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('、`*川魔女の指先のようです

1名無しさん:2017/12/15(金) 21:32:14 ID:oTITfu5c0
はじまるよー

253名無しさん:2018/01/07(日) 22:10:39 ID:9ft78oqo0
壁を背にして立ち上がり、梯子を上って下水道から逃げ出した。
マンホールの蓋を退け、自分が今いる位置を確認する。
寂れた酒場や民家が並ぶ路地だった。
ここが島のどこに位置するのか、ペニーは頭の中にある地図と自分が歩いてきた道を照らし合わせ、西寄りの市街地であると予想をつけた。

這いずるようにしてマンホールから出てきたペニーは、傷の具合が左肩と右膝ともによくない事を認識した。
まずは血の消毒と止血。
この二つが必要だった。

そのためには病院に行かなければならないが、ティンカーベルには大きな病院はなく、個人経営の病院がせいぜい二つ三つあるぐらいだ。
その病院の位置を知らない以上、悪戯に動き回ることも出来ない。
拠点としていたホテルまでの距離も離れていることから、どこか安全な場所に逃げ込んで独自に治療をするか、民家に押し入って治療をさせるかの二択しかなかった。

後者は出来る限り避けたい方法だった。
かといって、前者であれば道具が必要になる。
最低でも消毒液と傷口を塞ぐ物が必要だ。

ペニーはドラグノフを杖代わりにして立ち上がり、酒場の看板を掲げる建物に向かう。
扉を開けようとするが、当然、鍵がかかっていた。
グロックで鍵を破壊し、店に入った。

湿った匂いのする暗い空間には誰もいなかった。
酒瓶の並ぶ棚にふらふらとした足取りで近づき、ウォッカの瓶を取った。
上着を脱ぎ、肩の傷口を見る。
赤黒い血の奥に、薔薇の花弁の様な肉が見えていた。

ウォッカの蓋を開け、麻酔代わりに中身を喉に流し込む。
体の芯に熱が宿ったような感覚。
続いて酒を傷口にたっぷりとかけた。

激痛が走るが、それに耐えて肩と膝の傷の消毒を済ませた。
棚の引き出しを探り、そこからナイフを取り出す。
コンロに火を点け、ナイフの刃が赤くなるまで熱した。
そして、その刃で傷を焼いて潰した。

声にならない悲鳴が漏れた。
一瞬気が遠くなるが、それでも、止血を続けた。
膝の傷口はそれでよかったが、肩の傷は後でどうにかしないと今後の生活にも支障が出かねない。
ナイフを床に突き立て、ペニーは荒い呼吸をどうにか落ち着けようと、ウォッカを飲んだ。

ドラグノフの残弾は弾倉一つ分の一〇発。
仕留めた強化外骨格は二体。
状況は不利。
泣き言の一つでも言いたい状況だった。
ライフルを失った以上、次なる目標は島からの脱出だった。

______________________∧,、___
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

254名無しさん:2018/01/07(日) 22:12:09 ID:9ft78oqo0
ペニーが自ら傷を塞いで三〇分後、ギコとハインリッヒは市街地で車を降り、ポンチョを着て豪雨の中彼女の捜索を行っていた。

戦闘が沈静化し、グレート・ベルに立て籠もっていたと思われるペニーは影も形もなくなっていた。
そして発見されたのが強化外骨格とそれを操作していたアルバトロス・ミュニック大尉の死体と、床に開いた下水道に続く大きな穴だった。
見立てではペニーはそこから逃亡したと推測された。
現に、下水道には多数の薬莢が発見されており、血痕も見つかっていた。

多量の出血があったと思われるが、その血の持ち主はどこかへと消え去っていた。
血痕の続く先にあった梯子の先には血痕が発見されなかった。
嵐の影響で流されたのだ。
カリオストロ・イミテーション大尉も連絡がつかなくなっていることから、兵士の間では不安の声が広がっていたが、ペニーの流している血の量が多いことから彼女の脅威は去ったとの憶測も流れていた。

彼女と共闘体制にある二人は、ペニーの安否を心配した。
彼女が重傷を負ったのであれば、今、彼女は助けを必要としているはずだ。
二人はペニーが使ったと思われる下水道の出口付近の家屋を調べ、酒場の扉が壊されているのを見つけた。
そしてカウンターの裏に血痕と血の付いたナイフ、空のウォッカの瓶を発見した。

酒で消毒し、ナイフを熱して傷を塞いだのだと容易に想像が出来た。
だが、ペニーの姿はそこにはなかった。
店を出てから二人はペニーの姿を探した。
床の血痕と濡れ具合から、彼女が酒場を訪れてから一時間以上は経過していない事が分かっている。
一時間以内に彼女が身を隠すことの出来る場所を考え、彼女を保護しなければならなかった。
  _
( ゚∀゚)「……ギコ一等軍曹、ハインリッヒ曹長、魔女は見つかったか?」

その声は背後から聞こえてきた。
ネイビーブルーのポンチョを頭から被ったジョルジュ・ロングディスタンス准尉が幽鬼のように立ち尽くし、二人を睨みつけていた。

表情は雨とポンチョのせいでよく見えないが、怒りを抑え込んでいるかのように、その声には感情が感じ取れなかった。
嫌な汗が額から流れる。
ハインリッヒが平静を装って答えた。

从 ゚∀从「いえ、ジョルジュ准尉。
      特に証拠になりそうな物も――」
  _
( ゚∀゚)「――お前達、今までどこで何をしていたんだ?」

ほとんど間を開けずに投げかけられたジョルジュのその言葉に、ハインリッヒは言葉に窮しかけたが、真実と嘘を混ぜて報告した。

从 ゚∀从「街ではなく森に魔女が現れる可能性を考え、森で待機していました。
      その結果、グレート・ベルにペニサスの姿を見つけたので、こうして来た次第です」
  _
( ゚∀゚)「ほぅ。
    ハインリッヒ、ならどうして一度街のホテルに行ったんだ?予約をしに行ったわけではないだろう」

ハインリッヒはポンチョの下に隠れている両手を握っては開き、どうにか動揺を誤魔化せるように努めた。
勘付かれているのか、それとも気付かれているのか。
ジョルジュの真意はどちらなのか、この段階では読み取り切れない。

255名無しさん:2018/01/07(日) 22:12:45 ID:9ft78oqo0
  _
( ゚∀゚)「何をしていた。
    タカラ一等軍曹が殺され、ボルジョア少尉も殺された時、お前達は何をしていた!」

銀色に輝くベレッタの銃腔がハインリッヒに向けられた。
安全装置は解除され、撃鉄は起きていた。
銃爪に指がかけられ、力加減を間違えれば弾丸が放たれる状態だった。

事態は最悪の局面を迎えた。
彼ら二人の裏切り行為が、このタイミングでジョルジュに知られてしまった。
  _
(#゚∀゚)「答えろ!曹長!」

从 ゚∀从「っ……先ほども報告した通り、森に」

ポンチョのフードがまくれ上がり、ハインリッヒの頭を大粒の雨が容赦なく濡らした。
瞬きを忘れ、自分が撃たれたのだとハインリッヒはしばらくの間理解が出来なかった。
銃声はハインリッヒの耳には届いていたが、彼女はその音を聞き取れていなかった。

銃弾だけでは不十分だと言わんばかりに、ジョルジュが怒鳴った。
  _
(#゚∀゚)「次は当てる!」

ジョルジュの目は本気だった。
ハインリッヒは殺される前に撃つしかないと判断し、腰のベレッタに手を伸ばした。
そして、彼女が触れたベレッタの銃把の感触を最後に、ハインリッヒは頭を鉛弾で撃ち抜かれて死んだ。
まだ硝煙の立ち上る銃腔は、油断なくギコに向けられた。
  _
(#゚∀゚)「言え、ギコ!頼むから、俺にこれ以上仲間を殺させないでくれ!」

躊躇いの一つもなく、ジョルジュはハインリッヒを射殺した。
頭を撃ち抜いて即死させたのは仲間としてせめてもの情けだったのだろうが、死んだ人間にとって、それは大した気休めにもならない。

(,,゚Д゚)「少尉、味方を撃つつもりですか!」
  _
(#゚∀゚)「味方かどうか、それを知るために話せと言っている!」

ギコの手にはベレッタがすでに握られていたが、今の体勢では撃ち負ける。
この距離であればジョルジュは決して外さない。
ハインリッヒの頭を躊躇いなく撃った彼ならば、ギコがベレッタを構えるよりも先に三発は頭に撃ち込めるだろう。

必死に考えた。
ここで殺されれば、全てが水泡に帰す。
彼らが裏切ってきた仲間の思いも、彼らが殺してきたイルトリア軍の人間も、そしてペニーとの約束も。

奇妙なことに、ギコの頭には死に対する恐怖が浮かんでこなかった。
死ではなく、約束を守ることが出来なくなることが恐ろしかった。
贖罪を果たせない事が嫌だった。
  _
(;゚∀゚)「正義のためにも、話してくれ!」

256名無しさん:2018/01/07(日) 22:13:14 ID:9ft78oqo0
幼少期からギコは正義に憧れ、正義の味方であろうと務めた。
中学を卒業後すぐに軍隊に所属し、ライフルの腕前を見込まれて今の地位を得た。
それは多くの仲間の死が彼を強くし、彼が強くあろうとしたからだった。
正義とは何だろうかと、彼は常に考えてきた。

だが、答えは分からなかった。
正義は常に誰かに指示され、彼はそれに従い、それを信じ続けてきたからだ。
正義とは行動なのだろうか。
正義とは言葉なのだろうか。

頭に渦巻いていた疑問は、ライフルの反動が忘れさせてくれた。
しかし今、ギコはその長年の疑問に答えが出せる段階にいた。
正義の正体を知るまでは、まだ、死ぬわけにはいかない。
  _
(#゚∀゚)「お前は賢い男だ、ギコ。
    だから頼む、何があったのかを話すんだ!」

ギコは二つ、覚悟を決めた。
一つは断固として真実を喋らない事。
そしてもう一つは、ここでジョルジュを殺すという事だった。
安全装置、撃鉄、共に万全な状態にある。

早撃ちは苦手だが、相手の虚を突くことが出来れば勝機はある。
それでも、相手は〝ジョルジュ・ビー・グッド〟の渾名を持つ男。
経験も技量も遥かに上の人間に、どこまで通じるのか。
ギコは油断を誘うためにゆっくりと口を開き――

('、`*川「五月蠅いわよ」

――冷ややかな声と共に、くぐもった銃声が一つ。
頭にグロテスクな花を咲かせたジョルジュは糸の切れた人形のようにその場に倒れ、奇妙に四肢を痙攣させた。
血の気の失せた顔のペニーが魔法のようにジョルジュの背後に現れ、サプレッサーの付いたグロックを構えていた。

(,,゚Д゚)「ペニーさん、無事だったんですね!」

('、`*川「無事とは言い難いですけど、どうにか」

ペニーは仰向けに倒れたハインリッヒの死体に歩み寄り、開かれたままの両目をそっと閉じさせてやった。

('、`*川「ギコさん、力を貸してはもらえませんか?」

無言で頷いた。
ギコは出来る事を考え、自分のポンチョをペニーに渡した。

(,,゚Д゚)「これを使ってください。
    移動の時に顔を隠せます。
    かなりの重傷を負われていると思うのですが、その手当は必要ですか?」

('、`*川「えぇ、お願いします。
    取り急ぎ、どこか安全な宿を見つけなくては」

257名無しさん:2018/01/07(日) 22:13:41 ID:9ft78oqo0
(,,゚Д゚)「……自分に考えがあります。
    基地の近くに民宿があります。
    自分達が……基地襲撃の時に使った場所です。
    そこに連れていきます。

    秘匿性の高い宿なのは調べがついています。
    医療器具を基地から持っていき、傷の手当てをそこでします。
    と言っても、そこまで難しいのは出来ませんが」

その提案にペニーは不思議そうな目でギコを見た。

('、`*川「そこまですれば、貴方が危険に巻き込まれますよ?」

(,,゚Д゚)「えぇ、覚悟の上です。
    ハインリッヒ曹長も……覚悟を決めていました。
    だから自分も覚悟を決めて、ペニーさんに手を貸します。
    ペニーさんが療養している間、自分が護衛を務めます」

ペニーは目を細めて、ギコの目を見た。
その奥にあるものを探る様に、静かに鳶色の瞳が瞬き一つせずギコに向けられた。
最初の狙撃チーム唯一の生き残りとなったギコに、ペニーを裏切るという考えはなかった。
彼は贖罪を求めていた。
そして、断罪者を求めていた。

('、`*川「……そうですか。
    では、お言葉に甘えさせていただきます」

それから先の行動は順調を極めた。
二人は車両に乗って堂々と街中を移動し、怪しまれることなく民宿の一室にペニーを連れていく事が出来た。
ジュスティア軍の人間という立場を利用し、ペニーは安全な場所を手に入れることが出来た。
今の彼女に必要なのが療養であることは明白だった。

ペニーを部屋のベッドに寝かせると、ギコは基地に向かい、医療セット一式を手に入れ、再び民宿に戻った。
彼が戻ると、ペニーはほとんど動いた様子もなく、力なくベッドの上で横になったままだった。
扉が開いた時、ペニーは薄らと目を開いてギコを見ただけだった。
警戒心を解いてくれていることが、何よりも嬉しく感じたが、彼女が弱っている姿を見るのが辛かった。

膝の傷は思ったよりも浅く、焼き潰されていることから改めて手を加える必要はなかったが、肩の傷はすぐにでも取り掛からなければならなかった。
麻酔代わりに度数の高い酒をペニーに飲ませ、彼女は躊躇うことなく上着と下着を脱いで裸になった。
均整の取れた女性的な体には引きしまった筋肉がつき、多くの傷がその肌に刻まれていた。
銃創、切り傷、大きな火傷などまるで傷の見本市だった。

若々しい肉体に残る傷の数々は、タトゥーの様でもあった。
それでも尚、ペニーの体は美しさを損なう事がなかった。
それは、彼女が持つ人間的な強さに由来するのだろうと、ギコは密かに思った。
まずギコは焼かれた肌を切り裂き、その下にある血管の損傷具合を確認した。

彼は医者ではないが、傷の具合を見て縫い合わせることぐらいは出来た。
幸いにして太い血管は傷ついておらず、血管をつなぎ合わせるという事は必要なかった。
改めて傷口を消毒し、縫合して処置は終了した。

258名無しさん:2018/01/07(日) 22:16:10 ID:9ft78oqo0
('、`*川「ありがとうございます、ギコさん」

事実上、麻酔なしでの切開と縫合を経てもペニーは呻き声一つ漏らさなかった。
彼女が深呼吸をするたび、形のいい乳房が上下した。
やましい気持ちがなくとも目のやり場に困ったギコはタオルで彼女の胸を隠し、目を逸らした。
ペニーは裸を見られたことに対して何も感じていないらしく、微笑を浮かべただけだった。

