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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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仕切り直します。
新しいスレッドも、基本的な課題設定から始めます。
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設計問題は科学の様々な場面で場面で突き付けられます。
現代科学の進歩はそれを更に切実なものにします。
宗教とそれをしっかり切り分けるためには上質の知性が必要です。
それが無い者に語る資格はありません。
宗教者には更に語る資格がないですね。
宗教者もどきも。
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この世界は設計されているのか?
コレが根本問題ですね。
設計されていない、とすれば全てが偶然の産物、と言う話になります。
この宇宙世界がどのようにして成立したかを考える場合、偶々か或いは設計されているか、
実はこの二つしか選択肢はありません。
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>ID論は上記の状況下でY社が良いと無根拠に吹聴しているのと一緒ですよ?
こういう発言には、注意をしてください。「無根拠」と言われますが、世で流布されるIDは、特定の進化が、自然選択で起こるには複雑すぎる、という論旨ですよね。私自身は、鳥の進化を自然選択で説明するのは、力学的に無理があると述べました。それはそれで根拠でしょう。要するに、根拠として弱いとおっしゃりたいのでしょうけど、根拠が弱いのと、無根拠は異なります。本当の無根拠なら、複雑さや力学的無理のような、根拠としての説得力を検証できる対象からしてないはずです。
やりふるされた考察でしょうが、もう1度、自然選択とID(品種改良)を、単純に比較してみましょう。自然選択で進化するには、野生生活の中で繁殖に有利な条件が必要という制約があります。一方、品種改良にその制約はありませんから、野生生活に適さない進化でも起こりえます。ゆえに、自然選択で起こる進化はすべて品種改良でも起こりうるが、その逆は非常に起こりにくいことになります。進化を起こす効力は、IDの方が大きいのです。
ただし、ID(品種改良)には飼育者が必要です。ゆえに、過去の地球の飼育者の存在を確認できないなら、進化を自然選択で説明できるかぎりにおいて、ことさらIDを持ち出す必要がないというのが、あなたの主張ですよね。
でも、それで、ID論は18世紀の光波動説よりも、根拠が弱い理論になりますか?
>光波動説の状況をID論の状況と重ねるのは違和感があります。
「違和感」と言われますが、順序だてて、考えてください。光波動説で説明される現象でも、光粒子説でも説明できるというのは、IDで説明される進化でも、自然選択でも説明できると言ってるのと同じ構造です。粒子説があれば波動説は不要、自然選択があればIDは不要、というわけです。
そうなると、残るのは媒質問題です。そもそも「エーテル」のような、正体不明・観測不能の物質があることにすること自体、やってよいのかという問題がありますが、あえてやったとしても、複屈折と光速度の矛盾が残るのですから。
すくなくともIDには、このような致命的な矛盾はないはずです。それともありますか?
自然選択でも説明できるという理由で、それ自体に致命的な矛盾は無いIDを否定するのなら、粒子説でも説明できて、かつ致命的な矛盾がある波動説こそ、断じて教育の場に持ち込むべきでない、というロジックになるではありませんか。
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再度、整理しましょう。
飼育者がいて、進化を導いたという想定さえおけば、個別の進化ごとに、どういう選択圧が働いたのか、という面倒な説明を、いちいち考える必要がなくなります。
このような思考法に異論があるのかもしれませんが、実はこれは、16世紀の地動説と同じ論理構造なのです。太陽が宇宙の中心で、地球の方が動くという想定さえおけば、周転円なんて面倒な説明を、考える必要がなくなります。コペルニクス時代の地動説には、それしかありません。
しかも、地動説には、恒常的な風が吹かないという、矛盾がありました。今のIDに、そんなものはありません。
問題は、IDの必須条件である飼育者です。その存在を示せないなら、IDを持ち込むことは許されず、あくまでも自然選択に拘って、進化を説明するべき、というのが、あなたの主張ですよね。
同じ論法を光波動説に適用すれば、媒質の存在は必須条件です。その存在を示せないなら、波動説は許されず、あくまでも粒子説に拘って説明するべき、ということになります。
「エーテル」と称する、まったく観測できない物質があることにして、光の媒質だと主張してもよいのでしょうか? それが許されるのなら、「エーテル人」という、まったく観測できない知的生物がいたことにして、品種改良の実行者だと、主張してもよいことになります。
しかも、エーテルとエーテル人には、大きな相違があります。
エーテル人の存在は、それを示す証拠はないが、積極的に否定する要因もありません。存在したとしても、観測事象と矛盾するわけではない。つまり反証がありません。「2001年宇宙の旅」で、人類の進化が干渉の結果というプロットが作られたのは、そういうことにしても、特段の矛盾がないからでしょう。
一方、エーテルには反証があります。複屈折が起こること、光が巨大な速度をもつことです。18世紀の波動理論では、エーテルは、鉄よりもはるかに硬い固体という結論になってしまう。十分すぎる反証です。
まとめると、現在のID論と、18世紀の光波動説では、光波動説の方が、圧倒的に合理性に欠けることになります。
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1つ忠告します。
>科学は根拠の質を持って競うしかないのです。
>大切なのはそれぞれの学説が現状どう言う立ち位置にあるか正しく理解することから始まると思います。
>そこを間違った状態で突っ走ることは真理への到達を遅らせる行為ですかありませんよ。
>ちゃんとした研究者は根拠を固めることが必要だと分っています。
こういう抽象論を並べ立てるのを、いいかげんに、やめませんか?
科学に根拠が必要なことは誰だって承知してます。私も承知してます。ここでの私は、何をもって根拠とみなし、その根拠にどれだけの説得力があるかを、ID論、地動説、光波動説等を相対比較しながら、具体論で考察しています。さすがに、それは分かるでしょう。
あなたがやるべきは、私の具体論を、あなたの具体論で検証することです。上記のような抽象論は、具体的な議論が決着して、なるほどID論は、科学史に登場した諸理論よりも、根拠が弱い、と結論されたあと、総括の中で述べればよいでしょう。
議論が進行中の、上記のような発言は、印象操作にしかなりません。
私の具体論は、>>98で整理しました。これに対応する形で、具体論で答えてください。
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>世で流布されるIDは、特定の進化が、自然選択で起こるには複雑すぎる、という論旨ですよね。
というより、デザイナー(神様)がいなければ、その複雑さを説明できない、という思想的スタンスですね。
>私自身は、鳥の進化を自然選択で説明するのは、力学的に無理があると述べました。それはそれで根拠でしょう。
個人的に「そう考えている」というだけで、客観的に証明された根拠ではないですね。
>要するに、根拠として弱いとおっしゃりたいのでしょうけど、根拠が弱いのと、無根拠は異なります。本当の無根拠なら、複雑さや力学的無理のような、根拠としての説得力を検証できる対象からしてないはずです。
根拠の強弱以前の、科学的検証の出発点となる「考え」ということですね。
>自然選択で進化するには、野生生活の中で繁殖に有利な条件が必要という制約があります。一方、品種改良にその制約はありませんから、野生生活に適さない進化でも起こりえます。
野生生活に適さない進化を起こす品種改良がどのように行われたのか。それを科学的探究のテーマとして措くことは可能でしょうが、
>ゆえに、自然選択で起こる進化はすべて品種改良でも起こりうるが、その逆は非常に起こりにくいことになります。進化を起こす効力は、IDの方が大きいのです。
科学的探究、つまり具体的な検証なしに、そうした結論を導いても、誰も納得できませんよ。
自分の「考え」を「論理的に」敷衍すること、思想としての評価は可能でしょうが、科学の方法に基づいた理論ではありえません。
>ID(品種改良)には飼育者が必要です。ゆえに、過去の地球の飼育者の存在を確認できないなら、進化を自然選択で説明できるかぎりにおいて、ことさらIDを持ち出す必要がないというのが、あなたの主張ですよね。
でも、それで、ID論は18世紀の光波動説よりも、根拠が弱い理論になりますか?
光波動説は具体的な根拠をもとにした「考え」ですが、飼育者が必要なID(品種改良)はなんの根拠も示せない「考え」です。
この違いが、同じ「人間の考え」でありながら、科学と疑似科学を線引きする理由になるでしょう。
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科学的証明とは、事実に依る証明です。
数学は科学とは呼ばれませんから、数学の場合はひたすらロジックと計算に依ります。
そこが科学と数学の違いです。
従って、科学においては事実の裏付けの無いものは証明されたとは言えません。
幾らレトリックを弄して、この様に考えれば説明できると言ってみたところで、それに照応する事実を示せなければ証明した事にはなりません。
全ての科学理論は事実による検証が不可欠です。
物理や化学においてはそれは言うまでもない事で、どの様な理論も必ず事実による検証に曝されます。
相対性理論や量子論ですら、未だに検証の対象でもあります。
それに対して科学を標榜しながら検証を放棄しているのが自然選択論です。
その支持者たちは、それが検証されていると言うトンデモナイ錯覚に陥っている。
若しくは最初から信じ込んで検証を放棄している訳です。
それは科学ではなくて宗教です。
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繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
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反証が容易な理論が、よりよい科学理論です。
反証が不可能だと主張したら、それは信念でしかありません。
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>>97
>こういう発言には、注意をしてください。「無根拠」と言われますが、世で流布されるIDは、特定の進化が、自然選択で起こるには複雑すぎる、という論旨ですよね。
では「ほぼ無根拠」と言い直します。
どちらにしろY社に投資して被害を生む可能性があり害悪なのは変わりません。
>品種改良にその制約はありませんから、野生生活に適さない進化でも起こりえます。ゆえに、自然選択で起こる進化はすべて品種改良でも起こりうるが、その逆は非常に起こりにくいことになります。進化を起こす効力は、IDの方が大きいのです。
現在の進化理論は自然選択のみに寄らないので一見不利な形質も進化し得ます。
IDがますます入る余地がない状況です。
自然選択に反するからIDと単純に行かないと言うのは理解して下さい。
>進化を自然選択で説明できるかぎりにおいて、ことさらIDを持ち出す必要がないというのが、あなたの主張ですよね。
はい。正確にはしっかりした根拠がある理論を押しのけてまで根拠の薄い理論を推す必要性を感じないと言うものです。
>光波動説で説明される現象でも、光粒子説でも説明できるというのは、IDで説明される進化でも、自然選択でも説明できると言ってるのと同じ構造です。粒子説があれば波動説は不要、自然選択があればIDは不要、というわけです。
問題はどちらの説明に無理が少ないかです。
>正体不明・観測不能の物質があることにすること自体、やってよいのかという問題がありますが、
これは別に問題ないですよ。別に普通のことです。
ですからIDの想定も私は否定しません。
>すくなくともIDには、このような致命的な矛盾はないはずです。それともありますか?
5分前仮説とかと同じです。万能理論ですから矛盾もクソもありません。ですがそれは科学ではありません。
IDを人間のような個体と想定したとすると表面上の矛盾はありませんが問題はその証拠がないことです。
それを許すなら大体の理論は矛盾なくできます。
地球の公転速度とエーテル速度が一致しようと光行差が生じる不思議パワーがあるとか言えば良いんですから。
>粒子説でも説明できて、かつ致命的な矛盾がある波動説こそ、断じて教育の場に持ち込むべきでない、というロジックになるではありませんか。
もう一度言いますが、ですから当時ほとんど省みられなくなりました。
正しい行為だと思います。
>エーテルとエーテル人には、大きな相違があります。
そうですね。大きな違いがあります。
ただ私が思うそれはKenさんの違います。
違いは圧倒的な複雑性です。
どちらも理論の不備を埋めるために仮定する存在ですが想定の難易度が大きく異なります。
以前、別のスレでした例えですが
「ピラミッドを当時の技術で造ったとは信じられない。きっと重機を使ったんだ。そうしたら容易に建設できる。」と言ってるようなもんです。
確かに容易に確実に建設できるでしょう。ピラミッド建設において矛盾はなく確実な方法です。
ですが今度は当時、重機なんか造れたのか?扱えたのか?と言う別の疑問が生まれます。
IDも現状同様で疑問を外に棚上げしているだけで答えとは言えないのです。
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>>99
>こういう抽象論を並べ立てるのを、いいかげんに、やめませんか?
止めなければならないですかね?
科学理論は抽象論ですよ。
具体論で述べるべきはその検証データくらいですよ。
具体論で考察と仰いますがIDにしろ光波動説にしろKenさんがそう判断すると言った抽象論でしかなくないですか?
光波動説が追いやられたことで光学の発展が遅れたと言うのは抽象論です。追いやられなかったら逆に粒子説の研究が遅れて結果的に光学自体の発展が遅れるとも考えられますよ。
それを具体論と仰るなら、ルイセンコの例も政治的正しさの台頭が科学的正しさを阻害した具体例ですよね?
私が例として挙げた恐竜絶滅説も具体例じゃないですか?IDと古典的創造論や宇宙人介入説、スパモンについての問いも具体論ですよね?
そこを無視して具体論を語ってないというのはどうでしょうね?
