出来るよう出力を上げると、自ずと大型になってくる。
つまり、射撃用の的と大差ない物を狙い撃てばいいのだ。
予備があっても、一度場所が知られた狙撃手は同じ場所には留まらない性質を持っている。
深く深呼吸をして、狙いを定める。
銃腔を上に向け、放物線を描いて弾が着弾するように調節を行う。
風の強さを考慮し、やや左に修正。
そして、銃爪を引いた。
銃声と反動の後、赤外線レーザーはスコープ上から消えた。
これでペニーを狙う砲撃は止められるが、山を登ってくる兵士達にペニーの位置を把握されただろう。
銃腔をグレート・ベルから眼下の森に向け、近づいてくる人の熱源を確認した。
そして十字線を適切な位置に合わせ、銃爪を引く。
銃腔を左にずらし、別の人間を撃つ。
三発目の銃弾が三人目の兵士を撃ち抜いた時、ペニーは立ち上がって山の北側に向けて駆け出した。
薬莢の回収は諦めた。
再び砲撃が始まったが、ペニーの位置が分からない状態で行われる砲撃は最初の頃と比べてその精度が落ち、明後日の方向に着弾する弾もあった。
山全体が振動しているかのような爆音が耳を聾し、眠りについていた動物達が目覚め、悲鳴のような鳴き声を上げて空を舞い、地を駆けて逃げ出した。
紅蓮の炎が山を焼き、木々が爆ぜる音が背後からする。
山火事へと発展し、事態はより深刻化し、戦場の様相を呈しつつある。
炎を背に斜面を駆け下りるペニーの目に、ライトの光が映った。
即座に木を蹴って急制動をかけ、ライフルを構えた。
銃声に気付いたらしく、動きが慌ただしい。
だが爆音が彼らにペニーの位置を把握させるのを邪魔した。
高所の優位性をいかんなく発揮し、ペニーは相手に気付かれる前に五連射した。
全ての弾は残らず急所に当たり、銃声の数だけ死体を作り出した。
死体の傍まで近づき、装備を物色する。
ダットサイトとブースターの付いたコルトM4カービンライフルを奪い、弾倉やナイフ、果ては手榴弾まで揃った防弾着を脱がしてそれを着た。
やがて森を抜け出て、海に面した車道へと辿り着いた。
全力で走っていたため、ペニーの呼吸は乱れていたが、休んでいる時間はなかった。
211
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:24:39 ID:9ft78oqo0
どうにか北東の道にまで来たが、ペニーが拠点にしているホテルは南にある。
上手くジュスティア軍の横を通り抜けなければ、街に戻るのは無理だろう。
物量を誇るジュスティアに対して打撃を与えるには、森の中で部隊を分断させるか、市街戦によって民間人への攻撃を危惧させて攻撃力を低下させるかの二択だ。
今は前者の状態だが、砲兵隊という援護を考えると、あまり利巧な戦い方とは言い難かった。
すでにペニーがいなくなった山に向けて砲撃が続いている。
その砲撃は異常なまでに徹底して行われ、山の北側にまで着弾していた。
むしろ、南から北に向けて徹底して潰していくような砲撃だった。
爆発で大気と地面が震え、稜線の向こう側では炎が大きくなり、空を赤く染めていた。
飛び散る火の粉は空に浮かぶ星のように輝き、黒煙は雲のように漂った。
無人となったジュスティアのハンヴィーが車道を塞ぐように停まっているのを見つけ、ペニーは乗り込んだ。
エンジンをかけて道路を塞いでいた車体を動かし、街に向けて走らせたところで、対向車線から迫る車輌に気付いた。
大きさから推察すると、セダンだろうか。
軍用車ではなさそうだ。
そして突然、セダンはライトをハイビームにしてペニーの目を眩ませてきた。
('、`;川「くっ!」
反射的にブレーキを踏み、タイヤ痕が地面に残る程の減速を行った。
ハンドルを切って助手席側をライトの方向に向けさせた咄嗟の行動は、その結果としてペニーの命を救った。
速度を上げたセダンは躊躇うことなくハンヴィーに突っ込み、助手席を押し潰した。
ペニーの判断がもしも逆だったら、今頃ペニーの両脚は千切れていた事だろう。
突然の衝撃に驚きながらも、ペニーはグロックをホルスターから抜くという常人離れをした行動に移っていた。
身に染みついた戦闘経験は、次にその銃腔を砕け散った助手席のガラスの向こうに向け、銃爪を引くことを選択した。
三発を運転席の下方に向けて撃ちつつ、ペニーはアクセルを踏み込んだ。
相手が誰であれ、待ち伏せをされた。
ならば、この場に留まっていれば間違いなくペニーを潰す手段を実行に移してくる。
潔く撤退を決めたペニーに、セダンの運転手は拍手の代わりに窓から出した手に握るマイクロウージー短機関銃のフルオート射撃で喝采を送った。
高速で放たれた三〇発の銃弾は、ハンヴィーの後部座席の窓を砕き、車体を穿っただけで済んだ。
ハンヴィーはセダンを押しのけて体勢を整えようとするが、後輪に体当たりをしたセダンがそれを妨げる。
再びペニーは衝撃で体をドアに叩き付けられるが、アクセルから足は離そうとしなかった。
だが後輪の軸が曲がったのか、ハンヴィーは少しも前に進まない。
ペニーは即断した。
シートベルトを外し、鹵獲したM4カービンライフルを手に取ってそれをセダンに向けてフルオートで全弾発砲した。
フロントガラスが砕け、皮張りのシートが吹き飛ぶ。
運転手は素早く身を屈めていたため、銃弾の洗礼を躱したが、次に投げ込まれた手榴弾を前にしては諦めるしかなかった。
セダンとハンヴィーが鉄屑となる前にペニーは車外に飛び出し、茂みに隠れて爆発をやり過ごした。
カービンライフルの弾倉を交換し、ペニーは茂みの中で腰を下ろして再度計画を練ることにした。
脱出するには、相手の目から離れなければいけない。
上手く逃げたと思った矢先にセダンの攻撃を受けたことを考え、相手は二重三重の備えで山を囲んでいたことが分かる。
車道を使って街に最短で戻る道は失われたと考え、別の道を模索する。
212
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:25:05 ID:9ft78oqo0
再び山に戻るのは自殺行為だ。
山狩りをする勢いで兵士が送り込まれ、運悪く砲撃が直撃しないとも限らない。
裏をかいて海に向かうのも一つの手としてありだが、十分な装備もないまま海を泳いで港を目指すのは非常に危険だ。
だからと言って、このまま舗装路に沿って進むと、海沿いに山を大きく迂回して島の西側に出てくることになるだけで、
状況を悪化させることにはなっても好転させることはなさそうだ。
海か、山か。
道は二つに一つだった。
勿論、こうなる前に下調べはしていた。
ハインリッヒ達が裏切る可能性は十二分にあり、場合によっては公園で殺すことも想定に入れていた。
敵兵の配置を調べ、砲兵隊の存在も砲弾の位置も把握していた。
脱出手段として考慮に入れていたバイクを取りに戻るためには、森に戻る必要がある。
ライフルさえ隠し通せれば、ペニーはまだ民間人として通用するだろう。
しかし、ドラグノフはペニーにとっての生命線だ。
狙撃手がライフルを手放すなど、言語道断だ。
問題はバイクの位置と、それが無事であるという保証がどこにもないことだった。
砲撃が正確無比に打ち込まれ、そして、ランダムに打ち込まれたことによってペニーが隠したバイクが爆発の被害に巻き込まれているかもしれなかった。
山火事になった今、森に戻ってまで無事かも分からないバイクを探すのは無謀だ。
非常に惜しいが、オフロードバイクとはここでお別れだ。
現実的な問題として、機動力か隠密性を確保できなければ現状を打破するのは難しいだろう。
正面突破は非現実的であり、最終手段として選ぶべき選択肢だ。
一〇数秒、ペニーは貴重な時間を使って考えた。
その答えは、海を泳ぐことだった。
救命胴衣や浮力のあるものを使えば、海中に沈まずに港まで泳いでいけるだろう。
そのためには、崖を下って海岸に出なければならなかった。
急斜面を下る際には、足場の確認をしつつ、慎重に進むのが鉄則だが、月光を頼りに下るのはいささか心もとなかった。
それに、悠長に考えている時間も斜面を下る時間もなさそうだった。
ペニーは決断し、まずは浮力を持つ道具を手に入れることにした。
爆発四散した二台の車の傍に向かい、燃え盛る残骸の中からセダンのタイヤを見つけた。
車軸から外れてホイールは黒く焦げていたが、タイヤの中にあるチューブは無傷だった。
それを一つ持ち上げ、ガードレールの向こう側に投げ捨てた。
それに続いて、ペニーも素早く崖を下った。
崖の下には、悠久の時間の中で角を失った大きな岩がいくつも転がる岩場があった。
崖のすぐ下には巨大な岩があるが、海岸に近づくにつれ、その大きさは小さくなっていく。
正面から海風が強く吹き付ける非常に開けた場所で、言い方を変えればそれはつまり発見されやすい場所でもあった。
近くの岩の間に挟まるようにしてペニーが投げ捨てたタイヤを見つけ、すぐにナイフでタイヤの表面を切り裂いた。
そしてチューブを取り出し、そこに空気が十分に詰まっていることを確認した。
タイヤの表面と違って柔らかいゴムで作られたチューブは、ペニーに十分な浮力を与えてくれる。
ペニーが何より浮力を欲するのは、ライフルが海に浸からないようにするためだった。
塩水は木と鉄で作られた銃にとっては天敵であり、海水に浸ってしまった場合は長い時間をかけての調整が必要になってくる。
213
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:25:32 ID:9ft78oqo0
ライフルケースは防水防塵仕様となっているが、それは豪雨に濡れるレベルの防水加工であり、水に浸けるとなると、流石に長くはもたない。
岩場を進んで出来る限り距離を稼ぎ、海岸線沿いに波打ち際を泳いで手近で安全な浜に上陸するのが得策だ。
グルーバー島を時計回りに進むと、必然的に一本の橋の下を潜らなければならない。
グルーバー島とオバドラ島を繋ぐ橋だ。
そこは現在戦車隊が封鎖をしている場所であり、兵士達が警戒をしている場所でもあった。
そこをどうにか通過し、街に戻らなければならない。
安全な浜までの距離は優に一〇キロ以上あるが、それは最短距離の話で、兵士の目を避けるとなると遠回りも必要になってくることだろう。
ライフルが無事であることはペニーの命にもつながってくる。
海兵隊の間ではよく、興味があるのは性能の良いライフルだけだ、という言葉がやり取りされるが、正にその通りだった。
性能の良いライフルは、使用者の命を救う。
特に、ペニーのドラグノフは彼女の狙撃の精度に大きく関係してくるライフルであるため、潮水によって失うのは避けたい事態だった。
岩場で足を滑らせないように気を付けつつ進み、散発的に砲音が山の方から響いてくるのを他人事として聞き流し、巨大な崖が壁のように現れたところで足を止めた。
ようやく、ここが入り江だと気付いた。
ブーツと靴下を脱ぎ、それを靴紐でしっかりと結び合わせた。
カービンライフルを除き、身につけていた全ての武器を衣服で包んでからライフルケースにしまい、止水ファスナーが確実にしまっていることを確認した。
それをチューブの上に乗せて黒い水面に浮かべた。
波は穏やかで、波打ち際にも静かなものだ。
裸足で海に静かに入り、そして、下着姿になったペニーは冷たい海水にその身を沈めた。
夏でなければこの海水はペニーにとって命取りになりかねなかった。
もともとよく冷えて澄んだ山水が流れ込む海だけに、冬場には刺すような冷たさがペニーを襲ったことだろう。
季節に救われたことを感謝しつつ、ペニーはゆっくりと泳ぎ始めた。
音を立てないように泳ぎつつ、チューブの上のライフルケースが濡れないように細心の注意を払う。
ペニーはまず、岩でチューブに穴が開かないよう、岸から離れて泳いだ。
牛歩のような速度だった。
海軍に次いで泳ぎの得意な海兵隊だが、ライフルを濡らさないようにと気を遣いつつ、
自らの右手側で煌くライトの明かりと人目を気にしなければならない状況下では、満足な速度での移動は不可能だった。
いつ熱源探知をされるのかも分からない中、ペニーは重圧にも近い緊張感の中、海中で足を動かし続けた。
視線は常に島の方を向きつつ、意識はライフルにも向けられていた。
数ある訓練の中でも、錘を四肢に付けて夜の海に放り投げられ、自力で岸まで泳ぎ切る訓練は、
死者が出るほどの過酷さを極めるが、その訓練を生き延びた兵士は大きな自信を身につけることになる。
ペニーもその訓練を何度も経て、精神的な面で鍛え上げられている。
そのペニーが、今、焦りを感じ始めていた。
すでに海岸線沿いに車輌が動き、無駄だった砲撃が止んでいた。
彼らはペニーがすでに山から姿を消し、どこかに逃げていることを突き止めたのだ。
車のヘッドライトが島の北に向かい、時には南に向かって行き交う頻度が高まっていた。
ペニーを探しているのは明らかだった。
体を隠すようにして、ペニーは水中に体をより一層深く沈めた。
潮の強烈な香りが鼻孔を突き抜けた。
それは開戦の味だった。
それは屈辱の味だった。
214
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:27:00 ID:9ft78oqo0
圧倒的な数を前にした戦争の始まりの味だった。
怨嗟の味、辛酸の味だった。
夜の海はペニーに味方をしてくれた。
波がなく、風は西から吹き、ペニーの体を押し流した。
徐々に橋が見えてくると、ペニーはやはりそこに、人工の明かりを見出した。
更に悪いことに、サーチライトは橋の下に向けて照らされていた。
彼女が別の島に逃げることを想定しての動きに違いなかった。
成程確かに、ペニーがグルーバー島から別の島に逃げ込めば、彼らの用意した立派な軍隊は意味をなさなくなる。
だがそれは、ペニーの作戦にはない考え方だった。
ゲリラ戦で彼らを仕留めるためには、まずその動きの限界値を知る必要がある。
一人で斥候、威力偵察、実行、バックアップを行わなければならない。
そして、最前線にいなければどれも出来ない事だった。
やらなければならない事。
逃げてはならない事。
ここは彼女の戦場で、これは彼女の戦場なのだ。
逃げるなど、言語道断なのだ。
復讐を果たすことを燃料に、ペニーは泳ぎ続けた。
橋をどう攻略するか、ペニーは考え始めた。
ゲリラ戦を徹底するのであれば、ここは見つからずに通り過ぎたいところだ。
この要所を突破できれば、街に戻ることが出来る。
袈裟懸けにかけていたライフルのブースターを使用し、海上から相手の人数を探った。
サーチライトの数と街灯に照らされた人影から、橋の傍には五人、戦車には三人ほどが搭乗しているものと考え、
ペニーの死角に人がいると予想すると合計で一〇人ほどの兵士がいることになる。
ライフルの弾数で言えば事足りる数だが、現実的に考えて排除するのは無理だ。
検問所の役割を果たしているのは橋の両端だ。
そこに陣取る彼らの目を欺くには、橋の真ん中程まで遠回りに泳ぎ、迂回をして陸地を目指す他ない。
予期していた事だが、まだ泳ぎ続けなければならないのは避けようがなかった。
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ごみひとつ落ちていない綺麗な砂浜にペニーの素足が足跡を付けた時、すでに日付は変わり、水平線の彼方に夜明けの気配さえ感じ取れそうだった。
彼女の味方をしたのは波風だけでなく、空も同様だった。
流れてきた雲が月明りを弱め、おかげでペニーは姿を見られることなく動くことが出来た。
上陸したのは島の南東にある小さな入り江だった。
白い砂はまるで上品な砂糖を思わせる色合いをしていて、永い、気の遠くなるほどの歳月が様々な生物の残骸からその砂を作り出したのだった。
あまりにも小さな入り江であるため、人の目の心配はなさそうだった。
小高な丘と崖に囲まれたこの入り江は、その小ささ故に海水浴場として使われていないようだ。
かなり好都合だ。
215
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:27:28 ID:9ft78oqo0
全身が海水に濡れ、染みるような痛みのおかげでようやく擦過傷が顔に出来ていることに気付けた。
手を当ててみると、左の頬に幾つか細かな傷があった。
だが痛みは彼女にとって、気にするべき様なことではなかった。
それが顔に負った深い傷であったとしても、ペニーは一ミクロンたりとも気にしなかった。
上陸する前にペニーはカービンライフルを海中に捨てていた。
ジュスティアのライフルを持っていればどう言い訳をしても疑われるし、持ち運ぶ利点がこれと言って見いだせなかったからだった。
結局橋を通る際にも一発も使わず、邪魔になったほどだ。
それに、使い慣れない銃をいつまでも持っている趣味はなかった。
濡れた体に風が吹き付け、軽く身震いをする。
ライフルケースからドラグノフに巻き付けていた衣類を取り出し、素早く着た。
幸いにしてライフルケースに浸水はなかった。
まだ復讐は果たせる。
油断をしていたつもりはなかったが、より一層気を引き締めなければならないだろう。
ペニーの動きを想定したのか、それとも聞いていたのかは分からないが、あれだけの距離から正確にペニーをマークしていた人間は相当な腕前を持っているのは間違いない。
一般兵ではなく、狙撃の力を持つ人間に違いなかった。
腕時計で時間を確認すると、明け方の三時を回っていた。
漁の準備をする人間がいるかもしれないため、ペニーは何食わぬ顔で浜から街中に姿を溶け込ませ、誰ともすれ違うことなくホテルに戻った。
無人のロビーを通り過ぎて自室に戻って施錠をし、ペニーはすぐに熱いシャワーを浴び、同じぐらい熱い湯を張った浴槽に体を漬けて疲労を体から抜くことに注力した。
体中から疲労が湯船に抜け出すような感覚に、深い溜息を吐いた。
瞼を降ろし、何度も深く呼吸をする。
全身の筋肉を弛緩させ、体と湯との境目を曖昧にしていく。
短い戦闘だったが、これで分かった事がいくつかある。
ジュスティアにはペニーがまだ接触していない狙撃手が数人おり、その狙撃手が最初の基地襲撃を助長した可能性が大いにあるという事。
軍の持つ戦闘力は想像を越えないが、それを振るう事に彼らは一切のためらいを捨てているという事。
キャンプ場にいる民間人の事を考えていれば、昨夜は砲撃などしないはずだった。
避難命令もしていなかったことから、なりふり構わず攻撃をするよう指示を受けているに違いなかった。
つまり、状態としては非常に興奮しているということだった。
このような場合、相手の冷静さが欠如している点を狙うのだが、ペニーの行動を予測することの出来る人間が指揮を執っていることから、それは避けて、更に大胆に攻めた方がいいだろう。
ゲリラ戦の基本は攻撃と撤退によって相手の混乱を助長し、爪先から細切れにして殺すことだ。
そのためには恐怖や情報を利用し、最小限で最大限の戦果を得なければならない。
恐怖の生産は狙撃手の得意分野だ。
そして、相手の出来る事、出来ない事は分かった。
つまり、不完全ではあるが情報が手に入ったという事だ。
戦いの舞台を街中に持ち込み、砲撃と戦車の機動力を削ぎつつ、確実に死体を増やしていく。
昨夜の事は威力偵察の盛大な成果だったと考えればいい。
また、自分が多少なりとも油断していたことを戒めるいい機会にもなった。
たっぷり一時間、ペニーは風呂でその身を清めた。
その間に戦術を考え、戦略を練り、次に起こすべき行動は睡眠と食事、そして戦闘である事を決定した。
風呂から上がり、ペニーは下着姿のままで仮眠を取り、次に目を覚ましたのは朝の八時だった。
216
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:28:05 ID:9ft78oqo0
八月十一日。
後にこの日は、すでに勃発していたデイジー紛争を象徴する日として公の歴史に記録されることになるのだが、
それは、その日の昼に放たれた一発の銃弾が決め手となったのであった。
第五章 了
217
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:29:31 ID:9ft78oqo0
第六章 【デイジー紛争】
八月十一日の朝刊は、どこの新聞社も一様にティンカーベルで起こった大規模な戦闘について一面で報じ、その詳細については推測と島民から得た情報を元に書かれていた。
様々な憶測が書かれる中で共通していたのは、イルトリア軍とジュスティア軍の戦闘であり、これまでジュスティアが発表してきた情報の多くは嘘であることが露呈した。
ジュスティア軍の高官はコメントを控え、砲兵隊や戦車隊をティンカーベルに派遣した理由については、保安上の問題で配備したものであり、
決してイルトリアと一戦を交えるためではないと強調したが、警告もなしに山に向けて合計で一〇〇発近くの榴弾を撃ち込み、山火事を引き起こしたことについては頑なに口を閉ざした。
モーニングスター新聞の紙面を見ながら、イルトリア軍海兵隊大将ヒート・ブル・リッジはカフェインレスのコーヒーを一啜りした。
連日連夜の会議と軍事訓練のせいで、彼女は睡眠がほとんど取れていない状態にあった。
僅かな時間の隙間を見つけては細かな仮眠を取り、体力の回復に努めていた。
軍人用の食堂で特別に作らせたローストビーフとレタスのサンドイッチを食べ、またコーヒーを啜る。
食事は可能な限りするべきというのが、ヒートの持論だった。
それは彼女が従える全ての部隊に徹底して周知され、教育されている。
ヒートは記事の精度を気にしていなかった。
気にしていたのは、ペニサス・ノースフェイスの動きについてだった。
彼女の事を全て知っているわけではないが、彼女の行動理念については知っているつもりだ。
海兵隊に所属する全ての兵士は同じようにして訓練され、そして完成されるからだ。
これから先、彼女は徹底して復讐を果たすことだろう。
だが砲兵隊と戦車隊の派遣に対して、果たしてどこまで粘れるのか、というのがヒートの見解だった。
確かにペニーは優秀な狙撃手で、一人で一〇〇人を相手にすることも出来るだろう。
だがそれは、戦場という数多くの敵味方が入り乱れる場所での話で、文字通り一人で軍隊を相手に戦うには限界が来る。
それがいつなのか、ヒートの興味はそこにあった。
すでにペニーの教え子達は勇んでティンカーベルに向かおうとしているが、ヒートはそれを認めなかった。
今はまだ、その時ではない。
大切なのは彼女がどの段階を限界として認識し、身を引くかだ。
彼女が撤退の意志を固めた時、初めてヒートは海兵隊を動かそうと考えていた。
生き証人であるペニーがいれば、彼女の復讐は間接的にではあるが果たせる。
今は、彼女の気が済むまで戦わせるしかない。
軍服のボタンを緩め、ヒートは深く溜息を吐いた。
ペニーは死んでも撤退をしないだろう。
かつて彼女が観測手を失った時も、彼女は相方の血に濡れた状態で救出班に保護された。
その瞬間まで、ペニーは銃を決して手放さなかった。
その姿を思い出すと、やはり、彼女は決して復讐を途中で投げ出す人間ではなかった。
だがそれは、ある意味で最もイルトリア軍人として理想ともいえる姿だった。
仲間のためには命を投げ出し、全力でその任務を果たす姿勢は、教本に載せてもいいぐらいだ。
だからこそ、ヒートは考えなければならなかった。
ペニーがこのまま復讐を果たそうと奮闘した結果、何が残るのだろうか。
復讐とは何かを得るために行うのではないが、彼女が命を失ってしまっては元も子もない。
危惧されているジュスティアとの戦争だが、実際には起きないだろうというのがヒートの予想だった。
一人の兵士相手にどれだけの軍隊をあてつけようとも、イルトリアは決して軍を派遣しない。
派遣するのは救出部隊だけであり、増援ではないため、戦闘は起きない。
さて、とヒートは冷めかけたコーヒーを一度飲み干し、ポットから注ぎ足した。
218
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:31:02 ID:9ft78oqo0
ここまで状況を整理し、会議に持ち込み、得られた結果は静観と調査だった。
民間人から流れ出たペニーの情報は、ジュスティア軍でさえも正確に把握出来ていなかった事だと、ヒートは思っていた。
ペニーの存在自体は知られているが、そこまで有名な存在と言うわけではない。
女の狙撃手は歴史的に見ても優れた者が多く、それは、女性ならではの精神力がもたらした結果と言えた。
それ故にイルトリアには数十人の女性狙撃兵がおり、名を馳せたことのある狙撃手であれば、数百を越えるだろう。
ペニーはまだ若く、発展途上にある。
だがその存在が容易に知られたのには、イルトリアの人間が関わっている可能性が高かった。
仮にドラグノフの弾丸を見てそこからペニーの存在に行き着いたのだとしても、あまりにも説得力に欠ける話だ。
ドラグノフは民間にも広く出回り、過激派から猟師にまで普及している名銃であり、誰が使ったとしても不思議ではない。
狙撃の精度を加味しても、世界中にいる狙撃手の中からすぐにペニーに辿り着くにはあまりにも早計だ。
ヒートの知る限り、ジュスティアにとって非友好的な組織でドラグノフを使う狙撃手は一〇数人以上いる。
ジュスティア軍に対する報復と決めつけ、ペニーに的を絞って捜索を行うのはあまりにも都合がよすぎる解釈である上に、極めて異常な対応だ。
そうするとやはり、ペニーの存在を仄めかした何者かがおり、その人物はペニーがあの島にいる事を知っていた人物になる。
まず行われたのは、ペニーが島に滞在している事を知っていた人間の身辺調査だった。
先に生者、次に死者の順で調査が行われた。
結果は白だった。
全員がジュスティアに協力する理由もなく、それによって得をする組織に所属もしていなかった。
だが、報告書に記載されていたある人物の言動がヒートには気になっていた。
報告されている限り、それは街にとってプラスに働くはずの物だが、決して無視出来ない何かがあった。
死んだとされるその人物は、あるいは、生きてまだティンカーベルにいるかもしれない。
彼は数多の戦場を戦い抜き、生き抜いてきた猛者だ。
その彼が死んだ状況を考えると、やはりいささか不自然さが拭い切れない。
多くの兵士が狙撃されたのに対して、その男と他の人間は一か所に固まり、そこで爆死した。
それがイルトリア軍人としてあるまじき死に方であり、不自然極まりない最期だった。
まるで、そこに集まるよう誰かに唆され、殺されたかのようだ。
次に吐いた溜息は、その日ヒートが吐き出した中でも最大の物となった。
同じ軍人を疑うのは海兵隊の頂点に立つヒートにとって、気持ちのいいものではなかった。
そして何より、それが分かったところで、現場にいるペニーにそれを伝える手段はない。
こちら側から決着をつける手立てはなく、全てをペニーに任せる他なかった。
裏切り者の正体やそのヒントを伝えることも、イルトリア軍は出来ない。
一計を講じてイルトリアとジュスティアを争わせようとする者の目的は、正に、戦争そのものにあった。
戦争を引き起こせば、姦計に巻き込まれて死んだ両軍の兵士にとっては本望ではないだろう。
ジュスティアに連絡をするか否か、その提案を次の会議でヒートはするつもりだった。
裏切り者の存在に気付いているのは、彼女だけではないだろう。
特に今大混乱を極めているのは、間違いなく海軍のアサピー・クリークだ。
彼は直属の部下が裏切りを企て、大勢のイルトリア軍人を死に至らしめたとあっては、管理責任を問われるだけでなく、どう決着をつけるのかが注目される。
手出しの出来ない状況下では手を拱くしかないため、アサピーは厳しい戦いを強いられている。
無論、市長もそのことを理解はしているだろうが、このまま黙っている人間ではない。
何かしらの対抗手段や反撃を講じるだろう。
219
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:32:24 ID:9ft78oqo0
目頭を押さえ、ヒートは熟考する。
裏切り者の可能性を持つ男は、ペニーの存在を疎ましく思うと同時に、重要な駒として見ているに違いない。
確かにペニー一人がいれば戦場を作り上げるのは不可能ではないし、それは現に実証されている。
逆にそれがヒートにとって、不可解な点でもあった。
メンツを重んじるジュスティアが一人の兵士のために砲兵隊や戦車隊を派遣するだろうか。
そこまで切羽詰っているのか、それともそう思わされているのか。
いずれにしても、このまま踊らされ続けるのは海兵隊としては気に入らない。
影法師がいるのなら、せめてペニーのためにその影法師の邪魔をするのが上官としてヒートに出来る唯一の事だ。
出来る事が一つなら、それを徹底的にやるしかない。
ヒートは電話に手を伸ばし、影法師の邪魔を始めることにした。
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
時を同じくして、遠く離れたティンカーベルにあるホテルの一室で、ペニサス・ノースフェイスは同じモーニングスター新聞の一面を眺めながら、
マグカップに注いだたっぷりの紅茶と山盛りのサラダ、そしてバターを塗ったトーストの朝食を摂っていた。
朝刊に昨夜の事が大々的に書かれているのを見て、遂にジュスティアの情報統制が崩れたのだと理解し、それは軍そのものの影響力が低下していることを示唆していた。
つまり、昨夜のペニーの戦闘は無意味ではなく、立派に相手の混乱を誘発して弱点を晒させるという大きな成果を生み出したのである。
だがこの戦果は彼女にとって、十分な物ではなかった。
もっと大きくしなければ、ジュスティア軍内部の裏切り者が反応をしない。
更に多くの血と屍を生み出し、動かざるを得ない状況を作り出すためには、大胆な襲撃が必要になる。
ペニーはライフルケースを背負い、ホテルから出て行った。
その鳶色の瞳は固い決意でぎらつき、煉獄の炎を彷彿とさせた。
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朝刊の内容も衝撃的だったが、昨夜にこうむった全体の被害の方が衝撃的だった。
重迫撃砲が二門、砲弾三〇発が失われ、死傷者は二九人。
山の南側だけでなく、北側にも撃ち込んだ砲弾の数は一〇〇発以上。
得られた成果はゼロ。
作戦指揮官である陸軍大将テックス・バックブラインドは網を張って狙撃手一人を戦場に引きずり込んだつもりが、逆に網を食い破られるという屈辱を味わうことになった。
妙な遠慮をしてしまったのがそもそも原因だった。
次の作戦では一切の遠慮はしないとテックスは固く誓った。
情報提供者から得た狙撃手の名前、姿を兵士達に共有し、市街地に隠れ潜んでいるペニサス・ノースフェイスという魔女を狩り立て、火炙りにしてそれをイルトリアの愚か者共に見せつけてやるのだ。
然る後、イルトリアとジュスティアはこんな見せかけだけの戦争ではなく、本物の戦争が始まる事だろう。
望むところだった。
軍人として生きてきて、戦争を嫌いになったことなど一度もない。
戦争こそが軍人にとっての生き場所であり死に場所なのだ。
ジュスティア陸軍の優位性を世界に知らしめ、秩序の守護者としての名を取り戻すのだ。
内線電話を取り、短縮番号を押した。
220
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:33:07 ID:9ft78oqo0
