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死刑制度についてひと言お願いします
1479
:
Ken
:2006/04/04(火) 03:21:02
boroさんも同じこと書いてたけど、みんな「戦争は国家による殺人だあ」とか
言って反対するのに「極悪人はぶっ殺せえ」って死刑には賛成するんだよね。
昔アフガン空爆に抗議するのにNYタイムズに全面広告を出すってのをどこかの
主婦が思いついて、あっという間に千万円単位で寄付が集まって、わしは驚いて
それは被災者支援にまわすのが筋だろって、ポーロックさんと同じように抗議の
メールを出したことがある。返事は来なかったけど。死刑廃止団体と同じで戦争
反対団体が言ってることは非現実的でわしの常識では全くついていけないところもある。
(さっき見てきたらこの人たちは9/11自体がアメリカの陰謀で国防総省に突っ込んだ
飛行機はないという奇想天外な説を本気で信じているらしい。)でも、死刑じゃなくて
戦争反対だったらこういうお花畑でらぶあんどぴーすにも賛成がいっぱい集まるのは
不公平な気がする。
1480
:
ナショナル・キッド
:2006/04/04(火) 18:05:10
>中には微罪でも死刑を適用することで犯罪は確実に抑止できると言う旨の
書き込みも少数ながらあります。
たとえば、万引き(窃盗)などの微罪でも死刑というように
法定刑で定めるとそれ以上の重罪は全て死刑ということに
なると思いますが、スーパーで万引きしてその場でそこの
警備員に捕まったとします。万引きをした本人はこのままでは
死刑になると思い、その警備員から逃げようとして
持っていたナイフで切りつけて殺害し逃走、ということも
ないわけではなく、やはり犯した罪とそれに見合うだけの罰
は考えなければいけないと思います。確かに厳罰化すれば
全体として犯罪は減るかもしれませんが、、、。
>「それが筋」
死刑囚に対する矯正教育は必ずしも必要とは思いませんが
死刑囚に対しやったことは間違いであったと認めさせる
ことは最低必要だと思います。何をもって矯正とか更生と
いうのかはそれぞれ意見があるとは思いますが
少なくともひと言でもいいから遺族に対し謝罪の言葉が
あってもいいかなと思います。それから矯正教育を
することによってそれが犯罪の抑止力に少しでも
なるならそれはそれでいいかなと思います。
うまく言えませんが、開き直られた状態で
死刑執行というのは後味が悪いですから、、、。
1481
:
Ken
:2006/04/05(水) 21:56:44
現行では外部との接触が極端に制限されていて死刑囚が遺族に謝罪の手紙を出すのも
難しいんじゃないの?何度も言ってきたが、そうやって死刑囚と遺族が交流できる
ようになれば、遺族の中には必ず、死刑囚は改悛した、殺すのは忍びないって
考える人が出てきて話がややこしくなるよ。死刑に賛成するんだったら今のままの
ほうがいいんじゃない。
1482
:
楽天家
:2006/04/06(木) 12:22:42
>Kenさん
>殺すのは忍びないって考える人が出てきて話がややこしくなるよ。
原田氏がいい例ですね。彼は弟を殺した死刑囚を殺さないでくれと
法務省にお願いしてるくらいでしたから。(死刑囚は2001年執行)
私はちなみに戦争で人を殺すのと、極悪人を殺すのは違うとったんですが、
戦争で、その後、平和になるのであれば多少の犠牲はやむえない。
となると極悪人にも同じ事が言えるので、なるほどなと思いました。
1483
:
ナショナル・キッド
:2006/04/06(木) 16:02:02
>現行では外部との接触が極端に制限されていて死刑囚が遺族に謝罪の手紙を出すのも
難しいんじゃないの?
謝罪は何も遺族に直接手紙を出すことだけでなく、たとえば弁護士を通じて謝罪するとかできると思います。
>そうやって死刑囚と遺族が交流できるようになれば、遺族の中には必ず、死刑囚は改悛した、殺すのは忍びないって考える人が出てきて話がややこしくなるよ。
話がややこしくなる、というのはよく分からないんですが、死刑執行しないでほしい、という感情が出てきてもおかしくないとは思いますが、それはそれでいいかな、と思います。死刑執行するかしないかは別として。交流は一方的にはできないわけですからお互いに交流したいのであればそれはそれでいいと思います。
1484
:
Ken
:2006/04/08(土) 05:13:07
そりゃまあ「死刑執行するかしないかは別」になるんだったらややこしくはならん
だろうが、それはどだい無理な話だろう。死刑判決は遺族感情を考慮して下される
わけではないが、このサイトでも遺族の気持ちを代弁して死刑を叫ぶ人は多い。
もしもその遺族が処刑に反対したらどうする?それでも支持するか?それとも
お前は間違っていると説くか?
最近、加州であった一死刑囚をめぐる大混乱を知らんのか?アメリカはとにかく
開かれた社会だから死刑囚でも社会活動したり本を出したり、はてはテレビに
出たりと何でもありだ。この死刑囚に感化された薬物中毒のスヌープドギードッグまで
死刑に反対とか言い始めるという始末。最後は知事の母国オーストリアまで飛び火して
名誉市民剥奪とか。もしもこういったことが知事の判断に影響を与えていたら
どうする?政治家といっても結局人気商売だからたくさんの人が反対すれば死刑を
撤回するというのはありえなくはない。このように死刑囚に意見表明を許すと
さまざまな問題が生じうる。
逆に日本政府は大変狡猾だと思う。永山なんかも世間を騒がせていたのは死刑が
確定するまでの間だけだよ。その後は沙汰止み、音信不通、酒鬼薔薇が捕まる
までみんなすっかり忘れていたのではないかな。人知れずひっそりと処刑されて
もれ聞こえるところによると処刑されたようだ、というような感じ。騒動が起きようが
ない。裁判には時間がかかるからその間に改悛して遺族に謝罪するというのは
可能かもしれないが、死刑を逃れようと反省したふりだけしてるのと見分けるのは
不可能だと思うよ。結局本心なんてわかりっこないからね。
1485
:
ナショナル・キッド
:2006/04/08(土) 09:16:28
話がややこしくなるから交流をしないほうがいいという考えは
どこか違うような気がします。交流しなくても最初から死刑制度に反対する
人や団体は存在するし、事件に関係ある人でもない人でもその事件の
死刑囚の執行に反対の人もいるわけですから。交流したことによって
何らかの運動や問題が起きてもそういうことは起こるべくして起きたこと
とも考えられます。でも、結局、死刑は執行されているわけですから
問題ないとも言えますよね。このことをスポーツにたとえるのは
おかしいかもしれませんが、試合が終わったあと、あのときの判定は
おかしいと抗議しても別にいいことになっていますよね。
試合はもう終わってしまったんだから抗議は一切受け付けないと
言っているようなものです。
>死刑を逃れようと反省したふりだけしてるのと見分けるのは
不可能だと思うよ。結局本心なんてわかりっこないからね。
確かに見分けるのは不可能です。でも「反省」って何ですか?
私は「反省」というのは「反省しているかのように振舞うこと」
だと思っています。さらに言うなら「反省なんかしていないと
いう素振りを見せないこと」だと思います。「死刑から逃れようと
反省したふりだけ・・・」と言いますが、いくら反省しても
死刑が取り消されたり減刑されたり、また死刑執行の時期を
遅らせたり、請求していた再審が行われたりすることがないことを
分かっていて反省していると思います。
1486
:
loveless
:2006/04/10(月) 00:34:16
>>1480
刑罰の多寡について考えるとき、理系的な思考ですが、極端なパラメータを
与えたときの状況について思考実験してみるというアプローチもあるかと思います。
例えば、刑罰の極端に重い社会を考えます。
殺人はもちろんのこと、万引きでも死刑、駐車違反でも死刑、タバコのポイ捨て
でも死刑と言う社会。
このような社会での問題点は何か?また有効な点は何か?
次は、逆に刑罰の極端に甘い社会。
すなわち、人を殴っても、殺しても、はたまた地下鉄でサリンを撒いて
数百人を殺害したとしても、一律罰金105円(税込み)で済む社会。
このような社会での問題点は何か?また有効な点は何か?
この両極端の社会で抱いたそれぞれの問題点が、現実で刑罰を軽くしたとき、
重くしたときの潜在的な問題点に繋がるんじゃないかと思ったりしています。
また、この社会のどちらかに属さなければならないとしたら、どちらが
良いかを考えることによって、国家の刑罰に対する自分自身のスタンスも
なんとなく判ると思います。
1487
:
Ken
:2006/04/12(水) 05:23:48
他人の書き込みを都合よく解釈するのが君の悪い癖だね。反論するのが疲れてきたよ。
前から言ってるようにわしは死刑に反対だ。死刑囚に態度表明を許せばわしの
ように死刑に反対する人は確実に増える。だから、死刑に賛成すると言って、
死刑囚の外部との交流を積極的に支持している君を皮肉ってるんじゃないか。
こんなの説明しだしたらわしの投稿がつまんなくなるじゃないか。文句があるん
だったらわしではなく法務省に言ってちょうだい。
後段は、そりゃまたわしが書いた「裁判には時間がかかるからその間に」の部分を
読み飛ばした早とちりじゃないか。念頭にあるのはここでも批判された木曽川・
長良川リンチ殺人事件の少年被告だよ。死刑確定後の反省は君の言う通りそれとは
別物だろう。しかし、君の反省の定義は軽薄で落胆したよ。なぜそんな薄っぺらな
ものに君がこだわるのか理解できない。
1488
:
Ken
:2006/04/12(水) 05:39:53
>>1486
A案はガムのポイ捨てでも重大犯罪だから、殺人事件並みに捜査が行われないと
不公平だろうねえ。目撃者探しからDANの採取まで。捜査が大変だから国民の半数が
警察官みたいな事態になるだろうねえ。歪んではいるがやってけないということは
ないんじゃないかな。わしタバコのポイ捨ても駐車違反もやらないし、まじめに
生きていけばいいわけだし。シンガポールなんかはガムのポイ捨てでも厳しく
罰せられるって行ったときにびびらされたけど、アジアで一番住みよい国という
ことになっているみたいだねえ。
B案は罰金を徴収する強制力もないから罰則無しの社会ということになるだろうねえ。
そうすると万引きなどのただ乗り組にニートみたく怒る人が増えてきて、誰も
まじめにやる気がなくなって社会は立ち行かなくなるだろうねえ。こういうのは
単なる思考実験ではなくて観念的な投資ゲームを使って実際に実験が行われている
ようだよ。初めはみな罰則なしルールを好むが、集団の中には必ずただ乗り組が
現れて、お金を払ってでもそれを罰したいとみな罰則ありルールへと変更するそうだ。
1489
:
人間魚雷
:2006/04/20(木) 16:39:07
世界の全死刑執行数の80%が中国だそうで。
あの国がまともな数字を出してくるはずがないから、
実際には当然もっともっと多いのでしょうね。
ちなみにイラン、サウジ、アメリカと続きます。
中国では死刑=臓器摘出、無駄が無いといえば無駄が無い・・・・・・汗。
1490
:
楽天家
:2006/04/20(木) 16:56:10
何か、部品でも取り扱っている感じがしますね。(中国は)
1491
:
シマウマとライオンハグなHEIWA
:2006/04/22(土) 18:33:06
死刑にしないと刑務所が足りなくなる
死刑にすると予算が減る
おまけに気分が悪いと難しいですね
日本の死刑は首吊りですが窒息死は死体が汚いと聞きます
片付ける人はさぞ苦労がいるんでしょうね
悪人は死刑にかかればよいという方は一度見たほうがいいかもしれません
グリーンマイル思い出しました(;´д`)
http://pine.zero.ad.jp/~zac81405/allen.htm
1492
:
人間魚雷
:2006/04/22(土) 19:01:05
>>1491
怖くて見られません。
鑑定よろしくお願いします。
1493
:
Ken
:2006/04/26(水) 23:47:55
いつも言ってる通り死刑は野蛮ですね。正義だ、裁判だ、と言ったところで最後に
転がっているのは殺害された一人の人間ですからね。死刑囚の最期の姿がその死刑囚が
犯した殺害現場と同じようにおぞましく感じることはあるでしょうね。
こんな物騒なのが平和な日本でまかり通ってるのか、と驚かれた方は死刑廃止派に
鞍替えされることをお勧めします。
1494
:
紫煙狼
:2006/04/27(木) 00:38:24
えーっと、心にもないことを言いますよ(苦笑)
---------------ここから------------------------------
極悪人を死刑に処すことは、高次の存在へ昇華させる事であり、
これを我が教団ではポアと呼ぶ。高度に宗教的な儀式であり、
これを野蛮と感ずる者は修行の足りない低次の者である。
---------------ここまで------------------------------
いや、kenさんの感覚を批判するものでも、死刑賛成論者を
キチガイ宗教の信者と同一視するわけでもありませんよ。
(さすがに、ワタシもそこまで無礼じゃありやせん。)
ただ、それを野蛮と感じるか感じないかは文化や宗教観や信念などで
大きく異なるものであり、それは個々人の判断に委ねられる物である。
犬や鯨を食べるのは野蛮で、牛や豚や鳥や羊は野蛮ではない…とかね。
こりゃ、相手の食文化を冒涜する驕りでしかないよ。
だから、死刑が野蛮だと訴えたところで、死刑は野蛮ではないと考える人を
納得させるには至らない。中には死刑が野蛮だからこそ必要という人もいる
わけで、こうなると死刑を廃止するためには感覚的理由に基づく論法ではなく、
論理的理由に基づく論法、死刑制度の決定的矛盾を突く論理展開が求められる
のでしょうなぁ。。。
ま、人の言うことにケチをつけるのは簡単ってわけで、
ワタシも万人の納得いく論理的理由を模索中でしかないんですがね。。。
もっけの幸い、kenさんも死刑廃止論者でいらっしゃるってことは、
私と同じなので、一緒に論理的理由ってヤツを考えて見ちゃくれませんか?
