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選挙・議員関連情報スレ

1■とはずがたり:2002/11/04(月) 21:34
とりあえず気付いたニュースなどを張り付ける事にしておく。

3922名無しさん:2015/03/29(日) 17:05:39
>>3921



というわけで、将来は政治家になりたいと思っている方にいまアドバイスをするとすれば「とにかく選挙にかかわっておけ!」です。
それも我を忘れて没頭するくらいに、どっぷり浸かってみることをオススメします。

ぶっつけ本番はリスクが高いです!!

でもそんなこと言われても、どんな候補者を応援すればいいのやら…という方は、ぜひおときた駿事務所までお問い合わせ下さい。笑

来月の統一地方選挙、なんなら一人の「プレイヤー」として携わってみるのはいかがでしょうか?

さて明日は予算特別委員会の締めくくり総括質疑。
事務所に帰ってきたので、これから質問最終調整に入ります。

それでは、また明日。

おときた 駿

3923とはずがたり:2015/04/13(月) 20:45:53

名物男がまた一人逝きましたね〜。ご冥福をお祈りします。

「羽柴秀吉」で選挙 三上氏死去
http://news.goo.ne.jp/article/toon/region/toon-31562606.html
東奥日報2015年4月13日(月)01:08

 「羽柴秀吉」の名で出身地の金木町長選(当時)をはじめ、東京都知事選、大阪府知事選など全国の選挙に多数出馬、いずれも落選した、三上誠三氏(65)=五所川原市=が死去したことが12日分かった。11日、肝硬変のため同市内の病院で死去した。2007年の北海道夕張市長選では次点と善戦し全国的な話題となった。

3924旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/04/18(土) 22:12:15
後藤田正晴の親戚でもあったり。

元社会党衆院議員・井上普方さん死去
http://www.asahi.com/articles/ASH4L54N3H4LPUTB006.html?iref=comtop_list_pol_n02
 井上普方さん(いのうえ・ひろのり=元社会党衆院議員)が10日、肺炎で死去、90歳。葬儀は15日に行われた。喪主は妻誠子(せいこ)さん。
 67年に旧衆院徳島全県区で初当選し、90年まで9回連続で当選。党の国対副委員長、代議士会長などを務め、93年に引退した。

3925名無しさん:2015/05/16(土) 19:50:19
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150512-00043257-gendaibiz-bus_all
決定! 日本をダメにした10人 1位鳩山由紀夫 2位に菅直人。小沢一郎、竹中平蔵も当選
現代ビジネス 5月12日(火)6時2分配信

 デフレ、円高、株安に震災、そして原発事故と、あまりにも試練が多すぎたここ最近の日本。いまだに垂れ込める厚い雲は、誰が吐き出したものなのか。ハッキリさせておこう。この国の未来のために。

思いつきだけの男
 せっかく景気が上向き始めたというのに、どこか気分が晴れないのはなぜだろう。株価がどれだけ上がっても、相変わらず日本社会に蔓延する「閉塞感」はいったい、どこから来るのか―。日々のニュースを眺めながら、なんとなくこう感じている人も多いはずだ。

 本誌は今回、長きにわたって政界を見守ってきた識者たちに、「21世紀の日本をダメにした最大の『戦犯』は誰か」を聞いた。最も多くの識者が挙げたのは、3年と3ヵ月の間政権を担った、民主党政権の人々である。彼らは国民の期待を一身に受けながら、それを裏切り、粉々に打ち砕いた。政治評論家の田崎史郎氏がまず言う。

 「そもそも、民主党に政権運営を担う実力があったのか、ということです。官僚を動かすことはおろか、党内をまとめることさえできなかった。現在の安倍政権のしたたかさと比較するならば、赤ちゃんと大人ほどの実力差があったといえます」

 たった6年前、民主党は日本中の期待を一身に集めていた。政権交代以外に道はない―国民は心からそう信じ、'09年夏の総選挙に臨んだ。その結果が、308議席の圧勝と、支持率70%の鳩山由紀夫政権誕生だった。

 しかし、いきなり雲行きが怪しくなる。「日本を変える」と喧伝した彼らの公約「マニフェスト」は、とうてい実現不可能なシロモノだったのだ。東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が振り返る。

 「特に問題だったのは、沖縄の基地問題への対応でしょう。『最低でも県外』という言葉はあまりに有名ですが、当時、鳩山氏の発言に民主党議員からほとんど異論が出なかった。つまり鳩山氏だけでなく、民主党の公約だった。しかし、その政策が正しいのか、どうやったら実現できるのかについて議論する雰囲気さえ党内になかったのです」

 政治評論家の浅川博忠氏も、こう述懐した。

 「'09年当時、官邸で鳩山総理に会った時、私は『今からでも発言を撤回して謝ったほうがいい』と言いました。しかし鳩山さんは自信に満ちた表情で『そんなことはない』と答えた。『何か案があるんですか』と聞いたら、『徳之島だ』と言うんです」

 当時、民主党は鹿児島県の徳之島に飛行場を移そうと考えていたが、地元の強い反対で後に断念したという経緯がある。

 「私はすでに徳之島の首長が軒並み移設に反対しているという情報を掴んでいたので、鳩山さんにその旨を伝えました。でも彼は『それは違う。大丈夫だ』と言い張る。

 つまり彼は、側近が上げてきた『絶対に大丈夫』という報告を信じ込み、正しい情報を全く把握していなかった。結局その数ヵ月後、発言を撤回することになるわけです」

 思いつきで夢のような政策をぶち上げるが、実現のためにどう動けばいいのか分からず、現場を仕切る人材もいない。ずぶの素人が官邸の主になったも同然だった。

 対案も根回しもなく「県外移設」を断言する鳩山氏に、アメリカ政府は激怒。さらに日米関係の亀裂を突くように、中国は尖閣諸島周辺の海へ船舶を次々侵入させた。裏切った期待の大きさ、そして日本の国益に与えたダメージという点で、鳩山氏は群を抜いている。

3926名無しさん:2015/05/16(土) 19:51:01
>>3925
オモチャみたいに軽い男
 民主党にはムリかもしれない―鳩山政権の体たらくに、少なからぬ国民がそう気づいたが、簡単に後戻りも効かない。後を受けた菅直人総理も、悪い意味で歴史に名を残す総理となってしまった。

 菅氏が東日本大震災発生翌日の'11年3月12日、ヘリで福島第一原発に降り立ち、事故現場をさらに混乱させたことは知られている。なぜ彼はこの無謀な「現地視察」に踏み切ったのか。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「そもそも、総理としての器に問題があった」と分析する。

 「私は、総理大臣には『なったら総理』と『なりたい総理』がいると考えています。つまり『総理になったら何をするか』と考えて総理になる人と、『ただ総理になりたい』というだけの人。菅さんは後者の典型で、初当選の頃から『総理になるにはどうしたらいいんだ』と人に聞いて回っていた。覚悟も理念も哲学もないから、あんなパフォーマンスに出たのでしょう」

 ある意味で、東日本大震災は民主党政権にとってチャンスにもなり得たはずだった。例えば「原発を即ゼロにし、再生可能エネルギーを国の主要電源に据える」といった、自民党には実現できない大胆な改革を打ち出すこともできたのだ。しかし、菅氏も結局何もできなかった。鳩山氏と同じく、彼はビジョンも実行力も備えていなかった。前出の浅川氏がこう語る。

 「本来、政権与党は役人をいかにうまく扱えるかが問われます。しかし、菅さんは彼らに無視され、踊らされただけだった。『事業仕分け』も財務官僚はせせら笑っていましたよ。『民主党には木の枝の先っぽしか見えていない。それで蓮舫(参議院議員)なんかは喜んでいる。オモチャみたいに軽い政権だ』と」

 国民の期待を裏切り続け、地に落ちた民主党政権の評価。それでも国民は、実務家風の野田佳彦総理に「三度目の正直」とチャンスを与えた。

 だが野田氏は、またもや国民を裏切った。それだけではない。衰弱した日本に追い討ちをかけたのだ。ジャーナリストの須田慎一郎氏が言う。

 「野田政権は『消費税増税さえ決めなければ』ということに尽きます。彼が消費税増税のレールを敷かなかったら、もっと早く日本は景気回復の軌道に乗れたはずでした。

 『年金・医療・介護の財源をまかなうため』という理屈は分かる。しかし、本当に日本の財政がそれほど危険だったのかどうかという点は、今も疑問が残ります。増税するにしても、景気回復を待ってからで間に合ったはずです。結局、自分が親しかった当時の勝栄二郎財務事務次官以下、財務省の言い分を鵜呑みにしただけなのではないか」

 先の2人の総理は、あまりに政権運営能力がなかったために、役人たちにうまく「操られる」ことさえできなかった。だが野田氏には、中途半端に実務能力があった。結果として、彼は霞が関の忠実な僕となった。

3927名無しさん:2015/05/16(土) 19:51:46
>>3926
何もかもぶっ壊し過ぎた男
 鳩山、菅、そして野田。たった3人の総理、期間にしてわずか3年3ヵ月。あれよあれよという間に、日本は後戻りのできない窮地に追い詰められた。なぜ私たちは、「民主党にやらせてみよう」と一瞬でも思ったのか―政権交代劇で暗躍したあの「黒幕」について指摘するのは、京都大学名誉教授の中西輝政氏である。

 「'09年当時、政権奪取前夜の民主党内で、最大の実力者は小沢一郎氏でした。鳩山氏と菅氏は、しょせん小沢氏に使われていたにすぎません。そして民主党政権誕生をめぐる政局で、小沢氏は勝利しましたが、日本は完全に道を誤ってしまった」

 自民党にいた頃から、小沢氏の行動パターンは変わらない。「見栄えがよくて軽いみこしを担ぎ、自分は裏で好き勝手に振る舞う」―民主党政権とは結局、小沢氏が権力奪取を目論んでプロデュースし、生み出した政権だったというわけだ。中西氏が続ける。

 「政権交代直前、小沢氏は自公政権を揺さぶるため、国政を機能不全に陥らせたのです。'07年に自民党との『大連立』が失敗すると、翌年に日銀総裁人事に異を唱え、あえて自民党との対決を演出し、自身の求心力を高めようとした」

 この時の日銀総裁人事で、小沢民主党が推した人物こそ、白川方明前日銀総裁だった。

 おそらく小沢氏は、単に「自民党案に反対できれば誰でもいい」と考えて白川氏を担ぎ出したのだろう。だが、この選択が期せずして、日本経済に深刻なダメージを与えることとなる。前出の長谷川氏が言う。

 「白川さんは『金融政策はデフレ脱却には効果がない』と考えていましたが、そもそも『金融政策に物価をコントロールする力がない』と考える人が金融政策を担当して、上手くいくはずがない。

 金融緩和に実効性があることは、黒田東彦総裁に交替した途端、株価が上昇へ転じたことが証明しています。白川さんはその逆をやり続け、庶民を円高とデフレで苦しめた。もし彼が日銀総裁にならなければ、日本はあと5年早くデフレから脱却できていたと思います」

 民主党が下野したとき、多くの国民はこう思った。「初心者」に政権を委ねたのは間違いだった。もう野党には期待できない―。ジャーナリストの鈴木哲夫氏が指摘する。

 「民主党最大の罪は、国民を失望させ、結果的に現在の自民党一強体制を作り出す手助けをしてしまったことだと思います。

 民主党政権は大事なときに党内をまとめきれず、自民党がマネできないような抜本的改革も、言うだけで実現しなかった。今、安倍総理の政策に各論では反対の人が多いにもかかわらず、安倍政権が高支持率を保っているのは、国民が野党ひいては政治そのものに幻滅しているからでしょう」

 経済学者で明治大学准教授の飯田泰之氏も、鈴木氏と近い見解を寄せた。

 「民主党政権は、国民の期待に応えるどころか、むしろデフレと増税という日本停滞の大きな要因を作ってしまいました。経済政策があまりにまずかったため、『リベラル勢力は経済に弱い』というイメージを国民に植え付けてしまったのです」

 民主党政権に徹底的に裏切られた記憶が、今なお日本人最大の「トラウマ」になっているのだ。

 さらに、野党の体たらくについて、少し違った角度から語ったのが評論家の呉智英氏である。

 「私は、元社民党党首の福島瑞穂氏も間接的に『日本をダメにした』と考えています。彼女は理想論を学級委員のように唱えるだけで、自分の信念にもとづく政策を決して語ろうとしない。空論を振りかざすだけの姿に、有権者は『この人たちに政権を預けても、当事者能力はない』と幻滅している。そのせいで、『野党が何を言ってもムダだ』という世論まで生まれてしまったのです」

 「与党に反対することが自分の仕事」と決めてかかり、無責任な立場に安住するさまは、現在の民主党も同じ。こうしている間にも有権者は「日本にマトモな野党はない」と不信を募らせているのに、彼らはそれを自覚すらしていないのだ。このままでは、再び政権を任せてもらえる日は決してやって来ないだろう。

3928名無しさん:2015/05/16(土) 19:51:55
>>3927

 では、一方の自民党には何の非もないのかというと、まったくそんなことはない。もとを辿れば、国民が素人集団と分かっていながら民主党に縋らざるを得なくなったのは、自民党政権で日本がガタガタになったからだ。

 東京大学医科学研究所の上昌広特任教授は、医師の視点からこう語った。

 「自民党政権で道を誤った政治家というと、森喜朗・小泉純一郎の両元総理が浮かびます。森政権の前後、内需拡大のために道路工事など公共事業に毎年10兆円近いカネが使われました。その借金が、いまだに国民にのしかかっている。あのとき医療や社会保障に投資していたら、ここまで日本の医療はダメにならず、地方の経済が土建依存体質になることもなかった。

 さらに小泉政権は、改革の名の下に科学行政を役所へ丸投げしたので、官僚が好き勝手をするようになり、組織も人材も育たなくなってしまった。いわゆる『STAP騒動』も、過熱する予算獲得競争の果てに起きた事件という側面があります」

 「改革を断行する」「自民党をぶっ壊す」と叫び、国民を熱狂させた小泉氏。だが、今振り返れば、あの頃を境に日本は完全に変わってしまった。

 物事は単純であればあるほどいい。小難しい理屈は鬱陶しい。仕事がないのも、貧乏なのも、モテないのも自己責任。格差はあって当たり前―小泉氏が繰り返した「ワンフレーズ」が、日本人の新たな「価値観」になってしまったのだ。評論家の佐高信氏が指摘する。

 「私は小泉氏が重用した竹中平蔵氏の存在も大きいと思います。竹中氏は『慶應義塾大学教授』と紹介されることが多いですが、一方では人材派遣会社パソナの会長を務め、かなりの収入を得ているはずです。それなのに、大学教授の肩書で中立を装って政府の審議会に参加し、労働者派遣法の改悪に手を貸して、あげく『正社員は必要ない』とまで主張して憚らない。さすがにおかしいでしょう」

3929名無しさん:2015/05/16(土) 19:52:41
>>3928
メディアを堕落させた男
 そして、竹中氏と同時期に小泉氏に引き立てられた人物がもう一人いる。安倍晋三現総理である。

 「小泉元総理は、自民党のいい部分までぶっ壊してしまった。党内で異論を唱える人には選挙で『刺客』を送り込んで切り捨て、結果として自民党は人材の厚みを失った。これが現在の、総理に誰一人異論をさしはさめない『安倍一強体制』の土壌を生みだしたのです」(前出・伊藤氏)

 確かに今、安倍総理に対抗しうる人物は、自民党の内外を問わず見当たらない。ポスト安倍政権は「院政が始まる」とまで囁かれるありさまだ。この状況に、前出の佐高氏は懸念を強めている。

 「政治家の最も大切な役目は『国民を飢えさせないこと』そして『戦争をしないこと』ですが、安倍総理は両方破ろうとしています。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で日本の食を脅かし、周知の通り安保法制も変えようとしている。反対意見は封じ込め、受け入れない。とても自民党本流の政治家とは思えません」

 かつて自民党には、タカ派からハト派までさまざまな人材がひしめき、決して「安倍独裁」のような状況は生じなかった。なぜ、清濁併せ呑む「古き良き自民党」は消えてしまったのだろうか。

 ひとつの大きな原因は、本来は政権の監視機関たるマスコミが、いまや完全に政権と同じ側に立ち、反対する者を袋叩きにして恥じないことである。

 「読売新聞の渡邉恒雄主筆は、言論を殺したと言っていい。『言論には言論で応じる』というメディアの原則を破り、批判記事に裁判で応じるなんて、自分の意見に自信がないことの証拠です。

 最近はマスコミ各社の幹部が安倍総理と頻繁に会っていますが、こうした権力との癒着も彼以前にはありませんでした。メディアの権力監視機能を壊した責任は、極めて重い」(前出・佐高氏)

 二度と過ちを犯さないためには、われわれ国民が時代を読む目を、人を見る目を養うしかない。

 「週刊現代」2015年5月9日・16日合併号より


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週刊現代

3930名無しさん:2015/05/16(土) 23:23:37
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150514-00000000-pseven-soci
村山談話 国会決議を阻止した当人がその意図と経緯を語った
NEWS ポストセブン 5月14日(木)7時6分配信

「一強多弱」の政界で、安倍晋三・首相の政権運営に正面切って異を唱える勢力はない。それは、安倍首相による「戦後70年談話」についてもそうだ。こんな時こそ本誌名物、もはや怖いもののなくなった老人党座談会の出番だ。政治と戦争を体験した村上正邦(82歳・元自民)、矢野絢也(83歳・元公明)、平野貞夫(79歳・元民主)の3氏が「談話」について語り合った。

──安倍首相は1995年の村山談話とは文言を変えた戦後70年談話を発表しようとしていますが、村山談話はどういった経緯で出されたのでしょうか。

村上:村山富市さんは純粋な方でね。自・社・さの連立政権の総理に推された時に、なぜ大臣もやったことのない、官邸にも行ったことのない自分が総理になるのかを真面目に考えた。翌年がちょうど戦後50年という節目の年だった。そこに必然的な意味があって、日本がけじめをつけるための天命であると考えて総理を引き受けたわけです。

 まあ、村山さんを担いだ自民党側は、悪人どもがいろいろ知恵を巡らせたんでしょうな。戦後50年とかどうでもよくて(笑い)、とにかく政権に復帰するために亀井静香らが村山さんを担ぎ出した。ただ、村山さん自身はもっと純粋に考えていた。

矢野:今も村山元首相は、日本はこれでいいのかという気持ちで、村上さんや私などの議員OBでつくる「さとやま・草莽(そうもう)の会」という政治の勉強会の筆頭呼びかけ人にもなっている。

村上:そうなんです。村山さんはもともと戦後50年のけじめを談話ではなく、国会決議でやろうとしていたんだよ。当時の自民党政調会長は加藤紘一、幹事長は森喜朗。加藤が遺族会とか靖国関連とか、決議文に反対しそうな団体に根回しした。それで大丈夫そうだってことで自民党の役員会を開いたら、どっこい、私が反対した(笑い)。

平野:そうそう。

村上:何で反対したかというと、ここに決議文があるんだけどね(と紙を出す)。日付は平成7(1995)年6月9日。

〈世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する〉

 これだと「こうした行為」は、「植民地支配」や「侵略的行為」を指すわけで、あまりに自虐的すぎる。だから、「こうした」という四文字を外せと主張した。役員会は紛糾して、私があんまり頑張るから、みんなうんざりしていたよ。結局、四文字を外すことになったんだが、印刷物で回ってきた決議文を見たら外れてない。翌日の衆議院でそのまま決議されたんだ。

 騙されて頭にきたからね、絶対に参議院では決議させないと決めた。私は参議院の自民党幹事長だったから、もう歯牙にもかけなかったよ。国会決議は衆参両院で決議しないといけないから、流れたんです。それで村山さんは首相談話という形で発表することになった。

平野:補足するとね、そこに至るまでの助走があったんですよ。1993年に細川護熙政権が誕生して、細川総理は8月15日の武道館の戦没者追悼式典で元自民党の政治家として初めて、我が国の侵略行為や植民地支配に反省とお詫びの気持ちを述べた。1995年当時の自民党は、社会党と連立を組むために細川さん以上のことをやらないかんとなって、戦後50年の国会決議という話が出てきた。

村上:やっぱり悪人が暗躍しとるんだよ(笑い)。

平野:私は平和主義者ですからお詫びは必要だと思うけど、歴史観や価値観にかかわる問題は、国会の多数決で決める話ではない。

村上:人が100人いれば、100通りの歴史観があるんだよ。村上水軍だって、水軍なのか海賊なのか、立場や見方で変わるでしょう。それを国会で1つにまとめようとしたらダメだよ。

平野:そういうことです。国会はそうしたことを決議する機関ではない。ところが、自民党のエセ平和主義者たちときたら……。

矢野:国会決議しちゃっとるんですな、衆議院は。

平野:だから、新進党は議員141人が欠席した。村上先生が頑張ってくれたおかげで参議院では決議されず、談話で出すしかなくなった。談話でいいんですよ。細川さんもスピーチでしたから。

※週刊ポスト2015年5月22日号

3931とはずがたり:2015/06/01(月) 18:10:27

最近は体調悪かったですもんねぇ。

町村信孝・前衆院議長が死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00010001-doshin-pol
北海道新聞 6月1日(月)17時37分配信

 官房長官、外相などを務めた自民党の町村信孝(まちむら・のぶたか)前衆院議長=衆院道5区=、当選12回=が1日午後2時15分、脳梗塞のため東京都内の病院で死去した。70歳だった。

 静岡県沼津市出身。北海道知事を3期務めた故町村金五氏の次男で、祖父は「北海道酪農の父」と呼ばれた金弥氏。東大経済学部卒。旧通産省(現経済産業省)を経て1983年に衆院初当選し、97年に文部相で初入閣した。その後、初代文部科学相、党総務局長などの要職を務めた。政策通として知られ、最近では北海道新幹線の開業前倒しなどを検討する与党新幹線PT座長などを務めた。

 2006年から党内最大派閥「清和政策研究会」(現細田派)の会長を通算6年務め、12年には党総裁選に出馬したが、選挙戦の最中に軽い脳梗塞で入院。同じ派閥から出馬した安倍晋三首相に敗れた。14年12月に衆院議長に就任したものの再び体調が悪化。入退院を繰り返す状態が続き、今年4月20日に議長を辞任して治療に専念していた。

北海道新聞

3932とはずがたり:2015/06/01(月) 18:18:47
思わず訃報スレのここに投下しちゃったけど現役議員だから補選あるし衆院選スレが対象だっけ??

