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実相哲学を論じる部屋

470:2014/06/25(水) 17:05:14 ID:oeUx5MQw
469番 あめり様
合掌 ありがとうございます

 こんにちは、あめり様、お話しを受け止めて下さってありがとうございました。
でもきっと、周りの皆様は、私のお話しが間違っていないか心配しておられると思います。
私は偉い人ではございませんので…。

>生長の家は、<生命の實の相>、神の秩序を顕す運動と思いますが、
>み教えで説いて下さっているその秩序や中心の相を”観る”ことでなければ、
>政治や環境など外界の”悪”を直す運動や、
>ただ悟りや”奇跡”を求めるような、既存の宗教観と変わらなくなるのではないでしょうか。
>實相の秩序を説いているからこそ、生長の家は類のないみ教えですし、

 仰られますように、生長の家は神をあらわす運動でしたね。
そして、谷口雅春先生は、人生の最後に、神様を顕して下さったのだと思います。
単なるお社に見えていますけれども、とても重要な意味があったのだと思います。
しっかり三位一体の形を取り、オリオン座の住吉三神三ツ星のように、日本の生命的国家の姿を表現して下さったのだと思います。
偉大な方過ぎて、涙が出るのですが…

 私は他にも、日本の国土が、生命的国家になっていることを見て参りましたので、
本当に日本は、“神の子の姿”をしているのだと思っています。

 神が顕れた状態とは、お聖経の中にも、

「神があらわるれば“乃ち”
 善となり、
 義となり、
 慈悲となり、
 調和おのずから備わり、
 一切の生物処を得て争うものなく、
 相食むものなく、
 病むものなく、
 苦しむものなく、
 乏しきものなし。

 神こそ渾ての渾て、
 神は渾てにましまして絶対なるが故に、
 神の外にあるものなし。
 神は實在のすべてを蔽う。
 存在するものにして
 神に依って造られざるものなし。」

 と書かれてございます。この“乃ち”は、通常でしたら、“即”という字が当てられますが、
わざわざ、“乃ち”という字にされているのは、

「たちどころに
たちまちに
すぐさま」

という意味合いになるからであるそうです。

これが、神様が顕れられた状態であるそうです。

弥勒の大楼閣も、この状態である、と第39巻に書かれていますね。
華厳の真理である、日本に関する真理は、このようにして観るのだと教えられています。


 物質的に見たら、ただの山に見えていても、“生命”を把握して眺めれば、そこに秩序性が認められ、
神が顕れた姿に見えるのだと思います。

 そして神が顕れたら、自然にこの世界は良くなるのでしたね。
私たちの運動は、神を顕す運動でした。

 まるで勝敗を決める為に戦っているようですが、勝利者は居なくても良いのだと思います。
勝利者は、ただ神様だけで良いような気がします。


>大きな次元で真理が今、生きて働いていることを感じられたり


 私は、預言の通りになっていると思います。
そして今後は、生長の家に、スピリチュアル系の人々も、流れ入って来られるような気がします。
すべての人が追い求めている真理が、生長の家にあると思います。

 いつも本当にありがとうございます。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。感謝を込めて… 再拝

471神の子さん:2014/06/26(木) 03:05:35 ID:uyBUgXxg

生長の家の光明思想とは何かhttp://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=1536

472あめり:2014/06/26(木) 11:20:04 ID:ClZ7/aC6
縹様

合掌ありがとうございます。
いつも温かいお言葉、そして大きな視点で総本山の重要性をご投稿頂き、感謝いたします。
縹様のお話の底に流れる本質には、なにも生長の家の教えに反するものなど感じられませんし、
まだまだ自分の段階にあったようにみ教えに教えて頂くことばかりですが、
生長の家の信仰とご意見を混同することなく受け止めたいと思いますので、どうぞお気になさらないでくださいますよう…。
お気遣いには、いつも感謝いたします。

>>そして、谷口雅春先生は、人生の最後に、神様を顕して下さったのだと思います。
単なるお社に見えていますけれども、とても重要な意味があったのだと思います。
しっかり三位一体の形を取り、オリオン座の住吉三神三ツ星のように、日本の生命的国家の姿を表現して下さったのだと思います。
偉大な方過ぎて、涙が出るのですが…

 私は他にも、日本の国土が、生命的国家になっていることを見て参りましたので、
本当に日本は、“神の子の姿”をしているのだと思っています。<<

このお言葉に流れる想いが、間違えということがあるでしょうか…

「日本の生命的国家の姿」を讃え、誇りに思うことこそ、
生長の家が語るべきことではないでしょうか?
とても有難いことと感じます。


実は、縹様のご文章を拝読し返信したところ、
縹様が謹写して下さいました「甘露の法雨」の一節が幾度も胸にこだまし写経していましたので、不思議な気がします。


(雅春先生のお書きになられたものは、
なんどか読み流してしまっていたご文章でも、
その時々のこころに響きが合うと、ご文章が生きて浮き上がるように、ピタリと胸に落ちてくることが多々ありますね…、
やはりみ教えは、表面の意味を理解するより、
その時々の自分の段階で、
自分のこころや魂の響きで、拝読させて頂くものと改めて感じています。
どの解釈がいちばん正しいというより、
その方の貴重な人生の学びに応じた、それぞれの方のこころの響きが、とても貴いという気がしますね。)


善とは何か、義とは何か、慈悲とは何か、調和とは何か…など人間はどうしても頭で考えて、自分の力でなんとかしようと策略を練って、その時にはいちばんいいようにしますが、
それで世の中はほんとうに「良く」なっているのでしょうか…。

「「神があらわるれば“乃ち”
 善となり、
 義となり、
 慈悲となり、
 調和おのずから備わり、
…」

とあります、”乃ち”ということは、
「たちどころに
たちまちに
すぐさま」
ということなのですね。
目の前がパッと開かれるような感じがします。

「まず神の国と神の義を求めよ」の聖句の如く、やはり完全な相(すがた
)は、神こそいちばんよくご存知なのだから、神を求めれば大安心いうことでしょうか。

人間が策略を練って、「調和」を無理やり実現するわけではなく、
「…調和おのずから備わり…」
という、
まず、神を顕わすことこそ第一にする、生長の家の光明化運動でありたいですね。
…生長の家では、實相を顕す近道を教えて頂いているのですから、
なにもわざわざ複雑にして遠回りをする必要がないとおもい、
こういう時は、複雑に考えられないアホなあたまで良かったなとも思います。
(…アホになるまではずいぶん遠回りしましたが(笑)

>>そして今後は、生長の家に、スピリチュアル系の人々も、流れ入って来られるような気がします。
すべての人が追い求めている真理が、生長の家にあると思います。<<

いちじに流行ったスピリチュアル系というのは、ある段階の予兆だったとは思います、
人間の異次元的な世界や超越的な力への憧れは、人間の本性的な性質ですから、その流れは当然なのかもしれませんね。
これからは、超越的な力を特別な方法で求めることよりも、
人間の内に備わる「スピリチュアリティ」の目覚めが注目されるのではないかと感じることがあります。

「奇跡をなくすのが、生長の家」だといいますが、
ほんとうに人間は神の子であるという真理ほどの奇跡はないのかもしれませんね。
奇跡は、人間が生きていることそのものであるという気づきが、人間存在のスピリチュアリティに目覚めることのようにも思えます。
…その目覚めは、宗教に起こるのは限らないので、あるいは、生長の家を知らない人が、「生命の實相」を読んで目覚めることが早いかもしれませんし…、
「生命の實相」は、そういう意味でも広く普及して頂きたいですね。

書かせて頂き、誠にありがとうございます。

ご活躍お祈りいたします。

再拝

473あめり:2014/06/27(金) 09:08:27 ID:0qE6T79M

合掌ありがとうございます。
>>471
雅春先生のご文章をご紹介頂きありがとうございます。

活動経験の浅いわたしでも、
以前の練成会では、「日本国の素晴らしさ」類のご講話を聴いた青年の目が、みるみる輝いていくのを見ると、
…この喜びを体験できる光明化運動はやめられないな、と感じていたことでした。

青年にこそみ教えを学んで欲しいと思うのは、雅春先生の御悲願でとありましたし、
そういう御悲願を含めて、本流派といわれる諸先輩方や、学ぶ会の皆様が担ってくださっているのだと思っています。

いまの教団が、偏狭なナショナリズムや宗教を利用した政治活動を排除したいということで、
教えの核となる、生命的国家としての日本の使命や、日本の實相の教えまで学べなくするというのは、
本当に致命的なことだと思います。

このことを正しくお伝え出来なければ、やはり「人間神の子」の真の意味を、お伝え出来ないのではないでしょうか…

そして、縹様が一貫してご投稿して下さっている、日本の生命的国家の實の相(すがた)を現象界に顕してくださった、総本山の意義も、見失うのではないでしょうか…
それは、生長の家の出現の使命そのもののように思うのですが…、
とても重要なことだとおもいます。

また日本の生命的国家としての使命を果たすのは、政治活動には限らないということを思います。

日本の「實相を観る」ことを行じる生長の家の信徒が、
自分の置かれた立場において、生活において、行につとめることで、

社会人なら仕事で、主婦には家庭で、学生なら勉強で…、
そこが、その人にとっての人類光明化運動の「最前線」ですから、
その中でできる使命を果たすことで、何か特別なことをすることをするのは、やはり、神の秩序を顕す、光明化運動とはずれる場合が出てくるのではないでしょうか。
あるべきところに、あるべきすがたで顕れるのが、神の御働きであり實相とあります。

清超先生の、ゴミをひろうというその行為も、日本を美しくしようという、「愛国運動」であったと、わたしは思っています。

ですから、教団が、雅春先生の日本の實相をといたみ教えを、偏狭な政治活動につながるからと、教えなくするのは、
やりすぎであって、その真意を曲げている方向とおもいます。

森に行くのは仕方ないとしても、教区や他の場所では、
生長の家のほんらいをお伝えする環境を護って頂きたくねがっています。


再拝

474あめり:2014/07/15(火) 08:46:09 ID:PttnPLL6
トキ様

合掌ありがとうございます。


「実相哲学」版に聖典謹写などは趣旨にあうかわからないのですが…すこし投稿してもよろしいでしょうか?