失った分の血を取り戻すためにも、彼女には輸血が必要だった。
それは分かっていたが、彼は輸血パックを持ち出すことは出来なかった。
理由は二つ。
一つは輸血パックが保管されている場所が分からなかった事、そしてもう一つが、ペニーの血液型を知らなかった事だった。
この二つの情報を事前に訊いておけば良かったと謝罪したが、ペニーは逆に輸血パックを持ち出すことで彼が怪しまれる可能性を考えれば、結果的に正しい判断だったと言った。

代わりに彼女は栄養価の高い食事で体力の回復を図ることを提案し、ギコもそれに同意した。

('、`*川「体を拭いてもらってもいいですか?」

(;,,゚Д゚)「じ、自分で拭くのは難しいですか?」

('、`*川「出来ていたら、頼みませんよ。
     私の事はお気になさらないでください」

女性の裸体を見たのは初めてではない。
彼は今よりも若い頃、情動に身を任せて何度も女性と肌を重ねてきた。
しかし、ペニーの服を全て脱がせるというだけの行為で、彼はこれまでに感じたことの無い感情が湧き上がるのを感じ取っていた。
〝魔女〟として恐れられ、大勢の仲間を殺した狙撃手が目の前にいる。

畏怖と増悪の対象のはずだったが、今、彼は憧れの存在を前にした少年そのものだった。
桶に湯を張り、タオルを濡らして絞り、体を拭き始めた。
傷だらけの肌の上を、汚れのない白いタオルが拭っていく。
綺麗なうなじや扇情的な魅力のある腋の下、足の付け根などを丁寧に拭い、汚れと汗を拭き落とした。

情事が終わったかのような気だるさを覚えつつも、ギコはどうにか彼女の体を清めることが出来た。
着替えを終えた彼女は、簡潔に「ありがとう」と言った。
鎮痛剤を渡したが、ペニーはそれをやんわりと断り、代わりに赤ワインを所望した。

('、`*川「回復には肉とワインがいいんです」

力強くそう断言され、彼は断ることが出来なかった。
民宿の人間にジュスティア軍の関係者であることを匂わせ、どうにか安物の赤ワインとグラス、そして肉厚のステーキを用意させると、ペニーはグラスにワインを注いでそれをギコに差し出した。
一瞬だけその意味が理解できなかった彼に、ペニーは戦友にそうするかのような気軽さで声をかけた。

('、`*川「一口だけでも飲みませんか?」

思えば、この島に来てから初めての酒だった。
軍属の人間は軍務中に酒を飲むことを固く禁じ、例え夜であろうともそれは例外ではなかった。
当然、それは理に適った話だった。
酒は判断力を鈍らせる。

259名無しさん:2018/01/07(日) 22:16:31 ID:9ft78oqo0
歴史に残る悪党達が命を落とした原因の多くは、酒による油断が関係している。
だが今や、軍が敵とみなす存在は一人だけであり、その人間はギコの目の前にいた。
油断と言うのであれば、この距離にいることをそう言うのだろう。

(,,゚Д゚)「お言葉に甘えさせていただきます」

小さな規定違反はタカラと共に積んできたが、敵兵と酒を飲むほどの違反はしたことがなかった。
いや、果たして違反なのかどうかも分からない状態だった。
街が敵と判断した人間と手を組み、味方を欺き、結果として大勢の味方を死に至らしめた。
明確なまでの裏切り行為であり、違反の枠組みに収まるとは思えない。

ボトルとグラスを小さく合わせ、二人はワインを一口飲んだ。
芳醇なワインの香りが鼻から抜け出た。
安酒なのだろうが、それでも、ここまで美味い酒は久しぶりに飲んだ気がした。

ボトルから直接ワインを飲みつつ、ペニーは用意された食事を食べ始めた。
肉厚のステーキをナイフで一口大に切り分け、口に運び、酒を飲む。
それを規則正しく一定のペースで続け、付け合わせのクレソンもコーンも、瞬く間にペニーの胃袋に吸い込まれていった。

最後に小さく満足げな溜息を吐いた時、ペニーの表情に幾らか血の気が戻っていた。
確かにこれだけ食欲があれば、鎮静剤などは不要だろう。

二人はそれから雑談をするでもなく、愚痴をこぼすわけでも、ましてや殺し合う事もなかった。
長い沈黙の中、二人は言葉を交わさずに互いの真意を探り合った。
それは最良のコミュニケーションだった。
無言と言う言葉は、何よりも雄弁に互いの意志を伝えた。

('、`*川「イルトリア軍の裏切り者の見当が付きました」

ペニーがその言葉を口にしたのは食後のデザートに用意されたアイスを平らげ、安物のワインを二瓶空け、バンブー島産の香り高いウィスキーを飲み始めてからだった。
ギコもまた、そのウィスキーを舐めるようにして飲みつつ、話に耳を傾けた。
酒を飲むという行為に罪悪感はもう抱くことはなかった。

('、`*川「ジュスティアの裏切り者とイルトリアの裏切り者、この両者を殺すには時間はかけられません。
     時間が経てば経つほど、彼らを殺す機会が遠のきます」

彼女の声には余計な言葉を許さない力強さがあった。
酒が入っているとは思えない程の剣幕に、ギコは息をのんだ。
宝石のような瞳の奥に、覚悟の強さを感じさせる光を見て取った。
その目はこれまでにギコが見たどの軍人のそれよりも純粋で、濁りがなかった。

(,,゚Д゚)「つまり……」

('、`*川「明日、私がこの戦争を終わらせます。
     協力してくれますね?」

彼には頷く以外、彼女に協力する以外、別の答えなど用意されていなかった。
覚悟は済んでいた。
後は彼女に手を貸し、どこまで堕ちることが出来るか。

260名無しさん:2018/01/07(日) 22:16:51 ID:9ft78oqo0
______________________∧,、___
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

八月一二日。

イルトリア軍の狙撃手ペニサス・ノースフェイスとジュスティア軍の狙撃手ギコ・コメットが手を組んでから一夜が明けたその日。
デイジー紛争は幕を下ろすこととなる。

これが終幕。
魔女と呼ばれる女が戦争を終わらせ、人の夢を踏み躙る喜劇の始まりである。



第六章 了

261名無しさん:2018/01/07(日) 22:46:55 ID:P/2w/oLI0


262名無しさん:2018/01/08(月) 07:28:54 ID:WgoVE2mI0
第七章 【魔女と呼ばれた女】


八月一二日、午前一〇時。
嵐が去り、ティンカーベルの上には透き通るような青空が広がっている。
連日の争いの空気など微塵も感じさせない空。
雲一つない空に、蝉達の合唱が響く。

グルーバー島の朝市にはいつもの半分以下の客しか集まっておらず、商品の数も半分以下だった。
新鮮な魚も食欲をそそるはずの料理の香りも、全てが人々の生存本能の前には霞んでしまうのだ。
戦争が本格的に始まってから島民の笑顔は消え、流れ弾に怯え続けていた。
砲兵隊、そして戦車隊が山に向けて大量の砲弾を撃ち込んだ結果、山肌が抉れ、小規模な山火事まで起きていた。
民間人の死傷者が出ていないのが奇跡だった。

街中には武装した迷彩服姿の兵士達が二人一組で哨戒する姿が見られ、ホテルなどの宿泊施設に立ち寄っては人相書きを見せて情報を集めていた。
協力する民間人もいるが、中には非協力的な人間もいた。
島民としてはすぐにでもこの事態を終わらせてほしい気持ちが強く、イルトリアとジュスティア、どちらがこの島の漁業を守るのかはさほど大きな問題ではなかった。
それよりも平穏な生活を取り戻したい気持ちが強く表れていた。
その苛立ちをジュスティア軍の人間にぶつけたい民間人は、しかし、軍人が持つライフルを前にしては態度だけでしかその不満を表現できなかった。

テックス・バックブラインドは砕けたガラス窓の向こうに見える街を、忌々しげな表情で眺めていた。

昨日、彼の理解者であり協力者であったアルバトロス・ミュニックとカリオストロ・イミテーションが殺された。
二人とも強化外骨格で武装し、万全の状態にあった。
相手が一人であろうとも、女子供であろうとも、手負いであろうとも、決して油断をしない冷徹な人間だった。

彼は二人を信頼していた。
二人は何度も不可能と思える任務を成功させ、ジュスティア陸軍の輝かしい栄光に貢献してきた。
そんな二人だからこそ彼はこの舞台に招き入れ、力を借りた。

強化外骨格と狙撃銃の組み合わせは抜群の成果を導き出した。
密漁船、基地の襲撃。
超遠距離からの精密な狙撃を完遂させ、残るは邪魔なイルトリア人の始末だけだった。
たった一人の狙撃手。

その存在が、何もかもを狂わせた。
余計な死者が増え、大勢の部下が死体袋に詰めて生まれ故郷に送られた。
ジュスティア側にとっては最小限の犠牲で終わらせるはずが、結果的にはイルトリア軍人よりも多くの死体を生むこととなった。

それでも、二人は最高の狙撃手であり続けた。
存在を悟られることなく、そして、余計な画策を働いた人間の始末まで請け負ってくれたのだ。
テックスにとって二人は欠かすことの出来ない大切なパズルの一片だった。

その二人が、生身の人間に殺された。
アルバトロスは鐘楼で、カリオストロは下水道で死んだ。
強化外骨格を身に纏ったまま、撃ち殺されたのだ。
対強化外骨格用の徹甲弾の存在は聞いていたが、それに対抗するために追加装甲を装備したアルバトロスは、強化外骨格の弱点であるバッテリーを狙われ、装甲の薄いカメラを撃ち抜かれた。
カリオストロは下水道の流れに身を隠し、汚水の中から狙撃を実行した。

263名無しさん:2018/01/08(月) 07:29:38 ID:WgoVE2mI0
しかし、環境が彼の敵となった。
水中から放った銃弾は弾道が歪み、高性能な強化外骨格の計算能力をもってしても正確な射撃情報を導き出せなかった。
何より最悪だったのは、後に分かった事だが、銃腔にゴミが付着しており、それが更に弾道を歪めたことだ。
彼の放った弾丸はペニサス・ノースフェイスを殺すには至らなかったが、負傷させることは出来た。
それだけだった。
それで終わりだった。

ペニサスがどこにいるのか。
どのような状況なのか。
何一つ分からない。
血を残して彼女はどこかへと消えた。

代わりに二つの死体が増えた。
こそこそと鼠のように嗅ぎまわっていたジョルジュ・ロングディスタンスとハインリッヒ・サブミットの死体だ。
死んでもらった方が好都合な種類の人間だったが、何故、この厄介者二人が死んだのか。
調べによると、ハインリッヒの死体から発見された銃弾はジョルジュの銃から発砲された物だという。

更に、ハインリッヒは雨の中何故かポンチョを着ていなかった。
ジョルジュを殺した銃は見つかっていない。
奇妙さが際立つ殺しの現場だった。

極めつけは砲兵隊の砲弾を狙い撃ち、大爆発を引き起こしたことだ。
あれによって基地の大部分が被害を受け、兵舎も割れていない窓ガラスは一つもなかった。
不幸中の幸いなことに砲弾が兵舎から離れていたこともあり、建物が倒壊することはなかったが、多くの人間が傷つき、備品の多くが破損した。

もう一つ、彼の頭を悩ませる問題があった。
協力者であるフランシス・ベケットの行方が分からなくなっている。
彼を殺そうと送り込んだ兵士からの連絡が途絶え、死体として発見されたのだ。
流石はイルトリア軍の人間だと称賛を送るべきだろうが、彼の行方を辿れないとなると、いつこちらに反旗を翻してくるか分かった物ではない。

こちらがそうしたように、彼もまた、こちらに牙を剥いてくることだろう。
そうなる前に潰そうとしたが失敗した以上、別働隊を組織して処理する他ない。
彼に生きられていると厄介だ。

彼は死人なのだ。
生きていることが誰かに知られてしまえば、計画が破たんしかねない。
決して、彼一人の利益のためではなく、世界そのものに関わる大きな利益のための計画が彼にはあった。

テックスは正義の体現であるジュスティアを取り戻したい一心で、この戦争を引き起こした。
世界にはバランスという物がある。
善と悪。
光と影。

世界中に暴力が蔓延しているこの世界で人が人であるためには、ルールが不可欠だ。
街毎のルールではなく、世界共通のルール。
即ち正義の存在が必要だ。
世界中にいる警察官達は契約に基づき、その街のルールを守らせるために派遣されているに過ぎない。

264名無しさん:2018/01/08(月) 07:30:03 ID:WgoVE2mI0
街によっては窃盗で死刑になる場所もあるが、ジュスティアでは懲役刑だ。
これは正義のバランスが崩れ、正義の認識が共通していない何よりの証だ。
その原因は、ジュスティアの影響力が弱いことにある。
単純な軍事力の問題ではなく、それを証明する機会がないことが問題なのだ。

本来正義とは世界共通の認識でなければならない。
そうでなければ世界が一つになることはなく、争いが世界から消えることはない。
正義の統一。
それこそが、ジュスティアが世界に向けて行うべき究極的な行動の一つだった。
それを見せつけなければならないと感じたのは、彼が二度目の戦争を経験した時だった。

その時の彼はまだ若く、理想に燃えていた。
銃に魂が宿り、祝福の女神が彼らを銃弾から守ってくれると信仰していた。
二度目の戦場はフィリカ――広大な領土を持つ街であり、その中で複数の部族に分かれて生活をしているが、その水準は非常に低い――と呼ばれる南の大陸に広がる街だった。
そこには秩序と呼ばれる物や法律と呼ばれるものは皆無に等しく、ジュスティアが参戦するまでの間、殺人や窃盗が日常化していた。

正に現代社会の混沌そのものだった。
道端には黒檀の様な色の肌をした女子供が座り込み、言葉ではなく恐ろしいほどにぎらついた目を向け、訴えかけてきていた。
あの目だけは何年経とうとも彼の頭から消えることはなかった。
飢餓は人々から倫理を奪い取り、争いが根付き、憎しみが糧となって紛争が日常風景となった。
対立する五つの街が争い合うその地帯に平穏と秩序を取り戻すのがテックスの任務だった。

うだるような暑い気候のフィリカで、彼は仲間と共に炎天下の中ライフルを構えて哨戒していた。
茂みに潜むテロリスト、反対勢力、猛獣などに警戒しながら初日を終えた。
日付が変わった深夜、銃声が彼の中に眠っていた生存本能を呼び起こした。

闇に紛れて夜襲をかけてきた抵抗部族によって、彼の仲間が重傷を負い、左半身が麻痺した。
その仲間には二人の娘がいて、防弾着を貫通した銃弾が彼の背骨を傷つける直前までその自慢をしていた事を思い、テックスは闇に向けて撃ちまくった。
撃ち返された銃弾に倒れたが、幸いなことに、彼のドックタグが致命傷と防弾着の貫通という事態を回避させた。

