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元文学青年の俺が世の中の俗物を徹底的に馬鹿にするスレ
1
:
元文学青年の俺
:2025/09/04(木) 11:12:21
5チャンネル文学板の「元文学青年の俺が俗物を徹底的に馬鹿にするスレ」
がどういうわけか急に長文の書き込みを拒否し出したので、こちらを「避難所」
として使わせていただくことにした。
5チャンネル文学板への書き込みが失敗した場合に、このスレに書き込む
ことにする。
書き込む内容は、特にスレのタイトルにこだわることはなく、広く気ままに
あれこれを書きつけてゆく予定。自分の雑談用のスレと言っていい。
2
:
元文学青年の俺
:2025/09/05(金) 13:35:49
昨日、5チャンネル文学板の方に書き込みを試みたのだが、相変わらず拒絶された。
ということで、やはり続きをこちらに書き込むことにする。
本家文学板の
「元文学青年の俺が俗物を徹底的に馬鹿にするスレ」の
アンカー番号16 〜 18の三島由紀夫について語った文章の続きである。
3
:
元文学青年の俺
:2025/09/05(金) 13:37:03
相変わらず寄り道。
上で、「三島は 〜 「美」、「永遠」を希求した人間である」と書いたが、三島の、この
「美」や「永遠」の希求という性向は、このスレのテーマである「俗物嫌悪」・「人間嫌悪」
と密接に結びついている。ありふれた比喩を使えば、1枚のコインの表と裏のように。
であるから、「美」や「永遠」の希求という面について、もう少し語らせてもらう。
三島のこの志向は16歳の時に書いた、最初の小説である『花ざかりの森』ですでに鮮明に示されていた。
その冒頭を引用する。
(続く)
4
:
元文学青年の俺
:2025/09/05(金) 13:39:16
『花ざかりの森』
序の巻
この土地へきてからというもの、わたしの気持には隠遁ともなづけたいような、そんな、
ふしぎに老いづいた心がほのみえてきた。もともとこの土地はわたし自身とも、またわたしの
血すじのうえにも、なんのゆかりもない土地にすぎないのに、いつかはわたし自身、そうして
わたし以後の血すじに、なにか深い連関をもたぬものでもあるまい。そうした気持をいだいた
まま、家の裏手の、せまい苔むした石段をあがり、物見のほかにはこれといって使い途(みち)
のない五坪ほどの草がいちめんに生いしげっている高台に立つと、わたしはいつも静かな
うつけた心地といっしょに、来し方へのもえるような郷愁をおぼえた。この真下の町をふところに
抱いている山脈にむかって、おしせまっている湾(いりうみ)が、ここからは一目にみえた。
朝と夕刻に、町のはずれにあたっている船着場から、ある大都会と連絡する汽船がでてゆくのだが、
その汽笛の音は、ここからも苛(いら)だたしいくらいはっきりきこえた。夜など、灯(ひ)を
いっぱいつけた指貫(ゆびぬき)ほどな船が、けんめいに沖をめざしていた。それだのにそんな
線香ほどに小さな灯のずれようは、みていて遅さにもどかしくならずにはいられなかった。
〜
5
:
元文学青年の俺
:2025/09/05(金) 13:41:48
うーむ。名文と言おうか、いや、美文というべきか。
16歳にして、この和語の使い方のこなれ具合は驚嘆に値する。
それはさておき、ここにはロマン派の目印と言っていい「永遠なるものへの
憧憬」の感情がうかがえる。
また、この文章には、青春文学の典型的なテーマである「青春の無為と焦燥」を読み取る
こともできるかもしれない。
取りあえず、今日はここまで。
6
:
元文学青年の俺
:2025/09/06(土) 21:23:28
この一文には、「永遠なるものへの憧憬」が感じられるが、書き手はまた、ここで、何物かの顕現を
辛抱強く待っている。「 〜 みていて遅さにもどかしくならずにはいられなかった」と書いているように、
じりじりしながら「待っている」。この姿勢はロマン派の真骨頂と言えるかもしれない。
「憧憬」と、この「待つ」という姿勢は、新潮文庫の『花ざかりの森・憂国』に収められている
『海と夕焼け』という短編にも登場する。
この短編でも、主人公の少年は奇跡が起こる瞬間を待ち望む。もちろん、そんな奇跡は現実には起こらない。
このパターンは、三島の最期の時にも現れた。あの自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーから自衛隊員に
向かって決起を呼びかけた時にも、自衛隊員の歓呼の声と賛同を「待った」のである。そして、やはり
そんな事態は起こらなかった。が、むろん、三島にとって、これは想定内のことだった。
生涯、「永遠なるものとの接触」、「何物かの顕現」を希求し、果たせなかった三島は、ここに至って
どうするか。その世界が自らに開示されないのであれば、乾坤一擲、自らがその世界、彼岸に飛び込んで
ゆくのである。それは、三島の生の頂点であると言えようが、同時に死を意味する。「知行合一」を
至上命題とした陽明学に惹かれた三島にとって、この成り行きは論理的必然と言えるかもしれない。
以上は、三島の作品をたいして読んでいるわけでもない俺の妄想である。
7
:
元文学青年の俺
:2025/09/07(日) 11:26:21
三島由紀夫に関連して。
本家5チャンネル文学板の「【美形イケメン】太宰治【金持ち東大生】」のスレに興味深い
書き込みがあった。
念のため、下に引用します。
8
:
元文学青年の俺
:2025/09/07(日) 11:28:24
--------------------------------------------------
【美形イケメン】太宰治【金持ち東大生】スレ
87 名前:吾輩は名無しである 2025/08/19(火) 15:06:53.14 ID:kGosno+h
実際は、青森県下一の高額納税者で政治家の金持ち家系に生まれた太宰のブルジョワ階級特有の
匂いがどうしても受け付けなかった公務員の息子である三島。
三島は女とデートするのにもお金がなくて友達にデート代を借りるような惨めな思いをしてた。
一方、太宰は東大在学中から実家から毎月100万近くの仕送りをもらい、女と同棲し、好き放題
飲み食べし、しかも金持ちにも関わらず若い美女のほうが太宰にお金を貢いでいた。
何もかもが三島と真逆すぎて相当悔しそうだった。
家柄、資産、学歴、身長、容姿の良さ、女からのモテ、セックスの充実、小説への評価、など
男が欲しいものすべてを持って生まれた太宰治はすべてに恵まれているにも関わらず、
「生まれてきてごめんなさい」など自己否定して自虐するので、三島を始めとするコンプレックスの
強い貧弱な小男たちにはどうにも我慢ならない存在だったのだろう
女にモテモテの生まれながらの金持ち東大生イケメンがモテないブサイクや貧乏人の前で
「俺って死にたいんだよね〜生まれてきてごめんね」なんて言ったらどう思う?
「こいつムカつく!」と大半の男は思うのではないだろうか?三島もその一人だ。
実に単純明快な男としての嫉妬なんだけど、三島はそれを嫉妬と認められないので
太宰のことを「田舎者」と居住地で馬鹿にすることくらいしかできなかった。
だって資産、学歴、身長、顔、モテ度合い、などすべてにおいて太宰のほうが上で
三島が唯一太宰を見下せる箇所は「田舎もの」という一点だけだったからね。
太宰本人は田舎出身であることはなんら気にしてない人で著書「津軽」でも、ありのままの津軽人
である自分の生い立ちを語っていて、これは太宰の作品の中でも最高傑作だと思う。
しかも太宰は「見せ掛けの自虐風自慢」ではなく本気で死にたいと考えていて、本当に何度も
自殺を図り、39歳という若さで自殺して死んでしまった。
その死に際すらも妻以外の若い美しい愛人(身長168の29歳の超美人)が一緒に死んでくれたという
オマケ付き。
女からもモテぶりは見せかけではなく本当だったと若い女が投げ捨てた命で証明された。
太宰治こと津島修二は、最後の最後まで三島の劣等感を刺激する男だったに違いない
--------------------------------------------------
9
:
元文学青年の俺
:2025/09/07(日) 11:29:37
なるほどな〜。
実に面白い、おそらくは正鵠を射た指摘のように思われる。
「太宰のブルジョワ階級特有の匂いがどうしても受け付けなかった」と書かれているが、
自分流に言わせてもらうと、また、本スレのテーマに関連づけて言うと、三島にとって、
太宰は「俗」すぎたのである。
さらに、太宰は、その作品が「俗受け」した後、自身が「俗受け」をねらったような
振る舞いをした。自身が「文学俗物」と化したのである。
そんな生き方が、美や永遠を絶望的に希求する三島に受け入れられるはずがないのである。
10
:
元文学青年の俺
:2025/09/08(月) 12:00:12
それにしても、
>>8
に引用した文章中に挙げられている
「家柄、資産、学歴、身長、容姿の良さ、女からのモテ、セックスの充実」
は、見事に俗物による他人の評価基準を表している。
5チャンネルの至るところで、これらを巡るマウント合戦が日々繰り広げられている。
俗物たちはこれ以外の評価基準を持ち合わせていないのである。
11
:
元文学青年の俺
:2025/09/08(月) 12:03:05
>>8
と同じく、三島について興味深い書き込みがもう一つある。
やはり念のため引用しておきます。
--------------------------------------------------
89 名前:吾輩は名無しである 2025/08/19(火) 18:35:01.62 ID:49DcczNN
三島は太宰の文学的テーマを侮蔑していたのは事実。
そもそも太宰嫌いには、あの思春期の通過儀礼を思わせる様な陳腐さと卑小さを感じる人が多いのでは無いか?
