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Web誌友会 板/2

1トキ:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。

*web誌友会についての話題は、このスレッドでお願いします。

 このスレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会のために作成したスレッドです。

 上記に関連する話題なら、狭く解釈しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家の信仰と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。明らかな他団体や特定の霊能力者の宣伝となる投稿も削除の対象になります。
 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。


投稿に当たっての注意点

*このサイトは、「生長の家“本流宣言”掲示板」等と違い、自分の発言を自分で削除できません。
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 たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
 お願い申し上げます。
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*「したらば」は長文の書き込みをした場合、一部が表現されない場合があります。その場合は、「下部左
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このサイトについて

*宗教法人「生長の家」、「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」
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*「ポスティング ジョイ」や「生長の家“本流宣言”掲示板」などのサイトとは一切関係がありません。

管理人からのお願い

*投稿者の身元の詮索は止めましょう。ただし、最初に簡単な自己紹介をして下さると、後のトラブル防止になります。
*「工作員」も歓迎します。同時に、特定の人を「工作員」などと議論をする事はしないで下さい。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
 の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。

 原則として、身元がわかるような内容の自己紹介は避けたほうが無難です。

身元をかくすため、多少の作為(年齢を少しごまかす、住まいを変える)は、悪意がない限り、問題とはしません。

どの立場でも、(教団援護派、学ぶ会など)歓迎しますから、それは明らかにしても大丈夫です。

削除について

 投稿した文章を削除して欲しい場合は、削除希望の文章の番号を書いて、同じスレッドに、同じ端末
から「削除要請」と書いて、投稿して下さい。削除要請の文章も削除して欲しい場合は、其の旨も書いて
下さい。削除は、原則として、投稿者本人からの要請があるものに限ります。管理人が気がついたら、削除
しますが、深夜早朝や用事のある時は、気がつくのが遅れる場合があります。ご理解下さい。

 出会い系サイト等のリンク、明らかに目的外の投稿、他団体の宣伝、犯罪を予告する書き込み等以外は、削除はしません。
それ以外で、問題となりうる投稿は、原則として、相談の上で、削除します。

 その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。

管理人「トキ」 敬白

4388a hope:2014/09/25(木) 19:27:37 ID:cEpBaIdo

>>1195の訊け管理人さまのご投稿に榎本恵吾先生の『試論・波状光明化への道』の御文章が紹介されています。

これは、わたしが「大和精神」と「生長の家の愛国運動」の関係について考えているときに訊け管理人さまがご紹介してくださったものです。

実相独在を貫かれた榎本恵吾先生のご意見は、わたしには素晴らし正論であると感じます。


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『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

残念ながら、現在は、「訊けブログで」は、つづきの全文を拝見できないようですが・・・

わたしは、今、生長の家の運動は、正に(一)の「實相現象の二元論」に進んでしまっているように感じています。

榎本恵吾先生は

<<吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。>>

と言い切っていらっしゃいます。

トキさま、訊けさま、ユタカさま、仏心さま、閲覧者のみなさまはどう思われますか?
是非、ご意見をうかがいたいです。

4389トキ:2014/09/25(木) 22:14:34 ID:2zHeYgV6
>>4388

 時間がないので、簡単になりますが、御許し下さい。

『試論・波状光明化への道』は私は詳細に拝見した事はないのですが、
運動に関する限り、問題はあったという印象はあります。少し前にこ
の掲示板の「生長の家政治連合」の最初のほうに書きましたが、組織
が拡大するに従い、信仰は信仰、運動は運動と別に考えるような傾向
はなきにしもあらず、という感想はありました。戦前や戦後の時期に
谷口雅春先生から直接教えを受けた信徒さんの中には、それを嘆く人
は確かにおられました。

 榎本恵吾先生はご自分の事はあまり言われる人ではなかったので、
そういうご文章を書かれていたのは知らなかったのですが、先生ご
自身も青年会をされていて、いろいろと悩まれたと書かれています。

 先生は特に偉大な先達から教えを受けておられたので、より明確に
問題点を指摘されたのではないか、と思います。

 とりとめもない文章になり、すみませんでした。

4390神の子さん:2014/09/27(土) 01:59:05 ID:pBuxGS.6
>>a hopeさん

>>(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。



この文章、間違いでは? 『唯神実相論 』なら 一元論で良いでしょう?
「唯心論」の間違い。とか・・・?

4391a hope:2014/09/27(土) 18:51:14 ID:cEpBaIdo

>>4389 トキさま

お返事ありがとうございます。
そういえば、信仰と運動に関しては、以前もよく話し合われた話題でしたね。

人々は魂の救いを求めて宗教に興味を持つわけですから、
その宗教団体に確実に魂を救えるような教義や体制がないのに、
現象の運動ばかりしていては、人々は違う宗教団体に流れていってしまうでしょうね。

もし、現生長の家教団の運動がうまくいっていないのであれば、
それは宗教としての教義に魅力がなく、迷える人を救える体制がないからなんでしょうね。

4392a hope:2014/09/27(土) 18:54:21 ID:cEpBaIdo

>>43890 神の子さん

ご参加ありがとうございます。合掌。

ご指摘の恵吾先生のご文章ですが、確かにちょっとコトバ足らずのような気もしますね。

わたしは、恵吾先生の(一)の文章を、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎ【現象処理をおろそかにした】為である。
「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
(【 】内はa hopeが付け足しました。)

と、このように解釈しています。

「生長の家」の教義の基本は「唯心論」ではなく「唯神実相論」ですから、
その場所に「唯心論」が入るのはおかしいと思います。

わたしは、このように解釈しましたがいかがでしょうか?

4393トキ:2014/09/27(土) 21:32:20 ID:2bj1uyXc
 榎本先生の言われる事と意味が同じか、どうかはわかりませんが、
”個人指導”を真面目にすると、運動や活動の本当の意味がわかります。

 生長の家に駆け込んで来る人というのは、多くの場合、深刻な問題を
かかえて、どこにも相談に行けない、相談しても解決しない、という
状態なのです。そういう人に対して、真理を御伝えするというのは、
これは、本も読み、行も真面目にし、真剣な態度が必要になります。

 こうゆう地道な事をしていて、救われた、という人が出ると、相手
も本当に喜ぶし、自分も嬉しいし、そこに本当の信仰が見えると思い
ます。

 例えば、講習会で、弁当券と受講券を配って「顔だけ出してくれ」
と頼むのと、外見は似ていても、実際には天と地の差がある訳です。

 この点、「現象は現象として認める」と割り切ると、講習会で数字
をごまかすような話になってしまいます。

 ですから、現場の活動者は、よくよく気をつける必要があると思い
ます。

4394a hope:2014/09/29(月) 10:58:24 ID:cEpBaIdo

「光は暗(やみ)と和解せず」p63

「敵を愛せよ」と仰せられたイエスが、なぜ「サタンよ、退け」といわれて、「サタンを愛せよ」といわなかったのでしょうか。
「敵」というものも、その実相は完全な人間でありますから、「敵を愛せよ」とは、その実相なる完全な人間を見て愛せよという意味において、正しい真理であります。

しかしサタンというものはどうであろうか。
それは精神統一修行中に現れた妄想が客観化したものであります。
妄想というものは「本来ないもの」をあるかのごとく描いたのが妄想でありますから、その客観化であるサタンというものも、結局は存在するかのごとく見えても本来非実在であります。

それで、敵ならその敵の実相を見れば、敵の内性に神の子なる実相を見て愛することができますけれども、
異端、妄説、妄念、妄想は「本来無い説」――虚説でありますから、その実相を見れば、妄想は「本来無い」ということがわかるだけでありますから、
「本来無いもの」(虚説)に和解することは絶対にできないのであります。

光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。


虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

(つづく)

4395a hope:2014/09/29(月) 11:00:17 ID:cEpBaIdo

>>4394 a hope所感)

「虚説」とは現象に現れて見える「悪」や「罪」(もしくは敵)のことではない。
誤った見解、思想、つまり妄想、のことである。

「悪」や「罪」と見える現象の出来事はすべてがわたしたちにとって学びであり、見方を変えればすべて「善」ともなるのだと思います。

ですが、「虚説」は、「ありえない説」「ウソ」なのですから、どんなに見方を変えても、それは「真説」にはならないわけですから、
「虚説」に対しては、わたしたちは毅然と拒絶した態度をとり続けないと、いつの間にか自分自身も「虚説」に惑わされることになり、
迷いに落ち、人生が狂いだすのだと思います。

<<光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。

虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。>>

そして、そういう態度をとることは、決して真理から外れたことではなく、むしろ「救われる人間も多い」とあります。

人類光明化運動を正常化するためには、虚説の否定と、真説の肯定が必須条件なのだとわたしは感じています。

4396a hope:2014/09/30(火) 10:59:04 ID:cEpBaIdo

>>4394 つづき)

わたしにも最近その例がありました。
「生長の家」の某支部をみずから造るべく申し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方がありました。
その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の真説を迷わす機関誌を発行されたのであります。
それとともに聖典『生命の實相』を誌友その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。

わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、
(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、
無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、
その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。
これがわたしの範例であります。

虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。
どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その実相の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。

要は「天地一切のものと和解せよ」との「生長の家」の第一最大の誡命(いましめ)は「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、
仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。
釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。

4397a hope:2014/09/30(火) 11:00:15 ID:cEpBaIdo

>>4396 a hope所感)

<<虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。
どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その実相の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。>>

虚説が現象界に反映されれば仮相(病気・生活苦・人間関係の等の不和等の良からぬ環境)が現れ
真説が現象界に反映されれば実相(健康・順調な生活・良い人間関係等の大調和した環境)が現れるのだと思います。

『本来、信仰とは、信ずれば信ずるほど、心が幸せになり、安心してゆくものですが、
信ずれば信ずるほど、不安になるものを “ 迷信 ” といいます。』

上のお言葉は、光明掲示板で明鏡さまがわたしに教えてくださった真理のお言葉ですが、
その教えが「真説」であるか「虚説」であるかの判断をするのに、この明鏡さまのお言葉ほど的を射ているものはないのではないかと思います。

みなさんは、心が幸せになり、安心できるような「教え」を信仰されていますか?

4398a hope:2014/09/30(火) 11:08:49 ID:cEpBaIdo
>>4397 訂正

人間関係の等の不和等の良からぬ環境→人間関係の不和等の良からぬ環境

4399a hope:2014/09/30(火) 21:54:44 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第28回 web誌友会 予告

期間  10月1日〜10月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p80〜p126まで
内容   第六章「恋愛・結婚・夫婦関係の倫理」 
     第七章「家庭の宗教生活化」
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4400a hope:2014/09/30(火) 22:04:55 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは。

早いもので、 今月も今日が最終日となりました。
a hopeは一生懸命勉強しているつもりなのですが、テキストの真理がとても深いので、なかなか先に進めません(;´∀`)。

今朝、やっと第四章の「和解の倫理」をお勉強し終わって、次は第五章「ロダンの鼻かけ像の倫理」に行く予定でしたが、
この章はページ数は少ないのですが、生長の家の教えが万教帰一であること、現象世界や肉体とは何なのか、
そして「唯物論」や「霊魂論」等の「人生観」とはどういうことなのかが凝縮して説明されていてとても内容が濃いです。

第五章もとても重要なところなので、丁寧にお勉強していきたいのですが、
論理的すぎてweb誌友会のテーマには向いていないような気がするので、
第五章のお勉強は「聖典引用板」の方でゆっくり謹写を中心にさせていただきたいと思います。
ですが、もちろん、みなさまにもコメント等でご参加いただけるととてもうれしいです。


そして、こちらのweb誌友会板では次の第六章「恋愛・結婚・夫婦関係の倫理」 第七章「家庭の宗教生活化」の内容を中心にお勉強を進めたいと思っています。
こちらのテーマの方が誰もが興味あるテーマですし実際的でweb誌友会にはふさわしいのではないかと思われるので・・・。


トキさま、みなさま、そして恋愛・結婚・夫婦生活・家庭問題のエキスパートである訊け管理人さまのご参加も熱望いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、明日10月1日になりましたら、第28回web誌友会を開会させていただきます。

感謝 合掌。

4401a hope:2014/10/01(水) 09:06:40 ID:cEpBaIdo

10月に入りましたので、第28回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4402トキ:2014/10/01(水) 09:38:00 ID:iCx2Lxm6
 今回もよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

4403a hope:2014/10/01(水) 09:42:57 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第28回 web誌友会 案内

期間  10月1日〜10月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p80〜p126まで
内容   第六章 恋愛・結婚。夫婦生活の倫理
     第七章 家庭の宗教宗教生活化
     第八章 無軌道の倫理
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま おはようございます。
ここのところweb誌友会の内容が「悔い改め」であったり、「和解の倫理」であったりして、
とても大切な真理だと思うのですが、
わたしたちが実際に生活で活かしていくという面からみると、ちょっと難しい内容だったかもしれません。

ですが、今回の内容第六章、第七章、第八章は、真理をどう実生活に生かしていけるかが具体的に書かれているので、とてもわかりやすいです。

第六章のテーマは「恋愛・結婚・夫婦生活の倫理」です。

まずは、「恋愛」です。

<<「生長の家」の倫理学では恋愛は一つの感情の芸術である。>>p80 6行目〜

わたしは、気功をしていた時に、「恋はエネルギー」だと教わり納得しましたが、
なんと、「生長の家」倫理学では、「恋愛は感情芸術」だと言っていますね。

興味津々です・・・(#^^#)

