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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
1520
:
通りがかりの一般人
:2006/06/20(火) 23:51:38
>酔払い運転で人をひき殺した人も死刑にするべきだと思いますか?
私は死刑にすべき(というか死刑が適用されてもいい)と思います。
なぜならお酒を飲んだうえでハンドルを持つこと自体が未必の故意だと思
います。
つまり酔っ払って運転するとハンドル操作を誤って人を轢いてしまうかも
知れないということは周知の事実だからです。
お酒を飲むことは断ることができるのです。
それを自らの意思で飲み、運転する人に対して何を同情する必要があるのでしょうか?
さて、死刑廃止論についてですがもちろん「死刑支持派」です。
ただ、死刑というのは自らが処刑される(殺される)という状況にならないと自分の
やったことの重大さや被害者の気持ちを理解できない人がいるからある制度だと
思います。
世界には飢えや渇きに苦しむ人がいるのに栄養バランスも考えた3食与えて一生生か
しておく必要があるのでしょうか?
1521
:
Ken
:2006/06/21(水) 04:32:19
なんかハムラビ大王が失礼なこと書いてますね。「ひき殺す」と「ひき逃げ」の
違いもわからないようですから、今後ますます自分の馬鹿さ加減をさらけ出す
ことになるでしょう。
何気ない一文に皆さん食いついて、なおかつ酔っ払い運転を弁護する羽目になって
少々戸惑っていますが。もうしばらく前ですけど東名高速で常習的に飲酒運転していた
トラック運転手が乗用車に追突して両親の目の前で幼子二人が焼き殺されるという
大変痛ましい「事故」がありましたが、ハンドルを握っているときは一律、業務上
過失致死にしかならず最高で5年、飲酒運転を併合しても7年にしかならず、結局
裁判で懲役4年になりました。不勉強でその後の経緯を知らなかったのですが、
罪が軽すぎるということでこれを契機に危険運転致死傷罪が成立し、最高で15年
ということで有期刑としては殺人罪と同じになりました(最近、有期刑の上限が
20年に引き上げられたはず。罪刑法定主義ではこの運転手に適用することはできない)。
ということで飲酒運転による過失致死は殺人並みにみなすという皆さんの認識に
合うように刑法もすでに改正されたようですね。死刑や無期にはなりませんけど。
しらふで法定速度を守っていてもひき殺すことはありうるわけで、それも死刑に
しろというのはばかげていますが、危険な運転の場合はさらに罪が重くなると
いうのはもっともだと思います。こういう事件が起こることはみんな知っている
わけですから。もちろんそれでも誰かを殺すつもりで運転しているわけではありません。
殺人罪が適用されるのは逆恨みとかどうしようもない理由で明確に誰かをターゲットにし
なおかつ凶器を準備して殺す意図がはっきりとしている場合であって、もちろん
それが罪として最も重くするべきだと思います。
ちなみに米国では飲酒運転は単なる交通違反ではなくて犯罪として処理されるため
かなり厳しい処罰が待っています。検問所で逮捕される場合もあります。
1522
:
Ken
:2006/06/21(水) 04:35:40
>>1520
今、刑務所にいる人間を全てぶち殺しても世界から飢えと渇きがなくなる
わけではありません。それはまた別の問題。死刑問題をこれ以上ややこしくする
必要はないと思います。
1523
:
通りがかりの一般人
:2006/06/21(水) 23:13:49
>>1522
今、刑務所にいる人間を全てぶち殺しても世界から飢えと渇きがなくなる
わけではありません。
おっしゃるとおりだと思います。私が言いたかったのは彼らを生かしておく
費用があるならもっと有益に使ってほしいということなのです。
>>もちろんそれでも誰かを殺すつもりで運転しているわけではありません。
このことが飲酒運転についておっしゃっているのであればそれは違うと思います。
Ken氏のおっしゃる「東名高速飲酒運転事故」の裁判においてもこの事件は「未必
の故意」であるといわれています。
ゆえに「危険運転致死傷罪」が導入されたわけですから。
1524
:
Ken
:2006/06/22(木) 04:54:23
「殺すつもり」=確信的故意(例えば配偶者に保険金をかけて車でひき殺す。
死んでくれなきゃ困る)に対して「未必の故意」は、例えば酔ったまま車を運転すれば
誰かが死ぬかもしれないけどかまわない、ということであって両者はやはり違うと
思います。ただし、殺人罪では未必の故意を根拠に死刑になることはあるので
確信的か未必かという違いだけを取り上げて罪の軽重を私が説くのは少々的外れ
かもしれません。
1525
:
Ken
:2006/06/22(木) 05:27:59
終身刑とそれにかかる費用の問題について二点、反論します。
まず、原則論。刑罰はそれにかかる費用に基づいて決めるべきではない。例えば
もうすぐ刑務所の予算がなくなりそうだと言って、裁判官がとりあえず残りの
殺人犯に無期ではなく全て死刑を宣告したとすればどうでしょうか。あるいは
貧乏国が刑務所の維持費が出せないからうちの国では政治犯でも収賄罪でも死刑に
することにしています、とか言えば我々は面食らうでしょう。案外、北朝鮮とか
中国とかそういうことかもしれませんが。
二点目。とはいっても現実的に刑務所にはお金がかかりますし、納税者としては
もちろんそんなのはできるだけ節約して、仰るとおり他の有益なことに税金が
使われるに越したことはありません。死刑囚を終身刑に減刑すればとたんにお金が
もっとかかることになります。しかし、私にはもちろん妙案があります。これは
すでに何回か説明したのですが、終身刑の導入と厳罰化を組み合わせるのです。
例えば今の法律では何人レイプしても死刑にはならず、そのうち必ず出てきて
かなりの割合で同じことを繰り返すというのが我々の認識になっています。この間
7人とか8人とかの連続レイプ犯に相次いで判決が出たんですけど懲役10年とかで
立件できなかった余罪もあるはずなのに一人当たり一年半が相場かと、ずいぶん
憤ったことがあります。私はこういうのを終身刑にできるようにすればいいと
思います。30歳で刑務所に入って80歳まで50年生き、一年当たり100万円かかると
しましょう。終身刑受刑者の一生涯にかかる費用は5000万円です。一方で栃木の
女児事件のような重大犯罪では億の単位のお金が捜査に費やされていると思いますし
運良く犯人逮捕となっても裁判にまた費用がかかります。そして嫌な言葉ですが
逸失利益というのがあります。東名高速の事故ではそれを含めて2億5000万円の
賠償が民事で認められました。要するにこれらの重大事件が本来は刑務所に入って
いるべき極悪人による再犯であったとして、その極悪人をそのまま刑務所につなぎ
とめておくことによって再犯を防ぐことができれば、我々はそれだけの損害を
「節約」することができます。仮にこういう重大事件による損害が総額で5億円だと
しましょう。とすると再犯率が10%(10人に一人が再犯する)であれば収支は
とんとんということになります。あくまでも大雑把な計算ですよ。また私は一点目で
述べたとおりこういう問題を金勘定で論じるのはあまり好きではないです。ただ
「終身刑導入=税金アップ」というのは短絡的だと思います。
1526
:
元高井戸署員
:2006/06/22(木) 10:23:49
ここの掲示板に書かれている方の文章能力や思考力は凄いなと感じます。まず、皆さんは法を熟知して上での思考論争を繰り広げておられるので大変高いレベルだと思います。
死刑と言う定義の中では死刑囚の人権や死刑の存在に対する考え方等、賛否両論様々であると思います。
私自身水掛け論が苦手ですし、難しい角度からの論争も苦手です。
このサイトに載っている様々な事件を読んでみると、刑事裁判書類に記された事件概要の様です。簡単に言えば客観的なんですね。
裁判になれば死刑を求刑された被告人に対し遺族や被害者以外の人は客観的に見ますから被告人の人権など様々な論争を呼ぶ事となりますが、それは事件を読む、または聞くからでいて事件に直面した場合は、はたして同じ論争になるのでしょうかと私は疑問に思います。
死刑を廃止している国の方が多いですが、その国は兵器や武器を何故に所持しているのでしょうか? 矛盾しているように思えます。裁判ではどんな事があっても道徳的に人間が人間を殺してはならないが、裁判以外で正当防衛や緊急避難なら殺しても構わないから兵器、武器の所有は認められてるのでしょうか?
わたしは高校卒でなんとか地方公務員3種に引っかかったレベルなので何とも難しいのですが…
ところで、
皆さんは死刑囚や無期懲役囚と対話をや遭遇をしたことがありますか?私自身、過去に実際事件と犯人に直面し、未だに怒り冷めやらない思い出もあります。
確かに量刑相当による求刑というのもありますが、
検察官が死刑を求刑するのも事細かに事件を見て被疑者に対面するからこそ心の底から、死刑にしなければならないと感じるのだと思います。
1527
:
元高井戸署員
:2006/06/22(木) 23:23:12
昭和62年、杉並区永福町一丁目で起きた事件は20年を経とうとするが未だに鮮明に脳裏に焼き着いています。
当時私は、高井戸署の永福駅前派出所(交番)で外勤勤務の警察官をしていました。
その日は、日勤勤務で受持ち区の巡回連絡をする予定でした。交番の勤務形態は4交代制で『日勤』『第一当番』『第二当番』『非番』とあり、日勤は通常は休みを入れるか巡回連絡が主な任務です。当番勤務が110番や主な届出の処理をします。
午前9時半頃、受持ち区を巡回しながら住民のおばさんと、たわいも無い世間話をしていました。
受令機の発信音が鳴り『またいつもの事か』とイヤホーンを耳に当てると『高井戸管内、調査方、男女のゴタ永福一丁目』との指令でした。『自分の派出所だ』と思いましたが。当番勤務員がいる為、私は処理に向かう必要が無かったのですが、駅前交番という形態上、かなり忙しい交番でもあったため、気を利かせたつもりで交番に戻りました。交番では、井村巡査と上原巡査部長と警察学校の見習い警官がおり、ちょうど井村巡査が学生警官を従え現場に向かうところでした。私は『井村、何かあったら呼んでね』と言い、大した緊張感も無く上原巡査部長の当番の手伝いをし始めました。10分後くらいに突然、署轄系無線機に『発砲!発砲!応援要請!』と井村巡査の叫ぶ様な声が飛び込んできました。
即座に『撃たれたか?!』と思い私は自転車に飛び乗って現場に向かいました。
現場の路上には顔を真っ青にした井村巡査と学生警官がおり、『どうした!』と尋ねたところ、玄関口で家人の呼び出しをしているといきなりドア越に発砲してきたとの事でした。幸い両名には怪我は無く状況を署と警視庁本部に報告しました。
当然、署は蜂の巣を突いた様な騒ぎになり、警視庁本部からも捜査一課長率いる捜査一課特殊犯係等50人くらいの警察官が押し寄せました。署も緊急事態であるため、手の空いている警察官は全員現場に現れ、200人くらいの包囲体制になりました。あっという間に物凄い数の報道も現われ、空には何機ものヘリコプターが旋回し始めました。三菱銀行北畠支店以来の人質立てこもり事件に発展してしまったのです。
近所の銀行の2階会議室を現地対策本部として捜査第一課長と高井戸警察署長率いる大勢で犯人との戦いが始まりました。
この立て込まれた家はバブル時代に名を馳せた『八大産業』という不動産会社の社長宅でした。よって暴力団がらみや右翼がらみの犯行と当初は示唆されたが、公安、刑事の両方からすぐに情報収集を始めましたが見当がつかず、 後に犯人は右翼と名乗っていましたが実在はなく、金欲しさの強盗目的でした。
犯人の要求は『逃走車両の用意』のみ、他には無し。
捜査一課長と署長の支持は『犯人絶対逮捕』(これは必ず生かせて捕まえろということです。)『人質の救出』との事でした。
捜査一課長が電話と拡声器で交渉しますが全く返答は無く、時間が経つにつれ強行突入策が濃厚になって来ました。昼食を取る間も無くあっという間に夕方になって来ました。
今でこそSAT(特別急襲チーム)が話題ですが、当時も極秘に第7機動隊には在ったのですが全く出動の気配はありませんでした。
取られた作戦はこうでした。
1528
:
元高井戸署員
:2006/06/22(木) 23:24:12
逃走用車両を家の門に横付けし、玄関から犯人が出てきたら門までの10メートル前後の敷地内で犯人確保するということでした。逃走用車両に乗り込まれた場合は捜査一課の追跡班がバイクで追いその後は捜査一課指揮の基、他管轄の警察と連携して犯人を追い詰めるということにもなりました。
