したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

うろちいからのお知らせ

191ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2003/09/07(日) 23:26
私は、貧困を解決するために「喜捨、寄付、寄進」といった概念を教義に盛り込んだり、富の再分配のためのマネー・ロンダリング組織として教会や寺を制定したり、無秩序(犯罪)を滅するために、「神罰、仏罰、祟り」という概念を作って、人間の共同生活(=社会)の安定に寄与するという、宗教の「効能」については高く評価しています。
また、「社会」の貧困と無秩序だけでなく、「個人の内面」を癒すための哲学としての「宗教」の効能についても、別段批判しているわけでも、低く見ているわけでもないんです。
それが必要な人には、そうしたものがあってよいと思います。
誰にでも必要ではなく、不要な人(別に依って立つものがあるとか)には無理強いをしない。それが「人の考えた道具」として、国家・政府より古い装置である「宗教」のよい面です。

ただ、人類は宗教を単一のものとして持っているわけではありません。
複数の風土(山の民と海の民では、恐れるものも禁忌も違うでしょう?)によって違う宗教がありますし、風土ごとに正反対の教義がある場合だってあるでしょう。
複数の宗教が存在するのは仕方ないことですが、複数存在するが故に行動範囲が広まれば「同一の価値基準」には成り得なくなってしまう。

だから、「それらを統合した、上位存在としての新宗教」が必要になる時代がくるかもしれないな、とも思います。
猫氏が言う「積極的平和」を実現するためには、その「上位存在としての新宗教」が不可欠になるでしょう。
「神聖性」を帯び、「同意」を引き出し易く、「規範」としてそれに従うものが多数に及ぶ。
そういうものを、猫氏は規定できますか?

私は無理だと思っているんですよ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板