1495
:
Ken
:2006/04/27(木) 04:58:15
私が論理的理由からではなく感情に訴えるのには理由があります。敵(賛成派)は
被害者の痛みを思い知れ、遺族の悲しみを思い知れ、極悪人は許せんって感情に
訴えてきますから、こちらも感情で返すのは有効な手だと思います。
紫煙狼さんの言ってることは正しいですよ。何が野蛮で何が野蛮でないか、それは
絶対的な軸があるわけではなくて相対的なことです。ですから当然時代とともに
移ろうものでもあります。江戸時代までは衆人環視の元、獄門磔、斬首といった
ことが当たり前に行われていましたが、おそらく現代では全ての人がそれは野蛮だ、
間違っていると感じるでしょう。そんな江戸時代でも子どもを死罪にするのは
かわいそうだと15歳以下は殺人でも島流しにしかしませんでした。秀吉の時代には
政敵は子どもも含めて虐殺していたことを思い出してください。まあ、現代でも
沖縄では日本軍が住民を勝手にスパイにして子どもまで殺したりということは
やってるんですけどそういうのは極限状態における例外的なことですね。この
ように刑罰に対する観念は時代とともに変わる。なぜなら紫煙狼さんが言う通り
何が野蛮かということは相対的だからです。
今の日本はどうか。すでに死刑を廃止した外国と比べるても凶悪事件は極端に
少ない。しかも年々減り続けている。戦争もテロもない。殺人が日常茶飯だった
戦国時代と違って現代日本人が目にする死体は病死したお年寄りくらいです。
現代の日本人の野蛮の定義はどんどん広くなっているはずです。なのになぜ未だに
大多数は野蛮な死刑制度に賛成するのか。それはこの問題をよく理解している
日本政府が死刑に秘密のベールをかぶせて一般大衆の目に届かないようにして
いるからです。私がいつも言ってることです。つまり紫煙狼さんが言うように
「死刑は野蛮ではないと考える人」がいるのではなくて、死刑が野蛮であることを
「知らない」人が多いのです。ですから私はこうやって死刑がいかに野蛮であるのかを
啓蒙しているわけです。理屈好きの紫煙狼さんにはあんまり面白く感じられない
かもしれないですけどね。
1496
:
人間魚雷
:2006/04/27(木) 10:17:56
感情を抜きにして・・・・・
私は現状死刑やむなし派です。
無期懲役(懲役20年前後)の上が死刑しかないからです。
完全終身刑、懲役50〜100年が必要だと思います。
様々な環境的整備と国民の合意が無いとダメなのですが。
死刑を公開するのも賛成ですが、この国じゃ無理。
いろんな意味でまだまだ遅れている国ですから。
政治犯が死刑にならないだけでもマシか。
1497
:
紫煙狼
:2006/04/28(金) 01:17:13
>>1495
>死刑が野蛮であることを「知らない」人が多いのです。
なるほど!そういう意図であれば納得がいきます。
どうも私は強硬な死刑賛成派とどこに妥協点を見出すかに必死で、
中間層の存在を失念していた傾向があるようです。
ちょいと目が覚めた気がしますよ(^^)
>>1496
死刑と無期懲役の中間に位置する刑罰の不在に関しては全く同感です。
しかし、死刑反対派の私が言うのも何ですが、凶悪犯を税金で生かし続ける
ことの意義に関して、実は矛盾も感じております。そういう意味で
「殺してしまえ」と「手厚く保護してぬくぬくと生かし続ける」の
中間に位置するような刑罰が必要かな?とも思います。
1498
:
人間魚雷
:2006/04/28(金) 14:03:28
死刑の無い社会は理想であるとは思いますが、
私が思うのは、人間がそこまで進化した高等生物なんだろうか?
ということもあります。
人間社会がそこまで「残酷」を排除し得るものなのだろうかって。
残酷なことをした者には、残酷な仕打ちが待っている・・・
死刑以外に、残酷な長期懲役刑があっていいのではと。
1499
:
シマウマとライオンハグなHEIWA
:2006/04/28(金) 19:37:36
>>死刑を公開するのも賛成ですが、この国じゃ無理。
テレビで放送されることはまずないでしょうが
やはり私的には公開は勘弁して欲しいです
犬だろうが蟲だろうが死体を見るのはちょっと
でも人によってはどこぞの世界一美しいミイラとか死体とか寄生虫やら貯蔵している場所にわざわざ出向くのでしょうね
ミーガン法(だったかな?)みたいな物があればまだいいですがそれすらないというと
やはり日本は良い部分も悪い部分も遅れてますね
こうして皆さんの意見を見ているとあぁ死刑でもないのに保健所で殺される動物は何をしたというんだろう
と思ったりします
罪人だからどーしてもいいというのもなんだか違和感があります
いつか母が言っていました「人間に理性や慈悲などの心がなければ獣よりも恐ろしい化け物だと」
所詮は綺麗ごとなんでしょうね
>>1491
のアドは電気椅子でどのように死刑囚が死ぬかが画像と共に説明されています
トップの方は無限回路とは異なり画像つきの事件ファイルを集めたサイトです
私の場合ブラウザの画像表示をオフにして見ています
1500
:
Ken
:2006/04/28(金) 22:23:30
日本の刑罰観念が確かに変化していると感じたことが最近あります。厳罰化の
煽りで刑期が伸びて刑務所が足りなくなったので今度二つくらい新設するらしいのですが
刑務所なんて受け入れ先を見つけるのに難航すると思ったのですが、多くの自治体が
ぜひ来てくれと手を挙げたみたいです。最近は小泉先生の行革のおかげで刑務所も
民営化、警備とか給食とか外部に委託する。さらに受刑者と一緒に職員とその
家族も引っ越してきますから、過疎に悩む農村自治体が税収増を期待してのことです。
さらに刑期満了が近い受刑者に刑務所の外で農作業に奉公させるという仰天計画も
あるとのことで、農家のおじさんもたとえ一度は身を持ち崩したといってもぜひ農業に
精を出して更生してほしいとか首を長くして待っています。初めはこの平和ボケ感覚に
呆れたのですが試す前から諦めるのはどうかと思い直しました。もちろんこれは
軽犯罪者を対象にしたものであって死刑とか無期懲役とは関係ないんですけどね。
日本の問題の一つは刑罰体系が硬直していることですね。禁固刑は有名無実、
そうすると罰金刑と懲役刑、そして死刑ですよね。公民権停止のような行政処分もありますけど
刑事罰ではないですよね。後は罰金の多寡と懲役の長さですよね。最近は20年も
できたみたいですけど。まあ最近は政府も無期には仮出所をほとんど認めないようで
終身刑の導入に向けて布石を打ってるみたいですけど、もっといろんな形の刑が
あってもいいと思いますね。スーフリはちんぽ切捨てみたいなね。最近身近で
あった事件なのですが一夜の関係を持った女が男の家に忘れ物をとりに戻ったら
別の女がいて逆切れして男の家を壊して無理やり入ってきて男を殴ったっていう
のがあったんですが、こういうキチガイ女に弁償とアンガー・マネージメント・
クラス(何をするのか知らない)の受講を求める判決が下りました。高速道路を
掃除している人もよく見かけます。私、ホリエモンなんかは掃除夫10年の刑にして
額に汗して労働する大切さを叩き込んだらいいと思いますね。
1501
:
鉤十字者
:2006/05/09(火) 18:42:55
はじめまして。
僕の意見としては死刑は賛成です。
これは極論ですが、人を殺した者に人権なんてないと思います。
今の日本では、加害者の人権についてとやかく言いますが、
一番かわいそうなのは被害者です。
その被害者の顔や本名は晒すのに、加害者の方は、
「未成年」ということで、絶対に公開しなかったりしますよね。
あれは明らかにおかしいと思います。
犯罪に年齢なんて関係ないのです。
特に、事故ならまだしも、故意に行った犯行であるならば
絶対に死刑にすべきです。
中でも異常性のある犯罪ならなおさらです。
酒鬼薔薇なんて矯正の余地があるとは到底思えません。
最低でも終身刑にすべきです。
異常犯罪者は一生牢獄に入れておかなければなりません。
近年の犯罪者の低年齢化は、罪の軽さにあると思います。
子どもだからと言って、罪を軽くするから
「人を殺したってすぐに出てこれる。」
と考えて、残酷な犯行に及ぶんだと僕はふんでいます。
子どもだからといって関係ありません。
ある意味子どもの犯罪者が一番恐ろしいです。
12、3歳で人を殺した子が大人になって
まともな人間になれると思いますか?
少なくとも僕は思いません。
僕が望むのは、1人以上の人を故意に殺害した者の死刑、
被害者および被害者家族の顔写真や、本名の非公開、
これに尽きます。
よく考えてみてください。
人を殺して平然としている者が、数年、もしくは数十年の服役を経て
また社会に出てくる・・・。
考えただけでゾッとします。
もう一度言います、人を殺した者に人権なんてありません。
自分の大切な人が突然殺されたりしたら?
犯人を許せるわけないでしょう。
僕はそう思います。
1502
:
紫煙狼
:2006/05/11(木) 13:21:57
私の先入観(偏見)であればごめんなさい。
死刑賛成派の方々の主張って、まず最初に結論ありきではないでしょうか?
死刑制度がそもそも必要であるかを考えた結果として、
死刑制度廃止によるデメリットを指摘しているというより、
死刑が必要であることを肯定するための材料を持ち寄っているように感じます。
例えば、自分にとって大切な人が殺された場合、犯人を許せるか?
そりゃ、確かに許せませんよね。犯人を死刑にせよ!という感情が
湧き上がるのは至極当然の理でしょう。
では、自分が憎んでいる人が殺された場合、犯人を許せるか?
まぁ、憎んでいる理由にもよりますが、許せちゃうんじゃないでしょうか?
あってはいけない例ですが、平田信・高橋克也・菊地直子の手助けにより
オウム麻原が脱獄したとしましょう。世論は戦々恐々としますよね?
そして、数日後、麻原彰晃・平田信・高橋克也・菊地直子の惨殺屍体が発見されます。
まぁ、考え方によっては、これで一安心ともいえます。
犯人は、正義感豊かな21歳の大学生。自分の考える社会正義の実現のために
麻原達を生かし続けることは世のためにならないと考え殺害した。
現場に残されている証拠から足がつき逮捕に至り、当初は犯行を否認していたが
取調官の粘り強い説得に応じ、最終的に犯行を自白した。
さぁ、あなたが裁判官ならこの大学生にどのような刑罰を言い渡しますか?
1503
:
もこみつ
:2006/05/11(木) 14:06:56
個々の欲求を満たすか全く無くすか
そうでもしないと犯罪は無くならないよ
教育?んなもん当てにらん
宗教?戦争の道具ジャン
所詮は畜生なんだよ
だから邪魔になる犯罪者は死刑で結構
そこまで人間は成熟してね〜し成熟しないよ
しかしこれでも一応は反対したい方なんだよ
この矛盾どうしようかね?