3933旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/06/01(月) 19:13:52
こないだまで元気だったのに…ショックだなあ。

3934神奈川一区民:2015/06/01(月) 19:36:51

>>3931
議長を辞任した時点で、もしかしたらとは思いました。
でも、急でしたね。

お悔やみ申し上げます。

3935名無しさん:2015/06/07(日) 16:17:13
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000554-san-pol
町村氏死去 石破氏「突然のことで言葉もない」
産経新聞 6月1日(月)19時0分配信

 石破茂地方創生担当相は1日、町村信孝前衆院議長の死去について「あまりにも突然のことで言葉もない。また元気に戻ってこられて、日本政界全体あるいはわれわれ後輩をご指導いただけるものと思っていたので極めて残念だ」と述べた。首相官邸で記者団に語った。

3936名無しさん:2015/06/07(日) 16:18:59
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000555-san-pol
民主・岡田代表「机を並べて仕事をした。非常に残念」 町村氏死去で
産経新聞 6月1日(月)19時4分配信

 民主党の岡田克也代表は1日、国会内で記者団に対し、町村信孝前衆院議長の死去について「若いころからご一緒することが多かった。通産省時代に2回、机を並べて仕事をした。個人的にも非常に残念だ」と述べた。

3937名無しさん:2015/06/07(日) 16:38:06
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000557-san-pol
町村氏死去、生活・小沢氏が涙 「ボクより年下で残念…」
産経新聞 6月1日(月)19時12分配信

 「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎共同代表は1日、国会内で記者団に、町村信孝前衆院議長の死去について「僕より年齢が下で本当に残念に思う。自民党時代、グループが違ったからプライベートで付き合った仲ではないが、頭の良い方で気のとてもいい同僚だった」と目に涙を浮かべながら語った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000093-mai-pol
<町村氏死去>頭脳明晰な人…安倍首相らが驚きの声
毎日新聞 6月1日(月)21時34分配信

 自民党の町村信孝(まちむら・のぶたか)前衆院議長=北海道5区=が脳梗塞(こうそく)のため70歳で死去した1日、与野党から驚きや悼む声が上がった。4月に議長を辞職する際は、軽い脳梗塞(こうそく)と診断されたが、記者会見して公の場に姿を見せたばかりだった。

 1日夕、国会内での自民党役員会。町村氏から派閥会長を引き継いだ細田博之幹事長代行が訃報を伝えると、安倍晋三首相(党総裁)らが驚きの声を上げたという。谷垣禎一幹事長はその後の記者会見で、「突然のことでみな驚がくした。何とも言葉がない」と沈痛な面持ちで語った。

 細田氏は役員会後、記者団に「頭脳明晰(めいせき)で経済にも明るく国際性もあった。小泉政権時、私が官房長官、町村氏が外相で、在日米軍再編問題で苦労したことを思い出す」と振り返った。5月12日の派閥パーティーへの出席を求める電話をした際、「出たいけど失礼する」と話したのが最後だったという。

 後任の大島理森衆院議長は「町村氏の信念と思いを受け止めて、議長職を果たさなければならない」と述べた。当選同期の二階俊博総務会長も「真面目でよくできる人。もう一働きしてもらいたかった」と悔やんだ。

 旧通産省で後輩の民主党の岡田克也代表は、1月に代表就任あいさつの際、町村氏から「健康には気をつけろ。自分もああ(脳梗塞)なるとは予想していなかった」と助言されたという。「議長として1票の格差是正に意欲を燃やしていただけに、非常に残念だ」と語った。【影山哲也、福岡静哉】

3938名無しさん:2015/06/14(日) 20:17:01
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150613-00000104-san-pol
「うぐいす嬢」らのセクハラ深刻、レイプ被害も…選挙活動中は訴え無かったことに
産経新聞 6月13日(土)14時48分配信

 「バスの中で体を触られた」「ブタと呼ばれた」。統一地方選を機に、女性への暴力根絶などに取り組む「女性と人権全国ネットワーク」(東京)が、いわゆる「うぐいす嬢」など選挙活動に関わる女性へのセクハラ・パワハラ被害を明らかにしようと呼び掛けたところ、全国から31の事例が寄せられた。

 中には「レイプ被害に遭った」との深刻な事例もあった。同ネットワークの佐藤香共同代表は「選挙期間中は当選を目指して一致団結が求められ、被害を訴え出ても『我慢しろ』『和を乱すな』と、無かったことにされてしまうことがある」と指摘する。

 同ネットワークは安全な選挙活動を考える契機にしようと、4〜5月にメールで事例を募集した。

 候補者本人が加害者になったのは8事例で、「選挙活動に使うバスの中で体を触られた」「『ブタ』といった侮辱的なニックネームで呼ばれた」など。ある女性は、加害者である候補者の「良いところ」をうぐいす嬢として一日中宣伝し続ける苦痛を「自分の魂を裏切り、自分の宣伝を聞く町の人もだましている気がした」と訴えた。

 運動員や支援者、秘書などが加害者になったのは23事例。運動員からレイプ被害に遭った女性は「他にもいるうぐいす嬢の中から選ばれたのだから、光栄だと思え」と言われたという。

 佐藤さんは「報復や給料の減額を恐れ、周りに打ち明けられなかった女性もいた。被害を無くすため、選挙管理委員会や各政党でも、ルール作りをすべきではないか」と話す。

3939名無しさん:2015/06/14(日) 21:54:45
>>3937

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150608-00000013-pseven-soci
故・町村信孝氏 紋切り型でなくその言が楽しみな政治家だった
NEWS ポストセブン 6月8日(月)16時6分配信

 自民党最大派閥・清和政策研究会の前会長である町村信孝・前衆院議長(享年70)が6月1日に急逝した。
 
 町村氏は学生運動真っただ中の東大経済学部在学中にノンセクトのリーダーとして全共闘と対立し、「町村殺せ」とまでアナウンスされた武勇伝の持ち主だった。卒業後は通産省を経て1983年に初当選。北海道知事や警視総監を務めた父親の反対を押し切って政界入りした。
 
 政治家としてのキャリアは安倍首相の父、安倍晋太郎・元外相の下で積んだ。1997年に第二次橋本龍太郎改造内閣で文相として初入閣。以後、閣僚を歴任し、2006年に清和研会長に就任し、最大派閥の領袖となった。政治ジャーナリストの野上忠興氏が語る。
 
「理論派の町村さんは政界でも直言居士として知られ、理屈に合わないことには相手が誰であろうと歯に衣着せぬ言い方をしてきた。おべんちゃらが嫌いで、安倍首相にも容赦はしない硬骨漢だった」
 
 そんな性格ゆえにトラブルを起こすこともあった。2008年、官房長官時代に母校の東大での講演で、「早くいい相手を見つけて結婚して、次の世代を作る。これは皆さん方の義務だと思う」「私はちゃんと義務を果たして2人の子供を作った」と語り、当時社民党議員だった辻元清美氏から、「子供を産まないカップルは義務を果たしていないのか」と追及されたこともあった。
 
 ただし、外を向いて声を荒らげるだけの最近の軽薄政治家とは違った。
 
 2013年末、安倍首相の靖国参拝を米国が批判したことに衛藤晟一・首相補佐官が「米国には失望した」と発言すると、町村氏は「自民党全体がたるんでいる、傲慢になっているとの例に使われる。百害あって一利なしだ」と一喝。昨年11月、首相が消費税再増税を先送りして解散したことには、「消費税と解散がどうして論理的につながるのか全く理解できない」と疑問を突きつけた。こんなエピソードもある。
 
 2007年に民主党の議員がUFOの認識を問う質問書を提出。政府は、「UFOの存在は確認していない」とする答弁書を出したが、当時の町村氏は、「絶対にいる。そうじゃないと、ナスカの地上絵なんて説明できない!」と力説していた。
 
 紋切り型の答弁かヤジしか口にしない議員が多いなか、その言を楽しみにできる政治家だった。合掌。

※週刊ポスト2015年6月19日号

3940旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/06/16(火) 21:07:54
元社会党書記長、馬場昇さん死去
http://www.asahi.com/articles/ASH6J5TVNH6JTLVB01B.html?iref=comtop_list_obi_n02
 元衆院議員で社会党書記長を務めた馬場昇(ばば・のぼる)さんが15日、死去した。89歳だった。通夜は17日午後6時、葬儀は18日正午から熊本市中央区河原町23の豊住葬祭斎場で。喪主は長女朝子(ともこ)さん。
 熊本県芦北町出身。県内の高校で教壇に立ち、県高教組委員長、日教組副委員長などを経て、1972年の衆院選の旧熊本2区で初当選。7期務めた。82年に党書記長。93年に落選、政界を引退した。
 引退後も護憲運動や水俣病の被害者支援に取り組んだ。水俣病問題では、73年に患者と原因企業チッソとの間で結ばれ、現在も認定患者に適用されている補償協定の作成に関わった。

後藤茂さん死去 元社会党代議士会副会長
http://www.asahi.com/articles/ASH6J67GLH6JUTFK011.html?iref=comtop_list_obi_n01
 後藤茂さん(ごとう・しげる=元衆院議員)は5日、肺炎で死去、89歳。通夜、葬儀は近親者のみで行った。喪主は妻晏代(やすよ)さん。1976年の衆院選(旧兵庫4区)で社会党から初当選。通算6期を務め、党代議士会副会長などを歴任した。

3941とはずがたり:2015/07/03(金) 12:35:34
現実路線を重視…旧社会党委員長、田辺誠氏死去
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150703-OYT1T50043.html?from=ycont_top_txt
2015年07月03日 12時10分

 旧社会党で委員長を務めた元衆院議員の田辺誠(たなべ・まこと)氏が2日、前橋市内の病院で死去した。

 93歳だった。告別式は11日午後1時、前橋市天川大島町1035の7前橋メモリードホールで行われる。喪主は長男、潔氏。

 田辺氏は前橋市出身。前橋郵便局労組書記長、群馬県議を経て、1960年11月の衆院選で旧群馬1区から初当選した。91年7月に旧社会党委員長に就任し、96年10月の衆院選を機に引退するまで当選11回を重ねた。

 旧社会党右派の最大派閥「水曜会」を率い、現実路線を重視し、政権を担える「ニュー社会党」路線への脱皮を目指した。

 83年9月、書記長に就任。90年9月には自民党の金丸信・元副総理と北朝鮮を訪れ、「第18富士山丸」の船員釈放で一定の成果を収めた。だが、自民、社会両党と朝鮮労働党による「3党共同宣言」に「戦後45年間の償い」が盛り込まれたことなどが厳しく批判された。

 委員長就任後は、92年の国会審議で国連平和維持活動(PKO)協力法をめぐり、牛歩戦術や議員辞職願提出など徹底した抵抗戦術を繰り広げた。92年7月の参院選で大敗し、93年1月に委員長を辞任した。

 社会福祉をライフワークとし、政界引退後は前橋市内の老人ホームを運営していた。

3942とはずがたり:2015/07/05(日) 16:23:57

地方議員半世紀の元県議、車と電柱に挟まれ死亡
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150629-OYT1T50061.html?from=yartcl_outbrain1
2015年06月29日 13時53分

 28日午前10時15分頃、長野県豊丘村河野の村道で、元県議で飯田日中友好協会長の森田恒雄さん(82)が道路上に止めた車が動き出し、外に降りていた森田さんが、車と道路わきの電柱の間に挟まれた。

 森田さんは胸や腹を強く打ち、搬送先の病院で死亡が確認された。

 飯田署の発表によると、現場(道幅約4メートル)は上り坂で、森田さんが車を止めて降りた後に後退したという。同署で原因を調べている。

 森田さんは豊丘村議6期、県議7期と、地方議員を半世紀以上務めた。2011年に県議を引退した後も、社民党飯伊総支部代表として活動したほか、13年4月に阿智村に開館した満蒙開拓平和記念館の建設にあたっても中心的な役割を果たした。

3943旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/07/20(月) 21:54:27
佐々淳行氏の姉でもあります。三島由紀夫とも交際歴あり。
参院議員としても活躍されました。ファンだったんですけど。

紀平悌子・日本婦人有権者同盟元代表死去
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015072000350
 紀平 悌子氏(きひら・ていこ=元参院議員、日本婦人有権者同盟元代表)19日午前11時56分、東京都大田区の病院で死去、87歳。福岡市出身。葬儀は親族のみで行い、後日しのぶ会を開く予定。喪主は長男太郎(たろう)氏。
 日本の女性運動をリードした故市川房枝氏に師事し、1972年に市川氏が創設した日本婦人有権者同盟の会長に就任。会長・代表として通算約30年にわたり、女性の政治参加に取り組んだ。
 89年の参院選では熊本選挙区から無所属で立候補し初当選。95年まで1期務めた。(2015/07/20-21:09)

3944とはずがたり:2015/08/05(水) 07:54:35
ご冥福をお祈りします。
笑>「歩く国会先例集」との異名を取った。
それにしても土井・田辺・山口と最後に社会党が大政党として輝いてた(まあ輝いてなかったと云う評価も出来るだろうけど。。)時の幹部が相次いでお亡くなりましたね。時代だなぁ。

元社会党書記長の山口鶴男氏が死去…89歳
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150804-OYT1T50081.html
2015年08月04日 23時45分

 元社会党書記長で村山内閣の総務庁長官を務めた山口鶴男(やまぐち・つるお)氏が3日午後8時45分、群馬県内の病院で肺炎のため死去した。

 89歳だった。告別式は7日午後1時、群馬県草津町草津464の31西あがつまいずみセレモニー。自宅は草津町草津293。喪主は妻、栄(さかえ)さん。

 草津町出身。旧制桐生工業専門学校を卒業後、中学、高校で教壇に立つ一方、群馬県教組役員として活動した。県議を経て、1960年衆院選に旧群馬3区から出馬し初当選。11期務めた。

 江田三郎元書記長に近く、社会党右派の実力者として、右派の最大派閥「政権構想研究会」代表などを務めた。長年、衆院議院運営委員会理事や党国会対策委員長を務め、「歩く国会先例集」との異名を取った。

3945名無しさん:2015/09/16(水) 20:32:36
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150916-00053596-playboyz-soci
武藤貴也、上西小百合両議員を生み出した「公募」上がりの政治家がヒドすぎるワケ
週プレNEWS 9月16日(水)6時0分配信

安保法案以外で最近の永田町を騒がせた話題といえば、上西小百合衆議院議員と武藤貴也(たかや)衆議院議員の不祥事だろう。

上西氏は秘書との「ズル休み旅行」疑惑で、武藤氏は「国会議員枠の新規未公開株がある」などと詐欺まがいの金銭トラブルが問題となった。武藤氏は他にもツイッターでの不適切発言や、議員宿舎に不適切な関係の人間を連れ込んだ疑惑もある。

このふたりの共通点は、政党の「公募」に受かって国会議員になったということ。どーしてこの人たちが合格できちゃったのか? そんな素朴な疑問を解消するべく徹底取材をしてみると、しょーもなさすぎる公募の実態が明らかに…。

まずは公募の基本的な仕組みを理解しよう。各政党は候補者の決まっていない選挙区や比例区で立候補する人材を探すために公募制を採用している。基本的な選考方法は小論文と面接。党によっては演説やペーパーテストなども加わる。自民党本部の幹部関係者T氏が解説する。

「公募には優秀な方もたくさん応募してきます。しかし、優秀な人が合格するかといえば、必ずしもそうはならないのが現状です。いくつか問題点はありますが、まずは“選ぶ側”のレベルが低いということが言えます。自民党の場合、郵政解散総選挙(2005年)の時までは党本部が選考を行なっていたのですが、それ以降は地方に任せているんです。

地方とは、都道府県連や市町村支部のこと。具体的には、都道府県会議員や市町村議会議員、事務方の幹部らですね」

その人たちのレベルが低いってこと?

「残念ながら、その通りです。例えば、学力の低い地方議員がハイレベルな論文を読んでもピンとこないんですよ。それ以前に彼らは自分たちよりも“上”の人間を嫌うんです。衆院議員は基本的に各選挙区の支部長になるので、地方議員にとっては事実上の上司に当たる。つまり、部下になる側が“未来の上司”を選考するという、いびつな構図になっているんですよ。

だから、単純に感じのいい青年や見栄えのいい女性を選んだりする。逆に自分たちを見下しそうな優秀な人に対してはコンプレックスを感じ、避けたりするのです。

大体、地方議員は国会議員と違って政治資金の使途に関してチェックの目が甘い。だから、税金から拠出される政務活動費でマッサージチェアや高級車を買ったり、飲み食いに使ったりしてしまう議員も多いんです。そんな連中が、武藤さんのように金銭トラブルを起こしそうな人を見極めることなんて不可能ですよ」(T氏)

マジか…。でも、これは自民党だけの話ではないようだ。維新の党の議員がため息交じりに語る。

「2012年の総選挙前、我々も公募で候補者を募りました。主に『維新政治塾』の塾生から選ぶ作業だったので、短時間の面接だけではなく、塾を通じて何度も顔を合わせてコミュニケーションをとることもできた。応募者には優秀な人がたくさんいましたが、上西さんだけではなく、ビミョーな人が数多く合格してしまった。これには裏があります。

選考作業を担ったのは、主に大阪府議や大阪市議、堺市議たちでした。彼らは当時の“維新ブーム”に乗って、自分たち自身が国政に転じて出馬したい気持ちを持つ者が少なからずいたのです。でも橋下さんがそれを許さなかった。そんな背景があり、政治の素人が自分たちを飛び越して国会議員になることが面白くなかったんですよ。

だから能力や資質ではなく、国会議員になっても自分たちをバカにしなそうな人とか、自分たちよりも学歴が下の人とか、腰が低い人、単純に若い女性なんかを選出してしまったんです…」

お粗末にも程があるぞ! 発売中の『週刊プレイボーイ』39・40合併号では、さらに公募に多額の金が裏で動いている実態とその問題点を追求しているのでお読みいただきたい。

(取材・文/菅沼 慶)

■週刊プレイボーイ39・40合併号(9月14日発売)「武藤貴也、上西小百合らを選んでしまう『政治家公募』の現場がヒドすぎる!」より

3946名無しさん:2015/09/19(土) 19:10:14
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015091900207
塩川正十郎氏死去、93歳=「塩爺」の愛称、小泉政権で財務相

 内閣官房長官や自民党総務会長などを務め、「塩爺(しおじい)」の愛称でも親しまれた塩川正十郎(しおかわ・まさじゅうろう)元財務相が19日午前10時15分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。93歳だった。大阪府東大阪市出身。葬儀は24日正午から大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館で。喪主は長男耕士(こうし)氏。

 慶大経済卒。大阪府布施市(現・東大阪市)の助役を経て1967年に自民党から衆院旧大阪4区に出馬し初当選。当選11回。運輸相、文部相、官房長官、党税調会長、党総務会長などを歴任した。
 2001年発足の小泉内閣に財務相として入閣。ひょうひょうとした語り口で人気を博し、小泉純一郎首相の後見役として存在感を発揮した。特別会計の無駄遣いに業を煮やし、国会で「母屋(一般会計)でかゆをすすっているのに、離れ(特別会計)ですき焼きを食べている」と答弁した際は、野党からも喝采を浴びた。
 安倍晋三首相の父である安倍晋太郎元外相(故人)に近く、首相候補だった同氏を森喜朗元首相らとともに支え、「安倍派四天王」と呼ばれた。
 03年11月の衆院選に出馬せず、政界を引退。その後は東洋大総長を務める一方、テレビ番組などにも出演し、政界のご意見番として活躍した。 (2015/09/19-18:35)

3947名無しさん:2015/09/22(火) 10:20:35
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150922-00000503-san-pol
浪速のエリカ様、武藤貴也議員…“チルドレン系”議員になぜスキャンダルが相次ぐのか?
産経新聞 9月22日(火)8時30分配信

 未公開株をめぐる金銭トラブルなどが報じられ自民党を離党した武藤貴也衆院議員(滋賀4区)は、本会議を欠席する日々が続いている。与野党から議員辞職を求める声もチラホラ…。振り返れば、小選挙区制度が導入されて以降、政党への「追い風」に乗ってバッジを付けた“チルドレン系”議員による問題行動が世間を騒がせた例は、枚挙にいとまがない。多くは政党による候補者の「公募」出身者だけに、ベテラン議員は憤る。「公募なんてやめちまえ」-。

 「現段階では議員辞職は考えていない。法的問題はない」

 武藤氏は8月26日の金銭トラブルに関する釈明会見でこう語った通り、議員辞職はしていない。

 武藤氏をめぐっては、離党の原因となった金銭トラブル報道のほか、平成24年の衆院選で選挙スタッフとして雇用した男性から未払いの報酬を請求する訴訟を起こされ、約30万円を支払うことで和解していたことも判明している。さらに、週刊文春は衆院赤坂宿舎で未成年の男性に金を払い、性的な行為をしていたと報じた(本人は否定)。

 法的問題は司直に委ねればいいし、個人の性的嗜好をどうこういうつもりはない。問題は“選良”としてきっちり仕事をしているかどうかだ。

 自民党中堅議員は「記者会見後、改正マイナンバー法が成立した9月3日など、法案採決をする本会議を欠席している。採決は国会議員にとって最も大事な仕事といっていい。大事な職責を果たせないなら、すみやかに議員辞職すべきだ」と手厳しい。

 衆院議院運営委員会で9月16日、民主党の理事が「野放しはよくない。何らかの措置、対応をしなければダメだ」と語り、オブザーバー出席した共産党議員も「無所属とはいえ、もともとは自民党が公認した。責任を取るべきだ」と自民党に迫った。議運委理事会で今後、対応を検討する。

 “浪速のエリカ様”こと上西小百合衆院議員も記憶に新しい。国会をサボって男性秘書と旅行に出かけた疑惑が報じられ、所属していた地域政党「大阪維新の会」の橋下徹代表(大阪市長)の逆鱗に触れて大阪維新だけでなく維新の党からも除籍処分を受けた。それに懲りるどころか、その後はテレビ出演を繰り返し、フォト自叙伝まで発売している。

 そうした若手議員の行動について、自民党の谷垣禎一幹事長は8月19日の記者会見で、小選挙区制度に問題があると分析している。

 「私は前々から、1回ごとに振り子のように大量の落選者、次に大量の当選者を出すことは、必ずしも若い人が順調に育つことにはならないという思いを持っている。昨年12月の選挙は、2回続いて比較的振り子ではなかったが、淘汰という意味では少し問題がある。小選挙区制で議員を順調に育てるにはいろいろ工夫が必要だ」

 要するに、大した苦労もなく風向きだけで当選した議員は問題を起こしがち、という認識なのだろう。

 確かに、小泉純一郎元首相が仕掛けた平成17年の衆院選で自民党に「小泉チルドレン」が、21年衆院選では政権を奪取した民主党の陣頭指揮をとった小沢一郎氏(現・生活の党と山本太郎となかまたち代表)にちなんだ「小沢チルドレン」「小沢ガールズ」が誕生した。

 さらに、自民党が政権復帰した24年衆院選でも、安倍晋三首相の人気を追い風にして当選した「安倍チルドレン」、橋下氏が率いた当時の日本維新の会の「橋下ベイビーズ」ら、新人議員が大量に生まれた。

3948名無しさん:2015/09/22(火) 10:20:47
>>3947

 そして、それぞれの言動が注目された若手議員が目立った。

 小泉チルドレンでは、現在タレントとして活躍している杉村太蔵氏だろう。

 比例代表南関東ブロックに35位という絶望的な順位で名簿登載されたが、自民党圧勝で当選した。「シンデレラマン」を自称し、「BMWが欲しい」「料亭に行ってみたい」など常識外れの言説を繰り返した。また、自らを「フリーター、ニート世代の代表」と公言し、同世代の反感も買った揚げ句、党幹部を伴い謝罪会見を開くという前代未聞の事態に発展した。

 その後は発言を控えたためか、徐々にメディアからフェードアウトしていった。衆院北海道1区へのくら替え出馬も模索したが願いはかなわず、国政復帰は果たせていない。

 小沢ガールズでは、田中美絵子氏が耳目を集めた。河村たかし名古屋市長の秘書を経て、21年の衆院選で石川2区から出馬。森喜朗元首相に挑み、選挙区では落選したものの比例代表で復活当選した。当選後はドラマでヌードを披露していた過去や官僚との路上キス写真が報じられ、政治家としての本業よりもスキャンダルが目立った。

 24年には、テレビカメラの前で「行かないで」と涙ながらに民主党を離党する初鹿明博氏(現・維新の党衆院議員)を説得し、「国会メロドラマ」と揶揄されたこともある。落選後も国政復帰を目指して活動しているが、民主党の小山展弘衆院議員と婚約したかと思えば、結婚延期を発表するなど話題を振りまいている。

 実は、前述した面々は小沢氏が一本釣りした田中氏を除けば、政党の「公募」試験に合格し、公認候補として当選した議員ばかりだ。

 武藤氏は21年衆院選に際し、自民党の全国公募に応募して滋賀4区の公認候補になった。上西氏は橋下氏が公認候補の養成機関として立ち上げた「維新政治塾」の1期生で、自民党の女性現職の対抗馬として白羽の矢が立った。杉村氏も自民党の公募で比例代表候補になった。

 公募では、応募者は書類審査や論文、党本部や県連の幹部による面接でふるいにかけられ、合格すれば党公認で立候補できる。党によっては街頭での模擬演説といった「試験」もある。各党の公募による候補者選定は、党内実力者が密室で後継候補を決めたり、世襲が横行したりしたことに対する有権者の批判をやわらげるために広まった。

 かつて田中角栄元首相はことあるごとに「おれは伯楽だ。人を見れば、そいつが大成するかどうか分かる」と言っていたというが、現在の党幹部らも田中元首相ほどでないにしろ、人物を見る目はあるはずだ。問題を起こしそうな候補者を見抜くことは不可能なのか-。

 ある党の幹部職員は、こう語る。

 「簡単な話じゃない。例えば、単に政局好きの地方議員だったら難しい論文をまじめに読み書きはしないだろうし、選挙はイケメンや美女が有利なこともあって選ばれやすい傾向にある。まあ、企業だって採用に失敗することもある。リスクのない選考方法はない」

