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Tohazugatali Medical Review

1とはずがたり:2004/10/17(日) 14:58
医学・病院・地域医療など今までTER http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1046080617/l10で扱ってた話題を独立させます。

医薬品・製薬関連はこちら http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1070807006/l10

自民党と結託し日本の成長に対する桎梏となってる医師会・歯科医師会の不祥事はこちら http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1067007932/l10

TERの過去レスは>>2-5あたり

1515チバQ:2011/03/19(土) 11:02:34
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38272
被災地で感染症、拡大の恐れ…専門医訴え


 「このままでは感染症が広がるのも時間の問題だ」

 地震による津波で甚大な被害を受けた岩手県大槌町に、感染症対策専門の医師が実態調査に入り、被災地の実情を語った。

 感染症に詳しい岩手医大病院の桜井滋・感染症対策室長が大槌町入りしたのは17日。同大災害医療チームが同町の赤浜、安渡地区の避難所4か所を回り、被災者を診察した。

 桜井医師によると、避難所は神社や小学校の建物で、100〜200人程度の被災者が生活している。回った避難所は支援が手薄で、住民は被災以来、温かい物を食べておらず、高血圧や糖尿病など持病のある人も薬を飲めない状態。診察には長蛇の列ができた。

 そんな中でも被災者は、サッカーゴールにブルーシートを巻き、地面に穴を掘ってトイレにしたり、魚を洗う蛇口付きの漁業用具を洗い場代わりにしたりと、自力で工夫をしていた。

 「被災者の自助努力で思ったほど感染は見られなかったが、これからが問題だ」

 断水で水が足りないため、トイレの後の手洗いも十分にできず、食器も満足に洗えない。トイレの汚物は日に日に増えており、衛生的に保つのが難しくなる。

 当面の改善策としては、簡易トイレと、手洗いや食器用の消毒液を届けることというが、物資を運ぼうにもガソリンが足りない。

 別の避難所では、インフルエンザ感染が疑われる人がいたり、川の水を飲んだ人に下痢の症状が出たりと、すでに感染症の例も出始めている。避難生活の悪条件で、持病が悪化するなどして亡くなる「災害関連死」とみられる死者は、福島、宮城、岩手の3県で、17日時点で29人に上っている。

 桜井医師は「寒さと栄養不足で体力が低下し、衛生状態も悪い被災地では、高齢者を中心に感染症の危険性が高まる。薬もないため、持病で亡くなる人が増える心配もある。一刻も早く公的な支援を手厚くしてほしい」と訴えている。

(2011年3月18日 読売新聞)

1516チバQ:2011/03/19(土) 11:03:05
http://mainichi.jp/select/science/news/20110318dde041040027000c.html
東日本大震災:透析患者410人避難 福島から東京へ、水も医薬品もなく
 「このまま被災地にいたら死んでしまう」。東日本大震災で地震、津波、原発事故の三重の災害に見舞われた福島県いわき市周辺から約410人の人工透析患者が、治療を継続するため東京都内に避難してきた。人工透析を1週間受けられないと死の危険があるが、古里は透析に必要な水も医薬品も乏しく、ガソリンが枯渇して移動もままならないためだ。

 17日、宿泊先の割り振りなどのため新宿の都庁舎に到着した患者らは、軽食をとりながらも一様に疲れた表情を見せた。

 いわき市北部は、放射能漏れ事故が続く福島第1原発から半径30キロ圏内の屋内退避エリア内。患者のうち約40人は20キロ圏内で避難指示が出ている同県富岡町から。震災の翌朝、避難指示を受けて着の身着のまま家を飛び出した人もいる。

 透析医療のネットワーク組織が動き、都内の医療機関に受け入れ先を確保し、福島県が移動用のバスを用意、医療スタッフが同行した。宿泊先は都が3施設を手配した。いわき市から1人で来た酒井カツ子さん(76)は週3回透析を受けていたが、地震後に受けられたのは1回。一緒に住む長女は「大丈夫だかんね。ばあちゃんの後を追いかけていくから」と送り出してくれたが、「残してきた家族もどうなるのかわからない」と不安そう。

 同市で妻と暮らす永山巌さん(85)。妻は親戚に身を寄せており、「薬や物資を早くいわき市に届けてほしい」。津波で行方不明になった親戚もいる。

 富岡町から付き添ってきた吉田直人医師(48)は「原発の町なので関連会社に勤めている人が多いが、こんな大事故が起きるとは……。いわき市はガソリンがなくて通院できない患者もまだいる。見殺しにできない」と涙を浮かべて話した。

 日本透析医会によると、東京以外に17日時点で千葉県内の1病院が、いわき市の患者33人を受け入れた。今後、富山、新潟、山形の各県でも受け入れを予定しているが、同会の杉崎弘章専務理事は「緊急避難として東京で受け入れたが、東日本には計画停電の問題があり、今後なるべく愛知県以西の電力がある場所へ避難させたい」と話している。【真野森作、田村彰子】

1517チバQ:2011/03/19(土) 11:03:43
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20110318-OYT8T01036.htm
医療機関綱渡り
人工呼吸器が透析が…停電、断水で混乱


断水と計画停電で人工透析の継続に影響が出ている矢板市の「尾形クリニック」(17日)  東日本巨大地震に伴う停電や断水などの影響で、県内の医療にも混乱が生じている。医療機関は人工透析の時間が短縮され、在宅医療で人工呼吸器を使う難病患者も機器停止の危険にさらされている。福島県からの避難者なども本県で受診しており、受け入れ困難になっている医療機関もある。混乱を緩和するため、県医師会は18日、東京電力に対し、重症者を治療する3次救急病院を計画停電から除外するよう申し入れた。

 影響が大きいのは、人工透析を受ける腎臓病患者。県によると5300人以上おり、2、3日に一度、医療機関で1回4時間程度の治療を受ける。だが、計画停電で透析時間が制限され、夜12時以降に治療を行うケースなども出ている。

 矢板市は11日の地震発生後、停電と断水に陥った。同市末広町の尾形クリニック(尾形直三郎院長)は市内外の患者約130人の人工透析を綱渡り状態で続ける。12日は患者を宇都宮市内の診療所にバス2台で運び、時間外に治療してもらった。同クリニックでは人工透析に1日30トンの水が必要。同市などから給水車の支援を受け、14日に治療再開したが安心はできない。尾形院長は「人命に関わるので非常に困る」と訴える。

 患者団体「栃木県腎臓病患者友の会」会長を務める宇都宮市の竹原正義さん(71)も、1回4時間の人工透析が3時間に短縮された。「透析でカリウムやリンなどの毒素を十分抜かないと呼吸が苦しく、歩くのもつらい。3、4日も透析できないと命が危険な患者もいる」と改善を求める。

 人工呼吸器を使う患者も困っている。県内には筋力低下で手足が不自由な筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)などの難病患者約70人が在宅で人工呼吸器を使う。

 停電時は補助バッテリーを使い、通常はバッテリー1個で3〜6時間もつが、充電が不十分だったり、老朽化していると機器が停止する恐れがある。県健康増進課は患者に小型発電機を貸し出しているが、「万が一の事態がないよう、保健師が患者宅を回り、注意を呼び掛けている」という。これらの患者が重篤になった場合、搬送される可能性がある3次救急病院にも計画停電は行われている。18日、東電栃木支店に除外を申し入れた太田照男・県医師会長は「自家発電に切り替えても医療機器などの使用が大幅に制限される」と訴えたが、東電は「(除外は)難しい」と回答したという。

(2011年3月19日 読売新聞)

1519とはずがたり:2011/03/19(土) 17:57:59
>>1511 >>1514

双葉病院長「避難迫られた。責任ない」 患者21人死亡
http://www.asahi.com/national/update/0319/TKY201103190139.html
2011年3月19日11時29分

 福島第一原発の半径20キロ圏内にあり、避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)の患者21人が搬送中や搬送後に死亡した問題で、同病院の院長が18日、朝日新聞の取材に応じた。自衛隊による救出前に病院を離れて患者を置き去りにしたことを認めたうえで、「一緒にいた地元警察署幹部に避難を迫られた」などと釈明した。

 同病院には14日時点で病状が重い患者146人が残され、自衛隊などが14日と15日に3回に分けて搬送。院長は15日の搬送前に他の病院関係者数人と病院を離れたことを認めたが、21人が亡くなったことについては「搬送に長時間かけたためで、国や県の責任。自分に責任はない」と主張した。

 県によると、同病院の患者らは移動時に患者の病状が確認できない状態で、搬送中や搬送後に計21人が亡くなったという。

1520チバQ:2011/03/19(土) 18:28:49
http://www.asahi.com/national/update/0319/TKY201103190240.html
患者続々、薬届かず…医療現場パンク寸前 福島・いわき(1/3ページ)
 危機が続く福島第一原発の南にある福島県いわき市で、医療現場が崩壊の瀬戸際に立たされている。被災住民や原発に近い町村から逃れてきた患者らが治療や薬を求めて押し寄せる一方、原発事故の行方を心配する医師や看護師らが次々と市を去っている。「このまま踏みとどまれるのか」。揺れる病院の医師らを記者が訪ねた。

 常磐道いわき中央インターチェンジを降りると、カーナビがメッセージを表示した。

 《福島原発付近 この先20キロ圏内! 立ち入り禁止!》

 近くの住宅地に人影はなく、コンビニ店のドアの貼り紙には「放射能のため閉店」と書かれていた。

 インターから車で15分。第一原発の南45キロ付近にある「いわき市立総合磐城(いわき)共立病院」は地域の中核病院。11日の地震では壁に数カ所ひび割れが走ったが、施設や医療機器は幸い無事だった。

 いわき市も津波の被害を受け、次々と救急搬送されるけが人への対応で院内はさながら野戦病院のような状況になった。だが、危機はそれで終わらなかった。12日には第一原発1号機が爆発。連鎖反応のように事故が拡大し、原発近くの町村から避難する人の波が市に押し寄せた。

 「地震直後より今のほうが患者が多い」。樋渡(ひわたし)信夫院長(62)はこう語った。市内の診療所の多くが休業し、同病院のロビーは連日、ソファに座りきれないほどの人たちでごったがえす。院長や大半の職員が院内に泊まり込んで診療を続けている。

 助けを求める患者は外来ばかりではない。約7千人が避難生活を送る市内の小名浜、平の両地区にある避難所を17日に巡回した山本義人医師(51)は、被災者から悲鳴のような訴えを聞いた。

 「糖尿病なのに津波でインスリンを流された」「持病の薬がなくなりそう。回数を減らしてのんでいる」……。診療した大半の人の血圧は通常より高かった。薬が足りず、低血糖の人にはチョコレートを渡してしのいだ。

 樋渡院長は当初、「被災しなかったスタッフで事態を乗り切ろう」と考えた。しかし、事態は予想を超えた。

 道路は通行できるのに、放射線の影響を心配してか、医薬品や食料が届かない。ガソリン不足で出勤できない職員が続出し、さらに原発への不安から県外へ避難するスタッフも相次いだ。「院長命令で病院に残れとは言えない」。医師は108人から約60人に、看護師は約730人から3分の2程度に減った。

 看護師は「このままだと、職員はみな過労で体を壊してしまう」と訴える。樋渡院長は「必要最小限のスタッフと物資で、最高の治療をめざそう」と医師らに呼びかける。

 入院患者のうち、軽症者ら約半数は退院や転院をしてもらった。妊産婦や新生児は原発のリスクを考え、全員を県外の病院へ移送。外来診療は4日前から急患に絞った。

 スタッフからは「入院患者と一緒に全員避難すべきだ」という声もあがった。樋渡院長はこう返した。「うちが閉まれば、重症患者はどこにも頼れない。国の避難指示が出るまでは最後まで残ろう」

 とはいえ、院長も自分の判断が正しいのかどうか、悩む毎日だという。「国には考えられる最悪のシナリオを示してほしい。そうすれば、最悪の事態を前提に患者を守る方法を考えられる」

1521チバQ:2011/03/19(土) 18:29:13
 一方、患者のために県外への退避を決めた医師もいる。

 原発から約55キロ離れた郡山市の病院。医師3人は16日、がん治療をしている患者15人と東京へ向かった。

 「気分は悪くないですか」。東北新幹線が動いているJR那須塩原駅から乗った車中で、医師らは点滴やカテーテルをつけた患者一人ひとりに声をかけた。

 同行した医師は「点滴も輸血も満足にできない環境では、患者を危険にさらすと判断した」と言う。受け入れ先を探すのに苦労した末、つてを頼って大阪の病院などに避難先をようやく確保した。

 郡山の病院には、まだ約420人の患者が残る。医師は語る。「どこでもいい。患者を受け入れてほしい」(富田祥広、川口敦子)

1522チバQ:2011/03/19(土) 19:01:10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110318/dst11031810440031-n1.htm
「硬直する寒さ」体調崩し、インフル患者も… 仙台市の避難所ルポ
2011.3.18 10:33 (1/2ページ)
体調を崩し、体育館の一角で毛布にくるまって寝る被災者の高橋光一さんに声をかける妻の栄子さん=17日、仙台市若林区の七郷小学校(会田聡撮影)
 震災から6日目を迎えた避難所では、朝夕の冷え込みにより体調を崩す被災者が目立ってきた。インフルエンザの恐れもあり、対策が急務になっている。被災者には精神的ストレスから、避難所生活への不満も出始めている。(会田聡)

 津波の被害の大きかった仙台市若林区の七郷小学校では約1200人の被災者が暮らす。そのうち約300人がいる体育館に16日夕入ると、6個設置されたストーブで暖を取る被災者の姿が目に入ってきた。カイロや毛布は足りているが、ストーブが6個では広い体育館では心もとない。

 「朝すごく寒いでしょう。布団を何枚掛けても、身体が冷たくなって硬直するかと思った」

 ストーブに使う灯油は今は足りている。だが県庁所在地にあり、“有名な”ここの避難所に比べると三陸方面はより深刻なようだ。

 近くの県営住宅で被災した無職、高橋光一さん(67)は16日朝から発熱し、風邪薬を飲みながら話した。妻の栄子さん(57)は光一さんの頭に冷やしタオルを置き、「普段は風邪なんかひかない人なんだけど」と心配そうだった。

 仙台管区気象台によると、16日は冬型の気圧配置の影響で寒気が入り込み、午前6時には0・1度。17日朝は最低気温がマイナス2・7度と例年を3・2度下回る真冬並みの寒さ。

 実際、体育館で一夜を過ごすと、周囲では断続的に携帯電話の着信音や余震による揺れでなかなか寝つけない。学校職員から支給してもらった毛布4枚で身体をくるんでいたが、午前3時ごろには寒さで目覚めてしまった。

 17日午前6時半、「朝食の支給を始めます」というアナウンスとともに目覚めると、近くで寝ていた被災者の無職、糸賀洋子さん(70)は「足から冷え込んでくるんでかなわない。余震もあるし、よく眠れるわけがない」と疲れた顔で語った。

 同小によると、15日までにインフルエンザにかかった被災者は1人だった。しかし、16日には隣接する七郷中からの受け入れ患者を含め7人に増えたため、小規模学級をインフルエンザ患者専用の部屋に指定した。

 部屋から出てきた荒浜地区の会社員男性(44)は、「自宅は津波で流されたうえ、インフルで熱が下がらないし、つらい」と振り絞るように声をだした。

 同小の塙正浩教頭(49)は、「寒さは布団を何枚もかけてしのいでもらうしかない。インフルへの対策も分離するくらいしか手がない」と語る。

 さらに「隣の人がうるさい」「おむつを替えるとき臭い」といった不満も徐々に寄せられてきているという。

 乾パンなど朝食の支給をもらう人々とともに校庭に出ると寒さから水道は凍りついていた。この寒さは17日夜も続く見込みで、被災した男の子(5)は、「ここよりお家がいい」と母親(30)に訴えていた。

 朝食の乾パンなどを支給していた建設業、菅原忠夫さん(61)は、「家をなくし、仕事もこれからどうなるか分からないが、前を向いて進んでいくしかない」と語った。

1523チバQ:2011/03/20(日) 01:23:38
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20110317-OYT8T00069.htm
病院も深刻な物資不足

医療用酸素、生理食塩水など


在宅で酸素療法を受けていた患者を受け入れ、手術が難しい手術室(16日、塩釜市錦町の坂総合病院で)  被災地で地震による物資不足が深刻となる中、県内の医療機関が燃料や水、医療材料などの不足で危機的な状況に陥っている。患者の受け入れを制限する医療機関も出始めている。

