レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
明主様
-
掲示板が完成しました
ご利用ありがとうございます。
teacup.掲示板は
スレッド作り放題
画像・動画・音楽の投稿
ケータイ絵文字が使える
RSS対応
かわいいケータイテンプレ
足あと帳はコチラ
スレッド内容は管理画面内「スレッドの管理」から編集できます。
-
(無題)
藤原氏全盛の時代になぜ政敵(清和源氏ではない)の源氏が活躍する物語が出せたか、という問いが有る。
有る説によれば、これは葬った源氏への鎮魂の意味らしい。
現実の世界では葬ったが、せめて架空の世界で活躍させることで鎮魂し、
怨霊化することを避ける意味合いがあったという説。
俺は結構納得中〜。
-
鎮魂かぁ
鎮魂説は、初めて聞いたので、まだ何ともいえないんだが。
単に、皇籍から臣下に下った氏として、源を使っただけなんじゃないのかなぁ。
源平藤橘で、平氏は天皇から3代目、源氏は2代目だからより天皇に近いので
用いたと。
むしろ藤原氏内部の鎮魂ってのがあるんじゃないかなぁ。
定子は道長の兄の娘だし、その兄が先に死んで一族も没落した。
一条天皇は定子が忘れらず、道長の娘の彰子に興味がない。
そこで一条天皇を振り向かせるために、式部を雇って書かせた説。
源氏への鎮魂だとしたら、光の末路が哀れすぎるし、それも自業自得的に
報復されてるんだよな。
鎮魂にしては、やぶ蛇になるんじゃないかと。
式部の亭主は浮気者で、式部の下にはあまり来なかった。
その恨みで、モテ男の末路を哀れにしたという説もあったりして……。
よーわからんな。
それにしても、世界最古の女流文学。女が文字を書く国は珍しいそうだ。
サッホーがいるが、彼女は奴隷だったし、結局処刑されたんじゃなかったかな。
-
神がいない理由
神が出てこない理由は、明らか。
今までのどの宗教を、神がいることを教えるものはなかったからだ。
これは明主様の聖言によるものだが、たしかにないんだよな。
神の名は他の宗教でも出て来るが、神がいることを知らせる宗教はなかった。
明主様信仰でも例外ではなく、神がいることを信じる信者は少なかった。
だからこそ、忌まわしい問題を起した。
尾行・盗聴・盗撮もそうだが、神がいると信じて入ればそんなことはしない。
神様が人間にそんなことをさせるはずはないと思うからな。
ないって思うのも当たり前、
ただゲラちゃんたち世界メシア教は、神と出合うための宗教が看板なんだ。
自分のすべて、この世のすべては神様のものだと自然に思えているよ。
本心もな。
これからは、もっともっと神と出合う体験が話せると思う。
-
聖地の公用語
ゲラちゃんが高校生のころには、すでに言われていた。
「聖地の公用語は、関西弁」
教団職員の多くが関西人で、飛び交う言葉も関西弁だというのだ。
ゲラちゃんの完全なる推測なんだが、
江戸っ子のノリで書いた誓言が、関西人のノリで解釈されるようになった。
この関西のノリで解釈された誓言が、あたかも明主様のみ心であるかのように
語られ、江戸っ子のノリが消えていった。
のではないかと。
知り合いの男性は、寅さんの柴又の出身だ。
団子屋のモデルとされる店のおばちゃんとも知り合いだ。
そのおばちゃんの話題が出ると、知り合いはすかさず言った。
「あのババア、ろくなもんじゃねぇ」
よくよく話を聞いてみると、知り合いはそのおばちゃんに可愛がられて育ち、
むしろ好感を持っていることがわかった。
好きとか、世話になったという言葉は一言も出なかったが、表情から読み取れた。
江戸っ子のノリって、こういうものじゃないかなと思う。
明主様は、人を叱るとき、周囲に聞こえるような大声で怒鳴っていた。
褒めるときは、本人にしか聞こえないほどの小声だったそうだ。
これも江戸っ子のノリで、読み取らないと間違えた解釈になってしまうだろう。
-
(無題)
>鎮魂にしては、やぶ蛇
内容によっては、そうかもね。
内容によっては、鎮魂のうちに入るかもしれないから、
まあよーわからんな(笑)
>神の名は他の宗教でも出て来るが、神がいることを知らせる宗教はなかった。
奇跡などで実感させる、ようなことかな。
個人単位で神の存在を知る人はいくらでもいるよね。
組織的に再現性高く、知らせる宗教がなかった、ということならそんな感じはする。
ゲラちゃんは言葉好きだなぁ。
昨日韓国ドラマブログ管理人の文筆業の人とやりとりしたけど、
なんか文章がゲラちゃんに似ている感じがした。
ドラマの中の物凄い細かいところに多数気付ける人だった。
もみ上げの長さの違いとか・・・(連続シーンだが撮影は間が空いている、ということ)
仕事上気付きが大事なんだろうなぁ。
-
(無題)
>今回、浄霊と何もしないと、ガンだと想念でという三つでやることにしました。
とても興味深い実験だと思います。
ちなみにキュウリは自然農法によるものだったりするのでしょうか。
また、ある程度、ビンに通気性を持たせたり、切らずに一本そのままだったりすると、どうなるのかなぁと少し気になっています。
あくまでも想像ですが、ビンに通気性を持たせた場合、浄霊をしたものが一番早くカラカラに乾くようにも思います。
-
その神は、
人間が作った神ではないかな。
明主様がおっしゃる神は、人間を作った神のこと。
人間を作った神を信じさせる宗教は、キリスト教くらいじゃないかな。
その意味で、明主様は
「本教と一番近いのはキリスト教」
とおっしゃったのだと思う。
一般に神を信じるという人でも、
自分に都合がいいことがあると、神を信じ、
都合がわるいことがあると、神はいないとか、神に見捨てられたとか言い出す。
神は、いいことをしたから愛す、悪いことをしたから見捨てるということはない。
常に愛する。
いい人も悪い人も愛する。
それを信じる人が、神を信じる人である。
神を信じる人しか、神は救うことはできない。
ということのようだ。
http://
-
ラブレターfrom
もしかしたら、ものすごく失礼な表現かもしれないのだが。
明主様は、主神様からのラブレターを伝えてくださった方。
教主様は、主神様からのラブレターへの返事のしかたを伝えてくださっている方。
ざっくりとしたイメージではある。
-
ものすごい雨
昨夜の地震に続いて、今日は強風雨。
傘はおちょこになり、立っていられないほど。
にもかかわらず、けっこうな人出。
それなのに、店舗はシャッターが目立つ。
お客さん、逃がしちゃうよ〜〜〜。
-
(無題)
明日は曇りでその後1週間くらいは晴れるのかな、関東は。
雨風でコロナ、というかウイルスはどのていどダメージを受けるものなのかな〜。
そもそも非常に壊れやすいものだと認識しているけど。
-
レオパレス救済!?
レオパレスを救済しようとするファンドが現れた。
いわゆるハゲタカ。
救済条件はかなりきびしく、ほとんど身売り。
ファンド側も一か八かの大勝負だけに、非難することはできない。
救済とは、全生命を委ねることかもしれないなと改めて感じた。
それでも本当に生き返ればいいが、その保証はどこにもない。
どうせ全人生を失うなら、可能なかぎり生き返れるところに賭けたい。
明主様は、本当に人を救うことができるのは、メシアだけだと仰った……。
-
世界メシア教
一つの波紋掲示板のほうは「反世界メシア教」一色になって来た様相です。
反論・擁護するわけではないが、感じていることをそのまま書いてみます。
●浄霊よりも想念=人や組織は内側から崩れていくもので外からの圧力は切っ掛けに過ぎません。
教育も引き出す教育と云って、如何に内にあるその人のものを引き出せるかに掛かっている。
その作用を助けるための外力であり、自らの良能力を引き出すための外からの力として浄霊がある。
しかし常に人に頼らざるを得ないし、自己浄霊にしても外からの力として自分の手をかざさなければならない。
例えばこれを外の力に頼らずに内の力を引き出そうとすれば「想念」によるということになる。
これまで私は「想念による浄霊」を発表してきましたが、
方法についてはメシア教側でお考えになると思うし、ぜひ参考にさせてもらいたい。
●聖地は箱根・熱海・京都と3か所同時に想い浮かべることでより強い光を感得でき、それは力となります。
それは想念以外には到達できない世界で、浄霊や聖地や偶像などの外からの力として、また形あるものにこだわるものではありません。
明主様は「一度来れば想い出すことによって霊はこっちに来るから浄まる」と言われている。
それをどう実感し自らの信仰として確立していかれるか楽しみにしています。
●1914年以後の地上での悪魔サタンの経綸から逃れるためには、「感謝」の想いが主神に届くしかないということだと思います。
これは御教えを読んでも聖書を読んでも、共有できる想念の在り方です。
また共有できるばかりではなく、地球レベルの全体的な世界観とひな型観の価値は、相呼応することで力となり、善の経綸が進んでいくということは予想できます。
-
祈りと想念
我ら世界メシア教が一般に、「想念」というときは、神にすべてをおゆだねすること
を指すときが多い。
すべてをゆだねた瞬間、心がぱっと明るくなる。
光が差し込んだような気持ちという感じだ。
想念の浄霊と祈りの区分けがよくわからんのだが、
常々考えていたのは、急激な浄化が起こったときのことだ。
突然、浄霊は朝夕の3分ずつに変えた。
その結果、日常生活は以前とまったく変わらない。
それでも、急激な過激な浄化のことが気になっていた。
先日、歯が痛み出した。
肩もカチカチだ。 このところ仕事が忙しすぎて、PCとにらめっこが長時間。
そのせいだと思う。
温まると、痛みは耐えられないほどとなって、全身を襲う。
肩を浄霊しようと思ったが、日ごろ、「二の問題」と公言しているのに、
自分のときは例外というのも言行不一致になり、自分が許せない。
心のなかで祈った。
「メシアの御神様」と繰り返し言い、「この激痛もすべておゆだねします」
(ゲラちゃんは、何でも神様に返上するのだ!)