別に抽象論で語るのが悪いとは微塵も思わないですけど。
>科学に根拠が必要なことは誰だって承知してます。私も承知してます。
との事ですが、根拠の質についてはどうお考えですか?
どんなレベルでも根拠さえ上げれば教科書に載せるべきと仰いますか?
IDを宇宙人介入説とかを差し置いて優遇する理由は何か、教えて頂きたいですね。
とりあえず根拠の質、信用度の高さを判断する条件を具体的に示します。
大きく3つ
1:理論について
2:データについて
3;理論とデータの関係性について
この3つの観点から判断します。
1では現象を説明できるかの論理性、他の科学的理論と矛盾しない整合性(その理論を覆すならその限りではない)、一般に広く成立する普遍性が必要となります。
この部分はどの理論も基本的に携えていると思います。
そしてもう一つGBさんも仰ってる反証可能性ですね。
2は同様のデータが得られ偶然ではない事を示す再現性、主観的効果が排除されている客観性が重要です。
3として理論と合致するデータが得られているかの妥当性、理論が正しければこう言う結果が得られるだろうと言った予測性やその理論を利用して別分野でも利用できる応用性と言うのがあります。
あとそれ以外の+αですね。研究が公に晒され議論されているかみたいな公共性とかです。
すべて網羅する必要もありませんが数が多いほど根拠として強固だと言えます。
自然選択は一応どれもしっかり有しています。
一方IDは1以外殆どありません。妥当性がギリあるかな?レベルです。
根拠の質では自然選択に圧倒的に後れをとっていると判断します。
何を持って根拠とするかを私は上記のように考えています。
そして繰り返しますが科学議論はこの根拠バトルなのですョ。
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背理法により、消去法でもいいですが、極めて簡明にロジカルに設計の存在は証明されます。
しかしその証明を信じたくない、受け容れたくないと言う多くの人々も存在します。
人間は論理によっては中々説得されないものです。
先入観、感情、信仰、固定観念、これらが混ざり合って人間の確信は生じます。
これらのバイアスを注意深く取り除かないと客観的な真実には辿り着きません。
それには能力、資質の問題もあるでしょう。
その辺りの問題を抱える人たちにとっては、相当に骨の折れる作業になるでしょうね。
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なんだか、ずいぶんといろいろ語られましたね。まずは、以下の点でしょう。
>ですから当時ほとんど省みられなくなりました。
>正しい行為だと思います。
これが最重要点です。光波動説が教育の場に残ったのは、18世紀の人の誤りで、排除すべきだったのですね。排除の結果、2重スリット実験以降の展開がなくなっても、よしとすべきなのですね。
>光波動説が追いやられたことで光学の発展が遅れたと言うのは抽象論です。追いやられなかったら逆に粒子説の研究が遅れて結果的に光学自体の発展が遅れるとも考えられますよ。
これはどういう意味ですか? 波動説は現実に存在しました。それで粒子説がどのように遅れましたか?
>どちらも理論の不備を埋めるために仮定する存在ですが想定の難易度が大きく異なります。
つまりエーテルの想定はエーテル人の想定よりも、難易度が低いのですか? そう思われる根拠を示してください。物理法則に逆らうエーテルこそ、最高難易度と私には思えますが。
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自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
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生命体のシステム全体で見れば、ゲノムも含めて更に複雑で精妙なシステムの上に成立しています。
進化の過程においてはゲノム重複、他の種からの遺伝子取り込みが極めて重要な役割を果たします。
そして特定の遺伝子の獲得が進化を飛躍させます。
それら全てが自然選択とは無縁の世界です。
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>>107
>これが最重要点です。光波動説が教育の場に残ったのは、18世紀の人の誤りで、排除すべきだったのですね。
意識的か無意識か分かりませんが主張をねじ曲げないで下さい。
同列に扱うべきでない、と言っています。
根拠が示せないなら主流と並べるべきではないと言うものです。
研究するしないは好きにすれば良いのです。
>これはどういう意味ですか?
粒子説に使われたリソースが他に割かれることで粒子説の知見が遅れる可能性を言っています。
どちらにしても、所詮今現在の知識で語っている結果論です。
波動説、粒子説どちらが進むと見なそうと遅れると見なそうと、自分はそう考えると言う抽象論ですよね。
>つまりエーテルの想定はエーテル人の想定よりも、難易度が低いのですか? そう思われる根拠を示してください。物理法則に逆らうエーテルこそ、最高難易度と私には思えますが。
そう言う物質と言うだけですからね。エーテル人とかとなると言わば単一物質でない複雑な有機機械です。
一つの部品を想定し組み込むか、部品が組み上げられて造られた機械を想定して組み込むかの違いです。
あと物理的矛盾と言っても現段階での科学的知見の不備によるものかも知れません。
ですので矛盾が一つ二つあろうと即却下にはなりませんよ。上手く説明できる有用と思われる部分があるなら別の説が台頭することがあろうと完全に消えはしません。
ですから事実、エーテルは20世紀前半まで研究検証が続けられていました。
それはそれとして、とりあえずこちらの質問にも答えて欲しいです。
宜しくお願いします。
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疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
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物理学がガリレオに始まりニュートンに至る経緯を経て近代科学化を成し遂げていきますが、
それに対して生物学の近代化は2世紀以上の遅れをとります。
生物学の近代化を成し遂げたのはパスツールです。
パスツールは初めて実験手法を用いて微生物が自然発生しないことを示しました。
それが科学的な手法です。
それに対して、またダーウィンの話になりますが、彼は科学者でも何でもありません。
ダーウィン自身、ずっと地質学者を自称していますね。
純粋に地質学の観点からいえば地質学者も科学者ですが、彼が提唱しているのは生物の進化に関する理論です。
それが何ら科学的手法に依拠していないのは、「種の起源」を読めば明らかです。
「科学(science)」と言う言葉がよく使われだしたのは比較的近年ですが、ダーウィン自身
科学と言う言葉を殆ど使っていません。
実際、実験と観察、観測による事実の検証、この最も基本的な近代科学の手法をダーウィンが
十分に理解していたと思える痕跡はありません。
「このように考えれば説明できる」
これがダーウィンの口癖です。
そこに事実による検証は存在しません。
ダーウィンが最後まで気にしていた「あるべき膨大な中間種の化石の不存在」に関しても、
自説の最大の弱点と認めながらも、その不存在の理由に様々な言い訳を用意することに熱心で
事実の裏付けがないままに自説の正しさを主張し続けます。
これは思索だけに頼った古代ギリシャ哲学者と大差ありません。
彼が引用している膨大と思える事例も、現存する数百万に及ぶ生物種に比べればほんの大河の一滴にしか
過ぎません。
それを科学を称することが如何に無意味であるのか、そこに未だに気付けない人たちが多いのには
本当に驚かされます。
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>「エーテル」と称する、まったく観測できない物質があることにして、光の媒質だと主張してもよいのでしょうか? それが許されるのなら、「エーテル人」という、まったく観測できない知的生物がいたことにして、品種改良の実行者だと、主張してもよいことになります。
当時の知識体系からすればエーテルという媒質が要請される、というのは科学的な思考としてよくわかります。
現在の知識体系を踏まえれば、「エーテル人」という想定はおバカでしかありません。
>しかも、エーテルとエーテル人には、大きな相違があります。>
>エーテル人の存在は、それを示す証拠はないが、積極的に否定する要因もありません。
神様の存在は、科学的に否定することができません。
科学は、人が確認できることをもとに自然や人の営みを理解するための方法であって、客観的に確認できないものは埒外です。
>飼育者がいて、進化を導いたという想定さえおけば、個別の進化ごとに、どういう選択圧が働いたのか、という面倒な説明を、いちいち考える必要がなくなります。
人間の勝手な想定で、科学的に間違いないというなら、飼育者がどのように飼育したのか、「具体論で」示さないとだめですね。
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>同列に扱うべきでない、と言っています。
なら18世紀の光波動説は一発アウトですね。20世紀に量子力学が登場するまで、粒子と波動は排他関係にありましたから、波動説を支持するのは、粒子説は誤りと言うことで、同列どころではありません。やはり、波動説は教えるべきでなかったと言われるのですね。
>粒子説に使われたリソースが他に割かれることで粒子説の知見が遅れる可能性を言っています。
>波動説、粒子説どちらが進むと見なそうと遅れると見なそうと、自分はそう考えると言う抽象論ですよね。
抽象論? 19世紀の進歩の遅れは、具体的に想定できます。2重スリット実験のおかげで、光は波であり、媒質のない波がありうることが、広範に納得されました。とりわけ、後者は革命的な発見だったはずです。
そうなると、なぜ波が伝わるかを、だれもが考えます。電磁場の発見は(おそらく)偶然の産物ですが、そこから電磁波(つまり媒質のない波)の発想へいたり、電磁波の速度理論値が光速の実測値と一致したことで、光は電磁波という重要な新知見へいたりました。これとても、光が粒子と信じられていたら、簡単にゆきません。ニュートリノが光速(電磁波の速度)で運動するように、速度の一致は粒子でも起こるのだから、光は電磁波と同じ速度で運動する粒子と見なされると思います。
さて、18世紀に光波動説が教えられ、リソースが割かれたことで、粒子説のどういう知見が、遅れましたか? 具体論で語ってください。
>矛盾が一つ二つあろうと即却下にはなりませんよ
あなたが問題にしたのは「難易度」ですよね。
光が波なら巨大な速度の横波と示す観測事象と、18世紀の波動理論を合わせると、鉄よりも硬い固体が、あらゆる空間を充たしており、私たちを含む万物が、その中を動いていると結論されます。これって、ものすごい難易度を、エーテルに与えるとは、思いませんか?
>それはそれとして、とりあえずこちらの質問にも答えて欲しいです。
質問とは、これですか?
>IDを宇宙人介入説とかを差し置いて優遇する理由は何か、教えて頂きたいですね
品種改良は、人類が実行しており、効果が実証されていることが、一番でしょうね。地球史上の知的生物を人類に限定する必要を、認めません。
人類のような知的生物が発生したということは、知的生物が繁殖する環境が、地球にあることを意味します。その環境は、人類の発生前にもあったでしょう。
例えば、飛行生物は、昆虫、翼竜、鳥、哺乳類と4度発生しました。脊椎動物だけで3度。飛行生物が繁殖する環境があるから、繰り返し発生したはずです。
現在の生物を観測して、過去の生物を、直接の証拠はなくても、想定する理由は、昔と今の環境に共通点があるからです。違いますか? 同じ考察を、知性の進化に適用してはいけない理由を、私は知りません。
IDの問題点を追及されるのは結構ですが、科学史上の諸理論、今は私が挙げる地動説、光波動説との、相対比較を忘れないでください。
再確認しますが、18世紀に光波動説が教えられたのは、歴史の中の誤りだったのですね。なくせるものなら、なくしてしまいたい痛恨事なのですね。
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> 品種改良は、人類が実行しており、効果が実証されていることが、一番でしょうね。地球史上の知的生物を人類に限定する必要を、認めません。
おいおい、「地球史上の知的生物を人類に限定する必要を、認めません。」
それならどんな知的生物がいたのか、「具体論で」教えてください。
話は、そこからですね。
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自然選択論は基本的に偶然性に依存しています。
「偶々環境に適した生存に有利なものが生き残って進化した」
と言ってる訳で、そこに予めの目的性は全くありません。
つまり偶然が積み重なって人間も誕生した、と言っているわけです。
そう信じ込んでいる。
偶然が積み重なって人のような複雑極まりない生物がどうして出来上がるのか、
それを真剣に考えれば疑問をいだきそうですが、そうならない。
ツマリ信じ込んでいる、それこそ宗教的な態度といえるでしょう。
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木村博士は、1988年に次のように述べました。「今後に残された大きな問題の一つは、表現型レベルの進化(注:形態の進化)と分子レベルの進化との間にどうしたら橋渡しができるかということである」[木村資生著『生物進化を考える』岩波文庫(1988年)58ページ、]
それから30年近くたった近年、分子進化学者の宮田隆は次のように書いています。
「木村博士も述べているように、いかにして二つのレベルの進化を統一的に理解できるか? これは今後の分子進化学に課せられた重要な課題である」[宮田隆著『分子から見た生物進化』講談社ブルーバックス(2014年)42、43ページ]
形態の進化を、DNAの突然変異によって分子レベルで説明することができないという未解決問題が、現在なお存在しているのです。
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ゲノム、つまりたった4種類の塩基が対になって2重螺旋で延々つらなることによって構成されている
DNAの遺伝情報によって、すべての生物の形態と生命活動は規定されています。
従って生物の進化もこのゲノムの進化つまりゲノムの変異そのものです。
人のゲノムの全てが読み取られたからと言って、その意味が解明されたことにはなりません。
ゲノムの塩基配列の意味は、むしろ大部分が未知であり未解明です。
その塩基配列の変異が何故もたらされたのか、それを明らかにするのが進化を理由を解明すると言う事です。
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科学という方法論は「人が確認できること」をもとに論理を組み立てますから、「予めの目的性」という考えがありません。
ID]論=自然神学という思考のコアは、「生物という複雑な仕組みが存在の原因である神の意思なしにありうるわけがない」というものですが、
さて、人が自然とその歴史を理解する上で、「原因となる神の意思」は不可欠なものなのでしょうか。
確認できたこと、確認途上のこと、確認の方法すらわからないことを含め、確かなものを求めるのが科学の営みですね。
神の意思に投げてしまえば謎は消失するでしょうが、イコール自然理解を放棄するということになります。
啓蒙時代の宗教否定やイギリス経験論の哲学者たちの思考を参照するまでもなく、「神の意思」という人の想念に基づく主張は、科学理論とは異なるものだという基本的な理解が必要ですね。
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>>114
>なら18世紀の光波動説は一発アウトですね。20世紀に量子力学が登場するまで、粒子と波動は排他関係にありましたから、波動説を支持するのは、粒子説は誤りと言うことで、同列どころではありません。やはり、波動説は教えるべきでなかったと言われるのですね。
もう一度言いますが、私の主張をねじ曲げないで下さい。
単に同列に扱うべきでない、と言っています。
根拠が示せないなら主流と並べるべきではないと言うものです。
研究するしないは好きにすれば良いのです。
根拠の質に寄らず同列に扱うか、もしくは一方を排除するかの二者択一に強制しないで下さい。
そんなことは一言も言っていません。
教えるならありのまま教えれば良いのです。「粒子説はこう言う根拠があり、こう言う不備がある。一方波動説はこう言う根拠がある。それらを比較し現状どちらが確からしい。」と言うだけです。
IDも「現状科学的根拠は乏しく、専門家で支持するものはほぼ皆無の説である」とかちゃんと明記するなら教科書に載ろうとドーキンスも内容に文句は言わないと思います。
もっとも、そんなものをわざわざ教科書に載せて貴重な学生の時間を奪うな的な、別の批判は出るでしょうけど。
>抽象論? 19世紀の進歩の遅れは、具体的に想定できます。
仰るように「想定」してるだけです。抽象論でしょ?
