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うろちいからのお知らせ
185
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/07(日) 22:50
>>183
付記となります。
「相手の視点から自説を点検することが、客観視するということだ」と猫氏はのべておられましたね。
相手の視点を共有するということは、相手の立場、利益、要望、譲れない事情を全て理解するということと同義語です。
つまりは、まず「相手の主張をよく理解すること」が、相手の視点に立つための準備となります。
相手の主張をよく理解することが実現されているかどうかは、「自分なりの理解を相手に示し、相手がそれに同意する(相手の担保によって自分の理解が保証される)」によって初めて「理解した」と言えるものです。
私は猫氏の視点に立つにあたって、猫氏の主張をよく理解しなければなりません。
文献を当たることはもちろんですが、猫氏が結局どうしたいのかをよくよく検分する努力を重ねています。
対して、猫氏はどうでしょうか。私の視点をよく理解できていますでしょうか? これまでのところ猫氏が私に対して(ヤツス宛に誤記なさっているものも、一応私宛としましょう)評しているもののうち、私の考えと同一である、と同意できるものはあまりありませんでした。
つまり、私からの保証がない限り、猫氏も私の視点を共有できていないことになりますし、猫氏が言うところの「相手の目を通す」ことも、「相手の目を通して猫氏自身を見る」という客観視も、およそ実現できていないということになりましょう。
これについて猫氏は「自分にはできている」とお思いでしょうか?
186
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/07(日) 22:59
>>184
8回目ですよ。ヤツスではなく「ヤスツ」です。
言われるまでもなく、私は猫氏の論理根拠を考察しているのです。
あなたの言い分を理解しなければ、あなたがナニを怒っているのかもよくわからないでしょう?(^^;)
また、あなたの視点に立ち、あなたの論理根拠を考察し、それの上に立って疑問と反論を組み立てているということは、あなたは自説が持つ誤謬を改めなければならないということでは?(^^;)
私の論理根拠があなたの説の上にあり、あなたの説に基づくとあなたの希望通りの結論にならないのだとしたら、あなたの説に問題があるということでしょうね。
それと、絶対にやると思っていましたが、私は宗教に対して批判的ではありませんよ(^^;)
これは意図的かつ戦略的な誤読で、相手を自分の論理根拠の下位に置こうという戦術ですか?(^^;)
私は宗教が大好きですから(笑)、そこのところはお間違いなく。
「人の内面を癒すための存在としての宗教」及び「人の集団に規律や秩序をもたらすための存在としての宗教」、そのいずれも機能と目的を高く評価しているんですよ。
人によってそれが「必要な人」と「不要な人」がいるということも含めて。
日本人が「無宗教」というのも猫氏の不勉強に過ぎません。「信仰」と「宗教」の区別が説明できますか?
日本人は、これで案外「信心深い」んですよ。単に方向性の問題だけでして。
ともあれ、「宗教」と「信仰」の違いについての理解がないと、そのあたりを攻めていくのは自殺行為になりますよ(^^;)
旧来の法や慣習、道徳規範を塗り替えていくというのは、つまりは結局は、「新しい法と慣習と道徳規範を作って、これを強要する。または同意を促す。それによって、旧来から新しいものへ変質させる」ということですよね。
「強要する」のですか?
「同意を促す」のですか?
今のところ、猫氏の主張について、「慣習」や「法の変更」を求めるほどの同意は集まっていますか?
集まっていないということは、「猫氏の主張に対する同意を【強要】する」ということでしょうか?(^^;)
187
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/07(日) 23:05
>>184
ある意味、やっと私が「重要ですよ」と繰り返し助言している点に繋がってきたかな、とも思うのですが……
猫氏が考える「新しい法、慣習、道徳規範」が、旧来のものより優れているのだと【仮定】しましょう。
では、それを、旧来の法、慣習、道徳規範に準じている人に対して、どのように伝えるのですか?
新しい法、慣習、道徳規範に同意しない人には「強制」ですか?
強制された人は、必ず不満を抱くでしょうね。もちろん、そのようにして作られてきた法や、法の規制によって生まれた慣習、道徳規範はいくらもあるでしょう。ですから、「今までと大して変わらない結果」しか得られないような気がします。
「同意を促す」のだとしたら、どのように?
少なくとも、猫氏のやり方では、「目の前にいる批判的な対立論者」をすら、自分の陣営に引き入れて仲間にすることができていないように思えます。
サイレント・マジョリティは「反論しないから全て味方」でしょうか?
このところ、議論に少しずつ参加しつつある方々(例えばもともとウォッチャーだったスレ汚しの匿名希望氏他の方々)は、意見表明として「猫氏の言い分がよくわからない」がほとんどですが……。
「全くその通りです。猫氏は本当に正しい。すべて反芻して、自分の言葉で彼の主張を説明できます」
という方は過去に出ましたか?
また、平和学を根拠に説明や主張をなさってきた方々で、猫氏の主張に同意なさっている方には誰がいますか?
私には、「目に付かない」んですが。
188
:
三毛猫ナナ
:2003/09/07(日) 23:07
>>ヤツスさん
貴方の視点を理解したいからこそ貴方の論理根拠を示す様に
要求しているのです、それを拒否しているのは貴方です。
なぜ答えないのですか?
貴方は私の主張を理解したいといいながら、結局は当事者の
立場ではなく第三者の立場で語っています。
ぼーん氏が貴方のことを『人の話を都合のよいようにすり替
えて叩く』と評されているのはそのことです。
『平和』とは『暴力の欠如』です。
つまり『消極的平和+積極的平和』をもってなされるのです。
構造的暴力が戦争の原因である以上、どちらか一方ではなく
両方併用にして考察する必要性があるのです。
189
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/07(日) 23:08
>>184
「同意を引き出す説明の仕方」という点に限れば、猫氏の能力は突き放しており、十分ではないと思います。それは、猫氏の賛同者を増やすことに繋がっていません。
私がそのことを指摘し、それを猫氏が改善した場合、猫氏の主張を理解して同意する「賛同者・支援者」がもう少し増えるかもしれません。
そうなれば、私の助言に基づいて利益を得る(自説に対する賛同者を得ることを、この場合の「利益」としましょう)のは猫氏ですよ。
なぜそうしないのでしょうか?
190
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/07(日) 23:18
>>188
9回目ですね。「ヤスツ」です。「yasz」でもいいですよ?(^^;)
ぼーん氏が私のことを「人の話を都合のいいようにすり替えて叩く」と言っているのは、別の理由だと思いますよ。
「聞いた話のうち、自分に理解できた部分を示す。または、最悪の条件を考慮して、最悪の事態を仮定して元の主張を適用してみる。その最悪の事態に対処できる主張かどうかを持って、元の主張を批判しているが、何分例えが極端である。極端をもって基本論説を否定するようなやり方は酷い」
たぶん、こうではないかと……(^^;)
ぼーん氏ご自身の意図が不明なので、「自分はきっとこう見えているだろう」ということを仮定して述べましたが、ぼーん氏の意図と異なっていた場合は陳謝したいと思います。
「(積極的)平和」とは、「構造的暴力(=貧困と無秩序)がない状態」ですよね?
「消極的平和(戦争のない状態)」+「積極的平和(戦争以外の暴力がない状態)」 というか、
「消極的平和の成立」 → 「消極的平和の成立を踏まえた上での、積極的平和の成立」 でしょ?
まず「消極的平和」という前提がなければ、「積極的平和」の構築は不可能では?
そして、何度も言うようですが、「構造的暴力(=貧困と無秩序)の解決」について、もっとも有効な手段を長年研究し、実践してきているのは「宗教」ですよ。
それはおわかりですよね?
そして、それらの宗教が「複数存在すること」「相互に対立する素因となっていること」もまた、「対立の原因」となり、対立を解消する根拠としての「暴力の行使の容認」にもなっています。
宗教が複数あっては解決できない「貧困と無秩序」を解決するには、それらの宗教の上位に位置する別の宗教(か、それに類するもの)が必要になるでしょ?
しかし、宗教は(本来は)「強制」ではなく「同意」で広まる(信徒を獲得する)ものなので、あなたは既存の宗教より上位に位置する宗教(もしくはそれに類する貧困と無秩序を解決できる概念)についての説明をし、それに同意を得なければならない。
と、私は述べているのですが。
191
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/07(日) 23:26
私は、貧困を解決するために「喜捨、寄付、寄進」といった概念を教義に盛り込んだり、富の再分配のためのマネー・ロンダリング組織として教会や寺を制定したり、無秩序(犯罪)を滅するために、「神罰、仏罰、祟り」という概念を作って、人間の共同生活(=社会)の安定に寄与するという、宗教の「効能」については高く評価しています。
また、「社会」の貧困と無秩序だけでなく、「個人の内面」を癒すための哲学としての「宗教」の効能についても、別段批判しているわけでも、低く見ているわけでもないんです。
それが必要な人には、そうしたものがあってよいと思います。
誰にでも必要ではなく、不要な人(別に依って立つものがあるとか)には無理強いをしない。それが「人の考えた道具」として、国家・政府より古い装置である「宗教」のよい面です。
ただ、人類は宗教を単一のものとして持っているわけではありません。
複数の風土(山の民と海の民では、恐れるものも禁忌も違うでしょう?)によって違う宗教がありますし、風土ごとに正反対の教義がある場合だってあるでしょう。
複数の宗教が存在するのは仕方ないことですが、複数存在するが故に行動範囲が広まれば「同一の価値基準」には成り得なくなってしまう。
だから、「それらを統合した、上位存在としての新宗教」が必要になる時代がくるかもしれないな、とも思います。
猫氏が言う「積極的平和」を実現するためには、その「上位存在としての新宗教」が不可欠になるでしょう。
「神聖性」を帯び、「同意」を引き出し易く、「規範」としてそれに従うものが多数に及ぶ。
そういうものを、猫氏は規定できますか?
私は無理だと思っているんですよ。
192
:
三毛猫ナナ
:2003/09/07(日) 23:48
>>ヤツスさん
そもそも根本的に貴方の思考法はおかしいのです。
旧来の社会、新たな社会の是非は私達が決定していく
ことなのです。
『正しい社会とは何か』という様な本質を決めつける
態度が問題なのです。
貴方は自説の根拠を示さず、ただ『現実的ではない』と
繰り返すのみです。
それは『現実の社会こそが正しい』とする本質主義の
立場をとるものの言葉です。
私達はそれに対して『一から考察しなおしませんか』と
提案しているのです。
#宗教の話を混同しているのは貴方です。
ここでは道徳規範を指しているのですから。
道徳規範を抜きにした社会などないと述べて
いるのですから、日本人に信心があるのは当
然のことです、ただ当人が自覚しているか否
かのことだけです。
193
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 00:19
>>192
本質にこだわるのは「本質主義」なんじゃありませんでしたっけ?(^^;)
「そもそも根本的にあなたの思考法もおかしいんですよ」
……と、このように「根本的に」と言い出したら、相手をいくらでも全否定できてしまうでしょう?
相手の「おかしい」と思うところを掘り下げて十分な説明をせずに全否定するだけでは議論でもなければ、同意を引き出すことにも繋がりませんよ。
現実の社会が正しいとは言いませんが、「間違っていても、それが現実だ」という言い方なら理解できますか?
正しい、というのは「理想に準じている」という意味だと思うのですが、確かに現実というのは「理想に準じていないこと」のほうが遙かに多いことでしょう。
別にそれをして、「理想を述べる」ことを否定するつもりはありませんし、あなたが理想を述べることを禁止してもいません。
私は、「あなたが述べた理想の、実現方法の目処は?」という質問をしているのです。
「現実が、理想に準じておらず間違っている。正しくない。正義ではない」としても、「それでも現実は現実として横たわっており、我々はそれらの現実と付き合っていかなければならない」ということですよね。
(自分の)理想に即した世界になるように、現実を変えたい、それまで「現実はこうなのだ」と決めつけられたくないのですね? 猫氏は。
現実が「不確定でなんの結論も考察もなされていない」状態なら、それも通用するかもしれませんが、実際には「税金は高く、反戦運動家から総理大臣が出ることもなく、反戦運動に協力的な政党は政権を取っていない」という事実に替わりはありませんよね。
これはおそらく猫氏の理想には準じていないのでしょう。
では、どのようにして猫氏の理想通りになるようにするんですか? 猫氏の理想に対する賛同者を増やす必要があるのではありませんか? 猫氏の理想を理解し、同意する人はどのくらい増えましたか?