がしかし、それでは高井戸署長の面子が立ちません。署長は刑事課と私達独身の警官を呼び『何が何でも犯人検挙だ!』といきり立ちました。信じられない事と思われるでしょうが、全員拳銃所持は認めらず防弾チョッキだけの丸腰突入作戦になったのです。
辺りは夜になり暗くなり投光用のライトが数台備えられ、私達も突入準備に取り掛かり始めました。
私の位置は、門の上(大きな家ですので、門も田舎の農家のような門です。)に二人で潜み、家の両脇に潜む刑事たち(12〜3人)と一斉に飛び掛る事となりました。
心臓がドキドキするよりも『やるしかない!』という興奮状態になりました。自分の生死の事は不思議と考えられなかったです。皆、血圧が最高潮に達し興奮状態で同じ感じだったのではないかと思います。
犯人は何発弾を持っているか分からず、何丁拳銃を持っているかもさっぱり情報はありませんでした。
門の上に潜み何分経ったかは興奮の為記憶にありませんが、そうは長くない時間に逃走用車両が門に横付けされました。
捜査一課長が犯人に電話連絡をし全ての準備は整いました。
日本式の引き戸の玄関ドアが開いたその時です。犯人は人質の白鳥さんを左手で抱き、右手で拳銃を白鳥さんの右こめかみに着き付けて出てきたのが目に飛び込みました。
二歩三歩犯人が出た時です。まだ私の距離には数メートルあります。全身の毛が逆立った感じになり飛掛かろうとした瞬間、犯人は白鳥さんに発砲しました。『バン!』という音と共に白鳥さんは崩れ落ち、続いて右側から飛掛かった特殊班の五十嵐係長(有名な深川の川俣軍司を捕まえた時に板前の格好をしていた大柄の刑事です 。)に2発発射、係長は顔と腰に銃弾を受け転がりました。右側の後続の突入隊と左側の突入隊と私達上からの突入で犯人に対して押し競饅頭の様な格好となりました。続いて一発銃声、犯人自殺と記事にはなりましたが、20年経つので明かします。暴発です。
犯人は右顎から左額に弾が抜けました。私達はすぐに白鳥さんを待機中の救急車に運びましたが既に足が硬直痙攣していました。そして白鳥さんは亡くなりました。
全ては大失敗に終わりました。
私は僅か10メートル足らずの所で弱り果てた被害者が射殺される瞬間を目の当たりにしました。物凄く悔しく悲しく憎く、たまらなかったです。今でも夢を見る事があります。
1529
:
元高井戸署員
:2006/06/22(木) 23:24:37
結局、犯人は死刑求刑であったが無期懲役が確定服役しました。後に刑務所内で自殺した事を新聞で知りました。
あれだけ、悪に勢いがつく者に対して本当に矯正の余地はあるのでしょうか?捕まった被告人は神妙な顔をしていますが、その顔しか一般人は見る事が出来ないのです。
私は今でも人殺しの本当の姿を忘れないです。
1530
:
Ken
:2006/06/23(金) 04:32:38
私は反学歴・反権威主義でして、興味深い意見や文章を書くのに学歴やその道の
専門家である必要はないと信じています(もちろん元署員さんは警察官という
プロではありますが)。元署員さんはご自身でサイトやブログを立ち上げられたら
いいと思いますね。
警察官が立ち会うのはまさに邪悪な暴力が暴発する瞬間ですね。そしてその邪悪な
顔を間近で目撃すれば絶対に許せないという感情を持つことは当然だと思います。
この一警察官から見たストーリーを読んでそのことがよく伝わりました。しかし、
暴力というのは突然暴発するわけではありません。必ずそこまでに至る経緯が
あります。犯行事実と同じでその動機は全く理不尽な場合が多いですが。boroさんは
成育歴まで遡って犯罪が起きる経緯や動機に光を当てようとしていますね。それは
ちょうど元署員さんとは逆向きの犯罪者からの視点です。それが扇情的な言葉を
使わずに冷徹に描かれます。しかし、読み終わるとなぜか犯罪に対する怒りが
ふつふつとわいてくるという不思議な魅力をたたえています。ここに集まって
来るのは結局そういうboroさんの文章に引き寄せられた人たちですね。
このように犯罪を見つめる視点はいろいろです。犯罪者が裁かれるときには犯罪者の
視点、被害者の視点、一般市民の視点、警察や社会の視点から犯罪を眺めてそれらを
総合して罰を決めるべきだと思います。例えば少年犯罪は加害者の視点が強調
されすぎで、被害者や一般市民の視点がなおざりにされているために批判を呼んで
いるのだと思います。
1531
:
Ken
:2006/06/23(金) 04:39:43
私の最大の疑問は『犯人絶対逮捕』→『人質の救出』というところですね。なぜ
『人質絶対救出』→『犯人はできれば逮捕、射殺もやむなし』とならなかった
のでしょうか。指示を出すのはそうやって犯罪者たちの凶悪な現場に立ち会ってきた
警察官ですよね。なぜ犯人に気を使うようなことをするのか理解できません。
それと、五十嵐係長はどうなったのですか。
1532
:
Ken
:2006/06/23(金) 04:57:54
>>1526
死刑廃止派はここでも圧倒的少数派でして、boroさん、紫煙狼さんと私しか
いません(他の方を忘れていたらすみません)。boroさんと紫煙狼さんは死刑に
反対する際はいつもこの自分が当事者になったらどうするのかという視点を忘れては
いけないと強調してます。また死刑と兵器・武器に関してboroさんは元署員さんと
ちょうど逆のことを言っています(死刑に関する文章を読んでみてください)。
つまり日本には戦争は国家による殺人だからいけないという平和主義が蔓延って
いるのに対して、大方の日本人は同じく国家による殺人である死刑を是認している
という矛盾ですね。私の見解はこれはどこからどこまでを野蛮であるとするのかの
線引きの問題であるということで、簡単に言えば人権感覚の違いですね。日本人は
国内の犯罪者の人権よりも、日本に危害を加えた、あるいは加えるかもしれない
外国にいる人々の人権のほうが大事なのに対して、死刑を否定して戦争を容認する
国々は犯罪者であろうとなかろうと自国民の命は外国勢力の命に優先させると
いうことですね。私は国家のあり方としては後者のほうが健全だと思いますけどね。
1533
:
ちゃぼ
:2006/06/23(金) 16:48:29
死刑制度廃止論って、
「どんな理由があっても、人を殺すのは非人道的」という観点から発してるんですよね?
・何の殺される理由もなくて殺された人と遺族
・人を殺して死刑になる加害者
どちらが可哀想かといえば前者。犯人が死刑になろうがなるまいが救われないからだ。
また、どちらが非人道的かと問えば、明らかに後者だが
加害者にとって、死刑になるのとならないのとでは大違いだ。
つまり死刑廃止論というのは、被害者側の人権・立場や感情というのは全く考慮されておらず
被害者でも加害者でもない・全く無関係の第三者が
『死刑はいけないこと』という理論だけで論争されている。
じゃあ、もしも『非人道的な行為だから、死刑は反対』というならば
“非人道的な加害者”の行った殺人はナニ?人道的なことだというの?
殺人という罪による死刑より、もっともっと非人道的なことが殺人なのでは???
死刑は、殺人という非人道的な大罪に対する『裁きと償い』であって
決して国家や法による殺人ではない。
加害者への憎しみでも報復でもなく、加害者の『罪』に対しての『償いという行為』をさせること。
まさしく罪を憎んで人を憎まず、だ。
自分の行為(罪)に対して責任をとらせるだけのこと。これぞ自己責任というもの。
死刑=非人道的な殺人
をやめろというならば、そもそも加害者が殺人なんて非人道的なことをしなければいいだけのこと。
死刑廃止論を唱えるなら、その論理で世の中の犯罪予備軍に呼びかけて、犯罪を無くしてほしいものだ。
『殺人は非人道的なのでやめましょう』と。
少なくともそれで犯罪がなくなるのなら、死刑廃止を認めてあげてもいいが。
ムリだろな。人から言われて止まるものじゃないから。
死刑廃止で加害者の命と人権を救うことはできても、犯罪を抑止することはできないし
また、死刑により犯罪を抑止する効果は確実にあると思われる。
なぜならば、
この世には「死刑になる・ならない」といった計算に基づいて
罪を犯す犯罪者が必ずいるからだ。
こういう姑息な犯罪者にとって、死刑廃止論は美味しくてたまらない話だろう。
死刑を強く肯定するのは、一番危険なこういう奴等を世の中に野放しにできないからだ。
こんなことは過去の歴史を振り返ればわかりきったことなのだが、
それも見えないのかね、偽善者の死刑廃止論者は。
(疑わしきは罰せず・・・冤罪に関しては別問題。)
1534
:
ちゃぼ
:2006/06/23(金) 17:02:08
戦争もよくないこと。
殺人もよくないこと。
当たり前のことである。
が、争いを起す人間がいる限り、どちらも止まらない。
個人で心から戦争を望む人などほとんどいない。
一部の人間が私欲のためにやっているが、その力が大きいから、
個人レベルで止められないだけのこと。
ここでは戦争は抜きにして、、、と。
要は、犯罪は犯さなければ償いの必要もなくなるわけだが
それでも犯罪は起こるから、罪の大きさによって償いの方法が必要になる。
人を殺せば=死刑
これが秩序も倫理観も無い頭の悪い犯罪予備軍には
一番わかりやすい法律であると思う。
シンプル・イズ・ベスト。
1535
:
元高井戸署員
:2006/06/23(金) 20:06:36
Ken様
【問】私の最大の疑問は『犯人絶対逮捕』→『人質の救出』というところですね。なぜ
『人質絶対救出』→『犯人はできれば逮捕、射殺もやむなし』とならなかった
のでしょうか。
【答】
今までのシージャック、バスジャックを見ても西日本の警察では拳銃使用の突入がありました。 広島シージャックや三菱銀行北畠支店も射殺をしております。
がしかし警視庁は拳銃使用突入を行なった例はありません。
現在はどうか分かりませんが、当時はやはり拳銃使用は誤れば所属長の責任問題になるからです。 正義より責任回避、保身主義が警察幹部の特徴でした。
『犯人射殺』でも世論の批判はあり面倒臭いですし、『誤射で人質死亡、同僚死亡』なんて事になったら所属長はアウトです。
結果は最悪の事態になりましたが、『仕方が無い、我々は最善を尽くした。悪いのは犯人だ。』と言えば所属長をそれ以上責める事はできないでしょう。
当たりクジを引いて作戦成功すれば所属長は警察庁長官賞です。
何事も世論から批判されず、事を上手く収めろというのが幹部の姿勢でした。
警察署長は一般的には残り数年で勇退し本部との交流もありながら美味しい天下りが待っていました。それをふいにはしたくないというのが一般的でした。
【問】それと、五十嵐係長はどうなったのですか。
【答】いずれも弾丸貫通による重症でしたが、意識不明にもならず、その後現場復帰したと聞きました。
スレから大幅にズレてしまい皆様申し訳ございません。
1536
:
Ken
:2006/06/24(土) 02:48:48
なんか警察ってものすごく損な役回りですよね。人質を盾にする姑息な犯人が
一番悪いのに、誰に弾が当たっても批判される。ただ、拳銃使用の敷居はどんどん
低くなってきているようですね。
http://news.www.infoseek.co.jp/society/story.html?q=24yomiuri20060623i212
私なんかその所属長が率先して丸腰で突入しろと思いますね。賞を取れるのは
そうやってリスクした人だけですよ。
この丸腰突入の命令が下ってから心を決めるまでものすごく短時間ですよね。
淡々と述べられていますが、そこが一番すごいなと思いますね。もちろん、危険が
つきものの商売ですからある程度の心構えはあったのかもしれませんが、朝には
おばちゃんと立ち話してたぐらいですからねえ。なぜそんな勇気が出てくるのか
不思議です。
1537
:
Ken
:2006/06/24(土) 03:41:31
>>1533
>>1534
あちゃあ。またNGワード出ちゃいましたね。「偽善者」の言葉で
紫煙狼さんは筆をとる気がなくなったと思いますので、私が代わりに回答いたします。
まずかなりの曲解と自己矛盾が含まれていますよ。言ってもないことをでっち上げて
非難するのは議論を吹っかけるときの常套手段ではありますが。
「遺族は死刑になろうがなるまいが救われない」んだったら、そもそも死刑に
するかどうかを決める際に「被害者側の人権・立場や感情というのは全く考慮」
する必要はないんじゃないですか?私はそうは思いませんけどね。憎い相手が
この世界からいなくなる、二度と同じ罪を犯すことがない、と思えるのは遺族に
とってせめてもの慰めになりますし、これを代替する手は他にはなかなかないです。
ただし、日本の死刑制度はそうやって遺族感情を慰めるためにあるわけでもないし、
他の手段を整備して遺族を支援することが大事だというのが私の立場です。
次に『非人道的な行為だから、死刑は反対』から導かれる結論は、当然「“非人道的な
加害者”の行った殺人(のほうがずっと)非人道的」というものであって、それには
死刑賛否の立場は関係ないですよ。「“非人道的な加害者”の行った殺人は...
