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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
602
:
犀角独歩
:2005/10/28(金) 08:48:29
まず、先のわたしの投稿
> その校閲を日興がし、不足を書き込んだ…、
というのは、やや不適切な表現でした。単に「日興が書き込んだ」とするほうが、まだ適切であったかも知れません。
> 600〜601
彰往考来さん、いつもながら、克明なご教示有り難うございました。
殊に、日等模写と稲田師の配慮のご観察、興味深く拝読しました。
注法華経のこと、これはれんさんにもお尋ねしたいところですが、日興が書き込みをしたタイミングは、いつのことなのでしょうか。日蓮の在世、はたまた、身延の廟に置かれ、日昭が持ち去るまでの間でしょうか。
先に取り上げた小林是恭師『二明王の曼荼羅』に「それにしても添書をする日興なる者」(大崎学報 112 P31)という表現があり、目を引きました。実はわたしも、はじめて日興が日蓮真筆漫荼羅ほかに書き込み(添書)をしていた事実を知ったとき、強い違和感を覚えたものでした。石山僧に問うたところ、「日興上人は僧宝にましまして、日蓮大聖人と一体の関係にある唯受一人血脈相承を受けているわけだから、日興上人のみがその権能を有する」云々といった説明を受け、当時、石山信念体系にあり、納得したのです。
しかし、今となっては、やはり、この日興の書き込みには違和感があります。裏書きでも、脇書きでもなく、聖筆に交えて書き込むことに対する嫌悪感です。もちろん、このことは上古から既に問題になっていたようで、『富士一跡門徒存知事』にも
「一、日興弟子分の本尊に於ては一々皆書き付け奉る事、誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も、或は親には強盛の信心を以て之を賜ふと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ。之に依って或は以て交易し、或は以て他の為に盗まる。此くの如きの類其の数多きなり。故に賜はる所の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」
という弁明から窺えます。ですから、多の五老門派ではどう感じているのか興味がありました。よって、小林師の言は「やはり」という感じでした。
仮に、注法華経への日興書き込みが蓮師滅後の彼の期間であったとすれば、それを見咎めた日昭が慌てて聖筆保護のために持ち去った…等という類推は当たらないものでしょうか。もちろん、まるで思いつきです。お二方のご賢察を伺いたく思います。
なお、質問の趣旨とは、別に思い出したところを、書き付ければ、中尾師は、この日興の御筆漫荼羅への書き込みと『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』から、
御筆漫荼羅授与は、日興教化の弟子檀那から日興へ、日興から日蓮へと手継ぎを経て願い出、授与者本人が死去、退転をした場合は日興の元にいったん、戻され、そこで、添書をし、あらたな意義付けをして、再授与されていた…、と説明されていました。
まあ、そのための添書であっても、裏書きで十分ではないのかという思いはやはり拭えません。
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