お世話になりありがとうございます。



475a hope:2014/07/15(火) 09:32:53 ID:cEpBaIdo
あめりさま

はじめまして。
聖典謹写は、聖典引用板にされたらいいのではないかと思います。
最近は、SAKURAさまが登場されなくて、ほとんどわたし一人の投稿になってしまっていてちょっと気になっていました。

わたしはなかなか他の方々のご投稿を拝見する時間が取れませんので、あめりさまにはこれからもこのトキ掲示板でご活躍いただけるととてもうれしいです。

また、わたしの投稿内容にご意見ご感想などございましたら、web誌友会板等でどうぞ遠慮されることなくa hope宛にご投稿下さいね。

わたしが一番恐れているのは、増上慢になってしいまうことですから、他の方のご指摘、ご批判ほどありがたいものはなくて、
わたしの魂の向上につながりますし、真理の研鑽にもなりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 感謝 合掌

476トキ:2014/07/15(火) 09:37:16 ID:Y1hbTAC6
>>474

あめり 様

 いつも弊掲示板をご利用下さり、深く感謝申し上げます。

 ご質問、ありがとうございました。

 聖典の謹写のみの場合や、謹写がメインの目的の場合は、聖典板が適当かと思います。

 が、謹写をもとに、ご自分の御文章を展開される場合は、「実相哲学」版が適当かと
思います。

 以上、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

477トキ:2014/07/15(火) 09:38:09 ID:Y1hbTAC6
a hope 様

 そう言えば、最近、Sakura様が投稿をされなくて、心配をしております。

お元気な事をお祈りしております。

合掌 ありがとうございます

478あめり:2014/07/15(火) 21:06:50 ID:PttnPLL6
>>475
a hope様

合掌ありがとうございます。
この度は、深切にお声掛け下さり、ありがとうございます。

トキ様からも返信をいただいておりますので、
個人の感想も書くかもしれませんし、
また他の方のご感想もおご投稿いただきやすいよう、
こちらをお借りさせて頂きますね。

>>わたしが一番恐れているのは、増上慢になってしいまうことですから、他の方のご指摘、ご批判ほどありがたいものはなくて、
わたしの魂の向上につながりますし、真理の研鑽にもなりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 <<

これは、個人の感じ方なのですが、それぞれ真理に対するご批判などは、
魂の向上には、むしろ、関係ないように感じています…

a hope様にはahope様の、他の方には他の方の生活や体験での実感、
人生において課題にされることや使命が違うと思いますので、
それぞれが、貴重な学びの最中なのは同じように思いますし、
ほんとうの真理の学びには、試験資格のように「模範回答」(笑)があるものではないと思いますので、
その方にとっての「正解」があるとすれば、神と自分との関係の中に存在するのかもしれないですね…
きっと、ahope様は、ahope様の生活の中で、すでに生長の道を歩まれておられると思いますでの、こちらで批判や指摘を待つ必要はないのではないかと…

ただ、個人的には、生長の家に触れて少なくても一年は、
時間があれば毎月のように練成道場に通い、
そこで、実感的に生長の家を学べたことは、いまでも信仰の支えになっていると思っていますので、
生長の家を体型的に学びたい方には練成道場をおすすめしたい気持ちはあります。

しかし、それも、それぞれお忙しいことと思いますし、ご縁ですから、
ahope様らしい生活の中での学びがありますことをお祈りしております…

この度はありがとうございます。

感謝拝

479あめり:2014/07/15(火) 21:08:43 ID:PttnPLL6
トキ様
合掌ありがとうございます。
この度は返信ありがとうございます。

お聞きしておいてなんですが、時間がなかなかとれないかもしれませんが…、
では、時間があるときには、皆様もご投稿頂けるよう、
お言葉に甘えましてこちらをお借りすることにいたします。

お世話になり、誠にありがとうございます。

感謝拝

480あめり:2014/07/17(木) 21:23:27 ID:PttnPLL6
合掌ありがとうございます。

「住吉大神がこの現象世界に出御」とは、具体的にどのようなことなのか」
というテーマをHONNE様が提供して下さっているのを拝見し、
誰もが新生し、現象界で誠を尽くして生きることに相応しいテーマだと思いました。
ふと浮かびまして、こちらでは、

『如意自在の生活365章』
谷口雅春先生ご著

を謹写させて頂きたいと思います。
(あまり時間がとれないので少しつづ…)

こちらは謹写独占ではありませんので、
信徒皆さまの普段の感想や体験、ご教示など御座いましたら、
お気遣いなくどうぞお気軽に、ご投稿ください。
(「實相哲学」板ですので、
その学びの趣旨にあったご文章をご投稿頂けましたらと思います。)


現象処理は、一見にして強く力を持つように見えますが、

やはり宗教としては、神意を第一に大切にする使命があると思いますので、
本部の方針としても、
神意を第一にすることで、
現象が整ってくることを願っております。


感謝拝

481あめり:2014/07/17(木) 21:24:16 ID:PttnPLL6
『如意自在の生活365章』

谷口雅春先生御著

はしがき

わたしは『幸福を招く365章』をその第一冊として「何々の365章」と題して人生に生き甲斐を与え、健康を増進し、企業が自然に繁栄する「心の法則」又は「心の科学」の本を数冊書いてきたのである。

一年三百六十五日に分けて、読者に毎日約一ページ前後の”霊感”を与える”真理の言葉”を提供して、その人の生き甲斐を鼓舞し、人生を爽快なものとし、調和と健康と繁栄を自己の人生に創造する書物を書くことをこのシリーズの目的としたのは、あまりに此の人生は科学知識の発達と共に多忙すぎるようになって来たからである。

しかし物質科学の知識は発達したけれども”心の科学”は発達せず、人間の生活は跛行的なものとなり、ただ物質の豊富と肉体の快楽とを追求して、狭い地球上に多勢の人間が犇めき合い摩擦し合っていて、彼ら人間は真の幸福を得る道を知らな過ぎたからである。

イエス・キリストは「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」といったが多くの人達は物質の豊富と肉体の享楽を追求して忙しく、東奔西走すればするほど、人生は益々複雑にして摩擦多きものとなり、多くの若い人たちはノイローゼのようになり、相当の年輩に達した人たちは色々の原因不明の変な病気や治療不可能の癌症状の病気にかかり、繁栄を求むれば、他の繁栄を追求する人たちの利益と衝突し、人生は修羅の巷と化し、人々は真の幸福から遠ざかって行きつつあるのが現代人の人間模様であると言ってよい。
このような跛行的な人間生活が生まれて来たのは、結局、物質と肉体の科学は進歩したけれども、人間は心の科学も霊の科学も知らない片手落ちの発展を遂げた結果、彼らは真理を知らず、古代の巨大動物があまりに角が大きく発達した結果、全滅してしまったのと同様に、自分の巨大知識によって自縄自縛の状態に陥り、真の自由を失って、今や全人類が精神的に滅亡しようとしているのである。
そして彼らは藻掻けばもがくほど足を海中の藻にまつわられて煩悩海深く沈没して行きつつあるのが現状である。

この際、この時、何が必要であるかといっても、イエスがもう二千年も前に警告した如く「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」である。
煩悩海中深く溺没しつつある人間を海上に浮かびあがらせて、人間に真に自由と解放とを与え得るものは、もう物質方面の知識ではなく、人類が「真理」を知ることである。

(つづく)

482あめり:2014/07/18(金) 22:48:16 ID:PttnPLL6
(つづき)

その真理を三百六十五日の「毎日の言葉」として提供せんとするものが、此の、人間に真の幸福を知らせるこの365章のシリーズである。
このシリーズは人間知によって書かれたものではないのである。
このシリーズのうち、この『如意自在の生活365章』は、恐らく365章ものの最後のもっとも圧巻とも称すべきものであり、わたしが激しく霊感的状態になり、天界からのインスピレーションを最も受け易い状態になり、わたしの霊が西アフリカのガーナ国の黒人の求道青年プリンス・J・ブラックソン君の夢にあらわれて人間・神の子、本来完全自由の真理を説いた結果、彼がその夢中のうちに授かった真理を大衆に向かって説きはじめると数年のうちに六万の信徒を得、大きな教会建物を造営し、やがて彼ブラックソンは一昨年、日本に来たって、わたしが彼の夢中にあらわれた真理の伝授者であることを確かめ、二ヶ月間日本に滞在して更に深く真理を伝えられてガーナ国に帰ると、今では彼からの通信によると、彼は既に六十万人の黒人信徒を獲得したということである。

それはさておき、そのように私が霊感的状態になっていた頃の期間に「法語」として書きつづけて来た真理を一冊にまとめたものが本書であるから、本書の全巻は、生きてピチピチ現にはねている”真理”の書だということが出来、読者のたましいに真理が直接つたわると思う。
わたし自身が本書出版のため校正をしながら、自分でその真理の表現に感動し、読みながら、今や八十五歳に垂んとするわたしが、自分の書いた本に感動して若返った感じがするのである。
特にその第一章には深い真理が書いてあり、それにつづく各章には、実際に処する場合の心の法則が詳細に説明されているのである。
老いも若きも、本書を読むことによって無量寿の人間生命無限力の自覚を、新たに生まれ変った自覚を得ることになるであろうと信ずる。

本書は今後、生長の家の各県の道場で毎日催されている神性開発一般練成会のテキストとして用いられることになるが、先ず最初に今年の十月の京都府宇治市塔の川にある生長の家別格本山での三日間にわたる詳蜜講習会のテキストとして用いるべく、校正を急いでいるのである。
各県の道場での神性開発練成会に参加して、真理の直接伝授を受けたい方は、本書の巻末に、その道場所在地を書いておいたからそれを参考にせられるがよい。
読者諸賢が真の祥福を得られんために祈りつつ、この序文を終わる。

昭和五十二年九月十日

著者しるす

483あめり:2014/07/20(日) 09:16:50 ID:PttnPLL6
『第一篇 実相界に超入し
霊の洗礼による”新生”を得よ

新たに生まれるための祈り

われ今、合掌、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る。
古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終わりぬ。

ここにわれ住吉大神に導かれて竜宮海に入り、竜宮城の”神癒の社”に入り、大神の御前に坐して大神を礼拝し奉る。
大神、右の手をあげてその掌もてわが全身を撫下し給いて霊をもって我を浄め給う。

古き現象界の人類意識の妄想ことごとく浄められて、わが実相完全のすがたここに顕れたり。
今より後、一切の悩みあることなく、苦しみあることなく、病いあることなく、老衰あることなく、貧しさあることなく、悲しみあることなく、憂いあることなし。

久遠不滅の生命われに宿れり、常住健康、歓喜無限の生命なり。
われ住吉大神の御禊を受けて霊によって潔められ、霊によって復活の命を受けしことを、大神に感謝し奉る。
今後、われ現象界に帰還したる後も、永遠にこの自覚をもちて生活せんことを大神に誓い奉る。