堕落や女々しさにもがく、さらけ出す事に、何か自惚れている所が鼻に付く様な。
当時の無頼派や自然主義の作家にも見られる様な、厚かましく「それが人間の真実だ」とさも偉そうに
突き付けて来る様な胡散臭さ。実際に真逆の谷崎や鏡花などの作家達は「人間を描けて居ない」等と
当時の文壇に手厳しく批判されていた。
太宰は私生活も薬や酒でボロボロになって、作家と作品の関係性、距離感がおかしくなって行った。読者に
受け続けるには醜態を切り売りして、どんどん堕ちて行かなければならなかった。心身が健康にはなって
しまえば書く主題が無くなるのだから当然である。
破滅的な傾向は方向性こそ違えど、文学的テーマもまるで違えどそれを三島も持っており、ご存知の通り
結末は自死(諫死)であった。
三島が太宰にある種の同族嫌悪を感じていたのは事実で生前に語っている。
「太宰に溺れれば、自分も太宰の様になるかもしれない」
「才能は優れた作家。近代の日本文学ではあれ程の才能はなかなか居ない」
ただ酒と女、薬に溺れて死ねるほど、三島の美学とかけ離れてるモノは無い。
--------------------------------------------------
この書き込みの
「ただ酒と女、薬に溺れて死ねるほど、三島の美学とかけ離れてるモノは無い。」
は、自分が書いた
>>9
とほぼ同趣旨である。
12
:
元文学青年の俺
:2025/09/09(火) 11:26:31
>>10
に関連して。
>>11
の「酒」と「女」、これに「パチンコ」が、俗物の3大関心事と言えよう。
もう少し「高尚」を自称する層であれば、「パチンコ」の代わりに「釣り」が入るであろう。
それよりさらに「高尚」かつ「財政的余裕」を自称する層であれば、「ゴルフ」ということになる
であろう。
一般人との会話においては、これら3つを押さえておけばまず大丈夫である。
13
:
元文学青年の俺
:2025/09/09(火) 11:49:15
>>4
に引用したこの冒頭の文章について、
>>5
で、
「この和語の使い方のこなれ具合は驚嘆に値する。」と書いた。
三島の才能はまったく凄まじい。
しかし、三島は生来「漢語好き」である。
だから、この冒頭で、和語を駆使して、日本古典と現代小説の融合を見事に
達成しながらも、とうとう我慢しきれなくなったのか、この2、3ページ後には
次のような文章が登場する。
「――消極がきわまった水に似た緊張のうつくしい一瞬であり久遠(くおん)の
時間である。」
いやはや。「消極」だの「緊張」だの「一瞬」、「久遠」、「時間」だのと、抽象的な
漢語を一文の中に並べ立てるこの文章は、三島以外の人間はまず誰も書こうと
しないであろう。
14
:
元文学青年の俺
:2025/09/11(木) 18:40:22
>>4
に関連して。
このスレの本家の5チャンネル文学板の方でロートレアモンの『マルドロールの歌』の
冒頭の一節を引用した際に、これを「もっとも印象的な文学作品の出だしベストテン」
の一つと書いた。
三島の、この『花ざかりの森』の冒頭の文章も、自分にとっては「もっとも印象的な
文学作品の出だし」である。
ちなみに、この『花ざかりの森』の終わりの舞台、場面は、三島の最後の作品である
『天人五衰』の終わりのそれとほぼ同一であるらしい。自分は読んでないので、はっきり
したことは言えない。
が、もしそうであるなら、人はどうしても「ここで一つの円環が閉じられた」という思いを
抱くであろうと思う。
15
:
元文学青年の俺
:2025/09/15(月) 12:18:51
さて、つい最近、『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)を読んだ。
その中に面白い詩(散文詩)があったので、ちょっと紹介したい。
16
:
元文学青年の俺
:2025/09/15(月) 12:20:58
--------------------------------------------------
ビリイ・ザ・キッド
細かい泥が先ず俺の唇にそしてだんだんと大きな土の塊が俺の脚の間に腹の上に 巣をこわされた
蟻が一匹束の間俺の閉じられたまぶたの上をはう 人人はもう泣くことをやめ今はシャベルを
ふるうことに快よい汗を感じているらしい 俺の胸にあのやさしい眼をした保安官のあけた二つの
穴がある 俺の血はためらわずその二つの逃げ路から逃がれ出た その時始めて血は俺のものでは
なかったことがはっきりした 俺は俺の血がそうしてそれにつれてだんだんに俺が帰ろうとして
いるのを知っていた 俺の上にあの俺のただひとつの敵 乾いた青空がある 俺からすべてを
奪ってゆくもの 俺が駆けても 撃っても 愛してさえ俺から奪いつづけたあの青空が最後にただ
一度奪いそこなう時 それが俺の死の時だ 俺は今こそ奪われない 俺は今始めて青空をおそれない
あの沈黙あの限りない青さをおそれない 俺は今地に奪われてゆくのだから 俺は帰ることが
出来るのだ もう青空の手の届かぬところへ俺が戦わずにすむところへ 今こそ俺の声は応えられる
のだ 今こそ俺の銃の音は俺の耳に残るのだ 俺が聞くことが出来ず射つことの出来なくなった今こそ
俺は殺すことで人をそして俺自身をたしかめようとした 俺の若々しい証し方は血の色で飾られた
しかし他人の血で青空は塗り潰せない 俺は自らの血をもとめた 今日俺はそれを得た 俺は
自分の血が青空を昏(くら)くしやがて地へ帰ってゆくのをたしかめた そして今俺はもう青空を
見ない憶えてもいない 俺は俺の地の匂いをかぎ今は俺が地になるのを待つ 俺の上を風が流れる
もう俺は風をうらやまない もうすぐ俺は風になれる もうすぐ俺は青空を知らずに青空の中に棲む
俺はひとつの星になる すべての夜を知り すべての真昼を知り なおめぐりつづける星になる
--------------------------------------------------
17
:
元文学青年の俺
:2025/09/15(月) 12:21:58
さて、この詩が面白いと思った理由は、このスレの三島由紀夫に関する書き込みを続けている
最中で、三島に関するアンテナが立っていたせいか、この詩がまるで三島の死んだ瞬間直後の
思考を表したもののように思えたからである(
>>6
で書いた後半の文章を思い起こしてほしい)。
まるで見当違いかもしれないけれども、なんとなくそう思えたので、ここに引用して他の
人々の感想の刺激にもなればと考えた次第。
三島由紀夫との関連は抜きにしても、この詩はなかなかいい詩だと思う。
18
:
( ´・ω・`)
:2025/09/15(月) 17:46:34
>>16
この詩を読むと私はなんだか楽になるな。
過去ログも目を通しているんだが、今読解力が脳の機能的に落ちているので、感想はぽちりぽちりになる。
実は三島をきちんと読んでいないので、どれかを読もうなあと思う。友人が大ファンでなあ。
19
:
元文学青年の俺
:2025/09/15(月) 21:53:25
>>18
レスありがとうございます。
>今読解力が脳の機能的に落ちている
とのことですが、あまり無理はされないように。
どうも(´·ω·`)さんの他の書き込みを見ると、かなり具合が悪いようなので、
こちらから何か問いかけたりすると、心理的な負担になるのではないかと思い、
声をかけづらい状況です。
まあ、お互い無理をせず、ぼちぼちやっていきましょう。
20
:
名無しさん
:2025/09/16(火) 04:45:40
>>10
「家柄、資産、学歴、身長、容姿の良さ、女からのモテ、セックスの充実」
は、見事に俗物による他人の評価基準を表している
そうなると、これらにコンプレックスを抱いたという推論では、三島は俗物ということになるのだが
家柄という点では、ブルジョアジーであることに太宰本人がひどくコンプレックスを抱いていたし、滅びなければいけない側の人間であると強く思い込んでいた(実家が実際に没落していくからややこしいが)
資産については、仕送りをもらっていたのは事実だが、それを飲み食いに使っていたとかさらに女に貢がせていたとかはソースが不明 バビナール中毒になって薬代がかかったのは知ってる
同棲してたっていうのは最初の心中事件の女性のことか?殺人幇助を疑われて、「この手をもって園を沈めた」と小説に書くようなトラウマがそんなに羨ましいか?
