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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
601
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/28(金) 07:40:29
>594 れんさん >597 犀角独歩さん
>注法華経には3箇所ほど異筆があり山中師は日興筆と推定
『山中喜八著作選集Ⅱ 日蓮聖人真蹟の世界 下』(平成5年、雄山閣出版、5頁、以下「真蹟の世界 下」と記します)に
「この十巻の表裏に注記したまえる経論釈の要文は、合計二千百七章(4)の多数に上り、日興師の筆と想われる三章(5)を除けば、他は悉く聖人の御自筆である。
〔注〕
(4)連続して同一書を引かれた場合でも「又云」と標したものは別章に数え、表題のみのものもこれを一章と見做し、聖祖の附加せる設問または標目等は章数に加えなかった。
(5)他筆による注記は、第一巻に般若経(一−七)、第二巻に大品経(二−一七八)、第四巻に大論(四−一二三)の各一章ずつが存する。なお括弧内の数字は、定本注法華経が附した御注記番号である。」とあります。
「真蹟の世界 下」に入集している「定本注法華経解説」は、昭和55年に法蔵館より刊行された山中喜八編著『定本注法華経』(上下二巻)からの転載です。
この「定本注法華経解説」の前半部分は『大崎學報 第109号』(昭和34年、立正大学仏教学会、43頁)の山中喜八氏による「注法華経私考」と内容的には同じです。但し随所に推考の跡があります。上記引用箇所と同じ部分は「注法華経私考」(44頁)では
「この十巻の表裏に注記したまえる経論釈の要文は、筆者の数えるところでは(3)合計二千百○七章の多数に上り、第一・第二及び第四巻に存する各一章ずつの他筆を除けば、他は悉く聖筆によって埋め尽くされている。
註
(3)連続して同一書を引かれた場合でも「又云」と標したものは別章に数え、表題のみのものも之を一章と見做し、設問又は標目の祖語は章数に加えなかった。」とあり、特に「真蹟の世界 下」で“日興師の筆と想われる”の箇所が「注法華経私考」では“他筆”となっています。
宮崎英修・茂田井教亨編『日蓮聖人研究』(昭和47年、平楽寺書店、461頁)に「注法華経について」と題する論文が入集していますが、「注法華経私考」を下書きにして推考した形になっていて「定本注法華経解説」の前半部分と「注法華経について」はよく一致します。「注法華経について」で上記相当部分がどうなっているかというと、
「この十巻の表裏に注記したまえる経論釈の要文は、合計二千百○六章(4)の多数に上り、日興師の筆と思われる三章(5)を除けば、他は悉く聖人の御自筆である。
〔注〕
(4)連続して同一書を引かれた場合でも「又云」と標したものは別章に数え、表題のみのものもこれを一章と見做し、聖祖の附加せる設問または標目等は章数に加えなかった。
(5)他筆による注記は、第一巻に般若経(一−七)、第二巻に大品経(二−一七八)、第四巻に大論(四−一二三)の各一章ずつが存する。なお括弧内の数字は、清書本注法華経が附した御注記番号である。」とあり、「定本注法華経解説」と「注法華経について」とは数えた章数が一章異なる点、“想われる”と“想われる”の差、『定本注法華経』と『清書本注法華経』など枝葉の如き差しかありません。
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