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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
1
:
管理者
:2004/05/13(木) 11:57
新しいスレッドの御提案が有りましたので立ち上げます。提案文は以下の通りです。
891 名前: 犀角独歩 投稿日: 2004/05/13(木) 11:18
管理人さん:
昨晩、三学無縁さんとも話したのですが、『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』において、名無し@ピンキーさん、Happy Birthday!!さん、また、空き缶さんが興味を示されてお出でであった山中師『御本尊集目録』未載でありながら、御筆漫荼羅(真筆)と伝えられる漫荼羅は興味深いものがあります。また併せて、真偽未決御書、また、各文献の著者の実否などを議論するスレッドがあればよいと考えます。
以上、三学無縁さんと連名で提案させていただくものです。
581
:
古池
:2005/09/11(日) 14:06:34
独歩さん
ありがとうございます。
>この御説に関してのみ絞って言えば、わたしは「考えさせられる説」と記したとおり、気分としては落着していません。弟子檀那などの文献的証拠がここでは示されていないからです。ただし、「有りえるのではないか」という思いがないということではありません。わたしにとっても、日蓮の山林隠棲は「我不愛身命但惜無上道」「不自惜身命」「寧喪身命」と言った所説に違反するものであると思えるからです。故に今成師のご説呈示の勇気に敬意を表すると言うことです。
同感です。
>身延山に籠った日蓮を、摂受に堕した者として非難し、折伏路線に邁進すべきであると主張する弟子たち
との御指摘は考えさせられるものがあります。このような強硬派がいたとしたらですが。
大変参考になりました。
582
:
古池
:2005/09/11(日) 14:41:56
独歩さん
偽書は後世に生まれたものとのみ思っていた固定観念を揺さぶられました。
いままで議論されてきた摂受・折伏説について、曼荼羅は本尊か否かについても、固定観念を捨てて読んで見たいと思います。
583
:
犀角独歩
:2005/09/11(日) 21:25:22
小池さん
「固定観念」につき、まったく仰るとおりですね。
わたしはここ10年、「何で自分は、こう考えていたのか、こう信じていたのか」という自問自答を繰り返してきました。
584
:
犀角独歩
:2005/10/24(月) 23:51:59
彰往考来さん
本日は、立正大学情報センターに行き、大崎学報130余号を検索し、目についた20余点の掲載文書に目を通してきました。実に平易な文書で分かり易く、これ全部の読破は取り敢えず、日蓮近代教学の入口とすれば、さほとでもない(そんなことはないかもしれませんが)創刊号から順次、読み飛ばしているところを読破していこうと思った次第です。
近年で、わたしが腑に落ちるというか問題意識、文章の調子などで、興味が惹かれたのは小林是恭師、いままでぜんぜん気に留めたことはなかったのですが、この方の論文は荒削りながら実に面白いと思いました。
第93号『最蓮房賜書管見』、第112号『二明王と曼荼羅』はお読みになりましたか。
特にこの2書は、日頃、思っていたツボにピタリと嵌りました。
パンナコッタさん
感動したのは、第109号の山中喜八師『注法華経私考』でした。
その『結語』に
「注法華経に引きたまえる経釈には、本経の扶釈を目的としたものの有ることは論を俟たないが、経釈それ自体の開会のために引文されたものも、また尠くないようである。…或は本経を能摂として、之に比況しておのずから諸経の次位を定め、或は本経の能判として、之に照鑑しておのずからに諸釈を匡し、以て三国仏教の精要をして、法華経に注帰せしめようとと図られたのが、注経御選集の宏謨ではなかろうか。若しこの信解にして誤りなければ、注経全十巻に充満する聖聚を、渾べて本経の規拒として、何のためにその経釈を引かれ、また何の故にその処に注記されたかを、至心研鑽する必要がある。この用意があってこそ、始めて聖訣は顕示され宣授されて、古今東西に類型を絶せるこの一大撰著は、名実倶に「此宗末代規模」となるであろう」(昭和34年2月15日発行 P62)
といいます。
「此宗末代規模」とは『註』に拠れば昭尊遺蹟之事(宗全上聖部 P12)に載る「註法華経一部者。先師聖人以自筆註勘文記奧旨。此宗重宝末代規模也」という一文を指すとのことでした。
なお、御義口伝に関する考証も秀逸でした。
かつて顕正居士さんもご教示くださいましたが、就注法華経御義口伝(注法華経に就いての御義口伝)と言いながら、まったく、この編者は注法華経に拠っていない点を明瞭に説明しています。
その他、瞥見した書は多数ありますが、これは後日とまた、記そうと思います。
585
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/25(火) 06:54:44
>584 犀角独歩さん
>
第93号『最蓮房賜書管見』、第112号『二明王と曼荼羅』はお読みになりましたか
これは残念ながら拝読いたしておりません。表題だけを見る限り面白そうですね。
このころの大崎学報は良い論文がたくさんありますね。
山中氏の注法華経については、氏の関連論文一覧を追ってレクチャーします。
『日蓮聖人真蹟の世界 下』に入集していますので、大崎学報にたよらずとも読むことはできます。
下巻のほうです。
586
:
犀角独歩
:2005/10/25(火) 08:45:00
彰往考来さん
> 山中氏の注法華経…関連論文一覧…レクチャー
有り難うございます。楽しみにしております。
ところで、彰往考来さんは、稲田海素師の『御本尊写真鑑』(大正元年12月20日印刷/大正元年12月23日発行/須原屋書店)はお持ちですか。
この本は見開きで右に稲田師の解説が、左にその漫荼羅が配されて編集されています。
惜しくも、立正大学情報センター蔵書の第8番目が破り取られれています。そのために1枚は写真が、1枚は解説がわからなくなっています。
写真が失われた解説は「大聖人御年五十八弘安二年乙卯六月身延山ニ於テ書シテ尊師日顕法師ニ授与シ給タル御真蹟ニシテ京都本宗大本山本圀寺ノ霊宝ナリ、今考ルニ此御本尊ハ恐ハ房州清澄山ノ住人ナル浄顕房ニ授与シタルモノナルベシ、何トナレハ尊師ノ二字ハ法兄ニ対スル敬語ナルベク、日号ノ題ノ字ハ浄顕ノ顕ヲ取リ、又帰伏ノ後チ師弟ノ関係ヲ以テノ故ニ法師ト称シ給ルナルベシ、今暫ク愚見ヲ附シテ以テ世ノ識者ノ高見ヲ待ツ」(原文、旧仮名遣い)
となっています。以上の漫荼羅は、この写真帖以外、入集されているものはあるでしょうか。
この破り取られた写真の裏が次の写真の解説になっているために、こちらは文が失われています。以下、写真です。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/misho_mandara.JPG
(ジャンプしないときはコピペしてください)
ご承知のところがあれば、ご教示いただければ有り難く存じます。
587
:
パンナコッタ
:2005/10/25(火) 12:36:26
独歩さん、
注法華経はやはり蓮祖の法華第一の思想を考察する上で、より研究がなされなければいけないの
でしょう。テキストとして最高の部類の物を、自宗内信徒には存在すら知り得ないようにしている
態度は、大いに問題ありです。
>法華経に注帰せしめようと は、妙法蓮華経の意だと思いますが、現代の我々の場合は、
区別して(種種の梵本や他の漢訳と分ける意味)押さえておいた方がよいと思います。
御義口伝を金言とするのはもはや論外ですが、漢文の注法華経を読むより御義の口伝形式の書式の方が、
直感的にも”わかりやすい”のではないでしょうか。 普及を目的とするならば優れた物であると
思われます。 ある意味、富士系を後代に存続させる役割をも果たしたのかもしれません。
個人的には御書システムには、早くver upしてもらい掲載して欲しい所です。
588
:
犀角独歩
:2005/10/25(火) 14:21:05
587 パンナコッタさん
ご意見にまったく賛同いたします。
しかし、そういうわたしも注法華経については手を着けずに来ましたから偉そうなことは言えません。
なお、ご承知のことと思いますが、注法華経にほぼ忠実に基づくのは日向『金綱集』であるとのことです。先に紹介した山中喜八師『注法華経私考』にもこの点が触れられています。
「金綱集との関連について
現伝する上足諸聖の遺著のうち、注法華経と最も密接なる関係を有するものは、恐らくは向尊の金綱集ではあるまいか」(大崎学報109 P55)
と記されています。
日向を悪人視する富士の風潮が、この重書から目を遠ざけたのかと思案します。また、日興は盗まれたものは、そこから考えない…、というか、日興已後に属するのかも知れませんが、ないものは軽視してあるものを重視するという風潮が富士においては特に顕著ですね。つまり、一体仏を日朗が持ち去れば仏像は廃され、日昭が注法華経を持ち去れば、その重書を省みないと言った具合です。
日興門下における注法華経研究はどのようなものか、わたしは不勉強でまったく知らずに来ました。個人的な認識としてはほとんどないというように考えてきました。しかし、もし、わたしの管見の如く、日興門下に注法華経に関する論及がなければ、日蓮教学を語るうえではまったく画竜点睛を欠くというほかありません。
愚にもつかない門派意識など捨てて、注法華経と、金綱集に取り組むべきであろうと思います。まず、そのためには仰るように、資料の整備からということになります。
わたしは存じ上げませんが、興風談所では、この2書について、どんな言及が為されているのでしょうか。
589
:
パンナコッタ
:2005/10/25(火) 15:30:25
やはり五人所破抄をまともに受け取っているからでしょう。しかし、何で日頂の行動に
富士系の現代人が文句を付けているのか不思議になってしまいます。
ちなみに興風談所のQ&Aでは、
Q1 「五輪九字秘密釈」「円多羅義集唐決」などが表示さません。
A1 現在御書システムでは、写本類を収録していません。「円多羅義集唐決」や
「五輪九字秘密釈」等についても、写本ということで、註法華経や諸要文集とともに未収になっています。
Q2 「白木御返事」は真蹟がある御書なのに表示されません。
A2 「白木御返事」も含め、近年、新出の真蹟には御書システムに収録していないものがあります。
今後、検討したうえで収録していきたいと思います。
Q3 御書の現代語訳表示はできますか。
A3 御書システム2005年版a より、一部の御書について、現代語訳に対応いたしました。今後、バージョンアップごとに
現代語訳対応の御書を追加していく予定です。
との事。やはり検索機能の利便性は代えがたい物があります。
590
:
れん
:2005/10/25(火) 21:00:37
横レス失礼します。
注法華経については山中師「定本注法華経」がありますが、これは絶版で東陽堂あたりでないと出ないとおもいます。私の手元にあるのは東陽堂で入手した本満寺発行の「私集際最要文注法華経」上下巻です。