ほんの10秒ほどで、痛みが消えていくのがわかった。
口の中に苦みのある液体が少し滲み出るのは、浄霊と同じだ。
浄霊より、即座に痛みが消えていったのがありがたい。
-
(無題)
ゲラさんすごい!
セオリー通りなのですね。今度自分もやってみようと思います。
他の方々も経験されたなら投稿してください。
-
(無題)
好きなことをしていると学びも多い。
韓国ドラマから最近学んだこと。
相手に純粋に夢中になっている時は、他の人に興味が無くなる。
そうでもない時は、他の人に目移りし、
新たに好きになったり嫌いになったり、愚痴をこぼしたり。
仮説ですが、
純粋に自分の教団が好きで信仰していたら、
他教団にアマリ興味が向かないんじゃないかと。
どこかに義務感、しなければいけない感の存在する程度に応じて、
他教団を批判することに繋がる、ような気がしています。
批判そのものを悪とは思いませんが、
批判に繋がる源として、
意識的・無意識的に抑圧されている人が、
抑圧の程度に応じて、
意識的・無意識的に批判してしまうんじゃないかな〜。
自分もよく批判してたな(汗)
これも一種の鏡合わせ、なのかも。
抑圧の全く無い人が、批判する光景が全く浮かばないんだよな〜。
楽しく好きなことに集中してそう。
この投稿も、批判する人を批判しているのかも。
まあそれはそれで、その程度に抑圧されているのかもしれないな〜。
好きなことに集中できてたら、書かないだろうし。
-
3年前のこの日
3年前というと、庭山さんから熱海に参拝に行くとメッセージがが入ってた時で、私は神奈川にいた。熱海の知り合いに連絡したら、熱海は、そんな雰囲気じゃあないということだった。
その後22日は新宿に伺うことができて、ひょっとしたらT原君に会えるのかと期待もしてたら、すでに熱海に移ったと聞かされた。
その年の東京は大雪。タクシーで新宿まで往復した。こんな経験は初めてで、車の中でずっと妻から浄霊を頂いていた。
まさかT原君が離脱を選ぶとは思ってもみなかったのだけれど、イヅノメに期待しているわけでもないことながら、不思議に思った。
渡辺氏が理事長だった頃か、そろそろ定年退職でという時に、退職と言うのをキャンセルした。
それは当時大きな出来事で、私たちが見ていたイヅノメの復活の道は断たれた感じを受けた。
その頃の動きについて詳しくはない。ただ、その後に辞職を選んだ職員は少なからずいたように聞いているけれど、勘違いなのかもしれない。
それ以前、私は波紋の方で、散々分裂前のイヅノメを詰っていた。もっと前には、庭山さんに将来のイヅノメの分裂は教主レベルで起きるだろうと書いた。
という流れで終わっていくのか、浄化を過ぎての和合なのかは謎・・・なのかもしれない。
-
T原君
彼と初めて会ったのは、おそらく専従試験の時で、私はその頃記憶ができない日々を送っていた。
アメリカで英語学校に通うことを決めた11月、突然にその浄化が始まった。とにかくひどい頭痛で、学校に通うどころではなくなって、英語学校を辞めた。
もっとも翌年3月頃には日本に戻り、大学に復学した。
ただ頭痛がひどく、勉強などできる状況ではなかった。
夏、大仁農場に行ってた。その頃に専従試験の面接などあったようだ。
奉仕の時、ずっと頭が痛くなかった。
奉仕者の研修に出なくてはならないということで、熱海に連れて行ってもらって、石崎先生の講義を受けた。しかし、まるでぐっすり眠っていた。
9月になって帰宅、学校が始まる。ものすごい頭痛が再開で勉強どころでなく、地元の布教所で浄霊を頂いていた。
専従試験で熱海に行った。その時初めてT原君に会ったけれど、彼との記憶はその時にはなく、3月にあった全国信徒大会でダビンチのどうのこうのの集会があって、それが終わった時に、たまたま彼に会って、今の集会どう思いました?と聞かれ、酷い内容だったと告げると、嗚呼よかった、自分もそう思いました、ということだった。それから学院に入学してから、彼から学んだことは多大だった。
実際彼の能力はものすごく、それは布教発展でとんでもない結果を見せた。
研修生の当時、彼がイヅノメの青年、学生会を立ち上げたわけで、その頃の新生には青年、学生信徒は存在しても会の発端を作ったのは彼。
-
研修先にて
T原君と一緒に派遣されたことがある。
一緒の釜の飯を食ってというのと違って、現場での彼はすでに何か経験しているようだった。
一言で言えば二度と一緒に現場研修をしたくないということ。
実力が違いすぎる。天と地の差を彼は見せる。これをやられて耐えられる人はいないと感じた。人と物が集まるのをまざまざと見せつけられる。
しかしながら他に彼並みの人材を見たこともない。勝負は強いし、モテる。気前も良い。
情報収集力の凄さ。実現力。きっと何かすごい方の生まれ変わりじゃあないかと思う。
-
(無題)
>きっと何かすごい方の生まれ変わりじゃあないかと思う。
渋井先生でしょうかね(笑)
-
ドキッ
>四代様の血筋の正統性は信じていない
傍観者さんはきわどい話を出してるね。
-
T原語録
>随分イヤな冗談
T原氏の毒舌の餌食は万にのぼる・・・かもしれないが、いい人ですよ。
確か、土方が好きだった。
-
名前からすると
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)
-
(無題)
真逆の解釈、というのはなるほどですね。
以前にgoodluckさんの出しておられた長文には、きわどい内容のものがありましたね。
野澤氏が、観音教団の管長さんと話をしてるあたりのことなど、誰かしら残されていたらいいと思うのですが。
-
慰霊を通して
今年の冬大雪の中、1月には父の2年祭を執り行った。
何とか祭員は家までたどり着いてくれたものの、参列者はゼロで祭員と私の2人。
父が喜んでいるのかどうなのか全く感じることが出来なかった。
この3月には母の3年祭を執り行ったが、天候に恵まれ兄妹・子・孫の総勢17名が参列した。
一人ひとり献花をし善言讃詞奏上の後、母の喜びの想いが光となって自分が感得することが出来た。
この2つの出来事により分かったことは、年祭のための儀式よりも、祝詞や歌よりも、
人が先祖に向ける想いに救いがあるということです。
人の想いに対し幽世大神が働いて頂けるということだと思いました。
そのことが分かったのですぐ父の御霊に対しお詫びをしたところ、すぐ光で応えてくれました。
以前、祝詞や善言讃詞以外に術を知らなかったころは、それが浄霊であり救いであった時代でした。
私の中では時代は想念の段階を迎えています。
-
幽世大神様
幽世大神様も、主神様。
現在、世界メシア教では、「主神なる先祖の神」となっている。
祖霊様も、主神様に守られていると思うと、また違った安堵感がある。
大勢の参拝は力をいただけるそうだけど、
1人ぽっちの参拝もまた別の感慨がある。
形だけの大勢か、心底からの1人かって話なんだろうな。
サブロクの父ちゃん、母ちゃんが、主神様の赦しを受けて、
天国に行かれることを祈る。
もう行っていたら、余計なお世話なんだろうが。
-
政宗と村正
今週の切れる話。
名刀といえば、政宗と村正。
鎌倉時代の政宗、室町時代の村正。
政宗には悪評はないが、村正は妖刀と言われる。
妖刀と言われるゆえんは、本来斬らなくていいものまで斬ってしまうからだ。
とにかく村正の切れ味は素晴らしいらしい。
斬れることを追究し、作られた。
そのせいで、よけいなものまで斬ってしまうようだ。
家康公の祖父、父、家康本人まで斬っている。
もちろん反論もあって、当時の村正は超人気で、現在のユニクロに匹敵する
という声まであるほど。
出回っていたから、スキャンダル的殺傷まで起こってしまったのだという。
真偽はいずれにせよ、刀だからって斬れればいいってものではないと思う。
斬るべきものは斬り、斬らないでいいものは斬らない。
ゲラちゃんは、政宗になりたい。
TPOをわきまえた能力の向上をめざしたい。
ま。美術品に傾倒した明主様も、刀はお好きではなかったらしいが。
-
ワクワクの最上級
天国に来てから湧きおこるワクワク感。
そのワクワクが最も強く現れるときがわかった。
といってもゲラちゃん自身の体感にすぎないんだが。
とにかく、そのワクワケスト。
いいこと、わるいこと、いずれにせよ、
「主神様にすべてをおゆだねします」と言ったときだ。
もちろん想念、つまり心のなかで思ったときも含めてた。
痛いとい、その他ヤバイとき、ゲラちゃんは
「すべてを主神様におゆだねします」と言う。
そのときに湧きおこるワクワクが最も鮮明であることに最近、気づいた。
-
とあるレジェンド
1990年になっていない頃だったと思いますが、アメリカが当時の新生で、スポットライトを浴びた。
全くステージの上で、華やかにスポットライトに映し出されたようなそれは、ニューヨーク、セントラルパークでの野外浄霊の様子でした。
当時アメリカはまだ華があった頃・・・。
公園で浄霊をするというようなことで、浄霊の広がりという結果は、私自身にはないのです。
能力に自信がないので、霊界作りでやります。
今日でも公園で浄霊をして、布教発展をとは思わないのです。
いろいろ好みのやり方があるのですが、ふとあの動画の声優役をしたH君を思い出し、彼から、争いの霊界にいつまでいるのかと戒めの言葉をもらっても、またそれからでもずっと争いの霊界の住人であったなあと思い返しています。
