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実相哲学を論じる部屋
561
:
純粋教理批判
:2015/10/19(月) 17:14:03 ID:yPuEDcac
対立のないところに対立を持ち込んだのが生長の家である。善と悪の対立などほんらいない。光と闇の対立などほんらいない。実相と現象の対立などほんらいない。それらはたんなる差異でしかない。差異に対立を持ち込んだ。それが生長の家である。
神一元の真理を語るにおいて、ほんらいないはずの対立の概念を用いざるをえない。ないもので真理を語るしかない。ない対立をこしらえて真理を語るしかない。神一元がわかれば、それらすべてがつくりものの説法であったとわかるわけだが、それがわかるまでは、対立の世界を生きるしかない。
つくりものの説法を真理ととらえ、それを絶対とおもい込み、対立の世界を生きるものたちが問題をつくりだしている。総裁との対立など、神一元がわかれば夢マボロシであったと気づくしかないものだが、それを「ある」とおもい込んで問題をいたずらに大きくする人がいる。わかるまでは仕方がない。
曳馬野さんがおっしゃりたいのはけっきょくこういうことでしょう。
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