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明主様
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ウラのウラ、そのウラのウラ
そのまたウラにはウラがあって……。
第二次世界大戦と呼ばれる一連の戦争に、南下政策がある。
本来、日本軍の方針としては北進だった。つまり、ソ連侵攻だ。
そこで登場したのが、スパイ・ゾルゲだ。
日本の新聞記者に近づき、南下政策へと転換させたとされている。
ゾルゲはナチスのドイツとして登場し、この新聞記者は愛国者として登場した。
逮捕後の自白によって、ゾルゲはソ連のスパイであり、新聞記者もコミンテルン
だとわかった。
コミンテルンの目的は、国家を破壊すること。
北進されるとソ連が困るし、南進させればするから欧米と利害が対立するので、日本の敗戦が見えてくる。ヒジョーシキ、ヒジョーシキ、ヒジョーシキ。
要するに、日本崩壊が近づくわけだ。
表面から見れば、明主様信仰者のように見えても、行動を見れば明主様のご神業には興味なしってのが見えてくるから、笑える。
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(無題)
認知戦を展開するQAnonと地底世界のペンタゴン?
カレイドスコープより
https://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-7078.html
認知戦を展開するQAnonと地底世界のペンタゴン?
ハリマオレポートより
https://prepper.blog.fc2.com/blog-entry-533.html
ご興味のある方はどうぞ。
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(無題)
「新型コロナワクチンの予診票・説明書・情報提供資材」
厚労省HPより
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_yoshinhyouetc.html
「ファイザー社の新型コロナワクチンについての説明書」
https://www.mhlw.go.jp/content/000739391.pdf
まあ、ある意味、16歳以上を淘汰しようとする目的があるのかもしれませんね。
あくまでも接種は任意ですが。
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ゼーキン
確定申告と格闘中。
ネット申告すればいいんだろうけど、慣れないので今年も手書き。
毎年この時期は、土日を1つか2つ不意にする。
税金も、教団みたいに、一律の一定額、あとは好きな人が好きなだけって
なってくれたら、このめんどくささから解放されるんだがな。
はぁ
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正邪の戦い
一つの波紋掲示板を見ると、相変わらず1番さんと真光さんのバトルで賑わっています。
1番さんは「自分の書き込みを見られたくないがための真光による書き込みであって、邪神による妨害工作である」と言っておられる。
しかし邪神の働きとは何だろう。
私も若いころ浄霊をしていると霊罹りに悩まされた時期があった。先輩に聞くと「きちんと霊を抑えるだけの経験と浄霊力が必要」と教わった。
しかし考えてみれば、最高の光を取りついでいるのにそのような横やり、邪魔をされるということには原因がある筈。つまり浄霊を取り次ぐ側の姿勢なのではないだろうかと考え、余計なことや、不平不満な心、他を非難するようなことを考えないようにしたところ、必要な霊がかり以外には邪魔され困ることは無くなった。つまり邪の働きは表面だけのことで、分からなければならない意味は神様からのお知らせであることが分かってきた。「感謝の心は神に通じ、不平の心は悪魔に通ず」
つまり相手の背後には邪神ではなく、気づいて欲しいがために神様が働かれておられるということです。
また相手のことを相手にしか分からない世界を、自らの主観でいろいろと書かれているようですが、「主観に捉われることが最も危険である」という危険とは、邪につながるということです。
たとえどのような人と会い、どのようなことがあろうとも昇華していくのはご自分です。つまりご本人以外には分からない世界のことをいろいろ言われると、それを聞いた人にまた主観の世界が拡がっていくわけです。
なぜ薬をはじめとして外から入れるものはいけなくて、なぜ先に霊を浄めることが大事なのか。霊が浄まることで内側にある良能力を高まり、外が、形あるものが良くなっていくという順序であって、組織や人は内側から崩れていくからです。
だから自分の外が、結果が良ければ人は判断できますからその人にとっては正しいことなのです。他人がとやかく言うことではないと思います。
こちらへの参加を呼びかけましたが、どうかそちらを綺麗にしてからにして下さい。
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文句いいまへん
確定申告、感謝しながらやりまっせ。
めんどい、めんどい、言いながらやるから、いつまでたっても
解放されへんのかもなー
悔い改めなアカンな。
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(無題)
>関西では、バカ! アホ! ボケ! カス! クズ!…かぎりなくあるという。
大学時代関西にいたけど、関東との違いで思うのは、
とにかく、ボケと突っ込み、を意識して話す人が多い(笑)
明らかに突っ込み待ちの表情でボケて、
それに嬉々として突っ込む周囲の友人。
無理矢理?主観と客観の話にしてみると、
関西の方が、相手の反応を関東より意識している点で、客観的かもしれない。
突っ込みの初級は『なんでやねん!』
よかったら使ってください(笑)
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(無題)
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
ドイツの名宰相であるオットー・ビスマルクの言葉。
少し前までは、経験から学ぶのがなぜ愚者なのか分からなかった。
今は、この言葉は主観と客観のことを指している、
と受け取っています。
まあ愚者、は賢者に対比する単語であって、
愚者よりは普通の人、くらいに受け取るのがいいかな、
と思います。
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衆愚
愚者でいいんだが、今は民主制。
愚者が賢者と思い込み、多数派として政治を動かしてしまう。
これが怖いんだよな。
民主制であるかぎり、普通の人は愚者でいいとかのんきなことを
言っていていいのかと思ったりするんだ。
クーデター派の奴らみたいに、事実も根拠もないことを、論理的整合すらないことを
堂々と、恥ずかしげもなく公言する時代って、ちと怖い。
証拠として残る郵便物に書いてくるんだぜ。
後世の笑いものになるだけじゃん。子孫が気の毒。
「神は合理」。 クーデター派の大好きなみ教えにあるんだけどな。
ま、主神様にお委ねするしかないんだけどな。
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その主観、売りor買い?
今週の感想は、わりあい平和な掲示板だった。
初めは特殊な人の主観であっても、共感者が増え、やがて客観的価値になっていく。
これが主観を表現する価値だが、どこまで行っても特殊な人の主観のままってのは
寂しい。
客観、つまり普遍的な主観に成長する主観。
主観のままの主観、つまり変態。
2つの違いは、どこにあるのだろうか。
これが分かれば、金持ちになれるぞ。
なんでやねん!
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(無題)
>客観、つまり普遍的な主観に成長する主観。
主観のままの主観、つまり変態。
2つの違いは、どこにあるのだろうか
本質を突いているか、ってとこじゃない?
本質が分かれば金持ちになれそう。なろうと思えば(笑)
とりあえず、お金の回りはよくなりそうだけどね。
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雨がしとしと
今朝は、雨がしとしと降っている。
以前から感心している、主観が客観になった例が、「しとしと」。
実際に雨は、「しとしと」なんて音で降っていない。
最初は、並外れて高い感性を持って、並外れて表現力を持った特殊な人に湧いた主観だった。
それが、共感者を呼び、今では客観になった。
「雨がしとしと」って、わかるもんな。
しとしと雨が降るたび、すげ〜〜〜なといつも思うよ。
最初の主観者が、日本人の感性にもたらした貢献度は計り知れない。
著作者不明だから、ものすごい陰徳だと思う。
しかも著作権に期限がなければ、えっらい金持ちになってるよなって。
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(無題)
>主観が客観になった例
言葉や感性の話だったのかな。
上手い言い回しに共感すると自分も使いたくなるよね。
その共感も、それまでの人生経験によって左右される。
時場位に応じて、共感したりしなかったり。
結局受け取り方次第、想念次第。
最近想念次第、にすぐ結びつく(笑)
教団紛争って、本当興味なかったし今も特にないけど、
メリットとデメリットを比べてみると、
自分としては、メリットの方が相当大きいように思った。
比較対象が有ると無いとでは、自分自身(所属組織含む)の客観的評価のしやすさが違う。
一つの大きな組織だけでずっとうまくやっていく、
というのは歴史を見れば幻想でしかない。
短期的には、
トップの資質が真に優れている間はいいだろうけど、
いづれは世代交代し、次の代の資質に応じて変わっていく。
似たようなものやら違ったものやらが並存してそれぞれ切磋琢磨する状態こそ、
長期的に見て永続的な成長に繋がる、と思う。
そして、デメリットって何だろう。
信仰は、そもそも神様と1対1だと思っているので、
組織活動する上でのスケールメリットが小さくなる以外、
ハッキリした事はあまり思い浮かばない。
色々な腹の立つ事、悲しい事も有るのだろうけど、
それも受け取り方次第、想念次第と思うから。
当事者かそうでもないか、で感情の違いは当然ある事を理解した上で、
書いてみました。
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(無題)
考え方が違うから紛争になる、というのは表向きな気がしてきた。
一緒にやっていけないなら教団資産(人的含む)を応分して、
別々でやっていけばいいだけの話。
資産を独り占めしようとしたり、より多く取ろうとするから、
紛争になるんじゃないかな。
批判するのであれば、
考え方が違うことではなく、
資産に執着し、円満に応分できないことに対して、かな。
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(無題)
献金ってどの教団でも言われる事だけど、
教団単位になると、献資産、という考えにはならないみたいね。
相手に多めにあげちゃった方が、その後どんどん発展するはずだけど。
今まで信者にそう教えてきたはずなのに、おかしいな〜。
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社会の一員としての話
ゲラちゃんのいる教団は、いつも資産のないとこばっか。
前回も、今回も。
だからこそ、信仰を失わずにすんだと考えている。
信仰的には、どんどん、ゲラちゃんの理想に近づいている。
ゲラちゃんが問題にしているのは、社会の一員としてなんだ。
明主様も、「何をやってもいいけど、法律を破ることだけは困る」というご発言を読んだことがある。
だからゲラちゃんは、法学部に行ったし、法律関係の職に就いた。
本当は、歴史が好きなのにな。
彼らの言い分を聞いていると、犯罪者によく見受ける言い訳なんだよ。
自分たちのアウトローを、神様のせいにする。
これは長年、教団幹部がやってきた手法だよな。
それで少しでもよくなればいいんだが、結果はますますアウトローなくして
一歩も進めなくなっている。
オウム真理教が大量の逮捕者を出したのは、変った宗教を信仰したからじゃなく、
法律を破ったからなんだ。
世界メシア教は神様にお委ねする方針だから、何もしていないけど、
クーデター派の手法はいつ犯罪として訴えられてもおかしくない行為ばっかりなんだ。
教主様は、神のお裁きに委ねたいんだろうし、ゲラちゃんもその方針に賛成だから
知っていても黙っているんだがな。
ただ、クーデター派の人たちに、それは犯罪だということを知ってほしいんだよ。
一般社会人としては、赦されないことだという意識は持っていてほしいんだよな。
そのうえでまだ、悪事に手を染めつづけるというなら、それは自己責任なんだよ。
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(無題)
>いつ犯罪として訴えられてもおかしくない行為
単純に、上魂の人はしないことだよね。
どんな理由をつけたとしても、霊界がそうであるから現界がそうなんだろうと思う。
何にしろ、起きている現象は関わっている人が成長するのに
ちょうどピッタリなはず。
良い方向に受け取って次に進みたいものですね(自戒をこめて)。
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神知る、我知る
明主様のご聖言の一つに、こんなのがある。
「人間としては、すべてをお見通しの神がいると思うだけでいい」
犯罪まがいの行為をするのが神の意図だなんて、誰の主観なんだ!?