「私だ。
狙撃手についての情報が手に入った。
書類を取りに来てくれ。
あぁ……それを全員に共有するんだ」
テックスは狙撃手の情報を全兵士で共有するように徹底させることで、この馬鹿げた小競り合いは終わり、大戦の火種として役割を果たすことだろう。
すでに彼の頭の中では盤上に駒が並び、ペニサスの駒を取るために動き始めていた。
次に彼女が動きを見せるとしたら今夜だ。
闇夜に紛れて市街地か、それに準じた場所から嫌がらせのように弾を撃ちこんでくる腹積もりだろうが、こちらはそれに備えて今の内から夜戦の用意をしておく。
そうして万全の状態で待ちかまえ、今度こそ細切れにしてやるのだ。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
その情報は野火のように広まった。
ある者は食堂で。
ある者は警備の途中で。
そしてまたある者は、兵舎の一室で会議をしているところに回ってきた書類が、その情報を知らせた。
そのうちの一人、ハインリッヒ・サブミットは抑えた口元から悲痛な叫び声が漏れ出た。
从;゚∀从「……嘘でしょ!」
(;,,゚Д゚)「くそっ!」
彼女の声に被るように、ギコ・コメットの声も上がった。
二人は書類の文面を疑う事はしなかった。
ただ、そこに書かれていたことは事実として受け止め、そしてその事実について考えなければならなかった。
その二人の動揺を目の当たりにしたジョルジュ・ロングディスタンスも驚いていたが、それを態度に出すようなことはしなかった。
だが、やはり、驚きは押し殺すことが出来なかった。
タカラ・ブルックリンとボルジョア・オーバーシーズは書類から目を逸らさず、一言一句確認するようにして紙を凝視している。
(;・3・)「本部が調べたのか、それともタレこみなのか、考えるのは止めよう」
紙に並んでいるのは、ペニサス・ノースフェイスという女性狙撃手についての容姿と特徴だった。
些細な情報だが、一人の人間を探すには十分な情報だった。
だがそれは、彼らが昨夜実際に会話を交わした女性と特徴も名前も一致する。
言い方を変えれば、彼らの内の誰かが情報を流出させたこともあり得るが、ハインリッヒも含め、誰も彼女のフルネームを聞いていない。
空気を整えるための一言をボルジョアは口にした。
(;・3・)「とにかく、事態が動いたぞ」
ペニサスの行動は間違いなく内部の裏切り者を焚きつけ、ここまで行動を起こさせた。
221
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:35:40 ID:9ft78oqo0
分かった事が一つある。
ペニサスの事をよく知る人物がこの一連の動きに関わっているという事だ。
可能性として濃厚なのが、イルトリアに内通者がいるということ。
そして内通者から情報を手に入れられるのは、当然、裏切り者という事になる。
裏切り者は情報を軍内部に広めるように通達し、ペニサスの抹殺を試みたのである。
そしてそれを行えた人物はただ一人。
陸軍大将だけなのだ。
( ・3・)「俺達は裏切り者を見つけた。
後は、追い詰めるだけだ。
相手が大将だろうと、関係ない」
ボルジョアの力強い言葉が他の全員を奮い立たせた。
彼らはペニサスの協力によって、陸軍に巣食う癌細胞を見つけ出したのだ。
見つけた後は除去をしなければならないが、まずはそれが本当に悪性の腫瘍なのか、見極める必要がある。
相手はただの士官ではなく、陸軍を束ねる人間。
もし本当に彼が裏切り者であれば、これはジュスティア陸軍史上最悪の裏切り行為になるだろう。
从;゚∀从「でもどうやって追い詰めるんですか?」
( ・3・)「決定的な証拠を掴む。
そして、それを本土に送るんだ」
当然ともいえるハインリッヒの疑問に答え、ボルジョアは書類を折り畳んだ。
とは言ったものの、その決定的な証拠をどのように見つけるのかが重要なのは事実であり、それをまだ考え付いていなかった。
考えられる中では、テックスが協力者と連絡を取り合っている会話の内容を録音することだが、そのためにはもう一度大きな動きをペニサスに起こしてもらうしかなかった。
だが彼女と連絡を取ることは出来ず、完全に一方通行の状態となっているため、どうにかして合流して打ち合わせをしたいところだった。
半日も経たずにここまでの成果を上げられた彼女なら、きっと、ボルジョア達の役に立ってくれるはずだろう。
書類には夜戦に備えておくようにと書かれていたことから、日中に動いてペニサスと会って作戦を練ることも出来そうだ。
( ・3・)「ハインリッヒ、ペニサスを探しに街に行ってくれ。
あいつがどう動くのかが分かれば、裏切り者の尻尾を掴めるはずだ」
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
魔女が現れるのは夜と相場が決まっているが、イルトリア海兵隊に所属する〝魔女〟は違った。
箒も黒装束に身を包んでもいないが、黒いポロシャツとジーンズ姿の彼女は紛れもなく魔女だった。
銃弾で多くを変える魔法使いの女だった。
青々とした水平線には純白の入道雲がいくつも浮かんでいた。
嵐が来そうな雲模様だった。
彼女はあらゆる環境を好み、あらゆる状況を受け入れた。
例えば、青空に白い雲が浮かび、夏の太陽が頭上に輝く真昼でも彼女は問題視しなかった。
世界を白く染め上げる吹雪の中でも、風が荒れ狂う嵐の中でも、それは同様だった。
彼女にとって自然環境は常に友人だった。
222
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:36:34 ID:9ft78oqo0
魔女は誰にも疑われることなく、背の高い建物の屋上にその姿を見せていた。
屋上の床と同じベージュのシーツを被り、狙撃銃の光学照準器を覗き、その場に伏せていた。
簡素なカモフラージュだが効果は十分だ。
彼女はタイミングを待っていた。
かつて彼女の戦友達がそうされたように、魔女もまた、その瞬間を待っていた。
______________________∧,、___
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午前十一時五九分。
陸軍砲兵隊に所属するアレン・ラサムとギャレス・グラディは、元イルトリアの駐屯基地に持ち込まれた牽引式榴弾砲の点検整備を行っていた。
昨晩の砲撃によって汚れた砲口内を掃除し、万全の態勢を整え、次の戦闘が始まったらすぐに使える状態にしなければならなかった。
砲兵隊で配備されているM777榴弾砲はその威力と性能からジュスティアのみならず、イルトリアの砲兵隊にも配備されている榴弾砲だ。
その巨大な砲口は基地の北側にある山に向けられ、周囲には土嚢が積み上げられていた。
七人がかりで運用するこの榴弾砲は、チームワークを求められる砲兵隊の象徴でもあった。
「しかし、昨日はすごかったな」
掃除をする手を止めずにアレンはギャレスに話しかけた。
「あぁ、あそこまでぶっ放すのは初めてだったよ」
狙撃手撃退のため、砲兵隊の一部は強力な火砲を基地内に設置し、そこから山腹を狙い撃ちにした。
二人もその役割を与えられ、二〇発近くの砲弾を山に撃ち込んでいた。
その名残である火薬の匂いが基地に漂っていた。
その激しい砲撃によって山火事が起き、森の一部が焼失した。
また、砲撃によって山肌が大きく抉れた場所もあったが、民間人の被害者はゼロだったのは奇跡と言ってもいい。
「死体はまだ見つかってないんだってな」
消火を兼ねて狙撃手の行方を探っていた班からは、狙撃手の血痕一つ見つけられなかったと報告があった。
だが、足跡は見つけ出せた。
使用されたドラグノフの薬莢が榴弾の着弾点の傍から見つかったのだ。
腕の一つでも見つかれば、砲弾が直撃したのだと推測できるが、肉片どころか血の一滴も見つかっていない。
山から下りた車道で爆発炎上したハンヴィーとセダンが発見されていることから、狙撃手は山からどこかに逃げたのだと判明し、すぐに追撃部隊が派遣されたが、発見には至らなかった。
「らしいな。
それに、待機していたゴルドー伍長も殺されたみたいだし、どこに逃げたんだかな」
ゴルドーはセダンに乗り、民間人を装って万が一狙撃手が見つかった際に待機している役割を担っていた。
その彼が乗るセダンは彼の棺桶となっていた。
アレンの言葉に、ギャレスは忌々しげに毒づいた。
「性悪女を早くぶっ殺したいぜ」
223
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:38:29 ID:9ft78oqo0
二人は他愛のない会話をしていたが、油断をしていたわけではなかった。
しかしそれでも、意識の外に存在する敵が真昼から攻撃を仕掛けてくることを推測するのは勿論、人生最後の会話がこのような物になってしまうとは予想することは出来なかった。
グレート・ベルの鐘の音が鳴り響いた直後、飛来した7.62mm弾は二人の頭部を肉塊に変え、二人の人生に終止符を打った。
アレンとギャレスが死体となった時、市街地でパトロールをしていたカラム・オケリーとフリデリック・レーマーはあまりに大きな鐘の音に思わず耳を押さえた。
直後、カラムの脹脛が爆ぜ、フリデリックの顎は吹き飛んだ。
しかしその傷は二人を即死させることなく、永い苦悶の時間を与えた。
それを目撃した民間人が悲鳴を上げたが、その声は澄んだ鐘の音に上塗りされて二人の耳に届くことはなく、人生を終えた時に耳に残っていたのは金属の奏でる鎮魂歌だった。
――だが、時代に刻まれる決定的な一発はその後に放たれた銃弾だった。
夜戦に向けて準備をしていた大量の砲弾を銃弾が直撃し、実に数百発の砲弾が誘爆して巨大な爆発を引き起こしたのである。
その爆風と衝撃波はフェンスを薙ぎ倒し、窓ガラスを砕き、熱風は市街地にまで到達した。
近くにいた兵士は文字通り吹き飛ばされ、離れた場所にいた兵士も巨大なコンクリート片の直撃を受けて即死した。
細かな破片は散弾のように周囲一帯に飛び散り、降り注いだ。
一瞬にして静寂は失われ、グレート・ベルの音色でさえその破壊の音を掻き消すことは出来なかった。
基地の一角を丸ごと吹き飛ばしたその爆発こそが、イルトリアとジュスティアの戦争であると歴史に認識させた瞬間だった。
雛菊のように兵士達の命が散っていく様とこの時に目撃された巨大な爆発が雛菊の花びらに似ていたことから、後にこの争いはデイジー紛争と名付けられることとなった。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
サプレッサーを装着したドラグノフをライフルケースに戻し、薬莢を全て回収したペニーは狙撃の成果に僅かな違和感を覚えた。
彼らはこれまでと違った動きをしていた。
兵士達は街中を二人一組で動き、小さな紙を見ながら行き交う人々を指さし、人探しを行っていたのである。
その動きから、例の五人がペニーの情報を流布したとは考えにくかった。
仮にあの五人の誰かがペニーを裏切ったとしたら、このような大規模な動きにせず、ペニーをおびき出して殺せば事が済む。
ましてや、昨夜に会った時点で殺せばそれで済むだけの話だった。
這って屋上の中ほどまで後退し、ペニーは通気口に身を滑り込ませた。
ペニーが選んだのは街では珍しく背の高い一〇階建てのホテルで、基地から二キロ離れた場所にあった。
遠距離狙撃は高い位置から行わなければならないため、必然的にこのホテルを選ぶしかなかった。
宿泊客としてホテルの最上階を予約し、通気口を使って屋上へと上がった。
後はグレート・ベルが鳴るのを待ちつつ、敵の位置と動きを観察していたのだ。
来た時と同じようにしてダクトを伝って部屋に戻り、荷物をまとめた。
ペニーを探している兵士が街中にどれだけ配備されているかは分からないが、基地が吹き飛ばされれば彼らは戻らざるを得なくなる。
その混乱を利用して、ペニーは拠点にしている別のホテルに戻ればいい。
装備を整え、髪を後ろで一つに縛ってから、黒い薄手のジャケットを羽織った。
回転扉を押し開けてホテルを出ると、やはり、街は巨大な爆発の影響で大混乱に陥っていた。
これで島民はようやく自分達が戦争に巻き込まれたことを自覚するだろう。
224
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:39:42 ID:9ft78oqo0
不意に視線を感じたペニーは、咄嗟に片手を後ろ腰に伸ばしてグロックの銃把を指で撫でた。
好意的な視線ではない。
好奇の視線でもない。
限りなく希釈した殺意の込められた視線だ。
額にアイスピックの先端を向けられているような、嫌な気分になる。
視線が途切れたその刹那、ペニーは身を屈め、踵を返した。
銃弾がそれまで彼女の頭のあった位置を通過し、ガラス戸を砕いた。
ガラスを砕き、大理石の床を大きく抉り取ったその威力はただのライフル弾ではなく、ラプアマグナム弾に違いなかった。
そして、その弾はペニーの戦友達を殺した人間が使用していた弾種だった。
銃声は着弾とほぼ同時に聞こえた。
近距離からの狙撃で、高い位置から放たれたことを理解した。
また、その弾種はそもそもの発端であるスペイサー・エメリッヒを死に至らしめた銃弾と同じものだった。
唐突に、脳の中にあった疑念が氷解していった。
散らばっていたパズルのピースが組み合わさり、一つの絵になった感覚だった。
スペイサーは密漁者に殺されたのではなく、狙撃手に殺されたのだ。
山中に隠れ潜んでその時を待ち、狙い撃ったのだ。
風などの自然影響を考慮した狙撃の補正は、ペニーが目撃した強化外骨格が解決してくれる。
自分の感覚ではなく機械の力で狙点を動かし、四肢を完全に固定させ、人体では到達できない領域での狙撃を行ったのだ。
目的はイルトリアとジュスティアの衝突のきっかけを作る事。
一発の銃弾で、その狙撃手はここまで事態を大きくさせたのだ。
火花を猛火へと変えたのだ。
それからその狙撃手は基地を襲い、ハインリッヒ達に攻撃をするように仕向け、基地を攻め落とさせた。
全ては最小限の銃弾が成したこと。
狙撃手として理想的な戦果だった。
アドレナリンが吹き出し、感覚が研ぎ澄まされていった。
発砲炎を目視出来なかったことから、相手の位置は分からない。
逆に、相手はペニーがホテルから出てくるのを待っていた。
紛れもなく腕の立つ狙撃手の仕事だ。
ジュスティア軍が連れてきた狙撃手の内の一人だと思われた。
その人間は、戦友を殺した可能性が高い相手だった。
ペニーは冷静になることにした。
正面から出られないなら、裏口を使うしかない。
だが当然、相手はそれも見越しているだろう。
何よりも気になったのは、どうしてペニーの動きをここまで予測出来たのか、その一点だった。
いくら頭の回る人間でも、ここまで予測できるはずがない。
何かしらの手品があるはずだった。
これまで、ペニーは二度待ち伏せをされた。
一度目は昨夜、砲撃の補助をされた時。
225
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:41:54 ID:9ft78oqo0
そして二度目が今だ。
両方に共通しているのは、ペニーの正確な位置を特定していた事。
尾行者や観察者ではなく、もっと別の何かがペニーの位置を知らせているのだ。
ではペニーほどの兵士にその気配を感じさせず、正確な位置を伝える物とは何か。
ある種の確信を持って、ペニーは部屋に戻った。
部屋についてすぐにカーテンと鍵を締め、ライフルケースを開いた。
念入りにケースの中を調べていくと、ペニーは自分の確信が当たっていたことに言葉を失いかけた。
小型の発信機がケースの底に巧妙に隠されていたのだ。
これはつまり、イルトリア内に裏切り者がいるという事を意味していた。
誰がこれを仕込んだのかは分からない。
分からないが、間違いなく、ペニーは裏切られた。
悔しさのあまり発信機を砕こうかとも思ったが、別の使い方をすれば狙撃手を出し抜けることを考え、思いとどまった。
再びロビーに戻ったペニーは、発信機をゴミ箱の中に捨てた。
これでゴミを回収する人間が発信機を持ち去り、ペニーが動いているかのように偽装することが出来る。
また、ロビーのゴミ箱は常に清潔でなければならないため、その回収される頻度はどの部屋よりも高い。
ペニーはロビーのソファに腰かけ、時期を待った。
清掃員がゴミを回収し、それをホテルの裏口に持って行ったのを確認してから、堂々と正面玄関を歩いて出て行った。
銃弾は彼女を襲いはしなかった。
騒然とする街中を歩き、ペニーは途中で何度か建物の中に入り、尾行者に警戒した。
狙撃手をだませるのはおそらくこの一度だけだ。
服屋で鍔広帽を購入し、顔を隠すことで顔を識別されて撃たれる確率を低下させた。
店を出た時、ペニーは哨戒中の兵士と遭遇した。
それは全くの偶然だった。
正面から見られれば、ペニーの特徴でもある鳶色の瞳も何もかもが露呈する。
兵士は数秒間ペニーの顔を眺め、驚いた表情を浮かべた。
その手が肩にかけたライフルに伸びるも、ペニーはそれよりも速く接近し、左手でライフルの銃身を抑え込み、右手でグロックをホルスターから抜いて兵士の喉元に一発の銃弾を撃ち込んだ。
血飛沫がペニーの顔を汚し、市街地で響いた銃声が、これまでに立ててきたペニーの計画を崩壊させた。
疎らだった人影が遂に全て屋内に消え去り、ペニーの姿は完全に浮き立ってしまった。
致し方なかったとはいえ、ペニーは目撃者が多数いる状況での発砲を選んだ自分に苛立った。
ナイフを使うべきだったかもしれないと後悔しても、もう遅い。
市街戦を想定し、拠点に戻るのは難しいと判断せざるを得ない。
七〇メートルほど離れた路地から銃声を聞きつけた別の兵士が現れ、ライフルを肩付けに構えて発砲してきた。
ペニーの持つグロックの有効射程はおおよそ五〇メートル。
ボディアーマーを貫通できる弾種を使用しているわけではないので、牽制程度に数発撃ち返し、ペニーは倒れていた男を楯のようにして眼前に掲げた。
ごぼごぼと声にならない声を発し、瀕死の男の喉から血が溢れ出てくる。
ぶら下がっていたライフルを掴み、ペニーは牽制射撃を続けた。
呪詛を口走りながら、兵士が建物の影に隠れる。
「ま、……魔女……っ」
226
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:43:07 ID:9ft78oqo0
('、`*川「えぇ、そうよ。
今楽にしてあげるわ」
じりじりと後退し、ペニーも路地に隠れたところで男の後頭部を撃ち抜いて即死させた。
ペニーの宿泊するホテルまで、現在地から北東に約三キロ。
走って行けないこともないがまずは狙撃手を排除したかった。
直接的な復讐の対象ではあるが、最後に殺すなどと言う贅沢は出来ない。
殺せる時に殺すしかない。
グロックの弾倉を交換し、頭上も含めて慎重に警戒をしながら駆ける。
今はまだ迷路の壁のように民家がペニーの頭上を守ってくれているが、目抜き通りを渡らなければホテルには帰れない。
弾薬など必要な装備のほとんどがそこにあるため、今後の行動のためにも一度は戻らなければならない要所だった。
だが当然、目抜き通りには屋根や壁はなく、狙撃手が獲物を狙うには最高の場所だ。
しかし、ペニーはあえて目抜き通りを通る計画を立てた。
狙撃手が待ち受けるのならば、ペニーにとっては好都合でもあるのだ。
発砲場所さえ特定出来れば、対抗狙撃を行える。
ライフルケースからドラグノフを取り出し、サプレッサーを取り外してスリングベルトを肩にかけた。
曲がり角を進む際には細心の注意を払い、跫音が聞こえればすぐにペニーは動きを止めた。
重装備のジュスティア兵は動けばすぐに音が鳴るため、ペニーは間違っても偶発的に接敵することはなかった。
ただし、軽装備の人間に出会う事はあった。
从;゚∀从「あっ!」
('、`*川「……ハインリッヒさん!」
額に珠のような汗を浮かべた私服姿のハインリッヒが曲がり角から現れ、ペニーは構えたグロックの銃腔を斜め下に向けた。
彼女の手には武器が握られていなかった。
从;゚∀从「ペニーさん、裏切り者が分かりました。
……陸軍大将です」
一瞬、ハインリッヒはその言葉を言い淀んだように見えたが、刹那の時間で覚悟を決めて口に出した。
陸軍の最高指揮官が裏切り者であるとは、軍人であれば極力他者に知らせたくない情報だ。
ましてや、敵対関係にある街の人間に伝えるなどジュスティア人であれば言語道断のはずだ。
何か別の魂胆があるのではと疑いを抱きつつ、ペニーは話に耳を傾けた。
从;゚∀从「それと、イルトリア軍にも内通者がいる可能性があります。
今朝、ペニーさんの情報が陸軍大将経由で一斉に軍で共有されました。
島中の兵士がペニーさんを狙っています」
なるほど、とペニーは納得した。
仮に、彼女の推測通りペニーに関する情報を知っているイルトリアの内通者がいるとしたら、勿論協力者に情報を伝えるはずだ。
間に他の駒を使えばそれだけ情報流出のリスクが高まるため、最短で情報伝達を行ったとしたら、協力者に直接伝えるだろう。
今回の場合、その協力者がジュスティア陸軍の最高権力者だったという話で、不自然さはなかった。
227
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:44:13 ID:9ft78oqo0
話としてなんら問題はないが、それが事実かどうかは別の話だ。
だがイルトリア側に裏切り者がいる、という考えは確かにペニーの疑問に対する答えとしては十分だった。
動機などについてはさておき、ペニーのライフルケースに発信機を仕込めたのはイルトリアの人間だけだった。
つまり、ハインリッヒの推測とペニーの推測は合致しており、それは事実であると受け入れた方がよさそうだった。
いずれにしても、昨夜ペニーが起こした騒ぎは両軍の裏切り者にとって極めて不都合であり、なりふり構わず彼女を抹殺するという決断に至るだけの効果を与えられたという事だ。
つまりペニーは彼女のやるべきことを見事に果たせたというわけだ。
('、`*川「やっぱり……イルトリアの内通者は私も予想していましたが……」
从;゚∀从「……もう一つ、悪いニュースがあります」
先ほどよりも一層ハインリッヒの表情が険しくなった。
从;゚∀从「私とギコ以外のメンバーが貴女の命を狙っています」
考えていなかったわけではなかったが、時期が早すぎるというのがペニーの感想だった。
彼女も遅かれ早かれ彼らを殺す考えをしていたため、相手が同じことを考えていたとしても何ら奇妙なことはない。
だがやはり、決断が早すぎるように思えた。
せめて彼らが反旗を翻すとしたらジュスティア陸軍大将の裏切り行為の証拠を掴み、それからの方が自然だ。
从;゚∀从「貴女が殺した兵士の中に、三人の友人がいたんです……裏切り者が分かった以上、貴女との取り決めも終わりだと」
今さらそれを言われても、ペニーとしては頭を抱えたくなるほど愚かな話にしか思えなかった。
ペニーも戦友を殺された。
互いにその恨みは一度忘れ、協力するのが今回の話のはずだった。
('、`*川「貴女はそうじゃないの?」
从;゚∀从「……正直、それに近い感情はあります。
でも、始めたのはこちらが先です」
もし、この女性がペニーにとって敵対する勢力にいなければ、そこには純粋な友情が芽生えたことだろう。
何という正義感。
何という意志の強さ。
他のメンバーの裏切り行為を黙秘しても誰も責め立てないだろうに、それをペニーに伝えるという事は、仲間を裏切るという事になる。
協力関係にある敵対勢力の人間ではなく、共に死地を越えた仲間を裏切るというのは限りなく強い意志がなければ決断し得ないものだ。
その在り方には、尊敬の念さえ覚える。
正義の都に生きる人間として理想的な性格をしているが、戦場では長生きが出来ないタイプだ。
しかし、心強かった。
本当に、どうしてこんな形で出会ってしまったのだろうかとペニーは胸を痛めた。
('、`*川「そうですか……こちらでも分かった事があります。
その話をどこか別の場所でしたいのですが……」
感傷に浸っている時間はない。
ペニーは追われている身であり、ここで立ち話をしている場合ではない。
安全な場所に逃げ込まなければ、兵士や狙撃手に見つかるのは時間の問題だ。
228
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:45:44 ID:9ft78oqo0
从 ゚∀从「こちらへ来てください。
車を用意してあります」
路地を誘導され、閑散とした幅の広い道路に出てきた。
そこにはグレーのセダンが停まっていた。
周囲に誰もいない事を確認してから、ハインリッヒが助手席を開けてペニーに乗るように促した。
罠の可能性も考えられたが、今はその罠に付き合うのも有りだと考え、すぐに乗り込んだ。
二人を乗せたセダンはすぐに走り出し、やがて郊外にまでやって来た。
周囲に民家よりも緑の方が多くなってきた事から、北に向かっているのだと判断した。
この方向であれば基地から離れ、狙撃手や兵士達の目から逃れることが出来る。
ペニーの拠点からは大分離れてしまったが、帰りに送り届けてもらえれば問題はなさそうだった。
山道を進むかに思われたが、逆に、崖の下に広がる鬱蒼とした森へと車は進んだ。
陽の光が次第に拡散され、昼の暑さを忘れさせる。
道路と呼ぶのも危うい未舗装路をまっすぐに進み、獣道のような別れ道を右に進み、やがて、開けた空間で止まった。
そこは陽光の降り注ぐ榴弾の爆心地だった。
木々が内側から外に向けて薙ぎ倒され、中心部の地面が深く抉れていた。
折れた木の幹はまだ新しく、昨夜の砲撃の一発がこの場所に落ちたのだと分かった。
周囲の低木林に狙撃手が潜んでいる可能性は捨てきれなかった。
油断させてペニーを狙撃するのなら、この場所は絶好の狩場となる。
隠れる者にとっては無数の木々が味方になり、狙われる物には身を隠す物が何もない。
狙うとすれば、北側の山中からこの場所を見下ろすことの出来る地点だろう。
距離を計算すると二キロ弱、といったところだ。
腕のいい狙撃手ならば狙い撃てるだろう。
強化外骨格を使用していれば、外すことはあり得ない。
だが彼らが本気で殺そうと思えば、車がこうして停まった瞬間を狙えばいいだろう。
どこまでも疑念を捨てきれない自分に嫌気がさしたが、不快感を顔に出すことなくペニーは下車した。
ハインリッヒが先導し、森の中へと入っていく。
そうしてしばらく歩き続けると、頭上を長く伸びた枝葉に覆われた広い空間に出てきた。
从 ゚∀从「ギコ、連れて来たわよ」
茂みが動き、ギリースーツに身を固めたギコが現れた。
持っていたL96ボルトアクションライフルを肩にかけた。
(,,゚Д゚)「ありがとうございます、曹長」
握り締めたグロックから手を離すことなく、ペニーは二人のやり取りと目線を観察した。
警戒を解かないペニーにハインリッヒが近付く。
从 ゚∀从「ペニーさん、私達は貴女を裏切るつもりはありません。
当初の予定通り、裏切り者を罰するまでは恨みは胸の内に秘めておきます」
('、`*川「他の三人と別の動きをするなら、当然、貴女達は離反者という事で軍に追われることになりますよ」
229
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:46:18 ID:9ft78oqo0
どこの街の軍隊であれ、軍は規律を重んじる。
一兵士が感情で動き回れば、それだけで軍全体の存亡にかかわる事態に発展しかねない。
そのため、軍の訓練で徹底されるのは仲間意識だ。
離反者は次の離反者につながる。
判明した時点で捕えられ、処刑されるのが妥当だ。
その危険性を知らない彼女達ではない。
从 ゚∀从「知っています。
私達の動きが知られるのも時間の問題です。
ですが、その前に私達の意見を聞いてほしかったんです。
……これは、私達が始めてしまったことです。
だからこそ、その責任を取らなければならないと考えています。
ここまでの大事になって、その責任を放棄することは正義とは言えません。
だから正義を果たすのであれば、この事件の全てを仕組んだ人間を罰することが最初です」
ハインリッヒがペニーの素性を知らなかった時、確かに彼女は罪を告解するようにして胸の内を話した。
それは精神的重圧からの解放を望む、人間の自己防衛本能から来る自然的行動だった。
この背信行為は彼女と彼の心が自壊し、自ずと贖罪の機会を求めたと解釈できる。
从 ゚∀从「……大勢の戦友が死にました。
でもそれは、元を正せば私達が引き起こしたことです」
('、`*川「ハインリッヒさん、貴女、それを本気で言っているんですか?」
同じ軍人として、ペニーは彼女の正気を疑った。
彼女の言葉はもっともだし、正論そのものだった。
だが、時に正論は捨て去らなければならない物となる。
特にジュスティアの軍人がそれを口にするという事は、己の非を認める行為そのものだった。
つまりは、正義の使者が悪事を認めるような物だった。
从 ゚∀从「本気です、ペニーさん」
('、`*川「……どうするつもりなんですか?」
問題はその後の行動だった。
真逆の正義感に目覚めたとして、それをどう行動に移し、どのような結果を手に入れるのか。
その計画が無い状態で動いたわけではないだろう。
从 ゚∀从「これを渡しておきます」
ビニール袋を懐から出し、ハインリッヒはそれをペニーに握らせた。
('、`*川「これは?」
230
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:48:03 ID:9ft78oqo0
从 ゚∀从「基地を襲った際、最初に放たれた銃弾です。
多くの遺体が火葬されたのは銃弾を隠すためだと思われます。
ですが、この一発は体を貫通して壁に埋まっていました。
これは私達の持つどの銃からも放たれていないはずです」
ハインリッヒの言葉が証明されれば、それは別の存在が基地を襲ったことの何よりの証拠になる。
それだけではなく、使われた銃を使用していた人間から裏切り者の存在を確かなものとし、ハインリッヒ達の行いが過ちでなかったと彼女の味方達に知らしめることが出来る。
また、ペニーからすればその証拠を追っていき、イルトリアにいる裏切り者の尻尾を掴むいいチャンスにもなる。
それぞれの手で裏切り者に落とし前をつけさせれば、協力関係はそこまでとなる。
ハインリッヒが手に入れた一発の銃弾が、全てを解決させ得る鍵だった。
从 ゚∀从「前にお話しした二人の狙撃手ですが、独自の命令を受けているとのことで、行方が分からなくなっています。
その二人が使うライフルはDSR-1です」
長距離狙撃で絶大な命中精度を誇るそのライフルからはラプアマグナム弾を発射し、一キロ以上先の標的を絶命させ得る力を持っている。
そのライフルを手に入れるには、狙撃手を捕まえるか殺すかしなければ、まず奪い取れない。
気になるのはやはり、行方をくらましたことだ。
狙撃手が迂闊に動いたボルジョア達の動きに感づき、動き出しているかもしれない。
二組に追われるという可能性を考え、ペニーは自分がかなりの窮地に立たされていることを再認識した。
('、`*川「名前は分かりますか?」
从 ゚∀从「アルバトロス・ミュニック大尉とカリオストロ・イミテーション大尉です。