1504
:
ポーロック
:2006/05/11(木) 19:00:35
>1502
その人物が殺害した事が事実と証明できた場合ですが、
私であれば数年間の懲役を言い渡します。
日本では個人による復讐を認めていません。
法に拠らない「刑罰」は認められていないし、認めてはいけないと思います。
国家による応報が死刑を含めた刑罰であり、国家が行うべきことです。
反対派の方々の意見を見聞きしていて思ったのですが、冤罪や倫理的
問題を持ち出しても説得力に欠ける。
日本人の約80%が死刑存置でよいと考えている現状において
あえて死刑廃止を行う必要性は薄いと思います。
ただし、死刑執行に関する情報開示が殆ど行われていない現状は
変えていかないといけないでしょう。
1505
:
紫煙狼
:2006/05/11(木) 21:57:45
>>1503
死刑廃止と言うのは一種の方向目標であって、
明日からいきなり死刑を廃止したら、デメリットの方が多いでしょう。
従って、最終的に死刑廃止を目指す方向で、少しづつ法制度を変革して
いかなければならないでしょうね。情報開示もその一環として経過措置として
必要だと思います。(その結果如何によって、死刑廃止の声が消えることもあるかも)
さて、相手が指名手配犯であったり、死刑囚であっても、国家は個人による復讐を
認めていません。ポーさんの言うとおりです。
では、4人も殺しておいて数年間の懲役で許される理由はどこでしょう?
つまり、ポーさんは「殺しても良い命」「殺されるべき命」の存在を
暗に認めており、上記の例では「殺しても良い命ではあったが、方法がまずい」
という理由で刑罰を与えるのであって、4人を殺害した事が焦点ではないように感じます。
では、その殺してよい命と殺してはいけない命の区別は、国民感情や、
多数決の原則で決めてよいものなんでしょうか???
1506
:
もこみつ
:2006/05/12(金) 00:09:39
ほうせいどがどうのじゃなくて
ひとのせいじゅくどあいが
まだまだであとなんびゃくねんか
ひつようなんだろうなっていいたいわけで
どこまでいってもどこをどうしても
ぜったいにむりなんだよ
かぞくをころされてそれでもいかりをおさえるほど
ひとはできちゃいないしそこまでなるひつようもない
ってかそれじゃちくしょうとおなじじゃん
けっきょくわけわからんるーぷのなかでの
ぎろんにしかなってないしならない
1507
:
紫煙狼
:2006/05/12(金) 00:51:28
私は、いかなる理由を以ってしても、人命を奪うことは許されないと考えます。
「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいと思わんかね」です。
従って、犯罪者が人の命を奪うのは言語道断ですが、その犯罪者の命を与奪する
権限がはたして人間に与えられているのか、そんなことをしていていいのか
非常に疑問に感じています。(ちなみに私は無宗教です(苦笑))
まぁ、ね。これをあまりに突き詰めるとインフルエンザウィルスも生き物だから、
殺してはいけない、なんて無茶な話にもなりますし、結局、我々の生活に
害をなす動植物は、ある程度、駆除せざるを得ないとは思うんですよ。
私だって台所にはゴキブリホイホイを設置していますものね。
おまけに肉料理大好き。私が今デブであるということは、必要以上の命を
摂取して生きているということで、簡単に言えば私利私欲のために必要以上の
牛。豚。鳥。魚。植物の命を奪っているということですから、ある面では、
生き物の生き死にを自由にしているおこがましい人間の一人でしかないんですけどね。
1508
:
紫煙狼
:2006/05/12(金) 01:12:44
もこみつさん、あなたはとても良い事を仰っている。
私はね、大切な人の命を奪われた場合感じるだろう怒りを
抑える必要なんてサラサラないと思う。いや、抑えちゃダメですよ。
昔、このスレで「被害者に求められるのは究極的に許すこと」なんて
無茶苦茶なことを言っていた人が居るけれど、もこみつさんの言うとおり、
許すことなんて出来ないし、それを求めるのは間違いだとも思う。
そんな私がもし、身内や友人を殺されたとしたら、決して犯人を許しはしない。
犯人に何をしてもらっても、犯人がどんなに苦しい目にあっても、
犯人が処刑されたとしても、私の怒りは決して癒える日も消える日もこない。
私が死ぬまで一生うらみ続ける。でも、犯人の助命嘆願をするだろうとおもう。
1509
:
もこみつ
:2006/05/12(金) 01:35:24
自分の身内を殺されたとして
法が裁くからとか宗教的にダメだとか
道徳がどうとか教育がどうとか
でどれだけ縛られても
そんなに賢くうまく振舞えないよ
とは言え何かをする訳にもいかないのだけれど
で生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいって言うけど
人が畜生でいる限り仕方ないじゃん
もちろん限度があるけど
食わなくては生きて行けないから食べる分だけ狩をして
その代わりに自然をなるべく壊さないように守っていく
現代はそう言う事もせずに狩ってばかりだけど
それと殺された人の命=殺した人の命じゃないの?
殺された人の命<殺した人の命にしか写らないんだよね
今の裁判制度とか見ていると
とは言えそれもケースバイケースか・・・
個人的な考えでは人を殺そうとした時
加害者は自分の人権やらを捨てていると考えても良いと思ってる
被害者の人権やらを奪うんだもん仕方ないよね
できれば死刑がなくなるより死刑執行しないといけないような
事件が無くなるようにしたい ってかそう言う意味での死刑廃止派だ
1510
:
loveless
:2006/05/15(月) 01:46:20
>>1507
この前段の紫煙狼さんの疑問は、やはり宗教的・哲学的なものと思います。
宗教的・哲学的な論争になってしまえば、逆に話は簡単です。
すなわち、多数決です。
(個人の宗教観や哲学は、いくら論理的に説いても説得できるものではないでしょう)
そうなれば、どちらの宗教観・哲学が、より国民の支持を得ているかを
調査すればよいだけと思います。
また、その前の準備段階として、例えば、「私がたとえ殺されても、犯人には
死刑を施行しないこと」ということを記載したドナーカードのようなものを用意し、
希望者に配布することで、個々の哲学を明示するというのも良いかもしれません。
1511
:
紫煙狼
:2006/05/15(月) 21:04:19
>>1510
確かに、私は哲学的?宗教的?疑問を提示していますが、
私が死刑に反対するのと、私が提示した疑問は、全く別物ですよ。
私は屁理屈屋ではあっても、宗教屋ではありませんからね(苦笑)
ただ、死刑に賛成している方々は、そういう疑問に対して、どのようなお答えをお持ちなのかな?
という、どちらかというと興味本位の疑問提示ですね。すみません。
それもあって、私自身の中にも「害をなすものは排除する」的な
考えがある面を敢えて書いておきました。
まぁ、妙なことを言い出したという点には、深くお詫び申し上げておきます(^^)
1512
:
Ken
:2006/05/16(火) 03:23:30
お二人とももこみつさんに釣られただけだと思いますけど、「殺された人の命=
殺した人の命」という考え方がそもそもおかしいと思いますよ。「目には目を」は
大昔の話で、現代日本の警察・司法の基本は被害の救済と再発防止ですね。死刑には
遺族のために国家が報復するという側面もあるとは思いますが、それよりも重視されるのは
矯正が可能かどうかですね。「矯正不可能」がいつも死刑判決の錦の御旗になるわけです。
ですから被害者の生前の希望に従って刑を決めるわけにはいきません。また少年の
場合成人よりもまだ可塑性が残ってますから刑は軽くなるわけです。少年法で
情報ががんじがらめで保護されている現状には私も不満ですが。
それから「人が畜生でいる限り仕方ないじゃん」とのことですが、世界には死刑を
廃止した国がたくさんありますが、それらの国の国民は畜生でなくなったわけでも
大人になったわけでも信心深くなったわけでもありません。犯罪率、刑罰に対する
観念、死刑以外の刑罰の整備、人権意識、被害者救済の整備、などなどの社会的
要因から死刑存置に積極的な意味を見出せない、むしろ否定的にしかとれなく
なったということですね。「死刑執行しないといけないような事件が無くなる
ようにしたい」というのは真に正論ですが、日本がこれらの国と比べて凶悪犯罪が
多いということは決してありません。むしろ逆でしょう。凶悪犯罪が減ったせいで
逆にまれに起こる凶悪犯罪が目立つために、かえって死刑賛成へと世論が傾いている
ような気がしますね。
1513
:
柏木
:2006/05/27(土) 16:53:00
知らないもの、見たことないものについて議論は出来ません。今まで、一般国民が抱く、死刑のイメージや想像だけで制度の可否を議論じ続けてきました。先ずは秘密裏に行われる日本の死刑執行の様子を、実際にテレビ等の映像媒体で国民がしっかり「見て」「知って」、初めて死刑制度の議論は中身のあるものになると思います。人を殺めた「憎き」者も人。その人の命を奪う仕事(刑の執行)が簡単で綺麗なものではないことは、今や公開されている多くの資料などから比較的容易に伺えますが、実際に見たことある国民は極々限られた司法関係者です。国民は死刑(執行)に無知です。例えば、日本の死刑がロングドロップ地下高架式の絞首刑ではなく、米国型の電気椅子だと思い込んでいる国民は少無くなくありません。一瞬の電気ショックで死に至る安楽死のようなもとだと、刑法条文を見たこともないのに「主張して」止まない一応知性的な日本人たちに複数出会いました。(驚)こんな基本的な事柄に無知で、死刑制度存置の可否をアンケートで国民に問う法務省は順序を間違えています。先ず、議論の対象を各個人がしっかり目撃して真実を「知る」ことが大切だと思えてなりません。
1514
:
中年男
:2006/06/02(金) 18:31:33
読ませて頂き、いろいろ勉強になります。死刑の目的は「駆除」か
「復習」かという話もありましたが、責任をとる、落とし前をつけ
るという意味もあろうかと思います。なので、少年であろうが、精
神病であろうが、死刑で良いと思います。責任能力とかって変です。
能力があろうがなかろうが、したことの責任は取ってもらわないと。
それと、駆除の目的も重要です。もっとどんどん死刑にしても良いと
個人的には思います。しかし、これについては殺すのは可哀想とか、
人が人の命を奪って良いのかとか、難しい議論になってしまうのも
分かります。まぁ、理屈はどうにでもつきます。
それならせめて、終身刑を作って欲しいです。日本の無期懲役はちっ
とも無期ではないと聞きます。しばらくしたら出て来ちゃいます。これ
は困ります。実際、出てきてもう一回悪いことをする人は凄く多いです。
なので、死刑がなくなるなら、終身刑が必須です。
もしくは、島送りでも良いと思います。ただし、強制的にパイプカット
してから。駆除目的なのに、そんなところでゴキブリみたいに増殖され
ても困るので。悪い人とか、怖い人は、そういう人同士でやり合って
もらうのが一番だし、ルールを守る気がないのだから、無法地帯に行っ
て弱肉強食してもらうのが一番です。
たしかに、復習目的で死刑にするのは一抹の疑問があります。しかし、
やはり責任を取ってもらうのと、駆除するのは、絶対だと思います。
100%実施して欲しい感じです。
1515
:
ポーロック
:2006/06/16(金) 01:39:49
仮に終身刑が導入されれば、かなりの確率で脱走の試みが常時繰り返される可能性が
あるし、その際に刑務官を殺害しても、何とも思わないという受刑者が出てくるでしょう。
終身刑の身であって、刑罰としての死刑がない以上、
それ以上重くなりようがない。
犯罪者の処遇ですが、更生して社会に戻るためのものであり、
そうであるからこそ犯罪者サイドも「努力する」部分があって、
それでもって処遇サイドも真剣に取り組むことができると思うんですよ。
1516
:
Ken
:2006/06/20(火) 04:25:58
>>1514
「少年であろうが、精神病であろうが、死刑で良い」
その考えはおかしいと思いますね。例えば酔払い運転で人をひき殺した人も死刑に
するべきだと思いますか?責任を取らされるのはあくまでもその責任が自分に
あることをはっきりと認識していて、なおかつ責任が取れる状態にあるときだけですよ。
(酔払い運転を弁護するつもりは毛頭ないですよ。)
1517
:
Ken
:2006/06/20(火) 04:31:14
>>1515
その心配は別にしなくてもいいと思います。死刑が確定してから5年とか
10年とかかかるので、刑務官を殺害して脱走しようというのであればもうすでに
やらかしているでしょう。
同様に終身刑でなくても死刑囚と接する刑務官は同じやりきれなさを感じていると
思いますが、このへんは表に出てこないのでなんとも言えないですね。
1518
:
もこみつ
:2006/06/20(火) 16:06:28
酔払い運転でひき逃げは死刑にすべきジャン
馬鹿か?