翌日、テックス達は仇討のために夜襲を仕掛けてきた死体から所属する部族を割り出し、部族の住む地帯に攻め込んだ。
重機関銃を搭載した装輪装甲車の行進は壮観だった。
銃弾が家屋を倒壊させ、劣化ウラン弾の直撃を受けた人間が水風船のように爆ぜた。
それは悪が滅びる瞬間に味わう恍惚とした感情だった。

汚れを落とす感覚の最上級。
忌々しい存在がその命の価値に等しい最期を迎える姿は、滑稽でさえあった。
悪には相応しい最期だった。
制圧した部族の住居には、奴隷として連れて来られた他部族の子供達がいた。

性的な暴行を受けた痕跡もあり、子供達にはトラウマが植えつけられていた。
その代償としてジュスティアが捕虜として捕えた部族の人間に下したのは銃殺刑だったが、彼らが味方する部族はそれを拒否し、生きたまま体を刻んで豚の餌にした。
あまりにも野蛮な手段に大勢の兵士が嫌悪感を露わにし、この異常な思考が残る以上、決して紛争はなくならないと察した。
事実、ジュスティアが紛争介入から手を引いた翌週には、再び争いが始まっていた。
今度は腕を切り落とし、傷口を焼いて潰すという方法が主流になっていた。

彼らには悪意はなかった。
彼らには常識が、正義の心がないだけだった。
正義の心を彼らに教えるためには、大規模な改宗にも似た作戦を行わななければならない。
その出来事を通じて彼が学んだのは、統一した正義感、即ち、世界共通の正義が無ければ争いはこの世から消えないという事だった。

265名無しさん:2018/01/08(月) 07:30:28 ID:WgoVE2mI0
暴力が暴力を生み、恨みが新たな争いの火種となり、決して途絶えることの無い連鎖が未来永劫続いていく。
それを絶たなければ、ジュスティアが掲げる正義の光が世界を照らすことはない。
もう一つ学んだことがある。
全世界に影響力を持つ存在があれば、正義の統一は叶うと。

その筆頭は当然、ジュスティアだ。
ジュスティアが先頭に立ち、世界を導いていく。
そしてそのためには、ある障害があった。
世界の癌であり、腫瘍でもある存在。

腫瘍はイルトリアだった。
武人の都、暴力を生業とする荒くれ者の楽園。
世界を正義と悪で二分するとしたら、イルトリアは悪の権化でジュスティアは正義の化身だ。
イルトリアに対して武力的に優位な姿を世界中に示すためには、戦争で勝つしかない。

そのためには戦争が起きなければならないのだが、誰もかれもが戦争を回避することにばかり頭と時間を使っている。
戦争が起こらなければ、どうやってもジュスティアの力を世界に知らしめることが出来ない。
しかし、この考えを口にすれば彼は戦争を望む悪として見られかねない。
あくまでも、自然偶発的に発生する戦争でなければならなかった。

戦争の起こし方は多々あったが、二つの街は火薬庫のように静電気一つ発生させることを良しとしなかった。
火種など、偶然では決して起こらないことがよく分かっていた。
だからこそ、どうにかして自然を装って決して不自然ではない争いの種を撒かなければならない。

そして月日が流れ、彼は最前線を指揮する存在へと昇格した。
ジュスティアを変えるために努力をした結果だった。
しかし、陸軍大将になったものの、ジュスティア軍全体の統率者は依然として市長であり、全大将の提案と市長の合意がなければ宣戦は布告されることはない。
苛立ちと歯痒さに心を痛める日々が過ぎ、遂に運命の日が訪れる。

黄金の大樹を掲げる秘密結社に誘われ、彼の夢を叶えるために手を貸してくれる人物と引き合わされた。
それがイルトリア海軍准将のフランシス・ベケットだった。
フランシスと話をする中で、互いの目的は真反対だったが、望むことは同じだった。
戦争を望む者同士が手を組めば戦争を引き起こすことは容易い。
斯くしてこの戦争の台本が執筆され、演者達が密かに選ばれたのであった。

そう言えば、とテックスは思い至った。

鼠の集団の中に、まだ見つかっていない人間が一人いた。
ギコ・コメットだ。
彼もまた、消さなければならない存在だった。
どうにかして呼び出し、殺さなければならない。

彼とその仲間達が集めた情報がどの程度の物なのか、その精度や目的は分からないままだが、生かしておいても得はないだろう。
彼が真実に辿り着く前に、辿り着く可能性が生じる前に、その口を永遠に塞ぐのが得策だ。
こちらについても、彼を裏切り者に仕立て上げて捜索隊を出すのがいいだろう。

266名無しさん:2018/01/08(月) 07:30:58 ID:WgoVE2mI0
無意識の内に、部屋の片隅に置かれたモスグリーンのコンテナに目を向ける。
今この基地にある最後の強化外骨格は、脱出の最終手段として彼が使用することになっていた。
戦車隊が彼を追ってきたとしても、この強化外骨格があれば助かる確率は高くなる。
悩みの種がなくならない事には、テックスは枕を高くして眠ることは出来ない。
どのようにして呼び出そうかと考えていた時、彼の目の前にある電話が鳴り始めた。

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フランシス・ベケットは新たな宿泊施設に身を潜め、銃声が途絶えて久しくなったことに不安を感じていた。
銃声が聞こえないという事は、ペニーとジュスティア軍の戦闘が止んだという事だ。
どのような理由で止んだか、それが問題だった。
ペニーが姿をくらましたのか、それとも彼女が死んだのか。

死んだのであれば街にいる兵士達は撤収をしているだろうから、死んだのではなさそうだった。
十分な損害を与えたと満足し、ペニーがこの島からの脱出を試みたと考えると、彼にとっては都合があまり良くなかった。
彼女が戦死すれば、今よりも大きな戦争の火種になってくれる。

出来ればこの地でジュスティア軍に殺されるのが望ましい。
それに、この島は現在厳重な封鎖状態にある。
漁船に潜り込み、それを乗っ取ったとしても、途中で捕捉されて撃沈される。

しかし、ペニーは任務半ばで背を見せるような女ではない。
そういう風に訓練されているのだ。
イルトリア軍人は、必ず敵に報復をする。
その教えが彼女の中に残っている限り、この島から出て行くことはないはずだった。

クリス・ハスコックが死んだ時も、彼女はその教えに従って徹底的に戦い抜いた。
屍を抱き、涙と血で汚れた顔に鬼の形相を浮かべ、銃爪を引き続けた。
その日以降、狙撃に関する天性の才を持つ彼女は狙撃訓練、近接戦闘訓練などあらゆる訓練にそれまで以上に熱心に取り組んだ。

彼女は才能と言う武器に努力と言う武器まで手に入れたのだ。
当然、実戦にも何度も参加し、任務遂行に助力した。
彼女ならば、今頃はきっとどうにかしてジュスティア軍を出し抜いてより多くの屍を築き上げようとするだろう。

彼女の動きを読まなければ先手は打てないが、問題なのは彼の手元に駒がもうないという事だ。
彼の協力者である人間は早々に裏切りを決め、彼を殺そうとしてきた。
これで二人の関係は完全に終わり、元通りになるというわけだ。
それは遅かれ早かれ帰着する結果であるため、予想の範囲内ではあったが、あまりにも早すぎた。

焦るあまり本質を見抜けなかった男の判断だと罵倒しようとも、駒を所有しているのは相手側だ。
駒がいない事には、こちらは手出しが出来ない。
ペニーの性質を知るこちらを切り捨てたのは愚かな決断だとしか言いようがないが、おそらく、向こうは彼女を排除するだけの算段が立ったのだろう。
そうでなければ困る。

グロックの弾倉に弾を込め、それを机の上に並べていく。
弾倉は全部で三つ。
イルトリア軍が採用している型式のグロックは一七発の弾を発砲できるだけでなく、セレクター一つでフルオート射撃が可能になる物だ。
都合五十一発の弾丸が彼の命を守り、彼の夢を叶えるための道具となる。

267名無しさん:2018/01/08(月) 07:31:36 ID:WgoVE2mI0
駒がいないのならば、彼自身が動くしかない。
ペニーのおかげで夢を見ることが出来た。
後は、その夢を現実にするために彼女を排除する。

弾倉を挿入し、遊底を引いて初弾を薬室に送り込む。
この感覚がたまらなく愛おしい。
弾丸を得たことによって銃は殺傷能力を持つ武器へと変わる。

指先の力だけで人を殺し、夢を叶える魔法の道具。
使い方を誤らなければ、これ一つで街を手に入れることも出来るが、彼はそう言った権力に対して全く興味がなかった。
彼の興味はイルトリアの強さを世界に知らしめることなのだ。

今、ペニーならばどう動くか。
想像するのはそう難くなかった。
彼女の最終目的がジュスティア軍の全滅であれば、削り取れる部分を削るに決まっている。
狙撃手一人に翻弄される軍隊の中で脆くなるのは、街で当てもなくペニーの行方を調べる兵士達だ。

彼らは常に遠方から撃たれる可能性に怯え、次第に冷静さを欠くはずだ。
その彼らを狙う安全な場所となると、必然的に絞られてくる。
目撃される可能性から街中での狙撃は少なくなるだろう。
となると、ジュスティア軍は街ではなく森に別働隊を派遣してペニーを探させている可能性もある。

彼女が狙うのは、基地にいる砲兵隊だ。
破壊の象徴である砲兵隊は同時に、前線から離れているために安全な存在でもあった。
だが、それをペニーが覆した。
安全圏にいると勘違いした砲兵達に銃弾を浴びせ、爆死させた。

そのため、彼女が街で戦闘を始めた時、彼らは安堵したことだろう。
砲兵隊は街中での戦闘には参加できないからだ。
その代わりに見せかけだけの戦車隊が街を移動し、ペニーにプレッシャーを与えようとしたが、彼女の方が一枚上手だった。

砲兵隊は二度、ペニーに痛めつけられている。
三度目はないだろうと考えているところを狙えば、街を歩く兵士を殺すよりも簡単だ。
彼らは疲弊し、損耗し、活力を失っている。

基地に対する攻撃の方法は狙撃ではないだろう。
狙撃を警戒し、すでに多くの兵士が背の高い建物に対する警戒を始めている。
そうなると直接的に攻め込む方法が無難だろう。
夜の闇を利用し、海辺からの接近だろうか。

それとも彼の想像もつかない方法で復讐を遂げるのだろうか。
想像するだけでフランシスは込み上がってくる笑みの衝動を抑えきれなかった。
彼女こそがイルトリアの強さの化身なのだ。
もっと混沌と破壊を振り撒き、力を示してくれれば彼の望みは現実味を帯びてくる。

入口の戸がノックされ、フランシスの意識は現実に引き戻された。

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268名無しさん:2018/01/08(月) 07:32:13 ID:WgoVE2mI0
ジュスティア市長、フォックス・クレイドウィッチは目の前にある電話が鳴ったことに少なからず動揺した。
朝の一〇時頃にかかってくる電話の予定はなく、考えられる電話の内容はティンカーベルでまた何か悪いことが起きたという知らせである可能性が高かった。
これ以上何が起こってもおかしくないとは理解していても、最悪のニュースは受け入れ難いものがあった。
意を決し、受話器を取る。

向こうから聞こえてきたのは、明瞭な声の持ち主だった。

( ФωФ)『久しぶりだな、フォックス』

爪#'ー`)「ロマネスク!何の用だ、貴様!」

それは、イルトリア市長ロマネスク・アードベッグからの電話だった。
腹立たしいほどに落ち着き払い、それでいて高圧的な口調は相変わらずだ。
この非常時に電話をかけてくるとは、非常識にもほどがある。
何を考えているのか、果たして本当に正気なのか、フォックスは怒りと困惑で頭が真っ白になった。

( ФωФ)『話を聞けよ。
      久しぶりの電話だが、そう長く話している時間もないんだ』

机の上に指を乗せ、フォックスは人差し指から薬指で順に机を叩き始めた。
それは彼が感情を抑圧して考え事をする時の癖だった。

爪'ー`)「要件を言え」

( ФωФ)『ティンカーベルから部隊を引き揚げさせろ』

それまでリズミカルに机を叩いていたフォックスの指が止まった。
声を荒げないよう、だが相手にこちらの気持ちが伝わるように声色に気を遣い、絞り出すように声を出した。

爪'ー`)「……貴様、正気か?」

( ФωФ)『何をもって正気とするかは知らんが、よく聞けよ。
      この戦争は起こるように仕組まれたものだ。
      これ以上戦闘を続けても仕掛け人達が喜ぶだけで俺達に利益はないぞ』

爪'ー`)「ジュスティアが金のために戦争をするとでも思うのか、戦争狂(ウォー・ジャンキー)」

( ФωФ)『まさか。
       だが、お前らが守ろうとする正義と言うのがお前らにとっての利益だろう、英雄狂(ドン・キホーテ)』

会話が途絶え、沈黙が流れる。
口論をしても意味がない。
意味があるのは相手の真意であり、言葉ではない。

爪'ー`)「詳しく話を聞かせてもらおうか。
    こちらは多数の死傷者が出ているんだ」

269名無しさん:2018/01/08(月) 07:33:42 ID:WgoVE2mI0
( ФωФ)『死体の数を数えるのは止めておけ。
       俺の話を聞く気があるなら、大人しく黙って聞け。
       俺達の軍の中に、戦争を望む人間がいる。
       ジュスティアとイルトリアの戦争を起こしたくて仕方がない奴が。
       心当たりはあるか?』

一瞬、フォックスはその言葉の意味が正しく理解できなかった。
戦争を起こしたい人間はイルトリアに山ほどいるだろう。
それはなんら不思議な話ではない。
武人の都の人間が戦争をしない時代は一度もなかった。

彼らの生業は戦争そのものであり、戦争経済こそが彼らの生活源なのだ。
だが、そんな当たり前のことを彼が話すだろうか。
緊張状態にある今、このタイミングでわざわざ電話をかけてくるという事は、もっと別の意味があるに違いなかった。

そういう意味では、フォックスはロマネスクの事を信用していた。
イルトリアがその気になれば、わざわざ電話など掛けずに別の方法で混乱を生み出すことが出来る。
宣戦布告抜きで戦争をすることも可能だ。
ようやく意識が彼の言葉の意味を理解し、その重要性故に背筋が自然と伸びた。

イルトリアとジュスティアの戦争となると、話の持つ重要性と危険性が桁違いになる。
それは親子何世代にも渡って語り継がれ、歴代の市長達が次期市長に向けて伝えられてきた、実現してはならない悪夢の一つだった。
世界が終る時が来るとしたら、間違いなく、この二つの街が争う時だろうと語られ続けてきた。
スズメバチの巣に石を投げてはいけない、迫りくるダンプに体当たりをしないといった次元の常識として、誰もがその言葉を記憶にとどめ、知識を身につけるにつれて言葉の正しさを理解した。