私は、猫氏への興味と、あなたの主張を理解することに、紙数を費やしてみましたが、今もってあなたの理想は理解できなければ、同意もできないんですよ。
私以外の人についてはどうなのでしょう。猫氏万歳の声はどこに行けば聞けますか? 例えば、談話室2には私とは思想的に対立している方や、議論をしている方々がいますが、敵の敵は味方であなたの味方をしてくれるのですか?(私はそういう考えはあまりないのですが)
それと、「一から考察し直しませんか」に対して「イヤだ」という拒否があったら、あなたはどう対応するのですか? 切り捨てですか?
猫氏の主張に基づいて盲従を要求し、拒否したら切り捨てるを繰り返した末に、「猫氏の理想に対する賛同」は得られるのですか?
それと、最初のほうに書くと忘れちゃうみたいなんで、文末に書くことにしますね。
10回目ですよ。
私は「ヤスツ」です。「ヤツス」ではありません。「ヤスツ」に訂正してください。謝罪はとくに結構です。
ヤスツ です。
194
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 00:23
>>192
宗教の話について。
宗教と信仰の違いについて、猫氏の見解を説明してください。
どうも私の理解とは異なる理解をしているようですね。
どちらが正しい、間違っているという問題ではなく、「どのような概念として受け止めているか?」を拝聴した上で、考えていきたいと思います。
これについて、私が正しいとも、あなたが正しいとも断言はしませんが、猫氏は必ず「相手がカードを切ってから自分もそれの言葉をイタダキ」という習慣をお持ちのようですので、先にそちらからどうぞ。
ちなみに、「相手の主張を考察することでその真意を理解する努力をし、その相手の主張に対する理解に基づいて相手の主張の問題点を指摘し、それを持って自説とする」というのは、猫氏がここ最近ずっと続けておられるはずのことではありませんか?
私としては猫氏の手法にあやかって、猫氏の正義に準じるよう努力してみたのですが、まだ十分ではないですよね。
もっとそうしますね。
195
:
三毛猫ナナ
:2003/09/08(月) 01:07
>>ヤスツさん
私の要求は貴方の論理根拠の定義の明示です。
これでは、お互いに検証しあうのではなく一方的に
貴方が私に対して批判をしているだけです。
それに対して『嫌だ』と言うならば対話は成立しません。
私が貴方の思考法がおかしいとするのは、その様な本質主義
的に物事を捉える点です。
なぜ立場を明らかにしないのか?
なぜ申し出を拒否するのか?
私達はお互いに論理を立てて検証しあっているはずなのに
貴方は私の論理が『現実にそぐわないからおかしい』と述べる
だけで、御自分の論理根拠は一切示さない。
第三者的して客観的に論じているつもりでしょうが『現実に
そぐわないからおかしい』とする段階ですでに主観的であり、
本質主義的なのです。
私は物事の価値は社会的に構築されているにすぎないから
現行の社会が現実に存在することを理由に正しいものとする
ことはできない故に新しい社会を提案し模索していくことは
構わないことだと述べているのです。
貴方はそれを『現実こそが正しいことだ』を自明なものとして
論理構築をされているから主観的であるのです。
幾多の反戦サイトに乗り込んでは、一方的に自分の論理根拠も
明確にせず自明なものとした『主観的な言説』をもって相手を
批判した貴方の行為は問題なのです。
それに気づかなければ何を話しても理解できないでしょうね。
196
:
三毛猫ナナ
:2003/09/08(月) 01:27
>>ヤツスさん
当事者の立場にたって考察することはどういうことか
理解されていませんね。
反戦サイトに行く時に、反戦に反対であっても反戦を
客観的に理解しようとすれば、反戦側に立って話し合いを
することです。
この場合、貴方の主観を捨て反戦派の論理根拠を元に話し
合いをして下さい。
そうすることにより今までの貴方を客観的に見られますから。
貴方は結局は反戦派の意見を自分の主観という色メガネを通し
て考察しているだけですから、主観的にしか物事を捉えられない
のです。
197
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 01:38
>>195
やっと「ヤスツ」と読んでくれましたね。その点については感謝したいと思います。
さて。
「幾多の反戦サイトに乗り込んで一方的に自分の論理根拠も明確にせず自明なものとした『主観的な言説』をもって相手を批判した」
とのことですが、誰がそんなことをしたのですか? これは、どなたの見解に準じたものですか?(^^;)
私が反戦系のサイトをいくつか拝見したり「質問」を申し述べているのは、「相手を自説で論破したい」からじゃない、と常々申し上げてきたつもりなんですが……猫氏は先入観でものを言っているように思われますので、補足させていただきます。
私の言葉を、猫氏の頭でお考えいただくのがよいでしょう。
「私は自分なりの主張や見解を持っているが、それは私にとっては到達点ではなく過程に過ぎないものである。また、他人に強制し、盲従を強いるためのものでもなく、自分の内部で納得できるための【答え】を探しているに過ぎない。なぜなら、私は自分の主張や見解が正しい(正鵠を射ている)と確信できるほど、多くのことを知っているわけではないからだ。だから、【正しい】もしくは【優れたやり方】を主張する方がいれば、そこに行って教えを乞い、その方法論のすばらしさについて、十分に学びたいと思っている。学んだ結果として、自説がそれに傾くこともあるし、自説を撤回してその主張に帰依することもあろう。ただし、それはそれらの方法論や意見について、理解や咀嚼をしないまま受け入れることはできない。だから、十分にその意見を知ろう。知って、理解して、自分なりに納得できたら、その考えに従おう」
ということです。
反戦運動、反戦平和論についても、興味はあります。平和学の紹介を頂いた後、すぐにそれも拝見しました。
それらはすべて「私自身のため」のものであって、私の主張を人様に強制するためのものではありません。
ただし、「これこれこうである」という主張を学ぶに当たって、「よくわからない」「矛盾や未解決が感じられる」といった点が気になる場合があります。
学生と教師に例えて考えてみてください。
学生は予習をして授業に当たります。が、予習をしていても納得がいかない、よくわからない、自分なりに考えた結果としての未解決の矛盾を感じた。
そんなとき、教師に「なぜですか?」と聞きますよね。「先生の説に基づくと、こうなるのでは、と考えました。しかし、そうはならないという。それは何故ですか?」
そういう学生に対して「教科書を読み直せ」としか答えない教師と、「それは、こういうことだ」と説明して矛盾を目の前で氷解させる教師がいます。
さあ、学生が「なるほど!」とより注意深く講義を聞くようになる教師はどちらでしょうか?
私については、「未だ、自分の固有の論説を持って教師と戦うに至らない学生」だと思っていただいて結構です。その学生を、「自説を理解できない未熟者」として見下されるのも、「導くべき弟子」と見るのも教師の器にお任せします。
幾多の反戦系BBSを拝見して回っているのは、私にとってはゼミのハシゴをする聴講生生活のようなものですので。
私の「未完成な主張」をあなたに強制するつもりは特にない、ということで。
それと、私のものの考え方についてもしご興味をお持ちでしたら、「サイド6」スレをご覧頂くのがよいかと思いますよ。
198
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 01:56
>>195
さて、立場を明らかにしたところで。念のため繰り返しておきましょう。
私は「反戦平和運動によって、もしくは平和学に基づけば、平和は達成可能である」という意見を持つ人々について、深い興味を持っています。
本当に実現可能なの? というのが私の質問の根幹にあたります。実現性についての疑問が全ての根幹にあります。
「言うは易し」と言いますが、実現できなければ理想は画餅でしかありません。
そこで、反戦平和運動をしている方々の発言、まとめた文書、主張の骨子、訴えている理想などについて、よくよく拝見してみることにしました。
理想としてだけなら同意できるものも数多くありました。
問題は、「ではそれは実際にはどうするものなの?」ということです。理想像に現実を近づける(つまり、現実を理想に準じたものに作り替える」ためには、現実を「ねじ伏せる」必要があります。
賛同者/支援者をより多く獲得するのか。賛同者/支援者にはどのように同意を得るのか。それは実際には順調に進んでいるのか。
賛同者/支援者が増えていないのだとしたら、その問題点は何か。自分が気づいた部分(反戦平和運動をする上で、効果が上がっていないと思われる部分)については、「効果がある」と信じている現場の方にも伺ってみるのがいちばんです。
そこで、反戦系BBSで反戦平和運動、反戦平和論を展開している方々のご意見を伺ってみることにしました。
私としては、私がまだ知らない反戦平和運動の効果や、具体的な改善策などを知ることで、私の思想が「反戦平和運動に対する信頼」に傾き、私自身が他の懐疑派を説得して回る優秀なエバンジェリスト(伝道師)に変貌することを期待しているのです。
しかし、そのためには、反戦平和論/運動をよりよく知り、理解し、実現性などの計画について十分信頼できるものにならなければなりません。
ですが、現在までのところ「理想論」はともかくとして「現実を理想によってねじ伏せるための方法論」については、とても満足のいくスタイルを伺っていません。
実現性についての疑いが晴れないわけです。私としましては、ぜひとも私が熱狂的かつ進歩的な反戦平和主義者になるよう、先達の方々にご教導いただきたいと考えています。
なお、個人的には「饗食(飯酒をともに食う)、音曲演舞(一緒に演奏し唄い踊る)、そしてともに笑う」を、思想信条宗教戒律を異にした方々とできること、そういった場でのみ成立する「揮発的な時間と空間」が平和なのであり、平和というものは「永続しない。瞬発的に出たり消えたりする。言葉や思想を共通化しなくても成立する」というものであろうと思っています。
思想や宗教を「統一」しないで共有できるものを探し、相手の思想や宗教について触れないで笑えることが、「平和という状態」でしょう。
その意味で、平和とは「刹那的」なのが常態なのでは、とも思います。
あ、この「刹那的」というのは、一般に知られているところの「なげやり」というニュアンスの語感ではなく、仏教で言うところの「刹那の時(ひとつ指を弾く間に繰り返される65回の発生と消滅の合間=転じて非常に短い間)」のことです。
平和は短時間、狭い場所に一瞬(一夜の夢)としてしか存在しないが、そうした刹那の平和は、何度も繰り返される。一夜の平和の「永続」は不可能だが、「繰り返す」ことは可能。
私としては、平和(平和学で言う消極的平和)は、戦争の後にだけ発生する静寂であり、戦争という太陽がなければ平和という月は輝かない。そういうものだと思っています。
199
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 02:07
>>196
元に戻ってますよ。ヤツスではなくて「ヤスツ」です。11回目。
さて。
私が反戦サイトに伺うのは、反戦サイトの方が「反戦スレ」のような懐疑派の巣には、長くとどまってくださらないからですよ(^^;)
猫氏が反戦に賛成だけれども、ご自分の説を客観的に理解するためには「懐疑派側に立って話し合いをする」ことが必要なのではありませんか?
この場合、あなたの主観を捨て、懐疑派の論理根拠を元に話し合いをしてください。反戦スレは「懐疑派の巣」と見なされているようですが、あなたは反戦スレでそれをしましたか?
その意味で、結局猫氏は懐疑派の諸氏や私の意見を、猫氏の主観という色眼鏡を通して考察しているだけで、猫氏の主観でしか物事を捉えられていないのでは?
鏡戦法を取ろうというわけではありませんが、猫氏の説に準じるとそういうことになりますよね。
自分にできることは、相手にもできる。自分にできないことは相手にもできない。
自分にはできるが、相手にはできないのであれば、自分が実際にやって見せて相手の信を得るなり相手に見本を見せるなりして導くべきでは?
自分にはできないのに、相手にはできるということがあると腹立たしくなるかもしれませんが(^^;)
ともあれ。
モダンに対するポストモダンの話にせよ、国際政治学に対する社会科学にせよ、猫氏は「後出しジャンケンによって、先に出した手を否定する」という手法をして、「正しいやり方」とされているわけですよね。
だから、「猫氏の自説に対して批判はあるけど、猫氏自身が批判する対象がない状態」には我慢がならない。オレばっかり批判するな。お前も意見を出せ。オレが批判してやる。さあ出せ……と仰る。
私としましては、私の取るに足らない考えよりも、猫氏自身が「正しい」とする説と、それらの実現性について学ぶことのほうが重要ですので、「双方が主張を出し合って」ではなく、今回に関しては「猫氏の主張について、双方の間で共通の見解が得られるようにしましょうよ」ということを申し上げたいわけです。
これについて、どうお考えになりますか?
200
:
三毛猫ナナ
:2003/09/08(月) 02:07
『現実にそぐわないからおかしい』とする態度が誤り
であるのは女性学の立場から見ても明らかです。
以前は『男性は外で働き、女性は家事、育児をする』
という強固な『現実』が社会を支配していましたが、
現在はどうですか?
現実こそか正しいならなぜ道徳規範が変化したのか?