晩年は莫大な税金が全く支払えない状態だったことが長部日出雄による伝記に記されていて、それが自殺の一因だったようにも読める
学歴って、彼は卒業したのか?留年して実家からこっぴどく怒られたのは知ってるが
身長・容姿・モテ・セックスの充実(?)とかアホらしい
私は三島作品を未読だが、三島はそんなものに拘泥する程度の人間だったのか?全共闘と討論する姿からはとてもそんなふうに見えないが
21
:
元文学青年の俺
:2025/09/16(火) 11:15:58
>>18
>三島をきちんと読んでいないので、どれかを読もうなあと思う
自分はたいして三島の作品を読んでいないので、「おススメはこれだ!」とアドバイスする
ことができません。残念です。
22
:
元文学青年の俺
:2025/09/16(火) 11:21:04
>>20
>そうなると、これらにコンプレックスを抱いたという推論では、三島は俗物ということに
なるのだが
そうです。もちろん、三島も十分「俗物」です。
しかし、三島はそういう自身の「俗物性」を激しく嫌悪しました。
本家5チャンネル文学板の17で書いたように、『午後の曳航』で、三島は自分の「俗物性」
と戦った。登場人物に仮託させて、その人物の殺害を少年たちに図らせた。少年たちは、
やがて自分たちが年を重ねて、ついには自分自身が「俗物」になってしまうことを恐れた、
嫌悪した。だから、将来の自分たちの姿であるその人物を殺そうとしたのです。
三島の、「内なる俗物性との闘い」は、三島文学の重要なテーマのはずです。
なお、「家柄という点では、〜 」以下の部分でおっしゃっている太宰治の事実関係の点に
ついては、これはそもそも私の意見ではなく、引用元の方のものです。自分はその事実関係
等についてはよく知りません。あまり追究する気持ちもありません。
これらの批判は、引用元である本家5チャンネル文学板「【美形イケメン】太宰治【金持ち
東大生】」スレの87氏に向けていただきたい。
いずれにせよ、レスありがとうございます。
23
:
( ´・ω・`)
:2025/09/16(火) 18:06:17
>>19
ありがとう。
無理せず、ぼちぼちで行きませう。
>>21
タイトルを見て気になるものを読んでみるよ。
24
:
元文学青年の俺
:2025/09/16(火) 22:05:33
>>22
に付け足し
太宰治は自身の「俗物性」をあまり隠そうとはしなかったと思います。そしてまた、「俗受け」を
喜んだ。
三島はそういう行き方・生き方を好まなかった。
ちなみに、三島には「文学者は銀行マンのようにふるまうべきだ」という主旨の発言があります。
従来の近代日本の文士たちのだらしない、あるいは奔放な生き方を拒否し、1日を決まった
スケジュールに沿った規則正しい行動をすることを実践しようとした。
主に午前を小説執筆にあて、その後はジムに行ってトレーニングをしたり、観劇したり、といった
ような暮らし方です(現在では、村上春樹氏などがごく自然にこういう暮らし方をしているようです)。
これは、一面、三島自身のダンディズムでもあるでしょう。
三島の「(内なる)俗物性の克服」という面にはやはり一種のダンディズムがうかがえますが、また、
ここにロマン派の真髄を見るべきではないかとも考えます。
25
:
名無しさん
:2025/09/17(水) 05:18:31
>>22
実に面白い、おそらくは正鵠を射た指摘のように思われる。
とあったので、ついつい熱くなってしまいました。「コンプレックスを抱く三島」が論の主題だったのを読み違えてしまったようですみません。
まぁ太宰とはこんなふうに人を熱くさせる作家だということで、ご勘弁頂きたい。
三島、機会があれば読んでみます。
26
:
元文学青年の俺
:2025/09/17(水) 11:33:04
>>25
丁寧な返信ありがとうございます。
太宰治については自分も詳しくはないので、具体的な情報を提示できないのが残念です。
今は自分の太宰治熱が退いているので、それを追求しようとするエネルギーも欠けている状態です。
申し訳ない。
「そうなると、これらにコンプレックスを抱いたという推論では、三島は俗物ということ
になるのだが」は、もっともな疑問だと思います。
27
:
元文学青年の俺
:2025/09/17(水) 11:35:56
さて、成り行き上、もう少し文学者と俗物の関係性について語らせていただきます。
優れた芸術家の中に「俗物」と「(広く言って)詩人」が同居しているのは珍しくありません。
というか、人間が社会的動物である限り、俗物性もしくは俗物根性と完全に縁を切ることは
不可能であろうと思われます。
結局、俗物性をあらわにするか否か、あるいは、どの程度あらわにするかの違いだけに帰する
のではなかろうか。
三島には当然、普通の人間と同様に、名声に対する渇望があり、今で言うところの承認欲求が
強かったと考えられます。ノーベル文学賞をひどく欲しがったという話も伝えられている。しかし、
三島自身はそれを言葉で表したことはなかったと思う。
一方、太宰はと言えば、新人の頃、芥川賞を欲しがったのは有名な話です。そういう言動は広く
知られています。
取りあえず今日はここまで。
28
:
名無しさん
:2025/09/19(金) 04:49:12
>>27
自殺ひとつとってみても、俗物の「死にたい」と詩人の「死ななければならない」では、大きく隔たりがありそうで、後者を翻意させるのは難しそうですね。
一般に自殺の原因と見える、金欠・病気・人間関係などの俗事が解消された場合、俗物は死ぬ理由がなくなります。
しかし詩人の自殺はそもそも俗事を理由としていない。これをもうすこし推し進めると、いくら金があっても女にモテても満たされない詩人の心に行き当たります。
私が三島作品を読んでいないせいで「コンプレックスを抱く三島」に違和感を覚えたのもこの辺りの事情であって、全共闘と討論する姿、市ヶ谷での演説、割腹自殺、というものに「詩人」を感じていたからなのでしょう。
ひとつだけ言わせて頂くと、太宰も作品によっては充分に「詩人」でした。ただその自殺が俗事に追いたてられたものであるので、より俗物性を高く見積もられる傾向がありそうです。
29
:
元文学青年の俺
:2025/09/19(金) 13:18:39
>>28
>しかし詩人の自殺はそもそも俗事を理由としていない。これをもうすこし推し進めると、いくら
金があっても女にモテても満たされない詩人の心に行き当たります。
その通りですね。
>太宰も作品によっては充分に「詩人」でした。〜 より俗物性を高く見積もられる傾向がありそうです。
そういう意味では太宰は損をしていますね。
また、その文章が非常に読みやすいために軽く見られるという面があります。
三島の文章が鴎外を範と仰ぐ、書き言葉を基調としたものであるのに対して、太宰の方はしゃべり
言葉により近い、漱石系の文章。そして、話術の巧みさという点では、まったく抜きん出ています。
いったん読み始めると、人を離さない魅力がある。文章の妙ということになると、三島よりも天才を
感じさせるほどです。
30
:
元文学青年の俺
:2025/09/21(日) 13:20:04
暑さもようやくやわらいできたようだ。やれやれ。
31
:
元文学青年の俺
:2025/09/22(月) 11:55:47
さて、
>>27
で、一人の人間の中に「俗物」と「詩人」が同居していることは珍しくないと書いた。
このような人間の最も先鋭的な例は、すでにずっと昔、文学の偉大な古典の中で形象化されていた。
すなわち、『ファウスト』である。
その第一部の中で主人公ファウストは次のように言う。
「ああ、こころの翼は天翔(あまが)けっても、
肉体の翼は容易にこれには伴なわない。
しかしわれわれの頭上たかく青空に影を没しながら、
雲雀(ひばり)が声はりあげて歌うとき、
そびえ立つ檜(ひのき)の梢(こずえ)に、
鷲が翼をひろげて舞うのを見るとき、
また平原や湖水の上を
鶴が故里を慕って翔(かけ)ってゆくとき、
人の感情が空たかく、遥かの方へ憧れてゆくのは、
誰しも生まれながらに持っている本性ではないか。」
また、この少し後にもこうある。
32
:
元文学青年の俺
:2025/09/22(月) 11:57:27
「おれの胸には、ああ、二つの魂が住んでいて、
それが互に離れたがっている。
一方のやつは逞しい愛欲に燃え、
絡みつく官能をもって現世に執着する。
他のものは無理にも塵の世を離れて、
崇高な先人の霊界へ昇ってゆく。
〜 」
ここでは、一人の人間の心の中に、肉欲があり(これが金銭欲や物欲であっても話は同じである)、
同時にまた、精神的なもの・天上的なものへの憧れ、それを希求する志向性があることが示されている
(
>>5
で「ロマン派の目印と言っていい『永遠なるものへの憧憬』の感情」と表現したものとほぼ同義)。
自分の俗物性を嫌悪し、それに悩み、その一方で「美」・「永遠」・「絶対」を追い求めた三島由紀夫は、
まさしくファウストの末裔であったと言えます。
33
:
元文学青年の俺
:2025/09/22(月) 12:00:23
もっともわれわれ凡人でも、ゲーテや三島ほどの精神の揺れ幅は大きくはないとしても、日頃、
女の尻を追いかけたり、出世欲に駆られて仕事に精を出したりする一方で、精神的なものも追求する、