4404トキ:2014/10/01(水) 22:03:35 ID:iCx2Lxm6
 生命の実相第14巻の81pには、永井荷風の事が書かれています。この永井荷風は
フランスから帰国後、いろいろな女性と浮き名を流しました。その中の一人は、陸軍将校
の奥さんで、その陸軍将校は妻の不倫を知り、衝撃のあまり自殺を考えます。が、同僚の
説得で離婚をし、その後、再婚します。

 この陸軍将校は、本間 雅晴。最初の妻は、参謀次長をつとめた田村怡与造中将の娘で
したが、次の奥さんは、冨士子さんです。

 本間は後年、戦争裁判で米国に処刑されますが、証言台に立った冨士子さんは、
以下のような証言をしたのは有名です。

「私は東京からここへ参りました。
私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。
私には娘がひとりおります。
いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり会い、
結婚することを、心から願っております。

本間雅晴とはそのような人でございます。」(以下省略)

http://www.tamanegiya.com/honnmafujinn.html

という話を思いだしました。

脱線を御許し下さい。

4405a hope:2014/10/02(木) 00:33:08 ID:cEpBaIdo

>>4404トキさま

永井荷風に関する興味深いお話をお聞かせくださりありがとうございます。

最近はテレビドラマなどで「不倫や離婚の話」などがあたりまえのように放映されています。
そして、新聞の人生相談なんかでも、安易に離婚を勧めてしまうような回答が多いのには驚いています。

だから、わたしの身近な人たちでも平気で不倫をしてしまったり、すぐに離婚してしまったり、
そんなことがあたりまえのようになってしまっているような現実があります。。

こんな世の中になってしまうと、何が道徳的に正しいことなのかもわからなくなってしまいそうです。

そんな中で、富士子さんのように、最後の最後まで夫を尊敬し愛し続けることができるというのは、
現代では奇蹟に近いことなのかもしれませんね。

きっと良人である本間 雅晴も、心からに奥さまである富士子さんを心から愛されていたのでしょうね。

4406a hope:2014/10/02(木) 00:43:04 ID:cEpBaIdo
>>4405 訂正
心からに奥さまである富士子さんを → 奥さまである富士子さんを

4408 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:11:58 ID:zTvAOV2w
●ある日至道無難禅師が懇意な商家にいくと、折節その家が大がかりな掃除中で、ちらかしてあり、空いている一間に主人と話していました。
そこに別の商家の使いが来て、紙に包んだ金を渡して帰りました。
長らく話をして、禅師が去った後、主人は金のことを思い出して、懐や、たもとなど探したが見つかりません。しかたなく禅師の元へ行き、もし何かの間違いで持ち帰られた
のではないか、と訊ねると、禅師はそれだけの金を取り出して主人に与えました。

数日後に主人は、例の一間の鴨居の塵を払っていると、紙包みの金が落ちて来ました。主人は驚き、禅師のところへ走り、金を返して詫びると、禅師は何事もなかったように、
それは思い違いをなさったのでしょうと、無心にその金を受け取ったのでした。

●悪口を浴びて村中を「もらい乳」
白隠さんが駿河の原宿(現在の静岡県沼津市原)の松蔭寺に住職してからの話

あるとき、村の娘が父なし子を産みました。
娘の父親は、だれの子かと問い詰めましたが、娘は頑として相手の男の名は口にいたしません。
しかし、とうとう耐えきれずに、白隠さんの子だとウソをついてしまいました。
父親が日ごろから敬愛している白隠さんの子であれば、許してもらえるだろうという娘の浅知恵でした。もちろん白隠さんは、身に覚えのないことです。
娘の父親は松蔭寺に駆けこむや、「この生グサ坊主!よくも娘をキズものにしてくれたな。さあお前の子だ、受けとれ」と怒鳴りながら、赤ん訪を突き出しました。
白隠さんは何の言い訳もせず、「ああ、そうか」と赤子を受けとりました。
この日は飴湯や米の粉をといて与え、翌日からは村中を「もらい乳」して歩き回りました。
それまで、高僧・傑僧として尊敬されている白隠さん、一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、弟子たちはもちろん信者も離れていきました。
それにもかかわらず悠然ともらい乳して歩き、赤子を親身になって育てる白隠さんの姿に、当の娘のほうがこらえきれなくなり、ついに父親に本当のことを白状しました。
驚いた父親は、さっそく白隠さんに非礼をわび、赤子を返してほしいと恐るおそる申し出ましたこのときも白隠さんは「ああ、そうか」と、泰然として赤子を返したといいます。

●一人の乞食坊主が、村人に取っ捕まり、砂浜に首まで埋められました。
浜の塩焼き小屋に放火して、燃やした罪を被せての私刑(死刑)でした。
だんだんと、潮が満ちてきて、乞食坊主の目前に迫ってきます。
そのまま、潮に呑まれ海水をイヤと言うほど呑まされ、水死するのは、もう秒読みに入っていました。
そこで死んだとしても、不埒な乞食坊主が塩焼き小屋に放火して燃やし、その罪で、殺されたというだけで、誰にも知られず、誰の記憶にも残らず、歴史にも残らず、ましてや、
その乞食坊主の名を冠した宗教も興らなかったでしょう。
・・・たまたまそこを通りかかったヒトが、乞食坊主を、助けました。
事情を聞いてみますと村の人に、塩焼き小屋に放火した罪を被せられた、と言います。
・・・そうなのか?と問い詰めると、・・・違う、と乞食坊主答えました。
・・・違うなら、何故、違うと、否定しなかったんだ? というと
、・・・だって、そう相手が思っているのだから、仕様がない・・・
と、その乞食坊主、答えて、何事もなかったかの様に、何処かに歩き去った、というハナシが、伝わって居ります。

その乞食坊主の名は、良寛禅師。

この三人の禅僧の話と>>4396の雅春先生の話と、どちらに感動しますか?

4409 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

>>4396
わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、
(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、
無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、
その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。
これがわたしの範例であります。

この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、その説くところへの反駁は許されるけれども、
トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に
対する非難は許されないということになりませんか?

4410トキ:2014/10/02(木) 22:37:34 ID:gp2X4kJ6
 少し余談ですが、永井荷風には養子がいて、その養子が回顧録を書いています。
それを読むと、永井荷風はすごくワガママで、偏屈で、親族からは持て余しものだ
ったみたいです。文化勲章を受けた人ですが、人間的にはスゴく周囲には嫌われた
人という印象があります。最後はいわゆる孤独死を遂げています。

 本人は好きな事をして満足だったかもしれませんが、ワガママばかりを言って
いるので、友人も親族も離れて行ったみたいです。晩年になるとかなりの孤独
になり、大金をもってストリップ小屋に通い、踊り子に「先生、先生」と言われ
て悦に入っていたみたいです。言い方は悪いですが、お金の力で寂しさをまぎら
わせていたみたいで、寂しい人生だったと感じます。

 名もなく、誠実に生きる人のほうが、ずっと美しいと感じます。

閑話休題。

4411a hope:2014/10/02(木) 23:45:51 ID:cEpBaIdo

>>4408 仏心さま

web誌友会ご参加ありがとうございます。

えーっと、すでに話題は、恋愛・結婚・夫婦生活に移行していたのですが・・・
今回の仏心さまご投稿内容は、前回のテーマ「和解の倫理」についてですね。


ご紹介の3つのお話はどれも、無実の罪を着せられた僧侶たちが、
一言も言い訳をせず成すがままに罰をうけるというお話ですね。

ですがどのお話も結果的には無実が証明がされています。

三人の僧侶が無実の罪を着せられたことに関しては、何かの自壊作用だったのかもしれませんが、
その後、無実が証明されるという良い結果となったのは、その三人の僧侶が怒りや憎しみ等の悪い感情を起さず、
心穏やかに善処したからだと思います。

お三方とも偉大な僧侶ですから、きっと三界唯心所現の真理を体得されていたのでしょうね。

ですが、どうしてそれらの僧侶の伝説と、聖典の真理のお話を比較しなければいけないのでしょう?
仏心さまは、「生長の家の教え」が本当にお嫌いなのですね。

4412a hope:2014/10/02(木) 23:47:16 ID:cEpBaIdo

>>4409 仏心さま

<<この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、その説くところへの反駁は許されるけれども、
トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に
対する非難は許されないということになりませんか? >>


これは「許す」とか「許されない」とかの問題ではなくて、自分自身の信仰の問題だと思います。
仮にも「生長の家」の人間神の子の教えを信仰している人間が、
「生長の家」総裁である谷口雅宣先生や純子先生の実相を観ることをせず、
人格批判をばかりしていればそれはとてもおかしなことだと思います。
ですから、わたしは今までもその件に関しては何度も訴えてきたつもりです。

ですが、お二人を「生長の家」総裁・副総裁として見たとき、お二人は社会的に大きな影響を与える公人なわけですから、
もし、そのお立場にふさわしくない行動をされたりすれば、公人として世間から批判されてしまうのは避けられないと思います。

実際にその行動の結果、「生長の家」のイメージを悪くしたり、信徒を激減させたりするような悪影響を教団に与えてしまうようなことがあれば、
それは現象処理としてして責任をとっていただくのは当然のことなのかもしれませんね。

4413a hope:2014/10/03(金) 00:06:42 ID:cEpBaIdo

>>4410 トキさま

<<名もなく、誠実に生きる人のほうが、ずっと美しいと感じます。>>

「野の百合の生きる道」を思い出しました。

わたしも大生命から与えられわたしの「使命」に誠実に生きていきたいと思います。

それではみなさま おやすみなさい。

4414トキ:2014/10/03(金) 20:32:02 ID:TNtMbJN.
 少し本題から外れますが・・・・。

 生命の実相第14巻の94pには、谷口雅春先生が、有名な某僧侶さんの聖典講義をラジオで
聞いた話が書かれています。

”その僧侶のいわれるには「本当の自分というものがこんなに醜く穢れた自分であるということ
を悟るのが宗教である」と声を激していわれたのにはわたしは思わずラジオのスイッチを切って
しまったのでありました。”

 谷口雅春先生は、この14巻では、人間の実相を見る事の大事さ、素晴らしさを説かれています
が、間違った考えを持った人の意見をおとなしく拝聴しろとは書かれていません。

 信仰とは理論理屈に終始するものではななく、実際の生活に生きてこその信仰だと思います。
 人生は短く、多忙な現代人には使える時間は限られます。

間違った意見を大人しく聞くのは時間の無駄だと感じます。

4415 不生の仏心:2014/10/03(金) 23:47:36 ID:zTvAOV2w
実際生活に生かすことが出来ず、理論理屈で組織に胡坐をかいた多くの先達がいたから、今の生長の家が出来たのでしょう。
個人指導をしっかりし個人の幸福を持ちきたす、そんなことをしていながら、あなたの教区を見るも哀れなものにしか出来なかったのではないですか。

素晴らしい真理を生きてきたというのであれば、貴女が嫌う今の結果は出て来るはずはないでしょう。

4416神の子さん:2014/10/04(土) 00:30:41 ID:???
組織の活動に助けられて講習会や本を売ってきた

お ま え さん に

100人中99人は

ふざけるな!!と怒りを覚えている事でしょう。

4417トンチンカン:2014/10/04(土) 13:06:56 ID:JWwiWw8o
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』、、と、「認識」して
いながらも、<自己弁護>に余念の無いマサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



<新、本流復活掲示板>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何としてでも自己弁護を貫いて逃げたいマサノブ君、哀れ・・・ (5289)
日時:2014年10月04日 (土) 09時53分
名前:怒れる信徒 代表


一昨日(2日)の夜、腹立ちと苛(イラ)立ちを隠せぬマサノブ君はパソコンに向かって、
次ぎのような投稿文を打ち込み掲載したのであります。最初にお断り申しあげておきます
が、投稿者、この「不生の仏心」なる人物は、紛れもなくマサノブ君本人か、彼の意を汲
む影武者である事は間違いありません。その理由は、完全な屁理屈の自己弁護の弁であり、
こんな内容の文章は、マサノブ君本人か、その意を受けた影武者君でしか書けません。教
団内の一般信徒や教団を去った元・信徒は誰も書ける者ではないからであります。先ず、
マサノブ君(=「不生の仏心」)の投稿文を転載いたします。


//////////////////////////////////////////////////


「トキ掲示板」<WEB誌友会>
4409 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

>>4396
<< わたしにも最近その例がありました。「生長の家」の某支部をみずから造るべく申
し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方があり
ました。その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の
真説を迷わす機関誌を発行されたのであります。それとともに聖典『生命の實相』を誌友
その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。
わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃
したのでありますが、(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)そ
の人が消費された公金に対しては少しも咎めず、無条件にその金額を進呈して決して請求
しませぬという深切な手紙を書いて、その人の実相――決して公金を費消せぬような完全
なその人の実相を見ることにしたのであります。これがわたしの範例であります。>>(「生
命の骨相」第14巻64頁)


この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、
その説くところへの反駁は許されるけれども、トンチンカンさんがよく言われること、本
流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』
等の個人の生き方に対する非難は許されないということになりませんか?