201
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 02:25
>>200
別に「現実が正しい」とは言ってませんよ。
「現実が理想に準じていない=現実のほうが間違っている」と思われることもあるでしょう。
では、現実を理想に合わせるようにするには、具体的にはどうするんですか? ということを伺いたいわけです。
理想論と方法論を述べたとして、その方法論に同意/従事させる方法は? この、「方法論に同意/従事させる方法」こそが、「具体論」なのでは?
繰り返しますが、「現実は正しいから現実」なのではなく、「現実は都合がいいから(合理的だから)そうなった」のでは?
女性学とやらについても、新語登録と解説をお願いします。
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/dic/guide.cgi?action=view&data=722
それまでの議論にない新しい概念を、それまでの議論の根拠にする場合、引用した人間の「意図」を、引用した当人が説明するのが、「合理的」では?(笑)
「現実にそぐわないからおかしい」とする態度が誤りだとするなら、「理想に現実を引き寄せる方法と、その方法に準じた例」を挙げるべきでは?
ついでに言うと、「男性は外で働き、女性は家事、育児をする」のは、強固な現実ではなくて「合理的」だったからそうなっていたに過ぎないでしょう。
以前の社会は女性が「単独で一家を支えきれるほどの金銭」を稼げる仕事は限られていたから、男性が仕事をしていた。(明治・江戸時代以前は家事以外にも女性の内務はあったはずですが、大正・昭和以降は、核家族化の進行で家庭を構成する人数が減り、男性の収入だけで一家を支えられるようになったから、女性は家事・育児に専念できた。しかし、核家族化の進行は家庭内労働の分業を不可能にし、妻に家庭内労働が集中する結果となった。さらに、物価の上昇によって男性一人の収入だけでは核家族化した家庭をも支えきれなくなったので、女性が社会に再進出した。これすべて、合理性の問題です)
道徳規範の変化も、「合理性」である程度説明できるのでは?
昔のカタギの女性(といっても、この100年ほどですけど)は、外で酒を飲む(夫の許可や同伴なく酒を飲む)のはまれだったし、道徳違反であると思われた(江戸時代では、女性のおしゃれ(=新あつらえの服を妻が着ること)すら道徳違反だったわけですが)。
しかし、女性の社会進出(先に述べた事情による)によって、外で酒を飲む機会が増えた。しかし、道徳規範(=この場合は、女性は一人で外で酒を飲むのは好ましくない)が強固だと、女性の社会進出を阻害する。
でも道徳規範と社会進出のどちらのほうがより強く求められたかというと、「社会進出」のほうが勝った。その結果として、「女性が外で夫を伴わずに酒を飲むことは、道徳規範に反しない」という合理性を支持する人が男女ともに増えた。
だから、道徳規範は、「合理性」と「支持者の増加」によって変質した。ということでは?
現実は、合理性によって変化させられていきます。その意味では現実というのは常に可変であると言えるでしょう。
ただ、「理想」と「合理性」が相反した場合は、「理想」ではなく「合理性」が勝つのでは、と思います。猫氏の主張は、「理想が合理性を凌駕して現実を変える」というものであり、それでは「合理性を理想が上回るには、どのような方法が考えられるのか?」という質問をもって、猫氏の説の正しさを知りたいと考えているわけです。
202
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 02:31
理想論に基づき、方法論を述べるというのは、「あるべき社会像を想像して、そうなるように法律を作る」という言い方にも言い換えることができますよね。
でも、「設計図を書いただけ」では家は建ちません。設計図通りになるように、設計図に従う人、設計図通りの施工を守らせる人、その「設計図を守る根拠」などが必要になってきます。
家なら、「建築家が家を設計する。大工が家を建てる。建築家は大工に設計図通りになるように仕事をさせる。設計図は、施主(完成した家に住む人)の了解を得なければ施工は始められず、大工が建築家の設計に従わなければならないのは、設計図が資金を出す施主の同意に基づいているからだ」といったところでしょうか。
「理想論(建築家)に基づいて作られた方法論(設計図)」を実際に家(あるべき社会)にするには、あるべき社会に住むことになる国民(家で言えば施主)の同意を取り付けなければなりませんし、そうでなければ「建築家の暴走」になってしまうのでは?
猫氏の主張は「建築家としての正しさ」であり「完璧な設計図」でもあると思うのですが、それは「住む人」の同意を得られなければ、施工には移せない性質のものなのではありませんか?
203
:
三毛猫ナナ
:2003/09/08(月) 02:37
>>197
自説があるならそれを示し、その論理根拠
を明示しなさい。
『現実こそが正しいか』が論理の根拠ですか?
私は何が正しい方法かを論じているのではなく、
あくまでも比較して方法を選択しているだけです。
私の論理にも問題性がある事は承知してますが、
それを理由に貴方の論理を正当化する手法には
同意できません。
204
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 02:43
>>203
いえいえ、私の説を示すことは、あなたに私の説を強制することになるでしょう? それは今回の目的ではありません。
また、「現実こそが正しい」は私の説ではありませんよ。
私の説は「現実は、合理性の上に成り立っている」です。
そこで、「理想が合理性と衝突する場合、どのようにすれば理想が合理性を上回ることができるのか?」というのが私の質問です。
そして私も何か正しい方法を論じているわけではなく、「よりマシな方法」「より合理的な方法」を比較して、方法論を選択しようとしているのです。
猫氏は私の考えをきっとお見通しでしょう?(すでにいろいろと私の意見を否定したり批判したりなさっておられますし)
私は猫氏の考えをお伺いした上で、自説より優れているならそちらを選ぼう、と述べているのです。
その意味で言うなら、私は自説を正当化などしておりませんよ。
何はともあれ、「猫氏の主張と説を検分する」のが目的ですから。
205
:
ぼーん
:2003/09/08(月) 10:51
ヤスツ氏がここで言っているようなスタンスで平和を考える人は、
現場にはいくらでもいますよ。(もちろん、答えは出せていないでしょう。)
違うのは、「自分が考える」ということを引き受けるかどうかです。
理想に同意できるんなら、理想に同意した上で、方法は自分で考えればいいんです。
自分で方法を考えて、それで周りを説得してみればいい。
理想だけでなく方法も同時に示さなければ理想にも(実際には)組しない、というのであれば、
それは態度において理想を否定してるんですよ。
「理想には同意できますが」みたいなのは、自分の不誠実さを隠蔽するいつものセリフに過ぎません。
それともう1つ。
カーの考える政治理論を踏まえてでも言えることですが、
「理想に同意する」という意思表明と、
その理想の実現のために(効果があるかどうか分からない)努力を行う行動、思考、
そうした行為自体が、「方法」の一部をなします。
人間が人間を動かす、という場面には、わずかではあってもそういう「共感」や「感銘」といった側面があります。
それに頼り切るのはバカでしょうけど、そういう面をないかのように扱う態度もまたバカげているでしょう。
その点を踏まえて考えれば、あなたは「できることすらしない」ことによって、
実際に理想に同意なんかしておらず、結果的にそのふるまいによって否定しているんです。
「理想には同意できますが」みたいなのは、やはり、自分の不誠実さを隠蔽するいつものセリフに過ぎません。
206
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 12:51
平和についてできること、または自分の考える平和を実現するために日常でも可能なことについては、すでに実施しておりますが、それはぼーん氏が考えるそれとはずいぶん違うようですね。
ぼーん氏が考えるそれとは違う方法で平和を楽しめる方法をしている、ということの証明になるかどうかはわかりませんが、私が「ナニを持って平和」と考えているかについては、ぼーん氏が決して足を踏み入れない「サイド6」スレをご覧になれば、そこから一端をかいま見ていただくことができると思います。
国家天下の平和だけが「平和」ではないでしょう?
ミクロな平和から俯瞰できることもあるでしょう?
私はミクロな平和については、日常生活上でいくらも実施していますよ。
隣の国のことを、目に見える形で「思ってみる」ということ、社会学や政治学の十分な知識がなくても、未成年や社会的経験が十分でない人でも、他人や他国のことを幸福な気持ちを伴って考えずにはいられないように誘う方法は絶えず「試して」います。
考える、で終わっていないこと、実際にいろいろな効果を得られてもいますし。
ともあれ、平和というのは「認識」と「同意」が必要という、その点については同感ではあるんです。
無関心は敵であるというのもわかります。
しかし、同意を伴った関心はプラスに働くでしょうけれども、同意を伴わない関心は逆方向の力にしかならないのでは? とも思います。
理念と抽象論を振りかざすだけでは、どうにもそれらを「現実」に援用することができません。翻訳の段階でそれらの解釈が個々に委譲されすぎではないですか?
理念からの解釈として、具体的には? という他者の方法論や具体化論を参考にしたいという申し出について、何か困ることがあるとか、方法論を独占してどこにも流出したくないとか、そういう偏狭な権利意識があるわけではないんでしょう?
ともあれ、おそらくご覧になっていないであろう「サイド6」スレ向けのネタを、あちらのスレでお待ちしています。
平和のために。
207
:
イカフライ
:2003/09/09(火) 11:35
>>205
>違うのは、「自分が考える」ということを引き受けるかどうかです。
>理想に同意できるんなら、理想に同意した上で、方法は自分で考えればいいんです。
>自分で方法を考えて、それで周りを説得してみればいい。(ぼ-んさん)
>>206
>平和についてできること、または自分の考える平和を実現するために日常でも可能なことについては、すでに実施しておりますが、それはぼーん氏が考えるそれとはずいぶん違うようですね。
>国家天下の平和だけが「平和」ではないでしょう?
ミクロな平和から俯瞰できることもあるでしょう?
私はミクロな平和については、日常生活上でいくらも実施していますよ。(ヤスツさん)
私が、懐疑派の皆さんに感じていたのも、上記でぼ-んさんが言われているようなことですよね。
甘えだ、と言われたこともありますが、本当に興味や関心を持っているのなら、批判するだけではなくて、なんらかの方策を示されたらどうだろうか?と。
私は反戦派ではないから、それはあなた達が考えな、では、やはりしんどい立場を放棄する為の責任転嫁ではないの?って。
で、ヤスツさんの「サイド6」はひとつの答えだと思っています。
私も売られた喧嘩は3倍で買うようなヤツだから、まあ、エラそうなことは言えないけど。
ひとつのことについて考え方が違うからといって、それで敵対心を燃やしたり攻撃的になったり、日頃、反戦やら人権やら唱えている人がなに?って感じることはあります。
議論は、対立意見を楽しむ、部分もあるわけですし、ある議題について意見が違っても、また-り雑談を楽しめる、共通の趣味で付き合う、ということはひとつの平和の実践だと思います。
ただ、これは、掲示板上の平和、と言うか、これをリアルに演繹する、ということって、どういうことなのかな?
っていうのは、まだ、答えは出ませんが。
208
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/09(火) 14:03
>>208
「腹立たしい相手とでも、和やかに飯の話ができるか?」というのは、「戦争直前の激しい対立をしている一方で、話し合いを辞めないことができるか?」に置き換えることができるのでは、と思います。
「どんなに対立しても戦争を始めてはいけない。戦争さえ始まらなければ、まだ平和への道は閉ざされていないはずだ」という考えはよく理解できます。
そうすると、そのために、「戦争と対立以外のアクターで、共通点を探すためには?」ということになります。文化交流ってよく聞くようになりましたけど、そういうのも「ああ、この国はこういう文化だからすぐ怒るけど、怒るのは国民性であって、攻撃心からじゃないんだな」とか、そういう理解の仕方ができる。
そうなれば、また別の選択肢を提案することもできるかもしれない。
今までのところ、「サイド6」スレでは、「腹立たしい相手とは、飯の話すらするもんか!」という態度の方と、「それはそれ。理解しがたい溝はあるが、共有できる話題もあるかもしれない。腹が立っても腹は減る」という態度の方に分かれています。
「共有できる話題もあるかも知れない」と考えて、とりあえずテーブルに付いてみる、ということが「話し合いのきっかけ」に結びつく。
相手の文化(私の場合は食文化ですが)を学ぶこと、同時に相違点について相互に考えてみることなどは、それこそ「相互の違いと共通点を、同時に点検すること」になる。
これも、「参加されなければ無意味」ですが、参加を強制することはできません。また、強制もしません。
少々スレ違いになるでしょうけれども、「α」についても同じことが言えます。参加は強制できない。参加されなければ無意味(同じテーブルに付かない)。しかし、参加しない人にも何らかの事情はあるかもしれない。
ここで、α論になぞらえるなら「サイド6に来ない奴らはナニを言われても文句を資格はない」ですが、それではいかんのでしょ?