すなわち、小説や詩歌を読もうとするのである。
われわれは引き裂かれた存在なのだ。
34
:
( ´・ω・`)
:2025/09/23(火) 15:53:26
>>31
なんだかこれも読んで落ち着く。
そんな感想ばかりだが。
35
:
元文学青年の俺
:2025/09/26(金) 16:50:40
>>34
パソコン絶不調から一時的に立ち直り。
おや、どうも。
でも、いつも「読んで落ち着く」ような引用とは限りませんからご用心。(゚▽゚*)
36
:
( ´・ω・`)
:2025/09/28(日) 18:36:36
>>35
それはそれで楽しいのではないだろうか。
37
:
元文学青年の俺
:2025/09/28(日) 21:16:30
>>36
(´·ω·`)さんが「それはそれで楽しい」のならいいんですが、こちらとしては、
鬱?が悪化するのでは?と心配になるもんで。(゚▽゚*)
38
:
( ´・ω・`)
:2025/09/28(日) 23:16:11
>>37
それは気にしちゃあかん。
というより、気にしてくれてありがとう。
心配すんな。やばい、と思ったら目がスルーするだろうし。
やりたいことをやってくれ。
本スレの『マルドロールの歌』もよかった。
名前だけ知ってるだけで、初めてきちんと一部分でも読めてよかった。
39
:
( ´・ω・`)
:2025/09/29(月) 17:17:34
私のために本スレ貼っておこう。
ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1752382673/
40
:
( ´・ω・`)
:2025/09/29(月) 17:18:44
何がどう良いと思ったのか書く努力してみるー。
41
:
( ´・ω・`)
:2025/09/29(月) 18:52:16
ところで元文学青年さんのAAがキタワーに似ていると思ったら全然違った件。
(キタワァ*・゜・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜・* )
↑したらばに貼れるかな。
元文学青年さんはたぶん優しいんだろうな。
鬱の波ってあるけれど、基本的にはフィジカルなものだと思っている。
なにかに引っ張られる時は私自身がそれを一時的に見ないということがあるし、できるから、それですぐに見なくなってしまうということはないから大丈夫だ。
長い目で見てそのうち信頼してもらえたらラッキーかな。
(専用ブラウザ使っているから、引っ張られるワードとかあったらミュートできる。好きにやるのが一番、自分自身を発揮できると思うよ。まあ私は基本的に人を焚き付けて無責任な人間なのだが)
42
:
( ´・ω・`)
:2025/09/29(月) 18:53:18
以降雑談のほうのスレッドに書くことにする。
私も大概気にしーだな(笑)
43
:
元文学青年の俺
:2025/09/30(火) 10:36:59
(´·ω·`)さんの別スレでの
「蝶のように飛び、アメンボのように読む!」
という書き込みを見て、思わず「なんじゃそら」と心の中でツッコミを入れてしまった。
面白くていい。
44
:
元文学青年の俺
:2025/09/30(火) 10:38:28
>>38
>本スレの『マルドロールの歌』もよかった。
それはうれしいな。
実は、若い頃初めて読んだ時、そのあまりの毒にあてられて読むのを途中で
やめてしまいました。(゚▽゚*)
ちゃんと全部読んだのはかなり後年になってからのこと。
45
:
元文学青年の俺
:2025/09/30(火) 10:40:21
>>41
>元文学青年さんはたぶん優しいんだろうな。
いや、全然。
一応、礼儀正しいとは言えるかな。
でも、自分には甘く他人にはすごく厳しいのが俺である。(゚▽゚*)
46
:
元文学青年の俺
:2025/09/30(火) 12:40:10
おっと、肝心なことを書き忘れていた。
「やりたいことをやってくれ」、「好きにやるのが一番」とおっしゃって
いただいたので、そうさせていただくことにしましょう。
ありがとうございます。(゚▽゚*)
47
:
( ´・ω・`)
:2025/09/30(火) 16:53:13
>>46
( `・ω・´)b
48
:
元文学青年の俺
:2025/10/01(水) 15:05:59
>>15
〜
>>17
の続き
谷川俊太郎と三島由紀夫についてさらに一言。
谷川俊太郎の詩から三島由紀夫を連想するのは上で述べた詩だけではない。
たとえば、次のような詩がある。
--------------------------------------------------
空
空はいつまでひろがっているのか
空はどこまでひろがっているのか
ぼくらの生きている間
空はどうして自らの青さに耐えているのか
ぼくらの死のむこうにも
空はひろがっているのか
その下でワルツはひびいているのか
その下で詩人は空の青さを疑っているのか
今日子供たちは遊ぶのに忙しい
幾千ものじゃんけんは空に捨てられ
なわとびの輪はこりずに空を計っている
空は何故それらのすべてを黙っているのか
何故遊ぶなと云わないのか
何故遊べと云わないのか
青空は枯れないのか
ぼくらの死のむこうでも
もし本当に枯れないのなら
枯れないのなら
青空は何故黙っているのか
ぼくらの生きている間
街でまた村で海で
空は何故
ひとりで暮れていってしまうのか
--------------------------------------------------
49
:
元文学青年の俺
:2025/10/01(水) 15:07:26
引用したこれら二つの詩もそうであるが、谷川の詩には何度も「青空」という言葉が登場する。
一生を通じてそうであった。谷川詩のキーワードといっていいかもしれない。
さて、一方、三島文学のキーワードと言えば、「美」、「永遠」、「死」などがすぐに思いつくが、
その他に「海」、「夏」、「夕焼け」などもそれに当たるであろう(
>>4
で引用した『花ざかりの
森』の冒頭や
>>6
で触れた『海と夕焼』で示されている通り)。
そして、上の谷川の詩の「青空」を「海」に置き換えてみれば、これは三島文学の世界に
なりそうである。
「海はいつまでひろがっているのか
海はどこまでひろがっているのか」
「海は何故黙っているのか」
「海は何故
ひとりで暮れていってしまうのか」
等々。
50
:
元文学青年の俺
:2025/10/01(水) 15:08:54
(すでにここでたびたび言及した三島の『海と夕焼』で、主人公の少年の問いかけの「なぜ
あのとき海が二つに割れなかったか」は、上の「海は何故黙っているのか」と通じるものがある)
三島がどこかで上のようにつぶやいていても不思議ではないように感じられる。
「海」はもちろん「蒼海」とか「青海原」という言葉があるように「青」という属性を持っている。
すなわち、「青空」と「海」はこの点において交換可能、同価値、同次元なのである。
そして、この2人の文学作品における「青空」または「海」は「虚無」というイメージ、観念と
結びついている。
そうすると、自分としては、ここに2人の「同時代性」というものを考えたくなってくる。つまり、
両者とも戦争体験があった。戦争体験と言っても2人とも兵士として戦ったというわけではない。
しかし、東京大空襲などで、多感な十代に、焼死した人々の遺体を身近に見ていたのである。
もっとも、青空や海に「虚無」のイメージ、観念が結びつくのはかなり普遍的なものであるから、
「同時代性」を強調するのは不適切であるかもしれないが。
51
:
名無しさん
:2025/10/02(木) 18:14:54
>>48
「焼夷弾を降らす空」を持ってきても、この詩世界は揺るがなそうですね。
応答してくれないカミサマ、みたいにも感じます。
52
:
名無しさん
:2025/10/02(木) 18:34:05
持ってきても、が分かりにくくてすみません。付け加えても包含できる、の意です。
53
:
元文学青年の俺
:2025/10/03(金) 12:40:57
>>51
>応答してくれないカミサマ、みたいにも感じます
そう、その通りだと思います。
上記の『海と夕焼』を収めている新潮文庫の『花ざかりの森・憂国』では、三島自身が
自作解説をやっているのですが、その『海と夕焼』について、三島は以下のように述べています。
--------------------------------------------------
『海と夕焼』は、奇蹟の到来を信じながらそれが来なかったという不思議、いや、奇蹟自体
よりもさらにふしぎな不思議という主題を、凝縮して示そうと思ったものである。この主題は
おそらく私の一生を貫く主題になるものだ。人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかったか」
という大東亜戦争のもっとも怖ろしい詩的絶望を想起するであろう。なぜ神助がなかったか、
ということは、神を信ずる者にとって終局的決定的な問いかけなのである。『海と夕焼』は、
しかし、私の戦争体験のそのままの寓話化ではない。むしろ、私にとっては、もっとも私の
問題性を明らかにしてくれたのが戦争体験だったように思われ、「なぜあのとき海が二つに
割れなかったか」という奇蹟待望が自分にとって不可避なことと、同時にそれが不可能なこと