 別の問題点を指摘する向きもある。前述の武藤氏はもともとリベラルで、自民党とは思想的に距離がある滋賀県の嘉田由紀子元知事のスタッフだった。首相に近い自民党幹部は「公募をすると、いろんな政党に応募している人がいる。プレゼンテーションが抜群にうまく、論文も出題者である政党の政策や性質を良く研究して模範解答を用意している。まあ、逆に言えば、信念がなく“宗旨変え”に抵抗がないのだが…」と語る。

 確かに、解党したみんなの党の渡辺喜美元代表は、維新の党の候補者について「みんなの党の公募を落ちた人や、受かっても選挙に有利だと思って移った、覚悟のない粗悪品だ」などと批判していた。同じ第三極勢力として人気を奪われた恨みもあるだろうが、一面の真実を突いていたようだ。

 それだけに、自民党のベテラン議員は憤る。

 「自民党は地元密着の政党だ。国会議員や地方議員が地元で有望な人材を発掘して、候補者として押し上げていくべきではないか。昔は派閥が候補者発掘機能を果たしていたが、小選挙区制になって党本部主導の公募がトレンドになり、政治家が小粒になった。小選挙区制、公募とも、もうやめちまえよ」(政治部 沢田大典)

3949名無しさん:2015/09/23(水) 18:59:31
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150920-00000015-pseven-soci
安保法案 島村宜伸氏、久間章生氏ら賛成派政界重鎮の見解
NEWS ポストセブン 9月20日(日)16時6分配信

 安倍晋三首相の無投票再選で存在感がなくなる一方の現職政治家を尻目に、元気すぎるくらい元気なのが“引退”したはずの面々だ。議席を持たないが一家言持つ重鎮のセンセイ方が安保法案の賛否をめぐり、古巣の政界へ「喝!」を入れる。

 島村宜伸・元農水相(81)は安保法案には賛成の立場だ。

「亀井さん(静香・元政調会長/78)から安保反対の会に誘われたが断わりました。法案には賛成だからね。私は中曽根(康弘)防衛庁長官の大臣秘書官を務めたこともあって、今も米軍関係者と交流がある。彼らは法案に非常に理解を示しているわけです」

 とはいえ自民党に不満がないわけではない。島村氏の選挙区(東京16区)から当選した大西英男氏が党内の勉強会で「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」などと発言したことについて、「国会議員になって間もないとはいえ、政治家の基礎がないんだ」と苦言を呈す。

 安保法案に賛成なのは、「原爆投下はしょうがない」発言で物議を醸した久間章生・元防衛相(74)も同様。久間氏は2014年7月に国際平和戦略研究所を設立。同研究所関係者によると、「東南アジアなどによく行って、各国の防衛関係者と懇談している。今も超党派議連で若手に安保法制関係の指導をしている」という。政権支援の立場か。

 安保法案を機に、しばらく見なかった老政治家が再登場した例も少なくない。

 細川政権時代に小沢一郎氏との「一・一ライン」で政権中枢を支えた市川雄一・元公明党書記長(80)がその一人だ。読売新聞(8月9日付)の〈安保法制 自衛に不可欠〉と題されたインタビューでは、

〈米中露といった軍事大国以外、一国で自らを守ることは不可能だ。戦争を抑止するには、どこか強い国と組み、「攻撃すれば手痛い目にあう」と分からせ、思いとどまらせるしかない〉と発言している。

 一方、御年85歳の不破哲三・元共産党中央委員会議長は、今も党中央委員会常任幹部会委員を務めるが、昨年の衆院選では京都と沖縄で9年ぶりに街頭演説。今年7月には4年ぶりにテレビ出演して安保法案を批判した。

「党員たちは『不破さんがまた出てきてくれた』と感動しています。共産党でカリスマ性を持った指導者は宮本顕治さんと不破さんの2人だけです」(党関係者)

 一時はカリスマ的人気を誇った田中真紀子・元外相(71)も、毎日新聞の読者投稿欄に〈『新国立』政治家は責任取れ〉と題した文が掲載され話題となった(8月22日付)。

〈都合の悪いことは官僚に押し付けて、リーダーシップを取るべき政治家たちがほっかむりし、事なきを得ることは断じてあってはならない〉と述べている。“後輩”にあたる下村博文・文科相のふがいなさに怒りが爆発したようだ。

※週刊ポスト2015年9月25日・10月2日号

3950名無しさん:2015/09/24(木) 19:23:35
>>3946

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150923-00000544-san-pol
「塩爺」の人柄偲び…通夜で小沢氏「知っている人がどんどんいなくなるのは、寂しくなるね」
産経新聞 9月23日(水)21時52分配信

 19日に肺炎のため93歳で死去した元財務相、塩川正十郎さんの通夜が23日、大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれた。通夜には内閣官房参与で作家の堺屋太一氏や、生活の党と山本太郎となかまたちの小沢一郎代表ら政界関係者をはじめ約1500人が参列。「塩爺」の愛称で親しまれた故人を悼んだ。

 通夜では喪主で長男の耕士(こうし)さんが「怒りっぽかったが、大変努力家、勉強家で、政治に一心不乱に取り組んでいた父だった。塩川家は大黒柱を失った」などとあいさつ。参列者は祭壇の前に飾られた塩川さんの遺影の前で、話しかけるなどしながら次々に焼香をあげていった。

 葬儀・告別式は24日正午、塩川家と自民党の合同葬として同会館で行われる。

 参列した小沢氏は「お世話になった人だから。知っている人がどんどんいなくなるのは、寂しくなるね」と話した。

3951名無しさん:2015/09/24(木) 21:39:22
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150924-00000537-san-pol
塩川正十郎氏合同葬 小泉元首相が語った塩爺との思い出「国会史に残る『忘れました』の珍答弁」
産経新聞 9月24日(木)17時27分配信

 24日営まれた故塩川正十郎氏の自民党・塩川家合同葬で、「友人代表」小泉純一郎元首相の弔辞の全文は以下の通り。

 謹んで故塩川正十郎先生の御霊(みたま)に弔辞をささげます。

 私が塩川先生と初めて出会ったのは、福田赳夫先生のお宅で玄関番のようなことをさせていただきなら政治修業をしていた頃でありました。当時の福田邸は、「角福戦争」華やかなりし頃で朝7時頃から来客が多く、なかでも塩川先生はさっそうと格好よく声が大きく、低音の大阪弁が印象的な若手代議士でした。

 私は落選中でしたが、慶応大学の後輩という付き合いやすさがあったのでしょう。よく声をかけてきてくれ、私が次の選挙で当選できるようにさまざまなご助言をいただきました。

 私が初当選を果たしてから何かと面倒をみてくださり、常に温かな、そして的確な忠告をいただき、敬愛すべき先輩としてご指導を賜りました。それは生涯変わることはありませんでした。

 現在の安倍晋三総理大臣のお父上、晋太郎先生が亡くなられた後の派閥会長をだれにするかで揉(も)めたとき、三塚(博)先生から「純ちゃん、あんた塩さんと親しいだろ。なんとか三塚を応援するよう頼みに行ってくれないか」と言われました。

 ある朝早く東京・九段議員宿舎の塩川先生の部屋をたずね、派閥事情を説明しながら三塚支援をお願いしたところ、塩川先生は私に対し「君も政策問題でなく、権力争いに首を突っ込むようになったのか」と苦笑していた姿は今もなつかしく思い出として私の心に残っています。

 私が自民党総裁選挙に立候補する際には「推薦人の数が足りなかったら、いつでも推薦人になる」と激励してくれました。塩川先生が私に期待を寄せてくれていたことは、私の政治活動にも大いなる励みになりました。

 小泉内閣最初の組閣で塩川先生には財務大臣を引き受けていただきました。多くを語らなくても常に私の真意を直感的に正確に分かってくれる塩川先生の存在が、その後の私の政治運営に大きな力になったことは多くの人が認めるところであります。

 やあ、塩川先生は小泉内閣の重しであり、小泉の精神安定剤と言われたのも、むべなるかなの感があります。

 あるとき、(国会で)野党質問者が塩川財務大臣の官房長官時代にこういうことがあったと発言していた新聞記事をもとに「問題発言だ」と追及してきました。私はそのとき内心「まずいことになったな。これは大きく問題になるのではないか」と心配していました。

 しかし答弁に立った塩川財務大臣はあっけらかんと「忘れました」と一言。一瞬、与野党議員ともにあっけにとられ、それが爆笑に変わり、なんとなく終わってしまいました。

 これも文部大臣、運輸大臣、官房長官の豊富な閣僚経験を経てきた貫禄と、だれからも親しまれていた塩川先生の人柄、人徳の賜(たまもの)だと思いました。この答弁は名(迷?)答弁というか珍答弁というか、国会答弁史に残るのではないかと思っています。

 「塩爺」と呼ばれ、「癒し系大臣」と親しまれた塩川先生のありし日をしのび、心よりご冥福をお祈り申し上げ、お別れの言葉と致します。塩川先生、長い間、ありがとうございました。さよなら。

 平成27年9月24日、小泉純一郎。

3952名無しさん:2015/09/24(木) 21:42:26
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150924-00005461-sbunshun-pol
79歳の大臣就任で脚光 “超遅咲き”塩爺の大往生
週刊文春 9月24日(木)18時6分配信

「塩爺」の愛称で親しまれた塩川正十郎元財務相が93歳で亡くなった。初当選は45歳ながら、脚光を浴びたのは79歳で財務相になってから。政界でも異例の「超遅咲き」人生だった。

 塩川氏は旧大阪4区を地盤に運輸相、文相や宇野宗佑内閣の官房長官、自民党では税調会長、3役の総務会長を歴任した。福田赳夫元首相に師事し、清和会一筋。三塚博、森喜朗、加藤六月各氏とともに「四天王」と称された。

 91年に宮沢喜一内閣が誕生した時には、三塚派を代表する形で自治相として入閣。政府・与党首脳会議にも出席する権利を得て、当時の「竹下派支配」に対抗した。

 だが小選挙区制初の96年衆院選で落選。過去にガンを患っていたこともあり、「復活は絶望的」とみられていた。ところが、大阪の地元で徹底的なドブ板選挙。

「『おばちゃん、知り合い集めといてくれ』と声をかけ、主婦が『せんせ、3人しか来えへんわ。ごめんな』とあやまると『ありがとう、ほな行くわ』と駆けつけていた。返り咲きへの執念だった」と当時を知る関係者は懐かしむ。

「復活すれば、もう一度だけ大臣をやりたいというのが念願だった」(同前)

 その機会は案外、早くに訪れる。小泉純一郎政権の誕生だ。実は、塩川氏は安倍晋太郎氏が死去する際に「小泉の面倒を見てやってくれ」と託されていた。後見役を務めてくれた塩川氏の恩に報いるために、小泉氏は財務相という要職を用意した。サプライズ人事のひとつと言われたが、大阪弁ととぼけたキャラクターで若い世代にも人気を博し、知名度は一躍全国区に。

 中でも、変幻自在の“塩爺節”でメディアを賑わせた。官房機密費を野党対策に使ったと、テレビでのインタビューで明かしていたことを国会で追及されると「なんであんなことゆーたんかいなあ」。ただ、「母屋(一般会計)でお粥をすすっているのに、離れ(特別会計)ですき焼きを食っている」とわかりやすい喩えで、財政健全化への意欲をのぞかせる一面もあった。

 政界を引退してからは、東洋大総長を務めていた。

「健啖家で肉が大好き。亡くなる直前までお元気でした」(自民党関係者)

 2003年の政界引退の際に語った「人生のホイッスルが鳴るまで、若干のロスタイムがある」との言葉通り、10年以上、御意見番として活躍した末の大往生だった。


<週刊文春2015年10月1日号『THIS WEEK 政治』より>

「週刊文春」編集部

3953名無しさん:2015/09/24(木) 22:38:58
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150924-00000038-asahi-soci
小泉氏「精神安定剤でした」 塩川元財相の葬儀で弔辞
朝日新聞デジタル 9月24日(木)13時39分配信

 小泉内閣で財務相を務めて「塩爺(じい)」の愛称で親しまれ、19日に肺炎のため93歳で亡くなった塩川正十郎(まさじゅうろう)さんの葬儀が24日午後、大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれた。自民党と塩川家が合同で開いた。

 葬儀委員長は福田康夫元首相が務め、小泉純一郎元首相が友人代表で弔辞を述べた。塩川さんが衆院議員時代に所属した自民党安倍派(現細田派)の細田博之党幹事長代行ら約1500人が参列した。

 小泉氏は弔辞で「私が落選していた頃から、大学の後輩ということで目をかけてもらった。財務相を務めていただいた時も、私が多くを語らなくても直感的に言いたいことの真意を理解して下さった。小泉内閣の重しであり、小泉の精神安定剤でした」と述べ、塩川さんの功績をたたえた。福田氏もあいさつで、「人を包むようなお人柄だった。なんとなく塩川先生を中心に、みんなで小泉内閣を支えていこうという気持ちをもって進んだことを思い出す」と振り返った。

 塩川さんは大阪府生まれ。布施市(現・東大阪市)の助役などを経て、1967年の衆院選で旧大阪4区から立候補し初当選。鈴木善幸内閣で運輸相になるなど、関西空港開港や二期工事実現に尽力した。財務相時代の2003年の国会答弁では「母屋(一般会計)でおかゆを食っているのに、離れ(特別会計)ではすき焼きを食っている」と例え、特別会計改革の必要性を訴えた。

朝日新聞社

3954名無しさん:2015/09/26(土) 14:11:55
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150925/k10010247801000.html
去年の政党助成金 9%減の総額325億円
9月25日 17時02分

平成26年に政党助成金を交付された11の政党などが使った助成金の総額は325億円で、12月に衆議院選挙が行われて選挙に関わる支出が増えたものの、一部の経費の支払いが翌年に繰り越された影響もあって、総額では前の年より32億円、率にして9%減りました。
政党助成金は、政党助成法に基づいて総務大臣に届け出をした政党に対し、所属する国会議員の人数と国政選挙の得票数に応じて交付されます。去年は、11の政党に国民1人当たり250円に当たる総額315億円が交付され、総務省は、各党の報告を基に支出の状況をまとめ、25日公表しました。
それによりますと、去年、各党が使った助成金の総額は、各党の貯金に当たる基金を取り崩した分も含めて325億円で、前の年より32億円、率にして9%減りました。
これは、12月に衆議院選挙が行われて、候補者の公認・推薦料などに充てた「選挙関係費」が前の年より45億円増えたものの、ポスターやパンフレットの作成などに充てた「宣伝事業費」が、年末の選挙のため翌年に支払いが繰り越された影響で、83億円減ったことなどが理由とみられます。
政党別の支出額は多い順に、
自民党が3億1300万円減って140億6700万円。
民主党が35億3200万円減って96億8800万円。
公明党が6億6900万円減って20億4700万円。
去年解散したみんなの党が1億9500万円増えて16億6900万円。
去年、結いの党と合流して初めて交付を受けた維新の党が、15億7800万円。
去年、分党するため解散した日本維新の会が、8億8000万円減って11億9700万円。
去年、日本維新の会と分党して初めて交付を受けた次世代の党が9億4100万円。
生活の党と山本太郎となかまたちが2億6700万円減って5億900万円。
社民党が2億円減って4億4100万円。
去年、日本維新の会と合流した結いの党が1億5800万円。
新党改革が1100万円増えて1億3000万円となっています。
一方、共産党は政党助成法に反対し、助成金を受けていません。また、各党の基金の残高の総額は、去年末の時点で130億円と、前の年よりも18億円、率にして12%減っています。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150925-00000104-jnn-pol
政党交付金の支出総額、前年比9%減
TBS系(JNN) 9月25日(金)22時24分配信
 総務省は、政党助成金を交付された11の政党などが去年使った助成金について報告書を公開しました。

 それによりますと、政党交付金を受け取らない共産党を除く、当時の11政党などの支出総額は324億5400万円で、前の年から9.0%減りました。

 政党別では、自民党は政党交付金収入が157億8400万円で、支出は140億6700万円でした。民主党は収入が66億9300万円で、前年までの繰越金の29億9600万円を取り崩して96億8800万円を支出しています。

 このほかの政党の支出は、公明党が20億4700万円、生活の党が5億900万円、社民党が4億4100万円、新党改革が1億3000万円、去年結成された維新の党は15億7800万円、次世代の党は9億4100万円となっています。(25日17:17)
最終更新:9月25日(金)22時24分

3955名無しさん:2015/09/26(土) 14:12:06
>>3954

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-26/2015092601_04_1.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-26/2015092601_04_1b.jpg
2015年9月26日(土)
政党助成金 12党が324億円支出
14年分 ため込みは130億円

 総務省は25日、2014年分の政党助成金使途報告書を公表しました。

 同年に政党助成金を受け取ったのは自民党、民主党、公明党、日本維新の会、みんなの党、維新の党(日本維新の会と分かれた新党と、結いの党が合併)、生活の党、次世代の党、社民党、結いの党、新党改革の11党です。

 新党日本を含めた12党の支出総額は13年比9%(32億円)減の324億5418万円。そのうち政治活動費は170億7851万円でした。主な使途は、衆院選の公認・推薦料など選挙関係費が45億円増の87億4210万円。テレビCMなどの宣伝事業費が32億6939万円でした。

 自民党は選挙関係費として13年の5倍近い4億2381万円を支出。国会議員などの「遊説及び旅費交通費」が大半を占める選挙事業費と、インターネット関連会社や広告会社などに支払われた宣伝事業費は、同党助成金支出総額の約4割を占めています。

 消費税10%への増税延期を最大の争点に解散・総選挙に打って出ましたが、国民に負担を押し付けながら、自分たちは国民の血税を、大義ない選挙で湯水のように使った実態が浮き彫りになりました。

 11政党が、使い残した政党助成金を国庫に返納せずにため込んだ基金残高の合計は130億968万円でした。

 自民党のため込みは13年の約2倍の33億9048万円に達しました。公明党の基金残高も14億8680万円で昨年の1・5倍。最多は民主党の70億7692万円でした。

 14年末から今年にかけて、政党助成金の受け取りを目的とした離合集散も相次ぎました。

 日本共産党は、政党を支持する・しないに関係なく税金を政党が山分けする政党助成金は、国民の思想・信条の自由を侵し、民主主義をゆがめるとして一貫して受け取りを拒否し、廃止を主張してきました。今年1月に政党助成法廃止法案を提出しています。

3956名無しさん:2015/09/27(日) 13:43:24
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150709-00010000-seijiyama-pol
総裁-党首-委員長、各政党の代表選出方法比較
政治山 7月9日(木)11時40分配信

 2015年1月に民主党の代表選が行われ、9月には自民党の総裁選、10月には維新の党の代表選が予定されています。自民党は総裁、次世代の党と社民党は党首、共産党は委員長、それ以外の党は代表と政党によって呼び名は異なります。続いて、選出方法の違いを見てみましょう。

公選制でも「誰でも出られる」わけではない
 各党の代表は公選または非公選によって決定されますが、公選の場合は立候補するために一定の要件が定められています。

 多くは党所属の国会議員の推薦が必要とされ、自民党は20人、民主党は20人以上25人以内、公明党は10人となっています。社民党は都道府県連の推薦に加え、所属国会議員数の3分の1以上または党員200人以上の推薦があれば立候補できます。

 共産党は公選ではありませんが、党中央委員会の委員であることが要件とされています。

自民・民主は国会議員に比重、決選投票は国会議員のみ
 自民党は、国会議員は1人1票で、各都道府県が300票をドント方式で配分します(都道府県47×3票+159票を各都道府県の有権者数に応じて配分)。

 民主党は、国会議員1人2ポイント、党公認予定候補者(国政)が1ポイント。党所属の地方議員は全国を一つの比例代表区として141ポイントを配分。党員およびサポーターは、住所地の存在する都道府県を単位として各代表候補者の得票数に応じてポイントを配分します(当該県連に所属する、国会議員または公認候補予定者が代表者を務める衆議院小選挙区総支部、同比例区総支部、参議院選挙区総支部および同比例区総支部の数と同数のポイント)。

 いずれも国会議員の投票が重視され、決選投票については国会議員(民主党は公認予定候補者含む)のみ投票することができます。

「1人1票」は維新の党よりも社民党が先
 維新の党最高顧問である橋下徹大阪市長の鶴の一声により、国会議員も地方議員も党員も、等しく1人1票を有する制度を検討している維新の党ですが、この選出方法はすでに社民党で実施されており、現在の吉田忠智党首は2013年の党首選で9986票を獲得して党首に就任しています。

 公明党は代表選挙の細則等は非公開で結党以来無投票が続いており、共産党は党中央委員会によって選出されます。

 各党の代表選出方法はすべてが詳らかにされているわけではありませんが、代表は党の顔です。どの程度の情報を開示しているのかに加えて、立候補の要件や票の算定方法などから、その政党の成り立ちや本質に触れることができそうです。

<株式会社パイプドビッツ 政治山カンパニー シニアマネジャー 市ノ澤充>

3957名無しさん:2015/09/28(月) 22:13:54
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150928-00000015-asahi-pol
「女性であること、活動にプラス」72% 地方議員調査
朝日新聞デジタル 9月28日(月)9時46分配信

 今春の統一地方選で初当選した女性議員560人に朝日新聞がアンケートしたところ、回答した人の86%が「女性であることが選挙にプラス」、72%が「議員活動にプラス」と感じていることがわかった。地方議員の大半を男性が占める中、女性の「強み」を前向きにとらえる意識が浮かんだ。一方、直面したハードルとして3分の1の人が「家事・育児」を挙げた。

 「お疲れ様です」。9月25日夜、東京・武蔵野市のJR三鷹駅前。同市議の笹岡裕子さん(29)=無所属=が小雨の中、「子育てに優しい武蔵野を!」と書かれたビラを道行く人に手渡していた。一人の女性が「がんばってる?」と声をかけてきた。「支援者の顔が見えた」と手応えを感じる。

 大学卒業後、大手商社に勤務。出産を経て、東京電力福島第一原発事故を機に出身の武蔵野で政治を志した。組織も、団体の支援もなかったが初当選した。

 市民団体から「ママ議員」代表として意見を求められたり、「ママ友」のつながりで、子どもの遊び場整備の署名運動をしたいという母親が相談に来たりと、独自のネットワークを築く。フェイスブック(FB)の閲覧数が3万を超えることもある。

 「ポスターで当選した」「若いからちやほやされている」と、男女を問わず同僚議員らから言われることがある。だが、笹岡さんは「普通の若い女性が議員になったことが自分の強みだ」と前向きだ。

 女性議員の「強み」とは――。今回のアンケートで「女性でよかったこと」を複数回答で尋ねたところ、「親しみやすいと思われる」(71%)、「名前や顔を覚えてもらいやすい・目立つ」(42%)が上位だった。

 一方、女性議員に立ちはだかることの多い家事や育児との両立を、自らの工夫で乗り切る人もいる。

 千葉県市川市議の片岡恭子さん(36)=同=は早朝や深夜、自宅の電話や携帯を親しい人以外からは基本的に着信しない設定にし、夜の宴席も月数回しか出ない。「宴席で顔を売るのは男社会のルール。私に期待してくれる子育て世代の声は宴席では聞けない」。選挙期間中も運動は午後5時半でやめ、8時には長女(3)と一緒に布団に入った。

朝日新聞社

3958名無しさん:2015/10/01(木) 22:47:11
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015100100774
分党

 分党 一つの政党が合意の上で解散し、複数の新党に分かれること。政党助成法上の「分割」に当たる。政党交付金は年4回に分けて交付されるため、その年の未交付分があれば、それぞれの新党は所属議員数に応じて受け取ることができる。2015年の維新の党の交付金約26億円のうち、未交付分は13億円余り。
 一方、合意が得られず集団離党によって分裂した場合は「分派」となる。このケースでは、存続する政党が未交付分の全額を受給し、分派によって結成した新党は翌年まで交付金を受け取れない。(2015/10/01-17:31)

3959名無しさん:2015/10/04(日) 09:52:40
http://blogos.com/article/137325/
宇佐美典也2015年10月03日 17:472014年
都知事選に端っこで絡んだ身から見えるsealdsの今後の話

少し前にsealdsに関してつぶやいたら「お前の絡んだインターネッ党はどうした」とツッコミを受けたので、この際2014年都知事選に端っこで絡んだ身から見えるsealdsの姿についてまとめておきたいと思う。