波動説が当時の主流である粒子説と並んで研究されたとして必ずしもヤングの実験が前倒しされるとは限りません。
粒子説も波動説が全く台頭しなかったらもしかしたら光量子仮説がアインシュタインより前に出てきたかも知れません。
ただどちらも、たらればの話なので正直余り意味はありません。
所詮、希望的予測による早まった一般化です。
ですからここで考えるべきは一般論として、
‘根拠としての質関係なく何でもかんでも同様に扱うことと、根拠の質の高いものを優先して扱うのはどちらの方がより早く目的に到達し得るか?”なのです。
>あなたが問題にしたのは「難易度」ですよね。
>
>光が波なら巨大な速度の横波と示す観測事象と、18世紀の波動理論を合わせると、鉄よりも硬い固体が、あらゆる空間を充たしており、私たちを含む万物が、その中を動いていると結論されます。これって、ものすごい難易度を、エーテルに与えるとは、思いませんか?
はい。難易度です。
現状の物理的にあり得ない性質とかそう言うのは特に問題ありません。普通のことです。
鉄より固い物質と同様の性質を持ちながらも万物が動くのに問題がない不思議物質、そう言うものと仮定するのです。
膨張しようが薄まらないダークエネルギーやら虚数時間やら、光速度不変ってのも普通に考えて意味が分らない性質ですよね。
しかしそう言うものととりあえず取り入れてるでしょう?
そして難易度ですが複雑性とも言えます。
エーテルにしろダークエネルギーにしろ単一の物質なり概念なりです。
しかしながらIDとなると単純な物質ではありません。システムなんです。
先にも言ったとおり、部品を想定するかそれらにより作り上げられた機械を想定するかの違いに相当します。
>質問とは、これですか?
答えになっていませんよ。
聞きたいのは宇宙人介入説とかよりID説を優遇する納得するに足る理由です。
可能性に訴える論証を行うのは別に良いですが、Kenさんは「可能性の有無」と「可能性の蓋然性の高低」を混同しています。
IDの可能性も不可能性に頼った詭弁と感じます。
>その環境は、人類の発生前にもあったでしょう。
とする根拠も不明ですが
「昔と今の環境に共通点があるから知性の進化に適用する」が成り立つなら
同じ論法で「昔と今の環境に共通点があるから大量破壊兵器生産の進化に適用する」とかも言えますよね?
でもそれはおそらく否定すると思います。なぜでしょう?
>再確認しますが、18世紀に光波動説が教えられたのは、歴史の中の誤りだったのですね。なくせるものなら、なくしてしまいたい痛恨事なのですね。
繰り返しますので、この部分はしっかり理解して下さい。
それぞれの根拠がどうでどう言う立ち位置にいるかも教えるなら問題はないのです。
問題は‘根拠が不足してるのにその立ち位置を騙ること”なのです。
根拠も無いのに光波動説が主流のように教えられたのなら大きな誤りでしょうが、教えられても傍論的に追いやられているなら科学として健全ですよ。
-
ID論は、予断無くこの現実世界、宇宙、生物を観察し、ロジカルに推論すれば簡単にその存在の確からしさが確認できます。
対して自然選択論に軸足を置いた現代進化論は、科学的根拠ゼロ、更に注意深く検証すればそのロジック自体が完全に破綻しています。
どちらを採るべきかは言うまでもありませんね。
-
IDの存在は、例えば生物におけるどの様な事象を取り上げても、それを詳細に検証すれば背理法に依って容易く証明されます。
その証明は、ロジックが理解出来なければ勿論理解できません。
また、事象を詳細にあるがままに観察する能力に欠けても同様です。
固定概念に捉われ、そこから一歩も抜け出せない、迷信の囚われ人もまた同様です。
アントニーフルーの述べたゲノムの暗号背はその象徴的な例ですが、一例にすぎまません。
これは宇宙創成から現在に至る過程の全てにおいても全く同様です。
対して、自然選択論は思い付きの妄想ですからね。
厳密な科学的証明は皆無、本当の証拠も皆無です。
-
繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
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>逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
神様を客観的に示せれば、科学的な議論が可能になりますから、努力してみてください。
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科学的証明とは、事実に依る証明です。
数学は科学とは呼ばれませんから、数学の場合はひたすらロジックと計算に依ります。
そこが科学と数学の違いです。
従って、科学においては事実の裏付けの無いものは証明されたとは言えません。
幾らレトリックを弄して、この様に考えれば説明できると言ってみたところで、それに照応する事実を示せなければ証明した事にはなりません。
全ての科学理論は事実による検証が不可欠です。
物理や化学においてはそれは言うまでもない事で、どの様な理論も必ず事実による検証に曝されます。
相対性理論や量子論ですら、未だに検証の対象でもあります。
それに対して科学を標榜しながら検証を放棄しているのが自然選択論です。
その支持者たちは、それが検証されていると言うトンデモナイ錯覚に陥っている。
若しくは最初から信じ込んで検証を放棄している訳です。
それは科学ではなくて宗教です。
-
繰り返し書いてきましたが、自然選択論には実証的な根拠はゼロです。
これは誰も示せない筈です。
よく言われる観察例がまったくソレに該当しない事も繰り返し書いてきましたね。
対してID論は、自然界におけるどの様な生命現象を観察しても、背理法によって極めて明示的にIDの存在が示唆されます。
まあ、背理法自体が理解出来なければどうしようもありませんがね。
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>IDも「現状科学的根拠は乏しく、専門家で支持するものはほぼ皆無の説である」とかちゃんと明記するなら教科書に載ろうとドーキンスも内容に文句は言わないと思います。
光波動説を教えた人は、観測事象を波動説で説明することを教えたので、「波動説は、現状科学的根拠は乏しく、専門家で支持するものはほぼ皆無の説である」なんて教え方をしてませんよ。やはり教えるなってことですね。
>波動説が当時の主流である粒子説と並んで研究されたとして必ずしもヤングの実験が前倒しされるとは限りません。
波動説がなければヤングの実験もなかった、といってます。だって波動説を検証する以外に、2重スリット実験を考案する理由がありますか? あるなら説明してください。
>粒子説も波動説が全く台頭しなかったらもしかしたら光量子仮説がアインシュタインより前に出てきたかも知れません。
波動説なしに、どういう思考過程で光量子説に到達しますか? 量子力学の基本則は「エネルギー = プランク定数 × 周波数」。「周波数」という波動特性が入ってることを知ってますか? 光波動説なくして、光量子説はありえません。あるなら思考過程を具体的に説明してください。
以上は、議論の根幹に関わります。必ず説明してください。
>仰るように「想定」してるだけです。抽象論でしょ?
抽象論ではないから、上記のように、具体的な点を問題にします。想定が問題ではなく、どれだけの事実に基づいて、想定するかです。
そもそも、波動説が教えられたから粒子説が遅れたという想定で、「無駄であり害悪」と言われたのが始まりでしょうが。この想定は自明のこととしながら、批判的に検証すると、想定だから抽象論とは、どういう論理構造でしょうね。
>鉄より固い物質と同様の性質を持ちながらも万物が動くのに問題がない不思議物質、そう言うものと仮定するのです。
>難易度ですが複雑性とも言えます。
正体不明の不思議物質を仮定し、難易度が下がったことにするとは! いっそ、正体不明の造物主を仮定して、宇宙誕生論の難易度を下げてみませんか。
「不思議」とは原理が分からないという意味だから、最大の複雑性があるのですよ。原理を解明するとは、多様な可能性から絞り込んで、複雑性を減らしてゆく過程だとは思いませんか?
>聞きたいのは宇宙人介入説とかよりID説を優遇する納得するに足る理由です。
だから、品種改良は現実に行われているが、宇宙人が介入した観測例はありません。
>「昔と今の環境に共通点があるから知性の進化に適用する」が成り立つなら同じ論法で「昔と今の環境に共通点があるから大量破壊兵器生産の進化に適用する」とかも言えますよね?
品種改良と考えると説明がつく事象があるなら、品種改良を行える知性を想定します。大量破壊と考えると説明がつく事象が観測されるなら、大量破壊兵器を作る知性は真剣な考察対象になります。
>根拠も無いのに光波動説が主流のように教えられたのなら大きな誤りでしょうが
そんなことは教えてないし、IDと関連した論点にもなりません。今のID論が世の少数で、自然選択が主流であることは、ID論者も承知してます。ID論は、IDは合理的だと教えているので、主流だなんて教えてません。もしかして、そういうID教育なら、よしとされますか?
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波動説も粒子説も科学理論ですから、インテリジェントデザイナー論と関連した論点にはならないでしょう。
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アインシュタインが最後まで認めるのを拒んだ重ね合わせや量子もつれと言った現象も、現在は完全に存在する事象として承認されています。
アインシュタインはその因果律が説明出来ないため承認を拒んでいたわけですが、この様にその理由が因果律的に説明不能であっても存在するものはいくらでもある訳です。
説明不能と不存在はよく混同されます。
その為に無理繰りで説明をこじつけようとしたりもします。
これも極めて誤った態度ですね。
未知の事、説明不能の事、それが存在する事、その様な事実が存在する事を素直に受け入れられない人達は、結局先入観に囚われて中々真実に到達することが出来ないでいます。
信仰は理性の隙間に入り込みます。
一番まずいのは、信仰と合理性、つまり科学の区別が付かない事です。
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>未知の事、説明不能の事、それが存在する事、その様な事実が存在する事を素直に受け入れられない人達は、結局先入観に囚われて中々真実に到達することが出来ないでいます。
未知や説明不能というのは、人の認識能力の限界を踏まえた理解の方法にとっては前提ですから、「神様がいなければ生物進化はありえないという真実」は、神様が客観的に示されない限り受け入れることができません。
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信仰は理性の隙間に入り込みます。
一番まずいのは、信仰と合理性、つまり科学の区別が付かない事です。
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背理法により、消去法でもいいですが、極めて簡明にロジカルに設計の存在は証明されます。
しかしその証明を信じたくない、受け容れたくないと言う多くの人々も存在します。
人間は論理によっては中々説得されないものです。
先入観、感情、信仰、固定観念、これらが混ざり合って人間の確信は生じます。
これらのバイアスを注意深く取り除かないと客観的な真実には辿り着きません。
それには能力、資質の問題もあるでしょう。
その辺りの問題を抱える人たちにとっては、相当に骨の折れる作業になるでしょうね。
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IDの存在は、例えば生物におけるどの様な事象を取り上げても、それを詳細に検証すれば背理法に依って容易く証明されます。
その証明は、ロジックが理解出来なければ勿論理解できません。
また、事象を詳細にあるがままに観察する能力に欠けても同様です。
固定概念に捉われ、そこから一歩も抜け出せない、迷信の囚われ人もまた同様です。
アントニーフルーの述べたゲノムの暗号背はその象徴的な例ですが、一例にすぎまません。
これは宇宙創成から現在に至る過程の全てにおいても全く同様です。
対して、自然選択論は思い付きの妄想ですからね。
厳密な科学的証明は皆無、本当の証拠も皆無です。
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>>127
>光波動説を教えた人は、観測事象を波動説で説明することを教えたので、「波動説は、現状科学的根拠は乏しく、専門家で支持するものはほぼ皆無の説である」なんて教え方をしてませんよ。やはり教えるなってことですね。
波動説は根拠があったからでしょう。
教えるならありのままと言っています。
当時の状況で波動説は粒子説と同様に確からしいと教えるのは駄目だと思いますが、それぞれがどう言う状況下にあるかを元に教えるなら大いに結構です。
ですから何度も言っていますがIDを教えるなとは言っていません。
立ち位置を騙るなと言っています。
いい加減、理解して下さい。
>波動説がなければヤングの実験もなかった、といってます。
ですから無くせとは微塵も言っていません。
>光波動説なくして、光量子説はありえません。あるなら思考過程を具体的に説明してください。
同様に粒子説なくしても光量子説はあり得ませんからね。
波動説の台頭で反対に粒子説が追いやられたため、光電効果の説明が困難となっていたでしょう。
>そもそも、波動説が教えられたから粒子説が遅れたという想定で、「無駄であり害悪」と言われたのが始まりでしょうが。この想定は自明のこととしながら、批判的に検証すると、想定だから抽象論とは、どういう論理構造でしょうね。
別に自明とは言ってないでしょう。
単にそういう風にも考えることが出来ると言ってるの。色んなところで私の主張をねじ曲げないで下さい。不愉快です。
私の言も貴方の言も推論に過ぎず、実際のところは検証しようがないことだよね。と言っています。
貴方がこう言う具体論がある、と言うのと同様にこちらもルイセンコの例とか挙げてますからね。
一つ二つ例があったところでそれを一般化するのは無理がありますよ。
それより最初から一般論でどちらが確からしいか考える方が良いのではないですか?と提案しています。
>正体不明の不思議物質を仮定し、難易度が下がったことにするとは! いっそ、正体不明の造物主を仮定して、宇宙誕生論の難易度を下げてみませんか。
造物主の場合はIDと同じくシステムとなります。
単一のモノかそれらのネットワークなりの構造物かの違いです。
ですので難易度は跳ね上がりますよ。
>だから、品種改良は現実に行われているが、宇宙人が介入した観測例はありません。
地球人も宇宙人ですよ。
と言うことで観察事例はいっぱいじゃないですか。
40億年近く掛けて身に着けた技術をそれより短時間で身につけたと想定するより、もっと悠久の時間を過ごした宇宙人を想定する方が確実だと思いませんかね?