とは、実は『詩を書く少年』の年齢のころから、明らかに自覚されていた筈なのだ。
--------------------------------------------------
この文中の「神風が吹かなかった」と「神助がなかった」という言い回しの部分が、貴殿の
「応答してくれないカミサマ」に相当します。
三島や谷川の「応答してくれないカミサマ」という感覚・感情は、思想的には、ここから
無神論あるいは虚無主義(ニヒリズム)までほんの一歩です。
54
:
名無しさん
:2025/10/04(土) 10:17:17
>>53
色々と連想が働いて面白いです。
応答してくれない、といえばヨブ記における旧約の神でしょうが、谷川の「空」、三島の「海」というふうに、自然物が出てくるのが面白い。日本人的心性というところでしっくりきます。
手近の本から引用をひとつ。
「昭和二十年の八月十五日を境に、それまで死ぬことばかり考えていた私は、生きることを考えなくてはならなくなった。そのとき私を襲ったものは解放感と、同時に思い詰めた気持ちの行き場所を失ったような虚脱感であった。結局、戦争が終って私に残された二つの大きなものは、この虚脱感と人間に対する不信の気持ちであったといえる。そしてこの二つは、今でもたえず隙間風のように私の心の中に吹き込んでくる。」
1924年生まれの吉行淳之介が1973年頃に書いたエッセイです。あまりに直接的に語られているのでドキッとしますが、やはり戦争体験や敗戦というものは多くの人に心理的影響を与えたようですね。
しかし多くの人は「応答してくれないカミサマ」にそんなに長くかかずらっていられません。「応答してくれるカミサマもどき」に願いを託すでしょう。
だからこそ、芸術家が「海」を描き、「空」を歌うことに意味がありそうです。
55
:
元文学青年の俺
:2025/10/05(日) 21:57:54
>>54
あー、何か見覚えがあると思ったが、思い出した。その吉行氏の文章は、自分は丸谷才一氏の
『文章読本』に引用されていたのを読んだのだった。
あらためて読んでみると、吉行氏もまた三島由紀夫と似たような心情を抱いていた様子。自分の
イメージとしては、この2人はまったく対蹠的な資質の持ち主のように感じていたけれども。
>「応答してくれるカミサマもどき」に願いを託すでしょう。だからこそ、芸術家が「海」を描き、
「空」を歌うことに意味がありそうです。
そうですね。そういうことになりそうです。
なお、これについては、関連してちょっと自分でも書きたいことがあります。また後日に
アップさせていただくことにしましょう。
56
:
元文学青年の俺
:2025/10/08(水) 14:10:07
さて、
>>54
での
「しかし多くの人は『応答してくれないカミサマ』にそんなに長くかかずらっていられません。
『応答してくれるカミサマもどき』に願いを託すでしょう。
だからこそ、芸術家が『海』を描き、『空』を歌うことに意味がありそうです。」
に関連して、自分の思ったことを少し。
この「応答してくれないカミサマ」というのは、言い換えると、「無神論」、「虚無主義(ニヒリズム)」
という思想とほぼ同義になりそうであるし、「世界の無意味さ」と言い換えることもできそうである。
また、アルベール・カミュがよく使う言い回しに「世界の無関心」というのがある。カミュがこの
言葉で厳密に何を意味するかは自分はよくわからないけれども、自分としてはこの言葉を「世界
(あるいは自然界)が人に対して無関心であること」ぐらいの意味で受け取っている。この言葉は
自分のお気に入りである。
三島や谷川の「虚無」、「応答してくれないカミサマ」という感覚・感情、あるいは、「世界の
無意味さ」・「世界の無関心」という感覚・感情は、むろん、かなり普遍的なものと言える。
このような感覚・感情に人間はずっと昔から苦しみ、これにあらがってきたのである。その反抗、
反逆の営みが芸術である、と言えるかもしれない。そして、その積み重ねの果実が「文化」なのである、
とも。
この「世界の無意味さ」はしばしば、受け取り手である人間にとって、世界が不条理であり、醜悪
であると感じる源になっていると言えるかもしれない。
芸術家は、それに抗して、この世界に「秩序」や「美」を打ち立てようとするのである。
57
:
名無しさん
:2025/10/09(木) 11:42:04
>>56
世界の無関心、ですか。知らなかった言葉を知れてうれしいです。
後半の解釈が私とは異なっていまして、それが何に起因するかといえば「応答してくれるカミサマもどき」をどう捉えるかだと思います。
「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の價値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の價値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と傳統の國、日本だ。」
三島の檄からの引用ですが、生命尊重や自由、民主主義がいわゆるカミサマもどきとして糾弾されています。経済的繁栄、なんかも含まれるように思います。
ただ、ここに出てくる「日本」も私にとっては疑問で、やはり「海」と言ってくれたほうが首肯しやすい。
三島のことはさておき、「世界の無意味さに抗う芸術家」より、「意味ありげなニセモノの世界に抗う芸術家」の方が私にとってはしっくりくるのです。
いずれにせよ、「美」や「秩序」を打ち立てるのは大変で、言葉にすると途端に嘘くさくなります。
「応答してくれないカミサマ」へ敬虔に祈りを捧げる人々の姿が、チラチラと目に浮かぶのですが。
58
:
元文学青年の俺
:2025/10/10(金) 09:59:27
>>57
>世界の無関心、ですか。知らなかった言葉を知れてうれしいです。
ありがとうございます。ただ、自分の解釈がカミュの真意にかなっているかどうかは
わかりませんが。
それと、
>>56
の書き込みは、
>>54
の文章に触れて自分があれこれ考えたことを書き記した
だけですので、
>>54
に対する直接的な応答というわけではないです。むろん反論でもありません。
59
:
元文学青年の俺
:2025/10/10(金) 13:29:45
さて、谷川と三島の共通性・親近性その他について少し論じてきたけれども、そういう世界観を
めぐるうだうだは別として、谷川の、この「空」という詩は、それ自体、一個の抒情詩として
優れている。
「空はいつまでひろがっているのか
空はどこまでひろがっているのか」
という詩句は、空が人に与える茫漠とした感覚をよく表現しているし、とりわけ、最終行の
「空は何故
ひとりで暮れていってしまうのか」
は、人が夕暮れ・夕焼けに覚える「寂寥感」、「自分はひとりぼっちになってしまった」という
感覚をみごとに捉えている。忘れがたい詩句である。
60
:
名無しさん
:2025/10/10(金) 15:07:50
>>58
丁寧な返信ありがとうございます。私も56を読んだから、57のような連想が湧いてきたのであって、触発されて自分が豊かになればそれで充分です。
客席からのんびりと見守らせていただきます。
61
:
元文学青年の俺
:2025/10/11(土) 11:26:24
>>60
こちらこそ、丁寧な対応で恐縮です。
またいつでも好きな時に書き込んでください。
自分も「応答してくれないカミサマ」という的を射た表現にいろいろ考えさせられました。
62
:
元文学青年の俺
:2025/10/11(土) 11:53:34
さて、谷川の
>>16
の詩についてももう少し語ってみる。
この詩の「俺の上にあの俺のただひとつの敵 乾いた青空がある」の「青空」は「虚無」・「世界の
無意味さ」の象徴と考えることができそうだ。ビリイ・ザ・キッドは生涯、この「虚無」・「世界の
無意味さ」と闘った。そして、今、死にあたってようやくその闘いは終わりを告げることになる。
「俺は帰ることが出来るのだ もう青空の手の届かぬところへ 俺が戦わずにすむところへ」。彼は
「世界の無意味さ」から解放される。自分が死んで、自らが世界の一部となってしまうからだ。
このビリイ・ザ・キッドの、「世界の無意味さ」との闘いとそれからの解放としての死は、自分には
どうしても三島由紀夫を連想せずにいられない。すでに述べたように、三島は「美」・「永遠」・
「絶対」を追い求めた。つまり、「虚無」・「世界の無意味さ」にあらがった。
もしこういう解釈に多少の真実が含まれているとすれば、「三島の霊よ、安らかに眠れ」と祈らずには
いられない。
そして、この詩のビリイ・ザ・キッドや三島由紀夫に自分が心惹かれるのは、口幅ったいことながら、
自分もまたそういうタイプの人間だからである。
日々、「虚無」・「世界の無意味さ」あるいは「世界の無関心」と自分は戦っている。生きている
限りこの戦いは終わらないのだ。
63
:
元文学青年の俺
:2025/10/14(火) 10:39:47
ふう、昨日は暑かったな。
思わず明治エッセルスーパーカップ(チョコクッキー)を食べた。
10月中旬にこのアイスを食べるとは思わなかったな。
64
:
元文学青年の俺
:2025/10/14(火) 10:50:49