また、「サイド6」は誰が来てもそれを(スレの方針に乗っ取るなら)排除しない、という方向ですが、(現在、酒・飯・音の話題ですが、それにあたってイカフライ女史を排除する、という動きもないことがその証明かと) αってそういうことをしたいんじゃなかったんですかね?>ぼーん氏
でもそのためには「α」にナニが入るのかを明示しなければ、誰も近寄れない。
私はそこに「飯(酒)/音/笑」とそれに付随するものを代入してみました。
共有できる、もしくは他人と自分の相違について興味を持てる、違いについて一家言を誰もが持っている、対立に至ることもあるが早々殺し合いにはならない、そして違いを「なるほどねぇ」と認めあえる。
αは、そういうものしか入らないのでは?
間違っても「神」とか「正義」とか、「絶対に譲れないもの」なんか入れちゃだめなわけで(笑)
おっと。αの話はスレ違いでしたね。失敬しました。
「平和とは、短時間に限られた場所でしか成立しない、一夜限りの儚いものである。しかし、壊れやすいが、何度も繰り返せる。壊れない大がかりなものに心を注ぐより、すぐに何度も作れる小さいものを考えたほうがよい」
というのが、私の得た今のところの感想なんですが、それに従うなら「他国の文化を極力取り入れる。取り入れたことを相手(当事国)にアピールする」というのが、相互に進んでいくなら、もしかしたら国際平和もうまくいくかも。
誰だって、相手国の中にいる「自分の国の文化を大切にしてくれる外国人」や「自分の国を快く思ってくれる人」を害したいとは思わないでしょ?(W杯以降、トルコへの関心が進んだのもそれがあるかも)
「サイド6」スレでやっているのは、いろいろありますが、そういうことも含まれています。
そしてそれはリアルに演繹することは可能だと思いますよ。(半島人も含めた在日外国人との接点がわりとあるほうですが、だいたい飯・酒の話から友達になりますし)
209
:
ぼーん
:2003/09/09(火) 14:07
>>206
「ミクロの平和」「サイド6」という発想に垣間見られるあなたの平和の似非平和ぶりには、
とことん辟易しておりますので。
部分における平和で満足するなら、それは少なくとも僕の目指す平和とは似ても似つかないものです。
あなたがあなたのそれを「平和」と名づけるのは勝手ですが、僕考える平和とは違います。
平和概念の違いについて議論するならいざしらず、あなたの掲げる似非平和概念を前提に話に付き合う気は毛頭ありません。
210
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/09(火) 14:09
>>209
最近見たリアルでの実例で。
町内会のお祭りのカラオケ大会で、地元で商店を営む在日インド人(国籍はインド)が、ものすげー調子はずれだったけど(笑)美空ひばりを熱唱。
地元の日本人からも彼の友人のインド人からも「インド人もびっくりだよ」と大爆笑と大喝采でした。
日本の文化に飛び込んできたインド人を、受け入れる日本人。
そして、日本の中に他国の文化(主に食文化)を無分別なくらいにどんどん取り入れる日本人。
どこかの国で誰かが同じことをやってるかもしれない。
でも、そういうことは「誰でもできる」ことでもない。
できない人にはできない。サイド6も同じ。
できる人は、掲示板以外でもできる。掲示板以外でできるけど、掲示板ではできない、というのはあまりないと思う(場所によって、相手によってそれを意図的・戦略的に変えているのだとしたら、その人の言は信用できない)。
掲示板以外でもできる(すでにできている)ことを、掲示板でもやるっていうのは「実例を残す」ことでもあり、意義があると思う。
まあ、そういったところでしょうか。
211
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/09(火) 14:15
>>209
それです。その態度が、あなたの「α」に対する反応とまったく均質なものです。
そして、「部分における平和」が、多数あることが、「全体としての平和」を形成するというのが、「積極的平和」とやらが目指していることなのでは?
「構造的暴力=極度の貧困、飢餓、疾病、無秩序、犯罪」というのは、すべて「部分」の問題ですからね。
部分の問題を解決することが、総体の平和を構成することになるのでは?
ぼーん氏は、「トップダウンの平和」を目指しておられるようですが、それはうまくいっていますか? トップダウンの平和が降りてくるまで、下の人は待てますか?
私の挙げた「一例」は、「ボトムアップの平和」の、一案に過ぎませんが、似非と言われようとなんと言われようと、「トップダウンで同時に平和」といういつくるかわからないものよりは、「部分的であっても平和」のほうがマシじゃないんですか?
しかも、ぼーん氏の考えでは「トップダウンの平和」は「ボトムアップの平和」を否定して共存できないとしているようですね。
でも、ボトムアップの平和を試しながら、トップダウンの平和を考えることも可能でしょう? 誰か一人が一括して一つの方法を試すわけじゃないんだから。
そのあたりの頭の固さが、「価値を唯一にしないと平和がこない」「価値を唯一にできないから平和にならない」「価値の統合に協力しない人間を排除せよ」という、ぼーん流α論に結びついているのでは?
212
:
ぼーん
:2003/09/09(火) 14:22
>>210
>>211
いつもの手口ですね。
あなたの部分の平和の積み重ねの上に、決して全体の平和などつくり上げることはできません。
なぜなら、あなたのロジックは常に、部分の(あなたの周囲の)平和に際限のない優先順位を与え(既得権を際限なく守り)、
それを理由にあらゆる積極的平和への方策を否定するばかりだからです。
僕は部分の平和を否定しているのではないのです。
部分の平和「にとどまる」志向を否定しているのです。
実際、あなたは、ただの一度も自らの問いとして全体の平和を問うたことがありません。
「さあ、説得してくれよ」。あなたはいつも「善意の第三者」の位置を占めようとやっきになっています。
まごうことなき当事者が「善意の第三者」の位置を占めようとすること。
これこそが、あなたの発言の誠実さを根底から否定する証拠というべき物です。
213
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/09(火) 14:34
>>212
ぼーん氏は、「サイド6」については、
>部分における平和で満足するなら、
と、述べておられますね。つまり、サイド6は「部分の平和」を実際に実践していることをお認めになっている。
その直後に、
>部分の平和(この場合はサイド6)は似非平和であって、ぼーん氏の考える平和と違う(だから否定する、同意できない)
と仰るわけですね。
さらに、一度「似非平和」と否定しておきながら、
>部分の平和を否定しているわけではない
と前言を翻し、「積み重ねてみては?」という(ぼーん流に言うなら「とどまらない方法」の)提案に対しては、
>(ぼーん氏のみが)部分の平和にとどまることを否定している
……やはり、怒りと猜疑で目が曇ってるんじゃないですか?(^^;)
>自らの問いとして全体の平和を問うたことが
だから、「無理」だと思います、って。
>>208
で、
>「平和とは、短時間に限られた場所でしか成立しない、一夜限りの儚いものである。しかし、壊れやすいが、何度も繰り返せる。壊れない大がかりなものに心を注ぐより、すぐに何度も作れる小さいものを考えたほうがよい」
と述べています。自分の問いとして。
「友達になれる【こと】から友達になろうよ」が、私の態度ですが、ぼーん氏の態度は「お前とはイヤだ」ということですね?
と、話が盛り上がってきたところでたいへん申し訳ないのですが、現実に戻る時間がきてしまいました。非常に残念です。
仕事の繁閑をぼーん氏やその他の方々と必ずしも共有できるとは限らないことは承知しています。何事も、「目の前の仕事」「目の前の現実」「目の前の幸福」「目の前のできごと」あってこそです。日々、口に糊する仕事を否定しては、すべてがなり立ちません。
そのことは、社会人として生活をなさっておられるであろう方々には、ご理解をいただけるものと思って甘えさせていただきたいと思います。
でもこれもまた「勝手に出ていった」「逃げた」と言われてしまうのも心外ですので、「そのうち帰ってきます」と付け加えておきましょう。
サイド6については、ときおり「似非平和(と、ぼーん氏が認めないもの)」であっても、似非でもなんでも平和は平和ということで、時折覗かせていただくつもりでおります。
214
:
イカフライ
:2003/09/09(火) 15:46
>>209
>部分における平和で満足するなら、それは少なくとも僕の目指す平和とは似ても似つかないものです。
>あなたがあなたのそれを「平和」と名づけるのは勝手ですが、僕考える平和とは違います。
ズバリ、お聞きしますが、ぼ-んさんの考える「平和」とはなんでしょうか?
そして、それを実践するのには、なにをすれば良い、とお考えでしょうか?
質問ばかりではなんですので、私なりの答えを言っておきますね。
私は、みんなが幸せになる事、幸せ、とまではいかないくても不幸を減らすことだと思っています。
勿論、幸せの概念は個々の差もあります。健康でお金が沢山あって、好きな仕事もしているし、家庭にも取りたてて問題がなくとも不幸な人はいるし。
難病に罹患していたり、収容所に入っていたり、傍から見れば非常に不幸な境遇なのに幸福を感じることが出来る人もいるでしょう。
ただ、不幸の要因になりやすい状態、貧困とか飢餓とか、そういったもろもろのものをなくしていく、なくすことがすぐに出来ないまでも減らしていくことだと思っています。
そして、自分に出来ることは地道な支援とアピ−ルだ、と思っています。
まあ、ホンにこまいことから言えば、振り込み口座を郵便局のボランティア預金にする、とか、コ−ヒ−をフェアトレ−ドのものを飲むとか、使用済みの切手やプリペイドカ−ドを集めて寄付するとか。
去年書いたコソボへのセ−タ−編みもひとつですね、今年もやってます。
それと同時に、周囲に出来る限りアピ−ルしていうことですね。
ネットもそうだし、リアルで自分が話す相手にそういったことを伝える、仕事の上でも、機会があれば伝えていく。
ただ、私の周囲はノンポリだらけですから、殆どの場合、スル−されるか、笑われるか、どれかですが。
100人に一人でも伝われば、それは大成功だ、位に思っています。
215
:
イカフライ
:2003/09/09(火) 15:56
これは、別サイト、といいますか、他の板でもでているし、リンクも引かれているので、言ってしまってもかまわないと思いますが。
「私設法座所」でも出た話ですが、反戦運動とは、砂漠に水を蒔くような行為だと思います。
無駄、ということではありません、とても地道で非効率で、これという特効薬があるわけではないと思います。
勿論、そこで少しでも効率良く、例えば、今までジョウロで蒔いていたのをスプリンクラ−を使うとか、より効率良い方法論を探すことは必要でしょうし、具体的なこととして言いますと、ただ、戦争反対ではなくて、世界情勢をする、軍事や経済についての知識を得る。
まあ、スプルンクラ−を見つける手段と喩えれば、そうでしょうが。
まとますと「地道な支援とアピ−ル」「知識と判断力をつける努力」こんなところでしょうか。
ぼ-んさんは、いかが思われますか?
216
:
大神
:2003/09/09(火) 17:38
>>209
そこまで酷くいうことじゃないんじゃない?
217
:
イカフライ
:2003/09/09(火) 18:38
>>210
>町内会のお祭りのカラオケ大会で、地元で商店を営む在日インド人(国籍はインド)が、ものすげー調子はずれだったけど(笑)美空ひばりを熱唱。
地元の日本人からも彼の友人のインド人からも「インド人もびっくりだよ」と大爆笑と大喝采でした。
日本の文化に飛び込んできたインド人を、受け入れる日本人。
そして、日本の中に他国の文化(主に食文化)を無分別なくらいにどんどん取り入れる日本人。
>どこかの国で誰かが同じことをやってるかもしれない。
でも、そういうことは「誰でもできる」ことでもない。
この繋がりを壊してしまうのが、国と国との争い、反目ではないでしょうか?
イスラエルでも、個人レベルではイスラエル人とパレスチナ人の友情は成立っているでしょう。
戦前でも、アメリカ人の友人が居る日本人だっていました。
けれど、国家、民族の争いになって、それこそ戦争になれば、昨日まで友人同士だった二人が殺し合う。
そう言う事って、あるのではないですか?
国ってなんだろう?
そんな時、思います。
もともとは国家、というか全ての共同体は、その構成員が安心して暮らせる、それこそ幸せになる、なれるための装置ではないのでしょうか?