///////////////////////////////////////////////////

< 感 想 >


① マサノブ君は、インターネットの拡散情報効果で、次第に自分の親不幸ぶり、ジキル
とハイドとも言うべき宗教家らしからぬ二重人格ぶりが、かなりの数の信徒に知れ渡って
しまったのであります。マサノブ君の「言行不一致」振りに愛想をつかして信徒の脱落現
象が進み、教勢は顕著な衰退を来たしているのであります。


② マサノブ君は、今や、宗教家としての反論不可能な「言行不一致」の実態と、左翼唯
物現象論に基づくスキだらけの屁理屈論を徹底的に「本流掲示板」によって追及されてい
る状態であります。完璧な理論体系を持つ開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」には
全く歯が立たないのであります。大閑人でパソコン大好き人間のマサノブ君は「枯れ松模
様」にも書きたくてウズウズしているが書けない。辛抱しきれずタマに書けば待ってまし
たといわんばかりに、開祖・谷口雅春先生の『御教え』をシッカリと理解している元本部
講師先生がたを筆頭に「本流」の論客からメッタ切りにされ、特に異才「トンチンカン」
氏の徹底的肩すかし・ハタキコミ論法には御手上げの状態であり、枯れ松林の中で“きの
こ狩り”をして積もるウップンを晴らすのが関の山・・・


③ しかし、どうしても反論だけは何とかして書いておきたい。そうでなければ“総裁”
の沽券に拘わると思ってか、マサノブ君は一作日(2日)上記のような反撃に出たのであ
ります。その屁理屈論法は、『生命の實相』の内容を逆利用して、明らかな神性隠蔽状態
にあるマサノブという現象人間の自己弁護、それも読むに耐えない最低レベルの自己弁護
論を展開したのであります。

4418トンチンカン:2014/10/04(土) 13:07:29 ID:JWwiWw8o

(つづき)

④ 真理の逆利用――<親兄弟に人間らしからぬ行動をなしている>自分(現象マサノブ)
は本来ないのだから、その現象マサノブへの批難は成り立たない(マチガイである)。本
来ないものへの批難は何の効き目もない。徒労だけだ。だから、本来なき現象・マサノブ
に対する批難は一切為さずに、神の子としての完全な自分(實相マサノブ)を見なさい!、
と説教しながら、マサノブ君自体は、神性隠蔽されている本来なきニセ・マサノブをいつ
までも実在化して行動しているのであります。この矛盾・・・


⑤ 「實相・マサノブ」を観よ!というならば、先ず、そのように言った本人が現在の自
分の言動が、「神の子人間」=實相マサノブに100%相応しい言動を為しているであろ
うか?と自己反省するのが第一であります。しかしマサノブ君はこの實相の「神の子人間」
に照らしての「自己反省」が出来ないのであります。だから、マサノブ君は、真理に照ら
しての間違った言動をどこまでも押し通すのであります。その間違った言動があくまでも
正しいと判断しているのであります。まことに悲しい現象・マサノブ君のすがたでありま
す。なぜ斯くも悲しい「現象・マサノブ君」の姿が現れているのか?それは、「實相・マ
サノブ君」を覆う「神性隠蔽」の遮蔽幕が何重にも厚く、想像以上に厚く巻かれていて、
その「神性隠蔽」の遮蔽幕の奥にある「神の子」の自覚(火種)が酸欠状態・窒息状態に
あるといえるのであります。


⑥ この様な余りにも厚い「神性隠蔽」の現象に対しては、完全円満な「神の子人間」で
ある實相マサノブ君を静かに直視諦観するのでありますが、人時所に応じての対処法によ
って、その「神性隠蔽」を気づかせてあげる行動も必要なのであります。マサノブ君の極
めて部厚い、想像以上に部厚い「神性隠蔽」は、「生長の家総裁」と言う地位にあるため、
マサノブ君以外からの、特に特別な目的を持った霊界の存在からの強力な力で更に、更に
“補強”されていると言う事が十分に考えられるのであります、(類友親和の法則)。故
にマサノブ君の場合にはその「神性隠蔽」を気づかせてあげ、少しでも早く「實相・マサ
ノブ君」の顕現のための直接行動が必要でありまして、これがマサノブ君に対する“忠告
”であります。マサノブ君は“批難”と受け取っておりますが、素直にわれわれ「本流」
信徒からの“忠告”と受け取って頂かねばならないのです。そのように“忠告”と受け取
るのが宗教家の採るべき態度であります。


⑦ 『生命の實相』第13巻倫理篇上巻125〜128頁には次のように書かれているの
であります。即ち、――

<< 第一の神性隠蔽(罪)としては「神我一体」の實相を包んで見ざること、第二の神
性隠蔽としては「自他一体」の實相を隠して見ざること、第三の隠蔽としては「隠蔽(つ
み)の隠蔽(いんぺい)」として自己弁解すること、第四の隠蔽としては外界が自心の展
開なる事実を観ず悟らず、外界を以って自分に対立するところの有限の世界として観じ、
自心の整理を先にせず、物に執し、ものを奪い合わんがために、兄弟と相争い、――ここ
にこれら四つの根本的神性隠蔽が相寄り相混じて、種々なる罪を構成するに到るのである。
そして、最後は「肉体我」の驕慢の極致に至り、「エデンの楽園」を追放されるに到る・
・・>>

上記の『生命の實相』からの文章は、余りにもそのまま、マサノブ君にあてはまり、マサ
ノブ君の自己反省ために書かれた文章か?と見間違えるほどであります。マサノブ君は今
回、「不生の仏心」なる名前で「本流」からの“忠告”を“批難”として受けとって大反
論をした積もりでしょうが、実はマサノブ君自体がこの様な真理を逆利用した自己弁護を
なすことによって、マサノブ君自身が“驕慢”の極致に至っていることを全世界の全信徒
に完全にさらけ出したのであります。それにしても、教団最高位に位置する総裁が、名も
なき末端信徒から“忠告”されるに至ったことはまことに情けない現在の「生長の家」教
団の実態であり・・・、まことに残念極まりなきものであります。


⑧ 最後に申します。マサノブ君は、「個人の生き方に対する非難は許されない」と書い
ておりますが、これも屁理屈的自己弁護・自己正当化であります。これに対しては「トキ
掲示板」で、a hopeさんが的確な回答をマサノブ君に呈しておられましたので、転載させ
ていただきます。「不生の仏心=マサノブ」君!シッカリと読みたまえ!

4419トンチンカン:2014/10/04(土) 13:08:26 ID:JWwiWw8o

(つづき)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4412

「トキ掲示板」Web誌友会 板/2
4412 :a hope:2014/10/02(木) 23:47:16 ID:cEpBaIdo

>>4409 仏心さま
<<この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしまし
ても、その説くところへの反駁は許されるけれども、トンチンカンさんがよく言われるこ
と、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いを
する』等の個人の生き方に対する非難は許されないということになりませんか? >>

これは「許す」とか「許されない」とかの問題ではなくて、自分自身の信仰の問題だと思
います。仮にも「生長の家」の人間神の子の教えを信仰している人間が、「生長の家」総
裁である谷口雅宣先生や純子先生の実相を観ることをせず、人格批判をばかりしていれば
それはとてもおかしなことだと思います。ですから、わたしは今までもその件に関しては
何度も訴えてきたつもりです。ですが、お二人を「生長の家」総裁・副総裁として見たと
き、お二人は社会的に大きな影響を与える公人なわけですから、もし、そのお立場にふさ
わしくない行動をされたりすれば、公人として世間から批判されてしまうのは避けられな
いと思います。実際にその行動の結果、「生長の家」のイメージを悪くしたり、信徒を激
減させたりするような悪影響を教団に与えてしまうようなことがあれば、それは現象処理
としてして責任をとっていただくのは当然のことなのかもしれませんね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4420トンチンカン:2014/10/04(土) 13:33:15 ID:JWwiWw8o

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ご自分の「所業」を、他人になすりつけてはダメですよ、、マサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・マサノブ爺さん自身が「実際生活に生かすことが出来ず」に、『生長の家を私物化して
 おり、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』のですよね・・・ <言行不一致>


・「理論理屈で組織に胡坐をかいている人」、、こそが、マサノブ爺さんでしょ・・・
 <詭弁、屁理屈、ゴマカシ>は、マサノブ爺さんの専売特許!!


・「個人指導」、、なんて、マサノブ爺さんに出来るのですか・・・


・「今の教団」を、「見るも哀れなものにしか出来なかった」のは、マサノブ爺さんご自
 身ではないのですか・・・ (戦々恐々、疑心暗鬼の渦巻く教団内部)






(参考)
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4415 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/10/03(金) 23:47:36 ID:zTvAOV2w

実際生活に生かすことが出来ず、理論理屈で組織に胡坐をかいた多くの先達がいたから、
今の生長の家が出来たのでしょう。
個人指導をしっかりし個人の幸福を持ちきたす、そんなことをしていながら、あなたの教
区を見るも哀れなものにしか出来なかったのではないですか。

素晴らしい真理を生きてきたというのであれば、貴女が嫌う今の結果は出て来るはずはな
いでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4421a hope:2014/10/04(土) 20:25:55 ID:cEpBaIdo

>>4416神の子さん
>>4417~トンチンカンさま

web誌友会ご参加ありがとうございます。

仏心さまが、このweb誌友会に時々ご参加くださり、わたしにたくさんのご公案をくださっています。
その内容を拝見していると、正直わたし自身も、仏心さまが雅宣先生や本部の意見の代弁者のような印象を持ってしまうことが時々あります。

ですが、掲示板上の最低限のマナーとして、そのような「決めつけ発言」、
もしくはそういう「決めつけ発言」のあるご文章の他の掲示板からの転載はご遠慮お願いいたします。

仏心さまからのたくさんのご公案は、わたしにとってとてもお勉強になっていますし、
わたしたちに現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを与えてくださっていると思うのです。
だから、わたしは仏心さまのご登場にはいつも心から感謝しています。

どうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

4422トンチンカン:2014/10/05(日) 10:08:40 ID:JWwiWw8o

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「生長の家の教え」が本当にお嫌いな、「雅宣先生や本部の意見の代弁者のような印象」
の人、、、 現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを得られる・・?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・「生長の家の教え」が本当にお嫌い、、なら、「生長の家」を辞めて出て行けばイイので
 すよね・・


・「生長の家の教え」が本当にお嫌いな人、、が、「生長の家」の上層部の人の様なのです
 よね・・


・このような人の、「詭弁」や「屁理屈」を聞いて、現在の「生長の家」の問題解決策を
 考察するきっかけを得られると、本当に思っているのですか???


・いままでに、具体的に「どのような問題解決策」が得られたのでしょうか・・


・「哲学もどき」の問答で、時間稼ぎをしているだけのようにしか思えないのですが・・





(参考)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4411 :a hope:2014/10/02(木) 23:45:51 ID:cEpBaIdo

ですが、どうしてそれらの僧侶の伝説と、聖典の真理のお話を比較しなければいけないの
でしょう?
仏心さまは、「生長の家の教え」が本当にお嫌いなのですね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4421 :a hope:2014/10/04(土) 20:25:55 ID:cEpBaIdo

仏心さまが、このweb誌友会に時々ご参加くださり、わたしにたくさんのご公案をくだ
さっています。
その内容を拝見していると、正直わたし自身も、仏心さまが雅宣先生や本部の意見の代弁
者のような印象を持ってしまうことが時々あります。


仏心さまからのたくさんのご公案は、わたしにとってとてもお勉強になっていますし、
わたしたちに現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを与えてくださってい
ると思うのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4423神の子さん:2014/10/05(日) 10:15:02 ID:pBuxGS.6
流れ、無視で失礼します。


>>)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎ【現象処理をおろそかにした】為である。
>>「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
>>(【 】内はa hopeが付け足しました。)
>>と、このように解釈しています。
>>「生長の家」の教義の基本は「唯心論」ではなく「唯神実相論」ですから、その場所に「唯心論」が入るのはおかしいと思います。


唯神実相論に傾き過ぎは いけないっということかぁ・・ふ〜ん 難しいですね。
「常に唯神実相論を、実相独在を念頭に置いて生きよ。」 って言いそうな先生のような気がしてましたので・・

でも、まぁおっしゃってる意味(ニュアンス)はわかりますよ。
わざわざ返事くださって有難うございました。

4424神の子さん:2014/10/05(日) 10:16:25 ID:pBuxGS.6
上の4423のコメントは、a hope様宛て でした。

4425a hope:2014/10/05(日) 11:49:18 ID:cEpBaIdo

14巻 p81 4行目〜

恋愛芸術においても※セルフ・コントロールということが必要であります。
セルフ・コントロールということに欠ける恋愛は頽廃感情の芸術でありまして、
かつて明治文学時代に永井荷風が『牡丹の客』その他に描いたような※頽廃美の恋愛は、
人が恋愛をコントロールしてゆくのではなく、恋愛が人をコントロールしていっているのであります。

生命ある恋愛と、頽廃せる恋愛との区別は。前者がどこまでも晴々しく生活向上の道を進んで行くのに反して、
後者がなんとなく、生活頽廃に導いてゆくことであります。
頽廃感情をともなう恋愛は、それ自身がセルフ・コントロールを失っている証拠であります。
二人が相逢えば人生を進軍する勇気が生まれてくるような恋愛が本当に正しい恋愛であります。
神がプロトンを中心に隠電子をその周辺に旋回せしめて、宇宙を生みだされた恋愛は豪壮無比な創造の恋愛であります。


(頭注より)
※セルフ・コントロール(self-control) … 自己制御
※頽廃美 … くずれ荒れている中にある美

4426a hope:2014/10/05(日) 11:59:50 ID:cEpBaIdo

>>4425 a hope 所感)

トキさまのお話にもありましたが、永井荷風は小説を書くためなのか、
それともそれが彼の持って生まれた性質のためだったのか、
実生活でもそうとう自由に女性とお付き合いをしていたのですね。

ですが、正しい恋愛とは、

<<二人が相逢えば人生を進軍する勇気が生まれてくるような恋愛が本当に正しい恋愛であります。>>

みなさんは、そのような恋愛をされましたか?

