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明主様
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(無題)
ナンバー8さん
お久しぶりです。
と言いましょうか、確か、その後に素性を明かされていたように記憶しているのですがね。
その事をお忘れになりましたか。
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どうも
どうも勉強中さんminoruさん有難う御座います。
minoruさんお久しぶりです。
minoruさんちなみに素性を明かすとは?何のことか分からないのですが?私がその昔、神慈秀明会に居て脱会したことですかね?脱会の理由としましては水が合う合わないがありますのと、ネットですから詳細はお書きしません。
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(無題)
三六九数霊盤
1〜81の数字を縦9列、横9列のマスの中に埋め込んだものです。
縦のどの列でも9文字を足すと合計が369になります。
横のどの列でも9文字を足すと合計が369になります。
また斜め(左上から右下、左下から右上)に9文字を足しても合計が369になります。
図の十字(ピンク)の9文字の合計も369になります。(他の8個所はそうではありません)
図の十字の上(緑)の9文字のブロックは【ブロック1】になり 例:46 4+6=10 1+0=1になります(他も同様)
図の十字の左(緑)の9文字のブロックは【ブロック7】になり 例:79 7+9=16 1+6=7になります(他も同様)
図の右下(白)の9文字のブロックは【ブロック4】になり 例:67 6+7=13 1+3=4になります(他も同様)
図の左上(白)の9文字のブロックは【ブロック6】になり 例:69 6+9=15 1+5=6になります(他も同様)
図の右上(白)の9文字のブロックは【ブロック8】になり 例:71 7+1=8なのでそのまま8になります(他も同様)
※要するに10以下の数字はそのまま、10を超える場合は 例:11 1+1=2 ということになります(他も同様)
9個の数字が入っているブロックのそれぞれ上部の真ん中の数字がブロック番号に当たります。
他にも不思議な法則が隠れているかも知れません。
この三六九数霊盤は世界救世教の岩松先生の著書【魂の目覚め】の中にも箱根聖地の光明神殿に関しての記載があります。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001008.png
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(無題)
>三六九数霊盤
魔方陣のうちの特殊な物?なのかもですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E6%96%B9%E9%99%A3
618
753
294
この3×3が小さい部分でも大きい部分でも反映されているのが三六九数霊盤、なのかも。
>10年経っても治らない方も居るんですよね?
信者でもいくらでもいます。
僕もそうでした。
この掲示板の投稿で書いていますが、
心が根本的に変わった時に、
どれだけ御浄霊いただいても治らなかった幼少時からのゼンソクが、まったく出なくなりました。
本当に治ってしまったのかと今でも不思議ですが、
治ってしまう時というのはあっけないものかもしれません。
御浄霊はただの病気治しではなく、病気を治すことでの悟り、成長を促すためのものなので、
悟り、成長がないと効かなくなってくる。
長年変わらない信者さんはこのパターンが多そう(自分の経験含む)、
というのが僕の見解です。
ただ、必ずしもこのパターンとは限らないとも思います。可能性の一つとして述べました。
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(無題)
>minoruさんちなみに素性を明かすとは?何のことか分からないのですが?
間違っていたら御免なさい。
私の認識としては、ナンバー8さんは白ぽっちさんによる書き込みという印象が強く残っているのです。
些細なやり取りから気付いたのですが、肩の脱臼はフィクションなのだと知って、その時はホッとしましたよ。
サーフボードが肩に当たって、というところからも何か湘南の風を感じましたからね。
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(無題)
文字だけのやり取りって難しいですよね。
miroruさんがそういうふうに受け取っていたとは(汗)
単純に、僕が当時の自分の常識を超えた話(大量の喫煙と浄霊の並行)をそのまま受け入れられずに
釣りに見えてしまった(釣りと見た方が当時の自分の常識との整合性が高かった)、ということでした。
minoruさんからすると、僕の自作自演と見た方がminoruさんの脳内で整合性が高かった、
ということなんでしょうね。
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資格者の晩年とか最後など
紺屋の白袴と云う話なのか、救世教の諸先生、教会長、所長、家族等の浄化で、何故こんなことになるのか、そんな結果になるのかと思われていない方々は少ないように思う。
俗に長期浄化とか闘病とか、回復しない浄化としか思えない症状。
渋井先生の浄化の時には明主様が、私が治してあげるという、超救いがあった。
齢は長く 無医薬というのが、存在するのかよくわからない。
いずれにしても、晩年、そしてお亡くなりになるまで、看病にしても相当な苦しみ、苦労がある。
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憶測、推測
憶測、推測で肩の脱臼がフィクションだったと?
minoruさん返信有難う御座います。
たしかに当時そこで白ぽっちさんから釣りや嘘つき扱いされましたが脱臼は今もよくない状態で事実ですよ。何のためにもっと重い病気では無く肩の脱臼をフィクションにしないといけないのでしょうか?
当時、それに頭に来てこちらの掲示板には二度と来ないつもりではあったのですが、最近ふと思い出して書き込みをした次第です。
宗教の枠を超えた交流・学びの場の掲示板とありますが、詮索や推測や憶測での判断、信仰ありきだけでは新規の方が入り難い雰囲気がします。
風の時代やコロナが太陽を現す昼の時代の始まり、レイキと浄霊の類似と違い、想念と引き寄せの法則や重子とミスマルノ玉について等、ゼロ磁場を活用した健康法、有機農法と自然農法の活用法、浄霊によるメカニズムそんな掲示板を期待していましたが、水が違うようです。
白ぽっちさんからの件に関しては今はどうとも思ってませんし、今回ご返答有難う御座います。
白ぽっちさんが建てられた掲示板と後から知り驚きましたが。
ただ話を当時からぶり返すわけではありませんが肩の件に関してだけでは無く、私以外の痛みや苦しみ(肉体だけでなく)を持っている一般の方や元信者の方、また現信者の方が憶測、推測のみで掲示板で釣りや嘘つき扱いされる気持ちが分かりますでしょうか?
最近では掲示板やコメントの内容で死に追い込まれる方もいらっしゃると聞きます。
こちらの掲示板では教団は違えども岡田茂吉先生の思いを受け継ぐ為と、宗派を越えて色んな考え方の方と交流するのが主としてあるのですよね?
文字だけでは判断は難しいかも知れませんが、いきなり憶測、推測で避難するより、信者さんであれば特に誠を持って対応するのが筋では無いかと思いました。
ちなみに私は白ぽっちさんではありませんし、元信者の一般人です。付け加えれば10数年前にファインラインのりんたろうさんとも交流が個人的にありました(会ったことは無いですがよく連絡を取り合い、メールで励まされました。何年も連絡を取っていなかったので帰幽していたのを後で知り心から残念でなりませんが)。
長くなりましたが、疑うのであれば掲示板の建て主との事なので白ぽっちさんへ私の肩のMRIの画像を送っても構いません(骨の形も健も一つとして世界に同じものは無いので)。
以上で御座います。
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(無題)
良い役をやらせていただく人もいれば悪役を任される人もいて、でも各々その時々で一番良いと思うことをやってきているんだろうと思います。なのでむやみに批判することは慎みたいと思う今日この頃です 勉強中さんは穏やかな方ですね。見習いたいものです。私などはどうしても我と執着心がありますので、愚痴っぽく考えてしまいます。画像は叔父の家を整理した時のものです。この光明如来像と以前の画像の御神体、ご尊影、観音像二体(持経、玉持観音)、御書六枚(大浄光、横書き散花結実を含む)、短冊多数を熱海に返納しました。共箱に入っていた光明如来像以外は染みがあったという事で、全てお焚き上げになってしまいました。私はどうしてもそれが執着なんですよね…。勉強中さんの様に心穏やかになりたいものです。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001014.jpg
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(無題)
>釣りや嘘つき扱い
当時は嫌な思いをさせて済みませんでした。
>私の肩のMRIの画像を送っても構いません
必要ありません。
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走れ、エイトマン♪
今、思っていること、それは主神様があなたをそんな世界から救い出してくれたことの証。として見せられているにすぎない。
だから、その思っていることをメシアの御名にあって、主神様にお委ねする。
これが想念の御用。
そのことを嫌だなと思ったということは、すでにその世界から救い出されているから。
ゲラちゃんは、日々、この御用にお使いいただくべく意を用い中。
やってみると、そう簡単ではないんだがな。
とにかく、救われたんだとは思うぜ。
追加:ぽっちに1票。
骨の画像なんか見たくねえよな。男も裸も見たくねえし。
娘がいるなら、その……。 立ち入り禁止発言でしたっ!
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(無題)
ゲラちゃん相変わらずやな(笑)
今の心境を誤解のないように書くとすると、
誰の投稿でも、投稿者の意図が釣りかそうで無いか、って別にどっちでもいいよね。
自分の受け取り方が全て。
投稿者の意図が釣りの場合でも、前向きに受け取れるならそれでいいし、
意図が釣りでない場合でも、後ろ向きに受け取ってしまう事が有る(汗)
相手は関係ない。自分の想念次第。
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(無題)
三六九数霊盤の1〜81に
http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/97-3-6532.html
にあるような数霊表の言霊を入れます。
1は「あ」、81は「ん」など..
そうすると色々見えてくるものがあります。
出口聖師はイロハ(168)と説きました。
明主様はアオウ(369)
次は文字より重要といわれる数字ヒフミ(123)の番ですね。
追記
ヒ(30)+カ(6)+リ(45)=81となり
三六九方陣は、光の魔方陣でもあります。
3+0=3 ヒ
6 カ
4+5=9 リ
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行くんだ!