さて、
>>51
で初めて言及され、
>>56
でも考察した「応答してくれないカミサマ」について、
もう少しうだうだ書いてみる。
この「応答してくれないカミサマ」の問題は
>>54
で指摘されているようにヨブ記が提示
している問題でもあるし、キリスト教を土台とする西欧世界では、別言すれば、「神なき世界」
の問題とも表現できるであろう。
この「神なき世界」を自分の文学テーマの主軸に据えたのは、周知の通り、ドストエフスキー
であった。アルベール・カミュなどもこの問題に取り組んだ。また、ニーチェは
「神は死んだ」と堂々たる「神の死亡宣告」を19世紀末におこなった。
権威の最上位である神が死んだとされたからには、それ以外のすべての権威も失墜せざるを
得ない。それ以降、モラルの根拠は失われた。20世紀は「ニヒリズムの世紀」であったと
言っていい。
この潮流は現在もなお進行中である。20世紀後半の一時期、実存主義が登場して、
モラルやヒューマニズムの回復が図られたようであるが、一時の流行で終わってしまった。
現在、キリスト教原理主義が根強く力を保っているアメリカなどでもじわじわと無神論が
普及しつつある。われわれ現代人は神のいない荒野をさまよっているのである。ある
意味で、人類はいわゆる「歴史の終わり」に確かに到達したのである。
65
:
元文学青年の俺
:2025/10/18(土) 11:50:05
>>62
に付け足して、あれこれ。
この「虚無」・「世界の無意味さ」あるいは「世界の無関心」との闘いはまた、自分にとっては世界の
「不条理」や「醜悪さ」との闘いでもある。
「醜悪さ」という点では、このスレに関連付けて言うと、「俗物」との闘いでもある。
(もちろん、それは、自分の心の中の「俗物性」との闘いも含めなければならないところである。が、
このスレでは、自分のことは棚に上げるのである) (゚▽゚*))
ちなみに、世の俗物どもの中には、この「世界の醜悪さ」と実にうまくなじんでいる人間がいる。
(特に政治家には多いように感じられるタイプである。醜悪な世界のジグソーパズルの中に、一片のピース
としてみごとにしっくり嵌まるのである)
66
:
元文学青年の俺
:2025/10/18(土) 11:53:18
さて、『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)を読んだ後、今度は集英社文庫の『谷川俊太郎 詩選集 1』から
『谷川俊太郎 詩選集 4』にまで手を出している。
「自選集」では、一般読者が「あれ、この作品が入ってない」と思うことがよくある。世間で評判の作品
であっても、しばしばそういう作品が抜け落ちているのだ。作者がみずから選んだのだといっても、読者に
不満が残る場合が珍しくないのである。
そういうわけであるから、結局「自選」のものがあっても、他選のやつも買うことになる。さすがに全集を
買うまでには至らないとしても。
谷川詩の場合は、たとえば、教科書によく採られている有名な『朝のリレー』が『自選 谷川俊太郎詩集』には
入っていない。こちらの気に入るであろう詩がまだまだ他にたくさんあるだろうと、上記集英社文庫のやつ
(4冊もある!)をあがなったわけである。
はたして、自分の気に入った作品、なぜこれが『自選集』に収録されていないのかと不思議に思う作品が多々
あった。そして、詩人としての谷川俊太郎のすごさをあらためて認識した。
67
:
元文学青年の俺
:2025/10/19(日) 12:27:16
上の「谷川のすごさ」というのは、たとえば、その詩の形態と内容の多様性である。
>>16
や
>>48
で引用したような、せつない詩がある一方で、谷川には次のような作品もある。
--------------------------------------------------
ゆうぐれ
ゆうがた うちへかえると
とぐちで おやじがしんでいた
めずらしいこともあるものだ とおもって
おやじをまたいで なかへはいると
だいどころで おふくろがしんでいた
ガスレンジのひが つけっぱなしだったから
ひをけして シチューのあじみをした
このちょうしでは
あにきもしんでいるに ちがいない
あんのじょう ふろばであにきはしんでいた
となりのこどもが うそなきをしている
そばやのバイクの ブレーキがきしむ
いつもとかわらぬ ゆうぐれである
あしたが なんのやくにもたたぬような
--------------------------------------------------
68
:
元文学青年の俺
:2025/10/19(日) 13:42:07
谷川俊太郎はユーモラスな詩もたくさん書いているが、いやはや、これは何と言おうか。「カフカ的な
不可解さ」とでも呼べるような趣き。「ナンセンス・ユーモア詩」というカテゴリーに属すると言えるような、
実におかしい詩である。
「めずらしいこともあるものだ とおもって」だとか「このちょうしでは」だとか「あんのじょう」
だとかの、ありふれた言い回しの使い方が絶妙である。
さて、この詩は「ナンセンス・ユーモア詩」と受け取って自分は何ら痛痒を感じないけれども、ある人
からすると、「いやいや、これはそんなものではなく、詩人の深刻な主張もしくはテーマを含んでいるのだ」
と言いたくなるかもしれない。そういう人にはぜひその解をここに書き込んでいただきたい。
69
:
名無しさん
:2025/10/19(日) 17:39:20
>>68
面白い宿題ですね。では、感じたことを少々。
まず、全てが、ひらがな・カタカナで書かれていて、言葉のひとつひとつが等分の重さになっています。そのせいで、言葉の意味がぼやけて、やや離人症めいた世界のように感じます。
主人公が子供だとすると分かりやすいのですが、言い回しが子供のようではない。大人の中に住む子供、という解釈でもいいでしょうが、むしろ「外界をカナ文字でしか受け取れない状態」というのはどうでしょうか。
夕暮れに、外界の意味が解体していく。こう書くと理屈っぽいですね。
冒頭において「おやじがしんでいた」のに、「めずらしいこともあるものだ」と思いながらも、すこしも驚いていない。詩作は理屈ではないので、この辺りのねじれを手がかりに 、実際のところは書き進められたのでしょう。
うろ覚えですが、小林秀雄が柳田国男の話を引用していて、貧しい山民の親父が自分の子供を薪割りかなにかで殺す話、あれも夕暮れだったような。
70
:
元文学青年の俺
:2025/10/20(月) 12:52:06
>>69
レスありがとうございます。
> 〜 やや離人症めいた世界のように感じます。
なるほど。
>夕暮れに、外界の意味が解体していく。
これもなるほどです。
>詩作は理屈ではないので、この辺りのねじれを手がかりに 、実際のところは書き進め
られたのでしょう。
これもなるほど。詩作の実際について興味深い指摘です。自分にはこんな発想はまず
浮かびません。
>うろ覚えですが、小林秀雄が柳田国男の話を引用していて、貧しい山民の親父が自分の
子供を薪割りかなにかで殺す話、あれも夕暮れだったような。
あー、この柳田国男の話、自分も何かで読んだ覚えが。確かに夕暮れの話でした。
夕暮れは「逢う魔が時(おうまがとき)」とも呼ばれ、魔に出会う時間とされていた
のですよね。「妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」であり、「昔から他界と
現実を繋ぐ時間の境目と伝えられている。この時刻に魔物や妖怪がうごめき始めて
災いが起きると伝えられていた。」(以上のカッコの部分はウィキペディアから)。
と、ここまで書いたが、パソコンがまたもや絶不調なので、今日のところはここまでに
させていただきます。いろいろ書きたいことがあるんですが。
71
:
( ´・ω・`)
:2025/10/20(月) 17:11:08
( `・ω・´)つ旦旦
)三サッ
72
:
元文学青年の俺
:2025/10/21(火) 12:12:52
>>71
おや、これはどうも、ありがとうございます。
熱いお茶やコーヒーがうまく感じられる季節になってきました。
(´·ω·`)さんも、お茶かコーヒーをゆっくり飲んで、ぼちぼちやっていって
ください。
73
:
元文学青年の俺
:2025/10/21(火) 12:15:15
[
>>69
の書き込みをめぐって考えたあれこれ]
69氏は自分と違って、この詩に何やらまがまがしいもの、不穏な空気を読み取っている。
言われてみれば、確かにそうで、自分はこの詩の出始めからのナンセンスさに気をとられ
すぎていたかもしれない。タイトルの「ゆうぐれ」と終わりの2行に焦点を置くと、69氏の
読みももっともだと思えてくる。
自分も終わりの2行には、
>>56
と
>>62
に書いたような「虚無」の気配がここにも漂っている
なあとは思ったけれども。
優れた詩というものは、一歩さらに踏み込んでみると、新たな地平を示唆してくれる
ことがしばしばである。
そういう新たな地平への扉を示してくれた69氏に自分は感謝しなければならない。
74
:
元文学青年の俺
:2025/10/21(火) 12:18:32
続き
・ただ、もう少し自分の関心のあるテーマに引き寄せて述べさせていただくと、以上に
引用した谷川の3つの詩は、根っこが同じという見方ができそうだ。