渋井先生は争いを避けておられたのだとつくづく思う。
-
いまだに忠臣蔵
明主様は、忠臣蔵にはあまりいい感想を述べている。
仇討ちという気持ちはなくなるのが本当だと。
にもかかわらず、先達の誰それが、誰それにひどい仕打ちを受けたとか、
受けないとか。
明主様の信者になったんだから、そういうの関心なくなるのが自然だと
思う。
その先達方だって、明主様への心底からの信仰があれば別に無念なんて
感じているはずないじゃん。もう救われているんだろうし。
それなのに、第三者だけがいまだに忠臣蔵の世界を抜け出せないでアレコレ……。
それでいて、さも明主様のみ心に沿っているようなことを言う。
まぁ、このタイプはリアルの信者には滅多にいないんだが、こと掲示板には
多発している。
本当に信者? と思ったりしている。
-
(無題)
忠臣蔵も諸説あるなぁ。
物語としては吉良は悪役だけど、
単なる被害者、という説も有る。
我があって我を出さないのが良い。
これは望ましい最終形態のことを言っていると思っている。
つまり、我を出さなくても不満が無い状態。
我を出さないことで不満がたまるならば、
俺はちゃんと出すべきだと思う。
不満がたまる状態は最終形態ではなく、過程だから。
出すことで反応があり、学ぶ。
繰り返していくうちに色々悟り、
出さなくても不満が出なくなっていくものだと思う。
だから忠臣蔵的思考も、学びの過程では必要。
中途ハンパでなく、『しっかり』あだ討ちなり批判なりすると悟りが早そう。
一番学びが進まないのが、我慢して不満がたまる状態、だと思う。
-
我慢のミカタ
ワガママの代名詞のように言われているゲラちゃんが言うのもなんだが……
我慢も大切。
人間はストレスがないと能力が伸びていかない。
我慢しないことで伸びる能力があるなら、それも魅力。
我慢することで抗体ができえみたいだ。
ただ力づくで我慢させると、変な抗体ができて、一種のトラウマ
みたいになるんだと思う。
上手に我慢することを心掛けている。
それと、やってみなくちゃわからないと思うけど、
お委ねすると、我慢の必要もなくなる。
それで解決することも多いし、別の幸運が舞い込んで来たりして、
元々の不快なんてかまっている暇はなくなったりするから。
-
(無題)
>お委ねすると、我慢の必要もなくなる。
それで解決することも多いし、別の幸運が舞い込んで来たりして、
元々の不快なんてかまっている暇はなくなったりするから。
きっとそうなんだろうと思う。
その委ねる、が分かるまでは、
さっき書いた唯物風方法論?は必要だと思うのと、
後何か別の道もありそう。今は思いつかないけど。
-
イースター サンライズサービス
これもレジェンド。
ハリウッドボウル・イースターサンライズ・サービスに、当時のチャーチ・オブ・ワールドメシアニティ、後の浄霊フェローシップの安食教師が、式典を司って、ハリウッドボウルの舞台から、参拝者に浄霊を取り次いだという出来事。
それは一度だけのことだったのか、翌年もあったことなのか、記憶は定かではないけれど、1980年代は大きな行事が続いていた。
とにかくそれはキリスト教の重大な式典を浄霊の安食教師が仕切ったという、ある意味考えられないことだった。
-
忠臣蔵といえば
最近知ったことだが、
内匠頭の親族に、同じように癇癪持ちというか。
逆上して刃傷沙汰を起し、切腹させられた人がいるそうだな。
その親戚が憑依したのかもしれないし、DNAに組み込まれている
のかもしれない。
いずれにせよ、吉良事件で生きながらえたとしても、もっと大きな事件を
起した危険性はたかそうだ。
今ならお委ねするという想念の浄霊もあるんだが、あの時代では無理。
そこで小さいなころから少しずつストレスを与えていけば、感情を抑える
抗体ができて、もう少しマシな表現ができたかもしれないと思う。
普段は非常におとなしい人物で、激昂したときだけ人が変わったというから、
気の毒ではあるんだが……。
-
かざす手の位置
昨今、ネットで浄霊を受けるというやり方が、浄霊の中でも一般となって、祭典時、また、拝礼時に資格者が浄霊を取り次ぐことをライブで見ることができ、また同時にそれを通して浄霊を受けるとなります。
時代の流れで、またコロナ禍がそれを後押しでもしているのかと思ったりましてます。
ここで思うことですが、浄霊をされている姿、つまりかざしている手の位置で、違いがあるのではないかということを聞きました。
-
額からの浄霊
時に渋井先生の浄霊力の凄さというのはレジェンドですが、ケースによって額から直接浄霊をととりつぐということも渋井文書に出ていました。
-
浄霊実験
浄霊、何もしない、想念、という三つ。
3月の18日から、実験を始め、浄霊には毎日一回5分浄霊を取り次ぐ。
真ん中は何もしない。
ガンは医者にあなたはガンの末期と告げられたという設定で5分間想念を送る。
それぞれのビンは普段は離して保管。
向かって左の浄霊のものは色がまだ緑を残している。ビンの中の水滴が多い。
真ん中は水分がかなり出ている。緑色は保たれている。
ガンのものは白い斑点が全体に目立ち、緑色が薄くなっているが、水分が出ていない。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0001246.jpg
-
技術とメンタル
アスリートが言う。
今の若い人は、技術的なことはすごい。
ただメンタルは弱い。
想念の浄霊をいえば、やり方ばかりに注目が集まる。
想念なのに、想念はスルーかよ。
やはり相反するものは同時進行するようだ。
-
言い分を通したあとのむなしさ
『山と水』に、同じようなお歌があったと思う。
今、ゲラちゃん、ある仕事で揉めていた。
原因は、ゲラちゃんのミスだ。
先方は、訂正には応じるが、手数料として差額分として追加納金しろという。
実はゲラちゃん、いつも冷静。
論理的に詰め寄るタイプなので、冷静でないと論理に隙ができるからだ。
一部のミスで判断せず、全体から見て判断すべきではないかというのが、
ゲラちゃんの反論だ。
アレコレやりとりした結果、ゲラちゃんの言い分を、先方も認めた。
渋々だ。面倒くさくなったのではないかと思う。
言い分が通ったのはよかったのだが、後味はわるい。
言い分が通ったあとの虚しさってあるんだよな。
これからはミスはしないようにしようと思ったが、自信はないのが……。
-
(無題)
メンタルの強さは、いかに自分の本心に向き合っているか、に影響されそうだ。
自分が一番したいことは何なのか、が明確になると、
必要なもの、不必要なものの仕分けが出来て、アマリ他に影響されなくなる。これは自分の経験。
最近自己肯定感について考える機会があったけど、
自己肯定感の高い人は、シンプルに自分のやりたいことに向かう。直接関わりのないことは気にしない。
低い人は、他人の評価が気になりすぐ影響を受け、メンタルが揺れる。怒りやすい。
情報過多になって、自分と向き合う時間が以前より大分減っているのが現代で、
その減った分メンタルが定まっていない=弱い、
という可能性は感じる。
-
ケースメソッドもあるかも
最近は、スポーツだけじゃないけど、ケースメソッド方式が多くなっている。
実際の事例に基づいて、対処法を考えて行く。
想定される事態に基づいて、というものも含めてだけど。
だけど現実には、事例通りとは限らない。
想定外の事態に直面したときに、対処できなくなって逃げちゃう。
日本の昔ながらの訓練法、同じことを繰り返し行う。
どういう意味があるかわからないけど、繰り返す。 剣道とか、柔道とか、相撲とか。
この方法だと、想定外の事態に対処しやくなるらしい。
対処できるから、逃げ出さない → 強いメンタル かなと。
なんかの論文で読んだだけだけど。
朝夕拝や浄霊も、必ずしも心が伴っているときばかりじゃない。
それでも続けることに意味があるのかなと思う。
-
(無題)
中学の時柔道部だったけど、
その経験でいうと、
>繰り返す
は、無意識的に反応する、とほとんど同意だった。
試合中頭で考えてそれを運動神経に伝える、なんて暇ないからね。
>想定外の事態
に対しても、いつもと同じことを(無意識的にでも)できる。
って感じだった。
まあ、個人の経験談の域の話だけど。
-
ケンカ、弱いねん
柔道部かぁ。
強いんだな。
ゲラちゃん、体力的ケンカ、弱いねん。 口ゲンカだけ、強い(イジイジ。
同じことを繰り返す論、やっぱりそうなんだな。
いつも、「メシアの御神さま〜〜」とか言ってるから、とっさのときにも
出る。
それなりに、というか、それでもなんとか事態は改善するもんな。
-
想定外の事態
2年前の秋だったか、ドトールでの出来事。
夏、暑かったので、毎日のようにドトールに行き、
アイスラテを頼んでいた。
暑さが弱まると、行かなくなったのだが、秋の寒い日、
温かいものが飲みたくて、久しぶりにドトールに。
「ホットのアイスラテ」
レジにいた学生風の兄ちゃん、固まった。
ああいう店は、マニュアルによる、いわばケースメソッドだから
想定外の事態に対応できなかったんだろうな。
-
(無題)
>浄霊、何もしない、想念、という三つ。
この実験はとても興味深いです。