人道的」ってどんな脈絡ですか。死刑反対派は「「どんな理由があっても、人を
殺すのは非人道的」という観点から(意見を)発してる」んでしょ?
それから「姑息な犯罪者」は「「死刑になる・ならない」といった計算に基づいて
罪を犯す」という意見と秋田事件15の「愚かな犯罪者というのは、「嘘をつくと
どうなるか、人を殺すとどうなるか」といった先のことを考えたり、善悪を判断する
思考などない」という意見と明らかに矛盾しています。というか秋田の事件は
死刑には抑止力がないという見事な例ですよ。一人殺してもめったなことじゃ
死刑にならないですからね。姑息な犯罪者はそうするでしょうし、もっと姑息な
犯罪者はそもそも死刑が規定されていないレイプに走るでしょう。ですから、
犯罪の抑止は死刑や「『殺人は非人道的なのでやめましょう』と...世の中の犯罪
予備軍に呼びかけ」るといった不確かな方法に頼るのではなく、警察力や子どもを
しっかり見張るといった方法によって実現するべきだというのが私の立場です。
ちゃぼさんの意見には死刑でしか解決できないという問題が含まれているとは
思えないんですよね。逆に死刑に頼りすぎることによってかえって不具合が増大する
ということもありえると思うんですよね。
1538
:
P
:2006/06/24(土) 16:32:30
いわずもがな、全ての殺人(者)を同一視した意見は間違ってます。
犯罪者もそれぞれ人格が違う。犯罪内容や犯人像によって意見が違ってくるのは当たり前です。
それを“矛盾”と捉えるとは、呆れ。。。
呆れ。。。
1539
:
ちゃぼ
:2006/06/24(土) 21:48:05
>1537
>「“非人道的な加害者”の行った殺人は...人道的」ってどんな脈絡ですか。
そんなこと一言も書いてないんですが…。
『殺人という罪による死刑より、もっともっと非人道的なことが殺人』と書いてあります。
よく読むように。
それから
>死刑反対派は「「どんな理由があっても、人を殺すのは非人道的」という観点から(意見を)発してる」んでしょ?
違います。
「どんな理由があっても…」なんて、そんなこと一言も書いてないですよ。それはあなたの妄想..
殺す理由によって違う。殺人者が非人道的なのであって、
同じ殺すでも、例えば死刑を非人道的とは思っていない。私は、ですが。
なんていうか、Kenさんは
相手の書く内容の把握が適当すぎます。
ってか、内容よりも議論のための議論がお好きなようで^^;
(他の方に対しても…)ただ絡まれてる気がして、とっても書き込みにくいです。
今後、できれば私への返信は結構です。ご遠慮ください。
私は議論したいというよりも、つぶやきたいだけなので。
(迷惑ならもう来ませんが、同意される方がいれば、それはそれで嬉しい)
また、私が書き込むかどうかはわかりませんが(^-^ゞ
少なくともKenさんは、私をもし見かけたら読み飛ばしてください。
(他のみなさま、スレ違いの内容で失礼しました。)
1540
:
人間魚雷
:2006/06/25(日) 01:08:55
>>(迷惑ならもう来ませんが、同意される方がいれば、それはそれで嬉しい)
迷惑ではありませんよ。
誰と議論するのも、しないのも、つぶやくのも自由だと思います。
私もどちらかと言えばつぶやき型ですし、議論は苦手なほうでして。
ただ、Kenさんの書く事には勉強になることも少なくないんです。
特にアメリカ人の思考回路を知るという点で。
1541
:
もこみつ
:2006/06/25(日) 02:30:58
それは犯罪者の言い訳っぽいから?
1542
:
ちゃぼ
:2006/06/25(日) 13:28:20
みなさん、ありがとうございます。
>特にアメリカ人の思考回路を知るという点で。
>それは犯罪者の言い訳っぽいから?
その通り(笑)
『勝つためだけ』の議論は、犯罪者の言い訳に似てますね。
明らかに悪質な被告を弁護したがる弁護士も同じく
屁理屈を楽しんでるとしか思えません。
全く説得力はないんだけど、「よくそこまで平気で言えるな〜」と
呆れながら関心することは、、、あります。
弁護人は、犯人の心理に“シンクロできる素質がある”…ということかな。(これが怖い)
『何がなんでも勝たねばならぬ』=『死刑になってたまるもんか』と必死。
被告と弁護人が似てくるのは当たり前か。
1543
:
匿名希望
:2006/06/25(日) 15:13:55
屁理屈って第三者の立場から聞いてる分には面白いけど
議論で言い負かされても芯から納得させられたわけじゃないよね。
1544
:
紫煙狼
:2006/06/26(月) 01:08:32
はぁい、屁理屈コネの偽善者は元気ですよ(笑)
死刑賛成の人も、死刑反対の人も、死刑に値するような犯罪が発生しない世の中を望んでいるのは同じですよね?
「イヤ、凶悪な犯罪がドンドン増えて、片っ端から死刑にしていくような世の中が健全」
なんて思っている人、もし居たら、そういう人は別のサイトでお話してくださいね。
では、もし、死刑に値するような犯罪が発生しない世の中になったとしたら、
そもそも「死刑存廃論議」なんてのは意味を持つのでしょうか?
「形骸化していて死文化しているから、なくしてもいいんじゃないっすか?」程度の、
非常に軽いノリでお話しできる話題になってしまいますよね。
ってことは逆説的に「死刑が必要な世の中だから死刑存廃論議が白熱する」んです。
少なくとも今は、死刑は必要な刑罰なんです。
でも、私は死刑に反対していますよね?なぜだと思います?
馬鹿だから。議論に負けたのを認めるのがイヤだから。何にでも反対したい性分だから。
否、数十年後の日本を考えたときに、その時に未だ「死刑は必要な刑罰」という状況であったら、
「お前等の世代は一体何をしてきたんだ?」と次世代から凶弾されて仕方ないと思うのです。
ここで死刑反対の意見を書き込むと、死刑賛成の人達から、あらゆる指摘を受けますよね。
そして、その指摘を覆すような制度や方策を死刑以外に見つけることが出来れば、死刑は不要な制度になるんです。
ここを、死刑制度を続行させるという結論で思考停止させたくない、というのが理由の一つに挙げられます。
次に、教育のあるべき方向や世論の向きを自由に操作できるだけの力を持った国家というモノ相手に、
我々国民の監視というのがどれほどの力を持っているのか、疑問視しているという面もあります。
国家権力ってのは、その気になれば冤罪を頻発させることも出来るし、時間をかけて日本を軍国主義国に
逆戻りさせることも出来るのです。確かに、警察と司法当局が協力して無実の人を冤罪に陥れるなんて
想像する方がおかしい、そりゃ杞憂ってものかもしれません。しかし憂いて過ぎるという問題でもないでしょう。
どういう教育を行っていたものか、なぜそこまで暴走してしまったのか、私なんてのは非常に理解に苦しむ
のですが、当時既に民主主義の考え方が広く浸透していたはずのドイツは多くのユダヤ人を虐殺したんです。
自由と民主主義の国アメリカにも、政治的思想の異なる者を弾圧するレッドパージは着々と進められたのです。
と、なれば、死刑なんて危なっかしい制度を国家に持たせておいて大丈夫なの?という心配も沸くでしょう?
民主主義国日本が同じ轍を踏むわけはないと、誰が言い切れますか?
と、言うわけでね、死刑賛成論者は死刑廃止論を「感情的で馬鹿げている」という一言で片付けて欲しくないし、
死刑廃止論者は死刑賛成論を打ち負かすことではなく、廃止するに当たって必要なことを一緒に考えてもらう事に
心血を注いで欲しいのね。平行線に見えていても「次世代にどんな社会を残すか」という責任さえ忘れなければ、
喧嘩別れの時間の浪費にはならないはずですよ。ええ。私はそう信じていますよ。だからね、屁理屈といわれようが、
偽善といわれようが、犯罪者の言い訳といわれようが、今はじっと我慢なんですよ。
内心穏やかじゃないですけどね(笑)
1545
:
loveless
:2006/06/26(月) 22:14:32
>>1544
国家が個人を死刑にかけるというのと、死刑そのものの存置は
直接は関係ないことのように思います。
現在の刑法において、国家に対する罪で死刑になるのは、内乱、外患に関する
罪くらいです。そして、これらの罪が適用されることもほとんどありません。
(オウム真理教くらいはこの罪に該当しても良さそうですが。。)
日本において死刑が執行されるほとんどすべての理由が、殺人などの一般犯罪
に対する行為です。
#つまり、被害者が必ずいる犯罪行為。
ファシズムを警戒するのならば、死刑や刑罰の過重を気にするよりも、
最近話題の共謀罪など、その法律が国民生活にどれだけ影響を与えるか
ということを気にすべきかと思います。
1546
:
紫煙狼
:2006/06/26(月) 23:23:48
私の主張が少し妄想がかっているという面を否定する気はありませんが…。
>日本において死刑が執行されるほとんどすべての理由が、
>殺人などの一般犯罪に対する行為です。
未来永劫この状態が続くと信じてよいのでしょうか?これは今の話ですよね。
そして、私は「今は死刑が必要だ」と認めていますが何か矛盾していましたでしょうか?
>#つまり、被害者が必ずいる犯罪行為。
国家が邪魔者を排除するに当たって国家に対する罪を適用する必要はないわけで、
被害者を出せばいいんですよね。連続殺人事件の容疑者が邪魔者なら都合が良いですね。
最後に
>ファシズムを警戒するのならば、死刑や刑罰の過重を気にするよりも、
>最近話題の共謀罪など、その法律が国民生活にどれだけ影響を与えるか
>ということを気にすべきかと思います。
必ずしもファシズムを警戒しているわけではないのですが、このスレは死刑を考えるスレですよね?
死刑を考えるスレでファシズム状況下における死刑の恣意的運用を危惧する発言をすることが、
死刑を考えるスレで共謀罪など他の法律制度の話をすることより間違っているとは思えないんですが、
そのあたり、いかがなもんでしょうね?
1547
:
a
:2006/06/28(水) 02:04:05
私は死刑が一番緩い判決だと考えている
1548
:
紫煙狼
:2006/06/28(水) 02:48:29
>>1547
もう少し詳しく教えていただけませんか?解釈の仕方にちょっと迷っています。
1.ある程度、死の恐怖を味わう時間を与えることはできるが、執行されて死に至るまでの時間が短いため、
死ぬ苦しみを充分に味あわせているとはいえない点で「緩い刑罰」でしかないと考えている。
2.懲役刑などは何年間収監するか等の要素も考えて出さねばならない。無期懲役でさえ、やがて囚人が
社会に出るということを考えて下さねばならないが、死刑の場合はその手の心配がないため、
裁判官にとって条件さえ揃えば、悩む要素が少ない判決であるから「緩い判決」であると考えている。
他にも解釈の仕方はあるのでしょうが、上記の2つの解釈は、以前、耳にしたことがありまして…。
aさんの文章だと、どちらの解釈も可能なんですよね。(両方って解釈もありますね。)
もっとも、上記のどちらが正解だったとしても、私的には「そういう面は確かにありますよね」しか言えないんですが(^^;
1549
:
もか
:2006/06/28(水) 16:22:11
私も死刑反対者ですよ、紫煙狼さん。随分前に死刑反対という書き込みをしたら、えらく批判されて、貴方のように賛成派を喝破できるほどの文才もなく、しばらく書き込みも控えてました。私は冤罪で死刑執行されたらどうなるの?という単純な理論だったんですが。日本の警察も信頼できると言い切れない所があるし、透明性もないし(スキャンダルは隠してしまう)。貴方の論戦を影ながら応援してます!
1550
:
ポーロック
:2006/06/28(水) 23:31:37
冤罪の問題は何も死刑に限った話ではないですよ。
不幸なケースはあるかもしれないが、それでもって死刑そのものを
否定するのは早計。
1551
:
人間魚雷
:2006/06/28(水) 23:43:31
冤罪がありうるから死刑を廃止する・・・というのは論点のすり替えではないでしょうか?