わたしは、主人と出会ったときにそんな感じがしました。
そしてそのような正しい恋愛の先に、幸福な結婚・夫婦生活がまっているのですね。


<<神がプロトンを中心に隠電子をその周辺に旋回せしめて、
宇宙を生みだされた恋愛は豪壮無比な創造の恋愛であったのです。>>

この部分の表現には驚きました。
なんということでしょう、神さまは恋愛感情で宇宙を生み出されたというのでしょうか・・・。

絶対世界におられる神さまが一体何に恋愛されて、この宇宙が生み出されたというのでしょう。

まあ、『豪壮無比な創造の恋愛』ですから、わたしたちには想像もできないようなすごい恋愛なんでしょうね!

4427a hope:2014/10/05(日) 12:36:33 ID:cEpBaIdo

>>4422 トンチンカンさま

――――――――――――――――――――――

・「生長の家の教え」が本当にお嫌い、、なら、「生長の家」を辞めて出て行けばイイので
 すよね・・


・「生長の家の教え」が本当にお嫌いな人、、が、「生長の家」の上層部の人の様なのです
 よね・・


・このような人の、「詭弁」や「屁理屈」を聞いて、現在の「生長の家」の問題解決策を
 考察するきっかけを得られると、本当に思っているのですか???


・いままでに、具体的に「どのような問題解決策」が得られたのでしょうか・・


・「哲学もどき」の問答で、時間稼ぎをしているだけのようにしか思えないのですが・・

――――――――――――――――――――――――


それでは、トンチンカンさまに伺います。

仏心さまを雅宣先生だと決めつけて、そのご発言に対して批判を繰り返していれば、
雅宣先生や上層部の方々が素直に「生長の家」を辞めて出ていかれるのでしょうか?


わたしは何故、仏心さまがそんなにも「生長の家」の教えがお嫌いなのか知ることで、
生長の家の問題解決への糸口が見つかるような気がしているのです。

4428a hope:2014/10/05(日) 12:51:57 ID:cEpBaIdo

>>4423 神の子さん

<<唯神実相論に傾き過ぎは いけないっということかぁ・・ふ〜ん 難しいですね。
「常に唯神実相論を、実相独在を念頭に置いて生きよ。」 って言いそうな先生のような気がしてましたので・・>>

とのことですが、もう一度、↓の恵吾先生の文章をよく読んでみてくださいね。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

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(一) の方は榎本恵吾先生のご・主・張・で・は・な・い・のでです。

恵吾先生のご主張は、あくまも(二)であり、唯神実相、実相一元に徹し、貫かなければならない、とおっしゃっていますよね。

4429トンチンカン:2014/10/05(日) 16:55:22 ID:JWwiWw8o

>>4427

マサノブ爺さんは、どちらの立場で対応しようと 「現在の総裁の座」 に居座るでありましょうから、
マサノブ爺さんが、「総裁という<公人>としての立場」にアル限り、言い続けます!!

「総裁」の座を辞任した時には、一切何も言いませんよ・・・

4430a hope:2014/10/05(日) 19:02:35 ID:cEpBaIdo

>>4429 トンチンカンさま

わたしがお願いしているのは、仏心さまのご発言を雅宣先生やその代弁者の発言であると決めつけないでくださいということなのですが・・・

雅宣先生をご批判するのがトンチンカンさまのご使命であるのなら、そうされたらいいと思いますが、
ハッキリとした根拠も無いものを憶測だけで「決めつけ」して批判するというのは、人としてどんなものでしょうか?

わたしは、一応このweb誌友会板で司会をさせていただいているので、今回、神の子さんとトンチンカンさまに、
そのような書き込みと、転載をすることをご遠慮くださるようにお願いさせていただきました。

トンチンカンさまが、これからもこのweb誌友会板に、仏心さまや雅宣先生を同一視するような書き込みをされるというのであれば、
わたしの力不足ですので、トキさまに相談させていただいて司会を辞退させていただきます。

4431トンチンカン:2014/10/05(日) 20:15:58 ID:JWwiWw8o

>>4430


a hope さん、誤解しないで下さい。


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4409 : 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、
その説くところへの反駁は許されるけれども、

トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化してい
る、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に対する非難は許されないと
いうことになりませんか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・「不生の仏心」のHNにての書き込みに、「トンチンカンさんがよく言われること、、、」
 とありましたので、それに関するモノを回答したまでなのです・・・


・「Web誌友会 板/2」への書き込みは、トンチンカンとしては極力避けていたのです。


・今後も避ける積もりですが・・・



・ついでに、「仏心さまのご発言を雅宣先生やその代弁者の発言であると決めつけないで
 くださいということなのですが・・」、、、とのことですが・・


・普通一般の信徒ならば、「生長の家」が嫌いになれば、静かに去っていくものですよ。


・それが、「不生の仏心」のHNにての御仁は、堂々と「生長の家批判」、いやいや「雅
 春先生の説かれた<御教え>批判」をしているのです。
 

・「不生の仏心」とは一体どなたなのでしょうか??


・本部講師であっても、「このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、
 内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」
 を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、
 ご了承ください」、、なんて述べているのです・・


・「不生の仏心」=「マサノブ爺さん」、、、としか考えられないではありませんか・・・

4432トキ:2014/10/05(日) 20:56:27 ID:HZOhNCGA
>>4431

 うーん、この掲示板では、身元の詮索は野暮、という取り決めに成っています。
少なくても、このweb誌友会では、ご遠慮いただければ嬉しく思います。

 勝手なお願いですが、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4433トンチンカン:2014/10/05(日) 21:01:13 ID:JWwiWw8o

>>4431 追記

・「不生の仏心」=「曳馬野」、、、 ご自分でそのように発言しておりますよ・・


・過去の「曳馬野」爺さんのコトバも判断すれば、益々マサノブ爺さんだと・・・



(参考)
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6651 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/09/27(土) 15:39:51 ID:zTvAOV2w

困るなー先生 曳馬野君って書くと馬と鹿の親戚っていう人いるんで

不生の仏心と変えたのに、今31周目 トンチンカン女史は何週目
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4434トンチンカン:2014/10/05(日) 21:06:44 ID:JWwiWw8o

>>4432

出来るだけ、「Web誌友会 板/2」への書き込みは避けるようにいたします・・・

4435a hope:2014/10/06(月) 14:58:53 ID:cEpBaIdo

p83 4行目〜

人生から恋愛のみを遊離して楽しむだけならば必ずしも家庭生活というものは必要ではありません。
発情期の野犬のように一つの恋から他の恋へと渉りあるくだけでも、それは差し支えないといえるでしょう。

しかし、それでは人間生活の他の要素との関係上、忌むべき雑音、忌むべき波長を伴うことになるのであります。
嫉妬、闘争、その他の乱れた雑音がせっかくの美しい恋愛という美しい感情芸術の中に交じってくるのであります。
また生まれた子供の保育教養ということにも多大の道徳的破綻を伴うのであります。

そういう忌むべき乱れた雑音を避けつつ、人間生活のもっと深い大地に根を下ろしつつ、
恋愛を大きく育ててゆくのが結婚であります。
「結婚は恋愛の墳墓(ふんぼ)」ではなくして、恋愛という切り花を大地に植えて
健全な根を下ろさしめるということであります。

切り花はいくら美しくても実を結ばない。
それが家庭という大地へ根を下ろしたとき初めて実を結ぶことができるのです。
結婚生活は恋愛を人生の大地へ根を下ろさしめるということになるのであります。

4436a hope:2014/10/06(月) 15:02:26 ID:cEpBaIdo

>>4435 a hope所感)

「結婚は人生の墓場」という言葉はよく聞きますが、ここでは「結婚は恋愛の墳墓(ふんぼ)」と表現されていてますが、
似たような意味だと思います。

ですが、近年ではその墓場から生きかえって、新たな人生を歩む人たちが非常に多いです。

そして、聖典には

<<また生まれた子供の保育教養ということにも多大の道徳的破綻を伴うのであります。>>

ともありますが、現代の日本の社会状態では、親が離婚しても「子供の保育教養に多大な道徳的破綻を伴う」
のかどうかはというのもよくわからなくなってきました。

今の小学校では、の三分の一くらいが片親家庭だったりするクラスも少なくないのではないでしょうか?

アメリカやヨーロッパなどではかなり昔からそのような状態であったとは思いますが、
今は日本でもそのようなことが当たり前になってしまっています。


わたしはこの「第六章 恋愛・結婚・夫婦生活の倫理」を拝読していて感じるのですが、
恋愛にしても結婚にしても、夫婦生活にしてもこの聖典に書かれているような理想通りに行かないのが現状だと思います。

それは、現代だからという訳ではなくて、いつの時代のどこの国であっても問題が表面化するかしないかの違いはあっても、
聖典に述べられているような理想通りにはいかないという現状はある(あった)と思います。


ですが、「生長の家の教え」を学び、「三界唯心所現」や「人間神の子」の真理を悟ることで、
ここの書かれているような理想の恋愛・結婚・夫婦生活が可能になるのだと思います。

(つづく)

4437a hope:2014/10/06(月) 15:17:33 ID:cEpBaIdo
>>4436つづき)

さらに、p86 後から1行目〜 には、

<<よき家庭は社会国家のよき単位となるのです。
よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しないのであります。
ですからわれらはできるだけよき家庭を創造(つく)るように努力しなければならないのであります。
では、よき家庭とはどうしたら出現するのでありましょうか。>>

と述べられていて、『よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しないのであります。』とあります。

わたしはこの文章を拝読すると生長の家の「日本国実相顕現運動」の基本とは、
まさにこのよき家庭を出現させることなのではないかと感じてしまいますが、
みなさんはどう思われますか?

それとも他になにかあるのでしょうか?

4438a hope:2014/10/06(月) 15:26:44 ID:cEpBaIdo
>>4437訂正

さらに、p86 後から1行目〜 には、→ さらに、p84 後から1行目〜 には、

4439a hope:2014/10/06(月) 15:58:01 ID:cEpBaIdo

>>4431 4433 トンチンカンさま

お返事をりがとうございます。
わたしも「仏心さま」=「曳馬野さま」というのは認識しています。

トンチンカンさまがどのように思われようとトンチンカンさまの自由だと思いますが、
>>4432で管理人のトキさまもコメントくださっていますが、
この掲示板上での身元詮索はできるだけお控えくださいね。


ですが、テキストの内容に関してのご参加でしたらいつでも大歓迎です。

>>4437の日本国実相顕現運動についてのわたしの見解へのトンチンカンさまのご意見を是非おきかせ下さい。

4440「訊」:2014/10/07(火) 07:36:04 ID:???


>>4437 a hopeさん

 この件ですが、まったく同感です。「よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しない」ですが、まったくその通りですよね・・・・・・・いや、部下に「オイ」キャバ嬢にホイホイ、嫁に「ハイ」の私が言っても、説得力がナイですが、雅春先生の御言葉ですよね。

 ・・・・ちなみに「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」という、雅春先生の御言葉も思い出しましたよ。以下ですが、

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=423

 ここには趣旨に於いて、同様のことが述べられていると思います。

 国を変えようと思ったならば、選挙戦に特化するのではなく、「真理の言葉をキチンと勉強しよう」と。

 そして、そんな、真理の言葉を勉強した個人が「多数生まれるようにしよう」と。

 ・・・・趣旨に於いて雅春先生は、そう、仰っておられますよね。

 ・・・・まあ、そもそも(笑)。「そもそも」ですが、地域住民に嫌われている運動家なんて、魅力がナイですよね(笑)。「国家のため!」「憲法改正が悲願!」・・・・・・そんなこと言っている愛国者って、地域での嫌われ者が多いのも事実です。「あの人は変わり者」とか「ちゃんと生活しろよ」等のツッコミを浴びている人が、愛国陣営には多々おりますがやはり、それじゃイカンわけですよね。そしてやはり、「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」だと思います。「よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しない」と、私も思います。





4441a hope:2014/10/07(火) 19:46:20 ID:cEpBaIdo

p86 8行目〜

しょせん感覚的刺激の喜びは永続性のものではないことを知らねばなりません。
「生長の家」の実相哲学の説くとおり、物質は本来ないものでありますから、
ないものから永続する歓びを味わうことはできないのであります。

どんなに肉体的に美しい配偶者を選んでも、その色香は永続するものではありません。
やがてその色香は褪せ、顔は皺み、若い時の美しさは消えてしまうのです。
感覚的容貌の美しさが家庭の歓びであるならば、結局その家庭は永続しないものであるほかはありません。

家庭はそういう永続しないものの上に打ち建てられるべきものではないのです。
永続する「実相」の上にこそ、われわれはわれわれの家庭を打ち建てねばならないのであります。

4442a hope:2014/10/07(火) 19:49:18 ID:cEpBaIdo
>>4441 a hope所感)

よく女優さんなんかで、年齢を重ねてもとても自然な感じで若々しくてかわいらしい方がいらっしゃいます。
でも、おなじ女優さんでも、なんか、顔が不自然な感じに若々しい方もいらっしゃいます。
まあ、どの女優さんにとっても美を保つには、相当な努力をされているのだと思いますが・・・その違いは何なんでしょうか?

