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実相哲学を論じる部屋

545純粋教理批判:2015/10/19(月) 12:46:08 ID:yPuEDcac
訊けさんは読書力に自信をもっておられるようです。訊けさんがサヴァン的であるとすれば、読書力において訊けさんの右にでるものはたしかにいないのかもしれません。

訊けさんのたぐいまれな能力とは、文字の並びを一字一句のがさず機械的に翻訳して正確に理解し尽せるという能力でしょう。機械的ということは、情緒性や感情が介在しないということです。情緒性や感情をすべて排して、機械的に翻訳、理解できる能力が訊けさんにはあるはずです。

ふつうの人の場合は、ときに感情が入り込むことがあります。ある書物を読んで魂がゆさぶられた。気分が高揚した。こうした経験は誰もがあるはずです。感情が入り込めば正確な理解はもちろん困難になるでしょう。

訊けさんのいう「誤読」とは、書物を情で読むことをいっているとおもいます。情で読むな、情に左右されることなく機械的かつ正確に翻訳しろ。こういうことを訊けさんは言っているはずです。

読書において情を排することにたぐいまれな能力を発揮する訊けさんは、文字のやりとりにおいても相手の意をくむことができない人のようなのです。訊けさんとやりとりしていると、以心伝心がまったくといっていいほど成り立たないことに気がつきます。相手の意をくんで「おおよそこういうことが言いたのだろう」ということができない人なのです。

わたしはサヴァンの能力を尊重しており、それを否定するつもりはありません。しかしだからといって、サヴァンの能力を一般化して、サヴァン的な読み以外を「誤読」とするのはどうかとおもいます。

「おおよそこういうことが言いたいのだろう」といった理解の仕方ができなければコミュニケーションは成り立ちません。読書においても、多くの人は一字一句を正確に翻訳するのではなく「おおよそこういうことが言いたいのだろう」といった理解の仕方で読むことが少なくないはずです。

アバウトに読めるというのはひとつの能力です。コミュニケーションを成り立たせるための必須の能力でもあります。アバウトに読むかぎり誤読の可能性はつねにつきまといます。

訊けさんのようなサヴァン的な読みができる人はほとんどいないはずです。多くの人はサヴァン的にではなく情的に本を読みます。情的に読む人がいるかぎり、誤読の可能性を排除することは絶対にできません。このことを訊けさんは理解できていない、ということが言えるとおもいます。


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