実際、戦争が起こって世界が混沌に陥る理由は非常に簡単だった。
二つの街が本格的な戦争を起こせば、関連する全ての街が同時に争いを起こし、全世界が焦土と化す。
自信過剰や心配のし過ぎではなく、この二つの街は世界を二分し得るだけの力を持った街であり、その影響力は絶大だった。
二つの街と関係を持つ町は今なお世界中に拡大しており、片方が滅びればそれに連動する形で次々と町が滅び、経済的に滅んだ街を巡って争いが起こる。

こうして争いの火が世界中に拡散され、最後に残るのは燃えカスの上に立つ勝者だけなのだ。
待っているのは滅び。
見えているのも滅び。
そんな戦争を望む人間は、流石のイルトリアにもいないはずだ。
だからこそ、ジュスティアでもこの事はタブー視され、戦争を起こさないよう教育がされていた。

ロマネスクがそれを口にしたという事は、実際にそう言った動きがあるという事を意味していた。
フォックスはロマネスクの事を信頼していた。
ジュスティア人がイルトリア人の強さを認めているのと同じように、彼もまた、イルトリア市長の性格を信頼していた。
彼は憎むべき相手だが、尊敬の念を忘れたことは一度もない。

爪'ー`)「何か証拠でもあるのか?」

( ФωФ)『こちらは自軍の裏切り者を見つけた。
      次はそっちの裏切り者を見つけてもらいたい』

爪'ー`)「馬鹿を言え。
    ジュスティア軍にいるはずが――」

270名無しさん:2018/01/08(月) 07:35:42 ID:WgoVE2mI0
( ФωФ)『冗談でこんなことを言うと思うか?こちらの裏切り者がそっちの裏切り者に情報を流しているから、今島で人狩りが始まっているんだ。
      まさか、狙撃手に関する情報源が島民と言うんじゃないだろうな?』

正に彼の言う通りだ。
得た情報は匿名の情報源から流された物であり、自力で掴んだものではなかった。
情報は内部に精通している者でなければ分からないようなことまであり、確かに、内通者が流したと考えるのが自然だった。
この短期間でこちらの動きや情報を把握したイルトリア軍の手腕には驚かされるが、それでもそう簡単に認めるわけにはいかない。
ブラフという事もあり得るのだ。

爪'ー`)「……貴様に教える義理はない」

( ФωФ)『お前がこの戦争を続けたいのならばそうすればいいが、少しでも島民の機嫌を取りたいのならばもう止めることだ。
       この話に乗るというのなら、他の情報も分けてやるし、もう一ついいものをやろう』

爪'ー`)「三分だけ考えさせろ」

フォックスは机上のスイッチを押し、秘書を呼び出した。
すぐに扉を開いて入ってきた秘書は漂う雰囲気からただ事ではない事を察し、次に市長が望むものを急いで用意した。
大きなマグカップに並々と注いだエスプレッソだった。
それを受け取り、フォックスは秘書を部屋から追い出した。

湯気の立つそれを一口飲み、慎重に言葉を選ぶ。
答えは決まっていたが、すぐに返答しては相手になめて見られる。
それだけは駄目だ。
今後の事も考え、彼は発言する義務がある。
腕時計を見て三分三〇秒が過ぎた時、ようやく口を開いた。

爪'ー`)「聞いてやる」

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かつてその土地は、世界最強と名高いイルトリア軍が駐屯する基地だった。
今はジュスティア軍が駐屯する基地になっていたが、以前とは似ても似つかないほどに荒れ果てていた。
巨大なクレーターが基地の中心に広がり、周辺の床や建物には焼けた跡が残っている。

砕けたガラスが今なお放置され、血痕も残されていた。
かつての繁栄は見る影もなく、そこにあるのは敗残兵の基地だった。
漂う空気は軍事基地独特の緊張した物に加えて、野戦病院に蔓延している陰鬱な空気と同様のものがあった。

基地内の警備を行う兵士は格段にその数を減らし、多くの兵士が街に派遣され、残った少数の兵は兵舎で待機をしていた。
基地を守るよりも狙撃手を見つけた方が建設的だという陸軍大将の判断によるもので、多くの兵士がその意見に同意した。
狙撃手が街に逃げ込み、姿を消してから十二時間以上が経過していた。

それは、すでに島の外に逃げてしまった可能性を高めたが、狙撃地点を確保したために沈黙しているとも考えられた。
狙撃手によって大打撃を受けた反省から、砲兵隊達は野戦砲を引き下げ、砲弾は屋根の吹き飛んだ黒焦げの倉庫に運び入れた。
武器保管庫の倉庫も、狙撃手によって破壊されていた。

271名無しさん:2018/01/08(月) 07:36:25 ID:WgoVE2mI0
彼ら砲兵隊以外にも、戦車隊が基地の中に待機していた。
戦車隊は連絡を受け次第すぐにでも行動できるよう準備をしていたが、砲兵隊の人間は戦意喪失状態にあり、屋外に出ることでさえ怯えて嫌がった。
情けなさ極まる話だったが、生き残った砲兵隊の指揮官も同様に屋外と窓辺を恐れた。
結果として基地に残ることになった二〇名弱の兵士は歩哨を六人だけ屋外に出し、残りはカーテンを閉め切った部屋にいるという形で落ち着いた。

ハルトマン・アーレンスは枠だけになった窓から外を眺めつつ、煙草を吸っていた。
すでに二箱吸いきりそうな勢いだったが、彼は無意識の内に新たな煙草を手にしていた。
これまでに命の危険に晒された経験は何度もあった。

戦場に足を踏み入れれば、誰でもそうなる。
彼は五度、戦争に参加していた。
いずれも過酷な戦争だったが、今の状況は彼の経験が如何に生ぬるかったのかを思い知らせた。

狙撃手が姿を隠せば、大勢の人間はその影に怯え続けなければならない。
今回がいい例だ。
最小限の動きで最大の成果を得て、ジュスティア軍人達の心底に恐怖を植えつけた。
植えつけられたこの恐怖はそう簡単に除去できるものではない。
極度のストレス状態から、すでに数人、体に影響が出ている兵士がいる。

出来る事ならば彼も弱音を吐きたかった。
だが、多くの上官が死に、数少ない指揮官であるハルトマンが弱気な姿を見せようものなら、今度こそ本当に部隊は使い物にならなくなってしまう。
それを知る彼は、せめて自制心を忘れず恐怖心を表に出さないよう、煙草による救済を求めた。

彼の姿は兵舎の最上階、かつては通信室として使われていた場所に通じる階段にあった。
階段に置いた灰皿には吸殻が幾重にも重なり、針山のようになっていた。
風通しは最高によかったが、壁に開いた大穴や壊れた電子機器から漂う鉄臭が煙草のそれと交わり、荒廃した匂いとしてその空間に滞留していた。

突発的な不安が、ハルトマンの胸を襲った。
動悸が激しく、呼吸が乱れる。
まるでそれが薬であるかのように、煙草の煙を肺に吸い込む。
徐々に彼は落ち着きを取り戻し、代わりに、新たな煙草を吸うことになった。

数か月分のタバコが瞬く間に消費されている現実は、彼に更なる不安を思い起こさせたが、それでも止められなかった。
不安は発作に近い物で、かつて何度かそれと対面してきたが、一向に耐性は出来なかった。
恐怖に慣れてしまえば人は愚鈍になり、隙が生まれ、やがては死を招く。
そう教え込まれ、そう考え、そう生きてきた彼にとって、初体験となるこの恐怖に打ち勝つ術は一つも考え付かなかった。

上陸作戦の時、彼は銃弾を掻い潜って塹壕に駆け込むことを繰り返した。
市街戦の時、彼は市民の手に武器が握られていた場合に即応出来るようになった。
撤退戦の時、彼は敵を食い止める殿を務めることにこの上ない満足感を覚えた。
そして今、一人の狙撃手に憎悪を抱き、殺意を覚え、絶望していた。

正体も人相も分かっているが、一向に捕まる気配を見せるどころか、着実に死体を増やし続けている現実は、ハルトマンには受け入れがたい物だった。
世界最高の軍であるジュスティア軍が、たった一人の狙撃手に翻弄されている現実はそれまで子供が無敵と疑わなかったヒーローが悪役に一蹴される瞬間にも似ていた。
理想が無常にも粉砕され、踏み躙られる瞬間と言うのはいい気分はしない。
どうにかして回避したい気持ちがあるが、事態はそう簡単な物ではなかった。

272名無しさん:2018/01/08(月) 07:37:12 ID:WgoVE2mI0
嵐の後に吹いてくる暑い風が、潮の香りが、季節を、夏を無言で伝える。
蝉の声と風の音だけが、彼の心に僅かな忘我を許した。
今が戦争状態にある事を忘れさせる癒しの空気に、思わず涙が出そうになる。
戦争と恐怖を忘れられたら、どれだけ幸福なのだろうか。

一瞬だけの忘却に頬を濡らし、ハルトマンは日常がもたらす幸福感を改めて痛感した。
戦争ばかりではなく、平穏にこそ目を向けなければならないのだ。
昨日死亡したジョルジュ・ロングディスタンスの婚約者が身籠ったという知らせが今日届き、その幸せな知らせと引き換えに彼の訃報が告げられた。
兵士を恋人に持つ人間ならば分かっていたはずの事態だけに、婚約者の女性は冷静に報告を聞き、電話を終えた。

担当者が言うには、彼女の声は淡々としている風に聞こえたらしいが、やはり、大きなショックを受けている様子だったという。
典型的なジュスティア人らしく死を受け入れ、強く振る舞う事を徹底された人間は皆彼女の様な態度を取る。
気丈に振る舞うことにこそ美学があり、英雄的な死を皆で喜ぶという昔から続く慣習は今でも健在だった。
それは、平和を真に愛するからこそできる態度だった。

彼にも家族がいる。
結婚してから一〇年目になる妻と、七歳の娘だ。
出来れば彼は、自分が死んだ時には悲しんでもらいたいという気持ちがあり、それと同時に、新しい人生を踏み出してほしいとも思っていた。
子持ちの未亡人が女手一つで子供を育てるのは大変な話だ。
それならば新たな夫を迎え入れ、子供を無事に育て上げてほしいものだ。

感傷と感動から物思いにふける彼は、その時自分に向けられている視線に気づく事は出来なかった。
それが彼の死因の一つだった。

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遠方。
元イルトリア軍の駐屯基地であり、現ジュスティア軍の駐屯基地を遥か眼下に敷く山中に一人の狙撃手が潜んでいた。
その人物は呼吸を整え、すでに射撃体勢を完成させていた。
イルトリア式の簡易偽装掩蔽壕は完璧な作りだった。

遠目に見れば茂みそのもので、近くから見ても注意深く見ない限りは、見破られることはない。
山腹に着弾した砲弾の作り出したクレーターは、絶好の隠れ蓑として狙撃手を保護していた。
新たに集まった情報を基に作戦が立てられ、狙撃手は己の役割を果たすべくその場から基地を見下ろしていた。
狙撃手の持つライフルは無骨で愚鈍そうな印象を与えるが、その実、それが持つ威力は絶大だった。

三キロ近く離れたこの地点から基地に着弾させることも可能だ。
ライフルの威力が殺傷力を失わない限界の地点。
これまで訓練以外でこの距離での狙撃を行ったことはなく、訓練では失敗に終わっている。
それでも、狙撃手は失敗ではなく成功することを脳裏に思い描き、銃把を握っていた。

失敗を想像すれば腕に力が入り、銃爪を引く際に微量の誤差を生む原因となる。
若い狙撃手はそれを熟知しており、決して、失敗のイメージを頭に思い描かなかった。
狙撃手の頭にあるのは複雑な演算を高速で処理するための準備だけだった。
生体計算機と化した狙撃手は、光学照準器の十字線がどこを狙えば理想通りに弾丸が飛んでいくのか、毎秒毎に再計算をしていた。

273名無しさん:2018/01/08(月) 07:38:44 ID:WgoVE2mI0
狙撃手は腕時計を見た。
午前一〇時一三分を示していた。
陽は高く、狙撃をするには若干風が強いぐらいで、それ以外は全てが万全の状態だ。

突き抜けるような青空の下、エメラルドグリーンのカーテンの下で、狙撃手は時が満ちるのを待った。
観測手は不要だった。
狙撃手は一人で戦う覚悟を決めていたのだから。

銃把を握る手には射撃用のグローブがはめられ、その体はギリースーツで覆われていた。
例え偽装掩蔽壕を失ったとしても、狙撃手として十二分に森の中で戦う用意はあった。
狙撃手の使用するライフルはいつもとは異なるボルトアクションライフルだった。
狙撃の精度を損なわない設計と大口径の銃弾を射出できるそのライフルは、三キロ離れたこの地点からでも基地の人間を殺すことが出来る。

空の薬室が弾丸を懇願しているのが分かるが、狙撃手はその要求をはねのけた。
今はまだその時ではない。
時が来たら、嫌と言うほど弾丸を喰らわせてやるつもりだった。
銃にも、その先にいる標的にも。

全てが予定通り、計画通りに進行しているのであれば焦る必要はない。
互いの技量を認め合い、一時的とはいえ信頼関係を構築した間柄。
抑制された暴力の化身、イルトリア軍。

統制された規律の機械群、ジュスティア軍。
その両者が手を組めば、おそらく、この世界で対抗し得る存在は皆無だろう。
安心感に抱かれながら、狙撃手は静かに時が満ちるのを待った。

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ジュスティア陸軍大将は電話を終えてから、すぐに行動に移った。
匿名の電話はこの策略が市長の耳に入り、破綻しかけていることを告げ、急ぎ脱出することを推奨した。
電話の主は名乗らず、声も変えていたが、彼にはその人物がどこの所属なのか分かっていた。
彼の夢を叶えるために力を貸してくれる理解者の一人、つまり、所属する秘密結社の人間だった。

だがテックスはその警告を聞き留めながらも、実行することはなかった。
今さら後に退けるわけがない。
ここまで来たのならば、徹底的にやる以外には道がないのだ。

本部が彼の裏切り行為に気付いたとしても、もう遅い。
すでに賽は投げられ、後は目が出るのを待つだけだ。
今はその後押しをする段階であり、今さらどうしようとも、この戦争は終結しない。

今は認められずとも、全てが終われば、彼の行動は正当化される。
それは後の歴史が証明してくれる。
彼は歴史的な英断を下した英雄として名を残す。
そのためにも、後はイルトリアが動くだけでいい。

274名無しさん:2018/01/08(月) 07:39:11 ID:WgoVE2mI0
一人の狙撃手ではなく、一つの街が動くだけでいいのだ。
そうすれば戦争が始まり、彼の望んだ通りの展開になる。
ジュスティアの強さを、揺るぎなき正義の力を世界に知らしめられるのだ。
そのためには街を一歩動かす必要があった。

彼が大将へと昇進した際に渡されたベレッタM9をホルスターから抜き、弾が込められていることを確認した。
恐らく、本部からは彼を捕えるよう指示が出ている事だろう。
だが混乱を回避するために連絡を受ける人間は限られているはずだ。