と思わざるを得ません。
冤罪がありうるから、警察の捜査方法、取調べ方法の近代化と、
司法との癒着などを改善する必要がある。
そして、刑法の改革と同時に死刑廃止の方向に向かうべきではないかと。
1552
:
すがり
:2006/06/29(木) 00:02:14
被害者の立場から考えたら死刑賛成だけど、
国が人の命を奪うのは・・・って感じ。
初めから死刑目当てで犯罪起こす人間だって少なくとも居ると思いますし。
1553
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 00:17:37
>>もかさん
警察は信頼できないし、透明性もありません。
これはごもっともであります。
そのダメ警察を変えるのは我々国民でなければなりません。
>>すがりさん
その「国」というのは「国民」を意味しているのだと思います。
1554
:
Jackal
:2006/06/29(木) 00:25:49
いくら警察の捜査方法、取調べ方法の近代化と、司法との癒着などを改善した
としても、所詮人間のすること、冤罪はゼロにはならない、という命題が真ならば
冤罪があり得るから死刑を廃止する、というのは論点のすり替えにはならない
のではないでしょうか?そしてその命題は限りなく真であるように思います。
1555
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 00:42:47
>>Jackalさん
その論理ですと、人間のすること全てに当てはまってしまいます。
そして当然、仰るように限りなく真でありましょう。
私の勉強不足をお許し頂ければ、過去に冤罪で死刑執行された例はあるのでしょうか?
ありましたらお教え下さい。
1556
:
Jackal
:2006/06/29(木) 01:06:35
人間魚雷さん、こんばんは。
>過去に冤罪で死刑執行された例はあるのでしょうか?ありましたらお教え下さい。
申し訳ありませんが、私も具体的に存じている訳ではありません。
平沢貞通氏などは、執行こそされませんでしたがお尋ねのケースに該当するのでは
ないかと存じます。勿論冤罪だという証拠が在るわけではありませんが。
1557
:
ポーロック
:2006/06/29(木) 17:26:06
法務省は冤罪が疑われるような事例に関しては執行を遅らせる。
一種の安全装置として働いています。
1558
:
P
:2006/06/29(木) 20:15:26
1956年
死刑廃止か存続かをめぐって国会で死刑制度の是非について論議されたが
このとき、法務省が死刑を維持する理由として
「特殊な極悪人が世の中にはおり、淘汰する以外にない犯罪者がいるのだ」と。
1559
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 20:47:52
Jackal さん
「論点のすり替え」というのは、確かに適切な言い方ではなかったかもしれません。
冤罪がゼロにはならないでしょう。
ただ死刑や無期懲役の重大殺人事件におきまして、
警察が自白重視の取調べを脱却し、絵空事の調書を書くのを止め、
取調べに弁護士が同席し、ビデオに記録する。
これが叶えば、冤罪は限りなくゼロに近づくでしょう。
1560
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 21:24:42
狭山事件では死刑から無期懲役になりましたが、
無罪を訴えたゆえに31年もの月日を石川さんから奪い取りました。
罪を認めると20年そこそこで出てこられたものが、
冤罪で31年・・・・・
なんとも納得が出来ません。
1561
:
Jackal
:2006/06/29(木) 22:29:58
>>1559
,1560
人間魚雷さん、ご指摘、仰る通りだと思います。
私も警察の思い込み捜査を目の当たりにしたことがありますので、彼らの発表を
鵜呑みに出来ない傾向があります。一日も早く
>>1559
のような状況が生まれる
事を祈ります。石川さんの悲劇、平沢さんの悲劇を思うと本当に遣りきれない思
いがします。
死刑制度に関しては、私は反対の立場です。冤罪があり得るから、という理由で
はなく、国家に合法的殺人のメカニズムを与えるのを嫌悪するからです。その意味で
は紫煙狼さんに近い位置にいます。ただ、一方で私は刑法に関してはハンムラピ法典
を支援しています。幼女を風呂場で溺死させた犯人は風呂場で溺死の刑に処され
るべきだと思いますし、ぼこぼこにした上、生き埋めにした犯人は同じように
ぼこぼこにして生き埋めにされるべきだと思っています。その観点では死刑はプラス
の意味合い持っていますが、国家に合法的殺人のメカニズムを与えるという観点
ではマイナスの意味合いを持っていて、それらを合計すると私には結果がマイナス
になるので反対という結論に至ります。
>>1553
で「国」は「国民」を意味している
と仰っておいでですが、あの知恵遅れの宰相を戴く政党が圧倒的過半数を得てし
まう国ですので、このまま行くとあっという間に、治安維持法の世界が再び訪れるだ
ろうと危惧するものです。現に香庵がネットにもうろうろしているようですし。
1562
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 23:34:31
>>あの知恵遅れの宰相を戴く政党が圧倒的過半数を得てし
>>まう国ですので
そういうことですね。
こういう話はK氏の呼び水になりそうですが、w
私は羽村市民ではないので、羽村市法典はよく知りませんが、
まったく理にかなっていますよね。
それを言うならまさに「コンクリート事件」の犯人共を
同じ目にあわせてやりたいです。
>>「特殊な極悪人が世の中にはおり、淘汰する以外にない犯罪者がいるのだ」と。
法務省の発言としてはちょっと稚拙ですが、私はこの考えに反対ではないですね。
1563
:
はつねこ
:2006/06/30(金) 15:12:14
私は死刑制度は必要と考えます。なぜならば、無期懲役はすぐに出てこられる。
(重大な犯罪を犯した者に対し、縛られる十数年を長いとは思いません)し、
そうではければ、今の日本には死刑しかないからです。終身刑とか、懲役300年
とかが、ないからです。
ただ、冤罪による死刑によって殺される無実の人のことを思えば死刑は危険な
刑であるとも思われます。
自分で書いておいてなんですが、万人にとっても一人にとっても正しい答えな
どというものは出てこないのでしょうね。
>>「特殊な極悪人が世の中にはおり、淘汰する以外にない犯罪者がいるのだ」と。
私もこれには賛同します。
1564
:
ポーロック
:2006/07/02(日) 00:54:52
何度も申し上げているように確実な再犯防止策が死刑です。
一旦、執行すれば再犯を心配しなくてもいいのは大きな魅力です。
1565
:
P
:2006/07/02(日) 02:21:42
>再犯を心配しなくてもいい>大きな魅力
そのとーーり!パチパチパチ
国民はその<安心感>が欲しいのよっ!
1566
:
神楽
:2006/07/02(日) 04:54:14
私は死刑制度に賛成です。
私は性善説論者ですから、基本的に人間は生まれた時には善であると考えます。
勿論、生物学的な機能の欠陥等から精神的異常をきたす、という例外はあるでしょう。
そういった特殊事例を除いてみた場合、多くは後天的な原因が犯罪へと走らせます。
簡単なものでは金銭的問題、深い面では幼少時のトラウマから精神的疾患等。
従って社会構造によって犯罪を減らす事は可能であると考えますが、無くす事は不可能です。
同時に私はマキャベリストですから、目的を先に設定するべきだと考えます。
法律、この場合、死刑という罰が存在するのは、社会を維持する為との前提に立っており、
決して人権思想や、理想主義から生まれたものではないと主張します。
つまり、社会を維持する「契約」或いは「強制」として罰則は存在しています。
従って法律を破った者に対しては罰則を与えねば、法律の強制力は消滅します。
それは、罪状に対する罰則が軽すぎる場合も同様であると考えます。
以上を踏まえ、私の中では罰金や禁固刑と死刑の間に明確な区別は存在しません。
死刑に対して、死刑とは重罰である、という認識以外を持つ必要性を否定します。
本質的には、罰則は「社会運営に適合しているか否か」のみによって考えるべきです。
つまり、最重罰が死刑である事が、重すぎるか否か”のみ”から判断すべきと考えています。
それを踏まえたうえで私は、死刑という存在を一切否定しません。
例えば、窃盗で死刑では重罪過ぎるでしょうが、現行法の死刑の適用範囲は、
概ね適合している、むしろやや軽いくらいであると考えています。
そして槍玉にあがる冤罪ですが、私はこれにも問題を感じません。
冤罪とは法律適用の上で発生する「やむを得ぬ犠牲」であり「当然のリスク」です。
が、同時に日本は民主主義国家ですから、本質的には、法律も国民が制定したものです。
その法律に拠って生活している以上、国民全員が冤罪に対して責任を持つべきと考えます。
(ただし、この点の明確な条文化の必要性に関しては、私はまだ答えを出せてはいません。
国民全員に冤罪の可能性がある、という意味においては責任の一種かもしれませんが…)
従って、私はその責任の一端を背負う事を厭わぬべきだと主張すると同時に、
冤罪を理由とした死刑の撤廃というものには反対します。
同時に言及するのが、国家に対して限定的殺人権を付与する事に対する是非です。
私は、これは「国家に合法的殺人のメカニズムを与えている」とは考えません。
むしろ、国家には「人を殺す権利」は無くとも、「人を殺す義務」が存在します。
厳密には「法律を厳格に運用する義務」が存在していると考えるべきであって、
国家には、国民に対して刑罰(死刑)を執行する義務を背負っています。
従って、「死刑を執行にサインしない」と宣言する法務大臣など、言語道断です。
死刑の執行とは、究極的には国民によって犯罪者の命を奪う事で、罪を許す行為です。
日本が民主主義国家であり、国民によって法律が制定されている以上、
法律は厳格に適用すべきであり、国民は等しく法に対する責任を背負っており、
尚且つ、罰則を消化した罪人に対しては、一切の罪を問うべきではありません。
以上の観点から私は、究極的刑罰の一種として死刑を認めるべきと考えておりますし、
同時に、死刑が存在する以上は厳格に死刑を運用すべきであると主張します。
以下、少々脇道にそれたレスを。
>あの知恵遅れの宰相を戴く政党が圧倒的過半数を得てし
>まう国ですので、このまま行くとあっという間に、治安維持法の世界が再び訪れるだ
>ろうと危惧するものです。現に香庵がネットにもうろうろしているようですし。
彼方は、小泉を支持した「国民」と自分が、別の存在だとか思っていませんか?