「図録 日蓮聖人の世界」には−入魂のご持経『注法華経』−の項目で注法華経についてふれられています。
金鋼集については、興風第十一号 「日興上人全集」正篇編集補遺 に
−「金鋼集」そのもの、特にその附録・雑録の成立およびその流伝形態に関しては全くの疑問無しとはしないが、今は極めて日向師に近い上代の作品と規定して置きたい−
とあります。私見では、金鋼集の原本は日向の編纂と考えますが、写伝される過程で補筆等の後人の加筆が加えられた可能性はあると思います。身延山には日蓮自筆の莫大な量の仏典写本があったと聞きますが、明治の大火で焼失してしまったことで、注法華経や金鋼集との関連を知ることが出来なくなったのは至極残念なことです。
591
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/25(火) 21:03:29
>586 犀角独歩さん
> 稲田海素師の『御本尊写真鑑』
「蓮祖及び門下の曼荼羅について」 のスレッド57を参照ください。
ここでいう『御本尊寫眞帖 全』(=『御本尊写真鑑』)はかつて私が国会図書館でコピーしたものが手元にあります。
それのコピーを犀角独歩さんに送ります。日顕法師授与御本尊も入っています。ちょっと写りは悪いですけど。現在国会図書館で『御本尊寫眞帖 全』はマイクロフィッシュ(マイクロフィルム)になっており、写りは極めて悪く資料として使えるレベルではありません。私のものはマイクロフィッシュになる前のコピーと思いますので何とか使えます。
併せて「御本尊集目録」の第63番本尊の注記を参照ください。
しかし心無いことをする人がいるものですね。図書館の本は人類の共通財産であるということがわからないのですかね。
>この破り取られた写真の裏が次の写真の解説になっているために、こちらは文が失われています
該当箇所の文は
「大聖人御年五十九即弘安参年庚辰貮月彼岸第六番身延山ニ於テ書シテ藤原清正ニ授興リ給タル三枚續ノ御真蹟ニシテ京都本宗本山妙覚寺ノ霊寶ナリ」(引用者注:一部現代かな使いに改めました)
で、第73番本尊の解説です。
彰往考来
592
:
犀角独歩
:2005/10/26(水) 00:18:36
> パンナコッタさん、御書システムのご案内、有り難うございます。
わたしは個人的には、現代語訳はどうでもいい気がするんですが、それより、注法華経を、という気分です。
> れんさん、お久しぶりです。ご案内、有り難うございます。
わずかな蔵書のなかで、ご案内の書は手元に置いていました。実によく編集されており、一般、初学者にも解りやすい良書ですね。注法華経については、掲載の立正安国会の複製本から正本が偲ばれます。(P80)
ただ、ここに載る解説は、なんだか他人事のようで、注法華経に積極的に取り組もうという意気込みが伝わってこないのは残念でした。
あと、弁明臭いのですが、わたした金綱集を重書と言ったのは、注法華経と密接に関わっているからです。仰るよう、後加文その他の峻別研究も十分に究明されなければなりませんね。その点で賛同いたします。
> 彰往考来さん、有り難うございます。
既に独学徒さんと議論されていらっしゃったところと重なったわけですね。
よく人に過去ログを読みなさいと言っておきながら、つい最近のことにうっかりしてお恥ずかしい限りです。
ご送付のこと、お手数をおかけします。有り難く拝受させていただきます。
また、失した文章をご案内いただき、併せて感謝申し上げます。
一点、確認なのですが、「…授興リ…」は、文脈からすると、「…授與シ(授与し)…」ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
593
:
犀角独歩
:2005/10/26(水) 08:02:41
参考までですが、『御本尊写真鑑』に載る、以下の模写は見事だと思いました。
もし、花押まで模写され、右下に「日等花押」となければ、一見では御筆と見間違えそうです。
稲田師が記す解説は、なかなか物騒でした。
漫荼羅盗難という話題は、よく出てきますが、信仰対象を盗んだら御利益は消えてなくなると考えられそうなものなのですが、昔の人にはそんな発想はなかったのでしょうか。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/nitto_mosha_nikejuyomandara.html
594
:
れん
:2005/10/26(水) 11:47:46
犀角独歩さん
注法華経と金鋼集の関連ですが、注法華経は日蓮滅後早い時期に身延から日昭のもとに移蔵してますから、私見では注法華経と日向の接点は日蓮在世の身延であると思います。よって金鋼集の草稿の成立は注法華経を参考資料に日蓮在世の身延で、ということになろうかと思います。その意味で金鋼集は後人の筆が加わるも、独歩さんの仰るとおり重書であることは動きません。
注法華経には、三ヶ所ほど異筆があり、山中師は日興筆と推定していたようです。この異筆が日興筆であることが確定するならば、日蓮の注法華経の編纂作業に日興が加わっていたことになり、それはそれで興味深く思います。
日等写本は日蓮筆の模写としては大変秀逸ですね。私は寺尾師の著書からコピーしましたが、私も中山からの日蓮曼陀羅類の盗難は身延の大火による日蓮真筆の焼失とともに、非常に惜しく思います。
597
:
犀角独歩
:2005/10/26(水) 21:22:04
れんさん、ご教示有り難うございます。
そうですか、異筆は日興の可能性があるのですか。
なにか、日蓮在世の身延、また、その門下の有様の想像を逞しくさせるところがありますね。
日蓮の注法華経を手に取った講義、最長老の日昭が控え、訥々とその聞き書きをまとめる日向、その校閲を日興がし、不足を書き込んだ…、本当に憶測を超えるものではありませんが、六老分裂という嘆かわしい事態以前の、日蓮を中心とする弟子たちの往時がそうであったのであれば、すばらしい光景であると思います。そんな当時に思いを馳せることができました。
有り難うございました。
598
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/26(水) 22:40:56
>592 犀角独歩さん
>「…授興リ…」は、文脈からすると、「…授與シ(授与し)…」ではないか
私もちょっと変だとは思うのですが、原本は明かに“リ”ですね。
599
:
犀角独歩
:2005/10/26(水) 23:04:08
彰往考来さん
‘リ’ですか。有り難うございました。
600
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/28(金) 07:39:47
>593 犀角独歩さん
>もし花押まで模写され、右下に「日等花押」となかったら・・・
寺尾英智師の『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』(平成9年、雄山閣出版、真蹟の形態と伝来と略します)によれば、日等師はこの御本尊の花押も模写していて『日蓮大士御判写』に納められています。その写真は『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』の89頁で公開されています。
日等師は中山法華経寺の蓮祖御本尊を5種類6幅(1幅は重複)模写していますが、593で紹介された日家授与漫荼羅以外は日蓮在御判と記されています。
不思議なことに稲田海素編『御本尊写真鑑(御本尊写真帖)』には5種類の日等模写御本尊のうち、日蓮在御判とない日家授与漫荼羅だけが入集しているのです。稲田氏は日興門流から指摘される恐れのある日蓮在御判とある4幅の御本尊を『御本尊写真鑑(御本尊写真帖)』に載せなかったのではないかと私は推測しています。
日等師が在御判とお書きになった意義はわかりませんが、犀角独歩さんがご指摘されているように蓮祖御本尊とみがまうばかりの素晴らしい出来です。私は後世のものが御真筆とすることがないように、花押を書かず在御判と記すことで書写であることを明確にされたのではないかと拝しています。
>稲田師が記す内容・・・物騒・・・漫荼羅盗難
山中喜八師の「房総に現存する日蓮聖人の自筆文書について」(千葉県郷土史研究連絡協議会編『郷土研叢書Ⅱ 日蓮 房総における宗派と文化』(昭和55年、千秋社、217頁)に、
「市川市中山の法華経寺は、おびただしい真蹟御書を所蔵するのに対し、大漫荼羅は一幅も現存しないので、いささか奇異の念を抱かしめるものがあるが、同寺三世日祐師の「本尊聖教事」(略称『祐師目録』。定本遺文第三巻に収載)や、日観師の『正中山法華経寺御霊宝目録』等の古記録によれば、同寺には古来八幅乃至十二幅を儲蔵していたことが明かであり、明治三十二年五月、盗難にあって全部を失ったものである」とあります。
また、『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』(昭和45年、身延山久遠寺、193頁)に「明治三十二年五月七日盗難に依って「一夜に失われて了った」とあります。
601
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/28(金) 07:40:29
>594 れんさん >597 犀角独歩さん
>注法華経には3箇所ほど異筆があり山中師は日興筆と推定
『山中喜八著作選集Ⅱ 日蓮聖人真蹟の世界 下』(平成5年、雄山閣出版、5頁、以下「真蹟の世界 下」と記します)に
「この十巻の表裏に注記したまえる経論釈の要文は、合計二千百七章(4)の多数に上り、日興師の筆と想われる三章(5)を除けば、他は悉く聖人の御自筆である。
〔注〕
(4)連続して同一書を引かれた場合でも「又云」と標したものは別章に数え、表題のみのものもこれを一章と見做し、聖祖の附加せる設問または標目等は章数に加えなかった。
(5)他筆による注記は、第一巻に般若経(一−七)、第二巻に大品経(二−一七八)、第四巻に大論(四−一二三)の各一章ずつが存する。なお括弧内の数字は、定本注法華経が附した御注記番号である。」とあります。
「真蹟の世界 下」に入集している「定本注法華経解説」は、昭和55年に法蔵館より刊行された山中喜八編著『定本注法華経』(上下二巻)からの転載です。
この「定本注法華経解説」の前半部分は『大崎學報 第109号』(昭和34年、立正大学仏教学会、43頁)の山中喜八氏による「注法華経私考」と内容的には同じです。但し随所に推考の跡があります。上記引用箇所と同じ部分は「注法華経私考」(44頁)では
「この十巻の表裏に注記したまえる経論釈の要文は、筆者の数えるところでは(3)合計二千百○七章の多数に上り、第一・第二及び第四巻に存する各一章ずつの他筆を除けば、他は悉く聖筆によって埋め尽くされている。
註
(3)連続して同一書を引かれた場合でも「又云」と標したものは別章に数え、表題のみのものも之を一章と見做し、設問又は標目の祖語は章数に加えなかった。」とあり、特に「真蹟の世界 下」で“日興師の筆と想われる”の箇所が「注法華経私考」では“他筆”となっています。