右はすでに毒素を溜め込んだ状態で死んでいるようにも思えます。
左と真ん中は生きていて呼吸も浄化もしているようですね。
左は浄霊して不純水素を焼尽したので毒素の排泄は殆ど無いようで、ビンに付着する水滴は呼吸によるものかもしれません。
真ん中のビンに溜まっている水分には排泄した毒素が多量に混ざっているようにも思います。
やはり、霊の穢れが物質化すると多量になりますね。
-
医者からの宣告
ガンの末期です。余命・・・と医者から宣告されたという設定のキュウリは実験を始めて数日で白い斑点がではじめ、水蒸気はないという変化。
二回の実験で、ガン宣告ということから起こるリアクションが、ある意味殺文句(ころしもんく)ということだと解釈しました。
-
(無題)
>二回の実験で、ガン宣告ということから起こるリアクションが、ある意味殺文句(ころしもんく)ということだと解釈しました。
確かにそのようですね。
送り手(医師)の想念が移写するようにも感じられますね。
では、ガン宣告をしつつも、ガンとは毒素を一時的に集溜して延命するために出来るものなので、しばらくは肉や魚を食べず、なるべく血液を汚さない食生活を心掛けながら経過を見ましょう、消える可能性もありますよ、としたら結果が変わってくるのでしょうかね。
-
選択
余命宣告を受けた時、実際は、後2週間です。今すぐ治療を受けるために、緊急行きなさいと言われました。
その治療を受けないと、2週間で死にますということ?なのかと思う中で、やったーと思ったことを含めて、思わず吹き出した。こみ上げた笑を瞬間に止められなかった。
確かに症状は良くないのだけれど、検査期間も結果が出て、医者に呼ばれるまで日数があって、今日から2週間と聞かされ、普通だったら相当なショックを受け、医者の指示に従って、緊急の治療を受けるということなんだと思うけれど、私はその治療を受けた延命を望まなかったので、すぐに帰宅して死を待つということにした。
死なない・・・。
選択ということで、一体どれが良いのかは人それぞれで、あれからまだ生きているというのも、生活できる環境があるからで、それがなければ違う選択にならざるをえない。
選択肢は色々とあるし、無いし・・・。
-
初めて医者に・・・
学生時代の怪我の時は、学校から直接学校医なんだかに連れて行かれた。
問題なのは、無医薬ということがゆえに、そういうものとの縁が無いこと。
娘もそれがゆえに、公的な証明書の発給を渋られたりして、しばらくは出生証明がもらえなかった。
浄霊の人の盲点。
私の場合、末期の腸癌というのが最初の医者から言われたこと。
癌であるはずが無いと自分では思っていたけれど、症状からそういう診断を受けた。医者に行ったのは、医者にいかないまま死亡の時に犯罪とされることを避けるためのことで、今の社会では回避、無視はいけないこと。
菜食で、癌はないだろうと自分ではそう思った。
-
(無題)
中々面白い実験をされてますね。想念による悪い暗示を与えることでも結構影響が出て来るんですね。
キュウリでさえ影響が出るのであれば人間に対し言葉でストレートに伝えられればどうなんだろうと思います。
既にご存知と思いますが、以前拝読した精神作用の影響に関するみ教えを思い出しました。↓
http://www.rattail.org/mobile/search1/ke/kekkak19.html
この中で2、3の実験例が出ていますがキュウリでは無く牛の例ですが、想念や言葉を与えたかどうかは分かりません。
最後の部分に『人間の精神作用がいかに影響するかが知らるるのである。』とありますように、
医師の指示により心配になって治療をうけて益々悪化し亡くなったりする反面、医者に関わる機会も無く何も知らずに
浄化を乗り越えてしまって完治している方も結構沢山あるのかも知れません。
-
(無題)
なるほど、そういう実情があって、キュウリの実験を試みたという事なのですね。
それにしても、余命2週間、今すぐ治療しなさい、と告げられた事は大変な御守護でしたね。
普通であれば、この時点からガン治療を勧める医師は少ないと思いますので。
苦痛があるようでしたら緩和ケアで痛み止めを処方していきますという感じで、さらに毒を盛り続けるという事になりそうですね。
浄化中に検査を受ければ、何かしらの網に引っかかると思いますし、長期に及ぶ浄化の場合はガンを筆頭に命に関わるような病名を付けられる場合が多そうです。
まあ、たとえ菜食のみであったとしても、火素の量が増え続けていますから固結の溶解に対して排泄が追いつかない場合は一時的に体のどこかに溜め置く必要があるのでしょうね。
おそらく、御浄霊を毎日頂いていても、そうなる可能性はあると思います。
-
そういう実情
ということではないのですが、私との会話、生活が浄霊一辺倒ということと、実験をしてる妻は浄霊活動現役なので、気が向いて実験をしてるようです。
ガンではないので、今回のガン実験とは関係はないのです。
どうなんですかね、実際資格者とか、きつい浄化頂いて曇りの払拭という方々は多いですよ。
私の場合ある程度公にしてますけれど、これを書いている30分後の体調など全くわかりません。
以前の元気な頃と違って、ニュースとしての浄霊情報を上げるようにしてます。以前は臨戦ということも多々ありましたが、そんな元気はないので、できるのなら、悠久の語り合いという感じでことを進めたいと思ってます。
アメリカの浄霊歴史でも、日本のことでもそうですが、ならば今後どうするのかということとかが出てくると面白いですよね。
T君が渋井文書に関わったのか知りませんが、なんとなく直接というのはなかったと思います。
山根先生とかは本の終わりに名前が出てますが・・・。
-
(無題)
>アメリカの浄霊歴史でも、日本のことでもそうですが、ならば今後どうするのかということとかが出てくると面白いですよね。
確かにそうですね。
個人的に思う事は、今までは、それを団体の売りとして人を取り込んできた場合が多いですよね。
ですから、それとは真逆の発想も必要かもしれません。
T氏の思いによる行動とは逆に転んだという事も必然なのでしょうね。
-
(無題)
浄霊交換というサイトが以前あって、シュウメイ関係の方がされていたと思うのですが、当時書き込んでおられた博識の方々はどうなっているのでしょう?
しかしながら、T氏がいつも中心で話し合いなどがあった頃、ワヤでした。
私は下戸ですので、料理と、かたずけ役でしたが、初めて長野農場からの里芋を頂いたので、それをみんなで食べた。美味しいのなんので、あっと言う間になくなったので、下町のヤオハンで里芋を買ってきて、食べた。
その違いに愕然としました。
酒を飲める彼らの傍若無人ぶりもあの頃は面白かった。
T氏は幕末の志士の土方歳三が好きだったので、彼をすいていた職員は、函館のお土産とかをプレゼントしてたような・・・。
当時ロサンゼルスセンターを、かなり魅力のあるセンターに、T氏を追い越せと思っていた頃もあったなあ。
-
(無題)
>T氏を追い越せと思っていた頃もあったなあ。
私から見ますと18番さんの方が、かなり先に行っていると思いますよ。
まあ、多少役目が異なるようにも思いますが、独立した訳ですからね。
-
もし・・・という仮定
当時、新生がイヅノメになる以前に、事例集本が5、6冊出たと思います。
あの頃、T氏のとことからの入信者が多くあって、新宿と上野原と二つの名が有名でした。
当時宣教局は、九州の可知代表の大浄霊会、御魂磨き。
松本総長が推した自己浄霊。
と、
関東ラインと私は区別していた新宿の想念の浄霊。自己浄霊は受け入れない、御魂磨きのような板こすりはしない側があった。もちろん私の目からそういう風に見えたということです。
霊界作りの九州。浄霊力の新宿。
そんな頃若手のT氏は御魂磨きの効果はあるのだろうか?という、編集局のK氏の誘いで調査ということで、御魂磨きの実験、というか、御魂磨きを取り組んだ。一月後、18番さん御霊磨きは効果があると私に知らせてくれました。
各地で行われた大浄霊会、御霊磨き。これの元々は教主様の御巡教のための3年前からの準備という心構えで取り組んだ九州のモデルがある。信じられないというような御蔭話、体験談の渦で、それを各地で見習ってということで取り組むわけですが、心構えの違いがあって、思うような結果がいただけないのが現実のように感じました。
-
金粉の話題
熱海にいたころ、金粉についての話題も多くありました。奉仕の方々にそういう現象が起こっていたようです。
ただそういうことが勘違いを起こすことも少なからずあり、また時の教主が新生にお出ましにならなかったこともあってか、そんなブームは冷めていったようでした。
即席に奇跡を見たそんな日々。
現場の片隅では、食に力入れてという訴える声が私には聞こえてました。
ただ当時T氏は食にはほとんど興味を見せなかった。反対に、そんな話題を出す私をなじるということもあったので、彼にも見えてない部分があるんだと思いました。
そういえば、新生では光明新聞の配布を布教手段として進めていました。T氏は毎日500部を配布してたということです。単純に一月10000部。それが発展に大きくつながった一つの要因であったと思います。
そういう下積みの努力を重ねるとか、時間があればみ教え研鑽してました。
-
教主中心?
