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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
625
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 09:58:52
彰往考来さん
> 意味であるテーマに対して幅広く色々な方の先行論文を読む必要がある
もちろん、仰るとおりですね。
> 一切経は現在浅草寺
この記述は、見落としませんでした。
「宝蔵門所蔵の『元版一切経』5428巻は、鎌倉の鶴岡八幡宮の所蔵であった。源頼朝の夫人北条政子が息子頼家の追善回向のために奉納したもので、そのため各巻ごとに『鶴岡八幡宮』の朱印が捺(お)されている。これが浅草寺が所有するようになったのには理由がある。明治になって神仏分離例が発せられるや、あわや焼却処分にされるところを、貞蓮尼が托鉢によって得た資金で買い求め、浅草寺へ明治4年(1872)に奉納した。さて、鎌倉から浅草までの道のりは長い。まず『百八十函』の一切経を品川まで船で、それから大八車で寺に運んだ。その時大いに力を貸したのが新門辰五郎であった。か弱い尼僧の捨身の行、鳶の頭の心意気…」(図説『浅草寺 今むかし』 1996年11月21日初版第1刷、編集・発行:金龍山浅草寺)
資金で買ったとありますが、焼却しようとしたわけだからロハで出せばよいものを思ったのはげすの勘ぐりでしょうか。しかし、鶴岡八幡宮から海路、品川まで、そこから火消しの親方が一肌脱いで、大八車(今の若い人は読める?)で浅草まで。これはけっこうな距離があります。品川まで船が大きいものであっても、積み直して小さな船で隅田川に入れば、もっと楽だったのではないか…。余計な想像を膨らませて、楽しい思いになりました。わたしはあのポンポン蒸気が好きだったもんですから、隅田川を船と考えたわけです。面白いと思ったのは、八幡宮一切経奉納も女性、それを浅草寺に移したのも女性と言うことです。
それはともかく、彰往考来さんのご論攷で、ポイントになるのは北条政子が一切経を八幡宮に奉納した時期の正確な特定、さらにそれを青年僧・日蓮が閲覧できるかどうかから始まるのでしょうか。
岩本実相寺は、本年の夏、本化ネットワークの夏季合宿の観光コースに入っていたので行きました。上杉師が「高木先生は、日蓮聖人は、ここで一切経を見ていないといったんだ」とコメントされて、向かいました。「では、何のために聖人は、この地方にやってきたんでしょうか」という質問になったわけですが、すると「富士を間近にする日本最勝の景、本門戒壇の建立候補地として」みたいなことを仰って、にやりと笑っていらした。どこまで本心かわかりませんが、ロマンがある展開だと思ったものでした。
> 調査中ということでご理解
もちろん。それは理解しております。
ただ、『法教学報』の如く、時代に取り残されて、純粋な学問のような体裁を取りながら、あれだけ丹念に調べても、結局は、嘘を書かなければいけないのは‘お気の毒’という、まあ、同情のようなものです。しかし、これはもちろん、彰往考来さんにもの申すなどということではなく、キリスト教の中世暗黒時代の説教のように、狩られないように、お上に触れないように、当初からある結論に向けてまとめる文章が如何に虚しいかということへの憤慨を書いたのに過ぎません。もとより、北林氏など問題外ですが、このようなものまで、丹念に渉猟される彰往考来さんには、改めて敬意を表します。研究成果をお待ち申し上げます。
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