宮崎英修・茂田井教亨編『日蓮聖人研究』(昭和47年、平楽寺書店、461頁)に「注法華経について」と題する論文が入集していますが、「注法華経私考」を下書きにして推考した形になっていて「定本注法華経解説」の前半部分と「注法華経について」はよく一致します。「注法華経について」で上記相当部分がどうなっているかというと、
「この十巻の表裏に注記したまえる経論釈の要文は、合計二千百○六章(4)の多数に上り、日興師の筆と思われる三章(5)を除けば、他は悉く聖人の御自筆である。
〔注〕
(4)連続して同一書を引かれた場合でも「又云」と標したものは別章に数え、表題のみのものもこれを一章と見做し、聖祖の附加せる設問または標目等は章数に加えなかった。
(5)他筆による注記は、第一巻に般若経(一−七)、第二巻に大品経(二−一七八)、第四巻に大論(四−一二三)の各一章ずつが存する。なお括弧内の数字は、清書本注法華経が附した御注記番号である。」とあり、「定本注法華経解説」と「注法華経について」とは数えた章数が一章異なる点、“想われる”と“想われる”の差、『定本注法華経』と『清書本注法華経』など枝葉の如き差しかありません。
602
:
犀角独歩
:2005/10/28(金) 08:48:29
まず、先のわたしの投稿
> その校閲を日興がし、不足を書き込んだ…、
というのは、やや不適切な表現でした。単に「日興が書き込んだ」とするほうが、まだ適切であったかも知れません。
> 600〜601
彰往考来さん、いつもながら、克明なご教示有り難うございました。
殊に、日等模写と稲田師の配慮のご観察、興味深く拝読しました。
注法華経のこと、これはれんさんにもお尋ねしたいところですが、日興が書き込みをしたタイミングは、いつのことなのでしょうか。日蓮の在世、はたまた、身延の廟に置かれ、日昭が持ち去るまでの間でしょうか。
先に取り上げた小林是恭師『二明王の曼荼羅』に「それにしても添書をする日興なる者」(大崎学報 112 P31)という表現があり、目を引きました。実はわたしも、はじめて日興が日蓮真筆漫荼羅ほかに書き込み(添書)をしていた事実を知ったとき、強い違和感を覚えたものでした。石山僧に問うたところ、「日興上人は僧宝にましまして、日蓮大聖人と一体の関係にある唯受一人血脈相承を受けているわけだから、日興上人のみがその権能を有する」云々といった説明を受け、当時、石山信念体系にあり、納得したのです。
しかし、今となっては、やはり、この日興の書き込みには違和感があります。裏書きでも、脇書きでもなく、聖筆に交えて書き込むことに対する嫌悪感です。もちろん、このことは上古から既に問題になっていたようで、『富士一跡門徒存知事』にも
「一、日興弟子分の本尊に於ては一々皆書き付け奉る事、誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も、或は親には強盛の信心を以て之を賜ふと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ。之に依って或は以て交易し、或は以て他の為に盗まる。此くの如きの類其の数多きなり。故に賜はる所の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」
という弁明から窺えます。ですから、多の五老門派ではどう感じているのか興味がありました。よって、小林師の言は「やはり」という感じでした。
仮に、注法華経への日興書き込みが蓮師滅後の彼の期間であったとすれば、それを見咎めた日昭が慌てて聖筆保護のために持ち去った…等という類推は当たらないものでしょうか。もちろん、まるで思いつきです。お二方のご賢察を伺いたく思います。
なお、質問の趣旨とは、別に思い出したところを、書き付ければ、中尾師は、この日興の御筆漫荼羅への書き込みと『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』から、
御筆漫荼羅授与は、日興教化の弟子檀那から日興へ、日興から日蓮へと手継ぎを経て願い出、授与者本人が死去、退転をした場合は日興の元にいったん、戻され、そこで、添書をし、あらたな意義付けをして、再授与されていた…、と説明されていました。
まあ、そのための添書であっても、裏書きで十分ではないのかという思いはやはり拭えません。
603
:
れん
:2005/10/28(金) 19:07:35
注法華経の日興書き込みの時期…
私見では、日蓮在世、注法華経編纂時とみることも可能と存じます。というのも石山蔵の日蓮真蹟「諫暁八幡抄」第三十二紙から第三十三紙の間に十行程日興が代筆した箇所があることから、注法華経においても日蓮の編纂作業中において日興が代筆した可能性も無きにしもあらずと思えるからです。
日蓮図顕曼陀羅における日興添書については、中尾師のご見解が妥当と思います。私が94年に実見した日興書写曼陀羅(埼玉本法寺蔵)に弟子(日目と推定されている)が添書した例があり、日蓮の曼陀羅に日興が添書したように日興の曼陀羅に弟子が添書した史実があります。これも、中尾師の説の如くであろうと思います。日蓮が書した文字に対する信仰が定着した後世においては、日蓮の筆に異筆が交じることは不快に感じることも止む終えないと思いますが、日蓮や日興の曼陀羅における「…申与之」の添書は、それぞれ許可・許諾のもと、その在世に行われたと見るべきと思いますから、ことさらに問題視することもないと思いました。
604
:
犀角独歩
:2005/10/28(金) 19:52:31
れんさん、ご教示、有り難うございます。
> 許可・許諾のもと
なるほど。説得性のあるご教示でした。
このような例は、他の五老方の門派でもあったことなのでしょうか。
605
:
れん
:2005/10/28(金) 20:52:49
犀角独歩さん
現在公開されている資料で、私の管見にはいったものでは、日昭・日朗・日向・日頂・日持並びにその門下の曼陀羅に日興ならびにその門下の如き曼陀羅添書の例は無いようです。
606
:
犀角独歩
:2005/10/28(金) 21:10:21
れんさん、有り難うございます。
以上のことからすると、日興は、少なくとも文書漫荼羅に関して、日蓮から特別な許可を得ていたと考えられますでしょうか。
607
:
れん
:2005/10/28(金) 22:01:18
犀角独歩さん
日興は日蓮が図顕した曼陀羅の内、日興が教化した弟子・檀越のために日蓮に申請して下付された曼陀羅に添書する“許可・許諾”は師僧日蓮から得ていたと思いますか、現存する日蓮真蹟資料によるかぎり、日興は文字曼陀羅について何らかの“特別な許可”なるものは受けていなかったと考えております。これは他の老僧も同様と存じます。
608
:
れん
:2005/10/28(金) 22:18:25
蛇の足一本を加えるならば、現存する各種の日蓮自筆の経釈の要文類には日興のみならず、日蓮執筆部分に交じって他の門下の執筆(代筆?)部分がありますから、特に、日興だけが文書に関して特別な許可を得ていたというわけではないと考えます。
609
:
犀角独歩
:2005/10/28(金) 22:33:50
れんさん、重ね重ねのご教示、有り難うございました。
たいへんに参考になりました。
610
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/30(日) 15:59:52
>603 日蓮や日興の曼陀羅における「…申与之」の添書は、それぞれ許可・許諾のもと、その在世に行われたと見るべき
れんさん、
私は興師の蓮祖御本尊への添書時期は蓮祖滅後ではないかと考えています。もちろん蓮祖在世当時のものがある可能性を否定できませんが、すべてを在世当時のものとするには下記疑問点があります。
(1)興師の「弟子分帳」に記載がないのに、添書のある御本尊が存在し、第53番本尊などは蓮祖滅後と思われる興師の添書であること
(2)興師の「弟子分帳」に記載がありながら、添書のない御本尊が存在すること
の2点です。
まず(1)の「弟子分帳」に記載がないのに興師添書のある御本尊が存在することです。これは高木豊師がすでに指摘しています(『研究年報 日蓮とその教団 第4集』所収、「日興とその門弟」34頁)が、6幅(うち1幅曽存)あります。
(一)第12番本尊・・・「佐渡国法花東梁阿仏房彦如寂房日満相伝之」
(二)身延曽存(文永11年11月)・・・「因幡国富城五郎入道日常息寂仙房申与之」
(三)第53番本尊・・・「因幡国富城五郎入道息伊予阿闍梨日頂 舎弟寂仙房付嘱之」
(四)第55番本尊・・・「因幡国富城寂仙房日澄母尼弘安三年九月申与之」
(五)第100番本尊・・・「紀伊国切目刑部左衛門入道相伝之 子息沙弥日然譲与之」
(六)第111番本尊・・・「遠江サカラノ小尼給本尊也」
の6幅です。
これらは、「弟子分帳」の成立した永仁6(1298)年以後の添書であると考えると辻褄はあいます。詳細にみてみましょう。
(一)の第12番本尊ですが、“阿仏房彦(阿仏房のひ孫)日満”とあることから、蓮祖在世中の添書記載は有り得ないでしょう。
(二)の身延曽存の本尊ですが、“日常”とあることから、蓮祖滅後の添書と示唆されます。菅原関道師が指摘しているように「確実な資料による限り、富木日常の名乗りは永仁3年図顕の本尊が初見 」(『興風 第11号』平成9年、興風談所、365頁)であるからです。
(三)の第53番本尊ですが、弘安元年8月に頂師に授与されたものです。ここにはとの興師の添書があります。
頂師の富士への帰伏は正安4(1302)年とされ((『富士年表 』昭和56年、富士学林、62頁)、他)、寂仙房日澄の富士への帰伏は頂師帰伏の2年前の正安2(1300)年(『富士年表 』61頁、他)で、澄師は延慶3(1310)年3月14日寂((『富士年表 』67頁、他)です。頂師の寂年は文保元(1317)年(『富士年表 』70頁)ですから頂師が亡くなった後澄師に第53番本尊を付嘱されたのではないことは明白です。従って第53番本尊の澄師への付嘱、すなわちこの添書記載は頂師が富士に帰伏した正安4年になされたのではないかと推測するわけです。
(四)も上記(二)、(三)を考えると、同じ頃の記載ではないかと推測します。
(五)、(六)も永仁6年以後のものであることを否定できる内容ではありません。
次に(2)の「弟子分帳」に記載がありながら添書のない御本尊が存在することです。これも高木豊師が上述の論文ですでに指摘していますように日弁師に授与された第63番本尊で、「弟子分帳」には「富士下方市庭寺越後房者日興弟子也。仍所申与如件。但弘安年中背白蓮了」とあります。「弟子分帳」の記載から、当然第63番本尊に興師の添書があってしかるべきですが、弘安年中には弁師は興師の袂を離れていたわけで、興師の添書がないのは添書が蓮祖滅後に書かれたものであるからという考えを支持します。
以上のことから、蓮祖御本尊の興師添書のうち少なくとも何点かは蓮祖滅後の時期に書かれたと判断されます。
by 彰往考来
611
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/31(月) 07:28:35
>610 訂正です。
誤:(三)の第53番本尊ですが、弘安元年8月に頂師に授与されたものです。ここにはとの興師の添書があります。