218
:
イカフライ
:2003/09/09(火) 19:47
ちなみに私は「サイド6」スレは、気に入ってます。
219
:
金玉(こんぎょくと読んでください)</b><font color=#FF0000>(ey0ah8UE)</font><b>
:2003/09/09(火) 21:26
ぼーん氏へ
いや、身の回りの平和も大事ですぞ。勿論、貴方が言うような積極的な平和も大事ですぞ。
両方とも大事なんですぞ。というか、積極的な平和を作る上で、ヤスツ氏が立てたようなスレもその方法の基礎だよ。
だって、身の回りの平和が作れずして、何故世界平和が作れるのか?だから、両方とも必要だと思うな。
ぼーん氏がヤスツ氏に対して何を思ってそう発言したかは当事者同士で話し合ってもらうとして、
時には世間話も有りだし、冗談も有りだと私は思うけどね。ほのぼのとした雰囲気が一部あってもいいんじゃないかな。
談話室は冗談がでないし、まじめだし、平和について語るのも悪か無いけど、個人的にははっきり言っていまいち好かんかった(好みの問題だから、論外な事は承知の上あえて書いた)。
やっと、普通の会話が出来る雰囲気になってきたと思って、喜んでいたんだけどね。あのスレが無くなるなら、個人的にはつまらんな。
ところで、今まで、実行力になったり、実際に何か貢献するのに役に立った事ありました?
議論こそすれど、何か役に立ったのか、見ていて良く見えてこないんだけど。
いや、折角議論しているところに水を差したようですまないが、一度聞いてみようと思って。
まあ、私個人の意見であって、誰が何か言ったというものでも何でもないし、話にならないアフォな金玉でもあるし、見んなの議論の妨げになると判断した場合は放置でお願いします。
220
:
金玉(こんぎょくと読んでください)</b><font color=#FF0000>(ey0ah8UE)</font><b>
:2003/09/09(火) 21:34
見んなの→皆の
221
:
三毛猫ナナ
:2003/09/10(水) 03:45
>>204
『現実は合理性の上になりたっている』
これが貴方の論理根拠ですね?
合理性とは誰が決めるのですか?
決めるのは集団の構成員であり、その様にして
現実が造られていくことは理解できますね?
以前にも述べましたが論理は
『実証と実践の反復により理論化される』
ものです。
この場合には実践対象は『不確定要素を含む人間』
ですから、論理を実証する為には実践対象である人間
を変えていけばよいのです。
『現実的に合理的でなければ何もしない』というのであれば
『どうせ僕は頭が良くないから勉強したって無駄さ』と
いうダメダメな子供と同じです。
上の子供の場合では勉強する、先生に助言をもらうなり
試行錯誤努力をするしかありません。
私の場合では周囲に訴えかける、教育するなりの方法を
試行錯誤するしかありません。
(本当はコレについてぼーんさん達と話をしたいのです)
ゴチャゴチャいわなくても良いから本音を話しなさい
貴方の平和の定義は『僕が幸せなら他の奴らなんて関係ないさ』
でしょ?
『消極的平和、積極的平和も貴方と貴方にとって大切な人達だけが
享受できる世界』
これが貴方の描く平和な世界でしょ?
違うと言うならハッキリと貴方の平和の定義を言いなさい。
222
:
ぼーん
:2003/09/10(水) 11:53
>>213
相変わらずの詐術ですよね。
全体か部分か、という問いと、1度限りの最終解決か漸進的・反復的解決か、という問いは別の物でしょう。
ついでに言えば、私とあなたの間が平和であることと、僕とあなたがお友達であることは、
相関する場合があるとしても必然的な関係はありません。
僕とあなたがどんなに仲たがいするとしても、それが戦争になること(私とあなたの間の殺し合いになること)はないでしょう。
あなたが僕の生存の基盤を奪うことはとりあえずありえないし、
僕があなたの生存の基盤を奪うことはとりあえずありえないからです。
また、気分が悪いとしても、そこまでしなきゃいけないような必然性を、僕もあなたも持っていないからです。
(罵倒されてぷちーんとキレちゃって何やるかわかんない人については危険ですけど、
まさかヤスツ氏は自分がそういう人間だ、といいたいわけではないですよね?)
ここでどんなに紛糾するとしても、それをもって「平和でない」というのは、
(いつだかの「叩き出す」と同じように)比喩的な意味しか持っていません。
逆に、真に互いの生存の基盤を奪い合うような関係においては、「お友達であろう」としても、
そこから暴力を除くことはできません。
たとえば、今日、自分たちが、自分たちの大事な人が、イスラエル人に殺されたりする。
投獄されたりする。チェックポイントで嫌がらせされたりする。
そんなパレスチナ人にとっての日常の中で、「とりあえず(サイド6的に)仲良くお友達をしてみようや」なんてのが成立するかどうか。
真面目に考えてみたらいいと思います。(たとえば映画『プロミス』ははからずもそういう問題をとりあげていました。)
ついでに言えば、サイド6的「まずはお友達から」というやり方というのは、反戦平和の緩い人たちが好きな発想ですよね。
運動の現場でも、実際に会議が紛糾したりすることを極度に嫌う人がいますし、そういう人に限って、
「平和を考えようとしてる私たちが口論してるのおかしいよ!」なんて、文脈も考えないでいいます。ヤスツさんと同じですよね。
223
:
ぼーん
:2003/09/10(水) 12:02
>>214
2chでの328氏の議論の尻馬に乗ることになりますが、
> 私は、みんなが幸せになる事、幸せ、とまではいかないくても不幸を減らすことだと思っています。
とは、僕は思っていません。
結果的に不幸を減らすことにはなるとしても、不幸を減らすかどうかと平和とは、とりあえず別立て
で考えた方がいい。
(おそらくは、イカフライさんの言いたいことと僕の言いたいことは同じですけどね。)
最低限の人間としての生活の基盤、第一にまず生存であり、それに付随して身近な人たちと人間らしく
生きる社交的な自由が必要だし、さらに(おそらくは)教育もその中に含まれるでしょう。
幸福になるにせよ、不幸になるにせよ、その前提条件として、人間として生きることが可能でなければならんのです。
平和とは、幸福を増やす不幸を減らすというよりは、もっと根底的に、人間が生きられるための物理的・社会的条件
を確保すること、と僕なんかは考えますけどね。
224
:
ぼーん
:2003/09/10(水) 12:06
>>219
> だって、身の回りの平和が作れずして、何故世界平和が作れるのか?だから、両方とも必要だと思うな。
当たり前でしょう。両方必要ですよ。
人間生きるために、働くことと遊ぶことが必要だとして、両方必要ですよね?
で、そこで考えて見れば分かると思いますが、遊ぶことは(ほとんど)働くことの代わりにはなりません。
私たちの身の回りの平和を考えることが「不要だ」と言っているのではないのです。
それは、私たちの身の回りにいない人の平和を考えることの代わりにはならない、といっているのです。
225
:
ぼーん
:2003/09/10(水) 12:09
>>219
> ところで、今まで、実行力になったり、実際に何か貢献するのに役に立った事ありました?
> 議論こそすれど、何か役に立ったのか、見ていて良く見えてこないんだけど。
どういう答えを期待してるんですか?
素で答えるなら、なったし、役に立ったことあります。といいますが。
で、それをあなたは信用するの?しないんなら、最初から聞く意味もないわけですが。
226
:
イカフライ
:2003/09/10(水) 15:59
「サイド6」について。
ぼ-んさんやナナさんの意見、解らないではないです。
確かに、掲示板でなれあっても(いい方悪いですが)パレスチナ問題が、解決するか-、ッてことはあるでしょう。
ただ、私が、「サイド6」スレを評価する部分は、一つは、懐疑派代表である(というのもご幣はありますが)ヤスツさんが、批判だけではない、なんからのリアクションを示したいただいたこと。
もうひとつは、単純に、雰囲気の問題ですね。
なんというか、ここ殺伐とすること、ありませんか?
真剣に話し合ったり、時によっては喧々囂々やりあったり、これこそ絶対譲れない、という場では、とんがっても主張するのって大事だし。
確かに、意見の内容を無視して、または理解できないまま、単にいいかたがきつい、とか、意見が対立するのはいや、みたいな、脊髄反応的な感情論を持ち出されると
「その前に、言ってる内容、吟味しろよ」と思うことはあります。
ただ、なんというのかなあ、特に掲示板の様に顔の見えない場での意見対立が、感情的な部分に左様する事とか、あと雰囲気的にお互いの意見を部分的にでも取り入れ辛いとか、そういうことってありませんか?
なんというのかなあ、あのスレで、食べ物や音楽や異性の好み、なんていう肩のこらない話することによって話しやすい雰囲気が出来れば、それはいいのじゃないかな、なんて思っているのですが。
そのほうが、新しく来た人にも、入りやすくなる、ッてこともありませんか?
227
:
金玉(こんぎょくと読んでください)</b><font color=#FF0000>(ey0ah8UE)</font><b>
:2003/09/10(水) 19:13
ぼーんさん、何でそう突っかかるんですか?
最初から何を疑っているのですか?
又、あらされると思ったのですか?心外ですよ。
>当たり前でしょう。両方必要ですよ。
だったら、行動で示していけばいいんですよ。皆認めますよ。それだけのことでしょう。
そんなところでいちいち突っかかる事でもないでしょう。
そうですよ。当たり前ですよ。当たり前のことを書いちゃいけないのでしょうか?
>素で答えるなら、なったし、役に立ったことあります。といいますが。
じゃあ、いいじゃないですか。
>それをあなたは信用するの?
信用するから聞くに決まってるじゃないですか?
何で、いきなり突っかかるのでしょう?
信用しますよ!!
信じてもらえる自信ぐらい持たなきゃいかんでしょう。
信じてもらえなかったら、信じさせるぐらいの勢いを持ったっていいでしょう。
228
:
金玉(こんぎょくと読んでください)</b><font color=#FF0000>(ey0ah8UE)</font><b>
:2003/09/10(水) 19:20
>私たちの身の回りの平和を考えることが「不要だ」と言っているのではないのです。
それは、私たちの身の回りにいない人の平和を考えることの代わりにはならない、といっているのです。
わかりました。でも、「自分達だけの狭い平和」という意見でしたっけ?それはあのスレを言っているのなら、そうではないと言いたいのです。
まあ、私はそう思いますがね。
>だったら、行動で示していけばいいんですよ。皆認めますよ。それだけのことでしょう。
そんなところでいちいち突っかかる事でもないでしょう。
これ、誤解したかもしれないので、これに関しては撤回します。ごめんなさい。
229
:
緑装薬4
:2003/09/10(水) 19:29
肉まん・・・
230
:
緑装薬4
:2003/09/10(水) 19:29
>229
あ、間違えた。
すまそ。
231
:
緑装薬4
:2003/09/10(水) 19:31
>229
あ、間違えた。
すまそ。
232
:
金玉(こんぎょくと読んでください)</b><font color=#FF0000>(ey0ah8UE)</font><b>
:2003/09/10(水) 19:44
>逆に、真に互いの生存の基盤を奪い合うような関係においては、「お友達であろう」としても、
そこから暴力を除くことはできません。
たとえば、今日、自分たちが、自分たちの大事な人が、イスラエル人に殺されたりする。
投獄されたりする。チェックポイントで嫌がらせされたりする。
そんなパレスチナ人にとっての日常の中で、「とりあえず(サイド6的に)仲良くお友達をしてみようや」なんてのが成立するかどうか。
真面目に考えてみたらいいと思います。
私はお友達になろうとか、そんなつもりは無いですけどね。
まあ、あのスレの住人皆と和気藹々としたいとは思いますがね。
自分と価値観が違う人ばかりの中で、顔も知らない人たちといかに皆と楽しくやれるか、
これも、平和つくりですがね。
まあ、いつ自分が殺されるか、あるいは誰かを殺さざる得ない状況にある場合は、こうもしてられないでしょうね。
で、どうするか?相手が銃を突きつけてきたら、撃たれる前に撃つか、上手く作戦を練って、銃を取り上げるだけの技術を身に付けるかするしかないでしょう。
自分の大事な人がイスラエル人(イスラエルの方ごめんなさい。例えです。)まあ、日本人でもいいですが、殺されたとします。
私は正直言って、殺し返したくなりますね。でも、それをやるときりがなくなりますよね。又、私に殺された人を慕う人から恨まれますわな。永久に終わらないですわ。
考えると馬鹿らしくなりますね。うらみに振り回されているうちは平和なんか無理だと。どっかで、発想を変えねば、争いなんか終わらないですよね。
いっそうのこと、どちらかがくたばるまで徹底的に戦うか、それか、両方が我慢するか、寛大な人間性になるか、しかないですわ。
それか、ぼーん氏みたいに真剣に考えている方が、実際に現地の偉い様と対話して、止めさせるように説得してみるしかないのでは?
ぼーん氏が政治をして、壱日本の代表として、説得してみる事ですね。
233
:
金玉(こんぎょくと読んでください)</b><font color=#FF0000>(ey0ah8UE)</font><b>
:2003/09/10(水) 19:46
>>229
肉まん?食ったら旨いね。好きだ。
ん?憎まんの間違い?