と言うことで宇宙人介入説も同様に教えないと駄目ですよね。
>品種改良と考えると説明がつく事象があるなら、品種改良を行える知性を想定します。大量破壊と考えると説明がつく事象が観測されるなら、大量破壊兵器を作る知性は真剣な考察対象になります。
白亜紀末の大量絶滅とか大量破壊と考えられる事象ですね。
これ本気で取り組む考察対象になりますかね?
ならないなら何でですか?
>そんなことは教えてないし、IDと関連した論点にもなりません。今のID論が世の少数で、自然選択が主流であることは、ID論者も承知してます。ID論は、IDは合理的だと教えているので、主流だなんて教えてません。もしかして、そういうID教育なら、よしとされますか?
主流の説と並び得ると根拠が薄いのに騙ってるのが問題だと何度も何度も言っています。
主流でも何でもないと承知してるはずが公共教育で現在進化論と同様に教えろとぬかしているから問題となったんですよ。
先にも言いましたが非主流でも真面目に研究してる人や分野はいっぱいあります。
IDもそう言う形ならこう言う問題にはならなかったと思います。
私自身もIDと言うアイデアは興味のある考えでもあるし科学として検討したいと思っています。
そう言う中で科学の手順を逸脱した行為に出るのは本当に邪魔でしかありません。
Kenさん自身は主流だなんて教えていないと考えているようですが、実際に公共教育に未だ不十分な状態で科学としてしゃしゃり出てきています。
思想や信念は自由ですが、科学を語るなら科学のルールに則って然るべきです。
しゃしゃり出るならそれだけの根拠の提示が必要となってきます。
私が主張しているのは一貫してそこです。
ご理解願います。
-
ラマルクはダーウィンより50年以上前に進化論を提唱しています。
種は変異するとして、ダーウィンと違って最初から進化の語を用いました。
単純なものから複雑なものへ進化するというダーウィンが描かなかったグランドデザインも描いています。
科学的知見の乏しかった当時の話なので、誤りも多数存在しますが彼の主張した獲得形質の遺伝は現在エピジェネティックによって一部でそれが存在することも示されています。
評価はダーウィンに比べて不当に低いですが、実はダーウィン以前にダーウィンに比べて遥かに意味のある説を提唱している訳です。
その50年以上後にダーウィンは種の起源を著しますが、これは明らかに逆行ですね。
それは取りも直さずダーウィンの主張が科学では無いことを意味します。
科学は逆行しません。
因みにダーウィンは用不用説を支持していますね。
そしてそれは自然選択論には全く反映されていません。
論理的整合性にダーウィンは関心がなかったという事ですね。
-
生物種の多様性を説明するうえで、ラマルクはそれぞれの種は進化の階段を駆け上がり続け、にもかかわらす今でも下等な生物がいるのは種が次々と新たに誕生するからだと考えました。
ダーウィンは、一つ・あるいは少数の種が分岐を重ねて多様性をもたらしたと考えました。
後に続く多くの客観的な確認を通して、ダーウィンの考えが正しかったことがわかっています。現生生物の塩基配列の変化を確かめることで系統樹を描けることもその一つです。
だから、現代生物学の基礎のひとつとして、ダーウィン進化論がおかれています。
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IDの実体が全く不明、ID論者は誰元の実体が説明できない、これも持ってID論否定の論拠にする人達も少なくありません。
しかしこれはID不存在の論拠にはなりません。
実体が分からなくても確かに存在する、これはダークマター、ダークエネルギーについても全く同じことが言えます。
この宇宙の95%を占めると言われるダークマター、ダークエネルギーが存在する事は現在物理学上の常識です。
しかし誰もまだその実体の解明には成功していません。
これは物理法則による計算によって推測されるものです。
IDに関しては勿論計算は出来ません。
そしてそこで不可欠とされるのは知性、知性による設計です。
その様な知的設計が存在しなければ、この宇宙は成立しない。
背理法の帰結です。
しかしその実体は全く不明。
しかしその存在は証明できる訳です。
この辺りの理解も、出来ない人には決して出来ないんですね。
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科学は最新が最も正しい。
過去に比べて、と言う話です。
日々新しい事実の発見、新しい理論の発見によってその知見は更新されます。
新しい理論は事実に依って検証され、更に事実に依って書き替えられます。
それはつまり未来に亘ってはその理論が書き替えられる可能性があることも意味します。
その様に日々事実に依って検証されるのが科学理論です。
自然選択論を正しいと主張するなら、検証に曝されなければなりません。
そして驚くべき事に、より適応的な変異が生じればそれが自然選択の証明であると言う極めて飛躍した論理が横行しています。
自然選択以外にその様な変異が存在し得ることに目を向けようとしない、そもそも自然選択論の工程を全く理解していない、その結果です。
160年以上前のダーウィンの思い付きの空想を今猶信じ続ける研究者たちの存在は異様です。
この話は今までもいやと言う程繰り返してきましたが、それでも現状を見るとまた同じことを言わざるを得ません。
競争原理によって進化がもたらされると言う誤った思い込みは多くの人たちに本能レベルで刷り込まれています。
自然は競争原理と言う極めて非効率な手段は採用しません。
その刷り込みの元凶はやはりダーウィンと言うべきでしょう。
ダーウィンの功績はゼロ、進化論を迂回させている罪は重大と言うべきです。
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生物の設計は、人間にとどまらずあらゆる生物に関して微に入り細に入り極めて周到で巧妙、驚くべき精巧なメカニズムを備えています。
中でも物質的な肉体と意識の接合にかんしては、取り分け注意深い設計がなされている様に見受けられます。
非物質的な存在としてしか規定できない意識、精神の実体がどの様なものであれ、それは極めて絶妙に脳機能と接合されています。
それがうまく接合しなければ意識体としての生物は機能しないと考えられるので、当然と言えば当然ですが。
意識の実体が今後どこまで解明されるかは、不明です。
-
>IDを教えるなとは言っていません。
>公共教育に未だ不十分な状態で科学としてしゃしゃり出てきています。
私が言う教えるとは、ID論という根拠のない説が出回ってます、という教え方ではありませんよ。真っ当な科学理論として教えることです。前者の教え方ならよい、と言われてるようですが、そんな教え方は考えてないし、かつての光波動説の教え方でもありません。
もしかして「公共教育」だからダメなのですか? 私塾ならよいのですか? でも、公立学校だろうが私塾だろうが、今の論点に関係はありません。教育が科学の進歩に与える影響を、論じているのですから。
ルイセンコ理論の例を挙げられますが、旧ソ連の農業が被害を受けたのは、ルイセンコ理論が教えられたからではなく、ルイセンコ理論以外が弾圧されたからです。何かを教えたからではなく、何かを教えるのを禁じたからですよ。
ドーキンスの寄稿文にあるように、当時のブッシュ大統領は、自然選択もIDも教え、学ぶ側が判断すればよいと述べました。まさしく、粒子説と波動説が並立した18世紀はそうだったのです。この自由があれば、例え波動説が教えられても、粒子説が被害など受けません。それとも受けましたか? 受けたなら、それを示すように求めましたが、あなたは示せないのです。
>波動説の台頭で反対に粒子説が追いやられたため、光電効果の説明が困難となっていたでしょう。
量子論の歴史はこうです。
まず19世紀は光波動説が支配し、プランクも波動説だけを信じていました。ところが、波動説をよくよく考えると、黒体放射で無限に周波数の高い電磁波が出ることになり、エネルギーの収支が合いません。そこで、電磁波は連続的な存在ではなく、離散的な「かたまり」で、周波数が高いほど「かたまり」のエネルギーが大きいと考えれば、説明がつくと思いついたのが、量子力学の始まりです。そして、周波数が大きい「かたまり」はエネルギーが大きいから、電子の運動エネルギーに変わるというのが、光電効果です。どこにも、18世紀の光粒子説は関与しません。
18世紀の粒子説なら、電子の運動エネルギーに変わるのは、光の粒子の運動エネルギー、つまり「質量×速度の2乗÷2」になります。粒子の周波数なんて、概念すらありません。18世紀の光粒子と20世紀の光量子は全くの別物で、光量子は光波動説の産物です。
こんな物理講義を延々とすることになるとは思いませんでした。19世紀の電磁波理論も、20世紀の量子論も、18世紀には矛盾だった光波動説が教えられ、生き残ったからこその成果で、光粒子説とは、今思えば天動説みたいなものだったと、納得されたことでしょう。それとも、まだ断固として認めませんか?
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>別に自明とは言ってないでしょう。
>単にそういう風にも考えることが出来ると言ってるの。
「無駄であり害悪」だから、科学理論として教えるな、と言われるではないですか。害悪が自明ではなく、単にそういう風にも考えることが出来る程度で、そこまで言われますか? 一方で「波動説の台頭で反対に粒子説が追いやられた」とも考えてるのですよね。なら、光波動説は害悪だから、科学理論として教えるな、という結論になるでしょうが。
結局、今のID論を科学として教えるのは害悪だが、18世紀の波動説は害悪ではないと、その違いを説明できてないのです。
>単一のモノかそれらのネットワークなりの構造物かの違いです。
「単一のモノ」とは「鉄より固い物質と同様の性質を持ちながらも万物が動くのに問題がない不思議物質」のことですよね。しかも、そんな物質が存在できる原理は不明なのですよね。なら、そこでどれほど複雑な原理が働いてるか、分からないではありませんか。なぜ、難易度が低いと、決めてかかるのですか?
おっしゃるような不思議物質を単純な存在と考えるのは、原理など気にせず、不思議を不思議のまま受け入れる、科学とは対極の発想ですよ。
>40億年近く掛けて身に着けた技術をそれより短時間で身につけたと想定するより、もっと悠久の時間を過ごした宇宙人を想定する方が確実だと思いませんかね?