恐らくご存じだとは思いますが……」
('、`*川「〝コールドフィンガー〟と〝ムーンレイカー〟ですね」
名前の挙げられた二名は本名よりも渾名の方で広く知られ、文句なしの凄腕の狙撃手だった。
ジュスティアが誇る狙撃手の中でも、この二人は別格だ。
二人は狙撃手であると同時に、観測手でもある。
この二人は状況に応じてその役割を変え、時にはアルバトロスが狙撃を、時にはカリオストロが狙撃を行う事がある。
互いの呼吸を理解し、得手不得手を理解した完璧な狙撃組としてジュスティア陸軍に多くの伝説を残している。
その名はイルトリアにまで轟き、要注意狙撃手として各軍に広まっていた。
从 ゚∀从「その二人が恐らくは、陸軍大将の手駒として動いているかと」
('、`*川「分かりました。
先ほど街中で狙撃をされたので、その二人に間違いなさそうです。
ボルジョアさん達は今どう動いているか分かりますか?」
从 ゚∀从「街で貴女を捕まえようとしているはずです。
私達もそうするフリをして基地を出て、ペニーさんを探していたんです」
('、`*川「なるほど。
それで、お二人はこの後どうするんですか?」
从 ゚∀从「ギコはこの山からペニーさんを援護します。
私は街に戻って、狙撃手の位置をギコに伝えます」
231
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:50:00 ID:9ft78oqo0
肩を竦めて、ハインリッヒはそう答えた。
('、`*川「その前にハインリッヒさんに頼みたいことがあるのですが」
从 ゚∀从「何でしょう?」
('、`*川「街に戻るのであれば、私の残りの装備を持って来てほしいんです。
それと、私のバイクを」
ここで二人と別れて行動することも出来るが、ペニーは保険を掛けることにした。
('、`*川「その間、私とギコさんで街を見ています。
それならお互いに安心出来ると思うのですが」
言い方を変えれば、ペニーはギコを人質に取るという事だった。
互いの信頼獲得のために、特に、裏切られる可能性が最も高いペニーからしたら当然の配慮だ。
それに対する二人の反応は驚くほどあっさりとしていた。
(,,゚Д゚)「自分は構いません、ハインリッヒ曹長さえよければ」
从 ゚∀从「ペニーさんの装備を回収したら、ここに持ってくればいいですか?」
('、`*川「そうしていただけると助かります」
从 ゚∀从「分かりました。
可能な限り早く届けられるよう努力します」
('、`*川「ホテルとバイクの鍵です。
それと、私の装備は天井裏に隠してあります」
それからペニーは幾つか指示を出し、最後にパニアケースのロックを解除する番号を教えた。
これで全ての荷を積み込み、ハインリッヒがここに戻ってくることが出来る。
この方法なら、ペニーは危険を冒して荷物を取りに行く手間が省ける。
('、`*川「では、一時間後にまたここで」
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フロントガラスから見る街は静まり返っていたが、決して心地のいい空気ではなかった。
商店は昼にも拘らず軒並みシャッターを下ろし、普段は外に繋がれている犬ですら家の中に避難している状態だった。
戦争が始まったばかりの街。
まずは現実から目を背け、身の安全を確保する第一段階だ。
第二段階では戦火が街を焼き、その炎から逃げ惑う第三段階へと移行する。
ハインリッヒ・サブミットは第二段階まで事態が進行すると予想した。
ペニーならば、それほどまでの事を成せるだろうという信頼から来る予想だった。
今、ハインリッヒは大きな肩の荷を降ろした気持ちでいっぱいだった。
232
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:51:30 ID:9ft78oqo0
彼女に話したことは皆事実だが、一つだけ話していないことがある。
それは、これまでに味わったことの無い罪悪感にハインリッヒの精神が折れ、救いを求めてペニーを探していたという事だった。
大勢の仲間が彼女の手によって殺された事実を受け入れても、その死を招き入れた発端が彼女達にあるというのもまた事実だった。
ここでペニーに手を貸し、諸悪の根源に対して一矢報いることが出来れば、ハインリッヒはもう一度面と向かって仲間の仇であるペニーと対峙することが可能になる。
指示されたホテルの前に車を停め、ハインリッヒは何食わぬ顔で部屋に向かった。
預かった鍵で部屋に入ると、人が生活をしていた雰囲気は微塵も感じられず、彼女が如何に多忙だったのかを如実に物語っていた。
換気扇を外して天井裏を探り、弾薬箱とアサルトライフルを見つけた。
彼女は本気でジュスティアと戦争をする気なのだ。
たった一人で大軍に立ち向かうその姿は、敵でありながらも憧れを抱かざるを得ない。
全ての装備を持って駐輪場に向かい、装備をパニアケースにしまった。
蒼いセミカウルのバイクは、これまでにハインリッヒが見たことの無い車種だったが、どんな長旅でも助けてくれる頼もしさを感じ取ることの出来る姿をしていた。
一目でその設計思想の伝わる道具は優秀だ。
初めてバイクを見て興奮を覚えつつも彼女のヘルメットを被ると、風の音が遮断され、静けさがハインリッヒの心を支配した。
跨り、スタンドを外す。
キーを差し込んでエンジンをかけ、下腹部にエンジンの振動を感じ取る。
生物を思わせる規則正しい鼓動。
バイクが鋼鉄製の馬であることを想起し、心臓の下あたりに感じる高揚感に、ハインリッヒは心の霞が消えていることにも気付けなかった。
アクセルを捻り、ハインリッヒは街を走り抜けた。
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ギコ・コメットは立ち込めた森の空気の中を黙々と歩いていた。
木の根を階段代わりにし、蒸した森の香りで肺を満たし、即席で作った二人用の偽装掩蔽壕を目指していた。
倒木を利用した掩蔽壕は近づかなければそれと分からず、知らない人間がその前を素通りした場合は気付けない程の完成度だった。
ギコの後ろにはペニーが絶妙な距離を開けてついていた。
歩調を合わせ、跫音も合わせているため、よほど注意して聞いていなければ跫音は一人分にしか聞こえない。
ギコは彼女の獣じみた警戒心の高さに感心しつつ、いつ背中を撃たれるのか気が気でなかった。
彼女がその気になればグロックが火を噴き、ギコの体を森の養分とすることも可能だ。
偽装掩蔽壕まで残り一〇数メートルとなった時、ペニーが沈黙を破った。
('、`*川「なかなか上手に隠しましたね」
茂みに倒れた木と砲弾で抉れた地面を利用し、その上に草の蓋をした掩蔽壕はギコの自信作だったが、ペニーはこの距離で見破った。
('、`*川「影が不自然ですから」
見破られた理由を説明されたが、ギコは咄嗟に理解が追いつかなかった。
確かに言われてみれば、影に歪みがあるようにも思えるが、気にならない程度だった。
蓋代わりにしていた偽装シートをめくると、そこには人二人が伏せて入れるだけの深さと広さの窪みがあった。
最初はお椀型に抉れていたのをギコが埋め、墓穴の様にしたのである。
観測手と狙撃手の二人が使えるように考慮した空間は、実のところ、ペニーが交渉に応じた際に彼女を待ち伏せるために作った場所だった。
車が到着したのをこの場所から見下ろし、ハインリッヒの無事を確認してから茂みを移動し、二人の前に姿を現したのである。
233
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:52:32 ID:9ft78oqo0
(,,゚Д゚)「ここでハインリッヒ曹長を待ちます」
観測手用のスコープを手渡す。
('、`*川「分かりました」
先にギコが穴に入り、次にペニーがそれに続いた。
最後にシートを二人の上に引き寄せ、体を完全に隠した。
この偽装掩蔽壕は倒木と地面の間から見下ろす形となっており、通気性などの快適さは考慮に入れていないため、少し息苦しかった。
ライフルを構えるギコの隣でペニーは身じろぎ一つせずにスコープを覗いていた。
呼吸音でさえ、注意しなければ聞き取れないほどに抑え込まれていることに驚いた。
狙撃手として音を立てないよう訓練と実戦を重ねてきたが、ここまでの領域に到達するには、どれほどの経験を積めばいいのだろうか。
('、`*川「何か?」
視線に気づいたペニーに声をかけられた。
(,,゚Д゚)「いえ、どれだけの訓練を積んできたんですか?」
('、`*川「それは今お話をする必要がありますか?」
今はこうして協力体制にあるが、根底は仇敵なのだ。
答えないのは当然とも言えた。
己の発言を恥じ入り、極まりが悪そうに謝罪の言葉を口にしようとした。
('、`*川「訓練の時間が技量に影響するのではなく、訓練に取り組む姿勢が技量に影響を与える。
イルトリア軍の基本の言葉です」
だがペニーは、答えてくれた。
ギコはそれが嬉しいと感じたが、彼は彼女の姿勢に惹かれていることには気付いていなかったのであった。
ハインリッヒを乗せたバイクは一時間後にエンジン音を響かせて現れた。
特に追われている様子もなく、ペニーとギコは偽装掩蔽壕から出て彼女の元へと向かった。
('、`*川「街はどんな様子でしたか?」
从 ゚∀从「武装した兵士達が貴女を探していました。
もちろん、私も止められました。
逆に、このバイクに乗っているのが私という認識ができたので、ペニーさんがこのバイクに乗る分には問題はないはずです」
頷き、ペニーはヘルメットを受け取った。
(,,゚Д゚)「街に行くのですか?」
パニアケースからH&K36アサルトライフルと予備弾倉、サプレッサーを取り出し、弾倉をタンクバッグにしまった。
アサルトライフルは銃床を折り畳んで短くし、サプレッサーを取り付けてからスリングベルトを右肩にかけた。
エンジンのかかったままのバイクに跨り、ヘルメットを被る。
一連の動作は無駄がなく、可憐ささえ感じられた。
234
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:52:54 ID:9ft78oqo0
('、`*川「えぇ。 戦争をします。
ライフルを全て手に入れれば、私の勝ちです」
狙撃手が隠れているとしたら、やはり街だろう。
現に、ペニーは街中で撃たれたという。
姿を現せば必ず反応するはずだ。
そうすれば、文字通りの戦争が始まる。
街中に散った兵士達が、街に潜む狙撃手がペニーを追って街を戦場にするのだ。
戦友の無念を晴らすために、ペニーはその身を地獄に投じるのだ。
やるべきことを理解していても実行に移すだけの覚悟がなければ、この決断は下せない。
ギコはその胆力の強さを羨ましく思った。
もしもギコに罪悪感が芽生えていなければ、今頃はペニーを追ってライフルを握っていた事だろう。
強い人間に惹かれるのは当然のことだった。
彼は強くなるために軍人になったのだ。
狙撃の才能を生かし、子供の頃に読み聞かせられた英雄譚の主人公のように、果敢に戦い、雄々しく生き、惜しまれながら死んでいく事を夢見た。
夢は今、目の前にいた。
彼の焦がれた英雄の生き様を体現する軍人が、敵としてギコの前で呼吸をしている。
遥かな高みにいる孤高の狙撃手は、事もなげに絶望的な状況に挑もうとしている。
憧れを前にしたギコは、言葉をかけずにはいられなかった。
(,,゚Д゚)「強化外骨格はまだあと三機残っているはずです。
お気を付けください」
('、`*川「ありがとう、ギコさん。
では、またいずれ」
短い別れの言葉を告げ、ペニーはアクセルを捻って街に向かった。
これが三人の揃った最後の時になるのだが、すでにその覚悟を済ませていた三人には関係のない話だった。
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アマンシオ・タランティーノ伍長は森に最も近い位置で狙撃手探しを行っていた兵士の一人だった。
そして、友人を爆殺されたことに憤る兵士の一人でもあった。
そしてその隣で同じく怒りを押し隠しつつライフルを握るのは、タカラ・ブルックリンだった。
基地に撃ち込まれた銃弾は大勢の仲間を傷つけ、殺し、そしてジュスティアの誇りに泥を塗った。
タカラを含めた狙撃チームはその惨事を引き起こした女と共闘体制にあったが、即座に決裂させることに決めた。
仲間が傷つくのを分かった上での共闘だったが、爆死した兵士の中にはタカラの親友が含まれていた。
五人の狙撃チームはそれぞれ街や山に散り散りになり、狙撃手の女を探していた。
運よく見つけることが出来れば、味方を装って隙を突いて殺すことも出来る。
魔女と呼ばれるペニサス・ノースフェイスの情報は今や島にいる全軍人に知れ渡り、島民にもその名前が広まっていた。
彼女を見つけるのは時間の問題だった。
235
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:53:42 ID:9ft78oqo0
この事態が伝わっていたとしても、今さら逃げることも隠すことも出来ない。
どこかに隠れ潜み、再び卑怯な手段で攻撃を続行することだろう。
堂々と動けないとなると、隠れる場所は限られてくる。
建物か、森の中だ。
森には親友のギコ・コメットがいる。
彼ならば魔女の行動を先読みして待ち伏せることも可能かもしれない。
タカラは近づいてくるバイクのエンジン音に意識と視線を向けた。
蒼いカウルのバイクが山の方から近づいてくるのが見えた。
遠目に見えるのはグレーのヘルメットと風に靡く妖艶な黒髪――
( ,,^Д^)「見つけたぞ!魔女だ!」
夢中で無線機に向けて叫ぶタカラの胸を、鋭く短い音と共に大きな衝撃が襲った。
見えない拳に殴られたかのように倒れたタカラの姿に絶句するアマンシオは接近してくるバイクにライフルを向け、銃爪を引いた。
警告も確認もなしの発砲は規定に違反していたが、彼の判断は正しかった。
それでも、バイクはジグザグに動いて銃弾を躱し、肉薄してきた。
そして再び銃声が響きアマンシオの頭部を破壊した。
仲間の肉片を浴び、胸の痛みで呼吸が止まったタカラは心臓が止まる思いだった。
顔合わせをした以上、ペニサスが撃ってくるはずがないと考えていたが、現にこうして撃たれていた。
プレート入りの防弾着を着ていなければ死んでいただろう。
ひょっとしたら、殺さないためにあえて頭部でなく胸を狙ったのかもしれない。
一縷の望みに賭け、タカラはベレッタに手を伸ばした。
バイクが速度を落として近付いてくる音が聞こえ、タカラは残忍な笑みを浮かべた。
止まったところを撃てば殺せる。
必殺の距離にお人よしの魔女が入る事を待ち、そして、タカラの望みは実現した。
ただし、急停車によって後輪を持ち上げ、ハンマーのように彼の頭部を踏み潰すという形で実現したことを、脳漿が地面に広がった状態の彼は終ぞ知ることはなかった。
サプレッサーを使用していても、銃声が完全に消えるわけではない。
二種類の銃声が聞こえた時点で、それは間違いなく戦闘の証となる事をケリスチャン・アミーチス一等兵は理解していた。
友軍の銃声は聞き間違えるはずもなく、それとは明らかに異なる銃声は敵勢力のそれに違いないと断定したケリスチャンは銃声のした方に走り出し、バイクが石畳の上を走ってくるのを目撃した。
黒い銃を手に持っているのが見えたケリスチャンは警告を抜きに、カービンライフルを発砲した。
軍の訓練で単射を徹底されていたが、ケリスチャンはフルオートで弾倉の中身を全てバイクに撃ち込んだ。
その幸運な一発が運転手のヘルメットに命中し、頭部が大きく後ろにのけ反った。
彼は勝利を確信し、自分の腕前を称賛した。
撃ち尽くした弾倉を捨て、防弾着のマガジンポケットから新たな弾倉を取り出そうとするも、興奮で上手くポケットが開けられなかった。
ようやく弾倉を手にした時、彼は速度を落とさずに突っ込んできたバイクに吹き飛ばされ、アパートの壁に叩き付けられて脊髄を損傷し、全身の機能を失った。
彼の視界の端に、大きな傷のついたグレーのヘルメットが転がっていたが、その理由を誰かに説明する機会は永遠に失われた。
だが、彼の放ったフルオート射撃は街中に緊急事態を伝える警鐘の役割を果たした。
236
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:54:10 ID:9ft78oqo0
警鐘は基地にまで届き、そこに待機していた全ての兵士が完全装備で行動を開始した。
砲兵隊は市街地であるために最小限の兵士が待機を命じられ、それ以外の全員がトラックの荷台に乗り込んで街に向かった。
最初の銃声から一五分後、街は戦場と化した。
魔女狩りが始まったのだ。
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ペニサス・ノースフェイスはゲリラ戦の基本を心得ていた。
バイクで街中に乗り付けた彼女はそれを路地裏に隠し、そこから離れた場所の建物に身を隠すことを選んだ。
古いレンガ造りのその建物は三階建てと高く、一階は商店として使われていたが、正面のシャッターは降ろされ、営業はしていなかった。
裏口に回り込み、非常階段を上って三階まで行き、そこから屋上によじ登った。
三階と言う高さはさほど優位に働かないが、山に近いことから勾配の関係で街を見下ろすことの出来る絶好の観測場所だった。
貯水タンクが一つと出入り口が一か所あるだけの屋上だが、狙撃をするのに問題はなかった。
貯水タンクを背に、ペニーは準備を進めた。
アサルトライフルの銃床を元に戻し、それを地面に置いた。
ライフルケースからドラグノフとその弾倉を取り出した。
その弾倉には対強化外骨格用の徹甲弾が入っており、長距離狙撃にも使えるという利点があった。
マンストッピングパワーが少ないが、急所に当てれば絶命させられる威力がある事に変わりはない。
膝立ちになってライフルを構え、街中に入ってきた軍用トラックの運転手に狙いを定めた。
距離は一キロ強。
上下に動き、更には近づいてくる標的。
遠ざかる敵よりも近づいてくる方が厄介なのは言うまでもないが、ペニーは決断の速さが成功の鍵になる事を知っており、銃爪は正確なタイミングで引き絞られた。
反動、そして飛び散る血飛沫がスコープの向こうに見えた。
トラックは速度を上げて建物に突っ込み、大きな音を立てて横転した。
慌てて人間が荷台から降りてきたところで、その肺を撃ち抜いた。
続いて、ペニーはその狙いを動かし、別方向から迫るトラックを見つけた。
トラックはペニーから見て左から右に向けて走り、建物の影から一瞬だけ姿を見せていた。
距離は九〇〇メートル程。
速度は時速五〇キロ以上。
銃腔を右に動かし、タイミングを計って撃った。
次の一発は運転手と助手席の人間を同時に貫き、瀕死の運転手がハンドルを握ったままの状態で倒れ、トラックは民家に激突した。
血に濡れた顔の男が憤慨した様子で荷台から降りて来たため、その胸にあった手榴弾を狙い撃った。
男は文字通り爆ぜた。
すぐに姿を貯水タンクの影に隠し、狙撃手の反応を待った。
相手が一流ならば、こちらの位置を把握することは造作もないはずだ。
だが、互いに優れた狙撃手としての認識があれば、その裏をかくことが出来る。
狙撃手が一度使った狙撃地点に居座らないというルールを、ペニーはあえて破ることにした。
すでに四発発砲したとなれば、発砲場所は誰かに目撃されていても不思議ではない。
そして、それは瞬く間に軍人間で共有され、ペニーの移動経路を予想し、次の射撃に向けて屋上などに注意を払うはずだ。
そして、狙撃手は視界を確保できる場所に移動し、ペニーを探すはずだった。
237
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:54:37 ID:9ft78oqo0
石畳を砕き、踏みつけ、重厚な鉄の音を響かせたそれがペニーの視界に映った時、思わずジュスティア軍の正気を疑った。
アスファルトの道路から石畳の市街地に現れたのは、ジュスティア軍の主力戦車であるM1エイブラムスだった。
市街地で使うには絶大な威力を持つ120mm滑腔砲の砲塔が、嫌な角度で上を向いている。
民家を楯にしている以上、あの砲塔は脅し以上の役割を持たないだろうが、気を付けなければ爆殺されてしまう。
直撃すれば肉片一つ残らないだろう。
だが真に警戒するべきはギコが言っていた、残り三機の強化外骨格だ。
特に型名を言っていなかったことから、量産機であるジョン・ドゥと思われるが、事によるとその上位互換の機体である可能性も捨てきれない。
ある意味では戦車以上に強力な力を持つ強化外骨格は、街中での戦闘にも秀でており、戦車のように目立つことも行動を制限されることもない。
室内戦も白兵戦も人間以上の力で戦闘を支配するそれを倒し得たのは、相手が油断していた事が大きな要因だ。
つまり、次は偶然での勝利は拾えないという事だ。
予想では、二人の狙撃手がそれぞれ一機ずつ持ち出し、街中に潜んでいると考えていた。
始まりの一発。
恐らくは山中からの超長距離狙撃を成功させたように、機械が人間の補佐を行い、知覚外の距離からの狙撃を考えているのかもしれない。
狙撃手は高所を好む生き物だ。
高所からであれば多くの物を見下ろし、そして安全な状態で狙えるからだ。
ティンカーベルの中で最も高い建造物はグレート・ベルだ。
あの場所であれば、鐘の音と同化した銃撃が可能となり、基地を狙い撃ったのと同じように静かな一発を放てるはずだ。
ペニーのいる場所とグレート・ベルまでの距離は約三キロと離れており、銃弾の殺傷範囲を遥かに超えている。
狙われはしても、撃たれることはまずないだろう。
そう確信したからこそ、ペニーはこの場所で狙撃を行うことにしたのだ。
そしてもう一人の狙撃手だが、こちらは山の中にいると考えられた。
山からであれば、一キロも進めばすぐ背後が森のペニーの虚を突くのは容易い。
森にいるギコが本当にペニーの味方をしてくれるのか、それによっては彼女の動きも大分変ってくる。
再び狙いを街に向け、屋上に人影を探した。
一七〇〇メートル。
二人一組の狙撃手が小さな点の像としてスコープに浮かび上がった。
すぐに照準を上にずらし、風を考慮して左に動かす。
呼吸を止め、心臓の鼓動が止まる一瞬に一発。
鼓動が再開し、止まる瞬間に二発目を放った。
二つの空薬莢が地面を転がる。
スコープに浮かんでいた点は、二度と動くことはなかった。
「この建物から聞こえたぞ!」
建物のすぐそばで声がしたため、ペニーはライフルを短く構えて覗き込んだ。
三人の男と目が合い、先手を打ったのはペニーだった。
すぐに三連射し、幸運な男達はたちまち不幸な男達へと変わり果てた。
別の屋上で人の気配を感じ取り、一歩下がる。
銃声とほぼ同時に屋上の縁が砕け散った。
銃弾が飛んできた方向を見定め、構えるのと同時に四発撃った。
238
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:54:57 ID:9ft78oqo0
死体が二つ、新たに増えた。
弾倉を新たな物に交換し、ドラグノフを背負うようにして肩にかけ、地面に置いてあったライフルを手にした。
一弾倉を使い切るだけの発砲によって、ペニーの位置は完全に明るみになった。
石畳の地面を踏みしめ、ペニーは自分の胸が高鳴っていることに気付いた。
結局、ペニーも軍人だった。
理由や発端が何であれ、戦争の場が軍人を満足させてくれる。
心臓に刃を当てられているような、極限の緊張感。
生きていることを実感させる原初の感情。
生きるために他者を屠るという感情。
生存本能がペニーの体を駆け巡り、支配し、それに従った。
末端まで駆け巡る血流と緊張感が、生きているという事を実感させ、そしてあらゆる感覚を限界まで高めた。
結果、ペニーは最良の動きが見えてきた。
それは最短であり、現実的な行動であり、選択の余地はなかった。
ライフルを構え、民家の間を縫うように移動する。
目指すべきは市街地の中心部。
狙撃手にとっての聖域。
グレート・ベル。
そこを制圧し、圧倒的な優位性を確保して長期戦に持ち込む。
島の象徴を戦車が砲撃することはまず有り得ない。
ましてや、砲兵隊が砲撃することも考えられない。
相手は正義の都の使者。
誰恥じることの無い、世界に胸を張る英雄狂の集団。
それこそが、ジュスティア。
彼らならば、決してその信念と正義の姿を曲げることはないのだ。
故に。
グレート・ベルだけは、何としても攻略しなければならない難所だった。
狙撃手にとって安寧の場所とも呼べるその地点を手に入れることが出来れば、少数の不利を補うことが出来る。
兵器による戦力の差も、あの場所であれば問題はない。
人の力を越えた威力を持つ壁は、使用する場所が限られてくる。
一撃の威力が高いという事は、それだけ周囲に影響を及ぼすということでもある。
ならばその威力が発揮できない場所に誘き寄せれば、その力は無意味な物へと成り下がる。
三キロを走破するのは容易だが、安全に到着するとなると難しい。
狙撃手は当然ペニーの動きを見て狙撃をするだろうし、何よりジュスティア軍の兵士と遭遇することは避けられない。
そのため、戦闘を繰り返しながら移動しなければならない。
ライフルの弾が一八〇発、ドラグノフの弾が七五発。
十分とは言い難いが、これが持ち運べる限界量だった。
ライフルケースに弾の重みを感じつつ、ペニーはライフルを構えて移動を始める。
壁を背に、平面でなく立体を意識して警戒を行う。
頭上に狙撃手がいるかもしれないと考えると、警戒は一瞬たりとも怠れない。
初めは辛うじて歩いていたが、次第に駆け足となり、最後には姿勢を低くして走っていた。
239
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:55:25 ID:9ft78oqo0
ティンカーベルの家屋は伝統的に高さがあまりなく、密度も少ない。
風通しと景観の良さを保ちつつ、グレート・ベルよりも高い建物がないようにと配慮されていた。
宗教的理由ではなく、それは島に昔から伝わる伝統が関係していた。
言い伝えによると、グレート・ベルは大昔に何度も街に危機を知らせ、街を守ってきた。
観光名所としてだけではなく、街の守護神的なシンボルでもあるのだ。
恐らくこれから先も、グレート・ベルよりも高い建築物は建てられることはないだろう。
背の高い建物が限られているという事は、狙撃手が好んで使う場所も選別出来る。
しかしながら、徒歩で三キロを安全に移動するのには無理がある。
バイクでの移動も、流石に無理がある。
通りに停まっている一般車を盗むという考えも浮かんだが、この異常時に運転をする民間人はいない。
逆に怪しまれる。
風に妙な冷たさを感じ、ペニーは空を見上げた。
白い雲の数が増えつつあり、天候がペニーに味方をしてくれることを予感し、彼女は民家に併設されたガレージのシャッターを持ち上げて侵入した。
埃の匂いが充満したガレージには古い型の車が綺麗な状態で置かれていた。
シャッターを閉めると外の明かりが天窓から差し込む、薄暗い空間が広がっていた。
息を整え、装備を点検しなおした。
一時間後、ペニーの予感が的中したことを彼女は雨音で理解した。
強風にあおられた雨粒がシャッターにぶつかり、大きな音を立てている。
シャワーのような雨が島全体を洗い流すように降り始めたのを確認してから、ペニーはシャッターを開いて外に出た。
嵐は最高の目隠しになる。
そして、弾道を大きく狂わせる狙撃手の天敵でもあるのだ。
眼光鋭く、ペニーは跫音を殺して雨の街を走った。
黒檀のような空を背にぼやけて見えるグレート・ベルを睨み上げる。
恐らく、今もあそこに狙撃手がいる。
自らを断罪者であるかのように錯覚した狙撃手がいるかと思うと、憎しみが湧きでてきた。
「……定時報告を終了します」
グレート・ベルに通じるアイリーン・ストリートに出てきたところで、無線による報告を終えた兵士と鉢合わせた。
ライフルを使えない至近距離。
突然のことに驚きの表情を浮かべる兵士の顔に刻まれた皺の数も数えられるほどの距離だった。
生死を分けたのは経験値による決断力の差だった。
男が口元に構えていた無線機を掌底による一撃で顔に叩き付け、前歯を折った。
悶絶する男の後頭部を掴み、その顔に膝蹴りを放つ。
被っていたベージュ色のヘルメットが地面に落ちた。
無防備となった頭を壁に叩き付け、更にブーツの靴底で側頭部に前蹴りを喰らわせた。
男は顔を血だらけにして倒れ、ペニーは最後に男の頸椎を踏みつけた。
骨の折れる嫌な音が足元からしたが、雨音が掻き消してくれただろう。
死体を路地裏に引き摺り、建物の影からドラグノフでグレート・ベルを覗き込んだ。
距離はすでに一キロほどに縮まり、互いの銃の有効射程圏内に入っているはずだった。
240
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:56:05 ID:9ft78oqo0
金色の鐘の下には誰もいない。
もしくは、ペニーとは別の方向を見ているのかもしれない。
気付かれていないのであれば幸いだった。
アイリーン・ストリートをまっすぐ進めば、グレート・ベルに登ることが出来る。
そう思った矢先、視界の先で白い輝きが見え、ペニーの左肩を何かが掠めて行った。
遅れて、非常に小さくて聞き取りにくかったがくぐもった銃声が聞こえた。
サプレッサーを装着した銃による狙撃だった。
第二射を回避すべく、ペニーは壁となる物を探した。
角度と光の位置を考えると、建物の中からの狙撃だった。
だが、普段は市場で賑わうアイリーン・ストリートは今やシャッターが下り切って閑散としており、壁として使えそうなものは路地裏ぐらいしかなかった。
更に、アイリーン・ストリートはなだらかな傾斜となっており、移動速度が向上する。
銃火を見てから回避する分にはいいが、濡れた石畳という滑りやすい足場のせいで転倒しかねない。
一瞬の間にペニーは多くのリスクを計算し、そして路地に隠れることを選ぶ他なかった。
一キロの狙撃は必中を狙うのは難しい距離だ。
それに、サプレッサーによって威力と飛距離が減退しているのだから、相手は次の一発でその誤差を修正し、当ててくるだろう。
すでに一発撃っている分、相手の方が当ててくる確率は高い。
ペニーは着弾に関する情報の一切を持っていない。
計算抜きで当てる必要がある。
連射性はこちらが勝る。
ドラグノフを構えて身を僅かに乗り出す。
スコープの十字線は開け放たれた雨戸の奥に向けられ、そこに伏せた状態の人影を二つ見つけた。
一人は狙撃手、そしてもう一人は観測手だろう。
考えるよりも早く、ペニーは銃爪を引いた。
弾は狙いを逸れて窓縁に穴を空けた。
誤差を修正し、二射目を放つ。
二射目は観測手の頭部を直撃した。
半ば仰け反るように頭を持ち上げ、そして観測手――ボルジョアは沈黙した。
スコープの先で光が放たれた。
身を隠す間もなく、銃弾が壁に当たり、砕けた壁の破片がペニーの腕や足に食い込んだ。
誤差情報を修正したペニーはスコープを動かしたが、その時には狙撃手はその場から逃げ出していた。
恐らくジョルジュだろう。
この銃声によって再びペニーの位置が知れ渡ってしまったと考え、これ以上相手の目を誤魔化し続けるのは困難と判断し、グレート・ベルを目指して全力疾走を始めた。