まずいくつか前提条件なのだが、私は2014年の都知事選では前半戦で田母神サンのところのお手伝いを端っこでして、途中で若気の至りで出しゃばりすぎて追放されて、その後都知事選が終わって少しの間家入くんの政治活動、いわゆる「インターネッ党」、のお手伝いをした。余談だが加野瀬さんという方は少し勘違いをされていて「インターネッ党 」というものが組織的な活動と思われているようなのだけれど、「インターネッ党」というのはあくまで家入さん個人の政治団体の登録名称なので、それに関わった人をやたらめったら因縁をつけるのは少々違和感を感じる。

もちろん中途半端な形で停滞していること自体は残念だけれど、それは家入さんの判断だし、本格的な活動を始める前に撤退したのだから、誰に迷惑をかけたものでもないと思う。いずれにしろこの辺は家入さん本人が語るべきことで、私が語るべきことではない。なお冒頭リンクの記事では私はともかく新田サンが激しく糾弾されているのだが、新田サンは一番精力的に誠実的にインターネッ党の活動をしようとした人なので、新田さんを攻めるのはお門違いだと思う。その辺の事情が知りたければいつでも取材は受けるし、ニコ生の一つもやっていいのでいつでもご連絡ください、加野瀬さん。

さて本題に戻ると2014年の都知事選は私に取っては「街宣運動」「大衆運動」というものを初めて当事者として間近に見た体験で、本当に貴重な体験だった。当初田母神サンの陣営にいたときは街宣での凄まじい盛り上がりを見て、一方で閑古鳥がないている舛添サンの街宣をみて、「この人は本当に世の中を変えるのかもしれない」などと感化されていた。頭の中では「これは局所的事象だ」と思っていても、見渡す限りの群衆というものは人の感覚を惑わせる魔力がある。

その後いろいろ合って田母神陣営を追放されてしまったのだけれど、なんとなく街宣や大衆運動の魔力にとらわれたままだった。そういう中で渋谷で雪の中で演説する家入さんをみて、率直に言って感動した。心をふるわされた。家入さんのクラウドファンディングや集合知を利用した政策作りのアプローチも斬新で、こういう動きが世の中に広まったら政治も変わるんじゃないかと思った。

この時私は純粋に「大衆運動の熱気」というものに心奪われていた。

それでこうした大衆運動の熱気というものを政治に伝えることのに役に立てないかと思って、インターネッ党の活動に協力してみようかと思ったのだけれど、結果は冒頭に述べたように始まる前に終わってしまった。関係者にそれに対する責任と言うものを問われれば、もちろんそれはあるのだろうけど、税金を利用したわけでも政策に影響を与えたわけでもないし、誰に迷惑かけたものでもないので「あいつらバカだよな」と笑い者にするくらいで勘弁して欲しいというのが本音のところだ。実際私も我がことながら若気の至りだったと思う。

また50万票獲得してあれだけ盛り上がっていた田母神陣営もその後新党の可能性を模索する中で、自衛隊系とチャンネル桜系と反米保守系で内紛を繰り返して、衆院選でも敗北し、今や裁判沙汰で見る影もない。

3960名無しさん:2015/10/04(日) 09:52:51
>>3959

振り返ってみて思うのは大衆運動というのは「○○に反対」だとか「○○を妥当せよ」とかいったシングルイシューで意見の違う人が団結して糾弾する文脈でしか機能しないもので、その後の建設的な活動には決して繋がらない幻なのだな?、ということだ。

いざ反対運動が終わって、建設的なことを始めようとしたら、それまで抑え込んで来た意見の違いや権力闘争が噴出して内ゲバ化してしまう。そのうち大衆は嫌気がさして離れていく。そういうものなんだと思う。

sealdsやその関係者の方は多分今大衆運動の幻に魅せられていて、次の運動として「参院選をめざす」と言っているのだと思う。でもやっぱりsealdsは「安保法案反対」という文脈で集ったごった煮の大衆運動でしかないし、決して「民主主義はこれだ」などというような深い中身を持つような団体ではないと思う。これからきっと内紛を繰り返して雲散霧消していくのだろう。

じゃ「大衆運動に意味は無いのか?」っていうと決してそんなことはない。そこで目覚めた人達、出会った人達の人間同士の絆、闘志、は例え運動が挫折した後でも続いていく。その一人一人が運動後に「集まっても何も変えられなかった。じゃ自分たちは社会に対して何が出来るんだろう?」と考えて、苦しんで、動き回って、それぞれの道を探して、新しい事業を興して、少しずつ世の中を変えていくことにこそ意味が有るんだと思う。

自分としてもあの都知事選を経験して、またその後の各陣営のごたごたなどを見て、「やっぱり社会っていうのは急には変わらないのだな」、と痛感し「自分でできることを一つずつ積み重ねて社会を変えていこう」と思うようになり、しょぼいなりに再エネの電源開発・仲介・コンサルの事業を興してなんとか今食っている。少しずつ商売の規模も大きくなって、信頼も積み重なって来て手応えも感じている。そしてその過程で、インターネッ党で出会った人達との縁が生きることも多々あった。

きっとsealdsの諸君も「純粋で、大衆的で、無策で」これから挫折していくのだと思う。でもそれでいい。そこで培った経験なり人脈なり闘志なりが世の中を、政治を変えていくことのなるのだと思う。

ではでは今回はこの辺で。

3961とはずがたり:2015/10/04(日) 10:55:14
>>3959-3960
宇佐美氏はこの辺http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/1688 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/1741 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/1797等で引用してて──今検索してみて此の文章http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1265646497/375-376もそうだったのか──,不明にも知らなかったか忘れてるかしてるんですが田之神陣営を応援しててしかも追放されてたんですねぇ。。

3962名無しさん:2015/10/10(土) 15:30:54
http://seikaiourai.jp/1510/151003.htm
維新の党が分裂へ
「橋下新党」10月結成で再挑戦

非大阪系議員は茨の道

 維新の党発足の立役者だった橋下徹大阪市長と松井一郎大阪府知事が8月27日に離党し、10月1日の記者会見で新党結成を表明することになった。大阪系議員ら約20人が新党に参加する見通しだ。一方の松野頼久代表ら非大阪系議員は民主党との野党再編に向かう流れである。その亀裂の度合いが安保法案の採決や内閣不信任案の取り扱いをめぐって深まっている。もともと維新の党への国民の期待値が高かったのは、政権に対して「是々非々」を貫く歯切れのいい姿勢だった。橋下新党が分裂を乗り越え再び勢いを得るカギは、その原点に戻り「責任野党」として再スタートできるかどうかだ。

 橋下、松井両氏は8月27日に離党を表明した。橋下氏は、この時点では党分裂を避ける考えを示していたが、翌日の28日には一転して大阪系議員らとともに新党を結成する方針を示した。労働組合(連合)を支持基盤とする民主党との合流を嫌う橋下氏らが、古巣の民主党との野党再編に舵を切りたい松野代表らと一緒に行動していても「責任野党」としての政治姿勢を貫けず、党勢の回復は望めないとの判断があったからだ。

 両氏が離党を決断した直接のきっかけは、柿沢未途幹事長が14日に、山形市長選挙で民主、共産などが推薦する候補者の応援演説をしたことにある。維新の党としては、その候補者を推薦せず「自主投票」で決まっていた。それなのに柿沢氏がこれを無視したもので、松井氏が柿沢氏の幹事長辞任を要求。それを柿沢氏は拒否し、松野代表も「公党の幹事長が辞する案件ではない」と擁護し対立が深まったからだ。

 しかし、「それだけの理由で党を分裂させ、新党結成に向かうとは思えない」とする自民党中堅は「11月22日に大阪府知事・市長のダブル選が控えている。その直前のタイミングに新たに結党して有権者らの注目を集め、選挙戦に勢いをつける狙いがある」と指摘する。住民投票で看板政策だった大阪都構想が頓挫したため、起死回生策として次の一手を打ったというのだ。

 ただ対立の背景にはもともと根深い問題がある。維新の党の生い立ちを辿ると、大阪維新の会というローカルパーティーから日本維新の会として国政進出した後、2014年8月に日本維新の会と結いの党が合併する形で結成され、旧日本維新の会の橋下代表と、旧結いの党の江田憲司代表が共同代表に就任した。結いの党は、みんなの党を割って江田氏が率いた政党で、この合併に反対した日本維新の会の議員らは次世代の党を結成して離れたため、党内は野党再編論が勢いづいた。さらに5月に行われた大阪都構想の住民投票で賛成多数を得られず敗北したことから、橋下市長が政界引退を表明したのを受けて江田氏も代表を辞任することになった。

 「橋下氏は、政界引退表明をしたことによって党に対する発言力が急速に衰えた。その一方で民主党出身の松野氏が幹事長から代表に昇格し、みんなの党から来た柿沢氏が幹事長となったことで党の路線が野党再編へとさらに傾いた。それに対して大阪維新の会を核とする大阪系議員は不満だったのだ」と政界関係者は解説する。

 つまり、安倍政権に「是々非々」で臨む「責任野党路線」の大阪系議員と、民主党と連携し政権との「対決路線」をとろうとする松野氏ら執行部との路線の対立を内包していたのだ。それが山形市長選という一地方首長選挙を機に噴出したのである。

 こうした亀裂が同党の国会対策にも大きな影響を及ぼしている。維新は安保法案の対案5本を参院に提出し、自民・公明の与党は修正協議を再開し合意を得る方針だった。ところが、与党側は「バラバラの政党(維新)を相手に修正案をまとめるのは難しい」と消極姿勢に転換したのである。

 仮に参院で法案を修正しても、衆院で修正部分の採決を改めて行わなければならない。その際、維新がそろって同じ行動を取れるか疑わしいからだ。

 そのため与党は、次世代、元気、新党改革との修正作業に力点を移し、衆院での再採決のいる「修正」でなく、再採決のいらない「付帯決議」に3党の要求を盛り込むことで成立を期すように戦略を転換させたのである。

 修正が困難となった維新としては、安保法案の採決に際して、大阪系議員らは「出席して、自党案に賛成し、政府案に反対」することで強行採決色を少しでも薄めたい政府側に〝配慮〟した行動をとることになろう。

3963名無しさん:2015/10/10(土) 15:31:11
>>3962

 一方、非大阪系議員らは民主、共産などと欠席戦術を含めた強硬阻止路線を選択することになろう。

 そして、内閣不信任案の決議について、松野氏らは民主党と協調する意向を示しているが、大阪系は「永田町の悪しき習慣」(馬場伸幸・国対委員長)として同調しない方向だ。「今でも亀裂は明確だが、9月中のいくつかの局面で衝突し党は完全に割れてしまう」(自民党中堅)との見方が強い。

 新党結成に向かう橋下氏の政治パワーの要因のひとつに、安倍首相や菅義偉官房長官とのパイプがある。離党表明直前の8月25日夜に、松井氏は菅官房長官と都内で会食した。その時話し合われた具体的な内容は不明だ。

 ただ、「松井さんは席上、安保法案採決での協力を約束する一方で大阪都構想復活への支持を依頼しただろう。さらに、新党結成と国政への橋下氏の転身も伝えたはずだ」(政界関係者)という。安倍首相が9月4日に、橋下氏の国政転身について「可能性はあるのではないか」との見方を示したことからも、すでに新党結成を国政転出の足掛かりにする意向が菅、安倍両氏に伝えられていた可能性があるのだ。それだけではない。国政進出後の政権との距離感についても話し合った可能性もある。

 橋下氏が10月1日の新党結成の記者会見で発表する予定の新「維新八策」(党綱領)原案は、新党を「国の形を変えることを目的に設立する」とし、「中央集権型政党とは本質的に異なる地方分権型政党」と位置付けている。さらに、国政に地方の声を反映させるために「地方議員と首長も国会議員と一緒に国政に参画する」とし、「国会での質問には地方議員や首長が起草した内容が含まれる」と盛り込んだ。

 それと同時に経済政策では、労働市場の改革や産業構造の転換を柱とした成長戦略の推進を明記。外交・安全保障政策では「多様な価値観を認め合う開かれた社会を構築し、『法の支配』『自由主義』『民主主義』等の価値を共有する諸国と連帯し世界平和に貢献する」と記し、「首相公選制、一院制、大阪都構想を始めとする統治機構改革を実現する」と打ち出し、憲法改正など安倍政権が掲げる重要政策と方向性の重なる点も盛り込んでいる。「それから見ても、地方色重視の新党らしさを鮮明にしつつ、重要政策では政権に協力していくというベクトルが浮かび上がってくる」(政界関係者)と言える。

3964名無しさん:2015/10/10(土) 15:31:21
>>3963

 維新が直面している当面の現実的な課題は、党の割れ方をどうするかだ。「分割」か「分派」かの分裂の仕方によって、その年の政党交付金の額が違ってくるからだ。維新は今年、合計26億6400万円交付されることが決まっている。支給されるのは4、7、10、12の各月の年4回だ。今年はすでに4月と7月の分が支給済みである。

 仮に、ある政党の当事者が合意の上で政党助成法上の「分割」手続きをすると、その政党はいったん解散して複数の政党に分かれることになる。そして、政党交付金が議員数に応じて各党に配分される。したがって、維新が穏便に分党(「分割」)すれば、10月と12月の額が所属議員数分、各党に支給されることになる。維新の前身の「日本維新の会」が昨年8月に、石原慎太郎氏らの次世代の党と維新に円満な形で分かれたケースがこれだ。

 これに対して、一部の勢力が飛び出てしまう「分派」の場合、残った側がすべてを受け取ることができる。出て行った側(分派)にはその年は支給されない。ただし、国政選挙があれば、その結果を踏まえて計算し直した交付金が支給される。

 2000年3月、自自公連立政権からの離脱に傾く自由党党首の小沢一郎氏らに対し、連立継続を求める海部俊樹、二階俊博両氏ら反小沢グループが党を飛び出して新党・保守党を結成した。この時、保守党は過半数の参加を得たので自由党に対して「分割」を要求したものの、拒否された。そのため、保守党は分派の形での分党となったのである。政党助成金は同年6月の総選挙後に交付された。

 次回の支給は10月20日であるため、同月の13日までに総務省に請求しなければならない。しばらく国政選挙もないので、大阪系としては「分割」手続きを急ぎたいところだが、松野代表ら執行部は自由党分裂のときの小沢氏と同様、「分割」を認めない可能性が大きい。円満な分党は実現しそうもないようだ。

 一方、民主党との合流を志向する松野代表ら非大阪系議員には茨の道が待ち構えている。松野代表は5日に、地元熊本での記者会見で民主党との合流構想について「年内にきちんとした政党の形をつくり、来年の通常国会で国民に見てもらって参院選で審判を仰ぐのが筋だ」と意気込んで語るが、その筋論に反発する民主党議員も多い。しょせんは〝出戻り〟(元民主党)議員の発言に過ぎない。「松野氏ら約10人は3年前の衆院選で大敗必至とみられた苦しい時に、勢いのあった他党へ逃げ出した張本人たち」との冷ややかな声が民主党内に絶えない。

 その上、気に入らないのが松野氏の態度だ。松野氏は合流形態について「改革勢力の結集により政権交代可能な野党をつくる」とし、両党がまず解散した上で対等合併し、党名も変えることを要求している。議員数は、維新が衆院40 、参院11の計51議席。このうち、非大阪系は30人ほど。民主は衆院72、参院58の計130議席。つまり、4倍以上の規模の政党に向かって「合流してあげるので解党せよ、名前を変えよ」と上から目線で注文している形だ。民主党の岡田克也代表らが容易に呑めるわけがない。松野氏を含む比例代表選出議員は国会法の規定により、選挙の時に競合した政党に個別には移籍できないこともあり、民主党が維新をのみ込む「吸収合併」が当然との考えである。

 ただ民主党内で野党再編に前向きな若手・中堅らから、解党して抜本的な立て直しを図るべきだとの意見が顕在化してきた。党勢回復の好機ととらえているからで、衆院当選3回の岸本周平、大西健介両氏は3日に岡田代表と会い、「安全保障関連法案の成立を阻止できないことは民主党の力不足だ」と主張、速やかな解党と新党の設立を求める文書を若手7人の連名で提出した。中堅やベテランの一部にも新党構想を支持する声が出ており広がりを見せ始めている。

 しかし「合流できたとしても何がわが党の売りになるのか」と懐疑的なのは民主党幹部の指摘だ。維新側から参加するのは非大阪系で、民主党では政策面で非主流の保守派に近い。現在、労組を支持基盤とするリベラル派が党運営の主導権を握っている同党にとって、議員数は増えてもお荷物となる可能性もはらんでいるのである。いくら目先を変えても、民主党の支持率アップにはつながるまい。同党が国民政党として政権復帰を目指すために必要なのは、労組との緊密な関係を断ち切り、橋下新党が志向する「是々非々」の責任政党に脱皮することなのである。

3968名無しさん:2015/10/10(土) 15:37:36
>>3962-3967

http://home.a07.itscom.net/kazoo/seizi/doukou.htm
「保守新党」結党

民主党離党組
12/24 熊谷弘前副代表、佐藤敬夫前国対委員長、金子善次郎衆院議員、山谷えり子衆院議員の4人が離党届を提出。

民主党執行部は離党届を受理せず、除籍処分。 後藤斎衆院議員は離党見送り。
12/25 江崎洋一郎衆院議員が離党届を提出、除籍処分。 保守新党への参加者は合計5人。

保守党 新党不参加組
野田毅党首、小池百合子衆院議員、月原茂皓参院議員の3人。
野田氏を代表とする新党「保守クラブ」を結成

保守党 新党参加組
新党参加者は9人

保守党解散
12/23 議員総会で党の解散を承認し、野田・二階両氏が分党のための文書に署名
12/24 解党

「保守新党」
12/25 都内のホテルで結成大会を開催。保守党9人、民主党5人の合計14人でスタート。
代表:熊谷毅(民)、幹事長:二階俊博(保)、政調会長:井上喜一(保)、国対委員長:佐藤敬夫(民)

「保守クラブ」
政党助成法や政治資金規正法の上では政党要件を満たしておらず、政治団体扱い。
3人とも年内に自民党に入・復党する

3970名無しさん:2015/10/12(月) 12:00:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151012-00000010-mai-pol
<安保関連法>広がるか「落選運動」 実現性と問題点は
毎日新聞 10月12日(月)10時55分配信

 とかく日本人は既成事実に弱いといわれる。しかし、安倍晋三政権が強引に成立させた安全保障関連法に対しては、「違憲」「反対」の声は収まるどころか、さらに強まる気配だ。野党共闘や違憲訴訟の行方と並んで、今後注目されるのが、来年夏の参院選で安保関連法に賛成した議員を落とそうという「落選運動」。どのような運動なのだろうか。【石塚孝志】

 「ぜひ皆さんに考えてほしいのですが、落選運動をしませんか」。参議院で安保関連法案の審議がスタートする前の7月24日、国会前に集結した市民や学生らを前に、高橋哲哉・東京大大学院教授(哲学)が声を強めた。「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼び掛け人の一人である高橋氏の提案には、学生が中心の「SEALDs(シールズ)」も同調する動きを見せている。現段階で落選運動の実施を正式に表明した団体などはないが、落選運動が広がる下地はありそうだ。

 安保関連法が成立した今も、高橋氏は落選運動の意義を熱く語る。「安保関連法の問題点は、内容が憲法違反であるだけでなく、立憲主義に反し、憲法の改正手続きにのらないで憲法上禁止されていることを認めたという二重の憲法違反なのです。99条の国会議員ら公務員は憲法を尊重し擁護するという義務に違反している。国会議員の資格がないということをはっきりさせるべきです」

 具体的には次のように提案している。まず、安保関連法になぜ賛成したのか▽憲法違反との指摘にどう考えるのか▽立憲主義に反するとの指摘にどう考えるのか--この3点を基本に公開質問を行う。その結果をインターネットで公開するというものだ。「安保関連法を廃止するためには落選運動だけで十分ではありませんが、まずは賛成した議員一人一人を“撃破”することから始めたらいい」と高橋氏は語る。

 落選運動は公職選挙法に抵触しないのか。すなわち選挙違反にならないのだろうか。岩渕美克・日本大大学院教授(政治学)はこう解説する。

 「落選運動は、特定の候補者の落選を促す政治活動なので、選挙運動ではないと解釈されています。極端に言えば、選挙運動が法で禁止されている公務員や未成年にも認められ、今日からでも始めることができます」。ネット選挙が解禁された2013年の改正公選法ガイドラインでも「何ら当選目的がなく、単に特定の候補者の落選のみを図る行為である場合には、選挙運動には当たらないと解されている」としている。一方で、これまで落選運動があまり注目されることがなく、問題が表面化することはなかったが、岩渕氏は“落とし穴”もありそうだと付け加える。

 例えば、ある選挙区で立候補者が2人しかいないケース。特定の候補者を落とそうとする運動が、もう1人の候補者を当選させる目的がある、と解釈されないのか。岩渕氏は「落選者らが司法に訴えた場合、公選法に照らすとグレーな部分があると判断されるかもしれない。司法は、落選運動があまりにも大きく広がり、結果として特定の候補者の当選につながることになれば、選挙運動に該当すると判断するかもしれません」と説明する。司法判断は、社会情勢に影響される部分が否定できないからだ。

 選挙に影響を及ぼすとの懸念もある。落選させたい候補者がいても、受け皿になる候補者がいない時、棄権が増えて投票率の低下を招くかもしれないからだ。また、米国のネガティブキャンペーンのように陣営同士の批判合戦になってしまうことも危惧される。落選運動は微妙な問題も含んでいそうだ。

 落選運動は目新しいものではなく、韓国では00年4月の総選挙で、市民団体が「不正腐敗に関与した」などの理由で、候補者86人を対象に落選運動を展開した。そのうち59人が落選し、威力が注目された。この動きを受けて日本でも同年6月の衆院選を前に、東京や大阪、愛知、静岡などで次々と落選運動を進める市民団体が生まれた。

 当時、東京にできた「市民連帯・波21」が全国に呼び掛けたところ、議員の資質に欠けるなどの理由で320人を超す議員の名前が挙がり、30人の落選候補リストを作成。結果的に6人が落選した。

 同じ取り組みをした「自公保ストップ首都圏ネットワーク」の元共同代表、宮本なおみさん(79)は「確かに数人落選しましたが、どこまで効果があったかは分からない。運動の成功には韓国のように多くの市民が参加する盛り上がりが必要ではないか」と振り返りながら話した。

3971名無しさん:2015/10/12(月) 12:00:25
>>3970

 市民団体などが行う落選運動を法的に支援する動きも出ている。政治家と金の問題を追及する市民団体のネットワーク「政治資金オンブズマン」の共同代表を務める阪口徳雄弁護士らが、「安保関連法案賛成議員を落選させよう・弁護士の会」(仮称)を近く結成する準備を進めている。

 阪口弁護士は「当面はホームページに落選運動の解説や立憲主義に反する議員の言動などの情報を掲載し、有権者に落選運動を呼び掛ける。また、全国からの情報が集まるサイトの開設も検討します。情報収集に向けては、できれば落選運動を行う大学教授や学生のグループ、各市民団体の全国連絡会議を作りたい」と話す。

 さらに、これまで政治資金の使途などに問題があった国会議員を刑事告発した経験を生かし、安保関連法に賛成した議員の金の問題を洗い出して公表し、落選運動を活性化させる考えもあるという。

 有権者が落選運動に注目する背景には何があるのか。岩渕氏は「選挙に勝ったから何でもできるという安倍政権のおごりや強引な政治が行われた結果、有権者も強硬な手段を選ぶようになった」と説明する。

 高橋氏は、有権者を軽く見る政治家の言動への反動と見る。「大阪市の橋下徹市長が都構想の問題で『反対なら選挙で僕を落とせばいい』などと繰り返していたこともありました。また、安倍首相は安保関連法について『国民の理解はなくても、いずれ分かる』と民意をバカにしたような発言をした。それならば落選させてやろうじゃないかという有権者の憤りがあるのではないか」。粗雑な政治手法が、強力なカウンター(反撃)を生んだという見方だ。

 岩渕氏は「落選運動が、政治に関心がなかった人々を変えるきっかけになれば評価したい。また、大事なことは、選挙の時だけではなく、政治家に対して『私たちは監視している』『当選したからといって政治家の好き勝手にはさせない』と常に意識させることなのです」と、落選運動がもたらす効果に期待する。