正:(三)の第53番本尊ですが、弘安元年8月に頂師に授与されたものです。ここには「舎弟寂仙房付嘱之」との興師の添書があります。
612
:
れん
:2005/10/31(月) 12:09:29
彰徃考来さん。
ご教示、深く感謝しております。
勿論、日蓮図顕曼陀羅における日興の添書は、師日蓮の滅後になされたものも存することは存じ上げております。
私が、日蓮在世に日興が添書したと考える日蓮曼陀羅の記載は以下です。
本尊集第二六「南条兵衛…所申与如件」(別紙)
同第三二「富士西山…日興申与之」
同第三二の二「日興祖父河合入道申与之」
第六0「日興」(大廣目天玉の玉の點の中に残存)
第七六「富士下方…所申立如件」
第九二「甲斐国…申与之如件」
第九八「富士上方…日興」第一0四「富士上野…申与之」
第一0七「甲斐国…仍申与之」
第一一六「遠江サカラノ小尼給本尊也」
御本尊集収録のものでは、以上の添書以外は、上記の曼陀羅の他の日興添書を含め、彰徃考来さんのご指摘の通り、日蓮滅後の添書と考えます。
何れにしましても、私の舌足らずで、彰徃考来さんに、ご指摘の労をなさしめてしまったこと、深くお詫びするものです。
613
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/31(月) 12:36:09
>612 れんさん
なるほど、この10幅が在世の添書と考えておられるわけですね。
よく解りました。ありがとうございました。
ただ、私は第一一六「遠江サカラノ小尼給本尊也」(610で第111番本尊としたのは誤記でした。すみません。)については、在世であるかどうか確証はないと考えています。
高木師も滅後のものというご見解であったと記憶しています。
今後ともよろしく。
614
:
れん
:2005/10/31(月) 19:30:11
>613 彰徃考来さん
本尊集第一一六につきましての重ねてのご教示有難うございました。たしかに「…申与之」との表記と殊なる「遠江サカラノ小尼給本尊也」の添書は高木師並びに彰徃考来さんのご指摘の如く日蓮滅後の念記と見るほうが自然ですね。ご教示感謝いたします。
それにしましても、御本尊集一一六の日興添書で大曼陀羅を本尊と記していることは興味深いです。日興は自筆書写の大曼陀羅(上野本応寺蔵・元徳二年五月一日付)に「きしんたいふの□□□五郎太夫□子にさつけたふほんそんなり」と授与書を書し、やはり大曼陀羅を本尊と表記しています。第一一六の日興添書と上記の日興自筆の大曼陀羅の授与書によると、日興は日蓮図顕の大曼陀羅を本尊としていたことになるのですが、すると日興が日蓮図顕の大曼陀羅=本尊と規定した時期が気になるところです。その点、第一一六の添書が日蓮滅後と推定すると、日興における大曼陀羅=本尊という教義は師日蓮の滅後に、その成立をみたということになりましょうか。その点においても彰徃考来さんのご指摘・ご教示は参考になりました。有難うございました。
615
:
独学徒
:2005/11/11(金) 16:51:38
投稿場所が適切でないかも知れませんが、日蓮宗新聞11月10日号に以下の趣旨の記事が出ていました。
日蓮宗大本山中山法華経寺の、新井日湛貫首の発願によって制定された「富木学術奨励賞」に、第1回目の受賞者として日蓮教学研究所の都守基一師が選ばれました。
受賞対象となったのは、大崎学報159号所収「日蓮聖人書入『秘蔵宝鑰』古写本の影印と解題」、および昨年の日蓮宗教学研究発表大会にて発表された、「『善無畏三蔵抄』再考」との事です。
これまで真偽不明とされていた「善無畏三蔵抄」ですが、断簡149が当御書の一部であることが都守師の研究によって確認され都守師の発表後、興風談所「御書システム」も6⇒2へと当御書の信頼度をアップしています。
616
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 22:34:47
どこに記してよいか迷いましたが、こちらにさせていただきます。
彰往考来さん
頂戴した『大崎学報』第86号掲載、影山堯雄著『日蓮宗の絵曼荼羅について』、同掲載、稲田海素著『祖書鑽仰史談(2)』は前号掲載の(1)と併せ読み、また、第105号掲載、山中喜八著『註法華経の御所引と御義・向記並に金綱集との関連について』、『棲神』第32号『注法華経の注記年代について』も目を通しました。あとは、執行海秀師の注法華経に係る論文も拝読しようと思っております。
影山師が絵曼荼羅に拘るのは、字像漫荼羅圏にあった自分には新鮮でした。一塔両尊の奉安に就き、塔外に二仏が置かれることに異議を唱えていたわたしにとって、この点に既に昭和29年時点で確りと見識を示されていたのは、納得がいきました。
稲田師の禄内・禄外、殊に二箇相承、日朗譲状に関する鑑識眼は参考になりました。また、山中師の注法華経に関する分析もまた、然りです。
それにしても、彰往考来さんの図画に関する‘目利き’には改めて敬服します。
有り難うございました。
617
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 22:39:14
615 独学徒さん
都守の受賞、喜ばしいニュースだと思いました。
わたしが声援を送っても知り合いではないので、あまり、意味はありませんが、昨年の師の発表は拝聴していますから、あの研究であれば、当然という思いがあります。
小松師は、遺文講義の折、『善無畏三蔵抄』から同師に触れ、「彼は遺文のほとんどが頭に入っているのではないのか」とその能力を高く評価されていたことが思い出されました。
わたしも心から喝采を送るものです。
618
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 23:03:28
【617の訂正】
尊称を落としてしまいました。
誤)都守の受賞
正)都守師の受賞
619
:
独学徒
:2005/11/12(土) 17:00:46
617犀角独歩さん、
私も都守師の受賞に心から喝采を送ります。
そしていつの日か、「富士門流信徒の掲示板」参加者より、受賞者が出られることに胸を膨らませる思いです。
620
:
ラスカル
:2005/11/13(日) 07:41:44
初めまして。日蓮聖人の遺文・御書に関心ある者です。私が思う所は「仏像には勤行、文字曼陀羅には唱題」としか考えられない。分派の経緯、教義の別は一先ずおくとして「日蓮の思想哲学」を記した文章がどれくらいチェックできるのか。其れが気になる所です。貴方々の議論を全て読んだわけではないのですが、此こを見つけ以前よりも気になりました。いきなりですが、日蓮聖人の文書を読めるHPサイト、貴方々の議論の成果がわかるHPサイトがあれば教えてもらいたいです。我儘書いてすみません。
621
:
パンナコッタ
:2005/11/13(日) 15:27:08
ラスカルさん、とりあえず、
現宗研 文献資料
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm
御書システム コラム
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_ft.html
Gohonzon Shu
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html
日蓮聖人御本尊集 http:////www.lbis.jp/gohonzon/
あとは、膨大ですが過去スレを順に見ていくのが、いいかと思いますけど。
622
:
ラスカル
:2005/11/13(日) 15:55:17
パンナコッタさん、ありがとうございます。
623
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 19:36:32
彰往孝来さん
資料のご送付、誠に有り難うございました。
山中氏は両編、浅草寺はしっかりと全部。妙光寺百年史は該当箇所を、日興上人の御入門時期拝考はざっと眼を通しました。
山中師の‘注’法華経の賢察、ようやくと落着しました。有り難うございました。また、同封の清書本注法華経数葉、あれだけ丁寧に浄書されていますので、あまり苦もありません。影本と対照して読んでみたいと思います。「なんだ、いまさら」と言われそうですが、山中師は由比一乗と交流があったことを略歴を読み、始めて知りました。
浅草寺の御前立本尊の説明、こんな次第かと面白く思いました。それにしても、あの東京大空襲で燃やされた五重塔、優美な姿だったんですね。最上段の屋根のそり返りが、いいですね。
妙光寺百年史、該当のもの、現物、見られませんかね。
最後の日興上人の御入門時期拝考、これは論文として落第点ですね。『法華本門宗要抄』の真偽論考をしているのはまだいいとして、『三大秘法抄』『日蓮一期弘法書』を手放しで真筆扱い、問題外ですよ、これは。高木説に疑義なんていえるレベルじゃありません。初めの一歩で躓いている門派の牽強付会から脱却できていません。
まあ、しかし、彰往孝来さんが「読め」と仰るわけですから、なにかよいところもあるのでしょうね。しかし、砂利や、ごみが入った飯を白米だけで箸でつまみながら食べるようなもので、食傷するのはわたしのわるいところでしょうか。
余計なことを記しました。ともかくも、一言御礼まで申し上げます。
624
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/16(水) 07:56:15
犀角独歩さん
>623 日興上人の御入門時期拝考、これは論文として落第点です
論文として考えると石山という枠に閉じこもった議論でとても通用するものではなく、おっしゃるとおりと私も思います。まあしかし、石山の見解ではないものの『法教学報』に載せていますので、石山はおおよそこのような考えであろうと思量します。あと、種々引用資料を記載していますので、それらを追って読んでみるつもりです。喧嘩両成敗ではありませんが、双方の意見は聞くべきですから、その意味であるテーマに対して幅広く色々な方の先行論文を読む必要があると考えます。その上で批判すべきは批判するということでしょう。でなければ何を言っても北林氏のように“犬の遠吠え”にすぎませんからね。
今、蓮祖の岩本入蔵を調べていまして、今回の論文はその調査中の資料の一環です。この論文だけ貴殿へ送るのではそれこそアホみたいですから、おまけとして送付いたしました。それほど他意はありません。
送付しました資料にありますように、鶴岡八幡宮にありました一切経は現在浅草寺にあります。これは元の時代の版ですので、蓮祖在世当時にあった可能性が大です。
それに対して現在の岩本実相寺のものはいつのものなのでしょうか?後世のものであれば、蓮祖が岩本入蔵した証拠にはならないわけです。
先行論文を丹念に調べながら調査中ということでご理解ください。
なお、浅草寺では右に不動、左に愛染を配置しているのですね。ちょっと面白いなと思いました。
625
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 09:58:52
彰往考来さん
> 意味であるテーマに対して幅広く色々な方の先行論文を読む必要がある
もちろん、仰るとおりですね。