犯罪は、薬。
やむをえず薬を使うこともあるだろうが、信仰を続けるうちにだんだん不要になってくる。
犯罪をしても表ざたにならないということは、浄化しないというにすぎない。
まさか「神に許された」なんて考えていないよなぁ。
たのんまっせ、ホンマ。
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客観になる主観
サブロクの趣旨とは違う流れにもっていったのは、もうしわけないと思っている。
サブロクの趣旨は、主観に「囚われる」ことが問題だと言った。
ゲラちゃんは、「主観」そのものに視点を変えてしまった。
これは、故意犯だった。
故意犯ついでに、もう少し。
客観に成長する主観とは、その主観をみんながやった場合、社会に利益を
もたらすことじゃないかなと思っている。
ゲラちゃん個人の考えなんだがな。
みんながやることになった場合を想定して、自分の行動にGO あるいはSTOP
サインを出すようにしているんだよな、昔から。
この基準で見ると、「盗聴、盗撮、尾行」はやはり変態的行為だということになるんだ
よな。
クーデター派の連中って、きっと「これは神様のご意図です」とか言いながら痴漢もするんだろうなぁ。 変態連中めが!
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(無題)
教団分裂後の1990年以降のアメリカの救世教。
一つ大きなことは、新教会長が選挙によって選任されたことで、アメリカ浄霊フェローシップが独立、日本の本部の影響を受けることが少なくなっていった。
実際の布教面では、当時ほぼ壊滅で、布教をアメリカ流で進める。
当時は安食教師がツーソンを基点に白人アメリカ人に浄霊を広めた。
またブラジル人教師等によるラテン系への布教。
ロサンゼルスは、分裂から残った日系信者がいたが、信者増加はない。
その後の2000年までの10年でそれぞれの増加への流れは消滅していく。
ツーソンは安食教師の活動が次第に鈍っていったと感じる。
ブラジル系はイズノメとして、浄霊フェローシップから離れた。
浄霊フェローシップは、次世代に継承者がいないという日系信徒の高齢化。
浄霊フェローシップから、東方の光が分かれたのは1990年になる前。
浄霊フェローシップから、イズノメが分かれたのは2000年になる前。
これらの分裂の落とした影は大きかったと思う。
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近い未来予想
4月1日はマスク着用が消える。マスク着用は花粉を避けるために残る。
みんな狐にだまされていましたということになる。
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共感
自分自身を客観的に分かるために他人の意見は当てにしません。第3者の主観など必要ありません。
主観と客観を総合した全体像をつかむためには自分で分かるしかないと思います。
他人のことを分かるためには教主様の言われる「交流」しかないと思っています。
それも富士山のように遠くから眺めるだけでなく、中に入って行って聖なるものと一体になろうとしなければ見せてくれないと思いました。
そのようにして相手の使命が分かり全体の力が見えてくる。その立場におられた方なので共感できます。
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(無題)
浄霊の団体が発展しない、衰退することの仮説ですが、
病気治し的に受けて一時は効果があっても、
良くなるとそれで済んだ気持ちになり、
魂の向上にあまり繋がらなかった結果、でしょうか。
浄霊をいただいて良くなっても単に元気だった頃の生活に戻るだけで、
魂が向上していない、していても一時的、
のパターンが多発していれば、
発展しない、衰退することに合点がいきます。
自分と向き合い、神様と1対1で向き合って、
自分が本心からしたいことは何なのか、
そのためには何をすべきなのか。
心が定まり、霊主体従で結果へ。
浄霊実践とともに、大事な両輪だと思います。
多分御教えでもさらっと書かれているはずだけど、
御教えってさらっと書かれすぎていて、
その時点の自分ではその重要さを読み取れない事も多い。
そういう場合に他教の教えや言い回しが、その時点の自分にピッタリだったりしますね。
色々なものに触れてみる、軽い気持ち、楽しむ気持ち。
やっぱり最後は『想念次第』かな、と思います。
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(無題)
戦争によって物質文化が発展した。
コロナによってリモート文化が整備されてきた。
浄霊も、対面から想念が主体になるかもしれませんね。
そういう意味で、形有る組織から無い組織への移行は必然の流れかもしれません。
維持費もかからないから、
不正も減りそうです。
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(無題)
>元気だった頃の生活に戻るだけ
かつて救世教に入信月間というのがあって、入信者の獲得数を競い、成績が良いと表彰されたという。
1980年辺り、布教所ではお世話に一生懸命な方々を見ました。どうもそれで指導者になる資格をいただくというのがあったのだと思いますが、なんとなく脇目もふらずという感じを受けました。
これを見て、この団体には何かが不足していると思ってました。
アメリカに行って、自然農法(実際には無農薬農法ということになる)を始めろと勧められ、菜園場所を作り、種を蒔いて、幾日かの日が経って、畑を見ますと、なんと芽が出ていた。
その瞬間の喜びといったらその後の人生を変えたわけで、これだと思いました。
自然、自然の息吹を知らなければ、浄霊活動など空なんだと思えた。
その後熱海でも同じ空っぽを見てました。自然のあれ(X・エックス)を知らないとダメなんだと思い続け、時と機会を得て食の会を始めた。
その頃嘉丸氏と接するようになり、嘉丸氏は予防ということをよく口に出しておられました。
当時宣教局にいた頃は、九州での事例から、霊界作りが方針として出るようになり、霊界作りの取り組みは、学生時代に感じた不足部分を埋めあわせるものだと捉えました。
ですからその後、霧中であっても光がさせば道が開くという決まりごとを私は利用しています。光を頂ける環境作りは生活の中で実践されることでもあって、それは予防でもあり、信仰を生活の中に生かすことができる、言い換えれば実践宗教の教えとなる。
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浄霊実験
浄霊を1日に一回5分間取り次ぎ。
他方は1日に一回5分間ガンだという想念を送る。
5日経った。下の写真が初日。上の写真が5日後。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001134.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001134_2.jpg
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(無題)
>自然の息吹を知らなければ、浄霊活動など空なんだ
今までの投稿から受ける僕の印象からすると、
浄霊がすべて、という感じだったので、
意外な気がしました。
文字だけのやり取りは特にそうだけど、
対面であっても、
自分の想いが正確に伝わることは稀である、
と思うくらいが正解かもしれない。
同様に、相手の想いを正確に受け取れている可能性は低いはず。
これは確信しています。
思っているより人と人は全然違う。
特に近しい人ほど、何となく『分かってくれている』という誤解がありそう。
他人には怒らなくても、家族には怒ってしまうパターンは、
家族と言えども相当考え方、感性は違う、
ことが分かっていないんだと思う。
結局、相手がどう受け取るかを気にしすぎるのは無駄な事が多く、
自分がどう表現するかに集中した方が無駄がなくて良いと思っています。
受け取り方は相手にお任せ。
>上の写真が5日後
5日でも結構変わってくるんですね。
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(無題)
これはキュウリでしょうか。
5日間で結構な差がありますね。
その浄霊とは想念で、という事なのでしょうか。
ガンだという想念とは、穢れ(濁血)というイメージを送ったという事でしょうかね。
では、そのガンだという想念を送ったものを今後、御浄霊で多少でも復活させる事が出来るのか?