正直に言えば、わたしも女性ですから年齢を重ねるにつれてお肌のお手入れも段々と時間がかかるようになってきました(;´∀`)

ですが、顔にしても体にしてもやはり唯心所現の真理の例外ではないと思うのです。

意地悪な人の顔は、なんとなく意地悪そうな顔つきになっていますし、
人の欠点ばかり探して悪口を言っている人は、いつも緊張していて近寄りがたい冷たさが顔にでてしまっています。

これは、生まれ持った顔の特徴ではなくて、後天的に造られた表情だと思うのですが、
この表情が悪いために、本当は美人なのに全然異性にモテなかったり、人生がうまくいかなかったりするのではないかと思います。

いつも相手の実相を観て、優しいまなざしを向けている人には、どんどん人が寄って来るのだと思います。

わたしは、今、楠本加美野先生のことを思い出しました。

御年92歳の加美野先生は実相を観る天才です。
だから、いつも女性にモテモテですよね!

わたしも、たとえおばあちゃんになってもみんなに気軽に声をかけてもらえるようなそんな和顔を目指したいです!

4443a hope:2014/10/07(火) 19:54:26 ID:cEpBaIdo

>>4440「 訊け」さま

ご登場お待ちしておりましたm(__)m
今回もまた、的を射た素晴らしいご投稿をしてくださり心から感謝いたします。

雅春先生の「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」ですが、この御文章はとても奥深い内容だと感じています。

わたしも「訊け」さま同様に、雅春先生が政治運動を頑張ってきた信徒の心を気遣いながらも、
やはり宗教に政治を持ち込むとその純粋性が保たれないために信徒数が増えないという事実を認められ、
これからは真理のお勉強に専念して、魂を向上させるという本来の姿に戻りましょう、とおっしゃっているのだと感じました。


みなさま

これからテキストの内容は、どうしたら夫や妻の実相が輝き出て、家庭が光明化されるかという説明に入ります。

これは夫婦間だけにあてはまる真理ではなくて、すべての人に当てはまるとても重要な箇所なのではないかと思います。
わたしは、抜粋、謹写しながら進みますが、みなさまは是非テキストの全文を拝読してくだいね!

4444a hope:2014/10/08(水) 10:31:04 ID:cEpBaIdo

p87 8行目〜

・・・われらは良人の、妻の、欠点を見ないように、暗い方面を見ないようにしなければならないのであります。
肉体人間は「実相仏」ではないから、時にはつまずくことも、実相が蔽われて悪く見えることもあります。

しかしその悪さを実在であると思わないことです。
その悪さはやがて過ぎ去りゆくべきかりそめの迷いの雲だと思い、光り輝く善そのものの良人または妻の実相を観るように心がけよ。

たちまち、その悪さは消えゆきて本来「神の子」なる良人または妻の実相が出て、家庭は異常に光明化されることになるのであります。


良人または妻の善さはどれだけ深く信じてもよいのです。
信じて信じすぎるということはないのであります。
信ずれば信ずるだけ光を放つのです。

信じていたのに裏切られましたというのは嘘であります。
それは信じようが足らず、信じていても信じていることの言葉または態度での現しようが足らず、
信じていても相手の人格の自由をこちらの型にはめ縛ろうとした場合が多いのであります。

本当に相手の価値を信じていたならば相手をそんなに自分の型にはめようとはしなかったに違いありません。
自分の型にはめようとするのは、やはり、相手それ自身にまかせておいては何か善くないことが起こるに違いないと危惧するからであります。

危惧は信頼の足りなさの表現でありましょう。
本当に信頼していたならば相手を自由に放つ、放たないのは信頼がないからです。

伝書鳩でも信じているからこそ自由に放つのです。
良人を信じているといいながら、妻を信じているといいながら、鳩を放つほどにも良人または妻を自由に放たないならば、
その人の「信ずる」という心もよほどよい加減なものであります。
人の人格は、本来自由を好むものでありますから、自分の自由に縛ろうとするとき、
良人でも妻でも逃げて行くのであります。

4445a hope:2014/10/08(水) 10:33:36 ID:cEpBaIdo

>>4444 a hope所感)

ここに、『人格の自由』という言葉がでてきました。
たとえば、昨日の「訊け」さまとのお話にでてきた「宗教における政治活動」を取り上げて考えてみますと、
ある宗教が一政党を支持した場合、その宗教団体の信徒は、否応なしにその政党を支持しなければ運動が成立しません。
そうなった時に、ここで言われている『人格の自由』が保障されていないということになってしまうのです。

わたし自身が今現在、本流といわれている「学ぶ会さま」や「ときみつる會さま」に入信する気になれない大きな理由がそれです。

それは現教団にもいえることですけれど・・・

4446「訊」:2014/10/08(水) 16:22:12 ID:???



>>>たとえば、昨日の「訊け」さまとのお話にでてきた「宗教における政治活動」を取り上げて考えてみますと、ある宗教が一政党を支持した場合、その宗教団体の信徒は、否応なしにその政党を支持しなければ運動が成立しません。そうなった時に、ここで言われている『人格の自由』が保障されていないということになってしまうのです。<<<

 「いいとこ取りでOK」だと思いますがね。そして、それで「組織を辞めて!」な団体ならば、おさらばすればイイと思います。私はそんな感じですけれどもね・・・・・たとえば私ですが、こんな方々とは一緒に学びたくはナイのです。それは、

「天皇国日本こそ御教えの根本」

 と云われた上で、

「これを語らないのは生長の家ではナイ」


 など、妄言を吐かれる方々です。(※)そんな方々とは一緒に学びたくはナイですし、そしてたぶん、そんな団体は信条に反するような運動を、させられてしまうでしょう。(可能性として大の意味)ならば、御教えは学びつつも運動は拒否しますね。そして、「辞めろ!」と言われればサクっと、辞めますかね(笑)。

 話しがやや飛びますが、有難いことに雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。私なんかは組織がナクても、まったく困りませんけれどもね。・・・・・・・・「谷口雅春」先生の御著書だけでも、かなりの生長を自分に認めることが出来ました。加えて、聖典を読んでも〝それでも成果が出ない時期〟などは、「藤原敏之」先生が私に谷口哲学を補足説明くださいました。それでも押し寄せる自壊作用の波なんですが、その際は「榎本恵吾」先生から、実相は自働展開していくッ!そんなことをこれまた、補足説明賜りまして、さらには「吉田國太郎」先生が、往相精進の境を越えていく生き方をお示しくださいましたね。「服部仁朗」先生などはもっと、徹底した実相直視をお教えくださいましたし、「谷口清超」先生の紹介される体験談の数々は、御教えの効果を保証してくださるものでした。「徳久克己」先生のご講話は、営業車車中でいつも練成会を(大爆笑で)開催してくださり、私の精神状態を常に良化くださいます。「末井勉」先生や「平岡初枝」先生の御著書は、これまた他の御高弟にない聖典の読み方を紹介くださり、信仰生活のいろいろな場面(主に自壊作用)に好解釈を与えてくださいます。

 ・・・・・長々語りましたがこの様に、雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。事業環境の激化という環境に身を置きながら学んでいると、私なんかは、組織がナクてもまったく困りませんけれどもね。身に沁みて解ります、この、御教えの偉大さは。




<註>

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

4447「訊」:2014/10/09(木) 09:23:01 ID:???

>>a hopeさん

 「家庭の光明化」に関して、素晴らしい御文章を紹介します。さてこの、「家庭の光明化」に関してはたぶん今後、「相手を賛嘆すること」なんて話題が出てくると思うのですがこの件に関し・・・・・榎本恵吾先生が、素晴らしい御文章を寄せてくださっておられるのです。以下は、WEB榎本恵吾記念館からのコピペになりますが一緒に拝読しましょう。ここでは榎本先生が、「善くなるとか悪くなるとか、知ったことじゃない」と仰っておられるのですが、実に深い示唆がされているのです・・・・・・さて、人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか「知ったことじゃない」、その真意とは?


(つづく)

4448「訊」:2014/10/09(木) 09:24:29 ID:???

>>4447文つづき

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

◆9.実行によって救われるのではない。救われ済みであるのを喜ぶこと
 
 ある奥さんが言われました。それは「わたしは生長の家にふれさせていただきましたので、子供を毎日、ほめることにしたのです。ところが学校に行きますと、担任の先生は反対に、子供の欠点を徹底的に摘出して、それをたたき直すという方針なんです。これでは却って子供にとっては不幸なのではないでしょうか。どちらかの一つにしてやらないと、却ってほかの子供よりも迷ってしまっているのではないかと思うんですが……」という意味のことでした。その時こちらは、“あなたの子供さんが幸福になられるか、なられないかは関係ないのです。人間が神の子であって、神そのものであって、そのままで完全円満ですばらしいのが真理であるから、ほめたたえているのであって、それは真理だからなのです。真理というものは、子供さんが幸福だとか、不幸だとか、そのように子供さんの都合によって曲げることが出来ないのです。ただただひたすら、「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」ということだけなのです。ただただみ教えをいただいた私たちも、まっしぐらに真理を生きる、ひとすじの道があるのみなのです”と申し上げました。
 これと同じことなのですが、また別の人はこう申されました。それは三十歳くらいの練成員の方でした。「今日まで練成を受けさせていただきまして、生長の家のやっていることは将来大いに世界の平和のために役に立つことだ、ということを、よくわからせていただきました。私は今日で帰りますが、どうぞみなさん、しっかりやって下さい。」という意味のことでした。それでこう申し上げたのです。
 

(つづく)

4449「訊」:2014/10/09(木) 09:25:16 ID:???


 「生長の家の運動は、世界の平和に役立つかどうかということは知ったことではないんですよ。ただただ、人間は神の子であるということが真理であるから、ひたすらその道を説いているのであって、真理というものは、「世界の平和のために」という世界の都合で変えたり、曲げたりするという訳には行かないのです。それが宇宙のためにということでも同じことでありまして、「宇宙の平和のため」というように、宇宙の都合に合わせて真理を変更するということは出来ないのです。ただただ、真理は真理であるのみです。泥棒がやろうが、釈迦、キリストがやろうが、「1+1=2」なのであって、泥棒の場合は、1.5くらいにしておけというわけには行かない。「1+1=2」という数学的法則によって、原爆まで生まれて来るので、原爆は世界の平和に反するから、その真理を変更するという訳にも行かないのであります。
 真理はただ真理するという一つの道があるのみなのであります。また、真理というものは人間の力でつくり出すものではありません。それは久遠に久遠に、天地を貫いて生きているのでありますから、「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」とも言うのです。あなたに賛成していただいたから生長の家の真理が存在するのでもなければ、あなたがお認めにならないから生長の家が存在しないのでもないのですね。」と申し上げたのであります。
 「釈迦、キリスト、尊師谷口雅春先生と、今日生長の家にふれたばかりの者と、同じ神の子であるということはないでしょう」と言われる方もいられるのですが、「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。それは、人間の修行の度合というものによって、その真理を変更することは出来ないのです。百万年前からの暗でも、いま出来た暗も、光がともれば同時に消えます。それは光の前には暗は消えるのが真理、法則だからであります。暗は実に無いのが真理だからです。それを百万年前からの暗が、いま出来た暗に向って、「おれはこんなに長く暗をやつているんだから、いま出来たばかりの暗と同じ扱いをするのはけしからん」と言って、どんなに頑張ってみても意味をなさないのであります。それは真理によってそうあるのです。これを「七つの燈台の点燈者の神示」では、「疑わずにわが光りを受けよ」と録(しる)されているのであります。
 ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。よく講師が「話だけ聴いても駄目だ。実行しなければ駄目だ」と言われることがありますが、これは“実行”という救われるための一つの修行科目があるのではないのです。それは、“この身このまま救われていることを素直に喜ぶということを実行せよ”ということなのです。実行ということによって救われるのではないのです。救われずみであることを喜ぶのです。「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。

4450「訊」:2014/10/09(木) 09:25:56 ID:???


「今すべての病人は起つことが出来る」と録(しる)されているのは、実に神の無条件の生かす力が言い現わされているのです。“今”とは、このまま、そのままであって、これから何らかの時間を経ての人間の努力の結果ということではないのです。“今”ということは“既に”ということであります。“すべての病人”とは、生長の家に入っているものも、入っていないものもということであります。山を見ても、川を見ても、草木を見ても、それがどれだけ生長の家を熱心にやっているかどうかということはナンセンスであります。釈迦は「山川草木国土悉皆成佛(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)」と言ったのです。そのように、天地一切のものは生長の家であるというのが「今、すべての病人は起つことが出来るのである」ということであります。
 これが生長の家の大宣言であります。普通は、「他の教えを熱心にやる必要はないが、この教えだけは熱心にやる必要がある」ということになってしまうのです。それを生長の家では、天地一切のものはすでにすでに、この教えにふれているものもいないものも神であり、生長の家そのものであります、「ありがとうございます」と拝んでいるのであります。この天地一切拝みの教えが生長の家です。ですから、聖なる無我の輝きがそこにあるのです。「おれが救ってやる」というようなものではないのです。教えもそうなら、ご本もそうなのです。「これを読まなければ救われんぞ」というのではないのです。「この本をお読みにならなくとも、そのままで完全であることを拝ませていただくために、この本があるのです。」と本が無我となっているから、「聖典」と拝まれるのです。『生命の實相』には「物質無し」と書かれておりまして、それは本自身が“私は無いのです”と自我を完全に死に切っているのです。こんな尊い本に私たちは日々ふれているのであります。ですから私たちも、ただただ、ひたすらに拝み、讃嘆していく一すじなのであります。

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4451a hope:2014/10/09(木) 11:23:18 ID:cEpBaIdo

>>4446「訊」さま

すばらしいアドバイスをありがとうございます!

