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明主様
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(無題)
当時昭和36年にアメリカに来て、樋口教師の食事などのお世話をされた永井さん、後の永井教師は、箱根で奉仕をされておられ、明主様のことについてもご存知です。
その時に、渋井先生をお見かけされていたという。奥さんとご一緒に美術館の方に行かれたと話してくださったことがありましたが、渋井先生についてはそれだけでした。
また渋井先生は過去の人とおしゃっていたことも印象に残っています。
私はその情景をただ想像するだけですが、渋井先生はもう執着がないと、近くにあるものに注意を払っていなかったのではないかと思えてなりません。
当時の瑞泉郷がいつまで存在したのかは知りませんが、すでに明主様との大建設は止まっていたと推測します。
好事に襲いかかる魔は、主に内部からのものと外部からとのものがある。
渋井文書には軽く触るくらいの印象で残されているその頃のことは、十分にその痛みを感じさせます。
私はその魔を必要なことと捉えるほど信仰は厚くない。
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