234
:
金玉(こんぎょくと読んでください)</b><font color=#FF0000>(ey0ah8UE)</font><b>
:2003/09/10(水) 19:49
>それか、ぼーん氏みたいに真剣に考えている方が、実際に現地の偉い様と対話して、止めさせるように説得してみるしかないのでは?
ぼーん氏が政治をして、壱日本の代表として、説得してみる事ですね。
まあ、そう簡単に対話に応じ無いかもしれないけど、何が何でもするしかないでしょうな。
頑張って下さい。以上。
235
:
イカフライ
:2003/09/11(木) 11:50
>>223
確かに幸せといういい方は感覚的すぎますね。(フォロ−はいれたつもりですが)
>最低限の人間としての生活の基盤、第一にまず生存であり、それに付随して身近な人たちと人間らしく
生きる社交的な自由が必要だし、さらに(おそらくは)教育もその中に含まれるでしょう。
幸福になるにせよ、不幸になるにせよ、その前提条件として、人間として生きることが可能でなければならんのです。
>平和とは、幸福を増やす不幸を減らすというよりは、もっと根底的に、人間が生きられるための物理的・社会的条件
を確保すること、と僕なんかは考えますけどね。
そうですね、幸福を追求できる最低条件とでもいいましょうか。生存権の確保、といいますか。
餓死したら、幸せも不幸もへったくれもないですから。
私的所有権がなんちゃら、の話でもそれを追及したい、と思っていますよ。
>>225
私も、金玉さんが
>>227
で言われている通り、ぼ-んさんの態度、ちょっとつかかりすぎだと思いますが。
まあ、それはおいても
>素で答えるなら、なったし、役に立ったことあります。
これについても、教えてもらえませんか?
と言いますのは、実は私、解らないのですよ。
ネット全般、ということでしたら、役にたつ、ことはいくらでもあげられます。
ただ、ここでの議論が実際にどう役にたっているのか、いないのか、今更の爆弾発言ですが、解りません。
時々は、それこそここにカキコする時間とエネルギ−を出会いサイトのさくらのバイトに登録して、そのバイト代をユニセフとかに寄付した方がいいのかなあ、と、悩みますよ、マジで。
なら、なんであんたは付き合っているの?といわれそうですが。
ひとつは、このサイトは、アフガン空爆反対をきっかけとして、まあ、その時のメンバ−もうろちいさんと私しかいない、のですが。
そういった思い入れはあります。
また、ネットで何ができるか、見届けたい、見極めたい、という想いもあります。
まあ、それが「役に立つこと」なのかどうか、解りませんが。
236
:
三毛猫ナナ
:2003/09/12(金) 20:37
>>226
イカフライさん
申し訳ありませんが『サイド6』に対する評価
に関しては私は否定的です。
彼の平和概念を自明なものとして対立した平和概念
より『上』のものであることを認めれば、既成の価
値秩序とは別の関係、別の可能性は切り開けません。
『消極的平和と積極的平和』を例に説明しますと、
本来、平和とは『戦争の欠如』をさしており、それ
以外の平和概念より優位的なものであるとする二項
対立の図式がありました。
『この既成の価値秩序を替える』には、どの様にす
ればよいか?
優位に置かれている価値を成し遂げる可能性に劣位におかれた
価値が何らかの形で関わっていることを示し、両者の境界線が
実は曖昧であり決定できないことを明らかにするのです。
戦争の原因として構造的暴力が関わっているのなら、消極
的平和は積極的平和に対して優位性はなく(その逆もしかり)
この二つの価値秩序の関係を見直していく必要性が生まれるの
です。
237
:
スレ汚しの匿名希望
:2003/09/13(土) 18:09
ぼーんさん、お元気ですか?
ところで、サイド6的アプローチを実際に行っている団体を見つけましたんで、お知らせしたいと思います。
もうすでにご存知かもしれませんが...
http://seedsofpeace.org/
ぼーんさんは、
>>222
>逆に、真に互いの生存の基盤を奪い合うような関係においては、「お友達であろう」としても、
>そこから暴力を除くことはできません。
>たとえば、今日、自分たちが、自分たちの大事な人が、イスラエル人に殺されたりする。
>投獄されたりする。チェックポイントで嫌がらせされたりする。
>そんなパレスチナ人にとっての日常の中で、「とりあえず(サイド6的に)仲良くお友達をしてみようや」なんてのが>成立するかどうか。
>真面目に考えてみたらいいと思います。
って言ったけど、ここではまさに「敵国同士」の子供達を一緒にして、キャンプやったりイベントやったりしてるんです。
実際に敵国の子供同士が一緒になって時間を過ごして、お互いにそんなに変わらないことや、同様に戦火におびえていることなんかを、目の当たりに知るんですな。
それまで話すらしたこともなく、その上大人から散々恐怖や先入観を与えられていたせいで、敵国の人間に対する疑心暗鬼や勝手な決めつけをしていたことに気付くらしいんですな。
この団体は、これらの子供達が大人になって老人になってゆく2世代3世代先を目標にして、活動を続けているようです。
俺は思うんですが、 敵と認識する人々を「憎む」よりも美点や共通点を探す方が、勇気が要るんぢゃないでしょうか。
パレスチナやイスラエル等の敵同士であればなおさら、こういった活動が大切なんぢゃないでしょうか。
俺自身、「自分が平和だからこういう正論を言えるんだ」みたいなことは、自覚してます。
自分がパレスチナの人間だったら、「エラソーなこと言ってんぢゃねえー!」と言ってしまうだろうことも。
ぼーんさん自身がサイド6に参加することに意義を見出せないのは、まあ分かるような気がします。
自分自身が論敵と和気アイアイにやっても、実際に海の向こうで苦しんでいる人達の平和にはなんら貢献しないっちゅうことなんでしょう、多分...
また、民間交流レベルでの相互理解が国同士の和解に繋がるのか、っちゅう疑問もあるのかな?(これはイカフライさんも言っておられましたが...)
でも、とにかくぼーんさんが平和に対して自分のポジションを決めて、それを達成するにはどうしたらいいかを「真面目に」考えているのは、みんな分かってると思います。
それから、現在の時点では「青い芝」的な運動に可能性を見い出していることも、ずっと前に言ってましたね。
だからこそ、敵国間のサイド6的な民間交流についての可能性も、一度考えてみて欲しいなあと思いました。
えっと、この件については、特別返事が欲しいというワケでもないです。
答えが早々に出るとゆうもんでもないだろうし...
238
:
武蔵
:2003/09/13(土) 18:59
>>237
横レスすみません。
しかもスレ違いレスにもなりましょうが・・・・
>俺は思うんですが、 敵と認識する人々を「憎む」よりも美点や共通点を探す方が、勇気が要るんぢゃないでしょうか。
パレスチナやイスラエル等の敵同士であればなおさら、こういった活動が大切なんぢゃないでしょうか。
これを実際にやろうとしてやっているのが、
在日の方たちで、韓国籍・朝鮮籍・日本国籍・・・そういう枠を乗り越えて
ハナ(ひとつ)になろうって頑張っていますよ。
ご紹介のページは開けませんが・・・
239
:
イカフライ
:2003/09/13(土) 23:41
>>236
ナナさんの意見に関しては、今のところ、イエスともノ−とも言えません。
「サイド6」的な方法は、積極的平和への否定に繋がるのかどうか、私には解りません。
個人的には、袖擦り合うも、他生の縁、とでも言いましょうか、まあ、単純に、ここで知り合ったのも何かの縁かな、と思って。
また、思想信条と異なった部分で語り合う事によって、見えてくるものもあるかもしれないな、程度に思っています。
240
:
三毛猫ナナ
:2003/09/14(日) 00:55
>>239
『サイド6』の目的はイカフライさんの思い描く
ものとは正反対のものですよ?
対立者同士が意気統合し友好を深めることは構わない
のですけど、あそこの目的は別の所にあるのです。
あれはハッキリいえば『懐柔工作』です。
楽しい話をして連帯間を持たせた後に『ほら、これが
平和だろ?』と話を進め『反戦派の平和なんて俺達の
それに比べたら価値のないものさ』と来るわけです。
二項対立の状態に置かれた二つの価値観のうち、優位
的な価値(つまり彼らの価値)を純粋現前させる為に、
劣位とされた価値(反戦派の価値)を『排除』する欲望
が彼らの中に潜んでいるのです。
それを白日の元にさらけ出すことが必要なのです。
241
:
武蔵
:2003/09/14(日) 03:39
>>240
よく見抜かれたと思います。
私は『懐柔工作』というより『分裂工作』というように見ていましたが
いずれにしろ悪意に満ちたスレ立てに間違いありません。
それは在日の方が、統一と友好と言う切なる願望に向かって志向する「ハナ」の運動とは
全く違うものです。
違いを違いのまま尊重するということでもありません。
違いは棚上げして、低次元の浮ついたじゃれあいです。
242
:
スレ汚しの匿名希望
:2003/09/14(日) 08:23
>>238
武蔵さん、久しぶり。
>ご紹介のページは開けませんが・・・
あれ?そうなの?
おかしいなあ、俺の場合はちゃんと開いたんだけどなあ...
URLも間違っちゃいねえし...
悪いけど、「seeds of peace」でぐぐってみてくれますか?
243
:
cathoderay
:2003/09/14(日) 11:56
>>240
>>241
あんたたち、頭が固いね
そんなこと(懐柔工作や、分裂工作)のためにスレ立てるわけないでしょうが
あれがコミュニュケーションだよ、人間だれしも共通する話題
食べ物であったり、男女の好みであったり、天気の話題
そういうものは潤滑油でしょう。
そういうものを否定してしまっては、コミュニュケーションをとり
相手の文化に理解をし、不必要な衝突を避ける という平和からも遠くならないかね?
コミュニュケーションも取れない人間がどうやって平和を守るんだ?
ましてやあの場であれば、その人間が他方でどのような発言をしていようと
それとは関係なく、話を進めることが出来る。それは大切なことじゃないのかね?
いうなれば死刑賛成論者と死刑反対論者がサロンで紅茶を飲んで楽しくしゃべる場所のような
ものではないかね?
自分と違う意見のものと他の話題についてしゃべるというのはそれほど問題のあることかね?
それって 小学生の「お前はあっちのグループとしゃべってたから裏切り者だ」なんていうのと
どれほどレベルが違うのかね?
あんたたち頭が固いよ
244
:
三毛猫ナナ
:2003/09/14(日) 13:35
>>243
立場の違う者同士が、立場を越え共通な点を探し
対話をし友好を深める点に関しては構わないので
すが、あそこの『隠された目的』は別のものであ
ると指摘しているのです。
友好を深めた後、実際に立場の違いを認め話し合う
なら別ですが、彼らは
>>240
の様な手順で話を進める
、もしくはそれにすら触れずに誤魔化したまま終わら
せるでしょう。
それに、そもそも私は『お互いの立場を認めた上で相互の
立場を明確にし対話しましょう』と呼びかけているのです。
『平和でも法でも定義や解釈がお互い違うことを前提にして
話しあいましょう』と呼びかけているのです。
それを拒絶したのは彼らですよ。
245
:
うろちい
:2003/09/14(日) 18:17
>>244
>ナナさん
>友好を深めた後、実際に立場の違いを認め話し合うなら別ですが、彼らは
>>240
の様な手順で話を進める
、もしくはそれにすら触れずに誤魔化したまま終わらせるでしょう。
そこなんですよね、ずっとこの板で問題になてってたことの一つは。
この件については僕はどっちかというとイカフライ派なんです。
話それ自体にも目的はありますが、このサイトの目的にとっても、何かの糸口がそこにあるのでは、と思うのです。
ただ、時間が無くてサイド6の話の仲間に入れてもらってないけど。
このサイトの目的がおろそかにならないように非常に注意深くやらんとイカンとは思っています。
サイド6の目的自体は悪意と言うより、善意なんだと思いますよ。
ただ、偉い学者(誰か忘れた)が言ったように、「最悪のことはいつも「善人」が起こす」っていう意味で悪意と言えば悪意かな。
二項対立の向こう側を客体と考えるなら、ことが悪く転ぶか、よく転ぶかはこちら側の努力次第と考えるか、あきらめるしか無い、ってとこでしょうか。
246
:
三毛猫ナナ
:2003/09/14(日) 19:45
>>245
『最悪のことは、いつも善人がおこす』
これはおそらくカール=マルクスの『資本論』の
中にある『地獄への道は、種々の良き意図(善意)に
よって舗装されている』のことだと推測します。
うろちいさんの推測のとおりサイド6は『糸口』にはな
るかも知れませんが、あれはマルクスが批判した資本主
義の行き着く先にある『ヘイワ』であり、あの道は紛れも
なく『地獄』へと続いているのです。
それに飲み込まれない様にするのは困難なことであると私は
考えています、その覚悟があって飛び込まれるのなら私は何
も申しません。
#私の意見としては『サイド6』を削除せよとも、書き込むな
とも申しません、私としては現状では様子見といった所です。
247
:
イカフライ
:2003/09/15(月) 13:57
昼飯食いながらサイド6について思ったことを少し。
これは、単に私の好みに近いのかもしれない考え方なんだけれど。
サイド6がいいな、と思う点は、反戦を考えている人だって、それ以外に日常の趣味や楽しみなんていくらでもあるよ、ってことが、見えるといいかな、ってこと。
まあ、こういう考えの人がいるかどうか、解らないけれど。
なんか、社会問題とかの本しか読まなかったり、テレビはニュ−スや報道番組のドキュメンタリ−しか見ない、オフでの人間関係はいわゆる市民系の人だとか、話す内容は社会問題ばかりとか、そういう風に反戦の人が見られるのは、いやだな、と。
(私に関して言えば、ネットでもオフでもそう見る人はおらんとは思うが。)
そうじゃなくて、ニュ−スも見るけど、トレンディドラマ(死語(^^ゞ)も見る。
流行りの音楽を聴いたり、タマには雑誌に載っているようなお店に行ったり、まあイロイロと。
そういったごくごく当たり前の日常感覚がある、ってことは、伝えても良いのではないか?と思ったりするわけですよ。
ヤスツさんが、ナナさんや武蔵さんのいうような意図で、サイド6スレを立ち上げたのかどうかは、ご本人からお聞きすれば良いのでしょうが。
それがナナさんが
>>240
でいわれる懐柔策だとしても、その程度、って気もします。
というか、そういう事って、リアルでは日常茶飯事ではないですか?