<<有難いことに雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。>>

本当ですね。
ありがたくて涙がでそうです。

その後ご紹介の、「藤原敏之」先生「榎本恵吾」先生「吉田國太郎」先生「徳久克己」先生
「末井勉」先生、「平岡初枝」先生などという愛弟子といわれるような先生方の御本からも
わたしたちはいくらでも「生長の家」の教えを学ぶことができるのですから、組織などに所属しなくても全然大丈夫ですね。

ですが、真理を共に学んだり、語ったりする仲間が全くいないというのも寂しいものです。
だから、わたしと同じようにどこの組織にも所属せず独学で学んでいる「訊」さまの存在はわたしにとってとても大きいです。
無理なさらない程度でいいので、これからもweb誌友会にご参加よろしくお願いいたします。

ところで、話題は『天皇国日本』のことに移りますが・・・
「天皇国日本こそ御教えの根本」そして「これを語らないのは生長の家ではナイ」などといわれてしまったら、
わたしも完全にひいてしまいます(;’∀’)

今までわたしもそれなりにお勉強してきたので、日本の天皇制度の素晴らしさは理解しているつもりなんですが、
時代が変わってしまったわけですから、今現在そのことを前面にだして運動してしまうと、
「訊」さまやわたしのような拒絶反応を示す人がほとんどではないかと思われます。


―――――――――

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

――――――――

この「訊」さまのご意見にわたしも賛同させていただきます。

たとえ、天皇信仰が万教帰一の頂点に立つ教えであったとしても、天皇信仰を持つ日本人に対しては説得力があると思いますが、
そうでない人たち(特に外国人や左翼の方がた)には残念ながら全く説得力はないと思うのです。
むしろ、反論されてしまい、それこそ「大調和の教え」に反する「対立」を起してしまうのではないでしょうか?

それに「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。

4452「訊」:2014/10/09(木) 11:36:17 ID:???

>>>それに「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。<<<

 その通りです。根本教義は天皇ではなく、「それは切り口に過ぎず」、実相なんですよね・・・・根本って。

 で、「永遠のキリスト」から実相を語ってもいいし、「仏性」から実相を語ってもいい、それが「雅春先生の偉大さ」ですよね。「久遠の今」という切り口もありますし「観世音菩薩」もありますが、天皇国日本って・・・・・・・御著書にもある通り、これは、方便・対機説法に於ける切り口のひとつです。実相を語るに於いて「天皇を外したらイケナイ」とか、言っておられる方あらば、「それは間違い」ってモンですよね。

 で、こんな書き方をすると、いやつまり、「天皇とは真理を語る切り口のひとつ」なんて言うと、不敬だ!とか、そんなことを書きたがる方もおられます。もう、こういう光景が残念・・・・・・・・断言しますがその方は、「天皇を解しておられない」ですしまして、雅春先生の愛国書なんて「読んでもおられない」と観ますね。

 ・・・・・・そんな方々と勉強しても、もはや、「迷いの淵を彷徨うダケ」です(笑)。WEBを通じてトキさんみたいな方と勉強していくのが、精神衛生上は◎だと感じてます。




4453秋だけど春:2014/10/09(木) 20:33:22 ID:VCnID1c2
>>「天皇国日本こそ御教えの根本」

 と云われた上で、

「これを語らないのは生長の家ではナイ」


 など、妄言を吐かれる方々です。(※)そんな方々とは一緒に学びたくはナイですし、<<

監督、ものすごーーーく、残念に思います。


 監督は、本流と色んな事があって、毛嫌いしている事もあるのでしょうが、監督自身も、相手を神の子さんとして拝む気持ちになれれば、
また、違った面が見えてくるのかとし思いますし、直にあってないからこそ増える不信感みたいのも、あると思いますよ。

4454秋だけど春:2014/10/09(木) 20:39:39 ID:VCnID1c2
 私は神道から生長の家に入ったので。すんなり理解しましたし、当たり前の事を言っていると思っています。
ただ、雅春先生命みたいには、なれません。
私は、御皇室と靖国神社の英霊様が一番だから、です。
 
 監督、葦津珍彦先生の御著書は、読まれましたか?

4455秋だけど春:2014/10/09(木) 20:46:36 ID:VCnID1c2
>>実相を語るに於いて「天皇を外したらイケナイ」とか、言っておられる方あらば、「それは間違い」ってモンで
すよね<<

完璧に、違います。


日本国の実相顕現は、天皇国日本であることです。


以前に紹介した、信徒用の、よまれていないでしょう?

4456秋だけど春:2014/10/09(木) 21:56:04 ID:R/XQXrSM
 a hopeさんにもお願い致します。

両陛下がおおわしますことで、日本の国民のだれ一人として、救われない者はいないということ。


 生長の家にはげまれるのであればなおのこと、聖上に感謝することの意味、ここをもっと、勉強して下さい。


両陛下は、日本の最前線にお立ちになり。日本の外交にも御精力頂いています。


祖国と日本とか、少し 、ご覧になるといいと思います。


御自分たちのためでなく、御皇室の為にお役にたつたちばにあるのが、国民でから。

敗戦の責任も、国民が陛下にお詫び申し上げる立場であると言うことを、
御理解いただきたいと思います。

4457 不生の仏心:2014/10/09(木) 23:56:22 ID:zTvAOV2w
>>4451
>>「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。

●世界の国境抹消運動の、もう一つは、日本より始まっている大日本世界国運動であります。世界各国の国境を消し去って、全世界にひろがる唯一つの大い
なる大日本国を建設しようとする運動であります。これは天照大神の下し給える『豊葦原の瑞穂の國は代々吾が子孫の王たるべき地なり』との御神敕以来、

着々として霊界から其の歩みを進めている運動でありまして、単に資本主義組織に対する反動として、近頃に起こって来たやうな根底の浅いものではない
のであります。だから、この運動には全世界が一国でなければならないと云う、古今を通じて誤らざる真理と、全世界には中心が唯一つだけあるべきだという

天地一切の事物に通ずる真理とが、完備しているのであります。『瑞穂の國』と申しますと・・略・・現実の國、世界全体を云ったものであります。
世界全体は大日本天皇陛下の代代王たるべき地であると云ふことは、天照大御神の御神敕以来定まっていますので、それがまだ実現しないでいるのは

準備時代であるからであります。・・略・・日本の皇位は、天祖の詔勅によって連綿としてつづくべき宇宙意志によって定められていますから、・・略・・
大国主命(世界各国分立主義)はみづから進んで国土を天孫に奉還しない。そこには全人類の幸福のために大日本世界国家を造るべく国境抹消運動として

武力行使が已むを得ず必要になって来るのでありまして満州等へ日本が兵を用いているのもその運動の一端であります。・・略・・
衣の相からでも日本人は世界統一の使命を持っているのであります。・・略・・世界を統一統治する使命を有った民族だと云ふことができるのであります。

●以上の引用は『大生長の家』に就ての神示の後に、第一章「中心(すめろぎ)に帰一する道」として、第二章「生長の家より観たる創世記」、
第三章「生長の家より観たる法華経」の前に聖典に載っていたものです。

今は第十二巻万教帰一篇第四章にちょろっと書かれているのみです。ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。

4458 不生の仏心:2014/10/10(金) 00:39:40 ID:zTvAOV2w
又こんなことも書かれている

新年、目が覚めたら、まず口を漱ぎ顔を浄め、四方を拝し心を悉く浄めてから、天皇陛下を拝み(おろがみ)まつれ。
みたみわれの悦びが沸々と心の中に沸り(たぎり)たつて来るであろう。
真に拝まないと本当のことは分からない・・略・・
何と云っても吾々日本に日本には、天皇陛下がいらせられることは有難い極みである。  「生長の家誌巻頭言」より

『真に拝まないと本当のことは分からない』 『天皇陛下がいらせられることは有難い極みである。』これも対機説法なのかな?

4459「訊」:2014/10/10(金) 05:57:01 ID:???


>>秋だけど春さま

 いやたぶん、当方の真意を誤解されておられます。わたしはなにも、聖上への軽視を以て「=御教え」とか、そんな風に考えているのではナイのです。再度掲載致しますが当方の真意とは以下文でして、

―――――――――

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

――――――――


 ・・・・・ご確認頂きたいのは「妄言」の意味です。そして、その妄言とは「それだけ!な方々」とお伝えすれば、よいのかもしれません。

 さて、妄言とは以下のような事を指すのでありますけれどもたとえば、「天皇国日本以外、実相を語る切り口はナイ!」とか申されて、そして、「天皇以外の切り口から実相を語る者は、生長の家ではナイ!」などと申される方々、その発言内容を指します。さらにそして、上記文中で触れた如く「個人としてそう信じる方」があるのは当方、別に問題とはしておりません。「天皇=御教えの根本」と個人的に思うのは、構わないと思うのですが、問題だと思うのは「天皇以外の切り口を認めない!」種の発言です。これを問題としておりまして、「妄言」と表した次第です。

 ・・・・ですので、皇室軽視とかの、そんな問題とは別種です。(当方はそう感じておりますが)



4460「訊」:2014/10/10(金) 09:25:33 ID:???


>>4459の補足

 この、>>4459当方主張をまとめれば、

・ 「天皇こそが根本教義だと〝個人的に〟信ずる」・・・・・○(妄言ではない)
・ 「天皇以外の切り口から真理は語れない」・・・・・×(妄言である)

 という感じです。たぶんこれで、間違ってはいないと思いますがいかがでしょう。

 さて、雅春先生の説かれた御教えとは、「玄関はどうでもイイから早く奥座敷に入りなさい」と云うものでありました。そして、「玄関」とはたとえば、「実相を把握する際の入り口」を意味するのでありまして、これには「永遠のキリスト」であるとか「釈迦牟尼如来」であるとか、あるいは、「久遠の今」であるとか「住吉大神」であるとか、「観世音菩薩」であるとか・・・・・・まあ、ありとあらゆる「玄関」、すなわち、「真理に入っていくにあたっての入り口が用意されている」わけです。これが雅春先生の哲学の「一大特徴」なのでありますが要するに、実相を把握するのが目的(=奥座敷)なのでありますからなにも、「入り口の部分で宗教同士が争うことはナイではないか」なのです。

 ・・・・・で、「天皇国日本」もその、玄関のひとつです。奥座敷ではナイのです・・・・・ここが、重要だと思います。

 ・・・・・・ところで「個人的に信ずるのは構わない」の件ですが、たとえば、生長の家に学んだキリスト者が生長の家を、「キリストこそが根本教義」と解する自由があるように、「天皇こそが根本教義」と解する自由は個人には、ありましょう。しかしながら以下も重要なのですが、問題が生ずるとすれば、「玄関と奥座敷の取り違い」です。詳しく述べますが、まあ・・・・

 ・・・・・・玄関に過ぎない「キリスト」「天皇」を「奥座敷だとカンチガイ」されますと、これは問題だと思います。こんな感じですとたとえば「釈迦牟尼如来から実相を把握しようとしている人たち」が、背教に見えましょう。これは、問題です。個人的に「天皇=根本」と信じるのは構わないにせよ、その、「天皇国日本」という切り口以外にも奥座敷に上がる入り口は多々、用意されているわけでありますから、「天皇に触れていない!天皇に触れずに実相を語るな!」なんて言葉はやはり、おかしいと考えます。まあ、当方主張はザックリと言えば、こんな感じでございまして決して、皇室の軽視ではナイのです。その辺が伝われば幸甚ではありますが・・・



4461a hope:2014/10/10(金) 09:51:04 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p90 8行目〜

われらすべての人間の実相は「神の子」であり、「仏子」であり、どれほど讃嘆し合っても言い顕すことができない善美の真(まこと)を備えているのであります。

そう思って人間を観よ、良人を観よ、妻を観よ、両親を観よ、子を観よ。

そう努めとき、その善さはしだいにハッキリ見えてくるでありましょう。

相対する人間が変貌し、家庭が変貌し、全世界が変貌し、全世界のすべてがその人の前で光り輝いて見えてくるでありましょう。

なんというそれは愉快なことでありましょう。

悪しきことのいっさいは姿を消して、光り輝く実相のみが見えてくるのであります。


われわれがいっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る心の眼が慣らされてくるときは、
立ち向かう世界が美しく輝く世界に変貌してくるばかりでなく、自分自身が、根本的に変わってくるのであります。

自分が偉(おお)きくなり、寛(ひろ)くなり、裕(ゆたか)になり、悠々(ゆうゆう)となり――自分自身の実相がでてくるのであります。

世界で最大の人物とはどんな人物であるかといってみるならば、いっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る眼を開いた人のことであります。

釈迦は実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであり、キリストも実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであります。

(つづく)

4462a hope:2014/10/10(金) 09:52:15 ID:cEpBaIdo

>>4461 a hope所感)

>>4447~ 「訊」さま 素晴らしい榎本恵吾先生のご文章を紹介くださりありがとうございます。

そして、

<<榎本先生が、「善くなるとか悪くなるとか、知ったことじゃない」と仰っておられるのですが、実に深い示唆がされているのです・・・・・・さて、人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか「知ったことじゃない」、その真意とは?>>

とのご公案ですが、榎本恵吾先生は 「実相」しか見つめていらっしゃらなかったからそのようなお答えをされたのだとわたしは思いました。

だって、『善くなるとか悪くなるとか』、『人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか』というお話は、すべて現象世界のお話で、
実相世界は「善一元」「光明一元」ですから、現象に見える「悪」や「光明化すべく不都合なこと」は「本来無い」ことですものね!

