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選挙・議員関連情報スレ
3952
:
名無しさん
:2015/09/24(木) 21:42:26
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150924-00005461-sbunshun-pol
79歳の大臣就任で脚光 “超遅咲き”塩爺の大往生
週刊文春 9月24日(木)18時6分配信
「塩爺」の愛称で親しまれた塩川正十郎元財務相が93歳で亡くなった。初当選は45歳ながら、脚光を浴びたのは79歳で財務相になってから。政界でも異例の「超遅咲き」人生だった。
塩川氏は旧大阪4区を地盤に運輸相、文相や宇野宗佑内閣の官房長官、自民党では税調会長、3役の総務会長を歴任した。福田赳夫元首相に師事し、清和会一筋。三塚博、森喜朗、加藤六月各氏とともに「四天王」と称された。
91年に宮沢喜一内閣が誕生した時には、三塚派を代表する形で自治相として入閣。政府・与党首脳会議にも出席する権利を得て、当時の「竹下派支配」に対抗した。
だが小選挙区制初の96年衆院選で落選。過去にガンを患っていたこともあり、「復活は絶望的」とみられていた。ところが、大阪の地元で徹底的なドブ板選挙。
「『おばちゃん、知り合い集めといてくれ』と声をかけ、主婦が『せんせ、3人しか来えへんわ。ごめんな』とあやまると『ありがとう、ほな行くわ』と駆けつけていた。返り咲きへの執念だった」と当時を知る関係者は懐かしむ。
「復活すれば、もう一度だけ大臣をやりたいというのが念願だった」(同前)
その機会は案外、早くに訪れる。小泉純一郎政権の誕生だ。実は、塩川氏は安倍晋太郎氏が死去する際に「小泉の面倒を見てやってくれ」と託されていた。後見役を務めてくれた塩川氏の恩に報いるために、小泉氏は財務相という要職を用意した。サプライズ人事のひとつと言われたが、大阪弁ととぼけたキャラクターで若い世代にも人気を博し、知名度は一躍全国区に。
中でも、変幻自在の“塩爺節”でメディアを賑わせた。官房機密費を野党対策に使ったと、テレビでのインタビューで明かしていたことを国会で追及されると「なんであんなことゆーたんかいなあ」。ただ、「母屋(一般会計)でお粥をすすっているのに、離れ(特別会計)ですき焼きを食っている」とわかりやすい喩えで、財政健全化への意欲をのぞかせる一面もあった。
政界を引退してからは、東洋大総長を務めていた。
「健啖家で肉が大好き。亡くなる直前までお元気でした」(自民党関係者)
2003年の政界引退の際に語った「人生のホイッスルが鳴るまで、若干のロスタイムがある」との言葉通り、10年以上、御意見番として活躍した末の大往生だった。
<週刊文春2015年10月1日号『THIS WEEK 政治』より>
「週刊文春」編集部
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