 県によると、16日時点で特に不足しているのは、医療用酸素、生理食塩水や滅菌精製水、自家発電の燃料となる重油。県には多くの医療機関から補給要請が来ている。

 被害の大きい気仙沼市の市立病院は、病院の設備自体に大きな被害はなく、現在は停電も解消しており、約400人の入院患者の容体に問題はないという。だが、電話やインターネットも遮断され、一切の通信手段が絶たれており、緊急に必要な物資を注文することができない。医療器具は出入りの業者が必要なものを予想して届けている状況だという。

 坂総合病院(塩釜市)では自家発電用の重油が16日時点であと2日分しか残っていない状況だ。重油節約のため暖房用ボイラーも止めており、小熊信副院長は「もう一度停電すれば、医療機関としての体をなさなくなる」と苦しげに話す。在宅酸素療法を受ける患者も家や避難所が停電で使用できないため、病院に身を寄せている。手術室6室のうち2室にベッドを置くなどして受け入れており、手術が制限されている。

 県立こども病院(仙台市青葉区)でも燃料や医療材料不足から手術はできず、東北厚生年金病院(同市宮城野区)では外来と緊急患者の受け入れを休止している。

 ガソリン不足も深刻だ。県南中核病院(大河原町)では地震発生後から職員約20人がガソリンが入手できずに出勤できなくなっている。帰宅できずに院内に寝泊まりしている職員も約30人いる。仙台赤十字病院(仙台市太白区)は14日に通電。自家発電機を動かす必要はなくなったが、桃野哲院長は「ガソリン不足で出勤できなくなりそうな職員が出始めている。緊急車両と同様、病院関係者には優先的に燃料を回して欲しい」と訴える。

 大崎市民病院(大崎市)では、ガーゼやカテーテル(細い管)などの医療材料が不足気味だ。ガソリン不足で業者が搬入できないためだ。鈴木安雄総務課長は「沿岸部の重症患者を受け入れたいが、ガソリンがなくて運んで来られないのではないか」と話す。

(2011年3月17日 読売新聞)

1524荷主研究者:2011/03/20(日) 13:44:57

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201102220296.html
'11/2/22 中国新聞
細胞がん化抑える酵素発見
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 細胞の形が変化してがん化するのを抑える酵素の存在を、広島大や英国がん研究所などの研究チームが酵母を使った実験で突き止め、20日付(日本時間21日)の英科学誌電子版に発表した。新しいがん治療薬の開発に役立つ成果という。

 広島大大学院先端物質科学研究科の平田大教授(分子生物学)によると、がんは、染色体異常に伴う細胞の増殖や形の変化で起きる。これまで細胞の増殖を抑える機構は分かっていたが、形の変化を制御する仕組みは分かっていなかった。

 平田教授たちは、増殖の仕組みが人間の細胞に近く、染色体に異常がある酵母細胞を使って実験した。細胞内の酵素「カルシニューリン」の働きを止める薬剤を与えると、細胞の形に異常が現れることを確認。カルシニューリンが細胞の形の変化を抑える役割を持つ分子へ向けて命令を出していると突き止めた。

 平田教授は「カルシニューリンの働きをコントロールできれば、細胞の形の異常を抑える新薬の開発が期待できる。酵母の実験で得られた結果を、医療分野で役立ててほしい」と話している。

1525チバQ:2011/03/21(月) 16:22:35
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110321k0000e040002000c.html
東日本大震災:避難所「ストレス極限」…情報も足りない

薄暗い避難所の体育館に敷いた布団の上に座る女性=岩手県釜石市で2011年3月19日午後3時11分、小出洋平撮影 「嘔吐(おうと)する人が目立つ」「ストレスが極限に来ている」。宮城、岩手、福島の避難所運営責任者アンケートからは、被災者の心身の状態が日々悪化していることが浮かんだ。医薬品が乏しく、暖房が不十分で風邪をひく人も多い。着替えが不足し、トイレの状態も劣悪で衛生面にも課題がある。先行きが見えないこともストレスの原因となっている。

 ◇インフル、下痢、トイレの衛生も劣悪……
 岩手県大船渡市の綾里中学校(避難者120人)では、風邪をひいている人が若い世代も含め10人程いるという。同県釜石市の甲子小学校(同283人)では、十数人が感染性胃腸炎を発症し、下痢や嘔吐などの症状が出ている。ともに医薬品は「ある程度ある」状態だが、患者全てが最適の薬を使えるわけではないという。

 宮城県石巻市の湊小学校(同650人)は暖房が十分でなく、温かい食事も何日かに1度。医薬品もあまりないと回答している。胃腸を壊す人が出始め、「建物1階が泥だらけで食中毒やノロウイルスが心配」という。

 長引く避難生活で体調を崩す人が目立ち、各地の避難所では、インフルエンザ患者も出始めている。

 断水で水が流せず、トイレが不潔な状態になっている避難所も。宮城県東松島市の避難所では、足の悪いお年寄りは廊下の簡易トイレで用を足さざるを得ない状況だ。

 岩手県大槌町の安渡小学校(同約800人)でも「和式の簡易トイレが来たが、洋式便座がないとお年寄りが使えない」。温かい食事も何日かに1食しか食べられず、高齢者によりつらい状況となっている。

 プライバシーが保てず、窮屈な避難所ではストレスも大きな課題だ。岩手県宮古市の愛宕小学校(同180人)は満員で、「寝る場所が狭く、避難者同士のけんかもある」。

 物資ではガソリン不足を挙げる声が圧倒的で、移動も困難な状況だ。下着や衣類が足りず、着替えのできない避難者が多い。津波で多くの行方不明者が出た岩手県では安否情報を求める声が上がり、原発事故が起きた福島県では「放射線量の測定値などの情報が足りない」という声が聞かれた。

 福島県川俣町の南小学校(同150人)に避難した人の多くは、原発事故で避難指示が出された浪江町の住民。「着の身着のまま来ているので、お金もなく、自宅に一度帰りたいという人も出てきている」という。

 避難者たちの不安は募る。宮城県南三陸町の避難所に入る無職、菅原みちゑさん(79)は持病の緑内障の目薬が手に入らず「このまま失明するんじゃないか」と語る。同県気仙沼市の飲食店経営、佐々木美佐子さん(64)は「周りで風邪をひいている人が多いので心配。早くお風呂に入りたい」と話した。

1526チバQ:2011/03/21(月) 16:51:01
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110321-OYT1T00373.htm?from=y10
署内に怒声、医療関係者に緊急通行許可下りず

 岩手県内陸部の警察署。交通課の窓口で、「被災者の命を見捨てるんだな」という鋭い声が響いた。


 声を荒らげたのは緊急通行車両の申請に訪れた医療関係者。被災地で必要な薬を届けたいという。

 結局、許可は下りなかった。

 この警察署では、地震後、緊急通行の許可を求め、医療、行政関係者の申請が殺到、1週間余で数百枚が発行された。

 「緊急」の文字が記された「標章」があれば、通行規制区間への進入が可能だ。同時にガソリンスタンドでの給油を優先的に受けられるため、被災地への支援や連絡に往復するためのガソリン確保をと、申請する人が後を絶たない。

 一方で、岩手県内では徐々に通行規制が解除され、主な道路では東北道のみになった今、緊急通行許可は、高速道を使った長距離移動を除いて下りなくなった。

 しかし、ガソリン不足は深刻で、盛岡市や近郊では、ガソリンスタンドの行列が数キロの長さになることもある。奥州市内では、ガソリンを節約するために車内で眠るのに石油ストーブで暖を取っていた男性が一酸化炭素中毒死する事故も起きた。

 許可証へのニーズは高まるばかりだ。ある警察署幹部は「助けたい気持ちは痛いほどわかる。でも、今の制度のままでは車の給油を目的に許可は出せない」と苦しい胸の内を明かした。

(2011年3月21日14時35分 読売新聞)

1527チバQ:2011/03/21(月) 16:59:45
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110320-00000009-maip-soci
東日本大震災 無休で介護、職員疲弊 宮城・石巻の施設
毎日新聞 3月20日(日)9時37分配信

毛布にくるまって寒さをしのぐ要介護の高齢者。口数は少ない=宮城県石巻市の牡鹿半島で、比嘉洋撮影

 宮城県石巻市の牡鹿半島の被災地では、高齢者の介護が苦境に立たされている。震災を認識できない認知症の高齢者がストレスを募らせ精神的に不安定になっているほか、介護スタッフはほぼ無休で働き続けている。笑顔を絶やさず振る舞っているが、体力の限界が近づいている。

 牡鹿半島の先端に位置する「清優館デイサービスセンター」。日帰りの通所施設だが、17日現在で要介護3〜4の高齢者22人が避難生活を送っている。

 「いつかは見通しが明るくなるんでしょうか」。介護スタッフの安藤けえ子さん(41)は不安を打ち明ける。震災以来、物資はほとんど届かず、施設に備蓄していた食料や薬を無料で供出しながら介護を続けている。

 高齢者は、食事や服薬が制限されストレスは募る一方だ。その中でも認知症高齢者の多くは震災が起きたことを覚えておらず、停電で夜に暗闇になると「電気を消さないで」と動揺する。情緒不安から泣いたり徘徊(はいかい)する頻度も増加している。

 介護スタッフは、高齢者らと同室で寝泊まりしており、十分な休息は取れていない。介護スタッフの亀山宏子さん(27)は「笑顔だけは絶やさないようにしている」と気丈に振る舞っていた。【比嘉洋】

1528チバQ:2011/03/22(火) 23:54:34
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110322_16
家を失ったまま不眠不休 県立大船渡病院スタッフ

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 東日本大震災で大きな被害を受けた大船渡市の県立大船渡病院(八島良幸院長)で、医療スタッフの住居確保が課題になっている。津波で家を失った医師や看護師は入居先のめどが立たないまま、院内に泊まり込みで被災者の救急対応などに当たっている。市内のアパートや宿泊施設は津波で崩壊。家族の安否さえ分からない職員もいる中、先の見えない不安を抱えながら不眠不休の業務が続く。

 避難生活で体調を崩し運び込まれる被災者、薬を求める長い列。大震災から10日がたち、医師や看護師に疲労の色がにじむ。

 同病院では、医師や看護師ら約150人が津波で帰る家を失ったり、ガソリン不足で帰宅できない人も。院内の診療ベッドや処置台、椅子、床に敷いた段ボールの上で夜を過ごしている。津波で医師公舎や市内のアパート、宿泊施設の多くが損壊。被災した職員の住まいのめどは立っていない。

 村田幸治事務局長は「寝ずの勤務で疲弊はピークに達している。できるだけ休ませながら病院機能を維持したい」と話す。内陸部からは医師や看護師、薬剤師らが応援に駆け付け、業務の負担軽減を図っている。

 しかし、県立高田病院が被災したため、陸前高田市の患者も薬を求めて大船渡病院に押し寄せる。避難生活が長引くことで今後、救急患者が増えることも予想される。薬や入院患者の食料、暖房用の重油や寝具の確保、家族の安否など職員の不安は尽きない。

 八島院長は「職員はみんな頑張っているが環境が劣悪だ。衣食住の特に住を安定させたい」と解決策を模索するが、なかなか妙案は見いだせそうにない。

【写真=救急対応に追われる医師や看護師。震災で住まいを失った職員も多い=大船渡市・県立大船渡病院】




(2011/03/22)

1529チバQ:2011/03/22(火) 23:55:00
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110322_19
長引く避難、弱る高齢者 心身の不調増加

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 避難生活の長期化に伴い、小規模避難所では高齢者ら災害弱者を中心に心身の不調を訴える人が増えている。沿岸の避難所には暖房や移動に必要な燃料がほとんど届かないところもある。携帯電話も不通のままで、被災者は「万が一の事態が起きたらどうしよう」と不安は大きい。

 陸前高田市広田町の六ケ浦地区は津波で一部家屋が全半壊し、住民125人のうち集会所の六ケ浦会館には約25畳に約30人が寝泊まりする。残る約90人は破壊を免れた家々に5〜15人ずつ分宿する。

 同地区は高齢化率が高く、避難生活が長引くにつれ体調不良や不眠、精神的に不安定になる人が増加。睡眠補助薬をもらって、やっと眠りに就く人も少なくない。

 物資配給はあるが、食料はほぼ自弁だ。燃料はこれまでほとんど届いていない。各自持ち寄った灯油と練炭で暖を取り、破損した車の燃料を抜き取って何とかしのいでいる。

 自衛隊や日赤が無事を確認に訪れるが、燃料がなく電話も使えない中で急病や予期せぬ事故にどう対処するか、住民は不安を募らす。

 小松スミ子さん(77)は「寒さで血圧が気になるし、インフルエンザが広がればどうしよう」と漏らす。抵抗力が落ちた被災者を暖房や医療環境などが比較的恵まれている大規模避難所や、市外の病院に移送しては―という声も聞かれる。

 ただ、同市米崎町の仮診療所で事務に追われる千葉徳次・市健康推進課長補佐は「避難所の多くは定員いっぱいで、移送に必要なガソリンも乏しい。どの避難者を移すかの優先順位決定にはヘルパーらの支援も必要だが、みんな被災者。人員も不足している」と苦しい実情を説明する。

 六ケ浦会館で暮らす畠山のぶこさん(62)もヘルパーだが、被災し身動きが取れない。「地域で結束してしのいできたが、今後何か起きたらどうするのか。切羽詰まっている。こうした小さい集落への支援も拡大してほしい」と求める。

帰されても生きていけない

 今後の生活を誰に頼れば―。避難所生活が長引く中、高齢者に生活再建へ向けた不安が広がっている。

 宮古市の津軽石小で避難所生活を送る竹山キエさん(75)=同市津軽石、山崎イネさん(73)=同=は、津波で自宅が半壊。被災した家から日用品を持ち帰ろうとしたが、足元はがれきが広がり、弱った足腰ではかなわなかった。

 室内には土砂が流入し、この家に住むためには大幅な補修が必要とみられる。だが、年金暮らしではどのように工面していいのか、めども立たない。

 夫と2人暮らしの竹山さんは「何とか1週間は気を張っていたけれど、これからどうしようか考えると夜も眠れない」と漏らす。親戚も被災しているため、身を寄せる場も見通せない。

 自宅が全壊した他の被災者に比べ、住宅支援に格差が出ないかも不安を募らせる。一人暮らしの山崎さんも「ここ(避難所)にいる分には生き延びていられるが、突然家に帰されたら生きていけない」と話す。

 「全部流された方が安心だった」。つぶやく竹山さんに、山崎さんが力なくうなずいた。

【写真㊤=燃料もない、電話も通じない。心身の不調を訴える高齢者が増え始め、住民の不安が募る=陸前高田市広田町・六ケ浦会館】

【写真㊦=今後の生活に不安を募らせる竹山キエさん(中央)、山崎イネさん(右)ら被災者=宮古市・津軽石小】

(2011/03/22)

1530チバQ:2011/03/23(水) 21:30:57
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011032301000850.html
「震災関連死」5県で37人に 避難長期化、増加の恐れ
2011年3月23日 20時36分

 雪が降る中を歩く被災者=23日午後、岩手県山田町


 東日本大震災で、避難した後に持病が悪化して亡くなったり、突然死したりした被災者が青森、岩手、宮城、福島、茨城の5県で少なくとも計37人に上ることが23日、共同通信のまとめで分かった。阪神大震災ではこうした人たちは「震災関連死」と認定された。避難所生活の長期化でさらに死者が増える恐れがあり、物資不足の解消など早急な対策が求められる。

 避難所が設置されている各県市町村の災害対策本部に対し、地震や津波の犠牲者数とは別に聞き取りで調査した。被災地の通信環境が回復しておらず、いまだに混乱が続いているため「把握できていない」と回答する自治体が多かった。実際には、より大勢の被災者が亡くなっている可能性もある。

 都道府県別の死者数では福島が28人で最多。次いで宮城6人、青森、岩手、茨城がいずれも1人。

 福島県では福島第1原発(大熊町、双葉町)の事故で、半径20キロ圏内にある「双葉病院」(大熊町)が避難指示を受け、寝たきりの患者ら約150人がいわき市や伊達市、福島市の避難所計3カ所に搬送された。このうち計21人が17日までに死亡した。