海から吹き上げて来る風に背を押され、ペニーは石畳の上を駆け抜ける。
顔に全身がずぶ濡れだった。
視界は最悪を極めていた。
しかし、彼女の気持ちは萎えることなく復讐の炎に燃えていた。
空が光ったかと思えば、爆音に近い雷鳴が鳴り響いた。
建物の間を抜けていく風が不気味な音を立て、嵐がより一層激しさを増してきた。
視線の先に、黒い影が複数見えた。
視力の良さと置かれている状況の違いが双方の命運を分けた。
241
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:56:56 ID:9ft78oqo0
ペニーは軍人を見つければ撃てばよく、ジュスティア軍は民間人とペニーを見極めなければならない。
その差が、ペニーを優位に立たせた。
アサルトライフルが火を噴き、軍人達は次々と倒れた。
流れ出た血は、すぐに豪雨が洗い流した。
H&KG36には備え付けの照準器がある。
倍率は三倍と低いが、それでも、グレート・ベルで動きがあるかどうかを見ることぐらいは出来る。
人影も不自然な動きも見受けられず、ペニーはそれを不審に思った。
あの場所に狙撃手がいるというのは、ペニーの推測でしかない。
その推測が外れることはあるだろうが、あの拠点をそう簡単に手放すとは思えない。
狙撃手が高所を取ることの恐ろしさを知らないわけではないだろうに。
目立った戦闘も起こらず、ペニーはグレート・ベルの前にまでやって来た。
鐘楼に登るための扉は鍵が壊されており、すでに何者かが侵入していることが分かった。
それを偽装したという事も考えられるが、そうする必要がない。
銃腔で小突くようにして扉を押し開き、罠がないかどうかを確認した。
だが、特に目立ったものはなく、壁沿いに錆が目立つ手摺の付いた階段がある空間が広がっているだけだった。
一歩踏み入れ、ワイヤートラップの類もないことを確認した。
数百発のベアリングを指定した方向に発射する指向性地雷を設置されていたら、ペニーの足は勿論、最悪の場合は命を奪われかねない。
拠点化するのであれば、罠の設置は必須だ。
後ろ手で扉を閉じ、肩付けにライフルを構え、その銃腔を頭上の空間に向けながら慎重に階段に近づいていく。
自らの跫音が雨音に紛れて耳に届く。
何もないはずがない、とペニーは全ての物を疑い始めた。
ジュスティア軍を相手にゲリラ戦を挑むと決めた時から、ペニーは相手の研究を行い、その結果に基づいて行動していた。
正義を信仰する彼らならではの死角を見つけ、彼らの弱点を狙い続けた。
市街地での戦闘がペニーなりに出した結論の一つだった。
民間人への誤射を避ける彼らとは違い、ペニーは一切躊躇うことなく銃爪を引くことが出来るからだ。
その研究の中でペニーが分かっているのは、ジュスティアは拠点を防衛する際、決して警戒の手を緩めることをしないという事だった。
拠点制圧のためには戦車も持ち出すし、野戦砲も持ち出してくる。
そういう連中が今のペニーの相手なのだ。
それが、グレート・ベルという狙撃手にとって最高の環境を易々と手放すというのは、罠以外の何物でもなかった。
正々堂々を旨とする彼らが仕掛ける罠となると、優等生的な物が考え付くが、裏切り者が罠を仕掛けたとしたら、それはジュスティア軍らしさのない物になるだろう。
壁を背にして警戒を続けつつ、階段に足を乗せた、正にその瞬間――
('、`;川「っ?!」
――動物的なまでの直感に従い、ペニーは大きく前に飛び込んだ。
階段の段差に躓きかけながらも、大きく五段上に登ることが出来た。
ペニーの足が五段上の階段に触れるのとほぼ同時に、轟音と共にそれまでペニーの足があった場所に無骨なシルエットの腕が生えていた。
強化外骨格の腕。
機械仕掛けの甲冑の腕。
紛れもなく、ジョン・ドゥの腕だった。
242
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 21:59:29 ID:9ft78oqo0
もしも反応が一秒でも遅れていれば、ペニーの足はあの腕に掴まれ、おそらくは幼い子供が人形をそうするように地面や壁に叩き付けられていた事だろう。
運よく掴まれるのが避けられたとしても、瓦礫に足を挟まれて最終的に命が終着駅に向かう事は避けられなかった。
〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『ほぅ、よく避けたな。
流石は〝魔女〟と呼ばれているだけはある』
瓦礫の下からマイクを通して聞こえてきたのは、ペニーの知らない男の声だった。
問答をすることなく、ペニーはライフルを構えて銃爪を断続的に引きながら弾幕を張り、階段を後ろ向きに進んだ。
ジョン・ドゥ自ら作り上げた瓦礫を吹き飛ばすのに、時間は殆どかからなかった。
アサルトライフルの銃撃などまるで気にした様子もなく、ジョン・ドゥは優雅とさえ言える動きで降り積もった瓦礫を払いのけ、飛び出すようにしてその姿を現した。
市街戦用のグレーの迷彩を施した機体の背には、DSR-1があった。
間違いなく、狙撃手だった。
その姿を隠すために建物の地下に細工をし、更には街の象徴であるグレート・ベルを躊躇なく破壊したその狡猾さは、ジュスティア人らしさからはかけ離れていた。
恐らくは街の地下に張り巡らされている下水道に隠れ潜み、センサーを利用してペニーが現れたのを察知したのだろう。
この人間が裏切り者の一人と考えて間違いなさそうだった。
早々に弾倉を撃ち尽くしたペニーはライフルをその場に投げ捨て、ドラグノフへと銃を持ちかえた。
長い銃身は室内戦で不利に働くが、距離を取ればこのドラグノフはジョン・ドゥの中にいる人間を殺すことが出来る。
距離を詰められれば、ドラグノフはその威力を発揮することが出来ない。
最悪の場合は破壊されることだ。
ドラグノフを失えば、残りの狙撃を行う事も出来ないばかりか、生き残った他の強化外骨格に対する対抗手段の全てを失うことになる。
狙撃手にとって命とも言えるライフルだが、今やそれは、比喩ではなく事実だった。
機械仕掛けの目がペニーを睨めつけ、彼女は殆ど反射的にドラグノフの銃爪を引いていた。
正確に胴体を狙った一発は、だがしかし、決め手の一発には成り得なかった。
絶望的なまでに重々しい金属音が響く。
それは、強化装甲が奏でる不吉な旋律だった。
対強化外骨格用の徹甲弾を防ぐ装甲は重量が増すことから、通常配備のジョン・ドゥにはまず用いられないオプションだ。
強化外骨格同士の戦闘でもないのにそれを持ち出すという事は、ペニーが対強化外骨格用の徹甲弾を持っていることをイルトリアの人間から訊いていたのだ。
最悪の気分だった。
唯一、ペニーが手持ちの弾で狙って相手を倒せるとしたら、それは頭部に限られてくる。
ジョン・ドゥの頭部で揺れる双眸。
一撃で終わらせるならそこを狙うしかない。
しかし、相手がそれを警戒しているのは当たり前だ。
防がせないようにするための手段を考える必要があった。
顔を守られたら打つ手がなくなってしまう。
数瞬の間に考えをまとめたペニーは階段を駆け上った。
その間に足止めのために弾倉を一つ使い切った。
〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『はっ、逃げるか!』
狩りがいのある獲物を見つけた狩人のように、余裕を感じさせる好戦的な声が聞こえてきた。
狩人との違いは慢心することなく、間違っても遊び心を見せることはない。
言葉でこそ好戦的な風に聞こえるが、その実は冷酷な機械の発する駆動音に等しい。
243
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:00:37 ID:9ft78oqo0
相手のミスを待つのは難しいだろう。
ミスをする前に任務を果たすのが軍人だからだ。
新たな弾倉を叩きこんだペニーは、狙いを脚部の関節に移行した。
強化装甲は表面の部分だけであり、関節部には用いられないからだ。
それに、強化外骨格用の重量を支える脚部を破壊出来ればその行動に大きな制約を課せることになる。
ドラグノフが放つ銃声と独特の残響音が塔の中に高々と鳴り響き、金属が金属とぶつかる甲高い音が続いて響いた。
放った一撃は膝関節を守る膝当てに防がれて明後日の方向に飛んで行った。
ペニーの狙いに気付いた男はペニーを睨み上げ、石畳の床に大きな窪みを作る程の踏み込みで跳躍した。
砲弾のような迫力で迫る強化外骨格に対し、ペニーは後退するという選択肢を取らざるを得なかった。
らせん状の階段に着地したジョン・ドゥは僅かにバランスを崩したが、すぐに態勢を整えた。
〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『死ねっ!』
その場から爆ぜるようにしてペニーに肉薄するジョン・ドゥ。
徒手による攻撃が予期された。
一度ジョン・ドゥが本気を出せばその速度は瞬間的とはいえ、時速一六〇キロにも達する。
逃げるのは不可能だ。
その膂力は人を凌駕し、人間を殴殺することなど容易い。
対するペニーはライフルを腰だめに構え、銃爪に指を添えていた。
コンマ五秒にも満たない攻防の中、ペニーが下した決断は手すりを乗り越え、その身を虚空に投げ出した。
直後、ペニーのいた位置に拳を振り下ろしたジョン・ドゥが現れた。
背中から地面に落下するペニーはその一瞬の隙を逃さなかった。
狙いは背中のバッテリーだった。
放熱と交換の関係からバッテリー部には強化装甲が施されることは殆どない。
その可能性に賭けたのだ。
落下までの長い一秒。
標的は大きく、外すことはない。
ドラグノフが火を噴き、着弾の瞬間、ペニーの背中に衝撃が訪れた。
背負っていたライフルケースがクッションの役割を果たし、大きなダメージを追う事はなかった。
倒れながらもライフルを構え、微動だにしないジョン・ドゥの背に向けて更に四発連続で弾丸を撃ち込んだ。
火花が散り、青白い電流が迸る。
一見するとバッテリーの破壊は成功し、ジョン・ドゥはここで終わるはずだった。
ゆっくりとジョン・ドゥの首が回り、ペニーを見下ろした。
〔Ⅲ゚[::|::]゚〕『……流石は魔女だ。
期待以上だ』
('、`;川「……予備バッテリーまで用意したのね」
バッテリーを失っても起動する強化外骨格は存在しない。
ペニーは確かにバッテリーを破壊した。
しかし、それとは別のバッテリーがあれば話は別だ。
全身を強化装甲に改良するのであれば、当然、それ以外の装備が備わっていても不思議ではない。
244
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:01:05 ID:9ft78oqo0
胸部装甲の裏に増設された緊急用補助バッテリーによる駆動時間は五分。
激しい動きをすればそれだけ早急に消費され、時間は縮まる。
だが人間一人を殺すには十分な時間が得られる。
ペニーが起き上がるのと同時に、ジョン・ドゥが跳躍。
見えないはずの目に明確な殺意を宿らせ、握り固めた破城鎚の如き拳をペニーの頭に振り下ろす。
ペニーの頭蓋骨が砕け、脳漿が床と壁に飛び散ってグロテスクな装飾を施した。
こうして魔女は息絶え、イルトリアとジュスティアの全面戦争が始まる――
――その様子を幻視したジョン・ドゥを駆る男は、何が自分に起きたのか理解が出来ないまま絶命し、ペニーのすぐ隣に顔から着地した。
顔から赤黒い血が沁み出し、次第に広まり始めた。
勝利を確信していたのは男だけではなく、ペニーも同様だった。
反撃の敵わない中空。
それも、攻撃のモーションに移行していたのが男の犯した最大の失敗だった。
相手から近づいてきてくれるのであれば、距離の補正はほぼ不要になる。
ましてや、一〇〇メートルも離れていない距離の射撃だ。
絶対に外すことの無い距離。
ならば、機械の目を撃ち抜く事はペニーにとって問題ではないのだ。
相手がライフルを使っていればこうはならなかった。
たまらず安堵の溜息を洩らし、ペニーは膝を突いた。
強化外骨格相手に生身の戦闘は常に生きた心地がしない。
心臓の鼓動が早まり、冷や汗が止まらない。
生きた心地がしないが、生き残ったのは間違いなくペニーの方だった。
物言わぬ死体と化した男からライフルを奪い取り、それを自分のライフルケースにしまった。
この銃が持つ発射痕とイルトリア軍人の死体から回収された弾丸の線条痕が一致すれば、ジュスティアが全ての元凶であることを確定させることが出来る。
イルトリアにまでこの証拠を無事持ち帰ることが出来れば、後は上層部が上手に使ってくれることだろう。
痛む体に鞭を打ち、自重の何倍もあるジョン・ドゥを扉の前まで引きずり、気休め程度だが侵入を妨害する工作を行った。
殺した男が果たして誰だったのか、深層はヘルメットの下だ。
これを剥ぎ取れば男の素顔を見て、その正体を知ることが出来るだろう。
しかし、知ったところで大きな意味合いはない。
ジュスティア軍がこの男を知らないと言えばそれまでだが、製造過程でシリアルナンバーが登録されている銃は全てを語る。
その製造元、配給先などは完全に消し去ることは出来ない。
動かぬ証拠として残る物だ。
手に入れるべきライフルは後一つ。
それを手に入れるついでに、一人でも多くのジュスティア軍人を殺せれば尚良い。
相手の戦意が喪失し、撤退をしてくれればとも思うが、ジュスティアが一人相手に撤退するとは考えにくい。
それはつまり、一〇〇人以上の兵士が一人の兵士に敵わなかったと認めることになるからだ。
崩れた階段を上り、巨大な歯車仕掛けの心臓部を通過する途中、レバーを降ろして鐘が鳴るのを止めた。
四方を見渡すことの出来る最上部に到着し、狙撃場所を確認した。
そこは理想的な場所だった。
宙から釣り下げられた黄金の鐘は身を隠すことの出来る絶好の壁の役割を果たし、ライフルを固定することの出来る縁はペニーの腰の高さがあった。
245
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:01:26 ID:9ft78oqo0
四方の狙撃を行う時にその背中を狙われる心配は鐘のおかげでなくなり、三方向に集中していればいい。
元々見通しの良い街並みをしているため、このグレート・ベルからは街のほぼ全貌が見下ろせた。
グレート・ベルが強風で揺れ、雨に打たれて不思議な音色を奏でる。
不規則に白く発光する黒い空の下、吹き荒ぶ雷雨と暴風の中、街を見下ろすペニーの瞳は輝きを失っていなかった。
その目は、復讐にぎらついていた。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
鬱蒼とした森の頂からペニーの動きを見ていたギコとハインリッヒは、雷鳴に紛れた銃声を聞き逃すことはなかった。
グレート・ベルに小さな点が現れたのを見た時、安堵と共に彼女が作り出した屍の数を想像して戦慄した。
ジュスティア軍の人間は過酷な訓練を経て確かな実力を身につけ、多くの戦場が彼らを形作った。
それは自信だった。
彼らの訓練と実戦は無駄ではなく、世界に通用する力を持っているという自信。
その自信を、ペニーは一人で踏み潰し、イルトリア軍の力を見せつけた。
二人は圧倒されると同時に、憧れに近い感情を抱きつつあった。
ペニーの援護をするのが二人の仕事だったが、ギコはまだ一発も撃っていなかった。
味方に銃腔を向け、銃爪を引くのは経験したことがなかった。
明確な裏切り行為に対して、二人の理性はブレーキをかけていた。
決めたはずだが、それを行動に移すことの難しさを肌身に感じ、銃爪を引き絞るには思った以上に力がいることを認識した。
銃爪の重さを最後に実感したのは幼少期。
それ以降は、銃爪に重さはない物だと認識し、関わってきた。
だがそれは間違っていた。
向ける相手によって銃爪は重さを変え、十字線に標的を捉えるだけで腕が震え、息が荒くなってしまう。
从 ゚∀从「……ギコ、ペニーはライフルを手に入れたみたいよ」
ハインリッヒの持つ高倍率の単眼鏡はペニーがライフルケースからDSR-1を取り出し、それを鐘に立てかけるのを見た。
ハインリッヒ達に見える位置にわざわざ置いたのは、彼女からのメッセージという事だ。
これで彼女が手に入れる必要のあるライフルは残り一本。
(,,゚Д゚)「そうみたいですね……」
スコープから目を離さずギコが答え、沈黙が訪れる。
二人の頭上を覆う防水シートを雨が殴りつける音と、葉擦れとはとても思えない大きな音、そして海から聞こえてくる波が砕ける音がノイズのように続く。
雨の滴が顔を洗い流すように吹き付けてくる。
木々の間から見下ろす街は〝鐘の音街〟と呼ばれているとは思えない程に陰鬱な物に見え、遠くは白んで見えなくなっている。
鐘楼が墓標のように影を見せる不気味な漁港。
生者を歓迎しない死の街と言った印象だ。
(,,゚Д゚)「曹長、部隊がグレート・ベルに動きつつあります。
援護をしますか?」
246
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:03:53 ID:9ft78oqo0
二人がいる山頂からグレート・ベルまでの距離は絶望的に離れている。
援護をするという事は、山を下り、街に入らなければならない。
ギコの言葉は真っ当な意見だったが、ハインリッヒは悩んでいた。
自分の中では覚悟を済ませていたつもりでも、実際のところ、ジュスティアを裏切るという行為に対する覚悟は不完全だったのだ。
(,,゚Д゚)「曹長、決断を」
ギコの声には焦りがあった。
焦らねばならぬ理由は分かる。
ハインリッヒの単眼鏡にも兵士達が続々とグレート・ベルに向かっているのが見えている。
ペニー一人が対処できる人数ではない。
確かに鐘楼は絶好の狙撃場所だが、同時に、そこを陣取る者は逃げ道を捨てることになる。
今こそ援護が必要な時だ。
だがその援護とは、味方を撃つという事。
明確な反逆。
同じ部隊で同じ戦場で同じ苦痛を同じように味わった仲間を、その信頼を利用して撃つ。
二つ返事で出来るような裏切りではない。
(,,゚Д゚)「曹長!」
从 ゚∀从「……行きましょう」
長考の末、ようやく決断を下すことが出来た。
最後にハインリッヒの背中を押したのは、この戦争を引き起こしたという負い目と、一人で大群に立ち向かうペニーの姿だった。
彼女が犯した大罪を償うには、大きな罰が必要になる。
ペニーに協力するだけでなく、味方を完全に裏切るというのが彼女に課せられた罰なのだとようやく受け入れることが出来た。
そして、独りで立ち向かうペニーの姿に鼓舞されたからこそ、決断することが出来たのだった。
二人は被っていた偽装用のシートを剥がし、山を下り始めた。
雨でぬかるんだ地面は走り辛く、濡れた落ち葉は凶悪なまでに滑りやすくなっていたが、密集する木の幹を手摺のように使ってブレーキをかけ、転げるようにして舗装路に出てきた。
ギリースーツを脱ぎ捨て、二人は移動用に用意しておいたSUVに乗り込んだ。
ハインリッヒはエンジンをかけ、車を走らせた。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
ティンカーベルから遠く離れたイルトリアにいるヒート・ブル・リッジは、複雑な心境で真実と向き合っていた。
市長室に揃った各軍の代表者と市長は、ヒートの用意した資料と彼女の説明に頭痛を覚えた。
ヒートの口からはオブラートに包むことなく、ありのままの真実が語られていた。
裏切り者の存在は確実な物であり、その裏切り者は、長年の間イルトリア軍で働いてきた男だった。
長年の信頼を捨ててまで、その男が目指したものは何だったのか。
それについて語られた時、市長のロマネスク・アードベッグは流石にショックを受けた様子だった。
( ФωФ)「……そんな事のために本当に裏切ったのか?」
ノパ⊿゚)「渡航歴や過去の発言も全て見た上での結論です」
247
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:05:42 ID:9ft78oqo0
犬猿の仲であるはずのジュスティア軍人とイルトリア軍人が裏で手を組み、混乱を引き起こすには、それ相応の理由が必要になる。
大義名分と言い換えてもいい。
その理由はあまりにも荒唐無稽であり、子供じみ、そしてあまりにも純粋すぎた。
(-@∀@)「強すぎる忠義心が毒になったというわけです」
ヒートが何かを言うよりも先に出てきた海軍大将アサピー・クリークの言葉は、その場の全員を沈黙させるには十分だった。
彼の言葉には重みがあった。
常人では声だけで命の危険を感じるほどの怒りを孕んだその声は、地の底で沸き立つマグマの様な熱を帯び、彼の意志が目に見えるのではないかと錯覚させる力強さがあった。
裏切り者は彼の海軍にいたのだから。
しかしながら、推測されるその理由は極めて純粋であるが故に、怒りの矛先を向ける先が思い浮かばなかった。
裏切り者が目指した物、欲した物は混沌などではなく、もっと分かり易い子供じみた夢のような物だったのだ。
子供の夢を大人が笑い飛ばせないのと同じように、彼ら上官もまた、その狙いを笑い飛ばすことが出来なかった。
アサピーは裏切り者を全面的に信頼し、信用していた。
数多の作戦で功績を残し、部下から慕われ、上官からも一目置かれるその男は、アサピーにとっては身分の違う親友の様なものだった。
彼は裏切り者の事をよく知っていた。
その純粋な心もよく知っていた。
彼はイルトリアを裏切ったのではなく、イルトリアを想うあまり凶行に走ったのだ。
それが分かっているからこそ、アサピーはやり場のない怒りを感じていた。
ノパ⊿゚)「市長殿、どうする?」
ヒートがロマネスクを見る。
ロマネスクは資料に目を落としたままだった。
陸軍大将のセント・ウィリアムスが厳かな声で意見を口にした。
(’e’)「その前に、アサピーの意見はどうなんだ?」
セントの言葉でようやく、ロマネスクがアサピーの顔を見た。
アサピーは十分に時間をかけ、ゆっくりと、説き伏せるようにして言葉を紡いだ。
(-@∀@)「……救出部隊を派遣してはもらえないだろうか」
( ФωФ)「……どういうことだ、アサピー?何故、救出部隊なのだ?」
(-@∀@)「市長、あの男は確かに愚かな事をしています。
あの男の夢をここで終わらせるためには増援でなく、救出部隊が必要になります。
増援はむしろ彼の目的そのものです。
戦闘をすることなくペニサス一等軍曹を救い、彼女の証言を得ることで、全面戦争の回避をするのが得策です」
( ФωФ)「私情か?」
間髪入れずにロマネスクがアサピーの内心を見抜いたように言葉を挟んだ。
(-@∀@)「上官としての情けです」
248
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:06:25 ID:9ft78oqo0
誰もその意見に反対しなかった。
上官としてかけられる情けは限られている。
そもそも、作戦に私情を持ち込むこと自体が過ちなのだが、裏切り者が裏切った理由を考えると、情けの一つがあっても誰も咎めなかった。
そして、中途半端に夢を見せたままではなく、夢を終わらせることこそが情けだった。
(-@∀@)「夢は、潔く潰します」
アサピーが短くその覚悟の意志を宿した言葉を述べ、ヒートが挙手の代わりに肩を竦めた。
ノパ⊿゚)「救出部隊については賛成するが、夢を潰すというのであればそれは難しいと思うな、アサピー。
私の部下は今、一人で軍隊を相手に戦っている最中だ。
そう考えるとあの男は今、夢見心地だろうよ」
(-@∀@)「……確かに、そうだろうな」
四人は手元の資料に改めて目を向けた。
裏切り者の厳めしい顔写真が、四人に決断を迫るようにして睨み付けていた。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
ペニサス・ノースフェイスは裏切り者について、ある程度の予想をすることが出来ていた。
彼女の元に揃った情報は少なかったが、その情報を特定の人物に結び付けるのはそう難しいことではなかった。
彼女のライフルケースに発信機を仕込み、彼女の情報をジュスティア軍に流し、ジュスティアの動きを読んでそれを伝えられる立場にある人間となると、後は消去法で導き出せた。
光学式照準器越しに街を眺めるペニーは、その人物がグルーバー島のどこかに潜んでいると考えた。
仮に自分が相手の立場であれば最前線に赴き、必要な指示を出すために戦況を観察していたい。
それに、その考えは彼女の考える裏切り者も同じであるはずだった。
その人間はこの島にいる。
その人間は、ペニサスもよく知る人物なのだ。
最前線で動きを知り、その動きに合わせて情報を流し、彼女が取る動きを予測して流布するはずだった。
自らの死を偽装し、基地にいた人間を爆殺した人間は慎重な性格でありながらも、大胆な決断力を持ち合わせる人間だった。
イルトリア海軍准将、フランシス・ベケットとはそういう人間なのである。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
フランシス・ベケットは夢見心地だった。
彼は今、望んだ以上の成果が得られたことに満足を感じ、充足した気持ちでコーヒーを飲んでいた。
オバドラ島からグルーバー島のホテルに移り、開け放った窓から外の空気を部屋に取り込み、自らの肺を満たした。
雨の匂いに交じって、硝煙の香りが鼻孔をくすぐる。
戦争の匂いだった。
彼が愛して止まない匂いだった。
249
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:08:14 ID:9ft78oqo0
当初、ペニサス・ノースフェイスの介入は彼の夢を妨害しかねないという危惧があった。
彼女が参戦することにより、事態が長期化し、露呈してはならない真実が公になる可能性が高くなるからだった。
だが実際は逆だった。
彼女が夢を運んで来てくれた。
彼女こそが、フランシスにとって夢そのものだった。
銃声が聞こえる度、彼は絶頂するほどの興奮を覚えた。
フランシスは戦争に魅せられていた。
戦争の最中で垣間見る人間の輝きと、平穏の尊さを実感する感覚に喜びと生き甲斐を見出していた。
彼は、真に強いイルトリアを取り戻したいという強い気持ちがあった。
そのためならば、目的は異なるが根底の気持ちが同じジュスティアの人間と手を組んで戦争を引き起こす手助けをしても、良心は痛まなかった。
ジュスティア陸軍最高指揮官テックス・バックブラインドもまた、ジュスティアの強さを世界に知らしめたいと強く願う人間だった。
その手段は共通しており、利害は一致していた。
彼らが出会ったのは全くの偶然であり、ある意味で必然でもあった。
二人はティンバーランドという秘密結社に所属しており、そこで互いの思想を存分に語り合った。
一夜かけて話し合いが続き、一年を費やして下準備を進めた。
そして機が熟した。
まずは戦争の火種を生み出すことから始まった。
長年ぶつかり合う事を避けてきた街同士、そう簡単な火花では着火しない。
そこで、イルトリア軍から死者を出すことに決めた。
テックスが請け負ったのは、火種の用意だった。
以前から問題となっていた密漁船をテックスが特定し、その中に金で雇い入れた人間を潜り込ませた。
その男達の役割はイルトリアの哨戒艇に発見された際、銃を使って抵抗するという物だった。
そして、テックスは同じ思想を持つ二人の狙撃手を用意した。
ジュスティア軍が誇る二人の狙撃手にはそれぞれ強化外骨格のジョン・ドゥが与えられた。
霧の深い朝、密漁船からの発砲を合図に山の北側に潜んでいた狙撃手が一発の銃弾でイルトリア軍人を殺害した。
予想通りイルトリアは軍隊を派遣して真相究明に乗り出し、ジュスティアは陰で部隊を動かした。
それでも足りないことは分かっていた。
駄目押しとして、派遣されたイルトリア軍を殲滅させるためのきっかけを作り出し、それは見事に成功した。
兵士達に振る舞ったコーヒーに毒を盛り、通信室の一か所に固めて高性能爆薬で爆殺した。
傍目に見れば対戦車砲の直撃で死んだように見えるし、詳しく調べる人間はいない。
死体は全て火葬し、一切の証拠を灰に変えた。
こうして火花の様に小さかった火種は遂に、業火へと姿を変えたのだった。
だが、それでも足りなかった。
あと一歩、どうしてもイルトリアは戦争に踏み出す気配がなかった。
それと言うのも、ペニサスの生存がイルトリアに一種の希望を与えていたからだった。
彼女が何かを変えるだろうと軍上層部が判断し、戦争へと踏み切る事を渋っていた。
だが、ペニサスは一人で戦争を始めた。
彼女が一人でフランシスの夢を叶えてくれたのだ。
250
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:08:40 ID:9ft78oqo0
イルトリアは長い歴史を持つ軍事都市だ。
戦争をして初めてその存在を世界に知らしめることが出来るというのに、今の市長も軍上層部も平和に慣れ切り、腐りきっている。
それでは駄目なのだ。
イルトリア軍は世界最強の軍隊であると世界に認識させることで、ようやく本当の平和が手に入れられる。
比肩されるジュスティアを正面から打ち破れば、その考えは妄想ではなく事実として世界に知れ渡る。
そのためならば、部下を何人失っても構わなかった。
失った部下達の未練は、戦場でこそ晴らせるのだ。
今フランシスが願うのは、ペニサスが一人でも多くのジュスティア兵を殺し、この事態が大きな戦争に発展するまでの繋ぎ役としての任務を果たしてくれることだけだった。
確かに彼女は人間離れした強さを見せてはいるが、限界がある。
今は蝋燭の火が消えるのを眺めるようにして、ペニサスが息絶えるのを待つだけだった。
だが、彼女が死ぬまでにどれだけの屍が積み上げられるのか、それも楽しみだった。
木製の階段が軋む音が耳に届き、フランシスが振り返って部屋の入り口を見た直後、扉がノックされた。
サプレッサーを取り付けたグロックをジャケットで隠し、銃腔を扉に向けた。
ルームサービスも迎えも頼んだ覚えはない。
ジュスティアの協力者がフランシスを消すために寄越した人間と考えた方がいいだろう。
そう簡単に退場するわけにはいかない。
まだ見届けたいのだ。
全ての結末を。
戦争の始まりと、イルトリアの復活を見るまでは消されてやるつもりはない。
「誰だ?」
「ルームサービスです」
確信を持って、フランシスは銃爪を引いた。
木製の扉を砕き、銃弾がその向こうにいた人間を襲う。
苦悶の声と共に何かが倒れる音が聞こえた。
更に三発扉の下部に撃ち込んでから、フランシスはチェーンをかけたままゆっくりと扉を開いた。
ジュスティア軍人が木の床に倒れ、流れ出る血を押さえようと両手を胸の上に乗せていた。
「く……そ……」
「言葉遣いが悪いぞ」
見知らぬその軍人の頭に情けの一発を撃ち込み、フランシスは扉を閉めた。
彼がジュスティアを利用しているのと同じように、ジュスティアも彼を利用しているに過ぎない。
不要と判断したタイミングで切り捨てるのは、当たり前の話だ。
ティンカーベルに上陸してから、常にこれを警戒してきた。
彼もまた、相手を裏切るタイミングを窺っていたため、先手を越された形になる。
しかしながら、こうしてホテルに立て籠もっていれば危険は少ない。