という事が気になります。
対面であれ、遠隔であれ、人(毒を持つ)に御浄霊を取り次ぐという事は、そういう事だと思いますので。
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(無題)
浄霊の目に見える実験は興味深いですね。
以前聞いた話では、某ファストフードのハンバーガーを二つに切って別々のビンに入れ、一つには浄霊をし、もう一つは放っておいたそうです。すると、放っておいた方はほとんど変化がなかったのに対し、浄霊をした方は真っ黒にカビが生えて腐ったそうです。よくゴミ屋敷から何年も前のファストフードが買ってきたばかりのような状態で出てくることがあると聞きますが、浄霊した方のあまりの変化に驚いたそうです。おもしろいですね。自分でもやってみようかと思い、いまだに試していませんが。
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(無題)
>浄霊がすべて
そういう印象を持たれたのですか。結構多方面で書き込んでいると思いましたが。
>浄霊とは想念
浄霊はキュウリに直接しています。想念ではないです。
妻がやっているのですが、結構な変化があると思いました。
ガンからの再生実験など、いつかするかもしれません。
かれこれ30年前にあったゴーナム博士の浄霊実験がありましたよね。NK細胞の浄霊実験。私たちもそれに参加してました。
もっとも妻の場合関連の浄霊の脳波ビデオに出てますよ。
それでそのビデオを作っていた上司に腹が立った。北米本部で、当時の妻を見かけて、浄霊の映画に出てみないかと声をかけたんでしょうね。
その動画を撮った後に、この人は私の婚約者ですと紹介したら、何〜!って驚かれました。私にしてみれば、のべつまくなしに声かけるなよってことでしたけどね。
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(無題)
>放っておいた方はほとんど変化がなかったのに対し、浄霊をした方は真っ黒にカビが生えて腐ったそうです。
これは御浄霊の効果としては、ちょっと解釈が難しいようにも思いますね。
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浄霊の問い合わせ
先々月、浄霊の問い合わせが5件ほどありました。つながりのあるという方々ではない、別ルートという感じ。
突然のことでしたが、対象者は10名ほどということでした。
浄霊の依頼は今も時々あるわけですが、本来なら私に依頼ということですが、今回のそれらは妻にでした。
それで、私は様子を見てるわけです。結果今日、その浄霊依頼の話は消えてしまってます。
昨年末に妻が庭の整理をして、綺麗さっぱりとしました。私はこれで何か良いことがあるかなと、なんとなく期待をするわけです。
それで早速浄霊依頼の話が来て、2、3人に浄霊をさせていただいたようでした。
それで波に乗るのかと思ってますと、乗らない。妻はどんどん浄霊の話は増えると思っていたようです。
私ならこうするのにという気持ちはありますが、霊系の違いがありますので、ピンとこないことは理解できないことなので、何も言わないことにしています。
アメリカの浄霊をアメリカ人がやっても発展しないということだと私は理解しています。しないと言い切ると語弊があると思いますが、どうも明主様が日本人として生まれたということと同じだということでしょう。
ここにアメリカでの浄霊の発展の歴史を見る価値があって、バッと広がった時には日本人が関わっているということだと思っています。日本とアメリカの関係がある。
安食教師の姿勢、また上田教師の求める姿勢がどうしてもアメリカ人布教には必要のようです。
ですから今回のようにアメリカ人の妻に浄霊依頼がきても、消滅してしまうと思うわけです。
安食教師にアメリカで浄霊を広めるにはどうしたら良いのか質問したところ、浄霊を広めたいと思う強い気持ちということでした。
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浄霊の巾
勉強中さんのハンバーガーの件ですが、以前いづのめの渡辺理事長が「アメリカは土葬なのだが最近遺体が腐らないという報告を受けている」ということでハンバーガーとフレンチフライのセットの写真4枚を見せて、出されたばかりのものから2年経過したものが同じ写真のように見える。全く腐らないのは保存料の為せる業。それを食べた人間が結果として示すものを問いかけていた。
明主様は「遺体に浄霊をしないように」と言っておられたが、霊は抜けているけれど、肉体は案外腐敗し土に還るのではないでしょうか。
この事例は一体何を示しているのだろうか。
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腐敗し土に還るのか?
「アメリカは土葬なのだが最近遺体が腐らないという報告を受けている」は、
『アメリカの共同墓地単体では、300万リットル以上の防腐処置の液体が使われているとされています。それだけでなく、9万トンの鋼鉄や、160万トンのコンクリート、7万1千平方メートルの硬材が毎年使われていると見積もられています。』
ということのようです。実際お棺の中の御遺体は長い年月の中で、体内に残された機能によって、肉の部分は消化されていくとのこと。
関連のことについては、考えさせられることが多い。ただ普段は触れない事柄なのですが、テーマが重すぎるというのもあります。
可能ならば、火葬が一番と思います。
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(無題)
以前、おにぎりの実験もありましたね。一つには良い言霊をかけ、もう一つには悪口などをかけると、悪い言霊を受けたほうがずっと早く、しかも真っ黒に腐ったということでした。例のハンバーガーは、浄霊で浄められたほうが早く腐ったのですが、実際見たところ、あまりの違いに驚きました。非常に興味深い実験ですよね。
理屈を考えてみると、やはり保存料等が無効になって腐った、ということでしょう。しかしそうすると、添加物入りの食べ物に浄霊して食べたり、薬に浄霊して飲んだりするのはどうかということが頭に浮かびました。
私自身は、そういう行為には違和感を感じますが、それは添加物はできるだけ避ける、薬はそもそも飲まない、というのが当たり前と思っているので、何もわざわざ、いうことになるのですが。しかし、自然食、無医無薬で通せる状況にない人が、いわば苦肉の策で食べ物や薬に浄霊されているのを、裁くのは違うとは思いつつ、やはりどこかでよろしくないように見てしまっていたように思うのですが、どうなのでしょうね。結局、良し悪しも、神様のお働きも、人間にわかるものではないというお言葉に尽きますかね。
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(無題)
1980年の前は、まだ救世教の分裂がなかった頃で、海外では結構素晴らしい発展があって、それぞれの国で布教、発展の競い合いがあったと聞きました。
もちろんブラジルの渡辺教師、また、タイの湧上教師という方々の下で、今日でも大きな結果が残されています。
ではアメリカはどうだったのかというと、どうも上田教師の活躍がすごかったようです。
聞いたところによると、五千人は関連でお導いておられるとかなので、それはすごいことが起こっていたと思います。
もちろん樋口、安食教師の頃の発展もありますが、上田教師は大変奮闘されていたと思います。
日本の本部もアメリカ布教に力を入れていて、当時の教主を始め、川合氏はよく来米したということです。
ロサンゼルスのセンター(教会)の参拝日は六百人に達していたということ。建物から溢れていたようです。
発展もありましたが、崩壊もありました。ただ消えた歴史のようになっていると感じたので、かつての浄霊アメリカのことを聞いたことですが、書いてみました。
ふと思ったことは、川合氏に連なった再建と陽一氏の分裂派がなんとなく重なるということです。
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浄霊アメリカの歴史
アメリカの浄霊の歴史を知る方が、どんどん高齢となって、また存命の方が少数となっています。
そういう意味で、情報源は少ない。掲示板で少しばかりは書いてみた。
ふと思うことは発展に必要なことは、霊界を動かすことのできる人ということで、風が変わるとか、雰囲気が変わるということがついている人が、浄霊を引っ張っていく人だと思う。
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エンバーミング
ゲラちゃんの記憶が正しければ、だが。
明主様のご聖言によれば、
「あらゆる物質は土に返る。だから本来は土葬が望ましい」
このご聖言により、明主様は土葬が実現した。しかし2代様は叶わなかった。
伝染病がどうとうかいう理由で、日本では土葬が認められていないからしかたない。
近年は、米国で研究が進んでいるエンバーミングが浸透していると聞く。
生きているときの姿をできるだけ長く保存したいという考え方だ。
米国は広いから、遺族に対面させたいという気持ちからなんだろうな。
「土に返えす」を理想とする我らからすれば、納得できないのはしかたない。
最近は、人体だけじゃなく、土に返らないものが増えているのを見ると複雑だ。
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ふろく
土葬時代、賃金をケチったかなにか理由で、墓の掘りが浅いことがあったそうだ。
雨が降ったりすると、遺体が表面に見えたりすることもあった。
ここから生まれたのが、「浅はか」の語。
見えていいもの、見えてはいけないものの区別がつかない人を、
浅はかな人っていうんだろうな。
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(無題)
聖徳太子はたしか土葬で、
奈良時代のどこからかで火葬になったんじゃなかったかな。
土葬時代でも火葬になった天皇には、暗殺された証拠隠滅の可能性もあるみたい。
なんか後色々、伝染病対策とかの可能性も。
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太子までかぁ
その話は知らんかった。
火葬ってそんな昔からあったんだな。
これも初耳だ。
どっかの国みたいに、人の死体が肥しになるからと畑に土葬するってのもあるしな。
土葬。必ずしもよかったねとはいえないかもな。
奈良時代は、天皇家の王子と藤原氏の興亡が繰り返されたから、
ありうるんだろうな。
しかし、墓を掘り返すなよ! って感じ。
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好事魔多し
西暦と昭和、平成で、いつのことだったというのが混乱してしまう。
1990年は、浄霊がアメリカに来て30年。その前のハワイの2年が1953年2月の始まり。アメリカ本土については、知られている立松教師がフルブライトの学生としてアメリカの大学に滞在が、アメリカを救うの元。
さらには嵐画伯も浄霊の先駆者。
樋口教師がアメリカ本土布教を始めた前に信者さんはすでに100名はいた。今は名もわからなくなっているけれど、そういう先駆の信者さんの基盤があってこそ、アメリカ本土の布教は可能で、さっという広がりを見せた。
当時のセンターはセントアンドリュースという通りにあって、今のロサンゼルスセンターからはそれほど離れていない。セントアンドリュースが手狭となって、今のサンマリノ通りの教会を入手し、移った。
とほぼ同じ頃なのだろうか、サンディエゴにあるヴァレーセンターというところに土地を購入。ある意味それは聖地でもあったオレンジの果樹の農園を作る。
何千本ものオレンジを植樹。それのお世話が奉仕ということになり、月に一度、多くの信者さんが奉仕された。片道、ロサンゼルスから3時間で、終日の奉仕をされた。それが10数年続けられたのだけれど、オレンジの木はうまく育っていなかったという。また周りが慣行農法で、農薬使用の影響から、その土地の水質が大変悪くなっていったこと。また奉仕の信者さんにも散布される農薬によっての体調不良が見られ、ヴァレーセンターを手放す決断がされたという。
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時代が違う・・・
樋口、安食教師の初期、やはり浄霊発展の足場は日本人ということになる。
では当時どのように白人社会に浄霊は入ったのだろう?
私自身のことでは、妻が働いていたオフィスに、病魔に襲われていた社員がいて、たまたまオフィスに娘を連れて行った折に、その社員も娘がいるんだという話となり、自分は今死ぬかもしれない云々という会話の中で、自分の夫が浄霊をするから、試しに受けてみたらと勧めたというきっかけがあった。その後私のところには日本人は来ないのだけれど、白人がどんどん浄霊を受けに来ていました。
樋口、安食教師の頃に一体どんなきっかけがあったのだろう?