ありがとうございます。』

484あめり:2014/07/22(火) 08:29:40 ID:PttnPLL6
『 霊的・宇宙の本質について

霊によって今われ復活せしめられ、物質的肉体意識のヴェールを脱ぎ棄てて、
この世界を観、このわが全身を観ずるに、われを含めて天地一切のものが、
すでに’’霊’’であり、’’霊’’を本質とする霊的実在であることを知ったのである。
この世界、この宇宙には、ただひとつの霊的実在があるのみである。
霊には、物質のごとき、固定した劃壁はないのである。それゆえに宇宙はただ一つの霊なのである。
霊は宇宙に普遍して限りなく隔てなく、極微の一点の中に存在し、極大の宇宙の中にも充ち満ちているいるのである。
これを’’神’’または、’’本源神’’または’’創造神’’とも呼び奉るのである。
その霊的実在の中に、神の御心より、’’想念’’浮かび来たる。この’’神の想念’’を、’’理念’’と称するのである。
神の’’想念’’(理念)とは神のいのちの意識的振動である。意識的振動をコトバと称する。
’’意識的振動’’すなわちコトバには意味と形相とを内在せしめているのである。』

「如意自在の生活365章」p22

ありがとうございます。

485あめり:2014/07/23(水) 08:53:04 ID:PttnPLL6
『’’神の国’’’は理念の世界である

原始の、神の’’意識的振動’’の中に存在する’’形相’’は、まだ物質は顕われていないのであるから
’’物質ぬきの形相’’(すなわち理念)なのである。
この’’物質ぬきの形相’’によって成り立っているの世界が、実相世界なのである。
キリストが「み心の天に成る世界」と、その’’主の祈り’’の中に言及している「神国」なのである。
その祈りに「神国を来たらしめ給え、み心の天に成るが如く地にも成らしめ給え」とあるのは、
理念的存在であるところの天国の完全な状態が、それを地上すなわち物質形態の世界なる地上にも
実現せしめ給えという祈りなのである。
人間は、その祈りを成就せしめんために地上に遣わされたる’’天の使い’’であるのである。』

「如意自在の生活365章」p23

486あめり:2014/07/23(水) 09:33:25 ID:PttnPLL6
余談

先日、わたしのある技能の先生のお話の中で、
技芸の伝承の世界では
『「師を見るな、師が見ているものを見よ」と言われる』、という話をお聞きしました。
弟子が’’いまの自分を基準’’に、師の技芸を解釈していると、
技芸は代を重ねるにつれて劣化し変形することになってしまう、ということでした。
ですから、師の視点、師の感動を照準にして、師がその作品によって何を実現しようとしていたかを
目指さなければ、その伝統を伝承していることにはならないそうです。
技芸も、厳しい世界がありますね…

この話を聞いて、仏教の「指月の喩」の話を思い出し、
自分の信仰も同じで、’’月’’(真理の本質)を指してもらっても、ついつい、その’’指’’の方を見て、
解釈している自分に気づきます。

技能の稽古も、日々の訓練でだんだんに、見えてくるものがあります。
日々の信仰も、聖典を拝読し、神想観、生活の中の行や実践をすることで、
’’師’’の見ていた、道が見えてくることと、思っています。

謹写とは関係ない話でですが。。


ありがとうございます。

487あめり:2014/07/24(木) 13:24:49 ID:zIFYk3Ag
『 霊的世界を現実世界に投影するための’’心のレンズ’’

’’理念’’によって創造せられたる霊的世界(実相世界)を物質を材料とする現実世界に持ちきたす
ために遣わされたる人間に与えられた’’媒介’’または道具’’が’’心’’なのである。
’’心’’を媒介とし道具として、天国の完全状態が地上に、物質界に姿をあらわすのである。

わたしは時々’’心のレンズ’’と称する語を使うことがあるが、それは映画のフィルムを銀幕に映写
する機械に喩えて説明したのである。
フィルムの上に印画せられたる光景は、時間を超えた光景であって実相の世界の理念的世界の喩えである。
それが’’時間’’の持続を通してスクリーンと称する’’空間’’面に映写されるための道具が’’心のレンズ’’であって、
’’心のレンズ’’のはたらきにより、時間を通して空間に展開する’’地上世界’’の現象としてあらわれるのである。』

「如意自在の生活365章 」p23〜24

488あめり:2014/07/25(金) 22:52:29 ID:PttnPLL6
『 なぜ、現象世界に不完全な光景があらわれるのか

フィルム面上の光景を、スクリーンの上に投影するためにの媒介または道具が
’’レンズ’’なのである。
レンズによってフィルム面上(神が現像された理念世界)の光景を現象界の
広がりの面に表し出すのである。
その場合、レンズが不整形で歪になっていたり、レンズにヒビが入っていたり、
レンズが曇っていたりすると、映像の世界すなわち現象世界にあらわれる光景に
不完全な’’形の崩れ’’や、曇りや、暗黒な光景が生ずるのである。
それゆえに常に注意して’’心のレンズ’’を曇らせたり、感情を高ぶらせたり、
憎しみ悲しみ怒り等、心がひきつり痙攣して歪むような状態を起こさないように
することが大切である。』

「如意自在の生活365章」p24

489あめり:2014/07/27(日) 08:38:28 ID:PttnPLL6
『’’神の国’’に誕生した自分

人間は’’神の子’’として、神の全徳を備えた’’理念’’の姿を持って神の国に誕生したのである。
今もなお、わたしたちは’’神の国’’すなわち’’実相世界’’に生きているのである。
それがわれわれの実相すなわち’’実の相(じつのすがた)’’であるから、その世界を’’実相世界’’
と名づけたのである。
神は’’霊’’であるから、その神のいのちを受け、神の本質を受け継いで生き、存在を保ち、
行動しているところの、われわれ人間は’’霊’’であって物質的存在ではないのである。

自分の全身が「物質でできている肉体」だと見えているその姿は、五官(目耳鼻口皮膚)
を通して空間面に翻訳されている光景にすぎないのである。
自分の全身は、現象的にはいかに’’物質’’として翻訳されようとも、その実相には異変あることなく、
いぜんとして実相世界に住む’’霊的実在’’であり、全身そのまま’’霊’’であるのである。』

(如意自在の生活365章p25)

490あめり:2014/07/27(日) 08:39:57 ID:PttnPLL6
余談

合掌ありがとうございます。

勉強会では、よく体験談をお聞きしますが、
先日はこんなお話がありました。

線維筋痛症という病気があるのをご存知でしょうか。
アメリカでは、ベトナム戦争の帰還兵に発症して病名がついたそうですが、原因不明の難病とされるようです。
おそらく過度の心身ストレスが関係していると思われるそうですが、
一度発症すると、なかなか治りにくい病気のようです。

このご病気を発症された方は、
長年、借金や異性関係を繰り返す親との不調和に悩んでいたそうですが、
いい旦那様との出会いがあり、なんとか共に働いて親の借金を返し、マイホームまでたてたそうですが、
その時、恨みのあるはずの親と和解され、
この治りにくい病気が、嘘のように治ってしまったということです。

やはり、こころの調和や和解が、いかに現実に癒す力をもたらすかということを、感じ感動しました。

生長の家は奇跡がなくなったと言う方もおられますが、
真理の法則を生きることは、時代に関係なく普遍だと感じます。


ありがとうございます。

491あめり:2014/07/28(月) 08:56:56 ID:PttnPLL6

『自己を霊身・金剛不壊であると想え

今ここに霊的実在の人間があると想え。
それが自分自身であると想え。
この身このまま霊身であり、金剛不壊であり、不壊身であり、仏身であり、如来身であり、
非物質身であり、完全身であり、自在身であり、無碍身であると想え。
それを瞑想し、信じ、その自覚を常に深めて、日常生活を営むがよいのである。
霊身、金剛身、不壊身、仏身、如来身に対しては、現象界のいかなる破壊武器も、
病菌も、ヴィールスも、物質的公害も、これを冒すことも傷つけることもできないのである。
それが冒されたり、傷つけられたりするのは、まず、自己が霊身であり金剛身であり不壊身
であるという自覚を自己放棄または自己忘却した時においてのみなのである。』

492あめり:2014/07/28(月) 08:57:28 ID:PttnPLL6

『あなたが何物にも冒されないためには

自分を冒し傷つけるものは、外来の攻撃武器でも、病気でも、ヴィールスでも、公害でも、
年齢でもないのである。
そのような外物や年齢の影響を信ずるところの’’自分の心’’であり、それらの影響力が、
自分の存在力よりも強いと信ずるがゆえに、みずからが、その影響力を受容する心の態勢を
築きあげ、自分自身の信念の結果、自分が冒され傷つくことになるのである。
「天地一切のものと和解せよ」とは、そのような「自分を傷つける者」すなわち
「自分に敵対するもの」の存在を信じない事によってのみ本当に和解したことになるのである。』

(如意自在の生活365章p26)

493:2014/09/04(木) 03:42:22 ID:fm0e2lyQ
37 :さくら:2014/05/11(日) 13:51:49
「さらに、尊師谷口雅春先生は、仮に教団を組織されているが、
これは、『聖使命菩薩讃偈』にもある通り、「応化して仮に聖姿を顕じ、広大の慈門を開き給えり、名づけて生長の家と謂う」であって、
あくまで仮の応化が生長の家であると言われている。

即ち、教団も組織も仮の姿即ち現象として否定されているのである。
教団を組織されても、光明化運動をされていてもその中には居給わないのである。

尊師は教団もなく、組織もなく、光明化運動もないそのままで救われたのである。たった一人で救われたのである。
教団によって救われ給うたのでもなければ、組織愛行によって救われたのでもないのである。救われ給うてからこれらをつくられたのである。

これらのことについては、尊師はどこにも書いておられないが、それは尊師にとって至極当然のことでありすぎるからなのである。

教団、組織、愛行によってどころか、感謝によってでもなかったのである。
『大調和の神示』は、一番最初にかかげられてはいるが、尊師が受けられた啓示は、汝ら天地一切のものと和解せよではなかったのである。

むしろ、すべては心の影だと、解ってはいたが、その心が支配出来なくて、感謝出来なくて自分の心というものにあいそがついた時に、
感謝してからでなく、心を直してからでなく、先づ光であり、先づ実在であり、先づ神である實相を讃える神の声を聴かれたのである。

そして立ち上がって光明化運動をはじめられたのである。」

榎本惠吾先生「弟子像」より

494杢(もく):2014/09/17(水) 11:08:40 ID:???
web誌友会板のこと

ユタカ様 a hope様

お休み中の志恩ですけれど、ユタカ様が、このたび、宇治別格本山の練成会を受けられて、
その後に、「生命の實相」の内容に照合された質問を、a hope様に投げかけられました。

閲覧者の皆様は、(私も含めてですが)a hope様が、どのように答えられるか、楽しみに待っている。

質問は「生命の實相」に関することなので、web誌友会板が、まずかったら、他板でもいいです。
a hope様に質問された ユタカ様へのお答えを、閲覧者の方々のためにも、a hope様に お答えして頂きたいです。

私自身も,随分まえに、数回、宇治練成会へ参加させて頂いております。
が、ユタカ様のような考え方にはなれませんでした。
その時の練成会の長も、楠本先生ご指導でしたけれど….

ですが、私が練成を受けた時代は、今の雅宣総裁の時代ではなかったことと、指導されるされる先生方も違うので
指導される方針も昔と今とでは、異なるのかも?