思いません。私がIDの可能性を見る鳥の発生が1億年前なら、39億年は40億年の97.5%です。2億年前でも95%です。宇宙人を想定するより、その程度の差は、知性が生じる生じないを分ける差ではない、と考える方が合理的です。
でも忘れないでください。IDの合理性を比較する対象は、宇宙人説ではなく、実在した地動説や光波動説ですよ。
>白亜紀末の大量絶滅とか大量破壊と考えられる事象ですね。
今、知られている、地球史の大量絶滅は、隕石衝突その他の原因で、自然環境が変わったことで、説明されています。要するに自然現象です。知性を推測させる大量破壊はそういうものではありません。例えば、大量絶滅と同時期に、火薬の使用を示す硝石と硫黄の大規模集積や、核兵器に使えるレベルの濃縮ウランが見つかれば、知性の存在を考えるはずです。
-
基本論点を整理します。
まず、私がいうところの「IDを教える」とは、おっしゃるところの「科学としてしゃしゃり出る」ことを意味します。根拠のないID論なるものが存在する、なんていう教え方ではありません。
次に、IDが科学としてしゃしゃり出ることの是非は、IDだけ考えて判断してはいけない、ということです。これまたおっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」目的が、科学の進歩に寄与することにあるなら、正しい科学の方法に則らない理論がしゃしゃり出たことで、現実に何が起こったかを、検証せねばなりません。
その具体例に挙げたのが、16世紀の地動説と、18世紀の光波動説です。地動説は恒常的な風が吹かない理由を、光波動説は媒質が存在しない理由を、説明しなかったことから、到底、正しい科学の方法に則っていたとは、言えません。
しかし、両説とも、これがなければ、その後の科学の飛躍的な進歩は、ありえませんでした。地動説はニュートン力学の、光波動説は電磁気学と量子力学の、それぞれ原因になったのですから。そうなると、おっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」のは、しゃしゃり出ることを許す許さないの、判断基準にふさわしいのかが、問われます。
正しい科学の方法に則らない理論が何をしたかを検証するとき、忘れてならないことが、もう1つあります。その理論がしゃしゃり出たことの影響と、他の理論が排除されたことの影響を、はっきりと区別することです。
ルイセンコ理論が、旧ソ連の農業に甚大な被害を与えたなどと言われますが、被害を与えたのはルイセンコ理論がしゃしゃり出たからなのか、それともルイセンコ理論以外が弾圧されたからなのかを、断じて混同してはいけません。
いろいろと細かい話をしてますが、すべては上記の問題の解を求めるための試みです。
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>光波動説は害悪だから、科学理論として教えるな、という結論になるでしょうが。
>結局、今のID論を科学として教えるのは害悪だが、18世紀の波動説は害悪ではないと、その違いを説明できてないのです。
とりあえずさんは、そんなこと言ってないですよ。落ち着いてきちんと読んでほしいと思います。
インテリジェントデザイナー論が科学理論だと主張するなら、ちゃんと科学の方法論に則った説明が必要ですねといってるだけでしょう。
>今、知られている、地球史の大量絶滅は、隕石衝突その他の原因で、自然環境が変わったことで、説明されています。要するに自然現象です。知性を推測させる大量破壊はそういうものではありません。例えば、大量絶滅と同時期に、火薬の使用を示す硝石と硫黄の大規模集積や、核兵器に使えるレベルの濃縮ウランが見つかれば、知性の存在を考えるはずです。
「中生代の品種改良」と同じことで、そういうロジックそのものは成立しうるでしょう。
でも自然科学は、あくまで自然の中で確認できることをもとにした人間の思索と確認作業から成り立っています。
地球史上の大量絶命の原因として硝石、硫黄、濃縮ウランを想定して知性の存在を語ることは、かつての神を前提としたスコラ哲学の議論と変わりがありませんね。
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>地動説は恒常的な風が吹かない理由を、光波動説は媒質が存在しない理由を、説明しなかったことから、到底、正しい科学の方法に則っていたとは、言えません。
これが、後知恵です。当時確認されている事実をもとに考察した科学的考えです。
>しかし、両説とも、これがなければ、その後の科学の飛躍的な進歩は、ありえませんでした。地動説はニュートン力学の、光波動説は電磁気学と量子力学の、それぞれ原因になったのですから。そうなると、おっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」のは、しゃしゃり出ることを許す許さないの、判断基準にふさわしいのかが、問われます。
科学理論というのは、ニュートンの言葉として有名な「先人の肩の上にのって自然を見渡す」というように、積み重ねです。
そして積み重ねられるのは誰でも確認できる事実であって、文化的な価値観にまみれた神様の意思ではありません。
>ルイセンコ理論が、旧ソ連の農業に甚大な被害を与えたなどと言われますが、被害を与えたのはルイセンコ理論がしゃしゃり出たからなのか、それともルイセンコ理論以外が弾圧されたからなのかを、断じて混同してはいけません。
ルイセンコ理論が科学的に間違っていたからです。それがしゃしゃり出たのは、当時の政治思想が後押ししたからです。シンプルな話です。
-
おっと、ニュートン自身は自然の仕組みの解明は神の摂理を明らかにすることだと考えていたようですが、
その後、科学の方法と信仰の切り分けが明快になっているので現代の基準で捉えてくださいね。
アインシュタインのスピノザの神、「神即自然」のように、西欧文化では神様が骨がらみですからね。
-
>>140
>真っ当な科学理論として教えることです。
ですから、そのためにはしっかりと科学的根拠の提示が必要と言っています。
できなければ現状科学理論としては不十分な仮説であることを教える必要があります。
>もしかして「公共教育」だからダメなのですか? 私塾ならよいのですか?
科学の手順に則るならどこでも好きにすりゃ良いですよ。
科学を標榜するならどこでも駄目な行為です。
>旧ソ連の農業が被害を受けたのは、ルイセンコ理論が教えられたからではなく、ルイセンコ理論以外が弾圧されたからです。何かを教えたからではなく、何かを教えるのを禁じたからですよ。
なぜ弾圧される必要があったのか考えましょう。
ルイセンコ学説を優遇する必要が無いなら弾圧なんか起きるわけ無いでしょう。
>例え波動説が教えられても、粒子説が被害など受けません。それとも受けましたか? 受けたなら、それを示すように求めましたが、あなたは示せないのです。
そりゃぁルイセンコのようなレベルの弾圧が無かったからってだけでしょう。
単純に根拠が当時粒子説より弱かったから非主流となっただけの話です。
政治的な働きも無かったわけじゃ無いですが、基本的に科学の手法に則った行為だっただけですよ。
教える教えない、学ぶ学ばないは好きにすりゃ良いんですよ。
今も昔も
>光量子は光波動説の産物です。
波動説では光電効果が説明困難だったから当時問題だったんですよ。
19世紀は粒子説と波動説の立場が逆転してました。粒子説が取り上げるには弱い状況だったんです。
光を粒子と捉えれば光電効果は説明できましたが非主流だったため除外されてたんです。
その中、アインシュタインが光の粒子性を再度取り上げることで光量子仮説が出てきたのですよ。
>「無駄であり害悪」だから、科学理論として教えるな、と言われるではないですか。害悪が自明ではなく、単にそういう風にも考えることが出来る程度で、そこまで言われますか? 一方で「波動説の台頭で反対に粒子説が追いやられた」とも考えてるのですよね。なら、光波動説は害悪だから、科学理論として教えるな、という結論になるでしょうが。
お願いですから言わんとしていることを理解しようとして下さい。
私が何を害悪と断じているか分っていますか?波動説だろうがID説だろうが仮説それ自体に善悪も何もないのです。
その扱い方に問題があると言っているのです。
ID論を科学として教えるのは大いに結構です。ただその為には科学的根拠がいるよね、としつこくしつこく言っています。
「害悪なのは根拠が弱い状態で現在の立ち位置を騙ることです。」
もう本当に人の主張を理解して下さい。
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>「単一のモノ」とは「鉄より固い物質と同様の性質を持ちながらも万物が動くのに問題がない不思議物質」のことですよね。しかも、そんな物質が存在できる原理は不明なのですよね。なら、そこでどれほど複雑な原理が働いてるか、分からないではありませんか。なぜ、難易度が低いと、決めてかかるのですか?
>
>おっしゃるような不思議物質を単純な存在と考えるのは、原理など気にせず、不思議を不思議のまま受け入れる、科学とは対極の発想ですよ。
科学的観察や実験から導き出されたものなら科学ですよ。
上記のアインシュタインが唱えた粒子と波動の二重性をどう考えますか?
原理不明のあり得ない特徴ですよね?
そう考えるしか無いからありのまま受け入れたわけです。
当時のエーテルも同様です。
実験や観察から波っぽいことが示され、当時の状況として媒質を想定する必要があった。
あり得ない特徴だが媒質が必須ならそう言う不思議な媒質としてありのまま受け入れるしか無いです。
科学では普通のことです。
そして科学の特徴はそこで終わらず、その不可思議な特徴を検討検証して行きます。
受け入れてからどうするか?が科学です。端っから受け入れないことが科学では無いのです。
そして難易度の話ですが複雑性の話になります。
仮定がどれ程少なく出来るかとも言えます。科学理論の基本としてあるオッカムの剃刀ですね。
>要するに私がIDの可能性を見る鳥の発生が1億年前なら、39億年は40億年の97.5%です。2億年前でも95%です。宇宙人を想定するより、その程度の差は、知性が生じる生じないを分ける差ではない、と考える方が合理的です。
1億年手とんでもない時間ですけどね。
もっと時間を掛けられる宇宙人ならより洗練された技術や知性を備えたIDを想定できますよ。
そう言う部分では宇宙人説はより合理的ですよね。
>今、知られている、地球史の大量絶滅は、隕石衝突その他の原因で、自然環境が変わったことで、説明されています。要するに自然現象です。
そんなこと言い出したらIDも自然選択とかで説明できちゃいますよ。
優遇する意味が無いですよね?
>これまたおっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」目的が、科学の進歩に寄与することにあるなら、正しい科学の方法に則らない理論がしゃしゃり出たことで、現実に何が起こったかを、検証せねばなりません。
ルイセンコ農法、魔女狩り、中華料理店症候群、フードファディズム…現実にイロイロ起こってますね。
>地動説は恒常的な風が吹かない理由を、光波動説は媒質が存在しない理由を、説明しなかったことから、到底、正しい科学の方法に則っていたとは、言えません。
先にも言いましたが説明が付かないことが一つ二つあったところで、即科学理論として失敗とはなりません。
矛盾が本当に矛盾なのか検証が必要ですし、何よりその説を支持する確たる証拠があれば簡単には揺るぎません。
地動説にしろ波動説にしろ問題はあったとしても、別に確たる支持する理由も同時に存在したのです。
一方、現状IDはその支持する理由が非常に弱いのです。
ですので地動説や波動説は例として相応しくないと思います。
>地動説はニュートン力学の、光波動説は電磁気学と量子力学の、それぞれ原因になったのですから。そうなると、おっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」のは、しゃしゃり出ることを許す許さないの、判断基準にふさわしいのかが、問われます。
歴史学者の誤謬ですね。
GBさんが仰るように後知恵です。
>ルイセンコ理論が、旧ソ連の農業に甚大な被害を与えたなどと言われますが、被害を与えたのはルイセンコ理論がしゃしゃり出たからなのか、それともルイセンコ理論以外が弾圧されたからなのかを、断じて混同してはいけません。
ルイセンコ学説が‘不当に”支持されたからに他なりません。
もう一度言いますが、なぜ弾圧されたか考えましょう。
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ここに及んでも、ルイセンコを持ち出すのが、信じられません。
この問題の本質は、他理論が弾圧されたことにあるのは、理解されますよね。弾圧の理由など関係ない。弾圧された事実で十分です。
今のID論が自然選択説を弾圧してますか? してませんよね。ブッシュ大統領は、自然選択もIDも教えればよいと言ったのです。しかも、それぞれの学校が、または学区が、そう決めればの話です。強制も弾圧もどこにもない。ルイセンコとは、まるで違う話でしょうが。
大統領の考えと同様の例を歴史に求めるなら、光の正体論争こそがふさわしい。粒子説を教えるのも、波動説を教えるのも、完全に自由でした。だから、IDを教育に持ち込む害悪を主張するなら、18世紀に同様の害悪を見つけるべきです。
あなたはそれを見つけられません。波動説を教えたから、粒子説へのリソースが割かれたなどと言いながら、粒子説の何が遅れたのかと尋ねると、まともに答えられず、追及すると、なんと光電効果の話がでました。
>光を粒子と捉えれば光電効果は説明できましたが非主流だったため除外されてたんです。
いいえ。「非主流だった」光粒子説では、光電効果など説明できません。光量子は全くの別物だからです。光量子のエネルギーは、プランク定数×周波数。周波数にのみ依存するから、強烈な赤い光を長時間照射するより、微弱な青い光を一瞬照らすほうが、電子を激しく動かします。18世紀の粒子理解では考えられないことです。
>上記のアインシュタインが唱えた粒子と波動の二重性をどう考えますか?
>原理不明のあり得ない特徴ですよね?