それこそ、反戦の話とかしたって、返ってくるリアクションは大半が
>楽しい話をして連帯間を持たせた後に『ほら、これが
>平和だろ?』と話を進め『反戦派の平和なんて俺達の
>それに比べたら価値のないものさ』と来るわけです。
こういう主旨ですよね、言葉は違いますが。
その程度で、潰えるような反戦への想い、ではない、と思いますけれど。
248
:
ぼーん
:2003/09/16(火) 11:50
>>237
そのパレスチナとイスラエルの交流イベントですが、仮に政治的な意見交換をしないで交歓に専念するとしても、
その場合には逆に、「交歓に専念する間は一切政治的な意見交換をしないこと」が必要です。
ここにいる我々が、そのパレスチナ・イスラエル交流イベント的な企画をするのであれば、一切、他の話題を停止してするべきでしょう。
しかし僕は少なくとも、他スレで民族差別的発言を垂れ流す連中と、同時進行で和気藹々と楽しむ、なんてことはとてもじゃないができません。
そのイベントと、サイド6的発想は、似て非なるものです。
もう1つ言えば、サイド6に乗らないこと自体を否定的に評価する文脈を作ろうとするやり口にも虫唾が走ります。
我々は、別にここで殺しあっているわけでもないし、相手の見解をまったく理解しないわけでもない。ただ、その見解に反対しているだけだ。
連中を、その中味において人でなしだと思うけれども、人としての権利が否定されるべきだとは思わない。
必要なことは、おためごかしの交歓なんかではなく、意見内容について責任を持って議論することだ。
だから、交歓なんか必要がない。と僕は考える。
少なくとも「交歓なんか必要がない」いう意見を立てる権利があり、
議論抜きに「交歓を拒否すること、すなわち似非平和」とレッテルはりすることに抗する権利はある。
文句があるなら、なぜ僕がそんなサイド6的似非平和に乗るべきなのか、説得的に論じてみればいいよ。
249
:
ぼーん
:2003/09/16(火) 11:59
ナナ氏の意見については、僕は彼らを買いかぶりすぎだと思いますね。
そんな深謀遠慮なんてまったくないと思いますよ。
# どうせこういう企画にはぼーんらは乗らないだろうから、乗らないことをもって叩いてやろう、
という程度のセコイ根性はあったかもしれませんが、それもどっちでもいい。
パレスチナ人とイスラエル人が仲良くすることは可能であっても、
民族差別者と被差別者が仲良くすることは(根底的には)不可能なのです。
パレスチナ人とイスラエル人が仲良くすることができないのは、
彼らがパレスチナ人とイスラエル人だから、ではないのです。
私たちは寛大にも、現に足を踏んでいる張本人と仲良くすることすらできますが(もちろん、過去に踏んだ人とも)、
足を踏んでいること(踏んでいたこと)を肯定する張本人と仲良くすることはできないのです。
# この意味での批判は、イカフライさんやうろちいさんにも向けています。
250
:
スレ汚しの匿名希望
:2003/09/16(火) 17:36
あれ? どこをどう読んでそう取られちゃったのかよく分からんのだが、俺はぼーんさんが「サイド6」に行かないことについては全然批判してないんだけどなー。
むしろ、ぼーんさん個人として参加しないことを、こんな理由からだろうと想像して、それなら参加しないだろうなと、尊重したつもりなんだけどなー。
そして、以前「青い芝」的な運動に可能性を見い出しており、それ以外の方法はあの時点で考えられないって言ってたから、こういうアプローチで活動しているところもありますよ、参考にしてみて下さい、っていうつもりで紹介したんだけどなー。
俺が「サイド6的アプローチの活動」って言ったからかな?
でも、それは俺の主観だからねー。
ただ、ぼーんさんが「似て非なるもの」って言ってくれたってことは、ある意味この活動を肯定的に受け取ってくれたんだと、勝手に解釈させてもらいますよ。
別にいいよ、サイド6に来るまいが、それを「似非平和」と思おうが...
ぼーんさんは、ぼーんさんのやり方でやればいいんです。(そして、イカフライさんやうろちいさんも、彼等のやり方でやればいい。)
俺自身ぼーんさんの主張についてはいろいろ賛成できないとこもあるけど、前にも言ったようにぼーんさんが「真面目に」考えてるのは十分伝わってくるから...
どんなに批判を受けようが、結局いろいろな方法を自分で考えて積極的に出してるでしょ? 「α」も含めて...
能動的に考えてなきゃ、そういうのってやっぱ出てこないでしょ?
今後、具体的な案についておかしいと思うことがあれば、俺も批判しますよ。328氏に対してもそうしたし...
でも、それとこれとは話が別だと思うんですよね。 貴方のフレーズで言えば、「別の話」ですナ。
251
:
スレ汚しの匿名希望
:2003/09/16(火) 17:39
おっと、250は
>>248
に対してのレス。
>>249
>民族差別者と被差別者が仲良くすることは(根底的には)不可能なのです。
>私たちは寛大にも、現に足を踏んでいる張本人と仲良くすることすらできますが(もちろん、過去に踏んだ人とも)、
>足を踏んでいること(踏んでいたこと)を肯定する張本人と仲良くすることはできないのです。
そら難しいわな。民族差別者の方だって、被差別者と仲良くしたいとも思わんだろうし...
だけど、懐疑派全員がぼーんさん言う所の「民族差別者」なのかな? そうぢゃないでしょ?
俺が猫氏には噛み付いて、ぼーんさんにはそうでないのは何故かな?
そんなに2つにキッパリ分かれるもんかねー。
それから、ぼーんさんは「足を踏まれている張本人」なのかな?
ぼーんさんが被差別者だったら、こう言うのも分かるけど、そうでないなら「奢り」だと思うがな...
被差別者の感じる疎外感とか、差別主義者ではなくても差別側にいる人間との間に感じる距離感とか...
そういうものは、本人でなきゃ分からんし、それを「部外者」であるぼーんさんが同様に感じることはできんよ。どれほど痛みを共感しようが、あくまで「部外者」は「部外者」だよ。
その当たりの「身の程をわきまえて」彼等と接していることを願うよ。
252
:
うろちい
:2003/09/16(火) 18:26
>>249
ぼーんさん
>足を踏んでいること(踏んでいたこと)を肯定する張本人と仲良くすることはできないのです。
根底的に(完全に?)仲良くなれるはずがないのは解るんですが、僕はそれを期して会話に参加するつもりはもともとないです。
「会話に参加する」ということの意味を、ぼーんさんはどう考えているんですか?
253
:
イカフライ
:2003/09/16(火) 19:20
>>249
批判を受けました一人として。
>私たちは寛大にも、現に足を踏んでいる張本人と仲良くすることすらできますが(もちろん、過去に踏んだ人とも)、
足を踏んでいること(踏んでいたこと)を肯定する張本人と仲良くすることはできないのです。
ここですよね。
うろちいさんも言われるように、根本的に譲れない考え(それを思想と呼ぶのかどうか解りませんが)が相いれない場合、その人と深いところまで仲良くするのは、難しいと思います。
不快な喩えかもしれませんが、3回まで寝ることは出来ても、結婚する気にはなれないでしょう。
ただ、本当に根本的な思想が違うのでしょうかね?
今のところ、懐疑派の方々と意見の一致点は、あまり見出せてはいないです。
それが本質的な差異なのか、方法論の違いなのか、鈍い私には、今だ結論は出ていないのです。
しつこく、ここのサイトに止まっているのは、その辺りもあるのかも知れませんね。
あと、それはそれ、これはこれ、って考え方はいかんですかね?
この点では考え方が違う、けれど、別の点では嗜好が一致する(ヤスツさんと私の中島みゆきなんかそうです)。
それならよそでやれ、と言う事かもしれませんが。
ひとつのことで意見が違っても、他の議題で知識や情報を持ち寄れる、ってこともあるかも知れませんが、どうなのでしょうか?
あ、最後に質問。
ぼ-んさんは、私がサイド6的な、雑談スレを作ったとしたら、どんなご意見を出されたでしょうか?
254
:
ぼーん
:2003/09/16(火) 21:30
>>250
> あれ? どこをどう読んでそう取られちゃったのかよく分からんのだが、俺はぼーんさんが「サイド6」に行かないことについては全然批判してないんだけどなー。
あなたがどういうつもりかは知らないけど、そういうことをハッキリ口にしたのはヤスツ氏。
じゃ、確認するけど、あなたはそのヤスツ氏の見解に反対ですか?
反対なら、あなたに対してそう述べたことについては謝りますけど。
(賛成はしない、って程度なら、あっそう、くらいですませますw)
>>251
僕自身が足を踏まれている必要なんてないね。
踏まれている人の痛みが分かるなんていったこともない。(むしろ否定したはず。)
しかし、足をふみつつ、そのことを肯定したり、仕方ないといったりする。
仮に僕に在日の友人がいなくとも、また、ある具体的な在日の当事者が「それは構わない」と言おうと、
そんなこととは関係無しに、在日に対する不当な要求、また、差別的な発言、こういうことを言うバカとは
和気藹々とやってなんかいられない。正直虫唾が走ります。
255
:
ぼーん
:2003/09/16(火) 21:40
>>252
> 根底的に(完全に?)仲良くなれるはずがないのは解るんですが、僕はそれを期して会話に参加するつもりはもともとないです。
「根底的に」とは、表面上がどういう付き合いであろうとも、です。
> 「会話に参加する」ということの意味を、ぼーんさんはどう考えているんですか?
どういう意味でもありえるんじゃないですか?
会話に参加しないことにも立派に意味があるし。
しかし、質問がどーにも答えにくいですね。
ある1つの会話の場(たとえば1つのスレ)は、ある種のメッセージを持つし、
そこでのやり取りは、そのメッセージへの介入であったり賛同であったりするでしょう。
それぞれの意図の元に、それぞれに様々な介入を行うわけでしょう。
その介入は、意図した効果を持つこともあれば持たないこともある。
あるいはそもそも誤解されることもある。
このくらいしかいえないですね。
256
:
ぼーん
:2003/09/16(火) 21:51
>>253
> ただ、本当に根本的な思想が違うのでしょうかね?
違うと思いますね。
αを否定する、というのは相当根本的なところでの違いですよ。
壱学生氏とのやり取りで証明されたように(というよりも、壱学生君が反証できなかったように)、
我々の議論におけるマナーですら、αのような規範の基礎となる前提を持たなければ作ることができないのです。
> あと、それはそれ、これはこれ、って考え方はいかんですかね?
モノによるでしょう。
> ひとつのことで意見が違っても、他の議題で知識や情報を持ち寄れる、ってこともあるかも知れませんが、どうなのでしょうか?