今の練成会を指導されてる長◯先生、堀◯先生は、雅宣総裁、絶対!!の方々だそうですね。

そこのところは,最近は行っていないので、私には よく、わかりません。
実際に行ってみれば,様子が分かるのでしょうけれど、私は今は、行きたくありません。

生長の家では、実相は,神の子であるから、その人の実相を、拝み賛嘆すべしと教えられますが、
その人の現象的な行為までを、まるごとすべて、善しとするという真理は、身近な人と家族のみに
当てはまる真理ではないかと、私は,受け取ってまいりました。

雅春先生が、共産主義者や創◯学会を、はげしく批判されていることは、様々な雅春先生の著書にも載っていますから、
皆様、ご存知でいらっしゃいますよね。

しかし、この真理を、個人対個人ではなく、個人対公人のことまでそうだとすると、
われわれは、各政治家達や各他国軍のことまで、やることなすこと、全て善しと受け取らなければならない事になります。

吾々個人が、公人に対してまで、やることなすこと善しと、見るべしということになりますと、、
われわれ個人も、日本国も、次第次第に、想像つかぬ危険にさらされるのでは??

日本人全員が、中国や左翼たちの家畜になるかもしれません。
世の中、ハチャメチャになると予想されます。

創始者の孫であろうが、ひ孫であろうが、創始者自身ではないのですから、
創始者の弟子のひとりに過ぎないのですから、自称、継承者だといわれている孫のやることだからと言って、

何でもかんでも相手のする事を、鵜呑みにして 現総裁を、まるで,現人神の如くに,崇め祀るのは、
時代が変遷していく上で、生長の家だけではなく、
全ての宗教が 初期の理念とは異なる方向へ行ってしまうおそれがある危険性大なる考え方ではないでしょうか。
雅春先生は、決して、そのように説かれておられません。

環境問題も、いいことはいいと認めましょう。
ですが、もともとの聖経をやめて、三代目が作ったお経に変えてしまったり、

もともとの国家間や、もともとの教えを、巧妙なやりかたで、自分流の教えに変えて行ってしまうやりかたは、
どう考えても、間違っているのですから、間違っている事は,間違っているといわないと、われわれも弟子なのですから
いけないと思います。

そうしないと、贋作だらけの作品を飾っておきながら、本物だと言い張っている美術館の館長みたいになり、いづれは、それに
きづいた民衆に、見捨てられる運命に落ちぶれると存じます。

いいことは、いい。わるいことはわるいと、何事も、人類のために、是々非々に捉えて、
勇気を持って発言していくことが大切だと思います。

495杢(もく):2014/09/17(水) 11:22:48 ID:???
494訂正
×国家間   ◯国家観

496神の子さん:2014/10/26(日) 17:59:44 ID:zl6evHNo

 生長の家 宗教情報
 http://www.rirc.or.jp/xoops/modules/xwords/entry.php?entryID=278&amp;categoryID=5

497トキ:2014/12/13(土) 19:57:58 ID:sdkUorTk
十七日の箴言 極楽とは場所ではない

 一たい極楽とは如何なる境であろうか。それは一定の面積をもった場所のことではないのである。
完全に繫縛から脱して、何ものにも縛られなくなった自由解脱の境なのである。極楽は場所ではな
く境涯である。

「白鳩」 昭和48年4月号 15p 谷口雅春先生

498トキ:2014/12/20(土) 19:53:37 ID:OfWqgBQI
 今回は、霊友会会長の久保継成先生のご著書を紹介させていただきます。

久保先生は、霊友会創始者の久保角太郎先生のお子様で、霊友会の三代目の会長に
なられます。しかし、路線対立や、不倫の相手を妊娠させるというスキャンダルで
会長を更迭されます。もともと東大で宗教学を先行された久保先生は、失意の中で
法華経をサンスクリットの原文から日本語に翻訳する、という作業を始めます。

*久保先生は他の宗教団体の方ですが、敬意を表するという意味で「先生」と
敬称をつけます。ご理解ください。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 「法華経」には数ある大乗経典の中でも、特筆すべき教えが説かれています。
大乗仏教が、「一切衆生悉有仏性」、つまり、例外なくみんな仏の性質を持っている
ということを教えていることは有名です。「法華経」もそう説いています。ところが、
そうだけども、私たちが今、現実に”どこに心が向いているか”が問われなければ何も
始まらない、ということが、実は「法華経」の教えなのです。

 「法華経」を通して、仏の教えも宝のもちぐされでは意味がない、そうお釈迦様は
私たちに訴えておられるのです。(中略)

 ”一人の例外もなく、仏になれる可能性を持ち合わせているのだ” こう呼びかける
大乗仏教の教えは、お互いが持ち合わせている善意や平等観と響き合って、誰しも
”納得”という受け止め方をされるものだと思うのです。

 しかし実はここに落とし穴があるのです。そして、「法華経」はそこを教えてくれ
ているのです。「法華経」の現代日本語訳を始めて、改めて精読する翻訳作業の中で
私たち夫婦は、そこに気づくことができました。

 落とし穴とは何かです。一切衆生悉有仏性と聞くと、納得もし、場合によっては救われた
気にもなって、真に大事なことを忘れてしまうということです。大事な事、それは誰
が考えても、ごく当たり前のことです。宝もうずもれたままにしておいては、何の価値
もないということです。お互いに現実に、価値あるものを生かすという発想がなければ
価値も何の意味も持たないということです。

「自ら人生を拓く」 久保継成著 128pより

(つづく)

499トキ:2014/12/20(土) 19:59:10 ID:OfWqgBQI
 「一切衆生悉有仏性」の解釈については、谷口雅春先生の教えと異なる事を
最初にお断りしておきます。

 しかし、自分が感じたのは、仏性、生長の家では神性とも言いますが、それ
を人間があっても、それを現さなければ、意味がない、ということです。この
点は、私も感じる点が多々あります。

 久保先生は、ご自身の苦しい体験から、それを感じられたのでしょう。

 今回、生長の家の本ではないですが、少々感じた点があったので、紹介させて
いただきました。ご容赦ください。

500神の子さん:2014/12/20(土) 21:16:43 ID:gIqbBcwY
馬さんは、訊けさんから質問をされて、まだ答えていないですよね。あなたが訊けさんからの質問に返答するのが筋ではないのですか?
もし、返答したくないのなら、この場から去るのが礼儀でしょう?
********************************************************************************************************************************
豚小屋の豚はぶーぶーなくだけ 筋だ礼儀だと云うのは自分がしてから まあなんにしても君ら二人はあきれるだけ

馬や鹿の畜生に落ちると人間でいてさえ真理が理解出来ない輩は 畜生界に落ちて永劫人間界に生まれることはむつかしいらしいので
簡単に私を畜生呼ばわりしてくださるな 私は馬と云ったことはない これが礼儀を言う嘘つきトキ&訊けの心なんだね

今度は表の顔で人気取りかね ごくろうさま 嘘つきトキ&訊け&?総裁

501神の子さん:2014/12/20(土) 21:23:21 ID:gIqbBcwY
人には答えろ応えろと云うが 自分が訊かれると何にも答えない  嘘つきトキ&訊け&?総裁

そんな人間が神性だ仏性だと人を騙す

502神の子さん:2014/12/20(土) 22:12:59 ID:gIqbBcwY
世に嵐があるとすれば 嘘つきトキ&訊けは 荒らさせる人といえる 版が荒れることにより何かの目的を果たそうとしている

503トンチンカン:2014/12/21(日) 00:42:50 ID:r6TJQSCM


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   嵐吹く  荒れる大地に  意地張るも

                 爺さん一人じゃ  踏ん張れぬ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



・また始まったのかい?  マサノブ爺さん・・・


・「アラシ」していて、楽しいのかい?  マサノブ爺さん・・・


・空(むな)しいね〜〜〜  マサノブ爺さん・・・

504神の子さん:2014/12/22(月) 12:42:38 ID:???

>:神の子さん :2014/12/22(月) 10:25:42 ID:sSJqw/0.
 
  *  此れいかに 集めし聖典 焼却と

  * 梵書とは 尊師の教え 無き物に

  * 痛まぬか 焚書の炎 師の涙

  * 高弟と 自称した者 口つぐみ

  * 背教の 自己処罰から 逃げられぬ

  * 罪はなし 病もなしと 師は偉大

505神の子さん:2014/12/22(月) 12:55:43 ID:sSJqw/0.

 * 宮仕え 退職金までの 頬かぶり

 * 焚書して 賛歌をたたえ 裏で舌

506「訊」:2014/12/22(月) 14:02:53 ID:???

そこまでは 馬鹿じゃなかった 教団派


 ・・・・みたいですよ、トキさんのご説明では。詳しくは教区会員板1628をご参照ください。

507トンチンカン:2014/12/23(火) 20:24:24 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!

508トンチンカン:2014/12/23(火) 20:25:00 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!

509トンチンカン:2014/12/23(火) 20:25:30 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!

510トンチンカン:2014/12/23(火) 20:26:12 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!

511トンチンカン:2014/12/23(火) 20:26:45 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!

512トンチンカン:2014/12/23(火) 20:27:20 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!

513トンチンカン:2014/12/23(火) 20:28:01 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!

514再掲:2014/12/23(火) 21:15:48 ID:???

  *  此れいかに 集めし聖典 焼却と

  * 梵書とは 尊師の教え 無き物に

  * 痛まぬか 焚書の炎 師の涙

  * 高弟と 自称した者 口つぐみ

  * 背教の 自己処罰から 逃げられぬ

  * 罪はなし 病もなしと 師は偉大


 * 宮仕え 退職金までの 頬かぶり

 * 焚書して 賛歌をたたえ 裏で舌

515神の子さん:2014/12/23(火) 22:29:25 ID:r6TJQSCM

「マサノブ爺さん」が、「トンチンカン」というHNを ハイジャック しております!!

516神の子さん:2014/12/23(火) 22:29:57 ID:r6TJQSCM

「マサノブ爺さん」が、「トンチンカン」というHNを ハイジャック しております!!

517神の子さん:2014/12/23(火) 22:38:24 ID:r6TJQSCM

「マサノブ爺さん」が、「トンチンカン」というHNを ハイジャック しております!!

518曳馬野:2014/12/23(火) 23:05:42 ID:pF4uezM2
ID:pF4uezM2 これが私のID  ID:r6TJQSCM これはトンチンカンのもの

神の子のHNでアラシをしています。

>>9288 :神の子さん :2014/12/23(火) 22:31:03 ID:r6TJQSCM

「マサノブ爺さん」が、「トンチンカン」というHNを ハイジャック しております!!