天国は、来るんじゃない。
天国に、行くんだ。
神は、いいことをした人間を愛するんじゃない。
神だから、人間を愛するんだ。
神の愛は、努力して得るものではなく、
そこにある神の愛を受け入れるものだ。
すでに天国ができたから、メシアを遣わして、「天国に帰っておいで」と
おっしゃった。
神は、無理やり人間を天国に連れ戻したりはしない、
帰ってきた人間を迎え入れるだけなんだ。
天国人にふさわしい資質は、天国に帰ってから培っていく。
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(無題)
白ぽっちさんの心の対応というのは、体、心、魂という段階のことかと受け止めてみたのですが、ふと気力がありましたので、白ぽっちさんにお断りもなく遠隔浄霊をしてみました。
背面からですが、右腎臓下と、尾てい骨右側がツボかと感じました。
想像の世界のことですが、昔の癖ですので勘弁してください。
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(無題)
>minoruさんからすると、僕の自作自演と見た方がminoruさんの脳内で整合性が高かった
正にそうなのです。
釣り行為云々の指摘は普段の白ぽっちさんの書き込みから察すると到底考えられないほどにトゲを感じていたので、その方が自然だと思い込んでしまったのです。
御免なさいね。
ナンバー8さん
戸惑わせてしまい御免なさい。
もちろん、一昨年に何度か直接やり取りさせていただいた時にはフィクションなどという思いは微塵もありませんでしたよ。
そして今回の書き込みから新たに感じたのですが、所属云々は関係なく、ナンバー8さんはそれなりの信仰者ですよね。
ですから、手術の件はご自身の思うようにされたら良いと思いますよ。
もちろん、私でしたら手術はしません。
肩の脱臼で済んだ事を御守護だと捉えますから。
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(無題)
>到底考えられないほどにトゲを感じていた
振り返って自分でも思います。
思いがけない事に遭遇した時こそ、問われますね。
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騙される
ゲラちゃんなんか、ずっと詐欺扱いされているし、
邪神扱いまでされている。
人はなぜ騙されるか。
人を見て判断するからだ。
詐欺被害に遭う人の多くが、詐欺話を信用したわけではなく、
詐欺師を信用したからという話がある。
宗教を信じるときも、その教義ではなく、薦めてくれた人を信じるからだ。
あの先生はどうだ、この先生はどうかとかよく書き込まれるが、
人と人の差なんて、神と人の差に比べれば、ないに等しい。
人ではなく、神を信じていれば……と思う。
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(無題)
18番さん、遠隔浄霊ありがとうございます。
右腎臓下は、確かに僕の毒素集結部分です。
尾てい骨右側も、とのご指摘、今後の参考にさせて頂きますね。
18番さんの心身が楽になるよう、願っています。
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(無題)
ゲラちゃん、いつも神と向き合っているのはとてもよく伝わってくるけど、
その向き合い方は世界メシア教ができてから?できる前から?
そう向き合えるようになった理由・きっかけの中で
一番大きなものを、もしよかったら参考までに教えて欲しい。
今までの投稿からすれば、天国に住むと決めた、辺りの話だろうか。
全然急がないので、気が向いたらよろしく〜。
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尊敬できる人っている?
昔からだね。もしかしたら信仰とは関係ないかもだ。
学校でも、社会でも、ある程度は尊敬できるけど、自分のほうが正しいなと
思うことはよくあった。
この部分はいいけど、この部分は自分のほうが正しいなって感じ。
ゼミとかでも、教授って頭わりーみたいなことあっただろ。
都合がわるくなると、急に大声を出したり。
宗教でも、この先生のここは賛成だけど、ここは合わないとか、
元々教団の専従者とは合わなかったかもな。
だからどうしても神に向かうようになる。
神だけは、ここはダメとか、裏切られたって記憶がないんだよな。
怖いなとか、すげ〜〜〜とかばっかりで。
それが世界メシア教になって、一気に肯定された感じ。
裏付けされたって感じでもあるんだが。
専従者も、信者も何も言わない。
上から目線で、み教えの知ったかぶりをする人がいないんだよな。
もしかしたら、教主様の仰ることを理解できている人が少ないせいかもしれないし、
すごすぎて口をはさむ余地がないってこともありうる。
なにかを言おうって思うほど、疑問が湧かない。
今までの疑問が晴れるってことはよくあるんだけどな。
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(無題)
ふ〜ん。
やっぱり自分にウソをつかない人生を送ってくると、神様に真向かうようになるのかな、って感じる。
自分の心の疑問をごまかさない。
我をちゃんと持つ。
ゲラちゃんにはそう感じる。
その場しのぎの人生を送っていった場合は、
本質を直視しないから、
神様に真向かう必要も理由もなくなるのかも。
そういう意味では、
アメリカとか、成長期に自分の本心を表現する討論・議論の教育が盛んな国は、
自分の本心に真向かう事から、
神様に真向かう人も多くなりそうだ。
出るくいが叩かれやすい社会では、
心に向き合う必要が少なくなり、
神様に真向かいにくいのかもしれないな〜。
日本では我を出さない事がともすれば重要視されるけど、
ちゃんと我を持ち、その我はもっと肯定するとバランスが良くなるような気がした。
教主様の部分は俺は知識不足なので特に言及しないけど、
一気に肯定された、っていうのも興味深いね。
人によってはめっちゃ評価低いみたいだけど、
評価が極端に分かれる存在の方が、物事を成し遂げる開拓型の役割がありそう。
早速の長文の返信ありがとう。
>尊敬できる人っている?
本当に柔和かつ芯の強い人、先輩でも後輩でも、そういう人は尊敬している。
厳しさと優しさを高レベルで備えている人。
複数の教団でそういう先生に縁があり、とてもありがたかった。
尊敬というか、憧れ、と言った方が正確かも。
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封建制の衣服
本心を出さないという意味での日本人のウソつきは、
いまだに封建制の衣服をまとっているせいだと思う。
封建制って、直属の上司のご機嫌さえ損なわなければいい制度。
藩主のいうことさえ聞いていれば、幕府は裏切ってもいいという
制度だからな。
人のほうにばかり目がいって、神のほうはおざなり。
しかし、世の中を動かしているのは、神。
そこに目を向けていかない限り、目先の判断しかできないのはしかたない。
こういう話題は好きだから、いつまでもやりたいんだが、
とりあえず金をかせがなにゃ。
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(無題)
《小川栄太郎先生》
「 明主様と先達の人々」「景仰」より
小川は、大正二年新潟県で生まれ、成人して上京、病院の助手となり、後、鍼灸を習い、東京で開業していた。浄化療法(浄 霊)の話を知人から聞き、興味を持ち、昭和19年5月に蒲田の坂井多賀男の治療所を訪ねた。当時、「手から一種の神秘光 線が出る」と言われていたが、小川が「どうして…… 」と尋ねても、いつも「今は言えない。深い意味がある。あとで分かる 」の3つであった。そこでさっそく受講し、一週間座ったが、ほとんど無言の行のような講習会であったという。小川は、納得いったわけではなかったが、新潟へ帰り、手始めに、長女かよ子(当時2歳)の癲癇を治療するうち、15、16年前水死した叔母が、そのままになっていることがわかり、早速慰霊をしたところ、その日から発作が軽くなり、2カ月で全治するという 奇蹟を体験した。そこで、いろいろな人に取り次ぐこととなった。外来患者は次第に増え、毎日50人から百人の人、朝の5時 から夜中の12時ごろまで続き、門前市をなす有様となった。この盛況はかえって医師会の反感を招き、新聞は悪宣伝を載せ、 刑事は毎日のように来て、治療を受けた人々を調べ、やがて営業停止や勾留などと、弾圧が続いたので、ついに一人も来なくな った時もあった。「一時は天を仰いで長嘆息しましたが、もしあれがなかったら、私は有頂天になり、大きな誤りを仕出かしたに違 いないと思い、後になってからは、心から感謝するばかりです」当時を述懐している。昭和20年8月5日、群馬県前橋市に出張講習に行っ た時のこと、第1日目が終わった夜9時頃、米軍のB 29が120機来襲した。小川はすぐ教祖が書いた『光明』 の書に礼拝してから屋根にのぼり、上空に向かって手をかざした。『空襲の時には、飛行機を浄霊せよ』と、その頃教祖が言っていたからである。油脂焼夷弾が雨のように落ち、前橋市の大半が被災し、3日間にわたって燃え続けたのであった。周囲はすべて焼けたが、講習会場 の家1軒だけが焼け残った。翌日から罹災者が30人位、治療を受けに来たが、その場で死ぬ人もあり、悲惨の極 みであった。昭和21年5月、小川が箱根のご参拝に行って倒れて動けなくなった時、明主様は『鳥の家(箱根参拝時の信者休憩所)に泊めてやれ』とおっしゃり、そこで静養す ることになった。その時の病は、以前に医者から手を切られた時の症状と同じで、あまりにひどいので、お側の人が教祖に聞いた。?あの人はどうでしょうか?と。教祖は、『あれは本当はだめだ。しかし、神様の口元の御用をしているから死なせられない。あれが用をしていた。その誠のご奉仕をお取上げになったのです。その翌日、『浄霊をしてやるから来い』と、教祖からお声がかかったが、とても苦しく?伺えないような状態だ?とお伝えしたところ、『逼ってでも来い。来なければしてやらん』というお言葉でした。小川は、?よし、明主様が、来ればしてやるとおっしゃ るんだったら行くんだ?と、2、3歩あるいては立ち止まり、2、3歩あるいては立ち止まりして行き、ようや くご浄霊を頂くことができた。その時、『苦しい時はいつでも来い』と、教祖は伝えた。その夜中の2時すぎ、どうしても苦しくなり、介抱の人に頼んで、お願いに行っていただくと、教祖より『すぐ来い』とのお返事。小川が伺うと御神体をお書きになってた手を止め、すぐにご浄霊を取りつがれた。また、このようなことが続く中、教祖は、食事の中か ら、一品ずつ抜いては小川にと届けさせた。その時のことを「いただいた数々のご慈悲のありがたさは、生涯忘れられません」と小川は語っている。その後、約半月程で回復し、教祖の許可を得て、新潟に帰った。ある晩小川に、喘息の方の主人から連絡があり、御浄 霊に行くことになった。息も絶え絶えのご婦人に取り次 ぐ。いつもだったら30分もすると楽になるが、その時 はなかなか良くならない。小川にとって随分御浄霊の経験を積んでいるのだが、どうも思うように良くなってい かない。 その時にはっと気づいた。それは、?自分が明主様と 同じ気持ちで取り次いでいるのか?ということだった。明日は朝早くから出かけることがあるので、そのことが 気になり?早く良くなってくれないと困る?と思っていた。そこでご主人に御浄霊のお取次ぎを頼み、小川は御神前でお詫びをした。「明主様、俺は自分のことしか考えていなかった。お許しください。」そして、お取次ぎするとすぐに良くなった。小川は気づいた。「浄霊は、明主様の代理なんだから、明主様と同じ気持ちでないとだめだ。?どんな時でも、 苦しい時はいつでも来い。私が手を差し延べてやる?と仰ってくださる明主様なのだから」小川の明主様を求める姿勢と、明主様に倣う誠のご奉仕は、その後も続けられ、新潟を中心に多くの人を救い、光陽教会を許され、後には教団の要職にも就いた。
「道」NO.32(令和3年 1月15日)
先達の姿に気づきを求めて(3)より 抜粋
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(無題)
>?自分が明主様と 同じ気持ちで取り次いでいるのか?