原理不明って・・・残念ながら、あなたが知らないだけです。
その原理は量子論の初期に教えます。光は光量子という離散的な単位で存在する意味で「粒子」です。しかし、量子サイズの微小な存在には、不確定性原理が働き、位置を特定できません。ただし特定できないといってもランダムではなく、どこにどれだけの確率で存在するかは、厳密な数式に従うのです。そしてその数式が波動関数なのです。これが、粒子と波動の二重性です。原理不明ではありません。
ただし、18世紀の光粒子なら、波動との二重性は完全矛盾です。これも、光粒子と光量子が、まったくの別物で、光量子の説明に、光粒子説など何の役にも立たない証拠です。
>そして難易度の話ですが複雑性の話になります。
>仮定がどれ程少なく出来るかとも言えます。科学理論の基本としてあるオッカムの剃刀ですね
鉄よりも硬く、しかし万物を無抵抗で通過させる不思議物質が、少ない仮定で説明できると、なぜ分かりますか? これこそ原理不明なのに。こんなもの、オッカムの剃刀の対象ですか。
科学の基本として「A説はB説よりもシンプルである」のみならず「〇〇は××よりも△△である」という比較級表現を用いるなら、数値化すべきです。
例えば、19世紀までは、炭素やシリコンなどの原子が、最も根源的な粒子と思われました。この理論だと、天然の元素だけでも、水素からウランまで92種類の根源粒子がある。ところが内部構造が解明され、どんな原子も、陽子、中性子、電子の3種類の粒子で構成されることが分かり、理論がシンプルになったのです。数値としての3は92より小さいからです。
不思議物質が品種改良よりシンプルと言われるなら、数値で表してください。
>1億年手とんでもない時間ですけどね。
2.5%という相対差が問題だと言ってます。
>地動説にしろ波動説にしろ問題はあったとしても、別に確たる支持する理由も同時に存在したのです。
では、今のID論にはない、確たる支持する理由を具体的に述べてください。むろん、16世紀の地動説と18世紀の波動説ですよ。
>歴史学者の誤謬ですね。
>GBさんが仰るように後知恵です。
意味不明。
前にも言いましたが、歴史に学ぶとは、後知恵を得ることです。矛盾がある地動説や波動説が教えられたことが、科学に大貢献した、という後知恵に学びましょう、と私は言っております。
それと、第三者の発言を読むことを求めるなら、合意した形をとってください。
(1)第三者の考えを、自分の言葉で言い直す
(2)第三者の発言の使える部分を、自分の投稿に貼り付ける
(3)第三者の投稿を丸ごと自分の発言と見なせる場合のみ、投稿番号を指定する
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現代の主流説とされる総合説とID論を比較してみましょう。
先ずID論から行きましょうか。
ID論は科学的な知見に基づく推論です。
その推論はあらゆる科学的知見からロジカルに導かれます。
そういう意味では科学的な仮説と言って差し支えないでしょう。
しかし他の科学的仮説と大きく異なる点は知性と言う科学的な定義がかなり困難なものをその前提に置く点です。
これは知性の解釈と言う人間の意識にも関わる複雑な問題を提供します。
しかし知性をどう定義しようと、因果律をもたらすアルゴリズムの存在は否定の仕様がありませんね。
その様なアルゴリズムは何故生み出されたのかという事です。
答えは背理法に依って明確に導かれます。
一方の総合説ですが、これはずっと述べてきた通り、あまりにお粗末です。
多くの人たちはそれを科学と信じているようですが、これも繰り返し説明した来た通り全く科学理論の体をなしていません。
先ず事実に依る実証が皆無です。
都合の良い変異が起こりさえすればそれが自然選択だとするトンデモナイ誤解と極め付けが横行しています。
それは選択と言う自然選択における最も重要なフェーズを無視していることになります。
そして膨大な選択されざる者たちを生産し続けなければならないそのシステムのロジック自体が自家撞着であると言えます。
その様な誤解が生じる大きなポイントは、選択という事象に対する無理解です。
この自然選択論の最も根幹の部分の事象がロジカルに理解出来ないでいる訳です。
その最も肝心な部分の検証を完全にパスして、それを科学理論と称している訳です。
自然選択論の科学分野における正しい位置づけは、ダーウィンとその追従者によって提唱され信じ込まれている科学的な実証が全く伴わない淘汰されるべき仮説です。
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>旧ソ連の農業が被害を受けたのは、ルイセンコ理論が教えられたからではなく、ルイセンコ理論以外が弾圧されたからです。何かを教えたからではなく、何かを教えるのを禁じたからですよ。
ルイセンコ理論は誤りでしたが、当時の政治体制に利用され、科学的な議論を抹殺したために旧ソ連の農業が被害を受けました。
現在のアメリカは旧ソ連とは異なり、インテリジェントデザイナー論を擁護する勢力が勝手に進化論を抹殺することはできません。
多くの議論が繰り返された結果、裁判所の判断を含め、インテリジェントデザイナー論を科学理論として理科で教えることを禁止する、という経緯をたどります。
いちばん大きな疑問は、インテリジェントデザイナー論を科学理論として進化論と同列に教えることで、どういう結果が生まれる、あるいは期待するのでしょう。
デザイン論を科学教育に取り入れない理由は、数十年にわたる議論の結果から明らかです。科学理論として対等に扱うことが不可能なんですから。
>「非主流だった」光粒子説では、光電効果など説明できません。光量子は全くの別物だからです。
アインシュタインが光量子仮説を取り入れるまで、どの時代にどの説が優勢だったかは、その当時確認された事実に基づく解釈の違いによるでしょう。
理論に基づく推測が事実と矛盾する場合、新たな解釈が必要になりますが、その理由がわからない間は原因不明の現象です。とにかく事実を受け入れ、説明の方法を探るしかありません。
波動説、粒子説、光量子説もどんどん積み重なる事実に基づく解釈の歴史であり、自然科学の営みそのものでしょう。
インテリジェントデザイナー論が科学理論だと主張するなら、シンプルに、科学的方法論に基づく説明が必要だと思いますよ。
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「世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
自然神学はその構想は科学と基本的に同一です。
それをキリスト教に引きずり込もうと言うのは宗教者側の都合に過ぎません。
この自然神学のロジックは現代の科学的知見に依ってより強固なものになっています。
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宗教には排他性がありますが、自然選択論者も同様の排他性を持ちます。
検証を拒む姿勢も共通しています。
つまり妄想のおもちゃの家の住人とその周辺に広がる城下町です。
この景色は中々変わりませんね。
人間の宗教心は何処かにその居場所を求めます。
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ID論は、予断無くこの現実世界、宇宙、生物を観察し、ロジカルに推論すれば簡単にその存在の確からしさが確認できます。
対して自然選択論に軸足を置いた現代進化論は、科学的根拠ゼロ、更に注意深く検証すればそのロジック自体が完全に破綻しています。
どちらを採るべきかは言うまでもありませんね。
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>「世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
はい、そうですね。インテリジェントデザイナー論=自然神学です。
人知を超越した者を客観的に示せない以上、「科学理論ではない」ということに気づいてくださいね。
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ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。
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科学は最新が最も正しい。
過去に比べて、と言う話です。
日々新しい事実の発見、新しい理論の発見によってその知見は更新されます。
新しい理論は事実に依って検証され、更に事実に依って書き替えられます。
それはつまり未来に亘ってはその理論が書き替えられる可能性があることも意味します。
その様に日々事実に依って検証されるのが科学理論です。
自然選択論を正しいと主張するなら、検証に曝されなければなりません。
そして驚くべき事に、より適応的な変異が生じればそれが自然選択の証明であると言う極めて飛躍した論理が横行しています。
自然選択以外にその様な変異が存在し得ることに目を向けようとしない、そもそも自然選択論の工程を全く理解していない、その結果です。
160年以上前のダーウィンの思い付きの空想を今猶信じ続ける研究者たちの存在は異様です。
この話は今までもいやと言う程繰り返してきましたが、それでも現状を見るとまた同じことを言わざるを得ません。
競争原理によって進化がもたらされると言う誤った思い込みは多くの人たちに本能レベルで刷り込まれています。
自然は競争原理と言う極めて非効率な手段は採用しません。
その刷り込みの元凶はやはりダーウィンと言うべきでしょう。
ダーウィンの功績はゼロ、進化論を迂回させている罪は重大と言うべきです。
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全ての科学的知見とその進展はID論を支持し補強します。
対する自然選択論は迷信、お伽話です。
そして多くの名のある科学者たちも、そのお伽話の迷信から未だに抜け出せないでいます。
その理由を考えるのは彼ら自身の責任ですね。
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灘史上、東大史上最高の天才と呼ばれてネットでも話題になっている岡田康志氏は、神様つまり設計者の存在を前提に生命現象を考察していますね。
理化学研究所チームリーダー、東大教授である同氏は、生命システムの効率性、その根本原因に神の存在を想定します。
ノーベル賞に近いとも言われていますね。
IDの想定は、この様なある現象に対するアプローチの方法において有効な思考上の武器となります。
逆にそれを非科学的とか言って排除しまくっていると自然選択論の様な誤ったドグマに陥ってしまう訳です。
科学的思考の効率性にID論、つまり設計者の想定は寄与します。
頑なにそれを撥ね付けていると、思考を大きく迂回させることになります。
真実から遠のき続けているのが自然選択論の上に立脚した現在進化論と言っても良いでしょう。
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>自然は競争原理と言う極めて非効率な手段は採用しません。
その通りです。いかに多くの子孫をたまたま残すことができたか、ということですから。それが自然選択です。
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>理化学研究所チームリーダー、東大教授である同氏は、生命システムの効率性、その根本原因に神の存在を想定します
個人の考えと、科学的な確かさとは、別問題です。
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ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね
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つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
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キリスト教は殊に西欧社会においては現在も猶極めて強固な精神的支柱として存在します。
ローマ以降の西欧社会の歴史はそのままキリスト教との関連において記述されます。
従って、自然神学もキリスト教の文脈の中で述べらる事が多いですが、それが自然観察に基づくもので啓示神を意味しない点において、実はキリスト教と対立するものです。
その意味においては自然神学は基本的にID論と同一の主張を行います。
バチカンがID論が啓示神人格神を認めないとの理由でそれを警戒しているのと同様の事が、自然神学に対しても言える訳です。
それでも一方では自然神学を神の存在証明として援用するキリスト教徒も多数存在します。
そして同様にID論においても似たような状況がある訳です。
ここに科学と宗教の決定的な混同と混乱があります。
そしてそれは科学の文脈でID論を語る上で大きな障害になります。
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つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
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「種の起源」の体裁は神学書のものだと言う指摘があります。
種の起源は有害無益ですが、同様に神学も科学にとって有害無益です。
宗教は科学を妨害することすらあれ、科学に利することは何一つありません。
ID論もソレを神学の流れで捉えている限り宗教のドグマから逃れることが出来ません。
宗教は人間の無知と弱さによって紡ぎ出されます。
逆に言えば人間が全知であり強靭な理性を持つ存在であれば宗教が誕生する余地はありません。
つまりダーウィンの居場所はそこだという事です。
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宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
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Kenさん
>私が言う教えるとは、ID論という根拠のない説が出回ってます、という教え方ではありませんよ。私が言う教えるとは、ID論という根拠のない説が出回ってます、という教え方ではありませんよ。真っ当な科学理論として教えることです。前者の教え方ならよい、と言われてるようですが、そんな教え方は考えてないし、かつての光波動説の教え方でもありません。前者の教え方ならよい、と言われてるようですが、そんな教え方は考えてないし、かつての光波動説の教え方でもありません。
「真っ当な科学理論として教えることです」。
それなら、真っ当な科学の手順に従った提示をしなければだめですよね。
そこで必要なのは、まず、デザイナーの客観的な存在証明ということになっちゃうんですよ。
それができなければ、サイエンスの手法からすれば詭弁を弄しているだけ、ということになります。
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つまり科学を知らずに科学、科学と叫んでいる訳です。
従って科学的根拠、科学的証明の意味も分からない。
ダーウィニストが自然選択論が科学的に証明された科学だと主張しているのはその典型的な例ですね。
ではどの様に科学的に証明されたのかと彼らに問うても絶対にまともな答えは返ってきません。
そもそも自然選択の原理を厳密に理解していないのだから、話になりませんね。
ただ漠然と、みんながそう言ってる様なので、と言う様な理由だけで信じ込んでいます。
突っ込まれればしどろもどろ、妄想を口走りだします。
一度胸に手を当ててよく考えてみましょうね。
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知性の劣る人、感性の鈍い人、権威に盲従したがる人、こういった人たちが事実を直視できない人達の類型です。
それらは基本的に資質の問題なので、その特徴は終生変わることがありません。
彼らは科学の進歩の阻害要因となります。
事実を直視するのは、実際の所それ程簡単ではないんですね。
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能力には個人差が有ります。
これは如何ともし難いですね。
埋めようが無い差と言うものが存在します。
それを自覚出来ない、若しくは自覚するのを拒む人達も存在します。
結局彼らは終生真実に辿り着く事は有りません。
妄想を信じたまま終わる訳です。
それも自覚出来ないままにね。
-
>>148
>この問題の本質は、他理論が弾圧されたことにあるのは、理解されますよね。弾圧の理由など関係ない。弾圧された事実で十分です。
違います。
本当にもういい加減理解して欲しいのですが、問題の本質は「科学的手順を無視して台頭したこと」なのです。
弾圧だろうが虐殺だろうがここにおいてはそれは問題ではありません。
人道や倫理の話をしているのではありません。科学の話をしています。
もう何度目か分りませんが、ID論が害悪とは言っていません。根拠不十分で科学として騙り主張することを害悪と言っています。
そんなに解りがたい説明してますかね?