ホテルで提供される食事に毒を盛る様な真似はしないだろう。
彼を始末するために送り込まれた人間が一人だとは思えない。
場所が知られていることから、彼はすでに相手の術中にある事を悟った。
窓の外に視線を向け、雨で霞む街を眺めた。
251
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:09:09 ID:9ft78oqo0
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
銃声は雷鳴では誤魔化せない程に激しさを増していた。
グレート・ベルにペニーがいることを突き止めた軍人達はそこを目指して殺到し、唯一の入り口である扉はもう間もなく爆破されて突破される予定だった。
扉程度であれば後で修復が出来るとの判断が下され、指向性爆薬の取り付けは完了していた。
後は、タイミングを合わせるだけだった。
爆破指示が出た時、ペニーはすでにグレート・ベルにいなかった。
彼女はジョン・ドゥが床に空けた穴から下水道を歩き、街の西側へと向かっていた。
グルーバー島の西側には工場地帯が広がっており、砲兵隊や戦車隊からの砲撃も防げるうえに、身を潜める場所には困らない。
もう一人の狙撃手からライフルを奪い取るためには、その狙撃手の動きをこちらである程度指定出来るようでなければならない。
雑魚に用はない。
いくら大勢のジュスティア兵を殺しても、結局のところペニーの利益になることはないのだ。
狙撃手が動かざるを得ない状況を作り出し、その動きを予測出来るように仕向けてさえやれば、ペニーの目的を達成することが出来る。
暗く悪臭のする下水道に流れる水は勢いを増すばかりで、まるで密林の洞窟の中にいるような心地がした。
幸いなことにティンカーベル全体の下水システムは旧世代の物を復旧して使用しているため、雨水と汚水は別の場所を通って処理されるようになっていた。
今ペニーがいるのは、雨水が流れる下水道だった。
雨水や下水が流れる水路の上に設けられた手摺付きのキャットウォークを伝っていけば、迷うことなく目的地に着くことが出来るはずだ。
だが今、ペニーは一つの困難に直面していた。
彼女は何者かに追跡されていた。
追いつかれないよう、何度も道を変え、遠回りをして相手を撒こうとした。
しかし相手は惑わされることなく、ペニーとの距離を縮めてきた。
訓練を受けた優秀な人間の証拠だった。
このままではいずれ追いつかれ、戦闘は避けられなくなる。
背後を狙っている人間の射程距離に入れば、ペニーは背を見せた瞬間に殺される。
どうにかして手を打つ必要があった。
今はまだ互いの姿を目視するだけの距離にいないが、徐々に近づいてくる跫音から分かる距離は四〇メートル。
直線の道に出ないよう気を付けながら、ペニーはどこかで追跡者を排除することに決めた。
恐らく追跡者はジョン・ドゥと共に行動をしていたか、そのバックアップとしてこの下水道に潜んでいたはずだ。
迎え撃つのには開けた場所が好ましかった。
下水道で開けた場所となると、ペニーの頭には一か所しか浮かんでこなかった。
つまり、放水用の終着点である。
しかし、それは海に通じる道であり、島の南側にあるはずだった。
目的地とは逆方向である上に、最後は直線となっているため、相手からしたら絶好の狩場でもある。
どうにかこの下水道を進む間に始末をしておきたかった。
視線を感じ、ペニーは身を屈めて立ち止まった。
反射的に構えたのはグロックではなく、ドラグノフだった。
だが通路の先に広がる暗闇に、何か人影のような物は見えない。
しかし視線は依然としてペニーに向けられ、次いで、明らかな殺意が彼女を狙っていた。
コーナーショットと呼ばれる特殊な器具を使っているのであればその可能性も含めて考えられるが、曲がり角には何も突き出ていない。
252
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:10:07 ID:9ft78oqo0
銃声と共に、ペニーの左肩に焼けるような痛みが走った。
衝撃で背中から倒れ込み、手を肩に当てた。
生暖かい液体が溢れ出し、すぐに彼女の手を赤く染めた。
手さぐりで弾が貫通していることを確認し、痛みに顔を歪める。
相手は水中に隠れ潜んでいた。
水中からの射撃は人間の行える技ではない。
つまり、水中に潜んでいるのは強化外骨格を身につけた人間。
ペニーの標的だった。
水の抵抗で弾道が変化していなければ、ペニーの頭は今頃ザクロの様に爆ぜていただろう。
銃火を見た約50メートル先の水路に向けて、ペニーは無意味と知りながらもグロックの九ミリ弾を撃ち込みつつ、倒れたままの状態で後退した。
ほぼ直線の道に来てしまったのが運の尽きだった。
どうにか安全な場所に逃げ込み、止血を施さなければ場所的な問題から感染症にかかる可能性があった。
下水道からの一刻も早い脱出が必要だった。
地上に戻るための梯子を見つけたが、それを上れば格好の標的になってしまう。
ペニーは追い詰められていた。
('、`;川「……糞っ」
二発目の銃声が響き、ペニーのすぐ隣に着弾した。
銃火の位置は変わりがほとんどないように見えた。
ペニーは胸の上にあったドラグノフを構え、闇に向けて発砲した。
水柱が立ち、何かに命中した様には見えない。
続けて弾丸を下水に向けて撃ち続け、薬室の中に一発だけ残った状態でそれを止めた。
応射として二発、今度はペニーの右膝の肉を削ぎ取った。
発射間隔からしてボルトアクションに違いなかった。
水中でボルトアクションライフルを使う利点は何一つない。
むしろその気密性の問題から、水中での再装填はご法度のはずだ。
ならば、再装填をする際には必ず水上に姿を現すはず。
ペニーはそのチャンスに賭けることにした。
激しい水流の中で安全に再装填をするためには、銃だけでなく体も浮上するはずだ。
狙いを固定させ、ペニーは機会を待った。
黒い影が波立つ水面から浮かび上がり、十字線が重なった瞬間、ペニーの指は銃爪をそっと引き絞っていた。
影はそのまま水に沈み、二度と浮かび上がることはなかった。
弾倉を取り外し、ライフルケースから新たな弾倉を手に取る。
それが最後の弾倉だった。
回収すべき二挺目のライフルは、強化外骨格と共に下水に沈んでしまっている事だろう。
諦める他なかった。
ここで下水に飛び込めば、間違いなく傷口から細菌や雑菌が侵入し、ペニーの命を脅かすだろう。
ライフルケースにある一挺のライフルが手に入っただけでも良しとすべきだった。
253
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:10:39 ID:9ft78oqo0
壁を背にして立ち上がり、梯子を上って下水道から逃げ出した。
マンホールの蓋を退け、自分が今いる位置を確認する。
寂れた酒場や民家が並ぶ路地だった。
ここが島のどこに位置するのか、ペニーは頭の中にある地図と自分が歩いてきた道を照らし合わせ、西寄りの市街地であると予想をつけた。
這いずるようにしてマンホールから出てきたペニーは、傷の具合が左肩と右膝ともによくない事を認識した。
まずは血の消毒と止血。
この二つが必要だった。
そのためには病院に行かなければならないが、ティンカーベルには大きな病院はなく、個人経営の病院がせいぜい二つ三つあるぐらいだ。
その病院の位置を知らない以上、悪戯に動き回ることも出来ない。
拠点としていたホテルまでの距離も離れていることから、どこか安全な場所に逃げ込んで独自に治療をするか、民家に押し入って治療をさせるかの二択しかなかった。
後者は出来る限り避けたい方法だった。
かといって、前者であれば道具が必要になる。
最低でも消毒液と傷口を塞ぐ物が必要だ。
ペニーはドラグノフを杖代わりにして立ち上がり、酒場の看板を掲げる建物に向かう。
扉を開けようとするが、当然、鍵がかかっていた。
グロックで鍵を破壊し、店に入った。
湿った匂いのする暗い空間には誰もいなかった。
酒瓶の並ぶ棚にふらふらとした足取りで近づき、ウォッカの瓶を取った。
上着を脱ぎ、肩の傷口を見る。
赤黒い血の奥に、薔薇の花弁の様な肉が見えていた。
ウォッカの蓋を開け、麻酔代わりに中身を喉に流し込む。
体の芯に熱が宿ったような感覚。
続いて酒を傷口にたっぷりとかけた。
激痛が走るが、それに耐えて肩と膝の傷の消毒を済ませた。
棚の引き出しを探り、そこからナイフを取り出す。
コンロに火を点け、ナイフの刃が赤くなるまで熱した。
そして、その刃で傷を焼いて潰した。
声にならない悲鳴が漏れた。
一瞬気が遠くなるが、それでも、止血を続けた。
膝の傷口はそれでよかったが、肩の傷は後でどうにかしないと今後の生活にも支障が出かねない。
ナイフを床に突き立て、ペニーは荒い呼吸をどうにか落ち着けようと、ウォッカを飲んだ。
ドラグノフの残弾は弾倉一つ分の一〇発。
仕留めた強化外骨格は二体。
状況は不利。
泣き言の一つでも言いたい状況だった。
ライフルを失った以上、次なる目標は島からの脱出だった。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
254
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:12:09 ID:9ft78oqo0
ペニーが自ら傷を塞いで三〇分後、ギコとハインリッヒは市街地で車を降り、ポンチョを着て豪雨の中彼女の捜索を行っていた。
戦闘が沈静化し、グレート・ベルに立て籠もっていたと思われるペニーは影も形もなくなっていた。
そして発見されたのが強化外骨格とそれを操作していたアルバトロス・ミュニック大尉の死体と、床に開いた下水道に続く大きな穴だった。
見立てではペニーはそこから逃亡したと推測された。
現に、下水道には多数の薬莢が発見されており、血痕も見つかっていた。
多量の出血があったと思われるが、その血の持ち主はどこかへと消え去っていた。
血痕の続く先にあった梯子の先には血痕が発見されなかった。
嵐の影響で流されたのだ。
カリオストロ・イミテーション大尉も連絡がつかなくなっていることから、兵士の間では不安の声が広がっていたが、ペニーの流している血の量が多いことから彼女の脅威は去ったとの憶測も流れていた。
彼女と共闘体制にある二人は、ペニーの安否を心配した。
彼女が重傷を負ったのであれば、今、彼女は助けを必要としているはずだ。
二人はペニーが使ったと思われる下水道の出口付近の家屋を調べ、酒場の扉が壊されているのを見つけた。
そしてカウンターの裏に血痕と血の付いたナイフ、空のウォッカの瓶を発見した。
酒で消毒し、ナイフを熱して傷を塞いだのだと容易に想像が出来た。
だが、ペニーの姿はそこにはなかった。
店を出てから二人はペニーの姿を探した。
床の血痕と濡れ具合から、彼女が酒場を訪れてから一時間以上は経過していない事が分かっている。
一時間以内に彼女が身を隠すことの出来る場所を考え、彼女を保護しなければならなかった。
_
( ゚∀゚)「……ギコ一等軍曹、ハインリッヒ曹長、魔女は見つかったか?」
その声は背後から聞こえてきた。
ネイビーブルーのポンチョを頭から被ったジョルジュ・ロングディスタンス准尉が幽鬼のように立ち尽くし、二人を睨みつけていた。
表情は雨とポンチョのせいでよく見えないが、怒りを抑え込んでいるかのように、その声には感情が感じ取れなかった。
嫌な汗が額から流れる。
ハインリッヒが平静を装って答えた。
从 ゚∀从「いえ、ジョルジュ准尉。
特に証拠になりそうな物も――」
_
( ゚∀゚)「――お前達、今までどこで何をしていたんだ?」
ほとんど間を開けずに投げかけられたジョルジュのその言葉に、ハインリッヒは言葉に窮しかけたが、真実と嘘を混ぜて報告した。
从 ゚∀从「街ではなく森に魔女が現れる可能性を考え、森で待機していました。
その結果、グレート・ベルにペニサスの姿を見つけたので、こうして来た次第です」
_
( ゚∀゚)「ほぅ。
ハインリッヒ、ならどうして一度街のホテルに行ったんだ?予約をしに行ったわけではないだろう」
ハインリッヒはポンチョの下に隠れている両手を握っては開き、どうにか動揺を誤魔化せるように努めた。
勘付かれているのか、それとも気付かれているのか。
ジョルジュの真意はどちらなのか、この段階では読み取り切れない。
255
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:12:45 ID:9ft78oqo0
_
( ゚∀゚)「何をしていた。
タカラ一等軍曹が殺され、ボルジョア少尉も殺された時、お前達は何をしていた!」
銀色に輝くベレッタの銃腔がハインリッヒに向けられた。
安全装置は解除され、撃鉄は起きていた。
銃爪に指がかけられ、力加減を間違えれば弾丸が放たれる状態だった。
事態は最悪の局面を迎えた。
彼ら二人の裏切り行為が、このタイミングでジョルジュに知られてしまった。
_
(#゚∀゚)「答えろ!曹長!」
从 ゚∀从「っ……先ほども報告した通り、森に」
ポンチョのフードがまくれ上がり、ハインリッヒの頭を大粒の雨が容赦なく濡らした。
瞬きを忘れ、自分が撃たれたのだとハインリッヒはしばらくの間理解が出来なかった。
銃声はハインリッヒの耳には届いていたが、彼女はその音を聞き取れていなかった。
銃弾だけでは不十分だと言わんばかりに、ジョルジュが怒鳴った。
_
(#゚∀゚)「次は当てる!」
ジョルジュの目は本気だった。
ハインリッヒは殺される前に撃つしかないと判断し、腰のベレッタに手を伸ばした。
そして、彼女が触れたベレッタの銃把の感触を最後に、ハインリッヒは頭を鉛弾で撃ち抜かれて死んだ。
まだ硝煙の立ち上る銃腔は、油断なくギコに向けられた。
_
(#゚∀゚)「言え、ギコ!頼むから、俺にこれ以上仲間を殺させないでくれ!」
躊躇いの一つもなく、ジョルジュはハインリッヒを射殺した。
頭を撃ち抜いて即死させたのは仲間としてせめてもの情けだったのだろうが、死んだ人間にとって、それは大した気休めにもならない。
(,,゚Д゚)「少尉、味方を撃つつもりですか!」
_
(#゚∀゚)「味方かどうか、それを知るために話せと言っている!」
ギコの手にはベレッタがすでに握られていたが、今の体勢では撃ち負ける。
この距離であればジョルジュは決して外さない。
ハインリッヒの頭を躊躇いなく撃った彼ならば、ギコがベレッタを構えるよりも先に三発は頭に撃ち込めるだろう。
必死に考えた。
ここで殺されれば、全てが水泡に帰す。
彼らが裏切ってきた仲間の思いも、彼らが殺してきたイルトリア軍の人間も、そしてペニーとの約束も。
奇妙なことに、ギコの頭には死に対する恐怖が浮かんでこなかった。
死ではなく、約束を守ることが出来なくなることが恐ろしかった。
贖罪を果たせない事が嫌だった。
_
(;゚∀゚)「正義のためにも、話してくれ!」
256
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:13:14 ID:9ft78oqo0
幼少期からギコは正義に憧れ、正義の味方であろうと務めた。
中学を卒業後すぐに軍隊に所属し、ライフルの腕前を見込まれて今の地位を得た。
それは多くの仲間の死が彼を強くし、彼が強くあろうとしたからだった。
正義とは何だろうかと、彼は常に考えてきた。
だが、答えは分からなかった。
正義は常に誰かに指示され、彼はそれに従い、それを信じ続けてきたからだ。
正義とは行動なのだろうか。
正義とは言葉なのだろうか。
頭に渦巻いていた疑問は、ライフルの反動が忘れさせてくれた。
しかし今、ギコはその長年の疑問に答えが出せる段階にいた。
正義の正体を知るまでは、まだ、死ぬわけにはいかない。
_
(#゚∀゚)「お前は賢い男だ、ギコ。
だから頼む、何があったのかを話すんだ!」
ギコは二つ、覚悟を決めた。
一つは断固として真実を喋らない事。
そしてもう一つは、ここでジョルジュを殺すという事だった。
安全装置、撃鉄、共に万全な状態にある。
早撃ちは苦手だが、相手の虚を突くことが出来れば勝機はある。
それでも、相手は〝ジョルジュ・ビー・グッド〟の渾名を持つ男。
経験も技量も遥かに上の人間に、どこまで通じるのか。
ギコは油断を誘うためにゆっくりと口を開き――
('、`*川「五月蠅いわよ」
――冷ややかな声と共に、くぐもった銃声が一つ。
頭にグロテスクな花を咲かせたジョルジュは糸の切れた人形のようにその場に倒れ、奇妙に四肢を痙攣させた。
血の気の失せた顔のペニーが魔法のようにジョルジュの背後に現れ、サプレッサーの付いたグロックを構えていた。
(,,゚Д゚)「ペニーさん、無事だったんですね!」
('、`*川「無事とは言い難いですけど、どうにか」
ペニーは仰向けに倒れたハインリッヒの死体に歩み寄り、開かれたままの両目をそっと閉じさせてやった。
('、`*川「ギコさん、力を貸してはもらえませんか?」
無言で頷いた。
ギコは出来る事を考え、自分のポンチョをペニーに渡した。
(,,゚Д゚)「これを使ってください。
移動の時に顔を隠せます。
かなりの重傷を負われていると思うのですが、その手当は必要ですか?」
('、`*川「えぇ、お願いします。
取り急ぎ、どこか安全な宿を見つけなくては」
257
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:13:41 ID:9ft78oqo0
(,,゚Д゚)「……自分に考えがあります。
基地の近くに民宿があります。
自分達が……基地襲撃の時に使った場所です。
そこに連れていきます。
秘匿性の高い宿なのは調べがついています。
医療器具を基地から持っていき、傷の手当てをそこでします。
と言っても、そこまで難しいのは出来ませんが」
その提案にペニーは不思議そうな目でギコを見た。
('、`*川「そこまですれば、貴方が危険に巻き込まれますよ?」
(,,゚Д゚)「えぇ、覚悟の上です。
ハインリッヒ曹長も……覚悟を決めていました。
だから自分も覚悟を決めて、ペニーさんに手を貸します。
ペニーさんが療養している間、自分が護衛を務めます」
ペニーは目を細めて、ギコの目を見た。
その奥にあるものを探る様に、静かに鳶色の瞳が瞬き一つせずギコに向けられた。
最初の狙撃チーム唯一の生き残りとなったギコに、ペニーを裏切るという考えはなかった。
彼は贖罪を求めていた。
そして、断罪者を求めていた。
('、`*川「……そうですか。
では、お言葉に甘えさせていただきます」
それから先の行動は順調を極めた。
二人は車両に乗って堂々と街中を移動し、怪しまれることなく民宿の一室にペニーを連れていく事が出来た。
ジュスティア軍の人間という立場を利用し、ペニーは安全な場所を手に入れることが出来た。
今の彼女に必要なのが療養であることは明白だった。
ペニーを部屋のベッドに寝かせると、ギコは基地に向かい、医療セット一式を手に入れ、再び民宿に戻った。
彼が戻ると、ペニーはほとんど動いた様子もなく、力なくベッドの上で横になったままだった。
扉が開いた時、ペニーは薄らと目を開いてギコを見ただけだった。
警戒心を解いてくれていることが、何よりも嬉しく感じたが、彼女が弱っている姿を見るのが辛かった。
膝の傷は思ったよりも浅く、焼き潰されていることから改めて手を加える必要はなかったが、肩の傷はすぐにでも取り掛からなければならなかった。
麻酔代わりに度数の高い酒をペニーに飲ませ、彼女は躊躇うことなく上着と下着を脱いで裸になった。
均整の取れた女性的な体には引きしまった筋肉がつき、多くの傷がその肌に刻まれていた。
銃創、切り傷、大きな火傷などまるで傷の見本市だった。
若々しい肉体に残る傷の数々は、タトゥーの様でもあった。
それでも尚、ペニーの体は美しさを損なう事がなかった。
それは、彼女が持つ人間的な強さに由来するのだろうと、ギコは密かに思った。
まずギコは焼かれた肌を切り裂き、その下にある血管の損傷具合を確認した。
彼は医者ではないが、傷の具合を見て縫い合わせることぐらいは出来た。
幸いにして太い血管は傷ついておらず、血管をつなぎ合わせるという事は必要なかった。
改めて傷口を消毒し、縫合して処置は終了した。
258
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:16:10 ID:9ft78oqo0
('、`*川「ありがとうございます、ギコさん」
事実上、麻酔なしでの切開と縫合を経てもペニーは呻き声一つ漏らさなかった。
彼女が深呼吸をするたび、形のいい乳房が上下した。
やましい気持ちがなくとも目のやり場に困ったギコはタオルで彼女の胸を隠し、目を逸らした。
ペニーは裸を見られたことに対して何も感じていないらしく、微笑を浮かべただけだった。
失った分の血を取り戻すためにも、彼女には輸血が必要だった。
それは分かっていたが、彼は輸血パックを持ち出すことは出来なかった。
理由は二つ。
一つは輸血パックが保管されている場所が分からなかった事、そしてもう一つが、ペニーの血液型を知らなかった事だった。
この二つの情報を事前に訊いておけば良かったと謝罪したが、ペニーは逆に輸血パックを持ち出すことで彼が怪しまれる可能性を考えれば、結果的に正しい判断だったと言った。
代わりに彼女は栄養価の高い食事で体力の回復を図ることを提案し、ギコもそれに同意した。
('、`*川「体を拭いてもらってもいいですか?」
(;,,゚Д゚)「じ、自分で拭くのは難しいですか?」
('、`*川「出来ていたら、頼みませんよ。
私の事はお気になさらないでください」
女性の裸体を見たのは初めてではない。
彼は今よりも若い頃、情動に身を任せて何度も女性と肌を重ねてきた。
しかし、ペニーの服を全て脱がせるというだけの行為で、彼はこれまでに感じたことの無い感情が湧き上がるのを感じ取っていた。
〝魔女〟として恐れられ、大勢の仲間を殺した狙撃手が目の前にいる。
畏怖と増悪の対象のはずだったが、今、彼は憧れの存在を前にした少年そのものだった。
桶に湯を張り、タオルを濡らして絞り、体を拭き始めた。
傷だらけの肌の上を、汚れのない白いタオルが拭っていく。
綺麗なうなじや扇情的な魅力のある腋の下、足の付け根などを丁寧に拭い、汚れと汗を拭き落とした。
情事が終わったかのような気だるさを覚えつつも、ギコはどうにか彼女の体を清めることが出来た。
着替えを終えた彼女は、簡潔に「ありがとう」と言った。
鎮痛剤を渡したが、ペニーはそれをやんわりと断り、代わりに赤ワインを所望した。
('、`*川「回復には肉とワインがいいんです」
力強くそう断言され、彼は断ることが出来なかった。
民宿の人間にジュスティア軍の関係者であることを匂わせ、どうにか安物の赤ワインとグラス、そして肉厚のステーキを用意させると、ペニーはグラスにワインを注いでそれをギコに差し出した。
一瞬だけその意味が理解できなかった彼に、ペニーは戦友にそうするかのような気軽さで声をかけた。
('、`*川「一口だけでも飲みませんか?」
思えば、この島に来てから初めての酒だった。
軍属の人間は軍務中に酒を飲むことを固く禁じ、例え夜であろうともそれは例外ではなかった。
当然、それは理に適った話だった。
酒は判断力を鈍らせる。
259
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:16:31 ID:9ft78oqo0
歴史に残る悪党達が命を落とした原因の多くは、酒による油断が関係している。
だが今や、軍が敵とみなす存在は一人だけであり、その人間はギコの目の前にいた。
油断と言うのであれば、この距離にいることをそう言うのだろう。
(,,゚Д゚)「お言葉に甘えさせていただきます」
小さな規定違反はタカラと共に積んできたが、敵兵と酒を飲むほどの違反はしたことがなかった。
いや、果たして違反なのかどうかも分からない状態だった。
街が敵と判断した人間と手を組み、味方を欺き、結果として大勢の味方を死に至らしめた。
明確なまでの裏切り行為であり、違反の枠組みに収まるとは思えない。
ボトルとグラスを小さく合わせ、二人はワインを一口飲んだ。
芳醇なワインの香りが鼻から抜け出た。
安酒なのだろうが、それでも、ここまで美味い酒は久しぶりに飲んだ気がした。
ボトルから直接ワインを飲みつつ、ペニーは用意された食事を食べ始めた。
肉厚のステーキをナイフで一口大に切り分け、口に運び、酒を飲む。
それを規則正しく一定のペースで続け、付け合わせのクレソンもコーンも、瞬く間にペニーの胃袋に吸い込まれていった。
最後に小さく満足げな溜息を吐いた時、ペニーの表情に幾らか血の気が戻っていた。
確かにこれだけ食欲があれば、鎮静剤などは不要だろう。
二人はそれから雑談をするでもなく、愚痴をこぼすわけでも、ましてや殺し合う事もなかった。
長い沈黙の中、二人は言葉を交わさずに互いの真意を探り合った。
それは最良のコミュニケーションだった。
無言と言う言葉は、何よりも雄弁に互いの意志を伝えた。
('、`*川「イルトリア軍の裏切り者の見当が付きました」
ペニーがその言葉を口にしたのは食後のデザートに用意されたアイスを平らげ、安物のワインを二瓶空け、バンブー島産の香り高いウィスキーを飲み始めてからだった。
ギコもまた、そのウィスキーを舐めるようにして飲みつつ、話に耳を傾けた。
酒を飲むという行為に罪悪感はもう抱くことはなかった。
('、`*川「ジュスティアの裏切り者とイルトリアの裏切り者、この両者を殺すには時間はかけられません。
時間が経てば経つほど、彼らを殺す機会が遠のきます」
彼女の声には余計な言葉を許さない力強さがあった。
酒が入っているとは思えない程の剣幕に、ギコは息をのんだ。
宝石のような瞳の奥に、覚悟の強さを感じさせる光を見て取った。
その目はこれまでにギコが見たどの軍人のそれよりも純粋で、濁りがなかった。
(,,゚Д゚)「つまり……」
('、`*川「明日、私がこの戦争を終わらせます。
協力してくれますね?」
彼には頷く以外、彼女に協力する以外、別の答えなど用意されていなかった。
覚悟は済んでいた。
後は彼女に手を貸し、どこまで堕ちることが出来るか。
260
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:16:51 ID:9ft78oqo0
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八月一二日。
イルトリア軍の狙撃手ペニサス・ノースフェイスとジュスティア軍の狙撃手ギコ・コメットが手を組んでから一夜が明けたその日。
デイジー紛争は幕を下ろすこととなる。
これが終幕。
魔女と呼ばれる女が戦争を終わらせ、人の夢を踏み躙る喜劇の始まりである。
第六章 了
261
:
名無しさん
:2018/01/07(日) 22:46:55 ID:P/2w/oLI0
乙
262
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:28:54 ID:WgoVE2mI0
第七章 【魔女と呼ばれた女】
八月一二日、午前一〇時。
嵐が去り、ティンカーベルの上には透き通るような青空が広がっている。
連日の争いの空気など微塵も感じさせない空。
雲一つない空に、蝉達の合唱が響く。
グルーバー島の朝市にはいつもの半分以下の客しか集まっておらず、商品の数も半分以下だった。
新鮮な魚も食欲をそそるはずの料理の香りも、全てが人々の生存本能の前には霞んでしまうのだ。
戦争が本格的に始まってから島民の笑顔は消え、流れ弾に怯え続けていた。
砲兵隊、そして戦車隊が山に向けて大量の砲弾を撃ち込んだ結果、山肌が抉れ、小規模な山火事まで起きていた。
民間人の死傷者が出ていないのが奇跡だった。
街中には武装した迷彩服姿の兵士達が二人一組で哨戒する姿が見られ、ホテルなどの宿泊施設に立ち寄っては人相書きを見せて情報を集めていた。
協力する民間人もいるが、中には非協力的な人間もいた。
島民としてはすぐにでもこの事態を終わらせてほしい気持ちが強く、イルトリアとジュスティア、どちらがこの島の漁業を守るのかはさほど大きな問題ではなかった。
それよりも平穏な生活を取り戻したい気持ちが強く表れていた。
その苛立ちをジュスティア軍の人間にぶつけたい民間人は、しかし、軍人が持つライフルを前にしては態度だけでしかその不満を表現できなかった。
テックス・バックブラインドは砕けたガラス窓の向こうに見える街を、忌々しげな表情で眺めていた。
昨日、彼の理解者であり協力者であったアルバトロス・ミュニックとカリオストロ・イミテーションが殺された。
二人とも強化外骨格で武装し、万全の状態にあった。
相手が一人であろうとも、女子供であろうとも、手負いであろうとも、決して油断をしない冷徹な人間だった。
彼は二人を信頼していた。
二人は何度も不可能と思える任務を成功させ、ジュスティア陸軍の輝かしい栄光に貢献してきた。
そんな二人だからこそ彼はこの舞台に招き入れ、力を借りた。
強化外骨格と狙撃銃の組み合わせは抜群の成果を導き出した。
密漁船、基地の襲撃。
超遠距離からの精密な狙撃を完遂させ、残るは邪魔なイルトリア人の始末だけだった。
たった一人の狙撃手。
その存在が、何もかもを狂わせた。
余計な死者が増え、大勢の部下が死体袋に詰めて生まれ故郷に送られた。
ジュスティア側にとっては最小限の犠牲で終わらせるはずが、結果的にはイルトリア軍人よりも多くの死体を生むこととなった。
それでも、二人は最高の狙撃手であり続けた。
存在を悟られることなく、そして、余計な画策を働いた人間の始末まで請け負ってくれたのだ。
テックスにとって二人は欠かすことの出来ない大切なパズルの一片だった。
その二人が、生身の人間に殺された。
アルバトロスは鐘楼で、カリオストロは下水道で死んだ。
強化外骨格を身に纏ったまま、撃ち殺されたのだ。
対強化外骨格用の徹甲弾の存在は聞いていたが、それに対抗するために追加装甲を装備したアルバトロスは、強化外骨格の弱点であるバッテリーを狙われ、装甲の薄いカメラを撃ち抜かれた。
カリオストロは下水道の流れに身を隠し、汚水の中から狙撃を実行した。
263
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:29:38 ID:WgoVE2mI0
しかし、環境が彼の敵となった。
水中から放った銃弾は弾道が歪み、高性能な強化外骨格の計算能力をもってしても正確な射撃情報を導き出せなかった。
何より最悪だったのは、後に分かった事だが、銃腔にゴミが付着しており、それが更に弾道を歪めたことだ。
彼の放った弾丸はペニサス・ノースフェイスを殺すには至らなかったが、負傷させることは出来た。
それだけだった。
それで終わりだった。
ペニサスがどこにいるのか。
どのような状況なのか。
何一つ分からない。
血を残して彼女はどこかへと消えた。
代わりに二つの死体が増えた。
こそこそと鼠のように嗅ぎまわっていたジョルジュ・ロングディスタンスとハインリッヒ・サブミットの死体だ。
死んでもらった方が好都合な種類の人間だったが、何故、この厄介者二人が死んだのか。