ご浄霊が効くかどうかは、
取り次ぐ側と、取り次がれる側それぞれに理由が有ると思っています。
そしてその前提として、お許しが有るかどうか。
お許しがなければ、取り次ぐ側・次がれる側が最高の状態であったとしても、
願ったようには効かないのかな、と。
『神様は毛筋の横幅も違わんぞよ』
これは折にふれて思い返すお言葉。
ちょうどナンバー8さんの投稿もあったし、
浄霊が長いこと効かない状態について考えてみました。
お許しの有る無しに関しては、ある意味どうしようもない。
ではできることは?
取り次ぐ側・次がれる側の最高の状態とは?
シンプルに、神様の光を限りなく遮らない状態であること、と思います。
そうするとこれもシンプルに、日常的に前向きな想念、それに基づいた行動。
取り次ぐ時だけ、取り次がれる時だけ前向き、ってのはそもそも無理そう。
やっぱり病気治し的に取り次ぐ、取り次がれる、ってのは、
取次ぎ時以外に心が前向きとは行かない程度に応じて限界がありそうです。
長く効かない人は、一部分でも、心が前向きに変わった状態が恒常的に続く状態になることで、
心が変わった程度に応じて効くようになる、
神の光が通るようになる。
自分のゼンソクが出なくなった経験から、
最初は心が変わった事のみをもって出なくなった様に思っていましたが、
毎日浄霊交換はしているので、
心が変わった事で浄霊交換での神様の光の通りが劇的に向上して、
ピタリと出なくなってしまった部分も大きいように、今は思っています。
実際最近受けていても結構強く感じるときも有るし、
取り次いでいる時も、相手が良く溶けて寝ちゃう事も多いですね。
通りがよくなっているのは間違いなさそうです。
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ご返信
ご返信色々と有難う御座います。
白ぽっちさん MRIの画像の件かしこまりました。
謝罪の旨心得ましたのでお気になさらず。
minoruさん 私は信仰から外れた一般人です。肩の手術におきましては流れを見て判断します。メスを入れて薬漬けにされるのは勘弁なので手術はしたくないですが、浄霊やCS60や音響免疫チェア等その他諸々で奇跡を体現したいと思います。今まで大病から生還したり、パニック障害から短期間で薬無しで復帰したり、56されそうになったりした事から考えれば肩の脱臼(外れると地獄の痛み)で済んでいるのは御守護かも知れないです(死ぬまで外したく無いですが)。
ゲラさん あなたは面白い
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愛別離苦
会えるかな
帰幽してもまた会えるかな
真の終わりでなければ・・・
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(無題)
ナンバー8さんこんにちは!
リハビリ等はされてるんですか?脱臼は脱臼後に周りの組織や筋肉が元に戻ってしっかり肩関節を保護し支えてないと再脱臼を繰り返し治っていかないかと思います。信用出来る治療院などで今の肩の状態に合わせた適切な正しいリハビリとあとメシヤ教関連団体でもどこでも良いし浄霊力を頂いて自己浄霊されたら良いかと思います。あとは適度な下半身の筋トレなんかも良いかと思います。筋肉が付く過程で脳から成長ホルモンが分泌され筋肉が付くだけでなく全身の怪我を早く回復させる効果もあります。
ここまでは体的な話で
やはり想念と言うのが中々大事で信仰の対象が岡田先生なら岡田先生の範囲までの力だしメシヤ様ならメシヤの力ですよ。
秀明の時はただ参拝すれば、浄霊うければ、献金すれば、何々に参加すればと形だけやってれば奇跡があったような気がします。入信したばかりなら御守護があるかもしれませんが、ある程度の信者さんにはそう言う時代はもう終わったように思います。
人によっては中々難しいかも知れませんが少しずつ想念を"メシヤ様"にシフトして行かれた方が良いと思います。そして不思議と自分の曇りが多いと思えないし思うのが苦痛ですらあります。
今の時代はメシヤ様に対する想念と言うのがホント肝で○にチョンが入ると言う事の意味の一つはこれですよ。
良かったら参考にされてみて下さい。
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王国
通常、
メシア王国という言葉はよく聞く、
しかし、聞かないのは、
メシア共和国、
聖書の時代は、「共和国」という言葉がなかったからだろうか。
いや、言葉はなかったにしても、共和形態の国家や地域はいくつもあった。
それなのに、あえて「王国」と記されたのだろうか。
気になる。
人間の本能として、王を求める気持ちがあったりして。
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567
世界の機能、動きが一年前から止まったという幻想のような月日を過ごしています。
外出の規制、自由のないような環境を、多くの人たちが体験している事態の存在など、想像もつかなかったことでした。
偶然なのかその鍵を握るのが567と巷で表される、よく分からないものですが、567をミロクと読むとするなら、ミロクは何をしたいのだろう。
567のミロクといえば56億7千万年のミロクの世が、一般知識では一番知られていると思いますが、とりあえず浄霊ではミロク会が一番のつながりとなると思います。
そのミロク会系列はイズノメと捉え、そのイズノメは大分裂を起こし、おそらく数年後には存亡という言葉で話題が埋められるような気がします。
ミロクが原因で、信仰活動が動かなくなっているというのも不思議です。
何かしらの強い意味を持って、信仰活動が動かなくなっている理由は何だろうと想像ばかりとなりますが、今、熱海は梅が咲き誇っているそうですが、それを満喫というのが本来可能なところ、訪れる人はいるのか、いないのか。今、天国の馥郁を人は味わうことがない。お許しがないという見方もできる。
聞くところによると祭典日の参拝規制があるとか。しかし、お庭に行くことはできるように思う。
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クーデター
王制は、革命、クーデターによって打倒される歴史はいくつもある。
その史実を見ていくと、仮にその王政が過酷な状態にあったとしても、
革命やクーデター後は、王制時代より、なおさら庶民の生活は過酷に
なっていることだ。
フランス革命後の恐怖政治、ロシア革命後のスターリン政権、カンボ
ジアのポルポト、古くはローマ帝国崩壊後のあの辺り、もっとあとの
神聖ローマ帝国崩壊後のバルカン、清王朝崩壊後の共産政権などなど。
もっとも、米国という例外はあるのだが。
ま米国の場合は、王室から独立しただけであって、王室を破壊しては
いないけどな。
幸福な日々を求めて実行された王室打倒なんだろうが、実際には逆の
結果をもたらしている。
人間のやることは、逆の結果をもたらすことが多いってことなのかもしれない。
人間が出しゃばるってのは怖いなぁ。
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救世主とならせ
善言讃詞に救世主とならせと加えられたのはいつでしたか、ご存知の方お知らせください。
また、善言讃詞の変遷などのこともお分かりでしたら教えてください。
嘉丸氏の写経練習にお書きになったものの部分、添付します。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001038.jpg
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お写真
岡田自観師の論文集のサイトで、明主様のお写真を拝見させていただいた。
宝山荘、咲見町、日光殿、また昭和三十年の2月4日の立春祭、明主様の後ろには御書ではなく観音さまのお姿があります。
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参拝
幾度か聞いたことですが、参拝に奥津城を選ぶということ。
特別ということではないと思いますが、神殿より奥津城を選ぶという。
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目的
宗教、信仰は、何のためにあるんだろう。
「神をたたえるためにある」
という意見に出合った。
共鳴しごくだ。
この世のすべてをお作りになった創造主を、「主神」と呼ばせていただきながら、
その主神様をたたえることができていなかったかも。
自分では神をないがしろにしてきた覚えはなかったが、
ほめたたえることに意を用いることは皆無だったといえっていい。
自分を助けてくれる存在の部分にばかり、目がいったように思う、
これは大いに悔い改めたい。
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(無題)
>人間の本能として、王を求める気持ちがあったりして。
安心、への希求は人間の本能的なものみたい。
よりよい生活への希求よりも、
リスク回避の希求の方が、人間はずっと強いそうだ。
生物すべからく多分そう。
『守られる』ことへの欲求が、
『王国』という表現になっているように思う。
それ自体の善悪は特に思わない。
守ってもらう事と、権利の制限はセット。
自分に向いている制度を、希求すればよいと思う。
どんな組織・教団・会社などを選ぶか、にも通じるね。
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(無題)
体調悪い時にはすすんで浄霊を受けて、
良くなるとご無沙汰になる人は多い。
まさにリスク回避への欲求は強いが、
有る程度良くなったら満足してそれ以上への欲求が薄くなる、
っていう分かりやすい例。
昔は悪い例、的に捉えていたけど、
今は特にそう思わない。
そうであることが多い、というだけ。
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ウラとオモテ
リスク回避の欲求のほうが強いってのはよくわかるな、
我が身を振り返ってみてもな。
皮肉にも、それが弱みになりやすいってことでもある。
リスク回避の気持ちがなくなったとき、思わぬ力を発揮する
こともよくある。
火事場の馬鹿力というか。
火事場の馬鹿力には、よく世話になってる。
裏と表じゃないけど、相反するものは同時に進行するもんだよな。
で、王国だが、
王国のリスクもたしかにあると思う。
その一人を口説けば、どんな悪事も実現してしまうわけだからな。
だから、メシアという絶対力の出た時代の王国。
そこを目指してみたいという気持ちはある。
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一夜漬け
体調悪いときだけの浄霊。
これも多いとは思うが、もったいない。
なんちゅうか、試験の前だけの勉強。
いわゆる一夜漬け。
ゲラちゃんは、一夜漬けが苦手だった。
試験前でも、自分の知りたいことの勉強を優先していたので、
一夜漬けやってる時間はなくなっていたな。