そもそも私は教団のことをあまりにも知らずにいて、関わってから、いろんなことを吸収して行ったので、その教主中心というのも自分の体験が情報の基準になっています。人からの影響はそれほど強くない。自分なりに教主中心を理解して、その理解は他の方々と違っていたのはよくわかりました。
かといって、明主様中心とか対立として出された言葉あそびにも乗っていませんので、実は気持ちは新生でも、もちろん再建でもなかった。
その後時の教主は中立派を作り、吉岡氏が総長でしたね。
総長の椅子というのも、理事長と名が変わっていく変遷。
もし、権力闘争がなかったなら・・・。みんな幸せなのだろうなあ。
実際信者さん側にしてみれば、今日、無医薬という生活という需要が提供されることが信仰の最大目的の一つと思うことができていないのが組織をまとめられない要因。
信者さんが感謝を提供することが、組織運営継続となっている。
専従者資格者がもっとお金ならお金を作り出すということなし。団体のお金が給料となって降りてくるので、営業という努力はほとんどしていない。ジムやが多く、営業マンが少なすぎる。
-
信仰改革
minoruさんの言われる「組織改革ではなく信仰改革では?」という問いかけは急所を突いたものであり、そのまま自分に当て嵌まります。
信仰とは「ある宗教を信じて、その教えを拠り所とすること」とあります。
組織改革を自らの使命と信じいろいろやれども行き詰っていました。つまりは奇蹟の頂ける集団を目指すことでした。
しかし一人ひとりは因縁により組織に所属するも、組織と自分との関係を見つめ直さざるを得ない聖地での奇蹟を見せられ、
その組織からはもう自分には学ぶものは無いことが理解できてきました。
現在は自らの考えでメシヤ信仰に道を求めています。
-
(無題)
樋口教師については、人づてに知るわけです。東京女子大の教授を経て、その後ハワイ、アメリカで浄霊の礎を築く。
先生はやはり学校がキリスト系であったということから、日本の一般の浄霊のあり方とは異なって、祈りをキリスト教系にされるということだったようで、確かに、祈りのしおりのアメリカ版というものは日本のそれとは全く異なるものだったようです。
アメリカ人対応の浄霊。
その後、流れはアメリカ人対応となるより、日本人に合わせていくことになっていったように感じます。
もしそうでなかったら、私など、入る余地のないアメリカ版浄霊となっているはずですから。
-
よくやったね!
ハワイでも、その急激な発展で、当時の教会の建物を作ったという。1953年に始まって、あっという間の教会建設。
それからロサンゼルスの初めの拠点から今のところへ移る。
同じ頃にヴァレーセンターの土地を購入。
その頃の活気は大したもので、月一度はロサンゼルスから3時間のヴァレーセンターの奉仕。
300人〜400人が集ったという。食事もそこで用意されてた。それは自宅で作ってきたのもあり、その場で作られたものもあり。
そんな時を思いだして出る言葉は、よくやったね!
全く感慨深いものがある。
-
まっぴら
今週の激怒な話。
昔からよくあるんだが、
「あの人が信仰してるから」
「あの人に助けられた」
とにかく人に傾倒し、感謝をささげる信者を見かける。
その光景をみるたびゲラちゃんは、激怒だ。
わが教団は、神に求め、神に感謝をする信仰だ。
人から利益を求め、人を崇拝するなんて、まっぴら。
人的交流団体なら、例の巨大教団に行けばいい。
信仰の対象は、どこまでも神、唯一の神、主神様だけでいいのだ。
-
人間ぎらい
モリエールじゃないよん。
ゲラちゃんは、人間がきらいだ。
ちょっといいと思って仲良くしても、親しくなると嫌いになる。
理由は、簡単だ。
人に認められよう、とするからだ。
ゲラちゃんは、心のなかで思っている。
「バカのくせに」
ところが、ここにきて、親しくなるほど魅力的な人間が増えてきた。
「賢い!」
ゲラちゃんが感じる「バカ」と「賢い」の分岐点は、どこか。
自分のバカに気づいているかどうか。
人間なんて、神様から見れば、すべからくバカ、バカ一色。
せめて、自分のバカに気づける程度の賢さは持っていていいよな。
-
(無題)
安食教師の100日祭でした。
-
草木も黙る年度替わり
静かな年度替わりだ。
世間では相変わらずのコロナだが、この掲示板は静かだ。
人草が黙るのは、満たされている証とか。
明日は、春季大祭。
いい新年度になりそうだ。
-
ワクワク国
なぜかワクワクする。
ここしばらく、前年度の締めと、新年度の混雑に紛れ、
忘れていたワクワクが、またよみがえってきた。
明日が春季大祭だからだろうか。
ところでワクワク国とは、日本のことらしい。
古代の海外文献で、「ワクワク国」という表記があるという。
どうやら、それは日本のようだとわかってきた。
なんの関係もないのに、なぜか嬉しい。
ワクワク国民、ゲラちゃんとしてはな。
-
(無題)
認知症が進んだ父親を見ていて思うこと。
元気な時に心残りだったと思われることを、認知症になってから絶えず口にするようになっている。
元気なときには表に出てこなかった執着が、繰り返し出てくる状態。
もし自分が認知症になったとしたら、
やはり同じように、心残り、執着が繰り返し口をついて出そうな気がしている。
やはり、やりたいこと、気になることは元気なうちに決着をつけるべきだ。
いつ、今死んでも人生に後悔が無い状態。
橋下さんも自分はもういつ死んでもいい、って言ってたな〜。
行動するにしろ、行動せず昇華するにしろ、
年を重ねて執着が真に残っていないように過ごして行きたいものです。
-
水
認知症に取りくむ理学療法士の話だが、
彼は、大量の水を飲ませる。
そのうえで、腎臓を柔らかくする体操を薦めている。
腎臓の浄霊に取り組んでみたら、いかがかな。
-
現実化への道、着々と
春季大祭、参拝してまいりました。
コロナ下とはいえ、関東周辺の信者を中心に、会場は満席。
熱気に満ちた大祭だった。
今回の参拝で、ゲラちゃんは、今まで払しょくしきれなかったものが
払拭された気分だ。
なんていうか、信仰とは何か。
子どものころから考えていたことがいよいよ現実化するための
確信を得た気分だ。
神は生きている、明主様は生きている。
そのことが確信できた気がする。
信仰歴〇〇年、ここまで信仰してきてよかったと心底思えた参拝だった。
-
(無題)
腎臓浄霊のオススメありがとう。
直接は出来ないので、この掲示板で想念浄霊教わってから、なるべくするようにしているよ。
-
よけいなお世話でなければいいんだが
なんて、ゲラちゃんらしくない謙虚な心配も抱えながら書き込んだコメだった。
気遣いのぽっちらしいコメを返してくれてサンキューざんす。
とにかく親のことは、重いよな。
ただ、可能な限り孝行しておくと、万一のときにも
心を傷めることが少ないようだ。
親に思い残すことがないようにしてあげるというのは、
実は自分に思い残すことがないようにしていることかもしれないと思う。
-
(無題)
>親に思い残すことがないようにしてあげるというのは、
実は自分に思い残すことがないようにしていることかもしれないと思う。
本当にそう思う。
想念浄霊するようになってから、
する前よりは落ち着いてきているようには感じています。
ありがたいことです。
-
(無題)
フェイスブックでフォローしている方の記事からの転載です。
掲示板には長いけど、かなりいい記事だと思うので紹介します。
なんかゲラちゃんの文調に似ていると思った(笑)
『チョコレートを多く消費する国は、ノーベル賞受賞率が高い。
そんな一流科学誌に掲載された論文が話題になったことがある。
チョコレートの成分に頭をよくする何かがあるんじゃないかということで、世界中のチョコレートメーカーがそんな便乗プロモーションも始めたのだが、そこである統計の専門家がアッサリとこの論文を否定した。
彼がキチンと裏付けを調べてみたら、チョコレートの成分は無関係。
チョコレートという比較的高価な菓子を購入できる国はいずれも国民の所得レベルが高く、その分、子供の頃から高等教育を受けられる機会に恵まれている事が理由だと看破したのだ。
これは統計は取り方や分析角度から、カンタンに数字にウソをつかせる事ができるという一つの事例である。
臨床試験を毎日世界中の色んな大学や病院でやっているウチの会社も、統計数値や確率数値は見せ方や調べ方で幾らでも都合の良い結果を導ける事を知っている。だからこそ、数字はその算定根拠が大事なのだ。
一見科学的根拠があるように見えても、色んな視点からの検証がなければ数字は人を簡単に騙して扇動することもできる。
文系の人やダメ経営者やダメ銀行マンは「数字は嘘をつかない」などと言う人もいるけど、そんなことはない。
数字は大ウソをつく事ができるのだ。
コロナ狂騒とコロナファシズムが日本に蔓延している。
いろんな意見や噂が飛び交い、バカな政治家に国民が振り回されている毎日。
こんなカスみたいな1年が生まれた最大の根本原因はなにかと言うと、ワシはそれは「統計数値のごちゃ混ぜカオスパニック」だと思っている。
まずは「累積感染者数」はPCR検査「陽性者」と「感染者」が混在したままだ。陽性反応は言わば「花粉が体に付着」している事。花粉症発症しているのとは別なのに、ごちゃ混ぜ統計のまま。
「コロナ関連死数」も本当にコロナが死因なのか怪しいもんだし、感染経路も怪しいもんだ。
飲食店ばかりが悪者になっているのは、飲食店は感染者数やクラスターを把握しやすいからに過ぎない。
一方で、満員電車が感染源とされないのは、感染者が出たとしても移したヤツがどこの路線からどう乗り継いできて、何分電車に乗ってて男女差や年齢差はどうなのかとか、後で統計取って調べようにもその方法がないからだ。
簡単に言えば、統計が取れない経路は全て度外視され無視されて、取りやすいところだけが悪者にされ、国を挙げて袋叩きにされているのだ。
こんな科学的センスゼロの国に、一体いつからなったんだ、日本は。
例えば、居酒屋でクラスターが出たとしよう。
最初の感染源となった人は、一体どこから貰ってきたのだ?