 同じく避難指示圏内の同県浪江町の特別養護老人ホームに入所していた男性(84)が、西郷村の避難所に移動した後、体調を崩し死亡した。

 青森県階上町では、自宅が流されたため集会所に移った男性(70)の容体が急変し、搬送先の病院で死亡。宮城県大河原町では13日、避難所にいた40代女性が心臓発作で亡くなった。

 茨城県大洗町の避難所では、15日に町内の介護老人保健施設から集団避難した女性(85)が体調不良を訴え、搬送先の病院で死亡が確認された。

 警察庁によると、震災から約2週間たった23日現在でも避難者数は16都県で約26万人。避難所にはガソリンや医薬品、食料などが十分に届いておらず、仮設住宅の建設も一部でしか始まっていない。

 1995年の阪神大震災では、兵庫県では死者6402人のうち919人が震災関連死と認められた。

(共同)

1531チバQ:2011/03/23(水) 23:27:05
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110323-00000615-san-soci
震災で家も病院も失った医師たち、避難所で治療に全力
産経新聞 3月23日(水)19時56分配信

体調不良を訴える女性を診察する植田俊郎さん=岩手県大槌町の弓道場(高久清史撮影)(写真:産経新聞)

 東日本大震災では多くの病院が津波に飲まれ、閉鎖を余儀なくされた。家と病院を失った医師たちは自らも被災者でありながら、聴診器が入った往診用カバン、縫合セットなどの器具を包んだシーツを背負い避難所に駆けつけた。体調不良で苦しむ避難者たちのために、避難所に診察スペースを作り、被災者たちの治療に力を尽くしている。

 「先生、熱っぽいです」「そりゃ大変だ。風邪かな? 体温を測ってみよう」

 約400人が避難する岩手県大槌町の高台にある弓道場。薄暗い場内で医師の植田俊郎さん(56)は山岳用のヘッドランプを点灯させながら被災者と向き合っていた。

 海岸沿いにある植田医院と自宅が入る4階建ての建物は3階までのまれ、植田さんは家族や看護師ら18人と屋上に避難。とっさに聴診器と血圧計が入った往診用カバンと自動体外式除細動器(AED)を手に取った。「これがないと患者さんを守れない」

 地震翌日にヘリコプターで救出されて以来、着の身着のままで弓道場に寝泊まりし、診療を続ける。医薬品は救援物資で届き始めたが、患者たちのデータが入ったパソコンは海水に浸り、被災者たちはお薬手帳を失った。極めて厳しい医療環境だが、「この土地で生きていく。やるしかない」と力強い。

 隣接する山田町の堤防近くにある近藤医院の医師、近藤晃弘さん(51)は地震直後、医院2階の窓ガラス越しに堤防の様子をみていた。ぶ厚い堤防が「ズン」という地響きとともに2メートルぐらい津波に押し込まれ、海水が町になだれ込んだ。看護師ら約20人と3階に逃げた。

 医院と自宅は震災で壊滅状態。近藤さんはけが人が多数出ていると考え、3階の手術室にあった添え木、縫合セット、ハサミ、ピンセットをシーツに包み、瓦(が)礫(れき)の中を持ち運んだ。

 避難所の山田南小学校で、地元の医師2人とともに診療を開始。地震直後は瓦礫で身体を負傷した患者が多かったが、「レントゲンが取れないため、触診で腫れ具合を確認しながら打撲か骨折かを見極めた」。重傷の場合は、無事だった病院へ救急搬送させた。

 近くの薬局の人たちが泥をかぶりながらも、無事だった医薬品を持って駆け付けてくれた。みんなで手分けして、かじかむ手で泥を洗い落とした。「これがあったから、救援物資が届くまでの数日間を耐えることができた」と、感謝する。

 避難所では下痢、嘔吐(おうと)をする患者が出始めた。感染症胃腸炎とみられ、感染拡大に気を揉(も)む。「一刻も早く診療所を立ち上げ、避難所の住民たちを安心させたい。みんなの身体を守りたい」(高久清史)

1532とはずがたり:2011/03/24(木) 22:47:36
>妊婦は脱水症状を起こしやすいので、特に注意して水分を取る必要がある。現状の汚染レベルでは心配はいらない。水のことで神経をとがらせることの方が母体によくない

放射性物質:「妊婦に害なし」…産婦人科学会「推定」
http://mainichi.jp/select/science/news/20110325k0000m040061000c.html

 日本産科婦人科学会は24日、「(現状の)水道水を連日飲んでも、母体や胎児に健康被害は起こらず、授乳を続けても乳幼児に健康被害は起こらないと推定される」とする見解を発表した。東京都の浄水場で採取した水道水から、乳児の飲用に関する基準(1キログラム当たり100ベクレル)を超える1キログラム当たり210ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたことを受け、学会としての考え方をまとめた。

 同学会は米産婦人科学会の推奨に基づき、おなかの中の胎児に悪影響が出る被ばく量は50ミリシーベルトと定めている。仮に1リットル当たり200ベクレル前後の水道水を妊娠期間中の280日間、毎日1リットル飲み続けた場合、合計5万6000ベクレルとなり、総被ばく量に換算すると約1.23ミリシーベルトになる。胎児の総被ばく量は、母体に比べて少ないとされており、悪影響が出る50ミリシーベルトを大きく下回る。

 また、母乳中に分泌される放射性ヨウ素は、母体が摂取した量の4分の1程度と推測されるため、授乳を続けても被害は起きないと推定した。ただ、可能であれば、水道水以外の飲み物を利用するように推奨している。

 産科医の水上尚典・北大大学院教授は「妊婦は脱水症状を起こしやすいので、特に注意して水分を取る必要がある。現状の汚染レベルでは心配はいらない。水のことで神経をとがらせることの方が母体によくない」と説明している。【山崎友記子】

毎日新聞 2011年3月24日 19時47分

1533チバQ:2011/03/26(土) 00:46:07
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110325/dst11032520510090-n1.htm
避難先の悲劇 助かった命守れ
2011.3.25 20:48 (1/2ページ)

 宮城県岩沼市の市民会館で避難生活を送っていた市内の女性(67)は22日午前8時半すぎ、配られたおにぎりを食べた後、市民会館の裏手にある病院に向かった。震災当日、押し寄せる波を避けるため、近所の物置の上で夜を明かした際、足にできた霜焼けを治療するためだった。(SANKEI EXPRESS)

 だが、病院に向かう道で倒れ、間もなく発見された。駆け付けた看護師らが心臓マッサージをして病院に運んだが、間に合わなかった。心筋梗塞だった。

 食料は1日3食配られていたが、1回におにぎりが1つか2つ。硬い床に布団を敷いて眠っていた。暖房はなかった。

 「防ぐことはできなかったのでしょうか…」。一緒に避難していた義兄(82)は、そのまま残されていた女性の布団のそばで無念さをにじませた。

 衰弱死21人も

 福島第1原発の20キロ圏内にあるとして避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら21人が救出後に衰弱死した。人体への放射線の影響を調べるスクリーニングと治療の優先順位を決めるトリアージに携わった福井の災害派遣医療支援チーム(DMAT)を率いた福井県立病院の林寛之さん(49)は「想像以上に悲惨だった」と当時の状況を語る。

 林さんは16日昼ごろ「大熊町の病院で自衛隊員が患者を発見。スクリーニングを受けておらず避難所に入れない」と連絡を受け、搬送先になっていた二本松城(二本松市)の駐車場に駆け付けた。

 白い防護服に身を包んでバスに乗り込むと、思わず息をのんだ。マットレスと掛け布団にくるまれた高齢の男女が座席にあふれ、衰弱しきっているのかほとんど動かない。排泄(はいせつ)物で汚れた布団。通路にも何人かが横たわり、女性が「足が、足が」と、か細い声でうめいていた。

 患者の被(ひ)曝(ばく)線量を計測しようと、座席の肘掛けの上を伝い歩きして奥へ移動。男女1人ずつが亡くなっているのが一目で分かり、調査よりも治療を急いだ。

 「先生、座席3番の人は意識不明です」「座席15番は死後硬直が始まってます」。看護師の切迫した声が車内に響く。脈を測りながら呼び掛けたが、応えたのは4人に1人。ほとんどは脱水症状を起こして意識がない。カルテがないため氏名や既往症も分からず、20人弱の心拍はみるみるうちに弱っていった…。

 「泣いていいかしら」

 宮城県名取市内の避難所。被災者の健康相談に乗る日本看護協会の看護師、斎藤カツ子さん(66)は、自営業の女性(71)から「もう泣いてもいいかしら」と言われた。夫と息子の行方が分からないこと、家も失ったことなどをおえつを漏らしながらはき出し、ひとしきり泣いた女性は「聞いてくれてありがとう」と笑顔を見せ、200あった血圧は150まで下がった。「人」と「物」が届けば命は救われる。

 地震は天災だった。だが、今起きていることはまぎれもなく人災だ。

1534チバQ:2011/03/30(水) 00:40:39

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38777
[福島・いわきルポ]独自の被災地医療態勢が機能


医師らボランティア受け入れ工夫

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その日の避難所巡回診療を報告する各地の支援チーム(26日、いわき市医師会館で) 巨大地震から半月。先週末、外科医で順天堂大医学部先任准教授の斎藤光江医師らと共に福島県いわき市に入った。地震と津波、原発事故という前代未聞の“複合災害”に陥った同市では、各地からの助っ人をフルに生かした独自の被災地医療態勢が機能している。(編集委員・前野一雄)

 医薬品、アレルギー児用ミルク、紙おむつ、生理用品、ミネラル水、生活用品などをワゴン車に詰め込んで、東京から常磐自動車道を一路北上した。太平洋沿いのいわき市は、茨城県と接する福島県南部にあり、県内最大の人口を持つ中核都市。北端は福島原発の30キロ圏内にかかる。総面積が全国第2位の広大な市内には60の避難所が点在する。津波で家屋を流されたり、原発事故で地域ごと退避を余儀なくされたりした約3700人が身を寄せる。

 「物資はほぼ満たされるようになりました」。同市医師会の木田光一会長は、持参した支援物資をやんわり断りながら、「原発が収束しない限り、行き場のない人ばかりが集まっています。今、迫られるのは避難所のケアに当たる医療従事者の確保」と訴える。

 市街地のある避難所を訪れた。暖房のない体育館に、この日やっとビニール畳が敷かれたものの、毛布にくるまって寒さに耐える劣悪な環境。とりわけ高齢者には長い避難所生活が、持病の悪化や、感染症の拡大を招く。

 「課題は、小児らの感染症、高血圧や糖尿病など高齢者の慢性疾患、そして被災者の心のケアの3点」と会長は断言する。

 しかし、地域医療を担ってきた診療所は壊滅状態。会長の診療所も浸水するなど、270の診療所は地震直後に約10に減少した。徐々に再開しているが、「午前中のみ」といった時間を区切る所を含めても半数程度。とても被災者の診察に当たる余裕はない。

 長期戦が必至な地域医療の再生。陣頭指揮に立つ木田会長は知恵を絞った取り組みをいち早く始めた。

 放射線被曝(ひばく)の風評被害で物流が途絶え、医薬品不足に陥る中、日本医師会を通じ、愛知県医師会からわずか1日で150品目800キロの医薬品がヘリで到着。19日から避難所の巡回診療を開始した。

負担かけず2、3日ごと交代

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愛知県から空輸で届いた医薬品を仕分けるボランティアの薬剤師たち(26日) 戦力は各地から集まった医療支援チームのボランティアたちだ。受け入れる方は、長期間滞在を望みがち。一方、ボランティア側が過重な負担になれば支援の志が実現できない。そこで、時間を工面して駆けつけた人材をチーム編成し、2、3日ごとに順次交代していくことにした。「支援チームが疲弊しては、長続きしない。とにかく穴を空けないことが重要」(木田会長)。愛知県のチームは6回入れ替わっている。

 医師、看護師、事務らが一組で巡回診療に当たる。日々最低6チームが編成できるよう市医師会のホームページ「医療支援カレンダー」で、募集情報を集約し、人材を分配する。個人参加の各職種の人もチームに組み込み、薬剤師が医薬品の管理にあたる。

 毎日午後5時から一日の診療内容や問題を報告し、翌日の解決策を打ち出す。私たちが訪れた日は福岡、京都、三重、愛知、富山、山梨などの約50人が集合。ぜんそく、気管支炎、感染性胃腸炎、高血圧、パーキンソン病、不眠、津波に巻き込まれたショックによるパニック症状、自主避難地域内に家族と残る90歳代の胃ろう(管で栄養摂取する)患者らが引き継がれた。

 「未曽有の危機には、新たな仕組みに変えていくことが社会の機能を復活させるカギ」と斎藤准教授は評価する。チームのだれもが充実感に満ちている。職場に戻っても、さらなる仲間を呼び込むだろう。

 求められるのは、現場に即した確かな戦略を打ち出す司令塔だと、肌で感じた。


 運んだ支援物資は翌日、約1000人が生活する福島市のあづま総合運動公園の避難所に届けた。

(2011年3月29日 読売新聞)

1535チバQ:2011/03/30(水) 00:42:58
>>1337-1338
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20110328-OYT8T01034.htm
上小阿仁 再び無医村の危機




医師が退職願 中傷で心労か


有沢医師が勤務する村立上小阿仁国保診療所  上小阿仁村唯一の医療機関である村立上小阿仁国保診療所の有沢幸子医師(66)が退職願を出し、受理されたことが28日、分かった。有沢医師は昨年、一部住民の嫌がらせが原因で辞意を示したが、住民の熱意で、その後、撤回した。今回は、健康上の理由だというが、今でも嫌がらせが続いていることが背景にあると指摘する村関係者もいる。後任探しは難航が予想され、再び無医村の危機を迎えた。(糸井裕哉)

 有沢医師は昨年9月、小林宏晨(ひろあき)村長に対し、「激務をこなせる体力がもうない」と退職願を提出した。小林村長は「土日を完全休診にする」「週2日は非常勤医に任せる」などの待遇改善策を提示して慰留に努めた。

 しかし、有沢医師は昨年末の検査入院で「現状が続けば健康維持は難しい」と診断されたことを挙げ、申し出を断った。意志は固いと判断した小林村長は2月下旬、受理した。退職にあたり、有沢医師は「後任に引き継ぐまでは頑張る」と話していた。

 有沢医師は当初、辞任の公表を望まなかったが、今月中旬に有沢医師から「いつ辞めるか分からないのに実情を知らせないのは村民に不誠実」との申し入れがあり、村は事実の公表と、ホームページ上での医師公募に踏み切った。また、退職願を受け、村は、有沢医師の負担を軽減するため、4月から秋田市立秋田総合病院長を週1回招いて、外科と泌尿器科の診療を実施する。

 有沢医師は2009年に赴任。年間約20日しか休診せず、夜間や早朝でも往診する献身的な診療で、住民から絶大な信頼を得た。その一方で、一部住民から、「平日に休むな」「患者を待たせすぎだろ」などの心無い中傷で心労が重なり、辞意を表明した。

 1週間で慰留を求める約800人の署名を集めた村民の熱意で翻意した。だが、その後も無言電話があり、年始に休診した際には「正月だからって休むのか」と嫌がらせの電話があるなど、有沢医師に対する中傷は続いたという。

 さらに、周辺自治体で医療機関が続々と縮小した影響などで、有沢医師のいる診療所では患者が急増。昨年は1日あたりで前年比約10人も増えた。

 村の担当者は「有沢先生は後任が決まるまで続けると言ってくれているが、夏までに医師を見つけないと先生が倒れる」と、後任探しに奔走している。

 だが、有沢医師のように村に移住し、急患や往診に即応できる医師の確保は困難だ。村では、常駐の医師が見つからない場合として、非常勤の医師を複数おいて、診療態勢を維持することも考えている。

 月一度、診療所に通っている山田ツル子さん(75)は「一人暮らしで移動手段が限られる私には診療所と有沢先生だけが頼り。無医村になるのは避けたい」と不安な表情を浮かべた。

(2011年3月29日 読売新聞)

1536チバQ:2011/03/30(水) 12:39:28
http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY201103300100.html
「計画停電で手術できない」 除外されぬ病院、不安の声(1/2ページ)
2011年3月30日10時36分

 東京電力の計画停電で、救急患者の受け入れ制限や重症患者の手術の延期を余儀なくされる病院が出るなど、医療現場が混乱している。一部の病院は停電の対象外になったが、明確な「除外基準」はない。夏にはさらに電力不足が深刻になる可能性が高く、不安の声が上がっている。