あの馬鹿ライオンヘアーが大臣になろうと、治安維持法が可決されようと、公安がネットを監視していようと、
民主主義である以上、たとえ反対票を投じたところで、彼方には責任の一端が存在すると考えるべきです。
そういう他人事であるかのような論調は、あまり感心出来るものではないと思いますよ。
蛇足かもしれませんが、一応、気になったもので。
1567
:
神楽
:2006/07/02(日) 04:56:55
追記。
「冤罪」の件ですが、冤罪を減らす努力を否定する訳ではありません。念の為。
1568
:
Jackal
:2006/07/02(日) 09:14:24
>>1566
別の存在だとか、責任がないとは考えておりません。アホらしいと思う法律も日本人
として守っていますし、税金も納めています。どの部分が神楽さんに、他人事である
かの印象を与えてしまったのか判りませんが、他人事であれば「危惧」をする必要も
あまりないでしょう。
>本質的には、罰則は「社会運営に適合しているか否か」のみによって考えるべきです。
運営の方向性を決めている実体は何なのか、と言う点にも思いを馳せる必要がありま
しょう。社会運営の在り方が変わった時に、「適合していないから変えよう」という
ことができれば良いのですが、「茶色の朝」が来てしまってはもうどうしようもない、
というのがこれまでの事例の示すところです。国民が憎悪の叫びをあげて冤罪で絞首
刑となる自分を祝福してくれる時に責任の一端を背負える喜びを恰もムルソーの様に
感じられるか、ということもありますが、無実の人々が茶色くないという理由で次々
に殺されるとしたら、その責任を負うことは恐らく誰にも出来ないでしょう。
(追)馬鹿ライオンヘアー....なるほど。ちょっと語呂が悪いかも。
1569
:
神楽
:2006/07/02(日) 13:07:26
>>1568
彼方の述べるその論は、私からは的外れであると言うしかありませんし、
「死刑」が悪用される可能性があるから廃止せよ、とは私は考えません。
もちろん、これと同じ論は近くに存在しており、銃刀法違反等もそれらの一種でしょう。
しかしこれは、銃刀が他人に多大なる危害を加える可能性が存在すると同時に、
これらの武装が、一般的に存在する必要性が存在しないから、でもあります。
つまり、リターンに対してリスクが大き過ぎるから禁止されると考えて良いと思われます。
もっと極端な話をすれば、「茶色の朝」という状況下においては、死刑が存在せずとも、
いずれ死刑は制定され、無実の人間が次々と殺される事になるでしょう。
最悪の場合「死刑」が制定されずに、国民自身の「私刑」によって殺される事もありえるでしょう。
それは「死刑」に原因があるのではなく、「茶色を選択した国民」に原因があるのです。
「運営の方向性を決めている実体」は、日本においてはあくまで国民自身です。
例えそれが、一部の人間による扇動の結果であろうと関係ありません。
「茶色の朝」という状況下においては、死刑の存在云々は何ら関係がありません。
死刑が無くとも「茶色の朝」はやってきて、いずれ国民自身の首を絞めます。
この点に関してはこれ以上の答えを私は持ちませんし、あまり議論する必要性を感じません。
これ以上行くと民主主義とは何か、という会話になってしまいますので。
1570
:
罪と罰
:2006/07/02(日) 13:41:48
死刑制度を考えるにあたりましては、その議論には複数の次元があるのでは
ないのでしょうか。
一つの議論の次元としましては、「死刑制度」の是非・存続廃止を論じる
にあたり、
国際条約や憲法・法律(国家法)との関係を離れて、「死刑制度」や
「死刑という刑罰一般」を論じる議論があると思います。
その議論においては、「死刑」という刑罰を定めた法律(国家法)が
条約や憲法に抵触するかを論じたり、具体的な法律に定められた
死刑という刑罰の是非を論じるのではなく、
「死刑制度」全般を抽象的に論じたり、その是非を哲学的・宗教的に
思考したり、国会で制定した法律以外の規範(たとえば、聖書の「律法」等)
との関係を問題にしたりすることになるのではないのでしょうか。
もう一つの議論の次元としましては、
具体的な国家において制定された法律における「死刑制度・死刑という刑罰」
の是非・存続廃止を論じる議論があると思います。
その議論におきましては、国家法としての法律を制定するにあたり、
「死刑」という刑罰を選択することの是非や、
すでに制定されている法律における「死刑」という刑罰を存続させるか
廃止するべきかを論じることになると思います。
後者の次元の議論の場合は、たとえば、日本における死刑制度を論じる場合、
日本か批准している条約や日本国憲法との関係で、死刑をさだめた法律を
制定することの是非や、既存の法律に定められた死刑という刑罰の存続か
廃止かを論じる必要があると思います。
その意味で、神楽さんのご意見は、失礼ながら、上記の異なる次元の議論を
いっしょにされている面がおありになるのではないのでしょうか。
神楽さんは、
「そして槍玉にあがる冤罪ですが、私はこれにも問題を感じません。
冤罪とは法律適用の上で発生する『やむを得ぬ犠牲』であり
『当然のリスク』です。が、同時に日本は民主主義国家ですから、
本質的には、法律も国民が制定したものです。〜
従って、私はその責任の一端を背負う事を厭わぬべきだと主張する
と同時に、冤罪を理由とした死刑の撤廃というものには反対します。」
とされますが、
死刑という刑罰を定めた法律を「適用」することにより生じる
冤罪の「犠牲」や「リスク」が、
まさに「やむを得ぬ」ものであり「当然」であるかどうかを
条約・憲法との関係で考えなければいけないと思います。
また、神楽さんは、
「〜、厳密には『法律を厳格に運用する義務』が存在していると
考えるべきであって、国家には、国民に対して刑罰(死刑)を
執行する義務を背負っています。
従って、『死刑を執行にサインしない』と宣言する法務大臣など、
言語道断です。〜」
とされますが、
国会が制定した法律を裁判所が適用した結果、死刑判決が出され、
その判決を行政機関である官庁や公務員である法務大臣が執行するのは、
裁判制度や「法律による行政」の原理原則の帰結にすぎないのでは
ないのでしょうか。
1571
:
Jackal
:2006/07/02(日) 17:51:55
>>1569
はい、私は、
>>1561
で述べましたとおり、「死刑は悪用される可能性があるから反対」 、の立場です。
(正確には、国家が合法的に殺人を犯す道具になり得るから)
> もっと極端な話をすれば、「茶色の朝」という状況下においては、死刑が存在せずとも、
> いずれ死刑は制定され、無実の人間が次々と殺される事になるでしょう。
そうですね。茶色の朝が来てしまってはもうどうすることもできませんね、一旦破滅する以外には。
ただ、茶色の朝はある日突然訪れるものではなく、徐々に徐々にやって来るものです。その過程で
死刑が恣意的に使われ得ることも懸念をしています。
>「運営の方向性を決めている実体」は、日本においてはあくまで国民自身です。
> 例えそれが、一部の人間による扇動の結果であろうと関係ありません。
国民が責任を負わないか、といえばそうではありませんが、やはり煽動者がより重い責任を有する
ものと思います。確かにこれ以上の会話はスレ違いになりますね。どこかで機会あれば宜しくお願
いします。
1572
:
神楽
:2006/07/02(日) 20:30:43
>>1570
私は、死刑制度を哲学的、抽象的に考えているつもりはありません。
基本的には、可能な限り実利的、現実的名な面においてのみ考えています。
もしそう見えていなかったのなら、申し訳ありません。
哲学的、抽象的な発想から行けば、私は賛成も反対もしません。
それは誰一人他人の手によって命が奪われて欲しくない、と願うからです。
が同時に、遺族や社会における感情も考慮する事も忘れられませんから、
哲学的、抽象的には白黒の分かる答えを出す事は難しく、中立的な意見しか出せません。
>死刑という刑罰を定めた法律を「適用」することにより生じる冤罪の「犠牲」や「リスク」が、
>まさに「やむを得ぬ」ものであり「当然」であるかどうかを
>条約・憲法との関係で考えなければいけないと思います。
私はこの点に関しては、一切問題が無いと考えています。
私は「死刑」を特別視して別格として扱うといった発想は基本的にありませんから、
罪状に対して死刑が重過ぎるか否かのみにしか、思考すべきではないと考えます。
ただ、死刑を問題として指摘する条約等を批准していた場合、それを守る事は当然だと考えます。
私としては、法の下に平等である、という憲法を最も重視しております。
従って私にとっては「死刑」における「冤罪」「リスク」という存在は、
その他の罰則に対するに対する「冤罪」「リスク」と何ら変わらないと考えております。
つまり、罪状とセットで思考しない限りは、死刑存続の是非は考えられない、という立場です。
>その判決を行政機関である官庁や公務員である法務大臣が執行するのは、
>裁判制度や「法律による行政」の原理原則の帰結にすぎないのではないのでしょうか。
私が述べているのは、制度の是非ではありません。
「死刑執行にサインしない」と宣言した法務大臣の存在についてです。
死刑制度に反対であるから、サインしないという主旨の発言だったと記憶しています。
ですから、そういった意味でのサイン拒否は大いに問題がある、という意味です。
死刑執行の最終権限が法務大臣、乃至官庁にある事自体には反対も賛成もしません。
>>1571
>死刑が恣意的に使われ得ること
これはやはり、「死刑制度」そのものに問題があるとは考えられません。
死刑を悪用するのも人間なら、それを阻止する事も人間です。
現行制度を改革し、死刑制度における悪用を阻止する新たな手段は必要かもしれませんが、
それ以上の必要性は感じませんが、どうでしょうか。
もう少し、具体的な、悪用例を提示してみては頂けないでしょうか?
それらの「悪用と云うリスク」が明確になれば、問題の明暗が明確になると思います。
1573
:
Jackal
:2006/07/03(月) 21:26:45
残念ながら私は民主主義であっても国家権力が必ずしも真の民意を反映するものとは考えて
いません。公開若しくはリークされる情報が著しくフィルターされているからです。
>「運営の方向性を決めている実体」は、日本においてはあくまで国民自身です。
> 例えそれが、一部の人間による扇動の結果であろうと関係ありません。
この主張が成立するためには、国民が為政者と同じ情報を持ち得るという前提が必要なのです。
従って
>死刑を悪用するのも人間なら、それを阻止する事も人間です。
>現行制度を改革し、死刑制度における悪用を阻止する新たな手段は必要かもしれませんが、
これも恐らく無理だろうと考えます。
尚、事例としては、日本国内であれば、幸徳秋水事案、朴烈事案などのケースが分かり易い
かも知れません。海外に目を向ければ、ドイツ、ソ連などにゴロゴロ転がっていると思います。
(朴烈事案については金子ふみ子の獄中手記がお勧めです。この当時はまだまだ茶色の朝では
ありませんでした。)
1574
:
ポーロック
:2006/07/04(火) 12:06:17
では、麻原や福田のような犯罪者をどのように処遇すべきなのかを
お答え願いたい。
場合によっては死刑もありです。ただし、安全装置を設定する事は
必要だと思いますけど。
1575
:
Jackal
:2006/07/04(火) 22:46:47
>>1574
>では、麻原や福田のような犯罪者をどのように処遇すべきなのかをお答え願いたい。
現時点で答えるならば、死刑を以て処するべきでありましょう。
ただ、10年後に同じ質問をされたら、その時には違う答えをする可能性があります。
(そのようは世界はぞっとしますが)
死刑制度そのものに対する安全装置は、冤罪等による執行を防ぐためにはあった方が
良いのは自明ですが、国家権力の前には無力かも知れません。
最良の安全装置は、"私を含め" 国民みんなが知的レベルを上げる努力をすることであ
ろうと思っています。(ライオンヘアーなどがチョロチョロせぬよう!)
ただまあ、September-11 (2005) の様なイベントに遭遇しますと、どうしようもない
無力感に襲われますね。
1576
:
紫煙狼
:2006/07/05(水) 00:17:50
神楽さん
>冤罪を減らす努力を否定する訳ではありません
この前提条件は私も同一の見解です。冤罪は死刑にのみ関係する問題ではありません。その上で、
>冤罪とは法律適用の上で発生する「やむを得ぬ犠牲」であり「当然のリスク」です。
冤罪事件というのは「罪のない人が謂れの無い刑罰を受ける」というだけのものではありません。
「罪のない人が謂れの無い刑罰を受ける」ことで「罪のあるものが、のうのうと暮らす」という
二重の矛盾を内包しています。
「罪のあるものが、のうのうと暮らす」ことはリスクとして受認できても、
「凶悪犯と思しき者が死刑にならない」ことを受認することが出来ない理由は何でしょうか?
1577
:
紫煙狼
:2006/07/05(水) 00:21:24
>>1574
>>1575
現行法制に於いて、無期懲役が終身刑ではない以上、二度と社会に出さないためには、
死刑以外の方法がない、という面で麻原や福田を死刑に処すのは仕方のないことです。
しかし、社会からの永久隔離ではなく、死刑でなければならない理由は何でしょう?
1578
:
Jackal
:2006/07/05(水) 22:03:16
>>1577
>しかし、社会からの永久隔離ではなく、死刑でなければならない理由は何でしょう?