調べによると、ハインリッヒの死体から発見された銃弾はジョルジュの銃から発砲された物だという。
更に、ハインリッヒは雨の中何故かポンチョを着ていなかった。
ジョルジュを殺した銃は見つかっていない。
奇妙さが際立つ殺しの現場だった。
極めつけは砲兵隊の砲弾を狙い撃ち、大爆発を引き起こしたことだ。
あれによって基地の大部分が被害を受け、兵舎も割れていない窓ガラスは一つもなかった。
不幸中の幸いなことに砲弾が兵舎から離れていたこともあり、建物が倒壊することはなかったが、多くの人間が傷つき、備品の多くが破損した。
もう一つ、彼の頭を悩ませる問題があった。
協力者であるフランシス・ベケットの行方が分からなくなっている。
彼を殺そうと送り込んだ兵士からの連絡が途絶え、死体として発見されたのだ。
流石はイルトリア軍の人間だと称賛を送るべきだろうが、彼の行方を辿れないとなると、いつこちらに反旗を翻してくるか分かった物ではない。
こちらがそうしたように、彼もまた、こちらに牙を剥いてくることだろう。
そうなる前に潰そうとしたが失敗した以上、別働隊を組織して処理する他ない。
彼に生きられていると厄介だ。
彼は死人なのだ。
生きていることが誰かに知られてしまえば、計画が破たんしかねない。
決して、彼一人の利益のためではなく、世界そのものに関わる大きな利益のための計画が彼にはあった。
テックスは正義の体現であるジュスティアを取り戻したい一心で、この戦争を引き起こした。
世界にはバランスという物がある。
善と悪。
光と影。
世界中に暴力が蔓延しているこの世界で人が人であるためには、ルールが不可欠だ。
街毎のルールではなく、世界共通のルール。
即ち正義の存在が必要だ。
世界中にいる警察官達は契約に基づき、その街のルールを守らせるために派遣されているに過ぎない。
264
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:30:03 ID:WgoVE2mI0
街によっては窃盗で死刑になる場所もあるが、ジュスティアでは懲役刑だ。
これは正義のバランスが崩れ、正義の認識が共通していない何よりの証だ。
その原因は、ジュスティアの影響力が弱いことにある。
単純な軍事力の問題ではなく、それを証明する機会がないことが問題なのだ。
本来正義とは世界共通の認識でなければならない。
そうでなければ世界が一つになることはなく、争いが世界から消えることはない。
正義の統一。
それこそが、ジュスティアが世界に向けて行うべき究極的な行動の一つだった。
それを見せつけなければならないと感じたのは、彼が二度目の戦争を経験した時だった。
その時の彼はまだ若く、理想に燃えていた。
銃に魂が宿り、祝福の女神が彼らを銃弾から守ってくれると信仰していた。
二度目の戦場はフィリカ――広大な領土を持つ街であり、その中で複数の部族に分かれて生活をしているが、その水準は非常に低い――と呼ばれる南の大陸に広がる街だった。
そこには秩序と呼ばれる物や法律と呼ばれるものは皆無に等しく、ジュスティアが参戦するまでの間、殺人や窃盗が日常化していた。
正に現代社会の混沌そのものだった。
道端には黒檀の様な色の肌をした女子供が座り込み、言葉ではなく恐ろしいほどにぎらついた目を向け、訴えかけてきていた。
あの目だけは何年経とうとも彼の頭から消えることはなかった。
飢餓は人々から倫理を奪い取り、争いが根付き、憎しみが糧となって紛争が日常風景となった。
対立する五つの街が争い合うその地帯に平穏と秩序を取り戻すのがテックスの任務だった。
うだるような暑い気候のフィリカで、彼は仲間と共に炎天下の中ライフルを構えて哨戒していた。
茂みに潜むテロリスト、反対勢力、猛獣などに警戒しながら初日を終えた。
日付が変わった深夜、銃声が彼の中に眠っていた生存本能を呼び起こした。
闇に紛れて夜襲をかけてきた抵抗部族によって、彼の仲間が重傷を負い、左半身が麻痺した。
その仲間には二人の娘がいて、防弾着を貫通した銃弾が彼の背骨を傷つける直前までその自慢をしていた事を思い、テックスは闇に向けて撃ちまくった。
撃ち返された銃弾に倒れたが、幸いなことに、彼のドックタグが致命傷と防弾着の貫通という事態を回避させた。
翌日、テックス達は仇討のために夜襲を仕掛けてきた死体から所属する部族を割り出し、部族の住む地帯に攻め込んだ。
重機関銃を搭載した装輪装甲車の行進は壮観だった。
銃弾が家屋を倒壊させ、劣化ウラン弾の直撃を受けた人間が水風船のように爆ぜた。
それは悪が滅びる瞬間に味わう恍惚とした感情だった。
汚れを落とす感覚の最上級。
忌々しい存在がその命の価値に等しい最期を迎える姿は、滑稽でさえあった。
悪には相応しい最期だった。
制圧した部族の住居には、奴隷として連れて来られた他部族の子供達がいた。
性的な暴行を受けた痕跡もあり、子供達にはトラウマが植えつけられていた。
その代償としてジュスティアが捕虜として捕えた部族の人間に下したのは銃殺刑だったが、彼らが味方する部族はそれを拒否し、生きたまま体を刻んで豚の餌にした。
あまりにも野蛮な手段に大勢の兵士が嫌悪感を露わにし、この異常な思考が残る以上、決して紛争はなくならないと察した。
事実、ジュスティアが紛争介入から手を引いた翌週には、再び争いが始まっていた。
今度は腕を切り落とし、傷口を焼いて潰すという方法が主流になっていた。
彼らには悪意はなかった。
彼らには常識が、正義の心がないだけだった。
正義の心を彼らに教えるためには、大規模な改宗にも似た作戦を行わななければならない。
その出来事を通じて彼が学んだのは、統一した正義感、即ち、世界共通の正義が無ければ争いはこの世から消えないという事だった。
265
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:30:28 ID:WgoVE2mI0
暴力が暴力を生み、恨みが新たな争いの火種となり、決して途絶えることの無い連鎖が未来永劫続いていく。
それを絶たなければ、ジュスティアが掲げる正義の光が世界を照らすことはない。
もう一つ学んだことがある。
全世界に影響力を持つ存在があれば、正義の統一は叶うと。
その筆頭は当然、ジュスティアだ。
ジュスティアが先頭に立ち、世界を導いていく。
そしてそのためには、ある障害があった。
世界の癌であり、腫瘍でもある存在。
腫瘍はイルトリアだった。
武人の都、暴力を生業とする荒くれ者の楽園。
世界を正義と悪で二分するとしたら、イルトリアは悪の権化でジュスティアは正義の化身だ。
イルトリアに対して武力的に優位な姿を世界中に示すためには、戦争で勝つしかない。
そのためには戦争が起きなければならないのだが、誰もかれもが戦争を回避することにばかり頭と時間を使っている。
戦争が起こらなければ、どうやってもジュスティアの力を世界に知らしめることが出来ない。
しかし、この考えを口にすれば彼は戦争を望む悪として見られかねない。
あくまでも、自然偶発的に発生する戦争でなければならなかった。
戦争の起こし方は多々あったが、二つの街は火薬庫のように静電気一つ発生させることを良しとしなかった。
火種など、偶然では決して起こらないことがよく分かっていた。
だからこそ、どうにかして自然を装って決して不自然ではない争いの種を撒かなければならない。
そして月日が流れ、彼は最前線を指揮する存在へと昇格した。
ジュスティアを変えるために努力をした結果だった。
しかし、陸軍大将になったものの、ジュスティア軍全体の統率者は依然として市長であり、全大将の提案と市長の合意がなければ宣戦は布告されることはない。
苛立ちと歯痒さに心を痛める日々が過ぎ、遂に運命の日が訪れる。
黄金の大樹を掲げる秘密結社に誘われ、彼の夢を叶えるために手を貸してくれる人物と引き合わされた。
それがイルトリア海軍准将のフランシス・ベケットだった。
フランシスと話をする中で、互いの目的は真反対だったが、望むことは同じだった。
戦争を望む者同士が手を組めば戦争を引き起こすことは容易い。
斯くしてこの戦争の台本が執筆され、演者達が密かに選ばれたのであった。
そう言えば、とテックスは思い至った。
鼠の集団の中に、まだ見つかっていない人間が一人いた。
ギコ・コメットだ。
彼もまた、消さなければならない存在だった。
どうにかして呼び出し、殺さなければならない。
彼とその仲間達が集めた情報がどの程度の物なのか、その精度や目的は分からないままだが、生かしておいても得はないだろう。
彼が真実に辿り着く前に、辿り着く可能性が生じる前に、その口を永遠に塞ぐのが得策だ。
こちらについても、彼を裏切り者に仕立て上げて捜索隊を出すのがいいだろう。
266
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:30:58 ID:WgoVE2mI0
無意識の内に、部屋の片隅に置かれたモスグリーンのコンテナに目を向ける。
今この基地にある最後の強化外骨格は、脱出の最終手段として彼が使用することになっていた。
戦車隊が彼を追ってきたとしても、この強化外骨格があれば助かる確率は高くなる。
悩みの種がなくならない事には、テックスは枕を高くして眠ることは出来ない。
どのようにして呼び出そうかと考えていた時、彼の目の前にある電話が鳴り始めた。
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フランシス・ベケットは新たな宿泊施設に身を潜め、銃声が途絶えて久しくなったことに不安を感じていた。
銃声が聞こえないという事は、ペニーとジュスティア軍の戦闘が止んだという事だ。
どのような理由で止んだか、それが問題だった。
ペニーが姿をくらましたのか、それとも彼女が死んだのか。
死んだのであれば街にいる兵士達は撤収をしているだろうから、死んだのではなさそうだった。
十分な損害を与えたと満足し、ペニーがこの島からの脱出を試みたと考えると、彼にとっては都合があまり良くなかった。
彼女が戦死すれば、今よりも大きな戦争の火種になってくれる。
出来ればこの地でジュスティア軍に殺されるのが望ましい。
それに、この島は現在厳重な封鎖状態にある。
漁船に潜り込み、それを乗っ取ったとしても、途中で捕捉されて撃沈される。
しかし、ペニーは任務半ばで背を見せるような女ではない。
そういう風に訓練されているのだ。
イルトリア軍人は、必ず敵に報復をする。
その教えが彼女の中に残っている限り、この島から出て行くことはないはずだった。
クリス・ハスコックが死んだ時も、彼女はその教えに従って徹底的に戦い抜いた。
屍を抱き、涙と血で汚れた顔に鬼の形相を浮かべ、銃爪を引き続けた。
その日以降、狙撃に関する天性の才を持つ彼女は狙撃訓練、近接戦闘訓練などあらゆる訓練にそれまで以上に熱心に取り組んだ。
彼女は才能と言う武器に努力と言う武器まで手に入れたのだ。
当然、実戦にも何度も参加し、任務遂行に助力した。
彼女ならば、今頃はきっとどうにかしてジュスティア軍を出し抜いてより多くの屍を築き上げようとするだろう。
彼女の動きを読まなければ先手は打てないが、問題なのは彼の手元に駒がもうないという事だ。
彼の協力者である人間は早々に裏切りを決め、彼を殺そうとしてきた。
これで二人の関係は完全に終わり、元通りになるというわけだ。
それは遅かれ早かれ帰着する結果であるため、予想の範囲内ではあったが、あまりにも早すぎた。
焦るあまり本質を見抜けなかった男の判断だと罵倒しようとも、駒を所有しているのは相手側だ。
駒がいない事には、こちらは手出しが出来ない。
ペニーの性質を知るこちらを切り捨てたのは愚かな決断だとしか言いようがないが、おそらく、向こうは彼女を排除するだけの算段が立ったのだろう。
そうでなければ困る。
グロックの弾倉に弾を込め、それを机の上に並べていく。
弾倉は全部で三つ。
イルトリア軍が採用している型式のグロックは一七発の弾を発砲できるだけでなく、セレクター一つでフルオート射撃が可能になる物だ。
都合五十一発の弾丸が彼の命を守り、彼の夢を叶えるための道具となる。
267
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:31:36 ID:WgoVE2mI0
駒がいないのならば、彼自身が動くしかない。
ペニーのおかげで夢を見ることが出来た。
後は、その夢を現実にするために彼女を排除する。
弾倉を挿入し、遊底を引いて初弾を薬室に送り込む。
この感覚がたまらなく愛おしい。
弾丸を得たことによって銃は殺傷能力を持つ武器へと変わる。
指先の力だけで人を殺し、夢を叶える魔法の道具。
使い方を誤らなければ、これ一つで街を手に入れることも出来るが、彼はそう言った権力に対して全く興味がなかった。
彼の興味はイルトリアの強さを世界に知らしめることなのだ。
今、ペニーならばどう動くか。
想像するのはそう難くなかった。
彼女の最終目的がジュスティア軍の全滅であれば、削り取れる部分を削るに決まっている。
狙撃手一人に翻弄される軍隊の中で脆くなるのは、街で当てもなくペニーの行方を調べる兵士達だ。
彼らは常に遠方から撃たれる可能性に怯え、次第に冷静さを欠くはずだ。
その彼らを狙う安全な場所となると、必然的に絞られてくる。
目撃される可能性から街中での狙撃は少なくなるだろう。
となると、ジュスティア軍は街ではなく森に別働隊を派遣してペニーを探させている可能性もある。
彼女が狙うのは、基地にいる砲兵隊だ。
破壊の象徴である砲兵隊は同時に、前線から離れているために安全な存在でもあった。
だが、それをペニーが覆した。
安全圏にいると勘違いした砲兵達に銃弾を浴びせ、爆死させた。
そのため、彼女が街で戦闘を始めた時、彼らは安堵したことだろう。
砲兵隊は街中での戦闘には参加できないからだ。
その代わりに見せかけだけの戦車隊が街を移動し、ペニーにプレッシャーを与えようとしたが、彼女の方が一枚上手だった。
砲兵隊は二度、ペニーに痛めつけられている。
三度目はないだろうと考えているところを狙えば、街を歩く兵士を殺すよりも簡単だ。
彼らは疲弊し、損耗し、活力を失っている。
基地に対する攻撃の方法は狙撃ではないだろう。
狙撃を警戒し、すでに多くの兵士が背の高い建物に対する警戒を始めている。
そうなると直接的に攻め込む方法が無難だろう。
夜の闇を利用し、海辺からの接近だろうか。
それとも彼の想像もつかない方法で復讐を遂げるのだろうか。
想像するだけでフランシスは込み上がってくる笑みの衝動を抑えきれなかった。
彼女こそがイルトリアの強さの化身なのだ。
もっと混沌と破壊を振り撒き、力を示してくれれば彼の望みは現実味を帯びてくる。
入口の戸がノックされ、フランシスの意識は現実に引き戻された。
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268
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:32:13 ID:WgoVE2mI0
ジュスティア市長、フォックス・クレイドウィッチは目の前にある電話が鳴ったことに少なからず動揺した。
朝の一〇時頃にかかってくる電話の予定はなく、考えられる電話の内容はティンカーベルでまた何か悪いことが起きたという知らせである可能性が高かった。
これ以上何が起こってもおかしくないとは理解していても、最悪のニュースは受け入れ難いものがあった。
意を決し、受話器を取る。
向こうから聞こえてきたのは、明瞭な声の持ち主だった。
( ФωФ)『久しぶりだな、フォックス』
爪#'ー`)「ロマネスク!何の用だ、貴様!」
それは、イルトリア市長ロマネスク・アードベッグからの電話だった。
腹立たしいほどに落ち着き払い、それでいて高圧的な口調は相変わらずだ。
この非常時に電話をかけてくるとは、非常識にもほどがある。
何を考えているのか、果たして本当に正気なのか、フォックスは怒りと困惑で頭が真っ白になった。
( ФωФ)『話を聞けよ。
久しぶりの電話だが、そう長く話している時間もないんだ』
机の上に指を乗せ、フォックスは人差し指から薬指で順に机を叩き始めた。
それは彼が感情を抑圧して考え事をする時の癖だった。
爪'ー`)「要件を言え」
( ФωФ)『ティンカーベルから部隊を引き揚げさせろ』
それまでリズミカルに机を叩いていたフォックスの指が止まった。
声を荒げないよう、だが相手にこちらの気持ちが伝わるように声色に気を遣い、絞り出すように声を出した。
爪'ー`)「……貴様、正気か?」
( ФωФ)『何をもって正気とするかは知らんが、よく聞けよ。
この戦争は起こるように仕組まれたものだ。
これ以上戦闘を続けても仕掛け人達が喜ぶだけで俺達に利益はないぞ』
爪'ー`)「ジュスティアが金のために戦争をするとでも思うのか、戦争狂(ウォー・ジャンキー)」
( ФωФ)『まさか。
だが、お前らが守ろうとする正義と言うのがお前らにとっての利益だろう、英雄狂(ドン・キホーテ)』
会話が途絶え、沈黙が流れる。
口論をしても意味がない。
意味があるのは相手の真意であり、言葉ではない。
爪'ー`)「詳しく話を聞かせてもらおうか。
こちらは多数の死傷者が出ているんだ」
269
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:33:42 ID:WgoVE2mI0
( ФωФ)『死体の数を数えるのは止めておけ。
俺の話を聞く気があるなら、大人しく黙って聞け。
俺達の軍の中に、戦争を望む人間がいる。
ジュスティアとイルトリアの戦争を起こしたくて仕方がない奴が。
心当たりはあるか?』
一瞬、フォックスはその言葉の意味が正しく理解できなかった。
戦争を起こしたい人間はイルトリアに山ほどいるだろう。
それはなんら不思議な話ではない。
武人の都の人間が戦争をしない時代は一度もなかった。
彼らの生業は戦争そのものであり、戦争経済こそが彼らの生活源なのだ。
だが、そんな当たり前のことを彼が話すだろうか。
緊張状態にある今、このタイミングでわざわざ電話をかけてくるという事は、もっと別の意味があるに違いなかった。
そういう意味では、フォックスはロマネスクの事を信用していた。
イルトリアがその気になれば、わざわざ電話など掛けずに別の方法で混乱を生み出すことが出来る。
宣戦布告抜きで戦争をすることも可能だ。
ようやく意識が彼の言葉の意味を理解し、その重要性故に背筋が自然と伸びた。
イルトリアとジュスティアの戦争となると、話の持つ重要性と危険性が桁違いになる。
それは親子何世代にも渡って語り継がれ、歴代の市長達が次期市長に向けて伝えられてきた、実現してはならない悪夢の一つだった。
世界が終る時が来るとしたら、間違いなく、この二つの街が争う時だろうと語られ続けてきた。
スズメバチの巣に石を投げてはいけない、迫りくるダンプに体当たりをしないといった次元の常識として、誰もがその言葉を記憶にとどめ、知識を身につけるにつれて言葉の正しさを理解した。
実際、戦争が起こって世界が混沌に陥る理由は非常に簡単だった。
二つの街が本格的な戦争を起こせば、関連する全ての街が同時に争いを起こし、全世界が焦土と化す。
自信過剰や心配のし過ぎではなく、この二つの街は世界を二分し得るだけの力を持った街であり、その影響力は絶大だった。
二つの街と関係を持つ町は今なお世界中に拡大しており、片方が滅びればそれに連動する形で次々と町が滅び、経済的に滅んだ街を巡って争いが起こる。
こうして争いの火が世界中に拡散され、最後に残るのは燃えカスの上に立つ勝者だけなのだ。
待っているのは滅び。
見えているのも滅び。
そんな戦争を望む人間は、流石のイルトリアにもいないはずだ。
だからこそ、ジュスティアでもこの事はタブー視され、戦争を起こさないよう教育がされていた。
ロマネスクがそれを口にしたという事は、実際にそう言った動きがあるという事を意味していた。
フォックスはロマネスクの事を信頼していた。
ジュスティア人がイルトリア人の強さを認めているのと同じように、彼もまた、イルトリア市長の性格を信頼していた。
彼は憎むべき相手だが、尊敬の念を忘れたことは一度もない。
爪'ー`)「何か証拠でもあるのか?」
( ФωФ)『こちらは自軍の裏切り者を見つけた。
次はそっちの裏切り者を見つけてもらいたい』
爪'ー`)「馬鹿を言え。
ジュスティア軍にいるはずが――」
270
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:35:42 ID:WgoVE2mI0
( ФωФ)『冗談でこんなことを言うと思うか?こちらの裏切り者がそっちの裏切り者に情報を流しているから、今島で人狩りが始まっているんだ。
まさか、狙撃手に関する情報源が島民と言うんじゃないだろうな?』
正に彼の言う通りだ。
得た情報は匿名の情報源から流された物であり、自力で掴んだものではなかった。
情報は内部に精通している者でなければ分からないようなことまであり、確かに、内通者が流したと考えるのが自然だった。
この短期間でこちらの動きや情報を把握したイルトリア軍の手腕には驚かされるが、それでもそう簡単に認めるわけにはいかない。
ブラフという事もあり得るのだ。
爪'ー`)「……貴様に教える義理はない」
( ФωФ)『お前がこの戦争を続けたいのならばそうすればいいが、少しでも島民の機嫌を取りたいのならばもう止めることだ。
この話に乗るというのなら、他の情報も分けてやるし、もう一ついいものをやろう』
爪'ー`)「三分だけ考えさせろ」
フォックスは机上のスイッチを押し、秘書を呼び出した。
すぐに扉を開いて入ってきた秘書は漂う雰囲気からただ事ではない事を察し、次に市長が望むものを急いで用意した。
大きなマグカップに並々と注いだエスプレッソだった。
それを受け取り、フォックスは秘書を部屋から追い出した。
湯気の立つそれを一口飲み、慎重に言葉を選ぶ。
答えは決まっていたが、すぐに返答しては相手になめて見られる。
それだけは駄目だ。
今後の事も考え、彼は発言する義務がある。
腕時計を見て三分三〇秒が過ぎた時、ようやく口を開いた。
爪'ー`)「聞いてやる」
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
かつてその土地は、世界最強と名高いイルトリア軍が駐屯する基地だった。
今はジュスティア軍が駐屯する基地になっていたが、以前とは似ても似つかないほどに荒れ果てていた。
巨大なクレーターが基地の中心に広がり、周辺の床や建物には焼けた跡が残っている。
砕けたガラスが今なお放置され、血痕も残されていた。
かつての繁栄は見る影もなく、そこにあるのは敗残兵の基地だった。
漂う空気は軍事基地独特の緊張した物に加えて、野戦病院に蔓延している陰鬱な空気と同様のものがあった。
基地内の警備を行う兵士は格段にその数を減らし、多くの兵士が街に派遣され、残った少数の兵は兵舎で待機をしていた。
基地を守るよりも狙撃手を見つけた方が建設的だという陸軍大将の判断によるもので、多くの兵士がその意見に同意した。
狙撃手が街に逃げ込み、姿を消してから十二時間以上が経過していた。
それは、すでに島の外に逃げてしまった可能性を高めたが、狙撃地点を確保したために沈黙しているとも考えられた。
狙撃手によって大打撃を受けた反省から、砲兵隊達は野戦砲を引き下げ、砲弾は屋根の吹き飛んだ黒焦げの倉庫に運び入れた。
武器保管庫の倉庫も、狙撃手によって破壊されていた。
271
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:36:25 ID:WgoVE2mI0
彼ら砲兵隊以外にも、戦車隊が基地の中に待機していた。
戦車隊は連絡を受け次第すぐにでも行動できるよう準備をしていたが、砲兵隊の人間は戦意喪失状態にあり、屋外に出ることでさえ怯えて嫌がった。
情けなさ極まる話だったが、生き残った砲兵隊の指揮官も同様に屋外と窓辺を恐れた。
結果として基地に残ることになった二〇名弱の兵士は歩哨を六人だけ屋外に出し、残りはカーテンを閉め切った部屋にいるという形で落ち着いた。
ハルトマン・アーレンスは枠だけになった窓から外を眺めつつ、煙草を吸っていた。
すでに二箱吸いきりそうな勢いだったが、彼は無意識の内に新たな煙草を手にしていた。
これまでに命の危険に晒された経験は何度もあった。
戦場に足を踏み入れれば、誰でもそうなる。
彼は五度、戦争に参加していた。
いずれも過酷な戦争だったが、今の状況は彼の経験が如何に生ぬるかったのかを思い知らせた。
狙撃手が姿を隠せば、大勢の人間はその影に怯え続けなければならない。
今回がいい例だ。
最小限の動きで最大の成果を得て、ジュスティア軍人達の心底に恐怖を植えつけた。
植えつけられたこの恐怖はそう簡単に除去できるものではない。
極度のストレス状態から、すでに数人、体に影響が出ている兵士がいる。
出来る事ならば彼も弱音を吐きたかった。
だが、多くの上官が死に、数少ない指揮官であるハルトマンが弱気な姿を見せようものなら、今度こそ本当に部隊は使い物にならなくなってしまう。
それを知る彼は、せめて自制心を忘れず恐怖心を表に出さないよう、煙草による救済を求めた。
彼の姿は兵舎の最上階、かつては通信室として使われていた場所に通じる階段にあった。
階段に置いた灰皿には吸殻が幾重にも重なり、針山のようになっていた。
風通しは最高によかったが、壁に開いた大穴や壊れた電子機器から漂う鉄臭が煙草のそれと交わり、荒廃した匂いとしてその空間に滞留していた。
突発的な不安が、ハルトマンの胸を襲った。
動悸が激しく、呼吸が乱れる。
まるでそれが薬であるかのように、煙草の煙を肺に吸い込む。
徐々に彼は落ち着きを取り戻し、代わりに、新たな煙草を吸うことになった。
数か月分のタバコが瞬く間に消費されている現実は、彼に更なる不安を思い起こさせたが、それでも止められなかった。
不安は発作に近い物で、かつて何度かそれと対面してきたが、一向に耐性は出来なかった。
恐怖に慣れてしまえば人は愚鈍になり、隙が生まれ、やがては死を招く。
そう教え込まれ、そう考え、そう生きてきた彼にとって、初体験となるこの恐怖に打ち勝つ術は一つも考え付かなかった。
上陸作戦の時、彼は銃弾を掻い潜って塹壕に駆け込むことを繰り返した。
市街戦の時、彼は市民の手に武器が握られていた場合に即応出来るようになった。
撤退戦の時、彼は敵を食い止める殿を務めることにこの上ない満足感を覚えた。
そして今、一人の狙撃手に憎悪を抱き、殺意を覚え、絶望していた。
正体も人相も分かっているが、一向に捕まる気配を見せるどころか、着実に死体を増やし続けている現実は、ハルトマンには受け入れがたい物だった。
世界最高の軍であるジュスティア軍が、たった一人の狙撃手に翻弄されている現実はそれまで子供が無敵と疑わなかったヒーローが悪役に一蹴される瞬間にも似ていた。
理想が無常にも粉砕され、踏み躙られる瞬間と言うのはいい気分はしない。
どうにかして回避したい気持ちがあるが、事態はそう簡単な物ではなかった。
272
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:37:12 ID:WgoVE2mI0
嵐の後に吹いてくる暑い風が、潮の香りが、季節を、夏を無言で伝える。
蝉の声と風の音だけが、彼の心に僅かな忘我を許した。
今が戦争状態にある事を忘れさせる癒しの空気に、思わず涙が出そうになる。
戦争と恐怖を忘れられたら、どれだけ幸福なのだろうか。
一瞬だけの忘却に頬を濡らし、ハルトマンは日常がもたらす幸福感を改めて痛感した。
戦争ばかりではなく、平穏にこそ目を向けなければならないのだ。
昨日死亡したジョルジュ・ロングディスタンスの婚約者が身籠ったという知らせが今日届き、その幸せな知らせと引き換えに彼の訃報が告げられた。
兵士を恋人に持つ人間ならば分かっていたはずの事態だけに、婚約者の女性は冷静に報告を聞き、電話を終えた。
担当者が言うには、彼女の声は淡々としている風に聞こえたらしいが、やはり、大きなショックを受けている様子だったという。
典型的なジュスティア人らしく死を受け入れ、強く振る舞う事を徹底された人間は皆彼女の様な態度を取る。
気丈に振る舞うことにこそ美学があり、英雄的な死を皆で喜ぶという昔から続く慣習は今でも健在だった。
それは、平和を真に愛するからこそできる態度だった。
彼にも家族がいる。
結婚してから一〇年目になる妻と、七歳の娘だ。
出来れば彼は、自分が死んだ時には悲しんでもらいたいという気持ちがあり、それと同時に、新しい人生を踏み出してほしいとも思っていた。
子持ちの未亡人が女手一つで子供を育てるのは大変な話だ。
それならば新たな夫を迎え入れ、子供を無事に育て上げてほしいものだ。
感傷と感動から物思いにふける彼は、その時自分に向けられている視線に気づく事は出来なかった。
それが彼の死因の一つだった。
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遠方。
元イルトリア軍の駐屯基地であり、現ジュスティア軍の駐屯基地を遥か眼下に敷く山中に一人の狙撃手が潜んでいた。
その人物は呼吸を整え、すでに射撃体勢を完成させていた。
イルトリア式の簡易偽装掩蔽壕は完璧な作りだった。
遠目に見れば茂みそのもので、近くから見ても注意深く見ない限りは、見破られることはない。
山腹に着弾した砲弾の作り出したクレーターは、絶好の隠れ蓑として狙撃手を保護していた。
新たに集まった情報を基に作戦が立てられ、狙撃手は己の役割を果たすべくその場から基地を見下ろしていた。
狙撃手の持つライフルは無骨で愚鈍そうな印象を与えるが、その実、それが持つ威力は絶大だった。
三キロ近く離れたこの地点から基地に着弾させることも可能だ。
ライフルの威力が殺傷力を失わない限界の地点。
これまで訓練以外でこの距離での狙撃を行ったことはなく、訓練では失敗に終わっている。
それでも、狙撃手は失敗ではなく成功することを脳裏に思い描き、銃把を握っていた。
失敗を想像すれば腕に力が入り、銃爪を引く際に微量の誤差を生む原因となる。
若い狙撃手はそれを熟知しており、決して、失敗のイメージを頭に思い描かなかった。
狙撃手の頭にあるのは複雑な演算を高速で処理するための準備だけだった。
生体計算機と化した狙撃手は、光学照準器の十字線がどこを狙えば理想通りに弾丸が飛んでいくのか、毎秒毎に再計算をしていた。
273
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:38:44 ID:WgoVE2mI0
狙撃手は腕時計を見た。
午前一〇時一三分を示していた。
陽は高く、狙撃をするには若干風が強いぐらいで、それ以外は全てが万全の状態だ。
突き抜けるような青空の下、エメラルドグリーンのカーテンの下で、狙撃手は時が満ちるのを待った。
観測手は不要だった。
狙撃手は一人で戦う覚悟を決めていたのだから。
銃把を握る手には射撃用のグローブがはめられ、その体はギリースーツで覆われていた。
例え偽装掩蔽壕を失ったとしても、狙撃手として十二分に森の中で戦う用意はあった。