 大動脈瘤(りゅう)など心臓血管の治療実績が全国トップレベルで、救急車の受け入れが年間約6千件の川崎幸病院(川崎市)。関東全域から患者が来院し、通常3カ月先まで心臓手術の予定が入っているが、計画停電が始まってすべて延期した。

 停電の時間が日によって違い、直前までわからないことがあるので、長いと10時間以上になる手術の計画が立てられないからだ。非常用発電機で人工心肺装置を動かしている時に発電機が故障したら患者の命が危ない、という不安もあった。

 大動脈瘤は、破裂した場合の死亡率が高く、いつまでも延期できない。停電が続くなら、4月以降はリスク覚悟で手術を再開するという。

 自治医大さいたま医療センター(さいたま市)も停電時は予約患者以外の外来受け付けを中止し、手術件数を制限している。非常用発電機の燃料の重油が手に入りにくいことに頭を痛めている。

 災害拠点病院でもある上都賀総合病院(栃木県鹿沼市)は停電時でもCT(コンピューター断層撮影)やMRI(磁気共鳴断層撮影)などの画像診断機器を動かせるようにするため、発電機の増設を検討しているが、数千万円かかりそうで簡単に決められない。廣田光一事務部長は「医療機関は計画停電から外してほしい」と訴える。

 一方、計画停電から除外された病院もある。

 救命救急センターであるさいたま赤十字病院(さいたま市)は停電時にCT(コンピューター断層撮影)、MRI(磁気共鳴断層撮影)が使えず、頭部外傷や脳卒中などの救急患者の画像診断ができなかった。交通事故に遭い昏睡(こんすい)状態で搬送されてきた患者は隣の市の大学病院に転送せざるをえなかった。その後、加藤泰一院長が東電に強く要請し、計画停電から外された。

 東電は自衛策を呼びかける一方で、社会的影響が大きいとして、鉄道と病院の一部を停電の対象から外した。明確な基準はなく、除外した病院名や数も公表していない。東電によると、変電所から離れた病院を除外すると、周辺の家庭や事業所にも電気を供給することになり、計画停電の効果が薄れるという。

 川崎幸病院を経営する医療法人の理事長で日本病院会常任理事の石井暎禧(えいき)さんは「苦情を言った病院を除外するなど、東電の対応はばらばら。救急や重症患者を多く治療している病院から優先して送電するべきだ」と話す。(編集委員・出河雅彦)

1537チバQ:2011/04/02(土) 17:07:49
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110402-00000005-maip-soci
東日本大震災 被災者の心身守る「無医村状態」で巡回診療
毎日新聞 4月2日(土)9時57分配信


 「調子はいかがですか?」。避難所などいつもと違う環境で暮らす被災者の健康を守ろうと、各地から医師らが駆け付け、巡回診療を続けている。岩手県山田町と大槌町で診療チームに同行した。【曽根田和久、藤田剛、村上正】

 ◇岩手・山田、大槌で診療チーム同行

 山田町の中心部から約6キロ北に離れた町立豊間根中学校の避難所。大きなゆっくりとした声が臨時診察室になった相談室に響いた。和歌山県立医科大付属病院(和歌山市)の森畠康策(もりばたこうさく)医師(36)は病院スタッフとともに3月29日から3日間、町中心部からの避難者を多く抱える豊間根地区で、避難者らの巡回診療に当たった。医師歴は10年。災害時の出動は今回が初めてだ。

 声をかけられたのは高齢の女性。「血圧が上がって目がぐるぐる回るんです」。女性は体調不良を訴えていた。中山美代子看護師長(49)が測ると、最高血圧は200近い。薬剤師に指示して薬を処方し、すぐ飲むように伝えた。「避難生活が長くなり、被災者の体調悪化を実感します」。被災者に笑顔で対応していた森畠医師の顔が一瞬厳しくなった。

 山田町では計5カ所ある医療機関のうち県立山田病院を含む4カ所が被災。カルテなど多くの医療記録も消えた。持病のある被災者も身一つで避難したため、常用している薬を失った人も多い。避難者の佐野芳高さん(60)は「4年ほど飲んでいた胃潰瘍の薬が流されてしまって。診ていただいて本当によかった」。ほっとした表情で話した。

 約1時間の診療後、森畠医師らは別の避難所や介護が必要な避難者を抱えるグループホームを巡回。合間には疲労で風邪を引いた避難所スタッフの診察もこなし、豊間根中へ戻ると既に十数人が列を作っていた。森畠医師は「地域の中核病院が被災すると、直接被災していない周辺部まで影響がでて『無医村』のような状況だ」と話す。

 森畠医師らが普段勤務する和歌山県は東海・東南海・南海地震の津波で大きな被害が想定される。「被災地で何が起こり、医師としてどう貢献できるのか考えさせられた。(東日本大震災は)私たちにとっても決して人ごとではない」と森畠医師は話す。

 ◇孤立高齢者の体調管理が課題

 国際医療救援団体「AMDA」(本部・岡山市)の医療チームを乗せた車が、がれきが積み上がる海沿いの道を抜け、坂道を上った。大槌町安渡の「古学校」地区。かつて小学校があった場所に約30世帯の民家が密集。津波の被害が少ないため、沿岸部で家を失った人が親族らを頼って身を寄せる。「在宅避難者」だ。

 そろいの青いジャンパーを着たAMDAの3人が、机と椅子を置き、即席の「青空診療所」を作ると、住民が列を作った。「先生、風邪薬だけじゃなくて眠り薬もないですか。不安で寝付けなくて」。里舘園子さん(72)が訴えると、高橋徳(とく)医師(60)は手際よく睡眠導入剤を段ボール箱から出した。「1日1回、寝る前に飲んでな」

 親類宅に身を寄せる小国健司さん(61)の血圧を、看護師の高野直弥(なおみ)さん(37)が測っていた。「前よりも良くなりましたね」。小国さんの表情が緩む。

 土沢兼次郎さん(62)の家には、長女、次女、長男の3家族が避難し、7人で暮らす。「診療所のある避難所に薬をもらいに行こうにもガソリンがなくてね。先生が来てくれて助かります」

 町内にあった県立病院と五つの診療所は壊滅。現在、県立大槌高校など大規模な避難所に医師が常駐しているが、自宅や小規模避難所で暮らす被災者をどう診療するのかが課題になっている。高橋医師は「1人暮らしの老人が孤立し、電気も水道もない中で健康を害するケースが出ている。2次被害を防ぐためにも、私たちが定期的に訪問することで安心してもらえれば」と話す。

 診療が終わると、AMDAの理学療法士で大槌町出身の元持幸子さん(36)がハンドクリームを配った。「うわあ、うれしい。寒くて手がかさかさしてたから」。被災者らの顔がパッと明るくなった。

1540チバQ:2011/04/11(月) 23:44:45
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110411-OYT1T00610.htm
難所の不衛生、寒さ…震災関連死疑い282人

 東日本大震災が発生し、11日で1か月。

 避難所の寒さや衛生状態の悪さから持病が悪化するなどして亡くなる「震災関連死」の疑い例が、岩手、宮城、福島3県で少なくとも282人に上ることが、読売新聞の災害拠点病院などのアンケート調査でわかった。被害が甚大だった岩手沿岸の病院では未回答のところも多く、人数がさらに膨らむのは必至だ。避難所の劣悪な状況はあまり改善されておらず、専門家は「関連死が拡大する速度は、阪神大震災や中越地震の時と比較にならない」と警告している。

 調査は、災害拠点病院と主な2次救急指定病院の計113病院に、3月末までに被災した影響で持病悪化や新たな発症で亡くなった患者数を聞いた。56病院から回答があり、3県24病院が該当ケースがあるとしている。282人の内訳は、宮城214人、福島63人、岩手5人。大半が高齢者とみられる。

(2011年4月11日14時33分 読売新聞)

1542名無しさん:2011/04/21(木) 23:00:14

大学病院の節電「3%が限界」- 全国医学部長病院長会議
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33791.html

 全国医学部長病院長会議(会長=黒岩義之・横浜市立大医学部長)は4月21日の定例記者会見で、今夏の電力不足への対応について、「使用電力3%の削減が、大学病院の医療の質を落とさないための限界だ」との認識を示した。

 政府が示した今夏の電力需給対策では、契約電力500キロワット以上の大口需要家は、最大使用電力を昨夏比25%程度に抑制することを求めており、大学病院も対象となっている。

 黒岩会長は、3月に計7日間の計画停電が実施された東京女子医大八千代医療センター(千葉県八千代市)を例に、手術や内視鏡検査、救急受け入れなどの制限のほか、MRIやCTなどの電源を何度も入れ直すことで機器の不具合が生じるといった影響があったことを説明。自家発電による対応では、限界があると強調した。

 また、森山寛副会長(東京慈恵会医科大附属病院長)は、東京電力と東北電力管内の10大学で節電シミュレーションを行った結果、スタッフエリアの空調や照明の制限、電子カルテ端末の一部停止などで3%程度を削減できるとしたが、「3%以上カットすると、医療の質を落とさざるを得ない」と述べた。

( 2011年04月21日 22:46 キャリアブレイン )

1543名無しさん:2011/04/21(木) 23:15:09

被災地の医療支援一元化へ22日協議会発足
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33790.html

 東日本大震災の被災地のニーズと医療団体による支援をマッチングする「被災地医療支援協議会」(仮称)が4月22日に発足する。被災地のニーズを吸い上げ、各団体の医療支援を一元的にコーディネートすることで、地域によって支援が集中したり、不足したりといった非効率さを改善し、継続性のある支援体制を築く考えだ。

 協議会設立にかかわった全国医学部長病院長会議の嘉山孝正相談役(国立がん研究センター理事長)が21日、同会議の定例記者会見で明らかにした。

 それによると、協議会は需要と供給を調整するコーディネーター機能を担う。岩手、宮城、福島の各県対策本部や現場の医療コーディネート担当者らと直接結び、被災地のニーズをリアルタイムで把握。大学や日本医師会、全日本病院協会、日本病院会などによる支援をマッチングさせる。また、今後の医療ニーズの動向にかかわるとして、公衆衛生や物流などのロジスティクスに関する需給調整も行う考えだ。民主党の国会議員と医療団体の幹部らが参加する非公式の「被災者健康対策チーム」が主体となって設立する。

 嘉山氏は、現在の医療チームによる支援は、5月の連休明けごろから引き上げが始まるとの見通しを示し、「今後は効率的で継続性のある支援が求められる。デマンドも変わっていく中で、サプライもきめ細かく変えていく」と強調。同会議顧問の小川彰・岩手医大学長は、「現場では、(支援者に対して)引き継ぎのオリエンテーションをする余裕がない。現場のニーズに応じて来ていただくのが一番だ」と、調整の一元化に期待感を示した。

( 2011年04月21日 22:31 キャリアブレイン )

1544チバQ:2011/04/24(日) 18:48:34
>>719
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saga/news/20110424-OYT8T00073.htm
民営化1年、黒字転換医師確保、ベッド稼働率98%

民営化後に黒字に転換し、移転新築の準備も進める新武雄病院 

 医師不足と赤字経営に悩まされてきた武雄市の武雄市民病院が民営化されて1年以上が過ぎた。経営を引き継いで新たなスタートを切った新武雄病院(135床)は年中無休の救急医療を維持しながら、黒字経営に転換させ、施設の移転新築にも着手した。この病院再生の取り組みに、赤字経営に苦しむ公立病院を抱える全国の自治体関係者が関心を寄せている。 国立療養所を前身とする武雄市民病院はピーク時、12診療科計16人の医師で患者をみていた。しかし、2004年度から研修医が自由に研修先を選べる新臨床研修制度が始まると、多くの若手医師が都市部の病院での研修を希望し、そのまま勤務するケースが増えた。市民病院でも、協力関係にあった大学病院の勤務医が減ったことから医師確保が難しくなった。06年度には11人に減少。08年度には救急車の受け入れと内科の平日午後の診療が休止に追い込まれ、累積欠損金(赤字)は約10億3000万円に膨らんだ。

 このため市は民営化の方針を打ち出し、移譲先を全国公募。名乗りを上げたのが社会医療法人財団「池友(ちゆう)会」(北九州市)で、08年8月から市民病院に医師を派遣するなどの移行期間を経て、10年2月にグループの社団法人「巨樹の会」(山口県下関市)が本格的な経営に乗り出した。

 法人側は早速、▽十分な医師を確保しての診療体制の充実▽重症患者の受け入れ範囲を広げるなどして空きベッドをなくす病床の効率運用▽コスト削減など経営効率化▽患者目線によるサービスの向上――などの改善に乗り出した。

 この結果、医師はピーク時と同程度を確保でき、前年の外来・入院患者から算出される標準的な医師の配置数を示す「医師定数」に対する充足率は約150%に上がった。10年2月〜11年1月の1日平均入院患者数は132・5人、ベッド稼働率は98・1%。民営化前の07年度に比べ、平均入院患者数は34・4人、稼働率も20ポイント以上も増加。民営化直後の2か月は150人前後だった毎月の新規入院数も、半年後には各月200人前後にまで伸びている。

 市内のパート女性(26)は「地元に病院が残って安心している。しっかり診てもらえるならば、民間でも構わない」と話す。

 総務省によると、全国の自治体病院の約60%が赤字経営で、09年度の累積欠損金は約2兆2000億円に上る。このような背景もあって武雄市には、公立病院の経営改善を模索する自治体関係者の視察も目立っている。昨年度は山口県萩市や群馬県みどり市などの議員が訪れた。

 巨樹の会の鶴崎直邦理事長は「(民営化後の)1年は黒字基調で推移している。交付金など手厚い支援があっても多くの公立病院は赤字。民間にできない不採算部門の医療を除けば、公立で病院を運営する時代は終わったのではないか」と話す。民営化を進めた武雄市の樋渡啓祐市長は「医師不足、赤字の悪循環に苦しみながら、行政が公立病院を運営するよりも病院経営のノウハウに長けた民間に任せたほがいい。新武雄病院を全国のモデルにしたい」と意気込む。

 一方、公立病院の民営化は、議会、医師会など地元との調整が難航して政争に発展するケースもある。武雄市でも反対する市民が樋渡市長の解職請求(リコール)の動きを見せたため、市長は任期途中で辞職。08年12月に民間移譲の是非を問う出直し市長選が行われ、市長が再選された経緯がある。10年5月には「病院の土地・建物を約3億9000万円という不当に安い価格で譲渡した」などとして、反対派が市を相手取り、総額約21億6000万円の損害賠償を求める訴訟を佐賀地裁に起こし、係争中だ。

 公立病院を取り巻く状況について、九州大大学院の尾形裕也教授(医療経営・管理学)は「総務省から公立病院の改革ガイドライン(指針)が出され、全国の各自治体で様々な動きが出ている。地域の実情に合わせた議論が必要。民間で担える部分、公的でなければならない部分をきちんと仕分け、住民が何を望むのかを考えていくことが求められている」と指摘する。

(2011年4月24日 読売新聞)

1545チバQ:2011/04/24(日) 19:15:15
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000233-mailo-l29
県医師会:知事選で落選の塩見会長、処遇巡り異論 理事会で「辞任」の声 /奈良
毎日新聞 4月22日(金)14時43分配信

 ◇来月11日に臨時代議員会
 知事選(10日投開票)で落選した県医師会長、塩見俊次氏(61)の処遇を巡り、医師会が揺れている。塩見氏は会長続投の意向を示しているが、20日の理事会では辞任を求める声が出た。このため、5月11日に臨時代議員会を開き、採決して決めることになった。地域医療の再生に向けて県と医師会の連携は不可欠だが、医師会内の混乱が影響を及ぼす可能性も出ている。【阿部亮介】
 代議員会は、各地区の代議員48人で構成する議決機関。告示日の代議員会で、塩見氏が会長職のまま知事選に出馬することを承認。政治団体「県医師連盟」は塩見氏を推薦し、親しい医師らが選挙戦を支えた。
 一方、22年間会長を務めた前任の有山雄基氏は荒井正吾知事(66)の後援会長。選挙中、元医師会幹部ら約30人が荒井氏の事務所に激励に駆けつけるなど、事実上の分裂選挙になった。
 開票の結果、荒井氏が約29万票で再選され、関西広域連合への参加を訴えた塩見氏は約22万票で落選した。塩見氏の任期は来年3月までだが、20日の理事会では一部の理事から「責任を取って会長を辞めるべきだ」との意見が出た。一方、続投を支持する声も挙がった。5月11日は、塩見氏が今後の医師会運営などの所信を説明し、理解を求める。採決で過半数を獲得できれば続投する見通しだ。
 県医師会の元幹部は「選挙に負けたのだから、会長職にとどまるべきではない。県と協力関係を築けるか疑問だ」と話す。これに対し、若手の理事は「県に意見を言えるのは塩見会長しかいない」と、続投に期待を寄せる。
 ただ、塩見氏の続投いかんにかかわらず、知事選のしこりは残りそうだ。塩見氏の出馬の背景には、県と医師会の関係悪化もあったとみられる。09年2月には、塩見氏が会長の県医療審議会が認めなかった生駒市立病院への病床配分を、県が一転して認めたことに医師会が反発。県の協議会で医師会推薦の委員が辞任する事態に発展した。
 高度医療拠点病院の整備や病院・診療所の連携などを盛り込んだ県の地域医療再生計画の実現には、民間病院などの協力が必要になる。関係改善に向けた医師会の対応が問われている。