 落選運動が、民意を無視する政治家をけん制する有権者の武器になるのか。その試みは始まったばかりだ。

最終更新:10月12日(月)10時55分

3972名無しさん:2015/10/13(火) 23:10:00
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151013-00010000-seijiyama-pol
政党交付金をめぐる光と影
政治山 10月13日(火)19時30分配信

 政党交付金をめぐる2つのニュースに皮肉な因縁を感じました。1つは、みんなの党代表だった浅尾慶一郎議員に対し、総務省が政党交付金8億2600万円の返還を求めたとのニュース。もう1つは、分裂が確実となった維新の党で、今年度だけで26億6478万円に上る政党交付金の分配方法について、協議が平行線になっているとのニュース。かつては合流話に花を咲かせた両党の一方が解党、もう一方が分党にまつわるカネの話。

みんなの党が最後に見せた矜持
 浅尾議員に返還を求めた総務省によると、「党本部解散に伴い返還を求めるのは初めて」とのこと。このニュースに首を傾げた人もいるのではないでしょうか。金額の大きさもさることながら、過去の解党パターンを見れば、最後は議員の頭数で割った山分けで「残額なし」として終わるのが永田町の常識。同省が返還を求めたのが初めてという点もこれを裏付けています。

 この経緯について、最後の代表となった浅尾慶一郎衆院議員(無所属)がBLOGOSで心境を語っています。

……当時国会議員は20名おりましたので、1人当たり8000万円を山分けできると考えていた議員もいたことは事実です。しかし、このお金の原資の大部分は政党交付金です。つまり、税金から支払われたお金です。そして、みんなの党はもともと税金の無駄使いを無くすと訴えていた政党でした。本来帰属すべきでない所に税金を使うよりは、国庫に返納することが党の最後を飾るのに相応しいと考えました……

14億円を国庫に返す英断にもっと光を
 浅尾議員の言動を額面通りに受け取れば、永田町らしくない?限りなく透明に近いカネの処理で、清々しい終わり方です。創始者である渡辺喜美氏のカネの問題で内部分裂が深刻化し解党に至った同党ですが、最後は党の本懐を遂げる終わり方でした。それまでの支持者や渡辺氏の厳しい監視もあった結果とは思いますが、12月の交付金支給予定も含め14億円強を手放すというのは、並大抵の覚悟ではありません。国会議員20人が示し合わせて12月まで党を存続させれば1人8000万円が手に入る状況で、国庫に返納する選択肢を選べる議員は、残念ながら今の国会議員の中でもごく限られた人々だけではないでしょうか。余ったカネを返すという当たり前の話ではありますが、政治の世界では極めて非常識かつ驚きのニュースです。

 名は体を表すと言います。最後は自らの矜持を守り、「所属議員みんな」が納得するのではなく、「国民みんな」が納得のいく有終の美と言えます。自民党田中派が権勢を振るっていた時代の政治とは隔世の感があります。

 今回のような「政治とカネ」の光の部分がもっと脚光を浴びれば、影の部分が駆逐される動きにつながるのではないかと想像します。近年議席を増やしている共産党に至っては政党交付金を受け取っていません。

3973名無しさん:2015/10/13(火) 23:10:49
>>3972

さはさりとてカネは要る……
 とはいえ、昔も今もカネが権力の源泉であることに変わりはありません。カネがなければ立候補のための供託金すら出せません。選挙戦に入れば益々カネがかかります。昔のような派閥議員への「餅代」や有権者に直接配る「実弾」のような隠語で呼ばれるカネは不要となっても、最低限の「軍資金」がなければ同志を募ることもままならないのです。

 維新の党は、党名の扱いや政党交付金・借金の扱いをめぐって分党協議が続いています。橋下徹・大阪市長は当初、「お金はいらない。全部向こうに渡したらいい」と語っていましたが、先立つものがなければ11月22日投開票の大阪府知事・大阪市長ダブル選も満足に戦えないという現実があります。約5億円と言われる借金の多くが5月の大阪都構想をめぐる住民投票の宣伝費などで費消した点をみても、党勢拡大のためにカネは必需です。

議員を動かす影なる力
 今回の分党劇。経緯としては柿沢未途前幹事長による山形市長選での個人的な応援が発端でした。しかし、橋下市長と松井一郎・大阪府知事の本音は、民主との連携を模索する現執行部に任せていては改革政党のイメージが傷付き、近づくダブル選で対立陣営有利に働きかねないとの計算があるのではないでしょうか。選挙戦までに現執行部と袂を分かつ必要があったのでしょう。

 分党協議が平行線をたどればカネも動きません。それを見越してか、おおさか維新に行かず現在の維新に残留する議員が過半数に及ぶとの観測もあります。ダブル選の結果次第で、金看板である橋下市長の引退後はおおさか維新とて安泰とは言えません。どちらについても有権者が離れジリ貧になるとすれば、カネを握る側に付いていれば解党の際のおこぼれにあずかれるかもしれない、という計算も働きます。議員を動かす影なる力が何かを見極めれば、政界地図も違った見え方をするのではないでしょうか。

<フリーライター 上村吉弘>

3974名無しさん:2015/10/14(水) 21:08:44
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151014-00010000-seijiyama-pol
日本で唯一!?よそ者20代当選議員だけでつくる2人会派の挑戦(前編)
政治山 10月14日(水)13時30分配信

 東京から陸路で約7時間、空路でも約5時間ほど離れた、紀伊半島の最南端からやや東にある和歌山県新宮市。人口約3万人の同市は、2004年に世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」(いわゆる熊野古道)の一部を有する歴史ある街です。そんな新宮市の市議会議員選挙で2011年に25歳で初当選され、今年4月に29歳で再選された並河哲次さん(大阪府出身)と、27歳で初当選された北村奈七海さん(長野県出身)にお話を伺いました。

自分の信念を曲げないと決めていたから、16対1とかザラでした
【仁木】 並河さんは議員2年目の2012年に『Chikirinの日記』のインタビューで、新宮市に移住した経緯や立候補の理由、大災害への対応等、当時、とても興味深く読ませていただいたことが記憶に残っています。今回は、それ以降の活動や、今、挑戦していることについて教えてください。

【並河】 あのインタビューでは、議会活動について触れていないので、その話からしたいと思います。

【仁木】 お願いします。早速ですが、並河さんは、議会活動にはどういうスタンスで取り組んでおられるのですか?

【並河】 議会では自分の信念を曲げないと決めていたので、最初から批判的な立場を取ってしまいましたね。自分が思うことを曲げてしまうとストレスフルになって死んじゃうんで(笑)。

【仁木】 なるほど。それはどういう信念ですか?

【並河】 将来のことを常に考えるようにしています。その中で、財政的な視点を含めて合理的かどうかを大切にしています。本当に将来世代にとっても必要な事業なのか、もっと費用対効果を高める方法があるのではないか、とか。論理的に考えられていないところを突っ込んでいくことをしてきました。

【仁木】 ある意味、民間だと当然の考え方ではありますよね。

【並河】 ですが、ここでは少数派で、例えば、津波対策で堤防を作る、という議案があって、場所を見てみると県が浸水域発表をする前に決めたものなのです。なので、なぜここに作るのか?と根拠を問う質問をすると、当局からは「並河議員は住民の生命を守りたくないのか」と答弁が来るのです。ええっ、そう来る!?みたいな。話が咬み合わないのです(笑)。

【並河】 おかしいと思ったことには反対をしていたので、1期目は16対1とかザラでした。

【並河】 僕、基本討論をするんですよ。違うことをいうときは必ず。自分の中ではっきりしていないと討論できないじゃないですか。なので、今まで自分の指摘が通ったことは無いのですが、間違っていると思ったことは一度もないです。それくらい自分で考えを落としこんでから発言するようにしています。

3975名無しさん:2015/10/14(水) 21:09:22
>>3974

「何を」言っているかよりも、「誰が」言っているかの方が重要な議会
【仁木】 反対する方がエネルギーを使いますよね。それ以前に、論理的な議論が成立しない、ということはもっと大変な気がします。

【並河】 全員では無いですが、ロジックに慣れていない方が多いと思います。世代的な価値観の差かもしれませんが、「何を」言っているかよりも、「誰が」言っているかの方が重要と考えている様子が伝わってきます。

【並河】 そのような状態ですから、次の選挙で再選しても同じことの繰り返しだと意味が無いなって。議会の中で仲間を作るのはもはや難しい状態だったので、これはもう新しい人に入ってもらうしかない!と思い、いろんな人に立候補を勧めていました。

議員のイメージですか?並河さんしか知りませんでした
【仁木】 そこで、北村さんと出会ったということですか。

【北村】 はい。1回だけ誘われて、頭に残っていました。大変そうやなぁって(笑)。

【北村】 当時、私は、地域活性化がしたくて島根県の海士町から新宮市に来ていたのですが、地域おこし協力隊はどうかとも言われていたので、市議会議員も含めて目の前に2つの選択肢が見えていました。私は怠け者な性格ですから、もっと住民の人から厳しく見てもらえる立場の方が良いなとも思っていました。もしかしたら市議会議員という仕事も向いているかもしれないと考えるようになりました。

【仁木】 その時の議員のイメージってどういうものだったのですか?

【北村】 それまで自分が議員になろうとか全く考えたことは無くて、議員の知り合いなんていなかったので、並河さんです。

【仁木】 なるほど。並河さんと出会ったことで、議員になりたいと思ったということですか?

【北村】 当時は並河さんの議員としての活動を間近で見ていたわけでは無いですが、議会の中で1人で大変そうだ、という話を聞いていたので、年齢が近い人がそのように頑張っているということが印象的でした。もし、出会ったのが違う議員さんだったら、議員になるという選択肢は出てこなかったと思います。

3976名無しさん:2015/10/14(水) 21:09:54
>>3975

選挙期間中、2日に1回くらい泣いていました
【仁木】 20代で、しかも、地縁も組織も無く選挙を戦うことは極めて困難だと思いますが、2人とも当選できる自信はあったのでしょうか?

【並河】 いや、全然。とにかく必死でした(笑)。

【北村】 選挙のやり方もわからないですし。人に動いてもらうことが一番難しくて、北村さんの本気がわからないって何人からも言われました。自分では一生懸命しているつもりでしたから、そんな自分が不甲斐なくて、選挙期間中、2日に1回くらい泣いていました。

【北村】 最終日に県外から手伝いに来てくれた友人こう言われたんです。お前はどちらかというとダメ人間だから受かるわけない。だから応援に来たって。

【仁木】 支えてあげなきゃって思わせられたのかもしれませんね。何というか、ボトムアップの力で勝利を勝ち取ったという感じですね。

【並河】 僕らの陣営はほとんどが20代30代の同世代の若者なのですが、それぞれ必死に戦う姿を見ていたので、選挙後に協力していこうという雰囲気が自然に生まれましたね。

【仁木】 何だかお二人を見ていると、固定化された「政治家らしさ」を演じることなく、自分たちが正しいと思うことを自然体で貫き通しているように感じます。だから若者が集まってくるのでしょうね。何より、楽しそうです(笑)。
 お二人だけで立ち上げられた新会派『新宮政策研究所(略称:新ラボ)』という名称も、新しさを感じますね。議員名簿に載っている電話番号がお二人だけ携帯電話というのも象徴的です。

(後編に続く)

<一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 代表理事 仁木崇嗣>

3977名無しさん:2015/10/19(月) 23:53:03
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015101900346
政党資料、保管一元化を=河野行革相

 河野太郎行政改革担当相(公文書管理担当)は19日、国立公文書館に関する有識者会議で、歴史的価値のある政党資料について、政府として一元的に保管すべきだとの考えを示した。国会図書館や国立公文書館などに散在している現状を是正する必要があるとの認識を示したものだ。
 河野氏は、父の河野洋平元衆院議長が旧新自由クラブに関する資料を、自民党復党時に国会図書館に寄付したことを紹介。その上で政党資料について「位置づけを明確にすべきだ」と述べた。
 出席した有識者からは「近現代史の研究で貴重な政党関連の資料をどう保管していくかが盲点になっている」といった指摘が相次いだ。 (2015/10/19-13:14)

3978名無しさん:2015/10/20(火) 22:00:35
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015102000757
9党に80億円交付=総務省

 総務省は20日、2015年の政党交付金の第3回分として、9政党に計80億300万円(100万円未満切り捨て、以下同じ)を支給した。制度に反対している共産党は受給を申請していない。 
 各党への支給額は次の通り。
 自民党42億6200万円▽民主党19億1700万円▽公明党7億3800万円▽維新の党6億6600万円▽次世代の党1億6300万円▽社民党1億1700万円▽生活の党と山本太郎となかまたち8200万円▽日本を元気にする会2900万円▽新党改革2600万円(2015/10/20-18:08)

3979名無しさん:2015/10/20(火) 23:25:08
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151020-00010000-seijiyama-pol
白票にも政治を動かす力はあるのか
政治山 10月20日(火)11時30分配信

 来夏の参院選で選挙権年齢が18歳以上に引き下げられますが、若者の選挙に対する無関心は年々広がっています。総務省が作成している年代別投票率の推移では、全世代で右肩下がりの投票率ですが、40年前に比べて、年代別の投票率の差が徐々に開いていることが見てとれます。

 「投票したい候補が選挙区にいないから」という意見もよく聞きますが、こんなときは白票を投じるという選択肢もあります。ここでは、「棄権も白票も変わらない」と思っている方に、白票の持つ意外な力を解説します。

議員は選挙に行く人のために政策を語る
 少子高齢化社会で若年層が少なくなる中で、投票率の格差まで大きくなると、候補者はより影響力の強い年齢層が望む政策を重視するようになります。政策は影響力のある世代に傾いていくのが選挙に命運をかける議員のインセンティブ(動機)になります。

 例えば社会保険分野では、将来に過度な負担をかけないための制度設計をどうするかで年齢層によって考え方が大きく変わります。自分が現役の時は負担を少なく、受給する時に手厚い保護を受けたいという思いは、どの世代でも共通です。また、憲法改正についても年齢層が若くなるに従って肯定的な意見が多くなる傾向にあります。

 若い方々が棄権すれば、政治は相対的に若者向けの政策から遠ざかっていきます。とはいえ、「投票には行きたい。しかし、投票したい候補者がいない」という方も多いでしょう。国政レベルならともかく、都道府県議選、更には市区町村議選ともなると、候補者の顔も分からない。どんな人かも分からないのに、いい加減な投票はできない。

棄権か。白票か。

 どっちも同じだから、行くのをやめよう。それが多くの棄権者の考え方かもしれません。しかし、両者には似て非なる性質の違いがあります。どちらも、積極的な意思表示をしない点では同じですが、後者には消極的な意思表示の効果が期待できるのです。

白票は投票率にカウントされる
 白票は、候補者の得票率にはカウントされませんが、投票率にはカウントされます。多くの若者が白票を投じ、投票率が上昇したらどうなるでしょうか?

 候補者は「若者向けの政策もケアしなくてはいけない」と考えることが期待できます。また、白票は無効票になりますから、無効票の増加は浮動票や無党派層が増えているとそれぞれの後援会が分析し、より緊張感のある政策論争につながることも期待できます。

ゆくゆくは候補者差し替えにつながる?
 さらに、投票率が高い割には得票率が低い場合、各党や選対本部は候補者に実力がないと見て、後々の候補者選定にも影響を与えるかもしれません。

 決してポジティブな投票行動とは言えませんが、どうしても投票したい候補者がいないとき、棄権するよりは多少なりとも影響力がある。その程度の意味はありそうです。

<フリーライター 上村吉弘>

3980名無しさん:2015/10/31(土) 13:28:55
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151027-00010003-agora-pol
在野で政治を話し合うということの地味さ・難しさ --- 宇佐美 典也
アゴラ 10月27日(火)16時10分配信

この半年、都議会議員の音喜多駿氏と一緒に「あえて政治の話をしよう」(http://synapse.am/contents/monthly/usamiotokita)というオンラインサロンを展開して参ったのですが、この度めでたく三期メンバーの募集をかけることになりました。

正直なところ政治ネタでオンラインサロンが成り立つとは思っていなかったのですが 、有り難いことにぼちぼちメンバーに集まっていただいて、細々ながら少しずつ運営も拡大して、北区議会議員の斉藤りえさんと、我孫子市議会議員の水野ゆうきさんなどにもライターとして加わってもらっています。またこれまで、小黒一正氏、駒崎弘樹氏、松田馨氏、呉座勇一氏、などを招いて講演会も重ねて参りして、結構マジメな議論をしてきました。
で、こういう活動を積み重ねていく中で感じるのは、「与党外で政治について地に足をつけてに議論する」ということの難しさです。

日本では一時期の例外を除いて基本的には自民党がずっと政権を担って来たこともあって、「野党」というのは「政府を批判しつつ改憲させない」ことが仕事になっている感があります。そういう環境ですと「批判をする」ということに活動のバイアスがかかってしまうわけで(少なくとも国政レベルでは)野党議員の政治活動は地に足のついた建設的な議論をするというよりも、「アンチ与党」的に政府の粗を探したり矛盾をつくことが主にならざるを得ないところがあります。

一言で言えば「野党の立場でマトモな政策論を語っても実現しないんでしょうがない」ということなのですが、結果として政治メディアも含めて我が国の在野の政治議論というのは実現性を加味しない上っついたものになりがちで、実のある建設的な政策議論が官僚に任せっきりになっているのは否めないことだと思います。

英米のようにしばしば政権交代が起きる可能性があるならば、市中でも改革に向けた地に足の着いた議論というものが為される蓋然性というのももう少し高くなる気がしますし、意思さえあれば変わることも可能だと思うのですが、なんというかこの構造に慣れすぎていて野党議員にも支持団体にもメディアにも恐ろしく強い慣性の法則が働いているように感じています。

そんな中で音喜多は都議会の零細派閥の議員で、私も小さな企業を経営しつつ政治がらみのコンサル仕事をたまに受けているような立場でして、両名とも与党とはほど遠い立場にいるわけです。ならば「野党か」というと、その立場に振り切るわけでもなく、宙ぶらりんな「在野」とでもいうような立ち位置にいます。現実を見れば今の与党や政府のスタンスも理解できるけど、持続可能性を考えると何処かで大胆な改革をしなければこの国が持たなくなるのは明らかな中で、そういう構造の中で自分たちが将来的に何が出来るか考え迷っている、というようなところでしょうか。

そんなわけで我々のサロンでは国政レベルの構造に巻き込まれずになんとか在野でも地に足の着いた議論ができなものかと、なんとなく名のある一匹狼な地方議員を中心にメンバーを拡充しているのですが、その分活動が地味になっております。ただなんというか政治の議論って本来こういう地味な物なのではないかとも思っているところでして、これはこれで長く続けて少しずつ大きくしていけば意味が出てくるのでは無いかと期待しております。

そんなわけで「在野で政治について考えたい」という奇特な方は是非サロンにご参加くださいませ。
http://synapse.am/contents/monthly/usamiotokita

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2015年10月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblog(http://usami-noriya.blog.jp/)をご覧ください。

宇佐美 典也

3981名無しさん:2015/11/07(土) 13:28:45
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151106-00010001-seijiyama-pol
政党名にルールはあるの?
政治山 11月6日(金)18時30分配信

 次世代の党が月内にも臨時党大会を開いて党名変更を検討するようです。分裂した維新の党でも話題となった政党名ですが、名称にどのようなルールがあるのでしょうか。

「支持政党なし」という政党が10万票を獲得
 これに関して、昨年末の総選挙で「支持政党なし(略称・支持なし)」という政党が比例北海道ブロックに立候補を届け出たところ、次世代の党の3倍近い10万票以上を獲得するというエピソードがありました。届け出順が最後だったため、投票用紙に記載される政党名も端になり、そのまま「支持政党なし」「支持なし」と記入した人も多かったと思われます。

 非常に紛らわしくミスリードを誘う政党名に見えますが、現行の公職選挙法には抵触していません。同法86条の2(衆院選)と同じく86条の7(参院選)の条文では衆参各選挙の比例代表選出に関する政党名の規定があり、「党代表や候補者の氏名が類推されるような表現」を禁止しています。

「ますぞえ新党」はNG
 これに抵触しかけた事例として、2010年4月、新党改革を旗揚げした舛添要一・参議院議員(現東京都知事)が、略称を「ますぞえ新党」とする方針を表明しましたが、中央選挙管理委員会が認める見込みがないことが判明したため諦めた、というエピソードがあります。

 昨年末に結成された「生活の党と山本太郎となかまたち」の場合はどうでしょうか。

「くまちゃんの肌触りは世界一」も禁止規定には違反せず!?
 生活の党の実質的な前身である「国民の生活が第一」が結成されたとき、歌手・宇多田ヒカルさんがツイッターで「ついに政党の名前にもキラキラネームきたか……こうなると『くまちゃんの肌触りは世界一』党の結成も夢ではないな」とつぶやき、話題になりました。

「生活の党と山本太郎となかまたち」はOK
 その後、日本未来の党に合流し、生活の党へと党名変更が行われ、落ち着いたかに見えました。が、昨年末、政治資金規正法上の政党要件である所属国会議員5人を満たすために山本太郎議員が合流。「生活の党と山本太郎となかまたち」という党名に。この破壊力はすさまじく、「憲政史上に衝撃が走る」と新聞の見出しになったほど。

 そんな字面の衝撃とは別に、共同代表である山本議員の氏名が党名に含まれているので、「氏名が類推されるような表現」の禁止規定にピタリと当てはまるようにも見えます。

 しかし、公選法上の代表者は小沢一郎議員のみで届け出がなされており、問題ありません。山本議員が比例名簿に登載されない限り、衆院小選挙区や参院選挙区での立候補は可能のようです。

公序良俗に反しないかを総合判断
 では、政党名は一体どこまで自由が認められるのでしょうか。

 総務省管理課によると、「公序良俗に反しない」という条件に照らし合わせて、個別に判断するそうです。ブラック無党やTOTO、左党、鈴木君などでも大丈夫なのか……個別に尋ねたところ、「この場で即答することはできません。届け出がなされてから総合的に判断します」との返事。既成政党ではなく企業名と重なった場合なども、一概に許可か禁止かは明言できないとのことです。「支持政党なし」に関しては、次回以降も「特に禁止規定に当たらないため認められるでしょう」との回答でした。

<フリーライター 上村吉弘>

3982名無しさん:2015/11/08(日) 09:12:12
http://www.asahi.com/articles/ASHC67G0MHC6UTIL06H.html
「顔で受かった」「男性票狙い」 女性議員は容姿なのか
三島あずさ2015年11月7日21時46分

 「『顔で受かった人ね』と言われた」「スカート丈やヒールの高さを注意される」――。朝日新聞が今春の統一地方選で初当選した女性議員に行ったアンケートには、容姿や服装が注目されることに戸惑う声があった。「見た目」が有権者の判断材料になりうるという現実がある一方、男性に比べて、女性の容姿に注目が集まりがちなことには批判の声もある。

 アンケートでは、「当選するまでの間に『女性だから』という理由で直面したハードル」(複数回答)として、「容姿や服装で評価される」を挙げた人が67人(15%)いた。自由記述欄にもさまざまな体験談が寄せられた。

 「個人的に会いたい」「携帯電話の番号を教えて」――。東京都八王子市議の佐藤梓さん(31)=社民党=のもとには選挙戦前後、見知らぬ男性からこんなメールが何通も届いた。週刊誌やインターネットで「かわいすぎる市議」などと騒がれていたからだ。

 ストレートのロングヘア。部活に打ち込んだ学生時代に縁遠かったスカートを好んで身につける。「男性票を狙っている」という陰口はまだしも、初対面で「『美人』と言われてるけど普通だね」と言われた時はさすがに傷ついた。

 「見た目」に注目が集まったことについて、佐藤さんは「無名の自分を好意的に取り上げていただけてありがたいと思った半面、外見ばかりクローズアップされたのは少しショックだった」と振り返る。

残り:1018文字/全文:1603文字

3983名無しさん:2015/11/08(日) 09:13:34
>>3982

http://www.asahi.com/articles/ASHC53W7QHC5UTIL00X.html
「服装は主張。認められる仕事すればいい」佐野美和さん
2015年11月7日21時48分