―――――――

○「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」
○「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。
○ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。
○「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。
―――――――


恵吾先生のご指導は、上に抜粋したように、心の法則である横の真理をほとんど説かれず「実相独在」に徹していらっしゃいました。

<<世界で最大の人物とはどんな人物であるかといってみるならば、いっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る眼を開いた人のことであります。
釈迦は実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであり、キリストも実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであります。>>

勿論、谷口雅春先生も、釈迦、キリストと同様、実相を観る眼を開いていた偉大な人物だったわけですが、
わたしは最後まで「実相独在」を貫かれた榎本恵吾先生も、またとても偉大な先生だったのではないかと感じています。

4463a hope:2014/10/10(金) 09:56:06 ID:cEpBaIdo

>>4435〜 春さま 

お久しぶりです。
今回は、web誌友会にご参加くださりとてもうれしいです。 

感謝 合掌。

>>4456では、わたしにご忠告、そしてアドバイスをいただきまして、心より感謝いたします。

天皇制度に関しては、自分が日本人でありながら、まだまだその真理を充分理解していないというのは自覚しています。

ですが、現代の日本で「生長の家の教え」を広めていくためには、まずは、「人間神の子」の真理から始めないと、
信徒の数も頭打ちしてしまうような気がするのです。

理由としては、>>4459 >>4460の「訊」さまのご意見にほぼ同じですが、さらに言わしていただけば、
「人格の自由」(選択の自由)が与えられない宗教団体には、カルトのにおいがしてしまうからです。

わたしは「生長の家」は「唯神実相」が基本真理で、その真理において「万教帰一」が成立していると信じているのです。

この根拠は、『神の真義とその理解』の中の一部である「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」の文章です。

以前、復興Gさまが>>1082〜謹写してくださっています。

<<ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。
ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、
仏教は斯う云うものであると言って話もする。
またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。
また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』には斯う書いてある、
老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を一つにして説いて、
相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、
一定の生長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、
生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。>>

これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?

ただ、「生長の家」が天皇国日本において生まれた宗教で、創始者の谷口雅春先生も当時は当然のように天皇を信仰をされていたという事実が、
とても重要な意味を持っているのではないか・・・と、わたしはそのあたりまでの理解にしか至っていません。

4464a hope:2014/10/10(金) 10:00:22 ID:cEpBaIdo

>>4457〜 仏心さま 

またまた、興味深い御文章を紹介くださりありがとうございます。合掌。
今日はこれから仕事なので、夜、ゆっくり拝見し、後日お返事させていただきますね。

4465秋だけど春:2014/10/10(金) 19:32:48 ID:K05YJkU6
訊け監督,a hope様 こんばんは。

監督の言いたい御真意、了解致しました。

a hope様、天皇国日本に生まれ、先祖&先輩と繋がった時の感動=日本人としての自覚、
これを私は30過ぎで得ました。
その時の感動や、運命の激変は、得難いものでした。

生長の家は、私にとっては、(正しい宗教は、国家鎮護=御皇室の安寧を祈願している)
日本国に対して恩返しが出来ない自分に絶望していた時に出会った
一つの(言い方は不遜ですが)ツールなんですよね。

生長の家が、国家に対して役に立たなくなって、会員数7万を切ったのも、時代の流れだし、
戦中・戦後の混乱期に発達したのも、時代の要請で。もとのような
会員数にはならないし、その必要が無いと思っています。
(各業界に、既に根を張っているから)

4466秋だけど春:2014/10/10(金) 19:41:38 ID:K05YJkU6
>>これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?<<

神示に、全て書かれていますよ。

4467秋だけど春:2014/10/10(金) 20:30:11 ID:K05YJkU6
 a hope様

私は女性的な人間ではないので、貴女のように、丁寧に相手に接する人は出来ませんが。
今日限られた時間でお話出来る事は、書かせていただきます。


 靖国神社と言うのは、何代か失念致しましたがある御代の陛下の為に
戦い、命を落とされた方の御霊を、今後も御皇室を護って頂く趣旨で
ある祠だか神社を立てられた。

 その流れが、靖国神社建立の意義で、上野の地は(幕末)血で穢れているから、
九段の(今の)位置が、定められたのだと聞いております。
死してなお、御霊になって、皇居をお守りされているのが、英霊様達です。

 a hope様に提示しようとしていた神示のお護り、無くなっていました。
必要でなくなったものは、自然に無くなるんですね、教えられたとおりだなあと、思いました。

 

いつか、天皇様の事を語り始めたら、涙が出てくる。。。

こんな日本人になっているa hope様を、期待して、御見守りしたいと思っています。



感謝  合掌

4468a hope:2014/10/11(土) 00:21:51 ID:cEpBaIdo

>>4457 仏心さま

<<●世界の国境抹消運動の、もう一つは、日本より始まっている大日本世界国運動であります。
世界各国の国境を消し去って、全世界にひろがる唯一つの大いなる大日本国を建設しようとする運動であります。>>


わたしは今回初めて『世界の国境抹消運動』という言葉と『大日本世界運動』という言葉を聞きました。
そしてその運動は、「着々として霊界から其の歩みを進めている運動」であり、
さらには「この運動には全世界が一国でなければならないと云う、古今を通じて誤らざる真理と、
全世界には中心が唯一つだけあるべきだという天地一切の事物に通ずる真理とが、完備している」とありますね。

とても興味深いです。

ですがこの件に関しましては、仏心さまが謹写してくださった文章からだけではその本当の文意が読み取れないので、

仏心さまの

<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。 >>

というご質問には、お答えすることはできません。

(つづく)

4469a hope:2014/10/11(土) 00:24:20 ID:cEpBaIdo

>>4468 つづき)

ですが、以前、やはり仏心さま(曳馬野さまでしたっけ?)とお話しているときに、偶然ですが、
「邁進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に、頭注版「生命の實相」第13巻のオリジナル版とも言える文章を見つけました。
その内容でしたら、すべて拝読しましたのでお答えできます。


まずは、以下に「驀進日本の心と力」と頭注版「生命の實相」文章を比較してみた時の、
わたしの感想文を転載させていただきます。

――――――――――――
>>4097 より

これは、たぶん、曳馬野さまがさかんにおっしゃっている、戦前と戦後で聖典の内容が変わっているという、
事例の一つなのではないかと思うのですが・・・

昨晩、聖典引用板にまとめた、「生命の實相」第13巻のp170 後ろから3行目〜の「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」
の文章のオリジナル版とも言える文章を、「驀進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に見つけたのです。
(わたしは、この聖典は以前ある方からPDFファイルの文書としていただき保存してあったのです。 感謝 合掌)

それどころか、今回のテキストである第13巻の今お勉強中の第六章「価値の本質」が、「驀進日本の心と力」の中では、
第1篇「日本精神の倫理」としてほぼ同じ内容で記載されていて驚きました。

まだ、全文をちゃんと確認したわけではないのですが、わたしの持っている「生命の實相」頭注版(昭和38年初版発行)にはない文章が含まれていたり、
表現もところどころ変わっているのです。

わたしが感じたところでは、【頭注版では】愛国を思わせるような表現はすべて違う言葉に換えられていて、
文章も愛国心や天皇に関するものは削除されているようです。

特に、昨晩お勉強していた、「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」【生命の實相13巻p170】のタイトルは、
「驀進日本の心と力」の中では「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」となっているのです。

そして、そこには、日本神国、天皇に関する生長の家の倫理学的見解がかなり詳しく述べられていて、
わたしはその部分は、今日、もう何度か拝読しましたがとても興味深い内容でした。

「生長の家」が天皇信仰であるという根拠にもなるような御文章ですが、
ですが、現在出回っている「生命の實相」には、その御文章が削除されているのはなぜでしょうか?
頭注版「生命の實相」は、谷口雅春先生が直接編集に関わられていたのではないかと思うのですが・・・

―――――――――――
(つづく)

4470a hope:2014/10/11(土) 00:27:54 ID:cEpBaIdo

>>4469 つづき)

その後、志恩さまのご指導で、それが戦後の占領軍政策の言論統制への対象となってやむなく聖典から削除された御文章なのだとわかりました。

ですがその後何年かたって、言論の自由が認められた後も、雅春先生はその時削除された「愛国心や天皇に関する御文章」を聖典に戻されませんでした。

いったいそれは何故なのでしょうか?

その内容を拝読するとわたしはすべてが「真理である」と感じましたが、
同時に「時代の流れともに表現を変えていかなければ相手に通じなくなった『対機説法』だったんだな」とも思いました。

仏心さま、わたしはこの現象界で相手にコトバのよって「真理」を伝える方法は、『対機説法』(方便)以外ないと思うのです。


ですから仏心さまの最初のご質問、

<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?>>

の関しては、どちらも「YES」が答えになります。

そして最後のご質問、

<<時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。>>

これに関しては「変わらない」と漠然と感じていますが、わたしは、まだ、その理由を説明できるまでに真理の理解が進んでいません。

4471a hope:2014/10/11(土) 10:13:24 ID:cEpBaIdo
>>4470 訂正
わたしはこの現象界で相手にコトバ【の】よって「真理」を伝える方法は、
                 ↓
わたしはこの現象界で相手にコトバ【に】よって「真理」を伝える方法は、

4472a hope:2014/10/11(土) 10:15:29 ID:cEpBaIdo

>>4465 〜 春さま

お返事をありがとうございます。合掌。

<<いつか、天皇様の事を語り始めたら、涙が出てくる。。。
こんな日本人になっているa hope様を、期待して、御見守りしたいと思っています。>>

わたしも日本人ですから、天皇信仰のことはもっともっとお勉強してその真理に感動して涙できるくらいになりたいと、心から思っています。

春さまが、わたしを見守って下さっていると思うとさらに意欲が湧いてきます。

春さま、また、いつでもお気軽にweb誌友会にご参加くださいね。

4473a hope:2014/10/11(土) 10:30:05 ID:cEpBaIdo

http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/26057265.html

「大和の国の神示」で検索していると、上のお方のブログがヒットしました。

ですがこの記事は今は閲覧不可になっている、「訊」さまのブログからの転載のようです。

もしかしたら、春さまがわたしにご教示してくださろうとしたのはこの神示だったのかもしれないと感じたので、
以下、転載させていただきお勉強させていただきます。 合掌。

4474a hope:2014/10/11(土) 10:31:07 ID:cEpBaIdo

大和の國の神示


われ再び大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と 云ふ意味について語らん。天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云 ふ意味の象徴的表現である。日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエス の『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。それが真の大日本世界國(ひかりあまねきせかいのくに)である。大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に 御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。天孫とは肉體のことではない。「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思 つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふ ことはない。あまり自惚れるから間違ふのである。大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまね き」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるか ら、総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平 和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。肉體のことではない。


(昭和二十一年一月六日朝の啓示による)

4475a hope:2014/10/11(土) 10:39:14 ID:cEpBaIdo
「大和の國の神示」講義

〔われ再び大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と云ふ意味について語らん。〕

 神示の冒頭に「われ再び・・・」と言われているのは、生長の家の草創期に天降った「久遠天上理想国実現の神示」(昭和七年五月二十七日)、「実相金剛身の神示」(昭和七年九月二日)、「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)を通して、神は「日本国」と「天皇」の実相を明らかにされたが、大東亜戦争と、それに続く連合国の日本占領によって、日本国民の永続性と久遠性との自覚が破れ、国家大権と天皇大権が一時中断されたなかで再び「天皇」と「日本国」の実相を明らかにしようとされたからであります。

 さて、「天津日嗣」の〝天津〟とは、天津神すなわち「実相の神」のことでありますが、本源の神としては天之御中主神様を申し上げ、これが陰陽二つの働きに分れて見れば高御産巣日神(たかみむすびのかみ)様と神産巣日神(かみむすびのかみ)様の二柱の神様のことを申し上げているのであります。つぎに〝日嗣〟(ひつぎ)というのは〝日〟は即ち〝霊〟(ひ)であって「霊的理念」のことであります。従って「天津日嗣」とは、天之御中主神の中心帰一の原理であるところの「中」(みなか)の理念を承け継ぐということであります。つづいて「天孫降臨」と云うことでありますが、〝天孫〟の〝孫〟とは子のつぎの三代目になる孫といった意味ではなく、「天の御心」(理念)の真子(まこ)即ち「真実の子」(真実の具体化)という意味であります。ですから「神示」には、

〔天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云ふ意味の象徴的表現である。〕

 と示されているのであります。つづいて「神示」には、

〔日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。〕

 と、示されているのであります。これはどういうことであるかと申しますと、天孫が天降ってきて、この世界を治めるということは、何も、肉体の孫がでてきて全世界を治めるということではないのであり、「天の父のみこころ」を受けた真(まこと)の子すなわち、皇孫尊(すめみまのみこと)によって全世界を治める時期が来るということであります。それは「御心の天になるが如く、地にもならせ給え」と祈れとイエス・キリストが言われたそれと同じ意味のことであります。
(つづく)

4476a hope:2014/10/11(土) 10:40:44 ID:cEpBaIdo
>>4475 つづき)