その人間を殺せば、一先ず時間を延ばすことが出来る。
市民の一人二人を殺してイルトリアの仕業に仕立てるか、狙撃手を殺して見せしめにするか。
これまでとは違って過激な手段に出なければ、彼の目標は達成できそうにもない。

サプレッサーを取り付け、歪な形となったそれを膝の上に乗せてテックスはゆっくりと深呼吸をした。
今や廃城の主と化した彼には、威厳と呼べるものはほとんど残されていない。
部下も皆怯え、士気は低下の一方だ。
認めざるを得ない。

一人の狙撃手に彼が率いる軍隊は痛めつけられ、疲弊しきっているという事実を。
たった一人と戦争をしている現実は、彼の指揮官としての能力の低さと相手の優秀さを如実に語っている。
砲兵隊を動員し、戦車隊を動員し、体面を無視して山に砲弾の雨を浴びせた。
だが狙撃手は生きていた。

生きて砲兵隊を恐怖のどん底に叩き落とし、今の状態を作り出した。
正に魔女だ。
一人でこの戦場を生み出したのだから、それは、魔法と言い換えてもいい。
忌々しき魔女。

状況は最悪だった。
鼠の処分をするにも新たに駒を揃えなければならないだけでなく、彼の行為が表沙汰になるまでの時間とも戦わなければならなかった。
魔女、鼠、そして時間。
単独で終わらせるのは非常に難しいだろう。

協力者だったフランシスを切ったのは早計だったと反省する一方で、一つ気になることがあった。
どうして本部にこの計画が漏れ出たのか。
すでに鼠が動いたとは考えにくい。
魔女がこちらを突き止めたとも思えない。

どうしてか、彼の頭の中では交わるはずのない二つの線が重なっていた。
イルトリアとジュスティア。
その二つの勢力が手を組み、彼の計画を潰しに来るなど、あり得ないはずだった。

その可能性は最も低く、計画が動き始めた最初に潰れたはずだった。
魔女の仲間を殺させ、魔女に仲間を殺させたのはそのためだ。
互いに憎しみ合い、協力関係など間違っても起きない状態になっているはずだ。

では、別の経緯で情報が流れたと考えるべきだった。
ジュスティア側に思い当たる存在がいないのであれば、残るは一方。
イルトリアからジュスティアに情報が流された可能性だ。

275名無しさん:2018/01/08(月) 07:39:40 ID:WgoVE2mI0
イルトリアは各地に独自の情報網を構築しており、この島での出来事も新聞に載るよりも速く正確に知ることが出来るはずだ。
彼らがフランシスの裏切りに勘付き、彼一人ではなくジュスティア側に協力者がいなければ成立しない計画であることを察し、
ジュスティア軍内部の裏切り者の存在に気付けたのであれば、確かに理解は出来る。
イルトリアは恐ろしいほどに察しがいいのだ。

だが、互いに多くの軍人を失った市長同士が手を組むだろうか。
本当にそうなったのだとしたら、彼が取り戻そうとしているジュスティアの姿からは遠く離れ、むしろ逆の方向に進んだことになってしまう。
早急に戦争が始まらなければ、脆弱なジュスティアだけが彼の前に残る。
それは最も無残な形での夢の終わり。

この計画で死んだ彼の部下は皆、無駄死にしたことになる。
それは、何があっても回避しなければならない。
部下達はジュスティアの未来のための尊い犠牲として死んだのであり、断じて、失敗した作戦の犠牲者であってはならないのだ。

何もかもが手遅れになる前に、すぐに行動を起こすことにした。
内線につなぎ、基地内に残っていた砲兵隊所属の三人を指令室に招き入れた。

三人の表情は典型的なジュスティア人らしく怯えを抑制し、その体は微動だにしなかった。
内心では魔女に怯えているだろうに、流石はジュスティア人である。
全てのジュスティア軍人がこうあるべきだと、テックスは常々思っていた。

「諸君らは口が堅いかね?」

まず、会話はそこから始まった。
そして全員が彼の意図を理解し、彼らが無言で示した同意の意志を見て決して多言せず秘密裏に作戦を遂行出来る兵士であることを確認してから、
テックスは嘘を交えながら彼らに命令を下すことにした。

「ギコ・コメットを知っているだろう?彼がイルトリアの狙撃手に情報を流していることが分かったんだ。
彼を捕え、ここに連れてきてほしい。
抵抗するようであれば殺しても構わない」

手短に命令を告げ終え、テックスはまだ時間がある事を悟った。
時間があれば魔女を殺すことも出来る。
魔女の死体を掲げ、イルトリアを激怒させるのだ。

三人が部屋を出て行く時、その背中に確かな怒りの感情を見て取ることが出来た。
ジュスティア軍人は裏切りを決して許さない。
いや、ジュスティア人の性質と言ってもいいだろう。
正義に反する全ての行いは彼らにとって幼少期より何度も言い聞かされた教訓にして家訓であり、彼らの精神の根底に根差す気質と化し、生きる上で必要な価値観へと昇華している。

まずは殺しやすいギコからだ。
彼は今朝早くに基地に戻り、それから街に向かったという報告がある。
彼をその時点で殺さなかったのは迂闊だったが、逆に、こちらが手を出さなかったことに油断しているかもしれない。
彼の行き先は街に散らばる兵士達から聞き出せば容易に知ることが出来る。

後は捕える過程で殺せば、残すところは魔女一人となる。
戦車を動かし、山狩りを行うべきだろう。
重厚な装甲に守られた戦車は陸上最強の兵器だ。
狙撃銃程度では太刀打ちは出来ない。
例えそれが、対強化外骨格用の徹甲弾だとしても、手も足も出ないのが現実だ。

276名無しさん:2018/01/08(月) 07:40:32 ID:WgoVE2mI0
まずは鼠の駆除。
そうしてから、魔女狩りとなる。
まるでお伽噺みたいだな、とテックスは思った。
使い魔の鼠を殺し、力を失った魔女が火炙りにあう。

当然、魔女に火を放つのは正義の騎士だ。
その騎士とは即ち、ジュスティアの兵士達に他ならない。
事態の早期終息を願う一方で本部から迎えが差し向けられることを考慮し、銃からは手が離せなかった。

――彼の足元、島の地下に張り巡らされた下水道を進み、廃墟と化した武器庫の隠し通路を通って一人の軍人が基地内に侵入していたが、彼は気付かなかった。

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  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

侵入者は上下をジュスティア陸軍が所有する市街戦用の灰色の迷彩服で固め、上着の袖を捲っていた。
ゆっくりとした足取りで瓦礫の山と化した武器庫から敷地内に入り込んだ侵入者は、ズボンから発煙筒を取り出し、それを瓦礫の中に置いてから着火した。
発煙が始まったのを確認し、侵入者は我が家の庭を歩く気軽さでその場から立ち去り、建物の影に隠れた。
息を潜め、肉食獣のように油断なく周囲に注意を払う。
誰もその侵入者の存在に気付いた様子はなく、武器庫から立ち上る発煙筒の煙に気付いた兵士が二人、侵入者のすぐそばを通り過ぎて武器庫に向かった。

その直後、銃声が遠くから響き、続けざまにもう一つ。
合計二つの銃声が木霊した。
同時に、発煙筒に向かって歩いていた二つの命が失われ、基地内に緊張した空気が漂った。
更にそれをあざ笑うかのように三つ、新たな銃声が基地中の人間に恐怖と同時に死を与えた。

かつて通信室だった場所に座っていた男は脊髄を両断され、歩哨として立っていた兵士は骨盤を。
そしてその隣にいた若い兵士は首を撃たれ、自重を支えきれずに頭部が地面に落ちた。
蝉の声が虚しく響く。
夏の風が素知らぬ顔で吹き抜ける。

魔術を思わせる速さの狙撃を目撃していた兵士の間に恐怖が伝染し、恐慌が広まり、戦意は喪失した。
同時に、彼らは狙撃手が遠方にいると考え、すぐに兵舎に向けて駆け出した。
そこに軍人としての誇りはなかったが、彼らの行動は正しかった。
そうしていなければ次の狙撃で歩哨にいた兵士は全滅していた事だろう。

基地内の歩哨は全員姿を消し、侵入者を咎める者は誰もいなくなった。
僅かに五発の銃弾が、侵入者に道を作ったのだ。
魔法のような手際と射撃に、侵入者は銃弾が飛来してきた方向に向けて親指を立てた。

侵入者は自動拳銃を構え、兵舎に向かった。
侵入者の背中にはライフルケースがあった。

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銃声が鳴る一〇分ほど前、フランシス・ベケットは思いがけない形で幸運を手に入れることとなった。
ホテルの人間が持ってきた封筒には、彼が所属する秘密結社からの伝言があった。
どうして組織が彼の居場所を知っていたのか、それは考えるまでもない。
世界中にその細胞を持つ秘密結社〝ティンバーランド〟は、この島にさえ影響力を持っているのだ。
地中に張り巡らされた大樹の根のように、組織は世界中にその根を広げている。

277名無しさん:2018/01/08(月) 07:42:38 ID:WgoVE2mI0
彼が連絡員から受け取った伝言は、イルトリアに向けて発信された携帯電話の電波を山中で感知したという物と、ジュスティアがこの戦争が仕組まれた物に気付いたという物だった。
同じ封筒に、精確な位置を記した地図が同封されていた。
その地図の意味するところは明白だった。

これまでの沈黙を破って彼女が何故、イルトリアに向けて電話をしたのか。
この戦争の裏側にある確信的な物が得られたのであれば、山から電話をする必要はない。
街中、もしくは海辺で脱出の手筈を整えてから電話をするはずだ。
通話場所からある程度の目的が考えられる。

山頂ではなく山腹という事は、身を隠すという事。
身を隠さなければならないという事は、何かをするという事だ。
彼女が何をするのか、想像に難くない。
彼女は復讐を続けるつもりなのだ。

戦争はまだ終わらせないと、彼女は言ってくれているのだ。
しかし彼女一人が奮闘したところで、戦争を始めるのは難しいだろう。
仕組まれた戦争と気付けば、ジュスティア上層部は絶対にその企みを阻止しようとするはずだ。
正直なところ、ジュスティアが企みに気付いたのであれば、戦争の勃発は不可能と言ってもいい。

結社はそれを伝えたかったのだろうが、彼の受け止め方は異なった。
戦争が難しいのであれば、二度と和平が出来なくなるよう怨恨を残し、戦争の土台を用意するしかない。
イルトリア、そしてジュスティアの両軍に恨みの種を残すには、劇的な要素が一つあるだけでいい。
例えば、単身で大群に挑んだ女の悲劇的な死を演出してやるとか。

彼はまだ運に見放されていなかった。
山に隠れ潜んでいるペニサス・ノースフェイスがイルトリアに電話をしたことで位置と目的が判明し、彼は彼女を殺す機会を得た。
山腹にいる彼女を殺すには、山頂から忍び寄る道を取らなければならない。
そうなると、車で山頂まで行き、そこから徒歩で背後に迫れば、例え魔女であろうとも、弾を急所に喰らわせれば死ぬ。

彼女はただの人間。
狙撃能力が秀でているというだけで、不死身の化け物でも常夜の怪物というわけでもない。
撃てば傷を負うし、血を流す。

彼女が訓練兵だった頃から知っている人間にとって、彼女の存在はさほど大きな障害にもならない。
殺すのに手間取る獣というぐらいの認識だった。
ペニーが死ぬことで後の戦争の火種が生まれる。

少しの間、彼は夢を見ていただけだった。
強いイルトリア人の姿を見て、夢想していただけなのだ。
一瞬だけでも夢を見ることが出来たことに感謝し、最後に、ペニーをこの手で殺すことで幕を下ろす。
後は結社の人間に手引きさせ、安全な街に逃げ延びればいい。

そうして新たに計画を練り、戦争を起こせばいい。
もともと短期的な計画では考えておらず、今回の作戦が失敗したら、また新たに考えればいいだけの話だった。
恐らく、この考え方はテックスとは相反する物だとフランシスは考えた。
彼は早計過ぎるところがある。

事実、まだ戦争が起こっていないのに、早急にフランシスを消そうとしてきた。
本当に愚かな行いだ。
彼と再び会う事があれば、それはきっと彼の葬儀の時だけだろう。

278名無しさん:2018/01/08(月) 07:43:00 ID:WgoVE2mI0
フランシスは手紙を受け取ってからすぐに銃を持ち出し、レンタカーのセダンに乗り込んだ。
セダンを走らせ、彼は島の西側から山に向かい、山頂で車を降りた。
コンパスと地図を手に、彼は宝探しの気分で森に足を踏み入れた。
ただしその宝には牙も爪もあるが。

そして落ち葉を踏みつけるのとほぼ同時に、福音が彼の耳に届いたのであった。

だが焦ることはない。
五発の銃声が聞こえたという事は、彼女は五人を殺したという事。
軍が位置を特定するまでには時間がかかるため、彼女はまだその場から動かないはずだ。
恐らくは偽装掩蔽壕に隠れ、安全な場所から狙っているのだろう。

極力物音を立てないよう、だが急ぎ足で山を下る。

イルトリア式の偽装掩蔽壕は発見が難しいが、位置が分かっていれば意味はない。
例え一目で分からずとも、大まかな場所さえ分かれば後は銃声が答えを出してくれる。
これは狩りだ。
魔女の皮を被った脆弱な女を殺すための狩り。
狩りの基本は獲物の位置を知り、獲物に気付かれることなく殺すという事。

腕時計は一〇時三〇分を指していた。

新たな銃声が響いたのは、彼が腕時計から目を離した時とほぼ同じだった。
フランシスは思わず笑顔を浮かべた。
銃火を見て取り、更には音も聞き取れた。
距離は僅かに数十メートル。

彼は完全に背後に回っていた。
背中を取った後は、必殺の距離に近づき、脳髄を吹き飛ばすだけでいい。
後は死体を加工し、残酷な形で殺された様に見せかければイルトリアの軍人達は激怒し、その恨みを後世にまで語ってくれることだろう。
二つの街は決して相容れてはならず、いつかは白黒をはっきりさせるために争い合う関係にあるのだ。

グロックを腰のホルスターから抜いて、遊底を引く。
初弾が薬室に送り込まれ、後は銃爪を引くだけで弾が出る。
勇ましい魔女も、ここで終わりだ。

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  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

侵入者は狙撃手の出現で騒然となる兵舎に入り、まずナイフを投げて一人目の兵士を音もなく殺した。
兵士は目に驚愕の色を浮かべたまま、喉に刺さったナイフに手を伸ばして、ゆっくりと倒れた。
血溜まりが広がり、リノリウムの床に黒い水溜りを作った。

物音に気付いた男が扉を開いて現れたが、その男は死体に目を奪われ、侵入者の姿を見ることは出来なかった。
サプレッサーの付いた拳銃が火を噴き、男は側頭部から侵入した弾丸に命を奪われた。
薬莢が地面を叩き、銃声に気付いた人間が武器を手に次々と現れ、侵入者の姿を見て驚きを露わにした。