 女性議員と「容姿」について、元ミス日本で東京都八王子市議を務めた佐野美和さんに語ってもらった。

     ◇

 「外見についてとやかく言われたくない」というのははっきり言って甘い。女性で、ましてや若ければ、嫌な思いをすることを差し引いても選挙で十分恩恵を受けたはずです。若さや見た目の良さは武器。当選しなければ何の政策もできない。選挙に出た以上、何と言われようと「自分を気にかけてくれているんだ」とプラスに受け止めるべきです。

 私が八王子市議になった20年前、若い無所属の女性が選挙に出ること自体、異例だった。今はもうそれも珍しくない。何の後ろ盾もない20代の女性でも、政治にかかわれる。そういう道を切りひらいてきた自負はあります。

残り:798文字/全文:1116文字

3984名無しさん:2015/11/10(火) 20:52:33
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151110-00010000-seijiyama-pol
国会議員の秘書は閉会中何をしているのか
政治山 11月10日(火)12時30分配信

 「国会議員は閉会中何をしているのか」で、議員の動向を紹介しました。では、秘書は閉会中何をしているのでしょうか。

議員会館は館内外とも静かに
 議員会館の各事務室は会期中と変わらず、各事務室には秘書が待機しています。表面上は何も変わりません。

 ただ、会期中の議員会館は、本館(国会議事堂)や別館、分館を往来する議員や職員も多く、受付のある1階と地下連絡通路のある地下1階は、ざわついた雰囲気ですが、閉会中は人の行き来が少なくなり、休日の学校に近い状態になります。

 議員会館の内側だけでなく、外側も閉会中は比較的静かです。会期中はデモで賑やかですが、議員不在の中で叫んでもあまり意味がないということでデモや街宣車はあまり見かけなくなります。

不在の事務室も増える
 会期中も閉会中も、会館の事務室はドアを常時開放している部屋が半分程度あります。閉会中になると、ドアが閉められている部屋の中には不在の部屋も散見されます。「当分の間、不在となりますので、郵便物はポストにお願いします」といった貼り紙が郵便受けの上などに掲示され、段ボールに数日分の新聞が溜まっている部屋をよく見かけるようになります。

 議員と共に秘書も地元回りをしたり、政治資金パーティー開催の案内に回ったりと、議員事務所によって活動内容はまちまちです。しばらくイベントがないタイミングを図って会館事務室を数日間閉じて、スタッフ全員で休暇を取るところもあります。

 補正予算や来年度の予算編成が本格化する年末年始に向けて、様々な業界のロビー活動も盛んになるので、議員会館をあまり長期間空けておくわけにもいきません。議員が不在の場合は秘書が地方から来た業界団体を迎え入れて要望書を預かり、陳情を聴き、時には署名請願の紹介議員になります。

秘書の役割は千差万別
 閉会中の議員会館での仕事は会期中と同様、議員のスケジュール管理や来客対応、電話・郵便物の確認が基本ノルマですが、秘書の役割は各議員の差配によるので、一律なものはありません。本来は政策立案のために設けられた政策担当秘書の中には、会期中から選挙対策業務や会計業務にばかり追われている人もいます。

 議員会館に公設秘書3人だけでなく私設秘書も数人付けて政策担当から運転手役、はたまた渉外担当、身の回りの世話役……などと、それぞれに専門職を割り振る議員もいれば、1人しか置かず雑務全般を任せる議員もいます。

 残りの公設・私設秘書はパーティーや国政報告会の参加を募る「営業回り」に行ったり、地元でポスター・立て看板を設置してくれる協力者・支持者を求めて外回りに奔走したりします。彼らの活動は議員の政治活動をアピールする役割も果たしています。

3985名無しさん:2015/11/10(火) 20:52:52
>>3984

協力しながら諜報活動?
 都内で開催する政治資金パーティーやセミナーは、当日の会場準備や受付で人手が足りないこともあるので、日頃から付き合いのある他の事務所の秘書や政党職員に応援を求めます。ギブアンドテイクの世界なので、要請を受けた事務室は特に予定がなければ、手が空いている秘書全員を投入し応援します。

 パーティーの規模は「力のバロメーター」でもあるので、応援に来た秘書や政党職員は人数や参加者の内訳、挨拶内容、雰囲気などをチェックし、後で議員や上司に報告する偵察部隊の役割も果たしています。

 党や会派の要請を受け、または付き合いのある国会・地方の議員が選挙戦に入ると、議員は秘書を応援に派遣します。時には遠方に1カ月以上派遣される秘書もいます。めでたく当選したあかつきには、双方とも口には出しませんが、大きな貸しが議員間で生じます。ギブアンドテイク、貸し借りの世界なのです。政略的に貸し借りをうまく使い分けて有力な議員との関係性を築くことが、議員の発言力を高めることにつながります。

地元は逆に忙しくなる?
 議員会館とは対照的に、地元の事務所は会期中よりも閉会中の方が忙しくなることがあります。会期中、国会議員は一般に「金帰火来」と呼ばれる行動パターンを取ります。金曜の夜に選挙区に帰り、週末に地元で政治活動をして火曜に東京に戻ることで、地元秘書は平日よりも週末が忙しくなります。

 同じように、会期中よりも閉会中の方が議員は地元に長居できるので、地元事務所の「繁忙期」となります。議員が腰を据えて地元回りができる貴重なタイミングでもあり、前もって後援会有力者の日程を調整して国政報告会やミニ集会、パーティーを企画し準備に追われます。

 国政報告会などの案内ハガキやチラシ、国政報告レポートを折ったり封入したりする作業も必要です。後援会の規模にもよりますが、有力な議員事務所だと支持者や学生を何人もボランティアやインターンで招き、人海戦術を駆使して単純作業を回します。議員事務所によっては、議員会館を閉じている間、議員と共に東京のスタッフも地元入りして、後援会活動や挨拶まわりに精を出します。

<フリーライター 上村吉弘>

3987名無しさん:2015/11/14(土) 22:21:14
>>3986

民主主義に参加するための様々な一票の入れ方について

政党・議員は有権者に対して政策などを示して政府の運営プランを発表します。彼らは機関投資家である保険会社の営業マンのように自分の政党のプランが貴方にとって良いものであると提案してくれます。

この際、有権者が徒党を組んでいる場合(たとえば、業界団体や労働組合など)、政党・議員は団体様向けの特別なプランを提示してくれることがあります。投票に際して、あなたが所属している組織・団体が推薦する候補者に投票することは、所属法人が保険会社と交渉して用意したプランに乗って資金運用するようなイメージです。政党は組織・団体に所属している有権者向けに様々な政策メニューを用意してくれるでしょう。

また、あなたが町内会で良く顔を見る地元代表の議員に投票することは、地域にベタで張り付いている営業マンの人柄を見て購入を決めるようなものなので、それはそれで一つの選択と言えます。

ちなみに、あなたが完全に浮動票の部類に属する場合は、政党・議員にとってあまり美味しいお客様ではありません。そのため、街頭演説などでのバラマキ宣伝で対応されることになります。(つまり、マス広告で引っかかる個人契約者的な扱いになります)もちろん通常の場合は有利な条件の商品の提示はありません。

3988名無しさん:2015/11/14(土) 22:50:22
>>3987

個人でも議員に舐められない投票の仕方を伝授する
徒党を組まない有権者(浮動票)は、真面目に投票して民主主義に参加しても舐められるだけなのでしょうか?

答えはYesです。政党も議員も徒党を組まない有権者について非常に軽く見ています。大企業が個人株主を相手にしていない状況とほぼ一緒と言えるでしょう。投票率が上がれば浮動票全体としての価値は上がりますが、あなた個人の有権者としての価値は上がりません。

しかし、そんな浮動票な投票者であっても議員に一目置かせる方法はあります。それは、投票場で投票するときに候補者の名前を記入した後の用紙を写メで取って、駅前で演説している議員に見せつけることです。そして、「私はあなたに〇〇の理由で投票しました。今後しっかり見ていますので宜しく」と伝えて下さい。

議員はぐうの音も出ませんし、あなたの意向もばっちり相手に伝わります。そういう人がドンドン増えていくことで、政党や議員の議会での投票行動に影響を与えていくことが重要です。水戸黄門の印籠のように携帯の中に保存した写メを議員に見せつけてください。

民主主義を大いにエンジョイするために、あなたの一票の価値の最大化に是非とも取り組んでほしいと思います。みなさまの「投票」が良きものとなりますよう心よりお祈り申し上げます。

渡瀬裕哉
早稲田大学公共政策研究所地域主権研究センター招聘研究員
東京茶会(Tokyo Tea Party)事務局長、一般社団法人Japan Conservative Union 理事

渡瀬 裕哉

3989名無しさん:2015/11/18(水) 23:24:04
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151118/k10010310881000.html
政治や選挙教える教材 高校生に配布
11月18日 14時42分

18歳から選挙権を得られるようになったのを受けて、新たに有権者になる高校生に政治や選挙について教えるための教材の発送が始まり、18日、受け取った高校が早速、生徒たちに配りました。
選挙権を得られる年齢が18歳以上になり、来年夏の参議院選挙から適用されるのを受けて、文部科学省と総務省は、高校生に政治や選挙について教えるための教材をおよそ370万部作り、17日から全国の高校に向けて送り始めました。
早いところでは18日に教材が届き、このうち千葉県流山市の県立「流山おおたかの森高校」には、午前中に全校生徒分の1000部余りと教員向けの指導用の資料30部が届きました。
受け取った公民の担当教員は、早速、2年生の生徒たちに配って、「来年の夏の参議院選挙から投票に行く人もいますが、この教材を授業で使って選挙や政治の仕組みを学んでいきましょう」と呼びかけていました。
生徒の1人は「投票には行ってみたいと思いますが、選挙の仕組みとか政治のこととか、よく分からないことが多いので、授業を通して勉強していきたいです」と話していました。
この教材は来月中旬までには全国の高校に届けられる予定で、新たに有権者になる高校生の主権者教育が本格化する見通しです。

3990名無しさん:2015/11/19(木) 22:41:02
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151119/k10010312571000.html
主権者教育を小さい頃から 検討チーム発足
11月19日 22時00分

18歳から選挙権が得られるようになるのを受けて、文部科学省は、小学校や幼稚園でも地域や町づくりのことなどを学ぶ「主権者教育」を取り入れていこうと、19日、プロジェクトチームを立ち上げ、具体的な方法を検討することになりました。
文部科学省で開かれたプロジェクトチームの初会合には、関係部局の担当者ら12人が出席しました。冒頭、義家文部科学副大臣は「小さい頃から主権者教育を始めることで、社会の担い手という意識を成長段階に応じて高めていきたい」と趣旨を説明しました。
文部科学省は、新たに有権者になる高校生への教育に加え、さらに年齢が低い小学校や幼稚園でも地域や町づくりのことなどを学ぶ「主権者教育」を取り入れていくことが大切だとしています。19日の会議でも、出席者から「小学校の総合学習の授業で、地域の課題など身近なテーマを積極的に扱ったらどうか」などといった意見が出されました。
プロジェクトチームでは今後、子ども会や町内会、それに家庭との連携などを議論しながら、具体的な方法を検討し、年度内に取りまとめを行いたいとしています。

3991名無しさん:2015/11/21(土) 17:09:17
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151119-00010001-seijiyama-pol
通常国会1月4日開会では年始の挨拶が……国会議員はた迷惑!?
政治山 11月19日(木)11時30分配信

 臨時国会の召集見送りを決めた安倍首相は、来年1月4日に通常国会を早期召集する方針を明らかにしました。ここ数年は1月下旬の開催が続いていた通常国会ですが、そもそも1月開会が常態化したのは平成に入ってから。1990(平成2)年以前の通常国会は41回中40回が12月開会。1回の例外は1952年で、8月に開会されています。これは当時、「会期中に任期満了する場合、前倒しして召集する」という規定があったためです。

1990年までは12月開会が義務だった
 1月開会となったのは、国会法で「12月中」と定められていた召集日が、1991年に「1月中」と改められたため。これにより、予算案の提出期限も「12月中」から「1月中」に改正されました。1月中に改正された理由は、国家公務員が年末年始の休日(12月29日から1月3日まで)に入るため、国会も連動して自然休会状態となり会期日数が無為に経過することが問題視されたことによります。

 1月下旬の開会であれば年始の地元挨拶をじっくりできるため、国会議員にとっても好都合ですが、来年の開会が4日となればそうもいきません。7月改選の参議院議員にとっては地元回りをしたくて仕方がないところでしょうが、本来の政治活動を全うしたうえで、堂々と選挙準備に入ってほしいものです。

憲法52条「通常国会は年1回召集」の規定、過去に4回も違憲!?
 「国会の常会は、毎年一回これを召集する」と憲法52条で規定されています。ところが、過去に開かれなかった年が1969年、1972年、1983年、1991年の4回あります。今のご時世なら「憲法違反だ!」と大騒ぎになるところですが、ここでも憲法解釈を巡り2つの説が対立しています。「毎年一回」というのを(1)暦年で考えるか、(2)通常国会の召集間隔が1年と考えるか、です。1991年のケースは国会法改正で「12月中」から「1月中」に繰り延べされた間隙の年だったためですが、他の3回は通常国会召集の詔書公布後に衆院が解散。総選挙後の特別国会召集により実現しませんでした。国会法2条の2では、「特別会は、常会と併せてこれを召集することができる」と特例規定を定めていますが、適用されませんでした。

 野党が今回、憲法第53条後段の「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は召集を決定しなくてはならない」に違反しているとして反発する臨時国会の召集規定も、今回を含め3例の守られなかったケースがあるなど、日程絡みの「違憲」を粗探しすれば、疑わしいケースはぽろぽろと出てきます。1991年のケースについて、衆参の法制局は「法改正による特例的な1回限りのことであり、(中略)例外的事態として憲法第52条に抵触しない」と答弁しています。

 安倍首相がアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席するため11月18日からフィリピンに出発する外交日程は以前から決まっていました。日本側の意向でそれを簡単にキャンセルするようでは国際社会での信用が失われます。憲法規定の理想と日程調整の現実という隔たりは、容易には埋めがたいのかもしれません。少なくとも、三が日明けてすぐに通常国会を開会する方針の安倍首相に、「国会軽視だ」と叩かれるような考え方がないことは読み取れます。

<フリーライター 上村吉弘>

3992名無しさん:2015/12/16(水) 20:27:33
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015121600861
政党機関紙に明暗=自民対象外、公明・共産は適用-軽減税率

 消費税の軽減税率が新聞にも適用されることを受け、各政党の機関紙は、公明、共産両党が適用対象、自民党が対象外と、発行頻度によって明暗が分かれた。
 16日に決定した与党税制改正大綱は、軽減対象となる新聞を「定期購読契約を結び、週2回以上発行されるもの」に限定。この線引きに従うと、日刊の「公明新聞」(公明党)と「しんぶん赤旗」(共産党)は消費税率8%に据え置かれる。これに対し、自民党の「自由民主」は週刊のため、税率は10%に引き上げられる。
 これに関し、自民党の宮沢洋一税制調査会長は「残念」と述べ、公明党の斉藤鉄夫税調会長は「基準を満足している政党や宗教団体の機関紙は対象になる」と指摘するにとどめた。一方、共産党の穀田恵二国対委員長は「軽減税率以前に、増税をやめろというのが基本的立場だ」と強調した。 (2015/12/16-19:34)

3993とはずがたり:2015/12/20(日) 23:30:12
<訃報>森本晃司さん73歳=元建設相
http://news.goo.ne.jp/topstories/politics/85/da5da964e90d11eb929178103ba7d548.html
(毎日新聞) 12月19日 22:25

 元建設相で公明党衆院議員などを務めた森本晃司さん(73)が18日、出張中の東京都内のホテルで死亡しているのが見つかった。関係者への取材で分かった。病死とみられる。通夜、葬儀の日時は未定。

 1983年に衆院・旧奈良全県区で公明党から初当選して4期、98年から参院議員(比例代表)を1期務めた。同党院内総務、旧新進党常任幹事などを歴任。94年には羽田内閣で建設相を務めた。

 2004年に政界を引退した後、奈良県立大の客員教授として観光学を教え、同県明日香村で観光ボランティアに携わるなど地元に尽くした。【矢追健介、塩路佳子】

3994名無しさん:2015/12/21(月) 23:38:30
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2015122100557
政党要件

 政党要件 政治団体が法律上の「政党」として扱われるための条件。政党助成法や政治資金規正法で、(1)所属国会議員が5人以上(2)国会議員が1人以上で、かつ直近の衆院選か過去2回の参院選で得票率が2%以上-のいずれかを満たす団体を「政党」と定義している。公職選挙法もほぼ同じだが、(2)の対象となる参院選を過去1回としている点が異なる。
 政治結社としての政党は誰でも自由に設立できるが、国から政党交付金を受け取るには、政党助成法の政党要件を満たす必要がある。また、公選法の政党要件を満たした団体は、政見放送などで有利な取り扱いを受けるほか、衆院選で小選挙区と比例代表の重複立候補ができるといったメリットがある。(2015/12/21-16:42)

3995名無しさん:2016/01/01(金) 08:11:16
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016010100016
主な政治日程

【1月】
 4日  通常国会召集
中旬?  2015年度補正予算成立?
24日  沖縄県宜野湾市長選投開票
【3月】
11日  東日本大震災から5年
月末?  16年度予算成立?
     安全保障関連法施行
【4月】
24日  衆院北海道5区補選投開票
【5月】
26日  伊勢志摩サミット(27日まで)
【6月】
 1日  通常国会会期末
19日  18歳選挙権施行
【7月】
上旬?  参院選投開票?
25日  参院議員任期満了

(2016/01/01-00:32)

3996名無しさん:2016/01/01(金) 08:12:35
>>3995

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016010100015
参院選へ与野党攻防=くすぶるダブル選、緊迫も-今年の政局展望

 2016年の政局は、最大の政治決戦となる夏の参院選をにらみ、与野党が4日召集の通常国会を舞台に激しい攻防を繰り広げる展開となる。安倍晋三首相が参院選に勝利して長期政権への足場固めを狙うのに対し、民主党は野党共闘を進めて反転攻勢をうかがう。首相が参院選に合わせて衆院解散・総選挙に踏み切るとの臆測もくすぶり、政局が一気に緊迫する可能性もはらむ。
 「築城3年、落城1日」。首相は1日付の年頭所感でこう自戒した。長い時間をかけて築き上げたものも、瓦解(がかい)するときはあっという間という意味で、緊張感を持って政権運営に当たる決意を示したものだ。
 昨年9月、国論を二分した安全保障関連法を成立させたことで落ち込んだ内閣支持率は安定軌道を回復し、「安倍1強」に変化は見られない。だが、首相が18年までの党総裁任期を全うし、政権を担い続けるには、参院選勝利は欠かせない。
 このため、通常国会で15年度補正予算案の早期成立、16年度予算案の年度内成立を果たし、5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)を成功させ、これらを成果として万全の態勢で選挙になだれ込む-というのが首相の基本戦略だ。
 これに対し民主党などは、17年4月の消費税率10%への引き上げと同時に導入される軽減税率に必要な1兆円規模の財源が確定していないことを問題視。15年度補正に盛り込まれた低所得高齢者向けの1人3万円の臨時給付金も「選挙目当てのばらまき」と批判を強める構えだ。農家などに痛みを強いる環太平洋連携協定(TPP)も、野党にとっては格好の追及材料だ。
 今年前半の重要選挙の影響も見逃せない。米軍普天間飛行場の地元で移設問題が争点となる沖縄県宜野湾市長選が24日に迫り、県内移設反対派が勝利すれば安倍政権には痛手となる。衆院北海道5区補選(4月24日投開票)では、議席を死守したい自民党に対し、民主党など野党が統一候補擁立を模索、参院選の行方を占う総力戦となる。
 ◇ダブルなら違憲状態も
 こうした中、与野党が注視するのが衆参ダブル選の可能性。世論の反発や景気の落ち込みが予想される消費税増税後の衆院解散を避けるなら、夏の参院選との同時実施が安倍政権にとって「得策」(自民党幹部)との見方からだ。通常国会会期末の6月1日に解散すれば、公職選挙法の規定により、7月10日の同日選が可能となる。
 ただ、首相にとってハードルがないわけではない。最高裁が昨年11月の判決で「違憲状態」と指摘した14年衆院選の「1票の格差」是正が間に合いそうにないことだ。衆院の第三者機関は14日、格差是正を含む選挙制度改革案を大島理森議長に答申、与野党協議がスタートするが、各党の利害が絡んで難航は避けられない。
 そこで自民党内では、首相に解散へのフリーハンドを持たせるため、(1)2月に公表される15年の国勢調査速報値を基に選挙区割りをやり直す1票の格差の「緊急是正」で当座をしのぐ(2)制度改革を盛り込んだ関連法案の成立まではこぎ着け、司法に対し「国会の努力」をアピールする-案が取り沙汰されている。
 改革道半ばで衆院を解散すれば野党の反発は必至で、世論の批判も招きかねない。それでもダブル選への臆測が消えないのは、首相が14年11月の電撃解散で与党を圧勝に導いた抜き難い記憶があるためだ。与野党は夏に向け、首相の胸の内をあれこれ忖度(そんたく)することになりそうだ。 (2016/01/01-00:31)

3997名無しさん:2016/01/19(火) 21:12:51
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160119/k10010377851000.html
政党助成金 10党に320億円余交付へ
1月19日 17時41分

ことし(平成28年)各党に交付される予定の政党助成金は、10の政党に対し総額320億円余りで、自民党におよそ172億円、民主党にはおよそ77億円がそれぞれ交付される見通しです。
政党助成金は、政党助成法に基づき、毎年1月1日現在で、所属している国会議員の数や過去の国政選挙の得票数に応じて、総務大臣に届け出を行った政党に対し交付されるものです。
ことし届け出を行ったのは10の政党で、総額320億1400万円が交付されます。これを基に、各党に交付される予定の政党助成金の額を試算すると、多い順に、
▽自民党が172億2000万円。
▽民主党が76億9100万円。
▽公明党が29億7200万円。
▽維新の党が20億5200万円。
▽日本のこころを大切にする党が5億6000万円。
▽おおさか維新の会が4億8500万円。
▽社民党が4億7100万円。
▽生活の党と山本太郎となかまたちが3億3200万円。
▽改革結集の会が1億2100万円。
▽新党改革が1億500万円。
共産党は、政党助成金の制度に反対して助成金を受け取っていません。
一方、去年まで政党助成金を交付されていた、日本を元気にする会は、党所属の議員が4人となり、政党助成法上の政党要件を失ったため、ことしは交付されません。
政党助成金は、このあと国会に提出される国の平成28年度予算案が成立すれば、年4回に分けて各党に交付されます。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016011900785
自民へ過去最多の172億円=16年政党交付金、元気は要件喪失

 総務省は19日、政党助成法に基づき、10党から2016年分の政党交付金の受給申請があったと発表した。交付金総額は320億1400万円(100万円未満切り捨て、以下同じ)で、時事通信の試算では自民党172億2000万円(前年比1.0%増)、民主党は76億9100万円(同0.3%増)となる。
 自民党が受給する額は、1995年の制度開始以降で最多となる。維新の党は、おおさか維新の会と改革結集の会が分離したことで20億5200万円となり、同23.0%減少。おおさか維新は4億8500万円、改革結集は1億2100万円となった。
 所属国会議員が4人となって政党助成法上の政党要件を失った日本を元気にする会は交付金を受け取れない。
 政党交付金配分額は、1月1日現在の所属国会議員数や、前回の衆院選と直近2回の参院選の得票数を基に算出し、支給は年4回に分けて行う。政党交付金制度に反対している共産党は申請していない。他の党への配分予定額は次の通り。
 公明党29億7200万円▽日本のこころを大切にする党5億6000万円▽社民党4億7100万円▽生活の党と山本太郎となかまたち3億3200万円▽新党改革1億500万円。 (2016/01/19-19:15)

3998とはずがたり:2016/02/21(日) 12:41:20
ここ?