1519
:
人間魚雷
:2006/06/20(火) 20:32:45
酒酔い運転で人を死なせたら、殺意はなくても殺人と見なしたいですな。
法的には何人死なせても20年・・・・ちと甘いか?
逆に、酔っ払って暴力をふるってきた人間を半殺しにしても無罪にしたいですな。
1520
:
通りがかりの一般人
:2006/06/20(火) 23:51:38
>酔払い運転で人をひき殺した人も死刑にするべきだと思いますか?
私は死刑にすべき(というか死刑が適用されてもいい)と思います。
なぜならお酒を飲んだうえでハンドルを持つこと自体が未必の故意だと思
います。
つまり酔っ払って運転するとハンドル操作を誤って人を轢いてしまうかも
知れないということは周知の事実だからです。
お酒を飲むことは断ることができるのです。
それを自らの意思で飲み、運転する人に対して何を同情する必要があるのでしょうか?
さて、死刑廃止論についてですがもちろん「死刑支持派」です。
ただ、死刑というのは自らが処刑される(殺される)という状況にならないと自分の
やったことの重大さや被害者の気持ちを理解できない人がいるからある制度だと
思います。
世界には飢えや渇きに苦しむ人がいるのに栄養バランスも考えた3食与えて一生生か
しておく必要があるのでしょうか?
1521
:
Ken
:2006/06/21(水) 04:32:19
なんかハムラビ大王が失礼なこと書いてますね。「ひき殺す」と「ひき逃げ」の
違いもわからないようですから、今後ますます自分の馬鹿さ加減をさらけ出す
ことになるでしょう。
何気ない一文に皆さん食いついて、なおかつ酔っ払い運転を弁護する羽目になって
少々戸惑っていますが。もうしばらく前ですけど東名高速で常習的に飲酒運転していた
トラック運転手が乗用車に追突して両親の目の前で幼子二人が焼き殺されるという
大変痛ましい「事故」がありましたが、ハンドルを握っているときは一律、業務上
過失致死にしかならず最高で5年、飲酒運転を併合しても7年にしかならず、結局
裁判で懲役4年になりました。不勉強でその後の経緯を知らなかったのですが、
罪が軽すぎるということでこれを契機に危険運転致死傷罪が成立し、最高で15年
ということで有期刑としては殺人罪と同じになりました(最近、有期刑の上限が
20年に引き上げられたはず。罪刑法定主義ではこの運転手に適用することはできない)。
ということで飲酒運転による過失致死は殺人並みにみなすという皆さんの認識に
合うように刑法もすでに改正されたようですね。死刑や無期にはなりませんけど。
しらふで法定速度を守っていてもひき殺すことはありうるわけで、それも死刑に
しろというのはばかげていますが、危険な運転の場合はさらに罪が重くなると
いうのはもっともだと思います。こういう事件が起こることはみんな知っている
わけですから。もちろんそれでも誰かを殺すつもりで運転しているわけではありません。
殺人罪が適用されるのは逆恨みとかどうしようもない理由で明確に誰かをターゲットにし
なおかつ凶器を準備して殺す意図がはっきりとしている場合であって、もちろん
それが罪として最も重くするべきだと思います。
ちなみに米国では飲酒運転は単なる交通違反ではなくて犯罪として処理されるため
かなり厳しい処罰が待っています。検問所で逮捕される場合もあります。
1522
:
Ken
:2006/06/21(水) 04:35:40
>>1520
今、刑務所にいる人間を全てぶち殺しても世界から飢えと渇きがなくなる
わけではありません。それはまた別の問題。死刑問題をこれ以上ややこしくする
必要はないと思います。
1523
:
通りがかりの一般人
:2006/06/21(水) 23:13:49
>>1522
今、刑務所にいる人間を全てぶち殺しても世界から飢えと渇きがなくなる
わけではありません。
おっしゃるとおりだと思います。私が言いたかったのは彼らを生かしておく
費用があるならもっと有益に使ってほしいということなのです。
>>もちろんそれでも誰かを殺すつもりで運転しているわけではありません。
このことが飲酒運転についておっしゃっているのであればそれは違うと思います。
Ken氏のおっしゃる「東名高速飲酒運転事故」の裁判においてもこの事件は「未必
の故意」であるといわれています。
ゆえに「危険運転致死傷罪」が導入されたわけですから。
1524
:
Ken
:2006/06/22(木) 04:54:23
「殺すつもり」=確信的故意(例えば配偶者に保険金をかけて車でひき殺す。
死んでくれなきゃ困る)に対して「未必の故意」は、例えば酔ったまま車を運転すれば
誰かが死ぬかもしれないけどかまわない、ということであって両者はやはり違うと
思います。ただし、殺人罪では未必の故意を根拠に死刑になることはあるので
確信的か未必かという違いだけを取り上げて罪の軽重を私が説くのは少々的外れ
かもしれません。
1525
:
Ken
:2006/06/22(木) 05:27:59
終身刑とそれにかかる費用の問題について二点、反論します。
まず、原則論。刑罰はそれにかかる費用に基づいて決めるべきではない。例えば
もうすぐ刑務所の予算がなくなりそうだと言って、裁判官がとりあえず残りの
殺人犯に無期ではなく全て死刑を宣告したとすればどうでしょうか。あるいは
貧乏国が刑務所の維持費が出せないからうちの国では政治犯でも収賄罪でも死刑に
することにしています、とか言えば我々は面食らうでしょう。案外、北朝鮮とか
中国とかそういうことかもしれませんが。
二点目。とはいっても現実的に刑務所にはお金がかかりますし、納税者としては
もちろんそんなのはできるだけ節約して、仰るとおり他の有益なことに税金が
使われるに越したことはありません。死刑囚を終身刑に減刑すればとたんにお金が
もっとかかることになります。しかし、私にはもちろん妙案があります。これは
すでに何回か説明したのですが、終身刑の導入と厳罰化を組み合わせるのです。
例えば今の法律では何人レイプしても死刑にはならず、そのうち必ず出てきて
かなりの割合で同じことを繰り返すというのが我々の認識になっています。この間
7人とか8人とかの連続レイプ犯に相次いで判決が出たんですけど懲役10年とかで
立件できなかった余罪もあるはずなのに一人当たり一年半が相場かと、ずいぶん
憤ったことがあります。私はこういうのを終身刑にできるようにすればいいと
思います。30歳で刑務所に入って80歳まで50年生き、一年当たり100万円かかると
しましょう。終身刑受刑者の一生涯にかかる費用は5000万円です。一方で栃木の
女児事件のような重大犯罪では億の単位のお金が捜査に費やされていると思いますし
運良く犯人逮捕となっても裁判にまた費用がかかります。そして嫌な言葉ですが
逸失利益というのがあります。東名高速の事故ではそれを含めて2億5000万円の
賠償が民事で認められました。要するにこれらの重大事件が本来は刑務所に入って
いるべき極悪人による再犯であったとして、その極悪人をそのまま刑務所につなぎ
とめておくことによって再犯を防ぐことができれば、我々はそれだけの損害を
「節約」することができます。仮にこういう重大事件による損害が総額で5億円だと
しましょう。とすると再犯率が10%(10人に一人が再犯する)であれば収支は
とんとんということになります。あくまでも大雑把な計算ですよ。また私は一点目で
述べたとおりこういう問題を金勘定で論じるのはあまり好きではないです。ただ
「終身刑導入=税金アップ」というのは短絡的だと思います。
1526
:
元高井戸署員
:2006/06/22(木) 10:23:49
ここの掲示板に書かれている方の文章能力や思考力は凄いなと感じます。まず、皆さんは法を熟知して上での思考論争を繰り広げておられるので大変高いレベルだと思います。
死刑と言う定義の中では死刑囚の人権や死刑の存在に対する考え方等、賛否両論様々であると思います。
私自身水掛け論が苦手ですし、難しい角度からの論争も苦手です。
このサイトに載っている様々な事件を読んでみると、刑事裁判書類に記された事件概要の様です。簡単に言えば客観的なんですね。
裁判になれば死刑を求刑された被告人に対し遺族や被害者以外の人は客観的に見ますから被告人の人権など様々な論争を呼ぶ事となりますが、それは事件を読む、または聞くからでいて事件に直面した場合は、はたして同じ論争になるのでしょうかと私は疑問に思います。
死刑を廃止している国の方が多いですが、その国は兵器や武器を何故に所持しているのでしょうか? 矛盾しているように思えます。裁判ではどんな事があっても道徳的に人間が人間を殺してはならないが、裁判以外で正当防衛や緊急避難なら殺しても構わないから兵器、武器の所有は認められてるのでしょうか?