279名無しさん:2018/01/08(月) 07:43:25 ID:WgoVE2mI0
一瞬の躊躇いは戦場では命取りとなる事を彼らは知っていたが、本当の意味で理解できたのは、次の瞬間だった。
その表情が変わる前に、血に飢えた鉛弾が彼らに襲いかかった。
正確無比な射撃は再装填の時間を間に挟んでも変わらず、まるで、稲妻(サンダーボルト)のような速さで弾倉が交換された。
獰猛な弾丸は無慈悲に命を奪い続け、硝煙と血の匂いが辺りに漂う頃には侵入者に銃腔を向ける者は一人もいなかった。

地面で僅かに呼吸をしている兵士に目を向けることもせず、侵入者は階段を上り、指令室に向かった。
ノックの代わりに固い靴底で扉を蹴破り、扉の横に隠れた。
くぐもった銃声と銃弾が侵入者を歓迎したが、弾は当たらなかった。
侵入者は慌てることなく屈みこみ、弾倉を交換し、低い位置を狙って連射する。
噴水のように薬莢が床に落ち、射線上にあった木製の机に次々と穴を空けた。

「ぐあっ?!」

男が悲鳴を上げるのとほぼ同時に床に倒れる音が聞こえ、応射が止んだ。
侵入者は姿勢を低く、銃を構えたまま部屋に侵入した。
マガジンキャッチを押して弾倉を床に落とし、新たな弾倉をすぐに銃に挿入する。
侵入者は勝ち誇ることもせず、油断なく倒れた男の前に現れた。

「き、貴様……!」

憎悪を込めて吐き出されたテックス・バックブラインドの言葉を、侵入者は眉一つ動かすことなく、無表情のままに聞いていたが銃腔は彼の頭を狙っていた。
彼の両脚は血で赤く汚れ、濡れていた。
彼のすぐ手元に落ちているベレッタを一瞥すると、侵入者は銃腔をそれに狙いを変え、一発でグリップを破壊した。

次に狙われたのは彼の左肩と右肩だった。
両肩に素早く、解剖学的な正確さで銃弾が撃ち込まれる。
それは正確に肩の関節を破壊し、腕の能力を奪い去った。
もがき苦しむテックスの姿を見ても、侵入者は表情を変えない。

勝ち誇って何か言葉を並べる訳でも、彼のために祈るわけでもなく。
ただ、銃腔を向けて、その銃爪に力を込めていくだけだった。
死にゆく獲物にとどめを刺す狩人のように、冷たい視線が彼に向けられている。

「ま、待てっ!」

侵入者は最後までその言葉を聞き届けることなく、銃爪を引いた。

夢と野望、その他諸々の思いが詰まった脳髄が爆ぜ、ジュスティア陸軍大将テックス・バックブラインドは戦死した。
死体と化した彼の体に更に三発の銃弾が撃ち込まれ、反応がなくなったのを確かめてから、侵入者は通信室に向かって階段を駆け上った。

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フランシスは勝利を確信した。
間違いなく銃火を視認した場所であり、明らかにイルトリア式の偽装掩蔽壕があった。
魔女も所詮は人間でしかない。
同じイルトリア軍人が相手であれば、物を言うのは経験値だ。
経験の差が両者の違いであり、それが勝敗を決する重要な役割を果たした。

銃爪に指をかけ、ふと思う。

280名無しさん:2018/01/08(月) 07:44:00 ID:WgoVE2mI0
彼女にはせめて、死ぬ前に真実を教えてやってもいいかもしれない。
彼が殺してきた兵士達が真実を知らぬまま死んだのと同じでは、彼に夢を見せてくれた彼女の功績に報いることにはならない。
世界最強の軍隊を体現する彼女ならば、彼の言葉を理解出来るだけの余裕があるかもしれない。
そうであれば、彼は一切の後ろめたさを感じることなく彼女を殺せる。

ここまで検討したことに対する勲章が無いのならば、真実というメダルを与えてやってもいいだろう。

「背後を取ったぞ、ペニサス一等軍曹。
銃を捨てて大人しく出てくるんだ」

僅かの間があった。
そして、偽装掩蔽壕の下からライフル、次いで拳銃が投げ捨てられた。
投降の意志を示したことに満足しつつも、彼は油断をしなかった。
イルトリア軍人は最後まで諦めない。
銃弾が脳髄を吹き飛ばすその時まで、チャンスを窺うよう訓練をされているのだ。
飢えた手負いの獣が相手だと思い、銃を握る手に汗が浮かぶのを感じ取った。

「ゆっくりと立て。
妙な真似をすれば苦しんで死ぬことになるぞ」

落ち葉を、枯れ枝を、土を押し上げて地中から姿を現した茶色のギリースーツの背中。
その背を見た時、違和感があった。
どこか、立ち振る舞いが違う気がしたのだ。

上げられた両手にはライフル用のグローブがはめられていたが、何かを握っているという様子もない。
抵抗するという気はなさそうだ。

「流石に賢いな、一等軍曹」

称賛の言葉を送るも、彼女は無反応だった。
ある程度予想をしていたのかもしれないし、驚きのあまり絶句しているのかもしれない。

「こっちを向け」

もったいぶるように、ゆっくりと狙撃手が振り向いた。
フランシスは衝撃のあまり、言葉を失った。
何を言うべきかを忘れ、何をするべきかを考えられなくなった。
陸に上がった魚のように口を開閉させ、ようやく出てきた言葉は、あまりにも間抜けだった。

「何故……お前がっ……!」

そこにいたのは魔女ではなかった。
魔女でもなく、イルトリア軍人ですらなかった。

森林用の迷彩で塗りつぶされた顔つきは女のそれではなく、彼を睨めつけるのは鳶色の瞳ではなかった。
地面に落ちているライフルはセミオートマチックライフルのドラグノフではなく、ボルトアクションのDSR-1。
拳銃はグロックではなくベレッタ。

(,,゚Д゚)「――残念ですが、自分はペニサス一等軍曹ではありません。
   ジュスティア軍海兵隊所属、ギコ・コメット一等軍曹です」

281名無しさん:2018/01/08(月) 07:44:47 ID:WgoVE2mI0
「ジュスティア軍人が何故ここにいる!」

怒りで顔面が蒼白になったフランシスは、銃を向けたまま怒鳴った。

(,,゚Д゚)「適材適所です、フランシス・ベケット准将。
    イルトリアに向けて電話をすれば、それを察知した人間が必ず狙撃手のところにやって来て、始末をつけようとするはずです。
    案の定、貴方はペニサス軍曹と疑わずにやって来た。
    これで、貴方の計画がまた一つ潰れたわけです」

「き、貴様っ……何故私の名前を……」

(,,゚Д゚)「ペニサス軍曹から聞きました。
    裏切り者がいるとしたら、唯一死体の残っていない人間である貴方だけだろうと」

その言葉でフランシスは何が起き、今に至るのかを察した。
ペニーは全てを察したのだ。
発信機の存在に気づき、それを取り付けることが出来る人間が限られていることに。

そして、彼女の情報がジュスティア軍に流れた時点でそれは確信へと変わり、死体安置所で火葬前の死体を見た時の記憶とすり合わせ、答えを出したのだ。
証拠を残さないために早急な火葬を実行しようとした時にペニーがその場に現れ、ジュスティア軍人の死体を生み出した際に嫌な予感はしていた。
その予感が、今になって最悪の形と化して現れた。

だがそれだけではない。
彼女は自分の情報が流れていることを別の手段で知り、どのような方法を使ったのかは分からないが、ジュスティア軍の人間と協力関係を築いた。
通常、あり得ないはずの展開だった。
敵対する組織、街、人間がその意に反して手を組むなど、騎士道物語の世界だけでしか考えられない。

ペニーは仲間を殺され、ジュスティアも仲間を殺されたのだ。
憎悪が増大し、日に日に憎しみ合うように仕向けたのにも関わらず、共闘するという選択を取ったのは彼の予想を遥かに超えた事態だった。
相容れぬはずの二つの街の新たな可能性に恐怖し、フランシスはギコの胴体を撃った。

あってはならない。
ジュスティアとイルトリアが和平の道を歩むなど、断じてあってはならない。
そのような未来も、可能性も、可能性に至る芽でも、その一切を消し飛ばさなければならない。

その芽はいつの日か芽吹き、彼の夢を粉砕することになるのだ。
それはさせてはならない。
夢を、願いを、祈りを、このような若造達に壊されてはならないのだ。
衝撃で背中から倒れたギコに銃腔を向けたまま、フランシスは質問をした。

「何故だ。
何故、お前達が手を組んでいる!」

(;,,゚Д゚)「ご……くっ、その質問に答える必要が?」

傲慢なその態度に、フランシスは銃弾で教訓を与えた。
ギコの足に一発撃ちこむと、彼は悲鳴を押し殺してのたうち回った。

「答えたくなるだろうよ。
イルトリア式の拷問を教えてやろうか?」

282名無しさん:2018/01/08(月) 07:45:28 ID:WgoVE2mI0
(;,,゚Д゚)「そ、その前に……こっちから質問をしてもよろしいですか?」

「いいだろう。 許可する」

軍人らしく上下関係を理解した人間の口調だったが、その奥には嘲笑するような響きがあった。
これがイルトリアであれば懲罰ものだな、とフランシスは思った。

(;,,゚Д゚)「何故、裏切りを?」

「はっ、若造どもには分からないだろうよ。
私は強いイルトリアを取り戻すために行動したのだ。
裏切りではない。
これは忠義だ」

(;,,゚Д゚)「忠義のために友軍を殺させるなんて、貴方はとんでもない指揮官だ」

流石はジュスティア軍人。
こんな時でさえも、正義を振りかざそうとしてくる。
だから嫌いなのだ。
この傲慢なまでに体に染みついた正義感は、死んでもなくならないだろう。
その鬱陶しいほどの価値観は、火葬した時に立ち上る煙にさえ混入しているかもしれない。

「なんとでも言うがいい。
評価するのは後の歴史だ。
次はお前が質問に答えろ。
何故、手を組んでいる」

(;,,゚Д゚)「ご老体には分からないでしょうが、これは贖罪なんですよ。
    愚かにも貴方達戦争狂いの妄執に踊らされた自分に出来る、ただ一つの贖罪なんです」

意味が分からなかった。
贖罪とは償い。
己の罪を己で罰することで帳消しにするという、究極的な自己満足の一つだ。
彼が何について話しているのか、フランシスには理解できなかった。
だが、次第にその意味が理解出来てくると、自然と笑いが込み上げてきた。

「贖罪だと?くっはははは!兵士が兵士を殺して、いちいち贖罪をするのか!ジュスティアは!傑作だ!」

戦場で兵士が殺人を実感するのは初日だけで、それ以降は全て作業と化す。
殺す必要がある時に人を殺すのが兵士の仕事であり、それが任務であればいちいち感情を挟む必要はないのだ。
そのようなことをすれば生産性が落ち、部隊全体の危機にまで発展しかねない。
それは決して許されることではなく、そのような考えを持つ兵士は真っ先に戦場で背中を撃たれることになる。

狙撃手は確かに、人を殺す数は一般兵に比べて減るが、死と向き合う時間はどの兵種よりも長い。
その影響で気が狂う者も度々現れ、引退後も悪夢にうなされる者は決して少なくない。
だからと言って、贖罪と言いながら友軍を撃つ人間がこの世の中のどこにいるのかと、フランシスは疑問で仕方がなかった。

噴飯ものの話に嫌気がさし、目の前に倒れている英雄狂を早々に殺すことにした。
この男の話が本当だとすると、ペニーは別の場所で何かをしているという事になる。
彼を罠にはめ、何をするというのだろうか。

283名無しさん:2018/01/08(月) 07:46:25 ID:WgoVE2mI0
「もう十分だ。
ペニサスはどこにいる?と、訊いても話さないだろうが」

その時。
ギコは奇妙な仕草をした。
人差し指と親指を立て、ピストルに見立てたそれをフランシスに向けてきたのだ。
撃たれたショックで気が狂ったのだろうと判断し、フランシスは銃腔をギコの頭に向け、銃爪にかけた指に力を入れた。

弾丸が飛翔し、薬莢が宙を舞い、硝煙が、銃火が銃腔から噴き出る。
だが、弾丸は彼の頭に当たらず、そのすぐ隣に着弾した。
焦るあまり狙いが逸れてしまったのだろうと思い、再度銃爪に力を入れようとするも、彼の右腕は意志に反してだらりと垂れさがった。

訳が分からず腕を見ると、その付け根が赤く染まり、穴が開いていた。
穴の向こうに萌える緑を見た時、彼は改めて視線をギコに向けた。
見ることが出来るという事は、見られることが出来るという事。
フランシスはギコから視線を逸らし、彼方に見える基地に目を向けた。

小さな閃光が見えた。

______________________∧,、___
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

侵入者、ペニサス・ノースフェイスは包帯の下で血が滲み出るのを感じ取ったが、表情一つ変えなかった。
痛みに対する耐性、そして今はそれをしている時間もないからだった。
時間との勝負だった。

携帯電話の電波が逆探知されることを承知で、ペニーはギコにそれを使うよう頼んだ。
狙撃手の場所が分かった時、その存在を消そうと思う人間が必ず現れる。
特に、携帯電話の電波を探知できるような人間であれば、彼女の敵であることは疑う余地もない。

ギコは囮として、そして、ペニーの代わりに狙撃手の仕事を請け負った。
彼には狙撃手がペニーであるかのように装ってもらわなければならず、その為には彼の友軍を射殺してもらう必要があった。
ギコはそれを受諾した。
手負いのペニーが基地に乗り込んだのには、幾つか理由があった。

第一に彼女はギコから二挺目のライフルが死体と共に引き揚げられ、基地に収容されているという話を聞き、是が非でもライフルを回収したいという気持ちがあったこと。
第二の理由は、ペニーが自らの手でこの戦争の計画者に鉛弾を食らわせる必要があった。
どのような理由でこの戦争を仕組んだのかは、生き残った一人に聞く事が出来れば重畳だ。

真実を知ることにこだわれば、どこかで仕損じる可能性が生じる。
真実は後でいくらでも作ることが出来る。
焦る必要はない。

まず殺すべきは、我が物顔で基地に居座る男だった。
この基地はイルトリアの基地であり、姦計を働かせた愚者の城ではない。
基地にいた人間の仲間として、ペニーが決着をつけなければならない。
また、すでにギコの仲間が謀殺されていることから、彼も殺害の対象になっている可能性があった。

284名無しさん:2018/01/08(月) 07:46:52 ID:WgoVE2mI0
最後の理由は、ギコがペニーに協力しているという痕跡や目撃情報の一切を残さないためだった。
戦争終結には二種類の人間を用意しなければならない。
争い合う各勢力にとっての貢献者だ。
ペニーは単独で大勢の兵士を殺害し、負傷しつつも島を脱出するという役割があり、彼には別の役割がある。