拡大予防のためにはそっちの方が大事だ。
飲み会に来る時に乗った電車で移された可能性はないのか。でもこっちの方は統計的に正確に調べようがないから分かりはしない。
だから居酒屋から突然感染者が降って湧いて出て、クラスターが出たような発表をする。
結果、居酒屋は閉店に追い込まれ、居酒屋にウイルスを持ち込んだ最初の人物がどこから貰ってきたのかは、「経路不明」で闇の中のままだ。
居酒屋の中に感染者が数人出たとしても、その人達が乗ってきた電車の車両の中にもしかしたら感染者が何人も乗っていたかも知れない可能性には触れない。
飲食店や飲み屋ばかりが悪者にされてるが、知事達は最近はパチンコ屋のことは全く口にすらしない。どこいったの、店名まで公開して悪者にしてたあの話は?
ワクチンもそうだ。
「女性に副反応が出やすい」「女性は気をつけて!」などと言ってる統計オンチのアホも多いが、優先接種してる医療関係者のナースは大半が女性なんだから、女性に多くて当たり前だ。
一体いつから日本人は自分の信じたい情報しか、見たり聞いたりしなくなったのだろう。
情報を鵜呑みにせず、自分の目と耳で調べて真実を見極めようとする力。
一見もっともらしい顔をして流れてくる「統計のウソ情報」に乗せられない力。
「チョコレートを食べると頭が良くなる」と寝ぼけた都市伝説みたいな事を喧伝する前に、統計の嘘とホントを見極める力。
それは受験勉強などとは対極の生きる知恵に裏付けられた「知性」ではないだろうか。
テレビ局から政治家まで狂乱のコロナファシズム。
これって、日本人の知性が低下してる事が本当の原因だったりして。』
-
ホクホクソ笑み
こんな素晴らしい文章に似てると言われると、さすがにニンマリだぜ。
しかし、全面的に賛同だな。
ゲラちゃんの言いたいことがそのまま文章になっておるがな。
言葉は、神のもの。
神への尊信があるから、このくらい掘り下げて、論理的に書くべきだよな。
な、な、な。
-
(無題)
なかなか面白い記事ですね。
>数字は大ウソをつく事ができるのだ。
確かにその通りだと思います。
そういった数字にはカラクリがありますね。
血圧の正常値などもそうですし、究極的には体温を計って一喜一憂することも同様だと思います。
もし、その記事にコメントが可能なら、そのような感じに話を広げてみるのも面白いかもしれませんね。
-
(無題)
>言葉は、神のもの。
ゲラちゃんが常時神と向き合っているのが端的に分かるコメントだけど、
他の世界メシア教の信者さんは、神への向かい具合?はどんな感じ?既存の他の明主様教団と比較して。
予想だと、ゲラちゃんほど向き合っている人はそんなに多くないけど、平均して向き合い具合は高そう。
キリスト教って、平均して向き合い具合は高そうだから、
その良い影響は受けてそう。
>血圧の正常値などもそうですし、究極的には体温を計って一喜一憂することも同様だと思います。
ですね。
想念次第で、一喜一憂を行動のモチベーションにする、という転化・昇華は可能ですね。
毎日の体重計測が、生活習慣の意識付けになるとか。
>その記事にコメントが可能なら、
フォローしているだけだと、記事は読めても、コメントはできないんですよね(しようとしました苦笑)。
友達申請したけど、既にその人は上限の5000人になっているみたいです。
-
コロナワクチン 26歳看護士死亡
福岡県八女市の病院の26才の看護士さんがワクチン
接種4日後になくなったそうです。
死因はくも膜下出血とのこと。
報道は殆どされてないようです。
https://tr.twipple.jp/p/bd/572ba2.html
-
他の信者のことまでは
わからんが……、
まちがっても、キリスト教化しているとか、
明主様の意図に反しているなどと、寝ぼけたことを、恥ずかしげもなく
言う信者はいないと思う。
明主様のご意図を最も忠実に遂行しているのが、世界メシア教なんだろうな
とは思っているんじゃないかな。
ま、世界メシア教だけじゃないだろうけど、
人を見て信仰している信者は少なくはないんだろうがな。
前にも言ったが、人と人の差なんか、神と人の差に比べたら、ないに等しい。
どんな立派な先達も、ゲラちゃんが信仰の対象にすることはないがな。
-
(無題)
ゲラちゃん意見ありがとう。
スポーツでも勉強でも、自分より少し上の人に対しては、
そこに到達する上での有る程度の距離感はつかめ得る。
しかし、かなり上の段階の人に対しては、
距離感は分からず、ただ不思議な感じがするものだ。
どうやったらそうなるんだろう、と。
ゲラちゃんの神への向き合い方が、俺にとっては似たような感じなんだよね。
昔の恐怖信仰、脱却してからの摸索を経て、
自分なりに向き合ってきたつもりだけど、
言の端から神、が出てくる状態では全然無い。
まあそれがダメとかは思ってないし、
(誠があれば)マイペースでいいと思ってるんだけど、
組織的に一定の方法論に沿った場合に、
そのような向き合い方ができるようになるのかな?と
思ったので聞いてみたよ。
>コロナワクチン 26歳看護士死亡
リンク先読みました。
予想されたこととはいえ、実例に触れると悲しい。
マイペースとはいえ、できることは『ちゃんと』やっていかないとな、と思いました。
-
(無題)
コロナに感染歴のある人ほどワクチン接種は危ないようです。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2174152.html#more
血管に損傷を与える可能性があるとの事ですから、クモ膜下出血で亡くなる事も必然だと思います。
-
樋口教師が残した物
1492年コロンブスの新大陸発見!という史実の評価は、コロンブスによる原住民の大虐殺となったので、コロンブスデイという祝日は賛否両論。
明主様は過去を云々というより、新しい世界の生活を実践していくことを天国の建設として実現されようとしていた。
結果は未完成となっているとか、実現を見ていないという評価は口が裂けてもということなのかあまり見ることはない。
日本のことはさておいて、アメリカ、ロサンゼルス。
先日の安食教師の100日祭があった。
思えばアメリカ本土の布教は70年となるまでに数年を残している。ハワイ布教が1953年なので、アメリカ布教は本当にあと2年ほどで70周年を迎える。
先日の月並み祭の参拝者数は資格者、役員、家族を入れなければ、五人・・・いや、二人だった。
その他は資格者とその家族、役員。全員で10名ほど・
-
(無題)
明主様のお話の中で、戦争当時にローラーで潰され死んだという霊と明主様との会話があったと思います。詳しくは覚えてませんが、皆さんご存知のお話だと思います。
お亡くなりになってからの救いということで、大変強く心に残っているのです。
不思議な救いのあり方だと思います。
ロサンゼルスセンターの現状は、5、60年あまり前の最盛期から比べると数百分の1、実際1パーセントもない、0・何パーセントということのようで、本来なら運営が続けられる状態ではないのです。30年ほど前に日本の本部からの独立がなされたことで、監査がない。
ハワイの樋口、安食教師は、信者さんが日本の本部に手紙を書いたことから、ハワイから解雇された。
実はアメリカ本土でもそういうことがあって、当時教会長であった安食教師は職を解かれ、その後、山月の部門の担当になりました。
日本から、新教師が派遣され、教会長となった。
結果、日本色が強くなった。
そして、何年かが過ぎ、教師等の内内の意見の違いから、その派遣されてきた教師等は帰国。そして80年前後となり、教団は例の紛争に突入し、その結果、ロサンゼルス教会は分裂。
90年辺りには分裂ののちに、日本、当時の新生から、独立となり、その後はイヅノメが分裂。
実際信者数のグラフを書くことができるのならば、激減というというのを目の当たりにできるでしょう。
明主様がそういうセンターをお作りになられているのか、不確かです。
そのセンターに救いが多いのかというのは、発展もないのでそれほど認識できるものはないと思います。
明主様は何を望まれておられるのか?
