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Tohazugatali Medical Review
1558
:
名無しさん
:2011/04/29(金) 06:12:00
ついでに朝日の記事も貼り付け。
日本初の心臓移植執刀 和田寿郎元札幌医科大教授が死去
2011年2月15日12時30分
http://www.asahi.com/obituaries/update/0215/TKY201102150243.html
札幌医科大病院で1968年に日本で初めての心臓移植を行い、その是非を巡って強い批判も浴びた元札幌医科大教授の和田寿郎(わだ・じゅろう)さんが、14日午後1時30分、肺炎のため東京都内の自宅で死去した。88歳だった。葬儀は17日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻周子(しゅうこ)さん。
44年、北海道大医学部を卒業。米ハーバード大などで心臓外科を学び、58年に札幌医科大胸部外科の教授に。68年8月8日、海でおぼれた大学生の山口義政さん(当時21)の心臓を、心臓弁膜症と診断された宮崎信夫さん(当時18)に移植した。心臓移植は、世界でも30例目だった。
しかし、移植から83日目に宮崎さんが死去。その後、宮崎さんの心臓病は本当に移植をしなければならないほど重症だったのか、山口さんは本当に脳死だったのか、といった疑問が大学内部からも噴出した。68年、殺人の疑いで告発された。マスコミ報道は、称賛から批判に転じた。
札幌地検は70年、「証拠不十分」として不起訴処分にしたが、数々の疑惑は学会などでも解明されなかった。その後、97年に臓器移植法が施行され、2010年には改正臓器移植法が施行された。これまでに脳死下での臓器提供は122例あった。「和田心臓移植」から心臓移植が再開されるまでに30年余が経過した。
日本胸部外科学会は89年、「国民各層に移植についての不信感を植え付けることになった」として、「和田移植」が国内での移植医療の定着を阻むきっかけになったとの報告書をまとめた。
77年に札幌医科大教授から東京女子医大教授に。87年に同大を退任後は和田寿郎記念心臓肺研究所長などを務めた。92年には「脳死と心臓移植 あれから25年」(かんき出版)という手記を出版した。
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