ジュスティア陸軍大将を殺害し、民間人を恐怖に陥れた非道な人間を屠るという役割が。
彼は、英雄になるのだ。
一つの戦争に英雄は一人で十分だ。
それに、ペニーは英雄という柄ではない。

この計画を成立させるためには、基地の状況把握や必要な道具を揃える人間が不可欠だった。
堂々と正面から入ることが出来、尚且つ道具を用意できるのはギコしかいない。
最悪の場合はその場で殺されるかもしれないという危険を承知で、ギコは道具を揃えた。
ジュスティアの軍服や隠し通路の上にあった瓦礫の撤去、ギリースーツなどを用意し、ペニーが伝授したイルトリア式の偽装掩蔽壕を山腹に設置した。

彼はその渾名の通り、電光石火の速度で超長距離狙撃を実行した。
セミオートマチックの銃に匹敵するほどの連射力は、彼が驚くべき速さで廃莢と再装填、そして照準を合わせて銃爪を引くという作業を行える才能の賜物だった。
味方を撃ち殺し、銃声を響かせ、彼はその存在を周知させた。
ほぼ全ての人間の意識がそちらに向けられる中、ペニーは基地に侵入し、残っていた人間を皆殺しにする役割を果たした。

次のペニーの役割は、イルトリアの裏切り者に対する決別だった。

血と死体の転がる通信室に陣取り、ペニーはライフルケースからドラグノフを取り出してすぐに構えた。
方角も場所も、ペニーが計画した物であるため、間違えることはなかった。
二〇倍に拡大されたドラグノフの光学照準器には、鬱蒼と茂る森が映っていた。
だがペニーの目には、そこに立つ二人の人間を捉えていた。

夏にはあまり見かけることの無い枯葉色のギリースーツが動き、銃火が光った。
ギリースーツを着たギコが倒れた。
ペニーの中でアドレナリンが一気に噴き出し、全身が総毛立った。
銃を持っている人間の顔は分からないが、ペニーの予想ではフランシス・ベケットのはずだ。
二度目の銃火が、彼女に正確な情報の全てを伝えた。

風。
湿度。
気温。
自然環境の情報を基に狙点を調節。

上向きの狙撃に必要不可欠な重力も計算に入れ、ペニーは銃爪を引いた。
着弾直後、約三キロ先で三度目の銃火が閃いた。
銃を握っていた腕が糸が切れたように垂れた。

息を吐く。
息を吸う。
息を止める。
そして、銃爪を引く。

決別の一発が弧を描いて飛んでいき、呆然とした表情で基地を見つめるフランシスの頭部に着弾した。

285名無しさん:2018/01/08(月) 07:48:07 ID:WgoVE2mI0
______________________∧,、___
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

光が見えた。
眩しい光だったが、小さな光だった。
夏の夜空に浮かぶ星のように頼りなく、だが確かにそこにある光だった。

フランシス・ベケットはその光に希望を、そして絶望を見出した。
彼の夢の行方は分からなくなるが、ペニサス・ノースフェイスの様な人間が彼に手を貸せばイルトリアは最強の街の名を欲しいがままにし、世界中に名を轟かせることが出来たかもしれない。

しかしながら、彼女はそれを望まない。

何が間違っていたのか、フランシスは振り返った。
計画がどこで狂い、どこで計画の修正をするべきだったのか。
何一つ、答えは出せないままだった。
そもそも、答えなどあるのだろうか。
それすらも分からない。

疑問に答えが出ることなく、フランシスの意識はそこで途絶え、後に残るのは音も光もない黒い世界だった。

______________________∧,、___
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

目の前にいたフランシスの頭に赤黒い肉の花が咲き、呆けたような表情のまま、力なく倒れた。

正確無比な二発の狙撃に、ギコは息を呑んだ。
視界の悪い三キロの狙撃で、困難とされる下方からの狙撃をこうまで見事にやってのけるその技量は、正に魔法。
彼女が魔女の渾名で呼ばれる理由がよく分かる。
仮に彼女の事を知らないままこの狙撃を目の当たりにしていれば、魔法と錯覚したことだろう。

その銃腔が次に狙うのは、間違いなく自分の頭だ。
彼女はギコが防弾着を着ていることを知っている。
ギコは覚悟を決め、瞼を降ろした。

彼女の腕前であれば、外すことはないだろう。
その腕前を見て、体験するなどそうそう経験出来ることではない。
人生最後の時が彼女の手でもたらされる瞬間をギコは待った。

だがいつまで経っても彼の頭に銃弾が飛来することはなかった。
代わりに彼の耳に届いたのは、近づいてくるバイクのエンジン音だった。
跫音が近付き、瞼を開いた。

そこには、肩に鞄を下げたペニーが立っていた。

('、`*川「協力、感謝します。
    傷の具合は?」

(;,,゚Д゚)「足に一発、それと腹に一発くらいました。
    腹の方は防弾着で防げているので問題ありません」

286名無しさん:2018/01/08(月) 07:48:42 ID:WgoVE2mI0
('、`*川「それは良かった。
    今、止血します」

鞄から消毒液と止血材、そして包帯を取り出し、ペニーは素早くギコの傷口を消毒し、止血剤と包帯で止血した。
その手つきは鮮やかで、愛しみに満ちていた。
敵に対してと言うよりも、味方の負傷兵を気遣う衛生兵のそれと同等かそれ以上だ。

気が付けば、ギコは口を開いていた。

(;,,゚Д゚)「どうして……」

地面に落ちていたライフルを自分のライフルケースにしまったペニーはギコの言葉に、不思議そうに聞き返した。

('、`*川「はい?」

(;,,゚Д゚)「どうして、殺さないんですか?自分は仇ですよ」

('、`*川「あぁ、その事ですか。
    ……勘違いをしないでください。
    貴方は私がこの手で殺します。
    ただ、今は殺しません。

    それに、貴方には生きて英雄になってもらわないといけません。
    そうしなければ、この戦争は燻ったままになってしまいます」

カルテに書かれている項目を読み上げるように、ペニーはそう答えた。
ギコは力なく首を横に振った。

(;,,゚Д゚)「自分は英雄なんて柄ではありません。
    結局この戦争を終わらせたのはペニーさん、貴女です。
    それに、自分は罪悪感を拭うために味方を撃ち殺しました。
    そんな最低な男が英雄なんて、なっていいはずがありません」

('、`*川「えぇ、ですからそれが贖罪です。
    貴方はハインリッヒさん達の分まで罪悪感を背負って生きてください。
    そして時期が来た時に、私が殺します。
    それまでは生き続けてください。
    勝手に死なないように」

それは永劫に続く懺悔の日々。
罰を欲し、罰に救いを見出す哀れな男の人生の始まり。
確かにそれは、死に勝る究極の贖罪と言える。
数日で罪悪感に押し潰されそうになり、味方を裏切った男にとっては、地獄の日々だ。
反英雄的な人間が英雄と称えられ、生き続ける日々の息苦しさは想像すらつかない。
だがそれが罰だというのであれば、ギコは受け入れるつもりだった。

対峙する二人は同じ罪状の罪人だったが、それとの向き合い方が真逆だった。
ペニーは罪を犯したことに対して罪悪感を覚えることはせず、ギコは罪悪感に屈服した。

287名無しさん:2018/01/08(月) 07:50:39 ID:WgoVE2mI0
彼は弱く、彼女は強かった。
それだけの違いだった。

('、`*川「フランシス准将は理由について何と言っていましたか?」

(;,,゚Д゚)「強いイルトリアを取り戻すため、と」

('、`*川「……そうですか」

ペニーの顔が僅かに曇ったように見えた。
信頼していた上官の裏切りは、とても悲しい物だ。
物憂げな彼女の表情を見ていられなくなり、ギコは立ち上がりながら尋ねた。

(,,゚Д゚)「この後、自分はどうすれば?」

('、`*川「ここにいてください。
    その内豪華な迎えが来るはずです。
    その迎えが来たら、この戦争を企てたイルトリアの裏切り者とジュスティアの裏切り者を殺した、と話してください。
    私も迎えが来ますので、ここでお別れです」

この森で電話をした時、ペニーはイルトリアに回収用の船を回せないかと電話の向こうの人間に話をしていた。
その要請は受け入れられ、彼女は民間船舶に紛れて島を去る。
異なる街に所属する軍人が出会うとしたら、それは戦場ぐらいだ。
次に会う時はおそらく、敵同士として。

(,,゚Д゚)「ペニーさん、自分は――」

('、`*川「――私はきっと、ろくな死に方をしないわ」

そしてペニーは、振り返ることなく来た道を引き返して行った。
遠ざかっていくバイクのエンジン音が、蝉の声に紛れて消えた。
取り残されたギコは、これで二人の協力関係が終わったのだと痛感した。
あまりにも呆気の無い別れだったが、その理由を、彼は察していた。

過度の馴れ合いは対象を殺す時に障害となる。
そうなる事を避けるため、あえて素気の無い態度を取ったのだ。
その気遣いが、ギコには嬉しかった。

生きなければならない。
何があっても。
自分で決めた贖罪の道ならば、それをやり通すのだ。
そのためなら、彼は英雄にだってなってみせる。
裏切りの英雄、背信の英雄、何と言われようともいつか彼女の手で人生に幕を下ろされるその日まで、英雄として生き続ける覚悟を決めた。

地面に落ちているベレッタを拾い上げ、フランシスが持っていたグロックも手に取った。
通常のグロックよりもずっと重く、そして手に馴染む感覚があった。
イルトリア軍仕様の拳銃を握るのは初めての事だったが、悪くはなかった。
グロックを腰の後ろに差し、ギリースーツでそれを隠した。

288名無しさん:2018/01/08(月) 07:51:06 ID:WgoVE2mI0
痛む足を引きずって山を登り、道路に出てきたところで三人のジュスティア軍兵士と遭遇した。
銃声を聞いてここに来たのか、全員ライフルを構え、今まさに森の中に踏み入ろうとしているところだった。
階級章は三人とも伍長だった。

「ギコ・コメット一等軍曹、何故ここに?」

(,,゚Д゚)「基地を狙撃していたイルトリアの兵士を仕留めたんだ」

驚きに目を見開く兵士の一人が、ライフルの安全装置を解除した。

「軍曹、貴方に出頭命令が出ています。
御同行を」

(,,゚Д゚)「陸軍大将の命令だろ?いいか、よく聞くんだ伍長。
    この戦争を仕組んでいたのは、俺がついさっき殺したイルトリア人と陸軍大将の二人だ。
    大方、俺が裏切り者だと言っていたんだろ?まさか、そんな言葉を信じるのか?
    よく考えてもみろ、本当に戦争を回避したい人間が砲兵隊に山を吹き飛ばすよう命令を下すか?戦争が激化するよう仕組んでいたのさ」

三人は顔を見合わせ、それでも、上官の命令をここで反故にするわけにはいかないと判断して首を横に振った。

「証拠もないのに、そんな言葉を信じられるはずがありません」

(,,゚Д゚)「なるほどね。
    ところで、俺が裏切り者だと考えているのはお前達だけなのか?」

「返答しかねます。
我々はただ貴方を連れてくるよう、抵抗するなら殺しても構わないと命令を受けています」

渋々承知する形で、ギコはベレッタを手渡した。

(,,゚Д゚)「抵抗なんてしないさ」

三人に連れられて、ギコは近くに停められていたハンヴィーに乗り込んだ。
運転席と助手席、そしてギコの左隣に一人が座った。
運転手がエンジンをかけ、坂道を下り始めた。

(,,゚Д゚)「顔のこれを拭いてもいいか?」

「どうぞ。
ただし、妙な真似は」

(,,゚Д゚)「分かっているよ」

右手を腰の後ろに伸ばして、ギコは自然な動作でグロックを抜き取り、横にいた男の顔を至近距離から撃った。
血飛沫と骨片が車内に飛び散った。
助手席の男が構えかけたカービンライフルを左手で払いのけ、天井に銃腔を向けさせる。
そして顔に二発。

289名無しさん:2018/01/08(月) 07:51:42 ID:WgoVE2mI0
最後に運転手に向けて三発の銃弾を浴びせかけた。
運転手を失い、コントロールを失ったハンヴィーが木に激突して停車し、脳を失った死体がクラクションを押して騒音を響かせた。
衝撃で頭を座席にぶつけたギコは頭を振って気を取り直し、クラクションを鳴らす死体をハンドルから退け、車外に出る。
グロックを切り立った崖の下に見える川に目掛けて放り捨て、歩き出す。

これで兵士三人を殺した銃はイルトリア軍人の物であることが分かる。
そうすれば、罪はフランシスが負う事になる。
後はテックスの方の処理を考え、歩き続ける。
ジュスティア人が大好きな英雄譚を作ればいい。

悪を滅ぼし、善が勝利する。
勧善懲悪の物語を考えればいい。
悪人は揃っている。
後は演出だ。

一人の兵士が英雄になるなど、戦場ではよくある事なのだ。

______________________∧,、___
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

ギコが三人の兵士を新たに殺害した頃、ペニーはティンカーベルの東に位置するオバドラ島に向けてバイクを走らせていた。
戦車で封鎖をしているとしても、混乱状態にある今ならば通過できる可能性は高い。
ギアを最高値に上げ、走行モードは舗装路を最速で駆け抜けられるように設定されていた。
姿勢を低くし、最高速で駆け抜ける。

イルトリアに連絡をしたとき、ヒート・ブル・リッジは一隻だけ船を寄越せると話をした。
イルトリアから派遣するには時間がかかるため、特別な伝手を使って船を用意したとの事だった。
課せられた条件は、誰にも見られず、船に辿り着くという事。
突破するべき場所はこの一か所だ。

視界の先に橋が見えて来た時、ペニーはそこを塞ぐ形で止まる戦車を見た。
主砲がペニーの方に向けられるが、彼らが撃つ確率はゼロと言っていい。
彼女の背後には街があるのだ。
効果の無い警告に従うほど、ペニーは従順ではない。

ギアを落とし、走行モードをオフロード用に切り替えて車高を高くする。
風の抵抗が強まり、速度が若干落ちる。
だがアクセルスロットルは決して緩めなかった。
両輪駆動が今、真価を発揮する時だった。

戦車が目の前に来た時、ペニーは前輪を持ち上げた。
前輪が装甲を捕え、車体全体が一気に動く。
速度をほとんど殺すことなく戦車を乗り越え、そのまま反対側に向けて発射されたミサイルのように着地した。

唖然とする兵士達があっという間にミラーの点となり、発砲すらなかった。
直線の橋を一気に駆け、夏の風、夏の空気を切り裂いてゆく。
今、ペニーは一陣の颶風と化していた。

290名無しさん:2018/01/08(月) 07:52:18 ID:WgoVE2mI0
色濃く萌える緑の山々がペニーの視界に飛び込んできた。
これがオバドラ島。
時をかけて熟成された自然が広がる島。
出来る事ならばツーリングを楽しむためにこの場所に来たかった。