> 一切経は現在浅草寺
この記述は、見落としませんでした。
「宝蔵門所蔵の『元版一切経』5428巻は、鎌倉の鶴岡八幡宮の所蔵であった。源頼朝の夫人北条政子が息子頼家の追善回向のために奉納したもので、そのため各巻ごとに『鶴岡八幡宮』の朱印が捺(お)されている。これが浅草寺が所有するようになったのには理由がある。明治になって神仏分離例が発せられるや、あわや焼却処分にされるところを、貞蓮尼が托鉢によって得た資金で買い求め、浅草寺へ明治4年(1872)に奉納した。さて、鎌倉から浅草までの道のりは長い。まず『百八十函』の一切経を品川まで船で、それから大八車で寺に運んだ。その時大いに力を貸したのが新門辰五郎であった。か弱い尼僧の捨身の行、鳶の頭の心意気…」(図説『浅草寺 今むかし』 1996年11月21日初版第1刷、編集・発行:金龍山浅草寺)
資金で買ったとありますが、焼却しようとしたわけだからロハで出せばよいものを思ったのはげすの勘ぐりでしょうか。しかし、鶴岡八幡宮から海路、品川まで、そこから火消しの親方が一肌脱いで、大八車(今の若い人は読める?)で浅草まで。これはけっこうな距離があります。品川まで船が大きいものであっても、積み直して小さな船で隅田川に入れば、もっと楽だったのではないか…。余計な想像を膨らませて、楽しい思いになりました。わたしはあのポンポン蒸気が好きだったもんですから、隅田川を船と考えたわけです。面白いと思ったのは、八幡宮一切経奉納も女性、それを浅草寺に移したのも女性と言うことです。
それはともかく、彰往考来さんのご論攷で、ポイントになるのは北条政子が一切経を八幡宮に奉納した時期の正確な特定、さらにそれを青年僧・日蓮が閲覧できるかどうかから始まるのでしょうか。
岩本実相寺は、本年の夏、本化ネットワークの夏季合宿の観光コースに入っていたので行きました。上杉師が「高木先生は、日蓮聖人は、ここで一切経を見ていないといったんだ」とコメントされて、向かいました。「では、何のために聖人は、この地方にやってきたんでしょうか」という質問になったわけですが、すると「富士を間近にする日本最勝の景、本門戒壇の建立候補地として」みたいなことを仰って、にやりと笑っていらした。どこまで本心かわかりませんが、ロマンがある展開だと思ったものでした。
> 調査中ということでご理解
もちろん。それは理解しております。
ただ、『法教学報』の如く、時代に取り残されて、純粋な学問のような体裁を取りながら、あれだけ丹念に調べても、結局は、嘘を書かなければいけないのは‘お気の毒’という、まあ、同情のようなものです。しかし、これはもちろん、彰往考来さんにもの申すなどということではなく、キリスト教の中世暗黒時代の説教のように、狩られないように、お上に触れないように、当初からある結論に向けてまとめる文章が如何に虚しいかということへの憤慨を書いたのに過ぎません。もとより、北林氏など問題外ですが、このようなものまで、丹念に渉猟される彰往考来さんには、改めて敬意を表します。研究成果をお待ち申し上げます。
626
:
パンナコッタ
:2005/11/17(木) 12:55:48
すみません、単純な愚問なのですが、北条政子が元版一切教を奉納というのは
時間的に無理なのではないでしょうか。
元の建国は1271年ですし、政子とチンギス・ハーンはほぼ同世代の人ですから、
奉納するとすれば蜀版大蔵経あたりだと思うのですが。
面白そうなので是非、纏まった時点で研究成果をご披露していただきたいと切に願います。
627
:
犀角独歩
:2005/11/17(木) 22:18:46
パンナコッタさん、なるほどというご指摘でした。
たしかに時系列が合いませんね。
しかし、いま浅草寺にあるのが元版であるというのが動かず、北条政子奉納が加上、もしくは伝説ということはないでしょうか。取り敢えず、専門家がこれを見ていないとは考えられず、版を読み違えるというのは、あり得そうもない気がするのです。
いや、しかし、これは単なる感想に過ぎません。ちゃんと調べてみたほうがよろしいですね。
628
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/19(土) 10:19:03
>626, 627 パンナコッタさん、犀角独歩さん
>蜀版大蔵経
http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/lekcio/aboutsutra.html
「木版印刷による最初の大蔵経は、宋の太祖・太宗の両朝、971年から983年にかけて蜀で印刷出版された。これは「蜀版大蔵経」と呼ばれ、毎行14字詰の巻子本の形式であった。」
「平安時代末から鎌倉時代にかけては、栄西、重源、慶政その他の入宋僧の努力で、『宋版一切経』が輸入された。」
とあるように「蜀版大蔵経」は巻子本です。『図説 浅草寺』(1996年、金龍山浅草寺、34頁)の写真で判断する限り、浅草寺蔵元版一切経(鶴岡八幡宮旧蔵)は折本ですので、北条政子が「蜀版大蔵経」を奉納したということでははないでしょう。
「元版一切経」は1269年〜1285年にかけて出版されたようです。
http://www.kcn-net.org/senior/tsushin/ttemple/taka0210/daizou.htm
に「元版も1269年〜85年にかけて出版」とあります。
1269年は文永6年で、蓮祖が立正安国論を幕府に献したのが文応元(1260)年ですから、蓮祖が鶴岡八幡宮旧蔵の一切経を閲覧したというのは「元版一切経」の発行年から判断する限り時代が合いません。パンナコッタさんがご指摘されているように、元の建国は1271年ですから、蓮祖がご覧になった一切経は時代的にみて「宋版一切経」ではなかったかと考えていますが確証はありません。南宋は1127年 〜1279年です。
浅草寺蔵元版一切経(鶴岡八幡宮旧蔵)で北条政子ウンヌンというのは後世に付託された縁起の類でしょう。
629
:
パンナコッタ
:2005/11/19(土) 15:42:43
なるほど、「宋版一切経」ですか。
参考に、似た様な話で「宋版一切経」が鹿島神宮に奉納されたという、
http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/bunkazai/ken/syoseki/5-16/5-16.htm
県指定文化財なので出所は確かだと思いますが。
630
:
とんび
:2005/12/20(火) 19:44:25
みなさん、こんばんは。
蓮祖の御書に於いて、真跡ないし信頼できる古写本のない御書をあげます。
(平成新編日蓮大聖人御書、大石寺版から)
これは、みなさん宛ではなく、ここにアップして印刷し、私自身の参考資料にしたい
と思いました。いちいち前ページをめくり確認では、大変なので。
631
:
とんび
:2005/12/20(火) 20:03:25
真跡ないし信頼できる古写本のない御書。その一。(平成新編大石寺版御書から)
これは、個人的見解なので皆さんの指摘を受けます。
戒体即身成仏義
戒法門
色心二法抄・・・・・日春筆・・・この人を知りません。
蓮盛抄
念仏無間地獄抄
一生成仏抄
主師親御書
十二因縁御書
三種教相事
衣座室御書
六凡四聖御書
一念三千理事
十如是事
一念三千法門
総在一念抄
武蔵公御房御書
念仏者追放宣旨御教事
十法界事
爾前得道有無御書
二乗作仏事
十法界明因果抄・・・・・日進筆・・・この人しりません。
今此三界合文
後五百歳合文
日本真言宗事
船守弥三郎殿許御書
同一鹹味御書
632
:
とんび
:2005/12/20(火) 20:13:45
真跡ないし信頼できる古写本のない御書。その二。(平成新編大石寺版御書から)
これは、個人的見解なので皆さんの指摘を受けます。
四恩抄
教機時国抄
持妙法華問答抄
月水御書
法華真言勝劣事
当世念仏者無間地獄事
念仏無間地獄事
題目弥陀名号勝劣事
禅宗天台勝劣抄
秋元殿御返事
上野殿後家尼御返事
女人往生抄
女人成仏抄
星名五郎太郎殿御返事
宿屋入道許御状
北条時宗への御状
(以下十一通御書と呼ばれる、各人・寺宛のものは
全部真跡なしで省略)
633
:
とんび
:2005/12/20(火) 20:24:38
真跡ないし信頼できる古写本のない御書。その三。(平成新編大石寺版御書から)
これは、個人的見解なので皆さんの指摘を受けます。
弟子檀那中への御状
聖愚問答抄上・下
真間釈迦仏御供養遂状
富木殿御返事(文永7年)
善無畏三蔵抄
真言天台勝劣事
真言七重勝劣
月満御前御書
南部六郎殿御書(文永8年5.16)
四条金吾女房御書
四条金吾殿御書(文永8年7.12)
一昨日御書
四条金吾殿御消息(文永8年9.21)
佐渡御勘気抄
土籠御書
富木入道殿御返事(文永8年11.23)
早勝問答
生死一大事血脈抄
草木成仏口決
634
:
とんび
:2005/12/20(火) 20:40:17
真跡ないし信頼できる古写本のない御書。その四。(平成新編大石寺版御書から)
これは、個人的見解なので皆さんの指摘を受けます。
佐渡御書
最蓮房御返事(文永9年4.13)
得受職人功徳法門抄
同生同名御書
四条金吾殿御返事(文永9年5.2)・煩悩即菩提書
真言見聞
経王御前御書
最蓮房御返事(文永10年1.28)・祈祷経送状
諸法実相抄
義浄房御書
如説修行抄・・・・・日尊筆・・・・・信頼できる人に入るか?
経王殿御返事
大果報御書
妙法曼陀羅供養事
当体義抄
当体義抄送状
呵責謗法滅罪抄
弥源太殿御返事(文永11年2.21)
弥源太入道殿御返事
主君耳入此法門免与同罪事
635
:
とんび
:2005/12/20(火) 22:33:47
真跡ないし信頼できる古写本のない御書。その五。(平成新編大石寺版御書から)
これは、個人的見解なので皆さんの指摘を受けます。
顕立正意抄・・・・・日春筆・・・・・信頼できる人か。
三沢御房御返事(文永12年2.11)
立正観抄・・・・・日進筆・・・・・信頼できる人かな
日朝筆・・・・・ 〃
立正観抄送状・・・日進筆・・・・・信頼できる人かな
日朝筆・・・・・ 〃
四条金吾殿御返事(文永12年3.6)・此経難事書
阿仏房御書
曾谷入道殿御書(文永12年.3)・方便品長行事
四条金吾殿御返事(建治1年7.22)
乙御前御消息(建治1年8.4)・与日妙尼書
上野殿御書(建治1年8.18)
単衣抄
阿仏房尼御前御返事
蒙古使御書
観心本尊得意抄
除病御書
上野殿御消息(建治1年)・本門取要抄
其中衆生御書
上行菩薩結要付嘱口伝
大井荘司入道御書
南条殿御返事(建治2年3.18)
妙密上人御消息
舂麦御書
四条金吾殿御返事(建治2年6.27)
報恩抄送状
曾谷殿御返事(建治2年8.2)・成仏用心抄
道妙禅門御書
四条金吾殿御返事(建治2年9.6)・有智弘正法事
九郎太郎殿御返事
松野殿御返事(建治2年12.9)・十四誹謗抄
本尊供養御書
西山殿御返事(建治2年)
松野殿御消息(建治2年)
破良観等御書(建治2年)
兵衛志殿女房御書(建治3年3.2)
六郎次郎殿御返事
教行証御書
弥三郎殿御書
松野殿御返事(建治3年9.9)
四条金吾殿御返事(建治3年秋)・告誡書
兵衛志殿女房御返事(建治3年11.7)
太田殿女房御返事・八寒地獄事