ただ大学時代は、一夜漬けやった。
卒業がかかっていたんでな。
その結果、留年はせずに済んだが、まったく身についていない。
試験が終わった瞬間、ぜ〜〜〜んぶ忘れた。
日ごろから、一夜漬けせずにすむようにしていたいもんだと思った。
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ごうさん
ごうさんご返信有難う御座います。
リハビリも何もしておらず、1週間ほど前にショルダーバッグを背負って歩いていた瞬間に片方の肩がグラグラと揺れ再脱臼手前の状態になってしまいました。
接骨院に一昨日半年ぶりに行った所、ハズレかかった肩の方が反対の肩より筋肉がかなり無くなっており昨日からインナーマッスルやアウターマッスルに入ってます(かなり遅いですが…)。
岡田茂吉先生とメシヤ様の概念ですが、お恥ずかしながら秀明会に昔居たので概念が分かりません。
秀明会で2年前に肩の脱臼や会社の経営的な苦難の中で浄霊を頂いている矢先にもう片方の肩を脱臼して、経営においても何も浮かばず、後から両肩の脱臼のひどい状態になってからは参拝よりも病院を進められ行けば行くほど状況はひどくなり、昔家庭崩壊しそうになった事も有ったので、うんざりして2度と行くことは無いと決めました。
良いと思っている人には良いのでしょうが私には全く水の合わない場所です。
その後は健康協会さんの方で会員や信者では御座いませんが浄霊を頂いております。
健康協会さんの方で浄霊を受けさせて頂いて居る間、医者からは3カ月や半年もしないでまた脱臼すると2年前に言われましたがまだ完全脱臼しておりません。
痛みは2年間波がありますが断続中ですね。
手術に関しては医者だけで無く、両親や妻、接骨院の先生も全員進めているので、最後の手段で片隅に考えとしておいておりますが、出来れば手術はしたくないですね。
岡田茂吉先生とメシヤ様の内容の違いが分かりませんので御教示頂けると有難いです。
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失敗のあとに
いくつもの失敗を繰り返した挙句、ようやく本物と出合う。
これは信仰も同じかもしれない、
ピタっとくる信仰に出合えたことを神に感謝する。
今回失敗しても、きっといつか本物に出合えると思う。
気が済むまでいろいろやってみたらいいと思うよ。
とりあえず、あの日から現在まで生きて、生活できてい
るわけだからさ。
とりあえずわが世界メシア教は病気直し教団ではなく、
神と出合う教団なので、今のところスルーだな。
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もっと早く
現在、どまんなか命中の状態にあるゲラちゃん。
内心、救世教時代のことを騙されたと思う気持ちがないこともない。
そんなとき思い出すのは、「もっと早く教えてくれていたら」というセリフだ。
なんの病気だったかは忘れたが、浄霊によって全快した救世教時代の信者だ。
こんな信仰をしていることをもっと早く教えてくれていたら、あれほど苦しま
なくてすんだのに、恨みがましく言われたものだ。
もっと早くメシアの救いを教えてくれていたら、と教主様を恨みがましく思う
気持ちがよぎることがないでもなかった。
しかし最近、といっても昨日今日のことだが、この思いは消えた。
「すべては、主神様が自分の子どもとするために養い育ててくださっている」ことの
一コマだったと思えたからだ。
いろんな信仰を渡り歩く人がいる。
一つの教団内にいても、それぞれの想いがある。
すべては主神様が、養い育ててくれていることの一コマだと思う。
いつの日か、どまんなか命中の信仰に出合うことができると思う。
救世教時代があったから、どまんかの世界メシア教にご縁をいただけたんだ
ろうなと思えるようになった。
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どまんなか命中
最近ご縁のあった芸人さん。
一時は全国を風靡した漫才コンビの片割れだ。
彼は、相方にとって150何人目かの相棒だったそうだ。
彼にとっては、相方は2人目。
相方は、気に入った相棒に出会うまで何回でもコンビを解消するという考え方。
彼は、できるかぎり1人の相方と添い遂げたいという考え方。
相反する2人だったが、150何人目かの相棒と出会い、一大ブレークした。
そして人生を閉じるまで、この相棒と添い遂げた(んだと思う、あまりに有名な
人なんで、確認しにくく聞いていない)。
どまんなか命中なんかありえないと決めていたけど、ないこともないんだなと思った。
社会生活を営む上ではどまんなか命中をねらうのは捨てるものが多すぎるのだが、
せめて信仰くらいは、最高のものを求める気持ちを持ち続けていきたい。
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で、ほめたたえる
どまんなか命中の世界メシア教にご縁をいただいけたことと、
神をたたえることと、どうつながっているか。
思いつきでしか発言しないクーデター派の人たちは、
教主様を妄信しているというしか思いつかない。
おそらく彼らは、自分らがそうだからか、他人もそうだと思い込んでいる
のだろう。なにぜ、思いつきがすべての人たちだからしかたない。
実際のゲラちゃんの心境は、
どまんなか命中の信仰を与えてくださった教主様。
そんな教主様をご用意してくださった主神様って、やっぱスゲー
という心境なのだ。
この心境を知らずに、思いつきで発言する奴らって、やっぱマヌケ
としか思えない。
そう思ってしまってもしかたないよな。
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地上天国は既にたくさんありそう
>「もっと早く教えてくれていたら」
ほぼ全ての人が経験しているんじゃないかな。
>すべては主神様が、養い育ててくれていることの一コマ
こう思えるようになっているなら、そこは地上天国と言えると思う。
完全な文は出てこないけど、
『〜一歩一歩近づかんとする修養、そういう人の集まりこそ地上天国でなくてなんであろう』
という感じのお言葉を、先週の朝拝に参加した時にいただいて気付いた。
前向きな人の集まっている所は地上天国、っておっしゃってるじゃん。
地上天国って漠然とした遠いものではなく、局所的には既にたくさん有る、ってことだな。
個人単位でも地上天国となるし、そういう人を増やしていけばそれでいいんだ。
なあんだ、そうだったのか。
このお言葉では宗教とか浄霊には触れていない。
シンプルに、これらは必要条件ではなく、十分条件と言う事でしょう。
地上天国の必要条件は『〜一歩一歩近づかんとする修養』
まさに想念次第。
そして霊主体従で見える形に。
今自分の中でとてもクリアになっています。
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降参かも
ぽっち、やっぱわかってるかも。
同じ世界メシア教にいたって、そこまで共感しあえる人ばかりでないのは事実。
ぽっちも、ときどき違うなと思うときはあるので、
どうせ、わかんないだろうなという気持ち90%で書き込んでいるんだが、
これは、どまんなか。
的中してる。
ときどきドキッとするほど的中してることあるんだよな。
だから、神は怖いって思うんだが。
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(無題)
>ときどき違うなと思うときはある
違うからこそ気付けるものがある。
同じ考えの人間ばっかりって、ロボット的で気持ち悪いかも(苦笑)
違う考えの人間の中に同じ考えの人間がいる、ことで、
同じ考えの人間の役割が出てくる。
簡単に言うと、
違う考えの人の役割は、気付き・成長。
同じ考えの人の役割は、安心・癒し。
だから、どんな人間も必要な存在。不必要な人は存在しない。
今はこんな感じで捉えているよ。
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(無題)
相反する2人の芸人さんの話、面白いね。
片方は常にコンビを解消するメリットとデメリットを考えながら、
もう片方は常にどうしたらうまく添い遂げられるかを考えながら、
結局添い遂げた。
お互いの違いから相当な物を学んで成長してきたんだろうな、と思う。
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最初からデキル
役者さんも、アナウンサーも、今の若い子は最初からできるのだそうだ。
自分たちのころは最初は何もできなかったとか。
原因は、役者さんもアナウンサーも学校があるからということだろう。
それ以外に、もっと大きな原因として挙げていたのは、環境。
今の子は、子どものころからテレビがあり、常に役者やアナウンサーを
見て育つ。
だから、役者もアナウンサーも特別な存在ではなくなったことが大きいのでは
ないかという結論に達した。
先輩たちの時代には、役者もアナウンサーも憧れの職業で特別な存在だったという。
信仰もそれと同じで、日ごろから神様のいる世界にいることは失敗期間を短縮
できる要因かもしれないなと思った。
いきなり天国に行っても、オノボリさんになるしかない。
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(無題)
昼の世界に近づけば近づくほど、色々と短縮はされそうだ。
前も距離と時間の話が出てたね。
変化がドンドン速くなるということが、
縦分けを促進する、ということなのかもしれない。
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日常的な出来事
キリスト教との呼応も、同じだと思う。
なぜか特別なことのように考えられているが、当たり前すぎるほど当たり前のこと。
歴史の流れを俯瞰できて、明主様のご聖言全体を俯瞰できていたら、
なんら特別なことではなく、当たり前すぎるほど当たり前のこと。
もちろん世の中は天国に向かっているのではなく、破壊に向かっているという
考えなら別だがな。
キリスト教徒の呼応は、日常的な歴史上の出来事になる。
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一匹狼式浄霊とチーム浄霊
先日信者さんの状態が大変だと、皆で祈って、それぞれが遠隔浄霊を取り次いで、その方は危機脱出。
良かった。
浄霊で一緒に育ったほとんど竹馬の友という方々のつながりは、その後の分裂で所属団体が違っても強く結ばれて、助け合っている。
私もその方を知っていて、実は今回はよし治すと思った。浄霊の力は神様ということもあるけれど、その後で、個人でここだと感じた箇所の一点集中の浄霊を何度かさせていただいた。2、3日経って御守護をいただいたという知らせ。私は手応えありと感じたけれど、あくまで遠隔浄霊で、取次の時も知らせなてもいない。
私は以前から祈りの浄霊はしないで、結果重視の浄霊をしてきた。そしてチームで浄霊を送るということで御守護をいただいている。さてこんなに良い結果がいただけるのに、なぜ浄霊の団体はまとまらないのだろうか?