4月22日朝刊

1546名無しさん:2011/04/25(月) 23:13:32

日医会員、被災2県で11人死亡、4人不明
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33840.html

 日本医師会の原中勝征会長は4月24日、定例代議員会であいさつし、東日本大震災で被災した岩手、宮城両県で会員11人が死亡し、4人が行方不明であることを明らかにした。また、震災への政府の対応について、「国民をどう思っているのかと心から憤りを感じている」などと批判した上で、被災地の視察後に政府に厳重な抗議をしたことも明らかにした。

 原中会長は視察を振り返り、「宮城の浜辺では、道路の端のがれきから手と足がのぞいていた。政府は一体何をしているのか」「医師会の現場の声はおろか、県の声すら政府に届いていない」などと述べた。
 また、あいさつでは、「(津波で大きな被害を受けた福島県の)浪江町はわたしが生まれた所。視察して再興はないと思った。わたしは古里を失った」と、声を詰まらせる場面もあった。

 一方、22日に自らが代表を務める「被災者健康支援連絡協議会」が設置されたことに触れ、「すべての医療関係者が国の中央機関に意見を述べるという組織ができた」と強調。被災地の医療体制の再構築に向け、政府に対して積極的に提言する考えを示した。

( 2011年04月25日 13:23 キャリアブレイン )

1547名無しさん:2011/04/26(火) 05:15:46

震災被災者向けメール医療相談「Rescue311」
http://iryojinzai.net/684.html
[ 2011/04/22 ]

東日本大震災の被災者向けに、ボランティアの医師がメールによる医療相談を受ける「Rescue311」が注目を集めている。携帯電話のメールでも気軽に相談ができるオンライン医療相談窓口だ。(参考:Q&AサイトのOKWaveに医師など500名が回答参加。震災被災者の健康相談に回答)
「Rescue311」の発起人代表は群馬県立小児医療センターの神経内科部長・椎原隆氏。椎原氏らを始めとするボランティアの医師・医療者が直接メールでの相談に回答する。技術面を支えるのは、ITエンジニアの石川良樹氏、児玉剛氏らの技術チームだ。両氏の提案に賛同したIT関連企業、サンブリッジ(東京都渋谷区)、セールスフォース・ドットコム(米国サンフランシスコ)が企業として協力している。

「Rescue311」による医療相談を受けるには、まず、info@311er.jp へ空メールを送信する。すぐに送信されてくる相談票を記入し、返信。ボランティアの医師・医療者が回答した内容がメールの返信として送られてくる、というシステムだ。「Rescue311」は、避難所に身を寄せる被災者ばかりでなく、震災の被害を受けた人々に遠慮せず幅広く利用してほしいと呼び掛けている。

1548名無しさん:2011/04/26(火) 05:19:47

広島大が「放射能対策基本情報ポータルサイト」を開設
http://iryojinzai.net/681.html

広島大学は19日、放射能に関する正確な情報を、一般に広く伝えるため、「放射能対策基本情報ポータルサイト」を開設したと発表した。広島大学原爆放射線医科学研究所および広島大学緊急被ばく医療推進センターが監修する。基本的な知識についてのQ&Aや、緊急被ばく医療に関する基本情報などを提供している。福島第一原発の事故を受け、西日本ブロックの三次被ばく医療機関である同大は、地震発生の翌日から緊急被ばく対策委員会を設置。被災地での緊急被ばく医療活動を行っている。広島大学公式ウェブサイト上では放射能に関する医療情報も発信してきた。今回のサイト設置は、より広く情報提供することを目指し、大学のウェブサイトから独立したポータルサイトとして開設したもの。日本IBMが提供する震災支援用の無償クラウドサービスを利用している。同大は「本サイトを通して、放射能や緊急被ばく医療に関する理解を深めて頂ければ幸いです。」とコメントしている。

1549名無しさん:2011/04/26(火) 05:24:41

遠隔システムによる被災地医療支援ボランティア「継続ケア・キュアネットワークプロジェクト(C3NP)」が始動
[ 2011/04/25
http://iryojinzai.net/678.html

遠隔システムを利用して東日本大震災の被災者の医療やケアの相談を受けるボランティアプロジェクト「継続ケア・キュアネットワークプロジェクト(C3NP:Continuous Care & Cure Network Project)」が12日、その趣意書を公表した。テレビ電話による無料の遠隔医療相談により、岩手県や宮城県など、甚大な被害を受けた地域の被災者、医療者をバックアップしていく。(参考:東北大、宮古島で携帯端末を使った遠隔医療システム実験)
同プロジェクトの代表は、細田瑳一氏(自治医科大学名誉教授)、代表補佐は金子郁容氏(慶應義塾大学政策・メディア研究科教授)、事務局長は、澁谷恭子氏(エンサイクロメディカ代表取締役)。

榊原記念病院などの医療機関が協力し、特別協賛のNTT 東日本がテレビ電話回線などを無償提供するという。大災害に見舞われた被災者の心と体の健康は、災害直後の直接的なショックを切り抜けた後、むしろ不安や喪失感などに襲われることもあり、中長期的な支援が必要と言われている。同プロジェクトは、遠隔システムにより首都圏のボランティア医師や保健師が、避難所などで暮らす被災者の医療関係の相談を継続的に続けていくことで、被災者に地元での生活を続けたまま安心を取り戻せること。また、それにより現地の医療機関の負担を少しでも減らすことなどを狙いとしている。

1551片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2011/04/27(水) 20:12:58
発電所事故の際の病院・学校・介護施設等からの集団避難体制については,再検討する必要がある。
電力会社と国・自治体の緊密な情報交換や,費用負担による設備充実が必要で,それも発電所設置運営のコストに含めるべきだとの考え方もありうる。

福島第1原発 苦渋の90人放置 南西4キロの双葉病院
毎日新聞 4月26日(火)2時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110426-00000005-maip-soci

 東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】

【東日本大震災 図説集】各地の被災状況がわかる

 ◇バスで6時間

 県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。

 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。

 14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。

 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。

 いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。

 体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。

 ◇3日間絶食

 鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。

 一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。

 陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。

1552片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2011/04/27(水) 20:13:28
>>1551-1552
 ◇冷え切る体

 いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。

 4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。

 ◇みとられず

 4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。

 父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。

 ◇対策の想定外

 国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。

 だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。

 双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。

1553片言丸:2011/04/28(木) 14:09:22
国、作業員の被ばく上限撤廃へ
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201104280087.html

 厚生労働省は27日、通常時は年間50ミリシーベルトと定めている原発作業員の被ばく線量の上限を当面の間、撤廃する方針を固めた。5年間で100ミリシーベルトの基準は維持する。原発作業に従事できるのは全国で7万人余りしかいない。各地から福島第1原発への派遣が相次ぐ中、規定の被ばく線量を超えると、ほかの原発の保守や定期点検に支障が出かねないとして、経済産業省が厚労省に特例的な措置を要請していた。

 しかし、この措置は、過酷な環境下で働く作業員の安全を軽視しているとの批判も出そうだ。

 厚労省は3月15日に省令で、福島の事故の応急対策に限定して緊急時の被ばく線量を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げていたが、通常時の基準は変えていなかった。

 米国も、緊急時の線量上限を民間人で100ミリシーベルト、通常時は年間50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルトとしている。

 東電によると、福島で作業した30人が100ミリシーベルトを超えた。50ミリシーベルトを超えると、ほかの原発で働くことができなくなるため、多くは東電の協力企業側が線量を管理しているという。

 こうした事態に、経産省は電離放射線障害防止規則で定められた「通常年間50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルト」の基準を緩和するよう厚労省に要請。しかし、厚労省は「100ミリシーベルトを超えると白血病やがんの発生リスクが高まるという医学的な知見もある」として、5年間で100ミリシーベルトの基準は維持することにした。

1555名無しさん:2011/04/29(金) 04:50:09

和田寿郎氏死去 日本初の心臓移植実施
http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021501000339.html

 和田 寿郎氏(わだ・じゅろう=日本初の心臓移植手術を実施した札幌医大名誉教授)14日午後1時30分、肺炎のため東京都豊島区の自宅で死去、88歳。札幌市出身。葬儀・告別式は17日正午から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻周子(しゅうこ)さん。

 北海道大医学部を44年に卒業。北大講師、米国留学、札幌医大教授などを経て、77年からは東京女子医大教授も務めた。

 札幌医大第2外科(胸部外科)教授だった68年8月8日未明、北海道小樽市の海岸でおぼれた21歳の大学生の男性の心臓を、心臓弁膜症で入院していた18歳の男性に移植する国内初の心臓移植手術を実施。移植手術を受けた男性は同年10月29日に死亡した。世界では30例目だった。

 この移植に対し、大阪の漢方医らが殺人容疑で告発。嫌疑不十分で不起訴となったが、当時は特殊な医療だった臓器移植の是非を、技術面や倫理面で問う議論をもたらし、日本の臓器移植に大きな影響を与えた。

 東京女子医大退官後の87年に和田寿郎記念心臓肺研究所を開設し所長になった。

2011/02/15 12:55 【共同通信】

1556名無しさん:2011/04/29(金) 05:59:51

和田寿郎氏が死去=国内初の心臓移植実施
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201102/2011021500384

 わが国心臓外科のパイオニアで、国内初(世界で30例目)の心臓移植手術を行った札幌医科大名誉教授の和田寿郎(わだ・じゅろう)氏が14日午後1時30分、肺炎のため東京都豊島区の自宅で死去した。88歳だった。札幌市出身。葬儀は17日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻周子(しゅうこ)さん。
 1944年北大医学部卒。米ミネソタ、オハイオ、ハーバードの各大学で胸部外科を学び、札幌医大に54年、国内初の胸部外科講座を創設、58年に同大胸部外科教授に就いた。77年から87年まで東京女子医大教授を務め、同年、和田寿郎記念心臓肺研究所所長に就任。その後も世界心臓胸部外科学会を創立するなどした。
 札幌医大教授だった68年、日本初の心臓移植手術を心臓異常肥大の18歳の患者に実施したが、83日後に死亡。臓器提供者の「死の判定時期」や手術を受けた患者が移植適応症だったかなどをめぐり、殺人罪などで札幌地検に告発された。
 70年、同地検は嫌疑不十分で不起訴としたが、以来、国内では心臓移植がタブー視され、脳死の定義なども含め、法律が整備されるまでの約30年間、第2例目は行われなかった。
 心臓人工弁の開発でも知られ、小型の「和田・カッター弁」は世界初の人工心臓にも使われた。(2011/02/15-13:38)

1557名無しさん:2011/04/29(金) 06:03:52
>>1555-1556

大きな訃報なのに、なぜか誰も貼っていないので2月の訃報を今日(4月末)補完した次第。

1558名無しさん:2011/04/29(金) 06:12:00
ついでに朝日の記事も貼り付け。


日本初の心臓移植執刀 和田寿郎元札幌医科大教授が死去
2011年2月15日12時30分
http://www.asahi.com/obituaries/update/0215/TKY201102150243.html

 札幌医科大病院で1968年に日本で初めての心臓移植を行い、その是非を巡って強い批判も浴びた元札幌医科大教授の和田寿郎(わだ・じゅろう)さんが、14日午後1時30分、肺炎のため東京都内の自宅で死去した。88歳だった。葬儀は17日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻周子(しゅうこ)さん。

 44年、北海道大医学部を卒業。米ハーバード大などで心臓外科を学び、58年に札幌医科大胸部外科の教授に。68年8月8日、海でおぼれた大学生の山口義政さん(当時21)の心臓を、心臓弁膜症と診断された宮崎信夫さん(当時18)に移植した。心臓移植は、世界でも30例目だった。

 しかし、移植から83日目に宮崎さんが死去。その後、宮崎さんの心臓病は本当に移植をしなければならないほど重症だったのか、山口さんは本当に脳死だったのか、といった疑問が大学内部からも噴出した。68年、殺人の疑いで告発された。マスコミ報道は、称賛から批判に転じた。

 札幌地検は70年、「証拠不十分」として不起訴処分にしたが、数々の疑惑は学会などでも解明されなかった。その後、97年に臓器移植法が施行され、2010年には改正臓器移植法が施行された。これまでに脳死下での臓器提供は122例あった。「和田心臓移植」から心臓移植が再開されるまでに30年余が経過した。

 日本胸部外科学会は89年、「国民各層に移植についての不信感を植え付けることになった」として、「和田移植」が国内での移植医療の定着を阻むきっかけになったとの報告書をまとめた。

 77年に札幌医科大教授から東京女子医大教授に。87年に同大を退任後は和田寿郎記念心臓肺研究所長などを務めた。92年には「脳死と心臓移植 あれから25年」(かんき出版)という手記を出版した。

1559荷主研究者:2011/05/03(火) 00:47:27

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0720110419eabb.html
2011年04月19日 日刊工業新聞
東北大など、胃腸薬で視細胞の死抑制−網膜剥離の治療に道

 東北大学の中澤徹准教授や米ハーバード大学などの研究チームは、光を感知する「視細胞」の死を抑える薬の候補分子を発見した。

 網膜剥離が原因で起こる視細胞の死を防ぐため、胃炎や胃潰瘍の治療薬として使われているゲラニルゲラニルアセトン(GGA)に着目。変性したたんぱく質を修復する「ヒートショックたんぱく質(HSP)」を、GGAが眼球中に生成し、視細胞の死を抑えることを示した。既に臨床で利用している薬の中で、網膜剥離が原因で起こる視細胞死を抑える薬剤の発見は初めて。網膜剥離の治療薬の開発が期待できる。

 眼の網膜中には光を感知する視細胞があり、受けた光を視覚情報として脳に伝える。

 マウスにGGAを飲ませると、眼球内にHSPが作られることに着目。網膜剥離を起こしたマウスにGGAを与えると、GGAを投与しない場合に比べ、死ぬ視細胞の数を減らせることがわかった。

1560名無しさん:2011/05/03(火) 01:42:13
塩分摂取による高血圧発症にエピジェネティクスが関与することを解明
  ― 日本人に適した新規降圧薬の開発に期待 ―

塩分の過剰摂取が高血圧をきたすことは良く知られていますが、その機序については多くの不明な点がありました。 このたび、東京大学医学部附属病院 腎臓・内分泌内科 教授 藤田敏郎らの研究チームは、塩分感受性高血圧では塩分摂取過剰による 交感神経活性異常が塩分排泄に関わる遺伝子(WNK4遺伝子)の転写活性を抑制していることを世界に先駆けて明らかにしました。

本研究は血圧に関係するホルモンであるカテコールアミンのナトリウム貯留作用の新たな分子メカニズムを明らかにするとともに、 塩分摂取による高血圧発症の機序解明にもつながる画期的な発見です。 肥満やメタボリックシンドロームでは血圧の塩分感受性が高いことが知られていますが、今回の研究の成果は食塩や肥満などの 環境因子が塩分排泄性遺伝子の転写活性を抑制して、疾病(高血圧)が生じる“エピジェネティクス”の関与を解明したものであり、 新たな視点による高血圧治療薬の開発が期待されます。

本研究成果は、米国の科学雑誌「Nature Medicine」に掲載されるに先立ち、米国東部標準時間4月17日午後1時(日本時間4月18日午前2時)に、 オンライン版に掲載されました。