曾谷入道殿御返事(建治3年11.28)・如是我聞抄
大白牛車書
法華経二十重勝諸教義
四条金吾殿御返事(建治3年)
四条金吾殿御書(建治4年1.25)
636
:
とんび
:2005/12/20(火) 23:06:18
真跡ないし信頼できる古写本のない御書。その六。(平成新編大石寺版御書から)
これは、個人的見解なので皆さんの指摘を受けます。
太田左衛門尉御返事
華果成就御書
妙法尼御返事
阿仏房御返事(弘安1年6.3)
米穀御書
六難九易抄
弥源太入道殿御消息
妙法比丘尼御返事
上野殿御返事(弘安1年9.19)
大田殿女房御返事
四条金吾殿御返事(弘安1年10)・所領書
千日尼御前御返事(弘安1年閏10.19)・青鳧書
四条金吾殿御返事(弘安1年閏10.22)
法華初心成仏抄
根露枝枯御書
松野殿後家尼御前御返事
上野殿御返事(弘安2年4.20)・杖木書
新池殿御消息
四菩薩造立抄
出家功徳御書
曾谷殿御返事(弘安2年8.11)・五味主抄
日女御前御返事(弘安2年8.23)
異体同心事
寂日房御書
四条金吾殿御返事(弘安2年10.23)・剣形書
三世諸仏総勘文教相廃立
中興入道御消息
右衛門大夫殿御返事
本門戒体抄
秋元御書
新池御書
日住禅門御返事
上野殿御返事(弘安3年3.8)
妙一尼御前御返事
浄蔵浄眼御消息
妙一女御返事(弘安3年7.14)
内房女房御返事
松野殿女房御返事(弘安3年9.1)
妙一女御返事(弘安3年10.5)・法華即身成仏抄
四条金吾殿御返事(弘安3年10.8)
刑部左衛門尉女房御返事
十八円満抄
日厳尼御前御返事
637
:
とんび
:2005/12/21(水) 23:51:36
真跡ないし信頼できる古写本のない御書。その七。(平成新編大石寺版御書から)
これは、個人的見解なので皆さんの指摘を受けます。
四条金吾許御文
椎地四郎殿御書
八幡宮造営事
小蒙古御書
治部房御返事
南条殿御返事(弘安4年9.11)・鶏冠書
上野殿御返事(弘安4年9.20)
大夫志殿御返事(弘安4年12.11)
大白牛車御消息
妙法尼御前御返事(弘安4年)・明衣書
春初御消息
三大秘法禀承事・・・・・日時筆・・・・・微妙だと思います。
慧日天照御書
三種教相
一代五時鶏図(不詳)
一代五時継図(不詳)
釈迦一代五時継図
その他
大石寺に伝わる相伝書は、すべて偽書の疑いありとします。
日興上人の御教示から
富士一跡門徒存知事
五人所破抄・・・・・日時筆・・・・・大石寺六代の法主なので疑問
日興跡条々事・・・・・日興筆・・・・日興筆とあるが、指摘のごとく偽書の可能性
日興遺誡置文
638
:
ROM専
:2005/12/22(木) 11:53:20
ttp://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/goibunhyo.html
↑ここのサイトに、サイト管理人氏が作った御書の真筆度表がありました
(サイトの管理人さんは“独断と偏見”と断りを入れています)。
が、現在は残念ながらウィンドウズ版はなくなってしまっていますね。
639
:
パンナコッタ
:2005/12/22(木) 12:34:57
とんびさん、
導入された御書システムを使えば、今思っている疑問は
ほぼ解消されると思いますよ。
640
:
とんび
:2005/12/22(木) 19:15:21
訂正。その七にて
上野郷主等御返事(弘安5年1.11)を追加します。
古写本が、形木だというので、日蓮さんの真筆または、直弟子のものではないと思います。
641
:
とんび
:2005/12/22(木) 19:24:59
パンナコッタさん、こんばんは。
まだ御書システムの機能を使いこなせているわけではなく、桐自体縁がなかったせいか
時々、終了しなくてはならない事態になったりしています。
これは、真跡にない「言葉」を検索して検討する..ということでしょうか。
たとえば、良く聞く「無作三身」とか「三身即一身」とか。
真偽の検討は、教学や法門をよく理解した上で、また、特定の宗派の教義に偏らない
姿勢が大事だと思うので、なかなか難しい問題ですよね。
642
:
パンナコッタ
:2005/12/23(金) 01:16:06
とんびさん、
いえ、御書システムの辞書機能で検索すれば大抵のことが解るはず(例えば日朝本録外目録とか)
と言うことです。
やはり前提として、C0〜C9(クラス)という概念を頭に叩き入れておいた方がいいでしょうし、
2資料 で、その遺文の大まかな成り立ちを掴んでから本文に入ったほうが良いですね。
真蹟のある物は 1本文 画面で、↓やpgDnで比較しながら見られますし、無いものは
直読表示されませんので判断出来る材料になります。(通常は 3通読 画面の方がよいでしょう)
>特定の宗派の教義に偏らない姿勢
富士系は寛師文段や六巻抄等の、後世の概念が初めにありきなのでずいぶん偏っていますから、
真摯に真蹟部分の遺文を読むことが何よりも大事になってくるでしょう。
643
:
犀角独歩
:2005/12/23(金) 09:27:32
真跡遺文について、『平成新修日蓮聖人遺文集』が、取り敢えず、いちばん、信頼度が高いことになります。しかし、それでも、この編纂も不完全で、現在、立正大学小松邦彰師によって御遺文講義が行われ、その可否が補われています。小松師は、同書編纂の顧問の一人です。わたしは、この講義を聴講していますが、特に執筆年代については、しばしば異見が提示されています。
また、パンナコッタさんとも議論になりましたが、日蓮は、独自、または当時の慣用的な記述が多く見られ、その点を現代字に書き換えてしまうと、実は本意を変えてしまっているものもあります。
省書
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/nitiren_sinseki_shyohsho.jpg
(クリックしても飛びませんので、アドレスバーにコピペしてください)
以上の点は山上ゝ泉師著『日蓮聖人遺文全集講義』第29巻(別巻1)日蓮聖人遺文の文章法研究に出ています。この書をわたしは三学無縁師に勧められ、拝読し、まさに目から鱗が落ちる思いをなしたものでした。しかし、同書は新疑偽の峻別を目的にしていないので、この点では別に学ぶ必要があります。
なお、小松師は、遺文上、明らかに誤りと思える記述、また、引用文書の不揃いもそのままとして、研究したほうがよいという見解を示されていました。もっともであると思った次第です。
いずれにしても、これは各出版に言えることですが、誤植もありますので、一出版遺文集に頼る蛮勇はわたしは生じません。殊に大石寺版などは、何ら証憑性もないのであって、学術論文の対照文献としても採用されていないものです。この手の門派出版は批正のための資料にすることはあれ、中心に据えれば、その時点から既に躓くことになります。
わたしは、この点では御書システムといえどもも無謬ではないと考えます。
なお、無作三身、三身即一身等について問題がありましたが、この点を考えるとき、中古天台本覚思想の知識なくしては一歩も進めません。また、最低でも法華六大部を読んでいなければ、この点は捌けません。さらに教学は時代を経て成句と思想が醸造されるわけですから、いつの時代、誰、どの集団から言われるようになったかを知らなければ、捌くことはできません。その意味で執行海秀師『日蓮宗教学史』は必読書です。
無作三身は真跡遺文になく、疑偽書にあります。しかし、三身の使用は真蹟に見られます。三身即一身は天台・法華文句に見られ、注法華経に見られます。それにも拘わらず、真蹟では見られません。
また、一念三千という成句は真疑偽通じて散見できますが、言葉が同じであっても意味するところが違います。たとえば、御義口伝で言う一念三千は日蓮があずかり知らない(たぶん、偽書である)秘密荘厳論にいう一念三千であり、これは真蹟で見られる日蓮の用法とは違っています。
なお、日蓮の場合、天台文献をそのまま墨守するのではなく、採るものは用い、採らざるは用いずという取捨選択に教学の特徴があります(片岡・山中説)故に、日蓮が、台学の、何を採り、何を採らなかったを知る必要があります。そのためには『注法華経』の知識が必要になります。
以上、雑駁ながら、日蓮門下一般では、以上の点は最低限の基礎として議論されています。ですから、あれこれ、思案し、類推し、想像を逞しくするより、まずは、最低限の基礎文献を十分に読み込むことに尽きます。そのためには数年の歳月は要するでしょう。議論というのは、それからの話です。
644
:
パンナコッタ
:2005/12/23(金) 11:38:53
”法花経”なんてのは、典型例でしょうか。 日興写本にもありますがケースバイケースですし
これも蓮祖真蹟とは当然区別して考えなければ当然ダメでしょう。
むろん御書システムの 2資料 でも、未決文に関してお茶を濁すような記述が多々見られますので
注意が必要ですし、HPのコラムを参考にしていかなければいけない点でしょう。
645
:
犀角独歩
:2005/12/23(金) 12:48:34
ここのところ、風邪を引いていて、(こんなことを書くと、仏敵・魑魅魍魎、頭破七分とか言われそうですが(笑))資料手放しで失礼します。
パンナコッタさん、真跡遺文では法花経、妙法蓮花経、華の使用なしで一環でしたか。
文章上の5字、法華経の成句と信仰対象のそれを書き分けていたと言うことでしょうか。となれば、これを継承されてしかるべきであったことになります。
判の形も漫荼羅と消息だと違っていました。この辺は彰往考来さんが詳しかったでしょうか。
たしか問答さんと議論したことがあったと思うのですが、論文の場合、書名花押なしで、抄文は冒頭に地位と署名といった体裁でしたか。まあ、ここら辺の文章法は当時一般を倣っているのでしょうね。
646
:
犀角独歩
:2005/12/23(金) 13:02:58
先ほど、挙げた山上師の記述に
「聖人の遺された有らゆる文篇には『法華経』の『華』の字を必ず『花』と書いてある。『太田殿女房御返事』(1,272)や、『曽谷入道殿御返事』(1,653)に見える『妙法蓮華経』といふ五字の中の『花』も、佐渡夷港妙法寺伝来聖筆題目板木の『南無妙法蓮花経』の『花』も『華』ではない。たゞし、大聖人図顕の大曼荼羅には、(一遍首題や初期の本尊などに見えるような一二の例外はあるが)『華』の書体を以てせられるのが恒例であつた」(日蓮聖人遺文全集講義第廿九巻第二篇第一章第十四節第九項、大林閣印刷部、昭和7年5月1日発行 P83)
と、ありました。前に引用したことがあったかも知れません。
647
:
パンナコッタ
:2005/12/23(金) 16:24:25
独歩さん、
ちと時間の都合が今とれないためチェックするのには、しばし猶予をお願いします。
差異の典型的な例としては、建治元年七月二日 平賀本土寺蔵の”大学三郎殿御書”の部分で、
如佛/説勘之法花經之外花嚴經/大集經般若經大日經深密經/等諸經但小衍相対也但/限法花經計以已今當爲/眷属修多羅
(嚴 般若 密 羅 は略字) 北山蔵の日興写本では、
如佛説勘之法華/經之外華嚴經/大集經般若經大日經深密經等諸/經但小衍相對也但限法華經計以已今當為眷属修/多羅
とのことで、筆使いの癖による略字なのかとも思いましたがどうなんでしょうか?