一つは日系人の中に広がった浄霊、その日系人は庭師が多く、その顧客が白人ということのつながりが想像できます。
足がかりがあるというのが、浄霊の広がりには大切だと思うわけです。
1990年代の安食教師のアリゾナ州ツーソン基盤のアメリカ人対象の浄霊発展があってから、今日、そんな発展を見ることがない。
すでに日本人の信者が浄霊布教をするという基盤はおそらくない。
ブラジル系はラテン系に布教するのが限界で、アメリカ白人には広がらない。それゆえに基本ポルトガル語となっている。
もう時代が違う。そんな中でアメリカでの浄霊をどうしたらと考える日々。
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(無題)
>火葬ってそんな昔からあったんだな。
あくまで上流階級に限っての話と思う。
上流階級ほど、前例踏襲するものなので、
土葬で続いてきたのをあえて火葬にした場合というのは、
相当な理由があったことは間違いなさそう。
歴史書は勝者の歴史だしね〜。
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あれから10年
2011年3月11日、午前中病院で浄霊を取り次いでいた。30歳独身男性で、彼の姉とは以前交流があり現在は結婚して東北にいるという。
私はその2年前におひかりを外していた。「すごい浄霊力ですね」と言っていただいたが、話がその姉のことに及び様々な思いを巡らせていた。
その午後震災があり、あとで聞いたところによれば、姉は偶然家族全員が内地の山間部にいて助かったと聞き、午前中思い出していたことと関係があるのだろうかと不思議な感じがしたことを覚えている。その翌年から「想念による浄霊」が具体的になってきたので、この10年の歩みを回想している。
政権は復興五輪であったはずが、五輪はコロナに打ち勝った証だと言い始めていますが、
お互いがコメントを出し合う宗教とは関係ない人が着実に5次元の段階に、新たな段階の資質を引き出されています。
https://ameblo.jp/happy-petal
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事実に基づく歴史
歴史が、強者のものになる理由の一つは、文献主義があると思う。
現在、歴史学の権威といわれるのは、文献を読める人。
難しい古典論文を読める人は少ないから、権威といわれる学者がこうだと言えば、
追随するしかないわけだ。
だから強者の歴史にすることもできる。
もちろん、100%ではない。
事実に基づく歴史学者もいないわけではない。
足で探る歴史だ。
長い時間がかかるし、人生を棒に振るような地道な作業の連続だ。
ところが現実には、権威といわれる学者は、足で稼ぐ事実に基づく学者に
叶わないという事実がある。
なかなか表には出ないけどな。
ちなみに、足で稼ぐ事実に基づく歴史家の説は、明主様の日本民族の霊的考察を裏付けるというか、説明しやすくするものがあったりするから、ついつい夢中になる。
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(無題)
当時昭和36年にアメリカに来て、樋口教師の食事などのお世話をされた永井さん、後の永井教師は、箱根で奉仕をされておられ、明主様のことについてもご存知です。
その時に、渋井先生をお見かけされていたという。奥さんとご一緒に美術館の方に行かれたと話してくださったことがありましたが、渋井先生についてはそれだけでした。
また渋井先生は過去の人とおしゃっていたことも印象に残っています。
私はその情景をただ想像するだけですが、渋井先生はもう執着がないと、近くにあるものに注意を払っていなかったのではないかと思えてなりません。
当時の瑞泉郷がいつまで存在したのかは知りませんが、すでに明主様との大建設は止まっていたと推測します。
好事に襲いかかる魔は、主に内部からのものと外部からとのものがある。
渋井文書には軽く触るくらいの印象で残されているその頃のことは、十分にその痛みを感じさせます。
私はその魔を必要なことと捉えるほど信仰は厚くない。
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分院よさらば
東方之光の分院であった自分は「おひかり」を外して3年目の平成24年、その分院の更新時に辞退を申し出たら県のチーフとサブチーフが慌てて家にやって来た。
突然のことに着替える間もなくTシャツのまま迎えることになってしまい、首におひかりの無いことを質問された。
説明するとサブチーフ曰く、「そんな人は東方之光から出て行って欲しいですね」と。
それを聞いて「そうか、辞めていいということか」と思ったら、「いやいやとんでもない」とチーフが止める。睨みを利かすのと穏やかに物事を収めようとする。なんだか刑事ドラマを見ているようだなと思っていると、
「大光明を掛けておられたはずなのにあなたは明主様より上になったとでも、明主様に求めていく必要はないと?ならば信者でいる必要があるのですか?」とサブチーフは勢いが止まらない。
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アメリカの印象
大学をほとんど退学してしまう感じで、4年の時アメリカに飛び出していったのですが、全く愚かで、もし、学友が休学の手続きとかしてくれなかったら、本当に退学で終わった。
驚いたことにはその学友も休学し、自転車で日本一周をやって、結果私と同じ時に卒業をした。
ロサンゼルスについて、空港でウロウロしなければならず、たまたまそこにいた日本人が助けてくれて、バスに乗って空港を出ることができた。
空港で教会に電話をかける。アンバサダーホテルまでリムジンで来なさいと対応してくださったのは、安食教師で、ホテルまで迎えに来てくれた。
で、あんた何者?
日本からの連絡は何もなかったそうだ。県本部、国際局が、一介の信者がアメリカに行くってことで段取りをしてくださっていること信じていたけれど、皆無で、貧しい学生信徒はとりあえず教会の宿泊施設に泊めていただけることとなった。
それから半年・・・の間お世話になる・・・。皆目見当のつかないことで、また私にも皆目見当がついてなかったけれど、できたことは終日浄霊していたということと、すぐに学生・青年会の活動に入れていただいたこと。
とにかく貧しい。目的も無し。
ただ浄霊することだけ。
幸運にも熱心な先生の子(高校生)が、浄霊の折々に引っ張ってくれたので、その手助けに乗ることができた。それがなければ、アメリカの活動に全く入ることができなかっただろう。
少し、アメリカになれる。11月の雨の日、Tシャツのラテン系の若者が、傘もなしに歩いている。
ちょっと信じられない光景で、さすが貧しいと言っても日本ではもう少し厚着をするし、雨の時は傘をさすでしょう・・・という日本の常識が見事に崩れ去る。
日本で貧しいからと引け目を感じていた自分は何だったのだろう?・・・縛られないということ?
そんな日本との違いを見せつけられたことはそれからの人生に大きな影響を与えた。
実際私がアメリカに来るきっかけは義理の兄の勧めであって、のちにその子供達はオーストラリアを始め、アジアでとんでもない経験をしていくわけで、可愛い子を崖から突き落とす虎の穴のような、発想を持っている人だった。子供の頃、東京を外国と信じ込んでいた私には、アメリカでの情報は乾いたスポンジが水を吸うごときものだった。
1983年のロサンゼルスセンターは、学生、青年等によっても活動に溢れていた。
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留学生
無名学生信徒がアメリカに渡ったとき、浄霊の時代はずっと先に行ってて、何々先生の子供は、シカゴの方の大学に留学とかいうのは結構存在した。
確か秀明会の会長さんは、70年頃には樋口先生のところに来ていたと聞いたことがある。
一元化の前のことだと思う。また別の機会なのだけれども以前会長さんがパサディナの教会にお越しになったとき、流暢な英語でお話をされていた。確か湾岸戦争の頃か、9−11の頃だったか戦争反対とおっしゃったので思わず一人拍手してしまった。周りは拍手しなかった。アメリカだからなのだけれど・・・。
立松教師がおられた頃に、布教には絶対英語が話せなくてはならないと私に語ってくださったことがあった。
確かに、意思の疎通がアメリカでは重要で、私の場合妻が説明役に回ってくれて大いに助かっている。
そんな子息、令嬢留学生以外にも、教団の推薦で留学をされた方も少なからずおられる。
私のような無学なのは希有で、大変優秀な方々がアメリカで学位を取られているのだから、そんな方々はどこに・・・?
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正直ガエル
今週のいい話。
世界メシア教の知り合いから連絡があった。
昔からの信仰仲間から電話があり、
「世界メシア教にもどる決心がついた」
と言ったのだと嬉しそうに語った。
「もどる」と言ってきたのは、今回の分裂劇で信仰がわからなくなったと言って、教団から離れていた友。
その布教所では中心的な人物だったそうで、関係者は少なからず喪失感を感じていたそうだ。
ゲラちゃんの知り合いは紛争以来、2〜3年ぶりに彼の家を訪問した。
信仰の話は避けていたが、彼が言い出した。
「この信仰がわからなくなった」
これに対して、ゲラちゃんの知り合いは、
「俺もわからない」と答えた。
この言葉で、ふんぎりがついたのだとのことだ。
世界メシア教から離れていた間、彼のところには反教主派の専従者が
足しげく通っていたとか。
この専従者について、彼はわるい印象を持っておらず、むしろ馬が合うと
感じていたそうだ。
ただ一つ。
この専従者は、毎回、毎回、必ず教主様批判を繰り返していた。
信仰歴の長い彼は、「人を裁く勿れ」というご聖言を知っている。
この教主様批判だけがどうしても受け入れられなかったのだと言った
のだそうだ。
わかったふりをして批判するより、わからないものをわからないと言える
人と信仰仲間でいたかったということかなと彼の心境をおしはかったりしている。
正直が得るっていいな。
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正統派とグノーシス派
今から2000年前、キリスト教正統派はこう説いた。
「世界は唯一絶対神が創造し、イエスキリストは人間の罪を背負うため降臨した」
?
一方、キリスト教グノーシス派はそのすべてを否定した。危機感をつのらせた正統派は、強硬手段にでる。グノーシス派を異端として糾弾し、その書をことごとく焼き捨てたのである。
?