<新、本流復活掲示板>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マサノブ総裁、遂に発狂か? 異才・トンチンカン氏の“今年度最優秀投稿賞”の効果てきめん!! (5933)
日時:2014年12月23日 (火) 21時05分
名前:怒れる信徒B

519本来のトンチンカン:2014/12/23(火) 23:06:16 ID:r6TJQSCM

>>518

曳馬野=マサノブ爺さん・・・ 登場!!  「アラシ」の張本人!!!

520トンチンカン:2014/12/23(火) 23:23:14 ID:heOm0O/.
    
    神の子さん :2014/12/23(火) 22:28:49 ID:r6TJQSCM
本来のトンチンカン :2014/12/23(火) 23:09:40 ID:r6TJQSCM

「マサノブ爺さん」が、「トンチンカン」というHNを ハイジャック しております!!
***********************************************************************************************

とうとう気がふれたかトンチンカン
名前を神の子と隠してアラシをする

521本来のトンチンカン:2014/12/23(火) 23:23:40 ID:r6TJQSCM

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
トンチンカンは、<ID:r6TJQSCM>!! 異なるIDは使えません!!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・異なるIDを使い分ける <能力> を持ち合わせているのは、「曳馬野」・・・

522本来のトンチンカン:2014/12/23(火) 23:34:43 ID:heOm0O/.
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「不安」に駆られ、「精神的余裕」を無くし、手当たり次第に<八つ当たり>するしかな
い 「孤独な独裁者」 の哀れな姿を呈する マサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・手に余る「金(カネ)」を手中に収め、組織のトップに「独裁者」として君臨すること
 は出来ました。


・「人事権」を乱用し、「骨のある人間」はほとんど追放した。 勿論、親、兄弟までも
 を・・・


・しかし、「宗教家」と称しながら、他人を惹きつける魅力が<欠如>しているのです。
 「カリスマ性」がないのです。


・「霊」について語ることが出来ない、「環境問題」一辺倒の唯物論者でしかない人間が、
「宗教的指導者」だから「教団組織」の発展が見込めないのです・・


・それでも、本人に「謙虚さ」があれば、それなりに道はあろうと思うのですが、「強烈
 な自己顕示欲」と「自尊心の強さ」とが、祖父に対する「劣等感」と相俟って、「コン
 プレックス」と「憎悪」になり、生来の「左翼思想」が加わって、単なる<怨念の人>
 と化してしまっているのです。


・「人間智」は秀逸であり、<屁理屈>が達者であるから、始末に負えないのであります。


・まあ言えば、「北朝鮮の三代目」と似たような存在なのであります。

523本来のトンチンカン:2014/12/23(火) 23:36:44 ID:r6TJQSCM

>>522

ID:heOm0O/.です!!  偽物の登場です!!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
トンチンカンは、<ID:r6TJQSCM>!! 異なるIDは使えません!!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・異なるIDを使い分ける <能力> を持ち合わせているのは、「曳馬野」・・・

524志恩:2014/12/24(水) 05:50:04 ID:.QY5jUA6
🔺いかなる理由があろうとも、 掲示板で 他人のHNを 勝手に使用する ということは、
ルール違反 であり、 人間同士としての エチケット に欠けた 違反行為 であると思います🔻

525神の子さん:2014/12/24(水) 06:52:10 ID:uTldaUbw
谷口雅宣先生、

お誕生日おめでとうございます。

ますますのご繁栄をお祈りいたしております。

526本来のトンチンカン:2014/12/24(水) 07:01:30 ID:BSasglMk
志恩=マサノブ爺さん・・・ 登場!!  「アラシ」の張本人!!!

527本来のトンチンカン:2014/12/24(水) 07:02:20 ID:BSasglMk
志恩=マサノブ爺さん・・・ 登場!!  「アラシ」の張本人!!!

528トキ管理人さんへ:2014/12/27(土) 18:44:39 ID:wjnsZzPA
9671 :るん吉:2014/12/27(土) 14:56:24 ID:p..UGkhAわたし、来週の月曜日までです。仕事。トキさんとか、訊けサンは?

で、月曜日、めちゃめちゃ掃除をするつもりです。いつもうちの会社はゴミが多くて、

帰りにゴミを入れるところに(朝、こんなに多くを掃除の方にさせるのは申し訳ないので)

入れて帰るんだけど、そこが案外めちゃくちゃ散乱してるん。それを私はいつも掃除することにしてますねん。

なんでか?「うのはなさんに容赦なく嘘を追及するから」ですね・・それが自分でも

いやで、罪悪みたいな感情。でもかっときて言ってしまう。その代わりに、黙って誰も知られずに掃除して、相殺してるつもりなんですね。

とはいえ、自分の勝手な自己満足でしかないから、ときさんには迷惑かけっぱなしやし。私もアク禁にしてください。

この人の嘘が続いたら、自分はまた出てくるし。お願い致します。

529トキ:2015/10/11(日) 16:10:21 ID:.yNO38cc
web 誌友会の板へ、テーマ以外のことを書いておられる皆様へ

 今後は、この板を使ってください。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

530トキ:2015/10/11(日) 16:17:07 ID:.yNO38cc

5917 :純粋教理批判:2015/10/09(金) 10:38:44 ID:yPuEDcac
>この板の秩序を保つため、テキストの内容と無関係な投稿は、今後トキさまにすべて削除もしくは別板への移動をお願いするつもりです。

よいでしょう。そこまでいわれるのであればトキさんに要求いたしましょう。虚説レポートをはじめとして、ホープさんのこれまでの書き込みのなかで教団批判と受け取れるものはすべて削除していただきたい。

参加者の発言に制限をかけるというのであれば、ホープさんの発言に制限がかけられるのは当然のことでしょう。

たとえていえば >>526 の以下の文言です。

>そのわたしたちの目標の一番頂点に立っていただくのが、「生長の家の総裁先生」でなければおかしいと思います。
ですが実際には、その頂点立っている総裁先生が、堂々と肉体人間の罪や、自然破壊された現象世界を認めるという虚説を信徒に説いていらつしゃる。
それは、本当におかしいことだと感じています。
雅宣先生、こちらをご覧ですか?
また、雅宣先生の側近の方もこちらをご覧でしたら雅宣先生にお伝えください。
信仰歴数年のただの主婦が、この掲示板でこんなことを言っていますよと。
このような批判をするのは、本当に気が重いです。

「総裁は虚説を信徒に説いていらっしゃる」とホープさんは堂々と批判しておられます。ホープさんに反論することが進行妨害になるというのであれば、こうした文言をすべて削除していただきたい。ホープさんの発言にこれからも制限をかけていただきたい。反論の必要はもちろんなくなるでしょう。

531トキ:2015/10/11(日) 16:17:44 ID:.yNO38cc

5921 :純粋教理批判:2015/10/09(金) 10:58:03 ID:yPuEDcac
>その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」のお言葉(光)でその「迷い」を消してくださいね。

ない迷いをどうやって消すのでしょう。『生命の實相』のどこに迷いの消し方が書いてあるのでしょう。ないものは消せるはずがない。ちがいますか。

消せないとわかっていて消せとは、どういうことなのでしょう。消せるものなら消してみなさい。こういうことなのでしょうか。「ご遠慮なく」といわれても、ないものはどうしようもないでしょう。

532トキ:2015/10/11(日) 16:18:42 ID:.yNO38cc

5939 :トンチンカン:2015/10/10(土) 13:25:01 ID:z9V4A.MQ

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『純粋教理批判(曳馬野ご一統)』は、「谷口雅春先生の説かれた≪御教え≫」を批判し
ていますが・・?!

『マサノブ爺さん』は ≪悟りを開かれた≫ 素晴らしい人間である。。とお考えですか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

533トンチンカン:2015/10/11(日) 17:10:44 ID:z9V4A.MQ

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「曳馬野ご一統」による ≪アラシ≫ の『残骸』が「この板」に残っていた・・・

「トンチンカン」のHNをそのままに、勝手にナリスマシての 狼藉 です!!
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(参考) この当時のトンチンカンのIDは、<ID:r6TJQSCM>!!
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507 :トンチンカン:2014/12/23(火) 20:24:24 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
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508 :トンチンカン:2014/12/23(火) 20:25:00 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
509 :トンチンカン:2014/12/23(火) 20:25:30 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
510 :トンチンカン:2014/12/23(火) 20:26:12 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
511 :トンチンカン:2014/12/23(火) 20:26:45 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
512 :トンチンカン:2014/12/23(火) 20:27:20 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
513 :トンチンカン:2014/12/23(火) 20:28:01 ID:heOm0O/.
マサノブ爺さん(生長の家総裁)、ご乱心です!!!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
524 :志恩:2014/12/24(水) 05:50:04 ID:.QY5jUA6
🔺いかなる理由があろうとも、 掲示板で 他人のHNを 勝手に使用する ということ
は、ルール違反 であり、 人間同士としての エチケット に欠けた 違反行為 であ
ると思います🔻
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526 :本来のトンチンカン:2014/12/24(水) 07:01:30 ID:BSasglMk
志恩=マサノブ爺さん・・・ 登場!!  「アラシ」の張本人!!!
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527 :本来のトンチンカン:2014/12/24(水) 07:02:20 ID:BSasglMk
志恩=マサノブ爺さん・・・ 登場!!  「アラシ」の張本人!!!
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534曳馬野:2015/10/12(月) 15:18:47 ID:xov3Klaw
『彼』と『我』との相対二見に立つ限り未だその生活は「中」を得ていない。

本当の生活とは感謝合掌、無我随順の行として花咲現れる生活である。

愛なき人は神を知らず、神は愛なればなり。神を見ない処に現れるのが物質であり、物質とは神無きことの別名である。愛に甦って神の子となる時、此の世は此の儘に御霊割延へ給える世界であって、何処を尋ねても一物の物質も無い。愛によって捧げ愛によって受ける時、かそけき一椀の飯にも無限の喜びが宿り無限の光がこもる。そこには尋ねても物質は無い。このように物質なしの真諦を開くことは唯神の子の生命のみに許された権であって、知者の如き振る舞いによっては永遠に開くことが許されない。   天地今ひらく  より

535曳馬野:2015/10/12(月) 16:25:32 ID:xov3Klaw

理屈は地獄である。神を退け人を殺める。ともすれば、不足に思うことを当然のことの様に考え誤り、こんな理由があるのだぞ、などと理屈を楯に対者を批判非難の心でうとうとする。

自分の口元を見れば、相手に向かって悪い悪いと、醜い限りの言葉を飛ばしている醜さ。自分が悪を握り批判に落ちた。この姿は既に神の子でない。既に自分が地獄の塊である。

打つべきものは相手ではなかった。三界は唯心の所現である。外にはいなかった。自分自らのその墜落した心であった。 常楽への道

536曳馬野:2015/10/12(月) 17:55:00 ID:xov3Klaw

「光は暗黒に照る、而して暗黒は之を悟らざりき」ヨハネ伝福音書第一章にあるこの言葉は、誠にも神の叡智に満ちた光豊かな言葉である。・・・

光明は如何に輝けども、暗黒は永劫にこれをみることは出来ないのである。光明を見得るものは光明のみなのである。自らの其処に今光明輝けども、暗黒は遂にそれをみることが出来ないのである。そして、暗いと思うのである。