分からないというのが大半の方が持つ気持ちだと判断します。
分からないながら、続けている。
まるではしょって書いてます。
-
(無題)
先月、役員を選ぶ選挙があったそうで、信者名簿があった。かれこれ二百人の名があった。
実際ロサンゼルスでは、公表されるべき文書が公表されないので、この選挙も形のみと評価していい。
以前は私も役員として出たこともあるので、その時は候補者が紹介されたり、また投票したい方は残って投票した。
近年、誰が候補者であるのかも分からない。名前が出てこない。
なので、誰が教会長なのか分からない。
誰が役員なのか分からない。
誰がそれらの監査をしているのだろうかも分からない。
信者名簿にはここ20年も見たこともない方々の名前が連なっているという感じ。
明主様は何をされたいのだろうか?
-
自分が一番
上を目指したいという気持ちがわからんのさ。
よく言われるセリフだけど、自分の人生のなかでは自分が主役。
他の人を目指しても、自分の人生ではないような気がする。
全人類に共通する上ってのは、神の世界で生きることだけでいいんじゃないかと思う。
これもよくあるHOW TO本。
「女を落とせるデートコース」とか「身だしなみ」とか、
あれと同じが気がする。
たまたま誰かがそのコースや身だしなみで女を落としたとしても、全人類が成功
するわけじゃない。
浄霊も同じで、誰かの成功が、すべての人に共通するわけじゃない。
ぽっちがいう「組織」ってのは、教団のことじゃないかと思う。
ゲラちゃんが世界メシア教に来てよかったと常々言っているのは、
その全人類に共通する上、神と共に生きる。
その部分だけしかないこと。
ああしなさい、こうしなさいはないんだ。
あとは各信者が、各自で神と共に生きる道を模索してるっていう感じかな。
それはゲラちゃんがこれまで描いていた信仰の姿でもある。
信仰は、HOW TOでも、道徳でもない。
神と共に生きるだけでいい。
-
(無題)
>明主様は何をされたいのだろうか?
キュウリの実験をされた事も、ある意味、必然だと思うのですが、
おそらく、アメリカなどの西洋社会においては、真ん中と右のキュウリの比較こそが大事なのではないでしょうか。
つまり、浄霊よりも無医薬や食のあり方を中心に捉えるやり方で大丈夫だという事かもしれません。
-
(無題)
いや、必ずしも目指す訳じゃなくて、
自分が到達していない世界への純粋な興味も強かった感じ、だろうか。
ゲラちゃんのような、常時神と向き合っていると感じさせる人に、
今までの信仰人生で出会ったことがなかったからさ。
当時の自分では気付けなかっただけ、と言い換えることは出来ると思う。
>神と共に生きる。
信仰の深さに応じた解釈になりそう。
信仰者は誰でも、その人なりに神と共に生きている。
そして、(誠が有る前提で)過程としてそれで良いんだろうな、と思っているので、
無理に上を目指す、って訳でもないんだよね。
>各信者が、各自で神と共に生きる道を模索してる
これも同じで、信仰者は誰でも、その人なりに摸索している。
そして、人によって深さが全然違う訳で。
まあ広義か狭義かで摸索しているいないの話になるかもだけど。
ちょっととりとめがないので前投稿の質問の意図を書いておくと、
世界メシア教の活動の中で、ゲラちゃんの神との向き合い方に寄与したものがあれば、
それを投稿してもらえたら読む人にとって有意義だな、と思ったんだ。
まあでも結局、どんな活動も経験も受け取り方次第、ということかもしれないね。
-
呼吸
現在のところ、世界メシア教の活動のすべてが
「神と共に生きる」だと思う。
どうやって神と共に生きるかを、教主様がご教導くださっている。
それを信者みんなで学んでいる。
一例をあげると、春季大祭でのご教導。
「私たちが吸う息は、神が吐いた息。
私たちが吐く息は、神が吸う息」
これだけでも、主神様はグッと身近に感じる。
あれもこれもすべて、主神様のものであり、私たち自身が主神様のもの。
活動といっても、教会の当番くらいしかない。
ゲラちゃんはやってないけどな。
あとは教主様のご教導をどう受け止めたかを皆で話したりしてるな。
ゲラちゃんは参加しないけどな。
教会長など資格者も、もっともらしく話をすることはないしな。
-
信仰改革?
真明氏の言われる「キリスト教を救う」ということの私なりの解釈です。
救うということは、新しく生まれたものを示すということ。
そのためにキリスト教と一緒になって個の完成を目指していくということだと思います。
-
(無題)
>ご教導をどう受け止めたかを皆で話したりしてるな。
こういう意見交換する文化、風習はとても良いと思う。
自分に向き合い、他人と推敲することは、神に向き合うことに必ず繋がると思う。
仮説だが、既存の明主様教団だと教導が分かりやすくて、
アマリ議論の余地がないのかもしれない。
少なくとも俺は今まで信仰仲間と『これはどういう意味だろう』
という意見交換はしたことない。必要を感じたこともない。
分かりやすいのは長所だが、
特に向き合う必要がないから作業的になりやすい、心が伴わなくても出来てしまう、
という短所にもなる。
教主様のお言葉には俺はちょっとだけ触れたくらいだが、
キリスト教になじみがないからか、分かり辛かった印象が有りそれは短所だが、
逆に心を伴って向き合う必要が生じる。これは長所と言えると思う。
特に決まった正解はなく、人それぞれで向き合い意見交換し、個々の方針を決めればよいし。
自分に向いている、所属していて心地よい所に居ればいいよね。
特長の違う選択肢が増えたことはとても良いことだと思っています。
-
魂からの叫びであれば
そこがゲラちゃんのひねくれたところで、
ああいう話し合いでは、多くの人が誰かが気にいるような意見しか言わないんだよな。
世界メシア教の信者であっても、キリスト教との呼応が嫌だという意見があってもいい
と思うんだ。
ところが、そういう意見が出たとしても、「明主様の言葉だから」と言えば、
誰も反論はしない。
万一、反論したら、反教主派とか言われて居づらくなる。
でもな、ゲラちゃんもキリスト教徒の呼応は賛成なんだが、
日本文化を失くしてしまうかのごとく見える部分は疑問ありなんだ。
外国人は、日本の文化が大好きな人が多いだろ。
それなのに、日本文化を失くしてしまったら、かえって逆効果だと思うんだよな。
外国人の理解を得る方法は、なにも外国人のようになることじゃないと思うんだ。
より日本人らしくあるほうが国際理解は深まる気がする。
だからゲラちゃんは、握手もハグも可能な限り拒否してる。
外国人が寄ってくるきっかけとしてだけでもいいから、日本の文化を大事にして
ほしいと思うんだ。
ゲラちゃん的には、メシアとは大和の文化から生まれたものだと思っているんだ。
話が横道にそれたが、魂の叫びというか、本心からの声が聞けないから、
話し合いの場には出ないことにしている。
皆が同じ意見なんておかしいだろ。
同じ意見を言ってもしょうがないと思うから、ゲラちゃん反対意見しか言わない。
というわけで、ゲラちゃんが参加すると、話し合いをひっかきまわすだけだしな。
-
キリスト教を救う
サブロク君よぉ。
キリスト教だけじゃなく、明主様はすべての宗教を救うと仰った。
明主様に100%従うのが教主様だから、やはり世界メシア教もすべての
宗教を救うんだと思う。
あんまり大っぴらに言うと、余計な争いを生みかねないから言わないようにはしてるがな。
ゲラちゃんの考える「すべての宗教を救う」ということは、すべての宗教を使うこと。
その代表としてキリスト教化がある。
キリスト教の教えを、主神様がお使いになる。
すべては主神様のものだから、自由に使っていいよな。
我々も、浄霊によって主神様にご縁をいただき、その後は主神様にお使いいただくことで
救われてきた。
宗教だって同じで、主神様に使われることが、救われるということではないかなとな。
自画自賛のようだが、世界メシア教は主神様のみ心を成し遂げるための教団だから、
キリスト教だって、その他の宗教だって、おおいに使っていくんだと考えておる。
-
(無題)
>万一、反論したら、反教主派とか言われて居づらくなる。
そうかぁ。何かどこも似たり寄ったりかもね。
良くも悪くもそういう特徴があるのが日本、ってことっぽい。
意見の没個性化は、20世紀の高度成長期のように大量生産には適しているけど、
個々のニーズに柔軟に対応すべき21世紀には、後れを取る特徴かもしれないね。
そう考えると、宗教組織はあまり発展しなそうだな〜。
古い組織は必要に応じて残るにしろ、個人の自由な活動の集積の方が、影響力大きい時代かも。