すでに述べた「虚無」・「世界の無意味さ」・「世界の無関心」という感覚がまず谷川俊太郎の
心の底にあり、それが日常のありふれた夕暮れ・夕焼けの景に接して、自然に、ストレートな
形で生まれたのが
>>48
の「空」の詩、その感覚がビリイ・ザ・キッドの生涯に投影されて
できあがったのが
>>16
の詩、また、その感覚がナンセンス・ユーモアの方角に想像力が延びて
いって成立したのが
>>67
の「ゆうぐれ」の詩、という風に。
・そして、この同じ根っこから派生したと思われる詩が3つともそれぞれ異なる趣きを
有していることは、結局、自分が最初に
>>67
で言った、谷川の詩の形態の多様性を証し
することになっているのである。
・自分は最初、この「ゆうぐれ」の詩は、「空」や「ビリイ・ザ・キッド」の詩とは
別種のもの、対蹠的なものと捉えていたのであるが、どうもそうではないらしい。こんな
見方に着地するとは思ってもみなかった。いやはや、実におもしろい。
75
:
元文学青年の俺
:2025/10/21(火) 12:21:34
また、いつパソコンが不調におちいるか見通しがつかない。
レスがつかない時はそういう事情だと思って、ご寛容のほどを。(゚▽゚*)
76
:
名無しさん
:2025/10/21(火) 18:22:52
>>73
48の「空」の詩を読んだ次の日には、現実の空がいつもと違って見えました。優れた詩を紹介して下さったことに、自分も感謝します。
( ´・ω・`)さんも、「旦」のお気遣いありがとうございました。
77
:
元文学青年の俺
:2025/10/24(金) 15:31:37
>>76
そう言われるとうれしいですねえ。
78
:
元文学青年の俺
:2025/10/24(金) 15:35:46
さて、
>>69
で言及されていた、柳田国男の夕暮れの話は非常に心に残るもので、引用に値するから、
以下に掲げておこう。
自分がこれを読んだのは『遠野物語』だと思っていたのだが、どうも違ったようだ。『山の人生』
が出典のようである。
--------------------------------------------------
山に埋もれたる人生あること
今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく
不景気であった年に、西美濃(にしみの)の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を
二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情
であったか、同じ歳くらいの小娘を貰(もら)ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てて
いた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里
(さと)へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手(からて)
で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ
入って昼寝をしてしまった。
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。
二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻(しき)りに何かしているので、
傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨(と)いでいた。阿爺
(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を
枕にして、二人ながら仰向(あおむ)けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、
前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、
やがて捕えられて牢(ろう)に入れられた。
この親爺(おやじ)がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。
そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分らなくなってしまった。私は仔細あって
ただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の
記録も、どこかの長持(ながもち)の底で蝕(むしば)み朽ちつつあるであろう。
--------------------------------------------------
79
:
元文学青年の俺
:2025/10/24(金) 15:37:47
あらためてこれを読んでみる。もう一度読んでみる。と、やっぱり柳田国男はすごい。
何がすごいかと言うと、文中の
「眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた」
という一文がすごい。話のこの位置にこの一文を据えるところがすごい。
「子殺し」というこの悲劇的な話の舞台説明の導入として完璧である。
この一文には何か凄絶なものがあって、シェークスピアの『リア王』か何かの舞台を
さえ連想させるのである。
ちなみに、三島由紀夫もまた、批評文集『小説とは何か』のある章で、やはり柳田国男の
『遠野物語』中のある文章を引用して、激賞していた。
ある、一見何でもないような一文が劇的な効果をあげるのである。
80
:
( ´・ω・`)
:2025/10/24(金) 16:51:06
>>76
69さん。
( `・ω・´)b✨
81
:
名無しさん
:2025/10/24(金) 21:09:01
久しぶりに再読しました。
自分の記憶の中では、真っ赤な夕日が一面に照りつけている映像が残っていたのですが、原文は「小屋の口一ぱいに夕日がさしていた」とあるだけ。年月の経過によって、私の中の夕暮れは赤みを増していったようです。
夕暮れに「くらくらとして」子供を殺してしまう。そして善悪を超えて、私たちはその話を了解できてしまう。そういうこともあるだろう、というふうに。
これはやはり仰るように、夕日の舞台説明の導入あってのものでしょうし、逢魔が時(前近代的なもの・非理知的なもの)の成せる業のように思います。
82
:
元文学青年の俺
:2025/10/25(土) 14:47:48
いやー、驚きました。
「自分の記憶の中では、真っ赤な夕日が一面に照りつけている映像が残っていたのですが、
原文は「小屋の口一ぱいに夕日がさしていた」とあるだけ。年月の経過によって、私の
中の夕暮れは赤みを増していったようです。」
これ、自分とまったく一緒です。
自分もこの一節の強烈な夕日のイメージが残っているからこそ、ああ、あの文章か、と
すぐに反応できた。
そして、原文を確認してみて、案外あっさりした文章なのに驚いた。でも、くり返し
読んでみて、やっぱりこの一文は大したものなのだと認識した次第。
それにしても、まったく同一の経験と感想をお持ちの方がいるとは。
ということは、この一文は、あっさりした書き方がキモであって、そうであればこそ、
後々、読者の心の中でイメージが膨らんでいくことになる。そう考えざるを得ないか、と
思えてきます。
83
:
元文学青年の俺
:2025/10/25(土) 14:50:55
そして、おそらく、柳田国男はこの文章を、そういう効果を計算して書いたのではない。
無意識に、自然にこう書いたのだ。と、そう思わざるを得ない。
凡庸な書き手であれば、ここでつい力を入れて、難しい言葉を使ったり、言い回しに
凝ってみたりするところでしょう。
あっさりした書き方、坦々とした叙述が逆に極めて深い印象を残す。文学の不思議であり、
自分が文学作品を読むのは、こういう言わば「センス・オブ・ワンダー」を味わわせてくれる
からである。
84
:
名無しさん
:2025/10/26(日) 00:31:11
お仲間でしたか。
反対に、どぎつい描写というのは読み手のイメージを限定させるんでしょうねぇ。
作者の作為の無さに、読み手が安心して身を委ねる。そして後々イメージが膨らんでいく、と。なるほど。
85
:
元文学青年の俺
:2025/10/27(月) 12:13:03
>>84
どうも。
まあ、自分がここに書きつけている意見・感想は妄想、思い込みの要素が強いので、
あまり信用なさらないように。(゚▽゚*)
谷川俊太郎の詩『ゆうぐれ』から柳田国男の文章に言及し、この名文を読み返す
機会を与えてくれたことに感謝いたします。
86
:
名無しさん
:2025/10/27(月) 16:52:05
>>85
いえいえ、こちらこそ。いつか読んだ夕暮れを、こういう場所で共有できるとは思いませんでした。ではでは。
87
:
( ´・ω・`)
:2025/10/28(火) 15:39:58
>>86
さんも、気が向いたらでいいので、
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12252/1506108191/