わたしは高校卒でなんとか地方公務員3種に引っかかったレベルなので何とも難しいのですが…
ところで、
皆さんは死刑囚や無期懲役囚と対話をや遭遇をしたことがありますか?私自身、過去に実際事件と犯人に直面し、未だに怒り冷めやらない思い出もあります。
確かに量刑相当による求刑というのもありますが、
検察官が死刑を求刑するのも事細かに事件を見て被疑者に対面するからこそ心の底から、死刑にしなければならないと感じるのだと思います。
1527
:
元高井戸署員
:2006/06/22(木) 23:23:12
昭和62年、杉並区永福町一丁目で起きた事件は20年を経とうとするが未だに鮮明に脳裏に焼き着いています。
当時私は、高井戸署の永福駅前派出所(交番)で外勤勤務の警察官をしていました。
その日は、日勤勤務で受持ち区の巡回連絡をする予定でした。交番の勤務形態は4交代制で『日勤』『第一当番』『第二当番』『非番』とあり、日勤は通常は休みを入れるか巡回連絡が主な任務です。当番勤務が110番や主な届出の処理をします。
午前9時半頃、受持ち区を巡回しながら住民のおばさんと、たわいも無い世間話をしていました。
受令機の発信音が鳴り『またいつもの事か』とイヤホーンを耳に当てると『高井戸管内、調査方、男女のゴタ永福一丁目』との指令でした。『自分の派出所だ』と思いましたが。当番勤務員がいる為、私は処理に向かう必要が無かったのですが、駅前交番という形態上、かなり忙しい交番でもあったため、気を利かせたつもりで交番に戻りました。交番では、井村巡査と上原巡査部長と警察学校の見習い警官がおり、ちょうど井村巡査が学生警官を従え現場に向かうところでした。私は『井村、何かあったら呼んでね』と言い、大した緊張感も無く上原巡査部長の当番の手伝いをし始めました。10分後くらいに突然、署轄系無線機に『発砲!発砲!応援要請!』と井村巡査の叫ぶ様な声が飛び込んできました。
即座に『撃たれたか?!』と思い私は自転車に飛び乗って現場に向かいました。
現場の路上には顔を真っ青にした井村巡査と学生警官がおり、『どうした!』と尋ねたところ、玄関口で家人の呼び出しをしているといきなりドア越に発砲してきたとの事でした。幸い両名には怪我は無く状況を署と警視庁本部に報告しました。
当然、署は蜂の巣を突いた様な騒ぎになり、警視庁本部からも捜査一課長率いる捜査一課特殊犯係等50人くらいの警察官が押し寄せました。署も緊急事態であるため、手の空いている警察官は全員現場に現れ、200人くらいの包囲体制になりました。あっという間に物凄い数の報道も現われ、空には何機ものヘリコプターが旋回し始めました。三菱銀行北畠支店以来の人質立てこもり事件に発展してしまったのです。
近所の銀行の2階会議室を現地対策本部として捜査第一課長と高井戸警察署長率いる大勢で犯人との戦いが始まりました。
この立て込まれた家はバブル時代に名を馳せた『八大産業』という不動産会社の社長宅でした。よって暴力団がらみや右翼がらみの犯行と当初は示唆されたが、公安、刑事の両方からすぐに情報収集を始めましたが見当がつかず、 後に犯人は右翼と名乗っていましたが実在はなく、金欲しさの強盗目的でした。
犯人の要求は『逃走車両の用意』のみ、他には無し。
捜査一課長と署長の支持は『犯人絶対逮捕』(これは必ず生かせて捕まえろということです。)『人質の救出』との事でした。
捜査一課長が電話と拡声器で交渉しますが全く返答は無く、時間が経つにつれ強行突入策が濃厚になって来ました。昼食を取る間も無くあっという間に夕方になって来ました。
今でこそSAT(特別急襲チーム)が話題ですが、当時も極秘に第7機動隊には在ったのですが全く出動の気配はありませんでした。
取られた作戦はこうでした。
1528
:
元高井戸署員
:2006/06/22(木) 23:24:12
逃走用車両を家の門に横付けし、玄関から犯人が出てきたら門までの10メートル前後の敷地内で犯人確保するということでした。逃走用車両に乗り込まれた場合は捜査一課の追跡班がバイクで追いその後は捜査一課指揮の基、他管轄の警察と連携して犯人を追い詰めるということにもなりました。
がしかし、それでは高井戸署長の面子が立ちません。署長は刑事課と私達独身の警官を呼び『何が何でも犯人検挙だ!』といきり立ちました。信じられない事と思われるでしょうが、全員拳銃所持は認めらず防弾チョッキだけの丸腰突入作戦になったのです。
辺りは夜になり暗くなり投光用のライトが数台備えられ、私達も突入準備に取り掛かり始めました。
私の位置は、門の上(大きな家ですので、門も田舎の農家のような門です。)に二人で潜み、家の両脇に潜む刑事たち(12〜3人)と一斉に飛び掛る事となりました。
心臓がドキドキするよりも『やるしかない!』という興奮状態になりました。自分の生死の事は不思議と考えられなかったです。皆、血圧が最高潮に達し興奮状態で同じ感じだったのではないかと思います。
犯人は何発弾を持っているか分からず、何丁拳銃を持っているかもさっぱり情報はありませんでした。
門の上に潜み何分経ったかは興奮の為記憶にありませんが、そうは長くない時間に逃走用車両が門に横付けされました。
捜査一課長が犯人に電話連絡をし全ての準備は整いました。
日本式の引き戸の玄関ドアが開いたその時です。犯人は人質の白鳥さんを左手で抱き、右手で拳銃を白鳥さんの右こめかみに着き付けて出てきたのが目に飛び込みました。
二歩三歩犯人が出た時です。まだ私の距離には数メートルあります。全身の毛が逆立った感じになり飛掛かろうとした瞬間、犯人は白鳥さんに発砲しました。『バン!』という音と共に白鳥さんは崩れ落ち、続いて右側から飛掛かった特殊班の五十嵐係長(有名な深川の川俣軍司を捕まえた時に板前の格好をしていた大柄の刑事です 。)に2発発射、係長は顔と腰に銃弾を受け転がりました。右側の後続の突入隊と左側の突入隊と私達上からの突入で犯人に対して押し競饅頭の様な格好となりました。続いて一発銃声、犯人自殺と記事にはなりましたが、20年経つので明かします。暴発です。
犯人は右顎から左額に弾が抜けました。私達はすぐに白鳥さんを待機中の救急車に運びましたが既に足が硬直痙攣していました。そして白鳥さんは亡くなりました。
全ては大失敗に終わりました。
私は僅か10メートル足らずの所で弱り果てた被害者が射殺される瞬間を目の当たりにしました。物凄く悔しく悲しく憎く、たまらなかったです。今でも夢を見る事があります。
1529
:
元高井戸署員
:2006/06/22(木) 23:24:37
結局、犯人は死刑求刑であったが無期懲役が確定服役しました。後に刑務所内で自殺した事を新聞で知りました。
あれだけ、悪に勢いがつく者に対して本当に矯正の余地はあるのでしょうか?捕まった被告人は神妙な顔をしていますが、その顔しか一般人は見る事が出来ないのです。
私は今でも人殺しの本当の姿を忘れないです。
1530
:
Ken
:2006/06/23(金) 04:32:38
私は反学歴・反権威主義でして、興味深い意見や文章を書くのに学歴やその道の
専門家である必要はないと信じています(もちろん元署員さんは警察官という
プロではありますが)。元署員さんはご自身でサイトやブログを立ち上げられたら
いいと思いますね。
警察官が立ち会うのはまさに邪悪な暴力が暴発する瞬間ですね。そしてその邪悪な
顔を間近で目撃すれば絶対に許せないという感情を持つことは当然だと思います。
この一警察官から見たストーリーを読んでそのことがよく伝わりました。しかし、
暴力というのは突然暴発するわけではありません。必ずそこまでに至る経緯が
あります。犯行事実と同じでその動機は全く理不尽な場合が多いですが。boroさんは
成育歴まで遡って犯罪が起きる経緯や動機に光を当てようとしていますね。それは
ちょうど元署員さんとは逆向きの犯罪者からの視点です。それが扇情的な言葉を
使わずに冷徹に描かれます。しかし、読み終わるとなぜか犯罪に対する怒りが
ふつふつとわいてくるという不思議な魅力をたたえています。ここに集まって
来るのは結局そういうboroさんの文章に引き寄せられた人たちですね。
このように犯罪を見つめる視点はいろいろです。犯罪者が裁かれるときには犯罪者の
視点、被害者の視点、一般市民の視点、警察や社会の視点から犯罪を眺めてそれらを
総合して罰を決めるべきだと思います。例えば少年犯罪は加害者の視点が強調
されすぎで、被害者や一般市民の視点がなおざりにされているために批判を呼んで
いるのだと思います。
1531
:
Ken
:2006/06/23(金) 04:39:43
私の最大の疑問は『犯人絶対逮捕』→『人質の救出』というところですね。なぜ
『人質絶対救出』→『犯人はできれば逮捕、射殺もやむなし』とならなかった
のでしょうか。指示を出すのはそうやって犯罪者たちの凶悪な現場に立ち会ってきた
警察官ですよね。なぜ犯人に気を使うようなことをするのか理解できません。
それと、五十嵐係長はどうなったのですか。
1532
:
Ken
:2006/06/23(金) 04:57:54
>>1526
死刑廃止派はここでも圧倒的少数派でして、boroさん、紫煙狼さんと私しか
いません(他の方を忘れていたらすみません)。boroさんと紫煙狼さんは死刑に
反対する際はいつもこの自分が当事者になったらどうするのかという視点を忘れては
いけないと強調してます。また死刑と兵器・武器に関してboroさんは元署員さんと
ちょうど逆のことを言っています(死刑に関する文章を読んでみてください)。
つまり日本には戦争は国家による殺人だからいけないという平和主義が蔓延って
いるのに対して、大方の日本人は同じく国家による殺人である死刑を是認している
という矛盾ですね。私の見解はこれはどこからどこまでを野蛮であるとするのかの
線引きの問題であるということで、簡単に言えば人権感覚の違いですね。日本人は
国内の犯罪者の人権よりも、日本に危害を加えた、あるいは加えるかもしれない
外国にいる人々の人権のほうが大事なのに対して、死刑を否定して戦争を容認する
国々は犯罪者であろうとなかろうと自国民の命は外国勢力の命に優先させると
いうことですね。私は国家のあり方としては後者のほうが健全だと思いますけどね。
1533
:
ちゃぼ
:2006/06/23(金) 16:48:29
死刑制度廃止論って、
「どんな理由があっても、人を殺すのは非人道的」という観点から発してるんですよね?
・何の殺される理由もなくて殺された人と遺族
・人を殺して死刑になる加害者
どちらが可哀想かといえば前者。犯人が死刑になろうがなるまいが救われないからだ。
また、どちらが非人道的かと問えば、明らかに後者だが
加害者にとって、死刑になるのとならないのとでは大違いだ。
つまり死刑廃止論というのは、被害者側の人権・立場や感情というのは全く考慮されておらず
被害者でも加害者でもない・全く無関係の第三者が
『死刑はいけないこと』という理論だけで論争されている。
じゃあ、もしも『非人道的な行為だから、死刑は反対』というならば
“非人道的な加害者”の行った殺人はナニ?人道的なことだというの?
殺人という罪による死刑より、もっともっと非人道的なことが殺人なのでは???
死刑は、殺人という非人道的な大罪に対する『裁きと償い』であって
決して国家や法による殺人ではない。
加害者への憎しみでも報復でもなく、加害者の『罪』に対しての『償いという行為』をさせること。
まさしく罪を憎んで人を憎まず、だ。
自分の行為(罪)に対して責任をとらせるだけのこと。これぞ自己責任というもの。
死刑=非人道的な殺人
をやめろというならば、そもそも加害者が殺人なんて非人道的なことをしなければいいだけのこと。
死刑廃止論を唱えるなら、その論理で世の中の犯罪予備軍に呼びかけて、犯罪を無くしてほしいものだ。
『殺人は非人道的なのでやめましょう』と。
少なくともそれで犯罪がなくなるのなら、死刑廃止を認めてあげてもいいが。
ムリだろな。人から言われて止まるものじゃないから。
死刑廃止で加害者の命と人権を救うことはできても、犯罪を抑止することはできないし
また、死刑により犯罪を抑止する効果は確実にあると思われる。
なぜならば、
この世には「死刑になる・ならない」といった計算に基づいて
罪を犯す犯罪者が必ずいるからだ。
こういう姑息な犯罪者にとって、死刑廃止論は美味しくてたまらない話だろう。
死刑を強く肯定するのは、一番危険なこういう奴等を世の中に野放しにできないからだ。
こんなことは過去の歴史を振り返ればわかりきったことなのだが、
それも見えないのかね、偽善者の死刑廃止論者は。
(疑わしきは罰せず・・・冤罪に関しては別問題。)
1534
:
ちゃぼ
:2006/06/23(金) 17:02:08
戦争もよくないこと。
殺人もよくないこと。
当たり前のことである。
が、争いを起す人間がいる限り、どちらも止まらない。
個人で心から戦争を望む人などほとんどいない。
一部の人間が私欲のためにやっているが、その力が大きいから、
個人レベルで止められないだけのこと。
ここでは戦争は抜きにして、、、と。
要は、犯罪は犯さなければ償いの必要もなくなるわけだが
それでも犯罪は起こるから、罪の大きさによって償いの方法が必要になる。
人を殺せば=死刑
これが秩序も倫理観も無い頭の悪い犯罪予備軍には
一番わかりやすい法律であると思う。
シンプル・イズ・ベスト。
1535
:
元高井戸署員
:2006/06/23(金) 20:06:36
Ken様
【問】私の最大の疑問は『犯人絶対逮捕』→『人質の救出』というところですね。なぜ
『人質絶対救出』→『犯人はできれば逮捕、射殺もやむなし』とならなかった
のでしょうか。
【答】
今までのシージャック、バスジャックを見ても西日本の警察では拳銃使用の突入がありました。 広島シージャックや三菱銀行北畠支店も射殺をしております。
がしかし警視庁は拳銃使用突入を行なった例はありません。
現在はどうか分かりませんが、当時はやはり拳銃使用は誤れば所属長の責任問題になるからです。 正義より責任回避、保身主義が警察幹部の特徴でした。
『犯人射殺』でも世論の批判はあり面倒臭いですし、『誤射で人質死亡、同僚死亡』なんて事になったら所属長はアウトです。
結果は最悪の事態になりましたが、『仕方が無い、我々は最善を尽くした。悪いのは犯人だ。』と言えば所属長をそれ以上責める事はできないでしょう。
当たりクジを引いて作戦成功すれば所属長は警察庁長官賞です。
何事も世論から批判されず、事を上手く収めろというのが幹部の姿勢でした。
警察署長は一般的には残り数年で勇退し本部との交流もありながら美味しい天下りが待っていました。それをふいにはしたくないというのが一般的でした。
【問】それと、五十嵐係長はどうなったのですか。
【答】いずれも弾丸貫通による重症でしたが、意識不明にもならず、その後現場復帰したと聞きました。
スレから大幅にズレてしまい皆様申し訳ございません。
1536
:
Ken
:2006/06/24(土) 02:48:48
なんか警察ってものすごく損な役回りですよね。人質を盾にする姑息な犯人が
一番悪いのに、誰に弾が当たっても批判される。ただ、拳銃使用の敷居はどんどん
低くなってきているようですね。
http://news.www.infoseek.co.jp/society/story.html?q=24yomiuri20060623i212
私なんかその所属長が率先して丸腰で突入しろと思いますね。賞を取れるのは
そうやってリスクした人だけですよ。
この丸腰突入の命令が下ってから心を決めるまでものすごく短時間ですよね。
淡々と述べられていますが、そこが一番すごいなと思いますね。もちろん、危険が
つきものの商売ですからある程度の心構えはあったのかもしれませんが、朝には
おばちゃんと立ち話してたぐらいですからねえ。なぜそんな勇気が出てくるのか
不思議です。
1537
:
Ken
:2006/06/24(土) 03:41:31
>>1533
>>1534
あちゃあ。またNGワード出ちゃいましたね。「偽善者」の言葉で
紫煙狼さんは筆をとる気がなくなったと思いますので、私が代わりに回答いたします。
まずかなりの曲解と自己矛盾が含まれていますよ。言ってもないことをでっち上げて
非難するのは議論を吹っかけるときの常套手段ではありますが。
「遺族は死刑になろうがなるまいが救われない」んだったら、そもそも死刑に
するかどうかを決める際に「被害者側の人権・立場や感情というのは全く考慮」
する必要はないんじゃないですか?私はそうは思いませんけどね。憎い相手が
この世界からいなくなる、二度と同じ罪を犯すことがない、と思えるのは遺族に
とってせめてもの慰めになりますし、これを代替する手は他にはなかなかないです。
ただし、日本の死刑制度はそうやって遺族感情を慰めるためにあるわけでもないし、
他の手段を整備して遺族を支援することが大事だというのが私の立場です。
次に『非人道的な行為だから、死刑は反対』から導かれる結論は、当然「“非人道的な
加害者”の行った殺人(のほうがずっと)非人道的」というものであって、それには
死刑賛否の立場は関係ないですよ。「“非人道的な加害者”の行った殺人は...