まあまだまだ過渡期だとは思うけど。
子どもの頃からスマホに親しんだ世代が社会の中核になる頃までは。
-
掲示板とは
管理人さんの言われることは、私の投稿したものにゲラさんが自分なりの意見を言われる。掲示板で白熱してもいいということだよね。
話は違うけど、自分が疑問に思ったことをここに質問することも意味のあることではないかと思うけど。
先日も「新しく生まれる」ってどういうこと?と聞くので話をしてみたが、フーン‥と。
分かったのかどうかこっちも分からない。本人は結局分からないと言っていた。
この掲示板を紹介して書き込むようにと言ってみたが、自分が疑問に思ったことは皆にとって意味のある事なんだと思うけど
-
(無題)
特に管理人の立場での考えではありませんが、
>掲示板で白熱してもいいということだよね。
もちろんですが、白熱しなくてもいいと思っています。
白熱した方が気付きや学びにつながりやすい、とは思いますが。
素直に想いを述べ、素直に反応したい時に返答する。
反応が欲しい時に反応が来ない事で、また学ぶことも有る。
来ない理由は何なのか。
自分の執着具合も確認できる。
単純に話が繋がった方が楽しいですけどね(笑)
明主様のお言葉で、
『生きる理由は味の楽しみのためである』
というようなものがありますが、
生きる理由になるんだから、楽しみってのは結構、どころか超重要なこと。
無理のない範囲で、楽しみかつ楽しみを提供する、
という人生を送りたいものですね。
-
一人が百人
そんな布教力を持つことができるのならば、状況などすぐ変わる。
-
高みの見物
新しく生まれる。
コメを読んで、急きょ思いついたわけで、ゲラちゃんなら、こう答えるというにすぎない回答だということを予め断っておく。
聖書によれば、いわゆる最後の審判の一環としての時期に、キリスト者はこの世から消えるそうだ。ここで言うキリスト者とは、イエスを信じる者という意味だ。
同じ世の中にいて、助かる者と助からない者とに分かれるのではなく、
まったく別の世界に行った者が最後の審判を乗り越えるという意味だと解しておる。
別の世界に行くってわけだから、生まれ変わるのではなく、新しく生まれることなんじゃないのかなと考える。
明主様も最初はこの世のなかで助かる者と助からない者に分かれると考えていた様だ。
ところが実際にメシア降誕を経験した感想として、「新しく生まれる」という聖言をお残しになったのではないかなとな。
この世、あの世と言うか別の世界と言うのは、霊界での区別だと思うんだな。
この世、つまり現在の世界はやっぱり終わるんだと捉えると、「世の終わり」という預言とのつじつまが合うんだよな。
まぁ、この世が終わるというのは、かなり精神的な衝撃が大きいので、あまり考えたくはないんだが、天国から高みの見物ができる人が増えるようにお仕えしていくしかないんだろうな。
-
議論の落とし穴
ぽっち管理人さんへというより、ぽっち社会人であり韓流ドラマを見たことのあるぽっち、その他の人々へ、なんだが。
ゲラちゃんもたまに韓流ドラマを観る。最も嫌いなシーンが、王宮の庭に座り込みするシーンだ。
飲み食いせず、命の危険を振りかざして、自分らの要求を通そうとするんだぜ。
これって、強迫以外の何物でもないと思うんだよな。
王の自由な意思判断に強制力をかけるんだからな。
議論が白熱するだけならいいんだけど、議論は往々にして、人への強迫につながりやすい。そのへんのマナーをわきまえた連中だけならんだけどな。そうでない場合は、議論を避けることにしている。
たしかに、どこの教団も似たような現象はあるんだが、自画自賛になってしまうが、世界メシア教では他と比較すると、かなり薄まっているのは事実としてある。
何より資格者、専従者がえらそうに持説を吹聴することがないことが大きいと思う。
そのうえで、信者が何を言おうと、そこまで規制する必要もないかなと思っているんだ。
信者にそこまで求める必要もないかなと思うし、しぜんに変わっていくんだろうなと思っている。
人に言われて変わるより、しぜんに変わっていくのがベストだと思うのでな。
掲示板での議論も同じで、マナーをわきまえていない人が多すぎると思うんだ。その辺のところを理解する人が半数を超えるまでは、掲示板も自由な言論の場ではないと思う。
韓流だけでもないんだろうが、あの国で残酷な歴史が残っている理由として、人々の自己主張が強すぎる、自己主張のマナーや言論のマナーをわきまえていないことが大きいような気がするんだよな。
あんなにして自己主張されたら、ゲラちゃんだって残酷なことしてしまうと思うもんな。
-
和風コミュニケーション
欧米では今一つ、マスクが浸透しないらしい。
その理由として、言論文化を挙げる声がある。
自分を主張するのは言論であり、言論の発生源である口をふさぐことへ不安があるのだ
という。
対して、わが国では、言論は二の問題。
最も自己主張するのは、目だと考えられている。
だからマスクへの抵抗は少ないのだと言う。
ゲラちゃんも日本人だから、目によるコミュニケーションのほうが好きだ。
汽車の窓から手を握り、送ってくれた人よりも、
ホームの陰で泣いている可愛あのこが忘られぬ♪
この感覚なんだよな。
って、掲示板でどうやってやるんだ!?
-
隔世の感
信仰はタテで、神VS自分の中で信仰とは育つもの
議論はヨコで、学びにはなるが力にはならないと思う。
東方之光は事例研究として多人数で行い、神様の働きを知るということが目的だと思うが、
統一された理論武装が目的のようになっており、各自の目線で神と向き合うということではない。
世界メシア教春季大祭で真明氏は、「一人ひとりの中に神がいる。一人ひとりの中に先祖がいる」と言っておられる。
もっと前から言っておられたのかしれないが、これを聞いた時「やっとここまで来たのか」という深い感動を覚えました。
新たな神観を確立される段階を迎えておられることに、明主様の経綸の進展を感じるものです。
12年前おひかりを外した時、明主様の御神格についてどれだけ説明しても理解してもらえなかった。
「おひかりが無くて何処から神の光が来るの?あんたが神様になったの?それは慢心、思い上がり、分をわきまえなきゃ」とさんざん言われたが、
その後起きてくる奇蹟に支えられながら今日あることに隔世の感を禁じえません。
-
(無題)
>議論は往々にして、人への強迫につながりやすい。
強迫と受け取ってしまう、のが日本の特徴かな。
まあそういう事実があるんだから、さじ加減は必要に思う。
>資格者、専従者がえらそうに持説を吹聴することがない
であれば、トップがそういう方なんだろうね。
御教え的にもそうだし、普通にも思うけど、やっぱりトップの想念は相当反映されると思う。
>掲示板での議論も同じで、マナーをわきまえていない人が多すぎる
開放性とマナーは対立しやすいからな〜。
閉鎖的空間ならマナーも保たれやすいが、同質性が高くなりすぎる欠点もある。
人によって求める開放性とマナーのバランスはまちまちだから、
これが良い掲示板、という固定的な雛型は無いように思う。
>残酷な歴史が残っている理由として、人々の自己主張が強すぎる、自己主張のマナーや言論のマナーをわきまえていない
これは圧倒的に教育が原因だと思う。
よく遺伝的に火病、とか言われたりするけど、
教育の影響に比べたら、あったとしても些細だろう。
支配層がそういう教育をしてしまう、という意味では、
因縁的なものを感じたりもするかな。
>掲示板でどうやってやるんだ!?
リアルと掲示板ではコミュニケーションの役割が違うと思う。
伝わりにくいけど、残すことが出来る。
伝わりにくいんだから、受け取り方はリアルよりも更に相手に任せて、
1対多数で参考になる人がいればいいな、くらいのスタンスが掲示板に合うと思ってるよ。
リアルだと相手の人となりをそれなりに分かって会話することも多いけど、
掲示板ははっきりいって全然知らない訳だから、
伝わりにくいのは当たり前。
その伝わらなさ故に、主観と客観について多くを学べる。
俺は本当に学ばせてもらった。
>目によるコミュニケーションのほうが好きだ。
目が笑っていない、場合は俺も気になるので、
どちらかというと俺もそっちかも。
>統一された理論武装が目的
宗教初心者にはいいかも。
統一された理論武装と個人の向き合い方がどこまで共存できるか。
信仰が進み組織を離れる人と離れない人に分かれるのは、
ごく自然なことのように思う。
起承転結・守破離の繰り返しが歴史、なんじゃないかな〜。
何かいっぱい書いてしまった(苦笑)
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板