キリスト教の教義は大きく2つある。天地創造の物語と、イエスの言行録だ。天地創造は、正統派の書が「旧約聖書」、グノーシス派の書が「旧約外典」である。一方、イエスの言行録は、正統派が「新約聖書」で、グノーシス派が「新約外典」
?
つぎに、正統派とグノーシス派の主張の違いをみていこう。
【神について】
正統派によれば、
・この世界を創造したのは、唯一絶対にして全知全能の神である。
・神は、天と地、見ゆるもの、見えざるもの、すべてを創造した。
?
一方、グノーシス派によれば、
・この世界を創造した神(旧約聖書の神ヤハウェ)は、唯一絶対神ではない。
・全能にはほど遠い、無知で傲慢な劣位の神である。
(全能の神が、こんな災いだらけの不完全な世界をつくるわけがない)
?
【救済について】
正統派によれば、
・人間はアダムとイブの原罪を継承している。
・原罪は重く深く、それゆえ、「神のゆるし」がない限り消えることはない。
・時は満ち、神の国は近づいた。
・悔い改めて、福音を信じれば、救済される。
※福音:神のメッセージ
?
一方、グノーシス派によれば、
・この物質世界は、我々を肉体に閉じこめておく邪悪な世界である。
・我々にとって救済とは、この物質世界から逃れ、天の家に還ることである。
・そのためには、何をすればいいのか?
・悔い改めても、善行を積んでも、意味はない。
・唯一、真理を「知る」ことによってのみ、救済される。
?
グノーシス派はさらに補足する。
・ただし、すべての人間が救済されるわけではない。
・救済されるのは、内に輝く神性を宿す人間だけである。
・その他の人間は、動物と同じくこの世界の創造神の産物で、死んだら「おわり」。
?
「その他の人間」にとっては身もふたもない。こんな紋切り型の「弱者切り捨て」では、世界宗教はムリだろう。神性があろうがなかろうが、ウソだろうがなんだろうが、
「必ずあなたは救われます」
と言い切らなくては、正統派のように。
?
【イエスについて】
正統派によれば、
・イエスは、この世界を創造した神の子である。
・イエスは、人間の罪を背負うために降臨した。
?
一方、グノーシス派によれば、
・イエスは、この世界を創造した神の上位にある。
・イエスは、秘密の知識を授けるために降臨した。
?
ということで、両派の主張はかなり違う。正統派がグノーシス派を執拗に敵対視したも無理はない。グノーシス派はことあるごとに、「知識」をひけらかし、したり顔で正統派を愚弄したからだ。イエスの死後、正統派は教会の権威を高め、精神世界の覇者たらんとした。世俗の王が、物質世界を支配したように。旧約聖書と新約聖書はそのための神聖なマニュアルだった。ところが、グノーシス派はそれを否定し、唯一絶対神をもあざ笑ったのである。
※参照元:http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-131/
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馬鹿というもんがバカ
グノーシス主義って、クーデター派とバッチリ一致するじゃんか。
しいていえば、クーデター派には知がないところが唯一の違い。
馬鹿というもんがバカ。
邪神呼ばわりするもんが邪神。
グノーシスと批判するもんが知抜きグノーシス主義者だったってことか!
わらかしよんな、ホンマ
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(無題)
分裂や紛争は、安定に比べるとやっぱり人を成長させるきっかけになりやすい。
実際にきっかけになるかどうかは時所位。
俺は未熟なんで、つい腹を立ててしまうことは今でも一定程度あるけど、
それでも受け取り方の変化で怒る場面が本当に減ったし、
理屈で考えると、怒る必要ってそもそも全然ない、と普通に思う。
最近気付いて今まだ観察中の体調の変化。
ゼンソクが出なくなったことは書いてきて、今でも継続中。
ふと気付いた変化は、どうも基礎体温が上がっている気がしている。
特に測った訳じゃないけど、物心ついて基本冷え性でよく着膨れしてきた人生だったけど、
どうも最近暑く感じることが多い。
単に暖かい日が多い、だけでは自分の中で納得がいっていない状態。
まだ観察中だけど、ゼンソクが出なくなったことも合わせて、
体質が相当変わった可能性も結構有る、と思っています。
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(無題)
体質が変わったというか、光が通りやすくなった、ということかも。
光を感じることが良いかそうでもないかは知らないけど、
浄霊を頂いている時、自己浄霊をする時、
どちらも以前よりかなりよく感じるようにはなっています。
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分院よさらばの続き
私:
「やめることにはやぶさかではありません。ただ私は8年前に教団が一つになるための先陣をきり受け皿づくりをやりたい。
それを分院を代表して先駆けたれということで皆が送り出してくれたので、まずその報告をしてから去りたい。
その結果としての一つが『おひかりは要らない』という世界に行き着いたので、私個人のこととはいえ報告しないわけにはいきません。
ただ教団は一つにならず、東方之光は療院体制のもとに経綸が進んでいるため敢えて黙っていただけです」
「おひかりに関しては明主様時代の書面で説明があります。しかしメシヤになられてからは
“おひかりは要らない”また“印刷でも良い”というお言葉を残しておられると聞いています。
だから私はおひかりを必要としない御神格に求めた結果、いらなくなっただけでなくより強い光を取りつげることが分かりましたよ」
「また明主様の御神格をメシヤとして求めていく方針は承知していますが、メシヤは明主様お一人の地所位なのかどうかは分かりません。
しかしこれはかつて川合会長が訴えられたことですが、場所や出来事の御事績を残してこられたのは
我々が後を担って行くためと思えるようなことが起きていますし、おひかりの例えに見ても神人合一までは実感できます。
高く遠い存在として受け止めるかどうかは別に、共感できて初めて後を引き継げるのではないでしょうか。
私は明主様との共感こそが肝になると思っています」
「何故ひとつになることをやめたんですか?」
サブチーフ:「‥‥では辞めないで下さい。しかし何もしないでください」
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ああしろ、こうしろ
明主様のご聖言では、
すべてのことを見通している神がいることがわかればいい。
ああしろ、こうしろなんていうことは必要ない。
だから光が通りやすいとか、通りにくいとかはあんまり考えたことがないんだな。
ゲラちゃん個人の体験によれば、浄霊力の差はあるとは思うんだが、あくまでも「ニの問題」かな。
ゲラちゃん、子どものころアトピーだった。軽いほうだったんだと思うが、アトピーには荒れの激しいときと、比較的おさまっているときがある。
あるとき荒れが激しくなり、顔じゅう荒れただれた。浄霊をいただいてはいたが、さほど変化はなかったんじゃなかったかな。子どもだったから、気にしてなかったけどな。
で、所属する布教所とは別の布教所に行った。親について行ったんだが、アトピーとは別の用事で行ったことはまちがない。
そこの所長は、ゲラちゃんの顔を見て、さすがに驚いたのか、、「浄霊しましょう」となった。
浄霊中はじっと座っていなくてはいけないので、ゲラちゃんは子ども心にめんどいなと思ったことを覚えている。
ところが、浄霊をはじめた瞬間から荒れが枯れ始めるのを感じた。その夜は、ひたすらカサブタ剥がしにいそしんでいたくらいだ。
たぶん一週間もしないうちに、顔じゅうがきれいになったと思う。
だから人による差を否定はしないが、だからといって浄霊力の強さを求める気にはならないんだよな。
ゲラちゃんが信仰大好きな体質だからかもしれないけどな。
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画像からの浄霊
この頃、遠隔浄霊が画像とかを通して広まっているように感じます。
コンピューターが存在するからこその恩恵かな。
明主様の御浄霊の手から御浄霊をいただくというのもありましたが、個人的には継続されておられるかたもおられるでしょうが、大きな話題ということにはならなかったように思います。
明主様の御浄霊をされている動画から頂くというのもそれほど話題になっていたとは感じません。
動画でのライブ浄霊は、ルクスオリエンスの中橋先生がされておられた。
宣教局にいた頃、信徒研修会の時に、三代教主様の御浄霊をされているビデオを流す役目をしてまして、何度も何度もテープの確認ということで、そのビデオを見させていただきましたが、ビデオは好きでしたが、浄霊を頂くということにはこう感じたということはないです。
しかしながら、スカイプで浄霊をすることにながらく取り組んでいました。アメリカから日本の対象者に向けてです。10年も15年も前のことでした。
当時は、お守りを外しての浄霊も実行したり、組織傘下ではないので、いろんなことを実験して、一人の受けてに対して集団で取次ことも普通にしてました。アメリカにいるという自由な環境が後押ししてくれました。
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(無題)
御教え・ご聖言の受け取り方は人それぞれ。
明主様も、当然それは織り込み済みのはず。
受け取り方・その後の行動に『誠』さえあれば、
たとえばキリスト教の是非どちらであっても、
その時点では何の問題もない、
というのが俺の受け取り方。
そもそもとことんまで自教を疑え、と推奨されているんだしね。
疑う期間が短期なのか、長期なのか。
別に一生疑い続けながら信仰続けたっていいじゃん。
それが本心ならば。
本心を言う事は基本誠。
一定の期間を生きたら、それに相応しい言動にすることは社会生活上過ごしやすいとは思うけど、
せめて思想は、自由であった方が良いように思う。
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(無題)
>遠隔浄霊が画像とかを通して広まっている
18番さんは、この前僕に遠隔浄霊していただいたとのことですが、
具体的には、フェイスブックの僕の画像に対して手をかざした、ということでしょうか。
遠隔浄霊は色々やり方は有ると思いますが、
遠隔浄霊で僕の急所を実際に感じられた、とのことで、
18番さんのやり方に興味を持ちました。
数日前、口の調子が悪いという投稿があった時に、
見よう見まねで18番さんの顔写真の額と口に合計15分くらい、遠隔浄霊させていただきました。
これでいいのかな〜、と思いながらですが(苦笑)
これでよかった?のか、18番さんの遠隔浄霊のやり方を参考までに教えてください。
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神様の世界は自由だが
神様の世界はたしかに自由みたいだな。
天国に行くかどうかも、神様のほうから力づくで連れていくということはないというし。
自分から行くとかどうか。決めた結果が自分に返ってくるだけ。
ただ人間社会はそうはいかない。
人間が決めたルールだけを守れないと、自由が制約される。
それがたとえ悪法であってもだから、法はとりあえず守るしかない。
もちろん法が常に正しいとは限らない。
法が入り込めない領域は、心の中。
心のなかで何を思おうと、考えようと法は一切関与できない。
その意味でも、「想念の救い」の意義を痛感する。
神様、うまいこと仕組んだなってな。
いつながら神様のお手並みの鮮やかさには感嘆するばかりだ。
