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明主様
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(無題)
>元気だった頃の生活に戻るだけ
かつて救世教に入信月間というのがあって、入信者の獲得数を競い、成績が良いと表彰されたという。
1980年辺り、布教所ではお世話に一生懸命な方々を見ました。どうもそれで指導者になる資格をいただくというのがあったのだと思いますが、なんとなく脇目もふらずという感じを受けました。
これを見て、この団体には何かが不足していると思ってました。
アメリカに行って、自然農法(実際には無農薬農法ということになる)を始めろと勧められ、菜園場所を作り、種を蒔いて、幾日かの日が経って、畑を見ますと、なんと芽が出ていた。
その瞬間の喜びといったらその後の人生を変えたわけで、これだと思いました。
自然、自然の息吹を知らなければ、浄霊活動など空なんだと思えた。
その後熱海でも同じ空っぽを見てました。自然のあれ(X・エックス)を知らないとダメなんだと思い続け、時と機会を得て食の会を始めた。
その頃嘉丸氏と接するようになり、嘉丸氏は予防ということをよく口に出しておられました。
当時宣教局にいた頃は、九州での事例から、霊界作りが方針として出るようになり、霊界作りの取り組みは、学生時代に感じた不足部分を埋めあわせるものだと捉えました。
ですからその後、霧中であっても光がさせば道が開くという決まりごとを私は利用しています。光を頂ける環境作りは生活の中で実践されることでもあって、それは予防でもあり、信仰を生活の中に生かすことができる、言い換えれば実践宗教の教えとなる。
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