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死刑制度についてひと言お願いします
1594
:
紫煙狼
:2006/07/24(月) 00:32:31
本日までずっと、この事が頭の片隅にありまして、さて、何と表現すればよいか…と。
そもそも、教育刑と言うのは「教育を受ける権利がある」というくらいだから、
それは社会も囚人も恩恵を受ける刑である。そして監獄で受けた更正教育は、
再度社会復帰して、そこで初めて意味を持つものであり、教育刑すべからく、
囚人の社会復帰を前提として、そのために必要な措置として行われる。
教育刑に於いて時間や自由を拘束されるのは目的ではなく、教育効果を上げるための
方法論の一つでしかない。
しかるに、死刑は最初から社会のためにはなっても、囚人のためにはならない。
凶悪な犯罪を犯した真犯人のためになど、何もしてやる義理は無いのだから当たり前の
話であり、社会復帰を前提としない以上、更正教育効果の確認も意味もない。
あくまで死刑は囚人を苦しめるために存在し、時間や自由を拘束されるのも目的の一つである。
さて、冤罪を題材にしているのだから、冤罪懲役囚と冤罪死刑囚を比較した場合、
社会的地位を失い、自由を拘束され、人生の貴重な時間を奪われるという部分は、
両社に共通する部分であるから、これは冤罪の害として一括できる部分であるが、
これを取り除いた場合に残されるものは何だろう?
冤罪ですからね、そりゃ、どんなことがあっても冤罪が発生することは許されませんよ。
でもね、私は「更正教育を受けること=自分にとって害」とは考えていませんから、
決してそれに見合うほどの意味を持つものではありませんが、まだ若干なり冤罪懲役囚は得るものがある。
冤罪死刑囚は失うものしかない。得るものなんて一つも無い。当人の意に沿うものではないとしても、
一応「当人のため」になることを考えられて「当人のため」の教育を受ける機会を得る教育刑囚人と、
最初から「当人のため」を全く考慮されておらず、社会のためだけに死刑に処される死刑囚。
しかも、それが冤罪なら、社会のためにすらならない。これが同一線上で考えられて良いものだろうか?
イヤ、目的が決定的に異なるのだから、この二つには決定的な性格の違いが存在する。
そう言う様な事を言いたかったわけです。
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