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Tohazugatali Medical Review

1531チバQ:2011/03/23(水) 23:27:05
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110323-00000615-san-soci
震災で家も病院も失った医師たち、避難所で治療に全力
産経新聞 3月23日(水)19時56分配信

体調不良を訴える女性を診察する植田俊郎さん=岩手県大槌町の弓道場(高久清史撮影)(写真:産経新聞)

 東日本大震災では多くの病院が津波に飲まれ、閉鎖を余儀なくされた。家と病院を失った医師たちは自らも被災者でありながら、聴診器が入った往診用カバン、縫合セットなどの器具を包んだシーツを背負い避難所に駆けつけた。体調不良で苦しむ避難者たちのために、避難所に診察スペースを作り、被災者たちの治療に力を尽くしている。

 「先生、熱っぽいです」「そりゃ大変だ。風邪かな? 体温を測ってみよう」

 約400人が避難する岩手県大槌町の高台にある弓道場。薄暗い場内で医師の植田俊郎さん(56)は山岳用のヘッドランプを点灯させながら被災者と向き合っていた。

 海岸沿いにある植田医院と自宅が入る4階建ての建物は3階までのまれ、植田さんは家族や看護師ら18人と屋上に避難。とっさに聴診器と血圧計が入った往診用カバンと自動体外式除細動器(AED)を手に取った。「これがないと患者さんを守れない」

 地震翌日にヘリコプターで救出されて以来、着の身着のままで弓道場に寝泊まりし、診療を続ける。医薬品は救援物資で届き始めたが、患者たちのデータが入ったパソコンは海水に浸り、被災者たちはお薬手帳を失った。極めて厳しい医療環境だが、「この土地で生きていく。やるしかない」と力強い。

 隣接する山田町の堤防近くにある近藤医院の医師、近藤晃弘さん(51)は地震直後、医院2階の窓ガラス越しに堤防の様子をみていた。ぶ厚い堤防が「ズン」という地響きとともに2メートルぐらい津波に押し込まれ、海水が町になだれ込んだ。看護師ら約20人と3階に逃げた。

 医院と自宅は震災で壊滅状態。近藤さんはけが人が多数出ていると考え、3階の手術室にあった添え木、縫合セット、ハサミ、ピンセットをシーツに包み、瓦(が)礫(れき)の中を持ち運んだ。

 避難所の山田南小学校で、地元の医師2人とともに診療を開始。地震直後は瓦礫で身体を負傷した患者が多かったが、「レントゲンが取れないため、触診で腫れ具合を確認しながら打撲か骨折かを見極めた」。重傷の場合は、無事だった病院へ救急搬送させた。

 近くの薬局の人たちが泥をかぶりながらも、無事だった医薬品を持って駆け付けてくれた。みんなで手分けして、かじかむ手で泥を洗い落とした。「これがあったから、救援物資が届くまでの数日間を耐えることができた」と、感謝する。

 避難所では下痢、嘔吐(おうと)をする患者が出始めた。感染症胃腸炎とみられ、感染拡大に気を揉(も)む。「一刻も早く診療所を立ち上げ、避難所の住民たちを安心させたい。みんなの身体を守りたい」(高久清史)


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