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(無題)
いろいろな機会に花をプレゼントという習慣は強くあって、たいていは切り花になります。
切り花にいつもついてくるのは、栄養剤で花瓶の水に加えるということのようです。
するとその切り花が長持ちしますが、終わりの方になっても花が残る。残るのはいいけれど、まるでゾンビのようになる。
そんな切り花は見ていて気持ちが良くないので、鉢植えをプレゼントにとお願いしました。
ところがそんな鉢植えにも詐欺的な工夫がされてます。
それはそれで、ある日青いランの鉢植えをいただいた。根元から青インクを吸わせ、青い花になったものなのだけれど、数年後の今も生き延びて、花を咲かせています。ただ花は青色ではなく綺麗な濃いピンク。
知らぬうちにそんなランの鉢が増えた。
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つきるところは、神
やっぱり分かれ道は、神。
奇跡を自分が起こしたと考える信者、
神の働きによる、信者。
ここが分かれ道になるんだろうな。
そういえば主の光から出て行った専従者たち、大半は退職後だが、
自分の功績を吹聴するのが好きだった。
定年で、人から相手にされなくなった寂しさのせいもあるんだろうが、
こういう人間の弱さをつけこまれるんだろうな、ともっぱらのウワサ。
自分では信者から信頼されていると思い込んでいるようだが、自分の
手柄にしてしまうわけだから、面従腹背。
彼らに追随する信者はほとんどいなかった。
一般の会社でも同じ現象はよく起こっているが、会社の名でチヤホヤ
されていることに気づかないものらしい。
信仰の世界も同じで、信者は神様を信仰しているのであって、人間を
信仰しているわけではない。
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必要と不必要
すべてのものは必要があって存在している。
これは歴史的に見ても、事実だろう。
逆に、必要がなくなれば一瞬にして排除される。
これもまた、歴史上の事実といっていいだろう。
必要と不必要の境目の手際よさ。
神の手技の見事さに身震いする。
神を畏怖する。
もちろん人間がやったら犯罪だが、な。
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さまざまと一つ
世の中には、相反することが同時並行することが珍しくない。
人はさまざまだし、いろいろな考えがある。
あっていいと思う。
一方、主神様の御心は一つということだ。
主神様は一柱だから、当然、一つということになろう。
この相反することをどう按配していくか。
ゲラちゃんは、こうする。
まず主神様の御心をキャッチする。
その御心の範囲内で、ゲラちゃんの御心を具現していく。
ゲラちゃんの「御心」だぜ(わぉ
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信者的無神論者
たしか『山と水』だったと思うが、
明主様のお歌にこんなような内容のものがあったのを思い出した。
無神的インテリゲンチャをいかに遇するかに逢着した俺
今週のゲラちゃんの感想は、
信者的無神論者のいるを見つけ驚嘆したゲラちゃん
信者にもさまざまな人がいていいと思うが、限度ってものがあるだろ!!
おやすみー
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(無題)
勉強中さん。ヤフオクに恐らく贋作であると思われる真神が出品されていますよ。見てみて下さい。
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(無題)
傍観者さん
見ました!これはまた、いかにも贋作ですね。出品者は絵画をよく扱う古美術商さんなのでしょうか、評価も普通に良いようですが、どういう経緯で真作肉筆として出されることになったのか…
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(無題)
勉強中さん。この贋作は分かり易い贋作でしたね。この作者は以前にも、救世の大道の掛け軸の偽物も制作していましたよ。贋作の腕前はC級ですね。腕の良い贋作者は共箱も制作していますよ。ヤフオクでは真作、贋作問わず業者から業者に、そして離脱教団に販売するルートがあるのです。実は救いの光教団の須玉美術館にも私は贋作だろうと思っている大光明如来があります。
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(無題)
勉強中さん。教区の仏壇の御屏風観音様が白い木の球体に変わったのはご存知ですか?教会の在庫で必要無くなった御屏風観音様を販売している専従者もいますよ。(誰だか知りたかったので、実際に買ってみましたので、名前も分かります)中には返納された御書を出品して小遣い稼ぎしている専従もいます。(これも実名確認済みです)
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(無題)
傍観者さん
驚きです。おっしゃっている教区とはどの事ですか?
私は一応いづのめ教団所属ですが、御屏風観音様のことは全く耳にしておりません。
小遣い稼ぎ…とはね。専従者として、何か哀れですね。一方で、そんないきさつであっても、結果的に回りまわって御書をいただけるとすれば、ある意味神様のお計らいと言えるかもしれませんね。大乗的に見れば。
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(無題)
これは書き方が悪かったですね。御屏風観音様を廃止したのは、四代様の教団です。かまぼこ板の上に白い球体のものになりましたよ。静岡の専従者でいづのめからいづのめ教区に移った専従者が教会に有った御屏風観音様の在庫を出品していますよ。名前といづのめ教団時代の教会名も分かりますので、この書き込みに気がついたら現在出品している物を消すんじゃないですかね。
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(無題)
なるほど。ありがとうございます。そうではないかとは思いましたが。
ところで、しばらく前にメシア教の祭典後のお話の中で、井上茂登吉先生の日記が引用されていましたが、それが公表されるようになるのでしょうか。
確か井上先生のご遺族が公表を希望されない、と聞いた記憶があります。ご遺族のご意向を尊重すべきと思うと同時に、是非読んでみたいという気持ちも、やはりどうしてもありますが。
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(無題)
勉強中さん。公開というよりもこれからも都合の良い部分を適宜引用すると思いますよ。メシア教は過去にも渡辺哲夫氏の遺族の意向を無視して遺族から渡辺氏の名前を出さない様にと言われていますので。
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リモート浄霊
遠隔浄霊についてですが、昨日イズノメと東方の光の祭典の折に、映像を通してのライブ浄霊をいただいてみました。
ちょうど都合よくイズノメの浄霊が終わって、東方の光に切り替えましたら浄霊が始まるところでした。同席者の意見は、
イズノメの浄霊は、額に強く感じ、額が汗ばんだ。
東方の光は丹田に強く感じ、丹田あたりが汗ばんだ。
東方の光の方が強いエネルギーだった。
でした。
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(無題)
ご遺族の意向、、明主様のご遺族は、、?
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(無題)
ナンバー8さんこんにちは
リハビリに入られたんですね。
筋肉がなぜ痩せてしまったのか気になるところですね。痛みで長い間動かせなかったのでしょうかね?それとも綺麗にはまってない?