ぜひ、この辺のことについては、れんさんのご見解もお願いしたいと思います。
648
:
とんび
:2005/12/23(金) 21:15:25
パンナコッタさん、こんばんは。
まだまだ、システムの使い方はよくわかっていません。いろいろとこれから試して
みたいと思います。
それから、同じ御書でも、大石寺版の御書の年代と御書システムの年代とズレのある
御書があります。やはり真蹟がなくはっきりとした年代が特定できないものは、見解が
わかれるのでしょうか。
C0〜C9(クラス)というのは、御書システムで調べればわかるのですか?。
649
:
とんび
:2005/12/23(金) 21:43:33
犀角独歩さん、こんばんは。
とにかく、ここで論じられることについて、いろいろな文献が示されるので、大変有意義
なことであると思います。
その引用先をみるにつけ、頭の下がる思いがします。
>執行海秀師『日蓮宗教学史』は必読書です。
機会があれば、この所ぐらいは読んだ方がいいのかな..と思います。
法華六大部などは遠く及ばず、注法華経は、よく知らないのですが、御義口伝のことではなく、
その御義口伝は、注法華経を日蓮さんが解釈したものなのだ..と推測します。
教学的なことは、ここにおられる先輩諸氏、学識あり知識ある人には、遠く及ばす、また恐らく、
一生かかっても追いつくことはないでしょう。ゆえに皆さんにとって有意義な議論的なものは提供
できないのかな..と思います。
真偽未決の問題、偽書の疑いの程度については、信頼のある学者の意見を参照にするのが早いと
思います。ただ一人の意見を参考に..ではなく、できれば複数の人の意見を参考にした方が良いと
思います。
得意でない分野は、やはり専門家の意見を聞いた方が早いと思います。
正宗の人と、話をする場合に於いては、日蓮さん=仏なので、日蓮さんの御書=経文 ですから
同じ御書を用いて、蓮師の遺文にあるように、
経文に明らかなのに釈を訪ねるか。(趣意)で、いわば御書だけで議論ができます。
いわば、御書の遺文と違う解釈の、日興上人の遺文や、六巻抄や、金口の相承なるものがあっても
(そんなことは知らなくでも)、経に背いて釈を信ずるのか..といえますが、そんなレベルではありま
せんね。
650
:
れん
:2005/12/23(金) 22:42:38
パンナコッタさん。
ご指摘の蓮師真蹟と興師写本との字の表記の相違は、仰る通り基本的には興師本人の筆癖によるものと思います。蓮師における花の表記が興師写本では華になっている等は、花を華に改めても本文の流れや意味そのものは変わりませんから、本文の改竄という性質のものではなく、蓮師の使用した略字をごく一般に使用される表記にしたのは、読者の拝読の便を考えての処置ということも考えられると思います。やや雑駁ながら、以上ご参考まで。
651
:
犀角独歩
:2005/12/23(金) 22:58:23
とんびさん、こんばんは。
掻い摘んで。
> 御義口伝は、注法華経を日蓮さんが解釈した
さにあらず。御義口伝は正式名を『就註法華経口伝』、すなわち、註法華経に就(つ)いての口伝となっていますが、実は、注法華経とは対照していません。
つまり、御義口伝の作者は、注法華経を読んでいないと言うのが、片岡・山中両師の研究の結論です。これは信憑性で言えば、100%に限りなく近いと、わたしは考えます。
ですから、日蓮の解釈と言うことも成り立ちません。
> 皆さんにとって有意義な議論的なものは提供できないのか
こんなことは考える必要はないと思いますよ。
あなたが書いていることは、ああ、数十年前にこんなことを考えていたこともあったっけということばかりですから。
> …信頼のある学者
なにをもって信頼とするのでしょうか。信頼を見極めるためには、自分の学識と素養が必要です。
> ただ一人の意見を参考…複数の人の意見を参考
これは当然のことです。
> そんなレベルではありませんね。
そうですね。そんなレベルの話ではありませんね。
652
:
犀角独歩
:2005/12/24(土) 10:51:16
パンナコッタさん
この対照、実に興味深いですね。
日興の写本の姿勢というのは、案外、実質的と思えました。
嚴は「ム」、般若は「舟*若」(偏に舟、旁に若)、密は「宀」、さて、羅は「四/タ」(四の下にタ)?でしょうか。
日興は写すに当たり、日蓮の省借、訛、略音、古語、異称、御勢的表音的言語等について、どれくらい、訂しているのか、ロムの研学者の嗤いを誘いそうですが、正直、わたしはまだまるで当たっていません。ご教示いただければ幸甚です。
日興がどれほど、いわば校正しながら訂したかわからないのですが、ご紹介いただいたわずかな行でも「花」を「華」に訂しています。つまり、日興はこれを略としてとらえていたことのようですね。「經」を「経」と書く類です。
わたしは、日蓮が、漫荼羅以外では「華」を使わないのは、文字の持つ神秘的な力を消息では発揮せず、漫荼羅では活かすためなのかと思っていたのですが、日興は案外、合理的ですね。いや、逆に更に神秘的力を書き注ぎ込んでいるのかも知れませんが。
653
:
パンナコッタ
:2005/12/24(土) 19:18:17
とんびさん、
◆[C]: (部類 = class の頭文字) 御書を真蹟・写本の存否、内容の種別、システムの必要性等の理由から10に分類したものです。
「御書本文」「御書通読」の各行にも付してあります。
C=0 真蹟が完全若しくはほぼ完全な形で現存し、活字御書と対応するもの。
C=1 真蹟が断簡で現存し、活字御書の断簡と対応するもの。
C=2 真蹟の断片が現存し、活字御書の一部分と対応するもの。
C=3 真蹟が明治8年の火災まで身延山久遠寺に存在していたもの。
C=4 真蹟は現存しないが日興書写本の現存するもの。
C=5 日興上人以外の上代諸師の古写本の現存するもの。
C=6 上記の0〜5と下記の7〜9以外の全てのもの。
C=7 御義口伝と御講聞書。
C=8 富士門流の相伝書類。
C=9 偽書と云われるもの。(昭和定本第三巻の第二輯続篇分)
御書システムのタイトル脇の数字が、Cですよ。
654
:
パンナコッタ
:2005/12/24(土) 19:20:52
れんさん、ご教示ありがとうございます。
独歩さん。おおざっぱに見たところで蓮祖筆の”法華経”は、33編ぐらいあるでしょうか。中には
災難対治抄・立正安国論・曾谷入道殿許御書のように”華”と”花”が混じっている物もあるようです。
(書き出しは華で、集中力が鈍って途中略字の花になって、又戻ったんだろうか?)
妙法蓮華経の書き方は”花”の36に対して、11編というところでしょうか。安国論広本・本尊抄
秀句十勝抄・曾谷入道殿許御書・四教略名目などに書かれているようです。
主観としては、やはり固有の略字のような気がしますが、全く無意味ではなさそうな気がしますし、
漫陀羅とのかね合いや、対合者に対する意味付けがあったのかもしれませんね。
興師については蓮祖直伝を頑なに と言うよりも、ある意味独自の信仰体系と言っても良いような部分が
やはりあると思います。 例えば法華行者値難事の一部分で、
各々為我弟子者々深存此由設及身命莫退転
日興写本では、
各々為我弟子ト者々深存此理設及身命莫退轉
※為我弟子ト に返り点あり
この辺も、順に比較して確認する必要はあるでしょうし、時系列的な思考の変化も
注意しなければと思います。
655
:
顕正居士
:2005/12/24(土) 19:40:02
今われわれが使っている漢字仮名混じり文というスタイルは明治時代に出来たもので、
漢文直訳体がそのもとです。この文体では漢字は正確に使うのが原則です。つまり、
聞くと聴くなどを区別します。その以前は漢文か和文であった。和文は仮名書きの文
と観念されており、漢字はアバウトに使用された、今いう宛字と区別をきちんとしない。
また活版印刷以前の文書は通常は草書で書かれます。草書は活字体とは違います。
たとえば顯と顕の区別などはありませんし、簡単な方で代用することがある(華/花)。
後代に発見された日蓮遺文と写本を比較すると、写本はもと仮名で書かれた部分の
多くが漢字になっています。現代人のようにオリジナルテキストを厳密に保存すると
いう思想はかつてはありませんでした。これは活版印刷の時代になって発生したもの
でしょう。
656
:
パンナコッタ
:2005/12/24(土) 20:15:20
略字に関しては、やはり集成で確認しないとダメですね。
参考に法華行者値難事の比較、
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_ft.html
法花経が、確認出来ますね。
657
:
とんび
:2005/12/24(土) 22:34:44
パンナコッタさん、こんばんは。
早速のご指摘、ありがとうございます。よくわかりました。
大石寺版に収録されていて、C−9クラスの御書がいくつかみられます。
658
:
とんび
:2005/12/24(土) 22:53:40
犀角独歩さん、こんばんは。
注法華経を、日蓮大聖人御書辞典(創価学会版平成6年9.25、35刷)にて調べました。
これも所蔵していました。御書要文集などは、手放してしまいましたが。
法華経十巻の余白に、蓮師が、論師・人師の経釈の要文を入れたもの・・・玉沢の妙法華寺にある。
とありますが、このことを指すのでしょうか。
皆さんに、とっては初歩的な質問だと思われますが..。
信頼できる学者..まだ存じているわけではないですが、ここで皆さんが引用したり、披露している
○○師とか言われる人で、かつ皆さんが一定の評価をしている人は、その信頼できる学者・参考にする
ことのできる意見として持ち出すことができるのでは..と思います。
659
:
パンナコッタ
:2005/12/25(日) 00:30:01
顕正居士さんのご指摘を踏まえれば、現代人のある種の悩ましいバイアスも、
きちんと認識していかなければいけませんね。 ご教示ありがとうございます。
とんびさん、注法華経は、
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/kakukaHP_system_kanrika/amenity/bunka/myohokkeji/myouhokkejibunka.htm
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_tyu.htm
660
:
犀角独歩
:2005/12/30(金) 13:17:58
○パンナコッタさん
御礼が遅くなりました。
有り難うございます。
○顕正居士さん
有り難うございます。
661
:
犀角独歩
:2006/03/04(土) 12:09:03
彰往考来さん
資料のご送付有り難うございました。
都守師の論文『「法華主要抄」の草案について』(『大崎学報』第154号P73)から読み出しました。
覚え書き一部を、先ほど、少しブログに載せたのですが、それとは別に、以下の点、「どちらだろうか」と思案しています。
『法華主要抄』に、日蓮は佐渡の国の人々が言うには二つ、三つの太陽が出現し、二つの明星が出現したというとします。
ところが草案とされる『以一察万抄』では、ここに「此災日蓮見之」とあります。しかし、この日蓮自身が見たという記述は、同抄のみで『主要抄』にも、『法華主要抄』にもありません。
どうなのでしょうか、日蓮本人は見たのでしょうか、また、見たのであれば、『主要抄』『法華主要抄』では、この記述をどうして削ったのでしょうか。
お考えをお聞かせいただければ幸甚です。
662
:
犀角独歩
:2006/03/04(土) 12:10:59
【661の訂正】
誤)法華主要抄 主要抄
正)法華取要抄 取要抄
663
:
犀角独歩
:2006/03/05(日) 11:21:53
彰往考来さん
れんさん
その他諸賢
彰往考来さんが、種々資料を送ってくださり、そのなかに山口範道氏『日蓮正宗史の研究』のうち『書写の難しさ』(P69)が含まれておりました。
再読して、「ひどい内容だ」と思ったのですが、この点は、ブログで記そうと思っております。
ちょっと出先で、いま手許に石山の御書全集がないので、確認できないのですが、『開目抄』の古写本に、日興書写本というのは、この全集では含まれていないのでしょうか。山口氏はこれを含めていません。
もう一点。山口にいわせると日奧本(聖滅320年)に「秘シテ」とあるので、石山の文底秘沈の伝承が正しかったことが証明されたのだそうですが、山口氏がもっとも古いと数える日存本(聖滅135年)にはこの記載がない、それにも拘わらず、「大石寺の伝承が肯定される」(P72)という氏は、いったい何を言っているのか理解に苦しみます。(余談ですが、小松邦彰師は先の遺文講義で、古写本に「秘シテ」とないので、『平成新修日蓮聖人遺文集』の編纂に当たり、これを不載とした述べていました。わたしはもっともなご賢察であると思いました)
それはともかくとして、この点、日興本では、どのようになっているのでしょうか。「秘シテ」の文字があるのでしょうか。また、「しふし(主師)父母」はどうなっているのでしょうか。
この点に就き、ご教示いただければ幸甚です。
664
:
犀角独歩
:2006/03/05(日) 12:04:29
【663の訂正】
誤)山口氏がもっとも古いと数える日存本
正)山口氏が2番目に古いと数える日存本
665
:
れん
:2006/03/05(日) 16:15:45
犀角独歩さん
開目抄写本についてですが、開目抄については、残念ながら日興による完本の写本は現存しません。
私は正本・影本等ともに未見ですが、北山本門寺に伝蔵される日興筆「開目抄要文」の内容は開目抄に引用されるインド・中国の古典籍や仏典の抜書であったと記憶しております。ですので、実見しても、たぶん文底秘沈の文としうし父母の文の該当箇所にはあたれない可能性があります。参考にならずにすみません。