私が単にIDだから害悪と言っていると思っているんですか?そう捉えているなら理解出来ていません。
もう少し落ち着いてよく読んで下さい。
>波動説を教えたから、粒子説へのリソースが割かれたなどと言いながら、粒子説の何が遅れたのかと尋ねると、まともに答えられず、追及すると、なんと光電効果の話がでました。
これも例えで出したの理解出来ていませんね。実際にそう言うことがあったとは一言も書いていません。あくまで可能性の話を論じています。
波動説が非主流とならず教えられたらもっと早く科学の理解が進んだ、と言う貴方の主張に対し所詮後知恵であって確実性は無いと言っています。
波動説が教えられていたとてヤングさんの実験が前倒しになった保証はないし、逆に波動説へリソースが割かれることで光の粒子性の知見が遅れどっちにしろ光学分野が進まないかも知れません。
所詮、可能性の話で余り意味はありません。実際過ぎ去ったことで今の知識でアレコレ言っても無意味です。
ですから一般論で語るべきと提案しているのです。
>いいえ。「非主流だった」光粒子説では、光電効果など説明できません。
粒子説で説明しろではなく粒子性を用いる必要があったことを言っています。
粒子説でも波動説でも説明が難しかったと言うことです。
>原理不明って・・・残念ながら、あなたが知らないだけです。
>
>その原理は量子論の初期に教えます。光は光量子という離散的な単位で存在する意味で「粒子」です。しかし、量子サイズの微小な存在には、不確定性原理が働き、位置を特定できません。ただし特定できないといってもランダムではなく、どこにどれだけの確率で存在するかは、厳密な数式に従うのです。そしてその数式が波動関数なのです。これが、粒子と波動の二重性です。原理不明ではありません。
言葉を言い換えただけで説明になっていませんよ。
不確定性原理がなぜ働くのか説明してごらんなさいな。できないですから。
あくまでそう言う「特性」でしかありません。その特性を受け入れ数式を求めそれを利用しているだけです。
公理みたいなもんですよ。
>鉄よりも硬く、しかし万物を無抵抗で通過させる不思議物質が、少ない仮定で説明できると、なぜ分かりますか? これこそ原理不明なのに。こんなもの、オッカムの剃刀の対象ですか。
と言うことで粒子と波動の二重性と同じです。そう言う特性として受け入れます。仮定としてはそれ位ですね。
受け入れないなら矛盾の無い別の説を考えるだけです。過去の人も実際行っています。
>2.5%という相対差が問題だと言ってます。
宇宙人ならもっと行けます。より合理的ですよ。
>では、今のID論にはない、確たる支持する理由を具体的に述べてください。むろん、16世紀の地動説と18世紀の波動説ですよ。
どちらも対立説で説明困難でもよりシンプルに説明できる事象が複数あった、それに尽きます。
地動説なら火星の逆行とか波動説なら光速値の一定性やらニュートン環の原因とかですね。
>意味不明。
>前にも言いましたが、歴史に学ぶとは、後知恵を得ることです。矛盾がある地動説や波動説が教えられたことが、科学に大貢献した、という後知恵に学びましょう、と私は言っております。
温故知新は結構ですが後知恵を持って昔の人たちの意志決定を批判するのは間違っています。
歴史学者の誤謬と呼ばれる詭弁論法です。
今も昔も科学として最適な手法をとろうとまっとうな研究者や科学者は努力しています。
科学的手法を無視して科学的に大成功って例はあったとしても非常にレアなものだと思います。
少なくとも私は知りませんよ。
>それと、第三者の発言を読むことを求めるなら、合意した形をとってください。
別に読むことをススメも邪魔もしません。
GBさんの言葉も私の言葉もどちらも‘後知恵”と言う意味は変わりませんから。
-
自然選択によっていかなることも成し得る、と言うのがダーウィンの構想ですね。
生物を自然が選択し得るのは唯一生存率のコントロールと言う手段によってです。
それですべてが成し得ると考えた訳です。
環境によって生物の生存に制約を与える、その方法以外にありません。
これはラマルク的な用不用による変異を度外視しての話です。
ダーウィンも実は変異はラマルクと同様に考えていたので話は少しややこしくなりますが、これは総合説における自然選択で考えましょう。
全くランダムな変異を生存率の制限によってコントロールすることでこれだけ複雑で精巧で多様な現実の進化の事実が説明可能なわけもありません。
中立説、遺伝的浮動なども総合説は持ち出しますが、更に進化の実体を説明する力はありません。
お伽話ですね。
それを科学と信じる住人達。
この話も飽きるほど繰り返してきましたね。
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自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
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生命体のシステム全体で見れば、ゲノムも含めて更に複雑で精妙なシステムの上に成立しています。
進化の過程においてはゲノム重複、他の種からの遺伝子取り込み等が極めて重要な役割を果たします。
そして特定の遺伝子の獲得が進化を飛躍させます。
それら全てが自然選択とは無縁の世界です。
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繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
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>そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
実体不明な根拠をもとに科学理論をつくれるわけがありませんね。
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ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。
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思弁じゃだめ。サイエンスの方法論に則った、客観的な証拠がないとね。
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ついでに書いちゃいますけど、Kenさんの主張は、具体論という名目のもとの思弁ですね。
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宗教には排他性がありますが、自然選択論者も同様の排他性を持ちます。
検証を拒む姿勢も共通しています。
つまり妄想のおもちゃの家の住人とその周辺に広がる城下町です。
この景色は中々変わりませんね。
人間の宗教心は何処かにその居場所を求めます。
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つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
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世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
自然神学はその構想は科学と基本的に同一です。
それをキリスト教に引きずり込もうと言うのは宗教者側の都合に過ぎません。
この自然神学のロジックは現代の科学的知見に依ってより強固なものになっています。
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宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
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自然科学は自然理解を目的にしていることをお忘れなく。
宗教が扱う人間にとって大切な価値とは分けて捉えないと世界理解を誤りますよ。
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つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
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能力には個人差が有ります。
これは如何ともし難いですね。
埋めようが無い差と言うものが存在します。
それを自覚出来ない、若しくは自覚するのを拒む人達も存在します。
結局彼らは終生真実に辿り着く事は有りません。
妄想を信じたまま終わる訳です。
それも自覚出来ないままにね。
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キリスト教は殊に西欧社会においては現在も猶極めて強固な精神的支柱として存在します。
ローマ以降の西欧社会の歴史はそのままキリスト教との関連において記述されます。
従って、自然神学もキリスト教の文脈の中で述べらる事が多いですが、それが自然観察に基づくもので啓示神を意味しない点において、実はキリスト教と対立するものです。
その意味においては自然神学は基本的にID論と同一の主張を行います。
バチカンがID論が啓示神人格神を認めないとの理由でそれを警戒しているのと同様の事が、自然神学に対しても言える訳です。
それでも一方では自然神学を神の存在証明として援用するキリスト教徒も多数存在します。
そして同様にID論においても似たような状況がある訳です。
ここに科学と宗教の決定的な混同と混乱があります。
そしてそれは科学の文脈でID論を語る上で大きな障害になります。
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宗教は科学とは対極にあるものです。
仏教に関しは、ある種認識論として物理学、量子論等との関係性が論じられたりしていますが、例えばキリスト教に関しては正しくそれに該当します。
前提を無検証に信じ込む。
マリアの処女懐胎を主張しますね。
ID論は宗教的前提を排して構築されますから勿論宗教ではありません。
ID論を宗教者が主張しようが、自らの信じる宗教への誘導を画策しようが、それ自体が宗教ではない事に変わりはありません。
従って、ID論を宗教だと言って攻撃しようとする人達は自ら宗教的な立場に身を置いて発言していると言う事になります。
自然神学から現在に至るまで、設計者の存在の確証は強まりこそすれ弱まる事は決して有りません。
科学の進展による知見の拡大は設計の存在をよりなくてはならないものと位置付けます。
多くの科学者は、設計問題に踏み込む事をためらいますが、そこに踏み込まなければ効率良く真実に迫る事は出来ません。
一部にそれを認識している研究者もいる様ですが、まだまだ少数派ですね。
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>科学的手法を無視して科学的に大成功って例はあったとしても非常にレアなものだと思います。
この点こそ主題です。科学の進歩のためには、あなたのように「科学的手法」なる規制をかけるのがよいのか。私のように、完全自由にして、自然の選択圧力に任せればよいのか。
>弾圧だろうが虐殺だろうがここにおいてはそれは問題ではありません。
>根拠不十分で科学として騙り主張することを害悪と言っています。
それなら、ルイセンコ理論のような、弾圧があった事例を出すのが間違いです。弾圧はないが、根拠不十分な理論が主張されたことで、科学の進歩が阻害された実例を挙げてください。
>所詮、可能性の話で余り意味はありません。実際過ぎ去ったことで今の知識でアレコレ言っても無意味です。
おかしいですね。科学の進歩を阻害する害悪があるというから、本当に阻害したかを実例で検証したのに、所詮、可能性の話で意味がないと、言われるのですか? なのに、検証もしてない、害悪があるという説は、意味があるのですか。
>粒子説で説明しろではなく粒子性を用いる必要があったことを言っています。
粒子説が不要なら、リソースが割かれて、粒子説の研究が遅れたことの影響がなかったことになります。光粒子の概念だけあればよかったなら、粒子説が消えない限り、概念はあります。結局、波動説が生き残り、リソースが割かれたことの影響はなかったのです。
>不確定性原理がなぜ働くのか説明してごらんなさいな。できないですから。
????これも、量子論講義の初期に説明されますが。
何かを観測するには、観測対象に光や電子を当てねばなりません。ところが、対象が量子サイズの大きさだと、光や電子を当てる行為自体が、対象の状態を変えてしまうのです。ゆえに状態を確定する観測ができず、不確定になります。どんな教科書にも載ってる話でしょうけど、私の情報源はファインマンです。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html
Fig. 37–3とFig. 37–4が、観測のための光を当てると、状態が変わることを示します。
>あくまでそう言う「特性」でしかありません。その特性を受け入れ数式を求めそれを利用しているだけです。
>公理みたいなもんですよ。
公理!
鉄よりはるかに硬いのに万物を自由に通過させる物質を、公理とされるのですか?
でも、その公理なるものは、既存の物理法則と両立できないでしょうが。
恒常的な風という地動説の矛盾と、鉄より硬い媒質という波動説の矛盾。これを解消できない限り、地動説と波動説に、根拠があるとは見なせません。だって、おっしゃるような公理で天体の動きや光の正体を説明したとて、代償に非常に広範な事象を説明不能にしてしまいます。より根源的な物理法則を覆すのだから。
私は、鳥の発生をIDで説明することに根拠があると考えますが、たとえ、それが誤りとしても、中生代の品種改良は、物理法則を覆すことはありません。
>受け入れないなら矛盾の無い別の説を考えるだけです。過去の人も実際行っています。
なら、矛盾を解決するまで、地動説も波動説も、主張されるべきでないことになりませんか?
>どちらも対立説で説明困難でもよりシンプルに説明できる事象が複数あった、それに尽きます。
>地動説なら火星の逆行とか波動説なら光速値の一定性やらニュートン環の原因とかですね。
それなら天動説と粒子説でも説明されたではありませんか。それとも地動説と波動説の方が「シンプル」といわれますか? でも、シンプルさの定量的評価法を、説明されてません。
それに、この問題は、上記の「公理」と直結します。上記のような形の公理を認めるなら、仮定の複雑さシンプルさなど無意味だからです。
例えば、上で、惑星の逆行を、地動説の根拠に挙げましたね。それはコペルニクスが地動説を考えた理由です。天動説なら、周転円のような仮定が必要ですから。でも、考えてください。単に、逆行もする惑星があるという公理を設定すれば、そんな仮定は不要ではないですか。
複雑にみえる仮定を積み上げるのは、既存の知識体系との矛盾を回避しつつ、観測結果を説明する理屈を考案するからです。おっしゃるような「公理」を認めるなら、その必要自体がなくなります。
天動説と粒子説が、地動説と波動説にはない仮定をおいたのは、そのとおりです。しかし、それらは、恒常的な風や鉄より硬い媒質に比べたら、はるかに論理的なものです。確立された知識体系と矛盾しないように、慎重に考えた結果ですから。
オッカムの剃刀は、現象を説明できる理論が複数あるなら、シンプルなものが優れると言ってるので、説明できないことを公理にして済ませよなどと、いっておりません。
-
>189
>それなら、ルイセンコ理論のような、弾圧があった事例を出すのが間違いです。弾圧はないが、根拠不十分な理論が主張されたことで、科学の進歩が阻害された実例を挙げてください。
なぜルイセンコを除外しなければならないのか不明ですね。
弾圧が何のためになぜ起きたと思っていますか?根拠不十分な理論を正規の科学的手順を無視して主張し押し通すためですよ。
弾圧が無い例だったら中国とかでのルイセンコ農法推進があります。
反対派の弾圧は殆どありませんでしたが国が強力に推し進めたため悲劇が生まれています。
>おかしいですね。科学の進歩を阻害する害悪があるというから、本当に阻害したかを実例で検証したのに、所詮、可能性の話で意味がないと、言われるのですか? なのに、検証もしてない、害悪があるという説は、意味があるのですか。
過去に起きたことに対してこうすれば良かった悪かったなんて可能性以上では述べられず検証のしようがありませんよ。
実例で検証とか言いますが後知恵の理屈でしか無く、本当にそうなるかなんてタイムマシンでも無い限り確かなことは言えません。
ですから「そう言うのは一般論で考えるべき」と言っています。
>????これも、量子論講義の初期に説明されますが。
>
>何かを観測するには、観測対象に光や電子を当てねばなりません。ところが、対象が量子サイズの大きさだと、光や電子を当てる行為自体が、対象の状態を変えてしまうのです。ゆえに状態を確定する観測ができず、不確定になります。どんな教科書にも載ってる話でしょうけど、私の情報源はファインマンです。
はい。間違ってます。
不確定性原理と観察者効果を混同しています。
不確定性原理は観察者効果と無関係に存在するもので、Kenさんの言っている観察者効果は不確定性原理によって生じる現象の一つでしかありません。
不確定性原理はあくまで特性であって現状そのまま受け入れるしか無いものですよ。
電子が当たったから状態が変化しちゃったみたいな単純なものなら皆そこまで悩まなかったと思います。
○不確定性原理→観察者効果
×観察者効果→不確定性原理
>鉄よりはるかに硬いのに万物を自由に通過させる物質を、公理とされるのですか?