争いとは無縁の世界を満喫したかった。
今では遠い夢だ。
もう、この島に来ることは出来ないかもしれない。

島の北端に到着し、バイクの速度を落とす。
小さな埠頭に一隻の漁船が停泊していた。
所属を示すものなどは何もなく、船員も明らかに漁師と言う風体ではない。

この短時間でどのように用意したのか、それはまた後で訊けばいい。
バイクを船に乗り入れることが出来ないと分かると、ペニーは長らく一緒に旅をしてきたそれに別れの接吻を送り、道路のわきに鍵を付けたまま駐車した。
わざわざ破棄する必要はないため、放棄と言う形を選んだ。

船に乗り込み、ペニーは船室に案内された。
贅沢とは言い難い部屋だったが、体を休めるためのベッドがあった。
その上に座り、ペニーはライフルケースをようやく地面に置いた。
この中にあるライフルと銃弾が多くを証明してくれるだろうが、それは自己満足に近い形で終わり、日の目を見ることはないだろう。

誰も真実を知りたがらないし、ペニー自身も真実を追おうとは思わなかった。
真実を知る人間は二人ともその手で殺したからだ。
例え尋問したところで、彼らが喋るはずがない。
唯一聞き出せたことと言えば、ギコがフランシスから聞いた言葉ぐらいだ。

その言葉は、ペニーにとって聞き慣れた言葉だった。
強いイルトリアを世界に知らしめる。
それは古参の軍人達がこぞって口にする昔話のような物だった。

戦争に魅入られ、戦争に溺れ狂った古参兵達。
彼らは皆戦場で生き甲斐を見出し、死に場所を探し、やがて死んでいった。
だがその必要性がペニーには分からなかった。

かつて戦場で、ペニーは恩師を失った。
恩師は多くの事をペニーに教え、常に中立の立場で在り続けることを説いた。
それは兵士が人を殺す仕事に携わる中で、自分達のしている事を忘れないよう、戒めのための教えだった。
それに気付けたのは、恩師が腕の中で死んだ時だった。

彼女はクリス・ハスコックに人間的に惹かれていた。
だが、それは恋愛的な感情ではなかった。
彼の教えをもっと受けたいという、切実な気持ちだった。

今や、ペニーが師として若い兵士達に射撃などを教え、時には非常勤の教師として学校で言語学を教えた。
戦闘もなく、非常に平和な時間だった。
その時間は掛け替えのない物だったが、本職にするにはペニーは人を殺しすぎた。
人を殺める人間は、平和には馴染めないのだ。
それを自覚しているからこそ、ペニーは教師になる事を遠い夢として見続けることに甘んじた。

291名無しさん:2018/01/08(月) 07:52:48 ID:WgoVE2mI0
船が動き出し、ティンカーベルから遠ざかっていく。
揺れる船内で、ペニーは携帯電話を使ってヒートに連絡を取った。

('、`*川「今、船が動き出しました」

ノパ⊿゚)『ご苦労だった、一等軍曹。
    詳しい報告はこちらで聞かせてもらう。
    今は休め』

('、`*川「分かりました。
    それでは、また後で」

電話を切り、ペニーはベッドの上で横になった。
この戦争が後にどう語り継がれることになるかは、ギコにかかっている。
彼がこの戦争をどのように美化し、正史として残していくのか。

彼を殺す時、彼はどのような人間になっているのか、少し楽しみだった。
彼ならば、きっと、ジュスティア人らしくやり通してくれるのかもしれない。
英雄、ギコ・コメットがどう生きるのか、少しだけ気になった。

瞼を降ろし、眠気を呼び出す。
思い返せば、随分と慌ただしい一週間だった。
その中で出会いと別れが繰り返され、気が付けば争いの只中にいた。
殺し、殺されかけ、助け、助けられた。

今はただ、眠りたかった。
少しでも気持ちが落ち着くよう、悪夢を見ないよう。
次第に呼吸が浅くなり、爪先から眠気がせり上がってきた。

これでこの戦争は終わり。
劇的な勝利も何もなく、後に残ったのは死体と薬莢。
聞こえるのは船のエンジン音と波の音。

夏の匂いも、夏の風も、夏の空も、蝉の声も。
全てが遠くに感じられる。
遠ざかるティンカーベルの風景を心に思い描きながら、ペニーは眠りに落ちたのであった。



第七章 了

292名無しさん:2018/01/08(月) 07:53:21 ID:WgoVE2mI0
終章 【魔女の指先】


デイジー紛争が終わってから六十五年の月日が流れた。

ギコ・コメットは軍を五十五歳で退役し、オータムフィールドに引っ越した。
そこで新たな生活を期待したのではなく、彼はジュスティアのしがらみから逃れるためにそこを選んだのだった。

彼は一日たりともデイジー紛争の事を忘れたことはなかった。
毎日が罪の意識との戦いだった。
心臓が張り裂けそうに痛み、あらゆる行動を内側の自分が批難した。
罪人が何をしようとも、罪が消えることはない。

それは分かっていた。
毎日が罪悪感との戦いだった。
誰かが彼の偉業を褒める度、心を吹き飛ばせれば、と願った。
心の痛みは何をしても決して消えることがなかった。

公式の歴史に記録されたデイジー紛争には、事実と異なる事ばかりが盛り込まれた。
勇敢にも真実を追おうとしたハインリッヒ・サブミット達の活躍は一切書かれず、この紛争はイルトリア軍とジュスティア軍の戦闘として記録された。
そしてこれは、一対一五〇の戦争ではなく、軍と軍のぶつかり合いであると記載された。
たった一人の狙撃手に翻弄されたとは、間違っても歴史に遺せないという判断だった。

そのため、イルトリア軍が増援を派遣し、大規模な戦闘を行ったという事になっていた。
戦闘を行った兵士は一人を除いて皆死亡し、生き残ったのはペニサス・ノースフェイスだけという事になった。
ジュスティア軍も大打撃を受けたが、辛うじて生存者がいたことから、この戦争の一応の勝者はジュスティアという事になった。
これに対して、イルトリアは反論を何もしなかった。

他にも遺されていない事が多々あった。
陸軍大将とイルトリア軍人が結託して街同士の戦争を企てていた事や、最初に殺された人間が漁船からの発砲ではなく狙撃だったという事実も、決して語られることはない。
だがこうなることは分かっていた。
戦争終結に助力したギコは果敢にイルトリア軍人を狙撃し、多くの成果を挙げたことになっていた。
いくつものメダルと勲章が送られたが、それは全て毒のように彼を苦しめるだけだった。

そして、月日が流れ、ギコは前線から離れるようになった。
退役し、その費用を使って戦災孤児のために施設を建てたり教材を届けさせたりした。
彼の行いは善行としてジュスティア軍内部に広まり、今では軍人募金という物ができ、大勢の子供を飢えと寒さから救った。
銃弾が無くても人は救う事が出来た。

ギコがオータムフィールドにやって来てから三〇年目。
つまり、今年になって問題が一つ生じた。
それは多くの銃弾でも彼にもたらすことが出来なかった、死との対面だった。
年に一度の健康診断で分かったのは、彼の体が病に侵されているという事実だった。

全身に転移した腫瘍はまるで体の内側から染み出たインクのようにレントゲンに映されていた。
まだ治療法の見つかっていない病に対して医者から言われたのは、新薬による治療の提案だった。
治るかどうかも分からない賭けに対して、ギコの答えは拒否だった。

293名無しさん:2018/01/08(月) 07:53:46 ID:WgoVE2mI0
余命が後一年あるかないかだとしても、延命だけはするつもりがなかった。
延命措置は生きながらえる行為。
彼は、それをしてはならない存在なのだ。
ペニサスに殺されるまでは、生き続けなければならない。

こうして、ギコにとって最後の日々が始まった。
終わりに向けての旅を始める気分だった。

まずはこれまでと同じ生活を続けつつも、未経験だったことに挑戦をした。
ジュスティアがあまり好意的に見ていない団体が実施するイベントに顔を出し、子供達に戦争の悲惨さを伝え、後世が戦争を望まないように語りかけた。
その行いはジュスティア軍の英雄らしからぬ行動だったが、彼が高齢だったこともあり、誰もが見て見ぬふりをした。
気が狂った老人を相手にするほど、ジュスティアは暇ではないのだ。

彼がそのイベントで正義の在り方について疑問を持ち続けるようにと語ったのは、軍には知られていなかった。
まだ行ったことの無い、遠い場所にある景色を見に行った。
かつてペニサスが使っていたバイクは、老人をいたわるように優しく走ってくれた。
バッテリータンクを撫でた時、バイクから声が聞こえた様な気がしたが、それは幻聴だったのだろう。
バイクは喋らないのだから。

死を意識することで毎日が充足していることに、ギコは気付き始めた。
想いを伝えることは出来なかったが、人生に意味を取り戻すことが出来た。
それは贖罪の日々の終わりにしては、あまりにも幸せな日々だった。
かつて犯した罪を意識しながらも、信頼する人間がそれに終止符を打ってくれると分かっているのが、この上なく安心できた。

夏が終わり、秋が来た。
紅葉を見に行き、酒を飲んで月を見た。
世界の美しさと向き合い、世界の儚さを知った。
青白い月を見ながら飲む酒の美味さは、これまでに味わったことの無い物だった。

月見と呼ばれる文化は、もっと早くに知っておくべきだったと後悔した。
そして、人生で初めてイルトリアを訪れた。
バイクで訪れた彼は、これまでに自分が聞かされてきたイルトリアは偽物だったことがよく分かった。
イルトリア人はギコがジュスティア人だと分かると、すぐに酒場に連れて行き、そこで盛大な酒盛りが始まった。

彼はこれまでに受けたことのない様な歓迎を受け、憎しみと尊敬の入り混じった不思議な態度で受け入れられた。
ジュスティア人の悪口を言う人間は、誰もいなかった。
宴から解放され、タクシーに乗せられて戻ると彼の宿泊するホテルの部屋が最上級のものになっていた。
彼がかつて信仰していた正義など、世界のどこにもなかった。
悪もまた、見つからなかった。

やがて、冬が来た。

(,,´Д`)

足腰は油の切れた機械のように軋みを上げ、満足に歩くことも難しくなりつつあった。
散歩を続けられるのも、そう長くはなさそうだった。
しかし、こうして決められた日課をこなすことには彼なりの意味があった。
生活の流れが決まっていれば、彼の命を狙う人間にとっては極めて狙いやすい状況を作り上げることになる。

294名無しさん:2018/01/08(月) 07:54:22 ID:WgoVE2mI0
ペニサスがギコを殺す算段を立てやすいようにという配慮だった。
それが叶えられるのはいつの日なのかは分からないが、病魔に殺されるよりも先に彼女に殺されたかった。
彼は罪の意識と共に日々を過ごし、その時間を甘受した。
決して薄れることの無い正義感からもたらされる罪悪感を救う、唯一の時間。

公園に到着し、ベンチに腰を下ろす。
息が上がっていた。
心臓が弱っているのだと、よく分かる。
あとどれくらい、自分の命はもつのだろうか。

(,,´Д`)「あぁ、良い香りだ」

コーヒーの香りが、いつもより濃厚に感じられる。
前までは感じることの無かった魔法瓶の重みを手に感じる。
液体の熱、吹き付ける風の温度が肌をなめらかに撫でて行く。

(,,´Д`)「ふぅ…… 美味い……」

目を閉じ、思いを馳せる。
これまでの人生を振り返る。
そうして、己の今を知る。
瞼を上げ、世界を見る。

(,,´Д`)「……いい日だ」

世界は、こんなにも輝いていたのだ。
太陽の熱。
潮騒の音。
草木の香りと、季節の匂い。

命が終わり、命が始まる彩り。
今までそこにあったのに、気付けなかった物たち。
今もそこにあることに気付けた物たち。
ギコは全てを理解した。

嗚呼。
自分は今日、ここで、終わるのだと。
何よりも愛しいと感じた者の手によって、命を絶たれるのだ。
何といい日なのだろうか。

笑みが浮かぶ。
力強く笑むことはできないが、彼は幸せを感じていた。
これまでの人生で、ここまで幸せだった瞬間があろうか。
待ち望んだ最期の時が、すぐ目の前に来ている。

295名無しさん:2018/01/08(月) 07:54:57 ID:WgoVE2mI0
本当に、いい日だ――

(,, Д )

――胸に感じた口付けのように優しい衝撃を通じて、そこに込められた様々な感情を一瞬で理解し、ギコの命はそこで終わりを告げた。
最後に彼が抱いた感情は、感謝だった。


______________________∧,、___
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V`´ ̄ ̄

老いた魔女の人差し指は震えていた。
だがそれは、老いから来るものではなかった。
人を殺めた罪悪感故でもない。

( 、 *川

己の人生を支える重要な半身を失った痛みと、離別による心の痛みが体に現れているのだ。
この日が来ることは分かっていたはずだ。
彼に死をもたらすのが自らの務めであると理解し、認識し、納得していた。
それでも、魔女は心を痛めていた。

彼との間に芽生えた関係は、決して一言で片づけられるものではない。
最後に笑顔を浮かべた彼の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
何度も人を殺してきた。
この手で、この指で。

この忌々しい指で、命を奪い続けてきたのだ。

魔女の指先で撫でたものは、その命を奪いとられてしまうのだ。
例えそれがどんなに愛おしい者であっても、魔女の指は無慈悲に命を奪う。
彼女のライフルが狙う先にあるのは、死の宣告を受けた人間だけ。
だからこれは、何も特別なことではないのだ。

感情的になる必要はない。
感傷に浸る必要もない。
罪悪感など芽生えさせる必要も。
悲しむ必要も、ないのだ。

――魔女は顔をその手で覆った。

十一月のその日、魔女と呼ばれた老女の指を涙が濡らしたことを知る者は、誰もいなかった。



296名無しさん:2018/01/08(月) 07:59:19 ID:WgoVE2mI0
これにてお終いとなります

支援ありがとうございました

質問や感想などあれば幸いです

297名無しさん:2018/01/08(月) 12:34:12 ID:04vo6rVM0
最高だった。
本当に最高だった!
完結乙!

298名無しさん:2018/01/08(月) 12:51:46 ID:h03dZOQg0
乙乙

299名無しさん:2018/01/08(月) 13:30:17 ID:i2CBC5LU0
おつおつ
やっぱブーン系はいいね

300名無しさん:2018/01/08(月) 20:36:35 ID:2T5vmDVc0
終盤読んでる途中で序章思い出してラストはこうなっちまうのかって思ってたけど、予想を裏切られた
いいエンドだ

301名無しさん:2018/01/10(水) 12:45:47 ID:f09G7tHs0

夢中になって最後まで読んだ

302名無しさん:2018/01/13(土) 09:41:06 ID:1BE.43qc0
乙乙

久しぶりに夢中になってしまった。
ありがとう


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