己が欲望を満たすために人の命を弄んだのですから、その命は弄ばれなければならない
というのが同害報復の原理に基づく結論と考えるからです。
但し、先にも述べました通り、私は死刑制度に断固反対をしています。終身刑が整備さ
れれば、死刑でなく終身刑に処されるべきだと思います。そうすれば、本来死刑にすべ
きでない人を救い出せる可能性が僅かでも生まれるからです。
1579
:
罪と罰
:2006/07/05(水) 22:59:47
お聞きしたいことがあります。
1.「同害報復の原理」につきまして
●ハムラビ法典に代表される、「目には目を。歯には歯を」の
タリオの法則にもとづくものと考えられます。
この原理を徹底されるお考えの人は、死刑の執行方法も、
処罰の対象となった犯罪の犯行方法と同様の方法による執行
によるべきとお考えになるのでしょうか。
現行法上は、絞首刑(実際は、縊首刑)によっていますが、
たとえば、銃殺をした犯罪者には銃殺刑など。
ただし、日本国憲法上は、「残虐な刑罰」は禁止されていますので、
残虐な執行方法以外の方法によるべき、という制約はあることに
なりますが。
2.終身刑につきました
●終身刑の場合、刑務所に収容された犯人に関し発生するコスト
(食費、監視維持費等)の負担については、どのようにお考え
なのでしょうか。
税金で負担するのか、収容された犯人の財産・刑務所内での労働の
強制によるなど犯人自身に負担させるのか、という問題があると
思います。
1580
:
Jackal
:2006/07/05(水) 23:31:25
>>1579
A1. いろいろな考えがあると思いますが、私個人は
>>1561
に述べました様に
> 幼女を風呂場で溺死させた犯人は風呂場で溺死の刑に処されるべきだと思い
> ますし、ぼこぼこにした上、生き埋めにした犯人は同じようにぼこぼこにし
> て生き埋めにされるべきだと思っています。
であります。幼い子供をマンションの最上階から落とした犯人は、同じように
マンションの最上階から落とされるべきだと思うのですが、でも実際にはいろ
いろな弊害が出ますので、絞首刑などに落ち着かざるを得ないだろうと思います。
A2. コストには目をつぶります。何故死刑でなく終身刑を望むか、と言えば、
>本来死刑にすべきでない人を救い出せる可能性が僅かでも生まれるから
なので、これはそんな人の人権を考えれば、例えその割合が 1/100 であっても
税金による負担とすべきであろうと思います。こんなことを書くと、99 % の
極悪人を税金で食わせるなんて真っ平、という反論が当然出ると思いますが、
命の重さを考えれば、もっともっと汚い税金の無駄遣いを糾弾する方に先ず
エネルギーを注ぐべきではないかと思います。
1581
:
罪と罰
:2006/07/09(日) 00:50:23
JackalさんのA2のご回答は、冤罪の場合の無辜の人の救済を重視され
るものとして、そのお考えは傾聴に値すると思います。
しかしながら、「終身刑」が科せられる犯罪は、少なくとも、「無期懲役」
よりも重い犯罪であると裁判所により認定されたからこそ、「無期懲役」
よりも重い刑罰である「終身刑」が科されたはずなので、
「終身刑」を科された者は、少なくとも「無期懲役」」で収容された者と
同様に、刑務所内での作業は強制されてもよいのではないのでしょうか。
1582
:
人間魚雷
:2006/07/09(日) 01:16:56
JackalさんのA1,A2には賛成です。
税金の無駄使いはいくらでもありますからね。
ただ気になるのは、終身刑や懲役50年とか80年といったときに、
高齢化した囚人の病気の問題がありますね。
たとえば囚人に対して高額な癌治療をやるのか、やるならどの程度やるのか?
私個人としては放置か安楽死でいいと思うのですが。
1583
:
紫煙狼
:2006/07/10(月) 01:26:04
私の見解としては、終身刑受刑者に刑務労働を課す場合、他の囚人と隔離された環境でさせるべきだと思います。
終身刑受刑者は、可能な限り社会と隔絶しなければならない人物であると考えますので、
人との接触を必要最低限まで減らす必要があるだろう(これは塀の中の社会からも隔絶すべき)というのが一点。
また、最高刑が終身刑であった場合、他の懲役囚と同室で作業などをさせた場合、終身刑受刑者が他の懲役囚に
傷害もしくは殺傷などの危害を加える可能性が排除できません。
この場合、怪我をしたり、死んだりする懲役囚の人権を無視したとしても、終身刑受刑者に新たに傷害罪もしくは
殺人罪の裁判を執り行う必要が生じ、結果として折角、社会から隔絶していた終身刑受刑者が、法廷と言う場で
実社会に触れる機会を作り、かつ、一種の終身刑受刑者天国を用意するようなものだと考えるからです。
従って、終身刑受刑者には請願作業程度の軽労働すら許さず、基本的に終身保護房、もしくは終身厳正独居という
拘禁状態が望ましいと考えます。
また、終身刑受刑者の終末医療に関してですが、スポンサーがいれば、スポンサーが許す限り、スポンサーの望む
延命措置をとり、スポンサーがつかない場合は延命しないというスタンスはいかがでしょう?
(おそらく、製薬会社や支援者、人権団体がスポンサーにつくでしょう。)
1584
:
Jackal
:2006/07/10(月) 20:17:14
>>1581
,
>>1582
罪と罰さん、人間魚雷さん、
ご支持ありがとうございます。
>>1580
を書きました時は終身刑そのものの運用に
ついては深く考慮していませんでした。実際の適用に当たっては、いろいろなケース
を想定して一番理に適った運用方法を決定する必要があろうと思います。私個人と
しては、罪と罰さん、人間魚雷さんのご意見、ご尤もと存じます。
一点補足すれば、私は、冤罪の救済のみならず、国家権力による合法的殺人を許さ
ないという意味においても終身刑を支持しています。それと、再審をもっと容易に
するような法整備も必要だろうと思います。
1585
:
Ken
:2006/07/15(土) 05:53:30
なんか盛況ですね。2週間ちょっと離れているだけで浦島状態です。
なんか単なる早とちりのようなので見過ごすべきなんでしょうけど、私の投稿を
「妄想」とか「犯罪者の言い訳」とか「呆れ」とか言われて、紫煙狼さん風に
言うと心中穏やかではないので。引用符とかつけてわかりやすく書けたと思ったんですけどね。
>>1539
「どんな理由があっても…」なんて、そんなこと一言も書いてないですよ。それはあなたの妄想..
では、ちゃぼさんの元の投稿がどうなっていたかというと
>>1533
死刑制度廃止論って、「どんな理由があっても、人を殺すのは非人道的」という観点から発してるんですよね?
「どんな理由があっても...」ってちゃんと書いてあるじゃないですか。それが
私の「妄想」って...。まあ私も読み飛ばしとか早とちりとかはありますけど、
自分が書いたことはちゃんと覚えていますよ。なぜこんなことになったかというと
この一文はちゃぼさんが考える死刑廃止派の前提条件として私は正しく引用したにも
かかわらず、ちゃぼさんはそれを死刑賛成派のちゃぼさん自身の考えとして私が
引用したと受け取ってしまったんですね。
>>1539
をもう少し読み進めるとこの
誤解はよくわかると思います。私は引用するに当たってちゃんと「死刑廃止派は」
と付け加えたんですけどね。この前提条件は全てとは言わなくとも一部の死刑廃止派には
当てはまると思います。私が言いたかったのはですね、「死刑廃止派はこんな理由で
死刑に反対しているのだ」とちゃぼさんが考えるのであれば、その後に続く
>>1533
じゃあ、もしも『非人道的な行為だから、死刑は反対』というならば
“非人道的な加害者”の行った殺人はナニ?人道的なことだというの?
殺人という罪による死刑より、もっともっと非人道的なことが殺人なのでは???
のうち、「“非人道的な加害者”の行った殺人はナニ?人道的なことだというの?」の
部分とのつじつまが合わないということですね。死刑廃止派がどんな屁理屈を
こねようとも「殺人犯がしたことは人道的だ」なんて結論出てきませんよ。それを
私は脈略がないと言ったのです。死刑反対派はあらゆる人殺しに反対することが
出発点になっているとちゃぼさん自身も認めているのだから、なおさらです。
この一文が示唆しているのは「死刑反対派は殺人犯のしたことは人道的なことだと
考えているようなけしからん連中だ」という風なことであって、これは死刑反対派を
不当に貶めようとしていると抗議せざるをえないですよ。まとめると私が反論したのは
ちゃぼさんが死刑に賛成する理由に対してではなくて、ちゃぼさんが死刑廃止派が
死刑に反対する理由とした部分に対してです。
>>1539
今後、できれば私への返信は結構です。ご遠慮ください。
ご希望に添えなくて申し訳ないです。
ついでに
>>1538
「いわずもがな、全ての殺人(者)を同一視した意見は間違ってます。」
その通り。だから死刑は一部の殺人予備軍には抑止力はあると思いますが、意に
介さない殺人者には意味がない。死刑には抑止力があると主張するときにはそれを
頭に入れとかなきゃいけないと言うがために、私は「矛盾」という言葉を使った
わけですね。繰り返しになりますが、現行では一人殺してもまず死刑にはならない。
じゃあ、殺人者は一人殺した後で、死刑はやだな、ここらで止めとくか、なんて
考えるか?そんなはずはないと思うんですよね。むしろ一人だろうが二人だろうが
ばれっこないって考えるから殺人に向かうと思います、犯人にまだ理性が残っている
場合。ですから、死刑よりも人殺しは必ずいつかばれて逮捕・検挙されるという
プレッシャーの方が抑止力になると思うのです。くどいようですが犯人がやけっぱちじゃなくて
死刑はやだとか考える余裕のある場合ですよ。日本の凶悪犯罪率が低いのはひとえに
日本の警察力のおかげなんじゃないかな。
1586
:
Ken
:2006/07/15(土) 06:17:37
ハムラビ法は原理はともかく実行するのに問題がありますね。
「それを言うならまさに「コンクリート事件」の犯人共を
同じ目にあわせてやりたいです。」
それ誰がするんすか?あれは鬼畜がからこそできる所業であってまともな人間には
務まらないですよ。話に聞くと絞首刑でも作動するボタン一つとそうじゃないボタンが
いくつかあって何人かで同時に押してできるだけ良心の呵責を感じなくて済む
ようになっていると聞きました。その辺が平和な日本に生きる普通の感覚の人に
とってぎりぎりの許容範囲じゃないですかね。まあいつもの「死刑は野蛮」と
いう持論につながるわけです。
1587
:
Jackal
:2006/07/15(土) 06:38:34
こんにちは、お久しぶりです。
紫煙狼さんから、最大限の敬意を以て対応せよ、と怒られてしまいました。
>それ誰がするんすか?あれは鬼畜がからこそできる所業であってまともな人間には
>務まらないですよ。
私は死刑制度には断固反対ですが、思考の上の話として、
次の鬼畜にやって貰うというのは如何でしょう?
ただそれでもいろいろな弊害が出ますので、やはり今のようなシステムにならざる
を得ないのだと思いますが。
1588
:
紫煙狼
:2006/07/16(日) 22:08:29
死刑の根拠は同害報復にあるとご指摘いただきました。
でも、日本の刑罰は同害報復の原則に基づくものではありませんよね。
従って、死刑とそれ以外の刑罰は成立要件が異なるとなりませんか?
これが正ならば、科料から始まり無期懲役形に至るまでの刑罰の延長線上、
最極位に死刑が存在するというのは誤りで、他の刑罰と同列に話をするのは無理が生じます。
冤罪懲役囚は「更正教育を受ける必要のない人間が更正教育を受けさせられる」不条理で、
冤罪極刑囚は「いわれのない者が、いわれのない害を受ける」不条理となりますから、
「とりかえしがつかない」点では同一でも性格的には大きく異なりますね。
1589
:
Jackal
:2006/07/16(日) 23:28:31
>>1588
御意であります。異論はありません。
「有」と「無」との間には無限の「差」があると考えていますので、利害得失を計算すると、
答えはいつも "Negative" になってしまい、結局私も死刑制度に反対をしています。ただ、
もし冤罪、或いは国家権力による恣意的利用が100%無い、と云えるのであれば、そこは同害
報復の考え方を適用し、死刑結構であると、いうのが「私の意見」です。問題は、この日本
という国において今も将来もその様な仮定が成り立つか、ということで、恐らく成り立たな
いだろうと思っている訳です。何せあのアホ馬鹿ライオンヘアーの国ですので。
1590
:
罪と罰
:2006/07/16(日) 23:54:12
Jackalさん。
細かいようですが、気になる点があります。
上記の「私の意見」と
『
>>1584
一点補足すれば、私は、冤罪の救済のみならず、
国家権力による合法的殺人を許さないという意味においても
終身刑を支持しています。』
と書かれたお考えとの整合性について、教えていただけないでしょうか。
1591
:
Jackal
:2006/07/17(月) 06:08:19
罪と罰さん、
言葉足らずで済みません。
>>1584
の 「国家権力による合法的殺人」と申しますのは、
>>1589
の 「国家権力による(死刑の)恣意的利用」(=悪用)というつもりで書い
ていました。恣意的であろうとなかろうと「合法的殺人」には違いないので、矛盾し
ているように取れますね。「冤罪」及び「悪用」が絶対に無いのであれば、死刑制度
そのものは同害報復として認められるべき、と考えています。
1592
:
罪と罰
:2006/07/18(火) 21:40:51
●Jackalさん。
了解いたしました。ご返事ありがとうございました。
●紫煙狼さんへ
>>1588
冤罪懲役囚は「更正教育を受ける必要のない人間が更正教育を受けさせられる」不条理で、
冤罪極刑囚は「いわれのない者が、いわれのない害を受ける」不条理となりますから、
「とりかえしがつかない」点では同一でも性格的には大きく異なりますね。
につきまして。
死刑とその他の刑罰では、犯人自身への矯正=更生教育の有無で
区別されるとされる点は、そのとおりかと思います。
ただ、
懲役刑も、犯人を刑務所に拘束して身体の自由を奪う、という「害」を
与えるものであることはかわらないと思います。
したがいまして、
冤罪懲役囚において、不当に身体の自由を奪われたという、
不当に与えられた「害」も、「取り返しがつかない」といえると
思いますが、冤罪死刑囚の場合の「不当に奪われた生命」の「害」とは、
性格的に大きく異なる、という理解でよろしいでしょうか。
1593
:
紫煙狼
:2006/07/19(水) 02:05:43
>>1592
うーん、ちょっと自分の文才の無さを嘆いています。もう4時間もモニタの前で
何をどう説明したものか考えあぐねていますが、上手い表現が見当たりません。
申し訳ありませんが、返答は数日保留させてください。
仕事に差し支えるので、今夜は申し訳ないですが失礼させていただきます。
おやすみなさい(^^;
1594
:
紫煙狼
:2006/07/24(月) 00:32:31
本日までずっと、この事が頭の片隅にありまして、さて、何と表現すればよいか…と。
そもそも、教育刑と言うのは「教育を受ける権利がある」というくらいだから、
それは社会も囚人も恩恵を受ける刑である。そして監獄で受けた更正教育は、
再度社会復帰して、そこで初めて意味を持つものであり、教育刑すべからく、
囚人の社会復帰を前提として、そのために必要な措置として行われる。
教育刑に於いて時間や自由を拘束されるのは目的ではなく、教育効果を上げるための
方法論の一つでしかない。
しかるに、死刑は最初から社会のためにはなっても、囚人のためにはならない。
凶悪な犯罪を犯した真犯人のためになど、何もしてやる義理は無いのだから当たり前の
話であり、社会復帰を前提としない以上、更正教育効果の確認も意味もない。
あくまで死刑は囚人を苦しめるために存在し、時間や自由を拘束されるのも目的の一つである。
さて、冤罪を題材にしているのだから、冤罪懲役囚と冤罪死刑囚を比較した場合、
社会的地位を失い、自由を拘束され、人生の貴重な時間を奪われるという部分は、
両社に共通する部分であるから、これは冤罪の害として一括できる部分であるが、
これを取り除いた場合に残されるものは何だろう?