人道的」ってどんな脈絡ですか。死刑反対派は「「どんな理由があっても、人を
殺すのは非人道的」という観点から(意見を)発してる」んでしょ?
それから「姑息な犯罪者」は「「死刑になる・ならない」といった計算に基づいて
罪を犯す」という意見と秋田事件15の「愚かな犯罪者というのは、「嘘をつくと
どうなるか、人を殺すとどうなるか」といった先のことを考えたり、善悪を判断する
思考などない」という意見と明らかに矛盾しています。というか秋田の事件は
死刑には抑止力がないという見事な例ですよ。一人殺してもめったなことじゃ
死刑にならないですからね。姑息な犯罪者はそうするでしょうし、もっと姑息な
犯罪者はそもそも死刑が規定されていないレイプに走るでしょう。ですから、
犯罪の抑止は死刑や「『殺人は非人道的なのでやめましょう』と...世の中の犯罪
予備軍に呼びかけ」るといった不確かな方法に頼るのではなく、警察力や子どもを
しっかり見張るといった方法によって実現するべきだというのが私の立場です。
ちゃぼさんの意見には死刑でしか解決できないという問題が含まれているとは
思えないんですよね。逆に死刑に頼りすぎることによってかえって不具合が増大する
ということもありえると思うんですよね。
1538
:
P
:2006/06/24(土) 16:32:30
いわずもがな、全ての殺人(者)を同一視した意見は間違ってます。
犯罪者もそれぞれ人格が違う。犯罪内容や犯人像によって意見が違ってくるのは当たり前です。
それを“矛盾”と捉えるとは、呆れ。。。
呆れ。。。
1539
:
ちゃぼ
:2006/06/24(土) 21:48:05
>1537
>「“非人道的な加害者”の行った殺人は...人道的」ってどんな脈絡ですか。
そんなこと一言も書いてないんですが…。
『殺人という罪による死刑より、もっともっと非人道的なことが殺人』と書いてあります。
よく読むように。
それから
>死刑反対派は「「どんな理由があっても、人を殺すのは非人道的」という観点から(意見を)発してる」んでしょ?
違います。
「どんな理由があっても…」なんて、そんなこと一言も書いてないですよ。それはあなたの妄想..
殺す理由によって違う。殺人者が非人道的なのであって、
同じ殺すでも、例えば死刑を非人道的とは思っていない。私は、ですが。
なんていうか、Kenさんは
相手の書く内容の把握が適当すぎます。
ってか、内容よりも議論のための議論がお好きなようで^^;
(他の方に対しても…)ただ絡まれてる気がして、とっても書き込みにくいです。
今後、できれば私への返信は結構です。ご遠慮ください。
私は議論したいというよりも、つぶやきたいだけなので。
(迷惑ならもう来ませんが、同意される方がいれば、それはそれで嬉しい)
また、私が書き込むかどうかはわかりませんが(^-^ゞ
少なくともKenさんは、私をもし見かけたら読み飛ばしてください。
(他のみなさま、スレ違いの内容で失礼しました。)
1540
:
人間魚雷
:2006/06/25(日) 01:08:55
>>(迷惑ならもう来ませんが、同意される方がいれば、それはそれで嬉しい)
迷惑ではありませんよ。
誰と議論するのも、しないのも、つぶやくのも自由だと思います。
私もどちらかと言えばつぶやき型ですし、議論は苦手なほうでして。
ただ、Kenさんの書く事には勉強になることも少なくないんです。
特にアメリカ人の思考回路を知るという点で。
1541
:
もこみつ
:2006/06/25(日) 02:30:58
それは犯罪者の言い訳っぽいから?
1542
:
ちゃぼ
:2006/06/25(日) 13:28:20
みなさん、ありがとうございます。
>特にアメリカ人の思考回路を知るという点で。
>それは犯罪者の言い訳っぽいから?
その通り(笑)
『勝つためだけ』の議論は、犯罪者の言い訳に似てますね。
明らかに悪質な被告を弁護したがる弁護士も同じく
屁理屈を楽しんでるとしか思えません。
全く説得力はないんだけど、「よくそこまで平気で言えるな〜」と
呆れながら関心することは、、、あります。
弁護人は、犯人の心理に“シンクロできる素質がある”…ということかな。(これが怖い)
『何がなんでも勝たねばならぬ』=『死刑になってたまるもんか』と必死。
被告と弁護人が似てくるのは当たり前か。
1543
:
匿名希望
:2006/06/25(日) 15:13:55
屁理屈って第三者の立場から聞いてる分には面白いけど
議論で言い負かされても芯から納得させられたわけじゃないよね。
1544
:
紫煙狼
:2006/06/26(月) 01:08:32
はぁい、屁理屈コネの偽善者は元気ですよ(笑)
死刑賛成の人も、死刑反対の人も、死刑に値するような犯罪が発生しない世の中を望んでいるのは同じですよね?
「イヤ、凶悪な犯罪がドンドン増えて、片っ端から死刑にしていくような世の中が健全」
なんて思っている人、もし居たら、そういう人は別のサイトでお話してくださいね。
では、もし、死刑に値するような犯罪が発生しない世の中になったとしたら、
そもそも「死刑存廃論議」なんてのは意味を持つのでしょうか?
「形骸化していて死文化しているから、なくしてもいいんじゃないっすか?」程度の、
非常に軽いノリでお話しできる話題になってしまいますよね。
ってことは逆説的に「死刑が必要な世の中だから死刑存廃論議が白熱する」んです。
少なくとも今は、死刑は必要な刑罰なんです。
でも、私は死刑に反対していますよね?なぜだと思います?
馬鹿だから。議論に負けたのを認めるのがイヤだから。何にでも反対したい性分だから。
否、数十年後の日本を考えたときに、その時に未だ「死刑は必要な刑罰」という状況であったら、
「お前等の世代は一体何をしてきたんだ?」と次世代から凶弾されて仕方ないと思うのです。
ここで死刑反対の意見を書き込むと、死刑賛成の人達から、あらゆる指摘を受けますよね。
そして、その指摘を覆すような制度や方策を死刑以外に見つけることが出来れば、死刑は不要な制度になるんです。
ここを、死刑制度を続行させるという結論で思考停止させたくない、というのが理由の一つに挙げられます。
次に、教育のあるべき方向や世論の向きを自由に操作できるだけの力を持った国家というモノ相手に、
我々国民の監視というのがどれほどの力を持っているのか、疑問視しているという面もあります。
国家権力ってのは、その気になれば冤罪を頻発させることも出来るし、時間をかけて日本を軍国主義国に
逆戻りさせることも出来るのです。確かに、警察と司法当局が協力して無実の人を冤罪に陥れるなんて
想像する方がおかしい、そりゃ杞憂ってものかもしれません。しかし憂いて過ぎるという問題でもないでしょう。
どういう教育を行っていたものか、なぜそこまで暴走してしまったのか、私なんてのは非常に理解に苦しむ
のですが、当時既に民主主義の考え方が広く浸透していたはずのドイツは多くのユダヤ人を虐殺したんです。
自由と民主主義の国アメリカにも、政治的思想の異なる者を弾圧するレッドパージは着々と進められたのです。
と、なれば、死刑なんて危なっかしい制度を国家に持たせておいて大丈夫なの?という心配も沸くでしょう?
民主主義国日本が同じ轍を踏むわけはないと、誰が言い切れますか?
と、言うわけでね、死刑賛成論者は死刑廃止論を「感情的で馬鹿げている」という一言で片付けて欲しくないし、
死刑廃止論者は死刑賛成論を打ち負かすことではなく、廃止するに当たって必要なことを一緒に考えてもらう事に
心血を注いで欲しいのね。平行線に見えていても「次世代にどんな社会を残すか」という責任さえ忘れなければ、
喧嘩別れの時間の浪費にはならないはずですよ。ええ。私はそう信じていますよ。だからね、屁理屈といわれようが、
偽善といわれようが、犯罪者の言い訳といわれようが、今はじっと我慢なんですよ。
内心穏やかじゃないですけどね(笑)
1545
:
loveless
:2006/06/26(月) 22:14:32
>>1544
国家が個人を死刑にかけるというのと、死刑そのものの存置は
直接は関係ないことのように思います。
現在の刑法において、国家に対する罪で死刑になるのは、内乱、外患に関する
罪くらいです。そして、これらの罪が適用されることもほとんどありません。
(オウム真理教くらいはこの罪に該当しても良さそうですが。。)
日本において死刑が執行されるほとんどすべての理由が、殺人などの一般犯罪
に対する行為です。
#つまり、被害者が必ずいる犯罪行為。
ファシズムを警戒するのならば、死刑や刑罰の過重を気にするよりも、
最近話題の共謀罪など、その法律が国民生活にどれだけ影響を与えるか
ということを気にすべきかと思います。
1546
:
紫煙狼
:2006/06/26(月) 23:23:48
私の主張が少し妄想がかっているという面を否定する気はありませんが…。
>日本において死刑が執行されるほとんどすべての理由が、
>殺人などの一般犯罪に対する行為です。
未来永劫この状態が続くと信じてよいのでしょうか?これは今の話ですよね。
そして、私は「今は死刑が必要だ」と認めていますが何か矛盾していましたでしょうか?
>#つまり、被害者が必ずいる犯罪行為。
国家が邪魔者を排除するに当たって国家に対する罪を適用する必要はないわけで、
被害者を出せばいいんですよね。連続殺人事件の容疑者が邪魔者なら都合が良いですね。
最後に
>ファシズムを警戒するのならば、死刑や刑罰の過重を気にするよりも、
>最近話題の共謀罪など、その法律が国民生活にどれだけ影響を与えるか
>ということを気にすべきかと思います。
必ずしもファシズムを警戒しているわけではないのですが、このスレは死刑を考えるスレですよね?
死刑を考えるスレでファシズム状況下における死刑の恣意的運用を危惧する発言をすることが、
死刑を考えるスレで共謀罪など他の法律制度の話をすることより間違っているとは思えないんですが、
そのあたり、いかがなもんでしょうね?
1547
:
a
:2006/06/28(水) 02:04:05
私は死刑が一番緩い判決だと考えている
1548
:
紫煙狼
:2006/06/28(水) 02:48:29
>>1547
もう少し詳しく教えていただけませんか?解釈の仕方にちょっと迷っています。
1.ある程度、死の恐怖を味わう時間を与えることはできるが、執行されて死に至るまでの時間が短いため、
死ぬ苦しみを充分に味あわせているとはいえない点で「緩い刑罰」でしかないと考えている。
2.懲役刑などは何年間収監するか等の要素も考えて出さねばならない。無期懲役でさえ、やがて囚人が
社会に出るということを考えて下さねばならないが、死刑の場合はその手の心配がないため、
裁判官にとって条件さえ揃えば、悩む要素が少ない判決であるから「緩い判決」であると考えている。
他にも解釈の仕方はあるのでしょうが、上記の2つの解釈は、以前、耳にしたことがありまして…。
aさんの文章だと、どちらの解釈も可能なんですよね。(両方って解釈もありますね。)
もっとも、上記のどちらが正解だったとしても、私的には「そういう面は確かにありますよね」しか言えないんですが(^^;
1549
:
もか
:2006/06/28(水) 16:22:11
私も死刑反対者ですよ、紫煙狼さん。随分前に死刑反対という書き込みをしたら、えらく批判されて、貴方のように賛成派を喝破できるほどの文才もなく、しばらく書き込みも控えてました。私は冤罪で死刑執行されたらどうなるの?という単純な理論だったんですが。日本の警察も信頼できると言い切れない所があるし、透明性もないし(スキャンダルは隠してしまう)。貴方の論戦を影ながら応援してます!