>でも、その公理なるものは、既存の物理法則と両立できないでしょうが。
そのように考えるしか無いと言うことです。
それをありえないとして完全却下して見向きもせず別の説に移るか、鉄のように硬いモノとして別の理屈を考えるか、そもそもの大前提を疑うか、それらを考え検証することが科学です。
実際に当時も鉄より固いとか言われた状況下でも色々アイデアを出し検証しています。
正しい科学の姿勢ですね。
当時の物理法則の常識と両立できないけど受け入れるしか無かったモノなんて色々あるでしょ?
先の不確定性原理然り、光速度不変の原理然りね。
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つづき
>なら、矛盾を解決するまで、地動説も波動説も、主張されるべきでないことになりませんか?
なりませんよ。
矛盾があっても実際有用な部分があるなら主張するのに何をためらう必要があるのです。
矛盾が無いとか有用な部分を過大に偽るとかしなければ主張は自由です。
解らない部分や矛盾のような部分もありのまま言えば良いだけの話です。「現状こう言う矛盾はあるが、こう言う部分なら上手く説明できる」そう言うだけです。
これ、科学では普通のことですよ。
>それとも地動説と波動説の方が「シンプル」といわれますか? でも、シンプルさの定量的評価法を、説明されてません。
シンプルに説明できる部分があると言うことです。
その‘シンプルさ”はものにもよりますが‘仮定の少なさ”と思って良いんじゃないかなぁ?
>単に、逆行もする惑星があるという公理を設定すれば、そんな仮定は不要ではないですか。
良いんじゃないですか?
仮説を立てるのは大いに結構なことですから。
重要なのはその後の仮説の検証ですよ。
>天動説と粒子説が、地動説と波動説にはない仮定をおいたのは、そのとおりです。しかし、それらは、恒常的な風や鉄より硬い媒質に比べたら、はるかに論理的なものです。確立された知識体系と矛盾しないように、慎重に考えた結果ですから。
ですから繰り返すように当時として真っ当な科学的対応をしていたと言うことに落ち着きます。
天動説と粒子説が主流になったのは正しい現象だったと言うだけのことです。
現代の知識において当時の科学者が天動説や粒子説を取り上げたのは間違いだと言うのは無意味です。後知恵の詭弁です。
間違いだったと言われても「そうですね」としか言えません。
そんでもって、それを持って「将来正しいかも知れないから証拠も大してないけどIDを持ち上げようぜ」
とか言われてもそんな勝ち目の薄い博打に乗る科学者はいませんよ。
個人的に研究するのは自由ですし好きにすら良いですが、正規の科学的手法をねじ曲げる大義はありませんよ。
根拠の高い説を優先的に取り上げるより、根拠の薄い説を積極的に取り上げた方が結果的に科学が早く進歩することをちゃんと示さないとだめですョ。
誰も納得できませんよ。
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>なぜルイセンコを除外しなければならないのか不明ですね。
対立説の弾圧や、国が強力に推し進める状況は、ID論にはないからです。
IDを教えるのが害悪と言われるなら、おっしゃるところの「根拠の薄い理論」が、ただ教えられただけで、科学の進歩が阻害された実例を出してください。
>過去に起きたことに対してこうすれば良かった悪かったなんて可能性以上では述べられず検証のしようがありませんよ。
ですから、それならなぜ、根拠の薄い理論が教えられると、進歩が阻害されると言えるのですか? こちらは「過去に起きたこと」すら、実例を出せないのに。
>矛盾があっても実際有用な部分があるなら主張するのに何をためらう必要があるのです。
下の文章を読み、私がいう意味の矛盾があっても、利用される理論があるか考えてください。
不確定性原理について、さかんに言われてますが、∆x∆p = ħ/2という数式や、存在確率が波動関数に従うという法則には、他の物理法則との矛盾がありません。だから観測結果を説明する理論として使えます。
重力は、17世紀のニュートンが法則を明らかにしましたが、なぜ重力が働くかは、まだ解明されません。その意味では、あなたが不確定性原理で言おうとしたことは、むしろこちらが該当します。でも、それが容認されるのは、重力が観測されるだけでなく、今の重力の法則が、他の法則と両立できるからです
鉄よりも硬いのに、万物を抵抗なく通す物質は、そうではありません。
硬いとは、変形されないという意味でしょう。物体を通過させるのは、変形されるという意味ですよね。豆腐に指を突きさすと入るのは、豆腐が容易に変形するからです。鉄塊で同じことができないのは、鉄塊が変形しないからです。硬いものは変形せず、よって異物の侵入を許さないのが、既存の物理法則です。エーテルはこの物理法則と矛盾するので、光波動説のためにエーテルを想定すれば、はるかに広範な事象の説明ができなくなります。豆腐を鉄塊に投げつけたら、豆腐が鉄塊に入ってゆくというのと同じですから。
このように、原理を説明できないのみか、確立された法則と両立できないのに、それでも有用される理論があるのでしたら、実例を挙げてください。
>現代の知識において当時の科学者が天動説や粒子説を取り上げたのは間違いだと言うのは無意味です。後知恵の詭弁です。
>間違いだったと言われても「そうですね」としか言えません。
いまだに、私の論点を外しておられます。当時の物理法則と矛盾のない天動説や粒子説を支持するのが、正しい科学のはずです。あなたがその時代にいれば、同じことをされたことでしょう。
しかし実際には、矛盾のある地動説と波動説が教えられたことが、次の時代の進歩につながりました。そういう歴史の後知恵があるのだから、つまり「正しい科学の方法」が役に立たなかった歴史があるのだから、これに学びましょうと言っております。
また誤解をされる前に言っておきますが、私は、16世紀に地動説を、18世紀に光波動説を、教えるべきだった、とは言っておりません。
そうではなくて、教えたい人と教わりたい人がいるなら、自由にやらせておけばよい、と言ってます。そういう自由こそが科学を進歩させるとも、言ってます。
むろん、自由にすれば、おかしな理論は出てきますよ。それでも構いません。結果が出る科学の世界は、容赦のない選択圧力が働くからです。完全な自由競争の下では、ルイセンコ理論のようなものは淘汰されます。科学の正しい方法に背くからではなく、結果をだせないからです。
前にも言いましたが、生物の進化と対比してみてください。生物に起こる突然変異は、有害なものが大半でしょう。それでも、自然界の容赦のない選択圧力があるから、その個体は繁殖せず、種単位では害を受けません。
一方、突然変異の中に、繁殖に役立つものがあることが、生物を進化させます。16世紀の地動説や18世紀の光波動説のような、いわばランダムがうんだ異端の中に、科学を進歩させるものが現れるのと同じです。強制的な排除で、その芽を摘まないようにしましょう、というのが、私が本スレッドで言い続けてることです。
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>×観察者効果→不確定性原理
「観察者効果」をどういう意味で使っておられるのでしょうか?
不確定性原理は、観察対象に影響を与えず観察する技術がまだない、と言ってるのではありませんよ。影響を与えず観察するのは、理論的に不可能だから、未来永劫、不確定しか観察できないから、不確定性そのものが法則だと言っております。そこにはロジックがあるでしょう。わけのわからぬ不確定現象が見られるだけなら、現象が出ない状況を、もっと真剣に探すはずです。
観察行為が影響を与えることは、∆x∆p = ħ/2という数式が語ります。ħは定数だから、∆xを小さくすれば、つまり位置の不確定性を小さくするような観察を行えば、∆pつまり運動量の不確定性が大きくなります。逆に∆pを小さくする観察を行えば、∆xが大きくなります。
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>192
>対立説の弾圧や、国が強力に推し進める状況は、ID論にはないからです。
>
>IDを教えるのが害悪と言われるなら、おっしゃるところの「根拠の薄い理論」が、ただ教えられただけで、科学の進歩が阻害された実例を出してください。
本当に私の主張をもう一度しっかり考えてくれませんか?
根拠が薄かろうが教えるのも学ぶのも好きにすれば良いと、ずぅ〜っと言ってます。
害悪なのは「根拠が薄いのに他の有力な説と同列レベルかそれ以上に騙ること」だともう何度も何度も書いています。
もういい加減、勘弁して下さい。
正規の科学的手順をとらないことを問題としています。
国によるものだろうと個人によるモノだろうと関係ありません。
科学として正しいか否かです。
>ですから、それならなぜ、根拠の薄い理論が教えられると、進歩が阻害されると言えるのですか?
そちらの主張と同じです。可能性の問題に過ぎません。
ルイセンコ学説の台頭はロシアの生物学分野に大きな停滞をもたらしたと言われていますが、
もしかしたらルイセンコ学説が取り上げられなくてもロシアの生物学界は特に新たな知見も無くどっちにしろ進歩が無かった可能性だってあります。
歴史におけるたらればはエンタメとしてはありですが、そこまで意味はありません。
実際に非主流を優遇するのが科学の発展において有用か否かはそんなものではなく、
「一般論から考える方が良い」と主張しているのです。
>このように、原理を説明できないのみか、確立された法則と両立できないのに、それでも有用される理論があるのでしたら、実例を挙げてください。
光速度不変の原理もそうですね。大陸移動説もそうです。
先にも書きましたが、他の科学的知見と整合しているのは重要ですがそれが絶対とは言えないのです。
その知見をひっくり返す場合ならそれもアリです。
原理不明でもデータと整合するため仮定するのは普通の話です。
繰り返しますが大事なのはその後ですよ。
エーテルにしても光の波動性が確かなモノとなったため、ありえなかろうが想定する必要が出てきたわけです。
その場合考えることは鋼のように硬いと言う前提が違うとか、硬さと流動性を併せ持つものだったりとかだったわけです。
そしてそれを実際検証していました。
当時は波動は媒質が絶対的に必要という認識でした。その状況下で物理的に矛盾があったとかで即脚下なんかしませんよ。
絶対的に必要なんですから。
その場合、本当に矛盾があるのか、矛盾を説明できないかまず考えるモノです。
>しかし実際には、矛盾のある地動説と波動説が教えられたことが、次の時代の進歩につながりました。そういう歴史の後知恵があるのだから、つまり「正しい科学の方法」が役に立たなかった歴史があるのだから、これに学びましょうと言っております。
しつこいですが繰り返します。
理解して下さい。
教えるのも学ぶのも自由です。当時のは同説も地動説も主流ではありませんでしたがその研究者には信じるに足る根拠がありました。
だから研究を続けた。それは正しい姿勢です。
IDも同じようにすれば良いだけです。
繰り返します。
問題は‘科学の正規の手順を逸脱する行為”です。
当時の地動説も波動説も逸脱なんかしていません。
それに対しルイセンコや牛乳有害論みたくID論はそこから逸脱していたから問題となっているのです。
ですので
>いわばランダムがうんだ異端の中に、科学を進歩させるものが現れるのと同じです。強制的な排除で、その芽を摘まないようにしましょう、というのが、私が本スレッドで言い続けてることです。
とのことですが、そもそもがランダムじゃないから問題なんですね。
強制的に芽を引っ張り出してるだけです。
正しい流れに戻すためには強制的に摘むしか無いのです。
何を研究するも発表するも自由ですが科学を標榜するならその基本ルールは遵守しましょう、と言うのが私が一貫して言い続けていることです。
ルールを守るならどんなトンチキな仮説を主張するのもOKです。
まぁ、いろいろ突っ込まれるでしょうけど、それが正しい議論です。
>影響を与えず観察するのは、理論的に不可能だから、未来永劫、不確定しか観察できないから、不確定性そのものが法則だと言っております。そこにはロジックがあるでしょう。
その通りです。そのものが法則でありそのまま受け入れるしか無いのです。
一般的に測定を行うかどうかに関わらず、物理的な世界には不確定性が存在するとされていますよ。
そう言うものなんです。
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