関節唇を傷めてると思うので筋肉で支えるしかないですね。
医学的には軟骨は自然治癒しない事になっているのでここは奇跡に期待するしかないですね。自己浄霊出来るようになると良いですね。
メシヤ様について参考にされて下さい。
https://www.hinode-kai.com/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AB%A0-%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A4%E6%A7%98%E3%81%AE%E5%BE%A1%E7%A5%9E%E6%A0%BC-8-%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A4%E9%99%8D%E8%AA%95/
岡田先生ではなくメシヤ様と本来の御神格で高く掲げた方がより強い浄霊力を頂けますし運も好転してきますよ。下げれば下げただけ力は減殺されます。
私個人的には意識の違いにより浄霊力が全然違いますよ。参考にされて下さい。
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(無題)
画像は人口動態統計速報というものですが、この統計によると
「2020年は2019年よりも約9300人死亡者が少ない健康な年だった」
ようです。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001076.jpg
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グノーシス
「ゼウスとかアラーという神名は良いが、ゴッドというのは、ええ神様の表現の仕方じゃない。」
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剣持て
今、本当に道徳的に罪を作らぬ様な生活をするためには山奥へ行って木の実か草の根でも食ってなければなりません。今の世の中はそういうものなのです。汚れきっている。だから、私がやって綺麗にするのです。そしてそのために宗教が必要なんです。
日本人は実に嘘を吐くんです。意識的に嘘を吐くんじゃない。嘘を吐くのが習慣になっている。自分で嘘吐くのが分からない。それ程に嘘が身についているんですね。人の話を聞いていると、本当に正直に言うのは、おそらくないといってもいいですね。必ず嘘があるんです。本人は本当だと思っている。
いいことをやり出すと、いいことに興味が出てくるもんで、いいことをするのがおもしろくなり、悪いことをするのがバカバカしくてできなくなっちまうんです。
信仰というものは行いなんだから、行いが出来なければ、なんにもならない。そんなのは信仰の幼稚園だ。
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浄霊事例
Aさんは本職の看護の仕事をされている40代の方で、膝の痛みが酷いのだという。すでに数度の手術を受け、その後も色々と医療による治療を続けて受けている。
Bさんが浄霊を取り次ぐ。次の朝ぐっすり寝ることができ、膝の痛みがないことに気がつく。
一月経った今も痛みはないということです。
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違和感を感じること
とある日、浄霊を受けに来ておられた方Nさん。間も無くNさんは自宅に戻るのですが、それで浄霊を受ける機会を失います。
そういうことが多々あります。
その地域に浄霊ができる方はおられると思うのですが、すでにそのコネクションはありません。浄霊の団体の分裂は、そういう点で不便この上ない結果を残してます。
それで付き添いで来られていた家族の方に、手をこのようにかざして下さいと簡略的におしえ帰宅ということになります。
それでその方々が入信ということではないのですが、きっかけとなると思います。
そこで思うことはその方達は明主様とつながるわけでもなし、メシヤ様と祈るわけでもない。
それでも浄霊の効果はある。
Bさんのケースは、そんなまったく浄霊を取り次いだこともない家族の方が、試してみようとBさんを囲んで取り次いだ。Bさんは回復され、その時の検査は驚くことに癌の症状が見つからなかった、消えていたという結果でした。
特別に明主様、メシヤ様と繋がらなくても良いのではないかとそういう事例から思うわけです。
繋がるなと勧めていうのではありませんので、誤解のないように。
異なる環境で、いろいろ試みている。
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三年三月三日
昭和29年4月19日の御浄化・・・。
明主様は残された時間ということで、メシヤが生まれたと発表なされたのだと思います。
メシヤであられたのはそれ以前からですととんでも論となりますが、そう思います。ありがたいことでした。
渋井先生のことを思うと、そう思えてなりません。
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(無題)
昭和29年6月15日 メシヤ降誕仮祝典が執り行われました。
昭和30年3月 3日 メシヤ御降誕祭の予定でしたが、その前に明主様は御昇天されました。
そして今日は
令和 3年3月 3日 メシヤ御降誕祭の予定日からちょうど66年、どちらも3という数字が
3つ並び、また66という数字も三六九数霊盤の考え方から言うとこれ
もまた3になります。
これから何か大きな変化が起こって行くのでしょうか?。
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(無題)
変化は起こらないと思いますが、そういうことを知って、壮大な夢を語り合うことができると思います。
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おやじは大きかった
https://ameblo.jp/123hiraku/entry-10398525871.html
このころ、東京の大本大森支部長をしていたのが岡田茂吉である。のちに世界救世教教主となるのだが、この岡田と王仁三郎については、おもしろい話が残っている。
大本ではむかしからお守りを出しているが、いつのころからか、岡田は自分でそのお守りを出しはじめた。
自分の支部の信徒に下付したりしていたのだが、そのうち、このうわさが大本の幹部の耳にはいり、
けしからんふるまいと激怒した幹部たちは、岡田をむりやり、王仁三郎のもとへひっぱってゆく。こってり油をしぼってもらおう、というわけだったのだろう。
幹部の口々に告げるご注進をひととおり聞き終えた王仁三郎は、やがて、隅のほうで小さくなっていた岡田を前へ手招きした。
岡田は百雷一時に落ちることを観念して、ひたすら平伏した。すると、王仁三郎は岡田の耳もとに口を寄せ、他の者に聞きとれぬくらい低い声で、
「ああいうて、みなが怒るよるからな、みなにわからんよう内緒でやれよ」といったものである。
岡田はいまこうやって一つの教団をひきいてみて、自分の部下でかってにお守りなど出す者が出たとしたら、とてもほっておけるものではない、と語りながら、
「おやじは大きかったなあ」とつくづく述懐している。
『巨人出口王仁三郎』著者 出口京太郎 より
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分水嶺
「第三次戦争は果して有る?」 (昭和27年9月25日発行) より ※一部抜粋
・私は常に旧文明世界は、近き将来終りを告げ、変って新文明世界が生まれるという事を唱えているが、もちろんこれは神定(かんさだめ)のプログラムであるから、信ずるより外はない。
・第三次戦争もプログラムの中での最も大きな節であると思えばいいのである。
・しかしこれは私が今日改めていうのではない。
すでに二千年前キリストは世の終りが来るといい、天国は近づけりともいっている。
・しかもキリストの再臨まで予言されたばかりか、またユダヤ教の聖典にも、将来メシヤが降臨し、世界を救われるという予言もあるので、もしこれらを信ずるとしたら、当然来るべきものが来る訳である。
・今私はそれを具体的にかいてみるが、前記のごとき新世界というのは、悪に充ちた醜汚(しゅうお)の世界が崩壊し、反対に善に充ちた清麗な世界が生まれるのである。
・そのためどうしても何千年来溜りに溜ったところの人間の犯した罪穢の汚れを浄めなければならないのは当然である。
罪穢とはもちろんあらゆる醜塊物であって、その大掃除が近づいたのである。
・第三次戦争は必ずあると共に、世界的大破壊は最早免れ得ない当然な運命であろう。
・それは今私が記いている文明の創造の著書が完成し、世界中に配られ、暫くしてから最後の審判が始まる事である。
・ここで今一つの肝腎な事がある。
それは単に大破壊といっても物質のみではなく、汚穢に充ちた人間も清算される。
これが最も恐ろしいのである。
・従って神は滅ぶべき運命にある人々を、一人でも多く救わんがための警告が文明の創造書であるから、これこそ二十世紀のバイブルでなくて何であろう。
もちろんこのバイブルこそ、天の父であるエホバの聖書であるから真理そのものである。
・信じ得らるるとしたら、第三次戦争に対しての心構えも、自ら見当がつくはずである。
「第三次戦争は免れる事が出来る」 (昭和26年10月17日発行) より ※一部抜粋
・今最も世界人類が脅威の的とされているのは何といっても第三次世界戦争であろう事は、今更言うまでもない。
・そこでまず考えてみて貰いたい事は、一体宗教の目的は何であるかという事である。言うまでもなく、戦争のない平和世界を実現するにあるのは判り切った話である。
・としたら現在のごとき、第三次戦争必至というこの危機に直面していながら、手も足も出ないのか、全然沈黙しているという状態は不可解の外はあるまい。
・なるほど宗教家たる以上、政府の命令のない限りと、また年齢的にも武器を執る事は出来ないとしたら、宗教家は宗教家なりに、相応した平和的手段をもって、戦争防止のため、一役買うべきではなかろうか、
・万一第三次戦争が起るとすれば、それは全く霊の曇った人間が増え切って、どうにもならない状態となったからで、恐らく世界のほとんどは、現在汚濁人間で充満していると言っても過言ではあるまい、
・としたらなぜこのように汚濁人間が増えたかというと、それこそ悪による罪が堆積したからであって、
その根本原因こそ神の実在を無視する教育を受けて来たためであって、これが唯物教育であるから、この観念を是正する事によってのみ解決されるのである。
ではなぜそうであったかというと、つまり唯物教育によって、人間の魂を極度に曇らせ、盲目同様にしたからで、むしろ当然な結果である。
・そうしてここで知らねばならない事は、万有の法則は汚濁の溜るところ、必ず自然浄化作用が発生する。
例えば伝染病が流行するという事は、病菌発生が直接原因であるとしたら、その原因は何かというと、それは浄化の必要ある人間が出来たからで、相応の理による自然発生である。
・ことごとくといいたい程、現在のそれは悪によって作られたるものである以上、言わば罪の塊であるから、いつかは清算されなければならない運命におかれているのである。としたら人間も物質も、地上にありとあらゆる汚濁分子が一挙に浄化される。
・それが大戦争であって、これが宇宙の鉄則であるから、どうしようもないのである。この意味において第三次戦争を免れんとするには、この大浄化作用発生の必要のないまでに、人間はじめ地上一切のものが、清浄化されなければならないのは分りきった話である。
・ではそのように一切を清浄化すべき方法はありや、というに、私はありと答える。それが我メシヤ教の使命であって、この事のために我メシヤ教は生まれたのである。
・ここで別の説き方ではあるが、世界とは個人の集団であるから、個人個人が浄化の必要のないまでに、立派な人間になりさえすればいいのである。
立派な人間とは、もちろん霊肉共に汚濁のない人間であって、そういう人間を造り得る力こそ、我メシヤ教をおいて世界広しといえども、決して存在しない事を私は知らせたいのである。これは理屈ではない。本教が現在行っている浄霊法を見ても分る。
・この方法がいかに絶大な効果があるかは、唯物医学で治らない重難病がドシドシ全治し、死を宣告された者が甦生する等、無数に上る事実である。
・従ってこの空前の事実こそ、世界人類が救われ、地上天国出現の時期となった事の示唆でなくて何であろう。我メシヤ教が全世界に拡がるとしたら、最早戦争による浄化の必要がなくなるから、戦争は起らないに決っている以上、ここに人類待望の平和時代が実現するのである。
・これで大体判ったであろうが、要するに第三次戦争防止の手段こそ、我メシヤ教を措いて絶対他にない事を断言して憚らないのである。
・故に万一それが間に合わないとしたら、第三次戦争勃発となるのは、免れ得ない運命として、何人も覚悟すべきであろう。
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(無題)
18番さんの書かれた違和感を感じることに関して
思うことは
結局神の理屈に合えば治る、合わなければ治らないと言うことでは無いですかね?