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遠隔(リモート)浄霊
白ぽっちさんに遠隔浄霊をさせていただいた時は、私のイメージの中で、白ぽっちさんの写真を頭に浮かべ、浄霊は対照者が前に存在するつもりで手をかざし、想像で、後ろを向いていただき、狙った箇所、背中の右腎臓の下を5分ほどし、それに連なる尾てい骨のところを3分ほどしで終了という形でした。
体調の都合がありますので、よしと思った時にしかできませんが、現在緊急対象者を二人にして、取次をしてます。
一人は火事でひどく火傷で、今は退院。
一人は信者さんで、先にグループで御祈願をしたケースですが、不思議なことにその時間あたりから回復となって、退院されているということです。
キュウリは一つは溶けてしまっているようですが、浄霊の方は形は変わっていないように見えます。
御浄霊ありがとうございました。
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祝詞も自由らしい
竹田恒泰氏によれば、祝詞も各自が自由に作っていいらしい。
言葉も形式も自由だと言っていたように記憶している。
だから竹田氏は、自分で作っているそうだ。
皇族出身という土壌があって可能なことだろうが、一般人はなかなかそうはいかない。
だから教主様がお作りになったものを奉じているんだけど、
自分で作れるなら自由に作っていいそうだ。
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(無題)
>イメージの中で、写真を頭に浮かべ、
>想像で、後ろを向いていただき、
なるほど〜。こういうやり方もあるんですね。
認知症で宗教嫌いの父がいるので、やってみようと思います。
>自分で作れるなら自由に作っていいそうだ。
面白いな〜。
竹田さんて、一見権威主義のように見えやすいかもだけど、
そうでもなさそう。
できる事とできない事をちゃんと分けてそう。
何でもかんでも有り難がる、のとは違う感じはするね。
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わだかまり
本来、遠隔(リモート)浄霊 は明主様のお許しというお言葉があって、可能な浄霊のあり方だと思います。
アメリカ流と言いますか、ほとんど尊敬とかの観念が無いということから、理解が異なるという前提があるので、何を言っているのだと日本の信仰に厚い方は思うでしょうということばかり。
遠隔(リモート)浄霊についても本来のお許しというこだわりが必要と今でもそこが引っかかる点です。
当時なら、明主様にお伺いということで、かしこみかしこみとひれ伏しとなると思いますが、その点も自己流、自己流の理解でしかありませんが、遠隔(リモート)浄霊 についてのお許しのお言葉をいただきたいと思いました。
遠隔(リモート)浄霊 が地上天国建設に役立つことなのだろうか?ということも思うのは、本来の浄霊のあり方、または明主様への御祈願のあり方とは程遠い、尊敬のない自分の都合でやっていることと思うこともできる。
所属団体なしの信仰の継続は、結果として自分の幸福が中心。組織傘下の方々とは違うということで、情報処理をしてください。
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フリーダム
あくまでもゲラちゃん個人の空想。
神道は、かなり自由な信仰のようだ。
だから祝詞も、こうでなければならないというものはないということなのだろう。
さすがは日本発生というだけのことはあるな。
なにせ八百万も神を誕生させているだけのことはあるなとな。
絶対神であるメシアが降誕した現在、明主様のおっしゃった
「すべてをお見通しの神がいることがわかるだけいい」
というわけで、絶対神がすべてを見ていることを踏まえたものなら、
何をしてもいいということになるのではないか。
祝詞も例外ではなく、絶対神が見ていることを前提にした思いなら、
そこから発する祝詞に制約はないということではないだろうか。
神様のほうだって、既製服のような祝詞を奉じられるより、その人間の
思いに沿ったオーダーメイドの祝詞を奉じられるほうがずっと嬉しい
かと想像するんだよな。
そうはいっても、祝詞を作れる素養をもった信者なんて当時も今も皆無に等しい
だろう。
しかたがないから、神道の祝詞をもってきて、明主様が手を入れ、それを
捧げるように指示しただけなのではないと思ったりしている。
ご神名も同じで、主神様が「I ? 神様」「MY name is 神様」なんて
教えてくれるはずもなく、人間がこう表現させていただきたいと思う尊称で
お呼びしていただけなのではないかと思ったりている。
神道に比べると、仏教は規制が多い。
しかし、美術面は仏教のほうが素晴らしいと思う。
現在のキリスト教がいろいろな土着信仰を取り入れながらできているように
明主様の信仰も、いろいろな世界の信仰を取り入れながら完成していくように
思う。
ちなみに、「自由」はフリーダムとかいろいろ訳されるが、
本投稿では、あくまでも福沢諭吉氏による日本語としての「自由」として
使っていることを付記しておく。
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猿マネとパクリ
日本人はかつて「猿真似」と評された。
日本人は現在、アレラの国を「パクリ」と評している。
パクリと猿マネ。
公式な定義はないんだろうが、一般には区別する向きもないことはない。
日本人は欧米の技術を猿マネし、欧米の技術以上のものを作り上げた。
アレラの国は日本などの技術をパクリ、日本などの技術以下のものしか作っていない。
明主様のご聖業も、神道や仏教を猿マネし、今またキリスト教の猿マネをスタートした。
神道にできなかったこと、仏教にできなかったこと、今後はキリスト教にできなかった
ことを実現させていくものと考えている。
それこそ、日出る国の宗教なんだろう。
あんまり言うと、不要な争いを招きかねないので、ここまでにしておこっと。
-
想念浄霊の話
>その人間の思いに沿った
同意できる意見でも、力点はまたそれぞれだけど、
俺の力点はやっぱここかな。
今日は信仰の先輩に想念浄霊の話を聞いてきました。
参考までに要点を。
まず、神様に想念浄霊のお許しをきちんとお願いする。
ここが一番大事らしい。
やり方は色々あり、
写真に対して浄霊したことはある、とのことでした。
同じ家に住んでいるなら、その方向に向けて浄霊したらいいそうです。
連絡がつく相手ならば、何時から浄霊するよ、と伝え、
お互いに心を合わせることも大事とのこと。
また一定の話ができる信者であれば、ちゃんとお玉串を(浄霊する側に渡す渡さないは問わず)
するように伝えることも大事であると。
可能な限り、対面浄霊に近い形ですると、
結果が出やすいそうです。
対面浄霊に近い形とは、形式のことを言っているのではなく、
対面の時のような想念で、ということでしょう。
対面浄霊に近い形は、想念も伴いやすい、
と受け取っています。
逆に言えば、想念さえ伴えば、
形式は関係ない、とも言えると思いました。
-
ご在世中
ゲラちゃんの家は古くから信仰しているので、古くからのみ教えがある。
当時の紙で、当時の活字から浮かび上がる明主様のエネルギッシュさが
魅力で、今でも休みの日には開いている。
なんちゅうか躍動感がいいんだよな。
それを読んでいると、明主様がいかに信仰的に自由な考えを持っていたかが
わかる。
そして斬新。
つねに、最も新しく、誰もやっていないことをやっていく様子が伝わってくる。
政治、国際情勢、文化、鉱山、恋愛、男女の営み……内容も多岐にわたるしな。
ここで語られている明主様像とは、かなり違っていると感じだ。、
誰と会ったとか、どのご神体が一番とか、そんなチマチマしたことにこだわる
方ではなかったと思うぜ。
-
(無題)
>明主様がいかに信仰的に自由な考えを持っていたかがわかる。
>そして斬新。
>つねに、最も新しく、誰もやっていないことをやっていく様子
宗教臭くない、ってことだね。
古い業界の人だけど、その業界らしくない新しさを持っている、って感じか。
当時信者でない一般の人から見ると、
ライブドア時代のホリエモンとか、
大阪市長時代の橋下さん、
みたいなイメージだったのかもしれないね。
まあ情報革命前だから、知名度の比較は難しいけど。
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大きさが
その二人と比べるのはさすがに失礼かなという気がしないでもない。
二人とも立派な人だと思うし、頭も切れるし、意志力がすごいし、
エネルギッシュだと思う。
ただ、その二人と比べると、大きさが違う気がする。
お二人とも大きいんだけど、それよりはるかに大きい、
そんな感じかなぁ。
まぁ、気取らないところは同じかもな。
エラそうに見せないというか。
あと繊細なところも同じかもな。
橋下さんは選挙応援しか見たことがないのでわからないが、
ホリエモンは意外に繊細な人という印象だった。
明主様も繊細なところはあるみたいだし。
-
気がつけば
マンデーブルーが消えている。
学校時代から日曜日の夜から憂鬱だった。
とくに何か心配事があるわけでもないのに、憂鬱になったものだ。
それが、ここ1年ほどになるかな、なくなった。
これも天国にいるお陰だろうか。
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(無題)
学生時代は・・・、アマリに大学行かな過ぎて、
マンデーブルーも何もなかったな(苦笑)
今はコロナでマスクブルーの人結構多いと思うし、
これから暑くなるからそういう人更に多くなると思うけど、
職場なりでの実質マスク強制がない境遇にあることには、
本当に感謝しかない。
塞翁が馬。
-
マスクピンク
ゲラちゃんの職場、100%マスクしてるがな。
冬はいいけど、夏は辛いだろうなぁ。
マスクでいいことが一つある。
ブスが美人に見える。 ← みんな言ってる。
逆境のなかでも、福を見いだす。
前向きな職場だろう。
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明主様との共感
「分院よさらばのつづき」から続きます
「何もしないで」と言われたので先祖の慰霊以外はやりません。
平成27年の立春際にバス参拝を計画していたら2日前になり都合が悪くなったのでキャンセルし、
「バス代はこのあと申し込まれる方に私の代わりに参拝させてあげて下さい」と申し出たにも関らず、
その後申し込まれる方からは普通に集金しこちらにお金は還ってきませんでした。
聞くところ、「サブチーフが還すなと言われますので」と。
「まあお金は払っているのだから霊は参拝しているということになるな」と思っていたら、
聖地の動画、画像からは光を頂けていましたが、その後、心に想うだけで光を頂けるようになり、
それ以後参拝することは無くなりました。※相手の背後には邪神がいるのではなく神様がいます。
その後そのサブチーフは昇格し他県のチーフとして赴任して行かれました。
それからしばらくして台風が普通はスライスするのがフックしてその県に向かって行ったのは記憶に新しいところです。
一昨日、世界メシア教の月次祭に行ってきました。東方之光に籍を置く私は知り合いに誘われて行くというスタイルです。
新たな御神業の段階を感じるかのような、終始暖かい光に満ち溢れるものを感じました。
同時に自分の中では、聖地を必要としない教団の新たな個の完成に向かうスタイルについて確信が生まれました。
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気が向いたら
気が向いたらでいいんだけど、
そもそもサブロクって、なぜ、東さんに所属するようになったのけ?