冤罪ですからね、そりゃ、どんなことがあっても冤罪が発生することは許されませんよ。
でもね、私は「更正教育を受けること=自分にとって害」とは考えていませんから、
決してそれに見合うほどの意味を持つものではありませんが、まだ若干なり冤罪懲役囚は得るものがある。
冤罪死刑囚は失うものしかない。得るものなんて一つも無い。当人の意に沿うものではないとしても、
一応「当人のため」になることを考えられて「当人のため」の教育を受ける機会を得る教育刑囚人と、
最初から「当人のため」を全く考慮されておらず、社会のためだけに死刑に処される死刑囚。
しかも、それが冤罪なら、社会のためにすらならない。これが同一線上で考えられて良いものだろうか?
イヤ、目的が決定的に異なるのだから、この二つには決定的な性格の違いが存在する。
そう言う様な事を言いたかったわけです。
1595
:
紫煙狼
:2006/07/24(月) 00:43:23
そもそも、私が
>いわれのない者が、いわれのない害を受ける
と表現したのが間違いの始まりなんですが、ここで言う害とは
「同害報復」の害でして、自由や時間、社会的地位云々を省いて、
あくまでも「誰かが殺された仕返しを無関係の人間が受ける害」です。
そして、教育刑は仕返しではない、と考えているわけです。
この延長線上には(まだ練り上げが足りませんが)死刑は確定後一定の年月を経てから執行する。
その一定の年月の間に更正教育を施し、充分に更正したと考えるに足りうる根拠が見つけられれば、
死刑囚に対しても仮出獄を認め、仮出獄後15年なりの年月を経れば、刑の時効が認められる
ような運用も、また、仮出獄中に何らかの犯罪を犯せば、即時処刑するという運用の可能性も
見出せるのではないだろうか…と考えているわけです。
1596
:
元高井戸署員
:2006/07/24(月) 02:42:45
紫煙狼さん、Kenさん、罪と罰さん、ポ−ロックさん、右さん、人間魚雷さん、Jackalさん、
新参者にして大変失礼と思いますが、皆さんに誤質問させて戴きたいと思いました。
冤罪の可能性のある事件も未だに沢山あることがこのサイトに出入りさせて頂く様になってお粗末ながら初めて判りました。boroさんはじめ、皆様方に色々と自分の意識に無かった事に気付かせて頂いて感謝しております。
今までは、退職して10数年経ちながらも警察官の視点でした見れない自分がおりました。
死刑の賛否については私は冤罪がある以上は賛成しかねるところもありますが、死刑にしなければならないクズ人間も居る事は事実だと思います。
一般人犯罪とはまた違った『暴力団』犯罪についての死刑選択とは如何様に考えておられますか?
彼らは受刑に対し『勤め』に行くといった感覚を持ち、懲役に行かなければ一人前ではないという愚かな思考を持っています。死刑にならない以上は、刑務所内でも組織における上下関係を持ち、また娑婆に出れば幹部という希望をも持っております。また組の為に長期懲役を務めれば確実に幹部になっております。
私自身は暴力団に対しては未来の無い選択肢(死刑)を必要と思いますが如何でしょうか?
1597
:
元高井戸署員
:2006/07/24(月) 02:45:44
『御質問』等、多々誤字があるところお許し下さい。
1598
:
紫煙狼
:2006/07/24(月) 22:05:48
私の考え方の前提として「人間は欲望のために人間を殺してはいけない」というのがあります。
金銭目的や姦淫目的で人を殺すなど、自己中心的な欲望に限らず、復讐などの欲望も、
被害者感情慰撫のための死刑も、欲望のための殺人である面において同義であると考えています。
と、言うと「殺されたくない」という欲望のために「相手を殺してしまう」正当防衛はどうなるの?
なんて揚げ足を取られてしまいそうですが、人が人を殺す事の違法性が阻却されるのは、社会的合理性
と
不可避的緊急性を併せ持った場合に限定するべきではないでしょうか?
で、問題となるのは元高井戸署員さんの仰る「クズ人間」に対する処遇ですが、コストを度外視すれば、
社会的合理性の面からは「二度と娑婆に出さない」だけで必要充分であり、厳重に拘禁しておくことで
不可避的緊急性も消滅するでしょう。どんなクズ人間も、やがては死ぬのですから、我々善良な市民が
直接的に手を汚さずとも、急がずとも良いでしょう。終身刑で充分事足りると思うのです。
(終身刑をいかに扱うべきかについては、
>>1583
にて前述しておりますので省略します。)
さて、暴力団組員のように特殊な社会における特殊な道徳を根底とする人々をいかに扱うべきかですが、
「指定暴力団構成員は軽犯罪法違反でも死刑とする」なんて条文を作る事が可能なら痛快でしょう。
しかし、法の下では暴力団組員も善良な市民も平等なのですね。それこそ不平等に見えますが…(笑)
そこで懲役刑と言う話になるのですが、問題は「刑期満了上等」という非常に悪質なケースですね。
教育刑とは教育目的を達成する事が本来求められるにもかかわらず、年限のみで出獄手続きをとるのは
行刑として手落ちであると考えます。従って、判決で言い渡される年限は一つの目安として重視しつつ、
教育目的が達成されていない受刑者に対しては、随時、刑期の延長が認められる運用が必要と考えます。
また「出所後もとの組に戻る事=再犯」として再収監の対象とすることも必要でしょう。
1599
:
元高井戸署員
:2006/07/25(火) 03:01:34
紫煙狼様。早速のお答え有難う御座います。いつもながらの立法可能、現実性を直視した冷静なご回答、勉強になります!
1600
:
Ken
:2006/07/25(火) 06:05:35
私、暴力団だけじゃなくて連続して婦女暴行して出てきたらまたそれを繰り返す
ようなのも「死刑にしなければならないクズ人間」だと思いますけどね。
まあ、厳罰化ですよね。私が主張する終身刑導入もその延長線上にあるわけで。
犯罪者の再犯を確実に防ぐ手段が死刑しかないというのがおかしいんじゃないで
しょうかね。現状ではみんなが安心して暮らすためには死刑が必要となります。
終身刑ができればみんなももう少し違った考え方ができるようになると思います。
1601
:
Jackal
:2006/07/25(火) 21:50:39
>>1596
>私自身は暴力団に対しては未来の無い選択肢(死刑)を必要と思いますが如何でしょうか?
私もそう思いますが...
「暴力団関係者の犯罪には死刑を以て対処する。」という意味合いの法律が出来れば暴力団
に関連する多くの問題は解決するでしょう。ただもしそんな法律が出来たとすると、暴力団
は限りなく暴力団とは見えない組織に変形し、自己保存を図ろうとするのではないでしょうか。
そうすると、先の法律はそんな変形組織にも対応出来るよう、対象を広げて「反社会的組織
関係者の犯罪には死刑を以て対処する。」とならざるを得なくなります。
何を言いたいのか、もう御察しと思いますが、そうなると今度は誰がどのようにして、ある
組織を「反社会的組織」と判断するのか、という問題が出てきます。つまり暴力団とは無関
係な組織を「反社会的組織」と称し、抹殺することも可能となる危険性が出てきます。
破防法と同じで、運用によっては憲法に抵触する可能性もあります。
ということで、大変残念ですが、結局巧く行かないのではないでしょうか。
死刑の代わりに終身刑を以てしても、危険性は変わりないと考えます。
1602
:
人間魚雷
:2006/07/25(火) 22:04:33
すべての日本人は法の下に平等・・・・・
しかし、良くも悪くも平等ではないことが多々ありますよね。
まぁ死刑うんぬんは別にしましても、暴力団員による犯罪の刑罰を
一般人より重く出来るのであればけっこうなことだと思います。
3〜5倍重くていいと思いますね。
もちろん政治家・警察・公務員も同様です。
1603
:
ポーロック
:2006/07/27(木) 13:36:11
法を機動的に運用し、最小限の犠牲にとどめる
努力をすべきであるとは思いますよ。
1604
:
ポーロック
:2006/07/27(木) 17:19:59
終身刑導入ともなれば、行刑施設内で長く処遇することとなる。
しかも刑はそれ以上は重くならない。
その結果として受刑者の中には自暴自棄になったり、自らの
欲望を満たそうという輩が施設内の秩序を乱す結果となる。
今の刑務官は拳銃を常時携帯していないし、これは世界に誇れる事だと
思うが、荒れることは覚悟しないといけないだろう。
それから、刑務作業に従事させるだけでいいとは思えない。
それこそ重労働を科さないと「もと」を取り戻すのは至難の業?
1605
:
元高井戸署員
:2006/07/27(木) 21:04:17
皆様、様々なご意見有難う御座います。
一般犯罪には、怨恨、貧困、欲求、いろいろと原因が有ると思いますが、暴力団犯罪は懲役上等などと法治国家を端から馬鹿にし、ヤミ金、振り込め、等の老人に対する詐欺、女性を強制的に売春をさせるなど悪質極まりなく、任侠だ義理だ等とぬかしているが、いざとなるとなかなか本腰を入れた喧嘩は出来ず、どこかの組に頼み手打ちをしてもらうか、中途半端な喧嘩で一般人を巻き込み犠牲にする。強い者には生存の為に巻かれ、弱い者には得意になって恫喝する。警察署の中ではどいつもこいつも借りてきた猫の様におとなしい。まさにダニそのもの。
暴対法設立の時も『我々の人権は?』等、寝ぼけた事をぬかし、ともかく何一つ取っても満足にまともな事が出来ない。皆様の結論を纏めますと、『ダニには終身重労働刑』といったところでしょう。有難う御座いました!