1550
:
ポーロック
:2006/06/28(水) 23:31:37
冤罪の問題は何も死刑に限った話ではないですよ。
不幸なケースはあるかもしれないが、それでもって死刑そのものを
否定するのは早計。
1551
:
人間魚雷
:2006/06/28(水) 23:43:31
冤罪がありうるから死刑を廃止する・・・というのは論点のすり替えではないでしょうか?
と思わざるを得ません。
冤罪がありうるから、警察の捜査方法、取調べ方法の近代化と、
司法との癒着などを改善する必要がある。
そして、刑法の改革と同時に死刑廃止の方向に向かうべきではないかと。
1552
:
すがり
:2006/06/29(木) 00:02:14
被害者の立場から考えたら死刑賛成だけど、
国が人の命を奪うのは・・・って感じ。
初めから死刑目当てで犯罪起こす人間だって少なくとも居ると思いますし。
1553
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 00:17:37
>>もかさん
警察は信頼できないし、透明性もありません。
これはごもっともであります。
そのダメ警察を変えるのは我々国民でなければなりません。
>>すがりさん
その「国」というのは「国民」を意味しているのだと思います。
1554
:
Jackal
:2006/06/29(木) 00:25:49
いくら警察の捜査方法、取調べ方法の近代化と、司法との癒着などを改善した
としても、所詮人間のすること、冤罪はゼロにはならない、という命題が真ならば
冤罪があり得るから死刑を廃止する、というのは論点のすり替えにはならない
のではないでしょうか?そしてその命題は限りなく真であるように思います。
1555
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 00:42:47
>>Jackalさん
その論理ですと、人間のすること全てに当てはまってしまいます。
そして当然、仰るように限りなく真でありましょう。
私の勉強不足をお許し頂ければ、過去に冤罪で死刑執行された例はあるのでしょうか?
ありましたらお教え下さい。
1556
:
Jackal
:2006/06/29(木) 01:06:35
人間魚雷さん、こんばんは。
>過去に冤罪で死刑執行された例はあるのでしょうか?ありましたらお教え下さい。
申し訳ありませんが、私も具体的に存じている訳ではありません。
平沢貞通氏などは、執行こそされませんでしたがお尋ねのケースに該当するのでは
ないかと存じます。勿論冤罪だという証拠が在るわけではありませんが。
1557
:
ポーロック
:2006/06/29(木) 17:26:06
法務省は冤罪が疑われるような事例に関しては執行を遅らせる。
一種の安全装置として働いています。
1558
:
P
:2006/06/29(木) 20:15:26
1956年
死刑廃止か存続かをめぐって国会で死刑制度の是非について論議されたが
このとき、法務省が死刑を維持する理由として
「特殊な極悪人が世の中にはおり、淘汰する以外にない犯罪者がいるのだ」と。
1559
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 20:47:52
Jackal さん
「論点のすり替え」というのは、確かに適切な言い方ではなかったかもしれません。
冤罪がゼロにはならないでしょう。
ただ死刑や無期懲役の重大殺人事件におきまして、
警察が自白重視の取調べを脱却し、絵空事の調書を書くのを止め、
取調べに弁護士が同席し、ビデオに記録する。
これが叶えば、冤罪は限りなくゼロに近づくでしょう。
1560
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 21:24:42
狭山事件では死刑から無期懲役になりましたが、
無罪を訴えたゆえに31年もの月日を石川さんから奪い取りました。
罪を認めると20年そこそこで出てこられたものが、
冤罪で31年・・・・・
なんとも納得が出来ません。
1561
:
Jackal
:2006/06/29(木) 22:29:58
>>1559
,1560
人間魚雷さん、ご指摘、仰る通りだと思います。
私も警察の思い込み捜査を目の当たりにしたことがありますので、彼らの発表を
鵜呑みに出来ない傾向があります。一日も早く
>>1559
のような状況が生まれる
事を祈ります。石川さんの悲劇、平沢さんの悲劇を思うと本当に遣りきれない思
いがします。
死刑制度に関しては、私は反対の立場です。冤罪があり得るから、という理由で
はなく、国家に合法的殺人のメカニズムを与えるのを嫌悪するからです。その意味で
は紫煙狼さんに近い位置にいます。ただ、一方で私は刑法に関してはハンムラピ法典
を支援しています。幼女を風呂場で溺死させた犯人は風呂場で溺死の刑に処され
るべきだと思いますし、ぼこぼこにした上、生き埋めにした犯人は同じように
ぼこぼこにして生き埋めにされるべきだと思っています。その観点では死刑はプラス
の意味合い持っていますが、国家に合法的殺人のメカニズムを与えるという観点
ではマイナスの意味合いを持っていて、それらを合計すると私には結果がマイナス
になるので反対という結論に至ります。
>>1553
で「国」は「国民」を意味している
と仰っておいでですが、あの知恵遅れの宰相を戴く政党が圧倒的過半数を得てし
まう国ですので、このまま行くとあっという間に、治安維持法の世界が再び訪れるだ
ろうと危惧するものです。現に香庵がネットにもうろうろしているようですし。
1562
:
人間魚雷
:2006/06/29(木) 23:34:31
>>あの知恵遅れの宰相を戴く政党が圧倒的過半数を得てし
>>まう国ですので
そういうことですね。
こういう話はK氏の呼び水になりそうですが、w
私は羽村市民ではないので、羽村市法典はよく知りませんが、
まったく理にかなっていますよね。
それを言うならまさに「コンクリート事件」の犯人共を
同じ目にあわせてやりたいです。
>>「特殊な極悪人が世の中にはおり、淘汰する以外にない犯罪者がいるのだ」と。
法務省の発言としてはちょっと稚拙ですが、私はこの考えに反対ではないですね。
1563
:
はつねこ
:2006/06/30(金) 15:12:14
私は死刑制度は必要と考えます。なぜならば、無期懲役はすぐに出てこられる。
(重大な犯罪を犯した者に対し、縛られる十数年を長いとは思いません)し、
そうではければ、今の日本には死刑しかないからです。終身刑とか、懲役300年
とかが、ないからです。
ただ、冤罪による死刑によって殺される無実の人のことを思えば死刑は危険な
刑であるとも思われます。
自分で書いておいてなんですが、万人にとっても一人にとっても正しい答えな
どというものは出てこないのでしょうね。
>>「特殊な極悪人が世の中にはおり、淘汰する以外にない犯罪者がいるのだ」と。
私もこれには賛同します。
1564
:
ポーロック
:2006/07/02(日) 00:54:52
何度も申し上げているように確実な再犯防止策が死刑です。
一旦、執行すれば再犯を心配しなくてもいいのは大きな魅力です。
1565
:
P
:2006/07/02(日) 02:21:42
>再犯を心配しなくてもいい>大きな魅力
そのとーーり!パチパチパチ
国民はその<安心感>が欲しいのよっ!
1566
:
神楽
:2006/07/02(日) 04:54:14
私は死刑制度に賛成です。
私は性善説論者ですから、基本的に人間は生まれた時には善であると考えます。
勿論、生物学的な機能の欠陥等から精神的異常をきたす、という例外はあるでしょう。
そういった特殊事例を除いてみた場合、多くは後天的な原因が犯罪へと走らせます。
簡単なものでは金銭的問題、深い面では幼少時のトラウマから精神的疾患等。
従って社会構造によって犯罪を減らす事は可能であると考えますが、無くす事は不可能です。
同時に私はマキャベリストですから、目的を先に設定するべきだと考えます。
法律、この場合、死刑という罰が存在するのは、社会を維持する為との前提に立っており、
決して人権思想や、理想主義から生まれたものではないと主張します。
つまり、社会を維持する「契約」或いは「強制」として罰則は存在しています。
従って法律を破った者に対しては罰則を与えねば、法律の強制力は消滅します。
それは、罪状に対する罰則が軽すぎる場合も同様であると考えます。
以上を踏まえ、私の中では罰金や禁固刑と死刑の間に明確な区別は存在しません。
死刑に対して、死刑とは重罰である、という認識以外を持つ必要性を否定します。
本質的には、罰則は「社会運営に適合しているか否か」のみによって考えるべきです。
つまり、最重罰が死刑である事が、重すぎるか否か”のみ”から判断すべきと考えています。
それを踏まえたうえで私は、死刑という存在を一切否定しません。
例えば、窃盗で死刑では重罪過ぎるでしょうが、現行法の死刑の適用範囲は、
概ね適合している、むしろやや軽いくらいであると考えています。
そして槍玉にあがる冤罪ですが、私はこれにも問題を感じません。
冤罪とは法律適用の上で発生する「やむを得ぬ犠牲」であり「当然のリスク」です。
が、同時に日本は民主主義国家ですから、本質的には、法律も国民が制定したものです。
その法律に拠って生活している以上、国民全員が冤罪に対して責任を持つべきと考えます。
(ただし、この点の明確な条文化の必要性に関しては、私はまだ答えを出せてはいません。
国民全員に冤罪の可能性がある、という意味においては責任の一種かもしれませんが…)
従って、私はその責任の一端を背負う事を厭わぬべきだと主張すると同時に、
冤罪を理由とした死刑の撤廃というものには反対します。
同時に言及するのが、国家に対して限定的殺人権を付与する事に対する是非です。
私は、これは「国家に合法的殺人のメカニズムを与えている」とは考えません。
むしろ、国家には「人を殺す権利」は無くとも、「人を殺す義務」が存在します。
厳密には「法律を厳格に運用する義務」が存在していると考えるべきであって、
国家には、国民に対して刑罰(死刑)を執行する義務を背負っています。
従って、「死刑を執行にサインしない」と宣言する法務大臣など、言語道断です。
死刑の執行とは、究極的には国民によって犯罪者の命を奪う事で、罪を許す行為です。
日本が民主主義国家であり、国民によって法律が制定されている以上、
法律は厳格に適用すべきであり、国民は等しく法に対する責任を背負っており、
尚且つ、罰則を消化した罪人に対しては、一切の罪を問うべきではありません。
以上の観点から私は、究極的刑罰の一種として死刑を認めるべきと考えておりますし、
同時に、死刑が存在する以上は厳格に死刑を運用すべきであると主張します。
以下、少々脇道にそれたレスを。
>あの知恵遅れの宰相を戴く政党が圧倒的過半数を得てし
>まう国ですので、このまま行くとあっという間に、治安維持法の世界が再び訪れるだ
>ろうと危惧するものです。現に香庵がネットにもうろうろしているようですし。
彼方は、小泉を支持した「国民」と自分が、別の存在だとか思っていませんか?