杉村太蔵、慶応大大学院合格
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/02/21/0008824104.shtml
2016年2月21日

 タレントの杉村太蔵が21日、TBS系「サンデージャポン」に出演し、慶応大学大学院に合格したことを発表した。

 司会の爆笑問題・田中裕二から話を振られると、「私事で恐縮なんですが、このたび、慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程博士課程に合格させていただきました。4月から大学院生として研究生活を」と報告。2年ほど前から挑戦していたといい、「なかなか結果が出なかった」と苦労した末の合格だったことを明かした。

 杉村は札幌の高校を卒業後、筑波大学にスポーツ推薦で入学したものの、中退している。

 同大学大学院に進んだ芸能人としては過去に、メンタリストのDaiGoや元ザ・タイガースのメンバーの瞳みのるさん、フリーアナウンサーの進藤晶子らがいる。また、お笑い芸人のエドはるみも4月から同大学大学院システムデザイン・マネジメント科へ進学することになっており、杉村とは“同級生”となる。

3999名無しさん:2016/03/12(土) 15:47:49
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date3&k=2016031000798
大内啓伍元厚相死去=旧民社党委員長、86歳

 旧民社党委員長や厚相を務めた大内啓伍(おおうち・けいご)元衆院議員が9日午後9時1分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。86歳だった。東京都出身。葬儀は18日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は妻たつ子さん。
 早大法卒。旧社会党(右派)職員を経て民社党結成に参加。76年衆院選で旧東京2区から出馬し、初当選。当選6回。党書記長などを歴任して90年に委員長に就き、93年の非自民連立政権樹立に尽力した。細川、羽田両内閣で厚相を務めた。 
 民社党などが参加した94年の新進党結成には加わらず、自由連合を経て自民党に入党した。(2016/03/10-19:03)

4000名無しさん:2016/03/12(土) 16:10:21
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160312-00087730-diamond-soci
不倫政治家の明暗に学ぶ「正しい言い訳」「ダメな言い訳」
ダイヤモンド・オンライン 3月12日(土)8時0分配信

● 育休不倫議員・宮崎健介氏は おそろしく要領が悪かった? 

 実は「不倫」を理由とした議員辞職は、憲政史上では宮崎健介氏が初めて。過去にもスキャンダルで話題になった議員は数あれど、なぜ、宮崎氏だけが辞職にまで追い込まれてしまったのか。そこには様々な要因が絡んでいる。

 宮崎氏は「オンナ癖が悪い」ということで有名だったが、それは他の不倫政治家たちも同じだ。では何が問題だったのか。宮崎氏は、何をやるにも「要領が悪かった」のだ。

 たとえば2006年、1人目の妻・加藤鮎子氏と結婚したとき、宮崎氏は姓を加藤に変えている。これは妻の父親である加藤紘一氏の地盤を引き継ぎ、政治家になるための準備であると容易に推測できる。しかし、宮崎氏はこの野望を自らの手でぶち壊した。

 普通の人間であれば、こういった特殊な環境に身を置いた場合、どれほどオンナ癖が悪かろうが、最低限の用心はする。約束された輝かしい未来を捨ててまで、性欲を優先するような愚行には走らず、走ったとしても要領よくバレないようにやるだろう。しかし、宮崎氏はそれができなかった。それゆえ2009年に離婚し、せっかくの国政への道が閉ざされてしまったのだ。

 その後、自民党の公募議員として、2012年に国政デビューを果たし、同期の金子恵美議員との結婚を経て、2015年12月に「育児休業の取得」を宣言するところまでは、順調にことを運んでいた。だが、その直後に不倫スキャンダルを引き起こしてしまった。しかも、金子氏が早産のために緊急入院していた最中の不貞行為だったので、政治家としても、夫としても、そもそも人としてその信用は失墜したのである。

 こういった経緯で2月12日、宮崎氏は会見を開いて議員辞職を表明するが、ここでも大ポカをやらかす。謝罪だけに徹すればいいところ、次のような傲慢なセリフを吐いたのだ。

 「一から出直して、いつの日かまた、私の理想とする政治を追い求めることのできる資格を与えていただけるように出直していきたい」

 謝罪会見の場で、こんな再チャレンジの意欲を示されても、有権者は応援する気になるどころか「反省していない」とみなし、余計に怒りを掻き立てられるだけだ。辞職をしてまで謝罪を行った意味は消え失せ、再選のチャンスを己の手で潰した形となった。

4001名無しさん:2016/03/12(土) 16:10:38
>>4000

 そもそも辞意の表明も、所属する自民党京都府連には相談をせずに行ったというのだから、今後の支援も望むべくもない。結局のところ、宮崎氏が議員を辞職した最大の理由は、はなはだしいまでの「要領の悪さ」だったのである。

 しかし逆に、ここで過去の不倫政治家たち全員が「要領が良かった」といえば嘘になる。むしろ、宮崎氏のようなダメな言い訳に終始したり、あり得ない過ちを犯したりした者もいる。では、そんな不倫議員たちは、なぜ、今も選挙に当選し、のうのうと議員を続けていられるのだろうか。かつて話題となった不倫議員の面々を、時系列に沿い、生き残りの“秘訣”を順に追っていこう。

● 「政界失楽園」の船田元氏が 女性票を失っても復活できた理由

 まずは1996年、不倫行為が「政界失楽園」と称され、大きな注目を集めた自民党議員・船田元氏。祖父に衆議院議長や自民党副総裁を務めた船田中氏をもち、自身も25歳で初当選、39歳で経済企画庁長官として史上最年少で入閣を果たしたサラブレッドだ。

 エリート街道を歩み続け、「将来の首相候補」「政界のプリンス」とまで呼ばれていた船田氏だが、彼の過ちは1996年の夏に起きた。参議院議員・畑恵氏との不倫恋愛を大々的にスクープされたのだ。しかもメディアの取材でその関係を否定したために、いらぬ反感も買ってしまう。さらには1999年3月に妻と離婚し、5月に畑氏と再婚をした。そのため女性の支持率が大幅に下落し、翌年の選挙で初めて選に漏れてしまったのである。

 2003年に再選を果たすも、その後は入閣もできないばかりか、2009年に再度落選。2012年に再び国政の場に復帰してからは、自民党の憲法改正推進本部長に就任するなど、ようやく日の目を見るようになってきたのだ。

 船田氏も、宮崎氏ほどではないが、選挙を翌年に控えているにもかかわらず、長年連れ添った妻を捨て、浮気相手と再婚するなど、とても危うい行動をしている。それでも2度にわたる当落劇を経て、いまだに議員を続けていられるのは名門の世襲議員であり、祖父から引き継いだ地盤が強固だからである。これは宮崎氏が持っていない要素であるが、“腐ってもプリンス”といったところだろう。

● 「モナ男」こと細野豪志議員、 生き残り術は“寄らば大樹の陰”

 続いては、2000年に民主党公認で初当選して以来、着実にキャリアを重ねてきている細野豪志議員。民主党政権下の2011年には環境大臣に就任し、2014年には自身の派閥である自誓会を旗揚げ、2015年には民主党代表選挙に出馬するなど、波に乗っている政治家だ。

4002名無しさん:2016/03/12(土) 16:11:01
>>4001

 そんな細野氏は2006年、人気キャスター・山本モナ氏と、濃厚な路上キスを重ねている現場を写真週刊誌に撮られてしまった。不倫旅行先の京都でも、山本氏と仲むつまじく肩を寄せ合い、手を取り合って散策する熱々ぶりが報道され、“モナ男”の別称で広く世間を騒がせたのだ。当時、奥方との結婚10周年を祝う大切な節目であるにもかかわらず、こういった節操のない行動に走った細野氏には、世論はもとより、党内からも多くの批判が集中していた。

 だが反響の大きさに比べ、この不倫劇の代償は思いのほか小さかった。まだ政治家としては3回当選しただけの若手にもかかわらず、細野氏は政策調査会長代理の任を降りただけで済まされているのだ。しかもその翌年には、まるで何事もなかったように党役職に復帰し、さらに2009年には総選挙でも再選、その上同年に党組織委員長、企業団体対策委員長、副幹事長など、民主党の要職を任されているから驚きだ。

 通り一辺倒の謝罪をしただけで、名門一族出身でもない細野氏が、なぜここまでの高待遇を受けていたのか。それはひとえに“卓越した人たらし術”によるものだろう。

 細野氏は政治家としては、手始めに同じ京都大学法学部の先輩である、前原誠司氏に師事を仰いだ。そして前原氏が党代表に就任するとともに、党役員室長に任命された。しかし、ひとたび前原氏が失脚したとみるや、今度は後任代表の小沢一郎氏に鞍替え。同役職を続けつつ、小沢氏に気に入られた結果、スキャンダルの後にも選挙当選、党の要職を授かるなどの手厚いプッシュを受けることができた。

 さらに、小沢氏が失脚したあとは菅、野田両内閣でも要職を任されるように上手く立ち回り、現在も、党代表を争った岡田克也氏のもとで、政策調査会長の職をこなしている。

 つまり細野氏は、めまぐるしく情勢が変わる政界において、代表レースの勝ち馬をいち早く見極め、全力で擦り寄りつつ“己の地位を保証させる”という、極めて堅実な手法を徹底して行ってきたのだ。だからこそ、世論の批判などはものともせずに、党内で磐石の地位を築き上げることができた。もし、このスキルを宮崎氏が持っていたとしたら、情勢は大きく変わっていたことだろう。

● ホステスとの醜聞で絶体絶命に 後藤田正純氏を救った妻の愛

 さて、最後は自民党の副幹事長・後藤田正純氏。後藤田氏は、大叔父が元副総理や警察庁長官などを勤めており、船田氏と同じく「政界のプリンス」と呼ばれ、将来を期待されていた世襲議員だ。さらに妻は美人女優の水野真紀氏で、2004年に結婚し、翌年には長男を授かっている。後藤田氏は、まさに公私ともに順風満帆な人生を歩んでいたのだ。

4003名無しさん:2016/03/12(土) 16:11:23
>>4002

 しかし、後藤田氏も例に漏れず、元来のオンナ遊びが祟って2011年に不祥事を引き起こす。六本木のバーで若いホステスと、不倫キスに勤しんでいる姿をスクープされてしまったのだ。しかも、男女共用トイレに2人で立て籠り、20分間の間、一歩も外へ出てこず、そのまま家族以外は立ち入り禁止の議員宿舎に連れ込んで、朝まで一緒に過ごしたのだ。ここまでくると、どんな言い逃れもできない。妻である水野氏への、裏切り行為にほかならない。

 当然、後藤田氏は、当時就いていた党内の役職をすべて辞任。そしてタイミングの悪いことに、不倫行為が発覚した翌年には、総選挙も控えていた。後藤田氏は一夜の火遊びによって、家庭も仕事もすべてを失いかねない、人生最大の危機に陥ったのである。

 だが、そのピンチを救ったのは、妻の水野真紀氏だった。彼女は不倫報道を知るや否や、すぐに夫の地盤である徳島に飛び、支援者たちにお詫びして回ったのだ。そして総選挙が始まってからも徳島に何回も通い、応援演説で夫の不貞行為の許しを請うた。そしてその甲斐あってか、2012年の選挙では、2位に2万票近い差をつけて大勝できたのだ。後藤田氏がいまも議員活動に励むことができるのは、妻である水野氏の尽力のお蔭である。

● 不倫騒動終息に効くのは「寛大な妻」?  そもそも不倫しなければいいのだが……。

 こういった、妻の並々ならぬ行動力によって、不倫騒動から救われた政治家は他にもいる。かの第42代アメリカ合衆国大統領、ビル・クリントン氏だ。クリントン氏は1992年、モニカ・ルインスキー氏との“不適切な関係”を糾弾され、大統領としては実に130年ぶりとなる弾劾裁判にかけられた。しかし、そんな夫を妻・ヒラリー氏は許し、地に落ちた大統領の名誉回復のために心血を注いだ。

 実は、不貞行為における名誉回復に関しては、このように「妻」のバックアップが最も功を奏している。そもそも有権者たちの怒りは「妻への裏切り」に対してである。だから妻が許しさえすれば世論も納得し、怒りは無事に静まるのだ。結果はご存じのとおりだが、不倫政治家にとって一番必要なスキルは“寛大な女性を見抜き、妻にする”ことかもしれない。

 結局のところ、政治家が不倫をしたにもかかわらず、その政治活動を続けられる秘訣は「言い訳の良し悪し」というよりは、家柄や活動スタイル、有能で寛大な妻の存在など、外因的な要素に頼るところが大きいようだ。だが、まともに考えてみれば、もともと不倫さえしなければ何の問題もなく、すべては上手くいくハズなのである。

 不倫に走る男性は、もともと自分本位の傾向が強い。妻を騙して快楽を求めるようなエゴイストが、国のために献身的に働けるかというと、どうも疑問を感じてしまう。理想論かもしれないが、民の代表たる政治家であれば、やはりその精神は清廉潔白であってもらいたいものだ。

西山大樹

4004名無しさん:2016/03/12(土) 16:48:54
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160310/k10010438591000.html
大内啓伍 旧民社党委員長が死去
3月10日 19時33分

旧民社党の委員長や厚生大臣などを務めた、元衆議院議員の大内啓伍氏が、9日夜、肺炎のため、東京都内の病院で亡くなりました。86歳でした。
大内氏は、旧民社党の結党に参加し、党の職員として政策の立案などを担当したあと、昭和51年の衆議院選挙で旧東京2区から立候補して初当選し、通算で6期、16年余りにわたって衆議院議員を務めました。
この間、昭和60年には、当時の塚本委員長の下で党の書記長を務め、平成2年には、党の委員長に就任して党勢の回復に努めました。
そして、旧民社党が、平成5年に細川連立政権に参加した際には厚生大臣として入閣し、続く羽田内閣でも再任されました。旧民社党は、その後、新進党に合流するため解党しましたが、大内氏は新進党には参加せず、自由連合を経て自民党に入党していました。

4005名無しさん:2016/04/02(土) 21:10:03
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016040100930&g=pol
民進に交付金97億円=16年の配分決定-総務省

 総務省は1日、政党助成法に基づき2016年分の政党交付金配分額を決定した。自民党は172億2000万円。旧民主、旧維新両党が合流して先月結成した民進党は97億4300万円で、旧維新から昨年分かれたおおさか維新の会は4億8500万円となった。4回に分けて支給されるが、夏の参院選結果を踏まえ再計算される。(2016/04/01-17:40)

4006名無しさん:2016/04/03(日) 21:22:56
>>4004

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016032900233&g=pol
故大内啓伍氏に正三位

 政府は29日の閣議で、9日に死去した大内啓伍元厚生相を正三位に叙することを決めた。大内氏は生前、勲一等旭日大綬章を受けている。(2016/03/29-10:41)

4007名無しさん:2016/04/23(土) 14:10:26
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016042000656&g=pol
8党に79億円=総務省

 総務省は20日、政党助成法に基づく2016年の政党交付金の第1回分として、8政党に計79億7300万円(100万円未満切り捨て、以下同じ)を支給した。また、政治団体「改革結集の会」に特定交付金3000万円を支給した。
 政党交付金は年4回に分けて支給され、今年は夏の参院選後に配分が再計算される。共産党は申請していない。各党への支給額は次の通り。
 自民党43億500万円▽民進党24億3500万円▽公明党7億4300万円▽おおさか維新の会1億2100万円▽社民党1億1700万円▽生活の党と山本太郎となかまたち8300万円▽日本のこころを大切にする党1億4000万円▽新党改革2600万円。(2016/04/20-16:47)

4008とはずがたり:2016/05/04(水) 16:36:18
佐藤元通産相が死去=栄作元首相の次男
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160504-00000000-jij-pol&pos=4
時事通信 5月4日(水)0時19分配信

 第2次橋本内閣の通産相などを歴任した元自民党衆院議員の佐藤信二(さとう・しんじ)氏が死去したことが3日、分かった。

 関係者が明らかにした。84歳だった。山口県出身。

 佐藤栄作元首相の次男で、安倍晋三首相からは従叔父に当たる。1974年の参院選で全国区から立候補し初当選。79年、衆院にくら替えし、旧山口2区で当選した。竹下内閣の運輸相として初入閣。98年の自民党総裁選では梶山静六元官房長官を推し、父が率いた佐藤派の系譜に連なる小渕派を離脱した。05年の郵政国会では民営化に反対し、衆院本会議採決を欠席。解散後の衆院選には立候補せず、政界を引退した。

 父がニクソン米大統領と交わした有事の際の核持ち込みに関する「密約」文書を自宅に保管しており、09年に一部メディアを通じて公表した。

4009名無しさん:2016/05/05(木) 18:51:47
>>4008

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050400262&g=pol
「首相の言葉は重い」=語り続けた佐藤元通産相

 「首相の地位、言葉は重い」。死去した自民党の佐藤信二元通産相が晩年、しばしば口にした言葉だ。佐藤氏がこう思うに至ったのは、二つのエピソードがきっかけだ。
 一つは、父の佐藤栄作元首相から聞かされた話。首相になった栄作氏が「政治の師」である吉田茂元首相を神奈川県大磯の私邸に訪ねると、吉田氏は部屋に招き入れるなり、黙って下座についた。栄作氏が座るのをちゅうちょしていると、吉田氏はこう言って上座につかせ、首相の職の重さを教えた。「佐藤君にではなく、日本国の首相に敬意を表しているのです」
 もう一つは、若手議員時代のこと。原稿を棒読みすることが多かった当時の鈴木善幸首相に「なぜ自分の言葉でしゃべらないのですか」と尋ねてみた。すると、鈴木首相は秘書官の用意した原稿に自身で筆を入れたものを「棒読み」していることを明かした上で、「首相の言葉は重く、永遠に残る。だから一字、一句を大切に話している」と説明したという。
 親戚である安倍晋三氏が2006年に初めて内閣を発足させると、「お友達内閣」とやゆされ、首相と閣僚が友達同士のように接する場面が目立った。しかし、佐藤氏は安倍首相に敬意を表し、苦言を呈することはなかった。時がたち、退陣を経て12年末に政権に返り咲いた安倍首相は「安倍1強」と言われるまでの強力な権力基盤を確立。自信の裏返しか、答弁席から野党議員にやじを飛ばして挑発し、物議を醸すこともある。安倍首相が再登板を果たしたとき、佐藤氏は既に病床にあり、その後の姿を見てはいないだろう。
 「構うことはない」が佐藤氏の口癖で、攻めの政治家だった。その象徴が、橋本龍太郎首相(当時)の退陣表明を受けた1998年の自民党総裁選。栄作氏が率いた佐藤派の系譜に連なる小渕派が立てた小渕恵三氏ではなく、うまがあった梶山静六氏を敗北覚悟で支援した。電力業界の激しい反対にあって挫折したものの、電力改革に最初に本気で取り組んだのは通産相時代の佐藤氏だ。4月からの電力自由化を見届けると、長い闘病生活を終え、旅立った。(時事通信解説委員・高橋正光)。(2016/05/04-16:17)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160504/k10010508361000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_013
佐藤信二元通産相が死去
5月4日 4時13分
自民党の元衆議院議員で、通産大臣や運輸大臣を務めた佐藤信二氏が、4日までに亡くなりました。84歳でした。
佐藤氏は佐藤栄作元総理大臣の次男で、大学卒業後、会社員を経て、昭和49年に参議院選挙の旧全国区に立候補して当選しました。その後、昭和54年の衆議院選挙に旧山口2区から立候補して当選し、通算で8回当選しました。
この間、昭和63年には竹下改造内閣の運輸大臣として初入閣し、第2次橋本内閣では通産大臣を務めました。
その後、平成17年7月の衆議院本会議で、当時の小泉総理大臣が「改革の本丸」と位置づけた郵政民営化関連法の採決が行われた際、欠席し、この年の9月に行われた衆議院選挙には立候補せず、政界を引退していました。

4010名無しさん:2016/05/15(日) 12:44:24
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016051001000&g=pol
若者へアピール競う=与野党議員、対話集会で

 自民、民進、公明、共産各党の若手議員が10日、東京都町田市の玉川大で開かれた学生らとの対話集会に出席し、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられる見込みの夏の参院選をにらみ、若者を意識した重点政策などを競って訴えた。
 与党側からは、自民党の福田達夫氏が「高齢者への政策から若い人が活躍できるように政治資源を分配する」、公明党の遠山清彦氏が「若者と女性が活躍できる社会をつくりたい」とそろって強調した。これに対し、民進党の木内孝胤氏は「公共工事から教育、人への投資に切り替える」と主張。共産党の辰巳孝太郎氏は安全保障関連法の廃止を求めた。
 学生側からは「安保法で何が変わるのか分からない。安倍晋三首相はうやむやにしている」「公共工事を削って大丈夫なのか」といった意見が出た。(2016/05/10-21:48)

4011名無しさん:2016/05/22(日) 17:18:58
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160517/k10010524681000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_093
堀内光雄元通産相が死去
5月17日 20時48分
自民党の元衆議院議員で、通産大臣や労働大臣を務めた、堀内光雄氏が、17日午後、東京都内の病院で、間質性肺炎のため亡くなりました。86歳でした。
堀内光雄氏は山梨県出身で、会社役員などを経て昭和51年の衆議院選挙に旧山梨全県区から立候補して初当選し、通算で10回当選しました。この間、宇野内閣で労働大臣として初入閣し、第2次橋本改造内閣では通産大臣を務めました。
平成12年秋には、いわゆる「加藤の乱」をきっかけに、当時所属していた加藤派が分裂し、堀内氏は古賀元幹事長らと新たな派閥を結成してみずから会長に就任しました。堀内氏は、特殊法人改革に伴って、石油公団の廃止を求めるなど経済分野で政策の提言を行いました。
一方、小泉政権では、党の総務会長として小泉総理大臣を支えていましたが、次第に政治手法が独裁的だとして批判を強め、平成17年の郵政民営化関連法の採決では反対票を投じました。このため、いわゆる郵政選挙では自民党の公認は得られず無所属での立候補となりましたが10回目の当選を果たし、翌年復党しました。
しかし、平成21年の衆議院選挙では敗れ政界を引退していました。堀内氏は、17日午後体調を崩し、都内の病院に運ばれましたが4時すぎ亡くなりました。

4012名無しさん:2016/05/22(日) 21:47:03
>>4011

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016051800621&g=pol
故堀内光雄氏の合同葬

 故堀内光雄氏(富士急行社主、元通産相、元自民党総務会長、17日死去)の堀内家、自民党、富士急行の合同葬 30日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は長男光一郎(こういちろう)氏。香典は辞退する。
 お別れの会は6月15日午前11時から山梨県富士吉田市新西原5の6の1の「ハイランドリゾート ホテル&スパ」で行う。(2016/05/18-15:43)

4013名無しさん:2016/06/04(土) 20:22:51
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160601/k10010542581000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_054
今期かぎりで引退の国会議員 これまでに16人
6月1日 16時46分
NHKのまとめによりますと、今度の参議院選挙に立候補せず、今期かぎりでの引退を予定している議員は、これまでのところ、選挙区選出が8人、比例代表選出が8人の、合わせて16人です。
政党別に見ますと、自民党が5人、民進党が8人、公明党、おおさか維新の会、生活の党がいずれも1人となっています。
このうち、自民党では、岸宏一参議院予算委員長のほか、自民党の会派を離脱している脇雅史前参議院幹事長が引退します。
民進党では、法務大臣などを歴任した江田五月元参議院議長、旧民主党の幹事長などを歴任した輿石東参議院副議長、それに北澤俊美元防衛大臣、直嶋正行元経済産業大臣らが引退します。
また、公明党では荒木清寛参議院国会対策委員長、おおさか維新の会では江口克彦参議院議員、生活の党では主濱了副代表が、それぞれ引退します。
岸氏「情報公開法成立が感慨深い」
参議院予算委員長や厚生労働副大臣などを務めた岸宏一さんは、「町長だったときに日本で初めて情報公開条例を作ったが、その20年後に国会で情報公開法を成立させたことが非常に感慨深かった。また、予算委員長として、最後の審議となった熊本地震に対応する今年度の補正予算を初めて反対なく成立させることができたのも、けじめがついた思いだ」と振り返りました。そして、岸さんは「今後の議員には、国民から信頼される、誠実で、正直な政治家となることを期待したい」と述べました。
脇氏「野党時代が印象深い」
自民党の参議院幹事長などを務めた脇雅史さんは「18年は長いような気もするが、あっという間で、政権を何としても倒さなくてはいけないという思いでやった、野党時代の3年間が印象深い」と述べました。また脇さんは、各会派で作る協議会の座長として参議院の選挙制度改革に取り組んだことについて、「最高裁判所から『違憲状態だ』と言われ、何としても判決に沿う選挙制度を作ることが使命だと思い、いろいろな案を示したが、参議院自民党が判決は構わないという方向に動いていったことは非常に意外だった」と振り返りました。そして、脇さんは「若い議員には何をおいても、国家、国民のために全力を注ぐ志を持った人に育ってほしい」と述べました。