かなり相容れなそうな気がしていたんだが、サブロクと東さんって。
世界メシア教って、昨年末のご生誕祭のときから、段違いに力強くなった。
これはゲラちゃんが感じだけで、そのことを参拝仲間に言ったら、ピンときて
なかったみたい。
年が明けて、立春祭。
今度は参拝仲間のほうが言った。
「なんかスゲ〜〜力強い感じがした。すごかった」
ゲラちゃんは、ご生誕祭のときは無視したくせにと心のなかで思ったが、
口には出さず、
「自分もそう思った」
と同調した。
明らかに力強くなってると思うよ。
地に脚がついているというが、しっかり根を張り巡らしているというか、
とにかくビクともしない力強さなんだよな。
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(無題)
力強い感じだったり、
温かい感じだったり。
役割に応じた感じ方なのかも。
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ちょうどいい
洋ラン(シンビジウム)の切り花をいただいて、花瓶に入れて目の前においてある。
そこには数百本の洋ラン(シンビジウム)が咲き乱れているそうで、そのうちの10本ほどをもらってきた。
テーブルの上に、一つの花が7〜8センチにもなろうというランが40以上開いているけれど、ちょっとここには大きすぎる。
こんな大きなのは、ホテルとか、何かのショーに使われるのだろうけれど・・・。
大きなタイが大味という、程。
程ほどがいいと思う。
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(無題)
シンピジウムとは東南アジアから日本にかけて自生するのが原産のようですね。
それに手を加えて洋ランとなった。
>テーブルの上に、一つの花が7〜8センチにもなろうというランが40以上開いているけれど、ちょっとここには大きすぎる。
香りが強そうですね。
食事の時など、その香りがちょっと邪魔になるくらいでしょうね。
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馥郁
香り無し。胡蝶蘭も香り無いです。
月下美人は香りますよ。その代わり一夜だけで、夜10時〜翌朝の3、4時ごろだけは、それは見事な花を開かせ、香ります。その匂いも好きとか嫌いとかに分かれる。
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(無題)
>香り無し。
これは意外でした。
黄色いシンピジウムなどは香りが強いという印象があったもので。
まあ、交配具合や個体差によって違うのかもしれませんね。
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匂いの強いラン
匂いの強いランというので調べてみました。キンギアナムというのがある・・・。
あれかということで、実は我が家にもあります。
これはトイレの消臭剤のような、ツンと来る匂いで、花もそれほど長く持たないような感じです。
これらの花は妻担当でやってます。
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明主様との共感?
ゲラさん、自分が好きな教団と自分に必要な教団は違いますが、最近はその区別がつきません。
聖地を持たない世界メシア教が如何にすれば個の完成を図れるかを提案する前に、聖地について考えをまとめてみたいと思います。
そもそも聖地とは何か。会社や仕事はそこに従事する人が幸せになるための道具であって、
聖地もその道具としての役割とすれば「ここに来ればいいんです」というお言葉から「触れて救われる場所」である筈。
川合輝明氏は43歳ごろ教団の代表となりその後一元化を成し遂げ、熱海完成後の教団浄化により、
余人を以って代えがたい存在から一転非難の中心人物となるが、教団再建派は指導者にお願いするも固辞される。
再三のお願いに出された条件は、「自分のやりたいようにやるけどいいか?もう宗教の時代は終わった。明主様を救世主として世にお出ししたい。
この一点に自分のすべてを賭ける」として療院の開設を始めとして今日のMOA・東方之光の基礎を築かれた。
特に一元化後の様々な制約のある中、信仰活動を中心した在り方では踏み込めなかった「個の救いと完成」というテーマであって、
体的には療院建設、内的には聖地の研修に力を入れた。
聖地では、箱根は霊的=想念を明主様に通わすことで明主様がどう応えてくれるのか。つきつめれば「内流」が頂けるかどうかが研修の中心テーマとされた。
熱海は形に現れた美というものを中心に明主様と共感が得られるようにというテーマだったと受け止めている。
特に取り上げられていたのは渋井先生に対する明主様のお言葉「非常に頭のいい人で、私が言った通りに考え、私の言ったようにやっている」
という小川栄太郎先生に言われたお言葉である。
明主様と同じように分かることが出来れば素晴らしいと思うが、応えて頂けるかどうかが大事になってくる。
ある時「明主様は景観台(水晶殿)からの眺めは自然美の極致だと言っておられるが、あなた方は本当にそう思えているのか」と幹部の先生方に指導しておられた。
私はその内流も自然美の極致の両方とも明主様が応えて頂けたが、他に共感できる人のあまりの少なさに課題意識として持つようになった。
平成15年に引退される時の川合会長の満ち足りた感じの表情から、私は今後どこに目線を向けなければならないかを考えていた。
「長げ〜よ!」と言われるので一旦切ります。
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自分との対話の深さと浅さ
死刑囚の成長例
『一人は哲学が好きで「本を読んで感動しても、人と話せないことがつらい」と話す。
別の一人は自身を灯台に例え「私の歩んだ道を歩まないよう示すことが、私の生きる道だ」と語る。』
聖イグナチオ教会協力司祭のスペイン人神父、
ハビエル・ガラルダさんの記事(3/17 47NEWS)より
『「死刑囚には考える時間があり、『深いところの自分』と仲良く話すからだ」。
ガラルダさんはこれを「充実した沈黙」と表現する。
ただ、「浅いところの自分」としか話せない死刑囚は罪と向き合えず、
境遇に不満を述べるのだそうだ。』
自分との対話の深さ浅さ、誰にでも当てはまりそうです。
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変な話
白ぽっちさんの写真を見て、あれ〜!?っと思った。このシャツ私のと同じ柄じゃない・・・。
だよねと妻に聞いた。そうそうとクロゼットにまだあるかもしれないと探してみたけれど、既になかった。
変な話、先ほど娘がカラスを拾ってきた。何かに襲われたのか、尻尾の羽がないので飛べない。それを拾ってきたということ。
少し前の話、この頃街中では車の品評会というわけでもないけれど、とある交差点で、ドリフトを楽しむ会が大きくなってきているという。そんな中、街中を猛スピードで走るというのもあって、先日のそれは、ランボルギーニが乗用車と事故を起こした。相手は死亡。ランボルギーニも大破ながら、運転手は未成年で、無免許。無傷。事故の責任のことなど、何もないって顔だったらしい。
そんな世の中。
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2題
1題 個人が信仰を選択できるようになったのは最近のことのようだ。
カソリック、プロテスタントといっても、領主や王が高い免罪符を購入できれば、
カソリック。そうでない場合は、プロテスタント。領民は、領主や王が決めた信
仰をする。現在でも、この様相にさほど変化はないらしい。
日本でも似たようなもので、仏教もキリスト教も為政者への布教から入ってい
る。布教するには、為政者の許可が必要だったしな。
2題 その話は外国の例ではないかな。ゲラちゃんもユーチューブだったかで、執行
経験のある刑務官の話を見たか、聞いた記憶がある。
ほとんどの死刑囚は、自分が助かることしか考えていない。どうすれば執行を
延ばせるか、回避できるか、それだけだって。被害者への謝罪も、この目的でしか
行われていない。
ごくごくわずかな例外として、教誨師の話で、執行後は救われることを信じる
ようになった死刑囚もいて、その人たちは心からの謝罪もあるようだ。
謝罪というのは、救われて初めて湧きおこる精神行動なんだろうなと思う。
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(無題)
>このシャツ私のと同じ柄じゃない・・・。
相当前の、父親からのアメリカ出張お土産、
だったかもしれません。であれば同じ柄、有り得ますね(笑)
>高い免罪符を購入できれば、カソリック。
そうでない場合は、プロテスタント
今日読んだ歴史の本によると、宗教改革が成功したのは
ドイツで『活版印刷』技術が発明されたことが大きいとの事。
発明以前には、教会の腐敗や偽善が情報として広まらなかったために改革の支持も広まらなかったが、
活版印刷で広く知らしめることが出来たため、
支持が広まった、という話。
情報革命がキーポイント。
救世教や秀明、その他の宗教なども、次の情報革命(インターネット)によって
内部の腐敗・不正が相当知られることになった、のと同じだね。
>その話は外国の例ではないかな。
これは東京拘置所の話みたい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/27e1027bd323464250a3877fedb7c592d915917d
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識字率
印刷は大きいよな。
ただ一般の民衆が、どのくらいの数、文字が読めたかとなると、
やはり支配層。
日本みたいに寺子屋もないし。
ちなみにマフィアはカソリック。 金あるんだろうな。
宗教側も、どうしてもターゲットは支配層になったんだろうな。
個人の信仰となると、今でも心もとない。
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(無題)
出張お土産はメイド イン C でしょう。
先日、妻が買い物に行った先で、電話をかけてきました。
あずきを買いたいけれど、日本産の慣行農業のものか、中国産のオーガニックのものがあるけれど、どちらを買おうか?