狙撃手の使用するライフルはいつもとは異なるボルトアクションライフルだった。
狙撃の精度を損なわない設計と大口径の銃弾を射出できるそのライフルは、三キロ離れたこの地点からでも基地の人間を殺すことが出来る。
空の薬室が弾丸を懇願しているのが分かるが、狙撃手はその要求をはねのけた。
今はまだその時ではない。
時が来たら、嫌と言うほど弾丸を喰らわせてやるつもりだった。
銃にも、その先にいる標的にも。
全てが予定通り、計画通りに進行しているのであれば焦る必要はない。
互いの技量を認め合い、一時的とはいえ信頼関係を構築した間柄。
抑制された暴力の化身、イルトリア軍。
統制された規律の機械群、ジュスティア軍。
その両者が手を組めば、おそらく、この世界で対抗し得る存在は皆無だろう。
安心感に抱かれながら、狙撃手は静かに時が満ちるのを待った。
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ジュスティア陸軍大将は電話を終えてから、すぐに行動に移った。
匿名の電話はこの策略が市長の耳に入り、破綻しかけていることを告げ、急ぎ脱出することを推奨した。
電話の主は名乗らず、声も変えていたが、彼にはその人物がどこの所属なのか分かっていた。
彼の夢を叶えるために力を貸してくれる理解者の一人、つまり、所属する秘密結社の人間だった。
だがテックスはその警告を聞き留めながらも、実行することはなかった。
今さら後に退けるわけがない。
ここまで来たのならば、徹底的にやる以外には道がないのだ。
本部が彼の裏切り行為に気付いたとしても、もう遅い。
すでに賽は投げられ、後は目が出るのを待つだけだ。
今はその後押しをする段階であり、今さらどうしようとも、この戦争は終結しない。
今は認められずとも、全てが終われば、彼の行動は正当化される。
それは後の歴史が証明してくれる。
彼は歴史的な英断を下した英雄として名を残す。
そのためにも、後はイルトリアが動くだけでいい。
274
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:39:11 ID:WgoVE2mI0
一人の狙撃手ではなく、一つの街が動くだけでいいのだ。
そうすれば戦争が始まり、彼の望んだ通りの展開になる。
ジュスティアの強さを、揺るぎなき正義の力を世界に知らしめられるのだ。
そのためには街を一歩動かす必要があった。
彼が大将へと昇進した際に渡されたベレッタM9をホルスターから抜き、弾が込められていることを確認した。
恐らく、本部からは彼を捕えるよう指示が出ている事だろう。
だが混乱を回避するために連絡を受ける人間は限られているはずだ。
その人間を殺せば、一先ず時間を延ばすことが出来る。
市民の一人二人を殺してイルトリアの仕業に仕立てるか、狙撃手を殺して見せしめにするか。
これまでとは違って過激な手段に出なければ、彼の目標は達成できそうにもない。
サプレッサーを取り付け、歪な形となったそれを膝の上に乗せてテックスはゆっくりと深呼吸をした。
今や廃城の主と化した彼には、威厳と呼べるものはほとんど残されていない。
部下も皆怯え、士気は低下の一方だ。
認めざるを得ない。
一人の狙撃手に彼が率いる軍隊は痛めつけられ、疲弊しきっているという事実を。
たった一人と戦争をしている現実は、彼の指揮官としての能力の低さと相手の優秀さを如実に語っている。
砲兵隊を動員し、戦車隊を動員し、体面を無視して山に砲弾の雨を浴びせた。
だが狙撃手は生きていた。
生きて砲兵隊を恐怖のどん底に叩き落とし、今の状態を作り出した。
正に魔女だ。
一人でこの戦場を生み出したのだから、それは、魔法と言い換えてもいい。
忌々しき魔女。
状況は最悪だった。
鼠の処分をするにも新たに駒を揃えなければならないだけでなく、彼の行為が表沙汰になるまでの時間とも戦わなければならなかった。
魔女、鼠、そして時間。
単独で終わらせるのは非常に難しいだろう。
協力者だったフランシスを切ったのは早計だったと反省する一方で、一つ気になることがあった。
どうして本部にこの計画が漏れ出たのか。
すでに鼠が動いたとは考えにくい。
魔女がこちらを突き止めたとも思えない。
どうしてか、彼の頭の中では交わるはずのない二つの線が重なっていた。
イルトリアとジュスティア。
その二つの勢力が手を組み、彼の計画を潰しに来るなど、あり得ないはずだった。
その可能性は最も低く、計画が動き始めた最初に潰れたはずだった。
魔女の仲間を殺させ、魔女に仲間を殺させたのはそのためだ。
互いに憎しみ合い、協力関係など間違っても起きない状態になっているはずだ。
では、別の経緯で情報が流れたと考えるべきだった。
ジュスティア側に思い当たる存在がいないのであれば、残るは一方。
イルトリアからジュスティアに情報が流された可能性だ。
275
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:39:40 ID:WgoVE2mI0
イルトリアは各地に独自の情報網を構築しており、この島での出来事も新聞に載るよりも速く正確に知ることが出来るはずだ。
彼らがフランシスの裏切りに勘付き、彼一人ではなくジュスティア側に協力者がいなければ成立しない計画であることを察し、
ジュスティア軍内部の裏切り者の存在に気付けたのであれば、確かに理解は出来る。
イルトリアは恐ろしいほどに察しがいいのだ。
だが、互いに多くの軍人を失った市長同士が手を組むだろうか。
本当にそうなったのだとしたら、彼が取り戻そうとしているジュスティアの姿からは遠く離れ、むしろ逆の方向に進んだことになってしまう。
早急に戦争が始まらなければ、脆弱なジュスティアだけが彼の前に残る。
それは最も無残な形での夢の終わり。
この計画で死んだ彼の部下は皆、無駄死にしたことになる。
それは、何があっても回避しなければならない。
部下達はジュスティアの未来のための尊い犠牲として死んだのであり、断じて、失敗した作戦の犠牲者であってはならないのだ。
何もかもが手遅れになる前に、すぐに行動を起こすことにした。
内線につなぎ、基地内に残っていた砲兵隊所属の三人を指令室に招き入れた。
三人の表情は典型的なジュスティア人らしく怯えを抑制し、その体は微動だにしなかった。
内心では魔女に怯えているだろうに、流石はジュスティア人である。
全てのジュスティア軍人がこうあるべきだと、テックスは常々思っていた。
「諸君らは口が堅いかね?」
まず、会話はそこから始まった。
そして全員が彼の意図を理解し、彼らが無言で示した同意の意志を見て決して多言せず秘密裏に作戦を遂行出来る兵士であることを確認してから、
テックスは嘘を交えながら彼らに命令を下すことにした。
「ギコ・コメットを知っているだろう?彼がイルトリアの狙撃手に情報を流していることが分かったんだ。
彼を捕え、ここに連れてきてほしい。
抵抗するようであれば殺しても構わない」
手短に命令を告げ終え、テックスはまだ時間がある事を悟った。
時間があれば魔女を殺すことも出来る。
魔女の死体を掲げ、イルトリアを激怒させるのだ。
三人が部屋を出て行く時、その背中に確かな怒りの感情を見て取ることが出来た。
ジュスティア軍人は裏切りを決して許さない。
いや、ジュスティア人の性質と言ってもいいだろう。
正義に反する全ての行いは彼らにとって幼少期より何度も言い聞かされた教訓にして家訓であり、彼らの精神の根底に根差す気質と化し、生きる上で必要な価値観へと昇華している。
まずは殺しやすいギコからだ。
彼は今朝早くに基地に戻り、それから街に向かったという報告がある。
彼をその時点で殺さなかったのは迂闊だったが、逆に、こちらが手を出さなかったことに油断しているかもしれない。
彼の行き先は街に散らばる兵士達から聞き出せば容易に知ることが出来る。
後は捕える過程で殺せば、残すところは魔女一人となる。
戦車を動かし、山狩りを行うべきだろう。
重厚な装甲に守られた戦車は陸上最強の兵器だ。
狙撃銃程度では太刀打ちは出来ない。
例えそれが、対強化外骨格用の徹甲弾だとしても、手も足も出ないのが現実だ。
276
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:40:32 ID:WgoVE2mI0
まずは鼠の駆除。
そうしてから、魔女狩りとなる。
まるでお伽噺みたいだな、とテックスは思った。
使い魔の鼠を殺し、力を失った魔女が火炙りにあう。
当然、魔女に火を放つのは正義の騎士だ。
その騎士とは即ち、ジュスティアの兵士達に他ならない。
事態の早期終息を願う一方で本部から迎えが差し向けられることを考慮し、銃からは手が離せなかった。
――彼の足元、島の地下に張り巡らされた下水道を進み、廃墟と化した武器庫の隠し通路を通って一人の軍人が基地内に侵入していたが、彼は気付かなかった。
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侵入者は上下をジュスティア陸軍が所有する市街戦用の灰色の迷彩服で固め、上着の袖を捲っていた。
ゆっくりとした足取りで瓦礫の山と化した武器庫から敷地内に入り込んだ侵入者は、ズボンから発煙筒を取り出し、それを瓦礫の中に置いてから着火した。
発煙が始まったのを確認し、侵入者は我が家の庭を歩く気軽さでその場から立ち去り、建物の影に隠れた。
息を潜め、肉食獣のように油断なく周囲に注意を払う。
誰もその侵入者の存在に気付いた様子はなく、武器庫から立ち上る発煙筒の煙に気付いた兵士が二人、侵入者のすぐそばを通り過ぎて武器庫に向かった。
その直後、銃声が遠くから響き、続けざまにもう一つ。
合計二つの銃声が木霊した。
同時に、発煙筒に向かって歩いていた二つの命が失われ、基地内に緊張した空気が漂った。
更にそれをあざ笑うかのように三つ、新たな銃声が基地中の人間に恐怖と同時に死を与えた。
かつて通信室だった場所に座っていた男は脊髄を両断され、歩哨として立っていた兵士は骨盤を。
そしてその隣にいた若い兵士は首を撃たれ、自重を支えきれずに頭部が地面に落ちた。
蝉の声が虚しく響く。
夏の風が素知らぬ顔で吹き抜ける。
魔術を思わせる速さの狙撃を目撃していた兵士の間に恐怖が伝染し、恐慌が広まり、戦意は喪失した。
同時に、彼らは狙撃手が遠方にいると考え、すぐに兵舎に向けて駆け出した。
そこに軍人としての誇りはなかったが、彼らの行動は正しかった。
そうしていなければ次の狙撃で歩哨にいた兵士は全滅していた事だろう。
基地内の歩哨は全員姿を消し、侵入者を咎める者は誰もいなくなった。
僅かに五発の銃弾が、侵入者に道を作ったのだ。
魔法のような手際と射撃に、侵入者は銃弾が飛来してきた方向に向けて親指を立てた。
侵入者は自動拳銃を構え、兵舎に向かった。
侵入者の背中にはライフルケースがあった。
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銃声が鳴る一〇分ほど前、フランシス・ベケットは思いがけない形で幸運を手に入れることとなった。
ホテルの人間が持ってきた封筒には、彼が所属する秘密結社からの伝言があった。
どうして組織が彼の居場所を知っていたのか、それは考えるまでもない。
世界中にその細胞を持つ秘密結社〝ティンバーランド〟は、この島にさえ影響力を持っているのだ。
地中に張り巡らされた大樹の根のように、組織は世界中にその根を広げている。
277
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:42:38 ID:WgoVE2mI0
彼が連絡員から受け取った伝言は、イルトリアに向けて発信された携帯電話の電波を山中で感知したという物と、ジュスティアがこの戦争が仕組まれた物に気付いたという物だった。
同じ封筒に、精確な位置を記した地図が同封されていた。
その地図の意味するところは明白だった。
これまでの沈黙を破って彼女が何故、イルトリアに向けて電話をしたのか。
この戦争の裏側にある確信的な物が得られたのであれば、山から電話をする必要はない。
街中、もしくは海辺で脱出の手筈を整えてから電話をするはずだ。
通話場所からある程度の目的が考えられる。
山頂ではなく山腹という事は、身を隠すという事。
身を隠さなければならないという事は、何かをするという事だ。
彼女が何をするのか、想像に難くない。
彼女は復讐を続けるつもりなのだ。
戦争はまだ終わらせないと、彼女は言ってくれているのだ。
しかし彼女一人が奮闘したところで、戦争を始めるのは難しいだろう。
仕組まれた戦争と気付けば、ジュスティア上層部は絶対にその企みを阻止しようとするはずだ。
正直なところ、ジュスティアが企みに気付いたのであれば、戦争の勃発は不可能と言ってもいい。
結社はそれを伝えたかったのだろうが、彼の受け止め方は異なった。
戦争が難しいのであれば、二度と和平が出来なくなるよう怨恨を残し、戦争の土台を用意するしかない。
イルトリア、そしてジュスティアの両軍に恨みの種を残すには、劇的な要素が一つあるだけでいい。
例えば、単身で大群に挑んだ女の悲劇的な死を演出してやるとか。
彼はまだ運に見放されていなかった。
山に隠れ潜んでいるペニサス・ノースフェイスがイルトリアに電話をしたことで位置と目的が判明し、彼は彼女を殺す機会を得た。
山腹にいる彼女を殺すには、山頂から忍び寄る道を取らなければならない。
そうなると、車で山頂まで行き、そこから徒歩で背後に迫れば、例え魔女であろうとも、弾を急所に喰らわせれば死ぬ。
彼女はただの人間。
狙撃能力が秀でているというだけで、不死身の化け物でも常夜の怪物というわけでもない。
撃てば傷を負うし、血を流す。
彼女が訓練兵だった頃から知っている人間にとって、彼女の存在はさほど大きな障害にもならない。
殺すのに手間取る獣というぐらいの認識だった。
ペニーが死ぬことで後の戦争の火種が生まれる。
少しの間、彼は夢を見ていただけだった。
強いイルトリア人の姿を見て、夢想していただけなのだ。
一瞬だけでも夢を見ることが出来たことに感謝し、最後に、ペニーをこの手で殺すことで幕を下ろす。
後は結社の人間に手引きさせ、安全な街に逃げ延びればいい。
そうして新たに計画を練り、戦争を起こせばいい。
もともと短期的な計画では考えておらず、今回の作戦が失敗したら、また新たに考えればいいだけの話だった。
恐らく、この考え方はテックスとは相反する物だとフランシスは考えた。
彼は早計過ぎるところがある。
事実、まだ戦争が起こっていないのに、早急にフランシスを消そうとしてきた。
本当に愚かな行いだ。
彼と再び会う事があれば、それはきっと彼の葬儀の時だけだろう。
278
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:43:00 ID:WgoVE2mI0
フランシスは手紙を受け取ってからすぐに銃を持ち出し、レンタカーのセダンに乗り込んだ。
セダンを走らせ、彼は島の西側から山に向かい、山頂で車を降りた。
コンパスと地図を手に、彼は宝探しの気分で森に足を踏み入れた。
ただしその宝には牙も爪もあるが。
そして落ち葉を踏みつけるのとほぼ同時に、福音が彼の耳に届いたのであった。
だが焦ることはない。
五発の銃声が聞こえたという事は、彼女は五人を殺したという事。
軍が位置を特定するまでには時間がかかるため、彼女はまだその場から動かないはずだ。
恐らくは偽装掩蔽壕に隠れ、安全な場所から狙っているのだろう。
極力物音を立てないよう、だが急ぎ足で山を下る。
イルトリア式の偽装掩蔽壕は発見が難しいが、位置が分かっていれば意味はない。
例え一目で分からずとも、大まかな場所さえ分かれば後は銃声が答えを出してくれる。
これは狩りだ。
魔女の皮を被った脆弱な女を殺すための狩り。
狩りの基本は獲物の位置を知り、獲物に気付かれることなく殺すという事。
腕時計は一〇時三〇分を指していた。
新たな銃声が響いたのは、彼が腕時計から目を離した時とほぼ同じだった。
フランシスは思わず笑顔を浮かべた。
銃火を見て取り、更には音も聞き取れた。
距離は僅かに数十メートル。
彼は完全に背後に回っていた。
背中を取った後は、必殺の距離に近づき、脳髄を吹き飛ばすだけでいい。
後は死体を加工し、残酷な形で殺された様に見せかければイルトリアの軍人達は激怒し、その恨みを後世にまで語ってくれることだろう。
二つの街は決して相容れてはならず、いつかは白黒をはっきりさせるために争い合う関係にあるのだ。
グロックを腰のホルスターから抜いて、遊底を引く。
初弾が薬室に送り込まれ、後は銃爪を引くだけで弾が出る。
勇ましい魔女も、ここで終わりだ。
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
侵入者は狙撃手の出現で騒然となる兵舎に入り、まずナイフを投げて一人目の兵士を音もなく殺した。
兵士は目に驚愕の色を浮かべたまま、喉に刺さったナイフに手を伸ばして、ゆっくりと倒れた。
血溜まりが広がり、リノリウムの床に黒い水溜りを作った。
物音に気付いた男が扉を開いて現れたが、その男は死体に目を奪われ、侵入者の姿を見ることは出来なかった。
サプレッサーの付いた拳銃が火を噴き、男は側頭部から侵入した弾丸に命を奪われた。
薬莢が地面を叩き、銃声に気付いた人間が武器を手に次々と現れ、侵入者の姿を見て驚きを露わにした。
279
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:43:25 ID:WgoVE2mI0
一瞬の躊躇いは戦場では命取りとなる事を彼らは知っていたが、本当の意味で理解できたのは、次の瞬間だった。
その表情が変わる前に、血に飢えた鉛弾が彼らに襲いかかった。
正確無比な射撃は再装填の時間を間に挟んでも変わらず、まるで、稲妻(サンダーボルト)のような速さで弾倉が交換された。
獰猛な弾丸は無慈悲に命を奪い続け、硝煙と血の匂いが辺りに漂う頃には侵入者に銃腔を向ける者は一人もいなかった。
地面で僅かに呼吸をしている兵士に目を向けることもせず、侵入者は階段を上り、指令室に向かった。
ノックの代わりに固い靴底で扉を蹴破り、扉の横に隠れた。
くぐもった銃声と銃弾が侵入者を歓迎したが、弾は当たらなかった。
侵入者は慌てることなく屈みこみ、弾倉を交換し、低い位置を狙って連射する。
噴水のように薬莢が床に落ち、射線上にあった木製の机に次々と穴を空けた。
「ぐあっ?!」
男が悲鳴を上げるのとほぼ同時に床に倒れる音が聞こえ、応射が止んだ。
侵入者は姿勢を低く、銃を構えたまま部屋に侵入した。
マガジンキャッチを押して弾倉を床に落とし、新たな弾倉をすぐに銃に挿入する。
侵入者は勝ち誇ることもせず、油断なく倒れた男の前に現れた。
「き、貴様……!」
憎悪を込めて吐き出されたテックス・バックブラインドの言葉を、侵入者は眉一つ動かすことなく、無表情のままに聞いていたが銃腔は彼の頭を狙っていた。
彼の両脚は血で赤く汚れ、濡れていた。
彼のすぐ手元に落ちているベレッタを一瞥すると、侵入者は銃腔をそれに狙いを変え、一発でグリップを破壊した。
次に狙われたのは彼の左肩と右肩だった。
両肩に素早く、解剖学的な正確さで銃弾が撃ち込まれる。
それは正確に肩の関節を破壊し、腕の能力を奪い去った。
もがき苦しむテックスの姿を見ても、侵入者は表情を変えない。
勝ち誇って何か言葉を並べる訳でも、彼のために祈るわけでもなく。
ただ、銃腔を向けて、その銃爪に力を込めていくだけだった。
死にゆく獲物にとどめを刺す狩人のように、冷たい視線が彼に向けられている。
「ま、待てっ!」
侵入者は最後までその言葉を聞き届けることなく、銃爪を引いた。
夢と野望、その他諸々の思いが詰まった脳髄が爆ぜ、ジュスティア陸軍大将テックス・バックブラインドは戦死した。
死体と化した彼の体に更に三発の銃弾が撃ち込まれ、反応がなくなったのを確かめてから、侵入者は通信室に向かって階段を駆け上った。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
フランシスは勝利を確信した。
間違いなく銃火を視認した場所であり、明らかにイルトリア式の偽装掩蔽壕があった。
魔女も所詮は人間でしかない。
同じイルトリア軍人が相手であれば、物を言うのは経験値だ。
経験の差が両者の違いであり、それが勝敗を決する重要な役割を果たした。
銃爪に指をかけ、ふと思う。
280
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:44:00 ID:WgoVE2mI0
彼女にはせめて、死ぬ前に真実を教えてやってもいいかもしれない。
彼が殺してきた兵士達が真実を知らぬまま死んだのと同じでは、彼に夢を見せてくれた彼女の功績に報いることにはならない。
世界最強の軍隊を体現する彼女ならば、彼の言葉を理解出来るだけの余裕があるかもしれない。
そうであれば、彼は一切の後ろめたさを感じることなく彼女を殺せる。
ここまで検討したことに対する勲章が無いのならば、真実というメダルを与えてやってもいいだろう。
「背後を取ったぞ、ペニサス一等軍曹。
銃を捨てて大人しく出てくるんだ」
僅かの間があった。
そして、偽装掩蔽壕の下からライフル、次いで拳銃が投げ捨てられた。
投降の意志を示したことに満足しつつも、彼は油断をしなかった。
イルトリア軍人は最後まで諦めない。
銃弾が脳髄を吹き飛ばすその時まで、チャンスを窺うよう訓練をされているのだ。
飢えた手負いの獣が相手だと思い、銃を握る手に汗が浮かぶのを感じ取った。
「ゆっくりと立て。
妙な真似をすれば苦しんで死ぬことになるぞ」
落ち葉を、枯れ枝を、土を押し上げて地中から姿を現した茶色のギリースーツの背中。
その背を見た時、違和感があった。
どこか、立ち振る舞いが違う気がしたのだ。
上げられた両手にはライフル用のグローブがはめられていたが、何かを握っているという様子もない。
抵抗するという気はなさそうだ。
「流石に賢いな、一等軍曹」
称賛の言葉を送るも、彼女は無反応だった。
ある程度予想をしていたのかもしれないし、驚きのあまり絶句しているのかもしれない。
「こっちを向け」
もったいぶるように、ゆっくりと狙撃手が振り向いた。
フランシスは衝撃のあまり、言葉を失った。
何を言うべきかを忘れ、何をするべきかを考えられなくなった。
陸に上がった魚のように口を開閉させ、ようやく出てきた言葉は、あまりにも間抜けだった。
「何故……お前がっ……!」
そこにいたのは魔女ではなかった。
魔女でもなく、イルトリア軍人ですらなかった。
森林用の迷彩で塗りつぶされた顔つきは女のそれではなく、彼を睨めつけるのは鳶色の瞳ではなかった。
地面に落ちているライフルはセミオートマチックライフルのドラグノフではなく、ボルトアクションのDSR-1。
拳銃はグロックではなくベレッタ。
(,,゚Д゚)「――残念ですが、自分はペニサス一等軍曹ではありません。
ジュスティア軍海兵隊所属、ギコ・コメット一等軍曹です」
281
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:44:47 ID:WgoVE2mI0
「ジュスティア軍人が何故ここにいる!」
怒りで顔面が蒼白になったフランシスは、銃を向けたまま怒鳴った。
(,,゚Д゚)「適材適所です、フランシス・ベケット准将。
イルトリアに向けて電話をすれば、それを察知した人間が必ず狙撃手のところにやって来て、始末をつけようとするはずです。
案の定、貴方はペニサス軍曹と疑わずにやって来た。
これで、貴方の計画がまた一つ潰れたわけです」
「き、貴様っ……何故私の名前を……」
(,,゚Д゚)「ペニサス軍曹から聞きました。
裏切り者がいるとしたら、唯一死体の残っていない人間である貴方だけだろうと」
その言葉でフランシスは何が起き、今に至るのかを察した。
ペニーは全てを察したのだ。
発信機の存在に気づき、それを取り付けることが出来る人間が限られていることに。
そして、彼女の情報がジュスティア軍に流れた時点でそれは確信へと変わり、死体安置所で火葬前の死体を見た時の記憶とすり合わせ、答えを出したのだ。
証拠を残さないために早急な火葬を実行しようとした時にペニーがその場に現れ、ジュスティア軍人の死体を生み出した際に嫌な予感はしていた。
その予感が、今になって最悪の形と化して現れた。
だがそれだけではない。
彼女は自分の情報が流れていることを別の手段で知り、どのような方法を使ったのかは分からないが、ジュスティア軍の人間と協力関係を築いた。
通常、あり得ないはずの展開だった。
敵対する組織、街、人間がその意に反して手を組むなど、騎士道物語の世界だけでしか考えられない。
ペニーは仲間を殺され、ジュスティアも仲間を殺されたのだ。
憎悪が増大し、日に日に憎しみ合うように仕向けたのにも関わらず、共闘するという選択を取ったのは彼の予想を遥かに超えた事態だった。
相容れぬはずの二つの街の新たな可能性に恐怖し、フランシスはギコの胴体を撃った。
あってはならない。
ジュスティアとイルトリアが和平の道を歩むなど、断じてあってはならない。
そのような未来も、可能性も、可能性に至る芽でも、その一切を消し飛ばさなければならない。
その芽はいつの日か芽吹き、彼の夢を粉砕することになるのだ。
それはさせてはならない。
夢を、願いを、祈りを、このような若造達に壊されてはならないのだ。
衝撃で背中から倒れたギコに銃腔を向けたまま、フランシスは質問をした。
「何故だ。
何故、お前達が手を組んでいる!」
(;,,゚Д゚)「ご……くっ、その質問に答える必要が?」
傲慢なその態度に、フランシスは銃弾で教訓を与えた。
ギコの足に一発撃ちこむと、彼は悲鳴を押し殺してのたうち回った。
「答えたくなるだろうよ。
イルトリア式の拷問を教えてやろうか?」
282
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:45:28 ID:WgoVE2mI0
(;,,゚Д゚)「そ、その前に……こっちから質問をしてもよろしいですか?」
「いいだろう。 許可する」
軍人らしく上下関係を理解した人間の口調だったが、その奥には嘲笑するような響きがあった。
これがイルトリアであれば懲罰ものだな、とフランシスは思った。
(;,,゚Д゚)「何故、裏切りを?」
「はっ、若造どもには分からないだろうよ。
私は強いイルトリアを取り戻すために行動したのだ。
裏切りではない。
これは忠義だ」
(;,,゚Д゚)「忠義のために友軍を殺させるなんて、貴方はとんでもない指揮官だ」
流石はジュスティア軍人。
こんな時でさえも、正義を振りかざそうとしてくる。
だから嫌いなのだ。
この傲慢なまでに体に染みついた正義感は、死んでもなくならないだろう。
その鬱陶しいほどの価値観は、火葬した時に立ち上る煙にさえ混入しているかもしれない。
「なんとでも言うがいい。
評価するのは後の歴史だ。
次はお前が質問に答えろ。
何故、手を組んでいる」
(;,,゚Д゚)「ご老体には分からないでしょうが、これは贖罪なんですよ。
愚かにも貴方達戦争狂いの妄執に踊らされた自分に出来る、ただ一つの贖罪なんです」
意味が分からなかった。
贖罪とは償い。
己の罪を己で罰することで帳消しにするという、究極的な自己満足の一つだ。
彼が何について話しているのか、フランシスには理解できなかった。
だが、次第にその意味が理解出来てくると、自然と笑いが込み上げてきた。
「贖罪だと?くっはははは!兵士が兵士を殺して、いちいち贖罪をするのか!ジュスティアは!傑作だ!」
戦場で兵士が殺人を実感するのは初日だけで、それ以降は全て作業と化す。
殺す必要がある時に人を殺すのが兵士の仕事であり、それが任務であればいちいち感情を挟む必要はないのだ。
そのようなことをすれば生産性が落ち、部隊全体の危機にまで発展しかねない。
それは決して許されることではなく、そのような考えを持つ兵士は真っ先に戦場で背中を撃たれることになる。
狙撃手は確かに、人を殺す数は一般兵に比べて減るが、死と向き合う時間はどの兵種よりも長い。
その影響で気が狂う者も度々現れ、引退後も悪夢にうなされる者は決して少なくない。
だからと言って、贖罪と言いながら友軍を撃つ人間がこの世の中のどこにいるのかと、フランシスは疑問で仕方がなかった。
噴飯ものの話に嫌気がさし、目の前に倒れている英雄狂を早々に殺すことにした。
この男の話が本当だとすると、ペニーは別の場所で何かをしているという事になる。
彼を罠にはめ、何をするというのだろうか。
283
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:46:25 ID:WgoVE2mI0
「もう十分だ。
ペニサスはどこにいる?と、訊いても話さないだろうが」
その時。
ギコは奇妙な仕草をした。
人差し指と親指を立て、ピストルに見立てたそれをフランシスに向けてきたのだ。
撃たれたショックで気が狂ったのだろうと判断し、フランシスは銃腔をギコの頭に向け、銃爪にかけた指に力を入れた。
弾丸が飛翔し、薬莢が宙を舞い、硝煙が、銃火が銃腔から噴き出る。
だが、弾丸は彼の頭に当たらず、そのすぐ隣に着弾した。
焦るあまり狙いが逸れてしまったのだろうと思い、再度銃爪に力を入れようとするも、彼の右腕は意志に反してだらりと垂れさがった。
訳が分からず腕を見ると、その付け根が赤く染まり、穴が開いていた。
穴の向こうに萌える緑を見た時、彼は改めて視線をギコに向けた。
見ることが出来るという事は、見られることが出来るという事。
フランシスはギコから視線を逸らし、彼方に見える基地に目を向けた。
小さな閃光が見えた。
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
侵入者、ペニサス・ノースフェイスは包帯の下で血が滲み出るのを感じ取ったが、表情一つ変えなかった。
痛みに対する耐性、そして今はそれをしている時間もないからだった。
時間との勝負だった。
携帯電話の電波が逆探知されることを承知で、ペニーはギコにそれを使うよう頼んだ。
狙撃手の場所が分かった時、その存在を消そうと思う人間が必ず現れる。
特に、携帯電話の電波を探知できるような人間であれば、彼女の敵であることは疑う余地もない。
ギコは囮として、そして、ペニーの代わりに狙撃手の仕事を請け負った。
彼には狙撃手がペニーであるかのように装ってもらわなければならず、その為には彼の友軍を射殺してもらう必要があった。
ギコはそれを受諾した。
手負いのペニーが基地に乗り込んだのには、幾つか理由があった。
第一に彼女はギコから二挺目のライフルが死体と共に引き揚げられ、基地に収容されているという話を聞き、是が非でもライフルを回収したいという気持ちがあったこと。
第二の理由は、ペニーが自らの手でこの戦争の計画者に鉛弾を食らわせる必要があった。
どのような理由でこの戦争を仕組んだのかは、生き残った一人に聞く事が出来れば重畳だ。
真実を知ることにこだわれば、どこかで仕損じる可能性が生じる。