自分に鳴るものを外に映じて、自分を見出し世界を発見するのであるから、神の光明は盡天盡地に遍満して到らざるところなく輝けども、されど暗黒は之を悟らざりき、である。  常楽への道より

537曳馬野:2015/10/12(月) 18:30:19 ID:xov3Klaw

まず、無条件に神想観を立てることが大切である。祈りのない宗教生活はなく、神想観のない生長の家はないのである。・・・・

風ゆきて風鈴の鳴る、風の鳴るのか風鈴のなるのか。風の鳴るに非ず、風鈴の鳴るに非ず、心鳴るなり。心とは如何なるものぞ。共に寂静。寂静にして音の鳴る、霊霊妙妙の単純境。

自によらず他によらず、処女懐妊。自力にあらず他力にあらず、隻手の声。自をまたず他をまたず、無指にして立つ指。

行事要目に「そのままの心を大切にすべし。・・・そのままは零なり、一切なり、○なり・・・」と示されている。

そのままが単純境。神想観のそのまま、五官の世界を超脱したそのまゝである。

此処を己が生命の住地とし、此の生命が己が生命となり出でるのが、人間神の子の生活であり、本当の宗教生活なのである。   常楽への道 より

538曳馬野:2015/10/12(月) 20:52:54 ID:xov3Klaw

肉体をあると思い、それが自分であると思っておれば、如何に楽しげに如何に謙虚の如く踏み行われていても、その心は我の心である。・・・

私があると思うのが我であり、それは、肉体の無いことが本当に判然と魂に了得できないところから生じてくる妄念である。私が無くて、神の生命があると知ることが我の無い心である。・・・

「ただよえる雲の彼方にまんまるに澄み切る月ぞわが姿なる」とはこの境地である。此の境地の此の月は中天の一隅にあるのではない。虚空に満ちてあるのである。盡虚空際である。本当にあるものとは、すべてが此の様にあるのである。相対的にとらえたものは実在ではない。・・・

私と云う観念は無明である。私と云う観念に立つものは我であり、そのまま、この誤れるそのままにて、宇宙大とみるものは、我が宇宙大にひろがりて天地晦冥である。

説似一物即不中、かく語られた古の道の人は神の子であったのである。・・・

今如何に、神ごとが身につき心にしみ通っていたとて、私がと思う人は我の心である。神の叡智に照らしてみれば、身にもつかず、心にもしみ通っていない人である。・・・

私が神の子であると知るのが生長の家でない。これは現象と実相の混同である。現象と実相の混同、これ位宗教において重大な問題はないのである。私は無かったのである。神の子があったのであると知るべきである。現象と実相の峻別である。  常楽への道 より

539トンチンカン:2015/10/12(月) 20:55:22 ID:z9V4A.MQ

「吉田國太郎」先生のコトバでもって、「自分を守ろう」なんて・・・?

540曳馬野:2015/10/12(月) 21:10:23 ID:xov3Klaw
なんの解説もしてないよ、読んだ人それぞれが考えればよいことだね。トンチンカンさんもたまには真理の言葉のお風呂に入ったらいかがですか

541通りすがり:2015/10/12(月) 21:19:24 ID:8Iz.dMj.

曳馬野さん

有難うございます。有難うございます。
吉田先生のお言葉、有難うございます。有難うございます。

542曳馬野:2015/10/12(月) 22:04:29 ID:xov3Klaw
通りすがりさん

読んでくださいまして有難うございます。私は昭和49年1月20日の発行の3版がボロボロになっています。900円でした
予備に平成4年の12版のものが在ります。昭和24年が初版ですので、3版までに25年ほどかかっています。あまり読まれなかったということでしょうか。

私の愛読書であります。挨拶有難うございました。

543純粋教理批判:2015/10/19(月) 12:42:28 ID:yPuEDcac
ふつうの人とはかなり違ってみえる訊けさんの世界について考えてみました。これからその考えを述べてみます。

訊けさんとやりとりしていると、訊けさんがわたしの言い分を理解できていないのはわかるが、どう理解できていないのかは全然わからない、といった事態に毎回のように遭遇します。他の人とのやりとりでは、理解できていないにしても、何がどう理解できていないのか、おおよその見当はつきます。訊けさん相手では見当をつけることさえできません。

あるとき訊けさんは「真理を言い当てる」が何を意味するかわからない、と言いました。「人間は神の子である」と言えば人間が神の子であるとする真理を言い当てたことになるのですが、訊けさんには「真理を言い当てる」ということがどういうことか、まったくわからないようでした。

人類は太古の昔から「世界は水でできている」というように真理を言い当てようとしてきました。真理を言い当てたいとする欲求が人類にはあるはずなのですが、これがどういうことかが訊けさんにはわからなかったようです。

訊けさんがふつうの世界の住人でないのはわかります。訊けさんには訊けさんだけが住める世界があって、その世界の住人であるためには「ある条件」が満たされる必要であるようです。

その「ある条件」が満たされたときだけ訊けさんは相手の言い分が理解できるみたいです。そのために訊けさんは、自分が理解できる条件に相手を引っ張り込もうとします。

引っ張り込むときの言いぐさがふるっています。「かくかくしかじかの条件で語れないやつはバカだ」と、こういう言い方をしてきます。もしも相手が条件を満たせないとき「バカ」と認定されます。

訊けさんが理解できるような条件を満たさないかぎり、相手はバカとされます。本流は、訊けさんが設定した条件を満たせないので「バカばっかり」なのです。

544純粋教理批判:2015/10/19(月) 12:44:14 ID:yPuEDcac
どうやっても理解してもらえない。訊けさんとのやりとりはいつもストレスいっぱいです。トキさんが相手のときには、トキさんの応答が意図的に曲解されたりはするものの、やりとりはそれなりに成り立ちます。曲解できるということはこちらが何を言いたいのかはわかっているはずですから、理解させるためのストレスは感じないですむといことです。

訊けさんの「理解できなさ度合い」は半端ではありません。そんな訊けさんを理解させようとすれば、とってもストレスフルなやりとりになります。コミュニケーション障害に近いものがあるのでしょうか。コミュニケーションに障害がありそうだといっても、一定の条件さえ満たされれば、たぐいまれなる理解力を発揮できるみたいです。

ある一定の条件においてのみたぐいまれな能力が発揮されるとすれば、これはサヴァン症候群に近いものかあるのでしょう。音楽に関しては無類の能力を発揮するが、他の能力はほとんど発揮しない。これがサヴァン症候群です。サヴァン症候群ではないが、これに近いものが訊けさんにはあるような気がいたします。

これからは、サヴァン症候群ではなく「サヴァン的」という言い方をしましょう。訊けさんがサヴァン的であるとするなら「半端でない理解できなさ」にも納得がいきます。人とのやりとりにおいて、ある条件では無類の能力を発揮するが、それ以外の条件では理解が不足するので幼稚園児のごとくふるまってしまう、ということです。

545純粋教理批判:2015/10/19(月) 12:46:08 ID:yPuEDcac
訊けさんは読書力に自信をもっておられるようです。訊けさんがサヴァン的であるとすれば、読書力において訊けさんの右にでるものはたしかにいないのかもしれません。

訊けさんのたぐいまれな能力とは、文字の並びを一字一句のがさず機械的に翻訳して正確に理解し尽せるという能力でしょう。機械的ということは、情緒性や感情が介在しないということです。情緒性や感情をすべて排して、機械的に翻訳、理解できる能力が訊けさんにはあるはずです。

ふつうの人の場合は、ときに感情が入り込むことがあります。ある書物を読んで魂がゆさぶられた。気分が高揚した。こうした経験は誰もがあるはずです。感情が入り込めば正確な理解はもちろん困難になるでしょう。

訊けさんのいう「誤読」とは、書物を情で読むことをいっているとおもいます。情で読むな、情に左右されることなく機械的かつ正確に翻訳しろ。こういうことを訊けさんは言っているはずです。

読書において情を排することにたぐいまれな能力を発揮する訊けさんは、文字のやりとりにおいても相手の意をくむことができない人のようなのです。訊けさんとやりとりしていると、以心伝心がまったくといっていいほど成り立たないことに気がつきます。相手の意をくんで「おおよそこういうことが言いたのだろう」ということができない人なのです。

わたしはサヴァンの能力を尊重しており、それを否定するつもりはありません。しかしだからといって、サヴァンの能力を一般化して、サヴァン的な読み以外を「誤読」とするのはどうかとおもいます。

「おおよそこういうことが言いたいのだろう」といった理解の仕方ができなければコミュニケーションは成り立ちません。読書においても、多くの人は一字一句を正確に翻訳するのではなく「おおよそこういうことが言いたいのだろう」といった理解の仕方で読むことが少なくないはずです。

アバウトに読めるというのはひとつの能力です。コミュニケーションを成り立たせるための必須の能力でもあります。アバウトに読むかぎり誤読の可能性はつねにつきまといます。

訊けさんのようなサヴァン的な読みができる人はほとんどいないはずです。多くの人はサヴァン的にではなく情的に本を読みます。情的に読む人がいるかぎり、誤読の可能性を排除することは絶対にできません。このことを訊けさんは理解できていない、ということが言えるとおもいます。

546純粋教理批判:2015/10/19(月) 12:47:10 ID:yPuEDcac
訊けさんが「勝った、勝った」とさわいだときには何がおきたのかとおもいました。理由はすぐにわかりました。貴方は「教理は二項対立でできている」と言った。なのに実相独在とは何ごとか。独在とはひとつしかないということだ。二項対立と言えぬではないか。貴方は間違えた。よってオレの勝ちだ。こういうことが言いたかったようです。

訊けさんは、二項対立であったものが最後は一つになるということが理解できなかったのでしょう。二つあったものが最後は一つになる。訊けさんとすれば、こうした事態は理解の範囲を超えていたのでしょう。

わかりやすく語るというのは、おもう以上にむつかしいことです。「二つが一つになる」という理屈立てが理解できない人がいる。こうしたことも考慮しつつ説明しなければならないのですから、わかりやすく語るのはたしかに簡単なことではなさそうです。

547純粋教理批判:2015/10/19(月) 12:48:58 ID:yPuEDcac
「教理にひそむ」ということでわたしが言いたいのは、教理には「かくされた仕組みがある」ということです。「かくされた仕組み」をふつうは構造と呼びます。構造とは、複数の文書に共通するパターンです。こうしたパターンは表立ってはあらわれていません。パターンはつねに文章の背後にかくれています。教理にも当然のごとく構造がかくれている可能性があります。