1562名無しさん:2011/05/07(土) 06:03:59
ネフローゼ症候群の新規リスク遺伝子の発見

東京大学医学部附属病院 腎臓・内分泌内科/血液浄化療法部 准教授 野入英世らのグループは東京大学医科学研究所、独立行政法人理化学研究所、 福島県立医科大学との共同研究において、ネフローゼ症候群に共通する疾患関連遺伝子を発見しました。研究グループはさらに詳しい機能解析を行い、 この遺伝子が、血液の不要な成分のみを尿として排出する腎臓のフィルター構造の維持に関与していることを明らかにしました。 この遺伝子が高発現だと有害な刺激にさらされた場合、フィルター構造が破綻しやすくなり、ネフローゼ症候群の主な症状である蛋白尿(体に必要な蛋白が尿に漏れ出てしまう)を 発症するリスクを上昇させますが、遺伝子の発現を阻害すると有害な刺激によるフィルター構造の脆弱性は消失し蛋白尿の発症が予防されました。 また、蛋白尿発症後であっても、遺伝子の発現を阻害する物質を投与すると蛋白尿が減少しました。

糖尿病を原疾患とする場合を含めた成人発症ネフローゼ症候群において、これまでに蛋白尿発症の病態に共通するメカニズムは解明されていません。 今回の研究成果が、ネフローゼ症候群に対する新たな治療法や予防法、診断法の開発につながることが期待されます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Nature Genetics』に掲載されるに先立ち、オンライン版(米国東部標準時間3月27日午後1時付:日本時間3月28日午前2時)に掲載されました。

※詳細はリリース文書をご覧下さい。
  リリース文書[PDF: 112KB]

(2011/3/28掲載)

1564名無しさん:2011/05/09(月) 05:15:28
記憶想起は大脳皮質微小神経回路における情報の流れの逆転によっておこる

記憶の記銘・想起は大脳側頭葉の働きです。今回、東京大学大学院医学系研究科 統合生理学の宮下保司教授と竹内大吾特任研究員のグループは、側頭葉皮質内の情報の流れの方向が、刺激を受ける時と思いだす時で逆転することを発見しました。これは大脳皮質神経回路が、皮質内部の信号の流れの方向を目的に応じて自在に操る柔軟性を有する、という精神機能の基礎を明らかにしたものです。
本研究成果は2011年3月18日号のSCIENCE誌に発表されました。

※詳細はリリース文書をご覧下さい。
  リリース文書 [PDF]

(2011/3/18掲載)

1565チバQ:2011/05/10(火) 00:59:28
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110509t13026.htm
エタノール消毒が効かない菌 陸前高田の避難所で確認
 東日本大震災の影響で断水した岩手県陸前高田市内の避難所で、消毒用のエタノールが効かない芽胞(がほう)形成菌が多数確認されたことが8日、静岡県立大の内藤博敬助教(微生物学)の調査で分かった。
 人体への影響が少ない菌がほとんどだったが、感染すれば、体力が落ちた人や高齢者には影響が出る可能性もある。
 被災地では、芽胞形成菌が増殖しやすい断水状態の地域が依然として多く、内藤助教は「断水中のほかの避難所でも同じ状況と考えられる。毒性の強い芽胞形成菌が出てもおかしくない衛生状態にあり、(除菌に有効な)次亜塩素系の消毒も必要だ」としている。
 内藤助教によると、被災地ではエタノールが主原料の手指消毒薬が多く使われているが、芽胞形成菌には無効。水道水で洗い流すか、取り扱いに注意が必要だが学校のプールなどに用いる次亜塩素系の消毒薬を使えば除菌できる。
 芽胞形成菌には傷口に感染する破傷風菌、食中毒を起こすセレウス菌などのほか、無害な菌もある。球状の殻を細胞内に作るため、消毒のほか乾燥や高温などの悪環境下でも生存できる。
 内藤助教らは4月上旬、陸前高田市にある二つの避難所の出入り口14カ所、調理場5カ所、トイレ23カ所で、ドアの取っ手や壁などの表面を拭き取って細菌を採取。調理場とトイレ計28カ所のうち25カ所で、ほかの菌を圧倒して多数の芽胞形成菌を確認した。多くは枯草菌や卒倒病菌などで、病原性が低かった。


2011年05月09日月曜日

1566名無しさん:2011/05/11(水) 04:38:05
ヒト神経細胞のDNA メチル化状態に個人差があることを解明
  ― 精神疾患におけるエピジェネティクスの役割解明へ第一歩 ―

神経細胞におけるDNA メチル化状態は、脳機能に関わる遺伝子の働きと密接に関連しています。 また、ストレスなどの環境要因の作用を受けることから、統合失調症や気分障害といった、 遺伝子と環境要因の相互作用により発症する精神疾患の病態に深く関係していると考えられています。 しかし、脳は、神経細胞の他に多種多様な細胞が混在しており、神経細胞のDNA メチル化状態のみを解析するのは非常に困難でした。

東京大学大学院医学系研究科分子精神医学講座(特任准教授 岩本和也、特任助教 文東美紀)と 理化学研究所脳科学総合研究センター(チームリーダー 加藤忠史)の研究グループは、札幌医科大学、カリフォルニア大学との共同研究により、 微量のヒト脳試料から神経細胞だけを分離し、DNA メチル化状態の詳細な解析を行うことに成功しました。

その結果、神経細胞では非神経系細胞と比べてDNA メチル化状態が大きく異なり、また、より大きな個人差が認められることを明らかにしました。 神経細胞におけるDNA メチル化の個人差の意義は明らかではありませんが、環境要因が作用した結果である可能性が考えられます。 本研究により、DNA メチル化が精神疾患の原因に関与するかどうかについて、精神疾患患者脳試料を用いた研究の道が初めて開かれたことから、 今後精神疾患解明につながると期待されます。

なお、本成果は米科学GenomeResearch 誌5月号に掲載されます。

※詳細はリリース文書をご覧下さい。
  リリース文書[PDF: 234KB]

(2011/5/1掲載)

1567名無しさん:2011/05/11(水) 04:39:11
経口糖尿病薬の副作用による浮腫発症のメカニズムを同定

経口糖尿病薬として知られるチアゾリジン誘導体は、細胞核内の受容体であるペルオキシソーム増殖因子活性化受容体ガンマ(PPARγ)に結合し、 代謝に関連する遺伝子の転写を調節してインスリン作用を増強させます。この働きによってインスリン抵抗性が改善し血糖値も下がるため、 糖尿病の治療に広く使用されています。しかし副作用として体液貯留を伴う浮腫を生じることがあり、また心不全が悪化することもあるため、 心機能が著しく低下している場合には使用できません。チアゾリジン誘導体による浮腫発症のメカニズムとして、 腎臓の遠位尿細管ナトリウム輸送体遺伝子の発現が増加することが原因の一つと考えられてきましたが詳細は不明でした。

この度、東京大学医学部附属病院 腎臓・内分泌内科 講師 関常司と 教授 藤田敏郎らのグループは、近位尿細管では遠位尿細管と異なり、 PPARγ に結合したチアゾリジン誘導体が遺伝子転写の調節を介さずに速やかに腎臓のナトリウム再吸収を亢進させることを発見しました (米国雑誌Cell Metabolism オンライン版にて日本時間5 月4 日午前1 時に発表)。 この発見は、これまで主に遺伝子転写調節を介して働くと考えられてきた PPARγ の新たな生理機能を明らかにしたもので、 チアゾリジン誘導体による浮腫発症の予防や、浮腫を起こさない新しい糖尿病薬の開発につながることが期待されます。

※詳細はリリース文書をご覧下さい。
  リリース文書[PDF: 431KB]

(2011/5/4掲載)

1569荷主研究者:2011/05/15(日) 14:12:07

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20110507/CK2011050702000084.html
2011年5月7日 中日新聞
長寿の遺伝子、肥満にも影響 名大大学院グループが米誌に発表へ

 寿命を延ばす働きのある遺伝子(長寿遺伝子)が特定の型をしている場合、肥満になりやすい傾向があることを、名古屋大大学院医学系研究科の丹羽利充教授、●嶋信之教授らのグループが突き止めた。米医学雑誌「トランスレーショナル・リサーチ」に近く発表する。

 肥満形の遺伝子は白人に多く、日本人には少ない。丹羽教授は「白人に比べ日本人が肥満になりにくい体質であることを示唆する研究結果」と話している。

 グループは健康診断の受診者1279人に長寿遺伝子「SIRT1」の遺伝子の型を調査。体脂肪率と遺伝子型の関係を比較した。

 その結果、長寿遺伝子の特定の場所にGアレルと呼ばれる因子を二つ持つ型の人の場合、因子を持たない人に比べ体脂肪率が平均で3・3%高かった。

 遺伝子の別の場所にAアレルという因子を二つ持つ型だと、持たない人より1・5%多かった。これら2種類のパターンは、白人に頻繁に表れる。

 長寿遺伝子はサルやラットの実験で寿命を延ばすことが確認されている。食事のカロリーを制限すると活発に働きだすことが知られている。

    ◇

 丹羽教授が会長を務める第7回国際尿毒症学会が12日から3日間、名古屋市の名古屋国際会議場で開かれる。国内外の研究者ら20人が尿毒症の治療や予防をテーマに英語で議論を交わす。

(中村禎一郎)

 (注)●はサンズイにウカンムリにマユ毛のマユの目が貝

1573チバQ:2011/05/24(火) 22:27:51
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110524-00000643-yom-soci
学会に「懸念」声明働きかけた厚労省局長ら処分
読売新聞 5月24日(火)15時0分配信

 肺がん治療薬「イレッサ」を巡る訴訟で、厚生労働省幹部らが東京、大阪両地裁の和解勧告に懸念を示す声明を出すよう関係学会に要請し、文案を提供していた問題で、厚労省は24日、「文案提供は行き過ぎだった」として、医薬食品局の間杉(ますぎ)純局長や実際に文案を提供した平山佳伸審議官ら計4人を訓告処分としたと発表した。

 次官や担当課長ら4人については、監督責任を理由に厳重注意とした。

 同省の検証チームの報告書によると、東京、大阪両地裁の和解勧告に対し、医薬食品局は今年1月、勧告拒否の方針を固め、局内の会議でメディア対策として関係学会に声明を出すよう要請することを決定。計6学会に働きかけ、うち3学会には文案も提供した。厚労省は「声明の要請自体は、多様な意見があることを示すためで、問題はなかった」としている。

 同24日に文案の提供を受けた日本医学会などが勧告内容を懸念する声明を公表し、国は同28日、勧告を正式に拒否。訴訟は、大阪地裁で国が勝訴、東京地裁では国が敗訴した。

1576とはずがたり:2011/06/10(金) 12:45:39

被曝による発がんリスクは? 「喫煙や飲酒のほうが心配」
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/110609/cpd1106090955007-n1.htm
2011.6.9 09:51

 「ただちに健康への影響はない」と言われても、目に見えないだけに、健康被害が心配になる放射性物質。東大医学部付属病院で放射線治療を担当し、茨城県東海村のJCO臨界事故で被曝(ひばく)した作業員の治療にも携わった中川恵一准教授は、被曝による発がんリスクについて、「日本人は、2人に1人が、がんになる世界一のがん大国。喫煙や飲酒の方がよほど危険だ」と語り、過度の心配をする必要はないという。

 中川准教授によると、被曝が人体に与える影響は「100ミリシーベルトがひとつの目安」。100ミリシーベルトの放射線を浴びた場合、がんが原因で死亡するリスクは最大約0・5%上昇。野菜嫌いの人や受動喫煙と同程度だ。運動不足や塩分の取りすぎは200〜500ミリシーベルト、喫煙や毎日3合以上飲酒した場合は2千ミリシーベルト以上の被曝に相当。「たばこや飲酒による発がんリスクは、被曝と比べものにならないほど高い。この機会にがん対策全体を見直すべきだ」という。

 もともと自然界から年間数ミリシーベルトを被曝している人間の細胞には、放射線で傷つけられたDNAを回復させる機能が備わっている。

 長期間にわたって受ける放射線量が100ミリシーベルト以下ならば、ほとんどが修復される。実際、広島・長崎のデータでも、100ミリシーベルト以下で発がんが増えたというデータはない。ただ、一部の原発作業員のように、短期間に200ミリシーベルト以上を被曝するようなケースについては、「年間20ミリシーベルトを10年浴びたのに比べ、2〜10倍高いリスクとなる可能性がある」と警鐘を鳴らす。

 依然、風評被害が広がる農水産物については「国の食品衛生法に基づく基準値はICRPなどの国際基準を踏まえ、食品ごとに放射性物質の摂取上限が厳しく設定されている。原発周辺に自生する山菜などを食べるのは危険だが、流通しているものについては基準値を下回っており、問題ない」と強調。「汚染を気にして野菜や魚の摂取が減ったり、被曝を恐れてがん検診を受けなかったり、ストレスや運動不足の方ががんのリスクを高める」とする。

 「半減期が短い放射性ヨウ素はほぼ消えた。今、大気中に放射性物質はほとんどない。それ以降は、3月15日までに放出され、雨に溶けて土の表面に蓄積したセシウムからのガンマ線が被曝の原因。公共事業による土壌改良などが必要だ」と話している。

1578荷主研究者:2011/06/11(土) 20:54:15

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110604t15005.htm
2011年06月04日土曜日 河北新報
宮城沿岸近郊に分院構想 東北大病院有志が提案

 東北大病院(仙台市青葉区)で、東日本大震災で被災した宮城県の三陸沿岸の近郊に「分院」を設ける構想が浮上している。津波で病院や診療所が壊滅的な被害を受けた沿岸部の医療を支えることに加え、大学病院が地震などで被災した際の補完拠点として位置付けたい考えだ。

 震災による地域医療の崩壊や医師の流出を食い止める対策の一つとして、病院内の有志らが提案した。災害時の拠点病院となるよう、海岸線から10キロ以上内陸に設置。太陽光発電や地下水利用でライフラインを確保するなどのアイデアが出ている。

 東北大病院関係者によると、災害医療の研究、教育拠点としての機能も持たせる。救急医療や災害時の感染症、精神医療など、被災地にある東北大ならではの研修プログラムを整備し、若手医師の確保にもつなげたいという。

 東日本大震災では、宮城県南三陸町の公立志津川病院など、県内の7病院が壊滅的な被害を受けた。東北大病院関係者は「被災地は仙台から遠く医療支援が届きにくかった。医師を派遣できる拠点病院を置くことで、安定した人的支援を行えるのではないか」と説明する。

 被災地域の今後の復興計画や街づくりの方向性との兼ね合い、財源の問題など具体的な検討には入っておらず、実現性は未知数という。関係者は「あくまでアイデアの段階だが、有効な考え方の一つではないか」と提案している。

1579荷主研究者:2011/06/11(土) 22:19:06

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1520110531eaas.html
2011年05月31日 日刊工業新聞
東北大・京大、iPS細胞のもと発見

 東北大学の出澤真理教授と京都大学の藤吉好則教授らの研究チームは、さまざまな細胞に分化できるiPS細胞(万能細胞)の元になる細胞を、ヒトの皮膚にある線維芽細胞から発見した。皮膚や骨髄などにあり、神経や脂肪などのいくつかの細胞に分化できる多能性幹細胞「Muse(ミューズ)細胞」から、iPS細胞が作られることを突き止めた。iPS細胞の種細胞と言えるもので、iPS細胞の作製に必要とされていた「再プログラム化」という主流の考え方に一石を投じる成果と言える。

 出澤教授は「体内のMuse細胞を活性化させ、体が本来持つ修復能力を生かせば、心臓や脳などの疾患治療に役立つのでは」と語り、新しい治療法の開発を期待する。成果は米科学アカデミー紀要電子版に31日掲載される。

 Muse細胞はさまざまな細胞に分化できる多能性と、一定の増殖能力を持つ。

1584とはずがたり:2011/06/19(日) 22:36:05

O157中毒:今も元児童30人検診 堺・96年発生
http://mainichi.jp/life/food/news/20110511k0000e040066000c.html

 96年に堺市の学校給食を食べた児童ら約9500人が病原性大腸菌「O157」に感染した集団食中毒で、発生から15年を経た現在も、溶血性尿毒症症候群(HUS)を併発するなどした約30人の元被害児童が市の検診を受け続けている。先月起きた焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」での食中毒でも20人を超える重症者が出ており、関係者は「長期的な視点でのケアが重要になる」と警告する。