やれる人は、それがやりたいなら好きにすればいいと思うよ。
ただし、僕は彼らがしばしば公言して恥じない排外思想の現実の結果として困っている人がいるときに、
そんな排外思想を吹聴し続けるバカと和気藹々と場を共有すること自体不謹慎だと思ってしまう人です。
和気藹々とではなく、そうではなく、それでも何かの糸口を探しての対話の場を作ることと、
相手の思想の持っている「現実の」問題を不問にしながら「それはそれ、これはこれ」で自分にとって居心地のいい会話の場を守ることは
また違うことです。そのことを忘れないでほしいと思いますね。
257
:
うろちい
:2003/09/17(水) 17:58
<おしらせ>
本日ハンドレッドソードさんによって同じ記事内容が複数のスレッドに投稿されています。
それらへのレスはスレッド「朝鮮族に対する真実を知っていますか?」に対してしていただけると、他のスレッドの流れがスムースになると思います。
皆さんには各自適切に対応して下さいますようお願いいたします。
258
:
うろちい
:2003/09/19(金) 08:41
<おしらせ>
くまちゃんサーバ周辺の工事の関係から昨日から明日にかけて、数分ずつ何度かサーバーにアクセスできないようになっているそうです。
何も知らずにトップページや旧談話室などに訪れたけどいけなかった方、ごめんなさい。
談話室2は別サーバなので大丈夫です。
ついでですが、談話室2もサーバメンテの関係から10/4の午前4時から6時の間アクセス不能になります。
よろしく。
259
:
スレ汚しの匿名希望
:2003/09/19(金) 21:27
>>254
>あなたがどういうつもりかは知らないけど、そういうことをハッキリ口にしたのはヤスツ氏。
あーあ、また2ch連体責任で、俺がその代表か...(タメ息)
俺的には、できるかぎり反戦派の人達各々の「違い」や「個性」を考慮して話しているつもりなんだけどなー。
まあそれはともかく、俺がどういうつもりかというのは、
「サイド6とは関係なく、実際の反戦平和活動にSeeds of Peaceのような活動が有効かどうかを考えてみてほしい。」
です。
>>237
で話したことが、全てです。
ぼーんさんが言った、『少なくとも「交歓なんか必要がない」いう意見を立てる権利(
>>248
)』を、既に認めた上でのハナシです。
260
:
スレ汚しの匿名希望
:2003/09/19(金) 21:29
>>254
>じゃ、確認するけど、あなたはそのヤスツ氏の見解に反対ですか?
>反対なら、あなたに対してそう述べたことについては謝りますけど。
>(賛成はしない、って程度なら、あっそう、くらいですませますw)
俺? だ〜いさんせ〜い!!(W
俺ってもともと議論とか得意ぢゃないし、楽しい話している方が性にあってるし...
だから、ああいうスレが出来て俺的にはうれしいのさ。普段激論を飛ばしている人達の素顔がどんなのかってのを知るだけでも、俺にとっては意義がある。
一人の人間を多角的に知ることができるっていうのは、俺は好きなんだよね。
人間って一面だけぢゃないでしょ?
どんな人でもいろんな面を持っている。「長所」もあれば「欠点」もある。
「優れている能力」もあれば「劣っている能力」もある。「尊敬できる点」もあれば「軽蔑したくなる点」もある。
それらは人によって見方も異なるんだろうけれど...
俺的には、一人の人間をいろんな角度から見てみたいんだよね。
議論からもある程度それらは見えるけど、サイド6ではもっと知ることができるのは楽しいね。それが単なるメシの話題であってもだ...
それに、「政治的・思想的に敵対する者同士が、別の面で共通点を見い出そうとする」っていう点で、俺的には「サイド6」と「Seeds of Peace」は共通点があると思ったわけ。
ただ、ぼーんさんが「居心地のいい会話に流されて「現実」の問題を不問にするのではないか」と危惧する気持は、なんとなくわかる。そうなってしまう人もいるかもしれない。
しかし俺は、「論敵との共通点が見出せたら、もっとお互いの「全部」ではなく「部分(ある問題に対しての意見の相違)」だけについて意見を戦わせているという自覚が双方に生まれて、
「レッテル貼り」や「中傷」のような、本来の議論の目的から外れたムダなことを省くことができるかも」という期待をしてます。
サイド6について、俺とぼーんさんの見解がまるっきり逆だというのは分かってるよ。
だから、それについて俺のことを罵倒しようが批判しようが、別にかまわんよ。
ただ、ぼーんさんの見解に「賛成」とか「反対」とかいうのは、オレが
>>237
を書いた意図とは全く関係ないのよ。
俺は、ぼーんさんを「多角的に」見た結果、賛同できない意見も多いし対立する思想を持っている部分もあるけど、貴方の「姿勢」は充分尊敬に値するもんであるから、ああして提案したんです。それだけ。
261
:
スレ汚しの匿名希望
:2003/09/19(金) 21:30
>>254
>僕自身が足を踏まれている必要なんてないね。
>踏まれている人の痛みが分かるなんていったこともない。(むしろ否定したはず。)
なら、
「民族差別者と被差別者が仲良くすることは(根底的には)不可能なのです。(
>>249
)」
みたく、自分が「当事者」であるような言い方は慎んだ方がいいと思うよ。
ぼーんさん個人として、懐疑派に対して虫唾が走ろうが反吐が出ようがぼーんさんの自由だし、被差別者に共感するのも然りだ。
でも、立場的に「第三者」であるのならば、こういうことを言うのは、実際にぼーんさんが共感を感じている人達に対して失礼になると思うよ。
自分の個人的な心情を一般化して、彼等の思っていることのように述べるべきではないと思う。
最後に、えらい亀レスですまんかったね。
ここ数日凄く賑わっていて、俺のレスも旬をすぎちゃっただろうけど...
262
:
スレ汚しの匿名希望
:2003/09/19(金) 22:02
>>261
訂正
× 自分が「当事者」であるような言い方は慎んだ方がいいと思うよ。
○ 自分が「当事者」であるかのような言い方は慎んだ方がいいと思うよ。
263
:
うろちい
:2003/09/25(木) 02:52
<お知らせ>
以前からの懸案だったハンドル未入力の件です。
議論が混乱しがちだったり不必要に煩わしかったりするので今週の土曜日くらいからハンドル未入力を禁止(入力しないと投稿できない設定に)しようと考えています。
「<未入力>」というハンドルは可能ですから異議は出ないとは思っていますが、ご意見がある方は参考にしますのでレスください。
なお、この掲示板には重複ハンドルを回避する方法がいくつかあります。
詳しくは↓
http://jbbs.shitaraba.com/faq/
ハンドルパスワード発行希望の方は希望ハンドルと対応するパスワードをメールにてお送りください。
ハンドルパスワードは1メールアドレスに1つ発行します。
264
:
<末入力>
:2003/09/25(木) 07:30
いざとなれば、トリップをつければ重複は防げるので大丈夫かと。
265
:
うろちい</b><font color=#800000>(3K8nOQJc)</font><b>
:2003/09/25(木) 13:33
<重複ハンドル回避法その1・・トリップの使用>
名前欄に「ハンドル#パスワード」と入力し投稿すると、パスワードが暗号化されてハンドルの直後に付加されます。
例えば「うろちい #urotii」と入力し投稿すると、このレスの名前のように「うろちい(3K8nOQJc)」となります。
暗号化規則などを知らなければ同じ名前で投稿することはできません。
266
:
うろちい
:2003/09/25(木) 13:43
↑
誤「暗号化規則などを知らなければ同じ名前で投稿することはできません。」
正「パスワードまたは暗号化規則などを知らなければ同じ名前で投稿することはできません。」
<重複ハンドル回避法その2・・ハンドルパスワードの使用>
管理者にメールでハンドルと対応するパスワードを送り、管理者がハンドルパスワードを設定します。
設定後名前欄に登録ハンドルを、メールアドレス欄に「#パスワード」を入力すると、そのハンドルが唯一であることを示すための標識がハンドルに付きます。
この板ではパスワード付きのハンドルは「栗色」で表示されるように設定してあります。
このレスでもハンドルパスワードを使用しています。
267
:
うろちい
:2003/09/25(木) 13:46
メールアドレス欄にパスワードとメールアドレスを入力したい場合は
「アドレス#パスワード」というように入力して下さい。
投稿記事の名前欄がこのレスのようになります。
268
:
うろちい</b><font color=#800000>(3K8nOQJc)</font><b>
:2003/09/25(木) 13:49
一見面倒なようですが、クッキーさえ有効になっていれば(普通はなっています)設定後はめんどうなことはないはずです。
269
:
武蔵
:2003/09/25(木) 13:51
>管理者にメールでハンドルと対応するパスワードを送り、
はどのようにすればいいのでしょうか?
E-mail(省略可): 欄に自分のアドレスを入れればいいのでしょうか?
270
:
うろちい
:2003/09/25(木) 14:08
>269
この板からハンドルパスワードの自動登録はできません。
登録は面倒ですが管理者
tonpoo_urotii-lj@infoseek.jp
にEメールを送ってハンドルとパスワードをお知らせ下さい。
登録が済みましたらその旨を返信します。
どんなメールアドレスも管理者に明かしたくない場合はトリップを使用して下さい。
「うろちい(3K8nOQJc)」という表記は人によってはあまりオシャレじゃないかもしれませんがガマンして下さい。
271
:
武蔵
:2003/09/25(木) 14:29
送りました。よろしくお願いします。
272
:
末入力(未入力じゃないよ)
:2003/09/25(木) 20:15
>>269
>E-mail(省略可): 欄に自分のアドレスを入れればいいのでしょうか?
それじゃ、名前のところが青色もしくは紫色になって、そこをクリックすると、自分のところにメールが送れるようになるだけですぞ。苦笑。
273
:
武蔵
:2003/09/26(金) 02:11
テストです。
274
:
武蔵
:2003/09/26(金) 02:17
テストです。
275
:
武蔵
:2003/09/26(金) 02:18
テストです。
276
:
武蔵
:2003/09/26(金) 02:19
パスワードを入れないと緑になるんですね。
277
:
末入力</b><font color=#800000>(XHVUlUJ2)</font><b>
:2003/09/26(金) 10:25
偽重複テスト
278
:
末入力 </b><font color=#800000>(XHVUlUJ2)</font><b>
:2003/09/26(金) 10:25
偽重複テスト
279
:
<未入力></b><font color=#800000>(YoUrgS2c)</font><b>
:2003/09/26(金) 10:27
テスト
280
:
<未入力></b><font color=#800000>(YoUrgS2c)</font><b>
:2003/09/26(金) 10:27
テスト
281
:
末入力
:2003/09/26(金) 10:38
すみません。重複コテは、やはり、各自の責任に任せるしかないかと。
未入力そのものを禁止するには、未入力というコテをパスワードで登録して誰も使用できないようにするのがいいと、ふと思いましたが、あまり意味が無いかと。
それでも、上の例のようにコマ送り(上は例ですからたくさん間を空けましたが、半角1個分とかで空けて投稿すれば第3者は気が付かずに同一と見る可能性も出てくる)すれば可能です。
やはり、コテよりも、内容に重点を置く方がよろしいかと思われます。
差し出がましい事をすみません。一応、提案の1つとして読んでいただければと存じます。
282
:
末入力
:2003/09/26(金) 10:43
たしかに色で識別できますが、パスワードを入れ忘れれば同じ事です。
283
:
末入力
:2003/09/26(金) 10:52
やはり、トリップの方がいいですね。
誰かにパスワード漏れなければ、まず大丈夫ですから。
偶然にも同じコテで同じトリップになる確率はかなり低く、無いに等しいと思われ。
何度も細かい事をスンマソ。
284
:
らろちい
:2003/09/26(金) 18:13
さて、未入力ハンドルの規制、識別しにくいハンドルに対する対策ですが、
「識別しにくいハンドル」「未入力」をNGワード指定してブラウザによって
透明あぼーんしてしまう手法を用いている人は、これを解除していただい
たほうがよいと思います。
本来、発言内容に対話意志が含まれない掲示板荒らし行為を防止する
機能として用意されているNGワードシステムですが、荒らし行為とは無
関係の対立する特定の発言者の発言一切を無視するために使用する
のは、原子力発電など平和利用のために開発された核技術をミサイル
に転用するのと同程度の愚かな行為と言えます。
相手の肩書き、身分、年齢、性別が不確かなネット上での議論は、「相
手の肩書きや立場を見てするもの」ではなく、純粋に「相手の主張内容」
だけを相手にするものです。その意味で、「名前」にこだわるのは無意味
としか言い様がありません。
すでに末入力さんが言われているように、抜け道・回避策は無数にあり
ますし、問題解決の方法として適正であるとは言えません。
そうしたことを「問題視することが無意味になる」対策をあげるとするなら、
「誰が言っているか」ではなく「何と言っているか」に注視するスタイルへ
の転向をおすすめするより他にありません。
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