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元文学青年の俺が世の中の俗物を徹底的に馬鹿にするスレ

78元文学青年の俺:2025/10/24(金) 15:35:46
さて、>>69で言及されていた、柳田国男の夕暮れの話は非常に心に残るもので、引用に値するから、
以下に掲げておこう。

自分がこれを読んだのは『遠野物語』だと思っていたのだが、どうも違ったようだ。『山の人生』
が出典のようである。

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山に埋もれたる人生あること
 
今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく
不景気であった年に、西美濃(にしみの)の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を
二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情
であったか、同じ歳くらいの小娘を貰(もら)ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てて
いた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里
(さと)へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手(からて)
で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ
入って昼寝をしてしまった。
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。
二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻(しき)りに何かしているので、
傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨(と)いでいた。阿爺
(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を
枕にして、二人ながら仰向(あおむ)けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、
前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、
やがて捕えられて牢(ろう)に入れられた。
この親爺(おやじ)がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。
そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分らなくなってしまった。私は仔細あって
ただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の
記録も、どこかの長持(ながもち)の底で蝕(むしば)み朽ちつつあるであろう。

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