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うろちいからのお知らせ
198
:
ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2003/09/08(月) 01:56
>>195
さて、立場を明らかにしたところで。念のため繰り返しておきましょう。
私は「反戦平和運動によって、もしくは平和学に基づけば、平和は達成可能である」という意見を持つ人々について、深い興味を持っています。
本当に実現可能なの? というのが私の質問の根幹にあたります。実現性についての疑問が全ての根幹にあります。
「言うは易し」と言いますが、実現できなければ理想は画餅でしかありません。
そこで、反戦平和運動をしている方々の発言、まとめた文書、主張の骨子、訴えている理想などについて、よくよく拝見してみることにしました。
理想としてだけなら同意できるものも数多くありました。
問題は、「ではそれは実際にはどうするものなの?」ということです。理想像に現実を近づける(つまり、現実を理想に準じたものに作り替える」ためには、現実を「ねじ伏せる」必要があります。
賛同者/支援者をより多く獲得するのか。賛同者/支援者にはどのように同意を得るのか。それは実際には順調に進んでいるのか。
賛同者/支援者が増えていないのだとしたら、その問題点は何か。自分が気づいた部分(反戦平和運動をする上で、効果が上がっていないと思われる部分)については、「効果がある」と信じている現場の方にも伺ってみるのがいちばんです。
そこで、反戦系BBSで反戦平和運動、反戦平和論を展開している方々のご意見を伺ってみることにしました。
私としては、私がまだ知らない反戦平和運動の効果や、具体的な改善策などを知ることで、私の思想が「反戦平和運動に対する信頼」に傾き、私自身が他の懐疑派を説得して回る優秀なエバンジェリスト(伝道師)に変貌することを期待しているのです。
しかし、そのためには、反戦平和論/運動をよりよく知り、理解し、実現性などの計画について十分信頼できるものにならなければなりません。
ですが、現在までのところ「理想論」はともかくとして「現実を理想によってねじ伏せるための方法論」については、とても満足のいくスタイルを伺っていません。
実現性についての疑いが晴れないわけです。私としましては、ぜひとも私が熱狂的かつ進歩的な反戦平和主義者になるよう、先達の方々にご教導いただきたいと考えています。
なお、個人的には「饗食(飯酒をともに食う)、音曲演舞(一緒に演奏し唄い踊る)、そしてともに笑う」を、思想信条宗教戒律を異にした方々とできること、そういった場でのみ成立する「揮発的な時間と空間」が平和なのであり、平和というものは「永続しない。瞬発的に出たり消えたりする。言葉や思想を共通化しなくても成立する」というものであろうと思っています。
思想や宗教を「統一」しないで共有できるものを探し、相手の思想や宗教について触れないで笑えることが、「平和という状態」でしょう。
その意味で、平和とは「刹那的」なのが常態なのでは、とも思います。
あ、この「刹那的」というのは、一般に知られているところの「なげやり」というニュアンスの語感ではなく、仏教で言うところの「刹那の時(ひとつ指を弾く間に繰り返される65回の発生と消滅の合間=転じて非常に短い間)」のことです。
平和は短時間、狭い場所に一瞬(一夜の夢)としてしか存在しないが、そうした刹那の平和は、何度も繰り返される。一夜の平和の「永続」は不可能だが、「繰り返す」ことは可能。
私としては、平和(平和学で言う消極的平和)は、戦争の後にだけ発生する静寂であり、戦争という太陽がなければ平和という月は輝かない。そういうものだと思っています。
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