 HUSはO157や、今回の原因菌のO111が出す「ベロ毒素」が赤血球の破壊や血小板の減少を引き起こし、急性腎不全などにつながる症状。人工透析や交換輸血が必要になる場合もある。

 堺市では約790人が入院し、約150人がHUSを発症した。同市は97年度から被害児童らへの検診を開始。市から諮問を受けた診察医らで作る「堺市医師会O157感染症フォローアップ委員会」は追跡を続けてきたが、一度収まったHUSの症状が10年以上たって再発したとする論文があることなどから、07年、市に検診の継続を答申。市は現在も、異常があったり、希望する人を対象に検診を続けている。

 市によると昨年度もHUS発症者19人を含む31人が対象となり、今年3月までに検診を受けた16人のうち7人が治療や経過観察が必要と診断された。

 フォローアップ委員会の委員を務める樋上忍・堺市医師会会長は、HUSは食中毒の発症から約1週間程度たってから併発するケースが多いと指摘。現在進行中の生肉中毒に関し「早急に他の感染者がいないか掘り起こし、重症者は透析などの治療ができる医療機関に収容してHUSの発症に備えるべきだ」と話す。またHUS症状の再発に備え、「被害が広範囲にわたる今回の食中毒は、どこかが責任を持って長期的なフォローアップをしていくべきだ」と指摘している。【内田幸一】

毎日新聞 2011年5月11日 13時38分(最終更新 5月11日 14時24分)

1585とはずがたり:2011/06/19(日) 22:36:20

O157:三重・伊賀で3歳女児が感染死
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110620k0000m040077000c.html

 三重県は19日、同県伊賀市の保育園児の女児(3)が病原性大腸菌O157に感染し死亡したと発表した。感染原因・経路を調べている。同県内でのO157感染症による死亡は統計のある99年以降、初めてという。

 県健康危機管理室によると、女児は14日に腹痛や血便の症状が出たため、同市内の病院などで受診し、16日から入院した。容体が悪化したため17日に津市内の病院に転院したが、19日に毒素が腎臓の毛細血管内の細胞などを壊す溶血性尿毒症症候群を併発し、同日午前5時20分ごろ死亡した。死亡後、17日に採取した便検査でO157感染症と診断された。O157感染症は生肉などを食べて発症することが多いが、女児は10日に少量のすしを食べた以外、生物は食べていないという。【谷口拓未】

毎日新聞 2011年6月19日 21時16分(最終更新 6月19日 21時23分)

1587チバQ:2011/06/28(火) 12:32:20
>>373
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110628k0000e040006000c.html
臓器売買:宇和島徳洲会病院を家宅捜索 警視庁
 生体腎移植をめぐる臓器売買事件で、警視庁組織犯罪対策4課は28日、臓器移植法違反容疑で逮捕した医師堀内利信容疑者(55)が1000万円の謝礼を暴力団組員滝野和久容疑者(50)に支払って臓器提供者(ドナー)探しを依頼するなどした容疑を裏付けるため、宇和島徳洲会病院(愛媛県)を家宅捜索した。

 同病院は06年にも生体腎移植をめぐる臓器売買事件で愛媛県警の家宅捜索を受けており、同法違反容疑では2度目。組対4課は診療記録などを押収し、昨年7月に堀内容疑者が受けた移植手術の経緯なども含め全容解明を進める。

毎日新聞 2011年6月28日 10時03分(最終更新 6月28日 11時00分)




http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110628/crm11062811260012-n1.htm
患者や宇和島徳洲会病院側は冷静 警視庁の家宅捜索
2011.6.28 11:25
 宇和島徳洲会病院の正面玄関では、28日早朝から約30人の報道陣が駆けつけ、ものものしい雰囲気に包まれた。午前9時ごろに警視庁組織犯罪対策4課の捜査員約10人が病院に入ると、ロビーにいた入院患者らは驚きながらも冷静な様子で見守った。

 家宅捜索直前に来院した近くの女性(40)は「びっくりした」と話したが、「事件の過程を報道で見る限りやむを得ないのでは」などと落ち着いた様子。病院で5月末に夫婦間による生体腎移植を受け、この日退院予定の男性会社員(58)=愛媛県新居浜市=は、事件の背後にあるとされる圧倒的なドナー不足を指摘、「(家宅捜索は)心中穏やかではないが、それほど驚きはない」などと語った。

 病院側も家宅捜索に冷静に対応しており、日常の病院業務に大きな支障などは出ていない。

1588名無しさん:2011/06/28(火) 12:32:50
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110624ddm041040058000c.html
腎移植の闇:臓器売買事件/上 「商談」近所のスナックで
 ◇海外手術できず、続く透析 医師の妻「金なら出す」
 「商談」はバーカウンターで始まった。09年5月のある夜。東京都江戸川区のJR小岩駅から徒歩5分のスナックの店内で、堀内利信容疑者(55)の妻則子容疑者(48)が雇われママの佐々木ひとみ容疑者(37)に切り出した。「夫の病気のことで困っているの」

 則子容疑者は店の常連だった。開業医の堀内容疑者が慢性腎不全と診断され、透析を受けていることは既に話していた。則子容疑者は、夫が日本臓器移植ネットワークに登録したが死体腎移植の機会が巡ってこないことやフィリピンでの移植計画を立てたが失敗したことを明かした後で続けた。

 「お金なら出すから誰か紹介してくれない?」。報酬は1000万円。臓器売買の提案の場面を関係者が明かした。

     ◇

 「先生が腎臓を悪くしていたなんて知らなかった」。堀内容疑者が区内で開業する堀内クリニックの近所の住人は口をそろえる。

 堀内容疑者は金沢医大(石川県)を卒業後、医師だった父からクリニックを引き継いだ。専門は内科と小児科。患者の評判は良く、20年来の掛かり付けという男性(93)は「口数は少ないが、友達のような感覚で接してくれる優しい先生」と話す。足の不自由なお年寄りに配慮し、レントゲン室を1階につくることができる物件を求めクリニックを移転させる一面もあった。

 則子容疑者は、夫とは対照的に社交的な女性だったようだ。フラワーデザイナーとして、東京・銀座や横浜駅前でアレンジメント教室を主宰。テレビに出演したこともある。ただ経営は楽ではなかったようで、捜査関係者は「開業医の夫の収入に頼る部分もあったようだ」と語る。

     ◇

 スナックで臓器売買の提案を受けた佐々木容疑者は、同居する指定暴力団住吉会系組員の滝野和久容疑者(50)に話をつないだ。堀内夫妻ら4人は09年6月、則子容疑者が小岩駅近くで開くフラワー教室に集まった。堀内容疑者が「移植手術をする病院は自分たちで用意するから、ドナーを探してほしい」と滝野容疑者に依頼。手術のために養子縁組を偽装することを伝え、1000万円を分割で支払うことを決めた。

 滝野容疑者は、すぐに3人のドナー候補をそろえたという。このうち2人は元組員。ドナーの適合検査を経て絞り込まれたのが、かつて同じ組に所属していた元組員の坂上文彦容疑者(48)だった。

 年末には堀内夫妻はファミリーレストランで坂上容疑者と初めて顔を合わせ、翌年1月、江戸川区役所に養子縁組を届けた。

 臓器の売り手に買い手、そしてスナック。3者の住所はいずれも小岩駅から半径300メートル圏内におさまっていた。

 だが、5人の蜜月関係は長く続かなかった。その後、滝野容疑者が1000万円を追加要求したことでトラブルに発展し、手術直前になって移植は中止された。堀内容疑者は別のドナーを用意して移植手術を受けたとされる。


     ◇

 臓器売買画策の背景には何があったのか。なぜ偽装縁組は見逃されたのか。警視庁が捜査に乗り出した臓器売買事件の闇を追った。

毎日新聞 2011年6月24日 東京朝刊

1589名無しさん:2011/06/28(火) 12:33:30
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110626ddm041040130000c.html
腎移植の闇:臓器売買事件/下 縁組偽装、見抜けぬ病院
 「20世紀で人類が手にすることができた最も効果的な医療技術。それが臓器移植です」。昨年9月、鹿児島県で開かれた生体腎移植の講演会。壇上から語りかける医師は当時、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)に勤務していた。医師は生体腎移植のメリットや手術の手軽さを説明し、続けた。「うちの病院では、養子縁組をされた後に移植を受ける方もいます」

 その2カ月前。同病院では、堀内利信容疑者(55)=臓器移植法違反容疑などで逮捕=への移植手術が実施されていた。執刀したのは、泌尿器科部長の万波(まんなみ)誠医師と、この医師。堀内容疑者が逮捕され、ドナー(臓器提供者)の男性(21)とは偽装養子縁組だった疑いが浮上している。

    ◇

 堀内容疑者は移植を受けるために養子縁組の企てを重ねていた。

 最初は知人女性に持ちかけた。死体腎移植の順番が回ってくる気配はなく、海外渡航移植も失敗。堀内容疑者は焦っていた。しかし「移植には養子縁組が必要」と説明すると女性は逃げ出した。

 頼ったのが暴力団組員、滝野和久容疑者(50)だった。1000万円の報酬で紹介されたドナー候補の坂上文彦容疑者(48)と養子縁組し、板橋中央総合病院(東京都板橋区)で移植を受ける話がまとまった。しかし手術直前の昨年5月、1000万円を追加要求され、計画は流れた。

 そして宇和島徳洲会病院。堀内容疑者は別の暴力団組員から新たにドナーの男性を紹介され、養子縁組のわずか1カ月後の昨年7月に移植を受けた。

 両病院の倫理委員会は実態を見抜けなかった。宇和島徳洲会病院は、養子縁組が繰り返されていることを戸籍で把握したものの、堀内容疑者が坂上容疑者との関係の説明を渋ったため、それ以上調査しなかった。

 臓器移植に詳しい医療関係者は「養子縁組直後は疑問を感じてもおかしくなく、普通なら手術を避ける」と指摘する。別の病院関係者からは「病院は捜査機関ではない。偽装養子や臓器売買を見抜くことには限界がある」との本音も漏れる。

 日本移植学会の倫理指針は生体移植のドナー条件を親族と定めるだけで、法的拘束力はなく、審査は病院任せだ。専門家は「法規制の強化や不正がないか調査する専門の第三者機関の設置などを議論すべき時期に来ている」と提言する。

    ◇

 ドナー不足に直面する患者。ドナーあっせんが容易な暴力団。甘い法規制。三つの条件がそろい、臓器売買が起きた。捜査幹部の一人はつぶやく。「捜査は始まったばかり。闇のすべては明らかにはなっていない」(この連載は川崎桂吾、前谷宏、浅野翔太郎、喜浦遊が担当しました)

毎日新聞 2011年6月26日 東京朝刊

1592とはずがたり:2011/07/05(火) 22:38:57

我が子も罹ったけどそれ自体はそれ程大したことはなかったけど女房にうつってそちらは大変でありました・・

リンゴ病、手足口病が多発−感染研
http://news.goo.ne.jp/article/cabrain/life/cabrain-34908.html
2011年7月5日(火)15:45

乳幼児を中心に例年、夏季に流行する伝染性紅斑(リンゴ病)と手足口病の患者が多発している。国立感染症研究所感染症情報センターのまとめ(速報値)によると、6月20-26日の週の伝染性紅斑の小児科定点医療機関当たりの患者報告数は、1週間の報告数としては過去10年間で最多。手足口病は3番目に多い値となった。

伝染性紅斑の定点当たり報告数は1.47で、前週(0.96)から0.51ポイント増加。過去10年間で最も多かった2001年6月25日-7月1日の週の1.15を大幅に上回った。都道府県別に見ると、宮崎が3.92で最も多く、以下は群馬(3.16)、栃木(3.13)、埼玉(3.03)、福島(2.71)などと続いた。

また、手足口病の定点当たり報告数は4.27で、前週(2.60)から1.67ポイント増加。03年7月の14-20日の4.98、7-13日の4.55に次いで、過去10年間で3番目に多い値となった。
都道府県別に見ると、佐賀の21.52が最も多く、以下は福岡(21.09)、徳島(15.87)、愛媛(15.11)、島根(14.61)などと続いており、西日本で多発している。

■はしかは3週ぶりに減少

一方、はしかの全医療機関からの患者報告数は12人で、3週ぶりに減少した。前週からは3人減った。都道府県別では、神奈川の5人が最も多く、福岡が2人でこれに次ぎ、栃木、埼玉、千葉、石川、大阪が各1人だった。

1594チバQ:2011/07/17(日) 00:56:14
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20110716/CK2011071602000039.html
練馬区 不信感あらわ 光が丘病院運営 日大撤退へ 
2011年7月16日

日大が来年3月末で運営から撤退することが決まった日大医学部付属練馬光が丘病院


 「遺憾です」。日大が来年三月末に、練馬光が丘病院の運営から撤退することについて、十五日会見した練馬区の琴尾隆明副区長は、不信感をあらわにした。今後引き継ぎ先を探すが、住民からは「うまくいかなければ、どうなるの」と不安の声が出ている。 (鈴木学)

 「朝は門の前が人でいっぱいなのに、なぜ赤字なのかね」

 病院の周辺に並ぶ団地を見ながら、タクシー運転手の男性(67)は首をひねった。地域の災害拠点病院でもあり、住民には大切なより所。男性は「困る人がいっぱいいるよ」と心配そうな表情を浮かべた。近くを散歩していた女性(86)も「急病の時に困るわ。なくなるんじゃないでしょうね」と話した。

 区によると、撤退の正式な申し出は今月四日。区と日大側は一九九一年の開院の際、「日大が三十年間病院を運営する」との契約を結んでいたが、日大側は「賃借期間は二十年を超えることができない」とする民法の条項をたてに、契約は一〇年度で終了したと主張。本年度は「ご迷惑を掛けないため延長した」と、あくまで任意の対応だったとした。

 一方、区は同条項は「貸主を保護するもの」などとしてあくまで三十年間の運営を要求。経営が苦しいとの訴えに、区は土地と建物の賃借料免除なども行ってきた。

 「撤退するならば、引き継ぐ医療機関を探すのが筋だが、それもない」と区側。新たな運営主体探しは▽救急医療▽小児医療▽周産期医療▽災害時医療−を重点にした運営などが条件だが、「幾つ手を挙げていただけるのか」。区の担当者はため息をついた。

1596チバQ:2011/07/18(月) 18:50:33
http://www.asahi.com/national/update/0630/TKY201106300635.html
子どもの臓器提供 大半は家族望まず
 改正臓器移植法が本格施行された昨年7月17日以降、子どもの臓器提供は1件だったが、医療現場では少なくとも12施設で15人の15歳未満の子どもが脳死とみられる状態になり、病院が親と臓器提供についてやりとりしていたことが、朝日新聞の調べで分かった。

 大半のケースで家族が提供を望まず、提供は見送られていた。家族が申し出ても、病院の準備不足で対応できない例もあった。脳死の子どもからの臓器提供が法的には可能になっても、親が子の死を受け入れて、提供に同意する例は少ない実態が浮かんだ。

 朝日新聞は6月上旬〜下旬、厚生労働省の指針で、脳死での臓器提供施設としての条件を満たした全国372施設を対象にアンケートを実施した。全体の83%にあたる310施設から回答を得たほか、病院や救急医らにも取材をして、改正法施行後の臓器提供の現状を探った。


http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20110717-OYT8T00155.htm
子供の移植海外頼み改正法1年 「想像以上に大変」

カナダで心臓移植を受けた古家菜沙ちゃんと母親の美穂さん  家族の承諾だけでも脳死臓器移植を認める改正臓器移植法が昨年7月に全面施行され、この1年で脳死臓器提供が急増した。しかし、子供からの心臓移植は、海外での移植に望みをつなぐ状況が続いている。

 「秋の運動会では(かけっこで)勝つよ!」。渡航移植を受けた小学3年の古家(こが)菜沙(なずな)ちゃん(8)(中野区)の張り切る姿に、母親の美穂さん(46)は目を細める。重い心臓病で走るどころか登下校も困難だった。昨春、主治医から「移植が必要」と宣告され、渡航移植を決断した。カナダへ出発したのは改正法施行4日前だった。

 臓器提供者を待つという精神的な負担と慣れない異国での生活。12月には薬剤の抗体反応が原因で、右手のひじ先まで切断しなければならない事態に見舞われたが、菜沙ちゃんは「平気だよ。泣くことじゃないよ」と気丈に振る舞った。

 1月にドナーが見つかり手術を受けた。4月に帰国した菜沙ちゃんは今、「友達と走り回れるのが楽しい」と元気いっぱいだ。美穂さんは「海外での移植は想像以上に大変だった」と訴える。