結局買わずに帰ってきました。
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全体とひな型
聖地を管理していても願いに沿わなければ、指導する人もいない状態では聖地を以って個の完成は難しいと考えられる。
しかし分かる人は分かる。つまりいずれ聖地の方で管理者を選ぶことになると思います。
私は聖地と自分の関係が理解できるようになると、いづのめや主之光との交流が始まった。
タテの東方之光の資質を以って、ヨコのいづのめと交流し始めてからは、自分の行く先や周りにいろいろな変化が起きてきた。
メシヤとなられてからは明主様時代には見えなかったことも理解できるようになった筈です。
そのメシヤを求めていく自分にも理解できただけは当然切り捨てなければならない部分が出てきます。
先のいづのめとの交流で、「想念の実践の型」を事例で確認し、私自身が想念で実践できる資質を引き出せたということは、
それまでの東方之光でもいづのめでも理解できない結ばれた一つの世界にいるからです。そうなるとそこには今までの必要のないものが出てきます。
聖地参拝をしなくなってからしばらくすると「聖書を学びませんか?」とキリスト教との付き合いがはじまり、
自分に必要なことなのだろうという気持ちはあっても、あまりにも違いすぎるため困惑しながらも、
特に去年からリモートでやる1分前に「お祈り」をしてから臨むようにしたところ、
「天におります私たちの父よ、お名前が神聖なものとされますように〜」と始めると、神からの光を感得できるようになって来た。
そしてリモートが始まり「まずお祈りをしてから始めましょう」ということでお祈りが始まるのだが、
そこからは光は感じません。しかし私には必要ないが、その方々には必要なものだと思います。
そのように人類の3分の1を擁するキリスト教。地球的、全体的レベルな視点で見ることを学ぶにはまずその世界観を理解しようとします。
言語は違っても地球上ほとんどの国で受け入れられている聖書です。
また世界から中心に向かって浸透するのとは対極の、「型の拡大」として中心から全体に拡大することを願う我々としては、
「想念」でエホバに繋がれば、カトリックの偶像崇拝や、偶像を通さず祈りの形式を重要視するプロテスタントの両者を結ぶことが出来るはず。
結べるとは救いを示すことになる。つまり聖書の学びはキリスト教というよりも、自分自身の完成の手段と出来るはずです。
世界メシア教に所属するならば分科会を作り、その分科会同士の交流を図り全体を見ていくという学びを積み上げれば、
結果として見えてくるものがあると思います。
自分がいいなと感じるものでは無く、浄霊を頂き楽になればその浄霊は自分にとって必要なものという位置づけになる。
同じように光を感得出来るものは必要になるものということです。
しかし光を感じないものは自分には必要ないものであって、間違っているというものではありません。
私はそのようにしてどう進むべきか判断し、自分なりに極めてみたいと思っています。
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(無題)
>出張お土産はメイド イン C でしょう。
そうかも(苦笑)
>浄霊を頂き楽になればその浄霊は自分にとって必要なものという位置づけになる。
同じように光を感得出来るものは必要になるものということです。
方法論と結果論、の御教えが浮かびました。
僕は現在御教え拝読とはほぼ無縁の生活を送っていますが、
秀明で100編の御教えは数10回は繰り返し拝読して相当覚えているので、
こういうようなキッカケで結構頭に浮かんできます。
今となるとその拝読した時期は、まさに自分に必要だったんだと思っています。
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ボンクラ
教祖、明主様の聖言。
私の書いたものは、文字ができて例がないほど難しい。(昭和28年)
ボンクラは半分、もっとボンクラなら3分の1位しかわからない。(昭和23年)
いずれも趣旨。
文字ができて最も難しいと明主様がおっしゃったみ教え(御神書)を、理解し、会得した
つもりの人が、なんと多いこと。
「言葉の奥を読め」(趣旨)
ともおっしゃっている。
ゲラちゃん、「ボンクラ」って単語、妙に気に入ってしまったんだよな。
おまけ……。
「教え」では、人を救うことはできない ともおっしゃっている。
「み教え」なんて言い出したに、誰
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(無題)
御教えに限らないけど、
後々そうだったのか!と
理解が深まることは結構有るね。
>ボンクラ
何かの略なのかね〜。
語呂はいいかも(笑)
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御神書
明主様は、「神があることをわかるだけでいい」
「ああしろ、こうしろは必要ない」とおっしゃっている。
つまり、教えは必要ないということだ。
必要のないことを書くはずもないわけで、み教えなんてありえないはず。
ゲラちゃんが子どものころは、「御神書」だった。
明主様は、神様のことを、神様の言葉を記したってことじゃないのかな。
神様のことといっても、あの神様がどうとか、この神様、あの神様とかでもなく、
「主神様の愛」についてしたためたんだと思う。
あえて「教え」というなら、「主神様の愛」を教えてくださっただけで、
人間にああしろ、こうしろと教えたものではない。
そう考えると、脳内はかなりスッキリする。
ゲラちゃんも気づかないで「み教え」とか使っていたけど、いつから御神書が
み教えに変ったんだろうって、思い出そうとしているがわからない。
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クローズ
今週の恥ずかしい話。
ゲラちゃんは英語が苦手だ。
とはいえ年をとってくると、選べるほど仕事がない。
しかたなく引き受けたのだが、こんな英文に出合った。
They are close.
引きこもりの話かぁと思って読み進めていたのだが、
メンバーの一人が気づいた。
彼らは、仲がいい。
という意味だとわかった。
一つの単語にいろんな意味がある。
クローズ=閉鎖
と疑いもなく思い込んでいたSimple brainが、恥ずかしかった。
言葉って、本当に奥が深いなぁ。
-
(無題)
>メンバーの一人が気づいた。
組織の存在が許されている理由そのものだと思っている。
一人で気付く・悟るなんてまず無理。
交流があってこそ、その振り返りに意義が出る。
本質的に一人で喜怒哀楽、ってあるのかな。
一人=無、じゃないかと思っている。
我思うゆえに我有り、だけど、
我のみ思うゆえに我以外なにもなし、じゃないかと。
だからこそ、執着を取りたい場合には一人になるのが有効なんじゃないかな〜。
-
執着は、他人の価値!?
他人の価値観が入ると、自分に与えられた本心の思いが見えなくなるという意味?
この切り口は、新しいな。
本心からの思いってのは、ゲラちゃんに言わせると、神から与えられた思いなんだが。
たしかに他人の、社会の価値観に触れると、損得もあって、そっちに引きずられるって
のはあるな。
物事は、相反するものが同時進行することが多いが、
人との関りを絶つと生きていられないってのもある。
結構知られた話が、たしかフリードリッヒ1世じゃなかったかな。
生まれたばかりの赤ん坊を集めて、人との関りを可能な限り絶って育てた。
衣食住、最高の環境で。
3歳まで生きた赤ん坊はいなかったという。
ゲラちゃんも人が嫌いなほうなので、1人でできる仕事をしてきた。その結果、
社会的な地位とか、見栄とかはなくなった。
でも社会とのズレが大きくなったような気がして、チームでやる仕事も引き受ける
ようにしている。
執着がなければ取る必要もなくなるけど、執着もないと生きられない。
感情も、喜怒哀楽も、執着もあったほうがいい。
あって出さないのがいい。
明主様の誓言にはこう記述されているけど、これは神様に対してのこと。
人間に対しては、あって出し方をコントロールするのがベストだと考えている。
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枕の冊子
源氏物語に比べて、どうしても興味がわかなかったのが、枕草子だ。
理知的すぎて、破綻がなく、温もりを感じなかったせいであろう。
数年前、たしかラヂオだったと思うが、こんな話を聞いた。
源氏も枕も、京都で書かれたもの。
作者は京ことばのイントネーションで書きすすめたはず。
だから、京ことばのイントネーションで読まないと、本当の味わいがわからない。
ゲラちゃん、早速、京ことばのイントネーションで読んでみた。
はるはあけぼの
以来、枕草子が好きになった。
御神書を含めた聖言にも言えるのではないだろうか。
明主様は江戸っ子育ち。
思想の根底には、江戸っ子魂が流れていると思う。
クドクド、きらい。 ダサいの、きらい。 あっさりさっぱり、粋に洒脱に。
江戸っ子になったつもりで拝読すると、また異なった視点が見えてくる。
http://
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キュウリの実験
浄霊と想念でガンだという実験結果は、あまりにもあからさまに違いが出ました。
それで、今回、浄霊と何もしないと、ガンだと想念でという三つでやることにしました。
いろいろ学ぶことが多いです。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001207.jpg
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(無題)
>他人の価値観が入ると、自分に与えられた本心の思いが見えなくなる
ここまで明確な考え方ではなく、
一人の状態とは、マイナス(執着)を減らせるものではあるが、
プラス(成長)を増やせるものではない、
という意味のつもりだった。
言われて逆になるほど、と思ったよ(笑)
>本心からの思いってのは、ゲラちゃんに言わせると、神から与えられた思い
この辺が、いつも自分との違いを認識させてもらえてありがたい。
実存主義とまでは言わないけど、自分は神様の存在を意識せずに考えることがあるな、と。
これが分かる機会をもらえたのも、自己開示したからこそだと思う。
>人間に対しては、あって出し方をコントロールするのがベスト
そう思うし、さらに俺はもうちょっと積極的に我を出して、
結果から学んでもいいと思っているよ。
無意味なぶつかりは不要だけど、
必要なぶつかりを避けていると成長しないしね。
紫式部の姓は藤原、らしいね。一族の人だったのかな。
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