で雑談しているから来てね。
強制じゃないよ。
したらばはURL貼れないので先頭にhつけてね。
88
:
元文学青年の俺
:2025/10/29(水) 11:10:18
それにしても急に寒くなったな。
急遽、コタツを出した。ついこの間しまったばかりという感覚だけど。(゚▽゚*)
89
:
( ´・ω・`)
:2025/10/29(水) 14:56:34
私も数日前からハロゲンヒーターを入れて部屋をほっかほかにしている。
(日本列島の中では暖かい部類に入ると思うんだが)
二人とも文学に造詣が深くてよいな。
同じシーンを分かち合えるということは同じ本を読んでいてもあまりないんじゃないかと思う。
(なお私はマイペースを貫く予定。だけどこうして書き込みを読もうと思えるのは私には楽しいことだ。どこかで本屋や図書館で、ここの書き込みを思い出すこともあるだろう)
90
:
名無しさん
:2025/10/30(木) 00:20:17
雑談スレ、すこしは遡って読んでおかないと失礼かなと思って眺めていたのですが、ラカンとフェミニズムについての私の無知に気付く次第。
同じく、文学への造詣と言われるといやはやなんとも。最近は特に本が読めていないのでお恥ずかしい。
91
:
( ´・ω・`)
:2025/10/30(木) 05:55:00
>>90
その名無しはここを作った人でな。
何年も前にいなくなってしまった。
自分で自分を治すために精神分析(フロイト→ラカンかな)頭に入れてしまう天才。
フェミニズムもだいたいその人の書き込みだな。
私は元"私"で頓珍漢な返答をしている(笑)
彼女の書いてたことをもう少しわかるようになりたいとは今も思っている。ラカンの本はだいぶ積んだままだが。
量子力学が一番興味として私に残ってるかな。
フェミニズムも遅ればせながらほんの少しずつ勉強しているが用語が追いつかないな。
経済学のこととか、彼女はともかく色んなことに対しての理解が深かったな。
私は興味が拡散しすぎるのでな。もう少し腰を落ち着けたらと思うんだが。年齢的には彼女に追いついてしまったんだろうなあ。
本は読める時に読むのが一番楽しく読めるから、5行ずつなどでもいいし、疲れて読めない日が多くあるのが社会人だと思うよ。私は時間がたくさんあっても一日5行の時もよくある。
めっちゃ長文すまん。
92
:
元文学青年の俺
:2025/10/30(木) 10:22:15
>>89
>二人とも文学に造詣が深くてよいな。
いや、自分は造詣が深いとは言えませんね。元は文学青年らしくはあったけど、社会人に
なってからは本が読めなくなった(もちろんこれは言い訳にすぎないけど)。今、多少
時間に余裕が出てきて、読むべき本を読もうとしている。
いわば、青春を取り戻そうとしている。(゚▽゚*)
>同じシーンを分かち合えるということは同じ本を読んでいてもあまりないんじゃないかと思う。
確かに柳田国男の件はビックリしました。こういうこともあるんですねー。
>私はマイペースを貫く予定
こちらもマイペースでいかせていただきます。すぐに書き込みに対応しないこともある
でしょうが、ご勘弁を。(゚▽゚*)
93
:
元文学青年の俺
:2025/10/30(木) 10:23:46
>>91
>自分で自分を治すために精神分析(フロイト→ラカンかな)頭に入れてしまう天才。
そういえば、精神分析学者の岸田秀氏も、自分の病的状態を理解するためにフロイトを
読みだしたようですね。
ラカンやフェミニズムには自分はまったく無知であるなあ。
94
:
名無しさん
:2025/10/31(金) 03:22:59
昔、岸田秀さんの本を一冊だけ読んで、こんなになんでもかんでも幻想と言ってたら病むよなぁ、と思った記憶あり。ひどい感想です。
名無しの天才さんに、色々聞いてみたかったなぁ。私は河合隼雄と中井久夫を一時期夢中になって読んで満足してしまったけれども、フロイトとラカンかぁ、ふーむ。
本読むのにも夢中期と惰性期があって、ガラケーからスマホに変えて以来、惰性期にはスマホを触ってしまう。いつかスマホ断ちをせねば。
95
:
元文学青年の俺
:2025/10/31(金) 16:07:20
>>94
> 〜 岸田秀さんの本を一冊だけ読んで、こんなになんでもかんでも幻想と言ってたら
病むよなぁ、と思った記憶あり。
そうですね。岸田さんの見解、ちょっと割り切りすぎでは、と思うこともあり、警戒して
います。と言ってもたくさん読んでいるわけではないですが。
でも、その『ものぐさ精神分析』のシリーズに収められている三島由紀夫論や太宰治論は
非常に面白く読めました。
また、その世界観は若い頃の自分にはやはり衝撃だった。
96
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 22:22:01
いざ返信となるとまだ緊張があるのか、固まってしまう人みしりー。
私は気分で本を読んでいるところがあるので、どんなに偉い人でも人のスケールで決められた本を読むことが全くできない人間なのがある意味悩みでな。
友達に借りた本(面白いよと貸してくれた本)はたいてい読み切らずに返していて、それが後々大ヒットしていたりしたなあ。
だからというか、文学の徒には憧れがあるよ。
ひとつのことを研究できる人に対する憧れというのかな。
97
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 22:38:20
岸田秀さんは本棚で見かけただけで、本文にあたってはいないと思われる。文豪について語っていることや、日本で独特の理論らしいところが気になります。
>>94
さん
河合隼雄と中井久夫って、つよつよじゃないですか。
夢中になって読んだというのはすごいことだなと思います。
河合隼雄は『影の現象学』を読みました。ドッペルゲンガーの他の言い方をたまにふざけて言っている。二重身について心に強く残ってます。あと小川洋子との対談。
中井久夫は20代にトラウマってた時に『徴候・記憶・外傷』を大枚はたいて買いました。でも覚えているのはアカシアの並木のところだけという始末。最近は分裂病についての記述に関心を向けてます。
フロイトは偉大だけれど、ユングが好きな私。
10代の終わりに離人感について調べていて木村敏の昔の本を図書館で少しだけ。
あとはエヴァンゲリオン直撃世代なのでR・D・レインの『引き裂かれた自己』読みました。
人間の心の仕組みって、解りそうで解らない。
まだまだ考え中……。
98
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 22:52:14
人並みに7時間15分(足す45分分の休憩)働いていた時は、小説の学校卒業した後のゼミの、月たった2枚(400字詰め)の小説の課題さえ疲れて出せなかった。
一応、講師であった先生の必読書は頑張って読んでましたが(エンタメ系の学校だったので現代の小説が多かった)、それでも全部を読破するとか、何作品もどんどん書くという努力家でもないのは、より優秀な同期生を見てるとわかるもので。
そのうち小説自体が書けなくなって、去年の夏頃に25年ぶりくらいに長いまとまりのお話を書き始めたところです。
今はもう、開き直って、そのように(優秀な友達のように)ならなきゃならないという気持ちはだいぶ捨てましたが。
人生リハビリ期のほうが長くなってきたので、周りにもマイペースを勧めてますよ。
ほええキャラ変してる。
自分語り長くなってスマソ。
今日はこのスレッドと本スレとで引用されている部分とその元の本をタブレットのメモにまとめていたところ。
集中して読むのに視認性を上げないといけない体質。
本の題名のメモを取るとか、そういうこともやっと最近またできるようになりました。
99
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 22:54:31
長いので適度にかっ飛ばして下さいませ。( ´・ω・`)ノ
100
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 23:15:58
>>96
人見知りyみたいな発音でヨロシク。
101
:
名無しさん
:2025/11/01(土) 08:35:31
岸田秀の太宰治論、気になる。待てよ、と物置をゴソゴソ。なんと昔読んだ本の中に「太宰治論序説」が入っている。あぁ忘却は恐ろしい。後で読〜もうっ、と積ん読がまた増えてしまう。
中井久夫とトラウマ、といえば訳書でハーマンの「心的外傷と回復」が良書でして、
「よい治療者とは私の体験をほんとうにまともに取り上げて確認してくれ、私が私の行動をコントロールできるように助けてくれる人のことで、私をコントロールしようとする人のことではない」
というサバイバーの言葉が取り上げられています(うろ覚えだから原文にあたった)。本当は白眉の部分を引用したいのですが、センシティブな内容なのでこちらを引用。興味を引けば幸いです。
木村敏さんの本も、昔一冊読んで撤退。敏さん、頭いいしホンモノなんだろうけど、ムズかしいよぉ。レインも読まなきゃなぁ。でも心理学の源流辿りって果てしないし。
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