あの馬鹿ライオンヘアーが大臣になろうと、治安維持法が可決されようと、公安がネットを監視していようと、
民主主義である以上、たとえ反対票を投じたところで、彼方には責任の一端が存在すると考えるべきです。
そういう他人事であるかのような論調は、あまり感心出来るものではないと思いますよ。
蛇足かもしれませんが、一応、気になったもので。
1567
:
神楽
:2006/07/02(日) 04:56:55
追記。
「冤罪」の件ですが、冤罪を減らす努力を否定する訳ではありません。念の為。
1568
:
Jackal
:2006/07/02(日) 09:14:24
>>1566
別の存在だとか、責任がないとは考えておりません。アホらしいと思う法律も日本人
として守っていますし、税金も納めています。どの部分が神楽さんに、他人事である
かの印象を与えてしまったのか判りませんが、他人事であれば「危惧」をする必要も
あまりないでしょう。
>本質的には、罰則は「社会運営に適合しているか否か」のみによって考えるべきです。
運営の方向性を決めている実体は何なのか、と言う点にも思いを馳せる必要がありま
しょう。社会運営の在り方が変わった時に、「適合していないから変えよう」という
ことができれば良いのですが、「茶色の朝」が来てしまってはもうどうしようもない、
というのがこれまでの事例の示すところです。国民が憎悪の叫びをあげて冤罪で絞首
刑となる自分を祝福してくれる時に責任の一端を背負える喜びを恰もムルソーの様に
感じられるか、ということもありますが、無実の人々が茶色くないという理由で次々
に殺されるとしたら、その責任を負うことは恐らく誰にも出来ないでしょう。
(追)馬鹿ライオンヘアー....なるほど。ちょっと語呂が悪いかも。
1569
:
神楽
:2006/07/02(日) 13:07:26
>>1568
彼方の述べるその論は、私からは的外れであると言うしかありませんし、
「死刑」が悪用される可能性があるから廃止せよ、とは私は考えません。
もちろん、これと同じ論は近くに存在しており、銃刀法違反等もそれらの一種でしょう。
しかしこれは、銃刀が他人に多大なる危害を加える可能性が存在すると同時に、
これらの武装が、一般的に存在する必要性が存在しないから、でもあります。
つまり、リターンに対してリスクが大き過ぎるから禁止されると考えて良いと思われます。
もっと極端な話をすれば、「茶色の朝」という状況下においては、死刑が存在せずとも、
いずれ死刑は制定され、無実の人間が次々と殺される事になるでしょう。
最悪の場合「死刑」が制定されずに、国民自身の「私刑」によって殺される事もありえるでしょう。
それは「死刑」に原因があるのではなく、「茶色を選択した国民」に原因があるのです。
「運営の方向性を決めている実体」は、日本においてはあくまで国民自身です。
例えそれが、一部の人間による扇動の結果であろうと関係ありません。
「茶色の朝」という状況下においては、死刑の存在云々は何ら関係がありません。
死刑が無くとも「茶色の朝」はやってきて、いずれ国民自身の首を絞めます。
この点に関してはこれ以上の答えを私は持ちませんし、あまり議論する必要性を感じません。
これ以上行くと民主主義とは何か、という会話になってしまいますので。
1570
:
罪と罰
:2006/07/02(日) 13:41:48
死刑制度を考えるにあたりましては、その議論には複数の次元があるのでは
ないのでしょうか。
一つの議論の次元としましては、「死刑制度」の是非・存続廃止を論じる
にあたり、
国際条約や憲法・法律(国家法)との関係を離れて、「死刑制度」や
「死刑という刑罰一般」を論じる議論があると思います。
その議論においては、「死刑」という刑罰を定めた法律(国家法)が
条約や憲法に抵触するかを論じたり、具体的な法律に定められた
死刑という刑罰の是非を論じるのではなく、
「死刑制度」全般を抽象的に論じたり、その是非を哲学的・宗教的に
思考したり、国会で制定した法律以外の規範(たとえば、聖書の「律法」等)
との関係を問題にしたりすることになるのではないのでしょうか。
もう一つの議論の次元としましては、
具体的な国家において制定された法律における「死刑制度・死刑という刑罰」
の是非・存続廃止を論じる議論があると思います。
その議論におきましては、国家法としての法律を制定するにあたり、
「死刑」という刑罰を選択することの是非や、
すでに制定されている法律における「死刑」という刑罰を存続させるか
廃止するべきかを論じることになると思います。
後者の次元の議論の場合は、たとえば、日本における死刑制度を論じる場合、
日本か批准している条約や日本国憲法との関係で、死刑をさだめた法律を
制定することの是非や、既存の法律に定められた死刑という刑罰の存続か
廃止かを論じる必要があると思います。
その意味で、神楽さんのご意見は、失礼ながら、上記の異なる次元の議論を
いっしょにされている面がおありになるのではないのでしょうか。
神楽さんは、
「そして槍玉にあがる冤罪ですが、私はこれにも問題を感じません。
冤罪とは法律適用の上で発生する『やむを得ぬ犠牲』であり
『当然のリスク』です。が、同時に日本は民主主義国家ですから、
本質的には、法律も国民が制定したものです。〜
従って、私はその責任の一端を背負う事を厭わぬべきだと主張する
と同時に、冤罪を理由とした死刑の撤廃というものには反対します。」
とされますが、
死刑という刑罰を定めた法律を「適用」することにより生じる
冤罪の「犠牲」や「リスク」が、
まさに「やむを得ぬ」ものであり「当然」であるかどうかを
条約・憲法との関係で考えなければいけないと思います。
また、神楽さんは、
「〜、厳密には『法律を厳格に運用する義務』が存在していると
考えるべきであって、国家には、国民に対して刑罰(死刑)を
執行する義務を背負っています。
従って、『死刑を執行にサインしない』と宣言する法務大臣など、
言語道断です。〜」
とされますが、
国会が制定した法律を裁判所が適用した結果、死刑判決が出され、
その判決を行政機関である官庁や公務員である法務大臣が執行するのは、
裁判制度や「法律による行政」の原理原則の帰結にすぎないのでは
ないのでしょうか。
1571
:
Jackal
:2006/07/02(日) 17:51:55
>>1569
はい、私は、
>>1561
で述べましたとおり、「死刑は悪用される可能性があるから反対」 、の立場です。
(正確には、国家が合法的に殺人を犯す道具になり得るから)
> もっと極端な話をすれば、「茶色の朝」という状況下においては、死刑が存在せずとも、
> いずれ死刑は制定され、無実の人間が次々と殺される事になるでしょう。
そうですね。茶色の朝が来てしまってはもうどうすることもできませんね、一旦破滅する以外には。
ただ、茶色の朝はある日突然訪れるものではなく、徐々に徐々にやって来るものです。その過程で
死刑が恣意的に使われ得ることも懸念をしています。
>「運営の方向性を決めている実体」は、日本においてはあくまで国民自身です。
> 例えそれが、一部の人間による扇動の結果であろうと関係ありません。
国民が責任を負わないか、といえばそうではありませんが、やはり煽動者がより重い責任を有する
ものと思います。確かにこれ以上の会話はスレ違いになりますね。どこかで機会あれば宜しくお願
いします。
1572
:
神楽
:2006/07/02(日) 20:30:43
>>1570
私は、死刑制度を哲学的、抽象的に考えているつもりはありません。
基本的には、可能な限り実利的、現実的名な面においてのみ考えています。
もしそう見えていなかったのなら、申し訳ありません。
哲学的、抽象的な発想から行けば、私は賛成も反対もしません。
それは誰一人他人の手によって命が奪われて欲しくない、と願うからです。
が同時に、遺族や社会における感情も考慮する事も忘れられませんから、
哲学的、抽象的には白黒の分かる答えを出す事は難しく、中立的な意見しか出せません。
>死刑という刑罰を定めた法律を「適用」することにより生じる冤罪の「犠牲」や「リスク」が、
>まさに「やむを得ぬ」ものであり「当然」であるかどうかを
>条約・憲法との関係で考えなければいけないと思います。
私はこの点に関しては、一切問題が無いと考えています。
私は「死刑」を特別視して別格として扱うといった発想は基本的にありませんから、
罪状に対して死刑が重過ぎるか否かのみにしか、思考すべきではないと考えます。
ただ、死刑を問題として指摘する条約等を批准していた場合、それを守る事は当然だと考えます。
私としては、法の下に平等である、という憲法を最も重視しております。
従って私にとっては「死刑」における「冤罪」「リスク」という存在は、
その他の罰則に対するに対する「冤罪」「リスク」と何ら変わらないと考えております。
つまり、罪状とセットで思考しない限りは、死刑存続の是非は考えられない、という立場です。
>その判決を行政機関である官庁や公務員である法務大臣が執行するのは、
>裁判制度や「法律による行政」の原理原則の帰結にすぎないのではないのでしょうか。
私が述べているのは、制度の是非ではありません。
「死刑執行にサインしない」と宣言した法務大臣の存在についてです。
死刑制度に反対であるから、サインしないという主旨の発言だったと記憶しています。
ですから、そういった意味でのサイン拒否は大いに問題がある、という意味です。
死刑執行の最終権限が法務大臣、乃至官庁にある事自体には反対も賛成もしません。
>>1571
>死刑が恣意的に使われ得ること
これはやはり、「死刑制度」そのものに問題があるとは考えられません。
死刑を悪用するのも人間なら、それを阻止する事も人間です。
現行制度を改革し、死刑制度における悪用を阻止する新たな手段は必要かもしれませんが、
それ以上の必要性は感じませんが、どうでしょうか。
もう少し、具体的な、悪用例を提示してみては頂けないでしょうか?
それらの「悪用と云うリスク」が明確になれば、問題の明暗が明確になると思います。
1573
:
Jackal
:2006/07/03(月) 21:26:45
残念ながら私は民主主義であっても国家権力が必ずしも真の民意を反映するものとは考えて
いません。公開若しくはリークされる情報が著しくフィルターされているからです。
>「運営の方向性を決めている実体」は、日本においてはあくまで国民自身です。
> 例えそれが、一部の人間による扇動の結果であろうと関係ありません。
この主張が成立するためには、国民が為政者と同じ情報を持ち得るという前提が必要なのです。
従って
>死刑を悪用するのも人間なら、それを阻止する事も人間です。
>現行制度を改革し、死刑制度における悪用を阻止する新たな手段は必要かもしれませんが、
これも恐らく無理だろうと考えます。
尚、事例としては、日本国内であれば、幸徳秋水事案、朴烈事案などのケースが分かり易い
かも知れません。海外に目を向ければ、ドイツ、ソ連などにゴロゴロ転がっていると思います。
(朴烈事案については金子ふみ子の獄中手記がお勧めです。この当時はまだまだ茶色の朝では
ありませんでした。)
1574
:
ポーロック
:2006/07/04(火) 12:06:17
では、麻原や福田のような犯罪者をどのように処遇すべきなのかを
お答え願いたい。
場合によっては死刑もありです。ただし、安全装置を設定する事は
必要だと思いますけど。
1575
:
Jackal
:2006/07/04(火) 22:46:47
>>1574
>では、麻原や福田のような犯罪者をどのように処遇すべきなのかをお答え願いたい。
現時点で答えるならば、死刑を以て処するべきでありましょう。
ただ、10年後に同じ質問をされたら、その時には違う答えをする可能性があります。
(そのようは世界はぞっとしますが)
死刑制度そのものに対する安全装置は、冤罪等による執行を防ぐためにはあった方が
良いのは自明ですが、国家権力の前には無力かも知れません。
最良の安全装置は、"私を含め" 国民みんなが知的レベルを上げる努力をすることであ
ろうと思っています。(ライオンヘアーなどがチョロチョロせぬよう!)
ただまあ、September-11 (2005) の様なイベントに遭遇しますと、どうしようもない
無力感に襲われますね。
1576
:
紫煙狼
:2006/07/05(水) 00:17:50
神楽さん
>冤罪を減らす努力を否定する訳ではありません
この前提条件は私も同一の見解です。冤罪は死刑にのみ関係する問題ではありません。その上で、
>冤罪とは法律適用の上で発生する「やむを得ぬ犠牲」であり「当然のリスク」です。
冤罪事件というのは「罪のない人が謂れの無い刑罰を受ける」というだけのものではありません。
「罪のない人が謂れの無い刑罰を受ける」ことで「罪のあるものが、のうのうと暮らす」という
二重の矛盾を内包しています。
「罪のあるものが、のうのうと暮らす」ことはリスクとして受認できても、
「凶悪犯と思しき者が死刑にならない」ことを受認することが出来ない理由は何でしょうか?
1577
:
紫煙狼
:2006/07/05(水) 00:21:24
>>1574
>>1575
現行法制に於いて、無期懲役が終身刑ではない以上、二度と社会に出さないためには、
死刑以外の方法がない、という面で麻原や福田を死刑に処すのは仕方のないことです。
しかし、社会からの永久隔離ではなく、死刑でなければならない理由は何でしょう?
1578
:
Jackal
:2006/07/05(水) 22:03:16
>>1577
>しかし、社会からの永久隔離ではなく、死刑でなければならない理由は何でしょう?
己が欲望を満たすために人の命を弄んだのですから、その命は弄ばれなければならない
というのが同害報復の原理に基づく結論と考えるからです。
但し、先にも述べました通り、私は死刑制度に断固反対をしています。終身刑が整備さ
れれば、死刑でなく終身刑に処されるべきだと思います。そうすれば、本来死刑にすべ
きでない人を救い出せる可能性が僅かでも生まれるからです。
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