入信前に信じて無くても試しにやって治る。
信じれないのは当然なので理屈に合ってます。
信仰長くて色々奇跡も体験したり見てるのに、舐めてたり慢心したり形だけやってるだけだとかその心掛けが理屈に合ってないと治らない。
合ってない自分を合うように正していく。
ただそれだけだと思います。
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青鬼役
波紋の掲示板があまりにも寂しかったので、goodluckさんになんとかしたらどうですかとやってた時、それではこの掲示板で喧嘩しましょうということにしました。
テーマは『あの戦争は侵略戦争だったのか?』。これでみ教え論争を展開したわけです。
goodluckさんはお言葉に侵略戦争だったとあるとかで、その線を頑なに守り続け、私は、実際の結果からどこが侵略なんだと、お言葉否定側で、結果、そのお言葉をどこかからか見つけてきてgoodluckさんの勝利となった。
当時、訪問者カウンターが毎日一桁でした。日々これを見つめながら嘘っこの口論をやりました。
はじめの頃はgoodluckさんはあまり乗る気ではなかったのです。そもそも奉賛会に人はいないということから、この人お世話する気はあるのだろうかと思ってまして、私は賑やかの中に参加するのは苦手ですが、賑やかにするのが好きなの、この掲示板を賑やかにしたいという思い、浄霊の情報板を消滅させてはならないと自分に使命を負わせ、結構きつい罵りも入れました。
本来穏やかなgoodluckさんをある意味本気にさせていったのです。
訪問者はどうなるのかと見守っていたと思います。
とある日、閲覧されてた方が介入に入ってきました。
私はやったー!と思いました・・・。そして今日掲示板が続いています。今後も意見交換が広がってほしいと思います。
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近い未来予想
波紋の掲示板で散々当時のイズノメを罵っていた頃がありました。水晶殿の建て替えの頃ということになるのか忘れましたが、その頃はなんとか建て替えを阻止したいと思って書いてた。
後の祭でした。
私の場合、反体制の立場が好きなんだと思いますが、それからもイズノメ批判をやっていましたから、掲示板の閲覧の方や、参加者は興ざめをしていたことと思います。
管理人さんがいないと同然のあの掲示板でしたが、イズノメ執行部は掲示板を閲覧していたと思います。
よくぞまあ教団相手の一人げんかをやっていたものです。
それで今後どうなるのか?ですが、書いてしまえば、思いとは裏腹にことが動く可能性もありです。
イズノメは大変だと聞いてますが、分裂した方も大変という。
567がいつまで続くのかということもある。
それで、大予想ですが、今後の熱海、567を操る大金持ちが美術館を含め一括購入する!
それで大きな様変わりがなされてしまう。そういうことで、熱海の地の活用状況は変わり、世代後の頃は、ここに宗教団体の施設があって、以前は参拝によく来させていただいたという思い出ばなしの世界となる。
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熱海について思うこと
水晶殿は展望台としての建物ということでしたが、教団の重要施設として、特別な行事に仕様された。その後竣成五十六年7ヶ月をもって、解体し再建築ということが決定され、その後にレプリカが建築された。
メシヤ会館は建設後に救世神殿が隣接で作られ、その十年後には解体され、救世会館となり、現在に至る。
美術館は本来の指定の場所ではなく、高台を鳳凰台と命名し、建設された。
など、明主様の考えとは異なることや、明主様設計などのオリジナルの建設物はほとんど残されていない。
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アメリカの救世教
アメリカ人の信者さんということで、とりあえずアジア系、ラテン系を省いてみる。
現在白人系のアメリカ人で、1960年辺りに信者になって今も残っておられる方はほとんどおられないと思います。しかしながら、当時の日系信徒と白人を中心としたアメリカ人信徒は相当数存在してましたから、アメリカ人に浄霊は受け入れられないということはないと思います。
現在も強い信仰で続けられている方々もおられますが、増加ということは日系信徒を含め無いようです。
なぜ今のような状況になったかということに考えることは多いのですが、一つは横文化、横社会ということが要因と思っています。
またアメリカは宗教意識の強い国であることから、階級区分があり、住む区分もあります。
先の大統領選挙でも東海岸、西海岸の民主党の強さはそういう区分の表れです。
階級社会というのもそれで区分されており、職業と教育でそれはよく表れています。宗教というのが実際は大きく影響しています。
宗教が大きく影響しているということで、霊的なことを持っていると受け止めています。この霊的な面と体的な面がある。
そこに日本の浄霊宗教が入ってきた。
この浄霊宗教は当時はアメリカ人に受け入れられ、アメリカに浄霊の広がりを見たわけです。
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『山と水』
ここの奴らが絶対、信じない今週のエピソードだ。
外部スタッフとしてゲラちゃんは半年ほど前からあるプロジェクトに参加していた。
本当のトップは別にいるが、滅多に顔を出すことはないので、実質なトップして
このプロジェクトを引っ張っていたのは50代の女性だ。
キャリア女性にありがちなギスギス感はなく、気負いもわりにないのだが、
指摘がするどい。
彼女に呼び止められると、男どもは内心、戦々恐々としているようだ。
ゲラちゃんもその一人だ。
その彼女から呼び止められた。
「なんかやってもうたかな」
ゲラちゃんは、内心、ヒヤヒヤだ。
しかし、彼女は微笑んでいる。
「言葉遣いのきれいな人だなって、ずっと思っていたわ」
実はゲラちゃん、過去にも何回か、同じようなことを言われている。
1人暮らしを始めたとき、実家から持ってきた『山と水』。
その日から数十年、時あるごとに『山と水』を読んでいる。
もちろん声に出して読んでいるのだ。
きれいな水の源は、山にある。
きれいな言葉の源は、『山と水』にありかもしれないと1人、ほくそ笑んだ瞬間だった。
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ケモノとヒトのあわい
すべての生物のなかで、ルールのある言葉を使うのは、人間だけらしい。
後天的に身に付けたものではなく、生まれながらに備わっている能力でもあるそうだ、
それゆえに、「まず言葉ありき」と言われるのだとか。
人は考えるとき、言葉を使って考える。
より自在に言葉を使いこなせることは、その人の思考を左右するだけでなく、
人格形成にも影響する。
自分の思いを十分、表現できないと人は荒れた性格になりやすい。
現在の子どもがキレやすいと言われる一因には、自分の思いを存分に表現できる
言語能力を持たないことを挙げる学者もいる。
日本人が優秀だとされるのは、複雑な日本語を使って考えるからであり、
日本人がわりに穏やかなのは、複雑であることでより精細に自分の思いを表現できる
からであるとも言われる。
近年、日本語の乱れを憂う声をしばしば耳にする。
また、日本の国力低下が表面化しつつあるという声を聞くし、ゲラちゃん自身も実感するところである。
言語力低下と、国力低下。
無関係とは思えないんだがな。
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(無題)
>自分の思いを十分、表現できないと人は荒れた性格になりやすい。
同意。
俺は言葉の原因よりも、環境・経験が原因の場合により興味を持っている。
言葉が原因の場合も純粋に興味深いけどね。
カルト教団の洗脳教育の現場を経験しているから、
本心に自分で気付かない、気付けない思考回路を身に付けてしまった、
過去の自分を含めた当時の仲間の、過去そして現在の様子に想いが行く。
その想いを持って、他人の善悪とか幸不幸を測る気はないけど。
自分のすべきことは、本心に集中することだと思っているし、
仲間にも(まあ誰にでも)、自身の本心に常に忠実である事だけは勧めたい、と思っている。
『荒れた性格になりやすい。』で言うと、
やっぱり秀明の中間管理役職の人は、人をとがめる人が多かった印象。
超縦社会だと、秀明に限らずそうなりやすそう。
韓国のスポーツアスリートいじめ問題なんかも。
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水は上から下へ
天才バカボンのお日様が西から昇って、東に沈む。合いの手は、え〜本当?と入る。
一時期アメリカの浄霊に、ブラジル系が大変多くなった。1990年前後、ニューヨークのセーザ教師のことは日本でも知れ渡った。
あの頃、救世教の分裂の後の新生のスーパースターは、渡辺哲男氏。飛ぶ鳥を落とす雰囲気を醸していた。
ブラジルの30万信徒はと、当時ブラジルは30万人の信徒に成長という勢いと華やかさが紹介された。優秀なブラジル人が多数、毎年熱海の国際局研修生として派遣されて、日本に2年間滞在した。
その経験者はアメリカにも派遣され、世界布教という大きなうねりの牽引者となる。
1990年からの2000年の彼らの活動によって、アメリカの浄霊はたいそうにぎやか、ほとんどサンバのリズム、また常勝のサッカーお祭りムードが咲いていた。さらにはガラピランガの聖地建設は素晴らしい宣伝効果があり、世界布教を担う青年の国際大会はアメリカでも開かれた。
しかしながらそんな彼らのアメリカでの布教は、アメリカに住んでいるブラジル人への布教になっていく。
残念ながらアメリカ人には布教の流れは入っていかない。
水は上に向かって流れない。
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(無題)
通勤途中で、ある知的障がい者の女性に時折出会う。
大抵奇声を発して歩いている。
何度か話しかけられた時があったのだけど、
内容分からないし、どう対応していいかも分からなかった。
微妙な笑顔を作ってその場を離れた記憶がある。
それ以来、結構苦手に感じていた。
今日久しぶりに、出会った。
ふと、奇声の奥にある(と思われる)感情を感じてみようと思い、耳を澄ました。
強い感情、喜怒哀楽は、感じなかった。
彼女は、現状にそれほど不満は感じていない気がした。
何となく、可哀想に思ってしまうことが多かったけど、
それは主観ということみたいです。
今日は出会った時に、いつの間にか苦手感がかなり薄らいでいた。
自分の変化が、嬉しい。
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空間の美
ある日秀明会に行った時、とある白人と日本人の合いの子の方が参拝所の椅子などの拭き掃除をされていた。
見ため白人なので、まさか白人がそんなことができるわけがないとずっと見ていたというか、うっとりと見つめざるをえなかった。
白人は霊性的にそんなことはしない、そういう拭き掃除は家政婦にやらせるのが一般常識なのだ。
ロサンゼルスセンターの日本人でもそんなうっとりと見ていることができるような拭き掃除はしない。
生花でも一本の花で生花になるけれど、アメリカでは花束でないと生花にならない。
空間の美。空間の美を見ることができるのはアメリカにはないと思う。
花畑に花を活けてもどうしようもない。ゴミ溜めにも花を活けない。空間の美とのタイアップで価値を発揮させる。
霊性を響かせることができるのならば、アメリカに浄霊は入っていく。霊性のレベルというテーマなしに、体の最高峰のアメリカに浄霊を入れることは不可能。またそんな霊性の部分を持ち合わせるアメリカ人に出会うことはある意味不可能なので、その出会いを期待しても価値があるとは思えない。
ただその霊性を求めて作り出すことは可能だと思う。
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「門松は冥土の旅の一里塚」
1983年の11月のサンクスギビングの夕食会に樋口先生のところでお呼ばれされた。
そこには、信者さんら二十人ほどが来ていた。一枚の記念写真からそれが思い出されるのだけれど、実際その後樋口先生がお亡くなりになって、まさか私がアメリカに来られるようになってから、ことあるごとに永井先生がご馳走してくださる機会が多かった。
また永井先生はことあるごとに、私のところにお赤飯を届けてくださった。先日久しぶりに赤飯を作ってみた。実際は作ってもらった。思いの外良くできた。
三月一日に誕生日の永井先生のところに、庭の花を届けた。
永井先生の記憶はだんだんと薄れていっている。そしてやがて、そういう記憶は消えてしまう日もそんなに遠いことではないような印象を受けた。
567とは不思議な存在。五六七はミロク、別名567を持って、成るように、つまり惟神を実現しているように思う。
こんな様子を嘉丸先生はどう思われるのかとふと思う。めでたくもあり、めでたくもなし。
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惟神は選択している運命
熱海のイズノメと分裂と567。
台風は曇りが溜まったので、それを掃除するというふうに考えれば、今の567はまさしく丁寧に名前まで示してくださっている神様の御心とその流れ。それが惟神。
惟神は神様の御心だから、天国と思ってみたりしたけれど、そうではないような気がする。
曇りが払いきれないほどになって、戦争が起こる。
イズノメに分裂が起こったので、世界に分裂のようなことが起こる・・・。
被害も相当にある。必要善悪というのかもしれない?