どういう構造かと言えば、二項対立を積み木をつみあげるように組み立てて、最終的に究極の真理を示す、という構造です。物質を超えた真理を追究する形而上学にはこうした構造が共通のパターンとしてみられる、ということがいわれているようです。

構造は表立ってはあらわれていないので、特定の文献を引用して示せるものではありません。文献の引用を要求する訊けさんは、表立ってあらわれた文字の理解には無類の力を発揮しますが、文字の背後にかくされた仕組みの洞察はまったく得意ではないようです。

そんな訊けさんを相手に構造云々を語ろうとしたのは無謀な試みであったと、今となっては反省するばかりです。文字の背後にかくされた構造は、一字一句を正確に翻訳したところでわかるものではありません。構造を知るには情の働きが欠かせない、とわたしはおもいます。なぜなら、構造は知性に向けて働きかけるのではなく、読み手の情に働きかけているとわたしにはおもえるからです。

訊けさんのような「情を排する」というような読みでは構造とつながることはできないということです。誤読の余地はたしかに少ないのかもしれませんが、そんな読みをいくら続けても文字を超えた世界へはけっして入り込むことができないと考えます。

「誤読」とは文字を超えた世界に入り込むことでもあるとおもいます。そうした世界に入り込むことの危険性が自覚されていさえすれば、それはけっして否定すべきことではないと考えます。

ところで、みなさま方とのやりとりは無意味であるとすでに証明されておりますので、批判や反論等があった場合でもやりとりはいっさいいたしません。

548純粋教理批判:2015/10/19(月) 14:20:30 ID:yPuEDcac
これが悪しきイデア論だ。

現代科学の発達はすさまじいものがあります。現代科学の宇宙観に比べれば、宗教が説く世界観は常識の範囲内でしかありません。

宇宙は11次元とされているのに、世界はなぜ4次元なのか。宇宙はいかにしてできたのか。これから宇宙はどうなっていくのか。興味深いテーマがそれこそ百家鳴争のごとく論じられています。

宗教の常識ではおよびもつかぬ高遠かつ深淵な思想が次々と説かれているという意味では宗教を超えたとさえいえる現代科学ですが、生長の家にかかろうものなら、「唯物論」、「人間知」、「二元論」のひとことで苦もなく否定されます。科学など何も知らないふつうの人々よりも最先端をいく科学者のほうがはるかに劣っているかのようにみなされます。

考えるべきは、こうした見方は一般社会ではおよそ成り立たないということです。生長の家に特有の現象であるということです。

生長の家に特有とおもえるこうした現象を支えるのが「悪しきイデア論」です。イデア論とは「おのれの言葉をもって真理となすこと」です。「人間神の子」と言えばこれが真理となるように、「現代科学は唯物論であるがゆえにすべて間違いである」と言いさえすればこれが真理となる。これがイデア論です。

「何が真理であるかの決定権は生長の家にある」と、まるでいわんばかりの傲慢かつ暴力的な見方です。一般社会に通用するような見方ではもちろんありませんが、教団の内部では支配力をもちうる考え方です。

このような支配力はどこから来たのか。何が支配力を支えているのか。支えているのが教理であるのはあきらかです。教理が傲慢かつ暴力的な人々を生みだしたのはあきらかです。教理がなければこうした人々が生みだされることはけっしてなかった。このことだけはいえるからです。

教理の誤読が問題なのでしょうか。それはちがうでしょう。「唯物論」である、「人間知である」、「二元論である」として一般信徒がある何ものかを否定したとしても、これをいさめるものは誰一人としていないのが誤読でない証拠です。

もしも一般信徒の行状が誤読によるものであれば、いさめる人がかならず出てくるはず。誰もいさめないのであれば(誤読を主張する訊けさんでさえ本流以外はいさめない)、信徒の行状は誤読によるものではなく教えを正しく理解した結果とみなされている証拠、ということになるでありましょう。

549「訊」:2015/10/19(月) 15:03:10 ID:EGt0kIz.

「試合には負けたけど、訊けはバカだし、オレは天才」てことを、ラカンの家風に説くとこうなるんですね。543以降は(笑)

550純粋教理批判:2015/10/19(月) 15:19:50 ID:yPuEDcac
生長の家の二項対立は二項のうちの一つをかならず排除します。「劣っている」とみなしたほうの項を必ず排除します。

二項対立による排除が常習的におこなわれている。これが生長の家です。排除されるのはつねにマイノリティーです。多数派(マジョリティー)が支持する、善や光や霊ではなく、マイノリティーとされた悪や闇や物質が必ず否定され、排除されます。

「マイノリティーは排除される」の法則にしたがって、「劣ったもの」とみなされた総裁が排除され続けている 。これが生長の家の現実です。これが今も起き続けている生長の家の現実です。

551純粋教理批判:2015/10/19(月) 15:41:05 ID:yPuEDcac
「なんちゃって効果」には誰もかなわない

訊けさんが「なんちゃって効果」で対抗してきました。
「人間は神の子である。なーんちゃって」。
「実相は独在である。なーんちゃって」。
これが「なんちゃって効果」です。

訊けさんとのやりとりで、わたしは誠実に応対したつもりです。訊けさんのすべての要求に答え、すべての問いかけに誠実に答えたつもりです。

わたしは誠意をもって訊けさんにたいしました。これにたいして訊けさんは、誠意ではなく「なんちゃって効果」で応じてきました。

「なんちゃって効果」に対抗する手法は今のところ「ない」とされているようです。現時点では無敵とされる「なんちゃって効果」をもちいられたのでは、わたしにできることはかぎられてきます。誠意をもって応じる。できることはこれだけでした。

「教えを完全マスターした」と豪語する人物が「なんちゃって効果」をもちいたという事実が消えることはけっしてありません。「教えと言ったところでこの程度のものである」ということを天下に公言したようなものです。

教えを完全マスターしてこれか。「なーんちゃって」と言っていられるような事態ではありません。

552純粋教理批判:2015/10/19(月) 16:00:42 ID:yPuEDcac
「行き過ぎた愛国運動に問題があった」とトキさんが言っていました。「行き過ぎない愛国運動があるのか」とわたしは言いたい。「愛国」の言葉をもちいていながら「行き過ぎがない」ということは絶対にない。「愛国」は絶対に行き過ぎる。

ある人がたしかこのようなことを言っていました。「愛国」の言葉は「国を愛するもの」と「国を愛さないもの」とにわける。国を愛さないものに「なぜおまえは国を愛さないのか」とせまる。国を愛さないものを否定し、その反動により愛国を最高の価値とするようになる。すべてを愛国にささげるようになる。

行き過ぎない愛国はない。国を愛するのであれば、「愛国」を言わずに国を愛せよ。これが国を愛するものの作法と心得ます。

553純粋教理批判:2015/10/19(月) 16:07:36 ID:yPuEDcac
一元論は民族主義にたどりつく

一元論に対抗すべき敵はいません。二元論であれば、対抗すべき敵がいます。敵とは「人類にあだなす悪」です。人類は一致協力して悪と戦わなければなりません。

人類共通の敵がいない一元論では、人類が一致協力すべき理由をみいだすことができません。行きつくところは民族主義です。民族のことさえ考えていれば事足りるのが一元論です。

554純粋教理批判:2015/10/19(月) 16:22:02 ID:yPuEDcac
人間には欲望があります。いくら否定しても欲望はあります。欲望を否定するものは神経症になります。

真理を知りたいとする欲望、悟りを得たいとする欲望から真理で金儲けをしたいとする欲望にいたるまで、生長の家にはさまざまな欲望があります。

「他者を排除したい」とする欲望を持つものが生長の家にもいます。二項対立を常用する生長の家は、「他者を排除したい」とする欲望をもつものの欲望を顕在化させやすい環境にある、ということがいえます。

555「訊」:2015/10/19(月) 16:22:41 ID:wCJFH2hM
訊商業は、なんちゃって効果で勝利した模様です(笑)何でしょうか、その、なんちゃって効果とは(笑)

556純粋教理批判:2015/10/19(月) 16:35:55 ID:yPuEDcac
「愛国」について言っていた人が(誰であるかはわかるでしょう)、最近の児童生徒のなかには、学問をさげすみ、勉強しないことに達成感や満足感をおぼえる子どもが増えてきたと言っていました。

勉強ができないことの言い訳で「勉強には意味がない」と言っているのではなく、心底そのように思い込み、達成感や満足感を得ているようなのです。

日本国とすれば憂慮すべき事態ですが、日ごろからあらゆる学問を「人間知」とさげすみ、学問しないことの価値を排他的に認めてきた生長の家としては、昨今の児童生徒の風潮はまことに喜ばしき事態の到来、ということがいえるのではないでしょうか。

557トキ:2015/10/19(月) 16:46:27 ID:5jnv9nbs
純粋教理批判 様

 長文のご投稿、ありがとうございます。

 純粋教理批判様の言い分は、私が「曲解」したところでは、生長の家という宗教法人で、
創始者の思想を、現在の総裁が否定したり、それと異なる考えをするのを認めるべきだ、
という事になるでしょう。

 生長の家は、谷口雅春先生の教えに共鳴した人達により結成された宗教法人であります。
生長の家の外部ではそんな理屈は通りませんが、内部では谷口雅春先生の教え、なかんずく
「生命の実相」や「聖経」の内容が正しい、という事が前提になります。それを否定する事
は、組織の存在の前提そのものを否定する事になります。

 例えていてば、野球のチームが試合をしている最中に、突然、リーダーが「野球なんてつ
まらないから、今からサッカーをしようぜ」と言いだしたようなもので、ご本人はそれで
満足かもしれませんが、他のメンバーとしては、「それなら、あんたが、サッカーのチーム
に移ればいい」というだけの話です。

 こういうのをわがままと言います。

(つづく)

558「訊」:2015/10/19(月) 16:46:38 ID:LGwqRa4k

>>556
 ああ、この意見には同意しますね。その通りだと思います。ただし、「生長の家は」ではなく「貧流派は」と表されればなお、正解に近いと思います。問題は教理そのものにあるのではなく、組織運営にあるのですからね(つまり「教理を誤読した人」のことですね)。「愛国!」なんて言っている人は教理が生んだのではなく、「雅春先生への追加思想(笑)」です。雅春先生が言ってもおられナイことを「言った!」と言い募っているダケなのですからね。(まあ、ここまでくると最早、誤読ではなく「詐欺」ですが)

 ・・・・・・そんなところでしょうか。




559トキ:2015/10/19(月) 16:59:24 ID:5jnv9nbs
 現在の生長の家の公式見解では、谷口雅宣先生は、谷口雅春先生の教えの忠実な
承継者であり、正確な教えの理解者である、ということですから、純粋教理批判様
の主張は、現在の総裁にとっては、この公式見解を否定する事になり、彼にとっては
ありがた迷惑という可能性があると思います。