1606
:
loveless
:2006/09/30(土) 22:46:39
>>973
,975
結局、杉浦前法相は、在任期間中は死刑執行にサインしませんでした。
(彼曰く、署名を拒んだことに対して、宗教関係者からずいぶん励まされたそうな)
しかし、法相が、自信の宗教観に基づいて、国の法律に従わないというのは
異常なことと思います。
#後藤田氏以前は、法相に妙な圧力が掛かっていたようですが。
で、後任の長勢法相は、「法治国家にあって、確定した裁判の執行は冷静に
行われなければならない」とのことですので、杉浦氏の登場によって、死刑執行停止
の流れに戻ったというわけではないようです。
#ついでに、長勢法相は、共謀罪についても見直しを示唆したり、人権擁護法案についても
#慎重な意見だったりと、久しぶりに期待の持てる法相のような気がします。
1607
:
ポーロック
:2006/10/03(火) 06:23:25
杉浦前法相は、自らの信念で署名しなかったというが、傍から見ると
職務放棄の類。
宗教関係者か。。。 宗教はこの際関係ない。
私はこの死刑は全面的に廃止すべきものでないと思うし、法務大臣は
職務に忠実であるべき。
その理由は簡単。
被害者と被害者の遺族の立場を深く考えれば、国家刑政の重大な目的
の一つといえると思いますよ。
確かに死刑は、人間を殺した場合ばかりではなくて、
外患誘致のような国家に対する反逆者や裏切り者も処刑はできる。
大体、死刑になる連中は極めて残虐な手口で人間を殺しているのが
ほとんど。
そういう犯罪者に対して基本的人権を認める必要はないし、
苦しんで、絶望にかられて死ぬことを望んでもおかしくはないと思う。
1608
:
kei
:2006/11/08(水) 11:16:44
内閣府のやらせ質問 担当者がおわび なんていう報道を見ると
死刑存廃アンケートで80%以上が死刑支持 っていう内閣府の発表も
怪しい気が。boroさんの指摘通り、設問も偏ってるし。今更ですが。
前にもかきましたが、私はこんなアンケート答えたことないし。
ここに集まる方で内閣府の死刑存廃に関するアンケートっていうのに
答えたことのある方、挙手してください って、見えたらいいのになぁ・・。
1609
:
紫煙狼
:2006/11/08(水) 12:15:37
>>1608
お説ごもっとも…なんですが、私の周囲の意見を聞くと、およそ死刑賛成もしくは死刑支持の人が
大半なのは間違いないようですよ。80%は数字のマジックだとしても、過半数は死刑賛成もしくは
死刑支持の人でしょう。
考えてみれば簡単な話で、極悪非道な犯罪者を死刑にする理由は数多くあっても、生かしておく
理由が希薄であると言う事でしょう。難しい理屈は抜きにして、害獣・害虫は駆除するのが、
短絡的ではありますが、効果的ですものね。大きい目で見た生態系云々より、ゴキブリのいない
我が家のほうが快適なのは言うまでもないことで、共存を選ぶ人は僅かでしょう。
ただ、パンが店頭に並ぶまでの経緯は皆さんご存知なのに、死刑制度自体については、
実はよく知らない人が多いのも事実です。だから、パンの原料に遺伝子組み換え小麦が使われると
「危険じゃないのか?」と多くの消費者が敬遠するのに対し、死刑制度については、
「自分は犯罪を犯さないから死刑になることはない」という安心感もあって、あまり、
「死刑制度自体が危険性をはらんでいる」という所までは考えないで賛成している人も多いですね。
ちなみに、私の知り合いで強行過激な死刑賛成論者には
「冤罪死刑が発生してもいい。自分の冤罪を証明できないのは、冤罪ではないからだ。」
「凶悪事件の発生件数とその後の厳正な裁判という現状から言えば、誤差で許される範囲内だ。」
という意見もあります。
1610
:
kei
:2006/11/08(水) 22:55:15
>>1609
そうなんですよ。ここのスレもそうだし。殆ど存置派。
内閣府の人間が知らない筈はないと思うのに、なんで小細工するのだろう。
死刑制度は進行中だし、普通に調査したって存置多数は見えてたと思う。
80%という数字がどうしても欲しかったというのも考えにくいし、アメリカに
何か言われてたのかなとも思ったけど目的がわからない。
内閣府の意図がわからないんですよ。死刑制度賛成を引き出すための
あの意図的設問の数々。2004年って特に廃止派の活動が活発だったとかの
記憶もないし。無限回廊見てなかったのかな、偉い人は。
1611
:
人権
:2006/11/08(水) 23:39:00
>「冤罪死刑が発生してもいい。自分の冤罪を証明できないのは、冤罪ではないからだ。」
「凶悪事件の発生件数とその後の厳正な裁判という現状から言えば、誤差で許される範囲内だ。」
という意見もあります。
これはまた過激な御意見ですな。冤罪は許されないと思います。
廃止の論理・理念として説かれるものの中で唯一一定の説得力を持つと
思われるのは冤罪の可能性(危険性)でしょうね。
仮に死刑が廃止されるべきであると言う前提に立脚して考えてみた
場合、結局のところ冤罪ぐらいしか見当たらない気がします。
「世界の流れ」「先進国では日本とアメリカだけ」「ヨーロッパでは
無いのが常識、こんな野蛮な制度があって恥ずかしい」「生命の尊厳」
「多数決原理には馴染まない」等々よく耳にしますが、
ああそうですか、ってな感じですね。
政府の実施する世論調査など鵜呑みにはできないでしょう。
ただ、不思議に思うのは例えばアムネスティ等、世論調査の
不公正さを厳しく糾弾している廃止団体がなぜ彼ら独自の公正な
(と彼らが認める)世論調査なりアンケートなりをやらないのでしょう。
是非お願いしたいですね。
1612
:
紫煙狼
:2006/11/09(木) 14:17:56
私はむしろ、80%という低さに驚いています。
5人に1人が死刑反対?周囲を見渡す限りありえない(笑)
死刑廃止論者の多くは、潜在的に死刑廃止論者の数はもっと多いはずだ!
と思い込んでいるフシがありますが私の感覚では
・積極的死刑廃止論者 5%
・消極的死刑廃止論者 10%
・消極的死刑賛成論者 70%
・積極的死刑賛成論者 15%
くらいじゃないですかね?
積極的死刑廃止論者と消極的死刑廃止論者の総数と
積極的死刑賛成論者の数は拮抗していると感じますよ。
では、なぜ政府のアンケートでは死刑廃止論者が20%になるか?
消極的死刑賛成論者の一部が誘導質問に拒否反応を起こしたのでは?
従って、政府アンケートの結果は現実的な数値だと思いますよ(^^)
ちなみに、アムネスティがアンケートをしない理由は簡単。
死刑廃止論者5%という結果に終わるからです。
死刑廃止論に関しては「敵の敵は味方」が通用しないのよ。
なにせ、死刑廃止運動団体には利権が存在しますからね。
1613
:
人権
:2006/11/13(月) 22:14:03
>なにせ、死刑廃止運動団体には利権が存在しますからね
どのような利権なのか興味ありますね。
現実に死刑が廃止されてしまうと困る、などというような
ことがあるのでしょうか・・・・
1614
:
紫煙狼
:2006/11/14(火) 18:51:32
前回の投稿にて「死刑廃止運動団体には利権が存在しますからね。」と誤解を生む表現を
用いました件に関し、関係者の方々には深くお詫び申し上げ、ここに訂正いたします。
死刑廃止運動団体に利権が存在するという事実関係の確認は取れておりません。
確認が取れていない以上、そのような利権は存在しないものと考えるのが妥当であり、
私の発言は、適切を欠くものであったと認めざるを得ません。申し訳ありませんでした。
さぁ、謝ったから、もういいよね(笑)
では、自分が死刑廃止論者であると言う前提に立って以下の点について考えてください。
(ディベートのように、あくまで自分の信念をひとまず離れて考えてください。)
・よく耳にする人権団体の死刑廃止運動は効果的であるか?
・死刑存置論者が提示する廃止に伴う問題点に適切に答えているか?
・死刑廃止団体の資金源はどのようになっているか?
・死刑廃止団体の幹部の生活費はどのようにして捻出されているか?
・実際に死刑が廃止された場合、多国籍ではない死刑廃止団体はどうなるか?
世間には完全なボランティアによって運営されている死刑廃止団体も存在しますが、
そのような団体は往々にして弱小団体であり、大々的運動を繰り広げているのは、
一部、その活動で生計を立てている人々によって運営されている団体です。
そして、私が知る限り、草の根的に活動を続けている死刑廃止団体の活動を
揺るがすのは常に大きな団体であり、弱小団体を大きな団体が吸収するために、
活動を妨害したケースもあります。
表面上、大きな団体が掲げるのは、同じ目標にいち早く到達するためには、
より大きな団体となることで、発言力を高める必要がある…というのですが、
私は、自団体の一部として吸収せずとも、ネットワークの構築は可能と考えます。
以上、邪推を誘発する紫煙狼でした。
1615
:
loveless
:2006/11/20(月) 00:00:47
>>1608
>内閣府のやらせ質問 担当者がおわび...
マスコミが「ヤラセなんてあってはならない」などと糾弾する姿を見ると、
かつて「川口浩探検隊」や「電波少年」とかを楽しみにしていた身としては
一抹の寂しさがあったりしますが、、、
閑話休題。
質問の仕方にもよりますが、なんといっても、普通の人が普通の生活では
死刑に絡むような事件には無縁であることが大きいと思います。
そうなると、死刑に関する情報は、マスコミを通じて得るしかないわけで、
その情報というのが、最近は死刑廃止には逆風のものが多いような気がします。
(「ネット社会」になり、サイレントマジョリティが気軽に意見を出しやすく
なったのも一因かもしれません)
この流れは、オウム真理教やサカキバラ事件でのマスコミ報道により、
「最近は凶悪犯罪が多くなった」というような印象操作と、それをうまく利用
できた山口母子殺人事件の被害遺族の本村氏の精力的な活動が大きかった
と考えています。
廃止派がこのようなアンケートを覆すには、現在のこのような流れを
反転させるエネルギーが必要なので、現状では難しいと思いますね。
海外では、「死刑執行された被告が実は無罪で真犯人が別にいた」というような
事件が起き、それを受けてマスコミが一気に死刑廃止の流れを作った結果、
その勢いで廃止してしまったというケースもあったと思います。
たぶん、それくらいのエネルギーがないと廃止は難しいんじゃないでしょうか?
で、今の日本でそのような事件が起きるかというと、、、
(0%ではないと思いますが、私の生きている間には起きなさそう)
1616
:
人権
:2006/11/26(日) 00:12:52
紫煙狼さん御製の質問、無い知恵を絞って考えてみました。
・よく耳にする人権団体の死刑廃止運動は効果的であるか?
⇒あまり効果的だとは思えませんね。むしろ死刑廃止論から
一般市民を遠ざける結果になっているように思います。
・死刑存置論者が提示する廃止に伴う問題点に適切に答えているか?
⇒無期懲役囚(有期刑の受刑者の場合も含む)が仮釈放されたのち
再び殺人等を犯す事例がしばしば見られるが、そのリスクを回避
する実効ある具体策の提示が必ずしも説得的ではない。
「矯正プログラムの充実」「元受刑者の社会復帰を妨げる偏見・差別
の除去」等の答えが予想されるが、結局のところある種の「僥倖」に
期待するほかない、ということになってしまうのではないでしょうか?
・死刑廃止団体の資金源はどのようになっているか?
⇒例えば、Amnestyの運営は個人や団体の寄付金によって支えられていると
想像していますが・・・・
・死刑廃止団体の幹部の生活費はどのようにして捻出されているか?
⇒よくわかりません。死刑廃止のための活動とは別に、仕事を
持っているのでは?
・実際に死刑が廃止された場合、多国籍ではない死刑廃止団体はどうなるか?
⇒◇解散する◇別の活動目標を定めて引き続き活動する◇多国籍の団体
に吸収される、といったところでしょうか。
既にどこかに書き込んだかも知れませんが、日本において死刑廃止が
実現するとすれば、それはアメリカ合衆国において連邦レベルで廃止
された時(=50州の全てにおいて廃止された時)であるように思うの
ですが。まあ、単なる個人的な想像に過ぎませんが。
1617
:
紫煙狼
:2006/11/26(日) 13:00:07
人権さんのおっしゃる事は、およそ当たっていると思いますよ。
「国民の大半が存続を望んでいるから死刑制度は廃止できない」という言い回しは嘘です。
いや、国民の大半が存続を望んでいるのは嘘でも何でもありゃしないのですが、
死刑制度を存続させなければならない理由は、国民が望むからではなく、
国家にとって、表の意味でも裏の意味でも非常に有用な制度だからです。
そして、兄貴分の米国が本気で死刑制度廃止を要求してきたら、
国民の大半が存続を望んでいても廃止するでしょう。
その時の政府が行う世論調査は、おそらく、無作為に抽出した人の
多くが死刑反対派の人でしょう。(作為的無作為とでも言いましょうか(笑))
1618
:
ポーロック
:2006/11/27(月) 00:22:08
米国が死刑廃止要求を出してきても、日本は廃止には動かないと思う。
それから、日本という国家にとって都合のいい制度が死刑制度との
ご指摘だが、そういう側面もあると思う・
しかし、治安の現状等を勘案すると国民が存続を望んでいるというのは、
あながち虚偽ではないと思いますよ。
1619
:
紫煙狼
:2006/11/27(月) 10:56:11
>1618
仰るとおり
>国民の大半が存続を望んでいるのは嘘でも何でもありゃしない
です。
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