567の名を冠している五六七、ミロクは残す価値のないものを片付け始めている。
残る価値のあるものはどんどん減っていくだろうから、すべて消えることもあり。
選択している運命がそうなんだと理解するしかない。567はミロクの底力の表れだと思う。
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ボケ! カス! クズ!
日本語と人の性質は、早期英語教育導入に反対する学者の論文で読んだものだ。
1つの言語が完成する前に、もう1つの言語を身に付けさせる危険を訴えたものだった。
ゲラちゃんは、早期英語教育に反対ではないんだが、この論文を読んでから少し変った。
導入するなら、同時に日本語教育の充実も不可欠なのではないかと考えるようになった。
ところで、お笑いの人から聞いた話。
関西のお笑いに比べると、東京はおもんないと。
この理由は、単語数ではないかとのことだった。
「バカ」を表す言語は、東京だと、バカだけ。
そこに行くと関西では、
バカ! アホ! ボケ! カス! クズ!……かぎりなくあるという。
だから、おもろいお笑いができるのだと言っていた。
英語の文型は5つのみ。対して日本語は無数と言っていいほど(やや言い過ぎだが)。
日本好きの外国人からよく聞くのは、「日本に来たら楽しかったから」ということ。
彼らの言う「日本」とは、どうやら関西のことのようだと、最近、知った。
英語の文型は5つのみ。対して日本語は無数は言い過ぎだが、数えきれないほど多い。
単純な言語しか持たない人でも、複雑な言語から生まれる社会の楽しさはわかるのかもしれない。
日本人への外国教育もいいが、外国人への日本語教育。
これをもっと、考えてみていいのではないかな。
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雑音の素顔
人は、意味のわからない言葉は、雑音として、聞き流し、読み流してしまうそうだ。
いまだに教主様批判をする人がいるが、彼の主張には「事実」がない。
事実がないのが特徴といえる。
では、なぜ事実のないことを信じ込んでしまい、垂れ流してしまうのか。
これの原因は、意味のわからない言葉を雑音としてスルーしているせいでは
ないかと思われる。
おまけに近年は、ネットで明主様のご聖言、教主様のご教導を読んで理解する
人が増えているそうだ。
ネット、つまり画像から理解できる量は、紙に比べるとはるかに劣る。
元々、日本語力の低い人間が、さらに理解力の低いメディアによって理解する。
なおさら事実にないことを読み取り、思い込んでしまう事態を招いていると思われる。
紙だよ、紙。
せめてプリントアウトして読むくらいのことをしないと正しく理解することは
難しいと思うぜ!
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(無題)
>教主様批判
第三者的な立場からすると、どのくらいの実害があったのか、が批判には重要に思う。
キリスト教をかなり取り入れているような所は、既存の明主様教団とは大きく違う感じはするけど、
それらによってどの程度信者が実害を被ったのか。
受け取り方次第。想念次第。
世界メシア教でもどこでも、良い想念で過ごせるなら、
それで特に問題ないように思う。
霊主体従で、結果を観察すればそのうち分かるはず。
明主様信仰に触れる選択肢(切り口)が増える、って
単純に良いと思うんだけど、
相手が今までと違う事が、
そんなに許せない事なのだろうか。
違いは実害につながっているのだろうか。
想念が下がる事なのだろうか。
許す許さないは神様にお任せして、
実害の部分だけ指摘する、というスタンスでいたいと思いました。
まあ一番重要なのは、自分に素直になりちゃんと行動することなので、
そうでさえあれば、心言行の内容問わずその人のペースで順調に学んでいけると思います。
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ユダヤが頭を下げる
なんてことは、普通にない!
頭を下げたら、どんな仕返しが来るかということ。1000倍にして返されるというのが、世の常識。
それが頭を下げたら地上天国の始まり。そういう明確な目標があるのだから、面白い・・・。
信仰者の皆さん、そのゴールに一発どうぞ。
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害
何をもって「害」と見るかの問題だと思う。
早くから他の2教団との距離ができていたゲラちゃんたちにとっては、
「害」といえるものは別にないんだが……。
他の2教団の人たちが、自分たちのそれまでの信仰を正しいと思い込んでいた
としたら、その部分は否定されるわけだから、害と見てしまうことになるんだろうな。
真明氏のお話にもあるように、われら世界メシア教は、
「明主様に100%従う」
これを基本にしている。
明主様は、仏教や神道の形式を借りて、これまでの神業を遂行してきた。
次に、キリスト教の形式を借りてご神業を遂行するることは、ご聖言にも
明確に示されている。
キリスト教形式を借りたご神業遂行の時期が、メシア降誕だとゲラちゃんは
考えている。
ご聖言のなかにもしばしば「利他愛」という単語が出て来るが、以前も書いた
ように「愛」の語はキリスト教用語である。
いわゆる古典にはほとんど出てこない単語であることから、
メシア降誕以前にも、キリスト教を意識していたことは明らかなんだ。
明主様のご聖言の、こうした部分はなぜか消えているんだよな。
ゲラちゃんが子どものころは、教団の先達といえる先生方も普通に、
キリスト教に関する部分を話していたんだけど、その後、消えた。
思い返すに、一元化のころではなかったかなと思い返している。
キリスト教形式を借りたご神業の遂行を拒否したい人たちにとっては、
教主様の活動はたしかに「害」ではあるんだろうな。
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神は光
火と水でカミ。火は上に、また水は下に。
カミは光。明主様は光というお文字を100万体はお書きになったと思われる。
一日500体、× 一年300日で15万体。それが10年で150万体という数が単純計算で出てきます。
その光の御書は神ということなのか。
御自身の自由な時間に、ゴルフということはなかったと思われる。
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改宗
ユダヤ人の改宗例なんか、いくらでもあるじゃねぇか。
迫害が厳しかったせいもあるんだろうが、キリスト教に改宗しようとした
ユダヤ教徒が、ニセ改修を疑われ、磔刑に処せられた。
そんな記録はいくらでも残っている。
つまり認められた改宗例があるから、改宗しようとしたってことだろ。
回心できないもの、悔い改めることができないものは、滅亡するのは
聖言にもあるとおりだ。
ユダヤ教徒だって、救われるものと、救われないものに分かれるさ、
明主様信徒だって、同じだと思うぜ。
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チカンとトーサツ
都心の地下鉄駅に貼ってあったポスターを見て、吹きだした。
「痴漢と盗撮は犯罪です」
正確な文言は忘れたが、痴漢と並べて記されていたのは確かだ。
痴漢だぜ、痴漢。
とんでもないハレンチ行為だということを知らないとすれば、
とんでもない非常識。
非常識行為をいまだに恥じることもなく、文書に記してしまえる
宗教教団って……。
そんな非常識教団と縁が切れたことを、いまさらながら主神様に感謝した。
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水を上流させる方法
下流から上流に、水を流す方法。
まずはモーターなどの機械を用いること。
本当にできるかどうか、ゲラちゃんにはよーわからんし、自然に逆らうような気がする。
次に毛細現象。
細い管のなかでは、水は上昇する。
ただ、社会のなかでどう実現するかがよーわからん。
3つ目は、気体に変えること。
水蒸気は上昇する。
というわけで、実現可能なのは3つ目。
気、つまり想念の浄霊だ。
自分の存在を虚しくし、主神様にすべてを委ねる。
自分の手柄にしたい人には無理だろうがな。
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