 ところで、私は理工系の学校で勉強をしているので、理論は理論だけではなく、実験
により実証されないと、信用できないという発想を持っています。

 谷口雅春先生の教えにより、ガンが消えたとか、夫婦仲がよくなったとか、経営難
が解消した、という事例は枚挙にいとまがないです。なるほど、組織内部の人間関係
で問題が生じた事はありますが、それはそれで関係者が話し合い、工夫することで
解決ができます。この教えにより、多くの人間が本当の幸せを得たのを私もこの目で
見てきました。

 現在の総裁の信仰指導や組織指導が、信徒の大半からはほとんど共鳴をされていないの
で、純粋教理批判様のような総裁の共鳴者にとっては憤りを感じるのは理解はできます。
 それは、実際に総裁の指導に従った結果が、よろしくないのをみんなが知っているから
でして、根拠のあるものなのです。

 その点を無視しては、他の人を説得できないと思います。

560「訊」:2015/10/19(月) 17:01:34 ID:LGwqRa4k


>>557

 それは、ラカンの家説を歪曲したものでは、ございません。「その通り」なんです(笑)。小難しい用語が並んでおりますから高級に見えますが、「かなりお手軽」です・・・・・・・ナンシキ(軟式)なんです、議論の進め方が。硬式野球ではなく、軟式なんです。

 それでは、どこがお手軽か。それは、「自分の主張論拠を相手に提出させる」という、超ド級のお手軽さなんです。


考えられないでしょう(笑)普通(笑)


聖典をろくに読んでもおられない(笑)なのに「生長の家は教理に問題が!(キリッ)」です。


 呼び出した守護霊が語ったとでも、言うのでしょうか、「教理に問題あり!」の御主張は(笑)。


 さて、論拠も示さずいきなり「教理に潜む二項対立(キリッ)・・・・これが問題だ(キリッ)」なんて来ますから一回表は、「オッ!」ってなるんです。なるんですが、「自分では論拠を提出しない」と(笑)そして、「そう思われる根拠は?聖典から引用すべきでしょう」なんて問いかけをしますと今度は、「では実相について決めてください(キリッ)」です(笑)。

 考えてもみてくださいよ。いきなりそんな大きなテーマ、イチから説明せにゃならんの?(笑)そしてそんなテーマ、せめて読んでから来いよ(笑)こうなるのが普通なんですが、ラカンの家付属は、平気です。平気どころか「訊けさんはコミュ障害」とかで(笑)「そうなの!ありがとう!」なんて返答をしたいくらいなんですが、余談はここまでにしまして、「論拠を相手方に提出させる」というお手軽さ、これが特徴なんです。論拠を求めますとまたしても(一見高級そうな)難解用語をズラズラと並べられて、「故にその義務はナイ」と、これまたキリッ!(笑)

 ほとんど、すべてが、こんな感じ。

 大丈夫か、ラカンの家。

 でもですね、私が証明したようにラカンの家の主張ですが「身近な例に置き換えるとかなりトホホなものばかり」なんです。一例だけにしておきますね(笑)↓

○ 結局は「こんな程度の意味・重要度に過ぎなかった」二項対立の意味・・・・・・
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1357725489/730

 
 で、ついに聖典から引用(らしき事)をした途端、このやり取りですが・・・・・・・・・・・終了したのでありました(笑)。上記で分かりますが、そりゃ、そうですよ(笑)貴方が論拠をなかなかお示しにならなかったように生長の家、「教理そのものが二項対立ではナイ」のですからね(笑)

 まあ、そんな感じです(笑)




561純粋教理批判:2015/10/19(月) 17:14:03 ID:yPuEDcac
対立のないところに対立を持ち込んだのが生長の家である。善と悪の対立などほんらいない。光と闇の対立などほんらいない。実相と現象の対立などほんらいない。それらはたんなる差異でしかない。差異に対立を持ち込んだ。それが生長の家である。

神一元の真理を語るにおいて、ほんらいないはずの対立の概念を用いざるをえない。ないもので真理を語るしかない。ない対立をこしらえて真理を語るしかない。神一元がわかれば、それらすべてがつくりものの説法であったとわかるわけだが、それがわかるまでは、対立の世界を生きるしかない。

つくりものの説法を真理ととらえ、それを絶対とおもい込み、対立の世界を生きるものたちが問題をつくりだしている。総裁との対立など、神一元がわかれば夢マボロシであったと気づくしかないものだが、それを「ある」とおもい込んで問題をいたずらに大きくする人がいる。わかるまでは仕方がない。

曳馬野さんがおっしゃりたいのはけっきょくこういうことでしょう。

562純粋教理批判:2015/10/19(月) 17:16:06 ID:yPuEDcac
時間ぎれです。

ではこれにて。

563「訊」:2015/10/19(月) 17:16:10 ID:LGwqRa4k


 「こっちが聖典から論拠を示さず説明してても、空気読めよ〜。『生長の家教義=二項対立』ってのは、召喚した守護霊がそう言ってたんであって、論拠示したらトホホじゃないか。だから、オレには論拠を求めずに、黙って難解用語に騙されていろよ〜」を、ラカンの家風に高級に述べますと、こうなります↓


――――――――――――

ある一定の条件においてのみたぐいまれな能力が発揮されるとすれば、これはサヴァン症候群に近いものかあるのでしょう。音楽に関しては無類の能力を発揮するが、他の能力はほとんど発揮しない。これがサヴァン症候群です。サヴァン症候群ではないが、これに近いものが訊けさんにはあるような気がいたします。

これからは、サヴァン症候群ではなく「サヴァン的」という言い方をしましょう。訊けさんがサヴァン的であるとするなら「半端でない理解できなさ」にも納得がいきます。人とのやりとりにおいて、ある条件では無類の能力を発揮するが、それ以外の条件では理解が不足するので幼稚園児のごとくふるまってしまう、ということです。

――――――――――――

 サヴァン的(笑)なんか、かっこいいぞ、オレ(笑)

 これからは「サヴァキケアンの暴走」とでも表されてくださいよ、その、「貴殿の論拠を求めてオウンゴール狙いをする奴のこと」を(爆笑)



564「訊」:2015/10/19(月) 17:17:40 ID:LGwqRa4k

――――――――――――
562 :純粋教理批判 :2015/10/19(月) 17:16:06 ID:yPuEDcac
時間ぎれです。

ではこれにて。
――――――――――――

 もう、立ち去り方まで、セクシーですわ(笑)ラカンの家は。




565「訊」:2015/10/19(月) 17:24:32 ID:LGwqRa4k


もうこれ、ラカンの家が召喚した守護霊が言ったとしか、思えない内容です(笑)。だって論拠はナイんですからね(笑)・・・・・・・大丈夫か、ラカンの家!


――――――――――――
対立のないところに対立を持ち込んだのが生長の家である。善と悪の対立などほんらいない。光と闇の対立などほんらいない。実相と現象の対立などほんらいない。それらはたんなる差異でしかない。差異に対立を持ち込んだ。それが生長の家である。
――――――――――――


 逆だぞ、ラカンの家。

 >>>対立のないところに対立を持ち込んだのが生長の家である。<<<

 対立の「ある」ところに「対立がない」を持ち込んだのが生長の家でしょう。これ、論拠はあるの?(笑)クドイが論拠は「呼び出した守護霊」って言わないですよね(笑)。


>>>善と悪の対立などほんらいない。光と闇の対立などほんらいない。実相と現象の対立などほんらいない。それらはたんなる差異でしかない。差異に対立を持ち込んだ。それが生長の家である。<<<


 逆ですから。

 「善と悪がある」「光と闇がある」てな世界に対し、つまり、貴方風に云えばパースペクション(笑)でしたっけ?「差異」なんて今回はえらく、腰の低い言い方されておられるが、それは兎も角・・・・・・・・・その、差異に於ける対立を、「解消せしめたのが生長の家」ですよ。

 もうさ、ラカンの家付属よ・・・・・・・・・・・・・批判するならさ、最低限、相手方の聖典くらい読もうぜ?(笑)読んでから、来ようぜ?(笑)


 高級そうな用語で誤魔化されてはいるが、ラカンの家付属の試合運びは「かなり異質」ですよ(笑)「それ、野球じゃねーじゃん!!」、そんなクレームが来そうなレベルの、そんなお手軽さです。



566「訊」:2015/10/19(月) 17:31:58 ID:LGwqRa4k


 コミュ障害と表された訊商業ですが、かなり誠実に議論を進めているつもりですよ。たとえば当方ですが、「創価学会を批判したい」、そう思い立ったとしましょうか。そんな時は先ず、何をするか・・・・・・・・・・・


 イケダ先生の本を通読しますよ。


 それって、当たり前でしょう?


 ちなみに今話題の、Harbor Business Online記者の菅野氏ですが、『生命の實相』全40巻を読破した上で貧流派批判、行っているんですよ。恥ずかしくないんですか、ラカンの家は(笑)。

 ・・・・・・なんども言うが、「難解な用語を駆使して、お手軽さを中和しないように」(笑)そして、「自分の主張論拠くらい、自分で提出なさい」(笑)。

 こんな感じです。

 ・・・・・・・なになに?谷口雅春、「教理に潜む問題点!」ですって?

 ならばせめて、雅春先生の御著書からの引用がなきゃ(笑)。

 だって、常識ですからね。

 そしてその、「問題点あり!」を主張してんのはラカンの家側なんだから、その、「問題と呼ばれる箇所を紹介」しなきゃ。なんで相手にさせんだ(笑)その、問題点を(笑)問題だ!と主張している側でしょう、論拠提出の義務があるのは(笑)。

 そして、当方がコミュニケーション障害なのであれば、貴方は「何ニケーション障害」なんでしょうかね、その、「自分の主張論拠を相手に提出させる」ってやり方は。




567トンチンカン:2015/10/19(月) 19:04:45 ID:z9V4A.MQ

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「生長の家」って、『谷口雅春先生の説かれた≪御教え≫』をそのままに ≪信仰≫ す
るところですよね・・・

「生長の家」の ≪教義≫自体 に「イチャモン」をつけるのであれば、出て行けばイイ
のですよね・・・ 
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568仏の子さん:2015/10/19(月) 20:25:15 ID:48nkH9t6


567 :トンチンカン

全く、その通りであります。


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「生長の家」って、『谷口雅春先生の説かれた≪御教え≫』をそのままに ≪信仰≫ す
るところですよね・・・

「生長の家」の ≪教義≫自体 に「イチャモン」をつけるのであれば、出て行けばイイ
のですよね・・・ 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

569曳馬野:2015/10/19(月) 20:33:56 ID:QbJFCpk.
質問には何も答えられないトンチンカンさん、

「『谷口雅春先生の説かれた≪御教え≫』をそのままに ≪信仰≫ するところ」

だから教えに則って質問しても何も答えられない不思議さ、本当に知ってるの生長の家の教え。仏の子さんも


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