 渡航移植を支援する日本移植支援協会の高橋和子理事長は「法整備されたことで逆に募金活動が難しくなってきている。国内での移植が定着するまでは、渡航移植に頼らざるを得ない状況があることも理解してほしい」と話している。

(2011年7月17日 読売新聞)

1597チバQ:2011/07/18(月) 18:51:24
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110718-00000023-mai-soci
<脳死>「人の死」根付かぬ日本 小児臓器提供進まず
毎日新聞 7月18日(月)10時18分配信

 15歳未満の小児患者からの脳死臓器提供に道を開き、家族承諾での臓器提供を可能にした改正臓器移植法の全面施行から17日で丸1年を迎えた。施行後、全体の脳死臓器提供は急増したが、小児からの提供は1例だけ。提供が進まない背景には、脳死を受け入れがたい親の心情や医師の間でも見解がまとまらないことなど、提供を阻むさまざまな課題がある。【比嘉洋、藤野基文、久野華代】

 ◇実施施設「返上」の病院も

 小児の脳死臓器提供実施施設として毎日新聞のアンケートに答えた東海地方の病院で2月7日午前9時ごろ、入院中の男児(1歳5カ月)の自発呼吸が止まった。脳波も平たん。脳死とみられる状態だった。

 「脳の活動が非常に乏しいです」

 同日午後7時、男児のいる集中治療室の隣室に集められた両親とそれぞれの祖父母計6人に治療を担当する女性医師(27)が告げた。人工呼吸器をつけた男児は眠っているように見える。だが、意識が再び戻ることはない。説明を受けた20代の母親が涙をこぼした。

 男児は1月下旬に40度の高熱と激しいけいれんで救急搬送され、インフルエンザ脳症と診断された。投薬治療を続けていたが、意識が回復しないままこの日を迎えた。男児の祖母が詰め寄った。「孫は脳死なんですか」。医師は男児に臓器提供の機会があることを説明し、提供する場合にのみ脳死かどうかを判定するという現行の制度を説明した。家族はすぐに臓器提供を断った。脳死と認めなくてよいのなら、「うちに連れて帰りたい」。

 女性医師とともに診療に当たった男性小児科医(43)は「家族が提供の意思を示したら、おそらく脳死と判定されるケースだった」と振り返る。

 病院は治療を継続し、母親は3歳になる姉を連れてほぼ毎日見舞いに訪れている。男児は脳死とみられる状態でも脊髄(せきずい)反射などにより手足が動き、排便もする。女性医師によると、母親はその度に喜び、動きが少ないと「きょうは機嫌が悪いみたい」と悲しむという。人工呼吸器などの生命維持装置の管理の方法を家族が習得すれば、男児は今月中にも帰宅できる。

 成人は脳死から数日で心停止に至ることが多いが、小児は心停止まで長期間にわたる場合がある。小児科医は「(臓器移植が進む欧米各国のように)『脳死は人の死』とする死生観が日本に根付かない限り、特に小児の脳死臓器提供は増えないだろう」と指摘する。

 小児脳死臓器提供から手を引く施設も出ている。ある病院は改正法施行後の昨年12月の時点では、小児臓器提供実施施設として表明していたが、数カ月後に取り下げた。県内の別の医療施設から「小児からの提供については独自で見解を出すべきでない。先に地域の医師の間で議論を深め、方針を統一すべきだ」との指摘を受けたためだ。取り下げた病院関係者によると、県内の小児救命救急に携わる医師の一部は、救命を願う親の気持ちを傷つけかねないなどの理由から、移植医療自体に抵抗感を持っている。一方で、臓器移植を望む子どもの希望に応えるべきだとする医師も多く、話し合いを続けているという。

 改正法に対応した臓器移植マニュアルをまとめた厚生労働省研究班のメンバー、岡田真人・聖隷三方原病院院長補佐は「脳死について議論を十分尽くさないで、臓器を提供する時に限って脳死を人の死とした。これは世界的にも特殊な状況で、問題を複雑にしている。臓器提供をする時だけ親に子どもの死の時期を判断させるというのは、社会に受け入れられないのではないか」と指摘する。

1598チバQ:2011/07/18(月) 18:51:48
 ◇心停止後含め提供数伸びず 海外移植も困難に

 改正臓器移植法施行で家族承諾による脳死臓器提供が可能となり、最大でも年間13例だった提供数がこの1年間で55例と急増した。しかし、施行前から家族承諾で行うことができた心停止後の提供数は減り、脳死と心停止を合わせた年間臓器提供数は大きな伸びを示していない。

 専門家の間では、脳死提供の手続きの緩和に伴い、従来は心停止後に提供を承諾するケースで脳死での提供を認めるようになったため、心停止後の提供が減ったと考えられている。移植ネットなどによると、この1年間の脳死提供55例のうち49例は家族が承諾したケース。移植を受けた患者は心臓が37人(過去最多は年11人)、肝臓51人(同13人)と大幅に増えた。一方、改正法全面施行後の臓器提供は心停止後の76例(6月末まで)を含め計131例。法施行直前の3年間は▽09年105例(脳死7例、心停止後98例)▽08年109例(脳死13例、心停止後96例)▽07年105例(脳死13例、心停止後92例)で、2割程度伸びた形だ。

 大阪大の福嶌教偉(のりひで)・移植医療部副部長は、施行後、医療施設側も臓器提供の機会があることを説明するようになってきたことや、患者の家族から主治医に臓器提供を申し出るケースが増えてきていることを挙げ、「移植医療は国民の中に徐々に浸透してきているのではないか」と話す。

 海外での移植などを支援しているNPO法人「日本移植支援協会」によると、これまで年間5〜10人ほど渡航移植を支援してきたが、改正法施行後は国内での臓器提供が増えたため支援は1人のみに減った。協会の高橋和子理事長は「渡航移植の自粛を求めるイスタンブール宣言(08年5月)の採択の影響もあり、施行後も小児の臓器提供が1例しかない現状は、小児の移植希望者にとっては非常に苦しい」と語る。

 脳死は、心臓は動いているが、脳の全機能が失われた状態。呼吸などの調節を行う脳幹の機能が残り、自ら呼吸できる「植物状態」とは異なる。脳死状態でも人工呼吸器などを装着すれば、生命力の強い小児の場合、数年間心臓が動き続けることもある。脳死判定は移植に関わらない判定医が、脳波活動や自発呼吸の消失の確認など5項目について、6時間以上の間隔を空け2回行う。蘇生力の高い6歳未満は間隔を24時間以上空ける。昨年全面施行された改正臓器移植法で、本人が生前に拒否していない限り家族の承諾で脳死臓器提供ができるようになったほか、対象年齢も生後12週未満を除く全年齢で可能になった。一方、虐待を受けていた小児(18歳未満)からの臓器提供を禁じている。

1599チバQ:2011/07/18(月) 18:52:07
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110718-00000007-mai-soci
<改正臓器移植法1年>小児の脳死状態14例 判定に至らず
毎日新聞 7月18日(月)2時33分配信

 改正臓器移植法の全面施行(10年7月17日)以降、15歳未満の小児からの脳死臓器提供が4月に1例実施されたが、このほかに小児患者が脳死とみられる状態になったケースが少なくとも11医療施設で14例あったことが、毎日新聞の調査で分かった。親が臓器提供に承諾しなかったり、医師が提供に関する説明を見送るケースが目立ち、いずれも提供には至らなかった。特に小児の場合、家族や医療現場で脳死が人の死として受け入れられない現状が浮き彫りになった。

 ◇本社56施設調査

 毎日新聞は7月1〜15日、小児からの脳死臓器提供を実施すると表明している全国の56施設を対象に郵送によるアンケートを実施。46施設(回答率82%)から回答を得た。

 小児患者が脳死とみられる状態になった14例のうち、親が承諾しなかった(4例)▽主治医らが悲嘆にくれる家族の様子を見て、最初から説明を見送った(4例)▽虐待を受けた疑いを否定できなかった(2例)▽主治医が医学的理由で説明を見送った(1例)−−などの理由で、いずれも脳死判定や提供に至らなかった。

 小児の臓器提供がこれまで1例にとどまっていることについて、全体の半数に当たる28施設は「予想通り」と答えた。理由として「親が脳死を受け入れられない」「虐待の見極めが困難」などの意見が挙がった。

 18歳以上の脳死臓器提供実施施設として名前を公表しているのは2月1日現在、全国で303施設。これらの施設は制度上は小児の脳死臓器提供も可能だが、小児からの提供実施を表明しているのは56施設にとどまっている。【比嘉洋、久野華代、藤野基文】

1600チバQ:2011/07/18(月) 18:52:41
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110717-00000073-san-soci
脳死移植緩和、改正法1年 家族承諾で急増 245人に提供
産経新聞 7月17日(日)7時56分配信


 ■15歳未満1例 浸透なお課題

 脳死下の臓器提供条件を大幅に緩和した改正臓器移植法が昨年7月17日に全面施行されてから、17日で丸1年。本人意思が不明でも家族承諾により脳死での提供が可能になったことで、年間提供数は急増。移植でしか助からない200人以上の患者の命を救うことができた。一方で、必ずしも移植医療への理解が深まっているとはいえない現状がある。

 日本臓器移植ネットワークによると、法改正以降、この1年間で実施された脳死移植は計55件。提供者(ドナー)の男女別は男性31人、女性24人。年代別では40代が13人と最も多く、次いで50代の12人、30代と60代の11人だった。

 平成9年の臓器移植法施行から改正法施行までの約13年間に行われた脳死移植の総数が86件で、年平均で7人に満たなかったことを踏まえると、大きな歩みをみせている。

 55件の脳死移植により、移植手術を受けることができた患者は245人。1人の提供者から約4・5人に臓器が提供された計算になる。

 脳死移植増加の要因は、55例中49例を占める「本人意思不明下の家族承諾による提供」だ。移植ネットが法改正後50例目までの事例を調査したところ、半分以上の27例で家族の側から申し出ていた。移植ネットは「生前に口頭で提供意思を聞いていた家族も多かった」と分析する。

 ただ、移植総数の増加が、そのまま脳死移植に対する理解の向上につながっているわけではない。

 これまでも家族承諾で提供が可能だった心停止下での腎提供は、法改正前は毎年100例前後あったが、平成22年は81件に減少。今年も6月末の時点で40件にとどまっている。

 従来なら心停止後に腎提供を決断していた家族が、脳死での提供に移行したとみられ、脳死と心停止を合わせた提供数で考えると、実際に提供を承諾する家族の伸びはわずかだと指摘する声もある。

 一方、15歳未満からの提供は、今年4月12日に関東甲信越地方の病院で法的に脳死と判定された10代前半の男児1例だけだった。

 大阪大医学部付属病院移植医療部の福嶌教偉副部長は「現状は想定通りの提供数」とした上で、「今後は提供者家族への心のケアの充実が求められるほか、臓器提供がどういうものなのか、より多くの人々に理解してもらう必要がある」と指摘している。

1601チバQ:2011/07/18(月) 18:53:09
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110717-00000105-san-soci
国内移植に期待も厳しい現実 虐待の有無確認、親の心情…
産経新聞 7月17日(日)7時55分配信

 日本臓器移植ネットワークによると、今年5月末までに移植希望の登録をしている15歳未満の子供は、心臓8人▽肺4人▽肝臓10人▽腎臓46人。

 日本小児循環器学会理事長で東京女子医大循環器小児科の中西敏雄教授は「これまで海外渡航による移植を検討する際、“免罪符”として子供の国内登録を行うことがあったが、今は『本当に国内で移植できるかもしれない』という期待を抱きながら登録するケースが出てきた」という。

 もっとも、18歳未満の脳死判定を行う際に定められている「虐待」の有無の確認や、子供の死を受け入れる親の心情など、実際には15歳未満からの提供に至るハードルは高いままだ。

 結果、海外渡航による移植に頼らざるを得ない子供は依然、存在する。

 一方、各国でも臓器提供者不足は深刻で、世界の潮流は渡航移植に年々厳しいものとなっている。加えて、日本では改正臓器移植法施行で「子供も移植ができる」という認識が先行し、渡航移植に必要な資金を集める募金への風当たりが強い。

 渡航移植患者やその家族らのサポートをしてきた「日本移植支援協会」の高橋和子理事長は「法改正以降、相談に来る家族に現状を伝えると皆、肩を落としてしまう」という。

 国内で心臓移植が必要と新たに診断される子供は年間約50人。中西教授は「子供たちをどう救っていくのかを含め、国内で議論を深めてほしい」と訴える。

1603チバQ:2011/07/19(火) 22:10:23
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000126-jij-soci
田辺三菱製薬に業務改善命令=注射剤の検査怠る―厚労省
時事通信 7月19日(火)20時29分配信

 田辺三菱製薬(大阪市)の子会社「田辺三菱製薬工場」が注射剤の検査を怠っていた問題で、厚生労働省は19日、薬事法に基づき田辺三菱製薬に業務改善命令を出した。栃木県も同日、子会社が同県内に所有している工場に対し、20日から10日間の業務停止を命じた。
 厚労省によると、少なくとも2007年4月から昨年4月までの間、糖尿病による皮膚潰瘍に用いる「リプル」など3種類の注射剤について、薬に含まれる重金属の量などを調べる出荷前検査の一部が行われていなかった。子会社の当時の担当者は「他の仕事で忙しかった」と説明したという。
 同省は昨年4月、別の子会社の試験データ改ざんをめぐり田辺三菱製薬に一部業務停止命令を出した。今回は悪質な改ざんがなかったと判断し、改善命令にとどめた。
 田辺三菱製薬の話 業務停止と改善命令を重く受け止め、再発防止に取り組む。

1605チバQ:2011/07/20(水) 22:28:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110720-00001063-yom-soci
酸素と間違え二酸化炭素、患者危篤…神戸の病院
読売新聞 7月20日(水)22時13分配信

 神戸市中央区の市立医療センター中央市民病院は20日、腹部大動脈瘤(りゅう)切迫破裂で13日夜から14日未明にかけて緊急手術を受けた市内の80歳代男性を術後に集中治療室(ICU)に運ぶ際、酸素ではなく、二酸化炭素を吸引させるミスがあったと発表した。

 男性は一度は蘇生したが、再び心肺停止状態となり、危篤という。

 同病院によると、女性麻酔科医と女性看護師がボンベを取り違えた。

 酸素ボンベと二酸化炭素ボンベはほぼ同じサイズだが、取り違えないように酸素が黒、二酸化炭素が緑で色分けされている。

1606荷主研究者:2011/07/24(日) 17:30:29

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/251063
2011年6月30日 10:07 西日本新聞
iPS細胞経ず肝細胞 マウス皮膚から作製 95%が変化 九大が成功

鈴木淳史准教授

 マウスの皮膚の細胞から、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を経ることなく肝細胞を作ることに、九州大生体防御医学研究所の鈴木淳史准教授の研究チームが成功した。iPS細胞から作る場合に比べてより確実に肝細胞に変化させることが可能で、患者への移植など応用も期待できるという。肝細胞は中国の研究チームが作製しているが、日本では初めてで、29日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲載された。

 鈴木准教授が採用したのは、線維芽(せんいが)細胞という皮膚の細胞に遺伝子を加え、培養することで目的の細胞に変化させる「ダイレクト・リプログラミング」と呼ばれる技術。

 同じく線維芽細胞から作るiPS細胞は、どんな細胞にもなれる能力を持つが、その万能性ゆえに目的の細胞に絞って変化させるのは難しい。移植すると体内で腫瘍を作る危険性も高いことから、同技術はiPS細胞によらない方法として近年注目されている。世界ではこれまでに神経、血液、心筋の細胞を作り出した成功例がある。

 この技術の鍵となる遺伝子に、鈴木准教授は肝細胞で働く2種類を使った。マウスの胎児の線維芽細胞に2遺伝子を入れて培養したところ、最終的に95%が肝細胞に置き換わったという。

 作製した肝細胞は、体の機能を調節するアルブミンの分泌など本来の働きをしており、1カ月以内の死亡が避けられない肝不全マウスに移植すると、40%が長期間生きることも確認した。腫瘍は出来なかった。

 鈴木准教授は「iPS細胞から作る場合と比べ、作業時間も大きく短縮できる。ヒトでの研究も進めたい」としている。

=2011/06/30付 西日本新聞朝刊=


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