真実は後でいくらでも作ることが出来る。
焦る必要はない。
まず殺すべきは、我が物顔で基地に居座る男だった。
この基地はイルトリアの基地であり、姦計を働かせた愚者の城ではない。
基地にいた人間の仲間として、ペニーが決着をつけなければならない。
また、すでにギコの仲間が謀殺されていることから、彼も殺害の対象になっている可能性があった。
284
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:46:52 ID:WgoVE2mI0
最後の理由は、ギコがペニーに協力しているという痕跡や目撃情報の一切を残さないためだった。
戦争終結には二種類の人間を用意しなければならない。
争い合う各勢力にとっての貢献者だ。
ペニーは単独で大勢の兵士を殺害し、負傷しつつも島を脱出するという役割があり、彼には別の役割がある。
ジュスティア陸軍大将を殺害し、民間人を恐怖に陥れた非道な人間を屠るという役割が。
彼は、英雄になるのだ。
一つの戦争に英雄は一人で十分だ。
それに、ペニーは英雄という柄ではない。
この計画を成立させるためには、基地の状況把握や必要な道具を揃える人間が不可欠だった。
堂々と正面から入ることが出来、尚且つ道具を用意できるのはギコしかいない。
最悪の場合はその場で殺されるかもしれないという危険を承知で、ギコは道具を揃えた。
ジュスティアの軍服や隠し通路の上にあった瓦礫の撤去、ギリースーツなどを用意し、ペニーが伝授したイルトリア式の偽装掩蔽壕を山腹に設置した。
彼はその渾名の通り、電光石火の速度で超長距離狙撃を実行した。
セミオートマチックの銃に匹敵するほどの連射力は、彼が驚くべき速さで廃莢と再装填、そして照準を合わせて銃爪を引くという作業を行える才能の賜物だった。
味方を撃ち殺し、銃声を響かせ、彼はその存在を周知させた。
ほぼ全ての人間の意識がそちらに向けられる中、ペニーは基地に侵入し、残っていた人間を皆殺しにする役割を果たした。
次のペニーの役割は、イルトリアの裏切り者に対する決別だった。
血と死体の転がる通信室に陣取り、ペニーはライフルケースからドラグノフを取り出してすぐに構えた。
方角も場所も、ペニーが計画した物であるため、間違えることはなかった。
二〇倍に拡大されたドラグノフの光学照準器には、鬱蒼と茂る森が映っていた。
だがペニーの目には、そこに立つ二人の人間を捉えていた。
夏にはあまり見かけることの無い枯葉色のギリースーツが動き、銃火が光った。
ギリースーツを着たギコが倒れた。
ペニーの中でアドレナリンが一気に噴き出し、全身が総毛立った。
銃を持っている人間の顔は分からないが、ペニーの予想ではフランシス・ベケットのはずだ。
二度目の銃火が、彼女に正確な情報の全てを伝えた。
風。
湿度。
気温。
自然環境の情報を基に狙点を調節。
上向きの狙撃に必要不可欠な重力も計算に入れ、ペニーは銃爪を引いた。
着弾直後、約三キロ先で三度目の銃火が閃いた。
銃を握っていた腕が糸が切れたように垂れた。
息を吐く。
息を吸う。
息を止める。
そして、銃爪を引く。
決別の一発が弧を描いて飛んでいき、呆然とした表情で基地を見つめるフランシスの頭部に着弾した。
285
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:48:07 ID:WgoVE2mI0
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
光が見えた。
眩しい光だったが、小さな光だった。
夏の夜空に浮かぶ星のように頼りなく、だが確かにそこにある光だった。
フランシス・ベケットはその光に希望を、そして絶望を見出した。
彼の夢の行方は分からなくなるが、ペニサス・ノースフェイスの様な人間が彼に手を貸せばイルトリアは最強の街の名を欲しいがままにし、世界中に名を轟かせることが出来たかもしれない。
しかしながら、彼女はそれを望まない。
何が間違っていたのか、フランシスは振り返った。
計画がどこで狂い、どこで計画の修正をするべきだったのか。
何一つ、答えは出せないままだった。
そもそも、答えなどあるのだろうか。
それすらも分からない。
疑問に答えが出ることなく、フランシスの意識はそこで途絶え、後に残るのは音も光もない黒い世界だった。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
目の前にいたフランシスの頭に赤黒い肉の花が咲き、呆けたような表情のまま、力なく倒れた。
正確無比な二発の狙撃に、ギコは息を呑んだ。
視界の悪い三キロの狙撃で、困難とされる下方からの狙撃をこうまで見事にやってのけるその技量は、正に魔法。
彼女が魔女の渾名で呼ばれる理由がよく分かる。
仮に彼女の事を知らないままこの狙撃を目の当たりにしていれば、魔法と錯覚したことだろう。
その銃腔が次に狙うのは、間違いなく自分の頭だ。
彼女はギコが防弾着を着ていることを知っている。
ギコは覚悟を決め、瞼を降ろした。
彼女の腕前であれば、外すことはないだろう。
その腕前を見て、体験するなどそうそう経験出来ることではない。
人生最後の時が彼女の手でもたらされる瞬間をギコは待った。
だがいつまで経っても彼の頭に銃弾が飛来することはなかった。
代わりに彼の耳に届いたのは、近づいてくるバイクのエンジン音だった。
跫音が近付き、瞼を開いた。
そこには、肩に鞄を下げたペニーが立っていた。
('、`*川「協力、感謝します。
傷の具合は?」
(;,,゚Д゚)「足に一発、それと腹に一発くらいました。
腹の方は防弾着で防げているので問題ありません」
286
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:48:42 ID:WgoVE2mI0
('、`*川「それは良かった。
今、止血します」
鞄から消毒液と止血材、そして包帯を取り出し、ペニーは素早くギコの傷口を消毒し、止血剤と包帯で止血した。
その手つきは鮮やかで、愛しみに満ちていた。
敵に対してと言うよりも、味方の負傷兵を気遣う衛生兵のそれと同等かそれ以上だ。
気が付けば、ギコは口を開いていた。
(;,,゚Д゚)「どうして……」
地面に落ちていたライフルを自分のライフルケースにしまったペニーはギコの言葉に、不思議そうに聞き返した。
('、`*川「はい?」
(;,,゚Д゚)「どうして、殺さないんですか?自分は仇ですよ」
('、`*川「あぁ、その事ですか。
……勘違いをしないでください。
貴方は私がこの手で殺します。
ただ、今は殺しません。
それに、貴方には生きて英雄になってもらわないといけません。
そうしなければ、この戦争は燻ったままになってしまいます」
カルテに書かれている項目を読み上げるように、ペニーはそう答えた。
ギコは力なく首を横に振った。
(;,,゚Д゚)「自分は英雄なんて柄ではありません。
結局この戦争を終わらせたのはペニーさん、貴女です。
それに、自分は罪悪感を拭うために味方を撃ち殺しました。
そんな最低な男が英雄なんて、なっていいはずがありません」
('、`*川「えぇ、ですからそれが贖罪です。
貴方はハインリッヒさん達の分まで罪悪感を背負って生きてください。
そして時期が来た時に、私が殺します。
それまでは生き続けてください。
勝手に死なないように」
それは永劫に続く懺悔の日々。
罰を欲し、罰に救いを見出す哀れな男の人生の始まり。
確かにそれは、死に勝る究極の贖罪と言える。
数日で罪悪感に押し潰されそうになり、味方を裏切った男にとっては、地獄の日々だ。
反英雄的な人間が英雄と称えられ、生き続ける日々の息苦しさは想像すらつかない。
だがそれが罰だというのであれば、ギコは受け入れるつもりだった。
対峙する二人は同じ罪状の罪人だったが、それとの向き合い方が真逆だった。
ペニーは罪を犯したことに対して罪悪感を覚えることはせず、ギコは罪悪感に屈服した。
287
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:50:39 ID:WgoVE2mI0
彼は弱く、彼女は強かった。
それだけの違いだった。
('、`*川「フランシス准将は理由について何と言っていましたか?」
(;,,゚Д゚)「強いイルトリアを取り戻すため、と」
('、`*川「……そうですか」
ペニーの顔が僅かに曇ったように見えた。
信頼していた上官の裏切りは、とても悲しい物だ。
物憂げな彼女の表情を見ていられなくなり、ギコは立ち上がりながら尋ねた。
(,,゚Д゚)「この後、自分はどうすれば?」
('、`*川「ここにいてください。
その内豪華な迎えが来るはずです。
その迎えが来たら、この戦争を企てたイルトリアの裏切り者とジュスティアの裏切り者を殺した、と話してください。
私も迎えが来ますので、ここでお別れです」
この森で電話をした時、ペニーはイルトリアに回収用の船を回せないかと電話の向こうの人間に話をしていた。
その要請は受け入れられ、彼女は民間船舶に紛れて島を去る。
異なる街に所属する軍人が出会うとしたら、それは戦場ぐらいだ。
次に会う時はおそらく、敵同士として。
(,,゚Д゚)「ペニーさん、自分は――」
('、`*川「――私はきっと、ろくな死に方をしないわ」
そしてペニーは、振り返ることなく来た道を引き返して行った。
遠ざかっていくバイクのエンジン音が、蝉の声に紛れて消えた。
取り残されたギコは、これで二人の協力関係が終わったのだと痛感した。
あまりにも呆気の無い別れだったが、その理由を、彼は察していた。
過度の馴れ合いは対象を殺す時に障害となる。
そうなる事を避けるため、あえて素気の無い態度を取ったのだ。
その気遣いが、ギコには嬉しかった。
生きなければならない。
何があっても。
自分で決めた贖罪の道ならば、それをやり通すのだ。
そのためなら、彼は英雄にだってなってみせる。
裏切りの英雄、背信の英雄、何と言われようともいつか彼女の手で人生に幕を下ろされるその日まで、英雄として生き続ける覚悟を決めた。
地面に落ちているベレッタを拾い上げ、フランシスが持っていたグロックも手に取った。
通常のグロックよりもずっと重く、そして手に馴染む感覚があった。
イルトリア軍仕様の拳銃を握るのは初めての事だったが、悪くはなかった。
グロックを腰の後ろに差し、ギリースーツでそれを隠した。
288
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:51:06 ID:WgoVE2mI0
痛む足を引きずって山を登り、道路に出てきたところで三人のジュスティア軍兵士と遭遇した。
銃声を聞いてここに来たのか、全員ライフルを構え、今まさに森の中に踏み入ろうとしているところだった。
階級章は三人とも伍長だった。
「ギコ・コメット一等軍曹、何故ここに?」
(,,゚Д゚)「基地を狙撃していたイルトリアの兵士を仕留めたんだ」
驚きに目を見開く兵士の一人が、ライフルの安全装置を解除した。
「軍曹、貴方に出頭命令が出ています。
御同行を」
(,,゚Д゚)「陸軍大将の命令だろ?いいか、よく聞くんだ伍長。
この戦争を仕組んでいたのは、俺がついさっき殺したイルトリア人と陸軍大将の二人だ。
大方、俺が裏切り者だと言っていたんだろ?まさか、そんな言葉を信じるのか?
よく考えてもみろ、本当に戦争を回避したい人間が砲兵隊に山を吹き飛ばすよう命令を下すか?戦争が激化するよう仕組んでいたのさ」
三人は顔を見合わせ、それでも、上官の命令をここで反故にするわけにはいかないと判断して首を横に振った。
「証拠もないのに、そんな言葉を信じられるはずがありません」
(,,゚Д゚)「なるほどね。
ところで、俺が裏切り者だと考えているのはお前達だけなのか?」
「返答しかねます。
我々はただ貴方を連れてくるよう、抵抗するなら殺しても構わないと命令を受けています」
渋々承知する形で、ギコはベレッタを手渡した。
(,,゚Д゚)「抵抗なんてしないさ」
三人に連れられて、ギコは近くに停められていたハンヴィーに乗り込んだ。
運転席と助手席、そしてギコの左隣に一人が座った。
運転手がエンジンをかけ、坂道を下り始めた。
(,,゚Д゚)「顔のこれを拭いてもいいか?」
「どうぞ。
ただし、妙な真似は」
(,,゚Д゚)「分かっているよ」
右手を腰の後ろに伸ばして、ギコは自然な動作でグロックを抜き取り、横にいた男の顔を至近距離から撃った。
血飛沫と骨片が車内に飛び散った。
助手席の男が構えかけたカービンライフルを左手で払いのけ、天井に銃腔を向けさせる。
そして顔に二発。
289
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:51:42 ID:WgoVE2mI0
最後に運転手に向けて三発の銃弾を浴びせかけた。
運転手を失い、コントロールを失ったハンヴィーが木に激突して停車し、脳を失った死体がクラクションを押して騒音を響かせた。
衝撃で頭を座席にぶつけたギコは頭を振って気を取り直し、クラクションを鳴らす死体をハンドルから退け、車外に出る。
グロックを切り立った崖の下に見える川に目掛けて放り捨て、歩き出す。
これで兵士三人を殺した銃はイルトリア軍人の物であることが分かる。
そうすれば、罪はフランシスが負う事になる。
後はテックスの方の処理を考え、歩き続ける。
ジュスティア人が大好きな英雄譚を作ればいい。
悪を滅ぼし、善が勝利する。
勧善懲悪の物語を考えればいい。
悪人は揃っている。
後は演出だ。
一人の兵士が英雄になるなど、戦場ではよくある事なのだ。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
ギコが三人の兵士を新たに殺害した頃、ペニーはティンカーベルの東に位置するオバドラ島に向けてバイクを走らせていた。
戦車で封鎖をしているとしても、混乱状態にある今ならば通過できる可能性は高い。
ギアを最高値に上げ、走行モードは舗装路を最速で駆け抜けられるように設定されていた。
姿勢を低くし、最高速で駆け抜ける。
イルトリアに連絡をしたとき、ヒート・ブル・リッジは一隻だけ船を寄越せると話をした。
イルトリアから派遣するには時間がかかるため、特別な伝手を使って船を用意したとの事だった。
課せられた条件は、誰にも見られず、船に辿り着くという事。
突破するべき場所はこの一か所だ。
視界の先に橋が見えて来た時、ペニーはそこを塞ぐ形で止まる戦車を見た。
主砲がペニーの方に向けられるが、彼らが撃つ確率はゼロと言っていい。
彼女の背後には街があるのだ。
効果の無い警告に従うほど、ペニーは従順ではない。
ギアを落とし、走行モードをオフロード用に切り替えて車高を高くする。
風の抵抗が強まり、速度が若干落ちる。
だがアクセルスロットルは決して緩めなかった。
両輪駆動が今、真価を発揮する時だった。
戦車が目の前に来た時、ペニーは前輪を持ち上げた。
前輪が装甲を捕え、車体全体が一気に動く。
速度をほとんど殺すことなく戦車を乗り越え、そのまま反対側に向けて発射されたミサイルのように着地した。
唖然とする兵士達があっという間にミラーの点となり、発砲すらなかった。
直線の橋を一気に駆け、夏の風、夏の空気を切り裂いてゆく。
今、ペニーは一陣の颶風と化していた。
290
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:52:18 ID:WgoVE2mI0
色濃く萌える緑の山々がペニーの視界に飛び込んできた。
これがオバドラ島。
時をかけて熟成された自然が広がる島。
出来る事ならばツーリングを楽しむためにこの場所に来たかった。
争いとは無縁の世界を満喫したかった。
今では遠い夢だ。
もう、この島に来ることは出来ないかもしれない。
島の北端に到着し、バイクの速度を落とす。
小さな埠頭に一隻の漁船が停泊していた。
所属を示すものなどは何もなく、船員も明らかに漁師と言う風体ではない。
この短時間でどのように用意したのか、それはまた後で訊けばいい。
バイクを船に乗り入れることが出来ないと分かると、ペニーは長らく一緒に旅をしてきたそれに別れの接吻を送り、道路のわきに鍵を付けたまま駐車した。
わざわざ破棄する必要はないため、放棄と言う形を選んだ。
船に乗り込み、ペニーは船室に案内された。
贅沢とは言い難い部屋だったが、体を休めるためのベッドがあった。
その上に座り、ペニーはライフルケースをようやく地面に置いた。
この中にあるライフルと銃弾が多くを証明してくれるだろうが、それは自己満足に近い形で終わり、日の目を見ることはないだろう。
誰も真実を知りたがらないし、ペニー自身も真実を追おうとは思わなかった。
真実を知る人間は二人ともその手で殺したからだ。
例え尋問したところで、彼らが喋るはずがない。
唯一聞き出せたことと言えば、ギコがフランシスから聞いた言葉ぐらいだ。
その言葉は、ペニーにとって聞き慣れた言葉だった。
強いイルトリアを世界に知らしめる。
それは古参の軍人達がこぞって口にする昔話のような物だった。
戦争に魅入られ、戦争に溺れ狂った古参兵達。
彼らは皆戦場で生き甲斐を見出し、死に場所を探し、やがて死んでいった。
だがその必要性がペニーには分からなかった。
かつて戦場で、ペニーは恩師を失った。
恩師は多くの事をペニーに教え、常に中立の立場で在り続けることを説いた。
それは兵士が人を殺す仕事に携わる中で、自分達のしている事を忘れないよう、戒めのための教えだった。
それに気付けたのは、恩師が腕の中で死んだ時だった。
彼女はクリス・ハスコックに人間的に惹かれていた。
だが、それは恋愛的な感情ではなかった。
彼の教えをもっと受けたいという、切実な気持ちだった。
今や、ペニーが師として若い兵士達に射撃などを教え、時には非常勤の教師として学校で言語学を教えた。
戦闘もなく、非常に平和な時間だった。
その時間は掛け替えのない物だったが、本職にするにはペニーは人を殺しすぎた。
人を殺める人間は、平和には馴染めないのだ。
それを自覚しているからこそ、ペニーは教師になる事を遠い夢として見続けることに甘んじた。
291
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:52:48 ID:WgoVE2mI0
船が動き出し、ティンカーベルから遠ざかっていく。
揺れる船内で、ペニーは携帯電話を使ってヒートに連絡を取った。
('、`*川「今、船が動き出しました」
ノパ⊿゚)『ご苦労だった、一等軍曹。
詳しい報告はこちらで聞かせてもらう。
今は休め』
('、`*川「分かりました。
それでは、また後で」
電話を切り、ペニーはベッドの上で横になった。
この戦争が後にどう語り継がれることになるかは、ギコにかかっている。
彼がこの戦争をどのように美化し、正史として残していくのか。
彼を殺す時、彼はどのような人間になっているのか、少し楽しみだった。
彼ならば、きっと、ジュスティア人らしくやり通してくれるのかもしれない。
英雄、ギコ・コメットがどう生きるのか、少しだけ気になった。
瞼を降ろし、眠気を呼び出す。
思い返せば、随分と慌ただしい一週間だった。
その中で出会いと別れが繰り返され、気が付けば争いの只中にいた。
殺し、殺されかけ、助け、助けられた。
今はただ、眠りたかった。
少しでも気持ちが落ち着くよう、悪夢を見ないよう。
次第に呼吸が浅くなり、爪先から眠気がせり上がってきた。
これでこの戦争は終わり。
劇的な勝利も何もなく、後に残ったのは死体と薬莢。
聞こえるのは船のエンジン音と波の音。
夏の匂いも、夏の風も、夏の空も、蝉の声も。
全てが遠くに感じられる。
遠ざかるティンカーベルの風景を心に思い描きながら、ペニーは眠りに落ちたのであった。
第七章 了
292
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:53:21 ID:WgoVE2mI0
終章 【魔女の指先】
デイジー紛争が終わってから六十五年の月日が流れた。
ギコ・コメットは軍を五十五歳で退役し、オータムフィールドに引っ越した。
そこで新たな生活を期待したのではなく、彼はジュスティアのしがらみから逃れるためにそこを選んだのだった。
彼は一日たりともデイジー紛争の事を忘れたことはなかった。
毎日が罪の意識との戦いだった。
心臓が張り裂けそうに痛み、あらゆる行動を内側の自分が批難した。
罪人が何をしようとも、罪が消えることはない。
それは分かっていた。
毎日が罪悪感との戦いだった。
誰かが彼の偉業を褒める度、心を吹き飛ばせれば、と願った。
心の痛みは何をしても決して消えることがなかった。
公式の歴史に記録されたデイジー紛争には、事実と異なる事ばかりが盛り込まれた。
勇敢にも真実を追おうとしたハインリッヒ・サブミット達の活躍は一切書かれず、この紛争はイルトリア軍とジュスティア軍の戦闘として記録された。
そしてこれは、一対一五〇の戦争ではなく、軍と軍のぶつかり合いであると記載された。
たった一人の狙撃手に翻弄されたとは、間違っても歴史に遺せないという判断だった。
そのため、イルトリア軍が増援を派遣し、大規模な戦闘を行ったという事になっていた。
戦闘を行った兵士は一人を除いて皆死亡し、生き残ったのはペニサス・ノースフェイスだけという事になった。
ジュスティア軍も大打撃を受けたが、辛うじて生存者がいたことから、この戦争の一応の勝者はジュスティアという事になった。
これに対して、イルトリアは反論を何もしなかった。
他にも遺されていない事が多々あった。
陸軍大将とイルトリア軍人が結託して街同士の戦争を企てていた事や、最初に殺された人間が漁船からの発砲ではなく狙撃だったという事実も、決して語られることはない。
だがこうなることは分かっていた。
戦争終結に助力したギコは果敢にイルトリア軍人を狙撃し、多くの成果を挙げたことになっていた。
いくつものメダルと勲章が送られたが、それは全て毒のように彼を苦しめるだけだった。
そして、月日が流れ、ギコは前線から離れるようになった。
退役し、その費用を使って戦災孤児のために施設を建てたり教材を届けさせたりした。
彼の行いは善行としてジュスティア軍内部に広まり、今では軍人募金という物ができ、大勢の子供を飢えと寒さから救った。
銃弾が無くても人は救う事が出来た。
ギコがオータムフィールドにやって来てから三〇年目。
つまり、今年になって問題が一つ生じた。
それは多くの銃弾でも彼にもたらすことが出来なかった、死との対面だった。
年に一度の健康診断で分かったのは、彼の体が病に侵されているという事実だった。
全身に転移した腫瘍はまるで体の内側から染み出たインクのようにレントゲンに映されていた。
まだ治療法の見つかっていない病に対して医者から言われたのは、新薬による治療の提案だった。
治るかどうかも分からない賭けに対して、ギコの答えは拒否だった。
293
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:53:46 ID:WgoVE2mI0
余命が後一年あるかないかだとしても、延命だけはするつもりがなかった。
延命措置は生きながらえる行為。
彼は、それをしてはならない存在なのだ。
ペニサスに殺されるまでは、生き続けなければならない。
こうして、ギコにとって最後の日々が始まった。
終わりに向けての旅を始める気分だった。
まずはこれまでと同じ生活を続けつつも、未経験だったことに挑戦をした。
ジュスティアがあまり好意的に見ていない団体が実施するイベントに顔を出し、子供達に戦争の悲惨さを伝え、後世が戦争を望まないように語りかけた。
その行いはジュスティア軍の英雄らしからぬ行動だったが、彼が高齢だったこともあり、誰もが見て見ぬふりをした。
気が狂った老人を相手にするほど、ジュスティアは暇ではないのだ。
彼がそのイベントで正義の在り方について疑問を持ち続けるようにと語ったのは、軍には知られていなかった。
まだ行ったことの無い、遠い場所にある景色を見に行った。
かつてペニサスが使っていたバイクは、老人をいたわるように優しく走ってくれた。
バッテリータンクを撫でた時、バイクから声が聞こえた様な気がしたが、それは幻聴だったのだろう。
バイクは喋らないのだから。
死を意識することで毎日が充足していることに、ギコは気付き始めた。
想いを伝えることは出来なかったが、人生に意味を取り戻すことが出来た。
それは贖罪の日々の終わりにしては、あまりにも幸せな日々だった。
かつて犯した罪を意識しながらも、信頼する人間がそれに終止符を打ってくれると分かっているのが、この上なく安心できた。
夏が終わり、秋が来た。
紅葉を見に行き、酒を飲んで月を見た。
世界の美しさと向き合い、世界の儚さを知った。
青白い月を見ながら飲む酒の美味さは、これまでに味わったことの無い物だった。
月見と呼ばれる文化は、もっと早くに知っておくべきだったと後悔した。
そして、人生で初めてイルトリアを訪れた。
バイクで訪れた彼は、これまでに自分が聞かされてきたイルトリアは偽物だったことがよく分かった。
イルトリア人はギコがジュスティア人だと分かると、すぐに酒場に連れて行き、そこで盛大な酒盛りが始まった。
彼はこれまでに受けたことのない様な歓迎を受け、憎しみと尊敬の入り混じった不思議な態度で受け入れられた。
ジュスティア人の悪口を言う人間は、誰もいなかった。
宴から解放され、タクシーに乗せられて戻ると彼の宿泊するホテルの部屋が最上級のものになっていた。
彼がかつて信仰していた正義など、世界のどこにもなかった。
悪もまた、見つからなかった。
やがて、冬が来た。
(,,´Д`)
足腰は油の切れた機械のように軋みを上げ、満足に歩くことも難しくなりつつあった。
散歩を続けられるのも、そう長くはなさそうだった。
しかし、こうして決められた日課をこなすことには彼なりの意味があった。
生活の流れが決まっていれば、彼の命を狙う人間にとっては極めて狙いやすい状況を作り上げることになる。
294
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:54:22 ID:WgoVE2mI0
ペニサスがギコを殺す算段を立てやすいようにという配慮だった。
それが叶えられるのはいつの日なのかは分からないが、病魔に殺されるよりも先に彼女に殺されたかった。
彼は罪の意識と共に日々を過ごし、その時間を甘受した。
決して薄れることの無い正義感からもたらされる罪悪感を救う、唯一の時間。
公園に到着し、ベンチに腰を下ろす。
息が上がっていた。
心臓が弱っているのだと、よく分かる。
あとどれくらい、自分の命はもつのだろうか。
(,,´Д`)「あぁ、良い香りだ」
コーヒーの香りが、いつもより濃厚に感じられる。
前までは感じることの無かった魔法瓶の重みを手に感じる。
液体の熱、吹き付ける風の温度が肌をなめらかに撫でて行く。
(,,´Д`)「ふぅ…… 美味い……」
目を閉じ、思いを馳せる。
これまでの人生を振り返る。
そうして、己の今を知る。
瞼を上げ、世界を見る。
(,,´Д`)「……いい日だ」
世界は、こんなにも輝いていたのだ。
太陽の熱。
潮騒の音。
草木の香りと、季節の匂い。
命が終わり、命が始まる彩り。
今までそこにあったのに、気付けなかった物たち。
今もそこにあることに気付けた物たち。
ギコは全てを理解した。
嗚呼。
自分は今日、ここで、終わるのだと。
何よりも愛しいと感じた者の手によって、命を絶たれるのだ。
何といい日なのだろうか。
笑みが浮かぶ。
力強く笑むことはできないが、彼は幸せを感じていた。
これまでの人生で、ここまで幸せだった瞬間があろうか。
待ち望んだ最期の時が、すぐ目の前に来ている。
295
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:54:57 ID:WgoVE2mI0
本当に、いい日だ――
(,, Д )
――胸に感じた口付けのように優しい衝撃を通じて、そこに込められた様々な感情を一瞬で理解し、ギコの命はそこで終わりを告げた。
最後に彼が抱いた感情は、感謝だった。
______________________∧,、___
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄
老いた魔女の人差し指は震えていた。
だがそれは、老いから来るものではなかった。
人を殺めた罪悪感故でもない。
( 、 *川
己の人生を支える重要な半身を失った痛みと、離別による心の痛みが体に現れているのだ。
この日が来ることは分かっていたはずだ。
彼に死をもたらすのが自らの務めであると理解し、認識し、納得していた。
それでも、魔女は心を痛めていた。
彼との間に芽生えた関係は、決して一言で片づけられるものではない。
最後に笑顔を浮かべた彼の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
何度も人を殺してきた。
この手で、この指で。
この忌々しい指で、命を奪い続けてきたのだ。
魔女の指先で撫でたものは、その命を奪いとられてしまうのだ。
例えそれがどんなに愛おしい者であっても、魔女の指は無慈悲に命を奪う。
彼女のライフルが狙う先にあるのは、死の宣告を受けた人間だけ。
だからこれは、何も特別なことではないのだ。
感情的になる必要はない。
感傷に浸る必要もない。
罪悪感など芽生えさせる必要も。
悲しむ必要も、ないのだ。
――魔女は顔をその手で覆った。
十一月のその日、魔女と呼ばれた老女の指を涙が濡らしたことを知る者は、誰もいなかった。
終
296
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 07:59:19 ID:WgoVE2mI0
これにてお終いとなります
支援ありがとうございました
質問や感想などあれば幸いです
297
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 12:34:12 ID:04vo6rVM0
最高だった。
本当に最高だった!
完結乙!
298
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 12:51:46 ID:h03dZOQg0
乙乙
299
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 13:30:17 ID:i2CBC5LU0
おつおつ
やっぱブーン系はいいね
300
:
名無しさん
:2018/01/08(月) 20:36:35 ID:2T5vmDVc0
終盤読んでる途中で序章思い出してラストはこうなっちまうのかって思ってたけど、予想を裏切られた
いいエンドだ
301
:
名無しさん
:2018/01/10(水) 12:45:47 ID:f09G7tHs0
乙
夢中になって最後まで読んだ
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