666
:
パンナコッタ
:2006/03/05(日) 19:34:22
開目抄要文に”如常不軽品”は、無かったみたいですが、該当部分はないんでしょうかねぇ。
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/yamagami/yamagami.htm
直接関係はありませんけど、間接的な参考として、
下野阿闍梨聞書
【一、仰ニ云ク、西山方ノ僧大寶律師来ツテ問テ云ク、日尊門徒也。
開目抄ニ云ク、一念三千ノ法門ハ本門寿量品ノ文底ニ秘シテシツメタリ 云云】
開目抄上愚記本
【文に「二十の大事」とは、異本に「二箇の大事」と云云。末師皆「二十の大事」を
以て正と為す云云。今謂く「二十の大事」とは恐らくは文に便しからざる故に
「二箇の大事」を以て応に正と為すべきなり】
【故に、「但法華経の本門・寿量品の文の底」というなり。「但法華経」の一句は即ち二意を含む。
一には一経三段、権実相対の第二なり。二には迹門三段、即ち権迹相対の第三なり。応に順逆を以て
この二意を知るべし。「本門・寿量品」とは本門の三段、本迹相対の第四なり。「文底秘沈」は即ち
文底に三段、種脱相対の第五なり。豈浅きより深きに至る次第、差わざるに非ずや。
一、文底秘沈(文の底にしづめたり)文】
開目抄下愚記本
【一、したしき父母なり文。 異本に云く「しうし父母なり」等云云。
今謂く、異本最も然るべきなり】
勿論、日寛の言う異本が日興要文ではないのですけど、末師達が正とした物は日存・平賀本系であり、
秘シテは、既に書き込まれているのが、うかがい知れますね。
667
:
犀角独歩
:2006/03/05(日) 19:47:24
れんさん
有り難うございました。
パンナコッタさん
> 日存・平賀本系であり、秘シテは、既に書き込まれている
山口さんは、日存には「秘シテ」がなく、日奧本にあるとしていますが、この記述は間違いで、日存本に、既に「秘シテ」があった、山口さんの記述は間違っているということでしょうか。
668
:
犀角独歩
:2006/03/05(日) 20:11:23
二箇の大事か、二十の大事かは、先の小松師の遺文講義で話題になりました。
遠乾対照本では「二十」で、真蹟が二十であったことは、ほぼ間違いなさそうです。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50408762.html
669
:
パンナコッタ
:2006/03/05(日) 22:09:57
独歩さん、
あー、すみません。
そう言う意味ではなくて、下野阿闍梨聞書が書かれた時期には、という意味です。
遠乾対照本といえば、庵谷教授が「日蓮上人における摂受と折伏について」で、
【要言本は百部摺本の模刻本でございまして、奥書に「身延山秘蔵以御真筆御書一字一点無相違令再校合者也」
とあります。そこに「常不軽品ノゴトシ」とあります。
百部摺本は日蓮聖人の御真蹟を更に校合して印刷したものであるということが分かります。ところがその
百部摺本の中には「常不軽品ノゴトシ」とあります。発願をしたのは日乾・日遠両師です。そうしますと、
本満寺本の中には「ない」と書いておきながら、百部摺本の方には、更に御真蹟と照合して「ある」のは
どういうことでしょうか。そういう問題が残ります。】
これ又、悩ましい指摘をしていますね。
670
:
犀角独歩
:2006/03/06(月) 00:04:21
パンナコッタさん、有り難うございます。了解しました。
671
:
犀角独歩
:2006/03/06(月) 00:44:44
まあ、しかし、不軽菩薩を折伏としか見えない感覚というのは、どういったものでしょうか。
折り伏せるのがそんなに好きなら、では、やってもらいましょうかと言いたくなりますね。
教学上のことでがたがた言っていないで、創価学会を折り伏せてみたらどうかと、進言することにしましょうか。
さて、創価学会は受けて立つか、折り伏せられるのは、どちらとなるか、興味深いところです。
これは何も立正・創価に限りません。顕本でも、どこでも、折伏を言うのであれば、実際にやってみればよいのです。
672
:
独学徒
:2006/03/06(月) 01:06:37
犀角独歩さん、諸兄の皆さん、今晩は。
法華宗興隆学林より発行(昭和51年6月13日)された、「日隆聖人分科 主要御書 全」には、「凡例」の最後に以下のように出ています。
一、御書本文は、昭和定本、縮刷、類纂の三本に依り厳密に校合を行ったが観心本尊抄の如く御真蹟の現存するものは其写真等を照合して誤りなきを期した。又開目抄の如き、御本書が既に逸失して居るものについては大本山本興寺宝蔵に現存する宗門第七祖日存上人が応永二十三年(西一四一六祖滅一三五)七月十七日の日付ある御写本によりその相違ある個所を一々上欄に記載して参考に資した。
そして、話題に上がっています箇所につきましては、上欄は以下の通りとなっています。
法華経の本門寿量品の文の底にしづめたりは、法華経本門寿量品ノ文ノ底に秘してしづめ給ひたり(「法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」は日存本では「法華経本門寿量品ノ文ノ底に秘してしづめ給ひたり」となっているの意)
諸人にしたし父母也は、主師父母也(「諸人にしたし父母也」は日存本では「主師父母也」となっているの意)
したがいまして、法華宗興隆学林発行「日隆聖人分科 主要御書 全」によりますと、二番目に古い開目抄写本である、日存本では、「秘して」が入っており、「したし」は「主師」と書かれていることになります。
また弘経寺日健の「御書抄」巻之五「開目抄」(西暦1669年 寛文9年祖滅後 388年)「(文)夫法華経ノ宝塔品ヲ至日蓮ハ日本國ノ諸人ノ主師父母也」と有りますので、日奥・日乾からそれほど離れていない時代に、「したし」部分を「主師」とした写本が、富士系以外のところでも使用されていた可能性があると思われます。(「御書抄」は私が所持していますのは、大正2年2月5日発行の日蓮宗全書出版会編です。)
以上、なにかの参考になれば幸です。
673
:
独学徒
:2006/03/06(月) 01:32:17
犀角独歩さん、上記に追加させていただきます。
672の投稿にて、日存本が二番目に古い写本としましたが、最古の写本である「精進院日道」本は、下巻欠となっています。
したがいまして、「秘して」や「したし」は、開目抄下巻に収録される部分ですので、開目抄下巻の最古の写本は「日存」本という事になりますので、山口師の以下の文書は「日存」本をさしていると思われます。
何れにせよ現存する最古の写本が当家の解釈通りに「秘沈」「主師父母」となっていたということは何かすっきりとしたような、有難いような思いがするのである。(日蓮正宗史の基礎的研究P732行目〜3行目)
つまり、山口師は「秘して」を「秘沈」と解釈しているようですが、「日存」本に「秘して」と「主師」が有った事を認識はされていたものと思われます。
674
:
独学徒
:2006/03/06(月) 01:34:14
すみません、訂正です。
誤(日蓮正宗史の基礎的研究P732行目〜3行目)
正(日蓮正宗史の基礎的研究P73 2行目〜3行目)
675
:
独学徒
:2006/03/06(月) 01:45:49
すみません、「秘して」は上巻でした。
「したし」の方だけ下巻でした。
676
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/03/06(月) 07:56:03
>661 犀角独歩さん
>『法華主要抄』に、日蓮は佐渡の国の人々が言うには二つ、三つの太陽が出現し、二つの明星が出現した
本件はちょっと文献を調べてみます。最終的には白旗をあげるかもしれませんが。
677
:
犀角独歩
:2006/03/06(月) 11:26:35
672 独学徒さん
お久しぶりです。
ご説明、有り難うございました。
山口さんの該当文を挙げます。
「日奧本は「寿量品ノ文ノ底ニ秘シテシツメタリ」となっており、日存本と日言本では共に「文ノ底ニシツメ給ヘリ」で、日遊本、日乾本は「文ノ底に沈メタリ」となっていて、「秘して」の語はない…その「秘して」の文が日奧本に正しく書写されていることによって大石寺の伝承は肯定されたことになる」(P72)
つまり、日存本になく、日奧本にあるというのです。
そして、そのうえで
「現存する最古の写本が当家の解釈通りに「秘沈」「主師父母」となっていた」(P73)
というのが、山口さんの記述です。この記述からは、『開目抄』全文書者としては最古の本を恰も日奧本の如くに扱った文章になっているというのが、わたしの指摘です。
いま手許に資料がないために確認できませんが、独学徒さんが仰るとおり、「秘シテ」は、日存本にあったのでしょう。そのことから、小松師は、「文底秘沈」という考えは、日寛、もしくは石山の独自のものではなく、古来より言われていたことを、恰も石山秘伝のように日寛が語った点を指摘されていました。
いずれにしても、山口さんの文章は上記の通りですので、わたしは「ひどい内容だ」と記したのです。
676 彰往考来さん
ご賢察、期待しております。
678
:
独学徒
:2006/03/06(月) 11:50:29
犀角独歩さん、今日は。
山口師の論文は、仰せの通りですね。
「日蓮正宗史の基礎的研究」から、犀角独歩さんご指摘の箇所を確認しました。
山口師は、何を勘違いしたのでしょうか。
山口師が見た、最古の写本とはなんのことなのでしょう。
「何れにせよ現存する最古の写本が当家の解釈通りに「秘沈」「主師父母」となっていたということは何かすっきりとしたような、有難いような思いがするのである。」
良くわかりませんね。
犀角独歩さんのご批判通りですね。
679
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/03/07(火) 07:53:05
>661 犀角独歩さん
>都守師の論文『「法華取要抄」の草案について』(『大崎学報』第154号P73)・・・『法華取要抄』に、日蓮は佐渡の国の人々が言うには二つ、三つの太陽が出現し、二つの明星が出現したという・・・草案とされる『以一察万抄』・・・「此災日蓮見之」・・・『取要抄』にも、『法華取要抄』にもありません。・・・日蓮本人は見たのでしょうか、また、見たのであれば、『取要抄』『法華取要抄』では、この記述をどうして削ったのでしょうか
天文学者の斉藤国治氏(元東京大学東京天文台教授)は『星の古記録』(1997年3刷(1982年1刷)、岩波書店(岩波新書)、112頁)に「法華取要抄」の天文記事について以下の解説をしています。(漢数字を数字に改めました)
****************************************
日蓮は幕府の召に応じて評定所に出頭して、従来の主張を説いたが、そのときの問答をまとめた「法華取要鈔」という手記に、つぎのような星の古記録が挿入されている。
しかるを佐渡の国の土民口々に言う。今年(文永11年)正月23日の申の時に、西方に2つの日出現す。或いはいう3つの日出現すなどと。2月5日には東方に明星2つ並び出る。その中間は3寸ばかりなどうんぬん。
日蓮はこの天変を申しのべて、天の気色は重大な国難の近きことを示すものだと訴えた。かれはつづけて、
この大難は日本国先代にも未だこれ有らざるか。(中略)日と日と競い出づるは四天下一同の争論なり。明星の並び出づるは太子と太子との争論なり。かくの如く国土乱れてのち、上行等の聖人出現するなり。
と断定している。
右の文章にある2日(じつ)または3日(じつ)の同時出現は「幻日」という気象現象と説明される。一方、2月5日(3月14日)暁方の東天に明星が二つ並んで出たという記事は古天文学の検証の対象になる。
計算の結果、3月11日の早暁に、金星(このとき光度マイナス3.7等)と木星(光度マイナス1.7等)とが、太陽の西37度のへんで黄径合となり、金星が木星の北0.3度にまで接近していたとわかった。これは記事の「三寸」ともピタリと合う。記事の日付はユリウス暦3月14日に当たるが、これでは黄径合の時期を過ぎていて、金星が木星の東へ3度ほど離れてしまう。日付に誤記があるらしい。
いずれにせよ日蓮に関わる星の記事はそれぞれ事実の裏付けがあるように見える。
****************************************
さて、ご質問ですが、私は「佐渡の国の土民口々に言う」とあることから「幻日」と考えられる気象現象を蓮祖は見られておらず、金星と木星が並んで見えた現象のほうは「その中間は3寸ばかり」と具体的な記述であることから、見られたと考えます。つまり2つの気象現象のうち蓮祖は片方のみごらんになったので、草案に「此災日蓮見之」と記述したものの正本では削除されたのではないかと考えます。
by 彰往考来
680
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/03/07(火) 09:05:53
>679
「幻日」については下記HPなど参照ください。
http://www.sapporo-jma.go.jp/ah/asahika/data/topics/mamemame/genjitu.html
http://www.mukaitaki.com/photograph/gokinjyo/text/genjitsu011.html
彰往考来
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