 「御心の天に成るが如く、地にもならせ給え」というのは、「神の御心が〝天〟即ち〝実相の世界〟に既に成就し実現しているのであるが、その如く〝地〟即ち〝現象世界〟にも実現し成就せしめ給え」という祈りであります。その「御心の天に成る」世界が大日本世界国であるというのであります。神示には「大日本世界国」と書いて、「ひかりあまねきせかいのくに」とふり仮名がつけられているのでありますが、漢字よりもこのふり仮名の方にもっと深い意味があるわけであります。即ち〝大日本〟とはひかりあまねき国であって、日本列島の如き小日本ではない。〝ひかりあまねきせかいのくに〟これが「大日本世界国」であるのであります。

 だから「大日本世界国」になることを、民族意識が昂揚(こうよう)して、日本民族が全世界を統一することだとそのように考えることは間違いなのであります。「大日本世界国」とはふり仮名でかいてある通り、「ひかりあまねきせかいのくに」であって、いわゆる黄色人種である日本民族の国というのは、小日本国である。本当の大日本国とはひかりの国であり、「ひかりあまねき」日本の国こそ大日本国である。それはすなわち「天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来る」ことだということであります。

 従って「神示」に示されてあるところの「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に御奉還申すべき時期が來る」という意味は、「天孫」すなわち「天の父のみこころ」が全世界を治める時期が到るということであり、またイエスの『主の祈り』にある「御心の既に成る世界」が地にもならしめられる時が来るということであり、それが真の「大日本世界国」即ち「ひかりあまねきせかいのくに」となるということなのであります。

4477a hope:2014/10/11(土) 10:42:09 ID:cEpBaIdo
>>4476 つづき)

〔大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。〕

 と「神示」に明瞭に示されている通りであります。そしてつぎに「天孫」とは「肉体ではない」ことが、はっきりと説かれるのであります。

 〔天孫とは肉體のことではない。「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふことはない。あまり自惚れるから間違ふのである。〕

 このように「天孫」とは「肉体ではない」ことがあきらかにされて、いよいよ「大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)」の真の意味について神は語られているのであります。

〔大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまねき」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるから、総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。肉體のことではない。〕

 かくの如く神示にはしめされているのであって、天之御中主神の御霊を嗣ぎ給うスメラミコトの治しめし給う世界が、これが本当の大和の国であり、それは「肉体のことではない」のであります。

4478a hope:2014/10/11(土) 10:43:25 ID:cEpBaIdo
>>4477 つづき)

さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦(※)が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、自然に日本天皇がその首座に推されるほかはないと信ずるものであります。

 「世界の未来は進むだけ進み、その間幾度びも争いは繰り返され、最後に戦さに疲れる時がくる。その時人類は必ず誠の平和を求めて世界的盟主をあげねばならぬ時が来る。この世界盟主なるものは、武力や金の力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた最も古く又尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならぬ。吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」(谷口雅春著書『秘められたる神示』170頁より)

『大和の国日本』29頁より謹写――

4479a hope:2014/10/11(土) 11:14:28 ID:cEpBaIdo

>>4478の文章に重複部分があるようですが、
文意は伝わると思いましたので、そのまま転載させていただきました。

4480 不生の仏心:2014/10/11(土) 21:02:24 ID:zTvAOV2w
>>「久遠天上理想国実現の神示」(昭和七年五月二十七日)、「実相金剛身の神示」(昭和七年九月二日)、「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)を通して、神は「日本国」
と「天皇」の実相を明らかにされたが

と云われる三つの神示を普通に読めば私が引用したような戦前の雅春先生の解釈になるものと思います。
「大和の国の神示」が三個の神示と同じに読めますか?
生長の家は、雅春先生は『天皇』をどのようなものと説き、皇位にある『肉体天皇』はどのような方であると説いているのでしょうか?
私には神自身が戦前に云ったことを言い訳しているように聞こえます。

4481a hope:2014/10/12(日) 17:02:33 ID:cEpBaIdo
>>4461 つづき)

生命の實相 第14巻 p91 6行目〜

実相ばかりをみていたら、現象を視る犀利(さいり)な批評眼を盲(めいし)にしてしまい、
本当の現象界に処して善処する実際的知恵を失ってしまいはせぬであろうか。
われわれが世に処してゆく上には裏の暗黒面までも想像してそれに善処する方策を考えておかねばならぬと説く人もあります。
そういう小才のきいた処世人は一時は成功するにしても、しばらくにして人格から光を失ってしまい、
偉さを失ってしまい、多くの人々をリードする人格の力を失ってしまって、大成することはむずかしいのであります。

今どんな知恵者でも、人間の悪い方面、暗い方面ばかりを探し出して得意になっているようなことでは、
自分自身の人格が低卑となり、小さくなり陋(みにく)くなり、ついには自分自身の人格の光が消えてしまうこと、
良人の暗黒面ばかりを見ている細君がヒステリーで倒れてしまうと同じようになるのであります。

われわれはある場合、この世界に、家庭に、良人に、子供に、いろいろの悪が顕れるのを見ることもありましょう。
不完全が顕れているのを見ることもありましょう。
そしてその悪を正しい不完全を正していきたいと欲(おも)うでありましょう。

しかし自分自身が不完全であっては、何物をも何事をも本当に改善することはできないのであります。
環境はただ自身の展開であります。
自分がすべてのものの実相の善さを見る心になってこそ、環境の一切人を、一切事物をよく整えることができるのであります。

誰でも少しく心理学的研究をした人は、悪を征服するのに、悪の存在を認め、それと組み打ち戦うよりも、
「悪」はないとして、ただ「善」のみを心に浮かべてその念の催しのままに行き行為していったとき、
かえって善が実現するものだということを知っているのです。

良人が細君を叱り飛ばして、そのために細君がよくなったという例は稀であります。
良人と妻と、親と子とが、互い互いに彼らに、「悪はない」と信頼し、励まし、喜ばし、鼓舞してゆくようにすれば、
互いの信頼が反響し、増幅し、人格向上の実現的効果は著しくなるのであります。

(第六章、終わり)

4482a hope:2014/10/12(日) 17:03:42 ID:cEpBaIdo
>>4481 a hope所感)

<<しかし自分自身が不完全であっては、何物をも何事をも本当に改善することはできないのであります。
環境はただ自身の展開であります。
自分がすべてのものの実相の善さを見る心になってこそ、環境の一切人を、一切事物をよく整えることができるのであります。>>

これが、唯心所現の真理であって、この真理を体得した人が「一切者の自覚」を持った人物ということになるのだと思いました。


みなさま、 ここで「第六章 恋愛・結婚・夫婦生活の倫理 」が終わりましたので、
次からは「第七章 家庭の宗教生活化」に進みたいと思います。

気軽にご参加くださいね!

4483a hope:2014/10/12(日) 17:04:54 ID:cEpBaIdo

>>4480 仏心さま

今夜、三つの戦前に天下った神示と終戦直後に天下った神示である大和の国の神示をじっくり読み返してみますね。

4484a hope:2014/10/12(日) 17:11:50 ID:cEpBaIdo

掲示板をご覧のみなさま

実は、大熊先生も昨日のブログで『生長の家の斎神』に関してとても重要なご教示をしてくださっています。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

以下に一部だけ、掲示板用に読みやすくするために改行を詰めて紹介させていただきます。合掌。

―――――――――
谷口雅春先生は、幽斎殿の斎神は、当初「天照大御神」「住吉大御神」「観世音菩薩」と思われていた。。
しかし「御心」を問われているうちに、霊感のある女性から来た手紙での指摘に「神意」を観られるのである。

そして、斎神を決定される。

「天照大御神様」
「塩椎大御神様」
「住吉大御神様」

御三神であると。

その意味は、「天照大御神」様の具現化としての「住吉大御神」様、「塩椎大御神」様であるが、
「塩椎大御神」様は、「御心」の具現であり、「御教え」であり「聖典」の象徴である。
「住吉大御神」は、その「御教え」を行動化(「浄化」澄み良し)する象徴であるのである。

しかして・・
3・11「東日本大震災」では、塩釜神社を祭祀する、宮城県を中心として「津波」の被害を受けたのであった。
聖典を象徴する海の神(産みの神)塩釜(塩椎大神)が、津波(流産児の涙)で・・冒されたのだ。

なんということであろう。

(つづく)

4485a hope:2014/10/12(日) 17:13:02 ID:cEpBaIdo
>>4484 つづき)

昭和60年5月24日。

最終講話で尊師は、私はもうお話しすることはない。
全て本に書いてあるから、読んでいただければいいのです。

とはっきり御遺言されたのでありました。

それを踏まえていうならば、生長の家的な、解釈であれば、
「御教え」である「聖典」の多くをおろそかに(読めなく)することそのものが真理隠蔽となるのであります。


そのことで必然、最初で最後谷口雅春先生が、神の御名で出された大号令。
「神命の書」さえも隠蔽されたのでありました。

(「神命の書」の写真)

幻の「神命の書」がいのちを守る奇蹟の事務所に届いた。。
ご覧になりたい方は事務所にお越しください。

そのことで・・「中絶」止まず、戦後総計、1億5千万人以上の「かわいい赤ちゃん」を無残に殺し続けた飽和点こそ、3・11ではなかったのか。

その深い意味が分かるのは・・谷口雅春先生から御教え(生命の實相・原理原則)と、
個人指導の根本となる、生命の法則(指導原理)(こうしたら、こうなる・・)を伝えられたからである。。

青天の霹靂どこではない。聖典の喪失である。
なんという皮肉。その直前に、教団から「聖典」は失われた。

自ら、社会事業団を「著作権問題」で訴えて、結果(最高裁で敗訴してしまったのだ)。

これからも裁判闘争が続くかもしれませんが、教団の勝訴は、まず、無理でありましょう。それは、失う前に捨ててしまった、その心の形の具現こそが「裁判」での「最高裁」の判決でありましょうから。
私はそのことを、一信徒として深く悲しむものであります。


[ただし例外としては「理念」たる大調和の精神を回復すれば聖典は戻るはず。
その方法・・メルクマール(目安)は、(1)住吉(澄み良し)の理念を回復し、
(2)尊皇の路線(完全平和)を回復し、(3)日の丸君が代を尊崇する精神(みすまる)を回復する事です。

そのことで、必然「聖典」は尊重されて、続々「再刊」「復刊」されるでありましょう。これぞ、塩槌の大神の復活であります。]

創始者谷口雅春先生の奥様であり、私たちの教えの母でもある「谷口輝子先生」は、裁判は生長の家に似合わない。
裁判というものは避けるべきものであると語られていたという事をよく聞きます。さすがであるな、と思ったものでした。

大調和こそ、御教えの根幹であるが、人間関係が「壊れたとき」に、和解ならぬ「裁判」があるわけで、
自ら裁判で訴えて負けるとは、生長の家史においては前代未聞。
当代では今後・・予想がつかないが(4代目以降も)、最低限の「モラル」がある限り、あり得ない事であろうと思う。

もし、このことが「恥ずかしい事」であるのなら、総裁先生おひとりの責任ではない。
私も信徒の末席にある者。信徒も含めた「生長の家」教団全員の全体責任であると思う。
聖典をおろそかにしている点。赤ちゃんを見殺しにし続けている点。

もうひとつ、畏れ多い事であるが、あえて言えば、「鎮護国家」外しは、生長の家出現の理念を根底から覆すものであったことに関して、
私は当時「講師」として宇治別格本山で末席にあったとはいえ、指導をさせていただいていた責任において私の責任を「懺悔」しなくてはならない。

御恩をいただいた多くの上司(谷口雅宣総裁先生)、先輩、同僚を含めて、限りない慈愛を戴き放しであり、
私も、この時期に「録を食んだ者」として・・安易に、批判できる立場にはない。

ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。

もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。

そこには、尊師(生長の家・生長の家大神)が「鎮護国家」のためにこそ、出現されたことの因縁が重ね重ね書かれてあるのだ。
生長の家の「悟り」と「神観」の全貌がそこに明記されているのである。

――――――――――

4486a hope:2014/10/12(日) 17:15:38 ID:cEpBaIdo

>>4484 >>4485 a hope 所感)

<<ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。
もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。>>

とありますが、正直に言えば、わたしは「鎮護国家」外しにほとんど違和感を感じませんでした。
鎮護国家という意味自体が全くわからなかったからです。(今もよくわかりませんが・・・)
大熊先生はその理由として、「神の真義とその理解」を読んでいないからだといわれています。

以前、一部を復興Gさまが謹写してくださったので、今、それも読み返そうかと思っています。
先日、春さまとのやり取りで少し紹介させていただきましたが、>>1081>>1090  そして >>1272>>1283  で拝読できます。

「生長の家の教え」は本当に深いですね。
でも、だからこそお勉強のし甲斐があるのですね!

4487神の子さん:2014/10/12(日) 23:37:14 ID:???
a hopeさま
>>(一) の方は榎本恵吾先生のご・主・張・で・は・な・い・のでです。

>>恵吾先生のご主張は、あくまも(二)であり、唯神実相、実相一元に徹し、貫かなければならない、とおっしゃっていますよね。


それなら了解です。よかった。実相独在、大好きです!!これをよくぞ知らせて下さった。雅春先生!って
つくづく思いますものね!これが知らなかったら、生きていけるのか?ですもの!

巷(ちまた)は 大概 ☆心の法則☆ が真理であったりするんですね。斎藤一人とか。

神人合一をめざすヨガや気功教室でさえも ☆物質有り☆。の考え方でしたからね。

 話、それて ごめんなさい。  では、


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