4014名無しさん:2016/06/04(土) 20:23:01
>>4013

江田氏「政権交代が一番印象に残る」
参議院議長や法務大臣などを務めた民進党の江田五月さんは「政権交代が一番印象に残っていて、2009年に参議院議長として議場で政権交代を宣言したことは、政治家冥利(みょうり)に尽きることだ。もう1つ印象に残っているのは東日本大震災の原発事故だ。細川政権で科学技術庁長官を務めたときに、日本の原子力発電は絶対に大丈夫だという安全神話につかっていた。これは、ざんきに堪えないという思いだ」と述べました。そして、江田さんは「与野党含めて、未来への理想を語るべきだ。みんなで語ると、おのずとちゃんとした選択ができるのではないか。そして、国民と一緒に汗をかき、政治の助けが必要な人にしっかり寄り添うことが大切だ」と述べました。
輿石氏「政権交代の土壌作ってきた」
参議院副議長や民主党の幹事長などを務めた輿石東さんは「二大政党制を目指して、政権交代ができる政治土壌を作ってきた。そうした歴史を作れたことは評価してもいいと思っている。そして、2009年に政権交代を実現させて、政権を担当したが、せっかく国民の皆さんが期待し、政権を与えてくれたのに、3年3か月で期待に応えられなくなったことは、一番残念だった」と述べました。そして、輿石さんは「政治は言うまでもなく国民のためにある。『権力は腐敗する』ということばがあるように、一強多弱という政治情勢のなかでは、もう少し野党が1つに固まってしっかりしなければならない。安倍内閣を批判しているだけではだめだ」と述べました。
荒木氏「議員は現場第一主義で」
外務副大臣や公明党の参議院国会対策委員長などを務めた荒木清寛さんは「裁判員制度の導入などの司法制度の大改革に党の法務部会長として関わり、より国民の意見が反映する制度にできたことが、自分自身の一番の成果だ」と振り返りました。そして、荒木さんは「国会議員には『現場第一主義』で、常に現場で国民の声を聞き、政治に反映させる戦いに徹してもらいたい。有権者と触れ合うなかで、政治家としても鍛えられる。現場に足場を置かないと、政治は間違った方向に行く」と述べました。
江口氏「憲法改正の動きのなかで役割担えた」
おおさか維新の会の江口克彦さんは「今の憲法は、文章的にも、意味的にも、内容的にも問題だ。正すべきではないかという観点から、自分自身で改正案を作り、訴えることができた。憲法改正という一つの動きのなかで、一定の役割を担うことができたのではないか」と述べました。そして、江口さんは「政党や政治家は、国家国民を第一義的に考える発想を常に忘れないでほしい。国民が大事、人間が大事というところから絶対に離れない発想で政策を考えてほしい」と述べました。

4015名無しさん:2016/06/05(日) 00:25:35
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060200530&g=pol
参院20人が引退、不出馬=輿石・江田氏ら、民進世代交代

 22日公示の参院選で改選を迎える議員のうち、2日現在で20人が引退や不出馬の見通しだ。民進党では輿石東参院副議長や江田五月元参院議長ら、旧民主党政権の中枢を担った重鎮が後進に道を譲り、世代交代が進みそうだ。自民党では脇雅史前参院幹事長らが永田町に別れを告げる。
 20人の内訳は、自民6人、民進11人、公明、おおさか維新の会、生活が各1人。
 「参院のドン」とも呼ばれた輿石氏は、参院出身では異例の政権与党の幹事長を務め、当時の野田佳彦首相を支えた。このほか、北沢俊美元防衛相と直嶋正行元経済産業相の閣僚経験者2人も引退する。
 脇氏は、「1票の格差」を是正する参院選挙制度改革をめぐり他の参院幹部と対立、自民党会派を退会した。同党では、小坂憲次元文部科学相が病気治療に専念するため出馬を見送った。ただ、政界引退は否定している。 (2016/06/02-14:28)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060200529&g=pol
私心なき政治家が必要=自民・脇氏インタビュー

 政界を引退する自民党の脇雅史前参院幹事長(71)は時事通信のインタビューに応じ、最高裁判決で「違憲状態」とされた参院選挙制度の抜本改革を求めた。主なやりとりは次の通り。
 -議員生活で印象に残っていることは。
 2012年夏の野田佳彦首相(当時)に対する問責決議だ。当時私は党参院国対委員長だった。「こんな人たちに政権を任せておくわけにはいかない」と思い、自民党内からも批判があったが、問責を決めた。すべて民主党政権を倒すためだった。
 当時、谷垣禎一自民党総裁と野田首相の間には「近いうちに衆院を解散する」という合意があったが、ある日2人が電話で大げんかをして、合意が壊れた。その修復のためにも努力した。
 -参院選挙制度の抜本改革を進めようとして、党内から反発を招き、14年に参院幹事長を更迭された。
 政治は妥協だが、最高裁判決に妥協の余地はない。私自身は「1票の格差」なんて重視していないが、最高裁で「違憲状態」という判決が出ているのだから、それを解消しないわけにはいかない。立法府の一員として、憲法を無視することはできない。
 更迭された時は何とも思わなかった。ばかげた話だった。最高裁判決を無視するような人たちとは一緒に仕事ができないと思い、自民党の会派を離脱した。離党も考えたが、比例代表で選出されたので、自民党のおかしいところを直す役割もあると考え、とどまることにした。今でも参院自民党の人たちには、あきれてものが言えない。
 -今後の政治への期待は。
 政治家は国民の期待に応えなければならない。私心を捨て、何が国家・国民のためになるかを本気で考える人が出てきてほしい。
 立派な国会議員を一人でも多く出すよう、各党は候補者選びをしっかりとやる必要がある。低レベルな候補者しかいなければ、国民は低レベルな議員しか選べない。しかし、今の自民党の候補者選びは駄目だ。選挙制度改革のことを考えると、自民党の参院議員たちにも期待はできない。(2016/06/02-14:27)

4016名無しさん:2016/06/05(日) 00:26:06
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060200523&g=pol
民進は党内対立克服を=輿石参院副議長インタビュー

 政界を引退する民進党の輿石東参院副議長(80)は時事通信のインタビューに応じ、前身の旧民主党が主要政策や政権運営をめぐり内紛を繰り返したことに触れ、政権復帰には党内対立の克服が必須だと訴えた。主なやりとりは次の通り。
 -議員生活で印象に残っている出来事は。
 やはり2009年の政権交代だ。野田政権では参院議員で初めて政権党の幹事長をやった。
 -民主党政権は3年3カ月で終わった。
 あまりに(09年衆院選で)大風呂敷を広げすぎた。政策を訴えても財源がなければその通りにならない。国民から「できもしないことを言った」と思われた。
 -消費税増税をめぐる党内対立もあった。
 それも大きい。民主党はいつも肝心なときにまとまれなかった。そういう文化を克服しなければ絶対に政権には近づけない。民主党から出て行った松野頼久氏(旧維新の党代表)らも戻ってきたのに、小沢一郎氏(生活の党代表)だけは嫌だという人がまだいる。共産党とも(選挙で)手を組むというのに、それはおかしい。
 -岡田克也代表にもそう進言しているのか。
 そうだ。
 -政治の現状をどう見ているか。
 (衆参両院で多数派が異なる)ねじれ国会は「決められない政治」と言われたが、今は「安倍1強」だ。野党の力が足りないからストップをかけられない。政治に緊張感を取り戻さなければ国民が不幸になる。
 -参院選の見通しは。
 全国に32ある1人区が勝負だ。1人区のほとんどを取られたら本当に(与党を中心とする改憲勢力で改憲発議に必要な)3分の2までいってしまう。3分の2は阻止しなければいけない。5月18日の党首討論は岡田氏に軍配が上がった。消費税増税の先送りを提案し、憲法改正問題でも「今の9条でいい」と踏み込んだ。共産党や社民党とも一致する立場だ。民進党内には9条改正論者も何人かいるが、(9条を変えないとの岡田氏の発言は)もう党の方針だ。
 -民進党は政権を取れるか。
 可能性は必ずある。国民は不満を持っている。「保育園落ちた日本死ね!」というブログで国会が動いた。みんなが怒れば政治は動く。(2016/06/02-14:21)

4017名無しさん:2016/06/11(土) 15:03:08
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160606/k10010548021000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_063
News Up 投票所が減っていく背景は?
6月6日 18時03分
参議院選挙の投開票が来月10日に行われることになりました。選挙の結果とともに、毎回注目されるのが投票率です。少しでも投票率を上げようと、各地であの手この手の取り組みが行われますが、一方でこの流れに逆行するかのように、今回の選挙で投票所を減らしたり、投票時間を繰り上げたりする自治体も出ています。
投票所が減っていく
島根県では、前回参院選と比べて投票所が23か所減って648か所になり、さらに全体の90%近い投票所で、投票時間が1時間から4時間繰り上げられます。候補者のポスターを掲示する場所も106か所減らします。
隣の鳥取県でも、投票所が17か所減って363か所になります。
全国をみると、参議院選挙で投票所が最も多かったのは15年前で、5万3439か所でした。その後は徐々に減少して、前回3年前はピーク時から約5000か所減った4万8777か所でした。
“選挙の人手が足りない”“選挙の人手が足りない”
参議院選挙の投票率は、前回3年前は52.61%で過去3番目の低さでした。少しでも投票率を上げようとしているなかで、投票所を減らす理由の一つが「人口減少」です。
島根県の自治体の中でも浜田市は、全体の10%ほどの8か所の投票所が廃止されます。廃止される地区ではもともと投票所1か所当たりの有権者数が10人から30人と少ないうえ、投票に立会う人(地元から選ぶ)の確保が難しいことなどが廃止の理由でした。地区にはお年寄りが多く、近くの投票所が無くなるのは負担になるため、浜田市ではワゴン車に投票箱や投票用紙、台などを積み込んだ「移動期日前投票所」を設けて、地域を回ることにしています。
“期日前に投票するから”
人口減少に加えて「期日前投票」の制度が浸透してきたことも、投票所などが減らされる原因と指摘されています。参議院選挙では12年前の選挙から投票日前でも投票できるようになり、前回は投票総数の23%を期日前投票が占めました。鳥取県でも、鳥取市内の大学キャンパスで期日前投票をできるようにするなど、「期日前」の浸透に力を入れています。
投票所を増やす法改正はしたけれど
実は今回の参議院選挙では、投票所を増やす法改正も行われました。事前に決められた投票所以外でも投票できる「共通投票所」を駅やショッピングセンターに設置できるようになったのですが、実際に今回の参議院選挙で「共通投票所」の設置が決まったのは今のところ、北海道と青森県、長野県の3つの市と町だけ。準備期間が不足しているなかで、今回は「18歳選挙権」など別の制度改正にも対応が必要なため、共通投票所の導入を見送った自治体が多かったとみられます。
“バランスが大事”
自治体の選挙事務に詳しい、市町村職員中央研修所の小島勇人客員教授は、自治体が投票所を減らしたり、投票時間を繰り上げたりする背景には、選挙にかかる事務作業を効率化して経費を抑える目的があるとしたうえで、「効率化を目指すことも必要だが、一方で選挙の事務作業にかかる経費は有権者の声を政治に届ける『民主主義のための必要経費』でもあり、投票の機会を失う人が出ないようバランスを考える必要がある」と話しています。
人口減少などが進むなかで、どのように効率的に選挙事務を運営していくか。自治体には今後もより柔軟な対応が求められます。

4018名無しさん:2016/06/12(日) 21:04:48
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061200029&g=pol
安倍政権は「上から目線」=弱者支援の予算配分を-民進・菊田真紀子氏インタビュー

 7月の参院選を前に民進党の菊田真紀子衆院議員(46)は時事通信のインタビューに応じ、女性・若者政策は弱者の立場に立った予算配分を優先すべきで、安倍政権が掲げる政策は「上から目線だ」と批判した。主なやりとりは次の通り。

 -女性の政治参加の意義は。
 世界経済フォーラム(WEF)の男女平等指数(2015年)の総合点では、日本は145カ国中101位。世界的に見ると、日本は女性が最も輝いていない国の一つだ。中でも、女性議員が少ない。政治分野が足を引っ張り、大変不名誉な地位にある。
 女性はとりわけ生活者の視点、格差や貧困などマイノリティーの立場の視点を持っている。そうした声を政治に反映させるため、女性議員がもっと政治の世界に進出していかないといけない。

 -政界進出の動機は。
 国際交流ボランティアの経験を通して、行政など公の場に出ないとなかなか声が届かないと感じ、新潟県加茂市議会選挙に出た。「女のくせに何だ」「女のくせに生意気だ」と言われ、まだまだマイノリティー、異質な存在だと痛感したこともある。

 -その当時と現在で、女性議員に対する周辺の変化はあるか。
 まだ女性議員が珍しがられたり、特別視されたり、あるいはかわいがられたりすることが多い。民進党の中でも幹部に女性がどんどん入り、女性が活躍し、女性の立場で政治をしている党だとアピールすべきだ。
 女性の側ももっと努力し、党をまとめていくマネジメント力を付け、大きな責任をしっかり担う幹部としての人材育成の努力を絶えずやっていく必要がある。

 -女性議員を増やすために必要なことは。
 私が一期生の時は、「特別なげたを履かせてもらう必要はない。自分の努力で選挙を戦いたいし、女性だからという理由で優遇されて当選したと言われたくない。そのことが自分にとって引け目になるし、男性議員と互角にやっていることにならない」と言っていた。
 国会議員になって13年たち、現状を見た時に、歩みがあまりにも遅いと痛感している。やはりクオータ制を導入し、積極的に男女同数を目指すべきだ。

 -安倍政権が掲げる女性・若者政策をどう思うか。
 「1億総活躍社会」「女性が輝く社会」とスローガンは勇ましくてきれいだが、上から目線で、一定の地位にあり、一定の収入もあり、ここから先さらに上に上がっていける人を応援しようというスローガン、政策のような感じがしてならない。
 そうではなく、本当に困っている、弱い立場の人の生活支援や自立支援にこそ予算配分を優先すべきだし、公共事業予算の半分でも女性・若者のために使っていける政治を実現したい。

 -民進党が掲げる主な政策は。
 「保育園落ちた日本死ね!」の匿名ブログで待機児童問題が社会の注目を集めたが、単に保育園が足りないだけでなく、保育士が圧倒的に足りないことが明らかになった。子供の命を預かる大変重い責任ある仕事をしていながら、給与が他の職業の平均賃金と比べて11万円も低い。私たちは保育士給与を月額5万円引き上げる法律を先の国会に提出した。早急に保育士の処遇改善をし、資格を持っているが働いていないという方が多いので、そういう方々の復職を促し、社会全体で子育て支援をしていく環境を整えたい。

 -18歳選挙権が始まるが若者に対しては。
 18歳になっていきなり政治に関心を持とうとしても、なかなか現実的には難しい。いかにして子供の頃から政治を身近に感じていただけるか。政治家がもっと分かりやすく、目に見える政策を届けていくことが必要だ。
 民進党は被選挙権年齢も引き下げようという法案を出した。20歳になったら衆院選に出られる、あなたも政治をやれる、政治家になっていろんな願いを実現していけるという一つのアピールになると思う。政治を身近に感じられるための努力をやっていきたい。

 ◇菊田真紀子氏略歴
 菊田 真紀子氏(きくた・まきこ)加茂高卒。市議、外務政務官、党財務局長。衆院比例北陸信越、当選5回。(2016/06/12-11:01)

4019名無しさん:2016/06/12(日) 21:05:19
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061200028&g=pol
男女別なく実力で登用を=選挙で風当たり実感-自民・吉川有美参院議員インタビュー

 日本で女性が初めて参政権を行使してから今年で70年。「女性の活躍」も争点となる7月の参院選を前に主要政党の女性議員にインタビューする。初回は自民党の吉川有美参院議員(42)。主なやりとりは次の通り。

 -なぜ政治家を志したのか。
 18歳から国政を目指していた。高校卒業式の直前に、授業で環境破壊のビデオを視聴し、「環境を守っていかなければ」と思って、環境を学ぼうと決意した。
 社会人となり、環境への配慮や国内農業の振興など、持続可能な社会に向けた経営をする企業を、支援する仕事をしてきた。あるときはコンサルタントという立場から、あるときは国際標準化機構(ISO)の審査をする立場から、企業に助言してきた。
 シリコンバレーで太陽光に投資が集まったことを聞き、1社1社にアプローチするよりも、そのような企業にお金が流れるようにすることで、企業はボランティアではなく、社会に配慮しながら経営が拡大していくのではないかと思った。
 そのとき、銀行からヘッドハントされ、転職した。金融の立場から企業を応援するような金融商品をつくってきたが、銀行も金融庁の監督下にある一民間企業。やはり限界があると感じた。頑張っている企業を応援することが一番重要だと思い、改めて国政を志すようになった。
 2013年3月、谷垣禎一法相(現自民党幹事長)に、私を紹介してくれた人がいた。そこから数日のうちに驚くほどの早さで話が進み、政界に出馬することになった。意志を固め、決断できるほど国政への思いは強かった。

 -三重県は民主党(当時)が強い地域だ。
 そうですね。他の人は周囲から「勝ち目ないぞ」と言われて、断っていたと思う。でも、私には「挑戦しない」という選択肢はなかった。「すぐに銀行を辞められるのか」と聞かれたとき、誰にも相談していないが、「はい」と言った。銀行にも家族にも事後報告だった。

 -国会では女性議員もまだ少ない。
 選挙では風当たりが強かった。「女に何ができる」「女だと思って、こんな髪を切れ」とか。全然知らない人に髪を引っ張られた。握手を求めると「触るな」と手を払われることもたびたびだった。女性が政治家を志すことへの社会のハードルは非常に高いことが分かった。「女性だから得」とは、ほとんど感じなかった。
 安倍政権では女性の活躍推進を旗印の一つとして掲げており、非常に心強いと思う。ただ、優秀な人が、男でも女でも関係なく登用されればいいと思う。

 -力を入れる政策は。
 私のキャッチフレーズは「環境と成長」。環境にしっかり取り組む企業は成長する。また、子育ての環境も、働く環境も、成長していかなければ人は頑張り続けることができない。さまざまな「環境」が少しずつでも成長し、良くなっていくようなそういう世の中にしたい。

 -育児と政治の両立は。
 選挙で「子育て支援」や少子化対策を訴えたが、「子どももいないくせに」と言われた。(当選後の)14年10月に娘が生まれた。
 最初は入れる保育園がなかった。議員会館の事務所にベビーベッドを置いて、ベビーカーを押して登院した。今は保育園にお世話になっている。保育士の大変さが分かるから処遇改善は必要。子どもが好きで、夢を持って保育士になった人が辞めてしまうことがないようにしたい。
 私は、党の女性活躍推進本部の働き方改革プロジェクトチームで活動している。少子化対策や子育て支援には男性も女性も働き方を改革していくことが重要だと思う。

 -アベノミクス、消費税増税の延期の評価は。
 経済は短期的に評価すべきではない。「株価が下がった」と騒ぐけれども、では民主党政権のときはいくらだったか。数字はうそはつかない。アベノミクスは確実に成功している。
 消費税に関しては、増税するハードルが高くなるのが怖い。2回延期したことで、国民が「どうせまた上がらないだろ」と思い、あるいは増税に強い拒否反応を示すのが怖い。社会保障の財源確保も重要だ。
 ただ「今は増税しない」という首相の判断は、世界の経済情勢を鑑みると中長期的に見て、仕方がなかったと思う。

 ◇吉川有美氏略歴
 吉川 有美氏(よしかわ・ゆうみ)東京農工大院修了。会社員や銀行員を経て2013年参院選の三重選挙区で自民党から出馬し、初当選。三重県桑名市出身。現在1期目。(2016/06/12-11:00)

4020名無しさん:2016/06/15(水) 15:52:40
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061300429&g=pol
大人に気後れしないで=憲法学者・木村草太氏【18歳選挙権インタビュー】

 テレビや論壇で活躍する憲法学者の木村草太氏に、選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられることについてインタビューした。

 -初めて投票所に足を運んだのはいつか。
 大学生の時でしょう。20歳になって投票権を得て。

 -当時の思い出は。
 その時は、地方選挙と国政選挙が重なったのでたくさん投票箱に入れた記憶がある。

 -特別な思いはあったか。
 いいえ。権利だから当たり前のことだ。

 -18、19歳の頃、特に興味があったことは?
 法律の勉強をしていた。

 -選挙というのはどういうものか。
 日本国民として国政に参加する権利と義務があるのでその義務の履行と考えている。

 -夏の参院選で憲法改正は争点となるか。
 あまり感じない。憲法を変えなければいけない政治課題が起これば盛り上がるが、今のところそういう政治課題は全くない。

 -安倍晋三首相は憲法改正に意欲を示している。
 大人でも憲法の全文を読んで改正を議論している人はあまりいない。改正に賛成しておくと格好良いというファッションのような投票行動を取るのは一番まずい。理解できないことについて下手に態度表明しないことは誠実な態度だ。

 -18歳選挙権の課題は何か。
 18歳になって政治参加を求めるための教育をきちんとしているかが問われる。何をどう教育するのかということを考えなければいけない。教育が追い付いていない。

 -若者の政治への無関心が指摘されている。
 政治的な興味はあると思う。自分の社会をこうしてほしいとか、将来働く場所をどうしてほしいとか考えてはいるが、1票を投じることによって政治を動かせるという意識が弱いのではないか。

 -その原因はどこにあるのか。
 国民と政治家との間に、非常に距離があるということではないか。政治家はどうしてもまとまった票が取れる組織の方を向く。これは与野党同じだ。ただ、若者は非常に今、つらい立場にいる。ブラックバイトやブラック企業が問題となって久しいが、若者でないと実感できない政治問題は確実にあるので、そうしたものを表明するという意識は持ってほしい。大人たちに気後れしないでほしい。

 -各党、さまざまな方法で若者に投票を呼び掛けている。
 有権者は、普段は一般市民だが投票の時だけは強大な権力を自分が握っているという自覚をまず持ってほしい。だから、投票箱の前に行くところまでは義務だと思う。その上で国民全体のために白票を投じるという選択肢はあるかもしれない。あらゆる党への不信を表明する行動は取ってもいいと思うが、投票所の前まで行くのは市民、国民としての義務で、託された権限、権力の責任の重さを自覚して投票所に行ってもらいたい。

 -若者はどのように選挙に臨めばよいのか。
 投票は孤独にやるもの。憲法でも投票の秘密は絶対に保障しないといけないということなので、投票箱の前で投票する時は、誰に入れたか誰にも知られない。そういうことの意味を考えてほしい。

 -若者が継続して投票所に足を運ぶにはどうしたらよいか。
 若者に選択肢を示せるような政党側の組織の問題はあるだろう。あとはそれぞれの危機感のようなもの。現状維持でいいとか誰でもいいと考えている人は投票に行かない。

 -若者も危機感を持つべきだと考えるか。
 権力や政治がやってることに不満を持った時、それを意見表明していくことが政治への参加だと思う必要はある。

 -若者へのメッセージを。
 沖縄問題に興味を持ってほしい。若者は自分の身分のようなものが確定していないので、実は若い人の方が国政全体を見渡し、高みから政治判断ができるのではないか。本土と沖縄では基地問題をはじめいろんなことにギャップがある。ぜひ若い人たちは沖縄問題に興味を持ち、それを投票で表現してみてほしい。
 
 木村 草太氏(きむら・そうた)東大卒業後、首都大学東京准教授(憲法)を経て、2016年より同大教授。著書に「憲法の急所」など。横浜市出身。35歳。 (2016/06/13-15:45)

4021名無しさん:2016/06/15(水) 15:52:51
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061300657&g=pol
首長の不信任決議

 首長の不信任決議 地方議会が知事、市区町村長の不信任を決議すること。3分の2以上の議員が出席し、4分の3以上の賛成があれば可決される。首長は10日以内に議会を解散しなければ自動的に失職する。解散を選択した場合でも、議員選挙後の議会で再び不信任決議を受ければ失職する。2回目の決議は過半数の賛成で可決される。
 知事の不信任決議は、直近では、宮崎県議会が2006年、官製談合事件で県政を混乱させたとして当時の安藤忠恕知事に対して可決した事例がある。安藤知事は自動失職前に自ら辞職した。(2016/06/13-18:30)


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